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主文
1 被告は,原告らに対し,それぞれ3314万1886円及びこれに対する平成14年6
月9日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告らのその余の請求(但し,1項で認容した金額に相当する債務不履行に基づ
く損害賠償請求及びこれに対する付帯請求部分を除く。)をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は,これを10分し,その1を原告らの,その余を被告の各負担とする。
4 この判決は,1項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
被告は,原告甲に対し,3587万4362円,原告乙に対し,3587万4361円及
びこれらに対する平成14年6月9日から各支払済みまで年5分の割合による金員
を支払え。
第2 事案の概要
本件は,被告の従業員である丙が急性心筋虚血で死亡したのは,被告におい
て安全配慮義務に違反して丙に時間外労働をさせ,かつ宿泊を伴う研修等に従事
させたことが原因であるとして,丙の相続人である原告らが,被告に対し,それぞ
れ,不法行為又は債務不履行に基づく損害の賠償として,慰謝料等及びこれらに
対する遅延損害金の支払を求めた事案である。
1 前提事実(争いのない事実及び証拠によって容易に認められる事実)
(1) 当事者等
ア(ア) 丙(昭和18年a月b日生まれ)は,平成14年6月9日午前11時ころ,北
海道樺戸郡c町d番地において,急性心筋虚血で死亡した(甲2)。
(イ) 原告甲は丙の妻であり,原告乙は,丙と原告甲との間の子である。
イ(ア) 日本電信電話公社(以下「公社」という。)は,昭和27年8月,日本電信
電話公社法の施行に伴って発足し,昭和60年4月1日に民営化されて,日
本電信電話株式会社(以下「旧NTT」という。)に一切の権利義務を引き継
いで解散した。
(イ) 平成11年7月1日,日本電信電話株式会社等に関する法律の施行によ
る旧NTTの再編成により被告が設立された。被告は,同法により,東日本
地域における地域電気通信業務,地域電気通信業務に附帯する業務等の
業務をその事業として行うこととされた(乙1。以下,被告及び西日本電信
電話株式会社等を含めて「NTTグループ」と総称する。)。
ウ 丙は,昭和37年4月に公社に入社して旭川事業所に配属となったところ,そ
の後,丙の雇用関係は,公社から旧NTTへ,旧NTTから被告へと引き継がれ
たが,その間の勤務場所は,死亡するに至るまで同事業所のままであった。
この間,丙は,旭川電話局電力課,同施設部試験課,旭川電報電話局第
二施設部市内試験課,同局内保全課,旭川支店設備部機械設備担当,同お
客様サービス部(113サービス)などを経て,平成5年10月12日に旭川支店
お客様サービス部(116サービス)に,平成11年1月25日に北海道支店お
客様サービス部(旭川116センタサポート)に,平成13年1月1日に同サービ
ス部(116部門旭川116センタ)に順次配属先が変更になり,平成14年4月
24日,北海道支店旭川営業支店(法人営業)に配属替えとなった。
(2) 丙の健康状態
丙は,平成5年5月30日,職場定期健康診断で心電図の異常を指摘され,
同年6月14日に市立旭川病院で外来受診したところ,心電図,心臓超音波検査
の所見から陳旧性心筋梗塞が疑われたため,同年7月5日,同病院に入院し,
心臓カテーテル検査,冠状動脈造影検査を受けた。その結果,同動脈に有意な
狭窄が認められるとともに,左室造影により壁運動が一部低下していたことか
ら,陳旧性心筋梗塞(合併症として高脂血症)と診断された。同人は,同年8月6
日,同病院に再入院して,同月9日,経皮的経管的冠状動脈血管形成術(以下
「PTCA」という。)を受け,以降,高脂血症の治療と併せて,冠状動脈疾患に対
する内服治療を続けていた(甲3,4,13)。
(3) 被告における健康管理規程等
ア 被告の健康管理規程(乙4)には,次のとおりの定めがある(28条)。
「健康管理医は,健診等の結果,又は第30条により組織の長から診断書
の送付を受けたときは,必要に応じ検診を行い,管理が必要であると認めら
れる者(以下「要管理者」という)について,それぞれ次の各号により指導区分
を決定するものとする。
(1) 療養(A) 勤務を休む必要があるもの
(2) 勤務軽減(B) 勤務を軽減する必要があるもの
(3) 要注意(C) ほぼ平常の勤務でよいもの
(4) 準健康(D) 平常勤務でよいもの」
イ 被告の健康管理規程取扱細則(乙5)には,次のとおりの定めがある(28条
2項(3))。
「要注意(C)の服務については,次の各項によることとする。
ア 日勤,夜勤以外の服務につかせない。ただし,やむを得ぬ理由で前
記の服務以外の服務につかせる場合は,組織の長と健康管理医が
協議して決める。
イ 時間外労働は命令しない。ただし,やむを得ぬ理由で時間外労働を
命令する場合は,組織の長と健康管理医が協議して決める。この場
合においても,1日2時間,1週2回を限度とする。
ウ 過激な運動を伴う業務,宿泊出張はさせない。ただし,やむを得ぬ
理由で宿泊出張させる場合は,組織の長と健康管理医が協議して決
める。」
ウ 前記(2)の手術後の平成5年8月20日,被告は,丙が健康管理規程の「要注
意(C)」の指導区分に該当すると判断し,丙に対してその旨通知した(乙1
2)。
(4) 時間外労働・休日労働(甲7の1ないし17,8の1ないし16,9の1ないし13,1
0の1ないし8)
ア 丙の平成10年から平成14年までの時間外労働時間は次のとおりである。
(ア) 平成10年 1か月平均0.83時間
(イ) 平成11年 1か月平均1.33時間(合計16時間)
(ウ) 平成12年 1か月平均2.92時間(合計35時間)
(エ) 平成13年 1か月平均4.83時間(合計52時間。但し,給与明細書が
ある10か月分の合計。)
(オ) 平成14年 1か月平均0.5時間(合計5時間)
イ 丙の平成11年から平成14年までの休日労働は次のとおりである。
(ア) 平成11年 合計16時間(8時間×2日)
(イ) 平成12年 合計40時間(8時間×5日)
(ウ) 平成13年 合計16時間(8時間×2日)
(エ) 平成14年 合計8時間(8時間×1日)
(5) 被告による構造改革
被告は,平成13年4月,NTTグループ3か年経営計画(平成13年度ないし
平成15年度)を策定し,これに基づきNTTグループの事業構造改革を実施する
と発表した。その主な内容は,電話からIP・ブロードバンドへの事業転換,被告
の基幹業務である固定電話の保全・管理・営業等の業務を新設する都道県別
子会社(被告が100パーセント出資。以下「新会社」という。)に外注委託するこ
となどである。そのため,雇用形態の多様化を図ることが重要であったことから,
被告は,社長通達により,3つの雇用形態・処遇体系を用意し,本人の希望によ
りこれを選択させることとし,平成14月3月31日の時点における年齢が50歳以
上の従業員に対し,同年5月以降の雇用形態,処遇体系を同年1月18日まで
に選択し,「雇用形態等選択通知書」を被告宛てに提出するように命じた。なお,
新会社の業務開始は同年5月1日とされた。
被告の従業員が選択可能な雇用形態・処遇体系は,次のアないしウのとおり
である(なお,「雇用形態等選択通知書」を提出しない者については,ウの60歳
満了型を選択したものとみなされた。)。
ア 繰延型
同年4月30日に被告を退職し,同年5月1日に新会社に採用される。賃金
月額は,15パーセントから30パーセント低下する(新会社での定年は60歳
であるが,現行のキャリアスタッフ制度と同様の枠組みで最長65歳までの雇
用継続が可能であるとされた。なお,60歳以降の期間を通じて激変緩和措置
としての給与加算が行われる。)。
イ 一時金型
雇用形態としては繰延型と同じであるが,激変緩和措置については,同年
4月30日の被告退職時に一時金が支給される。
ウ 60歳満了型
被告との雇用契約を継続するもので,新会社を除くNTTグループの会社又
は被告において,企画・戦略,設備構築,サービス開発,法人営業等の業務
に従事する。全国転勤が前提となり,成果業績主義が徹底される(60歳定年
後に最長65歳までの雇用継続が可能であったキャリアスタッフ制度は,被告
においては廃止するものとされている。)。
(6) 60歳満了型を採用した者に対する研修
ア 被告は,60歳満了型を選択した社員のうち,新会社にその担当業務が移行
することになった者については,再配置が必要となるところから,平成14年4
月24日から同年5月1日にかけて法人営業部門に異動させ,その後約2か
月間をかけて,法人営業に必要な技能等を習得させるための研修を行った
(以下,これを「本件研修」という。)。
イ 丙は,60歳満了型を選択したことから,本件研修への参加を命じられた。
ウ 本件研修の実施期間及び研修場所は次のとおりである。
(ア) 平成14年4月24日
場所 札幌市内のNTTグループの会社(NTT札幌大通14丁目ビル)
(イ) 同月25日から同年5月17日まで
場所 札幌市内のNTT北海道セミナーセンタ
(ウ) 同月20日から同月31日まで
場所 東京都調布市のNTT東日本研修センタ
(エ) 同年6月3日から同月21日まで
場所 札幌市内のNTT北海道セミナーセンタ
(オ) 同月24日から同月30日まで
場所 各事業所
エ 本件研修期間中の丙の宿泊施設等は次のとおりである。
(ア) 平成14年4月24日
ホテルE札幌 ツインルーム 同泊者1名
(イ) 同月25日から同年5月17日まで
NTT北海道セミナーセンタ 4人部屋(2段ベッド2台)同泊者1名
(但し,丙は,同年4月27日から同年5月6日までのいわゆるゴールデン
ウィーク期間中,連続休暇を取得して,旭川市の自宅に帰宅して休養し
ていた(証人F)。)
(ウ) 同月20日から同月31日まで
NTT東日本研修センタ 4人部屋(2段ベッド2台)同泊者3名
(エ) 同年6月3日から同月7日まで
