弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主     文
1 被告が,原告に対し,平成3年4月19日付けでした労働者災害補償保険法
による遺族補償年金の不支給処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
   主文同旨
第2 事案の概要
 本件は,原告の夫であるAが死亡したのは,Aが勤務していた会社の上司か
ら,保険契約獲得のノルマ達成を迫られ,精神的・肉体的に過重な負荷を強いられ
たことによるものであるから,業務に起因するものであるにもかかわらず,原告の
被告に対する労働者災害補償保険法に基づく遺族補償年金の支給請求に対し,被告
が業務に起因することが明らかな疾病により死亡したものとは認められないとの理
由で不支給処分をしたことは違法であるとして,原告が,被告に対し,同不支給処
分の取消しを求めた事案である。
1 争いのない事実等
 (1) 原告は,Aの妻である。
 (2) Aは,死亡前,住友生命保険相互会社(以下「住友生命」という。)の職
員として,生命保険契約の募集業務に従事していた。
 (3) Aは,昭和61年9月1日,業務中のバイク事故(以下「本件バイク事
故」という。)により,右脛骨々幹骨折等の傷害を負い,B整形外科に入院した。
 (4) Aは,外泊許可を得て帰宅中の昭和61年12月31日午前2時ころ,自
宅で,突然うめき声を上げ,同日午前2時45分ころ,a中央病院において死亡し
た(死亡診断書上の死因は急性心不全である。)。
 (5) 原告は,被告に対し,労働者災害補償保険法に基づき,遺族補償年金の支
給を請求したが,被告は,平成3年4月19日付けで不支給の処分をした(以下
「本件処分」という。)。
   原告は,これを不服として,岡山労働者災害補償保険審査官に対し,審査
請求をしたが,平成6年3月14日付けで上記審査請求は棄却された。
   原告は,労働保険審査会に対し,再審査請求をしたが,平成9年7月9日
付けで上記再審査請求の棄却の裁決がされた。
 2 主たる争点
   Aの死亡が業務に起因するものか否か(業務起因性の有無)。
  (1) 原告の主張
   ア Aは,保険外交員として住友生命から厳しいノルマが課せられており,
入院中でも,保険外交員独自の給与システムのため,保険契約を獲得しないと生活
できるだけの基本給が支給されないため,本件バイク事故で入院中であるにもかか
わらず,営業活動をせざるを得なかった。
     また,住友生命では,営業所ごとのノルマがあり,Aは,入院中でも上
司であるCから,電話により厳しく契約獲得を迫られていた。
   イ Aは,死亡した日の前日である昭和61年12月30日には,本件バイ
ク事故による傷害のため,まだ自由に歩行できる状態ではなく,病院から外泊許可
が得られたにすぎなかったにもかかわらず,Cから保険契約獲得を迫られたため,
6時間もの間,無理を押して松葉杖をついてカレンダー配布業務に従事し,日常業
務に比して肉体的にも精神的にも過重な負担を伴う業務に就労した。
     Aは,格別な基礎疾患を有しておらず,上記業務以外に心筋梗塞を発症
する原因はないのであるから,Aの業務と心筋梗塞による死亡との間には相当因果
関係がある。
   ウ Aの死亡原因は,心筋梗塞であり,この点については労働保険審査会も
認めているのであって,業務とAの死亡との間に条件関係がある。
     被告は,Aの死亡診断書記載の死因が急性心不全であることから,条件
関係を否定するが,急性死においては,犯罪が疑われるなどの事情がない限り解剖
等の死因を確定するための措置がとられないことが多いため,死亡診断書の死因に
急性心不全と記載されることがしばしばある。
     確かに,急性心不全は疾患名ではなく,その原因となる心疾患等が存す
るのであるが,急性心不全が疾患名でないことを理由に,急性心不全と診断された
場合は,一律に労働者災害補償保険(以下「労災」という。)の認定が拒否される
とするならば,解剖等,死因確定の措置がとられなかったという遺族に責任のない
事情により遺族に不利益を課すことになって妥当ではなく,現に労働省労働基準局
長から都道府県労働基準局長に宛てた通達の中でも,急性心不全の場合は本省にり
ん伺することとされている。
