弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主    文
1 被告は,原告A1に対し1392万4239円,その余の原告らに対し各21
4万4847円,及び上記各金員に対する平成9年7月29日から支払済みまで年
5分の割合による金員を支払え。
2 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は,これを2分し,その1を原告らの負担とし,その余を被告の負担
とする。
4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
  被告は,原告A1に対し2735万1616円,その余の原告らに対し各43
7万0323円,及び上記各金員に対する平成9年7月29日から支払済みまで年
5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
 本件は,亡F(以下「F」という)がくも膜下出血を発症して被告の開設する病
院に入院し,治療を受けたが,同病院に勤務する医師の診療行為に過失があったた
め,死亡したとして,Fの相続人である原告らが,被告に対して不法行為(使用者
責任)に基づく損害賠償(遅延損害金を含む)を請求した事案である。
1 争いのない事実
(1)Fは,昭和2年10月6日生の女子であり,原告A1(以下「原告A1」とい
う)はその配偶者,その余の原告らはいずれも上記両名間の子である。
  被告は,名古屋市昭和区a町b番地のcにおいて,B病院(以下「被告病院」とい
う)を開設している法人である。
  C(以下「C医師」又は「C」という)は,平成9年当時,被告病院に勤務す
る医師であり,その職務としてFに対する診療行為を行った者である。
(2)Fは,平成9年(以下,同年については,月日のみをもって表す)1月1日午
前8時50分ころ,自宅(原告A1の肩書住所地)において脳動脈瘤破裂によるく
も膜下出血のため,突然激しい頭痛,立ちくらみ等の症状に襲われ,救急車で被告
病院に搬送された。診療に当たったC医師は,Fに対し,脳血管撮影検査及びCT
スキャン検査(以下「CT検査」という)を行った結果,右内頸動脈に解離性脳動
脈瘤を,左前大脳動脈に嚢状脳動脈瘤を,それぞれ認めたが,破裂部位について
は,右内頸動脈の解離性脳動脈瘤が破裂したものであると診断した。
(3)C医師は,上記診断後,緊急手術は行わず,同月7日にCT検査を行い,同月
16日まで個室における暗室管理と血圧降下剤ペルジピンの持続点滴による血圧の
コントロールを行い,同日以降,血圧降下剤は内服(アダラート)に変更し,同月
17日にはベッドでの起座を許可し,同月23日には離床を勧め,尿道カテーテル
を抜去した。
(4)C医師は,Fに対し,同月24日に,CT検査を行った。
(5)Fは,同月25日午前9時15分ころ,被告病院内の便所内で倒れた。C医師
は,CT検査等の結果,左前大脳動脈嚢状脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血と診
断し,クリッピング術及び脳室ドレナージ術を行った。
(6)Fは,7月29日,死亡した。
2 争点
(1)C医師のFに関する次のような診療行為についての過失の有無
 ア 1月1日時点での出血部位に関する診断
 イ 1月1日時点での早期手術を行わないという判断
 ウ 1月1日以降の経過観察
 エ 1月24日時点での早期手術を行わないという判断
 オ1月24日時点で便所に行くことを許可した判断
(2)Fの死亡とC医師の過失との間の因果関係
(3)Fの死亡により原告らが被った損害及びその額
3 争点に対する当事者の主張
(1)争点(1)(C医師の過失の有無)について
 ア 1月1日時点での出血部位に関する診断について
 (原告らの主張)
 (ア)1月1日実施の脳血管撮影検査の結果,右内頸動脈に認められた所見は,解
離性脳動脈瘤と診断できるものではない。すなわち,解離性脳動脈瘤に固有の所見
は,真腔と解離腔を隔てるインティマル・フラップであり,特徴的な所見として
は,パール・アンド・ストリング・サイン(血管の拡張と狭窄)及び静脈相に至る
までの解離腔内の造影剤の貯留であるが,Fには,そのいずれも認められなかっ
た。また,血管の狭窄と紡錘状の拡張は解離性脳動脈瘤に固有の所見ではない。
 これに対して,左前大脳動脈には嚢状脳動脈瘤が認められ,出血部位がこの脳動
脈瘤であるとの診断は可能であった。左前大脳動脈の血管壁がスムーズだとして
も,そのような脳動脈瘤が破裂しないとはいえない。
(イ)同日のCT検査における写真では,前大脳半球間裂部にも相当量のくも膜下出
血が見られるが,内頸動脈解離性脳動脈瘤の破裂により前大脳半球間裂部までくも
膜下出血が達するためには,かなり重篤なくも膜下出血が考えられる。
 しかし,同日に被告病院へ来院したときのFの意識は清明であり,くも膜下出血
としては軽症だった。また,上記写真では,第3スライス目のみで右側に出血が多
く認められ,第4,5スライス目では出血に左右差はほとんどなかったのだから,
右側にくも膜下出血が多いとはいえない。