ホテルE札幌 シングルルーム
オ 本件研修は,1日7時間30分の所定時間内で実施されたほか,土曜,日曜
の休日も付与されており,研修期間中,時間外労働及び休日労働はなかっ
た。
(7) 丙の死亡等
ア 丙は,再度の札幌での研修期間中の平成14年6月7日(金)の研修終了後
から旭川の自宅に帰宅しており,同月9日午前に一人で墓参りに出かけた
が,同日午後10時過ぎ,北海道樺戸郡c町d番地所在の先祖の墓の前で,
仰向けになって左手を胸に当てた状態で死亡しているのを発見された(甲2,
13,15及び原告甲本人)。
イ 原告甲は,旭川労働基準監督署長に対して,労働者災害補償保険法に基
づく遺族補償年金支給及び葬祭料の請求を行ったが,同署長は,平成16年
7月12日付けで,いずれに対しても不支給決定をした(甲22,23)。
2 争点
(1) 丙が従事していた業務と同人の死亡との間の因果関係の有無
(2) 被告の過失又は安全配慮義務違反の有無
(3) 丙及び原告らが被った損害
3 争点に対する当事者双方の主張
(1) 因果関係の有無(争点(1))について
(原告らの主張)
ア 丙の業務内容
(ア) 丙は,平成13年1月1日から平成14年4月23日まで,被告北海道支
店お客様サービス部旭川116センタ(以下「116センタ」という。)で,サー
ビスオーダーセンタ(以下「SOC」という。)の業務を担当していた。116セ
ンタは,電話の新規加入,移転,増設,名義の変更,各種通信機器(電話
機,FAX,モデムなど)の設置,プッシュホンやキャッチホンなど各種利用
サービス,ISDN,ADSL,光回線などの通信回線のグレードアップ,マイラ
イン等について利用者からの注文や問い合わせに対応する部門である。
(イ) 丙は,同センタにおいて,SOCの業務のうち結了という仕事を担当して
いた。その内容は,窓口担当者が利用者から受け付けた様々な電話サー
ビスに関わる注文内容が正確に処理されているか否かを点検し,不備が
あれば受付担当者と連絡をとり(場合によっては,直接利用者に問い合わ
せ),補正をして注文処理を完了させる仕事である。
この結了の作業項目としては,①電話帳への名義掲載,広告掲載の確
認作業,②バックオーダー,日締め作業,③通信機器代金,工事代金など
の請求内容の確認作業,④電話工事の実費や設置機器(商品)変更によ
る工事部門から依頼される修正作業,⑤工事料金の最終正誤確認作業な
どがあるが,このうち,丙の担当作業は,②であった。なお,116センタは
旭川,北見,釧路及び帯広の各地域を受け持っていたが,丙が分担してい
たのは,そのうちの旭川地域であった。
(ウ) 丙の担当業務のうちの日締め作業とは,電話等の工事約束をした1日
分の注文伝票の工事進捗状況を点検し,完了処理を行い,未完了となった
ものはその原因調査・分析を行うというもので,この作業は,午前9時から
同11時ころまでの2時間で処理していた。
 また,バックオーダー処理業務とは,利用者の都合や被告側の都合で工
事内容,工事日時等に変更が生じ,工事が持ち帰りとなったものの後処理
のことをいう(この業務は1日10件程度ある。)。
(エ) 結了業務は,顧客の膨大な注文データを確認して正確に処理・完了させ
なければならず,問題があって当初の注文が変更となった場合には,顧客
から苦情が寄せられることもあるので神経を使うし,内部的にも各工事部
門との調整が必要となるため,とりわけ神経の集中を要する厳しい仕事で
ある。特に,料金がらみの確認の場合,誤ったまま結了させると料金請求
に誤りが生じ,その責任を問われることになる。また,顧客との契約状況に
より,注文変更があれば顧客管理システムによってパソコン端末から注文
伝票を打ち直す必要があり,マニュアルを見ながら作業をするため1ないし
2時間を要することもあった。
このように,日々時間に追われる作業の連続で,各個人が責任を持って
担当する作業であることから,休めば休むほど自分の仕事が溜まるため,
勤務中に休憩が取れる状況ではなかった。注文の変更や作り直しなどバッ
クオーダー件数が多いときは時間外労働を強いられた。
(オ) 北海道においては,約300名の社員が札幌,旭川及び函館の3か所で
116番の受付業務に従事しているが,平成13年1月の業務集約で支店が
10か所から3か所に減少したのに伴い,道内に34か所あった営業窓口が
6か所になり,116番窓口も10か所から3か所に減少した。そのため,利
用者の注文が116番に殺到し,最終的に注文を確認するSOC部門の業
務量も増大した。
イ 丙の死亡に至る経過及びその原因
(ア) 死に至る医学的機序
丙の死因である急性心筋虚血(急性心不全)とは,冠状動脈の閉塞,心
停止を含む不整脈,血圧の低下(ショック)などにより,急激に心臓全体又
は心筋の一部への血流が停止又は減少した状態をいい,この状態が短時
間のうちに改善されなければ死亡の転帰をたどる。
急性心筋虚血の原因となる病態については,通常は,①急性心筋梗塞
の再発,②重症不整脈(陳旧性心筋梗塞があると発症可能性が高ま
る。),③冠攣縮性狭心症あるいは労作性狭心症の関与,④心臓以外の病
態の関与が考えられる。
丙は,陳旧性心筋梗塞で,右冠状動脈,左冠状動脈の前下行枝(分枝)
及び左回旋枝(分枝)の3か所に狭窄があり(冠状動脈3枝障害),平成5
年8月9日にPTCAを受けたが,心肥大などの状態へ悪化していたわけで
はなかったことを考えると,急性心筋虚血の原因は,④の心臓以外の病態
の関与を除く,①ないし③のいずれかによって引き起こされたものと推測す
るのが妥当である。
(イ) 丙の健康状態
平成5年における丙の心臓の状態は,高度の冠状動脈3枝障害で,もは
やPTCAによって冠状動脈を拡げる手術を行っても効果は得られない状態
である上,冠状動脈の狭窄が進行しており,運動耐容量は5-6METs以
下(歩行,サイクリング等の軽い運動にしか耐えられない状態)であった(M
ETsとは,日常生活の運動量を代謝量に換算したもので,心臓がどの程度
の運動に耐えられるかを推定するために使用される医学上の指標であ
る)。
心筋梗塞や不整脈等の発症をもたらす要因の一つが過労(長時間労
働)であることは,周知の事実であり,過労という状態は,肉体的ストレスの
みならず心理的ストレス状態であり,睡眠不足や変則勤務(不規則労働)な
ど生体リズム及び生活リズムの乱れが加わることにより,心筋梗塞や不整
脈等の発症をもたらし,心臓突然死の原因となる。
この様な事態を回避するため,被告は,丙を健康管理規程における指
導区分「要注意(C)」とし,原則として①日勤,夜勤以外の業務に就かせな
い,②時間外労働は命令しない,③過激な運動を伴う業務,宿泊出張はさ
せないこととした。
この趣旨は,①日勤夜勤以外の変則勤務については,労働者の生体リ
ズム,生活リズムを乱し,肉体的,心理的負荷を与えることを防止するため
に禁止されているものであり,②時間外労働の禁止については,長時間労
働が労働者に肉体的,心理的負荷を与えることを防止するために禁止され
ており,③過激な運動を伴う業務が著しい肉体的負荷を与えることは当然
のこととして,宿泊を伴う出張についても,宿泊が日常生活の本拠を離れる
ことによって労働者の生体リズム,生活リズムを乱し,肉体的,心理的負荷
を与えることから禁止されている。したがって,宿泊が連続すれば,ストレス
状態も継続することになる。
以上を総合すると,丙は,健康管理規程によって,少なくとも平成13年
ころまで,一応安定した状態を保ち,生体リズム,生活リズムの乱れを防
ぎ,心筋梗塞及び不整脈等による心臓突然死を予防・回避できていたとい
うべきである。
(ウ) 丙の自己管理
丙自身も,平成5年の入院治療後は,定期的に通院しながら治療を継続
し,手術後は喫煙を止め,激しい運動を控えるなど心筋梗塞の危険因子を
取り除く努力をする一方,規則正しい生活と適度の運動に心がけることとし
て,健康維持・管理に努めてきた。これらの丙の自己管理も,丙が平成13
年ころまで安定した状態を保った原因の1つと言える。
この点,被告は,労働者が自己の健康管理義務,私生活上の自己健康
管理義務を負っている旨主張するが,労働者に限らず,誰もが自分自身の
健康に留意すべきことを自己健康保持義務と呼んでいるに過ぎず,法的に
は全く意味のない主張である。また,私生活上の自己健康管理義務なるも
のは,私生活上健康を害することによって,労務の提供ができない結果を
招来しないようにすべきであるという労務提供義務を言い換えたものに過
ぎず,独立した義務として観念する理由はない。
(エ) 時間外労働時間の増加
丙は,指導区分「要注意(C)」とされながら,時間外労働を行うだけでな
く,本来休息を取らなければならない休日に出勤しており,これらが丙にと
って疲労を蓄積させていった大きな要因になったことは明らかである。
特に平成13年の時間外労働は,被告側の主張によっても,平成12年
が1か月平均2.92時間に過ぎないものが,平成13年には4.83時間と
約2時間も急増しており,実時間数も平成12年は35時間であるのに平成
13年は52時間と大幅に増加している。
このような時間外労働等の増加が丙に一定の肉体的,心理的負荷を与
えたことは否定できない。
(オ) 平成13年4月に発表されたNTTグループの事業構造改革(本件リスト
ラ計画)から雇用形態選択まで
事業場で進行しつつある,あるいは予想される組織の変化はその事業
場の労働者にストレスを与えるところ,被告の行った本件リストラ計画は,
終身雇用制の中止,早期退職勧奨,人員削減,大幅な外注委託を内容と
するものであり,一般の労働者にとって将来への大きな不安を生じさせ,心
理的ストレスとなったことが推測できる。
丙は,自身の健康状態だけでなく,パニック症候群という持病を有する
妻の原告甲を心配し,今後の進路の選択や,遠隔地に転勤になった場合
のことについて,他の労働者以上に悩んでいた。
丙には,本件リストラ計画の発表後雇用選択の期限が迫った時期など
に,睡眠不足,食欲不振,肩凝り等の異変が現れ,「俺が我慢すればいい
のか。」といった独り言や,「遠くになんか行きたくない,東京には行きたくな
い。」といった寝言を言うようになった。
