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平成14年12月18日判決言渡
仙台高等裁判所 平成13年(行コ)第9号 公務外災害認定処分取消請求控訴事

(原審 盛岡地方裁判所 平成4年(行ウ)第2号)
口頭弁論終結日 平成14年10月7日
  
          主    文
     1 原判決を取り消す。
     2 被控訴人の請求を棄却する。
     3 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人の負担とする。
          事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
 1 控訴の趣旨
   主文と同旨
 2 控訴の趣旨に対する答弁
  (1) 本件控訴を棄却する。
  (2) 控訴費用は控訴人の負担とする。
第2 事案の概要
 1 本件は、被控訴人が同人の夫で小学校(岩手県釜石市立A小学校、以下「A
小学校」という。)の
  教諭であった亡Cが、昭和58年1月24日ころ自殺していたところ、亡Cの
自殺は、同人のA小学
  校における小学校教諭としての公務が過重となり、その精神的緊張及び重圧に
よってうつ病に罹患し、
  希死念慮発作によって引き起こされたものであるとして、控訴人に対し、地方
公務員災害補償法に基
  づく公務上災害認定を請求したところ、控訴人が公務外災害の認定処分(以下
「本件処分」という。)
  をしたため、同処分の取消しを求めて提訴したところ、原審が、亡Cは過重な
公務により、うつ病に
  罹患し、その希死念慮発作によって自殺したもので、業務起因性が認められる
として、被控訴人の請
  求を認容する判決をしたので、控訴人が控訴したものである。
 2 当事者の主張
   本件における「争いのない事実」及び「争点」は、原判決の「事実及び理
由」欄の「第2 事案の
  概要」中の「1 争いのない事実」、「2 争点1」及び「3 争点2」(原
判決2頁6行目から同
  10頁15行目まで)と同一であるから、これを引用する。
第3 当裁判所の判断
 1 当裁判所は、被控訴人の本訴請求は、亡Cが軽症うつ病あるいは何らかの精
神疾患に罹患していた
  可能性は否定できないが、その担当する職務は公務過重とは認められず、した
がって亡Cの自殺は公
  務に起因したものとは認められないので、これを棄却すべきであると判断す
る。その理由は、次のと
  おり付加・訂正するほかは、原判決の「事実及び理由」欄の「第3 争点に対
する判断」(原判決1
  0頁16行目から同24頁24行目まで)と同一であるから、これを引用す
る。
  (1) 原判決10頁18行目の「40,41」を「35、40、41」と、
同じ行の「乙9ないし
     11」を「乙4、9ないし11、21、29、31、33、43ないし
46、55」とそれぞ
     れ改め、同19行目の「同D,」の次に「同E、同F、同G、同H」を
加える。
  (2) 原判決11頁16行目から同12頁3行目までを次のとおり改める。
      「 イ 1学期
         (ア) 亡Cは、A小学校での1学期当時、教師になって7年
目で初めて1年生の担
            任になり、1年2組を担当した。亡Cが担当したクラス
の中には、家庭の事情
            で欠席がちであった女子児童がいたことから、その児童
のことを気に掛けてい
            たが、同児童は両親の離婚が成立したことに伴い、昭和
57年10月2日に転
            校した。
         (イ) 亡Cは、被控訴人に微熱が続き頭痛を訴えることがあ
ったが、その原因や継
            続した期間については明確でない。また、亡Cは、被控
訴人に対し、校長が授
            業中に突然入ってくるので、子供たちの気が散るし、自
分が監視されているよ
            うで、とてもいやである旨話していたことが認められる
が、当時のA小学校の
            G校長としては、当時のA小学校は、木造の老朽校舎で
あったことから、危険
            な個所がないかなどを確認するために週に1回程度校舎
を回っていたことが認
            められ、亡Cや他の教師を監視するために(亡Cがその
ように感じたことはあ
            ったとしても)教室を回っていたとは認められない。さ
らに、亡Cは、被控訴
            人に対し「A小学校ってすごいぞ。職員室の黒板に日程
が書かれていて、休憩
            時間が取られない形で書いてあっても、それにみんな慣
れているような形で動
            いてんだぞ。変だなって感じるのは俺だけかな。」など
と話すこともあった。
            しかしながら、亡Cの発言の趣旨は必ずしもはっきりし
ないうえ、休憩時間が
            黒板に記載されていなくとも、A小学校内細則(甲1)
5条によれば、休憩時
            間、休息時間は校長が割り振ると規定されており、実際
にもA小学校の他の教
            師は、その裁量の範囲内で適宜休憩、休息をとっていた
ことが認められるし、
            亡Cは、第1学年の担当であって、火曜日と水曜日以外
は午後12時15分で
            授業は終了するのであるから、休憩時間が実際に取られ
ていなかったというこ
            とはできない。」
  (3) 原判決12頁5行目から8行目までを次のとおり改める。
      「 (ア) 亡Cは、昭和57年7月25日から夏休みに入り、同人
に割り当てられた各研
           究会の準備はあったものの、海水浴に1回と大船渡に花火
を見に行ったりした。
           同年8月21日が2学期の始業式であったところ亡Cの、
夏休みに入ってからの
           出勤状況をみると、同年7月は7日間のうち30日(金)
は自宅研修で、31日
           (土)に年次有給休暇(以下「年休」という。)を取得し
たのみであったが、8
           月は20日までの20日間で出勤したのは9日間のみであ
った。」
  (4) 原判決12頁14行目の「いわれたことがあった。」を「いわれたこ
とがあったが、それ以
     上の具体的な話はなかった。」と改める。
  (5) 原判決12頁18行目の「連続し,」から同20行目末尾までを「続
いた。また、同月4日
     は、低学年だけの国語の低学団研究会があり、同月12日は道徳の全校
研究会があった。しか
     し、全校研究会の日程は、年度当初の職員会議によって経験者から先に
行うということで既に
     この時期に亡Cが担当することに決定していたものであるし、学団研究
会の実施時期は、担当
     する職員の都合に合わせてその申し出に応じたかたちで決定されていた
ものである。そして、
     各研究会における亡C作成の指導案(甲4、6)はそれぞれ第1学年の
学習指導書(甲4に対
     応するものとして乙13、甲6に対応するものとして乙14の1、2)
を基礎にして作成され
     ている。」と改める。
  (6) 原判決12頁21行目の「平成7年度」を「昭和57年度」と、同2
3行目の「計画案の」
     を「計画案の備考欄の」と、同末行の「記載されていなかった。」を
「記載されていないが、
     それ以前の日についても同計画案の備考欄に記載されていない日もある
ほか、同月7日からは
     記載がなされるに至り、次第にその量も増え、同月20日以降は従前の
ように記載するように
     なった(亡Cは、同月17日の欄に「今日の道徳おもしろかったといっ
てくれたのがとてもう
     れしい。」と記載している。)。なお、昭和58年2月4日に道徳の公
開授業が行われること
     は、昭和57年4月の段階で決定されており、そのための資料決定は同
年11月25日になさ
     れていたものであることは後記認定のとおりである。また、同年12月
後半に、亡CがG校長
     に「僕の学級の図画を見てください。お陰でここまで書けるようになり
ました。」といって子
     供の図画を見せたことがあった。」とそれぞれ改める。
  (7) 原判決13頁1行目から同5行目までを次のとおり改める。
      「 (ウ) 亡Cの2学期における年休の取得経過で同人の行動など
をみると、昭和57年
           9月は、1日(水)には特免を取得し、8日(水)は、午
後2時30分から、1
           0日(金)は午後3時から、22日(水)は午後2時から
それぞれ午後5時まで
           年休を取得している。なお、21日(火)は授業参観日で
あり、16日(木)は
           E教諭が道徳の、H教諭が国語の全校研究会を担当してい
る。同年10月は、1
           日(金)には午後3時から、14日(木)は、午後1時か
らそれぞれ午後5時ま
           で年休を取得している。19日(火)は釜石まつりで休校
となっている。なお、
           7日(木)はH教諭が道徳の学団研究会を担当している。
また、15日(金)は、
           I教諭とJ教諭が道徳の全校研究会を担当している。同年
11月は、2日(火)
           には、学芸会の代休で休みである。4日(木)は、学団研
究会で国語の、12日
           (金)は全校研究会で道徳の発表をしていることは前記の
とおりである。14日
           (日)ころに亡Cの長男Kに高熱が続いたため釜石市民病
院に入院したことから、
           亡Cは、16日(火)には午後2時30分から、18日
