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裁判例


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平成10年(行ケ)第393号 特許取消決定取消請求事件
     判    決
 原 告  サイオス インコーポレイテッド
 代表者  【A】
 訴訟代理人弁理士 山本秀策
 被 告  特許庁長官 【B】
 指定代理人 【C】、【D】、【E】、【F】
     主    文
 原告の請求を棄却する。
 訴訟費用は原告の負担とする。
 この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と定める。
     事実及び理由
第1 原告の求めた裁判
 「特許庁が平成8年異議第70722号事件について平成10年7月22日にし
た決定を取り消す。」との判決。
第2 事案の概要
 1 特許庁における手続の経緯
 原告は、名称を「新規ナトリウム排出亢進性および血管拡張性ペプチドを生産す
るための組換え技術」とする発明(本件発明)につき、1988年5月31日、1
988年6月14日及び1989年1月19日にアメリカ合衆国でした特許出願に
基づく優先権を主張して、平成1年(1989年)5月31日を国際出願日として
特許出願(特願平1-506595号)をし、平成8年4月16日設定登録(特許
第2511160号)された。
 本件発明については平成8年12月25日に特許異議申立てがあり、平成8年異
議第70722号として審理され、平成10年7月22日、「特許第251116
0号の請求項1ないし7に係る特許を取り消す。」との決定があり、その謄本は、
平成10年8月20日原告に送達された(出訴期間として90日が付加)。
 2 本件発明の要旨(特許請求の範囲の記載)
【請求項1】ナトリウム排出亢進活性を有し、次式で示されるペプチド:
R1
-Cys-Phe-Gly-Arg-Lys-Met-Asp-Arg-Ile-Ser-Ser-Ser-Ser-Gly-Leu-Gly-Cys-R2
ここでR1
は、下記から選択され、
(H);
Gly-;
Ser-Gly-;
   Gly-Ser-Gly-;
  Gln-Gly-Ser-Gly-;
Val-Gln-Gly-Ser-Gly-;
Met-Val-Gln-Gly-Ser-Gly-;
Lys-Met-Val-Gln-Gly-Ser-Gly-;
Pro-Lys-Met-Val-Gln-Gly-Ser-Gly-;
Ser-Pro-Lys-Met-Val-Gln-Gly-Ser-Gly-;
および
R3
-Ser-Pro-Lys-Met-Val-Gln-Gly-Ser-Gly-;
ここでR3
は、次式で示される102アミノ酸配列:
Met-Asp-Pro-Gln-Thr-A1a-Pro-Ser-Arg-Ala-Leu-Leu-Leu-Leu-Leu-Phe-Leu-His-Leu
-Ala-Phe-Leu-Gly-Gly-Arg-Ser-His-Pro-Leu-Gly-Ser-Pro-Gly-Ser-Ala-Ser-Asp-Le
u-Glu-Thr-Ser-Gly-Leu-Gln-Glu-Gln-Arg-Asn-His-Leu-Gln-Gly-Lys-Leu-Ser-Glu-L
eu-Gln-Val-Glu-Gln-Thr-Ser-Leu-Glu-Pro-Leu-Gln-Glu-Ser-Pro-Arg-Pro-Thr-Gly-
Val-Trp-Lys-Ser-Arg-Glu-Val-Ala-Thr-Glu-Gly-Ile-Arg-Gly-His-Arg-Lys-Met-Val
またはそのC端末部分であり;
R2
は、(OH)、NH2、NHR′またはNR′R″であり、ここでR′およびR″はそれぞれ独立して
低級アルキル(1-4C)であるか、もしくはR2
は、
Lys;
Lys-Val;
Lys-Val-Leu;
Lys-Val-Leu-Arg;
Lys-Val-Leu-Arg-Arg;
Lys-Val-Leu-Arg-Arg-His;
またはそれらのアミド(NH2、NHR′またはNR′R″)である。
【請求項2】R1
がSer-Pro-Lys-Met-Val-Gln-Gly-Ser-Gly-であり、およびR2

Lys-Val-Leu-Arg-Arg-Hisまたはそのアミドである、請求項1に記載のペプチド。
【請求項3】 被検体にナトリウム排出、利尿および/または血管拡張を誘導する
ための薬剤組成物であって、請求項2に記載のペプチドを有効量で、適切な薬学的
賦形剤とともに含有する、組成物。
【請求項4】 組換え宿主細胞に含有されたときに、請求項1に記載のペプチドを
コードするDNAを発現させる能力を有する、組換え発現系。
【請求項5】 請求項4に記載の発現系を有するように操作された、組換え宿主細
胞または細胞培養物。
【請求項6】 ナトリウム排出亢進活性を有するペプチドを製造する方法であっ
て、該ペプチドをコードするDNAの発現がなされ得る条件下で、請求項5に記載
の細胞を培養すること;および培養物から該ペプチドを回収すること;を包含する
方法。
【請求項7】 請求項1に記載のペプチドをコードするDNAで実質的になる、単
離され精製された形の組換えDNA。」
(以下、請求項1に記載されるアミノ酸配列を「配列A」と表記)
 3 決定の理由の要点
 (1) 取消理由通知の理由
 通知した取消理由の1つは、請求項1~7記載の事項によって特定される発明
が、いずれも本件明細書に、特許法29条柱書きの規定を満たす発明として記載さ
れていないので、本件の請求項1~7に係る特許は、特許法29条柱書きの規定に
違反してされたものである、というものである。
 (2) 本件明細書の記載の検討
 (2)-1 まず請求項1の記載事項により特定される「ナトリウム排出亢進活性を
有し、配列Aで示されるペプチド」(請求項1の目的ペプチド)に係る発明が、本
件の発明の詳細な説明の項に特許法29条柱書きの規定を満たすような完成された
発明として記載されているか否かを検討する。
 ここで、「請求項1の目的ペプチド」は、「配列A」を有するものであるが、
「配列A」は
「Cys-Phe-Gly-Arg-Lys-Met-Asp-Arg-Ile-Ser-Ser-Ser-Ser-Gly-Leu-Gly-Cys」の1
7アミノ酸からなる配列(以下、「配列A」中のアミノ酸配列を、アミノ酸数を付
して表記。例えば、当該配列は「配列-17」と表記)をコア配列とし、最短ペプチド
としてはR1
が(H-)であり、かつR2
がLysであってもよいから、
「Cys-Phe-Gly-Arg-Lys-Met-Asp-Arg-Ile-Ser-Ser-Ser-Ser-Gly-Leu-Gly-Cys-Lys」
の18アミノ酸(「配列-18」)を必須配列として含み、その両端にアミノ酸残基を
延ばしたアミノ酸配列を有する多数のペプチドの群から構成されており、それらペ
プチドのいずれもが「ナトリウム排出亢進活性を有する」ことを特徴とするもので
ある。
 ところで、本件出願前に「ナトリウム排出亢進活性を有する」ペプチドとして
は、ブタ脳性のナトリウム排出亢進性・血管拡張性ペプチド(以下「ブタBNP」
と表記)、及び、ヒト心房性のナトリウム排出亢進性・血管拡張性ペプチド(以下
「ヒトANP」と表記)が知られており、両者ともそのアミノ酸配列も公知である
が、いずれも上記必須の配列である「配列-18」を有さないので、請求項1の目的ペ
プチドには包含されないことは明らかである。
 本件明細書に「請求項1の目的ペプチド」に関連して具体的に記載されているの
は、ブタBNPをコードする遺伝子を含むcDNAをクローニングしたこと、その
配列をもとに作成したプローブを用いてイヌゲノムライブラリーからイヌBNP遺
伝子を含むと推定される2個のクローンを得たこと、及びそのクローンの1部配列
から作成されたプローブにより、ヒトゲノムライブラリーから当該プローブとハイ
ブリダイズするDNAを取得して第5図のようにそのヌクレオチド配列を決定した
ことのみである。
 そして、当該ヌクレオチド配列に基づき、ブタBNP、ヒトANPと相同性の高
い部分配列の「配列-17」をコア配列として選択し、その前後配列から推定イントロ
ン部分を除去した配列に対応する「配列A」を想定し、ブタBNP、ヒトANPと
同様の「ナトリウム排出亢進活性」を有するペプチドであることを期待したにすぎ
ない。
 「配列A」若しくは「配列A」に対応するヌクレオチド配列を用いたペプチドの
製造法及び「ナトリウム排出亢進活性」のアッセイ法が記載されているとはいえ、
単に、生理活性ペプチドの一般的製造法の形質転換法や合成法、公知のヒトAN
