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平成17年5月24日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官
平成15年(ワ)第7411号 不正競争行為差止等請求事件
口頭弁論終結日 平成17年3月30日
判         決
原        告    株式会社正 久
訴訟代理人弁護士       鈴   木   健   司
               高   橋   邦   明
被         告    株式会社石橋精鋼
被         告    A
被         告    B
被         告    C
被         告    D
被         告    E
被         告    F
     被告ら訴訟代理人弁護士    伊   藤       馨
     被告株式会社石橋精鋼訴訟代理人兼被告Aら6名訴訟復代理人
        弁護士            岩   谷       基
主         文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事 実 及 び 理 由
第1 請求
1 被告らは,別紙顧客目録記載の者に対し,面会を求め,電話をし,郵送物,
電子メール又はファックスを送付して,工業用刃物及び耐摩耗品並びに付帯機械,
装置に関する売買契約の締結,工業用刃物及び耐摩耗品に関する研磨処理契約の締
結,それらの契約の締結に付随する営業行為をしてはならない。
2 被告らは,工業用刃物及び耐摩耗品並びに付帯機械,装置に関する売買契約
の締結,工業用刃物及び耐摩耗品に関する研磨処理契約の締結をしようとし,又は
それらの契約の締結に付随するサービスの提供を求めて,被告ら宛来客あるいは電
話,郵送物,電子メール,ファックスを通じて連絡をしてくる別紙顧客目録記載の
者に対し,工業用刃物及び耐摩耗品並びに付帯機械,装置に関する売買契約の締
結,工業用刃物及び耐摩耗品に関する研磨処理契約の締結,それらの契約に付随す
る営業行為をしてはならない。
3 被告らは,別紙営業情報目録記載の営業情報の記載のある紙,別紙営業情報
目録記載の営業情報を記録するフロッピーディスク等,別紙営業情報目録記載の営
業情報を記録する記録媒体物を廃棄せよ。
4 被告らは,原告に対し,連帯して,金5804万5020円及びこれに対す
る平成14年7月1日から支払済みまで年5分の割合による金員並びに平成15年
7月1日から被告らが営業をやめるまで1か月金323万5000円の割合による
金員を支払え。
第2 事案の概要
 本件は,工業用刃物の販売を業とする原告が,原告の営業秘密である取引先
の名称,取扱商品の寸法・材質・売値・仕入値等の営業情報を被告らが不正競争防
止法2条1項4号ないし9号に該当する行為をもって取得し,使用していると主張
して,同法3条1項に基づき被告らが原告の顧客に対して上記営業秘密を使用して
営業活動を行うことの差止めと,同条2項に基づき上記営業秘密を記載した記録媒
体の廃棄を求めるとともに,同法4条に基づき損害賠償を請求し,予備的に,被告
らには,原告の営業情報の不正取得,原告のノウハウの利用,退職・引抜き,被告
らの虚偽事実告知や,原告への発注を被告会社へ受注させたり,原告に対する報告
義務を懈怠するなどしたところ,これらの行為は原告に対する不法行為を構成する
と主張して,民法709条,719条に基づき損害賠償を請求している事案であ
る。
1 争いのない事実等(末尾に証拠を掲記したものを除き,当事者間に争いがな
い。)
(1) 当事者
ア 原告
 原告は,昭和34年10月に株式会社正久刃物製作所として創業し,以
来主に製紙用刃物を販売することを業としている(昭和59年4月に現在の社名に
商号を変更した。)。原告は,昭和48年には福岡営業所を,昭和63年には四国
営業所を,平成6年には静岡営業所を,平成12年には名古屋営業所をそれぞれ開
設している。
イ 被告会社
 被告株式会社石橋精鋼(以下「被告会社」という。)は,平成14年6
月11日に設立された主に製紙用刃物を販売することを業とする株式会社である。
ウ 被告A
 被告Aは,平成14年4月当時,原告福岡営業所の所長代理であり取引
先と商品の受発注などの営業を行う営業員であったが,同年6月14日に退職し
た。
 被告Aは,同月17日,被告会社の九州営業所次長の地位に就き,被告
会社の従業員として営業活動を行っている。
エ 被告B
 被告Bは,平成14年4月当時,原告福岡営業所で勤務し取引先と商品
の受発注などの営業を行う営業員であったが,同年5月末日に退職した(甲1
8)。
 その後,被告Bは被告会社に就職し,被告会社の従業員として営業活動
を行っている。
オ 被告C
 被告Cは,平成14年4月当時,原告福岡営業所で勤務し取引先と商品
の受発注などの営業を行う営業員であったが,同年5月末日に退職した(甲1
9)。
 その後,被告Cは被告会社に就職し,被告会社の従業員として営業活動
を行っている。
カ 被告D
 被告Dは,平成14年4月当時,原告福岡営業所の所長であったが,同
年7月15日退職し,同月25日退職金789万円を受領した。
 その後,被告Dは被告会社に就職し,被告会社の従業員として営業活動
を行っている。
キ 被告E
 被告Eは,平成14年4月当時,原告福岡営業所で勤務し主に経理及び
営業に関する事務をしていたが,同年7月15日に退職した(甲20)。
 その後,被告Eは被告会社に就職し,被告会社の従業員として経理及び
営業に関する事務を行っていた。
ク 被告F
 被告Fは,平成13年3月から平成14年9月まで原告本社総務課の販
売管理システム担当者であり,同年10月から原告本社営業部営業担当営業員とし
て,大阪府の一部と山口県を担当地区とし,取引先と商品の受発注などの営業を行
っていたが,平成15年3月15日に原告を退職した(甲21)。
 その後,被告Fは被告会社に就職し,被告会社の従業員として営業活動
を行っている。
(なお,以下において,被告会社を除くその余の被告らを総称するときは
「被告元従業員ら」という。)
(2) 本件営業情報
 原告が,本件において,被告らが取得し使用した営業秘密であると主張す
るのは,原告の有する営業情報のうち,福岡営業所及び本社管轄内の取引に関す
る,①取引先の名称及び住所,②仕入先の名称及び住所,③原告取扱商品の商品
名,寸法,材質,④原告取扱商品の売値,⑤原告取扱商品の仕入値,⑥原告取扱商
品の各種図面,である。
 以下,これらの営業情報を総称して「本件営業情報」といい,①ないし⑥
の各情報を個別に指すときは「本件営業情報①」等と表記することとする。
2 争点
(1) 不正競争防止法に基づく差止め・廃棄及び損害賠償請求について
ア 本件営業情報は,不正競争防止法2条4項所定の「営業秘密」に該当す
るか。
イ 被告らは,本件営業情報に関し,不正競争防止法2条1項4号ないし9
号に該当する不正競争行為をしたか。
ウ 上記不正競争行為により原告の被った損害額。
(2) 民法上の不法行為に基づく損害賠償請求について
ア 仮に不正競争防止法に基づく請求が認められないとしても,被告らの上
記(1)イの不正競争行為及び原告において培ってきたノウハウを利用した行為は原告
に対する不法行為を構成するか。
イ 被告A,被告B,被告C,被告D及び被告Eの原告からの退職行為は,
原告に対する不法行為あるいは共同不法行為を構成するか。
ウ 被告D及び被告Aは,被告B,被告C,被告E及び被告Fに対して違法
な引抜き行為と評価されるような被告会社への勧誘行為を行ったか。
エ 次の各行為の存否。同行為が民法709条の不法行為を構成するか。
(ア) 被告A,被告B,被告C,被告D及び被告Eは,原告の取引先に対
して,原告が潰れた,被告会社がその業務を引き継ぐ旨の虚偽の事実を述べたこ
と。
(イ) 被告A,被告B,被告C,被告D及び被告Eは,原告在職中,L株
式会社から原告への受注を受けながらこれを原告に報告せず,被告会社入社後に被
告会社に受注させたこと。
(ウ) 被告A,被告B,被告C,被告D及び被告Eは,原告在職中,原告
の取引先であるM株式会社との取引について,原告に報告するか帳簿に記載すべき
ところ,これを行わなかったこと。
オ 上記各不法行為により原告の被った損害額。
第3 当事者の主張
1 争点(1)ア(本件営業情報は,不正競争防止法2条4項所定の「営業秘密」に
該当するか)について
【原告の主張】
(1) 本件営業情報①ないし⑤について
ア 有用性
(ア) 原告の取引先は,紙の製造や裁断,塗料の削取,プラスチック類等
の産業廃棄物の粉砕,飼肥料製造などを行っており,原告は,取引先の製造する製
品やその製造方法,加工方法等に応じた特性,寸法,材質等を備える膨大な数の工
業用刃物を取り扱っている。その売値は注文の際の取引先との交渉により定まる。
また,原告は,工業用刃物の製造に関する得意不得意,納入時期やその商品性能,
前回までの取引における売値,仕入値,それらの推移等を踏まえて,仕入先を選定
している。そして,どの取引先に対してどのような工業用刃物をいくらで販売する
のか,それをどのような仕入先からいくらで仕入れるかといった営業情報を,創業
以来40数年にわたり集約してきた。
 工業用刃物の取引の特殊性,取引における工業用刃物の数及び種類の
膨大性,取引における売値決定等を勘案すれば,本件営業情報①ないし⑤の有機的
結合は,営業上有用である。
(イ) 被告らは,本件営業情報①は電話帳等により調査が可能であるから
有用ではないと主張する。しかし,本件営業情報①は,原告の扱う工業用刃物を購
買する意思,購買する能力及び潜在的需要のある企業等の名称及び住所であるか
ら,単純な電話帳等の内容とは全く異なる。
 また,被告らは,本件営業情報③ないし⑤については,営業活動を行
った場合に取引先が教えてくれると主張するが,そのようなことはほぼあり得な
い。
イ 秘密管理性
(ア) 原告は,本社,福岡営業所,四国営業所,静岡営業所及び名古屋営
業所毎に,本件営業情報①ないし⑤及びその他の情報を電子データ化して,本社に
あるコンピュータのサーバーに蓄積している。
 原告は,サーバーに蓄積される電子情報の検索及び出力について,ク
エリー(QUERY)システムを利用している。したがって,各営業所が,LAN
により接続されている本社のサーバーへアクセスして必要な情報を検索し各営業所
にて出力する際には,ユーザーID,パスワード,コマンドを順次入力し,データ
