弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     原判決を次のとおり変更する。
     控訴人は被控訴人に対し金六五、九九三円及びこれに対する昭和二五年
六月二一日以降同年八月七日まで日歩五厘の割合、同月八日以降完済に至るまで年
六分の割合による金員を支払わねばならない。
     被控訴人その余の請求を棄却する。
     訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
         事    実
 控訴代理人は「原判決を取消す、被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、
二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄
却する。控訴費用は控訴人の負担とする」との判決を求めた。
 当事者双方の事実上の主張、証拠の提出援用認否は、
 事実関係につき、
 控訴代理人において「 一、 本件手形割引により明示の特約又は事案たる慣習
に基く消費貸借の成立が認められないとしても、控訴銀行と訴外瑞穂工業株式会社
との間には、本件手形割引により消費貸借を成立させる旨の暗黙の合意があつたも
のである。しかして、銀行が約定書に基き取引する場合の手形割引により消費貸借
関係が成立していたことは、戦前、戦後を通じて同一であつて、ただ戦後は手形の
利用が増大すると共に、不渡手形の数も激増するに至つたので、手形割引の法律上
の性質につき一段と考察が加えられ、消費貸借関係の発生が極めて強く観念される
に至つたにすぎない。割引当事者の合理的意思や銀行業務の取扱には、手形割引を
単純な売買と解することによつては到底説明しえない点があるのであつて、このこ
とはすでに原審において縷縷述べたところであるが、殊に、銀行が手形割引をなす
際には、割引依頼人から予め担保を提供させると共に、割引依頼人の信用を第一に
重視し、手形の主たる債務者の信用には重点がおかれず、特に多数の手形が同時に
割引される場合には、支払人(又は振出人)の信用調査は事案上不可能であるか
ら、かかる場合には割引依頼人の信用のみに依存していること、割引手形が不渡に
なつたときも、割引依頼人から特に依頼のあつた場合の外は、銀行は割引の当初よ
り手形法上の遡求権を行使する考えを特つていないこと、割引依頼人から満期前の
買戻を申出たときには、銀行において必ずこれに応じていること等は手形割引を消
費貸借関係と理解していることを証するものである。のみならず、同じ銀行取引に
おいて、一には売買関係が成立し、一には消費貸借関係が成立するものと解するこ
とは実務上の劃一性にも副わないもので、到底容認することはできないから、統一
的に消費貸借と見るべきものである。そしてこの関係においては、割引される手形
は消費貸借上の債務の担保のために供せられるもの(質権設定)ではなく、「支払
のために」譲渡せられるものであり、消費貸借の履行期は割引手形の満期と一致す
るものである。 二、 いわゆる買戻請求権の法律上の性質は、形成権でないのは
勿論、手形法上の遡求権と同様の請求権でもなく、それは消費貸借上の返還請求権
であり、仮に手形割引が売買たる性質を有し、右見解が失当であるとしても、特約
又は事実たる慣習に基き発生する消費貸借上の請求権類似の請求権である。銀行に
おいては、不渡手形が出た場合にも、割引依頼人に手形を売戻す考えは毛頭なく、
単に割引対価の返還を受けようと考えているにすぎない。なるほど買戻という用語
は再売買の予約に基く権利などの形成権を彷彿させる用語ではあるが、銀行実務上
買戻という言葉は、手形割引のみならず、預金者が手形で預金に入金したが、後に
その手形が不渡になつた場合にも、手形の買戻という言葉が用いられているのであ
つて、右用語から直ちに法律上の性質を云為することは正当ではない。また割引依
頼人が銀行の請求により買戻に応じる場合の割引依頼人の銀行に返還すべき金額
が、右請求が満期後相当の日時を経過した後に行われた場合にも、すべて手形金額
に満期の翌日から買戻の日までの割引料と同率の利息を加えた金額であることは、
右買戻請求権が形成権でないことを証するもので、これを形成権と解するときは右
実務上の取扱を説明することができない。これを形成権と解し、特約又は事実たる
慣習に基き右時点まで効力が遡及するものであるとして、右取扱につき合理的な説
明を図ろうとするものであれば、控訴人主張の如く、特約又は事実たる慣習に基
き、一定の事由が発生したときに、当然買戻請求権が発生し、返還すべき金額は手
形金額と満期の翌日から買戻の日までの割引料と同率の利息の合算額であると解す
るに如くはない。又銀行は割引手形が不渡になつても、特に割引依頼人から依頼さ
れた場合の外は、手形上の遡求権を行使する意思を有しないから、手形の満期前遡
求要件欠缺の場合を救うという要請が生じる筈はなく、振出人同一の数通の手形が
割引せられ、その中の一通が不渡になつた場合における他の期前の手形についての
買戻請求権は、満期前の遡求権と類似の性質を有するものの如くであるか、振出人
を異にする場合には、かかる性質を有しないのは勿論であるし、一般に買戻請求権
は手形上の主債務者とは無関係に、常に割引依頼人(裏書人)に対して発生する権
利であるから厳格な発生要件のもとに発生し、しかも手形に化体していると観念せ
られている満期前の遡求権と特約又は事実上の慣習により認められるに至つたが、
手形に化体しているとは考えられない右の買戻請求権とが類似していると解するこ
とは許されず、又買戻請求権は持参債務であるから、取立債務である手形法上の遡
求権と同様に解することはできない。これを要するに、買戻請求権は消費貸借上の
請求権類似の割引対価返還請求権であり、金銭債権であつて、一定の事由の発生に
より、当然に発生し、ただその権利行使の方法として割引依頼人に請求の手続を採
つているにすぎないものである。
 三、 (1)控訴銀行の旧約定書第二項によると、相殺に関し、「拙者ノ貴行ニ
対スル債務中履行ヲ怠リタルモノァル場合ハ勿論貴行ニ於テ債権保全ノ為必要ト認
メラルル場合ニハ諸預ケ金其他貴行ニ対スル拙者ノ金銭債権ハ総テ拙者ノ貴行ニ対
