弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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                主    文
         1 本件控訴を棄却する。
         2 控訴費用は控訴人の負担とする。
                事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
 1 控訴人
  (1) 原判決を取り消す。
  (2) 被控訴人が,控訴人に対し,平成4年9月17日付けでした地方公務員災
害補償法に基づく公務外災害認定処分を取り消す。
 2 被控訴人
   主文同旨
第2 事案の概要
   本件は,広島市の職員である控訴人が,広島市中区ゴミ処理場における廃棄
書類焼却作業に従事したこと等により肺真菌症を発症したこと及び肺真菌症は同作
業(本件公務)に起因することを理由として,被控訴人に対して地方公務員災害補
償法に基づき公務災害の認定請求をしたところ,肺真菌症は公務と相当因果関係を
もって発生したことが明らかな疾病とは認められないとして公務外の災害と認定さ
れたため,これを不服として地方公務員災害補償基金広島支部審査会に対して審査
請求をしたが棄却され,さらに地方公務員災害補償基金審査会に対してした再審査
請求も棄却されたことから,被控訴人に対し,公務外災害認定処分の取消しを求め
た事案である。
   原審は,肺真菌症が公務に起因するものとは認められないとして,控訴人の
請求を棄却した。
   控訴人がこれを不服として提起したのが本件控訴事件である。
 1 争いのない事実等(争いがないか,掲記証拠によって容易に認定できる事
実)
  (1) 控訴人(昭和29年6月2日生まれ)は,昭和53年4月1日,広島市に
職員として採用され,それ以降次のとおりの職場に勤務してきた(甲8,139,
弁論の全趣旨)。
    昭和53年4月1日  安佐北税務事務所市民税課市民税係配属
    昭和54年4月1日  安佐北総合支所課税課市民税係配属
    昭和55年5月15日 中区収納課第1収納係配属
    昭和56年6月22日から昭和56年10月31日まで休職(人事課付)
    昭和56年11月1日 中区収納課第2収納係配属
    昭和60年4月1日  安佐南区地域振興課広報公聴係配属
    昭和60年4月19日から昭和60年4月30日まで休職(人事課付)
    昭和61年4月1日  安佐南区地域振興課振興係配属
    昭和63年4月1日  安佐南区祇園出張所
    平成元年4月1日   西区厚生課年金係配属
    平成4年4月1日   衛生局環境保全課環境管理係配属
  (2) 控訴人は,この間の昭和55年3月に慢性腎不全を発症して人工透析を受
けるようになり,同年5月には身体障害者1級(腎臓の機能の障害により自己の身
辺の日常生活活動が極度に制限されるもの。身体障害者福祉法施行規則7条別表5
号)の認定を受け,昭和56年4月,生体腎移植手術を受けた(甲32の2,3,
甲38の4)。
  (3) 控訴人は,西区厚生課年金係において勤務していた平成3年4月11日午
前9時ころから10時30分ころまでの間,同僚職員1名とともに廃棄文書(約3
20キログラム)を持参して広島市a区bc丁目d番e号所在の広島市環境事業局
中工場のゴミ焼却施設(以下「中工場」という。)に赴き,ゴミ搬入用投入口前の
プラットホームで廃棄文書を燃えやすくなるようにばらばらにほぐしてゴミピット
に投入して焼却処分をする作業(以下「本件公務」という。)に従事した。
  (4) 控訴人は,平成3年5月27日,京都府立医科大学附属病院第2外科で受
診した際,胸部レントゲン撮影により左上肺野に浸潤影(以下「本件異常陰影」と
いう。)の発現が指摘され,疑肺真菌症と診断され,同月31日,広島大学医学部
附属病院第2内科で受診し,肺真菌症(臨床診断)との診断を受け,抗真菌剤の投
薬などの治療を受けた(甲4,8,284)。
  (5) 控訴人は,平成3年12月19日,被控訴人に対し,本件公務により肺真
菌症を発症したもので,肺真菌症は本件公務に起因するとして,地方公務員災害補
償法に基づき公務災害の認定請求をしたところ,被控訴人は,平成4年9月17
日,控訴人の肺真菌症は「公務と相当因果関係をもって発生したことが明らかな疾
病とは認められない」として公務外の災害と認定した(以下「本件処分」とい
う。)。控訴人は,同年11月6日,本件処分を不服として地方公務員災害補償基
