弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役8月に処する。
原審における未決勾留日数中,その刑期に満つるまでの分をその刑
に算入する。
本件公訴事実中,業務上過失致死の点について,被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は,主任弁護人中島信一郎,弁護人青木耕一及び同角田勝
政作成の控訴趣意書に記載されたとおりであるから,これを引用する。
第1訴訟手続の法令違反の主張について
論旨は,要するに,本件における公判前整理手続の経過及び公判の審理状
況,検察官の訴訟活動等に照らすと,検察官立証が終了して被告人質問に入
る直前の段階となった原審第4回公判期日終了後に検察官がした訴因変更請
求は,権利の濫用に該当して許されないのに,これを許可した原審には判決
に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある,というのである。
1そこで記録を調査して検討すると,本件の審理経過等は,以下のとおり
である。
平成19年1月30日に起訴された本件公訴事実中,業務上過失致死に関
する事実(訴因変更前のもの)の要旨は,「被告人は,平成18年12月1
3日午前1時27分ころ,業務として普通乗用自動車を運転し,東京都世田
谷区Sa丁目b番先道路を狛江方面から環八通り方面に向かい進行中,進路前
方を同方向に進行中の普通乗用自動車を右側から追い越した後,左方に進路
変更するに当たり,前方左右を注視し,進路の安全を確認しながら左方に進
路変更すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,前方左右を注視せず,
進路の安全確認不十分のまま漫然時速約60キロメートルで左方に進路変更
した過失により,折から同車の前方を同方向に進行中のA(当時62年)運
転の原動機付自転車右側部に自車左側部を衝突させて同原動機付自転車もろ
とも同人を路上に転倒させ,よって,同人に硬膜下血腫等の傷害を負わせ,
同日午前10時10分ころ,武蔵野市内のM病院において,同人を上記傷害
により死亡させた」というものである(以下,Aを「被害者」といい,その
死亡原因となった衝突事故を「本件交通事故」という。)。
本件(前記の業務上過失致死及び道路交通法違反)は,平成19年2月2
2日,公判前整理手続に付され,同年3月15日から同年10月29日まで
の間,9回にわたる公判前整理手続が実施された結果,本件の争点が「被告
人が,本件交通事故を引き起こして逃走した犯人であるかどうか」であると
確認されるとともに,公判の審理については,第1回ないし第3回公判期日
に検察官請求証人7名の取調べ等の検察官立証が,第4回公判期日に弁護人
請求証人2名の取調べ等の弁護側立証が,第5回公判期日に被告人質問が,
第6回公判期日に論告弁論が,それぞれ行われる予定となった。
なお,争点が前記のとおり整理される過程において弁護人が作成した主張
予定書面には,「被害者が自損事故により自ら転倒して死亡したか,仮に追
い越しを図ろうとした自動車と衝突したため転倒したとしても,被告人以外
の第三者の運転する自動車と接触したため転倒したものであり,本件交通事
故は被告人によるものではない」旨が記載されている。
同年11月19日の第1回公判期日において,被告人は,被告事件に対す
る陳述として,本件交通事故を起こしたのは自分ではない旨述べ,弁護人は,
公訴事実については被告人と同様であり無罪を主張する旨述べたが,本件交
通事故を起こした運転者の過失の有無に関しては何らの主張もしなかった。
そして,同期日から第3回公判期日までの間に,予定された検察官請求証人
7名の取調べ等がされ,平成20年1月24日の第4回公判期日において,
予定されていた弁護人請求証人のうち1名の取調べがされた(他の1名につ
いては出頭せず採用が取り消された。)が,原審は,同期日において,採否
を留保していた弁護人請求証人1名の採用を決定し,次回期日に取り調べる
こととするとともに,当事者に対し「これまでの証拠調べの結果を踏まえた
上で,本件交通事故の犯人に過失が認められるかどうかという点についても
意識して立証活動をしてほしい」旨を促した。原審のこのような対応は,そ
れまでに取り調べた目撃証人の供述等によって認められる本件交通事故の態
様が,訴因変更前の公訴事実が前提としているものとは異なっている,とい
う心証に基づくものと推測される。
その後,検察官は,第5回公判期日前の同年2月4日,前記の公訴事実の
過失内容について,「被告人は,平成18年12月13日午前1時27分こ
ろ,業務として普通乗用自動車を運転し,東京都世田谷区Sa丁目b番先道路
を狛江方面から環八通り方面に向かい進行中,進路前方を同方向に進行中の
B運転の普通乗用自動車を右側から追い越す際,当時夜間であり,交通量は
さほど頻繁ではなかったのに,同車が同所に至るまでの約400メートルの
間,時速約30キロメートルの比較的低速度で進行していた上,自車を加速
させて前記B運転車両の後方直近に接近させ,いわゆるあおり走行をしたに
もかかわらず,同車が速度を上げないで前記速度のまま走行しており,同車
の前方には同車が速度を上げることを困難ならしめるような車両等が走行し
ていることもあり得たのであるから,前記B運転車両を右側から追い越して
左方に進路変更するに当たり,前方左右を注視し,進路の安全を確認するは
もとより,折から同車前方を同方向に進行していたA(当時62年)運転の
原動機付自転車の動静を十分注視し,同原動機付自転車との間に安全な側方
間隔を保持して同原動機付自転車との安全を確認した上で左方に進路変更す
べき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,前方左右及び同原動機付自転
車の動静を注視せず,進路の安全を確認することもなく,同原動機付自転車
