弁護士法人ITJ法律事務所

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主文
1本件控訴をいずれも棄却する。
2控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1控訴の趣旨
1原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
2被控訴人らの請求をいずれも棄却する。
第2事案の概要
1本件は,北海道南部の日高地方を流れる一級河川沙流川の下流部右岸(川の
下流に向かって右手の岸)の富川北地区に居住し,店舗を設置し,又は農場若しく
は牧場を所有する被控訴人ら8名を含む全9名の者が,平成15年8月9日から翌
10日にかけて日高地方の沖合を台風10号が通過した際の大雨で,同月10日未
明,富川北地区において,河川の洪水(以下「本件洪水」という。)による浸水被
害(以下「本件水害」という。)が発生し,財産的損害等を受けたことについて,
沙流川の管理者である控訴人には国家賠償法1条1項又は2条1項に基づく責任が
あると主張して,控訴人に対し,それぞれ損害賠償として下記各金額及びこれに対
する同月11日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を
求めた事案である。

(1)被控訴人A13591万1598円
(2)被控訴人A2948万9700円
(3)原審原告A3103万7021円
(4)被控訴人A4292万6000円
(5)被控訴人A5827万7398円
(6)被控訴人A6716万1895円
(7)被控訴人A7389万3123円
(8)被控訴人A81629万4989円
(9)被控訴人会社772万2037円
2原審は,沙流川の管理を分掌する鵡川河川事業所長による樋門(河川管理施
設)操作員に対する退避指示に違法行為があり,同違法行為がなければ樋門を閉扉
して外水が堤防内に逆流することを防ぎ,浸水の被害を小さくすることができたと
判断し,控訴人に国家賠償法1条1項に基づく責任があるとした上で,被控訴人ら
8名については上記違法行為と相当因果関係の認められる損害として下記各金額を
認定し,これに対する遅延損害金を付して,被控訴人会社の請求を全部認容し,そ
の他の被控訴人ら7名の請求を一部認容,一部棄却する一方,原審原告A3につい
ては上記違法行為と相当因果関係の認められる損害を認定できないとして,その請
求を全部棄却したところ,控訴人のみが敗訴部分を不服として本件控訴を提起した。
したがって,当審における審理の対象は,被控訴人らの請求の当否である。

(1)被控訴人A1849万6183円
(2)被控訴人A2368万0560円
(3)被控訴人A4269万9702円
(4)被控訴人A5213万3631円
(5)被控訴人A6128万1888円
(6)被控訴人A798万4460円
(7)被控訴人A8490万5255円
(8)被控訴人会社772万2037円
3前提事実は,次のとおり補正するほかは,原判決書「事実及び理由」欄の第
2の1ないし6に記載のとおりであるから,これを引用する(なお,以下,本判決
において,水位や地盤高等の高さをいう場合,全て標高すなわち東京湾平均海面を
ゼロメートルとする高さをいう。)。
(1)原判決書5頁11行目の「別紙1」を「原判決書別紙1」と改める。
(2)原判決書5頁12行目の「設置されている」の次に「(樋門の構造及び機能
等は,後記4(原判決書9頁13行目以下)に記載のとおりである。)」を加える。
(3)原判決書5頁17行目の「別紙2」を「原判決書別紙2」と改める。
(4)原判決書5頁23行目の「別紙3」を「原判決書別紙3」と改め,以下も同
様とする。
(5)原判決書7頁17行目の「本件水害」を「本件洪水」と改める。
(6)原判決書7頁22行目の「天端」の次に「(堤頂面)」を加える。
(7)原判決書8頁19行目の「富川観測所」から同頁20行目の「暫定堤防部分
での」までを「富川観測所の受持区域内には暫定堤防が,平取観測所の受持区域内
には無堤部があり,暫定堤防部分又は無堤部で」と改める。
(8)原判決書9頁11行目から12行目にかけて掲記の証拠に「乙41」を加え
る。
(9)原判決書9頁20行目の「別紙4」を「原判決書別紙4」と改める。
(10)原判決書10頁25行目の「本件水害以前の浸水等」を「本件洪水以前の洪
水等」と改める。
(11)原判決書11頁1行目の「別紙5」を「原判決書別紙5」と改める。
(12)原判決書11頁1行目の「とおりである」の次に「(以下では,このうち,
平成13年9月11日から同月13日にかけて発生した洪水を「平成13年洪水」
ということがある。)」を加える。
(13)原判決書11頁25行目の「抑制するため,」の次に「「工事中における二
風谷ダムの操作要領(案)(試験湛水終了後の建設中管理の操作要領案)*(平取
町水道用水の取水後の期間の操作要領案)」(乙16),「工事中における二風谷
ダムの操作運用(案)(試験湛水終了後の建設中管理の操作運用案)*(平取町水
道用水の取水後の期間の操作運用案)」(乙17)及び「二風谷ダムただし書き操
作要領(平成9年11月10日北開局管第43号)」(乙18)に基づき,」を加
える。
(14)原判決書12頁2行目の「別紙6」を「原判決書別紙6」と改める。
(15)原判決書12頁5行目の「別紙7」を「原判決書別紙7」と改める。
(16)原判決書13頁4行目の「原告らは,」の次に「本件洪水により,」を加え
る。
4争点及び争点に関する当事者の主張は,次のとおりである。
(1)争点①(本件退避指示の時点において,事業所長は,なお樋門操作員を現場
に留まらせて樋門の操作を行わせるべき義務を負っていたか否か)
(被控訴人らの主張)
そもそも,事業所長は,住民を水害の被害から守ることを第一に考えるべき立場
にあり,逆流が発生するか,又は樋門操作員に危険が生じる直近まで,逆流の有無
を監視させ,逆流が始まるまでは樋門を開いたままにすることによって内水を可能
な限り本川に流し,また,逆流が始まったときには樋門を閉じることができる態勢
を維持し,被害の軽減を図るべきであった。このことは,樋門操作員が近隣住民で
あっても変わるところがない。したがって,事業所長は,差し迫った危険(人事院
規則10-4第29条参照)が生じない限りは,本件3樋門の樋門操作員を樋門の