スル金額債務悉皆ニ対シ右債権債務ノ期限如何ニ拘ラス又拙者ヘノ通知ヲ要セスシ
テ差引計算被成下候共異議無之候」と規定せられ、銀行に完結権を与える意味の一
方の予約を定めたものでないことはその文言上疑をいれない。けだし、相殺予約の
場合には、完結権行使のときに、双方の債権債務が相殺されるもので、当然にその
効力を遡及させるものではないから、相殺一方の予約を定めるには右相殺の効力を
遡及させる旨の特約が必要な筈であるのに、かかる特約が存在しないからである。
従つて、右規定は相殺権発生に関する規定と解すべきである。
 (2) 又右条項によると、何等の意思表示を要せずして相殺をなしうる旨定め
ているが、右特約は何等相手方、或は第三者の地位を不安定ならしめるものではな
いから、もとより無効ではない。そもそも預金払戻債権と買戻請求権とが相殺適状
にあること自体が、すでにいつでも相殺せられるという意味で相手方の地位を不安
定ならしめているのであつて、右特約があるために殊更に相手方の地位を不安定な
らしめるものではないし、また、差押前に預金債権と買戻請求権とが相殺適状にあ
る場合には、差押後においても何時でも相殺をなしうるものであるから、銀行にお
いて相殺の意思表示をなすと否とにより、第三者たる差押債権者の地位がそのため
に不安定となるものではない。要は当事者双方の債権債務がいつ相殺適状になつた
かのその時期が問題であるにすぎないのである。のみならず、被控訴人は訴外会社
に代位して預金払戻債権を取立てる権能を有するにすぎないから、純然たる第三者
と解すべきではないし、訴外会社に対して有効に主張しうる事項はすべて被控訴人
に対しても主張しうるものである。
 (3)、 買戻請求権が手形法上の遡求権と同様の請求権でないことはすでに述
べたとおりであるから、これを前提として、買戻請求権に基く金員の支払と手形の
返還とが同時履行の関係にあるとする立論は、明らかに失当であり、また旧約定書
第二項には前記の如く「拙者ヘノ通知ヲ要セスシテ……」と規定せられているが、
これは手形の呈示返還を要しない旨の合意をも包含するものであり、事実たる慣習
を明文化したものと解せられる控訴銀行新約定書(乙第二号証)第三項には「御請
求次第買戻致すべく、若し私か之に応じない時は手形期日前であつても前項に準じ
て御取扱になつても異議ないこと」と規定せられ、富士銀行、住友銀行、第一銀行
の各約定書にもほぼ同様の規定がなされているのであるが、これらの規定は、買戻
の請求をせられたときは異議なく無条件で買戻す旨の意味を表示したものであつ
て、訴外会社も亦右特約に基いて控訴銀行と手形取引を始めたものである。仮にか
かる特約がなかつたとしても、銀行取引においては、割引依頼人から特に割引対価
の返還と引換に手形の返還を求めない限り、まず割引対価の返還を受け、その後手
形を割引依頼人に返還しているのであつて、この取扱は長年にわたる銀行取引の慣
行として、事実たる慣習として成立していたものである。
 従つて、いずれにせよ、割引対価の返還と手形の返還とは同時履行の関係にはな
く、割引対価は手形の返還に先行してこれを支払うべき義務があるものである。
 (4)、 仮にこれらが同時履行の関係に立ち、手形の返還が相殺の有効要件で
あるとしても、相殺契約があるときは手形の返還を要しないのであつて、それが特
定の手形に関すると、将来における不特定多数の手形に関するとにより異るところ
はない。右いずれの場合に弊害を生じるかは、手形所持人によることであつて、特
定の手形でも高利貸の場合はむしろ危険であり、多数の手形でも、銀行の場合は安
全なのである。しかして、銀行が預金と相殺する如き強制的手段に出るのは、よほ
ど依頼人の信用が悪化している例外的な場合に限るのであつて、銀行は融資回収の
ための最後的手段としてやむをえず相殺をなし、それでもまだ全債権の回収に達し
ない場合に始めて手形の返還を保留し、満期に取立に廻すのであつて、銀行のかか
る処置は大衆の預金の保管につき重大責任を有する銀行としての当然の措置であつ
て、これを目して銀行の恣意的行為と嫌悪するにはあたらない。しかも、右取立は
通常事前に割引依頼人の了解をえているものである。のみならず、かかる極めて異
例な場合の措置を非難する余り、原則の場合まで手形の返還をもつて相殺の有効要
件と解することは本末を顛倒するものであつて、到底とるをえない。
 (5)、 被控訴人は前記の如く国税徴収法第二三の一第一項により単に差押債
権たる本件預金払戻債権の取立権を取得するにすぎず、右債権は依然訴外会社に属
すると解すべきであるから、すでに原審で述べた如く訴外会社に対し相殺の意思表
示をしたのであるが、仮に右権利が被控訴人に移転し、且つ買戻債務の支払と手形
の返還とが同時履行の関係にあるとすれば、本訴(昭和三三年九月二二日の弁論期
日)において、右買戻債権を自働債権とし、前記預金払戻債権を受働債権として、
対等額において(但し、原判決末尾添付第五目録の最後の一五〇、〇〇〇円はうち
四三、六九七円七〇銭を除く)別紙目録記載の手形二二通を被控訴人に呈示して、
相殺の意思表示をする。また控訴人は訴外会社に対し、同年一〇月二三日到達の書
面を以て、本件買戻債権を自働債権とし、前記預金払戻債権を受働債権として、対
等額において(但し、前同様買戻債権中四三、六九七円七〇銭を除く)相殺する旨
の意思表示をすると同時に、右二二通の手形を訴外会社に返還した。
 四、 買戻請求権が手形上の権利であるとしたとき、その権利を行使した場合に
は、本件手形割引は前記の如く消費貸借を成立させるものであるから、控訴銀行の
手形の占有は商行為たる手形割引行為により債務者たる訴外会社所有の手形を取得
したことに帰因するものというべく、控訴銀行において右手形につき商事留置権を
有することはもとより当然であり、仮に手形割引の法律上の性質が売買であるとし
ても、買主がいつたん買取つて所有権を取得した物の所有権が、後にその契約が解
除されたため売主に復帰したような場合にも、債権者たる買主は、その物につき留
置権を行いうること、及び銀行か行う相殺が営業のためにする行為であり、附属的
商行為に該当することに徴すると、銀行が本件手形につき商事留置権を有すること
は勿論であつて、留置権者としての保管の権限により、手形支払期日が到来すれ