内容に沿ったファイルの選定,レコードの選択,検索方法の選択及び出力方法の選
択を行わなければならない。そのためには,ユーザーID,パスワード,コマン
ド,ファイル名の意味(どのデータがどのような名称のファイルに入っている
か),情報の抽出・出力の条件式を知らなければならない。
 原告は,従業員がクエリーシステムを自由に使用することを認めたこ
とはなく,パスワードは従業員全員に教えていたが,コマンド,ファイル名の意味
及び情報の抽出・出力の条件式は,各営業所に1名しかいない販売管理担当者にし
か教えていなかった。
 被告元従業員らの中で,コマンド,ファイル名の意味及び情報の抽
出・出力の条件式を原告から知らされていたのは,原告福岡営業所の販売管理担当
者であった被告Eと,原告本社の販売管理システム担当者であった被告Fのみであ
る。
 したがって,本件営業情報①ないし⑤については,アクセスする者が
制限されており,これにアクセスした者は営業秘密であることを認識できた。
(イ) 原告は,クエリーシステムを扱える者に対しては,本件営業情報①
ないし⑤の使用を営業所での販売に使用する目的に限定し,それ以外の目的で同情
報を閲覧したりコピーしたりしてはならないと指導していた。
 また,原告は,その他の従業員に対しては,クエリーシステムを扱え
る者から入手した本件営業情報を記載した紙や記録されたフロッピーディスクなど
を施錠可能な机の中に保管するよう指導し,これを社外に持ち出したり,第三者に
見せたりすることを禁じていた。
(ウ) 従業員就業規則37条5項により,原告の従業員であれば本件営業
情報①ないし⑤が秘密情報であることを認識できた。また,原告は小規模の会社で
あるから,本件営業情報①ないし⑤が営業秘密であることは,原告従業員にとって
は周知のことであった。
(エ) 被告らは,本件営業情報①ないし⑤を原告本社のサーバーに入力し
た後,同情報が記載された紙を原告福岡営業所でまとめてファイルにして保管して
いたというが,そのような取扱いは同営業所で行われていたというにすぎず,原告
の指示によるものではない。
ウ 非公知性
 本件営業情報①ないし⑤は,原告が長年をかけて取引先の需要に応じて
集約してきたものであって,一般に知られていないし,電話帳などを見てもわかる
ものではない。
(2) 本件営業情報⑥について
ア 有用性
 原告は,取引先の注文等に応じるため,取引先や原告の資料を用いて,
工業用刃物の商品名,寸法,形状等を図面にし,多くの時間と費用(1枚約1万5
000円)を費やして,数千枚の工業用刃物の製作図面を作成していた。したがっ
て,本件営業情報⑥は有用性を有する。
イ 秘密管理性
 図面には,電子情報のものと紙のものとがある。
 電子情報としての図面は,原告本社にあるサーバーに蓄積される。図面
を蓄積するサーバーは,各営業所のパソコンとLANで結ばれており,各営業所の
従業員は原告本社のサーバーにアクセスして図面を取得することができるが,従業
員が営業所に個人所有のパソコンを持ち込んで当該サーバーにアクセスしたり,社
外からアクセスしたりすることはできなかった。
 紙としての図面は,各営業所の図面専用の施錠可能な棚に保管されてい
た。
 原告の従業員であれば,従業員規則37条5項により,工業用刃物を製
造するのに必要な図面である本件営業情報⑥が秘密情報であることを認識できた。
また,取引先との間で工業用刃物を特定する目的以外に,図面を社外に持ち出すこ
とは絶対に禁止されていた。
ウ 非公知性
 図面情報は,原告が長年の営業努力の結果蓄積したものであって,一般
に知られていない。また,取引先毎に工業用刃物の仕様が異なっており,取引先の
製造上の秘密事項が含まれている可能性もあるから,原告と取引先との間に秘密保
持契約が締結されていなくても非公知である。
【被告らの主張】
(1) 本件営業情報①ないし⑤について
ア 有用性
 取引先・仕入先の名称,郵便番号,住所,電話番号,ファックス番号
は,インターネット,タウンページ,取引先になると思われる業界で作成している
名簿を利用して知ることができるから,営業上有用な情報であるということはでき
ない。
 また,取扱商品の品名,材質,売値単価,仕入値単価は,営業担当者と
顧客側担当者あるいは仕入先担当者との話合いにより,多数の競合会社とのかねあ
いも考えながら,その都度決められていくものである。したがって,固定された上
記情報が営業上有用であるということはできない。
 したがって,本件営業情報①ないし⑤の各情報は,有用性を欠くもので
ある。
イ 秘密管理性
(ア) 原告は,クエリーシステムにより,各営業所における経理や営業事
務を円滑に遂行させ,便宜を図ろうとしていた。そのため,原告は,経理担当者や
各営業担当者がこれを自由に使えるようにしていた。また,原告従業員はだれで
も,クエリーシステムを使用できる者(本件では被告Eや被告F)に頼んで必要と
なる情報を取得することができた。
 原告がクエリーシステムを利用してアクセスした者に対しそれが営業
秘密であることを認識できるようにしていた事実はないし,また,アクセスできる
者を制限していたこともない。
 また,クエリーシステムにより出力された結果を記録した紙やフロッ
ピーディスクの取扱いについて,原告が何らかの制限や禁止を指示していたことは
ない。
 なお,原告従業員は,各自のパソコンから原告本社のサーバーにアク
セスすることが可能であったのであり,本件営業情報①ないし⑤を,クエリーシス
テムを利用することなく,取得することが可能であった。
(イ) 被告A,被告C,被告Bは,各自パソコンを利用し,担当する顧客
から注文を受ける都度,各自のパソコンに,顧客のコード番号,顧客名,商品コー
ド,商品名,寸法,材質,硬度,数量,送付先住所,仕入先,仕入先コード番号,
納期,仮納期,売単価を入力し,これを印字して,被告Eに渡した。また,被告D
は,自ら受注した内容を受注伝票に手書きして被告Eに渡していた。
 被告Eが原告本社のサーバーへ本件営業情報等を入力した後,被告E
に渡された本件営業情報①ないし⑤が記載されている紙は,まとめてファイルさ
れ,原告福岡営業所内で保管されていた。
 原告本社では,営業担当者が同様の情報をパソコン入力担当者に紙に
印字して渡していたが,入力後は同紙各営業担当者において各自の手元で保有さ
れ,適宜廃棄されていた。
 原告は,このような紙媒体の取扱等について,制限も指示もしていな
かった。
(ウ) したがって,本件営業情報①ないし⑤の各情報は,秘密管理性を欠
くものである。
ウ 非公知性
 本件営業情報①及び②は,上記アで述べた理由により公知である。
 また,原告の同業他社は,受注しようとする各企業の担当者との商品販
売交渉において同社から本件営業情報③ないし⑤を入手することができる。したが
って,これらの情報は非公知ということはできない。
(2) 本件営業情報⑥について
ア 有用性
 本件営業情報⑥が有用性を有することは認める。
イ 秘密管理性
(ア) 図面が電子データで保存されている場合
 原告福岡営業所と取引関係のある顧客に関する図面の電子情報は,パ
ソコンに保管されていたので,何人でもパソコンを利用していつでも閲覧可能な状
態におかれていた。
(イ) 図面が紙媒体で保存されている場合
 紙の図面は,原告本社では社内の棚に保管されていたが,棚は施錠さ
れておらず,管理方法についても何ら指示されていなかった。また,図面について
これを営業秘密として認識できるようにされていたこともないし,アクセスできる
者が制限されていたこともない。
 原告福岡営業所には紙の図面が存在したが,各担当者が,自らの営業
活動のために必要と判断したときには適宜同営業所内の自己の机の中に保管してお
り,その机は施錠されていなかった。原告にとって役に立たないと思われる古い図
面が同営業所内の棚に保管されていたが,棚は施錠されておらず,かつ,原告から
は施錠等管理について何らの指示もなかった。
 本件営業情報⑥の図面は,原告営業担当者が仕入先や受注先から入手
したもの,当該刃物のメーカーの刃物を受注先等から入手し現物を原告が写生した
ものである。原告の同業他社が受注しようとする場合には,仕入先に依頼したり写
生したりすることによって,図面を容易に入手できた。
ウ 非公知性
 仕入先の多くは,競合する多数の企業の刃物を製作しているのが実情で
あり,工業用刃物を販売しようとする者は,通常,注文先会社(取引先)の了解を
得て,仕入先から図面を入手している。原告が自己の情報として保有する図面につ
いて仕入先との間で秘密保持契約等を締結していないため,第三者は仕入先等から
図面を容易に入手できる。また,原告の同業他社は受注しようとする各企業の担当
者との商品販売交渉により同社が保有している本件営業情報⑥を入手できる場合も
ある。したがって,本件営業情報⑥は非公知ではない。
2 争点(1)イ(被告らは,本件営業情報に関し,不正競争防止法2条1項4号な
いし9号に該当する不正競争行為をしたか)について
【原告の主張】
(1) 原告の被告元従業員らに対する本件営業情報の開示
ア 原告の営業担当者らは,取引先の値下げ交渉や機械の仕様変更などによ
り顧客の購入する刃物の価格や形態等が絶えず変動するため,常に最新の情報を必
要としていた。そのため,原告従業員は,クエリーシステムを利用するか,クエリ
ーシステムを利用できる者から情報提供されるかの方法により,常に本件営業情報
が取得できる状態にあった。
 被告D,被告A,被告B及び被告Cは,被告Eに依頼し,被告Eがクエ
リーシステムを利用することによって入手できた平成14年6,7月当時の最新の
本件営業情報①ないし⑤を適宜組み合わせて記載した紙(平成15年12月15日
付け訴え変更申立書別紙営業秘密目録1ないし160頁,327ないし365頁参
照)を取得していた。
 また,被告Fは,平成15年3月当時,平成14年6,7月から約7,
8か月間の内容が変動した当該時期における本件営業情報を,紙あるいは電子情報
で原告から開示されていた。
イ 原告の顧客が注文した工業用刃物についてはすべて図面が作成され,紙
の図面は棚に保管してあり,電子情報の図面はコンピュータに保管されていた。原
告の営業担当者らは,紙あるいは電子情報としての図面(本件営業情報⑥)を原告
から開示されている状態にあった。
(2) 個々の被告らの行為
ア 被告E
 被告Eは,原告の業務上必要もないのに,原告本社のサーバーにアクセ
スして,本件営業情報①ないし⑤を入手し,これを電子記録媒体に保管し,あるい
は紙媒体とした上,被告D,被告A,被告B,被告C,被告F及び被告会社に開示
