弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


戻る

主文
被告人を懲役1年及び罰金50万円に処する。
その罰金を完納することができないときは,金5000円を一日に換
算した期間被告人を労役場に留置する。
この裁判確定の日から3年間その懲役刑の執行を猶予する。
本件公訴事実中過失致死の点については,被告人は無罪。
理由
(犯罪事実)
被告人は,神奈川県逗子市ad丁目e番f号の自宅において,「B自然療法室」
の名称で食事療法等の指導を行うとともに,横浜市g区hi丁目j番地kにおい
て,「Sショップ」の名称で,「Y」なる医薬品等の販売業を営んでいたものであ
るが
第1東京都渋谷区mn丁目o番q号r所在のU株式会社が管理するサーバーコン
ピューターにホームページ「S」を開設した上,厚生労働大臣の承認を受けて
いない医薬品である「Y」の広告を掲載することを企て,平成17年3月下旬
ころから同年7月21日ころまでの間,同都千代田区s町t丁目u番v号wビ
ル所在の前記U株式会社データセンター内に設置された前記サーバーコンピζ
ューターの記憶装置であるハードディスク内に,前記医薬品である「Y」に関
し,商品見本写真を掲載した上,「Yについて思い付くまま簡単にご説明しま
す。これを飲用することで人体の中にZ菌を発生させる。Z菌は人間の体液
(だ液,血液,汗,アカ,大小便など)に触れることにより発生する菌であ
る。Z菌は,体内のあらゆる酸化物(活性酸素,添加物,農薬,重金属など)
を分解する。分解した酸化物を人間の穴という穴(目,鼻,口,毛穴などや大
小便など)から全部体外に出してしまう。」,「西洋医学に携わっている医学
者のなかでも,この『Y』の素晴らしさに注目している人が増えている。」,
「現代,私たちは未だ特効薬のない,ガン,エイズ,アトピーなど,またはそ
のほかのさまざまな難病,奇病に脅かされています。」,「ところが,世界中
の学者たちが解決し得なかったこれらの難問題を,一挙に解決してしまうすば
らしい浄化菌『Z菌』がこの世に創造されました。」,「ヒメガマ(沼地に生
育する植物でガマの一種)から特殊製法でつくられた微粉末を飲用することに
よって,各人の体内で発生する『Z菌』は個人の病を癒し」などと掲載し,前
記「Y」の名称,効能,効果等の内容が閲覧可能な状態を設定し,もって厚生
労働大臣の承認を受けていない医薬品の名称,効能,効果等に関する広告を
し,
第2薬局開設者又は医薬品の販売業の許可を受けた者ではなく,かつ,法定の除
外事由がないのに,業として,別表(添付省略)のとおり,平成17年3月2
2日ころから同年7月8日ころまでの間,前後4回にわたり,前記B自然療法
室において,Dほか2名に対し,販売代金合計11万1300円で販売する約
束の下に,医薬品である「Y1500メッシュ」ほか5点を宅配便で東京都目
黒区αγ丁目δ番ε号D方ほか2か所あてに発送し,同年3月23日ころか
ら,同年7月9日ころまでの間,情を知らない宅配便配達員をして,同宅配便
を前記D方ほか2か所に配達させて前記Dほか2名に受領させ,もって無許可
で業として医薬品を販売した
ものである。
(一部無罪の理由)
第1本件公訴事実中,過失致死罪に関する事実の概要は以下のとおりである。す
なわち,被告人は,判示B自然療法室を訪れたE(本件当時12歳)が生命を
維持するためにはインスリンの投与が必要不可欠なⅠ型糖尿病に罹患している
ことを知った上,同人に対し,判示Yの使用を勧めてこれを飲用させるなどの
指導を行い,さらに岐阜県恵那市x町y番地zにある前記Yの研究施設である
V研究所(以下「研究所」という。)への宿泊を勧め,Eにおいて,研究所に
宿泊していたところ,平成17年7月17日午後6時29分ころ,愛知県内又
はその周辺において,同研究所にいた同研究所責任者Fから自己の携帯電話に
電話を受け(以下,この電話を「6時29分の電話」という。),同人から,
Eの息が荒いこと,さらには,電話を替わった同研究所職員Gから,Eに嘔
吐,食事不摂取等の症状が発現し,症状が一向に改善しないこと,同人がイン
スリンを持参しておらず,インスリンの投与を中断していることを聞知したの
であるから,直ちに医師による医療措置を講じるよう指示してEの生命の危険
を未然に防止すべき注意義務があるのに,これを怠り,自己の医療知識を過信
し,Gに対し,「すぐに高血糖でどうにかなるということはないから,インス
リンは絶対に打たないでね。」などと申し向け,水分の継続補給を指示したの
みで,医師による適切な医療措置を講じさせなかった過失により,同月18日
午前5時30分ころ,研究所において,Eを高度のケトアシドーシスによる糖
尿病性昏睡により死亡するに至らしめたものである,というのである。
第2検察官は,Eの母であるJが,Eの病気に悩み,被告人の自然療法に関する
講演を聴いたり,被告人が経営する自然療法室を訪れて療法を受けていたこ
と,その中で被告人にYを勧められてEに飲用させたところ,体調が良くなっ
たように思われたことから被告人を信頼していたこと,JがEの病状について
被告人に相談し,被告人はインスリンの投与量を減らすようアドバイスをして
いたこと,被告人が,自分の入信していたW神社の行事にJ及びEを誘い,結
局,両名がW神社に入信したこと,本件当日Eが研究所に宿泊するようになっ
た経緯は,被告人がJに,W神社の主宰者でYの開発者でもあるFがEをW神
社の施設である研究所に招待しており,研究所のパワーで病気が治ると言って
研究所行きを勧めたことが発端であること,その際Jは,Eが研究所にインス
リンを持参しないと言っていることを被告人に伝えて賛同を受けたことなどを
前提として,①被告人は,看護師免許取得者であり,Ⅰ型糖尿病について概括
的な知識を有しており,Eがインスリン投与を中断すると生命に重大な危険を
生じることが十分に予見できた,②被告人は,6時29分の電話を受けた際
に,Eの息が荒いこと,食事が摂取できていないことなど,体調不良を呈して
いることを認識できたのであるから,その原因がインスリン投与の中断による
ものである可能性を容易に判断することができ,その場合は医師の医療措置を
