弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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       主   文
1 被告中央労働基準監督署長が原告に対し平成3年3月25日付けでした労働者
災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
2 原告の被告労働保険審査会に対する訴えを却下する。
3 訴訟費用は,原告に生じた費用の2分の1と被告中央労働基準監督署長に生じ
た費用を被告中央労働基準監督署長の負担とし,原告について生じたその余の費用
と被告労働保険審査会に生じた費用を原告の負担とする。
       事実及び理由
第1 請求
1 主文第1項と同旨
2 被告労働保険審査会(以下「被告審査会」という。)が原告に対し平成10年
7月16日付けでした再審査請求を棄却する旨の裁決を取り消す。
第2 事案の概要
 本件は,建設会社に勤務していたP1の妻である原告が,被告中央労働基準監督
署長(以下「被告署長」という。)に対し,P1が出向先の東京で気管支喘息の発
作を起こして死亡したのは業務に起因するものであると主張して,労働者災害補償
保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき,遺族補償年金及び葬祭料の支給
を請求したが,平成3年3月25日付けでこれらを支給しない旨の処分(以下「本
件処分」という。)を受け,その審査請求も棄却されたため,被告審査会に対し再
審査請求をしたが,平成10年7月16日付けで再審査請求を棄却する旨の裁決
(以下「本件裁決」という。)がされたことから,本件処分及び本件裁決の各取消
しを求めた事案である。
1 前提となる事実(争いのある事実については証拠を摘示した。争いのない事実
であっても,参照の便宜のため証拠を摘示した部分もある。)
(1) 原告及びP1
 P1(昭和31年11月7日生)は,昭和55年3月日本大学建築学科卒業後,
同年4月,北海道札幌市に本店を置く新太平洋建設株式会社(以下「新太平洋建
設」という。)に入社し,本店建築部に配属され,以後,本社内勤の時期を除い
て,各工事現場に派遣され,現場監督業務に従事していた者であり,昭和58年2
月に一級建築士,昭和62年3月に一級建築施工管理技師の資格を取得している。
 P1は,後述するとおり,昭和62年7月9日に死亡した。原告は,P1の妻で
ある。
(2) 新太平洋建設及び三井建設の業務等
 新太平洋建設は,総合建設業を営む株式会社(いわゆるゼネコン)であり,東京
都千代田区に本店を置く三井建設株式会社(以下「三井建設」という。)が実質的
に100パーセントの株式を保有する同社の子会社である。
 新太平洋建設は,受注する北海道内の工事が冬季は休止期間に入ることから,人
員の稼働率を上げるため,現場作業員については,毎年12月から翌年の5月前後
までの期間,ローテーションを組んで1年おきに本州へ派遣し,三井建設の業務に
従事させていた。
 昭和62年当時,本州へ派遣されていたのは,新太平洋建設の従業員約40名の
うち内勤者等を除く約30名の半数,約15名であり,P1もその一人であった。
(以上,証人P2)。
(3) P1が従事した業務
 P1が入社後新太平洋建設及び三井建設において担当した工事等は,以下のとお
りである。(乙63,66)。
ア 昭和55年4月から同年10月まで
 αタウンハイツ新築工事(札幌市<以下略>)
イ 昭和55年11月
本社内勤
ウ 昭和55年12月から昭和56年3月まで
55-北民-3号(γ)建設工事(札幌市<以下略>)
エ 昭和56年4月から同年12月まで
55-北民施-28号(δ)建設工事(札幌市<以下略>)
オ 昭和57年1月から同年10月まで
本社内勤
カ 昭和57年11月から昭和58年3月まで
北広島学生寮新築工事(北広島市<以下略>)
キ 昭和58年4月から昭和58年6月まで
本社内勤
ク 昭和58年7月から同年11月まで
ε駅工事(札幌市<以下略>)
ケ 昭和58年12月から昭和59年5月まで
本社内勤
コ 昭和59年6月から昭和60年1月まで
公営住宅(ζ団地)新築工事(札幌市<以下略>)
サ 昭和60年2月から同年6月まで
本社内勤
シ 昭和60年7月から昭和61年2月まで
ηビル新築工事(札幌市<以下略>)
ス 昭和61年3月
海外自己研修(スウェーデン)
セ 昭和61年4月から同年7月まで
三ツ野薬局本店新築工事(小樽市<以下略>)
ソ 昭和61年8月から9月まで
本社内勤
タ 昭和61年9月から同年11月まで
θカルシウム工場新築工事(常呂郡<以下略>)
チ 昭和61年12月1日から同月14日まで
本社内勤
ツ 昭和61年12月15日から昭和62年4月30日まで(三井建設出向)
トヨタビスタ東京足立営業所新築工事(東京都足立区<以下略>)
テ 昭和62年5月1日から同年7月9日まで(三井建設出向)
大成工機川口商品センター新築工事(埼玉県川口市<以下略>)
(4) P1の死亡
 P1は,昭和62年7月9日午後5時30分ころ,埼玉県川口市<以下略>所在
の宮岡病院の受付で倒れ,同日午後5時40分ころ死亡した。直接死因は心不全,
その原因は気管支喘息(以下「本件疾病」という。)であり,死亡当時の年齢は3
0歳であった。
(5) 不支給処分等の経緯
 原告は,P1の死亡は業務に起因するものであるとして,平成元年7月7日,被
告署長に対し,労災保険法に基づき遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したが,
被告署長は平成3年3月25日付けでこれをいずれも不支給とする本件処分をし
た。
 原告は,本件処分を不服として,同年5月7日,東京労働者災害補償保険審査官
に対し審査請求をしたところ,同審査官は,平成8年5月15日付けで審査請求を
棄却する旨の決定をした。さらに,原告は,同年6月21日,同決定につき,被告
審査会に対して再審査請求をしたところ,被告審査会は,平成10年7月16日付
けで再審査請求を棄却する旨の本件裁決をし,同裁決書謄本は同年8月17日原告
に送達された。
 原告は,平成10年11月13日,本訴を提起した。
2 争点
(1) P1の死亡に業務起因性が認められるか。
(2) 本件裁決の固有の瑕疵の有無
3 当事者の主張の骨子
(1) 争点(1)(本件疾病の業務起因性)について
ア 原告
 以下のとおり,P1の死亡が業務を原因よる「業務上の死亡」であることは明ら
かであり,これを業務上の死亡と認めなかった本件処分は違法であり,取り消され
るべきである。
(ア)業務起因性の判断基準
 労災保険法が定める「業務上の死亡」というためには,業務と死亡との間に合理
的関連性があれば足りるというべきである。
 仮に業務と死亡との間に相当因果関係が必要であると解するとしても,その相当
性の判断において業務が相対的に有力な原因であることは必要ではなく,業務の遂
行が基礎疾患等を誘発又は増悪させて死亡時期を早める等,業務の遂行が基礎疾患
と共働原因となって疾病の発症や死亡の結果を招いた等と認められる場合には,相
当因果関係を肯定すべきである。
 さらに,労働者の健康状態は多様であり,基礎疾病を持つ者も少なくなく,基礎
疾病の種類,程度によって労働者が従事する業務が与える悪影響の程度も異なると
考えられるから,基礎疾病を有する労働者の業務の過重性等は,同様の業務に従事
する同僚の平均的水準を基準とするのみではなく,当該労働者の健康状態の実質も
考慮して判断すべきである。
(イ) 過労・ストレスと喘息発作の関係
 気管支喘息は,気道過敏症を特徴とするもので,種々の刺激を受けることにより
気道狭窄が生じ,喘息発作を起こす。初めての発作がアレルギー反応によって起こ
っても,いったん発作を起こすと気道過敏性が高まり,気道の過敏性に影響を与え
る種々の因子によって発作が誘発される。
 過労ないし疲労が喘息発作の誘因となることは医学上異論がない。