(木)、19日(金)、
           22日(月)はいずれも午後1時から5時まで年休を取得
している。Kは26日
           (金)に退院した。同年12月は、1日(水)には、午後
2時30分から午後3
           時10分まで、同月24日(金)は午後1時から、28日
(火)は、午前8時1
           5分からいずれも午後5時まで年休を取得している。
        (エ) ところで、原審における本人の尋問の結果において、被
控訴人は亡Cが、2学
           期に入ってから、連日のように自宅で午後11時ないし翌
日の午前1時ころまで
           仕事をするようになり、同年12月に入ると、通知票作成
などの学期末業務と翌
           年の公開授業に向けた本件指導案の作成を平行して行って
いたため、深夜まで自
           宅で仕事をするようになっていた旨供述するが、この点は
必ずしも被控訴人が実
           際に確認したものでないことは、同人も供述するところで
あるし、その具体的な
           仕事の内容についても明確ではない。確かに、昭和57年
11月4日は、低学年
           だけの国語の低学団研究会があり、同月12日は道徳の全
校研究会があったが、
           全校研究会の日程は既に同年4月の段階で決定していたも
のであるし、学団研究
           会の実施時期は、担当する職員の都合に合わせてその申し
出に応じたかたちで決
           定されていたものであり、各研究会における亡C作成の指
導案(甲4、6)はそ
           れぞれ第1学年の学習指導書(甲4に対応するものとして
乙13、甲6に対応す
           るものとして乙14の1、2)を基礎にして作成したこと
が認められることは前
           記のとおりであることからすると、被控訴人のこの点の供
述から直ちに亡Cの公
           務が過重であったと即断することはできない。」
  (8) 原判決13頁6行目の「(エ)」を「(オ)」と改め、同11行目の
「(オ)」を削り、同
     じ行の「亡C」を「また亡C」と改め、同14行目の「また」を「さら
に」と改め、同18行
     目の次に行を変えて次のとおり加える。
      「 なお、同月末ころには、学校内で風邪が流行し、亡CもG校長か
ら病院に行くように勧
       められたが、「若いから大丈夫です。」と答え、G校長から薬をも
らって飲んだりしたこ
       とがあった。」
  (9) 原判決14頁2行目の次に行を変えて次のとおり加える。
      「 なお、亡Cは上記秋田市で開催された東北B青年教職員研究集会
においてレポートを用
       意するなどして準備し、また、同集会においてメモをとっており、
熱心に取り組んでいる
       姿勢が認められる。」
  (10) 原判決14頁12行目から13行目の「出席し,同月11日に指導
助言教諭であるL小学
      校のM教諭に本件指導案を提出し,」を「出席して、午前8時40分
ころから午後3時30
      分ころまで資料指導案を検討し、その際亡Cは、本件指導案の修正前
の指導案を提出したが、
      亡Cの当該指導案の内容は、ほぼ完成に近いかたちであり、同月8日
ころ、指導助言教諭で
      あるL小学校のM教諭のところに指導案を持っていき、構成などにつ
いて指導・助言を受け、
      さらに修正した本件指導案を同教諭に提出した。」と、それぞれ改
め、同13行目から14
      行目の「その後も同指導案の修正を行っていたところ,」と、同20
行目の「本件指導案の
      修正をするためという理由で,」をそれぞれ削り、同21行目の次に
行を変えて次のとおり
      加える。
      「 他方、亡Cは同月12、13日に年休を取得し、盛岡市で開催さ
れた日教組の教研集会
       に参加したが、その時の様子を同月17日にN教頭に語ったり、子
供の育て方について生
       き生きとした様子で話していた。同月は、4日、5日、10日、1
4日、18日が自宅研
       修となっており、同月20日の3学期の始業式までに出勤したの
は、6日から8日までの
       3日と11日、17日、19日の3日の合計6日であった。そし
て、亡Cは19日の社会
       主義青年同盟の新年会に出席し、同じ会に出席した者から、酒の席
ではあったが、亡Cの
       A小学校分会における活動について「やっぱりCさんもっと入って
いかなきゃならないじ
       ゃないかな。・・・・Cさんもっと頑張ることでぎねのがな
あ。」、「ずるいんじゃない
       か。もっと前に出なきゃ。」と指弾されていた。」
  (11) 原判決14頁25行目の次に行を変えて次のとおり加える。
       「 亡Cは、同日の週学習指導計画案簿には「50日という短かい
3学期、がんばってほ
        しいと思う。」と記載している。
        (イ) 同月21日に前記M教諭から、同年2月の道徳の公開授
業について亡Cが先に
           提出した本件指導案の返却を受けたが、同人の指導案には
主題設定の最後の2行
           に朱書があるだけであったので一緒にいたH教諭から「C
先生は良かったね。私
           の指導案はほらこんなに訂正があるよ。」といってH教諭
の指導案を見せたられ
           たところ、亡Cはにこっと笑っていた。」
  (12) 原判決14頁末行から同15頁7行目までを次のとおり改める。
       「 (ウ) 同月22日、G校長は、N教頭や教務主任から亡Cの
前記M教諭から返却さ
            れた本件指導案がほぼ完成しているとの報告を受けた。
その後、亡Cは2階階
            段の踊り場付近に立っていたのをF教諭が見かけた(同
人は、亡Cがぼおーっ
            と立っているように見えた旨証言する。)が、少し話を
したのみであった。ま
            た、他の教諭に亡Cは話しかけ冗談も言っていた。同日
亡Cは午後1時30分
            過ぎに実家の花巻に行き、花巻の病院に祖母を見舞った
うえ、午後10時30
            分ころ帰宅した(行き帰りの車中において、被控訴人に
対し「うるさい。」な
            どと怒鳴ったことがあった。)。同月23日は終日自宅
で過ごし、本件指導案
            を検討するなどしたが、夜には被控訴人が亡Cの姉と電
話している際、電話の
            そばで、1歳4か月になるKの声を聞かせようとして、
Kをくすぐったりした
            後、自分が42歳になったら自宅を建て替えたいなどと
家族に話した。」
  (13) 原判決15頁8行目の「(ウ)」を「(エ)」と、13行目の
「(エ)」を「(オ)」と
      改める。
  (14) 原判決16頁15行目の次に行を変えて次のとおり加える。
       「 なお、A小学校においては、昭和57年度は全校研が16回、
学団研が6回の合計2
        2回が予定されていたところ、実際に行われた回数は不明である
が、釜石市内の他の小
        学校においては年20回程度が行われていることからすると、A
小学校が特別多いとは
        いえない。また、A小学校の昭和57年度の学校経営計画(甲
1)では、全校授業研は
        年間一人1回とし、学団研も同様とし、学団研は、全校授業研の
準備も行うものとし、
        略案程度で、気軽に取り組んでみようとされており、実際にも全
校研でもB4サイズの
        用紙3枚程度の指導案を作成するものであり、その教材も国語、
道徳の既存の学習指導
        書を基礎にしているものであることは前記のとおりである。」
  (15) 原判決16頁23行目の「あった(A方式)。」を「あったが、こ
の方式を、被控訴人が
      主張するように特に「A方式」と呼称するとの共通認識があったこと
を認めるに足りる的確
      な証拠はない。」と改める。
  (16) 原判決17頁2行目の「また,亡Cは」を「また、原審における被
控訴人本人尋問の結果
      によれば、亡Cは」と、同17行目の「話していた。」を「話してい
た等と被控訴人は供述
      する。しかし、他方、週学習指導計画案簿(甲2)には亡CがA小学
校における道徳教育や
      公開授業などについて悩んでいたことをうかがわせる記載はないし、
同僚の教諭にもその悩
      みを相談したことはなかった。」とそれぞれ改める。
  (17) 原判決18頁1行目の次に行を変えて次のとおり加える。
       「 (なお、乙18、19によれば、O分校においても、亡Cは、
道徳の授業研を担当し
         たことがあり、いわゆる抽出方法についてもA小学校の方法に
類似していることが認
         められる。)」
  (18) 原判決19頁6行目の次に行を変えて次のとおり加える。
       「 (2) また、証拠(乙66)によれば、APA(アメリカ精
神医学会)のDSMー
            IV診断基準では、2週間以上継続を基本としてその人
自身が抑うつ気分の存
            在を、悲しみまたは、空虚感を感じていると表現するこ
と、またはほとんど毎
            日の、すべて、またはほとんどすべての活動における興
味、喜びの著しい減退
            が本人の言明、または他者の観察によって証明されるこ
とが原則であり、その
            他に体重減少(食欲減退)、不眠・睡眠過多、気力の減
