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平成16年2月25日判決言渡 平成12年(行ウ)第178号 退去強制令書発付処分取
消請求事件
判      決
主      文
           原告の請求をいずれも棄却する。
           訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
 1 被告法務大臣が平成12年7月3日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認
定法49条1項に基づく原告の異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
 2 被告東京入国管理局主任審査官が平成12年7月4日付けで原告に対してした退去
強制令書発付処分を取り消す。
第2 事案の概要
本件は,被告法務大臣から,出入国管理及び難民認定法(平成11年法律第160号
による改正前のもの。)49条1項の規定に基づく異議の申出は理由がない旨の裁決を
受け,被告東京入国管理局主任審査官から,退去強制令書の発付処分を受けた原
告が,原告は同性愛者であり,国籍の属するイランに送還されたならば,同性愛者で
あること等を理由に迫害を受けるおそれがあるから,難民の地位に関する議定書1条
の規定により難民の地位に関する条約の適用を受ける難民に該当するにもかかわら
ず,原告に在留特別許可を認めなかった上記裁決には,被告法務大臣が裁量権の
範囲を逸脱した違法があり,同裁決を前提としてされた上記退去強制令書の発付処
分も違法であるなどと主張して,上記裁決及び退去強制令書発付処分の取消しを求
めている事案である。
1 前提となる事実(これらの事実は,当事者間に争いがない。)
(1) 原告の国籍並びに本邦への入国及び在留状況
ア 原告は,昭和38(1963)年(以下,同様に,必要に応じ,括弧内に西暦を記載
する。),イラン・イスラム共和国(以下「イラン」という。)において出生したイラン
国籍を有する外国人である。
イ 原告は,平成3(1991)年6月29日,テヘランにおいて,有効期限を平成6年6月
29日までとする旅券の発給を受けた。
ウ 原告は,平成3(1991)年8月29日,香港からキャセイ・パシフイック航空で新東
京国際空港に到着し,東京入国管理局(以下「東京入管」という。)成田支局入
国審査官に対し,外国人入国記録の渡航目的の欄に「BISINESS-FORW
ORDER」(商用従事者),日本滞在予定期間の欄に「AUG29TOSEP2」(8
月29日から9月2日まで)と記載して上陸申請を行い,同入国審査官から出入国
管理及び難民認定法(平成3年法律第71号による改正前のもの)別表第1に規
定する在留資格「短期滞在」及び在留期間90日の許可を受け,本邦に上陸し
た。
エ 原告は,本邦上陸後,福島県郡山市の工事現場などで不法就労を開始し,
在留資格の変更又は在留期間の更新の許可申請を行うことなく,在留期限で
ある平成3年11月27日を超えて本邦に不法残留するに至った。
オ 原告は,平成5年3月23日,居住地を東京都台東区千束a丁目b-c-dとして,
外国人登録をした。
カ 原告は,平成5年9月30日,新居住地を東京都練馬区氷川台a丁目b-cとし
て,居住地変更登録をした。
キ 原告は,平成6年8月15日,在東京イラン大使館において,旅券の有効期限
の延長手続をした。
ク 原告は,平成8年10月28日,新居住地を東京都練馬区平和台a丁目b-cとし
て,居住地変更登録をした。
ケ 原告は,平成9年8月15日,在東京イラン大使館において,有効期間を平成
14年8月15日までとする新旅券の発給を受けた。
(2) 原告の退去強制手続の経緯
ア 原告は,平成12年4月22日,警視庁高島平警察署員に不法残留の容疑で現
行犯逮捕された。
イ 東京地方検察庁は,平成12年5月9日,上記アの事件について,原告を起訴
猶予とする処分をした。
ウ 東京入管入国警備官は,平成12年5月2日,原告について違反調査を開始
し,原告が出入国管理及び難民認定法(平成11年法律第160号による改正前
のもの。以下「出入国管理法」という。)24条4号ロに該当すると疑うに足りる相
当の理由があるとして,同月8日,被告東京入管主任審査官(以下「被告主任
審査官」という。)から発付された収容令書に基づき,同月9日,同令書を執行し
て,原告を東京入管収容場に収容した。
 東京入管入国警備官は,同日及び同月10日,違反調査をし,その結果,原
告を同法24条4号ロ該当容疑者として,同日,東京入管入国審査官に引き渡
した。
エ 東京入管入国審査官は,平成12年5月10日及び同月25日,原告について違
反審査をし,その結果,同月25日,原告が出入国管理法24条4号ロに該当する
旨の認定を行い,原告にこれを通知したところ,原告は,同日,東京入管特別
審理官によるロ頭審理を請求した。
オ 東京入管特別審理官は,平成12年6月9日,原告について口頭審理を行い,
その結果,同日,東京入管入国審査官の上記認定は誤りがない旨判定し,原
告にこれを通知した。
 原告は,同日,被告法務大臣に対し,出入国管理法49条1項に基づく異議の
申出をした。
カ 被告法務大臣は,平成12年7月4日,原告からの異議の申出について,理由
がない旨の裁決を行い(以下「本件裁決」という。),同裁決の通知を受けた被告
主任審査官は,同日,原告に本件裁決を告知するとともに,送還先をイランと
する退去強制令書の発付処分を行い(以下「本件処分」という。),原告を東京
入管収容場に収容した。
キ 東京入管入国警備官は,平成12年8月18日,原告を入国者収容所東日本入
国管理センター(以下「東日本センター」という。)に移収した。
(3) 原告の難民認定申請手続の経緯
ア 原告は,平成12年6月1日,被告法務大臣に対し,難民認定申請を行った(以
下「本件難民認定申請」という。)。
イ 被告法務大臣は,平成12年7月3日,上記アの難民認定申請について,同申
請が出入国管理法61条の2第2項所定の期間を経過してなされたものであり,
かつ,同項ただし書の規定を適用すべき事情はないことを理由に,これを不認
定とする処分をし,同月4日,原告に対して同処分を告知した。
ウ 原告は,平成12年7月4日,被告法務大臣に対し,上記不認定処分について,
異議の申出をしたが,被告法務大臣は,同年10月16日,異議の申出に理由が
ない旨の裁決をした。
2 当事者の主張
(原告の主張)
(1) 本件裁決の違法事由(裁量権の逸脱)
ア 在留特別許可についての被告法務大臣の裁量権の範囲 
 在留特別許可をするか否かについて,被告法務大臣に裁量権があるとして
も,在留特別許可は恩恵的なものとはいえないから,裁量権の範囲も広範な
ものではない。
 ところで,出入国管理法61条の2の8は,同法49条3項の裁決をするに当たっ
て,同条1項の異議の申出をした者が難民の認定を受けている者であるとき
は,異議の申出が理由がないと認める場合でも,その者の在留を特別に許可
することができる旨規定している。出入国管理法がこのような規定を設けてい
る趣旨は,在留特別許可の可否の裁量判断においては,難民認定を受けた
事実を重要な事情として考慮すべきであり,特に著しく公益に反するような事
情のない限り,原則として在留特別許可をなすことを期待したものであって,こ
れは,難民について,人道的な見地から,在留を認める必要があることによる
ものと解される。
 そうだとすると,難民認定を受けていなくとも,実体として,難民の地位に関
する議定書(昭和57年条約第1号,以下「難民議定書」という。)1条の規定によ
り難民の地位に関する条約(昭和56年条約第21号,以下「難民条約」という。)
の適用を受ける難民である者(以下「条約難民」という。)につき,同様の扱い
をしないことは著しく不当といわざるを得ない。すなわち,条約難民である者
は,在留特別許可をするか否かの被告法務大臣の裁量判断において,難民
認定を受けている者と同様に扱われるべきである。
イ 本件裁決が裁量権を逸脱するものであること
a 原告が条約難民であること
(a) イランにおける同性愛者の一般的な状況
Ⅰ イラン刑法の定める同性間性行為に関する規定
 現行のイラン刑法は,2名の男性間で行われる性行為で,性器の挿
入を含むものをソドミーと規定し(108条),ソドミーが行われた場合に
は,挿入者と被挿入者は共に処罰の対象となる旨定めている(109条)。
 そして,ソドミーに対する刑罰は死刑であり,執行の方法は,イスラム
法(シャリーア)判事の指示に基づくものとされ(110条),また,挿入者と
被挿入者が共に成人であり,健康な精神状態で自由意思によりソドミ
ーが行われた場合には,死刑に処するものとされている(111条)。
 以上のとおり,イランでは,異性愛者に対しては婚姻制度の下で容認
されている性行為が,同性愛者に対しては,いかなる場合にも禁止さ
れ,同性間で性行為を行った者に対しては,死刑という過酷な刑罰が
与えられることになる。
Ⅱ 同性間性行為に対する処罰の実情
 イランでは,1990年代以降も,上記Ⅰの反ソドミー法は実際に適用さ
れ,処刑が実施されている。その実情は,以下のとおりである。
ⅰ イラン政府の回答等
 イラン政府は,国連人権委員会特別代表からの問い合わせに対
し,平成3(1991)年1月22日付けで,「イスラム法によれば,同性愛者
が自らの行為を告白したうえ,その行為に固執する場合は,死刑が
宣告される。」と回答した。
 また,イランの司法長官は,平成2(1990)年1月ころ,「同性愛とい
う卑劣な行為に対する宗教上の処罰は,それらを犯した人間を両方
とも死刑に処することである。」との声明を出した。
 さらに,イランの最高裁判所長官は,平成2(1990)年5月18日にテ
ヘラン大学で行われた金曜礼拝において,「イスラームは,同性愛者
については,男性女性を問わず,最も厳しい刑罰を科している。」と
述べた。
ⅱ 訴追の実際
 イラン刑法では,ソドミーの法的証明について,「処罰のための信
頼性は,ソドミーの告白者が4回の告白を行ったときに成立する。」と
規定されている(114条)ほか,「ソドミーは,これを目撃した4名の権
利ある男性の証言によって証明される。」と規定されている(117
条)。
 しかし,他方で,「イスラム法判事は,慣習的な資料に由来する自
らの知識に従って宣告することができる。」とされているため(120
条),厳格な立証が行われるという法的な保障はない。また,この
120条における裁判官の宣告は,114条や117条の証拠法則に拘束
されないものであり,さらには,弁護人の同伴などの適正手続が,同
性間の性行為に関する裁判で保障される可能性も低い。
 これらに加えて,政府に敵対する者を死刑に処する口実として同
性愛が利用されている疑いがあることも考慮するならば,114条や
117条の厳格な立証基準が適切な手続の下に運用されているとは,
到底認められない。
ⅲ 実際の処刑例
 イランにおける同性愛者の死刑執行の具体的な事例については,
以下のとおり,欧米における新聞報道や英国難民控訴委員会の決
定などに,非常に信頼性の高い多くの事例を見出すことができる。ま
た,イランの人権状況,特に死刑の執行状況についての専門的知識
を有する証人A(以下「A」という。)は,これらの信頼に足る資料にも
依拠しながら,イランにおいて同性愛者に石打ち刑を含む死刑が実
施されていること等を明確に供述しているが,同供述は,信頼性が
高いものである。
① ロイター通信は,昭和55(1980)年7月3日付けで,「イランで,一
人の男性が,少年を誘惑し,性的関係を持ったとして銃殺に処せ
られた。」旨報じた(甲43)。
② ロイター通信は,昭和56(1981)年2月25日付けで,「テヘラン・タ
イムズが伝えたところによると,イランで,2名の男性が同性愛行
為を行ったとして銃殺刑に処せられた。」旨報じた(甲41)。
③ ロイター通信は,昭和57(1982)年9月1日付けで,「テヘランの新
聞は,イランで,3名の人が同性愛の罪で処刑されたと伝えてい
る。」旨報じた(甲44)。
④ ベイエリア・リポーターは,平成2(1990)年1月25日付けの記事
で,「ヴァン・アッタの報道によると,同年元旦のイランのラジオ放
送は,同年元旦に,イランで,3名の同性愛男性が公開の場で斬
首され,2名のレズビアンが石打ち刑に処されたと公表した。」旨
報じた(甲40)。
⑤ ロイター通信は,平成7(1995)年11月14日付けで,「イランの報
道機関が伝えたところによると,イランの裁判所で,スーフィー(神
秘主義者)が,反復した姦通及び同性愛行為により,石打ち刑に
処せられた。」旨報じた(甲42)。
⑥ 英国難民控訴委員会は,平成13(2001)年5月1日に公表された
決定で,同性愛者に対する準軍事組織の誘拐・処刑事例を認定し
たうえ,同性愛者である同事件の控訴人がイランに帰国した場
合,ソドミー罪により死刑に処せられる可能性がある旨判断した