との間に安全な側方間隔を保持しないまま漫然時速約60キロメートルで左
方に進路変更した過失により,同原動機付自転車右側部に自車左側部を衝突
させ」た,というものに変更する旨の訴因変更請求をした。
平成20年2月6日の第5回公判期日において,前回に採用を決定した弁
護人請求証人の取調べがされた後,前記の訴因変更請求について,検察官か
ら,「前方左右を注視し,進路の安全を確認するはもとより」という部分は,
前方左右を注視し,進路の安全を確認することが注意義務に含まれるという
趣旨である旨の釈明がされ,他方,弁護人から,公判前整理手続を経たこの
段階での訴因変更請求は攻撃防御の点から認められるべきでなく,異議があ
るとの意見が述べられた。
その後,第6回公判期日までの間に,検察官及び弁護人からそれぞれ,訴
因変更請求の適否とこれが許可された場合に追加的に必要となる証拠調べに
関する意見書が提出された後,同月29日に打合せが行われた。原審は,打
合せの席で,訴因変更は許さざるを得ないが,被告人側の防御を尽くさせる
必要があるとして,検察官及び弁護人に対し同年3月6日までに過失の点の
立証を検討するように促し,同日,再度の打合せを実施した後,同月10日,
第6回公判期日を開いた。
原審は,同期日において,前記の訴因変更請求の許可決定を行った。被告
人及び弁護人は,変更後の訴因に対し,従前と同様,本件交通事故を起こし
たのは被告人でない旨の意見を述べたものの,その際も,過失の内容につい
ては特段の主張をしなかった。その後,第7回及び第8回公判期日において,
訴因変更に伴う追加的証拠調べが行われた(ただし,第8回公判期日につい
ては,当初は論告弁論が予定されていたものの,第7回公判期日に取調べを
予定していた証人のうち1名が同期日に出頭しなかったために,その証人尋
問をする必要が生じたものである。)が,検察官立証としては,公判前整理
手続においていったん撤回された実況見分調書2通(いずれも検察官請求証
人として取調べ済みの目撃者を立会人として実施された事故現場を見分した
もの)の取調べ及びその真正立証のための作成者の証人尋問が,弁護側立証
としては,本件交通事故ないしその前後の状況の目撃者2名(うち1名は,
第3回公判期日において検察官請求証人として取調べがされた者)の証人尋
問が,それぞれ実施された。
第9回公判期日において,論告,弁論が行われたが,その際,弁護人は,
本件交通事故を起こしたのは被告人ではないとの従前の主張に加え,本件交
通事故を起こした自動車の運転者には,訴因変更後の公訴事実記載の各注意
義務違反がない旨を具体的に主張した。
2以上のとおりの審理経過等を踏まえて,本件の訴因変更請求が許される
かどうかを検討する。
公判前整理手続は,当事者双方が公判においてする予定の主張を明らかに
し,その証明に用いる証拠の取調べを請求し,証拠を開示し,必要に応じて
主張を追加,変更するなどして,事件の争点を明らかにし,証拠を整理する
ことによって,充実した公判の審理を継続的,計画的かつ迅速に行うことが
できるようにするための制度である。このような公判前整理手続の制度趣旨
に照らすと,公判前整理手続を経た後の公判においては,充実した争点整理
や審理計画の策定がされた趣旨を没却するような訴因変更請求は許されない
ものと解される。
これを本件についてみると,公判前整理手続において確認された争点は,
「被告人が,本件交通事故を引き起こして逃走した犯人であるかどうか」と
いう点であり,本件交通事故を起こした犯人ないし被告人に業務上の注意義
務違反があったかどうかという点については,弁護人において何ら具体的な
主張をしていなかった。なお,弁護人は,公判前整理手続の過程において,
被害者が自損事故により自ら転倒して死亡した旨を主張予定書面に記載して
いるものの,被害者運転の原動機付自転車(以下「被害者車両」という。)
と本件交通事故を起こした自動車(以下「犯行車両」という。)が接触する
という本件交通事故が発生していることを前提に,犯行車両の運転者に業務
上の注意義務違反がなかった旨を具体的に主張するものではない。公訴事実
の内容である過失を基礎付ける具体的事実,結果を予見して回避する義務の
存在,当該義務に違反した具体的事実等に対して,弁護人において具体的な
反論をしない限り,争点化されないのであって,実際にも争点とはなってい
ない。公判前整理手続における応訴態度からみる限り,本件交通事故が発生
していることが認定されるのであれば,犯行車両の運転者に公訴事実記載の
過失が認められるであろうということを暗黙のうちに前提にしていたと解さ
ざるを得ない。検察官が訴因変更請求後に新たに請求した実況見分調書2通
は,公判前整理手続において,当初請求したものの,追って撤回した証拠で
あって,業務上の注意義務違反の有無が争点とならなかったために,そのよ
うな整理がされたものと考えられる。
ところが,公判において,本件交通事故の目撃者等の証拠調べをしてみる
と,本件交通事故の態様が,訴因変更前の公訴事実が前提としていたものと
は異なることが明らかとなったため,検察官は,原審の指摘を受け,前記の
とおり,訴因変更請求をした。
そして,その段階でその訴因変更請求を許可したとしても,証拠関係は,
大半が既にされた証拠調べの結果に基づくものであって,訴因変更に伴って
追加的に必要とされる証拠調べは,検察官立証については前記のとおり極め
て限られており,被告人の防御権を考慮して認められた弁護側立証を含めて
も,1期日で終了し得る程度であった。
3以上によれば,本件は,公判前整理手続では争点とされていなかった事
項に関し,公判で証人尋問等を行った結果明らかとなった事実関係に基づい
て,訴因を変更する必要が生じたものであり,仮に検察官の訴因変更請求を
許可したとしても,必要となる追加的証拠調べはかなり限定されていて,審
理計画を大幅に変更しなければならなくなるようなものではなかったという
ことができる。
