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平成16年1月13日宣告 東京地方裁判所 平成14年刑(わ)第3618号 わいせつ図画頒
布被告事件
主文
被告人を懲役1年に処する。
この裁判確定の日から3年間その刑の執行を猶予する。
訴訟費用はすべて被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
 被告人は,株式会社Aの代表取締役であるが,同社編集局長B及び同社と専属契約し
ている漫画家CことDと共謀の上,平成14年4月13日から同月16日までの間,別表1及
び2各記載のとおり,東京都板橋区××〇丁目〇番〇号所在のE株式会社××物流セ
ンターほか20か所において,同区△△〇丁目〇番〇号所在の同社(代表取締役F)ほか
15社に対し,男女の性交,性戯場面等を露骨に描写した漫画を印刷掲載したわいせつ
図画である漫画本「G」2万544冊を頒布した。
(争点に対する判断)
 弁護人らは,被告人が,判示の共犯者らと共謀の上,判示日及び場所において,漫画
本「G」(以下「本件漫画本」という。)を頒布したことは認めながらも,①そもそも刑法175
条は,表現の自由及び国民の知る権利を保障する憲法21条に違反し,無効である,②
刑法175条にいう「わいせつ」の概念は漠然不明確であるから,同条は,憲法21条の要
請する明確性の原則及び憲法31条の保障する罪刑法定主義に違反し,無効である,③
刑法175条の法条自体が違憲でなくても,同条を本件に適用することは,捜査官の恣意
的な判断に基づき事実上の発禁処分を許すものであり,憲法21条及び憲法31条に違反
し,許されない,④仮に刑法175条が合憲であるとしても,本件漫画本は同条所定の「わ
いせつ図画」には当たらない,⑤仮に本件漫画本がわいせつ図画に当たるとしても,被告
人は,わいせつ図画頒布罪の故意を欠いていたか,又は本件漫画本がわいせつ図画で
ないと信じるについて相当な理由があった,として,被告人は無罪である旨主張し,被告
人も,弁護人らの主張に沿うような供述をしている。
 そこで,以下において,判示のとおり,刑法175条が合憲であることを前提に,本件漫
画本がわいせつ図画に当たり,被告人にはわいせつ図画頒布の故意があると認定した
理由について補足して説明することとする。
第1刑法175条の合憲性について
 1 表現の自由及び国民の知る権利との関係について
 (1) 刑法175条の保護法益
 ア(ア) 刑法175条は,わいせつな文書,図画その他の物(以下「わいせつ物」という。)
の頒布,販売,公然陳列及び販売目的所持(以下「頒布等」という。)を処罰するものであ
る。同条の保護法益について,最高裁判所は,「性的秩序を守り,最少限度の性道徳を維
持すること」(昭和32年3月13日大法廷判決・刑集11巻3号997頁(いわゆるチャタレー
事件判決))あるいは「性生活に関する秩序及び健全な性風俗の維持」(昭和44年10月
15日大法廷判決・刑集23巻10号1239頁(いわゆる悪徳の栄え事件判決))であると判
示するところ,当裁判所も,これらの判例と同様に解するものであり,現時点においてもこ
の解釈を変更すべき事情を見出すことはできない。
 (イ)a この点,弁護人らは,現代社会では,人々の価値観が多様化し,何が公益かを一
律に判断することが困難となっており,そのような状況下において,国が特定の価値判断
や道徳観念を保護して強制することは,法と道徳との分離という近代法の大原則に反す
るばかりか,憲法19条の思想・良心の自由や国家の思想的中立性にも反するから,最高
裁判所の示す保護法益は,刑法175条の正当な立法目的とはなり得ない旨主張する。
 そして確かに,国家や企業,家庭や地域社会等の在り方の変化,社会の複雑化や国際
化,多様な媒体を介しての膨大な情報の流布等といった様々な要因が相まって,人々の
価値観が次第に多様化してきていることは,否定し難い事実である。
 b(a) しかしながら,日本国内においても,近時,様々な性表現物が氾濫して,一般の人
々にも比較的容易に入手可能な状態となり,その内容も過激さを増してきており,その傾
向は,インターネットの普及によって更に強まってきていることがうかがわれるところ,この
ような性表現物をめぐる社会状況の変化は,それ自体,性的秩序やその基礎となる最少
限度の性道徳,更には健全な性風俗の維持にも脅威を及ぼしかねないものというべきで
ある。
 (b) こうしたインターネットの普及を受けて,いわゆるサイバー犯罪への対応のため,平
成13年11月,「サイバー犯罪に関する条約」が欧州評議会で採択され,我が国もG7諸
国や欧州の大多数の国と共に同条約に署名している。その後,法務大臣は,同条約の締
結批准に向けた法整備のために,法制審議会に対し,ハイテク犯罪に対処するための刑
事法の整備に関する諮問を行い,これを受けて,法制審議会は,平成15年9月に,その
要綱(骨子)の答申を行ったが,その審議の過程において,刑法175条の処罰範囲を,わ
いせつな電磁的記録に係る記録媒体の頒布等のほか,電気通信の送信によるわいせつ
な電磁的記録その他の記録の頒布等といったいわゆるサイバーポルノに拡張するための
改正(同要綱(骨子)第2)については,全会一致で採択されている(ジュリスト1257号参
照)。
 このようなサイバーポルノ規制の立法化に向けた動きは,我が国の法律専門家の間
で,わいせつ物の頒布等を処罰する必要性のみならず,その処罰範囲をサイバーポルノ
にまで拡張する必要性についても,コンセンサスが得られていることを示すものである。
 (c) また,刑法175条の運用状況についてみても,露骨な性表現を内容とするビデオテ
ープ,DVD,写真集等の頒布等については,今日においても,捜査当局による摘発が頻
繁に行われ,その相当数が同条により処罰されている。すなわち,警察によるわいせつ物
頒布等被疑事件の検挙人員は,昭和58年の2388人をピークに減少傾向にはあるが,
平成10年が881人,平成14年も483人(このうちネットワーク利用犯罪の検挙件数は1
09件)を数える(各年度の犯罪白書による。)。わいせつ物頒布等の罪で有罪判決又は
略式命令を受けた人員についても,ほぼ同様の傾向がみられるのであり,詳細な罪名別