 したがって,右内頸動脈解離性脳動脈瘤が出血部位であったと考えるべきではな
く,前大脳半球間裂部でくも膜下出血が発生し,下方に広がったと考えるべきであ
った。
(ウ)右内頸動脈に解離性脳動脈瘤があるとしても,通常,破裂する脳動脈瘤は嚢状
のものであり,紡錘形のものはほとんど破裂しない。内頸動脈解離性脳動脈瘤は,
動脈狭窄ないし閉塞による脳梗塞の原因となるとされ,これが破裂することは非常
にまれである。
  また,同日の左前大脳動脈嚢状脳動脈瘤の大きさと形態から見て,当該部位か
らの出血は考えられないと断定することはできない。
 (エ)上記各事由からすると,C医師は,右内頸動脈解離性脳動脈瘤の存在を疑っ
たとしても,再度脳血管撮影検査,MRI検査等を行うことによって,上記脳動脈
瘤が実在するのか,仮に実在するとしても破裂部位は別の左前大脳動脈嚢状脳動脈
瘤ではないのかを検討する必要があったものであり,そうすれば破裂部位は左前大
脳動脈嚢状脳動脈瘤であると診断することは可能であった。
  ところが,C医師は,診断に必要な検査を行わずに,右内頸動脈に解離性脳動
脈瘤が存在し,これが破裂部位であり,左前大脳動脈嚢状脳動脈瘤は破裂していな
いと誤診し,内科的療法を継続した。
(被告の主張)
(ア)一般に,解離性脳動脈瘤の診断は脳血管撮影検査によって診断可能とされ,そ
の特徴的所見は血管の狭窄と紡錘状の拡張とされているところ,本件でもこの特徴
的所見が認められた。1月1日の脳血管撮影検査において,左前大脳動脈嚢状脳動
脈瘤は約3㎜と小さく,血管壁に不整はなくスムーズであるとの所見が得られた。
 (イ)同日のCT写真からは,第3スライスのみならず第4,5スライスにおいて
も出血像に左右差が認められ,また,右側のシルビウス溝及び右側脳底槽にくも膜
下出血が最も多く,これは右内頸動脈解離性脳動脈瘤の破裂の場合の血腫の局在と
一致していた。左前大脳動脈嚢状脳動脈瘤が破裂した場合には,血腫は前大脳半球
間裂部に最も多くなり,上記CT写真のような像を呈することはまれである。
(ウ)以上から,破裂部位は右内頸動脈解離性脳動脈瘤であると診断できるものであ
る。
  また,MRI検査による診断は標準的なものでも絶対的なものでもないから,
脳血管撮影検査のほかにMRI検査を行うべき義務はない。
 イ 1月1日時点での早期手術を行わないという判断について
(原告らの主張)
(ア)通常の脳動脈瘤に対して保存的治療を行うと,その死亡率は,2週間以内で3
8%,4週間以内で49%,6週間以内で60%に達するという報告があり,別の
報告では脳動脈瘤根治手術を行わなかった場合,1か月以内に約半数,半年以内に
約3分の2が死亡するとされている。そして,同日のくも膜下出血は,上記アの原
告らの主張のとおり,左前大脳動脈嚢状脳動脈瘤の破裂によるものであると診断す
べきであったところ,Fの意識状態が清明であり,早期手術の適応があったことも
併せ考えれば,C医師は,1月1日時点で早期に左前大脳動脈嚢状脳動脈瘤のクリ
ッピング術を行う判断をすべきであった。
(イ)仮に,C医師が出血部位を右内頸動脈解離性脳動脈瘤と診断したことが誤りで
なかったとしても,C医師は,同時に左前大脳動脈嚢状脳動脈瘤もあると診断した
のだから,Fは,多発性脳動脈瘤であったといえる。そのような場合,未破裂脳動
脈瘤を含め一期に手術することが原則である。なお,ここでいう多発性脳動脈瘤と
は,嚢状脳動脈瘤のみを指すものではなく,この原則は解離性脳動脈瘤にも当ては
まる。少なくとも,C医師は,開頭術を行い,右内頸動脈解離性脳動脈瘤があるか
否かを確認すべきであった。
(被告の主張)
 (ア)上記アの被告の主張のとおり,1月1日時点でのC医師の診断に誤りはな
い。そして,内頸動脈解離性脳動脈瘤は比較的まれな疾患であり,一般的に採用す
べき治療方法は確立していなかったが,症状が軽度であれば自然治癒する可能性も
あり,出血から3週間以上経過して再出血しなければ,それ以降の再出血の可能性
は低くなる。
 仮に,出血部位が左前大脳動脈嚢状脳動脈瘤であったとしても,急性期に手術す
るためには,術中に脱水とし,低血圧麻酔をするのが通常であるが,これにより右
内頸動脈解離性脳動脈瘤の狭窄部が閉塞する可能性があり,その場合には右側大脳
半球の大梗塞を起こし非常に危険となる。したがって,内頸動脈解離性脳動脈瘤が
存在する場合には,安易に緊急手術をすべきではない。
(イ)解離性脳動脈瘤に関し,多発性脳動脈瘤の場合,未破裂脳動脈瘤を含め一期に
手術することが原則であるという定説はない。原告が主張する原則は嚢状脳動脈瘤
に関するものであり,解離性脳動脈瘤が問題となっている本件には当てはまらな
い。したがって,C医師の治療方法の選択に誤りはない。
ウ1月1日以降の経過観察について
(原告らの主張)
 仮に,1月1日のFの出血部位が右内頸動脈解離性脳動脈瘤であり,これに対し
て採られた保存的治療がやむを得ないものであったとしても,このような場合,C
医師は,当該脳動脈瘤の解離の程度を再評価し,再出血を予知するため,発症から
経時的に脳血管撮影検査による画像診断を行い,経過観察を行うべき注意義務があ
った。
 ところが,C医師は,経時的に脳血管撮影検査を行わず,経過観察を怠った。
