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平成13年(ワ)第11468号の1 
          主        文
 1 原告a,原告b,原告c,原告d及び原告eの被告らに対する靖國神社参拝の違憲確
認請求に係る訴え並びに被告内閣総理大臣小泉純一郎に対する靖國神社参拝の
差止請求に係る訴えをいずれも却下する。
 2 原告a,原告b,原告c,原告d及び原告eのその余の請求並びにその余の原告らの
請求をいずれも棄却する。
 3 訴訟費用は原告らの負担とする。
          事実及び理由
第1 請求
 1 被告小泉純一郎,被告国及び被告靖國神社は,各自連帯して,原告それぞれに対
し,1万円及びこれに対する平成13年8月13日から支払済みまで年5分の割合に
よる金員を支払え。
 2 原告a,原告b,原告c,原告d及び原告eの請求
  (1) 原告a,原告b,原告c,原告d及び原告eと被告らとの間で,被告小泉純一郎
が,平成13年8月13日,内閣総理大臣として靖國神社に参拝したことは違憲で
あることを確認する。
  (2) 被告内閣総理大臣小泉純一郎は,内閣総理大臣として靖國神社に参拝しては
ならない。
(3) 被告靖國神社は,被告内閣総理大臣小泉純一郎が内閣総理大臣として靖國
神社に参拝するのを受け入れてはならない。
第2 事案の概要等
  (以下,別紙原告目録記載の原告については,「原告1」のように「原告」の後に同目
録の原告番号を付して表記することとし,別紙在韓原告目録記載の原告について
は,「在韓原告1」のように「在韓原告」の後に同目録の原告番号を付して表記する
こととする。)
 1 事案の概要
   本件は,被告小泉純一郎(以下「被告小泉」という。)が平成13年8月13日に被告
靖國神社の施設である靖國神社を参拝した(以下,これを「本件参拝」という。)こと
から,①すべての原告らが,本件参拝により原告らの「戦没者が靖國神社に祀られ
ているとの観念を受け入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀する
か,しないかに関して(公権力からの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う権利
ないし利益」を侵害されたと主張して,被告小泉及び被告靖國神社に対しては不法
行為による損害賠償請求権に基づき,被告国に対しては国家賠償法1条1項によ
る損害賠償請求権に基づき,原告一人につき1万円及びこれに対する本件参拝の
日(平成13年8月13日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損
害金の支払を,②原告1,251及び412並びに在韓原告16及び64(これら5名を
あわせて「原告1外4名」という。)が,本件参拝は政教分離原則を規定した憲法20
条3項に違反しており,本件参拝によって原告1外4名の「戦没者が靖國神社に祀
られているとの観念を受け入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀す
るか,しないかに関して(公権力からの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う権
利ないし利益」が侵害されたと主張して,被告らに対して本件参拝の違憲確認を,
国家機関としての被告内閣総理大臣小泉純一郎(以下「被告内閣総理大臣」とい
う。)に対しては上記権利ないし利益に基づき,内閣総理大臣として靖國神社に参
拝することの差止めを,被告靖國神社に対しては,上記権利ないし利益に基づき,
被告内閣総理大臣が内閣総理大臣として靖國神社に参拝することの受入れの差
止めをそれぞれ求めた事案である。
 2 前提となる事実(証拠の記載がない事実は当事者に争いがない。)
(1) 当事者
ア 被告小泉及び被告内閣総理大臣について
 (ア) 被告小泉は,昭和47年に衆議院議員選挙に初当選し,その後,厚生大
臣,郵政大臣(いずれも当時)等の大臣を歴任し,平成13年4月下旬の自
由民主党(以下「自民党」という。)総裁選挙によって自民党総裁に選出さ
れ,同月26日,第87代内閣総理大臣に任命された(なお,被告小泉は,
衆議院解散総選挙後の平成15年11月19日,引き続いて第88代内閣総
理大臣に任命された。)。
(イ) 被告小泉は,本件参拝当時,内閣総理大臣であり,被告国の公務員で
あった。
(ウ) 被告内閣総理大臣は,被告国の一機関であり,行政権を有する内閣の
首長である。
イ 被告靖國神社について
 (ア) 被告靖國神社は,宗教法人法に基づき,東京都知事の認証を受けて設
立された宗教法人であり,靖國神社を設置している。
(イ) 被告靖國神社は,東京都千代田区九段北3丁目1番1号に社務所をお
き,「明治天皇の宣らせ給うた『安國』の聖旨に基き,國事に殉ぜられた人
々を奉斎し,神道の祭祀を行ひ,その神徳をひろめ,本神社を信奉する祭
神の遺族その他の崇敬者(〔中略〕)を教化育成し,社会の福祉に寄与しそ
の他本神社の目的を達成するための業務及び事業を行ふこと」を目的とし
ている(靖國神社規則3条)。
(ウ) 靖國神社は,明治2年6月,明治維新の内戦(戊辰戦争)において,国
のために一命を捧げた人たちの霊を慰めようとして,明治天皇によって「東
京招魂社」として創建されたのが起源で,明治12年には,「靖國神社」と改
称された。明治天皇が命名した「やすくに」という社号には「国を平安にし,
平和な国を作り上げる。」という思いが込められている。
(エ) 靖國神社には,戊辰戦争で戦死した三千五百八十八柱の霊,その後の
「佐賀の乱」,「西南戦争」,「日清戦争」,「日露戦争」,「第一次世界大
戦」,「満州事変」,「支那事変」,「大東亜戦争」等の事変,戦争で戦死した
者の霊など現在合計二百四十六万六千余柱の霊が祀られている(その霊
の中には,極東国際軍事裁判の結果,戦争犯罪人として処刑されたA級戦
争犯罪人(いわゆるA級戦犯)の霊も含まれている。)。
(甲33,34,乙A1)
(2) 本件参拝の態様等
ア 被告小泉は,終戦記念日の二日前である平成13年8月13日午後4時30
分ころに本件参拝を行ったが,その態様は,参集所玄関から参入し,fらの出
迎えを受け,参集所内において「内閣総理大臣小泉純一郎
 」と記帳した後,拝殿正面から中庭を経て,本殿に昇殿し,戦没者の霊を祀っ
た祭壇に黙祷した後,深く一礼を行うというものであった(神道形式であるいわ
ゆる「二拝二拍手一拝」は行っていない。)。なお,靖國神社の本殿上壇の間
に供えられていた献花には「献花内閣総理大臣小泉純一郎」という名札が付
されていた。被告小泉は,参拝後,到着殿菊花の間にてfと懇談した後,同広
間で記者との会見に応じた(甲1,45,乙A1の2,弁論の全趣旨)。
イ 被告小泉は,本件参拝に際して,秘書官を同行させ,靖國神社への往復に
公用車を用いた。なお,他の閣僚を同伴していない(甲1,乙A1の2,弁論の
全趣旨)。
ウ 被告小泉は,本件参拝の際,玉串料を支出することはせずに,献花代(3万
円)を私費で負担した(甲1,乙A1の2)。
エ 本件参拝の実施については,内閣の閣議で決定されたものではなかった
(弁論の全趣旨)。
(3) 平成14年4月21日の参拝
 被告小泉は,平成14年4月21日,春季例大祭の初日に靖國神社に参拝し
た。被告小泉は,同日午前8時30分ころに靖國神社に到着し,同日午前9時40
分ころから,本件参拝と同一の方式により参拝を行った。被告小泉は,同参拝
後,記者会見に応じ,「心ならずも家族を残して戦争に赴き,命を捧げた御霊に
敬意と感謝を捧げた。」と述べたほか,同年8月の参拝についての質問に対し,
「ありません。一年一度と思っている。」と答えた(甲30の1ないし3,32)。
(4) 平成15年1月14日の参拝
 被告小泉は,平成15年1月14日,靖國神社を参拝した。これは,被告小泉が
平成13年4月に首相に就任してから三度目の参拝となる。
(5) 内閣総理大臣等の靖國神社参拝についての政府見解
 内閣総理大臣等の靖國神社参拝について,昭和53年10月17日に次の政府
統一見解が示され,政府は,その後現在に至るまで,この考え方を変えていな
い。
「内閣総理大臣その他の国務大臣の地位にある者であっても,私人として憲法
上信教の自由が保障されていることは言うまでもないから,これらの者が,私人
の立場で神社,仏閣等に参拝することはもとより自由であって,このような立場
で靖国神社に参拝することは,これまでもしばしば行われているところである。閣
僚の地位にある者は,その地位の重さから,およそ公人と私人との立場の使い
分けは困難であるとの主張があるが,神社,仏閣等への参拝は,宗教心のあら
われとして,すぐれて私的な性格を有するものであり,特に,政府の行事として
参拝を実施することが決定されるとか,玉ぐし料等の経費を公費で支出するなど
の事情がない限り,それは私人の立場での行動と見るべきものと考えられる。先
般の内閣総理大臣等の靖国神社参拝(注:当時の福田赳夫内閣総理大臣の参
拝を指す。)に関しては,公用車を利用したこと等をもって私人の立場を超えたも
のとする主張もあるが,閣僚の場合,警備上の都合,緊急時の連絡の必要等か
ら,私人としての行動の際にも,必要に応じて公用車を使用しており,公用車を
利用したからといって,私人の立場を離れたものとは言えない。また,記帳に当
たり,その地位を示す肩書を付すことも,その地位にある個人をあらわす場合
に,慣例としてしばしば用いられており,肩書を付したからといって,私人の立場
を離れたものと考えることはできない。さらに,気持ちを同じくする閣僚が同行し
たからといって,私人の立場が損なわれるものではない。」(乙A1の2,乙A2)
3 争点
(1) 本件参拝が憲法20条3項所定の宗教的活動にあたって違憲といえるか否か
(すべての請求に共通)。
(2) 本件参拝が内閣総理大臣の「職務を行うについて」(国家賠償法1条1項)なさ
れたものか否か(被告国に対する前記第1の1の請求関係)。
  (3) 本件参拝が原告らの法的利益を侵害したといえるか否か(すべての請求に共
通)。
(4) 原告らの被った損害(前記第1の1の請求関係)
(5) 被告小泉,被告国及び被告靖國神社の損害賠償責任の有無(前記第1の1の請
求関係)
(6) 原告1外4名の本件参拝の違憲確認請求に係る訴えが適法か否か(前記第1の
2(1)の請求関係)。
(7) 原告1外4名の被告内閣総理大臣に対する靖國神社参拝の差止請求に係る訴
えは適法か否か,また,同請求に理由があるか否か(前記第1の2(2)の請求関
係)。
(8) 原告1外4名の被告靖國神社に対する参拝受入れの差止請求に係る訴えは適
法か否か,また,同請求に理由があるか否か(前記第1の2(3)の請求関係)。
4 争点に対する当事者の主張
(1) 争点(1)〔本件参拝が憲法20条3項所定の宗教的活動にあたって違憲といえ
るか否か(すべての請求に共通)。〕について
ア 原告らの主張
 本件参拝は,次の理由から被告小泉が内閣総理大臣として行った公的参拝
であり,憲法20条3項所定の宗教的活動にあたり,違憲である。
(ア) 被告靖國神社の宗教団体性
a 被告靖國神社の設立目的等
  被告靖國神社は,宗教法人法に基づき,東京都知事の認証を受けて設
立された宗教法人であって,宗教の教義や宗教施設である靖國神社等
の施設を備え,神道儀式に則った祭祀を行う宗教団体であり,神道の教
義をひろめ,儀式行事を行い,また信者を教化育成することを主たる目
的とする神社である。
b 国民統合の宗教施設・軍事施設
  靖國神社は,国家機関として,明治初期から太平洋戦争の敗戦に至る
までの七十数年にわたって,国家神道体制の中核に位置した。「神聖不
可侵」,「現人神」天皇制のもと,「天皇のために」戦没死,戦病死した人
を「英霊」として祭祀・顕彰し,軍国主義の精神的支柱としての役割を果
たしてきた。
 戦前の日本の軍国主義は,軍部の専横のみで独り成立し得たのでは
なく,独善と覇権の思想,天皇制国家神道のもとで培われた忠臣愛国,
滅私奉公等,近代の「自我」を排する当時の国民の道徳観,世界観がそ
の生成に大きな力を与えている。
 しかし,このような国民の道徳観,世界観は,決して国民の側から自発
的に生まれたものではなく,学校を布教所とし,教育勅語を教典とする徹
底した皇民化教育,すなわち国家神道の宗教教育によって国家が国民
に強制したものである。これら皇民化政策は,日本の植民地支配によっ
て「帝国臣民」とされた植民地人民に対しては,異民族性を徹底的に解
体するなど熾烈を極めたものであった。これを明確な死生観,宗教観念
によって支えたのが「天皇のために」戦死すれば神として祀る靖國神社
であった。
 戦没者の霊は,国家と靖國神社により,一方的に,遺族に何の断りも
なく,靖國神社に合祀され,「英霊」として扱われた。それによって累々と
続く戦死が正当化され,美化された。靖國神社は,戦闘意欲旺盛な「帝
国臣民」を無限に生み出す宗教的,思想的装置であった。
 国家は,戦争に駆り出された兵士に対し,戦死が「犬死に」であるとの
疑念を挟ませず,その怨念を周到にも生前から鎮めるために,皇国史観
を教育し,靖國神社に祀られることがあたかも栄誉であるかのような意
識を「帝国臣民」に植え付け,靖國信仰を強制していった。
 このように,靖國神社は,軍国主義日本の象徴であり,植民地人民も
含めて「帝国臣民」を戦争に向けて統合する精神的装置として,まさに
「軍事施設」であった。靖國神社は,政治と宗教が結合したときの恐ろし
さを如実に示している。
c 戦後も変わらぬ靖國神社の本質
  靖國神社は,戦後,国家管理から離れ,単立の一宗教法人として存続
する途を選んだ(被告靖國神社の成立)。国家とのつながりはなくなった
が,戦没者を「英霊」として慰霊・顕彰することにより戦死を他の死(例え
ば空襲などによる戦災死)と峻別し,戦死を尊いものとして褒めたたえる
その教義や宗教施設としての本質は戦前のそれと何ら変わっていない。
 民間の一宗教法人となったものの,被告靖國神社は,戦後も引き続き
国家から特権を受けてきた。厚生省(現厚生労働省)が靖國神社に祀る
戦没者の名簿を作成して交付し,被告靖國神社がこの名簿により新たな
祭神を霊璽簿に書き加え,合祀してきたのである。祭神として祀るべき戦
没者の選択は,靖國神社の教義と礼拝行為の中核的作業である。被告
靖國神社の宗教行為は,国家の特別の便宜供与によって成り立ってき
たのである。
 また,被告靖國神社は,内閣総理大臣の公式参拝を求めているだけで
なく,天皇の「御親拝」の復活をも悲願としている。被告靖國神社が国家
機関による参拝を求めるのは,まさに憲法20条1項後段が定める「いか
なる宗教団体も国家から特権を受けてはならない」との規定に明らかに
反する。この姿勢は,被告靖國神社の時代錯誤と憲法感覚の欠如を示
すものである。
 被告靖國神社には,わが国の戦争,とりわけわが国のみならず中国,
朝鮮半島をはじめアジア諸国に惨禍をもたらした侵略戦争に対する反省
の態度は微塵も見られない。また,被告靖國神社が合祀する戦没者の
遺族が幾人も,自己の親族が靖國神社に合祀され「英霊」とされているこ
とに怒りを覚え,合祀取消しを要求してきたが,被告靖國神社はこれに
応じていない。
(イ) 本件参拝の宗教行為性
 靖國神社の本殿には,礼拝の対象である祭神が奉斎されている。靖國神
社の祭神は,原告らの親族を含む戦没者の霊である。
 被告小泉は,上記2(2)アのとおり,本件参拝に際し,靖國神社本殿に昇
殿し,戦没者の霊を祀った祭壇に黙祷した後,深く一礼を行ったが,宗教法
人の宗教施設において,その祭神に拝礼することは,典型的な宗教行為で
あり,社会通念に照らしても,これが宗教行為に該当することは明らかであ
る。
(ウ) 内閣総理大臣としての本件参拝
a 本件参拝の態様
  被告小泉は,本件参拝に際して,上記2(2)ア及びイのとおり,秘書官を
同行させ,公用車を用いて靖國神社に向かい,「内閣総理大臣小泉純一
郎」と記帳し,「献花内閣総理大臣小泉純一郎」との名札を付けて献花し
た。また,被告小泉は,本件参拝の際,私人や一般参拝者では通行でき
ず,過去に天皇が通行した通路を通って本殿に入った。これらの参拝の
態様からして,被告小泉が内閣総理大臣としての立場で本件参拝をした
というほかない。
b 被告小泉の発言
(a) 本件参拝前
 被告小泉は,本件参拝が純粋に私的なものであることを明確にした
ことは一度もなく,かえって本件参拝の前には「首相になったら靖國神
社の公式参拝を行う」(平成13年4月16日の日本遺族会及び軍人恩
給連盟の幹部に対する発言),「首相に就任したら,8月15日の戦没
者慰霊祭の日にいかなる批判があろうと必ず参拝する。」(平成13年
4月18日の自民党総裁選挙討論会での発言),「靖國神社の公式参
拝は日本人の原点だ。日本のために犠牲になった人のために参拝す
る。」(自民党総裁選挙中の公約),「戦争の犠牲者への敬意と感謝を
捧げるために,靖國神社にも内閣総理大臣として参拝するつもり
だ。」,「よそから言われてなぜ中止しなければならないのか分からな
い。首相には私生活はないともいえ,公式,非公式の議論は理解でき
ない。」(平成13年5月14日の衆議院予算委員会での答弁)等の発
言を繰り返し,内閣総理大臣として参拝する姿勢を終始明確にしてき
た。これらの発言から,国民の誰もが,被告小泉の靖國神社参拝は当
然内閣総理大臣として行うものであると受け止めていた。
 なお,日本遺族会副会長は,被告小泉の上記公約を受けて,平成1
3年4月27日,「自民党総裁選挙では靖國神社参拝が争点となった。
小泉さんが『絶対(公式参拝を)やる。遺族会にも伝えてほしい。』と電
話をかけてきた。小泉さんなら勇気をもってやってくれる。」と発言して
いた。
 また,福田康夫内閣官房長官は,本件参拝の直前に,靖國神社参
拝の実施日を8月15日から同月13日に変更した理由等について,
「総理として一旦行った発言を撤回することは,慙愧の念に堪えませ
ん。しかしながら,靖國参拝に対する私の持論は持論としても,現在
の私は,幅広い国益を踏まえ,一身を投げ出して内閣総理大臣として
の職責を果たし,諸課題の解決にあたらなければならない立場にあり
ます。私は,状況が許せば,できるだけ早い機会に,中国(中華人民
共和国のこと,以下「中国」という。)や韓国(大韓民国のこと,以下「韓
国」という。)の要路の方々と膝を交えてアジア,太平洋の未来の平和
と発展についての意見を交換するとともに,先に述べたような私の信
念についてもお話ししたいと思います。」という内容の「首相談話」を読
み上げた。
(b) 本件参拝後
 被告小泉は,本件参拝の後には「公式かどうか。私はこだわりませ
ん。総理大臣である小泉純一郎が心をこめて参拝した。それだけで
す。」との発言をして公式参拝であることを否定しなかった。
 被告小泉は,平成15年1月23日の衆議院予算委員会において,
「私は,確かに約束は致しました。しかし,私の最大の国民に対する約
束は行財政改革ですから,そういう改革の中でこういうことを言ったの
も事実であります。靖國神社に対しては,8月15日に行けなかったの
は残念でありますが,それぞれ中国,韓国の立場も考えて,13日に
参拝しました。(中略)私は,靖國神社は,総理大臣である小泉純一郎
が参拝して悪いと思っていません。」と答弁し,首相に就任したら,内
閣総理大臣として靖國神社に参拝することを公約した事実を明確にし
た。
(c) 被告小泉は,本件訴訟では,「本件参拝は被告小泉の私人としての
行為である」と主張しているが,本件訴訟以外の場所では,「本件参拝
はプライバシーの問題だ。」とか,「私的なものだ。」と明言したことは
一度もない。
c 私的参拝とはいえないこと
  被告らは,本件参拝が内閣総理大臣小泉の資格で行われたものではな
いと主張するが,本件参拝が被告小泉の個人としての行為(私的参拝)
であるならば,被告小泉は,自民党総裁選挙以来,靖國神社参拝をこと
さら強調し,これを公約とする必要も,首相就任後の国会で「首相として
参拝する」と明言する必要もなかったはずである。被告小泉の個人として
の行為であるならば,好きな日に自分でそっと行けば済むことであり,こ
とさら「8月15日の戦没者慰霊祭の日にいかなる批判があろうと必ず参
拝する」と力説する必要もないし,参拝を予定していた8月15日を同月1
3日に変更するのも勝手であり,13日に変更した理由についてわざわざ
内閣官房長官に「首相談話」を代読させて弁解する必要もないし,その
変更について「総理として一旦行った発言を撤回することは,慙愧の念
に堪えません。」などと大げさな感慨を国民に述べる必要もない。予定を
2日早めたことについて,わざわざ「首相談話」を出して弁解したこと自
体,本件参拝が内閣総理大臣の職務としてなされたことを雄弁に物語っ
ている。
 また,被告国,被告内閣総理大臣及び被告小泉は,下記イ(ウ)のとお
り主張するが,「被告小泉が内閣総理大臣として参拝した」ことと「内閣総
理大臣である小泉純一郎が参拝した」こととの区別の主張は,意味不明
であり,官僚的な言葉遊びと評されるものにすぎない。
d 小括
 これらのことからすれば,本件参拝が内閣総理大臣として行われたも
のであることは明らかである。
(エ) 被告小泉の靖國神社への強いこだわり
a 被告小泉は,自民党総裁選挙中から,内閣総理大臣就任後は終戦記
念日に靖國神社へ参拝することを明言してこれに固執し,再考を促す自
民党内部からの意見にも,野党の批判にも,韓国,中国からの中止要請
にも耳を傾けようとしなかった。
 また,被告小泉は,戦没者の追悼のための儀式として「終戦記念日に
行われる政府主催の全国戦没者追悼式が不十分だと思ったことはな
い。」と発言し,現に本件参拝後,平成13年8月15日の全国戦没者追
悼式に出席していたにもかかわらず,「戦没者にお参りすることが宗教的
活動と言われればそれまでだが,靖國神社に参拝することが憲法違反
だとは思わない。」,「宗教的活動であるからいいとか悪いとかいうことで
はない。A級戦犯が祀られているからいけない,ともならない。私は戦没
者に心からの敬意と感謝をささげるために参拝する。」(平成13年5月1
4日の衆議院予算委員会での答弁),「戦没者慰霊の中心施設は,靖國
神社だという人が多い。」(平成13年6月20日の党首討論での発言)と
発言し,靖國神社参拝に強くこだわった。
b 被告小泉は,上記2(3)のとおり,平成14年4月21日の春季例大祭の初
日に靖國神社に参拝した際,午前8時30分ころに靖國神社に到着した
が,「不意打ち参拝」であったため報道陣が間に合わず,マスコミの取材
を受けるため,靖國神社で約1時間待って,午前9時40分ころに参拝し
た。この事実だけでも,春季例大祭の参拝が単なる私的参拝ではないこ
とが明らかである。
 被告小泉は,この参拝後,「私の参拝の目的は,明治維新以来のわが
国の歴史において,心ならずも家族を残し,国のために命を捧げられた
方々全体に対して,衷心から追悼を行うことであります。(中略)国のため
に尊い犠牲となった方々に対する追悼の対象として,長きにわたって多く
の国民の間で中心的な施設となっている靖國神社に対して追悼の誠を
捧げることは自然なことであると考えます。」との「所感」を発表し,改めて
靖國神社が「戦没者慰霊の中心施設」であることを認めた。
c 被告小泉は,上記2(4)のとおり,平成15年1月14日,首相就任後三度
目となる靖國神社参拝を行った。
 平成14年7月13日に靖國神社の附属施設である遊就館(日本で最初
の戦争博物館)が新装開館した。この遊就館は,明治15年に「御祭神の
奉慰と道徳を欣仰するため」に開館し,戦争観を中心に近代日本の歴史
についての靖國神社のイデオロギーを最も鮮明に伝えている。したがっ
て,被告小泉の三度目の参拝は,遊就館の発するイデオロギーを公的
に認めたことになる。
d このように,戦没者の追悼のための儀式としては政府主催の全国戦没
者追悼式があるにもかかわらず,被告小泉が首相就任後三度も靖國神
社に参拝したということは,被告小泉が靖國神社参拝に対する強いこだ
わりの意思を持っているということができる。
(オ) 本件参拝の影響
 死はいかなる意味でも賛美されてはならない。これは憲法が定める「個人
の尊厳」の当然の帰結である。「国家のために」死ぬこと,まして「天皇のた
めに」死ぬことを賛美するのは,憲法が定立する近代の「個」を自覚し,自
立し,自律する市民に対する冒涜であり,まことに恥ずべきことである。
 被告小泉は,「戦没者に対する敬意と哀悼の念をささげる。」,「二度と戦
争を起こしてはならないという気持ち」からと言って本件参拝の目的を説明
したが,戦死を賛美してやまない靖國神社はその目的に最もふさわしくない
場所である。
 本件参拝は,後述するとおり,憲法の定める政教分離原則に明らかに反
し,かつ靖國神社に合祀されたA級戦犯に「敬意」を表したことに帰結する。
それは,憲法の平和主義を単なる画餅におとしめ,かつ,アジア諸国民と
の善隣友好を現実に危うくする。実際,本件参拝は,中国,韓国をはじめ太
平洋戦争で甚大な被害を受けたアジア諸国から多くの反発を招いた。
(カ) 憲法20条3項の宗教的活動にあたるか否か
a 本件参拝は,上記(ウ)のとおり内閣総理大臣として行われたものである
から,憲法20条3項の「国及びその機関」の活動にあたるといえるし,上
記(イ)のとおり宗教行為というほかなく,また,後述のとおり宗教とのかか
わり合いが相当とされる限度を超えるものといえるので,同条項の「宗教
的活動」に該当するといえる。
b 憲法20条3項の宗教的活動とは,最高裁判所の判例(最高裁判所昭和
52年7月13日大法廷判決・民集31巻4号533頁〈以下「津地鎮祭最高
裁判決」という。〉等)によれば,国及びその機関の活動で宗教とのかか
わり合いをもつ行為のうち,それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照
らし相当とされる限度を超えるものに限られ,当該行為の目的が宗教的
意義をもち,その効果が宗教に対する援助,助長,促進又は圧迫,干渉
等になるような行為をいうものとされている。
 そして,愛媛県知事が靖國神社の例大祭,慰霊大祭に際し,毎年玉串
料を支出していた事案において,最高裁判所は,「県が特定の宗教団体
の挙行する同種の儀式に対して同様の支出をしたという事実がうかがわ
れないのであって,県が特定の宗教団体との間にのみ意識的に特別の
かかわり合いを持ったことを否定することができない。これらのことから
すれば,地方公共団体が特定の宗教団体に対してのみ本件のような形
で特別のかかわり合いを持つことは,一般人に対して,県が当該特定の
宗教団体を特別に支援しており,それらの宗教団体が他の宗教団体と
は異なる特別のものであるとの印象を与え,特定の宗教への関心を呼
び起こすものといわざるを得ない。」として,憲法20条3項,89条に違反
すると判示した(最高裁判所平成9年4月2日大法廷判決・民集51巻4
号1673頁,以下「愛媛玉串料最高裁判決」という。)。
 愛媛玉串料最高裁判決では,「戦没者の慰霊及び遺族の慰謝というこ
と自体は,本件のように特定の宗教との特別のかかわり合いを持つ形で