退・易疲労性、無価値
            感・罪責感、思考力や集中力の減退、死についての反復
思考のうち3つが存在
            していることが証明されなければならないとされる。」
  (19) 原判決19頁7行目の「(2)」を「(3)」と改める。
  (20) 原判決19頁14行目の「(3) 財団法人」を「(4) 亡Cの
行動全般について専門
      家の見解をみると、財団法人」と改め、同20頁3行目の次に行を変
えて次のとおり加える。
      「 他方、P大学医学部精神神経医学研究室助教授Q(以下「Q医
師」という。)は、R医
       師と同様に本件訴訟記録を検討した上で、その意見書など(乙6
6、67の1)において、
       結論において亡Cの自殺は公務が精神的に過重な負担となり、その
結果精神疾患に罹り、
       正常な認識等が阻害され、自殺行為を思い止まる精神的な抑止力が
阻害された結果のもの
       であるとは認められず、公務外と判断し、R医師の見解とは正反対
の結論を示している。」
  (21) 原判決20頁4行目から同21頁5行目を次のとおり改める。
       「 (5) 前掲第3、1に掲げた証拠及びそこで認定した事実を
前提に検討すると、被
            控訴人の主張及びR医師の見解では亡Cが抽出児の技法
をもって道徳の授業計
            画をすすめる作業が同人の児童観、教育理念にそぐわ
ず、同人に特別な精神的
            負担を与えたとするが、週学習指導計画案簿(甲2)の
内容からは道徳の授業
            について悩んでいたことはうかがわれず、周囲の教諭に
も悩みをうち明けたり
            相談したような形跡はないこと、昭和57年10月18
日から同年12月6日
            までの間は、週学習指導計画案簿(甲2)の備考欄に従
来のような記載がない
            が、それ以前にも記載がない日があるうえ、これは、そ
の間10月3日のPT
            A運動会、同月13日の遠足、同月16日のいもの子
会、同月30日及び31
            日の学芸会、11月には6日のゲーム集会、20日のマ
ラソン大会などの学校
            の行事が続いたこと、また11月中旬から下旬にかけて
長男Kの入院による年
            休の取得などがその原因とも考えられること、同年12
月7日からは記載がな
            されるようになり同月20日以降は従前のように記載が
なされるようになって
            いること、同年10月18日の週以降にも備忘録(甲4
1)には記載がなされ
            ている箇所があり、その内容はそれぞれ明瞭であること
からすると、亡Cにと
            って道徳の授業が特別な精神的な負担となっていたとま
ではいえないというべ
            きである。また、同年11月4日の国語の学団研、同月
12日の道徳の全校研
            究会も無事にこなし、同年12月28日、29日の秋田
市で開催された教職員
            組合の研究集会に泊まりがけで、レポートを用意して参
加しており、昭和58
            年1月12、13日には年休を取得して、盛岡市で開催
された日教組の教研集
            会に参加し、その時の話を教頭に熱っぽく語っており、
同月19日には社会主
            義青年同盟の新年会に出席しているが、周囲の者も特に
おかしいと感じていな
            いこと、同月22日には亡Cの実家である花巻に自家用
車を運転して日帰りし
            ていること、同月23日の夜には、長男Kの声を妻と電
話をしている亡Cの姉
            に聞かせようとして、電話の脇でKに話かけたり、くす
ぐったりしていること、
            失踪当日の同月24日の出勤前に義父に坂道を滑らない
よう気を付けるように
            声をかけていること、亡Cの遺書(乙9)には、その書
体及び内容ともに乱れ
            が認められないのであって、これらの事実によれば前記
「うつ病エピソード」
            の各診断の基準に照らしても、うつ病エピソードにおけ
る基本症状である当人
            自身が抑うつ気分の存在、悲しみまたは空虚感を感じて
いることを表現するか、
            全てまたはほとんど全ての活動における興味、喜びの著
しい減退が当人の言明
            または他者の観察によって証明されてるとはいえず、亡
Cが反応性うつ病を含
            む中等症ないし重症うつ病に罹患していたとまで断定す
ることはできない。
             もっとも、昭和57年12月2日、亡Cは、体重測定
において以前から5キ
            ログラム減少した52キログラムであり、食欲も不振で
あったことが認められ
            ること、昭和57年10月18日から同年12月6日ま
での間は、週学習指導
            計画案簿(甲2)の備考欄に従来のような記載がないこ
と、昭和57年12月
            に疲労感を訴えていたこと、昭和58年1月20日に
は、被控訴人や同居の養
            父母が亡Cが疲れている様子であったことから病院に行
くよう勧めていること
            などを考慮すると、そのころ軽度のうつ病あるいは何ら
かの精神疾患を発症し
            た可能性を全く否定することもできないと解するのが相
当である。」
  (22) 原判決21頁6行目を「3 争点2(業務起因性)について」と改
める。
  (23) 原判決21頁14行目から同23頁10行目までを次のとおり改め
る。
       「 (2) 公務との関連性について
             亡Cは1学年を初めて受け持ったものであり、1学年
は高学年に比べて単元
            数においては少ないといえるが、他方1学年は他の学年
よりも授業の準備に時
            間がかかることがあり、基本的な生活態度の習慣付けな
どをする必要がある点
            でそれだけ手間がかかることも否定しがたいところであ
る。しかしながら、前
            記第3、1に掲げた証拠並びにそこで認定した事実によ
れば、A小学校におけ
            る学団研究会及び全校研究会の回数につき、昭和57年
度は全校研が16回、
            学団研が6回の合計22回が予定されていたところ、実
際に行われた回数は不
            明であるが、釜石市内の他の小学校においても年20回
程度が行われているこ
            とからすると、A小学校のみが特別多いということはで
きない。また、各上記
            各研究会の内容については、同小学校の昭和57年度の
学校経営計画(甲1)
            によると、全校授業研は年間一人1回とし、学団研も同
様とし、学団研は、全
            校授業研の準備も行うものとし、略案程度で、気軽に取
り組んでみようとされ
            ていて、実際にも全校研でもB4サイズの用紙3枚程度
の指導案を作成するも
            のであり、指導案作成の負担についても、その教材は国
語、道徳の既存の学習
            指導書を基礎にしているものであって、全く新しく作成
しなければならないも
            のではないこと、週学習指導計画案簿(甲2)には、亡
CがA小学校における
            道徳教育や公開授業などについて悩んでいたことをうか
がわせる記載はなく、
            同僚の教諭にもその悩みをうち明けたり相談したことは
認められないこと、亡
            Cは、教師になって7年目であり、以前に勤務したO分
校においても、亡Cは、
            道徳の授業研を担当したことがあり、いわゆる抽出方法
についてもA小学校の
            方法に類似していること、指導案の作成についても全く
経験のない教諭や教諭
            2年目の者も、臨時の講師さえも授業研究会をこなし
て、指導案を作成してい
            ることなどが認められるのであって、これらの事実を総
合するとA小学校にお
            ける亡Cの公務が特に過重であったため、これが原因と
なって亡Cに軽症うつ
            病が発症したとまで認めることはできない。」
  (24) 原判決23頁11行目から同24行目までを次のとおり改める。
       「 (3) 公務以外の事情について
             前記第3、1に掲げた証拠並びにそこで認定した事実
によれば、亡Cは、岩
            手県教職員組合に所属し、A小学校に転任前は、活発に
活動したことが認めら
            れるが、A小学校に転任後は同組合釜石支部に所属し、
泊まりがけで研修会に
            参加したりはしたものの、以前ほど活発ではなかったと
ころ、昭和58年1月
            19日の社会主義青年同盟の新年会に出席し、同じ会に
出席した者から、酒の
            席ではあったが、亡CのA小学校分会における活動につ
いて「やっぱりCさん
            もっと入っていかなきゃならないじゃないか
な。・・・・Cさんもっと頑張る
            ことでぎねのがなあ。」、「ずるいんじゃないか。もっ
と前に出なきゃ。」と