の統計が公表された最終年である平成10年には,有罪判決を受けた者が218人,略式
命令を受けた者が311人の合計529人に及んでいる(各年度の司法統計年報2刑事編
による。)。そして,このような刑法175条の運用について,一般国民から,特に不当とみ
られることなく,むしろ当然のこととして受け入れられていることは,公知の事実である。
 この点,捜査当局による摘発は,おびただしい数に上る性表現物の一部についてのみ
行われ,同様の露骨な性表現物であっても,その相当数が摘発を免れているとうかがわ
れるが,これは,捜査当局の人員や捜査能力の限界に基づくものにすぎず,露骨な性表
現物が事実上放任されているなどと評価すべき筋合いのものでないことはいうまでもな
い。
 (d) そうすると,価値観が多様化しつつある今日においても,法律専門家はもとより,一
般国民の間においても,性的秩序や最少限度の性道徳,健全な性風俗は維持すべきも
のであり,その脅威となるべきわいせつ物の頒布等は取り締まるべきである旨の社会的
合意が確固として存在しているものと認めることができる。
 c さらに,性的秩序や性道徳,性風俗が乱れることは,強姦,強制わいせつといった性
犯罪を誘発し,青少年の健全な育成を阻害し,あるいは売春等が蔓延するなどして,その
被害者や青少年等の様々な人権を具体的に侵害するおそれを誘発することは自明の理
である。もとより,刑法175条によるわいせつ物の規制は,性犯罪の抑止や青少年の健
全な育成,売春の防止等といった個々の具体的法益の保護を直接の目的とするものでは
ないが,性的秩序や最少限度の性道徳,健全な性風俗を維持することによって,これらの
具体的法益の保護にも間接的に寄与するものということができる。換言すれば,性的秩序
や最少限度の性道徳,健全な性風俗の維持は,性犯罪の抑止や青少年の健全な育成,
売春の防止等といった個々の具体的法益の保護を下支えする基礎的な法益ともいえるの
である。
 d 以上のように,性的秩序や最少限度の性道徳,健全な性風俗の維持は,性犯罪の
抑止や青少年の健全な育成,売春の防止等といった個々の具体的法益の保護を下支え
する基礎的な法益ともいえるものであるから,その保護は,決して,国家が一定の道徳や
価値観を国民に一方的に押しつけるようなものではなく,国民の様々な基本的人権を保
障するための基盤造りを目的とするものであって,憲法19条に違反しないことは明らかで
ある。しかも,わいせつ物の頒布等を取り締まるべき旨の社会的合意が確固として存在す
る以上,刑法175条によるわいせつ物の規制は,価値観が多様化した今日においても,
十分に合理的根拠を有するものといえるのである。
 イ(ア) 次に,弁護人らは,わいせつ物が出回ることにより性犯罪等が誘発される危険
性の立証が全くなされておらず,刑法175条の立法事実,すなわち,同条による規制を必
要とする社会的事実は存在しないから,同条の立法目的自体が正当なものとはいえない
旨主張する。
 この点,弁護側証人として出廷した社会学者のHは,刑法175条による規制について,
明治以降の①国民化のためと,②先進国の仲間入りをするに足りる民度や社会の体裁を
備えていることを内外に示すためという2つの目的によるものであるが,現時点において
は,その2つの目的は既に達成されている,また,性的メディアへの接触により性欲が亢
進して性行動や性犯罪に及ぶという見方は,通念としては存在するが,実証的には全く根
拠がないと述べており,同じく憲法学者のIも,人は他人や社会を害するのでない限りは一
切自由であり,このことを表現の自由,特にわいせつ文書の規制の領域で考えると,わい
せつ文書が実質的害悪を引き起こすことを経験科学的に立証する必要があるが,そのこ
とはほとんど不可能に近いといえると述べている。
 (イ) しかしながら,刑法175条は,前判示のとおり,性犯罪の抑止自体を立法目的とす
るものではなく,直接には,性的秩序や最少限度の性道徳,健全な性風俗の維持を保護
法益とし,その実現を介することによって,性犯罪の抑止等にも間接的に寄与しようとする
ものである。しかも,わいせつ物の頒布等が,性的秩序や最少限度の性道徳,健全な性
風俗の維持を阻害するおそれのある行為であることは,社会通念上明らかというべきであ
る。
 ウ(ア) 弁護人らは,漫画雑誌や漫画単行本の売上が急増しているのに,性犯罪による
少年の検挙者数が大幅に減少していることなどを指摘して,わいせつ物の頒布等が性犯
罪を誘発するというのは,科学的に何らの根拠のない俗信にすぎないとも主張する。
 (イ) そこでまず,少年による性犯罪の動向についてみるに,検察庁における少年による
強姦又は強制わいせつ(いずれも致死傷を含む。)被疑事件の受理人員の合計は,昭和
49年まで2000人を超えていたが,その後は減少傾向が続き,昭和55年に1571人,
平成2年に743人まで減少して以降は,570人から840人までの間で増減を繰り返し
て,平成14年には568人となっており(各年度の検察統計年報による。),家庭裁判所に
おける保護事件の処分人員についても,強姦又はわいせつ(強制わいせつのほか,公然
わいせつ,わいせつ物頒布等を含む。)非行事件の既済人員の合計が,昭和55年に17
58人,平成2年に904人,平成14年に516人になるなど,ほぼ同様の傾向が認められ
(各年度の司法統計年報4少年編による。),少年の総数がかなり減少してきていること
(満15歳から19歳までの人口は,平成2年が約1001万人であったのに対し,平成13
年には約735万人に減少している。日本統計年報による。)を考慮しても,比較的落ち着
いた状況にあるといえる。
 (ウ) しかしながら,成人・少年を問わない性犯罪の認知件数及び検挙件数の動向は,
これとは全く異なる様相を示している。すなわち,警察における強姦又は強制わいせつ被
疑事件(いずれも致死傷を含む。)の認知件数の合計は,昭和50年に6545件(検挙人
員は5622人)であったものが,次第に減少し,昭和61年の4041人(同じく2682人)を
底に増加を始め,平成7年に5144件(同じく2624人)になり,更に平成11年以降は激
増して,平成12年は9672件(同じく3772人),平成14年には1万1833件(同じく348
5人)にまで達しているのである(各年度の犯罪白書による。なお,日本統計年報による
