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平成2919号再審開始決定に対する即時抗告申立事件
決定
主文
本件即時抗告を棄却する。
理由
第1抗告趣意等
本件即時抗告の趣旨及び理由は,鹿児島地方検察庁検察官検事平野
大輔作成の「即時抗告申立書」及び福岡高等検察庁宮崎支部検察官検
事内田武志作成の「意見書」に各記載のとおりであり,これに対する
反論は主任弁護人作成の「ⓐ事件における即時抗告審の審理のあり
方」,「再審請求審における新証拠の明白性の判断方法」,「意見
書」,「訂正申立書」,「意見書(2)」及び「意見書(3)」に各
記載のとおりであるから,これらを引用する(以下,略語等について
は,本決定で新たに定めるもののほか,原決定別紙「参照語句一覧表」
の例による。なお,同一覧表記載の各鑑定の書面作成者ないし供述者
については,適宜「鑑定人」ないし「証人」と称することがある。)。
論旨は,要するに,原決定は,新規性又は明白性が認められないⒶ
鑑定及びⒷ・Ⓒ新鑑定についてこれらをいずれも肯定し,総合評価の
手法を誤り,新旧証拠の総合評価においても個々の証拠の評価につい
て誤った判断をして確定判決の事実認定に合理的な疑いが生じたと認
定した点において,いずれも失当であるから,原決定を取り消し,本
件再審請求を棄却する決定を求める,というものである。
第2当裁判所の判断
1はじめに
当裁判所は,①Ⓑ・Ⓒ新鑑定については明白性が認められない,②
Ⓐ鑑定について新規性を肯定した原決定には誤りがない,③Ⓐ鑑定に
ついて明白性を肯定した原決定は,その証明力を不当に低く判断して
いる点において一部賛同できず,かつ,確定審の有罪判決を支える証
拠関係を的確に把握していないことに起因して新旧証拠の総合評価に
ついて俄かに賛同し難い説示がみられるものの,Ⓐ鑑定がその立証命
題に関連して確定審の有罪判決を支える証拠関係に及ぼす影響を踏ま
えると,Ⓐ鑑定は,確定審で取り調べられた旧証拠等一切の証拠(第
1次再審及び第2次再審において新証拠として提出された証拠も含
む。)と総合評価することにより確定審の有罪判決における事実認定
につき合理的疑いを抱かせる証拠に当たるといえるから,その明白性
を肯定した原決定は結論において誤りがない,④以上の次第で,検察
官の所論は一部採用できるものの,結局論旨は理由がないことに帰す
るから,本件即時抗告は棄却すべきであると判断した。
以下,その理由を説明する。
2Ⓑ・Ⓒ新鑑定の明白性判断について
所論は,原決定の明白性判断は,Ⓑ・Ⓒ新鑑定の証明力について何
ら具体的根拠を示さずにこれを認めている点,Ⓑ・Ⓒ新鑑定の機能に
関して過大評価をしている点,Ⓑ・Ⓒ新鑑定の内容に関して過大評価
をしている点,仮に鑑定内容に一定程度の信用性が認められたとして
も確定審の判断に影響を及ぼすものとはいえない点においていずれも
不合理であり,Ⓑ・Ⓒ新鑑定はⒹ供述の信用性判断を肯定した確定審
の事実認定に合理的な疑いを容れるものではなく,明白性の要件を欠
いている,という。
そこで検討すると,原決定は,①「Ⓑ・Ⓒ新鑑定の内容」について,
その鑑定手法,分析結果を要約した上で,「Ⓓの本件各目撃供述には,
体験記憶に基づかない情報が含まれている可能性が高く,その信用性
評価においては,これらの結果を十分に考慮し,慎重な判断をする必
要がある。」とした上,②供述そのものの科学的な分析の結果得られ
た非体験性兆候等は,司法の場での総合的な信用性判断に際して有意
な情報として利用することができること,裁判員裁判においては心理
学的な供述評価は裁判官と裁判員が実質的に協働して評議を行うため
の共通の土台やツールの一つとなり得るものであることの2点を根拠
に,Ⓑ・Ⓒ新鑑定は,その鑑定手法や鑑定内容に不合理な点がなけれ
ば,Ⓓの供述の証明力を減殺させるだけの証明力を有するものとし,
③これを踏まえて,Ⓑ・Ⓒ新鑑定の鑑定手法,鑑定内容の合理性を検
討し,鑑定手法自体が不合理とはいえないこと,検察官が鑑定内容に
ついて合理的でない旨主張するところはⒷ・Ⓒ新鑑定の証明力を明白
に弾劾するものではなく,Ⓑ・Ⓒ新鑑定の証明力を大きく損なうよう
な不合理な事情は存しないことから,Ⓑ・Ⓒ新鑑定は,供述心理学の
専門家によるⒹの供述の分析として一定程度の合理性を有し,Ⓓの供
述の信用性を判断する資料の一つとしてみた場合,十分な証明力を有
するものと評価し,④以上によれば,Ⓑ・Ⓒ新鑑定には,本件犯行を
直接又は間接的に立証し,共犯者の自白を補強する証拠であるⒹの供
述の証明力を減殺させるだけの証明力が認められると結論付けたもの
である。
しかし,そもそも原決定も前記①で説示するとおり,Ⓑ・Ⓒ新鑑定
は,裁判所が司法的観点から行う,他の諸証拠や関連事実を含む総合
的な評価による供述の信用性判断に当たり,心理学的見地から非体験
性の兆候等をチェックするという視点を提示し,これを踏まえて慎重
な検討を行う必要性を裁判所に留意させ,もって十分な信用性判断を
行うよう促す機能を有するにすぎないから,その証明力が肯定された
からといって,直ちに供述の信用性が減殺される関係にはない。現に,
Ⓑ・Ⓒ新鑑定自体が,その鑑定の意義について,供述の品質確認を行
い,その品質が低いということが確認されたとしても,そのことによ
って非体験供述の有無が確定できるものではなく,最終的に非体験供
述の有無は司法の場で総合的に判断してもらう必要がある旨,繰り返
し強調しているところである。それにもかかわらず,原決定は,前記
②において,Ⓑ・Ⓒ新鑑定が,供述の信用性判断に際して有意な情報
として利用でき,評議のための共通の土台やツールとして活用できる
ことのみを理由に,その鑑定手法や鑑定内容に不合理な点がなければ,
Ⓓの供述の証明力を減殺させるだけの証明力を有するものと評価して
いるのであるから,その判断は,論理に飛躍があり,かつ,何ら合理
的根拠を示さない不合理なものといわざるを得ない。
なお,原決定は,裁判員裁判における評議の在り方についても言及
するのでこの点についても付言する。原決定は,供述の心理的評価が
裁判官と裁判員が実質的に協働して評議を行うための共通の土台やツ
ールの一つとなり得ると指摘するが,これをⒷ・Ⓒ新鑑定の場合につ
いて検討すると,同鑑定は,供述の信用性判断において,心理学的見
地から非体験性の兆候等をチェックするという視点を提示し,これを
踏まえて慎重な検討を行う必要性を裁判所に留意させ,もって十分な
信用性判断を行うよう促す機能を有するというものであるから,同鑑
定においても強調されるように「供述の品質確認を行う」という趣旨
に限定して適切に用いられる場合は,その内容が合理的で科学的根拠
を有するものである限り,裁判員裁判において一定の意義を有するも
のと考えられる。しかしながら,現時点において供述心理学を用いた
供述の信用性に関する鑑定手法と鑑定結果の評価方法について異論の
ないほどに確立しているとは言い難い状況であるから,鑑定内容が科
学的根拠に基づいた合理的なものといえるか否かは,個別に評価して
いく必要がある。その上,「供述の品質確認」と供述の信用性判断と
は相当部分において重なるものであり,両者を峻別することは困難で
あると言わざるを得ないから,本来的には「供述の品質」という心理
学的特性は,他の事情と相まって信用性判断をするための一事情と位
置付けられるものと考えられるが,ともすると心理学の専門家である
鑑定人の意見が信用性判断の結論に直接に結びつくものとして過大に
受け取られる危険性があることは否めない。現に,Ⓑ・Ⓒ新鑑定にお
いても,Ⓓの供述につき,「体験記憶に基づかない情報が含まれてい
る可能性が無視できないほどに高い」と信用性判断についての結論を
先取りして示唆したものとも受け取られかねない鑑定意見が述べられ
ているのであり,上記の危険性が顕在化しているものといえる。裁判
員裁判においては,専門家である裁判官と国民から選出された裁判員
とが,市民としての常識に基づいて自由闊達な議論により慎重に検討
した上で結論を導くべきものであるが,心理学者により専門的知見に
基づいて非体験的兆候が見られた,あるいは見られないとの鑑定意見
が述べられた場合に,その鑑定手法や鑑定内容に不合理な点がない以
上は,専門家の判断を尊重すべきであるとして,供述の証明力につき,
その程度が明らかにならないままに減殺ないし増大するということを
前提とした評議が行われるようになれば,専門家の意見ということで
その結論のみが先行して,信用性判断の評議に不適切な影響が及ぶと
いう懸念を払拭することはできない。したがって,このような鑑定に
つき,科学的根拠を有する合理的なものといえるか否か検討する必要
があることは当然であるが,それが肯定されたとしても,裁判員裁判
において用いるのであれば,その取扱いについては,相当に慎重な検
討がなされる必要がある。
この点を措くとしても,Ⓑ・Ⓒ新鑑定は,公開の法廷で実施された
逐語の供述調書を対象とするものではなく,捜査段階の供述調書を対
象とした上で,Ⓓと他の事件関係者とのコミュニケーションにおいて
Ⓓの反応の不自然な欠落や行為の不在等をもって非体験性兆候である
明らかなコミュニケーション不全と評価したことを主たる根拠として,
Ⓓの目撃供述には体験記憶に基づかない情報が含まれている可能性が
高く,Ⓓの目撃供述の信用性評価においてはこの点を十分に考慮しつ
つ慎重な判断を行うことが必要であると結論付けるものである。同鑑
定は,供述そのものの内容の変遷に注目
するものであり,Ⓓが捜査官に対して供述すること自体を躊躇したと
か,嫌がったとか,そういう個人の内面を分析することは避けるとい
うスタンスであり,例えばⒹが一部の出来事を隠そうとして供述した
場合にもその前後の出来事のみが語られる事態が生じ得るが,推測で
考えると色々なことが考えられてしまうので,そのような点は検討せ
ずに,今回は供述調書として残っているもので分析を行ったものであ
る,供述調書には本人の語った内容が本人の言葉に近い形で相当程
度適切に録取されているという前提で鑑定しているので,供述調書に
現れていないことをもって供述人が供述をしていないといえるかどう
かは鑑定のフォーカスの外にある,そのような前提は,何らかの根
拠に基づいて判断したというものではなく,前提として定義したとい
うことである,供述調書に記載されている内容の中に非体験性兆候
がないのか,ということを考えるので,Ⓔから口止めされていたとい
うⒹ供述のような外在的条件は鑑定のフォーカスに入っておらず,外
在的条件と供述の間にどういう整合性があるかということは検討して
いない,というのである。そうすると,Ⓑ・Ⓒ新鑑定は,鑑定人が設
定ないし定義した前記の限られた各前提条件の下での分析結果にすぎ
ないのであり,これを具体的なⒹ供述の信用性判断にそのまま当ては
めることができないことは論を俟たないから,相当程度に限定的な意
義を有するにとどまるものといわざるを得ない。この点,Ⓑ・Ⓒ新鑑
定は,その追加鑑定において,供述調書の性質に由来する様々な見え
にくい部分を相殺するような分析の手法を追加的に行う必要があると
して,すべての供述調書を参照し,警察官調書でも検察官調書でも同
じような兆候が見られるとか,特殊な事情が起こったときにその事情
が反映しない形で安定して供述が同じパターンで見られるなどの点を
確認した,これによって様々な問題が相当程度相殺できるのではない
かと考えている,というが,これもを前提として設
定ないし定義した上で,供述調書の記載内容のみを検討し,すべての
供述調書を対象に分析しても当初のⒷ・Ⓒ新鑑定の結論と同じ結論が
導き出せたというものにすぎず,前記の本質的な問題点は何ら解決さ
れておらず,依然として前記の限られた各前提条件の下に分析された
ものという点では同様であり,相当程度に限定的な意義を有するにと
どまるものといわざるを得ない。
また,Ⓑ・Ⓒ新鑑定の信頼性については,同様の手法を用いてⒻ,
Ⓖ,Ⓗの公判供述を分析したとするⒷ・Ⓒ旧鑑定との整合性も指摘せ
ざるを得ない。すなわち,Ⓑ・Ⓒ心理学的供述
評価の基本類型のうち,供述自体が持つ特徴に着目した供述分析の代
表的手法として,内容的特徴を分析する「CBCA」,変遷パターン
を分析する「供述分析」,文体的特徴を分析する「スキーマ・アプロ
は,CBCAについては,適切な
手法で得られた供述の逐語記録が利用できること,供述分析について
は,同一事項について繰り返し聴取された供述調書が利用できること,
スキーマ・アプローチについては,供述の逐語記録が利用できること
鑑定人の得意な手法を用いる
ということではなく,供述資料の状況に応じて特定のもの,若しくは
それを
Aに関しては,きちんとした聞き方で取られた体験の語りを分析する
ことが大前提の方法であり,聞き方に誘導等が含まれていると供述者
が影響されてしまうので,基本的には使えないが,供述調書等をCB
CAの基準で判断して,もしかするとこの部分に何か問題があるかも
しれないという探索の手掛かりに使うことは可能であるので,補助的
跡できる程度の充実した供述調書がないと本格的な分析ができないと
ころ,Ⓕ,Ⓖ,Ⓗについては,供述調書が一定量存在するものの,本
格的な供述分析を行うに足るほどの量はないが,変遷パターンの分析
を行って,そこで見られる注目すべき兆候というものを更に深めて,
別の方法で検討していくという探索的な分析として副次的に用いるこ
Ⓕ,Ⓖ,Ⓗの供述の最も大きな特徴は,公判廷で自白が
行われているということであり,公判廷の自白というのは非常に重要
な情報源であり,本人の生の言葉でいかに犯行体験を語っているのか
ということが最も精緻に分析できるタイプの資料であり,このような
逐語記録の自白の分析において一番有用な方法がスキーマ・アプロー
チである,スキーマ・アプローチの手法を使用するには,供述者に
よって体験の説明が一定量なされており,かつその逐語記録が利用可
能であることが必要であるところ,公判廷での自白についてスキーマ
・アプローチの手法を使用する場合,本件の確定審の事例が最低限の
レベルであり,Ⓕ,Ⓖ,Ⓗの場合は分析可能な程度に具体的なことを
供述しているので分析が可能であった,とされている。スキーマ・ア
プローチが,供述の文体的特徴を分析対象とするものである以上,そ
の分析を利用するには供述者の語り口を正確に把握する必要があると
考えられるから,供述の逐語記録が利用可能であることが必要になる
との説明は合理的といえる。この点は,第2次再審即時抗告審におい
て平成25年11月14日に実施されたⒷ証人の尋問において前記の
とおり説明されているのみならず,専門雑誌に平成17年6月14日
に受理された同人らの論文(原審弁10)においても,「供述者と尋
問者のコミュニケーションを逐語的に記録した資料が不可欠である」
とされているところである。ところが,Ⓑ・Ⓒ新鑑定は,平成27年
6月27日に作成された鑑定書以降,当初鑑定においては逐語記録で
ないⒹの検察官調書を分析対象とし,追加鑑定においては逐語記録で
ないⒹの警察官調書も分析対象に加えて,スキーマ・アプローチの手
法を用いて分析したというのであるが,なぜ「逐語記録が必要不可欠
であるはずの鑑定手法」を「逐語記録でない供述調書」の分析に用い
たのかという点については,スキーマ・アプローチの開発当初は逐語
記録が必要であったが,変遷分析も取り入れた分析技術の向上により
現在では供述調書についても応用可能となった旨説明するにとどまっ
ている。しかし,前記のとおり専門雑誌に平成17年6月14日に受
理された論文において逐語記録が必要不可欠であると説明し,平成2
5年11月14日に実施されたⒷ証人の尋問においてもこれと同旨の
説明をしていたのに,それから平成27年6月27日に鑑定書を作成
するまでのごく短期間に,スキーマ・アプローチという分析手法の核
心部分を根底から変えるほどの分析技術の向上が得られたとする合理
的根拠は何ら示されていない。むしろ,当初鑑定においては,単に検
察官調書が最も分量が多く充実しているという理由で,検察官調書を
対象とした分析を実施し,原審裁判長から,検察官調書は検察官が起
訴する上で重要と考えた部分の供述を要約して録取するものであり,
そこに供述が記載されていないからといって供述人が供述していない
ことにはならないのではないかという趣旨の補充尋問を受けたことを
契機として,初めて警察官調書も含むすべての供述調書を対象とした
追加鑑定を実施したという原審の審理経過をみても,Ⓑ・Ⓒ新鑑定は,
逐語記録がほとんど得られないⒹの供述を分析するという目的を達成
するために,消去法的にⒹの検察官調書を分析対象として選択し,従
前の見解に従えばスキーマ・アプローチの手法に適さない分析対象で
あったのに,その分析手法を用いるについて科学的かつ合理的な根拠
を十分に示さないまま強引に当てはめて実施した結果,Ⓑ・Ⓒ旧鑑定
において開陳していた鑑定手法の信頼性との整合性を失い,当初鑑定
のみではその信頼性を維持できなくなったために追加鑑定を余儀なく
されたものである疑いが強く,鑑定としての信頼性に欠けているとい
わざるを得ない。
以上のとおり,Ⓑ・Ⓒ新鑑定は,その鑑定手法及び鑑定内容も不合
理といわざるを得ない。原決定の前記③の説示は,単に検察官が主張
するⒷ・Ⓒ新鑑定の不合理性についてその主張は採用できないという
ことを説示することに終始しており,Ⓑ・Ⓒ新鑑定が十分な信頼性を
有する合理的な鑑定であるとみるべき根拠は何ら説示されておらず,
スキーマ・アプローチによる供述心理学鑑定の根幹部分に関わる前記
問題点を看過したものというほかなく,不合理である。
なお,後述するとおり,確定審が請求人に対する殺人,死体遺棄被
告事件を有罪と認定した証拠関係は,確定1審判決が「証拠の標目」
に挙示した証拠から認定できる客観的状況から推認できる事実関係と,
大筋においてこれと符合することから信用できるⒻ,Ⓖ,Ⓗ及びⒹの
各証言(尋問の際に利用された各再現調書も含む。以下同じ。)並び
にⒻ及びⒼの各検察官調書謄本によっているものと解されるのであり,
仮にⒷ・Ⓒ新鑑定がⒹの各供述調書における供述の信用性を減殺され
るだけの証明力を有しており,このために信用性の減殺されたⒹの各
検察官調書における供述を旧証拠から除外したとしてもなお,これに
よって前記客観的状況はいささかも動揺せず,かつ,大筋においてこ
れと符合することから信用できるⒻ,Ⓖ及びⒽの各供述の信用性を大
きく減殺させる関係にもないから,これを新旧全証拠と総合評価をし
たとしても請求人が有罪であることに合理的疑いを容れるものでもな
いばかりか,そもそも,Ⓑ・Ⓒ新鑑定が鑑定の対象としたⒹの各供述
調書は,確定審では取り調べられていないのだから,仮にⒷ・Ⓒ新鑑
定がⒹの各供述調書の信用性を減殺させるだけの証明力を有しており,
確定審において同鑑定が提出されていたとしても,確定1審判決の事
実認定には何らの影響も生じさせない。
このように,Ⓑ・Ⓒ新鑑定は,およそ「請求人に対し無罪を言い渡
すべきことが明らかな証拠」に当たらないから,新規性の所論につい
ては検討するまでもなく刑訴法435条6号所定の証拠に当たらない
というべきである。所論は理由がある。
3Ⓐ鑑定の新規性について
所論は,Ⓐ鑑定には,鑑定資料,鑑定手法及び知見,実質的内容の
いずれを見ても何ら新規性がないことが明らかであるから,Ⓐ鑑定の
新規性を肯定した原決定は誤りである,という。
そこで検討すると,原決定は,鑑定内容が従前の鑑定と結論を異に
するか,あるいは結論は同じでも鑑定の方法又は鑑定に用いた基礎資
料において異なる等証拠資料としての意義,内容において異なると認
められる場合は刑訴法435条6号にいう「あらた」な証拠に当たる
と解するのが相当であるとした上で,Ⓐ鑑定については,いずれもそ
の新規性を認めることができると判断している。原決定がいかなる理
由でⒶ鑑定の新規性を肯定したのかについて,上記説示からは必ずし
も判然としないが,おそらくは,Ⓐ鑑定がⒾ旧鑑定と結論を異にして
いるものと認められると判断したか,あるいは,たとえ結論は同じで
も鑑定の方法又は鑑定に用いた基礎資料において異なる等証拠資料と
しての意義,内容において異なるものと認められると判断したものと
解される。
この点,証拠の新規性とは,確定審における証拠の未判断性をいう
ものであり,確定審で取り調べられた鑑定(旧鑑定)によって裁判所
に補充された専門的知見が確定審の判断においてどのように用いられ
たのかを検討した上で,再審請求審で新たに請求された鑑定(新鑑定)
がこれと実質的に異なる専門的知見を裁判所に新たに補充するもので
あるか否かを検討すべきものであるから,原決定が,このような検討
を経ることなく,およそ形式的に結論を異にする鑑定でありさえすれ
ば常に証拠としての新規性が肯定されるとの見解に立っているとする
ならば,俄かに賛同し難い。
もっとも,Ⓐ鑑定は,Ⓘ旧鑑定の解剖所見と解剖時の写真等の資料
を参照しながらも,Ⓘ旧鑑定において言及がないために確定審では全
く検討されていなかった出血性ショック死の可能性を推定する内容で
ある上,死因究明においては死体解剖所見に加えて遺体の発見状況及
び死亡前の行動の分析が必須であるとの前提に立って,死体解剖所見
に加えて遺体の発見状況や死亡前の行動も総合的に分析した上で一定
の科学的推論を導く内容となっているところ,Ⓙ鑑定においても,法
医学鑑定というのはあくまでも科学的推論であって,死体所見のみで
確定的に診断できるものもあれば,状況を含めて窒息であると推定で
きるものもあり,このような状況も含めた一番の蓋然性を明らかにす
ることを目的とするものであるというのであるから,本件のように死
因鑑別に必要な所見に乏しい死体に関する法医学鑑定の場合には,解
剖所見を出発点として重視しつつも,その周辺事情としての死体の発
見状況や死亡前の行動分析も科学的推論の基礎事情としての価値を相
対的に増すものと考えられる。Ⓘ旧鑑定は,腐敗の著しいⓀの死体を
解剖した結果,断片的に得られた死体所見を基に,他に著しい所見が