(被告の主張)
 C医師は,同月21日,次週に脳血管撮影検査を予定し,右内頸動脈解離性脳動
脈瘤の変化を見た上で,治療方法を検討することとした。しかし,同月25日に左
前大脳動脈嚢状脳動脈瘤の破裂による再出血があり,その後はFの全身状態が悪
く,解離性脳動脈瘤に対する外科的治療を前提とする対応ができなかったため,脳
血管撮影検査は実施できなかった。
エ 1月24日時点での早期手術を行わないという判断について
(原告らの主張)
(ア)C医師は,1月24日,CT写真上において前大脳半球間裂部に,再度,高吸
収域を認めたが,これは,同日以前に左前大脳動脈嚢状脳動脈瘤から再出血したこ
とを示すものである。脳動脈瘤にくも膜下出血を発症した場合,その後,手術によ
る治療を行わなければ,同一脳動脈瘤から再出血を来すことが多いのであり,同月
1日のくも膜下出血は,左前大脳動脈嚢状脳動脈瘤を出血部位とすると一元的に考
えるのが妥当である。そうすると,C医師が,同月1日のくも膜下出血の部位は右
内頸動脈解離性脳動脈瘤であると診断したことがやむを得なかったとしても,同月
24日の時点で同月1日の破裂部位は左前大脳動脈嚢状脳動脈瘤であること及びそ
こから再出血したことを認識し,早期に手術を行うべきであった。
(イ)くも膜下出血は,一般に出血を繰り返すたびに状態が悪化し,予後が不良とな
る。特に本件では,同月24日以前の再破裂によって初回の出血は保存的治療によ
り自然治癒が期待できる解離性脳動脈瘤からのものではなく再破裂しやすい嚢状脳
動脈瘤からのものであったことが明らかになったのであり,その上,同月24日,
Fの状態は良好であったのだから,C医師には,致命的な破裂が起きる前に早期手
術を行うべき義務があった。
(被告の主張)
 C医師は,同月24日のCT写真から,前大脳半球間裂部のわずかな高吸収域は
非常に淡く,出血は新鮮なものとは考えにくいので,数日以上前の出血と判断し
た。また,C医師は,仮に,出血部位が左前大脳動脈嚢状脳動脈瘤であったとして
も,右内頸動脈解離性脳動脈瘤も存在するため,安易に緊急手術することは避け,
数日後に脳血管撮影検査をして,拡張部が成長し,破裂しやすくなっているかどう
か等の右内頸動脈解離性脳動脈瘤の変化を検査し,手術による危険の有無を検討し
てから手術するか否かを決定することにした。
オ1月24日時点で便所に行くことを許可した判断について 
(原告らの主張)
(ア)C医師は,Fに対して,1月24日,車椅子で便所に行くことを許可し,F
は,翌25日,車椅子で便所に行き,くも膜下出血を発症した。
 (イ)くも膜下出血が生じた場合,2週間内に約半数が,4週間内に約70%が再
出血するとの報告があり,再出血の可能性は高い。そして,くも膜下出血は,出血
を繰り返すたびに状態が悪化し,予後が不良となるから,医師は,くも膜下出血が
認められ,手術を行うまで保存的治療を行うという場合には,再出血を防ぐため,
暗室等での絶対安静の指示をする注意義務を負う。
 (ウ)Fは,同月24日,CT写真によると前大脳半球間裂部に再度高吸収域が認
められたこと,同日18時50分,頭痛を訴えるといったくも膜下出血の臨床症状
が認められたことからすると,その時までに左前大脳動脈嚢状脳動脈瘤の再破裂に
よる出血があったといえる。また,Fは,同日午前に車椅子で便所に行ったことが
非常に辛く,ベッド上での排泄を希望していたのであり,病室のベット上で排泄す
ることはストレスとなっていなかった。
 これらの事情からすると,C医師は,同日,更なる出血の可能性を防止するため
には,便所の使用を許可すべきではなかった。
(被告の主張)
(ア)C医師は,Fに対し,1月24日の時点で,離床を禁止し,ベッド上で安静を
保つ旨の指示は継続しており,車椅子で看護婦が付き添っての便所での排泄のみを
許可したにすぎない。同月25日も,看護婦が車椅子でFを便所まで連れていっ
た。
(イ)Fは,同月23日午後以降,血圧及び神経学的所見に全く異常はなかった。同
月24日のCT写真では,前大脳半球間裂部にわずかに高吸収域が認められたが,
その高吸収域は非常に淡く,出血は新鮮なものと考えにくかったため,C医師は,
数日以上前の出血と判断した。また,同日,Fにはくも膜下出血の臨床症状は認め
られなかった。しかし,C医師は,軽度のくも膜下出血の可能性はあると考え,離
床を禁止し,ベッド上で安静を保つように指示した。
(ウ)Fの意識状態は,同日まで3週間以上清明であったにもかかわらず,看護婦が
介助してベッド上での排泄が続いていたが,F自身は便所での排泄を望んでいた。
また,同日午後の便所での排泄時,何ら問題はなかった。そこで,C医師は,これ
以上の便所での排泄禁止は,かえってストレスを増し血圧を高める結果となると判
断して,車椅子による便所の使用を許可した。
   カ 結論
    (原告らの主張)
     以上のとおりであるから,C医師のFに対する診療行為には過失があ
る。
    (被告の主張)
     争う。C医師の診療行為に過失はない。
(2)争点(2)(Fの死亡とC医師の過失との間の因果関係)について
(原告らの主張)
 C医師の上記過失により,Fは,1月1日に左前大脳動脈嚢状脳動脈瘤が破裂し
