弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


戻る

                主    文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
     事実及び理由
第1 請求
1 被告らは、連帯して、甲事件原告らに対し、それぞれ60万円及びこれに
対する被告Fについては平成10年10月6日から支払済みまで、被告有限
会社Gについては平成10年10月9日から支払済みまで、それぞれ年5分
の割合による金員を支払え。
2 被告らは、連帯して、原告Eに対し、それぞれ60万円及びこれに対する
平成13年9月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被告らは、原告らに対し、別紙1記載の謝罪広告を北海道新聞(全道版)
及び朝日新聞(全国版)の各朝刊社会面に、見出しは34ポイント活字、そ
の他の部分は20ポイント活字をもって1回掲載せよ。
4 被告らは、「アイヌ史資料集-第3巻 医療・衛生編」のうち「余市郡余
市町旧土人衛生状態調査復命書」及び「あいぬ医事談」を回収せよ。
5 被告らは、「アイヌ史資料集-第3巻 医療・衛生編」のうち「余市郡余
市町旧土人衛生状態調査復命書」及び「あいぬ医事談」を印刷、頒布又は販
売してはならない。
第2 事案の概要
本件は,被告らが編集、出版、発行した「アイヌ史資料集」中の「余市郡余
市町舊土人衛生状態調査復命書」(以下「復命書」という。)及び「あいぬ醫
事談」(以下「医事談」という。)に、アイヌ民族に対する差別表現や、アイ
ヌ民族個人の実名を伴う医療情報が掲載されているために、アイヌ民族である
原告らが有する民族的少数者としての人格権、原告らの名誉及び名誉感情が侵
害されたなどと主張して、原告らが被告らに対し、不法行為に基づき慰謝料の
支払(遅延損害金の起算日は訴状送達の日の翌日である。)及び謝罪広告の掲
載を請求するとともに、人格権に基づき復命書及び医事談の回収措置及びその
印刷・頒布・販売の差止めを請求する事案である。
1 争いのない事実等
  (1) 当事者
 原告らは、いずれも民族的少数者であるアイヌ民族である。
 被告Fは、アイヌ民族等を研究の対象としてきた者であり、被告有限会
社Gは、図書出版を業とする会社である。
  (2) アイヌ史資料集の編集、出版、発行、流通
ア 被告Fは、昭和55年2月25日、全7巻(補巻1巻)からなる「ア
イヌ史資料集」の1巻として、6分冊からなる「アイヌ史資料集-第3
巻 医療・衛生編」(以下「本件資料集」という。)掲載の資料を編集
し、被告会社はこれを出版、発行した(これら被告らの行為をあわせて
以下「本件行為」という。)。
  本件資料集の中に、復命書および医事談が含まれている(以下復命書
及び医事談を併せて「本件各図書」という。)。
イ 復命書は、大正5年に北海道庁警察部が作成したもので、当時の余市
在住のアイヌ民族153名の実名が羅列され、各人ごとに、その健康状
態、過去の病歴、現在の病名等の医療情報が記載されているほか、別紙
2記載の各記述が存在する。
ウ 医事談は、明治29年に医学博士関場不二彦により著され、同年非売
品として発行されたものであるが、その中には同人により治療されたア
イヌ患者の統計表が掲げられており、300名以上の患者の実名、出身
地、年齢、病名及び治療結果等の医療情報が記載されているとともに、
別紙3記載の各記述が存在する。
エ 医事談179ページには以下の記載がある。
「七月四日 H 平取 四〇 農 下肢護模腫潰瘍   治
仝 K 同上 三五 女 トラホーム、角膜實質炎、瞼縁炎、
禿瘡   未治」
 上記の「H」は、原告Bの祖父であるI(戸籍名J。明治44年2月
14日死亡。以下「H」という。)であり、「K」は原告Bの祖母L
(戸籍名M。明治32年7月11日死亡。以下「K」という。)である
(甲5の1ないし3、原告B本人)。
オ 本件資料集は、被告らの本件行為によって全国各地の大学や図書館、
古書店などに購入、所蔵されて公に閲覧できる状態に置かれている。
2 争点
(1) 本件行為による原告ら全員に対する人格権侵害、名誉毀損及び名誉感
情侵害の成否
(原告らの主張)