            言われたことが認められ、亡Cが組合活動について何ら
か悩みがあったのでは
            ないかとも推測され、その意味で、亡Cが軽症うつ病あ
るいは何らかの精神疾
            患を発症した可能性について、公務以外の事情による可
能性も否定できない。
            なお、亡Cは、A小学校に転任するに伴い、既に養子縁
組をしていた被控訴人
            の両親とともに同居することになり、A小学校へはその
同居先から自家用車で
            通勤していたことが認められるが、夫婦仲が悪かったと
か、養親との折り合い
            が悪かった等の事情はなく、むしろ、被控訴人も両親も
亡Cを気遣っていたこ
            とが認められるのであって、家庭内の事情が軽症うつ病
等の発症可能性の心理
            的負荷となった事情は認められない。また、亡Cに精神
障害を発病させる何ら
            かの素因がなかったことは前記認定のとおりである。」
  (25) 原判決23頁25行目から同24頁24行目までを次のとおり改め
る。
       「 (4) 亡Cは、前示のとおり、中等症ないし重症うつ病に罹
患していたとはいえな
            いものの、軽症うつ病あるいは何らかの精神疾患を発症
した可能性を全く否定
            することはできない。しかしながら、以上の説示に従う
と、亡Cの軽症うつ病
            の原因が、亡Cの担当した公務が特に過重であった点に
あるとまで認めること
            はできないというべきである。したがって、公務の過重
が原因で亡Cが自殺し
            たものであると認めることはできない。」
 2 以上の次第で、被控訴人の本訴請求は理由がないから、これを棄却すべきで
あり、これと異なる原
  判決は失当として取消しを免れない。
   よって、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法67条2
項、61条を適用して、
  主文のとおり判決する。
                                     
   仙台高等裁判所第三民事部
      裁判長裁判官   喜多村 治 雄
         裁判官 小 林   崇
         裁判官 浦 木 厚 利
 
【原審判決】
平成13年2月23日判決言渡
盛岡地方裁判所 平成4年(行ウ)第2号 公務外災害認定処分取消請求事件
口頭弁論終結日平成12年11月2日
          主    文
     1 被告が昭和63年11月22日付けでなした原告に対する公務外災
害認定処分を取り消す。
     2 訴訟費用は被告の負担とする。
 
        事実及び理由
第1 請求
   主文と同旨
第2 事案の概要
   本件は,原告の夫であり,岩手県釜石市立A小学校(以下「A小学校」とい
う。)の教諭であった
  訴外亡Cが,昭和58年1月24日ころに自殺していたところ,同人の自殺
は,小学校教諭としての
  公務が過重となり,その精神的緊張及び重圧によってうつ病に罹患し,自殺念
慮発作から引き起こさ
  れたものであるとして,原告が被告に対し,地方公務員災害補償法に基づく公
務上災害認定を請求し
  たところ,被告が公務外災害の認定処分(以下「本件処分」という。)をした
ため,同処分の取消し
  を求めた事案である。
 1 争いのない事実
 (1)亡Cは,昭和51年4月に岩手県の職員として採用され,昭和57年4月
からA小学校の教諭と
   して勤務していたが,昭和58年1月24日午前7時40分ころに自宅を出
た後行方が分からなく
   なり,同年2月6日,岩手県気仙郡h"町i"j"番地のk"の山中におい
て,縊死の状態で発見さ
   れ,検屍の結果,自殺(以下,この自殺を「本件被災」ともいう。)である
と判断された。
(2)原告は,亡Cの妻であり,昭和62年8月15日,被告に対し,亡Cの本
件被災について,公務
   災害認定を請求したところ,被告は,これを公務外災害と認定する本件処分
を行い,昭和63年1
   1月22日付けでその旨を原告に通知した。
    原告は,本件処分を不服として,同年12月9日付けで地方公務員災害補
償基金岩手支部審査会
   に審査請求をしたが,同支部審査会は,平成3年2月4日付けでこれを棄却
する旨の裁決をした。
   さらに,原告は,同年3月20日,同裁決を不服として,地方公務員災害補
償基金審査会に対し,
   再審査請求をしたが,同審査会は,同年12月4日付けでこれを棄却する裁
決をし,同裁決書は,
   平成4年1月24日,原告に到達した。
 2 争点1
   亡Cは,うつ病に罹患していたといえるのか。
(1)原告の主張
   ア 亡Cは,A小学校の執務状況に関連して,以下の事情により,肉体的な
疲労,精神的な緊張及
    び重圧を受けていた。
   (ア)亡Cは,児童数25名程度,教員数4名の小規模校から,児童数26
2名,教職員数13名
     と比較的大規模なA小学校に転任してきて1年目であり,最も難しいと
いわれる第1学年児童
     の担任を初めて経験させられていた。
   (イ)A小学校では,昭和53年度以来,道徳教育の研究を進めてきていた
が,昭和55年度及び
     翌56年度において,釜石市教育委員会から道徳教育研究校の指定を受
けていた。同小学校で
     は,昭和57年度も道徳教育の研究を継続することとし,昭和58年2
月4日には,同指定継
     続研究の一環として,釜石市教育長や他校の教諭らが参加する道徳授業
公開研究会が予定され
     ていたため,昭和57年4月に全校研究会や学団研究会という研究体制
が組織された。学団研
     究会は,1ないし3学年の低学団と4ないし6学年の高学団とに分かれ
ており,また,全校研
     究会は,授業研究会と資料研究会とがあり,担当教諭が指導案を作成
し,資料研究会での資料
     の検討修正を経て,授業研究会で授業の実践をするというものであっ
て,授業研究会の担当は,
     年間一人1回と決められていた。
      昭和57年度には,亡Cの本件被災までの間に,全校研究会16回
の予定が17回,学団
     研究会6回の予定が9回も行われていた。
      亡Cは,同各研究会の準備に追われていただけでなく,同年11月4
日の国語の授業研究会
     を担当したほか,同月12日の道徳の授業研究会をも担当し,年1回と
決められているはずの
     授業研究会を2回も担当した。亡Cは,同各研究会のため,同年10月
から,週学習指導計画
     案簿の記載量が極端に少なくなり,翌11月に入ると,帰宅後毎日午前
1時まで,翌年2月の
     公開授業研究会の準備に追われ,週1回程度発行していた学級通信も月
1回しか発行しなくな
     った。
   (ウ)A小学校では,道徳の授業において,児童をいわゆる良い子,悪い
子,普通の子の3グルー
     プに分け,各グループから抽出した児童を中心として,その問答によっ
て授業を展開する方法
     (以下「A方式」という。)を採用していた。
      亡Cは,小学1年生の全くあどけない児童を同3グループに分けるこ
と自体道徳的教育の原
     点に反するとの考えから,A方式に大きな疑問を持っていたが,転任1
年目であったこと等か
     らこれによらざるを得なかった。
   (エ)A小学校の校長G(以下「G校長」という。)は,道徳教育で著名な
人物であり,A方式を
     積極的に推進し,亡Cの授業中の教室に授業を見に来たりしていたほ
か,昭和57年12月の
     ストに際し,教育長からの警告書を見せ,同ストへの参加を翻意するよ
う促すなどした。その
     ため,亡Cは,同校長に不信感を抱き,精神的な軋轢を生じさせていた
ところ,本件被災の2
     日前である昭和58年1月22日,同校長から,同年2月に担当する公
開授業の指導案(以下
     「本件指導案」という。)の修正を求められたため,不本意ながらこれ
を修正することとした。
   イ 亡Cは,上記アのような過酷な環境の中において,昭和57年度の1学
期から既に微熱が続く
    状態であったが,2学期に入ると,遠足,授業参観日などの行事に忙殺さ
れた上,上記した各授
    業研究会の担当としての準備もあって,深夜まで自宅で仕事をしなければ
ならない状態であり,
    そのため,食欲不振となり,57キログラムあった体重も52キログラム
と減少し,夜も眠れず,
    寝ても疲れが取れない状態となっていた。
     さらに,亡Cは,冬休みに入っても,公開授業に向けた全校研究会があ
り,本件指導案の作成
    のため,自宅で午前0時,1時まで仕事をしており,昭和58年1月3
日,原告に対し,「俺に
    は正月はまだだよ。公開が終わらないうちは正月なんて来ないよ。何だか
いつも背中にずっしり
    と重い荷物を背負って歩いてるような感じなんだよな。」などと漏らして
いた。
     亡Cは,同月20日から3学期が始まったのに,同月21日及び翌22
日の週学習指導計画案
    簿には教科名しか記載せず,同日,G校長から,同月24日までに公開授
業の本件指導案の修正
    を求められたため,同月22日及び翌23日には午前0時ころまでその作
成に当たっており,翌
    24日の週学習指導計画案簿には全く記載していなかった。
   ウ 亡Cは,以上のとおり,特別の精神的負担を与えられ,昭和57年11
月には過労とストレス
    の条件下で反応性うつ病ないし中等症うつ病エピソードに罹患し,年末年
始にかけて,不眠,食
    欲の減退及び疲労感と共に,孤立感,無力感,感情疎隔感,喜びの喪失,
公開授業への異常な集