受けさせるよう指示するなど,Eの生命に重大な危険が及ぶ結果の発生を回避
することができた,③被告人は,J及びEと深く関わり,特別な信頼関係があ
り,FらもEの体調不良の際に被告人を頼って6時29分の電話において対処
方法を相談したのであるから,その場合,被告人には,直ちに医師による医療
措置を講じるよう適切な指示をして,Eの生命の危険を未然に防止すべき条理
上の注意義務が発生していた,④しかし,被告人は,自己の医療知識を過信し
て前記公訴事実記載のとおりの指示を行い,特に医療機関による適切な医療措
置を講じさせる指示をしないまま電話を切ったものであり,被告人にはこの点
で過失がある,⑤Eに意識低下の現れである失禁が見られたのは,7月17日
午後10時30分ころであり,その約3時間前である6時29分の電話の時点
において,被告人が適切な医療措置を講じさせる指示をしていれば,Eは救急
車で適切な医療措置を受けることのできる病院へ搬送され,合理的な疑いを超
える程度に救命が確実であったから,被告人の行為とEの死亡の結果との間に
刑法上の因果関係が認められる,などとして,被告人には過失致死罪が成立す
る旨主張する。
一方,弁護人は,Jは,被告人と知り合う前からインスリンの注射をいやが
るEのいいなりになって,医師の指示する量のインスリン投与を怠り,Eの血
糖値コントロールは不十分であったのであり,被告人がインスリンの量を減ら
すよう指示をしたことはないこと,Eが研究所に宿泊することになったのは,
FがEを夏休みに親同伴で呼んでやるようにと指示をしたためであり,被告人
は別人を介して電話で取り次いだのみであること,Eが研究所に行く際にイン
スリンを持参しないなどという相談は事前に受けておらず,Eがインスリンを
持っていっていないことを初めて知ったのは,7月17日午後8時台のJとの
電話の際であったことなどを前提として,①被告人に看護師資格があったとし
ても,6時29分の電話の時点で被告人に伝えられていた情報では,Eが重篤
な状態であるなどという判断は不可能であり,被告人の方から積極的に病院に
連れていくべきかどうかの判断,指示をすることは不可能であった,②被告人
とJ及びEとの間に検察官が主張するほどの特別な信頼関係はなく,Fも6時
29分の電話の時点で被告人の話が要領を得ないものであったことから,Jに
電話で連絡し,Jから病院に連れていかなくても良い旨伝えられたため,その
判断に従ったに過ぎない,本件はもっぱらJの過失によるものである,③Eの
確実な救命可能時点は,7月17日の午前中であり,6時29分の電話の時点
ではEの確実な救命は可能ではなく,Eの死亡という結果の回避可能性は認め
られない,などとして,被告人は無罪であると主張する。
そして,当裁判所は,弁護人の主張する③の点が証拠上排斥できない,すな
わち,6時29分の電話の時点で,既に,合理的な疑いを容れない程度にEの
確実な救命が可能であったとはいえないから,その余の点については判断する
までもなく,被告人に過失致死の刑事責任を問うことはできず,無罪であると
判断した。
以下,その理由を説明する。
第3前提となる事実
まず,Eの従前の病状,被告人とJ及びEとの関係,Eが研究所に宿泊する
ことになった経緯,宿泊してからのEの症状とこれに対する対応の状況,Eの
死亡に至る経緯及び死因等について,関係証拠上疑いなく認められる事実は以
下のとおりである。
1E(平成4年12月10日生)は,小学校3年生であった平成13年10
月,突然,食欲不振,口渇等の症状が現れ,神奈川県所在の乙病院でⅠ型糖尿
病との診断を受けた。Ⅰ型糖尿病は,免疫機能等の異常によって,膵臓内に存
在する膵β細胞が破壊されることにより,同細胞内で生産され,血糖値を下げ
る機能を持つ唯一のホルモンであるインスリンを分泌することができず,イン
スリンが欠乏した状態になる疾病である。インスリンは,①血中のブドウ糖を
全身の筋肉や脳,肝臓等の臓器細胞に取り込ませる,②肝臓や筋肉の内部でグ
リコーゲンの合成を促進し,同時に貯蔵されていたグリコーゲン分解を抑制す
る,③脂肪組織における脂肪の合成を促進し,脂肪の分解を抑制する,という
機能を持つホルモンである。健康人においては,食事の摂取等により血糖値が
上昇するとインスリンが大量に分泌され,血液中のブドウ糖を筋肉や肝臓等の
臓器細胞に取り込むとともに,脂肪組織に脂肪を蓄える働きを促進し,逆に血
糖値が下がり出せばインスリンの分泌が減少してこれらの働きを抑制する。こ
のことによって,摂取された糖や脂肪が筋組織,肝臓及び脂肪組織に蓄積さ
れ,これらが必要に応じて分解された上で血液中にエネルギー源として放出さ
れているが,インスリンが欠乏すると,糖や脂肪の蓄積作用が働かなくなる。
Ⅰ型糖尿病を発症した際の主な症状としては,多尿,多飲,多食,体重減少,
疲れやすいといったものがあり,高血糖状態が継続すると,腎症,網膜症,神
経障害等の慢性合併症をひきおこすことがある。Ⅰ型糖尿病は,いったん発症
すると,現在の医療技術では完全な健康体に戻すことは不可能であり,現実的
に有効な治療法としては,不足したインスリンを注射で補う以外にない。その
場合は,医師が病状に合わせて,効果の速度と持続期間が異なる数種類のイン
スリンを組み合わせて処方し,患者自身が血糖値を確認した上,医師の指示に
従って1日数回注射するのが通常の治療法である。このようにして必要なイン
スリンを注射で補うとともに,適切な食事と運動を行うことにより,適正な血
糖値のコントロールが維持できれば,Ⅰ型糖尿病の患者は,健康人と全く変わ
りない日常生活を送ることができる。一方,血糖値のコントロールが良好でな
い場合には,低血糖症又はケトアシドーシスといった,直ちに生命の危険につ
ながる急激な合併症を引き起こすことがある。低血糖症は,インスリン投与量
が過剰である,インスリンが効き過ぎる,インスリン投与後の食事の摂取量が
少なかったり,食事を摂るタイミングが遅れるなどの理由で,血糖値が下がり
すぎた際に生じる合併症であり,低血糖により脳の働きが低下することによ
り,程度の軽い場合は異常な空腹感,悪心,あくびなどが,程度が進むに連れ
