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平成22年5月25日判決言渡同日原本領収裁判所書記官
平成18年(行ウ)第51号,第52号,第53号,平成19年(行ウ)第37号
原爆症認定申請却下処分取消等請求事件
口頭弁論終結日平成21年12月22日
判決
主文
1処分行政庁が平成16年7月21日付けで原告甲に対してし
た原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項に基づ
く認定申請の却下処分を取り消す。
2本件訴えのうち,処分行政庁が,原告乙に対して平成18年
1月11日付けでした原子爆弾被爆者に対する援護に関する法
律11条1項の認定申請に対する却下処分の取消しを求める部
分及び原告丙に対して平成19年3月30日付けでした原子爆
弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の認定申請に対
する却下処分の取消しを求める部分をいずれも却下する。
3原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
4訴訟費用は,別紙「費用負担一覧」のとおりの負担とする。
事実及び理由
第1請求
1平成18年(行ウ)第51号
(1)処分行政庁が平成17年11月17日付けで原告丁に対してした原子
爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「援護法」という。)11条1
項に基づく認定申請の却下処分を取り消す。
(2)被告は,原告丁に対し,300万円及びこれに対する平成18年9月
19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2平成18年(行ウ)第52号
(1)処分行政庁が平成18年1月11日付けで原告乙に対してした援護法
11条1項に基づく認定申請の却下処分を取り消す。
(2)被告は,原告乙に対し,300万円及びこれに対する平成18年9月
19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3平成18年(行ウ)第53号
(1)処分行政庁が平成16年7月21日付けで原告甲に対してした援護法
11条1項に基づく認定申請の却下処分を取り消す。
(2)被告は,原告甲に対し,300万円及びこれに対する平成18年9月
19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4平成19年(行ウ)第37号
(1)処分行政庁が平成19年9月30日付けで原告丙に対してした援護法
11条1項に基づく認定申請の却下処分を取り消す。
(2)被告は,原告丙に対し,300万円及びこれに対する平成19年10
月4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
本件は,援護法1条所定の被爆者である原告らが,援護法11条1項に基づき,
それぞれ疾病が原子爆弾(以下「原爆」という。)の傷害作用に起因する旨の認
定を申請したのに対し,処分行政庁がこれらを却下したため,各却下処分(以下
「本件各処分」という。)の取消しを求めるとともに,被告に対し,国家賠償法
1条1項に基づき,それぞれ慰謝料200万円及び弁護士費用100万円の損害
賠償金並びにこれらに対する遅延損害金の支払を求める事案である。
なお,単位について,別紙「単位記号」のとおりの単位記号を用いる。
1関係法令等
(1)援護法は,平成6年に原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(昭和3
2年法律第41号)及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(昭
和43年法律第53号)を統合する形で制定され,その前文において,次の
とおり述べる。
「昭和20年8月,広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のな
い破壊兵器は,幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず,たとい一命
をとりとめた被爆者にも,生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し,
不安の中での生活をもたらした。
このような原子爆弾の放射能に起因する健康被害に苦しむ被爆者の健康の
保持及び増進並びに福祉を図るため,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律
及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律を制定し,医療の給付,
医療特別手当等の支給をはじめとする各般の施策を講じてきた。また,我ら
は,再びこのような惨禍が繰り返されることがないようにとの固い決意の下,
世界唯一の原子爆弾の被爆国として,核兵器の究極的廃絶と世界の恒久平和
の確立を全世界に訴え続けてきた。
ここに,被爆後50年のときを迎えるに当たり,我らは,核兵器の究極的
廃絶に向けての決意を新たにし,原子爆弾の惨禍が繰り返されることのない
よう,恒久の平和を念願するとともに,国の責任において,原子爆弾の投下
の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特
殊の被害であることにかんがみ,高齢化の進行している被爆者に対する保健,
医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ,あわせて,国として原子爆
弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため,この法律を制定する。」
(2)援護法における被爆者とは,次のいずれかに該当する者であって,被
爆者健康手帳の交付を受けたものをいう(同法1条)。
ア原爆が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令(原
子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行令(平成7年政令第26号。
以下「援護法施行令」という。)1条1項)で定めるこれらに隣接する区
域内に在った者(いわゆる直接被爆者)
イ原爆が投下された時から起算して政令(援護法施行令1条2項)で定め
る期間内(広島市に投下された原爆については昭和20年8月20日まで,
長崎市に投下された原爆については同月23日まで)に上記アに規定する
区域のうちで政令(同条3項)で定める区域内(おおむね爆心地から2㎞
以内の区域)に在った者(いわゆる入市被爆者)
ウ上記ア及びイに掲げる者のほか,原爆が投下された際又はその後におい
て,身体に原爆の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者(いわ
ゆる救護被爆者)
エ上記ア~ウに掲げる者が当該各事由に該当した当時その者の胎児であっ
た者(いわゆる胎児被爆者)
(3)援護法は,被爆者一般に対する健康管理(7~9条)及び一般疾病医
療費の支給(18条),都道府県知事の認定を受けた一定の被爆者に対する
健康管理手当(27条)及び保健手当(28条)の支給,その他一定の要件
を満たす被爆者に対する原子爆弾小頭症手当,介護手当の支給等(26条,
31条等)とは別に,処分行政庁の認定(以下「原爆症認定」という。)(1
1条)を受けた被爆者に対する医療の給付(10条)並びに医療特別手当(2
4条)及び特別手当の支給(25条)を定めている。
援護法10条1項,11条の規定の内容は,次のとおりである。
10条1項厚生労働大臣は,原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し,又は
疾病にかかり,現に医療を要する状態にある被爆者に対し,必要な医療
の給付を行う。ただし,当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因す
るものでないときは,その者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受
けているため現に医療を要する状態にある場合に限る。
11条1項前条第1項に規定する医療の給付を受けようとする者は,あら
かじめ,当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生労
働大臣の認定を受けなければならない。
11条2項厚生労働大臣は,前項の認定を行うに当たっては,審議会等(国
家行政組織法(昭和23年法律第120号)第8条に規定する機関をい
う。)で政令で定めるものの意見を聴かなければならない。ただし,当
該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないこ
とが明らかであるときは,この限りでない。
なお,援護法11条2項にいう「審議会等で政令で定めるもの」は,疾病
・障害認定審査会とされている(援護法施行令9条)。
(4)原爆症認定の手続
ア援護法11条1項の規定による原爆症認定を受けようとする者は,厚生
労働省令で定めるところにより,その居住地の都道府県知事を経由して,
厚生労働大臣に申請書を提出しなければならず(援護法施行令8条1項),
上記申請書は,①被爆者の氏名,性別,生年月日及び居住地並びに被爆
者健康手帳の番号,②負傷又は疾病(以下「疾病等」という。)の名称,
③被爆時以降における健康状態の概要及び原子爆弾に起因すると思われ
る疾病等について医療を受け,又は原子爆弾に起因すると思われる自覚症
状があったときは,その医療又は自覚症状の概要等を記載した認定申請書
によらなければならず,また,同申請書には,医師の意見書及び当該疾病
等に係る検査成績を記載した書類を添えなければならないものとされてい
る(原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行規則〔平成7年厚生省
令第33号。平成20年厚生労働省令第41号による改正前のもの〕12
条〔なお,平成18年厚生労働省令第32号による改正前のものも同様で
ある。〕)。
イ上記の疾病・障害認定審査会については,厚生労働省に置き(厚生労働
省組織令〔平成12年政令第252号〕132条),援護法の規定に基づ
きその権限に属させられた事項等を処理するものとされ(同令〔平成19
年政令第44号による改正前のもの〕133条1項),同審査会に関し必
要な事項については,疾病・障害認定審査会令(平成12年政令第287
号)の定めるところによるものとされている(同条2項)。
そして,同審査会は,学識経験のある者のうちから厚生労働大臣が任命
する委員30人以内で組織し(疾病・障害認定審査会令1条1項,2条1
項),臨時委員及び専門委員を置くことができるものとされている(同令
1条2項,3項)。また,援護法の規定に基づき同審査会の権限に属させ
られた事項を処理することを所掌事務とする分科会として,同審査会に原
子爆弾被爆者医療分科会を置き(同令5条1項),同分科会に属すべき委
員及び臨時委員等は,厚生労働大臣が指名するものとされている(同条2
項)。
(5)原爆症認定に関する審査の方針
疾病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会は,平成13年5月25
日付けで「原爆症認定に関する審査の方針」(以下「旧審査方針」という。)
を作成し,原爆症認定に係る審査に当たっては,これに定める方針を目安と
して行うものとしていた。その概要は,次のとおりである。
ア原爆放射線起因性の判断
(ア)判断に当たっての基本的な考え方
申請に係る疾病等における原爆放射線起因性の判断に当たっては,原
因確率(疾病等の発生が原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると
考えられる確率をいう。)及びしきい値(一定の被曝線量以上の放射線
を曝露しなければ疾病等が発生しない値をいう。)を目安として,当該
申請に係る疾病等の原爆放射線起因性に係る「高度の蓋然性」の有無を
判断する。
この場合にあっては,当該申請に係る疾病等に関する原因確率が,
①おおむね50%以上である場合には,当該申請に係る疾病の発生に
関して原爆放射線による一定の健康影響の可能性があることを推定
し,
②おおむね10%未満である場合には,当該可能性が低いものと推定
する。
ただし,当該判断に当たっては,これらを機械的に適用して判断する
ものではなく,当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘
案した上で,判断を行うものとする。
また,原因確率が設けられていない疾病等に係る審査に当たっては,
当該疾病等には,原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証さ
れていないことに留意しつつ,当該申請者に係る被曝線量,既往歴,環
境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を判断するも
のとする。
(イ)原因確率の算定
原因確率は,次の申請に係る疾病等,申請者の性別の区分に応じ,そ
れぞれ定める別表に定める率とする。
申請に係る疾病名
申請者
の性別
別表
白血病


別表1-1
別表1-2
胃がん


別表2-1
別表2-2
大腸がん


別表3-1
別表3-2
甲状腺がん


別表4-1
別表4-2
乳がん女別表5
肺がん
男別表6-1
女別表6-2
肝臓がん
皮膚がん(悪性黒色腫を除く)
卵巣がん
尿路系がん(膀胱がんを含む)
食道がん


別表7-1
別表7-2
その他の悪性新生物男女別表2-1
副甲状腺機能亢進症男女別表8
(ウ)しきい値
放射線白内障のしきい値は,1.75Svとする。
(エ)原爆放射線の被曝線量の算定
申請者の被曝線量の算定は,初期放射線による被曝線量の値に,残留
放射線による被曝線量及び放射性降下物による被曝線量の値を加えて得
た値とする。
初期放射線による被曝線量は,申請者の被爆地及び爆心地からの距離
の区分に応じて定めるものとし,その値は別表9(その内容は,本判決
末尾添付の別表9のとおりである。)に定めるとおりとする。
残留放射線による被曝線量は,申請者の被爆地,爆心地からの距離及
び爆発後の経過時間の区分に応じて定めるものとし,その値は別表10
(その内容は,本判決末尾添付の別表10のとおりである。)に定める
とおりとする。
放射性降下物による被曝線量は,原爆投下の直後に次の特定の地域に
滞在し,又はその後,長期間に渡って当該特定の地域に居住していた場
合について定めることとし,その値は次のとおりとする。
特定の地域放射性降下物による被曝線量
己斐又は高須(広島)0.6~2cGy
西山3,4丁目又は木場(長崎)12~24cGy
(オ)その他
前記(イ)の「その他の悪性新生物」に係る別表については,疫学調
査では放射線起因性がある旨の明確な証拠はないが,その関係が完全に
は否定できないものであることにかんがみ,放射線被曝線量との原因確
率が最も低い悪性新生物に係る別表2-1を準用したものである。
前記(ウ)の放射線白内障のしきい値は,95%信頼区間が1.31
~2.21Svである。
イ要医療性の判断
要医療性については,当該疾病等の状況に基づき,個別に判断するもの
とする。
ウ方針の見直し
この方針は,新しい科学的知見の集積等の状況を踏まえて必要な見直し
を行うものとする。
(6)新しい審査の方針
疾病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会は,平成20年3月17
日付けで「新しい審査の方針」(以下「新審査方針」という。)を作成し,
原爆症認定に係る審査に当たっては,援護法の精神に則り,より被害者救済
の立場に立ち,原因確率を改め,被爆の実態に一層即したものとするため,
次に定める方針を目安としてこれを行うものとしている。その概要は,次の
とおりである。
ア放射線起因性の判断
(ア)積極的に認定する範囲
①被爆地点が爆心地より約3.5㎞以内である者
②原爆投下より約100時間以内に爆心地から約2㎞以内に入市した