(甲103)。
Ⅲ 社会的迫害
 イランにおいて,同性愛者に対する迫害は,その刑法に基づく死刑だ
けではなく,広く社会の中に根ざしている同性愛者に対する嫌悪感を
背景に,一般社会の中でも見られる。
 例えば,平成8年に同性愛者が謀殺の対象となる事件があったことが
伝えられているが,平成12年には,大学で自身の同性愛感情を友人に
話したところ,その友人から報告を受けた大学内の団体のメンバーに
より2日間もの間監禁され暴行を受けるという事件が発生した。
 また,オーストラリアで難民と認定されたイラン人は,彼の父親から友
人との同性愛関係を終わらせるように強硬に要求され,関係を断ち切
らない場合には当局に通報するとまで言われている。
 さらに,イランでは,反体制派の知識人らに同性愛の「汚名」をきせて
処罰することが行われている。
 そして,原告は,家族にも自身が同性愛者であることを伝えていな
い。それは,家族においてすら同性愛や同性愛者に対する嫌悪感,あ
るいは,それを宗教的・道徳的罪とする感情や意識からは自由ではあ
り得ないことを肌身に感じていたからである。
Ⅳ イランにおける同性愛者の立場
ⅰ 以上のことからも明らかなとおり,イランにおいては,同性愛者とし
ての自覚をもって,同性愛者として生活することはほとんど不可能で
ある。なぜならば,同性愛者が自分の愛する同性の相手と性行為を
することはいかなる意味でも犯罪であり,それは,上記のとおり死刑
を含む刑罰に処せられることになっているからである。
 また,同性間性行為を行わなければ,社会的迫害や処罰を受けな
いというわけにはいかない。なぜならば,実際に同性間性行為を行
ったか否かに関係なく,同性愛者は嫌悪の対象とされており,同性
愛者であるというような「汚名」を着せられた場合,同性愛者として社
会的迫害を受ける可能性は非常に高く,場合によっては,刑罰に処
せられる可能性があるからである。そもそも,同性愛者が,同性の相
手方と同意のうえで性的行為を行うことは,人間としての自然な感情
の発露であり,本来,禁止されるべきものではない。
 これに対し,被告らは,国連難民高等弁務官事務所(以下「UNHC
R」という。)作成の各国情報に出ているカナダの移民局が作成した
資料(乙17)に基づいて,イランでは,同性愛はイスラム道徳に公然
と逸脱するものでない限り,事実上容認されているなどと主張する
が,上記カナダ移民局作成の資料は,独自かつ特異な立場に基づ
き,自説に都合のよい資料部分だけを集めて編集したものであっ
て,証拠価値は極めて低いものである。
ⅱ 同性愛者の人権保障を,イラン国内において主張することはできな
い。原告の所属するイラン人の同性愛者団体「ホーマン」は,ソドミー
条項の廃止を含むイランにおける同性愛者に対する人権侵害を批
判し,その改善を求めているが,そのような主張をイラン国内におい
て主張することは不可能である。実際,ホーマンは,本拠地をスウェ
ーデンに置くほか,活動をする支部はすべてイラン国外にあり,イラ
ン国内では一切,その活動を展開できない状態にある。
 これは,同性愛者の人権を認め,同性間性行為を刑罰の対象から
外すということは,イスラーム法の忠実な執行を国是とするイラン国
体制の重要な根幹部分を変更しようとすることに当たり,そのような
政治的な主張は,反体制ないし体制を転覆しようとする主張に他な
らないため,厳しい取り締まり,ひいては,迫害の対象となるからで
ある。
(b) 原告がイランに帰国した場合に同性愛者であること等を理由に迫害を受
けるおそれがあること
Ⅰ 原告は,14才から21才までの間,幼なじみでもあり,ともにイラン国内
で非合法化されている左翼反体制組織「イラン革命的労働者機構」に
所属していた同性愛者の男性と性的な関係をもっていた同性愛者であ
る。
 原告は,平成3(1991)年にイラン出国後も,ホーマンに加入し,以後,
日本においてホーマン構成員として活動している。そして,平成11年
6月21日には,東京都新宿区にある「新宿ロフト・プラスワン」において
行われたイベントで,同組織の構成員として自らが同性愛者であること
をカミングアウトしたうえで,イランの現体制を批判し,それは,ホーマ
ンの機関誌においても紹介された(甲74)。
 また,原告は,同年9月19日に札幌市で行われた同性愛者のパレー
ドに参加して,機関誌「ホーマン」を配布したり,同年12月10日のアムネ
スティ・インターナショナル日本支部主催の「人権のためのパレード」に
参加して,集会でアピールをするなど,イランにおける同性愛者の迫害
状況を報告し,同性愛者に対する人権侵害を続けるイランの現体制に
対する批判を積極的に行ってきた。
 その後も,同性愛者の人権侵害を続けるイランの現体制を批判し,
同性愛者に対する法的及び社会的迫害をなくすことを求める原告の姿
勢は変わらないばかりか,ますます確固たる政治的意見として確立す
るに至った。そして,原告は,もはやイランに送還されたならば,かつて
のように同性愛者であることを隠して暮らすことは不可能である。
Ⅱⅰ そうすると,原告が,イランに送還された場合,同性間性行為や自
己の同性愛に関わる政治的主張を表明するといった行動をとること
は自然の成り行きである。しかし,上記(a)のとおり,原告がイランで
これらの行為を行った場合,同性愛者であることにより(同性愛者が
「特定の社会的集団の構成員」に当たることは,後記(c)のとおり)又
は政治的意見を理由に,イラン社会から迫害を受け,また,逮捕,裁
判,さらには死刑や残虐な身体刑による処刑といった結果を招来す
ることは,十分な理由をもって予見できることである。
 特に,ソドミー条項の撤廃という性的指向に関わる原告の政治的
主張は,現体制を世俗主義体制に変えることを前提とするものであ
り,現体制を根底から否定するものであるから,当然,現体制により
死刑を含む厳しい弾圧の対象となる。
ⅱ① 難民該当性を判断する際には,原告のことが当局に知られてい
るか,又は少なくとも早晩知られるであろうという事態の可能性を
検討することは,不要である。
② この点をおくとしても,上記Ⅰのとおり,同性愛者として現体制を
批判する原告の意見がホーマンの機関誌に載ったが,反体制派
と目される非政府組織の活動状況を積極的に調査しているイラン
治安当局は,その機関誌についても収集・分析している可能性が
強く,原告の存在についての情報もイラン当局によって把握され
ている可能性がある。
 また,原告は,「人権のためのパレード」に参加して,現体制を批
判する主張をしており,大使館を拠点に活動するイランの諜報機
関その他の機関が,同パレードに対する監視活動の中で,原告の
存在や主張に関わる情報を確保した可能性は高い。 さらに,本
件訴訟については,平成13年3月24日付けのデイリー・ヨミウリ(甲
68)や,同年5月8日付けの共同通信によるの配信記事(甲69)で
紹介されており,後者については,ヘラルド・トリビューン・朝日新
聞とUNHCRの発行するデイリー・ニューズに掲載されて,一般の
目にも触れるようになっている。
 以上のような事情に鑑みると,原告の存在やその主張がイラン
当局に知られている可能性は高いものということができる。
 なお,これらの記事等の中で,原告のことが仮名になっているこ
とは,イラン当局が原告を特定するうえでそれほど困難なことでは
ない。
ⅲ 仮に,原告が迫害を避けるためにイランに送還された後,同性愛と
いう性的指向を隠さざるを得ず,人間の本質的な欲求の一つである
性行為や自己の性に関するあらゆる形態の表現行為を抑制しなけ
ればならないとすれば,それ自体が迫害である。
(c) 同性愛者であることが「特定の社会的集団の構成員」に当たること
Ⅰ 難民条約1条A(2)の規定する「特定の社会的集団の構成員であるこ
と」の意義
ⅰ 条約の解釈の補助的手段となるべきのUNHCR作成の難民認定
基準ハンドブックは,「「特定の社会的集団」は通常,似通った背景,
習慣又は社会的地位を有するものからなっている」(77項)としたうえ
で,「その集団の政府への忠誠に信頼がもてないことがあったり,そ
の構成員の政治的展望,来歴若しくは経済的活動又はこのような社
会的集団の存在自体が政府の障害となって」(78項)いることで特定
の社会的集団の構成員が迫害を受けるおそれがあることを指摘して
いる。
 この記述のみからは,UNHCRによる「特定の社会的集団」の定義
は必ずしも明らかでないが,ここにいう「通常,似通った背景,習慣
又は社会的地位を有するものからなっている」との記述は,構成員
の属性の共通性がその本質であることを示唆している。
 また,ある集団のもつ価値観や行動が国家の政策や方針にとって
障害となるかどうかを特定の社会的集団を認識する上での重要な指
標としている点には注目すべきである。イランのように同性間性行為
に対して死刑を含む重大な刑罰をもって臨んでいる国家にとって,同
性愛者という集団の構成員は,その政策や方針にとって重大な障害
となる価値観を持っていたり,そのような行為をする者として認識さ
れているのであるから,同性愛者はUNHCRの考える迫害を受ける
理由のある「特定の社会的集団」を構成する者とみる必要がある。
ⅱ 諸外国の裁判所等では,「特定の社会的集団」の意義について,
人権の擁護,人道上の配慮という観点も考慮に入れた解釈がされて
おり,これに当たるか否かの判別基準にはいくつかの類型ができて
いるということができるが,同性愛者が「特定の社会的集団」である
か否かを検討するうえで関連のあるものは,次のとおりである。
①生来的若しくは不変の特性によってによって特徴づけられる集団
かどうかという基準
②(自発的な特性であっても)人のアイデンティティにとって根源的な
ものであり,変更を強制されるべきではない特徴によって基礎づ
けられる集団であるかどうかという基準
③一般の人々が,特定の人々の集合体について受け入れることの
できない集団であると認識しているかどうかという基準
 これらのうち,少なくとも,①と②のいずれかの集団は,迫害の理
由となる他の4つの基準(人種,宗教,国籍,政治的意見)と比べて
遜色がないものということができから,「特定の社会的集団」に含ま
れると解するべきである。
 これに対し,被告は,「特定の社会的集団」に当たるというために
は,構成員が「一定の結合関係を有しており,同一の集団に属して
いるとの共通の意識ないし考え方を有する」ことを要する旨主張する
が,かかる要件は不要と解すべきである。
Ⅱ イラン人同性愛者は「特定の社会的集団の構成員」に当たること
ⅰ 上記Ⅰⅱの①ないし③のいずれの定義によっても,同性愛者は
「特定の社会的集団」としての位置づけられることになる。
 すなわち,同性愛者であるか否かは,その性的指向によって決定
されるものであるが,性的指向は,生来的であるか否かは別にして
も,本人の意思によって選択可能なものではないことは明らかになっ
ており,現時点においては,不変性を備えていると考えてよい。ま
た,同性愛者であるという自覚や同性愛者として生活をするという選
択は,本人のアイデンティティに深く関わる問題であり,同性愛者で
あるということは人が生活をしていくうえで十分に根源的なものであ
るということができる。一方,イランにおいては,一般の人々がもつ同
性愛者に対する嫌悪感を最大限に利用してソドミー罪を加重するよ
うな刑罰の恣意的適用とみられる事態が起こっており,また,同性愛
者は一般の人々から暴力を振るわれることすらあり得るのであるか
ら,イラン社会においては,同性愛者は存在を望まれない集団であ
ることは明らかである。
ⅱ 仮に「特定の社会的集団」の意義を被告の主張するように解すると
しても,同性愛者同士は,十分に認識し得る程度に一定の結合関係
を有し,かつ,同一の集団に属しているという共通の意識ないし考え
方を有しているから,同性愛者は「特定の社会的集団」の構成員に
当たることになる。
 また,原告は,現在,イラン人の同性愛者団体であるホーマンの構
成員であるが,これは,まさにイラン人同性愛者であることを基礎と
する結合の明確な形態であるから,この点からみても,被告の主張
によっても,原告に対する迫害は,イラン人同性愛者という特定の社
会的集団の構成員であることによるものということになる。
b 同性愛者が「特定の社会的集団」に当たらないとしても,原告がイランに送
還されれば,迫害を受けるおそれがあること
 仮に同性愛者が「特定の社会的集団」に当たらず,そのために原告を条約
難民とみることができないとしても,原告がイランに送還されれば,性的指向
という,本来自由であるべき事柄をもって,迫害を受けるおそれがあるのであ
るから,原告に対して在留特別許可をしないことは,人道に反するばかりか,
憲法14条や国際的な人権基準にも反するものであって,社会通念に照らし
著しく妥当性を欠くものである。
c 原告の在留状況
原告は,来日後,出入国管理法違反以外の違法な行為をしたこともなく,
真面目に暮らしてきており,日本社会に適応している。また,原告に在留特
別許可をすることが,我が国の公益に反する事情は認められない。