てだるさ,無表情,冷や汗,脈が速くなる,腹痛などが,さらに程度が進むと
異常行動,意識混濁,けいれん,深い昏睡に至るまで,多様な症状が発現す
る。一方,ケトアシドーシスは,Ⅰ型糖尿病患者に特有の合併症であり,著し
い高血糖と脱水に血液の酸性化が加わり,意識障害をきたす危険な状態をい
う。この合併症は,健康な人がⅠ型糖尿病を急激に発症した場合や,インスリ
ン治療中のⅠ型糖尿病患者が何らかの理由でインスリン注射を中断した際等,
インスリンの著しい欠乏によって引き起こされる。すなわち,インスリンが欠
乏すると,前記のとおり,肝臓,筋肉及び脂肪組織に糖分や脂肪分が蓄積され
る働きがおこらないことから,仮に血液中に糖分等が過剰な状態になっていて
も,組織にその情報が伝達されず,その結果,空腹時と同様に,肝臓,筋肉が
血液中に糖分を放出し続けて血糖値が著しく上昇し,脂肪組織では脂肪が急激
に分解され,大量の脂肪酸が血液中に放出される。放出された脂肪酸を肝臓に
取り込んで正常に処理するにはインスリンが必要であるところ,インスリンが
欠乏した状態の肝臓は,脂肪酸を酸化させて作り出した過剰な物質をケトン体
と呼ばれるエネルギー源に変えて血液中に放出する。ケトン体は過剰になると
体に害を与える毒の一種となり(この状態をケトーシスという),また,血液
中にケトン体が増えると血液のpH値が下がり,通常弱アルカリ性である血液
が酸性になる(この状態をアシドーシス[酸血症]という)。ケトアシドーシ
スの際に起こる症状としては,以下のようなものがある。①インスリンの不足
により高血糖になることから,のどの渇きや多尿の症状が出て,これに伴い脱
水が進行する,②脱水と脂肪分解により,体重が急激に減少する,③皮膚が乾
燥して温かく,血圧は低下して脈拍が速くなる,④酸血症が進むと,体中の細
胞のはたらきや営みが衰え,腸の循環が悪くなることから,腹痛,吐き気,嘔
吐等が起きる,⑤酸血症になると,血液中の二酸化炭素を排出することでpH
値をアルカリ性に戻そうとする調節反応が起こり,深呼吸のような大きく深い
呼吸をし(クスマウル大呼吸),荒い呼吸が継続する,⑥同時に酸血症の進行
に伴って脳や神経系の機能も低下し,意識障害が進み,放置するようなことが
あれば必ず死に至る,というものである。
2Eは,Ⅰ型糖尿病が発症した直後,乙病院に入院し,退院後も同病院のK医
師を主治医として継続的に通院し,治療と指導を受けていた。発症時のEの年
齢が低かったことから,Jも同伴して治療と日常生活に関する指導を受けてい
た。その内容は,Ⅰ型糖尿病にはインスリンの注射が不可欠であること,1日
数回,血糖値を測定してインスリン注射をすること,E及びJが病気を受容
し,Eが自分で注射をするための訓練をすること等が含まれていた。しかし,
Eは血糖値の測定等をいやがり,平成14年ころにはJもインスリンを注射す
るとEの腎臓付近が腫れて熱を持っているように思われた。EやJは,主治医
に無断でインスリン注射を減らすことがあり,医師もJやEが処方されたイン
スリンの量を勝手に減らしているのではないかと考えていた。平成15年11
月,Eの主治医がL医師に変わった。L医師は,Eの血糖値のコントロールを
改善するため,従前の医師の指示を変更して,インスリン注射を1日5回に増
やすように指示した。しかし,Eは,平成16年3月,同年5月,同年8月の
3回にわたり,糖尿病性ケトアシドーシスにより入退院を繰り返しており,血
糖値のコントロールは良好ではなかった。
3Jは,Eがインスリン注射などを苦痛に感じて泣いたり,血糖値の測定やイ
ンスリン注射をしたくないなどと訴える姿をしばしば目にして,Eがなぜこの
ような病気になるのか,医師からは治らないと言われているが,何とか治して
やりたいという思いから,健康によいと言われる水や健康食品等を購入してE
に与えるなどしていた。Jは,健康食品を購入していた自然食品店の経営者で
あるMから,自然療法を行っているという被告人の話を聞き,地域誌で被告人
の自然療法に関する講座の案内を見たことから,平成17年1月,被告人の講
座を受講し,初めて被告人と会った。JとEは,その後被告人の経営する「S
ショップ」や「B自然療法室」を訪れ,食事療法,体操,個人診断等を受ける
と共にYの使用を勧められ,Yを購入して使用するようになった。当時,被告
人はJからEの病気がⅠ型糖尿病であると聞いて認識していた。また,このこ
ろ,Jは被告人が当時所属していた宗教団体であるW神社とその宗祖であるF
の話を聞いて興味を持ち,同月31日,「B自然療法室」の従業員と一緒にW
神社を訪れた。なお,同月30日,Eはケトアシドーシスにより入院した。
4Jは,被告人に勧められたYを使用するようになってから,Eの顔色が良く
なってきたように思われたことと,被告人に看護師の資格があることもあいま
って,被告人を強く信頼するようになった。また,Jは,W神社の関係者か
ら,宗祖であるFに病気を治すパワーがあることや,Yで治らないといわれて
いた病気が治り,現に糖尿病の患者が治癒したことなどを聞き,Yさえ飲んで
いればインスリンに頼らなくてもよいのではないかなどと言われたこともあっ
て,自らもFのパワーや,Yの効能を強く信じ込み,Eのインスリンの量を減
らしていたが,そのことをL医師には話さず,Yの使用についても同医師には
話していなかった。一方,Eの血糖値のコントロールは依然として良くなく,
同年2月18日にも高血糖の調整のため入院した。
5JとEは,同年4月25日に,東京都江戸川区で開催されたW神社の行事で
ある「御降臨祭」に出席し,同年5月20日から22日にかけて,愛知県蒲郡
市所在のホテルXで行われたW神社の神職登用研修会にも出席し,その際,J
とEは,被告人が幹部を務める「B会」の一員としてW神社に入信することと
なった。同研修会にはFも出席しており,J及びEは新たに入信した信者とし
て紹介され,その際,Eが糖尿病に罹患しているとの情報も伝えられた。同研
修会終了後,FはEを1か月くらいの日程で自分の下である研究所へ連れてき
てはどうかと言いだし,その意向は,同神社副総括のNを介して,被告人に電
話で伝えられた。被告人は,同研修会からの帰途,Nからの連絡を受け,同じ