③原爆投下より約100時間経過後から,原爆投下より約2週間以内
の期間に,爆心地から約2㎞以内の地点に1週間程度以上滞在した者
から,放射線起因性が推認される以下の疾病について申請がある場合に
ついては,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した
放射線との関係を積極的に認定するものとする。
①悪性腫瘍(固形がんなど)
②白血病
③副甲状腺機能亢進症
④放射線白内障(加齢性白内障を除く。)
⑤放射線起因性が認められる心筋梗塞
この場合,認定の判断に当たっては,積極的に認定を行うため,申請
者から可能な限り客観的な資料を求めることとするが,客観的な資料が
無い場合にも,申請書の記載内容の整合性やこれまでの認定例を参考に
しつつ判断する。
(イ)(ア)に該当する場合以外の申請について
(ア)に該当する場合以外の申請についても,申請者に係る被曝線量,
既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を
総合的に判断するものとする。
イ要医療性の判断
要医療性については,当該疾病等の状況に基づき,個別に判断するもの
とする。
ウ方針の見直し
この方針は,新しい科学的知見の集積等の状況を踏まえて随時必要な見
直しを行うものとする。
(7)新審査方針の改訂
疾病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会は,平成21年6月22
日付けで新審査方針を改訂し,新審査方針の放射線起因性が推認される疾病
に,⑥放射線起因性が認められる甲状腺機能低下症,⑦放射線起因性が
認められる慢性肝炎・肝硬変を追加した。
2前提事実
(1)昭和20年8月6日午前8時15分ころに広島市に,同月9日午前1
1時2分ころに長崎市に,それぞれ原爆が投下された。
(2)原告丁について
ア原告丁は,昭和20年8月6日当時,16歳であり,広島市に原爆が投
下された同日午前8時15分ころには,爆心地から約1.2㎞の同市A1
町の自宅におり,直接被爆者として被爆者健康手帳の交付を受けている。
イ原告丁は,平成17年2月15日付けで,疾病等の名称を両目白内障(原
爆白内障)として,処分行政庁に対し,援護法11条1項の規定により原
爆症認定の申請をした。
ウ処分行政庁は,平成17年11月10日付けで,原告丁に対し,上記申
請を却下する処分(以下「本件処分A」という。)をした。
上記処分に係る通知書には,処分の理由が次のとおり記載されている。
「先般,疾病・障害認定審査会において,申請書類に基づき,貴殿の被
爆状況が検討され,これまでに得られた通常の医学的知見に照らし,総合
的に審議されましたが,貴殿の申請に係る疾病については,原子爆弾の放
射線に起因しておらず,また,治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受け
てはいないものと判断されました。上記の意見を受け,貴殿の申請を却下
いたします。」
(3)原告乙について
ア原告乙は,昭和20年8月6日当時,21歳であり,広島市に原爆が投
下された同日午前8時15分ころには,爆心地から約1.8㎞の同市A2
におり,直接被爆者として被爆者健康手帳の交付を受けている。
イ原告乙は,平成17年7月21日付けで,疾病等の名称を消化器機能障
害(胃がん)として,処分行政庁に対し,援護法11条1項の規定により
原爆症認定の申請をした。
ウ処分行政庁は,平成18年1月11日付けで,原告乙に対し,上記申請
を却下する処分(以下「本件処分B」という。)をした。
上記処分に係る通知書には,処分の理由が次のとおり記載されている。
「先般,疾病・障害認定審査会において,申請書類に基づき,貴殿の被
爆状況が検討され,その上で貴殿の申請に係る疾病の原因確率(疾病等の
発生が,原子爆弾の放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる
確率をいう。以下同じ)が求められました。そこで,この原因確率を目安
としつつ,これまでに得られた通常の医学的知見に照らし,総合的に審議
されましたが,貴殿の申請に係る疾病については,原子爆弾の放射線に起
因しておらず,また,治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けてはいな
いものと判断されました。上記の意見を受け,貴殿の申請を却下いたしま
す。」
エ処分行政庁は,平成20年6月18日付けで,原告乙に対し,本件処分
Bを取り消し,上記イの申請に基づき胃がんについて原爆症認定をする処
分をした。
(4)原告甲について
ア原告甲は,昭和20年8月6日当時,13歳であり,広島市に原爆が投
下された同日午前8時15分ころには,広島県賀茂郡A3の女学校にいた
が,その後,広島市内に入り,入市被爆者として被爆者健康手帳の交付を
受けている。
イ原告甲は,平成15年8月28日,疾病等の名称を甲状腺機能低下症と
して,処分行政庁に対し,援護法11条1項の規定により原爆症認定の申
請をした。
ウ処分行政庁は,平成16年7月21日付けで,原告甲に対し,上記申請
を却下する処分(以下「本件処分C」という。)をした。
上記処分に係る通知書には,処分の理由が次のとおり記載されている。
「先般,疾病・障害認定審査会において,申請書類に基づき,貴殿の被
爆状況が検討され,その上で貴殿の申請に係る疾病の原因確率(疾病等の
発生が,原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる確率を
いう。以下同じ)を求めました。そこで,この原因確率を目安としつつ,
これまでに得られた通常の医学的知見に照らし,総合的に審議されました
が,貴殿の申請に係る疾病については,原子爆弾の放射線に起因しておら
ず,また,治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けてはいないものと判
断されました。上記の意見を受け,貴殿の申請を却下いたします。」
(5)原告丙について
ア原告丙は,昭和20年8月6日当時,19歳であり,広島市に原爆が投
下された同日午前8時15分ころには,広島市の中心部から20ないし3
0㎞くらい離れたA4村にいたが,その後,広島市内に入り,入市被爆者
として被爆者健康手帳の交付を受けている。
イ原告丙は,平成18年5月29日,疾病等の名称を前立腺がんとして,
処分行政庁に対し,援護法11条1項の規定により原爆症認定の申請をし
た。
ウ処分行政庁は,平成19年3月30日付けで,原告丙に対し,上記申請
を却下する処分(以下「本件処分D」という。)をした。
上記処分に係る通知書には,処分の理由が次のとおり記載されている。
「先般,疾病・障害認定審査会において,申請書類により,貴殿の被爆
状況が検討され,その上で,「原爆症認定に関する審査の方針」に基づき,
貴殿の申請に係る疾病の原因確率(疾病等の発生が,原子爆弾の放射線の
影響を受けている蓋然性があると考えられる確率をいう。以下同じ)が求
められました。そこで,この原因確率を目安としつつ,これまでに得られ
た通常の医学的知見に照らし,総合的に審議されましたが,貴殿の申請に
係る疾病については,原子爆弾の放射線に起因しておらず,また,治癒能
力が原子爆弾の放射線の影響を受けてはいないものと判断されました。上
記の意見を受け,貴殿の申請を却下いたします。」
エ処分行政庁は,平成20年6月24日付けで,原告丙に対し,本件処分
Dを取り消し,上記イの申請に基づき前立腺がんについて原爆症認定をす
る処分をした。
(6)広島市に投下された原爆にはウラン235が,長崎市に投下された原
爆にはプルトニウム239が核分裂性物質(核爆薬)として使用され,それ
ぞれ約700g及び約1kgの核爆薬が核分裂して核爆発が起こり,核分裂に
よって生じたエネルギーが爆発的に放出されたが,発生したエネルギーの約
50%が爆風,約35%が熱線,約15%が放射線(約5%が初期放射線,
約10%が残留放射線)のエネルギーになったとされる(爆風,熱線,放射
線等に関する概要は次のア~ウのとおり)。
原爆の推定出力は,DS02(DosimetrySystem2002,線量評価システム
2002)策定時に,TNT(トリニトロトルエン)火薬に換算して,広島
については16kt(キロトン),長崎については21ktとされた。
ア爆風,衝撃波
原爆の爆発により爆発点に数十万気圧という超高圧の状態が作られ,大
気圧との気圧差により爆風圧が発生し,爆発の衝撃から発生した音速の衝
撃波と重なって,多大な被害が生じた。
イ熱線
原爆の爆発と同時に空中に発生した火球は,爆発の瞬間に数百万℃に達
し,0.3秒後に火球の表面温度は約7000℃に達した。火球により爆
心地の地表温度は約3000~4000℃に達した。
ウ放射線
原爆による放射線には,爆発して1分以内に放射される初期放射線と,
それ以後放射される残留放射線とに大別される。
初期放射線のうちα(アルファ)線及びβ(ベータ)線は,空気中の透
過力が弱く,空気中に吸収され,地上に到達するのはγ(ガンマ)線と中
性子線である。
残留放射線は,初期放射線,特に中性子が地面あるいは建造物を構成し
ている原子核に衝突して誘導放射化された放射性物質が放出する誘導放射
線と,核分裂生成物や分裂しなかった核分裂性物質が地表に降り注いだ放
射性降下物(フォールアウト)とに大別される。
3争点
本件の争点は,次の各点にある。
(1)本件処分B及び本件処分Dの各取消しを求める訴えの利益(争点1)
(2)放射線起因性の判断基準(争点2)
(3)各原告の原爆症認定要件該当性(争点3)
(4)行政手続法違反の有無(争点4)
(5)国家賠償請求の成否(争点5)
4争点に関する当事者の主張
(1)争点1(本件処分B及び本件処分Dの各取消しを求める訴えの利益)
について
(被告の主張)
処分行政庁は,原告乙及び原告丙に対し,それぞれ本件処分B及び本件処
分Dを取り消して各申請疾病について原爆症認定をしたから,上記各処分の
取消しを求める訴えの利益は消滅した。
(2)争点2(放射線起因性の判断基準)について
(原告らの主張)
別紙「原告らの主張1」のとおり
(被告の主張)
別紙「被告の主張1」のとおり
(3)争点3(各原告の原爆症認定要件該当性)について
(原告らの主張)
別紙「原告らの主張2」のとおり
(被告の主張)
別紙「被告の主張2」のとおり
(4)争点4(行政手続法違反の有無)について
(原告らの主張)
別紙「原告らの主張3」のとおり
(被告の主張)
別紙「被告の主張3」のとおり
(5)争点5(国家賠償請求の成否)について
(原告らの主張)
別紙「原告らの主張4」のとおり
(被告の主張)
別紙「被告の主張4」のとおり
第3争点に対する判断
1争点1(本件処分B及び本件処分Dの取消しを求める訴えの利益)について
前記第2の2「前提事実」(3)エ,(5)エのとおり,処分行政庁は,平
成20年6月18日,原告乙に対し,同月24日,原告丙に対し,それぞれ本
件処分B及び本件処分Dを取り消して,各原爆症認定申請に基づき,申請疾病
について原爆症認定をしたのであるから,上記原告両名は,援護法24条4項
の規定に基づき,同条2項の認定の申請をした日の属する月の翌月から医療特
別手当が支給されることとなった。そうすると,本件処分B及び本件処分Dの
取消しを求める法律上の利益は消滅したものといわざるを得ない。
したがって,本件処分B及び本件処分Dの取消しを求める訴えは,不適法で
あり,却下を免れない。
2争点2(放射線起因性の判断基準)について
放射線起因性の判断基準について,被告は,放射線物理学等の近時の科学的
知見に基づく日米の放射線学の第一人者の策定に係る原爆放射線の線量評価シ
ステム(DS86)と,これを前提とし,財団法人放射線影響研究所(以下「放
影研」という。)の大規模かつ高度な疫学調査の結果を踏まえて考案されたリ
スク評価法である原因確率の考えが十分な科学的合理性を有するものであり,
これに基本的に依拠して放射線起因性が判断されるべきであると主張する。
これに対し,原告らは,DS86による線量評価には種々の問題点があり,
科学的合理性はなく,疫学を誤用した誤ったリスク評価方法であるとし,これ
らを適用すべきではなく,①原告らの被爆状況及び被爆後の行動,急性症状
等により,原告らが,初期放射線だけでなく,残留放射線による外部被曝や放
射性降下物による外部被曝や内部被曝をしており,これによって放射線による
人体影響を受けたと推定できること,②原告らが,放射線が発症,促進又は
増悪の原因となり得ると考えられている疾病に罹患していることを立証すれ
ば,原告らの疾病は,他に放射線以外の因子のみによって発症しているとする
特段の事情が立証されない限り,放射線起因性が事実上推定されるべきであり,
特段の事情についての立証責任は被告にあると主張する。
そこで,当事者双方に争いのある放射線起因性の判断基準について,次に検
討する。
(1)放射線起因性の立証
援護法10条1項,11条の規定によれば,原爆症認定をするためには,
被爆者が現に医療を要する状態にあること(要医療性)のほか,現に医療を
要する疾病等が原爆の放射線に起因するものであるか,又は上記疾病等が放
射線以外の原爆の傷害作用に起因するものであって,その者の治癒能力が原
爆の放射線の影響を受けているため上記要医療状態にあること(放射線起因
性)を要すると解される。
そして,行政処分の要件として因果関係の存在が必要とされる場合に,そ
の拒否処分の取消訴訟において被処分者がすべき因果関係の立証の程度は,
特別の定めがない限り,通常の民事訴訟における場合と異なるものではない
から,訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明
ではないが,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結
果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり,そ
の判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るもの
であることを必要とすると解すべきである(最高裁平成12年7月18日第
三小法廷判決・裁判集民事198号529頁参照)。放射線起因性の要件を
定めた援護法10条1項の規定は,放射線被曝と疾病等ないしは治癒能力低
下との間に通常の因果関係があることを要件として定めたものと解すべきで
あるから,上記の理は,この場合にも当てはまるというべきである。
もっとも,人間の身体に疾病等が生じた場合に,その発症に至る過程にお
いては,多くの要因が複合的に関連していることが通常であって,特定の要
因から当該疾病等の発症に至った機序を立証することには自ずから困難が伴
うものであり,殊に,放射線による後障害は,放射線に起因することによっ
て特異な症状を呈するものではなく,その症状は放射線に起因しない場合と
全く同様である。加えて,放射線が人体に影響を与える機序は,科学的にそ
の詳細が解明されているものではなく,長年月にわたる調査にもかかわらず,
放射線と疾病等との関係についての知見は,統計学的,疫学的解析による有
意性の確認など,限られたものにとどまっているだけでなく,原爆被爆者の
被曝放射線量そのものも,後に判示するように,その評価は不完全な推定に
よるほかはないのが現状である。このような状況の下で,当該疾病等が放射
線に起因して発症したことの直接の立証を要求することは,当事者に対し不
可能を強いることになりかねない。したがって,疾病等についての放射線起
因性の判断に当たっては,疾病発生等の医学的機序を直接証明するのではな
く,放射線被曝による人体への影響に関する統計学的,疫学的知見に加えて,
臨床的,医学的知見をも踏まえつつ,各原告ごとの被爆状況,被爆後の行動,
急性症状等やその後の生活状況,具体的症状や発症に至る経緯,健康診断や
検診の結果等の全証拠を,経験則に照らして全体的,総合的に考慮した上で,
原爆放射線被曝の事実が当該疾病等の発生又は進行を招来した関係を是認し
得る高度の蓋然性が認められるか否かを,法的観点から,検討することとす
るのが相当である。
(2)旧審査方針における被曝線量推定の合理性
ア原爆放射線量推定方式の変遷
証拠によれば,次の各事実が認められる。
(ア)T57D及びT65D
昭和32年に最初の個人被曝線量が推定されたが(T57D〔暫定1
957年線量〕),実際の健康後影響の評価には使われなかった。この方
式が改善され,昭和40年に,T65D(暫定1965年線量)という
線量推定方式が開発され,この個人被曝線量が約20年間使われてきた。
(イ)DS86
1970年代後半以降,T65Dに疑問が投げかけられ,米国では,
昭和56年に線量再評価検討委員会,更にその結果を評価,吟味するた
めの上級委員会が設置され,これに対応して日本側でも厚生省により検
討委員会と上級委員会が組織され,米国と共同してこの問題に当たるこ
ととなった。そして,昭和61年に日米合同の上級委員会において承認
された線量評価システムが,DS86(線量評価システム1986)で
ある。
DS86においては,広島の原爆の出力は15kt(誤差は±3kt),
長崎の原爆の出力は21kt(誤差は±2kt)と推定された。これを前提
に,初期放射線による被曝線量については,空気中カーマ(被爆者の周
囲の遮蔽を考えない場合の被曝線量),遮蔽カーマ(被爆者の周囲の構
造物による遮蔽を考慮した被曝線量),臓器線量(人体組織による遮蔽
も考慮した被曝線量)の計算モデルを統合し,被爆者の遮蔽データを入
力して,線量を計算している。
(ウ)DS02
DS86策定以降,中性子線量に関する理論値と測定値の不一致に関
し,日米独の研究者が研究を続けた結果,DS02が作成された。DS
86からDS02への大きな変更は,広島における爆弾の出力を15kt
から16ktに,爆発高度を580mから600mに修正したことである
が,空気中線量全般に関して大幅な変更はない。
イDS86及びDS02による初期放射線推定の合理性について
旧審査方針別表9は,DS86に基づき,初期放射線による被曝線量を
特定しているところ,被告は,DS86の正確性はDS02により検証さ
れたと主張するので,DS86の合理性について,以下検討する。
(ア)計算値と実測値との不一致
証拠によれば,DS86による推定線量との不一致を示す測定データ
に関し,次のとおり認められる。
a広島の原爆の中性子によって放射化されたコバルト60のDS86
による計算値は,爆心から1000m付近までは実測値より1.5~
2倍大きく,1000mを超えると実測値を下回る。
ユーロピウム152及び塩素36についても,DS86による計算
値は,近距離では実測値より大きな値を出し,遠距離では小さい値を
出す。
もっとも,コバルト60の実測値に基づいて,カイ2乗法(放射線
の総量は,爆心からの距離の2乗に逆比例するため,これに従った理
論式を実測値全体を最もよく表すものとする方法)に適合する中性子
線量を求めると,爆心地から700mまではDS86の計算値の方が
実測値よりもやや過大評価となり,900mでは過小評価になり,急
速に不一致は拡大していく。例えば,DS86の計算値は爆心地か
ら1500mでは実測値の約14分の1であるのに,2000mでは
実測値の約167分の1となり,爆心からの距離とともにDS86の
計算値は実測値と桁違いの過小評価となる。
b長友教授らが平成4年に行った熱ルミネッセンス法による測定結果
により,爆心地から2050mの距離では,実測値がDS86による
計算値の2.2倍となったことが報告されている。
そして,長友教授らは,平成7年に,爆心地から1591mと16
35mとの間の測定も行い,この距離からγ線の線量実測値はDS8
6の計算値からずれ始めることを確かめており,これまでの実測値を
総合して,γ線の実測値は,爆心地から1100mよりも遠い距離に
おいてはDS86の計算値から大きい方にずれていることを指摘して
いる。
c長崎の原爆の中性子線については,遠距離において適切な測定資料
を入手するのは困難で,爆心地から約1100mまでの測定値しか得
られていない。もっとも,中性子によって放射化されたコバルト60
について,静間清教授らが行った測定によれば,上記のとおり,DS
86の計算値は,爆心地から900mを越えたあたりから,過大評価
から過小評価に転ずるとされている。
澤田昭二名古屋大学名誉教授は,ユーロピウム152について,実
測値にばらつきが大きいので,測定結果の解析から有意な結果を導く
ことができるか躊躇されたが,カイ2乗法によって適合するものを求
めると,DS86の推定値は爆心から700m以内では過大評価であ
り,700mを超えると過小評価に転ずることが分かったとしている。
もっとも,厚生労働科学特別研究事業「原子爆弾の放射線に関する
研究」(平成14年度総括・分担研究報告書)(主任研究者平良専純)
は,長崎に関しては,広島と異なり系統的なズレを示さない測定デー
タと,広島と同様のズレを示すデータの両者があるとしている。
(イ)DS86の再評価
証拠によれば,次の各事実が認められる。
a上記のとおり,DS86については,広島における熱中性子による
放射化の計算値の距離による変化が測定値と一致しないという問題が
あり,平成12年に設立された日米合同実務研究班において,DS8
6の再評価が行われた。再評価において,まず,放射線出力が再計算
され,長崎の爆弾の出力についてはDS86の推定値と同じであった
が,広島については以前の出力推定値よりも1kt高い出力が推定され
たものの,これによって,上記計算値と測定値の不一致の問題を説明
することはできなかった。そこで,測定値について再評価が行われる
こととなった。
bDS02においては,γ線量測定値の再評価が行われたが,バック
グラウンド(自然放射性物質からの放射線や宇宙線による被曝)の線
量が,広島では爆心地から約1500m,長崎では約1700mころ
から正味の線量測定値に影響し始め,バックグラウンドの誤差は,広
島では約1500m以遠,長崎では約1700m以遠の距離における
正味の線量測定値の誤差の主要な寄与因子となるとされた。
c速中性子線測定
(a)リン32の放射化測定(放射線により硫黄中に発生したリン
32を測定することにより速中性子線を測定する。)
DS02では,リン32の放射化測定値の再評価がされ,試料の
位置の修正等がされ,その結果,①爆心地近くではDS86とD
S02は両方とも測定値と良く一致している,②DS86との間
に見られた一致は偶発的なものであり,DS02の爆発高度と出力
が測定値によって裏付けされている,とされた。
(b)ニッケル63の放射化測定(放射線により放射化された銅試
料中のニッケル63を測定することにより,原爆の放射線の中の速
中性子を測定する。)
DS02では,ニッケル63を測定するに当たり加速器質量分析
法(AMS)と液体シンチレーション計数法が使用された。
AMSによる測定に関しては,①爆心地から700m以遠におけ
る爆弾に起因する速中性子についての最初の信頼できる測定値が得ら
れた,②これらの測定結果の主な意義は,原爆被爆者の位置に最も
関係のある距離(900~1500m)における速中性子の測定値が
初めて得られたことである,③バックグラウンドを差し引いた後の
データを昭和20年に対して補正すると,広島の銅試料中のニッケル
63測定値はDS02に基づく試料別計算値と良く一致する,④D
S86に基づく計算値との比較でも,日本銀行における試料の場合を
除いて良く一致する,と評価されている。
液体シンチレーション計数法による測定については,AMSから
得られたバックグラウンドデータが補正のために使用されたが,そ
の結果は,AMSの結果とよく一致している。
d熱中性子線測定
(a)ユーロピウム152の放射化測定
小村和久教授らは,多量の花崗岩試料を使い,化学的濃縮を行っ
たユーロピウムを加熱圧縮して測定試料とし,試料から発せられる
γ線を,尾小屋地下測定室に設置した2台の大型の極低バックグラ
ウンド井戸型ゲルマニウム検出器を用いて測定した。
このように極めて低いバックグラウンド環境の中で測定された結
果,ユーロピウム152の測定値とDS02による計算値とが,1
000mを超える距離(爆心から1177m,1424m)におい
ても,よく一致していることが判明した。
(b)塩素36の放射化測定
米国の国立ローレンスリバモア研究所,Purdue大学PRIME研究室及びロチェ
スター大学のAMS施設において,AMSにより測定がされ,①広
島及び長崎で採取された試料における花崗岩及びコンクリート(コン
クリート表面を除く)中の塩素36の測定値は,爆心地付近から,
Cl/Cl比がバックグラウンドと鑑別不可能になる距離までDS02と
一致する,②従前測定された広島の1400m以遠における塩素3
6の放射化測定値(Straumeら1992)がDS86の計算評価値と
一致しなかった原因は,同測定に表面セメント(深部コンクリートよ
りも高いバックグラウンドを示す。)が使用されたことに由来する,
と結論付けられた。
ドイツのミュンヘンのAMS施設において,広島で原爆中性子に
被曝した花崗岩試料及び被曝していない対照花崗岩試料における
Cl/Cl比を決定したが,①実験の誤差の範囲内において,花崗岩
試料中の塩素36の自然濃度を考慮すれば,地上距離800m以遠
における測定に基づく36
Cl/Cl比と,DS02計算に基づく36
Cl/Cl
比に顕著な不一致は認められない,②広島の花崗岩試料中の塩素
36の生成について,爆心地から約1300m以遠では,宇宙線並
びにウラニウム及びトリウムの崩壊が重要になると推定される,と
している。
筑波大学加速器センターにおいて,AMSによる花崗岩試料の塩
素36の測定がされたが,地上距離で近距離から1100mの間で
は,測定値とDS02の計算値がよく一致していることが確認され,
地上距離約1100mを超える範囲の試料については,バックグラ
ウンドの影響のため,塩素36生成に関する原爆の寄与の見積もり
は困難であるとされた。
(c)コバルト60の放射化測定
DS02では,広島のコバルト60の測定値については,約13
00mの地上距離以内ではDS02に基づく計算値と非常に良く一
致するが,それ以遠では,試料の線量カウントと検出器のバックグ
ラウンド線量とを区別する際に問題があるようであるとされた。
e総括
DS02においては,前記のとおり,ニッケル63による速中性子
測定,ユーロピウム152の低バックグラウンド熱中性子測定,塩素
36の精度保証付き相互比較測定,既存のコバルト60,リン32及
び熱ルミネセンス測定値の再評価等が検討された結果,葉佐井博巳名
誉教授らは,①広島の爆心地から1㎞以遠における中性子の不一致
は,測定値における説明不可能なバックグラウンド値によるものであ
り,計算値の基本的問題によるものではないことが示された,②広
島の爆弾の真下における中性子の過大計算は,爆発高度が少し低く推
定されていたためであった,③これら二つの問題を修正した結果,
爆弾からいずれの距離においても測定値と計算値の間には良い一致が
見られた,と総括している。
(ウ)DS02における計算値と実測値の乖離の解消について
証拠によれば,次の各事実が認められる。
aγ線について
(a)長友教授らが平成4年に熱ルミネセンス法による測定によっ
て行った実測値の結果は次のとおりである。「広島の爆心地から2.
05㎞におけるγ線線量を瓦のサンプルから測定し,2.45㎞で
収集した瓦のサンプルもバックグラウンド評価の信頼性をチェック
するために解析した。2.05㎞の距離に対する結果は5枚の瓦に
ついての測定値の平均で129±23mGyであった。この値は,対
応したDS86の推定より2.2倍大きい。これらの結果と文献に
おける結果は,爆心地から2.05㎞における測定値に対し,DS
86の計算値が50%あるいはそれ以下であることを示している。」
(b)長友教授ら「爆心地から1.59㎞から1.635㎞の間の
広島原爆のガンマ線量の熱ルミネセンス法の線量評価」は,①爆
心地から1591~1635mのビルディング(郵便貯金局)の屋
根の5か所から収集した瓦の標本を用い,熱ルミネセンス法によっ
て広島原爆からのγ線カーマを測定した,②5か所のそれぞれか
ら,各4枚の瓦の標本からサンプルを採って石英の粒子を抽出し,
これらの粒子の熱ルミネセンスを高温ルミネセンス法により解析し
てγ線カーマを得た,③組織カーマの結果は,DS86の評価よ
り平均して21%(標準誤差は4.3~7.3%)多かった,④現
在のデータと報告されている熱ルミネセンスの結果は,測定された
γ線カーマはDS86の値を約1.3㎞で超過し始め,この不一致
は距離と共に増加することを示唆している,⑤この不一致は,D
S86の中性子のソース・スペクトルに誤りがあることに原因があ
り,これまでの中性子放射化の測定によって支持されている,とし
ている。
b熱中性子線について
コバルト60の測定については,前記のとおり,DS02において,
広島の地上距離約1300m以遠では試料の線量カウントと検出器の
バックグラウンド線量とを区別する際に問題があるようであるとされ
ている。また,DS02報告書によれば,これらの距離における測定
値は,いずれもDS86及びDS02の計算値を上回り,その中には
前記極低バックグラウンド施設で測定が行われた小村教授の測定値
(平成13年)も含まれている。
ユーロピウム152の測定については,DS02報告書によれば,
広島における爆心地からの距離が800m以遠における測定値(静間
らの測定値〔平成5年〕及び中西らの測定値〔平成3年〕)はいずれ
もDS86及びDS02の計算値を上回り,その乖離の程度は遠距離
ほど大きくなっていた。小村教授らが平成13年に極低バックグラウ
ンド施設で行った試料の再測定による測定値は,爆心地からの距離が
1200m前後まではDS86やDS02の計算値とはほぼ一致する
が,爆心地からの距離が約1400mの地点の測定値は計算値よりも
上回る。
c速中性子線について
爆心地からの距離がDS86によれば1461m,DS02によれ
ば1470mの放射性同位元素建屋におけるニッケル63の測定値
は,DS86計算値の1.50±1.38倍,DS02計算値の1.
88±1.72倍とされ,計算値と実測値の乖離は残っている。DS
02においては,爆心地から約1800mの距離から少なくとも50
00mの距離までは,測定値は銅1g当たりのニッケル63原子約7
万個の値で平坦となり,ほぼこれがバックグラウンドの大きさと思わ
れるとしているが,他方で,約1800m以遠の見かけ上一定の「バ
ックグラウンド」については依然として完全には理解されておらず,
銅試料中の宇宙線によるニッケル63の計算値は,銅試料について測
定された高いバックグラウンドを説明できておらず,このバックグラ
ウンドは主に試料の化学成分,試料ホルダー,AMS装置等に起因す
るのかもしれず,これについては更に検討すべきであるとされている。
(エ)遠距離被爆者に関する調査等
証拠によれば,次の各事実が認められる。
a日米合同調査団報告書(昭和26年)
長崎における被爆後20日後に生存していた屋外又は日本家屋内で
被爆した者を対象とする調査結果は,次のとおりである。
爆心地からの距離脱毛紫斑
2.1~2.5㎞7.2%(515人中37人)3.9%(515人中20人)
2.6~3㎞2.1%(569人中12人)0.5%(569人中3人)
3.1~4㎞1.3%(931人中12人)1.4%(931人中13人)
4.1~5㎞0.4%(226人中1人)0.4%(226人中1人)
広島の爆心地から2.1~2.5㎞地点において,屋外又は日本家
屋内で被爆した人1415人中68人(4.8%),その他の屋内で
被爆した人12人中1人(8.3%)に脱毛がみられ,防空壕又はト
ンネル内で被爆した人には脱毛がみられなかった。
長崎の爆心地から2.1~2.5㎞地点において,屋外又は日本家
屋内で被爆した人515人中37人(7.2%),その他の屋内で被
爆した人35人中1人(2.9%),防空壕又はトンネル内で被爆し
た人110人中2人(1.8%)に脱毛がみられた。
長崎の爆心地から2.1~2.5㎞地点において,屋外(無遮蔽)
で被爆した人115人中20人(17.4%),屋外(遮蔽あり)で
被爆した人82人中6人(7.3%),日本家屋内で被爆した人31
8人中22人(6.9%)に脱毛又は皮下出血がみられた。
b東京帝国大学医学部診療班の原子爆弾災害調査報告
同医療班は,昭和20年10月及び同年11月,広島における爆心
地から5㎞以内の生存罹災者5120人を対象とする調査を行った。
3㎞以内の被爆者4406人(男2063人,女2343人)のう
ち,男328人,女379人に脱毛がみられたが,このうち爆心地か
ら2.1~2.5㎞では男33人(5.7%),女42人(7.2%)
に,2.6~3.0㎞では男2人(0.9%),女7人(2.4%)
であった。
遮蔽状況と脱毛の発現率との関係については,「屋外開放のもの」
及び「屋外蔭にあったもの」が最も高く,「コンクリート建物内のも
の」が最も低く,「木造家屋内のもの」がその中間の率を示す。
脱毛,皮膚溢血斑及び壊疽性又は出血性口内炎症のうち1症状以上
を示した者は,全調査者5120人中に909例あったが,距離別の
発生頻度は,2.1~2.5㎞では9.34%(1156人中108
人),2.6~3.0㎞では3.58%(502人中18人)であっ
た。
c於保源作論文
於保源作医師が昭和32年に発表した「原爆残留放射能障碍の統計
的観察」によれば,同年1月から同年7月までに広島市内の一定地区
に住む被爆生存者全部(3946人)について,その被爆条件,急性
症状の有無及び程度,被爆後3か月間の行動等を各人ごとに調査した
結果は,次の(a)~(d)のとおりである。同論文は,得られた調
査結果を総括して観察したところ,直接被爆者では被爆距離が短いほ
ど急性症状の有症率が高く,被爆距離が長いほど有症率が低いとして
いる。
(a)被爆直後中心地(爆心地から1.0㎞以内の地。以下c項内
では同じ。)に入らなかった屋内被爆者
距離