ば、手形を呈示、取立し、又は遡求権を行使してその取立金を保管すべき権利義務
があると解する」と述べ、
 被控訴代理人において「一、買戻請求権については、控訴銀行と訴外会社間に明
示若くは黙示の特約がなかつたのは勿論、事実たる慣習も存在しない。特に、銀行
と取引先との間に数通の手形割引が行われた場合において、そのうちの一通が不渡
となり、銀行が割引依頼人にその買戻を請求したが、依頼人がこれに応じなかつた
ときは、銀行は、他の期日前の手形について、当然に買戻請求権を取得するという
が如き慣習は全く存しない。控訴人提出の各約定書(乙第二、第九、第一一、第一
二号証)によるも、銀行が支払停止若くは支払不能のおそれがあると認めたとき
は、満期前でも銀行の請求あり次第、当該手形を買戻す趣旨を規定しているにすぎ
ないのであつて、これらの諸条項は、銀行がある手形の支払人(ないしはその他の
手形関係人)に支払停止のおそれがあると考え、満期の支払に危険を認めたとき
は、銀行は、満期前でも当該手形の買戻を請求することができるとしたもので、そ
の場合、一通の不渡手形がでて、割引依頼人がその買戻を怠つたことを要件とする
ものではなく、支払人(ないしは割引依頼人)に支払停止のおそれがなければたま
たまその割引依頼人が一通の不渡手形の買戻を怠つたからといつて、他の支払確実
な手形についてまで満期前の買戻請求を認めたものではない。しかも銀行の取扱に
おいても、銀行が割引いた数通の手形のうち一通が不渡になり、割引依頼人がその
買戻を怠つた場合でも、銀行が、依頼人の信用にそれ程の不安をいだかず、或は依
頼人に信用がなくても、支払人が有力な大会社で支払確実と認められる手形につい
ては、満期前の買戻を請求していないのであるから、かかる慣習の存在するいわれ
はない。のみならず、昭和二五年八月頃から昭和二九年二月頃までの四年間に控訴
銀行甲支店において、数通の割引手形のうち一通が不渡になり、割引依頼人におい
てその買戻を怠つたとき、他の手形につき満期前の買戻の請求のなされた事例が数
件あつたとしても、その間、数通の割引手形のうち一通が不渡になつて、割引依頼
人がその買戻を怠つたような事例は、より以上の多数にのぼるものと思われる。と
すれば、他の手形につき満期前の買戻を請求した事例が僅か数件であるということ
は、かかる取扱がむしろ例外的であることを物語るものというべきであるから、か
かる異例の僅少の事例から慣習の存在を認めることはできない。
 二、 しかして、前記諸約定書は、ある割引手形の支払人(ないしはその他の手
形関係人)について銀行が支払停止若くは支払不能のおそれありと認めたときは、
銀行は満期前でもその手形の買戻を請求することができ、そして、割引依頼人がこ
れに応じないときは、他の一般の債務不履行の場合と同様に取扱うことができる旨
を規定するところ、右約定による満期前の買戻請求権が手形法上の厳格な満期前の
遡求条件を緩和し、当該手形の支払人ないしはその他の手形関係人に支払停止若く
は支払不能のおそれが生じた場合等に、直ちに手形金額等の償還を請求できるよう
にしたものであることは多言を要しない。従つて右約定に基く満期前の買戻請求の
場合でも、手形法上の満期前の遡求条件をみたしているときは、その買戻請求権の
性質を手形法上の遡求権と特に別異に解する必要はないが、手形法上の遡求条件を
みたさず上記約定によつてのみ買戻請求のできる場合は、これと趣を異にし、もつ
ぱら当該約定の内容によつて決せられるべきである。ところが右約定においては、
満期前の買戻を請求をするかしないかは多分に銀行の主観的且つ内心的な認定にか
かつているのであるから、銀行の請求もまたずに、当然に満期前の買戻請求権が発
生すると解するが如きは甚だ不合理であり、割引依頼人の保護に欠けるところが大
であるといわねばならない。従つて、満期前の買戻請求権については、前記約定書
の条項の文字どおり、銀行の請求があつて始めて発生するものと解すべきで、この
意味において右買戻請求権は一種の形成権とみるのが相当である。しかして、その
権利行使の結果発生する請求の内容は、手形上の償還請求権ないしこれに準ずる手
形上の債権、又は手形債権との履行上の牽連関係から手形上の債権と同一に考うべ
き債権というべきである。
 三、 しかして、相殺の意思表示は、受働債権、即ち差押債権の履行をなすべき
差押債権者たる被控訴人宛になされるべきであるから、訴外会社に宛てなされた相
殺の意思表示はその相手方を誤つたものとしてその効力を生じるに由なく、また被
控訴人に対しなされた訴訟上の相殺も、控訴人が被控訴人に対しその主張の手形二
二通を呈示したことは認めるが、これを交付していないことは控訴人の自認すると
ころであるから、相殺の要件を欠くものとして、その効力を生じないものである」
と述べ、
 証拠関係につき
 控訴代理人において、乙第一三ないし第一六号証を提出し、当審証人乙1、同乙
2、同乙3、同乙4、同乙5、同乙6、同乙7、同乙8の各証言を援用し、
 被控訴代理人において、乙第一五号証の成立は認めるが、その余の右乙号各証は
不知と述べ、
 たほか、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。
         理    由
 訴外瑞穂工業株式会社が控訴銀行甲支店に対し原判決末尾添付第一目録記載の定
期預金払戻債権合計二四三万円を有していたこと、右訴外会社が被控訴人主張の如
く昭和二五年五月二七日当時国税五、一一七、九八二円を滞納していたこと、被控
訴人の収税官吏たる中京税務署長が同日これを徴収するため、国税徴収法第二三条
の一第一項の規定に基き、訴外会社の控訴銀行に対する右定期預金払戻債権全部を
差押え、該債権差押通知書が同月二九日同支店に送達せられたこと、はいずれも当
事者間に争なく、控訴銀行が訴外会社に対し、右差押後である同月三一日、控訴銀
行が訴外会社に対して有する右第四目録記載の三〇通の控訴銀行の所持する約束手
形額面合計一、七〇七、七〇四円三〇銭(右手形の所持は当事者間に争がない)と
同額の債権を自働債権として、右第一目録中A、B欄の訴外会社が控訴銀行に対し
て有する定期預金払戻債権合計一七二万円と対等額につき相殺する旨の手続をな
し、該通知が同年六月六日右訴外会社に到達し、また、前同様差押後である昭和二