このように,本件リストラ計画の発表と雇用形態の選択という事態が,丙
にとって,心身に顕著な異変をきたすほどの心理的負荷となっていたことは
明らかである。
(カ) 本件研修
被告は,時間外労働の増加及び雇用選択に関わる心理的ストレスによ
り体調に異変をきたし,平成13年までの一応安定した状態も維持できなく
なった丙に対して,平成14年4月24日以降,2か月に及ぶ長期間かつ継
続した宿泊を伴う本件研修への参加を命じた。
本件研修の内容は,法人営業部門で必要とされるソリューション営業
(いわゆる提案型営業)についての講義等が中心であったところ,法人営業
部門の業務を担当するには最新のコンピューター機器の機能に関する知
識等を有している必要があるため,膨大なテキストが配布され,各種マニュ
アルを暗記することが中心であったことから,丙のように,高校卒業後一貫
して法人営業とは全く異質の部門で仕事をしてきた50歳代の労働者にとっ
て,わずか2か月程度の研修で必要な知識を修得することは相当困難であ
り,内容を理解できないばかりでなく,明確な目標のないまま参加させられ
たことにより,今後の仕事及び勤務地等に対する不安を募らせるものであ
った。
さらに,研修中の宿泊施設も,札幌では4人部屋に2人が,東京では木
製の古い2段ベッドの4人部屋に4名がそれぞれ宿泊するというもので,プ
ライバシーもないばかりか,同室者のいびき等で十分な睡眠や休養の確保
ができず,生活のリズムが著しく害された。
このように,本件研修は健康に不安を抱える丙にとっては,生体リズム,
生活のリズムが著しく害され,十分な休養を取れなくなって,心臓を含め,
その心身に過重な負荷がかかっていたことが推測され,心臓突然死,過労
死のリスクを一気に増大させた。
(キ) 丙は,前記のとおり急性心筋虚血で死亡したものであるが,墓地内で死
体で発見された丙の状況に照らせば,死亡直前に心臓に急激な肉体的負
荷を与えるような突発的な外的要因があったことは全く窺えず,また,丙自
身も平成5年の手術以降,急激な運動などの肉体的負荷を避けなければ
ならないことは十二分に自覚していたものと考えられるから,死亡直前に何
らかの急激な肉体的負荷があったとは考えられない。
(ク) 以上のとおり,丙に心臓の既往症があって,「要注意(C)」の指導区分に
指定されながら,平成13年以降に時間外労働の増加が顕著となり,本件
リストラ計画による雇用形態の選択で心理的負荷が過大になった上,長期
間かつ継続的な宿泊を伴う研修に参加したことが急性心筋虚血発症の危
険因子(発症を促進・助長させる要因)となったことは明らかであり,業務と
死亡との間の因果関係は認められる。
(被告の主張)
ア 丙の業務と死亡との間の因果関係について
(ア) 丙は,心筋梗塞が発症した平成5年から既に約10年が経過し,その間
一度も病気悪化を理由に入院しておらず,心臓血管造影などの検査も受
けていないのであって,保健師や健康管理医との面談でも狭心症や心不
全等の症状悪化の訴えがほとんどなかったことから明らかなように,心筋
梗塞後の経過としては安定した状態が継続していた。
(イ) 死亡の半年以内の勤務について,旭川において継続して勤務をしてお
り,平成14年の平均時間外労働が月0.5時間であったことからも,心筋
梗塞などの急性心疾患を発症させる業務負荷があったとは考えられない。
(ウ) 平成14年4月24日からの本件研修に関しても,研修そのものは所定
勤務時間内で実施され,時間外勤務はなく,土曜,日曜は休日とされたこと
を考えると,心筋梗塞などの急性心疾患を発症させる業務負荷があったと
は考えられない。
(エ) 死亡前1週間の勤務は,1日7時間30分の通常の所定内勤務時間で,
セミナーセンタ内でのデスクワーク的な研修であり,心筋梗塞などの急性
心疾患を発症させるような業務負荷があったとは考えられない。
(オ) 死亡直前の24時間については,休日であって仕事に就いていないた
め,心筋梗塞などの急性心疾患を発症させる業務負荷があったとは考えら
れない。
イ 丙の死亡の原因について
丙の主治医のカルテ(乙8の3)によれば,丙は先祖の墓の手入れに行くと
言い残して出かけ,スコップで何かしようとしていた状況で倒れていたというの
であるから,スコップを持って地面を掘り起こす作業をしていたことが認められ
るところ,丙が心臓病の持病を有していたにもかかわらず,突然このような激
しい運動をしたことにより,心臓に激しい突発的な負荷がかかって急性心筋
虚血により死亡したものというべく,丙の死亡と業務との間に因果関係はな
い。
(2) 被告の過失又は安全配慮義務違反の有無(争点(2))について
(原告らの主張)
ア 安全配慮義務違反の内容
使用者は,その雇用する労働者に対し,労働契約上の信義則に基づき,
労働者の生命,身体の安全及び健康を保持すべき義務を有しており,これは
労働契約上の信義則に基づく付随義務である。
具体的には,使用者は次の4つの義務を負っている。
① 労働者が,過重な労働が原因となって健康を害し,過労死を招来すること
のないよう,労働時間,休憩時間,休日,労働密度,休憩場所,人員配置,
労働環境等適切な労働条件を措置すべき義務(適正労働条件措置義
務)。
② 血圧測定,貧血検査,肝機能検査,血中脂質検査,尿検査,心電図検査
の診断項目を含む健康診断を必要に応じて(最低でも,雇用時及び年1
回)実施し,労働者の健康状態を常時把握して健康管理を行い,健康障害
を早期に発見すべき義務(健康管理義務)。
③ 高血圧症などの基礎疾患,既往症などによる健康障害があるか,もしくは
その可能性のある労働者に対しては,その症状に応じて,勤務軽減(夜勤
労働や残業労働の中止,労働時間の短縮,労働量の削減等),作業の転
換,就業場所の変更等労働者の健康保持のための適切な措置を講じ,労
働者の基礎疾患等に悪影響を及ぼす可能性のある労働に従事させてはな
らない義務(適正労働配置義務)。
④ 過労により疾患を発症したかもしくは発症した可能性のある労働者に対
し,適切な看護を行い,適切な治療(救急車で病院に搬送する等)を受けさ
せる義務(看護・治療義務)。
本件では,④は問題とならないことから,①から③,特に③の適正労働配
置義務を尽くしたのかが問題となる。
イ 被告の健康管理体制
被告は,丙の健康状態を把握した結果,健康管理指示書を作成し,丙の健
康状態を指導区分「要注意(C)」と判断し,1日の勤務は可能であるが,残業
及び宿泊を伴う出張は不可としてきた。
しかしながら,労働者が長時間にわたり業務に従事する状況が継続するな
どして,疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると,労働者の心身の健康を
損なうことになるから,陳旧性心筋梗塞の既往症のある丙に対する勤務軽減
措置としては,指導区分「要注意(C)」における措置はそもそも不十分であっ
たと評価せざるを得ない。なぜなら,日勤,夜勤以外の服務につかせないとい
うのは変則労働の原則禁止を意味しているが,変則労働自体が労働基準法
上は例外であり,時間外労働も同法の例外であることから,特別な配慮として
は宿泊出張させないというものにすぎないからである。
しかも,それ自体不十分と思われるこの指導区分「要注意(C)」では例外を
許容しているところ,時間外労働については,1日2時間,1週2回を限度とす
るという意味で例外を許容する際の歯止めがあるものの,これが毎週継続し
て許容されれば実質的に時間外労働原則禁止の形骸化を招くことから,少な
くとも2週間にわたって時間外労働の例外を許容することを禁止すべきであ
り,また,年間の総時間外労働についての上限も設けるべきものである。変
則労働の原則禁止及び宿泊出張原則禁止の例外についても,時間外労働の
原則禁止に準じた歯止めを設けるべきであり,例えば,宿泊出張は月2回を
限度とし,連続した宿泊出張は禁止するといった厳しい歯止めが不可欠であ
る。そして,過激な運動の禁止はそもそも例外を設けるべきでない。
以上の検討において,例外を許容するためのやむを得ぬ理由とは,単に
一般的抽象的な業務上の必要性を意味するのではなく,極めて高度の業務
上の必要性を意味するものと解すべきである。
また,組織の長と健康管理医の協議も形式的であってはならないことは当
然であって,やむを得ないとされる変則労働,時間外労働及び宿泊出張のそ
れぞれの内容,とりわけ服務する労働の実態が労働者に与える心理的・肉体
的負荷に則した具体的な検討を要するというべきである。また,そのために
は,健康管理医の責任において,主治医から意見を聴取することはもとより,
必要な医学資料の取寄せとその検討を経た上での実質的な協議がなされな
ければならない。
なお,このような例外を許容するか否かは,第一義的には業務が労働者の
健康に与える影響を考慮した労働衛生医学的な判断であるから,その判断は
まず安全配慮義務を負う使用者側がその責任において行うべきで,医学的に
素人にすぎない労働者本人の同意があったとしても,使用者の安全配慮義務
が軽減されたり,例外が安易に許容されるものではない。
そして,指導区分「要注意(C)」における例外の許容性を判断するものであ
る以上,やむを得ぬ理由による業務命令を発する前の事前判断でなければ
ならないことは当然である。
ウ 宿泊を伴う本件研修
(ア) やむを得ぬ理由の有無
本件では,丙に対して宿泊を伴う本件研修を実施しなければならないや
むを得ぬ理由,すなわち,時間外労働や宿泊出張を命じなければならない
極めて高度の業務上の必要性は何ら存在しないから,丙に対して本件研
修を命じること自体が安全配慮義務違反となる。
(イ) 組織の長と健康管理医の協議の有無
被告は,丙に対し,長期間の継続した出張研修を命じたにもかかわら
ず,少なくとも事前の「組織の長と健康管理医の協議」を行っていない。
この点,被告は東京での研修前の平成14年5月13日に健康管理医と
面談した旨主張するが,旭川勤務の丙にとって,札幌での研修それ自体が
宿泊出張であるから,事前の協議があったとは言えない。また,その際,担
当医師は,主治医である市立旭川病院の医師ともよく相談するように指示
した旨主張するが,東京での宿泊出張は原則として禁止されているのであ