ないという消去法的考察によってⓀが窒息死したものと推定し,その
原因として頸項部に作用した外力を想像し,仮にそうであるならば他
殺ではないかと想像したものであるから,Ⓘ旧鑑定の解剖所見にみら
れるその他の所見を出発点として,Ⓘ旧鑑定が鑑定資料として考慮し
ていなかったⓀの転落事故という頸部に作用した外力の原因となり得
る死亡直前の有意な状況を新たに加えて,改めてⓀの死因を検討した
結果,Ⓚの死因は頸部圧迫による窒息死ではなく転落事故による出血
性ショック死の可能性が高いとするⒶ鑑定は,鑑定に用いた知見及び
基礎資料の点においてⒾ旧鑑定と実質的に異なる新たな鑑定というべ
きであり,これにより確定審の裁判所が判断の基礎としなかった事故
死の可能性という専門的知見を裁判所に新たに補充する証拠と位置付
けられる。よって,Ⓐ鑑定は刑訴法435条6号所定の「あらた」な
証拠に当たるといえるから,これと同旨の判断を含むものと解される
原決定の判断に誤りがあるとは認められない。
所論は,Ⓐ鑑定が,Ⓘ旧鑑定の評価のために第1次再審及び第2次
再審で提出された累次の法医学者の所見と,鑑定資料の点においても,
その分析のための専門家としての特別な知見の点においても,何ら新
規性を有していないというが,刑訴法435条6号所定の「あらた」
な証拠とは,確定審段階で実質的に判断の基礎とされた証拠であるか
否かで判断されるべきものであるから,実質的にみて刑訴法447条
2項により再審請求が制限されるべき証拠に該当する場合であるなら
ば同条項に反することを理由に不適法な主張とされることがあり得る
ことは別論として,単に旧再審請求審において提出された鑑定と実質
的に同じ鑑定であることを理由に証拠の新規性が否定されることはな
い(なお,所論は,このような観点から,Ⓐ鑑定の証明力に関する原
決定の判断は,旧再審請求審において提出された鑑定と実質的に同じ
鑑定であると評価したものにほかならないから,そのような証拠を刑
訴法435条6号所定の証拠と認めて再審を開始することは,刑訴法
447条2項に反すると主張する部分もみられるが,後述するとおり,
原決定は,Ⓐ鑑定の証明力を不当に低く評価している点において誤り
があり,その証明力を正当に評価すれば刑訴法447条2項の問題は
生じ得ない。この点に関する所論は前提を欠くから,失当である。)。
所論は,Ⓐ鑑定がⒾ旧鑑定との関係でも新規性が認められないとし
て縷々主張するが,いずれも当審の前記説示と異なる前提に立つもの
であるから採用できない。
所論は理由がない。
4Ⓐ鑑定の明白性について
検察官の主張について
所論は,Ⓐ鑑定の明白性を肯定した原決定の判断は,①弁護人らが
原審では一貫してⒶ鑑定の立証命題を「Ⓚの死因が頸部圧迫による窒
息死ではないこと」と設定し,主張立証を尽くしていたのに,その立
証命題を離れ,新たな異なる立証命題を裁判所が独自に設定し得ると
するのは公平に悖り,不合理である,②Ⓐ鑑定の証明力を否定し,Ⓐ
鑑定によっても死因が窒息死であるとした確定判決の認定は揺らがな
いと結論付けながら,単に旧証拠の証明力の程度を減じたとして新規
明白な証拠に当たり得るという判断枠組みは,再審請求審における審
理の構造に反する,③そもそもⒾ旧鑑定は頸部圧迫による窒息死との
所見を示したものではないから,「Ⓘ旧鑑定が何を根拠に頸部圧迫に
よる窒息死と判断したのか不明である」との原決定の判断は前提とな
るⒾ旧鑑定の評価を誤っているし,Ⓘ旧鑑定は窒息死を積極的に示す
所見がないことを前提に消去法で窒息死を推定したものにすぎないか
ら,窒息死を積極的に示す所見がないというⒶ鑑定によってⒾ旧鑑定
の証明力が減殺されることもない,として,Ⓐ鑑定の明白性を肯定し
た原決定の判断は不合理である,という。
そこで検討すると,所論①については,刑事裁判において,証拠の
証明力をどのように評価するかは元来裁判所の自由心証に委ねられて
いるのであり,当事者にとって不意打ちとなるような評価をする場合
にはあらかじめ反証の機会を与えるべきで,このような機会を与えな
いまま当事者の設定した立証命題と全く異なる評価をすることは適正
手続の観点から許されないといえる場合があり得るとはいえても,当
事者の設定した立証命題に拘束され,これと異なる評価をしてはなら
ないものとはいえない。これを本件についてみると,本件再審請求書
には,「Ⓐ鑑定の最大の意義は,本件死体に死斑・血液就下が認めら
れないことから,確定判決の死因である『頸部圧迫による窒息死』を
否定したことである。」(再審請求書別紙本文10頁)と記載され,
さらに,「確定判決が認定した殺害方法(頸部圧迫による窒息死)で
あれば(これを示す所見を認めるはずであるのに)本件遺体にはいず
れの所見も認められないため確定判決が認定した殺害方法と矛盾する」
というのがⒶ鑑定の要旨の一つであり,これが,「確定判決が本件死
因を『頸部圧迫による窒息死』と判断した根拠となる旧証拠である,
Ⓕ,Ⓖ,Ⓗの犯行供述,及び,Ⓘ鑑定書の証拠価値をいずれも減殺す
る」(同10ないし12頁)とも記載されているのだから,窒息死を
積極的に示す所見がないというⒶ鑑定がⒾ旧鑑定の証明力を減殺する
証明力を有するものであると判断した原決定が,検察官にとって不意
打ちとなるような証拠評価をしたものとはいえない。所論①は失当で
ある。
所論②については,原決定が,確定審の証拠関係におけるⒾ旧鑑定
の位置付け及びその証明力を検討した上で,Ⓐ鑑定がⒾ旧鑑定の証明
力を減殺するだけの証明力を有するものと判断し,仮にⒶ鑑定が確定
審において提出され,Ⓘ旧鑑定の証明力が減殺されていた場合でもな
お,死因が窒息死であるとした確定判決の認定は維持し得るのかどう
かという観点でⓀの死因を検討した部分を論難するものと解される。
確かに上記の点に関する原決定の認定判断は後記のとおり首肯し難い
ものではあるが,原決定は,Ⓐ鑑定によっても死因が窒息死であると
した確定判決の認定が揺らがないと結論付けた上でⒶ鑑定が新規明白
な証拠に当たり得ると判断しているわけではないから,所論②は前提
を欠いており,失当である。
所論③については,原決定は,Ⓘ旧鑑定の位置付けとして,「窒息
死であることを積極的に認定できるだけの証明力はない」としつつ,
「Ⓘ鑑定人が,解剖医として直接遺体を解剖した上で,医学的見地か
ら,窒息死以外の死因を排除し,窒息死であることを強く推認してい
るものであることからすれば,窒息死であることを推認させるだけの
証明力はあった」と説示し,また,「Ⓘ旧鑑定は,頸部に外力が作用
した可能性を指摘しているところ,直接遺体を解剖し,遺体の所見を
取った上で,医学的見地から意見を述べていることからすれば,頸部
に外力が作用したことを推認するだけの証明力はあった」と説示して
いる。その上で,原決定は,Ⓐ鑑定の証明力について,「頸部圧迫に
よる窒息死であることを積極的に認定できる所見がないという限度で
は信用できる」と説示し,「窒息死であることを積極的に認める所見
がないということは,Ⓘ旧鑑定が何をもって窒息死と推認するのかそ
の根拠が薄弱であることを示しており,信用性を低下させるという意
味で,その証明力を減殺している。」とし,また,「Ⓘ旧鑑定が頸部
に外力が作用したとしている点についても,これを積極的に示す所見
がないのであるから,頸部圧迫との鑑定結果の信用性は低下しており,
Ⓕ及びⒼの自白との関係でも,Ⓘ旧鑑定がこれらを積極的に裏付ける
ものとはならないという意味で証明力を減殺している」として,「新
証拠であるⒶ鑑定には,Ⓘ旧鑑定の証明力を減殺させるだけの証明力
が認められる」と結論付けたものである。しかしながら,原決定の上
記説示自体,Ⓘ旧鑑定が,窒息死であることを積極的に認める所見に
基づいて窒息死と推認したものではなく,窒息死以外の死因を排除す
ることにより消去法的に窒息死を推認したものであることを前提とす
るものであるから,Ⓐ鑑定の証明力を「頸部圧迫による窒息死である
ことを積極的に認定できる所見がない」という限度で肯定する限り,
Ⓐ鑑定はⒾ旧鑑定と同旨の鑑定内容ということになり,Ⓘ旧鑑定をい
ささかも左右しない。のみならず,Ⓘ旧鑑定は,死体の腐敗が著しい
ために損傷の有無,程度等が判然としないこと,死体の内外に外力の
作用した痕跡を認めること,凶器の種類,成傷方法は判然としないこ
とを指摘した後で,「死因において,他に著しい所見を認めませんの
で,窒息死を推定する他はありません。」と鑑定しているのであるか
ら,Ⓘ旧鑑定が死因につき窒息死と「推定」した根拠は「他に著しい
所見を認めなかった」ことであると明確に示されている。さらに,原
決定は,Ⓐ鑑定の証明力について検討する上で,Ⓘ旧鑑定が「頸部圧
迫との鑑定結果」を示したものであることを前提に,「頸部圧迫との
鑑定結果の信用性が低下した」と説示するが,原決定自身,Ⓘ旧鑑定
については「頸部に外力が作用したことを推認するだけの証明力があ
った」と説示しているにすぎず,「頸部圧迫との鑑定結果を示したも
の」とは説示していないのだから,元々Ⓘ旧鑑定に存在しない鑑定結
果を想定した上で,当該鑑定結果の信用性が低下したからといって,
Ⓘ旧鑑定の証明力が低下するものともいえない(そもそもⓀの死体所
見としてⒾ旧鑑定が指摘する頸椎体前面の組織間出血が,過伸展,過
屈曲,回転等を頸部に生じさせ得る,転落や追突等の頸部に対する外
力の作用によって生じた可能性が高いという点はⒶ鑑定も前提として
いるのであって(原審弁13等),Ⓐ鑑定が,原決定のいうⒾ旧鑑定
の「頸部に外力が作用したことを推認するだけの証明力」を低下させ
るものとも認め難い。)。原決定は,Ⓘ旧鑑定の内容を正解せず,Ⓘ
旧鑑定の死因に関する証明力の問題と当該鑑定等に基づく確定1審判
決の事実認定の問題を混同した結果,実際には存在しないⒾ旧鑑定の
結果を想定し,それをⒶ鑑定が減殺したと評価し,これによりⒾ旧鑑
定の証明力が低下したと評価したものであるが,実際には原決定のい
う「証明力低下後のⒾ旧鑑定」とはⒾ旧鑑定が元来有していた証明力
をいうものにほかならない。原決定は,このような証拠関係において,
確定1審判決が認定したような頸部圧迫による窒息死という事実を認
定し得るのかどうかを検討するものであるが,このような判断は,形
式的にみればⒾ旧鑑定の証明力を減殺していないものを減殺したもの
と評価している点において不合理な判断といわざるを得ず,その結果
として,特段の新証拠もないままいたずらに確定審の心証形成に立ち
入る判断をしているものと何ら異なるところがない判断に至ったもの
と評価せざるを得ない。このような原決定の判断は再審請求の枠組み
を逸脱するものであって許されないから,是認できない。所論③は理
由がある。
以上のとおり,Ⓐ鑑定の証明力を「頸部圧迫による窒息死であるこ
とを積極的に認定できる所見がない」ことをいう限度で肯定する限り,
Ⓐ鑑定はⒾ旧鑑定の証明力を左右するものとはいえず,たとえそのよ
うな鑑定が確定審において提出されたとしても,確定審の認定判断は
いささかも動揺しないから,Ⓐ鑑定の明白性を肯定することは困難と
いわざるを得ない。
もっとも,再審請求審の審理対象は,刑訴法435条6号所定の
「無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠があらたに発見されたとき」
に該当するか否かという点にあるから,再審請求を受けた原審裁判所
は,弁護人らが提出したⒶ鑑定が「無罪を言い渡すべきことが明らか
な証拠」に該当するか否かを判断するのであり,事後審としての即時
抗告審の審査も,Ⓐ鑑定が「無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠」
に該当するとした原決定の判断の当否を対象とするものである。仮に
原決定が新証拠の証明力を不当に低く評価し,そのように低く評価し
た証明力を前提とした場合には明白性を肯定できないという結論に至
った場合,原決定の認定判断が不合理であるからといって直ちに原決
定を取り消すべきであるとすると,正当に評価した証明力を前提とす
れば明白性を肯定し得る新証拠であるにもかかわらず,当該新証拠が
刑訴法435条6号所定の「無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠」
に該当しないとする判断が確定してしまい,同一の理由によっては再
審請求をすることができない(刑訴法447条2項)とされているこ
とと相まって,当該新証拠が明白性を有する新証拠であるとの正当な
評価を得られる機会が失われることにもなりかねず,著しく不当であ
るから,このような見解を採用するのは相当でない。再審請求審の審
理対象が前記のとおりである以上,当審が事後審として審査すべき対
象は,あくまでも当該新証拠を同号所定の証拠と認めた原決定の判断
の当否であり,当審においては,当該新証拠を同号所定の証拠と認め
た原決定の判断の当否を事後的に審査するため,原審において弁護人
らが主張した新証拠の証明力を一部認めず,限定的な証明力を認める
にとどめた原決定の判断の当否についても改めて審査すべきであり,
その結果,証明力に関する原決定の判断が不合理であることが判明す
れば,これを是正した上,正当な証明力を前提に,改めて当該新証拠
がその立証命題に係る旧証拠の証明力をどの程度弾劾し,これが確定
審における証拠関係に照らして確定審の認定判断を揺るがすものとい
えるかどうかを検討し,その結果,確定審の認定判断に合理的疑いを
容れる程度の証明力を有する証拠であることが確認できれば,当該新
証拠を同号所定の証拠と認めた原決定の判断は結論において誤りがな
いと判断すべきである。この理は,原決定が当該新証拠を同号所定の
証拠と認める理由として,原審において弁護人らが主張した新証拠の
証明力を一部認めず,限定的な証明力を認めるにとどめたのに対し,
当審において弁護人らが再審開始決定に対する検察官からの即時抗告
申立てを審査する当審に対して迅速な決定を求めるため,事後審であ
ることに徹すべきであると強調する余り,原決定において弁護人らの
主張が排斥された部分も含めてその判断のすべてを正当なものとして
追認する態度を示した場合であっても変わりはない。上記のような判
断が,事後審としての抗告審の性質に反するものとは解されないし,
検察官も,当審において,単に所論③のような原決定の論理則違反や
再審制度の枠組み違反を主張するだけでなく,Ⓐ鑑定の証明力に関す
る原決定の判断の当否を論じた上で,これを正当な評価であるとする
原審と同旨の意見を改めて述べているから,検察官にとって不意打ち
となるものでもない。そこで,以下においては,Ⓐ鑑定の証明力につ
いて改めて検討した上,その結果を踏まえてもなお,Ⓐ鑑定の明白性
を肯定した原決定の判断に誤りがあるといえるか否かという観点から
更なる検討を加えることとする。
Ⓐ鑑定の証明力について
アⒶ鑑定の要旨は,①「頸部圧迫による窒息死」と診断する
には,頸部圧迫所見(外表所見として圧痕,蒼白帯,顔面(圧迫部上
方)鬱血,内部所見として筋肉内出血,上頸部リンパ節鬱血,舌骨・
甲状軟骨骨折)及び窒息所見(心臓血暗赤色流動性,眼瞼結膜等溢血
点,臓器鬱血)が認められ,かつ,他に死因となるべき損傷,疾病を
認めないことを示す必要がある,②頸部圧迫所見の外表所見のうち,
圧痕と蒼白帯は判然としないこともあるが,顔面(圧迫部上方)鬱血
は必ず生じる,鬱血は腐敗の影響によって黒くなる,③頸部圧迫所見
の内部所見のうち,筋肉内出血は,経験上必ずと言っていいほど生じ,
法医学成書でも大部分生じるとされており,かなり腐敗が進んだ状態
でも腐敗の影響を受けない,④上頸部リンパ節鬱血は,しばしば生じ
るが,腐敗の影響によって分かりにくくなる,⑤舌骨・甲状軟骨骨折
は,中年以降の男性の場合,発生頻度が高く,かなり腐敗が進んだ状
態でも腐敗の影響を受けない,⑥窒息所見は,窒息の古典的三徴候で
あるが,内因死・外因死を問わず,窒息以外の急死例にも多くみられ,
腐敗の影響によって分かりにくくなる,⑦死斑(血液就下が皮膚表面
から見えている状態)は,重力に従い死後毛細血管内を血液が低位部
に移動することにより生じる現象であり,腐敗の影響によって黒くな
る,⑧出血していた場合は死斑が出ないから,経験的に白っぽい死体
を見たら出血死を疑うのが通常である,⑨死後の腐敗が生じる機序と
して,腸内の細菌が外に広がることにより盲腸付近から緑色の変色が
広がるものや,血液の中で増殖した細菌が血管の走行に従って広がっ
ていく腐敗血管網がある,⑩腐敗は,血液のある部分から進行し,血
液が少なければ腐敗の進行が抑えられる,腐敗の影響により,血管周
辺が緑色・赤褐色から黒味を帯びた変色が広がるが,白くなることは
ない,外表の死斑が腐敗の影響で見えにくくなることはあるが,その
場合でも内部を調べれば血液就下は分かるはずである,⑪以上を前提
にして,腹臥位で遺棄されていたというⓀの死体所見を検討すると,
遺体の前面と後面にほとんど差がなく全体的に白っぽいこと,顔面に
鬱血がないこと,特に前頸部については,遺体の腐敗が全体的に進ん
でいるとはいえ腐敗の影響を余り受けずに済んでいると思われる部位
であるのに,圧迫部の上方が外表のみならず筋肉内部まで白っぽいこ
と,頸部筋肉内出血の所見がないこと,肋骨周辺の右胸筋肉内出血を
除く胸筋ないし肋間筋が血液に乏しい白っぽい色を呈していることか
ら,頸部圧迫による窒息死とみるには矛盾があり,出血死が強く示唆
される,⑫仮に頸部圧迫によって窒息死させた死体をうつ伏せで遺棄
したという確定1審判決の認定事実のとおりであったとするならば,
Ⓚの遺体には,圧迫部上方と顔面の鬱血,低位部の顔面,前額部,前
胸部の死斑,血液就下を必ず認めるはずであり,これらは腐敗により
黒くなることはあっても白くなることはなく消えることもないのに,
Ⓚの顔面,前頸上部,胸部外表,前頸部・胸部内筋肉はどう見ても白
っぽく見えること,顔面・陰部の膨隆,腐敗による表皮剥脱は認める
ものの腐敗早期に認める腐敗血管網が認められないのは血管内に血液
が乏しいからと考えられること,左鎖骨上,右胸筋の出血は明瞭であ
り,このようなものが明瞭であることを考えると頸部筋肉内出血が明
瞭でないはずがないことから,確定1審判決の認定事実と死体所見は
全く矛盾している,⑬Ⓚの遺体には,死斑・血液就下を認めず,白っ
ぽい死体であることから,死因として出血性ショックの可能性を検討
すると,右胸筋・肋間筋出血,肋骨骨折,右鎖骨下出血,前胸壁肋間
筋出血,右後胸壁・胸椎体前出血の所見から胸部右側をかなり強く打
撲したことが明らかであること,上行結腸から横行結腸に移行する部
分が黒く見えるのは腐敗でなく出血の可能性があること,右側胸部,
右側腹部,右側腰部,右前腕伸側に各皮下出血があるもののその表皮
に挫創や表皮剥脱がないことなどから,胸腹部右側を凹凸の少なく,
広く,硬くない鈍体で打撲したことを推定でき,Ⓚの発見状況などか
ら考えると,土手に衝突したとして矛盾しない所見といえる,口と両
耳に侵入していた泥土の存在,両下腿の著しい皮下出血,自転車の損
傷の存在も考慮すると,何かに衝突したときに下腿の内側同士が激し
く当たったか,あるいは自転車の車体と下腿が当たったことが推定さ
れる,以上を踏まえて検討すると,Ⓚは,身体の右側を土手に激しく
衝突し,前記の出血や骨折などが発生している部位において,見えて
いるもの,見えていないものも含めて,大量の出血が起こり,それに
より出血性ショックに陥ったものと考えられる,⑭Ⓚの右胸腹部,腰
部の変色は,深層に,肋骨骨折による胸壁出血,腎損傷による後腹膜
下血腫,骨盤骨折による骨盤腔軟部組織出血,腰背部に皮下・筋肉内
出血等の存在を示唆するので切開すべきであるのに,Ⓘ旧鑑定におい
ては切開されていない,⑮Ⓘ旧鑑定が頸部圧迫の根拠とした頸椎体前
出血の所見は,頸椎過伸展,過屈曲,捩じり等によって生じるもので
あって頸部圧迫によって生じるものではなく,自転車運転中,車に追
突されて投げ出されたか,路外に飛び出して頭部・顔面が土手に衝突
したか,路外に飛び出して頭部に力を入れ,あるいは無理な力が加わ
ったかして,その後,体の右側が土手に衝突した際に生じたものと推
定される,⑯以上を要するに,頸部圧迫による窒息死ならば,圧迫部
上方や顔面の鬱血を必ず認め,頸部筋肉内出血を大半に認め,腹臥位
で遺棄された場合には体前面に死斑・血液就下を認め,腐敗が進むと
鬱血,死斑,血液就下は黒くなるはずであるから,これらの所見をす
べて欠くⓀの遺体は,タオルで頸部を全力で絞めて殺したとする確定
判決の認定事実と矛盾する,頸椎体前出血を唯一の根拠として頸部圧
迫による窒息死と鑑定したⒾ鑑定人は根拠の誤りを自ら認めている上,
外傷による死亡の可能性を除外できないので,Ⓘ旧鑑定は誤りである,
死斑,血液就下,腐敗血管網を認めず,体の右側に打撲によると推定
される広範な出血を認めるⓀの死因は,農道上の発見状況も勘案して,
出血性ショックによる死亡の可能性が極めて高い,というものである。
イⒶ鑑定のうち,出血性ショック死の可能性を検討する際,
仮にそのような所見が存在すれば当然に指摘があるものと思われるの
にⒾ旧鑑定において解剖所見として記載されていない肋骨骨折,右後
胸壁・胸椎体前出血の存在を,Ⓘ鑑定人が解剖時に見落としたものと
決めつけて解剖時の写真のみから認めた点,及び,Ⓘ旧鑑定において
腐敗であると明言されているのに,写真の色調のみを根拠に,上行結
腸から横行結腸に移行する部分が黒く見えるのは腐敗でなく出血の可
能性があるとした点は,いずれも不合理な判断といわざるを得ないが,
その余の指摘はいずれも専門家としての合理的な推論と認められ,上
記の不合理な判断部分が存在することを割り引いて考慮してもなお,
Ⓚの死因につき窒息死と推定し,頸項部に作用した外力により窒息死
したと想像したⒾ旧鑑定が誤りであるとし,タオルで頸部を力いっぱ
い絞めて殺したとする確定判決の認定事実とⓀの解剖所見は矛盾する
