弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


戻る

         主    文
     本件各控訴を棄却する。
         理    由
 (控訴の趣意と答弁)
 検察官の控訴趣意は検察官提出の控訴趣意書に、被告人らの控訴趣意は被告人ら
が連名で提出した控訴趣意書に、弁護人らの控訴趣意は弁護人杉本昌純、同水嶋
晃、同宮沢洋夫、同木内俊夫、同北村哲夫が連名で提出した控訴趣意書にそれぞれ
記載されたとおりであり、被告人らおよび弁護人らの各控訴趣意に対する検察官の
答弁は検察官提出の答弁書に記載されたとおりであるから、いずれもこれを引用
し、これらに対して、以下当裁判所の判断を示すこととする。
 (弁護人らの控訴趣意に対する判断)
 控訴趣意第二の一について。
 論旨は、昭和二五年東京都条例第四四号集会、集団行進及び集団示威運動に関す
る条例(以下「都公安条例」という。)はその一条、三条において定める基本的な
部分において憲法二一条に違反し無効であるにもかかわらず、原判決が被告人らの
所為に同条例一条・五条または三条一項但書を適用してこれを有罪としたのは法令
の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。
 集会、集団行進および集団示威運動(以下「集団行動」という。)が憲法二一条
にいう表現の一形態であり、その自由が保障されなくてはならないことはいうまで
もない。そして、事の性質上、表現の自由は他の行為の自由にもまして強い保障を
受けるべきものであるから、公共の福祉に名をかりてみだりにこれに制限を加える
ことの許されないこともまた多言を要しないところである。しかしながら、この表
現の自由といえども、あらゆる権利に本質的なその権利自体に内在する制約を免れ
ないこともまた認めざるをえないところで、ことに、表現を目的とする行為のうち
集団行動は、単に口頭または文書をもつてする表現とは異なり、身体的行動をもつ
てする表現ないしは身体的行動を伴う表現の形態であるから、他人の人権ないしは
公共の利益と衝突する危険をより多く含んでいることは否定できないところであ
る。したがつて、たとえば、街頭における集団行動が同時に暴力を伴い地域住民・
滞在者等の生命、身体、財産等に危害を及ぼすような形態のものである場合、それ
が許されないと解することは―いかなる場合がこれに該当するかの判断にあたつて
は十分慎重でなければならないこというまてもないが―表現の自由の内在的制約の
見地からこれを是認しなければならないところであつて、そのように解したからと
いつて憲法二一条に違反するものとはいえない。
 次に、右のように表現の自由の範囲を逸脱した集団行動を事前に禁止することが
許されるかどうかにつき考えてみると、かりに禁止に値する集団行動であつても、
もし表現の内容すなわち集団行動の目的に着目してこれを事前に禁止するのであれ
ば、それはまさしく事前検閲に該当するから許されないことは明らかである。しか
し、その表現しようとする事項の内容を問題とするのではなく、それとは無関係に
その外形的側面である表現の方法ないし態様にかかわる集団行動の行動面の危険性
だけに基づいてこれを禁止するのは、事前検閲を禁止する憲法にたんら違背するも
のではなく、また、集団行動の性質上、現実に前述のような状況が生じた後にこれ
を禁止したのでは実害を防止しえない場合の多いことにかんがみれば、そのような
事態を生ずる蓋然性がきわめて高く、しかもそのことが明白であるかぎり、事前に
その集団行動自体を禁ずることも、必要最小限度のやむをえない措置として許容さ
れるものと解される。
 そこで、以上のことを前提とすれば、集団行動に関する法的規制としては、集団
行動を行なおうとする者に対しあらかじめ所轄行政機関に届け出ることを義務づけ
たうえ、その届出を待つて情況により特定の場合には当該集団行動の禁止を命ずる
ことができるとする届出制(たとえば立法例として西ドイツの集会および行進に関
する法律参照)をとることも考えられる。しかし、そうではなく、形式上これを許
可制としたとしても、この一事をとらえて直ちにこれを違憲無効なものと即断する
ことはできない。要は表現の自由が不当に制限されるかどうかという実質にあるの
であつて、いわゆる届出制をとつたからといつて、もし禁止命令を発することので
きる範囲が広汎なもので行政機関の恣意を許すものであれば、それは違憲であると
いうのほかなく、反対に許可制であつても、特別の例外的な場合を除いてはすべて
これを許可すべきものとなつていて、不許可処分をすることができる場合の要件が
合理的根拠のあるものでありかっ厳格に定められているものであれば、いわゆる一
般的な許可制を定めて不当に集団行動を事前に抑圧するものとはいえず、これを違
憲無効ということはできないのである。許可制は、一般的な禁止を前提とし、これ
を特定の場合に解除する形をとるものであるが、そのことは許可処分の対象となる
行為がその性質上違法であることを意味するものではなく、一般的にみれば違法で
ない行為であつても、例外的にもせよ、他の基本的人権との関係でその行為の自由
を制限する必要がある場合においては、無許可でこれを行なうことを法によつて一
応禁止しておいたうえ個々的にこれを許可する方法をとることも立法形式として可
能なのであり、その場合に特定の例外的な場合以外には許可することすなわち禁止
の解除が建前になつているのであれば、形式は許可制でも実質は特定の例外的な場
合の禁止権を留保した届出制と異なるところがなく、そのいずれを採るかは立法技
術上の問題であつて、要は憲法の保障する表現の自由が実質上不当に侵害されるこ
とがなければよいのである。
 ただ、この両者を比較すると、届出制の場合は行政機関の特段の禁止命令がない
かぎり集団行動を自由に行なえるのに対し、許可制のもとにおいては許可処分のな
いかぎりその行為が行なえないことになり、行政機関がなんら許可・不許可の意思
表示をしなかつた場合に差異を生ずることになる。しかしながら、憲法上平穏かつ
秩序正しく行なわれる集団行動の自由が不当に奪われてならないことはいうをまた
ないのであるから、行政機関の許可・不許可の意思表示のない場合には許可があつ
たものとみなす趣旨の規定が設けられることが望ましく、またその規定を欠くとし
ても、憲法の精神に照らしそのように解すべきものであつて、右のように解釈する
ことによつて届出制と同一に帰することができるわけである。
 ところで、都公安条例についてこれをみると、同条例三条一項本文は、「集会、
集団行進又は集団示威運動の実施が公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと
明らかに認められる場合の外は、これを許可しなければならない。」と規定し、そ
こに定められた例外の場合のほかはすべて許可すべきことを義務づけており、しか
も例外として不許可にできる場合を「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼ
す」場合に限るとして間接に危険を及ぼす場合を除外し、さらにその危険を及ぼす
おそれが「明らか」である場合に限定することによつて厳格に制限しているのであ
るから、名は許可制てもその実質は例外的だ禁止を留保し大届出制と異たらたいと
いうことができる(なお、東京都公安委員会(以下「都公安委員会」という。)が
許可申請に対し許可・不許可の処分をしなかつた場合の解釈については、のちに述
べるとおりである。)。そうしてみると、単に形式上許可制であるがゆえに同条例
が憲法二一条に違反するということはいえないといわなければならない(最高裁判
所昭和三五年(あ)第一一二号同年七月二〇日大法廷判決、刑集一四巻九号一二四
二頁参照)。原判決もまた原裁判所自身の判断として右の趣旨を判示したものと解
されるのであつて、単に判例に拘束されるとの立場をとつたものでないことは明ら
かである。
 所論は、この点に関し、集団行動の許可・不許可をつかさどる都公安委員会がこ
の規定を正しく解してその許可権を濫用しないという保障はないという。しかし、
行政機関の処分については、この場合にかぎらずあらゆる場合に濫用の可能性は存
するのであつて、そのことを理由ににわかに本条例を違憲視することができないの
はもちろんである。要は、そこにどのような許可・不許可の基準が定められている
か、その機関にどの程度の判断の信頼性が認められるか、また濫用に対する救済措
置がどのように認められているかというような諸般の点を総合してこれを決するほ
かはない。
 所論が特に問題とするのは、前記三条一項本文中の「公共の安寧を保持する」と
いう文言である。しかし、「公共の安寧」とはその集団行動の行なわれる地域の社
会生活(公共の機関・施設の活動を含む。)の安全・平穏を指すものであつて必ず
しも理解に困難な概念でもなく、この「公共の安寧」に「直接危険を及ぼす」とい
うのはその集団行動自体により直接公共の安寧が害されることを意味し、しかもそ
の害される程度は、事の性質上、表現の自由尊重の建前からしてもなおかつ受忍す
べき限度を越える場合に限られると解すべきことは、憲法二一条の趣旨からして明
らかである。もつとも、そのようにいつても、この文言がある程度抽象的なもので
あることは認めざるをえないところであるが、現実の複雑多様な事象に対処するた
めには、この程度の抽象性はやむをえないところだとしなければならない。そし
て、他方この規定を適用して集団行動の許可・不許可を決定する機関である都公安
委員会についてみると、それは東京都知事が一定の資格ある者(任命前五年間に警
