弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


戻る

平成16年2月25日判決言渡 
平成13年(ワ)第3654損害賠償請求事件
判決
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は,原告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
  被告は,原告Aに対し,金2405万0120円,原告B,原告C及び原告Dに対し,それぞれ金635万0040円並びに
これらに対する平成10年8月2日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,原告らの夫又は父親であったEが,被告設置の病院において,転移性肝癌のため肝左葉切除術を受けた
後に死亡したのは,担当医師に,①肝左葉切除術において右肝動脈を損傷させた過失,②肝動脈再建手術(肝動脈の
修復)を血管外科医に担当させなかった過失又は担当医師の手技上の過失,③手術後速やかに血栓除去の処置をしな
かった過失があったためであるとして,原告らが,被告に対し,債務不履行又は使用者責任に基づき,原告Aにつき,金
2405万0120円,原告B,原告C及び原告Dにつき,それぞれ金635万0040円の損害賠償金及びこれらに対するEの
死亡の日である平成10年8月2日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めているの
に対し,被告は,各過失及び因果関係について争っている事案である。
1 争いのない事実等
(1)ア Eは,昭和10年3月4日生まれの男性(死亡時63歳)であり,平成10年8月2日(以下,特に年を記載しない限
り,平成10年のことである。)死亡した。原告Aは,Eの妻であり,原告B,原告C及び原告Dは,Eの子である(争いのない
事実,甲A2,乙A1ないし3)。
 イ 被告は,F病院(以下「被告病院」という。)を設置しているものである(争いのない事実)。
(2) Eは,大腸癌のため,平成9年4月10日,被告病院を初めて受診し,遅くとも平成10年2月14日には,被告との間
で,転移性肝癌の治療に関する診療契約を締結した。
  Eの被告病院における診療経過について,別紙診療経過一覧表中下線部分を除いた「診療経過」及び「検査・処
置」欄記載の各事実,別紙検査結果一覧表中下線部分を除いた「検査内容」及び「検査結果」欄記載の各事実並びに
別紙投薬一覧表記載の各事実は当事者間に争いがなく,これらの下線部分並びに別紙診療経過一覧表及び別紙検査
結果一覧表中「原告らの反論」欄記載の事実のうち,青字部分は裁判所が認定した事実であり,赤字部分は裁判所が認
定しない事実である(以下,認定に使用する部分を単に「別紙診療経過一覧表」という。)。なお,上記下線部分及び「原
告らの反論」欄記載のその余の事実は,各争点についての判示において認定した事実又は認定の必要がなかったため
に認定を留保した事実ないし評価である。以上により認められるEの被告病院入院中の診療経過の要旨は,以下のとお
りである。
ア Eは,平成9年4月1日,他院で大腸癌との診断を受け,同月10日,被告病院を受診し,横行結腸及びS状結腸
癌の2箇所に進行大腸癌が,下行結腸にポリープがそれぞれ認められたため,同年5月6日,被告病院に入院し,同月1
2日,横行結腸部分切除術,S状結腸部分切除術,リンパ節郭清術を受け,同年6月11日に退院した。
  なお,病理組織検査によれば,Eの癌は,1型横行結腸癌,2型S状結腸癌,2群若しくは4群に当たり,リンパ節
転移があり,組織学的病期StageⅢb又はⅣの重複進行大腸癌であった。
イ Eは,その後,外来通院を続けていたが,血液検査,腹部CT検査及び腹部超音波検査の結果,2月4日,転移
性肝癌と判明し,被告病院に入院予約をしていたが,同月12日,下痢,嘔吐,腹痛を訴えて,被告病院救患室を受診し
そのまま入院し,同月14日に病棟を移り,同月19日から24日まで,腹部血管造影検査,腹部CT検査,超音波下肝生
検を受け,同月26日,転移性肝癌と診断された。
ウ Eは,3月3日肝左葉切除術(以下「本件手術」ということがある。)を受けることを承諾し,同月5日,被告病院のG
医師らの執刀の下,本件手術を受けた。G医師は,本件手術中,癒着剥離を進めている際に,腸管の一部を損傷したほ
か,右肝動脈を損傷した(その程度については争いがある。争点(1))が,これらを修復し,癒着を剥離した上で,肝左葉を
切除し,手術を終了した。
  しかるに,Eは,8月2日,被告病院において,肝不全,肝性脳症が出現し,死亡した。
2 争点
(1) 肝左葉切除術において右肝動脈を損傷させた過失の有無
(2) 肝動脈再建(肝動脈の修復)による肝動脈血栓症発症の有無
(3) 肝動脈再建手術(肝動脈の修復)を血管外科医に担当させなかった過失,又は担当医師の手技上の過失の有無
(4) 本件手術後遅くとも3月8日までに,速やかに血栓除去の処置をしなかった過失の有無
(5) 血栓症が発症したと認められる場合,死亡との因果関係(判断の必要がなかった。)
(6) 損害額(判断の必要がなかった。)
3 争点に対する当事者の主張
別紙争点整理表記載のとおりである。
第3 争点に対する判断
 1 Eの死亡に至った経過について
  (1) 前記第2,1(2)の事実,別紙診療経過一覧表及び証拠(乙A1ないし50,証人G,鑑定の結果(鑑定人針原康の
提出した鑑定書と鑑定人尋問の結果を併せて「鑑定の結果」という。)によれば,Eの本件手術から死亡に至った経過に
ついて,以下のとおり認められる。
  ア Eは,3月5日,G医師らの執刀の下,肝左葉切除術を受けた。
本件手術は,午前9時45分ころ開始され,G医師は,本件手術中,癒着剥離を進めている際に,腸管の一部を損
傷したほか,右肝動脈を損傷した(その程度については争いがある。争点(1))が,これらを修復し,癒着を剥離した上で,
肝左葉を切除し,午後5時30分ころ手術を終了した。
イ Eは,手術直後の血液検査の結果,白血球7500,Hb10.7,血小板164000,GPT396,T.B.1.3,CRP
0.6であり,手術の2時間後に行われた血液検査では,白血球5400,Hb11.7,血小板198000,GPT479,T.B.
2.1,CRP1.2であった。
Eには,同日から,ヘパリン1日当たり1万単位及びプロスタンディン(プロスタグランジン製剤)1日当たり120μg
の投与が開始され,ヘパリンについては同月16日まで,プロスタンディンについては同月13日まで毎日投与された。
ウ Eは,手術翌日である同月6日午前4時の血液検査の結果,白血球5100,Hb10.3,血小板146000,GOT1
670,GPT1890,LDH1800,T.B.2.3,CRP1.8であったが,その後,同日中にもう一度実施された血液検査にお
いては.白血球1000,Hb11.1,血小板121000,GOT4554,GPT4999,LDH6350,T.B.2.6,CRP4.6にな
り,翌7日には,GPT5445まで上昇し著明な肝機能障害が認められた。
エ Eは,その後,同月8日にはGPTは2510に半減し,同月9日
にはGPTが1545となったものの,血小板が54000まで減少し,肝虚血が併発し肝壊死を来している可能性が考
えられた。そこで,G医師は,同月10日,対DIC(汎血管内凝固症候群)治療も開始した。
オ G医師は,同月12日,Eについて肝虚血障害等を疑って,腹部CT検査を実施したところ,残肝後区域に肝梗塞
を疑わせる肝虚血巣の存在が判明した。他方,肝膿瘍の存在は認められなかったため,G医師は,引き続き抗凝固療法
や対DIC療法等保存的集中治療を実施した。
カ Eは,同月18日,GPT58と肝機能障害がほぼ消失改善し,血小板も127000まで増加して正常値となった。
キ Eは,4月8日,腹部CT検査の結果,残肝部の確実な肝再生と虚血壊死巣の縮小傾向及び同病巣周囲の線維
増生が認められた。
ク G医師は,同月16日,Eにスパイク状熱発が時折認められたため,腹部超音波検査を実施したところ,肝虚血壊
死巣の膿瘍化変化を認めた。
ケ G医師は,同月17日,血液検査の結果,Eについて白血球の増加を認め,肝虚血壊死巣の膿瘍化が発熱源で
ある可能性が疑われたため,超音波下膿瘍穿刺ドレナージを施行した。
コ Eは,5月2日ころから再びスパイク状熱発がみられるようになり,G医師は,ドレナージが不完全になった可能性
を考慮して,Eにドレナージ管をもう一本異なる場所から入れた。
サ その後,ドレナージが継続されていたが,6月3日,Eに対し,肝膿瘍腔造影検査を施行したところ,直径4cmの
膿瘍腔と横行結腸肝弯曲部との間に瘻孔が形成され,明らかに交通していることが判明し,発熱は,大腸から瘻孔を通っ
て膿瘍腔への逆行感染が原因となっている可能性が考えられた。
シ 同月16日には血液検査で肝機能障害(GPT277)が出現し,同月18日には著明な血小板減少(62000)が判
明した。
ス 同月19日には,CT検査の結果,残肝の旧膿瘍とは全く異なる場所である前上区域(S8)に巨大な肝膿瘍の存
在が判明し,G医師は,新肝膿瘍について,超音波下穿刺ドレナージ術を施行した。
セ 7月2日,Eに黄疸の増強が認められ,その後黄疸が増強悪化を続けた。
ソ 同月10日,前日に施行したCT検査と当日実施した超音波検査の結果,新たに別の場所に2箇所(S7,8)に肝
膿瘍が併発していることが明らかになった。G医師は,これら2つの新肝膿瘍に対しても超音波下穿刺ドレナージを行っ
た。
タ 同月15日には,レントゲン写真上,2番目にできた膿瘍腔(S8)は約7×3cm,3番目に生じた膿瘍腔の一方(S
7)は4×2cmまで著明に縮小し,当初の膿瘍腔と3番目に生じた膿瘍腔の一方(S8)はほぼ消失したことが判明し,翌1
6日のCT検査でも,全膿瘍腔の縮小傾向を認め,2番目の肝膿瘍以外のほかの3つはCT上ほぼ消失したといってよい
ほど縮小したが,黄疸の増強がみられた。
チ 同月22日,膿瘍腔の縮小傾向が認められたが,血液検査で黄疸の悪化が認められ,徐々に肝不全に移行して
いるものと認められた。
  同月27日には,血小板の減少(3500)を来し,対DIC治療及び肝性脳症の治療を開始したが,肝不全,肝性脳
症が出現し,Eは,8月2日,死亡した。
 (2) 別紙診療経過一覧表及び証拠(乙A1ないし50,鑑定の結果)によれば,上記(1)に認定したEの死亡に至る経過
について,次のように考えられる。
ア Eは,本件手術の翌日である3月6日にGOT4554,GPT4999,LDH6350と上昇しており,この血液データの
推移からみて,術後早期に肝細胞障害が生じていたと認められる。その原因には,肝うっ血,虚血,肝動脈損傷修復の
ための肝動脈遮断の影響が考えられるが,術後一週間目のCT検査上,残肝に,虚血性変化の結果と考えられる広範囲
の造影不良領域が現れているので,術直後のGPT上昇等の肝細胞障害は,虚血の影響と考えられる。
イ 残肝の広範囲な虚血性変化の原因については,脂肪塞栓や腫瘍栓が肝虚血性変化の原因となったとする報告
例は見当たらず,これらが実際に原因となった可能性は低いと考えられ,他方,本件手術では右肝動脈に術中損傷があ
り,それを修復した事実があること,右肝動脈の開存を証明する検査を施行していないことからすれば,最も可能性が高
い原因として右肝動脈血栓症による肝動脈の閉塞が考えられる。
ただし,本件手術のように,門脈血流が維持され,胆管が切離されていない症例では,門脈や胆管周囲の動脈系
の側副血行路によって肝臓に血液が供給されるので,右肝動脈の血栓が閉塞しても,肝細胞障害が起こる確率は一般
には高くはない。
  しかし,本件では,まれな事象ではあるが,もともとEの胆管周囲の動脈系の側副血行路の発達が悪かったため
に,右肝動脈の閉塞により肝臓全体への動脈系の血流が乏しくなり,肝細胞の虚血性壊死と胆管障害が起こったと考え
られる。
  なお,本件において,術後数週間を経過して徐々に壊死組織が吸収され,肝細胞の再生が認められたのは,胆
管周囲の動脈系側副血行路等が徐々に発達したためと考えられる。また,Eの肝虚血壊死巣の膿瘍化は,肝細胞壊死
部に壊死胆管等から細菌が入り感染を起こしたものと考えられる。
 ウ 当初できた肝膿瘍が徐々に縮小し,回復傾向に向かっていたEの病態が再度悪化したのは,6月3日ころ,肝膿
瘍腔と大腸の間に瘻孔が形成されたことを契機に,経胆管性又は経門脈性に肝臓の他の部位に菌が移行して膿瘍が拡
がり肝膿瘍と敗血症が重篤化しためであると考えられる。
すなわち,肝膿瘍が自然に大腸に穿破したのか(自然に瘻孔が形成されるのは非常に珍しいことで一般的には
予測不可能である。),ドレーンのチューブの入れ替えなどに伴って医原性に瘻孔が形成されたのかは明らかではない
が,最初の肝膿瘍と大腸が瘻孔でつながることによって大腸内の細菌が血管に入り,敗血症が起こって,経門脈性か経
胆管性に肝臓の他の部位に菌が移行して,同月19日にCT検査の結果判明した,残肝の旧膿瘍とは全く異なる場所で
ある前上区域(S8)に巨大な肝膿瘍等を作ったと考えられる。
肝左葉切除術から上記多発性肝膿瘍が生じるまでに時間を要していることから,最初の肝膿瘍が生じたのと同一
の機序で上記多発性肝膿瘍が発生したとは考え難い。