した(不正競争防止法2条1項4号)。
 また,被告Eは,原告の業務上必要もないのに,本件営業情報⑥の図面
をコピーした上,これを被告D,被告A,被告B,被告C,被告F及び被告会社に
開示した(不正競争防止法2条1項4号)。
 さらに,被告Eは,被告Fが本件営業情報を不正に取得したと知りなが
ら同被告からこれを取得し,被告A,被告B,被告C及び被告会社に開示した(不
正競争防止法2条1項5号)。
 被告Eは,原告に損害を加える目的で,前記(1)により原告から開示され
ていた本件営業情報を,他の被告らに開示し,使用した(不正競争防止法2条1項
7号)。
イ 被告D
 被告Dは,原告の業務上必要もないのに,本件営業情報が記載された紙
をコピーしあるいは持ち出して取得した上,被告A,被告B,被告C,被告E,被
告F及び被告会社に開示した(不正競争防止法2条1項4号)。
 また,被告Dは,被告E及び被告Fが本件営業情報を不正に取得したと
知りながら同被告らからこれを取得し,被告A,被告B,被告C及び被告会社に開
示した(不正競争防止法2条1項5号)。
 被告Dは,原告に損害を加える目的で,前記(1)により原告から開示され
ていた本件営業情報を,他の被告らに開示し,使用した(不正競争防止法2条1項
7号)。
ウ 被告A
 被告Aは,原告の業務上必要もないのに,本件営業情報が記載された紙
をコピーしあるいは持ち出して取得した上,被告D,被告B,被告C,被告E,被
告F及び被告会社に開示した(不正競争防止法2条1項4号)。
 また,被告Aは,被告E及び被告Fが本件営業情報を不正に取得したと
知りながら同被告らからこれを取得し,被告D,被告B,被告C及び被告会社に開
示した(不正競争防止法2条1項5号)。
 被告Aは,原告に損害を加える目的で,前記(1)により原告から開示され
ていた本件営業情報を,他の被告らに開示し,使用した(不正競争防止法2条1項
7号)。
エ 被告B
 被告Bは,原告の業務上必要もないのに,本件営業情報が記載された紙
をコピーしあるいは持ち出して取得した上,被告D,被告A,被告C,被告E,被
告F及び被告会社に開示した(不正競争防止法2条1項4号)。
 また,被告Bは,被告E及び被告Fが本件営業情報を不正に取得したと
知りながら同被告らからこれを取得し,さらに,被告D,被告A,被告C及び被告
会社に開示した(不正競争防止法2条1項5号)。
 被告Dは,原告に損害を加える目的で,前記(1)により原告から開示され
ていた本件営業情報を,他の被告らに開示し,使用した(不正競争防止法2条1項
7号)。
オ 被告C
 被告Cは,原告の業務上必要もないのに,本件営業情報が記載された紙
をコピーしあるいは持ち出して取得した上,被告D,被告A,被告B,被告E,被
告F及び被告会社に開示した(不正競争防止法2条1項4号)。
 また,被告Cは,被告E及び被告Fが本件営業情報を不正に取得したと
知りながら同被告らからこれを取得し,被告D,被告A,被告B及び被告会社に開
示した(不正競争防止法2条1項5号)。
 被告Cは,原告に損害を加える目的で,前記(1)により原告から開示され
ていた本件営業情報を,他の被告らに開示し,使用した(不正競争防止法2条1項
7号)。
カ 被告F
 被告Fは,原告の業務上必要もないのに,原告本社のサーバーにアクセ
スして本件営業情報を入手し,あるいはこれを紙媒体化してそのコピーを持ち出し
た上,被告D,被告A,被告B,被告C,被告E及び被告会社に開示した(不正競
争防止法2条1項4号)。被告Fが上記方法で本件営業情報を入手したことは,ク
エリーシステムにおいて,原告四国営業所以外の営業所に関する顧客名簿,取引条
件,各期の実績等のデータを,「F用」という自分用の保管場所を設けて保管して
いたことからも明らかである。
 被告Fは,被告Eが本件営業情報を不正に取得したことを知りながらこ
れを被告Eから取得し,被告A,被告B,被告C及び被告会社に開示した(不正競
争防止法2条1項5号)。
 被告Fは,原告に損害が生じることを知りながら,前記(1)の方法により
原告から開示されていた本件営業情報を,他の被告らに開示し,使用した(不正競
争防止法2条1項7号)。
キ 被告会社
 被告会社は,被告D,被告A,被告B,被告C,被告E及び被告Fがい
ずれも不正に本件営業情報を取得したことを知りながら,あるいは不正行為が介在
したことを重大な過失により知らないで,本件営業情報を入手し,被告会社の営業
に使用した(不正競争防止法2条1項5号)。
 仮に被告会社が,本件営業情報入手当時,これについて不正取得行為が
介在したことを知らず,あるいは知らないことについて重大な過失がなかったとし
ても,その後にこれを知りあるいはその後にこれを知らなかったことについて重大
な過失がある状態になった後に,本件営業情報を被告会社の営業に使用した(不正
競争防止法2条1項6号)。
 また,被告会社は,被告D,被告A,被告B,被告C,被告E及び被告
Fが,原告から開示された本件営業情報を,原告に損害を加える目的で被告会社に
開示しているのを知りながら,あるいは重大な過失によりこれを知らないで,被告
会社の営業に使用した(不正競争防止法2条1項8号)。
 仮に被告会社が,本件営業情報入手当時,これらの事情について知ら
ず,あるいは知らないことについて重大な過失がなかったとしても,その後これを
知ったあるいはその後にこれを知らなかったことについて重大な過失がある状態に
なった後に,被告会社の営業に使用した(不正競争防止法2条1項9号)。
(3) 被告らが本件営業情報を取得し使用していることを裏付ける事情
ア 原告福岡営業所におけるコピーの枚数は,3か月間で3000枚から4
000枚程度であった。しかし,被告元従業員ら(被告Fを除く。)が退職する直
前の3か月間(平成14年3月14日から同年6月17日)では約6500枚と著
しく増加した。これは,被告元従業員ら(被告Fを除く。)が退職直前に本件営業
情報を大量にコピーして持ち出したからにほかならない。
イ 原告の取引先との取引では,各商品毎に寸法等の仕様や売値,仕入値が
別個に決められ,それぞれ図面を必要とする。また,受注から納品まで相当期間が
必要となる。しかるに,被告会社が,設立後短期間で原告の取引先と取引ができ,
また,受注後極めて短期間のうちに商品を納品できている。これは本件営業情報を
利用したために,商品の寸法等の仕様や売値,仕入値の決定あるいは必要図面の作
成に時間がかからずにすんだからにほかならない。
 被告らは,取引先や,取引先が必要とする商品毎の仕様,売値,仕入
値,図面等の営業情報を,記憶を呼び起こしあるいは取引先から聞き出すことによ
って,営業活動を行っていると主張する。しかし,本件営業情報は膨大であってこ
れを記憶しているとは到底考えられず,また取引先が売値を教えてくれたとしても
仕入値がわからなければ利益を確保できない。したがって,被告らの主張は不合理
である。
 また,平成14年6月当時,被告会社には工業用刃物の作図をすること
ができる社員は存在せず,しかも膨大な数に上る工業用刃物に関し図面を作成する
時間もなかった。
ウ 被告会社が原告の取引先に持参した図面の中には,①基準点が右下にあ
る,②C面取りの寸法表示が補助線の先にある,といった特徴によって,原告従業
員が作成したことが明らかな図面(甲28の2。ただし,別紙営業情報目録記載の
図面ではない。)がある。被告会社が,原告が図面管理するサーバーから電子情報
を持ち出した被告元従業員らから同図面を受け取ったことは,原告従業員が作成し
た図面(甲31・4枚目)と被告会社が原告の取引先に持参した図面(甲28の
2)とが,コピー機やFAXの仕様や簡易CADによる変換がうまくいかなったた
めに起こり得る程度の相違点しか有していないことから明らかである。その他に
も,原告の取引先の中に,被告会社が使用する図面は,原告の製図した図面と一致
ないし酷似するあるいは原告の製図を加工したものであると述べる者がいる。
【被告らの主張】
(1) 被告D,被告A,被告C及び被告Bは,各自がその担当する取引先の本件
営業情報①ないし⑤を整理して営業活動を行っていたものであり,被告Eから本件
営業情報①ないし⑤を記載した紙を受け取ってそれに基づいて営業活動をしていた
わけではない。原告福岡営業所において,正式にクエリーシステムの存在を知り,
使用していたのは被告Eのみであり,被告D,被告A,被告C及び被告Bは,これ
を知らなかった。
 また,被告Eは,クエリーシステムを十分に使いこなすに至っておらず,
クエリーシステムを利用して,本件営業情報①ないし⑤を適宜組み合わせ,その電
子情報をフロッピーディスクにコピーしたり紙媒体に出力したりしたことはない
し,そのようなものを他の被告元従業員らに示したことはない。
 被告Fは,原告本社のサーバーに入っている組合せの一覧ファイルが乱雑
に並んでおりだれが作成したものかわからなくなるため,自らが作成したもののフ
ァイルに「F用」なる見出しを付けてわかりやすくデータを整理していたものの,
実際には被告Dらと同様,担当する取引先の情報を自ら整理保管していた。被告F
が,クエリーシステムを利用して,本件営業情報①ないし⑤を適宜組み合わせ,そ
の電子情報をフロッピーディスクにコピーしたり,紙媒体に出力したりして他の被
告元従業員らに開示したことはない。
 被告会社は,他の被告元従業員らから本件営業情報の開示を受けたことは
ない。
(2) 被告会社の現在の取引先及び仕入先で,原告の取引先及び仕入先と重なっ
ているのは,被告D,被告A,被告C,被告B,被告Fが担当していた各自20な
いし30社程度である。これら取引先の名称,所在地,納入品目,商品の寸法や材
質,刃物交換時期,支払方法等につき,被告元従業員らは,各人の記憶に基づいて
新たに被告会社従業員として得意先を訪問し受注を開始したものである。
 また,各取引先が必要とする商品の品名,寸法,材質,硬度,角度,数
量,研磨の時期について仮に記憶が不十分だとしても,営業担当者は取引先担当者
からこれらの情報を教えてもらうのが通常の方法であり,被告会社の従業員らは,
現にそのような方法で被告会社の営業活動を行っている。
 さらに,売値,仕入値の単価についても,被告会社は,原告を含む競合先
との価格競争毎に取引先や仕入先と協議して決定しており,その際,原告を含む競
合先の提示する売値,仕入値や実際の価格等について,取引先や仕入先から聞き出
している。また,図面についても仕入先や取引先から入手している。
 したがって,被告元従業員らは,営業活動において本件営業情報を記録し