察または検察の職務を行なう職業的公務員の前歴を有しないことが要件とされてい
ることに特に留意すべきである。)の中から都議会の同意を得て任命する五人の委
員から成る合議体で、政府はもちろん都知事の指揮監督をも受けない独立の権限を
有する行政委員会であり、その政治的中立性と権限行使の公正とが制度的に保障さ
れているということができる。しかも、この公安委員会がもし不許可の処分をした
場合には詳細な理由をつけて東京都議会にその旨をすみやかに報告しなければなら
ないのであるし、当事者は行政訴訟により裁判所にその取り消し等を求め、必要が
あれば処分の執行停止を申し立てる等司法審査の途も開かれているのであつて、こ
れらの諸点を総合して判断すると、同条例三条一項本文が許可・不許可の基準に関
しこの程度の抽象的な文言で規定しているからといつて、これを違憲無効な条例で
あるということはできない。
 なお、所論は、同条例は都公安委員会が集団行動実施の日時の二四時間前までに
許可の通知をしなかつた場合および不許可処分をした場合の通知に関しなんらの規
定を設けていないから違憲であるというようにもいう。しかし、前述したように集
団行動が憲法上本来自由であるべきであり、ただ例外的に禁止される場合もあるこ
とにかんがみて手続上許可制をとつているとの考え方からすれば、同条例を憲法に
合致するように解釈するかぎり、集団行動実施の時までに許可・不許可の通知がな
いときは許可があつたものとして取り扱うという解釈をすれば足りるのであつて
(現に昭和三五年一月八日付「集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例の取
り扱いについて」と題する東京都公安委員会決定の六には、許否の決定のあつた旨
を記載した書面を「主催者または連絡責任者が受領しない等申請者の責に帰すべき
事由のある場合を除き、その他特別の事由により前項の所定の時間内に交付できな
かつたときは許可のあつたものとして取扱うものとする。」と定められ、右解釈と
同旨の取り扱いがなされている。)、その点についての規定を欠くからといつて本
条例を違憲無効とすることもできない。
 また、所論は、手続を経ないで集団行動をした者に対しては無届行為として最小
限度の秩序罰を科すれば足りるのに、刑罰を規定した都条例は違憲であると主張し
ているようにも解される。しかしながら同条例の定めている許可制が前記のように
合憲であると解される以上、この手続を無視して集団行動を行なうことは違法であ
り(同様の手続違背は形式上届出制があつても起こりうる問題である。)、それが
手続上の違法であるからといつて、これに対する制裁が必ず秩序罰であるべきで刑
罰であつてはならないということはない。ただ、その科する刑罰の程度については
もちろん問題がないわけではなく、単なる手続的違背に止まる場合に重い刑を科す
ることは許されないであろう。しかし、本条例の違反の中には実質的に不許可すな
わち禁止に値するものが許可なく行なわれる場合も含まれるのであつて、このよう
な場合のことを考えれば、条例五条が法定刑として最高一年の懲役まで規定してい
るからといつて、不当であるとはいえない。それゆえ、この点の主張も採用するこ
とができない。
 控訴趣意第二の二について。
 論旨は、都公安条例の運用の実態は憲法の表現の自由を保障した趣旨に反するも
のである。すなわち、(一)憲法二一条に直結する集団行動に関する許可事務を都
公安委員会が警視総監以下の機関たとえば警視庁警備部長に委任していることは、
その許可条件が直接に都公安条例五条により犯罪構成要件として機能し、かつ実力
規制の根拠となるところからみても、憲法の趣旨に反し、許可事務等を都公安委員
会の権限に委ねている趣旨にも反するものであり、(二)警視庁警備課による事前
折衝の運用は実質的には不許可処分等の役割を果たしており、(三)警備課が付与
した多数の許可条件による実力規制、条例違反を理由とする逮捕権の濫用等は集団
行動を不当に制圧し轡法の趣旨に反する運用であつて、以上の本条例運用の実態を
総合的に判断すれば明らかに表現の自由を保障した憲法の趣旨に反するものであ
る。しかるに本条例の運用の実態は本条例自体を違憲とする程に一般的許可制と同
様の広汎な事前抑制ではないとした原判決は、事実を著しく誤認し、法令の解釈適
用を誤つたものである、というのである。
 そこで、所論にかんがみ、都条例運用の実態が違憲か否かについて逐次検討す
る。
 (一) 許可事務の委任について
 ある行政庁の名をもつてする行為を決定するにあたり、当該行政庁自身が必ずし
もすべてこれを決裁するわけではなく、あらかじめ一定の範囲を定め、あるいは臨
時にその決裁を補助機関に委任することは、通常「代決」と呼ばれ、行政機関内部
の事務処理の方法として広く行なわれているところであり、このような決裁の委任
は、法がその行為を当該行政庁の権限に属せしめた趣旨を没却しないかぎり、適法
なものと解せられる。したがって、都公安委員会が都公安条例三条による許可およ
びそれに伴う条件の付与につきその一部の代決を補助機関である警視総監、警視庁
警備部長および警察署長に委ねたからといつて、そのこと自体が違法であるとはい
えないことはもちろんであり、要はその代決の範囲が許可および条件の付与を都公
安委員会の権限とした都条例の趣旨に反するようなものであるかどうかによつてそ
の適否が決せられるといわなければならない。
 そこでこの点につき検討してみるのに、「昭和三一年一〇月二五日東京都公安委
員会規程第四号、東京都公安委員会の権限に属する事務処理に関する規程」「昭和
三一年一〇月二五日訓令甲第一九号、東京都公安委員会の権限に属する事務の部長
等の事務処理に関する規定」、原審および当審証人Aの各証言、別件における証人
Bの証言を記載した調書、当審証人Cの証言によれば、都公安委員会は、集団行動
の許可に関する事務のうち、不許可処分、集団行進の進路、場所または日時の変更
を伴う許可処分、許可の取消処分、許可条件の変更処分、その他メーデー行事また
は大規模な集団行動たとえば一〇万人以上の集団による集団行動、あるいは都内で
複数の長い路線にまたがつて行なわれる集団行動の場合等を重要特異なものとして
自らの直裁処理事項とし、右にいわゆる重要特異でない集団行動の許可処分および
その際の条件付与については警視総監に決裁の権限を与えるとともに、警視総監が
その事務を主管部長に処理させ、特に定例軽易なものについては警察署長に処理せ
さることを許容し、以上の事務処理は都公安委員会の名をもつて行なわせ、その結
果を毎月とりまとめて都公安委員会に報告させ、その承認を受けさせるという運用
基準のもとに事務処理がなされてきたこと、また都公安委員会は非常勤の都公安委
員による合議体であるところ、他にも多数の事務を処理しなければならぬ事情にあ
り、かつ集団行動に関する許可、条件付与の事務は量も多いのに迅速な処理を必要
とすることが認められる。
 そうしてみると、都公安委員会が都公安条例の運用についてある程度の範囲の事
務の代決を警視総監等の補助機関に委任しているのはやむをえないところである
し、その委任の範囲をみるのに、まず集団行動の許可事務については、代決が認め
られているのは許可する場合だけであり、不許可処分は必ず都公安委員会自身が決
裁することになつているのであるから、集団行動をすること自体の自由が代決によ
つて侵害されるおそれは全くなく、許可事務を都公安委員会の権限とした都公安条
例の趣旨に反するところはない。ただ、問題があるとすれば代決により許可処分に
付せられる条件の内容いかんが問題となるわけで、所論ももつぱらこの点を問題と
するのであるが、前掲証拠によれば、条件付与の基準は都公安委員会設立当初から
都公安条例三条一項但書の各号ごとに慣行として定立されていて、そのことについ
ては都公安委員会も了承しており、それは都公安委員会が直裁して許可した場合そ
の許可処分につけている条件とほぼ同一であつて、もしそれ以外の条件をつけよう
とする場合には原則として都公安委員会に事前に伺いを立てて了承を得ることにな
つており、しかも前記のようにその結果は事後に都公安委員会の承認を受けること
になつていることが認められるのであつて、これによれば条件付与につき代決機関
の恐意を許しているものでないことはもちろん、その代決を違憲無効たらしめない
程度の都公安委員会による事前の統制と代決機関の自制とが行なわれていたことを
認めることができるから、この点においても本件についての代決が違法であるとは
考えられない。
 (二) いわゆる事前折衝について
 次に、いわゆる事前折衝について考えてみるのに、一件記録および当審における
事実取調の結果によれば、原判決か説示するように、若干規模の大きい集団行動等
については、許可申請書提出前に主催者あるいは責任者が警視庁警備部警備課にお
いて同課集会係係官と面談して主として行動の進路、開会、出発の時間等につき企
画を説明し、これに対し集会係のほうからも要望を出して折衝し、双方の了解が成
立したうえでその了解に基づき許可申請書提出の手続が行なわれており、これが事
前折衝と呼ばれるものであること、そして、この折衝は、係官だけの判断によつて
行なわれるものではなく、直接都公安委員会の方針に従い、あるいはその代決の委
任を受けた警視総監または警視庁警備部長の意を受けてこれに代つて行なわれてい
たものであることを認めることができる。そこで、まずこのような事前折衝行為そ
のものの当否について考えてみると、行政庁がある行為に対し許可・不許可の権限
を持つ場合に、許可を申請しようとする者との間に事前に話し合いを行なつて当局