なくてもこれを行うことができると考えられる。」と指摘されている。
c 戦没者慰霊のための行事としては政府主催の全国戦没者追悼式が毎
年実施されており,戦没者の慰霊及び遺族の慰謝ということ自体は,愛
媛玉串料最高裁判決が指摘するように,特定の宗教との特別のかかわ
り合いを持つ形でなくてもこれを行うことができるのであって,あえて内閣
総理大臣として靖國神社参拝をしなければならない理由はない。
d 戦没者慰霊のための方法として全国戦没者追悼式が実施されているに
もかかわらず,被告小泉は,上記(エ)のとおり,靖國神社参拝に強くこだ
わりこれを断行した。このような被告小泉の靖國神社参拝に対する強い
こだわりの姿勢からして,本件参拝により被告国が靖國神社との間での
み意識的に特別のかかわり合いを持ったものといわざるを得ない。
e 被告小泉は,本件参拝後,記者会見に応じ,首相談話まで発表したこと
から,本件参拝は,一層国内外の耳目を集めた。
 被告靖國神社も,自ら発行する「靖國」の一面で「ふだん意識的に靖國
神社に対する報道を避けて来た嫌いのあるマスコミ各社が今回ばかりは
一斉に取り上げ,首相参拝の是非論のみならず,靖國神社創建以来の
歴史にまで遡って解説する特集記事や特別番組等が競って組まれた。
こうした影響を受けてか靖國神社への国民の関心も日に日に高まり,当
神社のインターネットホームページへのアクセス件数も六月が一万四千
件,七月が四万八千件,八月には十九万三千件に急増した。」と報じて
いる。
 このように,本件参拝は,一般人に対して,特定の神社である靖國神
社への関心を呼び起こすのに絶大な効果をもたらしたのである。これが
靖國神社の宗教への援助,助長,促進の作用を及ぼすものであることは
明らかである。
 なお,玉串料の支出という現場に出向かない行為ですら,一般人に対
して,県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており,それらの宗教団
体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え,特定の
宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ないとされており(愛媛玉
串料最高裁判決),これとの比較からすれば,被告小泉が被告国を代表
して内閣総理大臣として靖國神社に参拝するという形で特別のかかわり
合いを持つことは,なおさら,一般人に対して,被告国が被告靖國神社を
特別に支援しており,被告靖國神社が他の宗教団体とは異なる特別の
ものであるとの印象を与え,靖國神社という特定の宗教への関心を呼び
起こすものといわざるを得ない。
f 以上のことからすれば,本件参拝は,愛媛玉串料最高裁判決が県の玉
串料支出を宗教的活動と判断したことよりさらに明確に,その目的が宗
教的意義をもち,その効果が宗教に対する援助,助長,促進又は圧迫,
干渉等になると認めるべきであって,これによってもたらされる被告国と
被告靖國神社とのかかわり合いが,わが国の社会的・文化的諸条件に
照らし相当とされる限度を超えるものといえるので,憲法20条3項の宗
教的活動にあたるというべきである。
イ 被告国,被告内閣総理大臣及び被告小泉の主張
 本件参拝は,次の理由から,内閣総理大臣の職務行為として行われたもの
ではなく,被告小泉が,私人の立場で行ったものというべきである。
 したがって,本件参拝は,憲法20条3項所定の「国及びその機関」が宗教的
活動を行った場合にあたらないから,憲法20条3項に違反することはない。
(ア) 私的参拝を推認させる事情
 内閣総理大臣としての資格で行われたか否かの区別についての政府の
統一見解は,前記2(5)記載のとおりであり,本件参拝は,閣議決定などに
よりこれを政府の行事として実施することが決定されたものではなく,また,
献花代は被告小泉の私費により賄われており,玉串料等の経費が公費で
支出された事実はない。さらに,被告小泉は,本件参拝において他の閣僚
を伴わないで参拝している。
 これらのことからすれば,本件参拝は,被告小泉が私人の立場で行った
ものというべきである。また,政府の見解としても本件参拝は私人の立場で
の参拝と理解されている。
(イ) 被告小泉の発言について
 「総理大臣である小泉純一郎が心をこめて参拝した。」との被告小泉の発
言については,「総理大臣である」という部分が「小泉純一郎」が内閣総理
大臣の地位にあることを述べているにすぎないから,何ら内閣総理大臣と
しての資格で参拝したことを示すものとはいえない。被告小泉は,本件参拝
以後,本件参拝に関して内閣総理大臣としての資格で参拝したことを示す
ような発言を一切していない。
(ウ) 肩書について
 「内閣総理大臣小泉純一郎」という記帳や「献花内閣総理大臣小泉純一
郎」との名札については,前記2(5)の政府見解のとおり,「内閣総理大臣」
という部分が地位を示す肩書として付記されたものであって,その地位にあ
る個人を表す場合に慣例としてしばしば用いられるものであるから,肩書を
付したからといって私人の立場を離れたものと考えることはできない。
(エ) 公用車の利用や秘書官の同伴について
  本件参拝に際して公用車が利用されたが,前記2(5)の政府見解のとおり,
内閣総理大臣を含む閣僚の場合,警備の都合,緊急時の連絡の必要等か
ら,私人としての行動の際にも必要に応じて公用車を使用しており,秘書官
とともに靖國神社に赴いたことについても同様に緊急時の連絡の必要等が
あるからであり,公用車の利用や秘書官とともに赴いたことによって被告小
泉の行動が私人としての立場を離れたものとなるわけではない。
(2) 争点(2)〔本件参拝が内閣総理大臣の「職務を行うについて」(国家賠償法1条
1項)なされたものか否か(被告国に対する前記第1の1の請求関係)。〕につい

ア 原告らの主張
 国家賠償法1条1項の「職務を行うについて」とは,客観的に職務執行の外
形をそなえる行為をいうのであって,当該公務員が有した個人的な目的や私
的な意図は関係がない。最高裁判所も,「公務員が主観的に権限行使の意思
をもってする場合にかぎらず自己の利を図る意図をもってする場合でも,客観
的に職務執行の外形をそなえる行為」は国家賠償法1条1項の「職務を行うに
ついて」に該当すると判示している(最高裁判所昭和31年11月30日第二小
法廷判決・民集10巻11号1502頁)。
 本件参拝は,上記(1)ア(ウ)と同様の理由から,客観的に内閣総理大臣の職
務執行の外形をそなえていたものというべきであるから,内閣総理大臣の「職
務を行うについて」(国家賠償法1条1項)なされたものといえる。
 なお,被告国,被告内閣総理大臣及び被告小泉は,上記(1)イのとおり主張
するが,この主張を前提にしても,国家賠償法1条1項の「職務を行うについ
て」の判断がその行為の外形から客観的に判断すべきものとされている以
上,いずれも「職務を行うについて」の該当性を否定することはできない。
イ 被告国の主張
 本件参拝は,内閣総理大臣の「職務を行うについて」(国家賠償法1条1項)
なされたものではなく,被告小泉が私人の立場で行ったものである。その理由
は上記(1)イと同様である。
(3) 争点(3)〔本件参拝が原告らの法的利益を侵害したといえるか否か(すべての
請求に共通)。〕について
ア 原告らの主張
(ア) 原告らの属性について
a 遺族原告ら
  原告1ないし44(「日本人遺族原告ら」という。)は,戦没者の遺族であ
る。
  また,別紙在韓原告目録に記載の者(以下「在韓遺族原告ら」という。)
は,在韓原告16を除き,すべて旧日本軍によって徴兵,徴用又は連行さ
れ,その結果,戦死,戦病死した当時の日本臣民の遺族である。在韓遺
族原告らの親族(被徴用者)が日本によって徴兵,徴用又は連行された
ことによる被害の内容は,別紙在韓原告の被害一覧表のとおりである。
  日本人遺族原告ら及び在韓遺族原告ら(これらをあわせて単に「遺族原
告ら」ということがある。)は,それぞれの宗教ないし思想信条によって戦
没者を追悼,祭祀している。
b 遺族原告ら以外の原告ら
 原告45ないし520は,遺族ではないが,仏教又はキリスト教等を信仰
する宗教者あるいは靖國神社の信仰と相容れない思想信条を有する者
である。
(イ) 被侵害利益についての内容
 戦没者が靖國神社に祀られているとの観念を受け入れるか否かを含め,
戦没者をどのように追悼するか,あるいは祀るか,祀らないか,またその具
体的な死をどう評価するかということは,死者一般に対する肉親の思いと
同様あるいはそれ以上に,生き残った者の世界観,信条,人生観,宗教
等,人格の根本に触れるデリケートな問題である。
 私人間においてすら,この問題に関して自己の考えや行いを正統として
他人に押しつけることは,その他人の自由を侵害する不法行為にあたるの
で許されない。まして,公権力がこの問題に関する一定の考え方,態度,行
動が正統であると吹聴宣伝し,かつ,その吹聴宣伝するところに従って行
動し,その絶対な影響力をもって国民の考え方,態度,行動に圧迫・干渉を
加え,もって実質的に「正統」を押しつけることが許されるはずがない。
 すなわち,原告らが,本件参拝により侵害されたと主張する法律上保護さ
れた権利ないし利益は,「戦没者が靖國神社に祀られているとの観念を受
け入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないか
に関して(公権力からの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う権利ない
し利益」である。
(ウ) 上記(イ)の被侵害利益が法律上保護されるべき根拠
a 人格的自律権,自己決定権(憲法13条)
 憲法13条は,個人の尊厳を規定した上で,その個人の幸福追求権を
保障している。この幸福追求権は,「個人の人格的生存に不可欠な利益
を内容とする権利」の総体である。それは,憲法各条が列記する個別的
基本権を包括する基本権である。憲法13条と個別的基本権を保障する
各条とは一般法と特別法の関係に立っており,個別的基本権によってカ
バーされていない場合に限って憲法13条が適用される。
 「個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利」のうちでも,そ
の対象法益が身体の自由,精神活動の自由,経済活動の自由,適正な
手続的処遇を受ける権利,参政権的権利等については,憲法各条の規
定によってほぼカバーされている。それゆえ,憲法13条が独自に適用さ
れる領域は,上記以外の「個人の人格的生存に不可欠な利益を内容と
する権利」,具体的には人格的価値そのものにまつわる権利(名誉とプ
ライバシー)及び人格的自律権(自己決定権)である。
 このうち人格的自律権(自己決定権)とは,個人が「一定の重要な私的
事柄について,他から干渉されることなく,自ら決定することができる権
利」である。幸福追求権は,「個人の人格的生存に不可欠な利益を内容
とする権利」の総体であるから,ここでいう「重要な私的事柄」というのも
「個人の人格的生存に不可欠な重要事項」の趣旨である。
 「戦没者が靖國神社に祀られているとの観念を受け入れるか否かを含
め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないかに関して(公権力か
らの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う」ことが「個人の人格的生存
に不可欠な重要事項」であることは議論の余地がない。したがって,これ
について「他から,とりわけ公権力から干渉されることなく自ら決定するこ
とができる権利」は,憲法13条によって人格的自律権(自己決定権)とし
て個人に保障された権利である。
b 思想及び良心の自由,信教の自由(憲法19条,20条1項前段)
 憲法は,19条において思想及び良心の自由を,20条1項前段におい
て信教の自由を保障している。これらの権利は,幸福追求権の内実であ
る人格的利益のうち,精神活動の自由を対象法益とするものである。
 思想及び良心の自由,信教の自由の規定は,個人が公権力の侵害,
干渉を受けることなく,その思想及び良心ないし信仰を選択し,保持し,
変更することの自由を保障するものである。公権力が特定の思想ないし
信仰を理由に不利益を課したり,特定の思想ないし信仰を強制したりす
ることが許されないことはいうまでもない。公権力が特定の思想ないし信
仰を勧奨することも,事実上強制的な働きをする場合が多いので,思想
及び良心の自由ないし信教の自由の保障に反する。
 「戦没者が靖國神社に祀られているとの観念を受け入れるか否かを含
め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないかに関して(公権力か
らの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う」ことは,まさに,ものの見
方,考え方,信仰内容に関わる作用である。したがって,これについて
「他から,とりわけ公権力から干渉されることなく,自ら決定することがで
きる権利」は,憲法19条,20条1項前段によって思想及び良心の自由,
信教の自由として個人に保障された権利である。
c 宗教教育その他の宗教活動からの自由(憲法20条3項)
(a) 政教分離原則について
 憲法20条3項は,「国及びその機関は,宗教教育その他いかなる宗
教活動もしてはならない。」と規定している。同規定は,政教分離の原
則を定めたものであるが,この政教分離については,これを制度的保
障とする説と人権規定とする説がある。しかし,制度的保障か人権規
定かを峻別することに解釈上どれだけの実践的意味があるかは甚だ
疑問である。むしろ,政教分離原則は,制度的保障であるとともに人
権規定でもあると解するのが相当である。
 信教の自由は,思想及び良心の自由と共通の性格を持つが,信教
の自由には,思想及び良心の自由にはない独自の内容が含まれる。
それが政教分離原則である。すなわち,信教の自由と政教分離を一
つの総体として捉え,日本国憲法における信教の自由に関する各条
項は,狭義の信教の自由(信仰の自由)と広義の信教の自由(政教分
離)を内容とするものであり,両者は保障の角度を異にするだけであっ
て,両者とも信教の自由を間接的にではなく,直接に保障するものと
解される。狭義の信仰の自由は,強制,抑圧,禁止による侵害からの
保障の役割を持ち,広義の信教の自由(政教分離)は,国家的関与
(宗教的活動の主体となること,宗教的活動・行為への参加・賛助,宗
教団体に対する特権・援助の賦与)による侵害からの保障の役割を果
たすのである。
(b) 憲法20条3項の人権規定としての内容
 憲法20条3項は,国民に対する国及びその機関の宗教教育その他
の宗教活動を具体的に禁止しているのであり,そうである以上,国民
には宗教教育その他の宗教活動からの自由が保障されているものと
考えるべきである。
 ここで,「その他の宗教活動」とは,宗教教育に等しいような宗教の
普及宣伝,布教等個人の内心に対する積極的な働きかけを伴う一切
の活動をいう。
 ところで,被告小泉をはじめ被告国の関係者は,「戦没者慰霊の中
心的施設は靖國神社だ。」という被告靖國神社の中核的教義を繰り返
し口にし,これを理由に反復して参拝することによって,被告小泉,被
告内閣総理大臣及び被告国による被告靖國神社の中核的教義ひい
ては靖國神社そのものに対する支持を明白にし,同教義ひいては靖
國神社を広く国民に受け入れさせようとしてきた。
 このように,本件参拝という宗教活動は,「戦没者慰霊の中心的施
設は靖國神社だ。」という被告靖國神社の中核的教義ないし靖國神社
そのものの国家的布教宣伝活動を行ったことに他ならない。憲法20
条3項は,まさにこのような国及びその機関の布教宣伝活動を禁止
し,その楯の反面として,国民のこのような布教宣伝活動からの自由
を保障したものである。
 そうであるとすれば,国及びその機関から布教宣伝を受けず,「戦没
者が靖國神社に祀られているとの観念を受け入れるか否かを含め,
戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないかに関して(公権力から
の圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う」ことは,憲法20条3項に
よって保障された権利である。
d 信教の自由の現代的展開
(a) 宗教の私事性
  憲法の定める政教分離原則は,国家の宗教的中立性と世俗性という
要素からなっており,宗教の私事性が要請される。また,憲法は,個
人の尊厳を基調とし,信教の自由に手厚い保護を与えているから,そ
こでは宗教が私事として尊重されていると解される。
 宗教が多元化し,ますます私的事項,個人的事項のものとなりつつ
あることから,宗教の私事性についてはより重視されてしかるべきであ
る。
 宗教の私事性の重視は,プライバシーの権利と親和性を持つ。プラ
イバシーの権利は,単に知られたくない権利から,私生活の自由ある
いはライフスタイルの自由,さらにはどのように生きるかという自己決
定権へとその内容を広げてきた。宗教の私事性の重視は,プライバシ
ーの権利と親和性を持つことから,プライバシーの権利と密接な関係
を持ちつつ,下記(b)で述べるとおり,信教の自由の概念もその内容を
広げてきた。
(b) 信教の自由の概念の拡大傾向
  最高裁判所は,殉職自衛官を県護国神社に合祀したことが遺族の宗
教上の人格権を侵害するとして国等に損害賠償を求めた事案におい
て,事実関係を私人間の関係と認定した上で,私人間では相互の宗
教上の感情について寛容であることが要請されており,したがって,宗
教上の感情は法的救済を求めることのできる法的利益とは認められ
ないと判示した(最高裁判所昭和63年6月1日大法廷判決・民集42
巻5号277頁,以下「自衛官合祀最高裁判決」という。)。
  ところが,この判決以降,プライバシー権の理論の発展を受けて,判
決例は「宗教的感情の保護」に向けて進み出している。すなわち,遺
族感情の保護の観点から,遺骨の無断合葬処分を不法行為と認定し
た判決(横浜地方裁判所平成7年4月3日判決・いわゆる骨壺事件)
や告別式の静謐を侵害する行為が不法行為にあたる可能性があると
判断した判決(大阪地方裁判所平成元年12月27日・いわゆるエイ
ズ・プライバシー事件)が出された。これらは,私人間の問題であった
が,遺族の感情が法的利益とされた。
 また,最高裁判所においては,「エホバの証人」の信者がその教義を
守って剣道実技を拒否し,あるいは輸血を拒否するのに,公権力が協
力を図らなければならないとの趣旨の判決が出された(最高裁判所平
成8年3月8日第二小法廷判決・民集50巻3号469頁・いわゆる神戸
高専事件,最高裁判所平成12年2月29日第三小法廷判決・民集54
巻2号582頁・いわゆる東大医科研附属病院輸血事件)。これらは,
いずれも狭義の信教の自由の枠を超える事例として注目に値する。す
なわち,いずれの事件も公権力が「エホバの証人」の信仰をやめるよ
うに強制したわけではない。しかし,剣道実技を拒否した信者を退学
処分としたり,輸血についての事前の説明を十分にしなかったという
行為が,事実上,信者の自分の宗教に根ざした生き方に圧力を加え
る行為と評価されたのである。つまり,最高裁判所が,信教の自由の
伝統的なレベルを超えて,その拡充拡大の方向へ一定の理解を示し
た事例といえるのである。
(c) 公権力から保護されるべき感情の判断基準
  宗教の私事性が深化する中で,「宗教」の定義自体が多様化し,宗教
的プライバシー権の尊重という観点からすれば,宗教に準ずべき確固
たる信念も公権力から守られるべきものと解釈することが可能であ
る。
 そして,宗教者であれば,宗教的教義の中に位置づけられており,
かつ,その教義に従って信仰生活を現に送っている場合には,その信
仰による感情も法的に保護されるべきである。また,非宗教者であれ
ば,「その人の生き方に関わる魂の問題」,「状況に応じて変わるよう
な相対的なものではなく,絶対的な究極的な価値にかかわるという場
合」であれば,その感情も尊重に値するものとして,法的に保護すべき
である。
(エ) 遺族原告らに対する侵害
a 遺族原告らにとっては,その親族が日本の戦争により命を奪われた一
方で,生きながらえた自分がいるという重い事実が自己の存在の基底を
なしており,それらが個人としての生き方に大きくかかわってきた。
 この不条理な事実を咀嚼し,生き続ける意思を汲み上げるために,遺
族原告らに対して,「戦没者が靖國神社に祀られているとの観念を受け
入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないか
に関して(公権力からの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う権利な
いし利益」が保障されなければならない。
b 在韓遺族原告らについて
 在韓遺族原告らの親族は,植民地宗主国であった日本の戦争に駆り
出され,日本のために命を落とすことを余儀なくされた被害者であり,決
して日本の天皇のために忠誠を誓って志願したのではない。在韓遺族原
告らは,「日本の国家のために戦死した者」を祀ることを趣旨として存続
している靖國神社において,肉親戦没者が加害者である戦犯と同列に
英霊として合祀されていることに対し,筆舌に尽くし難い精神的苦痛を感
じている。
 本件参拝は,被告小泉の前後の発言と相まって,在韓遺族原告らの肉
親戦没者を思う心の中に土足で踏み込み,在韓遺族原告らの親族をこ
ともあろうに加害者である「日本の国を守った英霊」として意味付けたこと
に他ならない。この行為は,肉親戦没者を加害者である「日本の国を守
った英霊」とは考えていない在韓遺族原告らの信仰や思想の中核に挑
戦し,これを捨てるよう強制するものといえる。よって,在韓遺族原告ら
は,本件参拝により,「戦没者が靖國神社に祀られているとの観念を受
け入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しない
かに関して,自ら決定し,行う権利ないし利益」を侵害されたといえる。
c 日本人遺族原告らについて
 戦没した当時,日本人兵士は,大日本帝国憲法下での被告国の誤っ
た政策の「犠牲者」であったと同時に,戦場となったアジア諸国の民衆に
とっては,その生活を破壊し,数千万人もの命を奪った「加害者」であっ
た。日本人遺族原告らは,長年の思索を経て,そのような信仰内容,思
想信条を抱くに至っている。
 その意味で,日本人遺族原告らは,戦没者の死を今も痛恨の思いで深
く悼み続けているが,決して被告国自身から,あるいはその代表者であ
る内閣総理大臣から,敬意や感謝を捧げられるべきものとは考えていな
い。
 しかるに,本件参拝は,被告小泉の前後の発言と相まって,日本人遺
族原告らの肉親戦没者を思う心の中に土足で踏み込み,日本人原告ら
の親族を敬意や感謝を捧げられるべき「英霊」として意味付けたことに他
ならない。この行為は,肉親戦没者を敬意や感謝を捧げられるべき「英
霊」とは考えていない日本人遺族原告らの信仰や思想の中核に挑戦し,
これを捨てるよう強制するものといえる。
 したがって,日本人遺族原告らは,本件参拝によって,「戦没者が靖國
神社に祀られているとの観念を受け入れるか否かを含め,戦没者をどの
ように回顧し祭祀するか,しないかに関して,自ら決定し,行う権利ないし
利益」を侵害されたといえる。
(オ) 遺族原告ら以外の原告らに対する侵害
 遺族ではない原告らに対しても,「戦没者が靖國神社に祀られているとの
観念を受け入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,
しないかに関して(公権力からの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う
権利ないし利益」が保障されなければならない。
 遺族原告ら以外の原告らは,国家の命令は決して「殺すな」という普遍的
道徳律を解除するものとは考えていないし,国家に命令されれば,「殺す」
ことも許され,英雄的行為となるというような考え方はできない。
 しかるに,被告小泉が戦没者に対して敬意を表するのは当然と言い切っ
て本件参拝を断行したことにより,戦没者を英霊として慰霊・顕彰する被告
靖國神社の特殊な信仰,思想を援助,助長,促進した。この行為は,戦没
者を敬意や感謝を捧げられるべき「英霊」とは考えていない遺族原告ら以
外の原告らの信仰や思想の核心に挑戦し,これを捨てるように強制するも
のといえる。
 よって,遺族原告ら以外の原告らは,本件参拝により,「戦没者が靖國神
社に祀られているとの観念を受け入れるか否かを含め,戦没者をどのよう
に回顧し祭祀するか,しないかに関して,自ら決定し,行う権利ないし利益」
を侵害されたといえる。
(カ) 本件参拝が原告らに向けられた行為か否か
 本件参拝は,一見,原告らに対して直接向けられていないようにも見え
る。しかし,実態として,内閣総理大臣が靖國神社を参拝すれば,それがニ
ュースとなってテレビ,ラジオ,新聞等を騒がせるのであって,この影響力
の強さを「直接の関係がない」と言って済ますことはできない。この実態に
関しては,内閣総理大臣が靖國神社を参拝することは,被告靖國神社とい
う一宗教法人及びそこに祭られた祭神に対して,国家が肯定的意味付けを
してこれをマスコミ等を通じて原告らに向けたと理解すべきである。
(キ) 本件参拝と「強制」について
 原告らは,本件参拝により,自己の信仰や思想の中核を捨てるように強
制されたものであるが,ここでいう「強制」の具体的内容については,次のと
おり考えるべきである。
 信教の自由や思想及び良心の自由といった精神的自由権が侵害された
というためには,そこに何らかの「強制」の要素が必要であるとするのが通
説とされている。しかし,江戸幕府の「宗門改め」や「踏み絵」,戦前及び戦
中の拷問や虐殺,治安維持法の成立以降の苛烈な思想・宗教弾圧,転向
強制など,権力による明らかな強制,物理的強制は,日本国憲法下におい
ては姿を消したといってよい。したがって,信教の自由に対する侵害を物理
的強制があった場合に限るならば,憲法20条1項前段の「信教の自由は,
何人に対してもこれを保障する。」との規定はほとんどその機能を果たさな
くなるだろう。ここに「強制」の今日的意義を検討する必要がある。
 そこで,本件参拝をはじめとする政治権力の支えによって,靖國神社は他
の神社とは別格の神社であるとして,靖國神社の宗旨を批判することを差
し控え自粛する「世間全般の雰囲気」が粛々と作られているという現実に注
目する必要がある。横並び意識の中で自分だけは突出していると見られた
くないという「世間全般の雰囲気」は,ときに「自粛」を作り出すことがある。
「世間全般の雰囲気」の中での「自粛」は,あからさまな強制ではないが,
「自粛」という仮面をかぶった強制に他ならない。
 そして,原告らは,本件参拝をはじめとする政治権力の支えによって作ら
れた「世間全般の雰囲気」によって,靖國神社の宗旨を批判することを差し
控え自粛せざるを得ない状態にあったので,ここに原告らの信仰や思想に