     したがって,Aの死亡診断書上の死因が急性心不全であったとしても,
条件関係は否定されない。
   エ そして,労災制度の趣旨は,被災者とその家族の生活保障にあり,多数
の原因・条件が重なって疾病が生じる場合の労働者の保護・救済を目的とすること
からすれば,業務と関連性を有しない基礎疾患等が原因となった場合でも,業務が
基礎疾患などを誘発又は増悪させて発症時期を早めるなど,基礎疾患等と共働原因
となって発症の結果を招いたと認められれば,相当因果関係は肯定されるべきであ
る(共働原因論)。
     これに対し,被告は,相当因果関係の判断基準として客観的相対的有力
原因説を主張するが,このような考え方は,①あらゆる職場において脳・心疾患に
よる過労死が多発している現状を無視し,労働者の保護・救済という上記労災制度
の趣旨に逆行するものであるし,②そもそも業務と他の共働原因が質的に異なる場
合は比較が不可能となり成り立ち得ない考え方であり,③基礎疾病の増悪は業務と
密接に関連する場合がほとんどであり,これを別個独立の要因として分離し,疾病
発症との関係で比較対照すべきではなく,④災害に該当する事実の介在を要求する
ことは,漸進的に長期間にわたり生起・作用する疾病の原因について起因性を否定
するもので,妥当ではないし,また,⑤多くの労働者が何らかの疾病を有しながら
も働かざるを得ない現状及び上記労災制度の趣旨からすれば,被告の主張する客観
的相対的有力原因説は一般通常人を基準とする点で妥当ではなく,当該労働者を基
準とすべきである。
     なお,脳・心疾患の業務上の立証の困難性,上記労災制度の趣旨,当事
者間の公平から,業務起因性の立証責任は被告側にあり,仮に原告側にあるとして
も,業務起因性について蓋然性さえ立証できれば,被告が業務起因性の不存在につ
いて反証できない限り,業務起因性を肯定すべきである。
  (2) 被告の主張
   ア Aの入院中の全身状態は良好であり,昭和61年12月30日当時は,
外泊許可を得るまでに回復していたし,Aは,同日以前から,しばしば外出,外
泊,院内歩行をしていたのであるから,5時間ほどの短時間のカレンダー配布が過
重な業務になることはない。
     また,Aは,死亡前4か月の間,入院していたのであるから,過重な業
務が死亡前に継続していたとはいえない。
     Aは,発症前日に業務に関連して異常な出来事に遭遇した事実はなく,
前記のとおり,日常業務に比較して特に過重な業務に就労した事実や発症前1週間
も過重な業務が継続していた事実もない。    
イ ところで,Aの死亡は急性心不全と診断されており,心臓機能停止を惹
起した原因疾病は不明であって,業務とAの死亡との間には条件関係がない。
ウ また,労災制度は,労務提供の過程で当該業務に内在する危険が現実化
し,そのために労働者が負傷し又は疾病にかかった場合に,使用者に対し,過失の
有無を問わず,その危険についての負担と労働者の損失を補償させるものであり,
危険責任の法理によるものである。
     したがって,業務起因性の判断基準については,当該業務が当該疾病に
対して相対的に有力な原因となっているか否か,すなわち,当該業務が当該傷病を
発症させ得る有害因子・危険を包含するものか否かは,客観的に他の事案に当ては
めて発症の原因になるであろうという事実が肯定されて初めて,かかる有害因子・
危険を内包する業務と当該傷病との間の因果関係があると判断すべきである(客観
的相対的有力原因説)。
     具体的には,労働生理衛生学の成果をも含めた最新・最高水準の医学的
知見である脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する専門家会議により検討された
「過重負荷による脳血管疾患及び虚血性心疾患等の取扱いに関する報告書」に依拠
した労働省労働基準局長の行政通達の認定基準(昭和62年10月26日付け基発
第620号「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」)によるのが合
理的である。
     これによれば,①a発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な
出来事に遭遇したこと,又は,b日常業務に比較して特に過重な業務に就労したこ
