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平成24年(う)第794号殺人,現住建造物等放火被告事件
平成29年3月2日大阪高等裁判所第1刑事部判決
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は,検察官作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり,これ
に対する答弁は,弁護人ら連名作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから,こ
れらを引用する。
論旨は,訴訟手続の法令違反と事実誤認の主張である。
第1本件の経過
1公訴事実の要旨
平成14年4月14日(以下,「本件事
件当日」といい,特に記載のない限り,年は全て平成14年である。)午後3時30
分頃から同日午後9時40分頃までの間に,大阪市a区b町c番d号所在のマンショ
ンe(以下「本件マンション」という。)f号室(以下「f号室」という。)のA方
において,その妻B(当時28歳)に対し,殺意をもって,同所にあったナイロン製
ひもでその頸部を絞め付けるなどし,よって,その頃,同所において,同女を頸部圧
迫により窒息上記日時場所において,A及びB夫婦の長男であ
るC(当時1歳)に対し,殺意をもって,f号室浴室の浴槽内の水中にその身体を溺

件マンションに放火しようと考え,同日午後9時40分頃,f号室6畳間において,
同所にあった新聞紙及び衣類等にライターで火をつけ,その火を同室の壁面,天井等
に燃え移らせ,よって,Aらが現に住居として使用する本件マンションのうちf号室
の壁面及び天井等を焼損し,もって,本件マンションを焼損した」というものである。
2基本的事実関係
関係証拠によって認められる本件の基本的事実関係は,以下のようなものである。
関係者等
被告人は,昭和56年11月Dと婚姻し,間もなく,Dの子のAと養子縁組して,
Aが成長するまでは,D及びAと3人で暮らしていたが,本件当時は,大阪府富田林
市内のマンションで,Dと2人で暮らしていた。
Aは,平成12年3月Bと婚姻して,同年6月Cをもうけた。
BとCは,当初,マンションg,hなどで,Aと共に暮らしていたが,Aの女性問
題等から,平成13年9月末頃hを出て,その頃から同年10月24日頃まで,上記
当時の被告人方で被告人及びDと同居した。しかし,BとCは,同日頃,被告人方を
出てhに戻り,1月には,Aと共にhを出てホテルを転々とするようになり,3月2
日,f号室に入居した。
被害者らの死因等
本件事件当日午後9時45分頃,f号室で火災が発生し,同室内でB及びCが,消
火に当たった消防署員により発見されたが,その時点で既にB及びCは死亡していた。
状況から見て,出火原因は放火と考えられる。
Bの死因は頸部圧迫による窒息であり,Cの死因は溺死であって,いずれも他殺と
考えられる。B及びCの死亡推定時刻は,いずれも,同日午後4時ないし午後6時頃
である。
3本件起訴に至る経緯等
本件事件当日の翌日(4月15日)午前0時30分から午前5時30分頃までの間,
本件マンション周辺の鑑識活動が行われ,その際,本件マンションの西側階段の1階
から2階に至る踊り場に置かれていたスタンド灰皿(以下「本件灰皿」という。)の
中から,被告人が好んで吸っていた銘柄(ラークスーパーライト)の吸い殻1本(以
下「本件吸い殻」という。)が発見された。なお,本件灰皿からは,Bが吸っていた
たばこと同一銘柄(マルボロライト・金色文字)の吸い殻4本(以下「本件マルボロ
ライトの吸い殻」という。)も発見された。
本件吸い殻の鑑定の結果,本件吸い殻に付着した唾液中の細胞のDNA型が,被告
人の血液のDNA型と一致した。
被告人は,事件後,警察官による任意の取調べやポリグラフ検査を受けるなどして
いたが,11月16日,本件殺人の被疑事実で通常逮捕され,引き続き勾留の上,1
2月7日起訴され,さらに,同月8日,本件放火の被疑事実で通常逮捕され,引き続
き勾留の上,12月29日起訴された。
4本件の審理経過
被告人は,起訴後,一貫して,本件事件当日及びそれ以前に,本件マンションの敷
地内に立ち入ったことはなく,本件事件の犯人ではない旨主張して,公訴事実全てに
ついて犯人性を争っている。
大阪地裁は,平成17年8月3日,公訴事実とほぼ同旨の事実を認定して,被告人
を無期懲役に処し,控訴審である大阪高裁は,平成18年12月15日,1審判決を
破棄して,被告人を死刑に処したが,最高裁は,平成22年4月27日,上記各判決
を破棄して,事件を大阪地裁に差し戻した。
差戻審裁判所である大阪地裁は,平成24年3月15日,被告人に対して,無罪の
言渡しをした。
原判決に対して,検察官が控訴をし,本件はその控訴審である。
5差戻前1審判決の要旨
差戻前1審判決は,次のとおり,⑴ないし⑷の間接事実を認定した上,これらの事
実が相互に関連し合ってその信用性を補強し合い,推認力を高めているとして,上記
公訴事実とほぼ同旨の事実を認定し(ただし,放火の方法については,「何らかの方
法で点火」と認定した。),被告人を無期懲役に処した。
⑴被告人が,本件事件当日,現場である本件マンションに赴いたこと
差戻前1審判決が,上記間接事実を認定した根拠は,被告人が,本件事件当日午後
2時過ぎに自宅を出て,自動車を運転して大阪市a区方面に向かい,同日午後10時
頃まで,同区内ないしその周辺で行動していたことのほか,次のアないしオの点であ
る。
ア本件灰皿から採取された本件吸い殻に付着していた唾液中の細胞のDNA型が,
被告人の血液のDNA型と一致しており,被告人が,本件事件当日あるいはそれまで
の間に本件マンションに立ち入り,本件灰皿に本件吸い殻を投棄したと認められるこ

イ本件事件当日午後3時40分頃から午後8時頃までの間,被告人が当時使用し
ていた自動車と同種・同色の自動車が,本件マンションの北方約100mの地点に駐
車されていたこと
ウ被告人自身が,捜査段階において,本件事件当日に自己の運転する自動車を同
地点に駐車していたことを認めていたこと
エ本件事件当日午後3時過ぎないし午後3時半頃までの間に,本件マンションか
ら北北東約80mに位置するバッティングセンターにおいて,被告人によく似た人物
が目撃されていたこと
オ被告人自身,本件事件当日はAないしA宅を探してa区内ないしその周辺に自
動車で赴いたことを自認していること
⑵被告人は,本件当時,背信的な行為を取り続けるAに対して,怒りを募らせる
一方,被告人の恋慕の情に基づく誘いを拒絶した上で,Aと行動を共にし,Aに追随
するかのような態度を見せたBに対しても,同様に憤りの気持ちを抱くようになった
と推認でき,何らかの事情を切っ掛けとして,Bに対して怒りを爆発させてもおかし
くない状況があったこと
⑶被告人の行動に,本件事件当日夕方,特に理由もなく約束を違えてDを迎えに
行かず,B及びCが死亡した可能性が高い時刻頃,携帯電話の電源を切り,Dに迎え
に行けないとメールで伝えた後,出火時刻の約20分後までDと連絡を取っていない
など,著しく不自然な点があること
⑷被告人の本件事件当日の自身の行動に関する供述が,曖昧で漠然としたもので
あり,不自然な点が散見される上,不合理な変遷も見られ,全体として信用性が乏し
いものであり,被告人は特段の事情がないのに,本件事件当日の行動について説明が
できていない部分があること。また,Bが,生前,限られた人物が訪れたときしかド
アを開けなかったこと,幼いCを殺害しているのは口封じの可能性が高いこと,現場
に放火して徹底的な罪証隠滅工作が行われていることなどから,本件犯行は被害者と
近しい関係にある者が敢行した可能性があること
なお,差戻前1審判決は,本件事件当日に本件マンション敷地内に入って階段を上
ったことがある旨認める供述をした被告人の平成14年8月17日付け警察官調書
(差戻前1審乙14)は任意性及び信用性が認められ,これによっても,被告人の犯
人性が肯定されるという判断が補強されるとした。
6差戻前控訴審判決の要旨
差戻前1審判決に対し,被告人が,被告人の上記警察官調書(差戻前1審乙14)
の任意性を肯定したことについての訴訟手続の法令違反と事実誤認を理由として,検
察官が,量刑不当を理由として,それぞれ控訴したところ,差戻前控訴審判決は,要
旨,①被告人の上記警察官調書に任意性を認めて取り調べた1審裁判所の措置は違
法であるが,これを排除しても事実認定は異ならないから,その違反が判決に影響を
及ぼすことが明らかとはいえない,②被告人が本件各犯行の犯人であると認めた差
戻前1審判決の事実認定に誤りはない,とした上で,③検察官の主張する量刑不当
の控訴趣意に理由があるとして,差戻前1審判決を破棄して被告人を死刑に処した。
7上告審判決の要旨
被告人の上告に対し,上告審裁判所は,差戻前1審判決及び同控訴審判決は,本件
吸い殻に関して存在する疑問点を解明せず,かつ,間接事実に関して十分な審理を尽
くさずに判断したものであり,その結果事実を誤認した疑いがあるとして,両判決を
破棄し,本件を大阪地裁に差し戻した。
その理由の要旨は,次のとおりである。
⑴刑事裁判における有罪の認定に当たっては,合理的な疑いを差し挟む余地のな
い程度の立証が必要であるところ,情況証拠によって事実を認定すべき場合は,直接
証拠がないのであるから,情況証拠によって認められる間接事実中に,被告人が犯人
でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは,少なくとも説明が
極めて困難である)事実関係が含まれていることを要するものというべきであるが,
本件において認定された間接事実は,この点を満たすものとは認められず,差戻前1
審及び同控訴審で十分な審理が尽くされたとはいい難い。
すなわち,
ア差戻前1審判決は,本件吸い殻に付着した唾液中の細胞のDNA型が被告人の
血液のそれと一致したという事実から,被告人が,本件事件当時,本件マンションに
赴いたという事実を推認し,これを最大の根拠として,間接事実から被告人が犯人と
推認しているが,この点について,被告人は,自分がB夫婦に対し,自らが使用して
いた携帯灰皿を渡したことがあり,Bがその携帯灰皿の中に入っていた本件吸い殻を
本件灰皿内に捨てた可能性がある旨反論をしているところ,この点に関する原判決の
判断は十分な根拠のあるものではなく,また,本件吸い殻はフィルター部分が全体に
茶色っぽく変色しており,本件事件当日よりもかなり以前に捨てられた可能性さえあ
るのに,本件記録中には,本件吸い殻の変色の理由を合理的に説明できる根拠がない
から,被告人の上記反論を否定した原審及び差戻前1審の判断は不合理であり,前記
被告人が本件事件当日に本件マンショ
ンに赴いたという事実を認めることはできない。
イDNA型の一致からの推認について,被告人から具体的に疑問が提起されてい
るのに,①本件灰皿に遺留されていたたばこの吸い殻のうち,Bが吸っていたたば
こと同一銘柄の本件マルボロライトの吸い殻4本に付着する唾液等からBのDNA型
に一致するものが検出されれば,Bが携帯灰皿の中身を本件灰皿に捨てた可能性が極
めて高くなるのに,この点について鑑定等を行ったような証拠は存在せず,②本件
灰皿内での本件吸い殻の位置等の状況についても証拠は十分でなく,③本件吸い殻
が茶色く変色していることに関して,被告人が本件事件当日に本件吸い殻を捨てたと
きから採取までの間に水に濡れる可能性があったかどうかについて捜査が十分にされ
ていなかったとうかがわれ,審理が尽くされているとはいい難い。
ウ仮に,被告人が本件事件当日に本件マンションに赴いた事実が認められたとし
ても,認定されている他の間接事実を加えることによって,被告人が犯人でないとし
たならば合理的に説明できない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)事
実関係が存在するとまでいえるかどうかにも疑問があり,差戻前1審判決が掲げる間
接事実のみで被告人を有罪とすることは著しく困難である。
⑵被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは,
少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が存在するか否かという観点から,差
戻前1審が有罪認定に用いなかったものも含め,他の間接事実についても更に検察官
の立証を許し,これらを総合的に検討することが必要である。
8原審の審理の概要
原審検察官の主張の要旨
原審検察官は,被告人の犯人性を推認させる間接事実として,次のアないしクのと
おり主張した。
ア本件は,Bらに近しい関係にある者による犯行であり,そのような者の中で犯
行の機会があったのは,被告人のみである。
イ被告人は,本件事件当日,f号室に入った。
この点を基礎付ける事情は以下のとおりである。
被告人は,f号室に入ったことがないと述べているのに,本件事件当日のf号
室内の様子を知っていた。
被告人は,Bと最後に会話をしたのが3月14日と供述しているのに,Aらが
本件直前の時期にたばこの銘柄を変えたことなど,本件事件当日にBと会っていなけ
れば知り得ない事情を知っていた。
被告人は,本件事件当日,Aらがf号室で暮らしていることを知っていた。
被告人が本件事件当日はいていた靴内に,f号室で飼われていた犬とDNA型
が一致する犬の毛が付着していた。
ウ被告人は,本件事件当日,本件マンションに行った。
この点を基礎付ける事情は以下のとおりである。
被告人は,本件事件当日,本件灰皿に本件吸い殻を捨てた。
被告人は,犯行時刻に重なる時間帯に,使用車両を本件マンション近くに駐車
していた。
被告人に酷似した人物が,犯行直前の時間帯に,本件マンション近くのバッテ
ィングセンターで目撃された。
エ被告人は,本件事件当日の行動について虚偽の供述をしており,f号室に入っ
たことや,本件マンションに行った事実すらも隠そうとしている。
オ被告人は,犯行時刻に重なる時間帯に携帯電話の電源を切っていた。
カ被告人は,本件当時,A及びBに対して怒りを抱いており,本件犯行の動機と
なり得る背景事情があり,被告人には感情の起伏が激しく粗暴な面がある。
キ被告人を犯人とすると整合する事実がある。
その具体的内容は以下のとおりである。
本件事件当日から4月15日にかけての被告人の行動が不自然であること
被告人には,左上腕部のあざやデニムシャツの絞りじわなどといった犯行の痕
跡があること
被告人には,周囲の者に自分にアリバイがないことを強調するなど,犯人なら
ではの心理の現れというべき行動があったこと
Dが被告人に疑いを持ち,家出をしたこと
クポリグラフ検査の結果が,被告人が犯人であることと整合すること