調査
人数
熱火傷

外傷

発熱

下痢

皮粘膜
出血%
咽喉痛

脱毛

1.5~2.02346.417.516.620.98.13.42.1
2.0~2.52196.816.413.218.75.90.95.4
2.5~3.02363.310.18.814.82.52.12.9
3.0~3.53370.94.13.88.42.60.90.9
3.5~4.02001.03.53.54.02.01.03.0
4.0~4.5305000.91.300.30
5.0~1170001.700.80.8
(b)被爆直後中心地に入らなかった屋外被爆者の場合
距離

調査
人数
熱火傷

外傷

発熱

下痢

皮粘膜
出血%
咽喉痛

脱毛

1.5~2.013256.321.042.836.020.26.718.7
2.0~2.59153.826.335.123.010.96.510.9
2.5~3.07445.913.535.922.96.76.712.0
3.0~3.59518.97.38.412.67.30.20.1
3.5~4.0704.24.27.17.14.24.22.8
4.0~4.574002.701.300
5.0~50002.02.02.004.0
(c)被爆直後中心地に出入りした屋内被爆者の場合
距離調査熱火傷外傷発熱下痢皮粘膜咽喉痛脱毛
㎞人数%%%%出血%%%
1.5~2.01086.533.023.133.312.94.612.9
2.0~2.51025.822.518.630.312.75.86.8
2.5~3.01744.017.820.128.79.77.48.6
3.0~3.51721.78.116.821.54.01.74.0
3.5~4.011104.511.711.72.70.91.8
4.0~4.51190.84.211.716.86.702.5
5.0~761.32.622.319.714.43.95.2
(d)被爆直後中心地に出入りした屋外被爆者の場合
距離

