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主文
1原判決を取り消す。
2被控訴人が,控訴人に対して平成14年12月26日付けでした老齢
厚生年金再裁定処分を取り消す。
3訴訟費用は,第1,2審を通じて,被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1控訴人
主文第1,2項と同旨
2被控訴人
本件控訴を棄却する。
第2事案の概要
1本件は,被控訴人が控訴人に対してした平成14年12月26日付け老齢厚
生年金再裁定処分(以下「本件処分」という)について,控訴人の船員保険。
に関する被保険者期間の認定に誤りがあるとして,控訴人が,被控訴人に対し,
本件処分の取消しを求めた抗告訴訟の控訴審である。
原審は,控訴人の請求を棄却したため,これを不服とする控訴人が本件控訴
を提起した。
なお,略語は,特に断らない限りは,原判決に準ずるものとする。
2前提事実
次のとおり補正するほかは,原判決の事実及び理由の第2の2に記載のとお
りであるから,これを引用する。
(原判決の補正)
(1)原判決2頁14行目と同15行目の間に次のとおり加える。
「船員保険の現業事務(被保険者台帳の調整保管,被保険者資格の得喪の
決定,保険料の調定・収納,老齢年金等長期給付の決定支給等の事務)を
取り扱う機関としては,船員保険法(昭和14年法律第73号)が施行さ
れた昭和15年6月1日当時,厚生省の外局であった保険院長官が船員保
険事務を所掌し,同院社会保険局に設置された船員保険労災課が実際の現
業事務を取り扱っていた。昭和17年8月1日,保険院長官の事務とされ
ていた現業事務の大部分(被保険者資格の得喪,標準報酬の決定又は変更,
保険料の調定及び収納事務等)が地方長官に移管され,昭和17年11月
1日,保険院官制が廃止され,社会保険に関する事務は,厚生大臣が所掌
することとなり,船員保険に関する現業事務は厚生省の内局である保険局
船員労災課が取り扱うこととなった。その後,船員労災課は,昭和18年
11月1日,年金保険課と統合して年金課となり,昭和23年1月19日,
船員保険課として独立した。昭和37年7月1日,厚生省の外局として社
会保険庁が設置され,船員保険事務につき同庁長官が所掌することとなり,
従来保険局船員保険課が取り扱っていた現業事務は,社会保険庁医療保険
部船員保険課に引き継がれ,昭和44年11月1日,長期給付の決定支給
事務は,年金保険部業務課において,電子計算組織により処理されること
となり,同課は組織再編を経た後,昭和63年10月1日,社会保険業務
センターとして独立した機関となった(乙11,12」。)
(2)原判決4頁15,16行目の「乗り組んだ場期間」を「乗り組んだ期間」
と改める。
(3)原判決4頁17行目と同18行目の間に次のとおり加える。
「(エ)消滅時効について
a保険料その他船保法による徴収金を徴収し又はその還付を受ける権
利及び療養費,傷病手当金,障害手当金,葬祭料又は45条の2の規
定による一時金を受ける権利は,1年を経過したときは,時効により
消滅する(昭和22年法律第103号による改正前の船保法5条。)
b保険料を徴収する権利が時効により消滅したときは,当該保険料に
係る被保険者であった期間に基づく保険給付は行わない。ただし,当
該被保険者であった期間に係る被保険者の資格の取得について船保法
21条の2の規定による届出又は同法19条の2の規定による確認の
請求があった後に,保険料を徴収する権利が時効により消滅したもの
であるときは,この限りでない(昭和29年法律第116号により新
設の船保法51条の2,厚年法75条も同旨。)
なお,昭和29年法律第116号の施行前に船舶所有者が被保険者の
資格の取得に関し同法律による改正前の船保法9条1項の規定に基づき
都道府県知事に対してした報告は,同法律による改正後の船保法21条
の2の規定によってした届出とみなされる(昭和29年法律第116号
附則6条(乙4」)。)
(4)原判決8頁2行目の「徴用」を「徴用・乙船員」と改める。
(5)原判決8頁6行目と同7行目の間に次のとおり加える。
「本件履歴書は,叙位叙勲申請,旧陸軍軍属の恩給法及び各種共済組合法
による年金請求に当たり,関係機関等からの履歴書の交付依頼に応じて発
行するもので,厚生労働省社会・援護局が保管する船員名簿,本籍地名簿,
船員カードに基づき発行されたものである(乙36,37」。)
(6)原判決8頁16行目と同17行目の間に次のとおり加える。
「本件人事資料は,船員カード(昭和20年から同22年調製)と称し,
昭和13年から同20年までに船舶司令部(旧陸軍運輸部)において採用
(徴用)した船員(甲船員・乙船員)の功績資料として,個人別乗船履歴
をカードに記載し,終戦後船舶残務整理部において本籍地名簿(甲7の
5)に準じて調製したカードで,厚生労働省社会・援護局が旧陸軍省から
引き継いだ資料である(乙35」。)
(7)原判決8頁23行目と同24行目の間に次のとおり加える。
「本件船員名簿は,陸軍において,一定期間徴用した民営船舶会社の船舶
に徴用間乗り組んだ船員(乙船員)の経歴等を明らかにした名簿であって,
船舶管船部の指示により各船毎に乗船船長が調製したもので,厚生労働省
社会・援護局が旧陸軍省から引き継いだ資料である(乙35」。)
(8)原判決8頁の末尾に,改行の上次のとおり加える。
「(10)厚生労働省社会・援護局業務課に保管されている「本籍地名簿」
(甲7の5)には,控訴人について次の趣旨の記載がある。
ア徴集(任官)年昭和18年
イ官等(職名)調理員見習
本籍地名簿は,船員カードの利用を容易にするために調製された本
籍地別,アイウエオ順の索引簿で,厚生労働省社会・援護局が旧陸軍
省から引き継いだ資料である(乙35)。
(11)被控訴人による九号輸送船船員名簿(甲7の4)等の調査
被控訴人は,厚生労働省社会・援護局が保管する九号輸送船船員名
簿(甲7の4はその一部)のうち,○○の船員名簿について,同局か
ら提供を受け,同船員名簿により○○に乗船していた船員氏名及び生
年月日を確認し,当該氏名及び生年月日を基に被控訴人が管理してい
る被保険者台帳を調査した。その結果,同船員名簿には控訴人を含め
140名が記載されており,このうち,被控訴人に保管されている船
員保険被保険者台帳及び厚生年金保険被保険者台帳の存在を確認でき
た者は,平成18年9月30日現在で,被控訴人を含めて82名であ
った。その82名のうち,昭和18年10月及び同年11月のいずれ
かの時点において,被保険者資格を有していた者は37名で,このう
ち,昭和18年10月及び同年11月の期間に,被保険者資格に変動
(取得・喪失)のあったものは8名であった(甲7の3ないし5,。
乙35ないし37,弁論の全趣旨」)
3争点及び当事者の主張
次の(1)のとおり原判決を補正し,(2)のとおり当審における当事者の補充主
張を付加するほかは,原判決の事実及び理由の第3及び第4に記載のとおりで
あるから,これを引用する。
(1)原判決の補正
ア原判決9頁17行目の「毎月」を「毎年」と改める。
イ原判決13頁9行目末尾に次のとおり加える。
「台帳の管理は,従前から船員保険の事務所掌機関が行い,現在は,同事
務を引き継いだ被控訴人において,マイクロフィルムの形式で管理して
いる」。
ウ原判決15頁5行目と同6行目の間に次のとおり加える。
「仮に昭和18年10月2日の時点で控訴人が船員保険被保険者資格を
喪失したという船舶所有者からの届出の事実がなかったのであれば,控
訴人自身が船員保険被保険者資格の喪失時期であると主張している昭和
20年10月に船舶所有者から控訴人の船員保険被保険者資格の喪失に
係る届書の提出があったはずであり,その際には台帳に何らかの更正の
記載がされてしかるべきであるが,そのような事実も認められない。こ
のことからも台帳の被保険者資格喪失の記載は船員保険被保険者資格喪
失の届書に基づく真正な記載であることが推認される」。
(2)当審における当事者の補充主張
ア昭和18年10月3日以降の保険料納付の事実の立証責任について
《控訴人の主張》
(ア)保険料納付の仕組みは,被保険者が直接に保険者側に対して納付する
のではなく,船舶所有者が被保険者の保険料を納付する仕組みになって
おり,それが所定の事務手続を経て保険者である被控訴人側に把握され
るものであって,船舶所有者から保険者に至る保険料納付の過程につい
ては,保険者は当然のことながら情報を把握し収集し得るのに対して,
被保険者は情報に接し得ず,情報を知り得ないものである。ましてや,
本件で問題となっている時期について,被保険者である控訴人は,戦時
海域で乗船中であったものであり,関係情報・証拠に対する遠近には絶
対的な格差があるというべきである。したがって,保険料納付の事実の
立証責任を被控訴人側に転換させるべき特段の事情があるというべきで
ある。
(イ)船員保険は,強制加入となっている。強制加入を特徴とする社会保険
は,その対象者に保障を及ぼすために,本人の意思にかかわらず法律に
より加入を強制することが原則であり,保険者は国である。国が対象者
に対して広く保障を及ぼすために船員保険を強制加入としておきながら,
保障を受ける要件の立証について対象者に過度の負担を課すのは,制度
として自己矛盾である。
(ウ)戦時下での船員徴用された船員保険被保険者の被保険者資格の得喪及
び保険料納付に関する事務は,国の事務管轄の内部で行われていたとみ
なすことができるので,本件における控訴人の保険料納付の事実の立証
責任は保険者である国が負うべきである。
《被控訴人の主張》
控訴人の主張は争う。
イ控訴人について,昭和18年10月2日に資格喪失の届出がなされたか
について
《控訴人の主張》
船員保険法は,昭和14年4月に制定され,昭和15年6月から施行さ
れた当時としては全くの新しい制度であり,その後,いわゆる太平洋戦争
の熾烈化の中で,昭和18年3月には大幅な改正がなされており,それを
前提としてなされる日々の事務処理について,当時の保険者側の人的体制
及び事務処理能力が十分であったものとは到底思われない。さらに,昭和
18年当時,戦時海運管理の一元化,運航実務の能率的運営のため,海務
院は,船舶運営会(以下「運営会」という)を通して各船舶会社の保有。
船員の相互融通を強化する方策を採っており,その流れの中で,A株式会
社(以下「A」という)とB株式会社(以下「B」という)との合併。。
もなされ,当然,他の船舶会社間の再編・合併もなされており,それに伴
う船員保険被保険者資格の変動も昭和18年から同20年にかけて,相当
多数あったことが容易に推認される。変動に関する多数の届出が順次なさ
れ,各進達過程を経て台帳に多数の変動が記載される際に,保険者側が決
してミスを犯さず,届出のあったものについてだけ現存する台帳に正しく
記載し,届出のないものについて誤って台帳に変動を記載することはなか
ったと信頼することはできない。さらに,現存する台帳の具体的作成年月
日は不明であり,例えば従来の台帳について戦後のある時期に転記及び整
理等がなされて保存された可能性もある(およそ台帳しか資料が現存しな
いということは,そのような可能性をも示唆する。近年の社会保険事。)
務所及び社会保険庁の年金に関する事務処理の杜撰さを見る限り,戦前及
び戦中の事実に関する台帳の記載内容について,保険者側の事務処理過程
は絶対に正しいとはいえないから,控訴人についての昭和18年10月の
資格喪失の届出がなされたとの事実について被控訴人の立証責任は果たさ
れていない。
《被控訴人の主張》
控訴人の主張は争う。
本件履歴書及び本件船員名簿には,控訴人が昭和20年4月5日に下船
した旨の記載があるが,船員保険被保険者の資格の把握は,昭和18年1
0月当時,地方長官から進達される船舶所有者からの届出により,厚生省
保険局が行っていたものであり,本件履歴書及び本件船員名簿は,船員保
険被保険者資格の把握の手続に直接関係する書類ではない。したがって,
本件履歴書及び本件船員名簿の記載は,昭和18年10月2日の時点にお
ける控訴人の船員保険被保険者資格の喪失の届出が提出されて台帳に資格
喪失の記載がされたとの認定に何ら影響を及ぼすものではない。
ウ厚年法75条ただし書の類推適用の可否について
《控訴人の主張》
(ア)被控訴人には,厚年法75条ただし書を類推適用すべき落ち度がある。
すなわち,被控訴人は,控訴人の使用者・事業主(船舶所有者)が誤
って資格喪失の届出をし,その後,資格回復ないし再取得のための届出
をしないで放置していた場合,使用者・事業主(船舶所有者)が事実に
反する届出をしないように指導監督すべき立場にあったから,そのよう
な事実に反する届出がなされないようにチェックできる仕組みを設ける
べきであったのにそれを怠っていた。また,被控訴人は,本来,被保険
者資格がある者については,その保険料徴収がなされるべき期間につい
て,保険料を使用者から確実に徴収するような体制を整えるべきであっ
たのにそれを怠っていた。さらに,被控訴人は,使用者・事業主(船舶
所有者)の過誤等により台帳上は事実に反して被保険者資格が喪失とさ
れた後に過誤が判明した場合,本来は,例えば判明時から1年以内は保
険料徴収が可能な仕組みにしておくのが合理的であるのに,そのように
していない。控訴人は,平成12年の裁定請求の際にようやく船員保険
の被保険者資格のある期間が自己の記憶に反して極端に短いことに気づ
き得たものであり,それ以前には気づきようがなかったのであって,ま
してや未払の保険料を納入することは全く不可能であった。
(イ)以下のaないしdに述べるとおり,控訴人が台帳上資格喪失とされた
昭和18年10月当時は,準国家機関としての運営会が徴用船,徴用船
員を支配下において管理しており,徴用された船員は,一応従来の船舶
会社の所属を離れ,国家の指揮監督に服することとなり,運営会が政府
の代行機関としてその指揮監督を実行し,徴用船員は,実際上運営会の
指揮監督に服していたのである。船会社であるBは,運営会のいわば手
足として船員の給与の支払等の事務を処理し,船員保険に関して必要な
届出等の事務も処理していたものである。したがって,仮にB関係者が
昭和18年10月に誤って喪失の届出をしたのだとしても,それは運営
会ひいては政府の過誤と同視できるのであって,広くは保険者側の過誤
といってよいのであるから,少なくとも厚年法75条ただし書の類推適
用により,控訴人を救済すべきものである。
a船舶所有者の意義
船保法では,船舶は適用事業所,船舶所有者(=船会社)は事業主,
船員は被保険者となるのに対して,戦時海運管理令では,船舶は適用
事業所,運営会は事業主,船員は被保険者という関係にあった。船保
法にいう「船舶所有者」は,この場合,B等の各船会社ではなく運営
会を指すことになる。船保法10条(昭和14年制定当時のもの)は,
本法又は本法に基づき発する命令中船舶所有者とあるのは,船舶賃借
の場合にあっては船舶借入人とすると定めていたのであるから,運営
会が借り入れている船舶(○○)について,船保法上で「船舶所有
者」の地位に立つのは運営会であって,B等ではなかったのである。
Bのような各船会社(戦時海運管理令32条の「日本船舶の所有
者)は,運営会の構成員として適用事業所の事務を管理する者であ」
り,かつ,運営会の事業のために適用事業所(船舶)を貸与している
者(事業所の貸主)にすぎないのである。また,各船会社が運航実務
者に任命された場合には,その一機関として船舶の航行に関する事務
)。を処理する者になるのである(戦時海運管理令50条ないし52条
b各船会社と船員との雇用関係
各船会社と徴用船員との間の雇用関係は存続するが,その指揮命令
権は停止され,その所属を離れる(徴用の解除後に,旧来の両者間の
雇用関係が復活する。すなわち,徴用船員は,政府の徴用により。)
運営会の運航する船舶に配置されるものであるから,運営会と船員法
にいう「雇入」契約関係に立つものであって,船員法・船保法にいう
「船主」の地位に立つものは運営会である。したがって,被徴用船員
に対する給料・手当・賞与その他の給与並びに扶助は,運営会におい
てこれを支給すべきものであるが,その支給すべき給料・手当・賞与
その他の規準は逓信大臣の定めるところによらなければならない(戦
時海運管理令21条,同施行規則22条,国家総動員法6条。被徴)
用船員と従来の船主との関係については,戦時海運管理令は,その雇
用契約が依然として存続することを前提として,その解雇・退職には
逓信大臣の認可を必要とし,また,雇用期間の満了その他解雇及び退
職以外の事由により雇用関係の終了する場合においては,逓信大臣の
認可を受けた場合のほか,引き続き雇用関係を存続せしめることを要