ウ 以上のとおり,原告は条約難民に該当するものであり,仮にこれに当たらな
いとしても,原告がイランに送還されれば,迫害を受けるおそれがあることや,
原告の在留状況に照らすと,原告に在留特別許可をしないことは,人道に反
し,社会通念上著しく妥当性を欠くものというべきであるから,本件裁決は裁量
権を逸脱する違法なものというべきである。
(2) 本件処分の違法事由
ア 本件裁決の違法
 上記(1)のとおり本件裁決は裁量権を逸脱する違法なものであるから,これを
前提とする本件処分も違法である。
イ 出入国管理法53条3項,難民条約33条1項(ノン・ルフールマンの原則)違反
a 送還先の制限(ノン・ルフールマンの原則)
出入国管理法53条3項は,退去強制を受ける者の送還先の国には,ノ
ン・ルフールマン原則を定める難民条約33条1項に規定する領域の属する
国を含まないものと定めているから,条約難民に対して退去強制を行う場合
には,難民条約33条1項に規定する領域の属する国を送還先としてはなら
ない。
b 本件処分が出入国管理法53条3項,難民条約33条1項に違反すること
上記(1)イaのとおり,原告は条約難民であり,原告にとって,イランは難民
条約33条1項に規定する領域の属する国に該当するから,イランを送還先と
する本件処分は,出入国管理法53条3項,難民条約33条1項に反する違法
な処分である。
なお,退去強制令書に送還先を記載することは,出入国管理法施行規則
によって要求されているものであるが,送還先の記載は,退去強制令書の
重要な部分をなすものであるから,送還先の指定が違法である以上は,退
去強制令書発付処分全体が違法になるものと解すべきである。
ウ 拷問及び他の残虐な,非人道的又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関す
る条約(平成11年条約第6号。以下「拷問等禁止条約」という。)3条1項違反
a 拷問等禁止条約3条1項の定め
拷問等禁止条約3条1項は,締約国は,いずれの者をも,その者に対する
拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある他の国
へ追放し,送還し又は引き渡してはならない旨規定している。
b 本件処分が拷問等禁止条約3条1項に違反すること
(a) イランにおけるは石打ち刑は拷問等禁止条約1条1項の定める「拷問」に
当たること
Ⅰ 上記(1)イa(a)のとおり,イランにおける同性間性行為に対する処罰
は,死刑であり,その方法はイスラム法判事によって決められるが,実
際には,石打ち刑であることが通常である。
 これは,公開の場で,公衆によって,死ぬまで石による傷害を与え続
ける方法であって,過度に長い時間をかけて,死という結果以外に,激
しい肉体的苦痛を与える方法であるばかりか,公衆による処刑である
から,精神的にも,激しい苦痛を与えるものである。そして,石打ち刑に
よるこれらの苦痛は,処罰の目的で,イランの公務員によって,あるい
は公務員が公衆を扇動して故意に加えるものであるから,イランにお
ける石打ち刑は,拷問等禁止条約1条1項の規定する「拷問」に当た
る。
Ⅱ 石打ち刑は拷問等禁止条約1条1項後段の「合法的な制裁」には当た
らないこと
ⅰ 世界人権宣言5条は,「何人も,拷問又は残虐な,非人道的な若し
くは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。」旨規定し,市
民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「B規約」という。)7条
も,「何人も,拷問又は残虐な,非人道的な若しくは品位を傷つける
取扱い若しくは刑罰を受けない。」旨規定している。また,B規約6条
は,「死刑を廃止していない国においては,死刑は,(中略)最も重大
な犯罪についてのみ科することができる。」旨規定している。
 そして,拷問等禁止条約は,上記の世界人権宣言及びB規約の規
定に留意して,「拷問及び他の残虐な,非人道的な又は品位を傷つ
ける取扱い又は刑罰を無くすための世界各地における努力を一層
効果的なものとすることを希望して」制定されたものであるが(拷問
等禁止条約前文),上記の世界人権宣言及びB規約の規定が基礎
とするのは,刑罰の謙抑性であり,刑の均衡の原則である。
 そうであるとすると,当該処罰が拷問等禁止条約1条1項後段の
「合法的な制裁」に当たるというためには,当該処罰が刑罰の謙抑
性や刑の均衡の原則に沿っている場合に限られるというべきであ
る。すなわち,当該処罰が当該締約国の国内法において合法的で
あるだけでなく,国際的な人権諸基準(世界人権宣言,B規約,刑の
均衡の原則などの刑事手続上の諸原則を含む。)に適合的であるこ
とを要するものと解すべきである。
ⅱ① イランにおける石打ち刑の具体的な執行方法は,上記Ⅰのとお
りであって,これは,死刑に当然付随する苦痛のみを与えるもの
ではなく,より大きな苦痛を与えることそのものを目的としているも
のであるから,イラン国内法上合法的であっても,国際的な人権
基準から許されない過度の苦痛を与えるものであって,拷問であ
ることは明らかである。
 そうであるとすると,イランにおける石打ち刑は,世界人権宣言
5条及びB規約7条に違反するものであって,「合法的な制裁」に当
たると解することはできない。
② そして,石打ち刑が拷問等禁止条約にいう「拷問」に当たるとす
る明言する国際機関等もある。
 すなわち,イランにおける石打ち刑について,欧州議会は,平成
14年2月7日に採択した決議で,「特にイランで行われている石打
ち刑,及びその他すべての残虐な若しくは品位を傷つける刑罰を
非難する。」と述べ(甲120),また,同年10月22日に採択した決議
で,「イランで行われている公開処刑と,特に,近年行われている
石打ち刑による死刑を強く非難する。死刑は,国際法で保障され
ている生命への権利への究極の破壊を代表するものであり,あら
ゆる方法での死刑に断固として反対することを確認する。」と述べ
ている(甲119)。
 さらに,ナイジェリア連邦共和国のシャリーヤ控訴裁判所が姦通
罪のかどで下した石打ち刑による死刑判決について,アムネステ
ィ・インターナショナルは,「石打ちによる死刑執行は,自由権規約
や拷問等禁止条約によって禁止されている拷問その他の残虐,
非人道的ないし品位を傷つける取り扱い又は刑罰の究極の形態
である。」と述べ(甲115),また,国際法律家委員会は同国大統領
に宛てた公開書簡の中で,「石打ちによる死刑は,緩慢で苦痛に
満ちた死をもたらすものであり,明らかに拷問等禁止条約にいう
拷問として定義されるものである。」と述べた(甲116)ほか,同国
の別のシャリーア控訴裁判所が姦通罪の事件で下した判決に関
連して,ヒューマン・ライツ・ウォッチのアフリカ部門のディレクター
は,「石打ち刑による死刑は,国際法により禁止されている拷問に
当たる。」と明確に述べている(甲118)。
(b) 原告がイランに送還されれば石打ち刑を受けるおそれがあると信ずるに
足りる理由があること
原告がイランに送還された場合,石打ち刑を受ける危険性があること
は,上記(1)イaの(a)及び(b)並びに上記(a)Ⅰのとおりであるから,原告が
イランに送還されれば石打ち刑を受けるおそれがあると信ずるに足りる
理由がある。
したがって,送還先をイランとする本件処分は,拷問等禁止条約3条
1項に違反するものというべきである。
 (被告らの主張)
(1) 本件裁決の違法事由(裁量権の逸脱)の主張について
ア 在留特別許可についての被告法務大臣の裁量権の範囲
a そもそも,国家は,外国人を受け入れる義務を国際慣習法上負うものでは
なく,特別の条約ないし取決めがない限り,外国人を自国内に受け入れるか
どうか,また,これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかを自由に決
することができるのであり,憲法上も,外国人は,我が国に入国する自由を
保障されているものでないことはもちろん,在留の権利ないし引き続き本邦
に在留することを要求する権利を保障されているものでもない(最高裁昭和
32年6月19日大法廷判決・刑集11巻6号1663頁,最高裁昭和53年10月4日大
法廷判決・民集32巻7号1223頁参照)。
 そして,在留特別許可は,出入国管理法上,退去強制事由が認められ退
去させられるべき外国人に恩恵的に与え得るものにすぎず,在留期間の更
新と異なり,当該外国人に申請権も認められていないものである。
 以上のほか,在留特別許可に関する出入国管理法50条1項3号の文言と在
留期間の更新に関する同法21条3項の文言との相違などに照らせば,被告
法務大臣の在留特別許可の許否に関する裁量の範囲は,在留期間更新の
許否に関する裁量の範囲よりも,質的に格段に広範なものであることは明ら
かである(最高裁昭和34年11月10日第三小法廷判決・民集13巻12号1493頁
参照)。
b このことは,出入国管理制度の趣旨からも明らかである。
 すなわち,外国人の我が国への出入国は,日本社会の治安と善良な風俗
の維持,保健衛生の確保,労働市場の安定性等,政治経済はもちろん,国
民生活一般へ重大な影響を与えるものであることから,我が国は,外国人の
無秩序無制限な我が国への出入国滞在を認めず,これらの分野における我
が国の国益の保持を目的として出入国管理法を定め,在留資格制度を中核
とする出入国管理制度を設けた。
 出入国管理法24条列挙の退去強制事由に該当するということは,類型的
にみて,我が国社会に滞在させることが好ましくない外国人であり,そのこと
を前提にした上で,恩恵として,当該外国人の在留を特別に許可することが
我が国の国益の保持に合致するか否かを検討する必要がある。具体的に
は,当該外国人の滞在中の一切の行状等の個別的事情のみならず,国内
の治安や善良な風俗の維持,保健衛生の確保,労働市場の安定等の政
治,経済,社会等の諸事情,当該外国人の本国との外交関係,我が国の外
交政策,国際情勢といった諸般の事情をその時々に応じ,各事情に関する
将来の変化の可能性なども含めて総合的に考慮し,我が国の国益を害せ
ず,むしろ積極的に利すると認められるか否かを判断して行わなければなら
ないのであって,そのような判断は,国内はもとより国際的にも広範な情報を
収集し,その分析の上に立って,先例にとらわれず,時宜に応じて的確かつ
慎重に行う必要があり,時には高度に政治的な判断を要求される場合もあり
得ることなどにかんがみれば,出入国管理行政全般について国民や社会に
対して責任を負う被告法務大臣の極めて広範な裁量にゆだねるのが適当で
ある。
c そうすると,在留特別許可を付与しなかった被告法務大臣の判断の適否に
対する司法審査の在り方は,被告法務大臣と同一の立場に立って在留特別
許可をすべきであったかどうか又はいかなる処分を選択すべきであったかに
ついて判断するのではなく,被告法務大臣の第一次的な裁量判断が既に存
在することを前提として,同判断が裁量権を付与した目的を逸脱し,又はこ
れを濫用したと認められるかどうかを判断すべきである(行政事件訴訟法
30条参照)。
 そして,上記a及びbのとおり在留特別許可に係る被告法務大臣の裁量は
極めて広いものであるから,在留特別許可を付与しないという被告法務大臣
の判断が裁量権の逸脱に当たるとして違法とされるような事態は容易には
想定し難いというべきであり,極めて例外的にその判断が違法となり得る場
合があるとしても,それは,法律上当然に退去強制されるべき外国人につい
て,なお我が国に在留することを認めなければならない積極的な理由があっ
たにもかかわらずこれが看過されたなど在留特別許可の制度を設けた法の
趣旨に明らかに反するなど極めて特別な事情が認められる場合に限られる
というべきである。
イ 本件裁決が裁量権を逸脱するものではないこと
a 原告は条約難民に該当しないこと
(a) イランにおいても同性愛者であることを理由に処罰されるものではない
こと
Ⅰ 同性愛者に関するイランの国内情勢
ⅰ 確かに,イラン刑法は,「ソドミーの処罰は死刑である。シャリーア
の裁判官は,どのように殺害を実行するかを決める。」との定めを置
いているようであるが,現実には,イラン社会においても,同性愛は
一つの社会的な現象であり,それが個人の嗜好に留まるものであっ
てイスラム道徳に公然と逸脱するものとされない限り,事実上容認さ
れており,また,同性間性行為処罰規定は,立証要件が極めて厳格
であることもあって積極的に運用されておらず,これのみを根拠とし
て処刑された例も知られていない。さらに,イラン社会では,抱擁,頬
へのキス,手を握る等の男性間の身体接触が文化的に容認されて
おり,同性愛者を識別することは困難であるとされている。
 原告の主張によれば,原告は,本国において,14歳のころ同性間
性行為を経験して同性愛に走り,以来,14年間にわたり本国におい
て一度も処罰を受けることなく平穏に生活していたもので,この一点