P、ブタBNPに用いられたアッセイ法を羅列網羅的に記載したにすぎず、「配列
A」で示されるペプチドについての「ナトリウム排出亢進活性」作用及び治療剤と
しての用途についての記載があるといっても、これらはヒトANP、ブタBNPの
性質からの類推が記載されているにすぎないもので、実際に「ナトリウム排出亢進
活性」作用を有するペプチドを製造し、その治療剤としての用途を確認したわけで
はない。
 結局、本件明細書中においては、「配列A」を有するペプチドのどれ1つとして
製造されたものはなく、いずれのペプチドに対しても「ナトリウム排出亢進活性を
有する」作用は確認されていない。
 そして、本件出願前には、ヒトにおいて、ヒトANP以外の「ナトリウム排出亢
進活性を有する」物質が産生されていることすら知られていなかったのであるか
ら、「配列-17」が、ブタBNP及びヒトANPの配列と類似性が高く、かつ「配
列-17」をコア配列とする「配列A」をコードするヌクレオチド配列がヒトゲノム中
にブタBNP構造遺伝子と類似した様式で存在するからといって、直ちに当該配列
中に「ナトリウム排出亢進活性を有する」ペプチドをコードする配列が存在するこ
とにもならない。
 特に、「配列-18」からなる短いペプチドの場合には、「配列-17」の位置でヒト
ANP及びブタBNPと相同性が高くて「配列-17」の両端のCysが結合して環状ペ
プチドになる可能性があることのみからでは、「配列-17」がヒトに対して「ナトリ
ウム排出亢進活性」を引き起こす配列(活性中心)であることにはならず、たとえ
当該配列が活性中心であったとしても、活性中心としての立体構造を保つために
は、活性中心配列と共に活性中心周辺の雰囲気を形成する配列が必要であり、しか
も「配列-17」が環状ペプチドとなるためには、両端Cysが結合できるように立体構
造的に近い位置に存在させるための周辺配列が必要であるから、「配列-17」にアミ
ノ酸が1つ付加しただけの短い「配列-18」が「ナトリウム排出亢進活性」を引き起
こす蓋然性はむしろ低いといえる。
 そうであるから、「配列-18」からなる短いペプチドまでも含めた「配列A」を有
するペプチドのすべてが「ナトリウム排出亢進活性を有する」ことについては、当
業者が期待することもできない。
 以上述べたように、本件明細書には、「ナトリウム排出亢進活性を有し、配列A
で示される」ペプチド群すべてに係る発明が完成された発明として記載されていな
いから、請求項1に記載された発明は、特許法29条柱書の規定を満たしていな
い。
 (2)-2 請求項2に記載された発明、すなわち「配列A」のうちのR1
が「Ser-Pro-Lys-Met-Val-Gln-Gly-Ser-Gly-」で、かつR2

「-Lys-Val-Leu-Arg-Arg-His」の32アミノ酸で構成される「配列-32」からなるナト
リウム排出亢進活性を有するペプチドに係る発明についても、前記(2)-1に記載し
たように、本件明細書中には、「ナトリウム排出亢進活性を有し、配列Aで示され
る」ペプチド群のいずれについての完成された発明も記載されていないのであるか
ら、請求項1に記載された発明と同様に特許法29条柱書の規定を満たしていな
い。
 なお、「配列-32」は、本件出願後の文献である文献1及び2(後記(2)-8③)
等によって、ナトリウム排出亢進活性を有しブタBNPに対応するペプチドホルモ
ン(以下「ヒトBNP」と表記)のアミノ酸配列であることが明らかになったが、
本件明細書において、請求項2として当該「ヒトBNP」自体の「配列-32」を、
「配列A」の中から特別な配列として選択して記載する手続補正がなされたのは、
文献1及び2が頒布された後の平成5年6月25日であり、本件出願当初の明細書及び
図面中には「配列-32」が、「配列A」の中で「ナトリウム排出亢進活性」を有する
ペプチドホルモン成熟体をコードする遺伝子に対応することを推定する記載はな
く、当該配列のみを特別な配列として単独で記載した個所もない。
 そして、上述のように、本件明細書に記載された「配列A」のすべてのアミノ酸
配列に対応したペプチドについての発明がそもそも未完成なのであるから、出願後
の知見に基づき、そのうちの1配列を選択したことで発明が完成するものではな
い。
 (2)-3 請求項3に記載された、請求項2に記載された目的ペプチドを、ナトリ
ウム排出、利尿および/または血管拡張用薬剤組成物として用いることを目的とす
る発明は、当該ペプチドの用途発明に相当するから、上記(2)-2で述べたように、
本件明細書には当該ペプチド自体を目的とする発明すら完成された発明として記載
されていない以上、同様に完成された発明として記載されていないことは明白であ
る。
 なお、用途発明としての「医薬組成物」に係る発明が完成しているといえるため
には、単に当該ペプチドが提供されたというのみでは足りず、当該ペプチドを用い
た臨床試験、若しくはそれと同等の薬理試験データが必要であることを考慮すれ
ば、更に完成された発明から遠いものである。
 (2)-4 請求項4に記載される「組換え宿主細胞に含有されたときに、請求項1
に記載のペプチドをコードするDNAを発現させる能力を有する組換え発現系。」
を目的とする発明についても、当該発現系を具体的に製造した実施例は全く記載さ
れていない。
 そもそも本件出願前には、ヒト組織内で、ヒトANP以外の「ナトリウム排出亢
進活性を有する」物質が産生されていることすら知られていないのであるから、
「配列A」が、その配列中にブタBNPとヒトANPとに高い類似性のある部分配
列を有しヒトゲノム中での存在様式がブタBNP構造遺伝子と類似しているからと
いって、直ちに「配列A」に対応するヌクレオチド配列が「ナトリウム排出亢進活
性を有する」ペプチドをコードすることにならないことは上述のとおりである。
 してみれば、本件明細書中には、「ナトリウム排出亢進活性を有するペプチド」
をコードするDNAに関する発明が完成された発明として記載されていないから、
「請求項1に記載のペプチドをコードするDNAを発現させる能力を有する組換え
発現系」に係る発明についても完成された発明として記載されているとはいえな
い。
 (2)-5 請求項5に記載された組換え宿主細胞又は細胞培養物を目的とする発明
は、請求項4に記載の発現系を有するように操作されたものであるから、当該発現
系に係る発明が完成された発明として記載されていないことが上記(2)-4のとおり
である以上、当該組換え宿主細胞又は細胞培養物を目的とする発明も、本件明細書
中に完成された発明として記載されていない。
 (2)-6 請求項6に記載された、請求項5に記載の細胞を培養して「ナトリウム
排出亢進活性を有するペプチド」を製造する方法に係る発明についても、上記(2)-
5に記載したとおり、その必須の構成である請求項5に記載の細胞自体が本件明細
書中に完成された発明として記載されていないから、同様に本件明細書中に完成さ
れた発明として記載されているといえない。
 (2)-7 請求項7に記載された「請求項1に記載のペプチドをコードするDNA
で実質的になる、単離され精製された形の組換えDNA。」に係る発明について
も、前記(2)-4で記載したとおり、本件明細書中には、「ナトリウム排出亢進活性
を有するペプチド」をコードするDNAに関する発明が完成された発明として記載
されていないから、同様に完成された発明として記載されていないものである。
 (2)-8 なお、本件特許権者(原告)は平成9年10月20日付け特許異議意見
書において、請求項1~7の記載事項により特定される発明が、特許明細書中に特
許法29条柱書きの規定を満たすような完成された発明として記載されている旨主
張し、その根拠として以下の①~④を挙げているので、これらの点について検討す
る。
 ① 「請求項1の目的ペプチド」に必須な「配列-17」が、本件出願前「ナトリウ
ム排出亢進活性」を有することが公知の「ブタBNP」及び「ヒトANP」の両方
と相同性が高く、また、「配列A」を推定するに当たり、ヒトゲノムにおいて、イ
ントロンスプライス結合シグナルの位置からイントロンの位置を推定したもので、
それがブタゲノム配列中のブタBNP構造遺伝子と類似した様式でコードされてい
る点。 
 ② 請求項2に記載された「配列-32」からなるペプチドが「ナトリウム排出亢進
活性」を有することが、公知のアッセイ法を用いて、【G】の宣誓書(原告が上記
特許異議意見書において異議甲第2号証として提示)により確認された点。
 ③ 本件発明とほぼ同時期に出願された第一化学薬品株式会社の特許出願である
特願平1-49636号(対応する公開公報である特開平2-231082号公報を異議甲第3号証
として提示。文献1)、及び特願平1-59183号(同特開平2-237999号公報を異議甲第