とし,Ⓚの死因は転落事故等による出血性ショック死の可能性が高い
とした結論部分は十分な信用性を有するものといえる。
すなわち,Ⓐ鑑定人は,豊富な経験と専門的知見を備えた法医学者
であり,その推論過程は,信頼性に疑いのない法医学成書の記載及び
自己の実践例に沿うものである。判断資料として,前記のとおり一部
にはⒾ旧鑑定と矛盾する前提に立つ部分が見られるものの,枢要部分
において,Ⓘ旧鑑定において指摘されている解剖所見を前提とするか,
あるいはⒾ旧鑑定において指摘がないもののこれと矛盾することなく
解剖時の写真から明白に認められるものを前提とした判断がなされて
おり,十分な客観性,信頼性を有している。その内容も,頸部圧迫に
よる窒息死と鑑別するための法医学の知見を踏まえて,Ⓚの解剖所見
はこれらをすべて欠いているとし,その際,Ⓚの遺体が全体的に著し
く腐敗していることを前提としつつも,腐敗の発生機序,Ⓚの遺体の
所見及び発見状況を踏まえて比較的腐敗の影響を免れている部位に着
目し,これと遺体全体に見られる所見との整合性を検討しており,さ
らに,解剖所見を出発点として重視しながら,それにとどまることな
く,その周辺事情としての遺体の発見状況や死亡前の行動分析も総合
して,科学的推論として一定の見解を示しているのであって,専門的
知見に基づく合理的な見解と評価できる(なお,複数の法医学者が同
じ解剖時の写真を見てそれぞれ異なる所見を述べるということは実務
上まま見られることではあるが,写真に現れる情報量は実際の遺体か
ら得られる情報量と比べて相当程度劣ることは否定し難いというべき
であり,色調の微妙な差異にとどまることなく写真上一見明白に認め
られるものであるとか,解剖医が後に自ら所見を訂正した等の特段の
事情でもない限り,写真では明瞭に区別し得ない微妙な色調の違い,
臭気,質感等の豊富な情報を直接得た上で一定の所見を示した解剖医
の見解と異なる遺体所見を述べる法医学者の意見を措信することは相
当でないから,Ⓐ鑑定のうち,Ⓘ旧鑑定において一定の解剖所見が示
されている部分について,これと異なる所見を前提とする部分は採用
できない。この理は,たとえ原決定のいうようにⒾ旧鑑定と矛盾する
所見を述べるⒶ鑑定のうち肋骨骨折の存在についてはⒿ鑑定と一致し
ているとしても,異なるものではない(もっとも,Ⓙ鑑定は,写真上
は肋骨骨折に見えるものの,解剖時の手技で肋骨を折ってしまうこと
があり,当初から肋骨骨折が存在したのかは不明であるとしているに
すぎず,必ずしもⒶ鑑定と一致する所見を示しているともいえな
い。)。)。
ウこれに対し,原決定は,Ⓐ鑑定が,①遺体には頸部圧迫に
よる窒息死の所見がない,②遺体には死斑,血液就下,腐敗血管網を
認めない,③遺体の損傷状況から出血死(事故死)の可能性がある,
として,これら遺体の状況は頸部圧迫による窒息死と矛盾すると結論
付けているものと整理した上で,上記②及び③の点について,㋐本件
遺体に死斑・血液就下があるとはいえないことは認められるが,本件
遺体は相当程度に腐敗しているから,本件遺体に死斑・血液就下がな
かったとも認めることはできない,そもそも死斑・血液就下が認めら
れれば窒息死,認められなければ出血死ということが論理必然である
ということまではいえず,それぞれその可能性が高いというにすぎな
い,よって,死斑・血液就下があるという所見が認められないことを
もって,直ちに窒息死と矛盾する,あるいは出血死であるということ
はできない,㋑遺体の損傷状況について,本件遺体は相当程度腐敗し
ているから,Ⓘ旧鑑定に記載のない出血があったと目視で判別するこ
とは困難であり,直接目視できない部分に出血があると推定すること
は合理的根拠に欠ける,肋骨骨折があったとしても死因と密接に結び
付くほど重度なものであると考えることは困難である,その余の出血
はその原因となる腎損傷や骨折等が認められない,よって,出血死の
原因となるような臓器の損傷や出血があったと考えることはできず,
死因が出血死であることを推認することもできない,㋒そうすると,
出血死は単なる可能性にすぎず,これによって死因を窒息死と推定し
たⒾ旧鑑定の証明力を減殺するものではない,と判断した。また,上
記①の点について,㋓本件遺体について頸部筋肉内出血の所見が認め
られないことは認められるが,腐敗により色調が変化するなどして出
血の判別が困難となることは十分考えられるから,頸部筋肉内出血が
ないと断定することは困難である,そもそも頸部圧迫により頸部筋肉
内出血が必ず生じるということもできない,よって,本件遺体に頸部
筋肉内出血の所見が認められないことをもって,頸部圧迫による窒息
死と矛盾するということはできない,㋔本件遺体について,舌骨・甲
状軟骨骨折の所見がないこと,これらが腐敗の影響を受けにくい所見
であることは認められるが,頸部圧迫があればこれらが必ず生じると
までは断定していないこと等から,本件遺体にこれらの骨折の所見が
ないことをもって,頸部圧迫による窒息死と矛盾するとはいえない,
㋕本件遺体において顔面等の鬱血の所見が認められないことが直ちに
頸部圧迫による窒息死と矛盾するとはいえない,㋖そうすると,Ⓐ鑑
定の指摘する,頸部圧迫による窒息死であることを示す所見が認めら
れないことにより頸部圧迫による窒息死であることと矛盾するという
ことまではいえない,と判断した。
エⒶ鑑定は,「頸部圧迫による窒息死ではなく,出血性ショ
ック死と断定できる」と判断しているわけではなく,原決定が指摘す
るとおり,それのみでは,確定審の事実認定に合理的疑いを生じさせ
るに足りる程度に至るほどの証明力を有するものでない。
しかしながら,刑訴法435条6号所定の「無罪を言い渡すべきこ
とが明らかな証拠」に該当するか否かの判断に当たり,このように新
証拠の証明力を孤立評価し,それ自体として確定審の事実認定に対し
て決定的な矛盾を突きつけるものである必要は必ずしもない。すなわ
ち,新証拠の立証命題に関連する旧証拠が,確定審の事実認定の基礎
とされた証拠関係(旧証拠)を踏まえて,旧証拠全体の中でどの程度
主要なものとして位置付けられているのかを確認し,これが新証拠に
よってどの程度弾劾されるものかを検討し,これにより,当該立証命
題に関連する旧証拠に基づいて直接的に認定された事実関係の存否の
判断,間接的に推認された事実関係の存否の判断,あるいはこれらを
補助事実として信用性判断が行われた証拠の信用性判断にどのように
影響するのかを検討した上,このようにして検討の対象とされた事実
関係の存否の判断や証拠の信用性判断に対する影響を踏まえて,当該
新証拠とその立証命題に関連する旧証拠(旧再審請求審において提出
されていた新証拠も含む。)を再評価し,その結果,新旧全証拠の総
合判断により請求人を有罪と判断した確定審の事実認定自体を動揺さ
せて合理的疑いを生じさせるに足りるものと評価できるならば,当該
新証拠は,たとえそれ自体を孤立評価した場合には確定審の事実認定
に直ちに合理的疑いを生じさせるほどの証明力を有しないとしてもな
お,刑訴法435条6号所定の「無罪を言い渡すべきことが明らかな
証拠」に該当するというべきである。原決定のⒶ鑑定に対する証明力
評価は,Ⓐ鑑定によってはⓀの死因が頸部圧迫による窒息死と矛盾す
るとまでは断定できず,出血死を推定するのも可能性を指摘するもの
にすぎないとして,Ⓐ鑑定の証明力を孤立評価し,これが直ちに確定
審の死因の認定に合理的疑いを生じさせるまでの証明力を有しないこ
とを説示するものにとどまり,Ⓐ鑑定によりその立証命題に関する旧
証拠がどの程度弾劾されるのか,弾劾された旧証拠の確定審の事実認
定における位置付けも踏まえて,その立証命題に関連する旧証拠に基
づいて認定された事実等にどのような影響があるのか,さらにはその
検討結果を踏まえて,新旧証拠を再評価すると確定審の事実認定にど
のような影響があるのか,といったことに関する検討が行われていな
い。そうすると,原決定は,刑訴法435条6号所定の「無罪を言い
渡すべきことが明らかな証拠」といえるか否かを判断する上で必要な
検討判断を欠いているといわざるを得ない。
オ具体的な原決定の判断内容も,以下に説示するとおり,前
記イで説示したⒶ鑑定の証明力に対する的確な批判になっておらず,
到底賛同し得ない。
前記ウ㋐の説示について
Ⓐ鑑定は,死斑・血液就下が認められれば窒息死,認められなけれ
ば出血死ということが論理必然であるとするものではなく,それぞれ
その蓋然性が高いことを前提として,これを考慮要素の一つとしてい
るにすぎない。死斑・血液就下があるという所見が認められないこと
をもって,直ちに窒息死と矛盾するとか,出血死であるなどというこ
とはできないことはⒶ鑑定も前提としているものと解される。
なお,原決定は,本件遺体に死斑,血液就下がみられないとするⒶ
鑑定を論難するに当たり,本件遺体が相当程度腐敗していることを挙
げ,具体的には,①本件遺体は,いわゆる巨人様外観を有しているこ
と,腹部が著しく膨隆し,陰嚢も新生児頭大に膨隆していること,頭
髪が容易に脱落し,陰毛はほとんど脱落していること,手掌面,両足
の皮膚が手袋のように剥離していること,腸管が著しく膨隆している
こと,肺,胃,膀胱に腐敗気泡を認めること,②Ⓙ鑑定によれば,腐
敗が進行して表皮がめくれた状態であれば白っぽく見えることもある
ことが指摘されており,真皮が白いことから腐敗が軽度であるとはい
えないこと,③皮膚の色が変色しているのみならず,臓器についても
腐敗によりその性状が不明となっていること,④これらに照らせば腐
敗が表皮にとどまっていると考えることも相当でないこと,⑤したが
って,堆肥内に遺棄された本件遺体の皮膚が腐敗等の死後変化により
死斑の存否が判別できなくなったことはもちろん,筋肉等も腐敗の影
響により血液就下の存否が分からなくなった可能性は否定し難い,と
いう。
しかし,前記①については,Ⓐ鑑定は,本件遺体が全体的に相当程
度腐敗していることは前提とした上で,腐敗の影響を受けて判別困難
となる所見,腐敗の影響を受けてもなお判別可能な所見を分けて検討
しているのであって,前記①はⒶ鑑定の信用性を左右しない。「Ⓐ鑑
定が法医学的見地から相当でないこと」を立証趣旨として採用された
Ⓙ鑑定人も,あたかもⒶ鑑定が本件遺体について全体的に腐敗の程度
が軽度であると判断したものであるかのような前提で,そのような判
断は誤りであるという趣旨の証言を繰り返すにとどまり,原審裁判官
の補充尋問に対し,本件遺体は全体的に中等度から高度の腐敗が進ん
でいる,もっとも,腐敗がかなり進行している部分もあれば,それほ
ど進行していない部分があったとしてもおかしくない,特に腐敗が進
行しているとはっきり言えるのは顔面,腹部膨隆,足の皮膚,表皮が
一部残って茶色っぽく見えている部分,腰部の変色であると証言して
おり,仔細に見ればその内容はⒶ鑑定と大差ない。
前記②については,Ⓐ鑑定は,仮に死斑,血液就下があったとすれ
ば当該部分は腐敗の影響を受けて黒くなるはずであり,外表の死斑が
腐敗の影響で見えにくくなることはあるが,その場合でも内部を調べ
れば血液就下は分かるはずであるとした上で,腐敗の影響で表皮がめ
くれたⓀの遺体が全体的に白っぽいことは死斑,血液就下がなかった
ことを示すものであるとするものである。真皮が白いことから血液由
来の腐敗は軽度であろうとする説明内容が上記結論を導く根拠となっ
ているわけではない。原決定は,Ⓙ鑑定によれば腐敗が進行して表皮
がめくれた状態であれば白っぽく見えることもあることが指摘されて
いるともいうが,Ⓐ鑑定の信用性を検討する上で問題とすべきは,権
威ある法医学成書において,死後2日以上経てば大部分体位を変えて
も動かないとされている死斑,血液就下について,腐敗の影響により
表皮がめくれることにより外表から死斑を確認することが困難になる
としても,真皮から筋肉内の深層に至るまで白っぽくなることにより
腐敗前に存在した血液就下の痕跡を確認することまでできなくなるの
かどうかという点にあるのであって,この点を離れて,一般的に腐敗
の影響で真皮が白っぽく見えることがあり得るかどうかを検討しても
意味はない。そして,Ⓙ鑑定人は,この点について,「(血液就下の
有無まで腐敗によって分からなくなることは)筋肉の状態によっては
ありますよね。」「腐ってきたらあれぐらいの色はあるから,あれだ
けをもって白っぽいと言うのは難しいんじゃないですかと。」との抽
象的な証言をするにとどまる上,原審裁判官から,腐敗していると死
斑と腐敗を区別しにくくなるという証言の趣旨について,黒っぽく見
えているところが死斑なのか腐敗なのかを区別しにくくなるというこ
となのか,元々存在していた死斑が腐敗の影響によって薄くなったり
消えたり見えなくなったりすることがあるということなのかと確認す
る補充尋問を受けても,「黒くなった所がもともと血液が多かった,
死斑だったのかどうかというのはなかなか断定できない」と証言する
にとどまり,死斑として存在していたものが腐敗の影響により薄くな
ったり消えたり見えなくなったりするとは証言しておらず,更に原審
裁判官から,本件遺体に見られるような皮膚の状態で,内部の血液が
見えづらくなるというような変化が起きるという風に考えているのか
と補充尋問を受けて,「これは私の経験ですけれども,お風呂場で一
定の姿勢を保ったようなご遺体でも,やっぱり腐敗して,一部は緑っ
ぽくなっているけれども,表皮がめくれて白っぽくなっているとか,
そういうので,ありますので。」と証言し,重ねて,真皮自体の性質
が腐敗によって変化することで中の血液が見えなくなっていくという
風に考えるということかという補充尋問に対し,「そういうこともあ
るのかも。まあ,そこまで調べた研究はありませんけれども,そうい
うことも一つの事情にあるかもしれません。」との憶測を証言するに
とどまる。しかし,Ⓙ鑑定人も,血液が腐敗の影響により黒っぽい色
になることは前提としているのだから,法医学者の常識及び科学的知
見に照らせば腐敗の影響により黒っぽい色になるはずの血液が,腐敗
の影響により白くなることがあるというのであれば,その機序を科学
的知見ないしは自身の経験等に基づき合理的に説明すべきであるのに,
科学的知見については何ら説明がなされておらず,自身の経験として
述べるところも,一般的な法医学成書において死斑が生じにくいとさ
れている溺死体が腐敗の影響により白っぽく見えている事例ばかりに
偏っている上,貧血性であれば出血がなくても死斑や血液就下が生じ
にくいとの見解も開陳しているにもかかわらず死者が貧血性であった
のか否かといった検討も欠いており,Ⓙ鑑定人の証言する自身の経験
例が,「死斑,血液就下が生じるはずの死体について腐敗の影響によ
り白っぽく見えているものである」とみるべき合理的根拠が見当たら
ない(なお,Ⓙ鑑定人が原審証人尋問の際に自験例として紹介してい
るスライドを見ても,梁にロープを掛けて輪を作り首を吊っていた死
後4か月前後くらいの腐敗した死体の写真は,顔面が黒っぽく,重力
の作用が働いていると考えられる下半身は褐色調から赤色調の変色を
強く帯びているように見え,頸部圧迫による窒息死で死後7から10
日くらいの高度腐敗状態の死体の写真も,表皮はかなり剥離した状態
であるのに全体的に褐色調の変色が見られ,むしろⒶ鑑定の見解に沿
うものになっている。)。さらに,Ⓙ鑑定人は,「腐敗の影響により
外表から死斑が分からなくなる場合でも内景を検査すれば血液就下の
有無は確認でき,そのことによって死斑の有無も判断できる」旨のⒶ
鑑定について,「血液就下の有無は確認できるが,それは血液就下で
あって死斑ではなく,死斑の有無は分からないのだから,Ⓐ鑑定は日
本語がおかしい」旨の指摘をするものの,「血液就下の結果,皮膚を
通して外から見えるものが死斑であり,血液就下が確認できたからと
いって,そこから遡って腐敗する前に外表から死斑が見えたか否かは
不明であり,血液就下が認められる死体は死斑が生じる可能性のある
死体というのが正しい」「本件遺体の死斑の有無は不詳というべきで
あり,これは元々あった死斑が腐敗の影響によって分からなくなった
可能性と元々死斑がなかった可能性と両方を含むものである。」旨指
摘しているのであり,確かにⒶ鑑定の言葉尻を捉えれば日本語として
は不正確といえようが,内容に対する本質的批判になっているように
は解されない。
前記③については,Ⓐ鑑定は,死後の腐敗が生じる機序として,腸
内の細菌が外に広がることにより盲腸付近から緑色の変色が広がるも
のや,腸内や肺などの細菌が血液中で増殖して血管の走行に従って広
がっていく腐敗血管網がある,腐敗は,血液のある部分から進行し,
血液が少なければ腐敗の進行が抑えられる,腐敗の影響により,血管
周辺が緑色・赤褐色から黒味を帯びた変色が広がるが,白くなること
はない,堆肥中に埋没させられていたという本件遺体の状況から,堆
肥に接する外表の皮膚も腐敗が進行し,鼻,口,肛門,尿道等の開い
ている所から細菌が体内に侵入して腐敗が進行した可能性はあるが,
表皮はそれ自体が細菌に対する障壁になっていて,本件遺体は腐敗し
た表皮がかなりの部分で剥げているが,中は蒼白なので,堆肥由来の
細菌による腐敗はある程度表皮にとどまっているといえるし,これは
内部から細菌が表に出てきたという腐敗の仕方ではないし,腐敗血管
網という血液の中から体内にいる細菌によって腐敗が広がっていった
という現象も認めないから,これらの現象を解釈すると,堆肥の中に
いた細菌が表皮に付いてそこで腐敗を起こしたものと考えるのが合理
的である,とするものである。このように,Ⓐ鑑定は,肺や腸管等の
臓器には元々細菌が存在しているからこのような体内由来の細菌によ
り臓器が腐敗することは前提としつつ,臓器が腐敗するほどの細菌が
あれば血管の流れに沿って腐敗血管網が広がるはずであるのにこのよ
うな現象が生じていないことは腐敗前から本件遺体に血液が乏しかっ
たことを示している,ということを指摘しており,これとは別に,堆
肥由来の細菌が,外表において直接接している表皮や,鼻,口,肛門,
尿道等の開いている部分から体内に侵入して腐敗を進行させた可能性
を指摘している。そうすると,Ⓐ鑑定が,堆肥由来の細菌の作用につ
いて,外表において直接接している表皮の腐敗にとどまり,表皮の内
部(真皮,筋肉)には及んでいないと判断したことに対し,臓器が腐
敗しているから腐敗が表皮にとどまっているとみることはできないと
する原決定の判断は,Ⓐ鑑定が体内由来の細菌と堆肥由来の細菌の作
用を分けて検討していることを看過し,体内由来の細菌の作用による
腐敗の存在をもって,堆肥由来の細菌の作用による腐敗の影響に関す
る判断を論難するものであって,およそ失当というほかない。
前記④については,その前提となる前記②及び③の説示が失当であ
るから前提を欠いている。
前記⑤については,これと同旨のⒿ鑑定に合理性が認められず信用
性に乏しいことは前記のとおりであり,他に,本件遺体について,筋
肉等の腐敗の影響により血液就下の存否が分からなくなったことをう
かがわせる合理的根拠は見当たらない。
前記ウ㋑の説示について
写真に現れる情報量は実際の遺体から得られる情報量と比べて相当
程度劣ることは否定し難いというべきであり,色調の微妙な差異にと
どまることなく写真上一見明白に認められるものであるとか,解剖医
が後に自ら所見を訂正した等の特段の事情でもない限り,写真では明
瞭に区別し得ない微妙な色調の違い,臭気,質感等の豊富な情報を直
接得た上で一定の所見を示した解剖医の見解と異なる遺体所見を述べ
る法医学者の意見を措信することは相当でないことは前記のとおりで
あるが,Ⓐ鑑定は,本件遺体について,死斑,血液就下がみられない
こと,臓器が腐敗しているにもかかわらず腐敗血管網を認めないこと
など,Ⓘ旧鑑定の所見と矛盾せず,又はⒾ旧鑑定に言及はないものの
写真上一見明白に認められる所見を前提に,これらは本件遺体が貧血
性であったことを示すものであり,法医学者としては出血死の可能性
を疑うべき所見であるとした上で,Ⓘ旧鑑定が所見として明示した頸
椎体前面の著しい組織間出血のほか,下腿において著しい皮下出血,
右鎖骨下の出血等の体の右側に打撲によると推定される多数の痕跡を
も併せて考慮し,農道上の発見状況も考慮して,自転車運転中の転落
事故という成傷機序を推定し,このような所見が認められるⓀの遺体
には,見えている部分の出血のみならず,このような事故において通
常生じ得る骨盤骨折,大腿筋肉内出血等の存在も念頭に置くべきであ
り,Ⓘ旧鑑定においてはこのように本来であれば解剖して確認すべき
部位が解剖されていないこと,黒っぽく見えている部位が出血なのか
腐敗性変色なのかが区別しにくくなっていることも踏まえて,見えて
いない部分にも出血が生じていた可能性が高いことを指摘するもので
ある。これは,Ⓘ旧鑑定の所見と矛盾するものでも,写真では明瞭に
区別し得ない微妙な色調の差異について腐敗ではなく出血であるとし
て結論を導くものでもなく,科学的に合理的な推論と認められる(な
お,Ⓐ鑑定のうち,肋骨骨折,右後胸壁・胸椎体前出血の存在を認め
た部分,上行結腸から横行結腸に移行する部分が黒く見えるのを出血
と認めた部分が措信できないことは前記のとおりであるが,Ⓐ鑑定は,
死斑,血液就下がみられないこと,臓器が腐敗しているにもかかわら
ず腐敗血管網を認めないことを貧血性の根拠となる遺体所見として確
認し,遺体の右側に打撲によると推定される多数の痕跡が確認されて
いること,頸椎体前面の著しい組織間出血が存在すること,農道上の
発見状況等も総合して,自転車運転中の転落事故という成傷機序を推
定し,このような成傷機序であれば通常生じ得る出血の原因は多数考
えられるものの,Ⓘ旧鑑定において解剖すべき部位が解剖されていな
いこと,黒っぽく見えている部位が出血なのか腐敗性変色なのかが区
別しにくくなっていることから,正確な出血の原因を特定することは
現時点では不可能となっているとして,解剖された部位に関して可能
な限り出血の痕跡とみられる部位を指摘しようとして肋骨骨折等に言
