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H16.1.26判決 東京地方裁判所平成14年(ワ)第5782号損害賠償請求事件
主文
1 被告らは,連帯して,原告Aに対し,170万円及びこれに対する平成13年3月9
日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告Aのその余の請求並びに原告B,原告C及び原告Dの請求をいずれも棄却す
る。
3 訴訟費用は,被告らに生じた費用の20分の15と原告Aに生じた費用の20分の1
9を原告Aの負担とし,被告らに生じた費用の20分の4と原告B,原告C及び原告
Dに生じた費用を同原告らの負担とし,被告らに生じた費用の20分の1と原告Aに
生じた費用の20分の1を被告らの負担とする。
4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
1 被告らは,連帯して,原告Aに対し,8420万0837円及びこれに対する平成13
年3月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告らは,連帯して,原告Bに対し,1117万2922円及びこれに対する平成13
年3月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被告らは,連帯して,原告Cに対し,558万6461円及びこれに対する平成13年
3月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 被告らは,連帯して,原告Dに対し,558万6461円及びこれに対する平成13年
3月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,被告Eが開設するF病院(以下「被告病院」という。)において,原告A
が,被告Gから受けた甲状腺癌摘出手術に関して,手術前及び手術中の説明義務
違反,手術前に十分な検査をしなかった注意義務違反,手術準備上の注意義務違
反,手術における判断・手技に関する注意義務違反,頸動脈損傷後の修復処置を
誤った注意義務違反があり,これによって,原告Aに後遺症が残ったと主張し,原
告A及びその家族が,被告Gに対しては不法行為に基づき,被告Eに対しては,不
法行為(使用者責任)又は診療契約上の債務不履行に基づき,損害賠償金の支払
を求める事案である。
1 前提事実(証拠を掲げない事実は当事者間に争いがない。)
(1) 当事者
ア 原告ら
原告Aは,昭和19年5月2日生まれの女性であり,平成13年7月19日,
東京都から,脳梗塞による体幹機能障害及び左上肢機能障害により,身体障
害程度等級1級の認定を受けた(甲A2。以下,枝番のある書証については,
特に枝番を示さない限り,すべての枝番を含む。)。
原告Bは,原告Aの夫であり,原告C及び原告Dは,原告Aの子である。
イ 被告ら
被告Eは,被告病院を開設する医師であり,被告Gは,被告病院に勤務す
る医師である。
(2) 原告Aの診療経過
ア 被告病院入院以前の診療経過
原告Aは,平成11年に東京医科大学病院において,甲状腺癌摘出手術
(以下「前回手術」という。)を受け,外来通院で経過観察されていた。平成12
年2月に頸部腫瘤が2か所発見されたが,1か所が消失したため,特に生検
は行われず,経過観察されていた。
イ 被告病院における診療経過
(ア) 原告Aは,平成12年11月7日,被告病院において,被告Gの
診察を受け,平成13年3月7日,被告病院に入院し,被告Eとの間で診療
契約を締結した(以下「本件診療契約」という。)。
そして,原告Aは,平成13年3月9日,被告Gの執刀による甲状腺癌摘
出手術を受けた(以下「本件手術」という。)。
(イ) 被告病院における診療経過は,別紙診療経過一覧表のとおりである(当
事者の主張が相違する部分を除き,当事者間に争いがない。)。
ウ 被告病院退院後の診療経過
(ア) 原告Aは,平成13年3月19日,被告病院を退院し,東京都済生
会中央病院(以下「済生会病院」という。)に入院した。
(イ) 原告Aは,平成13年5月16日,済生会病院を退院し,財団法人日産厚
生会総合病院玉川病院(以下「玉川病院」という。)に入院し,現在は,自宅
で介護を受けている。
(3) 医学専門用語
本件における医学専門用語の意味は,別紙専門用語集記載のとおりである。
2 争点
(1) 本件手術前に説明を怠った注意義務違反の有無
(原告らの主張)
ア 原告Aの甲状腺癌について
(ア) 本件手術の危険性について
甲状腺の両側には,総頸動脈が走っており,総頸動脈を切断した場合,
25パーセントから30パーセントの頻度で半身麻痺,10パーセントの頻度
で死亡するといわれている(甲B1)。
また,原告Aにとって,本件手術が2度目の甲状腺癌摘出手術であって,
頸動脈にリンパ節が癒着している可能性があり,リンパ節を頸動脈から剥
離する際に,頸動脈を傷つけてしまう危険性があり得ることについて,専門
医である被告Gは,当然認識していたはずである。
そして,本件手術前の頸部CT検査においても,腫瘍と頸動脈が接触し
ており,本件手術が危険なものであることが判明していた。
(イ) 本件手術の必要性について
a 一般に,甲状腺癌は進行が遅いので,必ずしも緊急の手術をする必要
はないとされており,済生会病院においても,原告Aの甲状腺癌は乳頭
癌であり,その進行は遅いと指摘されている(甲A3)。
b また,原告Aの甲状腺癌は,平成11年に東京医科大学病院で手術後,
経過観察されていたものであり,平成14年1月22日に,玉川病院で頸
部CT検査を行った際にも,特に異常は認められていない。
そして,原告Aは,本件手術以前,何ら生活に不自由のない状態であ
った。
c さらに,本件では,原告Aにとって,手術の危険性と比較して,手術によ
らない放射線療法も重大かつ現実的な選択肢であった。
文献においても,再手術が行われたが,総頸動脈と癒着しており,剥
離不能と判断し,放射線照射を行った例が報告されている(甲B2)。被
告病院にも,放射線療法を行う設備が存在する。
イ 本件手術前の説明義務違反
(ア) 一般に,ある治療による危険について,その発生の可能性が低いとして
も,その治療に固有であり,発生した場合の結果も重大なものについては,
事前に患者に説明した上,その治療を受けるかどうかを判断する機会を与
えなければならない。
(イ) 本件においては,仮に,頸動脈損傷の可能性が低いとしても,その危険
性は,甲状腺癌の手術に固有であり,発生した場合の結果も重大であるこ
と,前記のように,本件手術の必要性が小さいことに照らして,被告Gは,
原告Aに対し,本件手術前に,本件手術が頸動脈を傷つけるかもしれない
危険なものであること,頸動脈を傷つけた場合,半身麻痺又は死亡に至る
可能性があることについて説明し,本件手術を受けるかどうかについて判
断する機会を与える義務を負っていた。
にもかかわらず,被告Gは,本件手術後の平成13年3月27日に,原告
B及び原告Cに対し,説明義務を果たさなかったことをはっきりと認めてお
り,義務が果たされていなかった。
(ウ) そして,本件手術について適切な説明を受けていれば,原告Aは,癌の
進行速度,日常生活に何らの不便も感じていないことなどから,あえて本件
手術を希望せず,放射線療法を選択した蓋然性が高く,本件手術による後
遺障害が生じることもなかった。
また,本件手術がなければ後遺症が生じなかったことは物理的に明らか
であり,前記のとおり,説明義務違反がなければ本件手術がなかった相当
程度の可能性が認められることなどを総合考慮すれば,被告Gの行為は後
遺症について少なくとも9割の寄与度があり,少なくとも割合的因果関係は
認められる。
ウ まとめ
以上によれば,被告Gには,本件手術前の説明を怠ったという注意義務違
反があるから,被告Gは,原告らに対し,不法行為責任を負い,被告Eは,被
告Gの使用者として,原告らに対し,使用者責任又は本件診療契約上の債務
不履行責任を負う。
(被告らの主張)
ア 原告Aの甲状腺癌について
(ア) 本件手術の危険性について
原告らが,総頸動脈を切断した場合に半身麻痺が生じる危険性が25パ
ーセントから30パーセントであると主張するのは,甲状腺癌の手術そのも
のの危険性でなく,偶発症として総頸動脈損傷が発生した場合という非常
に限られた数少ない状況が発生した場合における頻度であり,本件手術に
おける偶発症の頻度ではない。
実際に,被告Gが,今まで甲状腺癌の手術において頸動脈損傷を起こし
たことはない。
(イ) 本件手術の必要性について
a 被告G医師は,前回手術から約1年という比較的早期の再発であり,甲
状腺癌の予後危険因子であるところの,50歳以上という年齢及び頸動
脈近傍という再発部位から,経過観察により腫瘤が頸動脈に更に浸潤
し,根治手術が不可能となり,頸動脈破裂すら起こりうる可能性があるこ
とを考慮した上で,本件手術を勧めている。
甲状腺癌の進行が遅いという一般論のみで,本件手術の必要性を判
断することはできない。
b 放射線療法は,分化癌では効果が少なく,原告の挙げる文献でも,再増
大し,手術が行われている(甲B2)。
また,同文献の症例は,剥離不能と判断された後のものであり,剥離
操作に入る前の段階で,頸動脈からの出血が見られた本件の場合には
該当しない。
イ 本件手術前の説明について
(ア) 被告Gは,平成12年11月7日初診時の頸部エコー検査,同月2
0日の細胞診により甲状腺癌が認められたため,同月28日,原告Aにその
旨説明し,本件手術を行うこととなった。
(イ) 原告Aは,東京医科大学病院で甲状腺癌の手術を受け,手術後すぐに
頸部左側にしこりを感じていたが,東京医科大学病院では,手術等はでき
ないと説明され,甲状腺癌の再発を疑うとともに,非常に神経質になってい