の許可の方針を説明すること自体は別段差支えのないところであり、許可を申請し
ようとする者にとつてはいかなる申請をすれば許可されあるいは不許可になるかを
あらかじめ知ることによつて無用の許可申請をしないですむ便宜は少なくない。こ
とに都公安条例による集団行動の許可申請については、原判決も説示するように、
もしせつかくの申請に対し不許可または進路、時間等の変更の処分などがあれば、
時期が接近しているのが通常である関係上、これを参加予定者に周知徹底すること
が困難となつて混乱が生ずるおそれのあることを考えると、事前折衝の必要性とそ
れによる便益は他の場合以上に大きいとみることができる。したがつて、本件集団
行動に関しいわゆる事前折衝が行なわれ、その際主催者側では本来集団示威運動を
希望していたのに、係官から国会開会中は国会周辺の集団示威運動は遠慮してほし
いとの都公安委員会の意向を伝えられたところから、国会周辺の集団示威運動の許
可申請をしても不許可となるであろうことをおそれ、集団行進とすることに方針を
切りかえたとしても、それは要するに事前折衝を通じて予想されたところに基づき
自らの意思を変更したにすぎないものであつて、もし申請者側の意思決定に影響を
与えたものがあるとすればそれは都公安委員会の方針それ自体なのであり、これを
伝えた事前折衝という手続そのものが問題であるわけではない。ただ、事前折衝
も、もしその衝に当たる係官がその際都公安委員会の方針を正確に申請者側に伝え
ず独自の考えを押しつけるようなことがあると、申請者側の判断を誤らせることに
もなり、あるいは事前折衝の段階で双方の意思が一致しないかぎり許可申請を受け
つけないというようなことがあれば、結局は当局の方針に従わないかぎり許可申請
の自由を認めないこととなって、違法、不当となることを保しがたい。しかしなが
ら、一件記録および当審に霊ける事実の取調の結果によれば、本件事前折衝に当た
つた係官が都公安委員会の方針を誤り伝え独自の見解を押しつけた形跡は認められ
ないし、また、事前折衝がなされるまで警察署長が一時許可申請書の受理を留保す
るという慣行はあつたにしても、事前折衝において合意をみないかぎり許可申請書
の受理・進達をしないというような事実はこれを認めることができないから、この
点に違法があるともいえない。
 (三) 実力規制措置等について
 この点につき原判決が認定するところも正当であつて、本件において警察官の実
力規制措置が一般的に表現の自由の行使である集団行動を不当に制限圧殺し、憲法
の趣旨に反する運用をしたとまではいうことができず、一件記録を検討し、当審に
おける事実取調の結果に徴しても事実誤認を疑わせるものはない。
 のみならず、かりにその実力規制措置の面で違法・不当な点があつたとしても、
それに対しては個々的に制裁ないしは是正の方法が開かれているのであつて、その
ことがさかのぼつて許可処分全体の効力なり有効な条件の違反による起訴を無効な
らしめるものでなく、また濫用のおそれがありうるからといつて、本条例を違憲と
解することの失当であることは、前示昭和三五年七月二〇日の最高裁判所大法廷判
決の判示するとおりである。
 これを要するに、本条例の運用の実態は、すでにみてきたように表現の自由を不
当に制限するものとして、本条例自体を違憲無効ならしめるものとはいえず、この
点について原判決に事実誤認ないし法令適用の誤りがあるとは認められないから、
論旨はいずれも理由がない。
 控訴趣意第二の三について。
 論旨は、無許可ないし条件違反の集団行動の主催者、指導者等の処罰を定める都
公安条例五条の規定はその処罰の実質的合理的根拠を欠くものであり、また「主催
者」「指導者」等の概念は犯罪構成要件としてきわめて不明確てあるから憲法三一
条に違反して無効であるとの弁護人の主張を原判決は排斥してこれを合憲とした
が、この判断は法令の解釈適用を誤つたものだ、というのである。
 しかしながら、すでに弁護人の控訴趣意第二の一に対する判断の中で説示したと
ころがら明らかなように、都公安条例は集団行動が憲法上本来自由になさるべきも
のであることを前提としたうえいわゆる義務づけられた許可制を採用したものと解
されるのであつて、集団行動をそれ自体違法でありその性質上禁止せらるべき行為
であるとみているわけではない。そして、かかる観点からすれば、許可制をとつて
いる以上無許可で行なわれた集団行動が違法であることは認めざるをえないところ
であるが、その違法性の内容は、通常の場合、すなわちその集団行動が特に禁止せ
らるべきものではなく許可を申請すれば許可せらるべきものである場合には、形式
犯的な単なる手続違背の性質をもつものと解するのが相当で、無許可の集団行動が
行為そのものとして違法となるのは、それが例外的に禁止に値するものであるのに
許可申請をせずにこれを行なつた場合か、もし許可手続を経ていれば付せられたで
あろう条件に違反する行動に出たような場合か、そのいずれかの場合に限ると考え
られる。しかし、右のように行為の違法性が手続違背的性質のものであるにせよ、
ともかく違法である以上は、法人によつてこれに対し相応の刑事制裁をもつて臨む
ことを妨げるものではない。そして、その場合の違法行為とはなにかといえば、許
可を受けていないという状態(許可のあつたものと解釈される場合がこれにあたら
ないことは前に説示したところから明らかである。)のもとにおいて集団行動をす
ることつまり集団行動をしたことが違法行為にあたるのであつて、許可申請をしな
かつたという不作為が違法行為であるわけではない。このことは、許可申請をしな
くとも、集団行進さえ行なわなければ、なんら違法の問題を生ずる余地がないこと
からみても明らかである。そうであるとすれば、無許可で集団行動が行なわれた場
合においては、これに参加し関与した者はすべて前述の意味における違法行為をし
たものにほかならないのであるが、都公安条例は、集団行動の特質を考慮して単な
る参加者に対しては刑事罰をもつて臨むことを差し控え、責任の重いとみられる主
催者、指導者、煽動者だけを処罰の対象としているのであるから、そのことが違
法・不当でないことはいうまでもないところである。この点につき所論は、許可申
請をしないこと自体を違法行為であるとみる前提の上に立つて、その後に現実に行
なわれた集団行動の指導者、煽動者を処罰することを違憲であるとして非難するも
ののごとくであるが、その前提が誤つていることは前述のとおりであるから、その
立論はとうてい採用することができない(無許可の集団行動の指導者、煽動者を処
罰の対象とする都公安条例五条は憲法三一条に違反しないとする最高裁判所昭和四
〇年(あ)第一〇五〇号昭和四一年三月三日第三小法廷判決、刑集二〇巻三号五七
頁参照)。
 また、所論は、条件違反の集団行動の主催者、指導者等を処罰することは憲法三
一条に違反するとも主張しているもののようである。しかし、付せられた当該条件
が違憲、無効のものでないかぎりはその条件に違反する行為が違法であることは当
然であり、都公安条例五条が処罰の対象としているのは当該条件違反行為を現実に
指導しまたは煽動する等の行為をした者に限られることは同条の解釈上明白である
から、なんら同条が違憲であるとはいえない。
 なお、所論は、「主催者」、「指導者」、「煽動者」の概念はあいまいであるか
ら同条例五条は憲法三一条に違反するとも主張する。しかしながら、無許可ないし
条件違反の集団行動の「主催者」「指導者」「煽動者」の各概念は原判決が説示し
ているように法概念としてその意義をそれぞれ明らかに把握することができるので
あつて、その意味内容がきわめて不明確であいまいであり憲法三一条の罪刑法定主
義に違反するとの所論は採用しがたい。
 そうだとすると、都公安条例五条は結局憲法三一条に違反するとはいえないか
ら、論旨は理由がない。
 控訴趣意第三の一について。
 論旨は、都公安条例三条一項但書の規定は都公安委員会が許可の条件を付与する
についての明確な基準を欠き、包括的事項に関し同委員会に広範な裁量権を与える
結果、同委員会が不当に多くのきびしい条件を付することにより事実上不許可処分
をするのと同様の結果を生じさせるおそれがあり、しかもそのような結果の発生を
防ぐ制度的保障も欠き、憲法二一条に違反して無効である。なお、同条例三条一項
六号の定める条件は実質上全部または一部の不許可処分たる性質を有するのに、そ
の付与の基準も抽象的、不明確であつて審法二一条に違反して無効であるから、こ
れらの点で原判決には法令適用の誤りがある、というのである。
 そこで考えてみるのに、都公安条例三条一項本文によつて許可される集団行動に
つき同項但書が必要な条件をつけることができると規定しているのは、集団行進お
よび集団示威運動が平穏かつ秩序正しく行なわれない場合には、時として公共の秩
序を乱し、地域住民、滞在者等の基本的人権を侵害することがあるため、かかる事
態を防止するためにほかならない。そして、このように条件を付すことによつて制
限を加えるのは表現自体ではなく単なるその行動的側面であるから、その条件を付
する基準も集団行動そのものの許可・不許可の基準とはおのずから差があつてよい
ことのちに述べるとおりであるが、そうはいつても、事は憲法の保障する自由権の
制限に関するものであり、ことにはその行動面が表現の自由と不可分の関係にある
場合もあることを考えると、その場合につけられる条件は、それによつて集団行動
による表現の自由を本質的に抑圧するようなものであつてはならないのはもちろ
ん、そうでないものであつても、集団行動の日時、場所、規模、態様、地域の実情
等に応じ、その条件によつて規制される行為の憲法上の意義とこれによつて侵害さ
れる地域住民等の利益とを慎重かつ細心に比較衡量したうえ、必要な最小限度のも