るから,被告の担当医師自身が丙の主治医に対して出張内容を説明した
上で意見聴取するなどして,例外として許容できるかを判断すべきであっ
た。
(ウ) 加えて,研修時の生活環境に関しては,丙のプライバシーが守られ,規
則正しく,同室者の生活に影響を受けることなく睡眠を十分に取れるような
生活を営むことが可能な環境を提供しなければならないにもかかわらず,
丙を含め50歳代の労働者を4人部屋に宿泊させ,睡眠不足を強いるよう
な環境の下で,長時間にわたり研修に従事させたものであり,その結果,
丙の身体にも精神にも過剰な負荷を掛けることになり,丙の死亡という結
果を生じさせたもので,この点に関する被告の安全配慮義務違反は重大で
ある。
(被告の主張)
ア 安全配慮義務違反
使用者(企業)の安全配慮義務の立証責任について,原告側は抽象的安
全配慮義務の存在を主張するだけでは足りず,そのような抽象的義務を当該
災害の状況に適用した場合の具体的安全配慮義務の内容を特定し,かつ,
その不履行を主張立証しなければならない。
イ 労働者の自己の健康管理義務
労働者は,自ら体調に留意し,必要に応じて休養をとり,健康に不安の存
する恐れや不調,自覚症状の発現等疾病の恐れの存する状態が生じた場合
には,自ら医師の診断を求めたり,職場の上司に健康状態を申告するなどし
て,積極的に健康を保持すべきことは当然であり,この点は,私生活において
も同様で,健康を管理し,自己自身の生活を規律し,故意又は過失によって
健康を害し,労務の提供ができない結果を招来しないように自己の健康を維
持する信義則上の義務がある。
ウ 被告の健康管理体制
被告は雇用している社員に対する健康管理を保持増進するため,健康管
理規程(乙4)及び健康管理規程取扱細則(乙5)を定め,定期に(実際には毎
年)健康診断を実施し(社員就業規則144条,乙3),社員の健康保持のため
の施設として,北海道内においてNTT東日本札幌病院(以下「NTT札幌病
院」という。)を保有し,社員の健康保持に努めている。
被告は,定期健康診断等による診断結果はもとより,当該要管理者に対す
る日常的観察,健康管理医もしくは保健師による職場巡回時の健康相談・保
健指導等の内容等に基づき当該要管理者の健康状態を常に把握し,時間外
労働及び宿泊出張の実施について,当該要管理者の所属する組織の長と健
康管理医が協議して事前に決定しておくなど(当該要管理者の健康状態によ
っては,時間外労働及び宿泊出張の必要性が発生する都度,協議を行う場
合もある),適正に協議を行っている。
被告は,要管理者の健康状態に応じてAないしDの指導区分を適正に決定
し,丙についても,健康管理規程29条2項により「要注意(C)」の指導区分に
該当する旨決定してその旨同人に通知し,健康管理に留意するよう指示して
いた。
指導区分「要注意(C)」の社員の勤務については,原則として時間外労働
をさせず,させた場合についても1日2時間,1週間2回を限度としており,同
指導区分に決定された丙についても,当該組織の長と健康管理医が協議し
た上,1日2時間,1週間2回を限度として下記の最小限度の時間外労働を丙
にさせていた。
エ 本件研修に際しての面談等
(ア) 被告は,丙の所属する組織の長と健康管理医の協議の結果,丙につき
宿泊出張を実施しても問題はないものと判断していたが,念のため,平成
14年4月24日,丙を担当する健康管理医に相談したところ,丙の健康状
態は安定しており,本件研修への参加についても特段問題はないとの回答
であった。
(イ) 健康管理医による丙の面談
NTT札幌病院の担当医師は,本件研修期間中の同年5月13日,丙と
面談し,同月20日からの東京研修への参加について主治医である市立旭
川病院の医師とも良く相談し,同医師から東京での研修を差し控えるよう
助言指示された場合は,その旨上司に申告するように指示した。これに対
し,丙は,NTT札幌病院の担当医師に対し,東京研修に対しては前向きで
あって,健康状態は現在落ち着いている旨述べ,東京での宿泊研修に支
障がある旨の申し出はなかった。
(ウ) 折り返し面談
丙は,平成14年6月5日,東京での研修受講後,本件研修のインストラ
クターである被告の北海道支店法人営業部G担当課長との研修期間折り
返し面談に際し,「研修は札幌においても東京においても楽しく新鮮な気持
ちで受講でき,健康状態についても現在は安定している状態であること,前
職においても通常どおり勤務し,時間外勤務も可能であり,1か月に5ない
し6時間の時間外労働を行っていたが特に体調の変化はないこと」などを
述べた。
(エ) 以上のとおり,被告が実施した本件研修は適正に実施され,丙の健康
に支障があった事実はない。
オ 本件研修の必要性
(ア) 本件構造改革の必要性及び相当性
被告は,同業他社との熾烈なシェア争いや対抗値下げ等という厳しい経
営環境の下,社員の雇用確保と人件費の低減を両立させるという方策によ
り財務基盤を図る高度の必要性があり,平成14年5月に構造改革に向け
た業務運営等の見直し等を行った。
被告は,設立以降,各種経営改善施策を実施してきたが,経営環境の
激変により,営業収益は平成12年度(2兆7900億円)ないし平成13年度
(2兆5700億円)にかけて約2200億円もの減収となり,経常利益も平成
12年度の141億円に対し平成13年度は75億円に落ち込む結果となり,
今後はVoIP(電話の音声をデータの形にして送る技術及びサービス)の本
格化等により固定電話市場の縮退が一層加速するものと想定され,電話
事業の更なる減収は不可避となっており,このままでは中期経営改善施策
に基づく各種経営改善施策を着実に実行しても,平成14年度の経常利益
は大幅赤字への転落をも想定せざるを得ない厳しい状況になること,ま
た,このような財務状況を踏まえ,中長期的にはむろんのこと,短期的にも
今後の会社業績は従来のままでは漸次悪化し,社員の雇用の確保まで危
ぶまれる状況になることが予測された。
その具体的な背景として,第1に,携帯電話の急速な普及に伴い会社に
おける主な収入基盤である固定電話がますます減少し,平成14年度事業
計画では前年度比41万加入の減少となっていること,第2に,平成13年5
月に優先接続制度であるマイライン(電話会社選択サービス)が実際に導
入されるのに伴い,平成13年1月の市内通話料金の値下げに引き続き,
同年5月にも更なる市内電話料金の値下げを余儀なくされた上,他事業者
の市内電話市場への本格参入もあって,被告のシェアは市内通信につい
ては従来ほぼ100パーセントであったものが71パーセント程度に,県内通
信は64パーセント(いずれも平成14年8月末日現在)へと大きく落ち込ん
だこと,第3に,事業者間相互接続の進展に伴い「接続料金」の収入は被
告の収益の少なからざる部分を占めているところ,平成12年のアメリカと
の政府間協議の結果,長期増分費用方式の導入に伴う他事業者との接続
料金は中期経営改善施策の策定当時に予測していた以上の大幅値下げ
(平成14年度までに22.5パーセント)となるなど,市場構造・競争環境が
急激に変化したことがあった。
このような中で,会社にとって「長期的な減収傾向に歯止めをかける」に
は,合理化や人的コストの削減を含む各分野におけるコスト削減により競
争力の強化を図ることはもとより,新たな収益の柱としてIP・ブロードバンド
事業の収益拡大を目指す全社の牽引役としての法人営業を中心として,
電話からの事業構造の転換を図り,IT関連機能を強化し,新たな営業収入
を高めるとともに,コスト競争力強化等により,一刻も早く事業構造の抜本
的な改革を実現し,財務基盤を確立して,経営の自立化を図ることが必要
と考えられた。そうでなければ,雇用の確保はもちろん,事業さえも継続的
に維持発展させることが困難な状況にあったのである。
それゆえ,被告は,従来にない危機感のもと,グループ一体となって電
話中心から情報流通への事業構造の転換への取組み及び人的コストの削
減を含む「NTTグループ3カ年経営計画(2001~2003年度)について-
NTTグループの事業構造改革-」を平成13年4月に,具体的な内容として
「NTT東西の構造改革について」を平成13年11月にそれぞれ公表し,コ
スト構造改革の抜本的見直しとして未曾有の経営改善施策の策定・実施
に取り組んだ。
(イ) 構造改革は,被告の置かれている厳しい経営環境を克服し,将来性の
ある市場へ向けたスタート台に立つための条件整備であり,その内容の骨
子は以下の3つである。
a 電話からIP・ブロードバンドへの事業転換であり,市場の変化を見据え,
今後の収益基盤の早期確立を図るため,固定電話事業への投資を原
則停止するなど経営資源である人・物・金をIP・ブロードバンド事業に移
行・集中していこうというものである。
b 支店などにおける地域密着型業務とオペレーショナル業務について委
託化を図り,委託先会社と支店が一体となって,地域市場の変化に俊敏
に対応できる事業構造への転換と柔軟な事業運営を図っていくことで,
この運営体制により,NTTグループ全体の経営基盤の強化と業容拡大
を図っていく。
具体的には,新たに設立予定の都道県別単位の新会社等に対し,①
116,営業窓口等の顧客フロント,中堅ユーザに対する販売等業務,②
設備オペレーション及び113等業務,③総務,給与,厚生,財務等の業
務について外注委託を行うこととされた。
c コスト構造改革であり,運営コストである物件費・委託経費の削減,設備
投資構造の見直し,効率的な仕事のやり方の追求をはじめとした抜本
的な仕事の見直しといったことが挙げられる。
(ウ) 上記の目的のために実施した諸施策の中で,枢要かつ重要な施策が雇
用形態の多様化であった。この施策は「雇用形態・処遇体系の多様化」に
基づき,社員に繰延型,一時金型,60歳満了型といった3つの雇用形態・
処遇体系を用意し,本人の希望により選択させることで雇用の確保を図る
ものであった。
被告全体で退職・再雇用を選択した社員は約2万6000人であり,60歳
満了型を選択した社員は丙を含めて約700人であった。この結果,60歳
満了型を選択した社員の全体に占める割合は僅か3パーセント程度に止