からしても,イランにおいても同性愛者が同性愛者であることを理由
に直ちに処罰を受けるものでないことは明らかである。
ⅱ 原告は,上記ⅰの主張の根拠の一つであるUNHCR作成の各国
情報に出ているカナダ移民局の作成した資料(乙17)の証拠価値は
極めて低い旨主張する。
 しかしながら,UNHCR作成の各国情報は,カナダの移民局が作
成した資料をUNHCRが難民認定業務に有益な資料として引用・公
表したものであり,しかも,実際にオーストラリアの難民控訴審判所
の審判例でも利用されているのであって(乙22の1,22の2),イラン
における同性愛者の状況に関し,十分な信憑性を持った資料と評価
されているのであり,英国移民局及びオランダ外務省も,それぞれイ
ランにおける同性愛者の状況について,カナダ移民局の作成資料と
同旨の内容を含む報告書を公表している(乙20の2,21)。
 上記のカナダ移民局の資料は,複数の情報源からの情報を集積し
て作成されたものであり,その中には,イランで「パートナー」と接触
する際に,何ら問題がなかったようにみられる旨の同性愛的指向を
持った在テヘラン・スウェーデン大使館外交官の報告や,イランで
は,他の男性と私的な性的行為を行う男性も虐待されず,組織的な
虐待を受けるものではない旨の頻繁にイランに赴いてエイズに罹患
した社会的集団の実地調査を行っている新ソルボンヌ・パリ第三大
学助教授である社会学者の意見が紹介されているのであって,十分
な実証に裏付けられた報告書というべきである。
ⅲ 原告は,報道記事等に基づき,イランにおいては実際に同性間性
行為のみを理由に処刑が行われている旨主張する。
 しかしながら,原告の提出した報道記事の多くは,他の報道の引
用であり,その情報源を辿ってそのような処刑が実際に行われたの
か,また,同性間性行為のみを理由として処刑されたものか否かを
確認することはできず,これらを含む報道例に基づいてAが作成した
陳述書(甲93)も同様である。そして,一部の報道(甲70)について
は,誤った引用に基づく報道であったことが確認されている(乙29)。
 結局のところ,イランにおいて同性愛者が処刑された事例が報道さ
れている事実があるものの,同性愛行為を理由として処刑されたも
のであるか,処刑された同性愛者が同性愛とは別の犯罪を犯して訴
追を受けていたのかは確認できず,イランにおいても,同性愛行為
のみを理由とする処刑があることは知られていないという英国移民
局の報告書のとおりというべきである(乙20の2)。
Ⅱ 諸外国の裁判例等の動向
 オーストラリア,オランダ,カナダ及びスウェーデンのように,同性愛
又は同性婚に対し寛容とされている諸国においても,主にハタミ政権
成立以降(平成9(1997)年以降),カナダ移民局の資料(乙17)で示さ
れたような客観情勢を踏まえ,イラン人同性愛者を難民として認定せ
ず,退去相当としたことを適法とする裁判例等が多数存在する。
 また,国連拷問禁止委員会の判断例においても,イランにおいて,同
性愛者の告訴や処罰が積極的に行われているものでないとの見解が
表明されている。
Ⅲ イラン社会の変容
ⅰ 民間のホームページでも,イランにおいて,同性愛者であることを
理由に迫害又は深刻ないやがらせを受ける危険があるような状況に
ないことをうかがわせるものがある。たとえば,あるイラン人女性同
性愛者は,同性愛がイラン人社会に公然と受け容れられるものでな
いことを述べながらも,テヘランにゲイとレズビアンのコミュニティー
があること,イランの社会では,男性の方がずっと自由であり,他の
ゲイの男性に簡単に会うことができること,そのような社会変化の背
景にはインターネットの普及によりコミュニケーションが容易になるな
どの事情があることを述べている(乙60の1及び2)。
ⅱ 近年,イランにおいてこのような変化が起こっている理由について
は定かではないが,ハタミ政権の成立(平成9年)と無関係な動きで
はないと考えるのが自然である。すなわち,イランの人口約6200万
人の過半数がホメイニ革命を知らない若い世代となり,衛星テレビ
やインターネットの流入もあって,ますます自由な世界・非イスラムへ
のあこがれを募らせている点が指摘されており,このようなイラン社
会の変容と本件とは無関係ではない。
(b) 原告がイランに帰国したとしても処罰を受ける現実的な可能性はないこ

Ⅰ イランにおいても同性愛者であることを理由に直ちに処罰を受けるも
のでないことは上記(a)のとおりであるが,この点を措いても,以下に述
べるとおり,原告がイランに帰国したとしても処罰を受ける現実的な可
能性はないというべきである。
Ⅱⅰ 原告の目的は本邦における在留資格の取得であること
 原告は,平成3年8月29日,本邦に入国し,入国後間もなく工事現
場等において不法就労するようになるとともに,90日の在留期間を
徒過して不法残留し,本国の両親あてに送金するなどしており,その
間,在東京イラン大使館で旅券の有効期限の延長手続や新旅券の
発給を受けるなど,自発的に国籍国の保護を受けていた反面,我が
国に在留するために必要な手続については,外国人登録を除き,在
留期間の更新又は在留資格の変更を申請することもなく,難民認定
申請も行ってこなかった。
 ところが,平成12年4月22日に不法滞在の容疑で逮捕され,起訴
猶予処分となったものの,そのまま退去強制手続が開始されたた
め,同年6月1日,14歳のころから同性間性行為をしている同性愛者
であり,帰国すれば残虐な刑罰を受けるなどとし本件難民認定申請
をした。
 このように,原告は,9年近くにわたって本邦での不法滞在,不法
就労を続けたものの,不法滞在の事実が発覚して退去強制手続が
開始されたため,本邦における在留資格を得るために唐突ともいう
べき難民認定申請をしたものであり,原告が真に同性愛者であるこ
とを認めるに足りる証拠はなく,相当疑わしいといわざるを得ないし,
このような原告の行動は,迫害を受けるおそれがあるという十分に
理由のある恐怖を有している者の行動としては著しく不自然である。
ⅱ 原告が同性愛者であるか否かについてイラン当局が関心を抱いて
いるとは考え難いこと
① 原告の退去強制手続における供述によれば,原告は,イランで
はゲイであることを隠して生活していたのであり,また,来日後に
は,ホーマンの機関誌に投稿したことがあるが,この投稿の際に
はペンネームを使用していた。
 次に,原告は,退去強制手続で,東京や札幌で行われたゲイの
パレードに参加し,これを撮影したビデオが新宿のビデオ店で販
売されているとも供述しているが,原告は匿名で参加しているう
え,当該パレードは,それ自体日本で行われたものであり,社会
的知名度が高いともいえないから,当該パレードヘの参加及びそ
のビデオが新宿で販売されていることをもって,イラン政府が原告
がゲイであることを知っていることの根拠とはなり得ない。
 さらに,原告が平成11年6月21日にセミナーで行った講演を紹介
するホーマンの機関誌の記事でも,原告は匿名とされている(甲
74)。
② 原告は,本国で旅券の発給を受け,正規の手続を経て出国した
ものであり,来日後も,上記ⅰのとおり,在東京イラン大使館で旅
券の有効期限の延長手続や新旅券の発給を受けるなど,自発的
に国籍国の保護を受けている。
③ 以上の諸事情に照らすと,原告が同性愛者であるか否かについ
て,イラン当局が関心を抱いているとは到底考え難く,原告が帰
国したとしても処罰を受ける現実的な可能性はないというべきであ
る。
(c) 難民条約1条A(2)の規定する難民の要件の不存在
Ⅰ 同性愛者が「特定の社会的集団」に該当するものとはいえないこと
ⅰ 難民条約1条A(2)の規定する「特定の社会的集団の構成員である
こと」とは,同様の社会的背景,習慣,社会的地位を有し,かつ,一
定の結合関係を有しており,同一の集団に属しているとの共通の認
識ないし考え方を有する複数の者が存在していることを前提に,そう
した者の一員であることをいうものと解されるところ,個人が同性愛
者であることは,以上のような結合関係を当然に伴うものではないの
で,これをもって「特定の社会的集団の構成員である」ということはで
きない。
ⅱ 同性愛者が「特定の社会的集団」に該当するか否かに係る諸外国
の解釈をみても,オーストラリアのようにこれを肯定する国もある一
方,これを否定する国もあるのであって,難民条約の解釈上,同性
愛者が「特定の社会的集団」に該当するとの国際的な合意があると
はいえない。例えば,英国の裁判例には,同性愛者が「特定の社会
的集団」に該当することを否定したものがあり(乙45),また,スウェ
ーデンは,同性愛者は難民条約上の難民に該当しないとの解釈を
前提に,外国人法上,独自の類型を定め,難民に準じる者として庇
護を目的とする滞在許可の対象としている(乙46の2及び3)。
Ⅱ 原告が政治的意見を理由に迫害を受けるおそれもないこと
ⅰ 原告は,同性愛者の人権侵害を続けるイランの現体制を批判し,
同性愛者に対する法的及び社会的迫害をなくすことを求めるという
政治的意見を確立させたものであるから,イランに帰国した場合に
は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがある旨主張する。
 しかしながら,原告が性的指向に係る政治的意見を有するもので
あるとしても,そのような政治的意見がイラン政府当局に知られてい
るか,又は少なくとも早晩知られるであろうと考えるに足る理由がな
いことは,上記(b)Ⅱⅱに述べたとおりである。
ⅱ この点について,原告は,難民該当性の判断には,原告のことが
当局に知られているか,又は少なくとも早晩知られるであろういう事
態の可能性を検討することは不要である旨主張するが,迫害者が
「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又
は政治的意見」を動機として対象者を迫害するおそれがあることに
ついて「十分に理由のある恐怖を有する」のでなければ難民議定書
1条の規定により難民条約の適用を受ける難民であるとはいえない
のであるから,難民該当性を認めるためには,当該人物が難民条約
所定の迫害事由に該当するものであることが当局に知られている
か,又は知られるであろうことについて,十分に理由がある恐怖があ
ることを要することは自明というべきである。
 また,原告は,退去強制手続における供述によると,イランでは
14歳から22歳までの間ボーイフレンドがいたとしながら,同性愛者で
あることを隠して生活していたというのであり,原告が高い政治意識
を抱いて,イランに送還された場合に同性間性行為に係る刑罰法令
の撤廃等を求める政治活動に従事するとも考え難い。
 なお,オランダ外務省は,平成10年12月,他国で庇護を求めること
はイラン当局により政治的活動とはみられず,それを理由に処罰を
受けないことを報告しているところ,仮に原告が同性愛者であること
を理由に難民認定申請をしていることがイラン政府に知られたとして
も,原告が政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるとはいえ
ない(乙20の1,21)。
Ⅲ 性表現を抑制されることは迫害とはいえないこと
 原告は,仮にイランに退去させられた場合に,同性愛者に対し不寛
容なイラン社会において,自らの性的指向を隠して生活することを強い
られとすれば,このこと自体が迫害に当たる旨主張する。
 しかしながら,公序良俗を理由とする性表現への規制は,各国がそ
の主権に基づき,社会情勢や風俗・習慣に照らし最善と考える施策を
採用しているものであり,そうとすれば,保守的な社会・風土を有する
国において,性表現に関して,我が国には存在しないような規制がなさ
れることがあったとしても,直ちにこれが非人道的なものであり,当該
規制に不満を有する者に対し保護を与えるべきであると考えることは
できない。
 また,原告自身,退去強制手続で,イランではゲイであることを隠して
いたとしながら,14歳から22歳までの間,ボーイフレンドを持って生活し
ていたと供述していること,仮に原告が不法残留中に一定の生活関係
を形成したとしても,そのような事情は,不法残留という3年以下の懲役
にも処せられる犯罪によって形成された違法状態の上に築かれたもの
にすぎず,そもそも法的保護に値するものとはいえないこと(最高裁昭
和54年10月23日判決・裁判集民事128号17頁),現在のイランには,同
性愛者がパートナーを求めて集まることで知られている公園があり,そ
こが治安部隊によって定期的に摘発されるような状況もないうえ,イン
ターネットなどを利用して交際する同性愛者のコミュニティーも存在す
るとされていること等を考えれば,仮に原告が自国においては,同性愛
者としての活動を本邦と同様に行うことができないとしても,これをもっ
て迫害に当たるとみることはできない。
(d) 以上のとおりであるから,原告は条約難民には当たらないというべきで
ある。
b 原告の在留状況等
原告は,本国イランで出生・成育し,本国で教育を受け,本国内で生活を