のに止められるべきものであることはいうまでもないところである。ただ、これら
の条件は、その性質上、前記のように具体的事情に即して必要な限度で付せらるべ
きものであるから、画一的規制の弊害を避けるためにも、これをつけることを行政
機関に委任し、これにある程度の裁量権を認めることはやむをえない相当な措置で
あるといわなければならない。ところで、都公安条例三条一項但書をみるのに、都
公安委員会が条件をつけることができるのは同条一項各号に列記された事項に限ら
れているのであるし、その付する具体的条件が前記のような趣旨で必要な最小限度
に止められるべきものであることは右各号の内容および条例全体の趣旨からしてお
のずから明らかであるから、条件の付与に関し決して公安委員会の恣意的な自由載
量権を認めているものでなく、まして事実上不許可にするのと同一の結果を生ずる
ような条件付与を許すものでないことは多言を要しないところである。そして、そ
の条件付与は前に説明したように独立した合議制の機関である都公安委員会がこれ
を行なうこととされているのであるし、条件付与につき都公安委員会の権限濫用を
抑制する制度的保障が都公安条例自体には規定されていないにしても、その濫用に
対しては行政訴訟により条件付与の処分取消等を求め、あわせて処分の執行停止を
申立てることも可能であり、事後的にせよ、損害賠償の請求、罰則適用にあたつて
の条件の当否の判断等司法的救済の途は開かれているのである。
 なお、都公安条例三条一項但書六号に定める条件は、集団行動の進路、場所また
は日時を変更するものであつて、集団行動をすること自体を絶対に禁止するもので
はない点で同項本文による不許可処分とは異なるものの、他の条件がいわば行為の
態様を制限するものであるのに対し、日時、場所に関して集団行動そのものに制限
を加えるわけであるから、その条件付与については表現の自由を不当に害すること
のないよう特に慎重でなければならず、その措置が特に必要な最小限度に止まらな
ければならないことは当然である。しかし、同号の規定をみると、進路、場所また
は日時の変更については、他の号の場合と違つて、公共の秩序または公衆の衛生を
保持するため必要がある場合に限ることが明記されているほか、他の条件は必要で
あればつけることができることとなつているのに対し、同号だけは単に必要がある
だけでは足りず、「やむを得ない場合」であることを特に要件としているのである
から、前記のように同号による制限が特に慎重でなければならないことを示すため
立法上十分の配慮がなされているということができる。そして、このことと、同条
例三条一項本文がそこに示された基準のもとに集団行動そのものの許可・不許可の
権限をも都公安委員会に委ねたことが前にも述べたように合憲と解されることとを
考え合わせれば、同項旧書六号が右のような基準によつて都公安委員会に進路等の
変更の権限を認めたからといつて、これを違憲てあるとすることはできない。
 以上の次第で、条件付与に関する都公安条例三条一項但書各号は憲法二一条に違
反して無効てあるとはいえないから、論旨は理由がない。
 控訴趣意第三の二について。
 論旨は、都公安条例五条は地方自治法一四条五項による刑罰立法の一般的包括的
な条例への委任に基づくものであるが、かかる委任は正当手続条項(憲法三一条)
と一般的委任命令禁止条項(憲法七三条六号)で定めている罪刑法定主義に反する
もので無効てあるばかりでなく、同条例五条のうち三条一項但書の規定による条件
違反の集団行動の主催者らを処罰する部分は白地刑罰法規であるところ、その補充
規範たる条件は一般に告知されず、しかもその内容はあいまい不明確であり、その
違反に対する法定刑は合理的根拠を欠いている、なお条件付与が警察官に委任され
る場合のあることも補充規範定立手続が適正を欠くものであるから、要するに都公
安条例五条は憲法三一条に違反して無効であるのに、これを有効とした原判決は法
令の適用を誤つたものだ、というのである。
 よって、考えてみるのに、
 (一) 刑罰を規定するには原則として法律をもつてしなければならないことは
憲法三条の規定上明らかであるけれども、法律の授権があればそれ以外の法令によ
つても刑罰法規を設けることができると解せられるところ、地方自治法一四条五項
はまさにこの罰則制定を地方公共団体の制定する条例に授権した規定で、所論の都
公安条例五条はこれに基づいてその授権の範囲内で設けられた規定てあることは疑
いない。ただ、法律による授権といつても、無条件の白紙委任的なものであつてな
らないことは当然であるところ、地方自治法一四条五項をみると、その授権がある
程度包括的であることは認めざるをえないところである。しかし、その対象となる
事項は同法二条二項・三項に明示されているのであるし(同法一四条一項参照)、
規定することのできる法定刑の範囲も比較的軽いものに限定されている。そして、
そのことと、条例が行政機関の定める政令以下の命令と異なり公選の議員をもつて
組織する地方公共団体の議会の議決を経て制定される自治立法であることとをあわ
せ考えると、この程度の授権が憲法の趣旨に反するといえないことは最高裁判所昭
和三一年(あ)第四二八九号同三七年五月三〇日大法廷判決(刑集一六巻五号五七
七頁)の判示するとおりであるから、その点で都公安条例五条が憲法三一条に違反
するとの論旨は採用することができない。
 (二) 次に、所論は、都公安条例五条のうち条件違反を処罰する部分は白地刑
罰法規だと主張する。しかし、右の部分の構成要件は、「第三条第一項但し書の規
定による条件……に違反して行われた集会、集団行進又は集団示威運動の主催者、
指導者又は煽動者」ということなのであつて、それ自体で完成された刑罰法規をな
しているとみるべきものである。都公安委員会が条件をつける行為は、一の行政処
分であり、その条件に違反したという事実がこの構成要件に該当することになると
みなければならない。それゆえ、条件の付与が都公安委員会の権限とされているか
らといつて、刑罰法規の一部(所論のいう補充規範)の制定を同委員会に委任した
ことにはならず、条件をつけることはなんら刑罰法規の立法には該当しないのであ
る。したがつて、付した条件を一般の刑罰法規のように公示することは必要でな
く、これに従う義務ある者だけに周知の方法をとれば足りるところ、条例三条二項
によれば、都公安委員会の付した条件の内容は集団行動を行なう日時の二四時間前
までに主催者または連絡責任者に書面をもつて告知されなければならないのである
から、これを参加者に周知させる機会は十分に存するのである。
 (三) 所論は、また、本件において付せられた条件の中には、違法なもの、単
なる注意事項に過ぎないもの、あいまい不明確なものがあるので、犯罪構成要件と
しての適格性を欠くというようにもいう。しかし、条件が犯罪構成要件そのもので
ないことはすでに説示したとおりであるから、個々の条件の有効無効は構成要件の
効力とは別の問題で、もし個々の条件が違法もしくは意味不明確で条件として無効
であるか、または単なる注意事項にすぎないとみられる場合はその違反行為を条件
違反として処罰しなければそれで足りるのである。
 (四) また、所論は、右条例五条が条件違反についても一年以下の懲役もしく
は禁錮又は五万円以下の罰金に処することとしているのは処罰の合理的根拠を欠い
ていると主張する。しかしながら、前述のとおり条件が公共の秩序、住民・滞在者
等の基本的人権保護のために付せられるのであることを考えると、その違反の程度
ないしは公衆に与えた損害等の情状のいかんによつては右の法定刑の長期を相当と
する場合も予想されないことではないから、この程度の法定刑を設けたことが憲法
三一条に違反するほど罪刑の均衡を失しているとはとうていいえないばかりでな
く、右の五条の規定は、条件違反ばかりでなく、本来許可さるべきでないのに無許
可で集団行動が行なわれたような情の重い場合にも適用されることが予想されてい
るのであつて、これらの諸種の違反行為をこの程度の法定刑で一括して規定しても
あながち不当であるとはいえない。それゆえ、この点の主張も採用することができ
ない。
 (五) 所論はまた、都公安委員会が重要特異でない集団行動の条件付許可処分
につき警視庁の警察官にその代決を許しているのは白地刑罰法規の補充規範の定立
手続において適正を欠くと主張する。しかし、条件をつけることが行政処分であつ
て刑罰法規の立法に属しないことはすでに述べたとおりであるうえに、同条例五条
は所論の代決につきなんら規定しているわけではないから、代決の問題が同条の合
憲性に影響するものでないことはいうまでもないところである。したがつて、所論
は結局いわゆる代決を違法であるとし、これによつてつけられた個々の条件の適法
性を争うことに帰着すると解されるが、この代決の適否の点についてはすでに弁護
人の控訴趣意第二の二に対する判断の中で説示したとおりであるから、ここには改
めて繰り返さない。
 以上の次第で、本論旨はいずれも理由がない。
 控訴趣意第三の三の(一)、(二)について。
 論旨は、本件各条件付許可処分は審法二一条、三一条に違反し無効であるのに、
これを合憲・有効とした原判決には法令の適用の誤りがある。すなわち、(1)原
判決は都公安条例三条一項但書の条件付与について、公共の安寧に対する直接の危
険の発生が明らかに認められる場合ばかりでなく、その危険の発生の虞れがある場
合にもまたその予防のために必要な最小限度の条件を付し得ると解しているが、都
公安条例三条一項但書の規定が辛うじて合憲性を保つためには、集団行動に付与さ
れる条件は、その条件を付することなく集団行動を許すならば公共の安寧を保持す
