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裁判例


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○ 主文
一 原告の請求を棄却する。ただし、平成二年二月一八日に行われた衆議院議員選
挙の大阪府第三区における選挙は違法である。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
○ 事実及び理由
第一 請求
平成二年二月一八日に行われた衆議院議員選挙の大阪府第三区における選挙を無効
とする。
第二 事案の概要
一 (争いのない事実)
1 原告を含む別紙選定者目録記載の選定者らは、平成二年二月一八日に実施され
た衆議院議員選挙(以下「本件選挙」という。)の大阪府第三区における選挙人で
ある。
2 本件選挙が依拠した公職選挙法一三条一項、同法別表第一及び同法附則七ない
し一〇項の規定(以下まとめて「議員定数配分規定」という。)は、公職選挙法の
一部を改正する法律(昭和六一年法律第六七号。以下「昭和六一年改正法」とい
う。)による改正(以下「昭和六一年改正」ということがある。)にかかるもので
ある。
3 ところで、昭和五八年一一月七日大法廷判決・民集三七巻九号一二四三頁(以
下「昭和五八年大法廷判決」という。)において、昭和五五年六月二二日施行の衆
議院議員選挙当時、前記2の改正前の議員定数配分規定の下において存した選挙区
間における議員一人当たりの選挙人数(選挙の際の自治省の発表による。以下同
じ。)の最大較差一一材三・九四は、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至
っていたものであるとの判断が示され、次いで、最高裁判所昭和六〇年七月一七日
大法廷判決・民集三九巻五号一一〇〇頁(以下「昭和六〇年大法廷判決」とい
う。)において、昭和五八年一二月一一八日施行の衆議院議員選挙当時、各選挙区
間における議員一人当たりの選挙人数に最大一対四・四〇の較差を生ぜしめていた
右議員定数配分規定は、憲法一四条一項等に違反していたとの判断が示された。こ
れに対応して、国会は、右議員定数配分規定の改正に取り組み、第一〇四回通常国
会において、昭和六一年五月二二日、八選挙区につき議員数を各一名増員し、七選
挙区につき議員数を各一名減員するとともに、減員によって二人区となる選挙区の
うち和歌山県第二区、愛媛県第三区、大分県第二区については隣接選挙区との境界
変更により二人区を解消することを内容とする昭和六一年改正法が成立するに至っ
た。なお、衆議院本会議において、右改正法が可決された際、今回の衆議院議員の
定数是正は、違憲とされた現行規定を早急に改正するための暫定措置であり、昭和
六〇年国勢調査の確定人口の公表をまって速やかに抜本改正の検討を行うものとす
る旨の決議がされた。
4 昭和六一年改正によって、昭和六つ年一〇月実施の国勢調査の要計表(速報
値)人口に基づく選挙区間における議員一人当たりの人口の較差は最大一対二・九
九となった。
5 その後、なんらの是正がなされないままに経過し、本件選挙当時において、選
挙区間における議員一人当たりの選挙人数の較差は最大一対三・一八であった。
二 (争点)
原告は、投票価値の平等(一票一価)の保障からみて、昭和六一年改正後の議員定
数配分規定も、改正当時既に憲法一四条一項等に違反していたものであり、その後
の人口の異動により違憲性は更に増大したのに、それが是正されないまま本件選挙
が行われたから、本件選挙は、違憲の議員定数配分規定に基づく選挙として無効で
あると主張し(その詳細は、別紙(一)ないし(六)の準備書面記載のとおりであ
る。)、被告は、これを争う(その主張の詳細は、別紙(七)及び(八)の準備書
面記載のとおりである。)。
本件の中心的な争点は、次のとおりである。
1 昭和六一年改正にかかる議員定数配分規定は、改正当時既に憲法一四条一項に
違反して無効であったか。
2 1につき消極に解される場合、右改正後の議員定数配分規定は、本件選挙当
時、憲法一四条一項に違反して無効であったか。
3 2につき積極に解される場合、事情判決の法理に従い、本件請求を棄却し本件
選挙区の選挙の違法宣言をするにとどめるのが相当か。
第三当裁判所の判決理由
一 日本国憲法は、国会を構成する衆議院及び参議院の議員を選挙する制度の仕組
みの具体的決定を原則として国会の裁量にゆだねているのであるが(四三条二項、
四七条)、国会の両議院の議員を選挙する国民固有の権利については、憲法四四条
但し書が選挙資格における差別を禁止するにとどまらず、憲法一四条一項の規定
は、選挙権の内容の平等、換言すれば、議員の選出における各選挙人の投票の有す
る影響力の平等、すなわち投票価値の平等をも所期しているものと解すべきであ
る。しかし、投票価値の平等は、憲法上、右選挙制度の決定のための唯一、絶対の
基準となるものではなく、国会が正当に考慮することのできる他の政策目的ないし
は理由との関連において調和的に実現されるべきものと解されなければならない。
公職選挙法が衆議院につき採用している現行の選挙制度の仕組み(いわゆる中選挙
区単記投票制)の下において、選挙区割と議員定数の配分を決定するについては、
人口又は選挙人数と配分議員数との比率の平等(人口比例主義)が最も重要かつ基
本的な基準というべきであるが、それ以外にも考慮されるべきものとして、都道府
県、市町村等の行政区画、地理的状況等の諸般の事情が存在するのみならず、人口
の都市集中化の現象等の社会情勢の変化を選挙区割や議員定数の配分にどのように
反映させるかということも考慮されるべき要素の一つである。このように、選挙区
割と議員定数の配分の具体的決定には種々の政策的及び技術的に考慮すべきものが
あり、これらをどのように考慮して具体的決定に反映させるかは、憲法一四条一項
の規定の所期する投票価値の平等の最大限の配慮の下に、国会の裁量権の合理的行
使によるものである。
右の見地に立って考えても、公職選挙法の制定又はその改正により具体的に決定さ
れた選挙区割と議員定数の配分の下における選挙入の有する投票の価値に不平等が
存し、あるいはその後の人口の異動によりそのような不平等が生じ、それが国会に
おいて通常考慮し得る諸般の要素をしんしやくしてもなお、一般に合理性を有する
ものとは考えられない程度に達しているときは、右のような不平等は、もはや国会
の合理的裁量の限界を越えているものと推定され、これを正当化すべき特別の理由
が示されない限り、憲法違反と判断されざるを得ないものというべきである。な
お、制定又は改正の当時憲法に適合していた議員定数配分規定の下における選挙区
間の議員一人当たりの選挙人数又は人口の較差がその後の人口の異動によって拡大
し、憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至った場合には、そのことによって
直ちに当該議員定数配分規定が憲法に違反するとすべきものではなく、憲法上要求
される合理的期間内の是正が行われないとき初めて右規定が憲法に違反するものと
いうべきである。
以上は、最高裁判所の判例(昭和五一年四月一四日大法廷判決・民集三〇巻三号二
二三頁、昭和五八年大法廷判決、昭和六〇年大法廷判決、昭和六三年一〇月二一日
第二小法廷判決・民集四二巻八号六四四頁)の趣旨とするところであり、当裁判所
も右見解を基本的に支持するので、以下これに準拠して本件の争点について判断す
る。
二 争点1について
昭和六一年改正法による議員定数配分規定の改正によって、昭和六〇年国勢調査の
要計表(速報値)人口に基づく選挙区間における議員一入当たりの人口の較差は最
大一対二・九九となったことは、当事者間に争いがない。しかるところ、(1)昭
和六一年改正が、前記第二の一の3のとおり、昭和六〇年大法廷刊決により右改正
前の議員定数配分規定が違憲と判断されたことに対する当面の暫定措置としてなさ
れたものであること、(2)昭和五八年大法廷判決及び昭和六〇年大法廷刊決が、
昭和五〇年法律第六三号による公職選挙法の改正の結果、昭和四五年一〇月実施の
国勢調査による人口に基づく選挙区間における議員一人当たりの人口の較差が最大
一対二・九二に縮小することになったこと等を理由として、昭和五一年大法廷判決
により違憲と判断された右改正前の議員定数配分規定の下におけろ投票価値の不平
等状態は右改正により一応解消されたものと評価できる旨判示する趣旨に徴して、
昭和六一年改正に係る議員定数配分規定が憲法に反するものということはできな
い。
したがって、昭和六一年改正に係る議員定数配分規定が、改正当時既に憲法一四条
一項等に違反していたとの原告の主張は採用できない。
三 争点2について
1 前記一のとおり、衆議院議員の選挙区割と議員定数の配分を決定するについて
は、人口比例主義が最も重要かつ基本的な基準というべきである。前記一の他の考
慮要素は、それ自体として人口比例主義と併立する別個独立の原理というべきもの
ではなく、いわば厳密な人口比例主義の貫徹に対する若干の緩和的ないし修正的要
素としてしんしやくし得べき事項とみるべきものである。したがって、非人口的要
素により是認されるべき較差拡大の程度にはおのずから限度があるというべきであ
る。しかるところ、前記二の昭和六一年改正時の選挙区間における議員一人当たり
の人口の最大較差一対二・九九は、憲法上の選挙権の平等の要求に反する投票価値
の不平等状態の一歩手前というべきぎりぎりの較差値と考えられ、当時における人
口の都市集中の状況(当裁判所に顕著である。)に照らし、早晩手直しを要求され
るものであることが明らかであったということができる。国会においても、当然こ
の点に留意しており、前記第二の一の3のとおり、昭和六一年改正法が同年五月二
一日に衆議院本会議で可決された際、今回の定数是正は当面の暫定措置であり、昭
和六〇年国勢調査の確定人口の公表をまって速やかに抜本改正の検討をする旨の議
決が行われた。
2 成立に争いのない甲七六号証、八〇号証、八二号証によると、昭和六〇年国勢
調査の確定人口の公表は昭和六一年一一月一〇日になされた事実が認められる。と
ころが、なんらの是正がなされないままに経過したことは、当事者間に争いがない
ところ、前記1の衆議院の決議の存在、投票価値の平等の保障は衆議院議員の選挙
制度の基本であることに照らせば、国会が速やかに適切な対応をすることが必ずし
も期待しがたいことを考慮しても、右の国勢調査の確定人口の公表がなされてから
遅くとも三年後には是正の合理的期間を経過したものといわざるを得ない。しかる
に、依然として是正がなされないまま経過し、本件選挙当時において、選挙区間に
おける議員一人当たりの選挙人数の較差は最大一対三・一八であったことは、当事
者間に争いがない。なお、弁論の全趣旨により、本件選挙当時において、選挙人数
の少ない選挙区の議員定数が選挙人数の多い選挙区の議員定数よりも多いというい
わゆる逆転現象が全選挙区間において別紙(五)の準備書面添付別表のとおり一〇
七八通り存在し、そのうち定数二人の差のある顕著な逆転現象が二〇四通りもあっ
たことが認められる。
3 以上検討の投票価値の不平等の程度及びその不平等の是正の合理的期間の徒過
を総合考慮すると、昭和六一年改正後の議員定数配分規定は、本件選挙当時、憲法
一四条一項に違反して無効であったというべきである。
四 争点3について
本件選挙について、(1)違憲の議員定数配分規定によって選挙人の基本的権利で
ある選挙権が制約されているという不利益など、本件選挙の効力を否定しないこと
による弊害、(2)本件選挙を無効とする判決の結果、議員定数配分規定の改正が
当該選挙区から選出された議員が存在しない状態で行われざるを得ないなど、一時
的にせよ憲法の予定しない事態が現出することによってもたらされる不都合、
(3)本件選挙当時の選挙区間における議員一人当たりの有権者数の較差の程度そ
の他本件に現れた諸般の事情を総合考慮すると、いわゆる事情判決の制度の基礎に
存するものと解すべき一般的な法の基本原則に従い、原告の請求を棄却し、本件選
挙の大阪府第三区における選挙の違法を宣言するにとどめるのが相当である。
五 よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 上田次郎 渡辺 貢 中田昭孝)
別紙(一)
原告準備書面(第一)
第一、序に代えて---本件訴訟の命題
平成二年二月一八日に行われた衆議院議員選挙(以下、本件選挙という)は、各選
挙区間における選挙人の投票の価値に著しい較差のある議員定数配分規定にもとづ
いて行われた。大阪府第三区の選挙人である原告ら(以下、単に原告という)も、
なんらの合理的根拠に依らず住所(選挙区)がどこにあるかという理由だけで、他
の選挙区の選挙人との間に不当にして不法な差別を受け、不平等に取り扱われた。
それ故、本件選挙は無効である、とするのが、この訴訟の命題である。
ところで、原告が右に述べた選挙人の「投票の価値」というのは、講学上、一人一
票の基礎である「数的価値」をいうばかりでなく、すべての投票が選挙の結果に及
ぼす影響力(より厳密には、影響力の可能性)である「結果価値」をも含む。すな
わち、それは、昭和四七年一二月一〇日施行の衆議院議員選挙千葉県第一区に関す
る選挙無効請求上告事件において、最高裁判所大法廷が判示したところの「各選挙
人の投票の価値、すなわち各投票が選挙の結果に及ぼす影響力」昭和五一年四月一
四日最高裁大法廷・民集三〇巻三号二二三ページ)という文言と同義である。
しかしながら、後述するように、この「投票の価値」のうちの「数的価値」の平等
は、いわゆる一人一票制の採用により、わが憲法(一四条)、公職選挙法(三六
条)(以下、公選法という)においてすでに解決されており、それ故、本件訴訟で
主として問題となるのは、右のうちの「結果価値」の平等についてである。
「選挙人が投票によって国政に参加する度合は、等しくなければならない。選挙人
の発言権は、等しい政治的効果をもたらすものでなければならない。選挙人の一票
は、等しい影響力を持っていなければならない」-----これが、「結果価値」
の平等の端的な表現である。それは、より具体的には、各選挙区における議員定数
と選挙人数との比率によって表される。
本件選挙の実態は、本訴状に添付された定数不均衡状態一覧表(以下、別表(一)
という)を参照すれば一目瞭然であるが、ここでは特に本件訴訟にとって重要と思
われる事項についてのみ、右の表から必要な数字を指摘する。
(一) 議員一人あたりの全国平均選挙人数 一七六、九一一
(選挙人名薄登録者数九〇、五七八、七六一を議員定数五一二で除す。小数点以
下、切捨て)
(二) 議員一人あたりの選挙人数の最大値と最小値の比率 三・一八対一
(「神奈川第四区」と「宮崎第二区」の議員一人あたりの選挙人数の比率)
(三) 本件選挙区と宮崎第二区の議員一人あたりの選挙人数の比率 二・三六対

(「大阪第三区」と「宮崎第二区」の議員一人あたりの選挙人数の比率)
つまり、公選法別表第一ならびに同法附則二項、および七項ないし一〇項の定めた
議員定数配分によれば、各選挙区間の議員一人あたりの有権者分布差比率は最大
三・一八対一にも及び、大阪第三区の宮崎第二区に対するそれも二・三六対一であ
って、その偏差は著しいものである。
本事案における「投票の価値」は、結局において、各選挙区間の議員定数と選挙人
数との比率で端的に表わされることになるのであるが、以上を瞥見しただけでも、
わが国の選挙が、いかに投票の価値、なかんづく、その結果価値の面において、較
差を設けた不合理なものであるかが、一見極めて明白であろう。
第二、議員定数不均衡問題の憲法上の位置づけと歴史的認識
(一) 日本国憲法は、その前文において、「主権が国民に存することを宣言し」
ており、これは憲法の他の条文、たとえば一条の」主権の存する日本国民」とか、
四一条の「国会は、国権の最高機関」である、等の文言と相侯って、わが憲法が国
民主権の原理にもとづくことを明らかにしている。すなわち、国民主権主義は、基
本的人権尊重主義、永久平和主義とならぶ、わが憲法の基本原理の一である。
この国民主権主義の理念それ自体を具体化し、これを現実的実効的に保障するため
に、国民が能動的立場において国政に参加する権利が、すなわち、選挙権である。
選挙権は、わが憲法のような国民の政治的自治ないし自律を認める民主制の下にあ
っては、国政の担当者に対する信任の表示という、すぐれて人格的個人主義的要素
を有する権利であるため、権利の内容、行使の態様、亨有者の資格等の詣要件につ
いて、これを厳密に法定化し客観化して、外圧の侵害から保護することが要請され
義務づけられて来た。そうすることが、主権者である国民の国政関与を恣意的専断
的な政治勢力の介入から阻止し、選挙という重大事の公正を担保し、ひいては民主
制の制度的保障に寄与する、と考えられたのである。
歴史的経験によれば、選挙制度は、普通、平等、自由、秘密という、投票に関する
諸原則を逐次保障することにより、次第に民主化され進化して来た。そうして、今
や、これらの保障がどの程度にまで充たされているか、投票手続が厳正、かつ、客
観的な基準にもとづいて行われているかどうかということが、国家における民主政
実現の程度をはかるバロメーターである、とさえいわれている。つまり、ケルゼン
が端的に述べているように、選挙制度は一見極めて技術的にみえながらも、「民主
政実現の程度にとっては決定的」な制度なのである(芦部信喜・東京大学出版会
「憲法と議会政」二六七ページ参照)。
その意味からいうと、わが憲法前文冒頭の「日本国民は、正当に選挙された国会に
おける代表者を通じて行動」する、という文言は、単に憲法が民主制の原理を採用
することを標榜したというばかりでなく、むしろ一歩を進めて、国民の代表者であ
る国会議員の選出は、いやしくも不当な、不公正、不平等な手続や方法で行われて
はならない、という原則を広く内外に宣言したもの、と解することができる。これ
は衆議院であると参議院であるとを問わず、およそ国会議員の選挙に共通するとこ
ろの大原則である。
わが憲法一四条一項が、「すべて国民は、法の下に平等」である、という平等保障
条項を掲げ、一五条一項、同条二項が、それぞれ、「公務員を選定し、及びこれを
罷免することは、国民固有の権利である。」「すべて公務員は、全体の奉仕者であ
って、一部の奉仕者ではない。」と明記し、また、四三条一項が、「両議院は、全
国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」と明定したのは、憲法が国会
議員の選挙について右の大原則を実効化しようとしたことの意思の表われであろ
う。
さらに、憲法一五条三項、四四条但書は、成年者による無差別の普通選挙を保障し
ている。そして、憲法四七条の委任をうけた公選法の各条項も、選挙手続に関する
具体的細則に関して、直接選挙制、一人一票制、秘密投票制等の諸制度を明定し
て、選挙制度の民主化に寄与して来た。とはいうものの、憲法、公選法のこれらの
条項は、選挙権の「資格要件」の平等と、「投票の数」に関する平等についての消
極的例示的な保障規定であるにとどまり、各選挙人における「結果価値」をも含む
「投票の価値」の平等の重要性についてまでは明言してはいなかった。
しかしながら、一国における選挙権の平等は、「数的価値=一人一票」(one 
man.one.vote)の保障ばかりでなく、「結果価値=一票一価」(on
e vote.one value)の保障が確立せられてこそ、はじめて実現さ
れるものである。もし「結果価値」の平等が確保せられないならば、表面上一人一
票制を保障したといっても、その実、ある者の一票が他の者の数票に相当する価値
を有することになり、そのある者には数票を他の者には一票を与えたと全く同一の
政治的効果が生じることになろう。それはまさしく複数投票制の現代版である。こ
のように、一票の実質的価値に明らかな差異が生じると、有権者の意思を公平に、
かつ、合理的に立法府に反映するところの平等選挙制の機能は甚しく阻害されるこ
ととなり、選挙権の平等は全く名目化形骸化されることになるであろう。
昭和五一年四月一四日付の前掲大法廷判決が、「選挙権の内容、すなわち各選挙人
の投票の価値の平等もまた、憲法の要求するところである」との公権的解釈を明ら
かにしたのは、まさにこのような意味においてであった。
(二) わが憲法の志向する民主政治においては、手続の保障はことのほか重要で
ある。国権の最高機関である国会の構成を定める選挙がいかなる手続で行われる
か、国民の投票が国法上いかに取り扱われているかは、前述したように、まさにわ
が国の民主政治の程度をはかるバロメーターである。
古代ギリシャにおけるデモクラシイという文言の原初的な意味は、デモス(人民)
がクラテイン(支配)する、つまり、「人民による政治」ということを意味した。
すなわち、この文言の本質は、被治者の政治への参加、政治上の自己決定という原
理であった。その意味で、民主政治の第一義とは、まず「人民による政治」という
ことであり、この治者と被治者の政治的自治ないし自律という要素こそがデモクラ
シイの本質である、と考えられる。すなわち、デモクラシイとはまず政治参加の手
続であり、社会秩序を創設したり、これに参加する方法を客観的に法定することを
意味する。したがって、人民の利益ないし幸福という「人民のための政治」がたと
えデモクラシイの窮極の目標であるにせよ、それは「人民による政治」という手続
を遵守することなくしては求め得ないのである(ケルゼン=古市訳・理想社「民主
政治の真偽を分つもの」六ページ以下参照)。
さて、治者と被治者の政治的自治ないし自律が民主政治の本質であり、理想である
とするならば、今度はその制度を厳正に手続化し、よく仕組む、ということが必要
となる。もし、その手続ないしは仕組みに欠陥やひずみが存するならば、民主政治
自体に欠陥とひずみが生ずるのは必至であろう。投票の価値の不平等とは、まさし
くこの種の欠陥の最たるものである。と原告は確信する。
民主政治においては、過半数の国民が過半数の議会代表を選出できるように手続化
され、仕組まれることが、平等の理念からいっても道理にかなうところである。も
し、過半数に充たない国民が過半数の議会代表を選出し得ることになれば、それは
議会における少数者支配を是認することになろう。各選挙区別の有権者の投票の価
値に差等を設け、ある地区で当選できる票数の何倍もの票数を集めても、なお、他
の地区では落選するという選挙法則を採る限り、ある地区の少数者が過大代表を形
成し、他の地区の多数者の過小代表を押えて、優に議会における過半数を制するこ
とも可能となる。すなわち、ある地区の少数者グループが他の地区の多数者グルー
プの犠牲において、議会を支配することが可能となるのである。
たとえば、アメリカ合衆国の例をみれば、一九六〇年代に連邦最高裁判所は、ベイ
カー事件の判決に引き続き、ウエスベリー、レイノルズ事件等において一連の画期
的な違憲判決を打ち出し、アメリカ全土にいわゆる「再配分の季節」をもたらし
て、立法部における右のような代表ギャップを是正したのであったが、それ以前の
各州議会の上下両院の実態は、五〇州九九院(ネブラス力州のみ一院)のうち、実
に四七院までが各州の有権者の三分の一以下の有権者によってその院を支配するこ
とが可能であった。また、フロリダ州のごときは僅か一割強の有権者によって上下
両院の過半数を制し得た、という(ことは、なにも州議会議員の選挙についてばか
りではない。そもそも州は、連邦憲法、および連邦法律によって、連邦下院議席の
州への配分とその選挙区割に関する権限を与えられていたから、これを自由に駆使
してゲリマンダーを設け、連邦下院議員の選出においても不公正な反動的専制体制
を維持していたのである。これの歴史的経緯については、井出嘉憲教授の東京大学
社会科学研究所編「基本的人権2所収、第一一章アメリカにおける投票の権利と平
等の代表」四二五ページ以下が詳しい)。
しかしながら、このような立法部における代表ギャップという病理現象は、わが国
においてもすでに顕著なものとなって久しいのである。すなわち、昭和二〇年代後
半からの戦後の復興期において、人口が大都会に集中したにもかかわらず、国会議
員の選挙区割と議員定数は不変のままに放置されたため、国会では過疎地域の少数
者の過大代表を形成し、過密地域の多数者の過小代表の犠牲において、政党の議席
占有率と得票率は大巾な不一致を招いていた。
かかる現象が不健全不公正であることはいうまでもない。が、それ以上に真に憂う
べきことは、自分たちの投票した者が他の選挙区においてなら悠々当選し得る票数
を獲得したにもかかわらず、投票価値の不平等という制度のために落選し、こうい
う代表機能の低下現象を通じて、自分たちは結局、他の地区の代表らによって支配
される関係に陥る、ということである。つまり、治者と被治者の政治的同一性、す
なわち、自律の政治が命題であるところの民主政治において、治者と被治者の関係
が構造的に分離切断せられ、他律の政治(専主制)の要素が介入する結果となる。
これが、わが憲法の採る民主制の根本原理に矛盾するものであることは、論を俟た
ないところであろう。
国民は、このような民主政治の根幹である多数決原理をないがしろにし、さまざま
なルールを共存させて、立法府の党利党略のために恣しいままにこれを利用させて
いるような選挙制度に対して、はたして信頼と尊敬の念を抱くことができるであろ
うか。いかなる理由によろうとも、公民を差別し、これを等価値に取り扱おうとし
ない制度が、およそ民主政治の一翼を担うことはあり得ないし、また、そのような
ものは衆愚政治であるとして、国民自身がやがてこれを軽んじ、そのものを自壊に
導くであろう。
第三、選挙権の平等と諸外国の判例の動向
(本文省略)
第四、議員定数不均衡問題についての諸外国の主な制度
(本文省略)
第五、わが国の選挙制度の沿革と主要な問題点
(一) わが国の選挙の実状
このように詣外国の例にあっては、議員定数や行政区画などの配分基準とともに、
偏差の限界およびその是正の方法についても、憲法や選挙法で明定しており、主権
者なる国民の国政参加を恣意的専断的な外部勢力の介入から阻止し、選挙という重
大事の公正を担保しようとしている。ところが、わが国の憲法や公選法は、国会に
おける議員定数配分の方法、偏差の限界、その是正方法等をはじめ、議員定数配分
の基準についてもなんら明規するところがなく(後述の公選法別表第一末文にいう
国勢調査の結果による更正規定は、曖昧ながらこれに触れた唯一の規定である)、
このような無原則無限定な規範意識の国は世界の法治国の中でもあまり例がない。
現象的にみても、わが国のあまりにルーズな定数配分の不均衡状態は、もはや悲劇
的なまでに、立法措置によっては治癒し得ない慢性的病理現象を呈しているものと
極論するのほかはなく、それ故にこそ、司法府の合理的客観的根拠にもとづいた違
憲立法審査権による宿痾の是正が切に俟たれる次第である。これなくしては、遂に
百年河清を待つに等しく、選挙制度に対する国民の信頼を回復することは到底不可
能である、と原告は確信する。
しかしながら思うに、わが国の選挙法における選挙区の決定は、歴史的伝統的に、
行政区劃主義と人口主義の二大原則に依っていたのである。
すなわち、わが国の選挙法は、前述した詣外国のように、議員定数の不均衡を人口
変動に応じて是正する旨の明規をもうけていたわけではないが、明治二二年の衆議
院議員選挙法制定以来、幾つかの紆予曲折を経つつも、ほぼ伝統的に人口一二、三
万人に対して議員一人を配分するという制度をとり(林田和博・有斐閣「選挙法」
一〇二ページ)、戦後、衆議院議員選挙法を改正したさいにも、総定数を四六六人
とし、昭和二〇年改正法のときは人口一五五、五六〇人に対して議員一人を、また
同二二年改正法のときは人口一五六、八九七人に対して議員一人を、それぞれ配分
したのであった。
このような行政区劃主義と人口主義の二大原則にもとづく選挙区の決定は、「府県
単位・人口比例配分方式」と名付けられるべきものである。
原告は、次回準備書面において、この方式がわが国の選挙制度の上で定着した沿革
とその歴史的経過について詳述するが、これは日本国憲法下の昭和二五年公選法別
表第一における衆議院議員配分の根本原理を形成しており、現在もなお法的に効力
を有するところの原則である。そしてこの方式は、なにも戦後の公選法においては
じめて採用されたものではなく、公選法自体、その直前の昭和二二年衆議院議員選
挙法(改正法)の別表をそのまま踏襲し、この二二年改正法も、旧憲法下ながらポ
ツダム宣言受諾に伴う戦後の新政治態勢に即応した昭和二〇年改正法をそのまま受
継し、また、右二〇年改正法は明治憲法時代の普通選挙制をはじめて採用した、か
の画期的な大正一四年改正法に起因し、さらに、原初的には、明治二二年の明治憲
法制定当時、衆議院の開設にあたり「聖上臨御」の下、枢密院において慎重審議さ
れた「衆議院議員選挙法」の府県単位・人口比例配分方式に源を発するのである。
このように、七五年間というわが国の憲政史を貫き、大・中・小選挙区の変動、単
記・連記制、記名・無記名制の変転、選挙区制のめまぐるしい変更等、選挙制度の
仕組の幾多の変遷にもかかわらず、府県単位・人口比例配分方式のみが終始変るこ
となくとりつづけられ、議員一人あたりの人口比例平等原則が明治憲法と日本国憲
法との間の根本規範の違いにもかかわらず、貫かれれて来たことは、「投票価値の
平等」を論ずるにあたっては到底看過することのできない歴史的事実の重みといわ
ざるを得ない。
さて、わが国の選挙制度が、このような永年の歴史的伝統に反し、何故に、現在あ
るような不公平不平等な事態を招くにいたったかという原因についていうならば、
それは結局、戦後の公選法規の曖昧さと議員定数是正に対する国会の裁量権の故で
ある、と結論することができよう。
すなわち、衆議院議員の定数を定めた公選法別表第一末文は、「本表はこの法律施
行の日から五年ごとに、直近に行われた国勢調査の結果によって更正するのを例と
する。」と規定してはいるが、この明文にもかかわらず、右は単なる訓示規定であ
るとして、同法施行以来、三十有余年の間に現実に彌縫的に更正が行われたのは、
昭和三九年(一九名増)、同五〇年(二〇名増)、昭和六一年(八名増、七名減)
の三回のみであった。国会の裁量権そのものも現在は全く無原則無限定に放置し座
視されており、その恣意性と怠慢さの故に日本の民主政治はまさにこの選挙制度の
不平等という一角から変質しようとさえしている。
しかしながら、詣外国における厳正な選挙制度と対比するとき、このような明規や
判例法をもたないわが国であるからこそ、議員定数配分における明確にして客観的
な基準の設定と、国会の裁量権に対する合理的規整が最小限必要となるのである。
(二) 議員定数配分の合理性を判断する基準
選挙人の投票の価値は、あくまで一人一票対一人一票、一票一価対一票一価である
べきである。これは、いわば「理想値」というべきものである。しかし、人口の継
続的変動とかその精密な調査の不可能というような、やむを得ない理由にもとづい
て、右のような「理想値」を超え、投票の価値の不平等が存在するにいたる場合の
あることも歴史的には否定できない。そのような場合、投票の価値の不平等が恣意
的、かつ、無限定に流れないために、法的に明確な許容基準ないし許容限界とし
て、いわば「現実値」ともいうべきものを設定しておくことが必要となる。
このように、議員定数配分の合理性を判断する容観的基準を設定することは、選挙
権の平等な行使を公的に担保する機能をはたすであろう。それは単に、国会が議員
定数を配分し、あるいはこれを是正するにさいして重要な指針となるばかりでな
く、裁判所が現行の議員定数配分規定の違憲合憲を判断するにあたっても、そもそ
も投票価値の不平等の限界値、ないしは許容限度が前提とされれてこそ、はじめて
事案についての恣意を排した判断が合理的になされ得るからである。裁判所が違憲
合憲を判断する基準は、単に「この程度では」というような、感覚的ないし印象的
判断であってはならない。裁判所は内心において客観的判断基準を抱くべきであ
る。いやしくも事案についての憲法判断をなすにあたって、裁判所が自らの判断基
準を明らかにしないならば、選挙権の平等を公的に担保する司法府の責務を充分に
はたしたものとはいえないのである。
原告は、この許容基準ないし許容限界として、すなわち、「現実値」として、投票
価値の実質的不平等は、仮にやむを得ない場合であっても、その最大値最小値の較
差を「一対二」の比率にとどめなければならない、と考える。もし、ある者の一票
が他の者の二票に相当する価値を有することになるならば、そのある者には二票
を、他の者には一票を与えたと同一の政治的効果が生じることは自明の理だからで
ある.選挙権平等化の歴史が、いかに複数投票制、等級選挙制などの不平等選挙を
制度上において克服し得たとしても、投票の実質的価値を不平等のまま無限定に放
置するならば、それぞれの投票の政治的効果が異なる制度---つまり、複数投票
制の現代版を棲息せしめるという結果を生ずることになるだけである。
それでは、何故、「一対二」の比率内でなければならないのか。
原告は、各人の投票の価値はもとより等価値でなければならないと考えてはいる
が、ただ人口の継続的変動と一定期間の巨視的観察の必要という、選挙人数と議員
定数の比率を数字的に厳密に一致させることの技術的困難さをも考慮し、さりとて
一部の国民にだけ一人二票を許すことは国民の平等権の受忍し得る限度を超えた不
平等になるという確信を抱きつつ、複数投票制を実質的に否定する意味で、この数
値を導き出したのである。それは、「一人に二人前以上を与えるべきではない」、
換言すれば、「一人を半人前以下に扱うことは断じて宥されない」という、人格の
尊厳、個人の尊重を求める憲法感覚にもとづいている。
「一対二」の基準は、現在では歴史的理想的要請と実質的個別的考慮とをほぼ調和
せしめたところの合理的数値と考えられる。何故ならば、この「一対二」基準は、
大阪弁護士会が昭和五三年一二月に、日本公法学会所属の公法学者を対象に実施し
た国会議員定数問題アンケートの回答結果(別表二国会議員定数問題アンケート集
計表参照。衆議院---一対二以下---、七七分の一三二=七四・五七パーセン
ト)によっても、また、日本弁護士連合会が昭和五六年一二月に、同じく公法学者
を対象に実施した国会議員定数問題アンケートの回答結果(別表(三)国会議員定
数問題および参議院全国区拘束名簿式比例代表制法案に関するアンケート集計表参
照。衆議院---一対二以下---八六分の七六=八八・三七パーセント)によっ
ても、右の基準がともに憲法上の最低限の要請として、公法学界においで認識され
ていることが明らかだからである。
投票の価値の平等を憲法上の要請であるとしながら、なお他方において、各選挙区
間の投票の価値に二倍以上もの偏差をもつ事態を無原則無限定に放置することは、
一人一票制の冒涜以外の何物でもない。このような意味からも、「一対二」の基準
が選挙権平等の公的担保のために堅持せられるべきである、と原告は考える。
昭和五五年六月二二日に行われた第三六回衆議院議員選挙に関する最高裁判所大法
廷判決において、A裁判官が、少数意見ではあるが、「人口の較差が一対二を超え
る定数配分は許されないと思う。なぜならば、それを許すと、ある選挙区の選挙人
には一票を、他の選挙区の選挙人には二票以上の投票権を与えることになるからで
ある」(最大判昭和五八・一一・七 判例時報一〇九六号)と述べ、同六一年七月
六日に行われた第三八回同選挙に関する最高裁判所第二小法廷判決の少数意見で、
B裁判官が、「選挙区間における投票価値の較差は、いかに非人口的要素を加味し
ても、最大一対二程度を限度とすべきである」(最大判昭和六三・一〇・二一 民
集四二巻八号六四四ページ)と述べておられるのは、まさに右の原理を最高裁レベ
ルにおいて確認したものであって、判例法の嚆矢となり得るものであろう。
(三) 議員定数配分における国会の裁量権
1 わが国の国政選挙における一票の重みが平等でなければならないことは、憲法
一四条一項の平等保障条項の当然の帰結である。
そして、昭和五一年四月一四日付の前掲大法廷判決が、衆議院議員選挙に関して、
「各選挙人の投票の価値の平等は憲法の要求するところである」と判示したのは、
まさにこの選挙権平等の原理を内外に宣言したものであり、この原理は、同じ衆議
院議員選挙に関する同五八年一一月七日付の大法廷合憲判決、同六〇年七月一七日
付の大法廷違憲判決においても踏襲されたところである。
しかしながら、これらの判決はともに、憲法が選挙に関する事項を法律で定めるべ
きものとした(四三条二項、四七条)ことを根拠に、両議院の議員の各選挙制度の
仕組の具体的決定は原則として国会の裁量にゆだねられているから、国会の具体的
に決定したところのものが、その裁量権行使として非合理でない限り、投票価値の
平等を損なうこととなってもやむを得ないとして、憲法原則に比し国会の裁量権を
過重に評価している。
2 しかし、結論をいうなら、従来の大法廷の諸判例は、遺憾ながら、国会が議員
定数を配分するにさいして考慮すべき事項としての非人口的要素を、あまりにも大
巾に認めすぎる傾向にあったのではないだろうか。
たとえば、かの昭和三九年二月五日付の参議院議員選挙に関する大法廷判決にして
も、「議員数を選挙区に配分する要素の主要なものは、選挙人の人口比率であるこ
とは否定できないところである」としながらも、「他の幾多の要素」を、考慮すべ
き非人口的要素として列挙する。すなわち、「選挙区の大小、歴史的沿革、行政区
画、議員数の振分等の諸要素」が、人口的要素以外の考慮すべき要素として例示さ
れる。
同様に、昭和五一年四月一四日付大法廷判決においても、人口的要素が「最も重要
かつ基本的な基準」であることを認めつつも、それ以外に「実際上考慮され、か
つ、考慮さてしかるべき要素」は少なくないとし、その例示として、都道府県はい
うに及ばず、従来の選挙の実績、選挙区としてのまとまり具合、市町村その他の行
政区画、面積の大小、人口密度、住民構成、交通事情、地理的状況等が掲げられ、
さらには人口の都市集中化等の社会の急激な変化までをも、「国会における高度に
政策的な考慮要素」の一つである、とする。すなわち、三九年判決において「他の
幾多の要素」として考慮すべきことが要請されていた非人口的要素の例示は、五一
年判決にいたって一段と広範囲にして精緻なものとなり、その反面、人口的要素に
対する考慮そのものは相対的に逓減する傾向さえ窺われる。その傾向は、その後の
大法廷判決においてもなんら変わるところがない。
しかしながら、このような政治的、歴史的、あるいは社会学的諸要素を実質的に考
慮して、本来公民の権利であるべき選挙権の平等を侵犯する合理的理由に奉仕させ
ようとするならば、それは投票価値の平等を志向する憲法原則を立法政策の中に相
対化せしめることとなり、例外を重んじて原則に悖るという結果を招き、遂には憲
法原則それ自体をも空文化させるのみであろう。それはまた、いたずらに政党間の
利害得失論を跳梁させ、選挙制度の是正論議を長期的サボタージュへと導くであろ
う。現に選挙民は、立法措置によっては治癒し得ない定数不均衡の慢性的病理現象
に悩まされつづけているのである。
3 たとえば、昭和五〇年法律六三号によって改訂された衆議院議員配分規定を例
にとってみよう(本件選挙の準拠法である昭和六一年法律六七号の改訂作業につい
ては後述する)。
マスコミから「山賊の山分け」と評されたこの改訂作業は、昭和四五年施行の国勢
調査の結果にもとづく人口を基礎として、議員定数は減員せず、人口比は上下三倍
以内とするという前提で開始されたのであるが、議員一人あたりの人口が全国で最
少である兵庫第五区の一一二、七〇一人に対し、三倍の上限は三三八、一〇三人と
なり、三三六、一二一人の愛知第六区は本来、是正の対象から除外されるべきであ
ったところ、同区は愛知第一区(ともに名古屋市)とともに、前回の四七年総選挙
ではある党がいずれも次点で落選した区であったため、その党が提唱して、わざわ
ざ基数の一一二、七〇一人を一一二、〇〇〇人とすることに修正した上、これの三
倍である三三六、〇〇〇人を超えるものとして愛知第六区を是正の対象に救い上げ
たのであった(同区の定数は三。人口は一、〇〇八、三六三人。議員一人あたりの
人口は三三六、一二一人であるから、僅か一二一人、百分率にして〇・一パーセン
トの微差で無理やり定数一人を水増しした勘定になる)。
この段階では、定数一六人増で済むはずのものが一七人増となっただけで、暫くは
各党も小康を保っていたのであるが、さてこうなると、他党からも「このさいに」
などという切ない欲望が絡み出し、同じ上下三倍偏差でも、是正の基準を最低の兵
庫第五区に対してではなく、議員一人あたりの平均人口二一三、一六七人(総人口
一〇四、六六五、一七一人を議員定数四九一で除した数)の二診の一偏差による上
下三倍偏差に切り換え、新たに神奈川第三区と兵庫第一区を加え(これで一九人
増。これらの二区はいずれも前回総選挙でさきの党が次点落選したところ)、さら
に右の二一三、一六七人の基数を二一三、〇〇〇人と修正することによって、神奈
川第一区の増員幅を〇・五パーセントの微差にもかかわらず二人から三人へと押し
上げ、結局、合計二〇人増とするにいたった(この間の事情は、藤田博昭・東洋経
済新報社「日本の選挙区制」 一九九ページ以降に詳しい)。
以上からも判るように、昭和五〇年の改訂は当初、人口比は上下三倍以内などとい
う恣意的な原則によってはじめられ、しかもその原則さえも守られずに、結局、党
利党略むき出しのまま、強いて名付ければ「人口比上下概ね三倍方式」などという
珍奇な方式によって妥協せられたものである。これが判例の高唱するところの「国
会における高度に政策的な考慮」の結末なのであるが、はたしてこれがわが憲法の
予想する国会の立法裁量の名に値するであろうか。
それはさておき、右の是正作業のその後に触れるならば、増員後六人以上となった
選挙区は分区することとなり、分区後の倍率は最高で二・九二(東京第七区と兵庫