そして,原審検察官は,以上のような,被告人が犯人であることを推認させる複数
の間接事実が重なって存在する事実関係にあることが,被告人が犯人でないとすれば
合理的に説明できないか,説明することが極めて困難な事実関係であると主張した。
⑵原審弁護人の主張の要旨
これに対して,原審弁護人は,原審検察官から,本件吸い殻の変色を合理的に説明
する証拠は提出されておらず,被告人がf号室に立ち入った事実を認めるべき新たな
証拠もないなどとした上で,上告審判決が提起した疑問は解消されておらず,情況証
拠によって認められる間接事実中に,被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明
することができない(あるいは少なくとも説明が極めて困難である)事実関係は何ら
明らかにされていないとして,被告人は無罪である旨主張した。
⑶原審における証拠調べ
原審検察官は,被告人のDNA型が検出されたたばこの吸い殻の存在及び形状を立
証趣旨として本件吸い殻の,f号室から発見された携帯灰皿の存在及び形状を立証趣
旨として携帯灰皿2個の証拠調べを請求したほか,たばこの変色実験の状況等や関係
者のアリバイについての捜査状況等に関して書証や関連する証人の取調べ請求をし,
原審弁護人も複数の書証や証人の取調べ請求をした。
原審裁判所は,これらの請求証拠の一部を採用して取り調べたが,次の原審検察官
請求証拠を含む複数の証拠請求を却下した。
ア再現した屋外スタンド灰皿内に火がついたたばこを投棄した場合の吸い殻の状
態及び形状等を立証趣旨とする,平成22年10月11日付け実況見分調書(原審甲
30。以下「たばこ投棄実況見分調書」という。)
イ携帯灰皿内に立ち消えにしたたばこの吸い殻を入れて長時間放置する実況見分
の状況,同たばこを携帯灰皿内に放置しても,変色は進まなかったことを立証趣旨と
する,平成22年9月22日付け実況見分調書(同42。以下「吸い殻放置実況見分
調書」という。)
ウBは,普段,携帯灰皿を使う習慣はなかったことを立証趣旨とする証人E(原
審人15)
エ証人D(同1)のうち,「被告人が事件前から,Aの勤務日,出勤時間及び帰
宅時間を把握していたこと,平成14年3月及び4月当時の被告人の行動」,「被告
人は,休日にはDと連絡が取れることができるよう,いつも携帯電話の電源を入れて
おり,Dがメールを送ればすぐに返信していたこと,平成14年4月14日の被告人
の言動,事件後の被告人の不審な言動,被告人に対して不信感を抱いた経緯等」,
「事件前後の被告人の不審な言動を見聞きしており,これは誤解や思い込みではない
こと等」,「被告人がCに対して,「うるさい」旨言って,勢いよく手を振って追い
払ったり,平成13年12月末頃,「C」と名付けた人形の頭を引きちぎるなどの行
動に出たことがあったこと等」を立証趣旨とする部分(以下「証人Dに関する却下部
分」という。)
なお,原審検察官は,上告審判決が指摘した,①本件マルボロライトの吸い殻に
付着する唾液等のDNA型鑑定,②本件灰皿内での本件吸い殻の位置等の状況,③
被告人が本件事件当日に本件吸い殻を捨てたときから採取までの間に水に濡れる可
能性については,②に関して,本件灰皿と同種の灰皿を用いた再現実験の状況等を立
証趣旨として捜査報告書(原審甲24)を請求したほかは,格別の立証をしなかった。
このうち,本件マルボロライトの吸い殻に付着する唾液等のDNA型鑑定が行われな
かったのは,捜査機関に保管されているはずの本件マルボロライトの吸い殻が,保管
中に紛失したためである。
また,原審検察官は,平成22年7月30日,①Bの頸部に巻き付けられていた
リード付胴輪,B及びCの被害時の着衣に人血,皮膚片等が付着しているか,付着し
ていればそのDNA型の鑑定,②被告人の口腔内細胞のDNA型の鑑定を内容とす
る鑑定の請求をし(原審人・他1),原審弁護人も鑑定そのものに異議はないと述べ
たが,同年9月30日,これを撤回した。
9原判決の要旨
原判決は,要旨,次のとおり判示して,被告人に対して無罪の言渡しをした。
結論部分の要旨
被告人が,本件事件当日,f号室に入ったという事実は認定できず,被告人が本件
マンションに赴いた事実についても,本件吸い殻が携帯灰皿を経由してBによって捨
てられた可能性が高いといえることからすると,合理的疑いを差し挟む余地のない事
実として認定することは著しく困難である。検察官が主張するその他の間接事実は,
被告人の犯人性を推認させるものとしては強力なものとはいえず,f号室への立入り,
少なくとも本件マンションに赴いたという事実が認められて初めて犯人性を推認させ
る事実として意味を持つものにすぎない。念のため,その証拠価値等について検討し
ても,①本件が被害者らと近しい関係にある者による犯行であるとは断定できず,
②被告人の本件事件当日の行動についての説明は不審を抱かせるものといえても,
虚偽とは断定できず,虚偽であっても,そのことから,被告人が本件マンションやf
号室に入ったことを推認することはできず,③犯行動機についても,犯行動機にな
り得る背景事情があるという程度にとどまり,④その他の間接事実も,被告人が犯
人であるとすれば,原審検察官が主張するような説明等ができるというにとどまるも
ので,いずれも被告人の犯人性を積極的に推認させるものではない。関係証拠により
認められる間接事実は,被告人が犯人でなくても説明が可能な事実であり,そのよう
な事実が複数認められることも,被告人と被害者らの間に一定の関係があることから
すると不自然ではなく,被告人が犯人でないとすれば合理的に説明できない(あるい
は,少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が存するといえるかどうかについ
ては疑問が残る。
各論点についての判断の骨子
ア被告人が,本件事件当日,f号室に入ったとする点について
被告人が,6月16日に作成したf号室内の図面(別紙3,以下「本件現場室
内図」という。)に,検察官が,犯人でなければ知り得ないと主張する記載があるの
は,Aらの話や報道を基にf号室内の様子を推測するなどしたことによると見ること
ができる。
家賃の滞納があったことや,Aがたばこの銘柄を変えたことは,本件事件当日
にBと会わなくても知り,あるいは推測することができる。
被告人が本件事件当日にはいていた靴内に付着していた獣毛様のものがf号室
内で飼われていた犬の毛に由来するものとはいえない。
被告人がAらがf号室で暮らしていることを知っていたと断定できず,知り得
る状況にあったといえるにとどまる。
この点に関する検察官の主張は,根拠となる事実が認められないか,認められると
しても推認力が乏しいもので,これらを総合しても,被告人が,本件事件当日,f号
室に入ったと推認することはできない。
イ被告人が,本件事件当日,本件マンションに赴いたとする点について
被告人が本件吸い殻を本件灰皿に投棄したことについて
a本件吸い殻の変色について
本件吸い殻の変色は,採取された当初から,他のたばこの吸い殻と比較すると一見
して明らかな程度に濃いものであったところ,検察官が立証した実験の結果,変色し
たたばこの吸い殻の中に,時の経過によって更に変色が進んだものがあったことは,
変色の原因が時の経過にあるのではないかという上告審判決の指摘を裏付けている。
b本件吸い殻が携帯灰皿を経由して本件灰皿に投棄された可能性について
本件吸い殻が携帯灰皿を経由して本件灰皿に投棄された可能性があるという被告人
の主張は,検察官の主張立証を踏まえても排斥できない。
検察官の主張を踏まえ,本件の全証拠関係をつぶさに検討しても,本件吸い殻がB
により本件灰皿に投棄された可能性を完全に否定することは困難である。
本件事件当日,被告人が当時使用していた自動車と同種・同色の自動車が本件
マンション付近に駐車されていたことなど検察官が主張するその余の事情からは,被
告人が本件事件当日に本件マンションに赴いたとしてもおかしくない状況があるとい
えるだけで,これらの事情から,被告人が,本件事件当日,本件マンションに赴いた
ことを推認することはできない。本件吸い殻がBにより本件灰皿に投棄された可能性
があることからすると,これらの事実に,本件吸い殻が本件灰皿から採取されたこと
を併せても,そのような推認はできない。
被告人の警察官調書(差戻前1審乙14)中の,本件事件当日,本件マンショ
ンに赴いたという供述は,同調書の作成経過,取調べ状況,供述内容に照らし,信用
性が極めて乏しく,独立の証拠価値はない。
したがって,被告人が本件事件当日に本件マンションに赴いたとの事実は認定でき
ない。
ウその他の間接事実
被告人が本件犯行の犯人像に合致するとする点について
第三者による犯行の可能性は否定できず,被害者らと近しい関係にある者による犯
行とは断定できない。
被告人の本件事件当日の行動についての説明について
本件事件当日の行動に関する被告人の供述は,虚偽であると断定し得るものではな
く,仮に,虚偽であるとしても,そのこと自体から,被告人がf号室に入ったことや
本件マンションに赴いたことを直接推認することはできない。
被告人が犯行時刻頃に携帯電話の電源を切っていたという点について
検察官の主張は,被告人が犯人であることを前提とした上での推測であり,被告人
が犯行時刻頃に携帯電話の電源を切っていたことは,被告人が犯人であることを積極
的に推認させるものではない。
犯行動機の点について
仮に,被告人に,Bに対して怒りを爆発させてもおかしくない状況があったとして
も,そのことは,被告人が本件事件当日Bと会ってやり取りをしたことなどが推認で
きて初めて犯人性を推認させる間接事実になるにすぎず,本件マンションに赴いたこ
とすら認定できない本件証拠関係のもとでは,被告人が犯人であることと整合する事
実とはいえない。
被告人の不自然な行動の点について
経緯や背景事情を踏まえると,不自然とまで評価できるものではない。
犯行の痕跡とされる点について
根拠となる証言に疑問がある上,それ自体犯行と直ちに結びつくものか疑問がある
ものなどであって,犯行の痕跡と断定できるものではない。
犯人ならではの心理の現れと指摘する言動について
いずれも被告人が犯人であるとすれば,そのように解する余地もあるといえる程度
のもので,被告人が犯人でなくとも十分説明が可能なものばかりである。
Dが被告人を犯人と確信して家出をしたという点について
Dが被告人を犯人と確信したとしても,犯人性を推認させる間接事実として意味が
あるのは個々の間接事実であり,Dが確信したこと自体は,被告人の犯人性と結びつ
くものではない。
ポリグラフ検査の点について
本件ポリグラフ検査は多くの問題を含んでおり,被告人が犯人でなかったとしても,
検察官が指摘する質問の裁決項目に顕著な特異反応が出ることはあり得るし,被告人
が犯人であることと矛盾する結果も出ているから,被告人が犯人であることと整合す
るものではない。
第2当審の審理経過
検察官は,当審において,訴訟手続の法令違反の主張と,基本的に原審での検察官
の主張と同旨の事実誤認の主張をした。
その上で,検察官は,被告人の犯人性を直接に立証するものとして,被害者の首に
巻かれていたリード付き胴輪,被害者両名の着衣,f号室内のソファー及びバスマッ
トについて,皮膚片付着の有無とその採取した微物のDNA型の判定について鑑定請
求をしたほか,当日の行動に関する被告人供述の信用性,本件吸い殻の変色の原因や
本件吸い殻が携帯灰皿を経由したことの有無,Bが犯人を招き入れたかどうか,事件
直後の被告人の様子,ポリグラフ検査結果などに関する証拠や,その他の補充的な証
拠の請求をした。
当裁判所は,上記鑑定請求のほか,本件吸い殻関係の客観的な証拠や補充的な証拠
を若干採用して取り調べた。
しかし,上記鑑定により採取された149点の微物からは,被告人のDNA型と一
致するDNA型は検出されなかった。
なお,検察官は,上記鑑定のほか,Bの身体着衣から微物を採取したアセテート紙
6枚について,ミニファイラーキットによるDNA型鑑定を請求したが,当裁判所は,
ミニファイラーキットによる鑑定は8座位の型しか判定できず,識別の精度に難があ
り,仮に被告人のDNA型と同一の型が検出されたとしても,それのみで被告人が犯
人であることを示すとはいえず,逆に証拠価値を過大に評価する危険もあることから,
必要性がないと判断して,これを却下した。
第3控訴趣意中,訴訟手続の法令違反の主張について
1控訴趣意の要旨
原審裁判所は,たばこ投棄実況見分調書,吸い殻放置実況見分調書(以下,併せて
「本件実況見分調書2通」という。),証人E及び証人Dに関する却下部分について,
いずれも必要性がないとして証拠請求を却下したが,原審裁判所の上記措置は証拠調
べの必要性の判断を誤り,証拠の採否に関する合理的裁量の範囲を著しく逸脱した違
法なものであり,この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。
2当裁判所の判断
原審裁判所の上記措置に,所論のような違法があるとは認められない。
その理由は以下のとおりである。
⑴本件実況見分調書2通について
所論は,本件では,本件灰皿内から発見された本件吸い殻の着色や形状の原因が重
要な争点となっているところ,本件実況見分調書2通は,たばこの吸い殻の着色が時
間的経過によって進展しないこと,又は,本件灰皿内において,本件吸い殻がその形
状になった状況,及び,その状況が本件灰皿内の残留物の状況と整合することを端的
に示す証拠であるから,取調べの必要性があった旨主張する。
しかし,所論はいずれも採用できない。
すなわち,
ア吸い殻放置実況見分調書について
原審検察官は,吸い殻放置実況見分調書により,「たばこの吸い殻は携帯灰皿内の
乾燥した状態下では1年間放置しても巻紙が変色せず,本件吸い殻の変色の原因は,
喫煙時に唾液や飲食物の水分等により濡れたためであること」を立証しようとしたも
のと解される。
これに対して,原判決は,これを却下した理由として,期日間整理手続における双
方の主張を前提に検討すると,本件灰皿に投棄された後に巻紙の経年劣化以外の理由
で本件吸い殻に変色が生じた可能性を否定できない状況にあり,この経年劣化以外の
理由による変色の可能性いかんがこの問題の中心的争点であることが明らかであった
ので,本件吸い殻の変色の原因が巻紙の経年劣化によるものでないことを立証するた
め同調書等は取り調べる必要はないと判断したと判示している。
しかし,本件灰皿に投棄された後の経年劣化以外の理由による変色の可能性いかん
が中心的争点であったとしても,その前提として,吸い殻が経年劣化を原因として変
色することがあるかどうかは重要な事柄であるから,原判決が上記のような理由で同
調書を却下したことには疑問の余地がある。