るうえに直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合に限り、その限度において付
しうるに過ぎないと解するほかはないから、右の点で原判決には法令の解釈適用に
誤りがあり、(2)本件における「ことさらなかけ足行進」の禁止、「行進隊形は
五列あるいは六列縦隊とすること」、「だ行進、……停滞、すわり込み、先行てい
団との併進、追越し等交通秩序をみだす行為をしないこと」という条件は、「こと
さらなかけ足行進」「交通秩序をみだす」など概念として不明確なものを含み、ま
た、その違反に対して刑罰を科するに足りる実質的な合理的理由を欠いているか
ら、かかる行為を一律無差別に可罰的に禁止することは道路交通上の利益を常に集
団行動に優先させ、表現の自由を不当に制限ないし禁圧するもので、憲法二一条、
三一条に違反する無効な条件であり、(3)原判決は本件刑事事件に適用されてい
ない注意事項ないし違法の疑いがある条件を本件各条件から全く切断して、国会周
辺の集団行動についての「合唱、かけ声、シユプレヒコール等示威にわたる言動は
行わないこと」という条件はこれを別とし、本件各条件の適法性を強調するけれど
も、前者の条件違反を理由とする都公安条例四条の即時強制や現行犯逮捕等は集団
的表現の自由に対する重大な侵害であり、一部の条件付与が違憲(違法)無効であ
る場合にも許可処分自体の効力が問われなければならない、というのである。
 そこで、所論の各論点について、順次考察することとする。
 <要旨第一>(一) まず、都公安条例三条一項但書によつて条件をつける基準に
つき検討してみるのに、それが集団行動による表現の自由を本質的に抑
圧するようなものであつてはならず、また、そうでなくとも必要最小限度のものに
止めるべきことは、すでに弁護人の控訴趣意第三の一に対する判断の中で述べたと
おりである。しかしながら、同項本文による集団行動そのものの許否の基準とこれ
を許可した場合の同項但書による条件付与の基準とが同一であるべきかどうかにつ
いては、集団行動を許可しないことは、まさに一定の表現をすること自体を禁止す
るものであるから、憲法二一条の保障との関係上きわめて慎重てなければならず、
例外的な場合としてその要件を厳重に定める必要があるのに対し、許可処分につけ
られる条件は、表現行為そのものはこれを認め、ただその実施の際の行動的側面に
対してある程度の制限を加えるのにすぎないから、その条件をつける基準は、不許
可の基準とは趣きを異にし、一般的にいえばそれよりゆるやかであつて差支えなく
(ただ、同じ条件でも、同項一号から五号までの事項に関する条件と六号の進路、
場所または日時の変更とではその基準におのずから差のあることは前に述べたとお
りである。しかし、この後者の基準も、集団行動それ自体の不許可の基準と全く同
一であると考えなければならないものではない。)、そのことは、同項本文が不許
可の基準として集団行動の実施が公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明
らかに認められる場合に限るとしているのに対し、条件については但書が単に「必
要な条件をつけることができる。」と規定しているにすぎないことからも認められ
るところである。したがつて、条件をつけることによつて保護さるべき法益として
は、公共の安寧(社会生活の安全・平穏)と呼ばれるようなものに限定されること
なく、たとえば交通秩序すなわち交通の安全と円滑というような公共の利益もまた
その法益たりうるのであつて、原判決のいうように公共の安寧に対する直接の危険
の発生するおそれのある場合に限らず、但書各号に定められた事項から窺える各種
の法益を保護するためにも条件を付することができると解するのが相当である。そ
して、条件付与に際しては、一方においてその行為による公共の利益の侵害の態
様、程度を考え、他方において条件により制限しようとする行為のもつ意義特にそ
の行為が集団行動による表現にとつて必要不可欠であり他の方法をもつてしては代
えることができないかどうか等を慎重に考慮し、両者の比較衡量によつてこれを決
定すべきものと考える。
 以上の次第で、「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認めら
れる場合」に限つて条件を付することができるとする所論は採用することができな
い。
 (二) 次に、所論の「だ行進、うず巻行進、ことさらなかけ足行進、おそ足行
進、停滞、あるいは先行てい団との併進、追越しまたはいわゆるフランスデモ等交
通秩序をみだす行為をしないこと。」という条件について考えてみるのに、この条
件がもしそこに明示的に列挙されただ行進、うず巻きなどの各行為のほか「交通秩
序をみだす行為」一般をも禁止しているものと解するならば、その「交通秩序をみ
だす行為をしないこと」という条件の文言は、はたしてどのような行為まで指すの
かあまりに抽象的で不明確だといわなければならない。
 しかし、本件において原判決の認定した各行為は、いずれも右のような単に抽象
的に交通秩序をみだしたという理由で条件違反とされているのではなく、その前に
列挙された具体的な条件の違反だけが問題となつているのであるから、その点はこ
こではそれ以上問題としない。そこで、進んで、所論が問題としている「ことさら
なかけ足行進」という文言について考察すると、そのうち「かけ足行進」という概
念が社会の一般常識から考えて不明確といえないことはいうまでもないことであ
り、「ことさらな」というのはこれを必要とする正当な事由がないのにわざととい
う意味であることはこれまた日常の用語として十分理解できるところである。それ
ゆえ、右の文言が憲法三一条に違反するほど不明確なものであるとはとうてい考え
られない。
 次に、所論は、「ことさらなかけ足行進」を禁止することは実質的・合理的な根
拠を欠くと主張する。思うに、東京都内の主要街路のように常に交通量の多いとこ
ろで集団行進または集団示威運動が行われれば、その反面として一般の交通が相当
阻害され一般公衆が不便を被ることはいうまでもないところであるが、集団行動が
憲法の保障する表現の自由の行使である以上、集団行動を行なうことそのことによ
つて生ずる交通の不便はもとより甘受せざるをえないところである。しかしなが
ら、集団行動なるがゆえにいかなる交通の阻害・混乱を生じてもよいというもので
ないことはもちろんであつて、いま行進に際しての集団の速度についてこれをみれ
ば、一般の交通に混乱を生じないためには、集団が通常予想される速度すなわち通
常の歩行の速度で進行することが最も望ましく、交通取締官憲はその予想に基づい
て一般の交通を規制し、それによつて一般交通と集団行動との混乱を防止すること
ができるのである。ところが、これに反し、もし東京都内の交通量の多い主要街路
で集団がかけ足で行進したりすれば、その進路にある車両や歩行者の交通に不測の
混乱を生ずるおそれがあるばかりでなく、その結果として一般公衆や行進者側に死
傷の結果を生ずることすら保しがたく、また、集団が多数の梯団より成る場合な
ど、その一部の梯団のみがかけ足をすれば、集団全体の進行を混乱に陥れ、ひいて
は重大な交通の混乱を生じ、一般市民の社会生活にもすくなからざる支障を及ぼす
おそれもあるのであつて、これらの点を考慮すれば、「ことさらなかけ足行進」を
禁止することには十分合理的な根拠があるものと考えられる。また、所論が同じく
合理的根拠を欠くと主張する隊列に関する条件につき考えてみると、集団行進ない
しは集団示威運動といえどもその表現の目的達成に十分であるかぎり一般市民の公
共の利益との調和の観点からある程度の制約を受けるのはやむをえないものである
ところ、東京都内の交通ひんぱんな主要道路においては、たとえ一定時間内であつ
たとしても一般の交通を完全に停止することは市民に与える不便さは図り知れない
ものがあり、そのためには一般車両の通行の余地を残すため隊列の幅を一車線内に
制限することとし、したがつて行進隊形を五列もしくは六列というように定めるこ
とには合理的理由があるものといわなければならない。
 なお、「だ行進、うず巻行進、ことさらなかけ足行進、停滞等」も、集団的表現
の一形態てあることは認められるにしても、右のような形態の表現方法をとらなけ
れば当該集団行動の表現の目的を達することができないとはいえない反面、かかる
行為が著しく交通秩序を妨げ、時として公衆の生命、身体等にも不測の害を及ぼす
おそれもあることを考えると、右のような行為が禁止されることは表現の自由の内
在的制約にほかならない。また、その制限は、集団行動実施の日時、場所、態様等
の具体的実情に照らし、規制される集団行動とこれによつて生ずる公共の利益の侵
害との較量において必要最小限のものとして課ぜられたものと認められ、決して一
律無差別に集団行動を規制したものとはいえないから、一般的無差別な不当な自由
の侵害であるともいえない。それゆえ、右のような条件が本件集団行動に付された
としても道路交通上の利益を原則的に集団行動の自由に優先させたものというわけ
ではなく、憲法二一条に違反するとの所論も採用できない。
 (三) さらに、本件許可処分の条件中、注意事項ないし違法あるいは違法の疑
いがある条件が混在している以上、条件付許可処分全体の効力が問われなければな
らないとの所論については、次の「本件各条件付許可処分の全体としての違憲性」
の論旨に対する判断として述べるところに譲ることとする。
 控訴趣意第三の三の(三)について。
 論旨は、原判決は、本件許可処分に付せられた条件を適法な条件のほか注意条