八年六月二七日、控訴銀行が訴外会社に対して有する右第五目録記載の三通の控訴
銀行の所持する約束手形額面合計七〇万円中の六五六、三〇二円三〇銭(最後の一
五〇、〇〇〇円の手形は内金一〇六、三〇二円三〇銭のみ)(右手形の所持は当事
者間に争がない)と同額の債権を自働債権として、右第一目録中C欄の訴外会社が
控訴銀行に対して有する定期預金払戻債権七一万円と対等額につき相殺する旨の手
続をなし、該通知が翌二八日訴外会社に到達したことは成立に争のない乙第三、第
四号証と弁論の全趣旨により明らかである。
 そこで右相殺の効力について判断する。
 控訴人はまず、右自働債権が消費貸借上の権利であることを前提として、右相殺
の効力が有効である旨主張するので考えるのに、前記手形が控訴銀行と訴外会社間
の手形割引取引に供せられたものであることは弁論の全趣旨により明らかなとこ
ろ、控訴人は、本件手形割引は消費貸借上の債権を成立させるものであると主張す
る。しかし、一般に銀行取引として行われる手形割引は、通常、手形の主たる債務
者が借主となる趣旨を明示する手形貸付とは異り、割引依頼人とは原則的に関係の
ない第三者が支払義務を負担し、従つてその者に対する手形上の債権を化体する手
形を裏書譲渡し、手形債権そのものを移転することにより、割引代金(将来即ち満
期に至り支払われる予定の手形金額から満期までの利息その他の費用即ち割引料を
差引いた金額、即ち手形債権の割引時現在における債権の評価額)を取得すること
を契約の要素とするものであつて、その行為は手形裏書行為の実質関係たる意味を
持つものであるが、その性質は、それ自体を単一的に見る限り、前記の要素に徴
し、割引人に移転された手形債権の債務者の絶対無条件の義務の外に、これと同列
ないしはそれ以上の価値を持つような割引依頼人の絶対無条件の義務負担は、割引
の結果が所期の効果を収め、手形が順当に支払われる限り、その必要を見ず、従つ
て契約の要素に加わつているものとは考えられないから、法律行為として見る場合
には、それは原則として手形の売買と解する外はない。ただ、銀行取引は通常一定
の相手方との多少とも継続的な取引であり、信用の裏付も必要であり、また銀行と
しても、割引による取得手形の不渡その他価値の消滅、減少の場合に備えて、割引
依頼人やその者の提供する人的物的担保よりの補償により、できる限りその損失の
発生を防止すべく万全の措置を採り、割引依頼人との間に各種の特約を結び、又は
これらの者との銀行取引の慣習上、右の補償措置が実施され、その結果右に認めら
れるような手形割引の法効果の重点即ち要素が移動し、場合により、割引依頼人の
絶対無条件の債務負担を生ずることを主眼とする取引に変質しているという可能性
は考えられないことではない。よつて控訴人の主張する特約、慣習、又は黙示の意
思表示による消費貸借の成否を検討するにつき、まず手形割引が控訴銀行或はその
他の一般市中銀行において如何様に取扱われているかについて考えるのに、成立に
争のない乙第一、第二、第九乃至第一二号証、同第七号証の一ないし六と原審並び
に当審証人乙3(原審は第一、二回)、同乙1、同乙2、原審証人乙9、同乙1
0、同乙11、同乙12、同乙13、同乙14、当審証人乙4、同乙5、同乙6、
同乙7、同乙8、原審における鑑定証人丙1、同丙2の各証言の一部を綜合する
と、銀行が取引先と手形取引を始めるにあたつては、商業手形においては取引先以
外の者が手形責任を負担しているため、手形貸付をするより安全度が高いものと考
え、まず商業手形の割引から始め、手形貸付は取引先に信用のあることが確実とな
つたとき、或はそれが確実であることが判然としているときに限りなされているこ
と、しかし、手形割引の場合にも、時には数百通に上る多数の手形を同時に取扱う
場合もあつて、その支払人(又は振出人)の信用調査を充分に行えないこともある
ので、権利保全のため、割引依頼人の信用にも重点をおき、手形貸付の場合とほぼ
同様の信用調査を行つていること、(乙第七号証の一、二、但し、貸出稟議書(同
第七号証の二)には弁済方法欄が設けられているが、割引手形禀議書(同第七号証
の一)には同欄が設けられていないことが注意を惹く)、しかして銀行は古くか
ら、割引手形が不渡になつたときは必ず遅滞なく割引依頼人に対し該手形の買戻の
請求をし、そのときの買戻金額は買戻請求の時期如何にかかわらず、手形金額に満
期の翌日から買戻の日までの割引料と同率の利息を加算した金額とし、手形法上の
遡求権は特に割引依頼人から依頼された場合のほかは行使しておらず、数通の割引
手形中の一通が不渡になり、他の数通の手形が満期未到来の場合にも、割引依頼人
の信用が不良であると認めたときには、他の満期前の手形全部についても買戻を請
求することができ、そのときの買戻金額は、手形金額と同一と観念し、未経過期間
分の利息(割引料)は銀行から割引依頼人に返還するという取扱をし、割引依頼人
がこれらの買戻請求に応じないときは、同人の銀行に対する預金等と相殺し、或は
同人から増担保を提供させて、その権利の保全に努めると共に、割引依頼人から満
期前の買戻の申出があつたときは、銀行はこれに応じ未経過期間分の利息(割引
料)を割引依頼人に返還していること、また銀行においては手形割引の場合にも手
形貸付と同一の取引約定書が使用せられ、しかも同一の係でこれを処理し、利息計
算も同一方法でなされ、信用調査に使用する業況経過一覧表(乙第七号証の四)に
おいても手形割引と手形貸付とを区別せず、双方とも借入金と観念し、また双方と
も銀行においては貸出金として取扱い(同号証の三、五)、或は手形割引について
も担保を提供せしめ(同号証の七)、銀行係員においても法律的にはともかく、経
済的には手形割引と手形貸付とを同一に解していること、以上の事実はいずれも控
訴銀行の手形割引においてもその取扱を異にしないこと、しかして、控訴銀行、富
士銀行、三井銀行、住友(旧名大阪)銀行、第一銀行の如き一流銀行の約定書にお
いて、手形割引につき消費貸借の成立を明言するものはひとり富士銀行のみであつ
て、他に例がなく、しかもこの富士銀行の条項も昭和二六年頃から新設せられたも
のであり、控訴銀行を始めその余の右銀行の約定書には、手形割引に際し消費貸借
が成立することを明言する条項も、消費貸借の成立を前提としてのみ考えうる条項
