弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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       主   文
特許庁が昭和四一年七月二七日、同庁昭和四〇年抗告審判第二九号事件について審
決を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
       事   実
第一 当事者の求めた裁判
 原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、被告指定代理人は「原告の請求を棄却
する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。
第二 請求原因
一、特許庁における手続の経緯
 原告は昭和三四年九月一八日名称を「クレープ生地の溶浸加工法」とする発明
(以下「本願発明」という。)につき特許出願したところ、昭和三六年三月二日出
願公告がなされたが、同年五月一日高島晒協同組合から特許異議の申立があり、昭
和三九年一二月二三日拒絶査定を受けたので、昭和四〇年二月一六日抗告審判を請
求した(同年抗告審判第二九号)。特許庁は昭和四一年七月二七日右抗告審判事件
につき「本件抗告審判の請求は成り立たない。」との審決をし、その謄本は同年九
月三日原告に送達された。
二、本願発明の要旨
 クレープ生地を平布同様送り方向に平面緊張状態を保持しつつ処理浴に浸漬し、
之を三〇度ないし六〇度の範囲内の硬度のゴムロールを以て構成したマンゲルによ
り絞ることを特徴とするクレープ生地の浴浸加工法。
三、審決理由の要点
(一) 本願発明の要旨は前項記載のとおりである。ところで、本願出願前国内に
頒布された刊行物である繊維学会誌昭和三〇年一〇月号五〇頁ないし五三頁(以下
「第一引用例」という。)には、「綿クレープの防縮加工について」と題して、綿
クレープを精練漂白後一五度ボーメの苛性ソーダ溶液に一二度Cにて三分間処理し
水洗した試料を樹脂液に浸漬し、マングルで均一に絞ることについて記載され、同
じく繊維機械学会誌第一二巻第八号(以下「第二引用例」という。)には、「洗毛
機の絞りローラーに関する一考察」と題して、主としてトツプローラに硬度二八
度、六〇度、七九度の三つの合成ゴムを使用した場合のゴム硬度による影響、結果
について記載され、これによると、洗毛機における絞りローラとしては、被処理が
均一な厚さを有しないので、最大絞り効率を得るための最適硬度は比較的低硬度の
ものであり、特に絞りむら防止に対しては低硬度ほど有効である旨説明されてい
る。
(二) 本願発明を引用例のものと比べてみると、本願発明は第一引用例記載のよ
うなクレープ生地の浴浸加工法において、マングルロールとして特に硬度三〇度な
いし六〇度のような軟質ロールを用いたものに相当する。そして第二引用例の記載
に照らせば、三〇度ないし六〇度の軟質のゴムロールは本願出願前から周知である
から、クレープ織物を第一引用例記載のような方法で処理する場合、マングルロー
ルの硬度の範囲を三〇度ないし六〇度とすることは当業者が実験的に決定できる程
度のことと認める。したがつて、本願発明は第一引用例および第二引用例に記載さ
れた技術内容から当業者の容易に考えられる程度のものであつて、旧特許法(大正
一〇年法律第九六号)第一条の発明と認めることができない。
(三) 請求人(原告)は抗告審判の請求理由で、特許請求の範囲を苛性ソーダ浴
に浸漬したクレープ生地を六〇%ないし七〇%の範囲内の含水率まで絞ることを特
徴とするシルケツト加工法に限定する訂正案を提出した。しかしながら、本願特許
請求の範囲には、クレープ生地を単に処理浴に浸漬し、これを三〇度ないし六〇度
の範囲内の硬度のゴムロールを似て構成したマングルにより絞ることが記載されて
いるだけで、苛性ソーダ浴に浸漬したクレープ生地を一定の含水率まで絞るシルケ
ツト加工法については記載されていないので、請求人(原告)の提出した訂正案は
特許請求の範囲の減縮に相当するものであるとしても、特許請求の範囲を実質上変