    中及び固着など,同疾病の症状が進行した結果,自殺念慮発作により,自
殺したものである。
(2)被告の主張
  アうつ病の症状
  (ア)うつ病とは,悲しみ,孤独,絶望,低い自己評価,責任感を特徴とす
る一時的な精神状態な
     いし慢性的な精神障害で,精神運動制止,頻回ではない焦燥,社会から
の引きこもり,植物神
     経症状(食欲低下,不眠など)などの特徴を伴うものをいい,反応性う
つ病とは,近親者の死
     亡などのある種の体験によって引き起こされたうつ病であり,倦怠感,
頭痛,頭重,手足の異
     常感,肩凝り,胸内苦悶,明らかな食欲減退,体重減少(過去1ヶ月で
5パーセント以上),
     便秘,明らかな性欲の減退,月経不順,味覚の低下,睡眠障害などの身
体症状を伴うものであ
     る。
      反応性うつ病に罹患した者は,自殺念慮を抱くことがあるが,必ず自
殺念慮を抱くわけでは
     ない。
   (イ)全ての典型的な抑うつのエピソードに共通するものとして,①抑うつ
気分,②興味と喜びの
     喪失,③活力の減退による易疲労感の増大や活動性の減少に悩まされる
ということがあり,わ
     ずかに頑張ったあとでも,ひどく疲労感を感じることが普通である。こ
の他の一般的な症状は,
     次のとおりである。
    a集中力と注意力の減退
    b自己評価と自信の低下
    c罪責感と無価値観(軽症エピソードであってもみられる)
    d将来に対する希望のない悲観的な見方
    e自傷あるいは自殺の観念や行為
    f睡眠障害
    g食欲不振
   (ウ)軽症うつ病の診断確定のためには,上記①ないし③のうちの少なくと
も2つが存在し,aか
     らgまでの症状の少なくとも2つが存在することが必要であり,また,
中等症うつ病の確定診
     断のためには,同①ないし③のうちの少なくとも2つが存在し,aから
gまでの症状の少なく
     とも3つ(4つが望ましい。)が存在することが必要であり,これらエ
ピソード全体の最小の
     持続時間は約2週間である。
イ亡Cの業務内容
   (ア)亡CのA小学校への転任は,教諭となって7年目のことであり,職務
内容にある程度習熟し
     た後のことであるから,同小学校で1年の学級担任となったことも,特
に緊張を要するほどの
     ものとは思われない。
   (イ)A小学校での全校研究会や学団研究会は,年間の授業計画に基づき,
主に午後の授業のない
     木曜日の勤務時間内に開催することとなっており,これら各研究会は,
教諭全員が参加する共
     同作業であって,亡Cだけに過重な負担が掛かるものではなかった。A
小学校では,亡Cが転
     任早々であったことを考慮し,授業研究会の担当予定を一番最後にする
配慮などをしていた。
   (ウ)亡Cは,昭和57年11月12日,年1回の割当ての授業研究会であ
る道徳の授業を行い,
     昭和58年2月4日,釜石市内を中心に60から70人が参加する道徳
の公開授業を行う予定
     であった。同公開授業は,校長,教頭,教務主任,養護教諭を除く全て
の教諭が担当すること
     になっており,亡Cのみが過重な負担をしていたわけではない。
      亡Cの公開授業に向けた本件指導案は,既に同年1月22日には完成
しており,同指導案に
    G校長が修正を指示したことはない。
   (エ)亡Cは,死亡当時の朝まで,自宅でも学校でも,いつもと変わらない
日常生活を送っていた。
     本件被災の直前に限って見ても,前々日の1月22日の土曜日には,勤
務終了後,自動車を運
     転して妻子と共に花巻市の実家に赴き,入院中の祖母を見舞い,午後1
0時30分ころに帰宅
     している。本件被災当日も,義父に雪道で滑らないように声を掛けて送
り出し,長男にも声を
     掛けて,午前7時40分ころに平常通り出勤している。また,亡Cに
は,積極的に本件指導案
     を作成するなど,うつ病特有の症状である仕事のミスの多発やぼんやり
している状態など,自
     発性の減退は全く認められていない。
   ウ これらの状況からすれば,亡Cの業務がうつ病に罹患するようなもので
あったとはいえないし,
    同人がうつ病に罹患していたものと認めることもできない。
 3 争点2 
  亡Cの自殺と公務との間に業務起因性があるのか。
(1)原告の主張
   ア 亡CのA小学校における公務の状況は,前記2(1)のとおりであり,
その質,量ともに明ら
    かに過重であった。
   イ 亡Cは,夫婦仲も良く,子供も元気で,円満な家庭生活を営んでおり,
実父母,養父母とも健
    在であって,同居している養父母との関係も良く,私生活には何らの問題
もなかった。また,遺
    伝,素質,体質,過去の生活環境にも問題がなく,精神障害の既往歴もな
かったのであるから,
    うつ病罹患に至る個体的要因はなかった。
   ウ 亡Cは,うつ病の精神障害により,正常な認識,行為選択能力が阻害さ
れ,あるいは,自殺を
    思い止まる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺したもので
あって,そこに自由意
    思の介在は認められない。
  エ労災保険法の「故意」
   (ア)労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)12条の2の
2第1項は,「労働者
     が故意に負傷,疾病,障害若しくは死亡又はその直接の原因となった事
故を生じさせたときは,
     政府は,保険給付を行わない。」と規定しているが,同規定は,当該負
傷,疾病若しくは死亡
     がそもそも業務を原因とせず,業務と死亡の結果との間に条件関係すら
存在しない場合に労災
     保険給付を行わないという当然の事理を確認的に規定しているものとい
うべきである。
      ところで,業務により,うつ病に罹患して自殺した場合には,主観的
には自殺を念慮し企図
     して実行されるものであるが,その自殺念慮や企図は,客観的には本人
の自由な選択に基づく
     ものではなく,本人の選択を越えたうつ病の「症状」として現われるも
のである。したがって,
     自殺による死亡がうつ病に罹患した結果であると推認することができる
場合には,本人に死亡
     の認識・認容があったとしても,それはうつ病の症状の結果であり,自
らの死を主体的,理性
     的に「意図する」という意味での故意には当たらないと解すべきであ
る。
      よって,「うつ病等の精神障害により正常な認識,行為選択能力が著
しく阻害され,あるい
     は,自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状
態で」自殺したと認め
     られる場合には,労災保険法12条の2の2第1項の「故意」には当た
らないと解されるべき
     である。
   (イ)亡Cは,前記2(1)のとおり,昭和57年11月ころにうつ病(反
応性うつ病)を発症し,
     同うつ病の発症には業務起因性が認められるところ,同人の自殺は,う
つ病の症状の支配下に
     おいて必然的に引き起こされたものであるから,上記した労災保険法1
2条の2の2第1項の
     「故意」には当たらなというべきである。
   オ したがって,亡Cのうつ病罹患及び自殺と同人の公務との間には業務起
因性が認められる。
(2)被告の主張
   ア 亡CのA小学校における公務の状況は,前記2(2)のとおりであり,
特に過重なものであっ
    たとはいえず,また,亡Cが昭和57年に取得した年次有給休暇は,合計
12日と6時間であり,
    他の職員と比べて,決して少ない方ではなかった。
   イ 公務以外の事情
     仮に,亡Cの公務が過重なものであったとしても,同人には,以下のと
おり,組合活動の中で
    の人間関係や家庭関係などで心労があり,公務が精神的疾患にとって相対
的に有力な原因になっ
    たとはいえない。
   (ア)亡Cは,自他共に認める極めて熱心な組合活動家であり,同人にとっ
て,組合活動は極めて
     重要な使命であり,時には家庭や健康よりも優先しなければならないも
のであって,ある意味
     で生き甲斐であったとさえいえる。しかしながら,釜石支部では,積極
性がないと批判され,
     思うような組合活動ができなかったことの精神的負担は極めて大きいも
のと推測され,それま
     で打ち込んできた情熱を失い,人生における使命を見失ったと考えても
決して考え過ぎではな
     い。
   (イ)義父母との同居,家庭内での育児,原告との性格の相違等,家庭内に
も亡Cの精神的負担を
     もたらす原因となる何らかの問題のあったことが窺われる。
  ウ 「労災保険法の故意」
    労災保険法12条の2の2第1項は,「労働者が故意に負傷,疾病,障
害若しくは死亡又はそ
の直接の原因となった事故を生じさせたときは,政府は,保険給付を行わ
ない。」と規定してお
り,同規定からすれば,自殺の場合,自殺を認識しない心神喪失の状態で
死亡した場合にのみ,
故意が認められず,相当因果関係が肯定されるというべきところ,亡Cの
残した遺書の筆跡及び
その内容からすれば,同人の精神状態は安定しており,正常な意識下で自
殺したというべきであ
って,心神喪失の状態にあったとはいえない。
エ以上のとおり,亡Cは,精神疾患に罹患しておらず,かつ,心神喪失状
態で自殺したものでも
ない(正常な意識下で自殺したものである。)から,同人の「疾病」と
「死亡」との間の「相当
因果関係」も到底認められない。したがって,亡Cの自殺と同人の公務と
の間には業務起因性が
    認められない。
第3 争点に対する判断