た後,その後の再破裂又は再々破裂前に適切な外科的治療を受ける機会を失い,こ
の結果上記動脈瘤の再々破裂を来して,長期臥床の後,ついには静脈血栓症由来の
肺塞栓症により死亡するに至ったものである。
 したがって,Fの死亡とC医師の上記過失との間には因果関係がある。
(被告の主張)
 Fの死因は,病理解剖が行われていないため,病理学的診断はついていないが,
くも膜下出血の可能性が高い。
 C医師は,Fの内頸動脈解離性脳動脈瘤に対し,適切な診断,処置を施してお
り,診療行為とFの死亡との間には因果関係はない。
(3)争点(3)(損害)について
(原告らの主張)
ア 逸失利益
 Fは,死亡時69歳であり,簡易生命表の平均余命年数の2分の1である8年間
は家事労働に従事することができた。その家事労働は,金銭的には女子労働者の平
均賃金額(平成8年度賃金センサス第1巻第1表,産業計,企業規模計,学歴計の
平均賃金)に等しいから,上記平均賃金額297万1200円を基礎とし,中間利
息をホフマン方式により控除し,生活費分として3割を控除して,逸失利益の現価
を算出すると,次式のとおり,1370万3233円となる。
   2,971,200×6.5886×0.7=13,703,233
 原告A1は,その2分の1に当たる685万1616円の,その余の原告らは,
それぞれ10分の1に当たる137万0323円の,各損害賠償請求権を相続によ
り取得した。
イ 慰謝料
(ア)Fの慰謝料
 Fは,C医師の過失により植物状態に陥り,その後死亡せざるを得なかったもの
であって,これによるFの精神的苦痛は計り知れないものがあり,その慰謝料は2
000万円を下らない。
 原告A1は,その2分の1に当たる1000万円の,その余の原告らは,それぞ
れ10分の1に当たる200万円の,各慰謝料請求権を相続により取得した。
(イ)原告らの慰謝料 
 原告らは,重篤なFの状態に心を砕き,看護や治療に当たっていたが,状態は改
善されることはなく死亡するに至ったもので,これによる原告A1の慰謝料は50
0万円を,その余の原告らの慰謝料はそれぞれ100万円を下らない。
   ウ 葬儀費用(原告A1)      150万円
   エ弁護士費用(原告A1)     400万円
   オ 合計
     ア~エの損害額を合計すると,原告A1は2735万1616円,その
余の原告らは各437万0323円となる。
(被告の主張)
 争う。
第3 争点に対する判断
1 争点(1)(C医師の過失の有無)について
 (1)1月1日時点の出血部位に関する診断について
 ア後掲各証拠及び弁論の全趣旨に上記争いのない事実を総合すれば,次の各事
実が認められる。
(ア)平成9年当時,解離性脳動脈瘤の診断には,脳血管撮影検査が重要な役割を果
たしていた。その特徴的な所見としては,①真腔と解離腔を隔てるインティマル・
フラップ,②内膜下血腫による血管径の拡張と狭窄(パール・アンド・ストリン
グ・サイン),③静脈相に至るまでの解離腔内の造影剤の貯留,であった。Fの1
月1日の脳血管撮影検査において,①,③は確認できなかったが,②に関しては,
右内頸動脈において血管径の拡張と狭窄といいうるものが確認できた。(甲4,1
7,乙1,乙2の4,6,乙5,検乙6,7,証人C,同D〔以下「D」とい
う〕)
(イ)同日の脳血管撮影検査において,左前大脳動脈に嚢状脳動脈瘤の存在が確認で
きたが,その大きさは,約3~4㎜であり,血管壁に不整はなくスムーズであっ
た。一般にそのような大きさ,形態の脳動脈瘤が破裂する可能性は否定できない。
(乙1,5,検乙1,2,証人C,同D,鑑定の結果)
(ウ)Fには,同日,CT写真上の第3~5スライス目において,右シルビウス裂に
左側よりも有意に多いくも膜下出血があり,前大脳半球間裂部にも相当量のくも膜
下出血があった。(乙1,乙3の1,2,乙4,5,検乙9,証人C,同D,鑑定
の結果)
(エ)C医師が平成13年1月ころまでに執刀した脳動脈瘤の手術数は約150件で
あったが,そのうち内頸動脈解離性脳動脈瘤の症例は,Fの例のほかに1件がある
のみであった。また,ある報告によると,平成7年から同11年までの5年間に4
1施設から集めたデータを分析した結果,内頸動脈解離性脳動脈瘤は,くも膜下出
血の全症例の0.3%,原因不明のくも膜下出血の3.1%にすぎなかった。(甲
5,12,乙14,証人C,同D)
(オ)平成9年当時,内頸動脈解離性脳動脈瘤の特徴的所見である血管径の拡張と狭
窄は,脳血管撮影検査により診断することが可能であり,自然修復の可能性をみる
ため,繰り返し画像診断することを推奨する旨の記載がある医学文献が存在した。
また,そのころ,解離性脳動脈瘤の特徴的な所見であるインティマル・フラップの
描出等に関して,MRI検査の有用性を示す報告が増えており,今後,その信頼性
の確認により脳血管撮影検査に勝る診断法となることが予測されるとの記載がある
医学文献も存在した。(甲4~6,12)
イ以上の認定事実等に基づいて判断する。
 (ア)確かに,内頸動脈解離性脳動脈瘤が比較的まれな疾患であること,Fにはそ
の特徴的所見のうち一つが認められたにすぎないこと,脳血管撮影検査上,左前大