もっとも,本件では,警察官や日本たばこ産業株式会社関係者による喫煙実験の結
果を記載した実況見分調書(原審甲18,20)や捜査報告書(同17)が証拠請求
され,真正立証後,採用が望める状況にあり(実際,いずれも,真正立証の後に採用
されている。),さらに,上記日本たばこ産業株式会社関係者らの実験に関与した証
人Fが「たばこの吸い殻の着色及び変色のメカニズム」等の立証趣旨で採用されてい
るから,上記の点は,これらの証拠調べの過程で自ずから明らかになる事項と考えら
れ,上記の点を立証するため,同調書が不可欠のものとまでいうことはできない。
のみならず,本件において,本件吸い殻が本件灰皿に投棄された時期や本件吸い殻
の本件灰皿内での状況やその経時変化を端的に示す証拠はないから,吸い殻放置実況
見分調書によって,携帯灰皿内で放置されたたばこの吸い殻の着色が進展せず,本件
吸い殻の着色の原因が携帯灰皿内で長期間放置されたことによるものではないことが
立証されたとしても,乾燥した携帯灰皿と本件灰皿とで,水分の付着状況等その内部
環境が同一であるという保証はないから,本件灰皿の中で,その特有の環境と時間的
経過が合わさって本件吸い殻の着色が進展した可能性までは排除できず,同調書では,
本件吸い殻が本件事件当日より前に投棄された可能性を否定することができないと考
えられるから,この点からも同調書の取調べが不可欠だったとはいえない。
以上の次第であるから,同調書を必要性がないとして却下した原審裁判所の措置が
裁量判断を逸脱した違法なものとはいえない。
イたばこ投棄実況見分調書について
原審検察官は,たばこ投棄実況見分調書により,「本件吸い殻がフィルター部まで
燃えたのは,たばこを吸っていた者が,途中まで吸ったものを,火がついたまま本件
灰皿内に捨てたことによるものであること」を立証し,これにより,本件吸い殻が携
帯灰皿を経由したものではないことを立証しようとしたものと考えられる。
しかし,本件においては,本件吸い殻が,いつ,どのような態様で本件灰皿に捨て
られ,その後,本件吸い殻を含む本件灰皿の内容物の位置等がどのように変化したの
か等を端的に示す証拠はないところ,同調書による実験は,一定の仮定の下で,たば
こを本件灰皿と同種のスタンド式灰皿に捨てた際の吸い殻の状態等を立証するにすぎ
ないものであって,その証明力にはおのずと限界があり,この点を除くと,同調書に
よって立証され得るのは,原判決が指摘するとおり,火のついたたばこをスタンド灰
皿内に投棄すると,フィルター部分まで燃え尽きるという至極当然のことであり,あ
えて証拠調べをする必要性があるとはいえないから,同調書を必要性がないとして却
下した原審裁判所の措置が裁量判断を逸脱した違法なものとはいえない。
証人Eについて
所論は,本件では,本件吸い殻がBにより携帯灰皿を経由して本件灰皿に投棄され
た可能性の有無が重要な争点であったところ,Bと友人関係にあり,共に外出したこ
ともあるEが,Bの喫煙姿を見る機会が少なかったという事実は,Bの携帯灰皿使用
の習慣の有無に関する重要な事実であるから,取調べの必要性が高かった旨主張する。
本件で,Bの手により携帯灰皿を経由して本件吸い殻が本件灰皿に投棄された可能
性の有無が重要な争点となっていることは所論のとおりであるが,EはBと常に一緒
に行動していたわけではなく,Bが喫煙しているのを見る機会が少なかったというの
であるから,Eの証人尋問の必要性が高いとはいえない。被告人は,Bが,本件吸い
殻が入った「被告人」の携帯灰皿を持ち帰った可能性を指摘しているのだから,Bに
携帯灰皿を使用する習慣がなかったことは,この点についての有効な反論となるわけ
でもない。Eの証人尋問を必要性がないとして却下した原審裁判所の措置が裁量判断
を逸脱した違法なものとはいえない。
証人Dに関する却下部分について
所論は,Dが事件後間もない時期に被告人に犯行の痕跡があるのを見たという事実
や,それらの事情からDが被告人を犯人であると確信した経緯は,被告人の犯人性に
関わる重要な事実であるから,証人Dに関する却下部分を取り調べる必要性が高かっ
たことは明白である旨主張する。
しかし,被告人の左上腕部にあざがあったことや,被告人が本件犯行当日着ていた
というデニムシャツの袖口に,一旦濡れた後乾いたような絞りじわがあったことなど
検察官が犯行の痕跡と主張するものは,様々な原因が考えられ,犯行態様を具体的に
明らかにするに証拠が見当たらない本件においては,犯行の痕跡と断定できるような
ものではないし,Dが被告人を犯人であると確信した経緯は,ささいな印象を犯人性
の推認に用いるという危険をはらむものである上,これについては,差戻前1審にお
いても尋問がされているから,いずれにせよ,尋問の必要性が高かったとはいえない。
証人Dに関する却下部分を必要性がないとして却下した原審裁判所の措置が裁量判断
を逸脱した違法なものとはいえない。
結語
以上の次第で,検察官請求の各証拠を却下した原審裁判所の措置が違法であるとは
いえない。
論旨は理由がない。
第4控訴趣意中,事実誤認の主張について
1控訴趣意の要旨
本件各公訴事実について,間接事実を総合すれば,合理的な疑いを差し挟む余地な
く,被告人が犯人であると認められるのに,その証明がないとして,被告人を無罪と
した原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある。
2当裁判所の判断の概要
原判決が,被告人が,本件事件当日,f号室に入ったことも,本件マンションに赴
いたことも認定できないとしたことは,正当として是認することができ,検察官が主
張するその他の間接事実は,上記事実が認められて,初めて意味を持つものにすぎず,
念のため,その証拠価値等について検討しても,被告人の犯人性を積極的に推認させ
るものではないとした点も,正当として是認することができる。
その理由は,以下のとおりである。
3所論の概要
所論の概要は以下のとおりである。
被告人が本件犯行の犯人であることを推認させる間接事実として,以下のものがあ
り,これらを適正に評価し,相互に関連づけ,現実の人間の行動として統一的で総合
的な評価を行えば,被告人が犯人であることは合理的な疑いを差し挟む余地なく認定
できる。
被告人には本件犯行時間帯のアリバイがなく,犯人でなければその間の行動を
容易に説明できるはずであるのに,極めて不自然で虚偽の供述をしていて,その理由
は犯人性の秘匿にあること
被告人が本件事件当日に本件マンションに立ち入り,本件吸い殻を本件灰皿に
捨てたこと
被告人が本件事件当日にf号室に立ち入ったこと
被告人には本件に密接に関連する不審言動等があること
被告人には本件犯行の動機となり得る背景事情があり,被告人は感情の起伏が
激しく粗暴な面が認められること
被告人が本件の犯人像に合致し,かつ,本件犯行機会を有する者は被告人しか
いないこと
ポリグラフ検査は被告人が犯人であることを示していること
4当裁判所の判断
原判決は,検察官が主張する間接事実を,大きく,①被告人が本件事件当日f号
室に立ち入ったこと,②被告人が本件事件当日本件マンションに赴いたこと,③
その他の間接事実に分類し,その順序で判断を進めている。本件において,検察官が
主張している間接事実には様々なものがあり,各間接事実が持つ推認力も様々である
から,適切に事実を認定するためには,これらをその推認力に応じて分類し,その推
認力に応じた評価をしながら,最終的な総合判断をするのが相当であるところ,上記
の各間接事実は,①の事実が最も推認力が大きく直接的なものであり,②,③の事実
になるに従って,推認力が弱く間接的なものになっているから,原判決の上記判断構
造は,本件に即した,適正なものということができる。なお,上告審判決は,②の点
が差戻前1審判決の推認の最も大きな根拠となっていると評価しているが,①の点は
原審で初めてされた主張であり,かつ,被告人の犯人性の推認に当たっては,②の点
より直接的なものであるから,上記の判断枠組みは上告審判決の趣旨に反するもので
はない。
そうすると,当審における事実認定の当否の審査も,原審が示した上記判断構造に
従い,その判断が論理則・経験則等に照らし合理的なものと認められるかを検討する
のが相当である。
そこで,以下,原判決の判断構造に即して,その認定判断の合理性について検討す
る。
被告人が本件事件当日にf号室に立ち入ったという点について
ア所論の根拠
所論が上記事実が推認されるとする根拠は,以下の4点である。
被告人が,f号室に一切入ったことがないと述べるにもかかわらず,本件事件
当日に移動されたソファーの移動前後の位置,たんすの上にかぶとが飾られていたこ
となど,本件事件当日のf号室内の様子を詳細に知っていたこと
被告人が,Aが本件事件の直前にたばこの銘柄を変えたことなど,本件事件当
日にBと会って会話したのでなければ知り得ないことを知っていたこと
被告人がA方を知っていたこと
被告人の靴内から,現場で飼われていた犬の毛が発見されたこと
イ当裁判所の判断
検察官が主張する上記間接事実は,いずれも,証拠上認定することができないから,
被告人が本件事件当日にf号室に立ち入ったことは認められないとした原判決の判断
は正当なものとして是認することができる。
その理由は,以下のとおりである。
被告人が本件事件当日のf号室内の様子を詳細に知っていたという主張につい

a前提事実
f号室の構造は,別紙1の図面(検証調書(差戻前1審甲5)添付見取図第5
号)のとおりであり(同図面に記載された家具等の配置は,本件事件後のものであり,
ソファーの位置等家具の配置は,本件事件前のものと異なる部分がある。),東西に
通じる通路に面して,北西端に玄関があり,玄関から入って右側(西側)に,浴室,
便所が並び,その左側(東側)は,全体がダイニングキッチンとなり,その南側は西
側が4.5畳の和室,東側が6畳の和室になっており,更にその南側は東西に通じる
ベランダになっていた。
⒝被告人は,5月4日の第1回ポリグラフ検査時及びその直後や,5月8日及び
6月16日のG警察官による事情聴取の際などに,ポリグラフ検査官や警察官に対し,
Aから聞いた話として,本件事件当日のf号室内の状況等について説明し(警察官調
書(差戻前1審乙4,10)),6月16日の事情聴取の際には,f号室内の図面
(前記別紙3。本件現場室内図)を作成した。その説明の中には,本件事件当日に移
動したかぶとの位置に関するものが含まれており,また,本件現場室内図は,ソファ
ーの位置,カーテンの色,換気扇,冷蔵庫及び下駄箱の位置並びに下駄箱に置かれて
いた物など,f号室の実際の状況と符合する部分がかなり含まれていた。
b当裁判所の判断
以上のような事実を前提に,所論は,被告人は,本件事件当日のf号室内の様子に
ついて詳細に知っていたと認められ,この事実は,被告人が本件事件当日f号室内に
入った事実を推認させる,被告人がこれらの説明等の際に,「これはAから聞いた」
と述べるなどしたことは,ポリグラフに反応が現れることを怖れたためであると主張
する。
しかし,所論のようにいうためには,被告人が,本件事件当日f号室に入る以外に,
本件事件当日のf号室内の状況を知る機会がなかったことが,確実な根拠をもって言
える必要があると考えられるところ,本件において,そのような確実な根拠があると
はいえない。
すなわち,所論がこの点の大きな拠り所としているのは,A(同人は,f号室の住
人として,本件事件前の同室の状況を知っていたほか,5月9日に実況見分のため同
室に入っており(Aの差戻前1審第36回公判証人尋問調書92頁),少なくとも同
日以降は,本件事件後の同室内の状況も知っていた。)の差戻前1審公判廷及び原審
公判廷における,「自分は被告人と同居中から被告人が犯人ではないかと疑っていた
ので,被告人にf号室の様子について具体的に教えないよう意識しており,これにつ
いて話したのは,葬式の数日後と5月4日の第1回ポリグラフ検査を受けた夜の2回
だけである。1回目のときは,部屋の間取りについては話したが,家具の配置までは
話していない。2回目のときは,「ソファーは台所の板の間,炊事場に近い位置に東
西に置いていた。カーテンはベージュ系」などとうそを教えた。風呂,トイレ,洗面
所の並んでいる順序,冷蔵庫の位置等は教えていない。」旨の供述である。
しかし,ポリグラフ検査等により,被告人の認識が問題になった段階であればとも
かく,そのような状況のない本件事件の直後の段階で,Aが,被告人が犯人ではない
かと疑っていたことから,被告人に,室内の様子など犯人であれば当然に知っていた
と思われる事柄を,知らせないようにしていたというのは,ややでき過ぎのように思
われるし,関係証拠によると,Aは,本件事件により自宅が焼失したため,葬式のあ
った4月17日から6月3日頃まで,被告人方に身を寄せて同居していたというのだ
から,その約1か月半の間,被告人と,当面の共通した最大の関心事であったはずの
本件事件について話をしなかったとは考えられず,そうであれば,Aが,f号室内の
様子について具体的に教えないように意識していたとしても,その際,話の内容が家
具の配置等に触れたり,これを推知させるものに及ぶことは,当然にあり得ることと
考えられる。そして,Aが,そのときの話の内容について,細部まで詳細に記憶して
いることも考えにくい。
一方,関係証拠によると,被告人は,本件事件当日より前に,何度も,かつてAら
が居住していたh等を訪れたことがあり,f号室の室内の状況についてBから聞いた
こともあるというのだから,上記のような訪問を通じて知っていたA方の家具・調度
類や従前の住居におけるその配置,Bから聞いたf号室の概況,本件事件後にAから
聞いた話などから,本件事件当日のf号室内の様子をある程度推測することができた
としても,おかしくない状況にある。
そうすると,所論の主張は,その立論の前提自体あやしいもので,刑事裁判におけ
る事実認定の基礎とするだけの確実性をもっているか疑わしいといわざるを得ない。
以下,f号室内の個別的な状況に即して検討する。
ソファーの位置について
ⅰ客観的状況等
関係証拠によると,ソファーは,本件事件当日朝は,ダイニングキッチンに,その
南端が6畳の間にかかる状態で,座面を東に向けて,南北方向に置かれていたが,そ
の後動かされ,本件事件直後は,6畳の間北端に,座面を南に向けて東西方向に置か
れていたことが認められる。
ⅱ被告人の説明内容等
被告人は,5月4日の第1回ポリグラフ検査の際,別紙2の図面を作成し,Aから
聞いていた本件事件当日朝のソファーの位置として,中央やや左寄りにやや縦長の楕
円形を記載した(鑑定書(差戻前1審甲110))。また,6月16日の取調べにお
いて,本件現場室内図に,ソファー②としてダイニングキッチンに南北方向に記入す
るとともに,ソファー①として,6畳の間内の北寄り部分に東西方向に記入した。そ