たものを必要としておらず,そのため,これを入手して被告元従業員らにおいて保
管等をする必要もなかった。
(3) 原告は,被告元従業員ら(被告Fを除く。)が退職する直前の原告福岡営
業所でのコピー枚数の増大を根拠に,被告元従業員ら(被告Fを除く。)が本件営
業情報を大量にコピーして取得したと主張する。
 しかし,被告元従業員ら(被告Fを除く。)の退職直前約3か月間にコピ
ー枚数が増大しているのは,原告の指示により,被告D,被告A,被告C及び被告
Bが,退職するに当たって,だれが見てもわかるように図面を整理したり,古くな
って破れたものや印字が薄くなって判読困難なものなどを新しくコピーして整理し
たり,取引先リストを作成したりしたためである。被告Aは,原告の指示により,
さらに,関東出張所,名古屋出張所についても図面整理,取引先リストの作成など
も行っている。
(4) 原告は,原告の図面を管理しているサーバー内の電子情報を被告元従業員
らが持ち出し,これを原告の取引先に渡していると主張し,その証拠として甲第2
8号証の2の図面を提出する。
 しかし,被告元従業員ら(被告Fを除く。)は,原告福岡営業所において
大阪にある原告本社の図面を管理するサーバーにアクセスする方法やその電子情報
を取得する方法を知らず,また,原告本社のサーバー内の図面にアクセスする具体
的な方法を知らなかった。したがって,被告元従業員ら(被告Fを除く。)が,甲
第28号証の2の図面を原告から持ち出すことは事実上不可能であった。甲第28
号証の2の図面は,被告Cが刃物の制作依頼を交渉中に相手方から提出を受けたも
のである。
3 争点(1)ウ(上記不正競争行為により原告の被った損害額)について
【原告の主張】
(1) 原告の得べかりし営業利益相当の損害
 原告は,平成10年10月から被告会社が設立された平成14年6月まで
は,次の①ないし④のとおり,平均月額2425万円の売上げ・同596万円の粗
利(粗利率24.5%)を得ていたところ,被告らの不正競争行為及び被告らの後
記各不法行為により,後記⑤,⑥のとおり,売上げが月額平均1006万5000
円,粗利が月額平均272万5000円(粗利率27.07%)に減少した。粗利
は月額平均323万5000円減少している。
① 平成10年10月から平成11年9月まで(第40期)
売上げ:平均月額2194万円
粗 利:平均月額512万円
粗利率:23.4%
② 平成11年10月から平成12年9月まで(第41期)
売上げ:平均月額2568万円
粗 利:平均月額607万円
粗利率:23.6%
③ 平成12年10月から平成13年9月まで(第42期)
売上げ:平均月額2667万円
粗 利:平均月額660万円
粗利率:24.8%
④ 平成13年10月から被告会社が設立される平成14年6月まで
売上げ:平均月額2220万円
粗 利:平均月額608万円
粗利率:平均27.3%
⑤ 平成14年7月から同年9月まで
売上げ:平均月額1284万円
粗 利:平均月額320万円
粗利率:24.9%
⑥ 平成14年10月から平成15年4月まで
売上げ:平均月額914万円
粗 利:平均月額256万5555円
粗利率:28.06%
 したがって,原告は,平成14年7月から平成15年6月までの12か月
分の売上げ減少額1億7022万円に平成15年6月の粗利率31%を乗じた52
76万8200円の得べかりし利益額相当の損害を被った。
(2) 将来被るべき営業損害
 また,原告は,平成15年7月1日以降,被告らが営業をやめるまで,上
記粗利減少分月額323万5000円相当の損害を被ることになる。
(3) 弁護士費用
 527万6820円
(4) 結論
 以上のとおり,被告らは,原告に対し,上記(1),(3)の合計額5804万
5020円及び(2)の平成15年7月1日以降被告らが営業をやめるまで1か月32
3万5000円の割合による損害を賠償すべき義務がある。
【被告らの主張】
 原告の主張は,否認ないし争う。
4 争点(2)ア(仮に不正競争防止法に基づく請求が認められないとしても,被告
らの上記(1)イの不正競争行為及び原告において培ってきたノウハウを利用した行為
は原告に対する不法行為を構成するか)について
【原告の主張】
(1) 前記2【原告の主張】(2)記載の被告らの各行為が不正競争防止法2条1
項4号ないし9号の不正競争行為に該当しないとしても,被告元従業員らは,原告
が約40年にもわたって培ってきた本件営業情報を持ち出して被告会社に就職し,
原告の取引先を奪ったものである。このような被告らの行為は民法709条の不法
行為に該当し,これを共同で行ったというべきである(民法719条)。
(2) また,原告は,約40年の間に,取引先との信頼関係,社内従業員同士の
人間関係,取引先・仕入先の発掘方法,商品の製造方法,工業用刃物の図面の作成
の仕方というようなノウハウを培ってきた。
 被告元従業員らは,このような原告のノウハウを持ち出して被告会社に就
職し,これを使用して原告と競合して取引先を奪ってきた。このような被告らの行
為は自由競争の範ちゅうを超えた違法な行為というべきであり,原告に対する不法
行為を構成する。
【被告らの主張】
 原告の主張は争う。
5 争点(2)イ(被告A,被告B,被告C,被告D及び被告Eの原告からの退職行
為は,原告に対する不法行為あるいは共同不法行為を構成するか)について
【原告の主張】
 従業員は,雇用契約に付随する信義則上の義務として,使用者に対し,その
正当な利益を不当に侵害してはならない義務を負う。
 被告元従業員ら(被告Fを除く。)は,原告の取引先を被告会社が奪うこと
により利得する目的で,原告福岡営業所の従業員が全員退職することにより同営業
所の機能を麻痺させ,原告に損害を被らせることを知りながら同時に退職すること
を企てた。そして,実際にも,同時に,ないし相次いで原告福岡営業所を退職して
被告会社に入社し,被告会社従業員として原告の取引先に対し営業活動を行い,原
告との取引をやめて被告会社と取引するようにさせた。このような被告元従業員ら
(被告Fを除く。)の行為は,雇用契約に付随する上記信義則上の義務に反する不
法行為(共同不法行為)を構成する。
【被告元従業員ら(被告Fを除く。)の主張】
 被告元従業員ら(被告Fを除く。)は,原告在職中かねてから退職を示唆さ
れていた上,平成14年3月には原告の取締役から「いつ辞めてもよい。」等と明
言され,やむなく個別に退職することを決意するに至り,平成14年5月に辞表を
提出したものである。その際,原告から仕事の引継ぎのために退職日をずらすよう
指示を受け,各自これに従って退職日をずらし,それぞれが引継ぎを終えた後に退
職している。
 被告元従業員ら(被告Fを除く。)は,退職後の就業先を自らの判断で決定
し得ることが保障されており,原告に対して競業避止義務を負っていないから,退
職後被告会社に就職したことが原告に対する不法行為を構成することはない。
 なお,被告Dは,知人であるG(被告会社代表者)に退職後の就職先を相談
したところ,同人が被告会社を設立することを知り,原告退職後被告会社に就職す
ることを決意した。被告A,被告B,被告C,被告Eは,退職後の就職先を探すに
当たり,適当な就職先が見あたらず,これまでの仲間と一緒に仕事ができる職場と
して被告会社を選択した。
6 争点(2)ウ(被告D及び被告Aは,被告B,被告C,被告E及び被告Fに対し
て違法な引抜き行為と評価されるような被告会社への勧誘行為を行ったか)につい

【原告の主張】
(1) 個人の転職の自由は最大限に保障されなければならないから,企業間にお
ける従業員の引抜き行為は,単なる転職の勧誘に止まる限りは違法ということはで
きず,このような勧誘行為が引き抜かれる側の会社の幹部従業員によって行われた
としても,同行為を直ちに雇用契約上の誠実義務に違反した行為と評価することは
できないというべきである。しかし,その場合でも,退職時期を考慮し,あるいは
事前の予告を行う等,会社の正当な利益を侵害しないよう配慮すべきであり,これ
をしないばかりか会社に内密に移籍の計画を立て,一斉にかつ大量に従業員を引き
抜く等,その引抜きが単なる転職の勧誘の域を超え,社会的相当性を逸脱し極めて
背信的方法で行われた場合には,それを実行した引き抜かれた側の会社の幹部従業
員は同会社との間の雇用契約上の誠実義務に違反したものとして,同会社に対し債
務不履行あるいは不法行為に基づく責任を負うというべきである。
(2) 被告D及び被告Aは,原告福岡営業所の所長と所長代理であって,雇用契
約上,原告の正当な利益を侵害してはならない高度の義務があるのにこれを怠り,
原告在職中から被告会社の設立を知りあるいはこれに関与する一方,被告B,被告
C,被告Eを引き抜けば原告福岡営業所に従業員が存在しなくなり同営業所の営業
機能が麻痺することを認識していながら,一斉に同被告らを大量に引き抜きいて退
職させ,その際,原告が長年積み重ねた本件営業情報を役割を分担させて持ち出さ
せた。しかも,被告会社の設立を原告に隠して秘密裏に行われた周到な移籍計画で
あった。さらに,原告の機能が麻痺しているときに取引先に攻勢をかけて原告の取
引先を奪う目的を持つものであった。
 したがって,被告Dと被告Aの,被告B,被告C,被告E及び被告Fに対
する被告会社への勧誘行為は,単なる勧誘の域を超え,社会的相当性を逸脱したも
のであり,原告との間の雇用契約上の誠実義務に違反したものとして,債務不履行
あるいは不法行為に該当するというべきである。
【被告D及び被告Aの主張】
(1) 被告元従業員らは,原告従業員であった当時,原告に対して競業避止義務
を負っていたわけではないし,とりわけ,退職届が受理された後は転職のための活
動の自由が保障されている。
(2) 被告元従業員らの退職の大きな原因となったのは,原告の担当取締役が被
告元従業員らに合理的な理由もなく退職するよう示唆したり明言したりしたことに
あり,各自の判断でやむなく退職を決意したものである。
 被告元従業員ら(被告F及び被告Eを除く。)は,平成15年5月15日
に退職を申し出,原告が同日すべて受理したものの,引継ぎ等のために時期を遅ら
せるよう指示したのに従い,退職時期を遅らせたものである。原告はその間に引継
ぎを終え,新たに従業員を雇用して原告福岡営業所の業務の承継を図ったのであ
る。
(3) 被告元従業員らは,退職届が受理された後,退職後の就職先を探し,その
結果,新設の被告会社へ各自の判断で就職した。
 被告Dは,知人のGに原告退職後の就業先について相談したところ,Gが
被告会社を設立することを決意していたので,原告退職後被告会社に就業すること