調査
人数
熱火傷

外傷

発熱

下痢

皮粘膜
出血%
咽喉痛

脱毛

1.5~2.06532.326.143.044.424.67.624.6
2.0~2.54030.010.05.030.010.007.5
2.5~3.05719.217.519.228.021.07.212.2
3.0~3.56513.99.223.024.612.34.67.6
3.5~4.0521.83.817.321.05.71.87.6
4.0~4.53203.112.418.79.33.19.3
5.0~427.17.116.614.27.14.22.3
d放影研の調査
デイル・プレストンほか「原爆被爆者における脱毛と爆心地からの
距離との関係」(長崎医学会雑誌73巻特集号251頁)には,①放
影研で行っている寿命調査の対象者について集められた脱毛のデータ
に基づいて脱毛と爆心地からの距離との関係を検討し,既に公表され
ている主要調査結果とも合わせて比較検討を行った,②放影研の寿
命調査集団において脱毛の陽性を報告した被爆者数は,広島で対象者
5万8500人中3857人(うち重度1120人),長崎で2万8
132人中1349人(うち重度287人)である,③脱毛と爆心
地からの距離との関係は,爆心地から2㎞以内での脱毛の頻度は,爆
心地に近いほど高く,爆心地からの距離と共に急速に減少し,2㎞か
ら3㎞にかけて緩やかに減少し(3%前後),3㎞以遠でも少しは症
状が認められている(約1%)が,ほとんど距離とは独立である,④
脱毛の程度は,遠距離にみられる脱毛はほとんどすべてが軽度であっ
たが,2㎞以内では重度の脱毛の割合が高かった,⑤このようなパ
ターンを総合すると,3㎞以遠の脱毛が放射線以外の要因,例えば被
爆によるストレスや食糧事情などを反映しているのかもしれず,特に
低線量域では,脱毛と放射線との関係について論ずる場合や脱毛のデ
ータから原爆被曝線量の妥当性について論ずる場合には注意を要する
と思われる,と記載されている。
e横田賢一らの調査
横田賢一(長崎大学医学部附属原爆後障害医療研究施設)ら「被爆
状況別の急性症状に関する研究」(平成12年3月。広島医学53巻
3号)には,①長崎における被爆距離4㎞未満の1万2905人を
対象に被爆者健康手帳申請時の調査票から得た被爆距離,被爆時の遮
蔽状況及び急性症状に関する情報を基に,遮蔽状況を考慮した急性症
状(特に脱毛)の発生頻度,発症時期及び症状の程度に関して調べた,
②急性症状があったのは,4685人(36.3%)である,③脱
毛の頻度は,被爆距離3㎞未満ではどの距離でも遮蔽なしの場合が遮
蔽ありの場合より高く,2.0~2.4㎞では遮蔽なしが12.5%,
遮蔽ありが5.5%,2.5~2.9㎞では遮蔽なしが8.6%,遮
蔽ありが2.8%であった,④被爆距離別にみた脱毛の程度は,被
爆距離が遠くなるほど重度及び中等度の症例は減っているが,2.0
~2.4㎞においても重度21例,中等度29例,2.5~2.9㎞
で重度13例,中等度15例がみられた,⑤2㎞以遠でも遮蔽の有
無で頻度に明らかな差がみられたこと及び脱毛の程度について2㎞以
遠でも被爆距離との相関がみられたことは,2㎞以遠で起こった脱毛
も放射線を要因としていることが考えられるが,これらのことから直
ちに要因が放射線であると判断することはできず,放射線との因果関
係を調査するためには,染色体分析調査などにより個人レベルで放射
線を受けたことを確認する調査を行う必要がある,と記載されている。
横田賢一ら「長崎原爆における被爆距離別の急性症状に関する研究」
(長崎医学会雑誌73巻特集号)には,①長崎市の被爆者健康手帳
保持者(被曝距離3.5㎞以内の人から3000人を無作為抽出)を
対象とした原爆被爆者調査から得られた急性症状に関する情報を基に
解析を行った,②対象3000人のうち嘔吐,下痢,発熱,脱毛等
の症状があった人は全体の36.2%(1086人)であり,うち2.
0㎞以遠では30%以下であった,③脱毛の頻度は,被爆距離2.
0~2.4㎞では6.1%(672人中41人),2.5~2.9㎞
では3.6%(889人中32人)であり,どの距離でも昭和20年
8月中に約60%が,同年9月中に約30%が発症している,④脱
毛の程度は,被爆距離2.0~2.4㎞で中等度7件及び重度2件,
2.5~2.9㎞で中等度1件及び重度2件の症例がみられた,と記
載されている。
f調来助らの研究
調来助(長崎医科大学外科第一教室教授)らによる「長崎ニ於ケル
原子爆弾災害ノ統計的観察」は,長崎における昭和20年10月から
同年12月までの調査の結果,①爆心地からの距離が2~3㎞の被
爆者については,生存者1739人中56人(3.2%),死亡者1
0人中2人(20.0%)に,②爆心地からの距離が3~4㎞の被
爆者(生存者)1079人中19人(1.8%)に脱毛の発症が見ら
れたとされる。
(オ)検討
aDS86は,日米の物理学,放射線化学等の専門家から成る委員会
において科学的知見を集積,解析して作成された被曝線量推定システ
ムであり,原爆の特性,原爆投下時の気象条件等の要因を考慮した上
で,原爆から放出される光子(電磁波)や粒子の個数及びそのエネル
ギーや方向の分布を基に,空気中での伝播,諸条件下での減衰等を再
現する複雑で高度な計算をコンピューターシステムで処理したもので
ある上,DS86に基づいて推定した被曝線量を前提に放射線影響の
リスクを評価した調査(放影研で実施している原爆被爆者の寿命調査,
健康調査)は,国際放射線防護委員会の勧告の根拠とされている。
そうすると,DS86による初期放射線の線量評価システムは,シ
ミュレーション等による仮説としての性質を有するものの,科学的知
見に基づくものとして,国際的にも受け入れられており,一般的な合
理性を肯定することができる。
そして,前記(イ)のとおり,DS02においては,ニッケル63
による速中性子測定,超低レベルバックグラウンドでのユーロピウム
152による熱中性子測定,塩素36の精度保証付き相互比較測定,
既存のコバルト60,リン32,熱ルミネセンス測定値の検証やバッ
クグラウンドによる測定の誤差等が検討され,DS86における計算
値と測定値との不一致は,測定値の測定に当たってバックグラウンド
線量が計測されたことによるものであって,計算値の問題によるもの
ではないと総括されている。また,これを支持する見解が示されてい
る(小佐古敏荘:東京大学原子力研究総合センター助教授,星正浩・
遠藤暁:広島大学原爆放射線医科学研究所国際放射線情報センター,
佐々木康人:国際医療福祉大学副学長,疾病・障害認定審査会原子爆
弾被爆者医療分科会分科会長,草間朋子:大分県立看護科学大学学長
:同分科会分科会長代理)。
bしかしながら,γ線に関しては,長友教授らの研究では,広島の爆
心地から2.05㎞地点における測定値がDS86による計算値の2.
2倍となっており,また,広島の爆心地から1591~1635mの
5箇所の平均実測値がDS86による計算値より21%多く,測定値
がDS86による計算値を約1.3㎞で超過し始め,この不一致は距
離と共に増加することを示唆されているところ(前記(ウ)a),澤
田昭二名誉教授の指摘によれば,長友教授らが採用しているバックグ
ラウンド線量の値は,これを広島の爆心地から2450mの地点にお
けるγ線量の測定値から差し引くとマイナスの値となるほど大きい値
であるから,上記2.05㎞地点における原爆によるγ線量が過大評
価ではないと考えられる。
熱中性子線に関しては,広島の地上距離約1300m以遠のコバル
ト60測定値は,DS86及びDS02の計算値を上回り,その中に
は極低バックグラウンド施設で測定が行われた測定値も含まれ,また,
極低バックグラウンド施設で行った試料の再測定によるユーロピウム
152の測定値でも,爆心地からの距離が約1400mの地点では計
算値よりも上回る(前記(ウ)b)。
そして,速中性子線に関しては,DS02においても,爆心地から
1470mの地点のニッケル63の測定値は計算値の1.88±1.
72倍とされ,また,DS02の報告書においても,銅試料中の宇宙
線によるニッケル63の計算値は,銅試料について測定された高いバ
ックグラウンドを説明できておらず,これについては更に検討すべき
であるとされている(前記(ウ)c)。
そうすると,γ線については爆心地から約1300m以遠において,
熱中性子線については爆心地から約1300~1400m以遠におい
て,速中性子線については爆心地から約1470m以遠において測定
値が計算値を上回る測定結果となっており,DS02報告書において
もバックグラウンド線量について更に検討の余地があるとされている
ことからすると,DS86における計算値と測定値との不一致の問題
が,バックグラウンド線量の見直しによって完全に解消されたと評価
するには,疑問が残るところである。
cさらに,DS86による初期放射線の計算値によれば,少なくとも
爆心地から2㎞以遠の被爆者に初期放射線被曝による影響を受けた急
性症状が生ずるとは考え難いにもかかわらず,爆心地から2㎞以遠の
被爆者にも,脱毛,紫斑,発熱,下痢,皮下出血等の症状が一定割合
生じたとする調査結果が多数あり,また,これらの全般的な傾向とし
て,爆心地からの距離が遠くなるに従って発症率が低下し,被爆時に
おける遮蔽の有無及び程度によって発症率に差が生じていること(前
記(エ))からすると,これらの症状に初期放射線被曝による影響が
ないと断ずるのは不合理である。
この点,被告は,上記の各調査が被爆者の放射線被曝による急性症
状についての不確かな供述に基づくものであり,被曝による急性症状
を的確に把握したものではないと主張する。そして,脱毛について,
被爆直後の調査結果と15年後以降の調査結果との一致の程度を調査
すると,直後の調査を基準とした場合の症状有りの一致率は74.4
%であるが,後の調査を基準とした場合は42.1%となり,安定し
た回答が得られていないとする長崎大学の横田賢一らによる研究結果
が発表されている。また,上記各調査結果の細部には,爆心地から距
離が遠くなるのに脱毛の発症率が増加している部分なども見られる。
しかし,これらの各調査に疫学的調査としての限界があることを考慮
しても,全般的な傾向としては前記のとおり認めることができるとこ
ろである。
また,確かに,全身被曝による急性放射線症については,一般に約
1Gy以上の線量を体幹など主要部分に被曝すると起こるとされ,国際
放射線防護委員会が平成3年に研究者の研究成果をまとめたところに
よると,一時的脱毛のしきい線量は3Gyとされており,前記(ウ)a
(a)のとおり,長友教授らの研究による広島爆心地から2.05㎞
地点におけるγ線の実測値は0.129±0.023Gyにすぎないが,
この実測値を前提としても,後記のとおり,残留放射線による被曝と
相まって急性症状が生じたと考えることができる。
さらに,被告は,上記各調査結果は,被曝による急性症状の特徴と
整合しない上,上記の各調査結果の脱毛,発熱,下痢等の身体症状は,
自然災害や戦争体験,あるいは,衛生環境ないし健康状態等によって
説明できるものであり,放射線被曝の影響ではない旨主張し,B1,
B2,B3及びB4はこれに沿う供述をする。
確かに,被曝医療や放射線防護の分野において確立した知見と原爆
被爆者の訴える症状に不一致があることは認められ,また,被災等に
よる心身の負担や衛生環境等から脱毛等の身体症状が発症しうること
は否定できないところである。
しかし,上記被告主張に係る見解は,被曝治療の分野における研究
の成果であり,被爆者の実態に即した研究・検討によるものではなく,
被曝治療に関する専門的知見がどの範囲まで通用性を有するかについ
ては疑問がないとはいえない。被爆者に生じた急性症状を説明できる
十分な理由がない限り,放射線と身体症状が無縁であると断定する部
分は必ずしも採用できないというべきである。
また,原爆被爆者の急性症状は,遮蔽の有無,爆心地からの距離あ
るいは入市の時期,滞在時間等と相関関係が認められるのは前記のと
おりであるところ,上記の心身の負担や衛生環境等を原因とした場合
には,このような相関関係を説明することはできない。この点につき,
被告は,JCO臨界事故においては,周辺住民は,身体症状を発症す
るような放射線に被曝していないことが明らかであるにもかかわら
ず,様々な身体症状を発症しており,その発症率は,JCO施設から
離れるに従って減少していくことが統計的に有意に認められたことを
指摘し,原爆被爆者の急性症状様の症状と遮蔽の有無,爆心地からの
距離あるいは入市の時期,滞在時間等と相関関係も精神的影響の差に
よって説明することができると主張するが,上記のJCOの事案にお
いては,体調不良として,頭痛,目眩,発疹等をあげるのみであり,
脱毛,発熱,下痢等の事例を扱うものではなく,JCO施設への不安
感や不快感を示すものということはできたとしても,原爆被爆者の急
性症状様の症状と遮蔽の有無,爆心地からの距離あるいは入市の時期,
滞在時間等との相関関係を精神的影響の差により説明できるものとは
いえない。
したがって,上記の明石らの見解を踏まえても,被爆者に生じた急
性症状を説明できる十分な理由があるとはいえず,放射線と被爆者の
身体症状との間に関係がないと認めることはできず,これらが原爆の
放射線被曝によるものでなく,他の原因によるものであるとする被告
の主張は採用できない。
d以上によれば,DS86による初期放射線量の計算値は,少なくと
も爆心地から約1300m以遠において実際より過小に評価されてい
る可能性があるというべきであるから,爆心地から約1300m以遠
の被爆者については,この可能性を考慮する必要がある。被告は,そ
のDS86による計算値と実測値との乖離は,人の健康被害という視
点からは無視し得ると主張するが,前記のとおり爆心地から2㎞以遠
の被爆者に初期放射線被曝による影響を否定し難い症状が生じている
ことを示す調査結果があることからすると,上記可能性を否定するこ
とには,なお慎重であるべきである。
ウDS86による残留放射線及び放射性降下物による被曝線量推定等の合
理性について
(ア)旧審査方針の定めとその根拠
a旧審査方針別表10は,誘導放射能による外部被曝線量について,
広島においては原爆爆発から72時間以内に爆心地から700m以内
に,長崎においては原爆爆発から56時間以内に爆心地から600m
以内に,それぞれ入った場合に,同表に従って算定するものとしてい
る。
同表は,グリッツナー及びウールソンの研究報告に基づき策定され
たものであり,DS86による初期放射線(中性子線)の被曝線量評
価を前提としている。グリッツナー及びウールソンの計算の過程は,
①爆心からの距離ごとに入射中性子スペクトルを計算し,入射中性
子スペクトルのエネルギー,方向及び数を決定する,②次に,土壌
中の元素の種類,含有量及び放射化断面積を基に,生成された放射能
量を計算する,③さらに,誘導放射能から放出されたγ線が地上1
mに達するまでのγ線の透過の計算をして,線量率(単位:R/時間)
を求め,人体への被曝影響と結び付けるために空気中の組織カーマ(単
位:Gy)に換算する,というものであり,線量率が時間とともに減衰
する結果となっている。
bまた,旧審査方針は,放射性降下物による被曝線量について,原爆
投下の直後に特定の地域に滞在し,又はその後,長期間に渡って当該
特定の地域に居住していた場合について定めており,具体的には己斐
又は高須(広島)にあっては0.6~2cGy,西山3,4丁目又は木
場(長崎)にあっては12~24cGyとしている。
これは,DS86報告書において,①放射性降下物は,爆心地よ
り約3000mの距離で,広島では西に向けて,長崎では東に向けて
発生した,②爆発1時間後から無限時間まで地上1mの位置での放
射性降下物によるγ線の積算線量を推定した結果の大部分はよく一致
しており,西山地区(長崎)で20~40R,己斐・高須地区(広島)
で1~3Rとなり,これを吸収線量に換算すると,西山地区(長崎)
で12~24rad(cGy),己斐・高須地区(広島)で0.6~2rad(cGy)
となる,とされていることに基づくものである。
cさらに,旧審査方針は,内部被曝による被曝線量を特に算出してい
ない。これは,内部被曝による被曝線量が0.01cGy以下と極微量
であったとされたことによるものである。
すなわち,①DS86報告書において,長崎で放射性降下物が最
も多く堆積した地域である西山地区の住民につき,昭和44年及び昭
和56年にホールボディカウンターにより測定した長命のγ線放出放
射性核種であるセシウム137の内部負荷のデータを用い,Medical
InternalRadiationDoseCommittee法により身体を通じて一様な分布を
仮定して,セシウム137からの内部被曝線量を推定したところ,昭
和20年から昭和60年までの40年間の積算線量は男性で10
mrad(0.01cGy),女性で8mrad(0.008cGy)と推定された
こと,②広島で放射性降下物がみられた地域での人の体内被曝につ
いては,長崎のような調査は行われていないが,広島の放射性降下物
の量が長崎の約10分の1以下であることから,体内被曝についても
上記長崎の場合の約10分の1以下と考えられるという放射線被曝者
医療国際協力推進協議会編「原爆放射線の人体影響1992」の葉佐
井博巳(広島大学工学部応用理化学教授)らの執筆部分に示された見
解に基づいている。
dそこで,旧審査方針の前提とされたこれらの見解の合理性について,
以下検討する。
(イ)誘導放射線に関する知見
証拠によれば,次の各事実が認められる。
a橋詰雅らは,「広島・長崎における中性子誘導放射能からのガンマ
線量の推定」(昭和45年)において,中性子によって土壌及び建築
材料(屋根瓦,煉瓦,アスファルト,木材及びコンクリート・ブロッ
ク片)に誘導された放射能からのγ線量を実験データに基づいて推定
した結果について,「土壌中の誘導放射能からのγ線量は,主として,
ナトリウム24及びマンガン56に負うものであることが判明した。
原爆投下後1日目に広島の爆心地付近に入り,そこに8時間滞在した
者の推定被曝線量は3radである。広島の爆心地から500m及び1
000mの距離における線量は,それぞれ爆心地の線量の18%及び
0.07%であった。爆発直後から無限時間までの累積γ線量は,広
島では爆心地で約80rad,長崎では同じく約30radであると推定さ
れた。」と報告している。
bエドワード・T・アラカワは,「広島および長崎における残留放射
能」(原爆傷害調査委員会〔ABCC〕業績報告書〔昭和37年〕)
において,次のとおり報告している。
(a)中性子誘発放射能の強さは数種の方法によって推定すること
ができるが,これらの方法を用いて得た結果は,どの方法によって
も中性子誘発放射能を正確に推定することは不可能であることを示
す。しかし,同じくこの結果によれば,いずれの方法の示す最高線
量も多数の人に有意の放射線照射をもたらすことはないであろう。
さらに結果が最も信頼できると思われる方法が示す線量は,生物学
的に明らかに有意性を持たないと考えられる。
(b)熱中性子断面積及び広島の地盤を構成している花崗岩の化学
分析の結果を利用して土壌1g当たりの誘発放射能を推定し,空中
の放射線量に換算した結果,広島においては爆発時より無限時まで
の積算線量は183radと推定された(第1法)。
上記土壌1g当たりの誘発放射能推定値に基づき,既知の放射性
同位元素崩壊率を利用した空中線量換算法を用い,直接積算を行っ
て空中の放射線量を算出した結果,広島における爆発時より無限時
までの積算線量は72radと計算された(第2法)。
広島及び長崎の土壌標本を原子炉照射して放射能を測定し,この
測定値に基づいて第2法同様に直接積算による線量を算出した結
果,爆発時より無限時までの積算線量は,広島では24rad,長崎で
は4radとなった(第3法)。
Borg及びConardにより実施された中性子による放射能誘発の方
法を用いて第3法で使用した土壌中の安定したナトリウム及びマン
ガンの量を測定し,この測定値を基礎にして各種核兵器実験報告に
現れた土壌中の化学的成分及びその核兵器の重量に対応する産生量
に関する資料を参考として誘発放射能を算定した結果,爆発1時間
後から無限時に至る広島の爆心地における積算放射線量は183
radとなった(第4法)。
(c)第4法による算定結果と第1法による結果との一致は,これ
らの方法がいずれも土壌中の放射能を空中の放射線量に換算してい
る点がほとんど同じであることから,予期されていたものである。
第3法による算定は,一切の計算が他の資料による外挿を要するこ
となく直接に行われるから,4方法中最も信頼できると考えられる。
cDS86報告集第6章を取りまとめた岡島らは,前記a,b等の広
島・長崎の土壌に中性子を照射して誘導放射線量を測定する研究から,
爆発直後から無限時間を想定した爆心地における積算線量を,広島に
ついて約80R,長崎について30~40Rと推定し,これを組織吸
収線量に換算すると,広島については約50rad(0.5Gy),長崎に
ついては18~24rad(0.18~0.24Gy)になるとしている。
d葉佐井博巳(広島大学工学部応用理化学教授)らは,「原爆放射線
の人体影響1992」に掲載された「残留放射能」という論文におい
て,グリッツナーとウールソンの論文に基づいて誘導放射能による被
曝線量の推定を行った結果,①爆心における爆発直後から無限時間
までの積算線量の約80%は1日目が占めており,2日目から5日目
までの線量が約10%,6日目以降の総線量が約10%を占め,②爆
心における爆発直後から無限時間までの積算線量を距離別に比較する
と,広島については爆心地で80R,500mで9.1R,1000
mで0.17R,1500mで0.0048Rとなり,長崎について
は,爆心地で40R,500mで3.4R,1000mで0.096
R,1500mで0.0028Rとなったことを明らかにしている。
e放影研は,原爆の中性子放射化について,「原爆から放出された放
射線の90%以上はγ線で,残りが中性子線でした。中性子線には,
γ線とは異なり,放射性でない原子を放射性の原子に変える性質があ
ります。爆弾は地上よりかなり上空で爆発したので,爆弾から放出さ
れた中性子線は,地上に届いても弱いものでしかありませんでした。
ですから,原爆中性子線によって生じた誘導放射能は,ネバダ(アメ
リカ南西部),マラリンガ(オーストラリア南部),ビキニ環礁,ム
ルロワ環礁などの核実験場で生じたような強い汚染ではなかったので
す。」という見解をホームページで明らかにしている。
f日本学術会議原子爆弾災害調査報告書刊行委員会「原子爆弾災害調
査報告集」(昭和28年)に掲載された故島本光顕,海野源太郎「原
子爆弾における放射能性物質,特に生体誘導放射能について」という
論説には,①広島の爆心地から500mの地点で被爆して昭和20
年9月8日に死亡した男性の遺体について,同月12日に誘導放射能
を測定したところ,大半の臓器からβ線の放出が検出され,また,記
録が流失しているものの,血液からも相当強い放射能が認められたこ
と,②同月9日,京大病院に入院していた被爆者の尿を測定したと
ころ,β線の放出が検出されたことが,記述されている。
齋藤紀は,上記①は人体が誘導放射化されることを,上記②は初期
放射線(中性子線)による人体放射化が長く遷延していることを,そ
れぞれ示しているという意見を表明している。
g佐々木康人(国際医療福祉大学副学長,疾病・障害認定審査会原子
爆弾被爆者医療分科会分科会長)及び草間朋子(大分県立看護科学大
学学長:同分科会分科会長代理)の意見
(a)原爆から放出された中性子線と建物,地面等を構成する元素
の原子核とが核反応を起こし,それにより新たに放射性核種が生じ
ること(放射化)があり,この新たに生じた放射性核種からの放射
線を誘導放射線と呼ぶ。
(b)誘導放射線による累積被曝線量の80%は1日目(原爆投下
当日)に受けるものであり,誘導放射化に寄与する放射線は中性子
線だけであってγ線は関係しない。中性子によって誘導される放射
性核種の量は,①中性子のエネルギーと量(中性子フルエンスに
よって表される),②土壌や建物に含まれる安定元素の量と,個
々の安定元素の中性子による放射化の程度(放射化断面積によって
表される)によって決まるが,中性子のエネルギーと中性子フルエ
ンスは,爆心からの距離と共に減少し,中性子量(フルエンス)は
爆心から1㎞で500分の1になる。
上記の2点を考慮した場合,中性子によって誘導された放射性核
種で有意な被曝をもたらす可能性のある核種は,アルミニウム28,
マンガン56,ナトリウム24で,物理的半減期はそれぞれ2.3
分,2.6時間,15時間であり,アルミニウム28の放射能は1
時間以内に減衰してしまう。爆発後の火災の発生等を考えると1時