た(乙A3・1頁)。
そして,被告病院における検査で甲状腺癌の再発が明らかになったが,
その際,被告Gにおいては,癌の再発を恐れ,手術を行った医療機関では
なく,あえて他医を選ぶという心理状態にまで追い込まれている原告Aに対
し,被告Gが自らも一度も経験していない頸動脈損傷の可能性についてま
で説明すべき義務はなかった。
(ウ) 頸部は,胸腔等とは異なり,空間がなく狭い部位であり,各臓器が密接
している。そのような狭い空間である頸部に甲状腺腫瘤ができた場合,そ
の大きさ,良性,悪性にかかわらず,気管・食道・頸動脈・反回神経に接し
てしまうことは,通常にあることである。
したがって,本件手術前の判断として,腫瘤が頸動脈に接しているという
状態だけで,頸動脈損傷の可能性があると説明する必要はない。
また,本件手術前の頸部CT検査・エコー検査や病変の大きさから考え
て,本件手術前に癌が頸動脈に浸潤しているとは認識できず,そのような
状況下で,剥離する際の癒着の程度や剥離による頸動脈損傷の可能性を
説明することはできない。
(エ) そして,甲状腺癌の再発に対して,非常に神経質になっていた原告Aに
対し,極めて発生頻度の低い頸動脈損傷を説明したとしても,それにより,
原告Aにおいて,最も心配している甲状腺癌に対する本件手術を受けない
という判断をすることはあり得なかった。
ウ まとめ
以上によれば,被告Gが,本件手術前に頸動脈損傷の可能性等について
説明をしなかったことについて注意義務違反はない。
(2) 本件手術を中止して説明を行わなかった注意義務違反の有無
(原告らの主張)
ア 本件手術を中止し,説明をすべき義務について
被告Gは,本件手術中,リンパ節と総頸動脈の癒着を確認し,リンパ節郭
清術を行おうとすれば,総頸動脈を傷つける危険性が極めて高いことを認識
した。
したがって,頸部全体に癒着を確認した時点で,前記の本件手術の必要性
や剥離の危険性,本件手術前に頸動脈を傷つける危険性について何も説明
していないという経緯に照らして,被告Gはリンパ節郭清術を行わず,そのま
ま切開部を閉じて本件手術を中止すべきであり,本件手術を中止した後,被
告Gは,原告Aに対し,本件手術を中止した理由,再手術を行うのであれば,
その理由,リンパ節郭清術は総頸動脈を傷つける危険性が高く,その場合は
半身不随にもなりうることなどについて説明し,再手術を受けるかどうかにつ
いて判断する機会を与える義務を負っていた。
そして,本件手術が中止され,再手術の危険性について適切な説明がなさ
れていれば,原告Aは,癌の進行速度,日常生活に何らの不自由も感じてい
ないことなどから,あえて再手術を希望することはなく,後遺障害が生じること
はなかったし,少なくとも割合的因果関係が認められる。
イ まとめ
以上によれば,被告Gには,本件手術を中止して説明を行わなかったという
注意義務違反があるから,被告Gは,原告らに対し,不法行為責任を負い,
被告Eは,被告Gの使用者として,原告らに対し,使用者責任又は本件診療
契約上の債務不履行責任を負う。
(被告らの主張)
ア 本件手術を中止すべき義務について
(ア) 本件手術における総頸動脈損傷(以下「本件頸動脈損傷」という。)は,
腫瘤に至るために剥離操作を進めていく上で発生したのであり,再発した
腫瘤そのものが,頸動脈に浸潤しており,それを剥離しようとした際の総頸
動脈損傷ではない。
そして,癒着が存在するというだけで,本件手術を中止する必要はなく,
剥離不能と判断されれば,手術を中止するものである。
(イ) 一度手術を断念し,切開部を閉じて,再度手術をやり直すと,手術を重
ねることにより,癒着は更に強固となり,再手術時の危険性が高まる。
このような事後の推移を考慮すると,確率として極めて低い総頸動脈損
傷を恐れて,本件手術を中止するのではなく,再手術時の危険性が高まる
ことを考慮した上,本件手術を続行した被告Gの判断に注意義務違反はな
い。
イ まとめ
以上によれば,被告Gには,本件手術を中止しなかったことについて注意
義務違反はない。
(3) 右頸部の腫瘤の再発について,十分な検査をせずに本件手術を行った注意
義務違反の有無
(原告らの主張)
ア 右頸部の再発の確証がないこと
術前の画像診断や超音波ガイド下での細胞診等では,本件頸動脈損傷を
起こした右頸部に再発腫瘤があったというデータは存在しておらず,そもそも
右頸部に再発腫瘤が存在するという診断はできなかったはずである。すなわ
ち,右頸部に再発腫瘤が存在すると診断するためには,検査が不十分であっ
たというべきである。
また,仮に右頸部に腫瘤が存在していたとしても,それはたまたま存在して
いたにすぎず,事前にその存在を確かめるための超音波検査,細胞診の再
検査,タリウム,MRI検査などの追加検査を十分しないで手術を行うことは許
されない。
イ 前医の情報を取り寄せていないこと
被告らは,前回手術した病院の診療情報を取り寄せるのは普通である(甲
B5の1(匿名の甲状腺外科医の意見書(以下「本件意見書」という。))にもか
かわらず,原告Aの前医である東京医科大学病院から診療情報を求めていな
かった。
ウ まとめ
合併症を起こさずに再度手術を行うには,腫瘤の位置関係を把握し,十分
な視野を確保し,どのように手術を進めるのかの戦略が必要であり(本件意
見書),そのためには,被告Gには,腫瘤の位置関係を把握するため,事前に
十分な検査を行わなければならない注意義務があった。
しかし,被告Gは,前医の情報を取り寄せず,右頸部の再発腫瘤に関して
十分な検査もせずに右頸部について本件手術を行ったことには重大な注意
義務違反がある。
右頸部の手術を行っていなければ,本件頸動脈損傷を起こすことはなかっ
たのである。
(被告らの主張)
ア 被告Gは,触診,エコー検査により,右頸部の腫瘤再発を疑い,切除に進ん
だものである。
原告らが認めるように,右頸部には現に腫瘤が存在していたのであるか
ら,被告Gの前記判断と結果は合致しており,注意義務違反はない。
イ なお,追加検査を実施しなかったのは,右傍気管の腫瘤(以下「本件右側腫
瘤」という。)は位置的に細胞診の行いにくい場所であり,検査を繰り返しても
有意な結果が期待できにくいこと,他の診断手段を用いても確定診断はつか
ないこと,既に本件左側リンパ節に関しては切除すべきものと判断されていた
ことから,本件手術時に本件右側腫瘤も検索切除することが最も確実である
と判断されたからである。
(4) 手術準備上の注意義務違反の有無
(原告らの主張)
ア 甲状腺癌の手術準備について
甲状腺癌において浸潤が疑われる場合の手術の準備については,移動性
のない腫瘤が総頸動脈に取り込まれていても十分な準備,すなわち,いつで
もシャントが装着できるような状態で手術に対処すると,意外に切除可能な場
合が多い。
それのためには,どの程度まで浸潤が及んでいるかを知ることが必要であ
り,エコー検査やCT検査等の補助診断法を適宜用いて,血管浸潤の情報を
得なければならないとされており(甲B2),頸動脈への浸潤が疑われる場合
には,事前のCT検査は,進行癌での動静脈への浸潤の有無,転移の存在を
知るのに適しているとされている(甲B3)。
イ 本件の手術準備について
被告病院においては,本件手術前の平成13年3月7日又は8日にCT検査
を実施し,事前に総頸動脈への浸潤について情報を得ていたはずであり,少
なくとも,CT画像によれば,腫瘍と総頸動脈が接していることが明らかであっ
た。そして,本件手術が再手術であること,最初の手術の状況が判明していな
かったこと,腫瘤の部位を認識していたことなどからすれば,被告Gは,本件
手術に当たって,少なくともシャントの準備をすべきであった。
具体的には,本件手術は,シャントの準備をしながら操作を進め,浸潤範
囲が3分の1周までならパッチ縫着で,3分の1周以上ならば人工血管による
置換を行い(甲B3),シャントをいつでも使用できる用意の下で,総頸動脈に
浸潤しているリンパ節を削るようにして切除する(甲B2)べきであった。
そして,脳に対する血流遮断の防止は,シャント法による血流対策であると
されている(甲B2)ことから,被告Gが,シャントを用いるなどして,血流の確
保を行っていれば,たとえ総頸動脈を損傷したとしても,原告Aが脳梗塞に至
ることはなかった。
ウ まとめ
以上によれば,被告Gには,本件手術を行うに当たって,シャントの準備を
しなかったという注意義務違反があるから,被告Gは,原告らに対し,不法行
為責任を負い,被告Eは,被告Gの使用者として,原告らに対し,使用者責任
又は本件診療契約上の債務不履行責任を負う。
(被告らの主張)
ア 甲状腺癌の手術準備について
(ア) シャントを置いて頸動脈再建を行うには,血管外科医の助力が不可欠で
ある。
被告病院においては,手術中に,腫瘤が頸動脈に浸潤し,剥離困難と判
断した場合には,シャントをおいてまで切除するという方針をとっていない。
(イ) 本件手術前のCT検査では,右頸動脈背側の腫瘤は発見されず,頸部
エコー検査では,8ミリメートル大の腫瘤影が右頸動脈背側と気管の間に
存在し,左鎖骨上に10ミリメートル大の腫瘤影(本件左側リンパ節)が認め
られた。エコー検査での診断は,いずれも乳頭癌のリンパ節転移巣であっ
た。CT検査は,大きな病変には有用であるが,本件のように小さな病変で
は,CT検査よりも,エコー検査の所見によるところが大きかった。
そして,腫瘤が小さく,腫瘤自体が頸動脈に浸潤しているとは,本件手術
前には考えられなかったため,被告Gは,シャントの準備をしていなかった。
また,被告Gは,腫瘤が頸動脈に浸潤していた場合,シャントを置いてま
で切除するつもりはなく,切除自体を断念するつもりであった。
(ウ) 被告Gは,浸潤の程度については,本件手術中も確実には把握できて
おらず,腫瘤に到達する前に出血し,止血することが極めて困難であったこ