そうすると,本件の訴因変更請求は,公判前整理手続における充実した争
点整理や審理計画の策定という趣旨を没却するようなものとはいえないし,
権利濫用にも当たらないというべきである。検察官の本件の訴因変更請求を
許可した原審には,判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反
は認められない。
論旨は理由がない。
第2本件交通事故を起こした自動車に関する事実誤認の主張について
論旨は,要するに,原判示の各事実について,被害者車両に衝突したのは
被告人の運転する自動車(以下「被告人車両」という。)でないのに,被告
人車両が被害者車両に衝突したと認定した原判決には,判決に影響を及ぼす
ことが明らかな事実誤認がある,というのである。
そこで記録を調査して検討すると,原審で取り調べた関係証拠によれば,
被告人車両が被害者車両に衝突した旨の原判決の認定はその争点に対する判
断において説示するところを含めて正当として是認することができるから,
この点について,原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認
は認められない。以下,補足して説明する。
1所論は,原判決は,犯行車両の特徴を目撃したとされる証人Cの原審公
判における供述について,本件交通事故の前から犯行車両の危険な運転を目
の当たりにして意識的にその車両の特徴を観察していたのであるから,信用
することができる,としているが,証人Cのいう犯行車両の危険な運転とは,
女性客を降ろしたタクシー(犯行車両)が狛江市役所前で急にUターンをし
たため,Cの運転していたタクシー(以下「C車両」という。)が急制動せ
ざるを得なくなったことを指すものの,①狛江市役所前でUターンをした被
告人車両に接近し,急制動をかけた自動車があれば,同所で被告人車両を降
りた女性客であるDが当然気付くはずであるのに,証人Dは,これに気付か
なかったと述べている上,Uターンした時期についても証人Cとは異なる供
述をしているから,証人Cの供述は,証人Dの供述と矛盾しており,また,
②被告人車両の最小回転半径が5.1メートルであるのに対し,Uターンを
した狛江市役所前の道路の幅員は9メートルであるから,同所でUターンを
するためには切り返しが必要になることからすると,犯行車両が急にUター
ンした旨の証人Cの供述は,客観的証拠と矛盾しているし,③証人Cは,原
審公判において,当日午前1時10分過ぎに中和泉5丁目で乗客を降ろした
後,狛江市役所前を通ったと供述するが,捜査段階においては,午前1時2
0分ころに中和泉5丁目で乗客を降ろしたと述べ,運行記録紙にも同時刻ま
で乗客を乗せて走行している旨表示されているのであるから,証人Cの原審
公判における供述が誤りであることは明らかであり,Cが午前1時20分こ
ろに中和泉5丁目で乗客を降ろしている以上,同所から狛江市役所前までの
所要時間が2分30秒であるので,C車両が狛江市役所前を通過しているの
は午前1時22分から23分ころということになり,午前1時20分ころに
狛江市役所前を出発した被告人車両と遭遇するはずがなく,また,仮にCが
午前1時10分過ぎに中和泉5丁目を出発したとしても,Cが狛江市役所前
を通過するのは午前1時12分から13分ころということになるから,やは
り,被告人車両と遭遇するはずがなく,結局,以上の①ないし③によれば,
証人Cの原審公判における供述は,他の証拠と矛盾していて,信用すること
ができない,という。
まず,①の点について検討すると,Dは,たまたま当日,タクシーである
被告人車両に乗車したにすぎず,狛江市役所前で降車した後の被告人車両の
動静や周囲の状況等について,正確に認識,記憶していなくても何ら不自然
ではない。Dにおいて,Uターンした被告人車両に接近して急制動をかけた
タクシーに気付かなかったにしても,C車両がUターンをした犯行車両に接
近して急制動をかけた事実がないということにはならない。同様に,女性客
を降ろして直ぐに犯行車両がUターンをした旨を述べる証人Cの供述と,タ
クシーを降りて横断歩道を渡った後に,被告人車両がUターンをした旨を述
べる証人Dの供述が一致しないからといって,証人Cの原審公判における供
述の信用性は否定されないというべきである。
②の点について検討すると,犯行車両が女性客を降ろした停車位置付近に
は,左折する道路があり,同道路入口付近をも利用してUターンをすること
が可能であるから,Uターンをした道路の幅員及び被告人車両の最小回転半
径が所論の指摘するとおりであったとしても,Uターンをするためには,必
ず切り返しが必要となるとはいえない。被告人も,原審公判において,狛江
市役所前で女性客を降ろした後,切り返しをしないでUターンをした旨述べ
ている。この点に関する証人Cの原審公判における供述が客観的事実に反す
るとはいえない。
③の点について検討すると,証人Cは,原審公判において,直前の乗客を
降ろしたのが午前1時10分過ぎであり,犯行車両を狛江市役所前で見たの
は,午前1時17分から20分くらいの間である,と供述している。その供
述自体,時刻に幅がある。C車両の運行状況を分単位で正確に確定すること
はできない。また,運行記録紙上の時間が正確であるともいえない。したが
って,C車両が被告人車両に遭遇するはずがないとはいえない。
2所論は,証人Cの原審公判における供述によれば,①狛江市役所前にお
いて,犯行車両のタクシーの種類がY無線であると分かったというものの,
その際のCと犯行車両の距離は50メートルくらいであったというのである
から,その距離でタクシーの種類を特定するのはおよそ不可能であり,②新
一の橋交差点で停車した際,その前に停車した犯行車両に「V交通」のステ
ッカーが貼ってあるのが分かったというものの,自車の前照灯や前車のテー
ルランプによる光の反射等の影響によって前車の視認は困難である上,「V
交通」のステッカーの大きさは縦3センチメートル,横10センチメートル