 そして,喘息発作は,種々の原因が同時に加わり,発作因子が加重され,その総
和がその人の抵抗力を超えるとバランスがくずれて発作が起こるとされているとこ
ろ,過労はまさにこの抵抗力を失わせる重要な要因である。このように過労は発作
の誘因になるだけでなく,抵抗力を弱めることで喘息発作の好発条件を作る原因と
なる。
 また,気管支喘息は,ストレス性の疾患であり,職場において,心理的・社会的
ストレッサーとなるものとして,職場の環境・組織,労働時間・労働内容,上司・
同僚との人間関係があげられている。
 仕事による心身の疲労がもたらすストレスが,気管支喘息発作の大きな原因・誘
因をなすことは明らかである。
(ウ) P1の死亡の業務起因性
a P1の健康状態
 P1は,喘息の既往症があったが,新太平洋建設札幌本社勤務時も断続的に治療
を受け,同社においても,通常の勤務に従事していた。P1は,飲酒は付き合い以
外にはせず,煙草は吸わず,偏食はなく,比較的魚を好んだ。P1の父母,妹はい
ずれも健在で,脳卒中や心疾患関係の疾病はない。
b P1の業務の過重性と発症の経緯
(a) 札幌における業務
 P1は,ζ団地及びηビル新築工事の現場監督業務に従事していた当時,コンク
リート打ち工事等の際は午前6時ころ,その他の場合はおおむね午前7時30分こ
ろに出勤し,帰宅は,平均して午後8時から9時ごろであり,遅い時は午後11時
になることもあった。帰宅後も自宅で設計図面の作成等の仕事をすることもあり,
休日は,第1,第3日曜日だけであった。
(b) 小樽における業務
 P1が昭和61年4月から7月まで就労した小樽市内の薬局新築工事は,三井建
設の下請であり,同作業所では,P1は,三井建設から派遣された所長の直属の主
任として,現場監督業務のほとんど全部を任された。他社の所長の下で,全く知ら
ない下請業者をほぼ一人で指示,監督することになり,その精神的疲労は重かっ
た。さらに,P1は,単身赴任のため,ただでさえ肉体的精神的に負担を強いられ
た上,三井建設がP1に指定した宿舎が作業現場近くの飲酒店の2階であり,この
飲酒店で夕食をとる際飲酒を強く勧められ,また,1階の飲酒店が深夜まで騒がし
かったため,十分睡眠がとれず,肉体的疲労が蓄積していった。
(c) θにおける業務
 P1は,上記のように疲労が蓄積している状態で,昭和61年8月には常呂郡θ
町のカルシウム工場建築工事の業務に従事することになった。P1は,工場建設工
事は初めてであった上,札幌から遠く離れた作業所であり,全く知らない下請業者
ばかりを一人で監督,指示しなければならなかった。また,この工事に従事する間
は,作業所付近のドライブインの一室を宿舎と指定され,十分に休息がとれるよう
な環境ではなかった。さらに,建築工事完成後請負代金の支払を受けられず,P1
は,この工事の現場責任者として精神的責任を感じていた。
 疲労が蓄積した状態であったP1は,θにおける居住環境を含む過重な業務に従
事したことにより,気管支喘息の症状を一挙に軽症から重症へと悪化させ,重症の
状態で昭和61年11月まで同工事に従事し続けた。
(d) 東京出向中の業務
 P1は,気管支喘息が重症化,難治化した状態で,昭和61年12月,急遽三井
建設東京建築支店に派遣されることになり,トヨタビスタ東京足立営業所新築工
事,次いで川口商品センター新築工事の各現場で業務に従事した。
 これら工事の現場作業所の所長P3は三井建設社員で,作業主任となったP1が
実質的には作業所責任者であり,宿舎は,東京都新宿区κ所在の三井建設κ寮内で
あった。P1は,慣れない東京での単身赴任であり,全く知らない下請業者を使っ
て,責任者として作業を進めねばならず,その精神的負担は重いものであった。し
かも,足立営業所新築工事現場へのP1の派遣は,それまでこれを担当していた現
場監督の能力が劣るため,急遽その代役を務めるためのもので,P1は,足立営業
所新築工事の作業所において,直ちに十分に稼働することが求められていた。ま
た,川口商品センター新築工事現場では,午前7時30分ころに出勤するため寮を
午前6時30分ころに出なければならず,寮で朝食をとることができなかった上,
勤務は忙しく,帰寮は毎日午後10時から午後11時になっていた。さらに,工事
現場は,北海道出身のP1にとってはとりわけ暑く,土埃も多い劣悪な作業環境で
あった。
 このような業務に従事することは,既に気管支喘息が重症化,難治化していたP
1にとって過重なもので,喘息発作は高度かつ重症性を有するものになり,P1
は,多数回の病院受診,治療と,持続性ステロイドの筋注などで何とか一時的に症
状を安定化させていた。しかし,川口の作業現場でP1の気管支喘息は悪化し,P
1は,昭和62年7月6日,7日,8日に病院で,それぞれ治療を受けたが,作業
所の責任者であり工事を進行させなけれぱならなかったため,勤務を休むことがで
きなかった。
(e) 死亡時の状況
 P1は,被災当日の朝である昭和62年7月9日午前10時ころ,体調が悪く気
管支喘息が悪化したため,作業所付近の宮岡病院で診察を受けたが,当日に重要で
かつ注意を要するクレーン作業が予定されていたため,業務を継続し,同日夕方,
同現場で就労中苦しくなり,宮岡病院に向かい,途中転倒しながら,午後5時40
分ころ同病院受付に到着したが,その場に倒れ死亡した。
(f) P1の昭和62年1月以降の時間外労働時間
 P1の昭和61年1月から死亡時までの所定外労働時間(1週間40時間を超え
る労働時間)は以下のとおりである。
1月11日から2月9日まで 82・0時間
2月10日から3月11日まで 111・0時間
3月12日から4月10日まで 152・0時間
4月11日から5月10日まで 117・0時間
5月11日から6月9日まで 87・5時間
6月10日から7月9日まで 84・5時間
 なお,P1の労働時間については,本人が作成し新太平洋建設も承認していた甲
第17号証の勤務状況申告書を信用すべきであり,乙第40号証の出勤調べ報告書
を採用すべきではない。
c 結論
 以上のとおり,P1の気管支喘息は,昭和61年前半までは軽症であったが,同
年5月ころ以降の単身赴任による疲労の蓄積,過重な業務への従事により,自然的
経過超えて増悪した。そして,重症化,難治化した状態になっていたP1の気管支
喘息は,同年12月からの東京への出向直後さらに悪化し,その後,一時重症のま
ま症状が安定していたが,精神的に過重な業務へ長時間従事したことや長時間労働
の継続が相乗的に加わって一段と悪化し,P1は,これにより勤務を休んで休養し
なければならない状態であったにもかかわらず,重要な業務があったため休むこと
ができず,就労したことによって,その自然経過を超え,喘息死したものである。
イ 被告署長
(ア) 業務起因性(相当因果関係)の判断基準について
 労働基準法(以下「労基法」という。)及び同施行規則別表9号にいう「その他
業務に起因することが明らかな疾病」といえるためには,当該労働者が当該業務に
従事しなければ,当該結果(疾病)は生じなかったという条件関係が認められるだ
けでは足りず,両者の間に法的にみて労災補償を認めるのを相当とする関係(相当
因果関係)があることを必要とする(最高裁昭和51年11月12日第二小法廷判
決)。
 そして,このような相当因果関係の有無は,当該疾病の発症の結果が,当該業務
に内在する危険の現実化として発生したと認められるか否かによって判断されるべ
きことになる(最高裁平成8年1月23日第三小法廷判決,最高裁平成8年3月5
日第三小法廷判決)。
(イ) 気管支喘息疾患における業務起因性の判断について
 気管支喘息の発作が発症したことにより労働者が死亡等した場合,その原因とし
ては業務を含めた複数の要因が競合して,これらが絡み合っているのが通常であ
り,また,結果発生との結びつきも強弱様々である。このような場合の業務起因性
の有無は,一般的抽象的には,業務が傷病等に対し,他の原因と比較して相対的に
有力な原因となっている関係が認められることを要すると解すべきである(相対的
有力原因説)。
 業務と致死的な気管支喘息発作との間に相当因果関係があるかどうかは,①被災