く研修会からの帰途でJ及びEと同じ車中に乗り合わせていたMに電話連絡
し,FがEを研究所に連れてきて滞在させることを勧めている旨伝え,Mはそ
れをただちにJらに伝えた。その後,Eが研究所に滞在する日程が検討され,
最終的にはFの都合により7月15日から同月23日までの8泊9日となった
が,Jは当初から仕事の都合で7月15日だけEと共に研究所に宿泊し,その
後はEを研究所に残して帰宅する予定でいた。当時,研究所のスタッフであ
り,Fの秘書的な業務を務めていたGは,その概括的な経緯について承知して
いた。なお,研究所はYの効能等について研究する施設ではあったものの,医
療機関や療養のための施設ではなく,医療設備はなかった。また,研究所のス
タッフには,Gの妹で助産師と看護師の資格を持つOもいたが,常駐している
わけではなく,Gにも医療事務の経験があったことから,多少の医学知識はあ
ったものの,医療に関する専門的な知識や資格を持つスタッフは他にいなかっ
た。この間,6月30日にはW神社の行事である「大はらい」,7月7日には
「七夕」がそれぞれ執り行われ,JとEはいずれも出席した。
6同年3月25日の時点で,L医師のもとにおけるEの検査結果は,血糖値は
やや高いものの,通常の小児糖尿病の患者としての範囲内にコントロールされ
ていた。しかし,同年5月9日におけるEの検査結果は,血糖値649,糖質
や脂肪の代謝を示すHbAlc値11.1パーセントと高く,同年3月25日
時点での検査結果と比較して病状の悪化を伺わせる所見が出ていた。JはL医
師に対して,Eの血糖は高めであるが元気である旨の説明をしていた。同年7
月4日のEの検査結果では,血糖値618,HbAlc12.8パーセントと
いう異常な高値を示した。L医師はEの病状の悪化が現代の医学では考えられ
ないほど異常であり,インスリンの量が足りていないのではないかと考えて,
同月11日,Jを呼んでEの様子やインスリン量を確認したところ,Jは,E
の血糖値は高めだが元気であり,インスリンの量についても指示された量を注
射している旨答えた。L医師はJの説明に腑に落ちないものを感じたが,余り
疑うのもどうかと考えて,インスリンを増量する旨Jに申し出たところ,Jは
これを了承した。
7Eは研究所に滞在する2,3日前に,自ら研究所にインスリンを持って行か
ないと言いだした。Jは,研究所にはFのパワーがあり,それでEの病状が改
善するものと信じていたことから,Eの意向を尊重してインスリンを持ってい
かせないことにしたが,夫にはそれを黙っていた。Eが最後にインスリンを注
射したのは,7月14日又は15日の朝であった。
87月15日,JとEは,研究所に向かうため岐阜県恵那市に赴き,恵那駅で
研究所のスタッフの出迎えを受けた。Eはこのころから水分を多量に欲しが
り,Y入りの茶やかき氷,ジュースなどを多量に摂っていた。JはEの血糖値
が上がって脱水症状が始まっているのではないかと心配になったが,Fのパワ
ーで病状が改善するものと信じ,大丈夫であると考えた。研究所に到着した
後,JとEはFに挨拶をし,同日午後7時30分ころから,EはF,G,Jの
ほか研究所のスタッフを交えて,ステーキ,ポテトサラダ,いんげんのごまあ
え,杏仁豆腐などの夕食を摂ったが,その際のEの食欲は旺盛であった。夕食
後,JとEはFの部屋に呼ばれ,EはFのパワーを受けるためとしてFと手を
つなぐなどした。この間の同日午後10時ころ,GがFの部屋に「かんから
餅」という菓子や果物等を運び,Eはかんから餅を1,2個食べ,その後入浴
し,自室に戻ってJと共に就寝した。
9翌16日の早朝,EはJに「気持ちが悪い」「のどが乾いた」などと訴え,
JはY入りの茶や水を飲ませるなどしたが,EはJに付き添われて便所に行
き,嘔吐した。Gは,同日午前8時ころ,スタッフの一人からEの気分が悪い
ようであると聞き,Eに「大丈夫。」と尋ねたところ,Eは「はい。」と答え
た。GはEの症状は好転反応(病気が良くなる前に一時的に症状が重くなる現
象)であると考えていた。Jは,同日の午前中に帰宅する予定であったが,E
の体調が思わしくないことから夕方まで残ることにし,その間Eの看病をし
た。Eは茶や水などの水分を摂取しては嘔吐を繰り返していた。同日の午後に
は嘔吐の回数は減り,Jの問いかけに対しては簡単に返事をするものの,ぐっ
たりとベッドに横たわる状態であった。Jは高血糖の症状と似ているとは思っ
ていたものの,Fのパワーを信じており,研究所にいれば大丈夫と思い込んで
いたことなどもあって,同日の午後4時過ぎころ,Eを研究所に残して単独で
帰宅した。一方,Gは,当日の午前中はFと共に外出し,午後2時ころ研究所
に戻ったが,Eの様子を見て,同日,JがEを残して帰宅したことに不安を感
じていた。Gは,FからEの看病を命じられたためその指示に従い,Eの嘔吐
に備えて室内に洗面器を持ち込み,熱を測ったところ37度2分あったので,
額にタオルを当てるなどの看病をした。FはEが嘔吐していたことを聞いて,
食べすぎではないかなどと話していた。Eはその日の夕食を食べず,何も食べ
たくないといって寝ていた。Gがすいかを3切れほど持って行くとEはそれを
食べ,おかわりを求めたため,Gは更にすいかを持っていくと,Eはそれも1
切れ半ほど食べた。Eはその他にY入りの茶を飲んでいた。Gは,同日の
夜の看病を研究所の別のスタッフに任せたが,深夜,Eの様子を見たところ,
Eは普通に寝ており,特に変わった様子は見られなかった。
10翌17日午前7時30分ころ,Gは起床して看病をスタッフと代わった。E
に嘔吐はなく,多少息づかいが荒くなっていたが,Gが気になるほどではなか
った。Gが「Eちゃん,大丈夫。」と尋ねると,Eは「大丈夫」又は「はい」
などと返答して反応していた。Gが熱を測ったところ,37度2分あり,Gは
氷枕を換えたり,額にタオルを当てたり,Eに水分を摂らせるなどの看病をし
た。Eはこの日の午前中は会話に反応し,「トイレに行きたい。」「りんごジ
ュースが飲みたい。」などと話しており,自分で起きて,Gにもたれかかりな
がらも歩いて便所に行くことが可能であり,水分もストローで吸って摂取する
