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H16.2.23東京地方裁判所平成13年(ワ)第9642号損害賠償請求事件
主文
1 被告は,原告Aに対し,660万円及びこれに対する平成12年5月24日から支払
済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告Bに対し,330万円及びこれに対する平成12年5月24日から支払
済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被告は,原告Cに対し,330万円及びこれに対する平成12年5月24日から支払
済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 原告らのその余の請求を棄却する。
5 訴訟費用はこれを6分し,その1を被告の負担とし,その余を原告らの負担とす
る。
6 この判決は,第1項ないし第3項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 当事者の求める裁判
1 請求の趣旨
(1) 被告は,原告Aに対し,3981万0823円及びこれに対する平成12年5月24
日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 被告は,原告Bに対し,1995万5411円及びこれに対する平成12年5月24
日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(3) 被告は,原告Cに対し,1995万5411円及びこれに対する平成12年5月24
日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(4) 訴訟費用は被告の負担とする。
(5) 仮執行宣言
2 請求の趣旨に対する答弁
(1) 原告らの請求をいずれも棄却する。
(2) 訴訟費用は原告らの負担とする。
(3) 仮執行免脱宣言
第2 事案の概要
本件は,被告が開設するD大学医学部附属E病院(以下「被告病院」という。)に
おける亡Fに対する待機的経皮的冠動脈形成術(以下「PTCA」という。)について,
被告病院の担当医師らにおいて,①PTCAを施行すべきでなかったのに施行し
た,②PTCA施行についての説明義務違反がある,③PTCA施行中に手技上のミ
スにより左前下行枝に穿孔を生じさせた,④左前下行枝に穿孔が生じた時点で心
のうドレナージを行うべきであるのに怠った,⑤左冠動脈主幹部に亀裂が生じた
後,直ちにステントを挿入すべきであるのに怠った,⑥異常が生じた時点で冠動脈
造影を行うべきであるのに怠った,⑦経皮的心肺補助装置(以下「PCPS」という。)
を準備・使用すべきであるのに使用しなかった,⑧緊急の冠動脈バイパス手術(以
下「CABG」という。)の準備をしていなかったと主張して,亡Fの相続人である原告
らが,被告に対し,不法行為(使用者責任)又は診療契約の債務不履行に基づき,
損害賠償金の支払を求める事案である。
1 前提事実(証拠を掲げない事実は当事者間に争いがない。)
(1) 当事者
ア 原告等
(ア) 亡Fは,昭和15年9月3日生まれの男性であり,平成12年5月
23日,PTCA施行中の冠動脈破裂に起因する急性心筋梗塞により,被告
病院において死亡した(甲B1)。
(イ) 原告Aは,亡Fの妻であり,原告B及び原告Cは,亡Fの子であり,原告ら
以外に亡Fの相続人はいない(甲B2(以下,枝番のある書証については,
特に枝番を示さない限り,すべての枝番を含む。))。
イ 被告等
被告は,被告病院を開設する学校法人であり,G医師及びH医師(以下G
医師とH医師を合わせて「被告担当医師ら」という。)は,本件当時被告病院に
勤務し,亡Fの治療を担当した医師である。
(2) 亡Fの診療経過
亡Fは,平成元年から糖尿病の治療を受けていたが,平成11年8月下旬に
心電図異常を指摘され,同年9月9日,心電図異常の精査を受ける目的で被告
病院を受診した(甲A1・3頁,乙A1・4頁,77頁)。
亡Fは,同月21日,運動負荷タリウム心筋スペクト検査を受け,同年11月30
日に冠動脈造影(CAG)を受け,冠動脈に狭窄病変があることが判明した(甲A
1・3頁,23頁,29頁,乙A1・4頁,77頁)。
そして,亡Fは,被告病院において,平成12年2月7日(以下,年月日につい
て,特に年を示さない場合は,すべて平成12年である。)に被告病院に入院し,
翌8日,H医師の執刀による第1回目のPTCA(以下「前回PTCA」という。)を受
け,同月11日に退院した(乙A1)。
その後,亡Fは,5月15日に被告病院に入院して,同月16日に冠動脈造影を
受けた結果,同月20日に入院して同月22日にPTCAを受けることになり,同月
17日に一旦退院した(乙A2)。
亡Fは,5月19日に被告病院に入院して,被告との間で冠動脈の狭窄病変治
療についての診療契約(以下「本件診療契約」という。)を締結し,5月22日に2
回目のPTCA(以下「本件PTCA」という。)を受けた。
亡Fの被告病院における診療経過は,別紙診療経過一覧表のとおりである
(当事者の主張の相違する部分を除き,当事者間に争いがない。)。
(3) 医学専門用語
本件における医学専門用語の意味は,別紙専門用語一覧表記載のとおりで
ある。
2 争点
(1) 本件PTCAを行うべきではなかったのに行った過失・債務不履行があるか否
か。
(原告らの主張)
ア 冠動脈疾患におけるインターベンション治療の適応ガイドライン(乙B1)によ
れば,冠動脈の3枝に病変があれば,原則的にはCABGの適応であり(同10
15頁),慢性閉塞性病変で拡張成功率の極めて低いもの及び危険にさらされ
た側副血行路派生血管の病変は,PTCAは原則禁忌とされている(同1014
頁)。
イ(ア) 本件において,平成11年11月30日の血管造影検査の結果によれば,
亡Fの冠動脈3枝全部に狭窄病変がある。すなわち,右冠動脈では3番部
分(後室間枝(APD枝と4AV枝との分岐部手前))が完全に閉塞し,左冠動
脈では,左前下行枝6番で90パーセント,7-8番で99パーセント,左回旋
枝15番で90パーセントの各閉塞が見られた。
(イ) そして,前記(ア)の状態は,3本ある冠動脈の領域すべてに狭窄病変が
ある3枝病変であり,右冠動脈が完全閉塞していて,右冠動脈の末梢部分
は,左前下行枝又は左回旋枝から血液を側副血行路から受け取っている
状態であり,左前下行枝か左回旋枝の病変が完全に閉塞してしまうと,そ
こから血液の供給を受けている右冠動脈の末梢部分も同時に虚血に陥る
ことから,危険な側副血行路であるといえる。
(ウ) 平成12年2月8日の前回PTCAの時に解離が起こり,症状としては酵素
上昇,血圧低下,低酸素症,心電図変化が起こっており,これらはO2投
与,ノルアドレナリン等の投与によって回復した。
このことは,慢性閉塞性病変で拡張成功率の極めて低いとされるものに
該当する。
(エ) したがって,本件は原則的にはPTCAの適応はなく,CABGの適応であ
ると考えられる。
ウ よって,本件の場合は医師としてはPTCAを行うべきでない注意義務があ
り,PTCAを行ったこと自体に過失・債務不履行がある。
(被告の主張)
ア 冠動脈疾患に関する治療法としては,①薬物治療,②PTCA,③CABGが
挙げられる。
イ 薬物療法について
薬物治療は,非侵襲的ではあるが,直接的に血行を再建するものではない
ため,症状及びQOL(生活の質)の改善の点で劣る。
本件は,糖尿病を基礎疾患とするもので,陳旧性の心筋梗塞を合併し,無
症候性ではあるものの,負荷心電図陽性であり,原疾患(心筋虚血,狭心症)
の急性増悪又は心筋梗塞等のリスクがあり,既に,平成11年11月19日の
時点で,限界に至っており(甲A1参照),血行再建を図る必要があったことか
ら,薬物療法では不適当であった。
ウ CABGについて
平成12年5月16日の心臓カテーテル検査結果によれば,冠動脈内の石
灰化が進行しており,左回旋枝についても石灰化が極めて強く,緊急CABG
では末梢である15番部分にしか吻合できなかったこと(乙4・30頁)からも,
バイパスを繋ぐのに適した部位は存在しなかった(乙A2・11頁「5月16日」
欄)。
また,緊急CABGにおいて,左前下行枝7番にバイパスを接続しているが,
内径は1.0~1.2ミリメートルと狭小であり,バイパスによる内径拡大の効果
は小さい。
以上からすれば,亡Fには,本件PTCA施行時点において,CABGの適応
はなかったというべきである。
なお,緊急CABGにおいては,左前下行枝のほか,左回旋枝にもバイパス
を通しているが,これは,左冠動脈主幹部に血栓が生じたためであり,左回旋
枝に治療を要する病変があったためではない(右冠動脈にCABGが行われて
いないことからも,右冠動脈3番が治療対象でなかったことは明白である。)。
エ PTCAについて
(ア) PTCA,CABGの判断について,ガイドライン(乙B1)は存在するもの
の,同ガイドラインは,冠動脈疾患に対するPTCA,CABGの役割がより有
効かつ適切に行われるにはどうあるべきかとの視点から研究班班員の意
見を集約したもので,杓子定規に治療方針が決定されるものでない(乙B
1・1011頁参照)。当然,各施設における治療成績等も加味して,PTCA,
CABGの選択・決定をすることになる。
また,造影上,狭窄・閉塞等が確認された場合,それが末梢であれば,P
TCA,CABGのいずれによっても治療対象にはならず(乙B1参照),治療
の対象となる病変としてカウントしない。末梢の場合には灌流領域が極め
て小さいことから,血行再建により得られる利益よりも血行再建に伴う冠動
脈穿孔,心タンポナーデ及び血栓閉塞症等の合併症等のリスクの方が大
きいからである。
(イ) 本件において,外来診療録内の退院要約(甲A1・28頁以下)の入院時
検経過欄の記載及び平成11年11月30日の心臓カテーテル検査報告書
(甲A1・22頁)の表には,「右冠動脈『#3(total)』,左前下行枝『#6 75
%,#7~8 90%』,左回旋枝『#14 75%,#15 90%』の病変を認
め」との記載があるが,そもそも,同日の心臓カテーテル検査において,フ
イルム上,左前下行枝6番,左回旋枝14,15番部位に狭窄があったと評
価したこと自体に疑問が残る。
仮に,前記各部位に病変があったとしても,90パーセント以上の狭窄,
閉塞は極めて末梢である3番(右冠動脈の支配領域は陳旧性心筋梗塞で
ある上,閉塞した右冠動脈の末梢は良好な側副血行路を受けていた。)の
みであり,90パーセントの狭窄が認められるのも末梢の15番のみであり,
治療方針の決定に際しては,カウントする必要のないものである。
そこで,被告担当医師らは,左前下行枝(LAD)1枝のみをカウントした
のである(乙A1・22頁,23頁末尾の治療方針決定欄)。
したがって,前回PTCAのみならず,本件PTCAにおいても,治療対象は
1枝病変として,原則PTCAの適応となる。
(ウ) なお,前記ガイドライン(乙B1)において,3枝病変の場合に原則として
CABGの適応であるとしているが,その理由は,3枝病変におけるPTCA
において穿孔や破裂の合併症が高まる,あるいは,穿孔や破裂が生じた場
合に回復し難い事態に至るからではなく,PTCA後の再狭窄率(30パーセ
ント)を考慮すると,CABGによる一期的治療のメリットが,CABGによる合
併症のデメリットを上回るからである。
オ ここで,原告らは,前回PTCAにおいて解離が生じたことが,本件PTCAの
適応に影響を与えるものであると主張する。
(ア) PTCAにおいて,解離そのものを視認することはできず,冠動脈造影所
見により推測することになるが,spiraldissection(らせん状透亮像)の存在
は解離を推測する所見であり,被告としても,術中に解離を疑う所見があっ
たことは争わない。
しかし,PTCAはバルーンの拡張により狭窄している血管の拡張を図る
ものであるが,動脈硬化が進行しているケースでは固い部分が存在し,バ
ルーン拡張により簡単に押しつぶすことはできず,動脈の内膜に裂け目が
入り拡張されることになる。本件PTCAで使用されたカッティングバルーン
は,バルーンに刃を付け,動脈硬化のプラークに規則的裂け目を入れ,拡
張をスムーズにするものである。
PTCAにおいて,らせん状透亮像は,しばしば経験することであり,前記
のPTCAの手技に照らすと,本件のらせん状らせん状透亮像は,血管損傷
が生じたものと捉えるのは適切ではなく,血管内においてバルーンにより拡
張を図るPTCAの機序により生じるものであって,単なる解離を合併症に位
置づけることは疑問があり(甲B9・230頁参照),再度のPTCAの適応に
影響を与えるものではない。
なお,前回PTCAにおいては,ステントを挿入することなく,TIMI3(造影
剤は遅滞なく末梢全体へ注入)が得られており,治療目的を達していること
からも,問題となるような解離が得られなかったことは明白である。
(イ) また,解離が原因となって急性冠動脈閉塞,梗塞が起こる可能性がある
ことは医学的知見として認めるが,前回PTCAにおいて急性冠動脈閉塞,
梗塞が起こった事実はないのであって,これを前提とする原告の主張は誤
りである。
ノルアドレナリンは,一過性の血圧低下の補給治療(十分な補液と末梢
血圧抵抗の上昇を目的)の一環として投与したものである。亡Fには,一時
的な血圧低下が見られたが,その血圧低下の原因としては,①造影剤によ
る血管拡張作用,②亜硝酸薬の影響,③痛み刺激による迷走神経の反射
等が考えられる。平成12年2月8日の亡Fの術後の状態が良好であったこ
とは,夕方見舞いに訪れた原告Aと会話可能であったことからも明らかであ
る。また,心筋逸脱酵素の上昇,心電図変化,心エコーでの壁運動の異常
はいずれも軽度であり,これらをもって急性冠動脈閉塞を疑わせるような重
篤なものではない。