及したものと解されるのであって,たとえそのようにして言及された
出血の痕跡とみられる部位に関する個々の指摘が採用できないもので
あったとしても,出血性ショック死の可能性が高いとしたⒶ鑑定の判
断の根幹部分には影響しない。)。
原決定は,出血性ショック死の可能性が高いとしたⒶ鑑定の内容を
ほしいままに分断し,出血性ショック死の可能性を推定した根拠の核
心部分である死斑,血液就下については「死斑,血液就下があるとい
う所見が認められないことをもって,直ちに窒息死と矛盾する,ある
いは出血死であるということはできない」とのみ説示し,腐敗血管網
に至っては何らの検討もしておらず,このような出血死の可能性を推
定するⒶ鑑定の核心部分を除外した上,出血性ショック死とみるべき
出血の可能性を指摘する部分について,更に個別に細分化し,個々の
創傷部位について単独で出血死の原因となり得るほどの大量出血があ
ったと認めるに足りないものであることを説示するのみで,上半身か
ら下半身に至るまで広範な出血が存したこと,Ⓘ旧鑑定において解剖
されていない部位があるため出血の可能性が否定できないことをも根
拠とするⒶ鑑定に対する的確な批判になっていない。原決定は,直接
目視できない部分に出血があると推定することは合理的根拠に欠ける
というが,Ⓘ旧鑑定の解剖が不十分であったことは,Ⓐ鑑定,Ⓙ鑑定
の見解が一致しているのみならず,Ⓘ鑑定人自身,第1次再審におけ
るⒾ新鑑定において,要旨,これほどの頸椎体前面の著しい組織間出
血があれば頸椎内部も解剖するところだが,解剖開始時刻が深夜であ
ったため時間のかかる解剖はしなかった,早まったなぁ,本当に,あ
のときもう少し頸骨のその辺の解剖をしとけば良かったなぁ,などと
証言すると共に,Ⓘ旧鑑定において腐敗としていた所見の一部につい
て出血の可能性を示唆する証言をしたことからも明らかというべきで
あって,Ⓘ鑑定人が現に解剖した部位に関して有意な所見を見落とし
たとみるのは不合理であるとしても,解剖していない部位に関してⒾ
鑑定人が解剖を要しないと判断したこと自体を根拠に仮に解剖してい
たとしても有意な所見はなかったはずだとみるのもまた不合理である
から,Ⓘ旧鑑定において十分な解剖がなされていないことを根拠の一
つとして,自転車運転中の転落事故という成傷機序であれば通常生じ
得る出血の原因は多数考えられるとして解剖されていない部位に出血
があった可能性を指摘するⒶ鑑定が合理的根拠に欠けるものとはいえ
ない。
前記ウ㋒の説示について
Ⓐ鑑定に対する
原決定の批判はいずれも失当であるから,これを前提として「出血死
は単なる可能性にすぎず,これによって死因を窒息死と推定したⒾ旧
鑑定の証明力を減殺するものではない」とする原決定の説示はもとよ
り失当というほかない。
また,前記のとおり,Ⓘ旧鑑定は,何らかの積極的な根拠に基づい
て窒息死を推定したものではなく,他に著しい所見がないことを理由
として消去法的考察によって窒息死を推定したにとどまるのであるか
ら,法医学的根拠に基づき自転車運転中の転落事故による出血死の可
能性が推定されるとするならば,Ⓘ旧鑑定の判断の主要な根拠が失わ
れ,元々限定的な証明力しか有しないⒾ旧鑑定の証明力が更に減殺さ
れる関係にあるといえる。原決定の説示はこの意味においても不合理
である。
前記ウ㋓の説示について
より筋
肉内も色調が変化するなどして出血の判別が困難になったものとみる
べき合理的根拠はない。
また,確かに当初提出された意見書(原審弁1)には「頸部圧迫に
より頸部筋肉内出血が必ず生じる」との表現もみられるが,その趣旨
は,「必ずと言っていいぐらい認めますし,教科書的には大部分に筋
肉内出血を認めるというようなことが書かれています。」との原審証
言によって事実上補正されているのであって,Ⓐ鑑定が字義どおり
「頸部圧迫により頸部筋肉内出血が必ず生じる」との前提に立つもの
とは解されない。Ⓐ鑑定人の自験例において,外表に索条痕や蒼白帯
等の圧迫の痕跡が明らかでなかった事例のうち,タオルのような幅の
広い索条体で頸部を圧迫され窒息死したと認められた事例も含めて,
6例中5例で頸部筋肉内出血が確認されていること,上記意見書で引
用されている複数の法医学成書の「絞頸」の項において,「前頸部の
筋肉内出血はかなりの頻度でみられ,むしろ圧迫力が弱い場合にも経
過が遷延する結果として出血が明瞭に見られる。」,「舌筋や頸部の
筋肉内に出血が生じることが多く,圧迫部の筋肉内などに出血が認め
られる。」とされていることに照らすと,原決定が指摘するⒿ鑑定を
踏まえても,前記補正後のⒶ鑑定の見解に疑義は生じない。
そして,Ⓐ鑑定は,頸部圧迫により頸部筋肉内出血が生じる可能性
が高いことを踏まえて,本件遺体に頸部筋肉内出血が認められないこ
とを考慮要素の一つとしてその余の所見と併せた総合的評価により結
論を導いているのであって,「本件遺体に頸部筋肉内出血の所見が認
められないことをもって,頸部圧迫による窒息死と矛盾する」とした
ものでもない。
前記ウ㋔の説示について
Ⓐ鑑定は,頸部圧迫により舌骨・甲状軟骨骨折が生
じることがあり,軟骨の柔らかい子供であったり女性であったりする
と首を絞められているのに認めないことがあるが,中年以降の男性で
あれば折れている頻度は比較的高いという見解を前提に,頸部を全力
で絞め続けられたとされる成人男性である本件遺体に舌骨・甲状軟骨
骨折が認められないことを考慮要素の一つとしてその余の所見と併せ
た総合的評価により結論を導いているのであって,本件遺体に舌骨・
甲状軟骨骨折の所見がないことから直ちに頸部圧迫による窒息死と矛
盾するとしたものではない。
前記ウ㋕の説示について
Ⓐ鑑定は,本件遺体において顔面等の鬱血の所見が
認められないことを考慮要素の一つとして総合的評価により頸部圧迫
による窒息死と矛盾すると判断したものであって,顔面等の鬱血の所
見が認められないことから直ちに頸部圧迫による窒息死と矛盾すると
したものではない。
もっとも,Ⓐ鑑定は,前記意見書に引用された複数の法医学成書に
おいて,「鬱血は,溢血点以上に非特異的であり,静脈還流障害によ
る。頸部を圧迫されると,顔面,口唇,舌が赤くなり腫脹する。チア
ノーゼが生じるまでに,血液は暗赤色となる。頸部圧迫では,圧迫部
より上方の舌,咽頭,喉頭に鬱血が強い。鬱血は,しばしば,静脈鬱
血が続くと,組織腫脹を伴う。」,「絞頸では顔面の鬱血はほぼ全例
に見られる」,「絞頸による窒息死では,頸部・顔面に鬱血・腫脹が
必発で,著明といえる。」などとされていることや,頸部圧迫による
窒息死の自験例6例中腐敗が高度であった1例を除く5例で顔面鬱血
が認められたことなどを根拠に,頸部圧迫による窒息死であるならば
顔面(圧迫部上方)の鬱血が強く出るはずであり,仮に本件遺体が頸
部圧迫による窒息死の後に腹臥位で遺棄されたのであれば,腐敗の影
響を比較的免れている部位である前頸部の圧迫部上方も鬱血し,死斑
や血液就下もみられるはずであるのに,本件遺体の前頸部はむしろ圧
迫部上方の方が白っぽくなっており,これは頸部圧迫による窒息死と
してはあり得ない所見である上,前頸部の浅層,深層共に死斑,血液
就下が全く認められないことを総合的評価において最も重視している
ことがうかがえる。上記判断が十分な信用性を有するものといえるこ
とは既に説示したとおりである。
これに対し,原決定は,①Ⓐ鑑定が,その意見書において,腐敗が
高度である場合には鬱血の有無についての判別は困難になるとしてい
ること,②Ⓙ鑑定によれば,腐敗した遺体について黒い部分が血液が
多かったと断定できるものではなく,腐敗した遺体では鬱血も分から
なくなるとしていること,③腐敗した環境によってその変化は個々で
あると考えられること,④以上によれば,本件遺体において,顔に鬱
血がないと断定することは困難である,⑤加えて,Ⓙ鑑定によれば,
頸部圧迫でも,鬱血しない,あるいは鬱血の乏しい場合もあることが
指摘されているところ,索条物や力の加え方によっては頸部の血管が
圧迫される時間や程度にも違いが生じ,鬱血の有無や程度も様々であ
ると考えられる,という。
しかし,前記①については,指摘に係る意見書の記載を正確に引用
すると,「腐敗によって鬱血所見は判別しにくくなるが(資料7,C
ase1),本件事例の筋肉の腐敗はCase1ほど進んでいない。
したがって,頸部を強く圧迫されたとされる本件事例では,それが事
実であれば,圧迫部上方の鬱血を認めた可能性が高い。」というもの
であり,ここでいう「資料7,Case1」とは「資料8」の事例と
同一であり,これについては,Ⓐ証人が,原審検察官からの反対尋問
に対し,要旨,「資料8」で顔面が黒くなっているのは血液の表れで
あり,頸部筋肉内出血等の頸部圧迫の所見が明白であることから,頸
部圧迫による顔面鬱血に血液就下が複合したものとみることもできる
が,他方で,左前顎下部打撲傷や鼻骨骨折など顔面に対する暴行を示
唆する所見もあることから打撲による出血の影響も否定できず,顔面
が黒いことから直ちに顔面鬱血があったと断定することはできない旨
の補足説明を加えているところである。そうすると,前記①の指摘は,
「顔面が黒くなっている腐敗死体について,それが血液の影響である
ことは間違いないものの,鬱血なのか,打撲による出血なのか,血液
就下なのかの判別が困難であった事例があった」ことを根拠に,「顔
面等の圧迫部上方が黒っぽくなっておらず,むしろ白っぽくなってい
るから,本件遺体の顔面等に鬱血の所見が認められない」とするⒶ鑑
定の信用性を論難するものであり,的確な批判となり得ていない。
前記②については,指摘に係るⒿ鑑定は,腐敗した遺体が黒っぽく
変色している場合に,それが血液によるものであるのかそれ以外の腐
敗性変色によるものであるのかを鑑別することが困難であることを指
摘するものにすぎず,Ⓐ鑑定の前記判断に何ら影響しない。
前記③については,Ⓐ鑑定は,本件遺体の腐敗した環境を踏まえて,
とりわけ前頸部は腐敗の影響を比較的免れていることを重視して判断
しているのであり,Ⓐ鑑定に対する批判たり得ない。なお,仮に原決
定が,腐敗した環境によって,存在していたはずの鬱血や血液就下な
ど血液由来の痕跡が黒っぽく変色することなく白っぽく変色すること
があるということをいう趣旨であるならば,そのような見解を支持す
る合理的根拠が見当たらないことは前記のとおりである。
前記④については,その根拠として挙げた前記①ないし③がいずれ
も失当であるから,前提を欠いている。そもそも,前記のとおり,Ⓐ
鑑定が最も重視しているのは,堆肥に直接接して腐敗の影響を強く受
けていることがうかがわれる顔面ではなく,堆肥と直接接することな
く腐敗の影響を比較的免れているとみられる前頸部のうち圧迫部上方
の鬱血の有無であり,Ⓐ鑑定はこの点を区別して指摘しているのに,
原決定にはこの点について個別に検討した形跡すらみられない。
前記⑤については,原審弁護人が,本件遺体について,「絞頸した
とするとまず鬱血が生じるから,その部分の上は鬱血状態で,下は白
くなければならない,そういう顕著な差がなければいけないのに,正
にここは,その部分を切開していながらそういう顕著な差が認められ
ない。よって,その部分を蒼白帯と判断するのは法医学的にできない」
とするⒶ鑑定についての意見をⒿ鑑定人に求め,Ⓙ鑑定人が,「一般
的にそれが新しい死体であれば,全部僕は同意しますけど。」と証言
したのを受けて,原審弁護人が,重ねて「古い死体になっちゃうと鬱
血なんかも分からなくなっちゃう。」と尋問したのに対し,「鬱血も
分からなくなるんじゃないですかね。だって,鬱血するかどうか,鬱
血しない首絞めもありますからね。鬱血が乏しい首絞めもあるわけで
すよね。」と抽象的に証言した部分を指すものと解される。しかし,
仮に上記証言の趣旨が,頸部圧迫による窒息死でありながら,顔面等
が鬱血しない,又は鬱血の乏しい場合があるというものであるとする
ならば,前記引用に係る複数の法医学成書において,「絞頸では顔面
の鬱血はほぼ全例に見られる」,「絞頸による窒息死では,頸部・顔
面に鬱血・腫脹が必発で,著明といえる。」と記載されていることと
食い違いがあるから,自験例や文献資料等の科学的根拠が具体的に示
されない限り,採用し得ない。それにもかかわらず,原決定は,Ⓙ鑑
定人の上記の抽象的証言のみを指摘した上で,「索条物や力の加え方
によっては頸部の血管が圧迫される時間や程度にも違いが生じ,鬱血
の有無や程度も様々であると考えられる」との見解を付加しているが,
Ⓙ鑑定人ですらそのような説明はしておらず,合理的根拠を欠いた独
自の見解というほかない。なお,そもそもⒿ鑑定人は,本件遺体は高
度に腐敗しているので一般的な頸部圧迫による窒息死の所見は確認で
きなくなっているという一貫した立場でⒶ鑑定を論難しているのであ
り,原決定が指摘するⒿ鑑定人の原審証言も,蒼白帯の解釈として鬱
血の有無を考慮することについて,新しい死体であればⒶ鑑定の見解
に同意するとした上で,これと対比する形で,原審弁護人から,古い
死体であれば「鬱血なんか」も分からなくなるのかと重ねて問われた
のに対し,それも分からなくなるということを証言する趣旨と解され
る。そうすると,前記⑤は,一般論としては誤っていないⒿ鑑定の趣
旨を取り違えて解釈した点に誤りがあるともいえる。いずれにせよ,
前記⑤は不合理な説示であり,是認できない。
以上のとおり,前記ウ㋕の説示は,十分な信用性を有するⒶ鑑定の
説示について,合理的根拠もなくこれを論難するものであって,失当
である。
小括
Ⓐ鑑定の信用性を論難する原決
定の説示は,いずれも不合理なものであり,賛同できない。
カ検察官は,当審において,原決定の前記ウの説示が正当で
あると主張するが,その主張が失当であることは前記オのとおりであ
る。なお,原決定の説示には含まれないその余の主張についても,以
下のとおり採用できない。
検察官は,原審で提出していた意見書を援用して,Ⓐ鑑
定には,写真判定という手法自体に問題があり,信用性はそもそも低
いと主張する。
確かに,Ⓐ鑑定のうち,写真のみを根拠にⒾ鑑定人の所見と矛盾す
る所見を示した部分について採用し得ないことは前記のとおりであり,
検察官の主張はその限度では正当であるが,これがⒶ鑑定全体の信用
性判断にまで影響しないこともまた,前記のとおりであり,上記主張
は当審の前記判断を左右しない。
検察官は,原審で提出していた意見書を援用して,Ⓐ鑑
定は,鑑定内容自体に一貫性がなく判断が恣意的であると主張し,具
体的には,①前記オ
死体について,意見書では「顔面鬱血など窒息を示す所見は確認でき
なかった」と記載していたのに,原審証言時には,当初,「かなり黒
っぽいですね。これは頸部圧迫による顔面の鬱血を反映しているとい
うふうに考えます。」と証言し,後にその証言を「鬱血,血液就下,
あるいは打撲による出血を反映したものだ」と訂正しているが,顔面
鬱血等の所見が確認できなかったと指摘する以上は頸部圧迫による窒
息死とは判断できないはずなのに,この矛盾が生じた点についてⒶ鑑
定人は合理的な説明をしていない,被疑者の供述のみを前提に鬱血で
ないと判断するのであれば法医学的所見かどうかも疑わしい,上記死
体について左前額下打撲傷,鼻骨骨折及び左右多発肋骨骨折を認めな
がらそれらの損傷を死因から除外する一方,本件遺体については肋骨
骨折等の様々な損傷が生じていた可能性を挙げて,その死因が頸部圧
迫による窒息死でなく出血性ショックである可能性が高いとする理由
が明らかでなく,思考方法が一貫性を欠いている,②Ⓐ鑑定は,本件
遺体の死因が出血性ショックであるという結論が先にあり,結論に積
極的に働く事情のみを恣意的に抽出,指摘しており,具体的には,出
血か否かの所見等に関するⒾ旧鑑定に対する評価が一貫していない,
Ⓚは農道で倒れていたところを近隣住民によって自宅土間まで運ばれ,
その後死亡し,死後,堆肥内に埋められたことは動かぬ事実であると
ころ,この事実を死因考察の範囲外としている,死因を考察するに当
たり,死体の所見のみならず死者の生前の状況等を勘案するのであれ
ば,死後の状況も勘案しなければ一貫しないはずであり,仮にⓀが事
故死したのであればその後何者かがⓀの死体を堆肥内に遺棄したとい
う不自然な経過をたどることになるが,そのような経過についても合
理的な説明が必要となるはずであるのに,考察の前提が一貫しない,
Ⓐ鑑定は,原審証言に用いたスライド資料の作成について自己の結論
に積極的に働くよう作為的に行っている可能性がある,③Ⓐ鑑定は,
自験例に対する判断方法が一貫していない,④Ⓐ鑑定は,本件遺体の
頸椎体前出血が広範・高度であるのに,頸部筋肉内出血や舌骨・甲状
軟骨の出血がないことから,本件遺体の死因が頸部圧迫による窒息死
でない旨指摘するが,頸椎体前出血が広範・高度であることを理由に
本件遺体の死因が頸部圧迫による窒息死ではないとの指摘は根拠を欠
く,Ⓐ鑑定人自身,「頸部に極めて強い圧迫が加わり,その一環とし
て頸椎体前の筋肉に出血を認めたことが分かる。」などと指摘してお
り,頸部圧迫により頸椎体前出血を生じることがあることを肯定して
いる,⑤多発外傷に伴う低体温症,用水路転落による救急搬送事例,
飲酒の影響による自転車関連損傷,骨盤骨折の危険性について縷々指
摘するが,本件においては死因が頸部圧迫による窒息死か出血性ショ
ックかが問題となるのであって,出血性ショックであることを前提に
その原因の危険性等を論じても何ら意味はない,⑥Ⓙ鑑定は,本件遺
体の腐敗の程度を正確に把握した上,周辺事情に惑わされることなく,
死体所見から判断できること,判断できないことを区別して意見を述
べており,出血と判断し得るか否かの判断等も一貫しており,意見の
根拠となる自験例も本件に即したものであり信用性が高い,という。
しかし,前記①については,そもそも本件遺体に関する所見ではな
く,その所見を論難することがいかなる意味においてⒶ鑑定の信用性
に影響する事情となるのか判然としない。この点を措くとしても,前
記オⒶ鑑定人
が原審で補足説明した内容は前記のとおりであって,顔面鬱血が判別
困難であったのは,それが鬱血,血液就下,暴行による出血のいずれ
であるかが判別できなかったことをいうものであり,いずれにせよ顔
面に大量の血液が存在した痕跡を前提としたものであることに変わり
はなく,同事例の死体について頸部圧迫による窒息死と推定したのは,
頸部筋肉内出血等の頸部圧迫の所見が明白であったからであり,多発
肋骨骨折等を認めながら出血性ショック死を死因から除外したのは,
死斑,血液就下がはっきり出ていたからというのであるから,本件遺
体に関するⒶ鑑定の思考方法と一貫していないとみるべき根拠は見当
たらない。
前記②については,Ⓐ鑑定が,死斑,血液就下がみられないこと,
臓器が腐敗しているにもかかわらず腐敗血管網を認めないことを貧血
性の根拠となる遺体所見として確認し,遺体の右側に打撲によると推
定される多数の痕跡が確認されていること,頸椎体前面の著しい組織
間出血が存在すること,農道上の発見状況等も総合して,自転車運転
中の転落事故という成傷機序を推定し,このような成傷機序であれば
通常生じ得る出血の原因は多数考えられるものの,Ⓘ旧鑑定において
解剖すべき部位が解剖されていないこと,黒っぽく見えている部位が
出血なのか腐敗性変色なのかが区別しにくくなっていることから,正
確な出血の原因を特定することは現時点では不可能となっているとし
て,解剖された部位に関して可能な限り出血の痕跡とみられる部位を
指摘しようとして肋骨骨折等に言及したものと解されることは前記の
とおりである。なるほど,Ⓐ鑑定のうち,このようにして可能な限り
出血の痕跡とみられる部位を指摘しようとした部分の考察のみを切り
出せば,「本件遺体の死因が出血性ショックであるという結論が先に
あり,結論に積極的に働く事情のみを抽出,指摘している」ように見
えることにはなろうが,これは前記のとおり法医学的に推定された成
傷機序を前提として,出血の原因となる傷を探る過程で可能な限りの
出血の痕跡を指摘したのであるから,その考察の過程は合理的なもの
といえ,結論を先取りしたものとはいえない。したがって,前記②の
指摘によりⒶ鑑定の信用性は左右されない。また,Ⓐ鑑定のうち,写
真のみを根拠にⒾ鑑定人の所見と矛盾する所見を示した部分について
採用し得ないことは前記のとおりであるが,そのことが鑑定全体の信
用性を否定するものでないこともまた前記のとおりである。なお,Ⓐ
鑑定は,Ⓘ鑑定人が確認をしたことが明らかな所見については写真が
なくともその所見を前提とし,Ⓘ鑑定人が確認をしていない部位の所
見については写真を見て出血等の可能性を指摘しているのであって,
Ⓘ旧鑑定に対する評価自体が一貫していないわけではない。また,後
述するとおり,確定審で取り調べられた旧証拠においては,Ⓚが農道
で倒れていたところを近隣住民によって自宅まで運ばれ,その後堆肥
内に埋められたこと,堆肥内に埋められた時点でⓀが死亡していたこ
とについては,Ⓘ旧鑑定等の客観的証拠や複数の目撃供述等に照らし
て動かし難い前提事実になっているとはいえるものの,農道で倒れて
いたⓀが自宅まで運ばれる際に問題なく生存していたことを示す証拠
はⓁ及びⓂの供述以外になく,これは確定審では第三者の供述として
その信用性が争われず,矛盾する客観的証拠も存在しなかったことか
ら前提事実とされたものにすぎない。仮にⓀが自転車運転中の転落事
故による出血性ショックで死亡した可能性が高いというⒶ鑑定の信用
性が認められるならば,農道で倒れていたところを近隣住民によって
自宅まで運ばれる際にはⓀが既に死亡し,あるいは瀕死の状態であっ
た可能性が相当程度に存在するということになり,その立証命題に照
らし,Ⓐ鑑定が確定審において取り調べられていた場合には,これと
整合せず客観的証拠の裏付けも欠くⓁ及びⓂの前記供述の信用性は減
殺される関係にある。検察官の主張は,新証拠であるⒶ鑑定がその立
証命題に照らして影響を及ぼす旧証拠の範囲を正解せず,Ⓐ鑑定によ