第五区)と、一応、三倍以内に収まりはしたものの、それも束の間のことで、昭和
五〇年一〇月一日の国勢調査では、またまた三・七二倍(千葉第四区と兵庫第五
区)に跳ね上り、さらにその較差は昭和五八年選挙の時点で四・四一倍と拡がる一
方であった。この較差を昭和六一年法律六七号にもとづく改訂によって、一応は最
大較差二・九二倍程度(神奈川第四区と長野第三区)に収めたのであるが、従来の
歴史的経験に徴すれば、次の国勢調査結果が出るまでの間に最大較差が三倍をはる
かに超える可能性は極めて高く、微温的な一時しのぎの是正では有権者人口との追
いかけつこが不可避であることが危惧されていたが、はたして本件選挙ではその危
惧が裏書きされる結果となった。
4 国会の立法裁量に対する疑惑はこればかりにとどまらない。
もし明確な客観基準が掲げられずにただ国会のお手盛の裁量にだけ任されているな
らば、具体的に選挙区へ何人を配分するかの審議にさいして、結局、前述したよう
な党派的利害が因循姑息な技術を弄し、平等原則にむしろ逆行する種々の病理現象
さえ生むにいたるのである。
たとえば、我が国のような中選挙区制の場合、定数配分不均衡の結果、本来四人区
であるべきものが三人区であったとしよう。
もし、第二党がわが国のそれのように第一党の得票の二分の一以下であり、他党が
これにつづいているとすれば、本来四人区ならば同一の得票で二人、つまり、五〇
パーセントの議席で終わらなければなかったかもしれない第一党が、三人区である
がために二人を確保し、定数の六六・七パーセントを占めることができるであろ
う。
かような定数の六六・七パーセント占拠が各選挙区において累積するならば、第一
党はより少ない得票率で以てより多い議席数を獲得することができ、つまりは、議
会における少数者による議席の過半数支配を可能にすることが充分に考えられる。
事実、昭和五〇年の改訂のさいにも二〇人増の議員を配分した区のうち、三人区、
五人区の数は実に一八にも及んでおり、特に埼玉県のごときは、四区計一三人が五
区計一五人に増員され、その五区がことごとく三人区とされたため、結果において
定数是正の審議がますます特定政党にとり有利となる事態が容易に起こり得たので
あった(前掲「日本の選挙区制」一六七ページ以下)。
あるいは、定数是正の論議が提起されると、必ずといっていいほど、他の制度改
革、たとえば小選挙区制や比例代表制などの区制改革と絡めてこれを処理しようと
する動きが国会内に出て来ることは、今や周知の事実である。しかしながら、これ
らはいずれも国会の立法裁量そのものに内在するところの宿弊ともいうべきもので
あって、つまりは「悪い議員配分は、立法的な医薬によっては治らない」という名
言の、あまりにも正鵠を射ていることに驚かされるだけである。
定数問題は定数問題それ自体として、政治的介入を一切斥けて処理されなければな
らない。それがためには、国会の恣意的な立法裁量を許すべきではない。「国会に
おける高度に政策的な考慮要素」という判例用語は、それが一たび国会内に棲みつ
くとき、単なる美辞麗句に名を藉りた政治的利害の好餌となることを、われわれは
銘記すべきである。
第六、立法裁量の範囲と限界についての厳格性
(一) さて、本準備書面の重要な主題である議員定数配分における考慮要素とし
ての人口比率と国会の裁量権の問題を論究するにさいして、有益な手懸りを与えて
くれるのは、西ドイツにおける学説判例の動向であろう。
すなわち、西ドイツにおいては、平等選挙の原則はその形式的性格において一般的
平等原則から区別されるのである。一般的平等原則においては実質的平等の理念が
妥当し、「等しいものを等しく、異なるものを異なって」取り扱い、したがって実
質的理由のあるときには差別的取り扱いが可能であるのに対し、平等選挙の原則に
あっては形式的平等の理念が妥当し、ひたすら平等の「ラデイカルな普遍化」「ラ
デイカルな性向」を志向する。それは否定することのできない個々の国民の事実上
の相違にもかかわらずそれぞれの政治的事情、洞察能力、判断能力を顧慮すること
もなく、また、社会的評価とも関係なく、ただ各人を平等に評価することのみを要
請する。
つまり、形式的平等とは、個々人の事実上の相違をなんら顧慮することなく各人を
等しく取り扱い、画一的平等ないし算術的平等を要請する。一般的平等原則がさま
ざまの相違を属性とする国民個々人を前提とし、国民をいわば「人間」として把握
するのに対して、平等選挙の原則は政治的権利の担い手としての国民を一般的抽象
的な権利主体としての「公民」として把握するのである。
この理論はすでにマウンツによって指摘されたところで、「デモクラシーは、少な
くとも選挙権に関する限り、公民のみを識る」(Grundgesetz Kom
mentar 3.Aufl.1969.Art.38Randnr.48)こと
に由来し、それ故、政治的意思形成の領域においては、すべての国民は、各々の社
会的諸条件の相違にもかかわらず、絶対的に平等な評価を受けなければならないも
のとされる。換言すれば、選挙の平等は、その徹底的な形式化を媒介としてのみ実
質化され得るのである(長尾一紘・公法研究四二号「平等選挙の原則の性格と構
造」八三ページ以下参照)。
ところで、このような西ドイツにおける平等選挙の原則は、わが日本国憲法の場合
にも妥当するもの、と解すべきではないであろうか。何故ならば、国民の選挙権平
等化への趨勢は歴史的にも動かしがたく、今やそれは普遍的なものとなっており、
かつ、わが憲法の条項においてもなんら右の原則を排斥する排他的な障害が見出せ
ないからである。のみならず、そもそも投票価値の平等がわが国の憲法上の原則で
あることを公権的解釈が明定しているときに、これより下位にあるところの法律事
項を規律する国会の裁量権が、憲法の原則を阻害しこれに逆行する態度をとること
は、ひとえに法論理の自殺であり、ひいては法秩序の混乱をもたらすであろうから
である。それ故、わが国においても、選挙権の平等を論ずるにあたっては一般的平
等原則におけるような実質的平等や相対的平等の理念は作用せず、画一的ないしは
算術的平等を志向するところの形式的平等の原理こそが妥当するもの、と解すべき
である。
(二) 以上のことを前提とすれば、平等選挙原則の適用に例外をもうけるについ
ては特に慎重でなければならない。平等選挙原則の形式的性格は、当然の帰結とし
て、立法裁量の範囲と限界について厳格性を要求するからである。
西ドイツ憲法(基本法)三八条三項は、選挙法の具体的形式については、日本国憲
法の場合と同じく、「詳細は、連邦法律で、これを定める」として、立法府に選挙
立法を委任しているのであるが、その委任にもとづく立法権限を行使するにさいし
て、立法府は憲法上の原則を変更してはならず、ただこれを具体化し、あるいは補
完することのみが許されるだけである(マウンツ)。
ところがわが国にあっては、かような点がまことに曖昧であって、従来の最高裁判
所の詣判例においても、平等選挙原則と一般選挙原則との原理的質的相違などは全
く認識されておらず、むしろ定数配分にさいして考慮すべき事項としての非人口的
要素を大巾に認めすぎる傾向にさえあったのである。
しかし、このように極度に緩和された解釈は、それこそ国会の裁量権を無原則無限
定のままに放置することともなり、前述したようにわが国の民主政治をまさに投票
価値の不平等ないしは代表機能の病理化という観点から変質させ、やがてはこれを
自壊せしめる契機を形作ることになろう。
諸外国における厳正な選挙制度と対比して、かかる明規や判例法をもたないわが国
であるからこそ、議員定数配分における明確にして客観的な基準の設定と、国会の
裁量権に対する合理的規整が最小限必要である、と原告が主張するのは、まさにこ
の意味においてである。
すなわち、選挙法運用に関する立法裁量の範囲としては、憲法の平等原則を具体化
し補完するための詣要素に対する考慮のみが許され、また、立法裁量の限界として
は、「他の者に二票を与えてはならない」という、いわゆる「一対二」の許容基準
を超えることはできず、さらに平等原則からの乖離を正当化する理由の挙証責任は
その差別を主張する側に課する、という大原則を打ち樹てることの必要性が存する
のである。かように解してこそ、立法府に対して選挙に関する詣原則の具体化形象
化を委ねた憲法の規範的要請が充たされるもの、というべきである。
第七、本件訴訟の適法性
本件訴訟の被告選挙管理委員会は、本件と同種事案の答弁書において、常々、議員
定数配分規定の違憲無効を理由とする本件選挙無効訴訟は、公選法二〇四条の定め
る訴訟の立法趣旨を逸脱するものであって、法律が新たにこれを認める特別の争訟
制度を設定しない限り、原告の本件訴訟は不適法なものとして却下されるべきであ
る、と述べ、その論拠として、(一)本件訴訟の公選法上の問題点、(二)事情刊
決の法律上の問題点、(三)アメリカ、西ドイツとの裁判制度の相違、を掲げて来
た。それ故、本件においても同旨の答弁が予想されるので、原告はあらかじめこれ
に反馭を加えるが、被告のこれらの論拠は、以下のような理由からいずれも排斥を
免れないものである。
(一) まず、本件訴訟の公選法上の問題点についての結論からいえば、被告の従
来主張は、遺憾にして、公選法二〇四条の定める選挙無効訴訟で定数配分規定の違
憲性を争うことの適否に関する解釈論としては、むしろ少数説ないし異説ともいう
べきものであって、現代のわが国における判例通説の趣旨に著しく違背する。
すなわち、被告の主張に対する批判の第一としては、公選法二〇四条の訴訟で選挙
が無効になるためには、「選挙の規定に違反すること」と、「選挙の結果に異動を
及ぼす虞がある場合」、の二つの要件が必要なのであるが(同法二〇五条一項)、
この選挙訴訟は元々民衆訴訟として選挙の自由公正を確保するためにこそ認められ
たのであるから、「選挙の規定に違反すること」という要件も、この立法の本旨か
ら解釈されなければならない。つまり、選挙の規定違反とは、単に選挙の管理執行
に関する手続規定に違反する場合をいうばかりでなく、たとえば明文の規定がなか
ったり、あるいはそれに直接違反することがなくても、選挙法の基本理念である選
挙の自由公正の原則が著しく阻害された場合があれば、これらをも含むもの、と解
すべきである(最高判昭和三七年一二月四日民集六巻一一号一一〇三ページ、同昭
和三〇年八月九日民集九巻九号一一八一ページ参照)。
そもそも定数不均衡とは、選挙の手続規定にもまして、選挙の自由・公正を根本的
に阻害するものであり、これの是正がなされてこそはじめて選挙を行う土俵ができ
上がるといっても過言ではない。その意味で、いわば「選挙の規定に違反する」最
たる事例とさえいうことができる。
しかも、定数配分規定が改正されるならば、「選挙の結果に異動を及ぼす虞がある
場合」にまさしく該当することは明白であるから、そうとすれば、被告のいうよう
な公選法の定める期間内に再選挙を執行することが事実上不可能であるという問題
が仮に予想されるとしても、なんらかの臨時的措置によって再選挙を行うという解
釈、ないしは再選挙という形式以外の救済方法(一例として将来効判決)の存在な
どをも考え合わせるならば、本件の公選法二〇四条による出訴に選挙訴訟としての
適法性を賦与することは理論上充分に可能である。
被告の従来主張に対する批判の第二としては、投票価値の平等を侵害する国権行為
に対する救済の問題がある。
すなわち、昭和五一年、同五八年、同六〇年の大法廷判決が宣言したように、投票
価値の平等が憲法上要請された原理であるとするならば、選挙人の投票は選挙の結
果に対して平等の価値ないし影響をもつことを憲法上保障されなければならず、ま
たその反面、いやしくも投票価値の平等を侵害する国権行為に対しては可能な限り
その是正または救済の途を講じる、とするのが憲法上の原則であるはずであるが、
被告のような解釈論においてはこの是正ないし救済をなし得ないのである。
つまり、これを本案に即していえば、被告のいう訴訟法定主義を国民の「裁判を受
ける権利」(憲法三二条)に優先して支配させるべきではなく、裁判所が権利のあ
るところに救済手段を当事者のために創造的にでも探し出す努力をすることは、決
して三権分立原則に違背することにはならない、と原告は確信する。
公選法二〇四条を藉りて定数配分規定違憲の訴えをおこすことの合法性を認めるの
が、現下の判例通説の動向である。その意味で、この種訴訟の適法性は、もはやわ
が国においては実務上定着したものである。すなわち、本件先決問題の解明のため
には、在来の理論的障壁を乗り超える自由にして法創造的な発想こそが必要なので
あり、議会制民主主義に不可欠な国民の参政権を擁護するためにかような弾力的積
極的態度をこそ司法府に対して期待しているというのが、独り原告のみならず、国
民の大多数、ないしは学会の主流の現状である。
(二) 次に、被告は、昭和五一年大法廷判決がいわゆる事情判決を下したことに
ついて、これは公選法二〇四条を積極的に解釈した反面、同法二一九条については
これを無視または否定したところの極めて政策的な判決である、と論難する。
たしかに、原告も、右判決が、いわゆる事情判決の法理を藉りて選挙を無効としな
かったことは、憲法九八条一項の解釈を誤り、憲法に違背した違法がある、と解す
るものである。
しかしながら、原告が右判決の事情判決法理の援用を批判する所以は、行政事件訴
訟法(以下、行訴法という)にいう事情判決なるものが、本来、行訴法の通常事件
においてさえ例外的限定的にのみ用いられるべき性質のものであり、ましてや選挙
訴訟においてはこれを準用しないことが明文で定められているのに、かかる行訴法
レベルにおける制度をかりて、しかも明文ではない法理などという超法規的解釈に
もとづいて、より高次の憲法レベルにおける違憲の既成事実を事後追認すること
に、重大な疑問を感じたからにほかならない。
つまり、原告が右判決を批判する所以は、事情判決制度はこれに類似する諸外国の
制度を見出すことはできないとさえいわれるほどのわが国行政法制に独自の制度で
あるだけに、その安易な拡大解釈ないし類推適用は現に戒めなければならない、い
わんや公選法二一九条が選挙訴訟について行訴法三一条を準用することを明文で排
除している場合に、いわば超法規的に同条に含まれる法の基本的原則を援用するこ
とは、極めて厳正に、限定的になされなければならない、というにある、、それば
かりでなく、原告は、行訴法レベルの事情判決という、行政の法律適合性ないし法
治行政主義の例外的変則的事態をもたらす制度を以て、より高次のレベルにおける
法律の憲法適合性ないし立憲主義という憲法訴訟の領域にまで、これを安易に拡大
し類推適用するならば、違憲の既成事実の事後追認という由々しき事態を招くであ
ろう、という危惧を抱かずにはおれないのである。
ところが、右判決は、このような事情判決法理援用の抑制的原理にもかかわらず、
これらを無視して憲法訴訟の領域にまで右法理を導入したのであるから、かかる法
理援用の前提としての憲法の所期しない種々の弊害等がはたして生じ得るものであ
ったかどうか、また、それらを同避する手段ないし可能性はなかったものかどうか
を、実質的に吟味検討することが次いで必要とされたのであったが、これらに関す
る原告の吟味検討したところによれば、右判決の掲げた憲法の所期しない結果ない
しは種々の弊害なるものは、いずれも事実判決の法理を導入してまで選挙を有効と
しなければならないほどの現実的可能性、または必然性あるものとは解せられず、
それらの諸事由はいずれも、未だ抽象的な可能性の領域にとどまっているにすぎな
いものであった。それゆえ、かかる抽象的な可能性のみを予見し、かつ、重視し
て、事情判決の法理を導入した右判決の論拠は、不十分にして薄弱なもの、という
批判を受けなければならないとするのが、この点についての原告の結論である。
これを要するに、原告の右判決批判はあくまでも上位法規である憲法原則と下位法
規である公選法上の法理との効力的優劣ひに留意しつつ、下位法規における公益優
先の法理が上位法規によって保証された国民の基本権を無効にし侵犯するような結
果になることは許されない、との実質的考慮にもとづいたものである。
ところが被告の主張は、右判決がただ単に公選法の明規に違反し、結局において行
訴法三一条を準用して事情判決を下したことが極めて政策的である、という形式的
批判に終始しているのであるから、結論が、たまたま原告と同じような右判決にお
ける事情判決法理援用の否定になろうとも、その理由づけは全く対蹠的である、と
いうのほかはない。
本件訴訟に関して、司法権が無力であることを国民に烙印するもっとも恐るべき事
態は、国会が裁量権の名の下に選挙権平等のための抜本的法改正をなおざりにし、
長期にわたって不作為的サボタージュをつづけているときに、司法権がいやしくも
憲法によって賦与された違憲立法審査権を行使もしないでこれを放置し、いたずら
に他府に追随迎合するがごとき判決を下す場合であろうが、その意味からいって
も、右判決が議員定数配分規定全部の違憲性を肯認した以上は、むしろ勇を鼓して
毅然たる無効判決を下すべきであった、と考えられる。
ところが、被告の主張は、事情判決(違憲警告)すらもみとめず、単なる形式的理
由にもとづいて本件訴えを却下せよというのであるから、国民の権利侵害を救済す
るという見地において、その消極的退嬰的態度こそが厳しく弾劾されなければなら
ないであろう。
(三) さらに被告は、アメリカ、西ドイツの裁判制度との対比において、本件訴
訟が司法権の対象とはならない、と主張して来たのであるが、これに対する原告の
反論としては、本準備書面第三、(一)(二)(三)(四)の論述を援用したい。
これらの諸外国とわが国との選挙法制の相違ということから、わが国の裁判制度に
おいては本件と同種の訴訟を是認してはならないという被告の論旨は、ただ単に彼
我の法規と制度の相違を強調するのみである。それは、いやしくも「平等保護」条
項の適用を求める都市有権者の不屈の訴えを率直に認め具体的妥当性を法規の中で
生かし得たアメリカ合衆国連邦最高裁判所の苦悩と決断に対して、また、当初明定
されていた法の方式のみにとらわれずむしろ法が予想もしていなかった多種多彩な
判決方法を創造するにいたったドイツ連邦共和国憲法裁判所の判例史的努力に対し
て、なんらの考慮を払わず、故意にこれらを無視するものである。
しかしながら、成立法主義のわが国においても、司法裁判所が時代の要請に即応し
て多種多用の判例法を発生せしめ、これが成文法に対する対等の地位を占め、こと
に法の決缺ないし不備の分野においては、この判例の集積が歴史上重要な作用をは
たして来たことは周知の事実である。
それ故、仮に本件のような議員定数配分規定の是正を求める選挙無効請求事件がた
とえ立法者の予想もしていなかったような訴訟形態であったにせよ、これに司法審
査を加えず放置することがいたずらに権利の侵害を助長し、国民の救済手段を奪う
結果となるような場合には、現行の法規に然るべき合理的解釈を施して、具体的妥
当性を計ることこそが、およそ司法裁刊の使命たるべきはずである。
このような意味からすれば、被告の主張は既成の事実を在るべき真実に優先させ、
具体的妥当性よりも形式的論理を重んじる、あまりにも憲法を無視した現実肯定論
である、というのほかはない。
被告の却下の主張は排斥されるべきである。
第八、最高裁判所判例の検討
わが国の衆議院に関する議員定数配分規定の是正を求める選挙無効請求事件につい
ては、現在まで三つの最高裁判所大法廷判決がある。すなわち、昭和五一年四月一
四日付、同五八年一一月七日付、同六〇年七月一七日付の判決がこれである。これ
らの三つの大法廷判決は、その審判の対象である定数配分規定が判決当時すでに改
正されていたもの(五一年判決)と、そうでないもの(五八年、六〇年判決)、定
数配分規定是正のための合理的期間が徒過していると判断されたもの(五一年、六
〇年判決)と、そうでないもの(五八年判決)、さらにまた、主文において定数配
分規定の違憲性を宣言したもの(五一年、六〇年判決)と、単に違憲性を警告した
にとどまり結論は合憲としたもの(五八年判決)等、それぞれ法的要件上の差異は
あったのであるが、その多数説による法廷意見における法的理論構成は、以下の諸
点においてほぼ共通であった、ということができる。
すなわち、
一、統治行為理論の排除
二、定数配分規定是正を求める選挙無効訴訟の適法性の肯定
三、定数配分規定の不可分一体的把握
四、最大較差への配慮
五、立法裁量の限界についでの曖昧性
六、定数配分規定是正のための合理的期間の設置
七、事情判決法理の援用
以上の諸点について、三つの大法廷判決は共通の理論的基盤に立っていたのであっ
た。
このうち、一、二、三、四、の諸点については、最高裁判所の法廷意見の判断を是
認しようとするのが学会の多数説の現況であるが、五、六、七、の諸点について
は、学説においてもなお異論が多く、むしろ法廷意見の曖昧な態度を論難ないしは
批判し、その政治的意図を叱正する傾向すら窺える。
そこで、原告はこの稿においては、特に現下の論議を呼んでいる右五、六、七の三
つの問題点について、大法廷の判例を逐一検討しつつ、自らの主張を明らかにした
いと考える。
(一) 立法裁量の限界についての曖昧性
従来の最高裁判所大法廷判決のいずれもが、衆議院議員の定数不均衡の違憲性を判
断する基準として、
(一) 各選挙人の投票価値の不平等が、国会において通常考慮し得る諸般の要素
を斟酌してもなお、一般的に合理性を有するものとは考えられない程度に達してい
ること
(二) (一)が違憲状態になったとして、さらに憲法上要求される合理的期間内
に是正が行われないこと
の二つの要件を掲げていることは周知の事実である。
ところで、右の要件については、五一年、五八年、六〇年の大法廷判決は、それぞ
れ、最大較差一対四・九九、一対三・九四、一吋四・四〇の偏差をみとめた定数配
分規定を、結果的に違憲と判断したものの、その違憲合憲を峻別するところの判断
基準については、遂にいずれの判決もなんらの明示をすることなく終わったのであ
る。
従来、大法廷判決が投票価値の不平等較差に関する立法裁量の限界を極めて曖昧に
解して来たことは、非人口的要素への過度の配慮の問題として原告もすでに指摘し
たところである。
すなわち、六〇年判決は、
(一) 憲法一四条一項の規定は・・・投票価値の平等をも要求する」が、しか
し、他方でいかなる選挙制度を採用するかは国会の裁量にゆだねらており(四三
条、四七条)、「投票価値の平等は、憲法上、右選挙制度の決定のための唯一、絶
対の基準となるものではなく、原則として、国会が正当に考慮することのできる政
策的目的・・・との関連において調和的に実現されるべきもの」であり、具体的な
選挙制度の下における不平等が違憲かどうかを判定するには、「投票価値の平等の
要求と前記の選挙制度の目的とに照らし、右不平等が国会の裁量権の行使として合
理性を是認し得る範囲にとどまるものであるかどうか」を判断すべきものであると
ころ、現行の「中選挙区単記投票制」の下においては、「選挙区割と議員定数の配
分を決定するについては、選挙人数と配分議負数との比率の平等が最も重要かつ基
本的な基準であるというべきであるが、それ以外にも考慮されるべきものとして」
いくつかの要素があり、それらを「どのように考慮して具体的決定に反映させるか
について客観的基準が存在するものでもないから、議員定数配分規定の合憲性は、
結局は、国会が具体的に定めたところがその裁量権の合理的行使として是認される
かどうかによって決するほかはない」
として、五一年、五八年判決の趣旨をそのまま踏襲したのであった。
つまり、これらの判決における違憲判断の理由としては、最高裁判所は、単に「国
会において通常考慮し得る諸般の要素をしんしやくしてもなお、一般に合理性を有
するものとは考えられない程度に達していた」とする抽象的判断基準を形式的に述
べたにとどまり、それではいかなる要素をどのように勘酌したのか、という諸要件
の吟味については全く言及するところがないばかりか、結局、配分規定がなぜ合理
性を欠くにいたったのか、についての法的根拠も遂に示されぬままであった。この
ような大法廷判決の態度では、裁判所は内心において客観的判断基準を抱くべきで
あり、いやしくも違憲合憲を判断する基準が感覚的ないし印象的判断であってはな
らない、とする原告の危惧をまさに裏書しただけと評されても仕方がないであろ
う。
原告は、すでに述べたように、学会の通説とともに、投票価値の実質的不平等は仮
にやむを得ない場合であっても、最大値最小値の較差を「一対二」の比率内にとど
めなければならない、と考えているものであるが、前掲大法廷判決の趣旨からすれ
ば、最高裁判所は結局のところ、憲法は投票価値の平等を要求しているとはいうも
のの、それは一人一票、一票一価における一対一の数値を厳格に意味するものでは
なく、この数値の上に他の非人口的な諸般の要素をも加味して、総合的な把握とし
てどの程度までの較差であれば合理性をみとめられ得るかどうか、を判断しようと
する態度であろうと解される。
しかし、このような立場に立つとしても、合理性を担保する非人口的な諸般の要素
の吟味ないし検討は個別的具体的に説得力を以てなされねばならず、また、合理性
の判断基準についてもこれを緩やかに解することは許されないと考えられるが、大
法廷判決はこのような諸般の要素の吟味ないし検討すらもせず、合理性の判断基準
についてもなんらの枠組をも設定せず、極めて無限定にこれを解しているのである
から、判例自身が大いなる自己撞着に陥っているもの、というのほかはない。何故
ならば、非人口的な諸般の要素への過度の配慮と合理性基準の緩和は、判例自身が
その大前提として標榜しているところの「憲法一四条一項に定める法の下の平等は
選挙権に関しては、国民はすべて政治的価値において平等であるべきであるとする
徹底した平等化を志向するものであり」、「選挙権の内容、すなわち各選挙人の投
票の価値の平等もまた、憲法の要求するところである」とする選挙権平等の大原則
と矛盾し、遂には本質的にこれを損なう結果に墜するからである。
最高裁判所はこのように、議員定数の配分を含む選挙制度の具体的決定にあたって
は客観的基準が存在するものではないと述べ、いわんやこれについての国会の裁量
権を限界づける枠組としての数値的基準を設定することはできないという態度の下
に、いかなる選挙制度を採用するかはあくまで国会の裁量権に属しているから、選
挙制度の実状如何によっては投票価値の平等の要求が相当程度制約され、現実に投
票価値に不平等の結果が生じる場合のあることもやむを得ないとして許容し、選挙
制度の在り方との関連で投票価値の平等の要求をかなりの程度において相対化す
る。しかし、そう主張する反面、他方においては、「各選挙区の選挙人数又は人口
数・・・と配分議員定数との比率の平等が最も重要かつ基本的な基準とされるべき
ことは当然である」と明定するのである。
この一見相矛盾するかにみえる判例の趣旨を整理するならば、最高裁判所は、結
局、選挙区割と議員定数の配分を決定するさいの原則として、
(一) 選挙人数と配分議員数との比率の平等が、最も重要かつ基本的な基準であ

(二) それ以外にも、非人口的な諸般の政策的技術的要素を考慮することが許さ
れる
(三) 右の(二)についての考慮が、(一)の投票価値の平等原則の厳格性を侵
害する結果となっても、それが国会の裁量権の合理的行使として是認されるなら
ば、憲法に違反しない
(四) 国会の裁量権の合理的行使として是認されるかどうかについての客観的な
いし数値的基準は存在せず、違憲合憲の判断はすべて裁判官の自由心証にまかせら
れる
という結論を採っている、と思われる。
しかし、このような結論に対しては、以下のような批判を加えることができる。
その第一は、判例のいうように、右(一)の選挙人数と配分議員数との比率の平等
が最も重要かつ基本的な基準であり、それが憲法上の要請である(憲法の力をも
つ)とするならば、この投票価値平等の原則には選挙制度決定の考慮要素として最
優先順位が与えられ、一種の価値的プレミアムを付されたことを意味する。従っ
て、右(一)の基準は、単に法律上の理由にもとづく(法律の力をもつ)他の考慮
要素に優先する強行性を有し、(二)にいう他の諸般の要素に対しても法的効力関
係の面で排斥カをもつ存在として、これを把握しなければならない。ところが最高
裁判所が、自ら設定したこの(1)(2)間の価値的秩序を認識せず、もしくはこ
れを混同ないし無視して、右(1)の基準と、(2)の要素を総合的に考慮」し、
(1)(2)を選挙制度の決定において並列的調和的に理解していることは、一種
の論理矛盾というべきである。
第二に、右(1)(2)の各要素間の価値的秩序の不認識、もしくはその混同ない
し無視は、結局において、投票価値の平等を志向する憲法原則を下位法規である立
法政策の中に相対的に埋没せしめることとなり、遂には憲法理念の冒涜を招来す
る。
第三に、選挙制度の決定においてなんらの客観的数値的基準が存在しないならば、
訴訟の都度、定数配分規定の違憲合憲の判断について裁判官の良心を悩ませ、その
個別的配慮の介入する余地を増大し、ひいては法的安定性を害する結果となる。
第四に、同様に、選挙制度の制定者である国会に対しても明確な指針を与えること
ができなくなり、選挙権の平等を国家制度の上に客観的公平さをもって位置づける
機会を失する。
第五に、これは後述するところであるが、定数配分規定が、一体、いつの時点で違
憲状態に陥ったかの判断について、なんらの客観的な基準が得られず、定数配分規
定是正のための合理的期間の始期の認定を著しく困難、かつ、曖昧にする(わが国
では較差が増大する一方なので、違憲状態に陥ったときの始期の認定こそが重要で
ある)。
このように、選挙制度の決定についての国会の裁量権の限界を曖昧に解する判例の
態度は、下位法規の法律事項が上位法規の憲法原則を侵犯ないしは阻害して、人権
に対する法律の留保を伴うにも等しい、理論的になお克服されるべき矛盾点を含む
とともに、現象面においても、選挙権の平等という国民主権と代議機能に直結する
もっとも重要な国民の基本権を制度的に公平に保障し得ず、むしろこれを有名無実
のものたらしめる結果を招いている。
これはまことに由々しい事態といわなければならない。原告が声を大にして、立法
府の裁量を認めすぎる判例の動向を批判し、議員定数配分における人口比例の原則
を厳守した形式的平等主義の立場から、較差の許容基準とその限界を計数によって
準則化するの要を主張する所以はここにある。
「一対二」の基準は、一票の重みを一人一票という本来は数的平等の意味に理解さ
れて来た選挙権平等の趣旨を、一票一価という価値的平等にまで推及した準則であ
って、現実的意味のみならず、それなりの理論的意味をも含む。
(二) 五八年判決の傍論について
最高裁判所は、このように、五一年判決以来、偏差の許容限度を計数により明らか
にするという考え方を採らず、既述の(1)(2)の違憲判断の基準によって、具
体的事案に即して違憲合憲を判断する立場を採って来たのであったが、五八年判決
にいたり、昭和五〇年改正法についての合理的期間を説く前提として、右改正によ
り最大較差が一対二・九二に減少したことについて、次のように説示した。
「前記大法廷判決(五一年判決)によって違憲と判断された右改正前の議員定数配
分規定の下における投票価値の不平等状態に、右改正によって一応解消されたもの
と評価することができる」
五 八年判決のこの説示部分は、同判決が理由中の他の部分で審判の対象である昭
和五五年選挙当時の投票価値の最大較差一対三・九四を違憲と判断したことと相俟
って、最高裁判所は現行制度の下では最大較差一対三ないし四の間に違憲合憲の線
を引いており、少なくとも一対三程度ならば合憲と解している、という推測ないし
臆説を生み、これが国会、報道関係筋をはじめ広く世間をひとり歩きはじめる原因
をつくった。たしかに、五八年判決の法廷意見ばかりでなく、反対意見等にみられ
る各裁判官の見解を総合したところでは(A裁判官は一対二を、C裁判官は一対三
を許容限度として、ともに五〇年法改正時点での較差は違憲。他の四裁判官もこの
時点での較差は違憲、もしくは仮に許容されるとしてもぎりぎりの線上にある、と
する)、最高裁判所は右判決の時点では、学会の多数が唱導している「一対二」の
基準よりも緩やかな基準を考えていたようであり、少なくとも昭和五〇年法改正当
時の最大較差一対二・九二程度ならば違憲状態とまでは解さず、許容限度ぎりぎり
くらいのところとして把握していた、
とも受けとれるふしがあった。
しかし、だからといって、右のような推測ないし臆説を唯唯諾々と肯定するわけに
は行かない。
何故ならば、まず第一に、もし五八年判決の右説示部分が数値的許容限度を認めた
ものであるとするならば、それは選挙制度の具体的決定について客観的数値的基準
を設定することを明確に排除して来た最高裁判所自らの従来の趣旨に真つ向から矛
盾すること、
第二に、右の説示部分は、なにも昭和五〇年法改正当時の較差自体を審判の対象と
して正面から判断したものではなく、単に後述の合理的期間論の前提もしくは傍論
として、その説きおこしのために用いられたにすぎないこと、
第三に、この文言は、法改正後の一対二・九二の較差を合憲であるとする積極的な
判断を示したものというよりは、法改正前の極端な違憲状態が解消されたことにつ
いてのむしろ消極的受動的な感想を述べたというにとどまり、それ故に文言自体
も、較差が「一応解消された」などという、法的判断としては極めて裁量の余地の
ある留保付きの曖昧な表現をとっていること、
第四に、そもそも一対三の最大較差を合憲であるとする基準などは、原理的にも歴
史的にもなんらの根拠をもってはおらず、このような法的に認知も承諾もされてい
ない恣意的な基準を、最高裁判所が判例の指標として設定したものとは到底考えら
れないこと、
最後に、これはわが国の府県単位・人口比例配分方式に憲法的習律性を認めた前掲
昭和六二年一〇月一二日付大阪高等裁判所の判決がいみじくも喝破したところであ
るが、「不平等状態は、右改正によって一応解消された」という右大法廷判決の説
示部分には、「他に合理的でないと判定するに足る事情を見出すこともできない」
という重大な条件が付されていることである。それ故、もし仮に、不平等状態を解
消したとされる改正法に「合理的でないと判定するに足る事情」が存したと認定さ
れるような場合(前掲大阪高等裁判所判決は、府県単位・人口比例配分方式がわが
国の選挙制度の上で伝統的慣習的に定着しているのに、これによらなかった改正法
には「合理的でないと判定するに足る事情」があったと判示した)には、不平等状
態を解消したとする右説示部分は一挙にしてその理論的前提を喪うこととなる、等
の諸理由を勘案するならば、五八年判決の右説示の傍論をもって、最高裁判所が一
対二・九二程度の較差を合憲の基準として設定したものと早断することはできない
のである。
(三) 合理的期間論
定数配分規定是正のための合理的期間という概念は、衆議院議員の定数不均衡の違
憲性を判断する第二の基準として、最高裁判所の判例が設定したものであるが、判
例にみられる限りの合理的期間論は必ずしも法的安定性をもった説得力がある理論
とは評し難い。
すなわち、五一年判決は、当該選挙(昭和四七年一二月)の「かなり以前から」違
憲状態に達していたものと推定し、その単なる推定の上に立って、「公選法自身そ
の別表第一の末尾において同表はその施行後五年ごとに直近に行われた国勢調査の
結果によって更正するのを例とする旨を規定しているにもかかわらず、昭和三九年
の改正後本件選挙の時まで八年余にわたってこの点についての改正がなんら施され
ていないことをしんしやくするときは、前記規定は、憲法の要求するところに合致
しない状態になっていたにもかかわらず、憲法上要求される合理的期間内における
是正がされなかったものと認めざるを得ない」と判示する。
また、五八年判決は、昭和五〇年法改正によって投票価値の不平等状態は一応解消
されたものと評価し、その後の「較差の拡大による投票価値の不平等状態がいかな
る時点において憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に達したのかは、事柄の性
質上、判然と確定することはできないけれども、右較差の程度、推移からみて、本
件選挙(昭和五五年六月)時を基準としてある程度以前において右状態に達してい
たものと推認せざるを得ない」と述べ、(そしておそらくは、違憲状態になったの
は早くとも右選挙のせいぜい二、三年前にすぎないとの想定の下に)、「合理的期
間内における是正がされなかったものと断定することは困難である」という極めて
曖昧な結論を導き出すにいたる。
さらに、六〇年判決も、昭和五五年六月の「選挙時を基準としてある程度以前にお
いて右較差の拡大による投票価値の不平等状態が選挙権の平等の要求に反する程度
に達していた」として、五八年判決の趣旨をただ踏襲する。
しかしながら、五八年判決の結論によれば、投票価値の不平等状態は昭和五〇年の
法改正当時は合憲であり、同五五年六月の選挙当時には違憲状態になっていたとい
うのであるが、それでは、一体、いつの時点でそれが違憲状態になったのかとい
う、是正のための合理的期間の始期の問題をなんら明確にはしないで、ただそれは
昭和五〇年の法改正より後の時期で、しかも同五五年六月選挙の「ある程度以前に
おいて」違憲状態になった、と推認するのみである。
違憲状態になった時点の認定がかくも不明確で曖昧なのは、違憲状態についての判
断基準がそもそも不明確で曖昧だからである。較差の判断基準と合理的期間の算定
は相互に深く関わり合っている。すなわち、合理的期間は較差の判断基準ともど
も、単に別箇独立一の要外であるというよりは、それらは機能的に関連し、もし較
差の判断基準を曖昧に解するならば、合理的期間の算定自体も伸縮自在のものにな
るという相関関係にある。この較差の判断基準の曖昧な解釈に事実誤認が加わった
のが、五八年判決における合理的期間論である、といえよう。
何故ならば、C裁判官が反対意見で指摘されたように、右判決が合憲と考える昭和
五〇年改正法の一対二・九二という較差の根拠は、実は五年前の同四五年の国勢調
査による人口を基準として得られた数字なのであるが、不平等較差の最大値および
人口異動の趨勢からすると、それより五年後の昭和五〇年改正法当時には、較差の
最大値は一対三をかなり上廻る状態であったことが十分に推認され、事実、改正直
後の同五〇年一〇月に実施された国勢調査の結果によれば、右改正法の下における
議員一人あたりの人口較差の最大値は、すでに一対三・七一にも及んでいたことが
裏付けられている。そうとすれば、この一対三・七一の較差を合憲と認めない以上
は、投票価値の不平等の違憲状態の始期を右判決のように昭和五〇年以降にもって
来ることはできず、仮に一対三の基準によるとしても、少なくとも始期は同五〇年
のかなり以前に設定されなければならないはずである。
五八年判決は、このように歴史的事実の把握を誤り、単に形式的皮相的な数字の操
作のみに依拠して、是正のための合理的期間を憶測し、その未経過を結論づけ、も
って合憲判断の根拠としたのであったが、右判旨は理論構成の上からも多大の疑義
があり、その理論的弊害は今なお内外に大きな禍根を残している。
すなわち、合理的期間には、法的な期間概念としての始期と終期とがあり、判決は
当然のことながら、まずいつの時点で合理的期間の始期が開始したかの事実認定を
する法的義務があったにもかかわらず、曖味な推認のみによってでしか合理的期間
の算定をなし得なかったのであるから、そのような判例の方法論には理論的に重
大、かつ、根本的な欠陥があるもの、といわざる得ない。
そもそも合理的期間論とは、機能的に立法府に是正の猶予期間を認め、違憲の効果
が直ちに発生することを回避するための理論なのである。つまり、実質的な違憲状
態を前提として、さらにこれを主文において違憲と結論すべきかどうかを判断する
ための要件である。これあるが故にこそ、五八年判決は、「違憲状態」ではある
が、結論的には「憲法に違反するものと断定することはできない」、つまり、合憲
であるという、通常の常識をもつ一般国民には容易に納得することができないよう
な判断すらもなし得たのである。このように、合理的期間は、立法府に対して立法
のための諸条件を考慮し違憲状態を是正するための猶予期間を設定したものである
から、まさに立法府に対する免責期間を認めたもの、ということができる。それは
立法府の本来の権限に対して札譲を示し、他府である司法府の消極的立法をできる
だけ抑制して、立法府自体の本来的自主的是正行為を促すための免責的効果をもつ
という意味においては、まさに後述の事情判決と同様の機能をはたすのである。
もとより合理的期間とは、違憲状態を前提としてさらに違憲かどうかの問題であ
り、事情判決は違憲を前提としてさらに無効かどうかの問題なのであるから、両者
が法的次元を異にしているのはもちろんであるが、ただこれらの法理が両々相俟っ
て、議員定数配分規定を違憲無効とする効果の発生に歯どめをかける理論的バッフ
ァー(緩衡器)の役割をはたしていることは否めないであろう。
それ故、合理的期間の解釈と運用にあたってはあくまで厳格性と規範性とが要求さ
れ、これの厳正な解釈と運用によってこそ、国民の権利の侵害を防禦することがで
きるものと思われるが、判例が常に立法裁量との調和のみを慮って、いまだに斬新
な理論構成を採っていないのはまことに遺憾である。
以上は、五八年判決を前提としての議論である。
いうまでもないことであるが、原告は、議員定数配分の違憲性を判断する基準とし
て、投票価値の実質的不平等は、仮にやむを得ない場合であってもその最大較差を
「一対二」の比率内にとどめなければならない、と考えており、昭和五〇年の法改
正によるもなお従前からの違憲状態はつづいていると解するため、右判決のように
昭和五〇年以降における是正のための合理的期間の問題等を論ずる必要がない。こ
の点は、いわゆる八増七減という彌縫的な修正にとどまり、抜本改正にはほど遠い
一対二・九二という大きな数値を残した昭和六一年改正法においても、結論的には