操作に従事させる義務があり,具体的には,本件では,外水位の急激な上昇が予測
される時点,すなわち,ただし書き操作による放流水が本件3樋門付近に到達する
と考えられる同操作開始から1時間後の時点(10日午前2時27分)ないし1時
間30分後の時点(午前2時57分)まで,樋門操作員を本件3樋門に留まらせる
義務があったというべきである。そして,実際にこのころまで樋門操作員が本件3
樋門に留まっていれば,逆流の発生を確認して樋門を閉扉し,外水の堤防内への流
入を防ぐことが可能であった。
これに対し,控訴人は,樋門操作員に対する危険が急迫していたことから,10
日午前1時5分の時点で退避させざるを得なかったと主張するが,この時点で沙流
川の外水位(富川観測所の測定値をいう。以下,水位は特に断らない限り同観測所
のものをいう。)は危険水位(6.30メートル)を超過していたものの,計画高
水位(7.06メートル)までは余裕があったから,富川北地区において破堤等に
よる河川の氾濫が惹起する洪水等の具体的現実的危険は発生していなかった。この
点について,控訴人は,浸水想定区域図(乙94)を提出するが,浸水想定区域図
は,周辺住民の避難に関する検討のために作成されるものであり(甲170),樋
門操作員の退避とはその趣旨,対象を異にする上,控訴人が上記浸水想定区域図に
つき浸水想定区域図作成マニュアル(甲170)所定の前提条件を明らかにしない
ことからすれば,同浸水想定区域図から控訴人の主張する具体的現実的危険の発生
を認めることはできない。同浸水想定区域図によれば,本件洪水当時,平取樋門付
近でも本件3樋門と同等又はそれ以上の危険が存在したにもかかわらず,平取樋門
操作員に対する退避指示が出ていないことも,このことを裏付けている。
このほかに,控訴人は,意見書(乙117)を提出するが,同意見書は,室蘭開
発建設部治水課による当時の具体的な水位予測(甲3)を踏まえておらず,降雨に
対する山地流域における降雨流出の遅れ時間に関しては,同意見書作成者自身の別
の意見書(乙43)に反しており,また,具体的な外的条件の内容を示さずに破堤
の可能性を論じているなど,一般論としては妥当であっても,本件退避指示の当否
を具体的に検討するのに資するところがない。
さらに,本件洪水後の行政通達(平成18年10月1日付け国河情第3号河川局
長通達)は,危険水位を超過したことを住民避難の判断の一要素としたにすぎない
上,そもそも,市町村長の避難勧告等の発令及び住民の避難判断と,国家公務員で
ある樋門操作員に対する退避指示を同列に論じることはできない。
加えて,控訴人は,過去にも,危険水位は超過したものの計画高水位には達して
いない時点で洪水が発生して浸水被害を生じた事例が存在すると主張するが,それ
らはいずれも本件洪水とは状況が異なっている。なお,富川観測所の危険水位は,
本件洪水後に,6.30メートルから計画高水位にほぼ等しい6.90メートルに
変更されているところ(甲166),この間右岸無堤部で改修工事が行われた事実
がないことからすれば,危険水位の設定は客観的な基準に基づくわけではないから,
この点でも,危険水位を超過すれば具体的現実的危険が発生するということはない。
また,本件3樋門の周辺が暗くて転落等の事故の発生等が想定されるということ
もなく,本件3樋門の樋門操作員の退避路が水没する危険もなかった。
したがって,樋門操作員の安全のために本件退避指示を出さなければならない状
況にはなかった。このほかにも,控訴人は,種々の資料等に基づき,事業所長の本
件退避指示が相当であったと主張するが,当時の事業所長は,これらのことを認識
していたわけではなく,単に沙流川の外水位が危険水位を超過したことをもって危
険であると判断し,その他のことは検討しないで本件退避指示を発したにすぎない
のであるから,控訴人の主張は失当である。
(控訴人の主張)
そもそも,本件水害は,本件3樋門を通じて逆流した外水によるものではなく,
もっぱら,それ以前の内水氾濫によって引き起こされたものであるから,被控訴人
らの主張は本件水害が外水の逆流によって引き起こされたことを前提とする点で失
当であるが,仮に,本件3樋門を通じて逆流した外水によって洪水による浸水被害
が拡大した面があるとしても,樋門操作員は,高齢者を含む近隣住民が委嘱され,
国家公務員の身分を有することから,控訴人は,樋門操作員に対する安全配慮義務
をも負っており,樋門操作員に対する「災害発生の危険が急迫したとき」には退避
させなければならないのであって(人事院規則10-4第29条),この点で,1
0日午前1時5分の時点で本件退避指示を出した事業所長の判断は合理的であっ
た。
すなわち,本件退避指示以前に,外水位は危険水位を超過しており,沙流川水系
直轄管理区間の全域において,破堤等による河川の氾濫が惹起する洪水等の具体的
現実的危険が発生していた(この点について,浸水想定区域図(沙流川水系沙流
川浸水想定区域図全体,乙94の1・2)参照。同浸水想定区域図に関して,被
控訴人らは,本件洪水当時,平取樋門付近でも本件3樋門と同等又はそれ以上の危
険が存在したと思われるにもかかわらず,平取樋門操作員に対する退避指示が出て
いないことが具体的現実的危険が発生していないことを裏付けるというが,当時,
浸水等による危険は左岸部にのみ発生し,平取樋門操作員は危険ではなかった。)。
なお,本件洪水については,後に,この洪水を引き起こした降雨が記録的な豪雨で
あったこと,本件退避指示直前の時点では河川管理上最も警戒すべき降雨の時間分
布,空間分布,雨域の移動特性となっていたことが判明し(乙117,118),
また,本件洪水後には,危険水位に対応する水位である「はん濫危険水位」よりも
低い「避難判断水位」をもって市町村長の避難勧告等の発令の目安及び住民の避難
判断の参考にするものとされた(平成18年10月1日付け国河情第3号河川局長
通達)。過去にも,危険水位は超過したものの計画高水位には達していない時点で
洪水が発生して浸水被害を生じた事例が多数存在する。
また,堤防周辺は深夜で暗かったため,目前の危険を把握することが困難な状況
となっており,転落等の事故の発生等が想定された上,支川において内水氾濫が拡
大し,退避路が水没することにより,樋門操作員が避難経路を遮断され,孤立する
おそれが極めて高くなっていた。
そこで,事業所長は,以上のような危険に関する総合判断として,これ以上樋門