エ Eは,肝膿瘍と大腸の瘻孔の形成を契機にして肝臓に膿瘍が拡がり,肝膿瘍に伴う敗血症とそれに伴う多臓器
不全により死亡したと考えられる。
(3) Eの死亡の経過に関する被告の主張について判断する。
 ア 被告は,残肝の広範囲な虚血性変化の原因について,脂肪栓や腫瘍栓の
可能性を主張し,証人Gもこれに沿う陳述(乙A49,50)及び証言をするが,本件全証拠によっても,脂肪栓ないし
腫瘍栓が肝虚血性変化の原因となったとする症例報告等があるとは認められないし,鑑定の結果によっても,そのような
報告例は見当たらず,脂肪栓ないし腫瘍栓が原因となった可能性は非常に低いと認められるので,かかる被告主張は採
用できない。
また,被告は,手術操作の際の圧排,牽引等による動脈の攣縮や血管内膜血腫及び内膜損傷からの血栓症の
発症の可能性も主張するが,本件では,これらが生じたことをうかがわせる具体的事情は全くないのに対し,肝動脈の損
傷という血栓を生じ得る事態が具体的に発生しているのであるから,右肝動脈血栓症による肝動脈の閉塞であると判断
すべきであって,かかる被告主張は採用できない。
さらに,被告は,本件では,肝十二指腸間膜靱帯の郭清操作を行ったのと同じ状況にあり,横隔膜と肝との癒着も
剥離し,左右下横隔膜動静脈も結紮切離しており,右肝動脈起始部での血栓症が発生した場合,短期間で残肝全体が
壊死に陥るはずであると主張し,証人Gもこれに沿う陳述(乙A49,50)及び証言をする。
しかしながら,上記見解を裏付ける文献等証拠はなく,鑑定の結果によれば,通常であれば,胆管周囲の側副血
行路が存在するので,右肝動脈が閉塞したとしても,短期間で残肝全体が壊死に陥ることはないと認められ,また,証拠
(甲B21)によれば,肝門部胆管には左右肝動脈から分枝した小動脈があり,それらは胆管表面で豊富なネットワークを
形成し胆管の血行を担っていること,Maysらは,肝動脈を結紮した場合,動脈系の側副血行路は比較的早期に形成さ
れ,それらが形成されるまでの期間,門脈血流が維持され,門脈血の酸素化が十分行われていれば肝壊死はそんなに
生じないと結論づけていることを指摘する文献も存在していることが認められ,以上によれば,被告の上記主張は採用で
きない。
イ 被告は,Eの死亡について,進行大腸癌の肝転移という担癌状態を背景にした免疫力低下や癌再発を当然疑う
べき病態であったと主張するが,鑑定の結果によれば,担癌状態で免疫能が低下する場合には,通常画像的にも再発
の所見が認められるところ,本件では再発部位は明らかではなく,また,証拠(乙A2)によれば,7月22日にCA19-9が
216と高値(基準値37以下)になっているものの,それまでの検査データが不明であり,これが当然に癌の拡大を示すも
のとまでは認められないし,その他に癌の拡大を示す腫瘍マーカー等具体的なデータも指摘できず,癌死と診断するの
は適当ではないと認められるのであり,上記被告の主張も採用できない。
2 争点(1)(本件手術において右肝動脈を損傷させた過失の有無)について
 (1) 右肝動脈損傷の程度について
 G医師が,本件手術に際して,Eの右肝動脈を損傷したことは,当事者間に争いがなく,証拠(乙A2,49,証人G)
によれば損傷部位が右肝動脈起始部であることが認められるが,その損傷の程度について,原告らは,直径約2,3㎜の
右肝動脈を完全に離断したと主張するのに対し,被告は,直径約6,7㎜の右肝動脈起始部に直径約0.5㎜のピンホー
ル程度の損傷を生じたにすぎないと主張するので,以下,動脈損傷の程度を裏付ける事実として,原告ら及び被告が主
張,指摘するところを検討する。
ア 本件手術中の血管損傷に対する術中及び術直後の処置等について,証拠(乙A2,3,49,証人G)によれば,
以下の事実が認められ,他にこれを覆すに足りる証拠はない。
 (ア) 本件手術は,執刀医をG医師,助手をH医師及びI医師,麻酔担
当医をJ医師及びK医師として実施された。G医師らは,3月5日午前9時45分ころ,Eに対する本件手術を開始
し,開腹したところ,前回の横行結腸部分切除術,S状結腸部分切除術及びリンパ節郭清術後に生じた強固な癒着が腹
腔内ほぼ全般にわたり存在し,癒着剥離に5ないし6時間を要した。G医師は,剥離操作中に,横行結腸及び小腸の一
部を損傷し修復したほか,右肝動脈起始部を損傷し,少量の動脈性出血を来し,出血部位の上下に鉗子を用いて愛護
的に血流を遮断し,ヘパリン生理食塩水で洗浄し,7-0プロリン糸で縫合した。G医師は,出血部位から末梢側の拍動
を確認し,左肝動脈に鉗子をかけて右肝動脈の血流を確認した上,手術を続行し,肝左葉を切除して,午後5時30分こ
ろ手術を終了した。本件手術中,Eの血圧及び脈拍の推移に特に異常はなく,総出血量は670gで癒着剥離を要した肝
切除術としては少量であり,準備していた輸血用血液を使用しなかった。
 (イ) 本件手術直後及び手術2時間後の血液検査の結果からは,著変は認められなかった。
G医師らは,Eに対し,同日から,術後血栓予防の目的でヘパリン1日当たり1万単位の投与を開始するととも
に,プロスタンディン(20μg)を保険適応許容最大量である1日当たり120μgの投与を開始し,ヘパリンについては同
月16日まで,プロスタンディンについては同月13日まで毎日投与した。
 (ウ) 本件手術に関して作成された手術録,麻酔記録及び手術患者連絡表のうち,手術録には「No.12の操作
時,右肝Aをinjuryしたため,7-0proleneにてrepairす。」との記載及び図示があるが,損傷の大きさや形状の記載は
なく,修復に際して行われた肝動脈の遮断時間や遮断回数の記録はない。手術患者連絡表には,術名欄に「肝動脈血
行再建」の記載があるが,その看護行為記録欄には肝動脈損傷やこれに対応する行為の記載はない。
 (エ) 被告病院入院診療録(乙A2)の入院患者病名連絡票(4)には,病名として「肝切除,血行再建後再建血管血
栓症」,同外科入院患者病歴には,手術名として「肝左葉切除術,癒着剥離,横行結腸,右肝動脈再建」があるほか,本
件手術後,外科担当医から放射線科に対し,10回診断依頼が行われているが,その際に外科担当医によって作成され
た放射線科臨床情報用紙の依頼欄のうち,術後3月17日から5月22日までの5回分(これらはG医師以外の医師が作成
したものである。)には「肝左葉切除及び右肝動脈再建施行した」旨の記載がある。
   また,同診療録(乙A3)の患者経過表13枚中当初(6月19日まで)の8枚には,術式として「肝左葉切除,右肝
動脈再建」,同ICU患者経過表Ⅰ及びICU看護日誌には,術式として「肝左葉切除+横行結腸修復,肝A血行再建,
癒着剥離」,手術麻酔申込用紙の実施術式欄には「肝左葉切除,癒着剥離,胆のう摘出,冠動脈血行再建,横行結腸
修復」との記載がある。
イ 肝動脈損傷部位の血管及び縫合糸の太さについて
(ア) 被告は,Eの右肝動脈起始部の太さは6,7㎜であったと主張し,証人Gもこれに沿う陳述(乙A49,50)及び
証言をするのに対し,原告らは,Eの右肝動脈の太さは,約2,3㎜であったと主張し,これを裏付ける文献として,甲B1,
10ないし12を挙げる。
  この点,甲B1については,肝臓周辺の臓器を図解したものであって総胆管の直径は6ないし7㎜であるとの記
載はあるものの,それ以外に肝動脈の太さについて具体的な記載はなく,また,図解自体が正確な縮尺の下に記載され
たものであるか否かも明らかではない。甲B10については,右肝動脈に不整狭窄像が認められた事例である上に総肝動
脈から右肝,中肝,左肝動脈が同時に分岐するという通常と異なる形態であり,これらの影響で当該症例の右肝動脈が
標準的な右肝動脈起始部より細かった可能性も否定できないし,甲B11についても43歳男性の症例で肝固有動脈吻合
口は約2.0㎜であったというものであるが,これは腹腔動脈から狭窄像を示し,右胃動脈,脾動脈,総肝動脈にわたって
著明な狭窄,浸潤像を示していた事例であって,肝固有動脈についてもこれらの影響で通常より細くなっている可能性も
否定できない。
  甲B12は,生体肝移植に関する文献であって,吻合を行う肝動脈の口径について1ないし3㎜であることを前提
に議論をしているが,他方でドナー側の吻合血管は短く,レシピエント側には左右肝動脈が前後区域枝レベルの末梢ま
で残されていることが多いとされており,ここで吻合が予定されているのは肝動脈の末梢部分であると認められ,Eの右肝
動脈起始部の口径が同様の太さであるとは認められない。
  以上によれば,上記各文献によっても,Eの右肝動脈起始部の口径が2,3㎜であったとは到底認定できない。
  一方,右肝動脈起始部が6,7㎜であったとの証人Gの証言についても,これを裏付ける客観的証拠はないし,
同証言が外径,周囲の神経鞘を含んだ径のいずれを意味するものかも明らかでない。
  そして,鑑定の結果によれば,血管を吻合する場合には内径や外膜の直径を用いることが多いと思われるが,
手術時の記載では周囲の神経鞘を含めた太さで表現される場合も多いこと,肝動脈の周囲の神経鞘を含めた太さであ
れば右肝動脈起始部の太さを6,7㎜と表現しても誤りとはいえないが,肝動脈径は病態によっても大きく変化するもので
あることが認められ,したがって,他の症例や成書等に記載がある径をもってEの右肝動脈起始部の径を判断することは
困難であることも認められるのであって,結局,本件損傷部位である右肝動脈起始部の口径をいまだ確定的に認定する
ことはできないというほかない。
(イ) 縫合糸の太さについて
本件血管損傷修復に用いた縫合糸の太さは7-0プロリンであったところ,被告は,Eの右肝動脈起始部が6,7
㎜であることを前提に,そのような太い動脈に離断があった場合,7-0プロリンという細い糸を用いて縫合することはあり
得ないと主張し,証人Gもその旨陳述(乙A49,50)し証言する。また,乙B2には,大血管又は大動脈については2-0
ないし4-0,中血管又は中小動脈については4-0ないし6-0,細動脈では7-0以下のものを使用するとの記載があ
り,乙B1もおおむね同趣旨と認められ,甲B11には,大伏在動脈をグラフトとして肝動脈再建を行うに当たって腹腔動脈
起始部の大動脈側壁と大伏在静脈の末梢側の吻合(大動脈側の吻合口は約5㎜である。)には5-0糸を使用し,肝固
有動脈と大伏在動脈との吻合口は約2.0㎜であったが肝動脈側の吻合は,7-0糸を使用したとの記載があり,これら
は,被告の上記主張に沿うものであるとも考えられる。
なお,甲B13は生体肝移植についての文献であるが,肝動脈吻合は8-0,9-0糸を用いるとしており,甲B14
は,進行胆嚢癌に対し右肝動脈を合併切除した症例について,右肝動脈再建の際の縫合には8-0,9-0糸を使用し
たとしているが,これらはいずれも右肝動脈のうち起始部より末梢部位で吻合する場合であると認められるから,本件には
当てはまらない。
しかしながら,上記各文献の記載によっても,そこに記載された太さの糸を使用しなければならないとか,他の太
さの糸を使用しないという趣旨までは読みとることはできないし,鑑定の結果は,肝動脈再建や縫合に使用する糸は術者
の好みによるもので,標準はなく,肝動脈再建については5-0ないし9-0のいずれの糸も使用されるのであって,7-0
プロリンの糸が肝動脈吻合に細すぎて使用されないということはないと指摘していること,乙B1には,糸の太さの選択基
準について定まったものはないとする記載もあることなども併せ考慮すれば,7-0プロリンという細い糸を用いて右肝動
脈の完全離断を縫合することはあり得ないとの被告主張はいまだ採用できない。
(ウ) したがって,結局,肝動脈損傷部位の血管及び縫合糸の太さの点から本件手術の際の右肝動脈損傷の程度
を認定することはできない。
ウ その他の手術中の状況及び手術後の処置
 (ア) 前記ア(ア)の認定事実によれば,本件手術において,総出血量は670gと癒着剥離及び肝切除を施行した手
術中の出血量としては少量であって,輸血用血液を使用せずに手術は終了したことが認められる。
証人Gは,動脈を完全離断しておれば,大量の出血があったはずであると陳述(乙A49,50)し,証言するが,
これを裏付ける客観的な証拠はなく,かえって,鑑定の結果によれば,肝動脈損傷時の出血量は,周囲の剥離状況,損
傷の具体的場所,損傷の程度等によって影響されるところ,動脈壁の一部の損傷の方が,かえって完全離断よりも出血
量が多い場合もあり得るため,出血量の多少は動脈壁の損傷程度の判断基準とならないとの見解があることが認められ,
出血量が少ないことをもって,完全離断を否定し,ごく軽度の損傷であったと認定することもできない。
 (イ) また,前記ア(イ)の認定事実によれば,Eには,本件手術後,3月5日から同月16日まで毎日ヘパリン1万単
位,3月5日から同月13日までプロスタンディン(20μg)を毎日120μg投与していたことが認められる。
   被告は,プロスタンディン(20μg)については,肝再生目的で使用したと主張し,原告らは完全離断した動脈の
血行再建のために使用したと主張するところ,証拠(甲B15,乙A49,乙B3,8,9,証人G)によれば,プロスタンディン
(20μg)の能書には,効能・効果として,血行再建術後の血流維持等が挙げられており,肝再生は挙げられていない
が,慢性肝炎による広範囲肝壊死の症例にプロスタンディンを60μg投与して改善がみられたとする肝再生目的の使用