するとしている(戦時海運管理令23条1項,2項,同施行規則19
条。以上,要するに,各船会社と徴用船員との間には,形式的な在)
職関係という意味での雇用関係は存続していたが,給与等の受給に関
する法律関係はもはやそこには存在せず,運営会と船員との間の法律
関係に移行していたのである。したがって,船員保険料の徴収及び納
入義務を法律上課されていたのは,運営会に他ならない。
c義務者と代行者の違い
徴用船員の給与等の支払義務者は運営会であって,運営会がその実
際の事務を運航実務者又は船主に代行させることができるのである。
つまり,船員の負担すべき保険料相当額を源泉徴収し,保険者に納入
する事務について,法的な義務を負っていたのは運営会であって,そ
の事務を代行していたのが各船会社なのである。また,各船会社が給
与等の支払事務を運航実務者として行っていたのであれば(実際には
この可能性が極めて高い,当該事務は運営会の一機関として各船。)
会社が行った事務であって,運営会そのものが行った事務ということ
になる。
この点に関し,被控訴人は,運営会は,船員の報酬等を直接船員に
対して支給するのではなく,船舶使用料に含めて船舶所有者に対して
支払っていたものであり,船員に対する報酬等の支払事務は,船舶所
有者(各船会社)が行っていた旨主張する。
しかし,第1に,船員の報酬等を船舶使用料に含めて各船会社に支
払っていたのは法令違反の運用であって,政府は昭和19年5月にこ
れを改め,船員費を船舶使用料より切り離し,運営会が直接これを支
払うこととした。つまり,法律上の給与支払義務者は運営会であるこ
とは間違いなく,誤った法令の運用によって船舶使用料を介して各船
会社に支払わせていたとしても,そのことによって運営会が給与支払
義務を免れうるわけではないのである。また,実務的にも,前記のと
おり,昭和19年5月の時点でこれを改めたのである。第2に,実態
として船員に対する報酬等の支払事務は各船会社が行っていたとして
も,そのことをもって各船会社が自己の雇用する船員に係る保険料等
の納付義務を負っていたとすることは失当である。これは,事務の代
行者と本来の義務者を混同するものである。
d届出義務と保険料徴収・納付義務
被保険者資格に関する届出の事務を各船会社が担当していたことと
運営会の保険料徴収・納付義務とは無関係である。被控訴人は,各船
会社に被保険者資格の届出義務があったとし,このことを保険料納付
義務と結びつけようとしている。しかし,第1に,各船会社に被保険
者資格の届出義務があったとする根拠として被控訴人が示すのは,船
員の年金早わかり(乙38)という手引書であるが,これは法律上の
義務の根拠にならない。むしろ,この種の事務を行政上の便宜から当
該機関に割り当てていたと考えるべきである。つまり,本来の届出の
義務者は運営会であるが,実際の事務処理を担当しているのが各船会
社の事務所であるという理由で,各船会社にその事務も負担させてい
たのである。国家機関の事務の手引書によって届出の事務を便宜上割
り当てられていたからといって,法令上で届出の義務を負うわけでは
ない。第2に,仮に各船会社に被保険者資格の届出義務があったとし
ても,そのことが保険料徴収義務に結びつくわけではない。例えば,
戦時海運管理令は,一方で,徴用船員の徴用事務等に関する届出につ
いては船舶所有者に届出の義務を課しながら(同施行規則18条ない
し21条,他方で,徴用から生じる給与等の支払義務は運営会に課)
している(戦時海運管理令21条,同施行規則22条。つまり,徴)
用船員の身分関係に関わる届出の義務が各船会社に課されている場合
であっても,そのことのゆえに当該身分関係に関わる実体的な義務も
各船会社に課されていると考えることはできないのである。結局,給
与等の支払義務者である運営会が保険料納付義務者であると考えるほ
かはないのである。
《被控訴人の主張》
(ア)控訴人の主張は争う。
(イ)以下のaないしeに述べるとおり,船員保険被保険者資格の得喪の届
出及び保険料の納付は,運営会とは別個の法主体として,船員と雇用関
係を有する船舶所有者(BないしA等の船会社を指す。以下の被控訴人
の主張における「船舶所有者」も同じ)がその義務を負い,その事務。
を行っていたのであるから,船員保険被保険者資格の得喪の届出に関す
る過誤を被控訴人側の過誤ととらえることはできない。
a船員保険被保険者資格の得喪の届出義務及び保険料納付義務
本件では,昭和18年10月2日に控訴人が船員保険被保険者資格
を喪失した旨の届出がなされているが,その当時,船員保険被保険者
資格の得喪の届出義務を負っていたのは,被保険者を雇用する船舶所
有者である(船保法17条1号,船保法施行規則8条,10条。ま)
た,本件では,昭和18年10月から同20年3月までの被保険者期
間(船保法22条参照)の保険料が納付されていたか否かが争点とな
っているが,その当時,被保険者の負担すべき保険料の納付義務を負
っていたのも被保険者を雇用する船舶所有者であった(同法17条1
号,61条。なお,船舶所有者は,雇用する被保険者の負担すべき)
保険料について,被保険者に支払うべき報酬から源泉徴収することが
できるとされていた(同法62条。)
b昭和18年当時の運営会,船舶所有者,船員の関係
昭和18年当時の戦時海運管理令施行下において,船舶所有者は運
営会の構成員たる資格を有し(戦時海運管理令32条,船舶所有者)
の船舶は,逓信大臣が引渡しを受け,運営会が逓信大臣から船舶の貸
付けを受け,運営会が船舶所有者に一定の金額を支払うこととされて
いた(同令9条,13条,47条。船員は運営会から職務に関する)
指示を受け,同会から給料,手当,賞与その他の給与(以下「報酬
等」という)の支給を受けることとなっていたが(同令46条,2。
1条,船舶所有者と船員の雇用関係は継続していた(同令23条,)
同令施行規則19条,51条。)
戦時海運管理令は,昭和17年3月25日に施行され,同年4月1
日に運営会が設立されたものであるが,船舶所有者は,それ以前の船
保法施行当初(昭和15年3月1日)から,雇用する船員の船員保険
被保険者資格の得喪の届出義務,雇用する船員の負担すべき保険料の
納付義務を負っていたものであり,戦時海運管理令等の施行に伴い,
これらの船保法該当部分に改正が加えられたということはなく,本件
で問題となっている当時においても,引き続き,船舶所有者が自己の
雇用する船員に係る上記届出義務及び納付義務を負っていたものであ
る。
c戦時海運管理令施行下における保険料納付事務等
徴用された船舶に乗船する船員は徴用船員とされ,上記bのとおり,
運営会が報酬等を支給することとなっていたが,運営会は船員の報酬
等を直接船員に対して支給するのではなく,船舶使用料に含めて船舶
所有者に対して支払っていたものであり,船員に対する報酬等の支払
事務は船舶所有者が行っていたものと認められ,船員の報酬等から船
員の負担すべき保険料相当額を源泉徴収し,保険者に納付する事務を
行っていたのも船舶所有者であったと認められる。
また,控訴人は,厚生労働省社会・援護局長作成の履歴書(乙1
9)によると,乙船員として陸軍に徴用されていたようであるが,船
員の年金早わかり(乙38)には,陸軍乙船員,海軍乙船員及び運営
会徴用船の船員については,船舶所有者において,旧船員保険の被保
険者資格届をすることとなっていたと記載されており,当時,控訴人
の被保険者資格に関する届出の手続が,船舶所有者によってなされる
べき事務であったことが示されている。
d船舶所有者の意義
運営会は,船舶所有者の船舶について,同人より引渡しを受けた逓
信大臣から貸付けを受けていたが,これをもって,船保法10条に基
づき,直ちに船員保険被保険者資格の得喪の届出義務及び保険料の納
付義務を負うものと解することはできない。すなわち,船保法上,船
員保険の被保険者であるためには,船舶所有者によって雇用されてい
る必要があり(船保法17条1号,船員を雇用している船舶所有者)
が船員の被保険者資格の得喪の届出義務を負っている(船保法施行規
則8条,10条。また,被保険者である船員が負担すべき保険料に)
ついて納付義務を負っているのは,当該船員を雇用している船舶所有
者である(船保法62条。船舶賃借の場合,上記届出義務や納付義)
務を負う主体は,船舶を借り入れているという事実から直ちに船舶借
入人となるわけではなく,船員と雇用関係にある者であることが必要
である。
控訴人と雇用関係を有していたのは,Bであり,控訴人に関する上
記届出義務及び納付義務を負っていたのは,運営会ではなく,Bであ
る。このことは,資料「戦時海運管理令について(甲16)にも示」
されている。すなわち,同資料には,被徴用船員と運営会の関係は,
船員法上の「雇入」契約関係に立ち,被徴用船員と船舶所有者(従前
の船主)との関係は,従前の雇用契約が依然として存続し,船主との
使用関係を広く雇用関係と観念し,特定船舶上における労務提供に関
する関係を雇入契約(又は乗船契約)というべきであり,運営会は,
この雇入契約上の船主となり,船舶所有者は雇用契約上の船主たる地
位を保有するとされている。控訴人は,昭和18年4月にBに入社し,
同年5月21日に陸軍に徴用されたと述べていることからすると,ま
ずBと雇用契約を締結し,その後,徴用船員となり,運営会と雇入契
約関係となったが,引き続き,Bとの雇用関係は継続していたと認め
られる。このように控訴人と雇用関係にあったのは,Bであり,運営
会ではないのである。
台帳には「船舶所有者」欄にBと記載されている。行政庁は,届,
出義務者である船舶所有者からの届出がなければ,船員保険被保険者
資格の取得等について把握することはできない。上記記載は,Bが控
訴人の届出義務を負っている主体として当該届出をしたことを正に示
している。
e運営会が船員保険被保険者資格の得喪等の届出義務を負うかについ

運営会が船員に対し給与等の支払義務を負うのは,当該船員が徴用
されている間にとどまるとされているが(戦時海運管理令18条1項
1号,20条,21条,これは運営会が戦時下における臨時的な形)
態であることに由来する。とすれば,戦時下の臨時的な形態である運
営会が船舶所有者が負担していた全ての義務を引き継ぐと結論づける
ことは困難であって,運営会が船舶所有者の負担していた義務を引き
継ぐか否かは,当該義務の性質によって異なると解するべきである。
船員保険は,政府管掌のもとに船員本人及びその家族の生活の安定
及び福祉の向上を図ることを目的としており,船保法上,船員は,昭
和20年法律第24号による改正前にあっては,船舶に乗り込んだ日
からその資格を取得し,船舶に乗り込まなくなった日の翌日からその
資格を喪失するとされ,同改正後にあっては,船員として船舶所有者
に雇用されなくなった日の翌日からその資格を喪失するとされていた。
また,船員を雇用する船舶所有者は,船員保険料の納付義務,船員保
険被保険者資格の得喪等の届出義務を負うとされていた(船保法21
条の2,61条。このように船員保険制度が当該船員の乗船期間又)
は雇用期間はもとより,乗船後又は退職後にわたり,当該船員の生活
を保障するものである以上,戦時下の徴用期間しか当該船員と関係を
持たない運営会が船保法上の義務を引き継ぐと解することは困難であ
る。
このことは運営会に関する規定によっても裏付けられる。まず,運
営会業務規程31条は,運営会は船員に対し給料,食料手当,賞与そ
の他の給与(退職金を除く)を逓信大臣の定める基準により支給す。
ると定める。そもそも退職金は,徴用期間に止まらず,当該船員の雇
用期間に基づいて支給されるものであるから,徴用期間に限って当該
船員と関係を有していた運営会が退職金について関与しないのは当然
であり,このことからも明らかなように,運営会は,徴用船員に対し,
徴用期間を超える期間が問題となる制度については義務を負わないと
されていたのである。
また,運航実務者・構成員船員事務取扱要領によれば,船員保険料,
船員所得税及び報国団団費に関する事務は,従来どおり各構成員にお
いて処理し,各構成員が納付の手続を執ることとされており,各構成
員とは船舶所有者であるから,運営会発足以降も,船舶所有者が船員
保険料,船員所得税及び報国団団費を納付し,被保険者の資格得喪及
び船舶所有者の移動に伴う保険院長官への報告,船員保険給付手続を
行うとされていたことが明らかである。そして,運航実務者と構成員
が全く別の主体であり,構成員は船舶所有者であって,運営会の事務
を代行する立場にはないのであるから,運営会とは関係なく,各構成
員すなわち各船舶所有者が船員保険料の納付義務及び被保険者資格の
得喪の届出義務を負っていたと解される。
また,船主(船舶所有者)は,船保法運用上,船主事務代行と監督
官庁との連絡機関である船員保険協会を設立し,船員保険事務を取り
扱っていたが,昭和17年4月2日,その東京支部を設置することが
決定されていることから明らかなように,船舶所有者自体,船保法上
の事務を行っていたのではないから,船舶所有者に船員保険の事務を
遂行させる必要もない。したがって,船員保険料納付,船員保険被保
険者資格の得喪の届出について,あえて構成員である各船舶所有者が
処理することとした運航実務者・構成員事務取扱要領は,船舶所有者
に船員保険料納付義務及び船員保険被保険者資格の得喪の届出義務が
存することを前提とした規定であることが明らかである。
なお,船員局各課職務分掌事項には,庶務課の分掌事項として,船
員給与支給事務,所得税事務に関する事項,船員保険に関する事項が
挙げられているが,運営会では全ての徴用船員に対する給与等の支払
を行っていた実態はなく,船員保険料,所得税の納付に至っては,運
航実務者・構成員船員事務取扱要領によって,そもそも運営会では取
り扱わないとされていたのであるから,船員局各課職務分掌事項は正
しく運営会の業務を反映したものではない。また,昭和17年8月1
4日付けで,船員保険給付手続に要する船舶所有者証明に記載する船
舶所有者名は運営会にするとの運営会船員局長の通達が出されている
が,同通達自体は単に船員保険船舶所有者証明書の記載を簡便化する
というものにすぎず,これをもって運営会が船員保険料納付義務を負
っていたと認めることはできない。また,昭和18年2月9日付けの
運営会保険局名の通達により,各船船長に宛てて,船員保険資格取得
届の記載に関する注意事項が出されているが,この記載は,船舶所有
者が被保険者の資格の届出を取り扱っていたことを明示するのみで,
運営会が被保険者資格の届出義務を負っていたことを明らかにするも
のとはいえない。
(ウ)仮に,昭和18年10月2日時点で控訴人が船員保険被保険者資格を
喪失した旨の届出が,運営会による過誤であったとしても,当時の行政
庁は,その翌日から昭和20年4月以降も控訴人が被保険者資格を有し
ていたことを認知できなかったのであるから,これにより,保険料の徴
収の権利を行使できずに時効により消滅させてしまった不利益を行政庁
に負わせるべきではない。したがって,厚年法75条ただし書の類推適
用の余地はない。
第3当裁判所の判断
1争点(1)(控訴人はいつまで船員保険の被保険者資格を有していたか)につ
いて
当裁判所も,控訴人が昭和18年10月2日に船員保険の被保険者資格を喪
失したとの被控訴人の主張は肯認できず,控訴人は同年10月3日以降も被保
険者資格を有しており,少なくとも昭和20年4月5日までは船員保険の被保
険者資格を有していたというべきであると判断する。その理由は,次のとおり
補正するほかは,原判決の事実及び理由の第5の1に記載のとおりであるから,
これを引用する。
(原判決の補正)
(1)原判決18頁11行目の「同年5月21日に」の次に「乙船員として」を
加える。
(2)原判決18頁21行目の「B株式会社」の次に「の事務所」を加える。
(3)原判決19頁23行目の「記憶が曖昧であり」の次に,次のとおり加える。
「この点に関し,控訴人は,自宅待機を命令されて自宅へ帰った際,一応(
会社の方では給料の方は親元へ仕送りしますからと言われたと供述するもの
の,給料が現実に送られてきたかどうかについては,親のとこの名前で来て
おり,親が全部管理していたから一度も給料を見たことはなく,父親に給料
の仕送りについて聞いたこともなかった旨供述しており,同人の供述からし
ても,雇用関係の継続を前提とする給料の支払があったか否かは不明という
ほかはない」。)
2争点(3)(控訴人について昭和18年10月2日に資格喪失の届出がなされ
たか)について
当裁判所も,控訴人について昭和18年10月2日に資格喪失の届出がなさ
れたものと判断するが,その理由は次の(1)のとおり原判決を補正し,(2)のと
おり当審における控訴人の補充主張に対する判断を付加するほかは,原判決の