と,満15歳から64歳までの人口は,平成2年以降,8600万人ないし8700万人前後で
推移し,大きな増減はみられない。)。
 もとより,このように性犯罪が激増している原因を,前にみたような性表現物をめぐる社
会状況の変化にすべて帰せしめることはできないにしても,性犯罪の増加は,社会におけ
る性的秩序の弛緩ないし性道徳の退廃を示唆するものであるから,性表現物をめぐる社
会状況の変化とも一定の関係を有することは容易に推認できるところである。したがって,
このような近時の性犯罪の動向に照らすと,性的秩序や最少限度の性道徳,健全な性風
俗の維持は,とりわけ今日において,法的に保護すべき喫緊の課題であるともいえるので
ある。
 エ 以上によれば,刑法175条によるわいせつ物の規制には,性的秩序や最少限度の
性道徳,健全な性風俗の維持を保護法益とするものとして,今日においても,十分に合理
的根拠があるというべきであるから,同条の保護法益ないし立法目的に関する弁護人ら
の主張はいずれも採用できない。
 (2) 刑法175条と表現の自由及び国民の知る権利との関係
 以上の判断を前提として,刑法175条と憲法21条,特に表現の自由及び国民の知る
権利との関係について検討するに,刑法175条は,わいせつ物の頒布等を処罰する旨
規定し,その限りで表現行為に対する一定の制約を課すものである。しかしながら,同条
の規定が憲法21条には違反せず合憲であることは,最高裁判所が前記2件の大法廷判
決を含む累次の判例において繰り返し示してきたところであり(以下,これら累次の判例を
「最高裁判例」と総称する。),当裁判所も,この判例の見解に与するものである。
 以下,弁護人らの主張に即しつつ,補足して説明する。
ア(ア) 憲法21条は,言論,出版その他一切の表現の自由を保障するものであるとこ
ろ,表現の自由は,個人の思想や人格の形成・発展に必要不可欠なものであるばかりで
なく,個人の思想や様々な情報の自由な伝達,交流を確保するという意味において,民主
主義存立の基礎をなすとともに,文化の発展の根本的条件ともなるべき極めて重要な人
権であることはいうまでもない。
 (イ) しかしながら,表現の自由といえども絶対無制限なものではなく,名誉毀損の例を
考えれば明らかなとおり,表現行為が他の法益と衝突するような場合には,一定の制約
を受けることがあり得ることは当然であり,もとより性表現物の頒布等においても同様であ
る。
 そして,刑法175条が,性的秩序や最少限度の性道徳,健全な性風俗の維持を保護法
益とするものであり,今日もそのように解すべきこと,わいせつ物の頒布等は,これらの法
益を害するおそれのある行為であることは,いずれも前に判示したとおりである。したがっ
て,刑法175条がわいせつ物の頒布等一般を処罰の対象とすることには,十分に合理的
根拠があるといえるのであり,そのため表現の自由が一定の制約を受けることがあって
も,憲法違反とはならないのである。
 (ウ) もとより,性表現物の中には,思想文書や文芸作品,学術論文や歴史的文物等の
ように性的刺激以外に表現物としての社会的価値を有するものも含まれているから,その
ような観点からも,検討を加える必要がある。
 そのため,最高裁判例は,前記悪徳の栄え事件判決において,文書の個々の章句の部
分のわいせつ性は,文書全体との関連で判断されなければならないと判示し,昭和55年
11月28日第2小法廷判決・刑集34巻6号433頁(いわゆる四畳半襖の下張事件判決)
において,文書のわいせつ性の判断に当たっては,当該文書の性に関する露骨で詳細な
描写叙述の程度とその手法,その描写叙述の文書全体に占める比重,文書に表現され
た思想等とその描写叙述との関連性,文書の構成や展開,更には芸術性・思想性等によ
る性的刺激の緩和の程度,これらの観点からその文書を全体としてみたときに,主とし
て,読者の好色的興味に訴えるものと認められるかどうかなどの諸点を検討することが必
要であり,これらの事情を総合し,その時代の健全な社会通念に照らして決すべきである
と判示しているのである。
 このように,刑法175条にいうわいせつ性の有無は,芸術性・思想性等による性的刺激
の緩和の程度にも配慮しながら,文書を全体としてみたときに,主として,受け手の好色
的興味に訴えるものと認められるかどうかなどを検討し,その時代の健全な社会通念に
照らして判断されるのであり,このような判断過程を経ることによって,わいせつ物の規制
と表現の自由及び後にみる国民の知る権利との間の合理的な調整を図ることができるの
である。
 (エ) したがって,刑法175条の合憲性に疑問の余地はないというべきである。
 イ(ア) ところで,弁護人らは,刑法175条がわいせつ物の頒布等を一律に規制するこ
とについて,規制の手段として合理性がないとも主張する。すなわち,同条の保護法益に
関する最高裁判例の見解を否定しつつ,弁護人ら独自の見解に基づき,同条の保護法
益を「見たくない自由」と措定した上,その立法目的を達成するには,見たくない人が不意
打ちを受けないようにするために,いわゆるゾーニングを施したり,性表現物であることを
明示するラベリングを施すような,より緩やかな規制をすれば足りるのであり,実際に,各
地方公共団体においては,有害図書指定制度が整備され,ゾーニングによる販売が実現
されているから,刑法175条による規制は必要最少限のものとはいえず,違憲である,と
いうのである。
 そして,諸外国の立法例をみると,アメリカの多くの州のように,我が国と同様,わいせ
つ物の頒布等を広く規制する立法例がある反面,ドイツやフランスのように,青少年や児
童の保護あるいは「見ない自由」の保護を規制目的として,その目的に応じた様々な規制
をしている立法例も存在しており,立法政策としては,弁護人ら主張のような規制の在り
方も考えられるところである。
 (イ) しかしながら,前に判示したとおり,刑法175条は,性的秩序や最少限度の性道
徳,健全な性風俗の維持を保護法益としていると解されるのであり,弁護人ら主張のよう
に,わいせつ物を見たくない自由を保護法益とするものでも,各都道府県における青少年
健全育成条例のように,青少年の健全育成を直接の保護法益とするものでもないから,
弁護人らの上記主張は,まずもって,その前提を欠くものというほかない。