も存在せず、却つて第一銀行の如きは手形貸付には手形上の債権と消費貸借上の債
権の併存を規定しながら、手形割引については消費貸借に言及していないこと、買
戻請求については控訴銀行旧約定書(本件手形取引当時の約定書)を除き、同銀行
新約定書を含むすべての約定書に明記せられ、右新約定書第三項も前記買戻請求に
関する取扱を明文化したものであること、一方割引依頼人たる訴外会社において
は、手形割引の場合には、特段の事情のない限り、自らにおいて無条件に債務を払
う意思などは毛頭なく、帳簿上の処理においても手形割引と手形貸付とを区別して
いたことが認められ、右認定に反する証人乙3、乙1、乙2、乙11、乙12、乙
13、乙14、乙4、乙5、乙6、乙7、乙8の証言は措信することはできず、他
に右認定を左右するに足る確証はない。
 右事実によると、銀行取引として行われている手形割引の実際的効果は、取引先
即ち割引依頼人との間の諸種の特約、殊に買戻の特約を附加することにより、異常
事態における損失防止のための権利行使の方法、相手方等については、手形貸付の
場合と甚だ近接した権能を確保しており、その限りにおいて控訴人の主張する手形
割引と手形貸付との類似性はこれを是認することはできるが、これを以て両者の法
律的性質の同一性を断定し得るには至らず、前記手形割引の法効果の要素たる手形
債務それ自体の移転、獲得と完全に交替する如き割引依頼人の絶対無条件の債務負
担が、その要素として入れ替つた法現象を把握するに至らない。右の特約による割
引依頼人の買戻を中心とする義務は、結局手形割引より生ずる法効果のうち、附加
されて生じた補充的性質を出でないものと解するのを相当とする。そうすれば、控
訴銀行と訴外会社との間には、本件手形割引により消費貸借を成立させる旨の明示
の特約のなかつたことは固より、これら特約から窺われる割引当事者の意思の合理
的推測による控訴人主張の黙示の特約もまたこれを認めることはできない。次に銀
行取引における前認定の慣習に依つても、銀行においては手形割引と手形貸付とに
つき同一の約定書を利用し、両者につき種々の共通な取扱がなされているが、両者
が手形による資金の融通という点で経済上の機能を等しくし、手形割引による融資
の場合も、手形不渡の場合には、結局手形貸付の場合と同様に、取引先から融資の
回収を図らねばならないものであることに徴すると、ただこの必要に対処するため
に、できるだけ有効な権利、手段の確保を図つていることが看取されるに過ぎず、
かかる機能の法律的性質までが、前記判断を覆えし手形貸付と全く同一で、手形割
引にも消費貸借関係の成立が認められねばならないとする決定的動機の存在を肯認
するに足らず、却つて、手形割引に果して消費貸借の要素が入り込むものであれ
ば、割引依頼人は主たる債務者であるから、手形不渡による権利保全のためには、
単に期限の利益喪失約款を定めることにより(現に控訴銀行においては取引約定書
(乙第一号証)第六項にこれを規定している)、所期の目的を達しうるのに、殊更
前記の如き買戻請求がなされ(この取扱は後記認定の如く事実たる慣習として存在
している)、或はかかる保全約款の存在すること(乙第二、第九ないし第一二号
証)は、手形割引が慣行上においても、むしろ消費貸借以外のものであることを前
提として、割引依頼人に対し手形法上の前者の責任以上の責任を別に負担せしめ、
その損失防止の完全性を期しているものと解せられ、殊に「企業会計の実務の中に
慣習として発達したもののなかから、一般に公正妥当と認められたところを要約し
て設定」された企業会計原則に基く財務諸表準則が、手形割引を明白なる短期借入
として取扱うことなく、むしろ受取手形としての資産科目より除去することを指示
し、手形債権の譲渡の如く考えて処理しており、銀行における手形割引が手形割引
の大部分をしめることに徴すると、未だ銀行の行う手形割引により消費貸借を成立
させる旨の事実たる慣習は存在しないことが明らかである。右認定に反する鑑定証
人丙2の証言は措信し難く、割引手形が不渡になつた場合、割引依頼人において手
形金額に満期の翌日から買戻の日までの割引料と同率の利息を加算して支払うこと
になつていること、或は銀行においては手形法上の権利を行使することが殆どない
ことも、権利保全の完全性の要求からみて、未だ右認定を左右するものではない
し、銀行が割引依頼人からの満期前の手形の買戻に応じていることも、これにより
直ちに消費貸借の成立を肯認するに足らず、却つて前記認定事実と合せ考えると、
銀行の右取扱は、銀行の割引依頼人に対し有する買戻請求権に対応する割引依頼人
の銀行に対する買戻請求権、ないし銀行が取引先のためにする奉仕と解する方がよ
り妥当である。また控訴人主張の法務省訟務局第二課長が中小企業庁振興部金融課
長に対しなした回答中の金融機関の行う手形割引の解釈も手形割引がその経済上の
機能において手形貸付と類似するため、中小企業信用保険法の適用については、特
に手形割引をも同法の貸付に該当するものと解して政府の保険の対象とし、もつて
中小企業者の依頼による手形割引を容易にすることが、中小企業者に対する事業資
金の融通を円滑にすることを目的とする同法の趣旨にかなうものであるという趣旨
に止まり、一般的に手形割引が貸付に該当するものであるという趣旨でないこと
は、成立に争のない乙第六号証によりこれを窺知することができるし、銀行の行う
手形割引が、金融ブローカーの行う割引と異り、取引先との相互信頼関係の上に立
ち継続的、包括的に行われるものであるとしても、前記の如く手形割引も手形貸付
と等しく銀行の行う融資方法の一であることに鑑みると、これだけの事情を以て消
費貸借の成立を肯認し難く、また手形割引の場合に担保の差入れが行われること
も、手形割引による融資の場合にも取引先から融資の回収を図らねばならないもの
であることを考えると、敢て異とするに足りない。また、控訴人は、同じ銀行取引
において一を売買と解し、一を消費貸借と解することは実務上の劃一性に副わない
旨主張する。しかし、かかる事由を同一銀行内の同種取引の法律的解釈ないし取扱
についての批判に用いるのであれば格別として、一般に銀行取引は経済上ないし金
融上の必要から各種要素の配合により多様性を帯びるに至つたものであるから、各