カ 以上のとおり,前回PTCA後の状態は,再度のPTCAの適応を否定するもの
ではない。
(2) 本件PTCA施行についての説明義務違反の有無
(原告らの主張)
ア(ア) 被告担当医師らは,亡Fに対し,PTCAの効果・副作用,前回PTCAの経
過,CABGの効果・副作用等を説明するとともに,前回PTCAにおいて,副
作用により亡Fがショック状態に陥っていること,前回PTCA施行後に再狭
窄が生じていること,CABGは再狭窄が生じた動脈と別の動脈を作る手術
であることなどを説明すべき注意義務を負っていた。
(イ) また,被告担当医師らは,PTCAは,バルーンを狭窄部に入れる手術で
あるが,バルーンにも様々な種類があり,カッティングバルーンは,刃を使
っているため,他のバルーンに比べて,この刃の使用に適切さを欠くと亀裂
や破裂が起こりやすく,かつ,起こった場合の程度が大きくなりうることにつ
いても説明すべき注意義務を負っていた。
(ウ) さらに,平成11年11月30日の血管造影検査の結果,亡Fには冠動脈
の3枝すべてに病変があった。
そして前回PTCAの時に冠解離が起こり,酵素上昇,血圧低下,低酸素
症,心電図変化が起こっている。冠解離は,PTCAの合併症の一つとされ
ており,冠解離が起こるのは10パーセントくらいと少ないが,それが原因で
急性冠動脈閉塞・梗塞が起こる可能性がある(甲B9・54頁,230頁)。
したがって,被告担当医師としては,亡Fに対し,冠動脈の3枝すべてに
病変があること,前回PTCA時にPTCAでは起こる可能性が小さい合併症
が起こったこと,PTCAよりはCABGをした方がよいことの説明をすべき注
意義務を負っていた。
イ それにもかかわらず,被告担当医師らは,前記のような説明をしなかったた
め,亡Fは,本件PTCAを受けることとしたものである。
PTCAとCABGでは,施行後の心筋梗塞の発症率に有意差がないのであ
るから,前記のような説明がなされれば,亡Fは,本件PTCAを受けずに,CA
BGの必要な時点でCABGを受けるという選択をし,死亡の結果は生じなかっ
た。
したがって,被告担当医師らには,本件PTCA施行についての説明を怠っ
た注意義務違反がある。
(被告の主張)
ア 被告担当医師らは,前回PTCA施行の前日に,亡F及び原告Aに対して,PT
CAの内容・利点,合併症として20から30パーセントの割合で再狭窄が起こ
ること,その他の合併症として,冠動脈穿孔・血栓塞栓症・心筋梗塞などが,
それぞれ1パーセント以下の確率で起こりうること,死亡頻度は0.5パーセン
ト以下であること,内科的処置で対応できない場合には開胸手術を行うことな
どについて説明した上で,PTCAの説明書を見せながら説明し,その説明書
を交付するとともに,亡F及び原告Aに同意書に署名してもらっている。
本件PTCA施行に当たっても,被告担当医師らは,亡F及び原告Cに対し
て,亡Fの再狭窄にもPTCAの適応があること,手技的には前回PTCAと同じ
であること,1パーセントの合併症の危険性があること,原告Aにもその旨伝え
てほしいこと,改めて前回PTCAの際に渡した説明書を見てほしいことなどを
説明し,亡Fに同意書に署名してもらっている。
イ また,穿孔や破裂は,すべてのデバイス(器具)に共通のものであり,その発
症率は,概ね1パーセント以下であって,デバイスによる差はない。
そして,穿孔や破裂が起こった場合,その程度は,デバイスの種類よりも,
患者の血管の状態に影響される点が大きい。カッティングバルーンについて,
特別危険なバルーンであるという医学的意見はなく,日本において認可され
ていること及び他のデバイスと同様世界中で使用されていることは,その安全
性を裏付けている。
被告担当医師らは,PTCAにより,冠動脈穿孔,心タンポナーデ,血栓塞栓
症,死亡等の合併症が起こりうること,合併症の発症確率は概ね1パーセント
以下であることについて,十分な説明を行っている。
PTCAのデバイスは,必要に応じて適宜選択されるものであって,本件でも
ローターブレーター,カッティングバルーン,パーフュージョンバルーン等の様
々なデバイスが利用されており,被告担当医師らによる合併症発生の危険性
についての説明は,カッティングバルーンも含めて総括的に行ったものであ
る。
しかも,亡Fは,前回PTCAにおいて,同様にカッティングバルーンによる治
療を受けており,その際にも,同様の説明を受けて,危険性について十分理
解していた。
したがって,被告担当医師らは,亡Fに対し,本件PTCAについての十分な
説明をしたものであり,その説明に何ら不適切な点はない。
ウ また,亡Fの状態を前提とした場合,①PTCAの適応があり,CABGに比べ
て低侵襲であること,②亡FにCABGを施行しても,適切な部位にバイパスを
繋ぐことができず,根本的な治療とはならないこと,③PTCAの手技上の成功
率は,初めてのPTCAよりも再度のPTCAの方が高く,再狭窄にはPTCAで
対応できるから,合併症として,再狭窄を過度に強調すべきでないことなどか
らすれば,1度目の再狭窄である本件においては,PTCAを選択するのが合
理的であって,身体的侵襲の大きいCABGを行わなければならない合理的理
由はない。
したがって,被告担当医師らとしては,CABGをあえて勧める必要はないの
であって,亡Fから,CABGを強く望むとの意向が示されるなどの特段の事由
がない限り,前記のような一般的な説明に加えて,CABGの方法や危険性に
ついて,ことさら詳細に説明する義務はない。
エ 亡Fは,恐がりであり,カテーテル検査自体消極的であったが,被告担当医
師らの説得により,前回PTCAを決心した。また,亡FはCABGの存在を知っ
ていた。
本件では,前記のとおりPTCAの適応がある事案であり,亡Fが恐がりな性
格であることに鑑みれば,PTCAについての具体的手技,合併症の説明のほ
か,CABGについての具体的手技,そのリスクについてまで説明する義務は
ない。
G医師は,平成12年5月17日,血管再建の方法としてCABGもあることを
説明した上で,バイパスを繋ぐところがないため,PTCAが望ましい旨を説明
したのであって,その説明に不適切な点はない。
なお,PTCAに伴う合併症につき,亡Fが理解していたことは,乙A6号証,
同7号証の説明文及びカルテに編綴されている同意書(乙A3・68頁,乙A1・
41頁,乙A13の1,2等)の存在からも明らかである。
オ 前回PTCAで副作用があり,ショック状態に陥ったという事実はなく,前回PT
CAは成功であった。本件PTCAの施行を決定する段階においては,本件の
ような合併症が発症することを予見することは不可能であったし,本件PTCA
がCABGよりも危険であるとの所見は全く存在しないのであるから,亡Fが本
件PTCAを拒絶し,CABGを選択することはあり得なかった。
(3) 本件PTCA施行中に左前下行枝中間部に大穿孔を生じさせた過失・債務不履
行があるか否か。
(原告らの主張)
本件PTCAにおいては,PTCAを施行した左前下行枝中間部(狭窄部)に大
穿孔が生じ,その結果,大出血による心タンポナーデを起こし,亡Fは死亡する
に至った。
PTCAを施行する場合,穿孔を起こす合併症があるとされており,ある程度の
穿孔はやむを得ないとしても,被告担当医師らにおいては,大量出血を起こすよ
うな大穿孔を起こさないようにすべき注意義務を負っていた。
それにもかかわらず,被告担当医師らが,本件PTCA施行中に左前下行枝中
間部に大穿孔を生じさせたため,亡Fは,大量出血による心タンポナーデを引き
起こして,死亡するに至った。
本件PTCAは,刃を使っているカッティングバルーンを使用して施行されてお
り,被告担当医師らは,カッティングバルーンを使用中に,その刃で血管を破裂
させ,大量の出血を引き起こしたものと考えられる。
したがって,被告担当医師らには,本件PTCA施行中に左前下行枝の狭窄部
に大穿孔を生じさせたという過失がある。
(被告の主張)
ア PTCAは,風船を膨らませた圧で動脈内の狭窄部分を拡張するものである
が,動脈硬化プラーク(血管内壁にコレステロールが付着したもの)は非常に
硬い部分が多く,簡単には押しつぶすことができず,ほとんどの場合,動脈の
内膜に裂け目が入って拡張される仕組みになっている。
カッティングバルーンは,バルーンに刃(ブレード)を付けることで,動脈硬
化プラークを割いて拡張をスムーズに行うことを目的として開発されたもので
ある。カッティングバルーンは,バルーンを拡張すると,刃(ブレード)が表面に
露出し,動脈硬化プラークに切開を加える構造となっており,バルーンニング
に伴う無作為な冠動脈内膜の断裂,圧排を防ぎ,規則的にカットされた部位を
中心に拡張することができる。
つまり,カッティングバルーンは,血管障害を減少させ,ひいては,慢性期
の内膜増殖を抑制し,再狭窄を防止するために開発されたものである。
冠動脈の穿孔や破裂等の合併症は,バルーンによって冠動脈を拡張する
という手技上,すべてのデバイスに共通に伴うものであって,カッティングバル
ーンに特有のものではない。
本件では,カッティングバルーン以外の他のバルーンを用いることによっ
て,穿孔が防止できたかは疑問であり,カッティングバルーンによると穿孔の
程度が大きくなるとの医学的見解もない。
穿孔や破裂は,石灰化により脆く拡張されにくくなった血管が,拡張に耐え
られない場合に発生するのであるから,デバイスの種類ではなく,患者の血
管の状態に影響されることが多い。
イ 本件PTCAは,前回PTCAの際に使用したものより内径の小さいカッティング
バルーンを使用して施行され,低圧で拡張を開始し,6回目の拡張の際,左前
下行枝中間部に血管破裂(穿孔)が生じたものであり,血管の弱い部分が圧
に耐えられずに破裂したと考えられる。
本件PTCAにおける左前下行枝中間部の穿孔は,PTCAに伴うやむを得
ない合併症の一つであり,被告担当医師らの本件PTCAの手技には不適切
な点はない。
(4) 左前下行枝中間部から大量出血を起こした後に心のうドレナージを怠った過
失・債務不履行があるか否か。
(原告らの主張)
PTCA施行中に冠動脈に大穿孔が生じ,大量出血があった場合,被告担当
医師らにおいては,直ちに心のうの穿刺・吸引により血液を抜いて,心タンポナ
ーデを防ぐべき注意義務を負っていた。
それにもかかわらず,本件PTCA施行中の午後2時20分に左前下行枝中間
部に大穿孔が生じ,大量出血が起こった後,被告担当医師らが心のうから血液
を抜くまでに,約20分経過してしまったため,亡Fは,大量出血による心タンポナ
ーデを引き起こして,死亡するに至った。
したがって,被告担当医師らには,本件PTCA施行中に大量出血が生じた
後,直ちに心のうの穿刺・吸引により血液を抜くことを怠ったという過失がある。
(被告の主張)
患部の穿孔(破裂)を確認した場合の一次的処置は止血である。
本件においても,被告担当医師らは,午後2時20分に左前下行枝中間部の
破裂が確認された後,希釈したノルアドレナリン,硫酸アトロピンの注射,補液,
酸素投与を行って全身状態の改善を図るとともに,硫酸プロタミン50ミリグラム
でヘパリンを中和し,パーフュージョンバルーンを破裂位置で低圧拡張し,止血
を図っている。
その際,被告担当医師らは,経胸壁心臓超音波検査を行い,心タンポナーデ
を確認したが,肝臓が穿刺を妨げることが判明したことから,直ちに心臓外科に
心のうドレナージを依頼し,午後2時38分には,心のうドレナージにより,血液の
排液に成功して心タンポナーデの状態を脱し,血圧も186mmHgまで回復し
た。
心のうドレナージを行う場合には,開胸手術を行う必要があるから,被告担当
医師らにおいて,血液の排液まで18分を要したことが過失とはいえない。
(5) 左冠動脈主幹部に亀裂が生じた後にステントの挿入を怠った過失・債務不履
行があるか否か。
(原告らの主張)
ア 本件PTCAにより左前下行枝中間部に大穿孔が生じた後,被告担当医師ら
が穿孔について処置をする時に,左冠動脈主幹部に亀裂が生じている。
午後2時20分ころには,心タンポナーデに対する心のうドレナージを行って
血圧が上昇したにもかかわらず,午後3時ころには,血圧が収縮期血圧66m
mHg,拡張期血圧37mmHgと再び低下している。心のうドレナージを行って
いながら,再び血圧が異常に低下しており,午後3時ころには左冠動脈主幹
部に亀裂が生じていたと考えられる。
イ 左冠動脈主幹部に亀裂が生じた場合,左前下行枝のみでなく,左回旋枝に
も血流異常が生じ,血流低下ショックを起こすことになる。また,亡Fについて
は,右冠動脈も閉塞状態にあるのであるから,被告担当医師らは,左冠動脈
主幹部の亀裂部位に直ちにステントを挿入し,血流障害を防ぐ注意義務を負
っていた。
それにもかかわらず,被告担当医師らは,左冠動脈主幹部に亀裂が発生
した午後3時ころから,約30分も経過した午後3時30分にステントを挿入した
ため,亡Fは血流障害により死亡するに至った。
したがって,被告担当医師らには,左冠動脈主幹部に亀裂が生じた後,直
ちにステントの挿入をすることを怠ったという過失がある。
(被告の主張)
ア 本件において,左冠動脈主幹部亀裂の事実はない。
午後3時ころ,血圧が66mmHg/37mmHgに低下したことについては,
様々な要因が考えられるのであって,そのことから左冠動脈主幹部に亀裂が
生じたとはいえない。
シネフィルム上,午後3時26分に血栓による閉塞が認められるまで,左冠
動脈主幹部には異常所見がないのであるから,午後3時ころに亀裂が生じて
いないことは明らかである。
イ 被告担当医師らが,左冠動脈主幹部にステントを挿入したのは,午後3時2
6分ころ,同部分に血栓閉塞が確認されたための治療である。被告担当医師
らは,午後3時30分にバルーン拡張,午後3時32分にヘパリン3000単位の
静脈注射を行うなど,血流の回復を図るための必要な措置をとった上で,午
後3時33分にステントの挿入を行っており,被告担当医師らの措置に不適切
な点はない。
(6) 左冠動脈の造影検査が遅れた過失・債務不履行があるか否か。