同旨である。これについては後述する。
(四) 事情判決法理の援用
議員定数配分規定の是正を求める選挙無効請求事件において事情判決法理をはじめ
て導入したのは五一年判決であり、その後の判例もこれを踏襲する。
ところで、五一年判決が右法理を導入する理由として述べた、選挙の当然無効を肯
定するときに生じ得る不都合な結果というのは、大略左の四つの事項であった。
(1) 選挙により選出された議員がすべて当初から議員としての資格を有しなか
ったこととなる結果、右議員によって議決された法律等の効力に問題が生じる。
(2) 今後における衆議院の活動が不可能となり、議員定数配分規定の改正すら
できなくなる事態が生じる。
(3) 仮に公選法二〇四条によって選挙が将来に向かってのみ失効するものとし
ても、もともと同じ憲法違反の瑕疵を有する選挙について、選挙無効請求訴訟が提
起された選挙区の選挙だけが無効となり、他の選挙区の選挙はそのまま有効として
残り、このような均衡を失する結果は憲法上望ましいことではない。
(4) 選挙が無効とされる結果、公選法の改正を含むその後の衆議院の活動が、
選挙無効の選挙区からの選出議員を欠く異常な状態の下で行われざるを得ない。
以上の詣事項において、右判決は、憲法の所期することに反する結果が生ずると述
べ、このような結果を回避するために、行訴法三一条の事情判決の法理を援用した
のであった。
しかしながら、すでに原告が、本準備書面第七、(二)において触れたように、本
来の行訴法レベルの事情判決は行政の法律適合性ないし法治行政主義の例外的変則
的事態をもたらす制度なのであるから、これをさらに高次のレベルにおける法律の
憲法適合性ないし立憲主義という憲法訴訟の領域にまで、安易に拡大し類推適用す
ることは、違憲の既成事実の事後追認という由々しい事態を招くのである。
そもそも行訴法三一条の事情判決制度は、特別事情による請求棄却制度として、行
政事件訴訟特例法(昭和二三年法律第八一号)一一条の規定を同三七年の行政争訟
制度の全般的改正に伴って改正したものである。すなわち、旧特例法一一条にあっ
ては、単に「一切の事情を考慮して、処分を取り消し、又は変更することが公共の
福祉に適合しないと認めるとき」に事情判決をなし得る、という簡易な規定をおい
ていたにすぎなかったものが、現行法においては、事情判決の要件を加重、かつ、
厳格化し、もって原告の救済のための配慮を施している。つまり、現行法では、処
分または裁決が違法であっても、これを取消すことが「公の利益に著しい障害を生
ずる場合」でなければならない、とされ、さらにこの場合においても、直ちに棄却
判決をなすべきではなく、「原告の受ける損害の程度、その損害の賠償又は防止の
程度及び方法その他一切の事情を考慮」した上で、判決による取消が「公の福祉に
適合しない」と認められる場合においてのみ、はじめて事情判決をなし得るもの、
と結論されている。すなわち、取消判決が公益上の障害に遭遇する場合であって
も、なおこれによって犠牲に供せられる私益の保護を図り、いわゆる「切り捨て御
免」の結果を回避しようとする。
このように行訴法の事情判決制度は、国民の権利保護の上で著しく近代化されたと
もいえるのであるが、それにもかかわらず、なお法治行政の原理と裁判をうける権
利を蹂躪するところの公益優先思想の産物であるとして、学界における批判も少な
しとはしないのである。
ところで五一年判決が審理したのは、議員定数配分規定が投票価値の平等を志向す
る憲法の要請に違反していることを理由に、選挙の無効を求めた訴訟であった。そ
して同判決は、右規定全部の違憲性を認めたにもかかわらず、また、前述したよう
な事情判決法理援用の抑制的原理にもかかわらず、これらを無視して憲法訴訟の領
域にまで右法理を導入したのであるから、このような法理を援用する前提としての
憲法の所期しない結果がはたして生じ得るものであったかどうか、また、それらを
回避する手段ないし可能性はなかったものかどうか、を実質的に吟味検討すること
が必要であろう。
このような意味からすれば、
判示の前記(1)については、選挙無効の判決を当然無効として過去にその効力が
遡るものとはせず、単に将来に向かってのみ形成的な効力をもつにすぎない公選法
二〇四条による形成的無効の例と解すればよく、まな、(2)については、定数配
分規定の可分説によるときは、一部の選挙区選出の議員を欠いたとしても、なお全
国民の代表である他の選挙区選出の議員によって衆議院はさしたる支障もなく活動
でき、また、不可分説によったとしても、選挙訴訟では「選挙の結果に異動を及ぼ
す虞がある場合」でなければ選挙無効の結論は出せないのであるから、平均的配分
区においては定数を是正する必要はなく、従ってこれらの選挙区選出の議員の多数
はなんら資格を失うことなく、衆議院の定足数(総議員の三分の一以上)が充たさ
れる可能性は充分に考えられる。
さらに、(3)については、憲法違反の瑕疵を有する選挙について、自らの権利を
主張してその復権を訴願する選挙民とそうでない選挙民との間に不均衡が生ずるの
は自明の理であって、これはむしろ具体的争訟を通じてのみ国民は法令の違憲性審
査を求めることができ、また、その判決は当該事件についてのみ効力を有する、と
するわが憲法判例の意に沿うところとも考えられる。
また、(4)については、たしかにこれは不都合な異常状態であることは認めなけ
ればならないが、これとてわが国の選挙制度における宿弊的違憲状態を改革するた
めの真にやむを得ざる混乱である、と観念することも不可能ではない。(以上の検
討は、定数配分規定の可分説不可分説のいずれを採るも成り立ち得る議論であ
る)。
このようにみて来れば、五一年判決いうところの憲法の所期するところに反する結
果というものは、いずれも事情判決の法理を導入してまで選挙を有効としなければ
ならないほどの実質的可能性ないし必然性あるものとは思われない。これらの諸事
由は、いずれも未だ抽象的な可能性の領域にとどまっている。このような抽象的な
可能性のみを予見して、事情判決の法理を導入した右判決の論拠は不十分にして薄
弱なもの、という批判を受けなければならないであろう。
事情判決法理の援用による解決方法を創造した五一年判決は、単なる公選法違反の
個別的瑕疵を帯びる場合(法律違反)であれば同法違反の選挙はこれを無効としな
ければならないが、選挙が憲法に違反する公選法にもとづいて行われたという一般
性をもつ瑕疵を帯びる場合(憲法違反)には、事情判決法理を援用して選挙を有効
となし得る旨を判示したが、このような論理はおそらく選挙無効訴訟一般に普遍化
され慣行化されるべきではない。
法律違反の選挙の効力を常に無効とすべきであるなら、憲法違反の選挙については
むしろ一層強くこれを無効とするところの原理が維持されなければならない。憲法
違反の法規にもとづいて行われた選挙が効力を有することは、憲法を国の最高法規
と定め、かつ、裁判所に違憲立法審査権を委ねたわが憲法の基本精神に違背するも
のである。
第九、下級審判例の検討その他
衆議院議員の定数配分規定の是正を求める選挙無効請求事件に関し、選挙制度決定
のための客観的数値的基準の設定を否定して来た従来の最高裁判所の態度に抗し
て、最大較差一対二以下の数値を違憲判断の基準として明示ないしは示唆した下級
審判決は、現在までのところ四つを数え、地方議会の選挙に関する同種の事件につ
いても同旨のものがいくつかある。これらはいずれも、わが国の議会における議員
定数配分の指導原理が人口比例主義であることを認めつつも、なお選挙制度特有の
諸事情や沿革によって人口比例主義の完全実施が困難であり、投票較差に多少の不
平等が存在することを前提としてそれではどの程度までの較差が許容されるか、を
積極的に判断しようとしたものであって、まさにその点に判例価値が認められよ
う。
(一) いま、年代順にこれらの判決のそれぞれの趣旨を紹介するならば、
まずその第一は、昭和五五年六月二二日の衆議院議員選挙についての同五五年一二
月二三日付東京高等裁判所の判決(判例時報九八四号二六ページ以下)である。
すなわち、右判決は、
「定数配分に際しこの人口比例主義を最大限に尊重すべきことは、選出すべき議員
数が同数である他の区(過疎区)に比し、人口もしくは有権者数が二倍の選挙区
(過密区)の選挙人の一票の投票価値は右過疎区の選挙人の一票の投票価値の二分
の一に過ぎず、このことは右過密区の選挙人一票に対し右過疎区の選挙人には二票
が与えられていることと同視できるという不合理を生ずることに照らしても明らか
であり、単にその属する選挙区(これは或る行政区両に住所を置くという偶然事で
決せられる。公選法二一条。)の如何により、異なる選挙区の選挙人間に、右述の
ような投票価値の差が生ずることは前記平等原則に反するものであって、到底、容
認できない。
とし、さらに
一 端数の切り上げ処理の問題やある程度の前記非人口的要素を考慮に入れるにし
ても、選挙区のなかで議員一人当り人口もしくは有権者数の最少のもの(最大過疎
区)の議員一人当り人口もしくは有権者数と選挙区のなかで議員一人当り人口もし
くは有権者数の最多のもの(最大過密区)の議員一人当り人口もしくは有権者数と
の比率(いわゆる最大格差)がおおむね一対二を超えるような場合には、そのよう
な定数配分を定めた定数配分規定は、全体として、前記憲法が保障する選挙におけ
る平等原則に反し、憲法に違反するといわざるをえない」「定数配分の結果、最大
格差が一対二を超える選挙区を是認する本件定数配分規定は、全体として、その改
正当時すでに前記平等原則に反し、憲法に違反する、といわざるをえない」と明確
に結論した。
右判旨は、この種事案におけるわが学界の通説である「一対二」の違憲判断基準を
判例史上はじめて採釈したものであるが、右基準の代表的学説は、
(1) 少なくとも、議員一人あたり人口の最大選挙区と最小選挙区の投票価値に
約二対一以上の較差があってはならないこと
(2) 非人口的要素は、いかに考慮に価するとはいえ、原則として右の二対一以
上の較差を正当化することはできないこと
(3) 人口比例の原則からの乖離を正当化する理由の挙証責任は、表現の自由の
場合に準じ、公権力の側にあると解すべきこと
を唱導(芦部信喜・ジュリストNo六一七号「議員定数配分規定違憲判決の意義と
問題点」四三ページ)し、さらに
「一票の重みが特別の合理的な根拠もなく選挙区間で二倍以上の偏差をもつこと
は、攻票価値の平等(一人一票の原則)の本質を破壊することになる」(前掲四四
ページ)と警告している。
このように、「一対二」の最大較差を違憲判断の基準とする考え方は、議員定数の
配分にあたっての人口比例主義を文字どおり「最も重要かつ基本的な基準」として
厳守し、国会の立法裁量もこの「一対二」の許容基準を超えることはできないとす
るものであるが、石判決はこの通説の考え方を司法府の判断としてはじめて採り入
れ、数理的厳格さの下に一人一票、一票一価の理念を制度的に保障しようとしたも
のであって、判例史上の嚆矢としてまさに注目に値した。
(二) その第二は、昭和五八年一二月八日の衆議院議員選挙に関する同五九年九
月二八日付広島高等裁判所の判決(判例時報一一三四号二七ページ以下)である。
すなわち、右判決は、「定数配分上考慮される非人口的要素の中には、選挙制度に
本質的に内在し、常に当然考慮されるものがあるので、較差を一対一にとどめるこ
とは不可能である。しかし、国会が定数是正のため公選法を改正しようとすると
き、その当時特段の事情がなく通常の事態である限り、憲法が許容する最大較差は
一対二程度までである。そしてさらに、憲法は較差が一対二を超えてゆくのにその
まま放置されることを安易には許さない。すなわち、較差一対二は、それを超える
に至ったなら、定数配分規定が憲法違反状態に入ったことを推定される一応の指標
である。」と述べ、いわゆる「許される一票の価値の較差」について、「一対二」
の最大較差を超えたならば定数配分規定が違憲状態に入ったことを推定させる一応
の指標であることを認めたが、ただ、右は立法に視点をおいての論であって、裁判
にあたっては、選挙当時「一対二」を超えていたことの一事をもってしては直ちに
違憲とは断定できない旨判示し、いわば留保付きの「一対二」許容限度説によって
いるため、そのような留保を設けていない前記東京高等裁判所判決ほど理論的にす
つきりしているとはいえない。
しかし、それはとにかく、一票の較差を是正するための選挙無効訴訟において、も
っとも中心的な論点として現下の注目を集めている較差の是正目標について「一対
二」の示唆を内外に与えた意義は大きく、当時のマスコミにおいても「格差の限界
は1対2」「“許容量”1対2程度」「2倍までが限度一等の評価を受けたのであ
る。
(三) さらに第三は、右の判決と同じ昭和五八年一二月八日の衆議院議員選挙に
関する同五九年一二月七日付大阪高等裁判所の判決(判例タイムス五四一号九九ペ
ージ以下、同一二七ページ以下)である。
すなわち、右判決は、わが国の衆議院議員の選挙区と各選挙区において選挙すべき
議員数を定める公選法別表第一が、その制定当初において、昭和二二年に改正され
た衆議院議員選挙法の別表の定めをそのまま維持したものであることを前提に、右
改正当時の別表における選挙区間の較差は議員一人あたり人口比で最大一対一・五
一にとどまっていた事実を例にひいて、次のように判示した。
「議員定数配分規定についての昭和五〇年の改正は、直近の国勢調査の結果に従っ
て更正するのを例とする旨の公職選挙法別表第一の末文に従って昭和四五年一〇月
実施の国勢調査結果に基づき定数是正を行ったものであるところ、これにより較差
が一対二・九二に縮小されたことにより一応違憲状態が解消されたと評価しうる
(前記昭和五八年判決参照)としても、なお較差は三倍に近く、しかも昭和三〇年
代に既に現われていた較差増大傾向が鈍化するきざしもなかった以上、定数増、分
区という方式による手直しは一時的な弥縫策の域を出るものではなく、たちまち再
び著しい投票価値の較差を生ずることは明らかであったと認められる。そうだとす
れば、国会としては右改正をもって能事終れりとするのではなく、さらに昭和二二
年改正時に実現されでいたような小さな較差にとどめるべく抜本的な解決を図るべ
きものであって、おそくとも右改正後の昭和五〇年一〇月の国勢調査により較差が
人口比一対三・七一にも及んでいることが判明した時には、改正後の本件定数配分
規定が再び憲法の要求に反する情況に立ち至ったことが明らかになったというべき
であるから、直ちに再是正の作業に着手すべきものであったといわねばならな
い。」
すなわち、右の判決は、較差が三倍に近い昭和五〇年の法改正による手直しを単に
一時的な弥縫的であると断じ、国会は右の程度の改正で能事終れりとせず、さらに
昭和二二年の法改正当時に実現されていた一対一・五一程度の小さな較差にとどめ
るために抜本的な解決を図るべきであったと指摘し、おそくとも昭和五〇年一〇月
の国勢調査により較差が一対三・七一にも及んでいることが判明した時点で、直に
再是正の作業に着手すべきであったと批判したこと等において、国会の多年の怠慢
を厳しく叱正する内容のものとなった。
なかでも、較差是正の目標値を一対一・五一程度においた抜本的解決を図るべきだ
と明示したことは、数値的基準を指摘して来た従来の判例の中でももっとも厳しい
数値を示し、その意味で判例を一歩前進させたものというべきであって、その積極
的姿勢は憲法原則がいたずらに無視され、しかもなお是正のために動こうとはしな
い国会や、較差を厳しく明示せず、結果的に国会の怠慢を助長して来た従来の判例
の態度に苛立つ国民の間にひろい共感を呼んだ。
(四) 第四としては、昭和六〇年七月七日に行われた東京都議会議員選挙につい
ての同六一年二月二六日付東京高等裁判所の判決(判例時報一一八四号三〇ベーシ
以下)がある。
右判決は衆議院議員選挙に関するものではなく、地方議会である東京都議会議員の
選挙に関する判決である。
東京都議会議員の定数不均衡問題については、さきに昭和五九年五月一七日付最高
裁判所第一小法廷判決(民集三八・七・七二一。判例時報一一一九号二〇ページ以
下)が、選挙区間の投票価値に最大七・四五倍の較差のある昭和五六年七月施行の
東京都議会議員選挙について、当時の議員定数配分規定(昭和四四年東京都条例五
五号)は公選法一五条七項に違反するとの判断を下しており、すなわち、右第一小
法廷判決は、「地方公共団体の議員の選挙に関し、当該地方公共団体の住民が選挙
権行使の資格において平等に取り扱われるべきであるにとどまらず、その選挙権の
内容、すなわち投票価値においても平等に取り扱われるべきであることは、憲法の
要求するところであると解すべきであり、このことは当裁判所の判例(前掲昭和五
一年四月一四日大法廷判決)の趣旨とするところである。そして、公選法一五条七
項は、憲法の右要請を受け、地方公共団体の議会の議員の定数配分につき、人口比
例を最も重要かつ基本的な基準とし、各選挙人の投票価値が平等であるべきことを
強く要求していることが明らかである。したがって、定数配分規定の制定又はその
改正により具体的に決定された定数配分の下における選挙人の投票の有する価値に
不平等が存し、あるいは、その後の人口の変動により右不平等が生じ、それが地方
公共団体の議会において地域間の均衡を図るため通常考慮し得る諸般の要素をしん
しやくしてもなお一般的の合理性を有するものとは考えられない程度に達している
ときは、右のような不平等は、もはや地方公共団体の議会の合理的裁量の限界を超
えているものと推定され、これを正当化すべき特別の理由が示されない限り、公選
法一五条七項違反と判断されざるを得ないものというべきである。
もっとも、制定又は改正の当時適法であった定数配分規定の下にあける選挙区間の
議員一人当たりの人口較差が、その後の人口の変動によって拡大し、公選法一五条
七項の選挙権の平等の要求に反する程度に至った場合には、そのことによって直ち
に当該定数配分規定の同項違反までもたらすものと解すべきではなく、人口の変動
の状態をも考慮して合理的期間内における是正が同項の規定上要求されているにも
かかわらずそれが行われないときに、初めて当該定数配分規定が同項の規定に違反
するものと断定すべきである。」
と判示し、衆議院議員選挙に関する一連の最高裁判所大法廷判決と同様に、地方議
会議員の選挙においても、(1)投票価値の大きな較差、(2)その較差を是正し
ないで長期間放置したこと、の二つの事実をもって違憲違法の大きな事由として掲
げ、その判旨は衆議院議員選挙に関するものと殆ど変わるところはなかった。
そして本件東京高等裁判所判決も、基本的にこれらの判例の流れに沿うものではあ
ったが、ただ、右の第一小法廷判決に対応して比較的迅速に是正した三増三減の配
分規定をもなお違法であるとし、さらに、地方議会レベルの裁判としてははじめ
て、較差が違法であるか否かについて、島部のような特殊な事情がある場合を除い
て、一対二を超えることは許されないと、具体的かつ明確な数値的基準を示し、投
票価値の不平等の是正をせまったのであった。
すなわち、右判決は、
「1 公選法一五条七項は、その本文において、『各選挙区において選挙すべき地
方公共団体の議会の議員の数は、人口に比例して、条例で定めなければならな
い。』と規定して、議員の定数配分は人口比例原則によるべきことを明示してい
る。ここに、『人口に比例して』とは、厳密にいえば、選挙区間における議員一人
当たりの人口較差は一対一であるべきであることを意味するのであるが、事柄の性
質上、法の趣旨は、できる限り一対一に近い数値であるべきであることを要求して
いるものと解すべきである。
2 次いで、同項は、そのただし書において、『ただし、特別の事情があるとき
は、おおむね人口を基準とし、地域間の均衡を考慮して定めることができる。』と
定めて、人口比例原則を緩和している。従って、場合によっては、人口較差は一対
一を離れることが許される訳である。しかし、そのためにはただし書の定める各要
件を満たさなければならない。・・・(以下省略、原告)
3 ところで、右の緩和の程度については、ただし書自体はその上限を明示してい
ないが、合理的な限度が存することは当然である。緩和の合理的な限度を探求する
に当たって第一に考慮しなければならないことは、投票価値の平等という憲法上の
原則であり、そしてまたその公選法における現れである一五条七項本文の人口較差
一対一の原則と三六条の一人一票の原則である。次に考慮すべきことは、健全な国
民感情、すなわち、諸般の要素に基づく投票価値における多少の不平等はやむを得
ないものとして忍ぶとしても、自己が一票しか持っていないのに他人はその倍の二
票を持つのと同じ結果になるようなことは我慢できないという素朴な気持である。
更に、忘れてはならないことは、一般に、ただし書は本文の定める原則に対する例
外を定めるものであるから、原則を緩和することになるのは当然であるが、同時に
原則を著しく離れることはできないという本質的制約があることである。以上の事
柄を合わせ考えると、公選法一五条七項ただし書における人口比例原則の緩和の程
度は、島部のような特殊な事情のある場合を除いて、一対二を超えることは許され
ないものと解すべきことになる。」との明確な判断を示し、選挙区が人口差のはげ
しい市郡区単位とされる関係上、較差を二倍以内に改めることが衆議院の場合より
も技術的に一段と難しく、減員や合区についてその対象となる議員や住民からの強
い感情的抵抗のある地方議会議員選挙において、それらの地域偏重的感情よりも投
票価値の平等を志向する憲法、公選法上の要請と理想の実現を求める住民感情のほ
うをより重視するという注目すべき判決を下したのである。
ただ、地方議会議員選挙における公選法一五条七項違反の判決をもって本件衆議院
議員選挙における許容較差「一対二」説の論拠に援用することはできないのではな
いかとの疑問があるかもしれないので、一言すると、前掲第一小法廷判決もいうよ
うに、公選法一五条七項全体(ただし書も含めて)がそもそも憲法における人口比
例原則の要請を強く受けている上、たとえただし書による同法一五条七項本文の緩
和が許されるにしても、それは地方議会議員選挙の場合に限られるのである。衆議
院議員選挙の場合には、投票価値の平等という憲法上の大原則と公選法別表第一末
文にいう国勢調査の結果による更正が指示されており、いやしくも地方議会議員選
挙における公選法一五条七項ただし書のような明文の緩和規定の適用はないのであ
るから、人口比例原則に対する緩和規定の存在する地方議会議員選挙の場合ですら
「一対二」の較差を超えることはできない、とした本件東京高等裁判所判決の趣旨
は、そのような緩和規定の存しない衆議院議員選挙の場合には、一段と厳しい要請
の下にこれが維持されて然るべきである、と考えられる。
(五) 第五としては、昭和六一年七月六日に行われた衆議院議員選挙についての
同六二年一〇月一二日付大阪高等裁判所の判決(判例時報一二五一号二四ページ以
下。判例タイムズ六四七号二三二ページ以下)がある。
本判決の特色は、人口較差「一対二以上一対三未満」につき中間的審査基準(厳格
な合理性の基準)を考え、これにもとづいて昭和六一年改正法の立法目的とその実
質的関連性、ないし実質的内容の具備の審査を要するとし、そのために明治以来の
府県単位・人口比例配分方式を審理し、これを憲法的習律であると位置づけたこ
と、さらに国会決議において昭和六一年改正法の立法目的とされた同法の緊急暫定
性の実質的具備にまで立入ってその違憲性を判定している点であるが、なかんず
く、
「一、昭和六一年公選法改正法による衆議院議員の定数配分規定は、合理的期間内
に抜本改正がない限り、人口較差一対二・九九を残すもので憲法一四条の要求に反
する選挙権の不平等状態にある。
二、府県単位・人口比例配分方式は、明治二二年の衆議院議員選挙法制定以来、明
治憲法、日本国憲法を通じて成立し、なお効力を持続している憲法的習律であ
る。」
と認定した点でまさに劃期的な内容を含んでいるが、これについては、次回準備書
面において憲法的習律論とともに詳述することとしたい。
(六) なお、在野団体ではあるが、昭和五九年二月に日本弁護士連合会が理事会
の議決を経て作成した「選挙権平等の原則を実現していくための公職選挙法改正案
要綱の提案」によれば、同連合会は諸国の選挙制度やわが国の公法学者等の意見を
参考に、国会議員選挙について、「議員の選挙人口格差が一対二・〇以上の状態と
なることは、他の非人口的要素を考慮しても憲法の許容するところではなく、その
場合には、できる限り人口格差を一対一に近づける改正を行うべきであり、議員定
数を是正するに当たっては格差を一対一・五以内の格差にとどめ、比較的短期間に
一対二・〇以上の格差をもたらさないようにすべきであるとの結論に達した」と述
べ、選挙制度における較差是正のための意見は第三者機関である行政委員会が作成
して内閣総理大臣に報告し、内閣は一対一・五の較差の範囲内の較差是正法律案を
国会に提出する義務を負う、とする公選法改正案要綱をひろく内外に提案した。
同連合会の右公式提案は、昭和五九年二月二七日、内閣総理大臣(D内閣官房長官
経由)に手渡され、その他同年二月二四日には、自治大臣(E選挙部課長補佐経
由)に手交、衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員会の全委員、参議院選挙
制度に関する特別委員会の全委員、衆、参両院議長、選挙制度審議会会長、各政党
に郵送され、また右同日、自治省記者クラブにおいて記者会見の上、マスコミ関係
者に披露された。
右公選法改正案の提案は、昭和四九年六月、日本弁護士連合会において取りまとめ
られた衆議院における議員一人あたりの選挙人口較差の許容限界を一対二・〇とす
る意見をさらに充実発展させ、選挙人口較差を一対二・〇以上に拡大させないため
に、一〇年経過ごとに、また、直近に行われた簡易国勢調査の結果にもとづいて、
較差を一対一・五以内にとどめる意見を行政委員会に表明させ、内閣と国会を制度
的にチェックしようとするものであって、これまた、わが国の選挙制度における積
年の弊害を打破し、もって国民の信頼を回復するための在野法曹の意志の表われと
みることができよう。
第一〇、昭和六一年改正法の問題点
本件選挙は、昭和六一年法律六七号によって改正された公選法の衆議院議員定数配
分規定(以下、昭和六一年改正法という)にもとづいて行われたものであるが、こ
の昭和六一年改正法は、改正前の同規定が最高裁判所の昭和五八年一一月七日付大
法廷判決により違憲状態にあると警告され、さらに同六〇年七月一七日付大法廷判
決によって公選法の現行法としてははじめて違憲と明確に断定されたことを受け
て、国会内の党利党略絡みの紆余曲折ののち、前回選挙の直前になって急遽改正さ
れたものである。しかも、その内容は昭和六〇年における国勢調査の速報値にもと
づき、各選挙区間の議員一人あたりの人口比率を一対三以内にとどめて、さしあた
り司法府からの違憲判断を回避しようとしたものであり、結果的に八増七減という
部分的糊塗にとどまり、国民多年の宿願である抜本的改正というにはあまりにもほ
ど遠い微調整でしかなかった。
この昭和六一年改正法の憲法上の位置づけについては、野中俊彦教授の「衆議院議
員定数改正の経緯と問題点」(ジュリストNo八六五号三六ページ以下)と題する
論文に手際よく要約されているので、ここでは右論文の骨子を適宜抜粋することに
より、右改正法のうちで特に違憲性を帯びると考えられる二、三の問題点を指摘す
ることとしたい。
(一) まず第一の問題点は、このときの是正は過去二回の定数配分規定の是正と
同じく、単なる部分的な手直しに終わり、較差解消の不徹底がそのまま残存したと
いうことである。
すなわち、昭和六一年改正法による是正後の最大較差は、長野県第三区(議員一人
あたり人口一四二、九三五)と神奈川県第四区(同四二七、六九八)の人口比率一
対二・九九(同六〇年国勢調査要計人口。ただし、有権者数による比率は、右両区
間の一対二・九二)である。
昭和二二年の衆議院選挙法改正当時の最大較差は一対一・五一であり、また、昭和
三九年、同五〇年の定数増による是正時点においては、最大較差はそれぞれ、一対
二・一九、一対二・九二であったのであるから、是正後の最大較差としてはこのと
きがもっとも大きく、それたけ是正が不充分だったということがまず指摘される。
昭和五〇年改正法についても、「それは結局、単なる弥縫策の域を出るものではな
かった」(昭和五八年大法廷判決におけるF裁判官の反対意見)、「一時的な弥縫
策の域を出るものではなく、たちまち再び著しい投票価値の較差を生ずることは明
らかであった」(前掲昭和五九年大阪高等裁判所判決)のであるから、較差のさら
に大きい右の是正は一段と厳しい評価にさらされることになった。
事実、昭和三五年以降の国勢調査をみれば明らかなように、衆議院議員の選挙区に
おける一票の最大較差の拡大の推移は、
昭和三五年一〇月  三・二一倍
昭和四〇年一〇月  三・二三倍
昭和四五年一〇月  四・八三倍
昭和五〇年一〇月  三・七二倍
昭和五五年一〇月  四・五五倍
昭和六〇年一〇月  五・一二倍
となっており、前述のような昭和三九年、同五〇年の公選法改正によって最大較差
がそれぞれ、二・一九倍、二・九二倍に引き下げられても、その程度の微調整はほ
んの一時しのぎで、近年も相も変わらぬ人口の都市集中現象の中では再び較差の増
大を回避することができないことを示しており、それ故に右の二・九九倍程度の手
直しでは、極めて近い将来においてたちまち三倍以上の較差が現出するのは必至で
あり、現実に本件選挙においては有権者比率の最大較差が三・一八倍にまでなっ
た。
このように、投票の較差がますます進行するというわが国に顕著な人口移動趨勢の
下にありながら、昭和六一年改正法が人口比率一対二・九九、有権者比率一対二・
九二程度の微温的な定数是正しかなし得なかった理由は、結局、それが、識者も指
摘するように、今後の司法審査を通過するための緊急非難的措置でしかなかったか
らである。それ故にこそ、国会は、右の是正をもって、違憲とされた昭和五〇年改
正法を早急に改正するための暫定措置であるとし、昭和六〇年国勢調査の確定人口
の公表をまって速やかにその抜本改正の検討を行う旨の国会決議をせざるを得なか
ったのである。
(二) 原告はすでに、投票価値の実質的不平等の最大較差は、仮にやむを得ない
場合であっても、「一対二」の比率内にとどめなければならず、これが憲法上の最
低限の要請である旨の主張をして来たが、昭和六一年改正法においては、実にこの
意味の「一対二」の比率を超える、つまり、較差二倍以上の選挙区が三〇区、本件
選挙当時においてはこれが三一区も存在(本件訴状添付別表(一)参照)してい
る。
(三) さらに、昭和六一年改正法による最大較差の是正だけで解消されなかった
不合理の最たるものに、いわゆる逆転現象がある。
すなわち、逆転現象というのは、人口の多い選挙区のほうが人口の少ない選挙区よ
りも議員定数が少ないという奇異な現象を指すのであるが、これについては参議院
議員選挙に関する昭和五八年四月二七日付大法廷判決においてG裁判官が次のよう
に指摘されている。
「議員一人当たりの選挙人数につき選挙区の間で生じている較差の問題は、較差の
程度の問題、いわば量的問題として考えれば足りるが、いわゆる逆転現象の場合
は、より多数の選挙人を有する選挙区に対しより少数の議員定数しか配分されない
ことになっており、より少数の選挙人しか有しない選挙区に対する議員定数の配分
との比率が逆転した状態となっているのである。前者の場合は、選挙人数に応じた
議員定数の配分の多寡の問題であって、議員定数を定めるにあたって基準となるべ
き投票価値の平等の原理がなお考慮されているものとみることができる。しかし、
後者の場合、逆転現象を生じている選挙区のすべてについてそうであるとまでいわ
ないとしても、通常人の判断をもってすれば逆転関係が特に顕著に生じているとみ
られる選挙区については、議員定数の配分の多寡という量的問題を超えてその配分
について著しい不平等を生じているというべきであり、そこではもはや投票価値の
平等の原理が全く考慮されていない状態になっているといわざるをえないのであ
る。」
同裁判官は、衆議院議員選挙に関する前掲昭和五八年一一月七日付大法廷判決の反
対意見においても同旨の指摘をされているが、要するにこのような人口比例原則を
根底的に否定ないし無視するような人口逆比例現象が、昭和六一年改正法において
はみられたのである。
たとえば右改正当時、広島県第一区は人口約一二〇万人につき定数三のままであっ
たのに、長野県第三区は人口約五七万人につき定数四であり、両者の較差は一対
二・八程度であるばかりでなく、そこには右較差以上の本質的な不合理が存在し
た。
また、県単位の定数を考えでも、県全体の定数が石川県では五になったにもかかわ
らず、より人口の少ない富山、和歌山、香川の三県が定数六になるなどの矛盾が指
摘された。参議院議員選挙においては、かなり大巾な逆転現象もいまだ立法裁量の
範囲内であるとして許容するのが現行の最高裁判所の判例であるとしても、こと衆
議院に関しては、参議院の場合よりも人口比例的要素を重視しようとするのが最高
裁判所の態度なのであるから、右の逆転現象を安易に介在せしめた昭和六一年改正
法は、これを不可分一体のものとして考察するとき、将来の判例の傾向からしても
違憲性を帯びることは明らかであり、この意味の違憲性は本件選挙においてもなん
ら是正されることなく放置されたままである。
(四) おおよそ以上の諸点において、昭和六一年改正法による較差の是正はまこ
とに不徹底であった。それはあくまでも暫定的応急処置的な性質のものであり、投
票価値の平等を志向する憲法原則に照らして、違憲性、違法性を解消したものとは
到底いうことができない。
このことは、昭和六一年五月二一日の衆議院本会議における右改正法案の採決にあ
たり、綿貫衆議院議事運営委員長外一四名から、投票較差の抜本改正に向けて、衆
議院議員の定数是正に関する国会決議案なるものが提出され、本会議においてこれ
が採択された事情からも裏付けられる。
すなわち、右国会決議は、
「選挙権の平等の確保は議会制民主政治の基本であり、選挙区別議員定数の適正な
配分については、憲法の精神に則り常に配慮されなければならない。
今回の衆議院議員の定数是正は、違憲とされた現行規定を早急に改正するための暫
走措置であり、昭和六十年国勢調査の確定人口の公表をよって、速やかにその抜本
改正の検討を行うものとする。
抜本改正に際しては、二人区・六人区の解消並びに議員総定数及び選挙区画の見直
しを行い、併せて、過疎・過密等地域の実情に配慮した定数の配分を期するものと
する。
右決議する。」
と述べており、来るべき抜本改正に対する国会の態度として、
(1) 議会制民主政治の根幹である選挙権の平等を確保するために、憲法の精神
に則り議員定数の適正な配分を行わなければならないこと
(2) 今回の定数是正は、違憲とされた昭和五〇年改正法(現行規定)を速やか
に抜本改正するまでの単なる暫定措置にすぎないこと
(3) 抜本改正にさいしては、
i 二人区・六人区の解消
ii 議員総定数および選挙区画の見直し
iii 過疎・過密等地域の実情に配慮した定数の配分
を、それぞれ行うことを明らかにした。
右のうち、(1)文にいう「憲法の精神」とは、投票価値の平等を実現するための
憲法上の人口比例原則の意味であって、これが国会の立法政策である他の非人口的
要素等を意味するものではないことは明らかである。
また、(2)文にいう「抜本改正」が(1)文の憲法精神に則った昭和五〇年改正
法の違憲性の除去を意味し、「暫定措置」がその「抜本改正」にいたるまでの一時
しのぎのものを意味していることは、「抜本」「暫定」という文言の対比からも明
らかであるが、この国会決議が「抜本改正」の検討をその究極の目的としていたと
いうことは、とりも直さず「暫定措置」が単に時間的な意味で過渡的であったばか
りでなく、そもそも内容的にも違憲性の除去という観点において不徹底であったこ
とを前提としているもの、と解される。
さらに、(3)文のうちで特に問題となるのは、iiiの「過疎・過密等地域の実
情に配慮した定数の配分」を期する、との文言であろうが、これが「過疎地域の実
情に配慮した定数の配分」という限定的な表現になっていたならば、いわゆる過疎
地域の強化ないしは一票の重い選挙区の防衛の問題として、典型的な非人口的要素
への配慮を強調した趣旨とも解されるが、原文は「過疎・過密」という表裏一体の
表現となっており、「過疎・過密」を共通の次元で取り扱うとの態度を示している
ので、結局、右決議の趣旨としては、あくまでも「過疎・過密等地域の実情」を、
人口政策ないしは環境是正策の一環として採り上げ、これを選挙制度の改正にさい
して反映させようという意味であろう、と考えられる。
以上を要約していい得ることは、衆議院がわざわざこのような国会決議の名の下
に、昭和六一年改正法を「暫定措置」と」て位置づけ、同六〇年国勢調査の確定人
口の公表をまって、憲法の精神に則った「抜本改正」を行い、選挙区別議員定数を
適正に配分するという目的をみずからに課したことは、とりも直さず、「暫定措
置」としての昭和六一年改正法がいまだ憲法の精神を十全に具現したものではな
く、つまりは違憲性の瑕疵を帯びていることを衆議院自身が認めたなによりの証左
であろう。
ただし、右の国会決議はあくまで執行力のない単なる宣言にとどまっており、ま
た、昭和六一年改正法中にも見直し条項が入っているわけでもないので、国会慣例
の不作為的サボタージュによって、またまた右の「暫定措置」が数年ないしはそれ
以上の期間にわたり半恒久的に放置され座視される惧れは多分に存したが、現実は
はたしてそのとおりとなった。つまり、昭和六一年一一月には昭和六〇年国勢調査
の結果が公表され、また同一二月には九月二日現在の選挙人名簿登録者数も自治省
により発表され、これによれば衆議院選挙における有権者比率の最大較差は二・九
四倍にまで拡大し、本件選挙においてもこれが三・一八倍にまで拡大しているの
に、国会はいまだ何の改革もしていない。前掲昭和五八年大法廷刊決の傍論によっ
て「一対三」程度の較差ならば合憲であると誤解されかねない現況であるからこ
そ、安易な推測ないしは臆説を打破するための司法府の厳正な判断が望まれるので
ある。
第一、補足事項
なお、原告は以下の諸点について、若干の補足を加えるものである。
(一) 従来の大法廷判決における人口的要素をいかに理解すべきか
(二) 昭和六一年五月二一日付「衆議院議員の定数是正に関する決議」(いわゆ
る国会決議)の意味内容
(三) 昭和二二年の衆議院議員選挙法改正当時の選挙区間最大較差一対一・五一
を憲法上いかに位置づけるべきか
(四) 投票価値の不平等較差の指標は有権者比率によるべきか、人口比率による
べきか
(一) 従来の大法廷判決における人口的要素をいかに理解すべきか
右にいう人口的要素とは、結局、選挙人数または人口数と配分議員数との比率の平
等、すなわち、人口比例原則のことであり、この原則は憲法一四条の平等課障条項
に直接由来するものであるが故に、従来の大法廷刊決も、これを「最も重要かつ基
本的な基準である」と明言して来たのである。それは本来、選挙区間における議員
一人あたりの人口較差が一対一であることを意味するのであるが、ただ大法廷判決
は、「それ以外にも、実際上考慮され、かつ、考慮されてしかるべき要素、は少な
くない」とし、国会が複雑微妙な政策的技術的要素、つまり非人口的要素を考慮し
て選挙制度の具体的決定にこれらを反映させることを認め、その結果、人口比例原
則が緩和され、選挙区間における議員一人あたりの人口較差が一対三程度になるの
もまたやむを得ない、とする態度を維持して来た。
しかしながら、右判旨におけるような非人口的な政策的技術的要素による人口比例
原則の緩和は、いわば例外によって原則を緩和するのであるから、そこにはおのず
から合理的な限界が内在するもの、といわざるを得ない。
すなわち、まず第一に、人口比例原則は、判旨も是認しているように、憲法一四条
の平等保障条項の直接の要求であるのに対し、非人口的な政策的技術的要素への考
慮は、その根拠が憲法四三条二項ないし同四七条の委任によっており、それはあく
までも選挙制度の具体的決定という法律事項にすぎないものであるから、法律事項
が上位の憲法原則の根底をゆるがし、これを侵犯するような結果になることは許さ
れない。
第二に、人口比例原則が、「最も重要かつ基本的な基準である」とするならば、他
の非人口的諸要素は人口比例原則ほどには重要でもなく、また基本的でもないとい
うことになろう。そのような、いわば補充的な、他の非人口的諸要素による人口比
例原則に対する緩和には、おのずから一定の内的制約が存在するもの、と解すべき
である(つまり、緩和の程度が大きくなって人口比例原則への侵蝕が進むならば、
人口比例原則はもはや「最も重要かつ基本的な基準」という名に値しなくなる)。
第三に、昭和五八年大法廷判決も認めているように、昭和二五年の公選法制定当初
の衆議院議員定数配分を定めた同法別表第一は、同二一年四月実施の臨時統計調査
にもとづく人口を議員定数で除して得られた数、約一五万人につき一人の議員を配
分した昭和二二年の衆議院議員選挙法改正当時の別表の定めをそのまま維持したも
のであるが、右別表は人口以外の諸般の事情を考慮したとはいえ、選挙区間の議員
一人あたりの人口比の最大較差を一対一・五一程度にとどめており、立法者はあく
までも人口を基準とした議員定数配分を志向したのであるから、この立法者の意図
した人口比例配分方式を大きく逸脱することはできない。
第四に、選挙区間の議員一人あたりの人口較差が「一対二」以上になるとするなら
ば、それは自分は一票しかもっていないのに、他人が二票以上をもつことを意味
し、一人一票の原則(ここでは一票一価をも含む広義の意)を原理的に破壊するば
かりでなく、健全な国民感情にも反するところの絶対的不平等を招来する。
このような結論は、およそ憲法一四条、四三条二項、四七条の予想するところでは
なく、それ故、選挙制度の具体的決定にあたって、大法廷判決がたとえ人口比例原