とのいずれかの業務による明らかな過重負荷を発症前に受けたこと,②過重負荷を
受けてから症状の出現までの時間的経過が医学上妥当なものであることが必要であ
る。前記①bについては,発症直前から前日までの間の業務が特に過重であると客
観的に認められるか,あるいは発症前1週間以内に過重な業務が継続している必要
があり,特に過重な業務とは,当該労働者の通常の所定業務と比較して,特に過重
な精神的・身体的負荷であることが,医学的に血管病変等の急激で激しい増悪の要
因と認められること,すなわち当該労働者のみならず同僚労働者又は同種労働者に
とっても,特に過重な精神的・身体的負荷と認められる業務をいう。
     なお,業務起因性の立証責任は原告にある。
   エ 以上からすると,Aの急性心不全の原因疾病発症は,業務に内在する有
害因子・危険が現実化したものとはいえず,当該業務が原因疾病発生の相対的に有
力な原因であるとはいえないから,業務とAの死亡との間には相当因果関係は認め
られない。
第3 当裁判所の判断
 1 前記第2,1の争いのない事実,証拠(甲1ないし7,9,12,13,2
1,22,24ないし27,31,32,36,41ないし43,45ないし4
8,平成9年(ワ)第1203号事件の甲3,5ないし13,15,18,19,乙
1,2,4,5,10ないし12,19ないし21,丙1ないし9〔枝番を含
む。〕,証人C,同D,同E,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実
が認められる。
  (1) Aは,昭和19年5月7日生まれで,身長は169.8センチメートル,
体重は59.0キログラムの男性であり,晩酌はしないが,職場行事等で飲酒する
ことはあり,家庭内では喫煙しないが,入院先等ではしていた。
    Aは,17歳のころに肺浸潤と診断されたことがあるが,昭和61年ころ
は,血圧等に異常はなく,その他基礎疾患等の有無について明らかにする資料はな
いが,妻である原告を含む周囲の者から,その健康状態に格別異常はないと見られ
ていた。
  (2) Aの住友生命における地位等
   ア Aは,従前,住友重機興産で損害保険に関する仕事をしていたところ,
住友生命岡山支社a中央支所の出張所所長のDの勧誘により,昭和61年2月こ
ろ,即営業職員(住友生命においては,「個人営業職員」が「即営業職員」と「一
般営業職員」に分れている。)として住友生命に入社し(なお,Aの住友生命にお
ける営業職員としての資格は,同年2月は研修所見習いであり,同年3月ころから
は研修職員,同年8月からは営業主任補であった。),同支所ではDの下部職員で
はなく,同支所直属の営業職員として,生命保険契約の募集業務に従事していた。
また,当時の同支所長はCであった。
     Aは,当初幹部候補生である特別研修生として住友生命に入社する予定
であったが,特別研修生は,東京で3か月間の研修が必要となるので,Aは,原告
ら家族が岡山にいることもあり,それを辞退して,即営業職員として入社したもの
である。
     なお,Aは,住友生命から,以下のとおりの給与を受領していた(かっ
こ内の数は,その月にAが獲得した保険契約件数である。)。
      昭和61年2月分        3万7500円
         同年3月分( 6件)  11万5000円
         同年4月分(14件)  10万8484円
         同年5月分(14件)  23万7890円
         同年6月分( 6件)  24万5601円
         同年7月分( 6件)  15万7104円
         同年8月分( 7件)  14万1208円
   イ 住友生命において,即営業職員は,一般営業職員と労働条件等において
同じであるが,入社後7回目の査定の前月まで,12万円の給与の保障がある(原
則は,本給2万円に,保険契約の獲得件数等によって,各種手当が加算され
る。)。なお,住友生命における査定は,毎年5月,8月,11月及び2月に行わ
れ,前3か月間の業務成績等により査定されるので,Aは,昭和62年7月まで,
上記給与が保障されていた。
     ところで,住友生命における個人営業職員の資格区分は,研修職員,営
業主任補,1級職員補,2級職員,1級職員,専修職員,営業副主任,営業主任及