ア 本件各図書における民族差別表現
 本件各図書には、アイヌ民族を劣った民族と決めつける記述が随所に
存在し、文章全体が著しいアイヌ民族差別に満ちた内容となっている。
 すなわち、本件各図書は、いずれも別紙2及び3記載のように、アイ
ヌ民族への差別表現が多く記載され、アイヌ民族を、和人に比べ劣った
民族であり、いずれ滅亡する民族としてとらえている。
 また、復命書においては、アイヌ民族には梅毒が蔓延しており、その
ため滅亡すると論じ、医事談においては、アイヌ民族は独立の精神なく
固有の文化のない「人種」であるため滅亡すると論じている。
イ 実名での医療情報の公表
 本件各図書は、アイヌ民族個人の実名等を挙げながら医療情報を公表
しているが、このような手法による医療情報の発表は、アイヌ民族に対
する民族差別にあたる。
 すなわち、本件各図書は、ある特定の地域の住民を調査した結果とし
て、「遺伝梅毒」などの病名等を実名を挙げて羅列し公表しているが、
本来医療情報は秘匿性の高い情報であり、しかも「遺伝梅毒」という病
名は、とりわけ本人やその遺族にとって他人に知られたくないものであ
る。
 また、被告らは、本人や遺族から実名記載についての何の承諾を得る
こともなく本件各図書を出版した。もし同様の調査が現在いずれかの地
域において和人を対象に行われ、その結果が実名のまま公表されるな
ら、プライバシー侵害、名誉毀損等の人権侵害を招来することは明らか
である。
 被告らは、本件各図書を復刻する形を取りながら、アイヌ民族をあた
かも標本や研究対象のように扱い、前述したような人権侵害を行ってい
るものであり、その民族差別性は歴然としている。そして、たとえば公
表に際して適切な注釈をつけ、実名部分を匿名にする、あるいは公の流
通過程で販売せず内部資料としてのみ保管するなどという一切の措置を
講じず、様々な批判、抗議や勧告を受けてきたにもかかわらず、一切改
善策を講じぬまま現在に至っている。
ウ 原告らの民族的少数者としての人格権の侵害
 憲法13条、14条は、個人が特定の民族的少数者として自己を実現
していく権利、さらにまたその権利実現の過程で国家その他の第三者か
らの不合理な差別を受けない権利を保障している。
 また、国際人権規約26条は法の前の平等を規定し、「あらゆる差別
を禁止し及び人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見・・・など
のいかなる理由による差別に対しても平等のかつ効果的な保護をすべて
のものに保障する」旨を明言し、同規約27条は、特に「種族的、宗教
的又は言語的民族的少数者が存在する国において、当該民族的少数者に
属する者は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を共有し、自己
の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されな
い」として、民族的少数者ゆえの固有の権利を積極的に保障している。
 さらに、あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約(以下「人
種差別撤廃条約」という。)1条1項は、人種差別を「人種、皮膚の
色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づく」差別と規定し、同条
約2条1項(d)は、いかなる個人、集団、又は団体による人種差別をも
禁止し、同条約6条は、締結国に、人種差別行為に対し裁判所などによ
る効果的な保護と救済を確保し、差別の結果として被った損害について
適切な賠償を裁判所に求める権利を確保する義務を課している。そし
て、国際人権規約及び人種差別撤廃条約における上記の各規定は、国内
的効力を有し、かつ私人間にも適用される。
 上記の諸規定は、アイヌ民族に属する原告らが、様々な政治的・経済
的・社会的・文化的差別を受け固有文化を否定されてきた歴史を踏ま
え、固有の文化を共有し差別を受けずに生きていく権利を具体的に定め
ており、これら権利は原告らの人格権の中核となる。
 以上のとおり、原告らは、アイヌ民族として差別されないという民族
的少数者としての人格権を、それぞれ個人として有しており、これが本