更するものと認められるので、旧特許法第七五条第五項の規定による訂正は命じな
い。
四、審決を取り消すべき事由
 第一引用例および第二引用例に審決認定のような記載があること(ただし、第二
引用例に「最大絞り効率を得るための最適硬度は比較的低硬度のものであり」との
記載がある旨の認定を除く。)および右各引用例との対比において本願発明が進歩
性を有しない旨の審決の判断は争わないが、特許庁が旧特許法第一一三条第二項、
第七五条第五項により、原告が抗告審判請求書に記載した訂正案(以下単に「訂正
案」という。)と同趣旨の訂正命令を発しなかつたことは違法である。右法条によ
る訂正命令を発するか否かは原則として特許庁の自由裁量に属するが、本件におい
て訂正命令を発しなかつたことはその裁量の限界を越えたもの(裁量権の濫用)と
いうべきであるから、本件審決は違法として取り消されるべきである。すなわち、
(一) 訂正案は特許請求の範囲を実質上変更するものではない。訂正案は本願発
明の明細書(昭和三五年五月三〇日付全文訂正明細書)の「特許請求の範囲」のう
ち、(1)「処理浴に浸漬し」とあるのを「苛性ソーダ浴に浸漬し」と、(2)
「マングルにより絞る」とあるのを「マングルを使用し、六〇ないし七〇%の含水
率まで絞る」と、(3)「浴浸加工法」とあるのを「シルケツト加工法」と訂正
し、「発明の詳細なる説明」のうちシルケツト加工に関するもの以外を削除しよう
とするものである。ところで、右明細書の「浴浸加工」という用語はシルケツト加
工、樹脂加工等の総称として使用されているものであり、右明細書記載の発明(本
願発明)は、クレープの畝をつぶさないで所望の加工効果(シルケツト、防水、防
縮加工効果等)を得る方法に関するものであり、訂正案はそのうちシルケツト加工
効果を得る方法に限定したものに過ぎない。すなわち、前記(1)は「処理浴」を
「苛性ソーダ」に限定し、(2)はマングルにより絞る工程の含水率を右明細書の
実施例記載の一定範囲内に限定し、(3)は「浴浸加工法」を「シルケット加工」
に限定したものである。また、右明細書の発明の「詳細なる説明」は、実施例を含
めて、ほとんどシルケツト加工について記載されており、樹脂加工については僅か
に応用可能性が述べられているに過ぎない。したがつて、訂正案は右明細書の特許
請求の範囲を単に減縮したものに過ぎず、これを実質上変更したものではない。
(二) 訂正案による発明(以下「訂正発明」という。)は新規性、進歩性を有
し、独立して特許されるべきものである。
(1) 訂正発明の要旨
 クレープ生地を平布同様送り方向に平面緊張状態を保持しつつ苛性ソーダ浴に浸
漬し、これを三〇度ないし六〇度の範囲内の硬度のゴムロールを以て構成したマン
グルを使用し、六〇ないし七〇%の範囲内の含水率まで絞ることを特徴とするクレ
ープ生地のシルケツト加工法。
(2) 訂正発明の課題
 クレープ生地を通常の平布と同様の装置を用いてシルケツト加工すると、高硬度
(八〇度ないし九〇度)のロールマングルによる圧延と、浴浸によつて縮まつた生
地のテンターによる強度の拡巾により、クレープの畝が消失し、縮みものとしての
特有の風合が失われるので、機械的操作による加工は行われていなかつた。そこ
で、従来は、二、三の業者がクレープ生地(約五〇米)を長さ方向にロープ状に束
ね、作業者がゴム手袋とはさみを用いて苛性ソーダ溶液を入れた壺または釜状の槽
の中にこれを浸漬して取り出すという手工業的方法によつて、クレープ生地のシル
ケツト加工を行つていたが、この方法では無緊張の状態で操作され、生地の緯糸の
縮度が大き過ぎるので、シルケツト加工効果が不十分かつ不均等に生じ、苛性ソー
ダの消費量が多くなり作業に危険が伴つた。訂正発明は従来法のこれらの欠陥を除
去しようとするものである。
(3) 訂正発明の作用効果
(イ)クレープ生地を平布同様送り方向に平面緊張を保持しつつ苛性ソーダ溶液に
浸漬するから、生地の緯糸の縮度が大き過ぎることがないので、シルケツト加工効
果が十分かつ均等に得られ、しかも送り方向の平面緊張は、クレープの長さ方向に
沿うものであるから、クレープの畝を損傷するおそれがない。
(ロ)十分なシルケツト加工効果を得るためには、苛性ソーダ溶液の浸透と生地の