者が発症前に従事した業務が過重な精神的,身体的負荷をもたらすものであったか
否か(業務の過重性),②被災者の気管支喘息がその自然の経過によって何らかの
誘因があれば直ちに致死的発作を来す程度にまで増悪していたとみることができる
か否か(基礎疾患の重篤性),③気管支喘息の確たる増悪要因が他に見い出せるか
否か(増悪要因の有無)といった観点から判断されるべきであって,労働者が発症
前に従事した業務による過重な精神的,身体的負荷が労働者の気管支喘息をその自
然の経過を超えて増悪させ,致死的発作に至った場合に,はじめて相当因果関係
(業務に内在する危険の現実化)の存在を肯定することができると解すべきであ
る。
 そして,当該労働者の発症に関し,業務上の要因(業務の過重性)と業務外の要
因(基礎疾患等)のうち,何が相対的に有力な原因であったかは,当該労働者の基
礎疾患等を考慮せずに一般的抽象的に判断されなければならない。
(ウ) P1の死亡と業務との間に相当因果関係がないこと
 以下のとおり,本件においては,P1が従事した業務が気管支喘息をその自然的
経過を超えて増悪させたとみることはできないというべきであり,業務と本件発症
との間には,相当因果関係は認められない。
a P1の業務が過重でないこと
(a) P1が札幌在勤中の現場は,突貫工事が続くとか,困難な工事を必要とす
る現場はなく,P1は,気管支喘息の重積発作を起こしたことや,将来を嘱望され
ていたことなどから,負担のかからない現場に配置され,むしろ優遇されていた。
その間の業務が過重であると評価されるような具体的な事実はない。
(b) 小樽単身赴任中の三井建設の工事現場では,労働環境は良好で,P1は,
小樽の赴任が始まった昭和61年4月に喘息発作を起こして医療機関を受診してい
るものの,その後は,発作を起こして医療機関を受診することはなかった。
(c) 一方,P1は,θ赴任期間中に喘息発作を起こして,頻繁にθ及び札幌の
医療機関を受診しているところ,その間の業務が過重であったことを窺わせる事実
もない。
(d) 東京に赴任してからも,トヨタビスタ足立営業所新築工事が最終段階にさ
しかかった昭和62年3月中旬から4月上旬にかけては多忙であったものの,その
後は多忙であるということはなく,川口商品センター新築工事に派遣されてから
は,残業や休日出勤はなく,自由に休暇も取得できる状況にあり,疲労が蓄積する
ような客観的状況にはなかった。実際,3月から4月にかけて,P1の症状は落ち
着いており,このことは,業務がP1の症状の悪化に無関係であることを示すもの
である。P1は,少なくとも6月25日に帰省するまでは,原告に対し,体調の不
良や疲労していることを訴えていない。また,死亡直前の7月4日には早朝に起き
て海釣りに出かけていることからしても,P1が疲労を蓄積している状況にはなか
った。
b 業務外の増悪要因
(a) P1は,昭和55年3月に気管支喘息の重積発作を起こし,大量のステロ
イドを使用してようやく救命したところ,新太平洋建設に入社した後の同年11
月,昭和58年11月及び昭和59年1月に3回にわたって重積発作を起こし,緊
急入院している。重積発作を起こした喘息患者は,喘息死に至る危険因子を有して
いるところ,昭和61年10月及び同年12月におけるP1の喘息の重症度は,既
に重症又は中等症以上で重症に近い状態にあり,いつでも致死的な発作を起こし得
る状態にあった。
 なお,P1が北海道で勤務していた当時,症状の悪化に業務が関与したことを示
す証拠は全くないことは前記のとおりであり,東京滞在出張中も,昭和62年1月
及び2月の症状は中等症,業務が最も忙しかった昭和62年3月中旬から4月上旬
にかけての症状は軽症であって,P1の業務が忙しくなるにつれて,症状が悪化し
たという関係は認められない。
(b) 他方,P1の気管支喘息は,アトピー性型喘息であり,ダニに対するアレ
ルギー反応が極めて強いところ,P1は,高温多湿でダニが繁殖しやすい6月にか
けて症状が悪化している。
 また,急激な温度変化や飲酒は喘息の発作の誘因となり得,致死的発作の誘因と
して気道感染(ウイルス感染)が挙げられるところ,P1は,死亡前日に友人と飲
酒をしてクーラーをかけて就寝し,死亡当日は風邪気味であった。
 これら事実からすると,P1は,①気道ウィルス感染,②クーラー風によるダニ
のかく拌,③クーラーの冷気,④前日の飲酒といった誘引が重なって,死亡当日の
朝に軽い発作を起こし,続いて夕刻に致死的な大発作を起こしたと見るのが相当で
ある。
(c) 以上のとおり,P1の気管支喘息の症状は,一時的に軽快しているように
見えても,いつでも致死的発作を起こす状態にあって,ダニの繁殖,冷気,飲酒等
により,発作が誘発され,気道感染にかかっていたことにより,致死的大発作につ
ながったとみるべきであって,P1には,業務以外に気管支喘息を増悪させる確た
る原因があったというべきである。
(2) 争点(2)(本件裁決固有の瑕疵の有無)について
ア 原告
 被告審査会は,原告からの早期資料開示の申立てにも応ぜず,また原告の迅速な
再審査請求を受ける権利を侵害したうえ(行政事件訴訟法8条2項の趣旨からし
て,被告審査会は正当な理由がない限り再審査請求から3か月以内に裁決をすべき
である。),鑑定等も行わず医証の採否ないし評価を誤ったもので,事実問題につ
いても医学的問題についても実質的な審理をしないまま本件裁決をなした。したが
って,本件裁決には,上記のような固有の瑕疵があり,取り消されるべきである。
イ 被告審査会
 労災保険法上,再審査請求人には審査関係書類等の閲覧申請権ないし請求権は認
められておらず,早期資料開示に応じなかったことについて瑕疵はない。また,行
政事件訴訟法8条2項1号及び労災保険法37条ただし書は,被告審査会が再審査
請求の日から3か月以内に裁決をしなければならないことを義務づけた規定ではな
く,本件裁決まで2年余りを要したからといって,そのことだけで本件裁決が違法
になるものではない。その余の主張は,結局のところ本件処分を維持した本件裁決
の実体的判断を非難するものであって,本件処分自体の違法を理由とするのと異な
らないから,いずれも裁決固有の瑕疵の主張たり得ず,失当というべきである。
第3 本件処分取消請求に対する当裁判所の判断
1 労災保険法における業務起因性の判断について
 労基法79条,80条及び労災保険法7条1項にいう「労働者が業務上死亡した
場合」,「労働者の業務上の死亡」とは,労働者が業務に基づく負傷又は疾病(労
基法75条参照)に起因して死亡した場合をいい,負傷又は疾病と業務との間に
は,相当因果関係のあることが必要であると解すべきである(最高裁判所第2小法
廷昭和51年11月12日判決参照)。そして,この理は,労基法施行規則35条
別表第1の2第9号に定める「その他業務に起因することの明らかな疾病」の認
定,すなわち非災害性の傷病の業務起因性の有無の判断を行う上においても,何ら
異なるところはないと解するのが相当である。
 また,労基法及び労災保険法による労働者災害補償制度は,業務に内在ないし随
伴する各種の危険が現実化して労働者に傷病等をもたらした場合には,使用者等に
過失がなくとも,その危険を負担して損失の填補の責任を負わせるべきであるとす
る危険責任の法理に基づくものと解され,この制度趣旨に照らすと,業務と傷病と
の間の相当因果関係の有無は,経験則,科学的知見に照らし,その傷病が当該業務
に内在又は随伴する危険の現実化したものと評価し得るか否かによって決せられる
べきである。
 そして,上記業務に内在又は随伴する危険が現実化したといいうるか否かを判断
するにあたって,危険の程度は,基本的には,通常の勤務に就くことが期待される
ている平均的な労働者を基準として判断すべきであるが,労働者の中には,何らか
の基礎疾患を有しながらも,特段の勤務軽減までを必要としないで通常の勤務に就
いている者も少なからずいることから,上記の基準となるべき平均的労働者には,
このような労働者も含めて考察すべきであり,基礎疾患を有しながら通常の勤務に