事実及び理由の第5の3に記載のとおりであるから,これを引用する。
(1)原判決の補正
原判決21頁15行目の「証拠はない」の次に,次のとおり加える。
「この点に関し,控訴人は,昭和20年10月11日に船員保険被保険者(
資格を喪失した旨主張し,その主張を前提として,上記資格喪失届出の事
実を争っているけれども,仮に控訴人主張時期に船舶所有者から控訴人の
資格喪失に係る届書の提出があったとすれば,それに伴い控訴人に係る台
帳記載の更正等の手続がなされるはずであるところ,そのような事実経過
が存したことをうかがわせる証拠はない。また,前記前提事実(6)及び(8)
のとおり,本件履歴書及び本件船員名簿には,控訴人が昭和20年4月5
日に下船した旨の記載があるけれども,本件履歴書は叙位叙勲申請,陸軍
軍属の恩給法及び各種共済組合法による年金請求に当たり関係機関等から
の履歴書の交付依頼に応じて発行するものであるし,本件船員名簿は陸軍
において一定期間徴用した民営船舶会社の船舶に徴用期間乗り組んだ船員
(乙船員)の経歴等を明らかにした名簿であるから,いずれも作成目的,
作成経過等に照らして,船員保険の被保険者資格の得喪の届出自体に関す
る資料とは認められない。したがって,本件履歴書及び本件船員名簿の記
載は,上記認定を左右しない」。)
(2)当審における控訴人の補充主張に対する判断
控訴人は,昭和18年当時の船員保険の保険者側の人的体制・事務処理能
力が十分であったものとは到底思われないし,戦時海運管理の一元化の流れ
の中で,AとBとの合併や他の船舶会社間の再編・合併もなされており,そ
れに伴う船員保険被保険者資格の変動も相当多数あったことが容易に推認さ
れるから,変動に関する多数の届出が順次なされ,各進達過程を経て台帳に
多数の変動が記載される際に,保険者側が決してミスを起こさなかったと信
頼するには無理があり,さらに,現存する台帳の具体的作成年月日は不明で,
従来の台帳について戦後のある時期に転記・整理等がなされて保存された可
能性もあり,近年の社会保険事務所・社会保険庁の年金に関する事務処理の
杜撰さを見る限り,戦前・戦中の事実に関する台帳の記載内容について,保
険者側の事務処理過程は絶対に正しいとはいえないから,控訴人についての
昭和18年10月の資格喪失の事実についての被控訴人の立証責任は果たさ
れていない旨主張する。
しかし,昭和18年当時の船員保険の保険者側の人的体制・事務処理能力
が不十分であったものと確認しうる証拠はない(なお,海運251号「資
料(甲23)には,昭和18年2月当時,船舶所有者による船員保険資格」
取得届の記載に不備があるものが相当数あったことが指摘され,保険局長か
ら注意を促す通達があった旨記載されているけれども,船舶所有者側の過誤
を指摘するものにすぎず,同年当時の保険者側の人的体制・事務処理能力が
不十分であったことを推認させるものとはいえない。また,先に補正し。)
て引用した原判決の前提事実(事実及び理由の第2の2(11)記載)のとおり,
厚生労働省社会・援護局が保管する九号輸送船船員名簿のうち,○○の船員
名簿についての調査によっても,同船員名簿に記載された140名のうち,
被控訴人に保管されている船員保険被保険者台帳及び厚生年金保険被保険者
台帳の存在を確認できた者は,平成18年9月30日現在で,被控訴人を含
めて82名であり,このうち,昭和18年10月及び同年11月の期間に,
被保険者資格に変動(取得・喪失)のあったものは8名にすぎず,昭和18
年10月当時,事務処理に支障を来すほど多数の船員保険被保険者資格の変
動の届出があったものとはなし難く,他にこれを示す証拠もない。さらに,
台帳そのものには作成年月日が記載されていないものの,先に引用した原判
決の事実及び理由の第5の2(2)に説示したとおり,台帳は,昭和15年に
船員保険法が施行されて以来,船員保険の被保険者の資格等の記録を管理す
る原簿として,公的に調製,保管,整理されてきたものと認められ,従来の
台帳について戦後のある時期に転記・整理等がなされて保存されたと認める
に足りる証拠はない。したがって,控訴人が指摘する点は,前記認定判断を
左右しない。
3争点(4)(厚年法75条ただし書の類推適用の可否)について
(1)一般に,社会保険では主として保険料とその積立金の運用利子とによって
保険給付をまかなうことになっているから,この財政均衡の破綻を生じると
いうことは保険にとって致命的である。そこで,厚生年金保険(統合された
船員保険を含む)においては,保険料を徴収できない範囲については,保。
険給付を制限することとしている。これは厚生年金保険運営の健全化,特に
保険財政の安定を図るための措置として当然のものであり,最終的には全被
保険者が被るであろう不利益を排除することになると同時に,結果的には保
険料納付義務の違反に対する制裁的な意味をも持つことになる。このような
趣旨から,保険料を徴収する権利が時効によって消滅した場合には,当該保
険料に係る被保険者期間に基づく保険給付は行わないものとされている(厚
年法75条本文,60年改正法による改正前の船保法51条の2本文も同
旨。)
しかしながら,その被保険者であった期間に係る被保険者の資格の取得に
ついて,届出又は確認の請求があった後に保険料を徴収する権利が時効によ
って消滅したような場合には,この制限は適用されないこととされている
),(厚年法75条ただし書,上記船保法51条の2ただし書も同旨。これは
まだ保険料を徴収する権利が時効消滅しないうちに事業主の届出や被保険者
の請求がなされ,保険者において被保険者資格につき認知し保険料徴収権を
行使できたにもかかわらず,保険者側の事務懈怠のために時効期間を徒過し
保険料を徴収する権利が消滅したのであるから,被保険者の側に不利益を及
ぼすべきではなく,保険料徴収権が時効によって消滅しなかった場合と同様
に保険給付を行うべきであるとの趣旨に基づくものであると解される。
(2)これを本件についてみると,前記1及び2に説示したとおり,控訴人は,
少なくとも昭和20年4月5日までは船員として船舶所有者に使用され,船
員保険の被保険者資格を有していたにもかかわらず,昭和18年10月2日
に船員保険の被保険者資格の喪失届出(以下「本件資格喪失届出」とい
う)がなされており,同月3日以降の期間,控訴人の保険料が納付されて。
いた事実は認めるに足りる証拠はない。そして,当時の船員保険法施行令
(昭和15年2月23日勅令66号,昭和17年勅令604号,昭和18年
勅令235号)36条は「毎月ノ保険料ハ翌月末日迄ニ之ヲ納付スベシ」,
と規定し,昭和20年勅令418号による36条は「毎年二月,五月,八,
月及び十一月ノ各末日迄ニ各当該月分及其ノ直前二月分ノ保険料ヲ納付スベ
シ」と規定し,昭和20年法律第24号による改正前の船保法5条は,保険
料徴収権の消滅時効については1年を経過したときは時効によって消滅する
旨規定するところ,公法上の金銭債権は,会計法(昭和34年法律第184
号)の施行前であっても,別段の規定がないときは,時効期間の経過によっ
て当然に消滅し,時効の援用を要せず,またその利益を放棄することができ
ないと解するべきである。したがって,本件が上記厚年法75条本文を適用
すべき事案であるとするならば,昭和18年10月3日以降の期間の保険料
を徴収する権利は,時効によって消滅し,控訴人に対する保険給付額の計算
上,上記期間を被保険者期間に算入することはできないことになる。しかし
ながら,被控訴人の事務懈怠等により保険料の徴収権が時効消滅した場合な
ど,保険料を徴収する権利が消滅したことについて保険者たる被控訴人側に
その責任があると認められる場合であるならば,厚年法75条ただし書の趣
旨を類推して,保険料を徴収する権利が時効によって消滅しなかった場合と
同様に保険給付を行うべきものと解するのが相当である。
(3)以上のような観点から本件についてみると,前記1及び2に説示したとこ
ろからすれば,控訴人は昭和18年10月3日以降も,少なくとも昭和20
年4月5日までは船員保険被保険者資格を有しており,かつ,昭和18年5
月21日にその資格取得の届出がなされていたところ,その有資格期間内で
ある昭和18年10月2日に本件資格喪失届出がなされたものであるから,
同届出は客観的な事実に反するもので過誤といわなければならない。そして,
上記の過誤による本件資格喪失届出に起因して前記の保険料徴収権の時効消
滅という結果が生じたものと推認される。そこで,かかる過誤につき被控訴
人側にその責任があるか否かについて検討判断することとなるが,その検討
に当たって,以下,①昭和18年当時の船員保険の被保険者資格の得喪の届
出義務に関する関係法規等,②同届出義務に関する雑誌,文献の記載等,③
同届出義務の法主体,④同届出に関する事務の処理について順次検討する。
ア昭和18年当時の船員保険の被保険者資格の得喪の届出義務に関する関
係法規等の定めは,次のとおりである。
(ア)船保法(昭和20年法律第24号による改正前のもの,同施行規則)
(昭和15年厚生省令第5号(乙4,14,15))
a船員保険の事務
行政官庁は,命令の定めるところにより,被保険者を雇用する船舶
所有者をして,その雇用する者の異動及び報酬に関し報告をさせ,文
書を提示させ,その他船員保険の施行に必要な事務を行わせることが
できる(船保法9条。)
b船舶所有者の意義
船保法又は同法に基づいて発する命令中,船舶所有者とあるのは,
船舶共有の場合にあっては船舶管理人,船舶貸借の場合にあっては船
舶借入人とする(船保法10条。)
c被保険者の意義
船員法1条に規定する帝国臣民である船員にして,船保法施行地に
船籍港を定める船舶に乗り組む者は,船員保険の被保険者とする。た
だし,以下に掲げる者はこの限りではない。①船舶所有者に雇用され
ない者。②官吏又は待遇官吏(俸給給料を受けない者を除く,③。)
前2号に掲げる者のほか勅令をもって指定する者(船保法17条。)
d保険料の納付義務
船舶所有者は,その雇用する被保険者の負担すべき保険料を納付す
る義務を負う(船保法61条本文。)
e被保険者資格の得喪の届出義務
船舶所有者は,被保険者の資格を取得した者があるときは,様式第
1号による届書を10日以内に船舶所有者の住所地を管轄する地方長
),官に提出しなければならない(船保法施行規則8条。船舶所有者は
被保険者の資格を喪失した者があるときは,様式第3号による届書を
10日以内に船舶所有者の住所地を管轄する地方長官に提出しなけれ
ばならない(同規則10条。)
(イ)国家総動員法(昭和13年法律第55号(甲9))
政府は,戦時に際し国家総動員上必要があるときは,勅令の定めると
ころにより,帝国臣民を徴用して総動員業務に従事させることができる
(4条本文。政府は,戦時に際し国家総動員上必要があるときは,勅)
令の定めるところにより,帝国臣民及び帝国法人その他の団体を,国,
地方公共団体又は政府の指定する者の行う総動員業務につき協力させる
ことができる(5条。政府は,戦時に際し国家総動員上必要があると)
きは,勅令の定めるところにより,従業者の使用,雇入若しくは解雇,
就職,従業若しくは退職又は賃金,給料その他の従業条件につき必要な
命令をすることができる(6条。政府は,戦時に際し国家総動員上必)
要があるときは,勅令の定めるところにより,同種若しくは異種の事業
の事業主又はその団体に対し,当該事業の統制又は統制のためにする経
営を目的とする団体又は会社の設立を命じることができる(18条1
項。)
(ウ)戦時海運管理令(昭和17年3月25日勅令第235号,同施行規)
則(同日逓信省令第46号,船員使用等統制令(昭和15年11月9)
日勅令第749号,昭和16年12月勅令第1152号改正,運営会)
業務規程,船員局各課職務分掌事項,運航実務者・構成員船員事務取扱
要領(甲14,17,19,30)
a船舶の使用,貸借関係
逓信大臣は,命令をもって定める日本船舶を使用することができる
(戦時海運管理令2条本文。使用の目的たる船舶の所有者又は管理)
者は,令書に記載した引渡しの時期及び場所において当該船舶を逓信
大臣に引き渡さなければならない(同令9条1項。逓信大臣は,命)
令の定めるところにより被使用船舶を運営会に貸し付けるものとする
(同令13条。運営会は,命令の定めるところにより被使用船舶を)
借り入れなければならない(同令44条。運営会は,命令の定める)
ところにより被使用船舶の所有者に対し一定の金額を支払わなければ
ならない(同令47条1項。)
船員使用等統制令及び同令に基づいて発する命令中,船舶所有者に
関する規定は,船舶共有の場合に船舶管理人を置いたときは船舶管理
人に,船舶賃借の場合は船舶借入人にこれを適用する(船員使用等統
制令12条。)
b船員の地位
逓信大臣は,次の各号に掲げるものを徴用することができる。①戦
時海運管理令3条1項の規定による令書送達の際当該船舶に乗組中の
船員。②日本船舶の所有者又は日本船舶の所有者の組織する団体にし
て逓信大臣のの指定する者の保有する予備員たる船員。③船員職業能
力申告令2条に掲げる船員にして前各号に掲げる以外の者(戦時海運
管理令18条1項。同令により徴用する者は,運営会の運航する船)
舶に配置されるものとする(同令19条。被徴用船員は,その職務)
に関し,運営会の指示に従わなければならない(同令20条。被徴)
用船員に対する給料,手当,賞与その他の給与は,命令の定めるとこ
ろにより運営会がこれを支給するものとする(同令21条。被徴用)
船員の解雇及び退職は,命令の定めるところにより逓信大臣の認可を
受けなければ,これをすることはできない(同令23条1項。被徴)
用船員については,雇用期間の満了その他解雇及び退職以外の事由に
より雇用関係の終了する場合においては,引き続き雇用関係を存続さ
せなければならない(同条2項本文。ただし,命令の定めるところ)
により,逓信大臣の認可を受けた場合はこの限りではない(同項ただ
し書。前2項の規定は海員の雇入契約にはこれを適用しない(同条)
3項。)
被徴用船員又は徴用を解除された船員は,遅滞なく最寄り海務局又
は海務局支局に出頭し,当該令書を呈示して船員手帳に徴用又は徴用
)。解除の旨の記載を受けなければならない(同令施行規則18条1項
前項の手続は,前2条の規定により令書の送達がある場合においては,
当該令書の送達を受けた船長又は船舶所有者若しくはその団体船員に
代わってこれをしなければならない(同条2項。船舶所有者は,同)
令3条1項の規定による使用令書の送達を受けたときは,当該令書送
達の際,当該船舶に乗組中の船員につき様式第6号による届書を,そ
の雇用する船員にして予備員である者につき様式第7号による届書を
各2通遅滞なく最寄り海務局長又は海務局支局長を経由して逓信大臣
に提出しなければならない(同規則20条。逓信大臣は,運営会が)
被徴用船員に対し支給すべき給料,手当,賞与その他の規準を定めて
これを告示する(同規則22条1項。運営会は,前項の基準によら)
ないで給与を支給しようとするときは,逓信大臣の許可を受けなけれ
ばならない(同条2項。)
c運営会
運営会は,戦時における海運の総力を最も有効に発揮させるため,
海運事業の統制のためにする経営をなし,かつ海運に関する国策の遂
),行に協力することを目的とする(戦時海運管理令30条。運営会は
その目的を達するため,被使用船舶その他の船舶による海運事業を行
う(同令31条1項。運営会は,逓信大臣の命令により又はその認)
可を受け,前項の事業の外その目的達成上必要な附帯事業を行うこと
ができる(同条2項。運営会の構成員たる資格を有する者は,日本)
船舶の所有者又は日本船舶の所有者の組織する団体にして逓信大臣の
指定するものとする(同令32条。)
運営会は,その使用する船員を指揮監督するものとする(運営会業
務規程28条。運営会は,船員に対し,逓信大臣の定める基準によ)
り乗下船その他職務に関し必要な指示をするものとする(同規程29
条1項。総裁は,特に必要があると認めるときは,運営会の構成員)
に対し,前項の指示に関し必要な事務の処理を命じることができるも
のとする(同条2項。運営会は,船員の勤怠状況を監査し,その表)
彰又は懲戒を逓信大臣に上申するものとする(同規程30条。運営)
会は,船員に対し,給料,食料手当,賞与その他の給与(退職金を除
く)を逓信大臣の定める基準により支給するものとする(同規程3。
1条。運営会は,船員が傷痍を受け若しくは疾病に罹り又は死亡し)
たときは,逓信大臣の定める基準により,これに対し,治療費その他
の給与を支給するものとする(同規程32条。前2条の給与又は治)
療費の支給に関し必要な事務は,運営会の構成員にこれを処理させる
ことができるものとする(同規程33条1項。前項の規定により給)
与の支給に関する事務の処理を命じられた構成員は,その事務処理の