 1 前記争いのない事実に証拠(甲1,2,3の1ないし8,4ないし9,2
3,40,41,43,
  46,50,乙9ないし11,証人F,同S,同D,原告本人)及び弁論の全
趣旨を総合すれば,以
  下の事実を認めることができる。
 (1)亡Cの経歴等
   ア 亡Cは,昭和51年3月にU大学教育学部を卒業し,岩手県の職員とし
て採用され,教諭とし
    て,同年4月1日から,児童数約480名の宮古市立V小学校に勤務し,
昭和54年4月1日か
    ら,児童数30数名のW町立X小学校O分校(以下「O分校」という。)
に勤務し,昭和57年
    4月1日から,児童数262名のA小学校に勤務した。
   イ亡Cは,昭和54年2月に原告と結婚し,そのころ原告の両親と養子縁
組をした。亡Cと原告
    との間には,昭和56年9月に長男が生まれている。また,亡Cは,A小
学校への転勤に伴い,
    原告や長男と共に養父母である原告の両親と同居生活をするようになり,
同小学校にはその同居
    先から通勤していた。
     なお,原告は,同じ教諭として,亡Cと共に上記O分校で勤務した後,
同人と一緒に転勤とな
    り,A小学校の隣の釜石市立Y小学校に着任し,同人の本件被災当時,同
校の教諭として勤務し
    ていた。
 (2)亡Cの生活状況等
   ア 亡Cは,A小学校に勤務するようになり,1年2組の担任となったほ
か,同校の校務として,
    教務部社会科担当,児童指導,児童会活動(広報),PTA厚生部,Z地
区担当,学級指導を分
    掌することになった。
    また,亡Cには,年間行事の一環として,昭和57年11月には道徳と
国語の各授業研究会が,
    翌年2月には道徳の公開授業が,それぞれ予定されていた。
   イ 1学期
   (ア)亡Cは,A小学校での1学期当時,初めて1年生の担任となり,担任
した1年2組の児童の
     中には,両親の離婚問題に直面している児童(4月下旬ころから欠席が
目立つようになり,1
     0月初旬に両親の離婚とともに転校した。)や祖父母の下で養育されて
いる児童等,家庭環境
     に恵まれない児童が比較的に多く,また,持ち帰りの仕事も,他に勤務
した小学校当時よりも
     多かったが,学期末の忙しい時期を除き,午後11時ころまでには終わ
らせていた。
   (イ)亡Cは,原告に対し,微熱や頭痛が続いている旨を訴えることがあ
り,また,校長が授業中
     に突然教室に入って来るので,子供たちの気が散るし,自分が監視され
ているようで,とても
     嫌だとか,「A小学校ってすごいぞ。職員室の黒板に日程が書かれて,
休憩時間が取られない
     形で書いてあっても,それにみんな慣れているような形で動いてんだ
ぞ。変だなって感じるの
     は俺だけなのかな。」などと話すこともあった。
   ウ 夏休み
   (ア)亡Cは,例年であれば夏休み中の一部をのんびりと休む時間に当てて
いたが,同年の夏休み
     中には,割当てられた各研究会の準備のためであるとして,海水浴には
1回出掛けたものの,
     気持ちの上で余裕のある時間に当てられた日はなかった。
   (イ)実姉のS(以下「S」という。)は,A"町に居住し,亡Cとの姉弟
仲も良かったところ,
     同年の夏休みころ,亡Cが尋ねてきて,同人との話の中で「女の校長先
生って大変なんだよな。
     参ったっちゃ」と話されたことがあり,また,同年のお盆に花巻市の実
家で亡Cと会った際,
     少し痩せたと感じたため,「何たら痩せたな。」旨話したところ,「う
ん,今忙しい。」とい
     われたことがあった
  エ 2学期
   (ア)亡Cは,2学期に入ると,10月3日のPTA運動会,同月13日の
遠足,同月16日の芋
     の子会,同月30日及び翌31日の学芸会,11月6日のゲーム集会,
同月20日のマラソン
     大会と学校行事が連続し,さらに,本来一人年1回の担当である全校研
究会を,同月4日には
     国語の,同月12日には道徳の,各授業研究会を連続して担当した。
   (イ)亡Cの平成7年度の週学習指導計画案簿には,1学期から,毎日の学
習指導計画案のほか,
     その日にあったことなどが詳細に記載されていたが,2学期に入り,同
年10月ころから,毎
     日の学習指導計画案の記載はあるものの,その日にあったことなどの記
載が全くされない日が
     続くようになっていた。殊に,同月18日から同年12月6日までの間
は全く記載されていな
     かった。
   (ウ)亡Cは,2学期に入ってから,連日のように自宅で午後11時ないし
翌日の午前1時ころま
     で仕事をするようになり,同年12月に入ると,通知表作成などの学期
末業務と翌年の公開授
     業に向けた本件指導案の作成を並行して行っていたため,深夜まで自宅
で仕事をするようにな
     っていた。
   (エ)亡Cは,同年12月24日の2学期経営反省会を欠席して帰宅したた
め,原告が,大事な会
     なのに帰ってきたら変に思われるのではないかと問い質したところ,
「そういう風に思われて
     もいい。考えてもらった方がいいんだ。」などと述べ,重ねて話し合い
をすべきではないのか
     と問い質しても,「いや,話したって分からないから。」などと答え
た。
   (オ)亡Cは,食欲も減退して朝食を十分に取らなくなり,同月2日の体重
測定では52キログラ
     ムと,以前から比べて5キログラムも減少しており,同月中旬ころ,ボ
ーナスが出たため外食
     に出かけた際にも,あまり食べないなど,食欲不振は変わらなかった。
また,亡Cは,養父と
     毎夕食ごとにしていた晩酌もやめ,睡眠をとるために寝酒を飲むように
なったが,原告に対し,
     「体の疲れなど,寝れば一発でとれるんだけれどもな。」などと漏ら
し,子供と遊びながら寝
     てしまうとか,入浴中に寝込んでしまうといったこともあった。
   オ 年末年始
   (ア)実姉のSは,亡Cが,同月28日から翌29日にかけて,秋田市で開
催される東北B青年教
     職員研究集会に参加するため,釜石市から乗ってきた自動車をSの働い
ているA"町の理容室
     に置いて行く際,亡Cの様子がお盆に会ったときに比べ,何となく疲れ
ており,頬がこけ落ち
     ていると感じたため,同人にその旨話したところ,「今,俺,仕事ちょ
っと忙しいんだ。」と
     言われ,また,翌日,秋田からの帰途,自動車を取りに寄った際にも,
泊まって行くことを誘
     ったが,同人は「今,忙しいから,泊まってられないから,また来るか
ら」などと宿泊の誘い
     を断り,釜石に帰って行った。
   (イ)亡Cは,昭和58年1月1日,原告及び長男と共に花巻市の実家に帰
省したが,1泊しかせ
     ず,翌2日には釜石市の自宅に戻り,本件指導案の作成をしていたとこ
ろ,同月3日,原告の
     「正月も終わりだ」との言葉に対し,「俺には正月はまだだよ。公開が
終わらないうちは正月
     なんて来ないよ。何だかいつも背中にずっしりと重い荷物を背負って歩
いてるような感じなん
     だよな。」などと漏らしていた。
     実姉のSは,同月2日,花巻市の実家に行った帰途,亡Cの運転する
自動車で送ってもらう
     車中で,同人から,「仕事も大変だし,校長先生って大変なんだよ
な。」などと話をされた。
   (ウ)亡Cは,同月6日の全校研究会に出席し,同月11日に指導助言教諭
であるL小学校のM教
     諭に本件指導案を提出し,その後も同指導案の修正を行っていたとこ
ろ,同月中旬ころ,亡C
     の大学時代の後輩でB"中学校の教諭をしていたDから連絡を受け,勤
務先が近くなったので
     久し振りに会おうとの誘いを受けたが,公開授業の準備を理由に同人の
誘いを断り,同人に対
     しても,「ともかく,公開が終わらないと俺には正月がないんだよ。」
などと漏らしていた。
      亡Cは,そのころ,原告と宮古の小学校時代の同僚らに会いに行くこ
とを約束していたが,
     本件指導案の修正をするためという理由で,同約束を断った。
   カ 3学期
   (ア)A小学校の3学期は,同月20日に始まった。原告や養父母は,亡C
の疲労ぶりを案じて病
     院に行くように勧めたが,同人は,「公開が終わってから。」などとし
て,原告らの勧めを断
     った。
   (イ)亡Cは,同月22日,G校長に本件指導案のことで呼び出され,その
直後,F教諭が2階階
     段の踊り場付近で立ち尽くしている亡Cを見掛けた。亡Cは,帰宅後,
一家で花巻市の病院に
     入院中であった同人の祖母を見舞い,実家に1泊する予定であったとこ
ろ,これを変更し,日
     帰りで釜石市の自宅に戻ってきたが,行き帰りの車中において,原告に
「うるさい。」などと
     怒鳴る場面もあった。翌23日は,朝食後,すぐに自室にこもり,ほと
んど1日中同指導案の
     検討に費やしていた。
   (ウ)亡Cは,同月24日,養父に雪道が滑るから気を付けるように声を掛
け,また長男にも声を
     掛け,普段どおり自動車で出勤するとして出掛けたが,その後行方が分
からなくなり,同年2
     月6日,岩手県気仙郡h"町i"j"番地のk"の山中において,縊死の状態
で発見された。亡Cは,
     検屍の結果,自殺と判断された。
   (エ)亡Cが乗っていた自動車内にあったファイルの中から発見されたファ
ックスの原稿用紙には,
     同人の筆跡で,次のように記載されていた。
     「C"ごめん 
       学校の仕事にいささか疲れた,
      もっと楽しく 生きたかった,
       K・・・元気に育てよ,
            強い子になれ!