と,止血コントロール後に再剥離,再出血の危険を回避するために,頸動
脈背側の腫瘤を直視することは断念した。
被告Gは,本件手術中の触診で,小さいが固いリンパ節と思われる腫瘤
を触知しており,浸潤のためか,癒着のためかの判断は難しいが,可動性
はなかった。
(エ) また,本件の総頸動脈の損傷部位は,腕頭動脈からの分岐直上の深い
位置であり,出血点の確認が困難であり,出血量が多く,多量の輸血も要
した。
そのような状況でシャントを置くには,出血点の上下で,頸動脈を更に剥
離・遊離した上で行う必要があり,更なる出血による生命の危険があったた
め,シャントの準備があっても行える状況ではなかった。
イ まとめ
以上によれば,被告Gには,本件手術前にシャントを準備しなかったことに
ついて注意義務違反はない。
(5) 剥離に関する注意義務違反の有無
(原告らの主張)
ア 甲状腺癌の癒着が判明した場合について
文献においては,甲状腺癌の手術について,剥離不能と判断されたため,
剥離を中止し,放射線照射を行った事例が報告されている(甲B2)。
このように,再手術が困難になるという理由だけで,本件手術を続行したと
いう被告Gの判断には誤りがあり,剥離の難易性について十分検討し,本件
においては,剥離を行うべきではなかった。
被告Gには,剥離の危険性を予見しなかったという注意義務違反がある。
イ仮に,剥離の危険性を考慮に入れたとしても,被告Gは,術中の剥離の危険
性についての判断を誤った注意義務違反がある。
ウ 本件頸動脈損傷の原因について
被告Gには,以下のように,単純な手技上のミスにより本件頸動脈損傷を
起こした注意義務違反がある。
(ア) 視野の確保が不十分であったこと
どのような手術でも視野が不十分な場合,損傷する危険性が高くなり,
損傷の修復が困難になってくるのは当然のことである(本件意見書)。
そして,鎖骨下静脈の分岐部直上の動脈を損傷したことがカルテに記載
されているが,通常の頸部切開だけではこの部の十分な視野の確保は困
難である(本件意見書)。すなわち,本件手術は通常の頸部切開であって,
カルテ記載の箇所で損傷があったことから,視野の確保が不十分であった
ことを意味する。
また,被告らは,乙A4号証において,出血部位が明らかでなかったと述
べているが,このことは視野が不十分であったことを端的に表している。
(イ) 頸動脈の走行が把握されていなかったこと
被告らは,繊維性被膜を右総頸動脈の拍動を目安に気管と総頸動脈の
間を進めたとする(乙A4)が,頸動脈の走行を把握していれば,ケリーの剥
離鉗子(以下「ケリー鉗子」という。)での鈍的剥離で通常は頸動脈を損傷
することは起こりにくい(本件意見書)。
したがって,本件頸動脈損傷の原因は,頸動脈の走行の把握を誤ったこ
とであると考えられる。
(ウ) 上記のように,本件頸動脈損傷の直接の原因は,頸動脈の走行の把握
を誤ったことである。頸動脈の走行の把握を誤ったため,ケリー鉗子によっ
て,又は,その他の操作によって頸動脈を損傷したのである。そして,頸動
脈の走行の把握を誤った原因は,視野の確保が不十分であったことによる
と推測される。
合併症を起こさず再手術を行うには腫瘤の位置関係を把握し,十分な視
野を確保し,どのように手術を進めるのかの戦略が必要である(本件意見
書)ところ,本件手術では視野の確保が不十分であったにもかかわらず,剥
離操作を行っており,当然の注意義務を怠っていることは明らかである。
なお,仮に視野が確保されていたとしても,それにもかかわらず頸動脈
の走行の把握を誤ったならば,頸動脈の走行の把握を誤ったこと自体に重
大な注意義務違反がある。
エ 割合的因果関係について
被告らは,本件頸動脈損傷の原因は右頸部の癒着が強固であったことに
あると主張するが,なぜ癒着が強固であれば総頸動脈の損傷が生じるのかと
いうことを明らかにできない以上,本件頸動脈損傷の原因をたまたま癒着が
強固であったからにすぎないと片付けることはできない。
被告らには,本件頸動脈損傷,後遺症について重大な寄与があり,本件に
現れた事情を総合すれば,その寄与度は少なくとも9割が相当である。
オ まとめ
以上によれば,被告Gには,剥離の判断・手技を誤って総頸動脈を損傷し
たという注意義務違反があるから,被告Gは,原告らに対し,不法行為責任を
負い,被告Eは,被告Gの使用者として,原告らに対し,使用者責任又は本件
診療契約上の債務不履行責任を負う。
(被告らの主張)
ア 本件頸動脈損傷について
一般に,手術など観血的な体内操作が加わった場合,その部位は炎症及
び創傷になり,体内には,白血球などの炎症性細胞の浸潤,繊維組織の造成
などが生じて瘢痕化するという炎症及び創傷を治癒させるための機転が働く。
本件では,前回手術の際に,総頸動脈,内頸静脈などを全周性に剥離した
後,脂肪組織を切除してリンパ節の郭清を行っており,総頸動脈は全周性に
炎症,創傷を起こしたことになることから,術後,同部位は全周性に造成され
た繊維性組織を介して周辺の組織,臓器に癒着し,血管壁と周辺組織は固く
癒着が生じ,それらの境界も判然としなくなった。
本件手術においては,まずはさみを用いて総頸動脈と繊維組織との間に小
切開を加え,ケリー鉗子を用いて鈍的剥離を進めたが,腫瘤に至るために前
回手術後に生じた繊維性癒着を総頸動脈から剥離していく際に本件頸動脈
損傷が発生したのであり,再発した腫瘤を総頸動脈から剥離しようとした際に
生じたものではない。
また,癒着があるというだけで,手術を中止する必要はなく,剥離操作を行
い,癒着が強く,剥離不能と判断されれば,中止することになるにすぎない。
イ 視野の確保について
(ア) 原告らが主張する十分な視野の確保とは具体的に何を示すのか主張さ
れてはいないものの,胸骨を切開し,又は胸骨を外し縦隔を開け,中枢側
の動脈を確保してから腫瘤に達するという方法のことを指していると思われ
る。
そのように解すれば,当初から縦隔を開けるという方法は,本件では明
らかに過剰手術である。本件のような場合に,いかなる術前検査を追加し
ても,当初から縦隔を開けて本件手術にとりかかることにはなりえない。
仮に,上記のような,縦隔を開ける術式をとっていたとしても,頸動脈周
辺の癒着を剥離する手順は何ら変わらず,本件頸動脈損傷は回避できな
かった。
(イ) 原告らは,頸動脈の走行の把握を誤ったと主張するが,本件頸動脈損
傷は,何らかの頸動脈の走行の把握のための検査・手技を怠ったために
起こったものではなく,剥離操作の際の不可抗力による偶発的な損傷とし
か判断できない。
すなわち,前回手術において,通常は行われない前頸筋群の切除を行
ったために,本件手術の際に頸動脈,迷走神経,内頸静脈,気管の頸部全
体が繊維性の癒着により団子状になり,一塊となってしまったのである。こ
の一塊となった部位から各血管神経を遊離,剥離していく際にこれらを直
視することはできず,動脈の拍動を頼りに剥離していくしか方法はない。こ
の状態は視野を十分に確保しても変わることはなく,本件頸動脈損傷は偶
発的なものとしかいいようがない。
ウ まとめ
以上によれば,本件頸動脈損傷が発生したことについて,被告Gには注意
義務違反はない。
(6) 本件頸動脈損傷後の修復処置を誤った注意義務違反の有無
(原告らの主張)
ア 本件頸動脈損傷後の修復処置
(ア) 被告Gは,本件手術後,「リンパ節が頸動脈に浸潤性に腫大しており,切
除した際,頸動脈より出血,修復しましたが,血流は乏しくなってしまいまし
た。その分グリセオール,ヘパリンで様子をみておりました」と報告している
(甲A4)。
この報告からして,被告Gの修復処置が,頸動脈の血流が乏しくなるよう
なものであったことは明らかである。
また,頸動脈に対しては,パッチ装着,あるいは血管移植は自家の大伏
在静脈などを用い,総頸動脈においては人工血管で移植しても差し支えな
いとされており(甲B2),このような処置をすれば,頸動脈の血流が乏しくな
ることはなかったはずである。
(イ) また,手術視野が不十分であったため修復が困難となり(本件意見書参
照),出血部位が明確でないので少し大きめに縫っていかざるを得なかった
(乙A4)。そして,大きめに縫ったため,その部分に血栓が生じ,それが飛
んで脳梗塞に至ったと考えられる。
さらに,損傷部に生じた血栓が遊離するだけでなく,その場(損傷部の内
部)で大きくなり,内外総頸動脈分岐部を超えることにより,広汎な脳梗塞
を起こした可能性もある(本件意見書)。これは,まさに大きめに縫ったこと
により,血栓が損傷部で大きくなり,広汎な脳梗塞を起こしたと考えられる。
一般に頸動脈を損傷したからといって脳梗塞となるわけではなく,頸動
脈を損傷しても適切な血管縫合措置を取れば,脳梗塞にはならなかった。
にもかかわらず,上記のとおり,損傷部位を大きめに縫ったことにより,血
栓を生じさせて,その結果脳梗塞に至らしめたのであるから,大きめに縫っ
たという修復措置には注意義務違反があったといわざるを得ない。
また,出血部位が明らかでないので少し大きめに縫っていかざるを得な
かった(乙A4)ということは,視野を十分に確保しなかったという自らの注意
義務違反ある先行行為によるものであるから,このことをもって修復措置に
注意義務違反がないとはいえない。
イ まとめ
以上によれば,被告Gには,本件頸動脈損傷後の修復処置を誤ったという
注意義務違反があるから,被告Gは,原告らに対し,不法行為責任を負い,
被告Eは,被告Gの使用者として,原告らに対し,使用者責任又は本件診療
契約上の債務不履行責任を負う。
(被告らの主張)
ア 本件頸動脈損傷後の修復処置について
(ア) 本件では,頸動脈の剥離操作の比較的早い時期に出血が生じた。
動脈血の出血点の修復には中枢側と末梢側の動脈確保が必要である
が,本件では癒着が激しく,動脈確保のため,剥離を進めていく最中にも出