状況を運営会の指示する期日毎に運営会に報告しなければらならない
(同条2項。)
運営会船員局庶務部庶務課は,船員給与支給事務,所得税事務に関
する事項,船員保険に関する事項を分掌することとする(運営会船員
局各課職務分掌事項。)
d運航実務者・構成員
運営会に運航実務者を置く(戦時海運管理令50条1項。運航実)
)。務者は,運営会の構成員中より逓信大臣がこれを命ずる(同条2項
運航実務者は,命令の定めるところにより,運営会のする指示に従い,
船舶の運航に関する事務を処理する(同令51条1項。運営会は,)
運航実務者に対し,一定の事務処理手数料を支払わなければならない
(同条2項。)
同令51条の規定により,運営会が運航実務者に処理させるべき事
務の範囲及び運航実務者に取り扱わせるべき船舶並びに運航実務者に
対し支払うべき事務処理手数料の額は,逓信大臣が運営会にこれを告
知する(同令施行規則41条。)
船員保険料,船員所得税及び報国団団費に関する事務は,従来どお
り各構成員において処理し,各構成員が納付の手続をとることとする
(運航実務者・構成員船員事務取扱要領9項イ号。船員保険被保険)
者の資格得喪及び船舶所有者の移動に伴う保険院長官に報告すべき諸
手続は,従来どおり各構成員において処理せられたい(同項ロ号。)
船員保険金給付の手続も各構成員において処理することとする(同項
ハ号。)
e戦時海運管理令は,公布の日(昭和17年3月25日)より,これ
を施行する(同令附則。)
(エ)船員動員令(昭和20年1月19日勅令第22号,陸軍応徴船員給)
与規則(昭和20年3月29日陸達第21号(乙22,23))
応徴船員に対する給与は,命令の定めるところにより,応徴船員の配
置された船舶の属する船舶所有者がこれを支給するものとする(船員動
員令14条。)
応徴船員は,給与取扱上,これを以下の2種に区分する。①甲船員
陸軍において直接給与をなすべき者。②乙船員陸軍の委託により運営
会において給与をなすべき者(陸軍応徴船員給与規則2条。陸軍応徴)
船員給与規則は,昭和20年1月25日より適用する(同附則。)
イ昭和18年当時の船員保険の被保険者資格の得喪の届出義務に関する雑
誌,文献等の記載は,次のとおりである。
(ア)海運240号「資料(昭和17年5月1日発行(甲18,乙3」)
9)
「船員給与は如何に支給されるか」と題して,次の旨記載されている。
国家管理の実施に伴う船舶国家使用の形式は,定期傭船とも裸傭船と
もつかぬ変態的なもので,船員に対する給与は退職手当を除く全てのも
のは全部運営会の負担として同会より支払われるのである。したがって,
船舶使用料として暫定的に現行傭船料率が適用されるとしても,厳密な
意味でいえば,現行標準傭船料−運営会負担船員給与=船舶使用料とな
るわけであるが,実際問題としては暫定的に傭船料の中にこれらの給与
金を含めて船主に交付するという建前が採られる模様である。すなわち,
船舶使用料+船員給与=現行標準傭船料という意味で現行傭船料が船主
に交付されるわけである。この方法は暫定的と断ってあるので傭船料が
公定化された暁には恐らく,公定傭船料率−船員給与=船舶使用料と本
格的な使用料の交付がなされるに至るものと目されるが,このようにす
ることは事務処理の上頗る複雑性を加えるので,あるいは傭船料を交付
してその中より船主が船員給与を運営会に代行して支給するという便法
が継続されるかもしれず,これは今後の検討に待つわけである。
また「船員保険協会東京支所開設」と題して次の記事が登載されて,
いる。
船保法運用上,船主事務代行と監督官庁との連絡機関である船員保険
協会は,現在神戸並びにその付近地だけでも100余社,約400万ト
ン,約30万人近い船員の保険事務を取り扱っているが,かねて京浜地
方船主の要望もあり保険院との連絡を一段と濃化するため,東京支部を
設置することとなった。
(イ)海運243号「資料(昭和17年8月1日発行(甲20)」)
「船員徴税取扱は従前どおり各船主で」と題して,次の旨記載されて
いる。
被徴用船員の給料,賞与等(退職手当を除く諸給与)は,戦時海運管
理令21条により運営会が支払うこととなっており,従って,勤労所得
に対する分類所得税の徴収並びに納付手続は所得税法,同施行規則によ
り運営会が行うべきであるが,同会がこれを行うこととなればかなり遅
延を来すのみならず船員の異動がかなり激しく正確を期し得ないので,
かねてより大蔵省財務局に事情を具申中であったが,当局においてもこ
れを諒として従前どおり各船主でこれを行うことを許容したので,船員
局長名をもって各構成員にこの旨通達し,一切を従前どおり行われたい
旨依頼した。
(ウ)海運245号「資料(昭和17年10月1日発行(甲21)」)
「船員保険船舶所有者証明簡便化」と題して,次の旨記載されている。
船員保険給付手続に要する船舶所有者証明に関しては,暫定的に従前
どおり各船主名をもってなされていたが,船舶所有者が運営会となって
いる船舶の被保険者に対しては船保法の規定により運営会名をもって証
明を要するのは当然である。しかしながら,実際の処理に当たり種々不
便を伴うのみならず,証明手続の遅延により受給者に迷惑を及ぼす懸念
もあるので,これの特別取扱方を関係当局へ交渉中のところ,今回処理
差支えない旨承認を得たので,運営会では8月14日船員局長名をもっ
て,各構成員に対し,証明に際し船舶所有者名は運営会とすることなど
の通達を行った。
(エ)海運246号(昭和17年11月1日発行(甲22))
「船員問題への根本対策−船員勤労対策委員会設置の提唱−」と題する
論説(筆者・長田滋利)に次の旨の論述がある。
運営会の創設によって軍用船以外の全船舶が国家管理の下に一元的配
給運航が企画されると同時に,船員もまた乗組船舶と共に国家に徴用さ
れることとなり,船員は今や全部が国家の徴用員となった。
等しく国家の徴用員である限りその待遇にいささかの不公正があって
もならず,その処遇に一分の不均等があってもなるまい。全船員を斉し
く国家徴用に感激せしめ,また船員たるの職責を自覚感奮せしむるの方
途を講ずることの必要正に緊急なるを痛感するのである。国家徴用の栄
誉に感激奮起したる船員は恐らく船員たることを廃業したくなりはしま
いし,徴用員としての職責に感発したる船員は必ずや虚偽の病気に罹り
はしまい。かく感ずるが故に,船員勤労の国家管理が速やかに断行され
ることを希望してやまないのである。船員勤労の国家管理とは何である
かといえば,船員勤労のあらゆる条件,船員勤労の場は同時に船員生活
の場所でもあるが故に船員生活のあらゆる条件,待遇,処遇が国家の管
理によって適正に行われるのでなければならないということである。
(オ)法学協会雑誌60巻5号(昭和17年発行(甲16))
東京帝国大学助教授石井照久は「戦時海運管理令について」と題し,
て「被徴用船員の私法上の地位」につき,次の旨論述している。,
被徴用船員は政府の徴用により運営会の運航する船舶に配置されるも
のであるから,運営会といわゆる雇入契約関係に立つものであって,船
員法・船保法にいわゆる船主の地位に立つものは運営会である。
被徴用船員と従来の船主との関係については,戦時海運管理令はその
雇用契約が依然として存続することを前提としているが,これは海運の
企業性並びに将来の発展を確保するため船主と船員との連携を保持させ
る必要があるとともに国家管理下における集団解雇・集団退職の発生を
阻止し,海上労務関係の平静を維持するためのことである。この結果,
退職金の支給義務のごときは依然として船主の負担となるわけであって,
船主の船員の使用関係を広く雇用契約と観念し,特定船舶上における労
務提供に関する関係を雇入契約(又は乗船契約)と見る立場にあるもの
というべく,運営会はこの雇入契約上の船主となり,船主は雇用契約上
の船主たる地位を保有するとなすものであろう。
(カ)海運251号「資料(昭和18年4月25日発行(甲23)」)
「船員保険資格取得届に関する注意事項」と題して,次の旨記載され
ている。
船員保険の被保険者の資格を取得した者が所定の事項を申し出たとき
は,船保法施行規則8条2項により船舶所有者は当該被保険者の資格取
得届に同事項を付記すべきにかかわらず記載がないものが相当にあり,
将来これら被保険者の保険給付をするに当たり支障を生ずるおそれがあ
るので,被保険者資格取得の際申し出があるときは勿論,申し出がない
ものについても一応調査をし,記載方に関し遺漏がないよう関係船舶所
有者に周知するよう保険局長より通達があったので,運営会では同年2
月9日付けをもって各船船長宛にこの旨移牒した。
(キ)「戦時海運管理の構想(昭和18年6月5日発行。竹井廉(甲1」)
5)
次の旨の論述がある。
」,「徴用・配置と私的関係の形成,徴用は純粋に公法上の関係であり
被徴用船員が配置命令により運営会ないし私人船主の経営に編入され,
その船舶労務に従事する場合でも,それはあくまでも公法上の徴用義務
を履行するものであり,ここに至って公法関係が俄然私法関係に変質化
することはない。しかしながら,上記公法関係の半面において,被徴用
船員が運営会の船舶に配置せされ,その経営に編入されるや,その配置
なる公法上の行為の効果として,運営会と船員との間に私法上の労務関
係が形成される。すなわち,船員は一面国家に対して徴用の勤務義務を
負うとともに,他面運営会に対しては雇用類似の労務関係に立つに至り,
ここに公法私法の両関係が同一労務につき重複する形である。
「徴用船員の船員法上の地位,徴用船員は,運営会の運航する日本」
船泊に配置される船員であるから,その配置配乗の後は,当然船員法上
の船員に該当する。したがって,徴用船員の労務関係の特殊に反するこ
となく,かつ戦時海運管理令並びにこれに基づく定款・業務規程に反し
ない限りは,この船員に対してもまた船員法は適用されなければならな
い。この点につき戦時海運管理令は,果たして船員法との関係を懸念し
て立案されたか否かは甚だ疑わしい。
船員保護の規定は船員の福利厚生ないし生活安定を目的とするもので
あるから,ここにおいては特殊関係若しくは契約に基づくと否とを問う
場合でなく,殊に徴用船員を契約による船員より特に不利の地位に立た
せるべきではないから,一,二の考慮(解雇及び退職制限の規定,労働
争議に関する規程)を除いて,ほとんど全面的に適用されるべきである。
したがって,運営会は,船員法のいわゆる船舶所有者として,徴用船員
に対しなすべきことは多々あり,単に戦時海運管理令の業務のみに止ま
らない。
「運営会の法人性,運営会は,国家総動員法18条のいわゆる統制」
のためにする経営を目的とする特別法人であり,純粋の公法上の社団で
はないが,実質的には正しく企業管理の国策施行機関であり,その形態
的に見ても,設立解散は逓信大臣の命令をもって行われ,構成員資格者
の義務加入が認められ,国策指導の一貫のため逓信大臣の任命になる役
員構成をとり,殊にその指導者主義がとられ,定款業務規程の命令若し
くは強き認可主義等々,全体として著しい公法形態を認めるが,しかも
なおその反面の海運経営体性格においては,運送契約の契約主格に止め,
その業務規程を置き,登記制を設けて登記せしめ,少なくとも強制カル
テル程度のカルテル形態を保持させている等私法人形態を多分に維持し
ている。
(ク)海運5月号「内外海事資料(昭和19年5月1日発行(甲24)」)
「運営会の船員管理徹底策」と題して,次の旨の記事が登載されてい
る。
政府は,計量造船の進捗に伴いそれに乗り組む海上要員の急速大量確
保を図るため,同年3月10日の閣議において「緊急船員動員強化要
綱」を決定し,法律等の改正を必要とするものについては直ちに法律改
正に着手すると共に,実施可能なものは即時実施,その他は大体同年4
月1日より実施することとなったが,船員募集の一元的担当機関たる運
営会では,同要綱に基づき急速に諸方策を実施することになった。
(ケ)「戦時海運研究(昭和19年6月14日第2版発行。能美一夫)」
(甲14)
次の旨の論述がある。
被徴用船員は,一応従来の船会社の所属を離れ国家の指揮監督に服す
ることとなるのであるが,運営会は政府の代行機関としてその指揮監督
を実行しているのであって,したがって,被徴用船員は実際上同会の指
揮監督に服するのである。しかし,同会の指揮系統に入っても,従来の
所属会社との雇用関係は消滅せず,ただ徴用されている間は,今までの
雇主の指揮命令権が停止されているのであって,徴用が解除になると同
時に自動的にその雇用関係は旧に復するのである。
徴用船員の給料,手当,賞与その他の諸給与は,退職金を除いて全て
運営会において負担する建前になっており,その基準は運輸逓信大臣が
これを決定するが,給与支給の実際事務は,運営会が必要と認めた場合
は,運航実務者又は船主に代行させることができるのである。
(コ)海運7月号「内外海事資料(昭和19年7月1日発行(甲25)」)
「船員費を船舶使用料より分離」と題して,次の旨の記事が登載され
ている。
戦時下,被徴用船員の国家的性格をより顕現するため,運営会では戦
時海運管理令に基づき船員費一切を船舶使用料より分離することに決定
し,国庫をもって支弁されることになり,このほど過去6か月間におけ
る各構成員の支出した船員費一切を各項目別に調査提出するよう各担当
班長会社に命じた。これによって船員事務処理手数料を除く給与,予備
員費等全船員費が直接運営会より船員の手へ支給されることになり,予
備員融通,身分向上等の諸懸案はここに一挙に解決するものとみられて
いる。
(サ)海運10月号「内外海事資料(昭和19年10月1日発行(甲2」)
6)
「船員年金制立案運営会でいそぐ」と題して,次の旨の記事が登載さ
れている。
運営会では,先に政府より発表された「船員の身分決定に関する件」
の主旨並びに待遇官吏とはいかなるものかを敷衍説明するため,同年8
月10日運営会使用船船長宛で,俸給は運営会より支給されることなど
の通牒を発した。しかして,運営会では同通牒をもって正式に徴用船員
に対し画期的な今回の措置を通達徹底すると共に,待遇官吏の一般官吏
と異なる点を挙げた。
「給料は直接払い運営会が船員に」と題して,次の旨の記事が登載さ
れている。
大阪以西の全機帆船被曳船・曳ボートを掌握するC会社では同年8月
18日若松市で船員給料支払方改正協議会を開催し,国家使用船の船員
に対する国家性の明徴化と悪質船主一掃の見地から同社使用船の船員給
料の支払方法として,従来の船主支払を全廃し,運営会の船員担当者た
る同社が直接船員に対して支払を実施することに決定し,同月25日以
降一切の船員給料を同社の各地支店・出張所で支払うことにした。
(シ)海運11月号「内外海事資料(昭和19年11月1日発行(甲2」)
7)
「船員事務は総て運営会で取り扱う」と題して,次の旨の記事が登載
されている。
運営会では同年9月28日臨時実務者会を開き,寺井総裁より船員の
待遇官吏措置実施に伴う運営会の新機構等の具体策を説明し,種々懇談
を重ねたが,運営会船員事務新機構の骨子とみられる点は,①陸・海軍
徴用船乗組船員事務をも運営会で取り扱い,これら船員の給与等も国家
使用船乗組船員と同等になり運営会より支給することになること,②現
船員局の部署間事務の配置換えを行うとともに,船員担当6班を船員局
に組み入れ,計8つの各独立した部を設置し,現場的事務を担当し,船
員の配乗・監督・乗下船・給与の手渡し・福利厚生等の実際事務を取り
扱い,煩瑣事務の関係上機動性を持たせるため,その所在地を事務取扱
上都合のよいところに設置し得ること等である。
(ス)海運12月号「内外海事資料(昭和19年12月1日発行(甲2」)
8)
「政府が船員管理−実務は運営会が行う」と題して,次の旨の記事が
登載されている。
政府は,海運能率向上の根幹をなす船員の増強確保をはかるため,去
る同年7月18日の閣議において船員身分確立に関する件を決定し,国
家使用船に配乗の船員(予備船員も含む)にして徴用船員たるものは。
全部大東亜戦争中待遇官吏とすることとなり,運通省ではこの船員待遇
官吏制度の実施並びに戦局の要請である船員配乗の機動性及び船員指導
訓練の強化に必要な諸般の準備を急いでいるが,今回その実施の前提を
なす船員管理組織要綱を決定し,同年10月10日その要目を発表し,
これにより海運総局及び地方海運局並びに運営会の船員管理機構を整備
し,従来船主が行っていた待遇官吏たる船員の任免・昇等・給与・補職
(配乗)は政府において行い,その実務は運営会に行わせることになり,
ここに船舶・海員にわたる国家の海運管理が実質的に確立された。
その要目は,①運営会は待遇官吏である船員の人事管理実務機関であ
ると共に,その請入者としての性格に即応するように船員管理機構を整
備し,このため,現在の船員担当班及び各構成員の船員実務機関はこれ