種の取引がその要素即ち重点の如何により経済的、金融的にそれぞれ異つた役割を
果し、従つてまたその法的評価を異にするのはむしろ当然で、これを事務処理の便
宜のために、強いて同一の法的規制のもとにおこうとするのは、事実に基かず、本
末を転倒するものであつて、到底とるをえない。また、手形割引の法的考察におけ
る取引実際界の見解の不一致、不定、変転は、学説を一見しても明瞭であり、本件
における控訴人の弁論の変遷経過に徴してもよく窺うことができ、現実の事実に基
く的確な法的評価が何よりも必要であることが痛感される。そして、本件手形割引
に消費貸借たる性質と売買たる性質との併存(この点は控訴人としても明白な主張
として維持するところではないが)を認めるに足る明白な資料もなく、しかも消費
貸借と売買との併存を認めるが如きは、両者が全く別個の法律関係であり、一個の
行為につき二つの相容れない意味を附与しようとするもので、互に矛盾撞着するも
のを共存せしめようとするものというべく、法律行為は、たとえ近似したものであ
つても、その主要な要素を把えて区別し得る限りは、別異なものと見るべく、相容
れざるものを単純に混合する見解は到底これを是認することができず、たとえ約定
書においても形式的な併存的規定を置いたとしても、それがたやすく実質的効果を
発揮するものとも思われず、他に前記認定を左右するに足る確証もない。してみる
と、本件手形割引には、単純な消費貸借は勿論、手形を担保とする消費貸借、或は
消費貸借と共に右手形につき譲渡担保又質権を設定する等、消費貸借を成立又は随
伴せしめる旨の明示若くは黙示の特約ないし事実たる慣習の存在していないことが
明らかである。
 これを要するに、手形割引も、手形貸付と等しく手形を手段とする融資方法であ
つて、その経済上の機能を同じくするため、銀行の実務担当者においては、これを
たやすく同一の性質を有するものと考える嫌いがあり、また戦後における経済事情
の不安定と不渡手形の激増が、銀行における調査能力の不足と相待つて、手形割引
において消費貸借を随伴するが如き特約をなし、或は手形担保貸付をなす傾向を助
勢していることは否め<要旨第一>ないが、本件手形割引は、あくまでも手形の売買
であることを本質とし、これに前記の如き買戻請求権を附随せしめるこ
とによつて、その足らざる機能を完備せんとしているものと考うべきである。
 そうすると、本件手形割引により消費貸借が成立することを前提とする控訴人の
主張は、その余の点につき判断をするまでもなく失当といわねばならない。
 そこで進んで、特約ないし事実たる慣習に基く買戻請求権(割引対価返還請求
権)に基く相殺の主張について判断する。
 特約に基く買戻請求権の成立については、訴外会社が控訴銀行甲支店に差入れた
約定書(乙第一号証)或は原審並びに当審証人乙3(原審は第一、二回とも)、同
乙1、原審証人野崎政之助の証言によるも、未だこれを肯認することはできず、他
にこれを認めるに足る証拠もないが、前記認定事実と原審における鑑定証人丙2の
証言を綜合すると、割引手形が不渡になつたときは、銀行は通常必ず遅滞なく割引
依頼人に対し、該手形を買戻すことを請求し、この場合割引依頼人が銀行に支払う
べき金額は、手形金額に満期の翌日から買戻の日までの割引料と同率の利息を加算
した金額であり、数通の割引手形の中、一通が不渡になり、他の数通の手形が満期
前の場合、割引依頼人に信用があるときは不渡手形についてのみ買戻の請求をする
が、割引依頼人に信用がないと認めたときは、他の期日前の手形全部についても買
戻請求をすることができること、而してこの場合の買戻金額は手形金額と同一と観
念し、未経過期間分の利息(割引料)は銀行から割引依頼人に返還することを内容
とする買戻請求権が、銀行の権利保全の一方法として、約定と慣行の相互影響の間
に形成せられ、銀行と取引先との間に事実たる慣習として広く行われていることが
認められる。右認定に反する鑑定証人丙1の証言は未だ真実を伝えるものとはいい
難く、満期前の買戻請求権の行使の事例の少いことも右認定を左右するに足らず、
また控訴銀行においては新約定書(乙第二号証)において明定せられるまではかか
る規定がなかつたことも、前記認定の如く、新約定書の規定は控訴銀行の慣行とし
て確立されたものを明文化したにすぎないことに徴すると、未だ右慣行の存在を否
定する証拠となし難く、他に右認定を覆すに足る確証はない。しかも前記銀行にお
ける手形割引に関する取扱に鑑みると右慣行は公の秩序に反しないものであること
も明らかである。しかして、かかる慣習の存する場合、取引を行う者は特に反対の
意思表示をしない限り、かかる慣習に従う意思を有するものと推定するのを相当と
するところ、訴外会社において右慣習に反対の意思を表示しなかつたことは原審
(第一、二回)並びに当審証人乙3の証言により明らかであるから、訴外会社は右
慣習に従う意思をもつて控訴銀行と本件手形割引をなしたものと推認するのが相当
である。
 しかして、右慣行ないし前記認定の如くこれを明文化したものと認められる控訴
銀行新約定書第三項(乙第二号証)は、列記の事由が発生した場合、当然に買戻請
求権が発生する趣旨の特約というよりも、右事由が発生した場合、控訴銀行におい
てこれを行使するか否かの権限を取得するに外ならないものと解せられるばかりで
なく、買戻請求権に基く支払義務の成立(それは単に当事者の一方の主観的な可能
性ではなくて、客観的な法律関係の変動たるの本質を有するが故に)時期の如何
は、取引先は勿論、第三者の法律関係の安定性に影響を及ぼすことが大きいから、
それは客観的に認識しうる明確なものでなければならないものと解するのを相当と
するところ、右買戻請求権発生の事由は、前記認定の如く銀行の裁量の余地の広い
ものであり、しかも買戻の対象たるべき手形は不渡等の事由の生じたものに限らな
い広汎な法律関係の変動をも含み得るものであるから、右買戻請求権は、銀行から
割引依頼人に対し買戻の請求をなすことにより始めてその効力を生じるものという
べく、これを以て、すでに成立した取引先に対する金銭支払請求権の行使につき、
銀行の裁量権を定めたものということはできない。しかして、不渡手形についての
買戻金額が、買戻請求権行使の時期如何に拘らず、手形金額と満期の翌日からの利