脳動脈嚢状脳動脈瘤の存在も認められたこと等に照らせば,Fの前大脳半球間裂部
に認められたくも膜下出血が,内頸動脈解離性脳動脈瘤からの出血であると断定す
る根拠は,必ずしも十分ではないとも考えられる。
(イ)しかしながら,1月1日の脳血管撮影検査の結果から,解離性脳動脈瘤の特徴
的な所見の一つである血管径の拡張と狭窄といいうる所見が認められたこと,同日
のCT写真上の第3~5スライス目において,右シルビウス裂に左側よりも有意に
多いくも膜下出血があったこと等に照らせば,C医師が出血部位が右内頸動脈解離
性脳動脈瘤であると診断したことにも相当の理由があるといえ,これをもってC医
師の判断に過失があったとまで認めるには足りない。
(ウ)もっとも,平成9年当時の文献等によれば,出血部位が内頸動脈解離性脳動脈
瘤であると診断するためには,解離性脳動脈瘤と疑われる部位について繰り返し画
像診断する方法や速やかにMRI検査を行って画像診断を行うという方法も考えら
れたが,その当時の臨床現場での医療水準として,これを行わなければ確実な診断
を下せないとまで考えられていたとは認められないから,上記認定は左右されな
い。
(2)1月1日時点での早期手術を行わないという判断について
ア後掲各証拠及び弁論の全趣旨に上記争いのない事実を総合すれば,次の各事実
が認められる。
(ア)1月1日被告病院に搬送された際,Fの意識状態はほぼ清明で,意識障害は全
くなく,言語機能及び運動機能はほぼ正常であって,同日に脳血管撮影検査,CT
検査を受けた後も同様であった。(甲1,乙1,5,証人C,弁論の全趣旨)
(イ)脳動脈瘤は,一度破裂すると再破裂の可能性が継続するので,多くの医療施設
では嚢状脳動脈瘤に対して早期にクリッピング術を行うことが多く,被告病院でも
それが一般的であった。また,一般に多発性脳動脈瘤の未破裂脳動脈瘤を未処置の
まま放置した場合,破裂する危険性があるため,破裂脳動脈瘤に対する処置ととも
に,可能な限り未破裂脳動脈瘤に対しても早期の根治手術を行うべきである。この
場合,多発性脳動脈瘤が同一のアプローチによって全部処置できるならば一期的
に,それが不可能であるならば破裂脳動脈瘤の処置を優先的に行い,時期を選んで
未破裂脳動脈瘤の処置を二期的に行うという方法が一般的である。(甲6~8,証
人C,証人D,鑑定の結果)
(ウ)内頸動脈解離性脳動脈瘤に対しては,平成9年当時,通常の脳動脈瘤の手術方
法であるクリッピング術ができないこともあり,確立された手術方法はなく,その
他の方法で手術するとしても難度が高いものであった。また,手術中に狭窄部位が
閉塞し,脳梗塞が発生する等の危険があり,特に高齢者に対してはその危険が高か
った。(乙5,証人C,同D,鑑定の結果)
(エ)平成9年当時の医学文献等においては,内頸動脈解離性脳動脈瘤に対しては,
急性期に積極的な治療を行うべきとする立場もあったが,なるべく保存的に治療を
行おうとする立場もあり,また,上記脳動脈瘤は一般的には自然寛解率が高いの
で,まず保存的治療を試み,これが奏功しない場合に外科的治療を実施すべきであ
るとの立場もあった。(甲5,12)
イ 以上の認定事実等に基づいて判断する。
 (ア)確かに,平成9年当時,嚢状脳動脈瘤や多発性脳動脈瘤については,早期手
術を行うことが一般的であり,被告病院においても同様であったと認められる。
    (イ)しかしながら,Fが入院した当初において,C医師は,Fには右内頸
動脈解離性脳動脈瘤と左前大脳動脈嚢状脳動脈瘤が併存しており,くも膜下出血の
原因は前者にあるものと診断したものであって,そのこと自体に過失があると認め
られないことは上記判示のとおりである。そして,平成9年当時,内頸動脈解離性
脳動脈瘤に対しては確立された手術方法はなく,仮に手術するとしても難度が高い
上に,特に高齢者に対しては危険性が高かったのだから,入院当初のFの意識状態
が清明であったことを考慮しても,C医師が早期手術の方途を選択しなかったこと
に過失があったとは認め難い。なお,C医師が出血部位を確認するために開頭手術
を行わなかったことについても,開頭手術自体に伴う危険をも考慮すると,上記医
師の裁量の範囲内で
あって,過失があったとは認め難い。
    (ウ)もっとも,内頸動脈解離性脳動脈瘤について,その当時,専門家の間
でも,急性期に積極的な治療を行うべきとする立場もあったが,少なくとも第一次
的には保存的治療を行うという立場もあったのであり,このような状況下では,早
期手術を実施するか否かの判断に当たっては,診療に当たる医師の裁量に委ねられ
る余地が大きかったといえるから,上記認定は左右されない。
(3)1月1日以降の経過観察について
ア後掲各証拠及び弁論の全趣旨に上記争いのない事実を総合すれば,次の各事実
が認められる。
(ア)C医師がFに対して行った1月1日以降の診療等の経緯は,おおむね次のとお
りである。(乙1,5,検乙10,証人C)
a 1月1日,右内頸動脈解離性脳動脈瘤と診断した後,暗室での絶対安静を指示
し,血圧降下剤ペルジピンを持続的に点滴注射し,収縮期血圧で140㎜Hg以上
にならないように管理する旨の指示をした。
b同月6日,左手の握力の低下を認め,それは右脳の脳血管攣縮が発生したため