にすぎないことからすると,Cがステッカーを正確に視認したとは考えられ
ず,③世田谷通りを走行している時に犯行車両の速度が遅くなり,その際,
その前方を走行している自動車については,そのあんどんを見て,X無線の
タクシーであって乗客が乗っていることが分かったというが,夜間において,
犯行車両という遮へい物があるのに,その前方の車両を詳細に特定すること
ができたとは考えられず,したがって,証人Cの原審公判における供述は,
その内容が不自然であって,信用することができない,という。
①の点を検討すると,証人Cの原審公判における供述によれば,最初に狛
江市役所前で犯行車両を見た際,C車両と犯行車両との距離は50メートル
くらいであったものの,その後,犯行車両がその場でUターンしたため,犯
行車両から2メートル以内まで近付いたというのであるから,犯行車両の色
や形,ライン,防犯灯から,自分と同じY無線グループに属するタクシーで
あることが分かったというのは,何ら不自然,不合理ではない。
②の点を検討すると,証人Cの原審公判における供述によれば,Cは,い
ちょう通りから世田谷通りに出る新一の橋の交差点で赤信号で停車した際,
C車両の前照灯をつけた状態で,前に停まっていた犯行車両を観察して,車
両後部に貼ってあるVと記載されたステッカーを見た,というのであるから,
所論の指摘するステッカーの大きさ等を踏まえても,「V」という文字を認
識し得たと考えられる。Cは,当日の仕事終了後,勤務先に対し,ひき逃げ
があり,Vがやったのを見たと報告したというのであり,その後の捜査の経
緯に照らしても,Cにおいて犯行車両が「V」と名の付くタクシーであると
特定し得たことには疑いがないというべきである。
③の点を検討すると,証人Cの原審公判における供述によれば,Cは,犯
行車両の後方を時速60キロメートルくらいで走行しているうちに,時速4
0キロメートルくらいに減速となったため,犯行車両の前を確認すると,そ
の前を走っている自動車の色が黄色で防犯灯に「X」の字が見え,その灯火
が消えていたことから,犯行車両の前方の車両がX無線タクシーで,客が乗
っている状態であることが分かったというのであり,犯行車両が間に入って
いても,前記の程度の認識を得るのは可能であると考えられる。加えて,C
は,その後に,犯行車両がX無線タクシーを追い越す場面をも見ているので
あるから,Cが前方の車両を前記のとおり認識したのは何ら不自然,不合理
ではない。
3所論は,被告人が狛江市役所前を出発したのは当日午前1時20分ころ
であるから,被告人において,証人Cの供述するとおり,いちょう通りを経
由して新一の橋交差点から世田谷通りに入ったとすれば,事故現場までの走
行距離が2.15キロメートル,所要時間が4分15秒であり,事故現場を
午前1時24分15秒ころに通過することになるし,赤信号による停車時間
を考慮しても午前1時25分30秒ころには通過することになる上,被告人
の供述するとおり,狛江通りを南下して狛江三差路交差点から世田谷通りに
入ったとすれば,事故現場までの走行距離が2.25キロメートル,所要時
間が4分55秒であり,事故現場を午前1時24分55秒ころに通過するこ
とになるから,いずれにせよ,被告人は,本件交通事故の発生する前に事故
現場を通過していることが明らかであり,犯行車両の運転者ではあり得ない,
という。
本件交通事故の発生時刻は,午前1時27分ころである一方,被告人車両
が狛江市役所前を出発したのは,運行記録紙及び乗務記録報告書で見る限り,
午前1時20分ころとなっている。しかし,運行記録紙と実際の時間との誤
差は分からない上,乗務記録報告書の時刻はすべて5分または10分単位で
しか記載されておらず,被告人車両が狛江市役所前を出発した正確な時刻を
特定することはできない。数分のずれがあってもおかしくなく,所論のよう
な前提に立って,被告人が本件交通事故の発生する前に事故現場を通過して
いるということはできない。
4所論は,本件交通事故を目撃した証人Bの原審公判における供述によれ
ば,①犯行車両は,Bの運転するX無線タクシー(以下「B車両」とい
う。)の後ろに付いて時速30キロメートルで走行し,②その後,B車両を
追い越して,30メートル離れたBが衝突音を聞き取れるほどの衝撃で,被
害者車両に衝突したはずなのに,被告人車両の運行記録紙の解析結果によれ
ば,本件交通事故の前である午前1時25分以降において,被告人車両が時
速30キロメートルで走行したという記録がなく,また,事故を起こせばそ
の振動がタコグラフに伝導して乱れた線が残るはずなのに,被告人車両の運
行記録紙には異常な線形が認められないから,被告人車両が犯行車両でない
ことは明らかである,という。
被告人車両の運行記録紙には,急激な加速によって生じたと考えられる時
刻の戻り等があって,正確な時刻を特定することはできないものの,瞬間速
度の記録としては,減速と加速が繰り返され,最も減速した時には時速約6
ないし7キロメートルになっている。そして,減速ないし加速の過程で,一
定の速度で走行している時間帯が多少あっても,その詳細な途中経過が運行
記録紙上に表れる訳ではないと考えられる。証人Bの原審公判における供述
等を検討しても,犯行車両がB車両の後ろに付いていた時間ないし距離は,
それほど長くない。被告人車両の運行記録紙から判断して,被告人車両が時
速30キロメートルで走行していた間がなかったということはできない。
また,被告人車両の運行記録紙には衝突があったことを示すような異常な
線形は認められないが,それはタコグラフに伝導して線形に異常が生じるほ
どの振動が車体に生じなかったことを示しているにすぎない。本件交通事故
の態様からすると,タコグラフに異常な線形が生じるほどの衝撃があったは
ずであるとはいえないから,被告人車両の運行記録紙に異常な線形が残って
いないことは,被告人車両が犯行車両であることを否定する事情とはならな
い。