血は続き,血圧低下など循環動態にも影響が出始め,出血をコントロール
しなければ生命の存続にも危機的な状態となっていった。
そこで,動脈の狭窄が起こらないように動脈壁を小さな縫い代で縫合し
たが,動脈壁が繊維性の癒着の内部に存在し,出血点が腕頭動脈からの
分岐直上の深い位置であったことから,出血点を正確に把握できず,十分
な止血効果が得られなかった。その間も出血は続き,多量の輸血を行って
も血圧の十分な上昇が得られない状況となってきたため,被告Gは,早急
に出血を止めるべく,それ以上の剥離操作を断念し,縫い代を大きく取って
出血点と思われる損傷部位を血管縫合糸を用いて縫合し,これにより出血
を抑えることができた。
(イ) 本来であれば,出血点の頭側及び尾側にテーピングして,出血点を直視
下にさらして,修復するが,そのためには,剥離操作を更に加えなければな
らず,出血点の拡大,出血量の増加を来し,生命そのものも脅かす事態に
なる。
生命の危機が生じた状況にあっては,上記以外にとるべき方法はなく,
適切な処置であったと考えられる。また,止血した時点で血流が乏しくなっ
たが,被告Gが血流を改善するための再剥離及び血管再建することを断念
したのは,さらなる危険を回避したためであって,やむを得ないというべきで
ある。
イ まとめ
以上によれば,被告Gには,本件頸動脈損傷後の修復処置について注意
義務違反はない。
(7) 損害
(原告らの主張)
ア 原告Aの損害        合計8420万0837円
(ア) 治療費等            合計32万3412円
a 済生会病院            41万1113円(甲C1)
b 玉川病院             46万4600円(甲C2)
c オムツ代              6万0960円(甲C3)
d その他              10万8184円(甲C4)
e まとめ 
前記合計104万4857円から,国民健康保険等から支給を受けた72
万1445円(甲C5,C6,C7)を控除した32万3412円が損害である。
(イ) 将来の介護費及びオムツ代等 合計1364万6109円
a 原告Aの平均余命は29.58年(当時57歳)であり,甲状腺癌を患って
いたことを考慮して,余命を20年とすると,1日当たりの介護費,オムツ
代等3000円について,3000円×365日×12.4622(20年のライプ
ニッツ係数)=1364万6109円が損害となる。
b 現在,原告Aは,介護施設に通所又は短期入所しているが,同居して介
護している原告Bが65歳と高齢であることから,原告Aは,介護施設に
入所して介護されることが望ましい。
入所費用は,原告Aの介護度が要介護3であり,個室(トイレあり)とし
た場合,1日当たり9120円となるが,1か月のうち23日までは介護保
険により1割負担で済む。
したがって,1日当たりの入所費用は,(9120円×23日×10パーセ
ント+9120円×7日)÷30日=2827円となる(甲C9)。
これに1日当たりのオムツ代等の雑費として173円を加えると,1日当
たり3000円が,介護費,オムツ代等の費用となる。
(ウ) 逸失利益           2639万1998円
原告Aが主婦であったことから,賃金センサスの女子労働者全年齢平均
の年収額である341万7900円を基礎とし,原告Aは,甲状腺癌を患って
いたが,平均余命が29.58年であって,少なくとも67歳までは労働が可
能であったと推認されることから,労働能力を100パーセント喪失したこと
による逸失利益は,341万7900円×7.7217(10年のライプニッツ係
数)×100パーセント=2639万1998円となる。
(エ) 慰謝料             3500万0000円
原告Aが,常時介護を要する状態となり,身体障害程度等級1級の後遺
障害を負っていること,被告Gには専門医としての著しい注意義務違反が
あることからすれば,原告Aの慰謝料としては3500万円が相当である。
(オ) 弁護士費用            883万9318円
原告Aの弁護士費用としては883万9318円が相当である。
イ 原告Bの損害        合計1117万2922円
(ア)慰謝料1000万0000円
最愛の妻である原告Aが,被告Gから適切な説明を受けず,不意打ち的
に重篤な後遺障害を負ったこと,今後も一生原告Aの介護を続けなければ
ならないことなどからすれば,原告Bの慰謝料としては1000万円が相当で
ある。
(イ) 弁護士費用            117万2922円
原告Bの弁護士費用としては,117万2922円が相当である。
ウ 原告C及び原告Dの損害    各558万6461円
(ア)慰謝料各500万0000円
母である原告Aが,被告Gから適切な説明を受けず,不意打ち的に重篤
な後遺障害を負ったこと,今後,原告Bとともに,原告Aの介護を続けなけ
ればならないことからすれば,原告C及び原告Dの慰謝料としては各500
万円が相当である。
(イ) 弁護士費用           各58万6461円
原告C及び原告Dの弁護士費用としては各58万6461円が相当であ
る。
エ まとめ
よって,被告Gは不法行為に基づき,被告Eは不法行為(使用者責任)又は
本件診療契約の債務不履行に基づき,連帯して,原告Aに対し8420万083
7円,原告Bに対し1117万2922円,原告Cに対し558万6461円,原告D
に対し558万6461円及びこれらに対する本件手術の日である平成13年3
月9日から各支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を支
払う義務を負う。
(被告らの主張)
原告らの主張は争う。
第3 判断
1 認定事実
前記前提事実,証拠(認定事実の後に掲げる。)及び弁論の全趣旨によれば,
以下の事実が認められる。
(1) 被告病院を受診するまでの経緯
ア 東京医科大学病院での診療
原告Aは,平成11年7月,下頸部右側の腫瘤に自分で触知し,かかりつけ
医の紹介で東京医科大学病院を受診したところ,同年10月26日に甲状腺癌
であると告知され,同年11月11日に手術(前回手術)を受けた(前記前提事
実,甲A6,乙A1・5頁)。その手術は,右耳の後ろから,右下頸部,左下頸部
にかけてL字状に切開をして行われ,甲状腺は全摘された(乙A1・1頁,8頁,
24頁,A2・1頁,被告G本人)。前回手術の瘢痕は本件手術時においても残
っており,右耳下部は一部ケロイド状であり(甲A8,乙A1・1頁,14頁,A2・
1頁,原告B・被告G各本人),原告Aはケロイド状の瘢痕ができてしまったこと
を気にしていた(甲A8,原告B本人)。
平成12年2月,エコー検査の結果,下頸部中央に腫瘤が2個発見され,う
ち1個は消失したが,もう1個については増大したものの,東京医科大学病院
では,平成12年10月時点では,生検も再手術もせず(乙A1・1頁,5頁,A
3・1頁),不安を感じた(乙A2・1頁,弁論の全趣旨)。
イ H神経内科
そのころ,原告Aは,同原告の友人の夫が被告病院で手術を受けたとこ
ろ,手術痕が分からないくらいうまく手術されたという話を聞いたので,同原告
の妹である訴外Iに対し,同人がかかっているH神経内科(東京都狛江市a町b
番c号所在)の医師に被告病院への紹介状を書いてほしいと頼んだ。訴外Iが
同神経内科のJ医師に相談したところ,J医師の了解を得たので,平成12年1
1月6日,原告AはH神経内科を受診し,J医師から甲状腺治療の専門病院と
いうことで被告病院宛の紹介状(診療情報提供書。以下「本件紹介状」とい
う。)を書いてもらった。(甲A6,A8,乙A1・5頁,原告B本人)
(2) 被告病院における診療
ア 被告病院外来における診療
(ア) 原告Aは,平成12年11月7日,本件紹介状(乙A1・5頁)を持って被告
病院を受診し,精密検査を希望した(乙A1・1頁)。担当医は,被告Gであっ
た(甲A6,乙A1・3頁,A6,被告G本人)。
原告Aの頸部は視診では異常はなく(乙A1・1頁),甲状腺腫は不明であ
った(乙A1・2頁)。原告Aは,気管前面右側付近の7,8ミリメートルのリン
パ節のしこりを訴えた(乙A1・2頁)。
同日,頸部エコー検査,血液検査,尿検査を実施したところ,頸部エコー
検査の結果,左内深頸領域のリンパ節転移(悪性病変)であるとの診断が
され(乙A1・3頁,7頁),右総頸動脈背側及び左鎖骨上(左内深頸領域)に
リンパ節と思われる異常陰影を認め,甲状腺癌の再発が疑われた(診療経
過一覧表)。
(イ) 原告Aは,同月11日に被告病院を受診したときに次回手術をするかどう
か決めることとなった(乙A1・4頁)。
同月20日にはエコー下での左鎖骨状のリンパ節(以下「本件左側リンパ
節」といい,本件左側リンパ節部の腫瘤を「本件左側腫瘤」という。)及び右
総頸動脈背側リンパ節(以下「本件右側リンパ節」といい,本件右側リンパ
節部の腫瘤を「本件右側腫瘤」という。)より穿刺吸引細胞診が行われ,エ
コー所見では,本件左側腫瘤は10ミリメートル大,本件右側腫瘤は8ミリメ
ートル大で,甲状腺癌のリンパ節転移が疑われ(乙A1・8頁),細胞診の結
果,本件左側リンパ節からは癌細胞が発見され,甲状腺乳頭癌の転移で
あると診断された(診療経過一覧表,乙A1・4頁,8頁,9頁,A6,被告G本
人)が,本件右側腫瘤からは癌細胞は認められず,(癌と診断するには)不
十分であるとされた(乙A1・4頁,8頁,A6,被告G本人)。
同月28日,被告Gは,前記検査結果及び手術が望ましい旨原告Aに伝
えたところ,原告Aは手術を希望し,入院予約の申込みをした(診療経過一
覧表)。本件左側リンパ節については郭清していないようなので郭清するこ
ととなり,全身麻酔下での手術が予定された(乙A1・9頁)。
(ウ) その後,同年12月26日,平成13年1月31日に手術前検査として,胸
部エックス線検査,ECG等が行われ,同年2月27日にも被告Gの診察が