件行為によって侵害された。
エ 原告らの名誉及び名誉感情の侵害
  本件各図書には、いずれも別紙2及び3記載のように、アイヌ民族へ
の差別表現が多く記載されており、これによって「アイヌ民族は不潔で
ある」、「アイヌ民族には遺伝梅毒が蔓延している」、「アイヌ民族は
滅びゆく民族である」などといった、アイヌ民族一般に対する否定的評
価が流布され、アイヌ民族である原告らの民族としての尊厳が公然と傷
つけられた。
  民族的少数者である原告らにとって、自身がアイヌ民族であるという
ことは、他者から自身を区別し際だたせる社会的地位として機能してお
り、原告らの有する社会的評価において、アイヌ民族に属するというこ
とが本質的な重要性を有していることに鑑みれば、本件行為によって原
告ら個人が有する社会的名誉が毀損されたといえる。
  また、原告らは、物心ついたころからアイヌ民族として生きてきたも
のであり、本件各図書により民族としての誇りを著しく傷つけられ、辱
められているとの感情を抱いており、本件行為によって原告らの名誉感
情も侵害されたといえる。
(被告らの主張)
ア 本件各図書は、アイヌ民族を差別し、アイヌ民族に対する偏見を助長
しようとするものではない。原著者らの立場は、アイヌの人たちに病気
が広がっていた事実が現に存在していること、そのための対策、保護策
を立てる必要性があることを訴えようとするものである。
  被告らが本件各図書を編集、出版した目的は、ウタリ協会札幌支部の
集まりの中から出てきた要望に応じて、近代史のまとまった基礎的資料
を得るということにあり、アイヌ史の資料がかなり限られているという
事情があること、また今日から見ると問題視されるものであってもそこ
から歴史が紐解かれることもあることから、できるだけ広範な資料を集
めて、過去の歴史的事実をそのままに復刻したものである。このこと
は、学問の自由によって保障されている。被告らは、いわゆる和人を中
心としたアイヌ史を見直すことを目的としているものであり、アイヌ民
族に対する偏見、差別を助長し正当化し、アイヌ民族を標本扱いし、本
件各図書に登場しない原告らの名誉やプライバシーを侵害しようとする
目的も意思も全く有していなかった。
イ 本件各図書は、平成元年までに発行した600部全てを販売済みであ
り、その後被告らが本件各図書を販売、流通させているという事実はな
い。
ウ 国際人権規約によって、アイヌが民族的少数者として自己の文化を享
有し、自己の宗教を信仰・実践し、自己の言語を使用する権利を保障さ
れていることから、直ちに「アイヌ民族としての人格権」が通常の人格
権概念と異なる存在として認められるとは考えられない。
エ 原告らは、いずれも本件各図書に登場する人物ではない上、現在から
80年ないし100年前の記述が、現在のアイヌの人たちに対する否定
的評価に結びつくものではないから、本件行為によって原告らの名誉が
侵害されたとは考えられない。
(2) 本件行為による原告Bに対するプライバシー侵害、名誉毀損及び敬愛
追慕の情の侵害の成否
(原告Bの主張)
ア プライバシー侵害及び名誉毀損
 1(2)エ記載のとおり、医事談はKが角膜実質炎に罹患していたとい
う医療情報を開示しているが、医事談は角膜実質炎が先天性梅毒による
ものである可能性が高いことを示唆していること、医事談において「先
天性」という語は「遺伝性」と同義で使用されていることからすれば、
Kが角膜実質炎であったとの記載は、必然的に原告Bが遺伝的な梅毒で
あるとの疑いを生ぜしめるものであり、本件行為は、原告Bのプライバ
シーを侵害するとともに、一般に不名誉な病名を公表するものとして、
原告Bの名誉を毀損する。
イ 祖父母に対する敬愛追慕の情の侵害
 2(2)ア記載の通り、Kに関する1(2)エの記載は、同人が先天性梅
毒であったかのような記載であり、その名誉を毀損する。また、Hに関
する1(2)エの記載は、医事談が護模腫潰瘍につき梅毒による症状であ
ると説明していることと併せ読めば、読者にはHも梅毒であると受け止
められることから、これも同人の名誉を毀損する。
 原告Bは、先祖を重んずるアイヌ民族の伝統の中で育ち、幼少の頃か
らH、Kの名を声に出して供養し、両名の面影や生き方を写真等で垣間
見ながらアイヌ民族として生きてきたものであり、H、K両名と原告B