であり,右脳の血管にくも膜下出血があったことの臨床的な証拠であると判断し
た。
c同月7日,臨床症状から左手の麻痺が進行していると判断し,CT検査を行っ
た。同日のCT写真では,同月1日のCT写真よりも血腫が少なくなっていたが,
右の前頭葉に脳梗塞の所見が得られたので,従前の指示を変更し,血漿を増加させ
て脳血流を改善させる目的でアルブミン製剤を増用し,翌日から点滴量を増加させ
る旨の指示をした。
d同月17日,2週間以上絶対安静としたことにより再出血の可能性がかなり減
ったこと及び長期間の絶対安静によって発生する下肢の血栓症を防止すること等を
理由として,離床を制限しつつもベッド上では自由にしてもよい旨の指示をした。
e同月20日,左手の麻痺がほぼなくなったことから,翌日以降,離床を進めて
いく旨の予定をたてた。
f同月21日,右内頸動脈解離性脳動脈瘤の状態を調べる目的で次週に脳血管撮
影検査を予定した。
g同月23日,左手の麻痺はなくなり,下肢の動きも左右ともに良好であったた
め,離床を勧めた。
(イ)平成9年当時,解離性脳動脈瘤については,壁在血栓の形成,解離の遠位部へ
の進展等により急速に脳血管撮影像が変化することがあり,繰り返しの脳血管撮影
検査による画像変化で治療方針を決定することも多い旨の記載がある医学文献が存
在した。また,同年当時,最近の傾向として解離性脳動脈瘤の発症後に脳血管撮影
で診断をした後は,MRI,脳血管撮影を繰り返し行って,解離の進展,拡大の有
無等を確かめ,解離が脳底動脈へ進展するおそれがある場合等には速やかに開頭手
術等による処置を行っている旨の記載がある医学文献が存在した。(甲5)
イ以上の認定事実等に基づいて判断する。
(ア)確かに,平成9年当時の医学文献によれば,解離性脳動脈瘤については,繰り
返し脳血管撮影検査等を行って画像変化で治療方針を決定する方法をとることも考
えられたとはいえる。
    (イ)しかしながら,その当時の医療水準によれば,必ずしも常に上記のよ
うな方法がとられていたわけではなく,具体的事例に即して,臨床症状やCT検査
等によって経過を観察する方法をとることが誤りとされていたとは認められない。
      本件にあっては,C医師は,上記のような診断の下に,一貫して臨床
症状及びCT検査による経過観察を行っており,その結果,右内頸動脈解離性脳動
脈瘤が自然治癒に向かっていると判断し,治療に当たっており,それについて過失
が認められないことは上記のとおりであるから,そのような状態においては,C医
師が経時的に脳血管撮影検査による画像診断を行わなかったことに過失があるとは
認められない。
  (4)1月24日時点での早期手術を行わないという判断について
 ア後掲各証拠及び弁論の全趣旨に上記争いのない事実を総合すれば,次の各事
実が認められる。
(ア)1月21日午後10時,Fは,頭痛を訴え,ロキソニンを投与された。同月2
4日,Fの意識状態は良好であった。同日午前10時30分ころ撮影したCT写真
の所見から,同月7日に撮影したCT写真上にはない新たな淡い高吸収域が前大脳
半球間裂部に認められた。(乙1,乙3の4,検乙10,11,証人C,同D,鑑
定の結果)
(イ)くも膜下出血が発症しても脳梁内血腫であれば臨床症状がないこともある。ま
た,くも膜下出血は,出血の程度により意識障害の全くないものから昏睡状態にな
るものまであり,小出血では必ずしも頭痛があるとは限らない。(甲14,15,
18,乙11,13,証人C,鑑定の結果)
(ウ)前大脳動脈嚢状脳動脈瘤に対しては,クリッピング術が手術方法として確立し
ており,患者が意識清明な状態においては,その難度も高いものではなかった。
(甲8,15,18,乙13,証人D,鑑定の結果)
イ以上の認定事実等に基づいて判断する。
(ア)上記判示のとおり,入院当初の検査によって,Fには右内頸動脈解離性脳動脈
瘤のほかに,左前大脳動脈嚢状脳動脈瘤の存在も認められていたのであるから,C
医師としても,くも膜下出血の生じた部位が右内頸動脈解離性脳動脈瘤であるとの
診断を一旦下した後であっても,その後の検査結果や臨床症状の経過観察によっ
て,従前の診断を見直すことや,あるいは新たに左前大脳動脈嚢状脳動脈瘤から出
血することを考慮すべきであったといえる。
(イ)Fの場合,1月24日のCT検査によると,前大脳半球間裂部に淡い高吸収域
が認められたのであり,それによれば,当該部位にはある程度の濃度の血液が存在
したといえる。そして,同月7日のCT写真では淡い高吸収域は認められなかった
ことに鑑みれば,同日以降同月24日までの間に,新たに出血したと考えることが
自然である。そして,Fの上記出血は,右内頸動脈解離性脳動脈瘤と左前大脳動脈
嚢状脳動脈瘤の位置関係からして,後者の破裂が原因であると推定することが合理
的である。
(ウ)ところで,脳動脈瘤が二つある場合に,くも膜下出血が2度認められたとした
ら,初回と同じ部位から再出血したと考える方が,異なる部位から新たに出血した
と考えるよりも,経験則に適したものと考えられるし,少なくともその蓋然性は相
当高いものといえる。(証人D,鑑定の結果)
(エ)そうである以上,C医師としては,さかのぼって診断を見直し,同月1日時点