 そして,刑法175条の保護法益を上記のとおり解する以上,わいせつ物の頒布等一般
を規制の対象とすることには,十分に合理的根拠があるといえるのであり,表現の自由と
の関係においても,立法裁量の範囲内にとどまるということができる。
 したがって,規制手段としての合理性に関する弁護人らの主張は,いずれにしても理由
がない。
 ウ(ア) また,弁護人らは,刑法175条が,憲法21条により保障された国民の知る権利
を侵害するものであるから,違憲無効であるとも主張する。
 そして,本件漫画本が,実際に全国の書店で多数販売されていることからすれば,少な
くとも購読者が性的欲求を満たそうとするなど娯楽の対象としての需要のあることは否定
できない。 
 (イ) しかしながら,国民の知る権利が憲法21条1項の派生原理として導かれる権利で
あり,刑法175条によるわいせつ物の規制により,国民の知る権利を害し,上記のような
需要を満たせなくなる事態が生じ得るとしても,表現の自由について判示したところと同様
の理由から,違憲の問題は生じないのである。
 この点,弁護人らは,本件漫画本が捜査当局によりいったん摘発されてしまうと,本件
漫画本が社会通念に照らして真にわいせつな物であるかどうかという本件摘発の正当性
を審査するために,本件漫画本の内容を公表して市民間で議論することが不可能になる
とも主張するが,前記チャタレー事件判決にあるとおり,刑法175条にいう「わいせつ」な
物に当たるかどうかは,法解釈,すなわち法的価値判断の問題であるから,裁判所の専
権に属する事項というべきであり,結果的に弁護人ら主張のような状況が生じたとしても,
国民の知る権利を不当に害することにはならない。
 したがって,弁護人らの上記主張はいずれも理由がない。
 2 本件漫画本の摘発に関する主張について
 (1) 弁護人らは,捜査機関が本件漫画本をわいせつ図画に当たると判断した過程につ
いて,わいせつ性を判断するのに適格でない捜査員が不十分な検分により恣意的に判断
し,その結果,捜索押収により事実上の発禁処分の効果をもたらしているから,本件に刑
法175条を適用することは,憲法21条,31条に違反して無効であるとも主張する。
 (2) しかしながら,後に判示するとおり,本件漫画本は刑法175条にいうわいせつ図画
に当たると認められるのであり,捜査当局が本件漫画本を同条による摘発の対象として
選択したことに何らの違法もない。しかも,本件捜査を担当したM警察官の公判証言を中
心とする関係各証拠によれば,本件の捜査に当たり,警視庁生活安全部保安課所属の
十数名の警察官が,長時間とはいえないものの,本件漫画本,その作者の別の漫画作品
及び別の漫画家の漫画作品をそれぞれ回覧し,東京地方検察庁風紀係担当の検察官並
びに有識者である刑法学者及び弁護士の意見を聞いた上,本件漫画本がわいせつ図画
に当たると判断して立件したものと認められるのであり,このような強制捜査着手に至る
過程にも,何らかの違法があったことを疑わせるような証跡は全く認められない。さらに,
頒布前の本件漫画本について網羅的に差し押さえた点も,わいせつ物販売目的所持の
捜査の対象となり得るものとして,違法不当の問題は生じないのである。したがって,弁護
人らの上記主張も理由がない。
 3 明確性の原則ないし罪刑法定主義との関係について
 (1) 弁護人らは,刑法175条にいう「わいせつ」の概念は漠然不明確であり,表現行為
に対して萎縮的効果を及ぼすという意味で,憲法21条の要請する明確性の原則に違反
するとともに,憲法31条の要請する罪刑法定主義にも違反する旨主張する。
 (2) しかしながら,この点についても,最高裁判例は,刑法175条の構成要件が不明確
とはいえない旨繰り返し判示しており(昭和54年11月19日第2小法廷決定・刑集33巻7
号754頁,前記四畳半襖の下張事件判決,昭和58年3月8日第3小法廷判決・刑集37
巻2号15頁),当裁判所も,これと同様に解するものである。
 若干補足すると,ある刑罰法規があいまい不明確のゆえに憲法31条に違反するものと
認めるべきかどうかは,通常の判断能力を有する一般人の理解において,具体的場合に
当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読み取
れるかどうかによって決すべきものである(最高裁昭和50年9月10日大法廷判決・刑集
29巻8号489頁参照)。そして,最高裁判例が判示するとおり,刑法175条にいう「わい
せつ」とは,「いたずらに性欲を興奮又は刺激せしめ,かつ,普通人の正常な性的羞恥心
を害し,善良な性的道義観念に反するもの」をいい(最高裁昭和26年5月10日第1小法
廷判決・刑集5巻6号1026頁,前記チャタレー事件判決,同四畳半襖の下張事件判
決),その判断に当たっては,前記のような判断基準に従うべきものと解するのが相当で
ある(上記四畳半襖の下張事件判決,同昭和58年3月8日第3小法廷判決)。したがっ
て,同条の構成要件は,上記基準に照らしても不明確なものでないことが明らかというべ
きである。
 したがって,弁護人らの上記主張は理由がない。
 4 まとめ
 以上のとおり,刑法175条は合憲であると解されるのであり,同条により本件漫画本を
摘発するに至った過程には何らの違法も認められないから,同条の違憲性,更には本件
に同条を適用することの違憲性をいう弁護人らの主張はすべて採用できない。
第2 本件漫画本のわいせつ性について
 1 わいせつの意義,判断基準について
 以上判示してきたとおり,刑法175条にいう「わいせつ」とは,いたずらに性欲を興奮又
は刺激せしめ,かつ,普通人の正常な性的羞恥心を害し,善良な性的道義観念に反する
ものをいい,その判断に当たっては,前記のような判断基準に従うことになる。
 この点,弁護人らは,今日における「わいせつ」の判断基準として,「社会通念に照らし,
現実に性器又は性交を見るのと同程度に強く性欲を刺激又は興奮させるような露骨,詳
細で生々しい態様で性器又は性交行為が表現されており,その表現物を全体として観察
し,性的に普通の成人を基準として,性を興味本位に捉えて専ら読者の性欲の刺激に向
けられたものと認められること」と解すべきである旨主張するが,「わいせつ」の意義等に
ついて,このように限定的に解釈すべき合理的な理由を見出すことはできないから,弁護