び特別営業主任がある。そして,営業主任補は,入社後第2,3又は4回目の査定
時において,前3か月間の通算獲得保険件数が6又は7件以上,月平均査定成績が
600万以上あること,新規獲得保険契約のない月が2回以上ないことなどの基準
を満たした場合に任用され,この基準をその後の査定時において満たしていなけれ
ば資格を失うことになる。
     また,住友生命においては,一般に営業職員には失業保険がないと考え
られており,また,2か月連続して保険契約を獲得しなければ,退職扱いとなる。
   ウ 住友生命において,営業職員が,業務上災害等により,30日以上休業
し,復職後十分な活動が見込まれる場合は,復職後,その業務上災害直前の3か月
間の月平均を参考にした給与の保障及び休業開始時の資格の保障がされ,この保障
期間は,勤続年数が6か月以上の者で,6か月間である。
     また,労災が適用される場合には,住友生命が休業補償立替払金を支払
い,その額は,約8割が労災により支給される額であり,差額は住友生命が負担す
る。
     さらに,労災休業中の営業職員には,2か月連続して保険契約を獲得し
なければ退職扱いとなる制度は,適用されない。
     なお,住友生命において,営業職員が業務上の災害等により業務を行う
ことができない場合に,労災による休業補償又は住友生命の上記給与保障がされて
いるとき,当該営業職員において獲得された保険契約は,当該営業職員の復職後の
査定の成績になる可能性はあるが,当該月の給与に反映されることはないと考えら
れていた。
   エ 住友生命において,営業職員は,顧客に対する挨拶又は新規保険契約者
に対するサービス品として配るため,翌年のカレンダーを,その年の夏ころに自費
で注文し,年末ころから配り始めるのが慣習になっていた。
  (3) Aの入院中の行動
   ア 昭和61年9月1日,Aは,業務中に発生した本件バイク事故により,
右脛骨々幹骨折等の傷害を負い,B整形外科に入院し,右大腿部から足にかけてギ
プス処置を受けた。
     同年9月24日ころ,Cは,Aの代理人として,Aが交渉をしていた顧
客から保険契約を1件獲得した。
     同年10月ころから,Aは,病室に名簿・地図・文具・手帳などを持ち
込み,保険契約の獲得活動を始め,松葉杖で病院内の病室を廻ったり,病院を外出
して市営住宅を廻ったり,病院近くで行われた運動会に行った。
     同年11月15日に,Aは,病院で同室のFから保険契約を獲得し,同
月25日に,病院近くの会社に務めていたGから保険契約を獲得した。なお,この
ころまでに,Aは松葉杖をついての歩行に習熟していた。
     同月26日,Aは,骨折が治療されていないところがあるため,右腸骨
移植手術を受け,また,医師から,さらに3か月の入院が必要である旨告げられ
た。
     同年12月5日,Aは,ギプス切割及び抜糸を受け,同月12日ころか
ら,松葉杖をついて歩くことが可能となった。
     同月24日,Aが入院中に出した手紙を見た者が,住友生命岡山支社a
中央支所に対し,Aを指名して,保険契約を締結しようとしたところ,Aが入院中
であることから,他の従業員が,Aの代理として,保険契約を獲得するということ
が2件あった。
     同月25日ころ,原告らが,Aを見舞うために,病室に来ていたとき,
住友生命岡山支社a中央支所からAに電話があり,その後病室に戻ったAは,持っ
ていた松葉杖を床に投げつけ,「訳の分からないことを言う。」などとつぶやき,
うつむいて黙ってしまったことがあった。
     同月26日,Aは,A本人及び原告を保険契約者とする2件の自己契約
をした。
     同月27日,Aは,病院を外出して,知人のいる会社等を訪問した。
     同月28日,Aは,病室で年賀状を200枚書き,投函した。
   イ Aは,前記アの入院中,昼間によく病院を外出し,また,病院には,住
友生命岡山支社a中央支所から,Aに対して,頻繁に電話がかかってきていた。
     Aが上記入院中に獲得した保険契約は,住友生命岡山支社a中央支所
で,Cが決裁等をしていた。
     なお,Aは,来年になると保険がなくなる等と入院中の患者に話をして
いた。
   ウ Aは,住友生命から休業補償立替払金の支払いを受け,以下のとおり,
Cから病室で受領していた。