操作員らを堤防周辺に配置して作業を行わせるのは非常に危険であると判断し,1
0日午前1時5分,人的被害の発生を回避するため,控訴人の国家公務員に対する
安全配慮義務の一環として,樋門操作員に退避指示を出したのである。
したがって,事業所長が本件退避指示を出した時期は適切であり,それ以降も樋
門操作員を本件3樋門に留まらせる義務はなかった。
(2)争点②(本件退避指示の時点において,事業所長が,逆流の発生を予見する
ことが可能であり,本件3樋門を閉扉させる義務を負っていたか否か)
(被控訴人らの主張)
逆流の発生及び継続が,樋門箇所において内水位と外水位のいずれが相対的に高
いかによって決定されることは当然であるが,本件において,事業所長は,逆流の
発生を予見することができた。すなわち,本件退避指示の時点で,事業所長は,既
に,ただし書き操作による二風谷ダムからの放水量が毎秒5100立方メートルを
超えるおそれがあることや外水位が危険水位を超過したこと等の情報を得ていたか
ら,ただし書き操作により外水位が計画高水位(7.06メートル)を超えて急激
に上昇することを予測していた。また,本件3樋門の内水域にのみ集中豪雨的な降
雨でもない限り,外水位の上昇(危険水位から計画高水位まで0.76メートル)
を上回るような内水位の上昇は考えられないところ,事業所長は,本件3樋門の内
水域にのみ集中豪雨的な降雨がある一方で,それ以外の地域には降雨がないという
事態があり得ないことも認識していた。そして,事業所長は,本件退避指示の時点
までに内水氾濫の情報を得ていたから,外水位と内水位が拮抗していることも認識
していた。
以上のような本件退避指示当時の事業所長の認識からすると,事業所長は,外水
位が内水位よりも高くなり逆流が発生することを十分予見することができ,本件退
避指示を出す際に,樋門操作員に指示して本件3樋門を閉扉させる義務を負ってい
たというべきである。この点,控訴人は,本件3樋門付近の内水流域の降雨流出特
性等について主張するが,当時の事業所長は,これらのことを認識した上で本件退
避指示を出したわけではないから,控訴人の主張は失当である。
(控訴人の主張)
そもそも,逆流の発生及び継続は,樋門箇所において内水位と外水位のいずれが
相対的に高いかによって決定されるところ,内水位と外水位の変動は,流域の地形,
地質,林相,降水などの自然的要因と,それに加えて,土地利用,水利用の状況等
の人為的及び社会的要因が複合的に関与し,さらに河川の流量を支配する最も重要
な降雨という不確定要素を含むものであって,全く規則性に欠けるものである上,
降雨予測等のデータの確度にも限界があり,実績雨量を根拠として内水位が急激に
上昇はしないと予測することはできない。このため,外水位の予測のみでは逆流の
発生を予見することはできず,また,内水位を正確に予測することも不可能であっ
て,事業所長が本件退避指示を出した時点で本件3樋門での逆流の発生を確実性を
もって予見することは不可能である。
また,富川北地区における外水位の上昇は,ただし書き操作によって生じたので
はなく,上流域に降った雨によってもたらされたものである。しかも,ただし書き
操作は,外水位を自然状態から大きく上昇させるものではなく,必ずしも逆流を発
生させるものではないから,これを行っても,支川流域の降雨による内水位の上昇
が生じれば逆流は発生しない。具体的には,内水域に,9日午後10時発表の流域
雨量予測と同程度の降雨量が実際にあれば,内水位は外水位とほぼ同程度まで上昇
したと考えられる(乙42)上,本件3樋門付近の内水流域の降雨流出特性として,
降雨に対して0~3時間程度の遅れをもって洪水の発生がみられる(乙117)の
に対し,栄町樋門やコンカン川樋門ではポンプ排水が継続して行われていたものの,
その能力は限定的なので,内水位の上昇は十分に考えられる状況であった。
したがって,本件退避指示の時点で,事業所長が逆流の発生を予見することは不
可能であり,樋門を閉扉させる義務はない。
なお,以上からすれば,10日午前2時であればコンカン川樋門及び栄町樋門に
おける逆流の発生を予見できたなどということもない。
(3)争点③(本件操作要領に瑕疵があったか否か)
(被控訴人らの主張)
仮に,本件退避指示が適法であったとしても,本件操作要領に樋門操作員が退避
した場合の樋門操作についての規定がないことからすると,樋門という水害を防止
するために設置された公の営造物が恒常的に住民に危害を及ぼす危険性のある状態
で供用されることになるから,ここには営造物の設置又は管理の瑕疵があり,控訴
人は国家賠償法2条1項に基づく損害賠償責任を負う。
(控訴人の主張)
たとえ退避指示等により樋門操作が不可能となった場合の操作方法を規定したと
しても,これが実現不可能であることは明らかである。したがって,本件操作要領
が樋門操作員退避後の樋門操作に関する規定を欠いていたからといって,公の営造
物の設置又は管理に瑕疵があることにはならない。
(4)争点④(本件3樋門に十分な排水能力のあるポンプを設置していなかったこ
とが樋門の設置又は管理の瑕疵に当たるか否か)
(被控訴人らの主張)
仮に,樋門を閉扉させずに樋門操作員を退避させたこと(本件退避指示)が適法
であったとすると,樋門を開扉したままで内水氾濫やその後の逆流による浸水被害
を最小化するためにはポンプによる排水が必要となるが,本件洪水時に本件3樋門
で稼働していたポンプはいずれも十分な排水能力がなかった。このように,控訴人
が平均的雨量に伴う支川の水を十分に排水できる能力のあるポンプ排水設備を設置
していなかったことは,国家賠償法2条1項の公の営造物の設置又は管理の瑕疵に
当たる。
(控訴人の主張)
樋門の機能からみても,控訴人にはポンプ排水を含め堤内側の水を除去する権限
及び責任はなく(堤内側の水の除去は水防管理者である旧門別町長の権限及び責任
に属する。),樋門とポンプ排水設備とでは設置権限及び管理権限が異なっている
ことからしても,樋門とポンプ排水設備を一体の公の営造物とみることはできない。
したがって,控訴人がポンプ排水設備の設置又は管理上の責任を負うことはない。
(5)争点⑤(逆流によるヘドロの被害があったか否か)
(被控訴人らの主張)
本件水害では,被控訴人らの家屋や店舗,牧場などに浸水した後,水が引いた後
も,ヘドロ様の汚泥が残留してひどい腐臭を発し,容易にこれをぬぐい去ることが