人らの上記主張は採用しない。
 2 本件漫画本のわいせつ性について
 (1) 本件漫画本の構成,内容等について
 ア 本件漫画本は,平成13年8月から平成14年4月までに販売された月刊の漫画雑誌
に掲載されたDの作品を1冊の単行本にまとめて収録したものであり,1編16頁からなる
短編8作品で構成され,うち1作品は前編と後編に分かれるため,全体で144頁に及んで
いる。そのうち,表紙及び巻頭4頁のみがカラーで,残りはすべて白黒で描かれている。
 イ 次に,本件漫画本における性に関する描写の内容・程度,その手法等について検討
する。
 (ア) まず,本件漫画本では,すべての短編の中で,性交,性戯場面が露骨で詳細かつ
具体的に描かれている。すなわち,性交,性戯場面では,登場人物の表情,性器の状
態,登場人物の姿態の変化等が詳細かつ具体的に描かれ,特に性器自体や性器の結
合・接触状態については,その部分だけを1コマとして描いたり,性器の結合状態を1頁の
ほとんどすべてを使って大きく緻密に描いたり,性器の結合部分に焦点を当てて描くな
ど,構図に工夫を凝らしながら,性器自体や性器の結合・接触状態を特に強調して描か
れている。
 (イ) また,本件漫画本における性描写が占める割合についてみても,頁数では,全体
の約82.6パーセント,各短編の75ないし87.5パーセントもの頁で,コマ数でも,全体
の約68.5パーセント,各短編の約62.0ないし約76.6パーセントのコマで,性器ないし
性交,性戯場面が描かれており,性器についても,全体の約35.0パーセント,各短編の
約26.7ないし約50パーセントのコマで描写されている。このように,本件漫画本は,そ
の内容の大半が性器ないし性交,性戯場面の描写に費やされているといえる。
 (ウ)a もっとも,本件漫画本は,表現形態が漫画であることに特色がある。
 この点,弁護人らは,手描きの絵による漫画と実写による写真等の性表現物との違いを
強調し,手描きの絵では,容易に恣意的な操作を行うことが可能であるし,デフォルメ(変
形描写)も施されるから,ある事象が絵によって表現されていたとしても,他人がそれを実
在の事象と結びつけて考える度合いは写真に比べて低い,とりわけ,漫画では,特有の
デフォルメが施されており,本件漫画本においても,通常の手描きの絵以上に,実在の性
器や性行為とはかけ離れたものとなっており,普通人の性欲を刺激するかは疑問である
旨主張する。
 b 確かに,漫画を構成する絵は,写真や映像とは異なり,手描きの線や点などで描か
れるため,現実世界の事物が,絵の中では程度の差こそあれデフォルメされることにな
り,そのやり方次第では,性的刺激を緩和することも可能ではある。
 しかし反面,漫画という手法は,写真と同様に,性交,性戯場面をあり姿のまま表現し,
読者の視覚に直接訴えることができるという点において,文字情報のみにとどまる文書と
比べると,読者に与える性的刺激の程度をより強くすることも可能な描写手法であるとい
える。
 このような観点から本件漫画本をみると,登場人物の顔や着衣については,漫画特有
のデフォルメが施されているが,その程度は,弁護人らが提出した漫画本等と比較して
も,弱いものであり,顔以外の身体については,現実に近い形態や比率で描かれていると
認められる。また,性器は,他の部位に比して大きく描かれ,その状態も,かなり誇張して
描かれてはいるものの,本件漫画本の作者であるDが,モデルとしたものはないが,リア
ルでいやらしく描写することを心掛けたと述べるように,性器の形態や結合・接触状態の
描写は,決して実物とかけ離れているようなものではなく,むしろ人の情緒や官能に訴え,
想像力をかき立てて,実際の男女の性交,性戯場面を彷彿とさせるのに十分な迫真性や
生々しさを備えているものと認められる。現に,本件漫画本は,多数の読者が購入する結
果となっており,そのこと自体,本件漫画本の性的刺激の強さを示すものといえるのであ
る。
 (エ) また,本件漫画本には,一応,性器部分に網掛けしたり,白抜きにしたりすることで
その部分の描写を隠すいわゆる「消し」と呼ばれる修正が施されている。すなわち,巻頭
のカラー部分には,白抜きによる修正が,白黒の部分にも,出版業界でいう40パーセント
の網掛けによる修正がそれぞれ施されている。
 しかし,白抜きによる修正は,その程度が弱いため,当該部分に描かれた性器の形状を
おおむね把握することができる。また,網掛けによる修正も,性器の中心部のごく限られ
た範囲に施されているのみで,しかも,網掛けが非常に薄く,ほとんど透けて見えるため,
当該部分に描かれた性器の形状がほぼ完全に把握できるようになっている。そのため,
本件漫画本では,これらの修正を施したことによる性的刺激の緩和はほとんど認められ
ないのである。
 ウ 次いで,本件漫画本において,漫画の構成や展開,芸術性・思想性等により性的刺
激が緩和されていないかについても検討を加える。
 (ア) まず,本件漫画本が何らかの芸術性や思想性の要素を含んでいるかどうかについ
て検討するに,各短編は,それぞれ短いながらも1つの物語を構成しており,この点,弁
護人らは,本件漫画本には人間の性の本来の姿というべきエロチシズムがテーマとして
一貫して描かれており,また,性器の描写は,このようなテーマを表現する上で必要なも
のであり,専ら読者の性欲を刺激するための手段とは認められない旨主張する。
 また,弁護側証人として出廷したポルノグラフィ等の評論家でもあるKは,本件漫画本で
は,性器は女性との関わり合いの象徴として描かれており,二者関係における性交渉とい
うのは互いに快楽を交換するところにエロスがあるという作者のエロチシズムの象徴とし
て性器が描写されており,それは専ら読者の性欲を刺激するための手段ではない旨述べ
ており,本件漫画本の9本の短編のうち,7作品では,合意の上での性交,性戯場面が主
として描かれていて,K証人が述べるように,そこには性や女性に対する作者の一定の意
識等が反映されているとみる余地もないわけではない。
 (イ) しかしながら,本件漫画本では,物語の展開に使われている頁数が前認定のとお
り非常に少ない上,その筋書きも,冒頭の「新ヒロイン」という短編において,特撮ヒロイン
になる夢を持つ女性主人公が,スタントの仕事を辞める際,いわゆるアダルトビデオ(AV)