       10月24日  19万1077円( 9月2日から30日分)
               19万0343円(10月1日から31日分)
       11月25日  19万0710円(11月1日から30日分)
       12月24日  19万7067円(12月1日から31日分)
     また,B整形外科におけるAの治療費は,労災から支給されていた。
     なお,Cは,上記の日以外にも,月に2,3回,Aのところに来てい
た。
   エ Aの入院中に行われた血液検査の結果は,以下のとおりである(単位
は,mg/dlである。)。
││基準値│9月2日採血│11月21日採血│12月26
日採血│
│総コレステ│130-230│202│241│266

│ロール値│││││
│中性脂肪値│50-160│110│174│210

│尿酸値│3.0-7.0│5.5│7.9│9.1

  (4) Aの昭和61年12月30日の行動
   ア Aは,医師から,松葉杖をついての歩行で,右足への部分荷重も可能と
の指示で,同年12月30日から昭和62年1月3日まで,年末年始の外泊許可を
得た。
     原告は,昭和61年12月30日午後2時ころ,自動車でAが入院して
いる病院に到着した。そのときAはすでに準備をして待っており,Aは,原告が運
転する自動車で,5分ほどのところにある住友生命岡山支社a中央支所の事務所に
行き,Aは,同年夏ころ注文していた配布用のカレンダーを受け取った。
   イ その後,Aは,原告が運転する自動車で,約5ないし6時間かけて,4
1ないし48軒の顧客宅を廻り,カレンダーを配布した。
     その間,Aは,原告が運転する自動車で移動したが,自動車が入れない
ところでは,松葉杖をついて歩いて移動し,原告は自動車内で待っていた。原告が
Aを手伝ったのは,後述の23度の勾配の坂道があるところの1か所だけである。
なお,Aは,途中2回ほど転倒したこともあった。
     Aが松葉杖をついて歩いたところは,片道40メートルを超えるところ
が10軒あり,そのうち片道70メートル,76メートル,120メートルのとこ
ろもあった。また,23度の勾配の坂道や,アパートの3階(32段の階段)や4
階(46段の階段)のところもあった。
     Aは,知人のところに向かう途中で,その知人と知り合いであるAの同
僚とすれ違った際,原告に対して,先を越されたかな等と言った。その後,Aは,
1件保険契約を昭和62年1月4日に締結する約束を取り付け,それから後は,カ
レンダーを各顧客宅のポストに入れるのみで面談をせずに済ませた。
     なお,当日の日の入り時刻は,午後5時4分ころである。
     そして,Aは,配るべきところを数件残したところで,自宅へ帰ること
にし,その途中で,原告に対して,「田舎に帰ってもいいな。」等とぽつりと言っ
た。
   ウ 同日午後8時30分ころ,A及び原告は帰宅し,食事,風呂などを済ま
せた後,原告は疲れて寝てしまい,目を覚ましたとき,まだ起きていたAは,子供
をこたつで寝かさない方がいいと言って,二女のHを原告に引き渡したとき,突
然,ウーといううめき声を上げ,前屈みになり苦しそうに手を胸に当てて倒れた。
     原告は,すぐに救急車を呼んだが,救急隊が駆けつけたときにはすで
に,Aの意識はなく,心停止・呼吸停止の状態であった。
     その後,Aは,a中央病院に運ばれ,同月31日午前2時45分ころ,
急性心不全により死亡と診断された。
 2 そこで,以上認定した事実をもとにAの死亡が業務に起因するものか否か
(業務起因性の有無)について検討する。
  (1)ア Aは,昭和61年9月1日,本件バイク事故により,右脛骨々幹骨折等
の傷害を負い,入院し,右大腿部から足にかけてギプス処置を受け,骨折が治療さ
れていないところがあるため,同年11月26日に,さらに右腸骨移植手術を受
け,同年12月30日ころ,松葉杖をついての歩行で,右足への部分荷重が可能と
なったのであるから,上記入院中は,安静にして,治療に専念しなければならなか
った。
     しかし,Aは,上記入院中も,病院内の病室を廻ったり,病院を外出し
て,住友生命の保険募集業務を行っていたことが認められる。
     この点,住友生命において,業務上の災害により欠勤する者に対して
は,給与は支給されないが,休業補償立替払金が支給され(Aも入院中,現金で受