行われ,原告Aは,本件手術の2日前である同年3月7日に被告病院に入
院した(診療経過一覧表,乙A1・1頁,9頁から11頁まで,A2・1頁,A3・1
頁)。
イ 被告病院入院後
(ア) 同年3月7日の被告病院入院の際,被告Gは,原告Aに対し,予定され
ている手術についての説明を行った(診療経過一覧表,乙A1・15頁。具体
的な説明内容については後に判示する。)。原告Aには,嚥下困難,呼吸困
難は認められなかった(乙A2・1頁)。
また,同日,血液検査,頸部CR,食道透視XP,呼吸機能検査が行われ
た(診療経過一覧表,乙A1・11頁,12頁)。
(イ) 同年3月8日には,頸部CT検査,空腹時血糖検査が行われた(診療経
過一覧表,乙A1・12頁,14頁,24頁,38頁)。なお,頸部CT検査の「検
査目的」欄には,甲状腺全摘後の本件左側リンパ節への転移であることが
記載されているのみで,本件右側リンパ節については記載されなかった
(乙A1・24頁)。
(ウ) 本件手術の実施(診療経過一覧表,乙A1・13頁,14頁,30頁から32
頁まで,35-2頁,A2・5頁,6頁)
同月9日,被告Gの執刀により,本件手術が実施された。
本件手術は午後2時45分から全身麻酔下で実施され,東京医科大学病
院での前回手術の手術創の下頸部の部分を切開して開始された。本件右
側腫瘤は,気管及び右総頸動脈に強く癒着していた。
午後2時55分ころ,右総頸動脈の右鎖骨下動脈との分岐部の損傷(本
件頸動脈損傷)が確認された(本件頸動脈損傷に至る具体的な経緯,原因
については,後に判示する。)。損傷部位を縫合するも,癒着がひどく,動脈
硬化が強かったため,クランプするのに手間取り,出血が多かった。このた
め,本件手術中,原告Bの承諾を得て濃厚赤血球が輸血され,その他,血
栓防止のためにヘパリンの投与も行われた。右総頸動脈,右鎖骨下動脈
の血流は少なくなった。
被告Gは,本件右側腫瘤の摘出を断念し,全身状態が落ち着いたところ
で,左頸部の郭清を行い,午後5時7分,本件手術を終了した。本件手術中
の出血量は合計4030ミリリットルであった。
(エ) 本件手術後の状態
本件手術後,同日午後5時20分には,原告Aには,四肢冷感があり,顔
色不良で,チアノーゼが見られ,同日午後5時35分の段階では,対光反射
がなく,左上下肢の動きが見られず,その後も左半身の動作が見られない
状況が続き(乙A2・8頁から10頁まで),翌3月10日,頭部MRIによって右
大脳に多発性の梗塞を認めた(診療経過一覧表,乙A1・16頁から18頁,
26頁)。
そこで,済生会病院K医師の診察を受けたところ,原告Aの右脳梗塞は,
以後進行する可能性は皆無ではないが,1週間くらいで意識状態,麻痺は
改善すると思われるので,その後リハビリが必要であるとされ,転医が予定
された。K医師は,原告Aの家族にも,多発性脳梗塞であること,回復の可
能性はあるが,麻痺は残るであろうこと,リハビリが必要であること,ここ1
週間で改善するか,悪化するかは経過を見ないと判断できないことを説明
した。(乙A1・18頁)
(オ) 再手術
同月11日午前0時ころより,ヘパリンによると思われる創部出血が認め
られたため,同日午前に手術によって止血が行われた(診療経過一覧表,
乙A1・18頁,19頁,34頁,42頁,乙A2・10頁から12頁まで)。
ウ 被告病院退院後の経過
原告Aは,同月19日,被告病院を退院し,済生会病院に入院し,同年5月
16日には,済生会病院を退院して玉川病院に入院したが,同年10月28日
には玉川病院も退院して,現在は自宅で介護を受けている(前記前提事実,
診療経過一覧表,乙A1・29頁,51頁,A2・4頁)。
2 本頸動脈損傷の原因について
本件頸動脈損傷の原因については当事者間に争いがあり,本件手術の執刀医
である被告Gも様々な可能性について供述しており(乙A6,被告G本人),被告G
の義務違反を検討する前提として,本件頸動脈損傷の直接的な原因が何であった
かの検討が必要であると考えられる。
そこで,本件頸動脈損傷が確認されるに至った経緯を明らかにした上で,本件
頸動脈損傷の原因が何であったと考えられるか検討する。
(1) 本件頸動脈損傷の確認に至る経緯
被告Gは,本件手術を開始し,鎖骨上2横指頭側(前回手術の手術創と同位
置)に襟状切開を置き,皮下を剥離した後,癒着の強度を確認し,本件右側腫瘤
の摘出を行うかどうかを判断するべく,同腫瘤を検索するため,右頸動脈の拍動
確認後,ケリー鉗子を使用し,本件右側腫瘤の1.5ないし2センチメートル頭側
から,ケリー鉗子の彎曲部分を下に向けて入れて開き,上から下へ向かって繊
維性癒着と頸動脈の剥離操作を開始したところ,本件右側腫瘤に至る以前の剥
離操作開始後5分後ないし10分後といった非常に早期の段階で出血(本件頸
動脈損傷)を確認したと供述する(乙A6,被告G本人)。
被告Gの前記供述は,本件手術開始後約10分後(午後2時55分ころ)に本
件頸動脈損傷が確認されたことが記載されている麻酔記録(乙A1・32頁)と符
合する。また,前回手術の手術痕から,前回手術においては主として頸部右側
の手術をしたものと認められ(甲A7,被告G本人),手術をした部位には繊維性
の癒着が生じるのが通常であるから,本件手術の際にも原告Aの頸部右側には
繊維性の癒着があったものと推認される。そして,本件手術前には本件右側腫
瘤が転移癌であることは判明していなかった(前記認定事実)ので,本件手術に
おいて頸部右側の癒着を剥離して本件右側腫瘤を検索して確認する必要があ
った(手術の手順として,本件左側リンパ節の郭清よりも,より集中力を要求され
る本件右側腫瘤の摘出を先行させたとする被告Gの供述には不自然な点は認
められない。)ものと認められる。
これらの事実から判断すると,本件手術開始後,繊維性癒着と頸動脈の剥離
操作を始めて間もないころに本件頸動脈損傷が確認されたとする被告Gの前記
供述内容は,事実経過として自然であり,同供述どおりの事実があったものと認
められる(済生会病院宛の紹介状(甲A1,乙A1・29頁)には,「切除した際」に
本件頸動脈損傷が生じたと記載されているが,これは,用語法にまで意識せず
に不正確な記載になったものと解される(被告G本人)。)。
(2) 本件頸動脈損傷の原因
さきに認定したとおり,本件手術開始後,鎖骨上2横指頭側(前回手術の手術
創と同位置)に襟状切開を置き,皮下を剥離(皮弁作成)した後,癒着の強度を
確認し,本件右側腫瘤の摘出を行うかどうかを判断するべく,同腫瘤を検索する
ため,右頸動脈の拍動確認後,ケリー鉗子を使用し,本件右側リンパ節の1.5
ないし2センチメートル頭側から,ケリー鉗子の彎曲部分を下に向けて入れて開
き,上から下へ向かって繊維性癒着と頸動脈の剥離操作を開始したところ,剥
離操作開始後5分後ないし10分後(午後2時55分ころ)に出血(本件頸動脈損
傷)が確認された。
そこで,本件頸動脈損傷の原因としては,本件頸動脈損傷確認前までの手術
手技が考えられ,具体的には,皮膚切開,皮弁作成,癒着剥離操作が考えられ
る。
ア 皮膚切開について
この点,皮膚切開の位置は,鎖骨上2横指頭側の前回手術の手術創と同
位置であり,本件頸動脈損傷が生じた部位である右総頸動脈の右鎖骨下動
脈との分岐部よりも1センチメートル程度上であって,メスの角度が少し下に
向いていたとしても,本件頸動脈損傷が生じた部位に達することは考えにくい
(被告G本人)。
また,皮膚切開時に本件頸動脈損傷が生じたとすれば,直後から右総動
脈から大量に出血し,容易に確認できると考えられるが,本件においては,皮
膚切開直後に出血があったことを窺わせるような証拠は存しない。
したがって,本件頸動脈損傷の原因が皮膚切開の手技であるとは認めら
れない。
イ 皮弁作成について
皮弁を作成する際には,電気メスを使用して皮膚の下の脂肪組織を剥離し
ていくが,本件頸動脈損傷の生じた部位も電気メスが及びうる範囲には入る
(被告G本人)。
しかし,皮弁作成の際には,手術助手が皮膚を引っ張り,視野が確保され
ている中で,電気メスを皮膚と水平方向に操作すること(被告G本人)から,頸
部の臓器を損傷することは考えにくい上,皮弁作成時に本件頸動脈損傷が生
じたとすれば,直後から右総動脈から大量に出血し,容易に確認できると考え
られるが,本件においては,皮弁作成直後に出血があったことを窺わせるよう
な証拠は存しない。
したがって,本件頸動脈損傷の原因が皮弁作成の手技であるとは認めら
れない。
ウ 癒着剥離操作について
(ア) 本件において,被告Gは,先端が鈍的(非鋭利)であるケリー鉗子を使用
し,本件右側腫瘤の1.5ないし2センチメートル頭側から,ケリー鉗子の彎
曲部分を下に向けて入れて開き,上から下へ向かって繊維性癒着と頸動
脈の剥離操作を開始したものであるが,被告Gの供述によれば,本件頸動
脈損傷を確認したときの剥離位置は本件頸動脈損傷が生じた部位より約1
センチメートル上であったということであり(被告G本人),原告Aの頸部の
血管の走行が一般的な頸部の解剖(甲B1,B4)と異なっていたことも窺わ
れず,その操作手技又はケリー鉗子の形状(乙B1)からしても,ケリー鉗子
が右総頸動脈を直接損傷し,本件頸動脈損傷を引き起こしたとは考えにく
い(本件意見書,被告G本人)。
(イ) そこで,上方での繊維性組織による癒着の剥離操作によって加わった力
が,下方の本件頸動脈損傷が生じた部位に癒着していた繊維性組織に作
用し,さらに右鎖骨下動脈との分岐点近傍で右総頸動脈が曲がっているこ
とから力の加わり具合が変わったことで,繊維性組織が頸動脈を傷つけ,
本件頸動脈損傷につながった可能性が考えられる(被告G本人)。
この点,本件手術時の癒着は強度であったと認められ(前記認定事実。
被告Gは,2回目の手術の際の癒着としては非常に強度であったと供述し