金広島市支部審査会に対して審査請求をしたところ,平成5年12月27日棄却の
裁決がされたので,さらに平成6年1月24日,地方公務員災害補償基金審査会に
対して再審査請求をしたが,同年9月7日に前同様棄却の裁決がされ,平成7年1
月27日,裁決書が控訴人に送達された。
 2 争点
   公務起因性の有無
  (1) 控訴人の主張
   ア 公務起因性
    (ア) 控訴人は,本件公務に従事中病原真菌に感染し肺真菌症を発症し
た。
      仮に他の場所で既に病原真菌に感染していたとしても,過重危険業務
である本件公務及び当時の西区厚生課における4月の繁忙期の過重業務とが相まっ
て,潜伏感染していたものが日和見感染により肺真菌症を発症したものである。
    (イ) 被控訴人は,本件公務と肺真菌症との間の相当因果関係のみならず
事実的因果関係も認められない旨主張する。しかし,控訴人は免疫抑制剤等を服用
し免疫機能が低下していることから日常生活において感染症には十分注意し,腎移
植後本件まで真菌症に罹患したことはなかったこと,中工場内はゴミの粉塵や悪臭
がひどいなど不衛生であったことからすると,控訴人が中工場で病原真菌に感染し
た可能性は極めて高いのであって,事実的因果関係は容易に認めることができる。
このことは,本件異常陰影の発現が確認された平成3年5月27日当時,その大き
さは約1センチメートルであったところ,控訴人のように免疫機能が低下している
場合,半年も1年も前に感染していたとすれば,その程度の大きさにとどまること
はなく,左肺はもとより両肺全体に感染が広がっていたはずであり,大きさからす
ると2か月以内に感染したものと考えられることからも明らかである。
      また,西区は広島市最大の人口を抱え,例年3月ないし4月は住民の
転出入が1年のうちで最も多くなることから,西区厚生課においても,1日中立ち
っぱなしで窓口業務に従事しなければならないほど多忙を極めていた。免疫抑制剤
等を服用し,免疫機能が低下している控訴人にとって,このような西区厚生課にお
ける業務や320キログラムもの廃棄文書を焼却する本件公務による精神的・肉体
的負荷は計り知れないものであった。そして,肉体的負荷のみならず,精神的負荷
(精神的ストレス)も免疫機能を低下させる要因となるものであり,このような精
神的・肉体的負荷が肺真菌症発症の原因であったことは明らかであって,相当因果
関係も認められる。
      なお,被控訴人は,業務の過重性の判断に当たり,同僚職員を基準と
すべき旨主張するが,控訴人のように基礎疾病を有するため公務を制限される公務
員について,業務の過重性を同僚職員と比較することは,事実上,当該職員を公務
災害補償制度の対象外におくことになり相当ではなく,個々の公務員本人を基準に
判断すべきである。
   イ 立証責任
     控訴人は,昭和56年4月に腎移植手術を受けた後,終生免疫抑制剤の
服用に起因する免疫機能の低下により感染症等の予防に注意を要する身体となり,
医師から勤務内容は内勤,軽作業が望ましい等の診断を受けていたことから,広島
市に対し,診断書を提出して勤務条件の改善措置を求めていたにもかかわらず,広
島市は,使用者として労働者に対する就労上の安全配慮義務を怠り,控訴人に対し
て何ら適切な措置を採らなかった結果,本件公務を命じて肺真菌症を発症させたの
であるから,安全配慮義務違反の責めを負うべきところ,このように使用者に安全
配慮義務違反がある場合には,公務災害認定請求における労働者の労務と疾病との
間の因果関係の立証責任は転換されるべきであり,被控訴人において本件労務と肺
真菌症との間に因果関係がないことを立証すべきである。
  (2) 被控訴人の主張
   ア 公務起因性
    (ア) 公務災害補償の公務起因性については,公務と疾病との間に相当因
果関係が認められることが必要であり,その前提として事実的因果関係,すなわち
公務と疾病との間の条件関係が認められなければならない。
      しかし,控訴人に本件異常陰影の発現が確認されたのは平成3年5月
27日であるが,発現時期は不明であり,それが肺真菌症によるものであるとして
も(控訴人の疾病は肺結核の疑いがある。),感染時期及び起炎菌が不明であるこ
とから中工場において病原真菌に感染したものと特定することは到底できない。し
かも,中工場における浮遊真菌濃度は住宅等と比較しても高くはない。また,控訴
人の服用していた免疫抑制剤が免疫機能の低下をもたらし,肺真菌症発症の有力原
因となることは医学的経験則上明らかなことである。すなわち,控訴人は,腎移植
後の拒絶反応を抑制するための免疫抑制剤を服用する中で,結核菌や真菌を含めた