を運営会に吸収することとするも,船員担当班などによる船員事務管理
方式はつとめてこれを活用すること,②政府及び運営会の各船員管理機
構は表裏一体として運行し得るように可及的に人事及び事務局所につき
所要の措置を講ずること等である。
(セ)海運1月号「内外海事資料(昭和20年1月1日発行(甲29)」)
「船員管理機構決まる−運営会に一元的集中」と題して,次の旨の記
事が登載されている。
政府は,船員待遇官吏並びに決戦段階に対応する船員配乗の機動性及
び指導訓練の強化を図るため,船員管理を運営会に一元化し運営会船員
局を拡大強化することとなり,先に決定の方針に基づき船員管理実行委
員会において具体案作成を急いでいたが,このほど正式決定し,直ちに
新機構確立に着手することとなった。
「微動だにしない管理組織を確立」と題して,次の旨の記事が登載さ
れている。
政府では船員の国家管理を断行することになり,先に船員管理組織要
綱を決定発表したが,新組織の円滑速急なる実施を図るため,海運総局
・運営会及び船主よりなる実行委員会を設置し,その第1回会合を開催
した。同会合において,小野長官は挨拶し,関係者に対し,微動だにし
ない船員管理組織の確立に邁進することなどの要望を出した。
(ソ)海運36号(昭和22年7月1日発行(甲17))
「戦時海運史・船員対策の推移」と題する論説(筆者・田中準)に次
の旨の論述がある。
「船員国家管理と運営会,船員と雇用主との間の雇用契約が存続し」
たため,雇用主は被徴用船員を相変わらず自己の雇用者とみなして憚ら
ず,船員の側からしても給与の支給その他の実務が旧船主により行われ
るので相変わらず従来の会社別の対立感情を払拭し得ず,一元的管理に
重大な支障を来した。例えば,給与についても,運営会は,被徴用船員
給与準則や自ら定めた各規程等に従って自ら支給すべきであった。しか
るに,運営会の運営する船舶の公定傭船料には船員費を含んでいるため
に便宜的に船主がこれを負担しているという実情もあって,労務管理の
根幹をなす給与支給の実すら運営会は掌握していなかった。昭和19年
5月,配乗事務を円滑に行うために,船員担当班の再整備とともに共同
予備員を設けることとし,その方策として船員費を船舶使用料より切り
離し,運営会が直払いすることに決定するなどして,船員は待遇官吏と
して国家の一元的管理に従う体制の下に置かれたのであるが,なお旧船
主との雇用契約はそのままであるとされ,その運用は将来に残されたま
まで終戦を迎えた。
(タ)戦時海事行政史(昭和38年3月30日発行。郵政省編(甲13))
次の旨記載されている。
戦時海運管理令による船員国家管理は次のとおりのものであった。①
原則として,船舶使用令書送達の際における当該船舶の乗組員・予備員
を徴用の対象とするが,これにより所要の人員を得られない場合に限り,
その他の船員を徴用し,徴用船員はこれを各使用船舶に配置する。②徴
用船員は逓信大臣の定める服務規律に従うが,その職務に関しては運営
会の指示に従うことを要する。③徴用船員に対する給与は逓信大臣の定
める基準に基づいて運営会が支給する。④船舶所有者は,徴用船員との
間の雇用関係を雇用期間の満了その他解雇又は退職の場合を除き原則と
して引き続き存続させることを要し,徴用船員の解雇又は退職について
は逓信大臣の認可を要する。
船員は戦時海運管理令に基づいて国家に徴用されることになり,そし
て徴用船員の給与は逓信大臣の定める基準によって運営会がこれを支給
するものと定められ,徴用船員の給与基準は当分のうち戦時海運管理令
施行の際,各船主が船員給与統制令の適用を受けて実施中の給与準則及
び協定によるものとされ,そして,それにより運営会が支給する給与は
船舶使用料に含まれるものと定められたが,各船主の給与準則には相当
の差異があったので,これを統一する必要があったにもかかわらず,一
部のものを除いてその実現は困難であった。
(チ)鑑定意見書(平成19年1月15日作成(甲12))
D大学大学院教授のEは「船員保険の被保険者資格に関する立証責,
任」と題する鑑定意見書において,次の旨論述している。
「戦時における被徴用船員の雇用関係と船員保険,当時,船員は国」
家総動員法4条及び船員徴用令に基づいて徴用される立場にあったが,
船員徴用の手続や雇用関係について具体的な定めを置いたのは,戦時海
運管理令であった。そして,被徴用船員と運営会との関係は,船員法に
いう雇入契約関係であって,船員法・船保法にいう船主の地位に立つも
のは運営会である。徴用後も雇用関係を存続させた理由は,海運の企業
性並びに将来の発展を確保するため船主と船員との連携を保持させる必
要があると共に国家管理下における集団解雇・集団退職の発生を阻止し,
海上労務関係の平静を維持するためであった。これに伴って,船員につ
いては徴用後も船員保険への加入が維持されたのである。
被徴用船員は,逓信大臣の定める服務規律に従い,運営会の運航する
船舶に配属され,これらに対する各種の給与は,命令の定めるところに
従って運営会より支給されるのである。かくして,労務の点についても
海運事業は直接国家意志によって指導されるというのが当時の状況であ
った。そしてまた,船員保険の保険料に関する徴収・納付の事務もこの
ように国の命令と管理の下で処理されていたのである。
ウ以上を前提として,昭和18年当時の船員保険の被保険者資格の得喪の
届出義務の法主体について検討する。
(ア)船舶所有者の意義
上記アの関係法規等のうち船保法,同法施行規則によれば,行政官庁
は被保険者を雇用する船舶所有者をして船員保険の施行に必要な事務を
行わせることができ(同法9条,同法又は同法に基づいて発する命令)
中,船舶所有者とあるのは船舶貸借の場合にあっては船舶借入人とされ
(同法10条,船舶所有者は被保険者の資格を取得した者があるとき)
は届書を10日以内に地方長官に提出しなければならず(同法施行規則
8条,船舶所有者は被保険者の資格を喪失した者があるときは,届書)
を10日以内に地方長官に提出しなければならないとされる(同規則1
0条。したがって,船保法上の船舶所有者は,船員保険の被保険者資)
格の得喪の届出義務を負うものと解される。
そして,戦時海運管理令によれば,逓信大臣は命令をもって定める日
本船舶を使用することができ(同令2条本文,使用の目的たる船舶の)
所有者又は管理者は当該船舶を逓信大臣に引き渡さなければならず(同
令9条1項,逓信大臣は被使用船舶を運営会に貸し付けるものとされ)
(同令13条,運営会は命令の定めるところにより被使用船舶を借り)
入れなければならないとされる(同令44条。したがって,戦時海運)
管理令により使用の目的とされる船舶は,当該船舶の所有者又は管理者
から逓信大臣に引き渡され,逓信大臣から運営会に貸し付けることにな
るものと解される。
そうすると,先に補正して引用した原判決の認定事実(第5の1(1)
アないしウ記載)のとおり,控訴人は,昭和18年4月1日に北海道小
樽市のBに雇用され,同年5月21日に乙船員として陸軍に徴用され,
同日に船舶司令部に配属されるとともに,調理員見習としてBが所有す
る貨物船「○○」への乗船を命ぜられて乗船したこと,同年11月にB
はAに合併されたことが認められるから,本件では,B(合併前)は使
用の目的たる船舶の所有者であり,運営会は船舶貸借の場合の船舶借入
人であるものと解される。
(イ)被徴用船員の雇用関係
そうすると,運営会は,船保法10条によれば,船舶賃借の場合の船
舶借入人として船舶所有者に該当するように考えられるが,船保法は,
一方で,被保険者を雇用する船舶所有者をして船員保険の施行に必要な
事務を行わせることができ(同法9条,船舶所有者に雇用されない者)
は船員保険の被保険者としない(同法17条1号)と規定するから,本
件の場合に,Bと運営会のいずれが船保上の船舶所有者として,被徴用
船員である控訴人の船員保険被保険者資格の得喪の届出義務を負うのか
を判断するためには,さらに,当時の被徴用船員の雇用関係を検討する
必要がある。
この点に関し,戦時海運管理令によれば,逓信大臣は船舶に乗組中の
船員等を徴用することができ(同令18条,同令により徴用する者は)
運営会の運航する船舶に配置されるものとされ(同令19条。被徴用)
船員はその職務に関し運営会の指示に従わなければならず(同令20
条,被徴用船員に対する給料,手当,賞与その他の給与は,命令の定)
めるところにより運営会がこれを支給するものとされ(同令21条,)
被徴用船員の解雇及び退職は,命令の定めるところにより逓信大臣の認
可を受けなければ,これをすることはできず(同令23条1項,被徴)
用船員については雇用期間の満了その他解雇及び退職以外の事由により
雇用関係の終了する場合においては,引き続き雇用関係を存続させなけ
ればならず(同条2項本文,ただし,逓信大臣の認可を受けた場合は)
この限りではなく(同条2項ただし書,前2項の規定は海員の雇入契)
約にはこれを適用しない(同条3項)などとされる。
したがって,戦時海運管理令においては,従前の船主との雇用関係が
継続することを前提とする規定も存在するものの,被徴用船員は,運営
会の運航する船舶に配置され,その職務に関し運営会の指示に従い,給
料等も運営会から支給されることとされており,雇用関係に基づく権利
義務の主要なものは運営会が行使し負担することとなっていたものとい
うべきである。
そして,前記イの各文献等においても「被徴用船員は,運営会とい,
わゆる雇入契約関係に立つものであって,船員法・船保法にいわゆる船
主の地位に立つものは運営会であり,被徴用船員と従来の船主との関係
」,については,その雇用関係が依然として存続する(石井照久・甲16
E・甲12「被徴用船員と運営会とは,雇用類似の労務関係に立ち,),
公法私法の両関係が同一労務につき重複する形である(竹井廉・甲1」
5)などと解されており,被徴用船員と運営会との間で何らかの雇用関
係があることを否定する文献等は認められない。
してみれば,被徴用船員と運営会との法律関係は,雇用関係ないし雇
用類似の関係に立つと解するのが相当である。
(ウ)被保険者資格の得喪の届出義務
そうすると,運営会は,被徴用船員との間で雇用関係ないし雇用類似
の関係に立ち,使用の目的たる船舶の借入人として,船保法上の船舶所
有者に該当するというべきであり,船舶所有者として,船員保険の被保
険者資格の得喪の届出義務を負うと解するのが相当である。このように
解することは,前記(3)ア(ウ)cのとおり,運営会船員局庶務部庶務課が
船員保険に関する事項を分掌することとなっていることにも合致するし,
船員保険給付手続に要する船舶所有者証明に関して,運営会名をもって
証明を要するのは当然であるとする雑誌の記載(甲21)などとも一致
する。そして,前記イの各文献等において,運営会が船保法上の船舶所
有者に該当することを否定するものは認められない。
エ以上によれば,船員保険被保険者資格の得喪の届出義務は,船舶所有者
である運営会が負っていたというべきであるが,前記(3)ア(ウ)のとおり,
運営会の総裁は特に必要があると認めるときは運営会の構成員に対し必要
な事務の処理を命じることができるものとされ(運営会業務規程29条2
項,船員保険料に関する事務は,従来どおり各構成員において処理し)
(運航実務者・構成員船員事務取扱要領9項イ号,船員保険被保険者の)
資格得喪及び船舶所有者の移動に伴う保険院長官に報告すべき諸手続は従
来どおり各構成員において処理されたいとあるから(同項ロ号,船員保)
険被保険者資格の得喪の届出に関する実際の事務は,運営会の各構成員に
おいて行っていたものと認められる。
そして,運営会の構成員たる資格を有する者は,日本船舶の所有者又は
日本船舶の組織する団体にして逓信大臣の指定するものとされているから
(戦時海運管理令32条,本件資格喪失届出がなされた昭和18年10)
月2日当時,同届出に関する事務を実際に処理していたのは,合併前のB
の事務担当者であったと推認される。
(4)以上の認定事実に加え,先に補正して引用した原判決の前提事実(事実及
び理由の第2の2(1),(4)及び(5)記載)及び弁論の全趣旨によれば,本件
資格喪失届出においては,Bの事務担当者が昭和18年10月2日付けで控
訴人に関する被保険者資格の喪失の届書(以下「本件届書」という)を作。
成するなどした上,本件届書が地方長官に提出され,さらに,地方長官は,
厚生大臣に対し,本件届書を進達し,厚生省保険局船員労災課において事務
処理がなされるなどして,台帳に記載されたものと認められる。そして,前
記のとおり,本件資格喪失届出は,客観的事実に反するもので過誤といわな
ければならないけれども,本件全証拠によっても,同過誤が上記事務処理の
手続上のどの過程で生じたものであるかを確定しうる証拠はない。
しかしながら,上記過誤が,本件届書が地方長官に提出された後に生じた
ものである場合には,船員保険の現業事務として被保険者資格の得喪の決定
等を所掌していた地方長官ないし厚生省保険局船員労災課の過誤というべき
であるから,かかる過誤については船員保険の保険者側(すなわち,被控訴
人側)に責任があるといわなければならない。
また,上記過誤が,Bの事務担当者によるなど,本件届書が地方長官に提
出される以前に生じたものである場合にも,Bは,前記(3)エのとおり,運
営会の構成員として被保険者資格の得喪に関する事務処理に当たったものに
すぎず,本来,運営会が被保険者資格の得喪の届出義務を負っていたもので
あるから,上記過誤は運営会が負担する届出義務に関する過誤であり,運営
会による過誤といわなければならない。そして,運営会は,戦時における海
運の総力を最も有効に発揮させるため海運事業の統制のためにする経営をな
し,かつ海運に関する国策の遂行に協力することを目的とするもので(戦時
海運管理令30条,前記(3)イの各文献等にあるとおり,国家総動員法1)
8条のいわゆる統制のためにする経営を目的とする特別法人で,実質的には
企業管理の国策施行機関であり(甲15,政府の代行機関(甲14)であ)
るなどと解されるのであるから,運営会の過誤は,保険者側(被控訴人側)
の過誤と同視するべきである。
したがって,本件資格喪失届出に起因して生じた保険料徴収権の時効消滅
は,保険者側(被控訴人側)の事務懈怠等により保険料の徴収権が消滅した
場合など,保険料徴収権が消滅したことについて保険者側(被控訴人側)に
その責任があると認められる場合に該当するというべきであるから,厚年法
75条ただし書の趣旨を類推して,保険料徴収権が時効によって消滅しなか
った場合と同様に保険給付を行うべきものと解するのが相当である。
(5)これに対し,被控訴人は,上記の認定判断に反する主張をするので,以下
に検討する。
ア被控訴人は,船員保険被保険者資格の得喪の届出及び保険料の納付は運
営会とは別個の法主体として,船員と雇用関係を有する船舶所有者(B
等)がその義務を負い,その事務を行っていたのであるから,船員保険被
保険者資格の得喪の届出に関する過誤を被控訴人側の過誤ととらえること
はできない旨主張する。
しかし,前記(3)ウ説示のとおり,被徴用船員は従来の船主(B等)と
の雇用関係を継続しつつ,運営会との間でも雇用関係ないし雇用類似の関
係に立ち,船保法上の船舶所有者は運営会であったと認められる。したが
って,被控訴人の上記主張は,その前提を欠き採用できない。
イ被控訴人は,戦時海運管理令は昭和17年3月25日に施行され,同年
4月1日に運営会が設立されたものであるが,B等はそれ以前の船保法施
行当初(昭和15年3月1日)から,雇用する船員の船員保険被保険者資
格の得喪の届出義務,雇用する船員の負担すべき保険料の納付義務を負っ
ていたものであり,戦時海運管理令等の施行に伴い,これらの船保法該当
部分に改正が加えられたということはなく,本件で問題となっている当時
においても,引き続き,B等が自己の雇用する船員に係る上記届出義務及
び納付義務を負っていた旨主張する。
しかし,戦時海運管理令の施行(昭和17年3月25日)に伴って,雇
用する船員の船員保険被保険者資格の得喪の届出義務等に関する船保法該
当部分に改正が加えられなかったとしても,同令によって,船舶の使用,
貸借関係等について変更が加えられたことは明らかであるし,前記(3)ウ
説示のとおり,当時,船保法上の船舶所有者として上記届出義務を負って
いたのは運営会であったと認められる。したがって,被控訴人の上記主張
は採用できない。
ウ被控訴人は,徴用された船舶に乗船する船員は徴用船員とされ,運営会
が報酬等を支給することとなっていたが,運営会は船員の報酬等を直接船
員に対して支給するのではなく,船舶使用料に含めてB等に対して支払っ
ていたものであり,船員に対する報酬等の支払事務はB等が行っていたも