営んできたものであって,本邦に入国するまで,本邦とは何らかわりのなか
った者である。
また,原告は,上陸申請においては,虚偽の上陸目的を外国人入国記録
の渡航目的欄に記載して提出することによって上陸許可を受けた者である
ところ,入国後,平成12年4月22日に不法残留によって警視庁高島平警察
署員に逮捕されるまで,8年以上の長期間にわたり,本邦に不法に滞在して
不法就労活動に従事していたものであって,逮捕されなければ,引き続き不
法就労していたものと認められ,その在留状況は著しく不良であり,出入国
管理行政上看過し難いものである。長期にわたる不法残留等の事実や不
法就労事実等は,在留特別許可の判断においては一般に消極的要素とし
て評価すべきことは明らかである。
c 以上のような諸事情を考慮すれば,被告が本件裁決に当たって付与された
権限の趣旨に明らかに背いて裁量権を行使したものと認め得るような特別
の事情が存在するとは認められないから,本件裁決は裁量権を逸脱するも
のではない。
(2) 本件処分の違法事由の主張について
ア 本件裁決の違法を理由とする本件処分の違法の主張について
 退去強制手続において,被告法務大臣から「異議の申出は理由がない」との
裁決をした旨の通知を受けた場合,被告主任審査官は,退去強制令書を発付
するにつき裁量の余地はないから,上記(1)のとおり本件裁決が違法であると
いえない以上,本件処分も適法である。
イ 出入国管理法53条3項,難民条約33条1項(ノン・ルフールマンの原則)違反
の主張について
 原告が条約難民に当たらないことは,上記(1)イaのとおりであるから,原告を
イランに送還することは,出入国管理法53条3項,難民条約33条1項(ノン・ル
フールマンの原則)に違反するものでない。
 したがって,本件処分に当たり,被告主任審査官が送還先をイランとしたこと
に何ら違法はない。
ウ 拷問等禁止条約3条1項違反の主張について
a イランにおける石打ち刑は合法的制裁条項に該当すること
(a) 拷問等禁止条約1条は,1項前段で「拷問」の定義を定め,同後段で「合
法的な制裁の限りで苦痛が生ずること又は合法的な制裁に固有の若しく
は付随する苦痛を与えること」を「拷問」の定義から除外しているところ,イ
ランにおいては石打ち刑は合法的な制裁として存在しているものと認めら
れるから,拷問等禁止条約にいう「拷問」には該当しない。
(b) これに対し,原告は,拷問等禁止条約は世界人権宣言及びB規約の趣
旨に従って解釈すべきであり,当該処罰が刑罰の謙抑性や刑の均衡とい
った原則に沿っている場合にのみ,同条約1条1項後段の「合法的な制裁」
ということができる旨主張する。
 しかしながら,そもそも拷問等禁止条約1条1項後段の「合法的な制裁」に
は,何らこれを制限又は留保する文言はなく,また,拷問等禁止条約の制
定過程においても言及されているとおり,刑罰等に関する「既存の国際基
準」なるものは存在しないところ,用語の通常の意味に従い,誠実に解釈
すれば(条約法に関するウィーン条約31条1項),「合法的な制裁」とは,当
該制裁が国内法に合致することを意味するものであり,国際基準に合致
するものであることが要請されているものではないというべきである。
 仮に,拷問等禁止条約1条1項後段に定める合法的制裁は,当該制裁が
国際基準に合致するものであることをも要請するものであるとしても,石打
ち刑が拷問に当たるというような国際的合意が既になされたとの報告はい
かなる国際機関等からも示されていないから,イランにおける石打ち刑が
「合法的な制裁」に該当しないとは解されない。
b 原告がイランに帰国した場合に拷問を受けると信ずるに足りる実質的な根
拠があるとは認められないこと
(a) 上記aのとおり,イランにおける石打ち刑は,拷問等禁止条約にいう拷問
に該当するとは考えられないが,この点をおくとしても,原告が帰国した場
合に拷問を受けると信ずるに足りる実質的な根拠があると主張する理由
は,難民該当性に係る主張と共通するものであるところ,原告が帰国した
場合に迫害を受けるおそれがあるとは認められないことは上記(1)イaのと
おりであるから,原告をイランに送還することは拷問等禁止条約3条1項に
違反するとは考えられない。
 なお,イラン刑法では,石打ち刑は,姦通罪に対して適用されるのが適
当な刑罰とされており,男性同士の性行為に対する死刑執行方法として明
文には規定されていない。
(b) 拷問等禁止条約3条2項は,権限のある当局がその者に対する拷問が
行われるおそれの有無を決定するに当たり,関係する国における一貫した
形態の重大な,明らかな又は大規模な人権侵害の存在を含んだすべての
関連する事情を考慮することを求めているところ,現在のイラン国内にお
いて,同性愛者に対し,一貫した形態の重大な,明らかな又は大規模な人
権侵害があるとは認められない。
 すなわち,拷問等禁止条約の制定過程をみると,同条約が想定する「大
規模人権侵害等の存在」とは,基本的には,①アパルトヘイト,②人種差
別又は民族浄化,③民族解放運動の抑圧,④外国領域の占領,⑤植民
地主義又は新植民地主義,又はこれらに類似する明らかなかつ大規模な
人権侵害を指すものと認められるところ,ハタミ政権成立後のイラン国内
における同性愛者への取扱いを巡る状況は,上記①ないし⑤又はそれに
類似する状況に共通してみられるような「重大性,明白性又は大規模性」
を有するものであるとはおよそ認められない。
c 以上のとおりであるから,本件処分は,拷問等禁止条約3条1項に違反する
ものではない。
3 争点
 以上によれば,本件の争点は,次のとおりである。
(1) 本件裁決は,被告法務大臣が裁量権の範囲を逸脱したものとして違法である
か否か。                         (争点1)
(2) 本件処分は,前提となる本件裁決が違法であるために,又は出入国管理法
53条3項,難民条約33条1項若しくは拷問等禁止条約3条1項に違反するものとし
て違法であるか否か。                   (争点2)
第3 争点に対する判断
1 争点1について
(1) 在留特別許可に関する被告法務大臣の裁量権について
 国際慣習法上,国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく,特別の条
約がない限り,外国人を自国内に受け入れるかどうか,また,これを受け入れる
場合にいかなる条件を付するかは,専ら当該国家の立法政策にゆだねられてい
るところであって,当該国家が自由に決定することができるものとされている。我
が国の憲法上も,外国人に対し,我が国に入国する自由又は在留する権利(な
いしは引き続き在留することを要求し得る権利)を保障したり,我が国が入国又
は在留を許容すべきことを義務付けている規定は存在しない。
 ところで,出入国管理法50条1項は,被告法務大臣が,同法49条1項に基づく異
議の申出が理由があるかどうかを裁決するに当たって,当該容疑者について同
法24条各号に規定する退去強制事由が認められ,異議の申出が理由がないと
認める場合においても,当該容疑者が,①永住許可を受けているとき,②かつて
日本国民として本邦に本籍を有したことがあるとき,③特別に在留を許可すべき
事情があると認めるときには,その者の在留を特別に許可することができるとし
ており,同法50条3項は,同法49条4項の適用については,上記の許可をもって
異議の申出が理由がある旨の裁決とみなすと定めている。
 しかし,出入国管理法には,その許否の判断に当たって必ず考慮しなければな
らない事項など上記の判断を覊束するような定めは何ら規定されておらず,この
ことと,上記の判断の対象となる容疑者は,既に同法24条各号の規定する退去
強制事由に該当し,本来的には本邦から退去を強制されるべき地位にあること,
外国人の出入国管理は,国内の治安と善良の風俗の維持,保健・衛生の確保,
労働市場の安定などの国益の保持を目的として行われるものであって,このよう
な国益の保護の判断については,広く情報を収集し,その分析のうえに立って,
時宜に応じた的確な判断を行うことが必要であり,ときに高度な政治的な判断を
要求される場合もあり得ることとを併せて勘案すれば,上記在留特別許可をす
べきか否かの判断は,被告法務大臣の極めて広範な裁量にゆだねられているも
のであって,被告法務大臣は,我が国の国益を保持し出入国管理の公正を図る
観点から,当該外国人の在留状況,特別に在留を求める理由の当否のみなら
ず,国内の政治・経済・社会等の諸事情,国際情勢,外交関係,国際礼譲などの
諸般の事情を総合的に勘案してその許否を判断する裁量権を与えられていると
いうべきである。
 したがって,これらの点からすれば,在留特別許可を付与するか否かに係る被
告法務大臣の判断が違法となるのは,上記判断が全く事実の基礎を欠き又は社
会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるなど,被告法務大臣に与えられ
た裁量権の範囲を逸脱し又は濫用した場合に限られるというべきである。
 そして,前記のとおり,被告法務大臣が上記の判断を行うについて特に何らの
規準が設けられていないこと及び上記在留特別許可は出入国管理法24条各号
の規定する退去強制事由に該当して本来的には本邦から退去を強制されるべ
き地位にある者を対象としてされるものであり,当該容疑者に申請権が認められ
ているものでもないことからすれば,上記裁量の範囲は,在留期間更新の場合と
比べて,より広範なものであるというべきである。
 そこで,本件において,原告に在留を特別に許可すべき事情が認められないと
した被告法務大臣の判断が,裁量権の範囲を逸脱したものであるか否かについ
て検討する。
(2) 原告の条約難民該当性について
ア 条約難民の意義
 難民条約1条A(2)は,「難民」について,「1951年1月1日前に生じた事件の結
果として,かつ,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員である
こと又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由の
ある恐怖を有するために,国籍国の外にいるものであって,その国籍国の保
護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国
の保護を受けることを望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有
していた国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰るこ
とができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた
国に帰ることを望まないもの」と規定しており,難民議定書1条も,その適用
上,「難民」とは,難民条約1条A(2)の「1951年1月1日前に生じた事件の結果と
して,かつ,」及び「これらの事件の結果として」という文言が除かれているもの
とみなした場合に同条の定義に該当するすべての者をいい,これらの者につ
いては,難民条約2条ないし34条の規定が適用されると規定している。
 そして,上記の「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻
撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味するもの
と解することが相当であり,また,上記にいう「迫害を受けるおそれがあるとい
う十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるお
それがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当
該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在し
ていることが必要であると解するのが相当である。
イ 原告が条約難民に当たるか
a そこで,原告が条約難民に当たるか否かについて検討するに,各項掲記の
証拠によると,以下の事実が認められる。
(a) イラン刑法の定める同性間性行為に関する処罰規定(甲1)
Ⅰ 現行のイラン刑法は,2名の男性間で行われる性行為で,性器の挿
入を含むものをソドミーと規定し(108条),ソドミーが行われた場合に
は,挿入者と被挿入者は共に処罰の対象となる旨定めている(109条)。
 そして,ソドミーに対する刑罰は死刑であり,執行の方法は,イスラム
法(シャリーア)判事の指示に基づくものとされているところ(110条),挿
入者と被挿入者が共に成人であり,健康な精神状態で自由意思により
ソドミーが行われた場合には,死刑に処するものとされ(111条),また,
成人が未成年者とソドミーを行った場合には,挿入者は死刑とし,被挿
入者は脅迫によってソドミーを行ったのでない限り74回のむち打ち刑に
処するものとされている。