就いている者が,ある業務に従事したことにより,その基礎疾患を自然の経過を超
え,有意に悪化させたと認められる場合には,その悪化は当該業務に内在す又は随
伴する危険が現実化したものとして,業務との相当因果関係を肯定すべきである。
2 認定した事実(末尾記載の証拠により認定できる。)
(1) P1の既往症
 P1は,昭和31年11月7日,北海道留萌市に生まれ,現在も両親と姉1人が
存命しており,祖母は90歳,祖父も89歳まで生存していた。
 P1は,小児喘息の既往を有しており,その後症状は治まっていたが,大学2,
3年生のころ再発し,昭和55年1月5日から,北海道札幌市λ区所在の高橋内科
医院において,気管支喘息の病名で受診するようになった。
 P1は,新太平洋建設に入社する直前の昭和55年3月17日には,重積発作を
起こして,呼吸困難,チアノーゼ,血圧低下に陥り,大量のステロイドを投与して
救命されたことがあった。
(甲3,18,乙29の2,乙67)。
(2) 入社(昭和55年4月)から昭和61年3月までの就労状況及び健康状態
ア P1は,昭和55年4月,新太平洋建設に入社し,その後,同年10月までα
タウンハイツ新築工事現場の業務に従事したが,この工事終了後の昭和55年10
月3日,気管支喘息の重積発作を起こし,救急車で共立病院に搬入され入院したこ
とがあった。これ以降,P1が喘息に罹患している事実は,新太平洋建設の把握す
るところとなり,P1の上司でP1と原告が結婚した際の媒酌人でもあったP2
は,喘息は治りにくい病気である旨他から聞かされたことから,P1に対し,十分
治してから出勤するよう伝えた。
 新太平洋建設は,P1の退院後昭和60年の初旬ころまでは,P1の体調に配慮
して,札幌近郊の現場や本社において屋内で図面を書くなどの作業にあたらせてい
た。また,同社では,前記のとおり,冬季には現場作業員を本州各地の三井建設の
現場に出向させていたが,出向先における業務は,現場業務が中心となるなど,札
幌本社での内勤業務と比較して業務負担が重かったことから,P1の体調に配慮
し,三井建設への出向派遣もしなかった。
 P1は,昭和55年11月から昭和61年2月までは,前記第2の1(3)イな
いしシのとおり,札幌市内又は近郊の各工事現場での業務と内勤業務に交互に従事
し,昭和61年3月には1か月,海外自己研修のためスウェーデンに滞在し,この
間の昭和60年2月10日に原告と結婚した。
 P1は,原告と結婚した数か月後からηビル新建築工事の現場業務に従事してい
たが,コンクリート打ち工事の際は午前6時ころ出勤し,その他の場合も概ね午前
7時30分ころに出勤していた。帰宅時間は,午後8時から9時ころで,遅いとき
は午後11時になるときもあり,帰宅後も設計図面の作成等の仕事をすることもあ
った。P1の休日は,第1,第3の日曜日のみであり,しかも完全な休みになるの
は稀であった。工期後半の繁忙期には休みはなく,下請けのいずれかが仕事をする
場合には,現場に出なければならかった。
(甲18,乙29の2,乙66,証人P2)
イ 同期間のP1の健康状態
 P1は,昭和55年10月10月の発作の後,昭和57年1月13日,昭和58
年11月7日,昭和59年1月27日に,それぞれ重積発作を引き起こし,高橋内
科医院を受診したことがあったが,強い発作ではなく入院までには至らなかった。
そして,昭和60年以降昭和61年3月末までの間,昭和60年1月に1回,同年
2月に2回,同年3月に1回,昭和61年2月に1回高橋内科医院を,同年6月に
1回札幌市内にある宮坂内科医院をそれぞれ受診したが,治療はいずれもネオフィ
リンの静脈注射にとどまり,ステロイド剤の投与は受けず,この間,重積発作を起
こして受診したこともなく,症状は安定しており,P1は,P2から誘われ,スキ
ューバダイビングを始めるなど,健康な状態が続いていた。
 また,新太平洋建設が毎年4月に実施していた定期健康診断における医師の所見
は,昭和55年4月の採用時から昭和61年4月まで,いずれも「異常を認め
ず。」であった。
(甲3,18,乙16,29の2,乙67)
(3) 昭和61年4月から同年9月ころまでの就労状況及び健康状態
ア 勤務の概要
 P1は,昭和61年4月14日から同年7月ころまで,小樽市の三ツ野薬局本店
(鉄骨2階建店舗)新築工事において,工事現場の業務に従事した。同工事は,三
井建設が受注した工事であり,所長は三井建設から派遣されていたが,他の作業所
と兼務していたため,上記作業所には週に1,2回程度来てP1の相談に乗るだけ
であり,作業所の現場監督業務はP1に任されていた。この当時,P1は原告に対
し,慣れない業務で精神的に疲れる旨の話をしたことがあった。また,原告は,こ
の工事期間中の6月10日午後1時過ぎころに長男を出産し,この出産日は予め判
明していたが,P1は,出産当日も,原告の入退院の際も仕事を休むことができな
かった。
 上記工事の期間中,P1は,工事現場から徒歩で5,6分の場所にある食堂の2
階に食事付きで下宿したが,1階の飲食店の中を通って2階の部屋に戻る際,飲酒
を強く勧められる上,飲食店が深夜まで騒がしく睡眠が十分とれないため,工事期
間の後半には,札幌市内の自宅から車で通勤するようになった。
 P1は,三ツ野薬局本店新築工事現場終了後の同年8月から9月末にかけては,
主に本社において内勤業務に従事した。
(甲18,乙66,証人P2)
イ 同期間のP1の健康状態
 この当時の原告の診療経過は,別表1の診療経過一覧表に記載のとおりであり,
P1は,三ツ野薬局本店新築工事期間中の昭和61年4月に5回,札幌市内の五輪
橋内科病院を受診したものの,5月から7月までは病院受診はなく,内勤業務に従
事した8月に,五輪橋内科病院,宮坂内科医院及び札幌市医師会夜間急病センター
で合計20回,9月に五輪橋内科医院及び宮坂内科医院で合計11回受診してい
る。(乙18の2,乙32の2,乙35の6ないし37,乙67)。
 P1は,上記工事の終わることから,休みの日でも横になっていることが多く,
原告の目にもP1の疲れた様子が窺われた。原告は,同年8月ころ,P2の妻に対
し,P1の上記のような様子や,夜寝ると咳をしたり,夜間急病センターに行って
いることなどを話したことがあり,これを聞いたP2の妻に勧められたことから,
同人を通じて「シャクリー」という栄養補助食品を購入するようになった。P2
は,妻に頼まれ,職場で「シャクリー」をP1に渡すことがあり,P2は,その
際,P1に対し,「大丈夫か。」と声をかけ,P1の体調を気にかけていた。(甲
18,証人P2,原告本人)
(4) 昭和61年9月末から同年12月中旬までの就労状況及び健康状態
ア 勤務の概要
 P1は,昭和61年9月末から同年11月末まで,常呂郡θ町所在のθカルシウ
ム工場新築工事現場において業務に従事した。同工事は,木造・軽量鉄骨平屋建の
事務所と工場2棟を建築するもので,工事のほとんどをP1の父親が勤務する建設
会社に下請で発注していたことから,P2はP1を同現場に派遣することとした。
P1は,同現場において,入社以来初めて,単独で現場監督の業務を任された。
 同現場は,当時札幌から車で5,6時間かかる遠隔地にあり,P1は,工事期間
中,工事現場から車で7,8分程度の距離のμ湖畔にあるドライブインを宿舎に指
定され,単身で赴任した。
 P1は,上記工事終了後の同年12月初めから同月14日まで,本社で内勤に従
事した。
(甲18,乙66,原告本人)
イ 同期間のP1の健康状態
 この当時の原告の診療経過は,別表1のとおりであり,昭和61年10月にはθ
厚生病院で13回,五輪橋内科病院で2回,合計15回受診し,11月は五輪橋内
科病院で1回受診したのみであるが,12月には,θ厚生病院で1回,五輪橋内科
病院10回,宮坂内科医院2回と,道内の病院で合計16回受診している。(乙1
8の2,乙32の2,乙35の6ないし37,乙67)
 θカルシウム工場新築工事の期間中,P1は,1か月に1回程度週末に札幌の自
宅に帰宅していたが,このころには,P1は帰宅してもほとんど寝てばかりいるよ