って信用性が弾劾される関係にあるⓁ及びⓂの供述について,これが
信用できることは動かし難い前提であるとして新証拠の証明力を否定
するものであり,その前提を誤っているから失当である。また,生前
の状況のみならず死後の状況も考慮に入れるべきであるとの主張は,
一般論としては成り立つ話であるとしても,検察官が主張するような
考察内容が法医学鑑定の範ちゅうに入る考察であるとは解されない。
さらに,検察官が主張する原審証言時のスライド資料については,鑑
定人の見解を裁判所に分かりやすく説明すると共に不要な刺激等を避
けるため,その見解に沿う形で工夫を凝らしたスライド資料を作成し,
これに基づいてプレゼンテーションを行うことは,裁判員制度が導入
されて以降,鑑定人に対する証人尋問の方法として今日既に定着した
ものになっていることは当裁判所に顕著な事実であって,鑑定人が,
その見解を分かりやすく説明すると共に不要な刺激等を避けるために
写真を取捨選別し,これに加工を施したスライド資料を作成し,同資
料に基づいてプレゼンテーションを行うことは何ら不当でなく,Ⓐ鑑
定の信用性を左右しない。
前記③については,そもそも本件遺体に関する所見ではなく,その
所見を論難することがいかなる意味においてⒶ鑑定の信用性に影響す
る事情となるのか判然としない。この点を措くとしても,検察官の主
張は,現に解剖を担当したⒶ鑑定人の所見について,写真にみられる
微妙な色調の差異のみを根拠にこれに反する所見を主張するものであ
って,このような判断の在り方を当審が採用していないことは既に説
示したとおりである。
前記④については,Ⓐ鑑定は,頸部圧迫による窒息死と鑑別するた
めには,他に死因となり得る外傷を除外できる必要があるとの前提に
立ち,本件遺体の頸椎体前出血が広範・高度であるのに,頸部筋肉内
出血や舌骨・甲状軟骨の出血がないことから,頸椎体前出血が頸部圧
迫以外の外力により生起されたことが明らかであるとし,その他の所
見等も考慮して,本件のように明らかな外傷所見を多数認める事例に
おいては外傷による死亡の可能性を確実に除外できない限りこれら外
傷以外の原因によって死亡したとはいえないとして,本件遺体の死因
が頸部圧迫による窒息死でない旨指摘しているのであって,頸椎体前
出血が広範・高度であることを理由に本件遺体の死因が頸部圧迫によ
る窒息死ではないと指摘しているわけではない。また,原審で提出さ
れたⒶ鑑定人作成の補充意見書⑴(原審弁13)において,同鑑定人
が頸椎体前出血と矛盾しない所見を含むと判断された鑑定例を紹介す
るに際し,「頸部に極めて強い圧迫が加わり,その一環として頸椎体
前の筋肉に出血を認めたことが分かる。」などと説明していることは
検察官指摘のとおりであるが,その趣旨は,頸椎体前出血の可能性が
ある症例につき,舌骨・甲状軟骨骨折を認めたことから頸部に強い圧
迫が加わったものであることを前提とした上,頸部圧迫の所見として
Ⓐ鑑定人が繰り返し指摘している頸部筋肉内出血の存在を指摘してい
るものであることは,上記補充意見書⑴の文言から明らかであり,Ⓐ
鑑定人が頸部圧迫により頸椎体前出血を生じることがあることを肯定
しているとの主張は,同鑑定人の意見を曲解するものである。
前記⑤については,原審で提出されたⒶ鑑定人作成の補充意見書⑵
(原審弁16)において,所論指摘のような意見が述べられているが,
前記のとおり,自転車運転中の転落事故という成傷機序によって出血
性ショック死で死亡するに至る過程をより具体的に理解するための専
門的知識を裁判所に補う意義を有するものであり,Ⓐ鑑定を補充する
意見として十分考慮し得る。
前記⑥については,Ⓙ鑑定は,要するに,本件遺体は高度に腐敗し
ており,写真を見ても顔面鬱血等の生活反応や死斑の有無等も判然と
しないのであるから,死因は不詳とみるべきであって,Ⓐ鑑定は明ら
かに過剰診断である,というものである。しかし,写真に現れる情報
量は実際の遺体から得られる情報量と比べて相当程度劣ることは否定
し難いというべきであり,色調の微妙な差異にとどまることなく写真
上一見明白に認められるものであるとか,解剖医が後に自ら所見を訂
正した等の特段の事情でもない限り,写真では明瞭に区別し得ない微
妙な色調の違い,臭気,質感等の豊富な情報を直接得た上で一定の所
見を示した解剖医の見解と異なる遺体所見を述べる法医学者の意見を
措信することは相当でないことは前記のとおりであるところ,Ⓙ鑑定
によれば,本件遺体は高度に腐敗しており,黒っぽく変色している部
分が出血であるか否かは腐敗のために不詳ということになるが,これ
は,本件遺体を自ら解剖したⒾ鑑定人が,腐敗と出血を区別した所見
を個別に鑑定書に記していることに反する見解である。Ⓘ鑑定人が,
頸椎体前面の組織間出血や左鎖骨上の出血を他の部位の腐敗性変色と
は区別してあえて出血であるとの所見を記している以上,なぜこの部
位が他と比べて腐敗の影響を免れているのかについて説明がなされて
しかるべきであるのに,Ⓙ鑑定人は,原審の証言内容によると,Ⓘ旧
鑑定自体については何ら検討しておらず,Ⓘ鑑定人の解剖は不十分で
あり,これでは死因は何も分からないだろうというのが率直な感想だ
といい,Ⓙ鑑定の判断根拠は専ら鑑定書に添付された写真を資料とし
たものであるというのであり,Ⓘ鑑定人が上記部位について腐敗では
なく出血であるという所見を示すことができた点について何ら説明し
ておらず,むしろ,Ⓘ鑑定人が他の部位の腐敗性変色と区別して出血
との所見を示したこと自体に疑問を投げかけている状況にある。そう
すると,Ⓘ旧鑑定の所見を踏まえて腐敗の影響を個別に検討し,腐敗
の影響が強く及んでいる部位とそうでない部位を区別し,その理由に
ついても腐敗の発生機序に基づく合理的な説明をするなど,Ⓘ旧鑑定
の所見と整合的なⒶ鑑定と対比しても,Ⓙ鑑定には十分な信用性を認
めることができない。
以上検討したとおり,原審で提出していた意見書を援用してⒶ鑑定
は鑑定内容自体に一貫性がなく判断が恣意的であるとする検察官の主
張は,採用できない。
検察官は,Ⓐ鑑定は,本件遺体の腐敗の程度に関する意
見が合理的でない,と主張する。しかし,その主張は,Ⓐ鑑定の内容
に対する当審の前記説示と異なる理解を前提にするものであり,前提
を欠いている。
検察官は,本件遺体に死斑・血液就下を明確に認める所
見が見当たらないことから,直ちに死斑・血液就下が生じなかったと
結論付けることはできない,と主張する。しかし,Ⓐ鑑定は,Ⓘ旧鑑
定において,死斑については明瞭でないとされていることを踏まえて,
仮に死斑が存在し,これが腐敗の影響により明瞭でなくなったとして
も,その場合には内部を調べれば血液就下の痕跡がみられるのが自然
であるとした上で,内部にも血液就下の痕跡がないことから,死斑は
存在しなかったものと推定しているのであり,死斑を明確に認める所
見がないことから直ちに死斑が生じなかったと結論づけたものではな
い。また,血液就下の痕跡が腐敗の影響により確認できなくなるかの
ようにいうⒿ鑑定の見解を採用することができないことは前記のとお
りである。
なお,検察官は,①本件遺体の前胸部上方は前胸部下方に比して赤
みがかるなど死斑と解する余地がある,②顔面は緑色を呈するなど鬱
血とも解し得るものである,③前胸部の筋肉の出血以外の周辺部分は
赤黒く見えるなど血液就下と解する余地がある種々の所見も存在する
とも主張する。しかし,前記①はⒾ旧鑑定において死斑は明瞭でない
との所見が明示されているのに,写真の色調のみを根拠に死斑の可能
性があると指摘するものであり,このような主張を当審が採用してい
ないことは既に説示したとおりである。前記②については,Ⓐ鑑定人
は,確かに顔面が緑色を呈している部分については死斑等の血液が透
過して見える色の可能性を否定できないが,鬱血は頸部の圧迫による
ものなので原理的には顔面全体が鬱血するはずであり,本件遺体の顔
面は広い範囲に白い部分を認めるから鬱血とみるには矛盾し,顔面が
下になった状態で遺棄されているのであれば顔面の大部分は血液の就
下を認めるはずなのに広い範囲で白い部分を認めるから死斑とみるの
も矛盾すると証言し,前記③についても,権威のある法医学成書の鑑
別基準に従い,色調差が多く,位置及び分布が不定で,辺縁も不整と
なっていることから血液就下ではなく出血であると証言しており,こ
れは専門的知見に基づく合理的な見解と考えられるから,これと異な
る所見を主張するのであれば専門的知見に基づく相応の根拠が必要で
あるところ,そのように解すべき合理的根拠は何ら示されていない。
検察官は,死斑・血液就下を認める明確な所見がなくて
も窒息死と矛盾しないと主張し,具体的には,Ⓙ鑑定の自験例におい
て,①出血性ショックや大量の出血が認められる死体で死斑が発現し
たり,②顔面,頸部,前胸部の変色が認められる症例が存在する一方,
③出血のない死体でも外表が全体に白っぽいものや,表皮がめくれた
部位等が白っぽくなっている症例が存在するから,死斑や血液就下に
よる皮膚の色調で全身の貧血性の有無を判断することは困難である,
という。
しかし,前記①の症例は,Ⓙ鑑定人の原審尋問調書添付資料スライ
ド5の「腹部大動脈瘤破裂に基づく出血性ショック,死後約20時間
くらい,背面に紫赤色の死斑が中等度発現した死体」のことを指すも
のと思われるが,「Ⓙ鑑定人が裁判所に提出するつもりはなかったの
に原審検察官の手違いで提出されてしまったもの」というⒿ鑑定人作
成のメモを見ると,同事例は,交通事故により意識朦朧状態で救急搬
送され,治療を受けて帰宅後,体調の異変を訴え,救急搬送され治療
を受けるも死亡したものとされており,同メモの記載に基づいて原審
弁護人に輸血との関係を問われ,Ⓙ鑑定人は,仮に治療時に輸血され
ていたとすると死斑が出てもおかしくないが,輸血されたかどうかは
聞いてないから分からないと証言している。そうすると,同事例は,
出血性ショックや大量の出血が認められる死体で死斑が発現した症例
ではなく,輸血の影響により死斑が発現した症例である可能性が否定
できず,このような症例の存在をもって,Ⓐ鑑定の見解を否定する合
理的根拠にはならない。Ⓙ鑑定人は,輸血の影響を看過し,あるいは
無視して,出血性ショックや大量の出血が認められる死体であっても
死斑が発現した症例として紹介しているものであるから,その症例引
用の正確性には相当の疑問が残る。また,Ⓙ鑑定人は,具体的な症例
を示すことなく「昨日僕がやった,骨盤骨骨折でおなかの中に2リッ
ターの出血をしている,治療も何もしてない患者さんにも死斑が出て
ますからね。」とも証言しているが,その後上記症例の資料を追完し
ようとした形跡がみられないことに照らし,かかる証言をそのまま採
用することはできない。
前記②の症例は,Ⓙ鑑定人の原審尋問調書添付資料スライド9の
「失血,死後約5日くらい,失血死で顔面,頸部及び前胸部が変色し
ているもの」のことを指すものと思われるが,解剖を担当したⒿ鑑定
人自身,これらの変色を死斑だとは思っておらず,腐敗性の変色と判
断したとの所見を述べており,「失血死であっても死斑,血液就下が
みられる事例」ではないのだから,Ⓐ鑑定と矛盾するものではない。
前記③の症例は,Ⓙ鑑定人の原審尋問調書添付資料スライド6の
「急性虚血性心不全,死後約1週間くらい,出血のない腐敗死体の外
表が全体的に白いもの」,同スライド7の「溺死,死後約3から4週
間くらい,出血のない腐敗死体の外表が全体的に白いもの」及び同ス
ライド8の「溺死,死後約1から2ヶ月くらい,出血のない腐敗死体
の外表が全体的に白いもの」のことを指すものと思われるが,Ⓙ鑑定
人が原審裁判所に提出するつもりのなかった前記メモによれば,同ス
ライド6の死体は「浴槽内にて水没状態で死亡発見」されたもの,同
スライド7の死体は「海上にて俯せ状態で漂流しているのを発見」さ
れたもの,同スライド8の死体は「湯浅沖18キロの海上で漂流状態
で発見」されたものとされている。これらの症例は,一般的な法医学
成書において溺死の場合死斑が乏しいとされていることに照らすと,
失血の有無とは無関係の事情により死斑が生じにくかった可能性が高
いから,Ⓐ鑑定の信用性を何ら左右するものではない。Ⓙ鑑定人は,
これらの症例につき水中死体であることの影響を看過又は無視して,
出血がなくても死斑,血液就下が出ない症例として引用しようとした
ものであるから,この点においても引用の正確性に疑問が残る。そう
すると,このようなⒿ鑑定人の原審証言に現れた症例のみをもって,
「死斑や血液就下による皮膚の色調で全身の貧血性の有無を判断する
ことは困難である」と判断することは相当でないから,検察官の主張
は採用できない。
検察官は,本件遺体に出血死(事故死)の可能性が高い
ことを示唆する所見が存在しないとして,Ⓐ鑑定が出血の可能性を指
摘した個々の所見を論難する。しかし,Ⓐ鑑定は,死斑,血液就下が
みられないこと,臓器が腐敗しているにもかかわらず腐敗血管網を認
めないことを貧血性の根拠となる遺体所見として確認し,遺体の右側
に打撲によると推定される多数の痕跡が確認されていること,頸椎体
前面の著しい組織間出血が存在すること,農道上の発見状況等も総合
して,自転車運転中の転落事故という成傷機序を推定し,このような
成傷機序であれば通常生じ得る出血の原因は多数考えられるものの,
Ⓘ旧鑑定において解剖すべき部位が解剖されていないこと,黒っぽく
見えている部位が出血なのか腐敗性変色なのかが区別しにくくなって
いることから,正確な出血の原因を特定することは現時点では不可能
となっているとして,解剖された部位に関して可能な限り出血の痕跡
とみられる部位を指摘しようとして,肋骨骨折等に言及したものと解
されるのであって,たとえそのようにして言及された出血の痕跡とみ
られる部位に関する個々の指摘が採用できないものであったとしても,
出血性ショック死の可能性が高いとしたⒶ鑑定の判断の根幹部分には
影響しないこと,Ⓘ鑑定人が現に解剖した部位に関して有意な所見を
見落としたとみるのは不合理であるとしても,解剖していない部位に
関してⒾ鑑定人が解剖を要しないと判断したこと自体を根拠に仮に解
剖していたとしても有意な所見はなかったはずだとみるのもまた不合
理であるから,Ⓘ旧鑑定において十分な解剖がなされていないことを
根拠の一つとして,自転車運転中の転落事故という成傷機序であれば
通常生じ得る出血の原因は多数考えられるとして解剖されていない部
位に出血があった可能性を指摘するⒶ鑑定が合理的根拠に欠けるもの
とはいえないことは既に説示したとおりであり,検察官の主張はこれ
と異なる前提に立つ主張であるから失当である。
検察官は,頸部筋肉内出血の所見が確認できないことと
死因が頸部圧迫による窒息死であることは矛盾しない,舌骨・甲状軟
骨骨折の所見がないことと死因が頸部圧迫による窒息死であることは
矛盾しない,顔面・圧迫部上方の鬱血が生じなかったと認めることは
できず,鬱血の明確な所見が見当たらなかったとしても,そのことと
死因が頸部圧迫による窒息死であることは矛盾しない,と主張するが,
Ⓐ鑑定が,頸部筋肉内出血の所見が確認できないから死因が頸部圧迫
による窒息死であることと矛盾するとしたものではないこと,舌骨・
甲状軟骨骨折の所見がないから死因が頸部圧迫による窒息死であるこ
とと矛盾するとしたものではないこと,顔面・圧迫部上方に鬱血の明
確な所見が見当たらなかったから死因が頸部圧迫による窒息死である
ことと矛盾するとしたものではないことは前記のとおりである。Ⓐ鑑
定は,法医学成書においては「必発」であるとされる顔面・圧迫部上
方の鬱血がなく,「大部分に生じる」とされる頸部筋肉内出血がない
ことも含め,頸部圧迫による窒息死の診断基準として挙げられている
もののうち,腐敗により判別困難になるものを除いたすべての所見を
欠いていることから頸部圧迫による窒息死とみるのは矛盾するとして
いるのであって,このような個々の所見を総合判断した結果に対し,
個々の所見のみでは頸部圧迫による窒息死とみることはできないと主
張しても,Ⓐ鑑定に対する的確な批判にはなり得ない。なお,これら
個々の所見についての主張が失当であることも,原決定の説示の不合
理性について既に説示したところと同様である。
キ以上のとおり,Ⓚの死因につき窒息死と推定し,頸項部に
作用した外力により窒息死したと想像したⒾ旧鑑定が誤りであるとし,
タオルで頸部を力いっぱい絞めて殺したとする確定判決の認定事実と
Ⓚの解剖所見は矛盾するとし,Ⓚの死因は転落事故等による出血性シ
ョック死の可能性が高いとしたⒶ鑑定の結論部分は十分な信用性を有
しているものと認められる。Ⓐ鑑定の信用性を論難する原決定の説示
はいずれも不合理であり,これと同旨の検察官の主張はいずれも失当
である。
Ⓐ鑑定が旧証拠に及ぼす影響について
Ⓐ鑑定の立証命題は,Ⓚの死因である(再審請求書別紙本文22頁
等)。確定審で取り調べられた証拠関係のうち,Ⓚの死因に関する主
要な証拠は,Ⓘ旧鑑定のみである(派生証拠として,警察官が連絡を
受けたとするⒾ鑑定人の見解を報告する捜査報告書(検察官請求証拠
番号2)も存在するが,その体裁に照らしてもⒾ旧鑑定を超える証拠
価値を有するものではなく,確定1審判決も「証拠の標目」に挙示し
ていない。)。
Ⓘ旧鑑定は,腐敗の著しいⓀの遺体を解剖した結果,断片的に得ら
れた死体所見を元に,他に著しい所見がないという消去法的考察によ
ってⓀが窒息死したものと推定し,その原因として頸項部に作用した
外力を想像し,仮にそうであるならば他殺ではないかと想像したもの
である。一方,Ⓐ鑑定は,Ⓚの死因につき窒息死と推定し,頸項部に
作用した外力により窒息死したと想像したⒾ旧鑑定が誤りであるとし,
タオルで頸部を力いっぱい絞めて殺したとする確定判決の認定事実と
Ⓚの解剖所見は矛盾するとし,Ⓚの死因は転落事故等による出血性シ
ョック死の可能性が高いとする点において十分な信用性を有するもの
である。そうすると,仮にⒶ鑑定が確定審において提出されていた場
合,Ⓚが窒息死したものと推定し,これが他殺によるものと想像した
Ⓘ旧鑑定は,合理的根拠を有しない鑑定として信用性を否定され,Ⓚ
の死因についてはⒶ鑑定の内容を基礎とした判断がなされることにな
ると考えられる。
もっとも,既に説示したとおり,Ⓘ旧鑑定は,元々,消去法的考察
により窒息死を推定し,その原因として頸項部に作用した外力を想像
し,仮にそうであるならば他殺ではないかと想像したものにすぎず,
Ⓘ旧鑑定のみを孤立して評価した場合,死因を推認し得るほどの証明
力を有するものではない。確定1審判決は,後述するとおり,Ⓘ旧鑑
定のみを孤立評価するのではなく,「証拠の標目」に挙示したその他
の証拠により認定できる客観的状況がⓀの死因について他殺をうかが
わせるものであること,Ⓕ及びⒼがそれぞれタオルで頸部を力いっぱ
い絞めて殺した旨供述していることと矛盾しないことと併せて,Ⓚの
死因を頸部圧迫による窒息死と推認したものと解されるから,Ⓐ鑑定
によってⒾ旧鑑定が合理的根拠を有しない鑑定として信用性を否定さ
れたとしても,そのことから直ちに確定1審判決の頸部圧迫による窒
息死との認定に合理的疑いを生じさせる関係にはない。
しかしながら,確定審で取り調べられた証拠関係において,Ⓘ旧鑑
定は,上記のとおり,Ⓕ及びⒼがそれぞれタオルで頸部を力いっぱい
絞めて殺した旨供述していることを客観的に裏付け,その信用性を高
めている関係にあるといえるから,Ⓘ旧鑑定の信用性が否定され,頸
部圧迫による窒息死であるとみるのは矛盾するとのⒶ鑑定の内容を基
礎とした判断がなされることにより,Ⓕ及びⒼの上記供述の信用性を
肯定した判断の根拠の一部が失われる関係にある。なお,法医学鑑定
というのは,あくまでも科学的推論であって,死体所見のみで確定的
に診断できるものもあれば,状況を含めて窒息であると推定できるも
のもあり,このような状況も含めた一番の蓋然性を明らかにすること
を目的とするものであるから,Ⓐ鑑定が「矛盾する」と表現するとこ
ろも,およそ数学的,論理的に両立し得ないという趣旨ではなく,そ
のような推論が法医学的見地からみて不合理なものであるという趣旨
に解されるから,Ⓐ鑑定のみで直ちにⒻ及びⒼの上記供述の信用性を
肯定した判断が否定される関係にはなく,確定審においてⒻ及びⒼの
供述が信用できるものと判断された根拠を検討し,その判断の過程で
「消去法的考察により窒息死を推定し,その原因として頸項部に作用
した外力を想像し,仮にそうであるならば他殺ではないかと想像した」
とするⒾ旧鑑定の存在がどの程度の重みを持つものと位置付けられて
いたのかを確認した上で,新証拠であるⒶ鑑定によりⒾ旧鑑定の信用
性が否定され,「頸部圧迫による窒息死であるとみるのは矛盾する」
とのⒶ鑑定の内容を基礎とした判断がなされることにより,これらの
信用性判断にどのような影響を及ぼすのかを別途検討する必要性が生
じることになる。
また,「Ⓚの死因は転落事故等による出血性ショック死の可能性が
高い」とするⒶ鑑定の内容を基礎とした判断がなされる場合,確定審
で取り調べられた証拠関係によると,その成傷機序は,昭和54年1
0月12日午後5時30分頃から午後6時頃までの間にⓑの溝に自転
車ごと転落したこと以外に考えられないから,同日午後8時30分頃
から同日午後9時頃までの間にⓁ及びⓂがⓀを自宅まで搬送した際に
は,Ⓚは既に出血性ショックにより死亡し,あるいは瀕死の状態にあ
った可能性が相当程度に存在することになる。確定審で取り調べられ
た証拠関係によれば,同日午後6時頃から同日午後8時30分頃まで
の間,Ⓚが上記ⓑの溝付近の道路脇で寝ていることを目撃されており,
Ⓚが同日酒を飲んで外を出歩いていたこと,ⓑ付近の道路脇にいるⓀ
の様子を目撃した近隣住民もⓀが酔いつぶれて寝ているものと判断し
たことが認められ,このような証拠関係を踏まえて,確定1審判決は,
「Ⓚは同日酒を飲んで外を出歩き,午後8時ころ酔いつぶれて溝に落
ちているのを部落の者に発見され,Ⓚの近隣に住むⓁ,Ⓜの両名がⓀ
を同人方まで届けたが,同人は前後不覚の状態であったうえ,着衣が