まった。なお,北海道内の各事業所(北海道支店,本社等組織の北海道に
おける事業所等)で退職・再雇用を選択した社員は約3000人であり,60
歳満了型を選択した社員は51人であった。この結果,60歳満了型を選択
した社員の割合は,全体の2パーセントに過ぎない。
被告においては,従来同様,勤務地を限定せず,業務上の必要性等に
基づき,柔軟で効果的な人員配置を行っていくこととし,具体的には支店等
内における人員配置に加え,①首都圏を中心とした市場性・収益性などの
高いエリアへの重点的配置,②新サービス等の展開・拡大に向けた人員
配置,③将来,会社を支える核的人材の育成に向けた配置など,お客様ニ
ーズの多様化・高度化等に伴う事業動向の変化等に対応した広域人事を
行っていくこととし,これにより個々の社員のチャレンジ意欲,能力発揮に
応えていくとともに,会社全体としての人的資源の有効活用を図っていくこ
ととした。
60歳満了型を選択した社員のうち,新会社に移行することとなった業務
に従事していた者は,当該業務が会社に残されていないことから当然に異
動による再配置が必要となり,一方今後収益の柱となるIP・ブロードバンド
事業の中心的な役割を担うのが法人営業業務であることから,被告は,こ
れらを踏まえ,60歳満了型を選択し,再配置を要する社員については平
成14年4月24日から同年5月1日までの間に法人営業部門に異動を行
い,その後約2か月にわたり法人営業に必要な主要技能を修得させた上
で,その後の異動に備えるため本件研修を実施し,丙についても,60歳満
了型を選択した他の社員と同様に本件研修を受講させたものである。
(エ) 以上のとおりであるから,本件研修に必要性,合理性があることは明ら
かである。
(3) 損害(争点(3))について
(原告らの主張)
ア 丙の逸失利益 3380万9160円
丙の平成13年の収入は620万3288円であり,死亡することがなけれ
ば,67歳に至るまで収入を得ることが可能であった。また,原告甲と丙の家
計は,丙の収入が唯一のものであり,丙は一家の支柱であったことからする
と,生活費控除割合を30パーセントとするのが妥当である。さらに中間利息
の控除については,ライプニッツ方式により,その割合を年3パーセントとする
(その係数は7.786)のが最も現状に合致し,妥当である。
(計算式) 6203288×(1-0.3)×7.786=33809160
イ 葬儀費用 141万9563円
ウ 慰謝料 3000万円
丙は,違法な本件リストラ計画の下で,被告の違法な攻撃を仲間と共に跳
ね返したいとする人間としての良心・信念と,被告に残った場合の不安との狭
間で悩み,日々生命を削る苦しみを強いられてきた。さらに,被告に残る決断
をした後も,「どこへ転勤になるか分からない。」という被告の脅しや研修に耐
えてきたのであり,この過程で力尽きた丙の無念を慰謝するには,少なくとも
3000万円の支払をもってするのが相当である。
エ 丙の死亡により,以上の損害額合計6522万8723円を,原告らがそれぞ
れ法定相続分(各2分の1ずつ)に応じて相続した結果,原告甲が3261万4
362円の,原告乙が3261万4361円の各損害賠償請求権を取得した。
オ 弁護士費用 652万円
原告らは,本件訴訟の遂行を原告ら訴訟代理人弁護士に委任し,それぞ
れ請求額の1割に相当する326万円を支払う旨を約した。
カ よって,原告らは,被告に対し,不法行為に基づく損害の賠償として,又は選
択的に安全配慮義務違反(債務不履行)に基づく損害の賠償として,原告甲
に対して3587万4362円,原告乙に対して3587万4361円及びこれらに
対する不法行為の日である平成14年6月9日から各支払済みまで民法所定
の年5分の割合による遅延損害金を支払うように求める。
(被告の主張)
原告の主張オのうち,原告らが弁護士に委任した事実は認め,その余の事実
はすべて否認ないし争う。
第3 争点に対する判断
1 争点(1)(因果関係の有無)について
(1) 丙の症状と治療の経過等
証拠(甲3,4,11ないし15,28,29,乙8の1ないし3,証人H及び原告甲
本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる。
ア 丙は,平成4年9月,左肩から前頚部の痛みを感じ,国立療養所道北病院
(以下「道北病院」という。)で診察を受けたが,特に異常は指摘されず,痛み
も消失した(甲13)。
イ 丙は,平成5年5月30日の職場検診で心電図の異常を指摘され,道北病院
で受診したところ,心電図に異常が認められ,また,安静時に数分間の胸痛
発作があることから,虚血性心疾患(冠状動脈疾患)の疑いがあるとされ,同
年6月14日,市立旭川病院を紹介された。同病院における心臓超音波検査
の結果,丙には心臓の後壁から内側壁の低運動と壁の菲薄化が認められ,
陳旧性心筋梗塞が疑われたため,心臓カテーテル検査など精査のため入院
することとなった。
ウ 丙は,平成5年7月5日から同月16日までの間,市立旭川病院に1回目の
入院をしたが,その際,冠状動脈造影により,右冠状動脈(♯1)で100パー
セントの閉塞が,左前下行枝の分枝(♯9)で50パーセントの狭窄が,左回旋
枝の分枝(♯13)で99パーセントの狭窄がそれぞれ認められた。一般に,7
5パーセント以上の狭窄が認められる場合には,有意な狭窄であるとされて
いることから,右冠状動脈及び左回旋枝の2枝の障害の程度は高度であり,
左回旋枝の分枝(#13)について,血管拡張を試みるPTCA(経皮的経管的
冠状動脈血管形成術)の手術適応があると判断された。更に,左室造影の結
果,4番(下壁)が低運動,5番(後壁基部)及び7番(後側壁)が極めて低運動
であるなど壁運動の低下が見られ,心筋の障害が広範囲に及んでいて,心
房のポンプ機能が低下し,心臓の予備能力が低い状態であることが判明し,
陳旧性心筋梗塞と診断された。
加えて,負荷心電図トレッドミル検査により,丙の運動耐容量は5-6MET
s以下であり,日常生活に一定の制約(スポーツでも競技ではなく遊びの程度
なら可能)が要求される状態にあることが明らかになった。併せて,丙には,
高脂血症が認められたため,同人に対し,虚血性心疾患に対する亜硝酸製
剤や冠状動脈拡張剤,抗凝血剤が投与され,更には,高脂血症治療剤の内
服治療が開始された。
エ 上記の診療経過及び診断結果等を踏まえ,勤医協札幌西区病院のH医師
(日本循環器学会所属。)は,丙には,平成4年9月以前に急性心筋梗塞が発
症していたと考えられるが,動脈硬化の進行と冠状動脈の攣縮が関与した狭
心症発作のくり返しの過程で,虚血心筋への血流を補給する冠状動脈の副
血行路となる新生血管が発達し,前下行枝など比較的狭窄の軽度な血管か
ら新生血管を介して心筋への血流が供給されたことから,丙には,心筋梗塞
の発症に一般に伴うとされる一定時間続く激しい胸痛が見られず,致死的な
状態に陥らないまま急性期を経過して,前記イの段階で心電図に陳旧性の心
筋梗塞を示す異常が出たものと考えられるとの判断を示している(甲12,証
人H)。
オ 丙は,平成5年8月6日から同月17日までの間,市立旭川病院に2回目の
入院をし,同月9日,左回旋枝の分枝(#13)の拡張を試みるPTCAを受け,
その結果,左回旋枝の分枝(♯13)の狭窄が99パーセントから25パーセン
トに改善した。しかし,同年12月2日から同月14日にかけて3回目に同病院
に入院した際,冠状動脈造影を実施した結果によると,左回旋枝の分枝(♯1
3)が90パーセント狭窄するなど再び悪化していることが認められたほか,右
冠状動脈の起始部(♯1)からその末梢部(♯2)で100パーセントの閉塞,左
前下行枝の分枝(♯9)の狭窄も前回の50パーセントから90パーセントに悪
化し,左回旋枝の他の分枝(♯14,♯15)も90パーセントの狭窄となってい
て,高度の3枝障害であることが判明した。そこで,再び左回旋枝の分岐(#
13)のPTCAを受けたが,同手術によっても左回旋枝の分枝(♯13)は100
パーセント閉塞のまま改善が認められず,外科的治療の効果が得られなかっ
た。そこで,その後は高脂血症の治療と併せて内服治療を続けることとなっ
た。
なお,丙は,上記2回目の入院と3回目の入院の間の同年10月30日こ
ろ,約2時間にわたる胸痛を経験したが,その際は病院には行かなかった。H
医師は,その後の冠状動脈造影の結果の所見が悪化していることに鑑み,こ
の胸痛は心筋梗塞の再発によるものとの意見を述べている(甲12,証人
H)。
このように,丙の心臓の冠状動脈の動脈硬化の所見は,非常に厳しいもの
であった。
カ 平成8年に行われた成人病健診において,丙の血中脂質中総コレステロー
ル値が245mg/dlと高く,陳旧性心筋梗塞を示す心電図において,初めて
心室性期外収縮(不整脈)が認められ,時々息苦しくなったり,肩や首筋がこ
るという自覚症状が認められたが,平成10年の旭川赤十字病院における人
間ドックの検査では,明らかな狭心症発作や進行する心不全の兆候は窺わ
れず,心電図の異常の他は腹部超音波検査での胆のうポリープ,腎のう胞を
認めるのみで,血中脂質の値は正常化した。
キ 平成13年6月以降,丙は,頻脈,脈の欠滞(不整脈),不眠等の症状を市立
旭川病院の主治医であるI医師に訴えていた。具体的には,同医師に対し,同
月15日には「脈が時折ゆっくりになるが,早いときもある。」旨を,同年8月10
日には「1分間に1,2回程度の不整脈は出ているが気にしないようにしてい
る。家では脈拍は50から60の間で,血圧は110くらいである。」旨を,同年1
1月6日には「入眠して2,3時間経つと途中で目ざめることが多い。」旨を,平
成14年1月25日には「毎日ではないが,脈がとぶ。」「1分間に2個くらい。」
「夜に発汗して目覚めることがある。」旨を,同月31日には「昨日嘔吐,下痢
があり,夜には脈が速かった。」旨を,同年4月19日には「ときに脈が100くら
いまで増えることがある。」旨をそれぞれ訴えていた。
また,この間,同年1月31日に行われた心電図検査の検査記録紙には,
丙の心電図の波形の記録とともに,「3633 陳旧性(?)の下壁心筋梗塞〔II.