生活環境にごく普通に存在する微生物あるいは控訴人の体内に住んでいる常在菌に
よって,移植後の合併症の第1位である感染症に日和見的に感染したものと推認す
ることが最も合理的で自然である。
      以上によれば,中工場において病原真菌に感染したものと特定できな
いことはもとより,本件公務及び西区厚生課における業務と本件疾病との間の事実
的因果関係も認められない。
    (イ) 仮に,本件において事実的因果関係が認められるとしても,次のと
おり相当因果関係を認めることはできない。
      相当因果関係の有無を判断するに当たっては,当該公務が災害との間
に条件関係を有する他の原因(公務以外の要因)と比較して,当該災害との関係で
相対的に有力な比重を占めていること(相対的有力原因であること)が必要である
ところ,前記のとおり,肺真菌症発症の有力原因は免疫抑制剤等の服用による免疫
機能の低下にあるというべきであり,本件公務及び西区厚生課における業務が原因
であるということはできない。
      また,相当因果関係が認められるためには,当該公務が日常業務に比
較して「特に過重な業務」でなければならず,業務の過重性については,「同僚職
員」,すなわち,当該被災職員と同程度の年齢,経験等を有し,日常業務を支障な
く遂行できる健康状態にある者を基準として,客観的に判断されなければならない
ところ,本件公務及び西区厚生課における平成3年4月当時の業務は,何ら過重な
ものではなかった。しかも,控訴人は,同課の他の職員に比べて大幅な業務の軽減
を受けていたのであって,控訴人にとっても過重な業務ではなかった。
   イ 立証責任
     地方公務員災害補償法による災害補償制度において,災害と公務との間
に相当因果関係が存在することの立証責任が認定請求権者にあることは明らかであ
るところ,公務上外の認定の適否と安全配慮義務違反の有無との間に関連性はない
のであって,仮に安全配慮義務違反が認められる場合であっても,その立証責任が
転換されることはない。
第3 当裁判所の判断
   当裁判所も,控訴人の本訴請求は理由がないものと判断する。その理由は,
次のとおりである。
 1 前提事実
   前記争いのない事実,証拠(甲1ないし23〔枝番号を含む。以下同様〕,
31ないし38,41,44,46,49,61,67,71,74ないし78,
80ないし82,104ないし120,122,123,127ないし132,1
38,139,141,142,194,198,207,213ないし223,
227,235ないし238,241,251,252,254,255,26
6,275,281,284ないし287,293,294,302,313,3
14,乙1ないし9,18,24ないし38)及び弁論の全趣旨によれば,次の事
実が認められ,同証拠中これに反する部分は採用しない。
  (1) 西区厚生課における業務及び本件公務について
   ア 控訴人は,平成元年4月1日西区厚生課年金係に配属された。平成3年
当時,同係には6名の職員がおり,控訴人を含め,国民年金制度の普及,宣伝,国
民年金に関する届出,申請裁定書請求等の受理,審査及び推進,国民年金保険料の
納付督励及び国民年金印紙の検認の事務等に従事していた。このように西区厚生課
における業務は主として内勤事務であり,窓口業務はあったものの,控訴人は昼時
間の窓口当番は免除されていた。もっとも,住民の転出入が多く窓口業務が増加す
る3月及び4月には,控訴人も窓口業務に従事した。また,西区厚生課年金係職員
の時間外勤務は3月及び4月には増加するものの,平均すると長時間には及んでな
く,控訴人の場合,時間外勤務は原則として免除されており,平成3年度の時間外
勤務は月平均0.3時間であった。
     同課には保存年限が経過した廃棄文書(市民の住所・氏名・生年月日・
性別・国民年金の種別及び国民年金保険料の納付状況が記載された「収納一覧表」
が主で,他にも一般に公開することを予定していない個人機密が記載された文書が
多く含まれている。)を廃棄する業務があり,同廃棄文書の性質上通常のゴミとし
て投棄するなどの措置が採れないことから,毎年度当初同課職員が中工場に直接搬
入した上で焼却場所へ投入して,焼却処理を確認することになっていた。
   イ 控訴人は,平成3年4月11日午前9時ころから10時30分ころまで
の間,同僚職員1名とともに本件公務に従事した。中工場におけるゴミの焼却作業
は次のように行われている。
     市内のゴミを収集してきたゴミ収集車は,ゴミ搬入用投入口前プラット
ホームに進入する前に計量された後,プラットホームに並んだ5基のゴミ投入口の