項・特別の義務を定めたものでない条項・違法あるいは違法の疑いのある条件に類
別し、右許可処分は、注意条項を除けばおびただしくかつ厳しい条件を付している
とはいえず、全体として集団行動の自由を不当に制限するものではないと説示した
が、このような類別が不明確であるのみならず、実際にはおびただしい違法、違法
の条件が付与されていると認められるから、それらの条件全体とともに許可処分そ
のものの憲法二一条に違反するといわなければならず、原判決には法令の適用を誤
つた違法がある、というのである。
 <要旨第二>しかしながら、都公安条例三条一項但書により条件を付する行為は、
集団行動の主催者、指導者、参加者等に一定の義務を課する行政処分で
あつて、右の条件は講学上付款の一種たる負担と呼ばれるものに属し(ただし、但
書六号による進路、場所または日時の変更についてはその性質に若干疑問がある
が、ここではこれ以上その点には立ち入らない。)、集団行動の許可処分に付随す
るものであるため、主たる許可処分が無効であれば条件もまた無効たらざるをえな
いけれども、ここにいう条件は基本となる許可処分と性質上不可分に相結合する狭
義の条件とは異なり、許可処分自体とは一応別個の行政処分であり、しかもその負
担の内容はそれぞれ別個であるから、各条件ごとに別個な行政処分であると解すべ
きである。それゆえ、かりに許可処分に付せられた各条件のうち、その実質が単な
る注意事項であるに止まり条件としては無効であるもの、その他違法で無効な条件
が存在するとしても、それはその条件のみを無効ならしめるに止まり、許可処分そ
れ自体を無効ならしめることでないことはもらろん、他の条件との関係において
も、その間に不可分の有機的関係があるような特殊の場合を除いては、他の条件の
効力を左右するものではない。そして、無効な条件の違反を理由として公権力の行
使がなされたような場合には、その個々の問題ごとに法的な措置を考慮すれば足り
るのである。所論は許可処分および各条件付与の処分を一体としてその効力を論ず
べきであるとの独自の見解を前提とするものであつて採用しがたく、論旨は結局理
由がない。
 控訴趣意第四の一―一〇・一五昼事件(被告人D)―について。
 論旨は、原判決の被告人Dに対する右事件の有罪部分につき、かりに本件に適用
されている「行進隊形は五列」および「ことさらなかけ足行進……」という条件が
違審無効でないとしても、本件集団行動の動機、目的の重大性に比し、隊列も所与
の制限隊列から僅か三列しかオーバーしておらず、そのかけ足行進もとくに交通阻
害をもたらしたことは認められないなどきわめて軽微な違法行為であることなどか
らみると、本件行為は可罰的違法性ないし実質的違法性を欠くものであるから、原
判決には法令の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。
 そこで考えてみるのに、本件の集団行進が東京都心の交通量の多い場所、時間に
おける多人数によるものであることを前提として考えると、所論の条件は交通秩序
維持のための基本的な必要最小限の条件として理解することができるところ、本件
の場合約一、〇〇〇人の集団が原判示のような都心の主要街路において午後四時一
六分ころから午後四時一八分ころまで隊列五列との条件を無視し終始約八列となつ
て行進し、その間午後四時三三分から三四分ころまでの間ことさらなかけ足行進を
行なつたものであり、被告人Dは右隊列違反ならびにことさらなかけ足行進を指揮
誘導したものである。そして、本件集団行動が日韓条約批准反対の意思を表明する
ために行なわれたものであるにせよ、その意思を表明するためには必ずしも右のよ
うに隊列をオーバーする必要もなく、またことさらなかけ足行進をしなければなら
ないものでもない反面、交通量の多い右のような街路上においていわゆるラツシユ
アワーのころ大量の集団が右のような行動に出るならば、秩序ある集団行進が行な
われず、現実に交通を阻害し一般市民の社会生活に重要な支障を及ぼすことは控訴
趣意第三の三の(二)に対する判断の中で述べたところがらみても明らかであり、
また、勢の赴くところ人車の接触その他の事故により公衆の生命、身体等に直接危
険を及ぼすおそれもあると認められるのであるから、集団行動による表現活動とし
ての相当な範囲を逸脱したもので、実質的違法性を欠くものとはとうていいいえ
ず、また被害法益との関連からみてきわめて軽微な違法性を有するにすぎないもの
として、可罰的違法性を欠くものと解することもできない。
 したがつて、原裁判所が被告人Dの右所為について可罰的違法性があると認め刑
罰を科したことは首肯しうるところであつて、法令の解釈適用を誤つた違法がある
とはいえない。それゆえ、論旨は理由がない。
 控訴趣意第四の二―〇・一五夜事件(被告人D、同E、同F)―について。
 論旨は、原判決は、本件公訴事実中、(A)都学連の集団行動に関しては、
(イ)被告人Dの隊列違反のことさらなかけ足行進指導の事実および(ロ)すわり
込みの指導の事実、(ハ)被告人Eのことさらなかけ足行進指導の事実、(ニ)被
告人E、同D共謀のすわり込みの指導の事実、(B)社青同の集団行動に関して
は、被告人Fのすわり込みの指導の事実の一部をそれぞれ有罪と認定したが、かり
に本件許可処分が合憲であつて本件条件が有効であるとしても、本件集団行動は日
韓条約批准の緊急かつ重大な事態に際し、それに反対する目的で行なわれた正当な
ものであつて、前記各条件違反はその態様に照らしきわめて零細なあるいは軽微な
違法行為というほかはなく、それらは可罰的違法性を欠き構成要件該当性がない
か、あるいは動機、目的の正当性、手段方法の相当性、法益の権衡等の点で実質的
違法性を阻却するものであつて、無罪とされなければならないのに、被告人らに有
罪を宣告した原判決には法令適用の誤りがある、というのである。
 そこで、所論の各具体的行為について検討してみると、まず、所論の(A)
(イ)については、約九〇〇人の集団が都心の主要街路において当日午後七時四九
分ころから午後八時七分ころまで終始約八列で行進したところ、被告人Dにおいて
右約八列でのことさらなかけ足行進を指揮誘導したものであつて、第四の一に述べ
たところと同じ理由から、右所為は実質的違法性ないし可罰的違法性を否定し去る
ことはできないから、原判決に所論のような法令適用の誤りを見出すことはできな
い。
 つぎに、(A)(ハ)について考えてみるのに、被告人Eは同日午後八時八分こ
ろ衆議院西通用門先路上において約二分間、約二―三〇〇名の学生によることさら
なかけ足行進を指揮誘導したものであつて、当時警官隊のほかに一般に通行する人
車がなかつたにせよ、前に説示したところに照らせば、かかる行為は、集団行進全
体の秩序を乱す結果ひいては他の場所における交通秩序をも混乱させ、公衆の社会
生活に支障を及ぼすおそれが現実に存したと認められる反面、右行為は集団的意思
表示として欠くべからざるものではないことをかれこれ較量すると右所為も集団行
動として相当な範囲を逸脱したものというべく、実質的違法性が認められるのはも
とよりその違法性が軽微で可罰的違法性を欠如するものとも解しがたい。
 さらに、(A)の(ロ)、(ニ)のすわり込みは約二―三〇〇名の学生集団が同
日午後八時一〇分ころから議員面会所前車道上に、約六―七〇〇名の学生集団が午
後八時一九分ころから議員面会所前歩道上に、いずれも午後八時五二分ころ機動隊
の規制を受けるまで、それぞれ約三―四〇分間すわり込んだものであつて、日韓条
約批准反対等の意思を表明するために行なつたものであつても、そのため少なくと
も一般交通の再開を遅延させたことは疑いがなく、そのことは、まさに著しく交通
秩序をみだし、地域住民の社会生活の利益に少なからざる支障を及ぼしたものにほ
かならないから、集団行動としての相当な範囲を逸脱したものであり、その所為が
実質的違法性ないしは可罰的違法性を欠如するものとは解しがたい。
 さらに、(B)のすわり込みは、社青同員約二五〇名が同日午後九時五分ころか
ら九時一〇分ころまでの間に車道上にことさらなすわり込みをすることを被告人F
において指揮したものであつて、右所為もその人員、日時、場所、態様にかんが
み、右所為の有する憲法上の意義とこれによつて著しく交通秩序をみだし、公衆の
社会生活に重要な支障を及ぼすおそれが現に存したものと認められることとを較量
すれば、集団行動としての相当性を欠くものであり、実質的違法性または可罰的違
法性を欠如するものとは認めがたい。
 右の次第で、論旨は理由がない。
 控訴趣意第四の三の(一)―一一・五事件(被告人Gに関する部分)―につい
て。
 論旨は、原判決は被告人Gおよひ原審相被告人Hが他の者と共謀のうえ約一〇列
での行進を指導した事実を認定しているが、昭和四〇年一一月二二日付起訴状によ
れば、この事実は訴因に含まれておらず、審判を求められた事実の範囲外であるか
ら、原判決には訴訟手続の法令違反がある、というのである。
 そこで、被告人Gに対する昭和四〇年一一月二二日付起訴状をみると、その冒頭
の部分には同被告人の参加した集団行進に際し集団に参加した学生らが許可条件に
違反し約六列ないし約一二列となつてことさらなかけ足行進その他の行為を行なつ
たことが記載されており、これに続いて被告人Gに対する公訴事実第一として「…
…道路上において、約六列となつた右学生隊列の先頭列外中央付近に位置し、前向
きあるいは後向きとなつて両手を上げ、これを振り、あるいは笛を吹き、『日韓条
約粉砕』のシユプレヒコールの音頭をとるなどして、かけ足行進、停滞の指揮し」
とその具体的行動が記載され、全文の末尾は、同被告人および原審相被告人Hにつ