AVFでQ巾40ms以上,ST.T異常のいずれか〕」「4012 中程度のST低下
〔0.05mV以上のST低下〕」「9150**abnormalECG**」「医師の確認
が必要です。」などというコメントが自動で印字されていた(甲11)。
さらに,丙は,平成13年1月ころから,原告甲に対して,仕事量が多く疲れ
る旨を述べるようになったほか,同年秋ころからは,「そうしないとだめか。」
「俺が我慢すればいいのか。」といった独り言を言ったり,「遠くになんか行き
たくない。」「東京には行きたくない。」などという寝言まで言うようになり,眠り
が浅く,睡眠途中に目ざめることがあった。また,平成14年2月初旬から中旬
ころにかけて,「肩が凝る。眠れない。胃が動かない。食欲がない。食べ物を
消化できない。」などの症状を訴えることもあった。このほか,同年1月25日
には,市立旭川病院のI医師に対して「働きすぎだなあと思っている。」旨を述
べたこともあった。
これらを総合すると,平成13年6月以降,丙には自律神経に関わると思わ
れる多彩な症状が現われていると評価することができる。
ク丙は,愛煙家で,約30年間,1日に約25本のタバコを吸っており,喫煙が動
脈硬化の危険因子である旨説明を受けていたが,2回目の入院でも禁煙に
踏み切ることができず,3回目の入院を契機に禁煙を実行した。
(2) 丙の業務について
前記前提事実及び証拠(甲6,12,15,18の1ないし9,19の1ないし3,2
1の1ないし15,証人J,同K,同H,原告甲本人)並びに弁論の全趣旨によれ
ば,以下の事実が認められる。
ア 丙は,平成13年1月1日から平成14年4月23日までの間,電話の新規加
入,移転,増設,名義の変更,各種通信機器の設置等について利用者からの
注文や問い合わせに対応する部門である116センタにおいて,SOC(サービ
スオーダーセンタ)の業務のうち,結了と呼ばれる仕事を担当していた。結了
の仕事内容は,窓口担当者が利用者から受け付けた様々な電話サービスに
関わる注文内容が正確に処理されているか否かを点検し,不備があれば受
付担当者と連絡をとり,場合によっては直接利用者に問い合わせるなどして
不備を補正し,注文処理を完了させるというものであるが,丙は,その中で
も,日締め作業及びバックオーダーと呼ばれる作業を担当していた。このうち
の日締め作業は,電話等の工事約束をした1日分の注文伝票の工事の進捗
状況を点検し,完了処理を行い,未完了となったものはその原因調査・分析を
行うというものであり,バックオーダー処理業務は,利用者の都合や被告側の
都合で工事内容,工事日時等に変更が生じ,工事が持ち帰りとなったものの
後処理を行うというものであった。
イ丙は,雇用形態・処遇体系の選択に際して60歳満了型を選択したが,同選
択をするに際しては,転勤の可能性等の将来の生活設計,心疾患の状況,
妻がパニック障害であって単身赴任が困難と思われたことなどを含め,深刻
に悩んでいた。結局,60歳満了型を選択して被告に残留することになり,平
成14年4月24日付けで北海道支店旭川営業支店に配置換えとなったが,被
告の基幹業務であった固定電話等の業務を新会社に外注委託するとの方針
が実行されたことにより,同人が従前担当していた業務自体は存在しなくなっ
た。その後に丙が新たに担当することとされた業務は,ソリューション業務(提
案型業務)と呼ばれ,法人に対して情報システムを構築するための提案を行
うことを主とするものであって,丙がこれまで担当してきた業務とは全く異なる
内容のものであった。そして,その業務(法人業務)に必要な技能等を習得す
ることを目的として,丙は本件研修への参加を命じられ,同研修終了後の同
年7月以降,新たな業務に就くことが予定されていた。
ウ 丙の死亡前半年以内の勤務については,旭川において継続して勤務をして
おり,平成14年の平均時間外労働時間は月0.5時間であり,休日労働は合
計1日8時間であった。
エ 本件研修は,平成14年4月24日から同年6月30日まで2か月以上の長期
にわたって実施されるものであったが,研修場所が丙の自宅のある旭川市で
はなく,札幌及び東京であったところから,同人にとっては,同研修の全期間
を通じて,宿泊を伴う研修とならざるを得なかった。そこで,丙は,旭川から札
幌へ,札幌から東京へ,そしてまた東京から札幌へと生活環境,自然環境の
異なる土地に複数回移動することを余儀なくされた。この間,札幌での研修に
おいては,週末には旭川の自宅に戻ることができたものの,ウィークデーには
北海道セミナーセンタやNTT東日本研修センタ等の被告の研修施設やホテ
ルに宿泊することになり,その際には,5日間だけは1人部屋をあてがわれた
ものの,その余はすべて2人ないし4人部屋であったため,生活習慣の異なる
他の研修生との同室を余儀なくされることにより,生体リズム及び生活のリズ
ムが変わることとなった。
オ 本件研修は,土,日,祝日及び移動日等を除く午前9時から午後5時30分
までの所定時間内で実施され,研修時間が延長されたり,課題が出されたり
したことはなかったものの,多くの研修資料が事前に配布され,これまでの業
務とは異なる全く新たな分野に関するものであった(甲18の1ないし9,19の
1ないし3,21の1ないし15)。本件研修期間中,丙は休憩時間になると机に
突っ伏して休むなど疲れた様子が見られ,東京での研修に際しては,同僚や
原告甲に対して,同室者が早朝に起き出すなどするためよく眠れないなどと
睡眠不足を訴えており,生体リズム及び生活リズムに大きな影響が出ていた
ことが窺われる。
カ丙は,再度の札幌での研修期間中の平成14年6月7日(金)の研修終了後
に旭川の自宅に帰宅し,同月9日(日)に墓参りに出かけ,同日午後10時過
ぎころ,同所で死亡しているのを発見されたが,死亡時刻は同日午前11時こ
ろと推定され,直接の死亡原因については,急性心筋虚血であって,約10年
前の狭心症が影響を及ぼしており,発症から死亡までの期間は短時間である
と判定された(甲2)。
(3) 以上に認定した事実及び前記前提事実に基づき,丙の業務と死亡との間の因
果関係の有無について検討する。
ア 急性心筋虚血は,冠状動脈の血流が何らかの原因で急激に途絶えることに
よって心筋に酸素が供給されなくなった状態を指すところ,その原因として
は,不整脈を含む心疾患によるものと心疾患以外の病態によるショック等が
考えられるが,死亡診断書に直接死因の原因が記載されておらず(甲2),前
記のとおり狭心症の影響が考えられていることに照らすと,冠状動脈疾患が
関与して発症した急性心筋虚血の可能性が強いと解されるところである(甲1
2,証人H)。
そして,丙の心疾患に関する前記認定の経過に照らすと,同人は平成4年
9月以前に急性心筋梗塞を発症していたものの,その後の動脈硬化の進行と
冠状動脈の攣縮が関与した狭心症発作のくり返しの過程で虚血心筋への血
流を補給する新生血管が発達し,比較的狭窄の軽度な血管から新生血管を
介して心筋への血流が供給されたことから,心筋梗塞の発症に伴うとされる
継続性の激しい胸痛が見られないまま急性期を経過し,平成5年5月の時点
で心電図に陳旧性の心筋梗塞を示す異常が出たと考えられるとするH医師
の前記判断には十分な合理性があるというべきである。
丙の3枝障害を伴う冠状動脈硬化は,心筋梗塞を伴い,外科的治療の効
果が望めないほど重度であったと解されるところ,心筋梗塞を含む虚血性心
疾患の危険因子としては,喫煙習慣,高脂血症,加齢,精神的,肉体的ストレ
ス等が挙げられ(甲12,26,証人H),丙は,約30年にわたる喫煙習慣があ
り(但し,平成5年の3回目の手術後は禁煙した。),高脂血症を併発してい
て,年齢的にも死亡当時58歳であるなど,上記危険因子に該当するところ,
丙は,雇用形態・処遇体系の選択に際して60歳満了型を選択したが,その
選択に際しては前記のとおり深刻に迷っており,精神的ストレスを感じていた
ことが窺える。更に,本件研修は,長期間の連続した宿泊を伴うものであるこ
とから,従前からの生体リズム及び生活リズムに大きな変化をもたらすことが
十分に考えられ,実際にも,研修内容が全く新たな分野であったことや宿泊
場所が他の研修者と同室であったことなどから睡眠不足に陥るなど精神的,
身体的にも種々ストレスがあったことが窺えるところである。
イ 一般に,心筋梗塞,動脈硬化などの基礎疾患が存在している場合に,業務
に起因する過重な精神的,身体的負担によって労働者の基礎疾患が自然的
経過を超えて増悪し,急性心筋虚血等の急性心疾患を発症するに至ったとい
える場合には,業務と急性心筋虚血等との間の因果関係を肯定できると解す
るのが相当であるところ,丙に関して動脈硬化に関する遺伝的素因等を具体
的に認めるに足りる的確な証拠が見当たらないことに照らすと,本件研修に
参加することにより生じるストレスが動脈硬化の危険因子となっていることが
推認できるところである(証人H)。加えて,丙には,前記のとおり,心筋梗塞を
伴い,外科的治療の効果が望めない重度の冠状動脈硬化が発症していたこ
と,丙の心臓は,予備能力のない状態であったこと,本件研修が,被告におけ
る構造改革を前提として,被告に残るか新会社等に転出するかという処遇選
択を伴ったもので,研修後にこれまでとは全く異なる職種の仕事に従事しなけ
ればならなくなるといった点で丙の精神面に大きな作用を及ぼすと考えられる
こと,本件研修が,長期間の連続する宿泊を伴うもので,丙の生体リズム及
び生活リズムに大きな変化が生じたと解されること,平成13年6月以降,丙
には自律神経に関わると思われる多彩な症状が現れていたこと,本件研修
の約4か月前から丙が不整脈や体調の不良をI医師や原告甲に対して具体的
に訴えており,研修期間中も睡眠不足等の不具合を訴えていたこと,宿泊を
伴う出張が丙の生体リズム及び生活リズムを狂わせることになるため,予備
能力のない心臓にとっては危険であると考えられること(証人H)などの諸事
情を総合考慮すると,丙が本件研修に参加したことで,その精神的,身体的
ストレスが同人の冠状動脈硬化を自然的経過を超えて進行させ,その結果,
突発的な不整脈等が発生し,急性心筋虚血により丙が死亡するに至ったもの
と推認するのが相当である。
ウ これに対し,日本循環器学会認定循環器専門医(乙10)である証人L)は,
丙の死亡原因である急性心筋虚血の原因として,心筋梗塞の再発,特に心
室細動や心室破裂を合併した心筋梗塞の再発の可能性や脳梗塞などの脳
血管疾患の可能性が考えられるところ,次の①ないし⑥の理由から業務と死
亡との因果関係はない旨供述しており,同証人作成の意見書(乙11)にはこ
れに副う供述記載がある。
すなわち,①丙に心筋梗塞が発症してから約10年が経過し,その間病状
悪化を理由とする入院や心臓血管造影などの検査を受けておらず,平成13
年1月31日の心臓の検査においても,心胸郭比(CTR)が正常値の範囲内
(43パーセント)であり,心電図の所見も従前の陳旧性心筋梗塞の所見のみ
であって,保健師や健康管理医との面談でも狭心症の症状や心不全の症状
などの症状悪化の訴えがほとんどなかったことにより,心筋梗塞後の経過とし
ては安定した状態が継続していたものと考えられること,②死亡直前の24時
間は,休日で勤務に就いていないこと,③死亡前1週間の勤務は,1日7時間
30分の通常の所定勤務時間で実施され,セミナーセンタ内におけるデスクワ