のと認められ,船員の報酬等から船員の負担すべき保険料相当額を源泉徴
収し,保険者に納付する事務を行っていたのもB等であり,B等が被保険
者資格の得喪の届出義務を負っていた旨主張する。
しかし,前記(3)ア及びエのとおり,運営会の総裁は特に必要があると
きに運営会の構成員に対し必要な事務の処理を命じることができ(運営会
業務規程29条2項,船員保険料に関する事務は従来どおり各構成員に)
おいて処理し,各構成員が納付の手続をとることとされているから(運航
実務者・構成員船員事務取扱要領9項イ号,B等が船員の報酬等から船)
員の負担すべき保険料相当額を源泉徴収し,保険者に納付する事務を行っ
ていたとしても,それは運営会の構成員としての資格に基づいて行ってい
たものにすぎない。したがって,かかる事務担当の事実からB等が被保険
者資格の得喪の届出義務を負っていたということはできず,被控訴人の上
記主張は採用できない。
エ被控訴人は,船員の年金早わかり(乙38)には,陸軍乙船員,海軍乙
船員及び運営会徴用船の船員については,船舶所有者において,旧船員保
険の被保険者資格届をすることとなっていたと記載されており,当時,陸
軍乙船員であった控訴人の被保険者資格に関する届出の手続が船舶所有者
(B等)によってなされるべき事務であったことが示されている旨主張す
る。
しかし,船員の年金早わかり(乙38)は,社会保険庁年金保険部業務
第一課・業務第二課監修による年金事務の手引書というべきものであり,
被控訴人が指摘する記載は,事務手続を記載したものにすぎず,法律上の
届出義務の根拠となるものとはいえない。また,前記(3)エの説示のとお
り,控訴人の被保険者資格に関する届出の手続がB等によってなされてい
たとしても,運営会の構成員としての資格に基づいて行っていたものと認
められ,かかる事務担当の事実から各構成員が被保険者資格の得喪の届出
義務を負っていたということはできない。したがって,被控訴人の上記主
張は採用できない。
オ被控訴人は,台帳には「船舶所有者」欄にBと記載されており,行政庁
は届出義務者である船舶所有者からの届出がなければ船員保険被保険者資
格の取得等について把握することはできないところ,上記記載はBが控訴
人の届出義務を負っている主体として当該届出をしたことを正に示してい
る旨主張する。
しかし,前記(3)イ(ウ)に認定したところからすれば,船員保険給付手続
に要する船舶所有者証明に関しては,暫定的に従前どおり各船主名をもっ
てなされ,台帳上の船舶所有者名も従前とおり各船主名をもって記載され
ていた可能性がうかがわれるし,台帳上の「船舶所有者」が船保法上の船
舶所有者と同一意義で使用されていたかどうかも明らかではない。したが
って,台帳上の前記記載からBが届出義務を負っていたということはでき
ず,被控訴人の上記主張は採用できない。
カ被控訴人は,船員保険制度が当該船員の乗船期間又は雇用期間はもとよ
り,下船後又は退職後にわたり,当該船員の生活を保障するものである以
上,戦時下の徴用期間しか当該船員と関係を持たない運営会が船保法上の
義務を引き継ぐと解することは困難である旨主張する。
しかし,船員保険制度が当該船員の下船後又は退職後にわたり当該船員
の生活を保障するものであるとしても,そのことと徴用期間中の被徴用船
員の船員保険の被保険者資格の得喪の届出義務とは直接関連しない。した
がって,被控訴人の上記主張は採用できない。
キ被控訴人は,運営会に関する規定によれば,運営会は船員に対し退職金
を支給しないものとされているが,そもそも退職金は徴用期間に止まらず,
当該船員の雇用期間に基づいて支給されるものであるから,徴用期間に限
って当該船員と関係を有していた運営会が退職金について関与しないのは
当然であり,このことからも明らかなように,運営会は徴用船員に対し徴
用期間を超える期間が問題となる制度については義務を負わない旨主張す
る。
しかし,前記(3)イ(オ)に認定したところでは,退職金の支払義務が依然
として船主の負担とされたのは,海運の企業性並びに将来の発展を確保す
るため船主と船員との連携を保持させる必要があるとともに国家管理下に
おける集団解雇・集団退職の発生を阻止し,海上労務関係の平静を維持す
るために,戦時海運管理令はその雇用関係が依然として存続することを前
提としたためであるなどされており,運営会が退職金について関与しない
のは,上記の特殊な立法事情によるものと認めるのが相当であるし,いず
れにしろ,退職金について運営会が関与しないとされたことは,徴用期間
中の被徴用船員の船員保険被保険者資格の得喪の届出義務を運営会が負う
と認めることの妨げとなるものではない。したがって,被控訴人の上記主
張は採用できない。
ク被控訴人は,運航実務者・構成員船員事務取扱要領によれば,船員保険
料等に関する事務は,従来どおり各構成員において処理し,各構成員が納
付の手続を執ることとされており,各構成員とはB等であるから,運営会
発足以降も,B等が船員保険料等を納付し,被保険者の資格得喪及び船舶
所有者の移動に伴う保険院長官への報告,船員保険給付手続を行うとされ
ていたことが明らかであるところ,運航実務者と構成員とは全く別の主体
であり,構成員はB等であって,運営会の事務を代行する立場にはないの
であるから,運営会とは関係なく,各構成員すなわちB等が船員保険料の
納付義務及び被保険者資格の得喪の届出義務を負っていたと解される旨主
張する。
しかし,前記(3)エ説示のとおり,B等は,運営会の総裁から命じられ
るなどして,運営会の構成員として,船員保険の被保険者資格の得喪の届
出事務を行っていたものであり(運営会業務規程29条2項,同規定33
条,運航実務者・構成員船員事務取扱要領9項,運営会とは関係がない)
事務を担当していたとは到底いえない。また,かかる事務を担当していた
からといって,法律上の届出義務を負っていたと解することもできない。
したがって,被控訴人の上記主張は採用できない。
ケ被控訴人は,船主(B等)は船保法運用上,船主事務代行と監督官庁と
の連絡機関である船員保険協会を設立し,船員保険事務を取り扱っていた
が,昭和17年4月2日,その東京支部を設置することが決定されている
ことから明らかなように,B等自体,船保法上の事務を行っていたのでは
ないから,B等に船員保険の事務を遂行させる必要もないところ,船員保
険料納付,船員保険被保険者資格の得喪の届出について,あえて構成員で
あるB等が処理することとした運航実務者・構成員事務取扱要領は,B等
に船員保険料納付義務及び船員保険被保険者資格の得喪の届出義務が存す
ることを前提とした規定である旨主張する。
しかし,船員保険協会が取り扱っていたとされる船員保険事務の内容は
必ずしも明らかではなく,B等が船保法上の事務を全く行っていなかった
と認めることはできないし,前記(3)エ説示のとおり,運航実務者・構成
員事務取扱要領は,運営会が負担していた船員保険被保険者資格の得喪の
届出義務に関する事務を構成員に取り扱わせることとしたものにすぎず,
同要領から,B等が船員保険被保険者資格の得喪の届出義務を負っていた
ということはできない。したがって,被控訴人の上記主張は採用できない。
コ(ア)被控訴人は,運営会船員局各課職務分掌事項には庶務課の分掌事項と
して船員保険に関する事項が挙げられているが,運営会では全ての徴用
船員に対する給与等の支払を行っていた実態はなく,船員保険料,所得
税の納付に至っては,運航実務者・構成員船員事務取扱要領によって,
そもそも運営会では取り扱わないとされていたのであるから,運営会船
員局各課職務分掌事項は正しく運営会の業務を反映したものではない旨
主張する。
しかし,前記(3)イに認定したところからすれば,被徴用船員に対す
る給与等の支払は,本来,運営会においてすべきところを事務手続の便
宜などから従来の船主において支払っていたものにすぎず,その取扱い
も次第に改められたものと認めるのが相当であり,運営会船員局各課職
務分掌事項は本来の職務分掌事項を定めたものとして,運営会が船員保
険の被保険者資格の得喪の届出義務を負っていたことを裏付ける有力な
資料というべきである。したがって,被控訴人の上記主張は採用できな
い。
(イ)被控訴人は,昭和17年8月14日付けで,船員保険給付手続に要す
る船舶所有者証明に記載する船舶所有者名は運営会にするとの運営会船
員局長の通達が出されているが,同通達自体は単に船員保険船舶所有者
証明書の記載を簡便化するというものにすぎず,これをもって運営会が
船員保険料納付義務を負っていたと認めることはできない旨主張する。
しかし,前記(3)イ(ウ)に認定したところからすれば,上記通達は,船
員保険船舶所有者証明書に関して,船舶所有者が運営会となっている船
舶の被保険者に対しては船保法の規定により運営会名をもって証明を要
するのは当然であることを前提として出されたものと認められ,運営会
が船保法上の船舶所有者であったことを示す有力な資料といえる。した
がって,被控訴人の上記主張は採用できない。
(ウ)被控訴人は,昭和18年2月9日付けの運営会保険局名の通達により,
各船船長に宛てて,船員保険資格取得届の記載に関する注意事項が出さ
れているが,この記載は,B等が被保険者の資格の届出を取り扱ってい
たことを明示するのみで,運営会が被保険者資格の届出義務を負ってい
たことを明らかにするものとはいえない旨主張する。
しかし,運営会が被保険者資格の得喪の届出義務を負っていなかった
とすれば,かかる注意事項を各船船長に宛てて通達する根拠を欠くもの
であり,上記通達は,運営会が船員保険被保険者資格の届出義務を負っ
ていたことを示す有料な資料といえる。したがって,被控訴人の上記主
張は採用できない。
サ被控訴人は,仮に昭和18年10月2日時点で控訴人が船員保険被保険
者資格を喪失した旨の届出が運営会による過誤であったとしても,当時の
行政庁は,その翌日から昭和20年4月以降も控訴人が被保険者資格を有
していたことを認知できなかったのであるから,これにより,保険料の徴
収の権利を行使できずに時効により消滅させてしまった不利益を行政庁に
負わせるべきではない旨主張する。
しかし,前記(4)説示のとおり,運営会は国家総動員法18条のいわゆ
る統制のためにする経営を目的とする特別法人であり,実質的には企業管
理の国策施行機関ないし政府の代行機関というべきであるから,運営会の
過誤は行政側(保険者側)の過誤と同視するべきであり,当時の行政庁
(厚生省保険局船員労災課)がかかる過誤を認知できなかったとしても,
保険者側内部の問題にすぎず,被保険者に不利益を及ぼすことを正当化す
る事由とはなし得ない。したがって,被控訴人の上記主張は採用できない。
4以上によれば,控訴人の船員保険被保険者期間の計算に当たっては,前記判
示の昭和18年10月3日以降の期間についても,厚年法75条ただし書を類
推適用して,これを算入すべきである。しかるところ,本件処分は,上記期間
を算入せずに被保険者期間を認定して裁定をした違法があるから,本件処分の
取消しを求める控訴人の本件請求は理由がある。
よって,上記趣旨と異なる原判決を取り消し,本件処分を取り消すこととし
て,主文のとおり判決する。
名古屋高等裁判所金沢支部第1部
裁判長裁判官渡辺修明
裁判官沖中康人
裁判官加藤員祥
(原裁判等の表示)
主文
1原告の請求を棄却する。
2訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1原告の請求
被告が原告に対して平成14年12月26日付けでした老齢厚生年金再裁定
処分を取り消す。
第2事案の概要
1本件は,被告が原告に対してした平成14年12月26日付け老齢厚生年金
再裁定処分について,原告の船員保険に関する被保険者期間の認定に誤りがあ
るとして,原告が,上記処分の取消しを求めた抗告訴訟である。
2前提事実(争いがないか,証拠[各項末尾記載]及び弁論の全趣旨により明
らかに認められる)。
(1)当事者
ア原告(昭和▲年▲月▲日生)は,平成▲年▲月▲日に満65歳に達し,
国民年金法等の一部を改正する法律(昭和60年法律第34号。以下「6
0年改正法」という)による改正後の国民年金法(以下「国年法」とい。
う)26条及び厚生年金保険法(以下「厚年法」という)42条によ。。
り,老齢基礎年金及び老齢厚生年金の受給権を取得した。
イ被告は,政府が管掌する健康保険事業,船員保険事業,厚生年金保険事
業及び国民年金事業等を適正に運営することを任務とする社会保険庁の長
である(厚生労働省設置法26条及び27条。)
(2)関係法令等について
ア老齢厚生年金について
(ア)老齢厚生年金は,厚年法に基づく老齢給付であり,厚生年金保険の
被保険者期間を有する者であって,国民年金の老齢基礎年金の支給要件
と同じ要件(保険料納付済期間と保険料免除期間とを合算した期間が2
5年以上であること)を満たす65歳以上の者に対して支給される年金
である。
(イ)なお,厚年法による老齢厚生年金は,65歳から支給されるのに対
して(同法42条,60年改正法による改正前の厚生年金保険法(以)
下「旧厚年法」という)による老齢厚生年金は,厚生年金保険の被保。
険者期間が,原則として,20年以上であれば60歳から支給されてい
たため(同法42条1項1号,被保険者期間及び支給開始年齢にそれ)
ぞれ5年の差が生じた。
そこで,厚生年金保険被保険者期間が1年以上であって,老齢基礎年
金の受給資格期間を満たした者については,いわゆる特別支給の老齢厚
生年金を支給することとされた(厚年法附則8条。)
なお,厚生年金保険の被保険者期間を計算する場合には,月によるも
のとし,被保険者の資格を取得した月からその資格を喪失した月の前月
までをこれに算入するものとされている(厚年法19条1項)。
イ船員保険について
(ア)船員保険制度について
船員保険制度とは,船員を被保険者とする社会保険で,船員又は船員
であった者の疾病,負傷,分娩,失業,老齢,障害,脱退,行方不明又
は死亡等の事故及びその家族の疾病,負傷,分娩又は死亡等の事故につ
いて保険給付を行い,船員本人及びその家族の生活の安定及び福祉の向
上を図ることを目的としたものであった(60年改正法による改正前。
の船員保険法[以下,船員保険法を「船保法」という]1条。乙4)。
船員保険制度は昭和15年6月に発足したが,昭和60年改正法によ
り,老後の生活や遺族の生活の保障を行う厚生年金保険に相当する職務
外年金が,厚生年金保険に統合された。
(イ)船員保険被保険者期間の期間計算に関する特例について
厚年法では,昭和60年改正法に際して,船員保険の被保険者期間に
関して,その実期間につき,昭和61年4月1日前の期間については,
3分の4を,同日から平成3年4月1日前の期間については,5分の6
を乗じて得た期間をもって,厚生年金被保険者期間とすることとされた
(60年改正法附則47条。)
(ウ)戦時加算制度について
戦時加算制度とは,太平洋戦争中,船員保険の被保険者が,一定の戦
争危険のある海域を主として航行する船舶に乗り組んでいた場合に,同
人の船員保険の被保険者期間を,定められた率を乗じて割り増す制度で
ある。加算の割合は,次のとおりである。
a昭和16年12月8日から昭和18年12月31日まで
被保険者が,勅令をもって指定する区域を主として航行する船舶に
乗り組んだときは,その期間における被保険者であった期間に3分の1
を乗じた期間を加算する(昭和20年法律第24号附則2条2項及び同
法による改正前の船保法22条の2。乙4。)
b昭和19年1月1日から昭和21年3月31日まで
被保険者が,勅令をもって指定する区域を主として航行する船舶に
乗り組んだときは,次のとおり加算する(昭和22年法律第103号
附則3条及び同法による改正前の船保法73条。)
(a)日本海及び渤海を航行する船舶に乗り組んだ期間については,
被保険者であった期間1月につき1月を加算
(b)前記区域外の太平洋及びインド洋を航行する船舶に乗り組んだ
場期間については,被保険者であった期間1月につき2月を加算
(以下省略)
(3)本件の経緯について
ア原告は,昭和▲年▲月▲日,60歳となったことから,被告に対し,厚
年法33条に基づき,同法附則8条が定める特別支給の老齢厚生年金の裁
定請求を行った。
これに対して被告は,昭和64年1月5日,上記請求に係る裁定を行い,
原告に支給される特別支給の老齢厚生年金の額の計算の基礎となる同人の
被保険者期間について,昭和30年12月から昭和58年9月までのうち
の293月と認定した。
その後,原告は,平成▲年▲月▲日,65歳となったため,厚年法附則
10条により,特別支給による老齢厚生年金の受給権が消滅し,国年法2
6条及び厚年法42条により,老齢基礎年金及び老齢厚生年金の受給権が
発生した(乙1の1及び2)。