としたものである。
 被告A,被告B,被告C,被告E,被告Fは,退職届が受理された後,退
職後の就職先の選択肢の一つとして被告会社のことを知ったが,いずれも他の被告
らから強力な勧誘を受けたことはなく,他に適当な就職先も見あたらなかったこと
などから,これまでの仲間と一緒に仕事ができる職場として被告会社を選択したに
すぎない。
(4) 以上の事情を総合すると,被告D,被告Aは,そもそも他の原告の従業員
を引き抜いて退職させたことはなく,雇用契約上の誠実義務に反する違法な行為を
していないことは明らかである。
7 争点(2)エ(次の各行為の存否)について
【原告の主張】
(1) 争点(2)エの(ア)の行為
 被告元従業員ら(被告Fを除く。)は,原告の取引先に対して,原告福岡
営業所は閉鎖されていないのに,「正久(原告)は潰れた。被告会社が業務を引き
継ぐ。」との虚偽の事実を述べ,原告の取引先に誤解を与えて原告との取引をやめ
させた。
(2) 同(イ)の行為
 被告Eは,平成14年6月7日,他の被告元従業員ら(被告Fを除く。)
と共謀して,いずれも原告在職中であるにもかかわらず,原告がL株式会社から研
磨処理(TCスリッターナイフ上刃,100×66×1.0,TCスリッターナイ
フ下刃,80×55×10,数量各22)の受注を受けながらこれを原告に報告せ
ず,被告会社入社後にこれを被告会社に受注させ,被告会社に受注の横流しを行う
という背信行為を行った。
(3) 同(ウ)の行為
 原告は,平成14年7月20日,M株式会社から取引残高(485万10
00円)の確認依頼があった。原告は帳簿等を調査したが,M株式会社との取引の
存在を確認できなかった。
 その後,M株式会社は,残高確認依頼は間違いであったので廃棄してほし
いと連絡してきたが,残高確認依頼とは,取引先からの請求等に対し,相互の債権
債務の確認という目的で行われる重要な作業であり,その確定した金額を基に月次
及び確定決算等を作成するものであるから,これを原告からの指摘により,間違い
であったと回答するなどということは考えられない。
 被告元従業員ら(被告Fを除く。)は,本来原告とM株式会社間で行われ
るべき取引を,原告に関する帳簿に記載せず,被告会社に引き継ぐ目的で取引して
いたのである。
【被告らの主張】
(1) 【原告の主張】(1)の事実は否認する。被告元従業員ら(被告Fを除
く。)はそのような言動に及んだことはない。
(2) 同(2)の事実は否認する。
 原告の指摘する受注は,被告会社がL株式会社から受けたものであった
が,L株式会社が研磨修理依頼品を誤って原告福岡営業所に送付したことから,L
株式会社の指示を受けて,同依頼品を原告福岡営業所から被告会社へ引き渡したも
のである。
(3) 同(3)の事実は否認する。
 M株式会社と原告あるいは被告会社は,これまで全く取引したことがな
い。残高確認依頼書は,M株式会社が原告に誤送したものに相違ない。
8 争点(2)オ(上記各不法行為により原告の被った損害額)
(1) 原告の得べかりし営業利益相当の損害
 原告は,上記各不法行為により,前記3(1),(2)のとおり,平成14年7
月から平成15年6月までの12か月分の売上げ減少額1億7022万円に平成1
5年6月の粗利率31%を乗じた5276万8200円の得べかりし利益相当の損
害を被った。なお,被告らの上記7【原告の主張】(2)の不法行為により1万386
0円の,同(3)の行為により485万1000円の損害を被ったが,この損害は上記
損害に含まれるものである。
(2) 将来被るべき営業損害
 原告は,平成15年7月1日以降,被告らが営業をやめるまで,上記粗利
減少分月額323万5000円相当の損害を被ることになる。
(3) 弁護士費用
 527万6820円
(4) 結論
 以上のとおり,被告らは,原告に対し,上記(1),(3)の合計額5804万
5020円及び(2)の平成15年7月1日以降被告らが営業をやめるまで1か月32
3万5000円の割合による損害を賠償すべき義務がある。
第4 当裁判所の判断
1 争点(1)ア(本件営業情報は,不正競争防止法2条4項所定の営業秘密に該当
するか)について
(1) 不正競争防止法2条4項所定の営業秘密とは,「秘密として管理されてい
る生産方法,販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であっ
て,公然と知られていないもの」をいう。そこで,まず,本件営業情報が「秘密と
して管理されている」といえるか否か(秘密管理性の有無)について検討する。
(2) 証拠(甲1ないし4,15,25の1ないし4,甲28の1及び2,甲2
9ないし35,乙3ないし8,証人Hの証言(一部),被告C,同D,同E,同F
の各本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
ア 原告の営業活動の方法等について
 原告は刃物販売業者であり,その取引先としては本社分で約600社,
福岡営業所分で約550社を擁していた。取引先の業種は,紙の製造や裁断,塗料
の削取,プラスチック類等の産業廃棄物の粉砕,飼肥料製造等など多岐にわたって
いた。そのため,原告の取り扱う刃物の種類は,本社において約6600種類,福
岡営業所において約4200種類に上っていた。
 原告は,刃物の製造を行っておらず,取引先の注文に応じて刃物の製造
業者(仕入先)に発注して購入し,これを取引先に販売しているものである。この
ように,原告の取扱商品である刃物自体は,必ずしも原告独自の商品というもので
はなく,同業他社等である刃物販売業者も取り扱うことが可能な商品を対象とする
ものであって,原告は,同業他社との競争にさらされていた。そして,原告の営業
活動としては,各営業担当者が取引先(販売先)を訪問して同取引先が必要として
いる刃物の種類,形状,数量等を聞き出し,それに基づいて見積書を取引先に提出
し,受注を受けるという方法が採られており,この営業方法自体は他の同業者と大
差がなかった。
 その際,受注を受ける刃物の図面は取引先から入手する場合が多く,刃
物が機械の一部となっている場合には当該機械のメーカーが作成した刃物の図面を
取引先からコピーさせてもらったり,別の業者が作成して取引先が保有している刃
物の図面をコピーさせてもらったりするほか,現物を見て原告自らが新たに製図し
たり,刃物の製造業者に現物を持参して同業者に図面を作成してもらったりする方
法を採っていた。
 取引先から受注する刃物が以前と同じ刃物である場合には,電話等で受
注することが可能であったが,同業他社が原告の取引先を競合して訪問し,同様の
刃物についてより低い販売価額を提示する可能性がないわけではないことから,原
告の営業担当者としては,頻繁に取引先を訪問し,以前に受注した商品であっても
同業他社がより低い販売価額を提示していた場合には改めて取引先と価格交渉をし
たり,以前に受注したことがない刃物についても新たに受注するよう努めなければ
ならない。同業他社との競争により低い販売価額を提示しなければならない場合に
は,刃物製造業者(仕入先)に対して仕入値を低くしてもらうよう交渉したり,場
合によっては仕入先を変えたりすることを強いられる可能性もある。
 以上のような事情により,原告の営業担当者は,担当する各取引先が主
にどのような刃物を必要としているのか,その刃物の商品名等を大まかに認識して
いる必要はあるものの,刃物の細かな特質・寸法・材質・売値等については,取引
先の要望を個別的に聞き出し,交渉を経て決定されるものであるため,必ずしもこ
れらの事項をあらかじめ記憶し,あるいは認識しておく必要はない。また,取引対
象となる刃物の製作図面も,上記のとおり,取引先からコピーさせてもらったり,
現物を借りて自ら作成し,あるいは刃物製造業者に見せてこれを作成してもらった
りすることが可能であり,常にあらかじめこれらの図面を保有していなければなら
ないというものでもなかった。さらに,営業担当者の一般的な知識として,どの刃
物製造業者(仕入先)が,どのような種類の刃物を得意とし,どの程度の品質・性
能を有するものを製作できるか,納期はどれくらいかかるか,仕入値はどの程度か
を大まかに認識していることは有用であるものの,どのような種類の刃物を発注す
るかは,結局,取引先との交渉によって決定されることになるため,必ずしも上記
の点に関する正確な情報をあらかじめ記憶し,あるいは認識しておかなければなら
ないわけではなく,刃物の製作図面をあらかじめ保有しておかなければならないわ
けでもない。
イ 本件営業情報①ないし⑤の管理保管について
(ア) 原告の営業担当者は,取引先から刃物の受注を受けた場合には,取
引先名,商品名,寸法・材質,当該商品の売値,仕入先名及び仕入値などの情報を
受注原票に記載し,又はこれらの情報を各営業担当者に配付されているパソコンに
入力してプリントアウトし,これらの受注原票又はプリントアウトした紙(以下,
これらを併せて「受注原票等」という。)を事務担当者に渡していた。事務担当者
は,受注原票等に記載された情報をパソコンに入力し,当該パソコン端末機とLA
Nで繋がれている原告本社のサーバーに情報として蓄積していた。また,事務担当
者は,同情報に基づき,取引先に対する請求書等を作成するなどの作業を行ってい
た。事務担当者がその記載内容をパソコンに入力した後の受注原票等については,
原告本社においては各営業担当者に渡され,各自において適宜廃棄するなどしてい
たものであり,原告福岡営業所においては,被告Eから入力後の受注原票等が被告
Dに渡され,同被告においてこれをファイルし,同営業所内でこれを保管してい
た。また,受注原票等が施錠された場所に保管されたり,受注原票等の綴りの表紙
等にこれらが秘密である旨の表示がされたりするなどの取扱いがされた
ことはなかった。そして,原告は,各営業担当者が保有・保管している受注原票等
の管理保管方法について,各営業担当者に具体的な指示・指導をしたことはなかっ
た。
(イ) 他方,事務担当者がパソコン端末機を通じて原告本社のサーバーに
入力した取引内容は,販売管理システムにより,取引先毎の情報として,あるいは
1日の在庫数量の変動や売上実績等として,各営業担当者が閲覧できるようになっ
ていた。
 さらに,平成13年6月からは,原告本社のサーバーに入力された取
引内容を適宜組み合わせて閲覧できるようにするためのクエリーシステムが導入さ
れた。
 このクエリーシステムは,原告本社経理課長のHが構築し,Hのみが
使用していたが,その後Hが被告Fにその使用方法等を教え,被告Fが原告名古屋