4号証として提示。文献2)によれば、「配列-32」をコードするヌクレオチド配列
が、文献1に記載されるヒト心房由来cDNAライブラリーを用いてクローニングされ
たヒトBNPの構造遺伝子のヌクレオチド配列と一致していること、及び文献2に
おいて、「配列-32」からなるペプチドが、平滑筋弛緩活性を示すことが確認され、
当該ペプチドが利尿及びナトリウム利尿作用、平滑筋弛緩作用、及び血圧降下作用
を有することが記載されている点。
 ④ 【H】博士の宣誓書(原告が異議甲第5号証として提示)において、ナトリ
ウム排出亢進活性を有するペプチドが、ヒトの高血圧、腎疾患、鬱血性心不全等の
治療に有効であることが記載されており、TheAmericanJournalof
Cardiology,vol.78(1996)p.896-901(異議甲第6号証として提示。文献3)、及び
Circulation,vol.94(1996)p.3184-3189(異議甲第7号証として提示。文献4)に
は、「配列-32」からなるペプチドを用いた急性鬱血性心不全等の臨床試験が成功し
たことが記載されている点。
 (2)-8-1 ①について:
 前述のように、本件出願前の時点では、そもそもヒト体内で、ヒトANP以外の
「ナトリウム排出亢進活性」を有するブタBNPに対応した物質、すなわち「ヒト
BNP」と呼べるような物質が産生されていることすら確認されていないのである
から、ヒトゲノム中に「ヒトBNP遺伝子」が存在するか否かも不確かであったと
いえる。
 しかも、推定「ヒトBNP」関連DNAをクローニングしてきたライブラリー
は、ヒトゲノム由来ライブラリーである。「ヒトcDNAライブラリー」の場合
は、ヒト組織中で産生されたmRNAに基づくものであるから、ブタBNP遺伝子
と相同性の高いDNAが「ヒトcDNAライブラリー」由来であれば、少なくと
も、細胞内に蛋白産生のために転写されたmRNAが存在するわけだから、少なく
とも当該DNAに対応するペプチドがヒト組織中で産生されていることはほぼ確実
であるといえる。もちろん、そのことが直ちに「ナトリウム排出亢進活性」を有す
るペプチドを産生していることにはならないとはいえ、ヒトcDNAライブラリー
由来であれば、ブタBNP遺伝子との相同性等を考慮して「ヒトBNP遺伝子」で
あると推定し得る場合を否定するものではない。
 しかしながら、「ゲノムライブラリー」の場合は、ゲノム配列中には、進化の過
程で淘汰され使われなくなった遺伝子の残骸や、休眠している遺伝子など転写され
ない配列が多数含まれており、蛋白をコードするようにみえる公知の蛋白遺伝子の
類似配列であっても、すべて蛋白をコードする構造遺伝子でないことは当業者が頻
繁に経験するところである。
 そうであるから、本件出願前の「ヒトBNP」自身の存在が確かめられていない
時期に、ヒトゲノム配列中でブタBNP遺伝子と部分配列が類似し、存在様式も類
似しているヌクレオチド配列が発見できたからといって、そのことのみをもって、
当該配列が「ヒトBNP遺伝子」として確実にmRNAに転写される配列であると
は到底いうことはできない。
 反対に、ヒトの場合には、「ナトリウム排出亢進活性」を有するペプチドホルモ
ンとして、「ヒトANP」が存在することが既に公知であったことを考慮すれば、
ブタでは「ブタBNP」が「ナトリウム排出亢進活性」ホルモンとして働いていて
も、ヒトにおいて「ナトリウム排出亢進活性」ホルモンとして働くホルモンは「ヒ
トANP」のみで、ブタBNP遺伝子に類似した配列は転写されない可能性も十分
考えられる。
 そうであるから、ヒトゲノム由来ヌクレオチド配列に基づく推定配列である、ブ
タBNP及びヒトANPと類似した「配列-17」を必須配列とした「配列A」のいず
れの配列についても、確実に「ナトリウム排出亢進活性」を有するペプチドをコー
ドするものとはいえない。
 なお、イヌゲノムに類似配列がある点についても、このことから、当該配列及び
上記ヒトゲノム中の類似配列が、いずれもブタBNPと同一起源を有する配列であ
ったとはいえるとしても、イヌの場合も、単に類似配列がゲノム配列中に存在して
いるというだけで、イヌ組織中でイヌBNPが産生されていることが確認されてい
るわけではない以上、ブタ以外の哺乳動物が、ブタBNPと同一起源の「ナトリウ
ム排出亢進活性」を有するペプチドホルモンを産生していることの証拠とはならな
い。
 (2)-8-2 ②について:
 【G】の宣誓書が作成された日付は、1991年4月5日であって、明らかに本件出願
後であり、添付された実験ノート作成日も1990年3月19日であるといえる。
 本件請求項1~7の記載事項により特定された発明が完成していたか否かを判断
する時点は出願時であり、その出願時に最初に添付された明細書及び図面に実質的
に完成された発明として記載されている必要がある。
 ところで、「ヒト生理活性を有するペプチド」を世の中に提供したといえるため
には、その推定アミノ酸配列を提示したのみでは足りず、その推定配列(多数配列
を包含する場合は少なくともその1配列)の生理活性を確認する必要があり、その
時点をもって「ヒト生理活性を有するペプチド」についての発明が完成したといえ
るものである。
 そうであるから、「配列-32」からなるペプチドが「ナトリウム排出亢進活性」を
有することが、本件出願後の実験により確認されたからといって、当該確認された
事実が出願日まで遡って発生するわけではないから、出願時の明細書及び図面の記
載中において「ナトリウム排出亢進活性を有し、配列-32で示されるペプチド」、さ
らに「ナトリウム排出亢進活性を有し、配列-18までも含めた、配列Aで示されるす
べてのペプチド」についての発明が完成された発明として記載されていたことには
ならない。
 (2)-8-3 ③について: 
 上記(2)-8-2で述べたように、請求項1~7の記載事項により特定された発明
が、特許明細書中に完成した発明として記載されているか否かを判断する時点は出
願時であるから、出願後の文献である文献1及び2の記載内容を加味して判断する
ことはできない。
 してみれば、文献1,2の記載内容をもって、請求項1~7の記載事項により特
定された発明が、本件明細書中に完成した発明として記載されていたことの根拠と
はならない。
 なお、文献1及び2は、原告も認めるように第一化学薬品株式会社の特許出願に
係るものでありいずれも本件出願の第1国優先権主張日(1988年5月31日)よりも
9~10か月ほど後ではあるが、本件出願日よりも2か月以上も前に日本出願された発
明に係る特許公開公報である。
 文献1には、ブタBNP遺伝子由来プローブでヒトcDNAライブラリーからク
ローニングされたDNAフラグメントを得てヒトBNP遺伝子配列を推定している
にもかかわらず、ヒトBNPペプチドに係る発明に関する請求項はなく、「ヒトB
NPをコードする塩基配列を含んでなるDNAフラグメント」に係る発明のみを特
許請求の範囲に記載している。
 そして、文献2に係る出願において、当該推定配列のうち「配列-32」と共に「配
列-26」からなるペプチドを合成し、そのヒトBNPとしての活性を具体的に確認し
てはじめて、ヒトBNP成熟体が「配列-32」であることを確定し、ヒトBNP活性
を有するペプチドに係る発明及び循環器系疾患治療剤に係る発明を、完成した発明
として当該出願の特許請求の範囲の請求項にそれぞれ記載している。
 このことは、当業者である文献1及び2に係る出願人も、ヒトBNPペプチドに
ついての発明が完成した時点を、ヒトcDNAライブラリー由来のブタBNP遺伝
子の類似配列をクローニングした時点ではなく、ヒトBNPの推定配列を有するペ
プチドにおけるヒトBNPの活性を確認した時点であると考えていることにほかな
らない。
 (2)-8-4 ④について:
 上記(2)-8-2、(2)-8-3で述べたように、請求項1~7の記載事項により
特定された発明が、特許明細書中に完成した発明として記載されているか否かを判
断する時点は出願時であるから、出願後の知見に基づき出願後に作成された【H】
博士の宣誓書及び本件出願後の文献である文献3、4の記載内容を加味して判断す
ることはできない。
 してみれば、これらの記載内容をもって、請求項1~7の記載事項により特定さ
れた発明が、本件明細書中に完成した発明として記載されていたとはいえない。
 (3) 以上述べたとおりであるから、請求項1~7において目的とする発明は、い
ずれも特許法29条柱書きの規定に違反してされたものであり、本件請求項1~7
に係る特許は、同法113条1項2号に該当する。
第3 原告主張の決定取消事由
 本件発明は完成した発明であって、特許法29条柱書の規定を満たしているにも