うな状況で,原告は,P1の体調が悪化していると明確に感じるようになった。
(甲18,原告本人)
(5) 三井建設出向中の就労状況及び健康状態
ア 勤務の概要
(ア) トヨタビスタ東京足立営業所新築工事
 前述のとおり,新太平洋建設は,冬季の現場作業員の稼働率を上げるため,毎年
12月から翌年5月ころまで,現場作業員を三井建設に出向派遣していたが,P1
は,昭和61年12月14日ころ急遽,三井建設に出向し,同社東京建築支店の作
業現場である足立区ι所在のトヨタビスタ東京足立営業所新築工事現場での業務に
従事するよう命じられた。同現場には,三井建設社員で所長のP3と所長を補佐す
る立場の主任のほか,2名の従業員と女性事務員が現場業務に従事していたが,P
1の出向には,前任の主任が下請の職人をうまく使いきることができず,力不足で
あったことから,これに代わる者として,P2が仕事のできるP1の派遣を決定し
たという事情があった。
 P1は,同年12月15日から昭和62年4月30日まで,同現場作業所の主任
として現場監督の業務に従事した。P1の従事した業務の内容は,①建築工事の施
工管理(下請業者の監督指導等),②工程管理(工程表の作成チェック等),③安
全衛生管理(下請業者の監督指導・見回り等)及び④基本設計図に基づく施工図の
作成等であった。また,同工事は,工期が短かい,いわゆる突貫工事であり,工期
終了前の2か月間は特に多忙を極めた。
(甲18,乙66,証人P3,同P2)
(イ) 大成工機川口商品センター新築工事
 P1は,上記(ア)の工事終了後も札幌へ戻ることができず,昭和62年5月こ
ろから,引き続き埼玉県川口市内の大成工機株式会社川口商品センター新築工事の
現場事務所の主任として勤務することとなった。
 同工事の工事内容は,鉄骨造一部2階建て倉庫兼事務所の新築工事であり,工期
は昭和62年4月20日から同年9月30日まで,請負金額は1億0200万円で
あった。
 現場事務所には,所長のP3と主任のP1が常駐し,他に女性事務員が週1日だ
け勤務していた。P1の業務内容は,足立の現場と同様,①建設工事の施工管理
(下請業者の監督指導等),②工程管理(工程表の作成,チェック等),③安全衛
生管理(下請業者の監督指導,見回り等),④基本設計図に基づく施工図の作成等
であった。
 現場事務所は2階建てのトレーラーハウスで,1階が事務所として使用され,こ
こには冷房の設備もあった。
(乙11,16,63,66,証人P3)
イ 勤務時間等
(ア) 三井建設の工事現場における所定労働時間は,平日が午前8時から午後5
時までの実働8時間(午後0時から1時まで所定休憩時間),土曜日が午前8時か
ら午前12時までの実働4時間であり,就業時間中,午前10時と午後3時にはそ
れぞれ15分間の休憩時間が設けられていた。所定休日は,日曜・国民の祝日・年
末年始その他会社が指定する日であった。工事現場には,午前7時50分までに出
勤し,午前8時から下請の作業員も全員が参加して体操と朝礼を行った後,作業に
就くことになっていた。(乙63)
(イ) 昭和62年1月以降のP1の実労働時間は,概ね別表2のとおりである
(甲17,18,乙40の7,なお,被告署長は,P1が記載した勤務状況申告書
(昭和62年1月から同年6月までの分)である甲第17号証の記載内容は信用で
きず,P1の労働時間は,三井建設において作成した出勤調べ報告書である乙第4
0号証の1ないし6に記載のとおりであると主張する。しかし,証拠及び弁論の全
趣旨によれば,P1は,出向中,月の初めころに前月1か月分の就労状況等(各日
について,現場,仕事開始時間,同終了時間,現場派遣の有無,別居の有無等)を
記載した甲第17号証の勤務状況申告書を新太平洋建設宛に送付し,新太平洋建設
は,これに基づきP1の給与・諸手当(派遣手当及び別居手当。時間外賃金の支給
はない。)を算出し,支給していたこと(甲17,乙41の2ないし7),他方,
上記乙第40号証の1ないし6は,P1死亡後の平成元年11月ころ,三井建設が
被告署長よりP1の死亡前6か月の出勤簿及び超過勤務管理簿各写しの提出を求め
られたことから,同社事務部労務安全課長であったP4が,新太平洋建設から上記
甲第17号証の勤務状況申告書を取り寄せた上,三井建設の書式を使用し,甲第1
7号証の記載より休日出勤分を少なく,勤務時間も短く記載して作成し,提出した
ものであり,同号証の7もP1本人が作成したものではないこと(乙64,証人P
4,同P3)が認められる。そして,三井建設は,被告監督署長に対し,乙第40
号証が上記のようにして作成されたものであることを説明せず,本件訴訟における
証人尋問においても,P3はこれがP1本人の作成したものであるように供述して
いたこと,乙40号証の1ないし6は,P1死亡から2年以上も経過した後に作成
されたもので,かつ,記載内容が正確であることを示す客観的証拠は存しないこ
と,同号証を作成した理由について,証人P3及び証人P4及の供述内容は相互に
食い違い,かつ客観的事実にも反し,納得できるものではないことに照らせば,乙
第40号証の1ないし6の記載内容は採用できるものではない。そして,甲第17
号証は,前記のとおり,P1が自ら作成したもので,新太平洋建設がこれに従って
派遣手当及び別居手当を支給していたこと,各日の残業時間は賃金には反映されて
おらず,P1があえて実働より長い労働時間を記載する動機に乏しいことを考慮す
れば,乙第40号証の1ないし6に比べればはるかに信用に値するものである。も
っとも,甲第17号証では,P1が札幌に帰省していた6月27日に勤務していた
ように記載されている点等必ずしも正確ではない部分もあるが,全体としての信用
性を左右するものとはいえず,したがって,P1の実労働時間の認定においては,
基本的に甲第17号証によることとし,乙第40号証の1ないし6は採用しない
(ただし,7月分は勤務状況報告書が作成されていないため,乙第40号証の7に
よらざるを得ない。)。
ウ 出向中の生活状況等
 P1は,単身で東京に赴任し,出向中の宿舎として,新宿区κ所在の三井建設κ
寮(総戸数160室)内の一室(面積9.6平方メートル)を与えられた。P1
は,それまで東京に居住した経験はなく,寮には新太平洋建設から派遣された同僚
も少なく,相談相手となる者もいなかった。
 P1は,月に1回,土日曜日を利用して帰省していたが(ただし6月は2回),
その折などに,原告に対し,寮の生活について,居室は机が1つ置かれているほか
は布団を敷くスペースがあるだけで狭く,洗濯室の隣にあるため夜中でも洗濯機の
音でうるさいこと,寮の朝食は午前7時からであり,朝は寮を午前6時30分には
出るので寮の朝食をとれないこと,部屋が狭く窓が1つしかないためクーラーを購
入したことなどの話をしたことがあった。なお,寮から川口の現場までは,電車と
バスを乗り継いで約1時間程度を要した。
 P1は,川口の現場に移った昭和62年5月ころ,英会話を勉強するために,英
会話学校の都合のよい時間帯に受講できるコースを申し込んでいたが,結局,死亡
までの2か月間で3回しか受講できなかった。
(甲18,乙1,27,47の4~8,乙9,11,63,原告本人)
エ 出向中のP1の健康状態
 P1が三井建設に出向していた間の診療経過は,別表1のとおりであり,昭和6
1年12月は足立の現場に近い東京都足立区所在の苑田第一病院と宿舎近くのν病
院で合計6回受診し,昭和62年1月は上記両病院に合計8回受診したほか,帰省
した際に五輪橋内科医院及び札幌市医師会夜間救急センターでも合計6回受診して
いた。また同年2月は合計12回,3月は3回,4月は2回,それぞれ現場又は宿
舎に近い病院で受診し(西北診療所及び市村耳鼻咽喉科医院はいずれも新宿区ξ所
在の病院である。),川口の現場に移った後は,5月に合計7回,6月に合計8
回,7月に合計8回,やはり宿舎近くのν病院や中嶋医院(新宿区ν所在)と現場
近くの柳田病院(川口市ο町所在)でいわばかけもちで受診し,6月に帰省した際
には札幌の五輪橋内科病院でも受診している。
(乙35の19ないし37,乙67)