事例も発表されていること,プロスタンディン500は,能書上の効果・効能として外科手術中の低血圧維持,外科手術時
の異常高血圧の救急処置しか挙げられておらず,保険診療上,術後に使用することはできないことが認められる。
   また,証拠(乙B9,鑑定の結果)によれば,ヘパリンもプロスタンディンも血小板凝集能を抑制する薬剤であり,
いずれも血栓予防のための抗凝固療法として使用したと考えても差し支えのないものであり,動脈損傷の程度を問わず,
かかる血栓予防処置をとることは医学上理解できるものであることが認められる。
   これらによれば,プロスタンディンについては被告が主張するとおり術後の肝再生効果を期待して投与したとし
ても了解可能であるし,本件手術中に肝動脈に何らかの損傷を生じたことにかんがみ,血栓予防措置の1つとして投与し
たとしても了解可能であり,本件手術後にこの薬剤を投与していることをもって右肝動脈を完全離断したことの措置である
と限定して認めることはできないし,さらには,右肝動脈を完全離断したことを認めることは到底できない。
原告らは,プロスタンディン500は肝再生目的で使用されるが,プロスタンディン(20μg)は血行再建目的であ
り,本件の投与量では肝再生の効果はないと主張し,その裏付けとして甲B15を挙げるが,甲B15は,プロスタグランジン
が種々の原因による肝障害に抑制効果を持ち,急性肝不全に対する効果が認められたこと,至適投与量の検討が行わ
れていること,プロスタグランジンE1は肺で不活性化されるため生体での効果に疑問があるとの意見もあることなどが指
摘されているにとどまり,原告らが主張するような趣旨を読みとることはできない。さらに,原告らは,ヘパリンの使用量は
血行再建した場合の通常の使用量であり,被告主張の0.5㎜程度の損傷なら投与しないと主張するがこれを裏付ける証
拠もない。
以上によれば,これらの薬剤の投与は,肝動脈損傷後の処置として考え得るにしても,損傷の程度を判断する
根拠となるとは認められない。
(ウ) 被告は,もし,右肝動脈を完全離断し血管吻合を行ったならば,いったん手術を中止し,吻合部の開通性を
後日確認した上で改めて肝切除を行わないと危険であるが,本件の損傷が微細なものであったから,手術を続行したと
主張し,証人Gもその旨を陳述(乙A49,50)し,証言するが,かかる措置が通常行われることを裏付ける客観的証拠は
全くなく,どの程度の損傷であれば,血栓を生ずる危険性が高いとして手術を中止すべきであるか,続行してよいかも全
く不明であって,鑑定人が,肝動脈の完全離断であれ一部の損傷であれ血栓閉塞の危険性は高くなることを指摘し,か
つ肝動脈に血栓による閉塞を生じても肝細胞の虚血障害が起こる頻度は決して高くないなど指摘していることに鑑みて
も,上記陳述及び証言の医学的当否には疑問があり,被告の上記見解は採用できず,この点を動脈損傷の程度の判断
材料とすることもできない。
エ 以上の認定事実及び検討結果に基づき,判断する。
     前記アの認定事実のとおり,本件の診療録等には「肝動脈再建」「血行再建」の記載がされており,かかる表現を
肝動脈の一部損傷修復の場合に使用することは一般的でないことが認められる(鑑定の結果)。
     しかし,この点について,被告は,診療録等の記載は,残肝再生のために手術後プロスタンディンを使用するべ
く,患者の経済的負担も考えて,保険診療として点数がつくように,プロスタンディン(20μg)の適応である血行再建との
記載をしたいわゆる保険病名であって,真実の病名の記載ではないと主張し,証人Gもその旨陳述(乙A49)及び証言
するところ,乙A2によれば,本件の診療録には,入院患者病名連絡票に「平成10年3月4日低アルブミン血症,同月5日
急性循環不全,ショック,出血傾向・凝固異常,肝不全,肝性脳症,呼吸不全,同月6日上部消化管出血,同月7日肝腎
症候群」等の多数の病名が記載されているが,本件の診療経過に照らして,保険病名であると推認される記載も多く含ま
れていることが認められる。そして,保険審査上の問題点はさておき,かかるいわゆる保険病名の記載が現実に行われて
いる可能性は否定できない。そうすると,かかる記載をすることが担当医師間で決定され診療録にその記載がされ,これ
に従ってその後の記録作成が行われたとの証人Gの陳述(乙A49)も一応合理性があり,これを排斥するに足りる的確な
証拠もない。また,本件診療録の手術録等は,麻酔記録や看護記録を含めて肝動脈の遮断時間や遮断回数等が記載さ
れておらず簡単な記載にとどまるが,小腸等の損傷も含めて修復部位の記載や肝動脈損傷の修復に使用した縫合糸の
記載はあるのであって,肝動脈遮断の手技に関する記載がないのは,ごく小さな損傷にとどまり,長時間又は複数回にわ
たる動脈遮断を要しなかった(なお,証人Gは,1回動脈を遮断し,5分くらいで処置をした,ごく軽微な損傷修復は手術
録に損傷の程度等詳細を記載しない旨証言する。)ために記載を不要と判断したことによるものだとしても一応合理的に
了解可能である。
     これらを総合すれば,診療録等の「肝動脈再建」「血行再建」との記載をもって,直ちに本件の肝動脈損傷が完
全離断であったと認定することはできない。
     一方,被告は,血管を完全離断した場合は「repair」ではなく,「reconstruction」と記載するとか,離断の程度,
再建方法等が手術録に記載されていないのは,軽微な損傷にすぎなかったからであるなどとも主張し,証人Gはこれに
沿う陳述(乙A49,50)及び証言をするが,これらの点をもって,直ちに本件の肝動脈損傷が0.5㎜のピンホール程度の
損傷であったと断ずることもできない。
     そして,本件全証拠に照らしても,その他,本件の肝動脈損傷の程度を具体的に認定するに足りる的確な証拠
はない。
   オ 以上のとおり,本件においては,診療録等の記載,肝動脈損傷部位の血管及び縫合糸の太さ,その他手術中
の状況及び手術後の処置のいずれを検討しても肝動脈損傷の程度を具体的に認定することができないといわなければ
ならない。もっとも,いずれにせよ右肝動脈に損傷があったことは明らかであり,かつ完全離断であれ一部損傷であれ,右
肝動脈の損傷によって血栓を生じたことは前記1(2)イに認定したとおりである。
(2) 右肝動脈損傷は,被告G医師の過失によるものか否か
前記(1)アの認定事実によれば,本件手術においては,Eの腹腔内の癒着が著しく,癒着剥離が非常に困難で長
時間を要したことが認められる。
鑑定の結果によれば,このような場合,癒着剥離の過程において臓器損傷が不可避的に生じ得ることが認められ,
本件の右肝動脈損傷(完全離断の場合を含む。)が不可避的に生じたものではなく,不適切な処置によるものであること
をうかがわせる事情もなく,本件全証拠中にこれを認めるべき証拠はないから,本件の右肝動脈損傷に過失があるという
ことはできない。
3 争点(3)(同日の肝動脈再建手術(肝動脈の修復)において,血管外科医に担当させなかった過失又は担当医師の
手技上の過失が認められるか)について
(1) 前記1(2)に認定したとおり,本件手術において右肝動脈に損傷が発生し,肝動脈再建手術ないし肝動脈の修復
(以下「肝動脈再建」という。)を行った結果,右肝動脈血栓症による肝動脈の閉塞を生じたことが認められるところ,G医
師が,肝動脈再建を血管外科医に担当させなかった点に過失があるか検討する。
ア 原告らは,消化器外科医であるG医師は,血管再建の専門家ではないから,肝動脈再建を実施するに当たって
は血管外科医に担当させるべきであると主張し,その根拠として甲B8及び14を挙げる。
しかしながら,甲B8及び14は,いずれも同じ大学の同一の外科学教室執筆の文献であり,肝動脈再建の実践に
ついて,形成外科医と協同で行っている旨を報告するものであって,消化器外科医は,肝動脈再建を形成外科医ないし
血管外科医と共に行わなければならないという根拠にはならないし,かえって,証拠(甲B11,13,16ないし18,21)によ
れば,多くの施設で,消化器外科医らが肝動脈その他の血管再建を行っていることが認められる。
イ さらに,証拠(乙49,50,証人G)によれば,G医師は,昭和60年に医師資格を取得後,平成10年当時までの1
3年間に,消化器外科医として,消化器系の手術を執刀医として250例,助手として350例経験しており,このうち肝胆膵
脾に関する手術は執刀医として180例,助手として250例経験していること,平成6年4月から平成8年ころまで米国ピッ
ツバーグ大学移植外科に留学しており,その間,ネズミの小腸移植及び肝移植実験等を主に行っており,症例数は300
ないし400であること,ネズミの小腸移植の際にはマイクロサージェリーで1ミリ以下の血管を吻合しており,血管再建及び
マイクロサージェリーの手技に習熟していたことが認められる。
ウ したがって,G医師は,血管再建の専門的技能を有しているものと認められるから,肝動脈再建を自ら行うべきで
なく血管外科医に担当させるべきであり,これをしなかったことが過失であると認めることはできない。
(2) さらに,G医師がマイクロサージェリーを選択しなかった点その他本件肝動脈再建について手技上の過失がある
か否か検討する。
ア 原告らは,裸眼で直径2,3㎜の血管を閉塞なく再建するのは困難であり,G医師が裸眼で肝動脈再建を行った
点に過失があると主張する。
イ しかしながら,前記2(1)イ(ア)で判示したとおり,本件において血管再建
が行われたEの右肝動脈起始部が直径2,3㎜であったとの認定はできない。
  また,証拠(甲B8,10,12ないし14,16)によれば,肝動脈切除後の血管吻合をマイクロサージェリーで行うとす
る文献が多いことが認められるが,甲B16は,「可能な限り3mm径以下の血管吻合はmicrosurgeryとして顕微鏡下に行う
べきである。」と記載しているし,証拠(甲B8,12)によれば,マイクロサージェリーによって吻合したとしても一定の割合で
閉塞が生じることが認められる。
  さらに,鑑定の結果によれば,肝動脈に損傷があった場合には血栓による血管閉塞の危険が生じ,完全に血栓
を防ぐことができる修復方法はなく,マイクロサージェリーによって吻合した場合であっても,血管閉塞の危険がなくなるも
のではないし,本件は,当初から肝動脈再建が予定されていた手術ではなく,肝動脈損傷という不測の事態が生じた事
案であるところ,かかる場合に,マイクロサージェリーを用いるかどうかは,術者であるG医師の広範な裁量に委ねられて
いるというべきであって,血管の口径,損傷の状況,マイクロサージェリーを実施するに当たっての備えがあるか否か等の
諸般の事情を考慮して判断すべきであると認められるところ,本件全証拠によっても,G医師に上記裁量の逸脱があった
と認めるに足りる的確な証拠はない。
ウ 以上によれば,G医師がマイクロサージェリーを用いて肝動脈再建を行わなかった点においていまだ過失がある
とは認められない。
エ また,本件において,G医師が右肝動脈再建をするに当たって,その他手技上の過失があったと認めるに足りる
べき証拠はない。
オ したがって,G医師が右肝動脈再建をするに当たって,過失があったとは認められない。
(3) 以上によれば,G医師において,肝動脈再建の際に,血管外科医に担当させなかった過失又は手技上の過失が
あったとは認められない。
 4 争点(4)(本件手術後遅くとも3月8日(第3病日)までに,速やかに血栓除去の処置をしなかった過失の有無)につい

(1) まず,G医師が本件手術後速やかにドプラー超音波検査等を行い,血栓除去の処置をしなかった過失の有無に
ついて検討する。
 ア 前記1(1),(2)の認定のとおり,Eに残肝の広範囲な虚血性変化が生じた最も可能性が高い原因として,右肝動
脈血栓症による肝動脈の閉塞が考えられるが,G医師らは,Eに対し,本件手術当日から,ヘパリン及びプロスタンディン
を投与したのみで,ドプラー超音波検査等を実施しなかったところ,原告らは,本件では肝動脈離断による血行再建が実
施されており,血栓症が強く疑われるのであるから,G医師は,右肝動脈再建直後からドプラー超音波検査等を実施し
て,血流の有無を確認し,血管閉塞が疑われれば直ちに血管造影を行い,早期に血栓塞栓を発見し,血栓除去の処置
をするべきであったと主張する。
イ(ア) まず,肝動脈の閉塞による障害について,証拠(甲B2,10,16
ないし19,乙B1)によれば,血行再建が行われた肝動脈については,血栓による閉塞が生じ,肝動脈閉塞によっ
て肝細胞障害や肝膿瘍を生じる場合があること,一方で,肝動脈閉塞を人為的に生じさせる肝動脈塞栓術において術後
の肝膿瘍発生は比較的まれで,発症頻度は2%,0ないし5%,1.2ないし7.0%等と報告されていることが認められる。
 (イ) そして,前記1(2)イ認定の事実及び鑑定の結果によれば,本件手術のように,門脈血流が維持され,胆管が
切離されていない症例では,門脈や胆管周囲の動脈系の側副血行路によって肝臓に血液が供給されるので,右肝動脈
の血栓によって閉塞しても,肝細胞障害が起こる可能性は必ずしも高くないと考えられ,本件において肝動脈閉塞によっ
て肝障害が起きる可能性は,肝動脈塞栓術後の発症頻度よりさらに低い数値になると考えられることが認められる。