できないため,清掃費がかさみ,什器備品等もことごとく廃棄を余儀なくされると
いう,ヘドロ様の汚泥を原因とする被害が発生した。
この点,泥からなる浮遊物質(SS)の濃度は,二風谷ダムの放流地点より下流
で著しく上昇しているところ,このようにSS濃度を上昇させた主な原因は,二風
谷ダムの下流で生じた洗掘によって河岸からもたらされた物質であり,大きく侵食
された沙流川の河床や氾濫原のへりである(乙77)。
これに対し,本件3樋門の支川の流域面積は極めて小さい上に,流域のほとんど
は宅地や水田,畑,牧草地,丘陵地などであるから,大雨が降ったとしても,内水
にヘドロ様の浮遊物質が多量に含まれるという事態は考えられない。
また,本件水害以前の水害や本件水害後の平成18年の水害では,逆流が発生し
なかったため,ヘドロ様の汚泥を原因とする被害は発生していない。
したがって,被控訴人らが逆流によって沙流川本川からもたらされたヘドロ様の
汚泥を原因とする被害を受けたことは明らかである。
(控訴人の主張)
事業所の巡視職員等及び消防署員が目撃したとおり,逆流以前の時点で,既に被
控訴人らの住居等は支川から溢れ出た内水に浸かっていた。内水氾濫であっても,
土砂が堆積し,臭気が発生するのは当然であり,本件洪水後の平成18年8月18
日の洪水でも,内水氾濫により同様の被害が発生している。この点,再現計算結果
によっても,本件3樋門に関しては,窪地部分を除いて,全浸水深に対する内水に
よる浸水深の割合が大きくなっているのであり,被控訴人らの家屋等への被害は,
もっぱら内水氾濫によってもたらされたといえる。
これに対し,被控訴人らは,調査観測論文(乙77)を根拠として,逆流による
ヘドロ様の汚泥を原因とする被害があったと主張するが,同論文は,沙流川の下流
におけるSS負荷量(SS濃度に流量を乗じた,水域に流入するSSの量的尺度と
なる値)増大の原因としては支川及び残流域からの土砂流入の影響は小さいと判断
しているにとどまり,家屋に侵入した泥が本川又は支川のどちらに由来する割合が
高いかということにまで触れてはいないから,被控訴人らの主張を裏付けるものと
はいえない。また,本件洪水と平成13年洪水のSS負荷量とを比較すると,本件
洪水の方が平成13年洪水よりも支川からのSS負荷量が明らかに大きいが,この
ことは,本件洪水の際に,内水氾濫によって支川由来の土砂が平成13年洪水より
も多く堤内地に堆積したという可能性を示すものである(乙88)。
(6)争点⑥(被控訴人らが被った損害の内容及び額)
(被控訴人らの主張)
被控訴人らは,本件洪水の結果,床上ないし床下浸水の被害を被ったことにより
経済的被害,健康被害,精神的被害,生活の不便さといった多様な損害を被った。
その内容及び額は,原判決書別紙12,13,15ないし20に各記載のとおりで
ある(なお,これらのうち,損害①は家屋,②は庭・植木,③は一般家財,④は特
別家財,⑤は営業用什器・備品,⑥は営業用商品,⑦はその他の損害であり,請求
費目がない部分は欠番となっている。)。
特に,本件水害において最も特徴的なヘドロ様の汚泥による被害は甚大であり,
このため,内水氾濫であれば,水が引いた後で乾かせば使用可能となるような物で
も廃棄せざるを得なくなって,多大な経済的損害が生じた。また,家屋その他の財
産がヘドロ様の汚泥にまみれたことの嫌悪感・驚愕,汚泥除去の労苦,汚泥の悪臭
による生活苦は想像を絶するものがあり,これらによって被控訴人らの被った精神
的苦痛は計り知れない。
(控訴人の主張)
いずれも否認ないし争う。
第3当裁判所の判断
1当裁判所も,被控訴人らの本件請求はそれぞれ原判決主文掲記の限度で認容
すべきものと判断する。その理由は,次のとおりである。
2認定事実(本件退避指示に至る経緯及びその後の事実経過)
本件退避指示に至る経緯及びその後の事実経過として,前提事実,証拠及び弁論
の全趣旨から認められる事実は,次のとおりである。
(1)10日午前0時ころまでの状況
次のとおり補正するほかは,原判決書「事実及び理由」欄の第4の1ないし5に
記載のとおりであるから,これを引用する。
ア原判決書19頁24行目の「別紙8ないし10」を「原判決書別紙8ないし
10」と改める。
イ原判決書21頁2行目の「別紙7」を「原判決書別紙7」と改める。
ウ原判決書21頁12行目冒頭から同頁15行目末尾までを次のとおり改め
る。
「引き続き堤防その他を見回り水防活動を行うよう求めた(甲1の129頁)。
なお,控訴人は,室蘭開発建設部が,10日午前0時50分に事業所長に電話連
絡をし,門別町(富川北地区は門別町に含まれる。)と平取町に避難するよう助言
することを指示し,事業所長が,その指示に従い,午前1時ころ,門別町と平取町
に避難を助言したと主張し,事業所長も,その旨の連絡をした旨述べる(乙82,
原審証人B)が,上記両町側にはその旨の記録はない(甲165,乙91,弁論の
全趣旨)。」
(2)室蘭開発建設部治水課による水位予測
次のとおり補正するほかは,原判決書「事実及び理由」欄の第4の6及び7に記
載のとおりであるから,これを引用する。
ア原判決書22頁9行目の「午前0時54分」を「午前0時43分」と改め,
同頁18行目の「予測された」の次に「(甲3)」を加える。
イ原判決書22頁23行目の「立法メートル」を「立方メートル」と改める。
(3)本件退避指示及び樋門操作員の退避状況等
次のとおり補正するほかは,原判決書「事実及び理由」欄の第4の8及び9に記
載のとおりであるから,これを引用する。
原判決書23頁7行目から8行目にかけての「破堤の危険があるため」を削る。
(4)本件退避指示後の状況
次のとおり補正するほかは,原判決書「事実及び理由」欄の第4の10ないし1
5に記載のとおりであるから,これを引用する。
ア原判決書25頁3行目の「立法メートル」を「立方メートル」と改める。
イ原判決書26頁5行目の「富川北地区は,」の次に「本件洪水により」を加
える。
3争点①(本件退避指示の時点において,事業所長は,なお樋門操作員を現場
に留まらせて樋門の操作を行わせるべき義務を負っていたか否か)について
(1)そもそも,洪水時における樋門操作は,外水の逆流を防いで洪水による被害
を最小化するという目的のために行われるものであり(本件操作要領2条),樋門
操作員によって行われる外水位と内水位の観測も,この樋門操作を適切に行うため
のものにほかならない。したがって,樋門操作員は,洪水時にこそ,的確に水位を