 P1は,同年6月は上旬に1回帰省していたが,同月26日夜から28日にも再
度帰省した。その際,P1は,疲れた様子であり,原告に対し,暑くて食欲がない
と語り,また7月は忙しくなり帰省できないと話していた。P1は,28日午前8
時発の飛行機で東京へ戻る予定であったが,朝起きることができず,原告に「東京
に戻りたくない」と漏らしたため,原告は,仕事好きで責任感の強いP1のこの様
子に驚き,東京に連絡を入れて休むようP1に勧めたが,P1は,「仕事が沢山た
まっているからだめだ」と答え,結局その日の昼の便に予定を変更して東京へ戻っ
た。
(甲3,18,乙9,27,63)
(6) P1の死亡前10日間の作業内容等及び死亡当日の状況
ア 死亡前10日間における作業内容等は以下のとおりであった(乙16,39,
63)。
6月29日(月) 降雨のため現場作業中止
6月30日(火) 埋戻し作業
7月 1日(水) 地盤改良作業
7月 2日(木) 外部足場組,地盤改良作業
7月 3日(金) 外部足場組作業(降雨のため午前中で作業終了)
         夕方施主が来訪し,P1はP3とともに食事に行く。
7月 4日(土) 外部足場組,地盤改良作業
         P1は,午後5時に作業終了後,下請の佐々木土木株式会社P
5宅に行き,宿泊した。
7月 5日(日) 休日(早朝からP5らと魚釣りに行く。)
7月 6日(月) 鉄骨方準備,鉄骨製品検査
7月 7日(火) 事務所棟鉄骨建方作業
7月 8日(水) 回転棟鉄骨建方作業
         作業終了後,P1は友人に会うとしてP3からの夕食の誘いを
断り,帰社した。
7月 9日(木) クレーン棟鉄骨建方
 また,7月2日以降1週間の東京地方における気象状況は以下のとおりであった
(乙16,42)。
天候 7月2日~5日 雨(降水量は2日3mm,3日18.5mm,5日18m
m)
   7月6日~9日 晴れ又は曇り
最高気温 24度~32度
最低気温 19度~24度
湿度 64パーセント~89パーセント
最大風速 4.9m/s~7.2m/s
イ 死亡当日(7月9日)のP1の状況
 P1は,当日通常どおり出勤した。同日はクレーン作業が予定されており,クレ
ーン作業は日程の変更がきかないことから,P1は休むことができない状態であっ
た。P1は,作業が一段落した午前9時ころ,P3に対し「風邪ぎみで病院に行か
せて欲しい」と申し出た。その際,P1は声がおかしかった。(乙10,証人P
3)
 P1は,午前10時ころ,現場から約300メートルの所にある宮岡病院を受診
した。宮岡病院の医師は,P1に喘鳴,呼吸困難があり,気管支喘息の発作が認め
られたことから,パンスポリン0.5g,ネオフィリン4cc等を投与したとこ
ろ,軽快した。P1は,同医師から安静休養を指示されたが,1時間程度で作業所
に戻って作業に従事し,P3らに対し,身体の不調を訴えることもなかった。(乙
18の2,乙55,63)
 原告は,6月下旬に帰省した際P1が気にしていた長男の風邪の症状がよくなっ
てきた旨を伝えるため,当日午後3時15分ころ,現場事務所のP1に電話をし
た。その際,珍しくP1が事務所内にいたため,そのことを伝えると,P1は「暑
くて外に出られない。」と発言した。(甲18)
 午後4時30分ころ鉄骨建方が完了し,その後作業所で翌日の段取りの確認等が
行われた。P3は下請業者らとビールを飲み始め,図面に向かっていたP1を誘っ
たところ,P1は,「今日は飲みたくない」と言って断り,仕事を続けた。
 その後,P1は,P3らには黙って事務所を抜け出し,徒歩で宮岡病院へ向か
い,午後5時30分ころ,同病院に到着したが,受付窓口付近において,「サ,
サ」と2言3言,言うなりその場に倒れた。同病院では,直ちに救命措置がなされ
たが,わずかに痙攣,眼球充血,瞳孔散大等があり,P1は,午後5時40分ころ
同病院で死亡した。直接の死因は心不全であったが,その原因は気管支喘息による
喘息発作,気道狭窄,呼吸困難,窒息状態と診断された。
 来院時,P1の顔面に擦過傷が多数あり,病院に向う途中,苦しくて転倒したも
のと推測された。P1の上着ポケットには薬名の記載がない空の噴霧器が入ってお
り,また,死亡後,P1の事務所内の机の引き出しから,空の薬瓶が4,5個発見
された。
(乙18の2,乙19の2,乙63)
3 気管支喘息に関する医学的知見(後掲証拠により認定できる。)
ア 気管支喘息の定義
 喘息は気道の炎症と種々の気流制限により特徴づけられ,発作性の咳,喘鳴及び
呼吸困難を示す。気流制限は軽度のものから高度のものまで存在し,自然に,また
治療により少なくとも部分的には可逆的である。気道炎症には好酸球,丁細胞(T
h2),肥満細胞など多くの炎症細胞の浸潤が関与し,気道粘膜上皮の損傷が見ら
れる。長期罹患成人患者では気流制限の可逆性の低下が見られる傾向があり,しば
しば気道上皮基底膜肥厚などのリモデリング(粘膜下の膠原繊維沈着などの組織構
造の変化)を示す,反応性のある患者では,気道炎症,気道のリモデリングは気道
過敏性を伴う。(乙67)
イ 気管支喘息の型
 喘息には,アトピー型(アレルギー型)と非アトピー型(非アレルギー型)があ
る。アトピー型喘息は問診あるいは皮膚テスト,RAST法(radioalle
rgosorbent test)などのアレルギー検査によって何らかのアレル
ゲン(アレルギーの原因物質)が判明する喘息で,アレルゲンに対するIgE抗体
が検出され,一般にRIST法(radioimmunosorbent tes
t)などによる血清総1gE値は高い。非アトピー型喘息は問診,アレルギー検査
などでアレルゲンが判明しない喘息で,一般に血清総IgEは正常範囲である。小
児期発症喘息の殆どはアトピー型で,中高年発症喘息には非アトピー型が多い。し
かし,臨床症状,気管支組織の病理所見に両者の違いはない。(乙67)
ウ アレルギー性(アトピー性)喘息の発生機序(乙67,68)
(ア) アレルギーとは,「抗原抗体反応の結果,生体に障害をもたらすもの」を
いい,アレルギー反応は,現在Ⅰ型からⅣ型まで4つのタイプに分類されている。
その中で,喘息と密接に関連するのは,Ⅰ型アレルギー反応である。
(イ) Ⅰ型アレルギー反応では,アレルゲン(Ⅰ型アルギー反応を引き起こす原
因となる抗原)に曝露されると,これに対応してIgE抗体が作られる。IgE抗
体は,組織の肥満細胞に固着するという特徴を有している。アトピー型喘息では,
肥満細胞の表面でIgE抗体とアレルゲンが反応し,肥満細胞からヒスタミン,ロ
イコトリエン,プロスタグランジン等の化学伝達物質(メディエーター)が遊離さ
れ,あるいは生成される。これらの化学伝達物質は,気管支の平滑筋を収縮させて
けいれんを起こすほか,気道粘膜の浮腫等を起こし,気管支狭窄を起こす。また,
これらの化学伝達物質は,分泌を亢進させる働きもあり,鼻水や気管支粘液(痰)
を増やすので,これも気管支を狭くする一因となる。このような機序によって起き
る反応を即時型反応といい,これによって起こる症状は,アレルゲンを吸入してか
ら15分ないし30分後に最大になり,1時間くらいで治まる。
(ウ) これに対し,遅発型反応は,好酸球によって起こる気道平滑筋収縮と気道
粘膜炎症である。好酸球は,肥満細胞から放出された好酸球遊走因子や血小板活性
化因子,ヘルパーT細胞がつくるサイトカインであるインターロイキン5(IL-
5)などによって気管支に集められる。そして,好酸球は,肥満細胞から放出され
たのと同じロイコトリエンなどの化学伝達物質を出し,これらの作用で気道平滑筋
を収縮させ,気道粘膜に炎症を起こす。この炎症によって気道粘膜にむくみが生
じ,平滑筋の収縮によって狭くなった気管支をますます狭くするため,喘息の症状
が悪化することになる。この症状は1日ないし2日続く。喘息患者の約半数では,
即時型反応の後,4~8時間後に再び遅発型反応による発作を起こす。
(エ) さらに,好酸球からは,MBPやECP,EPOといった組織破壊作用を
持つタンパクも放出され,その作用によって気道粘膜の上皮が剥離したり,細胞と