(原告らの主張)
本件PTCAにより午後2時20分ころ,左前下行枝中間部に大穿孔が生じた
後,心タンポナーデに対する心のうドレナージを行って血圧が上昇したにもかか
わらず,午後3時ころには血圧が66mmHg,37mmHgと再び低下している。ま
た,心室頻拍,心室細動が起こり,ショック状態に陥っている。
この状況から,午後3時ころに血圧が低下した時に,左冠動脈主幹部分が閉
塞したと推認できる。
したがって,午後3時ころの急変の時点で冠動脈の状態を掌握すべく,冠動
脈造影をすぐに行うべきであった(実際に左冠動脈の造影検査が行われたのは
午後3時28分であった。)。
午後3時の時点で冠動脈造影がすぐさま行われていたのであれば,より早い
段階で緊急CABGを行うことを決定できたのである。
このように,午後3時の時点で左冠動脈主幹部の症状も確認するために左冠
動脈の造影検査をすべきであったにもかかわらず,造影検査が遅れた注意義務
違反がある。
(被告の主張)
本件PTCAにおいて,午後3時ころに血管造影を行わなかったことに不適切な
点はない。
亡Fの血圧は,午後2時58分ころに低下したが,血圧低下の原因としては,
①心タンポナーデに陥ったことで心筋にダメージが生じたため,不整脈,心室細
動が生じたこと,②ドルミカム(麻酔薬)を用いたこと,③気管内送管に伴う一過性
の低酸素血症の影響,④出血自体による影響等が考えられ,さらに,⑤これら
が複合的に影響していたことが考えられるが,心電図モニターにおいて,STの
上昇等の心電図変化はなく,この時点で左冠動脈に血栓閉塞が生じていたこと
は否定的に解される。
そして,午後3時11分ころには,収縮期血圧は104mmHgまで回復していた
のであるから,血圧低下の原因を検索する目的で血管造影を実施する必要はな
かった。状態が安定していたからこそ,午後3時14分には前胸部を縫合し,心
のうドレナージを終えたのである。
(7) PCPSを準備・使用すべきであるのに使用しなかった過失・債務不履行がある
か否か。
(原告らの主張)
ア PCPSは,人工心肺を用いて大腿動脈より脱血した静脈血に酸素を加え,
遠心ポンプにより大腿動脈に送血することによって全身の循環を維持し,呼
吸の補助を行う補助循環法である。急性心筋梗塞による心原性ショックや心
臓破裂,電気的除細動の効果のない心室細動などに使用される。
PCPSを使用したままでも緊急CABGは施行可能であり,人工心肺を準
備・装着して開始した時点でPCPSを停止することも,経験のある心臓外科医
には何ら問題ない。
イ 亡Fは,既に右冠動脈の完全閉塞を有する3枝病変を有し,本件PTCA中に
突然左冠動脈主幹部の完全閉塞を生じたのであるから,心室細動を発症し,
生命に危険が及びかねない,まさに一刻を争う事態であったことは誰の目に
も明らかである。
このような状況にあっては,被告担当医師らとしては,左冠動脈主幹部の
閉塞を確認し,それがにわかには改善できない状況では,人工心肺,CABG
が行われるまでにPCPSを直ちに施行し,循環補助をする必要があった。
ウ また,本件PTCAは,前回PTCA後の冠動脈病変等の様子から,リスクの高
いものであったことから,被告担当医師らとしては,左冠動脈主幹部の完全閉
塞等の急変を予想すべきであり,PCPSを準備しておくべきであった。
エ このように,本件においては,午後3時ころにショック状態に陥っており,午後
3時26分には造影検査で左冠動脈主幹部の閉塞を確認したのにもかかわら
ず,被告担当医師らはPCPSを全く行っておらず,注意義務違反がある。
(被告の主張)
ア 左冠動脈主幹部に血栓を確認した後の治療としてPCPSを施行しなかった
ことに不適切な点はない。
イ 被告病院では,左冠動脈主幹部に血栓を確認した後,直ちに心臓血管外科
に準備を促すとともに,ヘパリン投与,ステントを挿入した。
冠動脈解離による急性冠閉塞であれば,ステントの挿入によりベイルアウ
トが可能である(乙B1・1013頁)が,血栓性の閉塞であれば,ステント挿入
によるベイルアウトの効果は小さいものと考えられる。しかし,緊急時におい
て,血栓性の閉塞と断定することは必ずしも適切でなく,また,外科の準備に
も時間を要することから,内科的に可能な措置を行ったのであって,血栓に対
するステントの挿入は,わずかな可能性に賭けての試行錯誤的治療行為であ
った。
本件では,血栓性の閉塞であったため,ステント挿入による治療効果は得
られなかったものの,これは結果論である。
ウ 本件では,午後3時11分に大動脈内バルーンパンピング(以下「IABP」とい
う。)を実施している。IABPは,経皮的に大動脈から下行大動脈にバルーン
を挿入し,心臓の拍動と同調させて拡張,収縮させ,心臓の働きを助ける。収
縮期血圧を低下させ,心仕事量を減少させるとともに拡張期血圧を上昇させ
て,冠灌流や末梢灌流の不全を改善させるものである。
IABPは簡便で,迅速な対応が可能であるという点で,PCPSより利点が大
きい。
そして,IABP実施後,午後3時26分に血栓を確認した後の収縮期血圧は
80~130mmHg台で推移しており(乙A3・44頁),手術室入室時の収縮期
血圧も80mmHg以上あったこと(乙A4・31頁)からも,IABP実施後,全身の
循環は維持されていたものと考えられ,PCPSの使用の必要性はなかった。
エ さらに,左主幹部に血栓性閉塞が発症した場合の治療成績は極めて不良で
あるが,本件は,血栓性の閉塞より以前に左前下行枝の破裂(穿孔)により心
タンポナーデに至っていた事案であり,その治療は一層困難であった。
冠動脈破裂の治療のため,止血用のカテーテル及びIABPの実施に両足
の血管を使用していたことから,PCPSのために利用できる血管は存在しな
かった。IABPを中止し,PCPSによるためには,純理論的には,止血あるい
はIABPのいずれかを断念せざるを得ない。左主幹部が閉塞している状態
で,IABPを中止することはできないため,現実には止血を断念することにな
る。
そして,PCPSの実施に当たっては抗凝固薬にて血液が体外で固まらない
ようにしなければならない(全身のヘパリン化)が,ヘパリンの投与は,冠動脈
破裂の治療と逆行するものである(本件では,血栓溶解の目的でヘパリンを
投与していた。)。冠動脈の破裂により,心タンポナーデを来したような本件に
おいて,PCPS挿入目的のために,ヘパリンを投与し,かつ,止血のためのバ
ルーンを除去することは,再度心タンポナーデに陥る可能性を高め,さらに救
命率の低下を来しかねない。
オ また,仮に,PCPSを実施していたとしても,救命の可能性は極めて低かっ
た。
待機的PTCAにおいて,緊急CABGに至った場合,死亡率が高く(PTCA
全体で治療後11パーセント,ロータブレーターで29パーセント),救命しても
広範囲心筋梗塞を引き起こすことが多いとされている(乙B1・1013頁)。
本件では,冠動脈破裂,左冠動脈主幹部の閉塞が立て続けに起こってお
り,主幹部閉塞後の救命は,ほぼ不可能であったといえる。被告病院におけ
る治療は,そのような状態の中で,わずかな可能性を模索してのものである。
仮に,PCPSを実施していたとしても,治療成績を左右する程の効果は期待
できなかった。
また,前記のとおり,本件では止血と補助循環を同時に実施しなければな
らない事態となっていたのであり,補助循環のみを重視し,止血を断念するこ
とは,出血による心タンポナーデ,ショックに至る危険が高かった。
そして,本件では,CABG後においても心機能は回復しておらず,人工心
肺を離脱することなく,翌日に死亡している。PCPSにより全身循環を維持し
たとしても,そのことが直接的に心機能を改善するものでない以上,やはり同
様の顛末となった可能性が高いのである。
このように,本件では,PCPSの実施が,単純にIABPに優るとはいえない
のである。
(8) 緊急CABGの準備を怠った過失・債務不履行があるか否か。
(原告らの主張)
ア 前回PTCAについて
前回PTCAにおいては,術中に血管障害が生じて血圧が低下したため,ノ
ルアドレナリンが投与されている(乙A1・13頁)。なお,手術記録(乙A1・42
頁,43頁)には,左前下行枝(#8部分)にdissection(離断)との記載があり,
血管に障害が生じたことを示している。
また,前回PTCA後の午後1時20分ころ,集中治療室において,血圧が5
0mmHg台に低下し,ノルアドレナリンが投与され,血圧が徐々に上昇してい
る(乙A1・78頁)。血液ガス分析においても,PaO2(動脈血酸素分圧)が4
6.8であり,亡Fは低酸素症によるショック状態にあったと考えられる(乙A1・
78頁)。
したがって,亡Fは,前回PTCA施行中に血管障害が生じるとともに,術後
にショック状態に陥ったものである。
イ 本件PTCAについて
亡Fは,前回PTCA施行後にショックを起こしており,また,前回PTCAの約
3か月後に再狭窄が生じ,3本の冠動脈のうち1本は既に閉塞して機能してい
なかったのであるから,PTCAを受ける他の患者と異なり,PTCAにより冠動
脈の破裂が生じた場合,急性心筋梗塞を起こす可能性が極めて高かった。
したがって,被告担当医師らは,本件PTCAを施行する場合には,心臓外
科医を立ち会わせるか,若しくは本件PTCA施行後問題が起こり次第,直ち
にCABGを行うことができる準備をするべき注意義務を負っていた。
本件においては,被告担当医師らにおいて,左前下行枝中間部において
動脈の破裂が生じた午後2時20分ころの段階でCABGの準備を開始し,左
冠動脈主幹部の亀裂に対してステントの挿入を行っても治療ができない段階
でCABGを行うべきであった。
それにもかかわらず,被告担当医師らは,緊急のCABGを準備していなか
ったため,亡Fは,急性心筋梗塞が悪化し,死亡するに至ったものである。
したがって,被告担当医師らには,本件PTCA施行に当たって緊急のCAB
Gの準備を怠ったという注意義務違反がある。
(被告の主張)
ア 前回PTCAについて
(ア) 前回PTCA施行中に血圧が低下しているが,これはPTCAを施
行する際,しばしば生じることである,血管障害によるものではない。希釈し
て用いたノルアドレナリンについても,血圧を維持し,術後冠動脈血流を維
持するために日常的に用いられているものである。
また,前回PTCA施行中,左前下行枝(#8部分)にらせん状の透亮像
が確認されているが,これは,前記のようなカッテイングバルーンの特徴に
より,カッティングバルーンによる血管拡張の際に頻繁に認められる所見で
あって,血管障害を意味するものではない。
(イ) 前回PTCA施行後の午後1時30分ころ,一時的に血圧が50mmHg台
まで低下し,PaO2も低下しているが,血圧は速やかに回復しており,PaO
2も遅くとも午後2時までには104.6へと回復しているので,全身的な組織
血液灌流低下によって,組織が低酸素状態に陥り,細胞代謝が障害された
状態には至っておらず,亡Fはショック状態に陥っていない。
本件では,迷走神経反射による血液低下が起こったにすぎず,ノルアド
レナリンは一過性の血圧低下の補給治療(十分な補液と末梢血管抵抗を
上げる。)の一環として投与されたものである。
イ 本件PTCAについて
(ア) PTCAの施設基準としては,①循環器科の経験を5年以上有する医
師が1名以上勤務していること,②当該医療機関が心臓外科を標榜してお
り,心臓血管外科の経験を5年以上有する医師が常勤していることが要求
される(乙B1)が,被告病院はこれらの基準を満たしている。
PTCAが安全確実な治療手段として確立した(強制バルーンカテーテ
ル,ステントによる急性冠動脈閉塞からのベイルアウトが可能になった。)こ
とにより,心臓外科医によるバックアップは,必要に応じて準備するもので
足りることになっており,PTCA施行時に常に外科的手術の準備を整えて
おくことまでは,医療水準となっていない。
心臓外科医のスタンバイが問題となるのは,悪性腫瘍,脳血管障害,肺
疾患その他のCABGのハイリスク症例,不適当症例にやむを得ずPTCAを
施行せざるを得ない場合に限られ,本件はそのような場合に該当しない。
また,本件のようなPTCAの適応がある症例については,合併症が生
じ,外科的処置が必要となった場合に,心臓外科と密接な連携がとれるよ
うな状態にあれば,PTCAを実施することに何ら問題はない。
被告病院は,常に心臓外科との連携が可能な病院であり,本件におい
ても,心のう腔に血液貯留が確認された後,心臓外科との連携が保たれて
いる。
(イ) 亡Fが,前回PTCAの際にショック状態となった事実はなく,初回より2回
目以降のPTCAの方が,本件のような合併症発症の危険は低下するもの
である。
また,右冠動脈は遠位部が完全閉塞していたものであって,この点は,
心臓外科医のスタンバイの判断についての重要な要素とはならない。
さらに,冠動脈破裂の場合には,バルーンによる止血が可能であるの
で,直ちにCABGの適応になるのではなく,心タンポナーデに至った場合に
も,経皮的穿刺や心のうドレナージによる血液の排液により対応することが
できる。
本件において,被告担当医師らは,午後2時20分に左前下行枝中間部
の破裂が確認された後,希釈したノルアドレナリン,硫酸アトロピンの注射,
補液,酸素投与を行って全身状態の改善を図るとともに,硫酸プロタミン5
0ミリグラムでヘパリンを中和し,パーフュージョンバルーンを破裂位置で低
圧拡張し,止血を図っている。
その際,被告担当医師らは,経胸壁心臓超音波検査を行って,心のう腔
への血液貯留を確認するとともに,心タンポナーデと診断して,直ちに心臓
外科に心のうドレナージを依頼した。そして,午後2時38分には,心のうド
レナージにより,血液の排液に成功するとともに,その後も,心臓外科医と
の連携のもと,必要な措置を行っている。
(ウ) 本件では,左前下行枝中間部が破裂した午後2時20分において,とる
べき処置は止血であって,CABGではない。止血は,パーフュージョンバル