間以内に誘導放射性物質が問題になる地域に立ち入ることは不可能
であったと考えられる。また,誘導放射性物質の物理的半減期を考
慮すれば,爆発後の被曝線量率は,1時間後を1.0とした場合,
2時間後,8時間後,1日後,1週間後には,それぞれ0.44,
0.082,0.022,0.0021と急激に減少する。
中性子は爆央から大気中を伝播する過程において大気中の水蒸気
等との相互作用により,急速にエネルギーを低下させ熱中性子へ変
化するところ,熱中性子の吸収によって生ずる捕獲反応は,ホウ素,
カドニウム,ユーロピウム,カドリニウム等の元素に限られ,これ
らの元素の土壌中での存在は極めて低く,被曝に寄与することはほ
とんどない。したがって,爆心から離れるほど放射化反応は弱くな
り,誘導放射線の量も少なくなる。
そこで,疾病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会として
は,誘導放射線による有意な被曝がもたらされる地域として爆心か
ら700m(広島),600m(長崎)以内を,核種としてマンガ
ン56及びナトリウム24を考慮すればよいと判断している。
(c)人体を構成する物質には放射化される元素(アルミニウム,
ナトリウム,マンガン,鉄等)は極めて微量(体重1kg当たりの含
有量はアルミニウムが0.857mg,ナトリウムが1.5g,マン
ガンが1.43mg,鉄が86mgである。)しか存在せず,また,
そのすべてが放射化されるわけではない。人体には体重の60%以
上の水分(水は中性子の吸収体である。)が存在し,体表面に近い
部位に存在するこれらの元素のごく一部が放射化されるにすぎな
い。さらに,放射化された元素の半減期は短いので,被救護者の人
体が有意な放射線源となることはないと考えて差し支えない。
h厚生労働省健康局総務課(担当者:医療専門官医師医学博士中神佳
宏)は,前記(ア)aのグリッツナーらのデータに基づいて,爆心地
におけるアルミニウム28の累積被曝線量を算定したところ,広島に
おいて0.48Gy,長崎において0.336Gyとなったが,それだ
け被曝するには,爆発直後から爆心地にいなければならず,生存して
いる確率は極めて少なく,また,爆風等でアルミニウム28が飛散し
遠隔地に移動し,その影響で被曝したと仮定しても,その被曝線量は
上記値を超えることはあり得ないから,多くの研究者が被曝線量評価
にアルミニウム28を採用していないのには一定の合理性があると結
論付けている。
i平成11年9月30日に株式会社JCO加工工場において臨界事故
が発生し,3人の作業員が被曝した。放射線医学総合研究所の「ウラ
ン加工工場臨界事故患者の線量推定最終報告書」(平成14年)は,
平成11年10月1日に,人体がどの程度の放射線源となるかのTL
D測定が行われた結果について,1時間当たりの等価線量を最大で1
0.1μSvと報告している。
(ウ)放射性降下物に関する知見
証拠によれば,次の各事実が認められる。
a大阪帝国大学の淺田常三郎教授らは,昭和20年8月10日,広島
市において原爆の調査に着手し,同月11日,同市内数か所から砂を
採取し,ガイガーミュラー計数管を使用して放射能を測定したところ,
己斐駅付近において放射能が高いことが確かめられた。
b京都帝国大学の荒勝文策教授らも,昭和20年8月10日,広島市
において原爆の調査に着手し,同月13日及び同月14日,同市の内
外約100か所において数百の試料を採集し,ガイガーミュラー計数
管を使用して放射能を測定したところ,己斐駅に近い旭橋付近で採集
された試料に比較的強い放射能が認められた。
c理化学研究所の山崎文男らは,昭和20年9月3日及び同月4日,
広島市内外に残留するγ放射線の強度をローリッツェン検電器を使っ
て測定した。その結果,爆央附近に極大値をもつバックグラウンドの
およそ2倍程度のγ放射線の残留することを認めたほかに,己斐から
草津に至る山陽道国道上において,古江東部に極大をもつ上記爆央附
近に見たのと同程度のγ放射線の存在を確かめた。
d昭和20年9月から同年10月にはマンハッタン技術部隊が,同月
から同年11月には日米合同調査団が,広島及び長崎において放射能
測定を行った。日米合同調査団の調査では,広島の100か所,長崎
の900か所においてガイガーミュラー計数管を用いた放射能測定が
行われたところ,両爆心地と風下にあたる広島市の西方3.2㎞の高
須地区,長崎市の東方2.7㎞の西山地区で放射能が高いことが確か
められた。
e初期調査における線量率のデータ(長崎)
Tyboutは,マンハッタン技術部隊が行った上記調査に基づいて,長
崎の西山地区における爆発1時間後から無限時間を想定した積算線量
を算定し,これを29R(Wilsonにより引用されたデータ)又は24
~43R(McRaneyらによる西山貯水池近くでの最大値範囲の見積も
り)と報告した。
PaceとSmithは,米国のNavaIMedicalResearchInstitute(NMRI)
が昭和20年10月15日から同月27日に長崎において行った調査
に基づいて,長崎の西山地区における爆発1時間後から無限時間を想
定した積算線量を最大で42Rと報告した。
f初期調査における線量率のデータ(広島)
(a)藤原武夫(広島文理科大学物理学教室教授)らは,昭和20
年9月,広島において,1mの高度でローリッツェン検電器を用い
た放射線量の測定を行い,広島の己斐・高須地区における爆発1時
間後から無限時間を想定した積算線量を1Rと報告した。
藤原武夫らは,昭和20年9月,昭和21年8月及び昭和23年
1月ないし同年6月の3回にわたって,広島市内及びその近郊にお
いて,ローリッツェン電気計を地面上約1mに保持して,その放射
能を測定したところ,①第1回測定時においては,放射能の強度
が極大な地区は,爆心地のほかに市の西郊(己斐・高須地区周辺)
にもあったこと,②第1回測定時においては,爆心から約800
m離れれば放射能は標準値と同程度に帰するが,特異現象が認めら
れた地点においては必ずしもそうではなく,かなりの放射能が認め
られる地点もあること,③降雨地帯特に豪雨地帯での放射能は,
第3回測定時において他より幾分強い傾向を示しており,しかも同
一の峠路又は川筋に沿って測定点を採った場合,己斐峠付近の測定
値を除き,海抜の低い地点ほど放射能が強くなっている傾向がある
こと,との結果が得られたとする。
(b)Tyboutは,マンハッタン技術部隊が広島市において行った上
記調査に基づいて,広島の己斐・高須地区における爆発1時間後か
ら無限時間を想定した積算線量を1.2Rと報告した。
(c)Paceらは,NMRIが昭和20年11月1日及び2日に広島
市において行った調査に基づいて,広島の己斐・高須地区における
爆発1時間後から無限時間を想定した積算線量を0.6~1.6R
と報告した。
(d)宮崎らは,昭和21年1月27日から同年2月7日まで,広
島市においてNeher宇宙線チャンバーを用いた測定を行い,広島の
己斐・高須地区における爆発1時間後から無限時間を想定した積算
線量を3Rと報告した。
gミラーは,昭和57年,核実験による放射性降下物の影響が大きく
なる以前の昭和31年に採取されたセシウム137の測定データに基
づいて,長崎の西山地区における爆発1時間後から無限時間を想定し
た積算線量を40Rと報告した。これは,昭和20年におけるセシウ
ム137のmCi/㎢を,すべての放射性核種からの爆発後1時間から無
限大までのmR単位での累積的被曝に換算するために300倍する必
要があるとの考え方に立って算定したものである。
h静間清らは,広島の原爆投下3日後に理化学研究所の仁科芳雄博士
により爆心地から5㎞以内で収集された土壌試料中のセシウム137
濃度を測定し,すべての核分裂生成物による放射性降下物の累積線量
に換算した(静間清ら「広島原爆の早期調査での土壌サンプル中のセ
シウム137濃度と放射性降下物の累積線量評価」平成8年)。これ
による放射性降下物の無限時間を想定した積算線量は,強い放射性降
下物地域を除く爆心地から5㎞以内では0.12±0.02Rであり,
己斐・高須地区の強い放射性降下物地域では4Rであった。
i静間清は,高須地区の家屋の壁に残っていた黒い雨の痕跡に含まれ
ているセシウム137の濃度を測定したところ,前記hの積算線量の
前提となった土壌サンプル(己斐橋付近のもの)中のセシウム137
の濃度とほぼ一致していること,その濃度は,各国が行った大気圏核
実験の結果生じ全地球的に拡散して降下したセシウム137の濃度の
8分の1であることを明らかにし,「セシウム137測定データから
の集積線量の推定値も基本的には線量率からの推定値と一致すべき値
である。長崎の場合,DS86報告書のセシウム137測定データか
らの集積線量の推定値は線量率からの推定値とよく一致している。広
島の場合にはセシウム137測定データからの集積線量の推定値がこ
れまで報告されていなかったが,本研究でそのデータを得ることがで
きた。その値は3.7Rとなり,線量率からの推定値よりやや高いが
ほぼ一致している。」と結論付けている。
jエドワード・T・アラカワは,「広島及び長崎被爆生存者に関する
放射線量測定」(原爆傷害調査委員会〔ABCC〕業績報告書〔昭和
35年〕)において,「原爆の一次放射線を除けば,広島及び長崎の
被爆生存者が有意線量を受けたという証左は殆どない。中性子に誘発
された放射能は事実存在したが,これは恐らく被爆者が受けた総線量
に殆ど寄与しなかったものと思われる。昭和29年のビキニ核実験に
よりマーシャル群島住民及び日本漁船“福龍丸”が受けた種類及び程
度の降下物の局地的落下は,両市にはなかった。日本における放射性
降下物が少量であったのは2つの因子による。すなわち1つには日本
に投下された爆弾はキロトン級のもので,そのエネルギーはビキニの
メガトン級の約1000分の1であった。2つにはビキニにおける局
地的に見られた降下物は主として大気に吸い込まれた土及び破壊物
で,それが中性子によって放射能を持つようになった。その大きな粒
は降下物の形をなして大地に再び落下した。しかし広島及び長崎の場
合,空中で爆発したので火球は大地に接触しなかったので,上述のよ
うな事実は殆ど惹起しなかった。」と報告している。
k放影研は,放射性降下物について,「広島・長崎の原爆は地上50
0-600mの高度で爆発しました。そして巨大な火球となり,上昇
気流によって上空に押し上げられました。爆弾の中にあった核物質の
約10%が核分裂を起こし,残りの90%は火球と一緒に大気圏へ上
昇したと考えられています。その後火球は冷却され,放射線物質の一
部が煤と共に黒い雨となって広島や長崎に降ってきましたが,残りの
ウランやプルトニウムのほとんどは恐らく大気圏に広く拡散したと思
われます。当時,風があったので,雨は爆心地ではなく,広島では北
西部(己斐,高須地区),長崎では東部(西山地区)に多く降りまし
た。プルトニウム汚染については,原爆後早期に長崎で行われた測定
がありますが,ウランまたはプルトニウムが核分裂して生じる放射線
原子の中で,フォールアウトによる線量への寄与が最も大きい原子(セ
シウム137)からの放射能レベルよりもはるかに低いレベルでした。
広島におけるウランの測定については,放射能レベルが低いため,測
定値の解釈は困難です。」という見解をホームページで明らかにして
いる。
l佐々木康人(国際医療福祉大学副学長,疾病・障害認定審査会原子
爆弾被爆者医療分科会分科会長)及び草間朋子(大分県立看護科学大
学学長:同分科会分科会長代理)の意見
(a)黒い雨は,火災によりすすが捲き上げられ雨と共に降下した
ものであり,放射性降下物と必ずしも同じではない。黒い雨の原因
となる炭素は,放射化断面積が3ミリバーンであり,放射化されに
くい核種であるから(例えば,鉄の放射化断面積2.81バーンの
900分の1),黒い雨が有意な放射能を有するわけではない。
(b)疾病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会では,放射
性降下物による被曝に関しては,地上に降下して沈着している放射
性降下物からの外部被曝(全身被曝)のみを考慮している。外部被
曝に寄与する放射線はγ線のみであり,空気中及び皮膚組織内での
飛程の関係でα線やβ線は外部被曝に寄与しない。
また,同分科会では,外部被曝線量の評価に当たっては,地面か
ら1mの地点での線量を評価しているが,これは,被曝する人々の
放射線影響を考慮すべき重要な臓器,組織は,体幹部にあり,様々
な作業態様を考慮した場合の臓器の平均的な高さが地上1mと考え
られるからである。広い範囲の地面にほぼ均等に付着した放射性降
下物からの外部被曝線量は,地面からどの位置(高さ)で計測して
も値が変わるものではない。
(c)疾病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会では,放射
性降下物が皮膚に付着したことによる被曝は,皮膚に付着したまま
の放射性降下物の量が少ないことから線量を評価する必要はないと
判断している。放射性降下物が直接皮膚に付着して相当量の被曝が
あったとすれば,紅斑,水疱等の放射線皮膚障害が生じたはずであ
るが,黒い雨を直接浴びた場合であっても,急性皮膚障害がみられ
たとの報告はない。
(d)最近の報告では,米国から返還された長崎の原爆被爆者の遺
体5体のセシウム137を測定した結果では,有意な量のセシウム
137は検出されていないことが明らかにされている。体内にセシ
ウム137が吸収されていれば,遺体となった場合には,体内のセ
シウム137が物理的半減期約30年で減少するから,60年経過
した時点でも,セシウム137は4分の1が残っているはずである。
m宇田道隆(文部省学術研究会議原子爆弾被害調査委員会第一分科C
班広島管区気象台気象技師)ら「気象関係の広島原子爆弾被害調査報
告」(原子爆弾災害調査報告書,昭和28年)
同報告は,宇田道隆ほか2名が昭和20年8月から同年12月まで
に収集した資料に基づいてとりまとめたものである。概要は次のとお
りである。
(a)昭和20年8月6日,広島は,夜半来快晴で午前6時ころか
ら薄曇となり,午前8時5分陸風から海風に交代を始め,まず静穏
に近い状態であったが,降雨状況は,原爆投下後20分~1時間後
に降り始めたものが多く,終雨時は午前9時~9時30分から始ま
り午後3時~4時ころまでにわたっており,降雨の範囲は爆心付近
に始まって,広島市北西部を中心に降って,北西方向の山地に延び
遠く山県郡内に及んで終わる長卵形を成している。
継続時間2時間以上の土砂降りの甚だしい豪雨域は白島の方から
三篠,横川,山手,広瀬,福島町を経て己斐,高須より石内村,伴
村を越え戸山,久地村に終わる長楕円形の区域であり,相当激しい
継続時間1時間ないしそれ以上の大雨域は,長径19㎞,短径11
㎞の楕円形ないし長卵形の区域を成し,少しでも雨の降った区域は
長径29㎞,短径15㎞に及ぶ長卵形を成している(以下,上記報
告にいう雨域を「宇田雨域」という。)。
1~2時間黒雨が降った後は続いて白い普通の雨が降った。
降雨域,降雨継続時,始雨時,終雨時のいずれの分布をみても,
爆心位置から北西方向に引いた線に対し著しく北側に偏倚し,前線
帯を中軸とするかのような特殊の分布を示している。
(b)広島の場合は,驟雨現象が特に局部的に激烈顕著でかつ比較
的広範囲で,雨水は黒色の泥雨を呈したばかりでなく,その泥塵が
強烈な放射能を呈し人体に脱毛,下痢等の毒性生理作用を示し,魚
類の斃死浮上その他の現象を現した。
長崎では広島に比しはるかに小規模な驟雨現象があったにすぎな
いが,おそらく広島の場合のような前線帯が現れなかったことと,
火災がずっと小規模であったことが,一般気象による成雨条件のほ
かの大きな因子となったからであろう。
(c)己斐高須方面の人は原爆投下後約3か月にわたって下痢する
ものがすこぶる多数に上ったが,水道破壊のため井戸水,地下水を
飲用したことが関与するものと考えられる。
大気中の塵埃は1~2時間の雨水洗滌によりおおむね除去され,
これが地上に降ったため,この降下量の多い地区すなわち広島市西
方の高須己斐方面に高放射能性を示すに至ったのであろう。
爆発後の高須己斐方面の放射能の著大な分布は降雨による持続的
な放射性物質の雨下,特に爆弾による高放射能物質の混在と南東気
流による降灰中に放射能物質を含有しその最も強く高須己斐方面に
指向されたためであろう。
n増田善信(元気象研究所予報研究部)「広島原爆後の“黒い雨”は
どこまで降ったか」(平成元年)
増田善信は,気象官署の資料,宇田道隆らの聴取調査資料,増田善
信が昭和62年6月に行った聴取調査及びアンケート調査等を基に,
広島原爆後の黒い雨の雨域,降雨継続時間,降雨開始時刻,推定降水
量の分布図を作成し,調査したが,その結果の主なものは次のとおり
である(以下,上記調査にいう雨域を「増田雨域」という。)。
(a)少しでも雨の降った区域は,爆心より北西約45㎞,東西方
向の最大幅約36㎞に及び,その面積は約1250㎢(宇田雨域の
約4倍の広さ)に達する。
(b)この区域以外の爆心の南ないし南東側の仁保,海田市,江田
島向側部落,呉,さらに爆心から約30㎞も離れた倉橋島袋内など
でも黒い雨が降っていたことが確認された。
(c)1時間以上雨が降ったいわゆる大雨域も,宇田らの小雨域に
匹敵する広さにまで広がっていた。
(d)降雨域内の雨の降り方は極めて不規則で,特に大雨域は複雑
な形をしている。
(e)推定降水量の図から,爆心の北西方約3~10㎞の己斐から
旧伴村大塚にかけて,100㎜を超す豪雨が降っていたことが推定
され,これは宇田らの推定とほぼ一致するものであり,また,20
㎜を超える大雨が降ったところが数か所あり,爆心から北西方約3
0㎞も離れた加計町穴阿では40㎜に近い集中豪雨があったものと
考えられる。
(f)爆心のすぐ東側の約1㎞の地域では,全く雨が降らなかった
か,降ったとしてもわずかであったと考えられ,しかも,この地域
を取り囲んで20㎜又はそれ以上の強雨域が馬蹄形に存在してい
た。
(g)黒い雨には原爆のキノコ雲自体から降ったものと爆発後の大
火災に伴って生じた積乱雲から降ったものとの2種類の雨があった
ものと考えられ,これは宇田らの推論と同じである。
もっとも,増田善信は,この調査の資料には,原爆投下直後から4
3年近く経った当時までのものが混在しており,記憶の薄れたものも
あり,また,当初は黒い雨を過少に報告する傾向が強かったと考えら
れる反面,宇田らの大雨域が健康診断特例地域に指定されてからは,
地域指定を進める運動と関連して過大に報告する傾向が強くなったと
考えられ,このような社会的な背景を考慮して資料を評価する必要が
あることを指摘する。そして,増田善信は,本調査において,雨の降
り方について3種類の設問を含んだアンケートを実施し,聴取調査に
参加した者にもアンケートを提出してもらうように努めて,相互に矛
盾のない回答が得られているかどうかを確かめ,できるだけ信頼のお
ける資料の入手に努めるとともに,各種資料を併用し,総合的に判断
するよう努めたとする。
o黒い雨に関する専門家会議「黒い雨に関する専門家会議報告書」(平
成3年)
広島県及び広島市が昭和63年8月に設けた「黒い雨に関する専門
家会議」(放影研理事長重松逸造を座長とし,委員10人,オブザー
バー2人から成る。)において,原爆投下直後に降った黒い雨の実態
と,その雨に含まれていた放射能による人体への影響について,科学
的,合理的に解明する方法の有無及びその有効性について検討され,
同報告書において,その結論が報告された。その概要は,次のとおり
である。
(a)残留放射能の推定
昭和51・53年度に採取された試料(爆心地から半径30㎞範
囲の107地点から採取された土壌)は昭和30年以降の原水爆実
験による放射性降下物(セシウム137)を多量に含んでおり,測
定値間の有意差についても広島原爆の放射性降下物によるものと断
定する根拠は見当たらなかった。
昭和51・53年度の測定結果と宇田・増田両降雨地域とは,い
ずれも相関がみられなかった。
両降雨域について,土壌に含まれるウラン235や屋根瓦中のセ
シウム137の測定による検討がされたが,有意な結論は得られな
かった。柿木のストロンチウム90の測定は進行中であり,報告時
(平成3年5月)までの結果では,黒い雨との関連は確定できなか
った。
(b)気象シミュレーション計算法を用いた降雨地域の推定
放射性降下物となる線源として,火の玉によって生じた原爆雲,
衝撃波によって巻き上げられた土壌等で形成された衝撃雲,及び火
災煙による火災雲の3種について検討し,広島では,原爆雲の乾燥
大粒子の大部分は北西9~22㎞付近にわたって降下し,雨となっ
て降下した場合には大部分が北西5~9㎞付近に落下した可能性が
大きいことが分かり,衝撃雲や火災雲による雨(いわゆる黒い雨)
の大部分は北北西3~9㎞付近にわたって降下した可能性が大きい
と判断された。この降雨地域の推定は,宇田雨域の範囲とほぼ同程
度(大雨地域)であるが,火災雲の一部が東方向にはみ出して降雨
落下しているとの計算結果となり,また,原爆雲の乾燥落下は北西
の方向に従来の降雨地域を越えていることが推定されるが,その後
の降雨等でこれらの残留放射線量は急速に放射能密度を減じてい
る。
この気象シミュレーション法を用いて推定した長崎の降雨地域
は,これまでの物理的残留放射能の証明されている地域と一致する
ことが確認された。
気象シミュレーション法によって得られた放射性降下物量,地上
での分布データ等を用いて最大被曝線量の推定を行った結果,広島
原爆の残留放射能による照射線量率は,炸裂12時間後で1時間当
たり約5R(最大積算線量:無限時間照射され続けたと仮定すると
約25rad)と推定された。
(c)体細胞突然変異及び染色体異常頻度の検討
黒い雨に含まれる低線量放射線の人体への影響について,赤血球
のMN血液型決定抗原であるグリコフォリンA蛋白(GPA)遺伝
子に生じた突然変異頻度及び末梢血リンパ球に誘発された染色体異
常頻度の検討がされた。
GPAに関しては,己斐町,古田町,庚午町,祇園町などの降雨
地域に当時在住し黒い雨に曝された40名(男性20名,女性20
名)と,対照地域に当時在住し黒い雨に曝されていない53名(男
性21名,女性32名)について調査した結果,降雨地域に統計的
に有意な体細胞突然変異細胞の増加を認めなかった。染色体異常に
関しては,降雨地域60名(男性29名,女性31名),対照地域
132名(男性65名,女性67名)について検討したが,どの異
常型においても統計的有意差は証明されなかった。
p前記hの静間清らの研究においては,22サンプル中11サンプル
についてセシウム137が検出されたところ,上記11サンプル中の
3サンプルは宇田雨域に含まれていないが増田雨域に含まれ,2サン
プルは増田雨域に含まれるが宇田雨域の境界上にあり,5サンプルは
両雨域に含まれているがセシウム137は検出限界より低かった(な
お,上記5サンプルは増田雨域では小雨域に相当するのがほとんどで
ある。)。また,両雨域に含まれない3サンプルからは放射能は検出
されなかった。静間清らは,セシウム137の沈着と広島市内の降雨
域の比較から,降雨域は以前提案されたものよりも広いことを示して
いるとする。
増田善信は,上記静間らの研究により,少なくとも旧広島市内の放
射能分布は宇田雨域よりも増田雨域のほうが合理的であることが確か
められたとし,また,増田雨域は,藤原武夫教授らの調査(前記f(a))
に基づく残留放射線に分布と良く対応していることが確かめられたと
する。
(エ)内部被曝に関する知見
証拠によれば,次の各事実が認められる。
a佐々木康人(国際医療福祉大学副学長,疾病・障害認定審査会原子
爆弾被爆者医療分科会分科会長)及び草間朋子(大分県立看護科学大
学学長:同分科会分科会長代理)の意見
(a)被曝線量が同じ場合には,内部被曝でも外部被曝でも,放射
線による健康被害は同程度である。内部被曝と外部被曝が異なるの
は,①外部被曝では透過性の放射線(γ線及び中性子線)しか被
曝に寄与しないのに,内部被曝では放射性核種から放出されるβ線
やα線も問題となること,②内部被曝では,放射性核種が体内に
存在する間は,放射性核種から放出される放射線により被曝し続け
るが,外部被曝と違い,徐々に被曝する連続被曝であることである。
内部被曝の線量は,①に関しては,線量換算係数を用いて全放射線
を考慮して線量を算定しており,②に関しては,物理的半減期及び
生物学的半減期を考慮して,預託線量(放射線核種が摂取された時
点から生涯にわたる線量を評価する。)として評価している。
(b)最も放射性降下物の多かった西山地区の住民を対象としたホ
ールボディカウンタによる実測結果を基に算定した40年間の内部
被曝線量(全身)は,0.1mSv(男性)及び0.08mSv(女性)
と推定されているところ,自然放射線であるラドンによる肺の被曝