濡れて下半身裸となっていたため,同人を土間に置いたまま帰った。」
という経緯を前提事実として認定したものと解される。しかし,新証
拠であるⒶ鑑定が確定審において提出されていた場合,前記のとおり,
Ⓛ及びⓂがⓀを同人方まで運搬した際には,Ⓚは既に出血性ショック
で死亡し,あるいは瀕死の状態にあった可能性が相当程度に存在する
ことになるから,「ズボンを脱いで下半身裸で着衣が濡れている状態
で寝ていた」という当時のⓀの状況は,酔いつぶれていたのではなく,
出血性ショックにより死亡し,あるいは瀕死の状態で倒れていたもの
である現実的可能性がある。また,出血性ショックにより死亡した可
能性が高いことを前提とすると,Ⓛ及びⓂがⓀを同人方土間に放置し
て同人方を退出した後に何者かがⓀを殺害したということを当然の前
提事実とすることもできないこととなる。したがって,Ⓛ及びⓂの各
供述の信用性を判断するには,これらの点を念頭に置いた検討が必要
となるから,確定1審判決が認定した上記経緯は,新証拠であるⒶ鑑
定の及ぼす影響により前提事実として認定し得るものではなくなり,
Ⓛ及びⓂの各供述の信用性を検討した上で,これが信用できると判断
できた場合に初めて認定し得る事実ということになり,その位置付け
が変更されることになる。
Ⓐ鑑定がその立証命題に関連する旧証拠に及ぼす影響は,おおむね
上記のようなものと解されるから,これらが,確定1審判決の認定し
た殺人,死体遺棄の事実認定に合理的疑いを生じさせるものといえる
か否かを,以下,具体的に検討する。
確定1審判決の心証形成の過程について
アはじめに
既に説示したとおり,再審請求審においては,新証拠がその立証命
題に関連する旧証拠に及ぼす影響を検討し,これが新旧全証拠の総合
判断により確定審の事実認定に合理的疑いを生じさせるものであるか
否かを検討する必要があるところ,本件の確定1審判決には,いわゆ
る「事実認定の補足説明」が付されておらず,判決書に心証形成の過
程が記載されていないから,上記検討の前提として,まずは,判決書
に記載された認定事実の記載及び「証拠の標目」の記載を手掛かりに,
確定審における審理の経過及び内容(取り調べられた証拠の数,内容,
立証趣旨,当事者の応訴態度や論告,弁論の内容)等をも勘案した上
で,合理的に想定し得る確定1審判決の心証形成の過程を特定する必
要がある。
イ勘案すべき事情について
確定審における審理の経過及び内容
昭和54年12月20日,第1回公判期日が開かれた。請求人は,
罪状認否において,全面的に公訴事実を否認し,確定審弁護人も,請
求人は本件には全然関与していない旨の意見を述べた。その後,確定
審検察官は,いわゆる物語形式の冒頭陳述を行ったが,証拠請求は行
わず,証拠整理のために期日の続行を求めた。
昭和55年1月24日,第2回公判期日が開かれた。確定審検察官
は,書証128点及び証拠物10点の証拠請求を行った。確定審裁判
所は,確定審弁護人が「全部同意」の意見を述べた書証のうち請求人
の供述調書を除くすべての書証及び確定審弁護人が「異議なし」の意
見を述べたすべての証拠物を取り調べた(なお,Ⓛ及びⓂの各供述調
書のうち,同人らが,昭和54年10月12日夜,道路脇で泥酔して
寝ているⓀを迎えに行き,Ⓚ方まで運び入れ,土間に放置して帰った
旨の供述が録取された部分については,この時点で全て「同意」され
ていた。)。確定審弁護人は,Ⓘ旧鑑定を含む鑑定や検証等の科学的
証拠ないし客観的証拠について証拠意見を留保し,さらに,Ⓓ,Ⓕ,
Ⓖ,Ⓗの各供述調書については,各人の身上調書のほか,関係者間の
人的関係,Ⓚの酒癖の悪さ,ⓀとⒺらとの間の確執等の周辺的事情に
関するⒼの供述調書のみ同意し,その余はすべて「不同意」の意見を
述べた。これを受けて,確定審検察官は,不同意書証の代替立証とし
て,Ⓗ,Ⓕ,Ⓓ,Ⓖの各証人尋問を請求した。確定審弁護人が上記各
証人尋問についていずれも「異議なし」の意見を述べたことを受けて,
確定審裁判所は,上記各証人を採用し,Ⓗについては第3回公判に,
Ⓕ及びⒹについては第4回公判に,Ⓖについては第5回公判に,それ
ぞれ取り調べることとし,第6回公判期日(昭和55年3月25日)
に至るまで2週間ごとに1期日の間隔で連日的に開廷することとし,
これらの公判期日を一括して指定した。
昭和55年2月14日,第3回公判期日が開かれた。予定されてい
たⒽの証人尋問が実施されたが,確定審検察官による主尋問のみで終
わり,残りは次回期日に続行となった。その後,確定審弁護人が科学
的証拠ないし客観的証拠の大部分について「全部同意」の意見を述べ
たことから,確定審裁判所は,これらの書証の大部分を採用して取り
調べた。
同月26日,第4回公判期日が開かれた。前回期日に引き続き残り
のⒽの証人尋問が実施され,確定審弁護人による反対尋問等が行われ
た。その後,予定されていたⒻの証人尋問が一通り実施されたものの,
確定審裁判所による補充尋問まで終了した後,Ⓕが,要旨,今日のよ
うな天候だと頭ががんがんするが,雨の降らない天候のいい時ならば
もう少しはっきり答えられる旨証言したことから,次回期日に尋問を
続行することとなった。予定されていたⒹの証人尋問は延期された。
同年3月13日,第5回公判期日が開かれた。前回期日に引き続き
Ⓕの証人尋問が実施され,確定審検察官の主尋問から改めて尋問をや
り直す形となり,同日中にすべての尋問を終えた。Ⓓは出頭しなかっ
たため,次回期日に改めて尋問を実施することとなった。その後,予
定されていたⒼの証人尋問が実施され,完了した。また,留保されて
いた書証の整理が行われ,採用を留保していた同意書証及び被告人の
供述調書を採用して取り調べ,Ⓕ,Ⓖ及びⒽの各検察官調書謄本を除
く不同意書証のうち確定審検察官が撤回しなかったものを却下した。
さらに,確定審検察官が追加で請求したⓀ及びⒹに係る簡易生命保険
証書等について,確定審弁護人が「同意」ないし「異議なし」の意見
を述べたことから,確定審裁判所は,これらを採用して取り調べると
ともに,確定審弁護人が追加で請求したⓃの証人尋問について,確定
審検察官が「異議なし」の意見を述べたことから,採用し,次回期日
に証人尋問を実施することとした。
同月25日,第6回公判期日が開かれた。予定されていたⒹ及びⓃ
の各証人尋問が実施され,請求人に対する被告人質問が施行された。
その後,確定審検察官は,留保されていたⒽの検察官調書については
撤回したが,Ⓕ及びⒼの各検察官調書謄本については刑訴法321条
1項2号書面として取り調べられたい旨の意見を述べ,これを受けて
確定審裁判所はこれらを同号所定の書面として採用し,取り調べた。
引き続き,確定審検察官が論告をし,確定審弁護人が弁論をし,請求
人が最終陳述をしたことにより結審し,判決宣告期日は同月31日に
指定された。なお,確定審検察官の論告は,要旨,「請求人が本件犯
行を犯したことはⒻ,Ⓖ,Ⓗ,Ⓓの各証言から明白であり,各証言は
証言相互間に何らの矛盾もなく,取調べ済みの他の書証,証拠物にも
合致するものである。」とするものであり,その信用性判断について,
Ⓕ,Ⓖ,Ⓗ及びⒹの各供述に内在する自然性,具体性,迫真性,一貫
性,合理性の有無や,各人の供述能力,供述態度,虚偽供述の動機の
有無等についての言及は特にない。これに対する確定審弁護人の弁論
は,要旨,「本件各犯行についてⒻ,Ⓖ,Ⓗ及びⒹの各供述は,すべ
て請求人がこれに加担したことを裏付けるものとなっているが,これ
らは客観的状況と符合しない部分が多く,また不自然であり,関係者
相互間においても矛盾,食い違い部分が多い上,各関係者それ自身の
供述自体にも単なる記憶違いとは言えない矛盾点があり,到底信用す
ることができないもので,請求人が本件各犯行に加担したとする証拠
は不十分である」とした上で,一連の殺人,死体遺棄の犯行は,請求
人の加担なしにⒻ及びⒼ,あるいはこれにⒽを加えた3名によって十
分可能であること,ⒼがⒻにⓀの殺害を持ちかけて2人でⓀを絞め殺
したというⒻ及びⒼの当初の自白は信用できる一方,その後に請求人
を巻き込んだ形で内容を変更した自白は信用できないことを基調とす
るものであり,具体的には,請求人の関与を述べる関係者の供述が,
客観的状況に合致せず,供述自体も曖昧であり,さらには関係者相互
間に矛盾,食い違いが多く,信用することができないことを示す事情
として,①請求人が昭和54年10月12日夜にⒼ方に来たとするⒹ
及びⒽの証言は,相互に時刻が食い違い,関係者が供述する動かし難
い時刻とも矛盾すること,②請求人が共犯者であることは,Ⓗ及びⒼ
にとっては自らの,Ⓓにとっては夫及び子供の刑事責任の軽重を左右
する事情であるから,虚偽供述の可能性が考えられること,③Ⓕの証
言は,誰に起こされたのかという本件殺害行為の発端ともいうべき重
要な部分の記憶,印象が鮮明でなく,Ⓖの供述とも食い違っており,
凶器とする目的で持ち出したはずのタオルについても曖昧な供述をし
ていること,④堆肥を掘るのにスコップが不向きであることはⒻも請
求人も十分知っており,Ⓚ方に2本のホークがあることはⒻも請求人
も知っているのだから,わざわざ請求人が自宅までスコップを取りに
帰ったとするⒻ,Ⓖ及びⒽの供述は不自然であること,⑤関係者供述
から認められる事実関係に照らし,当時請求人方には使用可能な懐中
電灯がなかった疑いが強く,請求人が懐中電灯を持ち出したとされる
点は疑わしいこと,⑥証拠によればカーペットに脱糞様の臭いのする
異物が付着しているが,絞殺時の脱糞であるとすると直径70センチ
メートルの楕円形というのは異常に大きく,実況見分調書によれば三
畳間,掛布団上方,障子の桟にも同種のものが付着していたとされる
が,絞殺時の脱糞がこれらに付着するはずがなく,さらに,Ⓚは下半
身裸であったのだから,脱糞したら股間に付着するはずであり,股間
をふき取った形跡はないのだから,縁側や敷布団に付着することこそ
考えられ,掛布団上方に付着することは考えられないこと,⑦当時Ⓚ
方にはローソクが残っていたから,Ⓕが通夜のためにⓀ方で線香を付
けた際にローソクも一緒に見つけたとみるのが自然であり,請求人が
わざわざ自宅にローソクを取りに帰ったとは考えられないこと,⑧Ⓚ
は,Ⓛらに連れ帰られた際,ボタンのついた灰色シャツを着用してい
たが,発見時は下着姿であり,誰がシャツを脱がせたのか不明である
こと,⑨ⒽがⒼと共にⓀ方に行き最初に請求人を見た際の請求人の位
置や姿勢についてのⒽの供述があいまいであること等を指摘するもの
であり,最後に,Ⓚの生命保険の契約者はⒻであり,契約者たるⒻが
Ⓚ殺害に関与すれば保険金受領が不可能となるから,請求人がⒼやⒽ
に殺害を唆して指示することは考え得ても,Ⓕに対してこれを唆して
指示するとは考えられない旨付言するとともに,請求人の検察官調書
に録取された「罪を軽くしてもらいたい」旨の供述は犯行を認める趣
旨の供述でないことを指摘するものとなっている。
昭和55年3月31日,第7回公判期日が開かれ,請求人に対する
判決が宣告された。
確定1審判決の認定事実について
確定1審判決は,「本件犯行に至る経緯」として,要旨,①関係者
の身上関係,人的関係,②Ⓚの酒癖が悪く,周囲の人間に迷惑をかけ
てきたこと,③長男の嫁としてⓄ家一族に関する事柄を取り仕切って
きた請求人とⓀとの間に確執等があり,請求人,Ⓕ及びⒼは日ごろか
らⓀの存在を快く思っていなかったこと,④昭和54年10月12日,
Ⓕらの姉の子の結婚式に請求人夫婦を含むⒻらの兄弟は,Ⓚを除いて
全員が出席し,午後7時すぎには挙式を終え,それぞれ帰宅したこと,
Ⓕら兄弟は,Ⓚが当日朝から酒浸りのため酔って荒れていたとして,
出席予定であった同人を連れて行かなかったこと,⑤Ⓚは,同日酒を
飲んで外を出歩き,午後8時頃に酔い潰れて溝に落ちているのを部落
の者に発見され,Ⓚの近隣に住むⓁ及びⓂの両名がⓀを同人方まで届
けたが,同人は前後不覚の状態であったうえ,着衣が濡れて下半身裸
となっていたため,同人を土間に置いたまま帰ったこと,⑥請求人は,
Ⓛから泥酔して道端に倒れているⓀを迎えに行く旨連絡を受け,同日
午後9時頃,Ⓛ方に行って同人からⓀの様子を聞き,同人らに迷惑を
かけたことを謝ったりし,その後の午後10時30分頃,Ⓜと帰宅す
る途中,Ⓚの様子を見るため一人でⓀ方に立ち寄ったこと,⑦請求人
は,泥酔して土間に座り込んでいるⓀを認めるや同人に対する恨みが
募り,この機会に同人を殺害しようと決意し,Ⓖ,次いでⒻに対し,
Ⓚを共同して殺害しようと話を持ち掛け,両名はいずれもこれを承諾
したことを認定した。
確定1審判決は,引き続き,「罪となるべき事実」として,要旨,
請求人が,Ⓕ及びⒼと共謀の上,Ⓚを殺害するため,同人絞殺に使う
西洋タオルを携帯して,同日午後11時頃,Ⓚ方に赴き,同所土間に
座り込んで泥酔のため前後不覚となっている同人に対し,Ⓕ及びⒼに
おいてこもごもⓀの顔面を数回ずつ殴打し,その場に倒れた同人を請
求人を加えた3名で足蹴するなどし,更に同3名でⓀを同人方中六畳
間まで運び込んだ上,同所において,請求人が,「これで締めんや」
と言って同西洋タオルをⒻに渡すとともに,仰向きに寝かせたⓀの両
足を両手で押さえつけ,ⒼもまたⓀの上に馬乗りになってその両手を
押さえつけ,Ⓕにおいて同西洋タオルをⓀの頸部に1回巻いて交差さ
せた上,請求人の「もっと力を入れんないかんぞ」との言葉に,両手
でその両端を力一杯引いて締め付け,よって同人を窒息死に至らしめ
て殺害したという殺人の事実(第1),及び,殺害行為の後,Ⓖは一
旦帰宅してⒽにⓀの遺体を遺棄するため加勢を求めたところ,Ⓗはこ
れを承諾し,ここに請求人は,Ⓕ,Ⓖ及びⒽの3名と共謀の上,同月
13日午前4時頃,請求人が照らす懐中電灯の灯りのもとで,同3名
が,Ⓚの遺体を同人方牛小屋に運搬した上,請求人の「まだ浅い,も
っと掘らんか」との指図により,同所の堆肥内にそれぞれスコップ又
はホークを用いて深さ約50センチメートルの穴を掘ってその中に同
死体を埋没したという死体遺棄の事実(第2)を,それぞれ認定した。
確定1審判決は,「量刑の理由」として,要旨,本件は,酒癖の悪
い義弟Ⓚが泥酔して前後不覚の状態にあることを奇貨として,かねて
同人に恨みを抱いていた請求人が主導し,夫Ⓕとその実弟Ⓖを加担さ
せて殺害した上,Ⓖの長男Ⓗも引き入れた4名でⓀの遺体を堆肥の中
に埋めて遺棄した親族間の犯行であり,請求人は,単に酒癖が悪く迷
惑をかけられてきたというだけで殺害を企て,知能が平均人に比較し
やや劣る夫Ⓕやその実弟Ⓖを加担させてⓀを殺害し,しかもⒼの長男
Ⓗをも引き入れて殺人の犯跡を隠ぺいしようとして死体遺棄に及んだ
旨認定する一方,本件殺人の犯行動機には保険金目当てもあったとす
る検察官の主張に対しては,なるほど請求人が少ない家計のもとで本
件犯行の3か月前にⓀに秘して死亡保険金を500万円とする生命保
険に加入していたこと及び犯行後の請求人らの言動の中には同保険金
やⓀの財産取得をも意図していたのではないかとの疑いを抱かせるも
のも窺えないではないが,請求人は自分や娘には各20万円の,夫Ⓕ
には50万円の,精神病院に入っている長男と病弱である義弟の妻Ⓓ
にも各100万円の保険金をかけていること,Ⓚはかつて自殺未遂を
起こし,しばしば泥酔して保護されるなどの状況があったこと,Ⓚの
保険契約は保険勧誘員が積極的に保険加入を勧誘し,請求人もその熱
心さに動かされて契約締結したものであることが認められることを総
合すると,請求人が自分の長男やⒹ,Ⓚに多額の保険を掛けていたの
は,病弱であったり,日頃の生活態度から,それぞれ,いつ死ぬか分
からない,あるいはそれほど長生きはしそうもないものとして,それ
を見込んで保険加入したことが認められるが,それ以上にⓀ殺害を予
め予定してⓀを被保険者とする保険契約を締結したとまでは認め難い
し,かつまたその後本件犯行を敢行するに際し,請求人がかねてより
掛けていたⓀを被保険者とする保険金のことに思い至り,その取得と
いうことも本件Ⓚ殺害への動機形成の一要因をなしていたと認めるに
は証拠上いまだ不十分であると判断した。
確定1審判決の証拠の標目の記載について
確定1審判決は,「判示事実全部」についての証拠として,①Ⓗ,
Ⓕ,Ⓖ及びⒹの各証言,②Ⓕの検察官調書謄本2通(検察官請求証拠
番号107,109),Ⓖの検察官調書謄本(同番号113),③Ⓟ
の検察官調書謄本(同番号50),④検証調書抄本4通(同番号8な
いし11。いわゆるⒻ,Ⓖ,Ⓗ及びⒹによる再現調書。なお「抄本」
とあるのは「謄本の同意部分」の趣旨と解される。以下同じ。)を挙
示し,「判示本件犯行に至る経緯」についての証拠として,⑤請求人
の検察官調書(同番号137)及び警察官調書4通(同番号133な
いし136)のうち認定事実に反する部分を除いた部分,⑥Ⓖ(同番
号112),Ⓠ(同番号95),Ⓡ(同番号66),Ⓛ(同番号82
・抄本),Ⓜ(同番号75)の各検察官調書謄本を挙示し,「判示罪
となるべき事実」についての証拠として,⑦Ⓕの検察官調書謄本(同
番号108),⑧実況見分調書謄本(同番号12。遺体発見直後に実
施されたⓀ方の実況見分を内容とするもの。),⑨ビニールカーペッ
トに関する証拠群(領置調書謄本(同番号28),鑑定検査申請書2
通(同番号29,35),鑑定検査結果通知書面2通(同番号30,
36),ビニールカーペット1枚),⑩ホークに関する証拠群(領置
報告書謄本(同番号13),領置調書謄本(同番号14),ホーク1
本),⑪スコップに関する証拠群(捜索差押調書謄本(同番号17),
領置調書謄本(同番号19),スコップ2本),⑫懐中電灯に関する
証拠群(任意提出書謄本(同番号130),領置調書謄本(同番号1
31),懐中電灯1個),⑬Ⓘ旧鑑定書(同番号1)を挙示した。
このうち,②及び⑦は確定審弁護人が「不同意」の意見を述べ,2
号書面としての請求についても異議を述べた書証,①はこれら「不同
意」の意見を受けて代替立証として実施された証人尋問の結果であり,
いずれも確定審弁護人がその信用性を争った証拠であるが,その余は,
いずれも確定審弁護人が「同意」「任意性は争わない」「異議なし」
等の意見を述べたことにより採用され,信用性が争われなかった証拠
である。
一方で,確定1審判決は,確定審弁護人が「同意」「異議なし」等
の意見を述べたことにより採用されて信用性が争われなかった証拠の
うち,前記認定事実に沿うものと評価し得る証拠の大部分(捜査報告
書類(同番号2,3。いわゆる総括捜査報告書。),請求人に対する
ポリグラフ検査の結果(同番号6,7。事件への関与を否定する請求
人の供述が虚偽であるとするもの。),内容の重複する関係者の供述
調書類(同番号37ないし49,51ないし65,67ないし74,
76ないし79,83ないし85,88ないし94,96,97,1
03ないし105,110,114),西洋タオルに関する証拠群
(同番号25,26,31ないし34,128))については挙示し
なかった。
「証拠の標目」に挙示された証拠の意義について
確定1審判決当時,「有罪の判決には,罪となるべき事実及び証拠
の標目を示すことをもって足り,証拠を取捨した理由を明示する必要
はない」(最高裁昭和34年11月24日第三小法廷決定・刑集13
巻12号3089頁),「有罪判決において証拠として挙示すべきも
のは,罪となるべき事実を認めるに必要にしてかつ充分なるもののみ
をもって足り,必ずしも犯罪事実認定の資に供した全証拠を挙示する
ことを要しない」(最高裁昭和30年8月26日第二小法廷判決・刑
集9巻9号2049頁)等の確立した最高裁判例が存したこと,前記
ものと評価し得る証
拠の大部分が「証拠の標目」に挙示されておらず,いわゆる「事実認
定の補足説明」も記載されていないことに照らすと,確定審裁判所は,
上記判例の見解に沿って,認定事実を認めるのに必要かつ十分な証拠
として前記各証拠を挙示した上,Ⓕ,Ⓖ,Ⓗ及びⒹの公判供述の信用
性を争う確定審弁護人の主張を踏まえてもなお,これらを有罪認定の
証拠として採用した理由を明示する必要性に乏しい事案と判断したも
のと解される。また,
第1回公判期日において,請求人が公訴事実を全面的に争い,確定審
弁護人も公訴事実を全面的に争う姿勢を示したことから,第2回公判
期日において,昭和55年3月25日までに証拠調べを一通り終えら
れるようにあらかじめ概括的な審理計画を策定し,連日的に開廷する
ことにより,第2回公判期日において同意された書証等及び第3回公
判期日において追加的に同意された書証を第5回公判期日までの間に
取り調べ,争いのない事実関係についての心証を細部に至るまで形成
しつつ,これらを踏まえて信用性に争いのある主要な証言の信用性を
順次吟味するなどして,「証拠の標目」に挙示されていない証拠も含
めた全証拠を検討して事実経過を精査した結果,第6回公判期日にお
いて,確定審弁護人が,最終弁論において,「Ⓕ及びⒼの当初の自白
が信用でき,本件はⒻ及びⒼ,更にはⒽを加えた3名による犯行であ
り,請求人は捜査機関の思惑により巻き込まれただけである」旨の主
張を明示したことを踏まえても,請求人が有罪であるとの心証を抱き,
その主張に対する判断を一々明示するまでもないと判断し,前記内容
の判決宣告に至ったものと解される。確定1審判決の「証拠の標目」
に挙示された証拠は,対応する事実を直接認定するために必要な直接
証拠,又は,対応する事実を推認するために必要な間接証拠と考えら
れ,内容が重複する場合にすべての証拠につき挙示されることはなく,
また,単に証拠の信用性を補強し,又は減殺するためのいわゆる補助
証拠については挙示されていないことも十分に考えられる。そうする
と,確定審の心証形成過程が判決に明示されていない場合に,新証拠
が確定審の事実認定にいかなる影響を及ぼすかを考察する前提として
その心証形成過程を検討するに際しては,当事者の訴訟活動等を踏ま
えて,確定審における証拠構造を把握した上,取り調べられた全証拠
の内容に照らし,最も合理的と考えられる心証形成過程を想定した上,
