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○老人性痴呆症の夫を殺害した80歳の妻に対する懲役2年6か月の実刑が維持された事例
平成14年5月30日判決宣告
仙台高等裁判所 平成14年(う)第12号 殺人被告事件
(原審 青森地方裁判所八戸支部 平成13年(わ)第88号,平成13年12月26日判決宣告
               主     文
     本件控訴を棄却する。
               理     由
第1 本件控訴の趣意は,主任弁護人浅石紘爾作成の控訴趣意書に記載のとおりであるから,これ
  る。
   控訴趣意の第1は,事実誤認の主張であり,要するに,被告人は被害者である夫Aに対する
  により正常な判断力が低下していたところ,病院側から突然転院勧告を受けて,夫に対する激
  の情,自分の力では現状を変えられない無力感,絶望感,焦燥感,夫を楽にさせて自分も後を
  ないというせっぱ詰まった気持ちなどのいろいろな感情が錯綜し,極度の精神的混乱をきたし
  心理状態に陥って前後の見境なく衝動的に犯行に及んだのであって,被告人は本件犯行当時少
  心神耗弱の状態に陥っていたから,被告人に完全責任能力を認めた原判決には事実誤認がある
  のである。
   控訴趣意の第2は,量刑不当の主張であり,要するに,夫は85歳という高齢で意識の戻ら
  ゆる植物人間状態にあったのであり,老人性痴呆症の更なる悪化が見込まれ,回復の見込みは
  なく,客観的には回復の見込みがあったとしても,被告人が夫の状況を目の当たりにして絶望
  的な心境になったことは十分にうなずけるところであり,長年連れ添った夫の安楽な死を願っ
  及んだ被告人の心情には同情の余地があること,殺害しなければならない切迫した状況がなか
  ても,夫の重篤な病状及び病院をたらい回しにされようとしている夫の行く末に悩み,更には
  搬出された老人の姿を目の当たりにする事態に直面して,被告人に健常人と同じような判断と
  待することは困難であったこと,被告人は,80歳の高齢であり,痴呆が始まり,健康状態も
  ないこと,保釈されるまでの約7か月間身柄を拘束されるなど既に十分な制裁を受けているこ
  前歴がなく,再犯のおそれは皆無であり,家族が受け入れて今後の監督を約束していることな
  れば,被告人を懲役2年6か月の実刑に処した原判決の量刑は重すぎる,というのである。
第2 そこで,記録を調査し,当審における事実取調べの結果を併せて検討する。
 1 事実誤認の主張について
   原判決は,その(弁護人の主張に対する判断)において,被告人が本件犯行当時夫の介護,
  ため心身ともに疲労していたことは認められるものの,被告人が捜査段階及び原審公判を通じ
  行に及んだ動機や犯行状況について詳細に供述しており,その動機は,犯行に至る経緯に照ら
  了解可能であり,また,本件犯行後の被告人の言動をみても,被告人が自己の責任を十分に認
  たものと認められるなどとして,被告人に本件犯行当時是非善悪を弁別する能力及びこれに従
  する能力がなかった,あるいはそれら能力が著しく減退していたとはいえないと判示している
  原判決の認定判断は正当として是認することができる。
   すなわち,被告人は,自分としては死期が近いと思っていた夫の処遇について追い詰められ
  あり,捜査段階及び原審公判において犯行当時頭が混乱していたという趣旨の供述をし,当審
  いても犯行当時の心理状態を質問されると,「頭が真っ白になって,狂ってしまった。」とい
  をしている。しかしながら,被告人は,犯行前から犯行時までの周囲の状況及び自分自身の行
  て,かなり明確な記憶を有し,捜査段階において詳細に述べているのであり,本件犯行当時の
  意識の混乱は見られず,清明な意識を保持していたことが認められること,被告人自らは,夫
  近く苦しそうに息をしているだけであると認識し,転院によって病院をたらい回しにされれば
  しむだけであり,自分が最後まで世話をすることもできなくなるので,むしろ自分の手で死を
  てやろうとしたという,被告人の主観的な犯行の動機自体は,その是非はともかく,心理状態
  理解できるものであること,殺害を決意するや,着用していたエプロンのひもの部分をほどき
  ベッドに寝ている夫の首に巻き付け,そのひもの先端を自己の体重をかけながら強く引いて,
  絞める方法で殺害し,その際ベッドの周囲のカーテンを引いて自己の犯行を隠し,さらには,
  って駆けつけた看護婦らに対し,自らひもで夫を殺したことを説明し,「警察に行ってもいい
  が終わるまで連絡しないでほしい。」などと述べており,自ら行っている行為を十分認識し,
  の行為が犯罪であると承知していることを示す言動をしていることなどの事情からすると,被
  本件犯行当時是非善悪を弁別する能力及びこれに従って行動する能力が失われていた,あるい
  能力が著しく減退していたとは認められない。
   したがって,被告人の犯行当時の責任能力について原判決の事実誤認をいう論旨は,理由が
 2 量刑不当の主張について
   本件は,高齢で病床にあり意識のなくなった長年連れ添った夫を,同じく高齢の妻である被
  自らの手で死を迎えさせてやろうとして殺害したという事案である。
   被告人が本件犯行に及ぶに至る経過は,原判決がその(犯行に至る経緯)において判示する