則ばかりでなく、非人口的な政策的技術的要素への考慮を国会に対して是認したと
しても、それらによる人口比例原則に対する緩和の程度は、一人一票の原則を侵犯
しない程度、すなわち、人口較差「一対二」までにとどめるべきであり、この「一
対二」までという程度こそが他の非人口的な諸要素による人口比例原則緩和の合理
的な限界と考えられる(つまり、非人口的な諸要素が考慮されるとしても、「一対
二」までの比率の限度内においてのみ斟酌され得るにとどまり、この限度内でもし
人口的要素と非人口的要素が両立しない場合があれば、あくまで優先的に考慮され
るのは人口的要素であって、非人口的要素は排斥されると解すべきである。
(二) 国会決議の意味内容
昭和六一年五月二一日の衆議院本会議で採択された「衆議院議員の定数是正に関す
る決議」の意味内容について特に銘記すべきことは、以下の諸点であろう。
まず第一に、昭和六一年改正法は、改正前の同規定が昭和五八年、同六〇年の大法
廷判決によって違憲性を指摘され是正の急務を要求されたばかりか、両判決におけ
る反対意見ないし補足意見も是正なしの今後の選挙においては選挙無効判決ないし
は将来的無効判決があり得る、と示唆したことによるインパクトから、辛うじて司
法審査をパスするためだけの見込ぎりぎりの線(昭和五八年大法廷判決の傍論によ
る「一対三」の較差)での較差の解消を目指して緊急避難的に行われた暫定措置で
あった。
第二に、昭和六〇年大法廷判決が下された同六〇年七月一七日から昭和六一年改正
法が衆議院で可決された同六一年五月二一日までの間に、衆議院議長は定数是正法
案の審議に関して以下のような活動をしている。
すなわち、右法案の成立が不可能となった第一〇三国会の会期末である同六〇年一
二月一九日、議長は各党々首との間に会談をもち、次のような議長見解を示して、
各党首(共産党を除く)の合意を得た。すなわち、「定数是正法案の審議は、昭和
六〇年図勢調査の速報値にもとづき次の国会ですみやかな成立を期すが、そのさい
の方針として、
(1) 総定数五一一人の枠に変更を加えない。
(2) 交差は三倍以内に抑える。
(3) 小選挙区は設けない。
(4) 昭和六〇年国勢調査の確定値の公表段階で是正の見直しを行い、さらに抜
本改正をはかる。」
こうして、次の第一〇四国会において、定数是正問題は論議の焦点とされたが、右
の議長見解を受け入れた与野党は定数是正問題協議会を発足させてある程度の基本
線がまとまり、議長裁定に委ねることで合意をみた。ここにおいて議長は、各党の
意見調整をはかった上、大略、次のような調停案を提示した。
「(1)二人区は解消する。
(2) 減員区は七選挙区であるが、今回の定数是正の中心課題である較差三対一
以内に縮少しなければならない要請にこたえるため、今回は特に八選挙区において
増員を行う。
しかしながら、抜本改正のさいには、二人区の解消とともに総定数の見直しを必ず
行う。
(3) 本法の施行にさいして周知期間をおくとの与野党の合意を踏まえ、特にこ
の法律は、公布の日から起算して三〇日に当たる日以後に公示される総選挙から施
行する。」
これらの議長見解ないし議長調停は、党利党略にゆれる政党間の意見を調整して抜
本改正にいたるまでの早急な立法措置を促し、大法廷判決を受けて立法府が違憲状
態を解消するための努カを尽しつつあるという印象を内外に与えたという意味にお
いては役立ったが、しかしながら、その内容については批判と失望も多かった。
何故ならば、議長見解において衆議院の議員定数をふやさないという議長自身の公
式発言は、議長調停においては簡単に反故にされ、また、周知期間などという新奇
の概念の設置によって早期解散と総選挙が封じられた。そればかりでなく、なによ
りも責められるべきは、これらの見解や調停において、立法府の長たる議長自身
が、選挙区における議員一人あたりの人口較差を「一対三」以内とする旨の発言を
繰り返し公表したことである。
この人口較差「一対三」という数字が昭和五八年大法廷判決の傍論に由来してお
り、これが違憲合憲を分ける分水嶺として国会筋においても誤解を生じはじめてい
るという事情についてすでに述べたが、立法府の長たる議長が、安易に右の傍論に
よる「一対三」の数字を唱えたことの軽率さはともかくとして、それでは議長自身
が右の「一対三」の数字を真に違憲性を脱却するための数字として理解していた
か、といえば、必ずしもそうとは断定できないふしがある。
何故ならば議長は、「来る通常国会において・・・速やかに成立を期するもの」は
「選挙区間議員一人当たりの人口の較差は一対三以内」(見解)、あるいは、「今
回の定数是正の中心課題である較差三対一以内」(調停)などと述べてはいるもの
の、今回の定数是正の後で、「さらに抜本的改正を図る」(見解)、「抜本改正の
際には、二人区の解消とともに総定数の見直しを必ず行う」(調停)として、あく
まで抜本改正の必要性を強調しているからである。
もし、「一対三」以内の較差にとどめた改正措置が真に憲法の要求に沿うものであ
るならば、なにも「抜本改正」などを行う必要はない。右の立法措置が旧規定を改
正してもなお、憲法の要求を十全に充たすものとなってはおらず、相も変わらず違
憲の瑕疵を帯びでいるという惧れが多分に存するからこそ、議長は立法府の長とし
て、違憲性を脱却するための徹底的改革の実現を宣言せざるを得なかったのであ
る。議長が「今回の定数是正」と「抜本改正」とを対置させている意味は、国会の
決議が「暫定措置」と「抜本改正」とを対置させて、「抜本改正」の必要性を唱導
する意味と同じである。すなわち、違憲と断じられた定数配分規定をそのままにし
て選挙を行うための解散をすれば、その解散権は憲法上の疑義があるため、昭和五
八年大法廷判決の傍論で言質を得た「一対三」以内の較差の是正だけをまずしてお
いて、さしあたり解散権のフリーハンドを握っておこう、というのが、議長や国会
筋の偽らざる意図であり、その政争の具に供せられたのがほかならぬ「今回の定数
是正」ないし「暫定措置」であった。つまり、彼らの真意としては、あくまでも
「抜本改正」によらなければ違憲性の脱却は難しいと考えていたものと解され、そ
う解さなければ「抜本改正」の必要性を公約し喧伝する意味を掴むことはできな
い。
第三に、当時の自治省の試算によれば、昭和六一年改正法において、人口の少ない
選挙区の定数を減らし、減員数を過密選挙区に上乗せする方法(増減同数)で較差
を二倍以内にしようとすれば、「二五人増員、二五人減員」が必要であるというこ
とであった。
一人一票の大原則が侵害される「一対二」の基準に抵触する選挙区が、全選挙区一
三〇区のうち、実に五〇区(たたし、神奈川県第四区と千葉第四区は二名増員のた
め、重複する)にも及んでいる昭和六一年改正法をもって、憲法の精神を具現した
ものと揚言することは到底無理である。
このように、立法府を代表する衆議院議長と、衆議院本会議で決議された国会決議
が、ともに「抜本改正」の要を唱え、また、本年一月二六日再開された第一〇八通
常国会における施政方針演説において、首相自身も、「衆院の議員定数の抜本的是
正の問題については、国会決議によって示された方針に基づく各党間の論議を踏ま
えながら、政府としても最大限の努力をしていきます」旨、述べてはいるが、昭和
六一年改正法の成立後すでに四年を経過し、昭和六〇年国勢調査の改定人口もとつ
くに公表されているにもかかわらず、国会ではいまだに「抜本改正」の兆しがみら
れない。昭和六一年改正法は暫定措置としての性格から、公選法の本則の改正によ
らず、附則の改正として行われたのであるが、昭和三九年、同五〇年の定数是正
が、いずれも暫定措置として附則の改正により行われたのに、ともに一〇年余も放
置されたという過去の経験に徴すれば、今回の昭和六一年改正法が「抜本改正」さ
れるまでにはまたまた一〇年余の日子が経過するなどという怖れは充分にある。そ
の意味で、議長の公式発言も国会の決議も、首相の演説と同様、なんら法的執行力
をもち得ないものである、というほかはない。
(三) 昭和二二年の衆議院議員選挙法改正当時の選挙区間最大較差一対一・五一
を憲法上いかに位置づけるべきか
昭和二五年に制定された公選法の別表第一は、同二二年の衆議院議員選挙法改正
(同二二年法律四三号)当時の別表の定めをそのまま維持したものであるが、右衆
議院議員選挙法の別表がどのように定められたかについては、昭和五八年大法廷判
決に恰好の記述がある。すなわち、「右別表における選挙区割及び議員数は、昭和
二一年四月実施の臨時統計調査に基づく人口を議員定数で除して得られる数約一五
万人につき一人の議員を配分することとし、その他に都道府県、市町村等の行政区
画、地形等の諸般の事情が考慮されて定められたこと、及び右人口に基づく右制定
当時の選挙区間における議員一人当たりの人口の較差は最大一対一・五(以下、較
差に関する数値は、すべて概数である。)であったことがその制定経過から明らか
である。
右にみたおり、公職選挙法は、その制定当時、衆議院議員の選挙の制度につき、選
挙区の人口と配分された議員数との比率の平等を唯一、絶対の基準とするものでは
ないが、これを最も重要かつ基本的な基準とし、更に、前記の諸般の要素をも考慮
して、選挙区割及び議員定数の配分をしたものと解される」
すでに原告が述べたところではあるが、わが国の衆議院議員の定数配分は、歴史的
に人口主義と行政区劃主義に依っており、総人口をまず議員定数で割り、議員一人
あたりの人口ができるだけ平等になるように各府県の人口に議員数を比例配分し、
その配分議員数をさらに各選挙区に再配分したのであった。
すなわち、明治二二年の衆議院議員選挙法制定以来、大正一四年の大改正(普通選
挙制と中選挙区制の設定)、さらには昭和二二年の同法改正にいたるまで、わが国
は一貫して人口比例配分方式により、議員定数を配分して来た。そして、これらの
時代における各選挙区間の一票の較差は、一・三倍ないし一・五倍程度であった。
このように、昭和二二年の本件衆議院議員選挙法の改正当時は、大正一四年以来の
総定数四六六人を変更することなく、人口一五六、八九七人に対し議員一人を配分
しており、このことは当時の衆議院本会議における以下のような質疑応答からも明
らかである。
「別表における区分の基準いかん、また人口及び地区は何を根拠としてわけたかと
の質問に対しまては、提案者より、議員数は、人口及び地勢、行政区間を参酌いた
しまして、大体人口十五萬を基準として、按分比例により決定された数字である旨
の答弁がありました」(H委員長第九二回帝国議会衆議院議事速記録第三一号五二
ページ)。
「別表は、委員会におきましても相当論議せられまして、慎重に審議を経たのであ
りますが、要するに別表のいわゆる選挙区の決定にあたりましては、まず第一に人
口というものを考慮いたしました。その次には地理的関係、すなわち地勢、あるい
は虱俗人情、すなわち歴史的関係、行政区画等を考慮いたしまして、そうして選挙
区を決定いたしたのであります」(I。右同五三一ページ)。
つまり、昭和二二年の衆議院議員選挙法改正当時の別表の定めは、あくまで人口比
例配分方式を第一次的に考慮し、端数処理の段階で他の非人口的要素を加味して選
挙区と配分議員数を定めたという経緯が明らかであり、それ故に人口較差が最大で
も一対一・五一程度にとどまったという事情が理解できる。このような処理の仕方
においてこそ、選挙区の人口と配分議員数との比率の平等が「最も重要かつ基本的
な基準」であるとする原則が樹てられるのであって、人口比例原則と他の政策的技
術的要素とを同次元において調和的に理解しようとする立場などは、まさに立法の
精神に違背するものといわざるを得ない。
(四) 投票価値の不平等較差の指標は有権者比率によるべきか、人口比率による
べきか
原告が、訴状その他において投票価値の不平等較差を示す指標として有権者分布差
比率を用いたのは、本件訴訟が「選挙権」の平等を求める「選挙人」による訴訟で
あるという理由だけからであって、他意はない。一般に、投票価値の軽重をはかる
指標としては、五年ごとの国勢調査にもとづく人口と、選挙人名簿登録者数とがあ
るが、本件の原告は単に後者によったまでである(本年度の国勢調査が集計される
までは正確な人口が不明であるから)。
しかし、この点については、昭和五一年大法廷判決もいうように、「厳密には選挙
人数を基準とすべきものと考えられるけれども、選挙人数と人口数とはおおむね比
例するとみてよいから、人口数を基準とすることも許されるというべきである」
それ故、選挙人数ないし有権者数と人口を特に区別する実益は乏しい。事実、以後
の判例や各裁判官の意見等をみても、両者は併記して用いられており、本件選挙訴
訟において、この両者のもつ意味は理念的に同質である。ただ現象的にみた場合、
都市部の過密区のほうが人口に比べ有権者数がより少なく、逆に郡部の過疎区のほ
うが人口に比べ有権者数がより多い、という若干の差異はある。したがって、本件
選挙における最大較差も、有権者比率でみれば一対三・一八であるのが、人口比率
でみればこの倍率がやや開くことが考えられる。
(以下省略)
別紙(二)
原告準備書面(第二)
第一二、衆議院議員選挙法の歴史的考察
戦後のわが国の衆議院議員に関する選挙区割と定数配分の基本的枠組が、昭和二五
年に制定された公選法の別表第一によっており、この別表第一は、同二一年四月実
施の臨時統計調査にもとづく人口を議員定数で除して得られた数、約一五万人につ
いて一人の議員を配分した同二二年の衆議院議員選挙法改正当時の別表の定めをそ
のまま維持していたこと、そして、右別表における選挙区間の議員一人あたりの人
口比の最大較差が一対一・五一であったことは、今や公知の事実である。
以来、国会は昭和三九年(一九人増)、同五〇年(二〇人増)、同六一年(八人増
七人減)の三度にわたる公選法改正(昭和二八年の奄美群島区の設置、同四五年の
沖縄全県区の設置は事案同旨でないので除く)により、選挙区間議員一人あたりの
人口比の最大較差をそれぞれ、三・一九倍、二・九二倍、二・九九倍に引き下げた
が、この程度の手直しは昭和二二年当時の較差に比べてもあまりに手ぬるいばかり
でなく、わが国における人口の都市集中現象の実態の中でこれを考えてみてもそれ
はほんの一時しのぎの策でしかなかった。すなわち、昭和二二年当時の戦後の廃嘘
の時期から数えて約四〇年余にも及ぶわが国の高度成長は世界でも稀にみる規模の
巨大な産業構造の変動をもたらし、臨海部を中心に急速な都市化が進み、農村部か
ら都市部への人口集中は従来の人口分布を完全に塗り替え、まさに歴史的な社会構
造の激変を惹きおこしたのである。この社会構造の激変がまさに一票の較差を生じ
る要因であったが、国会はこのような人口分布の変動に適応した抜本的な措置をな
んら採ることもなく、あくまで昭和二二年改正法当時の選挙区割と定数配分を枠組
とした、あまりにも時代遅れの弥縫策しか講じ得なかった(事実、過去三回の改正
はいずれも、暫定的是正を意味する「当分の間」という文言により、本則の改正と
してではなく、附則の改正という形式によって処理されている)。
(中略)
(三) さて、わが国の衆議院議員に関する選挙法変遷の過程を吟味し、以上を要
約していい得ることは、次のような事実であろう。
(1) わが国の衆議院議員選挙法が明治二二年制定された当時の議員の配分基準
は、人口一三万人につき議員一人の割合で選挙区に配分されていた。
(2) 明治三三年、同三五年、大正八年法においても、配分基準は、市部の独立
選挙区の例外(これについては、後述)を除けば、従来どおり人口一三万人につき
議員一人の割合で配分された。
(3) 大正一四年の選挙法大改正により、配分基準は、郡部も市部も平等に人口
一二万人につき議員一人の割合で各府県に配分されることとなり、右基準はその
後、約二〇年間維持された。
(4) 終戦直後の昭和二〇年法においても、議員一人あたりの人口が約一五万
六、〇〇〇人、配分区が中選挙区から大選挙区に変っただけで、人口による配分基
準自体には変化はなかった。
(5) 昭和二二年法の配分基準も右と同旨。
総人口を議員定数で割って基準人数を算出し、この基準人数で都道府県の人口を割
って都道府県への配分議員数を決定する方法は二〇年法と変りなく、ただ、二〇年
法の大選挙区とは異なり、都道府県をさらにいくつかに分割した中選挙区制に復帰
したため、都道府県別の配分議員数を中選挙区に再配分する段階でやや不均衡が生
じ、その結果、全体としては人口約一五万六、〇〇〇人につき議員一人の割合で配
分されたが、都道府県別と選挙区別の議員一人あたり人口比の最大較差に若干の差
異を生じた。
(6) 昭和二五年制定の公選法の別表第一は、二二年法の別表をそのまま維持し
たため、公選法の配分基準としては、前法における人口比例配分方式をそのまま踏
襲。
(7) 以後、昭和三九年法までの間は右の配分基準が維持されたが、国会が一〇
年余も公選法別表第一末尾の五年ごとの更正規定を無視したため、選挙区における
議員数と人口実態との比率が伝統的配分基準に合致しなくなり、選挙制度審議会の
答申の結果、人口比の最大較差を「一対二」とする、という新たな原則が提示。現
実の法改正の段階で、この原則はさらに二・一九倍にまで拡大される。
(8) その後、一一年間、国会は更正規定を無視。
昭和五〇年法審議の段階で、国会において、今度は配分基準を人口比上下三倍以内
とする、さらに新たな原則が論議されるにいたり、結果的に最大較差二・九二倍の
法案を可決。
(9) その後、国会はさらに一一年間、更正規定を無視。
三期の国会において政府案野党案等々と散々揉め抜いた末、最大較差二・九九倍も
の昭和六一年改正法を暫定措置と称して可決。そのさい、法案審議の場で、昭和五
八年最高裁判所大法廷判決の傍論が法案の是正較差を補強する論拠として実にしば
しば引用され、あたかも最大較差「一対三」が較差不平等の合憲性を限界づける原
則であるかのように喧伝される。
以上の事実によっても明らかなように、わが国の衆議院議員選挙法における選挙区
への議員配分基準は、明治二二年制定以来、人口比による人口比例配分方式を採用
しており、この基準は、戦後、選挙法が民主的に改正されたときにも、また、昭和
二五年の公選法制定当時においても、本質的にはなんら手を加えられることなく堅
持されたのであった。すなわち、現行法である公選法立法の趣旨は、衆議院議員定
数を各選挙区に配分するにあたり、明治初年以来の人口化例原則を毫も変えること
なく、昭和二二年法における別表の定めをそのまま踏襲し、その意味ではまさに平
等選挙を志向する憲法の理想におのずから合致する方向を示していた、ということ
ができよう。事実、原告がすでに準備書面の中で指摘したように、昭和二二年の衆
議院議員選挙法の国会審議の場においても、議員配分の原理としては、「まず第一
に人口というものを考慮」し、「大体人口十五萬人を基準として、按分比例により
決定された数字」によったことが政府立案者から答弁され(甲第二二号証五二八、
五三一ページ)、これに関する質疑応答においても、選挙区に対する議員数の割り
振りの問題について実に熱心な議論が各選挙区ごとに討議されている(甲第二二号
証五三七、五四四、五四九ページ)。
このように、わが国の選挙法は、明治維新以降、議会制民主主義の先進国である欧
米諸国の例に倣い、一人一票、一票一価の原則を民選議員選挙における平等権保障
のための基本理念として制度上で尊重して来たのであり、この伝統は現行公選法に
おけるもなお基本理念としての地位を失わない。これらの厳然たる事実は、昨今の
公選法改正に関する国会審議の場においても、政治学者のJ公述人やK自治相、L
委員らも明言しているところであって、異論の余地にない(甲第三一号証五、六ペ
ージ、甲第三〇号証三、四ページ)。
(四) それでは、わが国の選挙制度におけるこの確固とした伝統、すなわち、人
口比にもとづく人口比例配分方式という伝統が、一体、いつの時代から改ざんさ
れ、また、どのような原因によって、現在、国会で喧伝されているような、最大較
差「一対三」までは合憲、などという前例ないし臆説として、一部民心に棲みつい
てしまったのであろうか。
われわれは、ここで、昭和六一年改正法の立案にあたって、大いに努力されたと評
されている政府与党側の責任者L委員の国会答弁に耳を傾けたいと思う。
同委員は、是正数値について、次のように述べている。
「世界各国の例を見ましても原則は一対一なんです。我が国の選挙制度の歴史にお
いても、明治二十二年の衆議院選挙法以来、定数是正について大きな改正をしたと
きは---明治二二年は完全に人口格差一対一です。明治三三年に改正したときも
一対一です。大正八年に小選挙区にしたときも一対一、大正十四年に中選挙区にし
たときも一対一、昭和二十二年にまた中選挙区に返したときも一対一、これで行っ
たわけであります。そして、その後行った昭和三九年の改正は、御存じのとおり、
選挙制度審議会の答申によって、平均に対して上下三分の一ぐらいの範囲内におさ
まるように、こういう答申に基づいてそういう案としたわけであります。それか
ら、昭和五十年の改正は、そういう前例がございましたので、各党合意によって、
これは後で判断したことでございますが、平均に対して一・五を超えるところは是
正対象にしておる、このような結果でございます。
そういうことを考え、そしてまた最高裁の判示理由などを考えますと、やはり一応
のめどとするときに二・九二とかあるいは三・五四とかそういうことではなくし
て、一応三倍ということが常識的であろうし、また先ほど御紹介ありましたよう
に、西ドイツ、これは法律で上下二五%とかあるいは上下三・三分の一というよう
な、こういう基準を法律化しておる。
こういうことを考えますと、我々が物事を判断するときは、数字で判断するとき
も、基準というのはそう細かい小数点以下のところにあるんじやなくして、およそ
何倍というふうなことを基準にして考えるのは当然であろう。また、国会において
これから法律をつくって、そうして定数是正をするわけでありますから、そういう
ことよりか、我々が常識的に受け取れる違憲とされない格差の範囲は何であるかと
いうことを種々検討いたしました結果、三倍以内としておけば憲法違反の判断を受
けないであろうという判断であります。また別の判断もあろうかと思います。しか
し、自由民主党でこういう提案をいたしました趣旨は、三倍以内にしておけば憲法
違反の判決は受けないであろう、こういうことで三倍としたわけでございます。」
(甲第三〇号証四、五ページ)。
(五) さて、右見解によれば、わが選挙法における人口較差「一対一」の伝統
は、昭和三九年の法改正のときに、選挙制度審議会の答申により、「平均に対して
上下三分の一ぐらいの範囲内におさまるように」、つまり、較差「一対二」ぐらい
の範囲内におさまるように国会でまず改変され、次いで、昭和五〇年法改正のとき
に、この前例にもとづいて各党合意により、「平均に対して一・五を超えるとこ
ろ」、つまり、較差「一対三」を超えるところだけを是正対象とすればよいという
解釈にまで拡張され、さらに、昭和六一年法改正の段階にいたり、「三倍以内にし
ておけば憲法違反の判決は受けないであろう」という政府与党の判断によって、現
行法が成立し、遂に較差「一対一」の輝かしい伝統はわが国の選挙制度の上から姿
を消した、という事情が明らかであり、この経緯はまさに原告のすでに述べた歴史
的検証と一致する。
すなわち、人口較差「一対一」の歴史的伝統を改ざんしたのは、まず、三九年法改
正のときの、選挙制度審議会による較差「一対二」という答申と、これを二・一九
倍にまで拡張した国会の裁量であり、次いで、五〇年法審議における、さらに拡大
された較差「一対三」以上を是正目標とした各党の合意であり、そして究極的に
は、六一年法実現にさいしての、較差「三倍以内は合憲」という数値をひろく天下
に流布した政府与党の判断である、と結論することができよう。
(六) しかしながら、そのような選挙制度審議会の答申や国会の裁量、あるいは
各党の合意とか、政権政党の判断というのは、一体、どのような原理ないしは理念
にもとづいてなされたのであろうか。
まず、選挙制度審議会の答申についていうならば、昭和三六年六月八日公布の選挙
制度審議会設置法こもとづいて発足した同会は、第三者の有識者を構成メンバーと
する、選挙制度改正と公明選挙運動推進のための内閣総理大臣の諮問機関であった
が、選挙区別定数等に関する事項を審議したのはその第四委員会であり、同委員会
は昭和三六年九月から同三七年五月まで一一回にわたる会合を開いて、「衆議院議
員の選挙区別人口と議員定数の不均衡の是正はどのようにすべきか」につき甲論乙
駁の論議を重ね、一一もの是正試案を提示したのであったが、結局、「理論と実際
とに適合した確信のある結論に到達するに至」らず(甲第一四号証六六ページ以
下)、同三七年一一月二七日発足の第二次選挙制度審議会の第二委員会に審議を持
ちこし、さらに五試案を加えて計一六試案として種々検討した結果、選挙区別議員
一人あたりの人口を一定限度の偏差内に調整しようとする三つの案を折衷すること
となり、結局、一二区について一九人増、一区について一人減、差引一八人増、上
下の差を約二・〇七倍とする成案(前掲七九ページ以下)を得、昭和三八年一〇月
一五日付の同会答申案(前掲八五ページ以下)となった。
しかし、右答申案の成立経緯は、第二委員会における論議にもあるように、「大局
的見地からの意見を交換してその最大公約数的なものを引き出して処理しよう」
(前掲七二ページ)というものであり、結論的に「現在の選挙区別議員一人当り人
口の偏差3・2倍以上を2倍程度に引き下げること」という説が大勢を占めたまで
のことであって、なにも特に確固とした歴史的背景ないし理論的根拠にもとづくも
のではなかった。
国会は、政府の提出した右答申どおりの定数是正案について、減員抵抗を行い、結
果として較差「一対二」の答申基準を安易に拡大したところの妥協案を可決した
が、これが単に政治的抵抗を回避した無原則にして技術的な処理であったことはい
うまでもない。
また、五〇年法審議のさいの各党合意については、すでに第一準備書面、第五、
(三)3において触れたところであるが、当初、人口比上下三倍以内という全く恣
意的な是正目標によって審議がはじめられ、しかもこの目標さえも守り切れずに、
結局、党利党略のおもむくままに、強いて名付ければ「人口比上下概ね三倍方式」
などという珍奇な方式によって妥協されたというのが、このときの国会審議の実態
であった。
さらに、これらの前例ないしは陋習を無批判に踏襲して、較差三倍説を世に定着さ
せようと試みたのが、今回の六一年法審議における政府与党の判断であった、とい
うことができる。
L委員は、この自党の判断について、「三倍以内とかあるいは何倍というのも、こ
れは我々政治家がお互いの了解のもとに、暗黙の前提としてやっておることであり
まして、三倍以上を超えたら是正をしなければならないという法律があるわけでも
ありません。」(甲第二九号証一九ページ)
と述べ、また、提案の根拠としては、
「我々が現在提案している法案の考え方は、先ほどるる申し上げましたように、最
高裁判所において二・九二ならば合憲である、こういうふうに受け取れる言葉があ
るものですから、我々は三倍以内ならば合憲という考え方のもとにこの法案を作成
しておるわけであります。しかし、将来抜本的に検討するとき、各党合意ができま
して、そのような格差をもう少し縮めようじやないかという合意ができますなら
ば、そういう合意の中においてまた区割りやその他検討すべきものである。それも
抜本的是正というものの内容の大きな柱であろう、このように考えております。」
(前掲三一ページ)と説明し、あくまで昭和五八年最高裁判所大法廷判決の傍論を
較差是正における合憲性の指標として、この枠組の中で、政治家相互間の了解ない
しは合意の下に選挙制度を創設しようとする姿勢を明らかにしている。
しかし、右にいう大法廷判決の傍論による合憲性の枠組というのは、原告も第一準
備書面、第八、(二)で述べたように、選挙制度の具体的決定についての客観的数
値的基準の設定を明確に拒否して来た従来の最高裁判所の判例の趣旨にまさに違背
するものなのであるから、このような傍論への依拠は、政権政党の、ためにする誤
解か、さもなければ、自らに有利な援用である、というのほかはない。また、政治
家相互間の了解や合意が国会の裁量を形成するとしても、今回の改正案にいたる審
議過程において、同委員を含めて、較差「一対三」原則の正統性を位置づけるよう
な歴史的ないし理論的根拠は、右の傍論や前例を除けば、全く発見することができ
ないのである。
のみならず、同委員は、「較差はどの程度まで許されるか」というM委員の質問に
対して、L議員 平等という言葉は完全に何もかもすべて一緒、数学的にも全部一
緒でなければならぬとは---これは法律、憲法でございますから数学的に平等で
なければならぬということではないと思います。したがって、それはおのおのその
制度本来の趣旨に従って平等というものはこういうものだということが出来るので
ありまして、数学的に平等ということではないのじやないかと考えております。
M委員 ずばり答えてくださいよ。今一対二とか一対三とか二・五とかという問題
が特に判例等の関係で論じられておりますから、私は基本的な提案者としての認識
を聞いておるわけです。だから、平等の原則としては格差はどの程度までならよい
とお考えなのか、もう一度答えてください。
L議員 いろいろ御議論がありましようが、我が自由民主党では格差は三倍以内は
合憲であると判断いたしまして提案申し上げた次第でございます。と答弁している
(前掲三一ページ)。
衆議院議員に関する選挙法の「制度本来の趣旨」が、歴史的に人口比にもとづく人
口比例配分方式であったことは明らかなのであるから、L委員の文言は文理上では
自家撞着であるが、そのようなことよりも、「制度本来の趣旨」をよく知る同委員
が、なおも「制度本来の趣旨」に反する無原則無根拠の不平等案を、ただ判例の傍
論と前例のみに依拠して、あえて選挙制度の上に刻印しようと努めている情景は、
政権政党の選挙制度に対する基本的姿勢を如実に示す一例として看過することはで
きない。
(七) 選挙制度審議会による較差「一対二」の配分基準の提示は、それが政治学
者、ジャーナリスト等を中心とした第三者機関の慎重審議の結果、捻出されたもの
である点で(事実、会議では、議員の配当について、人口偏差が出て来るのはやむ
を得ないとしても、人口以外の要素を配当要素とすることは、現行公選法別表の規
定からも賛成できず、憲法上の疑義がある、とする意見が有力であった)、それな
りの評価をすることができるとしても、右以降の、この枠組を恣意的に乱用拡大
し、制度上にまでこれを定着させようとした国会の裁量については、それがわが国
伝来の衆議院議員選挙制度における一人一票、一票一価の輝かしい理想を損ない、
制度上からこれを消滅せしめたという意味で、原告は心からなる痛恨と憤りを禁じ
得ない。選挙制度を決定するものが憲法の委任による国会の裁量であったとして
も、事後の裁量は、本来、永年にわたり伝統的に国民の間で慣行化し、憲法の理念
にもかなった立法者の意思(根本規範)までをも逸脱することはできず、立法者の
命ずる投票価値平等の枠内でこそ選挙制度の取捨選択を考えなければならない。
非人口的要素への考慮を理由として、本来、「一対一」であった原則を「一対三」
にまで攪拌し拡散した国会、そして、この国会をリードするところの政権政党の真
意が、一体、奈辺に存するのかを、われわれは確知しなければならないのである。
(八) 国会は力の府であるから、選挙制度を決定する要因は政治力学に由来する
ところが大である。一党一派においては、なおさらである。
原告はすでに、第一準備書面、第二、(二)において、わが国の選挙制度における
政党の議席占有率と得票率の大巾な不一致を指摘したが、甲第一二号証一一九ペー
ジ、甲第一〇号証四五ページ、甲第一三号証ニないし五ページ、および、本件選挙
に関する新聞発表等による戦後衆議院選挙における政党別得票率と議席率の一覧表
を一瞥すれば、この両者間にかなりのギャップが存在することが明らかであり、こ
のギャップが大政党ほど有利に、小政党ほど不利に作用しているという事実が一目
瞭然である。
たとえば、保守合同以来の第二八回総選挙から直近の第三九回総選挙にいたる、政
府与党と野党第一党の右数値の比較をみれば判るように、現在までの約三〇年余に
おいて、政権政党は常に議席率が得票率を三・一ないし一一・六バーセント程度凌
駕し、その平均偏差率は約六・八パーセントプラスである。
また、野党第一党も、第三二回と第三八回を除けば、微差ではあるがやはり議席率
が得票率を上廻り、その平均偏差率は約一・五パーセントプラスである。
一 覧表仁よれば、その他の中小政党は例外なく議席率が得票率を数パーセント下
廻り、わが国の選挙制度における代表機能の構造的不均衡現象がまことに顕著であ
る、といえよう。
このような現象はいうまでもなく、大政党(ことに政権政党)が過大代表の過疎地
区においてより強く、中小政党は過小代表の都市部においてより多くを依存してい
るためであるが、以上の事実を要約すれば、大政党はこのような代議制度の構造的
病理現象を利用した選挙制度によって、まず治者と被治者との政治的同一性の原理
をゆがめ、民主政治の根幹である多数決原理(多数が多数を、少数が少数を構成す
る)を侵犯しておきながら、ひとたび議会において多数を制すれば、今度は一転し
て数による多数決原理を全面的に駆使し、自己保有をはかることができる、という
病理的政治構造が理解される。
国会が、なかんづく、これをリードするところの政権政党らが、なんら歴史的理論
的に根拠をもたない較差「一対三」の基準に固執する理由は、現行の較差三倍を許
容した選挙制度が、結局、彼らにとって政畧的な利益をもたらすからである。
しかしながら、選挙制度は、選ばれる者よりも選ぶ者のための制度であり、もとよ
り一党一派のものではないのであるから、現行の法規が国民の平等権を不当に侵害
し代議政治における弊害を露呈しているような状況に立ちいたっているならば、司
法裁判所は「悪い議員配分は、立法的な医薬によっては治らない」という歴史的経
験に徴し、自らの違憲立法審査権を行使されて、広く警世の辞を内外に下されるこ
とが切望されるのである。
第一三、以上の要約
(一) さて、明治、大正、昭和三代にわたるわが国の衆議院議員選挙法の歴史を
通覧して来て、今、いい得ることは、選挙法は改正を受けることの多い技術的法制
であるという明治の立法者の予断にもかかわらず、制度それ自らの中に、容易に改
正され得る軟性的部分と改正することが極めて困難な硬性的部分とが存在した、と
いう事実である。
たとえば、議員定数などをみれば、明治二二年の三〇〇から同三三年の三六九、同
三五年の三八一、大正八年の四六四、同一四年以降の四六六にいたるまで、選挙権
の拡大傾向とともに増加の一途をたどっており、また、選挙区制なども、明治二二
年の原則小選挙区、同三三年の大選挙区と独立選挙区の併用、大正八年の小選挙区
と独立選挙区の併用、同一四年の中選挙区、昭和二〇年の大選挙区、同二二年、二
五年の中選挙区と、文字どおり政争の具として選挙法改正の都度、振子的変遷を繰
り返しており、さらにまた、投票方法をみても、明治二二年の単記、完全連記記
名、同三三年から大正一四年にいたる単記無記名、昭和二〇年の制限連記無記名、
同二二年、二五年の単記無記名と、まことに目まぐるしい変動を経験して来たので
あるが、唯一、議員定数配分の基準だけは、明治三三年から大正一四年までの都市
における独立選挙区の例外を除けば、常に人口比例配分方式という原理にもとづ
き、戦前にあっては人口約一二、三万人について議員一人、戦後にあっては人口約
一五万人について議員一人という割合で、時代とか政治情勢の有為転変にもかかわ
らず、また、なんらの根本的改正を加えられることもなく配分されて来た、という
歴史的経過が明らかである。しかも、この歴史的伝統は、実に明治二二年から昭和
三九年までの間の七五年間にもわたり一さらに、これが現在まで百年間にもわたる
法的有効性をもつことは前述した)広く国民の信認の下に維持されて来たのであっ
て、まさに衆議院議員選挙法における国民的慣習にさえなっていた、ということが
できる。
(二) 思うに、明治憲法の編纂作業にあたり多大の貢献をはたしたといわれるN
は、元来、選挙法を憲法注典中に編入すべし、という意見の持主であった。
すなわち、彼は「(選挙法の)規定を法律に委ねるときには、議会がこの改正を提
案する権利を有つ。宜しく各国の先例に倣うて選挙法の主要綱目は凡て憲法中に掲
記すべきである。元来選挙に関する権利は憲法上の権利にして世人が価値を憲法に
置く所以は即ち其の内に載する条款の尊貴なるが故である。苦し之れを他の法律に
委ねるときには、幾分その価値を減ぜざるを得ない」(甲第三三号証、河村又介・
国家学会雑誌第五六巻第一二号「明治時代に於ける選挙法の理論及び制度の発達」
(二)四〇ページ以下、なお、甲第一八号証二〇二ぺージ以下)と述べているが、
この意味からすれば、わが選挙法における衆議院議員配分についての人口比例配分
方式こそは、法条になんら明文化されてもいないのに他人から不磨の規範としての
価値をおかれ、あたかも憲法上の権利であるかのように尊重されて来た、まことに
稀有な法律事象であった、ということができる。
その理由は何か。それはこの方式に内在するところの平等原理の故である、と原告
は信ずる。
天皇を統治権の総攬者とする明治憲法の下にあってさえ、明治二二年(一八八九
年)の衆議院議員選挙法は、沿革的に当時の欧米諸国における立憲君主制の人民代
表法的伝統に影響を受け、また、明治憲法自身も、その第一九条で、「日本臣民ハ
法律命令ノ定ムル所ノ資格二応シ均ク文武官二任セラレ及其ノ他ノ公務二就クコト
ヲ得」と規定して、臣民が「均ク」公務に就く能力をみとめ、参政権の原則的平等
を保障していた(宮沢俊義・有斐閣法律学全集「憲法II」新版二六五ページ以
下)。それ以外に法の下の平等条項をもたなかった明治憲法が、このように参政権
の平等を公的に保障していたということは、その平等がたとえ法律の留保を伴った
不完全なものであったとしても、その当時としてはなお特筆に値することである。
大正一四年の普選制度実施後は、わが国の選挙制度における平等主義と人口代表主
義は、わが国法の原理として広く憲法慣習を形成するまでになったのであるが、
今、その事実の推移を普選制度実施の前後に分けて、憲法学者の記述から考察して
みないと思う。
「我カ選擧法ハ人口十三萬毎二一人ヲ選出スルヲ、大體ノ標準ト爲シ、行政區厘劃
二依リ、一郡乃至二三郡、又ハ市ノ一區又ハ二三區ヲ一選擧區トシ市及島嶼ハ人口
十三萬二瞞タサルモ、一律二之ヲ選擧區ト爲セリ、其ノ區分ハ頗ル有心故造的ニシ
テ、殊二多数ノ區ハ一區一人ヲ出タスモノト爲セルモ、二人又ハ三人ヲ出タスノ區
アリ、結果ノ甚夕不公平ナルヲ免カレス、市ノ人口三四萬ニシテ獨立選擧區タル
ハ、商工業ノ利益ヲ代表セシメシトスルニ在リト云フヲ理出トスルモ、殆冫ト無用
ノ差別ヲ爲セルモノナリト評セサルへ力ラス。
人口數ヲ以テ選擧區區分ノ標準トスルノ外ナキモ、人口ハ時ト共二移動シテ止ムコ
トナキカ故二、年所ヲ經ルト共二、著シキ不公平ヲ生スルコトアリ、殊二近來人口
ノ都市二集中スルノ勢甚タシク、其ノ傾向顯著ナルモノアリ、然レトモ、選畢毎二
選擧區ノ區分ヲ定ムルモノトスレハ、實際二適切ナルヲ得ヘキモ、政府又ハ多數政
黨ノ其ノ間二細エヲ爲スノ虞アリ、故二之ヲ餘リ長カラサル年限間改正セサルモノ
トスル必要アリ、選擧法ハ選擧區ノ區分ハ十年間之ヲ更正セサルモノト定メタ
リ。」(上杉愼吉・有斐閣「憲法述義」大正一三年版、第三編 正體、第八章 帝
國議會、第六節 衆議院ノ組織、三九〇ページ以下)
「●平等選擧主義 平等選擧ハ以テ差等選擧に對ス。前者ハ總テノ選擧人ガ平等ノ
權利ヲ有スルコトヲ主義ト爲スモノニシテ、後者ハ選擧人中二納税額、職業、閲歴
等二基キ權利ノ差等ヲ附スルモノナリ、複数投票法、納税額ニ基ク等級選擧法、職
業別選擧法等之二屬ス。我ガ國法ハ平等選擧制ヲ取ル、.差等選擧ノ制ハ假令選擧
權ニ財産資格ヲ要件ト爲サズトスルモ、尚眞ノ意義二於テノ普通選擧制二非ズシテ
一種ノ制限選擧二外ナラズ。眞ノ意義ニ於テノ普通選擧ハ専ラ平等普通選擧ヲ意味
ス。
●人口代表主義 人口代表ハ以テ利益代表、階級代表又ハ政黨代表等ノ主義ニ對
ス.特種ノ利益ヲ有スル團體、特殊ノ階級又ハ政黨ヲ以テ議員ヲ選出スベキ單位ト
爲サズシテ、此等ニハ關係ナク、一般國民中ヨリ専ラ人口ノ多少二比例シテ議員ヲ
選出セシムルモノヲ謂フ。我ガ國法ハ原則トシテ人口代表主義ヲ取ル。
即チ略定數ノ人口二應ジ各一人ノ議員ヲ選出セシムルコトヲ主義トシ、選擧ノ單位
タル地域ヲ區劃シテ之ヲ選擧區ト謂ヒ、各選擧區ノ人口ニ比例シテ其選出スベキ議
員定數ヲ定ム。」(美濃部達吉・有斐閣「憲法撮要」大正一五年版、第五章 帝國
議會、第四節 衆議院ノ組織、三三三ぺージ以下)
このように、人口代表主義は当初、選挙法上の制度として誕生したが、明治憲法第
一九条が参政権能力の平等を「均ク」という文言によって規制していたために、衆
議院議員選出の基礎としての別表作成にあたっては、特殊の利益関係等によらず形
式的人口平等基準のみにもとづいて選挙区に議員を配分することが、憲法の真意に
合致するものと考えられ、それ故にこそ、この変更はいわば一の禁忌であるとして
政治権力もこれを侵すことをせず、その結果、人口比例配分方式が憲法的要請の下
に永年の生命を保持し得た、という沿革が理解される。
(三) 次に、日本国憲法成立の前後における人口比例配分方式の憲法的位置づけ
を論ずるならば、まず、終戦直後の内閣が、一一月一日に人口調査を実施して選挙
法別表の改正作業に着手したこと、「衆議院議員選挙制度改正要綱」の冒頭に、選
挙権・被選挙権年齢の引下げ、婦人参政権の賦与、大選挙区制の採用とともに、各
選挙区の定数を昭和二〇年一一月一日現在の調査人口を基本にして定める旨決定し
たこと、また、衆議院も、「衆議院議員選挙法改正要綱」により、議員定数の不
変、大選挙区制の原則的採用とともに、人口移動に対応した定員配当を議決したこ
と、そして、これら政府議会の活動の賜物として、二〇年法が伝統的人口比例配分