線量は,全世界の平均で1年間に約10mSv,全身線量に換算して
約1mSv(UNSCEAR2000)であるから,これを下回る。
(c)中性子によって放射化される原子は,建物や地面等に含まれ
ているものであり,放射化の際にこれらが物理的に破砕されて粉塵
が発生するわけではないから,誘導放射化された物質が空中を浮遊
するとは考えられない。また,放射化される原子が土壌や建物中に
占める割合は高くなく,空気中に放出された放射性核種の量が有意
な被曝線量をもたらすことは想定し得ない。仮に大気中に誘導放射
性核種が付着した粉塵があったとしても,吸入摂取の場合は粒子径
が1μm以下のものでないと肺胞にまで到達しないが,衝撃塵に含
まれる粉塵の粒径は1μmよりも大きい。比較的粒径の小さいと考
えられる火災塵の場合には,その主成分の基になる木材に含まれる
安定ナトリウム及びマンガンの存在比は極めて小さいため,火災塵
の中に有意な内部被曝線量をもたらす誘導放射性核種が含まれてい
たとは考えにくい。
誘導放射化された放射性物質の物理的半減期(マンガン56が2.
6時間,ナトリウム24が15時間)を考慮すると,誘導放射性核
種を含む食物を摂取する機会は小さい。
水は中性子の吸収体であるから,水の中の原子が放射化されるこ
とはないし,食物も一定の水分を含むため,水と同様に考えること
ができる。放射性物質を含む水を飲んだとしても,生物学的半減期
により時間と共に減少し,マンガン56及びナトリウム24を経口
摂取した場合の内部被曝線量は極めて少なく,これらの誘導放射線
により健康に影響を与えるような被曝がもたらされるほどの量を摂
取する可能性はない。
(d)ホット・パーティクル理論は,プルトニウムの放射線防護基
準を設定する際に持ち上がったもので,α線を放出するプルトニウ
ムが沈着した細胞のごく近傍の細胞に高いエネルギー(線量)を与
え,これにより重大な健康被害(肺がん等)が引き起こされる可能
性があるとした考え方で,放射線科学の常識(人体の健康影響を考
える場合に臓器,組織の平均線量を考えること)に異を唱えるもの
である。
ホット・パーティクル理論によれば,ホット・パーティクル(具
体的にはプルトニウム)が沈着した組織の細胞は集中的に高線量を
受け細胞死を来すことになる。ところが,確率的影響であるがん化
が起こるためには,突然変異が起こった細胞が生き残り,何世代に
もわたる細胞分裂の繰り返しが必要であるのに,ホット・パーティ
クル理論によれば,細胞死により以後の細胞分裂が起こらないため,
がん化はあり得ない。また,確定的影響は臓器,組織を構成する多
数の細胞が細胞死を起こした場合に生ずる影響であるのに,ホット
・パーティクルにより細胞死を起こす細胞はわずかであり,生存し
た細胞で代償されて臓器や器官の機能が低下することはない。
したがって,ホット・パーティクル理論は,実際の人体影響を説
明することができない。
(e)1Gyの被曝がもたらされる場合の1回の摂取量は,マンガン
56で4GBq(ギガベクレル),ナトリウム24で2.3GBqで
あり,これだけのマンガン56やナトリウム24を摂取するために
は,DS86報告書第6章で示されている広島の土壌の組成から計
算すると,マンガン56であれば36kg,ナトリウム24であれば
111kgの土壌中の全量を1人で摂取することが必要となるとこ
ろ,このような量の放射性物質の摂取の機会は考えられない。
(f)医療の現場においては,核医学の分野では放射性核種を投与
して,診断に役立てており,核医学検査によって一定量の内部被曝
が起きているが,それによる人体影響はないという前提において核
医学診断が行われている。核医学診断では身体の特定の部位に集ま
る放射性核種を投与し,99mTc-MDP(テクネシウム99mリン
酸塩)を用いた場合は骨等に,ヨード123を用いれば甲状腺組織
に集まるが,その場合の線量は,99mTc-MDPを用いた場合で0.
0075Gy,ヨード123を用いた場合で0.0013Gyとなり,
原爆による内部被曝(0.0001Gy以下)の場合より被曝線量は
高い。
b石榑信人(放射線医学総合研究所放射線安全センター防護体系構築
研究グループ)は,①原爆の爆発に伴って生成される核分裂生成物
のうち,セシウム137及びストロンチウム90の半減期は30.0
4年及び28.74年であり,いずれも20年後に60%以上が残っ
ている,②様々な核分裂生成物を摂取した場合,20年後(昭和4
0年)にはセシウム137とストロンチウム90以外のほとんどの核
種は減衰しているから,長時間の内部被曝を評価する上で着目すべき
核種はセシウム137及びストロンチウム90である,③体内に取
り込まれた放射性核種は,その放射性壊変による減衰だけではなく,
各元素特有の代謝過程を経て徐々に排泄され,体内の放射能が実際に
半減する時間は半減期より短くなる,④国際放射線防護委員会のモ
デルによれば,セシウム137は10%が生物学的半減期2日で,9
0%が生物学的半減期110日で体外へ排泄され,10年後には7.
3×10-11
に減衰し,ストロンチウム90は飲み込まれたもののう
ち70%が吸収されずに便として排泄され,血中に吸収された30%
も10年後にはほとんど肝臓には残っていない(血液に1Bq注入され
ても,10年後に軟組織全体に残留しているのは1.2×10-4
Bq
に減衰する。),⑤長崎の浦上川の水面へのセシウム137の降下
量は最大でも1㎠当たり3.3Bqと推定され,核分裂による生成量が
セシウム137より少ないストロンチウム90の降下量もこれを超え
ないと考えられるところ,水面に降下した放射性核種は,被災日夕方
には,一部は水に溶解,拡散し,水中に沈降し,川の流れにより下流
に運ばれることにより,かなりの割合が除去され,両核種の量は,そ
れぞれ1㎠当たり3.3Bqよりかなり少なかったと考えられる,⑥
被爆者が,浦上川の水1ℓ(水面付近の縦,横,深さ各10cmの領域
を仮定)を飲んだと仮定しても,その放射能は,セシウム137,ス
トロンチウム90のいずれも330Bq以下となるところ,両核種から
肝臓が50年間に受ける線量の合計は,国際放射線防護委員会の線量
換算係数によると,セシウム137で4.6×10-6
Sv,ストロンチ
ウム90で2.2×10-7
Svとなる,⑦これは自然放射線により肝
臓が受けると考えられる線量の1万分の1以下である,という見解を
示している。
c英国バーミンガム大学のチャールズらは,放射性微粒子(ホット・
パーティクル)によるような空間的に不均一な被曝は,同量のエネル
ギーが組織全体に均一に沈着する場合より,ずっと発がん性が高いと
示唆されてきたが,生体内と試験管内の実験的知見及び人間の疫学的
データからは,全体的にはこれと反対の見解が支持され,国際放射線
防護委員会が提唱するような平均的な線量が発がんリスクの適切な評
価になることが示唆されるとする論文を明らかにしている。
また,国際放射線防護委員会は,上記の研究を受け,不均一被曝の
余剰効果が細胞不活化の相違によって説明されるとは思われないとの
見解を示している。さらに,欧州放射線リスク委員会が示したホット
・パーティクル理論による発がんリスクを否定する見解を公にしてい
る。
d市川定夫(埼玉大学名誉教授)は,内部被曝の特徴として,次の点
を指摘する。
(a)γ線のように飛程の長い放射線の線量は,線源からの距離の
2乗に反比例するから,体外に放射性核種が存在する場合に受ける
体外被曝と比べて,それが体内に入った場合に受ける体内被曝の線
量は,格段に大きくなる。
(b)α線やβ線は飛程距離が短く,生物組織の中ではα線が0.
1㎜以内,β線が1㎝以内しか透過しないから,これらを放出する
核種が体内に入ると,その放射線のエネルギーのほとんどすべてが
吸収される。殊にα線の生物効果は大きく,1Gyで10~20Sv
にもなり,短い飛程距離の中で集中的に組織にエネルギーを与えて
多くの遺伝子を切断するのみならず,電離密度が大きいために,D
NAの二重らせんの両方が切断され,誤った修復をする可能性が増
大する。
(c)人工放射性核種には,生体内で著しく濃縮されるものが多く,
例えば放射性ヨウ素は甲状腺,放射性ストロンチウムは骨組織,放
射性セシウムは筋肉及び生殖腺というように,核種によって濃縮さ
れる組織や器官が特異的に決まっているため,特定の体内部位が集
中的な体内被曝を受けることになる。
(d)継時性の問題があり,体外被曝と異なり,体内被曝の場合に
は,その核種が体内に沈着・濃縮され,その核種の寿命に応じて体
内被曝が続くことになる。例えば,半減期が28年のストロンチウ
ム90が骨組織に沈着すると,β崩壊を繰り返し,また,ストロン
チウム90が崩壊して生じるイリジウム90もβ線を放出するた
め,長年にわたって,その周辺においてβ線の体内被曝が続く。
e安齋育郎(立命館大学国際関係学部教授)は,次のとおりの見解を
示している。
(a)外部被曝が総じて体外からの一時的な被曝であるのに対し,
内部被曝の場合,体内に入り込んだ放射性物質が放出する放射線に
よって局所的な被曝が継続するという特徴を持つ。例えば,骨組織
に沈着したプルトニウム239は,ウラン235,トリウム231,
プロトアクチニウム231,アクチニウム227,トリウム227,
ラジウム223,ラドン219,ポロニウム215,鉛211,ビ
スマス211,タリウム207,鉛207などと変化していくが,
その過程で,α線,β線,γ線などを放出し,周囲の組織に被曝を
与える。
(b)細胞膜は溶液中の放射性イオンからの放射線に敏感であって,
低線量でその影響を受けるとの報告があるところ,長期間に及ぶ内
部被曝の結果,外部被曝の場合とは異なる態様において細胞組織の
DNAの損傷等が生じる可能性がある。
(c)このような内部被曝の影響は,微小な細胞レベルで生じるた
め,吸収線量や線量当量といったマクロな概念によっては正確に評
価されない可能性がある。例えば,放射線が組織1kg中に与えた平
均エネルギーが等しくても,組織全体が平均的に浴びたのか,それ
とも特定の細胞が集中的に浴びたのかによって影響が異なり得るに
もかかわらず,これらの単位は,局所的に生じた被曝について,そ
の影響を1kgの組織全体に対する被曝として平均化してしまうか
らである。
(d)長崎原爆投下の約1か月半後の昭和20年9月23日から昭
和21年春にかけて長崎に駐屯していたアメリカ海兵隊員の間に多
発性骨髄腫の発生が取り沙汰された際,①誘導放射能による外部
被曝,②核分裂生成物のフォールアウトによる外部被曝,③粉
塵の吸入による内部被曝,④汚染した水の摂取による内部被曝の
評価を試みたが,放射性物質を含む大気の吸引,放射性物質の傷口
への付着と経皮吸収,飲料水や食料に含まれた放射性物質の種類と
濃度及びその経時変化などを知ることは極めて困難であった。この
評価の結果,未分裂のプルトニウム239の摂取に伴う内部被曝の
評価が最も重要であり,更に詳細な研究が求められること等が示唆
された。
f矢ヶ崎克馬(琉球大学理学部教授)は,次のとおりの見解を示して
いる。
(a)外部被曝の場合には,透過力の小さい(飛程の短い)α線及
びβ線は,放射線物質が身体のすぐ近くにある場合を除き,身体内
部には届かず,届いても皮膚表面近くで止まってしまい,透過力の
大きいγ線だけが身体を貫く。
他方,内部被曝の場合,飛程の短いα線及びβ線は身体の中で止
まってしまうので,放出された時に持っていた全エネルギーが周囲
の細胞組織を作っている原子の電離等に費やされる。
(b)内部被曝では,次のような特徴がある。
①放射性微粒子が極めて小さい場合,呼吸で気管支や肺に達し,
飲食を通じて腸から吸収されたり,血液やリンパ液に取り込まれ
たりして,身体の至る所に巡回し,親和性のある組織に入り込み,
停留したり沈着する。
②身体中のある場所に定在すると放射性微粒子の周囲にホット・
スポットと呼ばれる集中被曝の場所を作る。
③放射性物質が体外に排泄されるまで継続的に被曝を与え続け
る。
(c)体内に入った放射性微粒子が1か所に停留している場合は,
ホット・スポットといわれる集中的に電離作用を受ける領域が形成
される。ホット・スポットの被曝影響は,放射性微粒子の大きさ,
放射性原子核の半減期等の特性,放射性微粒子の滞在時間等によっ
て大きく異なる。
国際放射線防護委員会による従来の評価方法は,吸収線量の計算
母体を臓器又は全身に置き,均一な被曝を仮定し平均値を求めるも
のであるのに対し,ホット・スポット周囲では,ホット・スポット
内で高密度電離が行われているのに,ホット・スポットから離れる
と電離は存在しない。
このようなホット・スポットのある不均一な被曝状況は,均一の
場合より大きな危険度を含んでいる。
(d)DNAの鎖2本が同時に切断されると(二重鎖切断),誤っ
た修復がされる確率が増加し,その結果,誤った遺伝情報を伝えた
り,異常細胞を生成,成長させたり,細胞を死滅させることが,分
子生物学において解明されている。密集した電離を行う放射線ほど
二重鎖切断の確率を高める。細胞核の内部にはDNAが詰まってお
り,α線が細胞核を直接ヒットすると,DNAに高密度電離を与え
てDNAの二重鎖が切断され,遺伝子が間違った再結合をする場合
がある。
(e)DNAの損傷は,放射線が細胞核を直接貫く場合のほか,細
胞質内部の水分子の電離作用等を媒介として,間接的なプロセスで
行われることも明らかとなっている。
(f)近時,α線を照射した細胞の周辺の,放射線を照射されなか
った細胞に損傷が及ぶバイスタンダー効果と呼ばれる放射線影響が
知られるようになった。米国コロンビア大学のHeiらが行ったマイ
クロビーム装置を使ってα線を細胞に直接当てる実験では,α線を
細胞核に当てた場合に20%の細胞が死滅し,ほとんどの細胞が異
常となるが,α線を細胞質に当てたときも多くの細胞が異常細胞と
なるという結果となった。
g澤田昭二(名古屋大学名誉教授)は,次のとおりの見解を示してい
る。
(a)放射性物質を体内に取り込んだとき,水溶性又は油溶性の場
合には,放射性物質が原子又は分子のレベルで体内に広がり,元素
の種類によって特定の器官に集中して滞留することが起こる。ヨー
ドが甲状腺に集まるとか,リン及びコバルトが骨髄に集まるなどで
ある。こうした場合は,尿等の排泄物等から取り込んだ放射性物質
の量を推定することができる。ところが,水溶性又は油溶性でない
放射性微粒子が取り込まれ,微粒子がある程度の大きさを保ったま
ま固着すると,その周辺の細胞が集中して被曝する(ホット・パー
ティクル理論)。この場合に,沈着した部位を特定することは,か
なり持続的に強い放射線を出し続けるようなときを除いて,困難で
あり,排泄物から推定することもできない。このような放射性微粒
子による影響は,微粒子の大きさ,微粒子に含まれる放射性元素及
び放出される放射線の種類に大きく依存する。この影響を生物学的
効果比のように単純な因子で表現することも困難である。
(b)広島原爆では,核分裂しなかったウラン235約45kgのほ
とんどが放射性降下物となって降下したと考えられる。これらが酸
化ウランの微粒子になったとすると,直径5μmの酸化ウランの微
粒子には,1兆6100億個のウラン235の原子核(半減期4億
2900万年。1年間にα崩壊する確率は約10億分の1)があり,
この微粒子が体内に取り込まれてホット・スポットになって停留を
続けると,1年間に放出するα粒子の個数は1580個となり,微
粒子周辺のα粒子の飛程距離内組織は127Svの被曝線量当量を
毎年浴び続けると算定され,さらに,ウラン235の原子核がα崩
壊とβ崩壊を繰り返すため,6個のα粒子と4個の電子を放出し,
これらの放射線粒子による被曝が継続することになる。したがって,
内部被曝によって,国際放射線防護委員会の設定した一般人に対す
る年間許容被曝線量0.001Svをはるかに超える被曝を局所的に
受けることとなる。
(c)長崎原爆では,核分裂しなかったプルトニウム239約10
kgは放射性降下物となって降下したと考えられる。これらが酸化プ
ルトニウムの微粒子になったとすると,直径5μmの酸化プルトニ
ウムの微粒子には,1兆6700億個のプルトニウム239の原子
核(半減期2万4110年。1年間にα崩壊する確率は約2.88
×10-5
)があり,この微粒子が体内に取り込まれてホット・スポ
ットになって停留を続けると,年間に放出するα粒子の個数は47
90万個となり,微粒子周辺のα粒子の飛程距離内組織は年間27
2万Svの線量当量(細胞が死滅する線量)を被曝すると算定され
る。さらに,プルトニウム239のα崩壊後のアクチニウム系列の
崩壊による被曝が加わる。
(d)急性外部被曝の場合は,外部の様々な方向から放射線によっ
て照射されたとしても,ほぼ一様に被曝するため,生体組織1kg当
たりの吸収エネルギーというような平均的な量である吸収線量によ
って被曝影響を評価することができる。これに対し,放射性微粒子
による内部被曝の場合は,ホット・スポットの直近の球殻の細胞組
織が集中して継続的な強い被曝を受け,これに次ぐ影響をその周り
の球殻が受ける。微粒子の大きさによっては2か月間に10Gy以上
を被曝し,球殻内の細胞が死滅してしまうような被曝も考えられる。
微粒子の大きさによっては,がんや遺伝的影響のような晩発性の障
害を引き起こしやすい被曝線量を浴びせる可能性がある。したがっ
て,器官組織全体の吸収線量のような被曝影響評価では,内部被曝
の影響を評価することに適していない。
(e)一つの放射線粒子のエネルギーは数万~数百万電子ボルトで
あり,一方,細胞内のDNA等の分子の1個の電子が電離するエネ
ルギーは10電子ボルト程度であるから,1個の放射線粒子が電離
させる電子の数は数千~数十万個に達する。これらの電離によって
切断された分子の大部分は元通りに修復されるが,電離によって破
壊された分子の中には正しく修復されずに染色体異常,突然変異等
を起こし,急性症状,がん等の晩発的症状を引き起こす可能性があ
る。1個の放射線粒子が1gの組織に与えるエネルギーは,被曝線
量が0.0001mGyと極めて低線量であるが,それでも細胞のミ
クロのレベルでは急性症状や晩発的症状につながる変化が生じてい
る可能性がある。
(f)入市被爆者が爆心地付近に入り,中性子線によって誘導放射
化された残留放射能を帯びた微粒子を体内に取り込んだ場合には,
入市の日にもよるが,一般に半減期が数時間以上から数年間,ある
いはそれ以上の放射性原子核から放射された放射線によって体内被
曝する。特に土埃に含まれる半減期84日のスカンジウム46や半
減期5.3年のコバルト60,セシウム134による被曝が問題に
なる。
(オ)低線量被曝に関する知見
証拠によれば,次の各事実が認められる。
aアリス・スチュワートらは,予備的報告「幼児期の悪性腫瘍と胎内
医療被曝」(昭和31年)において,英国で昭和28年から昭和30
年までの間に白血病又は悪性腫瘍により10歳未満で死亡した子54
7例のうち,85例が胎児期に母が腹部にX線照射を受けていたこと
(対照集団では45例にすぎない。)から,X線検査という外見上害
のなさそうな検査が,時として出生前の子に白血病やがんを引き起こ
し得るという事実を示唆しているとしている。
bドロシー・D・フォードらは,「診断用X線への胎児期被曝と小児
期における白血病その他の悪性疾患」(昭和34年)において,昭和
26年から昭和30年にかけて米国ルイジアナ州で行った調査結果
も,上記aの調査結果と実質的に符合するとしている。
cブライアン・マクマホンは,「胎児期の放射線被曝と幼児のがん」
(昭和37年)において,①昭和22年から昭和29年までに米国
北東部の37の大規模産科病院で出生し死亡することなく退院した7
3万4243人の新生児集団から,無作為に1%の標本集団を抽出し
たところ,7242件の単胎妊娠のうち770件(10.6%)にお
いて,腹部ないし骨盤部のX線照射が記録されていたが,単胎妊娠に
よる556件のがんによる死亡症例のうち85件(15.6%)が胎
児期のX線被曝を経験していた,②このようにがん罹患集団では対
照群に比し胎児期放射線照射の頻度が高かったが,その差は統計的に
有意であった,③影響を及ぼし得る変数との間接的な関連について
補正した後は,放射線被曝群は非被曝群よりもがんによる死亡率が約
40%高いと判断された,としている。
dH・ベントレイ・グラス(ジョンズ・ホプキンス大学)らは,「5
レントゲンの放射線被曝によるショウジョウバエの膨腹部黒色化の突
然変異効果」(昭和37年)において,ショウジョウバエを用いてレ
ントゲンの放射線照射と突然変異率の関係を調査したところ,放射線
線量を5Rまで下げても,突然変異率が放射線線量と比例関係を保つ
という結論を暫定的ではあるが下すことができるとしている。
eスパロー博士(米国ブルックヘブン国立研究所)らは,ムラサキツ
ユクサの雄蕊毛が1列の細胞群からなり,各雄蕊毛が,主として頂端
細胞の分裂の繰返しによって発達(細胞数増加)し,頂端から2番目
の細胞も分裂するが通常1回限りであり,また,頂端細胞又は次頂端
細胞で青い色素を作る優性遺伝子に突然変異が起こると,雄蕊毛に劣
性遺伝子の働きによるピンク色の細胞が現れるという性質を利用し
て,微量放射線と突然変異率の関係を調べたところ,0.25radの
X線や0.01radの中性子といった低線量域まで,突然変異率と線
量の間に直線関係があることが確認されたとする。
f市川定夫(埼玉大学名誉教授)は,ムラサキツユクサ以外の動植物
や人体でも確かめられたとする微線量放射線の影響の例を紹介すると
ともに,低線量放射線被曝に関して,①γ線については,原子の軌
道電子に衝突すると,電子にエネルギーの一部を与えるとともに初め
と異なった方向に散乱するが(コンプトン効果,コンプトン散乱),
コンプトン散乱が起こると,γ線は散乱放射線となること,②生体
が放射線の存在を認識したときには,アポトーシスなどの細胞の防御
機能が働くが,被曝線量が微少である場合には,生体が被曝を認識し
ないために防御機能が働かないまま放射線の影響を受けてしまうとい
う逆線量率効果が,ペトカウによって実験的に確認されているが,こ
のような効果が人体にないという報告もないこと,③②の仮説が認
められると,線量反応関係が直線比例関係にあると思われてきた従来
の前提が根底から覆されることを指摘する。
g佐々木康人(国際医療福祉大学副学長,疾病・障害認定審査会原子
爆弾被爆者医療分科会分科会長)及び草間朋子(大分県立看護科学大
学学長:同分科会分科会長代理)の意見
総線量が同じであれば,長時間かけての被曝(慢性被曝)の影響は,
1~数回の被曝(急性被曝)の影響より少ないことが知られている。
放射線による細胞死によって発生する組織障害(確定的影響)は,
1Gy以上でなければ生じないが,確率的影響であるがんは1Gy未満
でも生じ得る。放射線による細胞核のDNA切断が間違って修復され
た場合に,この細胞が基になって長い間に多段階の遺伝子変異が起こ
ってがんが発生すると考えられているため,たとえ1個の細胞であっ
てもDNA切断が間違って修復された場合にはそれをきっかけにがん
が発症するおそれがある。
確率的影響について放射線起因性を考察する際には,疫学調査を基
にリスクを算出するのが妥当であるが,低線量において放射線の影響
を立証するには,すべての人々が平均毎年2.4mSvの自然放射線を
受けていることも考慮すると,非常に大きな母集団を長い年月にわた
って調査する必要がある。UNSCEARでは固形がんの場合,疫学
的に有意な結果を得るための母集団の数は,目的とする線量が0.1
cGyでは10億人,1cGyでも1000万人と疫学の実践的限界を大
きく超える母集団が必要であるとしている。低線量においては,この
ような規模の母集団を持つ調査でなければ,調査結果は事実上大きな
不確実性を含み,信頼性が低いものである。
分子生物学的手法と,一つの細胞や核を照射することができるマイ
クロビーム装置を利用して,放射線影響の細胞レベルでの機構解明が
進んでいるが,この研究とこれまでの疫学研究や動物実験を組み合わ
せることによっても,低線量放射線の生体影響は解明に至っていない。
(カ)入市被爆者に関する調査等
証拠によれば,次の各事実が認められる。
a於保源作論文
於保源作医師が昭和32年に発表した「原爆残留放射能障碍の統計
的観察」によれば,原爆投下の瞬間には広島市内にいなかった非被爆
者で被爆直後入市した人(629人)について調査した結果,中心地
(爆心地から1.0㎞以内)に入らなかった入市者104人について
は,入市時期が昭和20年8月6日から同年9月5日までの95人,
同月6日から同年12月5日までの9人いずれについても,熱火傷,
外傷,発熱,下痢,皮粘膜出血,咽喉痛及び脱毛のいずれについても
有症者はいなかったのに対し,中心地に入った入市者525人につい
ては,入市時期に応じて次のとおりの症状がみられた。
入市月日別百分率
入市日
調