前に駐車し,荷箱を傾斜させてゴミをゴミピットに投入する。通常,5基のゴミ投
入口のうち2基のゴミ投入口がゴミ収集車用として,1基のゴミ投入口が個人のゴ
ミ搬入用としてそれぞれ使用され,残る2基のゴミ投入口は閉鎖されている。ゴミ
ピットのゴミはゴミクレーンによって投入ホッパーに投入され,自動的に乾燥火格
子に移送されて焼却される。ゴミをばらばらにして燃えやすくするため,ゴミクレ
ーンでゴミピットのゴミをつかんで高く持ち上げ,上でゴミを離して下に落とす作
業をしている(控訴人が本件公務に従事していた際も,このようにしてゴミクレー
ンがゴミピットに集積されたゴミを攪拌していた。)。燃焼に必要な空気は,押込
送風機によりゴミピットから吸引されるため,ゴミピット内は常に負圧状態になっ
ている。そのため,ゴミ収集車からゴミを投入する際,空気がゴミピットの外部か
ら内部に向かって流れ込むことになり,ピット内部のゴミの粉塵や悪臭等が外部に
向けて発散することが少ない構造となっている。
   ウ 被控訴人は,平成4年7月30日の木曜日及び翌31日の金曜日,中外
テクノス株式会社(以下「中外テクノス」という。)に委託して中工場における浮
遊真菌濃度の測定を行った(なお,浮遊真菌のサンプリング中,ゴミクレーンがゴ
ミピット内のゴミを攪拌していた。)。午前9時30分から午前10時までの間に
おける中工場プラットホームにおける浮遊真菌濃度の測定結果は,ゴミ投入用ゲー
ト近くで0.20から0.27個/リットル,同ゲート向かい側で0.11から
0.15個/リットルであった。他の施設における浮遊真菌濃度を測定した結果
は,事務所ビルで0.02から0.03個/リットル,病院(病室)で0.03個
/リットル,地下鉄構内で夏0.20から0.47個/リットル,冬0.17から
0.22個/リットル,住宅では居間0.46個/リットル,寝室0.50個/リ
ットル,地下街で0.36から0.67個/リットル,というものであった。
  (2) 肺真菌症について
   ア 控訴人は,昭和56年4月,京都府立医科大学附属病院で生体腎移植の
手術を受けた後,経過観察のため同病院第2外科で定期的に受診していたところ,
平成3年5月27日の胸部レントゲン撮影の結果本件異常陰影の発現が確認された
(なお,これ以前では,平成元年10月30日に胸部レントゲン撮影が行われた
が,その際には異常陰影は認められていない。)。そこで,同病院の医師の紹介に
より,同月31日,広島大学医学部附属病院第2内科を受診した。同病院の医師A
(以下「A医師」という。)は肺真菌症を疑い,控訴人に対して抗真菌剤であるジ
フルカンを投与して治療を行ったところ,同年6月11日の胸部レントゲン撮影の
結果では本件異常陰影の縮小傾向が見られたので,肺真菌症(臨床診断)と診断し
て同年7月16日までジフルカンを継続投与したところ,本件異常陰影は消失する
に至った。A医師は,控訴人の症状について,真菌が検出されず起炎菌の採取もで
きなかったこと,ツベルクリン検査及び血沈検査の擬陽性反応から肺結核も疑った
が喀痰培養検査によって結核菌が検出されなかったこと及び抗真菌剤であるジフル
カンの投与により本件異常陰影が縮小したことから,治療的診断として肺真菌症と
診断したものであった。
   イ 肺真菌症は肺に真菌(かび)が感染・寄生して起こる病気である。人体
にはいろいろな細菌,ウイルス等の微生物が常在し,これらの微生物は人体の周囲
にも数多く浮遊するなどして存在するが,人体には抵抗力が備わっているので,通
常これらの微生物による感染,発症は生じない。しかし,抵抗力が低下すると,こ
れらの微生物が病原性を発揮して感染,炎症を起こすことがある。真菌もこのよう
な微生物の1つであり,人体内及びその周辺に広く存在し,病原性が弱く,通常は
病気を起こすことはないが,身体の抵抗力が落ちてくると,病原性を発揮していわ
ゆる日和見感染を起こすことがある(後記(3)イのとおり,免疫抑制剤を服用してい
る場合,免疫機能の低下により通常なら何ら問題のない体内の真菌等による感染症
の発症の可能性が高いとされている。)。このような真菌は,種類は多いが,日本
で問題になるのは,アスペルギルス,カンジダ,クリプトコッカス等である。現
在,日本おける内臓真菌症の大部分は,抵抗力が低下した宿主に発生する弱病原性
真菌による日和見感染といわれており,肺は生命維持に必要な酸素を取り込むため
に外界と大きな面積をもって常に接しているため真菌症を最も来しやすい臓器とさ
れ,また,全身の静脈血が必ず還流するため,他の臓器からの転移巣もできやす
く,内臓真菌症では肺真菌症が最も多い。このような感染,発症のしくみから,肺