対する「強制」の要素を見てとることができる。
イ 被告らの主張
(ア) 法的権利とはいえないこと
  原告らが主張する「戦没者が靖國神社に祀られているとの観念を受け入
れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないかに関し
て(公権力からの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う権利ないし利益」
なるものは,要するに,戦没者を回顧するという内心の自由と,戦没者を祭
祀する又はしないという宗教行為の自由を,戦没者を念頭において従前よ
りやや具体的に述べたにすぎず,結局のところ,原告らが従前主張してい
た「各自が,肉親の死について,それぞれの宗教的立場(あるいは非宗教
的立場)でこれを意味付け,他人から干渉・介入を受けずに,静謐な宗教的
(あるいは非宗教的)環境のもとで,戦没者への思いを巡らせる自由」(宗
教的人格権)などといったものを言い換えたものにすぎない。
 原告らの主張する上記被侵害利益そのものをみても,上記のような定義
付けからは,保障される権利ないし利益の内容が不明確であり,いかなる
行為により,どのような状態に至った場合に,その権利ないし利益が侵害さ
れたことになるのかも不明である。
 国の特定の行為により,原告らの主張する上記利益が侵害されたと考え
るか否かは,個人の経験,価値観や世界観,あるいは戦没者に対する思
い入れや靖國神社に対する認識等によって大きく異なり,個人差が極めて
大きいものと考えられ,法律によって一律に保護すべき場合を確定し得な
い。
 また,原告らは,本件参拝について,その経験,生活環境,靖國神社の合
祀や本件参拝の捉え方等によって,各人各様の受け止め方をしているので
あって,これを「戦没者が靖國神社に祀られているとの観念を受け入れる
か否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないかに関して
(公権力からの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う権利ないし利益」と
いう共通の客観的な枠組みに押し込もうとしてはいるものの,結局のとこ
ろ,本件参拝を当該個人がどのように捉えたかという個人の主観的感情を
個々に述べるに止まっている。
 したがって,原告らが主張する被侵害利益は,法律による保護にはなじま
ない,端的にいえば個人の主観的感情にすぎないというべきであり,法律
上保護された権利ないし利益とはいえない。
 自衛官合祀最高裁判決も,「人が自己の信仰生活の静謐を他者の宗教
上の行為によって害されたとし,そのことに不快の感情を持ち,そのような
ことがないよう望むことのあるのは,その心情として当然であるとしても,か
かる宗教上の感情を被侵害利益として,直ちに損害賠償を請求し,又は差
止めを請求するなどの法的救済を求めることができるとするならば,かえっ
て相手方の信教の自由を妨げる結果となるに至ることは,見易いところで
ある。信教の自由の保障は,何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者
の信仰に基づく行為に対して,それが強制や不利益の付与を伴うことによ
り自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請して
いるものというべきである。このことは死去した配偶者の追慕,慰霊等に関
する場合においても同様である。何人かをその信仰の対象とし,あるいは
自己の信仰する宗教により何人かを追慕し,その魂の安らぎを求めるなど
の宗教的行為をする自由は,誰にでも保障されているからである。原審が
宗教上の人格権であるとする静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送るべ
き利益なるものは,これを直ちに法的利益として認めることができない性質
のものである。」と判示して,いわゆる宗教的人格権が法的利益であること
を否定している(同旨の裁判例として大阪高等裁判所平成5年3月15日判
決,大阪高等裁判所平成4年7月30日判決,福岡高等裁判所平成4年2
月28日判決〈以下,それぞれ「大阪高裁平成5年判決」,「大阪高裁平成4
年判決」,「福岡高裁平成4年判決」という。〉がある。)。
(イ) 原告らが主張する憲法上の根拠について
a 憲法13条について
 原告らが主張する被侵害利益は,「宗教的人格権」を言い換えたもの
にすぎないところ,大阪高裁平成5年判決では,「信教の自由に対する
侵害が認められない場合におけるかかる意味での宗教的人格権等は,
実定法上の根拠を欠くものであり,本件公式参拝によって控訴人らに生
じた不快感,憤りないし危惧の念は,単に主観的な感情にすぎないもの
であって,国賠法1条の保護の対象となる権利または法的利益に対する
侵害と認めることはできないというべきである。」と判示して,「宗教的人
格権」が憲法13条によって基礎付けられるとした同事件控訴人らの主
張を退けている(同旨の裁判例として,福岡高裁平成4年判決,大阪高
裁平成4年判決等がある。)。
 したがって,原告らが主張する上記被侵害利益を憲法13条から導くこ
とはできないというべきである。
b 憲法19条,20条1項について
 信教の自由の保障は,国家から公権力によってその自由を制限される
ことなく,また不利益を課せられないとの意味を有するものであり,国家
によって信教の自由が侵害されたというためには,少なくとも国家による
信教を理由とする不利益な取扱い又は強制・制止の存在することが必要
と解されている。
 本件参拝は,原告らの信教ないし思想・信条を理由として,原告らを不
利益に取り扱ったり,原告らに特定の宗教を信仰することないし特定の
思想・良心を持つことを強制したり,あるいは原告らの信仰する宗教を妨
げたり,思想・良心を持つことを妨げたりするものではないから,原告ら
の信教の自由ないし思想・信条の自由を侵害するものでないことは明ら
かである。
 この点,原告らは,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないかを
自ら決定し,行うことに対して,公権力からの「圧迫」や「干渉」を受けない
ことの自由が保障されるべきであると主張するが,強制の要素がなくても
「圧迫」や「干渉」のレベルで保護されるとする根拠が明らかでないし,ま
た,「圧迫」や「干渉」に該当する場合がいかなる場合かその具体的内容
は不明である。
 したがって,原告らが主張する上記被侵害利益を憲法19条,20条1
項から導くことはできないというべきである。
c 憲法20条3項について
 憲法の政教分離規定は,制度的保障であり,人権規定ではないから,
憲法20条3項が原告らの主張する被侵害利益の根拠とならないことは
明らかである。
 すなわち,津地鎮祭最高裁判決は,「元来,政教分離規定は,いわゆ
る制度的保障の規定であって,信教の自由そのものを直接保障するも
のではなく,国家と宗教との分離を制度として保障することにより,間接
的に信教の自由を保障しようとするものである。」との立場をとっている
(同旨の判例として,自衛官合祀最高裁判決,愛媛玉串料最高裁判決
等がある。)。
 したがって,原告らが主張する上記被侵利益を憲法20条3項から導く
ことはできないというべきである。
(ウ) 本件参拝により原告らの権利が侵害されたか否か
a 信教の自由の保障は,国家から公権力によってその自由を制限される
ことなく,また,不利益を課せられないとの意味を有するものであり,国家
によって信教の自由が侵害されたというためには,少なくとも国家による
信教を理由とする不利益な取扱い又は強制・制止の存在することが必要
と解されている。
  自衛官合祀最高裁判決は,「信教の自由の保障は,何人も自己の信仰
と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して,それが強制や
不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものではな
い限り寛容であることを要請しているものというべきである。」とした上,
「被上告人が県護国神社の宗教行事への参加を強制されたことのない
ことは,原審の確定するところであり,またその不参加により不利益を受
けた事実,そのキリスト教信仰及びその信仰に基づき孝文を記念し追悼
することに対し,禁止又は制限はもちろんのこと,圧迫又は干渉が加えら
れた事実については,被上告人において何ら主張するところがない。(中
略)してみれば,被上告人の法的利益は何ら侵害されていないというべ
きである。」旨判示した。
 大阪高裁平成5年判決も,「信教の自由に対する侵害があったといえる
ためには,私人に対して,直接,右信教の自由に対する強制的干渉が行
われたことを必要とするものと解される。」と判示し,「(当時の)中曽根首
相の行った本件公式参拝は,靖國神社に対する信仰を否定する控訴人
らにとって不快感,憤りないし危惧の念を生ぜしめるものであったことは
前記認定のとおりであるが,これらは,本件公式参拝の間接的・反射的
効果であって,これをもって,本件公式参拝が控訴人らに対し,直接,そ
の宗教的信条に強制的干渉を行い,控訴人らの信教の自由を侵害する
ものとはいえない。」とした(同旨の裁判例として,福岡高裁平成4年判
決,大阪高裁平成4年判決等がある。)。
 本件参拝は,原告らの信教ないし思想・信条を理由として,原告らを不
利益に扱ったり,原告らに特定の宗教を信仰することないし特定の思想
及び良心を持つことを強制したり,あるいは原告らの信仰する宗教を妨
げたり,思想及び良心を持つことを妨げたりするものではないから,原告
らの信教の自由ないし思想及び良心の自由を侵害するものではないこと
は明らかである。
b 原告らは,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないかを自ら決定
し,行うことに対して,公権力から「圧迫」や「干渉」を受けないことの自由
が保障されるべきであると主張するが,本件参拝によって,原告らがそ
の信じる宗教で故人を祀ることが妨げられたわけではないから,「圧迫」
や「干渉」すらも認められず,この点でも本件参拝によって原告らの権利
ないし利益が侵害されたとは認められない。
(4) 争点(4)〔原告らの被った損害(前記第1の1の請求関係)〕について
ア 原告らの主張
 原告らは,上記(3)ア(エ)のとおり,本件参拝により,自らの信仰,思想の中
核に挑戦され,これを捨てるように強制されたものであり,これによって,甚大
な精神的苦痛を被った。この精神的苦痛をあえて金銭に評価するならば,原
告一人につき1万円を下ることはない。
イ 被告らの主張
上記アの事実は否認する。
(5) 争点(5)〔被告小泉,被告国及び被告靖國神社の損害賠償責任の有無(前記
第1の1の請求関係)〕について
ア 原告らの主張
(ア) 被告小泉の責任について
 被告小泉は,故意により,本件参拝を行って原告らの上記(3)ア(イ)の権
利ないし利益を侵害し,原告らに精神的苦痛を与えたのであるから,不法
行為に基づき,原告らに対し,上記損害を賠償する義務を負う。
 被告小泉は,下記イ(イ)のとおり主張するが,公務員の個人責任を否定
することには合理的な根拠を欠くというべきである。少なくとも,当該公務員
の行為が公務として特段の保護を必要としないほどに違法性が明白で,行
為者たる公務員が当該行為の違法性を当初から認識している場合(故意
がある場合)には,当該公務員は,当該行為についての個人責任を負うも
のと解すべきである。
 本件では,過去の靖國神社に関連する訴訟における判決等によって公人
による靖國神社への参拝が違憲,違法であることは明白となっており,本
件参拝が公務として特段の保護を必要としないほどに違法性が明白である
といえるし,被告小泉は,本件参拝当時,この違法性を認識していたといえ
るので,本件参拝による個人責任を免れることができない。
(イ) 被告国の責任について
 本件参拝は,上記(2)アのとおり,被告国の公務員である被告小泉がその
「職務を行うについて」したものであり,これにより原告らの上記(3)ア(イ)の
権利ないし利益を侵害して原告らに精神的苦痛を与えたのであるから,被
告国は,原告らに対して,国家賠償法1条1項に基づき,上記損害を賠償
する義務を負う。
(ウ) 被告靖國神社の責任について
a 本件参拝受入れの違憲性
(a) 憲法20条1項後段の被告靖國神社に対する適用
 政教分離は,国家と宗教の分離,国家の非宗教性を意味し,各人の
信教の自由を十全に保障するために,その自由と不可分の関係にお
いて,国家と宗教の分離が憲法的に命じられている(憲法20条,89
条)。そして,この政教分離の憲法規範性(命令)は,国家と宗教団体
の双方に向けられている。
 すなわち,国家に対しては,宗教上の行為,祝典,儀式又は行事に
参加することを国民に強制すること(憲法20条2項),宗教教育その
他の宗教的活動を行うこと(同条3項),公金その他の公の財産を宗
教上の組織,団体の使用,便宜,維持のために支出し,又はその利
用に供すること(憲法89条)が禁止されている。
 他方,宗教団体に対しては,「いかなる宗教団体も,国から特権を受
け,または政治上の権力を行使してはならない。」と規定している(憲
法20条1項後段)。
 憲法の人権規定の多くは,一般に直接的には国家に対して向けられ
ているが,中には国家だけでなく,直接私人を名宛人とする規定があ
る。また,憲法の人権規定は,個人の尊厳の基本原理を軸に自然権
思想を背景として実定法化されたものであって,その価値は実定法秩
序の最高の価値であり,公法,私法を包含した全法秩序の基本原則・
基本理念をなすものである。したがって,憲法の人権規定は,私人に
よる人権侵害に対しても何らかの形で適用されてしかるべきものであ
る。
 憲法20条1項後段の規定の主語が「宗教団体」とされていること,
同規定は神社神道が事実上国教化され,神権天皇制のもとで国民に
神道崇拝を強制した国家神道体制との完全な訣別を企図して設けら
れたという歴史に照らしても,同規定が国家に対して宗教団体に特権
を与えることを禁じるとともに,私人たる宗教団体に対しても特権の受
入れを禁じる趣旨のものであることは明らかである。
 憲法の人権規定の私人に対する効力については,いわゆる間接適
用説と直接適用説が唱えられているが,間接適用説であれ,直接適
用説であれ,憲法秩序に反する私人の行為が違法と評価されることに
は変わりがない。
(b) 国からの「特権」
 憲法20条1項後段にいう,「特権」とは,一般の国民ないし団体と比
較して,また他の宗教団体と比較して,特別又は優遇的なものとみな
される地位ないし利益を意味する。
 しかるに,被告靖國神社は,上記(1)ア(ア)cのとおり,その祭神の決
定について敗戦後も被告国から特別の便宜供与を受けてきた。その
ような経緯を背景に,被告靖國神社は,本件参拝に際して,被告小泉
が靖國神社拝殿において「内閣総理大臣小泉純一郎」という記帳を行
うのを積極的に受け入れ,被告小泉のために「かげ祓い」を行って昇
殿参拝をさせ,被告小泉の求めに応じて公的資格である「内閣総理大
臣小泉純一郎」という名札付きの一対の供花を調整して祭壇に備えさ
せるなど本件参拝を積極的に受け入れたものである。これにより,靖
國神社は,世人から,「内閣総理大臣に参拝してもらえる神社」,「そ
の教義が内閣総理大臣から賛同してもらえる特別の神社」との強い印
象を持たれることになる。これこそ,他の宗教団体と比較して特別とみ
なされる地位ないし利益を享受すること,すなわち国から「特権」を受
けることに他ならない。
(c) 小括
 よって,被告靖國神社が被告小泉による内閣総理大臣という公的資
格による本件参拝を何ら拒否することなく受容した行為は,明らかに
国から「特権」を受けたものであり,憲法20条1項後段に違反する。
b 被告靖國神社の不法行為責任
 被告靖國神社が被告小泉による本件参拝を何ら拒否することなく受容
した行為は,上記aのとおり,明らかに違憲であり,違法な行為である。
 よって,被告靖國神社は,故意をもってこのような違法な行為をし,もっ
て原告らの上記(3)ア(イ)の権利ないし利益を侵害し,原告らに精神的苦
痛を与えたのであるから,不法行為に基づき,原告らに対し,上記損害
を賠償する義務を負う。
イ 被告小泉の主張
(ア) 被告小泉は,一個の自然人として信教の自由を享受しうる地位を有して
おり,本件参拝も自然人たる被告小泉に対して認められた信教の自由の実
現にほかならない。原告らの被告小泉に対する前記第2の1の損害賠償請
求は,訴訟提起という圧力を被告小泉に対して与え,これにより間接的に
被告小泉に対して信教の自由の実現としての靖國神社参拝を一切行わせ
ないことを企図してのものである。よって,この請求の違法性の程度は極め
て著しく,訴訟提起自体が不適法というべきである。
(イ) 原告らは,本件参拝が国家賠償法1条1項の「職務を行うについて」の要
件に該当することを前提に被告国に対して損害賠償請求をしているが,公
権力の行使にあたる公務員の職務行為については公務員個人は賠償責
任を負わないものとされている(最高裁判所昭和53年10月20日第二小
法廷判決・民集32巻7号1367頁)。
  したがって,被告小泉が本件参拝に関して賠償責任を負うことはない。
ウ 被告国の主張
 原告らの上記ア(イ)の主張は否認ないし争う。
エ 被告靖國神社の主張
 原告らの主張ア(ウ)の主張は否認ないし争う。
 被告靖國神社は,参拝の趣旨にあった参拝をする者であれば被告小泉であ
ろうとその他の者であろうと同じように参拝を受け入れており,被告小泉の参
拝のみ積極的に受け入れたわけではない。
 本件参拝が公式参拝であるか否かは,被告靖國神社としてはその参拝行
為の外観上から区別することは困難であり,また,被告靖國神社が参拝者の
参拝を受け入れる上記の立場からして被告小泉のこれらの参拝を区別して参
拝を受け入れたり受け入れなかったりする立場にない。
(6) 争点(6)〔原告1外4名の本件参拝の違憲確認請求に係る訴えが適法か否か
(前記第1の2(1)の請求関係)。〕について
ア 原告1外4名の主張
(ア) 訴訟要件等についての考え方
  従前の司法審査論は,実体法規の実体的基本権(自由権,社会権,参政
権)適合性の審査論に偏ってきた。その結果,司法審査は,実定訴訟法の
定める訴訟要件,訴訟類型をパスして初めて可能とされる。このような「訴
訟法の留保」ともいうべき現象は克服されなければならない。
 そして,訴訟法の留保が克服され,実体的基本権が実効性を伴った法的
権利であるためには,実体的基本権が侵害された者に対して,出訴適格
(訴訟要件,訴訟類型)及び適切な判決形式を含めて裁判的救済が保障さ
れなければならず,憲法が実体的基本権を実効的なものとして保障してい
るとすれば,個別的実体的基本権及び裁判を受ける権利の憲法解釈を通
じて,出訴適格及び判決形式の在り方が得られる。
 本件において,原告1外4名は,憲法上保障された実体的基本権が侵害
されたものであり,これが出訴要件等によって憲法判断が回避されてはな
らない。
 本件参拝は,上記(1)アのとおり違憲であり,これにより原告1外4名の実
体的基本権が侵害されたものであることも上記(3)アのとおりである。
 そうであれば,損害賠償の前提のみならず,将来の違憲行為を繰り返さ
ないために本件参拝が違憲であることが宣言されなければならず,したが
って原告1外4名に違憲確認の利益があるというべきである。
(イ) 確認の利益について
a 総論
  確認の訴えは,現在の法律関係についての確認の場合には許される
が,過去の事実又は法律関係についての確認の場合には許されないと
いわれることがある。しかし,過去の事実又は法律関係についての確認
が,原告の現在及び将来の法律的地位の不安を除去し,または,将来
再び権利侵害が行われる可能性がある場合には,確認の利益のもつ侵
害予防的機能に照らして,過去の事実又は法律関係についての確認の
訴えも許されると解される。
 また,現在の権利又は法律関係の個別的な確定が必ずしも紛争の抜
本的解決をもたらさず,かえってそれらの権利又は法律関係の基礎にあ
る過去の基本的な事実又は法律関係の適否等を確定することが,現に
存する紛争又は将来予想される紛争の直接かつ抜本的な解決のため
適切と認められる場合には,過去の事実又は法律関係についての確認
の訴えも許されると解される。
 確認の利益を「現在のもの」に限定するのは一種のドグマにすぎない
のであって,過去の事実の合法,違法の確認もそれが有用な場合には
許されるのである。
b 有用性
 本件参拝が違憲であるとの確認判決がなされれば,本件参拝の関係
者である被告らに対し,本件参拝の違憲性を認識させて,将来において
同様の参拝行為がなされることが予防できるので,原告1外4名の上
記(3)ア(イ)の権利ないし利益を守るのに極めて有益である。
c 必要性
  内閣総理大臣による靖國神社参拝は,これまでも根強い反対世論や本
件同様の訴訟提起(しかも下級審においては違憲との判決もある。)にも
かかわらず,敢行されてきた。
 被告小泉は,自民党総裁選挙に立候補したときから,靖國神社参拝を
公約し,内閣総理大臣に就任してからも「首相として参拝する」と公言し,
本件参拝を敢行し,さらに本件参拝に対して厳しい批判が噴出していた
のにこれを無視するかのように平成14年4月21日に靖國神社春季例
大祭に参拝した上,平成15年1月14日にも靖國神社に参拝しており,
靖國神社参拝を一年に一度行うことを表明して公務としての参拝の定着
化を図ろうとしている。これに加え,被告小泉がいかなる批判や反対が
あってもこれを押し切って断行する強い意思を有していること,内閣総理
大臣による公式参拝の実現が自民党の永年の宿願であること,被告靖
國神社自身が内閣総理大臣による公式参拝をかねてより熱望している
ことなどを併せ考えれば,被告小泉は,今後も内閣総理大臣として靖國
神社を参拝して政教分離原則を犯し,原告1外4名の上記(3)ア(イ)の権
利ないし利益を侵害する蓋然性が極めて高い。
 よって,本件参拝の違憲確認を求める必要性が高い。
d 結論
  以上より,原告1外4名には,本件参拝の違憲確認を求める利益が存す
るというべきである。
イ 被告小泉の主張
 公権力の機関ではない被告小泉個人の行為について違憲判断をなす余地
はなく,また被告小泉と原告1外4名との間には何らの権利義務関係はない
ので,被告小泉と原告1外4名との間において違憲確認を求める利益は存し
ない。
ウ 被告国及び内閣総理大臣の主張
(ア) 確認の利益の欠如
a 原告1外4名は,本件参拝が憲法20条3項の宗教的活動に該当し,政
教分離原則に違反すると主張して,その違憲確認を求めるが,そもそも
憲法20条3項の政教分離規定は,いわゆる制度的保障の規定であっ
て,私人に対して信教の自由そのものを直接保障するものではない(津
地鎮祭最高裁判決,自衛官合祀最高裁判決,愛媛玉串料最高裁判決)
から,原告1外4名の違憲確認請求は,本件参拝が政教分離規定に違
反することの確認を求めていることに尽きており,原告1外4名の法律的
地位にかかわらない法律関係の確認を求めるものであるので,原告1外
4名に確認の利益はない。
b 本件参拝は,被告小泉が靖國神社に参拝したという単なる過去の事実
行為にすぎず,しかも原告1外4名が本件参拝により自らの宗教的人格
権が具体的に侵害されたと主張するのであれば,端的にその権利侵害
の救済を求める請求をすれば足り,原告1外4名は実際に被告国に対し
損害賠償請求をしているのであるから,本件参拝を対象としてその違憲
確認を求めることが原告1外4名の主張する権利の救済手段として最も
有効かつ適切であるとは認められない。
  また,原告1外4名は,国賠法1条1項に基づく損害賠償請求も行ってい
るのであるから,本件参拝の違憲確認を求めることが最も有効かつ適切
な救済手段であるとは認められず,その意味でも確認の利益がない。
(イ) 被告内閣総理大臣に対する請求について
 行政庁は行政訴訟では当事者能力を有するが,通常の民事訴訟では当
事者能力を有しないから,国の機関である被告内閣総理大臣は,民事訴
訟における当事者能力を有しない。
エ 被告靖國神社の主張
 本件参拝が違憲であるか否かが直接原告1外4名と被告靖國神社との間で
確認されるべき現在の権利関係又は法律関係になることはない。原告1外4
名は,本件参拝が違憲であることを前提として前記第1の1のとおり損害賠償
請求をし,さらに前記第1の2(2)及び(3)のとおり靖國神社参拝の差止請求を
しているので,これに加えて本件参拝の違憲確認を求める利益はない。
(7) 争点(7)〔原告1外4名の被告内閣総理大臣に対する靖國神社参拝の差止請
求に係る訴えは適法か否か,また,同請求に理由があるか否か(前記第1の
2(2)の請求関係)。〕について
ア 原告1外4名の主張
(ア) 被告小泉が内閣総理大臣という公的資格による本件参拝をした行為
は,上記(1)アのとおり,憲法20条3項に違反するだけでなく,上記(3)アの
とおり,原告1外4名が有する「戦没者が靖國神社に祀られているとの観念
を受け入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しな
いかに関して(公権力からの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う権利
ないし利益」を内容とする人格権を侵害した。
(イ) ところで,人格権は,物権と同様に絶対権であり,排他性を有する権利で
あって,その侵害に対しては妨害予防又は差止請求が可能である。人格権
に基づく差止請求は,最高裁判所判決でも許容されているところである(最
高裁判所昭和61年6月11日大法廷判決・民集40巻4号872頁・いわゆ
る北方ジャーナル事件)。
(ウ) そして,被告小泉が今後,内閣総理大臣として靖國神社を参拝すれば,
本件参拝と同じように,原告1外4名が上記の人格権を害されることは明ら
かである。そして,本件における被侵害利益は,極めてデリケートな精神的
内面的世界に関するものであるから,事後的に損害賠償を求めて争う途が
あるというだけでは回復し難い損害を被る恐れがある。
 よって,原告1外4名は,上記の人格権に基づき,被告小泉が将来内閣
総理大臣として靖國神社に参拝することによって回復し難い損害を被るの
を防止するため,あらかじめ参拝の差止めを求める権利を有しているという
べきである。
(エ) 被告小泉は,上記(6)ア(イ)cのとおり,本件参拝に関して,何ら反省の態
度を示すどころか,その後も2回にわたって参拝を繰り返しており,その態
度に照らせば,今後も内閣総理大臣として靖國神社を参拝して,原告1外4
名の宗教的人格権を侵害する蓋然性が極めて高い。他方,被告靖國神社
も内閣総理大臣による参拝を強く望んでいる。
  よって,原告1外4名には,被告内閣総理大臣に対する靖國神社参拝の
差止を求める必要性が高い。
イ 被告内閣総理大臣の主張
 上記(6)ウ(イ)と同様の理由により,被告内閣総理大臣は,民事訴訟におけ
る当事者能力を有しない。