ことができた。同日午前10時45分ころ,GはFの講演会の準備に関する連
絡のため,被告人に電話を掛けた。その際,Gは被告人から「Eちゃん,ど
う。」と尋ねられ,熱が37度2分あること,昨日から水分以外取れていない
ことを話したが,被告人は「若いから好転反応出るのも早いわね」という返答
であった。
11Jは同日午後12時44分ころ,研究所に電話してEの容態を尋ね,GはE
に微熱があること,水分のほか何も食べていないことなどをJに伝えたとこ
ろ,Jは飲み物にYを混ぜて与えてくれと依頼した。同日午後2時過ぎころ,
Eは「背中が痛い」と言い,Gは背中をさするなどしてやったが,その際背中
が少し腫れているように思われた。また,Eは水分をストローで吸えなくなっ
たため,Gは介護用品の楽のみを買ってきてEに水分を与えた。同日の午後こ
ろから,Eとの会話はほとんどなくなり,便所にはGが支えていくことができ
たものの,午前中より歩きにくそうであり,Gは便所の中にEと一緒に入って
便座に座らせてやるなどしていた。同日午後6時ころには,Eは,楽のみを使
用しての水分摂取はできていた。そのころ,Fが研究所に戻り,GにEの様子
を尋ね,GはEが何も食べていないことなどを報告した。FはEの様子を見に
行き,Gに「息が荒いが,大丈夫か。」「Bさんにちょっと電話して。」と言
った。GもEの息づかいが荒くなっていることを確認した上,被告人がEの病
気のことを最も良く知っているものと思い,携帯電話で被告人に6時29分の
電話をかけた。被告人は,当日,多治見市で行われたFの講演会に出席し,そ
の後名古屋市で知人と夕食を摂るなどしており,6時29分の電話を受けた際
は帰宅途中の新幹線の車中であった。まずFが被告人と話し,次いでGが代わ
って,Eの息が荒いこと,熱が37度2分あること,昨日から何も食べておら
ず,水分しか取れていないことを被告人に伝えた。被告人はGに対し,「イン
シュリン打った。」「持ってきてるか見てみて。」と言った。その時点で,G
はEが糖尿病であってインスリンの投与を必要とすること,糖尿病にはⅠ型と
Ⅱ型があること,インスリンは血糖値を下げるために注射するものであること
などは理解していた。Gは,Eのバッグの中や室内などを探したがインスリン
は発見されず,寝ていたEに「Eちゃん,インシュリン打った。」と問いかけ
たところ,Eは横を向いてしまい何も返答しなかった。Gは被告人に電話で
「探したけど,ないので,打っていないと思います。」と返答したところ,被
告人は,「高血糖ですぐにどうにかなるわけはないので,絶対打たせない
で。」と言った。その直後に被告人はGに何か医学的な話をしたようであった
が,Gには聞き取れず,「じゃ,看病頑張ってね。」と言われて電話を終え
た。Gは被告人との電話の内容をFに報告し,Eがインスリンを打たなければ
いけないようであると話した。Gは,Fのいる研究所で具合が急に悪くなるな
どとは考えてもおらず,Yを飲んでいれば大丈夫と考えていた。一方,被告人
は,6時29分の電話の直後である午後6時32分ころから,Jに3度にわた
って電話し,研究所からEの具合があまりよくないと聞いた旨Jに伝えた。J
は被告人との電話の後,午後6時39分ころ研究所に電話をしたが,その際,
Fが電話に出て,Eの具合が大分悪いようであるが,病院に連れていかなくて
よいのか尋ねた。Jは,研究所でEの身体が治るものと信じており,Eをイン
スリンの必要のない生活にしてやりたいがために研究所に連れていったにもか
かわらず,ここで病院に行けばまたインスリンを打ち続けなければならない生
活の繰り返しになってしまうとの思いから,Fに対して,病院には連れていか
なくて結構ですと答えた。Eは当日の夕食も食べず,午後7時30分過ぎころ
に,Gが雑炊を作り,Eの口元にスプーンですくって持っていって食べさせよ
うとしたところ,Eが首を振るしぐさをして,全然食べようとしなかった。G
はEのしぐさを見て,食べたくないという意味だと理解して雑炊を下げた。
12その後,Gは他のスタッフに一時看病を交代した。同日午後10時30分こ
ろ,OがEの様子をのぞいたところ,体温が37度2分あり,呼吸が少し荒い
ような状況であったが,Oは,声を掛けると返答があり,水分補給用のペット
ボトルがあり,失禁しているような様子も見られなかったので,その時点で重
篤な状況であるとは思わなかった。Gはその後,同日午後11時ころまでの間
にスタッフと交代して再びEの看病にあたった。その際,Eの息づかいは荒い
感じで,寝返りをあちこち向いていた。このときGがふとんに手を当てたとこ
ろ,Eが失禁しているのに気づき,GはEに話しかけながら服やふとんを換え
てやったが,Eは荒い息づかいで反応がなかった。Eの体温は37度2分から
3分で変動はなく,楽のみで水分を飲ませると飲んでいた。その後,GはEに
添い寝をして看病していたが,翌18日午前2時ころ,再びEが失禁している
のに気づき,Gはちょうど様子をのぞきに来たOと一緒に服やふとんを換えて
やった。その際のEの様子は,相変わらず微熱があり,息づかいが荒く,寝返
りを打っており,Gの話しかけに対する反応はなかった。Oは,一般的に本当
に具合の悪い時には汗や尿がでにくくなることから,失禁についても尿が出る
ことはよいことであると判断し,その旨Gに話していた。
13同日午前5時30分ころ,GはEの息づかいが穏やかになってきたのに気付
いて,熱を測ったところ,36度5分であった。このとき,Eに若干の失禁が
あり,Gはバスタオルを敷いたり下着を替えるなどしてやった。Gは熱が下が
ってきたことに安心して,そのまま眠り込んだが,同日午前7時30分ころ目
覚めると,Eが全く動いておらず,声を掛けても何も言わず,呼吸をしている
かどうかもわからない状態であった。GはあわててOを起こしに行き,駆けつ
けたOは,Eに意識がなく,心停止と呼吸停止の状態であることを確認したこ
とから,ただちに心臓マッサージと人工呼吸を開始した。Fの指示で救急車を
要請し,Eは同日午前8時05分ころ,岐阜県恵那市所在の甲病院に搬送され
たが,直後の同日午前8時07分,同病院のP医師によって死亡が確認され
た。P医師は,Eと同行してきたGが午前5時30分ころまでは息があったと