その場合の確定審の事実認定に対する新証拠のもたらす影響を具体的
に検討するという方法によるほかなく,かかる方法が合理的で妥当な
結果を導くものと考えられる。そして,その際には,本件においては
前記のとおり,確定審が,犯行への関与を全面的に否認する請求人の
供述を採用せず,請求人の関与を供述するⒻ,Ⓖ,Ⓗ及びⒹの各証言
並びにⒻ及びⒼの各検察官調書を採用した理由については,一々明示
せずとも挙示された各証拠に照らして明白になっていると判断したも
のと解されることを念頭に置く必要がある。また,「本件犯行に至る
経緯」は,犯罪事実そのものではないが,いわゆる動機犯における犯
罪の社会的類型を明らかにし,非難可能性の程度を左右する重要な犯
情事実であることから,犯罪事実とは区別して別途証拠と事実との結
びつきが示されているものであり,「本件犯行に至る経緯」に関する
証拠として挙示された証拠は,このような意味において直接的には
「本件犯行に至る経緯」を証明するための証拠として挙示されたもの
であるが,「本件犯行に至る経緯」として認定された事実経過は,構
成要件的評価を捨象して歴史的に観察すれば犯罪事実と一連一体とな
る事実経過なのであるから,それ自体が犯罪事実の立証に関する間接
事実にもなり得るものであり,確定1審判決も当然にそのような前提
に立って判断したものと解される。
ウ合理的に想定し得る心証形成の過程について
以上を踏まえて確定記録を検討すると,確定1審判決について,合
理的に想定し得る心証形成の過程は,おおむね以下のようなものであ
ったと解される。
すなわち,確定1審判決の「証拠の標目」に挙示され,確定審弁護
人が信用性を争わなかった各証拠によれば,おおむね以下の事実が認
められる。㋐昭和54年10月15日昼過ぎ頃,Ⓚ方牛小屋の堆肥置
き場において,堆肥に完全に埋没した状態でⓀの遺体が発見されたこ
と(前記イ法医学鑑定の結果,Ⓚは,同日夜から
3日内外前に死亡したものと推測され,両肺の気管支枝内腔に堆肥の
粉末等が侵入したようには見受けられないことから,死因は窒息死と
推定され,さらに頸項部に作用した外力によって窒息死に至ったもの
と想像され,他殺ではないかと想像されること(同⑬の証拠)が認め
られ,よって,Ⓚは,堆肥に埋没した状態で死亡したのではなく,昭
和54年10月12日夜の前後頃,Ⓚ方牛小屋堆肥置き場とは別の場
所で何者かに殺害された後,同堆肥置き場に運搬され,堆肥の中に埋
没させられたものと推認できる。㋑Ⓚは,同日酒を飲んで外を出歩き,
午後8時頃に酔い潰れて溝に落ちているのを部落の者に発見され,Ⓚ
の近隣に住むⓁ及びⓂの両名がⓀを同人方まで届けたが,同人は前後
不覚の状態であったうえ,着衣が濡れて下半身裸となっていたため,
同人を土間に置いたまま帰ったこと(前記イが認め
られ,近隣住民の多数の供述が取り調べられているにもかかわらず,
これ以後に生前のⓀの様子を直接目撃したとする証拠がⒻ及びⒼの自
白以外に存在せず,Ⓚが同月13日以降に何らかの活動をしていた痕
跡は見出せず,よって,前記㋐で推認される事実と併せて,Ⓚは,同
月12日夜,Ⓛ及びⓂによってⓀ方の土間に放置された後,遅くとも
翌朝頃までの間に殺害されたものと推認できる。㋒同月15日から1
6日にかけて実施されたⓀ方の実況見分の際,前記のとおりⓀが放置
された同人方土間に隣接している中六畳間において,畳に尿臭や脱糞
臭のするシミが,障子戸の桟(敷居から1.05メートルの高さ)に
脱糞様の臭いのするシミが,それぞれみられたほか,同中六畳間に隣
接する奥六畳間の掛布団の表に脱糞が,三畳間の畳に糞の臭いのする
汚物が,それぞれ付着していたこと,中六畳間に敷いてあったはずの
ビニールカーペットが屋外で発見され,同ビニールカーペットにも,
脱糞様の臭いのする黒褐色付着物がビニールカーペットの目に詰まり
込んだような状態で付着していたほか,脱糞様のものが付着した足跡
のような痕跡が印象されていたこと(以上,前記イ同
ビニールカーペットにつき「尿付着の有無。付着するとすれば人尿か
否か。人尿とすればその血液型。」という観点で鑑定検査をした結果,
人尿と糞便の混在を認め,血液型がA型と判定されたこと,「付着物
及び痕跡の印象状況」という観点で鑑定検査をした結果,テレビ設置
の痕跡がみられる範囲にまで糞便の付着が及んでいたこと(以上,同
⑨の証拠),法医学鑑定の結果,Ⓚの血液型はA型らしいとされるこ
と(同⑬の証拠)が認められ,これらによれば,Ⓚが,ビニールカー
ペットの敷かれた同人方中六畳間において,脱糞及び失禁をした後,
何者かが同ビニールカーペットに付着した糞尿を拭き取った上,同ビ
ニールカーペットを屋外に搬出し,これと前後して障子戸の桟や隣室
にも糞便が付着したものと推認され,Ⓚの生命身体に対する何らかの
異常事態が発生し,その前後に他人の行為が介在していることが推認
され,よって,前記㋑で推認される事実と併せて,Ⓚは,同月12日
夜,Ⓛ及びⓂによってⓀ方の土間に放置された後,これと隣接する中
六畳間において,何者かによって脱糞及び失禁を伴う態様で窒息死さ
せられ,その後,何者かによってⓀ方牛小屋の堆肥置き場まで運ばれ
て,堆肥に埋没させられたものと推認できる。㋓Ⓚ方は,Ⓕ方及びⒼ
方に隣接しており,Ⓕ方との距離は18.6メートル,Ⓖ方との距離
は16.5メートルであること,Ⓚ方,Ⓕ方及びⒼ方の敷地は,幅員
4メートルの町道から幅員2.2メートルの非舗装道路の路地に入り,
その先のⓀ方及びⒻ方敷地に至る入り口通路並びにそこから上記路地
の更に奥にあるⒼ方敷地に至る入り口通路の先に位置し,これらの敷
地はそれぞれ周囲を崖や林に囲まれ,他にこれらの敷地内に居住する
世帯はないが,Ⓖ方敷地は,Ⓚ方及びⒻ方敷地より一段高所にあり,
後記のとおり高さ2メートルの崖で隔てられているものの,その間に
遮蔽物はなく,Ⓖ方敷地からⓀ方及びⒻ方敷地をよく見渡すことがで
きること,前記路地のⒼ方敷地に至る通路入り口の奥は,傾斜の急な
登り坂の山道となっており,県道ⓒ線に通じているが,その間に人家
はないこと,Ⓚ方牛小屋は,同人方居宅の南側に位置し,東側は中庭
に接し,南側は高さ2メートルの高地を切り開いたところにⒼ方があ
り,西側は高さ3.7メートルの高台となっており,Ⓚ方敷地内の一
番奥に位置していること,牛小屋周辺の屋外照明としては,牛小屋の
藁置き場及び牛運動場に裸電球が2個あるのみであり,そのスイッチ
がⓀ方玄関上に設けてあること(以上,同④,⑧の証拠)が認められ,
これらによれば,夜間,Ⓚ方敷地内に立ち入る者として現実的に想定
し得るのは,Ⓚ方,Ⓕ方及びⒼ方の居住者か,これらの居宅への来訪
者しかなく,無関係の第三者が偶然立ち入る可能性は想定し難いこと,
Ⓚ方牛小屋堆肥置き場で夜間遺体を堆肥に埋没させる作業をするには,
Ⓚ方玄関上に設けてあるスイッチを操作して牛小屋の電球を点けるか,
懐中電灯を使用して灯りを照らした上,ホークやスコップ等の道具を
用いる必要があり,牛小屋の電球を点けてⓀのホーク等の道具を利用
するか,外部からこれらの道具を持ち込む必要があること,夜間,近
接するⒼ方及びⒻ方の居住者に気取られることなく,Ⓚ方でⓀを殺害
し,同人方牛小屋堆肥置き場でⓀの遺体を堆肥に埋没させる作業を完
遂することは容易でないことが推認できる。そうすると,本件当夜Ⓚ
方敷地内に立ち入る可能性のある来訪者が証拠上想定されないことと
前記㋒で推認される事実と併せて,Ⓚを殺害して堆肥に埋没させた犯
人は,Ⓚ方の居宅及び牛小屋の状況を熟知し,道具を持ち込むことも
容易なⒻ方及びⒼ方の居住者である可能性が高い。㋔前記実況見分の
際,Ⓚ方の洋服ダンスの内部は引出内も含めて整理されており乱れは
なく,ボストンバッグに入っている衣類はいずれも折りたたんで入れ
られており,その他Ⓚ方が物色された形跡は見当たらないこと(同⑧
の証拠),請求人とⓀとの間には確執等があり,請求人,Ⓕ及びⒼは
日ごろからⓀの存在を快く思っていなかったこと(前記イ
事実),請求人は,Ⓛから泥酔して道端に倒れているⓀを迎えに行く
旨連絡を受け,同日午後9時頃,Ⓛ方に行って同人からⓀの様子を聞
き,同人らに迷惑をかけたことを謝ったりし,その後の午後10時3
0分頃,Ⓜと帰宅する途中,Ⓚの様子を見るため一人でⓀ方に立ち寄
ったこと(同⑥の認定事実)が認められ,これらによれば,請求人は,
日頃からⓀのことを快く思っておらず,本件当夜も,ⓀがⓁらに迷惑
をかけたことを謝ったりした後,前後不覚の状態で土間に放置されて
いたⓀの様子を確認していること,請求人,Ⓕ及びⒼにはⓀを殺害す
る動機があると推認できること,Ⓚを殺害する動機を有する者の中で,
本件当夜,Ⓚが殺害される前に,Ⓚが前後不覚の状態で土間に放置さ
れていることを知っていた者は請求人であり,前記㋓のとおり,Ⓚ方
に侵入してⓀを殺害し,牛小屋堆肥置き場まで遺体を運搬して堆肥に
埋没させることを,Ⓕ方及びⒼ方の居住者に気付かれずに行うことは
容易ではなく,現実的な可能性として犯人として想定できるのは,請
求人の他にⒻ及びⒼらⒻ方及びⒼ方の居住者しかいないことなどを併
せ考えると,本件の犯人に請求人,Ⓕ及びⒼのうちのいずれかが含ま
れている可能性は高く,とりわけ請求人が関与していないとは考え難
いといえる。
以上は,証拠から直接認定した各間接事実については,請求人の否
認供述とも矛盾せず,信用性に争いのない証拠のみから容易に認定で
きる事実であり,前記㋐ないし㋒の推認は相当程度に強固なものであ
って,この推認を妨げる事情は何ら見当たらない。前記㋓及び㋔の検
討結果については,請求人,Ⓕ及びⒼのうちのいずれかが犯人である
とみるのが自然であることを示す事情であり,これのみではⒻ方又は
Ⓖ方の居住者の誰が犯人であるかを具体的に特定するまでには至らな
いものであるが,他方,仮にⒻ方又はⒼ方の居住者の誰も犯行に関与
していないとするならば,Ⓚは,Ⓛ及びⓂによって前後不覚の状態で
Ⓚ方土間に放置された後,たまたま何らかの理由で敷地外から侵入し
た何者かによって何らかの理由により殺害され,当該犯人が,夜間,
Ⓚ方玄関上に設けられたスイッチを操作して牛小屋の照明を点灯させ,
あるいは持ち込んだ懐中電灯を利用して灯りを照らし,Ⓚを牛小屋堆
肥置き場の堆肥に埋没させる作業をしたものの,幸運にも終始Ⓕ方及
びⒼ方の居住者の誰にも気づかれることがなかったということになる
が,そのような可能性は抽象的にはあり得ないとはいえないものの現
実的可能性としては想定できず,少なくともⒻ方又はⒼ方の居住者の
誰もが全く犯行に関与していないとは考え難く,とりわけ請求人が関
与していないと考えることは困難な状況といえる。
このような客観的状況を踏まえて,信用性に争いのあるⒻ,Ⓖ,Ⓗ
及びⒹの各証言及びⒻ及びⒼの検察官調書謄本における供述をみると,
請求人が,Ⓚが前後不覚の状態であることをⒼ及びⒻに告げ,その後,
請求人,Ⓖ及びⒻが共にⓀ方に行き,土間に放置されていたⓀにこも
ごも暴行を加え,その後,Ⓚ方中六畳間において,請求人がⒻにタオ
ルを渡して,Ⓚの足を押さえ,ⒼがⓀに馬乗りになり,Ⓚの手を押さ
えた状態で,ⒻがタオルでⓀの首を力一杯絞め続けて殺害し,その後,
ⒼがいったんⒼ方に戻り,Ⓗに加勢を頼み,Ⓕ,Ⓖ及びⒽが,請求人
の照らす懐中電灯の灯りを頼りに,Ⓚ方牛小屋堆肥置き場までⓀの遺
体を運び,ホーク及びスコップを使ってⓀを堆肥に埋没させたという
点で,Ⓕ及びⒼの各証言及び検察官調書謄本における供述は大筋にお
いて合致しており,Ⓖから加勢を頼まれた以降の経過についてはⒽの
証言も同様に大筋において合致しており,Ⓓの証言もこれと矛盾する
ところはないところ,上記各供述に現れた事実経過は,前記客観的状
況とよく合致しており,とりわけ,土間に放置されていたⓀにこもご
も暴行を加えた後,中六畳間で請求人及びⒼがⓀの手足を押さえた状
態でⒻがタオルをⓀの首に巻いて力一杯絞め続けたという犯行態様は,
Ⓚが,中六畳間において,何者かによって脱糞及び失禁を伴う態様で
窒息死させられたものと推認されること(前記㋒で推認される事実)
に加え,Ⓘ旧鑑定において,Ⓚの頸部,右側胸腹部,右上肢及び両下
肢に外力の作用した痕跡が認められ,頸項部に作用した外力により窒
息死させられたものと想像されていることともよく符合しており,十
分な信用性を有している。他に,大筋において合致している上記事実
経過に反する客観的証拠は存しない。確かに各供述を個別にみれば,
あいまい,不自然,不合理で,迫真性がなく,核心部分も含めて変遷
している箇所もみられ,細部にわたって全面的に信用し得るものとは
到底いえないものの,信用性に争いのない親族等関係者の多数の供述
調書において,Ⓕ,Ⓖ及びⒽはいずれも通常人より知能が低いとされ
ていることに照らすと,自己の経験を正確に記憶し,その記憶を保持
した上で,自身の言葉で的確にこれを表現する能力が劣っていたこと
がうかがわれるから,供述内容があいまい,不自然,不合理で,迫真
性がなく,核心部分も含めて変遷している箇所がみられるとしてもや
むを得ない面があり,客観的状況に合致し,客観的証拠の裏付けも存
するという客観的判断要素に基づいて各人の供述が大筋において合致
している限度で信用性を肯定することを妨げない。このように,本件
では,客観的状況により確定1審判決の認定事実を一定程度推認でき
るものの,これのみでは具体的な犯行状況及び犯人を特定するには至
らないところ,Ⓕ,Ⓖ及びⒽの各供述は,供述自体に内在する問題点
を孕んでいるものの,大筋において相互に合致し,前記客観的状況に
も符合し,かつ,Ⓘ旧鑑定による客観的証拠の裏付けも存することに
よって,大筋においては信用できるとの信用性判断を導くことができ,
このようにして間接事実による推認と直接証拠である各供述とが相互
に相まって,確定1審判決の認定事実に至るものと解される。なお,
殺人の共謀形成過程については,前記客観的状況によって,前後不覚
の状態で土間に放置されているⓀの状態について請求人がⒻ及びⒼに
告げることにより犯行に関与したことは間違いないとはいえても,殺
害を持ちかけたのが請求人であるかⒼであるかはこれのみでは推知し
得ないところ,あいまいで変遷のあるⒼの証言及び捜査段階の供述だ
けでなく,Ⓓの証言を併せることにより,請求人とⒼの間の共謀形成
過程を認定することができる。
エ補足説明
確定1審判決の心証形成の過程が前記ウのとおりであることは,①
確定1審判決が,「証拠の標目」において,殺人及び死体遺棄の証拠
を区別せずに一括して挙示していること,②Ⓚの遺体がⓀ方牛小屋堆
肥置き場に50センチメートルの深さで埋没させられていたことはⓅ
が発見時に一部掘り起こした後の状況を見分した実況見分調書謄本
(前記イ
Ⓟの検察官調書謄本(前記イ③の証拠)を併せて挙示しているが,
その意義は,Ⓚの遺体が堆肥に完全に埋没していた状況について,死
体遺棄のみならず殺人の間接事実としても用いる必要があるからと解
されること,③「罪となるべき事実」の項ではⓀの糞尿や中六畳間の
ビニールカーペットについて何ら認定するところがなく,中六畳間に
糞尿痕が存することは実況見分調書謄本(前記イ
よっても認定できるのに,あえてビニールカーペットに関する証拠群
(前記イ⑨の証拠)をも挙示したのは,中六畳間に設置されていた
ビニールカーペットに糞尿痕が存したという点に意味があるのではな
く,糞尿痕が拭き取られて屋外に搬出されていたという客観的状況を
間接事実として認定する必要があったからと解されること,④信用性
に争いのあるⒻ,Ⓖ及びⒽの証言並びにⒻ及びⒼの各検察官調書謄本
における供述を採用した上,Ⓓの断片的な証言を重ねて「証拠の標目」
に挙示したのは,Ⓓの証言は,請求人がⒼに殺害を持ちかけ,Ⓖもこ
れを承諾したのを目撃したという点において,認定事実との結びつき
という点でⒻ,Ⓖ及びⒽの各証言を上回り,公判廷における証言とい
う点でⒼの検察官調書謄本よりも証拠価値が高く,これらの観点から
「証拠の標目」に挙示する価値を有していると解されること,⑤確定
1審判決は,単に直接証拠である各証言を補強するにとどまらず,各
証言と離れて間接事実型の事実認定に用いることができる客観的証拠
をあえて挙示し,事実認定の補足説明を特段付さなかったことに照ら
すと,各証言が合致し,客観的状況に合致することを重視してその信
用性を肯定したものとみるのが自然であることなどから推知できる。
また,⑥確定控訴審判決は,要旨,確定1審判決の「証拠の標目」に
挙示された各証拠によれば,「本件犯行に至る経緯」及び「罪となる
べき事実」はいずれも十分これを肯認することができ,ことにこれら
の証拠中,Ⓕ,Ⓖ,Ⓗ及びⒹの各証言並びにⒻ,Ⓖ,Ⓛ及びⓂの各供
述調書によれば,本件犯行の夜泥酔して前後不覚の状態にあったⓀが
Ⓛ,Ⓜの好意によりⓀ方に搬送されたことを当初に知ったのは本件共
犯者のうち請求人であって,請求人は自らⓀ方に出向いてその土間で
泥酔し前後不覚,無抵抗の状況にあるⓀを現認し,確定1審判決が示
すような経緯で同人の存在を快く思っていなかったところから殺意を
抱くに至り,本件共犯者であるⒻ,Ⓖに対し,それぞれⓀが同状況に
あることを告げて殺害の話を持ちかけたこと,同人らは結婚式帰りの
酔余の気分も手伝ってこれに賛同し,確定1審判決が詳細に説示する
とおり,3人でⓀ殺害の実行行為に及び,次いでⒽを含めた4人で死
体遺棄の実行行為に及んだことが認められるとして,自らの心証を説
示するとともに,Ⓕ,Ⓖ,Ⓗ及びⒹの各供述が,請求人の本件殺人及
び死体遺棄の各行為の関与それ自体については大綱において一致して
いること,同人らが請求人を陥れるため故意に虚偽供述をしているも
のと疑うべき事情がないこと,前記各供述内容は「証拠の標目」に挙
示された各証拠に現れた客観的状況とも符合することを信用性肯定の
根拠として指摘するにとどまり,供述内容それ自体の自然性,具体性,
迫真性,合理性等を肯定する説示をしていないのであり,この点は,
事後的であり,かつ,請求人の関与の有無に審査対象が限定された控
訴審の判断ではあるが,確定1審判決の証拠構造を把握する上で参考
となる。
オ原決定の認定した証拠構造について
これに対し,原決定は,確定1審判決の証拠構造について,㋐Ⓚの
遺体が堆肥内に遺棄されたことについては実況見分調書その他から認
められる遺体の発見状況や解剖所見から明らかであり,遺体が遺棄さ
れていること自体から,遺棄の犯人又はその関係者がⓀの死亡に関与
していることが強く推認される,㋑Ⓚが殺害され,死体が遺棄された
犯行の具体的状況等並びにその犯人が請求人,Ⓕ,Ⓖ及びⒽ(ただし,
Ⓗは死体遺棄のみ)であることの証拠は,Ⓕ,Ⓖ及びⒽの各証言,Ⓕ
及びⒼの各検察官調書並びにⒹの証言であると認められる,㋒Ⓘ旧鑑
定は,死因が窒息死であることの直接証拠であり,かつ,殺人の犯行
態様に関する直接証拠であるⒻらの自白の信用性を裏付ける補助証拠
と位置付けられていたと考えられる,㋓証拠物のスコップ,ホーク,
懐中電灯については,確定1審判決において犯行供用物件と認定され
ており,Ⓕ,Ⓖ及びⒽ,そして請求人と各犯行を直接結びつける証拠
と位置付けられていたと考えられる,とする。しかし,原決定の上記
説示からは,確定1審判決の「証拠の標目」にビニールカーペットに
関する証拠群,ことに糞便の付着状況に関する鑑定検査結果が挙示さ
れている意味の説明が付かない上,本件当夜にⓁ及びⓂが前後不覚の
状態にあるⓀをⓀ方土間に放置し,本件共犯者の中で請求人のみがこ
れを認識していたとの,Ⓛ及びⓂの各供述調書から容易に認定でき,
かつ,現に確定1審判決が「本件犯行に至る経緯」として認定し,確
定控訴審判決においても言及されている,請求人が犯行に関与してい
ることを推認させる最も重要な間接事実のほか,実況見分調書等から
認定できる請求人を含むⒻ方及びⒼ方の居住者が犯人であることをう
かがわせる多数の間接事実の存在を看過するものであり,確定1審判
決の証拠構造を正解していないものといわざるを得ない。また,前記
のとおり,Ⓚは,Ⓛ及びⓂによって前後不覚の状態でⓀ方土間に放置
され,その後,土間に隣接する中六畳間でⓀの生命身体に何らかの異
常事態が発生し,Ⓚが死亡した後,何者かによってビニールカーペッ
トの糞尿が拭き取られて屋外に搬出されたほか,何者かによってⓀの
遺体がⓀ方牛小屋堆肥置き場に運搬され,堆肥に完全に埋没する形で
遺棄されたのであるから,このようにⓀの生命身体に発生した何らか
の異常事態の痕跡を隠ぺいし,Ⓚの遺体を堆肥に完全に埋没する形で
遺棄したこと自体から,犯人がⓀを殺害し,その事実の発覚を免れる
ために犯跡を隠ぺいしようとしたものであることが常識に照らして明
らかであり,他に,Ⓚ方土間で前後不覚の状態にあったⓀが,その後
死亡し,何者かによって同人方牛小屋堆肥置き場にその遺体が遺棄さ
れる合理的理由は想定し得ないことも看過している。さらに,Ⓘ旧鑑
定の旧証拠関係における意義は,前記のとおり,単にⓀの死因が窒息
死であることの直接証拠及びⒻらの自白の信用性を裏付ける補助証拠
にとどまるものでもない。
原決定は,確定1審判決の心証形成の過程を的確に把握しないまま,
確定1審判決が供述の信用性評価において最も重視していたと考えら
れる客観的状況との整合性を何ら検討することなく,これと異なる心
証形成の過程を前提として,確定1審判決の心証形成の過程に疑義を
差し挟むものであって,失当である。
Ⓐ鑑定がその立証命題に関連する旧証拠に及ぼす影響が確定
1審判決の認定した殺人,死体遺棄の事実認定に合理的疑いを生じさ
せるものといえることについて
ア合理的に想定し得る確定1審判決の心証形成の過程は前記
Ⓐ鑑定がその立証命題に関連する旧証拠に及
ぼす影響は,確定1審判決の事実認定及びこれに沿う内容のⒻ,Ⓖ及
びⒽの各供述の信用性判断の重要な柱となっている3点,すなわち,
①Ⓚの遺体発見時の状況及びⒾ旧鑑定に基づき推認されるⓀの死因及
び犯行態様(Ⓕ及びⒼの各供述の裏付け)(前記⑷ウ㋐),②前提事
実とされたⓁ及びⓂの各供述に基づくⓀを同人方に搬送した際の状況