 (ウ) この点に関する文献(甲B2,8,19,21)によれば,甲B2においては肝膿瘍が生じるのは,肝動脈閉塞に加
えて,①胆道消化管吻合等によって逆行性胆道感染がある場合や②門脈又は毛細血管の血流障害が重なって肝組織
への血流障害が生じ,胆管上皮の壊死,断裂が生じる場合であるとされていること,甲B8で紹介されている肝動脈閉塞
後肝膿瘍を来した各事例はいずれも,肝動脈再建又は放射線照射に加えて,肝十二指腸間膜リンパ節郭清及び胆道
再建も行われていること,甲B16の肝動脈閉塞3日後に肝不全を来した症例についても,左右肝動脈の再建と共に,門
脈再建も行われていること,甲B19で検討された胆道癌,膵癌における術後肝膿瘍については,いずれも胆道再建後の
肝動脈閉塞による胆管壊死性肝膿瘍と考えられたことなどが認められ,これらはいずれも上記(イ)に判示した鑑定の結果
に沿うものと考えられる。
   なお,甲B18は,肝動脈塞栓術後及び再建肝動脈狭窄の肝膿瘍の原因は,肝内胆管が肝動脈による毛細血
管網から栄養を受けているため肝動脈血流低下によって引き起こされた肝内胆管の虚血,壊死から胆汁が肝実質内に
穿破し,肝膿瘍となったと考えられるとする見解を示しているが,これは執筆者が扱った数個の症例について肝膿瘍が発
生した原因を紹介したものにすぎず,臨床上の一般的見解として述べたものではないし,肝動脈閉塞によって肝障害が
起きる発症頻度を明らかにしたものでもないので,上記認定を左右するものとは解されない。
ウ 次に,鑑定の結果によれば,血栓除去のための検査,血栓除去手術等について以下の事実が認められる。
 (ア) 肝動脈開存に関する検査としては,ドプラー超音波検査,造影CT,
肝動脈血管造影がある。
 (イ) ドプラー超音波検査及び造影CTによって,肝動脈の波形が確認できたり,動脈が造影されれば肝動脈の開
存が証明できるが,反対に,ドプラー超音波検査によって波形が確認できず,造影CTによって動脈が造影されない場合
には,血管が閉塞していると断定できるほど精度が高いものではないので,血管閉塞を判断するためには肝動脈血管造
影を行って確定診断をすることが必要となる。また,ドプラー超音波検査は,平成10年当時,これに非常に習熟した者で
なければ判断が難しく,特に術後体外から行うドプラー超音波検査によって血流が完全閉塞していることを診断するのは
非常に難しいとされていた。
 (ウ) 一方,肝動脈血管造影は,診断精度は高いが,患者を血管造影室に移し,太腿の動脈からカテーテルを挿
入し動脈に造影剤を入れるという検査であるので,患者への侵襲度が大きく,証拠(甲B19)によれば,血管造影のため
に挿入した肝動脈への動注カテーテルによって,肝動脈塞栓が生じた例もあることが認められるように,血管造影自体に
よるアナフィラキシーショックやカテーテルによる肝動脈壁損傷及び血流障害等の危険性があるので,肝動脈血管造影
を行うかどうかは慎重に判断されなければならないし,また,肝動脈血管造影によって肝動脈閉塞が判明しても,血栓の
長さによっては,外科的手技において肝臓側の肝動脈が吻合できる状態にあるとは限らないし,外科的手技による血管
再建は技術的に非常に難易度が高く,再手術による肝動脈の再建は非常に困難である。したがって,外科的手技によっ
て肝動脈の再建が十分できることが想定される状況の下であれば,肝動脈血管造影を行うことになるが,そうでなければ
肝動脈血管造影を行わない判断は十分あり得るし,ドプラー超音波検査についても,同様に次の処置を行うことができる
かという観点から検査を行うものである。
 (エ) 肝移植を行う場合には,胆管を切離するので,肝臓への唯一の血流が
肝動脈になるところ,肝動脈の閉塞が起きて肝臓への血流が十分得られないと,移植肝の壊死に直結することに
なり,再移植を行うしか方法がないことになる。したがって,そのような場合には,ドプラー超音波検査を朝晩ルーチンとし
て行い,生化学データの変化が起こる前に血流の変化をとらえて肝動脈の再建を行う必要があるが,肝移植以外の一般
的な臨床の場で常にドプラー超音波検査を行うことは難しいし,ドプラー超音波検査を行ってもその後の措置が必ずしも
予定されているものではない。
   なお,証拠(甲B12,13,17,20及び33)によれば,生体肝移植において肝動脈閉塞は移植肝の壊死につな
がり,レシピエントにとって致命的な合併症となることから,ドプラー超音波検査を実施するべきであるとか,ドプラー超音
波検査が有用であるなど記載している文献が存在することが認められ,これらの文献の記載は,鑑定人の上記見解に沿
うものと認められる。
エ(ア) 以上によれば,上記イに認定した,本件のように門脈血流が維持され,胆管が切離されていない症例では,
右肝動脈が血栓によって閉塞しても肝細胞障害が起こる可能性は必ずしも高くないことに加えて,上記ウに認定したドプ
ラー超音波検査,造影CT等の効果,肝動脈血管造影の身体に与える侵襲度,外科的手技による血管再建の困難性な
どを考えると,鑑定人の指摘するとおり,本件においては,肝動脈再建ないし修復後,臨床上必ずドプラー超音波検査を
行うべきであるとはいえないし,仮にドプラー超音波検査を実施したとしても,血流の診断ができなければ,次に肝動脈血
管造影を行い,さらには外科的再建手術まで行うとの診療手順を想定して,検査を進めるべきであったともいえないか
ら,抗凝固療法を行いながら経過観察を続けるというG医師の判断が医学的に誤りであって過失であると評価することは
できないといわなければならない。
 (イ) 甲B14は,進行胆嚢癌の外科的治療の際,肝動脈及び門脈の血行再建をした場合について,術後管理とし
て,連日カラードプラーエコーによる動脈及び門脈の血流の測定を術後2週間行っており,血栓が疑われる場合には直
ちに造影CT,血管造影を行い,吻合部付近に限局した血栓であれば血栓除去術を行い,肝内分枝まで及ぶ場合はウ
ロキナーゼによる線溶療法に期待するとしているが,上記症例と本件を同様に扱うべきか否か明らかではなく,直ちに上
記判断を左右するに足りるものではなく,他に上記判断を覆すに足りる証拠もない。
   また,甲B17は,局所血栓溶解療法を使用した旨報告するが,それまで同報告以外には肝移植後の血栓症に
おける使用例のない薬剤を用いて効果があったと報告するものであって,かかる報告例が存在することをもって局所血栓
溶解療法を行うべきであるということはできないし,前記1(1),(2)に判示したとおり,G医師は,手術直後からヘパリン及び
プロスタンディンを投与しており,かかる処置は血栓症予防のための抗凝固療法として医学的に理解できるものであり,こ
れを不適切と認めることはできない。
オ よって,G医師が,Eに対し,本件手術当日から,ヘパリン及びプロスタンディンを投与したのみで,ドプラー超音
波検査等を実施しなかった点に過失を認めることができない。
  (2) 次に,G医師が遅くとも3月8日(第3病日)までにドプラー超音波検査等を行った上で血栓除去の処置をしなかっ
た過失の有無について検討する。
   ア 原告らは,3月6日定時の血液検査結果は,GPT4999と急上昇しており肝細胞障害が強く示唆されており,本
件では肝動脈離断による血行再建が実施されており,血栓症が強く疑われるのであるから,遅くとも3月8日までには,ド
プラー超音波検査を実施して右肝動脈の血流の有無を確認し,再手術又は血管造影及びカテーテルによる血栓除去を
実施するか,血栓溶解剤の投与等の適切な処置を行うべきであったと主張する。
イ 前記1(1)イウの認定事実によれば,EのGPTは,手術直後の血液検査の結果において396,手術2時間後の血
液検査において479,手術翌日である同月6日午前4時の血液検査においては1890であったのが,同日中にもう一度
実施された血液検査においてはGOT4554,GPT4999,LDH6350であり,翌7日にはGPT5445となって,3月6日に
はEに著明な肝機能障害が認められた。
ウ 鑑定の結果によれば,肝動脈閉塞後数時間以内に診断がつけば,いまだ血栓が肝動脈損傷修復近傍にとどま
っているので,血栓の除去,血行再建等の治療を考慮できる場合もあるが,血栓は時間の経過と共に動脈内を伸びてい
く場合が多く,血栓が肝内の動脈まで伸びた場合には,外科的手術その他の治療により肝動脈の血行を回復することは
不可能となることが認められる。
そして,鑑定の結果によれば,本件の場合,上記アの血液検査結果の推移によれば,手術翌日にはGPT等が異
常な上昇をしており,術後早期に肝動脈閉塞が起こったものと考えられ,既にこの段階で虚血性変化によって肝細胞障
害が発生していたものと認められるから,その後にドプラー超音波検査等を行っても肝動脈閉塞による肝細胞障害を回
避することはできなかったと認められる。
エ 以上によれば,そもそも,上記(1)で判示したとおり,G医師において,ドプラー超音波検査,肝動脈血管造影,外
科的手技による血管再建等を実施すべき法的義務があったとは認められないし,さらに,血液検査の結果GPTが4999
と急上昇していることが判明し著明な肝機能障害が認められた3月6日の時点においては,ドプラー超音波検査等を行っ
ても肝動脈閉塞による肝細胞障害を回避することはできなかったと認められるから,G医師に原告ら主張の過失があった
ということはできない。
(3) さらに,原告らは,G医師は肝動脈を完全離断したのであるから,修復部の開通性を後日確認した上で改めて肝
切除を行うべきであったのに,漫然と手術を続行した過失があるとも主張する。
  しかし,肝動脈の損傷程度が完全離断であったか否かは明らかといえないことは前記2(1)に判示したとおりであり,
したがって,かかる過失も認められない。
7 以上によれば,原告ら主張の各過失はいずれも認めることができないから,その余の点につき判断するまでもなく,
原告らの請求はいずれも理由がなく,これを棄却し,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第34部
裁判長裁判官  前 田  順 司
裁判官  池 町  知 佐 子
裁判官  増 尾  崇
(別紙診療経過一覧表省略)
(別紙検査結果一覧表省略)
(別紙投薬一覧表省略)
(別紙)
争 点 整 理 表
  
1 争点(1)(肝左葉切除術において右肝動脈を損傷させた過失の有無)について 
 (1) 肝左葉切除術における右肝動脈の損傷の程度及び状況
(原告らの主張)
G医師が,本件手術において,Eの右肝動脈を右肝動脈起始部付近で完全離断したことは,以下の事実により明ら
かである。
ア 本件手術においては,次のとおり,肝動脈の離断に対する処置として,肝動脈再建術が施行されている。
(ア) 5枚の「放射線科臨床情報用紙」に,外科担当医により「‥肝動脈再建
施行した患者です・・」と記載されている。外科医が「再建」と記載するのは完全離断した動脈を縫合した場合のみ
である。また,「放射線科臨床情報用紙」にわざわざ「肝動脈再建施行」と書くのは,それが非常に重要な損傷だったから
である。被告主張のように0.5mm程度の孔を開けたくらいでは,このような記載はしない。
(イ) 他に診療録,手術患者連絡表,入院患者病名連絡票,患者経過表,ICU患者経過表,看護日誌,手術麻酔
申込用紙に,それぞれ「血行再建」又は「右肝動脈再建」の記載がある。
イ 肝動脈損傷に対する処置に関するその他の主張
(ア) 本件手術の手術録には,右肝動脈を損傷した旨の記載があるが,被告が
主張する右肝動脈に0.5mm程度の孔を開けただけなら,手術録に「損傷」と記載することはない。
(イ) 被告は,Eの出血部位の肝動脈の直径が6~7mmであると主張するが,65歳男性の右肝動脈,中肝動脈,左
肝動脈を再建し,これらの血管の直径が約2mmだったこと,43歳男性の固有肝動脈(これが分岐して右肝動脈と左肝動
脈になる)の吻合口が約2.0㎜であったこと,吻合を行う肝動脈のサイズは口径1~3㎜であったことが記載されている文
献があり,したがって,肝動脈起始部の直径は2~3mmであり,被告の主張は誤りである。
  また,被告は,右肝動脈を離断した場合,右肝動脈起始部を7-0プロリン糸のような細い糸で縫合することはな
い旨主張するが,43歳男性の肝動脈の縫合を7-0糸で行うこと,肝動脈吻合には8-0ないし9-0糸を用いること,右
肝動脈再建の縫合糸は8-0又は9-0糸を使用していることが記載されている文献があり,したがって,被告の主張は誤
りである。
(ウ) 被告は,肝動脈を離断したのであれば,瞬時に大量出血があり,輸血を必要としたはずであると主張するが,動
脈損傷も適切な処置によりすぐ止血し得るものであり,輸血に直接結びつくものではない。
ウ 処置後の投薬その他カルテ等の記載に基づく主張
 (ア) G医師は,本件手術当日の3月5日から,Eに対し,ヘパリン1
万単位/5%糖液250mlの投与を指示している。これは,血行再建したときの通常の投与量であり,0.5mm程度の
損傷ならヘパリン1万単位投与はしない。
 (イ) Eに対し,3月5日からプロスタンディン(20μg)が6本(120μg)使用されている。プロスタンディンには,20μ
gと500μgがあり,20μgは,血行再建後の血流維持の目的で使用され,500μgは肝再生の目的で使用される。20μ
gが使用されたことは,血行再建があったことを示すものである。