        1983,1,24 8:40」
(3)A小学校の研修計画等
   アA小学校においては,昭和57年度の学校経営計画が作成され,同計画
の一環として道徳及び
    国語の研修計画が設けられた。
     研修計画の研究組織としては,全校研究会,その下に推進委員会,その
下に資料分析研究会,
    その下に学団研究会(1ないし3年生の低学団と4ないし6年生の高学
団)が設けられ,同研究
    の体制としては,①個人研=担当者が指導案を作成する,②全体研=全校
で担当者の資料分析に
    したがって資料検討会を行う,③個人研=全校研で検討された資料分析を
もとに担当者がさら吟
    味して学習指導案を作成する,④学団研=担当者の学習指導案を検討修正
し,全校研の授業の準
    備をする,⑤授業研=授業する学団が主体になって提案し,助言者の指導
の下に全員で討議し,
    内容を深める,という5段階により構成されていた。
   イ A小学校における道徳の研修計画は,昭和53年度から道徳教育の実践
に重点を置いた取組が
    行われていたが,昭和55年度及び翌56年度に釜石市教育委員会の指定
による研究指定校とな
    ったこともあり,その研究成果を踏まえ,さらに研究を継続して推進する
ため,昭和57年度に
    おいても,自主研究としての公開授業をすることが決定されていた。そし
て,同年4月の段階で,
    昭和58年2月4日に公開授業を行うことが予定されており,そのため
に,昭和57年11月2
    5日には資料を決定し,同年12月及び翌年1月の資料研究会,全校研究
会の各検討会を経て,
    同月24日ころ,指導案を提出することが予定されていた。
   ウ A小学校の道徳授業においては,学級内の全児童に対し,事前調査及び
日常観察などから,価
    値意識の類型により,「a 規範意識が高く,考え方と行為が一致する。
b 考え方としては十
    分わかっているが,たてまえ的で,行為がともなわない。c 価値意識が
低く,行為がともなわ
    ない。」の3グループに分け,各グループから特色のある児童を1名ずつ
抽出し,同抽出児への
    問いかけを中心にして,同抽出児の価値意識の変容を図り,これに他の児
童が関わることにより,
    各グループの児童個々の価値意識を高めるというものであった(A方
式)。
(4)亡Cの道徳教育に対する考え方等
   亡Cは,「道徳は言うべきことではなく,行うべきものだ。」,「道徳は
他人に命令されるもの
   ではなく,自分に命令するものだ。」という作家深代淳郎の言葉に共感して
いた。
    また,亡Cは,原告に対し,「道徳というのは,人に言われるものじゃな
くて,自分が行うもの
   だから,授業の中でいいこと言ったといって教諭が喜ぶんじゃなくて,それ
が生活の中でその子に
   生きて働く力にならなくちゃいけない。」との道徳観を話すほどであった。
    さらに,亡Cは,原告に対し,A方式について,「大変だな。A方式って
言われてるけど,よく
   判らないな。」,「道徳的に見て,上中下と選ぶって,俺にはよく判らない
な。難しいな。ランク
   付けをすることは,子供たちを差別することにつながると思わないか。」,
「いったい,子供達の
   心育てるって,こういう授業でいいのかな。」などと話しつつも,「抽出児
を選んでやることに疑
   問を感じないでやるのであれば,もっと楽にできるんだろうけど,Aの形に
入っていかなければな
   らないということが自分にはできないから大変なんだ。」などと話してい
た。
    亡Cは,昭和57年11月12日の道徳の授業研究会の直後にも,原告に
対し,「やらなければ
   ならないことがいっぱいある。」,「もう一度前年度や前々年度の分につい
て読み返したりとか,
   そういうことをしていかないと俺はだめなんだな。」などと話していた。
(5)O分校当時の状況
    O分校では,教頭1名,教諭3名が勤務し,児童数が少ないため,1,2
年生,3,4年生,5,
   6年生の3学級(各学級10名程度)の複式授業が行われており,亡Cは,
初年度3,4年生,そ
   の後の2年間は5,6年生の担任であった。
    O分校では,児童を中心とし,児童の手による学校行事が行われてきてい
たため,高学年を担任
   する教諭には全校の良きリーダーを育てることも要求されていた。亡Cは,
高学年を担任し,児童
   会担当であったため,O分校の児童の活動を大事に受け継ぎ育てていこうと
の考えから,職員会議
   でも児童の立場に立った発言や行動をしていた。
 2 争点1(亡Cのうつ病)について
 (1)証拠(甲61)によれば,国際保健機関(WHO)の国際疾病分類第10
版(ICDー10)F32
   には,「うつ病エピソード」として,以下のような記載がある。
   ア 軽症,中等症及び重症に共通する典型的な抑うつのエピソードでは,患
者は,通常,抑うつ気
    分,興味と喜びの喪失,活力の減退による易疲労感の増大や活動性の減少
に悩まされる。わずか
    に頑張った後でも,ひどく疲労を感じることが普通であり,また,他の一
般的な症状としては,
    次のものがあるとされている。
   a集中力と注意力の減退
 b自己評価と自信の低下
 c罪責感と無価値観(軽症エピソードであってもみられる)
 d将来に対する希望のない悲観的な見方
 e自傷あるいは自殺の観念や行為
f睡眠障害
g食欲不振
  イ軽症うつ病エピソード及び中等症うつ病エピソードの各診断ガイドライ
ンは,以下のとおりで
    あるとされている。
   (ア)軽症うつ病エピソード
     上記アの典型的な症状のうち少なくとも2つ,他の一般的症状のうち
少なくとも2つが,診
     断を確定するために存在しなければならず,その程度が著しいものであ
ってはならず,エピソ
     ード全体の最小の持続時間は約2週間である。
(イ)中等症うつ病エピソード
      上記アの典型的な症状のうち少なくとも2つ,他の一般的症状のうち
少なくとも3つ(4つ
     が望ましい)が,診断を確定するために存在しなければならず,いくつ
かの症状は著しい程度
     にまでなる傾向をもつが,もし全体的で広汎な症状が存在するならば,
このことは必要事項で
     はなく,エピソード全体の最小の持続時間は約2週間である。
      中等症うつ病エピソードの患者は,通常社会的,職業的あるいは家庭
的な活動を続けていく
     のがかなり困難になるであろう。
 (2)証拠(甲25,26,乙29,31,32,証人G,同H,同D,原告本
人)及び弁論の全趣旨
   を総合すれば,亡Cには,精神疾患などの病歴はなく,近親者にもそのよう
な病歴の者はいなかっ
   たこと,G校長や同僚教諭の亡Cに対する人物評価は,明るく,真面目,几
帳面,責任感が強い,
   誠実,優しい,粘り強い,物静かなどというものであったこと,亡Cは,物
事を綿密に徹底して行
   うといった性格の持主であったこと,以上の事実が認められる。
 (3)財団法人E"精神科神経科病院理事長R(以下「R医師」という。)は,
本件訴訟記録を検討し
   た上,その意見書(甲51)において,結論として,「被災職員は元来明朗
で温和,誠実で忍耐強
   い教諭であり,児童が主人公という教育理念,学校観をもち,O分校でその
教育実践を行ってきた。
  A小学校への転任は,1年生の担任,自主公開授業の担当という役割と共
に,整備された管理教育
   体制の中で業務を行うことを意味した。特に抽出児の技法をもって道徳の授
業計画をすすめる作業
   は,被災職員にとっては彼の児童観,教育理念にそぐわないものであり,疑
問と迷いを伴い,業務
   として遂行しなければいけないという圧力と葛藤をおこし,被災職員に特別
な精神的負担を与えた。
   2学期の多くの行事のあと,11月に入って,過労とストレスの条件下で明
らかにうつ病の症状が
   発現し,年末正月にかけて公開授業案の作成の経過で反応性うつ病の症状が
進展した。すなわち,
   不眠・食欲減退・疲労感と共に,孤立感・無力感・感情疎隔感・喜びの喪
失,さらに公開授業の準
   備への異常な集中・固着などは,反応性うつ病の症状であり,症状はさらに
業務の負担を著しく大
   きなものとした。」と判断している。
 (4)前記1認定事実によれば,亡Cは,少なくとも,昭和57年10月ころに
は,不眠,食欲減退,
   疲労感などを訴え,同年12月ころには,孤立感,無力感,感情疎隔感,喜
びの喪失を窺わせる言
   動を示しているほか,A小学校における道徳教育の手法である児童を3グル
ープに分けるA方式と
   自己の道徳教育に対する教育理念との乖離に悩みながらも,同小学校の一員
として早くなじんでい
   こうという思いや教諭としての責任感から,A方式を理解し,遂行しようと
努力を続け,その中で
   強い精神的葛藤を抱いていたことは明らかというべきであり,特に年末年始
や冬休みの間,実家へ
   の帰省を1泊で切り上げたり,友人の誘いを断ったり,原告との約束を断る
などし,昭和58年2
   月に予定されていた道徳の公開授業に向けた準備に時間を割き,本件指導案
の作成に異常なまでに
   集中し,固着していたことが窺えるのである。
    亡Cの同状況に上記(1)ないし(3)を総合考慮すれば,亡Cは,昭和
57年10月ころから
   翌11月ころの間に反応性うつ病を発症し,年末年始から冬休みにかけて同
症状が増悪していった