方式による議員配分の別表を基本とした民主的選挙法に結実した、という事情が明
らかである。さらに、二二年法においても、別表が大正一四年法以来の人口比例配
分方式の慣習性を踏襲したことが明らかである(この方式が憲法的慣習性ないし習
律性をもっている点については、後に詳述する)。
さて、この選挙法の戦後史における変遷の中で特に銘記すべきことは、まず二〇年
法改正の段階では、日本国憲法制定の審議がはじまる前に、すでに日本側が自主的
に人口比例配分方式等をはじめとする重要事項を骨格とした立法作業を完成し、次
いで日本国憲法を制定するにあたっては、その条項中に、二〇年法の重要事項であ
った選挙権年齢を成年とする規定や婦人に参政権を賦与する規定などを明文化した
が(一五条三項、一四条一項、四四条)、多年、選挙法の歴史において有為転変の
変動を繰り返した議員定数や選挙区、投票方法その他の国会議員選挙に関する事項
は憲法事項としては明定せず、法律事項として法律に委任した、という事実である
(四三条二項、四七条)。
このように、選挙区や投票の方法等は、昭和二一年一一月三日に公布された憲法に
おいては法律事項に位置づけられたために、同二二年の選挙法改正では早々と、二
〇年法の大選挙区から中選挙区へ、また、制限連記制から単記制へと変更された。
しかし、このときの選挙法改正の審議にあっては、憲法事項に明定された成年者に
よる普通選挙制や婦人参政権の問題などはもはや既成事実としての扱いを受けてな
んら論議の対象とはならず、同様に、人口比例配分方式にもとづいて議員を選挙区
に配分する別表の定めについても、その一層の平等化促進論議が交わされこそす
れ、この伝統的方式それ自体に対する疑惑ないし批判の類いは、なんら問題とされ
ることもなく、すでに既定の確認済みの制度である、として処遇された。
さてそれでは、この衆議院議員選挙法における人口動態に対応した定数配分の原理
(判例の表現をかりるならば、投票の価値の徹底的平等の原理)は、日本国憲法に
おいて、はたして何条に位置づけられるべきであろうか。原告は、一四条の平等保
障条項と四四条の国会議員選挙における差別禁止条項にこれを問疑すべきもの、と
考える。
何故ならば、ポツダム宣言の受諾によって日本の国家体制は天皇主権から国民主権
へと転換し、日本は宣言の各条項を忠実に履行して、徹底的な自由主義、民主主
義、ならび.に基本的人権尊重主義への方向に向かうことが義務づけられ、まず何
を措いても、「日本国国民ノ自由二表明セル意思二従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任ア
ル政府」を樹立するための国会議員の選挙法をポツダム宣言が標傍する要求に合致
させるように改正することこそが国家の先決事項とされたのであったが、従来のわ
が国の選挙制度における諸原則の中で、右の要求に沿い得るものとしては、まず第
一に、衆議院議員の選出にさいして人口比例配分方式という平等原理を採用してい
たことであり、第二には、男子のみの片手落ちの制度ではあったが、一応、諸国の
例に倣い普通選挙と無記名の秘密投票という制度を維持していたことであった。い
うまでもなく、それまでのわが国における選挙権・被選挙権年齢の高さと婦人に対
する参政権の差別は、連合国側から当然、改正を厳命される運命にあったものと予
測され、これかために、日本側は、二〇年法の改正にさいしては、「司令部から何
をいってくるかわからないので、いわれないききに」(甲第二〇号証二四ページ)
これらの諸規定を新設するとともに、従来の平等と自由の原理にもとづく入口比例
配分方式らの諸規範はそのままこれを確認する選挙制度を設置したのであった。
そうして、この基本的姿勢は日本国憲法の制定経過におけるもなんら本質的に変わ
るところはなく、むしろより徹底的に、これらの平等主義と自由主義の根底をなす
歴史的条項は特に重要な取り扱いを受け、容易に改正を許さない硬性的性格をもつ
憲法事項として明文化され、制度的に保障されるにいたった。
しかしながら、他方、選挙区や投票の方法(ただし、投票の秘密だけは、選挙法に
おける自由と公正の要請から、特に憲法事項とされたが)などの選挙法中の技術法
的部分については、従来のわが国における制度的変遷の過程を斟酌し、また、国情
と時勢に応じた民選議会による自主的判断をも尊重して、将来比較的容易に改正さ
れることもあり得る軟性的性質をもつものとして法律委任事項に位置づけられた。
法律文言は、およそその文言の拠って立つ歴史的事実との関連において、合理的に
解釈されるべきものである。そして、このことは日本国憲法制定の経緯について
も、変わりはない。このような意味からすれば、多年、わが国の選挙制度において
堅持されて来た人口比例配分方式という衆議院議員の配分基準は、単に歴史的事情
において憲法慣習となっていたというばかりでなく、ポツダム宣言受諾から日本国
憲法制定にいたる戦後のわが国の民主的基盤づくりの吟味の過程においても、連合
国側の標傍する自由主義と民主主義の原理に合致し、選挙制度における平等権を積
極的に実効化して来たところの規範であったのであり、二〇年法、あるいは日本国
憲法によって創設された選挙権年齢の引き下げや婦人参政権の賦与と同じく、いや
むしろ伝統的にはそれ以上の重みをもって、選挙権の平等化に寄与すべく憲法の制
度的保障を享けたもの、と解すべきである。
選挙人を質的にも量的にも差別することのないこの平等原理は、いわば誇るべき国
民的遺産として、わが憲法が平等保障条項の上に明定したものである。それは選挙
区や投票の方法などのように、四七条によって概括的に法律に委任されるべき事項
ではない。国会は四七条により選挙法の別表を作成するにあたっては、憲法上の人
口比例配分原理を変更してはならず、ただこれを具体化し、ないしは補完すること
が許されるだけである。国会の裁量権はこの範囲内に限定される。人口比例配分原
理の議員定数決定方法における関係は、投票の秘密の投票方法における関係と同様
である。
人口比例配分方式は憲法上の位置づけにおいて、このように歴史上の既定事実とし
て処遇されていたために、二二年法改正の国会審議の場においても、提案者(政府
案についてはO内相、自進修正案についてはP議員)からはなんの提案理由説明も
なされず、また、この方式の存置撤廃に対する論議もなかった。しかしながら、も
し仮に、二二年法あるいは憲法制定審議の段階において、日本側がこの人口比例配
分方式を廃して、形式的な人口平等原理以外のやり方による議員配分方式を採ろう
としたならば、GHQ筋の承認は到底得られなかったであろう。何故なら、アメリ
カ合衆国の連邦憲法第一条第二節は連邦下院について各州の人口に応じた代表配分
を定めており、彼らは州の代表でない国民代表はおよそこのような平等原理によっ
て選出するのが普遍的であると信じていたであろうと考えられ、また、事実、日本
国憲法起草の段階においても、「参議院ハ地域別又ハ職能別ニ依り選挙セラレタル
議員及内閣ガ両議院ノ議員ヨリ成ル委員会ノ決議ニ依リ任命スル議員ヲ以テ組織
ス」と定めた日本政府案(昭和二一年三月二日案)を、参議院は民選議会であると
いうことを理由に地域的職能的分子で構成することを明確に拒否したGHQの姿勢
から推しても(佐藤功・日本評論社「憲法研究入門」(下)45、参議院制度の由
来五一ページ以下)より直接的に国民と密着すべく位置づけられた衆議院において
は、人口比例配分方式以外の方法による選挙区と議員定数の決定方式を採ることは
到底不可能であった、と思われる。
(四) 昭和五一年最高裁判所大法廷判決は、「憲法一四条一項に定める法の下の
平等は、選挙権に関しては、国民はすべて政治的価値において平等であるべきであ
るとする徹底した平等化を志向するもの」であると、まずは公正な判断を下しなが
らも、他方、わが憲法は、「国会両議院の議員の選挙については、議員の定数、選
挙区、投票の方法その他選挙に関する事項は法律で定めるべきものとし(四三条二
項、四七条)、両議院の議員の各選挙制度の仕組みの具体的決定を原則として国会
の裁量にゆだねている」から、「投票価値の平等は、・・・・原則として、国会が
正当に考慮することのできる他の政策的目的ないしは理由との関連において調和的
に実現されるべきものと解さなければならない。」として、投票価値の平等を志向
する憲法原則を法律事項である立法政策の中に相対的に埋没せしめ、右判決以降の
わが国の判例はこの判断をただ踏襲して来た。
いうまでもなく、この解釈は、投票価値の徹底的平等を志向する人口比例配分原理
を、議員定数や選挙区、投票の方法、その他の選挙に関する一般的事項とパラレル
に解し、ともに国会の裁量権の対象になり得るものとし、ただ、投票価値の平等
は、精々、国会の裁量権行使のさいにおける「最も重要にして基本的な基準」であ
るにとどまる、とするものである。
しかしながら、原告がすでに述べたとおり、わが国の衆議院議員選挙法における議
員定数配分基準としての人口比例配分方式は、永年の国民的伝統を有するととも
に、明治憲法時代においても日本国憲法時代においても、ともにその時代の要請の
下に憲法慣習としての評価を享けて来たものである。それ故、この事実を一たん前
提とした以上は、これと歴史的伝統と法的評価を異にする他の選挙に関する一般的
事項とを同列に論ずることは、方法論的に誤りを犯すことになろう。わが国の選挙
制度における右方式の法的な位置づけを審判の対象としていなかった段階での判示
であるならばともかく、これの評価を判断の資料に加えた以上は、しかるべく判例
は変更せられるべきである。
裁判所は、わが国の衆議院議員選挙における人口比例配分方式を憲法原則である、
と宣言されるべきである。そうして、公選法の選挙区割と議員定数の配分を決定す
るにあたっては、「最も重要かつ基本的な基準」であるこの人口比例配分方式によ
り、まず各都道府県に議員数を配分し、次いで各都道府県内の各選挙区に右議員数
を再配分するにあたっては、人口比例配分方式を基準としつつも、行政区劃その他
の非人口的要素を考慮し得ることを定めた、かの大正一四年法以降昭和二二年法に
いたる議員定数配分の原型に、立法府が立ち還ることを明示されるべきである。
このような注解釈においてこそ、従来の判例の文言、ならびに判例の意とされた趣
旨が生かされる、と原告は考えるものである。
(五) 原告は、以上の諸事実により、わが国の衆議院議員選挙法における議員定
数の配分基準としての人口比例配分方式が、わが国法上、憲法慣習の地位に位置す
ることを述べた。
ところで、本件選挙の準拠法となった昭和六一年改正法は、選挙区別議員一人あた
り人口(ないし有権者数)の最大較差を二・九九(二・九二)倍とする偏差を許容
し、本件選挙においても、なお、有権者分布差比率の最大較差は三・一八倍にも拡
大しているのであるから、人口比例配分方式という明治以来の伝統的な数理的厳格
性を、何故、こうも乖離させるにいたったのか、その理由について、国は挙証する
責任がある。
すでに縷々述べたように、昭和三九年法から本件昭和六一年改正法にいたる間の、
国会の立法裁量による選挙区別人口較差の拡大は、憲法慣習を改正するなんらの正
当性ないし正統性もなく、ただいたずらに、無原則無限定になされたものというほ
かはないが、何故、これほどまでに国会の裁量権が恣意を極めるようになったの
か、原告は、その原因について、さしあたり以下の諸点だけを指摘しておきたいと
思う。
そのまず第一は、昭和二五年の公選法制定当時からの一般的現象となっていたこと
であるが、明治憲法下では選挙立法においては院外の政府ないし官僚勢力がもっと
も強い支配力をもっていたが、日本国憲法施行の後は、国会が国権の最高機関にし
て国の唯一の立法機関とされた関係もあって、選挙立法においても他と同様、官僚
政治を脱皮して議会主義にもとづく院内勢力の自主立法が主体となったのである。
しかし、この立法的自治は議員の経験的立場にもとづき、ともすれば、本来、取締
られる者が取締法をつくる、という茶番ないしは矛盾を露呈し、以後の選挙立法に
おいて、「候補者のため、現職議員のため、議員の多数派のため」に法律を作ると
いう悪弊が一貫して流れることとなり、選挙制度の民主化を阻む障壁とさえなるに
いたった。つまり、主権者である国民の立場が選挙法の立法過程において脱落し、
主権者から本来、審判を受けるべき側の者が、自らに都合のよい法規制を行うとい
う体制が定着し、国民的論議なくして議員がお手盛りで山分け的に議席を配分ない
しは造出し、はては選挙制度を党勢拡張のために悪用する、という通弊を生んだ。
第二は、本件議員定数不均衡問題の主因であるが、公選法別表第一末文の更正規走
を、国法を遵守すべき国会が全く無視し、公選法制定以来、長期的なサボタージュ
をつづけたということである。現代のもっとも悪質な犯罪形態は不作為による犯
罪、つまり、正すべきことを正さない行為形態が挙げられるのであるが、国会はま
さに法治国の師表でありながら、自らの不作為によって最高規範である憲法原則を
侵すにいたった。
のみならず、わが国において従来政争の具として用いられて来た選挙区制改正の動
きは公選法制定後もとどまるところを知らず、政権政党を中心とした小選挙区制採
用への努力は反覆して繰り返され、選挙制度調査会は第二次、第五次、第七次にお
いて小選挙区制採用の答申を行い、また、選挙制度審議会もこの傾向を引き継い
で、第四次、第五次、第七次と、今度は小選挙区に比例代表制を組み合わす方式を
会の有力意見である、と報告している。これらの委員会は本来は第三者機関である
とはいうものの、このような政府寄りの姿勢は国民からの批判と不信を呼び、国会
においていまだ正規の法改正はなされていないが、小選挙区制比例代表制組み合わ
せ方式は現在の選挙制度審議会でもまたむし返されている。
このいやしくも中立的機関である第三者委員会の答申を奇貨として、国会が自らの
立法裁量の正当化をはかったのが昭和三九年の法改正である。しかし、このときの
第二次選挙制度審議会の答申は、「議員定数の不均衡の現状とその是正に関する基
本原則」として、「このような不均衡は、一日もすみやかに是正すべきが当然」で
あって、そのためには「都道府県ごとに人口に比例して議員数を配当し、各選挙区
ごとに定数の不均衡を是正すること」こそを第一に要求していたのであり、「現在
の選挙区別議員一人あたり人口の偏差三・二以上を二倍程度に引き下げる」という
案は、「さしあたり、選挙区制についての根本的な解決の行なわれるまでの是正措
置」にすぎなかったのに(甲第二五号証五ページ)、国会はこの暫定措置の答申を
もってあたかもこれを金科玉条のように、較差拡大を正当化するための口実として
利用したのであった。
第三に、昭和六一年改正法における「一対三」の較差の由来が、これらの先例ない
しは昭和五八年大法廷判決の傍論によっていることはすでに述べたが、憲法論とし
て特に問題となるのは、右傍論による判示には理論的根拠がなんら示されていな
い、ということである。
事実、六六案審議の国会で政府側担当者のL委員も「最高裁判所が二・九二が違憲
状態を脱したということの根拠がどこにあるかということを聞かれても、私にはわ
かりかねます。」(甲第三〇号証---第四号---二七ページ)と正直に答えて
いる。元々、審判の対象に対する判断とはいえない単なる傍論はあくまで傍論にす
ぎず、これをあたかも免罪符かお墨附きのように振りかざして国会審議を切り抜
け、可決された現行法は、砂上楼閣の上に屋上屋を架したものというべきで、あえ
て憲法慣習に違背したこれらの国会の一連の行為は、憲法で認められた裁量権を濫
用ないしは逸脱し、裁量権の合理的行使としては到底是認され得ないものである。
大略、以上のような意味からすれば、わが国の公選法別表第一における衆議院議員
の定数配分規定は、同法制定後間もなく、選挙区別人口較差拡大の廉で違憲状態に
陥り、実に三十有余年にもわたって抜本的な是正はなんら行われず、わずか三度
の、改正の本質に触れない程度の弥縫的な補正のみを施して現在にいたったもので
ある。現行法はこういう観点において、なんら法改正の名に値しない。したがっ
て、是正のための合理的期間を論ずるまでもない。本件におけるような長期的構造
的な選挙法の違憲状態は無効判決によって即刻除去されなければならないのであ
る。
今年は、日本における議会開設百周年の年にあたり、また、来年は日本国憲法制定
四十五周年の年である。
戦禍によって空しく散華して行った多くの同胞の人命と焦土の上に樹てられたこの
憲法の真髄は、国民主権主義と基本的人権尊重主義である。
しかしながら、残念なことにわが国の現状は憲法の理想にはほど遠く、選挙制度に
胚胎したさまざまの病理現象のために、国民は国会への代表を平等に選挙すること
を妨げられ、その結果、選挙はなんら国政を左右し決定するものではなく、単に任
期満了の儀式に堕している。
また、憲法が随所に明規をおいて最大限に尊重している参政権の平等を、実質的に
侵害している国会は、実は代表の選出と多数決という二つの民主制の機構を損って
生れたところの疑似国会というべき存在である。選挙制度に対する国民の不信を回
復する方途は、ただ、司法裁判所の英断に俟つのほかはない。
原告は、このような悲願をこめて、本件提訴に及んだのである。
(以下省略)
別紙(三)
原告準備書面(第三)
第一四、府県単位・人口比例配分方式の系譜とその検証
一 衆議院議員選挙法制定当時の議員配分方式
明治二二年衆議院議員選挙法制定当時における議員配分の方式がどのような基準で
なされたかについては、原告のすでに提出した甲第一八号証、議会制度七十年史
(資料編)(衆議院参議院作成)二一〇ページによれば、枢密院の審議録中に、
「附録に十二万人に一人の割合」という言葉が記録されており、さらに明治政史に
も、「毎府縣其人口の十二萬に付き一人の割合となしなるもの」との記述があるが
(甲第四五号証二四四一ページ)、その詳細は次のとおりである。
まず、伊東巳代治文書中の「撰擧法樞密院會議筆記」(国会図書館所蔵。甲第三四
号証)によれば、明治二一年一一月二六日、開会された第一読会は、「聖上臨御」
の下、議長Qはじめ、各大臣、副議長、顧問官、報告員、書記官等出席して行わ
れ、まず第一条の選挙区と定員の問題について、次のような審議が行われた。
「議長 會計法ノ第三讀會ハ唯今結了シタルヲ以テ之二引續キ直二選擧法ノ第一讀
會ヲ開クヘシ元來此ノ法案ニ属スルニ一編ノ附録アルヘキ筈ナレ共之ハ未夕上奏ノ
運ヒニ到ラサルヲ以テ今暫ク之ヲ配布スル能ハス其ノ附録ナルモノハ各府縣ノ選擧
區劃ヲ示スモノニシテ其ノ組織ハ行政區劃ト各地ノ人口ノ多寡トヲ標準トシテ編成
シタルモノナリ然ルニ只起草者ノ編成シタル儘ニテハ或ハ其ノ區劃ノ實際ト齟齬ス
ルコトナキヲ保シ難シ故ニ今其ノ附録ハ各府縣知事ニ照會シ之ヲ實行スルニ付地理
上差支ナキヤ否ヲ諮訓中ナリ本法ノ議事終結スルノ前各位ノ覧ニ供スルヲ得ルノ運
ヒニ到ルヘシ又選擧區劃ノコトハ至要ノ問題ナルニモ拘ハラス之ヲ別冊ニ掲ケシ所
以ノモノハ蓋シ外國モ亦此ノ例アリ一ノ簡便法ナリ」
さらに第六条の選挙人の資格については、
「十八番(R) 一市内二数選擧區ヲ設クルト云ヒ選擧區ハ行政區畫に據ルト云ヒ
又本条第二項ノ府縣内二於テ本籍ヲ定メ住居スル者ト云フ選擧の區畫甚夕錯雜ナル
カ如シ
議長 獨リ行政區畫ニ據ルト云フヘカラス成ルヘク行政區畫ニ據リ又一方ニハ人口
ノ多少ヲ標準トス而シテ選擧ノ單位ハ府縣トス府縣ヨリ選擧スル議員ノ数ヲ基礎ト
シ之ヲ其ノ府縣内ノ行政區ニ人口二據テ配當シ選擧區ヲ造ル其ノ府縣内ニ於テ本籍
ヲ定メ住居スル者ハ其ノ府縣内ノ何レカノ選擧區ニ於テ選擧區ヲ有ス然レ共本籍ヲ
定メス又ハ住居セサル者ハ之ニ預ラサルナリ」
次いで同二一年一一月二七日、開会された第二読会においては、第一条について、
「十七番(S) 衆議院ノ議員ヲ選擧スル選擧人ハ此ノ法律ノ附録ニ定メタル各府
縣ノ選擧區ニ依リ選擧セシムト修正センコトヲ望ム三十三番(T) 報告員二本案
ノ大意ヲ説明センコトヲ乞フ報告員(U) 府縣ヲ基礎トシ其ノ人口十二萬ニ付キ
議員一人ヲ出スノ割合ヲ以テ府縣議員ノ総数ヲ定メ其ノ数ヲ各郡區ニ配當シテ選擧
區ヲ作ルナリ」
また、同二一年一二月一〇日、開会された修正案二読会においては、「報告員
(U) 衆議院議員選擧法 第一章 選擧區畫 第一條 衆議院ノ議員ハ各府縣ノ
選擧區二於テ之ヲ選平セシム其ノ選擧區及各選擧區ニ於テ選擧スヘキ定員ハ此ノ法
律ノ附録ヲ以テ之ヲ定ム議長 異議ナケレハ表決ニ間ハン原案(委員修正案) ニ
同意ノ各位ハ起立ヲ請フ(全會一致)全曾一致ニ付原案(委員修正案) ニ可決シ
次條ニ移ル」
さらに重要なのは、同二一年一二月一七日の第三読会終了間際における次のような
文言である。「十五番(V) 附録二十二萬八二付一人ノ割合云々トアリ後来其人
口ニ増減ヲ生シタルトキハ如何スヘ(キ)ヤ(原文は「キ」を脱字していると思わ
れる---原告)議長 人口ハ議員ノ数ノ基礎ニアラス只立法者カ起草ノ際之ヲ目
安ニ取リタルノミ故ニ些少ノ變動ニ依テ議員ノ定員ヲ變更スルコトナシ若シ将来人
口大ヒニ増殖シ議員ノ定員トノ間ニ不權衡ヲ生セハ法律ヲ改メサルヘカラス」(甲
第三四号証、第三読会審議録末尾)。
このQ議長の答弁における「人口」とは、人口一般のことではなく、質問者の「十
二萬人」の「其人口」を受けて、人口一二万人の意と解すべきである。そうでなけ
れば、府県内の行政区と人口によって議員を配当し選挙区を造る、という同議長の
本来の発言と一致しない。
それ故、同議長の答弁の趣旨は、人口一二万人に議員一人を出すというのは選挙法
起草にあたっての一つの目安にすぎないのであるから、この人口数の些少の変動に
よって議員定員を変更することはないが、もし将来この人口と議員定員の間に不権
衡を生じたときは(つまり、一定の権衡からの乖離が生じたときは)法律を改正し
なければならない、というにある。
すなわち、議員一人について一二万人という数字自体が必ずしも問題なのではなく
(結果的には、この一二万人という数字は附録からは省かれた)、人口と議員定数
との間の一定の権衡こそが問題なのであり、この権衡を保つことこそが衆議院議員
選挙法を維持する根底である、という趣旨なのであるから、右はまさに、原告が選
挙権平等の基礎として強調して来た人口数と配分議員数との比率の平等、すなわ
ち、人口比例原則ないし一票一価の原則を、衆議院議員選挙法の立法者が明言した
ものにほかならない、というべきである。
ちなみに、伊藤博文編・帝国議会資料(上)によれは、選挙法草案に対するN氏意
見は、第四条について人口と議員数との不権衡の事実を批判し、「獨逸選擧法ノ如
ク各選擧區ハ可成法律ニ定メタル選擧人又ハ人口ノ員數ニ依り之ヲ編制スベキモノ
ト記載スルヲ必要トス」としているが、これは人口と議員数との権衡が当時の選挙
法の一般原則であったことを物語るものである(甲第五九号証二六ページ以下)。
衆議院議員選挙法の立法者がこれらの意見の影響を受けて、下院議員選挙における
人口と議員数との権衡を原則とした当時の欧米諸国の例を参考とし、この原則をも
って議員配分の基礎と考えていたことは明らかである(同号証四五八、四五九ペー
ジ。甲第六一号証四九三、四九四、五八二、五八三ページ)。このように、わが国
の衆議院議員選挙法における議員配分の基準が、議員は広く国民を代表するとの理
由から人口によることを公的に明定したのは、衆議院議員選挙法を審議した明治二
一年の枢密院会議であったが、しかしながら、この人口代表主義の源流は、はるか
明治初年の国会議員規則や元老院日本国憲案等にまでも遡るものであり、また、明
治憲法、衆議院議員選挙法の制定に関与した外国人法律顧問や立法関係者のみなら
ず、新聞、学説等も、下院は人民全体を代表するという論説を広く世に普及させ、
人口代表主義の法制化に預って力があった(甲第六八号証ないし同第七一号証)。
さらに、明治憲法第一九条の起草過程における法の下の平等論議をみでも、当時の
立法者の平等意識の一端が窺われる(甲第七三号証別表)。
さて、このような経過を経て、人口比例原則は、選挙法枢密院会議の第一読会から
第三読会にいたるまで、明治憲法における統治権の総攬者であった「聖上臨御」の
場で審議され、明定された。以後のいかなる政治権力といえども、この衆議院議員
選挙法の人口比例原則ないしは一票一価の原理を侵犯することを避けたのは、こう
いう立法の成立経緯に由来するものであろう、と考えられる。
また、甲第四五号証、明治政史(二四四〇ページ以下)においても、当時の内務省
縣治局長Wの調査記録として、「毎府縣其人口の十二萬に付き一人の割合となしな
るものなるが・・・各撰擧區の人口は互に多少の差違あり又府懸別各區平均の人口
を彼此比較するときは是亦多少の差違あるを免れず」、その結果、明治二一年一二
月三一日付内務省調成の最近の戸口調べに係わる甲表(二四五六ページ)によれ
ば、議員一人あたり平均人口のもっとも多い山梨の一四万八、三九四人とこれのも
っとも少ない長崎の一〇万七、四八六人との較差が、一・三八倍であったことが裏
づけられている。)しかし、この程度の較差は、結局は行政区画の境界が「恰も十
二萬の箇所に杓子定規にて新線を劃し得へきものにあらさるを以て」(二四四一ペ
ージ)生じたところの誤差であり、議員配分の原則があくまでも人口一二万人につ
いて議員一人の割合であったことは明らかである(ただし、この当初の数字は、結
果的には全国人口三、九三八万二、二〇〇人を議員三〇〇人で割り、議員一人につ
いて人口一三万一、二七四人となった)。
(二) 以後の各改正法における人口比例原則の実施状況
明治二二年法以降における各改正法の議員配分基準は、甲第三九号証の議会制度七
十年史(資料編)二〇一、二〇二ページ、および甲第五八号証六二ページの各一覧
表において明らかである。いずれも一定の人口割合に応じて議員一人を配分し、衆
議院議員選挙法制定当時の立法者の意図した人口比例原則が堅持されている。
たとえば、明治三三年改正法審議においでは、貴衆両院間に紛糾が生じ、結局、両
院協議会の成案が改正法としで可決されたのであったが(甲第三九号証二二一ペー
ジ、甲第四六号証二九九ページ以下)、このさいの提案理由説明はX両院協議会議
長によって「折合上、郡市通ジテ十三万ト云フコトニ議ガ纒リマシタノデアル」旨
を基調とした詳細な選挙区別の人口論議が報告されている(甲第四七号証七〇五ペ
ージ以下)。
これを要するに、わが国の衆議院議員選挙法における選挙区に対する議員定数配分
については、明治二二年法以来昭和二二年法にいたるまで一貫して、各法の第一条
において、附録または別表によりこれを定めるものとされ(甲第四八号証ないし甲
第五四号証)、その附録または別表における議員一人宛の具体的人口数は、各法の
提案責任者が議会においてこれを明らかにし、法的に明定する、という方式が採ら
れて来た。すなわち、明治二二年選挙法の第一章 選挙区画 第一条の「衆議院ノ
議員ハ各府県ノ選挙区二於テ之ヲ選挙セシム其ノ選挙区及各選挙区二於テ選挙スヘ
キ定員ハ此ノ法律ノ附録ヲ以テ之ヲ定ム」という規定は、昭和二二年改正法までの
伝統的規定となり、各法の改正時点で、各選挙区の区割、議員定数は、それぞれの
附録ないし別表において明定され、議員一人宛の具体的人口数を明示した内務大臣
らの提案理由説明とともに、それらは、法的拘束力をもった明確な配分力法としで
固定された。また、昭和二五年に制定された現行公選法においてに、議員配分の規
定こそ第一三条に移行したものの(甲第五五号証)、その別表自体は同二二年法の
別表の定めをそのまま維持したため、結局、人口比例配分方式は、明冶二二年から
昭和三九年まで実に七五年間にわたって継続し、のみならず、それ以後の昭和三九
年、同五〇年、同六一年の三度の法改正においても、偏差是正方式によって修正さ
れなかった配分表の大部分では右方式の法的有効性がそのまま保持されるにいたっ
たのである(なお、明治三三年法から大正八年法までの市部の独立選挙区の意義に
ついて後述する。また、昭和二〇年法の完全普選実施までは、選挙権の数的不平等
が存在し、それまでの時代における一票一価の原理は、一定の選挙権を与えられた
者の中だけの一票一価ではあったが、それはこの原理の法的支配の領域が狭かった
ことを意味するだけで、原理自体の有効性と存続性を否定することにはならな
い)。
以下、右に述べた根拠を左に列挙しよう。
すなわち、附録または別表については、
附録 -------甲第四八号証、
二一、三六ページ以下
別表 -------甲第四九号証、一九四、二一〇ページ以下
同  -------甲第五〇号証、五五ページ
同  -------甲第五一号証、九〇ページ以下
同  -------甲第五二号証、一、一一ページ以下
同  -------甲第五三号証、三ページ以下
同  -------甲第五四号証、一一八ページ以下
別表第一 -----甲第五五号証、二五、五四ページ以下
また、各法の提案責任者の提案理由説明については、
明治二二年法  於 枢密院          甲第一八号証
Q議長          二一〇ページ
「府縣内ノ行政區ニ人口ニ   甲第三四号証
據テ配當」          第一、第二読会
U報告員          甲第四五号証
「府縣ヲ基礎トシ其ノ人口   二二四一ページ
十二萬二付キ議員一人ヲ出   甲第六〇号証
スノ割合」          一一二九ページ
明治三三年法  於 帝国議会(以下、同じ)  甲第一五号証
X両院協議会議長        三二ページ
「郡市通ジテ十三万ト云フ   甲第二五号証
コトニ議ガ纒リマシタ」    三四三ページ
甲第四七号証
七〇六ページ
大正八年法   Y内相           甲第一五号証
「人口十三万ニ対シテ議員    三二ページ
一人ノ割合」         甲第一八号証
二三七ページ
甲第二五号証
三四四ページ
甲第六二号証
二五二ページ
大正一四年法  Z内相           甲第一一号証
「各府縣ニ付テ人口十二万   二一八ページ
人ニ付キ議員一人ヲ配當ス   甲第一五号証
ルノ割合」           三二ページ
甲第一八号証
二四九ページ
甲第二五号証
三四四ページ
甲第六三号証
三五六ページ
昭和二〇年法  P1内相           甲第一一号証
「十五萬五千五百六十人ニ   二一九ページ
付キ議員一人ヲ配當スルコ   甲第一八号証
トト致シ」           二八〇ページ
甲第二〇号証
三三ページ
甲第二五号証
三四五ページ
甲第六四号証
六五ぺージ
昭和二二年法  H委員長          甲第一一号証
「大體人口十五萬を基準と   二一九ページ
して、
按分比例により決定   甲第一八号証
された數字」         二九四ベーシ
P議員           甲第二〇号証
「まず第一に人口というも   一二一ページ
のを考慮」          甲第二二号証
五二八ページ
五三一ページ
(人口比例配分方式の一覧表)          甲第一五号証
二七ページ
甲第三九号証
二〇一ページ
二〇二ページ
甲第五八号証
六二ページ
六三ページ
(三) 検証
明治二二年衆議院議員選挙法以降の各改正法にあける(都)道府県間人口の最大較
差の推移を、各改正法直後の総選挙人口により検証した結果は、大凡、次のような
ものである(別表六ないし一一、。なお、各選挙区間の人口較差ではなく都道府県
間の人口較差を採った理由は、明治三三年法以降大正八年法の大選挙区または小選
挙区と独立選挙区とはその発生原因を異にし、比較の対象としては適当でなかった
ためと、そもそも人口比例配分方式は、都道府県への第一次配分においてより重要
な意味をもっていたことを考慮したためである)。
        (法の年度)   (議員定数)  (人口数)
別表六、    明治二二年法  甲第一七号証一一ページ  同一三ページ
別表七、    明治三五年法  同一一ページ       同一六ページ
なお、甲第一五号証の三〇、三一ページによれば、第七回総選挙は、定数三八一の
うち、北海道(一部)沖縄未施行を除いた三七六の暫定定数で施行されているの
で、これらの選挙区の数値を対象とすることはできない。
別表八、 大正八年法   同一二ページ       同一九ページ
別表九、 大正一四年法  同一二ページ       同二〇ページ
別表一〇、昭和二〇年法  同一二ページ       同二四ページ
別表一一、昭和三九年法  甲第二六号証三四二、   同 上
三四三ページ
甲第三七号証六七九ページ
六〇〇ページ
以上の記載に、具体的数字を当てはめてみると、次のような結果となる。
明治二二年法  長崎対宮城  一対一・四〇
明治三三年法   この改正法にもとづく選挙はなかった。
明治三五年法  香川対大分  一対一・四三
甲第一五号証三〇、三一ページによれば、第七回総選挙は定数三八一のうち北海道
の三人と沖縄の二人の計五人を省いて施行されているため、北海道の数値を採るの
は適当でない。
大正八年法  三重対京都 一対一・五〇
大正一四年法  沖縄対東京  一対一・四〇
昭和二〇年法  鹿児島対山梨  一対一・二〇
昭和二二年法  鳥取対福井  一対一・二五
昭和二五年法    同右
昭和三九年法  鳥取対東京  一対一・六六
(兵庫五区対愛知一区) 一対二・一九
これ以降は都道府県別人口較差は問題とされず、ひたすら選挙区間の最大較差だけ
を端切りにする弥縫策が採られた。なお、これ以降の数値については、甲第六七号
証の一、参照。
昭和五〇年法 (兵庫五区対東京七区)   一対二・九二
昭和六一年法 (長野三区対神奈川四区)  一対二・九九
次に、人口比例配分方式がほぼ原則的な適用をみた大正一明年注と昭和二二年注に
おける人口較差を検証した結果が、別表九の二および三、ならびに別表五の二およ
び三である(大正一四年法の数値は、甲第五六号証の一、二、臨時国勢調査局作成
の国勢調査速報によっている。右法の確定値は、甲第五七号証、内閣統計局作成の
国勢調査記述編であるが、帝国図書館=現国会図書館=和漢書書名目録中の同局編
大正九年国勢調査報告、府県の部の巻が約三分の一欠落しているため、やむを得ず
速報値によった。しかし、右の各号証を対比しても、全国人口の差異は、約五、五
九六万人中、わずかに一、九一三人であり、小数点五位以下の誤差であるので、最
大較差には全く影響はない。また、昭和二二年法の数値は、甲第二六号証三五八、
三五九ページの一覧表によった)。
さて、これらによれば、右法における人口較差は以下のとおりである。
(都)道府県別     選挙区別
大正一四年法   島対宮崎  佐賀一区対秋田二区
一対一・一七     一 対 一・四八
昭和二三年法  鳥取対福井   愛媛一区対鹿児島二区
一対 一・二五     一 対 一・五一
なお、その後の調査により、大正一四年法における道府県別、選挙区別の最大較差
を、内閣統計局編・大正九年国勢調査報告、府県の部の確定値によって検証した結
果は左のとおりであることが判明し(総理府所属統計図書館調べ)、結論的には速
報値による較差と変わるところはなかった。
道府県別 徳島対宮崎 一 対 一・一七
(総人口 六七〇、二一二・÷六)対(六五一、〇九七÷五)
(議員一人あたり人口 一一一、七〇二)対(一三〇、二一九)
選挙区別  佐賀一区 対 秋田二区  一 対 一・四八
(総人口 二八七、五九八÷三)対(四二六、五〇六÷三)
(議員一人あたり人口  九五、八六六)対(一四二、一六九)
また、昭和二五年公選法施行後の各選挙における人口較差を検証したのが別表一二
ないし一七である(これら一覧表の数値の根拠は、甲第一七号証によっている。な
お、別表一五、一六の数値については同号証三〇ページ備考欄の記載を、また、別
表一七の数値については同号証三二ページ備考欄の記載を、それぞれ援用する)
が、これらをみれば、国会が公選法別表第一末文の更正規定を履行しなかった結果
が実に冷厳な較差の拡大となって現われており、第三〇回総選挙の段階において
は、都道府県別においてさえ、すでに二・五六倍もの較差を露呈していたのであ
り、現代にいたる投票価値の不平等の原因はひとえにわが国の憲法慣習を無視した
国会の怠慢に起因していた、という事実が明らかである。
(四) 人口比例配分方式における独立選挙区の独自性
原告は、前回の第二準備書面末尾、二四一ページにおいて、「明治三三年法、大正
八年法の市部の独立選挙区の設置は、市部郡部間の一議員あたりの有権者較差の不
平等を均等化する働きをしたものであった」と述べたが、その独立選挙区の人口比
例配分方式に対する独自性は、大略、次のようなものである。
(1) 市部の独立選挙区を新設した明治三三年法審議のさいのX両院協議会議長
の報告によっても明らかなように「此度ノ選擧法ノ意思ハ、實業家ヲ代表セシムル
コト」(甲第四七号証七〇五ページ以下)であり、議会に都市的分子を導入するた
め、特に一市部の代表権を政策的に高めるというような方策がとられた」(甲第二
五号証三四三ページ)のであって、それ故にこそ、一般原則である人口比例配分方
式に対して「独立選擧區」と命名されたという歴史的経緯があること(甲第六二号
証二五二ページのY内相の提案理由説明、甲第六五号証一六六ページ、甲第六六号
証三〇ページ)。
(2) しかし、選挙区総数に対する独立選挙区数の割合と議員総数に対する独立
選挙区の議員数の割合が以下のように比較的小さく、
人口比例配分方式の原則をゆるがすまでにはいたらなかったこと。
独立区   選挙区  独立区  議員総数 議員数の割合
総数   議員数
明治三三年法 42市  97区  61人  369人   17%
甲第四九号証別表、甲第三九号証二二一、二二三ページ、
甲第四七号証七〇六ページ、甲第六五号証一七四ページ
明治三五年法 59区 109区  79人  381人   21%
53市、3島
3区含む
甲第五〇号証別表、甲第一〇号証四七ページ、
甲第六六号証二〇四ページ
大正八年法  81区 374区 116人  464人   25%
甲第五一号証別表、甲第一〇号証四七ページ、
甲第六二号証二五二ページ
(3) 市部の独立選挙区が一般原則である人口比例配分方式に対して独自性をも
っていたという意味は、人口三万人以上の市部は議員一人を選出し得たのに、郡部
は人口一三万人につき議員一人の割合でしか選出できなかったという、単に人口比
の形式的不平等の意味においてである。むしろ、議員の選出事情という実質的意味
からすれば、明治三三年法以降の独立選挙区の設置は、市部と郡部間の一議員あた
りの有権者較差の不平等を均等化する働きをしたものとして評価しなければならな
い。
すなわち、明治ニ二年法における選挙権の賦与は、地租に有利な直接国税一五円以
上の納入者に限られていたため、同二三年の統計によるも、人口数に対する有権者
比率は農村部で高く、都市部では低く(甲第六六号証二五ページ)、その上、明治
二〇年代の都市は人口一二、三万の選挙区で過半数を占めるものが極めて稀であ
り、必然的に都市の有権者は過半数を占める農村部を有権者に圧倒されて自らの代
表を選出することが難しく、その結果、初期の議会は当然のこととして地主層を基
盤とした農村議会、地主議会の様相を露呈していた。たとえば、第一回総選挙にお
ける当選者の職業別分類によれば、都市関係者は、農業の一二九人に対して、商業
一九、工業二、鉱業一、銀行業四、会社員七の三三人(定員三〇〇人の一一パーセ
ント)程度にすぎず、さらに明治三一年当時においても、単独に市部から選出せら
れた議員は、定員三〇〇人のうちわずか一七人(約六パーセント)程度であって、
市町の人口九七〇万人の全国人口四、二〇〇万人に対する割合である約二四パーセ
ントの数値と対比しても、
四分の一程度の議員選出能力しかもち得ない状況であった(甲第六五号証一六三ペ
ージ、甲第六六号証二六ページ)。
ここにおいて、日清戦争後の都市の商工業者を中心とした新興市民層による農村偏
重主義に対する都市の水平化、ないしは都市過重化の運動が抬頭するにいたり、商
工業者を支援するための選挙法として、一に選挙権の納税要件を十円に低減し、二
に市部を独立選挙区とするところの補強的措置が講じられることとなり、その結
果、明治三三年改正法の成立後においては、都市の代表は前述の(2)のように、
議員総数のうち一七パーセントの議員を選出し得るまでにはなったが、それでもな
お、市町の全国における人口比二四パーセントには及ばないという状況であった。
しかしながら、このような歴史的事情の下での制限選挙時代において、明治三三年
法以降の独立選挙区の設置が、市部、郡部間の議員一人あたり有権者比率の不平等
是正に貢献した役割は、選挙制度における一票一価の原理を実質的に促進し、これ
を補強した要因として看過することはできない、ということができる。
(五) 国会による人口比例配分方式の恣意的変改
わが国の衆議院議員選挙法における議員配分方式としての人口比例配分方式の輝か
しい伝統が、昭和三九年の改正法以来、国会の立法裁量により制度上で歪められ、
変改された事情については、原告がすでに縷々述べたところであるが、その理由は
次のとおりである。
(1) わが国の選挙法における人口比例配分方式は、イタリア憲法第五六条やベ
ルギー憲法第四九条のように、人口数を議員数で割り、その基準人数で選挙区の人
口を割った数の議席が与えられる旨の憲法上の明文があったわけではないが、附録
または別表の立案者が、人口約一二、三万ないし約一五万人について議員一人を配
分する旨の趣旨説明を行い、これによって各選挙区に議員が配分され、特に大正一
四年改正法以降は明確な配分方法が存在していたのである。
たとえば、昭和二二年法による配分方式では、都道府県別で一・二五倍、選挙区別
で一・五一倍の最大較差が生じたが、これはあくまでも右方式による配分の結果に
すぎず、配分基準そのものとしてはあくまでも人口比例原則による一対一の規範が
人口動態という事象の中に内在していた。
ところが、昭和三九年改正法以降の三度にわたる法改正の方法はいずれも、人口移
動の結果、最大較差が三倍以上にも拡大し、本来なら人口動態を規制するべきはず
の配分基準が国会の更正規定無視による不作為的サボタージュのために形髄化し、
有名無実の存在となっていたにもかかわらず、国会はこの規範と事実との矛盾に対
して常に事実のほうを重んじ、最大較差の部分修正(端切り)のみによって法改正