での出血も左前大脳動脈嚢状脳動脈瘤の破裂による出血である蓋然性が高いとの判
断に立ち,それを前提とする処置を行うべきであったといえる。本件においても,
上記判示のとおり,右内頸動脈解離性脳動脈瘤の存在自体が確実とまではいえなか
ったこと,内頸動脈解離性脳動脈瘤に対しては治療法が確立されていないが,前大
脳動脈嚢状脳動脈瘤に対してはクリッピング術が確立されていたこと,同月24日
のFの意識状態が良好で,手術に対する適応があったこと,くも膜下出血が出血を
繰り返すたびに予後が不良となるところ,Fは2度,左前大脳動脈嚢状動脈瘤から
出血した蓋然性が高いこと等からすると,右内頸動脈解離性脳動脈瘤の存在による
手術の危険性を考慮
しても,なお左前大脳動脈嚢状脳動脈瘤に対する手術をしないことによる危険性の
方が大きかったといわざるを得ない。
(オ)そうすると,C医師は,同月24日,CT写真から前大脳半球間裂部に淡い高
吸収域を認めた時点で,同月1日のくも膜下出血源が右内頸動脈解離性脳動脈瘤で
はなかったのではないかとの疑いを持ち,同日中に脳血管撮影検査を行った上で,
左前大脳動脈嚢状脳動脈瘤に対するクリッピング術を行うべき義務があり,それは
可能であったといえる。ところが,C医師は,このような早期手術をしなかったも
のであるから,その点について過失があったものと認められる。
(5)1月24日時点で便所に行くことを許可した判断について 
 上記判示のとおり,C医師は,1月24日の時点で直ちに早期手術の必要性を認
め,これに着手すべきであったのであるから,同日Fに便所に行くことを許可した
ことだけを切り離してその当否を判断する必要はないというべきである。
  (6)小括
    したがって,C医師には,Fに対する診療行為について,過失があったも
のと認められる。
2 争点(2)(Fの死亡とC医師の過失との間の因果関係)について
(1)後掲各証拠及び弁論の全趣旨に上記争いのない事実を総合すれば,次の各事実
が認められる。
 ア 1月25日以降の診療及びFの容態等については,おおむね次のとおりであ
る。(乙1,5,証人E,原告A2本人)
 (ア)Fは,1月25日午前9時15分ころ,便所で倒れる直前には,意識は清明
であったが,倒れた後,手術をする前には,深昏睡状態で自発呼吸もなかった。瞳
孔は,対光反射もなく脳幹反射もなかった。しかし,手術直前の同日午後4時ころ
には,やや意識レベルが改善し,消失していた脳幹反射も見られるようになった。
 (イ)2月になると,意識レベルがやや改善し,時々自発的に開眼したり疼痛刺激
によって両上肢を屈曲できるようになり,同月4日からリハビリテーションを床上
で開始した。
 (ウ)同月13日,水頭症が発症し,経口の気管内挿管が長期化したため,脳室ド
レナージ術と気管内切開術を行った。
 (エ)4月18日,循環器内科の医師に心機能は良好であると診断され,その後も
明らかな不整脈はなかった。
 (オ)5月12日,車椅子に乗っていることができるようになり,同月13日,気
管カニューレ・キャップをして呼吸訓練を始めた。また,同月22日,車椅子に乗
ることができた。
 (カ)6月16日,気管切開部に肉芽が認められ,7月22日,気管肉芽切除術が
行われた。
 (キ)同月29日,午前2時の看護婦による巡視の際には特に変わった様子はなか
ったが,午前4時10分の巡視の時に呼吸停止状態で看護婦に発見され,直ちに当
直医により心臓マッサージ等心肺蘇生が行われたが,心拍は戻らず,午前4時20
分,死亡が確認された。その際,吸引によっても痰は引けて来なかった。
 (ク)Fは,同年1月25日の手術後,死亡に至るまで大部分の時間は寝たきりで
あり,意識のない状態にあった。
イFの死因については,死後病理解剖が行われなかったため,確定診断は困難で
あるが,一応考えられるものとしては,①気管切開部の閉塞,②心原性,③右内頸
動脈解離性脳動脈瘤の破裂,④静脈血栓症由来の肺塞栓症,の四つがある。(乙
1,5,証人C,同D,鑑定の結果)
(2)以上の認定事実等に基づいて判断する。
ア 医師が注意義務に従って行うべき診療行為を行わなかった不作為と患者の死亡
との間の因果関係は,医師が当該診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時
点においてなお生存していたであろうことを是認しうる高度の蓋然性が証明されれ
ば肯定されるものと解すべきである。(最高裁平成11年2月25日判決,民集5
3巻2号235頁参照)
   イ 本件において,Fの死因として一応考えられる上記(1)イ①~④のうち,
①気管切開部の閉塞については,7月29日に吸引をしても痰が引けて来なかった
ことからすると,可能性は低く,また,②心原性についても,4月18日の循環器
内科の医師の診断や,その後も明らかな不整脈はなかったことに鑑みると,可能性
は低い。③右内頸動脈解離性脳動脈瘤の破裂については,これに沿う死亡診断書
(甲3)の記載やC医師の供述(乙5,証人C)があるが,同医師自身の証言に照
らしても,それについて格別の積極的根拠があるとは認め難い。
  ④静脈血栓症由来の肺塞栓症については,同症は,血栓が肺に飛んでいき,急