   結果,自殺念慮発作により自殺したものと判断するのが相当である。
 (5)被告は,亡Cは,うつ病に罹患しておらず,本件被災との間に因果関係は
ない旨主張し,T病院
   神経科医師兼務医学博士D"作成の意見書(乙57・以下「D"意見書」と
いう。)は,これに沿
   うものである。
   しかしながら,D"意見書に対しては,これに反論を加えるR医師の補充
意見書(甲52)や同
   医師の当法廷での証言に鑑みたとき,D"意見書を直ちに採用することはで
きず,また,証拠(甲
   51,52,61)によれば,うつ病患者は,まず家庭生活におけるレベル
でのみ変化が現れ,社
   会生活上は見過ごされることが多いうえ,症状の重症度は,個人的,社会
的,文化的な影響により,
   社会的活動とは必ずしも平行しないことが認められるのであって,同事実を
も考慮したとき,被告
   の同主張を採用することはできず,他に前記(4)の判断を左右するに足り
る適切な証拠はない。
 3 業務起因性について
 (1)地方公務員災害補償法にいう「公務上死亡した」というためには,死亡と
公務との間に相当因果
   関係のあることが必要であるところ,死亡が精神障害に起因する場合には,
客観的に見て,公務に
   より,当該精神障害を発病させるおそれのある強度の心理的負荷が与えら
れ,かつ,公務以外によ
   る心理的負荷や当該職員の既往歴,性格傾向などの個体側要因により,当該
精神障害が発病したと
   はいえない場合に,死亡と公務との間の相当因果関係が認められることにな
ると解すべきである。
 (2)公務との関連について
   ア 証拠(甲11ないし13,66,証人E,同F)によれば,公開授業に
おける指導案は,授業
    の出来不出来を左右する極めて重要なものであり,担当教諭は,その作成
を始め,検討,修正に
    かなりの労力を注がざるを得ず,相当な負担となっていること,教諭とい
う職業については,ス
    トレスが多いことを調査研究した複数の論文も存在すること,以上の事実
が認められ,同各事実
    に,前記1認定のとおり,亡Cは,O分校からA小学校への転任による執
務環境の変化に伴い,
    その公務の内容において,前任校よりも質的・量的に負担の増加している
ことが窺えること,亡
    Cは,2学期に入り,運動会や学芸会等の学校行事が連続していた昭和5
7年11月には,年1
    回の担当と決められていた全校の授業研究会を2回,2週続けて担当した
ことにより,一時的に
    負荷が高まったものと考えられること,殊に,2学期に入ってからは,家
に持ち帰った仕事を連
    日午後9時ころから同11時ないし翌日の午前1時ころまで行っており,
同各授業研究会の準備
    に追われていたことが窺えること,亡Cには,O分校当時の児童を中心と
した教育活動から,管
    理教育の側面が強いと感じていたA小学校の教育活動との間に違和感を持
ち,殊に,同年11月
    の道徳の授業研究会及び翌年2月に予定されていた道徳の公開授業では,
児童を3グループに分
    け,各グループから1名の児童を抽出し,同児童を中心に授業を進めるA
方式に相当大きな心理
    的葛藤のあったことが窺えるのであって,自己の教育理念に合致しないと
いう意味において,意
    に添わない公務に従事させられた面のあることは否定できないところであ
ること,亡Cは,同小
    学校において,着任1年目でありながら,通常担当すべき公務に加えて年
間3回の授業研究会(
    うち1回は公開授業)をも担当することになっていたという公務の全体を
併せ考慮すれば,亡C
   の同公務は,客観的に見て,同人の疾病の発現,増悪の原因となるに足り
る強度の心理的負荷を
    与えたものと認めるのが相当である。
   イ 被告は,亡Cの死亡と公務との間に相当因果関係がない旨主張し,その
理由として,A小学校
    では,亡Cが転任1年目であったことを考慮し,校務分掌上過度の責任を
負うことのないように
    配慮したこと,同小学校の1年生は,高学年に比べて児童数(亡Cが担任
した1年2組は25名,
    4年生は42名),単元数(1年生は928教科,6年生1121教科)
ともに少ないこと,亡
    Cは,同小学校において,1年1組担任のH教諭から助言を得られる態勢
にあったことなどから,
    亡Cの教諭としての公務が他の教諭に比べて特に過重であったことはない
とし,また,亡Cが自
    宅で連日仕事をしていたことを裏付ける証拠は原告の供述しかなく,原告
は亡Cより早く就寝し
    ていたのであるから,その根拠が薄弱であるとする。
     しかしながら,証拠(証人E,同H)によれば,1年生においては,授
業の準備が他の学年よ
    り時間を要することがあること,正規の授業以外にも,授業に付いていけ
ない子供に対する特別
    指導をする必要があること,基本的な生活態度の習慣付けなど特有の指導
事項もあること,以上
    の事実が認められるのであって,同各事実によれば,1年生の担任の業務
内容は,高学年に比べ
    て過重性を否定することができないものであり,また,原告は,亡Cに対
し,翌朝には前日の就
    寝時間を確認していた旨供述している上,前記1認定のとおり,亡Cの体
重の減少,食欲不振,
    慢性的な疲労感など,これを裏付ける事実が存することに鑑みれば,原告
の同供述は十分に信用
    するに値するものである。
    被告の同主張は採用できない。
 (3)公務以外の事情について
   ア 前記2(2)認定事実によれば,亡Cには,精神的な既往歴や社会生活
の適応に影響するよう
    な顕著な性格傾向等,その個体側に精神障害を発病させる何らかの要因が
あったことを窺わせる
    ものはないから,公務以外に心理的負荷となり得る事情があり,これによ
って亡Cにうつ病が発
    症したということができないことは明らかである。
   イ 被告は,亡Cの自殺が組合活動や家族関係に起因している旨主張し,原
告の供述によれば,亡
    CがA小学校に転任する以前,組合活動に従事していたことは認められる
が,実姉のSや原告の
    各供述に照らしたとき,被告主張の諸事情をもって,亡Cを自殺に至らせ
るほどの心理的負荷で
    あったとまで認めることはできないから,前記(1)に説示した公務によ
る心理的負荷を超えて,
    うつ病の有力な原因となり得るだけの強度の心理的負荷が生じたものとは
到底いえない。
    被告の同主張は採用できない。
 (4)労災保険法の「故意」について
    被告は,亡Cの自殺は,心神喪失の状態にあったとはいえないとして,労
災保険法12条の2の
   2第1項の「故意」にあたる旨主張し,その理由として,亡Cの残した遺書
の内容,筆跡からすれ
   ば,同人の自殺直前の精神状態は安定しており,心神喪失の状態にあったと
はいえないとする。
    しかしながら,労働省の依頼に基づく精神障害等の労災認定に係る専門検
討会の検討結果(甲5
   7)をも考慮すれば,精神障害により,正常な認識や行為選択能力が著しく
阻害され,あるいは,
   自殺行為を思い止まる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺し
たと認められる場合に
   は,その状態が心神喪失に陥っているか否かにかかわらず,「故意」には該
当しないものと解する
   のが相当であり,また,当該精神障害が一般的に強い自殺念慮を伴うもので
あることが知られてい
   る場合に,その精神障害に罹患している患者が自殺を図ったときには,当該
精神障害により,正常
   な認識,行為選択能力及び抑制力が著しく阻害されていたものと推認するの
が相当であるから,こ
   の場合にも上記「故意」には該当しないものと解するのが相当である。
    ところで,証拠(甲57)によれば,うつ病患者の自殺率は,一般人口の
自殺率と比較して36
   ・1倍になるとの報告がされており,うつ病患者の自殺念慮,企図は同疾病
の症状であることが認
   められるところ,前記2(4)に説示したとおり,亡Cは,昭和57年10
月ころから翌11月こ
   ろにかけてうつ病に罹患し,昭和58年1月には同症状が増悪傾向にあった
ほか,前記1認定のと
   おり,発見された遺書が短文の連続であったことに鑑みれば,亡Cは,本件
被災当時,うつ病によ
   り,正常な認識,行為選択能力が著しく阻害され,あるいは,自殺を思い止
まる精神的な抑制力が
   著しく阻害されていたものと推認するのが相当であり,これを左右するに足
りる証拠はない。
    そうすると,亡Cの自殺は,上記「故意」に該当しないものと解するのが
相当であるから,被告
   の主張は理由がない。
 4 以上のとおり,亡Cは,過重な公務により,うつ病に罹患し,その自殺念慮
発作によって自殺した
  ものというべきであるから,業務起因性を認めるのが相当である。したがっ
て,その認定を誤った被
  告の本件処分は,違法であるから,取消しを免れない。
第4 結論
   よって,原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し,訴訟費用の負担に
ついて行政事件訴訟法
  7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
   盛岡地方裁判所第2民事部

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