5所論は,本件交通事故を目撃したEは,捜査段階及び原審公判において,
被害者車両が接触した犯行車両の位置について,タイヤハウスより後ろの左
側部分で,テールランプ付近であると一貫して述べているところ,Eの自動
車に対する知識,視力,現場の明るさ,視認状況等からすると,その供述は
十分信用することができるので,犯行車両には当該部分に痕跡があるはずな
のに,被告人車両にはEの指摘する左側後部に何らの接触痕もないのである
から,犯行車両は被告人車両ではない,という。
なるほど,タクシーであるB車両に客として乗車していたEは,所論が指
摘するとおりの供述をしている。しかし,B車両は,被害者車両の蛇行運転
を見て,約20ないし30メートルの距離を保ちながらその後方を走行して
いたのであるから,Eは,本件交通事故について,一定の距離のある後方か
ら,犯行車両の側面が十分に見えないまま,一瞬の衝突状況を目撃したにす
ぎないと考えられる。運転していたBも,被害者車両が犯行車両に衝突した
箇所は,側面としか言いようがなく,前輪寄りか後輪寄りかも分からないと
述べている。Eの自動車に対する知識,視力等を考慮しても,衝突箇所に関
する証人Eの原審公判における供述及びEの検察官調書(抄本)が正確であ
るとはいえないというべきである。
6所論は,原判決は,被告人車両が犯行車両であるという根拠の一つとし
て,被告人車両に残されている線状擦過痕の高さが,犯行車両に接触した被
害者車両の右バックミラー及び右ブレーキレバー先端球部の高さとおおむね
合致している点を指摘しているが,仮にそうであるとすれば,線状擦過痕が
いずれも被告人車両のほぼ中央部から始まっている以上,右バックミラー及
び右ブレーキレバー先端球部が同時に被告人車両に接触したということにな
るものの,バックミラー及びブレーキレバー先端球部の位置関係からすると,
この二つが被告人車両に同時に接触することは物理的に不可能である,とい
う。
被害者車両の右バックミラーの黒色プラスティック面と右ブレーキレバー
先端球部に,被告人車両の左後部ドア後端部から採取したオレンジ色塗膜と
同種類の塗膜片が付着している一方で,被告人車両の左後部ドアには,車両
前端から約243センチメートル,地上からの高さ約80センチメートルの
位置を始端とする線状擦過痕があり,被害者車両の右ブレーキレバー先端球
部の高さとほぼ一致し,また,その上方に平行して,車両前端から約242
センチメートル,地上からの高さ約98センチメートルの位置を始端とし,
被害者車両の右バックミラーの黒色プラスチック素材と同種類の黒色皮膜の
付着が伴う線状擦過痕があり,被害者車両の右バックミラー枠と高さがかな
り近いことは,原判決が説示するとおりである。
そして,被害者車両がまっすぐな状態で,被告人車両と平行に接触したと
すれば,なるほど,右バックミラーと右ブレーキレバー先端球部が同時に被
告人車両に接触しないといい得るものの,被害者車両は,蛇行走行をするう
ち,左から右へとふらつき,中央線寄りを走っていた犯行車両に接触したの
であるから,被害者車両の傾き具合やハンドルの角度次第で,右バックミラ
ー及び右ブレーキレバー先端球部により,前記のような2本の線状擦過痕が
十分に生じ得るというべきである。
したがって,被害者車両の右バックミラー及び右ブレーキレバー先端球部
に,被告人車両と同種類の塗膜片が付着している一方で,被告人車両に残さ
れている2本の線状擦過痕の高さが,犯行車両に接触した被害者車両の右バ
ックミラー及び右ブレーキレバー先端球部の高さとおおむね合致していると
いう事実は,被告人車両が犯行車両であることを裏付けるものであるという
ことができる。
7所論は,本件交通事故を目撃したBは,事故直後,犯行車両のタクシー
の特徴について,Z無線で足立ナンバーのものである,同業者なので,Z無
線のタクシーであるとすぐに分かったと明確に供述しているのに,原判決が,
Bが犯行車両を間近で目撃したのは一瞬であり,捜査官の求めに応じて,目
撃者が想像を交えた不確かな情報を捜査官に提供することはあり得るなどと
して,この捜査段階の調書の記載を無視しているのは誤っている,という。
証人Bは,原審公判において,犯行車両のタクシーの色を見て,自分の営
業地域にZ無線が多いことから,Z無線のタクシーではないかと思うととも
に,足立ナンバーに荒っぽい運転をする自動車が多いことから,思い込みで,
警察官に犯行車両がZ無線で足立ナンバーのタクシーであると説明してしま
った,と供述する。
Bの事故当日及びその翌日の各警察官調書を見ても,Z無線であると思っ
た根拠については,タクシーの色,塗装等を指摘しているだけである。乗客
としてB車両に乗っていたEの警察官調書をみても,Bが犯行車両の特定に
ついて確信を抱いていたとはうかがわれない。Bの供述するとおり,本件交
通事故の状況を一瞬見たBにおいて,思い込みから,犯行車両を前記のとお
り説明してしまったにしても,不自然,不合理であるとはいえない。
8所論は,原判決は,被告人の原審公判における供述について,捜査段階
から変遷し,その変遷の理由を合理的に説明していないから,信用すること
ができない,というが,被告人は当初から一貫して否認している上,弁護人
が選任された後は,具体的供述内容も一貫しているところ,弁護人の助言が
ないまま突然身柄を拘束された段階では,自分の身を防御するためにいろい
ろな説明をすることはあり得るのであるから,原判決の指摘する事情だけで
その供述の信用性を否定するべきではなく,かえって,証人Dの供述と合致
し,その内容も合理的であるから,信用することができる,という。
所論の指摘するところを検討しても,被告人の弁解の変遷は,不自然,不
合理というべきである。また,被告人は,被告人車両の前記の線状擦過痕に
ついて,平成18年12月4日にはそのような擦過痕がなく,5日に別の人
が被告人車両に乗った後,6日になってその擦過痕を発見したと述べるもの
の,そのような場合,会社に報告することが求められているのに,その報告