(同㋑),③犯行現場及び周辺の客観的状況及びⓀとの人的関係から
推認される犯人像(同㋒ないし㋔)のうち,①,②についてその根拠
となる証拠の信用性に疑問の余地を生じさせ,③については間接事実
の評価ないし位置付けに差異を生じさせることとなり,その結果,確
定1審判決の認定した殺人,死体遺棄の事実認定を変更することを余
儀なくさせるものである。以下,具体的に示す。
イ㋐において,「Ⓚは,堆肥に埋没した
状態で死亡したのではなく,昭和54年10月12日夜の前後頃,Ⓚ
方牛小屋堆肥置き場とは別の場所で何者かに殺害された後,同堆肥置
き場に運搬され,堆肥の中に埋没させられたものと推認できる」とさ
れていたものは,これのみで何者かに殺害されたことを直ちに推認し
得るものとはいえないことになる(もっとも,Ⓚが堆肥に埋没した状
態で死亡したのでなく,死亡後に堆肥に完全に埋没した状態で遺棄さ
れたものである事実が動かない以上,死体遺棄事件が存在することに
変わりはなく,かつ,上記遺棄の態様に照らし,他に合理的に想定し
得る動機が見当たらないなら死体遺棄の動機として想定し得るのは犯
跡隠ぺい目的とみるのが合理的であり,その意味でⓀが殺害された可
能性を示唆する程度の推認力は依然として有しているといえる。)。
ウ㋑において,「前記㋐で推認される事実と併せて,
Ⓚは,同日夜,Ⓛ及びⓂによってⓀ方の土間に放置された後,遅くと
も翌朝頃までの間に殺害されたものと推認できる」とされていたもの
は,前記⑶で説示したとおり,その前提となる「Ⓛ及びⓂによってⓀ
方の土間に放置された」事実が前提事実として認定し得なくなること
により,新旧全証拠を総合評価してⓁ及びⓂの各供述の信用性を改め
て検討し,ⓀをⓀ方の土間に放置した旨の供述が信用できるものとい
えない限り,この間接事実の認定は維持し得なくなる。そこで検討す
ると,Ⓛ及びⓂの各供述は,要旨,ⓑの脇に横たわっているⓀを軽ト
ラックで迎えに行き,Ⓚを軽トラックの荷台に放り込み,Ⓚ方まで搬
送し,Ⓚ方でⓀを下ろして最終的に土間に放置し,その前後にⓀ方牛
小屋でエサをやる作業等をしたという限度では相互に合致しているも
のの,Ⓚ方に到着した後,Ⓚを土間に放置するまでの軽トラックの位
置関係,Ⓚの様子,とりわけⓀが歩いてⓀ方に入ったのか自ら歩くこ
とができずⓁらに担ぎ込まれたのかという点,Ⓚ方牛小屋に立ち入っ
た点を含めⓀ方で実施した作業の前後関係等に看過し難い食い違いが
みられる。旧証拠関係のみによる場合,前記事実経過の限度では相互
に合致しており,結局ⓀをⓀ方土間に放置したという核心部分の事実
に変わりはなく,上記の食い違いは核心部分に影響を及ぼさない細部
の食い違いにすぎないと評価されることになるが,前記のとおり,Ⓐ
鑑定がその立証命題に関連する旧証拠に及ぼす影響により,Ⓚは,午
後5時30分頃から午後6時頃までの間にⓑの溝に自転車ごと転落し
たことにより,既に出血性ショックで死亡し,あるいは瀕死の状態に
あった可能性が相当程度に存在することになるから,「ズボンを脱い
で下半身裸で着衣が濡れている状態で寝ていた」という当時のⓀの状
況は,酔いつぶれていたのではなく,出血性ショックにより死亡し,
あるいは瀕死の状態で倒れていたものである現実的可能性があること
を念頭に置いた検討が必要となるところ,前記のとおり,Ⓚ方に到着
した後の出来事,とりわけⓀの様子に関するⓁ及びⓂの各供述は,Ⓚ
が既に出血性ショックにより死亡し,あるいは瀕死の状態で倒れてい
たとすれば,そのような状態のⓀをⓀ方に運び入れた様子としては不
自然,不合理であって,客観的証拠と整合しない可能性が否定できな
いものである。また,前記⑶のとおり,Ⓚの死亡時期についても,そ
の死因が頸部圧迫による窒息死であることを前提に,Ⓛ及びⓂがⓀを
同人方土間に放置して退出した後であると即断することはできないこ
とになる上,前示のとおり,Ⓚが何者かに殺害されたことを直ちに推
認し得るものとはいえないということになると,Ⓕ及びⒼらによるⓀ
の首を絞めて殺害したという供述の裏付けも失われることにもなるか
ら,Ⓛ及びⓂの各供述の信用性は,Ⓚ死亡時に近接した時期に同人に
接触し,その死亡に関与し得る者の供述として,Ⓚの死亡及びその後
の死体遺棄に関与した可能性の有無という観点から改めて検討する必
要がある。このような検討を踏まえると,前記の看過し難い食い違い
がみられる点も,細部における食い違いとはいえず,ⓀをⓀ方土間に
運び入れて放置して退出した事実の有無という核心部分の信用性に疑
義を生じさせるに足りるものと位置付けられることになる。以上に加
えて,第1次再審において新証拠として提出されていたⓁの警察官調
書写し(同審弁護人請求証拠番号92)によれば,ⓁがⓀの遺体が発
見される以前からⓀが堆肥に埋まっていることを知っていたことをう
かがわせる不可解な言動をしていたことが認められ,同審において職
権で施行されたⓁの証人尋問においても上記不可解な言動の趣旨につ
いて合理的な説明がなされているとはいえないことも併せ考慮すると,
Ⓛ及びⓂがⓑの脇に横たわっているⓀを軽トラックで迎えに行き,Ⓚ
を軽トラックの荷台に放り込み,Ⓚ方まで搬送したことはその他の証
拠関係と矛盾することなく認定できるとしても,Ⓚ方に到着した後の
出来事に関するⓁ及びⓂの各供述部分は俄かに措信し難いものといわ
なければならない。そうすると,Ⓛ及びⓂの各供述によって,本件当
夜,Ⓛ及びⓂが生きているⓀをⓀ方土間に放置して退出したという事
実をそのまま認定することはできず,新旧全証拠を通覧しても,他に

で推認される事実は,「前記㋐で推認される事実と併せて,Ⓚは,同
日夜,Ⓛ及びⓂによってⓀ方に運ばれた後,遅くとも翌朝頃までの間
に何者かによってⓀ方堆肥置き場に運ばれ,堆肥に埋没させられたも
のであり,遅くとも堆肥に埋没させられるまでの間には死亡していた
ものと推認できる」という程度にとどまることとなる。
エ㋒において,「Ⓚが,ビニールカーペットの敷か
れた同人方中六畳間において,脱糞及び失禁をした後,何者かが同ビ
ニールカーペットに付着した糞尿を拭き取った上,同ビニールカーペ
ットを屋外に搬出し,これと前後して障子戸の桟や隣室にも糞便が付
着したものと推認され,Ⓚの生命身体に対する何らかの異常事態が発
生し,その前後に他人の行為が介在していることが推認される」とし
ていた部分は,その間接事実自体は動かないものの,同間接事実はそ
れ自体としてⓀの生命身体に対して発生した異常事態の時期や経緯を
具体的に推認し得るものではなく,同㋑で推認される前後の事実経過
と併せて初めて,「Ⓚは,同月12日夜,Ⓛ及びⓂによってⓀ方に運
ばれた後,これと隣接する中六畳間において,脱糞及び失禁を伴う態
様で死亡するに至り,その後,何者かによってⓀ方牛小屋の堆肥置き
場まで運ばれて,堆肥に埋没させられたもの」と推認し得るものであ
る。そうすると,せいぜい,仮にⒻ及びⒼが供述するとおり中六畳間
においてⓀを絞殺したという出来事があったとするならば現場の状況
は矛盾しない(請求人,Ⓕ及びⒼが犯人であるとしても矛盾のない証
拠関係である)という程度にとどまるものとなる。
㋓において,「本件当夜Ⓚ方敷地内に立ち入る可能性のあ
る来訪者が証拠上想定されないことと前記㋒で推認される事実と併せ
て,Ⓚを殺害して堆肥に埋没させた犯人は,Ⓚ方の居宅及び牛小屋の
状況を熟知し,道具を持ち込むことも容易なⒻ方及びⒼ方の居住者で
ある可能性が高い」とした点については,ⓀがⓁ及びⓂによってⓀ方
土間に放置されたという事実及びⓀが何者かに窒息死させられたとい
う事実が認められなくなる結果,Ⓚ方の来訪者をそれ以降の時点に限
定すべき根拠も,その来訪者がⓀを殺害したという根拠もなくなる上,
少なくとも,証拠上,無関係な第三者とはいえなくなったⓁ及びⓂが,
現に夜間Ⓚ方に来訪し,ⓁがⓀ方牛小屋に立ち入って作業を行った事
実を容易に認定できることに照らすと,Ⓕ方及びⒼ方の居住者以外の
者が,何らかの理由で死亡したⓀの遺体を堆肥に埋没させることが容
易でないとはいい切れないことになるから,その犯人像につき,Ⓕ方
及びⒼ方の居住者に限定すべき合理的根拠も存しないこととなる。な
お,前記イで説示したとおり,本件では,Ⓚの遺体が何者かによって
Ⓚ方牛小屋堆肥置き場の堆肥中に埋没させられて遺棄されたことは証
拠上明らかであるところ,その動機としては,犯跡隠ぺい目的と見る
のが合理的であり,その意味でⓀが殺害された可能性を示唆するもの
とはいえても,だからといって,この事実のみから,死体を遺棄した
者が殺意を持ってⓀを殺害したと推認することはできないし,その犯
人がⒻ方及びⒼ方の居住者に限られるということもできない。
㋔において,「請求人は,日頃からⓀのことを快く思って
おらず,本件当夜も,ⓀがⓁらに迷惑をかけたことを謝ったりした後,
前後不覚の状態で土間に放置されていたⓀの様子を確認していること,
請求人,Ⓕ及びⒼにはⓀを殺害する動機があると推認できること,Ⓚ
を殺害する動機を有する者の中で,本件当夜,Ⓚが殺害される前に,
Ⓚが前後不覚の状態で土間に放置されていることを知っていた者は請
求人であり,前記㋓のとおり,Ⓚ方に侵入してⓀを殺害し,牛小屋堆
肥置き場まで遺体を運搬して堆肥に埋没させることを,Ⓕ方及びⒼ方
の居住者に気付かれずに行うことは容易でなく,現実的な可能性とし
て犯人として想定できるのは,請求人の他にⒻ及びⒼらⒻ方及びⒼ方
の居住者しかいないことを併せ考えると,本件の犯人に請求人,Ⓕ及
びⒼのうちのいずれかが含まれている可能性は高く,とりわけ請求人
が関与していないとは考え難い」とした点については,請求人,Ⓕ及
びⒼにⓀを殺害する動機があると推認できることに変わりはないもの
の,そもそも泥酔したⓀがⓁ及びⓂによってⓀ方土間に放置されたと
いう事実に疑問が残る以上,請求人がその事実を認識していたと認め
るに足りる合理的根拠も存しないこととなり,Ⓚは転落事故に伴い出
血性ショックにより死亡した可能性が高いとされていることとも併せ
考慮すると,Ⓚが何者かに殺害されたという前提で,その犯人像を想
定することはできないから,現場付近の状況を根拠として,請求人,
Ⓕ及びⒼがⓀを殺害した犯人とみるのはその前提を欠くものであって,
合理的な根拠がないといわざるを得ず,そうである以上,請求人,Ⓕ
及びⒼがⓀの遺体を運搬して堆肥に埋没させる動機も見当たらないこ
とになり,上記3名にⒽを加えた4名が死体遺棄の犯人であるとみる
のもまた,相当困難ということになる。
このような客観的状況を踏まえて,信用性に争いのあるⒻ,Ⓖ,Ⓗ
及びⒹの各証言並びにⒻ及びⒼの検察官調書謄本における供述をみる
と,請求人が,Ⓚが前後不覚の状態であることをⒼ及びⒻに告げ,そ
の後,請求人,Ⓖ及びⒻが共にⓀ方に行き,土間に放置されていたⓀ
にこもごも暴行を加え,その後,Ⓚ方中六畳間において,請求人がⒻ
にタオルを渡して,Ⓚの足を押さえ,ⒼがⓀに馬乗りになり,Ⓚの手
を押さえた状態で,ⒻがタオルでⓀの首を力一杯絞め続けて殺害し,
その後,ⒼがいったんⒼ方に戻り,Ⓗに加勢を頼み,Ⓕ,Ⓖ及びⒽが,
請求人の照らす懐中電灯の灯りを頼りに,Ⓚ方牛小屋堆肥置き場まで
Ⓚの遺体を運び,ホーク及びスコップを使ってⓀを堆肥に埋没させた
という点で,Ⓕ及びⒼの各証言及び検察官調書謄本における供述は大
筋において合致しており,Ⓖから加勢を頼まれた以降の経過について
はⒽの証言も同様に大筋において合致しており,Ⓓの証言もこれと矛
盾するところはないものの,上記各供述に現れた事実経過は,前記客
観的状況による推認の裏付けを欠き,せいぜいその供述が真実である
とするならば客観的状況としては矛盾しないというにとどまる。加え
て,土間に放置されていたⓀにこもごも暴行を加えた後,中六畳間で
請求人及びⒼがⓀの手足を押さえた状態でⒻがタオルをⓀの首に巻い
て力一杯絞め続けたという犯行態様を裏付ける客観的証拠(Ⓘ旧鑑定)
の信用性は否定されており,かえって,頸部圧迫による窒息死とみる
のは矛盾するとの客観的証拠(Ⓐ鑑定)が存在するから,このような
供述が大筋において合致しているからといって,直ちに信用できるも
のではない。以上のⒻ,Ⓖ及びⒽの各供述の信用性に関する評価を前
提として,改めて検討すると,これらの各供述は,いずれも,あいま
い,不自然,不合理で,迫真性がなく,核心部分も含めて変遷してい
る箇所もみられるという特徴を有することから,一般的には信用性を
否定する方向に働くものである。確定審においては,その供述が核心
部分において客観的状況に符合し客観的証拠によって裏付けられてい
たから,その限りにおいては各供述を大筋において信用する妨げとな
るものではなかったが,前記のとおり,Ⓐ鑑定がその立証命題に関連
する旧証拠に及ぼす影響により,信用性判断において確定1審判決が
重視した客観的状況による推認力が失われ,客観的証拠(Ⓘ旧鑑定)
の裏付けも失われるばかりか,かえって,客観的証拠(Ⓐ鑑定)と核
心部分において整合しないこととなる結果,前記の特徴を有するⒻ,
Ⓖ及びⒽの各供述を,そのまま信用することはできないものと判断す
るのが合理的である。しかも,Ⓕ,Ⓖ及びⒽはいずれも通常人より知
能が低いとされており,自己の経験を正確に記憶し,その記憶を保持
した上で,自身の言葉で的確にこれを表現する能力にも疑問があるか
ら,前記の信用性判断と併せ考慮すると,各供述の信用性は一層低下
することになる。
以上によれば,Ⓐ鑑定が確定審において取り調べられた場合には,
確定審におけるⒻ,Ⓖ及びⒽの各供述は,前記特徴を有することから
もともと信用性に問題を孕んでいたところ,信用性を基礎付ける客観
的根拠が失われることにより,その信用性には重大な疑義が生じるこ
ととなる。
なお,念のため,確定1審判決の心証形成過程を離れて,新旧全証
拠を通覧して確定1審判決とは異なる観点から各供述の信用性を検討
しても,Ⓕ,Ⓖ及びⒽの各供述の信用性を高める事情は何ら発見でき
ないばかりか,かえって,確定控訴審において,Ⓕは,請求人の関与
のみならずⒻ自身の関与も否定する証言をしていること,第1次再審
において,自身の刑が確定し服役も終えたⒽは,確定1審では請求人
を陥れるため故意に作り話をしたものであり,実際には確定1審で証
言した事実は存在しなかった旨具体的かつ詳細に証言していること,
Ⓓは,請求人がⒼにⓀの殺害を持ち掛け,Ⓖがこれを承諾した事実は
なかった旨証言していること,Ⓖが第1次再審弁護人に対し本件犯行
に関与していない旨述べていた事実を記載した聴取事項反訳書(同審
弁護人請求証拠番号2)が存することが認められ,これらの変遷後の
各供述の存在はいずれも確定1審判決が「証拠の標目」に挙示した変
遷前の各供述の信用性を低下させるものである(なお,これらの第1
次再審までに現れたⒻ,Ⓖ,Ⓗ及びⒹの変遷後の各供述は,新証拠で
あるⒶ鑑定が確定審で提出されていなかった場合には,客観的状況に
照らしてⒻ方及びⒼ方の居住者のいずれかが犯人である可能性が高く,
とりわけ請求人が関与していないとは考え難いという旧証拠関係を前
提とした判断がなされることとなり,Ⓕ,Ⓖ,Ⓗ及びⒹの変遷後の各
供述は,前記客観的状況と矛盾することになるから,各人が何らかの
思惑により真実と異なる供述をしたものとみるほかないということに
なる。そうすると,このような変遷後の供述の存在によって変遷前の
供述の信用性が低下することはない。第1次再審即時抗告審決定にお
いてこれらの各供述について新証拠としての明白性が否定されたのは
このような判断が根底にあったものと解されるが,前記のとおり新証
拠であるⒶ鑑定が提出され,これにより客観的状況の推認力も客観的
証拠による裏付けも失われ,かえって客観的証拠と矛盾するという影
響が旧証拠関係に及ぼされた原審時点における証拠関係においては,
前記各変遷後の供述の信用性は直ちに排斥できず,タオルで力一杯首
を絞め続けてⓀを殺害したという行為に及んだことを否定するⒻ及び
Ⓖの変遷後の各供述はその核心部分において客観的証拠(Ⓐ鑑定)に
沿う内容とも評価できることも併せて検討すると,前記変遷後の各供
述について第1次再審即時抗告審決定において異なる証拠評価がなさ
れたことは当審の前記判断と抵触するものではない。)。
また,第2次再審即時抗告審決定においては,Ⓓの確定1審におけ
る証言が信用でき,同証言がⒻ,Ⓖ及びⒽの各供述の信用性を支える
ものと説示されており,これは当審の前記判断との関係では新旧全証
拠を通覧して確定1審判決とは異なる観点から各供述の信用性を別途
肯定しようとした部分と解する余地もあるので一応検討すると,確定
1審におけるⒹ証言のうち,請求人がⒼに「Ⓚさんをどうにかして殺
したいから加勢しろ。」と言い,Ⓖが「ぶっ殺せば。」と返事をした
という点については,請求人がⒼにⓀの殺害を持ちかけてⒼがこれを
了承したという共謀経過を目撃した状況と評価できるものの,この供
述は,夫であるⒼが殺人の犯人として逮捕された後になって初めて供
述されたという供述経過をたどり,かつ,その内容も請求人がⒼにⓀ
殺害を持ちかけてきたというものであって,一般的には夫であるⒼの
刑事責任を軽減するために請求人を首謀者に仕立て上げる巻込み供述
の危険性を念頭に置いて慎重に検討すべき供述である。前記Ⓓ証言の
うち,本件当夜Ⓖが帰ってきて「Ⓚをうっ殺してきた」と言ったのを
聞いたとする部分,Ⓗが「加勢をした」と言ったのを聞いたとする部
分は,その直後に「(そういう言葉を聞きながらも)いつもふだん使
われている言葉ですから気にしなかったんです。」との証言が続いて
おり,その供述経過に照らして解釈しても,上記証言部分は,Ⓖが日
頃から喧嘩をするときに「うっ殺す」という言葉を使っており,今回
もⒹはそのような意味に理解しておりⒼがⓀを殺害してきたとは思わ
なかった,Ⓗも何かの手伝いをしてきたらしいが何をしてきたのかは
知らなかったという程度の内容と評価すべきものであり,このような
供述について,Ⓓが「夫と実の子が殺人や死体遺棄という重大事案に
関与した旨自認していた」と評価し,「そのような虚偽を述べるとい
うことには強い心理的葛藤があってしかるべきであり,そのような経
過は悔恨と共に深く記憶に残ると考えられるのに,そのような様子は
全くうかがわれない」と評価することは到底できず,前記Ⓓ証言に関
する第2次再審即時抗告審決定の証拠評価には賛同し難いものがある。
もっとも,第2次再審即時抗告審決定は,最終的には「Ⓕ,Ⓖ,Ⓗの
自白があり,それはⒹ供述によって支えられており,客観証拠もこれ
と矛盾していない」との判断を示していることに照らすと,Ⓓ供述の
存在のみを根拠に,供述自体にも問題点が内在するⒻ,Ⓖ及びⒽの各
供述の信用性を肯定する趣旨とは解されず,客観的状況による推認や
客観的証拠による裏付けがあることを前提として判断していることは
明らかであり,客観的状況による推認や客観的証拠による裏付けを欠
くばかりか,核心部分が客観的証拠と整合しないという前提でⒻ,Ⓖ
及びⒽの各供述の信用性を否定した当審の前記判断と抵触するもので
はない。
また,検察官は,当審において,確定1審判決が依拠したⒻ,Ⓖ,
Ⓗ及びⒹの各供述について,その内容の不自然性,不合理性等,供述
自体に内在する問題点を指摘する原決定に対する反論として,原決定
の説示が不合理であることを縷々主張するところ,当審の前記判断と
の関係では,これらの主張は,Ⓕ,Ⓖ,Ⓗ及びⒹの各供述内容につい
てはその信用性を低下させるほどの不自然性,不合理性等の問題点は
存せず,各供述それ自体に一定の信用性が肯定できるから,客観的状
況による推認や客観的証拠の裏付けを欠くばかりか,核心部分が客観
的証拠と矛盾するとしてもなお,各供述が信用でき,確定1審判決の
事実認定に合理的疑いを生じさせることはないとの主張と位置付けら
れるべきものであるところ,当審における検察官の前記主張は,結局
のところ,確定1審判決と同様の立場で,客観的状況に符合し大筋に
おいて各供述が合致することから基本的に信用性が高いという前提に
立ち,供述自体に一見内在するように見える問題点についてはいずれ
も別の見方も可能であり,基本的に信用性が高いとの信用性判断の妨
げとなるものではないというものに帰するものであり,客観的状況に
よる推認や客観的証拠の裏付けを欠くばかりか,核心部分が客観的証
拠と整合しないとしてもなお,各供述を信用して事実認定の基礎とし
得る程度の信用性が供述それ自体に肯定できるとするものとは評価で
きず,当審における検察官の上記主張を踏まえても,当審の前記判断
は揺るがない。
他に,新旧全証拠を通覧して確定1審判決とは異なる観点から各供
述の信用性を別途肯定し得るに足りる事情は見当たらない。
以上の検討により,Ⓐ鑑定が確定審において提出されていた場合,
その立証命題に関連する旧証拠に及ぼす影響により,確定1審判決の
事実認定は維持し得なくなり,新旧全証拠をもってしても確定1審判
決の認定した殺人,死体遺棄の事実を認定するに十分な証拠はないこ
ととなるから,新証拠であるⒶ鑑定は,新旧全証拠との総合判断によ
り,確定1審判決の認定した殺人,死体遺棄の事実認定に合理的疑い
を生じさせるに足りる証拠であると認められ,刑訴法435条6号所
定の「無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠」に該当する。
5小括
よって,Ⓐ鑑定の明白性に関する所論は,一部において正当な指摘
を含むもので,Ⓐ鑑定の明白性を肯定する原決定の理由付けは賛同し
難いものではあるが,Ⓐ鑑定の明白性を肯定した原決定が結論におい
て正当であることは前記のとおりであるから,所論は結局理由がなく,
論旨は理由がないことに帰する。
第3結論
よって,本件即時抗告は理由がないから,刑訴法426条1項後段
により主文のとおり決定する。
平成30年3月12日
福岡高等裁判所宮崎支部
裁判長裁判官根本渉
裁判官渡邉一昭
裁判官諸井明仁

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