拡巾のため浸漬処理後に十分絞る(含水率六〇ないし七〇%以下)ことが必要であ
るところ、訂正発明では苛性ソーダ溶液に浸漬後、トツプローラー、ボトムコーラ
ともに三〇度ないし六〇度の範囲内の硬度のゴムで構成されたマングルで絞るの
で、クレープの畝を全く損傷せずに、含水率六〇ないし七〇%に絞り、十分なシル
ケツト加工効果を得ることができる。
(ハ)訂正発明の構成による総合的効果として、訂正発明により、クレープ生地の
シルケツト加工は、通常の平布同様、全機械的な操作によつて行うことがはじめて
可能になり、かつ苛性ソーダの消費量を減少させることができるようになつた。
(4) 訂正発明の進歩性
(イ)第一引用例の記載は、綿クレープの防縮加工についてのものであり、シルケ
ツト加工について従来法の有する欠点およびこれを克服する方法については何ら記
載がない。もつとも、クレープ生地を苛性ソーダ溶液で処理することの記載はある
が、これをマングルで絞るのはソリユーブル・スターチや樹脂液で再処理した後で
あるので、第一引用例の記載は、シルケツト加工方法の改良を主眼としたものでな
いことが明らかである。シルケツト加工効果は、苛性ソーダ溶液に浸漬処理後直ち
に所要の含水率に絞つてはじめて達成されるからである。したがつて、訂正発明
は、単に第一引用例記載の方法において軟質ゴムロールを使用したものに相当する
ものではない。
(ロ)第二引用例の記載は、羊毛塊の洗毛機の絞りローラーに関するもので、最大
の絞り効率を得るためのトツプローラーの最適硬度は七〇度ないし八〇度(これを
比較的低硬度のものとした審決の認定は誤りである。)であること、絞りむら防止
に対しては低硬度のトツプローラーほど有効である旨の説明がある。しかし、羊毛
塊の洗毛技術は、効率よく絞ることと、絞りむらを防止することだけがその目的で
あるから、クレープ生地の畝を損傷させずにシルケツト加工効果を得ることを目的
とする訂正発明とは技術分野に異にする。のみならず、第二引用例のローラーはト
ツプローラーだけが合成ゴム製でボトムローラーは鋳鉄製であり、そのうちトツプ
ローラーの硬度についてのみ記載されているに過ぎないから、トツプローラー、ボ
トムローラーともにゴムで構成される訂正発明のゴムロールの硬度については何ら
示唆を与えるものではない。
 したがつて、訂正発明は第一、第二引用例から容易に推考できるものではなく、
旧特許法第一条の発明として独立して特許を受けることができるものである。
第三 被告の答弁
 本件の特許庁における手続の経緯、審決理由の要点、
本願発明および訂正発明の要旨が原告主張のとおりであること、原告が抗告審判請
求書に原告主張の内容の訂正案を記載して特許庁に対し旧特許法第一一三条第二
項、第七五条第五項による訂正命令を求めたこと、第一引用例の記載が綿クレープ
の防縮加工についてのものであり、シルケツト加工について従来法の有する欠点お
よびこれを克服する方法については何らの記載がないこと、クレープ生地を苛性ソ
ーダ溶液で処理することの記載はあるが、これをマングルで絞るのはソリユーブ
ル・スターチや樹脂液で再処理した後であること、第二引用例の記載が羊毛塊の洗
毛機の絞りローラーに関するもので、最大の絞り効率を得るためのトツプローラー
の最適硬度は七〇度ないし八〇度であり、絞りむら防止に対しては低硬度のトツプ
ローラーほど有効である旨の説明があること、第二引用例記載のローラーはトツプ
ローラーだけが合成ゴム製でボトムローラーは鋳鉄製であり、そのうちトツプロー
ラーの硬度についてのみ記載されていること、羊毛塊の洗毛技術は効率よく絞るこ
とと絞りむらを防止することだけがその目的であることは認めるが、その余の原告
の主張は争う。審決が第二引用例について、最大絞り効率を得るための最適硬度は
比適的低硬度のものである旨説明されている、と認定したのは、従来の金属ロール
をも含めて比較した場合に硬度が大であればある程絞り効率がよいものではないと
いう趣旨であつて、事実の認定を誤つたものではない。
 特許庁が旧特許法第一一三条、第七五条第五項により訂正命令を発することがで
きるのは、訂正後の発明が訂正前の発明と比較して特許請求の範囲を実質上変更す