を行ったのであるが、このような方法は、到底、規範にもとづく配分基準などとい
う名には値せず、単にお手盛り裁量による一時的弥縫策と形容するのほかはない
(昭和五八年大法廷判決におけるF少数意見。その他、甲第四〇号証の六、一二九
ページ、甲第一〇号証一九八ページ等)。
(2) 非人口的要素を考慮に入れて定数配分を行った結果、人口比例原則から大
きな乖離が生じ、これが訴訟で争われた場合には、乖離についての正当理由を挙証
する責任が公権力の側にあると解すべきことは、選挙権を表現の自由とならぶもっ
とも重要な基本的人権として位置づける以上、当然の結論である。国会であれ、裁
判所であれ、無原則無理論によって、基本的人権を侵害する憲法的事実を創ること
はできない。
昭和五一年大法廷判決も、「選挙人の投票価値の不平等は・・・・これを正当化す
べき特段の理由をどこにも見出すことができない以上、本件議員定数配分規定の下
における各選挙区の議員定数と人口数との比率の偏差は、右選挙当時には、憲法の
選挙権の平等の要求に反する程度になっていたものといわなければならない。」と
して、挙証責任は国側にあるとする趣旨を述べているが、原告がすでに主張した諸
事由からすれば、行政区画を基礎として選挙区割を行い、これに議員定数を配分す
る結果生ずるやむを得ない偏差以外には、不平等を「正当化すべき特段の理由」は
まことに限定されるもの、と考えられる(甲第四〇号証の三、四五ページ)。
しかし、国側は、本件同種の訴訟において、国会の立法裁量についての正当理由を
なんら立証したことはなかった。
(3) 司法裁判所の判断は、静的を原理的判断と動的な現象的判断とを兼ね備え
ることが必要である。
たとえば、甲第四〇号証の九、の座談会の中(一一ページ)で、篠原教授が指摘さ
れているように、「日本人は法に対する考え方があいまいで、例えば最高裁が一対
三を超えなければ違憲とはいえないというふうに判断をすると、政治のほうも、だ
から一対三でいこうというふうに思うところがある。
しかし、この一対三という基準で改正するとすぐ違憲状態がきてしまうわけで、実
際の改革としては一対二以内におさめておかないとまずい。・・・・法で限度と考
えるのと、政治的にどれが合理的であるかということは別問題です」という現象
が、わが国には存在する。
このような発想からすれば、比喩的にいうなら、仮に裁判所が一対三を違憲判断の
基準と考えていたとすれば、国会の立法作業は一対二くらいでないと、裁量権の合
理的行使とはいえないであろうし、また逆に、本件昭和六一年改正法のように、国
会が一対三程度の立法作業をもって裁量権の合理的行使とみなしているとすれば、
裁判所の違憲判断の基準は一対四程度にもなってしまうであろう。このように、わ
が国における定常的人口増加の傾向を考えるならば、司法判断の基準は、国会の立
法裁量の結果よりは厳しく設定されるべきであろう。
これらの諸事情を斟酌するならば、司法判断の基準は、以下のようであることが望
まれる。
すなわち、公選法別表第一の衆議院議員の配分にあたっては、国会がまず歴史的
「府県単位・人口比例配分方式」によって定数を各都道府県に配分すべきことを前
提とし、さらにこれを各都道府県内の各選挙区に再配分するにあたっては、立法裁
量の範囲として、憲法上の平等原則の具体化または補完のための諸要素に対する考
慮のみを許し、また、立法裁量の限界としては「一対二」の比率を超えることはで
きず、かつ、平等原則からの乖離を正当化する理由の挙証責任はその差別を主張す
る国側に課する、という大原則が打ち樹てられるべきである。このような原則を司
法裁判所が宣言されてこそ、はじめて立法府に対し選挙に関する諸原則についての
具体的形象化を委ねた憲法の規範的要請が充たされることになるであろう。
第一五、府県単位・人口比例配分方式の憲法慣習性ないし憲法的習律性
(一) 原告は、わが国の衆議院議員選挙法における議員定数配分基準としての人
口比例配分方式が、明治憲法時代においても日本国憲法時代においても、ともにそ
れぞれの憲法の要請の下、憲法慣習としての地位に位置することを述べたが、右に
いう憲法慣習の地位がもつ法的拘束力(法規範性)は、次のとおりである。
すなわち、人口比例配分方式は、まず明冶憲法下においては、衆議院議員選挙法第
一条にもとづき、憲法第一九条の要請の下に、継続反覆して繰り返され、遂に憲法
上の慣習としての地位を取得したものであり、また、ポツダム宣言受諾後の根本規
範を全く異にする日本国憲法時代においても、この慣習はなんら変ることなく引き
継がれ、新たに憲法一四条の平等保障条項の明規の下に、継続的に憲法上の慣習と
ての地位を保持するにいたったものである。
ところで、わが国の法体系は原則として成文法主義を採用しているため、法源とし
ての慣習の占める領域は大きくなり、また、その定義づけも充分ではない。それ
故、原告は、慣習が重要な法源の一部をなしている英米法の理論を藉りて本案にお
ける要件成立の可否を吟味した結果、一般に慣習が法たる効力をもつ要件とされる
 (1)継続性 (2)平穏性 (3)合理性 (4)内容や権利者などが明確に
きまっていること (5)拘束的なものとして認められて来たこと (6)他の慣
習と矛盾しないこと、等の諸要件(田中英夫・東京大学出版会「英米法総論」下、
五一〇ページ以下)を、本案の人口比例配分方式はほぼ完全に具備していることを
確認した。
すなわち、まず明治憲法下においては、
(1) 継  続  性 約五五年間にわたって反覆され、制度化されて来た
(2) 平  穏  性 選挙区制や投票方法等とは異なり、なんら政争の具とは
されず、独立選挙区併用のさいも、郡部、市
部ともに人口を基礎としていた
(3) 合  理  性 形式的人口平等原理にもとづいていた
(4) 明  確  性 人口約一二、三万人につき議員一人という明確な数理的
厳格性によっていた
(5) 拘  束  性 選挙法の附録ないし別表としての法的拘束力をもち、法
改正の都度、内務大臣が提案理由説明をした
(6) 非 矛 盾 性 明治三三年以降大正八年改正法における独立選挙区の例
外は市部郡部間の有権者較差の是正を意図し
た法規にすぎず、それ以外に他の慣習は存在しなかった
という事情が明らかであり、右慣習の根拠が憲法より法的効力の劣る選挙法にもと
づいていたとしても、明治憲法第一九条の、日本臣民は「均ク」文武官に任ぜら
れ、その他の公職に就くことができる旨の参政権の原則的平等規定(前掲宮沢・有
斐閣法律学全集「憲法II」新版二六五ページ以下)によって、人口比例配分方式
は憲法の要請をうけ、選挙人と被選挙人との関係を規律する議員の選出方法が均等
な制度として慣習化され、この憲法の要請の故にこそ、政治権力も右慣習を不可侵
としたのであった。
次に、ポツダム宣言受諾以後の日本国憲法の下においての人口比例配分方式は、
(1) 継  続  性 基本的に約四五年間、制度化されていた
(2) 平  穏  性 小選挙区制論議などとは異なり、最近まで全く政争の具
とされることはなかった
(3) 合  理  性 明治憲法下におけると同じように、形式的人口平等原理
にもとづいていた
(4) 明  確  性 人口約一五万人についで議員一人の数理的厳格性を維持
し、しかも、公選法の更正規定により配分基準の明確化が補強されていた
(5) 拘  束  性 配分基準の法的な拘束力は、明治憲法下よりもさらに一
段と強められていたが、国会が自らの不作為
的立法裁量によって結果的にこの拘束性を弱めた
(6) 非 矛 盾 性 昭和三九年改正法以降の偏差是正方式は単に例外的な端
切り政策にすぎず、他に慣習といえるものは
存在しなかった
このように、日本国憲法の下においても人口比例配分方式は慣習としての地位を継
続していたが、それ以上に、この方式の根底である投票価値の徹底した平等化の原
理は、最高裁判所の公権的解釈によって憲法一四条の平等保障条項の要求するとこ
ろであるとして、憲法事項に位置づけられ、一層の尊重を享けることとなったので
ある。
(二) さてそれでは、この人口比例配分方式は、たとえばイギリス法における憲
法習律のような存在なのであろうか。
イギリス憲法の古典的解釈によれば、憲法の一つの要素としての憲法習律とに、主
権的権力のいくつかの構成者、大臣その他の官吏の行為を規律しはするが、裁判所
によって強制されてはいない、真の意味での法とはいえない存在として理解されて
いる。すなわち、それは、憲法のもう一つの要素である(成文であると不文である
とを問わず、利定法によって定められた慣習、伝統、もしくはコモン・ローとして
知られる裁判官の作った格律の集まりから引き出されるとを問わず)裁判所によっ
て強制される規範であるところの厳格な意味での法である憲法律に対比したもの、
として位置づけられている(ダイシー・伊藤正己、田島裕共訳、学陽書房「憲法序
説」二一ページ)。
そしてこれは、その後のP2の理論によっても、憲法律はその違反があった場合に
裁判所によりその旨宣言されるのに対し、習律は必ずしもそうではなく、また、憲
法律は裁判所の判決が正式に説明するものであるのに対し、憲法習律は慣行から生
まれ、政治的困難の度合に応じて、事実上の慣行が習律となったり、逆に習律が慣
行に戻ったりするものであるとして、区別されている(前掲書・訳者解題四七八ペ
ージ)。
さらに、わが国の現下の通説によれば、「憲法習律は、単なる慣例であって、通常
裁判所の裁判によって強行されることを必ずしも予定されたものではないが、これ
を守らないと国家にとって重大な結果が生まれ、この結果に対し通常裁判所による
法的制裁が科されうるので実際上守られているものを指す。」(伊藤正己、田島
裕・築摩書房「英米法」二七一ページ)と定義されているが、原告がわが国の憲法
慣習として標傍するところの人口比例配分方式は、その成立根拠があくまでも制定
法にもとづいたものである以上、やはり「制定法によって定められた慣習、伝統」
として、むしろイギリス法における裁判所によって法的に強制される憲法律に等し
い存在として、これを理解するのが相当である(原告は、法体系の異なる日本法の
下での造語として憲法慣習という文言を用いたのであるが、以上のような法的拘束
力を有する実質に着目するならば、むしろ英文法に倣って、端的に憲法律である、
と表現したほうが妥当であろう)。
すなわち、右方式の違反は裁判所によって宣言され、また、その違反の是正につい
ては、裁判所によって法的に強制される強い法的拘束力をもつ規範としての憲法律
である、と理解すべきものである。
人口比例配分方式は、天皇主権であった明治憲法時代においてさえ、人民代表法的
理念の下に衆議院議員選挙法という制定法を根拠とし、その附録ないしは別表にお
いて明定された慣習であったのであるから、国民主権下の日本国憲法制定後におい
ては、一層強い法的拘束力をもつ存在として把握することが必要であり、事実、こ
の方式を基本的に支える原理である「各選挙人の投票の価値の平等もまた、憲法の
要求するところである」と昭和五一年の最高裁判所大法廷判決が公権的に宣言され
た以上は、石方式は解釈論上、憲法一四条の要求する憲法律そのものとして、位置
づけられるべきである。
御庁は、定数訴訟における唯一の事実審裁判所である。
維審政府左院が起草した明治六年の国会議院規則(第一篇第一款第五章に「民口八
萬人二議員一人ヲ撰フノ方法」による公選を明定している---甲第六八号証一三
二ページ)以降の衆議院議員選挙法における人口比例配分の広汎な立法の沿革ない
し経過等により、「府県単位・人口比例配分方式」がわが国の伝統的制度であっ
た、という厳然たる歴史的事実に徴するならば、御庁は「府県単位・人口比例配分
方式」を憲法律であると明定され、さらに国務大臣、国会議員、裁判官その他の三
権に関与する公務員は、この憲法律を尊重し、擁護すべきこと(憲法九九条)、な
らびに、その違反は公務員の憲法遵守義務違反を構成すること、そして、本件にお
ける昭和六一年改正法は最高法規である右憲法律に違反した法規として、その効力
を有しないものであること、したがって、これにもとづいて行われた本件選挙も無
効であること(憲法九八条一項)を、広く内外に宣言されるのが相当である。
(三) このように、原告は、「府県単位・人口比例配分方式」を憲法律とし、こ
れは単なる行為規範であるのみならず評価規範でもあると解するものであるが、原
告の検証によれば、右方式が厳格に採用された大正一四年、昭和二〇年、同二二年
の改正法、ならびに同二五年公選法における府県単位人口の最大較差は、それぞ
れ、一・一七、一・二〇、一・二五、一・二五である。これは単なる歴史的事実で
あるというばかりでなく、本準備書面末尾に添付した別紙「数理的証明」(前掲、
昭和六二年一〇月一二日付大阪高等裁判所判決、別紙(二)の「数理的証明」をさ
らに厳密に検証したもの)によっても明らかなように、右方式による最大較差は必
ず一・三三三以内に収まるのである。そうとすれば、府県をさらに幾つかの選挙区
に分割する中選挙区制の下においては、行政区画その他の非人口的要素を相当程度
考慮したとしても、なお、各選挙区間の最大較差を「一対二」基準の中に収め得る
ことが容易に推認され、この基準の維持はわが国の選挙制度の下においても決して
過重なものではない、という事実が結論される。
このような理由からして、衆議院議員定数配分における人口較差の二倍以上は、違
憲というべきである。昭和六一年改正法は改正当時すでに違憲であり、右の違憲状
態は公選法が制定された昭和二〇年代の後半から現在にいたるまで三〇年以上にも
わたって継続しているのであって、本注においては違憲状態是正のための合理的期
間の考慮などは全く問題とはならない。
原告が「一対二」基準の設定を要求する所以は、究極のところ、これが諸国の立法
例(一例として西ドイツ)にも採り入れられているばかりでなく、議員定数の是正
に関する立法府の裁量をチェックし、その範囲と限界を画するところの重要な機能
をはたすからである。議員定数の是正に関する立法裁量が自由奔放であることは許
されるべきではなく、これには当然、法的な厳格性が要求されなければならないの
である。
第一六、本件選挙の効力
最後に、本件選挙の効力はいかにあるべきか。
原告がすでに述べたように、本件昭和六一年改正法の違憲性違法性は否定すること
ができない。
しかしながら、これにもとづいて行われた選挙の効力については、さらに一層の考
慮が必要である。
本件のような選挙無効事件一般に事情判決法理を導入するのを厳に慎むべきことは
すでに述べた。問題は、本件になんらかの個別的事情があるかどうかである。
本件昭和六一年改正法は、昭和五〇年の旧配分規定が違憲であることを宣言した昭
和六〇年大法廷判決の言渡後、約一年を経て成立したが、実態を直視すれば投票の
較差の違憲状態は実に三〇有余年間継続しており、その期間のあまりの長さと、原
告がすでに指摘した本法の極めて不徹底な部分的修正の程度からすれば、本件にお
いて事情判決をすべき特段の正当理由を見出すことはできない。
ただ、一点、情状とすべきは、国会が本件改正をもって「暫定措置」であると宣言
し、来るべき「抜本改正」を公約しているかにみえる国会決議が存在しており、将
来における抜本改正の可能性を全く否定し去ることができない点である。しかしな
がら、「暫定措置」としての本件附則の改正が、昭和三九年、同五〇年改正法にお
ける附則の改正と同じ意味において、一〇年余も等閑に付されることは充分に考え
られることである。
本件昭和六一年改正法が、昭和三九年、同五〇年法と同じ暫定措置としての附則の
改正によって行われたことはすでに述べたが、昭和三九年法のときは、公選法改正
に関する調査特別委員会で、今期の定数改正は昭和三五年度国勢調査人口を基準と
しているため、「既に多くの人口と議員定数のアンバランスを生じている。よって
政府は次期国勢調査の結果に基き、更に合理的改訂を検討すべきである。」との附
帯決議を行い、本会議においてもこれを全会一致で可決したにもかかわらず(甲第
三七号証六七九ページ以下、六〇八ページ以下)、国会はその後一一年間なんらの
合理的改訂をなさず、また、昭和五〇年法のときは、各党の合意を唱えるのみで、
全く無原則の「人口比上下概ね三倍方式」による恣意的な妥協のまま、さらに一一
年間も不作為的サボタージュをつづけたという実績からすれば、今後も国会が抜本
改正を等閑に付す可能性は濃厚である。
思うに、「昭和六十年国勢調査の確定人口の公表をまって、速やかにその抜本改正
の検討を行うものとする。」とした昭和六一年五月二一日の国会決議は、右国調の
確定人口公表後すでに三年半を経過するも全くなんの履行の兆しさえなく、近い将
来において真に憲法の理想に沿うた定数是正のための抜本改正がなされるという期
待は望み薄であり、逆に選挙制度審議会などでは、小選挙区別と比例代表制を併用
した選挙区改正のほうが主に論議されているという現状である。
このような歴史的経緯を入れば、前掲昭和六二年一〇月一二日付大阪高等裁判所判
決が真剣に検討したところの、昭和六一年改正法の立法目的である緊急暫定性の要
件具備の審査等はもはや問題ではなく、結局、それらは国会が内外からの違憲判断
を一時回避するために採用した単なる政略的方便にすぎなかったことが明らかであ
る。昭和六一年改正法の本件配分規定はわが国の衆議院議員配分についての憲法律
に違背しているばかりでなく、是正のための合理的期間をすでに徒過して甚しいも
のである。
本件選挙は、公選法にもとづく選挙訴訟として本件選挙区の選挙人である原告が選
挙の無効を主張しているものであるが、たとえ昭和六一年改正法の本件配分規定が
不可分的に違憲とされても、それは判決理由中に示されるにとどまり、判決主文と
しては原告の当該選挙区の選挙に関してのみ無効を宣言すれば足り、判決の効力も
当該選挙区に関してのみ及ぶにすぎない。
かような万般の事情を種々勘案するならば、本裁判にあっては、選挙無効の判決
(または少なくとも、選挙を無効とするがその効果は一定期間経過後にはじめて発
生するという内容の判決。すなわち、違憲の現行法の下では次期選挙を行うことが
できないとする旨の判決)を下されることが妥当であろう、と原告は思料する次第
である。
別紙(四)
原告準備書面(第四)
第一七、昭和六二年一〇月一二日付大阪高等裁判所判決の問題点
昭和六一年七月六日に行われた第三八回衆議院議員選挙に関する同六二年一〇月一
二日付大阪高等裁判所の判決(以下、これを原判決といい、その審理を原審とい
う)は、原告がすでに準備書面で述べたように、まことに画期的な内容を含んだ判
決ではあるが、なお、若干の憲法的問題点が残されているので、それを指摘してお
きたい。
一、原判決は、右選挙当時、昭和六一年法律第六七号により改正された衆議院議員
定数配分規定(以下、昭和六一年改正法という)における選挙区間の議員一人あた
り人口ないし選挙人数の較差は、憲法上の選挙権平等の要求に反する程度に達して
おり、違憲の状態にあったことを認めたにもかかわらず、本件選挙当時の昭和六一
年改正法が憲法に違反し、これにもとづく本件選挙を無効であるとまでは断定する
ことができない、と判示した。
すなわち、原判決は、わが国の衆議院議員選挙法(昭和二五年公選法制定後の衆議
院議員定数配分規定をも含む)における「府県単位・人口比例配分方式」が、衆議
院議員の定数配分にあたり国会が考慮すべき裁量権行使の方法として極めて合理的
な決定基準であり、これが多年、わが国の憲法的習律を形成して来たことを認め、
また、この方式によらずに部分的手直しを行った昭和六一年改正法の残す最大二・
九九倍もの投票価値の較差は、国会に許容された合理的裁量の範囲を逸脱したもの
で、これは憲法に反する選挙権の不平等状態というほかない、と認定しつつも、反
面、そのことから直ちに右法の改正当初から当該議員配分規定の憲法違反までもた
らすものと解すべきではなく、本件選挙を無効である、と断定することは困難であ
る、との判決を下した。
たしかに原判決の事実認定の多くの部分は、原審原告の主張を殆どそのまま認容し
たもので、一府県単位・人口比例配分方式」が、明治憲法時代、日本国憲法時代を
通じて、ともに法的拘束力をもつ憲法的習律(ただし、原告はこれを憲法律と解し
ているので、この点については後述する)としての法的性格を有し、制度上も定着
していたこと、右方式による憲法的習律が、昭和三九年改正法以降の国会による
「偏差配分方式」の採用にもかかわらず、その効力は消滅ないし衰滅もせず現在も
なお存続していること、右方式が国務大臣、国会議員など憲法に携わる国家機関と
その構成員の行為規範となり、ながい憲法運用の歴史的過程においていわぱ習律的
な義務として慣用化され、また、国民もなんらの異議なくこれを容認し、国民の規
範意識を形成して来たこと、さらに、これは裁判所にとっても憲法条規の違憲性判
断における重要な解釈基準となるものであること、それ故に、右方式によらず部分
的な「偏差配分方式」によった昭和六一年改正法の下における選挙区間の議員一人
あたりの人口ないし選挙人数の較差は、すでに改正の当初から、憲法の選挙権平等
の要求に反し、国会に許された合理的裁量の限界を超え、違憲な選挙権の不平等状
態が存在していたこと、また、昭和六一年改正法が手段、措置、内容においてその
立法目的であった緊急暫定性と実質的に関連せず、緊急暫定性を具備したものとは
到底いえないこと、等の諸事実を認定したが、これらの認定における原判決の判旨
は、ほぼ正当である。
二、問題とされるのは、このような一連の原判決の正当な判断の結果が、何故に、
「そのことにより直ちに改正当初から当該議員配分規定の憲法違反までもたらすも
のと解すべきではな」い、とする結論を導くのか、という点にある。
この結論を導くための原判決の論理は、
「同法の緊急暫定性という立法目的の性質に照らし、右人口較差や次選挙の可能性
をも考慮して、合理的期間内における抜本的改正による是正が憲法上要求されてい
るのであって、それが行なわれない場合に初めて右規定が憲法に違反するものと判
定することができる」というものである。
すなわち、右判旨は、憲法上要求されでいる抜本的改正が行われない場合にはじめ
て右規定が憲法に違反するものと判定することができる、と結論するのであるが、
そうとすれば、原判決の論旨としては、抜本改正が行われるまでの期間において
は、右規定を違憲とまでは判定せず、むしろ合憲性の推定を受けるものとして処遇
している、と解される。
しかし、他方、原判決は、右判示の前提部分において、
「昭和六一年改正法は、その立法目的である緊急暫定性はその内容との実質的関連
性が乏しく実質的にその緊急暫定性を具備しているものとはいえないのであって、
抜本的改正のないまま同改正法成立後一年有余を経過した現時点で振返ってみる
と、人口較差一対二・九九を残す同改正法による衆議院議員定数配分規定には、こ
れを違憲としない特段の事由があるとはいえず、憲法に違反するものというほかな
い。」
「即ち、最大人口較差一対二・九九を残し緊急暫定措置という立法目的の下になさ
れた昭和六一年改正法は前示のとおり、その内容が緊急暫定性を具備せず実質的に
これと関連しているものといえないから、既に改正の当初から、同規定の下におけ
る選挙区間の議員一人当たりの人口又は選挙人数の較差が憲法の選挙権の平等の要
求に反し國会に許された合理的裁量の限界を超え、違憲な選挙権の不平等状態が存
在しているものというほかない。」と述べている。
これらの判示を総合すると、結局、原判決は、最大較差二・九九倍もの投票価値の
不平等を残存させた昭和六一年改正法の較差自体は、右改正の当初、ないしは、前
回選挙当時であれ、改正法成立後一年有余を経過した原判決の時点であれ、ともに
違憲状態にあることを認めるが、右改正法の議員定数配分規定そのものについて
は、これを右較差と区別し、改正当初、ないし前回選挙当時においては直ちに違憲
とまでは断定せず、抜本改正のないまま改正法成立後一年有余を経過した原判決の
時点においてこれらを振返ってみてはじめて、憲法に違反するものというほかな
い、と結論していることがわかる。
昭和六一年改正法における較差自体が、時間的経過の如何にかかわらず違憲状態に
あるとみなされるのに、この違憲の較差を残存させた配分規定そのものについて
は、改正当初においては直ちに違憲とはせず、右改正後一年有余を経過した原判決
の時点に達してはじめて違憲である、と断定するその根拠は、原判決自身の言葉に
よれば、昭和六一年改正法は緊急暫定措置という名の立法目的をもち、その立法目
的の重要な公益的必要性の故に、改正当時においては法規の違憲判断が一時的に回
避されたからであり、他方、この緊急暫定性は、ことの性質上、長期であることは
許されず、比較的短期の期間のみその特質を有するものと解されるため、右改正後
一年有余を経過した原判決の時点では昭和六一年改正法はもはやなんらの緊急暫定
性という当初の立法目的の保護の下に立つことが許されなくなったからである。
三、しかしながら、原判決の説示する、このような複雑、かつ、技巧的な論理の採
用にはやはり疑問が残る、というほかはない。
すなわち、原判決が、昭和六一年改正法が同法の改正当初とこれにつづく比較的短
期の期間だけは合憲であった、と結論する所以は、同法がそもそも緊急暫定性とい
う立法目的をもっていたことに由来する。
この特殊、かつ、異例ともいえる立法目的に依拠したがために、憲法の選挙権平等
の要求に違背した最大二・九九倍もの較差を残存させ、それ故に本来ならば同法自
体も当然違憲と認定されるべさであった昭和六一年改正法が、改正当初とそれにつ
づく短期間だけは、合憲判断の保護を享けることかできたのである。しかしなが
ら、国民の選挙権の平等を客観的に保障するべき選挙法における憲法判断の基準と
して、緊急暫定性のような法的に不安定な問題のある概念に対し、合憲違憲の判断
を左右するほどの地位を与えるべきであろうか。原告は、以下のような理由からこ
れを否定的に解するものである。
何故ならば、まず第一に、緊急暫定性という立法目的は、昭和六一年改正法が緊急
避難的に内外からの違憲判断を一時回避するために、立法府によって採用された単
なる一方的政策宣言にすぎないのである。このような一方的政策宣言によって、国
民の平等権を侵害する法規の合憲性を是認するためには、緊急暫定性の要件の充分
な吟味が必要であるが、原判決においてはそれらの吟味がなされているとはいえな
い。
第二に、原判決は、第一〇三回国会会期末の昭和六〇年一二月二〇日付衆議院本会
議決議の「本問題(定数是正)の重要性と緊急性にかんがみ」という文言を善解し
て昭和六一年改正法の立法目的における緊急性を認定したが、法の自己保全の要件
としての緊急性とは、自らに帰責事由のない真に止むを得ない急迫した非常事態を
いうのでなければならず、本件のように、永年にわたる国会の不作為的サボタージ
ュと公選法別表第一の更正規定無視により自ら招いた危難については、なんら法の
保護に値する緊急性の要件を其備しないもの、というべきである。
第三に、暫定性というもう一つの立法目的は、抜本改正という法の究極目的と表裏
一体の実質をなしており、抜本改正がなされてはじめて暫定性の法的効果が確認さ
れる、という相互関係にある。それ故に、この両者は全体的に考察してその法的意
味内容を定めるべきもので、原判決がいみじくも喝破したように、昭和六一年改正
法の成立以後、抜本改正案が国会に提出されたり、あるいはこれが現に審議中であ
るとかの、抜本改正がなされる確実な見込がなんら客観的に存在しないような場合
には、暫定性は、結局、抜本改正とはなんらの実質的関連性をも有せず、全く一時
しのぎの抽象的な美辞麗句にとどまるのであり、法的評価に値する立法目的として
これを把握することは著しく法的安定性を欠く結果となろう。
第四に、このように曖昧な概念の採用による法的安定性の欠如は、結局において、
法の支配を無秩字ならしめる。
もし、原判決のような解釈論によるならば、国会が本来違憲の瑕疵ある法規の制定
にさいして、緊急暫定性という立法目的さえ付加しておけば、そのような一方的政
策宣言によって法規の違憲の効果の発生が阻止され、法規は常に合憲性の衣裳をま
とうこととなる。また、反面、原判決におけるように、時日が経過し、法規が緊急
暫定性の要件を具備しなくなったと解される場合に、再びこれを違憲状態に復帰し
たものとして取り扱うならば、緊急暫定性は、結局、国会の怠慢を弁護する一種の
免罪符的機能をはたすだけのものとなり、その及ぼす法的秩序の混乱ははかりしれ
ないであろう。
第五に、違憲の瑕疵を存在させた法規は、法規自体としても、当然、違憲の瑕疵を
帯びるもの、と解すべきである。較差と法規は、全体として不可分一体の評価をう
ける。較差も立法目的も、それらはともに法規の一要素として制定法の内容を形成
する。それらはあくまで全体的に考察されるべきである。仮に法規の立法目的が合
憲性の推定をうけたとしても、このことから違憲の較差を内在させた法規までを
も、右の較差から切り離して合憲と解することができるだろうか。もし、それがで
きるとしても、それは諸要素間の利益衝量によるべきであり、本件の場合は較差の
瑕疵の方がより重大であろう。そうとすれば、違憲の瑕疵を帯びる法規は、法規自
体としても違憲であり、違憲の法規は憲法九八条一項により当然無効であるのが原
則であろう。緊急暫定性という一特質のみを採り上げてこれを不当に重視し、違憲
の法規自体を合憲とすることは、立法政策への過度の加担を示すものといわざるを
得ない。
第六に、原判決は、抜本改正までの緊急暫定性という立法目的を一種の条件とみな
しているが、国家行為、なかんずく、公法の定立は二義を許さぬ客観的定型的なも
のであるべきで、参議院の緊急集会のように法が特に明文で条件をつけることを許
した場合を除けば、原則として私法上の附款である条件等をつけるべきではない。
本件のように、国会の一方的政策宣言のみを重視し、これにより制定法に条件つき
の法的効果を賦与するのは、憲法の解釈論としても曖昧であり、妥当性を欠くこと
になろう。現に、原判決直後の国会内外の論調としては、「自民党のP3幹事長は
『最高裁で最終的な判断がなされると思う』と、国会決議の方は忘れたようで、ゆ
つくり最高裁判決を待つ構えを示している」(昭和六二年一〇月二〇日付毎日新聞
朝刊「道標」--「一票の較差と国会」)のであり、また、P4自民党選挙制度調
査会長も、完全人口比例で較差を二倍以内に収めるべきだとの議論について、「そ
んな議論は空理空論だ。・・・完全な人口比例というのはむしろ間違いだ」(同六
二年一二月六日付朝日新聞朝刊「ざつくばらんに」--「選挙制度の改革は」)
と、国会決議の目的すら否定している状況であったのである。
第七に、原判決は、従来の判例における合理的期間論を不用意に拡大援用している
ところがある。
すなわち、従来判例のいう合理的期間とは、「具体的な比率の偏差が選挙権の平等
の要求に反する程度となったとしても、これによって直ちに当該議員定数配分規定
を憲法違反とすべきものではなく、人口の変動の状態をも考慮して合理的期間内に
おける是正が憲法上要求されていると考えられるのにそれが行われない場合に始め
て憲法違反と断ぜられるべきものと解するのが、相当である。」(昭和五一年四月
一四日付最高裁判所大法廷判決)とするものであり、入口較差が違憲状態になった
時点から偏差是正のための合理的期間を算定する趣旨のものであった。ところが、
原判決によれば、昭和六一年改正法の較差自体は、右改正の時点においても、ま
た、その前後のいずれの時期においても、ともに違憲状態であったことを認めるわ
けであるから、従来判例のいう趣旨からすれば、合理的期間の始期は、本来、右改
正の時点よりもはるか以前に設定されなければならなかったはずである。しかしな
がら、原判決は、一本件選挙が昭和六一年七月六日に行なわれたことは当事者間に
争いがなく、昭和六一年改正法が成立した同年五月二三日から僅か二か月足らずの
うちに行なわれたものであるから、同法成立時から本件選挙までの間に、その抜本
的是正のための改正がなされなかったことにより、憲法上要求される合理的期間内
における是正がなされなかったものと断定することは困難である」とし、合理的期
間を人口較差が違憲状態になった時点からの期間とは解さず、ただ単に、較差の抜
本的是正のための期間と解している。
これは従来判例の趣旨とは意義を異にするものであって、原告もすでに指摘したよ
うに、法的にも多大の疑義のある合理的期間論をもって、違憲な較差の残存する改
正法をさらに抜本是正するための猶予期間にまで、不用意に援用することにはやは
り重大な疑問が残る、といわざるを得ない。
四、このように、原判決が昭和六一年改正法の緊急暫定性の立法目的を採り上げ
て、右法の改正時とその後の短期間における一時的合憲性の根拠としたことは、公
法に賦与された画一的法的安定性を害し、制度的な危険をもたらす余地すらあっ
た。原判決は、三期の国会において自らなんの自浄能力もなく徒らに紛糾をつづ
け、その結果、遂に抜本改正をなし得ずして国民の平等権の侵害状態を残存させた
昭和六一年改正法について、国会が合憲性を主張することを一時的にせよ是認した
のであるが、国会は、本件立法においては、自ら法を破りながら自ら招いた危機を
理由として自ら法たることを主張し、国家緊急権類似の行為を強行したのである。
しかしながら、司法裁判所に課せられた任務は、このような法を破る政治が憲法秩
序をいかに侵害しているかを厳正に審判することにあったはずである。
昭和六一年改正法の成立経緯は、度重なる違憲判決と平等選挙を求める国民世論の
大勢による長期的緊張関係にもかかわらず、また、相当期間の法改正期間が与えら
れていたにもかかわらず、国会自ら、なお党利党略と権益防禦のために憲法の志向
する抜本改正をはたせず、やむなく緊急暫定性という名の救済を求めたにすぎない
事例である。このような場合にまで安易に国家行為を追認するような法解釈論を施
すことは、憲法論として当を得たものとはいえない。
原判決は、判旨の全趣旨を通じ、昭和六一年改正法における「偏差配分方式」が伝
統的「府県単位・人口比例配分方式」の憲法的習律に違背し、それ故に、右法にお
ける投票価値の較差のみならず配分規定そのものまでも本来的に憲法に違反したも
のであることまでは正当に認定したのであるから、判決の結論部分にいたって急に
このような国会の弥縫的立法の立場を考慮した法解釈を採るべきではなかったと思
われる。原判決が、何故、端的に最大較差二・九九倍の投票の較差を残存させた昭
和六一年改正法は違憲である、と明晰に宣言しなかったのか、原告には惜しまれて
ならない。
ただし、ここで銘記すべきことは、以上の議論はあくまでも昭和六二年一〇月一二
日付の原判決当時の判断についてのものであるから、それからさらに三年を経過し
た現時点においては、昭和六一年改正法の立法目的であった緊急暫定性の要件を審
議するなどは全く実益のない論議だということである。期間の徒過は、昭和六一年
改正法の立法目的であった緊急暫定性そのものが国会の常套的な政策的方便にすぎ
なかったという事実をなによりも雄弁に物語っている。原判決が、その最終結論に
おいて、
「昭和六一年改正法による現行衆議院議員定数配分規定は抜本的改正がなされない
まま、既に一年有余を経過した現在既にその緊急暫定性を失なっているともみられ
るのであって、前示趣旨の抜本是正がない限り合理的期間経過後の次期選挙は多分
に違憲のものとなり、本件に現われた諸般の事情を総合考察して、その効力を否定
しなければならない場合もあり得るといわざるを得ない。
と断じているのは、本件に関する重要な示唆というべきである。
五、次に、原判洪は、投票価値の平等についての違憲性の審査基準として、昭和六
一年改正法におけるような人口較差「一対二以上一対三未満」の場合には、中間的
審査基準(厳格な合理性の基準)により審査すべきものである、と判示した。
すなわち、原判決は、「一対二以上一対三未満」の人口較差が存する場合の中間的
審査基準(厳格な合理性の基準)として、わが国の衆議院議員選挙法における「府
県単位・人口比例配分方式」が憲法的習律として定着しており、国会による昭和三
九年改正法以降の「偏差配分方式」採用後も、右方式は消滅せず、その効果が今な
お持続していることを認めつつも、この憲法的習津は憲法規定そのものではなく、
違憲性判定の上で重要な解釈基準となるにとどまる旨、判示したが、右の方式は単
に憲法的習律である以上に、裁判所によって宣言され、強制されるべき規範として
の憲法律である、と解すべきものであろう。原判決はこの点の評価を緩和し、右方
式を単なる行為規範と解したがために、昭和六一年改正法がこれに反したからとい
って直ちに違憲ということはできないとし、その結果、判決の結論を合憲に導くに
いたったのである。
しかしながら、わが国の衆議院議員選挙法における「府県単位・人口比例配分方
式」は、まず明治憲法下においては、衆議院議員選挙法第一条にもとづき、憲法第
一九条の要請の下に、継続反覆して繰り返され、遂に憲法慣習としての地位を取得
したものであり、また、ポツダム宣言受諾後の根本規範を全く異にする日本国憲法
時代においても、この憲法慣習はなんらの改変もなく引き継がれ、新たに憲法一四
条の平等保障条項の明規の下に、憲法慣習としての牢固とした地位が確認され、現
代の国会関係者らも右方式の存在を認識し、自覚していたものである(原告第二準
備書面、第一二三、二〇三ページ)。
原判決の理解する憲法的習律とは、(1)長期間にわたる反覆性 (2)長期間に
わたる持続性 (3)不変性と明確性 (4)国民の規範意識の存在、等の諸要件
を具備した憲法事項に関する憲法運用上の慣例、習律、ないし慣習で、一定の法的
拘束力をもつものを意味し、ただ、この憲法的習律は形式的意味の成文憲法と全く
同一の効力を獲得するものとはいえず、これに違反するところがあるからといって
直ちにそれが違憲とは即断できない、として、あたかもイギリス法における憲法習
律のような、裁判所により必ずしも強制されることを予定されない弱い法的効力を
もつ存在として位置づけるのであるが、これに対し、原告は、すてに縷々主張して
来たように、右の「府県単位・人口比例配分方式」(原審の文言によれば「人口平
等按分方式」)は、イギリス法におけると同様、憲法律の地位に相当する憲法慣習
と解すべきもの、と考えている。
すなわち、これの違反は裁判所によって宣言され、また、その違反の是正について
は、裁判所により法的に強制されるべき強い法的拘束力をもつ規範としての憲法律
である、と右方式を理解している。その理由はすでに述べたところであるが、その
もっとも特筆すべきものとして、明治憲法から日本国憲法にいたる憲法上の平等原
理の徹底化実効化という根本規範の発展を、原告は重要視しているのである。
原判決が、「府県単位・人口比例配分方式」をそのような憲法律の意味に理解しな
かった理由は、判旨においては充分に明らかにされてはおらず、この点にやや理由
不備ないし理由齟齬の違法がある、といわざるを得ない。
原判決のいうように、人口較差「一対二」以上の場合までをも違憲性審査のグレ
ー・ゾーンと解し、中間的審査基準による審査を必要とすることは、結局におい
て、曖昧な法解釈のグレー・ゾーンを介在させることともなり、選挙権平等につい
ての憲法の解釈、適用を誤る可能性が残る。
衆議院議員定数配分における人口較差の二倍以上は、違憲というべきである。昭和
六一年改正法は改正当時すでに違憲であり、右の違憲状態は公選法が制定された昭
和二〇年代の後半から現在にいたるまで三〇年以上にもわたって継続しているので
あって、本件においては違憲状態是正のための合理的期間の考慮などは全く問題と
はならない。
諸外国の場合、定数配分における偏差の限界はまことに厳しい。
すなわち、イギリスにおいては、可能な限り偏差を解消しなければならず(自治省
選挙局「イギリスの選挙法」四三七ページ)、選挙区画定の三原則の一として、選
挙人数の均等化が次のように掲げられている。「各選挙区の選挙人数は、できる限
り選挙人定数に近似するものでなければならない。・・・選挙人定数とは、『選挙
人計算日』において効力を有する国会選挙人名簿に登録されている者の数を選挙区
の数で除したものをいう」(財団法人・公明選挙連盟編「イギリスの選挙と政党」
IIイギリスの選挙区制の概要とその得失、二六ページ以降)。
また、ベルギーにあっては、憲法上の偏差は全く認められず、「各選挙区は、王国
の人口数を二一二で割って得られる全国除数でその人口を除した数だけの議席が与
えられる」(ベルギー憲法・四九条二項)ものとされており、さらにアメリカで
は、「一人の投票は、実行可能な限り精確に、他人の投票と同等の価値をもたねば
ならない」と判例法が明言し、西ドイツにあっても、「一選挙区の人口数は、選挙
区の平均人口数から二五%を超えて上下に偏差を生じてはならず、もしその偏差が
三三1/3%を超えるときは、新たな区画を行うものとする」(連邦選挙法・三条
二項二号)、「各部における選挙区の数は、できる限り邦の人口に比例させなけれ
ばならない」(同法・三条二項三号)とされ、また、イタリアでは、「衆議院議員
の定数は、六三〇である。・・・議席の選挙区への配分は、最近の国勢調査による
共和国の住民数を六三〇で割り、議席を、基数および最高剰余数の基礎にもとづ
き、各選挙区の人口に比例して割当てることによって行われる」(イタリア共和国
憲法五六条)と明定されている(宮沢俊義編・岩波文庫「世界憲法集」参照)。
このような諸外国における厳正な制度と対比すれば、明規や判例法をもたないわが
国であるからこそ、議員定数配分の合理性を判断するための明確にして客観的な基
準を設定することが最小限必要となるのである。すなわち、原告が準備書面におい
て二言三言して来たところの一人一票の原則、さらには、仮に止むを得ない場合で
あっても「他の者に二票を与えず」とする「一対二」の現実的許容基準を、憲法上
の大原則として明確に標榜することの意義が存するのである。本年一二月末現在を
基準とした自治省発表の住民基本台帳人口調査によっても明らかなように、現実的
許容基準を設定しない曖昧な選挙制度の下での人口比率の現状は、一票の較差を本