   被告は,肝再生の促進を目的とする投与であったと主張するが,Eの肝切除量と術前の肝予備力からすれば,肝
再生のための薬剤の投与が必要であったとは思えないし,ブロスタンディン(20μg)を6本では少量すぎて,肺で吸収さ
れて失活するので肝再生には役立たない。
   文献には,Levyらのグループが劇症肝炎患者にプロスタンディンを投与して75%の救命率という驚くべき成績を
上げたこと,一方,この文献の筆者らが劇症肝炎患者にプロスタンディンを投与した場合の救命率は36%であったこと,
この違いは,Levyらが0.6μg/kg/hr(750μg/dayに相当)を投与したのに対し,筆者らの投与量は60~500μgであ
ったことによること,至適投与量の検討で用量依存的に肝機能,自覚症状,他覚所見の改善がみられたことが記載されて
いる。
   また,保険診療の対象とするために,レセプトに実際に行っていない「血行再建」と記載することはあるとしても,カ
ルテ等病院内で使われる診療録に事実に反する記載をすることはあり得ない。
 (ウ) カルテ等一切の記録中に,「直径約0.5mmのピンホール程度の損傷」との記載はない。
(被告の主張)
 本件手術においては,肝動脈起始部付近に,直径約0.5mmのピンホール程度の損傷が生じたにすぎない。
  ア 損傷に対する止血の処置等とカルテなど診療記録の記載に関する主張
(ア) 本件手術において,肝門の強固な癒着をメッツェンパームで慎重に剥離
している際,動脈性の出血を認めた。出血源は,右肝動脈起始部付近の直径約0.5mmのピンホール程度の血管
壁損傷と判明した。同部よりの出血を止めないと,止血操作がやりにくいので,その損傷部の上下に鉗子を用いて愛護的
に血流を遮断し,7-0プロリン糸を用い2針で縫合止血した。血管を離断していたのであれば,本件のような直径6~7
mmの動脈を,7-0プロリンのような細い糸で縫合することはない。この後,視診,触診共に修復部より右肝動脈末梢側の
拍動を明らかに確認できた。もし,右肝動脈を完全離断し血管吻合を行ったならば,その吻合部の開通性を後日確認し
た上で,改めて肝切除を行わないと危険である。しかしながら,本件の場合,完全離断ではなく,微細なピンホールの損
傷修復で済んだため,その後肝切除操作に移り,約2時間で肝左葉切除を終了した。
(イ) カルテ等に記載した「血行再建」という言葉は,単に残肝の肝再生の促進を図り,かつ患者の医療費負担軽減
も考慮し,保険診療でプロスタンディンを使用するために,「血行再建術後の血流維持」の名目が必要であり,やむを得
ず用いたものである。本件以外の肝切除症例にも,実際「血行再建」を施行していないが,同様の理由で手術患者連絡
票やカルテ等に「血行再建」と記載した例がある。
  なお,本件においては,結紮止血ではなく,愛護的に鉗子を用いて血流を遮断し,ピンホールを縫合閉鎖後に血
行を再開させており,このような場合,広い意味で「血行再建」という言葉を使うこともあるから,この意味でも,不適切な言
葉を用いたわけではない。
(ウ) 原告らは,教科書的な模型図により,門脈と肝動脈の太さを比較して肝動脈起始部の直径を2~3mmと主張す
るが,各動脈の太さは個人差があり,同じ個人でも病態により異なるものであり,原告ら主張は誤りである。
イ肝動脈損傷に対する処置等に関するその他の主張
(ア) 原告らは,手術録に右肝動脈を損傷した記載があることを指摘する。
  手術録には,手術の重要なポイント,キーとなる所見や操作方法を記載し,あまり重要でない事柄は詳細には記
載しない。本件は,担当医が,肝胆膵領域を専門とする外科医として,残肝栄養の1つの担い手である右肝動脈にいか
に軽微なものであれ損傷が起こったことを簡潔に記載したものであり,いちいち損傷の程度までは記載しない。例えば,
癒着が強固な腸閉塞の手術の場合,その剥離操作に際し複数の腸管損傷が避けられないこともしばしばあり,その複数
の腸管損傷それぞれに対して,各々の損傷程度(大きさや部位,全壁にわたる損傷なのか漿膜筋層にとどまる損傷なの
かなど)を記載はしない。本件手術録にも,「Tcolon(横行結腸),小腸の一部を損傷し,同部をrepair(修復)した。」と記
載され,これと同レベルの意味合いで,「No.12の操作時右肝A(動脈)をinjury(損傷)したため,7-0prolene(プロリ
ン)にてrepairす。」と記載しているもので,術中のエピソードとして重要視されるような事柄ではなかったことがうかがわれ
る。もし右肝動脈の大きな損傷,例えば不完全離断の場合などであれば,その血管の全周に対して離断の占める割合
(例えば4分の1等)や再建法(縫合糸の種類,縫合形式や縫合方法等)を記載するのが一般的であって,このような詳細
な記載がないことからも,損傷が非常に軽度であったことが裏付けられる。0.5mm程度のピンホールのような損傷は,そ
の損傷程度や修復法を殊更に詳しく手術録やカルテ等に記載しなかったものである。
(イ)a 原告らは,肝動脈起始部の直径は2~3mmであると主張するが,原告らの根拠とする文献は,癌浸潤による血
管の狭小化の可能性や血管分岐についての特殊性のある症例についてのものや,生体肝移植において,右肝動脈の
末梢部分やより細い血管を吻合するに当たっての記載であって,いずれも,本件における右肝動脈起始部の太さとは無
関係である。
b 原告らは,「右肝動脈起始部を7-0プロリン糸のような細い糸で縫合することはない旨の被告の主張は誤りであ
る。」というが,原告ら提出の文献によっても,大動脈側の吻合口は約5mmで5-0プロリン糸を,肝固有動脈の吻合口は
約2.0mmで7-0プロリン糸を用いて血行再建を行っており,むしろ,「もし仮に6~7mmの動脈血管を離断したならば,
7-0プロリンのような細い糸ではなく,5-0プロリンを用い再建する」との被告主張を裏付けるものである。 
(ウ) 本件手術時の出血量は,全体で670gと癒着剥離及び肝切除を施行した手術中の出血量としては少量であり,
輸血もしていない。
  もし,右肝動脈を離断したとすれば,瞬時に大量の出血があるはずであり,輸血を必要とする事態になっていたこ
とが考えられる。肝左葉切除までしている本件手術において,出血量が全体として670gで輸血を必要としなかったこと
は,癒着剥離に伴う血管損傷が0.5mm程度の小さなものであったことを裏付けるものである。
  本件手術は,再手術症例であり,腹腔内全般にわたる強固な癒着が通常に比べ特に著しく,腹腔内臓器の解剖
学的位置関係も著明に偏位し,その中でも肝門周囲の癒着はさらに強固で硬く,一般的な初回手術時の正常な解剖学
的臓器位置関係とは全く異なっていたのであり,もし術野展開の良好でない状況下で動脈離断等の不測の事態が発生
した場合は,初回手術時のような良好な3次元空間とは異なり大出血を来し,輸血が必要になる事態を招いたであろうと
容易に推測される。
ウ 処置後の投薬に関する主張
(ア) ヘパリンの使用は,肝左葉切除術を予定どおり実施したための術後血栓
の予防的な処置であり,血行再建を行ったために使用したものではない。本件の投与量は,例えば心臓の人工弁
置換術等の既往のある患者の術後血栓予防としても一般的に最も使用される通常量であり,決して過剰な量ではない。
本件においては,ごく軽度の動脈損傷で確実に修復できていたが,念のため通常量のヘパリンを投与したものである。
原告らの提出した文献にも指摘があるとおり,動脈攣縮,既往の手術による損傷や外膜周囲の瘢痕化等の影響,
動脈剥離の際の損傷の外,手術による解剖学的位置関係の変化,動脈硬化を代表とする患者側の要因や,術前の腹部
血管造影検査でのカテーテル操作自体による血管内膜の損傷,手術操作自体による圧排や血管テープを介した牽引等
からの血管内膜損傷や内膜下血腫等のために,肝動脈血栓症を発症する危険性がある。
本件の場合は,ピンホール程度の極軽微な動脈損傷で,かつ修復も確実に行われており,血栓形成の可能性は
ないといってよい程非常に低いものであったが,上述のように血管損傷を伴わない場合でも不可避的に血栓症が発症す
ることが実際にあるのである。
したがって,ごく軽微な損傷で修復も確実にできていたが,残肝栄養の重要な担い手である肝動脈の血流を考慮
し,念には念を入れて血栓予防処置として通常量のヘパリン投与を行ったのである。
(イ) 原告らはプロスタンディン500だけが肝再生の目的で使用されるかのように主張するが,保険診療上術後には
プロスタンディン500の適応はない。この薬剤は,①高血圧症又は軽度の虚血性心疾患を合併する外科手術時の低血
圧維持と,②外科手術時の異常高血圧の救急処置の2つの場合しか保険適応がない。したがって,いかなる理由でも保
険診療上術後には投与できず,投与できるのはプロスタンディン(20μg)だけである。
本件においては,残存肝の肝再生促進の目的と患者の費用負担軽減を考慮し,保険診療上この薬剤を使用す
るため,やむを得ず,血行再建術後の血流維持名目で,プロスタンディン(20μg)を保険適応許容最大量の120μg投
与したものであり,血行再建を行ったことを示すものではない。
原告らは,肝再生のためにはプロスタンディンの投与量は500μgでなくてはならないと主張するが,その引用す
る文献は,肝炎ウイルスによる急性肝不全の治療の話で,本件とは本質的に異なる内容のものであるし,欧米の臨床研
究であるLevyらのグループの報告で,「劇症肝炎患者にPG(プロスタンディン)を投与して75%の救命率」であったのに
対し,本邦のオープンスタディではその「救命率が36%であったこと」は事実であるが,「この違いはLevyらが0.6μg/kg
/hr(750μg/dayに相当)の投与量だったのに対し,筆者らは60~500μgの投与量だったことによること」などとは全くこ
の文献中に述べられておらず,原告らの憶測にすぎないし,他の文献においては60μgでも,肝再生の効果が認められ
ている。
また,現在でも肝再生を目的としたプロスタンディンの至適投与量は論議のあるところである。
したがって,原告ら主張のように,肝再生のためにはプロスタンディンの投与量は500μgでなくてはならないとい
うことはない。
さらに,原告らは,プロスタンディン(20μg)を6本では少量すぎ,肺で吸収されて失活するので肝再生には役立
たないと主張するが,原告ら提出の文献からも何らそのような内容を読みとることはできない。
担当医が使用した「血行再建」という言葉は,残肝再生を促進する目的でプロスタンディンを投与するに当たり,
保険診療上の審査や患者医療費負担の軽減を考慮しやむを得ず,ただ単にその保険適応病名として使用したのであ
り,血行再建を行ったことを示すものではない。なお,血管補修は広い意味では「血行再建」ともいうのであって,事実に
反する記載をしたわけではない。
(2) 上記損傷が過失か否か
(原告らの主張)
 本件手術において,右肝動脈は当然温存すべきであり,これを損傷(具体的には離断)したことは過失である。
(被告の主張)
  本件のように,癒着が強固で解剖学的位置関係が前回の手術により変化している場合には,十分注意を払い慎重
に手術操作を行っても,肝動脈損傷等の不測の事態はしばしば不可避的に発生するものであり,本件の微小な肝動脈
損傷は,不可抗力であって,過失に当たるものではない。これをもって過失とするならば,外科医は手術することが不可
能となる。
2 争点(2)(肝動脈再建術により,肝動脈血栓症を発症させたか否か)について
(原告らの主張)
 (1) 肝動脈再建術により,Eに血栓症を発症させた。
 (2) これを裏付ける事実等は,以下のとおりである。
  ア 争点(1)で原告らが主張するように,本件手術においては,肝動脈を離断し,再建術が行われている。この場合,
血栓を惹起する可能性は極めて高い。
イ 手術後の検査結果
(ア) GPTが手術翌日の3月6日午前4時の緊急採血で1890,同日の定
時採血で4999と急激に上昇し,更に同月7日の定時採血では5445にまで上昇した。これは,血栓症による肝細
胞障害を強く示唆する値である。被告の主張する肝鬱血,虚血,薬剤性肝障害,修復のための肝動脈血行遮断の影響
等は,極めて可能性が低い。
(イ) 血小板は,3月6日121000であったものが下がり続け,同月11日には32000にまで減少した。これは,肝梗塞
が発生していることを示している。
(ウ) 同月7日のAKBR値は,0.48であり,血栓症によってかなりの肝不全状態であることを示している。
  なお,被告は,同月24日にAKBR値が1.0と正常化していると主張するが,AKBR値は,投与した糖質の濃度
によりケトン体量に変化を来して検査による誤差が大きく,1.0の値が出たとしても,必ずしも肝の正常化を示すものでは
ない。
(エ) 3月12日の腹部CT検査で残肝後区域に肝梗塞を疑わせる肝虚血巣が
発見された。
  被告は,脂肪塞栓や腫瘍栓の可能性を指摘するが,これらはほとんど可能性のないものであり,動脈再建を行っ
ていることからすれば,血栓によるものと判断することができる。
(オ) 同月19日の腹部CT検査で,残肝後区域に壊死性気泡を伴う梗塞が発見された。
(カ) 残肝のいたるところに肝膿瘍が発見された。一般に,肝内胆管は,肝動脈による毛細血管網から栄養を受けて
いるため,肝動脈血流低下により引き起こされた肝内胆管の虚血,壊死から胆汁が肝実質内に穿破し肝膿瘍となると考