(8) 争点(8)〔原告1外4名の被告靖國神社に対する参拝受入れの差止請求に係る
訴えは適法か否か,また,同請求に理由があるか否か(前記第1の2(3)の請求
関係)。〕について
ア 原告1外4名の主張
(ア) 被告靖國神社が被告小泉による内閣総理大臣という公的資格による本
件参拝を何ら拒否することなく受容した行為は,上記(5)ア(ウ)aのとおり,国
から「特権」を受けたものであり,憲法20条1項後段に違反するだけでな
く,上記(3)アのとおり,原告1外4名が有する「戦没者が靖國神社に祀られ
ているとの観念を受け入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭
祀するか,しないかに関して(公権力からの圧迫,干渉を受けずに)自ら決
定し,行う権利ないし利益」を内容とする人格権を侵害した。
(イ) 人格権に基づく差止請求が可能であることについては,上記(7)ア(イ)と
同じである。
(ウ) そして,被告靖國神社が今後,被告小泉の内閣総理大臣としての靖國
神社参拝を受け入れれば,本件参拝の受入れと同じように原告1外4名が
上記の人格権を害されることは明らかである。そして,本件における被侵害
利益は,極めてデリケートな精神的内面的世界に関するものであるから,
事後的に損害賠償を求めて争う途があるというだけでは回復し難い損害を
被る恐れがある。
 よって,原告1外4名は,上記の人格権に基づき,被告靖國神社が将来
内閣総理大臣の靖國神社参拝を受け入れることによって回復し難い損害
を被るのを防止するため,あらかじめ参拝受入れの差止めを求める権利を
有しているというべきである。
(エ) 被告小泉は,上記(6)ア(イ)cのとおり,今後も内閣総理大臣として靖國神
社を参拝する蓋然性が高いし,被告靖國神社がこれを受け入れて原告1外
4名の上記の人格権を侵害する蓋然性も高い。よって,原告1外4名には,
被告靖國神社に対する参拝受入れの差止を求める必要性が高い。
(オ) なお,前記第1の2(3)の「内閣総理大臣として靖國神社に参拝」とは,
「客観的に見て内閣総理大臣としての参拝と受け止められる仕方で参拝す
ること」を指すものであるから,差止の対象行為の特定に欠くところはない。
イ 被告靖國神社の主張
 原告1外4名は,「客観的に見て内閣総理大臣としての参拝と受け止められ
る仕方で参拝すること」の受入れを差止めの対象としていると主張するが,そ
のような参拝に該当するか否かの判断は,事後的には可能であるとしても,
参拝行為時に,参拝行為の外観上から差止めの対象となる参拝とそれ以外
の参拝との区別をすることは困難である。よって,被告靖國神社にとって,自
ら差止対象行為の区別を行うことができないので,差止対象行為が不特定で
あるといわざるを得ない。
 また,被告内閣総理大臣に対する前記第1の2(2)の参拝差止請求によって
原告1外4名の意図する目的は達成されるから,それに加えて被告靖國神社
に対して前記第1の2(3)のような参拝受入差止めを求める必要性はない。
 よって,前記第1の2(3)の請求に係る訴えは,不適法であるといわざるを得
ない。
第3 当裁判所の判断
 1 被告内閣総理大臣に対する各請求に係る訴えについて
(1) 当事者能力について
 原告1外4名の被告内閣総理大臣に対する各請求(前記第1の2(1)及び(2)の
請求)は,その形式及び原告1外4名の主張等から,いずれも私法上の権利義
務に関する請求としてなされたものと解されるので,これらの請求に係る訴え
は,民事訴訟というべきである。
 ところで,民事訴訟において当事者能力を有するものは,自然人や法人など権
利能力を有する者と権利能力なき社団等に限られており(民事訴訟法28条,2
9条),国の機関たる行政庁には,行政訴訟において当事者能力を認める規定
(行政事件訴訟法11条1項,38条1項)があるものの,民事訴訟においては当
事者能力を有しない。
 よって,国の一機関である被告内閣総理大臣には,上記各請求に係る訴訟に
おける当事者能力が認められない。
(2) 被告内閣総理大臣に対する各請求に係る訴えについての結論
 したがって,原告1外4名の被告内閣総理大臣に対する各請求(前記第1の
2(1)及び(2)の請求)に係る訴えは,不適法であるから,いずれも却下を免れな
い。
 2 前記第1の1の請求(損害賠償請求)について
(1) 原告らについて
 証拠(甲23ないし28,29の1,2,甲35,36の1ないし23,25ないし53〈枝
番の枝番も含む。〉,甲40,41の1ないし5,甲42,43の1ないし3,原告1,原
告5,原告35,原告305及び在韓原告64の各本人尋問)及び弁論の全趣旨に
よれば,以下の事実が認められる。なお,後記アないしウに記載の原告ら以外
の原告らが本件参拝により受けた影響については,これを認定するに足りる証
拠がない。
ア 原告1,3ないし5,8,11,13,14,21ないし24,26,31,35,36及び4
4は,戦没者の遺族であり,それぞれ浄土真宗,キリスト教,その他の宗教を
信仰する者あるいは非宗教者であって,かねてから戦犯をも英霊として祀って
称える靖國神社の教義に対し批判的な考えを持っており,若しくは靖國神社
が戦死した自己の肉親を無断でA級戦犯と同じように合祀していることに対し
て強い憤りの念を抱いていた者であるところ,本件参拝により,国家が靖國神
社という特定の宗教を勧奨し,自己の信仰や信条に干渉したものと受け止
め,本件参拝に対して,怒り,憤り,不快又は不安等の感情を抱いた。
イ 原告45,58,68,103,111ないし113,134,145,153,158,178,
181,182,209,212,229,233,239,245,256,275,288,30
7,321,349,352,355,356,412,416,450,454,460,462,4
68,490,492,509及び514は,いずれも戦没者の遺族ではないが,それ
ぞれ浄土真宗,キリスト教,その他の宗教を信仰する者あるいは非宗教者で
あって,かねてから靖國神社の教義又は首相の靖國神社参拝に対して批判
的な考えを有していた者であるところ,本件参拝により,国家が靖國神社とい
う特定の宗教を勧奨し,自己の信仰や信条に干渉したものと受け止め,本件
参拝に対して,怒り,憤り,不快又は不安等の感情を抱いた。
ウ 在韓原告61,64,65及び119は,いずれも戦没者の遺族であり,かねて
から自己の肉親を戦死させた戦争を行った日本政府や戦犯をも英霊として祀
って称える靖國神社に対して,強い憤りの念を抱いていた上,靖國神社が戦
死した自己の肉親を無断でA級戦犯と同じように合祀していることに対しても
強い憤りの念を抱いていた者であるところ,本件参拝により,国家が靖國神社
という特定の宗教を勧奨し,自己の信仰や信条に干渉したものと受け止め,
本件参拝に対して,怒り,憤り,不快又は不安等の感情を抱いた。
(2) 本件参拝が内閣総理大臣の資格で行われたか否か(争点(1)及び(2)関係)に
ついて
ア 本件参拝等に関する事実経過
  証拠(甲1ないし5,6ないし9〈枝番も含む。〉,10ないし22,37の1ないし2
1,甲45,乙A1の1,2,乙A2ないし4,乙B11,13)及び弁論の全趣旨によ
れば,次の事実が認められる。
(ア) 靖國神社参拝をめぐる政府見解などの流れ
a 戦後,靖國神社が宗教法人となってからも,歴代の首相による靖國神社
の参拝が行われていたが,三木武夫首相(当時)が昭和50年8月15日
に靖國神社を参拝してからは,終戦記念日に首相が靖國神社に参拝す
ることが政権によっては行われるようになった。
b 安倍晋太郎内閣官房長官(当時)は,昭和53年10月,福田赳夫首相
(当時)が靖國神社参拝に公用車を使用し,記帳に肩書を記したことにつ
いて,上記第2の2(5)記載のとおり,参議院内閣委員会において,政府
統一見解として,「首相が私人の立場で神社に参拝することは自由であ
る。閣僚の場合,警備上の都合等から私人としての行動の際にも公用車
を使用している。記帳に肩書を付すことも慣例として用いられている。」旨
答弁した。
c 宮澤喜一内閣官房長官(当時)は,昭和55年11月,奥野誠亮法務大
臣(当時)の公式参拝合憲発言を受けて,衆議院において,「総理大臣
が国務大臣の資格で参拝することは憲法20条との関係で違憲の疑いを
否定できない。」旨説明した。
d 中曽根康弘首相(当時)は,昭和60年8月15日,靖國神社を参拝した。
この参拝以降,中国や韓国が歴史の認識問題とからめて首相の靖國神
社参拝を批判するようになった。
e 藤波孝生内閣官房長官(当時)は,昭和60年8月9日,「閣僚の靖國神
社参拝問題に関する懇談会報告書」においては,「国民や遺族の多くは
総理大臣が公式参拝することを望んでいると認められる。公式参拝を実
施する場合には,政教分離原則に抵触することがないと認められる適切
な方式を考慮すべきだ。」と発表していたが,同月20日には,衆議院に
おいて,「戦没者に対する追悼を目的として本殿又は社頭で一礼する方
式で参拝することは(憲法20条の)規定に違反する疑いはないとの判断
に至った。」旨説明した。
f 後藤田正晴内閣官房長官(当時)は,昭和61年8月,「靖國神社がいわ
ゆるA級戦犯を合祀していること等もあって,昨年(中曽根康弘首相が)
実施した公式参拝は近隣諸国の国民の間に批判を生み,過去の戦争へ
の反省と平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれが
ある。政府としては,首相の公式参拝は差し控える。」旨発言した。
g それ以降は,橋本龍太郎首相(当時)が,平成8年7月に靖國神社を参
拝したのを除いて,内閣総理大臣による靖國神社参拝は実施されない
状況が続いていた。
  なお,被告小泉は,内閣総理大臣に就任する前は,ほぼ毎年,閣僚や
国会議員として,終戦記念日に靖國神社に参拝してきた。
h 小泉内閣は,平成13年5月,土井たか子衆議院議員提出の質問主意
書に対し,「公式参拝は,制度化されたものではないので,その都度,判
断すべきものと考える。」旨答弁した。
(イ) 本件参拝前の事実関係
a 被告小泉は,自民党総裁選挙の告示から4日後の平成13年4月15
日,日本遺族会会長及び副会長に対し,電話により,自分が総裁になっ
たら,必ず8月15日に靖國神社を参拝する旨述べた。
b 被告小泉は,同年4月18日の自民党総裁選挙の討論会において,「尊
い命を犠牲に日本のために戦った戦没者たちに敬意と感謝の誠を捧げ
るのは政治家として当然。まして,首相に就任したら,8月15日の戦没
者慰霊祭の日にいかなる批判があろうと必ず参拝する。」旨発言した。
c 被告小泉は,同年5月9日,衆議院本会議において,戦没者に敬意と感
謝の誠を捧げたい思いは変わりなく,個人として参拝するつもりである旨
明言したが,その日の夕方,記者から「個人」としての参拝と「首相」とし
ての参拝の違いを質問されたのに対して,「同じだ。総理として,個人とし
て参拝する。内閣総理大臣の肩書は消せない。」などと答えた。
 他方,福田康夫内閣官房長官は,同日,記者会見で,「参拝するときの
状況がどうであるかを勘案した上で(公式参拝かどうかを)決めるという
ことだから,これからの話だ。」,「(参拝する場合の公私の定義は)ない。
(本人が)公式参拝といえば公式参拝だ。中曽根元首相も公式参拝と言
ったからそうなった。」などと述べた。
d 被告小泉は,同月14日,衆議院予算委員会において,「戦争の犠牲者
への敬意と感謝を捧げるために,靖國神社にも内閣総理大臣として参拝
するつもりだ。」,「よそから言われてなぜ中止しなければならないのか分
からない。」「公式とか非公式とかマスコミはとりあげたがるが,私には分
からない。」,「戦没者にお参りすることが宗教的活動と言われればそれ
までだが,靖國神社に参拝することが憲法違反だとは思わない」,「宗教
的活動であるからいいとか悪いとかいうことではない。A級戦犯が祀られ
ているからいけない,ともならない。私は戦没者に心からの敬意と感謝を
捧げるために参拝する。」旨答弁した。
e 被告小泉は,同年6月20日,党首討論において,「国民の中にも,戦没
者の慰霊の中心的施設は靖國神社だという方が多くいるというのも事実
だ。そういう方々の心を無視するのはいかがなものか。」などと発言し
た。
f 中国政府は,同年7月に訪中した与党幹部を通じて,A級戦犯を追悼す
るものではないことを明確にすると同時に,参拝時期を8月16日以降に
ずらすことなどを日本政府に非公式に求めた。
g 被告小泉は,同年7月11日,党首討論において,「日本人の国民感情
として,亡くなるとすべて仏様になる。A級戦犯は既に死刑という,現世で
刑罰を受けている。」と発言した。
h 被告小泉は,同月21日,ジェノバにおいて,記者団に対し,「『熟慮断
行』という言葉もある。(中国,韓国などへの対応は)参拝してから,どう
いう改善方法があるか考える。」などと発言した。
i 被告小泉は,同月30日,参議院議員通常選挙後の記者会見において,
「与党三党の方々の意見を虚心坦懐にうかがって,熟慮して判断したい
と思っている。戦争責任がどうかという問題以上に,尊い戦没者の犠牲
のもとに今日があることを忘れてはならない。」などと発言した。
j f明星大学教授らが代表発起人を努める「小泉首相の靖國神社参拝を支
持する国民の会」は,同年8月8日,憲政記念館で集会を開催し,自民
党,民主党,自由党の各党国会議員の有志が,被告小泉の靖國神社の
参拝実現の重要性を参加者に訴えた。
k 国会議員有志による「小泉総理の靖國神社参拝を実現させる超党派国
会議員有志の会」は,同月9日,首相官邸で安倍晋三内閣官房副長官
(当時)に対し,中国,韓国からの内政干渉などで首相の信条を曲げるこ
とは国民の純粋な期待に失望,傷を与えるとして,被告小泉が予定通り
同月15日に靖國神社を参拝するよう申し入れた。
l 被告小泉が8月15日に靖國神社を参拝すると度々発言していることに
対しては,中国や韓国などが反発し,与党内でも公明党が被告小泉の
靖國神社参拝に反対の姿勢を明確に示していたし,自民党幹部の中に
も参拝に慎重な考えを示す者もいた。
m 与党三党の幹事長は,同年8月10日,被告小泉に対し,近隣諸国に
配慮し,慎重な対応をとるように求めた。
n 被告小泉と交友の深い山崎拓自民党幹事長(当時)と加藤紘一衆議院
議員は,同月11日,首相官邸を訪れ,被告小泉に対し,様々なケースで
想定される本件参拝による利点と欠点を説明して,8月15日を避けて参
拝するするよう進言した。
(ウ) 本件参拝直前の状況について
a 被告小泉は,平成13年8月15日に靖國神社を参拝することを繰り返し
発言していたが,中国や韓国などが反発し,与党内でも自重を求める声
が広がったことから,同月13日午後1時過ぎころ,福田康夫内閣官房長
官及び山崎拓自民党幹事長と協議し,その結果,日程を前倒しして同日
中に本件参拝を実施することを決定した。
b 福田康夫内閣官房長官は,本件参拝の直前の同月13日午後4時5
分,下記のとおり,「首相談話」を読み上げた。
            記
「わが国は,明後8月15日に,56回目の終戦記念日を迎えます。21世
紀の初頭にあって先の大戦を回顧するとき,私は,粛然たる思いがこみ
上げるのを抑えることができません。この大戦で,日本は,わが国民を含
め世界の多くの人々に対して,大きな惨禍をもたらしました。とりわけ,ア
ジア近隣諸国に対しては,過去の一時期,誤った国策にもとづく植民地
支配と侵略を行い,計り知れぬ惨害と苦痛を強いたのです。それはいま
だに,この地の多くの人々の間に,癒しがたい傷痕となって残っていま
す。
 私はここに,こうしたわが国の悔恨の歴史を虚心に受け止め,戦争犠
牲者の方々すべてに対し,深い反省とともに,謹んで哀悼の意を捧げた
いと思います。
 私は,二度とわが国が戦争への道を歩むことがあってはならないと考
えています。私は,あの困難な時代に祖国の未来を信じて戦陣に散って
いった方々の御霊の前で,今日の日本の平和と繁栄が,その尊い犠牲
の上に築かれてることに改めて思いをいたし,年ごとに平和への誓いを
新たにしてまいりました。私は,このような私の信念を十分に説明すれ
ば,わが国民や近隣諸国の方々にも必ず理解を得られるものと考え,総
理就任後も,8月15日に靖國参拝を行いたい旨を表明してきました。
 しかし,終戦記念日が近づくにつれて,内外で私の靖國参拝是非論が
声高に交わされるようになりました。その中で,国内からのみならず,国
外からも,参拝自体の中止を求める声がありました。このような状況の
下,終戦記念日における私の靖國参拝が,私の意思とは異なり,国内外
の人々に対し,戦争を排し平和を重んずるというわが国の基本的考え方
に疑念を抱かせかねないということであるならば,それは決して私の望
むところではありません。私はこのような国内外の状況を真摯に受け止
め,この際,私自らの決断として,同日の参拝は差し控え,日を選んで参
拝を果たしたいと思っています。
 総理として一旦行った発言を撤回することは,慙愧の念に堪えません。
しかしながら,靖國参拝に対する私の持論は持論としても,現在の私
は,幅広い国益を踏まえ,一身を投げ出して内閣総理大臣としての職責
を果たし,諸課題の解決にあたらなければならない立場にあります。
 私は,状況が許せば,できるだけ早い機会に,中国や韓国の要路の方
々と膝を交えて,アジア・太平洋の未来の平和と発展についての意見を
交換するとともに,先に述べたような私の信念についてもお話ししたいと
考えています。
 また,今後の問題として,靖國神社や千鳥ヶ淵戦没者墓苑に対する国
民の思いを尊重しつつも,内外の人々がわだかまりなく追悼の誠を捧げ
るにはどのようにすればよいか,議論をする必要があると私は考えてお
ります。
 国民各位におかれては,私の真情を,ご理解賜りますよう切にお願い
申し上げます。」
(エ) 本件参拝後の事実関係
a 被告小泉は,本件参拝の後,記者会見で,「かねがね今日の日本の平
和と繁栄は,先の大戦で心ならずも命を失わなければならなかった方の
犠牲の上に成り立っていると感じ,愛する人たちとの思いを断ち切り,祖
国のために散っていった方々はさぞ無念だったと思う。そうした方々の犠
牲の上に今日があるということを忘れてはならない。心から誠意と感謝
の誠を捧げたいと思って参拝した。」と述べ,8月15日の参拝を避けた理
由等について,「中国や韓国や近隣諸国との友好関係を図っていきたい
と心から思っているが,8月15日に参拝することによって逆の取り方をさ
れることが鮮明になってきた。逆にとられるのは好ましくない。」,「総理大
臣として,人の言うことを聞かなければいけないなと思い,いろんな方々
の意見をうかがってきた。熟慮に熟慮を重ねた結果,今日がいいのでは
ないかと私が判断した。」,「状況が許せば,中韓両国の首脳の方々と話
合いの機会を持ちたい。」などと述べたが,「公式かどうか。私はこだわり
ません。総理大臣である小泉純一郎が心をこめて参拝した。それだけで
す。」との発言をして公式参拝か私的参拝かの明言を避けた。
b 参拝推進派の自民党党員は,本件参拝に関し,被告小泉が繰り返し発
言してきた終戦記念日に参拝するという「約束」を覆すものであると強く
反発した。
c 中国の外務省報道官は,本件参拝後,「日本の小泉首相が中国を含む
アジア近隣諸国及び日本国内の反対を押し切って,A級戦犯を祀る靖國
神社を参拝したことにつき,中国政府と国民は,強い不満と憤慨を表明
する。日本の政治家による靖國参拝は,中日関係の政治的基礎を失
い,中国国民及び多くのアジア被害国国民の感情を傷つけており,歴史
的問題をめぐって日本政府が一貫して表明してきた認識と約束に反す
る。我々は,日本側が言行一致し,中国側に対してこれまで表明してき
た認識と約束を確実に実行するよう申し入れる。」との談話を発表した。
中国各地,香港・台湾各界では,本件参拝について抗議の声が多数あ
がった。
 他方,韓国では,韓国の外交通商省報道官が,韓国政府の「深い遺憾
の意を表明する。」との声明を発表し,与党の韓国新千年民主党と自由
民主連盟が,それぞれ評論・声明を発表し,被告小泉の靖國神社参拝
は「韓国及びアジア諸国国民の胸に包丁を刺した。」と強く非難した。
 ベトナムの外務省報道官は,同月14日,本件参拝について,「すでに
一部の国が憂慮を表明しているが,ベトナムも同じように憂慮を感じてい
る。」との談話を発表した。
 また,シンガポールの新聞社は,同月15日,被告小泉が大戦戦犯を
祀る靖國神社を参拝したことは,まさに政治目的を歴史の正義以上に重
視する行為であると非難した。
 その他,タイ,フィリピン及びインドネシアのメディアも,被告小泉がアジ
ア諸国民の反対を押し切って靖國神社を参拝した行為であるとしてこれ
を非難した。
d 被告小泉は,同月15日,千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れ,その後,全国戦
没者追悼式に出席した。
e 被告靖國神社は,同年10月1日,自ら発行する社報「靖國」の一面で,
「今年の夏は(中略)靖國神社にとっても文字通りの暑い夏であった。そ
の発端となったのが,小泉首相が公約した終戦記念日の靖國神社参拝
が実現するか否かのメディアによる過熱報道であった。ふだん意識的に
靖國神社に関する報道を避けて来た嫌いのあるマスコミ各社が今回ば
かりは一斉に取り上げ,首相参拝の是非のみならず,靖國神社創建以
来の歴史にまで遡って解説する特集記事や特別番組等が競って組まれ
た。こうした影響を受けてか靖國神社への国民の関心も日に日に高ま
り,当神社のインターネットホームページへのアクセス件数も六月が一万
四千件,七月が四万八千件,八月には十九万三千件に急増した。また,
参拝者及び遊就館拝観者に於いても終戦記念日だけでなく,特に夏休
み期間中の小中高校生や大学生,更には多数の家族連れなどが月間
を通して訪れたことは,今年の特筆すべきことであった。如何なる理由が
あったにせよ,今回の小泉首相の参拝によって国民の多くが靖國神社に
深い関心を寄せ,各々の心の中で戦歿者の追悼と慰霊の在り方を改め
て考える機会となったことだけは間違いない。」と報じた。
f 被告小泉は,同年10月,本件参拝にあたって発表された談話のとおり,
中国及び韓国を訪問し,本件参拝により悪化した両国との関係の修復を
はかった。
g 内閣官房内閣参事官は,平成14年3月28日,参議院厚生労働委員会
において,質問に答え,「内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社
への公式参拝とは,内閣総理大臣その他の国務大臣が国務大臣として
の資格で行う靖国神社への参拝のことをいい(中略)専ら,戦没者の追
悼という宗教とは関係のない目的で行うものであり,かつ,その際,追悼
を目的とする参拝であることを公にするとともに,神道儀式によることな
く,追悼行為としてふさわしい方式によって追悼の意を表することによっ
て宗教上の目的によるものでないことが外観上も明らかである場合に
は,憲法20条3項の規定に違反する疑いのない参拝,つまり公式参拝
であるというふうに理解しております。」,「昨年8月13日の小泉総理の
参拝につきましては,私人の立場での参拝であると理解しております。」
と答弁した。
h 被告小泉は,平成14年5月8日,参議院本会議において,本件参拝に
係る被告小泉と被告国に対する福岡地方裁判所での訴訟において,被
告国が,被告小泉の参拝は内閣総理大臣の資格で行われたものではな
く,公務員としての職務行為として行われたものではないと主張し,私人
の立場での参拝と位置付けていることについてどう評価するかとの質問
に対し,「昨年8月の靖国参拝は,内閣総理大臣である小泉純一郎が心
を込めて参拝したものであり,このことと訴訟における国の主張とは何ら
矛盾するものではないと考えております。」と答弁した。
 また,福田康夫内閣官房長官は,同会議において,本件参拝と平成1
4年4月の参拝が公式参拝か私的参拝か公式答弁を求めるとの質問に
対し,「内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝とは,内閣総理大臣が
国務大臣としての資格で行う靖国神社への参拝をいいますけれども,昨
年8月及び本年4月の参拝につきましては,いずれも私人としての立場
で参拝されたものと理解しております。」と答弁した。
i なお,本件参拝後の報道機関による世論調査においては,被告小泉に
よる本件参拝に対して肯定的な意見が過半数を占めたが,他方で,根強
い反対意見も存在し,そのため,国内外の人々がわだかまりなく訪問で
きる宗教色のない国立戦没者追悼施設の建設について検討するため
に,内閣官房長官の私的諮問機関として「追悼・平和祈念のための記念
碑等施設の在り方を考える懇談会」が設置された。
イ 国家賠償法1条1項の「職務を行うについて」の該当性(争点(2)関係)
(ア) 国家賠償法1条1項
  国家賠償法1条1項は,公務員が主観的に権限行使の意思をもってする
場合にかぎらず,自己の利をはかる意図をもってする場合でも,客観的に
職務執行の外形をそなえる行為をしてこれによって他人に損害を加えた場
合には,国又は公共団体に損害賠償の責任を負わしめて,ひろく国民の権
益を擁護することをもって,その立法の趣旨とするものと解すべきである
(最高裁判所昭和31年11月30日第二小法廷判決・民集10巻11号150
2頁)。
  したがって,同条項の「職務を行うについて」に関しては,公務員が主観的
に権限行使の意思をもってする場合に限らず,客観的に職務執行の外形
をそなえる行為がこれに該当すると解すべきである。
(イ) 本件参拝について
a 本件参拝の態様
  本件参拝の態様は,内閣総理大臣である被告小泉が,公用車を用い
て,秘書官を同行させて,靖國神社に向かい,参集所で「内閣総理大臣
小泉純一郎」と記帳し,献花の名札には「献花内閣総理大臣小泉純一
郎」と記載させていたというものであり(前記第2の2(2)ア及びイ),内閣
総理大臣としての参拝と推認しうる要素を多分に含んだ態様となってい
る。
  確かに,記帳に当たり,その地位を示す肩書を付すことも,その地位に
ある個人をあらわす場合に,慣例として用いられることもあり,肩書を付
したからといって直ちに私人の立場を離れたものということはできないも
のの,仮に,純粋に私人の立場で行うのであれば,このような態様では
なく,記帳や献花の名札に肩書を付さないで単に「小泉純一郎」と記載す
るという方法など内閣総理大臣としての行動であるとの疑いを生ぜしめ
ない方法で参拝することも十分に可能であったといえるのに,被告小泉
はあえてそのような方法をとらなかったものといえる。
b 本件参拝前の状況
  ①被告小泉が,自民党総裁選挙の際から「私が総裁になったら,必ず8
月15日に靖國神社を参拝します。」,「首相に就任したら,8月15日の
戦没者慰霊祭の日にいなかる批判があろうとも必ず参拝する。」旨発言
するなど,靖國神社参拝を自民党総裁選挙の公約として位置付けてきた
こと(上記ア(イ)a及びb),②被告小泉が,平成13年5月14日の衆議院
予算委員会において「内閣総理大臣として参拝するつもりだ。」と発言し
(上記ア(イ)d),本件参拝の実施については,与党三党の幹事長や党員