全身衰
弱%
外傷

発熱

下痢

皮粘膜
出血%
咽喉痛

脱毛

8月6日8416.6017.833.310.73.58.3
8月7日21435.0039.339.37.42.83.2
8月8日7830.7035.835.815.33.83.8
8月9日17005.829.411.705.8
8月10日1717.60017.65.8011.7
8月11日616.7050.033.333.300
8月12日16006.2018.76.26.2
8月13日714.2014.20000
8月15日316.4012.925.83.203.2
8月20日
まで
2611.503.811.53.803.8
9月5日
まで
283.50003.500
同論文は,得られた調査結果を総括して観察したところ,①原爆
投下直後に中心地に入らなかった屋内被爆者の有症率は平均20.2
%であるが,屋内で被爆してその後中心地に入った人々の有症率は3
6.5%で前者より高い,②屋外被爆者でその直後中心地に入らな
かった人々の有症率は平均44.0%であり,同様の屋外被爆者で直
後中心地に入った人々の有症率は51.0%で上記のいずれの人より
も高率であった,③原爆投下時に広島市内にいなかった非被爆の人
で原爆投下直後広島市内に入ったが中心地には出入りしなかった10
4人にはその直後急性症状は見出されなかったが,同様の非被爆者で
原爆投下直後中心地に入り10時間以上活躍した人々ではその43.
8%が引き続いて急性症状と同様の症状を起こしており,しかもその
2割の人には高熱と粘血便のあるかなり重傷の急性腸炎があった,と
している。
b暁部隊についての調査
広島市は,昭和44年1月,「広島原爆戦災誌」の編集に当たり,
いわゆる暁部隊のうち,原爆投下当時安芸郡江田島幸の浦基地(爆心
地から約12㎞)にいた陸軍船舶練習部第10教育隊所属201人(幸
の浦基地救援隊。昭和20年8月6日の原爆投下当日基地から舟艇に
より宇品に上陸して,正午前広島市内に進出し,直ちに活動を開始し,
負傷者の安全地帯への集結を行い,同日夜から同月7日早朝にかけて
中央部へ進出し,主として大手町,紙屋町,相生橋付近,元安川で活
動し,同月12日ないし13日まで活動して,幸の浦に帰還した。)
及び豊田郡忠海基地(爆心地から約50㎞の忠海高等女学校駐屯)の
陸軍船舶工兵補充隊所属32人(忠海基地救援隊。同月7日朝から東
練兵場,大河,宇品その他主要道路沿いなど広島市周辺の負傷者の多
数集結場所において救援を行った。)の合計233人を対象とするア
ンケート調査を行った。
その結果は,①出動中の症状として,2日目(昭和20年8月8
日)ころから,下痢患者多数続出し,食欲不振がみられ,②基地帰
投直後の症状(軍医診断)として,ほとんど全員白血球3000以下
となり,下痢患者が出て(ただし,重患なし),発熱する者,点状出
血,脱毛の症状の者も少数ながらあり,③復員後経験した症状とし
ては,倦怠感168人,白血球の減少120人,脱毛80人,嘔吐5
5人,下痢24人であり,④調査時(昭和44年)の身体の具合と
しては,倦怠感112人,胃腸障害40人,肝臓障害38人,高血圧
27人,鼻・歯の出血27人,白血球減少23人,めまい20人,貧
血15人であった。
上記調査によれば,対象者が従事した救護作業の内容は,死体の収
容176人,火葬146人,負傷者の収容(安全と思われる随時の1
か所に集める。)134人,輸送(所定の臨時救護所に送り届ける。)
98人,道路・建物の清掃90人,遺骨の埋葬59人,収容所での看
護59人,焼跡の警備37人,食糧配給27人,などとされている。
c賀北部隊についての調査(NHK広島局・原爆プロジェクトチーム
「ヒロシマ・残留放射能の42年[原爆救援隊の軌跡](昭和63年)」
広島地区第14特設警備隊(いわゆる賀北部隊)の工月中隊は先発
隊が昭和20年8月6日深夜に,他は同月7日昼ころに西練兵場(爆
心から約500m)に到着し,その周辺において死体処理及び救護に
従事していたが,その隊員99人に対するアンケート等調査の結果,
32人が放射線障害による急性障害に似た諸症状を訴え(内10人が
2症状,3人が3症状を訴えていた。),その内訳は出血14人,脱
毛18人,皮下出血1人,口内炎4人,白血球減少11人であった。
上記文献に収録されている加藤寛夫(放影研疫学部長)ら「賀北部
隊工月中隊の疫学的調査」は,①上記症状を訴えた者のうち脱毛6
人(内3分の2以上頭髪が抜けた者3人),歯齦出血5人,口内炎1
人,白血球減少症2人(これらの内2人は脱毛と歯齦出血の両症状が
現れていた。)は,ほぼ確実な放射線による急性症状があったと思わ
れる,②推定被曝線量は,最も多く受けたと思われる先発隊でも最
大11.8rad,平均5.1radであり,全隊員の平均は1.3radと少
なかったのであるが,このような調査対象者中に,たとえ若干名であ
ろうと急性放射線症状(脱毛,歯齦出血,白血球減少症等)を示した
者があったと思われることは,被曝当時の低栄養,過酷な肉体的・精
神的ストレス等に起因するものが混在していたにせよ,通常この程度
の外部被曝線量ではこのような急性症状がないと考えられていること
からすると興味深いものがある,③もし,放射線による急性症状と
すれば,特殊環境下における人体の放射線に対する抵抗性の低下によ
ることも考えられるし,また,飲食物による内部被曝の影響の可能性
も否定し切れない,④ただし,フォールアウトによる被曝線量はほ
とんど無視することができることが今回の調査で明らかになった,⑤
被爆後42年間の死亡追跡の結果,死亡率は全国の平均死亡率と変わ
らず,がん死亡は多くはなかったが,早期入市者に死亡に至らない種
々の疾病,障害があった可能性については,今後とも追究する必要が
あろう,と記載している。
上記文献に収録されている鎌田七男(広島大学原爆放射能医学研究
所血液学研究部門教授)「賀北部隊工月中隊における残留放射線被曝
線量の推定-染色体異常率を基にして-」は,賀北部隊工月中隊に所
属し昭和20年8月7日から7日間西練兵場近くで救護活動に従事し
た10人の隊員と2人の対照者の染色体分析を行ったところ,上記隊
員の染色体異常率は非常に少なく,染色体異常数に基づく被曝線量の
推定式に当てはめるとせいぜい10rad前後と考えられたとする。
d日本原水爆被害者団体協議会のアンケート調査の結果
齋藤紀は,平成16年に日本原水爆被害者団体協議会が行ったアン
ケート調査結果について,広島で原爆投下当時に爆心地から4㎞以遠
におり,その後爆心地から2㎞以内へ入市したが,昭和20年8月6
日にみられた黒い雨には直接曝露しておらず,同年末ころまでに脱毛
を呈した集団(29人)を対象に分析を行い,その結果に基づき,次
のとおり意見を述べる。
(a)脱毛事例は,昭和20年8月6日の入市者が14人(48%),
同月7日の入市者が8人(28%)と両日に76%が集中しており,
両日の入市者においては,脱毛の症状は珍しくない事象とみること
ができ,それ以降の入市者の脱毛事例集計が減少していることは,
残留放射線の経時的減衰の反映であると理解することができる。
(b)しかし,被曝11日目(昭和20年8月16日)から15日
目(同月20日)まで毎日爆心地付近へ出入りした者に,著明な脱
毛を生じた事例があるなど,後期に入市した者にも脱毛が認められ
た。
(c)爆心地から1.8㎞の広島駅や松原町では,誘導放射線のレ
ベルは爆心地と比べれば総体としては低かったと理解することがで
きるが,脱毛発症者が認められた。
(d)1.8㎞付近への入市者で脱毛を発症した事例は,昭和20
年8月6日,同月7日の入市のみならず同月9日,同月15日の入
市でも確認されており,これは,同地域における残留放射線の経時
的減衰を考慮すれば,外部被曝としての脱毛のしきい値は一層低値
と成らざるを得ない。
(e)以上からすれば,被爆後一定期間の経過後も,広島市内(爆
心地から約2㎞以内)一円は脱毛をもたらすような放射能汚染が継
続していたと考えられる。
e広島県立三次高等女学校の生徒の調査
原爆被害者相談員の会所属の相談員は,昭和20年8月19日から
同月25日までに広島市の本川国民学校(爆心地から約350m)に
被爆者救護隊として派遣された広島県立三次高等女学校の生徒のうち
氏名等が判明した23人(生存者10人,死没者13人)を対象とし
て,平成16年4月以降に対象者本人又はその遺族の聴取調査をした。
本人又は遺族で聴取りができたのは,19人(生存者7人,死没者1
2人)である。
聴取りができた生存者7人中6人は急性症状として脱毛,下痢,倦
怠感等を回答し,1人は覚えていないと回答している。死因が判明し
た死没者11人中,7人ががん(白血病2人,卵巣がん1人,肝臓が
ん2人,胃がん1人,膵臓がん1人)により死亡している。
f濱谷正晴(一橋大学大学院社会学研究科教授)は,日本原水爆被害
者団体協議会において昭和60年に実施した調査の結果を分析したと
ころ,①入市被爆者については38.8%(1414人中548人)
に,救護被爆者については28.6%(199人中57人)に急性症
状ととらえ得る症状が発症していること,②入市被爆者及び救護被
爆者で急性症状ととらえ得る症状が発症した上記575人中,発症個
数が16個のうち5~7個の者が21.4%(123人)であり,被
爆距離2~3㎞以内の被爆者における割合19.3%(550人中1
06人)とほぼ同率であった。
g田中煕巳(日本原水爆被害者団体協議会事務局)は,その作成した
平成17年3月25日付け「広島・長崎原爆の入市被爆者・遠距離被
爆者の放射線障害に関する意見書」において,①原爆投下時には遠
隔の都市にありながら,夫の安否をたずねて爆心地付近を捜索して残
留放射線に被曝し,急性放射線障害で死亡した事例,②遠距離(3.
6㎞)で被爆して爆心地で捜索活動をした結果,急性原爆症で死亡し
た事例,③遠距離(3.2㎞)で被爆して翌日から爆心地に滞在し,
1か月後に急性原爆症が発症した事例を紹介している。
(キ)検討
a誘導放射線について
前記(ア)aのとおり,旧審査方針においては,誘導放射能による
外部被曝線量について,広島においては原爆爆発から72時間以内に
爆心地から700m以内に,長崎においては原爆爆発から56時間以
内に爆心地から600m以内に,それぞれ入った場合に,旧審査方針
別表10に従って算定するものとしているところ,同表は,グリッツ
ナー及びウールソンの研究報告に基づいて作成されたものであり,そ
の計算過程に不合理なところはなく,また,DS86報告書第6章を
とりまとめた岡島らの報告は,広島・長崎の土壌に中性子を照射して
誘導放射線量を測定する研究の成果を踏まえたものであることからし
ても(前記(イ)a~c),同表の数値は,科学的知見に基づく一定
の根拠を有するものということができる。
しかしながら,旧審査方針別表10の値は,誘導放射能から放出さ
れたγ線が地上1mに達するまでのγ線の透過の計算をした線量率を
前提とするものであるところ,一般に線量は線源から距離の2乗に反
比例することとの関係において,誘導放射化された物質が被爆者の身
体や衣服に直接接触し,又は体内に取り込まれる等した場合について,
上記の前提が常に妥当するか疑問の余地がある。上記前提は,考慮す
べき線源が均等に分布している状態(面線源として平行線束に近似)
を想定したものであるが,土壌の厚さのばらつき等があることを考慮
すると,誘導放射化された物質の影響を,面線源に解消されない点線
源として考慮すべき場合が果たしてないかどうか,疑問の余地がある。
また,広島の被爆者の遺体から,人体の誘導放射化を示すものとす
る見解もある(前記(イ)f)。
そして,前記(カ)のとおり,入市被爆者に脱毛,発熱,下痢等の
放射線被曝による急性症状と同様の症状等が一定の割合で生じたこと
を示す複数の調査結果があり,特に,於保源作医師の調査によれば,
原爆投下時に広島市内にいなかった者について,爆心地から1㎞以内
に入って同地域に10時間以上滞在した場合について,上記症状の発
症率が高くなる傾向があるとされており,入市被爆者に現れたこれら
の症状に残留放射線の影響がないと断ずるのは不合理である。
そうすると,中性子によって誘導された放射性核種で有意な被曝を
もたらす可能性のあるものについては,物理的半減期が短いこと,熱
中性子線の吸収によって捕獲反応が生ずる土壌中の元素が限られてい
ること,人体を構成する物質に放射化される元素は微量しか存在せず,
体表面に近い部位に存在するごく一部が放射化されるにすぎないこ
と,という知見が示され(前記(イ)g),ウラン加工工場における
臨界事故による被曝翌日の人体の等価線量が10.1μSvにすぎなか
ったこと(前記(イ)i)を考慮しても,誘導放射化された物質が被
爆者の身体や衣服に直接接触し,又は体内に取り込まれるなど具体的
な被曝の態様によっては,誘導放射線による被曝線量が,旧審査方針
別表10の値を超える場合があり得ることを考慮する必要があるとい
うべきである(ただし,誘導放射化された物質が被爆者の身体や衣服
に直接接触したことによる影響が重大である場合には,まず,皮膚障
害が顕著に生じると考えられるが,遠距離・入市被爆者にこのような
傾向がみられたということを認めるに足りる証拠はないから,かかる
態様の被曝を独自に殊更重要視することはできないというべきであ
る。)。
b放射性降下物について
前記(ア)bのとおり,旧審査方針においては,原爆投下の直後に
己斐若しくは高須(広島)又は西山3,4丁目若しくは木場(長崎)
に滞在し,又はその後,長期間に渡って当該地域に居住していた場合
について,放射性降下物による被曝線量を,前者にあっては0.6~
2cGy,後者にあっては12~24cGyとしているところ,これは,
DS86報告書における推定結果に基づくものであり,原爆投下直後
に行われた調査等の結果によれば,広島においては己斐・高須地区に,
長崎においては西山地区に,それぞれ放射性降下物が多く確認された
ところである(前記(ウ)a~f)。
ところで,広島における原爆投下直後の降雨に関する調査結果とし
て,宇田雨域(長径29㎞,短径15㎞の長卵形。前記(ウ)m)及
びその約4倍の広さの増田雨域(爆心より北西約45㎞,東西方向の
最大幅約36㎞に及ぶ。面積約1250㎢。前記(ウ)n)があると
ころ,増田善信は,増田雨域の調査の資料には,原爆投下直後からそ
の約43年後のものが混在し,記憶の薄れたものもあることや,健康
診断特例地区の指定を進める運動と関連した過大報告の傾向があるこ
とを指摘している(前記(ウ)n)。他方において,増田善信は,雨
の降り方について3種類の設問を含んだアンケートを実施し,聴取調
査に参加した者にもアンケートを提出してもらうようにして,できる
だけ信頼のおける資料の入手に努めたとしており(前記(ウ)n),
調査方法に一定の信頼性があるということができる。また,静間清ら
の研究において,宇田雨域に含まれないが増田雨域に含まれる3地点
のサンプル及び宇田雨域の境界上にあり増田雨域に含まれる2地点の
サンプルからセシウム137が検出されたこと(前記(ウ)p)から
すると,静間清らが指摘するとおり,降雨域は宇田雨域よりも広いこ
とが示されているということができる。さらに,上記静間清らの研究
におけるサンプル数は必ずしも十分なものではないが,増田雨域の範
囲と矛盾するものではない。
そうすると,増田雨域で雨が降ったとされる範囲において放射性降
下物が降った可能性を否定することができないし,また,黒い雨の原
因となる炭素が放射化されにくい核種であることから(前記(ウ)l
(a)),増田雨域と放射性降下物が降った地域とが一致しないとし
ても,上記静間清らの研究結果は,少なくとも,広島においては己斐
・高須地区以外の地域に放射性降下物が降った事実を裏付けるもので
あり,長崎においても西山地区以外の地域に放射性降下物が存在した
可能性を推認させるものということができる。
そして,旧審査方針における放射性降下物による被曝線量は,地上
1mの位置におけるものであるところ(前記(ア)b),放射性降下
物が被爆者の身体や衣服に直接接触し,又は体内に取り込まれる等し
た場合についても常に妥当するものか疑問の余地があることは,前記
aのとおりである。
c内部被曝及び低線量被曝について
(a)前記(ア)cのとおり,旧審査方針は,内部被曝による被曝
線量を特に算出していないが,これは,DS86報告書における長
崎の西山地区住民の昭和20年から昭和60年までの内部被曝線量
の推定値が極微量とされたことに基づくものである。そして,上記
推定値の合理性を支持する見解が示されているところである(前記
(エ)a,b)。また,低線量被爆については,人体や動植物に対
する影響を示す調査結果があるが(前記(オ)a~e),逆線量率
効果については,仮説にとどまるというべきであり,疫学調査によ
る裏付けはない(前記(オ)f,g)。
しかし,内部被曝については,外部被曝とは異なり,γ線や中性
子線だけではなく,飛程距離の短いα線やβ線による被曝も加わる
上,放射性核種が体内に存在する限り,被曝が継続するという特徴
があり,また,放射性核種によって一定の組織や器官に沈着し,集
中的な被曝を受けることになる(前記(エ)d~g)。確かに,ホ
ット・パーティクル理論については,これを否定する見解も示され
ており(前記(エ)a(d),c),確立した科学的知見であると
いうことはできないものの,同理論の依拠する知見にも相応の科学
的根拠があることを否定し難い。
(b)この点,被告は,①内部被曝によって体内に取り込まれた
放射性核種は,人体に備わった代謝機能により体外に排出されるこ
と,②内部被曝の影響は無視しうる程度のものであること,③原
爆放射線による内部被曝の影響が無視できないのであるとすれば,
被爆者には,特定の臓器に発生するがんが顕著にみられるはずであ
るが,遠距離・入市被爆者にみられるがんは,多種多様であり,内
部被曝の影響があったとは考えがたいこと,④医療の現場等にお
いても,放射性物質の投与が行われていることを指摘し,旧審査方
針で内部被曝を考慮しないことは合理的である旨主張する。
しかし,体内に取り込まれた放射性核種が代謝機能により体外に
排出されるとしても,相応の日数を要するのであり,その間に被曝
による影響が生じることも否定できないから,①の主張は理由がな
い。また,被告は,ホールボディカウンターにより測定されたセシ
ウム137の内部負荷のデータを基に②の主張をするが,長期間の
内部被曝を考慮すべき放射性核種は,セシウム137以外にも存在
すること(前記(エ)b)からすれば,②の主張の根拠も薄弱とい
わざるを得ない。次に,確かに,チェルノブイリ原発事故の後に,
内部被曝による小児甲状腺がんが多数発生したとの報告がみられる
が,広島原爆のウラン推定量が25kg程度であり,そのうちの4
%(1kg)程度が核分裂反応を示したのに対し,チェルノブイリ
原発事故に伴う放射性物質自体の放出は,全体(180t)の数%
(7ないし10t)と推定され,放出された放射能の量は核燃料の
量に比例せず相当多いことにかんがみれば,チェルノブイリ原発事
故において,小児甲状腺がんの発生が多数みられたのに対し,遠距
離・入市被爆者に特定の臓器にがんの発生が顕著にみられなかった
としても,直ちに遠距離・入市被爆者に内部被曝の影響がなかった
とはいえず,③の主張も理由がない。さらに,放射線治療において
は,人体に対する安全性を考慮した上で局所被曝がもたらされてい
るのであるから,放射線治療による被曝線量を単純に原爆放射線に
よる被曝線量と比較することには,疑問が残り,④の主張も直ちに
は首肯することができない。
d以上によれば,残留放射線による被曝線量及び放射性降下物による
被曝線量の算定において旧審査方針の定める基準を機械的に適用する
ことには,慎重であるべきであって,入市被爆者や遠距離被爆者につ
いては,誘導放射線及び放射性降下物による被曝の可能性や内部被曝
の可能性をも念頭に置いた上で,当該被爆者の被爆前の生活状況,健
康状態,被爆状況,被爆後の行動経過,活動内容,生活環境,被爆直
後に生じた症状の有無,内容,程度,態様,被爆後の生活状況,健康
状態等を慎重に検討し,総合考慮の上,原爆放射線による被曝の蓋然
性の有無を判断するのが相当である。
(3)旧審査方針における原因確率の算定の合理性
ア旧審査方針における原因確率の算定の概要及び根拠
(ア)旧審査方針においては,前記第2の1「関係法令等」(5)ア(ア),
(イ)のとおり,白血病,胃がん,大腸がん,甲状腺がん,乳がん,肺
がん,肝臓がん,皮膚がん(悪性黒色腫を除く。),卵巣がん,尿路系
がん(膀胱がんを含む。),食道がん,その他の悪性新生物及び副甲状
腺機能亢進症について,疾病等及び申請者の性別の区分に応じ,別表1
-1ないし別表8に定める原因確率を目安として,当該申請に係る疾病
等の原爆放射線起因性に係る高度の蓋然性の有無を判断するものとし,
原因確率が,①おおむね50%以上である場合には,当該申請に係る
疾病の発生に関して原爆放射線による一定の健康影響の可能性があるこ
とを推定し,②おおむね10%未満である場合には,当該可能性が低
いものと推定するが,当該判断に当たっては,これらを機械的に適用し
て判断するものではなく,当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も
総合的に勘案した上で,判断を行うものとしている。
(イ)旧審査方針における原因確率の算定の根拠
旧審査方針別表1-1ないし別表8は,児玉和紀(広島大学医学部保
健学科健康科学教授)を主任研究者として行われた厚生科学研究費補助
金・厚生科学特別研究事業「放射線の人体への健康影響評価に関する研
究」の平成12年度総括研究報告書(以下「児玉報告書」という。)に
おいて,被爆者の性別及び疾病ごとに算出された寄与リスクに基づいて
作成された表を転用したものである。
イ児玉報告書
証拠によれば,児玉報告書の概要について,次のとおり認めることがで
きる。
(ア)研究の目的
原爆放射線ががんあるいはがん以外の疾患の死亡や発生に及ぼす後影
響のリスクをまとめることである。
(イ)研究方法
aリスク評価の指標
放射線の人体への健康影響に関するリスク評価の指標として,相対
リスク,絶対リスク,寄与リスクの3種類がある。相対リスクとは非
曝露群に対する曝露群の疾患発生あるいは死亡の比を示し,絶対リス
クとは曝露群と非曝露群における疾患発生率あるいは死亡率の差を示
す。寄与リスクとは曝露者中におけるその曝露に起因する疾病等の帰
結の割合を示すものであり,例えば,曝露群におけるがん死亡者(罹
患者)のうち原爆放射線が原因と考えられるがん死亡者(罹患者)の
割合を示す。
相対リスクは,被曝群と非被曝群とのリスクの相対的な比であり,
リスクの評価に適しているが,非被曝群と比べてどの程度リスクが増
加するのかということは示されない。絶対リスクは,どの程度リスク
が増加するのかという公衆衛生的インパクトにとっては重要な指標で
はあるが,その大きさは非被曝群のリスクに依存して考えなければな
らない。
一方,寄与リスクは,絶対リスクの相対的大きさで表され,相対リ
スクと絶対リスクの両指標の考えを併せ持つものである上,その大き
さは0~100%に数値化される。この性質は,種々の疾患に対する
放射線リスクの評価が同じ枠内の数値として統一的に考えられること
を意味するから,放射線が占める割合としてのリスク評価の指標とし
ては,寄与リスクが最適と考えられる。
b寄与リスク(ATR:AttributableRisk)
寄与リスクは,過剰相対リスク(ERR:ExcessRelativeRisk。相
対リスクから1を引いたもの)によって,次のように表せる。
ATR=ERR/(1+ERR)
固形がんのリスクを調査期間における平均過剰相対リスクによって
表す場合,最近の死亡率調査では次のようなモデルが用いられている。
ERR(d,s,age)=βSdexp{γ(age-30)}
d:DS86による推定被曝線量
s:性別
age:被爆時年齢
βS:推定すべき未知母数(一般に男女で異なる。)
被爆時年齢30歳の人の1Sv当たりのERR
γ:推定すべき未知母数
exp:自然対数(ネピア数e)を底とする指数関数
このモデルでは,被爆時年齢を定めるとERRは経時的に一定であ
ることを示している。
c寄与リスクを求めた疾患
固形がんについては,寄与リスクを求めるに当たって,次の3群に
分けた。
(a)部位別に寄与リスクを求めたがん:寿命調査集団を使った過
去の死亡率・発生率の報告で放射線との有意な関係が一貫して認め
られ,かつ,部位別に寄与リスクを求めても比較的信頼性があると
考えられる部位(胃がん,大腸がん,肺がん,女性乳がん,甲状腺
がん)及び白血病
(b)原爆放射線に起因性があると思われるが,個別に寄与リスク
を求めると信頼区間が大きくなると考えられるがん(肝臓がん,皮
膚がん(悪性黒色腫を除く),卵巣がん,尿路系(膀胱を含む)が
ん,食道がん)
(c)現在までの報告では,部位別に過剰相対リスクを求めると統
計的には有意ではないが,原爆放射線被曝との関連が否定できない
もの。(a),(b)以外のすべてのがん
寄与リスクを求めなかった疾患は,骨髄異形成症候群(最近,被曝
との関連が学会で発表されているが,まだ論文発表されていない。),
放射性白内障(しきい値が求められている。),甲状腺機能低下症(論
文発表されているデータから寄与リスクを算出できない。),過去に
論文発表がない疾患(造血機能障害等)である。
d寄与リスクを求めた基となった資料
(a)固形がん及び白血病
放影研が公開している「原爆被爆者の死亡率調査第12報,第1
部,癌:1950-1990年」における昭和25年~平成2年の
死亡率調査に係るカーマ線量及び臓器線量の情報及び「原爆被爆者
における癌発生率。第2部:充実性腫瘍,1958-1987年」
における昭和33年~昭和62年の発生率調査に係る臓器線量の情
報を用いた。多くの場合,個人の臓器線量を算出するのは難しく,
カーマ線量の方が適用しやすく,また,死亡率調査の方が長く実施
されていることから,死亡率調査(カーマ線量)から,白血病,胃,
大腸,肺がんの寄与リスクを求めた。
甲状腺がんと乳がんは,予後がよいから,発生率調査を使い,そ
の臓器線量をカーマ線量に変換して,寄与リスクを求めた。
(b)がん以外の疾患
副甲状腺機能亢進症は,有病率調査結果から寄与リスクを推定し
た。
肝硬変は,がん以外の疾患の死亡率調査から寄与リスクを算出し
たが,線量は,論文で使われている結腸線量を使った。
子宮筋腫は成人健康調査集団を対象にした発生率調査から求め
た。
e寄与リスクを求める際の被爆時年齢及び被爆後の経過年数の影響
白血病及び固形がんの放射線に対する過剰死亡及び過剰発生は,性,
被爆時年齢,被爆後の経過年数の影響を受ける。特に白血病について
は,被爆後10年を発生のピークにして,その後年数の経過と共に過
剰相対リスクは低下しているため,昭和56年~平成2年データに基
づき算出した。固形がんについては,寄与リスクは観察期間の平均を
使用した。性差,被爆時年齢によって過剰相対リスクに有意差がある
がんについては,性別,被爆時年齢別に寄与リスクを求めた。
(ウ)研究結果
白血病,胃がん,大腸がんの死亡,甲状腺がんの発生について,性別,
被爆時年齢,線量別の寄与リスクを求めた(旧審査方針別表1-1ない
し4-2と同じ。)。