とは強い絆で結ばれている。
 したがって、本件行為により、原告Bは、その祖父母であるH、Kに
対する敬愛追慕の情を著しく侵害されている。
(被告らの主張)
ア 本件各図書に登場しない原告Bのプライバシーや名誉が本件行為によ
り侵害されたとは考えられない。
イ Hは明治44年2月14日、Kは明治32年7月11日にそれぞれ死
亡しており、原告Bはその後20年以上を経た昭和5年11月15日に
出生しているのであるから、原告BにH、K両人に対する敬愛追慕の情
があったとはいえない。
(3) 原告らの受けた損害とその回復手段
(原告らの主張)
ア 原告らの民族的少数者としての人格権、名誉を侵害された精神的苦痛
に対する慰謝料として、原告1人あたり60万円が認められるべきであ
る。
イ また、原告らの人格権、名誉の毀損は、金銭的補償のみで回復し得な
いものであるから、謝罪広告が不可欠である。
ウ さらに、被告らは、現在に至るまで約20年にわたり本件各図書を継
続的に公表し続けており、今後原告らがさらに人格権、名誉の毀損とい
う損害を被ることが明白であるから、原告らの人格権、名誉に基づき、
被告らに対する本件各図書の回収、廃棄と今後の出版、販売の差止め請
求が認められるべきである。
(4) 消滅時効
(被告らの主張)
  本件各図書は昭和55年に刊行されたものであるから、不法行為に基
づく損害賠償請求権は民法724条により時効消滅している。
(原告らの主張)
ア 被告らが消滅時効を援用したのは、本訴訟提起から2年近くを経た後
であり、時機に後れた主張である。
イ 消滅時効の不適用
  本件各図書が流通に置かれている限り、その内容は多数の読者の目に
触れうるのであるから、本件各図書の出版行為による侵害は反復継続的
に生じているのであって、一回の行為により一回の権利侵害を受ける場
合を想定している消滅時効制度は本件においては立脚の根拠を欠く。
  また、本件においては、損害賠償に代わる原状回復請求として謝罪広
告を求めているところ、民法724条が規定するのは損害賠償請求権の
消滅時効であるから、少なくとも原状回復請求である謝罪広告の請求権
に関して民法724条は適用がない。
ウ 起算点について
  被告らが消滅時効の起算点として主張する昭和55年は、本件各図書
の刊行年に過ぎず、被告らは本件各図書の販売実態を明らかにして起算
点を示すべきであるのに、何ら資料を提示しない。こうした事情に鑑み
れば、消滅時効の起算点について十分な審理を経たとは言い難い。ま
た、原告らのうち、A、C、Dが本件各図書の記載を認識し、損害およ
び加害者を知ったのは、本訴訟提起を準備する時期であり、また原告B
及びEについても、本件各図書につき本件で問題としている記載のすべ
てを知ったのは、本訴訟提起を準備する時期である。
エ 権利濫用
  原告らはアイヌ民族に対する差別と偏見の中、本件各図書による権利
侵害に対してその回復を求めることが困難な状況にあり、志を同じくす
る集団を形成することが必要であった。また、原告らは平成2年に被告
Fに対する質問状送付と交渉要請を行ったほか、札幌弁護士会および札
幌法務局に対する人権救済申立などの手段により可能な限り権利回復に
努めてきたのであって、決して権利の上に眠っていたわけではない。そ
して、ウのとおり、被告らは自ら資料を提出することにより容易に消滅
時効の起算点を明らかにできるにも関わらずこれをしない。こうした事
情のもとでは、被告らによる消滅時効の援用は権利の濫用として許され
ない。
第3 当裁判所の判断
1 争点(1)(本件行為による原告ら全員に対する人格権侵害、名誉毀損及び
名誉感情侵害の成否)について
(1) 民族的少数者としての人格権について
 原告らは民族的少数者としての人格権が侵害されたとして、不法行為に
基づく損害賠償請求、謝罪広告掲載請求、人格権に基づく差止請求をして
いるので、まず、この点について検討する。
 原告らは、①憲法13条及び14条、②国際人権規約26条及び27
条、③人種差別撤廃条約1条1項、2条1項(d)及び6条を根拠として、
原告らにはアイヌ民族として差別されないという民族的少数者としての人
格権が認められるから、アイヌ民族に対する差別表現や、アイヌ民族の実
名を伴う医療情報を記載している本件各図書を編集、出版、発行し流通さ