して,「自分はソファー②のとおり置いてあると思っていたが,実際にはソファー①
のとおりであったとAから聞いた。」旨説明した(警察官調書(差戻前1審乙1
0))。
ⅲ当裁判所の判断
まず,ソファー①と説明した点について見ると,Aは,「5月4日のポリグラフ検
査後に室内の様子について被告人と話をしている際,被告人から,ソファーが台所か
ら6畳の間にかかる形で南北方向に置かれていただろうと言われ,当たっていたので
驚き,顔色を見るために,わざと,ソファーは台所に横向き(東西方向)に置いてい
たと話した」旨供述している(差戻前1審第35回公判証人尋問調書5頁以下,原審
証人尋問調書18頁以下)。そうすると,被告人が,Aから聞いた位置として東西方
向の図を書くのはむしろ自然である。なお,ソファーがあった位置について,Aは
「台所にあった」と話したというのに対し,被告人は「6畳間にあった」旨記入して
いて,食い違いが見られるが,Aは図面等を用いて正確に説明したというわけではな
いから,被告人が勘違いしたと見ても不合理ではない。
次に,ソファー②と説明した点について見ると,f号室の間取りは,別紙1の図面
のとおりであり,この点について多少なりとも知識のあるものからすると,ソファー
の位置として,ソファー②は最も想定しやすいものの1つと考えられるから,被告人
が,BやAから聞いていた概略の知識や,Aとの会話の中で言及されたこともあろう
と思われる同人らの生活状況等から,ソファー②の位置を推測したとしても,不自然
とはいえない。これと同旨の被告人の供述(差戻前1審第53回公判被告人供述調書
161頁)を排斥することはできない。また,これと同様の理由により,被告人がポ
リグラフ検査時に南北方向の図を書いたことや,被告人がAとの会話の中で,ソファ
ーが台所から6畳の間に掛かる形で南北方向に置かれていただろうと言ったことも,
推測に基づくものと見ることが不合理とはいえない。
⒝カーテンの色について
ⅰ客観的状況等
関係証拠によると,4.5畳の間のカーテンは青色だったと認められるが,6畳の
間のカーテンは,焼失しているため,その色を客観的に認定することができない(検
証調書(差戻前1審甲5))。なお,Aは,差戻前1審及び原審の公判のいずれにお
いても,6畳の間のカーテンの色は青色だったと供述しているが,併せて,4.5畳
の間のカーテンはクリーム色がかった黄色っぽいものであったと,客観的事実に反す
る供述もしているから(差戻前1審第34回公判証人尋問調書26頁,原審証人尋問
調書10頁),Aの供述によって6畳の間のカーテンの色を認定することはできない。
ⅱ被告人の説明等
被告人は,6月16日,本件現場室内図に,4.5畳の間のカーテンの色について
ブルーと客観的状況と合致した記載をした。
ⅲ当裁判所の判断
被告人は,捜査段階から,前住居のhのブルーのものを使っていると思っていた旨
供述しているところ(警察官調書(差戻前1審乙4)),実際hにはブルーのカーテ
ンがあったというのだから(Aの原審公判供述),被告人が上記のような考えから,
f号室のカーテンの色がブルーと推測したとしても,不自然ではない。
⒞かぶと(五月人形)について
ⅰ客観的状況等
関係証拠によると,かぶとは,本件事件当日朝までは,しまったままで,f号室の
室内には飾られていなかったが,本件事件後,かぶとの台が整理だんすの上に載って
いたことや,かぶとがその前に落ちていたことが認められ,本件事件当日,室内に飾
られたものと推認される。
ⅱ被告人の説明等
被告人は,5月4日の第1回ポリグラフ検査の際には,検査官に対し,整理だんす
の上にかぶとが飾られていた旨説明したが,5月8日,警察官の事情聴取に対しては,
これを変更し,「Aから,Bが整理だんすの上にかぶとを飾るようなことを言ってい
たが,飾っていたかどうか分からないと聞いた。」旨説明した(警察官調書(差戻前
1審乙4))。
ⅲ当裁判所の判断
この点について,被告人は,「Aは,1回目のポリグラフ検査の前には,Bがかぶ
とを出したと話していたが,同ポリグラフ検査の後には,「おれ出したって言うてた
かな,Bが出すと言うてたから,おれ,仕事に行った後に出しとるかどうか,おれは
だから知らんねんで」と話した」旨供述しているところ(差戻前1審第52回公判被
告人供述調書42頁以下),Aも,差戻前1審公判廷においては,「かぶとの話をど
ういうときにしたかということは思い出せないが,時期的にもかぶととか出してもお
かしくない時期だろうみたいな会話があったのを覚えてるような気がする。」旨,被
告人の上記公判供述に沿うものとも評価できる供述をしている(差戻前1審第35回
公判証人尋問調書88頁)。なお,Aは,原審公判廷において,上記ポリグラフ検査
の後,被告人に,かぶとは出ていなかったと話した旨供述しているが(証人尋問調書
29頁),差戻前1審の段階で上記のとおり曖昧であったこの点に関する供述が,そ
の後,上記のように明確なものなるというのは,事柄の性質からみても不自然であり,
信用できない。
そうすると,かぶとに関する被告人の説明は,Aの説明に合わせただけのものであ
る可能性を否定できない。
⒟下駄箱と犬のリード等の置き場所等について
被告人は,6月16日,本件現場室内図において,玄関横に「靴箱か何か」と記入
するとともに,「散歩ひもキーのフック又は受け皿」と記入するなど,f号室の調
度類の配置等について,比較的正確な記載をしていることが認められるが,玄関横に
下駄箱があることは通常であるし,その余の点も,従前のAらの住居の状況やB,A
の話,警察官と現場に同行したときに見たと考えられるf号室と同じ構造の1階の居
室の状況等を基に推測することが可能なものばかりである。
小括
以上のとおり,f号室内の様子に関する被告人の認識は,A及び生前のBから伝え
聞いた内容や,それらを踏まえた被告人の推測などによって生じたものとみる余地が
あるのであって,被告人の説明内容等の中に,f号室内に入っていなければ知り得な
いような内容があるということはできない。被告人が本件事件当日のf号室内の様子
を説明したことは,被告人が本件事件当日にf号室内に立ち入ったことを推認させる
ものではない。
なお,所論は,被告人がf号室内の状況を見ていないのであれば,見ていないから
分からないと説明するのが自然であるのに,そうしなかったのは,実際にf号室に入
っていることから,そのことがポリグラフの反応に現れることを恐れたためであると
も主張する。
しかし,事件後,捜査官から事情聴取を受けたとき,直接体験した事柄でなくても,
他の者から聞いた話だがと説明しながら,自分がそれまでに得た情報を詳細に供述す
るのは,通常あり得ることと思われるし,そうでなくとも,被告人は,Aからの情報
等によりf号室内の状況をある程度知りあるいは推測したりすることができたのだか
ら,そのことがポリグラフの反応に現れ,捜査機関による疑いが強まることを恐れて,
Aから聞いていたものとして,f号室内の状況を説明したとしても不思議ではない。
所論は,確たる根拠のない憶測にすぎず,採用できない。
被告人が,本件事件当日にBと会って会話したのでなければ知り得ないことを
知っていたという主張について
所論は,①被告人は,Aが滞納しているgの家賃について,4月15日までにA
が支払わなければ,賃貸借契約の連帯保証人として自己が支払う旨不動産業者に約束
していたところ,4月16日朝,不動産業者に電話をかけ,未払いか否かを確認する
ことなく,いきなり,「支払いを猶予してほしい」と申し出ている,被告人がこのよ
うな行動をとったのは,被告人が,Bの生存中で,かつ,最も支払期限に近い日,す
なわち本件事件当日に,Bに会って,Aが滞納家賃の支払いができないという情報を
入手したからとしか考えられない,②A及びBは,4月10日に,喫煙するたばこ
の銘柄をそれまでのマルボロライトからケントスーパーライトに変更したが,被告人
は,Aからその変更の事実を教えられていないのに,4月18日以降すぐの時期に,
Aのためにケントスーパーライトロング2箱を買ってきている,被告人のこの行動も,
被告人が本件事件当日にBと会って変更後の銘柄を聞いて知っていたからとしか考え
られない旨主張する。
しかし,まず,①については,関係証拠によると,Aは,当時,多数の債権者から
借金の催促を受け,弁護士に債務整理について相談するなど,Aが経済的に行き詰ま
っていた状況にあり,本件事件の約1か月前からは被告人がAと連絡を取ろうとして
も連絡が取れなくなっていたことが認められるから,被告人が,4月15日の期限ま
でに滞納家賃をAが支払ったことはないだろうと考えて,A側に確認しないまま4月
16日に不動産業者に連絡を取ることも十分あり得ることであって,被告人がそのよ
うな行動をとったのは,事前にBからこの点について情報を得ていたからとしか考え
られないとはいえない。
次に,②については,関係証拠によると,Aは,本件事件の翌日(4月15日)か
ら,仮通夜及び通夜の席と被告人と行動を共にし,その際,コンビニエンスストアに
も共に買い物に行くなどしていたもので,その間,1日に1箱くらいのペースでたば
こを吸っていたというのだから,被告人が,4月18日頃までの間に,Aがたばこの
銘柄を変えたことを知る機会は十分あり得るものと考えられる。Aはこれを否定する
供述をしているが,たばこの銘柄の変更などは,本人が何気ない会話の中でふと漏ら
すこともあり,また,端で見ているだけでも分かるような事柄であって,本人の自覚
のないまま,他の者が知ることがあっても不思議ではないから,Aの供述は,上記認
定判断の妨げになるものではない。被告人が所論のような行動をとったのは,事前に
Bからこの点について情報を得ていたからとしか考えられないとはいえない。
以上の次第で,被告人が本件事件当日にBと会って会話したのでなければ知り得な
いことを知っていたと認めることはできない。
被告人がA方を知っていたという主張について
所論は,被告人は,事件当時,Aらが本件マンションに住んでいることを知ってい
たはずであると主張し,その論拠として,①被告人は,Aらの以前の住居であるh
の管理会社の従業員Hから,Aらの転居先である本件マンションの住所を口頭で教え
られていた,②被告人は,A方の住所が,kのスーパーマーケット付近であるとか,
iの付近であると聞いていたところ,被告人は,a区j地区の出身で,その小中学校
の校区の境界線を越えたすぐの場所にkのスーパーマーケットがあり,このスーパー
マーケットにも複数回行ったことがあって,現場周辺の地理状況をよく知っていた,
③被告人は,3月6日頃,「A方の住所を教えてほしい」と言うDに対し,「おれ
が知り得た住所をなんで教えなあかん」と言いながら暴力を振るった,④被告人は,
4月初旬,Aらの前々住居(g)を管理する不動産会社のIから,「転居先の住所を
教えましょうか」と言われた際にこれを断っている,⑤被告人は,2月中旬の時点
で,Bが利用している不動産業者が「l」であることを把握していたところ,本件マ
ンションの入り口にその看板があったから,この看板を見つけることによりA方を知
ることもできたはずである,⑥本件マンションの自転車置き場にはBの自転車が,
f号室のベランダにはAのサーフボードが,その入り口にはCの傘が置かれていたか
ら,本件マンションまで行けばA方の部屋番号まで容易に知り得る状況にあった,⑦
被告人は,本件事件当日,A方を探し回ったと言いつつ,Iや他の不動産業者に電
話をかけてA方の住所を問い合わせていない,などと主張する。
しかし,①については,確かに,被告人の警察官調書(差戻前1審乙3)には,3
月2日以降の早い時期に,Hから,携帯電話を通じて,Aらの転居先を聞いた旨の記
載がある。しかし,このときの状況は,「確かこのとき,私は運転中で,相手がAの
転居先を言っていたように思いますが,控えるなどはしませんでした。」というもの
であって(上記警察官調書),転居先を口頭で聞いたが記憶しなかったという趣旨と
解されるから,被告人が本件事件当日に本件マンションを覚えていたとまではいえな
い。Dが,「被告人は,3月14日,Bと電話で話をしたとき,住所を聴いており,
電話を切った後,「なんで言われへんねん」と怒っていた」旨供述していること(差
戻前1審第7回公判証人尋問調書21頁)はこれを裏付けている。なお,Hの検察官
調書(差戻前1審甲165)は,「被告人にAの転居先を教えたかもしれないし,教
えなかったかもしれない。」というものであって,その内容自体,被告人に本件マン
ションの住所を教えたことを認定させるに足りるものではない。
②については,被告人がa区j地区の出身で現場周辺の地理状況をよく知っていた
可能性はあり,これと,所論が指摘する当時被告人が得ていた情報を基に,被告人が
本件マンションを特定することができた可能性があることは否定できないものの,当
時被告人が得ていた情報は,やはり,漠とした抽象的なものといわざるを得ず,それ
だけで当然に本件マンションを特定することができるようなものではないから,現場
周辺を探しても本件マンションを特定することができなかった可能性も否定できない。
③については,仮に所論に沿うDの差戻前1審公判供述が信用できるとしても,被
告人がDに対して感情的になっている中で,実際にはAの住所を知っていないのに,
知っている風を装って,「おれが知り得た住所をなんで教えなあかん」と言った可能
性もあるから,所論指摘の事実は,被告人が本件事件当日に本件マンションを知って
いたことを認定させるには足りるものではない。なお,被告人が,その後の3月14
日の段階でBの住所を知らなかったとみられることは,前記のとおりである。
④について,被告人は,「子供たちから教えてもらいたかったので,Iから,電話
番号は聞いたが,住所は聞かなかった」旨供述しているところ(差戻前1審第54回
公判被告人供述調書27頁),この点に関するIの原審公判供述は,「おぼろげに覚
えてるのは,いや,別に結構なんでと,本人に全部やらせますからというふうな感じ
のことのやり取りがあったような記憶があります。」というものであって(原審証人
尋問調書18頁),被告人の上記供述に沿うと評価できるものであるから,被告人が
Iからの申し出を断ったからといって,その時点でAの転居先を知っていたというこ
とはできない。
⑤及び⑥については,被告人が本件マンションまで行って,「l」の看板や,Bの
自転車,Aのサーフボード,Cの傘を見たことを認定するに足りる証拠はない。
⑦について,被告人は,「不動産業者に問い合わせしなかったのは,これまで,何
度も格好の悪い電話をしており,あそこの親子は何をしているのだと思われることな
どに心理的抵抗があったからだ」と説明しているところ(差戻前1審第54回公判被
告人供述調書28頁),この説明は,前記のとおり,被告人が,住所を教えようかと