えられ,肝膿瘍は,肝動脈血栓症による胆道系の破壊がなければ生じ難いはずである。
(キ) なお,被告は,同月6日,7日,9日及び10日に行った腹部超音波検査に異常がなかったことを主張するが,同
月6日,7日及び9日の同検査は,いずれも看護記録等の記録が一切なく,診療報酬請求書にも請求の記載がないので
あって,検査実施に関する被告の主張は虚偽である。
  また,同月10日の同検査は,看護記録に記載があるが,同記録によれば,「チューブと重なりうまく検査できなか
ったとのこと」であり,異常所見がなかったと判断することはできない。
  加えて,超音波検査では,右肝動脈起始部に血流があるかどうかは分からない。これを知るにはドプラー超音波
検査によらなければならない。したがって,腹部超音波検査に異常がなくても,それは血栓がないことを確認したことには
ならない。文献にも,血栓の早期発見にColorDopplerUSが有用であったこと,DopplerUSは,ベッドサイドで手軽に繰り
返し施行できる非侵襲的な検査であり,血管系合併症の早期発見に有用であることが記載されている。
(ク) また,被告は,肝動脈血栓症を発症した場合,残肝全体が早期に壊死に陥るはずであり,また,術後肝機能や
血小板が短期間のうちに回復することはあり得ないと主張する。
  しかし,肝機能や血小板が回復したからといって,それが必ずしも肝臓の正常化を示すものではない。文献に
は,平成8年2月に入院して同年12月19日心不全,肺水腫で死亡した64歳女性について,全経過を通じて肝機能に著
変はなかったが,剖検時肝臓は萎縮しており,血栓の器質化による肝動脈枝及び門脈枝の狭窄,閉塞,胆管消失並び
に網状壊死が認められ,胆管消失の原因は,肝動脈枝及び門脈枝の狭窄,閉塞による胆管周囲毛細血管網の血流障
害と考えられること,肝萎縮も肝動脈及び門脈の局所的な血流量減少によると考えられることが記載されている。
  本件では,門脈血流は,ほぼ正常に保たれていたので,肝実質細胞が直ちに壊死することはなかったのである。
文献には,Maysらは肝動脈を結紮した場合,動脈系の側副血行路は比較的早期に形成されるもので,それらが形成さ
れるまでの期間,門脈血流が維持され,門脈血の酸素化が十分行われいれば,肝壊死はそんなに生じるものではないと
結論づけている,との記載がある。
  本件で,胆汁の排泄はある程度行われており,胆管の構築は何とか保たれていたと考えられ,胆管の状態は広
範なまだら状の壊死であったと思われ,血行途絶ではなくてわずかながら血流はあったと考えられる。
  なお,文献には,術後の肝膿瘍が根治術67例中7例に認められ,いずれも胆道再建後の肝動脈閉塞による胆管
壊死性肝膿瘍と考えられ,うち4例は膿瘍が完治しないまま8箇月以内に癌死したとの記載や,60歳女性が肝左葉切除
を受け,右肝動脈再建が行われたが,術後42日目に膿瘍と診断され,血管造影で再建部が閉塞しており,膿瘍が完治
しないまま術後169日目に癌性胸膜炎のため死亡したとの症例,肝動脈再建を行ったが,吻合部血流途絶し,術後42
日目に肝膿瘍を発症し,術後6箇月目に敗血症で死亡した症例,術中照射(IORT)により,総肝動脈閉塞して,術後38
日目に肝膿瘍を発症し,術後7箇月目に死亡した症例,術中照射後,総肝動脈及び門脈閉塞を生じ,術後59日目に肝
膿瘍を生じ,術後5箇月目に肝不全で死亡している症例が挙げられている。
  本件のEにおいても,術後42日目に肝膿瘍を発症し,術後5箇月目に肝不全で死亡している。これは,上記各症
例と同じ経過をたどったものであり,動脈血を欠いた門脈血,脾静脈血のみで術後3箇月間もの長期間,残肝の機能を
維持していたものである。
ウ 本件手術後の投薬状況
    被告は,薬剤投与が減少していったことを指摘し,回復があったと主張するが,3月に薬剤の種類や量が多いのは
本件手術の術後管理として使われたものであり,6月に肝壊死が危機的状況となって薬剤の種類や量が増加するまでの
間の薬剤投与の減少は,単に本件手術後の処置が終了したということを示すにすぎない。
エ 本件手術後のEの容態
(ア) Eは,主食・副食共に全量食べた日は少なく,主食は全部だが副食
は1/2とか,主食・副食共1/2といった日が多い。また,歩行については,Eは,体調がよくて歩行をしていたわけ
ではなく,痛みを我慢しながら歩行していたものである。
     これらの容態をみれば,Eは,とても回復していたといえる状態ではなかった。
(イ) 3月28日ないし4月10日の間は,体温はほとんどが常時37度より上であり,39度近い熱発も起こっている。同
月11日ないし同月24日の間は37度より高いときも低いときもあるが,概して高いときのほうが多い。同月25日ないし5月
8日の間は,37℃より高いときの方が明らかに多く,時々39℃前後の高熱がある。同月9日ないし同月23日の間は,だい
たい37℃より低いが同月14日までは突発的に39℃近くの高熱が出た。しかし,同月15日以降はほぼ平熱であった。
  このように熱発がほぼなくなったのは同月15日以降であり,Eはとても回復していたといえる状態ではなかった。
  なお被告は同月14日から6月13日の間の熱発をドレーン造影熱,入れ換え熱,詰り熱であるとし,これらの原因
でない熱は同月7日だけであるというが,上記期間の前後においてドレーン造影しても熱発はなく,被告の主張は,たま
たま上記期間内にドレーン入れ換え,ドレーン詰りなどが何度もあったので,これを根拠もなしに,熱発の原因と決めつけ
たにすぎない。
(ウ) 退院の話が出たのは5月14日ころであるが,これは,膿瘍が縮小し熱発がない状態になればという見込みを示
したものにすぎない。
  当時は,膿胞も大きく熱発も続いており,同月12日には膿胞部と大腸に交通があり,膿胞の洗浄液を多量に注入
すると下痢を起こす可能性があるとされ,同月13日の血液検査でCRP値が8.2で炎症所見の悪化がみられるなど,退
院などできるはずもない状態であったし,同月14日にも38.7℃の熱発があり,また,創痛も治まっておらず,食事も1/2
程度しか食べられない状態であった。
  このように熱発が毎日のようにありながら,その原因もつかんでいないのに,退院の話が出たことは,むしろ被告病
院医師らが事態の重大性を全く理解していない未熟さを示すものである。
  3月5日の肝動脈離断・再建によって肝動脈血栓症を発症しながら,Eが8月2日の死亡まで5箇月近くも生存で
きたのはひとえに同人の体力によるものである。
オ カルテ等の記載
  入院患者連絡票に,病名として「肝切除・血行再建後,再建血管血栓症」の記載があり,被告病院医師らが血栓症
の発症を認めていたことは明らかである。
  被告は,保険診療でプロスタンディンを使うための記載であると主張するが,プロスタンディンを使うためなら「血行
再建」と記載すれば十分であり,「再建血管血栓症」の記載は不要である。「血栓症」とまで記載したのは実際に血栓症が
発症していたからである。
(被告の主張)
 (1) 本件において,肝動脈損傷の修復により,術後肝動脈血栓症を発症した事実はない。
 (2) 血栓症の発症を否定すべきことは,以下の事実等により裏付けられる。
ア(ア) 肝動脈損傷は,適切な止血操作により確実に修復できており,術後肝動
脈血栓症は発症していない。
   もし,原告ら主張のように,右肝動脈起始部での血栓症が発症していたら,残肝全体にわたる肝壊死からの肝不
全を招き,Eに次項記載のような回復時期はみられず,術後早期に死亡していたはずである。
 (イ) 術後の肝膿瘍発症の原因は,必ずしも動脈再建術にあるものではない。原告ら引用の文献においても,肝膿
瘍発症症7例のうち動脈再建例は2例のみで,他はTAE(肝動脈塞栓療法)や肝動脈注入療法(肝動脈に長期間カテ
ーテルを留置し,選択的に肝臓へ抗癌剤を注入する治療)の5例であるとか,肝膿瘍発症例7例中動脈再建例は2例の
みで,他はIORT(術中照射:手術中に開腹したまま,患部又は切除や摘出後の患部周囲に,放射線を照射すること)や
肝動脈注入療法,さらには術後出血の血管造影時のカテーテル損傷の5例であるとするものである。
   また,原告ら引用の文献にもあるとおり,血管損傷がない場合でも,動脈が攣縮を起こしたり,あるいはいくら愛護
的に操作しても手術操作自体による圧排や血管テープを介した牽引等から血管内膜損傷や内膜下血腫を来したりして,
避けられ難い合併症としての動脈血栓症の発症をみることがある。本件においては,肝動脈損傷は確実に修復されてお
り,修復による血栓形成の可能性はないといってよいほど非常に低いものであるが,血栓形成がある場合であっても,動
脈血栓症による術後肝膿瘍の原因を肝動脈離断再建だけに求めることはできない。
 (ウ) 原告ら引用の多くの文献の症例と同様に,本件の機序は,担癌患者の低栄養状態や免疫力の低下から,肝膿
瘍が多発難治性となり,さらに癌再発もあって死亡する癌死となったものであって,血栓が生じたことにより死亡に至った
わけではない。
 イ 手術後の検査結果
(ア) 葉切除以上の肝切除術後において,GPTが100台から1000台,
2000台位に上昇するのは特に珍しいことではない。3月6日及び同月7日のGPTの約5000への上昇は,残肝に
何らかの異常,例えば肝うっ血や虚血,薬剤性肝障害等が起こったことを考慮する必要があり,加えて,一時的とはい
え,修復のために行った肝動脈血行遮断の影響も考慮される。
  したがって,本件肝細胞障害が,血栓症によるものと即断することはできない。
  本件の全体的な臨床経過をみると,肝動脈の血栓による肝障害とは病態が異なっていて,血栓症の発症は医学
的に否定される。
(イ) 3月9日(第4病日)ころになってから,血小板が54000と明らかに減少している。同月6日の病棟での腹部超音
波検査では異常所見を認めず,また,白血球及びCRP等の炎症所見も軽度であった。GPTは,同月8日には2510,同
月9日には1545,同月10日には894と順調に改善しており,血小板減少は,感染や薬剤による副作用,DIC(汎血管内
凝固症候群)によるものである。
(ウ) AKBR値のみで肝予備機能は評価できず,肝機能等と共に総合的に評価しなければならない。また,3月7日
の値は,ケトレックスという測定器で測ったものであるが,測定者による誤差が多い機械であるところ,同月24日の測定値
は,外注検査会社に委託した測定値で信頼性が高い。AKBR値は,同日の測定で1.0と完全に正常化している。これ
は,原告ら主張のような「血栓症によるかなりの肝不全状態」とは考えられない。
(エ) 同月12日,腹部CT所見上,残肝後区域に肝梗塞を疑わせる肝虚血巣が発見されたが,これは,避け難い合
併症としての手術操作自体による脂肪塞栓や,進行大腸癌肝転移症例であることからの腫瘍栓による肝虚血障害が考え
られ,さらには動脈の攣縮や,手術操作自体による圧排並びに血管テープを介した牽引等による血管内膜損傷や内膜
下血腫からの,避け難い合併症としての動脈血栓症による肝虚血障害も考えられる。一方,確実に修復されたピンホー
ル損傷からの肝動脈血栓症の可能性は極めて低い。
(オ) 同月19日の腹部CT検査(診断は26日)による「肝後区域に壊死性気泡を伴う梗塞」の所見は,血栓症発症を
裏付ける根拠とはいえない。
(カ) 残肝のいたるところに肝膿瘍が発生したのは,本件臨床経過での末期,すなわち8月2日の死亡に近いころの
病態であり,これらの肝膿瘍は担癌状態を背景にした免疫能の低下に基づく易感染性や癌の肝転移によるものであり,こ
れを肝動脈の血栓と一元的に結びつけるのは医学的に妥当でない。
  原告ら引用の文献にも,一般に肝内胆管は肝動脈による毛細血管網から栄養を受けているため,肝動脈血流低
下により引き起こされた肝内胆管の虚血,壊死から胆汁が肝実質内に穿破し肝膿瘍となったと考えられる旨とともに,「い
ずれも感染胆汁が存在するため,感染胆汁の肝実質内漏出により膿瘍が形成されたと考えられた。以上をまとめると,T
AE後および再建肝動脈狭窄後の肝膿瘍の発生には,1)動脈血流低下による胆管壁の虚血,壊死,2)感染胆汁の存
在の2点が重要と考えられた」と述べられているように,原告ら主張の胆道系の破壊だけでなく,そこに感染が加わって初
めて肝膿瘍が発症する。
  原告ら引用の文献中の症例のうち,術後の肝膿瘍9例は,いずれも胆道再建術を行っており,細菌を多く含む腸
液が腸管から胆管に逆流し,既に感染胆汁となっていた可能性が高く,したがって,肝膿瘍が起こりやすい状態になって
いたわけで,本件とは異なる。
(キ) 本件においては,3月6日,同月7日,同月9日及び同月10日と腹部超音波検査をベッドサイドで行い,異常が
ないことを確認した。同月6日,同月7日及び同月9日の同検査はカルテ等に記載がないが,現代医療における超音波
検査は,聴診器のようなもので,日常的に行われる検査であるため異常所見がなければいちいち記載しないからであり,
被告病院においては病棟で施行した同検査は,その都度保険請求していないのである。したがって,診療録等に記載が
ないことや診療報酬の請求をしていないことをもって,腹部超音波検査を施行していないとはいえない。
  同月10日の同検査結果については,所見としては異常を認めなかった。原告ら指摘の看護記録の記載は,次の
日の看護婦同士の申送りの中での理解の違いである。
  本件は,生体部分肝移植後の肝動脈,門脈血栓症とは事例が異なるから,生体部分肝移植においてドプラー超