せた被告らの行為によって、原告ら各個人の人格権が侵害されたと主張す
る。また、原告らは、自己が民族的少数者であるアイヌ民族に属するとい
うことが人格の中核であり、アイヌ民族又はアイヌ民族に属する特定の個
人(原告ら以外の者)に対する権利の侵害は、アイヌ民族に属する原告ら
個人の民族的少数者としての人格権をも侵害すると主張する。
 しかし、上記①ないし③の規定が人種差別の禁止をうたい、民族的少数
者に民族固有の文化を共有する権利を保障し、あるいは国に人種差別行為
による損害回復のための積極的な施策をとる義務を課しているからといっ
て、これらの規定が、直接に、民族的少数者である個人に損害賠償請求権
や差止請求権を付与していると解することはできない。
 また、原告らが主張する民族的少数者としての人格権の侵害は、アイヌ
民族全体又はアイヌ民族に属する特定の個人が権利侵害を受け、このこと
によって原告らの人格権が侵害され精神的苦痛を受けたというものである
から、原告らにとっては、間接的な被害にすぎないというべきである。本
件各図書に関する具体的な事実をみても、本件各図書のうち、復命書が作
成されたのが大正5年であり、医事談が作成されたのが明治29年である
から、本件各図書が記述の対象とするアイヌ民族は、明治29年ないし大
正5年当時のアイヌ民族を指すことは明らかであり、本件各図書に実名を
掲げられたアイヌ民族の中に原告らは含まれていないことも明らかであ
る。本件各図書の編集、出版、発行によって、作成当時のみならず現在に
至るまでのアイヌ民族全体に対する差別表現がされたとみる余地があると
しても、その対象は、原告ら個人でなく、アイヌ民族全体である。このよ
うに本件行為が権利侵害行為であったとしても、その直接の被害者は、原
告らではなく、アイヌ民族全体及び本件各図書に実名とともに医療情報を
記載された者たちである。原告らは、これらの直接の被害者に対する権利
侵害があったことによって、人格権の侵害を受けたというものであって、
民族的少数者としての人格権の侵害は間接的被害にすぎない(原告Bにつ
いては、医事談に祖父母の実名が記載されているが、この点は後に検討す
る。)。
 ところで、現行法の枠組みにおいては、不法行為による精神的損害に関
しては、当該不法行為による直接の被害者のみが損害賠償請求等の請求を
することができるのが原則であり、直接の被害者以外の者が、当該不法行
為によって精神的苦痛を被ったとしても、原則として法的保護の対象とな
るものではない。直接の被害者以外の者が保護の対象となるのは、当該不
法行為による損害が社会通念上重大であり、かつ、直接の被害者との間
に、社会通念上親子関係及び夫婦関係と同視できるほど密接な精神的つな
がりがある場合に限られると解するのが相当である。このことは、民法7
11条が、生命侵害に関して被害者の父母、配偶者及び子に限定して慰謝
料請求権を認めていることにもあらわれている。
 本件行為により直接に侵害を受けた者と原告らとの間には、原告らがア
イヌ民族に属するという以外には、何らのつながりを認めることができな
い。アイヌ民族における同胞間のつながりが他民族に比べ強く、かつ、ア
イヌ民族が民族的少数者であることを考慮しても、社会通念上親子及び夫
婦間における精神的つながりと同視できるものとは認められない。そうす
ると、原告らが主張する民族的少数者としての人格権は、不法行為に基づ
く損害賠償請求等による法的救済の対象とはならないといわざるを得な
い。
 また、人格権に基づく侵害行為の差止請求についても、不法行為と同様
に、直接に侵害行為を受けた者だけが差止請求をすることができるのが原
則であるというべきであるから、原告らが主張する民族的少数者としての
人格権は、人格権に基づく差止請求においても法的保護の対象とはならな
い。
 以上のとおり、民族的少数者としての人格権の侵害を根拠とする損害賠
償請求及び差止請求は、いずれも認めることができない。
(2) 名誉毀損について
 次に名誉毀損(社会的名誉の侵害)について検討する。名誉毀損による
不法行為が認められるかどうかは、当該行為によって、社会的評価が低下
するかどうかによって判断されなければならない。
 前記のとおり、本件各図書に実名を掲げられたアイヌ民族の中に原告ら