いうIの申し出を,同様の理由で断っていることから,たやすく排斥することは困難
である。所論指摘の事実は,被告人が本件事件当日に本件マンションを知っていたこ
とを認定させるには足りるものではない。
その他所論に即して検討しても,本件事件当日,被告人がA方を知っていたと認め
るに足りる証拠はない。
被告人の靴内から,現場で飼われていた犬の毛が発見されたという主張につい

a前提事実
関係証拠によると,本件事件の捜査本部が置かれていた大阪府a警察署に保管され
ていた「鑑定資料箱」と記載された段ボール箱の中にあった「J(被告人)くつ底獣
毛」と記載された封筒の中にあった「左靴底内」と記載されたタグの付されたアセテ
ート紙に付着していた獣毛様のもののミトコンドリアDNA型(D-loop型)が,
f号室で飼われていた犬の服から採取された獣毛様のもの2本のミトコンドリアDN
A型(D-loop型)と,Cf04型という型であったという点で一致したこと,
鑑定に当たったK大学獣医学部教授Lの調査結果によると,Cf04型の出現頻度は
8.7%であることが認められる。
b当裁判所の判断
本件で行われた獣毛様のもののDNA型鑑定は,ミトコンドリアDNA型鑑定であ
るところ,ミトコンドリアは母系遺伝形式をとるものであるから,ミトコンドリアD
NA型鑑定は,母系統を鑑定する上で有用なものであるとしても,それを超えた個体
識別にどの程度正確なものとして使用できるかは疑問である上,L教授の原審公判供
述によると,上記DNA型の出現頻度は,同教授自身が,血縁関係の認められない犬
999個体を調査して得た105種類のミトコンドリアDNA型塩基配列の中での出
現頻度にすぎず,特に学会等でも承認を得たものではないというのであるから,その
正確性が学問的に担保されているものともいえない。8.7%という数値自体相当大
きなものである上,母系が同一のものを含めると,その数値が更に大きくなることが
当然に予想される。
こうした事情に照らすと,鑑定資料の同一性等について検討をするまでもなく,上
記ミトコンドリアDNA型鑑定の結果は,被告人の靴内から,現場で飼われていた犬
の毛が発見されたという事実を推認させる積極的根拠にはなり得ないものというほか
ない。
小括
以上によれば,被告人が本件事件当日にf号室内に立ち入った事実を推認させる間
接事実として検察官が主張する事実は,いずれも,これを認定することができない。
本件において,被告人が本件事件当日にf号室内に立ち入ったことを端的に認定させ
るような事情は見当たらない。これと同旨の原判決の認定判断は正当なものとして是
認することができる。
⑵被告人が,本件事件当日,本件マンションに赴いたとする点について
ア所論の根拠
所論が上記事実が推認されるとする根拠は,次のようなものである。
①本件吸い殻が本件灰皿内から発見されたこと,②本件吸い殻は携帯灰皿
を経由した形状ではないこと,③Bには携帯灰皿を使用する習慣はなく,Bが,本
件事件に近接した時期に被告人と携帯灰皿を使用した機会もなく,Bが吸っていたた
ばこと同一銘柄の本件マルボロライトの吸い殻は,その形状等から,本件吸い殻と同
じ機会に投棄されたものとは見られないことなどからすると,本件吸い殻が携帯灰皿
を経由してBによって本件灰皿に捨てられた可能性はないから,被告人が本件吸い殻
を本件灰皿に投棄した事実が推認される。
本件事件当日,本件マンションの近くで,被告人に酷似する人物や被告人使用
車両と同種・同色の車両が目撃されていること,本件事件当日のf号室内の様子を詳
細に知っていたこと,被告人が,本件事件当日にBと会っていなければ知り得ないこ
とを知っていたこと,被告人が,本件犯行時間帯の行動内容について,不自然で虚偽
の供述をしていることを総合すると,被告人が本件吸い殻を本件灰皿に投棄したのは,
本件事件当日であると推認される。
本件吸い殻の変色は,時間的経過によって初めて説明し得るというものではな
く,本件吸い殻が本件事件当日に投棄されたとの認定を妨げる事情ではない。
イ当裁判所の判断
原判決が,本件吸い殻の変色の原因が,時の経過によるものである可能性を否定す
ることができず,本件吸い殻がBにより本件灰皿に投棄された可能性を否定すること
も困難であるから,検察官主張のその他の事実を併せて検討しても,被告人が,本件
事件当日,本件マンションに赴いたことを推認することはできないと判断したことは
正当として是認することができる。
その理由は,以下のとおりである。
総論
被告人が本件事件当日に本件マンションに赴いたとの事実を推認できるかどうかと
いう問題において,最も中心的根拠となり得るのは,本件灰皿内から発見された本件
吸い殻に付着した唾液の中の細胞のDNA型が被告人のそれと一致したことにあるこ
とは,上告審判決に照らしても明らかである。そして,同判決が同事実からの推認に
疑問を呈したのは,本件吸い殻のフィルター部全体が茶色っぽく変色していたことか
ら,本件吸い殻が投棄されてからかなりの日時を経過しているのではないかという疑
問が生じたことや,本件吸い殻がBにより携帯灰皿を経由して本件灰皿に投棄された
という被告人の主張に沿う事実が認められ,これを排斥すべき十分な根拠が見当たら
なかったからである。そこで,以下,本件吸い殻の変色の原因をどのように考えるべ
きか,本件吸い殻がBにより携帯灰皿を経由して本件灰皿に投棄されたという現実的
可能性があるか等について検討した上,被告人が本件吸い殻を本件灰皿に投棄した事
実の推認の可否について検討し,これを踏まえて,検察官が主張するその他の間接事
実の証拠価値等について検討する。
被告人が本件吸い殻を本件灰皿に投棄したとの主張について
a本件吸い殻の変色の原因等について
本件吸い殻の変色状況等
関係証拠によると,以下の事実が認められる。
ⅰ本件吸い殻の形状並びにこれに係る採取経過及び写真の撮影経過等
大阪府警刑事部鑑識課所属のMほか数名は,4月15日午前0時30分頃から同日
午前5時30分頃までの間,鑑識活動として,本件マンションの遺留品等の検索を行
い,本件灰皿から本件吸い殻1本を含むたばこの吸い殻72本その他の資料を採取し
た。
その頃,本件灰皿内から採取された現場資料全部が並べられて,写真撮影された
(検証調書(差戻前1審甲5)写真1402号)。そして,上記写真上,本件吸い殻
は,一見して,周囲にある本件吸い殻と同様の白いフィルターの付いたたばこの吸い
殻よりも茶色っぽく濃く変色しており,また,その変色はおおむねフィルター部全体
に及んでいた。
本件吸い殻は,たばこの刻み部分がほとんど燃え尽きており,ごくわずかの刻み部
分とフィルター部とで成り立っており,外観上,折れ曲がっておらず,フィルター部
表面に灰は付着していなかった。
前記本件灰皿内から採取された資料は,5月14日に大阪府a警察署に引き継がれ,
同署4階剣道場兼講堂で保管された。
本件吸い殻は,6月1日に領置された後,同月3日から7月9日までの間,大阪府
警科学捜査研究所技術吏員Nによりその吸口部の唾液付着及び血液型の鑑定が行われ,
その際,写真撮影が行われ(鑑定書(差戻前1審甲252)添付写真),その後,唾
液鑑定のため,巻紙が切り開かれて,巻紙とフィルター2つ(チャコールフィルター
とアセテートフィルター)とに分解された上,巻紙の一部が切り取られて鑑定に費消
された。
これと併せて,本件吸い殻は7月4日にDNA型鑑定に回され,その際,上記巻紙
の一部が更に切り取られて鑑定に費消された。
ⅱ本件吸い殻に係る写真の内容等
本件採取時の写真は1枚であって,本件吸い殻の片面のみが撮影されているのに対
し,本件唾液鑑定時の写真は2枚あり,うち1枚は,わずかなずれはあるものの本件
採取時の写真とほぼ同じ面から,他の1枚は前記1枚とほぼ反対側の面からそれぞれ
撮影されている。
所論は,本件採取時の写真と本件唾液鑑定時の写真とを見比べると,前者よりも後
者の方が本件吸い殻の色が濃いから,本件吸い殻は,採取時には色が薄かったものが
唾液鑑定時までの間に色が濃くなったことが明らかであると主張するが,写真の色は,
撮影時の被写体への光量,光の当たり方及び光の色並びに写真現像時の焼き付け機械
の機種及び印画紙の状態等によって変わり得るものであるところ(捜査報告書(原審
甲12,13)),本件採取時の写真と本件唾液鑑定時の写真とがこれらの諸条件が
同一であったとは考えられないから,単純にそのように認めることはできない。
ⅲ本件吸い殻の現在の状況
本件吸い殻(上記のとおり分解等されたもの)は,原審において証拠物として取り
調べられて裁判所に領置された後,当庁に引き継がれた(平成24年押第87号の6
9)。
現在の巻紙の変色状況は,本件唾液鑑定時の写真と比べて,全体的にやや色が濃く
なっているようにも感じられるが,写真での色の濃さと肉眼による色の濃さを単純に
比較することはできないから,これらの色の濃さの違いに基づいて,本件吸い殻の上
記写真が撮影されてから現在までの約14年間における色の変化を判断することはで
きない。
ⅳ吸い殻の変色の原因についての一般的知見
たばこのチップペーパー(刻みの巻紙の一部とフィルターを覆って巻き合わせてい
る紙。以下,便宜上,たばこの刻みやフィルターを巻き合わせている紙を,チップペ
ーパーを含め,「巻紙」という。)そのものは,変色の原因となるリグニンという物
質が取り除かれて経年劣化の少ない中性紙が主に使用されているので,一般的な温湿
度条件の下であれば,喫煙しなければ,単なる経年変化によって変色することはない。
一方,喫煙すると,煙に含まれているタールがたばこのフィルターを通過する際に
フィルターに付着し,これにより,フィルター内部が黄色ないし薄茶色に変色し,巻
紙部分も変色することがある。
何らかの原因により一旦変色した吸い殻の巻紙については,時間の経過に伴って有
色成分の酸化が進み,その変色の色が濃くなる可能性がある。
⒝考察
前記のとおり,本件吸い殻は,採取時において,同時に採取された本件吸い殻と同
様の白いフィルターの付いたたばこの吸い殻よりも茶色っぽく濃く変色しており,ま
た,その変色はおおむねフィルター部全体に及んでいた。
ところで,たばこの巻紙の変色の原因は,喫煙によりタールを含んだ煙がフィルタ
ー内を通過することにあり,かつ,変色した巻紙は,時間の経過により,変色の濃度
が増す可能性があるところ,煙がフィルターを通過することによる影響は,吸引後圧
力差によって煙が元に戻ることも考えると(証人Fの原審公判供述),基本的にフィ
ルター全体に及ぶであろうし,本件吸い殻の色が同様のたばこのそれよりも濃かった
ことは,本件吸い殻の変色がそれだけ進んでいたことを示すものであろうから,上記
の本件吸い殻の状態は,それ自体,本件吸い殻が,採取時において,既に,投棄後,
ある程度の時間が経過していたことを推認させる。喫煙後の吸い殻が,時間の経過に
より,全体的に変色していくことがあることは,大阪府警察本部が,日本たばこ産業
株式会社等の協力を得て,自動喫煙機を用いて行ったたばこのフィルターの変色実験
において,チップペーパー部分と吸い口のアセテート部分にそれぞれ蒸留水25μℓ
(人間が通常分泌する唾液の量等を参考に設定した量)を添加し,開孔部を覆わない
状態で喫煙したたばこの吸い殻が,当初,変色していなかったのに,時間の経過によ
り,変色したことによって,ある程度,裏付けられている(証人Fの原審公判供述)。
これに対して所論は,変色の原因は,唾液を多く付着させて喫煙した,コーヒーを
飲みながら喫煙したなど,経年変化以外にも他の可能性が想定できると主張する。
確かに,大阪府警察本部が行った喫煙実験では,唾液を多く付着させて喫煙した場
合,たばこにコーヒーを付着させた場合,濡れたたばこの刻み部分に吸い殻を置いた
場合などは,吸い殻は短時間で変色したようである(実況見分調書(原審甲18,2
0))。しかし,この場合,変色したのは,唾液が浸潤した部分,コーヒーが浸潤し
た部分,他のたばこの水が浸潤した部分ないしその周辺に限られているようであり,
変色がフィルター部全体に及んでいるわけではないから,本件吸い殻の場合にそのま
ま当てはまるとはいえない。なお,変色するのが唾液やコーヒーが浸潤した部分ない
しその周辺に限られるとしても,本件吸い殻のフィルター部全体に唾液が付着してい
たり,コーヒーが付着したりしていれば,上記実験結果は,本件吸い殻の状態と矛盾
しないことになるが,本件吸い殻については,唾液鑑定の際に切り取ったフィルター
の下端から約1㎝のところから更に上方の部分に唾液が付着していない部分があった
ことが認められるから(証人Nの差戻前1審公判供述),本件吸い殻のフィルター部
全体に唾液が付着していたとはいえないし,本件吸い殻のフィルター部にコーヒーが
付着していたことを示す証拠もない。のみならず,そもそも,これらの実験は,任意
に様々な条件を設定した喫煙実験を行い,その実験結果の中に本件吸い殻の状況と符
合するものがあることを根拠に,本件吸い殻の変色の原因が,時間の経過以外のとこ
ろにあることを立証しようとするものであり,本件吸い殻自体に即してその変色の原
因を科学的に探究するものではないから,その手法自体が,他の可能性を排除できる
だけの厳密さを持つものとはいえず,これらの実験の結果から本件吸い殻の変色の原
因が時間の経過以外のところにあるとするのは,原理的に無理がある。
本件吸い殻を採取したとき,本件灰皿内には,本件吸い殻以外のたばこの吸い殻の
ほか一定量のごみが入っており,蓋を開けた状態で,本件吸い殻が他のごみの上にあ
ったようには見えないから(検証調書(差戻前1審甲5)写真1400号),本件吸
い殻は,採取時,本件灰皿の下層にあった,すなわち,投棄されて一定の日時が経過
した状態にあった可能性も否定できない。本件吸い殻が,本件事件当日からその翌日
に鑑識活動により採取されるまでの間に湿潤して変色したことをうかがわせる証拠も
ない。
以上のような本件吸い殻の変色状況,発見時の状況等からすると,本件吸い殻が,
採取時において,既に,一定の時間を経過していた可能性を否定することはできない。
b本件吸い殻が携帯灰皿を経由してBにより本件灰皿に捨てられた可能性の有無
について
本件吸い殻が,本件灰皿から発見されたことは,一般的には,時期はともかく,被
告人が本件吸い殻を本件灰皿に捨てたことを推認させる事実であるところ,本件にお
いて,上記の可能性が問題となるのは,被告人がそのような主張をしており,かつ,
本件事件後,f号室から,DがBや被告人らと遊びに行ったとき使ったことがあると
いう(Dの差戻前1審公判供述),マルボロライトというBが吸っていたたばこと同
じ銘柄のたばことホープライトというDが吸っていたたばこと同じ銘柄のたばこが入
った金属製の携帯灰皿(検証調書(差戻前1審甲5)写真837ないし842,当庁