ている(乙A6,被告G本人)。),その剥離操作には慎重さが必要であると
解されるが,被告Gによれば,同程度の強度の癒着は,同部位を3回目,4
回目に手術する際にも経験されることがあるが,そのような場合を含め,癒
着剥離操作の際に頸動脈から出血したことを見聞きしたことはないというの
であり(被告G本人),癒着している繊維性組織と血管等の組織は性質が異
なるため,癒着の剥離操作によって頸動脈に亀裂・損傷が生じることは考
え難い上,本件手術中の癒着剥離操作手技が粗暴粗雑であったことを窺
わせる証拠もない。
もっとも,前回手術において,通常手術では剥かない右総頸動脈の表面
を覆っている漿膜が剥かれていた可能性がある(被告G本人)。漿膜自体
は非常に薄く,動脈壁の強度には余り関与していないが,癒着の剥離操作
を容易にするものであり(被告G本人),その漿膜がなければ癒着の剥離が
容易ではなくなると考えられる。そして,前回手術において,通常行わない
前頸筋群の切除が行われたこと(乙A6,被告G本人)から,癒着が強度に
なった可能性もあり,漿膜が剥がれていたことが,血管壁の脆弱さと相まっ
て,本件頸動脈損傷につながった可能性はある(被告G本人)。
しかし,これらの事実については,いずれも推測にすぎず,これが本件頸
動脈損傷の原因であると断定することはできない。
(3) 以上のように,本件頸動脈損傷の原因としては,皮膚切開であるとも皮弁作成
であるとも認めることはできず,本件頸動脈損傷が癒着剥離操作の途中に発生
したことから,癒着剥離操作が原因となったことは推認されるが,前記のとおり,
本件頸動脈損傷からの出血の態様から判断して,被告Gの癒着剥離操作は,
直接本件頸動脈損傷部位に及んでいたとは認め難いので,同剥離操作から本
件頸動脈損傷が発生した具体的機序は明らかではないといわざるを得ない。
そこで,このことを前提に,以下,争点について検討する。
3 争点(1)(本件手術前の説明義務違反の有無)について
(1) 被告Gの原告Aに対する本件手術についての説明内容
被告Gは,原告Aに対し,細胞診で左側のしこり(本件左側腫瘤)が甲状腺癌
の再発であることが分かったこと,右側のしこり(本件右側腫瘤)については,細
胞診では分からなかったが,癌である疑いが強く,本件左側腫瘤を切除するのと
同一視野・同一の皮膚切開で切除可能であるから,右側のしこり(本件右側腫
瘤)も切除した方がよいこと,被告病院入院の際に,本件右側及び左側腫瘤の
摘出についての説明と併せて,合併症として,半回神経損傷による声の変化(声
がかすれること(嗄声))の可能性があること,本件手術中又は術後に小さな血
管等から出血する可能性があること,本件手術後に血中カルシウムが低下する
可能性があることを説明したが,予後や合併症については余り厳しい説明はせ
ず,癒着が激しい可能性があること,頸動脈を損傷する可能性があること,その
結果,脳梗塞によって半身麻痺が起こる可能性があることについても説明しな
かったと供述する(乙A6,被告G本人)。
この点,本件紹介状(乙A1・5頁)の裏面に頸部の図が図示されており,そこ
には本件右側及び左側腫瘤が描かれていること,平成12年11月28日には原
告Aが手術を希望し,入院予約があったこと(前記認定事実),原告Aが平成13
年3月7日に被告病院に入院する際に作成された入院診療計画書(乙A1・15
頁)にも本件右側及び左側腫瘤が描かれた頸部が図示された上,#1から#3
として,甲状腺乳頭癌の再発がリンパ節にあり,とる予定であること,術式及び
前記の合併症が記載されていることから,被告Gの前記供述の信用性が認めら
れ,被告Gの前記説明内容はその供述どおりであったものと認められる。
なお,原告Bは,原告Aは,被告Gから,本件手術に際して一切説明を受けて
いないと供述する(原告B本人)が,陳述書(甲A6)においては,原告Aが被告病
院に入院する際に,被告Gから,頸部左右の甲状腺付近のリンパ節に甲状腺乳
頭癌が再発しているので,それを摘出する予定である等の説明を受けたとして
おり,原告Bが本件手術以前に被告病院に原告Aに付き添っていっていないこと
からすれば,原告Aが,被告Gから,本件手術に際して一切説明を受けていない
との供述は信用できない。
(2) 本件手術前の説明義務違反について
そこで,被告Gの本件手術前の説明義務違反の有無について検討する。
ア 本件手術の必要性
甲状腺癌のうち,分化癌(乳頭癌,濾胞癌)は予後は良好であるが,乳頭癌
は増殖の早さは遅いものの,リンパ節に転移しやすく,周辺の臓器に対する
浸潤能力が強い癌であり,致死的になることもある(専門用語集)。本件では,
前回手術後約3か月で腫瘤が確認され,約1年後には被告病院において本
件左側リンパ節から再発と考えられる乳頭癌が発見されており(前記認定事
実),再発転移癌であり,浸潤能力が強い癌であることを考えると,根治手術
が困難となってしまう前に,本件手術を行う必要性はあったものと認められる
(甲状腺癌は,進行すると声がれ,呼吸困難,嚥下障害が認められる(専門用
語集)が,本件手術時にはそれらの症状は認められていない(前記認定事実)
ことから,根治手術が困難であったとは認められない。)。
もっとも,本件右側腫瘤については,8ミリメートル大であり,癌の疑いはあ
るものの,確定診断は得られていない状況であって,本件右側腫瘤を切除し
ない場合には根治手術が困難になるおそれがあること(被告G本人)を考慮し
ても,癌の転移であると診断された本件左側リンパ節の郭清の必要性や本件
左側リンパ節の郭清手術と同一機会に同一視野で摘出できるという利点がな
ければ,手術にまで踏み切らない程度のものであった(前記認定事実,乙A
6,被告G本人)。
イ 本件手術の危険性について
頸部は,狭い範囲に,気管,食道,甲状腺のほか,総頸動脈や内頸静脈を
はじめとする動静脈,神経,筋肉等の臓器・組織が密集・錯綜して存在する部
位であり(甲B1,B4),頸部の手術においては隣接する他の臓器・組織に影
響を与える危険性がある。本件左側腫瘤は左鎖骨上に存在し,血管に接して
はいなかった(被告G本人)が,本件右側腫瘤は右総頸動脈背側に接して存
在することが本件手術前に判明していた(前記認定事実,甲A7,乙A6,被告
G本人)。
また,一度甲状腺手術をした場合には,郭清範囲,術後の経過時期などに
より程度は異なるものの,手術部位に繊維性の癒着を来しているのが通常で
あり,手術の際に剥離操作が必要で,手術の難易に影響する(本件意見書,
乙A6,被告G本人)。東京医科大学病院での前回手術においては,頸部左側
は手術を行っておらず,主として頸部右側について手術を行ったこと(甲A7,
乙A1・1頁,14頁,被告G本人)から,頸部右側に癒着が生じていることが予
想され,本件手術において本件右側腫瘤の摘出を行おうとする場合には,本
件右側腫瘤を検索するに当たって,頸部右側に生じている癒着を剥離すると
いう,前回手術では行われなかった手技が必要となるため,本件右側腫瘤の
摘出の方が本件左側リンパ節の郭清よりも難度すなわち危険度が高いことが
予想された(被告G本人)。
ウ 本件手術前の説明義務
前記のとおり,被告Gは,原告Aに対し,本件手術が頸動脈を傷つける危険
があること,頸動脈を傷つけた場合,半身麻痺又は死亡に至る可能性がある
こと(総頸動脈を切断した場合,25パーセントから30パーセントの頻度で半
身麻痺,10パーセントの頻度で死亡するとする文献がある(甲B1)。)につい
ては,何ら説明をしていない。
前記のとおり,本件頸動脈損傷が発生した具体的機序は明らかでなく,被
告Gが本件手術前に本件頸動脈損傷の発生機序を予測して,その具体的な
危険性について説明することは不可能であったといわざるを得ないが,本件
頸動脈損傷は,癒着剥離操作の途中に発生したものであり,癒着剥離操作
が原因となったことは推認されるから,その意味では,「本件右側腫瘤の摘出
は,その存在部位及び癒着の可能性がある点から本件左側リンパ節の郭清
よりも難度すなわち危険度が高い」という術前に予想された範囲内の危険に
属するものというべきであり,そのような危険については説明可能であり,原
告Aが本件手術を受けるかどうか,特に本件右側腫瘤の摘出手術を受けるか
どうかを判断するのに重要な要素となるものであったから,説明すべきであっ
たというべきである。
被告らは,原告Aが非常に神経質であったとして,そのような危険について
説明することの妥当性に疑問を呈するが,原告Aは甲状腺癌の再発に直面し
て不安であったことは認められるものの,精神内科を受診するほどの強度の
神経質であったわけではなく(前記認定事実),被告Gは,精神内科からの紹
介であったことからそのような誤解をしたにすぎないものと解される。
したがって,被告Gは,原告Aに対し,本件手術前に,本件手術の必要性,
特に本件右側腫瘤の摘出の必要性とともに,それに伴う危険性,特に,本件
右側腫瘤の摘出は,その存在部位及び癒着の可能性がある点から本件左側
リンパ節の郭清よりも難度すなわち危険度が高いことについても十分に説明
すべき義務(以下「本件説明義務」という。)があったにもかかわらず,これを
怠ったものというべきである(以下「本件説明義務違反」という。)。
(3) 説明義務違反と本件頸動脈損傷との因果関係について
ア 前記のとおり,本件左側腫瘤は乳頭癌であるところ,乳頭癌は,予後は良好
であり,増殖の早さは遅いこと,本件右側腫瘤は癌の疑いはあったが,確定
診断は得られていなかったこと,などから考えると,被告Gが本件手術前に本
件説明義務を尽くしていれば,原告Aが,本件左側リンパ節の郭清にとどめ,
本件右側腫瘤の切除については見合わせることにした可能性や,本件手術を
受けるのを躊躇し,しばらく経過観察をすることにした可能性など,他の選択
肢を選んだ可能性があることは否定できない。
イ しかし,原告Aは,前回手術後に腫瘤が発見されたが,東京医科大学病院で