かかわらず、決定はこの点を誤って判断したものであるから、取り消されるべきで
ある。
 1 総論
 決定は、「本件請求項1~7の記載事項により特定された発明が完成していたか
否かを判断する時点は出願時であり、その出願時に最初に添付された明細書及び図
面に実質的に完成された発明として記載されている必要がある。」といい、「本件
明細書中においては、「配列A」を有するペプチドのどれ1つとして製造されたも
のではなく、いずれのペプチドに対しても「ナトリウム排出亢進活性を有する」作
用は確認されていない。」と認定した上で、「本件明細書には、「ナトリウム排出
亢進活性を有し、配列Aで示される」ペプチド群すべてに係る発明が完成された発
明として記載されていないから、請求項1に記載された発明は、特許法29条柱書
の規定を満たしていない。」及び「請求項2に記載された発明・・・について
も、・・・本件明細書中には、「ナトリウム排出亢進活性を有し、配列Aで示され
る」ペプチド群のいずれについての完成された発明も記載されていないのであるか
ら、請求項1に記載された発明と同様に特許法29条柱書の規定を満たしていな
い。」という。そして、前記のように認定したことから明らかなように、本件発明
1及び2に係るペプチドについて実際に製造されかつその活性が確認された実施例
が出願当初の明細書に記載されていないので、本件発明1及び2が発明として未完
成であるとし、結局、「請求項1~7において目的とする発明は、いずれも特許法
29条柱書きの規定に違反してされたものであり」と、本件特許請求の範囲の各請
求項に記載の発明は特許法29条柱書の規定を満たしていないと判断する。
 しかしながら、わが国の特許法は発明完成の要件に前記明細書に現実に物理的に
遂行された実施例が記載されることを要求していない。そして、配列A及び配列-
32で示されるペプチドは、ナトリウム排出亢進活性を有することが通常の場合に
おける新たな化合物についての生物学的特性よりもはるかに予測可能性が高いとい
う点で特別な状況にあるのであり、これらペプチドが上記活性を有するという本件
明細書における言明は、当業者にとって完全に信用でき、更なる実験的な支持を必
要としないものである。
 したがって、本件発明1及び2が、その出願当初の明細書に完成された発明とし
て記載されていたことは疑う余地がないのであり、そして、同様に本件請求項3~
7記載の発明も完成された発明として記載されていたことは疑う余地がないのであ
る。以下、詳述する。
 2 本件発明1について
 (1) 本件明細書(甲第3号証)の「背景技術」には、脳性ナトリウム利尿ペプチ
ド(略称;BNP)が従来公知の心房性ナトリウム利尿ペプチド(略称;ANP)
に密接に関連していること、ANPがナトリウム排出亢進及び利尿を生じさせるこ
とが示され(4欄14行~7欄11行)、更に、「ブタの脳のナトリウム排出亢進
性ペプチドまたはpBNP(原告注;「p」は「ブタ」の意)の活性のスペクトル
は、ブタANPのスペクトルに類似する。」(6欄12~14行)と記載され、こ
の背景技術の下、本件明細書は、本件発明1に係るペプチドの構造がいかに特定さ
れ、それがいかなる理由からナトリウム排出亢進活性を有することが予測されるか
を記載している。そして、「【I】博士の宣誓書」(甲第6号証の2)は、「ヒト
ゲノムが、既知のナトリウム排出亢進性および血管拡張活性を有する配列に対して
上記のような高い相同性を有する配列をコードし、同じように構成されていること
は、本件発明のクラスのペプチドがナトリウム排出亢進性および血管拡張活性を有
することを証拠づけます」(甲第6号証の2パラグラフ7)とし、同様の内容は、
「医学博士【J】の宣誓書」(甲第7号証の2パラグラフ8)にも記載され、これら
甲号証は、配列Aで示されるペプチドがナトリウム排出亢進活性を有すると予測さ
れるとした本件明細書の言明を支持するものである。
 さらに、【G】の宣誓書(甲第6号証の3)、特開平2-231082号公報
(甲第6号証の4、決定にいう文献1)及び特開平2-237999号公報(甲第
6号証の5、決定にいう文献2)は上記ペプチドが生理活性を有することを、ま
た、医学博士【H】教授の宣誓書(甲第6号証の6)、AmJCardiol(1996)
78:896-901(甲第6号証の7)及びCirculation(1996)94:3184-3189(甲第6号証
の8)は、このペプチドが薬剤組成物として臨床試験において有効であることを示
すもので、これら甲号証は前述した予測の正しさを裏付ける。
 (2) 本件出願当時の技術常識に照らしたとき、配列Aで示されるペプチドがナト
リウム排出亢進活性を有すると予測されるとした本件明細書の言明は、同じく、支
持されるものである。
 すなわち、「国際公開WO87/02674号パンフレット」(甲第22号証)
及びこれに対応する「特表昭63-501294号公報」(甲第23号証)は、哺
乳動物においてナトリウム排出亢進、利尿及び/又は血管拡張活性を有する心房性
ナトリウム利尿ペプチド(ANP)類似化合物に関するもので、甲第22号証に、前
記化合物が所望の活性を有するための構造は、一般式:Z1-AA8-AA9-AA10-AA11
-AA12-Z2によって表され、ここで、コア配列(AA8-AA9-AA10-AA11-AA12)は好
ましくは「R(I/M)DRI」(原告注・「R」、「I」、「M」、「D」及び後述する「K」
は、アミノ酸Arg、Ile、Met、Asp及びLysを示す。)であり、ただしAA8の位置
は「R」の代わりに「K」であり得ると記載され、さらに、Z1がカルボキシ末端残基
として疎水性アミノ酸残基を有する1~125個のアミノ酸のペプチド(Y1)を含
み、この疎水性アミノ酸残基はジペプチドであるスペーサー基(Y2)を介して上記
コア配列に結合し得、そして、Z2は1~20個のアミノ酸のペプチドであり得るこ
と、及びZ1とZ2とが一緒に架橋を形成することが記載されている。
 一方、配列Aで示されるペプチドは、2つのシステイン(Cys)間の架橋により1
7アミノ酸の環を形成し得るペプチドであって、その17アミノ酸の領域内
に、F-G-R-KMDRIすなわち、疎水性アミノ酸(F)残基が、ジペプチドであるスペー
サー基(G-R)を介して、コア配列(KMDRI)に結合してなる8アミノ酸を含んでい
る。
 したがって、配列Aで示されるペプチドが、ナトリウム排出亢進活性を示すため
に必要であると甲第22号証において認識されていた要件を完全に満たしているこ
とは直ちに理解され、上記ペプチドが上記活性を有すると予測される。
 3 本件発明2について
 (1) 配列-32で示されるペプチドについても、これがナトリウム排出亢進活性を
有するという本件明細書における言明は、当業者にとって完全に信用することがで
き、更なる実験的な支持を必要としない。
 すなわち、本件優先権主張日当時に、ブタBNPが天然に長さ26及び32のア
ミノ酸(ブタBNP-32)という2つの形態で存在すること、及びブタBNPが
ナトリウム排出亢進活性を有することが公知であったから、ブタBNP-32がブ
タの組織又は血液中に存在しナトリウム排出亢進性応答を引き起こすならば、等価
なものがヒトの組織及び血液中にも存在するという結論に論理的に達し、ヒトの体
内にブタBNP類似体の存在が当然に予測されるのである(京都大学大学院工学科
研究科教授・【K】博士作成の鑑定書(甲第27号証)及び京都大学名誉教授・
【L】博士の意見書(甲第36号証)参照)。
 そして、配列-32で示されるペプチドとブタBNP-32とは、結合して高度に保
存される17アミノ酸のジスルフィド架橋環を形成する2つのシステイン残基が含
まれるという特徴を有するなど、共通する特徴から、これらペプチドの機能の等価
性が確実に予測可能であることは、甲第6号証の2、甲第6号証の6、甲第7号証
の2、本件発明者である【M】博士の宣誓書(甲第21号証)、甲第27号証、甲
第36号証、【N】博士の宣誓書(甲第46号証)及び【H】教授の宣誓書(甲第
48号証)により立証され、これら甲号証から明らかなように、ヒトBNP-32
が上記活性を有することは、本件優先権主張日当時、当業者により予測されたので
あり、このことは、これが実際にヒト体内に存在し、治療に重要なナトリウム排出
亢進活性ホルモンであるという、本件出願後の事実によっても支持されているので
ある。
 被告は、本件明細書にはヒトBNPペプチドのアミノ酸の長さが32アミノ酸で
あると明確に推定した箇所はないと主張するが、本件明細書には、32アミノ酸か
らなるペプチドがナトリウム排出亢進活性を有するペプチド群の1つとして例示さ
れ、請求項2に記載されている。この点は、【L】博士の意見書(甲第36号証)
からも明らかである。