真菌症は感染の時期,場所,原因を特定することが一般に困難とされている。
   ウ 控訴人の肺真菌症発症の原因等に関する医師の意見は次のとおりであ
る。
    (ア) A医師(甲8)
      免疫抑制状態にあることが第1の原因と考えられるとしている。ま
た,感染場所を特定することは不可能であるが,中工場に真菌が多数存在すること
が明らかであれば相対的に肺真菌症になる確率は高くなるかもしれないが,原因と
するには不確定要素が多いと感じるとしている。
    (イ) B(B神経内科クリニックの医師。以下「B医師」という。甲8
0)
      肺真菌症の発症が腎移植後10年経過後であることから,免疫抑制剤
の服用というだけでは十分な説明がつかないとし,本件公務中真菌を多量に吸い込
んだ可能性が発症要因として最も重要であるとしながら,さらに,職場のストレス
が関与していた可能性が否定できないとする。
    (ウ) C(後記(3)アの昭和60年に控訴人が深部下大静脈血栓症を発症し
た当時広島大学医学部付属病院で治療を担当した医師。以下「C医師」という。甲
207,223,254,302)
      C医師は,腎移植後16年(ただし,「16年」は「10年」の誤記
と思われる。)経過していることから,肺真菌症発症直前に何か特段の状況変化が
あったものと考えられるとし,控訴人からの聞き取りのみならず,中工場に実際に
赴いた上,西区厚生課の過重業務及び不衛生な環境下での本件公務が肺真菌症発症
の原因となった可能性が非常に高いとしている。
    (エ) D(社会保険広島市民病院の医師。以下「D医師」という。乙2
8,38)
      免疫抑制剤を服用している場合に罹患する真菌症は,外から真菌が体
内に入って感染する外因性の感染よりも常在菌による内因性の可能性が高いこと,
感染時期の確定は非常に難しいこと,中工場の浮遊真菌濃度は高くないとの科学的
データがあることから,中工場での真菌の吸引により肺真菌症を発症した可能性は
低いとしている。また,免疫抑制剤服用患者の日和見感染については,労働負荷の
みに発症原因を特定することは困難であるとする。
  (3) 控訴人の病歴等について
   ア 控訴人は,昭和55年3月ころ,慢性腎不全を発症し,同年5月には身
体障害者1級(腎臓の機能の障害により自己の身辺の日常生活活動が極度に制限さ
れるもの)の認定を受け,昭和56年4月14日,京都府立医科大学付属病院で生
体腎移植手術を受けた。その後の控訴人の病歴はおおむね次のとおりであるが,他
に咽頭炎,湿疹等にも罹患したことがある。
     昭和60年1月  深部下大静脈血栓症発症
     昭和61年7月  唾液腺炎発症
     昭和61年10月 肝炎発症,以後慢性化
     昭和62年1月  帯状疱疹発症
     昭和62年8月  血栓症の症状出現
     昭和62年9月  肝機能の増悪
     昭和62年12月 カンジダ舌炎発症
     昭和63年4月  肝機能が更に増悪
     平成3年5月   本件肺真菌症
     平成3年8月   肺感染症(結核)
     平成4年2月   舌炎発症
    (なお,控訴人は,カンジダ舌炎発症の事実を否認するが,京都府立医科
大学付属病院のカルテ(甲286)に「舌炎」が繰り返し発症していること,口腔
内抗真菌剤であるファンギゾンシロップを服用していることが記載され,A医師の
学会報告(甲82)にも時々カンジダ舌炎を発症しファンギゾンシロップを服用し
ている旨の記載があり,これらが誤りであることを示す根拠はなく,カンジダ舌炎
の発症を否定することはできない。また,控訴人は,平成3年8月の結核発症の事
実も否認するが,レントゲン撮影による異常陰影は本件異常陰影の消失後新たに発
生したものであること,この後抗真菌剤であるアンコチル(5-FC)に反応しな
かったこと,平成4年1月ツベルクリン反応で強陽性となったこと,同年6月広島
市民病院において3回にわたり喀痰培養検査を実施したところ,結核菌が検出され
たこと〔控訴人は,同結果を検査ミスであると主張するが,他の病院では検出され
なかったというだけでは検査ミスであると認めることはできず,他にこれを認める
に足りる証拠もない。〕,平成5年1月から3月にかけて抗結核剤であるイソニア
ジド,リファンピシンが投与されたところ肺陰影は増悪しなかったことからする
と,結核を発症していた可能性が極めて高いというべきである〔もっとも,控訴人
には,咳,痰などの呼吸器症状はなかったが,結核に罹患しても呼吸器症状のない
場合もあり,呼吸器症状がないからといって結核を発症していないとはいえな