ーク的な研修であること,④死亡半年以内の勤務では,平成14年の月平均
時間外労働が0.5時間であり,その勤務場所もこれまでずっと継続的に勤務
してきた旭川であること,⑤本件研修に関しても,研修そのものは規定勤務時
間内で実施され,時間外勤務はなく,土曜,日曜は休日であったこと,⑥東京
での研修前に健康管理医であるM医師)が面談した際,丙から体調不良に関
する申し出等はなかったことなどを総合考慮すると,心筋梗塞など急性疾患
を発症させる業務負荷があったとは考えられないとしている。
確かに,L医師が指摘する上記①ないし⑥の各事実自体については特段
これを否定する事情は見当たらないが,前記認定のとおり,丙の心筋の障害
は広範囲に及び,心房のポンプ機能が低下していて,心臓の予備能力が低
い状態になっており,外科的手術によっては最早改善が期待できない状態に
なっていたから,心筋梗塞後の経過としては比較的安定した状態が継続して
いたということはできるものの,平成13年6月以降の丙の頻脈や不整脈,不
眠等の具体的症状,本件研修中の丙の言動,更には,指導区分として,「要
注意(C)」に指定されていて,原則として宿泊を伴う出張はさせないこととされ
ていたのに,2か月以上にわたって宿泊を伴う本件研修に参加を命じられ,そ
の間,本件研修中に睡眠不足を訴えるなど,生活環境の変化,生体リズム及
び生活リズムの変化を余儀なくされたこと,丙の死亡が東京での研修終了後
に近接して生じたこと,などの事情を併せ考慮すると,丙には検査上の所見
に現れない冠状動脈硬化の進行があったと考えられるから,心電図が従前
の陳旧性心筋梗塞の所見のみであったことや,心胸郭比が正常値であったこ
となどの検査上の所見があることをもって,本件研修への参加が死亡の要因
となったことを否定するに足りず,その他,同証人が指摘する上記の①ないし
⑥の事実を考慮するとしても,丙の業務と死亡との間の因果関係の存在を左
右するに足りないというべきである。
また,証人Lは,「血圧と脈拍を見る限りは安定しており,不整脈も連続して
続いているわけではなく,外来診療では不整脈は認められず,心電図等の指
示がなされていないことから,主治医も心筋梗塞に伴う重篤な症状と考えてい
なかったのではないか。」とも供述しているが,丙の冠状動脈硬化は,前記の
とおり,必ずしも不整脈や心筋梗塞の発症を伴わないまま,重度の血管障害
が進んでいると解することが十分可能であることに照らすと,同証人の指摘す
る上記の点によっては,因果関係が存在することが左右されるものとは言い
難い。
エ 更に被告は,丙の死の直前の行為が急性心筋虚血の直接的原因となった
のであり,業務と死亡との間に因果関係はない旨主張するが,証拠(甲11,
15,原告甲本人)によれば,丙が先祖の墓参り及び墓の手入れをすべく1人
で出掛け,墓の前で仰向けになって死亡していたこと,傍らにスコップがあっ
たことが認められるものの,それ以上に,丙が死の直前にスコップを用いて深
い穴を掘るなどの激しい運動をして心臓に強い負荷をかけたことを具体的に
窺わせるに足りる周囲の状況があるわけではなく,これを窺わせるような的確
な証拠はないところ,丙の当時の心臓の症状から考えて,死亡当時に激しい
運動をしなくても死に至る不整脈等が起こり得る状況であったこと(証人H)を
併せ考えると,前記の因果関係の存在についての推認を左右するに足りな
い。
2 争点(2)(被告の過失又は安全配慮義務違反の有無)について
(1) 被告における健康管理体制
前記前提事実(3)及び証拠(乙3ないし5,証人N,同L)並びに弁論の全趣旨
によれば,以下の事実が認められる。
ア 被告は,従業員に対する健康管理に関し,健康管理規程(乙4)及び健康管
理規程取扱細則(乙5)を定め,その中で,被告が設置しているNTT札幌病院
の中に健康管理センタを置き,健康管理医(労働安全衛生法上の産業医とさ
れている。)を複数名指定しているが,丙の所属する旭川地区は,札幌市に
所在する同病院に勤務するM医師が担当の健康管理医であった。被告は,
その従業員で健康上の管理を要する要管理者に対し,その健康状態に応じ
て,健康管理医を介して,AないしDの指導区分を決定し,これを当該要管理
者の所属する組織の長等に通知している。このうち,指導区分「要注意(C)」
に指定された者に対しては,「ほぼ平常の勤務でよいもの」とされてはいたも
のの,健康管理規程取扱細則28条2項(3)において,「要注意(C)の服務に
ついては,①日勤,夜勤以外の服務につかせない。ただし,やむを得ぬ理由
で前記の服務以外の服務につかせる場合は,組織の長と健康管理医が協議
して決める。②時間外労働は命令しない。ただし,やむを得ぬ理由で時間外
労働を命令する場合は,組織の長と健康管理医が協議して決める。この場合
においても,1日2時間,1週2回を限度とする。③過激な運動を伴う業務,宿
泊出張はさせない。ただし,やむを得ぬ理由で宿泊出張させる場合は,組織
の長と健康管理医が協議して決める。」こととされており,これら例外規定の
適用に際しては,当該要管理者の所属する組織の長と健康管理医が協議し
て決定することとされていた。
なお,丙の前記認定の心臓疾患の状態,治療等の経過に照らすと,同人
につき,健康指導区分による規制が必要とされる状態であり,その症状に照
らすと,「要注意(C)」の指導区分に指定されたことには十分な合理性があっ
たということができる。
その際,「やむを得ぬ理由」に該当する事由があるか否かは,被告におい
ては担当業務の繁忙度や研修参加のように代替性があるか否かといった観
点から検討されていたが,本件研修のように,一般的に代替性がないと判断
される場合でも,健康状態が良くないことを理由に本件研修に参加することが
困難であれば,研修参加に代わる何らかの代替措置をとることは可能であ
り,丙の場合もそのような措置をとることも視野に入れていた(証人N)。
イ 被告は,年1回定期健康診断を実施しているほか,健康管理医もしくは保健
師が各職場を定期的に巡回し,その際に要管理者に対する健康相談や保健
指導等を行うシステムになっているところ,丙の場合には,M医師が年に数回
(直近では平成13年9月及び平成14年1月)旭川に出向き,平成13年9月
には直接丙と面談するなどしたほか,O保険師が毎月丙の所属する職場を巡
回していた。また,健康管理センタの電話番号,健康管理医及び保険師のP
HSの番号は公開されており,直接電話で相談することも可能であった。
ウ 指導区分「要注意(C)」に指定されていた丙に対する時間外労働及び休日
労働の実施については,健康管理医であるM医師又は健康管理医で,当時
健康管理センタ部長であったL医師と丙の組織の長に該当する職場の上長で
あるP課長)が協議して決定することとなっていたが,丙の健康状態が安定し
ていたとの理由で,時間外労働等の可否について,その都度個別に協議され
ることはなく,包括的な協議でこれに代える取扱いとなっていた。
エ 被告は,ウの取扱いに基づき,平成13年には,丙の健康状態が安定してい
ることを理由に,上記包括的な協議に基づき,前記例外規定の範囲内で,1
か月平均4.83時間の時間外労働及び合計16時間(1回8時間を2日)の休
日労働を命じていた。
(2) 本件研修
前記認定の事実及び証拠(甲15,乙11,証人J,同K,同L,同F,原告甲本
人)によれば,以下の事実を認めることができる。
ア 本件研修は,前記認定のとおり,丙が60歳満了型を選択して被告に残留す
ることになり,従来担当していた業務がなくなったことから,新たに担当する法
人営業業務の遂行に必要な知識・技能の習得を目的として参加を命じられた
ものであって,具体的には,被告において提供できる商品の概要,企業に関
わる通信システムの構築の基礎,顧客対応の基礎等を習得するというもので
あり,これまでの業務とは異なる全く新たな分野の研修内容で,その意味で
研修の必要性があったというべきである。
イ 本件研修は,平成14年4月24日から同年6月30日まで2か月以上の長期
にわたって札幌及び東京において実施され,その全期間を通じて宿泊を伴う
もので,宿泊場所も,被告の研修施設やホテルであり,札幌での研修におい
ては,週末には旭川の自宅に戻ることが可能であったものの,それ以外で
は,ごく一部を除いて2人ないし4人部屋があてがわれたため,生活習慣の異
なる他の研修生との同室を余儀なくされることとなり,生体リズム及び生活リ
ズムが変わるなど大きな環境の変化があることは明らかであった。
ウ M医師とP課長は,宿泊を伴う本件研修に丙を参加させるか否かについて
協議した結果,前年のM医師による面談等で特別問題がなかったこと,毎月
の保健師による職場巡回で丙から症状の悪化等体調不良の訴えがなかった
こと,職場の上司との話合いの中でも特別な事情が出てこなかったことから,
丙が安定した状態にあると判断し,丙を本件研修に参加させることにつきや
むを得ぬ理由があると判断した。なお,M医師は,その決定に先立つ平成14
年1月16日及び17日の両日にわたって旭川の丙の職場を訪れたが,丙と面
談することはできなかった。また,同医師は,東京での研修が始まる1週間前
の同年5月13日,丙と面談し,体調等の不良があればいつでも研修を休むよ
うにすること及び東京への出張に関し不安等があれば主治医であるI医師に
相談するよう伝えた。
エ本件研修は,土,日,祝日及び移動日等を除く午前9時から午後5時30分ま
での所定時間内で実施され,研修時間が延長されたり,課題が出されたりは
しなかったものの,多くの研修資料が事前に配布され,これまでの業務とは異
なる全く新たな分野の研修が行われたことなどから,丙は,本件研修期間中,
休憩時間になると机に突っ伏して休むなどの姿が認められ,札幌での研修
中,土日に旭川の自宅に帰宅した際には,原告甲に対して,疲れたと訴えた
り,肩の凝り,不眠,食欲不振等の症状が出ており,札幌での研修が始まって
3日間ほどは,脈拍が100以上になり,同年4月27日には「ちょっと調子が悪
い」と言って病院を受診し,疲労によるものだと診断されたこともあった。また,
同年5月20日からの東京での研修では,非常に疲れた様子で顔色も良くな
く,同僚や原告甲に対して,「寮が古いので,4人部屋の2段ベッドがギシギシ
する。」,「同室の人が午前3時に起き出すので寝不足になっている。」などと
睡眠不足を訴えており,生体リズム及び生活リズムに大きな影響が出ていた
ことが窺われ,同月31日に東京での研修から旭川の自宅に戻った際には,
目に隈ができており憔悴しきった様子であった。なお,証人Fは,「本件研修の
インストラクターであったG課長が,平成14年6月5日に丙と面談した際,同
人は,東京研修で特に疲れた感じはなく,体調は安定しており,研修内容に
ついても非常に新鮮な気持ちで受講できた。」などと述べたのを聞いた旨供述
するが,丙についてだけこのように詳細な内容を記憶しているという同証人の
供述内容の信用性に疑問があるところ,上記認定の事実に照らし,たやすく
採用することはできない。
(3) 丙の使用者である被告は,その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこ
れを管理するに際し,業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して
労働者の健康を損なうことがないように注意する義務を負うと解される。前記(2