イ原告は,平成12年7月25日,上記アの裁定処分で認定された被保険
者期間について,60年改正法附則47条1項により,厚生年金保険の被
保険者であったとみなされる船保法による船員保険の被保険者期間があっ
たとして,再裁定の申出を行った(乙2)。
この申出を受けて,被告は,平成12年9月21日,上記アの裁定処分
を取り消し,原告の(ア)厚生年金保険の被保険者期間の実期間を昭和30
年12月から昭和58年9月までのうちの293月と,(イ)厚生年金保険
の被保険者であったとみなされる船員保険の被保険者期間の実期間(以下
「船員保険の被保険者期間の実期間」という)を昭和18年5月から同。
年9月までの5月と,各々認定し,厚生年金保険の被保険者期間を300
月(厚生年金保険の被保険者期間の実期間293月と船員保険の被保険者
期間の実期間5月に前記の期間計算の特例により3分の4を乗じた7月
(1月未満切上げ)の合計)とする再裁定処分(以下「平成12年9月再
裁定処分」という)を行った(乙3の1及び2)。。
ウその後,平成12年9月再裁定処分において,上記戦時加算をしていな
かったことが判明したことから,被告は,平成14年3月28日,平成1
2年9月再裁定処分を取り消し,2度目の再裁定処分(以下「平成14年
。,3月再裁定処分」という)を行い,戦時加算分として1.0月を加算し
これに基づき,厚生年金保険の被保険者期間を301月とした(乙5の。
1及び2)
エ原告は,平成14年7月11日,石川社会保険事務局社会保険審査官に
対し,船員保険の被保険者期間の実期間が,昭和18年5月から同年9月
までではなく,昭和20年10月までであるとして,平成12年9月再裁
定処分につき審査請求を行った(なお,当該審査請求は,平成12年9月
再裁定処分を取り消した平成14年3月再裁定処分についても不服がある
として審査請求が維持された。これに対して,同審査官は,平成14。)
年9月9日,原告の上記審査請求を棄却した(乙6,7)。
オ上記審査請求の棄却を受けて,原告は,平成14年11月7日,社会保
険審査会に対し,平成14年3月再裁定処分について,上記エと同様の不
服を申立て,再審査請求を行った(乙8)。
カ被告は,社会保険審査会に上記再審査請求が係属中であった平成14年
12月26日,平成14年3月再裁定処分において戦時加算すべき期間は
1.0月ではなく,1.6月の誤りであったとして,平成14年3月再裁
定処分を取り消し,戦時加算1.6月の月未満の端数を切り上げた2月を
加算する内容の3度目の再裁定処分(以下「本件処分」という)を行っ。
た。これにより,厚生年金保険の被保険者期間は302月となった(乙。
9の1及び2)
キ原告は,本件処分についてもなお不服があるとして上記再審査請求を維
持した。同審査会は,平成15年12月24日,不服の対象を平成14年
3月再裁定処分とする原告の再審査請求を棄却する裁決を行った。なお,
同審査会は,平成16年8月31日,上記再審査請求における不服の対象
が本件処分であったとして,その旨の更正決定をした(甲1,2,4)。
(4)船員保険被保険者資格の得喪について
ア昭和18年から20年当時の実体的要件について
(ア)昭和20年法律第24号による改正前の船保法18条,19条は,
被保険者は船舶に乗り組んだ日よりその資格を取得し,船舶に乗り組ま
なくなった日の翌日よりその資格を喪失する旨定めていた。
(イ)昭和20年法律第24号による改正後の船保法18条,19条(昭
和20年4月1日施行)は,被保険者は,船員として船舶所有者に使用
されるに至った日よりその資格を取得し,船員として船舶所有者に使用
されなくなった日の翌日よりその資格を喪失する旨定めていた。
イ昭和18年から20年当時の手続的要件について
(ア)船員保険被保険者資格を取得した者がいるときには,船舶所有者は,
10日以内に,保険院(当時)長官に届出書を提出すべきとされていた
(船員保険法施行規則(昭和15年厚生省令第5号)8条。)
(イ)船員保険被保険者資格を喪失した者がいるときには,船舶所有者は,
10日以内に,保険院長官に届出書を提出すべきとされていた(同規則
10条。)
(ウ)なお,昭和17年厚生省令第32号により,昭和17年8月1日以
降は,届出書の提出先が,保険院長官から船舶所有者の住所地を管轄す
る地方長官に変更された(乙15)。
(5)船員保険被保険者台帳(以下「台帳」という)について。
ア台帳は,船員保険被保険者の資格等の記録を管理する原簿であり,地方
長官から進達された船員保険被保険者資格の得喪等の届出に基づき,記録
・整備されたものである。そして,台帳の記載内容に基づいて,保険料の
徴収,年金給付の決定等の保険事務が行われていた。
イ台帳には,原告に関し,次の記載がある(以下「本件台帳記載」という。
乙10。)
(ア)船舶所有者B株式会社
(イ)船舶の名称○○
(ウ)資格取得日昭和18年5月21日
(エ)資格喪失日昭和18年10月2日
(6)履歴書について
厚生労働省社会・援護局長が平成13年7月18日に発行した「履歴書」
(以下「本件履歴書」という。乙19)には,原告に関し,次の記載がある
(以下「本件履歴書記載」という。。)
ア昭和18年5月21日陸軍に徴用
イ同日船舶司令部に配属
ウ同日○○に乗船調理員見習を命ず
エ昭和20年4月5日○○を下船
オ同日徴用解除
(7)厚生労働省社会・援護局業務課に保管されている旧陸軍軍属の人事資料
には,原告について次の趣旨の記載がある(以下「本件人事資料」という。
甲7の3)
ア船主名B株式会社
イ船名○○
ウ職名調理員見習
エ給料月給35円
オ乗船18年5月21日
カ下船(空欄)
キ備考19年1月1日調理員(月給40円)
(8)厚生労働省社会・援護局業務課に保管されている「昭和拾八年八月壱日
○○船員名簿(以下「本件船員名簿」という。甲7の4)には,原告につ」
いて次の趣旨の記載がある。
ア乗船年月日昭和18年5月20日
イ下船年月日昭和20年4月5日
ウ職名調理員見習(そのうち「見習」部分に抹消線が引かれている)。
エ給額35円59円(35円」部分に抹消線が引かれている)「。
(9)原告の船員歴
原告は,昭和18年4月ころ,B株式会社に雇用され,同年5月21日乗
船した。
第3当事者の主張の骨子
1原告
原告は,昭和18年5月21日に船員保険の被保険者資格を取得し,昭和2
0年10月11日にこれを喪失した。よって,本件処分は,誤った事実を前提
とするもので違法であるから,その取消しを求める。
2被告
次のとおり,本件処分に違法はない。
(1)原告は,昭和18年10月1日に船舶に乗り組まなくなり,翌2日に船
員保険の被保険者資格を喪失した。
(2)仮に,昭和18年10月3日から昭和20年10月10日まで原告の船
員保険の被保険者資格が継続していたとしても,
ア原告は,上記期間,保険料を支払わず,その期間の保険料を徴収する権
利は,次のとおり,既に時効によって消滅した。
(ア)当時の船員保険法施行令(昭和15年2月23日勅令66号,昭和
17年勅令604号,昭和18年勅令235号)36条は「毎月ノ保,
険料ハ翌月末日迄ニ之ヲ納付スベシ」としていた。また,昭和20年勅
令418号による36条は「毎月二月,五月,八月及び十一月ノ各末,
日迄ニ各当該月分及其ノ直前二月分ノ保険料ヲ納付スベシ」と規定して
いた。そして,保険料徴収権の消滅時効については,昭和20年法律第
24号による改正前の船保法5条により,1年を経過したときは時効に
よって消滅する旨定められていた。よって,昭和18年10月3日から
昭和20年10月10日までの保険料徴収権は,時効期間が満了してい
る。
(イ)会計法(昭和34年法律第184号)31条は,金銭の給付を目的
とする国の権利の時効による消滅について,別段の規定がないときは,
時効の援用を要せず,その利益を放棄することができない旨定めている。
同法の施行前は,同様の規定は存在しなかったが,公法上の金銭債権に
ついては,国の会計整理の必要上,債権債務の不安定な状態をなるべく
速やかに排除して確定させる公益上の必要があるため,時効の援用を要
せず,放棄を認めないと解されており,その旨の判例も存在した(行政
裁判所大正7年6月3日判決・行録29巻505頁,同昭和4年5月9
日判決・行録40巻578頁。よって,上記保険料徴収権は,時効に)
よって確定的に消滅した。
イ保険料を徴収する権利が時効により消滅したときは,その保険料にかか
る被保険者たる期間に基づく保険給付をすることはできない(昭和29年
法律第116号によって新設された船保法51条の2,厚年法75条本
文)から,昭和18年10月3日から昭和20年10月10日までの期間
を原告の被保険者期間に算入することはできない。
ウ保険料を支払った事実の立証責任は原告にある。
3原告(被告の上記主張(2)に対する反論)
(1)原告は,上記期間の保険料を支払った。なお,保険料が支払われなかっ
た事実の立証責任は被告にある。
(2)資格取得の届出
ア原告については,昭和18年5月21日に被保険者の資格の取得の届出
がなされた。
イよって,厚年法75条ただし書によって,原告に対しては,時効消滅し
た保険料にかかる被保険者期間に基づく保険給付をすることができる。
ウ仮に,その後の資格喪失の届出によって同法75条ただし書が適用され
ないとしても,これを類推適用すべきである。
(3)権利濫用
被告が原告に対し,保険料徴収権の時効消滅を理由にその保険料にかかる
期間を被保険者期間に算入しないことは,権利の濫用である。
4被告(原告の資格取得の届出の主張に対し)
原告については,昭和18年10月2日に資格喪失の届出がなされたから,
原告は,厚年法75条ただし書に該当しない。
第4主要な争点及びこれについての当事者の主張
1主要な争点
(1)原告はいつまで船員保険の被保険者資格を有していたか
(2)昭和18年10月3日以降の保険料納付の事実の立証責任の所在,その
事実の有無
(3)原告について,昭和18年10月2日に資格喪失の届出がなされたか
(4)厚年法75条ただし書の類推適用の可否
(5)保険料徴収権の時効消滅を理由にその保険料にかかる期間を被保険者期
間に算入しないことが権利濫用に当たるか
2主要な争点に対する当事者の主張
(1)原告はいつまで船員保険の被保険者資格を有していたか(争点(1))
(原告の主張)
原告は船員保険の被保険者資格を昭和20年10月10日ころまで有して
いた。その理由は次のとおりである。
ア原告は,昭和18年5月21日ころ陸軍に徴用され,北海道小樽市に本
社があったB株式会社の貨物船「○○」に乗船し,昭和20年4月ころ,
負傷したため青森県のα港で下船し,小樽市に戻ったが,しばらくして,
次の乗船まで故郷の石川県で待機することを命ぜられ,石川県河北郡βの
自宅に戻った。その後終戦となったため,同年10月10日ころ,小樽市
のB株式会社に赴き,退社の手続をとった。
イ上記主張内容は,本件履歴書記載とも合致する。
ウよって,昭和20年法律第24号による改正前の船保法19条が定めた
船員保険被保険者資格の喪失の日,すなわち「船舶に乗り組まなくなった
日の翌日」は,昭和20年10月11日ころである。
エ被告の主張に対する反論
被告の主張は,本件台帳記載を根拠にするものである。しかし,個々の
船員の船員保険被保険者資格の取得,喪失等の情報が台帳に記載されるに
至る経緯は,船舶所有者からの届出を出発点として,地方長官等被告(当
時は厚生大臣)の下部機関を経て被告に順次進達された結果として記載さ
れるというものであるところ,届出から進達を経て台帳に記載される一連
の過程のどこかに過誤があれば,台帳の記載は誤ったものとなる。しかも,
本件台帳記載の基礎となった届出書は現存しておらず,その提出年月日,
届出者及び届出内容は不明であって,原告の資格喪失日についての本件台
帳記載の内容の正確性を裏付ける資料は存在しない。よって,本件台帳記
載の信用性が高いということはできない。
他方,原告の記憶は,60年前の事実に関することであるから曖昧な部
分が存在するが,その根幹は明確である。
(被告の主張)
原告の船員保険被保険者資格の喪失日は,次の理由から,昭和18年10
月2日である。
ア台帳には,原告の船員保険被保険者資格喪失の年月日として「昭和18
年10月2日」と記載されているから,原告は,その前日である同年10
月1日に船舶に乗り組まなくなったものである。
台帳は,船保法施行当初から船員保険被保険者の資格等の記録を管理す
る原簿として調製,保管及び整理されていた公文書であり,その信用性は
極めて高いものである。このことは,保険局船員労災課(当時)が調製し
た,昭和14年9月から昭和18年5月までの間の記録文書である「船員
保險関係資料綴(第一號」に編綴された保険院社会保険局長から庁府県)
長官あての昭和16年5月12日付け社発第629号「船員保險事務取扱
協定ニ關スル件」と題する文書における協定書6項において,船員保険被
保険者台帳に関する記録がなされていること(乙16,保険局船員保険)
課が調製した昭和14年から昭和17年の「関係例規通ちよう綴」に編綴
された「被保險薹帳ニ船員手帳番號ヲ採用シ管海官廳別ニ整理格納スルノ
件」と題する文書に船員保険被保険者台帳の調製,保管及び整理に関する
定めがされており,また,昭和15年当時のものと推認される「船員保險
事務ノ分掌」と題する文書及び昭和18年10月現在の「船員保險係事務
組織」と題する文書において船員保険被保険者台帳の整理及び保管に関す
る事項の事務担当係が定められていたこと(乙17の1ないし3)からも
明らかである。
イ被告は,原告主張の事実を裏付ける資料を探索したが,発見できなかっ
た。すなわち,被告は,B株式会社及びF株式会社を所管する社会保険事
務局及び社会保険事務所並びにF株式会社に対して照会したが,原告が昭
和18年10月3日以後も船員保険被保険者であったことを示す記録はな
く,また,戦時における海運の一元的運営を行うため,戦時海運管理令に
基づき設立された特殊法人であった船舶運営会の船員保険事務を所管して
いた社会保険事務局に対して原告に関する照会をしたが,原告が昭和18
年10月3日以後も船員保険被保険者であったことを示す記録はなかった。
ウ原告の主張に対する反論
(ア)本件履歴書記載について
本件履歴書は,船員保険の被保険者記録の原簿でもなく,船員保険の
被保険者資格を証明する性質の文書でもない。
台帳と本件履歴書では,その基となる資料が異なるから,仮に原告の
下船時期が本件履歴書記載のとおりであったとしても,原告の船員保険
の被保険者資格喪失に関する本件台帳記載の信用性が減殺されることは
ない。
(イ)原告の供述の信用性について
乗船中の出来事,下船時期及び退職に関する事実につき,原告の供述
は客観的な立証等の裏付けを欠き,供述自体もあいまいな部分が多く,
信用性は低い。
(2)昭和18年10月3日以降の保険料納付の事実の立証責任の所在,その
事実の有無(争点(2))
(原告の主張)
ア立証責任について
船員保険において雇用者たる船舶所有者が被保険者の保険料を納付する
義務を負う仕組みや,本件で保険料納付の有無が問題となっている時期が
戦時下であり,原告は乗船中であったという状況からして,保険料納入の
事実の有無についての立証責任は,原告ではなく,被告に負担させるべき
である。
イ保険料納付の事実について
原告は,昭和18年10月3日以降も保険料を納付した。
(被告の主張)
ア立証責任について
原告は,昭和18年10月3日から昭和20年10月11日までの間の
船員保険被保険者資格について,被告の認定を不服としてその拡張を求め
ているのであるから,その間の保険料支払の事実の立証責任が原告にある
ことは明らかである。当時が戦時下であったこと等の事情によって立証が
困難であることは,被告にとっても同様であり,そのような事情のみをも
って立証責任を転換することは許されない。
イ昭和18年10月3日から昭和20年10月11日ころまで原告の船員
保険被保険者資格が継続していたとしても,原告の上記期間の保険料が納
付されたと認めるに足る証拠はなく,かえって納付されなかったと認める
べきである。
(3)原告について,昭和18年10月2日に資格喪失の届出がなされたか
(争点(3))
(被告の主張)
原告について,昭和18年10月2日に資格喪失の届出がなされた。
(原告の主張)
否認する。
(4)厚年法75条ただし書の類推適用の可否(争点(4))
(原告の主張)
ア厚年法75条ただし書は,正義公平の観点から,保険料を徴収しないこ
とについて保険者側に落ち度があり,被保険者に落ち度がない場合に,保
険料徴収権が時効消滅してもなお保険給付を行うことを趣旨として規定さ
れている。
イ本件では,原告の使用者・事業主(船舶使用者)又は保険者である被告
関係者の不手際により保険料徴収権が時効消滅したものであり,被保険者