営業所の事務員及び原告福岡営業所の事務員である被告Eに教えた。
 上記クエリーシステムを使用する場合には,ユーザーID,パスワー
ド,コマンドを入力し,知りたい電子情報が入っているファイルの名称を特定した
上,特定の抽出・出力の条件式を設定しなければならなかったが,ユーザーID,
パスワード,コマンド,ファイル名の意味(どのような電子情報が入っている
か),情報の抽出・出力の条件式については,H,被告F,被告Eなど,ごく限ら
れたクエリーシステム使用者にしか知らされていなかった。そのため,クエリーシ
ステムを使用して取引先に関し目的に応じた情報の組合せを閲覧したいと考える管
理職や営業担当者は,上記クエリーシステム使用者に閲覧の目的や閲覧したい事項
の組合せ等を説明して,同人らに文書化あるいはファイル化してもらったものを入
手するしかなかった。
 ところで,原告福岡営業所の営業担当者は,原告の営業活動が取引先
を訪問して直接交渉する方法を主体としていたため,既に決定した取引内容の組合
せ等を一覧できるものを必ずしも必要としていなかった。また,原告は,クエリー
システムの存在を原告の全従業員に知らせていたわけではなく,下記のとおり,現
にその存在を知らない原告従業員もいた。すなわち,被告Eは,被告Fからクエリ
ーシステムについて教えられたのが平成14年2月でこれを自由に使用できるよう
になったのが同年4月ころであり,原告福岡営業所の営業担当者である被告D,被
告A,被告B及び被告Cが特にクエリーシステムを利用した営業情報を組み合せた
ものを必要としているように見受けられなかったことから,同被告らにその存在を
知らせなかったため,同被告らは,原告を退職するまでクエリーシステムの存在を
知らなかった。
 被告Eがクエリーシステムを使用して営業情報の組合せを行ったの
は,原告から退職する者が引継書を作成する際にクエリーシステムを使って文書化
したものを渡すようにとの指示を原告本社から受けた被告Eが,取引先毎に,商品
名称・寸法・材質・売値・仕入値の各情報を組み合わせてこれをエクセルファイル
に落として文書化し,退職する担当者に配付した際と,原告本社から上司が原告福
岡営業所に来所し,年間売上げ200万円以上の得意先に限り文書化するよう求め
られたときだけであった。
ウ 本件営業情報⑥について
 上記アのとおり,原告においては,取引先からの受注に応じるために,
取引先から,その保有する刃物の製作図面をコピーさせてもらったり,原告本社あ
るいは原告営業所において現物を見ながら原告自らが製図したり,刃物製造業者
(仕入先)に作成してもらったりしていた。
 原告本社においては,そのような刃物の製作図面を棚に保管していた
が,その棚は施錠されていたわけではなかった。また,原告福岡営業所では,各営
業担当者が必要とされる図面を手元に置き,不要となった図面を施錠されていない
棚に保管していた。
 原告は,原告本社において図面をパソコン等で作成し,これを電子情報
として保有することもあったが,その場合には,各営業所から必要に応じLANを
経由して適宜上記電子情報を入手することができた。
 原告は,刃物の製作図面について,紙のものにせよ,電子情報にせよ,
その管理保管について従業員に指示したことはなかった。また,製作図面上に秘密
である旨の表示がなされたこともなかった。
エ 原告の従業員就業規則について
 原告の従業員就業規則37条は,原告の従業員が遵守すべき事項を定め
たものであるところ,同条5項には「会社の車輌,機械,器具その他の備品を大切
にし,原材料,燃料,その他の消耗品の節約に努め,製品及び書類は丁寧に取り扱
い,その保管を厳重にすること」と規定されている。
(2) 不正競争防止法2条4項にいう「秘密として管理されている」(秘密管理
性)とは,当該情報について,認識可能な程度に客観的に秘密の管理状態を維持し
ていること,具体的には当該情報にアクセスできる者が制限され,当該情報にアク
セスした者をして当該情報が営業秘密であることを認識させ得るようにされている
ことをいうものと解される。
ア 本件営業情報①ないし⑤について
(ア) 前示認定のとおり,原告は,本件営業情報①ないし⑤を,各営業担
当者が受注を受ける毎に作成する受注原票等に記載させ,これを事務担当者をして
パソコン端末機を通じて原告本社のサーバーに集積させる方法で保有していたもの
といえる。
(イ) 原告本社のサーバーに集積されていた本件営業情報①ないし⑤は,
平成13年6月以降はクエリーシステムを使用して閲覧し得るようになっていたと
ころ,上記クエリーシステムは,これを構築したHのほか,被告F及び被告Eら数
名の従業員(クエリーシステム使用者)のみがその使用に必要なユーザーID,パ
スワード,コマンド等を知らされており,そのため,クエリーシステムを使用して
取引先に関し目的に応じた情報の組合せを閲覧したいと考える管理職や営業担当者
は,上記クエリーシステム使用者に閲覧の目的や閲覧したい事項の組合せ等を説明
して,同人らに文書化あるいはファイル化してもらったものを入手するしかなかっ
たというのである。そうすると,原告による本件営業情報①ないし⑤の保有・保管
が,原告本社のサーバーに蓄積する方法に限定されていたとすれば,原告は,クエ
リーシステムの採用により,アクセス(クエリーシステムを使用すること)ができ
る者を限定し,パスワード等を設定することによってクエリーシステムを使用する
者をして使用の結果閲覧できる情報が営業秘密であると認識できるようにしていた
ということができ,その意味では本件営業情報①ないし⑤を秘密として管理してい
たと解する余地もある。
(ウ) しかしながら,本件営業情報①ないし⑤が最終的には原告本社のサ
ーバーに蓄積されるに先立ち,各営業担当者は受注を受ける毎に受注原票等に上記
営業情報を記載していたところ,これらの受注原票等は,事務担当者によりパソコ
ン端末機を通じて原告本社のサーバーに蓄積された後には,原告本社においては各
営業担当者に返還され各自が適宜廃棄処分するなどしていたものであり,原告福岡
営業所においては事務担当者の被告Eから被告Dに返還され,同被告においてこれ
をファイルし,同営業所内でこれを保管していたものであり,しかも,受注原票等
が施錠された場所に保管されたり,受注原票等の綴りの表紙等にこれらが秘密であ
る旨の表示がされたりするなどの取扱いがされたことはない上,原告は,上記受注
原票等の管理保管方法について,具体的な指示・指導をしたことはなかったという
のである。これによると,結局のところ,本件営業情報①ないし⑤については,こ
れにアクセスできる者が制限され,同情報にアクセスした者をして同情報が営業秘
密であることを認識させ得るような措置が採られているとは到底いえないものとい
うべきである。
 なお,原告の従業員規則37条5項は,書類等を厳重に保管すべき義
務を従業員に課したものということができるが,同規定は,原告の備品等を大切に
し,消耗品等を節約するというような規定と同列に規定されており,書類等の会社
の備品等を取り扱う際の従業員の心構えを抽象的に定めた規定というべきである。
したがって,このような規定をもって,特定の情報である本件営業情報①ないし⑤
が秘密として管理されていると客観的に認識し得るものであるということができな
いことは明らかである。
 なお,被告らの中には,本人尋問において,本件営業情報①ないし⑤
が企業活動において重要である旨を供述する者もいるが,同被告らが上記のような
認識を有していたとしても,それだけで客観的に上記情報が営業秘密であると認識
できたということができないことはいうまでもない(そのように認識できなかった
ことは,上記認定・説示から明らかである。)。
 以上のとおり,本件営業情報①ないし⑤が原告により秘密として管理
されていたと認めることはできない。
イ 本件営業情報⑥について
(ア) 前示認定のとおり,原告の取扱商品である刃物の製作図面は,原告
本社においても原告福岡営業所においても,施錠された棚等に保管されていたとい
うことはなく,また製作図面上に秘密である旨の表示がされたこともない。
 かえって,原告福岡営業所では,各営業担当者が必要とされる図面を
手元に置き,不要となった図面を施錠されていない棚に保管していたものであり,
原告本社のサーバーに製作図面が電子情報として存在する場合においても,各自L
ANを使用することによって上記電子情報を適宜自由に入手できるようになってい
たのである。その他,原告が,紙あるいは電子情報での刃物の製作図面について,
その管理や使用を指示制限したこともない。
 そうすると,原告が,本件営業情報⑥(紙又は電子情報としての刃物
製作図面)を秘密として管理していたということはできない。
(イ) 原告は,本件営業情報⑥は,電子情報については従業員が個人所有
のパソコンを持ち込んで原告本社のサーバーにアクセスできないようにしていたこ
と,紙の図面については施錠可能な棚に保管していたことを根拠に,秘密として管
理されていたと主張する。しかし,従業員の個人所有のパソコンから原告本社のサ
ーバーにアクセスできないとしても,原告が従業員に配付していたパソコンからで
あればこれにアクセスできるのであるから,結局,同情報が秘密として管理されて
いなかったことは明らかである。また,紙の図面について施錠可能な棚に保管され
ていたとのHの証言及び同人作成の陳述書には,これを裏付けるに足りる証拠はな
く,同人の同証言・陳述部分は信用できない。なお,従業員規則37条5項をもっ
て原告が本件営業情報⑥を秘密として管理していたということができないことは,
前記ア(ウ)で説示したとおりである。
ウ したがって,本件営業情報は,いずれも秘密管理性を欠くものであるか
ら,不正競争防止法2条4項にいう営業秘密に該当しない。
(3) そうすると,争点(1)アのその余の営業秘密の要件(有用性及び非公知
性)を検討するまでもなく,本件営業情報は営業秘密に該当するものではなく,し
たがって,争点(1)イ(被告らは,本件営業情報に関し不正競争防止法2条1項1号
4号ないし9号に該当する不正競争行為をしたか),ウ(上記不正競争行為により
原告の被った損害額)について判断するまでもなく,原告の不正競争防止法に基づ
く差止請求及び損害賠償請求はいずれも理由がない。
2 争点(2)ア(仮に不正競争防止法に基づく請求が認められないとしても,被告
らの上記(1)イの不正競争行為及び原告において培ってきたノウハウを利用した行為
は原告に対する不法行為を構成するか)について
(1) 原告は,仮に被告らの行為が不正競争防止法2条1項4号ないし9号所定