第4 決定取消事由に対する被告の反論
 1 総論
 生物由来のペプチドは、それぞれ大きさも構造も極めて似通った、たった20種
類のアミノ酸で構成されているにもかかわらず、この20種類のアミノ酸の組み合
わせ順序と長さ(配列)の違いだけで、すべての生物を形作り、その生命活動を支
えているものである。そして、各アミノ酸単位はペプチドの本質に関与する主要骨
格そのものであり、特に短いペプチドにおいては、一部でもアミノ酸配列が変わる
と、その物性、生理活性がどのようなものとなるかを正確に予測することは困難で
ある。例えば、「特表昭63-501294号公報」(甲第23号証)に記載
の「AP37(CFGGRIDRIGAC-NH2)」ペプチドは、表ⅠCのANP受容体結合活性能試
験(甲第23号証29頁)及び麻酔ラットにおける利尿試験(甲第23号証31頁)に
おいて優れた成績を示しているが、アミノ酸がただ1つだけ異な
る「AP114(CAGGRIDRIGAC-NH2)」ペプチドは、ANP受容体結合活性すらほとん
どない(表ⅠC、参照)。その一方で、今度はその変異アミノ酸AをD-光学異性
体(D-A)に変換して「AP115(C〔D-A〕GGRIDRIGAC-NH2)」ペプチドとすると、ま
たANP受容体結合活性が復活する。
 したがって、単にアミノ酸配列を提示しただけではペプチドの発明が完成したと
はいえず、その有用性が明細書において客観的に確認されることが発明の完成には
必須の要件である。そして、配列Aで示されるペプチド、それもアミノ酸配列とし
て最短の17のアミノ酸の配列も含むペプチドが、実験で確認することなく、確実
にナトリウム排出亢進活性を有するといえるほどの技術常識が本件出願前に存在し
たといえないことは明白である。
 2 本件発明1について
 (1) 甲第6号証の2及び甲第7号証の2、並びに甲第6号証の3ないし8は、い
ずれも本件出願後のものであって、本件発明1が完成したことを示す証拠とはなら
ない。加えて、これら甲号証の記載からみて、本件出願後においてすら、ナトリウ
ム排出亢進活性が確認されているのは、配列Aで示されるペプチドのうち、32ア
ミノ酸を有するヒトBNPの成熟体及び26アミノ酸からなるヒトBNP-26の2種類の
みであって、成熟体(32アミノ酸)からN末端のアミノ酸を除去して26アミノ
酸としたときに活性があったからといって、更にそれよりも9アミノ酸も除去して
17のアミノ酸からなる配列とした場合でも、上記成熟体と同一の活性が保持され
ているか否かは類推することができないから、結局、これら甲号証からでは、本件
出願後ですら、当該17のアミノ酸からなる配列の場合を含むペプチドについて上
記活性を有することが依然として不明である。
 (2) 甲第22号証及びこれに対応する甲第23号証に記載のところは本件出願日
前に公知であったとはいえ、当該文献は当業者に広く読まれる教科書、単行本ある
いは雑誌中の総説記事に類するものではなく、単独の特許公報であるから、その記
載内容が本件出願前の技術常識であるとはいえない。また、たとえ技術常識であっ
たとしても、甲第23号証に規定される一般式「Z1-AA8-AA9-AA10-AA11-AA12-Z
2」に包含されるペプチドであるといっても、直ちにナトリウム排出亢進活性を有
するペプチドであるとはいえないばかりか、ANP受容体結合活性を有するペプチ
ドであるとすらいえないことは、同号証の記載から明らかであって、当業者にとっ
ては、実験的に確かめてみなくては、ヒトゲノムDNA中に一般式「Z1-AA8-AA9-AA1
0-AA11-AA12-Z2」を満たす配列が存在したからといって、当該配列が確実に「ナ
トリウム排出亢進活性」を有するペプチドをコードするものであるとはいえない。
 3 本件発明2について
 甲第6号証の2、甲第6号証の6、甲第7号証の2、甲第21号証、甲第27号
証、甲第36号証、甲第46号証及び甲第48号証はいずれも、平成11年末若し
くは平成12年になってから作成されたものである。そして、平成11年末では既
にヒトBNP-32からなる医薬組成物が商品化しており、その存在を疑うべくも
ないから、ブタBNP前駆体遺伝子との相同性の高さを強調されながら本件明細書
を読み、図面のゲノム中の配列をみれば、ヒトBNP遺伝子が含まれているように
見えてくるし、「↑1」という図面上の記述から、あたかも出願当初からその位置
での切断が想定されていたかのように見えてくる。
 しかしながら、本件優先権主張日前には、30億対というヒトゲノムについての
情報はほとんどなきに等しかったことを考慮すれば、ヒトBNPペプチドの存在す
ら確認されていなかった状況で、ヒトゲノム中にブタBNP遺伝子と相同性のある
配列が存在することを見いだしただけでは、当該配列が確実にヒトBNP遺伝子を
含む配列であって必ずヒトで現実に発現されている配列であるとは断言することは
できず、まして、ブタBNPが26アミノ酸であるにもかかわらず、ヒトの場合は
ブタBNP前駆体の32アミノ酸と相同性の高い部分こそがヒトBNP遺伝子であ
ると直ちにはいえないとするのが自然である。
 さらに、本件明細書にはヒトBNPペプチドのアミノ酸の長さが32アミノ酸で
あると明確に推定した箇所はなく、むしろ、ここの記載によれば、ブタBNPは上
述したように26アミノ酸で、重要な前駆体配列は29アミノ酸配列であり、32
も予想される前駆体配列の1つとして例示されているもののヒトBNPペプチドの
成熟体を表すような特別な数字として記載してはいない(5頁左欄22~24行、
右欄5~13行、6頁右欄14~17行参照)。
第5 当裁判所の判断
 1 本件発明1について
 (1) 甲第6号証の5によれば、特開平2-237999号公報(決定にいう文献
2)は、発明の名称を「新規生理活性ペプチド及びその用途」として第一化学薬品
株式会社らが平成1年(1989年)3月10日に特許出願(特願平1-5918
3号)した発明に係るものであるが、そこに以下の記載のあることが認められる。
 「本発明者らは、前記ヒトBNPのアミノ酸配列の推定に基づき、新規物質であ
るヒトBNP誘導体を合成し、その薬理作用についてさらに検討を進めたところ、
これらの物質が既知のナトリウム利尿ペプチドが有する平滑筋弛緩作用、ナトリウ
ム利尿作用を有することを見出し、本発明を完成した。
 すなわち本発明は、                   
X-Cys-Phe-Gly-Arg-Lys-Met-Asp-Arg-Ile-Ser-Ser-Ser-Ser-Gly-Leu-Gly-Cys-Lys-V
al-Leu-Arg-Arg-His-OH(Ⅰ)(判決注・アミノ酸配列式の一部省略)で表わされる
生理活性ペプチドまたはその塩およびこれを含有する循環器系疾患治療剤を提供す
るものである。
 本発明において、XがH-Gly-Ser-Gly-であるペプチド(Ⅰ)をヒトBNP-26
と称し、XがH-Ser-Pro-Lys-Met-Val-Gln-Gly-Ser-Gly-であるペプチド(Ⅰ)をヒ
トBNP-32と称することがある。」(2頁左上欄8行~右上欄7行)
 「斯くして得られる本発明ペプチドは平滑筋弛緩作用等を有する。これら作用に
ついて検討した結果を次に示す。
<平滑筋弛緩作用>
①試験方法
 4~7日齢のヒヨコの直腸を摘出し、・・・被験物質としてヒトBNP-26を
100ng投与し、・・・被験物質としてヒトBNP-32を・・・用いた。
②結果
 結果を第1-A図~第1-B図に示す。その結果、本発明ペプチドは・・・平滑筋
弛緩活性を示した。」(3頁左上欄下から3行~右上欄末行)
 (2) 上記公報のこれらの記載によれば、ここに記載のヒトBNP-26及びヒト
BNP-32を合成し、その薬理作用について検討を進めたところ、ナトリウム利
尿作用、すなわち、ナトリウム排出亢進活性を有することを見いだしたことが認め
られる。また、これらペプチドのそれぞれは、配列Aで示されるペプチド群の中の
1つのペプチドであって、上記ヒトBNP-32が配列-32で示されるペプチドであ
ることも明らかである。したがって、上記公報の記載からみれば、該ペプチド群の
中の一部のペプチドについて上記活性を有することが証明されていたものというこ
とはできる。
 (3) しかしながら、これらペプチドを除く、前記ペプチド群のすべてのペプチド
につき、例えば、
R1
-Cys-Phe-Gly-Arg-Lys-Met-Asp-Arg-Ile-Ser-Ser-Ser-Ser-Gly-Leu-Gly-Cys-R2
(ここでR1
がHで、R2
がOH)で示される17アミノ酸からなるペプチドが、現実に上
記ナトリウム排出亢進活性を有していることは、上記特開平2-237999号公
報には示されていないし、【I】博士作成の宣誓書(甲第6号証の2)、【G】作