の仕事を紹介され,AV女優となる覚悟を決めて,実際の性交を伴う撮影に臨むとされて
いるように,いずれも作品の眼目である性交,性戯場面を導入展開するためのものにす
ぎず,作品の中心はあくまでも性交,性戯場面の描写にあるものと認められる。
 現に,作者であるDは,当公判廷においても,本件の各短編が掲載された漫画雑誌は,
あくまで成人向け雑誌であり,読者は性的な興奮を求めて購入するので,描写に当たって
は性的な刺激の高い,リアルなものを描くことを念頭に置いており,自分の作品について
は,芸術作品だとは思っておらず,いやらしいものによる性的な刺激を求める読者の要望
に応じて,それに応えるために書いていた作品であったと述べている。また,関係各証拠
によれば,本件漫画本を出版した株式会社A(以下「A」という。)の代表取締役である被告
人も,同社が出版している他の漫画本と同様に,自己が経営する同社の営業活動の一環
として本件漫画本を出版しているにすぎないのであり,本件漫画本の出版により何らかの
芸術的・思想的な表明をしようとしたものでないことも明らかである。この点,被告人自身
も,捜査段階においては,いかに男性に感じてもらい,性的欲求を満たすかを目指して作
品化していたと述べているのである。
 このような本件漫画本の構成や物語の内容・展開等にかんがみると,平均的読者が,
本件漫画本から,弁護人らやK証人が主張するように,一定の思想や意識を読み取ると
期待することは著しく困難というほかなく,したがって,単なる好色的興趣以上のものを看
取することはほとんど不可能というべきである。
 以上要するに,本件漫画本には,政治的言論はもとより,芸術的・思想的価値のある意
思の表明という要素はほとんど存在せず,本件漫画本は,その芸術性や思想性等によっ
て性的刺激を緩和する要素を含むものではないというべきである。
 (ウ) かえって,本件漫画本の有する物語性は,性的刺激を高める機能を果たしている
と認められる。すなわち,本件漫画本は,単に性器ないし性交・性戯の一場面を写真のよ
うに静止画的に描いたものを単に集めたものではなく,漫画特有のコマ割り,登場人物の
吹き出し等により,筋書きのある物語性を持たせて,その中に性交,性戯場面を織り交ぜ
ているのである。とりわけ,各短編の筋書きは,前にみた「新ヒロイン」のほか,「相思相
愛」や「這いずりまわる」のように,男性が女性を暴力的に陵辱し,特に前者では女性がそ
のような行為を愛の形であると述べるというもの,あるいは,「イノセント」のように,精神病
院の女性患者が医師を異常な性交渉に誘うというもの,その余も,高校や職場で安易に
乱れた性交渉が行われているというものであって,それぞれに暴力的,嗜虐的,反道徳的
であって現実離れしたものというほかない。
 また,各短編中の性描写を含まないコマも,人物紹介ないし場面設定という側面は持た
せてあるものの,結局は性交,性戯場面に導入展開させるための道具立て,あるいは,
話の結末を付けるための添え書程度にすぎす,かえって,上記のような筋書きとも相まっ
て,性交,性戯場面に至るまでの場面展開を盛り上げるなどすることにより,性交,性戯
場面自体の性的刺激を増大させる役割を果たしているものと認められる。このように,本
件漫画本は,物語性を持たせることによって,性交や性戯の1場面のみを写した写真より
も,読者に与える刺激の程度は大きいと評価することもできる。しかも,本件漫画本では,
各短編ごとに,異なった場面設定を行い,異なった登場人物による,態様の異なる性交,
性戯場面を詳細に描いており,形態的な描写のみならず,登場人物の発言や発声,擬音
語や擬態語等も書き加えることによって,全体に臨場感を与えて,性的刺激を高めている
といえるのである。
 エ 以上によれば,本件漫画本は,正に,専ら読者の好色的興味に訴えるものと認めら
れるのである。
 (2) 本件に適用すべき社会通念について
 ア 最高裁判例が判示するとおり,わいせつ性の判断に当たっては,その時代の健全な
社会通念に照らし決すべきものである。
 この点,弁護人らは,表現行為に対する萎縮的効果を生まないように,社会通念の判断
基準の明確化が必要であり,その判断に際しても,表現者に認識し得る事情を基礎とす
べきであるから,本件漫画本が制作,販売された時代,巷間で流通していた弁護人ら提
出の書籍を慎重に吟味して,社会の実態に即しながら判断すべきである旨主張する。
 イ(ア) そこで検討するに,もとより,時代の移り変わりに伴って,「わいせつ」に関する一
般人の意識も変化していくものであり,社会通念もそれに対応する形で変化していくものと
考えられる。そして,日本国内でも,近時,様々な性表現物が氾濫して,一般の人々にも
比較的容易に入手可能な状態になっている上,その内容も過激さを増しており,その傾向
はインターネットの普及によって更に強まるなど,性表現物をめぐる社会状況が徐々に変
化していることは,前にみたとおりである。その結果,一般人が過激な性表現物にも馴れ
たり,受容するなどして,その意識に変化が生じ,それに対応する形で社会的認識が変化
していくこともあり得るところである。
 しかしながら,わいせつ性の判断に際し問題とされる健全な社会通念とは,前記チャタレ
ー事件判決が判示するように,社会を構成する個々人の認識の集合ないしその平均値で
はなく,これを超えた集団意識であり,仮にこれに反対の認識を持つ個々人がいたとして
も,その一事をもって否定されるべき筋合いのものではなく,ここでいう健全な社会通念が
いかなるものであるかの判断は,裁判所に委ねられた法解釈ないし法的価値判断という
べきである。
 (イ) そして,本件漫画本は,前認定のように,専ら読者の好色的興味に訴えるものであ
るところ,近時の性表現物をめぐる社会状況の変化は,それ自体,刑法175条が保護法
益とする性的秩序や最少限度の性道徳,健全な性風俗の維持に脅威を及ぼしかねない
ものであり,最近の性犯罪の激増とも一定の関係を有するとうかがわれることは,前にも
判示したとおりである。したがって,このような状況の中では,前判示のように価値観が多
様化した今日においても,本件漫画本のような露骨で過激な性表現物を許容するような
健全な社会通念が形成されているなどと解する余地はないというべきである。