をしていないというのであって,これまた,不自然である。被告人の弁解は,
信用することができない。
論旨は理由がない。
第3過失の有無に関する事実誤認ないし法令適用の誤りの主張について
論旨は,要するに,原判示第1の事実について,本件交通事故は,被害者
車両において,幅員5メートルの片道車線を目一杯に蛇行するような常軌を
逸脱した危険な走行をしていて,犯行車両の運転者が前方を走行する自動車
を追い越した際に被害者車両との間の側方間隔を十分に確保したにもかかわ
らず,急激に右側にふらついて犯行車両に衝突したことによって生じたもの
であって,犯行車両の運転者において,被害者車両のこのような走行態様を
予見することはできないから,予見義務違反も結果回避義務違反も認められ
ないのに,被告人に業務上の注意義務違反があると認めた原判決には,判決
に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認ないし法令適用の誤りがある,とい
うのである。
そこで記録を調査して検討すると,原審で取り調べた関係証拠により被告
人に業務上の注意義務違反を認めることはできないから,原判決には,判決
に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認ないし法令適用の誤りがある。以下,
その理由を説明する。
1関係証拠によれば,本件交通事故の発生の経緯等は,以下のとおりであ
ると認められる。
本件の事故現場は,最高速度が毎時40キロメートルに制限され,車道の
幅員が約10メートル(片側1車線の幅員が5メートル)の世田谷通り上り
車線上である。道路形状は直線路で,見通しが良く,路面はアスファルト舗
装され,駐車車両等の障害物は見当たらない。また,道路両側には,縁石,
ガードパイプで区分された歩道が設置されている。
被害者は,当日午前1時26分ころ,血中アルコール濃度が1ミリリット
ル中1.8ミリグラムの状態で,被害者車両を運転し,時速約30ないし4
0キロメートルで,前記世田谷通り上り車線上を,左に寄った際にはガード
レール近くまで接近したり,右に寄った際には中央線付近まで至るような蛇
行走行をしていた。
同時刻に世田谷通りを時速約50ないし60キロメートルで走行していた
B車両は,事故現場から約400メートル手前で,被害者車両に追い付いた
が,被害者車両の前記のような危険な蛇行走行を見て,これを追い越すこと
をあきらめ,被害者車両から約20ないし30メートルの距離を保ちながら,
被害者車両とほぼ同じ速度で,その後方を走行した。
すると,まもなく,時速約60キロメートルで走行していた被告人車両が,
B車両に追い付き,いったん時速約30ないし40キロメートルに減速し,
B車両にぴったり付き,左右に移動するなどしてB車両をあおった後,時速
約50ないし60キロメートルに加速してB車両を追い越した。被告人車両
は,B車両を追い越した後,徐々に左側車線に戻り,その右側車輪が中央線
に掛かったころ,道路左寄りで,被告人車両からかなり離れた側方を走って
いた被害者車両が急に右へと蛇行して,被告人車両の左側面に接触して転倒
し,本件交通事故となった。
なお,本件交通事故の際,被告人車両は,被害者車両をも追い越そうとし
ていたと推測される。そして,その直前にほぼ併走していた際,被告人車両
と被害者車両との間の側方間隔がどの程度であったかについては,厳密に特
定することができないものの,証人Bは,原審公判において,被告人車両と
被害者車両との間隔は,かなり離れていて,おそらく1.5メートル以上離
れていたのに,その時点で被害者車両が右へとふらついて被告人車両にぶつ
かった,と供述している。また,証人Eも,原審公判において,被害者車両
が左から右へと寄っていったために被告人車両にぶつかったものであり,被
害者車両の走行は尋常でなく,被告人車両の運転者にとっては横から突っ込
まれたような感じとなり,非常に気の毒である,と供述している。これらの
供述を総合すると,通常の原動機付自転車を前提とする限り,被告人は,被
害者車両との間に十分に安全な側方間隔を保持していた,というべきである。
2以上によれば,被告人は,先行するB車両を追い越した上,更に被害者
車両を追い越すに当たり,被害者車両が通常の原動機付自転車であったとす
ればその間に十分な側方間隔を保持しており,道路の幅員や道路事情等から
しても,被害者車両にとって道路左端まで余裕があり,真っ直ぐに進行する
上で支障となる物も全くなかったのに,被害者が酒に酔っていたために急に
右へと蛇行した結果,被害者車両が被告人車両に接触して転倒し,本件交通
事故となったということができる。
通常の原動機付自転車の運転者を前提とすれば,被告人は,被害者車両と
の間に十分に安全な側方間隔を保持しつつ,これを追い越そうとしているの
であるから,その際,側方にいる被害者車両の動静を更に注視しながら進行
するべき義務はないといわざるを得ない。そうすると,被害者がしたような
異常な急接近行為をあらかじめ予測し得るような特段の事情がない限り,被
告人には,被害者車両の動静を十分注視し,その間に安全な側方間隔を保持
して被害者車両との安全を確認した上で左方に進路変更するべき業務上の注
意義務違反があるとはいえないので,以下,前記の特段の事情の有無につい
て検討する。
3前記のとおり,B車両は,事故現場から約400メートル手前で,時速
約30ないし40キロメートルで走行していた被害者車両に追い付き,蛇行
運転の状況を見て被害者車両を追い越さないこととし,被害者車両から約2
0ないし30メートルの距離を保ってその後方を走行していた。被告人車両
は,まもなく,B車両に追い付き,ぴったり接近し,左右に移動するなどし
てB車両をあおった後,B車両を追い越し,被害者車両と接触したものであ
る。
そこでまず,被告人車両がB車両の追い越しを始めた以降の状況を検討す