領している。),また,休業前の給与額及び資格は,復職後も保障されており,さ
らに,2か月間連続で獲得保険契約件数がなくても,退職扱いになる制度は適用さ
れなかった。しかも,住友生命の営業職員が休業中に新規保険契約を獲得しても,
休業補償立替払金の額が上がるわけでもなかった。
     それにもかかわらず,Aは,未だ松葉杖をついて右足に荷重がかからな
いようにしなければならない状態で,保険募集業務を行い,新規保険契約の獲得ま
でしており,また,上記休業補償立替払金の収入しかないにもかかわらず,資格が
保障されている入院中に,A本人及び原告を保険契約者とする自己契約を同時に2
件もしており,さらに,入院中,Aは,来年になれば保険がなくなる等と言ってい
たことからすれば,Aは,住友生命において営業職員が長期休業した場合の給与及
び資格の保障の制度等を知らなかったと推測される。
     そして,Cは,月に2ないし3回,Aの見舞いに行き,かつ,Aが獲得
した契約の決裁をしていたものの,Aに対し,上記制度があることを具体的に告げ
ていなかったと認められる。
     これらの事実に加えて,Aは,上記のとおり,保険募集業務を行い,新
規保険契約を獲得し,自己契約までしていること,同年12月には同月30日以前
から病院を外出し,顧客訪問ができていたのであるから,40軒以上のカレンダー
配布を1日にまとめて行うのではなく,それ以前から行っておけばよいのに,それ
をしないで,年末である12月30日に新規保険契約獲得を目的にカレンダーを配
布していること,Aの入院中,C又はその指示を受けた住友生命の従業員が,頻繁
に入院中のAに電話をかけていたこと,同月25日ころ,Aが,住友生命からの電
話の後,「訳の分からないことを言う。」などと言い,電話相手の発言に怒りを示
したと認められることからすれば,Aが上記一連の営業活動を行っていたのは,自
らの営業成績を上げて高い収入を得ようとしたことがあるとしても,それより上司
であるCの指示による業務と認められる。
   イ(ア) 本件カレンダー配布業務は,午後2時30分ころから午後8時30
分ころまで行われ,当日の日の入り時刻が午後5時ころであることから,そのうち
約3時間は,日が暮れてから行われたものである。また,当日は12月30日とい
う冬季であり,Aは,40軒以上もの顧客宅を廻るために暖かい自動車内と寒い屋
外の出入りを繰り返したことになる。さらに,通常住友生命において,営業社員
は,年末に何日かかけてカレンダーを配布するものであった。しかも,原告は,自
動車の運転だけであるが,帰宅後いつの間にか眠ってしまうほど疲れていた。
      そして,Aは,昭和61年9月1日,本件バイク事故により,右脛骨
々幹骨折等の傷害を負って,入院し,右大腿部から足にかけてギプス処置を受け,
同年11月26日には,再度手術をし,同年12月30日ころは,松葉杖をついて
の歩行で右足への部分荷重が可能となったばかりの状態であったこと,そのような
Aが歩行したところは,片道120メートルの道,23度の勾配の坂及び階段を含
み,Aは,23度の勾配の坂の部分を除き,1人で配布用のカレンダーや保険契約
獲得に必要な書類等を持って移動していたこと,カレンダー配布業務を終えて帰宅
途中,Aは,「田舎に帰ってもいいな。」とぽつりと言うほど,疲れを感じていた
と認められる。
      このように,本件カレンダー配布業務の内容は,住友生命の営業社員
の日常業務と大きく変わらないものであったといえるとしても,Aは,松葉杖をつ
いて,通常営業社員が何日かかけてする業務を短時間に,しかも厳しい条件の下で
行ったもので,Aがいかに松葉杖をついての歩行に習熟していたとはいえ,松葉杖
をつきながらの本件カレンダー配布業務は,肉体的に,日常業務の範囲を超える過
重な業務であったと認められる。
    (イ) 前記アのとおり,Aが入院中にもかかわらず,住友生命の保険募集
業務を行っていたのは,Aの独自の意思というよりはむしろ,復職後の資格及び給
与の保障がないかもしれないという不安及び住友生命の指示によるものである。
      この点,生命保険の募集業務に従事する営業社員は,獲得した保険契
約による歩合給であることなどから,通常,多かれ少なかれ精神的ストレスを負っ
ているものである。