Ⅱ イラン刑法では,ソドミーの法的証明について,処罰のための信頼性
は,ソドミーの告白者が4回の告白を行ったときに成立するものとさ
れ(114条),ソドミーの告白が4回未満の場合には,死刑を執行するに
必要な信頼性には足らず,むち打ち刑を行う信頼性には足りるものとさ
れている(115条A)。
 また,ソドミーは,これを目撃した4名の権利ある男性の証言によって
証明されるものとされ(117条),証言した男性が4名未満であった場合
には,ソドミーは証明されず,証言者は悪意をもった告訴により処罰さ
れる(118条)。
 さらに,イスラム法判事は,慣習的な資料に由来する自らの知識に従
って宣告することができるとされている(120条)。
(b) 同性間性行為に対する処罰についてのイラン政府の回答等
ベイエリア・リポーターの平成2(1990)年1月25日付け記事は,「同年元
旦のイランのラジオは,イランの司法長官の「同性愛という卑劣な行為に
対する宗教上の処罰は,それらを犯した人間を両方とも死刑に処するこ
とである。」との声明を報道した。」旨を報じている(甲40)。
また,BBC放送の同年5月21日の放送は,同月18日にイラン・イスラム
共和国の声が放送したイランの最高裁判所長官によるテヘラン大学で行
われた金曜礼拝における説教の内容を報道したが,その中で,同長官は
「イスラムは,同性愛者については,男性女性を問わず,最も厳しい刑罰
を科している。」と述べた(甲51)。
さらに,イラン政府は,国連人権委員会特別代表からの問い合わせに
対し,平成3(1991)年1月22日付けで,「イスラム法によれば,同性愛者が
自らの行為を告白したうえ,その行為に固執する場合は,死刑が宣告さ
れる。」と回答した(甲30)。
(c) イランにおける同性間性行為による処罰等についての新聞報道等
Ⅰ イランにおいて,同性間性行為(ソドミー)ないしこれを含む罪名によ
る処罰ないし訴追例として,新聞報道等に現れた主なものを年代順に
列記すると,以下のとおりとなる。
Ⅱⅰ ロイター通信は,昭和54(1979)年5月27日付けで,「2名の男性が,
同性愛により死刑に処せられた。」旨報じた(甲93)。
ⅱ ロイター通信は,昭和55(1980)年7月3日付けで,「一人の男性が,
少年を誘惑し,性的関係を持ったとして銃殺に処せられた。また,別
の男性は,同性愛と姦通の罪により石打ち刑に処せられた。」旨報じ
た(甲43,93)。
ⅲ ロイター通信は,昭和56(1981)年2月25日付けで,「テヘラン・タイ
ムズが伝えたところによると,2名の男性が同性愛行為を行ったとし
て銃殺刑に処せられた。」旨報じた(甲41)。
ⅳ ロイター通信は,昭和57(1982)年9月1日付けで,「テヘランの新聞
は,3名の人が同性愛の罪で処刑されたと伝えている。」旨報じた
(甲44)。
ⅴ ベイエリア・リポーターは,平成2(1990)年1月25日付けの記事で,
「ヴァン・アッタの報道によると,同年元旦のイランのラジオ放送は,
同年元旦に,3名の同性愛男性が公開の場で斬首され,2名のレズ
ビアンが石打ち刑に処されたと公表した。」旨報じた(甲40)。
ⅵ アムネスティ・インターナショナルは,平成6(1994)年1月,「イラン
で,イスラム教スンニ派の指導者が,平成4(1992)年8月初旬ころ,
スパイ,姦通,同性間性行為の罪により処刑された。」旨述べた(甲
46)。
ⅶ アムネスティ・インターナショナルは,平成6(1994)年4月28日付け
の「緊急行動要請」の中で,「イラン人の著述家が,同年3月14日に
逮捕され,同性間性行為のほか,薬物の使用,アルコールの醸造,
スパイのネットワークとの関係,西側の反革命組織からの資金提供
などにより告訴されていた。」旨述べた(甲45)。
ⅷ ロイター通信は,平成7(1995)年11月14日付けで,「イランの報道
機関が伝えたところによると,裁判所で,スーフィー(神秘主義者)集
団に属する男性が,反復した姦通及び同性愛行為により,石打ち刑
に処せられた。」旨報じた(甲42)。
ⅸ 米国国務省は,平成10(1998)年のイランの人権状況に関する報
告書で,「伝統的なスーフィー集団の信者が,平成8(1996)年,婚外
性交渉及び同性愛の罪により処刑された。」旨述べた(甲110)。
ⅹ 闘う文化協会オランダは,平成11(1999)年10月1日付けの「イラン
における同性愛者の状況の評価に関する答弁書」の中で,「サラー
ム紙の報道によると,イランでは,平成9(1997)年に,少なくとも3人
が同性間性行為により起訴され,死刑に処せられた。」旨述べた(甲
48)。
 その内の1名については,平成9(1997)年10月14日付けのサラー
ム紙が,「恐喝,覚醒剤の売買,社会に堕落を広げる行為,複数回
にわたって少年と男色行為を繰り返した等の罪で,死刑判決を受け
た。」旨報じている(甲22)。
 また,他の1名と思料される者について,レックス・ウォックナーの国
際ニュースは,平成10(1998)年1月5日付けの記事で,「ワシントン・
ブレイド紙がロイター通信の報道を引用して報じたところによると,イ
ラン政府は,同性間性行為を行った一人の男性を絞首刑に処した。
彼は,それ以外に,婚外性交渉,飲酒,薬物取引についても有罪と
された。」旨報じている(甲108)。
ⅹⅰ ケイハン紙(ロンドン)は,平成9(1997)年10月2日付けの記事
で,「一人の男性がソドミーの罪で死刑となった。」旨報じた(甲23)。
ⅹⅱ ケイハン紙(ロンドン)は,平成13(2001)年1月4日ないし同月
10日付けの記事で,「刑務所に収容されていた男性が,刑務所内で
同性間性行為を行ったとして死刑に処せられた。」旨報じた(甲78)。
ⅹⅲ AFP通信は,平成13(2001)年5月14日付けで,「イランでは,同
月13日の朝,3名の男性が,同性愛,同性間性行為のほか,強姦,
殺人,女性の誘拐,姦淫の罪で絞首刑となった」旨報じた(甲123)。
(d) イランにおける同性愛者の状況に関する諸外国の調査結果
Ⅰ イランにおける同性愛者の状況について,カナダ移民局,オランダ外
務省及び英国移民局は,それぞれ次のとおり報告している。
Ⅱⅰ カナダ移民局(乙17)
 カナダ移民局は,平成10(1998)年2月,UNHCRに対し,イランに
おける同性愛者の状況について,様々な情報源に基づいて,次のと
おり報告している。
① マーチン・シールドの報告(平成4(1992)年)によると,同性愛者
について,イスラム教の理論と実務の間には,重大な相違があ
る。
 すなわち,上記報告は,理論上,同性愛的行為はイスラム教に
より厳しく告発されるが,実際には,それは過去も現在も,イスラ
ム教が支配する地域に頻繁に存在し,大部分は寛大に扱われ
る。実際には,イスラム教の道徳に対する公然たる逸脱のみが告
発され,そうした理由で,イスラムの法律は,訴追について,目撃
証言を重視しているのである。警察は,罪人であるかもしれない
人の捜索のためにの立ち入りを許されず,そうした者は,閉ざされ
た扉の「品位のあるベールの」後ろではなく,現行犯である場合に
のみ逮捕される。同性愛的行為に対する一般的に寛容な態度
は,通常それが慎重に行われるという事実により,一部は説明す
ることができる,と述べている。
② ゲイとレズビアンのためのスウェーデン・アムネスティグループの
代表で,国際ゲイ・レズビアン協会のスウェーデンにおける活動家
でもある人物は,平成10年2月4日の電話インタビューで,「イラン
の同性愛者又はレズビアンが処刑された事案は数少ないが,そ
れを唯一の根拠としたものについては誰も知らない。」と述べた。
③ ソドミー/同性愛の法定刑が死刑であるにもかかわらず,これを
理由に有罪判決をするのは極めて難しい(在テヘラン・スウェーデ
ン大使館(平成8(1996)年),パリ大学助教授である社会学者に対
する平成10(1998)年1月27日の電話インタビュー,新ソルボンヌ
(パリ第三)大学講師で,イランを専攻する社会学者に対する同月
28日の電話インタビュー,パリにあるCNRSのイラン調査チーム
に属する社会学者に対する同月26日の電話インタビュー)。
 アムネスティ・インターナショナルも,その出版物である「沈黙を
破って 性的指向に基づく人権侵害」(平成9(1997)年)で,ソドミ
ーすなわち同性愛による処刑の報告を確認することは困難であ
り,せいぜいその実行を推測するにとどまることを認めている。
④ ジェーダ・ソファーによると,イランでは,刑事手続の規定は極め
て厳密である。目撃証言の口頭の証言のみが受け入れられる。4
人の信頼に値するムスリム男性が,「鍵が鍵穴に入っているとこ
ろ」を見たと証言するか,又は,被告人が4回告白しなければなら
ない。証明されない告発には厳しい処罰があるので,処罰はめっ
たに実行されない(平成4(1992)年)
⑤ テヘランのスウェーデン大使館は,平成8(1996)年の報告書で,
次のように述べている。
 証拠の提出のための厳密な規則は,実際上,同性愛によって有
罪を判決することを不可能にしている。警察及び司法当局は,同
性愛行為の存在を調査するために積極的な手段をとりもせず,同
性愛者を積極的に検挙もしない。多くの信頼できる情報によると,
同性愛者は,ここ数年間,イランでまったく処刑されていない。警
察による制裁すなわち虐待又は短期間の拘束の危険にあえてさ
らされるには,同性愛者のカップルは,公開の場所で,極めてあから
さまに,ほとんど挑発的にふるまわなければならない。
 同性愛者の置かれている状況は,同性愛の関係が,分別のあ
る方法で処理される限り,訴追又は嫌がらせの危険は極めて少な
いという点で,改宗者のそれと同様であるか,又はより穏当なもの
でありさえする。
 イランでは,同性愛については,比較的寛容であるという印象を
受ける。なぜならば,イランでは同性愛が決して珍しいものではな
いからである。例えば,テヘランのあるヘルス・クラブは,同性愛
者が頻繁に訪れることで知られている。また,同性愛者である人と
会うことは決してまれではない。
 イランに任命された同性愛的指向を持つ外交官たちは,イランで
パートナーと接触する際に,何ら問題がなかったようにみられる。
もしあったとしても,イランでは,スウェーデンよりも容易に彼らの
指向を隠すことができるという状況がある。イランでは,例えば抱
擁,頬へのキス,握手のような男性間の身体的な接触は,文化的
に受け入れられた行動だからである。
 大使館の決定済みの見解は,同性愛を理由に庇護を求めた
25歳の男性は,深刻な嫌がらせのいかなる危険も冒すことなく,イ
ランに戻ることができるというものである。
⑥ 上記新ソルボンヌ(パリ第三)大学講師である社会学者は,頻繁
にイランに旅行して,エイズに罹患した社会集団を含む各種の事
項の実地調査を行っているものであるが,「実際に,立証責任が
重いので,同性愛者はめったに裁かれず,また,有罪判決を受け
ない。裁判に至った事案に一度も遭遇したことはなく,結婚に先立
つ異性愛関係及び姦通に対する投石は,同性愛に対するものよ
りもはるかに多い。」と述べた(上記電話インタビュー)。
 また,上記社会学者は,同じインタビューで,「テヘランの中心部
にDaneshju(学生)と呼ばれる公園があり,そこは他の男性との性
的関係を求める男性が会う場所として有名である。公衆も治安部
隊もその公園の評判を知っている。イランでは,男性が他の男性
の友人やその男性の家族構成員である男性について,その手を
握ったり,キスをするなどの肉体的な愛情表現を公然と行うことか
ら,屋外で同性愛のカップルと異性愛の男性2人の友人とを区別
することは不可能であり,治安部隊にとって,同性愛の行動を識
別することができないので,誰かを逮捕することは,非常に難し
い。結果として,イランでは,同性愛者は虐待されず,組織的な虐
待を受けるものではない。」と述べた。
⑦ 上記パリ大学助教授である社会学者は,「実際上,同性愛事案
を立証するのは極めて困難であり,ほとんど起こらない。立法によ
る抑制は同性愛者に向けられたものではなく,婚姻外の異性愛関
係に向けられている。イラン人男性は,社会的に受け入れられる
行動として,非常に密接な身体接触(手をつなぎ,また,キスをす
る。)をするので,誰が同性愛者であり誰がそうでないかを識別す
るのは困難であるため,治安部隊が同性愛行為を抑圧するのは
まれである。男性間の性的な関係は,イランでは一般的であって,
それらが個人的なものである限り,治安部隊によって抑制されな
い。」と述べた(上記電話インタビュー)。
⑧ 上記CNRSイラン調査チームに属する社会学者は,「イランの法
律が同性愛を死刑によって処罰するにもかかわらず,実際には,
それは愛童症の場合を除き,まれにしか行われない。同性愛は一
般的な現象であり,公的秩序を乱さず,個人的な行為にとどまる
限り容認される。それは,イランでは受け入れられない,公表と明
言をされるときにのみ抑圧される。」と述べた(上記電話インタビュ
ー)。
⑨ スウェーデン外国人不服委員会のイラン担当室長からの平成