は含まれず、本件各図書には、原告ら個人に関する事実、評価、意見が記
述されてはいないから、本件各図書の記述によって、直接、原告らの社会
的評価が低下することは、およそ考えられない。
 また、本件各図書に、作成当時のアイヌ民族全体に対する差別的内容が
記述され、あるいは、作成当時のアイヌ民族に属する特定の個人に対する
差別的内容が記述されているとしても、この記述は、本件各図書の作成者
が、明治29年ないし大正5年当時、アイヌ民族に対する意見を述べた
り、その当時のアイヌ民族全体及びアイヌ民族に属する特定の個人に関す
る事実を述べたものである。本件各図書の読者の受け止め方によっては、
現在に至るまでのアイヌ民族全体に対する差別表現がされたとみる余地が
あるとしても、現在のアイヌ民族に対する差別表現が具体的に行われてい
るのではない。そうだとすると、本件各図書の記述が、現在のアイヌ民族
に対する一般的な評価に結びつき、その社会的評価を低下させ、さらに、
現在、アイヌ民族に属する原告ら個人の社会的評価を低下させるとは、考
えられない。
 以上のとおり、本件各図書あるいは本件行為によって、原告らの社会的
評価が低下したとは認められないから、名誉毀損による不法行為を認める
ことはできない。
(3) 名誉感情の侵害について
 名誉感情とは、個人の人格的価値の評価、感情であるから、その侵害が
あったかどうかは、個人の持つ心情や意識によって異なり、個人の受け止
め方によって左右される。したがって、主観的に名誉感情を侵害されたと
いうだけで不法行為による保護を与えることは相当でない。名誉感情侵害
による不法行為が認められるためには、当該行為が、社会通念上許される
限度を超え、一般的に他者の名誉感情を侵害するに足りると認められる場
合でなければならない。その判断に当たっては、侵害されたと主張する者
の主観的な事情だけではなく、行為者がした表示の内容、表現、態様等の
具体的事情、侵害されたと主張する者の客観的な事情も総合して検討され
るべきである。
 これを本件についてみると、前記のとおり、本件各図書の記述は原告ら
個人に向けられたものではなく、現在のアイヌ民族について言及したもの
でもない。原告らの精神的損害は、明治29年ないし大正5年当時のアイ
ヌ民族及び当時のアイヌ民族に属する個人に対する差別的表現がされ、そ
のことによって原告らの名誉感情が侵害されたというものであって、間接
的な被害ということができる。このような精神的損害が法的保護の対象と
なる名誉感情の侵害に当たるかどうかは甚だ疑問である。
 加えて、本件行為による本件各図書の出版は、その記載からも明らかな
とおり、本件各図書がその歴史に関する資料という側面を有することも否
定できない。約600部が市場に流通し、一般的に閲覧できる状態にある
ことも指摘できるが、本件各図書が研究者に対して資料を供することを目
的として作製されていることからすれば、これを閲覧する者も、そうした
歴史学的な資料として本件各図書が取り扱われると一般に想定される。本
件各図書は、当時のアイヌ民族が遺伝性の梅毒に罹患している者が多いこ
とを指摘しているところ、そのことは、現在もそのような状況にあるので
はないかという疑いを持たれる可能性を全く否定できなくはないが、80
年ないし100年経過した今日でもそのような疑いが持たれる可能性があ
るとは断定できない。
 以上を総合すると、原告らは自己がアイヌ民族に属しているということ
が人格の中核であり、このことは原告らの名誉感情侵害を判断するに際し
て重要な要素であることを考慮しても、本件行為によって原告らの名誉感
情が侵害され不法行為法による保護の対象となるとは認めがたい。
 なお、名誉感情は人格権に含まれるものであるから、名誉感情の侵害に
対しても、人格権に基づく差止請求が認められる場合がありうる。しか
し、この場合でも、侵害行為は、社会通念上許される限度を超え一般的に
名誉感情を害すると認めるに足りる場合でなければならない。本件行為に
よっては、法的保護の対象となる名誉感情の侵害があったとは認められな
いから、差止請求も認めることができない。
2 争点(2)(本件行為による原告Bに対するプライバシー侵害、名誉毀損及
び敬愛追慕の情の侵害の成否)について 
(1) 名誉毀損及びプライバシー侵害
 争いのない事実のとおり、医事談では、Kがトラホーム、角膜実質炎、