平成24年押第87号の92)やかつてDが被告人やBと一緒に旅行にいったときB
に渡したという(Dの差戻前1審公判供述),青と白のツートーンの携帯灰皿(上記
検証調書写真572,当庁前同押号の91)が発見されるという,Bが被告人らから
受け取った携帯灰皿を自宅に持ち帰ったことがあることをうかがわせる状況や,本件
事件後,本件灰皿からBが吸っていたたばこと同じ銘柄の本件マルボロライトの吸い
殻が発見されるという,Bがたばこの吸い殻を本件灰皿に捨てた可能性があることを
うかがわせる状況等が認められたことなどから,上告審判決において,上記推論に疑
問が呈されたからである。
以下,そのことを前提に,上記可能性の有無について検討する。
所論の根拠
所論が,本件吸い殻が携帯灰皿を経由してBにより本件灰皿に捨てられた可能性が
ないと主張する根拠は,次のようなものである。
ⅰ本件吸い殻の形状等
本件吸い殻は,刻みの部分が最後まで燃え尽き,フィルター部分だけが残った状態
で,灰が付着しておらず,折れ曲がるなどもしていないところ,①被告人には,刻
みがなくなるまでたばこを吸って捨てる習慣がないこと,②吸いさしのたばこを,
携帯灰皿に入れて蓋を閉じると,火がすぐに消えて,上記のような燃え尽きの形状に
はならないが,スタンド灰皿に投げ入れれば,そのような形状になること,③吸い
殻が携帯灰皿を経由した場合には巻紙や吸い口フィルター部分に灰が付着したり,し
わが寄ったり折れ曲がるなどその形状が変形すること,④本件吸い殻を,Bが吸っ
たたばこの吸い殻の可能性が指摘されている本件マルボロライトの吸い殻と一緒に携
帯灰皿に入れて蓋をすると,折れ曲がったりしわが寄ったりすること,などからする
と,本件吸い殻はその形状からして,携帯灰皿を経由したものとは考えられない。
ⅱ本件マルボロライトの吸い殻の着色状況
本件マルボロライトの吸い殻は,写真上,明らかに片面については変色が認められ
ないところ,仮にその全部又は一部が本件吸い殻と同時期に携帯灰皿に入れられて一
緒に捨てられたとすれば,本件吸い殻と本件マルボロライトの吸い殻との間で色移り
した状況が認められるのが自然であるのに,そのように相互に色移りした状況は認め
られないから,本件吸い殻と本件マルボロライトの吸い殻4本とは別の機会に捨てら
れたと見ることができる。
ⅲBが携帯灰皿を経由して本件吸い殻を投棄した機会等
①Bには携帯灰皿使用の習慣がなく,②Bが持ち帰った携帯灰皿は青と白のツ
ートーンの携帯灰皿のみであり,被告人が供述するように白色ビニール製携帯灰皿が
被告人からBに渡った事実は存在せず,③Bと被告人が本件事件に近接した時期に
携帯灰皿を共同使用する機会はなく,④Bは吸い殻を台所シンクの排水溝に捨てる
習慣であったことからすると,Bが,被告人と共同使用した携帯灰皿を持ち帰って,
吸い殻を外の灰皿に捨てることは考えられない。
⒝所論に対する判断
ⅰⅰの点(本件吸い殻の形状等)について
まず,①ないし③の点について見ると,確かに,捜査報告書(原審甲22,弁29)
によると,被告人の自宅や使用車両から発見された被告人が吸ったたばこの吸い殻は,
刻み部分をある程度残したまま何かに押し付けることにより消したように見えるもの
が大部分を占めているように見え,また,ばね式やスライド式の灰皿に火のついたた
ばこを入れた実験をしたところすぐに火が消えたようであり(実況見分調書(原審甲
27)),さらに,灰皿に火のついたたばこを放置すると燃え尽きることがあること
は一般的に容易に想到することができる事柄である。しかし,たばこの消し方は,他
の事柄に夢中になり燃え尽き近くまで放置してしまうこともあるなど,状況によって
様々に変わり得るものであり,現に,上記の吸い殻の中には,刻み部分が少ししか残
っていないものもあるから,上記のような,被告人のたばこの消し方の全てを覆うこ
とができない限られた証拠を基に,本件吸い殻は,途中まで吸ったものを灰皿に投棄
したもので,携帯灰皿を経由したものではないと断定することは,不確かな前提を基
礎にする危うい推論といわざるを得ず,困難である。
次に,④の点については,本件吸い殻を,マルボロライトの吸い殻4本と共に携帯
灰皿に入れて蓋をすると,折れ曲がったりしわが寄ったりする可能性が高いと思われ
るが,本件では,本件マルボロライトの吸い殻全てが本件吸い殻と同一機会に携帯灰
皿に入れて蓋をした以外の可能性が想定できないわけではなく(本件マルボロライト
の吸い殻のうち1本のみがBが吸ったたばこの吸い殻である場合なども想定され
る。),所論は前提を欠いている。
本件吸い殻の形状等から,本件吸い殻は,携帯灰皿を経由して本件灰皿に捨てられ
た可能性がないとはいえない。
ⅱⅱの点(本件マルボロライトの吸い殻の着色状況)について
本件マルボロライトの吸い殻と本件吸い殻が同時期に携帯灰皿に入っていたとして
も,これらが携帯灰皿に入れられた際,その接触部位において,両者あるいはその一
方が湿潤しているなど,両者間に色移りが生じるような状況があったかどうかは明ら
かになっていないから,所論は前提を欠いている。
ⅲⅲの点(Bが携帯灰皿を経由して本件吸い殻を投棄した機会等)について
まず,①の点については,Aは,差戻前1審でも原審でも,Bは携帯灰皿を使う習
慣がなかった旨供述しているが,関係証拠によると,BとAは,夫婦ではあるけれど
も,始終行動を共にしていたような関係にはなかったことが認められるし,A自身も
携帯灰皿を使わないというのに,f号室にはスノーボード用の携帯灰皿があったとい
うのだから(Aの原審公判供述),Bが携帯灰皿を使う習慣がなかったかどうかは,
必ずしも判然としない。のみならず,そもそも,本件で問題となっているのは,Bが,
被告人から渡された携帯灰皿を本件吸い殻が入った状態で持ち帰って本件灰皿に捨て
た可能性があるかどうかなのだから,Bが普段携帯灰皿を使用する習慣があったかど
うかとは直接関係がない。そして,本件事件後,f号室から,Bが吸っていたたばこ
と同じ銘柄のたばことDが吸っていたたばこと同じ銘柄のたばこが入った金属製の携
帯灰皿やかつてDが被告人やBと一緒に旅行にいったときBに渡したという青と白の
ツートーンの携帯灰皿が発見されるという,Bが被告人の生活圏からたばこの吸い殻
の入った携帯灰皿を持ち帰ったことがあることを認めさせる事情があることは,前記
のとおりである。
②については,被告人は,被告人所有の白色ビニール製の携帯灰皿をBに渡した可
能性がある旨供述しているところ(差戻前1審公判供述),本件事件後,そのような
携帯灰皿は,f号室内から発見されておらず,また,原審公判廷で,Aは,ビニール
製携帯灰皿は自宅になかったと思う旨供述し,Dも,5月末に被告人方を出るとき,
被告人方には同携帯灰皿が自宅にあったと思うと供述している。しかし,A及びDは,
いずれも,差戻前1審や同控訴審ではそのような供述はしておらず,上記各供述は,
前記上告審判決で,本件吸い殻が,携帯灰皿を経由して本件灰皿に捨てられた可能性
があることを指摘された後,差戻後の原審で初めてされたものであり,その内容も,
「は,なかったと思います。」(A),「家を出るに至って(中略)特に変わったこ
とがなかったからあったかと思います。」(D)などというもので,確実な根拠に基
づくものとは思われず,言葉どおりに信用することはできない。
③については,証拠上,事件前に被告人とBが会ったのは,2月19日から同月2
0日にかけて二人が行動を共にしたのが最後であると認められるが,その際の行動経
過は完全には明らかになっていないから,被告人とBが携帯灰皿を共同使用する機会
がなかったとはいえない。さらに,被告人とBが平成13年10月に20日間余り同
居していたことは明らかであるところ,その際に二人が携帯灰皿を共同使用し,これ
をBが持ち帰った上,本件マンションに転居するまでそのままにしていたということ
も,全くあり得ないとはいえない。なお,被告人は,捜査段階でも,差戻前1審でも,
Bと携帯灰皿を一緒に使用したことに関して,「白色ビニール製のものと白と金の金
属製のものは,Bに貸したまま,返してもらっていません。貸した時期については,
それほど昔ではありませんが,よく覚えていないのです。」(警察官調書(差戻前1
審乙12),「お互いが使って,そのまま家に,返してもらわずに,Bさんが2つ持
って帰っているということです。」(差戻前1審公判供述)という程度の供述しかし
ていないが,携帯灰皿を一緒に使ったということは特に印象に残るような出来事では
ないから,その程度の供述しかしていないからといって,そのようなことはなかった
はずだということはできない。
④については,確かに,関係証拠によると,本件事件後,f号室台所のシンク排水
溝に吸い殻(銘柄不明)が捨てられていたことが認められ,また,Aは,原審公判廷
で,Bはたばこの吸い殻を流しのごみ受けに捨てていたと供述しているが,そのこと
と,Bが,携帯灰皿に入っていた吸い殻を本件灰皿に捨てることとは,必ずしも矛盾
するわけではない。
ⅳ小括
以上の次第で,所論の主張する論拠によっては,本件吸い殻がBにより携帯灰皿を
経由して本件灰皿に捨てられた可能性を否定することはできない。
のみならず,前記のとおり,本件灰皿からBが吸っていたたばこと同じ銘柄の本件
マルボロライトの吸い殻が発見されており,同吸い殻に付着した唾液のDNA型がB
のそれと一致した場合は,その可能性が更に高まる関係にあったところ,前記のとお
り,本件マルボロライトの吸い殻は,捜査機関が保管中に紛失したため,上記のDN
A型鑑定ができなかったから,本件マルボロライトの吸い殻に付着していたDNA型
がBのそれと一致していた可能性を否定できず,なおのこと,上記の可能性は否定で
きない。
⒞結語
以上のとおり,本件吸い殻は,投棄されてから一定の期間が経過している可能性を
否定できず,かつ,Bが携帯灰皿を経由して本件灰皿に捨てた可能性を否定できない
から,本件吸い殻が本件灰皿から発見されたことなど,所論の論拠で,被告人が本件
吸い殻を本件灰皿に投棄した事実を推認することはできない。
その他の間接事実について
上記のとおり,被告人が本件吸い殻を本件灰皿に投棄した事実を推認することはで
きないから,所論のように,被告人が本件吸い殻を本件灰皿に捨てたことを前提に,
その日を本件事件当日とすることにより,被告人が,本件事件当日,本件マンション
に赴いたという事実を推認することはできない。
そこで,さらに,所論が,被告人が本件事件当日本件マンションに赴いたことを推
認させると主張するその他の間接事実について,検討する。
所論がその観点から主張する間接事実は,前記のとおり,①本件事件当日,本件
マンションの近くで,被告人に酷似する人物や被告人使用車両と同種・同色の自動車
が目撃されていること,②被告人が本件事件当日のf号室内の様子を詳細に知って
いたこと,③被告人が,本件事件当日にBと会っていなければ知り得ないことを知
っていたこと,④被告人が,アリバイがない上,本件犯行時間帯の行動について,
不自然な虚偽供述をしていること,である。
このうち,②,③の点に関する主張が根拠のないものであることは,前記のとおり
である。
そこで,以下,①,④の点について,検討する。なお,本件吸い殻は,その変色状
況から見て,本件事件当日より前に投棄された可能性が否定できないのだから,その
可能性自体を否定する証拠がない限り,いくら本件事件当日,被告人が本件マンショ
ンの周辺に行ったことを示す証拠があったとしても,そのことと,本件吸い殻が本件
灰皿から発見されたことを総合して,被告人が本件事件当日本件マンションに赴いた
という事実を推認することはできないと考えられるところ,①,④の点は,所論が主
張する事実が認められたとしても,本件吸い殻が本件事件当日より前に投棄された可
能性自体を否定することができるようなものではないから,本件吸い殻が本件灰皿か
ら発見されたことから離れて,それ自体により被告人が本件事件当日本件マンション
に赴いたことを推認させるに足りるものであるかどうかを判断するしかない。
a①の点(本件事件当日,本件マンションの近くで,被告人に酷似する人物や被
告人使用車両と同種・同色の自動車が目撃されているという主張)について
本件事件当日午後3時40分頃,午後4時30分頃及び午
後8時過ぎ頃の3回,被告人が当時使用していた自動車と同種・同色の自動車が,本
件マンションから北方約100mのたばこ店「m商店」の駐車場に駐車されているの
が目撃されたこと,⒝被告人自身,任意捜査の段階において,本件事件当日,m商
店付近で車を止め,同店の自動販売機でたばこを購入したことを認めていたこと(G
の差戻前1審公判供述,被告人の警察官調書(差戻前1審乙3,4,7,11,1
2),⒞本件事件当日午後3時過ぎ頃から午後3時半頃までの間に,本件マンショ
ンから北北東約80mに位置するバッティングセンターで,被告人によく似た人物が
目撃されたこと,⒟被告人は,本件事件当日はAないしA宅を探してa区内ないし
その周辺に自動車で赴いたことを自認していること,などが認められる。
平成12年に販売が開始された人気車で,その約半数が被告人使用車両と同様のホワ
イトパールだったのだから(証人Oの差戻前1審公判供述),ごくありふれた自動車
にすぎず,しかも,上記目撃車両はいずれもナンバー等で特定されているわけでもな
いから,被告人が,任意捜査の段階で,m商店に立ち寄ったことを認めていたことを
考慮しても,目撃された自動車の一部ないし全てが,被告人使用車両と断定すること
はできず,まして,被告人が午後3時40分頃から午後8時過ぎ頃まで継続して同所
に駐車していたと認めることはできない。上記事実と本件犯行の関係は不明としかい
いようがなく,これを積極的に事実認定の用に供することはできない。
⒞についても,単に,被告人に似た人物が目撃されたというだけで,目撃者と被告
人とはこれまで面識があったわけでもないから(証人Pの差戻前1審証言),目撃さ
れた人物が被告人という保証はない。この事実も積極的に事実認定の用に供すること
ができるようなものではない。
⒝,⒟の点については,被告人は,差戻前1審公判廷で,捜査段階では,m商店の
付近に自動車を止めた旨指示ないし供述をしたが,m商店の自動販売機にはあれば当
然気づくはずの外国産の珍しいたばこが収納されているし,その付近にはこれまたあ
れば当然気づくはずのポストがあるが,被告人にはそれらのものがあった記憶がない
から,被告人が本件事件当日たばこを購入したのはm商店ではないと供述しているけ
れども,必ずしも説得的なものではないから,本件事件当日,m商店付近に自動車を
止めてたばこを買ったという被告人の捜査段階の供述の信用性は否定できないように
思われる。しかし,被告人が,m商店に立ち寄ったことから本件マンションに赴いた