把握し,適切に樋門操作をするために,できる限り現場に留まることが期待されて
いるというべきである。
もとより,国土交通大臣は,一般職の国家公務員である樋門操作員に対する安全
配慮義務の一環として,樋門操作員に対する災害発生の危険が急迫したときには,
樋門操作員を退避させなければならず(人事院規則10-4第29条),本件退避
指示も,国土交通大臣の当該権限を,事業所長がその事務分掌の範囲内で行使した
ものということができる。
しかしながら,災害発生の危険が急迫したか否かの判断が職員の業務の性質等を
勘案して行われるべきことは当然であって,樋門操作員が洪水時に樋門を適切に操
作して洪水による被害を最小化する役割を担っている以上,洪水時であるという一
事をもって,災害発生の危険が急迫したと即断すべきものではない。事業所長は,
たとえ洪水時であっても樋門操作員を現場に留まらせ,水位の観測や逆流の有無の
監視に当たらせる必要があり,時々刻々変化する水位,流量及び雨量等の気象状況
に関する情報を収集し,このような情報に基づいて水位予測を適切に行い,これら
を総合的に考慮して,洪水や破堤による急迫の危険があると判断されるときに限り,
樋門操作員に対して現場から離れて退避するように指示すべきことになるものと解
される。
(2)これを本件についてみると,本件3樋門付近一帯の右岸は完成堤防であった
から,計画高水位(7.06メートル)までは外水を安全に流下することができる
状態にあったと認められるのに対し,10日午前0時50分には外水位が危険水位
(6.30メートル)に達していたとはいえ,これは計画高水位よりも76センチ
メートル低いのであるから,本件3樋門付近の完成堤防に破堤のおそれが生じたと
考える根拠は見当たらない。この点,本件3樋門の上流には当時暫定堤防が残って
おり,計画高水位よりも低い危険水位であっても,この暫定堤防部分からは河川の
氾濫を生じるおそれがあったとはいえるが,富川観測所の水位が危険水位まで上昇
したとしても,本件3樋門付近の右岸堤防それ自体については,破堤や越流の危険
が迫っている状況にあったとは認められないし,暫定堤防部分を端緒とする河川の
氾濫の影響が本件3樋門付近に差し迫っている状況にあったとも認められない(浸
水想定区域図(沙流川水系沙流川浸水想定区域図全体,乙94の1・2)は,
一定の条件の下で想定される浸水の状況を示すものであるところ(甲170),本
件では,上記浸水想定区域図がいかなる条件を設定して作成されたものか明らかで
ない(弁論の全趣旨)から,同浸水想定区域図をもって本件洪水時の具体的な危険
の有無を論じることはできない。)。また,10日午前1時ころには,本件3樋門
全てで内水氾濫が発生していたが,富川観測所の時間雨量は,同日午前1時には2
ミリメートル,午前2時には1ミリメートル,午前3時以降は0であり(甲1),
午前1時以降は,それまでの累積雨量により多少の内水流域の流量の増加(内水位
の上昇)があるとしても(富川観測所の外水位は,10日午前0時で6.15メー
トル,午前1時で6.34メートル,午前2時で6.64メートルであり(甲1),
水位の上昇が認められるが,それに比べ本件3支川は小規模河川で内水流域の流量
が小さいので,大幅に流量が増加するような事態は発生しなかったものと考えられ
る。),局地的な大雨により急激に内水氾濫が増大するとは考え難い状況にあった。
したがって,10日午前1時5分の時点では,沙流川水系直轄管理区間の全域に
おいて,破堤等による河川の氾濫が惹起する洪水や本件3樋門における内水氾濫の
増大等の具体的現実的危険が発生し,本件3樋門付近の樋門操作員に対する災害発
生の危険が急迫していたなどと認めることはできない。
(3)なお,実際の水位上昇は午前0時水位予測よりも速く,実際の天候も午後1
0時雨量予測に反して雨脚が強まっていたから,危険水位を超過した後も継続して
水位が上昇することは十分に予測されるところではあった。
とはいえ,10日午前0時以降,流域全体の降雨量は全体にそれまでよりも減少
傾向にあり,このことは河川情報システムで10分単位の雨量としてほどなく把握
されていたし,水位の上昇幅も午前1時までは10分単位で最大5センチメートル
にとどまっており,ただし書き操作の影響が本件3樋門付近に及ぶのは,午前2時
30分ころ以降と予測されていたから,午前1時の段階で,水位の計画高水位超過
を直ちに懸念すべき状況にはなかったといわざるを得ない。
(4)これに対し,控訴人は,本件洪水後,危険水位(「はん濫危険水位」)より
も低い「避難判断水位」が市町村長の避難勧告等の発令の目安及び住民の避難判断
の参考にするものとされたこと(平成18年10月1日付け国河情第3号河川局長
通達)は,危険水位に達した河川の危険性を示しており,本件洪水当時も,事業所
長から門別町と平取町に避難を助言する連絡をした旨主張し,事業所長もその旨供
述する(原審証人B)。
しかしながら,既に検討したとおり,災害発生の危険が急迫したか否かの判断は
職員の業務の性質等を勘案してなされるべきものであって,樋門操作員の任務の内
容に鑑みると,住民避難に関する判断と樋門操作員に対する退避指示の判断の基準
を同列に論じることはできないから,控訴人の上記主張は採用の限りではない。
また,控訴人は,C大学理工学部D教授作成の意見書(乙117)を根拠として,
本件洪水後に,この洪水時の降雨が記録的な豪雨であったこと,本件退避指示直前
の時点では河川管理上最も警戒すべき降雨の時間分布,空間分布,雨域の移動特性
となっていたことが判明したとして,事業所長が本件退避指示を出した時点で洪水
等の具体的現実的危険が発生していた旨主張する。
しかしながら,上記意見書は,室蘭開発建設部治水課による当時の具体的な水位
予測(甲3)を考慮することなく,一般論を述べ,さらに,具体的にいかなる外的
条件が存在したことから破堤の可能性があったといえるのかを示さないなど,富川
北地区において抽象的に洪水等の危険が発生していたことを認めるのはともかく,
破堤等による河川の氾濫が惹起する洪水等の具体的現実的危険が発生していたこと
を裏付けるには足りないといわざるを得ない(同意見書は,このほかに,平成23
年3月11日の東日本大震災の際の津波による人的被害をもって本件洪水時の樋門
操作員に対する災害発生の危険を根拠づけようとしているが,予測可能性の程度等