音波検査をするからといって,本件でもドプラー超音波検査をするべきことにはならない。
  生体部分肝移植では,ドナーとレシピエントの複数の血管吻合による血行再建(肝静脈,門脈,肝動脈)を行って
おり,確かに術後血栓症等に対して注意を払い,ドプラー超音波検査の必要性はあると考えられるが,本件の場合,動
脈損傷はごく軽度であり修復も確実に行われていたため,術後右肝動脈閉塞による血栓症の可能性は非常に低く,ドプ
ラー超音波検査の必要性はない。
  仮に,この時点で原告ら主張のドプラー超音波検査を行ったとしても,術後の解剖学的に変位した腹腔内臓器
(特に消化管のガスの影響等)のため,ターゲットとしては小さい肝動脈の描出が困難なこともあり,必ずしも「血流がある
かどうか」を判定できるとはいえない。さらに,肝動脈の描出が可能であったとしても,血栓が形成されもう既に末梢に飛
散してしまった場合や,徐々に血栓が形成され少しずつ血流が減少していく場合などは,肝動脈の血流は保たれている
あるいは良好と判断されてしまうこともあり,原告らがいうような完全な検査ではないのである。
  更に念のため施行した同月12日の腹部CT検査で,初めて肝梗塞を疑わせる肝虚血巣の存在が肝後区域に判
明したが,積極的に治療や検査を行った結果,血液検査結果は徐々に改善し,同月16日より食餌摂取も開始され,同
月23日から6月4日までの長期間,血液検査結果は非常に安定している。
(ク)a もし,原告ら主張のように,右肝動脈起始部での血栓症が発生したならば,残肝全体が壊死に陥るはずであ
り,本件のように術後肝機能や血小板が短期間のうちに回復することはあり得ない。門脈血は,小腸及び大腸からの静脈
血であり,この低酸素の静脈血からなる門脈血流のみで,術後3箇月間もの長期間,残肝の機能を維持していたなどとい
う仮説は,現代医学の常識を逸脱した主張であり,誤りである。原因は何であれ,肝動脈の持続的な血流遮断は,必ず
全肝細胞壊死をもたらす。
 b 原告らは,肝機能や血小板が回復したからといって,それが必ずしも肝臓の正常化を示すものではないなどと
主張するが,現代医学の常識を大きく逸脱しており,誤りである。術後肝臓の状態は,血液検査結果や腹部超音波及び
腹部CT検査結果をもって評価するのは,当然のことである。原告らの引用する文献は,非常にまれな症例報告であっ
て,本件を同様に考えることはできない。
 c 原告らは,本件で,胆汁の排泄はある程度行われており,胆管の構築は何とか保たれていたと考えられ,胆管の
状態は広範囲なまだら状の壊死であったと思われ,血行途絶ではなくてわずかながら血流はあったと考えられるなどと何
の根拠もないままに主張するが,本件の場合,肝門の特に著しい強固な癒着を安全かつ愛護的に剥離するため,肝十
二指腸間膜内の胆管,肝動脈,門脈はすべてテーピング(血管テープを通すこと)を行い,そのテープを介して各脈管を
牽引しつつ術野展開を図り,癒着剥離操作を進めていったのであり,肝十二指腸間膜靭帯の郭清操作を行った状況と
同じであることや,肝静脈の処理のために横隔膜と肝との癒着も剥離し,この際左右下横隔膜動静脈も結紮切離してい
ることなどにより,原告ら引用文献の「肝十二指腸間膜内リンパ節郭清が行われ側副血行路の形成されにくい症例」に該
当する上に,下横隔膜動脈からの側副血行路による残肝への栄養は期待できないのであるから,原告らの主張は採用
できない。
   もし,仮に原告ら主張の右肝動脈起始部の離断と血管再建後の血栓症の併発であったとしたならば,Eは術後
早期に残肝全体に及ぶ急性肝細胞壊死からの肝不全に陥り死亡していたはずである。
d さらに,原告らは,肝動脈閉塞により術後40ないし60日ころ肝膿瘍が発症し,5ないし8箇月後死亡している臨
床経過は多々あり,本件Eの術後経過も同じで,術後3箇月間の長期にわたる間,門脈血流のみで残肝機能は維持され
ていたが,最後にはやはり,手術時の肝動脈損傷からの肝動脈閉塞に起因して残肝膿瘍が多発化し肝不全となり死亡し
たのだと主張するが,これら文献の中の症例はいずれも,本件とは全く異なる病態であり,かつ動脈系の側副血行路も保
たれており,側副血行路が絶たれ,そのような血流供給の全く期待できない本件術後経過と比較することはできない。
  本件右肝動脈起始部での血管閉塞がもし起こっていたならば,Eは,術後早期,少なくても1週間以内に死亡し
ていたはずである。
  原告ら引用の文献中の症例も担癌状態を基盤とした免疫力低下による易感染性や癌再発等により,癌死を来
したものとされており,これらが本件になかったとする原告らの主張は誤りである。
  ウ 手術後の投薬状況
Eに対し投与された薬剤は,3月26日には,アミノ酸製剤(アミノレバン1000ml),ビタミン剤(ビタメジン1V,ビタミン
C1000mg),肝庇護剤(アデラビン9号2A,強力ミノファーゲンC2A),利尿剤(ラシックス10mg),潰瘍治療剤(ザンタッ
ク1A)と,一般的に術後経過良好時に投与される,種類の少ない点滴となった。
また,4月8日ないし13日,同月21日ないし5月8日,同月15日ないし22日は,本体の輸液(トリフリード)と抗生剤
のみとなり,4月14日ないし20日,5月9日ないし14日,同月23日ないし6月3日は,軽度の栄養補給とルート確保の意
味で,トリフリードのみの点滴にまでなって,Eは,明らかに回復していた状況を示している。原告らも「単に手術後の処置
が終了した」と認めているように,Eは,術後1箇月で手術侵襲より回復していたことが明らかである。Eの術後経過は,投
薬状況からみても明らかに二峰性となっている。
エ 手術後のEの容態
(ア) 術後1箇月ころのEの病状の回復状況をみると,3月29日E
の希望で3分粥を5分粥に変更し,全量を摂取し,4月13日全粥,同月26日一般食全粥,5月19日原告Aの持参
した手料理等を食するなどの回復を示し,また,3月29日ころ以降,歩行を積極的に行い,4月10日ないし13日には外
出,散歩,独歩で桜見物をしたり,シャワーを浴びるなど,回復を示していた。
(イ) 退院の話が出た5月14日の前約1箇月間とその後の1箇月間について,38℃以上の熱発の頻度を比較する
と,前1箇月では2日に1度程度であるが,その後の1箇月では,以下のとおり,ドレーンの造影熱や入れ換え熱,詰まり熱
等原因の明らかなものであり,これらの原因でない熱発は,6月7日だけであり,頻度は著明に減少している。
  すなわち,膿の排出促進を図るために,5月13日にドレーン入れ換えを行い,その結果5月14日に熱発し,5月2
5,27,29日の熱発は,それぞれ翌5月26,28,30日に判明したドレーンの詰りのためである。また,6月3日の熱発は,
同日のドレーン造影検査のためであり,同月9日の熱発はドレーンの詰り,膿の排出不良等があったためで,翌10日には
膿の排出促進を図るためにドレーンを入れ換えたが,その処置自体による熱発が同日にも認められた。同月13日の熱発
は,肝膿瘍腔の縮小や患者の体動等によりドレーンの深さが徐々に浅くなり,膿の排出不良を来した結果の熱発であり,
これは15日にはドレーンは抜けていた事実からもうかがえる。
  G医師らは,熱発のためにありとあらゆる可能性を考慮し,原因究明のための諸検査を行っている。そのような熱
発の精査を積極的に行っている状況下で,他に原因が見当たらず,患者病態に変化を来す可能性のある膿瘍腔造影検
査やドレーン入れ換え操作,さらにはドレーンの詰りによるドレナージ不良からの発熱と考えるのは,臨床上極一般的な
考え方であり,詳しく調べてみて他に原因となるものが存在しない場合は,消去法で残りの何か変化のあったエピソード
を原因として扱うものである。
(ウ) また,3月27日から4月16日ころの肝機能検査結果も正常であり,5月14日には,今後,膿瘍がもう少し縮小し
熱発なければ,退院し通院加療で対応してゆく方針であることを,医師団,看護婦とも話し合い,同月19日には教授回
診で,「着実に治癒してきている」ことを告げられ,患者もにっこりするほど回復してきていた。
(エ) 4月27日に8×5cmの大きさだった膿瘍腔は,5月13日には6×4cm,5月25日には5×4cmと確実に縮小して
いた。
(オ) 以上のとおり,最初にできた原因不明の残肝膿瘍は,着実にかつ著明に縮小し,術後Eの全身状態も順調に
回復し,術後1箇月で術後侵襲から離脱,外出して花見,散歩までするような良好の状態となり,さらに約2箇月間の長期
間にわたって血液検査結果も正常で,発熱の頻度も著明に減少し安定期にあったのであるから,被告病院において,E
について退院して通院加療を考慮するのは臨床上当然のことといえる。その後,Eは,後記4(2)ア記載の経緯により死亡
に至ったものであるが,同人が5箇月間生存したのは同人の体力によるとの原告らの主張は誤りである。
  オ 原告らが指摘する入院患者連絡票の「肝切除・血行再建後」等の記載も,前記1項(1)(被告の主張)ウ記載のとお
り,保険診療上の保険審査や患者医療費負担の軽減を考慮し,プロスタンディンやヘパリン投与のため保険適応病名と
して記載したものにすぎない。
3 争点(3)(肝動脈再建術(肝動脈の修復)を血管外科医に担当させなかった過失,又は担当医師の手技上の過失の有
無)について
(原告らの主張)
(1) G医師は,Eの前回手術の内容を認識し,強固な癒着が腹腔内にほぼ全域にわたって存在すること,したがって,
肝動脈損傷があり得ることを予測できたから,血管外科医の応援を頼み,又はマイクロサージェリー(顕微鏡下手術)の用
意をするなどすべきであった。しかるに,G医師は,肝動脈再建手術(肝動脈の修復)を血管外科医に担当させず,マイク
ロサージェリーも用いなかったものであり,過失がある。
  平成元年までに発刊された文献上,肝動脈血流が途絶えると門脈が開通していても,胆管の壊死から始まる肝膿瘍
の可能性があると記載され,あるいは肝膿瘍の多発性のものは予後不良で死亡率が45%あると記載されているのである
から,G医師は,肝動脈再建を必ず成功させなければならず,万一失敗すると肝膿瘍を引き起こして多発性になると45
%の死亡率になることを熟知していたはずであり,Eの死亡という結果の予見可能性は十分にあった。
   そうであれば,G医師は,血管外科医ではないから,肝動脈を離断した場合,血行再建の専門家である血管外科医
の応援を求めるべきであり,血管外科医が顕微鏡下又はルーペ下で縫合すれば血栓症を発症することはなかったはず
である。
 (2) しかるに,G医師は,自ら血行再建術を担当し,文献上も「ていねいに縫合すれば血栓形成の可能性は極めて低
い」とされているにもかかわらず,拙劣な手術を行い,肝動脈血栓症を発症させた。
 (3) また,血管外科医であっても裸眼で直径2ないし3mmの血管を閉塞なく再建するのは困難であり,血管吻合にマイ
クロサージェリーを用いることによって,侵襲の少ない確実な吻合が可能になり,手術用顕微鏡を用いた拡大視野下で,
血管を愛護的に扱い,正確に吻合することが,術後の血栓形成を予防する最も確かな方法であって,3㎜径以下の血管
吻合は可能な限り,マイクロサージェリーとして行うべきである。
  それにもかかわらず,血管外科医ではないG医師が,裸眼で1ないし3㎜の肝動脈の再建術を行ったことには過失
がある。
(被告の主張)
 (1) 本件の肝動脈再建手術(肝動脈の修復)を血管外科医に担当させなかった点に過失はない。
 本件では,肝動脈再建は行っていないし,ごく軽微な損傷はあったが修復も確実に行われた。
  形成外科医との共同によるマイクロサージェリーで動脈再建を行う施設もあるが,だからといって,消化器外科医が
血管外科手技を行ってはならないという根拠にはならない。施設により,形成外科医と共同で血管再建を行う所もあれ
ば,そうでない所もある。原告らが引用する文献からも2~3㎜の肝動脈吻合再建等多彩な血管外科手技を要する生体
部分肝移植の手術を消化器外科医だけで行い,肝動脈も含めた多岐多種にわたる血管再建が消化器外科医によって
行われていることがわかる。消化器外科医,特に肝胆膵領域を専門とする医師にとって,血管外科は特別なものではな
い。
  一般的に消化器外科医は,血管吻合,損傷修復等の技術を十分習得しており,中小動脈の吻合に特別の医師を
招くことはない。
 G医師は,消化器外科医として豊富な手術経験を有し,血管外科手技に習熟しており,仮に肝動脈を離断したとし
ても,血管外科医の応援は必要ない。まして本件のようなピンホール程度の肝動脈損傷の修復には,血管外科医の応援
の必要性はない。
   なお,原告らが指摘する文献の「(血管縫合は)丁寧に縫合すれば血栓形成の可能性はきわめて低い。」との記載
は,血管縫合の基本は,外翻吻合であるが,場合によっては,後壁を内翻吻合で行うこともあり,この操作に関する注意
点を示した記述である。これは,血管の完全離断の場合の議論であり,本件とは関係ない。
 (2) G医師が,マイクロサージェリーを使用せず,裸眼で再建術を行ったことに過失はない。
   本件肝動脈損傷は,6~7mm径の右肝動脈起始部での0.5mm程度のピンホール損傷であり,2~3mmの動脈の完
全離断ではない。したがって,顕微鏡下手術による損傷の修復の必要性は全くない。
   原告らの引用する文献記載は,いずれも血管径が2mmほどの血管吻合の話であったり,肝動脈が上腸間膜動脈よ