る。被告人車両は,B車両の追い越しを始めてからまもなく,被害者車両を
直接見ることのできる状態となったが,その際,被害者車両が車線の左方向
へ寄ったことが認められる(その間,よろよろしながら左方向にいったとま
では認められない。)。結果的にみれば,酒に酔っていたための蛇行運転の
一環とも考えられるが,その状況だけからすれば,被害者において,追い越
しをしようとして後方から近付いてくる被告人車両に気付いたために左に寄
った,と考えても何ら不自然ではない。そうすると,追い越しを開始した以
降に,異常な急接近行為を予測し得るような事情は認められないといわざる
を得ない。
次に,被告人車両がB車両の追い越しを始める以前の状況をみるに,まず,
被告人車両がB車両に追い付いてから追い越しを開始するまでの時間及び距
離を検討する。
証人Bの原審公判(原審第7回)における供述によれば,速記録添付の地
図で被告人車両がB車両に追い越しをかけたとしており,その地点は,事B
故現場の手前約300メートル付近であるから,被告人車両がB車両の後ろ
を追走していた距離は,約100メートルということになる。証人Bは,被
告人車両の接近に気付いてから被告人車両が追い越しをかけるまでの間隔に
つき,地図上でみる限り,約80ないし90メートル程度の比較的短い距離
を示している。また,証人Eの原審公判における供述によれば,B車両が被
害者車両と一定の距離を保ってその後方を追走し始めてから,被告人車両が
B車両の追い越しをかけるまでの時間は,5秒から10秒くらいというので
あり,B車両の速度と併せて考えると,被告人車両がB車両の後方を追走し
ていた距離は,約40ないし110メートルという計算になる。これらの供
述に基づけば,被告人車両がB車両の後方を追走していた距離は,約100
メートルとも考えられる。
もっとも他方,B車両が被害者車両に追い付いてから,被告人車両がB車
両に追い付くまでの時間及び距離は,具体的に特定することができないもの
の,B及びEにおいてB車両が被害者車両に追い付いたとする地点と,被告
人車両を追尾していたCにおいて被告人車両の速度が遅くなったとする地点
とは,それほどの距離差があったとは認められないから,前記のとおり,B
車両が被害者車両に追い付いてからまもなく,被告人車両がB車両に追い付
いたものと考えられる。また,被告人車両がB車両の追い越しを開始した地
点から事故現場までの距離についても,厳密に特定することはできないが,
事故直後にBの立会いに基づいて作成された実況見分調書によれば,被告人
車両がB車両の横に並んだ地点から本件交通事故の衝突地点までは約72.
8メートルであるとされている。また,証人Eの原審公判における供述によ
れば,被告人車両がB車両に追い越しをかけてから,被害者車両が被告人車
両に衝突するまでの時間は5ないし6秒くらいであるとしており,被告人車
両の速度を併せ考えると,被告人車両がB車両に追い越しをかけてから本件
交通事故の衝突地点までは,約70ないし100メートルという計算になる。
なお,被害者車両が時速約30ないし40キロメートルで走行し,被告人車
両が時速約50ないし60キロメートルで走行していた場合,1秒間に約2.
8メートル(それぞれ時速40キロメートルと時速50キロメートルの場
合)ないし約8.3メートル(それぞれ時速30キロメートルと時速60キ
ロメートルの場合)の差が生じるため,車間距離が30メートルであったと
すれば,被告人車両は,被害者車両に衝突するまでに,約60ないし150
メートル走行するという計算になる。これらの事情等を総合すると,被告人
車両がB車両の後ろを走っていた距離は,約250ないし300メートルと
も考えられる。
これらの数字は,結局のところ,一瞬の事故を目撃した者らの時間感覚,
距離感覚に基づいて考察しているものであり,いずれの証人も,意図的に虚
偽の供述をしているとは考えられないし,知覚条件等に大きな違いがあった
ともいい難いから,そのいずれが正しいとは確定することができないという
ほかない。
そうすると,認定し得る事実は,被告人は,事故現場の約400メートル
手前でB車両に追い付き,約100ないし300メートルの間,B車両を追
走し,その間,ぴったり接近し,左右に移動するなどしてB車両をあおった
後,B車両の追い越しを開始したということになる。
そこで,以上を前提に,被告人車両がB車両を追走していた間に,被害者
がしたような異常な急接近行為をあらかじめ予測し得るような特段の事情が
あったといえるかどうかを検討する。
事故現場の約400メートル手前から事故現場までは,ほぼ直線道路とな
っている。被告人車両は,B車両に接近して追走しており,運転していた被
告人が,B車両に先行する被害者車両の蛇行状況を直接目撃していたと認め
るに足りる証拠はない。
もっとも,被告人車両は,約100ないし300メートルの間,B車両を
追走し,その間,ぴったり接近し,左右に移動するなどしてB車両をあおっ
たものの,B車両の速度は,時速約30ないし40キロメートルのままであ
ったのであり,深夜という時間帯や道路状況等からすれば,通常のタクシー
であれば,制限速度を超えて走行するであろうと考えられるから,被告人に
おいて,B車両の前方に,B車両が速度を上げるのを困難ならしめるような
車両等が走行していることを予想し得たということができる。そして,B車
両を追い越す際,その前方に被害者車両が走行しているのを目撃したはずで
あるから,その時点で,B車両が速度を上げなかったのは被害者車両のせい
である,ということを認識した,と考えられる。
しかしながら,原動機付自転車であれば,約30ないし40キロメートル
で走行するのは普通である上,車道の左寄りを走行しない場合もまま見られ
るところである。そして,例えば原動機付自転車が車道の中央ないし右寄り
を走行している場合,後続の車両において,しばらくの間,これを追走しな
がら様子を見るというのも十分にあり得るところであるから,被告人車両に