に鑑みると,降雨による危険と津波による危険とを同列に論じるような議論は適切
ではない。)。したがって,控訴人の上記主張は採用することができない。
さらに,控訴人は,全国で過去に生じた水害の事例を挙げ,本件水害でも同様に
災害発生の危険が急迫していた旨主張する。
しかしながら,過去にそのような水害事例があることから,危険水位を超過すれ
ば,計画高水位には達していなくとも,洪水が発生して浸水被害を生じる可能性が
あると抽象的にいうことはできるとしても,これらの水害事例はいずれも本件とは
異なる場所で,本件とは異なる条件の下で生じた水害であるから,そこから直ちに
危険水位を超過した時点で具体的に災害発生の危険が急迫していたと認めることは
できない。したがって,控訴人の上記主張は採用することができない。
(5)このほかに,控訴人は,樋門操作員に対する災害発生の危険が急迫していた
といえる事情として,現場が暗く,また,内水氾濫等により樋門操作員の退避路が
水没するおそれがあったと主張するが,前記認定の事実関係からすると,その時点
で樋門操作員を退避させなければ,以後樋門操作員が身を守るのが困難になるであ
ろうと考えるべき根拠はなかったというべきであり,控訴人の上記主張は採用する
ことができない。
また,控訴人は,本件3樋門における樋門操作員は一般職の国家公務員ではある
が,実際には,高齢者を含む近隣住民に委嘱されているのであり,特別な訓練や装
備があるわけでもないから,近隣住民と比較して,樋門操作員が危険を速やかに認
知し,回避できるものではないことは明らかであり,退避指示の是非,ひいては「災
害発生の危険が急迫したとき」との要件該当性を検討するに際しては,上記のよう
な樋門操作員の能力等を前提に検討がなされるべきであると主張する。
しかしながら,樋門操作員の職務が高齢者を含む近隣住民に委嘱されているのだ
としても,洪水時に樋門を適切に操作して洪水による被害を最小化する役割を担う
という樋門操作員の任務の重大性に鑑みると,上記のような危険を速やかに認知し,
回避する能力等を考慮して,退避指示の是非や「災害発生の危険が急迫したとき」
との要件判断を検討することは,必ずしも相当とはいえない。
(6)以上のとおりであって,10日午前1時5分に本件退避指示を出した事業所
長の判断は,上記人事院規則における「災害発生の危険が急迫したとき」という要
件の認定判断を誤ったものといわざるを得ない。
そして,事業所長は,水位,流量及び雨量等の気象状況に関する情報を収集し,
このような情報に基づいて水位予測を適切に行い,これらを総合的に考慮して,洪
水や破堤による急迫の危険があると判断されるときに限り,樋門操作員に対して現
場から離れて退避するように指示すべきであったところ,10日午前1時5分以降
の見通しについて,十分に情報を収集し,分析することなく,要するに沙流川の外
水位が危険水位を超過したことを大きな拠り所として本件退避指示を出したものと
解されるのであって,この点で,事業所長は河川や樋門の管理を分掌する者として
職務上尽くすべき義務に違反したものといわざるを得ない。
したがって,河川管理という公権力の行使に当たる公務員たる事業所長の出した
本件退避指示は,国家賠償法上違法なものと評価すべきである。
4争点②(本件退避指示の時点において,事業所長が,逆流の発生を予見する
ことが可能であり,本件3樋門を閉扉させる義務を負っていたか否か)について
(1)事業所長が本件退避指示を出した10日午前1時5分の時点で災害発生の危
険が急迫していたと認められないことは前示のとおりであり,本来,事業所長は,
引き続き樋門操作員を現場に留まらせて樋門の操作を行わせるべきであったことに
なるので,以下では,仮に事業所長が本件退避指示を出さなかったならば,本件3
樋門を閉扉させることになったのかどうか,事業所長の本件退避指示と外水の逆流
による損害との因果関係について検討する。
ア富川D樋門の逆流について
まず,事業所長が認識していた事情等をみるに,事業所長が二風谷ダムのただし
書き操作に関する情報をどの時点で入手していたのかは,証拠上必ずしも判然とし
ないが,河川管理に携わる者であれば,午前0時水位予測を見ることでただし書き
操作が行われる予定であることは直ちに理解できるものと思われる。
そして,10日午前1時の富川観測所での水位・流量は,6.34メートル・毎
秒2740立方メートルであったところ,事業所長が午前1時40分ころ入手した
午前1時水位予測では,1時間前に入手した午前0時水位予測とは大きく異なり,
午前2時から午前4時にかけて急激に上昇することが記載され,富川観測所での水
位が計画高水位を26センチメートル上回る7.32メートルに達することが記載
されていた(甲3の14頁)。
その後,事業所長は,午前2時の時点では,外水位が午前1時50分に6.55
メートル(計画高水位まで約50センチメートル)となったことを認識し,ただし
書き操作の影響により,それまでは10分間に約5センチメートルの幅で上昇して
きた水位が,以後,それまで以上の幅で上昇するであろうことも予想できたものと
推認される。
そうすると,事業所長は,計画高水位まで約50センチメートルとなり,ただし
書き操作の影響がほどなく本件3樋門付近に及ぶことを考慮し,退避指示を出して
から実際に樋門操作員が退避するまでに要する時間にも配慮し,遅くとも午前2時
の段階では,本件3樋門の樋門操作員に退避を指示すべき状況に至ったであろうと
いうことができる。そして,本件退避指示の際は実際の退避まで15分程度要して
いることからすれば,事業所長が午前2時に退避指示を出した場合,午前2時15
分ころ,樋門操作員が樋門から離れて退避したであろうと推認することができる。
したがって,事業所長が本件退避指示を出さなければ,午前1時50分に逆流が
発生した富川D樋門では,逆流発生後ほどなくして,樋門操作員により樋門が閉扉
されたであろうと考えられる。
イコンカン川樋門及び栄町樋門の逆流について
富川D樋門と異なり,コンカン川樋門と栄町樋門では,10日午前2時の時点で
は未だ逆流は発生していなかったと認められることは前記のとおりであるから,以
下,事業所長が,午前2時に退避を指示するに当たり,樋門の閉扉を指示すべきで
あったか否かについて検討する。
まず,事業所長に逆流発生の予見可能性があったかをみると,事業所長は,午前
2時までに,富川観測所での流量が午前2時以降は急速に増加し,最高水位が7.