るものでないこと、訂正後の発明が独立して特許を受けることができるものである
ことの二要件を備えた場合でなければならない。本願発明は、(1)クレープ生地
を平布同様送り方向に平面緊張状態を保持しつつ処理浴に浸漬すること、(2)こ
れを三〇度ないし六〇度の範囲内の硬度のゴムロールをもつて構成したマングルに
より絞ることの二点を特微とするものであつて、その目的はクレープ生地のしぼ
(畝)をつぶさないで液を絞ることである。
これに反し訂正発明は、処理液を苛性ソーダ液とし、その液を六〇ないし七〇%の
含水率まで絞ることによるシルケツト加工法に変更するものであるから、その目的
は液を六〇ないし七〇%の含水率まで絞ることによりシルケツト効果を高めようと
するものである。したがつて原告主張の訂正案は、特許請求の範囲の減縮であると
しても、特許請求の範囲を実質上変更しようとするものである。また、綿布にシル
ケツト加工を施すことは古くから行われている技術であつて、その方法としてシル
ケツト加工機を用いることおよび布から液を脱水するためにゴムロールを用いるこ
とは本願出願前周知であり、綿布のなかにクレープ生地が含まれることもまた本願
出願前周知であるから、訂正発明はこれらの周知事実と第一および第二引用例の記
載から容易に考えられる程度のものであつて、旧特許法第一条の発明を構成しな
い。仮に原告主張の訂正案が前述の二要件を備えているとしても、特許庁は常に訂
正を命じなければならないものではなく、例えば明細書に訂正をしなければならな
いような記載の不備がある場合その他客観的な諸般の事情が加わつてはじめて訂正
命令の必要性が発生する。本願明細書はその特許請求の範囲の記載と発明の詳細な
説明の記載との間に訂正を必要とするような不一致その他の記載の不備がないの
で、特許庁が訂正案と同趣旨の訂正命令を発しなかつた点を違法ということはでき
ない。
第四 証拠関係(省略)
       理   由
一、本件の特許庁における手続の経緯、審決理由の要点、本願発明の要旨が原告主
張のとおりであること、原告が抗告審判請求書に原告主張の内容の訂正案を記載し
て特許庁に対し旧特許法第一一三条第二項、第七五条第五項による訂正命令の発令
を求めたことは、当事者間に争いがない。
二、(一)旧特許法は同法第七五条第五項による訂正命令の要件についての規定を
欠いているが、出願公告があつたときは出願にかかる発明につき特許権の効力を生
じたものとみなされるから(同法第七三条第三項。
ただし本件では現行特許法第五二条による権利が発生)特許庁が同条同項により出
願公告後の明細書または図面の訂正を命ずることができるのは同法第五三条第一
項、第三項、第五四条の定める特許権発生後の訂正の場合に準じ、(1)訂正が特
許請求の範囲の減縮、誤記の訂正、不明瞭な記載の釈明のいずれかを目的とし、
(2)特許請求の範囲を実質上拡張または変更するものではなく、(3)訂正後の
発明が独立して特許を受けることができるものである(ただし、特許請求の範囲の
減縮を目的とする場合に限る。)場合であることを要すると解すべきである。そこ
で、原告主張の訂正案による訂正が右の各要件を備えているかどうかを順次検討す
る。
(二)当事者間に争いのない本願発明の要旨および成立に争いのない甲第二号証に
よれば、本願の特許請求の範囲は、
(1)クレープ生地を平布同様送り方向に平面緊張状態を保持しつつ処理浴に浸漬
し、
(2)三〇ないし六〇度の範囲内の硬度のゴムロールをもつて構成したマングルに
より、
(3)これを絞ることを特徴とする、
(4)クレープ生地の浴浸加工法
をその構成要件とするものであることが認められる。一方、訂正案が前記本願特許
請求の範囲のうち(1)の「処理浴」を「苛性ソーダ浴」に、(3)の「絞る」を
「六〇ないし七〇%の含水率まで絞る」に、(4)の「浴浸加工法」を「シルケツ
ト加工法」に訂正しようとするものであることは当事者間に争いがない。そして前
記甲第二号証によつて認められる本願明細書の記載全体、特に「発明の詳細なる説
明」中「本発明は、以上の従来の方法に於ける不都合を除去し、クレープを毫も損
傷することなく平布同様の操作でクレープ生地のシルケツト加工、或は樹脂加工す
ること若しくはその他任意の処理浴によつて生地を浸漬処理することを可能ならし