成の宣誓書(同号証の3)、発明の名称を新規DNAフラグメント」として第一化
学薬品株式会社らが平成1年(1989年)3月1日に特許出願した発明に係る特
開平2-231082号公報(同号証の4、決定にいう文献1)、医学博士【H】
教授作成の宣誓書(同号証の6)、AmJCardiol(1996)78:896-901(同号証の
7)、Circulation(1996)94:3184-3189(同号証の8)及び医学博士【J】作成の
宣誓書(甲第7号証の2)によっても、これが示されているとは認められない。
 このように、上記すべてのペプチドにつき、本件出願(本件優先権主張日である
1988年5月31日)後においてさえ上記活性を有することが証明されているも
のとは認められないから、本件発明1は完成した発明であるということができない
といわなければならない。本件明細書において配列Aで示されるペプチドがナトリ
ウム排出亢進活性を有すると予測されると言明したことが、【I】博士作成の宣誓
書(甲第6号証の2)や医学博士【J】作成の宣誓書(甲第7号証の2)などによ
って支持されたものとしても、あくまでも予測について支持をしているにとどま
り、現実に上記活性を有することまでが証明されることにはならない。したがっ
て、これらの甲号証の記載をもってしても、本件発明1が完成されたものであった
と認めることはできない。
 (4) 原告は、国際公開WO87/02674号パンフレット(甲第22号証)及
びこれに対応する「特表昭63-501294号公報」(甲第23号証)に記載の
事項は技術常識であって、ここに記載の技術常識に照らせば、配列Aで示されるペ
プチド群のすべてのペプチドがナトリウム排出亢進活性を有すると予測され、本件
明細書における前記すべてのペプチドが上記活性を有すると予測されるとの言明は
支持されるものであるとも主張するが、甲第22号証に記載の事項が技術常識で、
この技術常識からして前記すべてのペプチドが上記活性を有すると予測されるとし
ても、それは前記すべてのペプチドが現実に上記活性を有することを証明するもの
ではないことは、原告が主張するところ自体から明らかである。したがって、上記
国際公開パンフレット等をもってしても、上記技術常識を根拠に本件発明1が完成
した発明ということはできない。
 (5) 他に本件発明1が完成されたものであることを認めるべき証拠はなく、本件
発明1は完成された発明であるということはできない。
 2 本件発明2について
 (1) 甲第36号証によれば、京都大学名誉教授・【L】博士作成の意見書は、決
定が認定するように、本件明細書には、ヒトDNA配列がコードするBNPペプチ
ドを実際に作成し、その活性を確認したデータは記載されていない旨指摘しつつも
(7頁の3.5の項)、以下のとおり記載していることが認められる。
「1.はじめに
 私は、本件取消訴訟の対象である特許2511160号の明細書(本件明細書)
および下記に言及する関連書類を検討しました。以下に、1988年5月31日
(以下「本件優先日」)時点での技術水準に基づいて、本件特許の請求の範囲に記
載されたペプチド、特に請求項2に記載されたペプチドの生物活性を、そのDNA
配列が特定された時点で予測できたかどうかについて、生化学および分子生物学の
専門家としての立場から、私の見解を述べます。
 2.結論
 本件優先日当時に利用可能であった技術的知見(下記甲第23号証(特表昭63
-501294号公報)の記載内容を含む)に基づいて、本件明細書の開示を考慮
すれば、本件特許の請求の範囲に記載されたヒトBNPペプチド、特に32アミノ
酸からなる請求項2のペプチドが、ブタBNPペプチドに対応するヒト由来の活性
ペプチドであることは、そのDNA配列が特定された時点で予測できたものと認め
られます。」(1頁1~13行)
「従って、本件優先日(1988年5月31日)当時、ブタにおけるナトリウム排
出亢進性ペプチド(BNP)の存在が既に知られていた以上、ヒトを含む他の高等
動物にも同様な生物活性を有する相同体ペプチドが存在すると考えることは、極め
て合理的な推定です。」(2頁3~6行)
「明細書の第1図に示されたブタBNPのDNA配列と、第5図に示されたヒトB
NPのDNA配列とを比較すると、両者が、ほぼ同一の位置に介在する2つのイン
トロン(非コード領域)を含んで、互いに相同なアミノ酸配列をコードすることが
分かります。アミノ酸配列の相同性は、特に、ブタの“BNP-32”2)
、つまり
C-末端側の32アミノ酸と、対応するヒトの32アミノ酸3)
との間で顕著です。
 2)
ブタBNP-32は、本件明細書の背景技術の項で「ブタの脳における免疫反
応性BNPの主要な形」と記載されているペプチドである。
 3)
このヒトの32アミノ酸は、本件特許の請求項2に特定されたペプチドであ
る。」(2頁11~19行)
「従って、本件発明者らが取得したDNA配列にコードされるヒトBNPペプチ
ド、特に、C-末端側の32アミノ酸からなるペプチドがナトリウム排出亢進活性
を示すことは、上述した甲第23号証の記載によって強く支持されるといえま
す。」(7頁15~17行)
 (2) このように、【L】博士は、ブタのBNP-32、つまりC-末端側の32
アミノ酸と、配列-32で示されるペプチドとの間で、アミノ酸配列の相同性が顕著で
あること、及び特表昭63-501294号公報(甲第23号証)に記載された事
項を根拠に、配列-32で示されるペプチドがナトリウム排出亢進活性が有すると予測
される旨の意見を示しているので検討するに、甲第3号証によれば、本件明細書に
以下の記載のあることが認められる。
「第6図における情報を使用して、ナトリウム排出亢進活性を有するペプチドのク
ラスが、特定され得る。このクラスは、以下の式で示される。
R1
-Cys-Phe-Gly-Arg-Arg/Lys-Leu/Met-Asp-Arg-Ile-Gly/Ser-Ser
-Leu/Ser-Ser-Gly-Leu-Gly-Cys-R2
                 (1)
ここでR1
は、下記の群から選択され、
(H);
Gly-;
Ser-Gly-;
Asp/Lys/Gly-Ser-Gly-;
  Arg/His/Gln-Asp/Lys/Gly-Ser-Gly-;
Met/Val-Arg/His/Gln-Asp/Lys/Gly-Ser-Gly-;
Thr/Met-Met/Val-Arg/His/Gln-Asp/Lys/Gly-Ser-Gly-;
Lys-Thr/Met-Met/Val-Arg/His/Gln-Asp/Lys/Gly-Ser-Gly-;
Pro-Lys-Thr/Met-Met/Val-Arg/His/Gln-Asp/Lys/Gly-Ser-Gly-;
  Ser-Pro-Lys-Thr/Met-Met/Val-Arg/His/Gln-Asp/Lys/Gly-Ser-Gly-;
または、第6図にブタ、イヌまたはヒトBNPの天然の上流配列として示された、
10番目から109番目のアミノ酸配列、またはその複合体であり;
 R2
は(OH)、NH2、またはNR′R″であり、ここでR′及びR″は、それぞれ独立して低級
アルキル(1-4C)であるか、もしくは
Asn/Lys;
Asn/Lys-Val;
Asn/Lys-Val-Leu;
Asn/Lys-Val-Leu-Arg;
Asn/Lys-Val-Leu-Arg-Arg/Lys;
Asn/Lys-Val-Leu-Arg-Arg/Lys-Tyr/His;
または、それらのアミド(NH2またはNR′R″)である;
 但し、式(1)が
R1
-Cys-Phe-Gly-Arg-Arg-Leu-Asp-Arg-Ile-Gly-Ser-Leu-Ser-Gly-Leu-Gly-Cys-R2
であり、R1
がAsp-Ser-Glyである場合には、R2
はAsn-Val-Leu-Arg-Arg-Tyrとはなり
得ない。」(14欄28行~15欄8行)
 (3) なるほどこの記載によれば、本件明細書の「発明の詳細な説明」には、ナト
リウム排出亢進活性を有するペプチドとして特定されるものとして、配列-32で示さ
れるペプチドが、数多くあるペプチド群の中の1つとして例示されている。しかし
ながら、これら多数のペプチド群の中の他のペプチドとの比較において、これを特
別なものとして提示した記載は、「発明の詳細な説明」の他の記載においても見い
だすことはできない。
 そうすると、【L】博士が「発明の詳細な説明」に多数のペプチド群の1つとし
て例示されている、配列-32で示されるペプチドに焦点を絞り、上述した根拠のもと
に上記活性を有することが予測し得たとしても、それは【L】博士自身の洞察力に
よるもので、このことから、一般的に当業者が「発明の詳細な説明」の記載から本