り分岐している特殊な解剖を持った進行膵癌(膵頭部癌)症例で,なおかつ著明な癌の肝動脈への浸潤が認められてお
り,肝動脈の口径がかなり狭小化していたことが容易に予想できる上,右肝動脈や中及び左肝動脈の切離部位は,末梢
の血管径の細い部位で行われ,左胃動脈や大伏在静脈を用いて肝動脈再建が行われた症例であるなど,本件とは全く
異なる症例のものである。
4 争点(4)(本件手術後,速やかに,遅くとも3月8日(第3病日)までに血栓除去の処置をしなかった過失の有無)につい

(原告らの主張)
(1) G医師は,Eの右肝動脈を損傷,修復した際に,肝動脈血栓閉塞,肝膿瘍の発生,Eの死亡を予見できた。また,
本件手術中右肝動脈を損傷し,修復した直後から,ドプラー超音波検査で右肝動脈に血流があるか否かを継続的に検
査し,血栓閉塞が疑われれば,直ちに血管造影を行い,動脈再建を行って血栓を除去することも可能であった。
  したがって,G医師は,上記のとおりドプラー超音波検査で右肝動脈に血流があるか否かを継続的に検査し,血栓
閉塞が疑われれば,直ちに血管造影を行い,動脈再建を行って血栓を除去すべきであったのに,これを怠ったものであ
る。
(2) 3月5日の手術後にはEのGPTは,479で妥当な値だったが,翌6日午前4時の緊急採血では1890に上昇し,更
に同日の定時採血で4999にまで急上昇し,肝細胞障害が強く示唆されていた。本件で,右肝動脈を離断して血行再建
を裸眼で行った経緯からは,再建血管の血栓症が強く疑われるはずである。
  G医師は,遅くとも第2,3病日までに,ドプラー超音波検査を行って血流の有無を確かめるべきであった。これを行
えば,血流のないことが判明し,再手術して血栓を除去するか,血管造影でカテーテルによる血栓除去を行うか,血栓溶
解剤の投与を行うなどの適切な処置を行い,血栓除去に成功した可能性が高い。
  しかるに,G医師は,血栓症を疑わず,上記検査を行ったり肝動脈血栓症に対する処置をとることをしなかったので
あって過失がある。
(3) 仮に,右肝動脈損傷,修復直後からドプラー超音波検査で肝動脈の血流の有無を検査しても,肝動脈の血流再開
を図るのが非常に困難であった場合には,G医師は,血栓形成を招くほどの右肝動脈損傷をしたのであるから,修復部
の開通性を後日確認した上で改めて肝切除を行うべきであったのに,漫然と手術を続行した過失がある。
(被告の主張)
(1) 本件において,肝動脈損傷はごく軽度であり,この修復も確実に行われていたから,3月6日ころの時点で一塊とな
った血栓を形成し血流遮断を来す可能性は考えられなかったから,ドプラー超音波検査を行う必要性はなかったし,手
術直後の時期に,再手術や血管造影検査等の侵襲性の高い処置を行うことは逆に危険であり,致命的となるものである
から,これらも明確な根拠もなく行うべきでなかった。
仮に,血栓が生じていたとして,その時点で血管造影検査を行っても,必ず血栓除去できるとは限らず,かえって,カ
テーテル操作自体による,血栓の末梢側への飛散及び栓塞を引き起こす可能性や,血管内膜損傷からの更なる血栓形
成の可能性がある。また,既に血栓が末梢側に飛散していた可能性や,うまく除去できても再び血栓を形成する可能性も
ある。一方,血栓溶解剤を投与しても,同様に,再血栓形成の可能性もあるし,投与が無効であることもある。
原告らが引用する文献は,生体部分肝移植後の肝動脈,門脈血栓症の話であり,本件とは何ら関係ない。生体部分
肝移植では,ドナーとレシピエントの複数の血管吻合による血行再建(肝静脈,門脈,肝動脈)を行っており,確かに術後
血栓症等に対して注意を払い,ドプラー超音波検査の必要性はあると考えられるが,本件の場合動脈損傷はごく軽度で
あり修復も確実に行われていたため,術後右肝動脈閉塞による血栓症の可能性は非常に低く,ドプラー超音波検査の必
要性はない。仮に,この時点で原告ら主張のドプラー超音波検査を行ったとしても,術後の解剖学的に変位した腹腔内
臓器(特に消化管のガスの影響等)のため,肝動脈の描出が困難なこともあり,必ずしも「血流があるかどうか」を判定でき
るとはいえない。さらに,肝動脈の描出が可能であったとしても,血栓が形成されもう既に末梢に飛散してしまった場合
や,徐々に血栓が形成され少しずつ血流が減少していく場合などは,肝動脈の血流は保たれているあるいは良好と判断
されてしまうこともあり,原告らがいうような完全な検査ではないのである。
さらに,原告らの引用する文献に記載のあるt-PA(TissuePlasminogenActivator)という物質による局所血栓溶解
療法は,いまだ一般的でなく,それを用いて局所血栓溶解療法を行った結果血流の再建が得られたと報告しているだけ
であって,どこにもそのレシピエントを救命できたとの記載はなく,普通このような症例報告の場合,救命できた場合は必
ず救命したと既述するものであるから,救命できなかったことが推測される。
また,本件においては,ヘパリン及び残肝の肝再生促進の目的でプロスタンディンを投与しているが,プロスタンディ
ンは同時に動脈血管の拡張,血流増加や維持の作用も持ち合わせており,血栓形成予防処置として万全であったと考
えられる。
5 争点(5)(血栓症が発症したと認められる場合,死亡との因果関係)について
(原告らの主張)
(1) 本件は,右肝動脈起始部付近を完全離断し,その再建後に肝動脈血栓症を発症し,これによって胆管がまだら状
に壊死して肝膿瘍が生じ,肝不全によって死亡したものである。
  左葉切除後の右肝動脈は,残存する肝臓のほとんどすべての部分の胆管を栄養する動脈であるところ,本件では
胆汁の排泄が全くできなかったわけではないから,胆管の構築は何とか保たれ,胆管がまだら状に壊死したと考えられ
る。
  一方,肝組織は,肝動脈から約25%,門脈から約75%の血流を受けており,本件では門脈血流はほぼ正常に保た
れていたので,肝実質細胞は直ちに壊死することはなかった(4月,5月の血液検査結果がおおむね正常だったことはこ
れによる)。
  しかし,胆管が広範囲にまだら状に壊死していることにより,肝細胞は容易に感染しやすくなり,感染胆汁による上行
性感染の結果,肝内のいたる所に小さな感染症がはびこり,これがあちこちで肝膿瘍になり,6月19日に発見された新し
い巨大な肝膿瘍を生じるなどし,合併症の肝不全により,Eは,ついに死亡に至ったものである。
(2)ア 被告は,Eの術後の経過に二峰性が認められると主張するが,Eが一度ほぼ回復したとの事実がないことは,争
点2で原告らが主張したとおりである。
イ 被告は,門脈血流のみではより早期に肝細胞が虚血壊死に陥り,肝不全で死亡する経過をたどったはずであると
主張するが,脾静脈血は酸素分圧が高く,肝にはこの血液も流入するから,簡単には肝細胞は壊死にならない。また,肝
細胞は虚血には弱いが,門脈血流があるから虚血ではない。虚血でなければ門脈血流の低酸素には比較的強い。した
がって,被告の主張は誤りである。
ウ 被告は,緑色連鎖球菌が検出されたことをもってEの免疫力が低下していた裏付けであるというが,検出した細菌
で免疫力の低下を評価するような基準はない。また,被告は,大腸癌の腫瘍マーカーであるCA19-9の上昇を癌再発
の裏付けであるとするが,このマーカーは,胆道系の病変でも増加するから,Eに肝動脈血栓症による胆道系破壊がある
以上,その値の上昇は癌再発を示すものとはいえない。
エ 被告は,6月16日ころ,新たな肝膿瘍を発症し,これを契機に次々と肝膿瘍が多発したのは,進行大腸癌の肝転
移という担癌状態を背景にした免疫力の低下や癌再発のためであるというが,被告の主張する癌の影響による肝膿瘍の
発生はまれなことにすぎない。
(被告の主張)
(1) 本件においては,Eは,術後,肝後区域に原因不明の梗塞を疑わせる虚血巣が判明したものの,積極的かつ適切
な治療により術後約1箇月で手術侵襲等から回復し,術後約10週目には退院の目途もついたが,その後約2箇月間の
安定期を経て,進行大腸癌の肝転移という担癌状態を背景にした免疫力低下,易感染性又は癌再発が新たな多発性肝
膿瘍の発生を招き,濃厚かつ積極的な治療や管理にもかかわらず,ついに肝不全に至り,死亡に至ったものである。
  この2箇月間の安定期は,黄疸等の肝機能障害もみられず,臨床学上,胆管がまだら状に壊死していたとの原告ら
の主張には根拠がない。
  また,もし仮に,原告ら主張のとおり肝内の至る所に小さな感染症がはびこっていたならば,血液検査結果で,必ず
肝機能障害や黄疸等の異常所見が出現していたはずである。本件の場合,術後広範囲な創部皮下膿瘍や原因不明の
肝膿瘍を併発していたため,血液検査上の炎症異常所見は小さな感染症がはびこっていたとする指標にはならないが,
しかし,それも術後1箇月で正常化し,その後2箇月間にわたる長期間落ち着いた値を示している。さらに,肝機能障害
や黄疸は,術後第18病日の3月23日には正常化し,その後6月16日ころに発症したと考えられる新肝膿瘍のエピソード
まで正常値であったのである。それでも小さな感染症がはびこっていたということの医学的根拠は何か不明である。
  原告らの主張するとおり残肝を栄養する右肝動脈起始部での血栓症の併発があったならば,Eは術後早期少なくと
も数日から1週間以内に,胆管の壊死どころか残肝全体にわたる肝細胞壊死,すなわち急性肝不全を必発し死亡してい
たであろうことは,臨床に携わる者であれば容易に察しがつくところである。
  低酸素の静脈血からなる門脈血流のみで術後3箇月間もの長期にわたる期間,残肝の機能を保っていたなどという
仮説は,非科学的であり現代医療では通用しない考え方である。
(2)ア 本件のEの臨床経過全体を眺めると明らかに二峰性であり,原告ら主張のように,本件死亡の因果関係を一元的
な肝動脈血栓症に求めることはできない。本件の術後の投薬状況からも,二峰性であることが一目瞭然である。
イ 原告らは,「門脈血流はほぼ正常に保たれていたので,肝実質細胞は直ちに壊死することはなかった。」と主張す
る。しかし,腸管の静脈血である門脈血は血中酸素濃度が低く,脾静脈血も肝に流入するといっても,これも静脈血には
変わりはなく,動脈血に比べ明らかに酸素分圧は低い。「肝動脈から約25パーセント,門脈から約75パーセントの血流を
受けており」と原告らは主張するが,これは血流量の比であり,肝細胞に主に酸素を供給しているのは肝動脈である。した
がって,動脈血を欠いたかかる血流のみでは,より早期に肝細胞が虚血壊死に陥り,肝不全で死亡する経過をたどった
はずであり,本件の術後病態に当てはまらない。
ウ 本件では,4月16日発見された最初の肝膿瘍とは全然無関係な場所に,6月16日ころ新たな肝膿瘍を発症し,こ
れを契機に次々と肝膿瘍が残存肝に多発したものであり,これは臨床的に進行大腸癌の肝転移という担癌状態を背景に
した免疫力低下や癌再発を当然疑うべき病態である。
  本件で,術後の血液培養検査等で細菌は一度も検出されなかったが,6月19日の動脈血血液培養検査で,感染
免疫抵抗力が極度に低下した際に,重篤な敗血症の原因菌としてよく検出される緑色連鎖球菌が検出された。このよう
に動脈血から細菌が検出されること自体,かなり異常なことであり,免疫力の低下を示している。
  また,7月22日の血液検査で,大腸癌再発のときに上昇する2大腫瘍マーカーのうちの1つであるCA19-9の上
昇(216,正常37以下)が認められたことも,上記病態を裏付けるものである。
5 争点(5)(損害額)について
(原告らの主張)
 (1) 逸失利益 1210万0240円
 Eは,珊瑚商及び画家として稼働するほか年金を受給しており,平成9年度の珊瑚商としての純利益は209万5867
円,年金収入は厚生年金187万5300円,厚生年金基金19万2000円の合計206万7300円であり,絵画の売却収入
は1年間平均49万5000円であったから,平成9年における年収は合計465万8167円であった。そして,本件事故当
時,癌再発の可能性を考慮しても,少なくとも5年間は稼働可能であったと考えられる。これらに基づけば,逸失利益は1
210万0240円を下らない。
(計算式)
465万8167円(平成9年度の所得合計)×(1-0.4)(生活費控除)×4.3294(稼働可能期間5年のライプニッツ
係数)=1210万0240円
(2) 慰謝料   2600万円
(3) 原告らは,法定相続分に従い,Eに生じた以上(1)及び(2)の損害合計3810万0240円の賠償請求権を原告Aが2
分の1(1905万0120円),その外の原告らが各自6分の1ずつ(各自635万0040円)の割合で相続した。
(4) 弁護士費用(原告A)     380万円
(5) 葬儀代(原告A)       120万円
(6) 合計
 ア 原告A  2405万0120円
イ その他の原告ら各自635万0040円
 (7) なお,原告Aは,遺族厚生年金として年間149万1600円を受給しているが,一方で,平成13年12月から厚生年
金を年額5万6600円受給できるはずであったが,遺族厚生年金の受給により,上記5万6600円を受給できなくなった。
(被告の主張)
  争う。 

戻る



採用情報


弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
[email protected]
採用担当宛