32メートルに達すると予測する午前1時水位予測を入手し,本件3支川の流域面
積の雨量が午前0時以降少量にとどまっていた事実を認識していたはずであるとこ
ろ,これらのことから合理的に導かれる推論として,事業所長は,さほど時間を置
かずに外水位が大幅に上昇する一方,本件3樋門の流域の降雨量は限られていて,
内水位が大きく上昇しないため,逆流が発生することを予想できたと考えられる。
この点,事業所長が午前1時20分に入手した同日午前1時時点の流域雨量予測
(甲3の12頁)では,同日午前1時から午前4時までの1時間雨量は,それぞれ
20ミリメートル,20ミリメートル,16ミリメートルとなっていたが(この予
測を前提とした試算によると,栄町樋門と富川D樋門では逆流が発生しない結果に
なっている(乙42の56頁)。),実際には,午前2時の段階では,沙流川流域
の多くの観測所で1時間雨量が1ミリメートル以下と少量になっており,上記雨量
予測と実際の雨量は異なっていたから,ポンプ排水が継続的に行われていたコンカ
ン川樋門と栄町樋門で内水の急激な水位上昇があるとは予想しなかったはずであ
る。逆に,外水位に関しては,ただし書き操作による急激な水量の増加により確実
に水位が上がることが分かっていたのであるから,遅くとも午前2時の時点で,さ
ほど時間を置かずに逆流が発生することを予想できたというべきである。そして,
逆流を防止するために樋門を閉扉したとしても,それまでに発生していた内水氾濫
が更に増大するようなこともなかったといえる。
しかも,午前1時水位予測のグラフ(甲3の14頁)を見る限りは,一旦逆流が
発生すると,相当の長時間にわたって逆流状態が続くであろうことや,逆流による
浸水被害が非常に大きなものになるであろうことも,容易に予想できたものと推認
される。
したがって,事業所長が本件退避指示を出していなければ,午前2時には,樋門
操作員に対してコンカン川樋門及び栄町樋門を閉扉して退避するように指示すべき
状況に至ったであろうということができ,しかも,そのような指示を出すことは容
易で,そうすることによって,これらの樋門からの外水の逆流も回避されたものと
認められる。
(2)以上のとおりであって,事業所長が本件退避指示を出さなかったならば,樋
門操作員をして本件3樋門を閉扉させることになって(当時樋門操作員が樋門を閉
扉するのに困難をきたすような状況にあったとはうかがわれない。),本件3樋門
からの外水の逆流を防ぐことができたといえるから,事業所長の本件退避指示と外
水の逆流による浸水被害との間には相当因果関係があるというべきである。
5争点⑤(逆流によるヘドロの被害があったか否か)について
(1)証拠(甲93,乙77)によれば,本件退避指示後に発生した外水の逆流に
より,本件3樋門の内水域には,SS(浮遊物質)濃度が平時より上昇した状態の
外水が流入したこと,本件水害時に沙流川橋で観測された外水のSS濃度は,平成
13年洪水時の1.5倍程度であるところ,本件水害時には,二風谷ダム放流地点
と比較して下流でより高いSS濃度が観測されていることが認められる。
したがって,沙流川下流域において高いSS濃度が観測された主要な原因は,二
風谷ダムの湖底堆積物ではなく,ダム下流での激しい洪水流による河床や河岸の侵
食によるものであると推認することができる。
(2)一方,証拠(甲17)によれば,自然河川ではヘドロ(汚泥)が生成される
ことはないが,ダム湖などの湛水域では落葉や木の枝といった粗粒有機物が沈殿・
堆積し,貧酸素状態でヘドロ(汚泥)となり,洪水時のダムの放流でこれが移動し,
その一部が下流に流れ出ること,湖底堆積物のような湖底由来のSS物質は,細粒
の腐敗した有機物を豊富に含み,臭気(悪臭)が特徴であることが認められる。
したがって,上記のとおり沙流川下流域において高いSS濃度が観測された主要
な原因が河床や河岸の侵食に由来するとはいえ,一部には二風谷ダムの湖底堆積物
の汚泥化した物質も含まれていたと推認することができる。
(3)以上の点を踏まえ,前記認定の事実経過をも考え合わせると,本件洪水によ
る富川北地区の約55ヘクタールの浸水は,外水の逆流が原因となっているものの,
この逆流のみによって生じたのではなく,先に内水氾濫が発生し,その後,多量の
SS物質を含む外水が開扉された樋門から逆流したことにより内水位が上昇して洪
水が発生したことによるものであって,いわば内水氾濫と外水の逆流による洪水と
が複合して生じたものといえる。
6争点⑥(被控訴人らが被った損害の内容及び額)について
(1)損害認定の手法
ア前記認定のとおり,本件洪水による富川北地区の約55ヘクタールの浸水は,
内水氾濫と外水の逆流による洪水とが複合して発生したものであるから,事業所長
の本件退避指示と相当因果関係のある損害は,樋門を閉扉していた場合の内水氾濫
のみによる浸水被害と比較して増加した部分,すなわち,外水の逆流により増加し
た洪水量及び汚泥量によって拡大した損害に限られることになる。
イそこで,検討するに,まず,逆流により増加した汚泥量についてみると,本
件洪水時の外水のSS濃度は,他の洪水時の1.5倍程度に達していたものの,本
件水害により堆積した泥の組成や由来について特定するに足りる証拠は見当たらな
い。
また,本件洪水時の外水のSS濃度が通常の洪水時に比べても高いものであった
こと,本件3支川が小規模河川であり,本件洪水時に,河床や河岸を削り取って多
量のSS物質を内水にもたらすほど激しい流れを発生させたとは考え難いことから
すれば,外水のSS濃度は内水のSS濃度よりも相当程度高かったとはいえても,
これを具体的な数値で認定するに足りる証拠は見当たらない。
この点,被控訴人らは,支川では土砂の侵食はほとんど考えられないとして,内
水由来の泥の堆積はないかの如く主張し,その根拠として本件水害の調査論文(乙
77)を挙げている。
しかしながら,上記調査論文(乙77)は,平成13年洪水と比べて支川からの
流入による本川の流量増加の影響が相対的に小さいことを理由に,本川のSS負荷
量の原因として支川等からの土砂流入の影響は小さいと判断しているものの,富川
北地区における浸水のように内水と外水が混じって浸水した場合について,浸水域
でのSS濃度のほとんどが外水由来になると判断しているわけではなく,同調査論
文を根拠にして本件水害時に内水域に堆積した泥のすべてが外水に由来するものと
認めることはできない。沙流川流域において内水氾濫のみが発生した平成18年の
洪水でも屋内外に泥が堆積する被害は発生している(乙75)から,本件水害時に
も,仮に樋門が閉扉されていたとしても,ある程度は泥の堆積による被害が生じた
であろうことは否定し難いというべきである。
ウ次に,汚泥の臭気についてみると,逆流した外水には,一定の限度で本件3