死に至るという病態であり,運動をせずに長時間同じような姿勢でいると,発症し
やすいところ,Fは,同年1月25日の手術後,死亡に至るまで大部分の時間は意
識のない状態にあり,時々車椅子に乗ったり,リハビリテーションを行う以外は,
長時間臥床していたものであり,これらに上記①~③が死因となった可能性が低い
ことを併せて考慮すると,Fの死因として④が最も考えられるところである。(証
人D,鑑定の結果)
  そこで,Fの死因としては④と認めるのが相当である。
ウ そうすると,上記判示のとおり,C医師が1月24日のCT検査の結果を受け
て,Fの意識が清明なうちにクリッピング術を行っていたならば,同人は長時間意
識のない状態に陥ることはなく,ひいては静脈血栓症に由来する肺塞栓症を発症し
7月29日において死亡することはなかったであろうことを是認しうる高度の蓋然
性が証明されたものと認められる。
  したがって,C医師が1月24日にFの左前大脳動脈嚢状脳動脈瘤に対するク
リッピング術を行わなかった過失と,Fの死亡との間には因果関係があると認めら
れる。
3 争点(3)(損害)について
(1)上記認定のとおり,Fの死亡についてC医師は過失による不法行為責任を負う
ところ,同医師は被告病院に勤務する医師として被告の事業の執行について診療行
為を行ったものであるので,被告は民法715条に基づき使用者責任を負う。そこ
で,以下損害額について検討する。
(2)逸失利益
 証拠(乙1)及び弁論の全趣旨と上記争いのない事実によれば,Fは死亡時満6
9歳であり,死亡当時の生命表による平均余命年数の約2分の1である8年間は家
事労働に従事することができたものと推認されるところ,この間の家事労働は,6
5歳以上の女子労働者の平均賃金額(平成9年度賃金センサス第1巻第1表,産業
計,企業規模計,学歴計の平均賃金)である296万4200円を基礎とし,中間
利息を年5%のライプニッツ方式(8年間の係数6.4632)により控除し,生
活費分として4割を控除すると,次式のとおり,1149万4930円となる。
 2,964,200×6.4632×(1-0.4)=11,494,930(1円未満切捨て。以下同じ)
 ところで,Fは,1月1日くも膜下出血を発症して被告病院に入院したものであ
り,同月24日までは意識は清明であったが,車椅子に乗って便所に行って排泄す
ることも容易でなかったことからすると,同日のCT検査後,早期に脳血管撮影検
査を行い,左前大脳動脈嚢状脳動脈瘤に対するクリッピング術を行い,予後が良好
であったとしても,被告病院を退院後に,くも膜下出血発症前と同程度の家事労働
を行うことができたと認めることは困難である。
 そこで,以上のような事情を考慮して,上記1149万4930円の30%に当
たる344万8479円をもって,Fの逸失利益と認めるのが相当である。
(3)慰謝料
 上記認定のとおり,C医師の診療行為に過失があったことは否定できず,それに
よって適切な処置を受ける機会を逸し,遂には生命を失うに至ったF及びその遺族
である原告らの無念さは想像に難くない。
 他方,上記認定のような被告病院搬送当時のFの病状やその後の症状の推移に照
らすと,C医師の判断がかなり困難さを伴うものであったことも認めざるを得な
い。
 以上のような事情その他本件に顕れた一切の事情を総合考慮して,当裁判所は,
Fの死亡に対する慰謝料としては1800万円が相当であると認める。なお,この
額は実質上遺族固有の慰謝料をも包含して認定したものである。
(4)葬儀費用
 弁論の全趣旨によって,原告A1が支出したFの葬儀費用として,120万円を
同原告の損害と認める。
(5)弁護士費用
 本件に顕れた一切の事情を総合考慮して,C医師の不法行為と相当因果関係のあ
る弁護士費用として200万円を,原告A1の損害として認める。
(6)小括
 以上により,Fの逸失利益及び慰謝料の合計額は2144万8479円であると
ころ,原告らはFの相続人として法定相続分に従って損害賠償請求権を取得するか
ら,その額は,原告A1について1072万4239円,その余の原告らについて
各214万4847円となる。このほかに,原告A1については,葬儀費用120
万円及び弁護士費用200万円を加え,損害額合計は1392万4239円とな
る。
4 結論
 以上の次第であるから,原告らの請求は,不法行為(使用者責任)による損害賠
償として,原告A1について1392万4239円,その余の原告らについて各2
14万4847円,及び上記各金員に対する不法行為の日(Fの死亡した日)であ
る平成9年7月29日から各支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害
金の支払を求める限度で理由があるので認容し,その余は理由がないから棄却する
こととし,主文のとおり判決する。
  名古屋地方裁判所民事第10部
      裁判長裁判官   西 尾    進
         裁判官   鵜 飼  祐 充
         裁判官   西 前  征 志

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