ーンにより,内科的に実施可能であり,この時点で外科的処置は必要なく,
ましてやCABGの準備を開始することはあり得ない。
左前下行枝中間部の破裂後,心のう腔への血液貯留が確認されている
が,これに対してとるべき措置は,心のうに貯留した血液の排液である。経
皮的穿刺も考えられるが,肝臓損傷の危険性もあるため,外科的処置であ
る心のうドレナージを依頼した処置に誤りはなく,心のうドレナージにより,
午後2時38分には排液に成功し,血圧も回復している。
そして,心のうドレナージにより心機能が保たれているので,破裂部位の
止血を終えた後,前胸部の縫合により治療を終えることになり,この段階で
もCABGの準備の必要はない。
本件では,午後3時26分に左冠動脈主幹部に血栓閉塞が確認されたた
め,ステント挿入,緊急CABGに移行したものであって,同部分に血栓が確
認される以前にCABGの準備を行うことは,医学的に必要ない準備を行う
ものである。
(エ) 被告病院は,PTCAの施設基準を満たした施設であって,緊急事態
が発生した場合も心臓外科医による迅速な対応が可能であり,本件におい
ても適切な対応をしているものであるから,被告担当医師らには,本件PT
CA施行に当たって緊急のCABGの準備を怠ったとはいえない。
(9) 損害
(原告らの主張)
ア 亡Fの損害
(ア) 逸失利益  3062万1647円
亡Fは,死亡当時59歳であり,平成11年の年間所得は526万6700円
であった。生活費控除率を3割として,70歳までの11年間の逸失利益を計
算すると,526万6700円×(1-0.3)×8.306(11年間のライプニッツ
係数)=3062万1647円となる。
(イ) 慰謝料    3000万円
イ 原告ら固有の損害
(ア) 慰謝料
原告Aは,最愛の夫との死別を余儀なくされ,その慰謝料は600万円を
下らない。
原告B及び原告Cは,父を失った悲しみを強いられ,その慰謝料は各30
0万円を下らない。
(イ) 弁護士費用
原告らが本件訴訟の提起・追行のために要する弁護士費用としては,原
告Aについて350万円,原告B及び原告Cについて各180万円が相当で
ある。
ウ まとめ
亡Fの死亡により,原告らは,原告Aについて3031万0823円,原告B及
び原告Cについて各1515万5411円の法定相続分により,亡Fの損害賠償
請求権を相続した。
したがって,原告らは,被告に対し,不法行為(使用者責任)又は本件診療
契約の債務不履行に基づき,原告Aについては3981万0823円,原告B及
び原告Cについては各1995万5411円並びに各金員に対する亡Fの死亡の
日の翌日である平成12年5月24日から支払済みまで民法所定の年5分の
割合による遅延損害金の支払を求める。
(被告の主張)
原告らの主張は争う。
第3 争点に対する判断
1 争点(1)(本件PTCAを行うべきではなかったのに行った過失・債務不履行がある
か否か)及び争点(2)(本件PTCA施行についての説明義務違反の有無)について
原告らは,①亡Fの症状には,PTCAの適応がなかったのに被告担当医  師ら
は本件PTCAを実施した,②仮に適応があっても被告担当医師らには説  明義務違反
があったとして,被告に不法行為(使用者責任)が成立する旨主張  し,被告はこれを
争っている。適応の有無の問題と説明義務違反の有無の問題  (治療内容を十分理
解して同意したか否かの問題)は密接に関連するので,こ  の2つの争点について,併
せて検討することとする(原告らは不法行為と債務  不履行を選択的に主張している
ので,まず,不法行為について検討する。)。  (1) 適応と同意の関係について
ア 一般に,ある症状に対して,ある治療行為の適応が問題となる場合,その当
時の医療水準を前提に,当該治療行為に伴う生命・身体に対する危険性(危
険の発生する頻度を含む)と当該症状の状態(生命・身体に対する危険性の
程度,治療の必要性・緊急性の程度を含む)及びこれに対する当該治療行為
の効果を総合考慮し,当該症状に治療の必要性が認められ,当該治療方法
が,当該症状に対する一定の治療効果(効果の内容,治療を受けた患者のう
ち効果のあった患者の割合等を含む)を期待できるものであり,当該治療行
為に医療行為として期待される安全性が確保されているとき(当該治療行為
に伴う生命・身体に対する危険性が,その治療効果に比して不相応に大きい
ものでないとき)は,適応があると解することができる(以下,このような意味で
の適応を「一般的適応」という。)。
イ そして,ある症状に対して,一般的適応のある治療行為が行われた場合は,
原則として,正当な医療行為と認められ,違法性を有しない(他人の身体に対
して侵襲を加えることの違法性が阻却される。)が,一般的適応のない治療行
為が行われた場合(当該症状が治療行為の必要のないものであったり,当該
治療行為が当該症状に対しては治療効果を期待できないものであったり,治
療効果に比して不相応に大きな危険を伴うものであったような場合)は,原則
として,その治療行為は違法性を有するものと解される。もっとも,一般的適
応のある治療行為であっても,患者の意識がないなど,患者の同意を得るこ
とができないような状況にない限り,患者の自己決定権に基づく同意は必要
であり,患者の同意がない場合は,原則として,その治療行為は違法性を有
するものと解される。
ウ 一般的適応については,一応,以上のように解することができるとしても,具
体的な治療の場面では,当該治療行為を行う医療従事者の能力(知識・経
験,技術を含む)の問題,当該治療行為に必要な医療設備ないし医療環境
(助力を求めることができる他の医療従事者の有無等)の問題等,他の要因
も加わって当該治療を実施することの適法性が判断されることになり,一般的
適応があっても,知識・経験,技術等の点から当該医療従事者あるいは当該
医療機関が当該治療行為を行うことは許されない場合もありうるし,一般的適
応に欠けるところがあっても,患者の同意があれば,当該治療行為を行うこと
が許される場合もありうる。例えば,医療技術の進歩の著しい分野において
は,一般的適応があるとはいえないが,一定の能力を有する医療従事者が,
患者の同意を得て,一定の医療設備及び医療環境のもとで実施する場合に
は,一定の治療効果が期待できるので,当該治療行為が許されるという場合
もありうるし,当該治療の実施例が少なく,当該治療行為の危険性について
も,治療効果についても十分に検証されているとはいえないが,そのことを十
分に患者が理解し,当該治療行為の実施を患者が望めばこれを実施すること
も許されるという場合もありえよう。
エ 一般的適応に欠けるところがあっても,患者の同意によって当該治療行為を
行うことが許される場合について,これを患者の同意があれば当該治療行為
の適応があるというのか,適応はないが,患者の同意によって治療行為とし
ての正当性が認められるというのかは,表現の違いにすぎず,法的には,い
ずれにしても,患者の同意があってはじめて当該治療行為が正当な医療行為
として認められるものと解される。そして,この場合の患者の同意は,一般的
適応がある場合の同意と連続性を有するものではあるが,一般的適応のある
治療行為が,それ自体で,原則として正当な医療行為と認められるのに対し
て,一般的適応に欠ける治療行為は,患者の同意があってはじめて治療行為
としての正当性が認められるという意味で,より重い意義を有するものという
べきである。
オ このように,違法性の有無,軽重の観点から考えると,治療行為の適応の問
題は,当該治療行為に対する患者の同意の問題と切り離すことはできない。
そして,当該治療行為について,その内容を十分理解した上でその実施に患
者が同意したかどうか,すなわち,当該同意が,患者の自己決定権の行使と
しての同意,あるいは,一般的適応に欠ける治療行為について正当性を与え
るための同意として有効なものといえるかどうかは,患者が同意するか否かを
合理的に判断できるだけの情報が医療従事者から患者に対して与えられた
かどうか,すなわち,説明義務が尽くされたかどうかにかかることになる。本件
においても,本件PTCAの適応の有無の問題と説明義務違反の有無の問題
が,密接に関連する問題として争われており,鑑定人間でもこの点を巡って議
論がなされている(鑑定人I,同J,同K)。そこで,以下の検討では,本件PTC
Aの一般的適応の有無について検討するとともに,亡Fの同意の有効性,す
なわち,被告担当医師らの説明が十分であったか否か(説明義務違反の有
無)についても併せて検討し,本件PTCA実施についての違法性の有無,軽
重,ひいては不法行為の成否を判断することとする。
(2) PTCAの一般的適応について
PTCAの一般的適応について述べた文献は種々存在する(甲B9からB11ま
で,乙B1)が,いずれの文献も1993年(平成5年)にアメリカ合衆国において作
成されたACC/AHAのPTCAガイドライン(以下「ACC/AHAガイドライン」とい
う。)をもとにしたものであり,同ガイドラインが一応の基準になりうる。もっとも,P
TCAについては器具や技術の進歩によって状況が変化しており,本件PTCA当
時のわが国において,ACC/AHAガイドラインがそのまま当てはまるとはいえ
ない(甲B11,乙B1)。
本件においては,「冠動脈疾患におけるインターベンション治療の適応ガイド
ライン(冠動脈バイパス術の適応を含む)-待機的インターベンション-」(乙B
1。以下「本件適応ガイドライン」という。)が提出されており,同ガイドラインは,
日本循環器学会,日本医学放射線学会,日本冠疾患学会,日本胸部外科学
会,日本血管内治療学会,日本心血管インターベンション学会,日本心臓血管
外科学会及び日本心臓病学会が参加した合同研究班によって,日本国内及び
海外の診断,治療評価の情報をもとに,冠動脈疾患に対する薬物療法,PTC
A,CABGの役割がより有効かつ適切に行われるにはどうあるべきかとの視点
から研究班班員の意見を集約する形で1998(平成10)-1999(平成11)年
度の報告として発表されたものであり(乙B1),本件で提出されている他の文献
(甲B9からB11まで)の内容を概ね含んでおり,本件当時,本件適応ガイドライ
ンの内容が一般化していたものと考えられる。
そこで,以下,本件適応ガイドラインを基準として,他の文献(甲B9からB11
まで)等と併せて本件PTCAの一般的適応の有無を検討する。
ア 適応決定に必要な項目
負荷心電図や負荷心筋シンチグラフィ等によって一過性・可逆性の心筋虚
血が証明され,冠動脈造影等によって病変部位,病変形態(狭窄度,狭窄
長,偏在性等),病変末梢の支配領域の大きさといった冠動脈病変の評価を
して,適応を決定することとなる。
イ 狭窄度,病変形態について
狭窄度との関係では,有意狭窄(何パーセント以上の狭窄が有意であるか
は必ずしも一致した見解はない。)があり,その灌流域に心筋虚血が証明され
ている場合は適応となりうるとされており,具体的には,
(ア) 実測50~75パーセント狭窄で心筋虚血のサインが認められない場合,
一般的にはPTCAの適応はない
(イ) 実測75パーセント以上の狭窄で心筋虚血のサインが認められない場合
はPTCAの適応がないが,心筋梗塞の既往,家族歴,職業,年齢を考慮に
入れ,さらに,狭窄病変の進行しているもの,近位部,入口部などの主要部
分ではPTCAの適応となる
とされている。
病変形態との関係では,デバイスの改善,新しいデバイスの登場により,
ほとんどの狭窄病変に対してPTCAを行いうるようになってきている。ただし,
長いびまん性の病変,石灰化の強い病変,慢性完全閉塞性病変について
は,PTCAの適応となりうるが,初期成功が得られても再狭窄率が高く,再PT
CA又はCABGが必要になる確率が高いことから,PTCAを行うかどうかにつ
いては考慮が必要である。
ウ 罹患枝数について
本件適応ガイドラインにおいては,AHA分類90パーセント以上の狭窄の
有無によって罹患枝数を検討するとされている。
(ア) 1枝病変の場合
PTCAの適応があるが,左前下行枝近位部病変では病変部位,形態に
よりPTCAに適していなければCABGも考慮するとされている。
(イ) 2枝病変で,左前下行枝近位部病変を含まない場合
病変部位,形態が適していればPTCAの適応があるとされる。
(ウ) 3枝病変の場合
原則的にはPTCAの適応はなく,CABGの適応とされる。
(エ) 左主幹部に病変がある場合
原則的にはPTCAの適応はなく,CABGの適応とされる。
エ PTCAの禁忌
もっとも,以下の場合には,悪性腫瘍,脳血管障害,肺疾患,肝不全,高齢
者などのCABGハイリスク症例・不適当症例において,血管再建術が必要と
判断されたとき以外,禁忌であるとされている。
(ア) 保護されていない左冠動脈主幹部の病変
(イ) 3枝障害で2枝の近位部閉塞
(ウ) 血液凝固異常
(エ) 静脈グラフトのびまん性病変
(オ) 慢性閉塞性病変で拡張成功率の極めて低いと予想されるもの
(カ) 危険にさらされた側副血行路派生血管の病変(他枝に側副血行を出して
いる血管に有意狭窄が生じた場合)
なお,本件PTCA実施以降である平成12年9月に発行された甲B11号証
では,①左前下行枝起始部,左回旋枝起始部の病変,②危険にさらされた側
副血行路派生血管の病変等については,PTCAは危険性が高くCABGの方
が安全と考えられる例として挙げているが,禁忌とまではしていない。しかし,
②の場合には,PTCAに失敗すると広範な心筋梗塞となり,生命の危険性が
あるので,必ず側副血行を受けている血管の狭窄に対してPTCAを行い,次
いで側副血行を出している血管の狭窄解除を試みるべきであり,側副血行を
受けている血管のPTCAが不成功ないし困難な場合にはCABGを行うべきで
あるとしている。
オ CABG(待機的CABG)の適応について
冠動脈造影上75パーセント以上の狭窄があり,その灌流域の心筋虚血に
対し手術効果が大きく,手術の危険性が小さい場合にCABGの適応がある。