話していたことや,Eの遺体の硬直の程度,直腸温等から総合的に判断して,
死体検案書に,死亡時刻を同日午前5時30分ころと記載した。
14Eの死因は,遺体の鑑定の結果によれば,インスリン投与の中止を主原因と
して,高度なケトアシドーシス状態に陥り,昏睡致死に至ったものと認められ
る。Eの死因を鑑定したQ医師は,Eの遺体のHbAlc値は13.4パーセ
ントであり,死亡の1,2か月以上前から血糖コントロールが悪い状態,すな
わち必要なインスリン量が投与されていないなどの状態にあったと推定してい
る。
第4関係各証拠の評価
以上の事実は,Eの受診経過を表すカルテ等の記載,L医師及びP医師の供
述など客観性に疑いのない証拠のほか,J及びGの証言中,疑いなく信用でき
る部分,その他,被告人を含むW神社の関係者の供述を総合して認定したもの
である。
このうち,中核となるのはGの証言である。Gは,Eが研究所に滞在してい
る間,最も身近にいて看病していた者として,時間の経過に伴うEの症状の変
化とその際の対応状況を具体的に説明している。その観察状況は,Eの死因と
なったケトアシドーシス発症から悪化の過程において,通常たどるプロセスと
よく合致しており,Gが医療事務の経験があるという以上に医療に関する専門
的な知識を持たないことを勘案しても,相応の客観性を持つものと評価でき
る。なお,Oの供述中には一部,Gが観察したEの容態と必ずしも一致しない
箇所も認められるが,Oは看護師資格があるとはいえ,Gと異なり継続してE
の様子を観察していたものではないこと,Eの病気に関する予備知識を全く持
たない状態での観察であることなどからして,Gの供述に疑いを差し挟むまで
のものとはいえない。また,Gは,Eが研究所に滞在するに至った経緯,研究
所スタッフの対応や被告人の言動についても具体的に説明している。Gは,本
件当時は研究所のスタッフであり,かつW神社の信者という立場にはあったも
のの,被告人やFにとって不利益と思われる事実についても率直に証言し,他
の関係者の供述とも概ね合致していることを考慮すると,細部におけるくいち
がいはともかく,その中核部分については高い信用性があるというべきであ
る。
一方,Jの証言については,JがEの母親であり,最も関わりの深い遺族で
あると同時に,Eの死亡について母親である自己の過失が否定できない立場で
もあること,特に被告人との関係やその言動については,証言の内容が被告人
の供述と大きく異なっていることのほか,Eの研究所への滞在期間について当
初1年学校を休学させるという話があったという点など,W神社の関係者の大
半の供述と大きく齟齬している点や,被告人と知り合う前にも医師の指示によ
らずインスリンを減らしていた形跡が窺われるにもかかわらず,その事実を否
定するなどしている箇所なども散見されることから,その全体的な信用性につ
いては慎重に検討すべきである。しかし,少なくともJの供述中,客観的な証
拠や被告人を含む他の者の供述と符合する点についてはその信用性に疑いはな
い。また,Jの供述には,Eの病状にはインスリンが不可欠であり,その欠乏
は生命の危機に直結するという知識を十分持っていながら,Eが研究所にイン
スリンを持参しないと言い出した際にそれを許容したことや,研究所に赴く当
初からEに脱水を思わせる症状があり,これまでの経験に照らして高血糖では
ないかとの疑いを持っていたにもかかわらず,病状が次第に悪化しているよう
に見受けられるEを研究所に残して単身帰宅し,Fから病院に連れて行かなく
てよいのかなどと問い合わせがあった際にもそれを拒否する返答をしたことな
ど,一見すると自己に著しく不利益である上,通常の合理的な思考ではおよそ
考えがたい内容が含まれている。これらの供述は,Jが,Eの病気が現代の医
学では不治のものであり,生涯インスリン注射を継続しなければならないとい
う現実に直面して,Eの苦痛を軽減してやりたいという思いから,現代医学以
外の治療方法に深い関心を持つようになったこと,被告人から勧められたYで
Eの体調が良くなったように思われたことなどから被告人に全幅の信頼を置
き,同時に被告人の加入するW神社の信仰にも深く傾倒して,Yの効能と,
宗祖であるFのパワーによってEの病気が治るという根拠のない確信を抱いて
いたことなどを前提としてはじめて理解が可能なものであり,少なくともJが
そのように信じて行動していたことについて疑うべき点は見当たらない。した
がって,Jの供述中,これらの点についてはむしろ信用性が高いものと評価で
きる。ただし,Jがそのような確信を抱くに至った理由が,Jのいうようにす
べて被告人の言動によるものであるか否かについては,なお慎重な検討が必要
と思われるが,少なくとも,本件争点の判断に必要とされる前記認定の限度に
おいては,疑いなく認められるものと判断した。
第5Eの救命可能時点について
以上の事実を前提として,被告人が応答した6時29分の電話の時点におけ
るEの救命可能性について検討する。
1検察官は,L医師が,6時29分の電話の時点において,Eを医者に連れて
行ってインスリン投与等の措置をとっていれば命は助かったかという質問に対
し,「やり方によっては助かったと思いますし,脳浮腫を抑える治療をしなが
ら治療をしてくれる先生がおったならば,助かったと思います。」「失禁とい
うのは,自分が排尿したことがわからない,だから脳細胞の障害によって意識
レベルが低下していたと思います。」「(そういう状態の時点で病院に連れて
いって適切な措置を受けても)助かる率は低くなると思います」などと供述し
ていること,また,「脳浮腫を抑えながらの治療は,CTがなかったり,専門
医がないとだめであったり,高次病院でないと取り扱えない」旨供述してお
り,これらの点については,小児内分泌の専門医である証人R医師も概ね同旨
の供述をしているところ,研究所に最寄りの総合病院である前記甲病院のP医
師の供述によれば,同病院は救急指定病院であり,CT等も備えており,Ⅰ型
糖尿病患者が夜間,救急患者として搬送された場合でも,脳浮腫を抑えながら
適切に応対ができ,場合によっては,丙病院へ医師が付き添いの上救急車で搬