である原告の落ち度により保険料徴収権が時効消滅したものではない。よ
って,本件においては,厚年法75条ただし書を類推適用すべきである。
(被告の主張)
ア厚年法75条ただし書は,保険者において保険料の徴収権を行使できる
にもかかわらず時効により消滅させてしまった場合に,それによる不利益
を保険者に負わせる規定である。よって,その適用の前提として,保険者
において保険料の徴収権を行使できることが必要である。
イしかし,本件においては,船員保険被保険者資格喪失の届書が提出され
ていた以上,保険者において,保険料の徴収権を行使できなかった。よっ
て,その類推適用も含めて,厚年法75条ただし書は適用されない。
(5)保険料徴収権の時効消滅を理由にその保険料にかかる期間を被保険者期
間に算入しないことが権利濫用に当たるか(争点(5))
(原告の主張)
ア保険料徴収権の時効消滅について
台帳上,原告の船員保険被保険者資格が喪失したと扱われ,その後の保
険料が徴収されなかったとしても,
(ア)その当時の原告は,国民総動員法,船員徴用令による「徴用」によ
り軍属として政府(国)の物資輸送に従事させられており,原告の給料
等は,国家総動員法18条に基づいて設立され実質的に国の機関といえ
た特殊法人たる船舶運営会が原告の使用者であるB株式会社に支給して
いた。
(イ)よって,原告の使用者であるB株式会社と政府(国)とは,原告と
の関係では一体視できるので,保険料が徴収されなかったのは,被告な
いし国の落ち度ということができる。
(ウ)原告の保険料が徴収されなかったことについて落ち度のある被告が,
落ち度のない原告に対し,保険料徴収権の時効消滅を理由としてその保
険料にかかる期間を被保険者期間に算入しないことは,著しく正義に反
し,権利濫用というほかない。
イ生存権との関係について
(ア)保険料徴収権の時効消滅と,被保険者期間の保険給付受給権の有無
とは区別して論じられるべきところ,原告のおかれた具体的状況と保険
料が徴収されなかった具体的経緯に照らすと,原告の受給権を否定する
形で船保法51条の2(昭和29年改正法)ないし厚年法75条を適用
してなされた本件処分は,生存権(憲法25条)規定に違反するもので
ある。
(イ)すなわち,通常の金銭債権や租税徴収権等の場合は,債権の行使,
徴収は,権利者にとって一方的な利益であるが,厚生年金等の保険料徴
収を巡る法律関係には,徴収される側にも大きな利益があるという特殊
性があるところ,徴収権者に徴収しなかったことについての落ち度があ
り,それ故に保険料徴収権が時効消滅した場合には,憲法25条の趣旨
に照らし,保険料は未納付であっても,保険給付受給権を生じさせるべ
き場合があり,本件はまさにその場合に該当する。その余地を全面否定
する立法は違憲であり,少なくとも本件で適用する限りにおいて違憲で
ある。
(被告の主張)
ア昭和18年10月3日から昭和20年10月11日ころまでの保険料徴
収権が時効により消滅した以上,その期間を船員保険の被保険者期間に含
めることができないことは法の規定及びその趣旨に照らせば明らかであり,
その旨の主張が権利の濫用に当たると解すべき理由はない。
なお,原告が船員保険被保険者資格を喪失した昭和18年10月の翌月
である同年11月に○○の船舶所有者とされるB株式会社がA株式会社に
吸収合併されたことに照らせば,当該合併に伴い,原告を雇用する船舶所
有者側において原告の船員保険被保険者資格の届出に関し,何らかの過誤
があったと考えることが自然かつ合理的である。船舶所有者の過誤の責任
を被告ないし国に転嫁することは許されるべきではない。
イ生存権との関係について
憲法25条が定める生存権の具体的内容は,その時々における文化の発
達の程度,経済的・社会的条件,一般的な国民生活の状況等との相関関係
において判断されるべきもので,国の財政事情を無視することができず,
多方面にわたる複雑多様な,かつ高度の専門技術的な考察とそれに基づい
た政策的判断を経て,社会保障制度,労働法制,厚生制度などを通じた総
合的施策として行われるべきものである。したがって,船員保険制度の一
規定である60年改正法による改正前の船保法51条の2ないし厚年法7
5条の適用によって原告の生存権が直ちに侵害されたと認めることはでき
ない。
第5争点に対する当裁判所の判断
1原告はいつまで船員保険の被保険者資格を有していたか(争点(1))
(1)証拠(甲6,7の2ないし4,甲8,乙19,20,原告本人)による
と,次の事実が認められ,この事実によれば,原告は,少なくとも昭和20
年4月5日までは,船員として船舶所有者に雇用され,船員保険の被保険者
資格を有していたというべきである。
ア原告は,昭和18年3月,石川県河北郡β(現かほく市)の尋常高等小
学校を卒業し,同年4月1日,北海道小樽市のB株式会社に雇用された。
イ原告は,同年5月21日に陸軍に徴用され,同日船舶司令部に配属され
るとともに,調理員見習としてB株式会社が所有する貨物船「○○」への
乗船を命ぜられ,同日,調理員見習として乗船した。月給は35円であっ
た。
ウ同年11月B株式会社は,A株式会社に合併された。
エ原告は,昭和19年1月1日には調理員に昇格し,月給も40円に増額
された。
オ原告は,昭和20年4月5日,船内の事故によって負傷したため青森県
のα港で下船し,小樽市に戻った。下船時の月給は59円であった。
カ原告は,その後,石川県河北郡βの自宅に戻り,同所で終戦を迎えた。
同年10月10日ころ,原告は,小樽市のB株式会社に赴き,退社に伴う
手続を終えた。
(2)これに対し,
ア被告は,本訴における原告の供述内容が,本件提訴前に金沢社会保険事
務所長宛に提出した書類(乙29の2)や審査請求時の陳述内容と異なる
点があることを指摘して,これを信用できないと主張するが,約60年も
前の記憶が前後したり,取り違えたりすることは避けられず,他方,被告
が指摘する点を考慮しても,原告の陳述内容は,その骨子においては一貫
しているというべきであるし,本件履歴書,本件人事資料及び本件船員名
簿の内容とも一致するから,その骨子において信用性を低く見るべき事情
は存在しないというべきであり,被告の上記指摘事実は(1)の認定を左右
するに足りない。
イ本件台帳記載の内容は,その原資料が本訴に提出されていないから,原
告について平成18年10月2日に船員保険被保険者資格喪失の扱いとさ
れた具体的事由が判明しない以上,(1)の認定を左右するに足りない。
ウ証拠(乙21の1ないし10及び乙24の1ないし4)によると,社会
保険業務センター所長が,B株式会社及びF株式会社を所管する社会保険
事務局及び社会保険事務所,F株式会社並びに船舶運営会の船員保険事務
を所管していた社会保険事務局に対して原告の船員保険被保険者記録につ
いて照会したが,いずれも記録がないとの回答であったことが認められる。
しかし,上記証拠によれば,これらの回答は,原告が船員保険の被保険者
資格を有していたことについて当事者間で争いがない昭和18年5月21
日から同年10月2日までの間についても記録がないとの趣旨の回答であ
ることが認められるから,上記回答内容は,(1)の認定を左右するもので
はない。
(3)他方,原告は,○○を下船後,小樽市から石川県の自宅に戻ったのはB
株式会社からなされた一時待機の指示によるものであり,昭和20年10月
10日ころ退社の手続をとるまで同会社に雇用されていた旨供述するが,そ
の間の給料の支払等についての記憶が曖昧であり,上記証拠だけから,上記
下船後も昭和20年10月10日ころまで上記会社との雇用関係が継続して
いたことを認めるのは困難である。
(4)そして他に,(1)の認定を左右するに足る証拠はない。
(5)そして,(1)の事実によれば,原告は,少なくとも昭和20年4月5日ま
での間,船員保険の被保険者資格を有していたと認めるのが相当である。
2昭和18年10月3日以降の保険料納付の事実の立証責任の所在,その事実
の有無(争点(2))
(1)立証責任について
本件は,原告の厚生年金保険の被保険者期間について被告がした裁定を不
服として,原告がその法的利益の拡張を求めるものであるから,特段の事情
のない限り,原告がその立証責任を負うと解すべきである。原告は,本件で
保険料納付事実の有無が問題となっている時期が戦時下であり,原告は乗船
中であったことを特段の事情として主張するが,当時が混乱した戦時下であ
り,その後60年以上が経過して事実の解明が極めて困難であることは被告
としても同様であるから,上記事実が立証責任を転換させるまでの特段の事
情とは言い難く,他に,上記特段の事情を認めるに足る証拠はない。
,(2)原告は,○○に乗船していた間,毎月給料日に給料を受け取っていたが
下船するまで社会保険料が天引されていた旨供述するが,約60年以上前の
出来事についての記憶であり,しかも衝撃的な事件ではなく,日常的な出来
事についての記憶であるから,直ちにその信用性を肯認することは慎重であ
るべきである。他方,証拠(乙16,17の1ないし3)によると,保険院
社会保険局長から庁府県長官あての昭和16年5月12日付社発第629号
「船員保險事務取扱協定ニ關スル件」と題する文書において,台帳に関する
記載があること「被保險薹帳ニ船員手帳番號ヲ採用シ管海官廳別ニ整理格,
納スルノ件」と題する文書に台帳の調製,保管及び整理に関する定めがある
こと「船員保険事務ノ分掌」と題する文書に台帳の整理及び保管に関する,
事項の事務担当係が定められていることが認められ,これらの事実及び弁論
の全趣旨によれば,台帳は,昭和15年に船員保険法が施行されて以来,船
員保険の被保険者の資格等の記録を管理する原簿として,公的に調製,保管,
整理されたきたものということができる。そうすると,台帳上は原告が船員
保険の被保険者資格を喪失した扱いになっているのに,その後も原告につい
ての保険料が船舶所有者であるB株式会社又はA株式会社によって納付され,
政府がこれを受領していたと認めるのは困難である。そうすると,原告本人
の上記供述だけでは,昭和18年10月以降も原告の保険料が徴収されてい
たと認めるには不十分であるというべきであり,他にその事実を認めるに足
る証拠はない。
3原告について,昭和18年10月2日に資格喪失の届出がなされたか(争点
(3))
上記のとおり,台帳は,昭和15年に船員保険法が施行されて以来,船員保
険の被保険者の資格等の記録を管理する原簿として,公的に調製,保管,整理
されたきたものであるから,これに原告について昭和18年10月2日に資格
を喪失した旨の記載がある以上,それ自体は何らかの過誤であったとしても,
原告について資格喪失の届出がなされたと推認せざるを得ず,その推認を覆す
に足る証拠はない。
4厚年法75条ただし書の類推適用の可否(争点(4))
(1)厚年法27条の規定による届出又は同法31条1項の規定による確認の
請求があったのに保険料徴収権が時効消滅した場合,当該被保険者の被保険
者資格を認知している行政庁にはその責任の一端があるということができる
一方,被保険者本人に責任がないとは限らない。そうすると,厚年法75条
ただし書が,被保険者の資格の取得について同法27条の規定による届出又
は同法31条1項の規定による確認の請求があった場合を保険料徴収権が時
効消滅した場合に保険給付を行わないとの原則的取扱いに対する例外とした
のは,保険料徴収権が時効消滅したことについて被保険者本人に責任がない
ことに着目したのではなく,行政庁に責任の一端があることに着目したもの
と解するべきである。
(2)本件のように,一旦資格取得の届出がなされた被保険者について,資格
喪失の届出がなされ,その後保険料が徴収されず,保険料徴収権が時効消滅
した場合は,時効消滅したことについて,行政庁に責任の一端があると認め
ることはできない。そうすると,本件において,厚年法75条ただし書を類
推適用すべき基礎を欠くことになるから,これを類推適用すべきである旨の
原告の主張を採用することができない。
5保険料徴収権の時効消滅を理由にその保険料にかかる期間を被保険者期間に
算入しないことが権利濫用に当たるか(争点(5))
(1)保険料徴収権の時効消滅について
ア上記のとおり,昭和18年10月3日以降の保険料が徴収されたと認め
ることはできないから,被告が主張するように,未徴収の保険料請求権は,
時効によって消滅している。そして,公法上の債権は,会計法の施行前で
あっても,別段の規定がないときは,時効期間の経過によって当然に消滅
し,時効の援用を要せず,またその利益を放棄することができないと解す
るべきである。
よって,60年改正法による改正前の船保法51条の2本文,厚年法7
5条本文により,昭和18年10月3日から昭和20年4月5日までの期
間を原告の船員保険の被保険者期間に算入することはできない。
イ原告は,上記期間の保険料が徴収されなかったのは被告ないし国の落ち
度であるから,被告が保険料徴収権の時効消滅を理由にその保険料にかか
る期間を被保険者期間に算入しないことは著しく正義に反し,権利の濫用
であると主張する。
しかしながら,原告について昭和18年10月2日に資格喪失の届出が
なされたことについて,その経緯,理由等一切が不明である。そして,資
格喪失の届出をする義務を負っていたのは船舶所有者であるから,B株式
会社内部における何らかの事務過誤が原因である可能性が強く,少なくと
も当時の保険院長官に何らかの責任があることを窺わせる証拠はない。原
告は,当時軍属として徴用されていたものであるが,だからといって,B
株式会社の落ち度を被告ないし国の落ち度と評価すべきということもでき
ない。よって,原告の上記主張は採用できない。
(2)生存権侵害について
原告は,保険料徴収権の時効消滅と保険給付受給権の消滅とは区別すべき
であり,本件において保険料徴収権が時効消滅した期間にかかる保険給付受
給権を原告に認めないことは,原告の生存権を侵害し,違憲であると主張す
る。
厚年法75条が,保険料徴収権が時効消滅した場合に,当該保険料に係る
被保険者期間に基づく保険給付を行わないこととしているのは,厚生年金保
険制度が保険料とその積立金の運用利子によって保険給付をまかなうことに
なっていることに鑑み,保険財政の安定化のために,保険料を徴収できない
範囲について保険給付を制限する趣旨であると解せられるところ,なるほど,
保険料徴収権が時効消滅した具体的事情を問うことなく,その期間の保険給
付を行わないことは被保険者に酷な場合があり,一定の調整が必要である。
そして,厚年法は,適用事業所の事業主等からの被保険者資格の取得の届出
若しくは被保険者又は被保険者であった者から被保険者資格の確認の請求が
あった場合には,保険者において当該被保険者の被保険者資格を認知したこ
とになるから,例外として保険給付を行うこととしているのである(厚年法
75条ただし書。)
ところで,生存権の内容である「健康で文化的な最低限度の生活」とは,
きわめて抽象的・相対的な概念であって,その具体的内容は,その時々にお
ける文化の発達の程度,経済的・社会的条件,一般的な国民生活の状況等と
の相関関係において判断決定されるべきものであるとともに,国の財政事情
及び高度の専門技術的な考察とそれに基づく政策的判断を必要とするもので
あるから,立法府が選択決定した立法措置が著しく合理性を欠き明らかに裁
量の逸脱・濫用と見ざるをえない場合でなければ,裁判所が審査判断するこ
とはできないと解すべきところ(最高裁大法廷昭和57年7月7日・民集3
6巻7号1235頁参照,厚年法75条が採用した上記の調整方法が,立)
法府が裁量権を逸脱・濫用したとまでいうことはできない。
また,本件において保険料徴収権が時効消滅したことについて原告の責め
に帰すべき事由はないが,被保険者の責めに帰すべき事由がないのに,事業
主の届出義務の不履行等の事情によって保険料徴収権が時効消滅することは
一般的に予想できることであるから,原告に適用する限りで,厚年法75条
が,憲法25条に違反すると判断すべきともいいがたい。
6結論
以上の次第で,原告は,昭和20年4月5日まで○○に乗船していたと認め
られるが,昭和18年10月3日以降,保険料が徴収されたと認めることがで
きず,かつ,被告の保険料徴収権が時効により消滅したから,昭和18年10
月3日から昭和20年4月5日までの期間を原告の被保険者期間に算入するこ
とができない。よって,原告の厚生年金の被保険者期間を302月と裁定した
本件処分に違法がないから,原告の本訴請求を棄却することとし,主文のとお
り判決する。
金沢地方裁判所第二部
裁判長裁判官井戸謙一
裁判官冨上智子
裁判官長瀬貴志

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