めたものである。」との記載によれば、前示の「浴浸加工法」とは、シルケツト加
工、樹脂加工その他任意の処理液に生地を浸漬処理する加工法の総称であることが
認められるので、訂正案は、本願特許請求の範囲のうち、前示(1)の処理浴の種
類(3)の絞る工程の含水率、(4)の浴浸加工法の種類を限定しようとするもの
であることが明らかである。また、本願明細書中前示引用部分の記載によれば、本
願発明の目的は、クレープの畝を損傷することなく平布同様の操作でクレープ生地
に十分なシルケツト加工、樹脂加工その他の加工効果を得ることを可能ならしめる
ことであることが認められるところ、訂正案は前判示のように特許請求の範囲を訂
正するとともに、発明の詳細なる説明のうち、シルケツト加工に関するもの以外を
削除しようとするものであるから(このことは当事者間に争いがない。)、発明の
目的を前記の事項のうちシルケツト加工に関するものに限定しようとするものであ
るといわねばならない。したがつて、訂正案は特許請求の範囲の減縮を目的とした
ものであり、かつ実質上特許請求の範囲を拡張または変更するものではないことが
明らかである。
 被告は、訂正案は液を六〇ないし七〇%の含水率まで絞る要件を加えることによ
りシルケツト加工効果を高めようとするものであつて、発明の構成と目的を変更す
るものである旨主張するが、訂正案は、右に判示したとおり、含水率に限定のない
本願発明の(3)の構成要件に、六〇ないし七〇%の含水率まで絞るという限定を
附加しようとするものに過ぎないし、これによつて十分なシルケツト加工効果を得
ようとするものであることは前記甲第二号証により明らかであるが、十分なシルケ
ツト加工効果を得ることが本願発明の目的に包含されていることは前判示のとおり
であるから、被告の右主張は採用の限りではない。
(三) 当事者間に争いがない訂正発明の要旨および成立に争いのない甲第二、第
八号証によれば、訂正発明は、
(1) クレープ生地を平布同様送り方向に平面緊張状態を保持しつつ苛性ソーダ
浴に浸漬し、
(2) 三〇ないし六〇度の範囲内の硬度のゴムロールをもつて構成したマングル
を使用し、
(3) これを六〇ないし七〇%の含水率まで絞ることを特徴とする、
(4) クレープ生地のシルケツト加工法
を構成要件とするものであることが認められる。ところで、発明はその課題の技術
的解決手段であるから、訂正発明の課題およびそれとの関係で右各構成要件の有す
る意味について更に検討する。成立に争いのない甲第二号証および証人【A】の証
言によれば、本願出願当時におけるクレープ生地のシルケツト加工に関する技術水
準は次のとおりであつたことが認められる。すなわち、クレープ生地を通常の平布
と同様の機械を用いてシルケツト加工すると、原告主張の原因によりクレープの畝
が消失し、縮みものとしての特有の風合が失われるので、機械的操作による加工は
不可能であり、二、三の中小企業が原告主張のような手工業的方法によつてクレー
プ生地のシルケツト加工を行なつていたに過ぎなかつたが、右の方法では、クレー
プの畝は損傷されないが、原告主張の原因によりシルケツト加工効果が不十分かつ
不均等である等の欠点があつた。右認定の技術水準と前記甲第二、第八号証を伴せ
考えれば、訂正発明の課題は、平布同様の全機械的操作により、クレープの畝を損
傷することなく、クレープ生地の十分なシルケツト加工効果を得ることを可能なら
しめることであると認めるのが相当である。そして、前記各甲号証によれば、右認
定の訂正発明の課題のうち、クレープの畝を損傷しないという課題を達成するため
の要件は前示(2)の要件であり、十分なシルケツト加工効果を得るという課題を
達成するための要件は前示(1)および(3)の要件であり、かつ平布同様の全機
械的操作を可能ならしめるという課題を達成するためには右(1)、(2)、
(3)の各要件を組み合わせることが必要であることが認められる。
 ところで、右(1)の構成要件は本願出願当時周知の平布のシルケツト加工法の
工程を転用したものであることが明らかであるから、(1)の要件自体および
(1)と(2)、(3)の要件とを組み合わせることは周知技術から容易に推考で