件発明2を完成した発明として認識し得たものと認めることはできない。
 (4) さらに、【L】博士作成の意見書(甲第36号証)には、以下の記載もある
ことが認められる。
「なお、上記の32アミノ酸からなるヒト由来のペプチドについて、本件取消決定
(甲第1号証)では「本件出願当初の明細書及び図面中には・・・当該配列のみを
特別な配列として単独で記載した個所もない」(13頁2~7行)と指摘されてい
ます。しかし、本件明細書は、上述のように背景技術の項においてブタではBNP
-32が主要な形態であることを記載し、第6図においてブタBNP-32に対応
するヒト配列部分として上記32アミノ酸を開示し、さらに同図中100番目のア
ミノ酸に付された上向き矢印「↑1」によって、ヒト(およびイヌ)の配列でもブ
タ配列と同様に32アミノ酸を与える位置でプロセッシング(切断)が起こること
を教示しています。これらの情報が出願当初から明細書中に存在していた以上、本
件発明者らが、取得されたヒト配列から生じる主要な活性ペプチド断片として上記
32アミノ酸を認識していたことは明らかです。」(3頁下から8行~4頁3行)
 このように、【L】博士は、背景技術の項に「ブタではBNP-32が主要な形
態であること」(記載事項1)、並びに第6図に「ブタBNP-32に対応するヒ
ト配列部分として配列-32で示されるペプチド」(記載事項2)及び「100番目の
アミノ酸に付された上向き矢印『↑1』」(記載事項3)が記載されていることを
指摘し、本件明細書には、配列-32を特別な配列として記載しているとする趣旨の意
見を示している。
 そして、甲第3号証によれば、本件明細書に「宮崎医科大学の、これと同一のグ
ルーブからの後続の論文では、更にこれらのタンパクを特定決定している。【O】
ら・・・は、ブタの脳から、C末端に上記のブダBNPの26のアミノ酸およびN
末端に付加的な配列であるSer-Pro-Lys-Met-Arg-という6個のアミノ酸でなる延長
部分を含む、32アミノ酸のナトリウム排出亢進性ペプチド(“BNP-32”)
を単離することについて報告している。次ぎのぺージに続く論文において、組織に
おける様々なナトリウム排出亢進性ペプチドのレベルが報告されている。・・・B
NPおよびBNP-32はブタの脳における免疫反応性BNPの主要な形で
あ・・・ることが示された。」(5欄28~44行)との記載があることが認めら
れ、【L】博士意見書指摘の記載事項1ないし3が本件明細書の発明の詳細な説明
及び図面に記載されている。
 しかしながら、【L】博士指摘の記載事項1については、従来の技術知識である
との紹介にとどまり、ここに記載のブタBNP-32と、これに対応するヒト配列
部分として配列-32で示されるペプチドとを関連づける記載は本件明細書及び図面に
は認められないから、この記載をもって、配列-32を特別な配列として記載している
ということはできない。
 また、記載事項2及び3については、配列-32で示されるペプチドをその配列の一
部として含む、より長い配列からなるペプチドが第6図に示されているにすぎな
い。
 しかも、甲第3号証によれば、本件明細書の発明の詳細な説明に、上向き矢印に
ついて「様々なプロセッシング部位が得られるため、これら図面および第6図に示
される複合配列において、上向き矢印によって示されるように、「プロ」NPおよ
び「NP」の明確な区別は、無意味なことであると思われる。本発明によって定義
されたペプチドは、上記式(1)において提示されており、Sudohのブタ「B
NP」に対応する同定された26アミノ酸領域に先行するか、あるいはその環式部
分に連結するN-末端の形の長さにかかわらず、ナトリウム排出亢進および/また
は血管拡張活性を有する。」(10欄44行~11欄3行)との記載があることが
認められ、上向き矢印は「プロ」NP(ナトリウム排出亢進性ペプチド前駆体の意
味で、これが酵素的分解により成熟体になる。)及び「NP」(ナトリウム排出亢
進性ペプチドの意味で、ここでは成熟体のこと)の明確な区別が無意味なことを示
すとあるものの、これより詳しい説明のないこと、そして、第6図に、同じように
アミノ酸単位(His)、(Glu)、(Met)及び(Gly)部位に記載されている『↑S
P』、『↑Leu Gln』、『↑?』及び『↑2』をも含め、『↑』に添われている
『1』『?』等の意味についての説明が「発明の詳細な説明」にないことを考え合
わせると、【L】博士指摘の記載事項2及び3をもってしても、配列-32で示される
ペプチドが特別な配列であることの記載があるとすべき根拠にはならない。
 (5) 甲第6号証の2、甲第6号証の6、甲第7号証の2及び甲第27号証には、
以下の記載のあることが認められる。
 ◇ 【I】博士作成の宣誓書(甲第6号証の2)
「私は、当時私の同業の当業者に知られていたことに照らして、第2,511、1
60号特許の明細書の教示を評価しました。」(甲第6号証の2の訳文、1頁下か
ら9~8行)
「要約すると、請求項1および2に示されたアミノ酸配列を、これらの配列とナト
リウム排出亢進ペプチド(ブタBNPおよびヒトANP)の配列との類似性、およ
びそのヌクレオチド配列およびヒトプレプロペプチドをコードする遺伝子のゲノム
構成ゲノムをブタおよびイヌ遺伝子と比較した場合の類似性を考慮して検討する
と、私は、ヒトゲノムDNAが構造遺伝子を表し、そしてコードされたペプチドが
ナトリウム排出亢進活性および血管拡張活性を有することを疑いなく断言できま
す。」(訳文4頁1~7行)
 ◇ 医学博士【H】教授作成の宣誓書(甲第6号証の6)
「私は、当時私の同業の当業者に知られていたことに照らして、第2,511,1
60号特許の明細書の教示を評価しました。私は、このペプチドと、既知のクラス
のナトリウム排出亢進性ペプチドとの顕著な相同性、およびヒトゲノム配列と、同
様のプレプロ形態をコードするイヌおよびブタに見いだされるゲノム配列との間の
匹敵する構成および相同性を考慮して、明細書中で述べられているように、請求項
1に示された必要とされる最小限のアミノ酸配列セットを有するペプチドおよび請
求項2の必要とされる配列のペプチドがナトリウム排出亢進活性および血管拡張活
性を有するということは、当業者であれば完全に信頼できるだけではなく説得力が
あることが分かるであろうという結論に達しました。」(訳文1頁下から8行~2
頁2行)
 ◇ 医学博士【J】作成の宣誓書(甲第7号証の2)
「私は、1988年5月31日以来の優先権を主張する日本国特許第2,511,160号の
明細書を読みました。・・・従って、当該分野の当業者および研究者が当時何を知
っており、また理解していたかについての知識があります。私は、その時代の背景
に照らして明細書を読み、以下のことを注記します。」(訳文1頁下から5~1
行)
「要約すると、本特許の請求項1および2に示されたアミノ酸配列を、これらの配
列と公知のナトリウム排出亢進ペプチド(ブタBNPおよびヒトANP)の配列と
の類似性を考慮して検討すると、私は、このペプチドがナトリウム排出亢進活性お
よび血管拡張活性を有すること、および明細書に示された状態を治療するために設
計される薬学的組成物において有用であることを明細書において疑いなく断言でき
ます。ブタおよびイヌ遺伝子と比較した場合のヒトプレプロペプチドをコードする
遺伝子のそのヌクレオチド配列およびゲノム構成の類似性もまた、アミノ酸配列相
同性のみに基づいて上記に示された結論が正しいことを、さらに確証します。」
(訳文4頁11~19行)
 ◇ 京都大学大学院教授・【K】博士作成の鑑定書(甲第27号証)
「1.目的
 特許第2511160号明細書の特許請求の範囲請求項1に記載されたアミノ酸
配列を有するペプチド(以下、本件ペプチド)が、ナトリウム排出亢進活性を有す
ることを、同特許の第1優先権主張日(1988年5月31日)当時、十分な蓋然
性をもって予測可能であったか否かを検討しました。
 2.結論
 1988年5月31日当時の技術水準を考慮すれば、本件ペプチドが、ナトリウ
ム排出亢進活性を有することは、高い確実性で予測可能でした。」(1頁1~8
行)
 (6) これら(5)に掲記の宣誓書等の記載は、上記配列-32で示されるペプチドにつ
いて個別具体的に言及してはいないものの、配列Aで示されるペプチド群のすべて
のペプチドがナトリウム亢進活性を有することが配列-32で示されるペプチドが本件
出願(本件優先権主張日)当時予測されることを述べることによって、上記活性を
有することが予測された旨述べるものとなっている。
 しかしながら、さきに(3)で説示したように、配列-32で示されるペプチドが、数
多くあるペプチド群の中の他のペプチドとの比較において、これを特別なものとし