との事実を推認するのは,相当に飛躍があり,到底できることではない。被告人が,
本件事件当日,AないしA宅を探してa区内ないしその周辺に自動車で赴いたことを
自認していることを考慮しても,目的物件の近くまで行きながら結局目的物件にたど
り着けないことはままあるから,その点に変わりはない。
b④の点(被告人が,アリバイがない上,本件犯行時間帯の行動について,不自
然な虚偽供述をしているとの主張)について
被告人の差戻前1審における公判供述の要旨
本件事件当日の行動について,被告人は,差戻前1審公判廷において,要旨,以下
のとおり供述している。
すなわち,
ⅰ本件事件当日は仕事が休みだったので,午前9時頃,富田林市所在の自宅から
自動車を運転して,Dを職場に送り,酒を買った後,中華料理店で昼食のラーメンを
食べた。古本店に寄った後,自宅に向かって信号待ちをしていると,Aと思われる運
転手が運転している白いカローラを見掛けたので,自動車でその後を追ってn地区ま
で行ったが,そのカローラを見付けることはできなかった。
ⅱ午後,一旦自宅に戻ったが,Aが免停中なのに無免許運転しているのではない
かと気になったので,当てはないが一度様子を見に行こうと思い,以前Aの引っ越し
先として聞いていた大阪市a区oのスーパーマーケットの近くに行くため,自動車を
運転してaに向かった。
ⅲaに着くと,まず,被告人の実家と被告人の弟の家がある団地(a区j所在)
の方を通った後,a区oに行き,「oのスーパーマーケット近くで,2階建ての長屋
風の小じゃれた建物で,犬が飼えるような建物」などというAから聞いていた引っ越
し先の建物とカローラを目安にしてA宅を探した。5,6軒,イメージに合う建物が
あったので,自動車を止めてその周りなどを歩き,郵便受け等を見ながら回った。そ
の間,自動販売機でたばこや飲み物を買ったこともあった。
ⅳ午後6時前頃,もう少し探そうと思って,Dに,迎えに行けない旨のメールを
した。
ⅴ結局,午後8時か9時頃までaにいたが,Aが住んでいると思われるマンショ
ンは見付からなかった。その後,堺市pやn地区を回った後,午後11時少し前頃,
自宅に着いたが,その途中で,Dに電話をし,「あと3,40分くらいで帰れる。n
回って帰る。」などと伝えた。
⒝被告人の供述が虚偽であるとの主張について
ⅰ関係証拠によると,被告人は,本件事件当日の約25年前まで,すなわち,5
歳頃から20歳頃までの約15年間に大阪市a区j地区の団地に居住していたと認め
られるところ,被告人は,本件事件当日,a区oのエリアを中心に,時には車から降
りて歩いたりしながら,数時間にわたりA宅を探し回っていたというのであり(被告
人の差戻前1審公判供述),しかも,a区jの被告人の実家と同区oの本件マンショ
ンは直線距離にして約1.7㎞程度離れているにすぎないから(捜査報告書(差戻前
1審甲226)),土地勘のある場所を通ったことも大いに考えられるのに,関係証
拠によると,被告人は,4月16日(事件の2日後)という記憶の鮮明な時期に警察
官から事情聴取されたり,同月27日に警察官と一緒に本件事件当日の立ち回り先を
実際にたどってみたりしたのに,大まかなルートは述べつつも,本件事件当日の立ち
寄り先を一つも具体的に特定できなかったというのだから,その説明は,曖昧過ぎて,
不自然といわざるを得ない。
ⅱ被告人の供述によると,被告人は,見掛けたカローラの運転者がAという確証
もなく,また,カローラを見失って追尾できなくなったのに,その後も無免許運転を
止めさせたいという思いから,妻を職場に迎えに行く約束を断ってまで,何時間もカ
ローラ及びA方を探してa区内を回ったというのであり,目的と手段の均衡を欠いて
いるとの感を拭えず,被告人の供述は,この点でも不自然な点が残る。
ⅲ被告人は,前記のとおり,任意捜査の段階では,4月27日に警察官と一緒に
本件事件当日の立ち回り先を実際にたどった際,本件事件当日,前記m商店の自動販
売機前に車を止めてたばこを買ったように思うと述べ,5月28日再度警察官と現地
に赴いた際にもその供述を維持していたのに(差戻前1審公判供述等),差戻前1審
公判廷では,前記のとおり,あまり説得力のない理由で,たばこを買ったのはm商店
ではないと,供述を変遷させている。m商店と本件マンションの位置関係を考えると,
この供述の変遷は,殊更なものとの印象を受ける。
ⅳ以上のとおり,本件事件当日の行動についての被告人の供述は,曖昧で漠然と
している上,その内容自体に不自然な点があり,殊更に本件マンションの近くにいた
ことを隠そうとしているのではないかと疑われる供述の変遷もあるから,少なくとも,
本件事件が発生した時間帯と重なる,本件事件当日午後,被告人方を出てから帰宅す
るまでの間の行動に関する部分の信用性は相当に疑わしく,被告人が虚偽供述をして
いる可能性を否定できない。
⒞被告人の供述が虚偽と疑われることの評価
被告人の本件事件当日午後の行動に関する供述が虚偽であるとしても,虚偽の供述
をする理由は,もちろん,犯人であることをこ塗しようとすることにあることもあろ
うが,例えば,被告人が,捜査機関に対して,本件マンション又はその付近にいただ
けであってf号室には赴いていないとありのままに述べても,捜査機関や裁判所から,
犯人ではないという点を信用されず,アリバイのないこととあいまち,事件現場又は
事件現場付近にいたことをもって犯人性の間接事実とされるなど,不利益に扱われる
ことになるという事態を警戒して,過剰に防御的になって虚偽の供述をするという場
合も想定されなくないわけではなく,少なくとも,被告人の全生活が明らかになって
いない以上,虚偽の理由を一方的に決めつけることは困難であり,ましてやそのこと
から,特定の具体的事実を認定することは極めて困難なのであって,本件においては,
被告人が本件事件当日の行動について虚偽の供述をしていたとしても,そのことから
直ちに,被告人が本件事件当日本件マンションに赴いたとの事実を推認することはで
きない。
c①の点と④の点の総合評価
①の点と④の点に関して認められる事実は,被告人が,本件事件当日,AないしA
宅を探してa区内ないしその周辺に自動車で赴き,その過程で,本件マンションから
約100mの所にあるm商店でたばこを買ったこと,及び,本件事件当日の行動につ
いて,虚偽の供述をしている可能性があることであるが,前記のとおり,目的物件の
近くまで来ていたとしても,結局,目的物件にたどりつけないことはままあることで
あり,また,m商店に立ち寄ったことを含め,本件事件当日,本件マンションの近く
まで行ったことを認めることが,アリバイのないこととあいまち,事実に反して不利
な状況として取り扱われることを恐れて虚偽の供述をすること等もあり得ることであ
るから,他のより確実な事実がない限り,上記の事実を総合しても,被告人が本件事
件当日に本件マンションに赴いたという具体的事実を推認することは困難である。
結語
以上のとおり,被告人が,本件事件当日,本件吸い殻を本件灰皿に捨てたという事
実を認めることはできず,所論が主張する間接事実は,被告人が,本件事件当日,A
ないしA宅を探してa区内ないしその周辺に自動車で赴き,その過程で,本件マンシ
ョンから約100mの所にあるm商店に立ち寄ったこと,本件事件当日午後の行動に
ついて虚偽の供述をしている可能性があること以外の事実は認められず,その認めら
れる事実も,性質上,被告人が本件事件当日本件吸い殻を本件灰皿に捨てたとの推認
を補強するものではなく,その1つ1つのみではもちろん,これを総合しても,被告
人が本件事件当日本件マンションに赴いたことを推認させるに足りるものではない。
なお,被告人の警察官調書(差戻前1審乙14)には,本件事件当日,本件マンショ
ンに赴いたという供述が含まれているが,同供述が,同調書の作成経過,取調べ状況,
供述内容に照らし,信用性が極めて乏しく,独立の証拠価値はないと認められること
は,原判決が判示するとおりと認められる。したがって,所論の論拠により,被告人
が本件事件当日本件マンションに赴いたことを推認することはできない。これと同旨
の原判決の認定判断は正当なものとして是認することができる。
その他の間接事実について
上記のとおり,被告人が本件事件当日f号室に入ったこと,及び,被告人が本件事
件当日本件マンションに赴いたことを端的に認める足りる状況にはないから,これら
の事実より更に推認力が弱く間接的なものであるその他の間接事実は,これをいくら
総合しても,被告人が本件各犯行を行ったことを推認させるに足りるものではないの
ではないかと考えられることは,上告審判決が指摘するとおりである。
したがって,本件において,その他の間接事実について更に検討する必要はないの
ではないかとも思われるが,所論に鑑み,念のため検討すると,原判決がその他の間
接事実によっても,被告人が本件犯行を行ったと認めることはできないとしたことは,
正当として是認することができる。
その理由は,以下のとおりである。
アその他の間接事実
所論が,被告人が本件事件当日f号室に入ったこと,及び,被告人が本件事件当日
本件マンションに赴いたことを推認させる間接事実として主張し,その間接事実自体
は認められるけれども,上記事実を推認するに足りないと判断したものを含め,その
他の間接事実として取り上げるべきものは,以下のようなものと思われる。
被告人が本件事件当日本件マンションを知ることができる状況にあったこと
本件吸い殻が本件灰皿から発見されたこと
被告人が,本件事件当日,AないしA宅を探してa区内ないしその周辺に自動
車で赴き,その過程で,本件マンションから約100mの所にあるm商店に立ち寄っ
たこと
被告人は,アリバイがない上,本件事件当日午後の行動について虚偽の供述を
している可能性があること
被告人に本件に密接に関連する不審言動等があること
被告人に本件犯行の動機となり得る背景事情があり,被告人は感情の起伏が激
しく粗暴な面があること
本件の犯人像に合致し,かつ,本件犯行機会がある者は被告人しかいないこと
ポリグラフ検査の結果は被告人が犯人であることを示していること
そこで,以下,まず,これらの点について,個別に検討する。
イ各間接事実の検討
たこと)について
被告人は,本件事件当日,本件マンションを知っていたとまではいえないけれども,
被告人がa区j地区の出身で現場周辺の地理状況をよく知っていた可能性はあり,こ
れと,被告人がそれまでに得ていた情報を基に,被告人が本件マンションを特定する
ことができた可能性があることは前記のとおりであり,また,本件マンションの入り
口には被告人が本件の管理会社と認識していた管理会社の看板があり,本件マンショ
ンの自転車置き場にはBの自転車が,f号室のベランダにはAのサーフボードが,そ
の入り口にはCの傘が置かれていたのだから(検証調書(差戻前1審甲5)写真15,
113,1268,298,299),被告人は,本件事件当日,本件マンションを
知り,かつ,f号室まで知ることができた可能性もあったということができる。しか
し,あくまで,可能性があったという限度のものにとどまることも否定できない。
本件吸い殻が本件灰皿から発見されたこと自体は明らかであるが,本件吸い殻の変
色状況等から,本件吸い殻は,本件事件当日より前に被告人が捨てたものをBが携帯
灰皿を経由して本件灰皿に捨てた可能性,すなわち,被告人がしたのは他の場所で本
件吸い殻を捨てたことだけで,それ自体は本件灰皿や本件マンションと全く接点のな
いところで行われた可能性が否定できず,先に掲げた他の間接事実の中にもそれ自体
でその可能性を失わせるようなものはないから,本件吸い殻が本件灰皿から発見され
たことは,他の間接事実と相互補強の関係にあるともいえない。したがって,同事実
は,それ自体単独ではもちろん,他の間接事実と総合するという形式をとる場合であ
っても,被告人が本件犯行を行ったことを推認するための間接事実として取り上げる
ことができない。
AないしA宅を探してa区内ないしその周
辺に自動車で赴き,その過程で,本件マンションから約100mの所にあるm商店に
動について虚偽の供述をしている可能性があること)について
点を総合しても,それだけでは,被告人が本件事件当日本件マンションに赴いたと事
実も推認できないことは,前記のとおりである。
a所論
所論が被告人に本件に密接に関連する不審言動等があるとして指摘するのは,以下
の4点である。
被告人が,犯行時刻に重なる時間帯に,Dを迎えに行く約束を断り,携帯電話
の電源を切っていたこと
⒝被告人には本件事件当日から事件後にかけて犯人ならではの心理の現れと見ら
れる不自然な言動があること
⒞被告人に犯行の痕跡が認められること
⒟Dが被告人を犯人ではないかとの確信を深めて家出したこと
b当裁判所の判断
被告人が,犯行時刻に重なる時間帯に,Dを迎えに行く約束を断り,
携帯電話の電源を切っていたとの主張)について
関係証拠によると,被告人は,本件事件当日,Dの仕事が終わる頃である午後7時
頃にDを職場まで迎えに行く約束をしていたのに,Dに,同日午後5時52分頃,携
帯電話から,「ごめん迎えにいけません」との表題で「また連絡しますね」というメ
ールを送信したのみで,迎えに行かず,同日午後10時3分頃,もう少ししたら帰る
旨電話で伝えるまで,連絡をとらなかったこと,Dが同日午後5時15分及び午後8
時13分に被告人の携帯電話に送信したメールは,被告人が帰宅後同日午後11時2
分頃以降にセンター問い合わせをして初めて受信されたことが認められる。
被告人が,Dがメールを送信した時,いずれも,電波が通じないところにいたとは
考えにくいから,後者の事実は,被告人が,同日午後5時15分の前後頃及び午後8
時13分の前後頃の時点で携帯電話の電源を切っていたことを推認させる。
このように,被告人が,本件事件当日,Dを職場まで迎えに行く約束をしていたの
に,それを断るとともに,本件犯行の時刻と重なる,あるいは,その前後にあたる上
記時間帯に携帯電話の電源を切るなどしたのは,被告人が,本件犯行を行ったため心
理的に混乱し,あるいは,偽装工作に邪魔が入るのを防ぐため,外部との接触を避け
ようとしたことなどによるものである可能性自体を否定することはできない。
しかし,行きがかり上,Dを迎えに行くよりもAの捜索を優先したかったというこ
とも全く不合理とはいえないし,携帯電話の電源を切る理由についても,単に電池の
消耗を防ぐためなど,様々なものが考えられるから,上記の可能性はあくまで可能性
にとどまるものというべきである。
⒝⒝の点(被告人には本件事件当日から事件後にかけて犯人ならではの心理の現
れと見られる不自然な言動があるとの主張)について
所論が犯人ならではの心理の現れとして主張するのは,被告人が,①本件事件当
日,自宅マンションの駐車場に到着した後,自宅居室に入るまで十数分にもわたって