きたものと認めるべきである。したがつて、前記課題の技術的解決手段としての訂
正発明が出願当時の技術水準との関係で新規性、進歩性を有するのは、右(2)お
よび(3)の要件を備えかつ両者を組み合わせた点にあるといわねばならない。そ
うだとすると、訂正発明が独立して特許を受けることができないというためには、
右(2)および(3)の要件のみならずその組合せが出願当時公知の状態にあつた
ことが証明されなければならない。
 そこで第一引用例および第二引用例に右の点を示唆する記載があるかどうかにつ
いて検討するに、右各引用例の記載内容がそれぞれ原告主張のとおりであることは
当事者間に争いがないところ、右争いのない事実によれば、第一引用例には訂正発
明の前示(2)、(3)の要件およびその組合せを示唆するに足りる記載は何もな
く、第二引用例の記載は羊毛塊の洗毛機の絞りローラーの硬度を示すだけであるか
ら、仮にこれが前記(2)の要件を示唆するものであるとしても、(3)の要件お
よび(2)、(3)の組合せについては何ら示唆するところがない。被告は、訂正
発明は第一、第二引用例の記載と被告主張の周知事実から容易に考えられる程度の
ものである、と主張するが、被告主張の周知事実は前記(2)、(3)の要件およ
びその組合せとは全く関係のない事実であるから、被告の右主張は採用の限りでな
い。
 したがつて、訂正発明は第一、第二引用例の記載から容易に推考できる程度のも
のではなく、旧特許法第一条の発明として独立して特許を受けることができるもの
であるといわねばならない。
三、出願公告後の明細書または図面について、前判示の要件を備えた訂正が可能で
ある場合に、特許庁は旧特許法第七五条第五項(第一一三条第二項により準用され
る場合を含む。)により訂正を命ずべく法律上覊束されるかどうかについて判断す
る。同法第七五条第五項は「必要アルトキハ特許発明ノ明細書又ハ図面ノ訂正ヲ命
ズルコトヲ得」と規定しているので、如何なる場合に訂正を命ずべきかは総て特許
庁の自由裁量に属するかのようにみえる。しかし、訂正が特許権発生後の明細書ま
たは図面につき許されるべき訂正と同一の要件を備えている場合でなければ、特許
庁は訂正を命ずることができないことは前に判示したとおりである。そうだとする
と、同一の要件を備えた訂正であるのにかかわらず、特許権発生後の訂正について
は、特許庁は訂正許可の審決をすべく法律上覊束される(同法五三条第一項、第三
項、第五四条参照)のに反し、出願公告後の特許を受ける権利については、特許庁
が訂正を命じない自由を有すると解する合理的な根拠はない。しかも、旧特許法に
は出願公告後の補正を認めた規定(現行特許法第六四条参照)がないので、特許異
議申立の結果、出願公告された明細書または図面によつては出願が拒絶されること
が明らかであるが、前判示の要件を備えた訂正(ただし、特許請求の範囲の減縮を
目的とするものに限る。)が可能であり、したがつて訂正後の明細書または図面に
よれば出願が特許されることが明らかな場合でも、特許庁が訂正を命じない限り、
出願人は出願の拒絶を免れる法律上の手段を有しない。したがつて、少なくとも出
願人が前判示の要件を具えた具体的な訂正案を示して訂正命令の発令を促した場合
は、特許庁は、特許権発生後の訂正の場合に準じて、訂正案と同趣旨の訂正を命ず
べく法律上覊束されると解するのが相当である。
 本件においては、出願人である原告が具体的な訂正案を示して特許庁に対し訂正
命令の発令を促がし、その訂正案が前判示の要件を備えたものであつたことは既に
判示したとおりであるから、旧特許法第一一三条第二項、第七五条第五項による訂
正を命じないで本願を拒絶すべきものとした本件審決には、原告主張の違法がある
といわねばならない。
 よつて、原告の請求を認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民
事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する
(裁判官 服部高顕 石沢健 瀧川叡一)

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