送可能であり,十分救命が可能である旨供述していることを根拠に,前記のと
おり,Eに意識低下の現れといえる失禁があったのは,6時29分の電話の約
3時間後であるから,被告人がこの電話の際にEに医師による適切な医療措置
を講じさせていれば,救急車で甲病院に搬送され,合理的な疑いを超える程度
の救命が確実であったと主張する。
確かに,L医師及びR医師の供述中には,検察官の主張に沿う箇所も存在す
ることは事実である。しかし,L医師及びR医師の供述内容は,いずれもその
全体を総合すると,むしろ6時29分の電話の時点においては合理的な疑いを
超えて救命が可能であったとは言い切れないとの趣旨であると解するのが相当
であって,検察官の主張はその前提を欠くといわざるを得ない。
2L医師の供述について
L医師は,小児内分泌学の豊富な経験を持つ専門医であり,本件の直前まで
Eの主治医として診察や治療にたずさわっており,Eの普段の病状等について
は最も詳しい医師である。同医師は,前記に認定した事実にほぼ沿うEの病状
の推移を前提として,血糖値など客観的な検査結果がない状況での推測という
留保付きではあるが,Eの救命可能時点について概ね以下のとおり供述してい
る。①7月16日の時点,水分を与えると嘔吐を繰り返すという段階では,ケ
トーシスが起こっており,嘔吐で脱水やミネラル分が失われている状態で糖尿
病が悪化していると思われるが,この時点で救急車で病院に搬送していれば救
命はできた,②同日の午後にかけては,血糖値が上がりっぱなしの状態であ
り,ケトーシスになって頭がうとうとしてくる可能性がある,③7月17日,
歩いてトイレに行ったという行動は気丈な子供であれば意識が少しもうろうと
していてもできる,④同日,ジュースをストローで飲むことができた時点は,
意識低下が徐々に始まる途中の段階であった可能性がある,楽のみを使用して
水分を摂るというのは原始的な反応であり,意識が全くなくなってしまっては
できないが,意識が低下していても割合に可能である,⑤同日午後6時ころ,
Eの息づかいが荒くなり,GがEにインスリンを打ったか確認したら向こうを
向いたという時点では,EはGに口をきく気も話す気もなく向こうを向いたの
ではないかと思われる,⑥午後6時台にインスリンを投与するなどの措置をと
った場合,やり方によっては助かったと思う,脳浮腫を抑える治療をしながら
糖尿病の治療をしてくれる医師がいたら助かったと思う,それには,高次病院
でCT等の設備があり,専門医が治療にあたることが必要である,⑦ただ,同
日の時点においては,糖尿病の場合,治療によって逆に死亡に至ることもあ
る,特に長期間血糖値が高いとき,救急車で運ばれてすぐに点滴をしたり,イ
ンスリンを多量に投与すると,急に脳浮腫が進行して死亡したり,助かる場合
も脳障害を伴うことがある,もっと早いほうがいい,⑧同日午後10時から1
1時の時点,息が荒く失禁しており,楽のみでの水分摂取はできたという段階
では,昏迷の状態にあり,脳細胞の障害により意識レベルが低下していたと思
う,この段階で助かる率は非常に低くなると思う,⑨その後の病状の推移,声
をかけても反応のない状態から,呼吸が穏やかになり体温が低下していく状況
は,末期的な症状であり非常に死が近いことを知らされる,⑩Eの生命が助か
っていたと思われる最終的な時点は,7月17日のお昼ころから夕方5時か6
時の所見が出るまでの間,それも夕方に至る前のほうがよかった,失禁をした
り応答のない時点では既に遅い,以上である。
以上の同医師の供述内容を総合すると,同医師の見解は,Eの救命がほぼ確
実に可能な時点として指摘できるのは,遅くとも7月17日の昼ころであり,
それ以降については,適切な治療を設備の整った病院で受けることができれば
救命できる可能性はあるものの,この時点に至っては急変により死亡したり,
生命は助かっても重篤な脳障害を起こす可能性があり,特に長期間血糖値の高
い場合は,逆に治療により急変して死亡する可能性がより高くなる,という趣
旨と解するべきである。
3R医師の供述について
R医師も,小児内分泌学の専門医であり,この分野における学識を備えた医
師である。同医師も,前記認定の事実にほぼ沿うEの病状の推移を前提とし
て,L医師同様,Eの救命可能時点について概ね以下のとおり供述している。
①7月16日の朝,Eが水分を摂取しては嘔吐を繰り返すという症状は,他の
要因がなければ,ケトアシドーシスの可能性がある,②7月17日の朝,多少
息が荒くなり,微熱があり,人にもたれかかってトイレに歩いて行くという段
階では,ケトアシドーシスが進んでいると捉えるのが一番自然な解釈である,
③同日の午後,ストローで水分を吸えなくなり,楽のみを使用したという時点
では,次第にケトアシドーシスの症状が進んできて,飲む力がなくなりつつあ
るという印象である,④同日午後の時点で,会話をしていたり,水分を飲み込
んだりする動作がきちんとできていれは,医療機関に搬入された場合,おそら
く救命は大丈夫であったと思われる,ただ,糖尿病のケトアシドーシスは,治
療をうまく行わないといろいろな合併症を起こすことがある難しい治療であ
り,100パーセント大丈夫ということはできないが,意識がはっきりしてい
る状態であればかなり希望はあった,⑤同日午後6時ころ,EがGの問いかけ
に向こうを向いたという時点では,答える力がなかったのか,ただ単に答えた
くなかったのかは分からないが,症状として,答えられなかったという可能性
もある,⑥その後,雑炊を食べさせようとした際首を振ったというのは,吐き
気が強かったか,飲みたかったけど飲む力が残っていなかったというどちらか
の可能性が高い,⑦同日午後6時から6時30分ころの時点で,医療機関での
適切な措置を受けた場合,もし辛うじて意識があってコミュニケーションをと
れる状態であったとすれば,もしかしたら助かる可能性は十分にあった,た
だ,短時間で病状が悪くなるということもあり,搬送や治療の手はずを整える
時間まで考えると,このあたりからだんだん,全く後遺症なく救命できた可能
性は低くなる。R医師の経験で,この状態で命が確実に助かるとか,確実に後
遺症が残るというのは分からない,非常に難しい,⑧7月17日の深夜,失禁