の不正競争行為に該当しないとしても,上記行為は原告に対する民法709条の不
法行為(民法719条の共同不法行為)を構成する旨主張する。
 しかし,前示1(2)の認定事実によれば,原告のように,刃物製造業者から
刃物を購入して取引先に販売する者の営業方法としては,日常的に取引先を訪問
し,取引先からその必要とする刃物の種類・寸法・材質,価額等を聞き出し,刃物
の製作図面を入手し,同業他社の提案する販売価額等を参酌して自らの商品の販売
価額あるいは条件を提示していくというような方法で行うものということができ
る。このような営業方法は,被告会社においても同様であると推認される。
 取引先の必要とする刃物の種類・寸法・材質,価額等の情報,刃物の製作
図面の内容というような本件営業情報は,前示1で認定説示したように秘密として
管理されているものではなく,取引先等からも適宜入手し得るものである。また,
これらの情報は,各取引先との過去の取引条件がその主体をなすものであって,そ
の有用性自体は否定できないとしてもその程度は必ずしも高くないといえる。
 これらの事情を考慮すると,原告の主張する一切の事情を参酌しても,被
告らの行為が民法709条の不法行為(民法719条の共同不法行為)を構成する
と解することは到底できない。
(2) また,原告は,取引先との信頼関係,社内従業員同士の人間関係,取引
先・仕入先の発掘方法,商品の製造方法,工業用刃物の図面の作成の仕方といった
ノウハウが原告に培われていたところ,被告元従業員らはこれを持ち出して被告会
社の営業活動に使用しており,これらの被告らの行為は民法709条の不法行為
(民法719条の共同不法行為)を構成すると主張する。
 しかし,原告がノウハウの内容として主張する上記内容は,結局のとこ
ろ,原告のような営業形態を採用する会社であれば通常当然に従業員に対し注意・
指導するような事項にすぎず,法的保護の対象となるような「ノウハウ」というこ
とは到底できない。
 なお,Hは,証人尋問で,原告から指導された内容として,長年の取引先
を大切にすること,仕入先の職人を怒らせないようにすること,取引先や仕入先の
発掘については工場便覧のようなものを見て相手先の事業内容を確認してから営業
活動に入ること,図面の作成については日本工業規格JISの図面の書き方が記載
された本を読んで簡単なものは作成できるようになっていることであると証言し,
被告Dや被告Cも,各本人尋問で同趣旨の供述をしている。これらの事項が原告の
主張する「ノウハウ」であるとしても,上記のとおり,これらの事項は法的保護の
対象とされるものでないことは明らかである。
 したがって,原告の主張する「ノウハウ」を被告らが使用したことが原告
に対する不法行為を構成するとの原告の主張は失当である。
3 争点(2)イ(被告A,被告B,被告C,被告D及び被告Eの原告からの退職行
為は,原告に対する不法行為あるいは共同不法行為を構成するか)について
(1) 前記第2の1(1)の争いのない事実等,証拠(乙3ないし8,被告D,被
告C,被告Eの各本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められ
る。
ア 原告の取締役の中には,原告従業員に対して,その能力不足を指摘した
り,原告を退職するようほのめかすような発言をする者がいた。そのため,被告
D,被告C及び被告Bは,同取締役から個人的に能力不足を指摘されたり,理由不
明のまま退職させられた従業員がいると感じており,かねてより原告を退職するこ
とをそれぞれ考えていた。
 被告C及び被告Bは,平成14年3月ころ,原告の取締役からその能力
不足を指摘された上,いつ辞めてもかまわない,あるいはどちらでもよいから原告
本社(大阪)に来いなどと言われたことをきっかけにして,原告を退職する決意を
固め,被告Dにその旨を相談した。被告Dは,かねてより懇意にしていた有限会社
石橋興産代表者であるGに被告Cと被告Bのことを相談したところ,Gは同被告ら
に会い,それぞれ有限会社石橋興産で雇用し,刃物の営業行為をさせようと考え
た。
 また,被告Dも,同時期に原告から辞めるようにほのめかされ,自らも
退職することを考えていた。ただし,Gから誘われたときには健康上の理由からこ
れを一旦は断った。
 被告Aは,同時期に,原告を退職して独立する計画を持っていた。
 被告D,被告C,被告B及び被告Aは,結局それぞれの理由により原告
を退職することを考えており,それぞれが退職願を書いて被告Dが原告本社に提出
することになった。被告Dは,平成14年5月15日,4名の退職願を原告本社に
持参して提出した。
イ 4名の退職願を提出された原告は,被告Dに対し,各人の退職の理由を
聞きたいと述べた。そこで,被告D,被告A,被告C及び被告Bは,平成14年5
月18日に原告本社に赴き,それぞれ退職の理由を述べた。
 これに対して,原告は,原告福岡営業所の営業担当者が全員一度に退職
されると支障が生じるので時期をずらすようにと指示した。その結果,被告Cと被
告Bについては希望どおり同年5月末日に退職することとなったが,被告Aと被告
Dは退職の時期を遅らせることになり,被告Aは同年6月14日に,被告Dは後記
の事情もあって同年7月15日にそれぞれ退職した。
ウ 原告は,早速,I取締役及び以前に原告福岡営業所に勤務したことのあ
るJ取締役を同営業所に派遣した。両取締役は,約2週間の間に,被告C,被告B
を同行して取引先に挨拶回りをしたり,引継文書を作成するよう指示したりした。
被告C,被告Bは指示どおりに引継文書を整えた上で,退職した。被告C及び被告
Bは,翌6月に被告会社に入社し,営業活動を開始した。
エ 原告は,平成14年6月20日に2名の従業員を新規に雇い入れ,原告
福岡営業所に勤務させた。
 原告では,新入社員を雇うと1か月もしないうちに即戦力として営業活
動をさせるようになり,わからないことがあれば取引先・仕入先に教えてもらうよ
う指導しており,実際に原告の営業活動は,主要な取引先について主要商品を記憶
するだけで,その他の詳細は取引先から購入したい刃物の内容や希望価格を聞いた
り,仕入先にそのような刃物の製造か可能か,仕入値はどれくらいになるかを聴取
する方法で行われていた。
 そこで,被告Dは,退職前に上記2名の新採用の従業員に対し,原告福
岡営業所の営業活動を説明し,1,2週間経過したころには取引先に出向いて営業
活動を行わせ,わからないことは取引先や仕入先に聞くように指示した。
 被告Dは,同年7月15日まで原告福岡営業所で勤務し,同日をもって
原告を退職した。
オ 被告Eは,被告C及び被告Bが退職する事態に至り,以前から原告の取
締役の勤務態度に疑問を持っていたこともあり,自分も退職しようと思うようにな
った。そこで,平成14年6月末ころ,被告Dと原告のJ取締役に対して退職の意
向を示した。J取締役は,被告Eが退職理由を述べたところ,直ちに了承し,後任
の事務職員を雇い入れた。被告Eは2週間程度その事務職員に対してパソコンの入
力の仕方や注文書の発送,経理の事務や仕分け方法等全般について教え,これらの
引継作業を完了した後,平成14年7月15日付けで退職した。
(2) 以上の認定事実によれば,次のようにいうことができる。
ア 雇用契約を締結した従業員はいつでも同契約を解約して退職することが
でき(民法627条1項等),また何人に対しても職業選択の自由が保障されてい
る(憲法22条1項)ことから,退職行為は,原則として正当な権利行使にほかな
らず使用者に対する不法行為を構成するものではない。ただし,従業員は,雇用契
約上の付随義務として,使用者の正当な利益を不当に侵害しないよう配慮すべき誠
実義務を負っているということができ,これを怠ったと認められる特段の事情があ
る場合には,使用者に対し債務不履行ないし不法行為に基づく責任を負うべき場合
があることは否定できない。そして,確かに,1営業所の営業担当者の全部又は大
半が一斉に退職した場合には,使用者の利益が害され得ることが考えられる。しか
しながら,本件においては,原告福岡営業所の営業担当者全員(被告D,被告A,
被告B,被告C)が原告に対し退職の意向を表明したところ,原告は,退職自体に
は反対せず,営業上の配慮からその時期をずらすよう要請し,同被告らはこの要請
に応じて,退職時期をずらしたものである。また,原告は,上記退職の意向表明を
受けて即座に2名の取締役を原告福岡営業所に派遣したり,新規の従業員や事務員
を採用するなどの措置を執り,被告元従業員らの退職までの間に引継ぎ等をさせて
いるのである。
 そうすると,被告D,被告A,被告B及び被告Cは,同被告らの退職に
より原告(使用者)の正当な利益が不当に侵害されないようそれなりの配慮をし,
原告をして,新入社員の採用,引継ぎ等の営業上の混乱が生じないための措置を執
るのに必要な期間の経過後に原告を退職したものである。したがって,同被告らの
退職行為には労働契約上の義務を怠ったと認められる特段の事情は認められず,同
行為が原告に対する不法行為を構成するということはできない。
 被告Eについても,原告はその退職希望を異議なく了承したものである
上,同被告は2週間程度をかけて後任の事務職員に対し引継作業を行い,その後に
退職しているという前示認定事実に照らせば,同被告の退職行為にも労働契約上の
義務を怠ったと認められる特段の事情は認められず,同行為が原告に対する不法行
為を構成するということはできない。
イ 以上のとおり,被告A,被告B,被告C,被告D及び被告Eの退職行為
が,原告に対する不法行為を構成するとの原告の主張は失当である。
4 争点(2)ウ(被告D及び被告Aは,被告B,被告C,被告E及び被告Fに対し
て,違法な引抜き行為と評価されるような被告会社への勧誘行為を行ったか)につ
いて
(1) 証拠(乙3,5,6,8,被告D,被告C,被告E,被告F及び被告会社
代表者の各本人尋問の結果)によれば,次の事実が認められる。
ア 被告Aは,平成14年4月当時原告福岡営業所の所長代理であり,同年
6月14日に原告を退職した。被告Dは,同年4月当時原告福岡営業所所長であっ
たが,同年7月15日に原告を退職した。
 被告A及び被告Dの業務内容は,主として営業担当者として取引先から
受注を受けることであって,被告Aは原告本社の営業会議に参加していたが,その
際にいかなる役割を果たしていたのかは不明である。
イ 被告B及び被告Cが被告Dに原告を退職することを相談した経緯は,前
記3(1)ア記載のとおりである。
ウ Gは,被告Aが独立を考えていると聞いても同被告を誘わなかったが,
その後被告Aの方から雇ってもらいたいと要請されたため,同被告を雇うことにし