息(割引料)の合算額であることも、それは銀行の権利保全のための特約ないし事
実たる慣習として、買戻請求権の内容となつているにすぎないものと解せられるか
ら、未だ右認定を左右するものではない。
 ところで、原審証人乙1、原審(第一、二回)並びに当審証人乙3の各証言を綜
合すると、原判決末尾添付第四目録記載中の(一)ないし(六)の割引手形が続々
と不渡となつたので、控訴銀行が割引依頼人たる訴外会社に対し、昭和二五年五月
一日、五日、一〇日、一五日、二〇日、二二日、或はその各直後、これらの手形の
買戻を請求すると共に、控訴銀行においては、右買戻の履行が容易になされないた
め到底この状態では訴外会社にも信用がおけないものと認め、おそくとも同月二二
日頃には他の満期前の割引手形全部についても買戻請求していたことが窺われ、右
認定に反する確証はないから、本件割引手形については、遅くとも被控訴人主張の
債権差押通知書三通が控訴銀行に到達した同月二九日までに、すべて買戻の効果が
発生し、訴外会社は直ちに各手形金相当の金員を控訴銀行に支払う義務を生じたも
のというべきである。
 そこで、控訴人のなした相殺の効力について考えるのに、控訴銀行が訴外会社と
控訴銀行旧約定書(乙第一号証)に基き本件手形割引取引をしたものであること
は、原審証人乙3(第一、二回)、同乙1の各証言を綜合して明らかなところ、右
約定書第二項には控訴人主張の如き条項があり、右条項は一応停止条件付相殺契約
のようにも窺えるが、右条項が債権者たる控訴銀行の主観的事情を前記相殺の効力
の発生の一事由としていることに徴すると、右約定をもつて、不履行を停止条件と
する相殺契約と解することはできず、また右規定が相殺の効果の発生を銀行の一方
的行為により行われるものとしていることと、右相殺に関する約定の主たる目的が
相殺の担保的効力の拡張にあることに鑑みると、右特約は単なる弁済期到来に関す
る特約ではなく、相殺の予約をも定めたものと解するのが相当である。しかして、
相殺予約における相殺権の発生要件、時期等は、民法上の相殺に必ずしも依拠制限
されるものではなく、契約自体によつて独自の判断をなすべきものであるところ、
右条項によると、弁済期の如何にかかわらず、所定の事由が発生したときに、取引
先の総債権債務につき相殺適状が発生することを容認するものであることが明らか
である。ただ右特約中、何等の通知を要しないで相殺することができる旨の約定
は、条件付相殺が是認できない以上は、当事者双方が関係を持つ法律関係の変動原
因としてはその一方が関与せぬため片手落でその要件を充さぬ上に、相手方の地位
を不安定にし、労働債権の譲受人、差押債権者等の第三者の取引の安全を害するこ
とが著しいから、右部分は意思表示による相殺の本質に反し、効力がないものとい
うべきである。控訴人はこの点につき、双方の債権債務が相殺適状にあること自体
が、相手方或は第三者の地位を不安定にしているものであつて、意思表示の有無は
何等の影響を及ぼすものではない旨主張するが、かかる主張は、右の本質論を度外
視してもなお、前記認定の如き、不特定多数の債権債務、将来発生することあるべ
き債権債務につき銀行の主観的事情に基き相殺をなすが如き場合には、到底その結
果を妥当視するに由ないものである。ところで、原審並びに当審証人乙3(原審は
第一、二回)、同乙1の各証言によると、訴外会社においては少くとも前記差押通
知書の到達前に、控訴銀行からの前記不渡手形に対する買戻請求に応じていないこ
とが明らかであるから、本件買戻請求権に基く金員支払請求権と定期預金払戻債権
とは、民法の規定にかかわらず、前記特約に基き、本件差押通知書が控訴銀行に到
達する前に、すでに相殺適状にあつたものといわねばならない。
 しかして、控訴銀行が昭和二五年六月六日及び昭和二八年六月二八日の二回に訴
外会社に対し相殺をした旨の通知をしたことは前記認定のとおりであるが、右通知
には相殺予約完結の意思表示ないし相殺の意思表示を包含するものと解するのが相
当であるところ、被控訴人は右意思表示は相手方を誤つたものであるから、その効
力を生じない旨主張するので考えるのに、相殺予約完結の意思表示ないし相殺の意
思表示は、これをなす債務者が、自己の債務を履行すべき相手方たる債権者に対し
なすべきものであるところ、国税徴収法第二三条の一第一項の規定に基く債権の差
押は、単に国に対しその取立権を取得せしめるにすぎず、その権利は依然訴外会社
に属するものと解するのが相当であるから、右意思表示はその債権者たる訴外会社
に対しなすべきであり、被控訴人の右主張は採用し難いが、仮に右差押によりその
権利が国に移転するものであり、或は単に取立権のみを取得するにしても、差押を
受けた債権者が差押により当該債権の処分権を喪失する結果、債務者か受働債権の
差押債権者に対し相殺をもつて対抗するには、その意思表示は差押債権者に対して
なすべきものとする見解より見ても、債務者たる控訴銀行は昭和三三年九月二二日
受働債権の差押債権者たる国に対し、本件買戻請求権に基く金員支払請求権を自働
債権とし、定期預金払戻債権を受働債権として相殺の意思表示(ないし相殺予約完
結の意思表示)をしていることは本件記録に徴し明らかであるから、控訴人のなし
た相殺予約完結の意思表示ないし相殺の意思表示は、いずれにしてもそれ自体とし
ては適法なものといわねばならない。
 <要旨第二>ところで、買戻請求権は前記認定の如く銀行の権利保全の方法として
認められているものであるが、それは元来手形法外の権利であり、しか
も、手形行為の原因たる割引契約の附随特約に基き発生し、割引手形の代金を回復
し、手形債権を再び割引依頼人に移転返還することを目的とする権利であるから、
その法律的性質を如何に構成するにせよ、それが手形外の権利(手形自体又はそれ
から直接発生する権利でないもの)であることは疑のないところであつて、一般私
法の原理に服せしめられるべき性質のものであるのみならず、原審並びに当審証人
乙1の証言によると、買戻請求権に基く金員支払義務は持参債務であることが明ら
かであるから、これを、厳格な発生要件のもとに発生し、しかも手形に化体してい
ると観念せられ、特殊な手形理論に服せしめられている満期前の手形上遡求権と同
様に、手形の受戻証券性を理由に、買戻請求権に基く金員の支払にも手形の呈示、