 (ウ)a なお,弁護人らの主張に即しつつ若干補足するに,関係各証拠によれば,弁護
人らが主張するように,本件による摘発以前には,捜査機関によって漫画本がわいせつ
物の頒布等の罪により摘発されたことがないこと,本件漫画本を構成する9つの短編はい
ずれも,平成13年8月から平成14年4月までの間に発行されたA発行の雑誌「L」に連載
されたものであるが,その連載中に,その作者であるDや被告人ら同社関係者が行政庁
や捜査機関から指導や捜査を受けた形跡のないこと,弁護人らが証拠として提出した性
交,性戯場面を露骨に描写した図画の掲載された漫画本,雑誌等が,平成11年ころ以降
に現実に販売されて流通しており,今日まで摘発されていないことが認められる。
 また,弁護側証人として出廷した刑法学者で,大阪府の青少年健全育成審議会の会長
をも務めるJは,本件漫画本と同様の漫画本(コミック類)が多数出回り,写真集の類の実
写物も広く出回って,普通に書店で購入することができ,しかも,インターネットで国内では
禁止されているような画像を個人的に普通に見ることができるという現状からすると,国民
の多くがそういう事実を受け入れて,わいせつに対する考え方が大きく変わってきており,
わいせつという概念が指し示す事実の範囲がかなり狭くなってきていると述べた上,本件
漫画本は,青少年にとっては,刺激的なものであるから,有害図書として青少年健全育成
条例による規制の対象とはなるものの,かなりデフォルメされた漫画で,実写物よりはリア
リティに乏しいものであり,普通の大人がこれを読んで興奮することはまずないと思われる
から,刑法175条にいうわいせつ図画には当たらない旨述べている。
 b しかしながら,本件漫画本は,専ら読者の好色的興味に訴えるものであり,本件漫画
本のような露骨で過激な性表現物を許容するような健全な社会通念が今日においてもい
まだ形成されていないことは,前に認定判示したとおりである。また,J証人は,普通の大
人が本件漫画本を読んで興奮することはまずないとも述べるが,同証人が青少年健全育
成条例上の有害図書の審査のために繰り返し同様の図画を検分していることにも照らす
と,同証人の本件漫画本に対する印象を一般化することは相当でない。したがって,J証
人の上記意見を採用することもできない。
 c さらに,関係各証拠によれば,捜査機関は,本件漫画本について捜査情報が得られ
るや,早期に摘発に及んでいることが認められる。また,被告人の公判供述によっても,
新しい出版社から修正のほとんどない漫画本が出版され始めたのは,平成12年ころであ
ったというのであり,弁護人らが提出した漫画本がいずれも平成11年12月以降に出版さ
れたものであることも考慮すると,本件漫画本と同様に露骨で過激な内容の漫画本が社
会に出回ったのは,本件漫画本が摘発される前の三,四年間にすぎなかったものと認め
られる。さらに,平成10年ころ以降,刑事事件,とりわけ凶悪事件の認知件数が激増して
いることも考慮すると(各年度の犯罪白書によると,殺人又は強盗(致死傷・強姦を含
む。)の認知件数の合計は,平成9年が4091件,平成10年が4814件,平成12年が6
564件,平成14年が8380件に及んでいる。),捜査機関が漫画本に対する摘発をしな
かったのは,凶悪事件等の捜査に忙しい中,その限られた人員や捜査能力を振り向ける
対象として漫画本を想定していなかったためにすぎないとうかがわれるのであり,本件漫
画本と同様の漫画本等が流通していることを承知していながら,あえて摘発せず放任して
いたなどとは到底認められないのである。
 d また,弁護人らが証拠として提出した出版物のうち,浮世絵ないし江戸時代や明治時
代の春画は,それぞれに,著名な浮世絵作家の作品として,あるいは懐古趣味に応える
歴史的文物として,興味を抱かせるものであり,性行為の指導書も,夫婦を中心とする男
女の性生活の充実に資するものであるなど,本件漫画本とは,読者が興味の対象とする
目的及び内容を異にしており,専ら読者の好色的興味に訴えるものとはいえない。また,
その余の漫画本ないし漫画雑誌の中には,本件漫画本と同様に,専ら読者の好色的興
味に訴えるものや,中には修正が施されていない漫画本も見受けられるが,その多くは,
漫画特有のデフォルメが本件漫画本以上に強く施されているために,本件漫画本と比べ
ると,現実味や迫真性に欠けるものが多いと認められる。結局,本件漫画本は,弁護人ら
が提出した漫画本等との比較においても,特に性表現の露骨さや詳細さにおいて劣るな
どとは到底認められず,むしろ現実味,迫真性は,かなり高い部類に属すると認められ
る。
 e そうすると,弁護人らが指摘する事実を踏まえて検討しても,本件漫画本を許容する
ような健全な社会通念は,今日も存在しないというべきである。
 (3) 以上みてきたとおり,本件漫画本は,性に関する露骨で詳細な描写の程度とその手
法,性に関する描写の漫画全体に占める比重,漫画に表現された思想等とその描写との
関連性,漫画の構成や展開,芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度,そして,こ
れらの観点から本件漫画本を全体としてみたときに,専ら読者の好色的興味に訴えるも
のと認められることなどの諸事情を総合すると,今日の健全な社会通念に照らしても,い
たずらに性欲を興奮又は刺激せしめ,かつ,普通人の正常な性的羞恥心を害し,善良な
性的道義観念に反するところの,刑法175条にいう「わいせつ図画」に該当すると認める
のが相当である。
第3 故意について
 弁護人らは,被告人には,わいせつ図画頒布罪の故意が欠けているか,又は本件漫画
本がわいせつ図画でないと信じるにつき相当な理由があったから,同罪の故意は認めら
れず,被告人は無罪である旨主張するので,以下検討する。
 1 構成要件的故意について
 わいせつ図画頒布罪の故意が成立するには,前記チャタレー事件判決が判示するとお
り,当該図画の描写の内容とこれを頒布することについての認識があれば足り,その描写
が刑法175条所定のわいせつ性を具備するという認識まで必要としないことは明らかで
ある。
 そして,本件漫画本が露骨で詳細な性描写で占められていることは,一見すれば誰にも
明らかなことである。しかも,関係各証拠によれば,被告人は,本件漫画本を出版するA