10(1998)年2月2日付けの手紙は,次のように述べている。
 イランの当局者が同性愛者に対して訴訟手続をとっているとの
情報はない。ある同性愛者に対して,当局が刑事手続を行うこと
は,彼が自らの性癖を,公開の場で,あからさまな方法で明らか
にしない限り,ほとんどありそうにない。外国人不服委員会が知る
限りにおいて,過去7,8年間,イランで同性愛の訴えのみによって
訴追されたものは一人もいない。
ⅱ オランダ外務省(乙21)
 オランダ外務省は,平成13(2001)年8月,イランにおける同性愛者
の状況について,次のとおり報告している。
① 同性愛は,イランの社会生活では大きなタブーである。それにも
かかわらず,出会いの場所には事欠かない。テヘランのいくつか
の公園は,毎晩同性愛者が関係を持つ場所として有名である。同
性愛者は,その性的嗜好を露骨に出すことはない。イランでは,
同性愛に関する事柄を公にするときは,確実な慎重さをもってす
るのが一般的に有効であるとされている。
② 同性愛関係に対する積極的な摘発的行動はみられない。イラン
の法では,同性愛行為は死刑であるにもかかわらず,同性愛行
為を理由に刑を受けた者は一人として存在しない。有罪宣告にお
いて,同性愛の罪は,アルコール,薬物,売春に関する他の可罰
的行為とともに累積的に刑に考慮される。
ⅲ 英国移民局(乙20の2)
 英国移民局は,平成14(2002)年4月,イランにおける同性愛者の
状況について,次のとおり報告している。
① 同性愛は決して語られず,したがって,隠された事項であるが,
実際にはイランで同性愛者に遭遇することは困難ではない。テヘ
ランには,同性愛者の会う場所として知られる特別な公園がある。
異なった性的指向は問題を生じ得るにもかかわらず,同性愛は毎
日実行され,これが四方の壁の内で,閉じられた扉の内側で行わ
れる限り,そして,人々が同性愛を勧誘しようとしない限り,彼らは
ほとんど傷つけられることはないようである。
② 今のところ,同性愛関係のみを根拠とする処刑は知られていな
い。実際には,証明の負担が非常に高度であり,同性愛関係又は
性交を証明することは難しい。いくつかの地方新聞のレポートによ
れば,同性愛者の処刑の例があったようであるが,同性愛行為の
みによって処刑がなされたのか,当該人物が他の訴追を受けてい
たかは確認できない。
(e) イラン人同性愛者の難民認定申請に係る諸外国の裁判例等
Ⅰ 諸外国の裁判所ないし審判所等では,イランにおける同性愛者の状
況について,次のとおり判断している。
Ⅱⅰ 英国
 英国の難民控訴委員会は,平成13(2001)年5月1日付けの決定
で,デモに参加したことを契機に家宅捜索を受けた際,複数の友人
と同性愛行為を行っている場面を録画したビデオテープを押収され,
その後友人2名が同性愛行為を理由に死刑に処せられたとの申立
人の主張を認め,同人は条約難民に当たると述べている(甲103)。
ⅱ ドイツ
① ドイツのヴィースバーデン行政裁判所は,昭和58(1983)年に出
した判決で,「イランにおいて,同性愛者が処刑される可能性があ
り,また,実際に処刑されているということに論争の余地はない。」
と述べている(甲79)。
② 他方で,ドイツのカールスルーエ行政裁判所は,平成11(1999)
年1月22日付けの判決で,「イランでは,ホモセクシュアルな行為
が純粋に私的な生活の中で行われる場合,関与者が裁判にかけ
られるとは限らない。国連の亡命者補助機構と外務省も同様に,
ホモセクシュアルの関係だけを理由として死刑の判決が下された
ケースに関して最近例がないことを指摘した。」と述べている(乙
30)。
ⅲ オーストラリア
① オーストラリアの難民控訴審判所は,平成6(1994)年2月21日付
けの決定で,「イランの法律及び政府がどのように同性愛者を含
む多くのマイノリティを扱っているかという問題に関する専門家で
ある元オーストラリア上院議員の見解等からすると,控訴人がイラ
ンに送還された場合には,同性愛者であるという理由から迫害を
受ける可能性がある。」と述べている(甲127)。
② 他方で,オーストラリアの難民控訴審判所は,平成11(1999)年
5月24日付けの決定で,「証拠は,ホモセクシュアリティと同性愛者
は,純粋にそのセクシュアリティのため,イラン当局の目(そして社
会の目)に非難されることを示唆する。他の証拠は,イランでは,
同性愛は違法ではあるが,同性愛者が非常に無分別に,挑発的
に又は開かれた公的な方法で明示しない限り,彼は逮捕され,拘
留され,起訴され又は有罪宣告されそうにないことを示唆する。」
と述べている(乙22の1)。
 また,オーストラリアの難民控訴審判所は,平成12(2000)年4月
18日付けの決定で,上記決定と同じ判断を示したうえ,さらに「証
拠は,イランでは,ホモセクシュアルな人間に対するいやがらせ
は,最小限にとどまっていることを示唆している。」と述べている
(乙52)。
 このほか,オーストラリアの難民控訴審判所は,平成13(2001)
年4月24日付け決定(乙53),同年10月16日付け決定(乙22の2),
同年11月5日付け決定(甲128,乙54)でも,上記各決定と同趣旨
の判断を示している。
③ さらに,オーストラリアの連邦裁判所は,保護ビザの申請を拒否
した難民控訴審判所の決定に対する不服申立てに係る平成
13(2001)年10月4日付けの判決で,「上記審判所は,原告に対
し,(過去彼がそうであったように)彼のホモセクシュアルな関係に
おいて,これからも分別のある態度をとり続けることを予想するこ
とは,非現実的な態度ではないと結論づけている。こうした場合,
国の証拠に照らし合わせると,彼がホモセクシュアルであるという
理由から,イランで彼が迫害に直面する機会はごくわずかなもの
であり,実質的なものではない。」と述べている(乙47。この判決に
対する上訴も棄却されている(乙50)。)。
 このほか,オーストラリアの連邦裁判所は,平成13(2001)年
10月18日付け判決(乙48),平成14(2002)年4月18日付け判決
(乙51),同年5月10日付け判決(乙49)でも,上記判決と同趣旨の
判断を示している。
ⅳ スウェーデン
① スウェーデンの外国人控訴委員会は,平成8(1996)年6月3日付
けの決定で,「イランのシャリーア法では,レズビアニズム又はそ
の他の同性愛関係は禁じられ,死刑又は身体刑が科せられる。し
かしながら,立法と適用の間には根本的な相違がある。委員会
は,近年処刑されたレズビアンはいないこと,同性愛はイランでは
普通でないものとはとてもいえないこと,その同性愛傾向のみを
理由に迫害又は他の深刻な嫌がらせの危険を受けるものではな
いことに注目した。」と述べている(乙56)。
② スウェーデンの外国人控訴委員会は,イラン人のゲイに居住許
可を認めた平成13(2001)年11月14日付けの決定で,「彼がゲイ
だからではなく,同性愛者に対するイラン政府の政策を公に批判
したため迫害を受ける危険がある。」と述べている(乙57)。
ⅴ カナダ
① カナダの移民・難民委員会は,平成10(1998)年5月29日付けの
決定で,「イランの法は,同性愛者に関して極めて厳しい。これら
の法の履行状況は,もしかしたら,法が示しているところと比較す
れば厳しくないかもしれない。しかし,たとえ実際に同性愛者が死
刑になったり,告訴され,刑罰を受けたりしたという証拠が極めて
少なかったとしても,その一方で,同性愛者であるということが,誰
かを勾留したり,尋問したりする理由として使われることがあり得
るという証拠はある。」と述べている(甲12)。
② 他方で,カナダの連邦裁判所は,移民・難民委員会の決定に対
する不服申立てに係る平成13(2001)年8月13日付けの命令で,
「上記委員会は,証拠は,イランでホモセクシュアルの人間を特に
標的にしていることを明らかにしておらず,当局は,閉ざされたド
アの「品位というベール」の背後で行われているホモセクシュアル
な活動を積極的に探し出してはいないということを見い出した。同
委員会は,この主題に関するごく最近の文書の検討を行ってお
り,証拠に基づいて事実認定を行うことは,委員会に委ねられて
いる。」と述べている(乙55)。
ⅵ ニュージーランド
 ニュージーランドの難民の地位控訴局は,平成7(1995)年8月30日
付けの決定で,「同控訴局が入手した情報によれば,同性愛者ある
いは同性愛者であると疑われているか,告発された者は過酷な処罰
を受ける。イランで同性愛者の置かれた状況は,特に危険なもので
ある。」と述べている(甲58)。
ⅶ 国連拷問禁止委員会
 国連の拷問禁止委員会は,平成15(2003)年5月26日付けの決定
で,「異なる信頼できる情報源からの情報として,イランでは,ホモセ
クシュアリティーの罪に係る起訴を積極的に行う政策は現在とられて
いない。」と述べている(乙44)。
(f) 原告のイラン及び本邦入国後の状況等(前記「前提となる事実」,甲26な
いし28,74,75,85,乙4の1,5,7,8,10,原告本人)
Ⅰ 原告は,同性愛者であり,イランにおいて,14才から21才までの間,幼
なじみの男性と性的な関係をもっていた。
 原告は,パートナーとの関係を,家族や知人にもずっと隠してきた。
Ⅱⅰ 原告は,平成3(1991)年8月29日,新東京国際空港に到着し,東京
入管成田支局入国審査官に対し,外国人入国記録の渡航目的の欄
に「BISINESS-FORWORDER」(商用従事者),日本滞在予定期
間の欄に「AUG29TOSEP2」(8月29日から9月2日まで)と記載し
て上陸申請を行い,同入国審査官から出入国管理法別表第1に規
定する在留資格「短期滞在」及び在留期間90日の許可を受けて,本
邦に上陸した。
 原告は,本邦に上陸した翌日,知り合いのイラン人を頼って,福島
県郡山市に赴き,工事現場などで不法就労を始めた。
 そして,原告は,在留期間の更新の許可申請を行うことなく,在留
期限である同年11月27日を超えて本邦に不法残留するに至った。
ⅱ 原告は,平成5年ころ,東京に転居し,レストランや工事現場等で
不法就労をした。
 そして,原告は,平成6年8月15日,在東京イラン大使館において,
旅券の有効期限の延長手続をし,さらに,平成9年8月15日,同大使
館において,有効期間を平成14年8月15日までとする新旅券の発給
を受けた。
Ⅲⅰ 原告は,本邦来日後,イラン人の同性愛者団体であるホーマンに
加入した。
ⅱ 原告は,平成11年5月ころ,日本におけるゲイのグループを紹介し
てもらった。
 そして,原告は,同年6月21日,東京都新宿区で行われた日本の
ゲイグループらが主催するイベントで,ホーマンの構成員として,自
らが同性愛者であることを公言(カミングアウト)したうえで,イランを
始めとするイスラム圏の国々で同性愛者が抱えている様々な問題に
ついて説明するなどした。この出来事は,ホーマンの機関誌にも紹
介されたが,記事では,原告が同性愛者であることが明らかになる
のを防ぐため,原告の氏名は通称であるB名となっていた。
ⅲ 原告は,同年8月1日,東京代々木で開かれたレズビアンとゲイの
パレードに参加し,次いで,同年9月19日に札幌市で行われた同性
愛者のパレードに参加して,ホーマンの機関誌を配布するなどした。
 また,原告は,同年12月10日,東京都渋谷区で行われたアムネス
ティ・インターナショナル日本支部主催の「人権のためのパレード」
に,「イスラム社会はレズビアン・ゲイ弾圧をやめろ」という趣旨のプ
ラカードを掲げて参加した。その際,原告のことがイラン当局に知ら
れることを懸念し,原告の作成したアピールを原告の支援者が代読
した。
Ⅳ 原告は,平成12年4月22日,不法残留の容疑で現行犯逮捕され,同
年5月9日,起訴猶予処分を受けたが,同日,収容令書により収容され
た。そして,原告は,同年6月1日,被告法務大臣に対し,本件難民認
定申請をするに至った。
b 以上の事実を踏まえて,原告が条約難民に当たるか否かについて検討す
る。
(a) イランにおける同性愛者の置かれた状況
Ⅰ イラン刑法は,成人がソドミーの罪を犯した場合には死刑に処する旨
を定めている。
 そして,イランの司法長官や最高裁判所長官は,かかる刑法の規定
が実際にもそのまま適用されることを述べたことがあり,イラン政府も,
国連人権委員会特別代表からの問い合わせに対し,同趣旨の回答を
したことがあり,現に,昭和54(1979)年以降をみても,新聞等によれ
ば,イランにおいて,男性が同性間性行為あるいはこれを含む複数の
罪で告発され,処刑された旨の報道が行われたことは,まれではない。
Ⅱⅰ しかしながら,前記のカナダ移民局(平成10(1998)年2月),オラン
ダ外務省(平成13(2001)年8月)及び英国移民局(平成14(2002)年
4月)の各報告は,いずれも,具体的な例を挙げながら,イランにお
いては,同性愛ないし同性間性行為は,法律上・宗教上は否定され
ているにもかかわらず,実際には決して珍しいものではなく,同性間
性行為も,それが公然と行われるのでない限り,積極的な取締りの