い。〕)。
   イ 移植は,他人の臓器を体内に取り入れるものであることから,これを異
物と認め,取り除こうとする作用,すなわち拒絶反応が生じる。この拒絶反応をい
かに抑えるかが移植の成否を決める重要なポイントであるところ,拒絶反応を抑
え,移植腎を生着させるために免疫抑制剤が不可欠であり,しかも,腎臓が生着し
ている限り,終生その使用を継続しなければならない。免疫抑制剤には,作用の仕
方により副腎皮質ステロイド剤のほか,代謝拮抗剤,カリシニューリニンヒビタ
ー,抗リンパ抗体の種類があるが,効果域(薬剤が効果を発揮する血中量となる用
量域)と中毒域(薬剤による機能障害すなわち副作用を発現する用量域)の範囲が
比較的狭いことから,数種類の作用の異なる免疫抑制剤を組み合わせて投与するの
が一般的である。また,使用量が適正であっても,長年投与を続けることによる副
作用もある(例えば,イムランは肝機能異常を生じやすい。)。免疫抑制剤の使用
によって,免疫機能が低下するため,感染症を発症しやすく,しかも重篤化しやす
い。このため感染症は,腎移植後の合併症の第1位を占めている。主要な感染症の
75パーセントは腎移植後4か月前後までに発症するとされているが,その後もと
きに真菌感染症や結核などが起こることがあるとされる。真菌症については,1年
以内の発症が60パーセント余りとの研究もある。また,真菌症と免疫抑制剤との
関係でいうと,近年使用されるようになったシクロスポリン,タクロリムスといっ
た免疫抑制剤と比較して,副腎皮質ステロイド剤やイムランを使用している場合の
方が真菌症発症が多い傾向にある。
   ウ 控訴人は,腎移植手術後,終生免疫抑制剤の服用が必要となり,副腎皮
質ステロイド剤であるプレドニン,代謝拮抗剤であるイムラン及びブレジニン(昭
和62年10月以降)を服用してきている。そのため控訴人は,これに起因する免
疫機能の低下により感染症等の予防に注意を要する身体となり,医師等から勤務内
容は内勤,軽作業が望ましい,就労は軽易な労務に限るといった診断を受け(ただ
し,日常生活においては,外出の制限はなく,軽いレジャーやスポーツは可能とさ
れている。),自らも飲酒・喫煙を辞め,できるだけ雑踏を避け,含嗽剤であるイ
ソジンガーグル等感染症予防のために薬剤を使用したり,休養を取るよう心がけて
いた。
 2 判断
  (1) 公務起因性
   ア 地方公務員災害補償法に基づく補償制度は,地方公務員の公務上の災害
等による災害(負傷,疾病,障害又は死亡をいう。)に対する補償を迅速かつ公正
に実施し,もって地方公務員及びその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与するこ
とを目的とするものである。このことから「公務上の災害」とは,公務と相当因果
関係をもって生じた災害を指し,当該公務員の使用者たる地方公共団体の過失の有
無は問わないものと解すべきところ,前記の相当因果関係があるというためには,
経験則,科学的知識に照らし,その災害が当該公務に内在又は随伴する危険が現実
化したことによるものと認められることが必要であると解するのが相当である。ま
た,相当因果関係を認める前提として,当該公務に従事しなければ災害が発生しな
かったといえること,すなわち,公務と災害との間に条件関係ないし事実的因果関
係のあることが必要となる。
   イ そこで,本件に関し,まず,前記の条件関係ないし事実的因果関係があ
ったかどうかについて検討する。
    (ア) 控訴人は,中工場で本件公務に従事中病原真菌に感染して肺真菌症
を発症した旨主張するところ,抗真菌剤であるジフルカンの投与により本件異常陰
影が縮小,消失し,また,医師らも肺真菌症を発症した,あるいはその可能性が高
い,その疑いがある等の診断,意見を述べており,肺真菌症の発症を否定する根拠
もないこと(前記1(2)ア,ウ)からすると,控訴人が肺真菌症を発症したこと自体
の可能性は高いということができる。そして,B医師,C医師は,本件公務中に浮
遊真菌を吸引して肺真菌症に感染したとの意見を述べる(前記1(2)ウ)ところ,こ
れらの意見は,真菌症の発症が,腎移植後10年も経過した後であること及び中工
場に浮遊真菌が多いことを前提としたものである。
      しかしながら,控訴人は,前記1(3)アのとおり,腎移植後昭和62年
に帯状疱疹,カンジダ舌炎(カンジダは真菌の1種である。),平成3年8月に結
核等に感染しており,咽頭炎の発症も含めれば,控訴人の腎移植後の感染症発症は
少なくないものであること,腎移植後の真菌症の60パーセント余りは1年以内の