  あるが,被告人とその夫は,昭和15年以来六十余年にわたり互いに支え合い,温順な夫を気
  人が励ましつつ円満な結婚生活を続けてきたが,夫は平成7年に脳内出血で倒れて,そのころ
  性痴呆の症状が見られ,被告人が介護に当たっていたところ,平成11年春ころには夫の痴呆
  進んで,被告人の介護の負担が増え,同年12月から翌12年2月まで夫がa県b市内のB病
  した際には,被告人は毎日病院を訪れて何かと夫の世話をし,退院後は介護施設に通わせなが
  症が進行し異常な行動をするようになった夫を自宅で介護し続けた。しかし,被告人自身も心
  の持病があり,健康状態が思わしくなかったため,夫を同年11月から特別養護老人ホームに
  たものの,その痴呆症は被告人を識別できなくなるほどに進行し,平成13年5月末にはけい
  こし,同年6月11日には意識を失って一時危篤状態となり,同月29日に上記B病院に入院
  それ以降寝たきりで食事はできず,点滴や酸素吸入がなされて,刺激に対する反応はあるもの
  疎通が全くできない状態が続き,被告人は,夫が意識を失って入院して以来,夫の世話は自分
  ればとの信念で自分一人で夫の面倒を見,ほぼ毎日病院へ通ってかいがいしく夫の世話をし,
  りに夫の死期は近いと思うようになっていた。
   このように被告人は,老人性痴呆症の夫を介護し続け,自己の健康状態もよくないにもかか
  病院入院後もほぼ毎日訪れて夫の身辺の面倒を見ており,死期が近い夫を最後まで自分の手で
  ければならないとの強い思いから,ひたすら夫の介護に当たってきたのである。そうしたとこ
  先の病院から転院を勧められて,被告人は,死を間近に控えて夫は病院をたらい回しにされる
  じ,そうなれば,夫は安楽どころか苦しい思いをし,同時に自分の手で最後まで世話をすると
  みならず夫の願いも遂げられなくなると思い込み,目前で同じ病室の隣のベッドにいた老人が
  運び出されるのを目撃して,その思い込みが一挙に強まり,夫に対する哀れみの感情が高まる
  いっそのこと自分の手で夫に死を迎えさせてやろうと決心し,本件犯行に及んだものである。
   なるほど,被告人は,長年連れ添い病気になってからも懇ろに面倒を見てきた夫の世話は,
  ても自分がしなければならないとの責任感と固い考えを持っており,意思の疎通もできず,点
  て酸素吸入によって呼吸をしているだけのように見える夫が,転院させられてなお苦しい思い
  分の手で世話ができなくなることに,被告人が狼狽と人一倍の苦痛を覚え,落胆と絶望に陥っ
  うことは容易に想像でき,そうした状況に置かれた被告人の立場については十分理解でき,同
  まないところである。しかしながら,そうした状況に置かれた被告人は,自分と夫の願いもか
  なくなったとの思いと夫に対する哀れみの感情から,自分の手で死を迎えさせてやろうとの考
  それを一気に実行したのであるが,例え長年連れ添い夫の世話を一途にしてきた妻であり,意
  で死期が近いと思われる夫であろうとも,被告人が抱いたそうした主観的な思いや感情から他
  絶つことは許されるものではない。特に,本件では客観的には,夫の死期が間近に迫っていた
  が病院のたらい回しになるとか,夫の転院が即日実行されるとかの状況にはなかったものであ
  人の上記の主観的感情は,多分に被告人一人の思い過ごしや思い込みによるものであり,被告
  自分の手で死を迎えさせてやろうとしたのは,被告人の短絡的で独りよがりな考えに基づくも
  ざるを得ない。したがって,被告人が夫の命を絶つことを思い立ち,それを実行したことにつ
  の動機や経緯には酌量の余地は少ない。
   さらに,夫は,被告人が思ったような安楽に死を迎えるのとは全く違う形で突然命を絶たれ
  あり,死の迎え方はむしろ残酷とさえいえるのであり,夫の心境は果たして被告人の望んだよ
  であったかは疑問である。
   以上の理由から,被告人の刑事責任は重いといわざるを得ない。
   そうすると,被告人が夫を死に致す本件犯行に及ぶについては,当時介護による心身の疲労
  あり,老人性に起因する思い込みの強さが影響していることは否定できないこと,動機は上記
  自らの利害にあるものではなく,夫に対する被告人なりの愛情の発露の面があること,被告人
  判において自己の浅はかな行為で夫の命を縮めたことについて後悔と反省の言葉を述べ,当審
  いても原判決後更に反省を深めていることがうかがわれること,現時点では80歳を超え,高
  狭心症,大動脈弁狭窄症の疾患を有し,要介護認定を受けていること,夫と被告人との間の子
  被告人に対する寛大な処分を望んでおり,長男は被告人と同居して監督する旨述べていること
  告人のために酌むべき事情を考慮しても,被告人を懲役2年6か月の実刑に処した原判決の量
  ぎるとはいえない。量刑不当をいう論旨は理由がない。
第3 よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却することとして,主文のとおり判決する。
平成14年5月30日
  仙台高等裁判所第1刑事部
      裁判長裁判官   松  浦     繁
         裁判官   根  本     渉
         裁判官   春  名  郁  子

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