をしたあたりからは,適切な治療が行われても救命はかなり厳しい状態である
といえる,無事に救命できる限界としてはこのあたりであろうと思われる,⑨
逆に,7月17日の午前中に受診をしていれば,適切に治療がいって予期せぬ
ことが起きなければ救命できると思われる,その後次第に意識障害が現れてく
る段階では,その状況が急激に進むこともあるので,実際に治療をしてみない
と分からない,⑩L医師が7月17日の午後6時ころの段階では助からなかっ
たかもしれないと述べているとすれば,そのとおりと思う,同医師がこの段階
で,高次機能病院で専門医が治療しなければ助からないという趣旨の証言をし
ているとすれば,R医師の持っている印象と大きく外れてはいない,以上であ
る。
以上のR医師の供述を総合すると,Eの意識がはっきりしていた7月17日
の午前中の段階で医療機関に搬入され適切な治療を受けることができれば,ほ
ぼ救命はできたものと思われるが,その後意識障害が現れてくるに従って次第
に救命可能性は低下する,午後6時前後の時点でのEの意識レベルは不明であ
り,仮に辛うじて意識があれば救命可能性は十分にあったが,急変等の可能性
があることを考慮すると,確実な救命ができる時期としての線引きは非常に困
難であり,同刻前後に治療を開始した場合にも救命ができたかどうかは分から
ない,という趣旨と解される。
4L医師,R医師両医師の供述の評価について
L医師,R医師の所見は,医学的に十分なデータが不足している状況での推
測ではあるものの,その所見の中核部分はほぼ一致している。両医師が,共に
小児内分泌の専門医としての十分な学識と経験を持ち合わせていることをも考
慮すると,両医師の所見には高度の信用をおくことができるというべきであ
る。
5小括
そうすると,6時29分の電話の時点におけるEの救命可能性については,
以下のように考えるべきである。まず,Eの容態にかんがみると,この時点に
おいても,救急車を要請するなどして迅速に適切な医療行為を受けていれば,
救命できていたという可能性があったこと自体は否定できない。P医師の証言
によれば,甲病院においても,Eの救命のため最低限必要な医療機器,設備等
はあるというのであり,同医師の証言する治療の手順も,限られた条件下での
ものであるとはいえ,相応の医学的知識,経験に則ったものであることからす
ると,このような条件下であっても,Eの救命が全く不可能であったとまでは
いえない。しかし,同医師の救命可能性に関する見解は,限られた条件下であ
っても,救命の可能性が少しでもあれば医師として救命に最善を尽くすという
観点からのものと解すべきであって,救命可能性の確実性の程度を検討する際
には,観点を異にするといわなければならない。そして,Eの救命がほぼ確実
に可能であったと認められる時点は,L医師及びR医師の供述するように,7
月17日の午前中,遅くとも昼の段階であったというべきである。それ以降の
Eの病状の推移については,必ずしも明確でない点はあるものの,Eのケトア
シドーシスは次第に進行し,重い症状を呈し出していたのであり,救命の可能
性が時間を追う毎に低下していくことは明らかに認められる。そして,同日午
後6時前後の状況をみると,意識レベルについては客観的に不明であるが,G
の問いかけにも応答が困難である程度に意識が低下していた可能性もあるとい
うのであって,仮にこの時点で,最善の適切な治療を受け得たとしても,客観
的には既に救命が困難であった可能性がある。また,この段階に至れば,L医
師,R医師両医師が共に指摘するように,搬送中や待機中に容態が急変する可
能性,及び,治療行為自体によって逆に脳浮腫等が急速に進行して死亡に至る
可能性も相当程度あるものといわなければならない。そうすると,6時29分
の電話の時点で,被告人が適切な指示をしていれば,合理的な疑いを超えてE
の救命が確実であったとは到底言い得ないことは明らかである。
第6結論
以上のとおりであって,仮に被告人が,検察官主張のとおり,6時29分の
電話の時点において,GにEの医療機関への搬送等を指示していたとしても,
Eの死亡の結果を回避することが合理的な疑いを超えて確実であったとは認め
られない。そうすると,検察官の主張するその余の点について判断するまでも
なく,被告人にEの死亡の結果についての刑事責任を問い得ないことは明らか
である。したがって,本件過失致死の公訴事実については,犯罪の証明がない
ことになるから,刑訴法336条により被告人に無罪の言渡しをする。
(法令の適用)
記載省略
(量刑の理由)
本件は,自然食品等の販売業を営んでいた被告人が,自己の開設したホームペー
ジに厚生労働大臣の承認を得ていない医薬品であるYの効能等を広告した事案,及
び,Yを無許可で業として販売した事案である。
被告人は,Yに難病等を治療する効能があるとして,自己の経営する自然食品販
売店の店頭や宅配の方法で継続販売していたものであり,本件はいずれもその一環
である。被告人は,広告や販売の適法性については製造元がチェックしているもの
と考えていた旨供述するが,人の健康に直結する商品を販売する者として誠に安易
な態度である。本件は,医薬品の品質,有効性及び安全性の確保という法の趣旨を
ないがしろにする行為である。被告人は,Yの販売により,相当多額の利益も得て
おり,その犯情はよくない。
しかし,被告人が本件につき反省の態度を示していること,本件の発覚後,ホー
ムページを閉鎖して,Yの販売を中止し,その後自然食品販売業についても他人に
営業を譲渡したこと,これまで前科等はなく,通常の社会生活を送ってきたもので
あること,身体に障害を持つ夫がその身を案じて出廷し,今後の監督を誓約してい
ることなど,酌むべき事情もあるので,懲役刑の執行は猶予する。
(検察官福田直俊,私選弁護人・田弘幸〔主任〕,同櫻井義之,同加藤美代各出
席)
(求刑懲役1年6月及び罰金100万円)
平成21年2月18日
岐阜地方裁判所刑事部
裁判官田邊三保子

戻る



採用情報


弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
[email protected]
採用担当宛