適応決定に当たっては,冠動脈造影による狭窄度,形態評価及び心筋虚
血の証明が必要となる。
そして,罹患枝数に関しては,以下のとおりとされている。
(ア) 1枝病変の場合
左前下行枝近位部に病変がある場合,PTCAが困難な病変形態の場
合,PTCA不成功例について,CABGの適応がある。
(イ) 2枝病変の場合
左前下行枝近位部の病変を含む場合,左前下行枝近位部がPTCA困
難な病変形態の場合(特に慢性閉塞性病変),危険にさらされた危険側副
血行路の場合にCABGの適応がある。
(ウ) 3枝病変の場合
原則的にはCABGの適応がある。
(エ) 左主幹部に病変がある場合
原則的にはCABGの適応がある。
(オ) PTCA後の再狭窄を繰り返すものについてもCABGの適応がある。
(3) 亡Fの心臓の状態
ア 平成11年9月9日
心電図検査の結果,右冠動脈末梢部分で陳旧性心筋梗塞を窺わせる所
見が認められた(甲A1・5頁から10頁まで,13頁,15頁,鑑定人I,同J,同
K)。
イ 平成11年9月21日
運動負荷タリウム心筋スペクト(負荷心筋シンチグラフィ)検査により,心臓
下壁に固定欠損が認められることから,同部心筋に梗塞を起こしたものと判
断でき,同部位を灌流している右冠動脈末梢部分に病変があると考えられ
た。また,心尖部及び前壁中隔の心尖部側に再分布が認められ,左前下行
枝の領域の虚血があると判断された。(甲A1・16頁,鑑定人I,同J,同K)
同日のマッピング心電図検査の結果,右冠動脈領域障害による後下壁の
心筋梗塞があると診断された(甲A1・19頁,20頁)。
ウ 平成11年11月30日
冠動脈造影の結果,右冠動脈3番に100パーセント狭窄,左前下行枝6番
に75パーセント狭窄,同7番及び8番に90パーセントのびまん性の狭窄,左
回旋枝14番に75パーセント狭窄,同15番に75パーセント程度と考えられる
狭窄が認められた(甲A1・23頁,乙A17,鑑定人I,同J,同K)。左回旋枝に
は末梢にもう1か所(合計3か所)狭窄が認められた(乙A17,鑑定人I,同J,
同K)。
左室造影の結果,右冠動脈4番部分は軽度の壁運動の低下を認めるが,
十分な壁運動は保たれ,心筋の活動性はよいと判断され,前下行枝の中隔
枝領域の中隔側と後壁及び左回旋枝領域の下壁も心筋の壁運動は保たれ
ており,駆出率(左心室内の血液が1回の収縮で大動脈に駆出された割合で
正常値は65ないし70パーセント以上である(鑑定人I,同J,同K)。)も73パ
ーセントと正常範囲であり,全周性に壁運動は保たれていると判断される(甲
A1・23頁,乙A17-2,鑑定人I,同J,同K)。このことから,平成11年9月
の心電図検査及び運動負荷タリウム心筋スペクトの結果,右冠動脈末梢部
分(左心室下壁部分)で陳旧性心筋梗塞があると診断されるものの,心筋が
残存すると判断できる(鑑定人I,同J,同K)。
そして,右冠動脈末梢部分(左心室下壁部分)には,左前下行枝から中隔
枝を介して,及び,左回旋枝から,それぞれ側副血行が来ており,右冠動脈
閉塞部(3番)手前からも閉塞部前後を架橋する側副血行(ブリッジングコラテ
ラール)が来ている(乙A17,鑑定人I,同J,同K)が,左前下行枝から中隔枝
を介して右冠動脈末梢部へ至る側副血行が非常に多く,右冠動脈末梢部は
主として左前下行枝から血流を受けているものと判断される(乙A17,鑑定人
I,同K)。
エ 2月8日
平成11年11月の時点よりも,右冠動脈末梢部分の血流量が増えたことが
認められ,左回旋枝からの側副血行が増えた可能性があるが,左前下行枝
の中隔枝を介した側副血行も増えており,なお左前下行枝からの側副血行が
右冠動脈末梢部分への側副血行の中で最も多い(乙18-1,鑑定人I,同J,
同K)。
前回PTCAが行われ,左前下行枝6番の75パーセント狭窄が25パーセン
トに,同7番及び8番の90パーセント狭窄が25パーセントに改善したことが認
められる(診療経過一覧表,乙A1・11頁,77頁,
A18-2,3)。
オ 5月16日
冠動脈検査の結果,右冠動脈3番の100パーセント狭窄,左回旋枝の15
番の75パーセント狭窄を含む3か所の狭窄のほか,前回PTCAを行った左前
下行枝6番から8,9番くらいのところまで,血流の遅延を伴う程度の高度狭窄
(99パーセント狭窄)が認められた(乙A2・26頁,A19,鑑定人I,同J,同
K)。
左心室造影の結果,平成11年11月と比較すると,前下行枝の高度狭窄
のために左心室前壁から心尖部の壁運動が大幅に低下し,駆出率も61パー
セントであり,下壁の部分の壁運動の低下も認められた(乙A2・26頁,A1
9,鑑定人I,同J,同K)。左前下行枝から中隔枝を介しての右冠動脈末梢部
への側副血行は5月16日時点でも認められるが,多少の遅延を伴い,2月段
階よりも減っており,右冠動脈閉塞部手前から右冠動脈末梢部への側副血行
が以前よりもはっきりしていることから,左前下行枝からの側副血行が減少し
たために下壁の部分の壁運動の低下につながっていると考えられる(乙A1
9,鑑定人I,同J,同K)。左前下行枝の狭窄部以下は,右冠動脈閉塞部手前
からの側副血行又は左回旋枝からの側副血行から血流を受けている可能性
がある(乙A2・26頁,A11,A19,鑑定人I,同J,同K)。
(4) 本件PTCAの適応について
ア 心筋虚血の存在
本件においては,運動負荷タリウム心筋スペクト検査により,左前下行枝
領域に虚血が存在することが判明している。
左回旋枝領域については,運動負荷タリウム心筋スペクト検査では異常は
認められておらず,壁運動も考慮すると,虚血はないものと認められる(鑑定
人I,同J,同K)。
また,右冠動脈末梢部については,陳旧性心筋梗塞が認められ,既に心筋
が壊死している部分があると考えられるが,残存心筋があり,側副血行によっ
て活動性が維持されていることから,残存心筋が虚血に陥っているとはいえ
ないと考えられる。
イ 罹患枝数
平成11年11月,平成12年2月(前回PTCA施行前),同年5月(本件PTC
A施行前)のいずれの段階においても,左前下行枝,左回旋枝及び右冠動脈
のいずれにも狭窄が認められる。
しかし,左回旋枝の狭窄については,3か所の狭窄の中では15番が最も
有意な病変であり,75パーセント程度と考えられる狭窄がある(被告病院に
おいては,90パーセントと判断されており(甲A1・23頁,29頁),判断が分か
れうるところであるが,90パーセントにまでは達していなかったものと解される
(鑑定人I,同J,同K)。)が,比較的末梢の病変であり,AHA分類の90パー
セントを基準とすると有意な病変とはいえず,それほど危険な病変とまでは認
められず,2枝病変にとどまると認められる(鑑定人I,同J,同K)。
なお,被告は,右冠動脈3番は治療の対象にならないから,罹患枝数として
考慮する必要がないと主張し,G医師及びH医師も同様の供述をする(証人
G,同H)が,右冠動脈末梢部には心筋が残存し,側副血行によって下壁の壁
運動が保たれ,心筋活動が維持されている以上,治療の対象外であるとは認
められない(甲B11,鑑定人K)。
ウ 病変部位・形態
2枝病変で,左前下行枝近位部に病変がある場合には,原則CABGを行う
べきこととなり,PTCAの適応はないとされている(甲B9,B11,乙B1,鑑定
人I,同J,同K)。
本件の場合,前回PTCA時点及び本件PTCA時点において,左前下行枝7
番(前回PTCA時点では90パーセント狭窄,本件PTCA時点では99パーセ
ント狭窄であった。)を中心に,その前後の部位に狭窄を起こしているが,左
前下行枝7番は中間部であり,近位部とはいえない(鑑定人I,同J,同K)か
ら,直ちにPTCAを行うべきではなかったということにはならない。
もっとも,本件PTCA当時,左前下行枝近位部にも,有意であるかはともか
く,相当程度の狭窄があったと認められ(乙A2・26頁,A19,鑑定人I,同J,
同K),左前下行枝6番付近から8番にまで及ぶ長いびまん性の病変で,成功
率が低く合併症の危険が高い病変形態であると考えられること(ACC/AHA
ガイドラインでいうタイプC病変(甲B9,乙A2・11頁))から,PTCA中に合併
症が生じた場合に影響を受ける領域が広くなると考えられ,その危険性につ
いて考慮を要するものであったと認められる。
エ 側副血行
右冠動脈末梢部は,左前下行枝,左回旋枝及び右冠動脈閉塞部手前から
それぞれ側副血行を受けており,それらの側副血行によって下壁の壁運動が
保たれ,心筋の活動性が維持されていたが,側副血行のうち,主たるものは
左前下行枝からの側副血行であり,しかも,左前下行枝からの側副血行は,
平成11年11月段階から前回PTCAの間に増えていたのであるから,前回P
TCA時点において,左前下行枝からの側副血行は右冠動脈末梢部の残存心
筋にとって重要であったと認められる(鑑定人I,同J,同K)。このことは,前回
PTCA以降本件PTCA以前の間に,右冠動脈閉塞部手前から右冠動脈末梢
部への側副血行が発達したにもかかわらず,左前下行枝中間部に高度狭窄
を生じて左前下行枝からの側副血行が減少したために,下壁の壁運動が低
下し,心筋の活動性が低下していることからも裏付けられる。また,左前下行
枝からの側副血行は減少したものの,本件PTCA時点においても,この側副
血行が右冠動脈末梢部の残存心筋にとってなお重要であったものと認められ
る(鑑定人I,同K)。
したがって,前回PTCAにおいて,左前下行枝に対するPTCAが失敗した
場合,左前下行枝領域のみならず,右冠動脈末梢部領域の心筋に虚血が生
じる可能性があり,その可能性は本件PTCAにおいてもなお認められるし,本
件PTCAでトラブルがあった時に上行性・中枢側に解離が起こり,左前下行枝
から右冠動脈への側副血行に影響が出ることは否定できなかった(鑑定人I,
同J,同K)のであるから,前回PTCA時点においても,本件PTCA時点におい
ても,左前下行枝は,危険な側副血行路を派生する血管の範疇に入るものと
認められる(鑑定人I,同K)。
そうすると,本件適応ガイドラインに従うと,本件PTCAは,原則禁忌に該
当するものであったということになる。また,さきに認定した本件PTCA実施後
に発行された甲B11号証の記載に従えば,本件PTCAを実施するのであれ
ば,まず,右冠動脈3番の狭窄に対してPTCAを行ってはじめて本件PTCAを
行うことが許されるものであったことになる。
オ 再狭窄の可能性
PTCAを行った場合,一般的に30,40パーセントで再狭窄が生じるとされ
ている(甲B10,乙B1,鑑定人I)が,本件PTCAの場合,前回PTCA後に短
期間で左前下行枝にかなり強い再狭窄を起こしていることや,亡Fが糖尿病
に罹患していたことからすれば,本件PTCAが成功したとしても,再度狭窄す
る危険性は通常よりも高いことが予想された(鑑定人I,同J,同K)。
カ CABGの適応
前記のように,亡Fの症状は2枝病変で,本件PTCA当時,左前下行枝近
位部に相当程度の病変が存在した事情があり,危険な側副血行路を派生す
る血管に病変がある症例であるから,CABGの適応があるものと認められる
(甲A2(L医師の意見書(以下「L意見書」という。)),鑑定人I,同J,同K)。
CABGを実施する場合,前下行枝3か所,右冠動脈末梢1か所のほか,場
合によっては左回旋枝3か所もバイパスすることになり,バイパス部位や数の
点から手技的にも難度は高くなり,心機能が低下していることから,2,3パー
セントの合併症の危険があると考えられる(鑑定人I,同J,同K)。
しかし,本件PTCAを実施する場合の危険性を考慮した場合,本件では結
果的には緊急CABGで内径の小さい末梢にしかバイパスできなかった(乙A
2・11頁,A5・30頁)が,予定手術(待機的CABG)であれば,前記箇所をバ
イパスすることは可能であり(L意見書,鑑定人I,同J,同K),左前下行枝か
らの側副血行が多かった前回PTCA当時はもとより,本件PTCA当時におい
ても,むしろCABGの方が危険性は低かったと認められる(鑑定人I,同J,同
K)。
キ 本件PTCAの適応
(ア) 以上のとおり,本件適応ガイドラインに従うと,本件PTCAは(前回PTC
Aも),危険にさらされた側副血行路派生血管の病変に対するもので,原則
禁忌に該当するものであったということになるし,甲B11号証の記載に従え
ば,本件PTCAを実施するのであれば,まず,右冠動脈3番の狭窄に対し
てPTCAを行ってはじめて本件PTCAを行うことが許されるものであったと
いうことになるので,特段の事情がない限り,本件PTCAは一般的適応を
欠くものであったというべきである。
(イ) そこで,特段の事情について検討すると,PTCAについては,新しい器具
の開発や技術の向上が早く(甲B9からB11まで,本件適応ガイドライン),
従来の一般的適応の有無の判断基準が常に妥当するわけではなく,本件
PTCA当時も,PTCAの適応の拡大の可能性が模索されていた時期である
(鑑定人K)し,一般に,被告病院のように高度先進医療を担うべき施設に
おいては,その施設の性格上,従来適応がないとされていた症例について
も,積極的にPTCAを試みることが期待されている場合があることも認めら
れなければならない。そして,右冠動脈への側副血行は,前記のとおり,左
前下行枝以外からも出ており,その量は前回PTCA時よりも増えていたこと
も考慮されなければならない。
(ウ) しかし,(イ)の事情を考慮してみても,本件PTCAは,その効果におい
て,再狭窄の可能性が高いという問題があり,その危険性において,CAB
Gよりもむしろ危険性が高いという問題があって,PTCAを実施可能な医療
機関であれば,どの医療機関であってもその実施が許されるというもので
はなく(鑑定人K),被告病院のように,その実績や担当医師の能力,医療
設備,医療環境において,難度(危険性)の高いPTCAであっても,安全性
を確保しながら一定の治療効果をあげることが期待できる医療機関に限っ
て,患者の同意を得た上で実施することが許されるものであったと認められ