瞼縁炎、禿瘡であるとの記載があるが、梅毒である旨の記載はされていな
い(甲3)。そして、医事談には、①「先天性梅毒が角膜實質炎を將來し
永く薄翳を遺殘せる者は少なしとなさず」と記載されている(122ペー
ジ)こと、②眼科諸病につき項目を設け、「眼科諸病中一般に傳播したる
は顆粒性結膜炎なりとす、醫人が毎常遭遇するは其慢性なる者と、其結果
として來る角膜實質炎、角膜翳、角膜潰瘍、睫毛亂生、瞼縁炎、内外翻、
涙管狹窄等なり盖し「アイヌ」生活が衞生上不潔なると三冬間は爐上榾柮
炭烟中に生活する等とに由り勢猖獗を極め蔓延甚だしき者の如し」と記載
されている(135ページ)ことが、それぞれ認められる(甲3)。
 ①の記載は、梅毒に由来する角膜実質炎に罹患している者が少なからず
存在することを示唆するとはいえ、通常の文言解釈による限り、角膜実質
炎に罹患している者全員が遺伝的な梅毒であるという意味に解釈すること
はできない。他方、②の記載によれば、医事談は、角膜実質炎に罹患して
いる者の多くは、生活衛生状態と冬期の生活形態に起因する顆粒性結膜炎
の結果として罹患したものであるという見解を示しているということがで
きる。
 そうすると、医事談にKが遺伝的な梅毒であると疑わせる記述があると
は断定しがたい。したがって、その直系卑属にも同様の疾病があると疑わ
せるものであるとは認められない。
 これに加えて、医事談に原告Bの名はあらわれない(甲3)うえ、Kが
原告Bの尊属であることが公知であると認めるに足る証拠もないことをも
考慮すれば、医事談に原告Bが遺伝的な梅毒に罹患しているという印象を
一般の読者に与えるような記載があるということはできず、これにより原
告B自身の名誉やプライバシーが侵害されたとは認められない。また、原
告Bの名誉感情についても上記と同様に認められない。
(2) 祖父母に対する敬愛追慕の情の侵害
 死者に対する人格権侵害行為が、その遺族の死者を敬愛追慕する情をも
損ねることは十分想定される。しかし、死者に対する人格権侵害行為によ
る直接の被害者は当該死者であって、さらにその遺族の敬愛追慕の情が侵
害されることまで保護に値するのか、いかなる場合に不法行為法上の保護
の対象となりうるのかについては、第3の1(1)と同様、当該不法行為に
よる損害が社会通念上重大であり、かつ、直接の被害者との間に、社会通
念上親子関係及び夫婦関係と同視できるほど密接な精神的つながりがある
と認められる場合に限って、例外的に保護の対象になりうるというべきで
ある。
 本件についてみると、Hは明治44年2月14日、Kは明治32年7月
11日にそれぞれ死亡しており、原告Bはその後約20年以上を経た昭和
5年11月15日に出生していることが認められ(甲5の2)、原告Bが
H及びKと生活を共にした経験がないことは明らかであるから、社会通念
上、親子間及び夫婦間同様の密接な精神的つながりがあると認められる関
係にはないといわざるを得ない。
 確かに、原告Bが、幼少時に日常的に行われていた儀式の中で自ら先祖
供養のためH及びKの名前を言って供養した経験を有し、Kから受け継い
だ首飾りや耳環を現在も所持していること(原告B本人)、父からH、K
両名とも大変な働き者だったことなど、両名の生き様を伝え聞いていたこ
と(甲116)が認められるところではあるが、以上の事実から窺われる
原告BのH及びKに対する敬愛追慕の情は、上記のような密接なつながり
ではなく、いわば祖先への崇拝の感情とでもいうべきものであって、生活
を共にした親子間あるいは夫婦間における肉親の情とは異なるものという
ほかない。
そうすると、原告BのH及びKに対する敬愛追慕の情も、損害賠償等に
よる法的救済の対象とはならないといわざるを得ない。
3 結論
 以上の次第であるから、その余の点につき判断するまでもなく、原告らの
本訴請求はいずれも理由がないので、主文のとおり判決する。
札幌地方裁判所民事第3部
    裁判長裁判官  中 西   茂
    裁判官  川 口 泰 司
    裁判官  別 所 卓 郎
(別紙省略)

戻る



採用情報


弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
[email protected]
採用担当宛