は生検も手術も行われなかったことから不安を感じ,精密検査を希望してお
り,甲状腺癌の再発を心配していたと解されること,前回手術によってケロイド
状の瘢痕ができてしまったことを気にしており,被告病院の手術は手術痕が
分からないくらい上手であるという話を聞いたことから,わざわざ妹を通じて同
人が通院していた神経内科の医師に被告病院への紹介状を書いてくれるよう
に頼むまでして甲状腺の専門病院である被告病院を受診したもので,被告病
院の手術手技を信頼していたと解されること,本件左側リンパ節の郭清手術
の必要性は高かったこと,本件右側腫瘤については,癌であるとの確定診断
こそされていないが,甲状腺癌の再発であることが疑われ,前回手術の手術
創に沿って切開し,本件左側リンパ節の郭清手術と同一機会に同一視野で摘
出でき,前回手術以上の手術創ができるわけではないし,本件右側腫瘤を本
件手術で切除しない場合には根治手術が困難になるおそれがあったこと,な
ど(いずれもこれまでに認定したとおり)から判断すると,仮に,被告Gが本件
説明義務を尽くしていたとしても,原告Aが,本件手術を受けるという判断をし
た可能性も相当程度にあったものと考えられる。
したがって,被告Gに本件説明義務違反がなければ,原告Aは本件手術を
受けることはなく,本件頸動脈損傷も生じなかったと断定することはできない。
なお,原告らは,放射線療法も重大かつ現実的な選択肢であったと主張
し,原告Aについては放射線療法(アイソトープ治療)も可能ではあった(被告
G本人)が,原告らが挙げる文献(甲B2)の症例でもそれほど効果があったか
については疑問があり,一般的に,腫瘍の増殖速度が遅い甲状腺分化癌で
は放射線外照射の効果は少なく,通常の治療手段として用いることは稀であ
ること(専門用語集)から,放射線療法が有力な選択肢であるとは認められ
ず,本件手術前に放射線療法について説明を受けたとしても,原告Aが放射
線治療を選んだとは認められない。
ウ 原告らは,本件説明義務違反がなければ原告Aが本件手術を受けなかった
相当程度の可能性が認められることなどを考慮し,被告Gの行為は後遺症に
ついて少なくとも9割の寄与度があり,少なくとも割合的因果関係は認められ
ると主張するが,本件説明義務違反と本件手術との間の因果関係は,これが
認められるか否かであって,割合的に認められるということはあり得ないもの
というべきであり,原告らの主張は採用できない。
もっとも,被告Gが本件手術前に本件説明義務を尽くしていれば,原告A
が,本件左側リンパ節の郭清にとどめ,本件右側腫瘤の切除については見合
わせることにした可能性や,本件手術を受けるのを躊躇し,しばらく経過観察
をすることにした可能性など,他の選択肢を選んだ可能性があることは前記
のとおりであるから,本件頸動脈損傷は発生せず,原告Aにさきに認定したよ
うな脳梗塞やそれに伴う重い後遺症が発生することはなかった可能性は否定
できない。また,被告Gが本件説明義務を尽くしていれば,原告Aが本件手術
を選択したとしても,本件右側腫瘤の摘出には,癒着に伴う危険があることを
理解した上で本件手術を受けることになるので,同原告は,本件手術の結果
である脳梗塞やそれに伴う重い後遺症を自らの判断の結果として受け入れる
ことができたと考えられるが,本件説明義務が尽くされていないため,これを
受け入れることができない状態にあるものと認められる(原告B本人,弁論の
全趣旨)。
したがって,被告Gは,本件説明義務違反によって原告Aが被った精神的
損害については,不法行為による損害賠償として,同原告に対し,これを賠償
すべき義務があるものと認められ(前記のとおり,原告らは,割合的因果関係
の主張もしており,原告らの損害の主張には,このような精神的損害の主張も
含まれているものと解される。),被告Eは,被告Gの使用者として,同損害を
賠償すべき義務があるものと認められる。
エ 本件説明義務は,被告Gが原告Aに対して負うものであり,したがって,本件
説明義務違反によって賠償すべき精神的損害も原告Aに生じた精神的損害
であり,その余の原告らについては,本件説明義務違反による損害賠償は認
められない。
オ 以上の結論は,原告Aから被告Eに対する本件診療契約の債務不履行に基
づく損害賠償請求についても異なるところはない。
4 争点(2)(本件手術の中止義務・説明義務違反の有無)について
(1) 本件手術を中止し,説明をすべき義務について
原告らは,被告Gが,本件手術中,リンパ節と総頸動脈の癒着を確認した時
点で,リンパ節郭清術を行おうとすれば,総頸動脈を傷つける危険性が極めて
高いことから,リンパ節郭清術を行わず,そのまま切開部を閉じて本件手術を中
止して,危険性について説明すべきであったと主張する。
この点,さきに認定したように,本件手術時の癒着は2回目の手術としては強
度であったと認められ,被告Gも,2回目の手術の際の癒着としては非常に強度
であったと認識した(乙A6,被告G本人)ものの,同部位の再手術の際には繊維
性の癒着は通常生じるものであり,癒着している繊維性組織と血管等の組織は
性質が異なるため,癒着の剥離操作によって頸動脈に亀裂・損傷が生じること
は考え難い(被告G本人)し,同程度の強度の癒着は,同部位を3回目,4回目
に手術する際にも経験されることがあり,そのような場合にも同様の操作手技で
癒着の剥離操作が進められるのである(被告G本人)から,繊維性の癒着があ
り,その癒着が2回目としては非常に強度のものであったとしても,そのことが判
明した段階で直ちに本件手術を中止すべきであるとはいえない。
また,後記6のように,腫瘤が頸動脈に浸潤していることが判明した場合に
は,腫瘤を切除する際に頸動脈を損傷し,脳に障害を与える危険があり,シャン
トの準備がなく,血管外科医の立会いがない以上,腫瘍を残して,又は,血管に
浸潤している部分以外の腫瘍を可及的にとるにとどめ,それ以上の手術を中止
すべきであるが,本件においては,さきに認定したように,被告Gは,本件右側
腫瘤の検索をするために繊維性癒着と頸動脈の剥離操作を開始したところ,本
件右側腫瘤に至る以前の剥離操作開始後早期の段階で本件頸動脈損傷が発
生したのであり,本件右側腫瘤の状態を確認し,摘出を行うか否かを判断できる
状態に至っていなかった手術初期の段階であるから,本件頸動脈損傷以前の
時点で本件手術を中止すべきであったとはいえない。
(2) まとめ
したがって,被告Gが本件頸動脈損傷以前の時点(癒着を確認した時点)で本
件手術を中止すべきであったとは認められず,中止義務を前提とした説明義務
があったとも認められない。
5 争点(3)(右頸部の腫瘤の再発について,十分な検査をせずに本件手術を行った
注意義務違反の有無)について
(1) さきに認定したように,本件においては,被告病院初診時である平成12年11
月7日の頸部エコー検査で本件右側腫瘤の異常陰影が確認され,同月20日に
はエコー下での穿刺吸引細胞診が行われ,エコー所見では,本件右側リンパ節
は8ミリメートル大で,甲状腺癌のリンパ節転移が疑われたが,細胞診の結果,
本件右側リンパ節からは癌細胞は認められず,(癌と診断するには)不十分であ
るとされたものの,平成12年3月9日に,本件右側腫瘤の摘出も目的として本件
手術が行われた。
(2) 被告Gの術前の検査に関する注意義務違反について
そこで,原告らは,右頸部に再発腫瘤が存在すると診断するためには,検査
が不十分であり,事前にその存在を確かめるための超音波検査,細胞診の再
検査,タリウム,MRI検査などの追加検査を行うべきであり,また,前医の診療
情報を取り寄せるべきであったと主張する。
この点,担当医としては,手術前にどのような検査を行うかについては,従前
の経緯,当該患者の状態やその検査によって期待できる結果・効果等を考慮
し,必要な範囲で行うべきであるところ,本件意見書においては,超音波検査,
細胞診の再検査,タリウムシンチグラム,MRIをするべきことや前医の診療情報
を取り寄せることは普通であるとの意見が述べられ,術前の検査として同様の
項目を掲げる文献(甲B3,B4)もある。
しかし,良性・悪性判定に最も有意義であると考えられる穿刺吸引細胞診(甲
B3,弁論の全趣旨)については,本件右側腫瘤は8ミリメートル程度の大きさで
右総頸動脈の背側にあり,細胞診をするためには血管を突き破る必要があるこ
とから,細胞の採取は手技上困難であり,再度実施しても有意な結果を期待で
きない(乙A6,被告G本人)し,タリウムシンチグラムは,実施方法によっては腫
瘍の良性・悪性の鑑別に有用であるが,確実とまではいえない(甲B3,乙A6,
被告G本人)。また,本件右側リンパ節の他臓器との位置関係の把握について
も,同リンパ節の大きさが8ミリメートルとそれほど大きくなかったことから,MRI
やCT検査によっては描出されることは期待できなかった(甲A3,乙A6,被告G
本人。結果的には,平成12年3月8日のCT検査に本件右側腫瘤も描出されて
いた(乙A1・24頁参照)。)。前医である東京医科大学病院の診療情報につい
ては,被告病院においても頸部エコー検査,穿刺吸引細胞診等の検査によって
原告Aの病状を把握することは可能であり,現実にも被告病院で行った検査に
よって,原告Aの病状をある程度把握できており(前記認定事実),J医師からの
紹介状(乙A1・5頁)や原告Aの話(乙A1・1頁。A2・1頁,A3・1頁)からも,前
医である東京医科大学病院での診断状況を知ることができたのであるから,前
医の診療情報を取り寄せることによって,より正確な病状把握に役立ちうるとし
ても,不可欠のものであったとは認められない。
他方,甲状腺癌においても転移・再発の可能性が十分ある(専門用語集,甲
B3)ところ,本件においても前回手術後約3か月で腫瘤が確認され,約1年後に
は被告病院において,頸部エコー検査で本件左側及び右側リンパ節の異常腫