駐車場で時間を費やしていた上,帰宅してからは食事も早々に1人で寝室に入ったこ
と,②事件の翌日,職場で事件のことを知らされてから約7時間も自宅に帰らず,
Dに電話で事件を知らせることもしなかったこと,③勤務先を出る時も慌てる様子
などがなかったこと,④Bの実家に速やかに連絡を取らなかったこと,⑤B及び
Cの遺体引取りに同行しなかったこと,⑥通夜や葬儀の際,自分にアリバイがない
ことを殊更発言したこと,⑦事件の3,4日後に不動産管理会社のIに電話をかけ
て,「自分はあなたからBの住所を聞いていないですよね。」などと念押ししたこと,
⑧法要の席等で,Bの悪口などを延々と話し続けるなど,その場にふさわしくない
言動に及んでいたこと,⑨本件事件当日の行動を明らかにするためDやAとa区内
を回った際には行動を思い出せないと言っていたのに,警察官に対しては事細かに順
序をつけた書面を書いて提出したり,当日着ていたとして衣類を警察官に任意提出し
た後,実はあの日に着ていなかったとDに説明を変遷させたりしたり,Dに対し警察
の事情聴取に行かないよう求めたりしたこと,⑩事件後,浴槽に浸からなくなった
こと,などである。
しかし,確かに,上記のような事情は,被告人に疑いをいだかせる事情ではあろう
が,それを超えるものではない。このような事情を犯人性を推認させる間接事実に加
えることは,いわば印象による犯罪事実の認定につながりかねないもので,賛同でき
ない。実際,このような事情を犯人性認定のための間接事実に加えなかったからとい
って,正しい事実認定が阻害されるような事態は,その逆はあっても,想定できない。
個々の事実について検討するまでもなく,所論指摘の事情を犯人性認定のための間接
事実に加えることはできない。
⒞⒞の点(被告人に犯行の痕跡が認められるという主張)について
所論は,本件事件当日以後,被告人の左上腕部に指でつかまれたようなあざがある
こと,被告人が本件事件当日着ていたデニムシャツの袖口に,一旦濡れた後乾いたよ
うな絞りじわがあったこと及び被告人が左右いずれかの親指にけがをしていたことが
認められ,これらは被告人が犯行に及んだことの痕跡であると主張する。
そして,Dは,差戻前1審公判廷で,本件事件当日以後,被告人の左上腕部に指で
つかまれたようなあざが,被告人が当日着ていたデニムシャツの袖口に,一旦濡れた
後乾いたような絞りじわがそれぞれあり,また,被告人は左右いずれかの親指にけが
をしていた旨供述し,被告人も,差戻前1審公判廷で,指にけがをしていたことを認
める供述をしている。
しかし,Dの上記供述が信用できるとしても,あざや絞りじわの発生原因としては
様々な可能性が考えられるから,あざや絞りじわがあったからといって,そのことか
ら直ちにこれらが犯行の痕跡であるということはできないし,親指のけがについても,
犯行態様とけがの結び付きが不明であって,これを犯行の痕跡と認めるだけの証拠は
ない。
所論指摘のあざ,絞りじわ及び親指のけがは,いずれも,それだけでは,これらが
犯行の痕跡と断定することができず,他の間接事実の中にも,犯行とこれらの関係を
推察させるものはないから,いずれも,被告人の犯人性の推認に用いることができる
間接事実とはいえない。
⒟⒟の点(Dが被告人を犯人ではないかとの確信を深めて家出したという主張)
について
所論は,本来妻として被告人を擁護する立場にあるDが,様々な被告人の不自然な
言動に接し,被告人に疑念を抱き,被告人の元を離れたという事実は,重い意味を持
つと主張する。
しかし,被告人の行動に不自然な点があり,それが真実事実認定のために重要な意
味を持つのであれば,その事実自体を評価の対象とすればいいのであって,たとえ妻
という最も密接な関係にある者であっても,その者の抱いた感想に依拠して事実認定
をするのは,まさに印象による犯罪事実の認定そのものであって,賛同できない。
Dが被告人を犯人ではないかとの確信を深めて家出したという事実を被告人の犯人
性推認のための間接事実に加えることはできない。
被告人には本件犯行の動機となりうる背景事情があり,被告人は感情
の起伏が激しく粗暴な面が認められるという主張)について
a所論の要旨
所論は,被告人は,Bに性的な関心を抱いて,求婚したり,性的嫌がらせをし
ていたところ,これを嫌ったBが被告人との接触を避けるようになり,被告人の意に
反してAと行動を共にするなど,自分をないがしろにする態度をとるようになったこ
となどから,被告人は,Bに対し,複雑かつ強い憤りの感情を抱いていた,⒝被告
人は粗暴な性格であり,激高すれば,BやCを攻撃することが十分考えられる人物で
ある,などと主張した上,このような背景事情は,被告人が本件各犯行を実行する動
機となるものであって,被告人の犯人性を推認させる事情となる旨主張する。
b当裁判所の判断
の点(本件事件当時,被告人が,Bに対し,複雑かつ強い憤りの感情を抱い
ていたとの主張)について
関係証拠によると,Bは,平成13年9月30日頃,被告人からAの女性関係等を
告げられるなどしたことを切っ掛けに,同年10月1日頃から,Cと共に,被告人方
で,被告人及びDと同居していたが,Dに,被告人から性的嫌がらせをされているな
どと訴え,同月24日頃,被告人に黙って被告人方を出,その後は,被告人に居所を
知らせないなど,被告人を避けるようにしていたこと,被告人は,上記のとおりBが
被告人方を出た後,Aに対し,あるいはAないしBに対し,AやBを非難するメール
を送ったりする一方,BやAの居所に関心を抱き,あるいは,Aと連絡がとれないこ
とから,Dに,A及びBに対する不満を漏らしていたことなどが認められるから,被
告人が,Bに対し通常の息子の妻に対する感情以上の感情を持ち,それが十分受け入
れられなかったことなどから,本件事件当時,Bに対して複雑な感情を抱いていた可
能性は否定できない。
なお,被告人が,同居中,Bに対して,接吻したり,性交渉を迫ったりするという
性的嫌がらせと評価できるような行動までしていたことについては,これに沿うDの
差戻前1審公判供述は,伝聞であり,確実なものとして認定することはできない。
しかし,被告人が,本件事件当時,Bに対し,上記のような複雑な感情を抱いてい
たとしても,そのことは,通常直ちに本件のような犯罪に結びつくものとはいえず,
被告人が犯人だったとした場合に,そのような事情が犯行の原因の1つになっている
と評価できるにすぎないものであって,犯人性を積極的に認定すべき事情としては,
B殺害の動機がないとはいえないという程度の意味しか持たないものというべきであ
る。
⒝⒝の点(被告人は粗暴な性格であり,激高すれば,BやCを攻撃することが十
分考えられる人物であるとの主張)について
関係証拠によると,被告人は,かつて,Aにしつけとして厳しくしかり,突き飛ば
して腕を骨折させたことや,Bと同居中,Dといさかいになって,殴りかかったこと,
あるいは,被告人がB方を訪れた際,「どちらさんですか」などと対応されたため,
立腹し,Bの顔面を平手で1回たたいたことなどが認められる。
しかし,被告人の性格自体を犯人性推認の資料として用いることは,当該犯罪が特
殊なものであってそれ自体が犯人の性格と結びついているというような場合はともか
く,一般的には許されないものであるところ,本件がそのような例外的な場合である
と認めるべき根拠はないし,被告人がAやB等に加えた上記の暴行は,本件犯行にお
ける攻撃とは質的に異なるものでもあるから,本件において,上記のような事実を犯
人性認定の間接事実に加えることはできない。
本件の犯人像に合致し,かつ本件犯行機会を有する者は被告人しかい
ないという主張)について
Bが,来訪者を確認した上でf号室の玄関ドアの施錠を外して犯人を
招き入れていること,⒝犯人がf号室の玄関ドアの鍵を特定できたこと,⒞犯人
がAが不在で夜遅くまで帰宅しないことを知っていたこと,⒟本件現場に様々な偽
装工作がなされていた犯人が幼いCまでを殺害したことから,浮かび上が
る本件の犯人像は,被害者に近しい関係にある者であるところ,被害者に近しい関係
にある者の中で,犯行を行い得たのは被告人だけである,と主張する。
しかし,本件においては,4月14日午後4時頃から午後6時頃までの間に,f号
室で,Bが,ナイロン製ひもでその頸部を絞め付けられるなどして,Cが浴槽内の水
中にその身体を溺没させられるなどして,それぞれ殺害され,その後,同日午後9時
40分頃,同室に放火されて焼損したことは,ほぼ間違いない事実として認定するこ
とができ,時間的接着性や場所的関係から,B及びCの殺害とf号室に対する放火が
無関係ではないというところまでは言えるとしても,B及びCの殺害とf号室の放火
との間に3時間以上の時間があることから,本当にB及びCの殺害とf号室の放火が
同一の犯人によるものであるか,そうだとしても,それらが単独犯なのか複数犯なの
かという,犯行の基本的な部分の中にも解明されていない部分がある。
そのような状況の中で,様々な仮説を立てて,犯人像を想定し,その想定が正しい
ものかどうかを,証拠に照らして検証することは,捜査の手法としては有効なものと
いうことができる。むしろ,捜査とは,そのような仮説と検証の繰り返しということ
ができるであろう。この場合,重要なことは,様々な仮説を立てて想定した犯人像に
一致する人物にたどりついたということ自体ではなく,その人物が犯人であることが
証拠によって裏付けられることである。けだし,前者のままでとどまるならば,確実
な証拠のない仮説そのものによって,犯罪事実を認定することになりかねないからで
ある。ところが,所論の主張は,結局,様々な仮説を立てて想定した犯人像に一致す
る人物として被告人にたどりついたというものの域を出ないものである。そのような
主張は,こうしてたどりついた被告人が犯人であることを証明する確実な証拠を伴わ
ない限り,意味のないものであり,また,そのような確実な証拠があるのであれば,
逆に,そのこと自体から,そのような主張をする意味が失われるから,結局,所論の
ような主張は,刑事裁判の場で,独立の項目として,取り上げる価値のないものであ
るのみならず,そのような主張を独立の項目として取り上げることは,裏付けのない
仮説によって,犯罪事実を認定することにつながりかねず,むしろ相当でないという
べきである。
のみならず,所論が犯人を絞り込んだ過程も,B及びCを殺害した犯人とf号室に

配便や電気,ガス等の職員を装った者が,それらしい用務を告げて,来訪すれば,見
知らぬ者に対しても玄関を開ける可能性を否定できない,⒝玄関ドアの鍵は,玄関
の下駄箱の上に置かれていたのだから,これを見つけることが,特に困難とも思われ
ない,⒞犯人がf号室に入ったのが午後4時頃だとすると,さして目立つ時間帯で
はなく,室内に入った後,家人の帰宅時刻を確認することも可能である,⒟様々な
Cが泣き叫んで
犯行が早期に発覚するのを恐れて,同児まで殺害することもあり得ないわけではない
など,すぐに種々の反論が可能なものであって,説得力のあるものとはいえない。
所論の主張する事情を,犯人性推認のための間接事実に加えることはできない。
ポリグラフ検査は被告人が本件の犯人であることを示しているという
主張)について
所論は,5月4日に実施されたポリグラフ検査において,被告人は,Bの遺体の向
きが東向きであること,遺体に対する行為として「衣類を敷く」行為があったこと及
び本件現場で犯人が「家具を移動する」行為を行ったことの裁決事項に顕著な特異反
応を示したのであり,この検査結果は,犯人と捜査官しか知り得ない事実について被
告人が明確な認識を有していたことを示しているから,被告人の犯人性を推認させる
事情の一つとなる旨主張する。
しかし,一般に,ポリグラフ検査は,質問の刺激による心理的作用が自律神経系統
に働きかけて発現する反応をとらえてなされるという点で科学的な検査といえるもの
の,個々の質問内容がなぜ被検者に心理的作用を及ぼして生理的な反応を生じさせた
のかという理由までを完全に特定するものではないから,これによって被告人の内心
の認識を推し量ろうとするには限界があり,取り分け,本件ポリグラフ検査には,外
界からの影響を遮断する工夫が施されていなかったこと,裁決項目が二つ以上存在す
る質問があること,鑑定書とチャート紙以外に検査資料が残されておらず,検査官も
検査時の被告人のやり取りを十分記憶していないため鑑定内容の正確な検証が不可能
であり,所論のいう特異な反応が,検査時までの報道やAから得た情報からによる影
響の可能性等を排除できないから,その内容に十分信頼を置くことができない。
そうすると,本件ポリグラフ検査を,犯人性推認のための間接事実に加えることは
できない。
ウ間接事実の評価
以上によれば,被告人が本件事件の犯人であることを推認させる間接事実として,
その判断資料に加えることができるものは,①被告人が,本件事件当日,本件マン
ションを知り,かつ,f号室まで知ることができた可能性があること,②被告人が,
本件事件当日,AないしA宅を探してa区内ないしその周辺に自動車で赴き,その過
程で,本件マンションから約100mの所にあるm商店に立ち寄ったこと,③被告
人が,本件事件当日,本件犯行を行ったため心理的に混乱し,あるいは,偽装工作に
邪魔が入るのを防ぐため,外部との接触を避けようとして,職場まで迎えに行くとい
うDとの約束を違え,あるいは,犯行時刻と重なる時間帯に携帯電話の電源を切って
いた可能性があること,④被告人にB殺害の動機がないとはいえないこと,の4点
にすぎない。
そして,これらは,いずれも,可能性にすぎないものや(①,③),それ自体,推
認力が極めて乏しいことが明らかなもの(②,④)であるから,その1つ1つをもっ
てしてはもちろん,これらを総合しても,被告人が本件各犯行の犯人であると推認す
るに足りないというほかない。原判決がその他の間接事実によっても,被告人が本件
犯行を行ったと認めることはできないとしたことは,正当として是認することができ
る。
結語
以上のとおり,本件において,被告人が本件事件当日にf号室内に立ち入ったこと
を端的に認定させるような事情は見当たらず,所論の論拠により,被告人が本件事件
当日本件マンションに赴いたことを推認することもできず,その他の間接事実を総合
しても,被告人が本件各犯行の犯人であることを推認することはできない。
その他,所論に即して記録を精査検討しても,本件公訴事実について犯罪の証明が
ないとして被告人を無罪とした原判決の認定に所論のような誤りがあるとは認められ
ない。
論旨は理由がない。
第5結論
よって,刑訴法396条により,主文のとおり判決する。
平成29年3月3日
大阪高等裁判所第1刑事部
裁判長裁判官福崎伸一郎
裁判官野口卓志
裁判官酒井英臣

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