支川(自然河川)には含まれていないダムの湖底堆積物由来のSS物質(細粒の腐
敗した有機物を豊富に含み臭気を有する物質)が含まれていたと推認され,本件水
害時に内水域に堆積した汚泥による被害も,適切に樋門が閉扉されていた場合と比
較すると,腐敗有機物の臭気が入り混じるという点で,その臭気には質的な違いが
あったと認められるところ,実際に,被控訴人らは,本件洪水により室内等に堆積
した泥は,内水氾濫による泥よりもひどい臭いであったと供述している(原審にお
ける原告A4本人,同A6本人)。
しかしながら,ダムのない河川の氾濫の場合であっても,被災地域では下水を含
む生活排水が溢れたことによる特有の不快臭が感じられることは経験的に知られて
おり(公知の事実),洪水は,たとえ内水氾濫であっても不快臭を残すものである
以上,樋門閉扉の有無により,臭気が質的に異なるということはできても,両者の
臭気の不快感の程度や質の差異を具体的に認定し,これを損害として評価すること
は困難といわなければならない。
エ被控訴人らは,このほかに,外水由来の汚泥は容易にぬぐい去ることができ
ないため,清掃費がかさみ,什器備品等もことごとく廃棄を余儀なくされたと主張
する。
しかしながら,内水氾濫で床上浸水が生じた場合であっても,清掃の実施や什器
備品の廃棄は避けられないところであって,ダムの湖底堆積物由来のSS物質には
細粒の有機物が豊富に含まれるという点で泥の質に違いがあるとしても,このこと
により被控訴人らの財産上の損害にどの程度の差が生じたのかを具体的に認定する
ことは困難である。
オこれらの点を踏まえると,外水の逆流で増加した洪水量及び汚泥量によって
拡大した損害は,財産的損害に関しては,民事訴訟法248条の趣旨も勘案して,
洪水による浸水によって被控訴人らが失った財産又は支出を余儀なくされた費用
に,それらが外水に由来するとみられる一定割合を乗じて算定するとともに,精神
的損害に関しては,慰謝料として損害額を検討するのが相当である(これに対し,
もっぱら逆流した外水に起因すると認められる財産的損害については,このような
手法によらずに,一般の損害賠償請求における財産的損害と同様に算定すべきもの
である。)。
カそこで,上記一定割合の数値を検討するに,以上の点を考慮し,この数値は,
浸水した内水量(深さ)と外水量(深さ)を比較して,前者を1,後者を2とする
加重平均値とするのが相当である。
そして,証拠(乙68)によれば,被控訴人らの住宅等の基底部(基底部は,被
控訴人A1,同A2,同A5及び同A8の住宅が土台天端であり,それ以外が地盤
面である。)の高さはそれぞれ下表の「基底部高」欄に記載のとおりであることが
認められ,閉扉状態での堤内最高水位及び開扉状態での堤内最高水位の再現計算値
はそれぞれ第3の2(4)(原判決書「事実及び理由」欄の第4の15)のとおり(下
表「閉扉水位」欄及び「開扉水位」欄のとおり)であるから,被控訴人らの住宅等
に浸水をもたらした内水の量と外水の量を高さで比較すると,下表のとおりとなる。
基底部高
=A(㎝)
閉扉水位
=B(㎝)
開扉水位
=C(㎝)
内水の量
=B-A(㎝)
外水の量
=C-B(㎝)
被控訴人A1の住宅7307928346242
被控訴人A1の厩舎7207928347242
被控訴人A2の住宅7017928349142
被控訴人A4の住宅57065182581174
被控訴人A5の住宅7677928342542
被控訴人A5の倉庫7067928348642
被控訴人A6の住宅59065182561174
被控訴人A7のハウス7607928343242
被控訴人A8の住宅66879283412442
被控訴人会社の倉庫57065182581174
そうすると,被控訴人らそれぞれについて,内水の量を1,外水の量を2とする
加重平均値は下表のとおりとなり,浸水によって被控訴人らが失った財産の額又は
支出を余儀なくされた費用にその加重平均値(以下,下表の加重平均値を「外水比
率」という。)を乗じた額をもって,増加した洪水量及び汚泥量によって拡大した
損害の額と認めるのが相当である。
浸水量内水の量
=D(㎝)
外水の量
=E(㎝)
加重平均値
=E+E/E+E+D
被控訴人A1の住宅10462420.5753
被控訴人A1の厩舎11472420.5385
被控訴人A2の住宅13391420.4800
被控訴人A4の住宅255811740.8112
被控訴人A5の住宅6725420.7706
被控訴人A5の倉庫12886420.4941
被控訴人A6の住宅235611740.8509
被控訴人A7のハウス7432420.7241
被控訴人A8の住宅166124420.4038
被控訴人会社の倉庫255811740.8112
キところで,被控訴人らは,浸水被害を受けて家屋や家財を失った場合には,
当該財産の交換価値を失うという形で損害が顕在化するというよりも,生活や生計
を維持するために再調達費用を支出するという形で損害が顕在化するから,その再
調達費用が損害であると主張するが,相当程度の経年劣化が存在する家屋や家財を
失ったことによる財産的損害については,公平の見地から,再調達費用について経
年減価を考慮するのが相当である。
(2)被控訴人らの損害の内容及び額
以上の検討を踏まえた被控訴人らの損害の具体的な内容及び額は,次のとおり補
正するほかは,原判決書「事実及び理由」欄の第8の1,2,4ないし13に記載
のとおりであるから,これを引用する。
ア原判決書36頁17行目の「別紙12」を「原判決書別紙12」と改める。
イ原判決書38頁4行目の「万円」を「114万7500円」と改める。
ウ原判決書39頁1行目の「別紙13」を「原判決書別紙13」と改める。
エ原判決書40頁25行目の「別紙16」を「原判決書別紙16」と改める。
オ原判決書41頁11行目の「別紙17」を「原判決書別紙17」と改める。
カ原判決書42頁12行目の「別紙19」を「原判決書別紙19」と改める。
キ原判決書42頁19行目の「別紙20」を「原判決書別紙20」と改める。
ク原判決書44頁5行目の「別紙21」を「原判決書別紙21」と改める。
7よって,原判決は相当であって,本件控訴はいずれも理由がないからこれを
棄却することとし,主文のとおり判決する。
札幌高等裁判所第2民事部
裁判長裁判官山崎勉
裁判官片岡武
裁判官湯川克彦

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我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
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