瘤が確認された上,本件左側リンパ節については穿刺吸引細胞診において癌
細胞が発見されたこと(前記認定事実),頸部腫瘤としては,肉芽のような良性
のものは通常存在しないこと(被告G本人)からすれば,本件右側腫瘤について
は,甲状腺癌の再発が疑われる状況にあったものと認められる。
そのような状況にあって,さきに認定したとおり,本件左側リンパ節について
は手術の必要性が認められ,右耳の後ろから,右下頸部,左下頸部にかけてL
字に切開した前回手術の手術創の下頸部の部分と同部位で切開すれば,本件
右側リンパ節を摘出するために右側にも切開を広げても,本件手術で手術痕が
余計に残ることはない(被告G本人)ので,本件左側リンパ節と同一機会に,本
件右側腫瘤の性状についても直接検索して確認し,可能であれば摘出すること
が,最も確実であり,原告Aにとって利益であると考えることには合理性が認めら
れる。
以上の事情を総合考慮すると,前医である東京医科大学病院の診療情報の
取り寄せを行う義務があったとは認められず,また,被告病院における本件手術
前の検査等以上の検査を行うべき義務があったとも認められない。
(3) したがって,被告Gが,前医の情報を取り寄せ,事前に十分な検査を行わなけ
ればならない注意義務に違反したとは認められない。
6 争点(4)(手術準備上の注意義務違反の有無)について
(1) 甲状腺癌が動脈系の血管に浸潤している場合には,浸潤血管の切除の際に
脳への血流が遮断されるのを防止するため,シャントを準備した上で手術を行う
必要がある(専門用語集,甲B2,B3)。したがって,術前の検査において,甲状
腺癌が動脈系の血管に浸潤している疑いがある場合には,シャントを準備した
上で手術に臨む必要がある。被告病院においては,シャントが実施できる血管
外科医がいないのである(乙A6,被告G本人)から,甲状腺癌が動脈系の血管
に浸潤している疑いがある場合には,血管外科医がいる施設に転医させるか,
血管外科医の立会いを得た上でシャントの準備をして手術を実施すべきであ
る。
もっとも,手術中に甲状腺癌が総頸動脈など動脈系の血管に癒着・浸潤して
いる例は,信州大学医学部第2外科においては昭和28年から昭和59年までの
32年間で甲状腺癌手術症例1063例中90例(うち,癌の浸潤のために姑息手
術に終わった症例は8例(未分化癌5例,分化癌3例))と少なく,鈍的な剥離で
切除できる例が多いとされており(甲B2),頸部は,狭い範囲に,気管,食道,甲
状腺のほか,総頸動脈や内頸静脈をはじめとする動静脈,神経,筋肉等の臓
器・組織が密集・錯綜して存在する部位であり(甲B1,B4),腫瘤が他の臓器・
組織に接着していることはむしろ通常である(乙A6,被告G本人)から,リンパ節
転移である腫瘤が動脈に接していたり,圧排していることが画像診断で分かった
としても,本当に浸潤しているかどうかの診断は難しい(甲B3)。
(2) 本件においては,被告Gは,本件頸動脈損傷後,止血ができた段階で本件右
側腫瘤部分を触ったところ,可動性のない,硬いリンパ腺と思われるものが触れ
たと供述し(被告G本人),癒着があった影響も考えられるものの,右総頸動脈に
腫瘤が浸潤していた可能性は否定できない。
しかし,仮に右総頸動脈に腫瘤が浸潤していたとしても,本件手術前の検査
においては,本件右側腫瘤が癌細胞であるとの診断は得られておらず,8ミリメ
ートル大の小さな腫瘤であり,平成13年3月8日のCT検査においても,同月13
日に診断したL医師の所見・診断では,本件右側及び左側リンパ節付近に腫大
があるとされているものの,血管浸潤は認められていないこと(乙A1・24頁)か
ら,本件手術前の段階では,本件右側腫瘤が右総頸動脈に浸潤しているとは診
断できず,被告Gが本件右側腫瘤が右総頸動脈に浸潤しているとの疑いを持た
なかったことも,前記のように浸潤例が少なく,診断も難しいことからすると,や
むを得なかったものと解される。
(3) したがって,被告Gが,手術準備上の注意義務に違反したとは認められない。
7 争点(5)(剥離に関する注意義務違反の有無)について
(1) 被告Gの注意義務違反について
さきに判示したとおり,本件頸動脈損傷の原因としては,皮膚切開であるとも
皮弁作成であるとも認めることはできず,癒着剥離操作が原因となったことは推
認されるが,被告Gの癒着剥離操作から本件頸動脈損傷が発生した具体的機
序は明らかではないといわざるを得ない。
したがって,本件頸動脈損傷の発生を具体的に予見することは難しいといわ
ざるを得ないし,本件頸動脈損傷が確認されるまでの被告Gの具体的な本件手
術手技に本件頸動脈損傷に直接結びつくような不適切な点があったことを窺わ
せるような証拠も存しない。
原告らは視野の確保の不十分さや頸動脈の走行の把握の誤りを主張する
が,視野の確保のために縦隔を開く術式が必要であるとは認められず(甲B1参
照),本件手術では前回手術の手術創と同じ部位に鎖骨上2横指頭側に襟状切
開をとっており,本件手術に十分な視野が確保されていたものと解される。ま
た,頸動脈の走行の把握が不十分であったと認めるに足りる証拠もない。
なお,仮に,視野の確保や頸動脈の走行の把握を問題にする余地があったと
しても,本件頸動脈損傷の具体的な機序が明らかでない以上,被告Gの癒着剥
離操作の中で,本件頸動脈損傷の発生につながる不適切な部分があったと認
めることもできない(前記4(2)のとおり,癒着があったからといって本件手術を中
止すべきであったとはいえない。)。
(2) したがって,被告Gが癒着の剥離に関する注意義務に違反したとは認められ
ない。
8 争点(6)(本件頸動脈損傷後の修復処置を誤った注意義務違反の有無)について
(1) 本件頸動脈損傷後の被告Gの修復処置
被告Gは,本件頸動脈損傷を確認し,当初は小さな縫い代で出血部位を縫合
しようとしたが,出血が止まらなかったため,少し大きめに縫い代をとって出血部
位を縫合したことが認められる(乙A1・31頁,32頁,A4,A6,被告G本人)。
(2) この点,小さな縫い代で縫合すると,血管内腔の狭窄が少なくて済むが,縫い
代を大きくとると,亀裂の修復は行いやすいが,内腔の狭窄が起こりやすく(乙A
6,被告G本人),本件においても,大きめに縫い代をとって出血部位を縫合した
ために,右総頸動脈,右鎖骨下動脈の血流が少なくなっており(前記認定事
実),本件手術中に出血部位で血栓が生じ,その血栓が遊離するのみならず,
血栓が本件頸動脈損傷を起こした部位で大きくなり,内外総頸動脈分岐部を超
えることにより,多発性脳梗塞に至ったものと推認されること(本件意見書,被告
G本人)からすると,頸動脈に出血が生じた場合には,脳への血流を確保し,小
さな縫い代で縫合するほか,パッチ装着や血管移植によって,脳への血流が乏
しくならないような手段を講じ,血液の凝固が生じないようにすることが望ましか
ったといえる。
しかし,本件で出血を起こした総頸動脈は,心臓から近く,脳へ血液を運搬さ
せる主要な動脈であるから,本件頸動脈損傷による出血量が多く,出血性ショッ
クを防止するためには早急な止血措置が不可欠である(被告G本人)ところ,本
件頸動脈損傷確認後,大量の出血によって原告Aの血圧の低下が認められ(乙
A1・32頁),また,さきに認定したように,被告Gが本件頸動脈損傷を確認した
時点では,繊維性の癒着の剥離はいまだ本件総動脈損傷を起こした部位まで
達しておらず,出血部位は深部にあって,強度の繊維性の癒着に覆われた状態
であり,しかも,多量の出血が続いていて,出血部位の確認ですらできない状況
であったのであるから,小さな縫い代で縫合しても出血を止めることができなか
ったものと認められる。
このような状況下では,出血性ショックに陥ることを回避するため,縫い代を大
きめにとって出血部位であると考えられる部分を縫合すること(血栓に対する対
応として,血液凝固を防止するためにヘパリンを投与している。)は,次善の策と
してやむを得なかったというべきである。
(3) したがって,被告Gが,本件頸動脈損傷後の修復処置を誤り,注意義務に違
反したとは認められない。
9 争点(7)(損害)について
以上によれば,原告らの請求は,原告Aが被告らに対し,本件説明義務違反を
理由にその精神的損害に対する慰謝料及び弁護士費用相当の損害を請求する限
度で理由があり,その余は理由がない(不法行為に基づいても,本件診療契約の
債務不履行に基づいても,結論は変わらない。)が,上記慰謝料については,本件
説明義務違反の態様等,本件に現れた諸般の事情を斟酌し,150万円と認める
のが相当であり,弁護士費用相当の損害としては,20万円と認めるのが相当であ
る。
10 結論
よって,原告らの請求は,原告Aが被告らに対し,不法行為による損害賠償請求
権に基づき,連帯して,損害金170万円及びこれに対する不法行為日である平成
13年3月9日から支払済みまで,民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支
払を求める限度で理由があるからこれを認容し,原告Aのその余の請求並びに原
告B,同C及び同Dの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし,主
文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第30部
裁判長裁判官  福 田 剛 久
裁判官  村主幸子
裁判官  吉岡大地

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時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
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採用担当宛