らの意見を聞いた上で決断し,その実施日については,与党幹部と協議
して決定したものであること(上記ア(イ)i及び(ウ)a),③さらに,被告小泉
が,本件参拝の直前に,福田康夫内閣官房長官に,予め用意していた
「首相談話」を読み上げさせ,国民に対して日程変更の理由を説明する
とともに,本件参拝についての理解を求めたこと(上記ア(ウ)b,純然たる
私的参拝であれば,参拝にあたって内閣官房長官が首相談話を発表す
るなどということは不自然である。)などの諸事実に照らせば,本件参拝
前においては,被告小泉自身は,内閣総理大臣として靖國神社に参拝
することを明確に示していたものといえる。
  また,上記ア(ア)gのとおり,被告小泉は,内閣総理大臣就任前には毎
年のように終戦記念日に靖國神社に参拝していたのであるから,例年ど
おりの参拝であれば,殊更,事前に何度も終戦記念日に靖國神社に参
拝する旨を繰り返し発言する必要はないにもかかわらず,一方で,橋本
龍太郎首相(当時)の靖國神社参拝を最後に内閣総理大臣による靖國
神社参拝が行われていないという状況,特に終戦記念日に関しては,昭
和60年の中曽根康弘首相(当時)による参拝から久しく遠ざかっていた
という状況があり,他方で,そのために,日本遺族会の会員等多くの戦
没者遺族,被告靖國神社,自民党などの国会議員有志などが内閣総理
大臣の靖國神社参拝を強く希望していたことなどの状況があることを認
識した上,敢えて,事実上内閣総理大臣を決定する自民党総裁選挙に
際して公約の一つとして掲げるとともに,その後も終戦記念日に内閣総
理大臣である被告小泉が靖國神社に参拝する旨の発言を繰り返し,実
際にこれを実行したものと認められる。
c 本件参拝後の状況
  本件参拝後においては,福田康夫内閣官房長官や内閣官房内閣参事
官が本件参拝が私人の立場での参拝であると理解している旨の答弁を
しているにもかかわらず(上記ア(ウ)g及びh),被告小泉は,本件参拝の
公私の問題について質問されても,終始「内閣総理大臣小泉純一郎が
心を込めて参拝した。」と答え,質問に対する明確な回答を避け続け(上
記ア(ウ)a及びh),被告小泉自身が私的参拝であることを明確に示した
ことがなかったが,このような被告小泉の態度は,被告小泉が内閣総理
大臣としての参拝を公約したことに反するような発言を避けたいという心
情を有することを窺わせる。
d 上記aないしcの事実関係を総合してこれを外形的・客観的にみれば,
本件参拝において閣議決定や公費支出,他の閣僚の同伴という事実が
なく,政府が本件参拝について私的参拝であったとの立場をとっていた
ことなどの諸事情を最大限考慮しても,なお,本件参拝は,被告小泉が
内閣総理大臣の資格で行ったものと認めるのが相当である。
e なお,被告小泉が本件参拝前に一度だけ「個人として参拝する」と発言
したことがあった(上記ア(イ)c)が,この事実は,その後に被告小泉が
「内閣総理大臣として参拝する」と発言していたこと(上記ア(イ)d)とあわ
せ考えれば,上記認定を左右するものとはいえない。
 また,被告国,被告内閣総理大臣及び被告小泉は,前記第2の4(1)イ
(ア)ないし(オ)のとおり主張するが,被告小泉が本件参拝後に内閣総理
大臣として参拝したことを示す明確な発言をしたことがないと同時に私的
参拝であったと明言したこともないこと(また,本件参拝前においては,被
告小泉は内閣総理大臣として参拝することを明言しており,これを明らか
に覆す発言をしない以上は,本件参拝前の発言を撤回したとは認められ
ないこと),公用車の利用や秘書官の同伴についてはそれで直ちに私人
としての立場を離れたものとなるわけではないものの,他方で内閣総理
大臣としての参拝であることを推認させる一つの事情になること自体は
否定できないこと,閣議決定などにより政府の行事として実施することが
決定されたことがなく,また,公費の支出がなかったとしても,内閣総理
大臣としての参拝を否定するための積極的な根拠とはならないことか
ら,上記主張はいずれも採用できない。
(ウ) したがって,本件参拝は,国家賠償法1条1項の「職務を行うについて」
に該当する。
ウ 憲法20条3項の「国及びその機関」の該当性(争点(1)関係)
 本件参拝は,上記イのとおり,被告小泉が内閣総理大臣としての資格で行
ったものと認められるのであるから,国の機関たる内閣総理大臣が行ったも
のといえる。
(3) 被告小泉の損害賠償責任の有無(争点(5)関係)
ア 公権力の行使にあたる国又は公共団体の公務員がその職務を行うについ
て故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときには,当該国又は公
共団体がその被害者に対して賠償の責に任じ,公務員個人はその責を負わ
ないものと解すべきである(最高裁判所昭和30年4月19日第三小法廷判
決・民集9巻5号534頁,最高裁判所昭和47年3月21日第三小法廷判決・
裁判集民事105号309頁,最高裁判所昭和53年10月20日第二小法廷判
決・民集32巻7号1367頁等)。
 しかるに,原告らの被告小泉に対する損害賠償請求は,公権力の行使にあ
たる国の公務員である被告小泉の,その職務を行うにつき原告らに与えた損
害について,公務員である被告小泉個人にその賠償を求めるというものであ
るから,その余の点について検討するまでもなく,理由がないことは明らかで
ある。
イ 原告らは,前記第2の4(5)ア(ア)のとおり主張するが,国家賠償法1条1項
は,公権力の行使にあたる国又は公共団体の公務員がその職務を行うにつ
いて故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときには,当該国又は
公共団体がこれを賠償する責に任ずると規定しており,当該公務員に故意が
ある場合に当該公務員個人の賠償責任を肯定すべき法的根拠は見出し難い
ことから,原告らの主張は当裁判所の採用するところではない。
(4) 争点(3)(本件参拝により原告らの法的利益が侵害されたといえるか)について
ア 法的権利性と侵害の有無
  原告らは,本件参拝により,原告ら各自の「戦没者が靖國神社に祀られてい
るとの観念を受け入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀する
か,しないかに関して(公権力からの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う
権利ないし利益」が侵害されたと主張する。
 しかし,人が,自己の信仰生活や戦没者回顧の在り方を決定する行為の静
謐を他者の宗教上の行為によって害されたとして,そのことによって不快の感
情を持ち,そのようなことがないよう望むことのあるのは,その心情として理解
できるところではあるが,このような宗教上の感情は,法律上保護された具体
的権利ないし利益とは認め難いから,上記のような宗教的感情を被侵害利益
として,直ちに損害賠償を請求する等の法的救済を求めることはできないと解
すべきである(自衛官合祀最高裁判決)。また,下記イで述べるとおり,本件
参拝によって原告らの権利ないし利益が侵害されたものということもできな
い。
イ 原告らの主張する憲法上の根拠
(ア) 憲法20条3項について
 原告らは,憲法20条3項により,「戦没者が靖國神社に祀られているとの
観念を受け入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,
しないかに関して(公権力からの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う
権利ないし利益」が保障されていると主張する。
 憲法20条3項は,「国及びその機関は,宗教教育その他いかなる宗教的
活動もしてはならない。」と規定する。この規定は,国家の制度として,国家
と宗教との結合を禁止する法原則を定めたもの,すなわち政教分離の原則
を定めたものと解される。この政教分離の原則は,国家機関に対し,一定
の宗教上の行為を禁止することによって,国家と宗教との分離を制度的に
保障し,もって,信教の自由を間接的に保障しようとするものであって,この
政教分離の原則は,これを国民個人に対する具体的権利として保障したも
のではないと解すべきである(津地鎮祭最高裁判決,自衛官合祀最高裁判
決,愛媛玉串料最高裁判決)。
 原告らは,憲法20条3項は,政教分離に関する制度的保障の規定であ
り,かつ人権規定でもあると主張する(龍谷大学法学部のg教授も,同様の
見解をとっており,愛媛大学教育学部のh教授も,おおむね同様の見解を
とっている〔証人g,甲39,46〕。)。しかし,憲法20条3項を人権規定と解
する根拠が明確でない上,人権としての政教分離の具体的内容がいかな
るものか,政教分離を人権と解した場合にそれが信教の自由とどのような
関係に立つのか,信教の自由とは異なった独自の人権性はどのような点に
認められるのかなど不明確な部分が多くの場面で存在する。信教の自由
の保障をより広範に,かつ確固たるものにしようとする原告らの上記主張
の意図は十分理解できるものの,かかる解釈には不明確,不確定な部分
が残るため,当裁判所の採用するところではない。
 よって,憲法20条3項により,直接的に原告ら主張の権利ないし利益が
保障されていると解することはできない。
(イ) 憲法19条,20条1項前段について
a 憲法20条1項前段は,「信教の自由は,何人に対してもこれを保障す
る。」と規定する。
 この信教の自由は,国家から公権力によってその自由を制限されるこ
となく,また,いかなる不利益をも課せられないとの意味を有するもので
あり,国家によって信教の自由が侵害されたといいうるためには,少なく
とも国家による信教を理由とする不利益な取扱い又は強制・制止の存在
することが必要であり,それ自体が不利益な取扱い又は強制・制止にあ
たらないが,人によっては圧迫感や不快感を感じることがあるというよう
な態様で,間接的・反射的に一定の影響力を及ぼしたというだけでは足
りないと解される。
b 憲法19条は,「思想及び良心の自由は,これを侵してはならない。」と規
定する。
 この思想及び良心の自由は,信教の自由と同様に,国家から公権力に
よってその自由を制限されることなく,また,いかなる不利益をも課せら
れないとの意味を有するものであり,国家によって思想及び良心の自由
が侵害されたといいうるためには,信教の自由と同様に,少なくとも国家
による思想及び良心を理由とする不利益な取扱い又は強制・制止の存
在することが必要であり,それ自体が不利益な取扱い又は強制・制止に
あたらないが,人によっては圧迫感や不快感を感じることがあるというよ
うな態様で,間接的・反射的に一定の影響力を及ぼしたというだけでは
足りないと解される。
c 本件においては,本件参拝によって,原告らが,不快感や憤りを抱いた
としても,被告小泉が原告らに対し,原告らの信教,思想又は良心を理
由とする不利益な取扱いをしたことはないし,原告らに対して一定の信
教,思想又は良心を有することを強制又は制止したと認めるに足りる証
拠はない。
 なお,原告らは,前記第2の4(3)ア(カ)のとおり,被告小泉が内閣総理
大臣として靖國神社に対して肯定的意味付けをしてこれをマスコミ等を
通じて原告らに向けたと主張するが,仮に,本件参拝がマスコミ報道等
によって大々的に報じられ,その結果原告らに不快感が生じたことがあ
ったとしても,それが不利益な取扱いや強制・制止にあたらない以上,本
件参拝によって,原告らの信教の自由又は思想及び良心の自由が侵害
されたとは認められない。
 また,原告らは,前記第2の4(3)ア(キ)のとおり,本件参拝を肯定的に
理解する政治権力や社会勢力により,靖國神社の宗旨を批判することを
差し控え自粛する「世間全般の雰囲気」が作られ,これにより原告らが靖
國神社の宗旨を批判することを自粛せざるを得ない状態になったので,
「強制」の要素があると主張する。しかし,そもそも,このような「自粛せざ
るを得ない状態」をもって一定の信教や思想を強制されたとみることは到
底できない上,本件参拝等により,靖國神社の宗旨を批判することを差
し控え自粛する「世間全般の雰囲気」なるものが作られたこと,原告らが
靖國神社の宗旨を批判することを自粛せざるを得ない精神状態に陥っ
たことを認めるに足りる的確な証拠も存しない。よって,原告らの上記主
張は,採用できない。
 以上のことからすれば,本件参拝が原告らの信教の自由又は思想及
び良心の自由を侵害したとは認められない。
d 原告らの主張する「戦没者が靖國神社に祀られているとの観念を受け
入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないか
に関して(公権力からの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う権利な
いし利益」とは,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないかに関し
て自ら決定し,行うことに対して,国家から圧迫,干渉といった間接的な
影響さえも及ぼされない利益をいうものと解されるところ,そのような利
益は,上記a及びbのとおり,信教の自由又は思想及び良心の自由が国
民の信教,思想又は良心に対して間接的な影響力を及ぼす行為からの
自由まで保障しているものとは解し難いことから,信教の自由について
規定した憲法20条1項前段や思想及び良心の自由について規定した憲
法19条によって保障されるとは認め難い。
  なお,g教授の意見書(甲39)には,宗教に対して強制や禁止のレベル
ではなく,「干渉」のレベルでも保護されるべき利益があり,これを宗教的
人格権というが,このような利益が保障される根拠は,個人の自立・自律
を支えるものとして信教の自由や精神生活の自由が拡充されるべきであ
ること,宗教が多元化し,個人の価値観も多様化しているという今日にお
いては従来の信教の自由を超えた新たな展開(現代的展開)を考えるべ
きことにあるとの記載がある。しかし,上記意見書では,強制に至らない
程度の「干渉」の段階で保護するべきとする法的根拠が薄弱かつ不明確
であり,また,いかなる場合に「干渉」にあたるかという点も不明確なもの
にならざるを得ないので,意見書の上記記載は当裁判所の採用するとこ
ろではない。
  以上より,原告らの主張する被侵害利益は,憲法19条,20条1項前段
によって保障されているとはいえない。
(ウ) 憲法13条について
 原告らは,憲法13条によって上記権利ないし利益が保障されていると主
張する。
 憲法13条は,「すべて国民は,個人として尊重される。生命,身体,自由
及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限
り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。」と規定する。
 この憲法13条の幸福追求権は,憲法の人権規定には列挙されていなく
ても,人格的生存に不可欠な利益を総体として含むものであり,ここから,
名誉権やプライバシー権といった個別的人格権等を人権として承認するこ
とができると解されている。
 原告らの主張する「戦没者が靖國神社に祀られているとの観念を受け入
れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないかに関し
て(公権力からの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う権利ないし利益」
とは,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないかに関して自ら決定
し,行うことに対して,国家から圧迫,干渉といった間接的な影響さえも及ぼ
されない利益をいうものと解されるところ,このような利益は,信教の自由
や思想及び良心の自由でさえも国民の信教,思想又は良心に対して間接
的な影響力を及ぼす行為からの自由まで保障しているものとは解し難い
上,人格的生存に不可欠なものといえるか否か疑問があり,いまだ利益と
して十分強固なものとはいえないから,憲法13条によって保障される法的
利益とは認め難い。
 なお,g教授の意見書(甲39)には,宗教が私事として他人の干渉から自
由なものとして位置付けられるなら,宗教に対する強制や禁止を超えて「信
仰生活の自由」をそこに認めることも可能であり,そのような「信仰生活の
自由」は,宗教的プライバシーの権利と同義であり,宗教的人格権として議
論されたものに重なるものであるとの記載がある。しかし,上記意見書には
「信仰生活の自由」なるものの権利の内容やいかなる場合にそれが侵害さ
れたといえるのかという点が明確に示されていないし,また,宗教に対する
強制に至らない段階で保護するべきとする法的根拠も薄弱かつ不明確で
あるから,意見書の上記記載は当裁判所の採用するところではない。
 以上より,原告らの主張する被侵害利益は,憲法13条によっても保障さ
れているとはいえない。
ウ 小括
 以上のとおり,原告らの主張する上記利益は,法的権利ないし利益とはいえ
ないし,また,本件参拝によって侵害を受けたともいえないものである。
(5) 被告国及び被告靖國神社の損害賠償責任の有無(争点(5)関係)
 上記(4)のとおり,本件参拝が原告らの法的権利ないし利益を侵害したとは認
められないのであるから,原告らが,被告国に対して,国家賠償法1条1項に基
づく損害賠償請求権を有するとはいえない。また,被告靖國神社が本件参拝を
受入れたことによって原告らの法的権利ないし利益が侵害されたとも認められな
いのであるから,原告らが,被告靖國神社に対して不法行為に基づく損害賠償
請求権を有するとはいえない。
(6) 本請求についての結論
 したがって,原告らの前記第1の1の損害賠償請求は,その余の点について判
断するまでもなく理由がないから,いずれも棄却すべきである。
3 前記第1の2(1)の請求(違憲確認請求・ただし,被告内閣総理大臣に対する請求部
分を除く。)に係る訴えについて
(1) 争点(6)について
 一般に,確認の訴えは,原告の有する法律的地位に危険又は不安が存在し,
これを除去するため被告に対し確認判決を得ることが必要かつ適切な場合に限
り許されると解するのが相当である(最高裁判所昭和30年12月26日第三小法
廷判決・民集9巻14号2082頁)。ところが,原告1外4名の主張する前記第2
の4(3)ア(イ)の権利ないし利益は,上記2(4)のとおり,法律上保護される権利な
いし利益とはいえないし,本件参拝によって侵害を受けたともいえないものであ
る。
 よって,前記第1の2(1)の違憲確認請求は,本件参拝が憲法20条3項の規定
に違反していることの確認を求めているにすぎないことに帰し,原告1外4名の
法律的地位にかかわらない法律関係の確認を求めるものであるから,原告1外
4名に確認の利益があるとはいえない。
(2) 本請求に係る訴えについての結論
 上記(1)の結果,前記第1の2(1)の違憲確認請求に係る訴えは,不適法であ
り,却下を免れない。
4 前記第1の2(3)の請求(参拝受入の差止請求)について
(1) 争点(8)について
 原告1外4名の前記第1の2(3)の参拝受入の差止請求は,その差止対象行為
の特定を欠くとまではいえず,また,前記第1の2(2)の請求をしていることをもっ
てしても,不適法とまではいえない。
 しかし,原告1外4名の主張する前記第2の4(3)ア(イ)の権利ないし利益は,上
記2(4)及び(5)のとおり,法律上保護される権利ないし利益とはいえないし,本件
参拝の受入れによって侵害を受けたともいえないものである。
 したがって,原告1外4名は,前記第2の4(3)ア(イ)の権利ないし利益に基づ
き,被告靖國神社に対して,被告内閣総理大臣の参拝の受入れを差し止める権
利を有するとはいえない。
(2) 本請求についての結論
 上記(1)の結果,原告1外4名の前記第1の2(3)の差止請求は,その余の点に
ついて判断するまでもなく理由がないので,棄却すべきである。
第4 結論
 以上の次第であるから,原告1外4名の被告らに対する靖國神社参拝の違憲確
認請求に係る訴え及び被告内閣総理大臣に対する靖國神社参拝の差止請求に係
る訴えをいずれも却下することとし,原告1外4名のその余の請求並びにその余の
原告らの請求をいずれも棄却することとして,主文のとおり判決する。
 大阪地方裁判所第3民事部
 裁判長裁判官    村  岡     寛
           裁判官小  堀     悟
           裁判官辻  井  由  雅
平成13年(ワ)第11468号の2 
          主        文
 1 原告らの本件各訴えをいずれも却下する。
 2 訴訟費用は原告らの負担とする。
          事実及び理由
第1 請求
 1 原告らと被告らとの間で,小泉純一郎が,平成13年8月13日,内閣総理
大臣として靖國神社に参拝したことは違憲であることを確認する。
(以下「本件違憲確認請求」という。)
 2 被告内閣総理大臣小泉純一郎は,内閣総理大臣として靖國神社に参拝しては
ならない。
(以下「本件差止請求」という。)
第2 事案の概要等
 1 事案の概要
   本件は,内閣総理大臣である小泉純一郎(以下「小泉」という。)が平成1
3年8月13日に宗教法人である靖國神社(以下「宗教法人靖國神社」という。)
の施設である靖國神社(以下,単に「靖國神社」という。)を参拝した(以下,こ
れを「本件参拝」という。)ことから,原告らが,本件参拝は政教分離原則を規定
した憲法20条3項に違反しており,本件参拝によって原告らの「戦没者が靖國神
社に祀られているとの観念を受け入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し
祭祀するか,しないかに関して(公権力からの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定
し,行う権利ないし利益」が侵害されたと主張して,行政庁の公権力の行使に関す
る不服の訴訟(抗告訴訟)として,被告らに対して本件参拝の違憲確認を,被告内
閣総理大臣小泉純一郎
(以下「被告内閣総理大臣」という。)に対しては上記権利ないし利益に基づき,
内閣総理大臣として靖國神社に参拝することの差止めをそれぞれ求めた事案であ
る。
 2 前提となる事実
(1) 当事者及び関係者
ア 小泉及び被告内閣総理大臣について
 (ア) 小泉は,昭和47年に衆議院議員選挙に初当選し,その後,厚生大臣,郵
政大臣(いずれも当時)等の大臣を歴任し,平成13年4月下旬の自由民主党(以
下「自民党」という。)総裁選挙によって自民党総裁に選出され,同月26日,第
87代内閣総理大臣に任命された(なお,衆議院解散総選挙後の平成15年11月
19日,引き続いて第88代内閣総理大臣に任命された。)。
(イ) 小泉は,本件参拝当時,内閣総理大臣であった。
(ウ) 被告内閣総理大臣は,被告国の一機関であり,行政権を有する内閣の首長で
ある。
イ 靖國神社について
 (ア) 宗教法人靖國神社は,宗教法人法に基づき,東京都知事の認証を受けて設
立された宗教法人であり,靖國神社を設置している。
(イ) 宗教法人靖國神社は,東京都千代田区九段北3丁目1番1号に社務所をお
き,「明治天皇の宣らせ給うた『安國』の聖旨に基き,國事に殉ぜられた人々を奉
斎し,神道の祭祀を行ひ,その神徳をひろめ,本神社を信奉する祭神の遺族その他
の崇敬者(〔中略〕)を教化育成し,社会の福祉に寄与しその他本神社の目的を達
成するための業務及び事業を行ふこと」を目的としている(靖國神社規則3条)。
(ウ) 靖國神社は,明治2年6月,明治維新の内戦(戊辰戦争)において,国のた
めに一命を捧げた人たちの霊を慰めようとして,明治天皇によって「東京招魂社」
として創建されたのが起源で,明治12年には,「靖國神社」と改称された。明治
天皇が命名した「やすくに」という社号には「国を平安にし,平和な国を作り上げ
る。」という思いが込められている。
(エ) 靖國神社には,戊辰戦争で戦死した三千五百八十八柱の霊,その後の「佐賀
の乱」,「西南戦争」,「日清戦争」,「日露戦争」,「第一次世界大戦」,「満
州事変」,「支那事変」,「大東亜戦争」等の事変,戦争で戦死した者の霊など現
在合計二百四十六万六千余柱の霊が祀られている(その霊の中には,極東国際軍事
裁判の結果,戦争犯罪人として処刑されたA級戦争犯罪人(いわゆるA級戦犯)の
霊も含まれている。)。
(甲33,34,弁論の全趣旨)
(2) 本件参拝の態様等
ア 小泉は,終戦記念日の二日前である平成13年8月13日午後4時30分ころ
に本件参拝を行ったが,その態様は,参集所玄関から参入し,f宮司らの出迎えを
受け,参集所内において「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳した後,拝殿正面から
中庭を経て,本殿に昇殿し,戦没者の霊を祀った祭壇に黙祷した後,深く一礼を行
うというものであった(神道形式であるいわゆる「二拝二拍手一拝」は行っていな
い。)。なお,靖國神社の本殿上壇の間に供えられていた献花には「献花内閣総理
大臣小泉純一郎」という名札が付されていた。小泉は,参拝後,到着殿菊花の間に
てf宮司と懇談した後,同広間で記者との会見に応じた(甲1,45,乙A1の
2,弁論の全趣旨)。
イ 小泉は,本件参拝に際して,秘書官を同行させ,靖國神社への往復に公用車を
用いた。なお,他の閣僚を同伴していない(甲1,乙A1の2,弁論の全趣旨)。
ウ 小泉は,本件参拝の際,玉串料を支出することはせずに,献花代(3万円)を
私費で負担した(甲1,弁論の全趣旨)。
エ 本件参拝の実施については,内閣の閣議で決定されたものではなかった(弁論
の全趣旨)。
オ 本件参拝前後の小泉の言動
(ア) 本件参拝前の言動
a 小泉は,自民党総裁選挙の告示から4日後の平成13年4月15日,日本遺族
会会長及び副会長に対し,電話により,自分が総裁になったら,必ず8月15日に
靖國神社を参拝する旨述べた(甲37の20)。
b 小泉は,同年4月18日の自民党総裁選挙の討論会において,「尊い命を犠牲
に日本のために戦った戦没者たちに敬意と感謝の誠を捧げるのは政治家として当
然。まして,首相に就任したら,8月15日の戦没者慰霊祭の日にいかなる批判が
あろうと必ず参拝する。」旨発言した(甲3)。
c 小泉は,同年5月9日,衆議院本会議において,戦没者に敬意と感謝の誠を捧
げたい思いは変わりなく,個人として参拝するつもりである旨明言したが,その日
の夕方,記者から「個人」としての参拝と「首相」としての参拝の違いを質問され
たのに対して,「同じだ。総理として,個人として参拝する。内閣総理大臣の肩書
は消せない。」などと答えた(甲37の9,11,12)。
d 小泉は,同月14日,衆議院予算委員会において,「戦争の犠牲者への敬意と
感謝を捧げるために,靖國神社にも内閣総理大臣として参拝するつもりだ。」,
「よそから言われてなぜ中止しなければならないのか分からない。」「公式とか非
公式とかマスコミはとりあげたがるが,私には分からない。」,「戦没者にお参り