)で認定した事実によれば,被告は,丙に陳旧性心筋梗塞の既往症があり,合併
症として高脂血症に罹患していたことを前提に,丙に対して指導区分「要注意
(C)」の指定をし,原則として,時間外労働や休日勤務を禁止し,過激な運動を
伴う業務や宿泊を伴う出張をさせないこととしていたのであるから,その例外事
由としてのやむを得ぬ理由があるかどうかの組織の長と健康管理医との協議に
際しては,丙のその後の治療経過や症状の推移,現状等を十分検討した上で
時間外労働や宿泊出張の可否が決定されるべきであったというべきである。
具体的には,丙の心疾患の症状が平成5年の手術後は比較的安定していた
とはいえ,前記のとおりの高度の冠状動脈硬化と著しい心機能低下があった
上,平成10年以降,やむを得ぬ理由があるとして,丙に対して時間外労働を命
じ,その時間は,平成13年まで年々増加傾向にあって,平成13年には1か月
平均4.83時間の時間外労働を命じており,同年6月以降,頻脈,欠滞,不眠等
の症状が現れ,その旨は丙からI医師に診察の都度告げられており,また,平成
14年4月24日から同年6月30日までの2か月以上にわたって,自宅のある旭
川から離れて,札幌及び東京で宿泊を伴う研修に参加させ,その際の宿泊場所
として,そのほとんどを2人ないし4人部屋で過ごすことになることが予め分かっ
ていたのであるから,これらの事情を総合すると,丙を本件研修に参加させるこ
とになれば,同人の生体リズム及び生活リズムに著しい変化を生じさせ,過度の
精神的,身体的ストレスを与えることが十分予測でき,これらの経過に照らすと,
被告において,丙を本件研修に参加させることにより,同人が急性心筋梗塞等
の急性心疾患を発症する可能性が高いことを少なくとも認識することが可能で
あったというべきである。L医師は,当法廷において,平成14年1月25日の「1
分間に2回くらい脈が飛ぶ。」との市立旭川病院のカルテの記載について,「基
本的には期外収縮だと思うが,これが危険性のある心室性期外収縮であるのか
良性の上室性期外収縮であるのかこれだけでははっきりと鑑別はつかないと思
う。」旨供述しているところであり,本件研修に丙を参加させるか否かを決定する
に際して,市立旭川病院のカルテを何らかの方法で取り寄せるとか,少なくとも
主治医であるI医師からカルテ等に基づいた具体的な診療,病状の経過及び意
見を聴取するなどしておけば,その問題点に気付いたと考えられ,同病院にお
ける次の診察予定が3か月後であることから,主治医としては,通常の生活を続
ける限り特段の問題はないと判断した可能性はあるとしても,宿泊を伴う長期間
の本件研修に参加させるか否かを決定するに際してはより慎重な対応が必要で
あったというべきであり,そのための手だてを講じるのが相当であったというべき
である。
にもかかわらず,健康管理医であるM医師と職場の上長であるP課長は協議
の上,前年におけるM医師との面談等で特別問題がなかったこと,毎月の保健
師による職場巡回の際に,丙から症状の悪化や体調不良等の訴えがなく,職場
の上司との話合いの中でも特別な事情が出てこなかったことから,被告は,丙
が安定した状態にあると判断し,丙の本件研修への参加を決定したのであっ
て,その結果,丙が急性心筋虚血によって死亡するに至ったのであるから,被
告の担当者には,上記の義務に違反した過失があるということができる。なお,
本件研修開始後については,M医師が東京研修が始まる1週間前の平成14年
5月13日に丙と面談し,その際,同医師は,丙に対し,「体調が悪ければいつで
も申し出て休むよう。東京出張に関して不安等があれば市立旭川病院の主治医
であるI医師と相談して必要な診断書が出ればいつでも出張は回避できる。」旨
話したが,一般的な内容に終始しており,前記のとおり,カルテに記載された脈
が飛ぶとか夜間に発汗して目が覚めることがあるなどの従前の治療に関するカ
ルテ等の基礎資料を基にしたものではなく十分であったとは言い難いところであ
る。また,東京研修の直前で,かつ札幌での研修中であった丙が旭川のI医師に
相談するのは必ずしも容易ではなかったと考えられる。
被告は,労働者自身の健康管理義務を主張するが,本件研修が被告の構造
改革に伴う雇用形態・処遇体系の選択に伴うものであって,丙が被告に対し本
件研修への参加を見合わせることを要請することを期待できるような状況にあっ
たとは考えにくいことを考慮すると,丙が本件研修への参加を見合わせることを
申し入れなかったといった事情は,被告の注意義務違反を否定ないし軽減する
ものではない。
(4)以上に認定,説示したところによれば,被告は,比較的安定していた丙の生体
リズム及び生活リズムに大きな変化を招来し,これをを壊しかねない本件研修
への参加を止めさせるべきであったというべきであり,それにもかかわらず,被
告は丙を本件研修に参加させた過失がある。(なお,仮に参加させるにしても,
一人部屋をあてがうなど十二分な配慮をする必要があったというべきである。)
よって,被告は,民法715条に基づき,丙が死亡したことにより,同人及びその
相続人である原告らが被った損害を賠償する責任がある。
3 争点(3)(損害)について
被告の不法行為により,丙及び原告らには以下の限度で損害が生じていると認
められる。
(1) 逸失利益 3086万4211円(請求額3380万9160円)
丙は,前記のとおり,死亡当時58歳であって,陳旧性心筋梗塞,高脂血症等
の疾患を抱えてはいたものの,心筋梗塞発症後8年間は安定した状態で生活,
稼働していたところ,証拠(甲9の1ないし12)によれば,丙は,平成13年1月か
ら12月までの間(但し,2月及び7月を除く。)に,合計492万9881円の給与の
支給を受けており,これから通勤費相当額を控除すると,合計485万5481円
となるから(平均給与月額は48万5548円(小数点未満切捨て。以下同じ。)),
これを年間収入に換算した582万6576円に特別手当て及び住宅補助費合計
230万1777円を加算すると,丙の年間推計平均賃金合計額は812万8353
円ということになる。
(計算式)
(531402+484864+530942+491177+476565+476565+491177+
512324+465606+469259-24800-24800-24800)÷10×12=5826576
971200+266400+1064177=2301777
5826576+2301777=8128353
以上によれば,丙は,少なくとも原告らが本件で請求している620万3288万
円の限度で年収があったものと推認するのが相当である。生活費控除割合につ
いては,丙が一家の支柱であったことから30パーセントとし,67歳までの9年間
就労が可能であったと考えられるから,9年に相当する年5パーセントの割合に
よるライプニッツ係数(7.1078)により中間利息を控除して逸失利益の現価を
算出するのが相当である。
なお,原告らは,中間利息の控除割合につき,年3パーセントの割合によるラ
イプニッツ係数を用いるのが相当である旨主張するが,損害賠償請求訴訟の実
務においては,将来の逸失利益の額を算定するに際して控除すべき中間利息
の割合を民法所定の年5パーセント(民法404条)とする運用が定着していると
ころ,この民事法定利率は,法律の規定に基づいて発生する利息,当事者間に
利率に関する合意のない場合の利息等について統一的に適用されるべき規定
であって,将来の請求権の現価評価をするに際して,法定利息により中間利息
が算定されることが法律上定められている例(破産法99条2号,民事再生法87
条1項等)が存在することに照らすと,これらの諸規定と同様に,将来発生する
権利利益の現在の価額を評価するに当たり,一律に民事法定利率によって中
間利息を控除することが,法的安定性及び統一的処理の見地から合理性を有
するというべきである。よって,原告らの主張を採用することはできない。
そうすると,丙に生じた逸失利益の現価は,次の計算式のとおり,3086万4
211円となる。
(計算式)
6203288×(1-0.3)×7.1078=30864211
(2) 慰謝料 2800万円(請求額3000万円)
前記認定の被告の注意義務違反の内容,程度,丙の年齢,生活状況その他
本件に現れた一切の事情を考慮すると,本件により丙が被った精神的苦痛を慰
謝するには,2800万円の支払をもってするのが相当である。
(3) 原告らによる相続
以上によれば,本件により丙が被った損害の合計額は5886万4211円とな
るところ,原告らは,丙の死亡により,同人の被告に対する損害賠償請求権をそ
の相続分(各2分の1)に応じて相続したことになる。よって,原告らは,相続によ
り丙から承継した分として,被告に対し,それぞれ2943万2105円の損害賠償
請求権を有する。
(4) 葬儀費用 合計141万9563円(請求額同額)
弁論の全趣旨によれば,原告らは,丙の葬儀費用として相当額を支出したも
のと認められるところ,このうち,本件と相当因果関係の範囲内にある葬儀費用
としては,本件において原告らが主張する141万9563円の限度であると解す
るのが相当というべきであり,弁論の全趣旨によれば,原告らがこれを2分の1
ずつ(各70万9781円)を負担したものと認められる。
(5) 弁護士費用600万円(請求額652万円)
弁論の全趣旨によれば,原告らは,原告ら訴訟代理人に本件訴訟の提起,
遂行を委任し,相当額の費用及び報酬の支払を約束していることが認められる
ところ,本件事案の内容,難易度,主な争点,審理経過,認容額その他諸般の
事情を総合考慮すると,本件と相当因果関係のある損害として被告に請求しう
る弁護士費用の額は,(3)と(4)の合計額の約1割に相当する600万円と認める
のが相当であり,原告らは,これを2分の1ずつ負担したものと認めるのが相当
である。
4 なお,原告は,不法行為(民法715条の使用者責任)に基づく損害賠償請求をす
るとともに,選択的に債務不履行(安全配慮義務違反)に基づく損害賠償請求もし
ているところ,これまでに説示したところによれば,同請求によっても,その主たる
請求部分につき,上記認定の損害額を超える損害が発生したことを認めるに足り
ず,かえって,付帯請求(遅延損害金)の始期については,不法行為請求に比して
その一部分を認容できるに止まると解されるから,本件においてはその申立ての
趣旨に鑑み,不法行為に基づく請求のみを認容し,これを超える部分について,そ
の余の請求を棄却することとする。
第4 結論
以上に認定,説示したところによれば,本件請求は,被告に対し,原告らに対し
てそれぞれ3314万1886円及びこれに対する不法行為の日である平成14年6
月9日から各支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求
める限度で理由があるからこれを認容し,その余の請求(但し,主文1項で認容し
た金額に相当する債務不履行に基づく損害賠償請求及びこれに対する付帯請求
部分を除く。)はいずれも理由がないからこれらを棄却することとして,主文のとおり
判決する。
札幌地方裁判所民事第2部
裁判長裁判官奥  田  正  昭
裁判官氏  本  厚  司
裁判官東  光みすず

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