る(鑑定人K)ので,やはり,一般的適応には欠けるところがあったものとい
うべきである。
(エ) 一般的適応に欠けるところがあったとしても,亡Fの同意があれば,被告
病院において本件PTCAを実施することは許されるものと解される(鑑定人
I,同J,同K)が,この場合,亡Fの同意があれば本件PTCAの適応があっ
たというのか,適応はなかったが,亡Fの同意によって本件PTCAの治療行
為としての正当性が認められるというのかは,表現の違いにすぎず,法的
には,いずれにしても,亡Fの同意があってはじめて本件PTCAが正当な医
療行為として認められるものと解されることは,前記(1)で判示したとおりで
ある。
(オ) なお,原告らは,前回PTCAにおいて,解離が生じたこと等から,本件P
TCAの適応がなかったと主張するが,前回PTCAにおいては,発生した解
離の修復がなされ,血流が保たれている(乙A11,A18-2,3,証人H,
鑑定人I,同J,同K)し,CPKの上昇が認められるが,解離を起こし,その
修復がされたことなどを考えると,有意な上昇とは認められない(乙A11,
証人H,鑑定人I,同J,同K)。また,PO2の低下が起こったことについて
も,血流が改善され,前壁から心尖部の壁運動も良好であり(乙A1・13
頁),造影剤の使用,脱水の状況等による影響も考えられることからすれ
ば,心機能の低下によって生じたとも考えにくく(鑑定人I,同J,同K),本件
PTCAに悪影響を及ぼすものとは認められず,本件PTCAの適応の判断に
は影響しない。
(5) 被告担当医師らの説明と亡Fの同意について
亡Fは,本件PTCAの実施について同意している(乙A3・68頁,A10,証人
G)が,その同意が一般的適応に欠けるところのある本件PTCAが正当な医療
行為として認められるための同意として,さらには自己決定権の行使としての同
意として,有効性を有するか否かは,被告担当医師らが亡Fに対して本件PTCA
についてどのような説明をし,亡Fは本件PTCAについてどのような理解をしてそ
の実施に同意したのかが問題となる。そこで,以下,この点について検討する。
ア G医師の供述
G医師は,本件PTCAについて,以下のような説明をしたと供述する(乙A1
0,証人G)。
G医師は,5月17日の昼ころ,被告病院病棟のシネ室において,亡F及び
原告Aに対し,約30分前後かけ,本件PTCAについての説明を行い,同月1
9日にも,亡F及び亡Fの長女に対し,亡Fのベッドサイドにおいて,本件PTC
A前に本件PTCAの説明を行ったと供述する(乙A10,証人G)。
説明内容について,G医師は,5月17日には,①前日の冠動脈造影検査
で左前下行枝中間部に再狭窄が発見され,PTCAをもう一度行った方がよい
こと,②CABGについても検討したが,血管が細くてバイパスを繋ぐ適切な部
位が存在しないこと,③PTCAによる侵襲はCABGに比較して小さいこと,④
再狭窄においてもPTCAによる対応が可能であり,PTCAの適応があること,
⑤本件PTCAでは,前回PTCAでも使用したカッティングバルーンを使用する
こと,⑥PTCAも100パーセント安全ではないこと,等を説明したと供述する
(乙A10,証人G)。
5月19日の説明内容については,G医師は,PTCA用の説明書(乙A6)が
なかったため,心臓カテーテル検査(冠動脈造影)用の説明書(乙A7)を代わ
りに示しながら,①本件PTCAではローターブレーダーではなくカッティングバ
ルーンを使用するが,適宜適切な治療器具を使用して拡張を図る予定であ
り,基本的には前回PTCAと同様であること,②PTCAにおいては,冠動脈穿
孔,血栓塞栓症,心筋梗塞などもろもろの合併症が1パーセント以下の確率
で起こりうること,0.5パーセント以下ではあるが死亡することもあること,③C
ABGに比して低侵襲であることを話し,心臓カテーテル検査(冠動脈造影)用
の説明書(乙A7)に「PTCA」と書き加え,同意書に亡Fの署名押印を得た上
で,同説明書を改めて熟読してほしいと話したと供述する。
イ 5月17日の説明については,原告Aが,同日,シネ室にG医師と一緒に行っ
たことがあり,G医師もいたが,説明自体は男性医師からであったような気が
するとはいうものの,冠動脈造影のシネフィルムを見ながら,詰まっている冠
動脈の部分を説明されて,もう一度手術する方がいいと説明されたと供述して
おり(原告A本人),G医師の供述と概ね符合する。
そして,5月19日の説明については,G医師は,亡Fの長女がいたとする点
については,顔を見たり直接会話をしたわけではなく,その場の雰囲気からな
んとなく亡Fの長女である思っただけで,勘違いであったかもしれないと供述
するものの,両日の説明内容については,5月16日のカンファレンスの内容
を踏まえてが記載された診療録の記載(乙A2・11頁)と符合し,G医師が,5
月15日から亡Fの主治医となり,同医師が最初に担当したPTCAの患者が亡
Fであったことから,カンファレンスで決まった内容をそのまま引用する形で伝
えたはずであると供述する点も合理的である。
また,亡Fが署名押印したと認められる(乙A1・41頁,原告A本人),上部
に「PTCA」と手書きで付加された5月19日付け心臓カテーテル検査(冠動脈
造影)用の説明書(乙A3・68頁)が存在し,G医師の供述を裏付けるものであ
る。
ウ 以上から,G医師は,5月17日,被告病院病棟のシネ室において,亡F及び
原告Aに対して,同月19日に,亡Fのベッドサイドにおいて,亡Fに対して,本
件PTCAに関し,前記各内容の説明をしたものと認められる。
そして,亡Fは,以前にPTCAと手技に類似性のある冠動脈造影検査及び
前回PTCAを受けたことがあり,それぞれについてその都度,検査・治療方法
の概要,効果,起こりうる合併症等について記載された説明書を受け取って
説明を受けていること(乙A1・41頁,A2・25頁,A10,A13,原告A本人)か
ら,G医師から本件PTCAについて説明を受けた際,その説明内容について
理解することができ,その上で本件PTCAを受けることについて同意したもの
と認められる(乙A3・68頁,A10,証人G)。
エ しかし,G医師は,本件PTCAを実施するに際し,亡Fに対して,CABGにつ
いても検討したが,血管が細くてバイパスを繋ぐ適切な部位が存在しないこ
と,PTCAによる侵襲はCABGに比較して小さいことを説明したのみであり,
被告担当医師らは,亡Fの症状が,病変形態から判断して,合併症の危険性
の高いものであり,しかも,危険な側副血行路が存在するため,本件PTCA
は,PTCAに関して実績も能力もある被告病院のような医療機関であってはじ
めて実施が可能となるような難度(危険性)の高い治療であることなど,本件P
TCAの具体的な危険性については,何ら説明していない上,本件PTCAより
もむしろCABGの方が危険性が低いこと,本件PTCAを実施しても再狭窄の
可能性が高く,そうなれば,さらにPTCAを実施する危険を冒すか,CABGを
実施することになるが,本件PTCAではなく,CABGを実施すればそのような
事態を防げることなど,亡Fがその自由意思によってPTCAとCABGの2つの
選択肢のいずれかを選択することができるために必要な情報は何ら提供して
いない(乙A1,原告A本人)。そもそも,側副血行については,5月16日の「心
臓カテーテル検査報告書」(乙A2・26頁)に,左前下行枝の狭窄部以下が左
回旋枝からの側副血行から血流を受けているという記載があるほかは,被告
担当医師らが,側副血行について検討した形跡は見当たらず,前回PTCAの
際も,本件PTCAの際も,被告担当医師らには,危険な側副血行路について
の認識が欠けていた疑いが強い。
オ 以上の事実によれば,被告担当医師らが,亡Fに対しても,その家族に対し
ても,本件PTCAの具体的な危険性や本件PTCAと比較した場合のCABGの
利点について何ら説明せず,むしろ,CABGの実施が困難である旨の誤った
情報を提供し(CABGの適応については,心臓外科の医師に判断を求めたこ
とを窺わせる証拠は存在せず,CABGの実施が困難であることについては,
被告担当医師らの独自の判断であることが認められる。),かつ,PTCAの侵
襲性がCABGよりも低いことを強調したために,亡Fは,本件PTCAは亡Fの
症状に対して一般的適応を有するもので,特に難度(危険性)の高いものでは
ないと誤解し,また,亡Fの症状に対してCABGを実施することは困難である
と誤解して,本件PTCAの実施に同意したものと認められる(前回PTCAの実
施についての同意も同様な説明のもとでなされたものと推認される。)ので,
被告担当医師らに説明義務違反があることは明らかであり(以下「本件説明
義務違反」という。),本件PTCAの実施についての亡Fの同意は,一般的適
応に欠けるところのある本件PTCAが正当な医療行為として認められるため
の同意としても,自己決定権の行使としての同意としても,その有効性を欠く
ものというべきである。
(6) 本件PTCA実施の違法性について
ア 前記のとおり,本件PTCAは,正当な医療行為と認められるための有効な同
意を欠くものであり,一般的適応のある治療行為について,自己決定権の行
使としての有効な同意を欠く場合に比して,その違法性の程度は重いといわ
ざるをえない。
イ もっとも,本件PTCAが一般的適応に欠けるところがあったといっても,前
記(4)キ(イ)のような事情が存することを考慮すると,大きく欠けるものではな
く,ACC/AHAガイドラインも,本件適応ガイドラインも,法律の定めのような
確定的なものではなく,しかも,前記のとおり,本件PTCA実施当時,PTCA
の適応の拡大の可能性が模索されていたという状況にあったのであるから,
被告担当医師らが,本件PTCAについて被告病院でこれを実施することは許
される(一般的適応の中に入る)ものと判断したとしても,これを強く非難する
ことはできない。
ウ 本件PTCAの最大の問題は,CABGという別な治療方法の選択肢が存在
し,その方がむしろ危険性が低く,再狭窄が防げるという利点もあったにもか
かわらず,この点についての説明をしないまま本件PTCAを実施したという点
にあり,この違法性は非常に重いというべきである。
(7) 不法行為の成否について
ア 前記前提事実及び診療経過一覧表によれば,本件PTCAが実施されなかっ
たら,亡Fには,左前下枝中間部の破裂,左冠動脈主幹部の血栓性閉塞とい
う事態は生じることはなく,このような経過を辿った死亡という結果は生じなか
ったものと認められる。しかし,これまで認定した事実によれば,前回PTCA前
の亡Fの症状も,本件PTCA前の亡Fの症状も,PTCAを実施しないとすれ
ば,CABGによる治療を必要とする状態にあったものと認められ,しかも,本
件PTCAを実施する代わりにCABGを実施した場合,2,3パーセントの合併
症の危険があったものと認められる。
イ 本件PTCAが一般的適応に欠けるところがあったことは,前記のとおりであ
るが,このように,CABGにも危険があったし,本件PTCAは,一般的適応か
ら大きく欠けるものではなく,被告担当医師らが,本件PTCAについて被告病
院においてこれを実施することは許される(一般的適応の中に入る)ものと判
断したとしても,これを強く非難することはできないという事情もあったのであ
るから,亡Fが,本件PTCAの危険性やCABGの利点などについて十分に説
明を受け,これを理解した上で本件PTCAの実施に同意したのであれば,本
件PTCAは正当な医療行為と認められるものであった(前記のとおり,これを
「患者の同意があれば適応がある」場合であったということもできる。)というべ
きである。
したがって,本件PTCA実施の違法性の問題は,結局,本件説明義務違反
の違法性の問題に帰着するものというべきであり,十分な説明を受けていれ
ば亡Fは本件PTCAの実施に同意しなかったかどうか(本件PTCAではなく,
CABGを選択したかどうか)が因果関係の問題として検討されなければならな
い。
ウ 十分な説明があった場合(本件説明義務違反がなかった場合)の亡Fの選
択について
(ア) これまでに認定した事実によれば,被告担当医師らは,亡Fに対し,本
件PTCAは,これを実施する病変の形態から判断して,合併症の危険性の
高いものであり,しかも,危険にさらされた側副血行路派生血管の病変に
対するものであるから,難度(危険性)が高く,PTCAに関して実績も能力も
ある被告病院のような医療機関(被告担当医師ら,特にH医師を含む。)で
あってはじめて実施が可能となるような治療行為であること,仮に本件PTC
Aが成功したとしても,再狭窄が生じる危険性が高く,再狭窄が生じた場合
は,再び難度(危険性)の高い本件PTCAを実施するか,CABGを実施す
ることになること,亡Fの症状に対しては,PTCAよりもCABGの適応性の
方が高く,バイパス部位や数の点からCABGも手技的に難度は高くなり,
2,3パーセントの合併症の危険があるが,病変部位が再狭窄する危険は
防げるし,治療行為に伴う危険性は,PTCAよりもむしろCABGの方が低
いこと,以上のような内容の説明をすべきであったと認められる。
(イ) そして,一般に,このような説明を受ければ,合理的な人間の判断として
は,治療効果が高く,より危険性の低い治療方法を選択するものと考えら
れる。
(ウ) もっとも,PTCAとCABGには身体に対する侵襲性の違いがあり,アメリ
カなどに比べて,日本においては,侵襲性の高い治療方法が避けられる傾
向があり,CABGよりもPTCAが患者に好まれる傾向があると指摘されて
いる(乙B1,鑑定人I,同J,同K)。
患者が侵襲性の低い治療方法を選択したい気持ちになりがちであること
は理解できないではないが,日本において,侵襲性の高い治療方法が避
けられる傾向があるという場合,本件と同様に,侵襲性の低い治療方法に
潜む危険性について十分に説明を受けていないため,侵襲性の低いことと
危険性の低いこととを同意義に理解して,侵襲性の低い治療方法を選ぶ場