      しかし,未だ幼い2人の子と,妻である原告を扶養しているAにとっ
て,復職後の資格及び給与が保障されないということの不安は大きいものと認めら
れるし,入院中であり松葉杖をつかなければ歩けないにもかかわらず,営業活動を
指示され,さらに,新規保険契約を獲得したにも関わらず,年末に業務を指示さ
れ,行わなければならない理不尽さに対する憤まんの情も大きいものと認められる
から,Aの負っている精神的ストレスは,通常の営業社員よりも過大なものであっ
たと認めることができる。
   ウ 小括
     以上より,Aは,住友生命の営業社員の通常の所定業務と比較して,業
務として,過大な精神的ストレスを負っており,かつ,過重なカレンダー配布を行
ったことが認められる。
 (2)ア前記1(4)ウのとおり,Aの死亡は,急性心不全と診断されているが,
急性心不全は疾患名ではなく,また,Aの死亡後解剖がされていないため,Aの死
亡の医学的原因は不明である。
     そして,医師の意見書(甲8ないし11,19ないし21,50,5
4,62,平成9年(ワ)第1203号事件の甲14ないし17,乙13,14,2
2,23)によれば,Aの死亡の医学的原因としては,心筋梗塞,肺塞栓等が考え
られるところ,心筋梗塞は,本件カレンダー配布業務と死亡との間に時間があいて
いるため,疑いが残り,労作とは関係がなく発生する冠スパスムによる心筋梗塞も
考えられるが,頻度が非常に少ないものであること,肺塞栓も,Aは,死亡のかな
り以前から松葉杖をついての歩行を開始しているため,死亡との時間的間隔から矛
盾があることなどから,Aの医学的な死因の断定的判断はできないことが認められ
る。
   イ しかし,因果関係の問題は,医学的な判断ではなく,法的な判断であ
り,必ずしも厳密に医学的な証明を要するものではないから,与えられた医学的知
見の枠組みの中で,基礎疾患の有無,程度,外傷の程度,外傷の前後の被災者の身
体的状況等を総合的に考慮して,相当因果関係があるか判断すべきである。
   ウ そこで検討するに,脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する専門家会議
による「過重負荷による脳血管疾患及び虚血性心疾患等の取扱いに関する報告書」
(乙9)によれば,虚血性心疾患の危険因子には,大因子として,高脂血症や食事
習慣,高血圧,喫煙,肥満等が,小因子として経口避妊薬や座業,性格,精神的・
社会的緊張が挙げられること,心筋梗塞の発症の時期は労作と関係することもある
が,関係がないときの方が多いこと,労作と関係ないときは,夜の安静時,就寝中
にも出現することがあること,この場合には,日中に過度の心身の負荷があったと
きがあること,季節は冬季が多い傾向にあることが認められる。
     そして,前記1(3)エのとおり,Aの入院当初の9月2日の血液検査では
通常の値を示していた総コレステロール値,中性脂肪値,尿酸値が,12月26日
には全て基準値を超え,高脂血症,高尿酸血症の状態であったことや,前記1(1)の
とおり,喫煙をすることを除けば,Aには,自然的経過により心筋梗塞を発症させ
るような特段の心疾患の病歴等を有していなかったこと,Aは,過重な精神的スト
レスの下で,本件カレンダー配布業務という過重な業務に従事した後,その約6時
間後に死亡したこと,他にAに心筋梗塞を含む心疾患を発症させる有力な原因があ
ったとは認められないことからすれば,本件カレンダー配布業務が有力な原因とな
って心筋梗塞が発症したと認めるのが自然であり,カレンダー配布業務とAの死亡
との間に相当因果関係があると認められる。
 3 結論
   以上より,Aの死亡には業務起因性が認められるから,これが認められない
として原告の労働者災害補償保険法に基づく遺族補償年金の支給請求を認めなかっ
た本件処分は違法であるから,取り消すべきである。
   したがって,原告の請求は理由があるから,認容し,訴訟費用の負担につき
行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
岡山地方裁判所第2民事部
裁判長裁判官   小野木   等
裁判官   政岡   克俊
裁判官   永野   公規

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