発症であるとしてもそれ以後も発症するものであること(前記1(3)イ)からする
と,肺真菌症の発症が腎移植後10年経過後のことであるからといって,そのこと
が直ちにそのころ控訴人の身辺に格別状況変化のあったことを根拠づけるというも
のとはいえない。また,前記1(1)ウによれば,中工場のゴミ投入口付近の浮遊真菌
濃度は,通常の生活圏の濃度と比較しても高いとはいえず,むしろ低いとすらいえ
ることからすると,中工場における浮遊真菌が多いことを前提として,控訴人の肺
真菌症発症の可能性,発症時期等を推測することもできない。以上の諸事情に照ら
すと,B医師,C医師の前記意見はこれを直ちに採用することはできないというべ
きである。
      なお,この点に関し,控訴人は,中工場が不衛生であること,中外テ
クノスの測定結果は信用できないことを主張し,中外テクノスの測定に関する陳述
書(甲242)を提出する。しかし,中工場のようなゴミ焼却場は不衛生に違いな
いといった日常の衛生感覚の存在することは否定し難いとしても,そのことから直
ちに浮遊真菌濃度が高いと根拠づけることは困難である。また,中外テクノスの測
定に関しては,前掲陳述書が伝聞にすぎないものであることを考慮すると,これを
採用することは困難であるし,中外テクノスがサンプリングのみ自ら行い真菌培養
を別法人に委託したことや,他施設との比較のために使用した資料が既に廃棄され
ていることなどは,直ちに前記測定結果の信用性が乏しいことの根拠とはならず,
真菌のサンプリングに関し,本件公務中と比較して浮遊真菌濃度が低くなるような
状況の設定をしたことを認めるに足りる証拠もないのであって,中外テクノスの測
定結果を排斥することはできないというべきである。
      ところで,前記1(2)アによれば,本件異常陰影は,平成3年5月27
日にその出現が確認され,平成元年10月30日には存在していなかったことが認
められるが,真菌症に感染した時期は不明であり,起炎菌が特定されていないので
あるから,潜伏期間を推測することも困難である。この点控訴人は,半年とか1年
前ではあり得ない,2か月以内である等主張するが,これを認めるに足りる証拠は
ない。加えて,前記1(2)イのとおり,一般に肺真菌症は感染の時期,場所,原因を
特定することは困難であること,A医師,D医師も感染時期,感染場所を特定する
ことは不可能ないし困難との意見を述べていること(前記1(2)ウ),控訴人は,こ
れまでにも感染症に複数回罹患した経験があること(前記1(3)ア),腎移植後の合
併症の第1位は感染症であるように免疫抑制剤を服用している場合感染症を発症し
やすいこと(前記1(3)イ),A医師は,本件肺真菌症について免疫抑制状態にある
ことが第1の原因と考えられるとしていることなども併せて考慮すれば,その浮遊
真菌濃度が通常の生活圏の濃度と比較しても高いとはいえない(むしろ低い)中工
場における約1時間半の作業中に控訴人が病原真菌に感染したものと認めることは
到底できないというべきである。
    (イ) 控訴人は,他の場所で既に病原真菌に感染していたとしても,西区
厚生課における4月の繁忙期における過重業務及び過重危険業務である本件公務が
相まって日和見感染により肺真菌症を発症した旨主張する。
      しかしながら,前記(ア)のとおり,控訴人が真菌に感染した時期及び
場所は不明であり,中工場ではなく他の場所で既に真菌に感染していたことを認め
るに足りる証拠は何もない。控訴人は,西区厚生課における4月の繁忙期の過重業
務による精神的ストレスが免疫機能を低下させ感染症を発症しやすい状況にあった
旨主張し,職場のストレスが関与していた可能性が否定できないとのB医師の意見
書(甲80),精神的ストレスが免疫機能に影響を及ぼす旨記載された医学書(甲
174ないし180)を証拠として提出する。しかし,精神的ストレスは,職場内
のものに限られないし,影響を受ける程度には相当の個人差のあることやB医師の
意見書によっても本件において精神的なストレスが肺真菌症の発症に関与した程度
は判明しないことなどからすれば,真菌に感染した場所及び時期が特定できない本
件において,これ(4月の繁忙期の業務による精神的ストレス)を直ちに免疫機能
の低下と関連づけることはできないし,精神的ストレスが免疫機能の低下に影響を
及ぼすものであるとしても,D医師が,日和見感染の場合,労働負荷のみに発症原
因を特定することはできないとの意見を述べている(前記1(2)ウ)ことなどをも考
慮すると,本件において,精神的ストレスが免疫機能の低下を招来して日和見感染
したとまで認めることは困難である。