の代表取締役として,その刊行に当たり,修正の程度を50パーセントから40パーセント
に軽減するよう指示したり,原稿を確認した上で,セリフの一部についての修正さえ指示
するなどしており,最終的に完成した本件漫画本も通読して内容を確認していることが認
められる。
 したがって,被告人が,本件漫画本の内容を把握した上で,これを頒布したことは明らか
であり,故意が成立するための認識に欠けるところはなかったものと認められる。
 2 違法性の意識について
 次に,被告人の違法性の意識について検討するに,被告人は,この点,当公判廷にお
いて,おおむね以下のように供述している。すなわち,新規参入の出版社は,ほとんど修
正がない性表現を含む漫画を出版していたが,特に警察から警告を受けたり,摘発され
たりという話は聞かなかった,毎日いろんな雑誌を買ってきては,自社のものと見比べて
検討しており,書店側から業界で6位か7位程度と言われる程度でやめておこうと考えて
いた,また,浮世絵が摘発を受けていないので,漫画の場合も無修正で大丈夫だろうと思
っていた,本件漫画本は摘発されるべきでないと思ったが,摘発のおそれがあるから,そ
れを消すために修正を入れた,本件漫画本の程度の修正で十分と思ったのは,同程度の
修正しか行っていない他の出版社が摘発されたと聞かなかったためである,自分が犯罪
をやっているという認識は全くなかった,などと供述している。
 しかし,被告人の供述によっても,被告人が自己の行為を適法と誤信したとする根拠
は,要するに,無修正の浮世絵や自社よりも修正の程度が弱い漫画本を刊行している出
版社について警告や摘発があったと聞かなかったことに尽きるのであり,被告人が所管
官庁に相談に出向くなど,公的機関の指示を仰ぐなどした形跡は全く認められない。
 そうすると,被告人が,その述べるように,自己の行為を適法であると誤信していたとし
ても,そのことについて相当な理由があるとは到底認められず,違法性の意識に欠けると
ころはないというべきである。
第4 結 論
以上のとおり,刑法175条は合憲であり,本件に同条を適用することにも何らの違法も
認められないのであり,しかも,判示事実はいずれも,本件漫画本のわいせつ図画への
該当性の点を含めてすべて認定することができるから,これに反する趣旨の弁護人らの
前記主張はいずれも採用しない。
(量刑の理由)
 本件は,出版会社の代表取締役である被告人が,同社の編集局長及び同社専属の漫
画家と共謀の上,わいせつ図画である漫画本を取次の販売業者に頒布したというわいせ
つ図画頒布の事案である。
 被告人は,その経営する出版会社を通じて,合計2万冊余りものわいせつ図画である本
件漫画本を東京都内やその周辺のみならず,大阪・名古屋を含む21か所において,取次
の販売業者合計16社に対し頒布しており,大規模かつ組織的な犯行で,その態様は大
胆かつ悪質である。しかも,その結果,本件漫画本は,頒布先の取次業者を通じて全国
各地の書店合計約5300店に搬送された末,実際に店頭に置かれて販売に供され,一部
は販売済みであり,本罪の保護法益である性的秩序や最少限度の性道徳,健全な性風
俗に与えた悪影響は軽視し得ないものがある。
 被告人は,上記会社の代表取締役として,同社の業務全般を統括し,同社で制作・販売
されるいわゆる成人向けの漫画本についても,その企画や修正の確認などを自ら行い,
特に数年前からは,低迷する同社の売上を回復させようとして,同社で出版する漫画本に
おける性器描写の修正の程度を少なくするよう指示していたものである。そして,本件漫
画本についても,被告人は,その原稿段階から関与して,各短編の修正の程度を先に掲
載された月刊誌の場合よりも更に低くするように指示するなど,部下に様々な指示を出
し,その結果,同社として970万円余りの相当多額の利益を得ているのであり,本件犯行
における首謀者としての責任を免れないばかりか,利欲のためには手段を選ばないその
姿勢は,厳しい非難に値する。
 なお,弁護人らは,被告人が,本件漫画本を含む自社発行の成人向け漫画本につい
て,「成人コミック」というマークを入れたり,「18歳未満の方のお買い求めはできません」
と表示された棚プレートを作成して書店に配布したり,中身が見えないようビニール袋で
梱包する資金を支出するなど,青少年に対する悪影響を回避するための一定の配慮をし
ていた旨主張し,その主張に沿った証拠も存在するが,本件は,わいせつ図画の事案で
あって,青少年に対する有害図書として摘発されたものではなく,しかも,関係証拠(甲42
)からうかがわれるように,本件漫画本が書店の店頭で他の一般図書と並んで陳列される
こともあるという実情に照らすと,弁護人らの指摘する上記事情を本件の犯情として重視
することはできない。
 加えて,被告人は,当公判廷において,本件漫画本を頒布したことは認めながらも,そ
のわいせつ性について争うばかりか,本件漫画の描写がリアルかどうかなどは専門家で
ない警察官や検察官には分からないなどと広言して,自己の行為が社会に与えた悪影響
について反省する態度は全くみられないのである。
 そうすると,被告人の刑事責任は決して軽くはないというべきである。
 しかし他方において,頒布された本件漫画本の一部は回収されて,実際に社会に出回
ることを免れていること,被告人は,その述べるところによると,本件摘発後は,自社で出
版している漫画本の修正の程度について見直しを行い,現在は,従前より強い修正を施
して販売しているとうかがわれること,被告人には前科がないこと,被告人が本件により4
4日間身柄を拘束されているほか,その経営する会社が本件の摘発により大きくダメージ
を受けたとうかがわれるなど,相応の社会的制裁を受けていること,その他被告人のため
に酌むべき事情もある。
 そこで,これら諸事情を総合考慮すると,被告人に対しては懲役1年に処した上,上記
のような犯情に照らしその刑の執行を猶予するのが相当である。
 よって,主文のとおり判決する。
平成16年1月13日
東京地方裁判所刑事第2部
           裁判長裁判官   中谷雄二郎
              裁判官   横山泰造
              裁判官   中村光一

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