合もあるのではないかと考えられる(そのような場合は,誤解に基づく選択
であり,侵襲性の低い治療方法は,そのような誤解を生じやすいので,患
者がその危険性について十分理解できるような説明をする必要がある。)。
また,PTCAについては,内科医が適応を決定することが多く,CABGよ
りもPTCAに重点を置いた説明がなされる傾向があるというのであり(乙B
1,鑑定人I,同J,同K),CABGよりもPTCAが患者に好まれる傾向がある
という場合,PTCAとCABGに同等の比重を置いた説明がなされた上でそ
のような傾向が認められたのか否かは明らかでない(PTCAとCABGの適
応について,どちらが優先するかの判断が困難なような場合は,本来,内
科医の意見だけでなく,外科医の意見も併せて検討され,その結果が患者
に示されるべきであろう。)。
したがって,亡Fの治療方法の選択において,侵襲性の違いが影響しな
かったであろうとはいえないが,その影響を過大に評価することはできな
い。ただ,前記のとおり,本件PTCAは,一般的適応から大きく欠けるもの
ではなく,亡Fの同意が得られれば被告病院においてこれを実施することは
許されるものであり,前回PTCAも一応成功しているという事情も併せ考慮
すると,亡Fが被告病院(被告担当医師らを含む)を信頼して,本件PTCA
を選択した可能性を否定することはできない。
(エ) なお,亡Fは,冠動脈造影検査を嫌がって拒否したことがあり,前回PTC
Aについても担当医師からの説得によって受けることにしたという事実が認
められる(甲A1・20頁,原告A本人)が,このような事実があったからといっ
て,亡Fが一般人に比較して,侵襲性の低い治療方法を好む傾向が強かっ
たと認めることはできない。
(オ) 以上によれば,治療効果や危険性の点から,本件PTCAの危険性やC
ABGの利点などについて十分に説明がされていれば(本件説明義務違反
がなければ),亡Fが本件PTCAの実施に同意しなかった可能性は相当に
高いものと認められるが,本件PTCAを選択した可能性を否定することもで
きないので,本件説明義務違反がなければ,亡Fが本件PTCAを受けるこ
とはなく,死亡という結果を免れたと断定することはできない。
エ 認められる損害の範囲について
(ア) これまで判示したとおり,本件PTCAには,本件説明義務違反という重
大な違法性があり(被告担当医師らの過失が認められることはいうまでもな
い。),そのために本件PTCAは,正当な医療行為と認められるための有効
な同意を欠き,亡Fの自己決定権が大きく侵害される結果になったと認めら
れる。そして,亡Fが本件においてCABGという選択肢を選択した場合に
は,合併症の危険は,2,3パーセント程度であるから,手術が成功した可
能性が極めて高かったものと認められる。また,前回PTCAも本件PTCAも
待機的PTCAであり,亡Fに心臓疾患の症状が現れていたわけではない
(心電図異常が指摘されて前回PTCAを受けることになった経緯は,前記
前提事実記載のとおり。)のであるから,CABG(待機的CABG)が成功す
れば,亡Fは,その年齢(昭和15年9月3日生まれ)からしても,さらに長期
間にわたって通常の生活が送れた可能性が極めて高かったものと認めら
れる。
(イ) したがって,前記のとおり,本件説明義務違反と亡Fの死亡との間の因
果関係は認めることができないので,本件説明義務違反の不法行為による
損害賠償として,亡Fの死亡による逸失利益や慰謝料等を認めることはで
きないが,亡Fは,本件説明義務違反によって,長期間にわたって通常の
生活を送ることを可能とするようなCABGを選択する機会を奪われ,しか
も,正当な医療行為と認められるための有効な同意を欠いたまま本件PTC
Aを実施されたのであるから,これによって多大な精神的苦痛を被ったもの
というべきであり,それに対する慰謝料は,本件説明義務違反の不法行為
による損害賠償として認められる(原告らの損害の主張には,このような損
害も予備的に含まれるものと解される。)。
(ウ) 本件説明義務は,被告担当医師らが亡Fに対して負っていたものであ
り,(イ)で判示した慰謝料も,亡Fに発生するもの認められるので,原告ら固
有の慰謝料は,これを認めることができない。
したがって,被告は,被告担当医師らの使用者として,不法行為(使用者
責任)による損害賠償として,原告らに対し,(イ)で判示した亡Fの慰謝料
(相続によって原告らに帰属)及び弁護士費用を賠償する義務を負うものと
いうべきである。
  (8) 債務不履行について  
以上の結論は,原告らから被告に対する本件診療契約の債務不履行に基づ
く損害賠償請求についても異なるところはないので,原告らの請求は,不法行為
に基づくものとしてこれを認める。
2 争点(3)(本件PTCA施行中に左前下行枝中間部に大穿孔を生じさせた過失・債務
不履行があるか否か)について
(1) 左前下行枝中間部の破裂
本件PTCAにおいて,5月22日午後2時20分に冠動脈造影上,左前下行枝
中間部の破裂が確認された(診療経過一覧表,乙A3・43頁)。
破裂部位は,本件PTCAにおいてカッティングバルーンが拡張された部位で
あり,カッティングバルーンで拡張の際に破裂が確認されたこと(診療経過一覧
表,乙A3・43頁,A11,証人H)から,カッティングバルーンの拡張によって,左
前下行枝中間部に穿孔が生じたものと認められる。
(2) この点,PTCAの合併症として冠動脈穿孔が挙げられている(甲B9,B10,乙
B1)。
PTCAは,冠動脈内の狭窄を風船を膨らませた圧で拡張するものであるが,
動脈硬化プラーク(血管内壁にコレステロールが付着したもの)は非常に硬い部
分が多く,簡単には押しつぶすことができず,ほとんどの場合,内腔拡大は,主
として動脈壁の亀裂・離解・解離などの障害によってもたらされること(甲B9,B
10,乙A11,証人H)から,PTCAによって冠動脈穿孔が生じること自体は,あ
る程度不可避的な場合もあると考えられるが,器具の選択や手技に不適切な点
がある場合も考えられる。
ア カッティングバルーンを選択したことについて
本件PTCAで使用されたカッティングバルーンは,刃(ブレード)は折りたた
まれており,拡張するまで冠動脈に傷を付けない構造になっている(乙B2)
が,バルーンを拡張すると,刃(ブレード)が表面に露出し,動脈硬化プラーク
に切開を加える構造となっており,バルーンニングに伴う無作為な冠動脈内
膜の断裂,圧排を防ぎ,規則的にカットされた部位を中心に拡張することがで
きる(専門用語一覧表,乙A11)。
したがって,本件PTCAにおいて,カッティングバルーンを選択したことによ
って,特に穿孔につながりやすいとも認められない。
イ カッティングバルーンの使用方法等について
カッティングバルーンは,一般的には狭窄部前後の正常血管内径の1.0
~1.2倍のバルーン径で拡張するとされ(甲B11),前回PTCAでは径1.75
ミリメートルのローターブレーターとともに,バルーン径2.75ミリメートルのカ
ッティングバルーンを使用して10気圧で拡張し(診療経過一覧表),解離が生
じたものの,良好な血流が得られた(診療経過一覧表,乙A1・13頁,77頁,
A11,証人H,鑑定人I,同J,同I)。
本件PTCA時点では,前記のように,左前下行枝中間部には99パーセント
の強度狭窄が生じており,その内径は前回PTCAの時よりは小さいとは考え
られるものの,本件PTCAで使用されたのは,バルーン径2.25ミリメートル
のカッティングバルーンであり(乙A3・43頁),8気圧で2.25ミリメートルのバ
ルーン径になるものであった(証人H)が,低圧である4気圧で3回,5気圧で2
回,4気圧で1回拡張を繰り返しており(診療経過一覧表,乙A3・43頁),前
回PTCA時よりもバルーン径も拡張径も小さく,慎重に拡張が行われており,
このようなカッティングバルーンの使用方法等が不適切であったとは認められ
ない。
また,本件PTCAは同部位について2回目のPTCAであるが,PTCAを繰り
返し実施したからといって,穿孔が起こりやすいというわけではなく,血管の走
行が把握できることなどから,むしろ成功率が高くなるというのであり(証人
H),2回目のPTCAであるからといって,特段の配慮を要するような事情も認
められない。
(3) したがって,本件PTCAにおいて,器具の選択や手技に不適切な点はなく,む
しろ亡Fの左前下行枝中間部の弱い部分が圧に耐えられずに破裂したと考えら
れ,被告担当医師らに左前下行枝中間部に大穿孔を生じさせた過失及び債務
不履行は認められない。
3 争点(4)(左前下行枝中間部から大量出血を起こした後に心のうドレナージを怠っ
た過失・債務不履行があるか否か)について
(1) 本件PTCA中,午後2時20分に左前下行枝中間部の破裂が確認されて血圧
及び心拍数の低下が認められ,続いて行われた経胸壁心臓超音波検査によっ
て心タンポナーデの状態であると判断された(診療経過一覧表,乙A3・43頁)。
このように,冠動脈穿孔が確認され,血圧低下が認められた場合には,体循
環を維持するために,まず止血を行うことが必要である(乙A11,証人H)。そし
て,冠動脈からの出血が止まらず,心タンポナーデの状態であることが判明した
場合には,心のう腔の内圧を下げて心機能を回復するために,速やかに心のう
内に貯留した血液を排出する必要がある(専門用語一覧表,乙A11,証人H)。
(2) この点,被告担当医師らは,心タンポナーデの状態であると判断した時点で,
心窩部から経皮的に心のうを穿刺しようとしたが,心窩部から穿刺すると肝臓を
損傷する危険性が高いこと(診療経過一覧表,乙A11,証人H)から,直ちに心
のうを穿刺することができず,心のうドレナージを心臓外科に依頼することになっ
たことはやむを得ない。
そして,被告担当医師らは,経胸壁心臓超音波検査によって,心タンポナー
デの状態であることが判明し,窩部から穿刺すると肝臓を損傷する危険性が高
いと判断された時点で直ちに心臓外科に心のうドレナージを依頼しており(診療
経過一覧表,乙A11,証人H),心臓外科医が開胸した上で心のうを切開し,ド
レーンを心のう内に挿入するという作業を考えると,心のうドレナージによって心
のうから血液が排出されるまでに,冠動脈穿孔が判明してから約18分かかった
こともやむを得ないといわざるを得ない。
また,心のうドレナージが行われるまでの間,被告担当医師らは,希釈したノ
ルアドレナリン,硫酸アトロピンの注射,補液,酸素投与のほか,硫酸プロタミン
の投与,左前下行枝中間部の破裂部位でのパーフュージョンバルーンの低圧拡
張を行った(診療経過一覧表,乙A11,証人H)が,ノルアドレナリンは急性低血
圧時の補助治療に用いられ,硫酸アトロピンも心臓機能の回復に効果がある
(専門用語一覧表)など,全身状態の維持が図られ,硫酸プロタミンも本件PTC
A開始時に投与されていた抗凝固作用を有するヘパリンを中和して出血傾向を
抑えるものである(専門用語一覧表,乙A11,証人H)し,パーフュージョンバル
ーンによって穿孔部位の閉鎖とともに循環維持が期待できる(専門用語一覧
表,甲B9,鑑定人K)ことから,これらの処置は適切であったと認められる。
(3) したがって,被告担当医師らが,心のうの穿刺・吸引により血液を抜くことを怠
った過失及び債務不履行は認められない。
4 争点(5)(左冠動脈主幹部に亀裂が生じた後にステントの挿入を怠った過失・債務
不履行があるか否か)について
(1) 5月22日午後3時ころの血圧低下,心室頻拍の原因
原告らは,午後3時ころに血圧が異常に低下していることから,午後3時ころ
には左冠動脈主幹部に亀裂が生じていたと主張する。
そこで,午後3時ころに血圧が低下し,心室頻拍が発生した原因が問題となる
が,午後2時38分ころには心のうにドレーンが挿入されたことによって心タンポ
ナーデは既に解消していることから,心タンポナーデが原因であるとは考え難
く,他の原因として,午後3時以前に行った,①塩酸モルヒネ,フェンタネスト,ド
ルミカムの投与,②気管内挿管,③パーフュージョンバルーンの留置のほか,④
左冠動脈主幹部の血栓性閉塞,⑤左冠動脈主幹部の亀裂が考えられる。
ア 塩酸モルヒネ,フェンタネスト,ドルミカムの投与(①)について
この点,午後2時38分に鎮痛薬である塩酸モルヒネ,フェンタネストが静脈
注射され,同時刻ころ,収縮期血圧が186mmHgから60mmHgに低下して
いること(診療経過一覧表,乙A3・43頁)や,午後2時47分に鎮静剤である
ドルミカムを静脈注射した段階でも収縮期血圧は96mmHgであること(診療
経過一覧表,乙A3・43頁)からすると,それらの薬剤,特に塩酸モルヒネ,フ
ェンタネストの投与によって血圧低下につながった可能性が高い(証人H)。
しかし,午後2時49分にはノルアドレナリンや硫酸アトロピンが投与され,
補液が行われたと認められ(乙A3・43頁),これによって塩酸モルヒネ,フェ
ンタネスト,ドルミカムの影響からは回復したと考えられ(証人H),心室頻拍に
までつながるとは考え難い。
イ 気管内挿管(②)について
午後2時49分に気管内挿管が行われた(診療経過一覧表,乙A3・43頁)
が,食道挿管となり,午後2時58分に再挿管されたことが認められる(乙A3・
43頁,証人H)。
そこで,当初の気管内挿管が失敗したことから,低酸素血症になり,血圧を
低下させた可能性が考えられるが,再挿管されていることから,一時的な影響
が出るにとどまり,心室頻拍を引き起こすような要因であったと考えるには疑
問が残る(証人H)。
ウ 左冠動脈主幹部の血栓性閉塞(④)について
以上に対し,午後3時26分の時点で左冠動脈主幹部に血栓性閉塞が確認
されており(診療経過一覧表,乙A3・43頁),その血栓は同時刻より以前から
発生したのではないかと考えられるし,PTCAによる内腔拡大は,ほとんどの
場合,主として動脈壁の亀裂・離解・解離などの障害が生じることによってもた
らされること(甲B9,B10,乙A11,証人H)から,血栓が生じやすく,その予