件選挙当時よりさらに大きな、最大較差三・二六倍(神奈川第四区対東京第八区)
にまで拡大させており、この傾向は今後も改善されることなく、ただ持続するのみ
であろう。
大略、以上の理由により、原告は、御庁に対して、さらに判例史上一歩を進める新
たな違憲判決を下されることを切望してやまない。
(以下省略)
別紙(五)
原告準備書面(第五)
第一八、逆転現象について
選挙法において、人口(または選挙人数)の多い(少ない)選挙区のほうが、人口
(または選挙人数)の少ない(多い)選挙区よりも、配分議員定数が少ない(多
い)という現象を、逆転現象と呼ぶ。
原告はすでに、第一準備書面、第一〇、昭和六一年改正法の問題点、(三)(一二
五ページ以降)において、右法改正当時に介在していた逆転現象について若干触れ
ているが、本件選挙施行当時にあっては、この逆転現象が実に一、〇七八例にもの
ぼったのである(本準備書面添付、別表一九参照)
すなわち、そのもっとも顕著な一例として、いま、熊本県第二区の場合を検討する
ならば、同区は定数五、選挙人登録者数は五四九、〇九八人であるのに対し、定数
四で選挙人登録者数が同区より多い区が三〇、定数三で選挙人登録者数が同区より
多い区が一二、総計四二もの区が熊本県第二区に対して逆転現象を露呈しており、
そのほかは一覧表の示すとおりの状況である。結局、本件選挙当時の逆転現象の実
例は、逆転選挙区数の多い順から数えて六九区、総数一三〇の全選挙区相互間にお
いては実に一、〇七八例にも及んでいる。
議員定数の配分にあたっては、こと衆議院に関しては、参議院の場合よりも人口比
例的要素を重視しようというのが、現行判例の基本的姿勢である。すなわち、前掲
昭和五一年四月一四日付最高裁判所大法廷判決は、「思うに、衆議院議員の選挙に
ついて、右のように全国を多数の選挙区に分け、各選挙区に議員定数を配分して選
挙を行わせる制度をとる場合において、具体的に、どのように選挙区を区分し、そ
のそれぞれに幾人の議員を配分するかを決定するについては、各選挙区の選挙人数
又は人口数(厳密には選挙人数を基準とすべきものと考えられるけれども、選挙人
数と人口数とばあおむね比例するとみてよいから、人口数を基準とすることも許さ
れるというべきである。それ故、以下においては、専ら人口数を基準として論ずる
こととする。)と配分議員定数との比率の平等が最も重要かつ基本的な基準とされ
るべきことは当然である」として、衆議院議員の定数配分における人口比例原則が
「最も重要かつ基本的な基準」である、という基調を述べ、以後の判例もこれを踏
襲する。
また、参議院議員の定数訴訟に関する昭和五八年四月二七日付最高裁判所大法廷判
決(最高裁民集三七巻三号三四五ページ)は、参議院議員の定数配分原理は衆議院
議員の場合と同一ではないとして、次のように述べている。「上告人らは、両議院
は全国民を代表する選挙された議員でこれを組織すると定めた憲法四三条一項の規
定は参議院地方選出議員の議員定数の各選挙区への配分についても厳格な人口比例
主義を唯一の基準とすべきことを要求するものであり、右のように地域代表の要素
を反映した定数配分は憲法の右規定に違反する旨主張するけれども、右規定にいう
議員の国民代表的性格とは、本来的には、両議院の議員は「その選出方法がどのよ
うなものであるかにかかわらず特定の階級、党派、地域住民など一部の国民を代表
するものではなく全国民を代表するものであって、選挙人の指図に拘束されること
なく独立して全国民のために行動すべき使命を有するものであるということを意味
し、右規定が両議院の議員の選挙の仕組みについてなんらかの意味を有するとして
も、全国を幾つかの選挙区に分けて選挙を行う場合には常に各選挙区への議員定数
の配分につき厳格な人口比例主義を唯一、絶対の基準とすべきことまで要求するも
のとは解されないし、前記のような形で参議院地方選出議員の仕組みについて事実
上都道府県代表的な意義ないし機能を有する要素を加味したからといって、これに
よって選出された議員が全国民の代表であるという性格と矛盾抵触することになる
ものということもできない。
このように、公職選挙法が採用した参議院地方選出議員についての選挙の仕組みが
国会に委ねられた裁量権の合理的行使として是認しうるものである以上、その結果
として、各選挙区に配分された議員定数とそれぞれの選挙区の選挙人数又は人口と
の比率に較差が生じ、そのために選挙区間における選挙人の投票の価値の平等がそ
れだけ損なわれることとなったとしても、先に説示したとおり、これをもって直ち
に右の議員定数の配分の定めが憲法一四条一項等の規定に違反して選挙権の平等を
侵害したものとすることはできないといわなければならない。すなわち、右のよう
な選挙制度の仕組みの下では、投票価値の平等の要求は、人口比例主義を基本とす
る選挙制度の場合と比較して一定の譲歩、後退を免れないと解せざるをえないので
ある。したがって、本件参議院議員定数配分規定は、その制定当初の人口状態の下
においては、憲法に適合したものであったということができる。」
(傍点、原告)
「ところで、以上のようにその制定の当初においては憲法に適合するものと認めら
れた本件参議院議員定数配分規定による議員定数の各選挙区への配分も、その後の
人口の異動に対応した是正措置が結局講ぜられなかったことにより、昭和五二年七
月一〇日の本件参議院議員選挙の当時においては、選挙区間における議員一人当た
りの選挙人数の較差が最大一対五・二六に拡大し、また、選挙人数の多い選挙区の
議員定数が選挙人数の少ない選挙区の議員定数よりも少なくなっているといういわ
ゆる逆転現象が一部の選挙区においてみられたことは、原審の確定するとおりであ
って、その限りでは、当初における議員定数の配分の基準及び方法と右のような現
実の配分の状況との間にそごを来していることは否定しえない。」「参議院議員の
任期を六年としていわゆる半数改選制を採用し、また、参議院については解散を認
めないものとするなど憲法の定める二院制の本旨にかんがみると、参議院地方選出
議員については、選挙区割や議員定数の配分をより長期にわたって固定し、国民の
利害や意見を安定的に国会に反映させる機能をそれに持たせることとすることも、
立法政策として許容されると解されるところである。これに加えて、原審の認定す
る事実関係に徴すると、参議院地方選出議員の選挙について公職選挙法が採用した
二人を最小限とし偶数の定数配分を基本とする前記のような選挙制度の仕組みに従
い、その全体の定数を増減しないまま本件参議院議員選挙当時の各選挙区の選挙人
数又は人口に比例した議員定数の再配分を試みたとしても、なおかなり大きな較差
が残るというのであって、選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の較差の是
正を図るにもおのずから限度があることは明らかである。そして、他方、本件参議
院議員定数配分規定の下においては、前記のように、投票価値の平等の要求も、人
口比例主義を基本として選挙区割及び議員定数の配分を定めた選挙制度の場合と同
一に論じ難いことを考慮するときは、本件参議院議員選挙当時に選挙区間において
議員一人当たりの選挙人数に前記のような較差があり、あるいはいわゆる逆転現象
が一部の選挙区においてみられたとしても、それたけではいまだ前記のような許容
限度を超えて違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態が生じていたとするには
足らないものというべきである。したがって、国会が本件参議院議員選挙当時まで
に地方選出議員の議員定数の配分を是正する措置を講じなかったことをもって、そ
の立法裁量権の限界を超えるものとは断じえず、右選挙当時において本件参議院議
員定数配分規定が憲法に違反するに至っていたものとすることはできない。」(傍
点、原告)
ところで、右判決にいう「人口比例主義を基本とする選挙制度」、「人口比例主義
を基本として選挙区割及び議員定数の配分を定めた選挙制度」という文言が、衆議
院議員に関する選挙制度を意味していることは明らかであろう。すなわち、右判決
は、参議院議員の選挙制度を衆議院議員のそれと対比し、参議院議員の選挙制度に
おいては投票価値の平等の要求が一定の譲歩、後退を免れず、両者を同一に論じ難
いものと解する反面、衆議院議員の選挙制度の場合にあっては人口比例原則がもっ
とも重要かつ基本的な基準である旨、宣言しているのである。
同旨の判断は、右判決における少数意見中にもみられる。すなわち、
「参議院もまた『全国民を代表する選挙された議員』をもって組織されるが、もし
これを衆議院と同じように人口比率を重視して選挙された議員で構成するとすれ
ば、たとえ選挙区などで両者に差異を認めるとしても、参議院は、衆議院のカーボ
ン・コピーともいうべきものとなり、立法の審議を慎重にすることに多少の役割を
果たすとしても、衆議院の過誤を改め、その決定に修正を加え、あるいは政府と国
会との間の対立を調整するという参議院に期待される機能を営むことが困難にな
る。」(伊藤裁判官)
「国民の総意は何よりもまず衆議院に可能な限り正しく反映されることが必要であ
り、その方法として、投票価値の平等を軸とした人口比例主義を基本原則とする選
挙制度を憲法自身が予定しているものといわなければならない。過疎と過密、都市
と農村、都道府県その他の行政区画の広狭、その沿革や住民意識の相違などは、多
数意見のいう政策的目的ないし理由に属するのであろうが、それが選挙区に対する
定数配分の増減にどう結びつくのか必ずしもはつきりしない。これに反し、人口又
は選挙人数は、その多寡が配分される議員定数の多寡と正比例的に結びつく性質を
持っている。衆議院議員の選挙においては、前述した憲法上の諸規定を通じて看取
される衆議院の性格に照らし、各選挙人をすべて平等な人格と想定し、それぞれに
価値の平等な選挙権を与えるべきものと考えられる。」(A裁判官)
このような判決の動向からも明らかなように、わが国の衆議院議員の選挙制度にお
いては人口比例原則がもっとも枢要な基準とされているのであるから、この大原削
を制度上で蚕食し、あるいは根底的に否定し、無視するところの人口逆比例現象が
多数介在している本件配分規定は、従来の判例の趣旨に違背し、違憲性の疑いが濃
厚である、ということができる。
なお、G裁判官は、右の判決の中で、参議院議員の選挙制度における逆転現象につ
いても、次のような少数意見を述べておられる。
「議員一人当たりの選挙人数につき選挙区の間で生じている較差の問題は、較差の
程度の問題、いわば量的問題として考えれば足りるが、いわゆる逆転現象の場合
は、より多数の選挙人を有する選挙区に対しより少数の議員定数しか配分されない
ことになっており、より少数の選挙人しか有しない選挙区に対する議員定数の配分
との比率が逆転した状態となっているのである。前者の場合は、選挙人数に応じた
議員定数の配分の多寡の問題であって、議員定数を定めるにあたって基準となるべ
き投票価値の平等の原理がなお考慮されているものとみることができる。しかし、
後者の場合、逆転現象を生じている選挙区のすべてについてそうであるとまでいわ
ないとしても、通常人の判断をもってすれば逆転関係が特に顕著に生じているとみ
られる選挙区については、議員定数の配分の多寡という量的問題を超えてその配分
について著しい不平等を生じているというべきであり、そこではもはや投票価値の
平等の原理が全く考慮されていない状態になっているといわざるをえないのであ
る。このような場合についても、なお投票価値の著しい不平等の状態を生じさせる
程度に達せず、国会の裁量権の許容限度を超えて違憲の問題を招くに至っていない
といいうるためには、被上告人側において特段の主張立証を必要とするものという
べきである。」
右は、参議院議員の選挙制度における逆転現象についての説示であるから、人口比
例原則を重んずる衆議院議員の選挙制度の場合は、さらに厳格に右の原理が維持さ
れてしかるべきである、と考えられる。
別紙(六)
原告準備書面(第六)
第一九、本件選挙以降における投票価値の較差拡大傾向について
(一) 原告は、第一準備書面、第一一、補足事項、(四)投票価値の不平等較差
の指標は有権者比率によるべきか、人口比率によるべきか、の項において、前掲昭
和五一年四月一四日付最高裁判所大法廷判決の説示を引用し、選挙人数ないし有権
者数と人口を特に区別する実益は乏しいこと、ただ、現象的にみた場合、
都市部の過密区のほうが人口に比べ有権者数がより少く、逆に郡部の過疎区のほう
が人口に比べ有権者数がより多い、という若干の差異があること、したがって、本
件選挙における投票価値の最大較差も、有権者比率でみれば一対三・一八である
が、人口比率でみればこの倍率がやや開くと考えられること、昭和五一年、同五八
年、同六〇年の大法廷判決は、いずれも当該選挙直前の選挙人登録者数をもとにし
て較差の計算をしているが、一般的には有権者比率、人口比率を区別する理由はな
いので(ただし、時間的経過による較差の拡大幅をみるときには、同一基準の数値
を比較すべきは当然である)、原告としては、いずれ、請求の原因第二項五行目な
いし七行目の有権者分布差比率にもとづく記載とともに、人口比率にもとづく数値
をも予備的に主張する予定である、と述べた。
ところで、本件選挙当日における投票価値の較差を人口比率ではかった指標は、現
在、公表されてはいないが、ほぼこれに近似するものと考えられるのが、自治省発
表の住民基本台帳人口(平成二年三月末日現在)にもとづく試算表(甲第八五号
証、同第九一号証)の数値である。これによれば、昭和六一年改正法の本件配分規
定における選挙区別人口較差の最大値は、神奈川県第四区と東京都第八区間の三・
二六倍であり、千葉県第四区、埼玉県第五区と東京都第八区間のそれも、それぞ
れ、三・二四倍、三・〇三倍と、較差三倍をこえる選挙区が三区を数え、また、較
差二倍以上をこえる選挙区は実に三二区にものぼっている。これらの数値は、平成
二年一二月末日現在の住民基本台帳人口によるものであるから、時日の近接した平
成二年二月一八日に行われた本件選挙当日の人口比率はほぼこの数値に等しいも
の、と推認していいであろう。
それ故、原告は、以上の事実にもとづき、本作訴状、請求の原因第二項五行目ない
し七行目の有権者分布差比率の記載につづき、次の文言を付加したい。
すなわち、「また、右配分規定による各選挙区間の議員一人当りの人口比率は、最
大約三・二六(神奈川第四区)対一(東京第八区)にも達しており、原告らの選挙
区と東京第八区とのそれも、約二・四五対一となっている。」との予備的主張を追
加するものである。
(二) 本件選挙当時の投票価値の較差が有権者比率の場合よりも人口比率のほう
が大きいことがこれで明らかになったが、さらに注目すべきこととしては、
本件選挙からわずか七ケ月後の平成二年一〇月一日に施行された国勢調査の速報値
によれば、衆議院議員選挙における一票の較差が相も変らず拡大の一途をたどって
いる、という事実である(甲第九二号証)。
すなわち、右速報値によれば、国勢調査の時点で、選挙区別人口較差の最大値は、
千葉県第四区と東京都第八区間で三・三八倍にも達し、神奈川県第四区、埼玉県第
五区、埼玉県第一区、神奈川県第三区、埼玉県第二区、広島県第一区、福岡県第一
区と東京都第八区との間の較差も三倍以上となっており、結局、較差三倍をこえる
選挙区は、合計八区にのぼる。また、較差二倍をこえる選挙区の数も、大阪府第五
区と東京都第八区間の二・九九倍をはじめとして、合計三五区にも及んでいる。
平成三年一一月に公表が予定されている国勢調査の最終結果においても、これらの
数値には大した変化がないと考えられるが、ここで特に銘記すべきことは、昭和六
一年改正法の本件配分規定によって国会は較差三倍以内を目途とした彌縫的な改正
を行ったのであるが、投票価値の較差はそのような姑息な裁量の枠組を踏みこえ
て、時間の経過とともに不可避的な拡大傾向を示しており、この趨勢は今後もなお
持続されるであろう、という事実である。わが国における一票の重みの較差拡大の
動向(つまり、動的な上昇ラインの趨勢)を、軽視ないし無視することはできな
い。もしわれわれが、単に本件選挙当時の数値としての較差(つまり、静的な点の
評価)のみに着目してこれに固執するならば、それは定数訴訟の事案解明にとって
決して当を得た判断とはならないであろう。静的な点としての数値の評価は、その
数値がどのような較差のカーブのライン上に位置しているか(つまり、較差のカー
ブのラインが拡大ないし上昇傾向を示しているか、あるいは逆に、縮小ないし下降
傾向を示しているか、そして、そのラインの角度はどの程度か、等)の諸条件を適
確に吟味検討することなくして、数値に客観性を与えることはできない。数値は単
に点であるのみならず、どのようなライン上の点であるかによって、その生命が確
かめられるのである(別表一八の二参照)。このような意味からしても、司法裁判
所は、単に数値のみのミクロな現点にこだわらず、現象の躍動したマクロな状況把
握にもとづく適正な判断をして頂きたいもの、と原告は切望する次第である。
(三) 本件選挙以降におけるこのような投票価値の較差拡大の傾向を、うかつに
も軽視し、これを看過したのが、本年二月八日付東京高等裁判所の判決であろう。
右判決はその判決理由において、「本件選挙当時の最大較差は一対三・一八に達し
ており、投石示価値の不平等状態は、その数値のみをとらえれば、違憲とも判断す
べき状態にあるといえなくもない」などと、甚だ曖昧模糊とした判断を下している
が、しかしながら、右判決は「その数値のみをとらえ」さえもしていないのではな
いか。何故ならば、右判決は、単に較差の小さい有権者比率の数値のみを採り上
げ、職権で当然調査すべき較差の大きい人口比率の数値に対してはこれを一切不問
に付したままであり、また、投票価値の較差拡大の恒常的傾向にもなんらの配慮を
することもなく、ただ有権者比率についての機械的な数値の判断のみを行い、後述
のような合憲判断を導いたからである。しかし、司法裁判所は、事件(本件選挙)
以降の事後的な事情(間接事実)をも考慮し、これの検討を怠るべきではない。要
するに右判決の論拠には、現在のところ、国民各層からも大きな批判があり、ま
た、法的にこれをみても多くの問題点を残しているので、項を改めて論ずることと
する。
第二〇、平成三年二月八日付東京高等裁判所判決の問題点
右判決は、平成二年二月一八日の本件選挙について、首都圏の有権者らが提訴した
定数訴訟に関してなされた判決であって、本件配分規定の違憲性、違法性が争われ
ている点で、本件訴訟と審判の対象を同じくするものである。
この判決の判決理由の要旨は、すでに各新聞紙上に報道されたとおり(甲第九三号
証、同第九四号証)であるが、このうち、本件の原告が自らの主張立証に重要な関
わりをもつものとして特に指摘しておきたいと思うのは、右判決が合憲判断の論拠
とした次の諸点である。
「二 1 現行の議員定数配分規定は、昭和六一年五月二二日成立のいわゆる昭和
六一年改正法により改正されたものであるが、右改正は昭和六〇年七月一七日の最
高裁大法廷判決が昭和五八年一二月施行の衆議院議員選挙当時の議員定数配分規定
は違憲である旨判断したことに対応してなされたものであり、いわゆる八増七減等
により、昭和六〇年国勢調査の人口に基づく選挙区間の議員一人当たりの人口最大
格差は、改正前の一対五・一二から一対二・九九に縮小された。このような改正の
結果を、昭和五〇年改正法によって最大格差が、一対二・九二に縮小し投票価値の
不平等状態が一応解消されたものと評価し得ると判示した昭和五八年及び昭和六〇
年の最高裁判決の趣旨に徴して考えると、現行の議員定数配分規定が憲法に反する
ものということはできない。
2 ところで、本件選挙当時の最大格差は一対三・一八に達しており、投票価値の
不平等状態は、その数値のみをとらえれば、違憲とも判断すべき状態にあるといえ
なくもないが、(1)昭和六一年改正法の制定経緯、(2)右改正当時の最大格差
二・九九倍を超えるに至った選挙区は、神奈川四区と千葉四区の二区のみであるこ
と、(3)右格差拡大は、昭和六一年改正法により従前の違憲状態が一応解消され
た後で次に予定される国勢調査までの間に生じたものであり、その数値も右改正当
時に比して著しく大きいものとはいい難いこと、(4)議員定数配分規定の是正
は、一定時点の確定人口を基礎とする必要から国勢調査の結果をまつことも理由が
あること等に徴すると、右投票価値の不平等状態は、国会に許容される裁量権の限
界を超える程度の著しい不平等に達しているとまで断定することはできない。」
さて、本件配分規定の違憲性、違法性についての原告の主張立証はすでに明らかに
したところであり、もとより原告の立論からすれば、右判決は到底承服することは
できないものであるが、ただ問題はこれのみにとどまらず、従来の最高裁判所大法
廷判決の趣旨、ないしは国会の立法裁量の慣例や先例の動向からしても、右の判決
には幾多の矛盾点、疑問点が指摘されるので、以下、それらを畧記しておく。
(一) まずその第一点は、右判決が、最大較差を二・九二倍に縮小した昭和五〇
年改正法により投票価値の不平等状態が一応解消されたと評価した最高裁判所大法
廷判決の趣旨をただ鵜呑みにして、改正前の五・一二倍の較差から二・九九倍に縮
小した本件配分規定をいとも簡易に、憲法に反しない、と判示している点である。
しかし、右判決は、はたして最高裁判所大法廷判決の趣旨をよく洞察してこのよう
に述べたのであろうか。これについては、原告が多言を弄するよりも、昭和六二年
一〇月一二日付前掲大阪高等裁判所判決について述べた判例タイムスNo六四七号
二三四ページのコメントが、この問題に関する論者のイドラを喝破しているので、
ここに引用する。
「(コメント)衆議院議員の定数配分の違憲性審査基準について従来の最高裁大法
廷判決でも必ずしも明確でなく様々な推測を呼んでいる。一般に新聞報道や学説は
昭和五八年大法廷判決の昭和五〇年改正法により『人口の較差が最大一対四・八三
から一対二・九二に縮小することになったのであり・・・・・・投票価値の不平等
状態は、右改正によって一応解消されたものと評価することができる。』との説示
を捉えて一対三以下は合憲であるとしたものと解説する向が多い(最新文献でも、
中村睦男・法教八五号四四頁、横田耕一・法時五九巻九号九頁四段など多数)。し
かし、老練熟達の最高裁判事の心血を注いだ判文にはその行間にも思いも寄らない
示唆やヒントが秘められていることがある。そのため判決は原文を丁寧に読むべき
ものとされている(中野次雄編・判例の読み方一一八頁)。まして、前記の昭和五
八年大法廷判決を、数行に亘る極めて重要な『・・・ 〈中略〉 ・・・』部分を
飛ばし読みして一対三以下は不平等解消、合憲としたものと速断することは問題で
これに本判決は疑問を差挟んでいる。即ち、この〈中略〉部分には『改正の目的が
専ら較差の是正を図ることにあったことからすれば、右改正後の較差に示される選
挙人の投票価値の不平等は、前述の観点からみて、国会の合理的裁量の限界を越え
るものと推定すべき程度に達しているものとはいえず、他に合理的でないと判定す
るに足る事情を見出すこともできない』ことなどに照らすと、『不平等状態は、右
改正によって一応解消された』という極めて重要な説示がなされている。」
ところで、右判決は、昭和六一年改正法の「改正の目的」ないし「制定経緯」を、
一体、どのように吟味検討したのであろうか。
「改正の目的」が昭和五〇年改正法における「一対三」以上の較差の是正を図るこ
とを目的としていたことは、国会の審議からも明らかである。また、「制定経緯」
が暫定的な定数是正として行われた一時的措置であり、それ故、「昭和六十年国勢
調査の確定人口の公表をよって、速やかにその抜本改正の検討を行う」旨の昭和六
一年五月二一日付国会決議がなされ、さらに、内閣総理大臣も同六一年九月一七日
の第一〇七回国会冒頭の施政方針演説において、「先の国会における定数是正は暫
定措置でありまして、六十年国勢調査の確定人口の公表を待って速やかに抜本改正
を行なうと約束しているところでございます」と公約したことは、まさに公知の事
実であるにもかかわらず、現実にはこれらの公約はなんら実行されることなく、国
会は法の下の平等を命ずる憲法を尊重し擁護する義務、公選法の要求する較差を更
正する義務等の職務上の責務を一切はたすこともなく、徒らに時日を徒過して本件
選挙を迎え、「改正の目的」と「制定経緯」に、ともども違背する今日の事態を招
いたのである。このような前歴をもつ法が、はたして法令審査権の行使において保
護に値する存在といえるであろうか。
(二) また、「国会の合理的裁量の限界」と「他に合理的でないと判定するに足
る事情」についても、昭和五八年大法廷判決は、判決理由、二、2において、次の
ような示唆に富む判示をしていることを忘れてはならない。
「公職選挙法は、いわゆる中選挙区単記投票制を採用し、その制定当時において、
衆議院議員の定数を四六六人とし、全国を一一七の選挙区に分かち、これに三人な
いし五人の議員を配分していたところ、これは、候補者と地域住民との密接な関係
を考慮し、また、原則として選挙人の多数の意思の反映を確保しながら、少数者の
意思を代表する議員の選出をも可能ならしめようとする趣旨に出たものであるこ
と、議員定数の配分を定めた制定当時の同法別表第一は、衆議院議員選挙法の一部
を改正する法律(昭和二二年法律第四三号)による改正後の衆議院議員選挙法(大
正一四年法律第四七号)の別表の定めをそのまま維持したものであること、右別表
における選挙区割及び議員数は、昭和二一年四月実施の臨時統計調査に基づく人口
を議員定数で除して得られる数約一五万人につき一人の議員を配分することとし、
その他に都道府県、市町村等の行政区画、地理、地形等の諸般の事情が考慮されて
定められたこと、及び右人口に基づく右制定当時の選挙区間における議員一人当た
りの人口の較差は最大一対一・五一(以下、較差に関する数値は、すべて概数であ
る。)であったことがその制定経過から明らかである。
右にみたとおり、公職選挙法は、その制定当時、衆議院議員の選挙の制度につき、
選挙区の人口と配分された議員数との比率の平等を唯一、絶対の基準とするもので
はないが、これを最も重要かつ基本的な基準とし、更に、前記の諸般の要素をも考
慮して、選挙区割及び議員定数の配分をしたものと解されるところ、衆議院議員の
選挙における選挙区割と議員定数の配分の決定には、複雑微妙な政策的及び技術的
考慮要素が含まれており、これらをどのように考慮して具体的決定に反映させるか
について客観的基準が存するものでもないので、結局は、国会が具体的に定めたと
ころがその裁量権の合理的行使として是認されるかどうかによって決するほかはな
いのであって、右のように定められた公職選挙法制定当時の議員定数配分規定が憲
法上国会に認められた裁量権の範囲を逸脱するものでないことは明らかというべき
である。
しかしながら、右見地に立って考えても、公職選挙法の制定又はその改正により具
体的に決定された選挙区割と議員定数の配分の下における選挙人の投票の有する価
値に不平等が存し、あるいは、その後の人口の異動により右不平等が生じ、それが
国会において通常考慮しうる諸般の要素をしんしやくしてもなお一般的に合理性を
有するものとは考えられない程度に達しているときは、右のような不平等は、もは
や国会の合理的裁量の限界を超えているものと推定され、これを正当化すべき特別
の理由が示されない限り、憲法違反と判断されざるをえないものというべきであ
る。」
この大法廷判決の文言のうちで特に傾聴に値する箇所の一つは、最高裁判所が、
「憲法上国会に認められた裁量権の範囲を逸脱するものではない」ものの代表的な
例示として、「公選法制定当時の議員定数配分規定」を挙げている点である。
原告は、すでに、公選法制定当時の右規定がわが国の衆議院議員選挙法における伝
統である府県別・人口比例配分方式を踏襲したものであったことを主張立証した
が、それは各選挙区に議員定数を配分するについての数理的規範的原理にもとづく
ものであった。それは、右判決も明示しているように、大正一四年の衆議院議員選
挙法の別表を定めた方式であり、原告の主張立証によれば、明治二二年制定の衆議
院議員選挙法にまでその法源を遡ることのできる伝統的な制度であった。このよう
な規範性、継続性、ないしは歴史性の故にこそ、公選法制定当時の右規定が国会の
合理的裁量権の範囲内にある、と説示されたのであろう。つまり、最高裁判所のい
わんとする国会の裁量権とは、単に安易な法規範性を欠く恣意的な自由裁量権を意
味した。ものではなく、文字どおり「裁量権の合理的行使として是認される」べき
もの全予想していた、と解される。参議院議員選挙に関する昭和五八年四月三七日
付大法廷判決中の反対意見ではあるが、F裁判官が、「較差の存在にもかかわらず
議員定数配分規定の改正は不要であるとの結論に到達したという事実でもあれば、
それは立法府の裁量権の行使とみとめられてしかるべきであろう」、しかし、「国
会の怠慢ともいうべき単なる不作為をもその裁量権の行使に属するものと考えてい
る点について」は「躊躇を感じる」と述べておられるのは、けだし至言というべき
である。
傾聴に値するその二としては、最高裁判所が違憲判断の要件を列挙している点であ
る。
すなわち、公選法制定ないし改正後の人口の異動により投票の価値に不平等が生
じ、「それが国会において通常考慮しうる諸般の要素をしんしやくしてもなお一般
的に合理性を有するものとは考えられない程度に達しているときは、右のような不
平等は、もはや国会の合理的裁量の限界を超えているものと推定され、これを正当
化すべき特別の理由が示されない限り、憲法違反と判断されざるをえないものとい
うべきである。」として、右判決は、立法裁量における非合理性の排除と、較差拡
大に関する立法者からの正当化事由の挙証を求めている。
ところが、本件配分規定の成立後の経緯をみれば、国会は「昭和六十年国勢調査の
確定人口の公表をよって、速やかにその抜本改正の検討を行うものとする」とした
本会議の決議を自ら無視して、国勢調査の公表後約三年三ケ月を経過するも抜本是
正を放置してその公約を踏みにじり、無為無策のうちに較差の不平等を拡大させ、
公選法別表第一末文の更正規定の死文化現象にまたもや不名誉な一ページを加えた
のである。しかしながら、本件選挙にいたるこのような経緯が、「国会において通
常考慮しうる諸般の要素をしんしやくしてもなお一般的に合理性を有するもの」と
して、許容することができるのであろうか。司法裁判所は、国会の単なる怠慢に合
理性を見出したとでもいうのであろうか。国会は現在にいたるも、なお、不平等較
差の放置についての正当化事由をなんら明らかにしてはおらず、大法廷判決の要請
を無視しているのである。
(三) さらに、東京高等裁判所判決は、本件配分規定において昭和六一年改正当
時の最大較差二・九九倍をこえるにいたった選挙区が、神奈川県第四区と千葉県第
四区の二区のみであることを合憲判断の理由の一つに数えるが、この判断基準は矛
盾している。
何故ならば、最高裁判所大法廷の従来の判決は一貫して、定数配分規定の違憲性を
判断するにあたっては、これを不可分一体のものとして把握しており(不可分
説)、右規定のうちの特に問題となっている一部の選挙区のみの較差を対象とし可
分的にその違憲性を判断する立場(可分説。昭和五一年大法廷判決における少数意
見)は採らなかったのであるが、右判決は、自らの不可分説の論理の中に可分説的
分析を混在させ、もって合憲判断の理由づけにしようと試みているが、これは不当
である。
のみならず、右判決は、本件配分規定の改正当時の最大較差については、人口比率
による二・九九倍という数値を採っておきながら、本件選挙当時の最大較差につい
ては、一般的により較差の小さい有権者比率の指標に依拠して二・九九倍をこえる
にいたった選挙区は二区しかない、と述べている。しかし、このような採証方法は
不公正である。改正当時の最大較差に一般的に数値の高い人口比率の指標を採るの
であれば、本件選挙当時のそれについても同様に数値の高い人口比率の指標を採る
べきである。法改正と選挙との間に相当の時間的経過があって、較差の拡大幅が大
きいときには、それほどの問題ではないかもしれないが、本件のようにその時間的
経過が三年余であり、しかも判決が改正当時の較差をこえた選挙区が二区しかない
ことを合憲判断の理由にしようとしている場合には、厳密な数値の取扱いこそが望
まれる。事実、判決が、もし本件選挙当時の較差について人口比率の数値を採って
いたならば、二・九九倍をこえるにいたった選挙区は、少なくとも神奈川県第四区
(約三・二六倍)、千葉県第四区(約三・二四倍)、埼玉県第五区(約三・〇三
倍)の三区を数えなければならなかったはずである。数値の高い人口比率の二・九
九と、数値の低い有権者比率の三・一八とを比較して、その拡大較差〇・一九の中
に入る選挙区が二区しかない、とするのは欺瞞である。この意味からして、右の判
決理由は判断を誤っており、杜撰というべきである。
(四) さらに、右判決は、本件配分規定における較差の拡大は、昭和六一年改正
法により従前の違憲状態が一応解消された後で次に予定される国勢調査までの間に
生じたものであり、その数値も右改正当時に比して著しく大きいものとはいい難
い、とか、議員定数配分規定の是正は、一定時点の確定人口を基礎とする必要から
国勢調査の結果をまつことも理由がある、などと述べるが、これらの理由は合憲判
断の根拠として挙げるほどの証拠価値あるものではい。
右判決は、安易に右改正により従前の違憲状態が一応解消されたというが、改正の
実情は、度重なる国会審議においても明らかなように、国会内でさえ批判が多く、
立法者自ら疑惑と自責の念に駆られながら行った一時的な暫定措置であり(第二準
備書面、(二)、(8)、一九八~九ページの記述、各証拠参照)、それ故にこそ
国会の本会議決議も抜本改正を公約したのであって、このような公的に疑問符のつ
いた較差の上の数値の拡大幅が小さいからといって、これを違憲合憲判断の分岐点
とするなどは失当であろう。
また、本件においては、次の国勢調査の到来を云々するよりも、むしろ昭和六一年
法改正直前の昭和六〇年国勢調査確定値公表後の国会の公約履行の有無こそが立法
裁量の合理性を判断するポイントだったのであるから、右判決は、結局、判断すべ
きものを判断せず、判断する必要のないものをあえて判断したもの、としかいいよ
うがない。
(五) このような苦心惨憺の理由を羅列した後、右判決は、本件選挙当時の投票
価値の不平等状態は国会に許容される裁量権の限界をこえる程度の著しい不平等に
達しているとまで断定することはできない、と結論するのであるが、本件定数是正
についての立法裁量の限界についての論議は、当時の国会審議のどのページをみて
も明らかなように(たとえば、第一〇三国会の議長見解、第一〇四国会の議長調
停、その他、甲第二八~三二号証、乙第一号証の会議録等、参照)、較差を最大限
に維持しようとする政府与党の立場においてさえ、最高裁判所の従来の判決の趣旨
を尊重して較差「一対三」が裁量権の限界であると自認し、自律していたものであ
り、これが立法裁量の枠組についての国会の近時の慣例を形成していたのである。
これまでの公選法改正のさいの国会審議において、較差三倍以上が許される、とし
た前例先例はかってない。また、前述したとおり、昭和三九年、同五〇年、同六一
年の法改正のときの最大較差は、それぞれ、二・一九、二・九二、二・九九であ
り、いずれも三倍の較差を逸脱することなく、国会もこの枠組をもって定数是正に
関する自らの合理的裁量の限界としていたのである。にもかかわらず、右判決は、
国会が自ら自認し自律していたこの枠組を独断で踏みこえ、これを拡張する判断を
あえて行ったのであるが、これは司法裁判所ともあろうものが、他府である立法府
の不作為と怠慢をその裁量権の合理的行使と認定し、立法府の有利な方向へ消極的
立法を犯したことを意味する。
世論が、右判決を評して、国民の信頼に応えていない、過去の司法判断からさえも
後退した他府追随の判決である、としたのも、またやむを得ないところである。
以上を要約するに、本件東京高等裁判所判決の判決理由は、多くの点において誤っ
ており、かつ、あまりにも理由薄弱というべきである。
第二一、結論
本件訴訟について原告の主張立証を完結するにあたり、原告が御庁に対して、慎重
な検討をお願いしたいことが二点ある。それはいずれも、衆議院議員の定数是正を
求める選挙無効請求事件において、最高裁判所がいまだ審判の対象とはせず、ま
た、本格的な判断をも下していなかった事実に関するものである。
すなわち、その第一は、原告の主張立証した府県単位、人口比例配分方式が、明治
二二年の衆議院議員選挙法の制定以来、明治憲法、日本国憲法時代を通じて、衆議
院議員を各選挙区に配分する原理としてわが国に定着していたか、現在もなお、そ
れは法的効力を有する憲法律、ないしは憲法的習律として通用しているか、
また、その第二は、昭和六一年五月二二日に成立した本件配分規定の施行後、平成
二年二月一八日の本件選挙にいたるまでの、約三年八ケ月余の間において、国会
は、拡大の一途をたどる投票較差の不平等を是正するために、一体、どのような合
理的裁量権を行使したか、という二点である。
前者は、昭和五八年大法廷判決も言及したところであるが、昭和二五年公選法制定
当時の議員定数配分の原型ともいえる方式であり、従来の最高裁判所の判例も一貫
して、国会が裁量権を行使するさいの「最も重要かつ基本的な基準」である、とし
ているものである。それは、最高裁判所の解釈においても、定数訴訟の主要事実で
ある国会の立法裁量の合理性を判断する重大な基準なのであるから、このような方
式が存在したかどうか、また、その法的効力はどうか、さらには、それが国会の裁
量権行使の方法としてどのように取り扱われるべきか(つまり、本件配分規定の制
定にあたり、この方式の存在したことが、「他にこれを合理的でないと判定するに
足る事情」として考えられたかどうか)について、明確な判断を頂きたい。
次に、後者については、本件選挙当時における投票価値の不平等は、ひとえに較差
の拡大に対応して公選法を改正しようとはしなかった国会の不作為に由来するもの
と考えられるが、このような国会の不作為をはたして立法裁量の合理的行使とみる
べきものかどうか、についても、明確に判示して頂きたいと思うのである。
御庁は、本件議員定数訴訟における第一審裁判所であり、かつ、唯一の事実審裁判
所である。原告の主張立証して来た一連の事実は、いずれも国民の選挙権の平等に
関わる重大な事実ばかりであるから、何卒、御庁は、これらに対して法令審査権に
もとづく慎重な御審理を賜わるよう、原告は切望する次第である。
以上
別紙(七)
被告準備書面(一)
第一 はじめに
被告は、答弁書において、昭和六一年法律第六七号(以下、「昭和六一年改正法」
という。)による改正後の公職選挙法(以下、「公選法」という。) 一三条、別
表第一、同法附則二項及び七項ないし一〇項(以下これらの規定を「本件議員定数
配分規定」という。)そのものの違憲・無効を理由とする選挙の効力に関する訴訟
が、公選法二〇四条所定の訴えとして適法なものかどうかの主張を留保していると
ころであるが、仮に公選法二〇四条の訴訟形式をかりて、議員定数配分規定の違
憲・無効を理由とする選挙無効の訴訟を提起することができるとしても、本件議員
定数配分規定は、何ら憲法に違反するものではないから、これに基づき平成二年二
月一八日に施行された衆議院議員総選挙(以下、「本件選挙」という。)が無効と
される余地はないというべきである。
そこで、被告は本準備書面において、まず、議員定数配分に際しての国会の裁量
権、本件議員定数配分規定の合憲性について主張し、次回以降原告の主張にも反論
していくこととする。
第二 議員定数配分に際しての国会の裁量権
一 はじめに
憲法一四条一項、一五条一項、三項及び四四条ただし書の各規定からすると、憲法
が平等選挙権を保障していることは明らかである。そして、各選挙人の投票の価値
の平等もまた、憲法の要求するところであると解するのが最高裁判所の判例である
(最高裁昭和五一年四月一四日大法廷判決・民集三〇巻三号二二三ページ〈以下、
「五一年大法廷判決」という。〉、同昭和五八年一一月七日大法廷判決・民集三七
巻九号一二四三ページ〈以下、「五八年大法廷判決」という。〉同昭和六〇年七月
一七日大法廷判決・民集三九巻五号一一〇〇ページ〈以下「六〇年大法廷判決」と
いう。〉同昭和六三年一〇月二一日第二小法廷判決・民集四二巻八号六四四ページ
〈以下、「六三年判決」という。〉)。
被告は、本項において、右一連の最高裁判決を前提にしても、本件議員定数配分規
定が国会の裁量権の合理的な行使として是認し得るものであることを主張する。
二 衆議院議員の選挙における選挙区割と議員定数配分に関する国会の裁量権
1 議会制民主主義の下における選挙制度は、国民の多様な利害や意見の公正かつ
効率的な反映等国民代表の的確な選任、政治の安定を要請していることから、議員
定数配分の決定は、単なる数字の操作のみで解決できない高度の政治的、技術的要
素を含んでいるのである。代表民主制の下における選挙制度は、相互に矛盾する一
面を有する右のような要請を考慮しながら、それぞれの国において、その国の事情
に即して具体的に決定されるべきものである。そして、国民代表の的確な選任とい
う要請を満たす選挙制度の設定は、現代のような多元的社会においては、国民の政
治的意思が、様々な思想的・世界観的対立、多種多様の利益集団の対立、都市部対
農村部の対立等を通じて複雑かつ多様な形で現れるため、極めて多方面にわたる配
慮を必要とするのである。さらに、政党政治の発達は、国民代表の観念さえも著し
く変質させてきており、国民代表の的確な選任の要請のもつ意味すら必ずしも明ら
かでなくなってきているのである。他方、対外的には、世界情勢の複雑化、国内的
には福祉国家体制の進展に伴い、国家の社会、経済への積極的関与の度合いが高ま
り、政治の効率的な運営のために政治の安定も強く要請されているのである。