することが宗教的活動と言われればそれまでだが,靖國神社に参拝することが憲法
違反だとは思わない」,「宗教的活動であるからいいとか悪いとかいうことではな
い。A級戦犯が祀られているからいけない,ともならない。私は戦没者に心からの
敬意と感謝を捧げるために参拝する。」旨答弁した(甲3,5,37の13ないし
16)。
e 小泉は,同年6月20日,党首討論において,「国民の中にも,戦没者の慰霊
の中心的施設は靖國神社だという方が多くいるというのも事実だ。そういう方々の
心を無視するのはいかがなものか。」などと発言した(甲3,37の17)。
(イ) 本件参拝直前の状況について
a 小泉は,平成13年8月15日に靖國神社を参拝することを繰り返し発言して
いたが,中華人民共和国(以下「中国」という。)や大韓民国(以下「韓国」とい
う。)などが反発し,与党内でも自重を求める声が広がったことから,同月13日
午後1時過ぎころ,福田康夫内閣官房長官及び山崎拓自民党幹事長と協議し,その
結果,日程を前倒しして同日中に本件参拝を実施することを決定した(甲1,
3)。
b 福田康夫内閣官房長官は,本件参拝の直前の同月13日午後4時5分,下記の
とおり,「首相談話」を読み上げた(甲2)。
            記
「わが国は,明後8月15日に,56回目の終戦記念日を迎えます。21世紀の初
頭にあって先の大戦を回顧するとき,私は,粛然たる思いがこみ上げるのを抑える
ことができません。この大戦で,日本は,わが国民を含め世界の多くの人々に対し
て,大きな惨禍をもたらしました。とりわけ,アジア近隣諸国に対しては,過去の
一時期,誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い,計り知れぬ惨害と苦痛を
強いたのです。それはいまだに,この地の多くの人々の間に,癒しがたい傷痕とな
って残っています。
 私はここに,こうしたわが国の悔恨の歴史を虚心に受け止め,戦争犠牲者の方々
すべてに対し,深い反省とともに,謹んで哀悼の意を捧げたいと思います。
 私は,二度とわが国が戦争への道を歩むことがあってはならないと考えていま
す。私は,あの困難な時代に祖国の未来を信じて戦陣に散っていった方々の御霊の
前で,今日の日本の平和と繁栄が,その尊い犠牲の上に築かれてることに改めて思
いをいたし,年ごとに平和への誓いを新たにしてまいりました。私は,このような
私の信念を十分に説明すれば,わが国民や近隣諸国の方々にも必ず理解を得られる
ものと考え,総理就任後も,8月15日に靖國参拝を行いたい旨を表明してきまし
た。
 しかし,終戦記念日が近づくにつれて,内外で私の靖國参拝是非論が声高に交わ
されるようになりました。その中で,国内からのみならず,国外からも,参拝自体
の中止を求める声がありました。このような状況の下,終戦記念日における私の靖
國参拝が,私の意思とは異なり,国内外の人々に対し,戦争を排し平和を重んずる
というわが国の基本的考え方に疑念を抱かせかねないということであるならば,そ
れは決して私の望むところではありません。私はこのような国内外の状況を真摯に
受け止め,この際,私自らの決断として,同日の参拝は差し控え,日を選んで参拝
を果たしたいと思っています。
 総理として一旦行った発言を撤回することは,慙愧の念に堪えません。しかしな
がら,靖國参拝に対する私の持論は持論としても,現在の私は,幅広い国益を踏ま
え,一身を投げ出して内閣総理大臣としての職責を果たし,諸課題の解決にあたら
なければならない立場にあります。
 私は,状況が許せば,できるだけ早い機会に,中国や韓国の要路の方々と膝を交
えて,アジア・太平洋の未来の平和と発展についての意見を交換するとともに,先
に述べたような私の信念についてもお話ししたいと考えています。
 また,今後の問題として,靖國神社や千鳥ヶ淵戦没者墓苑に対する国民の思いを
尊重しつつも,内外の人々がわだかまりなく追悼の誠を捧げるにはどのようにすれ
ばよいか,議論をする必要があると私は考えております。
 国民各位におかれては,私の真情を,ご理解賜りますよう切にお願い申し上げま
す。」
(ウ) 本件参拝後の言動
 小泉は,本件参拝の後,記者会見で,「かねがね今日の日本の平和と繁栄は,先
の大戦で心ならずも命を失わなければならなかった方の犠牲の上に成り立っている
と感じ,愛する人たちとの思いを断ち切り,祖国のために散っていった方々はさぞ
無念だったと思う。そうした方々の犠牲の上に今日があるということを忘れてはな
らない。心から誠意と感謝の誠を捧げたいと思って参拝した。」と述べ,8月15
日の参拝を避けた理由等について「中国や韓国や近隣諸国との友好関係を図ってい
きたいと心から思っているが,8月15日に参拝することによって逆の取り方をさ
れることが鮮明になってきた。逆にとられるのは好ましくない。」,「総理大臣と
して,人の言うことを聞かなければいけないなと思い,いろんな方々の意見をうか
がってきた。熟慮に
熟慮を重ねた結果,今日がいいのではないかと私が判断した。」,「状況が許せ
ば,中韓両国の首脳の方々と話合いの機会を持ちたい。」などと述べたが,「公式
かどうか。私はこだわりません。総理大臣である小泉純一郎が心をこめて参拝し
た。それだけです。」との発言をして公式参拝か私的参拝かの明言を避けた(甲
1,45)。
(3) 平成14年4月21日の参拝
 小泉は,平成14年4月21日,春季例大祭の初日に靖國神社に参拝した。小泉
は,同日午前8時30分ころに靖國神社に到着し,同日午前9時40分ころから,
本件参拝と同一の方式により参拝を行った。小泉は同参拝後,記者会見に応じ,
「心ならずも家族を残して戦争に赴き,命を捧げた御霊に敬意と感謝を捧げた。」
と述べたほか,同年8月の参拝についての質問に対し,「ありません。一年一度と
思っている。」と答えた(甲30の1ないし3,32)。
(4) 平成15年1月14日の参拝
 小泉は,平成15年1月14日,靖國神社を参拝した。これは,小泉が平成13
年4月に首相に就任してから三度目の参拝となる。
3 争点
(1) 本件各訴えは,抗告訴訟の要件を具備して適法といえるか否か(両請求に共
通)。
ア 原告らの主張
(ア) 公権力の行使にあたること(両請求に共通)
 抗告訴訟は,「行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟」(行政事件訴訟法3
条1項)をいうところ,以下のとおり,被告内閣総理大臣による本件参拝行為は,
まさに「公権力の行使」であり,抗告訴訟の対象となるというべきである。
a 公権力の行使とされるためには,「行為の公権力性」と「法律上の地位に対す
る影響」という2つの要素が必要とされている。
b まず,「行為の公権力性」については,その行為の効果の面を重視し,その観
点から公権力性が認められれば足りる。
 本件参拝は,後記(3)アのとおり,憲法20条3項で禁止されている「国及びその
機関」としての「宗教的活動」にあたるのであって,その効果は特定の宗教への援
助・助長・促進という重大な効果をもたらし,そのために国民の信教の自由の行使
に深刻な影響を及ぼすものである。本件参拝のこのような効果に鑑みれば,本件参
拝が「行為の公権力性」の要件を満たすことが明らかである。
c 「法律上の地位に関する影響」とは,個々人に対する具体的な権利義務関係を
形成するなどの法律効果を生じることとされている。
 しかるところ,後記(2)ア(イ)の「戦没者が靖國神社に祀られているとの観念を受
け入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないかに関して
(公権力からの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う権利ないし利益」という
人格の核心というべきメンタルな権利は,その性質上,一度侵害されると完全に癒
えるということが想定できず,人格に刻印された傷は回復することが困難である。
 そして,本件参拝は,後記(2)ア(エ)及び(オ)のとおり,原告らの上記権利ないし
利益を侵害したものであり,その侵害の程度は不法行為を構成するレベルにあるか
ら,原告ら個々人に対して法的効果を生じるものであることは明らかである。
d よって,被告内閣総理大臣による本件参拝行為は,「公権力の行使」にあた
る。
(イ) 予防的不作為訴訟の要件該当性(本件差止請求について)
a 予防的不作為訴訟の要件
  本件差止請求は,いわゆる無名抗告訴訟のうち,「予防的不作為訴訟」の類型
に属するものである。
 この「予防的不作為訴訟」の類型の無名抗告訴訟の余地を認めたのが最高裁判所
昭和47年11月30日第一小法廷判決(民集26巻9号1746頁・以下「長野
勤評最高裁判決」という。)である。
 長野勤評最高裁判決は,教職員勤務評定における自己評定義務違反の結果として
将来何らかの不利益処分を受けるおそれがあるという場合に,その処分の発動を差
し止めるため,事前にその義務の存否の確定を求めた事案において,「当該義務の
履行によって侵害を受ける権利の性質およびその侵害の程度,違反に対する制裁と
しての不利益処分の確実性およびその内容または性質等に照らし,右処分を受けて
からこれに関する訴訟のなかで事後的に義務の存否を争ったのでは回復しがたい重
大な損害を被るおそれがある等,事前の救済を認めないことを著しく不相当とする
特段の事情がある場合は格別,そうでないかぎり,あらかじめ右のような義務の存
否の確定を求める法律上の利益を認めることはできないものと解すべきである。」
と判示した。これは
,事後的に争ったのでは回復し難い重大な損害を被るおそれがある等の特段の事情
がある場合には,そのような義務の不存在確認訴訟も許されることを示したものと
考えられる。
 本件差止請求も,同判決が示した基準,すなわち,①侵害を受ける権利の性質,
②侵害の程度,③不利益処分(侵害行為)の確実性及びその内容・性質などに鑑み
て,以下のとおり,事後的に争ったのでは回復し難い重大な損害を被るおそれがあ
る等の特段の事情があるのであるから,予防的不作為訴訟として許容されると解す
べきである。
b 第一次判断権留保の原則
  通常問題とされる「第一次判断権留保の原則」については,後記(3)ア(カ)のと
おり,靖國神社の公式参拝の違憲性は,既に明白であるので,第一次判断権者の判
断を待つ必要がない。すなわち,玉串料の奉納でさえ,「特定の宗教とのかかわり
合いを持つこと」であって憲法20条3項の禁止する宗教的活動にあたるのである
(最高裁判所平成9年4月2日大法廷判決・民集51巻4号1673頁,以下「愛
媛玉串料最高裁判決」という。)から,玉串料の奉納よりもより直截な宗教的活動
である参拝行為が違憲であることは,当然である。
c 侵害を受ける権利の性質,侵害の程度
  本件参拝は,後記(2)ア(エ)及び(オ)のとおり,原告らの「戦没者が靖國神社に
祀られているとの観念を受け入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀
するか,しないかに関して(公権力からの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行
う権利ないし利益」を侵害したものであり,その権利侵害の程度は重大である。ま
た,この侵害を受けた権利は,人格の核心というべきメンタルな権利であり,一度
侵害されると完全に癒えるということが想定できず,人格に刻印された傷は回復す
ることが困難であるという性質を有するものである。
 これらのことからすれば,被告内閣総理大臣が今後同様の参拝行為をすれば,原
告らは,回復困難な重大な被害を被る可能性が高い。
d 不利益処分(侵害行為)の確実性等
  被告内閣総理大臣の靖國神社への執着は,歴代の内閣総理大臣の中でもとりわ
け強いものがあり,8月15日という終戦記念日の参拝にこだわったのみならず,
続けて平成14年4月21日に春季例大祭の機会にも靖國神社への参拝を強行した
上,平成15年1月14日にも靖國神社に参拝した。このように被告内閣総理大臣
は,公式参拝が原告らの上記権利ないし利益を直接侵害することを意に介さず,
「公然たる参拝行為」を継続しようと強い意欲を示しており,今後も現職にあるか
ぎり侵害行為を反復することが予想される。したがって,本件参拝と同様の侵害行
為が反復されることは確実である。
e 特段の事情
  したがって,原告らには,被告内閣総理大臣が今後本件参拝と同様の参拝行為
を行った場合にこれを事後的に争ったのでは回復し難い重大な損害を被るおそれが
あり,予防的不作為訴訟を許容すべき特段の事情があるといえる。
f 結論
  よって,本件差止請求は,予防的不作為訴訟の要件を満たし,適法であるとい
える。
(ウ) 不利益排除訴訟の要件該当性(本件違憲確認請求について)
a 不利益排除訴訟の要件
  本件違憲確認請求は,いわゆる無名抗告訴訟のうち,「不利益排除訴訟」(義
務づけ訴訟及び予防的不作為訴訟に含まれない無名抗告訴訟の総称)の類型に属す
るものである。
 無名抗告訴訟たる不利益排除訴訟が許容される要件については,長野勤評最高裁
判決の掲げた要件と同様に考えるべきである。
 したがって,不利益排除訴訟も,①侵害を受ける権利の性質,②侵害の程度,③
不利益処分(侵害行為)の確実性及びその内容・性質などから「回復し難い重大な
損害を被るおそれがある等の特段の事情」がある場合には,許容されると解すべき
である。
b 侵害を受ける権利の性質,侵害の程度,不利益処分(侵害行為)の確実性等
 これらの事情については,上記(イ)c及びdと同様である。
c 特段の事情
 仮に本件差止請求が認められても,本件違憲確認請求が認められなければ,原告
らに「回復し難い重大な損害を被るおそれがある等特段の事情」があるといえる。
その理由は以下のとおりである。
(a) 本件差止請求が認容されるにあたっては,本件参拝が違憲であることが論理
的前提になるのであるが,これはあくまでも判決の理由中の判断であって既判力を
生じない。
(b) 本件訴訟において差止めの対象となる行政庁の処分が,具体的には,「被告
内閣総理大臣(小泉純一郎)の靖國神社参拝行為」に限られ,その範囲でしか既判
力が生じないということになると,原告らは今後あり得るその時々の内閣総理大臣
の靖國神社参拝行為について,そのおそれのある都度,差止請求訴訟を提起しなけ
ればならないことになる。しかし,それは,行為の違憲性についての裁判所の判断
に既判力がないという一事のために原告らに繰り返し労力を強いるという不利益を
課すものに他ならない。また,訴訟提起の時期を逸して,内閣総理大臣が靖國神社
参拝を行ってしまい,原告らの信教の自由がみすみす侵される危険を放置すること
になる。これは,まさに「回復し難い重大な損害を被るおそれがある等特段の事
情」というべきである

d 結論
 よって,本件違憲確認請求は,不利益排除訴訟の要件を満たし,適法であるとい
える。
イ 被告らの主張
(ア) 公権力の行使にあたらないこと(両請求に共通)
  抗告訴訟とは,行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟をいう(行政事件訴
訟法3条1項)。したがって,無名抗告訴訟も行政庁の「公権力の行使」に関する
ものでなければならない。ここにいう「公権力の行使」とは,「行政庁の法令に基
づく行為のすべてを意味するものではなく,公権力の主体たる国又は公共団体が行
う行為のうち,その行為によって,直接国民の権利義務を形成しまたはその範囲を
確定することが法律上認められているもの」をいう(最高裁判所昭和39年10月
29日第一小法廷判決・民集18巻8号1809頁)。それは,法が認めた優越的
な地位に基づき,行政庁が法の執行としてする権力的な意思活動であり,行政庁が
相手方の意思のいかんにかかわらず,一方的に意思決定をし,その結果につき相手
方の受忍を強制しう
るという法律効果をもつ行為を意味するものであり,換言すれば,いわゆる公定力
を生ずるような性質の行為である。
 内閣総理大臣が靖國神社に参拝する行為は,法令上の行為ではなく,およそ国民
にその結果の受忍を強いる法的効果をもつ行為ではないのであり,「その行為によ
って,直接国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定することが法律上認めら
れているもの」にあたらない。そのような意味で,単なる事実行為にすぎず,行政
事件訴訟法3条1項の「公権力の行使」にあたらないのである。
 このような行為が公権力の行使にあたらないことについては,自衛隊演習場内の
土地につき入会権等を有すると主張する者が,その権利侵害に対する救済として,
予防的不作為訴訟として同演習場における射撃訓練等の差止めを求めた事案におい
て,最高裁判所昭和62年5月28日第一小法廷判決・行裁集34巻5号781頁
が,「本件射撃訓練及び本件立入禁止措置はいずれも抗告訴訟の対象となる公権力
の行使に当たる行為に該当しないとして,その差止請求に係る本件訴えをいずれも
不適法とした原審の判断は,正当として是認することができ」ると判示するところ
である。
 なお,原告らは,本件参拝は原告らの法的権利ないし利益を侵害する行為である
から,「公権力の行使」にあたると主張するが,行政庁の行為が国民の権利ないし
利益を侵害し,当該国民に損害賠償請求権が生じたとしても,当該行為がそのよう
な権利義務関係を生じさせたというだけのことであり,当然のことながら,上記最
高裁判所判決のいう「その行為によって,直接国民の権利義務を形成しまたはその
範囲を確定すること」とは,このような権利義務関係が発生する事態をいうもので
はない。よって,原告らの上記主張は失当である。
(イ) 被告国の被告適格について(本件違憲確認請求について)
 原告らは,被告内閣総理大臣のみならず,被告国に対しても,無名抗告訴訟とし
て本件違憲確認請求をしているが,抗告訴訟は「行政庁」を被告として提起しなけ
ればならないものであって(行政事件訴訟法38条1項,11条1項),被告国に
は本件違憲確認請求における被告適格がない。
  (2) 本件各訴えには,訴えの利益があるか(両請求に共通)。
ア 原告らの主張
 本件参拝は,次のとおり,原告らの法律上保護された権利ないし利益を侵害する
ものである。また,本件参拝が違憲であるとの確認判決がなされれば,将来におい
て同様の参拝行為がなされることが予防できるので,原告らの権利ないし利益を守
るのに極めて有益である。よって,原告らには本件違憲確認請求について,訴えの
利益が認められる。
(ア) 原告らの属性について
a 原告a及び原告bは,いずれも戦没者の遺族である。
 原告c及び原告dは,旧日本軍によって徴兵,徴用又は連行され,その結果,戦
死,戦病死した当時の日本臣民の遺族である。
 これらの原告らは,それぞれの宗教ないし思想信条によって戦没者を追悼,祭祀
している。
b 原告は,戦没者の遺族ではないが,靖國神社の信仰と相容れない思想信条を有
する者である。
(イ) 被侵害利益についての内容
 戦没者が靖國神社に祀られているとの観念を受け入れるか否かを含め,戦没者を
どのように追悼するか,あるいは祀るか,祀らないか,またその具体的な死をどう
評価するかということは,死者一般に対する肉親の思いと同様あるいはそれ以上
に,生き残った者の世界観,信条,人生観,宗教等,人格の根本に触れるデリケー
トな問題である。
 私人間においてすら,この問題に関して自己の考えや行いを正統として他人に押
しつけることは,その他人の自由を侵害する不法行為にあたるので許されない。ま
して,公権力がこの問題に関する一定の考え方,態度,行動が正統であると吹聴宣
伝し,かつ,その吹聴宣伝するところに従って行動し,その絶対な影響力をもって
国民の考え方,態度,行動に圧迫・干渉を加え,もって実質的に「正統」を押しつ
けることが許されるはずがない。
 すなわち,原告らが,本件参拝により侵害されたと主張する法律上保護された権
利ないし利益は,「戦没者が靖國神社に祀られているとの観念を受け入れるか否か
を含め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないかに関して(公権力からの
圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う権利ないし利益」である。
(ウ) 上記(イ)の被侵害利益が法律上保護されるべき根拠
a 人格的自律権,自己決定権(憲法13条)
 憲法13条は,個人の尊厳を規定した上で,その個人の幸福追求権を保障してい
る。この幸福追求権は,「個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利」の
総体である。それは,憲法各条が列記する個別的基本権を包括する基本権である。
憲法13条と個別的基本権を保障する各条とは一般法と特別法の関係に立ってお
り,個別的基本権によってカバーされていない場合に限って憲法13条が適用され
る。
 「個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利」のうちでも,その対象法
益が身体の自由,精神活動の自由,経済活動の自由,適正な手続的処遇を受ける権
利,参政権的権利等については,憲法各条の規定によってほぼカバーされている。
それゆえ,憲法13条が独自に適用される領域は,上記以外の「個人の人格的生存
に不可欠な利益を内容とする権利」,具体的には人格的価値そのものにまつわる権
利(名誉とプライバシー)及び人格的自律権(自己決定権)である。
 このうち人格的自律権(自己決定権)とは,個人が「一定の重要な私的事柄につ
いて,他から干渉されることなく,自ら決定することができる権利」である。幸福
追求権は,「個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利」の総体であるか
ら,ここでいう「重要な私的事柄」というのも「個人の人格的生存に不可欠な重要
事項」の趣旨である。
 「戦没者が靖國神社に祀られているとの観念を受け入れるか否かを含め,戦没者
をどのように回顧し祭祀するか,しないかに関して(公権力からの圧迫,干渉を受
けずに)自ら決定し,行う」ことが「個人の人格的生存に不可欠な重要事項」であ
ることは議論の余地がない。したがって,これについて「他から,とりわけ公権力
から干渉されることなく自ら決定することができる権利」は,憲法13条によって
人格的自律権(自己決定権)として個人に保障された権利である。
b 思想及び良心の自由,信教の自由(憲法19条,20条1項前段)
 憲法は,19条において思想及び良心の自由を,20条1項前段において信教の
自由を保障している。これらの権利は,幸福追求権の内実である人格的利益のう
ち,精神活動の自由を対象法益とするものである。
 思想及び良心の自由,信教の自由の規定は,個人が公権力の侵害,干渉を受ける
ことなく,その思想及び良心ないし信仰を選択し,保持し,変更することの自由を
保障するものである。公権力が特定の思想ないし信仰を理由に不利益を課したり,
特定の思想ないし信仰を強制したりすることが許されないことはいうまでもない。
公権力が特定の思想ないし信仰を勧奨することも,事実上強制的な働きをする場合
が多いので,思想及び良心の自由ないし信教の自由の保障に反する。
 「戦没者が靖國神社に祀られているとの観念を受け入れるか否かを含め,戦没者
をどのように回顧し祭祀するか,しないかに関して(公権力からの圧迫,干渉を受
けずに)自ら決定し,行う」ことは,まさに,ものの見方,考え方,信仰内容に関
わる作用である。したがって,これについて「他から,とりわけ公権力から干渉さ
れることなく,自ら決定することができる権利」は,憲法19条,20条1項前段
によって思想及び良心の自由,信教の自由として個人に保障された権利である。
c 宗教教育その他の宗教活動からの自由(憲法20条3項)
(a) 政教分離原則について
 憲法20条3項は,「国及びその機関は,宗教教育その他いかなる宗教活動もし
てはならない。」と規定している。同規定は,政教分離の原則を定めたものである
が,この政教分離については,これを制度的保障とする説と人権規定とする説があ
る。しかし,制度的保障か人権規定かを峻別することに解釈上どれだけの実践的意
味があるかは甚だ疑問である。むしろ,政教分離原則は,制度的保障であるととも
に人権規定でもあると解するのが相当である。
 信教の自由は,思想及び良心の自由と共通の性格を持つが,信教の自由には,思
想及び良心の自由にはない独自の内容が含まれる。それが政教分離原則である。す
なわち,信教の自由と政教分離を一つの総体として捉え,日本国憲法における信教
の自由に関する各条項は,狭義の信教の自由(信仰の自由)と広義の信教の自由
(政教分離)を内容とするものであり,両者は保障の角度を異にするだけであっ
て,両者とも信教の自由を間接的にではなく,直接に保障するものと解される。狭
義の信仰の自由は,強制,抑圧,禁止による侵害からの保障の役割を持ち,広義の
信教の自由(政教分離)は,国家的関与(宗教的活動の主体となること,宗教的活
動・行為への参加・賛助,宗教団体に対する特権・援助の付与)による侵害からの
保障の役割を果たすので
ある。
(b) 憲法20条3項の人権規定としての内容
 憲法20条3項は,国民に対する国及びその機関の宗教教育その他の宗教活動を
具体的に禁止しているのであり,そうである以上,国民には宗教教育その他の宗教
活動からの自由が保障されているものと考えるべきである。
 ここで,「その他の宗教活動」とは,宗教教育に等しいような宗教の普及宣伝,
布教等個人の内心に対する積極的な働きかけを伴う一切の活動をいう。
 ところで,小泉をはじめ被告国の関係者は,「戦没者慰霊の中心的施設は靖國神
社だ。」という宗教法人靖國神社の中核的教義を繰り返し口にし,これを理由に反
復して参拝することによって,小泉,被告内閣総理大臣及び被告国による宗教法人
靖國神社の中核的教義ひいては靖國神社そのものに対する支持を明白にし,同教義
ひいては靖國神社を広く国民に受け入れさせようとしてきた。
 このように,本件参拝という宗教活動は,「戦没者慰霊の中心的施設は靖國神社
だ。」という宗教法人靖國神社の中核的教義ないし靖國神社そのものの国家的布教
宣伝活動を行ったことに他ならない。憲法20条3項は,まさにこのような国及び
その機関の布教宣伝活動を禁止し,その楯の反面として,国民のこのような布教宣
伝活動からの自由を保障したものである。
 そうであるとすれば,国及びその機関から布教宣伝を受けず,「戦没者が靖國神
社に祀られているとの観念を受け入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し
祭祀するか,しないかに関して(公権力からの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定
し,行う」ことは,憲法20条3項によって保障された権利である。
d 信教の自由の現代的展開
(a) 宗教の私事性
  憲法の定める政教分離原則は,国家の宗教的中立性と世俗性という要素からな