防のために事前に抗凝固薬であるヘパリンが投与されるのである(甲B10,
B11,証人H)が,本件では,左前下行枝中間部に穿孔が生じたために午後
2時20分の段階で硫酸プロタミンによって中和された状態である(診療経過
一覧表,乙A3・43頁)から,血栓が生じやすい状態になっていたものと考えら
れ,午後3時ころの時点で左冠動脈主幹部に血栓が生じていたと考えるのが
合理的である。
エ パーフュージョンバルーンの留置(③)について
その他,パーフュージョンバルーンが左前下行枝中間部に留置されてお
り,それに血圧低下も加わって,同バルーン下流域の血流量が減少したため
に午後2時58分及び午後3時の心室頻拍につながった可能性が考えられ
る。
しかし,パーフュージョンバルーン下流域の血流量が低下した場合には,虚
血反応が見られ,心電図モニター上ST低下が出現するはずであるが,H医師
によれば,心電図モニター上ST低下は認められなかったというのである(証
人H)から,この可能性も考え難い。
もっとも,パーフュージョンバルーンが左前下行枝中間部に留置されていた
ことから,同バルーンよりも上流の血流が滞りがちになり,血栓が生じやすい
状況にあったと考えられ,午後3時ころの時点で左冠動脈主幹部に血栓が生
じていたと考えることと符合することになる。
オ 左冠動脈主幹部の亀裂(⑤)について
原告らは,午後3時ころには左冠動脈主幹部に亀裂が生じていたと主張し
ているが,左冠動脈主幹部に狭窄病変が存在したとは認められず(鑑定人I,
同J,同K),同部位にPTCAが施行されたこともないし,亀裂を示すような所
見も認められていない(乙A11,証人H)から,左冠動脈主幹部に亀裂が存在
したとは認められない。
(2) 以上から,午後3時ころの血圧低下,心室頻拍の原因は,左冠動脈主幹部の
血栓性閉塞であった可能性が最も高く,同部位に亀裂が生じていたとは認めら
れない。
したがって,左冠動脈主幹部に亀裂が生じていたことを前提とする原告らの
主張には理由がない。
なお,午後3時ころの血圧低下,心室頻拍の原因が左冠動脈主幹部の血栓
性閉塞であったとしても,ステントは,解離による急性冠閉塞には有効である
が,血栓性の閉塞には効果がなく(専門用語一覧表,甲B10,乙B1,証人H),
被告担当医師らがステントをより早い段階で挿入すべきであったとは認められな
い。
5 争点(6)(左冠動脈の造影検査が遅れた過失,債務不履行があるか否か)につい

(1) PTCA実施に当たっては,治療開始直前に治療対象部分を造影するのを始
め,ガイドワイヤー挿入時,バルーンカテーテル挿入時・拡張時・拡張後等,必
要に応じて適宜冠動脈造影が行われる(甲B10,B11,証人H)。
(2) 本件PTCA実施中,午後3時ころに血圧低下,心室頻拍が起こった際に冠動
脈造影がなされていれば,冠動脈の状況について,より多くの情報が得られたも
のと考えられる(証人H)。
しかし,午後3時ころの時点では,血圧低下,心室頻拍の原因として,塩酸モ
ルヒネ,フェンタネスト,ドルミカムの投与による影響や,気管内挿管による影響
といった,冠動脈内部の物理的・器質的な変化以外による影響が合理的に疑わ
れる状況であり,心電図モニターによって心機能の把握は一応可能であった(証
人H)し,致死的症状である心室頻拍や血圧低下に対し,電気ショックや心臓マ
ッサージ,IABPを施行する等,緊急処置を要した時期であり,前胸部(心のうド
レナージ施行部位)の縫合等の外科的処置が進行している状況であった。
(3) 冠動脈内部の状況を確認するために直ちに冠動脈造影を行うべき義務があっ
たとまでは認められず,状況がある程度落ち着いたと考えられる午後3時26分
になって冠動脈造影を行ったことに過失・債務不履行があったとは認められな
い。
6 争点(7)(PCPSを準備・使用すべきであるのに使用しなかった過失・債務不履行
があるか否か)について
(1) 原告らは,本件PTCA中,午後3時26分には左冠動脈主幹部の閉塞を確認し
た段階でPCPSを行うべきであったと主張する。
PCPSは,人工心肺を用いて大腿動脈より脱血した血液に酸素を加え,遠心
ポンプを用いて全身の循環を維持し,呼吸の補助を行う補助循環法であり(甲B
9,B21),PTCAの合併症に伴い,心原性ショックに陥った場合に,人工心肺,
CABGまで循環補助をするのに有用である(L意見書,甲B9,B21,乙B1,鑑
定人I,同J,同K)。
(2) もっとも,他の補助循環法としてIABPもあり,IABPは経皮的に大動脈から下
行大動脈にバルーンを挿入し,心臓の拍動と同調させて拡張,収縮させ,心臓
の働きを助けるもので,収縮期血圧を低下させ,心仕事量を減少させるとともに
拡張期血圧を上昇させて,冠灌流や末梢灌流の不全を改善させるものである
(甲B9,B21,鑑定人I,同J,同K)。IABPは,多くの施設で短時間で使用可能
な状態で準備されており,PCPSよりも簡便で迅速な対応が可能であり,有用で
ある(L意見書,乙A16,B1,鑑定人I,同J,同K)。
本件においては,本件PTCA中,午後3時11分に既にIABPを実施しており,
以後,収縮期血圧は80mmHg以上で保たれており(診療経過一覧表,乙A3・
43頁,44頁,A4・31頁),有効性が認められ,IABPを実施したことは適切であ
った(L意見書,鑑定人I,同J,同K)。
そして,午後3時26分の時点では,左大腿動脈はIABPで使用し,左大腿静
脈から右室へペーシングが挿入され,左右大腿動脈にPTCA用のガイディング
カテーテル,ガイドワイヤー及びパーフュージョンバルーンがシースとともに挿入
されている状況である。
この点,亡Fの左冠動脈主幹部が完全閉塞した状態では,心停止は時間の
問題であるから,それ自体がポンプ機能を有するPCPSを準備して循環を委ね
るべきであり,IABPやパーフュージョンバルーンを挿入している部位とは別の場
所の大腿動脈を穿刺してPCPSを施行することが可能であるとする見解も存在
する(L意見書)。
しかし,果たしてそのような手技が容易にできるかどうかは疑問があり,PCP
Sを使用する現実的な方法としては,送血用カテーテル用に大腿動脈,脱血用
カテーテル用に大腿静脈が必要であり(甲B21,鑑定人I,同J,同K),IABP又
はパーフュージョンバルーンのいずれかを抜去するしかないものと考えられる
(鑑定人I,同J,同K)。
そこで,以下,前記2方法について検討する。
ア IABPを抜去する方法
IABPによって血圧,不整脈がある程度安定している状態で,冠灌流や末
梢灌流の不全を改善する作用を有するIABPを抜去し,PCPSに変更するこ
とは,左冠動脈主幹部が完全に閉塞していることなどから患者の状態が悪化
する危険があり(鑑定人I),PCPS使用のために抗凝固作用を有するヘパリ
ンを投与することによって冠動脈穿孔による出血に対する治療と逆行する(甲
A16,鑑定人J,同K)し,PCPSを入れるための時間的ロスが生じることも考
慮すると,IABPを抜去すべきであったとは認められず,人工心肺,CABG実
施までIABPによって循環を補助することも適切であった(甲A16,鑑定人I,
同J,同K)。
イ パーフュージョンバルーンを抜去する方法
IABPとPCPSの併用によって,循環維持の効果が期待できる(鑑定人I)
が,冠動脈穿孔による出血があり,パーフュージョンバルーンによって止血を
図っている状況にあるから,パーフュージョンバルーンを抜去した場合には大
量出血による心タンポナーデや出血性ショックが生じる危険があり,さらにPC
PS使用のためのヘパリンの投与によってその危険性が高まることから,パー
フュージョンバルーンを抜去する方法は不適切である(甲A16,鑑定人I,同
J,同K)。
(3) 以上から,PCPSを準備・使用すべきであったとまでは認められず,PCPSを
使用しなかった点に過失・債務不履行は認められない。
7 争点(8)(緊急CABGの準備を怠った過失・債務不履行があるか否か)について
(1) 厚生労働大臣が定めるPTCAの施設基準(以下「PTCA施設基準」という。)と
しては,
ア 循環器科の経験を5年以上有する医師が1名以上勤務している。
イ 当該医療機関が心臓外科を標榜しており,心臓血管外科の経験を5年以上
有する医師が常勤している。ただし,心臓血管外科を標榜しており,かつ,心
臓血管外科の経験を5年以上有する医師が1名以上常勤している他の保健
医療機関と必要かつ密接な連携体制をとっており,緊急時の対応が可能であ
る場合は,この限りではない。
とされている(本件適応ガイドライン)。
すなわち,心臓血管外科との連携体制について,PTCA施設基準は,心臓血
管外科医による緊急時の対応が可能である体制が整っていることを最低限の基
準としているものと解され,適応のあるPTCAを行う限りにおいては,心臓血管
外科医の立ち会いを得ることは義務であるとはいえない。
(2) もっとも,被告病院はPTCA設置基準を満たしている(乙A11,証人H)が,さ
きに判示したように,本件PTCAは,一般的適応に欠けるところがあったのであ
るから,心臓外科医の立ち会いを得ることが望ましかったというべきである。
しかし,本件PTCAにおいては,心タンポナーデの状態であると判断された後
は心臓外科医が立ち会っており,被告担当医師らは,その後に生じた亡Fの症
状に対して心臓外科医とともに対処しており,緊急CABGが依頼されてからCA
BGを実施するまでの対応も,緊急手術としては早い対応がとられたものと認め
られる(鑑定人I,同J,同K)ので,本件PTCA実施にあたって心臓外科医が立ち
会っていたら亡Fの死亡という結果が生じなかったと認めることはできない。
(3) したがって,被告担当医師らには,緊急CABGの準備を怠った過失・債務不履
行は認められない。
8 争点(9)(損害)について
(1) 亡Fの慰謝料
以上によれば,被告は,本件説明義務違反の不法行為によって亡Fが被った
精神的損害を賠償すべき義務があるものと認められる(前記1(7)エ参照)。
そして,本件説明義務違反は,これによって本件PTCAが正当な医療行為と
認められるための同意を欠くものとなったという点でも,亡Fから長期にわたって
通常の生活をおくることを可能とするCABGを選択する機会を奪ったという点で
も,その違法性は重大であり,これによって被った亡Fの精神的損害が多大であ
ることは,前記1(7)エで判示したとおりである。
本件のように,十分な説明を受けていれば他の治療方法を選択した可能性が
相当に高く,その治療方法を選択していれば死亡という結果が生じなかった可
能性が高いばかりか,通常の日常生活を送れる可能性が高かったというような
場合,説明義務違反と死亡との間の因果関係を完全に否定することの相当性に
は問題がないわけではない(割合的に認定する方が実態には合っている)が,
法的判断としては,因果関係はあるかないかであって,十分な説明を受けてい
れば他の治療方法を選択したと断定できない以上,これを認めることができず,
結局,他の治療方法を選択する機会を奪われたことに対する慰謝料を算定する
際の事情として判断せざるを得ない。
以上のような諸事情を考慮すると,本件説明義務違反によって亡Fが被った
精神的損害に対する慰謝料は,1200万円と認めるのが相当であり,亡Fの妻
である原告Aはその2分の1である600万円を,亡Fの子である原告B及び原告
Cはそれぞれその4分の1である300万円を相続したと認められる(甲B2)。
(2) 弁護士費用相当の損害
本件事案の内容や認容額その他諸般の事情を考慮すると,弁護士費用相当
の損害としては,原告Aについて60万円,原告B及び原告Cについて各30万円
と認めるのが相当である。
9 結論
よって,原告らの請求は,被告に対し,不法行為(使用者責任)に基づき,原告A
については660万円,原告B及び原告Cについては各330万円及びこれらに対す
る不法行為日以後の日である平成12年5月24日から支払済みまで民法所定の
年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容
し,その余は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。な
お,仮執行免脱の宣言は相当でないのでこれを付さないこととする。
東京地方裁判所民事第30部  
裁判長裁判官  福田剛久
裁判官村主幸子
裁判官  吉岡大地

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弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
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我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
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応募資格
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すでに経験を有する弁護士
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学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

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◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

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残り応募人数(2019年5月1日現在)
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