き「もつて、それぞれ右許可条件に違反した集団行進を指導したものである。」と
結ばれている。
 そうしてみると、被告人Gに対してかけ足行進と停滞の指揮が訴因とされている
ことは明白であるが、隊列違反の指揮が訴因として含まれているか否かについては
たしかに検討を要するものがあるといわなければならない。しかしながら、本件起
訴状の公訴事実の記載のしかたは、前記のように、まずその冒頭部分に集団そのも
のの行動特にその具体的な条件違反行為を叙述し、次いで第一、第二として各被告
人のこれに対する指導の事実を記載する構成をとつているのであるから、冒頭部分
とあわせて読むのでなければ各被告人に対する訴因の意味も十分に理解できない関
係にあるところ、本件起訴状の冒頭の部分に前記のように約六列ないし一二列とな
つた隊列の条件違反の事実が掲記されており、これを受けて被告人Gに対する第一
の部分にわざわざ「約六列となつた右学生隊列」と記載され、そのかけ足行進、停
滞の指揮をしたと記載されているところからみれば、やはり隊列違反の指揮もまた
同被告人に対する訴因とされているものと解することができる(ちなみに、第一の
末尾の「かけ足行進、停滞の指揮をし」という文言を訴因のいわゆる結びの文言で
あると読めば、それ以外の隊列違反の指揮が訴因に含まれていると解する余地はな
いことになるが、それがいわゆる結びの文言でないことは当該文体のうえからみて
明らかである。)。ただ、それにしても、このような訴因の記載のしかたはかなり
明確を欠くもので、訴因の明示を必要としている刑訴法二五六条三項の趣旨からい
つても、そのままで有効てあるかどうかについては疑問がある。しかし、この程度
の訴因の不明確竹は事後における検察官の釈明等によつて補正し有効とすることが
可能であると解されるところ、検察官の昭和四一年七月一一日付冒頭陳述要旨のう
ち右公訴事実に関する三七頁以下の記載(原審第一記録のうち第二冊一二九丁以
下)によれば、被告人Gの六列ないし一二列での隊列違反の行進の事実もまた許可
条件二の1(「行進隊形は五列縦隊、……とすること」)の違反として「犯行の状
況」の項の中に明記されているのであり、右冒頭陳述は当該公訴事実をより詳細明
確に説明したものとして一種の釈明の性質をあわせ有するものと解することができ
るから、被告人Gの隊列違反の訴因はこれによつて明確にされ、当初の不備は補正
されたものというべく、したがつて、原判決が被告人Gにつき隊列違反の事実を認
定したことが訴因外の事実を認定した違法なものとはいうことができない。それゆ
え、この点の論旨は理由がない。
 控訴趣意第四の三の(二)―一一・五事件(被告人Gに関する部分)―につい
て。
 論旨は、かりに被告人Gに対し隊列違反の集団行進の指揮が審判の対象となつて
いるとしても、同被告人においてこれを指導したものではないから、原判決には法
令適用の誤りないし事実誤認がある、というのである。
 しかしながら、原判決挙示の関係証拠によれば、被告人Gは原判示のように昭和
四〇年一一月五日I公園J門からa交差点付近に至る道路上において約一〇列の学
生隊列の先頭列外に位置し、両手を振つて手招きをし、号笛を吹き後向きあるいは
前向きとなつて約一〇列での行進を指揮誘導したことか明らかであつて、同被告人
か指示して隊列を右のように約一〇列にしたものてはないにしても、右集団行進の
指揮誘導者として隊列を正常に復すべき義務があつたのであり、かつ同被告人の指
導によつてそのことは可能であつたのに、これを怠ったというよりはむしろこれを
容認、利用し、右隊列の先頭列外にあつて前記のように集団行進を行なわせたもの
であるから、隊列違反を指導した責任を免れるものではない。してみれば、原判決
の認定は正当であつて、さらに一件記録および証拠物を検討しても、原判決の認定
に判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認ないし法令の適用の誤りがあるとは
いえない。それゆえ、論旨は理由がない。
 控訴趣意第四の三の(三)―一一・五事件(被告人G、同K、同L)―につい
て。
 論旨は、一一・五事件(原判示罪となるべき事実(四))に関する被告人G、同
K、同Lの各所為、すなわち被告人Gの隊列違反の行進の指揮誘導(同(四)
(1)の(イ))、ことさらな停滞の指揮(同(四)の(1)のロ)、同Kのこと
さらなすわり込み(同(四)(1)の(ハ))、ことさらな停滞(同(四)の
(1)の(ニ))の指揮および同Lのことさらなすわり込み(同(四)の(2))
の指揮等は、その時間、場所、態様等を考えると、交通秩序をみだす度合はきわめ
て少なく、いずれも実質的違法性ないし可罰的違法性を欠くにもかかわらず、有罪
を認定した原判決には法令適用の誤りがある、というのである。
 しかしながら、原判示のように集団行進に参加した約九〇〇名の学生は、当日午
後七時ころI公園J門を約一〇列の隊列を組んで出発してから、都市中心の重要な
街路上において警察官の規制にあつて激しいもみ合いをし、東京家庭裁判所角交差
点付近でことさらに停滞し、その後七列ないし一〇列位の隊列で行進し、さらには
五、六列位となり、警察官と衝突してもみ合い、さらに歩道上あるいは車道上を行
進して参議院議員面会所前に到着し、午後七時四七分ころから午後七時五七分ころ
までことさらにすわり込んだものであるが、被告人Gはその間I公園J門からa交
差点に至る道路上において約一〇列でのかけ足行進を指揮し、また東京家庭裁判所
角交差点においてことさらな停滞を指揮し、同Kは右の参議院議員面会所前でのこ
とさらなすわり込みを指揮し、さらに午後八時三七分ころ参議院議員会館横道路上
に停滞していた学生集団を参議院の方向に反転させ、原判示のように右集団を前記
議員面会所の方へ誘導し、ことさらな停滞を継続するように指揮したものであつ
て、被告人らの右の各所為が集団による表現活動として欠くべからざるものである
とは認めがたい反面、右のような集団行動の参加人員、日時、場所、規模態様等に
かんがみれば、被告人Gの右隊列違反の行進および停滞の指揮、同Kの右すわり込
み、停滞の指揮など被告人らの各所為が著しく交通の秩序をみだし、都民等の社会
生活にも重要な障害を及ぼすおそれがあると認められることは前に説示したところ
がらも明らかであつて、集団行動としての相当な範囲を逸脱したものと認めるべき
であるから、違法性を欠くか、あるいはそれがきわめて軽微であつて可罰的違法性
を欠くものとはいいえない。また、被告人Lは、同日午後七時四七分ころから午後
七時五七分ころまでの間、学生集団とともに本件集団行進に参加したM組合員約二
〇〇名が参議院議員面会所通路にことさらにすわり込んだ際、右面会所前道路(車
道)でことさらなすわり込みを指揮したものであつて、これもまた前と全く同様の
理由により違法性そのものないしは可罰的違法性を欠くものとはいえない。それゆ
え、論旨はすべて理由がない。
 控訴趣意第四の四―一一・九事件(被告人K)―について。
 論旨は、警察官による事前折衝は強圧的・威圧的で代決権限の範囲をこえて行な
われたものであり、かつ集団行動に対する警察官の実力規制は濫用にわたり公訴権
の濫用があり、また「かけ足行進」は概念として明確でないうえに、かけ足行進に
よつて交通障害を惹起する可能性はなく、本件において交通障害を惹起したことの
証明もない。さらに、被告人Kが原判決認定の条件違反の行為を指導したことを認
める適法な証拠はないのであるから、有罪を認定した原判決には事実誤認がある、
というのである。
 しかしながら、一一・九事件について原判決の挙示する関係証拠によれば、所論
の事前折衝について原判決の認定判断するところは正当であつて、本件の事前折衝
が特に強要的・威圧的であつたとは認められず、また係官は公安委員会の方針に従
つて折衝に当たつたものであり、別段そこに権限を越えた行為かあつたものとも認
められない。所論はまた警察官の実力行使が濫用にわたつているから公訴権の濫用
てあるとも主張しているが、かりに警察官の本件における実力規制か所論のように
度を過ぎたものであつたとしても、条件に違反する行為を指揮した者に対する公訴
提起がそのために公訴権の濫用になるという所論は理解に苦しむところであって、
とうてい採用しがたい。次に、所論はことさらなかけ足行進によつて交通障害を惹
起する可能性はなく、現に本件においてもこれを惹起したことの判示または証明が
ない、とも主張する。しかし、交通秩序維持に関する条件としての「ことさらなか
け足行進」の禁止に合理的な根拠があることについてはすでに弁護人の控訴趣意第
三の三の(二)に対する判断の中て説示したとおりであるし、その違反は別に交通
障害の実害を発生しなければ処罰の対象とならないものではない。そして、原判決
は本件においてことさらなかけ足行進の行なわれた場所、日時、その態様などを証
拠に基づき具体的に判示しているのであつて、これによれば本件のかけ足行進が交
通秩序を乱し、一般市民の社会生活にも少なからざる支障を及ぼすおそれの現に存
するものであつたことはおのずから明らかであるから、この点の主張も採用するこ
とができない。なお、被告人Kが原判決認定の条件違反行為を指揮誘導し九ことは
原判決挙示の証拠によつて十分に認められるところであり、一件記録を調査して
も、右証拠が証拠能力を欠く違法なものであるとは認められず、また、一件記録、
証拠物および当審における事実取調の結果に徴してもこの点につき事実誤認を疑わ
せるに足りるものはない。
 それゆえ、論旨はいずれも理由がない。
 控訴趣意第四の五―一一・一一事件(被告人D)―について。
 論旨は、原判決は、被告人Dか指揮した集団示威運動は当日許可を得ていたN委