細胞との間隔が開いてしまうなどして,気道上皮が破壊される。これによって,刺
激に対する気道の過敏性がさらに亢進され,次の発作が起こりやすくなり,慢性化
へとつながっていく。
(オ) 即時型,遅発型の両者を備えた反応を二相性喘息反応と称する。そして,
遅発型喘息反応が生じた後1ないし2週間は,気道過敏性が亢進している。
 なお,中等症ないし重症の発作で,気道閉塞を伴い,気管支拡張薬への反応が不
良で,速やかに適切な措置をとらないと生命の危険を伴うような重篤な発作は重積
発作とよばれる。喘息重積状態には,喘鳴,重い呼吸困難,起坐呼吸,多量の発
汗・冷や汗,チアノーゼその他の兆候がみられる。
エ 喘息発作の誘因
 発作の誘因としては,①アレルゲン,②気道ウイルス感染,③血圧降下薬(β遮
断薬)や非ステロイド系抗炎症薬(アスピリン等の解熱鎮痛薬)といった薬物,④
粉じん・排気ガス・喫煙等の刺激性物質の吸入,⑤急激な温度変化,⑥その他(食
品添加物,心理的ストレス,運動)がある。
 このうち,気管支喘息発作の誘因となる最たるものが風邪又はこれに伴う気管支
炎であり,厚生労働省医療技術評価総合研究喘息ガイドライン班が作成したガイド
ラインでは,成人の場合,死亡に至る喘息発作の誘引としては,気道感染(特にウ
イルスに起因する上気道感染)が最も多く,次いで,ストレス,過労であるとされ
ている。また,平成4年から平成6年の3年間の喘息発作による死亡例について,
日本全国の100床以上を有する病院を対象に行ったアンケートの結果,死亡に至
った発作の誘引は,気道感染が44.5パーセント,疲労・過労が22.9パーセ
ント,心因・ストレスが19.0パーセントであったとする日本アレルギー学会で
の報告例がある。
(甲38,乙20,26,67)
オ 喘息と過労・ストレスの関係
 人間には,疾患の発症を抑える防御機能が局所的にも,生体中枢における生体恒
常機能(自律神経系・内分泌系・免疫系における働き)としても存在するため,ウ
の喘息発症の機序に対し,これと逆の作用を営むよう働く。しかし,過労・心理的
ストレスなどの過重原因が身体全体,大脳皮質に強く持続的に作用するようになる
と,視床下部を中心とした生体恒常機能が十分に作用できなくなり,生体全体の防
御機能が低下し,その結果,喘息発症に至る機序の進行を抑えられなくなり,病状
が悪化の一途をたどることとなる。
(甲8の1,2)
カ 気管支喘息の予後
 一度喘息になると,一時的に寛解し,自覚的ないし他覚的に症状が好転する,あ
るいは症状がほとんど消失している状態になっても,完治することは少ない。適切
な治療が施されなければ,刺激原因物質に曝露されることによって繰り返し発症
し,徐々にその程度は重症化していく。小児喘息では,成長によって細胞が新しく
再生されることによって,気道の器質的変化(リモデリング)が覆い隠され,気管
支喘息が「治ゆ」したとみなされることもあるが,器質的変化(リモデリング)は
残ったままであるから,気管支喘息が治癒するということはない。小児喘息で完全
寛解するのは約6割(50ないし70パーセント)で,残りは成人喘息に移行する
か,再発するとされている。(乙46)
4 P1の気管支喘息について(後掲証拠により認められる。)
(1) 喘息の型
 昭和61年10月11日から同年12月1日までP1が受診したθ厚生病院で行
ったRIST法,RAST法(5種類)の検査結果では,血清総IgEが680
(正常値250以下)と高値であり,RAST法によるIgEはブタクサ0,ヨモ
ギ0,アルテルナリア0,ダニ17.5以上(正常値0.34以下),ハウスダス
ト4.8(正常値0.34以下)であり,ダニ,ハウスダストが高値であった。ハ
ウスダスト(室内塵)の主要アレルゲンはダニ由来であるので,上記検査結果によ
り,P1の喘息の型はダニに対し強い過敏性を持ったアトピー型喘息と判断される
(乙32の2,乙67)。
(2) 経年的重症度
 湯河原厚生年金病院P6医師(以下「P6医師」という。)は,日本アレルギー
学会気管支喘息重症度判定委員会基準(以下「判定基準」)に従い,発作の重症度
と発作頻度,ステロイドの使用の有無などから,P1の喘息の重症度について,次
のとおり推測されるとの意見を述べている(乙67)。
(北海道在住時点)
昭和55年 中等症以上で重症に極めて近い。
昭和56年 詳細不明
昭和57年~昭和59年 中等症と推定される。
昭和60年 軽症
昭和61年8月 中等症以上。ステロイド使用量によっては重症
同年10月 重症
(東京赴任中)
昭和61年12月 中等症で重症に近い。
昭和62年1月 中等症
   同年2月 中等症
   同年3月 軽症(内服薬と携帯吸入器の処方のみ。ステロイドの処方な
し。)
   同年4月 軽症(吸入措置と内服薬及び携帯吸入器処方のみ。ステロイドの
処方なし。)
   同年5月 中等症
   同年6月 中等症あるいはそれ以上(ステロイド使用量によっては重症)
   同年7月 死亡直前の重症度は,中等症あるいはそれ以上(ステロイド使用
量によっては重症)
5 業務起因性の判断
(1) 前記認定の事実によれば,P1は,気管支喘息の基礎疾患を有していたと
ころ,気管支喘息の重症発作による呼吸困難を原因とする心停止により死亡したも
のと認められる。そこで,以下,前記1の観点に基づき,P1が従事した業務によ
り,基礎疾患たる気管支喘息を自然的経過を超えて有意に悪化させたか否かを検討
する。
(2) 前記認定のとおり,P1は,新太平洋建設に入社した年である昭和55年
の3月及び10月に,ステロイドの投与により救命され,また入院を要するような
重積発作を起こしており,その当時のP1の気管支喘息の症状は中等症以上で重症
に極めて近い状態であったといえる。しかし,その後は,昭和57年から昭和59
年1月にかけて毎年1回重積発作を起こしたものの入院するほどではなく,その後
も昭和61年3月までは病院の受診回数も少なく,特に結婚前後ころはスキューバ
ダイビングをするほどであったから,P1の気管支喘息は,昭和61年3月の時点
では軽症で安定した状態にあったということができる。
 しかし,昭和61年8月,小樽の工事現場(三ツ野薬局本店新築工事現場)の業
務が終了した直後ころ以降,P1の病院受診回数が急増し,P1の気管支喘息の症
状は重症へと一気に悪化し,昭和61年3月及び4月を除いて,P1の気管支喘息
は中等症ないし重症と悪化した状態で推移したとみられる。
(3) この前後にP1が従事した業務をみると,昭和55年10月の入院以降,
P1の業務は,札幌市内及びその近郊の現場監督業務又は本社内勤であったものが
(昭和61年3月のスウェーデンにおける自己研修を除く。),昭和61年4月以
降死亡した昭和62年7月までの約1年3か月の間は,昭和61年8月から9月ま
での2か月足らずと同年12月の約半月間の本社内勤を除けば,小樽の現場が約3
か月,θの現場が3か月,東京への出向(足立の現場及び川口の現場)が7か月近
くと,現場勤務が続いている。そして,これらの現場勤務は,それまでと異なり札
幌市から離れた現場で,営業上の必要により単身赴任を余儀なくされ,しかも,小
樽及びθの現場はP1が実質的に現場責任者となっての業務であり,また東京での
現場は,全く面識のなかった三井建設社員の所長の下で,やはり面識のない東京の
下請業者を使っての仕事であったことからすると,従前に比べ,はるかに作業密度
や精神的緊張の高い業務であっただけでなく,日常生活の面でも,精神的,身体的
負担を強いるものであったと容易に推認することができる。
 さらに,P1の実労働時間をみると,本件においては,昭和61年12月以前の
P1の労働時間を示す勤務状況報告書のような証拠は存しない(証人P2は,現場
に関しては出勤簿のようなものはなかった旨供述するが,前記のとおり,新太平洋
建設は東京出向中のP1に対し勤務状況報告書を作成提出させ,これに従って派遣
手当及び別居手当を支給していたこと,この派遣手当は従業員が現場に派遣された
場合に支給するもので,所長,主任,係員の別及び基本給に従った定額の手当であ