2 このように、選挙制度は、国民の多様な利害や意見の公正かつ効率的な反映等
国民代表の的確な選任、政治の安定という諸要請を、それぞれの国の政治状況に照
らし、多種多様で複雑微妙な政策的及び技術的考慮の下に全体的、総合的見地から
考察し、適切に調整した上で決定されるべきものであり、この点、我が国とは歴史
的事情、国民性、選挙制度、裁判所の権限等の異なるアメリカ、西ドイツ等の平等
原則の内容をそのまま無批判に我が国に導入することは、厳に慎しまなければなら
ない。
3 それゆえ、憲法は、以上のような理由から、前述したように国会両議院の議員
の選挙については、議員の定数、選挙区、投票の方法その他選挙に関する事項は法
律で定めるべきものとし(四三条二項、四七条)、両議院の議員の各選挙制度の仕
組みの具体的決定を、原則として国会の裁量にゆだねているのである。したがっ
て、投票価値の平等は、憲法上、右選挙制度の決定のための唯一、絶対の基準とな
るものではなく、原則として、国会が正当に考慮することのできる他の政策的目的
ないし理由との関連において調和的に実現されるべきものと解されている(前掲各
大法廷判決参照)。
4 以上述べたことから明らかなとおり、衆議院議員の定数配分の均衡の問題は、
代表民主制下における選挙制度のあり方を前提とした国会の裁量権の範囲の問題と
してとらえられるべきものである。したがって、憲法の要請する平等原則が遵守さ
れているか否かは、具体的に決定された選挙区割と議員定数配分下における選挙人
の投票価値の不平等が国会において、前述の選挙制度の目的に照らし、通常考慮し
得る諸般の要素をしんしやくしてもなお、一般的に合理性を有するものとは到底考
えられない程度に達しているか否かによって判断されるべきものであって、もとも
と客観的基準になじまず、また、これが存しない分野である。
5 衆議院議員の選挙は、いわゆる中選挙区単記投票制が採用されているが、この
場合において、具体的にどのように選挙区を区分し、それぞれに幾人の議員を配分
するかを決定するについては、異なる選挙区間の投票価値の平等を憲法が要求して
いると解する以上、各選挙区間の選挙人数又は人口数と配分議員定数との比率の平
等が最も重要かつ基本的な基準とされるのであるが、それ以外にも、国会が正当に
考慮し得る要素は少なくないのである。五一年大法廷判決も、国会において実際上
考慮され、かつ、考慮されてしかるべき要素について、「殊に、都道府県は、それ
が従来わが国の政治及び行政の実際において果してきた役割や、国民生活及び国民
感情の上におけるその比重にかんがみ、選挙区割の基礎をなすものとして無視する
ことのできない要素であり、また、これらの都道府県を更に細分するにあたって
は、従来の選挙の実績や、選挙区としてのまとまり具合、市町村その他の行政区
画、面積の大小、人口密度、住民構成、交通事情、地理的状況等諸般の要素を考慮
し、配分されるべき議員数との関連を勘案しつつ、具体的な決定がされるものと考
えられるのである。更にまた、社会の急激な変化や、その一つのあらわれとしての
人口の都市集中化の現象などが生じた場合、これをどのように評価し、前述した政
治における安定の要請をも考慮しながら、これを選挙区割や議員定数配分にどのよ
うに反映させるかも、国会における高度に政策的な考慮要素の一つであることを失
わない。」と判示し、衆議院議員の選挙につき、選挙区割や議員定数配分を国会が
決定する際に、極めて多種多様の要素を考慮し得るとし、国会に広範な立法裁量権
を認めているのである。
6 そして、国会が具体的に決定した議員定数配分規定が、その裁量権の合理的な
行使として是認されるかどうかを裁判所が判断するに当たっては、事の性質上、特
に慎重であることを要し、限られた資料に基づき、限られた観点から、たやすくそ
の決定の適否を判断すべきものでないことはいうまでもないところである(五一年
大法廷判決参照)、したがって、具体的に決定された選挙区割と議員定数の配分下
における選挙人の投票価値の不平等が、国会において通常考慮し得る前述のような
詣要素をしんしやくしてもなお、一般的に合理性を有するものとは到底考えられな
い程度に達しているときに限り、国会の合理的裁量を超えているものと判断すべき
ものである。
第三 本件議員定数配分規定の合憲性
一 本件選挙が依拠した本件議員定数配分規定は、前述のとおり、昭和六一年改正
法により改正されたものであるが、それによれば、昭和六〇年一〇月実施の国勢調
査(以下、「国調」という。)の要計表(速報値)人口に基づく選挙区間における
議員一人当たりの人口の較差(以下、「定数較差」という。)は、最大一(長野県
第三区)対二・九九(神奈川県第四区)であった。
被告は、本項において、本件選挙当時の右定数較差が示す選挙区間における投票価
値の不平等の程度は、前述のような国会の裁量権の性質に照らすならば、それが、
国会において通常考慮し得る諸般の要素をしんしやくしてもなお、一般的に合理性
を有するものとは到底考えられない程度に達しているとはいえないことを主張す
る。
二 衆議院議員定数配分規定の改正経過
1 昭和六一年改正法までの経過
(公選法制定当時の定数配分)
公選法が制定された昭和二五年当時、衆議院議員の定数は同法四条一項(総議員数
は四六六名であった。)で、その選挙区割及び議員定数の配分は同法一三条一項、
別表第一でそれぞれ規定されていたところ、その内容は、公選法の制定とともに廃
止された衆議院議員選挙法の規定(ただし、昭和二二年法律第四三号による改正後
のもの)を継承したものである。そして、衆議院議員選挙法の右改正では、議員定
数の配分について、昭和二一年四月に実施された臨時人口調査の結果に基づいて定
められ、それによれば、選挙区間の定数較差は最大一(愛媛県第一区)対一・五一
(鹿児島県第二区)であった。
(昭和三九年法律第一三二号による定数是正)
昭和三五年実施の国調により、定数較差が最大一(兵庫県五区)対三・二一(東京
都第六区)となっていることが明らかとなり、国会において種々論議がなされた結
果、昭和三九年の第四六回国会において、一二選挙区で一九人増員する定数是正法
案が成立し、法律一三二号をもって公布された。
その結果、議員総定数は四八六人となり、定数較差の最大値は、昭和三五年国調人
口で前記三・二一倍から愛知県第一区と兵庫県第五区との間の二・一九倍に縮小し
た。
(昭和五〇年法律第六三号による定数是正〈以下、「昭和五〇年改正」とい
う。〉)
昭和四五年に実施された国調により、定数較差が最大一(兵庫県第五区)対四・八
三(大阪府第三区)に拡大していることが明らかとなり、再度、国会において定数
是正が検討された結果、昭和五〇年の第七五回国会において、一一選挙区で二〇人
増員し、その結果六人以上となる選挙区を分区する定数是正法案が成立し、法律第
六三号をもって公布された。
その結果、議員総定数は、沖縄復帰に伴う昭和四六年の改正による五人増を含めて
五一一名となり、定数較差の最大値は、前記四・八三倍から東京都第七区と兵庫県
第五区との間の二・九二倍にまで縮小した。
2 昭和六一年改正法の成立経緯
(一) 昭和五〇年改正により、昭和四五年国調人口による定数較差の最大値は前
記のように二・九二倍に縮小したが、その後の人口異動により、再び較差は拡大し
ていった。
すなわち、昭和五〇年に実施された国調人口による定数較差は、最大一(兵庫県第
五区)対三・七二(千葉県第四区)となり、昭和五五年に実施された国調人口によ
る定数較差は、最大(兵庫県第五区)対四・五四(千葉県第四区)となり、更に昭
和五八年一二月一八日施行の総選挙時の定数較差(選挙人数比)は、最大一(兵庫
県第五区)対四・四〇(千葉県第四区)となっていた。
(二) このような衆議院議項の各選挙区間の定数不均衡状態に対し、各党におい
て、その是正は緊急かつ重要な課題であるとして、その検討に取り組んだ。しか
し、定数是正問題は、選挙制度の根幹にかかわるものであり、また、改正に伴う影
響も大きなものがあること等から、成案をとりまとめるまでに時日を要した。しか
して、その検討の結果をふまえて、第一〇二回国会において、自民党及び野党四党
(社会党、公明党、民社党、社民連)からそれぞれ定数是正法案が提出された。右
各法案は、いずれも議員総定数五一一人を変更せず、較差を三倍以内にするため、
定数較差の著しい選挙区について、その是正を行うとするものであり、右両法案の
相違点は二人区の取扱いにあった。
右両法案は、昭和六〇年六月二四日、衆議院本会議において、それぞれ提案者から
趣旨説明が行われ、各党から質疑が行われるとともに、衆議院公職選挙法改正に関
する調査特別委員会(以下、「調査特別委員会」という。)において提案理由説明
が行われたが、会期との関係もあり、次国会に継続審議されることとなった。
(三) ところで、最高裁判所は、五八年大法廷判決で、昭和五五年施行の総選挙
における定数較差の最大値が、千葉県第四区と兵庫県第五区の間の三・九四倍(選
挙人数比)に及んでいたことについて、「本件選挙当時の右投票価値の較差は、憲
法の選挙権の平等の要求に反する程度に至っていた」とし(ただし、憲法上要求さ
れる合理的期間内における是正がされなかったものと断定することは困難であると
して、違憲とはしなかった)、続いて、第一〇二回国会終了後間もない昭和六〇年
七月一七日大法廷判決で、昭和五八年施行の総選挙における定数較差の最大値が、
千葉県第四区と兵庫県第五区の間の四・四〇倍(選挙人数比)に及んでいたことに
ついて、選挙の効力は事情判決により無効とされなかったものの、「本件選挙当時
において選挙区間に存した投票価値の不平等状態は、憲法の選挙権の平等の要求に
反する程度に至っていたものというべきであ」り、「憲法上要求される合理的期間
内の是正が行われなかったものと評価せざるを得」ず「本件議員定数配分規定は、
本件選挙当時、憲法の選挙権の平等の要求に反し、違憲と断定するほかはない。」
とし、さらに、補足意見として、現行定数配分規定を是正しないまま、選挙が執行
された場合には選挙の効力を否定せざるを得ないこともあり得るし、当該選挙を直
ちに無効とすることが相当でないとみられるときは選挙無効の効果は一定期間経過
後に発生するという内容の判決もできないものではないとする意見が付されるなど
厳しい見解が示され、定数是正は一層急務となってきた。
(四) その後、調査特別委員会では、昭和六〇年七月から八月にかけて減員対象
区に委員を派遣して関係者から意見を聴取し、また、増員区の関係者を参考人とし
て招き、意見を聴取するなどした。
昭和六〇年一〇月一四日に召集された第一〇三回国会では、定数是正問題が重要課
題の一つとされ、各党の代表質問や予算委員会における質問でも取り上げられ、そ
の後、前述の両法案の審議は調査特別委員会で行われた。同委員会では、右両法案
についていろいろな角度から論議がなされたが、最大の論点は二人区をめぐるもの
であり、これについての与野党の意見は平行線をたどり、容易に歩み寄りが期待で
きない状況となったことから、与野党国会対策委員長会談や幹事長・書記長会談も
行われたが、合意を得るに至らなかった。そのため、衆議院議長は、同年一二月一
九日次のような議長見解を示した。
「一、会期もあとわずかになった現在、定数是正法案の審議が、委員会およびそれ
ぞれの機関の精力的な協議にもかかわらず未だに決着をみていないことは、誠に遺
憾である。
二、そもそも最高裁の判決があった以上、立法府として違憲状態を一日も早く解消
すべき重大な責任を負っていることは申すまでもない。議長として、もとより衆議
院の代表者としてその責任を痛感している。
三、しかし、現在のところ現実には残りの会間中に決着をつけることは不可能であ
る。従って、あくまでも立法府の責任を果たすため、昭和六〇年度国勢調査の速報
値に基づき、来る通常国会において、次の原則に基づき、速やかに成立を期するも
のとする。
(1) 現行の議員総数(五百十一名)は変更しないものとすること。
(2) 選挙区間議員一人当たり人口の格差は一対三以内とすること。
(3) 小選挙区制はとらないものとすること。
(4) 昭和六十年国勢調査の確定値が公表された段階において、速報値に基づく
定数是正措置の見直しをし、さらに抜本的改正を図ることとする。
四、これに対する立法府の決意表明の措置を講ずる。なお、選挙区制の問題につい
てはこれまでの与野党間の議論をふまえて、各党が、合意を得られるよう努力を願
います。以上であります。」
これを受けて、調査特別委員会は、翌二〇日次国会で早急に定数是正を実現すべき
旨の決議を行い、同日の衆議院本会議において、
「衆議院議員の現行選挙区別定数配分規定については、最高裁判所において違憲と
判断され、その早急な是正が強く求められている。
本件は、民主政治の基本にかかる問題であり、立法府としてその責任の重大性を深
く認識しているところである。
本院は、前国会以来、定数是正法案について精力的に審査を進めてきたが、諸般の
事情により、いまだその議了を見るに至っていない。
本問題の重要性と緊急性にかんがみ、次期国会において速やかに選挙区別定数是正
の実現を期するものとする。右決議する。」
との決議がなされ、翌二一日第一〇三回国会は閉会し、両法案とも審議未了廃案と
なり、定数是正問題は、次の通常国会に持ち越された。
(五) 第一〇四回国会は、昭和六〇年一二月二四日に召集されたが、同日、昭和
六〇年国調の要計表人口が発表され、定数較差の最大値が、千葉県第四区と兵庫県
第五区間の五・一二倍となることが明らかとなった。このような状況の中で、第一
〇四回国会においては、前国会での衆議院議長見解や本会議の決議を受けて、定数
是正は速やかに解決すべき最大の課題とされた。本会議の代表質問や予算委員会に
おける審議においても、定数是正問題は大きな焦点とされ、二人区問題などについ
て論議が展開された。
昭和六一年二月一二日、与野党国会対策委員長会談が開かれ、実務者レベルの協議
を進めることとなり、それを受けて自民党、社会党、公明党、民社党及び社民連の
国会対策副委員長で構成する定数是正問題協議会が設置され、前国会における議長
見解を踏まえ、第一〇四回国会において是正を行うことを前提として各党間の協議
が進められた。右協議の経緯を踏まえ、同年四月一四日、次のような同協議会座長
見解が出された。
「一、議長見解を踏まえ、今国会で実現する。
二、今回の定数是正は、附則改正で行う。
三、是正対象選挙区は、一〇増一〇減の選挙区以外に拡大しない。
四、確定値で変動する可能性のある微差の選挙区は是正を見送る。
五、減員区のうち現行定数四名の選挙区は一名減員して三人区とする。
六、その他の減員区については、今国会の会期、関係者等の意見を踏まえ、合分
区、境界線変更等により調整し、二人区の解消に努め、抜本改正においては、二人
区を作らない。
七、有権者と立候補者の立場を尊重して、一定の周知期間を置く。」
この見解をもとに、同年四月一五日から二三日にかけて四回の与野党国会対策委員
長会談が開かれ、更に、四月二六日から三〇日にかけて三回の幹事長・書記長会談
が開かれ、二人区の解消の方法や、周知期間の問題などで、各党間の協議がすすめ
られた。そして、これらの協議を踏まえて四月三〇日衆議院議長にその報告が行わ
れ、具体的な二人区の解消の方法や周知期間の問題などの最終的な決着は議長にゆ
だねられることとなった。
定数是正問題の調停をゆだねられた衆議院議長は、更に各党から意見の聴取を行っ
たうえ、五月八日次のような議長調停を示した。
「(1)今回の定数是正に際し、二人区の解消に努める旨の与野党間の合意の趣旨
を尊重し、それを実現するため各党の主張を勘案した結果、減員によって二人区と
なる選挙区のうち和歌山二区、愛媛三区及び大分二区については、隣接区との境界
変更により二人区を解消することとする。
(2) この場合、減員は七選挙区となり、総定数を変えないときは、増員は七選
挙区となるべきところであるが、今回の定数是正の中心課題である較差三対一以内
に縮小しなければならない要請にこたえるため今回は特に八選挙区において増員を
行うことも巳むを得ないものと考える。
しかしながら、抜本改正の際には、二人区の解消とともに総定数の見直しを必ず行
うものとする。
(3) 本法の施行に際しては、有権者の立場を尊重して周知期間を置くとの与野
党の合意を踏まえ、特に、この法律は、公布の日から起算して三十日に当たる日以
後に公示される総選挙から施行するものとする。
(4) 以上のほか従来の与野党ですでに合意した点を含め各党間で協議を進め早
急に所管委員会で立法措置を行うため審議に入るものとする。」
議長調停が出されたことにより、これをもとに法案化の作業が行われた。今回の公
選法の一部を改正する法律案は、議長調停を受けての法律案であることにもかんが
み、五月十六日、調査特別委員会において委員会提出の法律案とすることが決せら
れ、五月二一日、衆議院本会議において、提案者の三原朝雄調査特別委員長から趣
旨説明がなされ、賛成多数により可決されたものである。
また、右本会議において、今回の是正は、当面の暫定措置であり、昭和六〇年国調
の確定人口の公表をまって抜本改正の検討を行うものであるとして、次のような決
議がなされた。
「選挙権の平等の確保は議会制民主政治の基本であり、選挙区別議員定数の適正な
配分については、憲法の精神に則り常に配慮されなければならない。
今回の衆議院議員の定数是正は、違憲とされた現行規定を早急に改正するための暫
定措置であり、昭和六十年国勢調査の確定人口の公表をまって、速やかにその抜本
改正の検討を行うものとする。
抜本改正に際しては、二人区・六人区の解消並びに議員総定数及び選挙区画の見直
しを行い、併せて、過疎・過密等地域の実情に配慮した定数の配分を期するものと
する。
右決議する。」
参議院においては、国会最終日の五月二二日、選挙制度に関する特別委員会におい
て提案者からの法律案の提案理由説明及び各党からの質疑が行われた後、賛成多数
で可決され、さらに同夜開催された本会議において、賛成多数で可決され、ここに
昭和六一年改正法が成立し、懸案の定数是正の実現をみたのである。
三 昭和六一年改正法制定における国会の裁量性
1 本件議員定数配分規定は、前項で述べたとおりの経緯の下に制定された昭和六
一年改正法により、従前の定数配分規定が是正されたものであるが、右経緯から明
らかなとおり、右改正法は、国会が、最高裁判所から五八年大法廷判決及び六〇年
大法廷判決で、昭和五〇年改正の議員定数配分規定の下で昭和五五年及び同五八年
にそれぞれ施行された衆議院議員総選挙が、いずれも選挙区間に存した投票価値の
不平等状態が憲法の選挙権の平等の要求に反する程度に至っていたと指摘されたこ
とを深刻に受けとめ、立法府として、最高裁判所から違憲と指摘された定数配分規
定を早急に是正すべき必要性を十分に認識し、種々検討を重ねて制定されたもので
ある。しかも、昭和六〇年国調の要計表人口を基に、当面の暫定措置として制定さ
れたことからも明らかなとおり、右改正法は、国会が、定数是正の早急な実現とい
う要請に速やかに対応するために、最大限の努力を重ねた結果制定されたものであ
る。
これらのことは、本件定数是正措置を決定するに当たっての国会の裁量性を判断す
る場合に、十分にしんしやくされるべきである。
2 また、本件の定数是正に当たっては、前述の立法経緯から明らかなとおり、定
数較差については、それを三倍以内とするとの方針が終始採られていたのであり、
その結果、右改正法では昭和六〇年国調の要計表人口における定数較差の最大値が
二・九九倍となったのであるが、これは、五八年大法廷判決及び六〇年大法廷判決
が、いずれも、昭和五〇年改正により、定数較差の最大値が四・八三倍から二・九
二倍に縮小したことについて、右改正前の投票価値の不平等状態は、右改正によっ
て一応解消されたものと評価することができる旨の判断を示したことを踏まえたも
のであった。
すなわち、五八年大法廷判決は、「昭和五〇年改正法による改正後の議員定数配分
規定の下においては、(中略)、直近の同四五年一〇月実施の国勢調査に基づく、
選挙区間における議員一人当たりの人口の較差が最大一対四・八三から一対二・九
二に縮小することとなったのであり、(中略)、右改正前の議員定数配分規定の下
における投票価値の不平等状態は、右改正によって一応解消されたものとして評価
することができる。」と判示しており、また、六〇年大法廷判決も、「昭和五〇年
改正法による改正の結果、従前の議員定数配分規定の下における投票価値の不平等
状態は、一応解消されたものと評価することができるというべきである」と判示し
ているところである(なお、右改正は昭和四五年国調による人口を基準としたもの
であるため、右改正時における最大較差は一対三を超えていたものである。五八年
大法廷判決C反対意見参照)。右各人法廷判決はいずれも、昭和五〇年改正によ
り、投票価値の不平等状態が一応解消された(すなわち、違憲状態でなくなった)
ことを前提とした上で、当該各選挙施行時においては違憲状態であったとし、なさ
れるべき定数是正について、憲法上要求される合理的期間が経過していたか否かの
検討に移っているのであり、その中で、昭和五〇年改正法の公布の日(同年七月一
五日)以後のある時点において、定数較差の拡大による投票価値の不平等状態が憲
法の選挙権の平等の要求に反する状態に達していたと推認しているのである。
このように、右各大法廷判決は、昭和五〇年改正における定数較差(最大二・九二
倍)は違憲でない旨を明確に判示しているのである。
さらに、昭和六一年改正法の目的が、専ら大法廷判決によって違憲状態とされた定
数較差の是正を図るものであったことは前述の経緯から明らかであるが、前述のと
おり、衆議院議員の選挙における選挙区割と議員定数の配分の決定については、複
雑微妙な政策的及び技術的考慮要素が含まれており、これらをどのように考慮して
具体的決定に反映させるかについて客観的基準が存するわけではなく、また定数較
差の許容基準についても客観的具体的基準が存するわけではないのであるから、国
会が、最高裁判所から昭和五五年及び昭和五八年にそれぞれ施行された総選挙につ
いて、定数較差の状態が違憲状態にあると指摘され、そのために、違憲状態の解消
を目的とした定数是正を早急に実現するに際し、前記各大法廷判決が違憲でないと
した昭和五〇年改正における定数較差を最大の目安とし、それを定数是正を行う上
での方針としたことには、十分合理性があるというべきであって、このことは、六
三年判決において確認されている。すなわち、六三年判決は本件議員定数配分規定
に基づき昭和六一年七月六日に施行された衆議院議員選挙について、「昭和六一年
改正法による議員定数配分規定の改正によって、昭和六〇年国勢調査の要計表(速
報値)人口に基づく選挙区間における議員一人当たりの人口の較差は最大一対二・
九九となり、本件選挙当時において選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の
較差は最大一対二・九二であったのであるから、前記昭和五八年大法廷判決及び昭
和六〇年大法廷判決が、昭和五〇年法律第六三号による公職選挙法の改正の結果、
昭和四五年一〇月実施の国勢調査による人口に基づく選挙区間における議員一人当
たりの人口の較差が最大一対二・九二に縮小することとなったこと等を理由とし
て、前記昭和五一年大法廷判決により違憲と判断された右改正前の議員定数配分規
定の下における投票価値の不平等状態は右改正により一応解消されたものと評価で
きる旨判示する趣旨に徴して、本件議員定数配分規定が憲法に反するものとはいえ
ないことは明らかというべきである。」と断定しているのである。
3 以上のとおり、本件議員定数配分規定は、前記各大法廷判決が示した基準であ
る「具体的に決定された選挙区割と議員定数の配分の下における選挙人の投票価値
の不平等が、国会において通常考慮しうる諸般の要素をしんしやくしてもなお、一
般的に合理性を有するものとはとうてい考えられない程度に達している」とは到底
認められないのであり、したがって、本件選挙が無効とされる理由は全くないこと
は明らかである。
別紙(八)
被告準備書面(二)
一 原告は、平成二年四月一八日付け原告準備書面(第一)(以下「第一準備書
面)という)七五ないし八四ページにおいて、五一年、五八年及び六〇年各大法廷
判決が示す国会の裁量権についての解釈は、立法裁量の限界についてのあいまい性
のゆえに、各大法廷判決が前提としたはずの各選挙人の投票価値の平等の原間を本
質的に損なう結果になっているとして批判し、議員定数配分における人口比例の原
則を厳守した形式的平等主義をとるべきとする立場から、較差の許容基準とその限
界を計数により明確にすべきであり、国会の裁量権も右許容基準を超えることはで
きない旨主張している。
そこで、被告は、本準備書面において、議員定数の配分に当たっての国会の裁量権
の憲法上の根拠、右裁量判断に当たっての考慮要素及び右裁量判断の特質、並びに
右裁量権行使の適否の判断についての司法審査のあり方並びに昭和六一年五月二一
日衆議院本会議において可決された衆議院議員の定数是正に関する決議について主
張する。
二 衆議院議員定数配分に際しての投票価値の平等と国会の裁量権との関係につ
き、五一年大法廷判決は、「投票価値の平等は、各投票が選挙の結果に及ぼす影響
力が数字的に完全に同一であることまでも要求するものと考えることはできない。
けだし、投票価値は、選挙制度の仕組みと密接に関連し、その仕組みのいかんによ
り、結果的に右のような投票の影響力に何程かの差異を生ずることがあるのを免れ
ないからである。」(民集三〇巻三号二四一二・二四四ページ。以下ページ数のみ
示す。)と判示して、まず、投票価値が選挙制度の仕組みと密接に関連しているこ
とを示し、次いで、「代表民主制の下における選挙制度は、選挙された代表者を通
じて、国民の利害や意見が公正かつ効果的に国政の運営に反映されることを目標と
し、他方、政治における安定の要請をも考慮しながら、それぞれの国において、そ
の国の事情に即して具体的に決定されるべきものであり、そこに論理的に要請され
る一定不変の形態が存在するわけのものではない。」(二四四ページ)と判示し
て、代表民主制の下における選挙制度のあり方を示し、次いで、「わが憲法もま
た、右の理由から、国会両議院の議員の選挙については、議員の定数、選挙区、投
票の方法その他選挙に関する事項は法律で定めるべきものとし(四三条二項、四七
条)両議院の議員の各選挙制度の仕組みの具体的決定を原則として国会の裁量にゆ
だねているのである。」(二四四ページ)と判示して、議員定数の配分に当たって
の国会の裁量権の憲法上の根拠を明らかにしている。そして、「それ故、憲法は、
前記投票価値の平等についても、これをそれらの選挙制度の決定について国会が考
慮すべき唯一絶対の基準としているわけではなく、国会は、衆議院及び参議院それ
ぞれについて他にしんにやくすることのできる事項をも考慮して、公正かつ効果的
な代表という目標を実現するために適切な選挙制度を具体的に決定することができ
るのであり、投票価値の平等は、(中略)、原則として、国会が正当に考慮するこ
とのできる他の政策的目的ないしは理由との関連において調和的に実現されるべき
ものと解されなければならない。」(二四四ページ)と判示し、国会が適切な選挙
制度を具体的に決定するに際しては、投票価値の平等のほかに、他にしんしやくす
ることのできる事項をも考慮すべきであることが憲法上も要請されていることを明
らかにした。そして、右考慮すべき事項について、「実際上考慮され、かつ、考慮
されてしかるべき要素は、少なくない。」(二四六ぺージ)とした上で、これを具
体的に摘記しているところであるが、これによれば、右考慮事項としては、都道府
県、これら都道府県を更に細分するに当たっては、従来の選挙の実績、選挙区とし
てのまとまり具合、市町村その他の行政区画、面積の大小、人口密度、住民構成、
交通事情、地理的状況等の諸般の要素、さらには社会の急激な変化やその一つのあ
らわれとしての人口の都市集中化現象も高度の政策的な考慮要素に当たるとし(二
四六ページ)、投票価値の平等が最も重要かつ基本的な基準であるとしても、国民
の利害や意見が公正かつ効果的に国政運営に反映され、かつ、政治における安定の
要請をも考慮した適切な選挙制度を決定する際には、前記のようないわゆる非人口
的要素も考慮されてしかるべきであることを確認しているのである。
そして、五一年大法廷判決は、右各要素を考慮してなされる議院定数配分の決定の
性質につき、右「決定には、極めて多種多様で、複雑微妙な政策的及び技術的考慮
要素が含まれており、それらの諸要素のそれぞれをどの程度考慮し、これを具体的
決定にどこまで反映させることができるかについては、もとより厳密に一定された
客観的基準が存在するわけのものではない」としているのである(二四七ペー
ジ)。そうすると、以上述べたところから明らかなように、憲法は、議員定数配分
規定の立法に当たり、国会に、投票価値の平等を最も基本的考慮要素としつつも、
前記のような多種多様かつ複雑微妙な考慮要素との調和的実現を容認していること
は明らかであって、その調和は、国会の総合的判断によって実現されるものであ
る。
ところで、右のような議員定数配分決定過程の特質にかんがみ、右諸要素の国会に
おける考慮結果である議員定数配分規定の憲法適合性の司法判断のあり方について
みると、右考慮要素の多様性及びその的確な司法的確定の困難性並びに高度の政治
的、政策的判断の要素等に照らすと、裁判所の組織・構成・権能からして、これら
諸要素すべてについて裁判所が的確な認定・判断を下すことは極めて困難なことと
いわざるを得ないのである。してみると、このような司法機関の組織及び権限の特
質からすると、議員定数配分規定の憲法適合性の司法的判断に当たっては、五一年
大法廷判決が正当にも判示するように、「事の性質上、その判断に当っては特に慎
重であることを要し、限られた資料に基づき、限られた観点からたやすくその決定
の適否を判断すべきものでないことは、いうまでもない。」(二四七ページ)ので
ある。したがって、前記のような多様な考慮要素に比し、「限られた資料」と「限
られた観点」からの制約を受けざるを得ない司法審査においては、国会において決
定された議員定数配分規定の下における投票価値の不平等が、国会において通常考
慮し得る前記のような諸般の考慮要素をしんしやくしてもなお、一般的に合理性を
有するものとは到底考えられないと明白に認められる場合に限って、違憲と判断し
得るものと解すべきであり、人口的要素と非人口的要素との均衡・調和のあるべき
姿について有力な見解の対立があるような場合は、右違憲とされ得る場合には当た
らないというべきである。また、前記のような考慮要素の流動的性格及び高度の政
策的考慮を必要とする特質にかんがみると、原告主張のように容易に数値的判断基
準を定立することはできないのであり、前記各大法廷判決が数値的判断基準を定立
していない趣旨も右のような事情を考慮した結果であると解される。
以上のような議員定数配分に際しての国会の裁量権についての五一年大法廷判決の
解釈は、五八年及び六〇年大法廷判決にも受け継がれ、最高裁判所大法廷の判例と
して定着しているのである。
三 原告は、国会の裁量権に関する各大法廷判決の解釈に対し、投票価値の平等が
憲法上の要請であるならば、これには選挙制度決定の考慮要素として最優先順位が
与えられるべきであり、法律上の理由に基づく他の考慮要素に優先する強行性をも
つものとして理解しなければならないのに、各大法廷判決は、投票価値の平等の要
請と他の考慮要素(人口的要素と非人口的要素)とこのような価値的秩序を認識せ
ず、もしくはこれを混同あるいは無視して、これらを並列的調和的に理解し、結局
において、投票価値の平等を志向する憲法原則を下位法規である立法政策の中に相
対的に埋没せしめることとなり、遂には憲法理念の冒とくを招来することになると
批判している(第一準備書面八一、八二ページ)が、原告の右批判は、次に述べる
とおり、各大法廷判決の趣旨ひいては国会に憲法上認められた裁量権の意味を正解
しないものであり、失当である。
1 各大法廷判定は、衆議院議員の定数配分に際し、選挙区の人口と配分された議
員数との比率の平等(人口的要素)を最も重要かつ基本的な基準とし、その他の非
人口的要素に優先するものとして位置づけているのであり、「国会がその裁量によ
って決定した具体的な選挙制度において現実に投票価値に不平等の結果が生じてい
る場合には、それは、国会が正当に考慮することのできる重要な政策的目的ないし
は理由に基づく結果として合理的に是認することができるものでなければならない
と解される」(五一年判決、二四五ページ。)として、憲法の投票価値の平等の要
請は、国会の裁量権の行使についての合理的な限界を画するものとして機能するこ
とを明らかにしているのであって、人口的要素と非人口的要素とを単に並列的に理
解しているものでないことは明らかである。
2 さらに、各大法廷判決は、衆議院議員の定数配分の均衡の問題は、代表民主制
下における選挙制度のあり方を前提とした国会の裁量権の範囲の問題としてとらえ
ているのである。そして、選挙制度の目的は、選挙された代表者を通じて、国民の
利害や意見が公正かつ効果的に国政の運営に反映され、他方、政治における安定の
要請をも考慮することにあることから、憲法は、国会両議院の議員の選挙につい
て、およそ議員は全国民を代表するものでなければならないという制約の下で、議
員の定数、選挙区、投票の方法その他選挙に関する事項は法律で定めるべきものと
し(四三条、四七条)、どのような選挙制度が国民の利害や意見を公正かつ効果的
に国会に反映させることになるかの決定を国会の極めて広い裁量に委ねているので
あるから、国会が議員定数配分を行うに際して、非人口的要素を考慮することは、
前記の選挙制度の目的に照らすならば、憲法上、当然に要請されているのであ
り、.国会の責務ですらあるというべきである。
参議院地方選出議員の選挙に関し、最高裁昭和五八年四月二七日大法廷判決(民集
三七巻三号三五二ページ)が、「(公選法で定める参議院地方選出議員について
の)選挙制度の仕組みの下では、投票価値の平等の要求は、人口比例主義を基本と
する選挙制度の場合と比較して一定の譲歩、後退を免れないと解せざるをえないの
である。」として、衆議院議員の場合と投票価値の平等の位置づけを異にしている
のも、投票価値の平等の要請は、選挙制度の仕組みとの関連でとらえられるべきで
あるとの解釈に基づいたことによるものであり、正当な憲法解釈というべきであ
る。
3 このように、各大法廷判決は、投票価値の平等の要請を選挙制度の仕組みとの
関連でとらえられるべきものであることを明らかにするとともに、議員定数配分に
際し考慮すべき人口的要素と非人口的要素との間に、原告が指摘するような質的な
差異があることを認めず、ただ、投票価値の平等の要請が最も重要かつ基本的な基
準であることを確認して、これが国会の裁量権の行使につき、その合理的な限界を
画するものとして働くことを明らかにし、憲法一四条と四三条、四七条との調整を
図ったものであり、現行憲法秩序に合致した正当な解釈であり、原告が批判するよ
うに憲法理念の冒とくを招来するものでは決してない。
四 次に、五一年大法廷判決は、「衆議院議員の選挙における選挙区割と議員定数
の配分の決定には、極めて多種多様で、複雑微妙な政策的及び技術的考慮要素が含
まれており、それらの諸要素のそれぞれをどの程度考慮し、これを具体的決定にど
こまで反映させることができるかについては、もとより厳密に一定された客観的基
準が存在するわけのものではないから、結局は、国会の具体的に決定したところが
その裁量権の合理的な行使として是認されるかどうかによって決するほかはな
く・・・」(前記二四七ページ)と判示し、国会の裁量権の行使につき合理的裁量
を超えるとされる具体的数値については、これを示すことを避け、抽象的な基準を
示すにとどまっており、この解釈も、五八年及び六〇年大法廷判決に受け継がれ、
最高裁判所大法廷の判例として定着しているのである。
原告は、各大法廷判決のとる右のような解釈では、選挙制度の決定においてなんら
の客観的数値的基準が存在しないことになり、法的安定性を害する結果となり、選
挙権の平等という国民主権と代議機能に直結する最も重要な国民の基本権を制度的
に公平に保障し得ず、むしろこれを有名無実のもたらしめる結果を招いていると主
張している(第一準備書面八二、八三ページ)が、各大法廷判決の前記解釈は、前
述したように、国会の裁量権の限界を画する基準は本来一定の厳密な数値になじみ
にくく、また、裁判所としては、個々の事案の解釈に必要な限度で合憲かどうかの
判断を示せば足り、具体的な数値でもって一般的に右基準を示すことは相当でない
と判断したことによるものと考えられ、これは、司法判断の性質上当然の解釈であ
る。
五 以上のとおり、国会の裁量権に関する各大法廷判決に対する原告の批判は、投
票価値の平等の要請のみを憲法上の要請であるととらえ、これを唯一絶対の基準と
する誤った憲法解釈に基づいたものといわざるを得ず、これは、前述したところか
ら明らかなように憲法解釈の方法として決して正当なものではない。
各大法廷判決が、国会の裁量権に関して示した解釈は、投票価値の平等の要請を十
分に尊重しつつ、国民の利害や意見が公正かつ効果的に国政の運営に反映され、他
方、政治における安定の要請をも考慮して選挙制度が定められるべきであるとする
憲法上の他の要請との調和を図ったものであり、極めて正当な憲法解釈というべき
であり、六一年改正法の本件議員定数配分規定が国会の裁量権の合理的な行使とし
て是認し得るものであり、本件選挙が無効とされる余地がない旨の被告の主張は、
各大法廷判決の判旨に照らし当然に是認されるべきである。
六 昭和六一年五月二一日衆議院本会議において可決された衆議院議員の定数是正
に関する決議(以下「国会決議」という。)について
1 衆議院議員の定数是正問題については、平成二年六月六日付け被告準備書面第
三、二、2(昭和六一年改正法の成立経緯)で述べたとおり、第一〇二回国会以
来、衆議院の調査特別委員会等で種々論議がなされてきた。そして、特に、六〇年
大法廷判決で昭和五八年施行の総選挙の際の議員定数配分規定が違憲であると断じ
られた後の第一〇一二回国会では、最高裁判所から指摘された違憲状態を早急に解
消するために鋭意論議が重ねられたにもかかわらず、会期中に合意を得る見通しが
立たなくなったことから、昭和六〇年一二月一九日、P5衆議院議長から、昭和六
〇年国調の速報値に基づいて、違憲状態を早急に解消するために、次の通常国会
(第一〇四回国会)において定数是正法案の成立を期する旨の議長見解が示され、
これを受けて翌二〇日の衆議院本会議において、次期国会で速やかに選挙区別定数
是正の実現を期する旨の決議がなされたのである。
右議長見解は、司法府から指摘された衆議院議員定数配分規定の違憲状態を立法府
として一日も早く解消すべき重大な責任を負っていることを確認し、衆議院の代表
者として、第一〇四回国会においてその責任を果たす決意を表明したものであり、
そこで示された定数是正を行うに当たっての原則は、それまでの論議の中で大方の
合意の得られたもいで、次期国会において定数是正の実現を期するに当たっての基
本的な方針を明確にしたものと理解できるものである。
第一〇四回国会では、前記議長見解や本会議決議の趣旨に基づき、更に論議が重ね
られ、昭和六一年四月一四日には定数是正問題協議会での協議の経緯を踏まえた同
協議会座長見解が示され、更に、与野党国会対策委員長会談や幹事長・書記長会談
においても各党間の協議が進められたが、意見の調整は難航した。そのため、同年
五月八日P5衆議院議長から議長調停が各与野党に示され、自民党がこれを受け入
れたほか、社会、公明、民社、社民連の各党も調停に従うこととしたため、会期中
の成立を目指し、右議長調停をもとに定数是正法案が作成され、同年五月二一日の
衆議院本会議において右法案が可決されたのである。
2 国会決議は、以上のような経緯の下に衆議院本会議において昭和六一年改正法
案が可決された直後に、議事日程に追加された上で可決されたものである。この決
議は、第一〇二回国会以来協議が重ねられてきた衆議院議員の定数是正問題につい
て、そのための法案が衆議院本会議においてようやく可決されたのを機に、衆議院
として、定数配分問題についでの基本的姿勢を明確にするとともに、昭和六一年改
正法案の性格を明らかにし、右改正において残された諸問題を将来にわたって検討
していくことを表明したものと理解できる。
六 一年改正法案は、その提案理由によれば、大幅な人口の地域間移動により議員
定数の配分が各選挙区間において著しい不均衡を生じていること及び六〇年判決に
おいて六一年改正法による改正前の定数配分規定が憲法の選挙権の平等の要求に反
し全体として違憲との判断が示されたことを受け、右違憲とされた定数配分規定の
是正こそが国会に課せられた緊急かつ重要な問題であるとの認識のもとに提出され
たものである。
もとより、衆議院議員の定数配分問題については、なお、さまざまな問題が残され
ているが、五八年判決の考え方に従えば、今回の改正によって衆議院議員定数配分
の違憲状態は解消されたものということができる。
このような経過の下で、右国会決議は、「今回の衆議院議員の定数是正は、違憲と
された現行規定を早急に改正するための暫定措置」であるとした上で、「昭和六〇
年国勢調査の確定人口の公表をまって、速やかにその抜本改正の検討を行う」こ
と、「抜本改正に際しては、二人区・六人区の解消並びに議員総定数及び選挙区画
の見直しを行い、併せて、過疎・過密等地域の実情に配慮した定数の配分を期する
もの」としているところであり、そのような様々な観点から検討される定数是正の
問題について、暫定措置であるがゆえに違憲性の除去において不徹底であるとする
原告の主張は、今回の改正の経緯に照らしても著しく当を失したものと言わざるを
得ないのである。

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