員くム主催の集団示威運動とは別個独立のものであると判示するが、これは著しく
事実を誤認し、法令の適用を誤つたものである、というのである。
 しかしながら、原判決挙示の証拠によれば、本件示威運動は許可を受けたN委員
会主催の集団示威運動を終つたのち、許可を受けない一部の参加団体が解散するこ
となく独自の行動として許可の内容とは逆の進路をとつて示威行進を始めたもの
で、原判示のように右の許可された行動の一環とはいいえない別個独立のものであ
ると認めるのが相当である。そして一件記録および証拠物を検討しても、この点に
関する原判決の認定に事実誤認を疑わせるものはない。それゆえ、論旨は理由がな
い。
 控訴趣意第四の六―一一・一二事件(被告人O)―について。
 論旨は、本件集団行進に付された「行進隊形は五列縦隊とすること」との許可条
件が、かりに合憲であるとしても、本件集団行動の目的、意義、場所、区間、時
間、交通阻害の状況などからして被告人Oの行為には可罰的違法性がないから、原
判決には法令適用の誤りがある、というのである。
 しかしながら、被告人Oが、原判示の日時(午後四時三分から四時一一分ころま
で)、首都中心部の街路上において行なわれた学生てい団約六〇〇名の隊列五列を
こえる約一〇列の集団行進に際してその隊列違反を指揮誘導した所為は、五列でな
く一〇列の隊列をとることが表現活動のうえで有する意義と右日時場所において約
六〇〇名の集団が基本隊列の二倍にあたる約一〇列となつて行進したことが著しく
交通を阻害し、都民等の社会生活の利益に重要な障害をもたらすおそれがあつたも
のであることを彼此較量すれば、集団行動としての相当性の範囲を逸脱したもので
あり、被害法益の大きさとの関連においてきわめて軽微な違法性を有するにすぎな
いものとして可罰的違法性を欠如するものとは解しえない。したがつて、原判決が
被告人Oの本件所為について可罰的違法性を認め、都公安条例違反罪が成立すると
したのは正当であつて、法令の解釈適用に誤りがあるとはいえない。それゆえ、論
旨は理由がない。
 (被告人らの控訴趣意に対する判断)
 論旨は、原判決は基本的に矛盾にみち、公正をよそおいながら一方の側に立つも
のであつて、不当な日韓条約批准に反対する被告人らの実力闘争の正当性を認めな
い原判決には事実誤認ないし法令適用の誤りがある、というのである。
 しかしながら、原判決挙示の関係証拠によれば原判示事実を認定することがで
き、一件記録および証拠物を検討し、当審における事実取調の結果に照らしても、
原判決に所論のような判決に影響を及ぼすことが明らかな事案誤認を疑わせるに足
りるものはない。所論指摘の原判決が事件の背景として判示する部分も、被告人ら
が本件集団行動を行なうに至つた経緯を客観的に叙述したものであり、原判決が一
方の側に立つて不公正な判断を示したものてないことは判文自体からみてもまた記
録に徴しても明らかである。また、所論は被告人らの実力闘争は全く正当てあつた
と主張するのであるが、憲法によつて保障された集団行動の自由はもとより十分に
尊重されなければならないけれども、その権利行使は無制限に許されるものでな
く、その手段方法が社会通念上相当な範囲を逸脱した場合に違法とされる場合のあ
ることは、その権利の内在的制約としてこれを認めなくてはならない。そして、そ
の違法性の有無は当該集団行動について個々具体的な検討をまたねばならないとこ
ろであるが、この点に関する判断は弁護人の控訴趣意に対する判断の中ですでに示
したとおりであるから、ここに改めて繰り返さない。
 これを要するに、原判決には所論の事実誤認ないし法令適用の誤りはなく、論旨
はその理由なきに帰する。
 (検察官の控訴趣意に対する判断)
 論旨は、原判決は、都公安委員会か昭和四〇年一〇月一五日夜および同年一一月
五日の国会請願のための集団行進を許可するに際し「秩序保持に関する事項の4」
として付した「放歌、合唱、かけ声、シユプレツヒ・コール等、示威にわたる言動
は行なわないこと。」という条件は違法・無効であるから被告人D、同E、同F、
同Kが合唱、シユプレツヒ・コールを指導した行為は罪とならない旨判断している
が、右判断は明らかに法令の解釈適用を誤つたものである、というのである。
 そこで考えてみるのに、都公安条例一条・二条をみると、同条例は集団行進と集
団示威運動とを区別し、これらを行なおうとする者はそれぞれ別個に東京都公安委
員会の許可を受くべきものとしている。そして、このうち、集団行進とは多数の者
が一定の目的をもつて集団として行進することをいうのに対し、集団示威運動とは
多数の者が一定の目的をもつて公衆に対し気勢を示す集団としての行動であるとい
うことができる。したがつて、集団示威運動の形態は必ずしも行進てあるとは限ら
ないが、行進の形態をとる場合が多いこともみやすいところである。そこで問題
は、集団示威運動が行進の形態で行なわれた場合の集団行進との区別てあるが、多
数の者が集団として行進すること自体に必然に伴う示威的作用は別として、公衆に
対し気勢を示す示威的行動を伴うものが集団示威運動であり、これを伴わないもの
が集団行進にあたると解すべきである。そうしてみると、この二者を区別し、それ
ぞれ別個の許可の対象としている都公安条例のもとにおいては、集団行進の許可を
受けているにすぎない者は集団示威運動の性質をもつ行為を行なつてはならないの
であり、もしこれを行えばそれはまさしく許可申請をせず許可を受けないで集団示
威運動を行なつたことになるといわなければならない。
 <要旨第三>ところで、ここで問題となっている一〇月一五日夜、一一月五日の各
集団行進については、許可にあたり前記のように「放歌、合唱、かけ
声、シユプレツヒ・コール等、示威にわたる言動は行なわないこと。」という条件
が付されている。これは、民法でいう条件とは異なり、行政行為てある許可処分に
あたり、その付款として、相手方に対しこれに伴う特別の義務を命ずる意思表示た
る講学上のいわゆる負担たる性質を有するものてあること前にも述べたとおりであ
るが、前記のように、集団行動の許可は受けたが集団示威運動の許可を受けていな
い者は、すでに右条例の規定上当然に示威にわたる言動を行なつてはならない義務
を負つているのであるから、これに対し重ねてかような言動をしないことを命ずる
ことは法的に無意味であり、したがつてそれは厳密には法的効力を有する条件(負
担)ではなく、単に条例の規定の遵守を促す注意事項以上の性質をもつものではな
いと解するのが相当である。
 もつとも、集団行進に参加した者の中に右のような示威的言動に出た者があつた
としても、それが集団としての行為とみる程度に達しないときは、まだ集団示威運
動が行なわれたということはできず、一部にもせよそれが集団の行動と目される程
度に至つてはじめてその行為が集団示威運動に転化すると考うべきであるから、そ
の程度に達しない場合を規制するためこの条件に意味があるという考え方もあるか
もしれない。しかし、都公安条例は集会、集団行進、集団示威運動を通じ、集団的
行動なるがゆえにこれをその対象としているのであつて、個々人の行為の規制を目
的としたものではない。もた、個々人の行為ならば特に条例をもつて規制する実質
的理由に乏しいのである。かように考えると、前記条件にいう「放歌、合唱、かけ
声、シユプレツヒ・コール等、示威にわたる言動」というのは、その人数の多寡は
ともかく、いずれにしても集団的行動としてなされるものを指していると解すべき
ものであり、このことは検察官の控訴趣意も認めているところである。そうする
と、この条件で禁せられている行為をすることは、前述のとおりすべて集団示威運
動に該当するというほかはない。
 これを本件についてみるに、被告人D、同Eは、一〇月一五日夜の集団行進にお
いて、参議院議員面会所前にすわりこんだ多数の学生らが「日韓条約粉砕」「実力
で阻止するぞ」「ポリ公帰れ」等のシユプレヒコール、あるいは「インターナシヨ
ナル」「がんばろう」の合唱をした際その音頭をとつて指導したというのであり、
被告人Fは、同夜の集団行進において、前同所にすわり込んだ約二五〇名の社青同
員が「日韓条約粉砕」「実力で粉砕しよう」「最後までがんばろう」等のシユプレ
ヒコールをした際、その音頭をとつてこれを指導したというのであり、被告人K
は、一一月五日の集団行進において、参議院議員面会所前にすわりこんだ多数の学
生らが、「日韓条約粉砕」「日韓強行採決反対」「われわれは最後まで闘うぞ」等
のシユプレヒコールをした際、右シユプレヒコールの音頭をとつてこれを指導した
というのてあるから、右の学生らおよび社青同員が右のようにシユプレヒコールま
たは合唱した行為は、その限りにおいて集団示威運動にあたるといわざるをえな
い。そうであるとすれば、被告人D、同E、同F、同Kの前記行為は、これを無許
可の集団示威運動の指導として論ずるのは格別、集団行進につき付せられた前記条
件の違反行為の指導として処罰することはできない筋合いである。
 それゆえ、原判決がこれらの行為を罪とならないものとしたのは結局その点にお
いて正当であり、法令の解釈適用に誤りがないことになるから、論旨は理由かない
といわざるをえない。
 (むすび)
 以上の次第で、本件各控訴は刑訴法三九六条によりいずれもこれを棄却すること
とし、当審における訴訟費用を被告人らに負担させないことにつき同法一八一条一
項但書を適用して、主文のように判決をする。
 (裁判長裁判官 中野次雄 裁判官 藤野英一 裁判官 粕谷俊治)

戻る



採用情報


弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
[email protected]
採用担当宛