た。
 また,Gは,被告Dも誘ったものの,同被告が健康上の理由で断ったた
め,とりえあえず自ら1000万円を出資して被告会社を設立して営業活動を開始
することにした。被告会社は平成14年6月11日に設立された。
 被告C及び被告Bは平成14年5月末日で原告を退職していたので,当
初より被告会社の従業員となっていたが,被告Aは同年6月15日に原告を退職
し,その後被告会社の従業員となった。
エ 被告Eは,被告C及び被告Bが原告を退職するという事態に直面し,平
成14年6月末ころには自らも退職することを考えるようになっていたところ,被
告Aから原告福岡営業所の状況を聞かせてほしいとの電話を受けた際,同時に今後
どうするのかと聞かれ,辞めようかと思っているが,次の就職先がすぐに見つから
ないで悩んでいる旨を話した。被告Aは,被告Eに対し,被告会社に就職するよう
勧誘した。被告Eは,その勧誘に従いとりあえず被告会社に就職することにした。
なお,被告Eは,その後も他の就職先を探しており,平成15年5月に適当な就職
先が見つかったため,被告会社を退職した。
オ 被告Dは,平成14年7月15日に原告を退職したが,Gの勧誘を受
け,同年9月に被告会社に就職した。
カ 被告Fは,原告が30名くらいの従業員しかいないにもかかわらず,平
成13年及び同14年だけで10名以上辞めていること,その結果,被告Fよりも
前に入社した者がJ・I両取締役を含めた3名となり相談できる者がいなくなった
こと,年齢が高くなったことを理由として辞めさせられた従業員がいるのを見るに
至り,自分もそのうち辞めさせられるのではないかとの不安にかられていたことか
ら,再就職の可能性のある35歳までには退職しようと考えていた。
 被告Fは,満34歳になる直前の平成15年2月12日,同年3月15
日に退職したいとの退職願を原告に提出した。原告は,J取締役と被告Fが話し合
った後,同年2月20日に退職願を受理した。
 被告Fは,退職願が原告に受理された後,できれば同じような業種の仕
事がしたいと考えていたが,同年3月下旬に被告Dから連絡を受けた際に相談し,
同被告から勧誘されて,被告会社の代表者であるGに会い,その結果,同年4月に
被告会社に入社した。
(2) 以上の認定事実によれば,次のようにいうことができる。
 雇用契約上の信義則に基づく付随的義務として,従業員が使用者に対し,
使用者の正当な利益を不当に侵害しないよう配慮すべき誠実義務を負っていること
は,前示3(2)アに説示したとおりであるところ,特に幹部従業員についてはその誠
実義務は他の従業員と比べてより高度のものになると解される。しかし,職業選択
の自由が憲法上保障され,また,退職行為が原則として正当な権利行使であって使
用者に対する不法行為を構成するものではないことからすれば,幹部従業員が在職
中又は退職後に他の従業員に対して行った引抜き行為が上記誠実義務違反となるの
は,その方法が脅迫行為を伴うとか,会社に損害を加えることを目的として主な営
業担当者を大量かつ一斉に引き抜くなど,社会的相当性を著しく逸脱する態様でな
された場合に限られるというべきである。
 これを本件についてみるに,被告A及び被告Dは,その業務内容からして
幹部従業員といい得るのか疑問がないわけではないが,その点はさておくとして
も,同被告らの行った勧誘行為は,前示のとおり,在職中,原告からの退職を希望
して相談してきた部下の被告B及び被告Cに対し,知合いのGを紹介したこと及び
退職後に被告Eに電話で被告会社への入社を勧誘したにすぎない。そして,被告A
及び被告Dは,被告Fに対しては,何らの勧誘行為も行ったとは認められない。以
上の被告A及び被告Dの勧誘行為が,幹部従業員に課せられた雇用契約上の誠実義
務に違反し,社会的相当性を著しく逸脱する態様でなされた従業員の引抜き行為で
あるとは到底いえないものというべきである。
(3) 以上のとおり,被告D及び被告Aの被告B,被告C,被告E及び被告Fに
対する違法な引抜き行為があるとして,債務不履行ないし不法行為に基づく責任が
あるとする原告の主張は理由がない。
5 争点(2)エ(次の各行為の存否)について
(1) 争点(2)エの(ア)の行為
 原告は,被告元従業員ら(被告Fを除く。)が原告の取引先に対して,原
告福岡営業所は閉鎖されていないのに,「正久(原告)は潰れた。被告会社が業務
を引き継ぐ。」との虚偽の事実を述べ,原告の取引先に誤解を与えて原告との取引
をやめさせたと主張する。そして,これに沿うかのような,原告従業員であるK
(福岡営業所勤務で被告D退職後に採用された。)作成名義の陳述書(甲39)が
ある。
 しかしながら,同陳述書には,Kが取引先であるN株式会社を訪問した
際,同社の者から,被告会社の従業員が「まだ,やっていたのですか。正久はどう
なるかわからない,石橋が引き継ぐと言っていました。」などと言っていたことを
聞いたとの記載があるものの,これを裏付ける客観的証拠はなく,N株式会社代表
者は,明確にこれを否定している(乙12)ことに鑑みると,上記陳述書の記載を
そのまま採用することはできない。他に,原告の上記主張事実を認めるに足りる証
拠はない。
 また,被告会社の従業員が発言したという上記内容も伝聞によるものであ
って,その内容自体必ずしも明確ではないことからすると,仮に被告会社の従業員
が話の中で上記内容に類することを述べたとしても,それが直ちに原告に対する不
法行為を構成するとはいい難い。
(2) 同(イ)の行為
 原告は,被告Eが平成14年6月7日に他の被告元従業員ら(被告Fを除
く。)と共謀して,いずれも原告在職中であるにもかかわらず,原告がL株式会社
から研磨処理(TCスリッターナイフ上刃,100×66×1.0,TCスリッタ
ーナイフ下刃,80×55×10,数量各22)の受注を受けながらこれを原告に
報告せず,被告会社入社後にこれを被告会社に受注させ,被告会社に受注の横流し
を行うという背信行為を行ったと主張する。
 そこで,検討すると,甲第11号証の1及び2及び被告Eの供述によれ
ば,確かに,L株式会社から原告宛に研磨処理の対象物が配達され,被告Eがその
荷物領収原票に受領印を押捺したことが認められる。しかし,乙第1号証及び被告
Eの供述によれば,上記研磨処理を依頼された研磨物は,L株式会社が被告会社
(設立準備中)に送付すべきものを誤って原告に送付したものであり,被告Eはそ
の荷物領収原票に受領印を押捺した後,L株式会社から電話を受け,被告Bに上記
研磨物を取りに行かせるから同被告に渡してほしいと言われ,取りに来た同被告に
これを交付したことが認められ,この認定を覆すに足りる証拠はない。この認定に
沿う被告Eの供述は,その内容自体が不自然であるということはできずその信用性
を否定することはできない。
 そうすると,研磨処理の受注を受けたのが原告であると認めることはでき
ないから,このことを前提に,被告Eが,原告在職中他の被告元従業員ら(被告F
を除く。)と共謀して,L株式会社から原告への発注を原告に報告せず,被告会社
入社後に被告会社に受注させたということはできず,このことを理由に同被告らが
原告に対し不法行為責任を負うとの原告の主張は理由がない。
(3) 同(ウ)の行為
 原告は,次のとおり主張する。すなわち,原告は,平成14年7月20
日,M株式会社から取引残高(485万1000円)の確認依頼を受けた。原告は
帳簿等を調査したが,M株式会社との取引の存在を確認できなかった。その後M株
式会社は,残高確認依頼は間違いであったので廃棄してほしいと連絡してきたが,
残高確認依頼とは,取引先からの請求等に対し,相互の債権債務の確認という目的
で行われる重要な作業であり,その確定した金額を基に月次及び確定決算等を作成
するものであるから,これを原告からの指摘により,間違いであったと回答するな
どということは考えられない。被告元従業員ら(被告Fを除く。)は,本来原告と
M株式会社間で行われるべき取引を,原告に関する帳簿に記載せず,被告会社に引
き継ぐ目的で取引していたのである,と。
 しかし,乙第2号証(M株式会社作成の報告書)によれば,M株式会社
は,原告に送付した残高確認依頼書は誤送したものであり,原告との取引関係は全
くなかったことが認められる。
 原告は,上場企業が残高確認依頼書を間違って取引のない者に送付するこ
とはあり得ないので,乙第2号証の記載は信用できない旨主張する。しかし,原告
の主張自体によっても,M株式会社が残高確認依頼は間違いであったので廃棄して
ほしいと連絡してきたというのであり,それが被告元従業員ら(被告Fを除く。)
との共謀による虚偽の内容の連絡であったと認めるに足りる証拠はない。また,M
株式会社以外の取引先との取引で,被告元従業員ら(被告Fを除く。)がその取引
を原告に報告しなかったり帳簿に記載しなかったりしたものが存在することを窺わ
せるに足りる証拠はないところ,同被告らが,ことさらM株式会社のみの取引を原
告に報告しなかったり帳簿に記載しなかったりするような行為に出たというのは合
理的に説明のつくことではなく,著しく不自然というほかない。そして,目的の異
なる住所録の使用その他の手違いから本来取引関係のない者へ残高確認依頼書の送
付を間違えることが皆無とはいえず,そのこと自体を不自然不合理ということがで
きないし,その他,M株式会社の残高確認依頼書を誤送したとの乙第2号証の記載
の信用性を否定する事情を認めるに足りる証拠もない。
 そうすると,原告とM株式会社との取引はもともと存在しなかったと認め
るほかはなく,同社から原告宛の残高確認依頼書(甲13)が送付された事実のみ
をもって,上記取引の存在が認められるものとし,被告元従業員ら(被告Fを除
く。)が原告に報告するか帳簿に記載すべき取引を被告会社に引き継ぐ目的で行っ
たと認めることは到底できない。
6 原告の被告らに対する不法行為に基づく損害賠償請求について
 上記2ないし5に説示したとおり,原告の被告らに対する不法行為に基づく
損害賠償請求は,争点(2)オ(上記各不法行為により原告の被った損害額)について
判断するまでもなく,すべて理由がない。
7 結論
 以上の次第で,原告の被告らに対する不正競争防止法に基づく請求及び不法
行為に基づく損害賠償請求をいずれも棄却することとし,主文のとおり判決する。
大阪地方裁判所第21民事部
裁判長裁判官  田中俊次
    裁判官中平健,同大濱寿美は,転任のため署名押印することができない。
裁判長裁判官  田中俊次
(別紙省略)

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