又は交付を要するものと解することは明らかに失当であるが、取引先の右支払義務
と銀行の手形返還義務とは、履行上の牽連関係があるものと認めるのが相当である
から、両者は同時履行の関係にあるものというべきてある。しかして、同時履行の
抗弁権の附着している債権を自働債権として相殺をすることは通常許されないもの
であるから、右取引先の買戻請求権に基く支払義務を自働債権として相殺をなすた
めには、特段の事情のない限り、銀行において取引先に対し手形を交付してしなけ
ればその効力を生じるに由ないものというべきであるが、前記乙第一号証と原審並
びに当審証人乙3(原審は第一、二回)、同乙1、同乙2の各証言を綜合すると、
訴外会社は控訴銀行に対し、本件買戻請求権に基く金員支払義務につき右同時履行
の抗弁権の拠棄を約していることが認められる。もとより、右同時履行の抗弁権の
認められる所以は、二重払の危険から債務者を保護し、或は再遡求権行使の機会の
取得という債務者の利益保護をその理由とするものではあるが、個々の相殺の場合
は勿論、不特定多数の債務、或は将来発生すべき債務につき、抽象的一般的に、手
形の呈示又は交付をしないで相殺をなすことを認める合意も、取引先において自ら
その利益を拠棄し、銀行を信用して敢て二重払の危険負担を覚悟の上でこれをなし
た以上、その効力を直ちに否定するには及ばないのみならず、右特約が専ら銀行の
一方的な利益を追求するものであるとしても、現実には、不渡手形が濫発せられ、
割引依頼人の信用が悪化する場合が多く、手形の割引をなす銀行としても、かなり
の危険を負担しながら取引をしているのが実情であり、しかも原審並びに当審証人
乙1、同乙2、原審証人乙11、同乙13、当審証人乙4、同乙5、同乙6、同乙
7の各証言を綜合すると、銀行の実務上の取扱としては、銀行が手形の返還を保留
して満期に取立に廻すが如きことは極めて異例のことで、その場合にも割引依頼人
の了解をえた上でしており、その取立金は割引依頼人の残存債務に充当せられてい
ることが認められ、通常割引依頼人に対し損害を与えていないこと、銀行は与信業
務を行う一方、受信業務をも行うものであるから、銀行の利益保護は同時に預金者
の利益保護にもなること等を合せ考えると、右特約を以て特に不当なものといいえ
ないから、右特約は有効に成立したものと解するのが相当である。
 してみると、控訴銀行のなした相殺予約完結の意思表示ないし相殺の意思表示に
は手形の返還を要しないことが明らかであるから、右意思表示は前記約定に基き、
昭和二五年六月六日、昭和二八年六月二八日ないし昭和三三年九月二二日控訴人主
張の対等額においてその効力を生じたものというべく、しかも前記の如く少くとも
差押前にすでに自働債権を取得し(民法第五一一条、民事訴訟法第五九八条参
照)、しかもその弁済期が到来している場合には、右差押前にすでに、債権者たる
控訴銀行においては自己の債務と右反対債権とを対等額において相殺すべき期待と
利益を有していたものであり、一方差押債権者たる被控訴人においても、かかる第
三債務者の期待と利益の負課された債権、即ち反対債権と互に見合い関係に立ち、
何時でも相互に減殺される可能性を持つ権利を差押えたにすぎないから、右差押債
権者と第三債務者の公平上、控訴人は、右差押後の相殺予約完結の意思表示ないし
相殺の意思表示による相殺の効力をもつて、差押債権者たる被控訴人に対抗しうる
ものといわねばならない。
 ところで、自働債権と受働債権とがそれぞれ数個ある場合において、相殺の意思
表示により、いずれの債権をもつて、いずれの債権に対し相殺がなされたか判明し
ない場合には、民法第五一二条により弁済の充当に関する同法第四八九条ないし第
四九一条が準用されるところ、弁論の全趣旨によると、それぞれその元金につき相
殺がなされたことが窺われ、原判決末尾添付第四目録記載の手形金相当の債権と同
第一目録中A、B欄の定期預金払戻債権と、同第五目録記載の手形金相当の債権
(但し、最後の分は一〇六、三〇二円三〇銭のみ)と同第一目録中C欄の定期預金
払戻債権とを、対等額において相殺する旨の意思表示をしていることは前記認定の
とおりであるが、その余については当事者双方のいずれからも相殺の充当に関しそ
の指定のあつたことが認められないから、これらの点につき右説示の準用規定に従
つて処理すると、結局本件定期預金払戻債権中、右A欄の定期預金払戻債権全額
と、B欄の定期預金払戻債権中の六八七、七〇四円三〇銭、C欄の定期預金払戻債
権中の六五六、三〇二円三〇銭が右相殺により消滅し、B欄の定期預金払戻債権中
の一二、二九五円七〇銭、C欄の定期預金払戻債権中の五三、六九七円七〇銭が未
だ残存していることが明らかである(予備的相殺においてはB、C欄の定期預金払
戻債権中六五、九九三日四〇銭が残存)。
 しかして、被控訴人が訴外会社に代位して、右残存額につき昭和二五年八月七日
以降控訴銀行に対し支払を請求していたこと、右各定期預金の約定利息が日歩五厘
であることは当事者間に争がないから、第三債務者たる控訴銀行は国税徴収法第二
三条の一第一項の規定に基き、債権者たる訴外会社に代位して請求する被控訴人に
対し、右預金残額合計六五、九九三円(小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関
する法律により銭単位は切捨)及びこれに対する支払期日の翌日たる昭和二五年六
月二一日から右支払請求日である同年八月七日までは右日歩五厘の割合による約定
利息、右支払請求日の翌日である同月八日から支払済に至るまで商法所定年六分の
割合による遅延損害金を支払う義務があるものといわねばならない。
 そうすると、被控訴人の本訴請求は右認定の限度において正当として認容すべき
であるが、その余は失当として棄却を免れない。
 よつて、これと異る原判決を変更し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条
第九二条但書を適用して主文のとおり判決する。
 (裁判長裁判官 岡垣久晃 裁判官 宮川種一郎 裁判官 大野千里)
目 録 
<記載内容は末尾1添付>

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