っており,宗教の私事性が要請される。また,憲法は,個人の尊厳を基調とし,信
教の自由に手厚い保護を与えているから,そこでは宗教が私事として尊重されてい
ると解される。
 宗教が多元化し,ますます私的事項,個人的事項のものとなりつつあることか
ら,宗教の私事性についてはより重視されてしかるべきである。
 宗教の私事性の重視は,プライバシーの権利と親和性を持つ。プライバシーの権
利は,単に知られたくない権利から,私生活の自由あるいはライフスタイルの自
由,さらにはどのように生きるかという自己決定権へとその内容を広げてきた。宗
教の私事性の重視は,プライバシーの権利と親和性を持つことから,プライバシー
の権利と密接な関係を持ちつつ,下記(b)で述べるとおり,信教の自由の概念もそ
の内容を広げてきた。
(b) 信教の自由の概念の拡大傾向
  最高裁判所は,殉職自衛官を県護国神社に合祀したことが遺族の宗教上の人格
権を侵害するとして国等に損害賠償を求めた事案において,事実関係を私人間の関
係と認定した上で,私人間では相互の宗教上の感情について寛容であることが要請
されており,したがって,宗教上の感情は法的救済を求めることのできる法的利益
とは認められないと判示した(最高裁判所昭和63年6月1日大法廷判決・民集4
2巻5号277頁,以下「自衛官合祀最高裁判決」という。)。
  ところが,この判決以降,プライバシー権の理論の発展を受けて,判決例は
「宗教的感情の保護」に向けて進み出している。すなわち,遺族感情の保護の観点
から,遺骨の無断合葬処分を不法行為と認定した判決(横浜地方裁判所平成7年4
月3日判決・いわゆる骨壺事件)や告別式の静謐を侵害する行為が不法行為にあた
る可能性があると判断した判決(大阪地方裁判所平成元年12月27日・いわゆる
エイズ・プライバシー事件)が出された。これらは,私人間の問題であったが,遺
族の感情が法的利益とされた。
 また,最高裁判所においては,「エホバの証人」の信者がその教義を守って剣道
実技を拒否し,あるいは輸血を拒否するのに,公権力が協力を図らなければならな
いとの趣旨の判決が出された(最高裁判所平成8年3月8日第二小法廷判決・民集
50巻3号469頁・いわゆる神戸高専事件,最高裁判所平成12年2月29日第
三小法廷判決・民集54巻2号582頁・いわゆる東大医科研附属病院輸血事
件)。これらは,いずれも狭義の信教の自由の枠を超える事例として注目に値す
る。すなわち,いずれの事件も公権力が「エホバの証人」の信仰をやめるように強
制したわけではない。しかし,剣道実技を拒否した信者を退学処分としたり,輸血
についての事前の説明を十分にしなかったという行為が,事実上,信者の自分の宗
教に根ざした生き方に圧力
を加える行為と評価されたのである。つまり,最高裁判所が,信教の自由の伝統的
なレベルを超えて,その拡充拡大の方向へ一定の理解を示した事例といえるのであ
る。
(c) 公権力から保護されるべき感情の判断基準
  宗教の私事性が深化する中で,「宗教」の定義自体が多様化し,宗教的プライ
バシー権の尊重という観点からすれば,宗教に準ずべき確固たる信念も公権力から
守られるべきものと解釈することが可能である。
 そして,宗教者であれば,宗教的教義の中に位置づけられており,かつ,その教
義に従って信仰生活を現に送っている場合には,その信仰による感情も法的に保護
されるべきである。また,非宗教者であれば,「その人の生き方に関わる魂の問
題」,「状況に応じて変わるような相対的なものではなく,絶対的な究極的な価値
にかかわるという場合」であれば,その感情も尊重に値するものとして,法的に保
護すべきである。
(エ) 遺族である原告らに対する侵害
a 戦没者の遺族である原告a,原告b,原告c及び原告dにとっては,その親族
が日本の戦争により命を奪われた一方で,生きながらえた自分がいるという重い事
実が自己の存在の基底をなしており,それらが個人としての生き方に大きくかかわ
ってきた。
 この不条理な事実を咀嚼し,生き続ける意思を汲み上げるために,遺族原告らに
対して,「戦没者が靖國神社に祀られているとの観念を受け入れるか否かを含め,
戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないかに関して(公権力からの圧迫,干
渉を受けずに)自ら決定し,行う権利ないし利益」が保障されなければならない。
b 原告c及び原告d
 原告c及び原告dの親族は,植民地宗主国であった日本の戦争に駆り出され,日
本のために命を落とすことを余儀なくされた被害者であり,決して日本の天皇のた
めに忠誠を誓って志願したのではない。原告c及び原告dは,「日本の国家のため
に戦死した者」を祀ることを趣旨として存続している靖國神社において,肉親戦没
者が加害者である戦犯と同列に英霊として合祀されていることに対し,筆舌に尽く
し難い精神的苦痛を感じている。
 本件参拝は,小泉の前後の発言と相まって,原告c及び原告dの肉親戦没者を思
う心の中に土足で踏み込み,彼らの親族をこともあろうに加害者である「日本の国
を守った英霊」として意味付けたことに他ならない。この行為は,肉親戦没者を加
害者である「日本の国を守った英霊」とは考えていない原告c及び原告dの信仰や
思想の中核に挑戦し,これを捨てるよう強制するものといえる。よって,原告c及
び原告dは,本件参拝により,「戦没者が靖國神社に祀られているとの観念を受け
入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないかに関して,
自ら決定し,行う権利ないし利益」を侵害されたといえる。
c 原告a及び原告bについて
 戦没した当時,日本人兵士は,大日本帝国憲法下での被告国の誤った政策の「犠
牲者」であったと同時に,戦場となったアジア諸国の民衆にとっては,その生活を
破壊し,数千万人もの命を奪った「加害者」であった。原告a及び原告bは,長年
の思索を経て,そのような信仰内容,思想信条を抱くに至っている。
 その意味で,原告a及び原告bは,戦没者の死を今も痛恨の思いで深く悼み続け
ているが,決して被告国自身から,あるいはその代表者である内閣総理大臣から,
敬意や感謝を捧げられるべきものとは考えていない。
 しかるに,本件参拝は,小泉の前後の発言と相まって,原告a及び原告bの肉親
戦没者を思う心の中に土足で踏み込み,彼らの親族を敬意や感謝を捧げられるべき
「英霊」として意味付けたことに他ならない。この行為は,肉親戦没者を敬意や感
謝を捧げられるべき「英霊」とは考えていない原告a及び原告bの信仰や思想の中
核に挑戦し,これを捨てるよう強制するものといえる。
 したがって,原告a及び原告bは,本件参拝によって,「戦没者が靖國神社に祀
られているとの観念を受け入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀す
るか,しないかに関して,自ら決定し,行う権利ないし利益」を侵害されたといえ
る。
(オ) 遺族ではない原告に対する侵害
 戦没者の遺族ではない原告eに対しても,「戦没者が靖國神社に祀られていると
の観念を受け入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しない
かに関して(公権力からの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う権利ないし利
益」が保障されなければならない。
 原告e実は,国家の命令は決して「殺すな」という普遍的道徳律を解除するもの
とは考えていないし,国家に命令されれば,「殺す」ことも許され,英雄的行為と
なるというような考え方はできない。
 しかるに,小泉が戦没者に対して敬意を表するのは当然と言い切って本件参拝を
断行したことにより,戦没者を英霊として慰霊・顕彰する宗教法人靖國神社の特殊
な信仰,思想を援助,助長,促進した。この行為は,戦没者を敬意や感謝を捧げら
れるべき「英霊」とは考えていない原告eの信仰や思想の核心に挑戦し,これを捨
てるように強制するものといえる。
 よって,原告eは,本件参拝により,「戦没者が靖國神社に祀られているとの観
念を受け入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないかに
関して,自ら決定し,行う権利ないし利益」を侵害されたといえる。
(カ) 本件参拝が原告らに向けられた行為か否か
 本件参拝は,一見,原告らに対して直接向けられていないようにも見える。しか
し,実態として,内閣総理大臣が靖國神社を参拝すれば,それがニュースとなって
テレビ,ラジオ,新聞等を騒がせるのであって,この影響力の強さを「直接の関係
がない」と言って済ますことはできない。この実態に関しては,内閣総理大臣が靖
國神社を参拝することは,宗教法人靖國神社及びそこに祭られた祭神に対して,国
家が肯定的意味付けをしてこれをマスコミ等を通じて原告らに向けたと理解すべき
である。
(キ) 本件参拝と「強制」について
 原告らは,本件参拝により,自己の信仰や思想の中核を捨てるように強制された
ものであるが,ここでいう「強制」の具体的内容については,次のとおり考えるべ
きである。
 信教の自由や思想及び良心の自由といった精神的自由権が侵害されたというため
には,そこに何らかの「強制」の要素が必要であるとするのが通説とされている。
しかし,江戸幕府の「宗門改め」や「踏み絵」,戦前及び戦中の拷問や虐殺,治安
維持法の成立以降の苛烈な思想・宗教弾圧,転向強制など,権力による明らかな強
制,物理的強制は,日本国憲法下においては姿を消したといってよい。したがっ
て,信教の自由に対する侵害を物理的強制があった場合に限るならば,憲法20条
1項前段の「信教の自由は,何人に対してもこれを保障する。」との規定はほとん
どその機能を果たさなくなるだろう。ここに「強制」の今日的意義を検討する必要
がある。
 そこで,本件参拝をはじめとする政治権力の支えによって,靖國神社は他の神社
とは別格の神社であるとして,靖國神社の宗旨を批判することを差し控え自粛する
「世間全般の雰囲気」が粛々と作られているという現実に注目する必要がある。横
並び意識の中で自分だけは突出していると見られたくないという「世間全般の雰囲
気」は,ときに「自粛」を作り出すことがある。「世間全般の雰囲気」の中での
「自粛」は,あからさまな強制ではないが,「自粛」という仮面をかぶった強制に
他ならない。
 そして,原告らは,本件参拝をはじめとする政治権力の支えによって作られた
「世間全般の雰囲気」によって,靖國神社の宗旨を批判することを差し控え自粛せ
ざるを得ない状態にあったので,ここに原告らの信仰や思想に対する「強制」の要
素を見てとることができる。
イ 被告らの主張
 原告らが主張する権利ないし利益は,次のとおり,法的利益とはいえない上,本
件参拝行為あるいは内閣総理大臣による靖國神社参拝は,原告らに対して,権利を
制限し,又は義務を負わせる性質のものではなく,また,原告らの権利ないし利益
を侵害するものでもない。したがって,本件各訴えは,訴えの利益を欠き,不適法
である。
(ア) 法的権利とはいえないこと
  原告らが主張する「戦没者が靖國神社に祀られているとの観念を受け入れるか
否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないかに関して(公権力か
らの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う権利ないし利益」なるものは,保障
される権利ないし利益の内容が不明確であり,いかなる行為によってどのような状
態に至った場合にその権利ないし利益が侵害されたことになるのかも不明であるの
で,法律上保護された権利ないし利益とはいえない。
 自衛官合祀最高裁判決も,「人が自己の信仰生活の静謐を他者の宗教上の行為に
よって害されたとし,そのことに不快の感情を持ち,そのようなことがないよう望
むことのあるのは,その心情として当然であるとしても,かかる宗教上の感情を被
侵害利益として,直ちに損害賠償を請求し,又は差止めを請求するなどの法的救済
を求めることができるとするならば,かえって相手方の信教の自由を妨げる結果と
なるに至ることは見易いところである。信教の自由の保障は,何人も自己の信仰と
相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して,それが強制や不利益の付与
を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要
請しているものというべきである。このことは死去した配偶者の追慕,慰霊等に関
する場合においても
同様である。何人かをその信仰の対象とし,あるいは自己の信仰する宗教により何
人かを追慕し,その魂の安らぎを求めるなどの宗教的行為をする自由は,誰にでも
保障されているからである。原審が宗教上の人格権であるとする静謐な宗教的環境
の下で信仰生活を送るべき利益なるものは,これを直ちに法的利益として認めるこ
とができない性質のものである。」と判示して,いわゆる宗教的人格権が法的利益
であることを否定している(同旨の裁判例として大阪高等裁判所平成5年3月15
日判決,大阪高等裁判所平成4年7月30日判決,福岡高等裁判所平成4年2月2
8日判決〈以下,それぞれ「大阪高裁平成5年判決」,「大阪高裁平成4年判
決」,「福岡高裁平成4年判決」という。〉がある。)。
(イ) 憲法上の根拠
  原告らは,憲法20条3項によって上記権利ないし利益が保障されていると主
張するが,同条項は,政教分離の原則という制度的保障を定めたものであり,人権
規定ではないから,憲法20条3項が原告らの主張する被侵害利益の根拠とならな
いことは明らかである。
 すなわち,最高裁判所(最高裁判所昭和52年7月13日大法廷判決・民集31
巻4号533頁,以下「津地鎮祭最高裁判決」という。)は,「元来,政教分離規
定は,制度的保障の規定であって,信教の自由そのものを直接保障するものではな
く,国家と宗教との分離を制度として保障することにより,間接的に信教の自由を
保障しようとするものである。」との立場をとっている(同旨の判例として,自衛
官合祀最高裁判決,愛媛玉串料最高裁判決等がある。)。
 したがって,原告らが主張する上記被侵害利益を憲法20条3項から導くことは
できないというべきである。
(ウ) 本件参拝により原告らの権利が侵害されたか否か
a 信教の自由の保障は,国家から公権力によってその自由を制限されることな
く,また,不利益を課せられないとの意味を有するものであり,国家によって信教
の自由が侵害されたというためには,少なくとも国家による信教を理由とする不利
益な取扱い又は強制・制止の存在することが必要と解されている。
 自衛官合祀最高裁判決は,「信教の自由の保障は,何人も自己の信仰と相容れな
い信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して,それが強制や不利益の付与を伴うこ
とにより自己の信教の自由を妨害するものではない限り寛容であることを要請して
いるものというべきである。」とした上,「被上告人が県護国神社の宗教行事への
参加を強制されたことのないことは,原審の確定するところであり,またその不参
加により不利益を受けた事実,そのキリスト教信仰及びその信仰に基づき孝文を記
念し追悼することに対し,禁止又は制限はもちろんのこと,圧迫又は干渉が加えら
れた事実については,被上告人において何ら主張するところがない。(中略)して
みれば,被上告人の法的利益は何ら侵害されていないというべきである。」旨判示
した。
 大阪高裁平成5年判決も,「信教の自由に対する侵害があったといえるために
は,私人に対して,直接,右信教の自由に対する強制的干渉が行われたことを必要
とするものと解される。」と判示し,「(当時の)中曽根首相の行った本件公式参
拝は,靖國神社に対する信仰を否定する控訴人らにとって不快感,憤りないし危惧
の念を生ぜしめるものであったことは前記認定のとおりであるが,これらは,本件
公式参拝の間接的・反射的効果であって,これをもって,本件公式参拝が控訴人ら
に対し,直接,その宗教的信条に強制的干渉を行い,控訴人らの信教の自由を侵害
するものとはいえない。」とした(同旨の裁判例として,福岡高裁平成4年判決,
大阪高裁平成4年判決等がある。)。
b 本件参拝は,原告らの信教を理由として,原告らを不利益に扱ったり,原告ら
に特定の宗教を信仰することを強制したり,あるいは原告らの信仰する宗教を妨げ
たりするものではないから,原告らの信教の自由を侵害するものではないことは明
らかである。
(3) 本件参拝が憲法20条3項所定の宗教的活動にあたって違憲といえるか否か
(両請求に共通)。
ア 原告らの主張
 本件参拝は,次の理由から,小泉が内閣総理大臣として行った公的参拝であり,
憲法20条3項所定の宗教的活動にあたり,違憲である。
(ア) 宗教法人靖國神社の宗教団体性
a 宗教法人靖國神社の設立目的等
  宗教法人靖國神社は,宗教法人法に基づき,東京都知事の認証を受けて設立さ
れた宗教法人であって,宗教の教義や宗教施設である靖國神社等の施設を備え,神
道儀式に則った祭祀を行う宗教団体であり,神道の教義をひろめ,儀式行事を行
い,また信者を教化育成することを主たる目的とする神社である。
b 国民統合の宗教施設・軍事施設
  靖國神社は,国家機関として,明治初期から太平洋戦争の敗戦に至るまでの七
十数年にわたって,国家神道体制の中核に位置した。「神聖不可侵」,「現人神」
天皇制のもと,「天皇のために」戦没死,戦病死した人を「英霊」として祭祀・顕
彰し,軍国主義の精神的支柱としての役割を果たしてきた。
 戦前の日本の軍国主義は,軍部の専横のみで独り成立し得たのではなく,独善と
覇権の思想,天皇制国家神道のもとで培われた忠臣愛国,滅私奉公等,近代の「自
我」を排する当時の国民の道徳観,世界観がその生成に大きな力を与えている。
 しかし,このような国民の道徳観,世界観は,決して国民の側から自発的に生ま
れたものではなく,学校を布教所とし,教育勅語を教典とする徹底した皇民化教
育,すなわち国家神道の宗教教育によって国家が国民に強制したものである。これ
ら皇民化政策は,日本の植民地支配によって「帝国臣民」とされた植民地人民に対
しては,異民族性を徹底的に解体するなど熾烈を極めたものであった。これを明確
な死生観,宗教観念によって支えたのが「天皇のために」戦死すれば神として祀る
靖國神社であった。
 戦没者の霊は,国家と靖國神社により,一方的に,遺族に何の断りもなく,靖國
神社に合祀され,「英霊」として扱われた。それによって累々と続く戦死が正当化
され,美化された。靖國神社は,戦闘意欲旺盛な「帝国臣民」を無限に生み出す宗
教的,思想的装置であった。
 国家は,戦争に駆り出された兵士に対し,戦死が「犬死に」であるとの疑念を挟
ませず,その怨念を周到にも生前から鎮めるために,皇国史観を教育し,靖國神社
に祀られることがあたかも栄誉であるかのような意識を「帝国臣民」に植え付け,
靖國信仰を強制していった。
 このように,靖國神社は,軍国主義日本の象徴であり,植民地人民も含めて「帝
国臣民」を戦争に向けて統合する精神的装置として,まさに「軍事施設」であっ
た。靖國神社は,政治と宗教が結合したときの恐ろしさを如実に示している。
c 戦後も変わらぬ靖國神社の本質
  靖國神社は,戦後,国家管理から離れ,単立の一宗教法人として存続する途を
選んだ(宗教法人靖國神社の成立)。国家とのつながりはなくなったが,戦没者を
「英霊」として慰霊・顕彰することにより戦死を他の死(例えば空襲などによる戦
災死)と峻別し,戦死を尊いものとして褒めたたえるその教義や宗教施設としての
本質は戦前のそれと何ら変わっていない。
 民間の一宗教法人となったものの,宗教法人靖國神社は,戦後も引き続き国家か
ら特権を受けてきた。厚生省(現厚生労働省)が靖國神社に祀る戦没者の名簿を作
成して交付し,宗教法人靖國神社がこの名簿により新たな祭神を霊璽簿に書き加
え,合祀してきたのである。祭神として祀るべき戦没者の選択は,靖國神社の教義
と礼拝行為の中核的作業である。宗教法人靖國神社の宗教行為は,国家の特別の便
宜供与によって成り立ってきたのである。
 また,宗教法人靖國神社は,内閣総理大臣の公式参拝を求めているだけでなく,
天皇の「御親拝」の復活をも悲願としている。宗教法人靖國神社が国家機関による
参拝を求めるのは,まさに憲法20条1項後段が定める「いかなる宗教団体も国家
から特権を受けてはならない」との規定に明らかに反する。この姿勢は,宗教法人
靖國神社の時代錯誤と憲法感覚の欠如を示すものである。
 宗教法人靖國神社には,わが国の戦争,とりわけわが国のみならず中国,朝鮮半
島をはじめアジア諸国に惨禍をもたらした侵略戦争に対する反省の態度は微塵も見
られない。また,宗教法人靖國神社が合祀する戦没者の遺族が幾人も,自己の親族
が靖國神社に合祀され「英霊」とされていることに怒りを覚え,合祀取消しを要求
してきたが,宗教法人靖國神社はこれに応じていない。
(イ) 本件参拝の宗教行為性
 靖國神社の本殿には,礼拝の対象である祭神が奉斎されている。靖國神社の祭神
は,原告らの親族を含む戦没者の霊である。
 小泉は,上記2(2)アのとおり,本件参拝に際し,靖國神社本殿に昇殿し,戦没者
の霊を祀った祭壇に黙祷した後,深く一礼を行ったが,宗教法人の宗教施設におい
て,その祭神に拝礼することは,典型的な宗教行為であり,社会通念に照らして
も,これが宗教行為に該当することは明らかである。
(ウ) 内閣総理大臣としての本件参拝
a 本件参拝の態様
  小泉は,本件参拝に際して,上記2(2)ア及びイのとおり,秘書官を同行させ,
公用車を用いて靖國神社に向かい,「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳し,「献花
内閣総理大臣小泉純一郎」との名札を付けて献花した。また,小泉は,本件参拝の
際,私人や一般参拝者では通行できず,過去に天皇が通行した通路を通って本殿に
入った。これらの参拝の態様からして,小泉が内閣総理大臣としての立場で本件参
拝をしたというほかない。
b 小泉の発言
(a) 本件参拝前
 小泉は,本件参拝が純粋に私的なものであることを明確にしたことは一度もな
く,かえって本件参拝の前には「首相になったら靖國神社の公式参拝を行う」(平
成13年4月16日の日本遺族会及び軍人恩給連盟の幹部に対する発言),「首相
に就任したら,8月15日の戦没者慰霊祭の日にいかなる批判があろうと必ず参拝
する。」(平成13年4月18日の自民党総裁選挙討論会での発言),「靖國神社
の公式参拝は日本人の原点だ。日本のために犠牲になった人のために参拝する。」
(自民党総裁選挙中の公約),「戦争の犠牲者への敬意と感謝を捧げるために,靖
國神社にも内閣総理大臣として参拝するつもりだ。」,「よそから言われてなぜ中
止しなければならないのか分からない。首相には私生活はないともいえ,公式,非
公式の議論は理解でき
ない。」(平成13年5月14日の衆議院予算委員会での答弁)等の発言を繰り返
し,内閣総理大臣として参拝する姿勢を終始明確にしてきた。これらの発言から,
国民の誰もが,小泉の靖國神社参拝は当然内閣総理大臣として行うものであると受
け止めていた。
 なお,日本遺族会副会長は,小泉の上記公約を受けて,平成13年4月27日,
「自民党総裁選挙では靖國神社参拝が争点となった。小泉さんが『絶対(公式参拝
を)やる。遺族会にも伝えてほしい。』と電話をかけてきた。小泉さんなら勇気を
もってやってくれる。」と発言していた。
 また,福田康夫内閣官房長官は,本件参拝の直前に,靖國神社参拝の実施日を8
月15日から同月13日に変更した理由等について,「総理として一旦行った発言
を撤回することは,慙愧の念に堪えません。しかしながら,靖國参拝に対する私の
持論は持論としても,現在の私は,幅広い国益を踏まえ,一身を投げ出して内閣総
理大臣としての職責を果たし,諸課題の解決にあたらなければならない立場にあり
ます。私は,状況が許せば,できるだけ早い機会に,中国や韓国の要路の方々と膝
を交えてアジア,太平洋の未来の平和と発展についての意見を交換するとともに,
先に述べたような私の信念についてもお話ししたいと思います。」という内容の
「首相談話」を読み上げた。
(b) 本件参拝後
 小泉は,本件参拝の後には「公式かどうか。私はこだわりません。総理大臣であ
る小泉純一郎が心をこめて参拝した。それだけです。」との発言をして公式参拝で
あることを否定しなかった。
 小泉は,平成15年1月23日の衆議院予算委員会において,「私は,確かに約
束は致しました。しかし,私の最大の国民に対する約束は行財政改革ですから,そ
ういう改革の中でこういうことを言ったのも事実であります。靖國神社に対して
は,8月15日に行けなかったのは残念でありますが,それぞれ中国,韓国の立場
も考えて,13日に参拝しました。(中略)私は,靖國神社は,総理大臣である小
泉純一郎が参拝して悪いと思っていません。」と答弁し,首相に就任したら,内閣
総理大臣として靖國神社に参拝することを公約した事実を明確にした。
(c) 小泉は,「本件参拝はプライバシーの問題だ。」とか,「私的なものだ。」
と明言したことは一度もない。
c 私的参拝とはいえないこと
  被告らは,本件参拝が内閣総理大臣の資格で行われたものではないと主張する
が,本件参拝が小泉の個人としての行為(私的参拝)であるならば,小泉は,自民
党総裁選挙以来,靖國神社参拝をことさら強調し,これを公約とする必要も,首相
就任後の国会で「首相として参拝する」と明言する必要もなかったはずである。小
泉の個人としての行為であるならば,好きな日に自分でそっと行けば済むことであ
り,ことさら「8月15日の戦没者慰霊祭の日にいかなる批判があろうと必ず参拝
する」と力説する必要もないし,参拝を予定していた8月15日を同月13日に変
更するのも勝手であり,13日に変更した理由についてわざわざ内閣官房長官に
「首相談話」を代読させて弁解する必要もないし,その変更について「総理として
一旦行った発言を撤回
することは,慙愧の念に堪えません。」などと大げさな感慨を国民に述べる必要も
ない。予定を2日早めたことについて,わざわざ「首相談話」を出して弁解したこ
と自体,本件参拝が内閣総理大臣の職務としてなされたことを雄弁に物語ってい
る。
d 小括
 これらのことからすれば,本件参拝が内閣総理大臣として行われたものであるこ
とは明らかである。
(エ) 小泉の靖國神社への強いこだわり
a 小泉は,自民党総裁選挙中から,内閣総理大臣就任後は終戦記念日に靖國神社
へ参拝することを明言してこれに固執し,再考を促す自民党内部からの意見にも,
野党の批判にも,韓国,中国からの中止要請にも耳を傾けようとしなかった。
 また,小泉は,戦没者の追悼のための儀式として「終戦記念日に行われる政府主
催の全国戦没者追悼式が不十分だと思ったことはない。」と発言し,現に本件参拝
後,平成13年8月15日の全国戦没者追悼式に出席していたにもかかわらず,
「戦没者にお参りすることが宗教的活動と言われればそれまでだが,靖國神社に参