      そして,前記1(2)イのとおり,肺真菌症のような内臓真菌症の大部分
は,抵抗力が低下した宿主に発生する弱病原性真菌による日和見感染といわれてい
ること,腎移植後免疫抑制剤を服用している場合に罹患する真菌症も外因性ではな
く常在菌による内因性の可能性が高いこと(前記1(2)ウ)や,控訴人がこれまでに
も真菌症を含めた感染症に罹患していること,A医師が免疫抑制状態にあることが
第1の原因と考えられるとしていることからすると,控訴人の肺真菌症も常在菌に
よる日和見感染の可能性が極めて高いものと推認するのが相当であり,本件公務及
び西区厚生課における4月の業務に従事したことにより肺真菌症を発症したと認め
ることはできない。
    (ウ) 以上によれば,本件公務及び西区厚生課における業務に従事してい
なければ肺真菌症を発症していなかったということはできず,したがって,本件に
おいては,そもそも本件公務等と肺真菌症との間の条件関係ないし事実的因果関係
を認めることはできないというべきである。
   ウ なお,条件関係ないし事実的因果関係の点をひとまずおくとしても,次
に述べるとおり,本件公務及び西区厚生課における業務と本件肺真菌症との間に相
当因果関係(すなわち,経験則,科学的知識に照らし,肺真菌症の発症が公務に内
在ないし随伴する危険が現実化したこと)を認めることもできない。
     すなわち,前記1(3)ウのとおり,控訴人は,医師等から勤務内容につい
て,内勤,軽作業が望ましいとの診断を受けていたところ(ただし,日常生活につ
いては,外出は制限されていなかったし,軽いレジャーやスポーツも可能とされて
いた。),西区厚生課における業務は,前記1(1)アのとおり基本的に内勤であり,
全体として時間外勤務の少ない職場であるが,控訴人は昼の窓口業務及び時間外勤
務を免除され,従事していた業務も同僚職員と比較して大幅に軽減されていたもの
であり,医師の診断に反するものとはいえなかった。また,控訴人は西区厚生課に
在職中の平成2年10月に社会保険労務士の資格を取得し,同年11月には,結果
的に不許可になったものの,営利を目的とする私企業を営むことの許可申請書を広
島市長あてに提出し,副業としてコンサルタント業を開始することを計画する(甲
49の1)など公務以外の営業まで行おうとしており,控訴人にとって,西区厚生
課における業務がことさら精神的・肉体的に負担になっていたことは窺えない。さ
らに,控訴人は,免疫抑制剤の服用により免疫機能が低下した状態にあり,公務と
は関係なく常在菌によって日和見感染する可能性も高かったのである(なお,控訴
人は,西区厚生課における業務及び本件公務が控訴人にとって過重であったことを
縷々主張するところであるが,これを裏付ける的確な証拠はない。)。
     以上によれば,控訴人の肺真菌症の発症は,仮に控訴人を基準として判
断し,西区厚生課は4月が繁忙期であることを考慮しても,経験則,科学的知識に
照らし,同課における業務及び中工場において約1時間半同僚職員1名とともに従
事した本件公務に内在又は随伴する危険が現実化したものと認めることはできない
というべきである。
  (2) 立証責任
    控訴人は,使用者に安全配慮義務違反の事実があるときは,公務起因性の
立証責任は転換され,被控訴人において公務と疾病との間に相当因果関係が存在し
ないことを立証すべきである旨主張する。
    しかし,地方公務員災害補償法に基づく災害補償制度は,前記のとおり,
使用者たる地方公共団体の過失を要件とせず,相当因果関係が認められれば,公務
起因性が認められ,また,災害によって当該公務員に生じた全損害を填補するもの
でもないことからすると,使用者の責任を追及する根拠となる安全配慮義務違反
(故意又は過失)の有無と,地方公務員災害補償法に基づく災害補償制度における
公務起因性の有無とは全く次元を異にするものであり,安全配慮義務違反の有無が
相当因果関係の立証責任に影響を及ぼすものということは到底できないのであっ
て,控訴人の主張は採用できない。
 3 以上の次第で,控訴人の本訴請求は理由がないから,これを棄却した原判決
は相当であり,本件控訴は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決す
る。
     広島高等裁判所第2部
        裁判長裁判官   鈴   木   敏   之
   
           裁判官   松   井   千 鶴 子
 
           裁判官   工   藤   涼   二

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