ること(証人P2)からすれば,少なくとも従業員の自己申告による勤務状況報告
書は作成されていたはずである。また,同証人は,本件裁判の事実を知らなかった
ため,関係書類をすべて廃棄処分としたようにも供述するが,甲第17号証が提出
された前記経緯及び証拠(甲18,乙27)により認められる,本件労災申請にあ
たっての新太平洋建設の非協力的態度に照らすと,意図的に廃棄した疑いがあ
る。)。
 しかしながら,P1が札幌市内の現場監督をしていた当時,通常は午前7時30
分ころに出勤のため自宅を出,午後8時ないし9時に帰宅していたこと,工事の内
容,進行状況によっては,午前6時ころに自宅を出たり,あるいは午後11時ころ
に帰宅することもあり,また,休日は月に2日のみであったことからすると,新太
平洋建設においては,現場監督は,休日は月に2回(隔週日曜日)しかなく,実労
働時間は通常午前8時から午後7時ないし8時ころまでで,残業は常態であり,工
事の進捗状況によっては,さらに労働時間は長いこともあったと認められる。(証
人P2(同人の陳述書である乙66を含む。)によっても,工期のうち仕上げ段階
の2か月,とりわけ最後の1週間や10日は特に多忙となるのが通例である旨,本
社内勤の場合は現場に出ている場合と異なり,残業はなく土曜日も半日で日曜日も
毎週休みがとれるため,現場勤務に比べて楽である旨供述しており,これも上記事
実を裏付けるものといえる。)。
 そうすると,P1は,北海道時代,現場に出ている間は,少なくとも1週当たり
20時間程度の時間外労働をしていたと推認される。(所定労働時間を三井建設の
場合と同様週44時間とし,平日は午前8時から午後7時までの実働で時間外2時
間,土曜日は午前8時から午後7時までの実働で時間外6時間,日曜日は時間外を
隔週8時間として計算した時間数。週の実労働時間は64時間程度となる。)。
 また,三井建設出向中のP1の実労働時間数は,別表2のとおりであり,現行労
基法の法定労働時間である週40時間(昭和62年当時は48時間)を超える実労
働時間数を1か月単位でみると,概ね次のとおりであり(各月の法定労働時間[4
0÷7×暦日数]として算定),労働時間だけでも相当程度に過重なものであった
ことが明らかである。
昭和62年1月 40時間
   同年2月 60時間
   同年3月 168時間
   同年4月 150時間
   同年5月 63時間
   同年6月 81時間
   同年7月 21時間
 とりわけ,足立の現場における工事はいわゆる突貫工事であり,納期前2か月間
すなわち昭和61年3月及び4月のP1の労働時間は,それぞれ345時間,32
1時間と極めて長時間に達し,P1が取得した休日も,3月が1日,4月が2日に
すぎない。
(4) 以上の事実及び気管支喘息に関する医学的知見を総合すると,P1の気管
支喘息は,昭和61年4月から7月までの小樽の三ツ野薬局本店新築工事の現場勤
務において,長時間労働に加え,それまで経験のない単身赴任や実質的現場責任者
という立場により精神的な負担及び生活の質の低下をも強いられたことにより,そ
れまでの軽症から急激に悪化に向かい,これが十分回復しないまま,小樽の現場と
同様,身体的精神的負担の大きいθの現場での勤務(むしろ札幌から遠く離れ,名
実共に現場責任者という立場にあった点では一層作業強度や精神的緊張が高いとも
みられる。)に就いたことにより,さらに増悪・慢性化し,いつ致死的な重積発作
を引き起こしてもおかしくない状態に陥っていたものと推認することができる。そ
して,P1は,θの工事終了後,ある程度の長期間通常の内勤業務に戻り,単身生
活を解消して生活の質を向上させ,並行して気管支喘息の治療に専念して症状を軽
症化,安定化させることが望ましい病態であったにもかかわらず,わずか2週間の
本社内勤の後,三井建設出向を命じられ,再び単身で生活しつつ現場での長時間労
働を強いられており,P1の気管支喘息は,これを回復させる機会のないまま,重
症又はこれに近い状態で推移し,遂には,そのような状況の中で発生した重篤な発
作のため死に至ったものというべきである。P1の従事した現場業務は,その労働
時間だけを見ても,通常人にとってすら極めて過重な業務であったといわざるを得
ない。
 さらに,前記のとおり,喘息患者の約半数では即時型反応による発作の後,4~
8時間後に再び遅発型反応による発作を起こすとされているところ,P1は,死亡
当日の午前10時ころ,喘息発作を起こして宮岡病院を受診していたから,作業を
継続すれば遅発性発作を起こす危険性が増大し,入院ないし休養を要する状況にあ
った。そして,P1は,この1回目の発作について加療を受けた後,同病院の医師
から安静を勧められたが,当日はクレーン作業が予定されており,作業を延期,変
更することができないため,現場に戻って作業を続けざるを得ず,そのような中
で,2回目の発作を起こしたと認められるところ,P1が当日入院するなどして安
静を保ち,あるいは東京出向の後継続的に診察・治療を受けていた宿舎近くの病院
で診察を受けるなどしていれば,喘息発作による死亡という結果を回避できた可能
性も十分考えられる。
 以上を総合して勘案すると,P1の死亡と業務との間には,相当因果関係がある
というべきである。
(5) 被告署長は,P1の業務が最も忙しかった昭和62年3月中旬から4月上
旬にかけての症状は軽症であったから,P1の業務多忙と症状悪化との間には関連
性がない旨の主張をするところ,P6医師が同時期のP1の症状について,軽症と
判断していることは前記のとおりである。
 しかし,上記期間中のP1の労働時間に照らすと,この期間のP1の受診回数が
少ないのは,むしろ多忙な業務により受診する時間的余裕がなかったためであっ
て,P1は携帯吸入器などにより重積発作を押さえていたとも考える余地があり,
この時点でP1の症状が軽快していたとみるには疑問がある。また,この時期の過
重な業務による疲労が蓄積された結果として,同年5月以降に発作が多発するよう
になったとも考えられるのであり,被告署長の主張は,(4)の判断を左右するも
のとはいえない。
 また,被告署長は,P1はいつでも致死的発作を起こす状態にあって,ダニの繁
殖,冷気,飲酒等により,発作が誘発され,気道感染にかかっていたことにより,
致死的大発作につながったとみるべきであって,P1には,業務以外に気管支喘息
を増悪させる原因があったと主張するところ,なるほど,7月9日の死亡当日の発
作の直接の誘因は,あるいは上記主張のようなものであったとみることも可能であ
るが,前示のとおり,本件においては,P1がいつでも致死的発作を起こしうるよ
うな状態に至った原因はP1の従事した業務にあると認められるのであるから,発
作の直接の誘因が上記のとおりであったとしても,前記の判断を左右する事実であ
るとはいえない。
 なお,本件について,P6医師及び東京労働基準局地方労災医員P7医師は,過
労がP1の死亡の原因となったか否かの点について,いずれも消極的意見を述べる
が(乙37,67),先に認定したようなP1の労働実態を十分に把握した上での
意見とは認められないから,採用することができない。
(6) 以上のとおりであり,P1の死亡はその従事した業務によるものと認めら
れ,これを覆すに足りる証拠はないから,業務起因性を否定して労災補償給付を不
支給とした本件処分は,その判断を誤った違法なものというべきである。
第4 本件裁決取消請求に対する当裁判所の判断
 第3において判断したとおり,被告署長のした本件処分は取り消されるべきもの
であり,そうである以上,本件処分を維持した被告審査会の裁決の取消しを求める
原告の訴えは,訴えの利益を欠き,却下すべきことになる。
第5 結論
 以上によれば,原告の被告署長に対する本訴請求は理由があるから認容し,被告
審査会に対する本訴請求は不適法であるから却下することとし,主文のとおり判決
する。
東京地方裁判所民事第11部
裁判長裁判官 三代川三千代
裁判官 多見谷寿郎
裁判官 鈴木昭洋

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