おいて,約100ないし300メートルの間,B車両を追走し,その間,ぴ
ったり接近し,左右に移動するなどしてB車両をあおったにもかかわらず,
B車両が速度を上げなかったからといって,その前を走行する被害者車両が
それまで異常な蛇行運転をしていたことをも推測させるとはいい難い。
本件では,被告人は,前記のとおり,一般的に考えれば被害者車両との間
に安全といえるような側方間隔を保持していたのであるから,被告人におい
て,被害者車両がそのような側方間隔では不十分なほどに異常な運転をする
ことを予想し得るような事情が必要となるところ,前記の各事実だけでは,
そのような事情には当たらないというべきである。
そうすると,被告人が,被害者車両の動静を注視し,安全な側方間隔を保
持するなどの業務上の注意義務に違反した,とはいえないということになる。
被告人が,被害者車両の動静に注意を払うことなく,安全な側方間隔を保持
するなど安全を確認しないまま,時速約60キロメートルで左方に進路変更
するという過失を犯したと判断した原判決には,判決に影響を及ぼすことが
明らかな事実誤認ないし法令適用の誤りがあるというべきである。
論旨は理由がある。
第4破棄自判
以上によれば,原判決には,原判示第1の事実について被告人が有罪であ
るとの証明がないのに,有罪であるとした事実誤認ないし法令適用の誤りが
あり,原判決は,原判示第1及び第2の事実を併合罪の関係にあるとして1
個の刑を言い渡しているから,その全部について破棄を免れない。
よって,刑訴法397条1項,380条,382条により原判決を破棄し,
同法400条ただし書を適用して,被告事件につき更に判決する。原判決が
認定した原判示第2の事実(ただし,「前記日時場所において,前記のとお
りAに傷害を負わせる交通事故を起こしたのに」とあるのを「平成18年1
2月13日午前1時27分ころ,業務として普通乗用自動車を運転し,東京
都世田谷区Sa丁目b番先道路を狛江方面から環八通り方面に向かい進行して
いた際,自車左側部を同方向に走行中のA(当時62歳)運転の原動機付自
転車に接触させ,Aを原動機付自転車もろとも路上に転倒させて硬膜下血腫
等の傷害を負わせる交通事故を起こしたのに」と改める。)に法令を適用す
ると,被告人の原判示第2の所為のうち,救護義務違反の点は平成19年法
律第90号附則12条により同法による改正前の道路交通法117条,72
条1項前段に,報告義務違反の点は,道路交通法119条1項10号,72
条1項後段にそれぞれ該当するが,これは1個の行為が2個の罪名に触れる
場合であるから,刑法54条1項前段,10条により1罪として重い救護義
務違反の罪の刑で処断することとし,所定刑中懲役刑を選択し,その所定刑
期の範囲内で被告人を懲役8月に処し,原審における未決勾留日数の算入に
ついて同法21条を,原審における訴訟費用を被告人に負担させないことに
ついて刑訴法181条1項ただし書をそれぞれ適用する。
(量刑の理由)
本件は,タクシー運転手であった被告人が,深夜,タクシーを走行させて
いた際,被害者の運転する原動機付自転車と接触して転倒させ,負傷を負わ
せる交通事故を起こしたのに,現場から逃走して,救護義務及び報告義務を
怠った,という道路交通法違反の事案である。
被告人は,職業運転手であり,事故の状況からすれば,被害者に重大な結
果が生じたであろうことが予想し得たのに,事故後全く停止しないで,現場
から逃走しており,強い非難に値する。被告人は,交通事故を起こしたこと
を争い,不自然かつ不合理な弁解をしており,反省の態度がみられない。被
告人の刑事責任を軽くみることはできない。
そうすると,長期にわたって勾留されていたことなど,被告人のために酌
むべき事情を考慮しても,主文掲記の刑が相当である。
(一部無罪の理由)
本件公訴事実中,業務上過失致死の事実(訴因変更後のもの)は「被告人
は,平成18年12月13日午前1時27分ころ,業務として普通乗用自動
車を運転し,東京都世田谷区Sa丁目b番先道路を狛江方面から環八通り方面
に向かい進行中,進路前方を同方向に進行中のB運転の普通乗用自動車を右
側から追い越す際,当時夜間であり,交通量はさほど頻繁ではなかったのに,
同車が同所に至るまでの約400メートルの間,時速約30キロメートルの
比較的低速度で進行していた上,自車を加速させて前記B運転車両の後方直
近に接近させ,いわゆるあおり走行をしたにもかかわらず,同車が速度を上
げないで前記速度のまま走行しており,同車の前方には同車が速度を上げる
ことを困難ならしめるような車両等が走行していることもあり得たのである
から,前記B運転車両を右側から追い越して左方に進路変更するに当たり,
前方左右を注視し,進路の安全を確認するはもとより,折から同車前方を同
方向に進行していたA(当時62年)運転の原動機付自転車の動静を十分注
視し,同原動機付自転車との間に安全な側方間隔を保持して同原動機付自転
車との安全を確認した上で左方に進路変更すべき業務上の注意義務があるの
にこれを怠り,前方左右及び同原動機付自転車の動静を注視せず,進路の安
全を確認することもなく,同原動機付自転車との間に安全な側方間隔を保持
しないまま漫然時速約60キロメートルで左方に進路変更した過失により,
同原動機付自転車右側部に自車左側部を衝突させて同原動機付自転車もろと
も同人を路上に転倒させ,よって,同人に硬膜下血腫等の傷害を負わせ,同
日午前10時10分ころ,東京都武蔵野市内M病院において,同人を上記傷
害により死亡させた」というものであるが,既に判示したとおり,この事実
については犯罪の証明がないから,刑訴法336条により,被告人に対し無
罪の言渡しをする。
よって,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官阿部文洋裁判官吉村典晃裁判官堀田眞哉)

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