拝することが憲法違反だとは思わない。」,「宗教的活動であるからいいとか悪い
とかいうことではない。A級戦犯が祀られているからいけない,ともならない。私
は戦没者に心からの敬意と感謝をささげるために参拝する。」(平成13年5月1
4日の衆議院予算委員会での答弁),「戦没者慰霊の中心施設は,靖國神社だとい
う人が多い。」(平成13年6月20日の党首討論での発言)と発言し,靖國神社
参拝に強くこだわった

b 小泉は,上記2(3)のとおり,平成14年4月21日の春季例大祭の初日に靖國
神社に参拝した際,午前8時30分ころに靖國神社に到着したが,「不意打ち参
拝」であったため,報道陣が間に合わず,マスコミの取材を受けるため靖國神社で
約1時間待って,午前9時40分ころに参拝した。この事実だけでも,春季例大祭
の参拝が単なる私的参拝ではないことが明らかである。
 小泉は,この参拝後,「私の参拝の目的は,明治維新以来のわが国の歴史におい
て,心ならずも家族を残し,国のために命を捧げられた方々全体に対して,衷心か
ら追悼を行うことであります。(中略)国のために尊い犠牲となった方々に対する
追悼の対象として,長きにわたって多くの国民の間で中心的な施設となっている靖
國神社に対して追悼の誠を捧げることは自然なことであると考えます。」との「所
感」を発表し,改めて靖國神社が「戦没者慰霊の中心施設」であることを認めた。
c 小泉は,上記2(4)のとおり,平成15年1月14日,首相就任後三度目となる
靖國神社参拝を行った。
 平成14年7月13日に靖國神社の附属施設である遊就館(日本で最初の戦争博
物館)が新装開館した。この遊就館は,明治15年に「御祭神の奉慰と道徳を欣仰
するため」に開館し,戦争観を中心に近代日本の歴史についての靖國神社のイデオ
ロギーを最も鮮明に伝えている。したがって,小泉の三度目の参拝は,遊就館の発
するイデオロギーを公的に認めたことになる。
d このように,戦没者の追悼のための儀式としては政府主催の全国戦没者追悼式
があるにもかかわらず,小泉が首相就任後三度も靖國神社に参拝したということ
は,小泉が靖國神社参拝に対する強いこだわりの意思を持っているということがで
きる。
(オ) 本件参拝の影響
 死はいかなる意味でも賛美されてはならない。これは憲法が定める「個人の尊
厳」の当然の帰結である。「国家のために」死ぬこと,まして「天皇のために」死
ぬことを賛美するのは,憲法が定立する近代の「個」を自覚し,自立し,自律する
市民に対する冒涜であり,まことに恥ずべきことである。
 小泉は,「戦没者に対する敬意と哀悼の念をささげる。」,「二度と戦争を起こ
してはならないという気持ち」からと言って本件参拝の目的を説明したが,戦死を
賛美してやまない靖國神社はその目的に最もふさわしくない場所である。
 本件参拝は,後述するとおり,憲法の定める政教分離原則に明らかに反し,かつ
靖國神社に合祀されたA級戦犯に「敬意」を表したことに帰結する。それは,憲法
の平和主義を単なる画餅におとしめ,かつ,アジア諸国民との善隣友好を現実に危
うくする。実際,本件参拝は,中国,韓国をはじめ太平洋戦争で甚大な被害を受け
たアジア諸国から多くの反発を招いた。
(カ) 憲法20条3項の宗教的活動にあたるか否か
a 本件参拝は,上記(ウ)のとおり内閣総理大臣として行われたものであるから,
憲法20条3項の「国及びその機関」の活動にあたるといえるし,上記(イ)のとお
り宗教行為というほかなく,また,後述のとおり宗教とのかかわり合いが相当とさ
れる限度を超えるものといえるので,同条項の「宗教的活動」に該当するといえ
る。
b 憲法20条3項の宗教的活動とは,最高裁判所の判例(津地鎮祭最高裁判決な
ど)によれば,国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いをもつ行為のうち,
それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものに限
られ,当該行為の目的が宗教的意義をもち,その効果が宗教に対する援助,助長,
促進又は圧迫,干渉等になるような行為をいうものとされている。
 そして,愛媛県知事が靖國神社の例大祭,慰霊大祭に際し,毎年玉串料を支出し
ていた事案において,最高裁判所は,「県が特定の宗教団体の挙行する同種の儀式
に対して同様の支出をしたという事実がうかがわれないのであって,県が特定の宗
教団体との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことを否定することがで
きない。これらのことからすれば,地方公共団体が特定の宗教団体に対してのみ本
件のような形で特別のかかわり合いを持つことは,一般人に対して,県が当該特定
の宗教団体を特別に支援しており,それらの宗教団体が他の宗教団体とは異なる特
別のものであるとの印象を与え,特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざる
を得ない。」として,憲法20条3項,89条に違反すると判示した(愛媛玉串料
最高裁判決)。
 愛媛玉串料最高裁判決では,「戦没者の慰霊及び遺族の慰謝ということ自体は,
本件のように特定の宗教との特別のかかわり合いを持つ形でなくてもこれを行うこ
とができると考えられる。」と指摘されている。
c 戦没者慰霊のための行事としては政府主催の全国戦没者追悼式が毎年実施され
ており,戦没者の慰霊及び遺族の慰謝ということ自体は,愛媛玉串料最高裁判決が
指摘するように特定の宗教との特別のかかわり合いを持つ形でなくてもこれを行う
ことができるのであって,あえて内閣総理大臣として靖國神社参拝をしなければな
らない理由はない。
d 戦没者慰霊のための方法として全国戦没者追悼式が実施されているにもかかわ
らず,小泉は,上記(エ)のとおり,靖國神社参拝に強くこだわりこれを断行した。
このような小泉の靖國神社参拝に対する強いこだわりの姿勢からして,本件参拝に
より被告国が靖國神社との間でのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったものとい
わざるを得ない。
e 小泉は,本件参拝後,記者会見に応じ,首相談話まで発表したことから,本件
参拝は,一層国内外の耳目を集めた。
 宗教法人靖國神社も,自ら発行する「靖國」の一面で「ふだん意識的に靖國神社
に対する報道を避けて来た嫌いのあるマスコミ各社が今回ばかりは一斉に取り上
げ,首相参拝の是非論のみならず,靖國神社創建以来の歴史にまで遡って解説する
特集記事や特別番組等が競って組まれた。こうした影響を受けてか靖國神社への国
民の関心も日に日に高まり,当神社のインターネットホームページへのアクセス件
数も六月が一万四千件,七月が四万八千件,八月には十九万三千件に急増した。」
と報じている。
 このように,本件参拝は,一般人に対して,特定の神社である靖國神社への関心
を呼び起こすのに絶大な効果をもたらしたのである。これが靖國神社の宗教への援
助,助長,促進の作用を及ぼすものであることは明らかである。
 なお,玉串料の支出という現場に出向かない行為ですら,一般人に対して,県が
当該特定の宗教団体を特別に支援しており,それらの宗教団体が他の宗教団体とは
異なる特別のものであるとの印象を与え,特定の宗教への関心を呼び起こすものと
いわざるを得ないとされており(愛媛玉串料最高裁判決),これとの比較からすれ
ば,小泉が被告国を代表して内閣総理大臣として靖國神社に参拝するという形で特
別のかかわり合いを持つことは,なおさら,一般人に対して,被告国が宗教法人靖
國神社を特別に支援しており,宗教法人靖國神社が他の宗教団体とは異なる特別の
ものであるとの印象を与え,靖國神社という特定の宗教への関心を呼び起こすもの
といわざるを得ない。
f 以上のことからすれば,本件参拝は,愛媛玉串料最高裁判決が県の玉串料支出
を宗教的活動と判断したことよりさらに明確に,その目的が宗教的意義をもち,そ
の効果が宗教に対する援助,助長,促進又は圧迫,干渉等になると認めるべきであ
って,これによってもたらされる被告国と宗教法人靖國神社とのかかわり合いが,
わが国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものといえるの
で,憲法20条3項の宗教的活動にあたるというべきである。
イ 被告らの主張
 本件参拝は,内閣総理大臣の職務行為として行われたものではなく,小泉が,私
人の立場で行ったものである。したがって,本件参拝は,憲法20条3項所定の
「国及びその機関」が宗教的活動を行った場合にあたらないから,憲法20条3項
に違反することはない。
第3 当裁判所の判断
 1 原告らについて
 証拠(甲23,24,26,35,41の1ないし5,甲43の1ないし3)及
び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1) 原告aについて
 原告aは,戦没者(父)の遺族であり,浄土真宗の僧侶であって,かねてから国
家によって戦没者が「英霊」として称えられることは,再び戦没者の「いのち」が
おとしめられることであると強く訴えてきた者であり,また,戦病死した父が靖國
神社に祀られていることに対して,深い屈辱を感じており,数年にわたり,宗教法
人靖國神社に対して霊璽簿から父の名前を削除するように要請してきた者であると
ころ,本件参拝により,国家がその都合で死者を意味付けし,国のために死ぬこと
が「至高の価値」であることを復活させようとしているものと受け止め,本件参拝
に対して,激しい怒りと屈辱の感情を抱いた。
(2) 原告bについて
 原告bは,戦没者の遺族であって,昭和55年,西山短期大学専任講師になり,
平成4年,助教授になり,この間,浄土真宗大谷派教学研究所嘱託を平成3年まで
努め,昭和60年の中曽根康弘首相(当時)の靖國神社参拝に関する訴訟をきっか
けに結成された「真宗大谷派反靖国全国連絡会」の事務局を担当し,以来,政教分
離原則に関連する訴訟を中心に数々の人権に関わる市民運動にかかわってきた者で
あるところ,本件参拝により,国家が靖國神社という特定の宗教を勧奨し,自己の
信仰や信条に干渉したものと受け止め,本件参拝に対して,怒り,憤り,不快又は
不安等の感情を抱いた。
(3) 原告eについて
  原告eは,戦没者の遺族ではないが,朝鮮が日本の植民地であった時代に,そ
の両親が日本の京都府に働きに来ていたため,その地で生まれ育った。原告eは,
終戦後も日本に留まったが,戦前戦後を通じて,民族差別を受け続けたと感じてお
り,また,民族差別の原因の根本は,戦前の日本の天皇制国家,すなわち,天皇を
頂点として社会の底辺の隅々に至るまで人間に上下関係を作り上げてきた社会や民
族間にも日本人と朝鮮人や他のアジア諸民族に上下関係をつける思想にあると考
え,日本が戦前の植民地支配から今日に至るまでの過ちを認め,謝罪しなければ,
人間として対等な関係を築きあげて行くことができないとの考えをもつ者である
が,本件参拝により,国家が民族差別を謝罪するどころか,これと反対の行動をと
り,民族差別をなくし,
共に生きて行こうとする朝鮮人の願いを踏みにじるものであり,朝鮮人の心情を愚
弄するものと受け止め,本件参拝に対して怒りや憤りを抱いた。
(4) 原告cについて
  原告cは,戦没者(父)の遺族であり,日本政府が戦死した父についてその生
死さえ知らせず放置していたことに対して怒りを覚えた上,父が日本の軍国主義の
象徴である靖國神社に合祀されていることに対しても強い憤りの念を抱き,合祀撤
廃を求める訴訟を提起した者であるが,本件参拝により,強制的に徴用された父を
含む韓国人がすべて日本のために命を捨てたものと意味づけられ,日本は侵略戦争
を反省せず,今後も再び過ちを犯す危険があるということを意味するものと受け止
め,本件参拝に対して怒りや憤りを抱いた。
(5) 原告dについて
  原告dは,戦没者の遺族であり,太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会の会長である
が,かねてから靖國神社が戦没者を無断で「英霊」として合祀していることに対し
ても強い憤りの念を抱いていたところ,本件参拝により,強制的に徴用された韓国
人戦没者がすべて日本のために命を捨てたものと意味づけられ,多くのアジアの民
族を犠牲にした侵略戦争を正当化するものと受け止め,本件参拝に対して怒りや不
安を抱いた。
 2 争点(1)(抗告訴訟の要件の具備)について
  (1) 抗告訴訟の要件
 本件差止請求及び本件違憲確認請求に係る訴えは,公権力の行使に関する不服の
訴訟,すなわち抗告訴訟として提起されたものであるが,差止請求訴訟や行為の違
憲確認訴訟という類型は,法定されている抗告訴訟の類型にはあたらないのである
から,法定されている抗告訴訟以外の抗告訴訟(無名抗告訴訟)として提起された
ものといえる。
 抗告訴訟は,「行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟」をさす(行政事件訴
訟法3条1項)ので,抗告訴訟においては,当該処分や行為等が「公権力の行使」
に該当することが必要である。
 ここに,行政事件訴訟法3条1項所定の「公権力の行使」とは,行政庁の法令に
基づく行為のすべてを意味するものではなく,公権力の主体たる国又は公共団体が
行う行為のうち,その行為によって,直接国民の権利義務を形成しまたはその範囲
を確定することが法律上認められているものをいうと解すべきである(最高裁判所
昭和39年10月29日第一小法廷判決・民集18巻8号1809頁)。
  (2) 本件参拝が「公権力の行使」に該当する行為といえるか。
 本件参拝は,小泉が前記第2の2(2)に記載する態様で参拝したものであるが,こ
れが内閣総理大臣の資格で行ったものであるか否かにかかわらず,およそ内閣総理
大臣が靖國神社に参拝する行為は,法令に基づく行為ではなく,その行為によっ
て,直接国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定することが法律上認められ
ているものではないから,本件参拝行為あるいは内閣総理大臣が靖國神社を参拝す
る行為は,単なる事実行為にすぎず,いずれも「公権力の行使」にあたらない。
 なお,原告らは,本件参拝は原告らの「戦没者が靖國神社に祀られているとの観
念を受け入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないかに
関して(公権力からの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う権利ないし利益」
を侵害する行為であるから,「公権力の行使」にあたると主張するが,そもそも後
記3のとおり,本件参拝が原告らの何らかの法的権利ないし利益を侵害したものと
はいえないし,内閣総理大臣の参拝行為によって直接国民に損害賠償請求権が発生
することを定めた法律の規定はないから,原告らの上記主張は採用できない。
(3) 小括
  したがって,本件参拝行為あるいは内閣総理大臣が靖國神社を参拝する行為
は,いずれも行政事件訴訟法3条1項所定の「公権力の行使」にあたらないので,
本件差止請求及び本件違憲確認請求に係る訴えは,抗告訴訟の要件を具備しない不
適法な訴えというほかない。
 3 争点(2)(訴えの利益の有無)について
 上記2のとおり,本件訴えは,そもそも抗告訴訟の要件を具備しない不適法なも
のであって却下すべきものであるが,念のため,争点(2)(訴えの利益の有無)につ
いても検討を加えることとする。
(1) 本件参拝が原告らの法的利益を侵害したか否か
   ア 法的権利性と侵害の有無
 原告らは,本件参拝により,原告ら各自の「戦没者が靖國神社に祀られていると
の観念を受け入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しない
かに関して(公権力からの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う権利ないし利
益」が侵害されたと主張する。
 しかし,人が,自己の信仰生活や戦没者回顧の在り方を決定する行為の静謐を他
者の宗教上の行為によって害されたとして,そのことによって不快の感情を持ち,
そのようなことがないよう望むことのあるのは,その心情として理解できるところ
ではあるが,このような宗教上の感情は,法律上保護された具体的権利ないし利益
とは認め難いから,上記のような宗教的感情を被侵害利益として,直ちに損害賠償
を請求する等の法的救済を求めることはできないと解すべきである(自衛官合祀最
高裁判決)。また,下記イで述べるとおり,本件参拝によって原告らの権利ないし
利益が侵害されたものということもできない。
イ 原告らの主張する憲法上の根拠
(ア) 憲法20条3項について
 原告らは,憲法20条3項により,「戦没者が靖國神社に祀られているとの観念
を受け入れるか否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないかに関
して(公権力からの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う権利ないし利益」が
保障されていると主張する。
 憲法20条3項は,「国及びその機関は,宗教教育その他いかなる宗教的活動も
してはならない。」と規定する。この規定は,国家の制度として,国家と宗教との
結合を禁止する法原則を定めたもの,すなわち政教分離の原則を定めたものと解さ
れる。この政教分離の原則は,国家機関に対し,一定の宗教上の行為を禁止するこ
とによって,国家と宗教との分離を制度的に保障し,もって,信教の自由を間接的
に保障しようとするものであって,この政教分離の原則は,これを国民個人に対す
る具体的権利として保障したものではないと解すべきである(津地鎮祭最高裁判
決,自衛官合祀最高裁判決,愛媛玉串料最高裁判決)。
 原告らは,憲法20条3項は,政教分離に関する制度的保障の規定であり,かつ
人権規定でもあると主張する(龍谷大学法学部のg教授も,同様の見解をとってお
り,愛媛大学教育学部のh教授も,おおむね同様の見解をとっている〔甲39,4
5,48〕。)。しかし,憲法20条3項を人権規定と解する根拠が明確でない
上,人権としての政教分離の具体的内容がいかなるものか,政教分離を人権と解し
た場合にそれが信教の自由とどのような関係に立つのか,信教の自由とは異なった
独自の人権性はどのような点に認められるのかなど不明確な部分が多くの場面で存
在する。信教の自由の保障をより広範に,かつ確固たるものにしようとする原告ら
の上記主張の意図は十分理解できるものの,かかる解釈には不明確,不確定な部分
が残るため,当裁判所
の採用するところではない。
 よって,憲法20条3項により,直接的に原告ら主張の権利ないし利益が保障さ
れていると解することはできない。
(イ) 憲法19条,20条1項前段について
a 憲法20条1項前段は,「信教の自由は,何人に対してもこれを保障する。」
と規定する。
 この信教の自由は,国家から公権力によってその自由を制限されることなく,ま
た,いかなる不利益をも課せられないとの意味を有するものであり,国家によって
信教の自由が侵害されたといいうるためには,少なくとも国家による信教を理由と
する不利益な取扱い又は強制・制止の存在することが必要であり,それ自体が不利
益な取扱い又は強制・制止にあたらないが,人によっては圧迫感や不快感を感じる
ことがあるというような態様で,間接的・反射的に一定の影響力を及ぼしたという
だけでは足りないと解される。
b 憲法19条は,「思想及び良心の自由は,これを侵してはならない。」と規定
する。
 この思想及び良心の自由は,信教の自由と同様に,国家から公権力によってその
自由を制限されることなく,また,いかなる不利益をも課せられないとの意味を有
するものであり,国家によって思想及び良心の自由が侵害されたといいうるために
は,信教の自由と同様に,少なくとも国家による思想及び良心を理由とする不利益
な取扱い又は強制・制止の存在することが必要であり,それ自体が不利益な取扱い
又は強制・制止にあたらないが,人によっては圧迫感や不快感を感じることがある
というような態様で,間接的・反射的に一定の影響力を及ぼしたというだけでは足
りないと解される。
c 本件においては,本件参拝によって,原告らが,不快感や憤りを抱いたとして
も,小泉が原告らに対し,原告らの信教,思想又は良心を理由とする不利益な取扱
いをしたことはないし,原告らに対して一定の信教,思想又は良心を有することを
強制又は制止したと認めるに足りる証拠はない。
 なお,原告らは,前記第2の3(2)ア(カ)のとおり,小泉が内閣総理大臣として靖
國神社に対して肯定的意味付けをしてこれをマスコミ等を通じて原告らに向けたと
主張するが,仮に本件参拝がマスコミ報道等によって大々的に報じられ,その結
果,原告らに不快感が生じたことがあったとしても,それが不利益な取扱いや強
制・制止にあたらない以上,本件参拝によって,原告らの信教の自由又は思想及び
良心の自由が侵害されたとは認められない。
 また,原告らは,前記第2の3(2)ア(キ)のとおり,本件参拝を肯定的に理解する
政治権力や社会勢力により,靖國神社の宗旨を批判することを差し控え自粛する
「世間全般の雰囲気」が作られ,これにより原告らが靖國神社の宗旨を批判するこ
とを自粛せざるを得ない状態になったので,「強制」の要素があると主張する。し
かし,そもそも,このような「自粛せざるを得ない状態」をもって一定の信教や思
想を強制されたとみることは到底できない上,本件参拝等により,靖國神社の宗旨
を批判することを差し控え自粛する「世間全般の雰囲気」なるものが作られたこ
と,原告らが靖國神社の宗旨を批判することを自粛せざるを得ない精神状態に陥っ
たことを認めるに足りる的確な証拠も存しない。よって,原告らの上記主張は,採
用できない。
 以上のことからすれば,本件参拝が原告らの信教の自由又は思想及び良心の自由
を侵害したとは認められない。
d 原告らの主張する「戦没者が靖國神社に祀られているとの観念を受け入れるか
否かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないかに関して(公権力か
らの圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う権利ないし利益」とは,戦没者をど
のように回顧し祭祀するか,しないかに関して自ら決定し,行うことに対して,国
家から圧迫,干渉といった間接的な影響さえも及ぼされない利益をいうものと解さ
れるところ,このような利益は,上記a及びbのとおり信教の自由又は思想及び良
心の自由が国民の信教,思想又は良心に対して間接的な影響力を及ぼす行為からの
自由まで保障しているものとは解し難いことから,信教の自由について規定した憲
法20条1項前段や思想及び良心の自由について規定した憲法19条によって保障
されるとは認め難い

  なお,g教授の意見書(甲39)には,宗教に対して強制や禁止のレベルでは
なく,「干渉」のレベルでも保護されるべき利益があり,これを宗教的人格権とい
うが,このような利益が保障される根拠は,個人の自立・自律を支えるものとして
信教の自由や精神生活の自由が拡充されるべきであること,宗教が多元化し,個人
の価値観も多様化しているという今日においては従来の信教の自由を超えた新たな
展開(現代的展開)を考えるべきことにあるとの記載がある。しかし,上記意見書
では,強制に至らない程度の「干渉」の段階で保護するべきとする法的根拠が薄弱
かつ不明確であり,また,いかなる場合に「干渉」にあたるかという点も不明確な
ものにならざるを得ないので,意見書の上記記載は当裁判所の採用するところでは
ない。
  以上より,原告らの主張する被侵害利益は,憲法19条,20条1項前段によ
って保障されているとはいえない。
(ウ) 憲法13条について
 原告らは,憲法13条によって上記権利ないし利益が保障されていると主張す
る。
 憲法13条は,「すべて国民は,個人として尊重される。生命,身体,自由及び
幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他
の国政の上で,最大の尊重を必要とする。」と規定する。
 この憲法13条の幸福追求権は,憲法の人権規定には列挙されていなくても,人
格的生存に不可欠な利益を総体として含むものであり,ここから,名誉権やプライ
バシー権といった個別的人格権等を人権として承認することができると解されてい
る。
 原告らの主張する「戦没者が靖國神社に祀られているとの観念を受け入れるか否
かを含め,戦没者をどのように回顧し祭祀するか,しないかに関して(公権力から
の圧迫,干渉を受けずに)自ら決定し,行う権利ないし利益」とは,戦没者をどの
ように回顧し祭祀するか,しないかに関して自ら決定し,行うことに対して,国家
から圧迫,干渉といった間接的な影響さえも及ぼされない利益をいうものと解され
るところ,このような利益は,信教の自由や思想及び良心の自由でさえも国民の信
教,思想又は良心に対して間接的な影響力を及ぼす行為からの自由まで保障してい
るものとは解し難い上,人格的生存に不可欠なものといえるか否か疑問があり,い
まだ利益として十分強固なものとはいえないから,憲法13条によって保障される
法的利益とは認め難
い。
 なお,g教授の意見書(甲39)には,宗教が私事として他人の干渉から自由な
ものとして位置付けられるなら,宗教に対する強制や禁止を超えて「信仰生活の自
由」をそこに認めることも可能であり,そのような「信仰生活の自由」は,宗教的
プライバシーの権利と同義であり,宗教的人格権として議論されたものに重なるも
のであるとの記載がある。しかし,上記意見書には「信仰生活の自由」なるものの
権利の内容やいかなる場合にそれが侵害されたといえるのかという点が明確に示さ
れていないし,また,宗教に対する強制に至らない段階で保護するべきとする法的
根拠も薄弱かつ不明確であるから,意見書の上記記載は当裁判所の採用するところ
ではない。
 以上より,原告らの主張する被侵害利益は,憲法13条によっても保障されてい
るとはいえない。
ウ 小括
 以上のとおり,原告らの主張する上記利益は,法的権利ないし利益とはいえない
し,また,本件参拝によって侵害を受けたともいえないものである。
  (2) 訴えの利益の有無について
    よって,本件参拝が原告らの法的権利ないし利益を侵害するものではない
以上,本件各訴えは,いずれも訴えの利益が認められない不適法な訴えというほか
ない。
第4 結論
   以上の次第で,原告らの本件各訴えは,その余の点について判断するまでも
なく不適法であることが明らかであるから,いずれも却下することとし,主文のと
おり判決する。
 大阪地方裁判所第3民事部
 裁判長裁判官    村  岡     寛
           裁判官小  堀     悟
 
           裁判官辻  井  由  雅

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