対象となっていないこと,同性間性行為のみによって処刑された例
が確認されていないこと,社会的にみても,同性愛の関係が分別の
ある方法で処理されている限り,嫌がらせの危険も極めて少ないこ
とを示す報告をしており,ことに,カナダ移民局の報告においては,
平成4(1992)年から平成10(1998)年までの間の多数の情報源が,
具体的な事実に基づき,上記のような点においてほぼ一致する見解
を示している。
 原告は,カナダ移民局の作成した資料は,独自の見解に基づい
て,自説に都合のよい資料部分だけを集めたものであって証拠価値
は極めて乏しい旨主張するが,同資料には,多数の情報源からの
同趣旨の報告ないし意見が掲載され,中には実際のイランでの経験
を踏まえたものもあること,オランダ外務省や英国移民局も同様の
報告をしていることなどに照らすと,カナダ移民局の作成した上記資
料が,原告主張のように恣意的に資料を編集したものとはいえない
ことは明らかであり,上記資料には証拠価値が乏しいとの原告の主
張は理由がない。
ⅱ また,諸外国の裁判例等をみても,諸外国の裁判例等のうち,イラ
ンでは同性愛者が危険な状況に置かれていると認定したものをみる
と(上記a(e)Ⅱのⅱ①,ⅲ①,ⅴ①,ⅵ),ソドミー条項の実際の運
用,とりわけ同性間性行為のみで処罰される実情にあるのか否かに
ついての具体的な検討が,必ずしもされているわけではないことがう
かがえる一方,上記の各国の報告が出された以降においては,イラ
ンにおける同性愛者の状況について,上記各報告と同様の認識を
示しているものが多いことが窺える。
ⅲ そして,上記Ⅰの新聞報道等にしても,比較的最近のものは,上記
ⅰの各国の報告にあるとおり,ソドミーないし同性間性行為だけでな
く,他の罪も処罰理由となっているものが多く,処罰理由として同性
間性行為だけしか掲載されていない報道についても,他の報道の引
用であるものもあり,当該事案の処罰理由が同性間性行為だけであ
ったのか否かは,明らかでないといわざるを得ない。
Ⅲ これに対し,証人Aは,イランでは,同性間性行為のみを理由とする
処刑が行われており,同性愛者は社会的にも迫害されている旨供述
し,同人作成の陳述書(甲29,71,93)にも同趣旨の記載がある。
 しかし,同証人の供述によれば,同人は,自らイランで調査をしたり,
同国内に直接の情報源を有しているわけではなく,同人の認識ないし
意見の根拠となっているのは,主として上記の新聞報道等であるもの
と認められるから,同証人の上記の供述等の方が,カナダ移民局等の
作成にかかる前記各資料に示された判断よりも的確であるとは認めら
れない。
Ⅳ そこで,これらの事実関係を前提にイランにおける同性愛者の状況を
検討すると,イランにおいては,同性愛者は相当数存在し,これらの者
の間で行われる同性間性行為も,前記のようなソドミー条項の存在に
もかかわらず,それが公然と行われるのでない限り,それだけで刑事
訴追を受ける危険性は相当に低い状況にあるということはでき,同国
においても,同性愛者は,その意思により,訴追等の危険を避けつつ,
同性愛者としての生活を送ることができると認めるのが相当である。
 したがって,原告が同性愛者であるというだけでは,イランにおいて
は,難民条約1条A(2)にいう「迫害を受けるおそれがあるという十分に
理由のある恐怖」を有する客観的事情が存在するとは認め難い。
(b) ところで,原告が,イランの同性愛者の団体であるホーマンの構成員で
あり,平成11年6月のイベントで,同性愛者であることを公言(カミングアウ
ト)したものであることは,前記認定のとおりである。
 しかし,原告は,イランにいる間は,同性愛者であることを隠していたもの
であり,平成11年6月にカミングアウトした後も,イラン当局に知られるのを
防ぐために,本名を隠して通称名を用いるなどの措置を講じてきたもので
あり,イラン当局が,日本におけるホーマンの活動に多くの関心を払ってい
るとも認め難い(原告本人の供述によれば,ホーマンの日本支部の構成
員は原告一人だけである。)ことなどからすると,本件裁決の時点におい
て,イラン当局が,原告の同性愛について認識し,あるいはこれに関心を
払っていたと認めることはできない。
 これに対し,原告は,退去強制手続で,原告が参加した東京や札幌のパ
レードの状況を撮影したビデオが新宿a丁目のビデオ店で販売されている
旨供述しているが(乙4の1),これらのパレードの社会的な知名度が高いも
のであることを認めるに足りる証拠はなく,上記のビデオ店も新宿a丁目に
所在する特定のビデオ店であるにすぎないことなどからすると,イラン当局
が,上記ビデオによって,原告が同性愛者であることを認識しているとも認
め難い。
 また,原告は,収容令書で収容された際の原告の尋問の内容を聞いて
いた他のイラン人が,東日本センターに移送されてから,原告の難民申請
の理由を他の被収容者に言い触らしていたとか,東日本センターに収容さ
れていた際,被収容者である他のイラン人がイラン大使館から面接に来た
人に,同所に収容されているイラン人の氏名を教えていたところ,イラン大
使館から雑誌等が送られてきたが,原告だけにはそれが送られてこなかっ
た旨供述するが,仮にそのような事実があったとしても,これをもって,イラ
ン当局が原告が同性愛者であることを認識していたことの証左とすること
はできない。
 なお,原告は,本件訴訟のことが新聞等で報じられたことを指摘するが,
これは本件裁決後の事情であるから,本件裁決の違法性判断に当たっ
て,直ちに考慮すべき事情であるとはいえない。
 そうすると,イラン当局が,本件裁決の時点において,多くのイランに国
籍を有する同性愛者の中で,特に原告の同性愛について認識し,あるい
はこれに関心を払っていたと認めるに足るような事情も存在しない。
(c)Ⅰ 原告は,イランにおいて,同性愛という性的指向を隠さざるを得ない
とすれば,それ自体が迫害であり,また,原告は,同性愛者の人権侵
害を続けるイランの現体制を批判し,同性愛者に対する法的及び社会
的迫害をなくすことを求めるという政治的意見を確立させたものであ
り,イランに帰国した場合にかかる政治的主張を表明する行動をとった
ならば,それを理由に迫害を受けるおそれがあるとも,主張する。
 しかし,国民の性表現について,いかなる規制を設けるべきであると
考えるかは,当該国における風俗,習慣,社会情勢などを背景として
形成される国民全体の価値観によって異なるものであるから,原告が
望む性表現が許されないということをもって,それが難民条約1条A(2)
にいう「迫害」に当たるとは解されないし,また,原告はイランにいた当
時,同性愛者の権利擁護のための政治的な活動をしていたわけでは
なく,原告が主張する政治的主張を表明する行動をとったならば迫害
を受けるおそれとは,将来イランにおいて,そのような活動を行った場
合には発生するかも知れない仮定的なものにすぎず,これをもって,難
民条約1条A(2)の規定する「政治的意見を理由に迫害を受けるおそれ
があるという十分に理由のある恐怖」が存在すると認めることもできな
い。
Ⅱ また,原告作成の陳述書(甲85)には,原告の家族も同性愛者に嫌
悪感を持っているから,原告が同性愛者であることを知ったならば,原
告をののしり,最悪の場合には原告のことを革命防衛隊に通報する可
能性もある旨の記載があるが,これは単なる推測の域を出るものでは
なく,原告がイランに送還された後に家族から迫害を受ける具体的な
おそれがあることを認めるに足りる証拠はない。
(d) 原告の行動をみても,原告は,本邦上陸後,直ちに難民として保護を
求めることもなく,郡山市に赴いて不法就労を開始し,本邦上陸後9年近
く経ち,不法残留の容疑で逮捕され,退去強制手続が始まってから,初
めて本件難民認定申請をするに至ったというものであり,このような行動
自体,自らに対する迫害を強く危惧していた者の態度と認めるには疑問
を抱かせるものといわざるを得ない。
(e) 以上のとおり,原告の主張する諸事情を逐一検討しても,原告がイラン
に送還された場合,原告が同性愛者であることあるいは同性間性行為を
行ったことなどを理由として迫害を受けるおそれがあるとは認められない
から,その余の点について検討するまでもなく,原告は条約難民には当た
らないというべきである。
(3) 憲法14条,国際的な人権基準等違反の主張について
 原告は,同性愛者が難民条約1条A(2)の規定する「特定の社会的集団の構成
員」に当たらないとしても,原告に在留特別許可を付与しないことは,憲法14条,
国際的な人権基準等に反する旨主張するが,原告がイランに送還された場合
に,同性愛者であることなどを理由として迫害を受けるおそれがあると認められな
いことは前記のとおりであるから,この主張は前提を欠くことになる。
(4) 原告の在留状況等について
ア 前記「前提となる事実」及び上記(2)イa(f)の認定事実によれば,原告は,本邦
への上陸申請において,外国人入国記録の渡航目的欄に虚偽の上陸目的を
記載して上陸許可を受け,また,入国後すぐさま不法就労を開始し,在留期間
更新申請を一度もしないまま,平成12年4月22日に不法残留の容疑で逮捕さ
れるまで,8年以上の長期間にわたり,本邦に不法に滞在して不法就労活動に
従事していたものである。
 このように,原告は長期間にわたって不法残留し,この間不法就労に従事し
てきたものであるが,これは公正な出入国管理の秩序を乱すものとして,看過
し得ないものというべきである。
イ また,証拠(甲85,原告本人)によれば,原告は,イランで出生,成育し,同国
で教育を受るなど,平成3年に本邦に上陸するまで,イランで生活を営んできた
ものであって,それまでは,本邦とは何らのかわりのもなかったこと,現在も,イ
ランには原告の家族がいることが認められる。
 そして,原告がイランで生活する場合,同性愛者としての生活である程度の
制約を受ける面があることを除けば,格別の不都合があるとは認められない。
(5) 以上のとおり,原告が条約難民であるとは認められず,同人の在留状況は,長
期間にわたって,我が国に不法に残留し,不法就労活動に従事するなど,出入
国管理行政上看過し得ないものであり,また,同人がイランに送還されたとして
も,迫害を受けるおそれや生活上格別の不都合が存在するものとも認められな
いものであるから,被告法務大臣が原告に対して在留特別許可を付与しなかっ
たことが裁量権の範囲を逸脱したものであるとは認められない。
(6) よって,本件裁決が違法であるとはいえない。
2 争点2について
(1) 本件裁決の違法を理由とする本件処分の違法の主張について
 上記1のとおり,被告法務大臣が行った本件裁決に違法があるとは認められな
いから,被告主任審査官がこれを前提として本件処分を行った点に,違法がある
と認めることはできない。
(2) 出入国管理法53条3項,難民条約33条1項違反の主張について
 上記のとおり,原告が条約難民に当たると認めることはできず,原告をイランに
送還することは,出入国管理法53条3項,難民条約33条1項に違反するものでは
なく,本件処分が送還先をイランとしていることが違法であるとは認められないか
ら,この点についての原告の主張は理由がない。
(3) 拷問等禁止条約3条1項違反の主張について
 原告がイランに送還されたとしても,迫害を受けるおそれがあるとは認められな
いことは,既に述べたとおりである。
 ちなみに,前記のとおり,イラン刑法110条は,ソドミーを行った者を死刑に処す
る場合の執行方法は,イスラム法判事の指示による旨定めているのであって,
当然に石打ち刑となるわけではないところ,新聞報道等をみても,イラン人男性
がソドミーの罪により石打ち刑に処せられたことが報道上はっきりしているのは
2件にすぎず,しかも,これらのケースでは同性間性行為だけでなく,姦通の罪に
も問われているのである(なお,弁論の全趣旨によると,イラン刑法83条は,姦通
の罪を行った者は石打ち刑に処する旨定めていることが認められる。)。
 そうだとすると,原告をイランに送還した場合に,原告が石打ち刑に処せられる
おそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠があるとは認められず,石打ち刑
が拷問等禁止条約1条1項後段の「合法的な制裁」に当たるか否かを検討するま
でもなく,本件処分は同条約3条1項に違反するものではないから,この点につい
ての原告の主張は理由がない。
(4) よって,本件処分が違法であるとはいえない。
第4 結論
以上のとおり,原告の本訴請求は,いずれも理由がないから,これらを棄却するこ
ととし,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第2部
裁判長裁判官   市   村   陽   典
裁判官   石   井       浩
裁判官   丹   羽   敦   子

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