て提示した記載は、「発明の詳細な説明」からは見いだせないのであって、上記の
専門家が「発明の詳細な説明」に例示されている多数のペプチド群の中から配列-32
で示されるペプチドに焦点を絞り、本件出願当時上記活性を有することを予測し得
たとの意見を述べているとしても、このことから、本件出願当時当業者が「発明の
詳細な説明」の上記のような記載から本件発明2を完成した発明として、当然認識
し得たということはできない。
 また、前記宣誓書等は、配列-32で示されるペプチドがナトリウム亢進活性を有す
ることを予測し得たとするとともに、配列Aで示されるペプチド群のすべてのペプ
チドが同活性を有することも合わせて予測し得たとしているが、そこには、配列-32
で示されるが該活性を有すると予測し得た根拠として、配列Aで示されるペプチド
群のすべてのペプチドが該活性を有すると予測した根拠以外のものは見いだせない
から、結局、同じ根拠をもって、配列-32で示されるペプチド、及びこれを含めた配
列Aで示されるペプチド群のすべてのペプチドが上記活性を有することを予測し得
たとしているものということができる。
 しかしながら、前記1の(3)で説示したように、配列Aで示されるペプチド群のす
べてのペプチドが上記活性を有することは証されていないのであるから、前記宣誓
書等に記載の予測の正しさは裏付けられていないといわざるを得ず、上記のように
同じ根拠から配列-32で示されるペプチドが上記活性を有しているとした予測も、そ
の正しさが裏付けられているものであるとすることはできない。
 (7) 甲第46号証及び第48号証によれば、原告所属の科学者である【N】の宣
誓書及びコーネル大学生理・医学部生理学教授である【H】博士の宣誓書に以下の
記載のあることが認められる。
 ◇ 【N】の宣誓書(甲第46号証)
「私は、日本国特許第2,511,160号に開示されている発明を熟知してい
る。上記発明は、ヒトBNPをコードする遺伝子のクローニングに関する。」(甲
第46号証の訳文1頁10~11行)
「私はさらに、サイオス社特許第2,511,160号に記載されているヒトBN
P遺伝子の特性を検討したが、以下の理由により、このヒトBNP遺伝子は、偽遺
伝子の特性であるTsujibo配列により例示される特性に基づく偽遺伝子では
ないことは明らかであると結論する。」(訳文1頁下から11~7行)
「7.サイオス社特許に記載されているヒトBNPがブタBNPのヒトにおける明
白な対応物であることが明らかである理由は他にも存在する。・・・
 9.発明者らは、ヒト、イヌ、およびブタの3種類のBNP遺伝子すべてを独自
に比較することができた。対応遺伝子について予想されるように、必須領域におけ
る変異率は、非必須領域の変異率よりもはるかに低い。従って、発明者らは、3つ
すべての配列について、最初の26位置のうち15が同一(58%同一)であり、
次の83位置のうち23が同一(28%同一)であり、最後の32位置のうち21
が同一(66%同一)であることを見い出した。発明者らは、これらの変異率が機
能に関連することを知っていた。・・・
 10.すべて1988年に入手可能であった上記の原理を考慮すると、サイオス
社特許の請求項2に記載されているペプチドが、ブタBNPのヒト対応物を表し、
ブタBNPと同様にナトリウム排出亢進活性を有することは明らかであった。」
(訳文2頁18行~3頁19行)
 ◇ 【H】博士の宣誓書(甲第48号証)
「4.本宣誓書は、前回の宣誓書における上記結論、特に、ヒトゲノム中でコード
され、日本国特許第2,511,160号に記載され、請求項2に記載されている
タンパク質の32アミノ酸カルボキシ末端部についての結論をさらに支持するもの
である。」(甲第48号証の訳文1頁下から9~6行)
「8.従って、ヒトゲノム中でコードされ上記サイオス社特許に記載されているタ
ンパク質のC末端にコードされる32アミノ酸ペプチドが、ブタBNPの機能的相
同体であることは、明らかであった。このことは、配列全体の相同性からだけでな
く、クリアランスレセプターへの結合に重要な配列要素の存在からも納得がいくの
である。
 9.さらに、ヒト配列の全体的構成は、ブタ遺伝子に見出される構成と全く類似
している。両者とも、より長い前駆体すなわち「プロ」形態として生成され、この
形態が、C末端の上流の開裂によってプロセシングされて、ナトリウム排出亢進活
性を有する、請求項2に記載された32マーのようなペプチドが生成されるのであ
る。
 10.私は、生理学・医学の専門家およびナトリウム排出亢進性ペプチド全般に
詳しい専門家として、サイオス社特許に記載されているヒトゲノム内にコードされ
た配列を見て直ちに、請求項2に記載の32アミノ酸カルボキシ末端ペプチドがナ
トリウム排出亢進活性を有するという結論に達した。」(訳文2頁下から8行~3
頁6行)
 (8) これらの記載によれば、【N】は、本件明細書及び図面に記載されているヒ
トBNP遺伝子が偽遺伝子ではないこと、同じく記載されているヒトBNPがブタ
BNPのヒトにおける明白な対応物であること、発明者らは、ヒト、イヌ及びブタ
の3種類のBNP遺伝子すべてを独自に比較することができたことを根拠に、配
列-32で示されるペプチドがナトリウム排出亢進活性を有することは明らかであった
とし、【H】教授は、本件明細書及び図面に記載されている「タンパク質のC末端
にコードされる32アミノ酸ペプチド」、すなわち、配列-32で示されるペプチドが
ブタBNPの機能的相同体であること、同ペプチドにクリアランスレセプターへの
結合に重要な配列要素が存在していること、及び、同じく記載されているヒト遺伝
子配列の全体的構成がブタ遺伝子に見いだされる構成と全く類似していることか
ら、前記ペプチドが上記活性を有するという結論に達したというものである。
 しかしながら、配列-32で示されるペプチドが、数多くあるペプチド群の中の他の
ペプチドとの比較において、これを特別なものとして提示した記載が本件明細書の
発明の詳細な説明に見いだせないのは前記のとおりであって、上記の宣誓書のよう
に、配列-32で示されるペプチドに焦点を絞り、上記活性を有することの予測があっ
たとしても、このことから、当業者が、「発明の詳細な説明」における数多いペプ
チド群の中から特に配列-32で示されるペプチドが特定されていない記載により、本
件発明2を完成した発明として認識可能なものであったということはできない。
 (9) 甲第21号証によれば、本件発明者である【M】博士作成の宣誓書に以下の
記載のあることが認められる。
「従って、日本国特許第2511160号の優先日の時点で、我々は、特許請求の
範囲に記載されたペプチドのナトリウム排出亢進性を含めて、特許請求の範囲に記
載された発明について、明確な、ゆるぎない概念を有していた。よって、我々は、
特許請求の範囲に記載された発明を完成させていたのである。さらに、特許出願の
開示内容および当該分野における一般的な知識を考慮すれば、特許請求の範囲に記
載されたペプチドのナトリウム排出亢進性および治療上の有用性に関する本明細書
の記載が正しいことに、当業者は、何の疑いも持たなかったのである。」(訳文7
頁下から6行~8頁2行)
 この記載は、【M】博士は、同博士を含めた者たちが本件に係る発明を完成した
こと、及び該発明に係るペプチドがナトリウム排出亢進活性である旨の本件明細書
の記載が正しいことに当業者は何の疑いも持たなかった旨を述べるものである。
 しかしながら、本件明細書の発明の詳細な説明における前記のような内容の記載
に照らすと、本件発明者である【M】博士作成の宣誓書の記載をもってしても、本
件出願当時、当業者が本件明細書の発明の詳細な説明により本件発明2を完成した
発明として認識可能であったものと客観的に認めることはできない。
 (10) 他に、本件発明2が完成したものであることを認めるべき証拠はなく、配
列-32で示されるペプチドがナトリウム排出亢進活性を有することが後に証明された
としても、本件出願(本件優先権主張日)当時、当業者が本件明細書の発明の詳細
な説明の記載から本件発明2を完成した発明として認識することができたものと認
めることはできない。
第6 結論
 以上のとおり、原告主張の決定取消事由は理由がないので、本訴請求は棄却され
るべきである。
(平成13年2月27日口頭弁論終結)
 東京高等裁判所第18民事部
         裁判長裁判官   永   井   紀   昭
            裁判官   塩   月   秀   平
            裁判官   橋   本   英   史

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