女性乳がんについても,被爆時年齢,線量別の寄与リスクを求めた(旧
審査方針別表5と同じ。)。
肺がんの死亡については,被爆時年齢の影響を受けなかったので,性
別,被曝線量別の寄与リスクを求めた(旧審査方針別表6-1及び6-
2と同じ。)。
肝臓がん,皮膚がん(悪性黒色腫を除く),卵巣がん,尿路系(膀胱
を含む)がん,食道がんについては,この5疾患をまとめて計算した寄
与リスクを求めた(旧審査方針別表7-1及び7-2と同じ。)。
副甲状腺機能亢進症の有病率調査では,被曝の影響に性差が認められ
なかったので,被爆時年齢と甲状腺臓器線量別に寄与リスクを求めた(旧
審査方針別表8と同じ。)。
肝硬変による死亡は,被曝の影響に性差,被爆時年齢による差は認め
られなかったので,被曝線量別の寄与リスクを求めた。また,子宮筋腫
の有病率については,放射線の影響に被爆時年齢による差は認められな
かったので,被曝線量別の寄与リスクを求めた。旧審査方針に,これら
に対応する表はない。
ウ放影研における疫学調査
前記のとおり,児玉報告書は,放影研報告書「原爆被爆者の死亡率調査
第12報,第1部,癌:1950-1990年」及び同「原爆被爆者にお
ける癌発生率。第2部:充実性腫瘍,1958-1987年」を基に寄与
リスクを求めているところ,証拠によれば,放影研の疫学調査の概要につ
いて,次のとおり認められる。
(ア)放影研の前身は,昭和22年に米国原子力委員会の資金によって
米国学士院が設立した原爆傷害調査委員会(ABCC)であり,昭和2
3年には,これに厚生省国立予防衛生研究所が参加して,共同で大規模
な被爆者の健康調査に着手した。昭和50年に,日本の外務,厚生両省
が所管し,日米両国政府が共同で管理運営する公益法人である放影研と
して再編された。
ABCCは,昭和30年に,昭和25年の国勢調査時に行われた原爆
被爆者調査から得られた資料を用いて,疫学調査の固定集団の対象者と
なり得る人々の包括的な名簿を作成した。この国勢調査により28万4
000人の日本人被爆者が確認され,この中の約20万人が,同年当時,
広島・長崎のいずれかに居住していることが確認され,「基本群」とさ
れた。1950年代後半以降,ABCC又は放影研で実施された被爆者
調査は,すべて同「基本群」から選ばれた副次集団について行われてき
た。死亡率調査においては,厚生省,法務省の公式許可を得て,国内で
死亡した場合の死因に関する情報の入手が行われている。また,がんの
罹患率については,地域の腫瘍・組織登録からの情報(広島,長崎に限
る。)によって調査が行われている。
(イ)寿命調査(LSS:LifeSpanStudy)
当初の寿命調査集団は,「基本群」に含まれる被爆者の中で,本籍が
広島又は長崎にあり,昭和25年に両市のいずれかに在住し,効果的な
追跡調査を可能とするために設けられた基準を満たす被爆者の中から選
ばれており,次のa~dの4群から成る。
a爆心地から2000m以内で被爆した「基本群」被曝者全員から成
る中心グループ(近距離被爆者)
b爆心地から2000~2500mの区域で被爆した「基本
群」全員から成るグループ
caの中心グループと年齢及び性が一致するように選ばれた,爆心地
から2500~1万mの区域で被爆した者のグループ(遠距離被爆者)
daの中心グループと年齢及び性が一致するように選ばれた,195
0年代前半に広島・長崎に在住していたが原爆投下時は市内にいなか
ったグループ(原爆時市内不在者と呼ばれ,原爆投下後60日以内の
入市者とそれ以降の入市者も含まれている。)
当初9万9393人から構成されていた寿命調査集団は,19
60年代後半に拡大され,本籍地に関係なく,爆心地から2500m以
内において被爆した「基本群」全員を含めた。次いで,昭和55年に更
に拡大され,「基本群」における長崎の全被爆者を含むものとされ,平
成11年では,爆心地から1万m以内で被爆した9万3741人と,原
爆時市内不在者2万6580人の合計12万0321人の集団となって
いる。
これらの人々のうち8万6632人については,DS86によ
る被曝線量推定値が得られているが,7109人(このうち95%は2
500m以内で被曝している。)については,建物や地形による遮蔽計
算の複雑さや不十分な遮蔽データのため線量計算はできていない。
現在,寿命調査集団からは,近距離被爆者のうち①1950
年代後半までに転出した被爆者(昭和25年国勢調査の回答者の約30
%),②国勢調査に無回答の被爆者,③原爆投下時に両市に駐屯中
の日本軍部隊,④外国人は除外されている。以上のことから,爆心地
から2500m以内の被爆者の約半数が調査の対象となっていると推測
されている。
(ウ)成人健康調査(AHS:AdultHealthStudy)
成人健康調査集団は,2年に1度の健康診断を通じて疾病の発
生率と健康上の情報を収集することを目的として設定された。成人健康
調査によって,ヒトのすべての疾患と生理的疾病を診断し,がんやその
他の疾患の発生と被曝線量との関係を研究し,寿命調査集団の死亡率や
がんの発生率についての追跡調査では得られない臨床上あるいは疫学上
の情報を入手している。
昭和33年,成人健康調査集団は,当初の寿命調査集団から抽出され
た1万9961人から成り,中心グループは,昭和25年当時生存して
いた,爆心地から2000m以内で被爆し,急性放射線症状を示した4
993人全員から成る。このほかに,都市・年齢・性をこの中心グルー
プと一致させた次のa~cの3グループ(いずれも中心グループと同数)
が含まれる。
a爆心地から2000m以内で被爆し,急性症状を示さなかった人
b広島では爆心地から3000~3500m,長崎では3000~4
000mの距離で被爆した人
c原爆投下時にいずれの都市にもいなかった人
昭和52年に,高線量被曝者の減少を懸念して,新たに次のd~fの
3グループを加えて,成人健康調査集団を拡大し,合計2万3418人
の集団とした。
d寿命調査集団のうち,T65Dによる推定被曝線量が1Gy以上であ
る2436人の被爆者全員
edと年齢及び性を一致させた同数の遠距離被爆者
f胎内被爆者1021人
(エ)放影研報告書「原爆被爆者の死亡率調査第12報,第1部,癌:
1950-1990年」においては寿命調査集団から線量推定値の明ら
かでない者等を除いた8万6572人が,「原爆被爆者における癌発生
率。第2部:充実性腫瘍,1958-1987年」においては上記の者
等を除いた7万9972人が,調査対象集団(コホート)として選択さ
れている。
(オ)放影研における調査・研究では,「寿命調査第10報,第一部,
広島・長崎の原爆被爆者における癌死亡,1950-82年」から,外
部比較法(要因への曝露に伴う健康影響を外部集団と比較する。)を採
らず,ポアソン回帰分析という方法を用いた内部比較法(コホート内部
での曝露要因量と健康影響との関連を見る。)によるリスク推定が行わ
れており,児玉報告書における寄与リスク算定の基とされた放影研の疫
学調査もこの方法を採っている。
(カ)寿命調査は,死亡診断書により死因調査がされている。そして,
「原爆被爆者の死亡率調査第12報,第1部,癌:1950-1990
年」には,①死亡診断書に記録された原死因情報の正確さは,196
0年代前半から昭和59年まで行われたLSS(寿命調査)剖検プログ
ラムに基づいて調査され,報告されていること,②剖検から得られた
結果と比較すると,がん死亡の約20%が死亡診断書ではがん以外の原
因による死亡と誤分類されており,一方で,がん以外の原因による死亡
の約3%ががん死亡と誤分類されていること,③Spostoらは,これら
誤分類の割合を考慮に入れて寿命調査集団におけるがん死亡率の解析を
行った結果,誤差を修正すると,固形がんのERR(過剰相対リスク)
推定値が約12%,EAR(過剰絶対リスク)推定値が約16%上昇す
ることが示唆されたこと,④本報では,そのような補正を行っていな
いことが記載されている。
エ放影研の疫学調査及び原因確率についての指摘
(ア)福地保馬(藤女子大学大学院人間生活学研究科教授)は,次のと
おり指摘する。
a原因確率算出の基礎となった「原爆被爆者の死亡率調査第12報,
第1部,癌:1950-1990年」等によれば,放影研では,リス
クの分析において対照群を設定せず,曝露群について回帰分析を行い,
得られた回帰式から想定上のゼロ線量における罹患率等を推定して,
バックグラウンドリスクとしている。適当な対照群を設定することが
できなくとも,観察範囲内において曝露群での線量-反応関係が正し
くとらえられており,観察された線量の範囲外についても観察範囲内
と同様の線量-反応関係が適用できると考えられるならば,曝露群の
データに基づいた線量-反応関係を,観察線量の範囲外に適用(外挿)
し,回帰分析などを行うことによって,非曝露群での罹患率等を推定
することは,一つの方法と考えられる。
しかし,後記bのとおり,放影研の調査では,曝露群における線量
-反応関係が正しくとらえられておらず,正しい推定をする前提を欠
く。
特に,比較的高いレベルの放射線量曝露から得られた健康障害に関
する用量(線量)-反応関係が,より低いレベルの放射線量曝露にお
いても適用できるのか否かという問題がある。
さらに,残留放射線も含めた放射線被曝の影響を調べようとする場
合には,残留放射線の被曝も受けていない人々,すなわち,広島,長
崎両市民以外を対照群にする必要があるが,そのような調査はされて
いない。
原爆がもたらした放射線以外の要因が複合して疾病が生じた場合
に,他の要因が複合しているからといってこれらを放射線の影響では
ないとすることは,放射線の影響を正当に評価しているとはいえない。
原爆放射線の影響がそれ以外の要因を増幅し,それ以外の要因が原爆
放射線の影響を増幅するという関係を正当にとらえるのが科学的な立
場である。
このように考えると,原爆被害を受けていない対照群が置かれてい
ないと,真の意味での放射線の影響を測定することはできないと考え
る。
b放影研の疫学調査では,初期放射線による外部被曝のみを曝露要因
として評価しているところ,放射性降下物や誘導放射能の残留放射線
は,曝露要因として評価していない。
仮に初期放射線と残留放射線とを別々の要因として,初期放射線の
影響を見ようとした場合でも,観察対象者の残留放射線の曝露量が評
価されていない場合は,残留放射線の交絡を修正して,正しく関連を
導くことはできない。
前記aのとおり,外挿による罹患率等の推定をすることによって,
対照群の設定に代えるという方法も,曝露群での線量-反応関係が正
しくとらえられているという前提条件を欠くことになる。
また,発がんの可能性が一生涯続く場合は,生存するコホートが存
在する間は,観察し続ける必要があるが,現在得られている観察途中
のデータは,今後発症するケースを把握していない。
c寿命調査集団では昭和25年までの死亡者について,成人健康調査
集団では昭和33年までの死亡者について,それぞれ調査が行われて
いないから,いわゆる「生き残り」集団しか対照とされず,感受性が
高い人,早期に発症した人への影響を見落とすことになるという大き
な欠陥がある。
また,発がんの可能性が一生涯続く場合は,生存するコホートが存
在する間は,観察し続ける必要があるが,現在得られている観察途中
のデータは,今後発症するケースを把握していない。
dこのように,対照群の設定上の問題,被曝線量の推定上の問題及び
データ欠落に起因する問題がある以上,放影研の疫学調査は,被爆者
が受けた原爆や原爆放射線の影響全体をとらえられず,リスクの大き
さを正確に推定することができないという欠点を持ったものにならざ
るを得ないから,この疫学調査の結論を機械的に用いることには慎重
でなければならない。
e疫学は,集団における疾病や死亡の発生状況など健康事象の観察を
通して,集団における健康事象の発生要因を推定するものであるから,
ある共通要因を持つ集団において,その要因がある疾病発生の原因で
あると分かった場合は,その集団に属する全員がその疾病にかかる危
険性又はかかった経験を有することを表す。したがって,疾病との因
果関係が推定された要因を共通に有する集団に属する限り,特定の個
人について,その要因が疾病の原因である可能性を肯定できても,そ
の要因が発生に関与していないとして関連を否定することはできな
い。このことは,その集団の寄与リスクの大きさにかかわりない。
また,集団についてのリスクが小さくても,罹患した者や死亡した
者だけが付加されたリスクを負ったのではなく,集団すべての個人の
罹患や死亡のリスクが高まったと考えるべきであるから,寄与リスク
が小さいからといって,その要因がその群に属するある個人の発症原
因を構成していないとするのは誤りである。
疾病は,多数の要因が互いに関連しながら,総体として作用して発
症するものである。これに対し,原因確率は,ある要因が他の要因と
は独立して個々人の疾病の発症に作用し,当該疾病を発症させた確率
とされており,疾病の多要因性にかんがみれば,この原因確率という
概念に疑問を持たざるを得ない。
(イ)児玉和紀は,次のとおり指摘する。
a放影研の疫学調査においては,ポアソン回帰分析といったより進歩
した解析法によって曝露要因0(被曝線量0)の場合の死亡(罹患)
率を推定し,これと任意の曝露要因量(被曝線量)での死亡(罹患)
率の増加割合を推定することによって,相対リスク等を算出している。
解析方法が進歩したことと,被曝線量0から高線量まで非常に広範囲
にわたる線量推定がされている集団を扱っていることにより,回帰分
析でのリスク推定ができるようになったものである。
全くの非曝露群を設定して曝露群との比較を行う方法は,実施が可
能であれば望ましい方法であるが,このような方法による場合,曝露
群との間において,曝露因子以外の要因の分布が異なることが少なく
なく,この場合には結果の解釈に多大の困難さを生じさせることにな
る。放影研も,過去の疫学調査において,内部比較法と併せて外部比
較法を用いたことがあったが,非曝露群における曝露因子以外の要因
の分布が曝露群と大きく異なる可能性が指摘されたため,内部比較法
を用いることとした経緯がある。
b放影研の調査集団が,昭和25年の国勢調査に基づいて設定された
ため,昭和20年から昭和25年までの5年間に放射線に感受性の高
い人たちが死亡し,結果的に放射線に抵抗性の高い集団を追跡してい
ることにより,放影研の調査結果に偏りを来している可能性が全くな
いとは言い切れない。
しかし,放影研における検討では,そのような選択による大きな偏
りが存在する可能性は低いと報告されている。例えば,寿命調査第9
報第2部では,「1950年以前の死亡の除外による偏りの大きさを
求めるために,三つの補足的死亡率調査を使用して,寿命調査の調査
開始(1950年)以前の死亡率を再解析した。この偏りは,195
0年以後に調査対象に認められた放射線影響の解釈に重大な影響を及
ぼすとは思われない」と記載されているが,具体的には,①原爆投
下1年後に広島市が行った原爆被爆者調査で確認された10万400
0人の被爆者とその家族についての集団,②同様の4200人につ
いての長崎の集団,③胎内被爆者の母親の集団について,新生物以
外の全疾患による死亡率,結核及びその他の感染症疾患による死亡率
を推定被曝線量や被爆距離で比較検討している。その結果,死亡率に
推定被曝線量や被爆距離による差を認めず,昭和25年以前の感染症
及びその他の疾患による死亡率が,同年以降の集団内の放射線と悪性
新生物との関係を大きく偏らせている可能性は少ないと結論付けてい
る。
また,現在寿命調査で得られるリスク推定は,昭和25年当時生存
していた者という集団におけるリスク推定になるが,現時点で生存し
ている被爆者は,同年の時点においても生存していたのであるから,
原爆放射線のリスク評価に放影研の疫学調査の結果を応用することの
問題は少ない。
(ウ)主任研究者を草間朋子(大分県立看護科学大学)とする平成13
年度委託研究報告書「電離放射線障害に関する最近の医学的知見の検討」
(平成14年3月)は,現在の原因確率を補償スキームに用いることの
問題点を,次のとおりまとめる。
a非特異的疾患における因果関係論の問題。cに関係する問題と考え
ることもできる。
b疫学データだけに基づいて個人の原因確率を評価することは不可能
である。集団の平均値を個人に当てはめるには集団内の不均一性が問
題とされる。原因確率の不確かさとして扱うこともできる。
c発がんにおける放射線の関与の仕方によって異なる原因確率を与え
る。したがって,放射線発がんの生物モデルを前提にして初めて原因
確率は評価可能である。
d原因確率が評価可能であるとしても,補償スキームとしては適切で
ない指標である。これは,40歳と80歳の原因確率が50%とした
ときに同じ扱いをされるのは余命損失を考えると合理的ではない。
(エ)サンダー・グリーンランド(カリフォルニア大学ロサンゼルス校
公衆衛生学部疫学教授・文理学部統計学教授)は,「原因確率の相対リ
スクと倍加曝露量との関係:社会的な問題になっている方法論上の過ち」
と題する論文において,当該曝露がなかったならば,その疾病はもっと
遅い時期に発症したか(促進的発症),あるいは全く発症しなかった(全
か無かの発症)といえるのであれば,当該曝露は原告の「寄与原因」で
あるとし,「原因確率」を,問題の曝露が原告の疾病の「寄与原因」に
なっている確率と定義した上で,曝露の影響が疾病発症時期を促進する
ものであるときは,生物学的モデルに依らずに疫学的データのみに依拠
する寄与リスク(同論文は「発生率割分」という。)は,疾病発症の促
進を全面的に拾い上げるものではないから,原因確率を過小評価する傾
向があると論じている。
オ検討
(ア)旧審査方針は,一定の疾病について,放影研の疫学調査に係るデ
ータに基づいて算定された寄与リスクを,原因確率とするものであり,
これを目安として,原爆放射線起因性に係る高度の蓋然性の有無を判断
するものとしている。
放影研の疫学調査は,寿命調査集団及び成人健康調査集団という大規
模なコホート集団を設定し,がんを中心とする疾病による死亡率及び疾
病の発生率に関する長期間の追跡調査を行ったものであり,また,ポア
ソン回帰分析という内部比較法が採用されており,これに基づいて算定
された寄与リスクには,一般的な合理性があるということができる。
そして,放射線による後障害は,個々の症例を観察する限り,放射線
に特異的な症状をもっているわけではなく,一般にみられる疾病と全く
同様の症状をもっており,放射線に起因するか否かの見極めは不可能で
あるが,被曝集団として考えると,集中的に発生する頻度が高い場合が
あり,そのような疾病は放射線に起因している可能性が強いと判断され
るから,上記の寄与リスクを原因確率として転用し,被爆者個人の放射
線起因性の程度を推認する事情として考慮することは,統計的解析の一
方法としての有用性を肯定することができる。
(イ)もっとも,寄与リスク又は原因確率は,本来的には集団の中にお
ける平均的な傾向を示すものであり,児玉報告書を作成した児玉和紀教
授も,放射線によって引き起こされた可能性を示唆するものとして参考
資料的に使うのはよいと思うが,疫学調査の指標をもって各個人の放射
線起因性を厳密に判断するのであれば,問題があると思うとしている。
また,原因確率の前提となる寄与リスクは,放射線が疾病発生の促進要
因となっている場合を全面的に拾い上げるものではないから,その場合
を適切にとらえるものということはできない(前記エ(エ))。
そして,上記寄与リスク算定の基となった放影研の疫学調査について
も,次のような問題を指摘することができる。
まず,寿命調査については原爆投下の5年後から,成人健康調査につ
いては昭和33年から開始されたものであるため,原爆投下直後のデー
タの欠落及びこれに伴う高線量被曝者である可能性の高い死亡者の排除
という問題が内在していることは否定し難い。
また,死亡率調査において,死因について誤差があり,その誤差を修
正すると固形がんの過剰相対リスク推定値が約12%,過剰絶対リスク
推定値が約16%上昇することが示唆されている(前記ウ(カ))。
さらに,曝露因子以外の要因の分布を同じくする非曝露群を選定する
ことが困難であるため,外部比較法を採ることができず,ポアソン回帰
分析によることは,やむを得ないとしても,その信頼性は曝露群におけ
る線量-反応関係が正しくとらえられていることが前提となっているに
もかかわらず,放影研の疫学調査においては,残留放射線による外部被
曝及び内部被曝が考慮されておらず,上記解析結果に一定の限界がある
ことも否定することができない。
そして,現在得られているデータが観察途中のものであるため,その
後の発症を把握したものではないというデータの限界があることや,原
爆がもたらした放射線以外の要因が複合して疾病が生じた場合につい
て,原爆被害を受けていない対照群を置かないと,放射線の影響を測定
することに困難を伴うことも否定し難い。
(ウ)したがって,原因確率は,一応の合理性を有するものであり,旧
審査方針において原因確率が設定されている疾病等の放射線起因性を判
断するための参考要素となり得るものであるが,原因確率に基づく判断
にも一定の限界があるといわざるを得ないから,特に原因確率10%以
下であるとされた事例についても,これを機械的に適用して放射線起因
性を否定するのは相当ではなく,個々の被爆者の個別的事情を踏まえた
判断をする必要がある。
(4)小括
以上によれば,旧審査方針の採用するDS86に基づく被曝線量の推定及
び原因確率に基づく放射線起因性の判断については,一応の合理性を肯定す
ることができるものの,DS86及び原因確率のいずれにも一定の限界があ
り,これらを機械的に適用して放射線起因性を判断するのは相当ではない。
そこで,放射線起因性の判断に当たっては,DS86に基づく被曝線量の
推定及び原因確率に基づく放射線起因性の判断を尊重しつつも,その一定の
限界に該当し得る事案であるかどうか,そうであるとすれば原告らの疾病が
原爆の放射線被曝によるものであるかどうかについて,具体的な被爆状況,
急性症状の有無,態様,程度及び経過,被爆後の行動及びその後の生活状況,
申請に係る疾病等の症状及び発症に至る経緯,治療の内容及び治療後の状況,
その他の病歴等を総合的,全体的に考慮した上で,放射線被曝による人体へ
の影響に関する統計学的,疫学的,臨床的,医学的知見等を踏まえつつ,原
爆放射線被曝の事実が上記疾病等の発生又は進行を招来した関係を是認し得
る高度の蓋然性が認められるか否かを経験則に照らして検討するのが相当で
ある。
そうすると,DS86及び原因確率の考え方を過大視する被告の主張は,
採用できず,また,これらを過小評価し,その適用を排除して,①原爆に
よる放射線被曝が存在したと考えられる場所で被曝したこと,②当該疾患
一般について原爆による放射線被曝がその発症又は増悪に有意に寄与すると
認められていること,という基準を満たすときは,放射線起因性が事実上推
定されるとする原告らの主張もまた採用できない(この2要件が相対的に重
視されるべきであるということはできるが,これが揃う場合であっても,放
射線による後障害は,放射線に特異な症状を有するものではなく,たとえ,
当該障害について放射線被曝がその発症又は増悪に有意に寄与することが認
められるとしても,その程度には自ずから差異が存する等の点をも併せ考慮
すれば,原爆放射線以外の原因により原爆放射線との関連性が認められる疾
病が発症することは十分に考えられるのであるから,上記①及び②の事実が
あれば,放射線起因性が認められるという経験則があるとは認めがたく,放
射線起因性の存在を事実上推定させると解するのは相当ではない。)。
3争点3(各原告の原爆症認定要件該当性)について
(1)原告丁について
ア原告丁の被爆状況等
前記第2の2「前提事実」(2)アの事実及び証拠によれば,次の各事
実が認められる。
(ア)被曝前の生活状況
原告丁は,昭和20年8月6日当時,16歳であり,学徒動員され,
軍需工場に通っていた。
(イ)被爆状況,被爆後の行動等
a昭和20年8月6日の状況
原告丁は,広島市に原爆が投下された午前8時15分ころ,爆心地
から約1.2㎞の距離にある広島市A1町の自宅の庭先にいた時に被
爆して爆風により,地面にたたきつけられた。その後,原告丁は,爆
心地から約1.3㎞の距離にあるA5中学校に行き,その後陸軍のト
ラックでA6まで運ばれ,そこで罹災証明書とおむすびをもらい,夜
は爆心地から約1.6㎞の距離にあるA7とA8の間の土手で野宿を
した。なお,原告丁は,A5中学校にいた際,黒い雨を浴びた。この
点,被告は,原告丁が事後になってから黒い雨を浴びた旨供述したこ
とを指摘するが,前記の増田雨域の調査記録によれば,A5中学校の
所在地付近は,降雨があった旨の記載があることが認められるから,
上記の供述経過をもって,黒い雨を浴びたという上記認定は左右され
ないというべきである。
b昭和20年8月7日以降の状況
原告丁は,一旦,上記A1町の自宅に戻った後,爆心地のA9町等
を通り,安佐郡A10の伯母の家へ行った。その後,妹を捜すため,
広島市内のA11町付近へ行き,さらにそこからA12へ行ったが,
見付けることはできなかった。
数日後,原告丁は,A1町の自宅跡に行き,母の遺体と思われるも
のをだびに付した後,再び妹を捜し始め,約1か月間,広島市内等を
歩き回った。
昭和20年9月6日,原告丁は,妹の捜索をしていたところ,ひど
い倦怠感に襲われたため,昼過ぎに伯母の家に戻ると,腕から胸元に
かけて紅赤色の斑点が無数に浮き出て,熱が出た。その後,2~3日
して,歯茎から出血をしたり,鼻血が出たりするなどの症状が現れた。
その後,2週間から20日ほど静養し,徐々に快方に向かったが,
その間,寝返りを打つ際には,髪の毛が抜けることがあった。
同年10月末ないし11月初旬ころ,原告丁は,医療健診を受けた
際,「白血球が少ない。」といわれた。
(ウ)被爆後の健康状態,病歴
a昭和32年(28歳)
血液検査をしたところ,医師から「白血球に注意するように。」と
いわれた。
b昭和36年(32歳)
肺炎及び胃潰瘍に罹患し,3か月にわたって入院治療を受けた。ま
た,退院後には,気管支ぜんそくを発症した。
c昭和40年(36歳)
再度,医師から「白血球に注意するように。」といわれた。また,
このころ結核に罹患した。
d平成6年(65歳)
背中などにほくろ状や湿疹状のしこりや腫瘍のようなものが出現し
た。また,このころ高血圧,高脂血症と診断された。
e平成8年(67歳)
皮膚がん(基底細胞がん)と診断された(なお,皮膚がんについて
は原爆症認定を受けている。)。
f平成11年(70歳)
右上腕に腫瘍が発見され,摘出した。
g平成16年(75歳)
前立腺がんと診断された(なお,前立腺がんについては原爆症認定
を受けている。)。また,原告丁は,平成14年,あるいは,平成1
5年ころから字が読みにくくなり,平成16年ころからその傾向が進
展し,同時にかすんで見えるようになったこと,特に光がまぶしくな
り,道を歩いていると人の形は分かるものの,顔の目鼻がぼやけて判
別ができなくなったことなどの症状を覚え,平成16年2月に眼科を
受診し,白内障との診断を受けた(この点,原告丁は,平成14年こ
ろから白内障について眼科を受診していた旨供述するが,平成16年
より以前の眼科の診療録がないことがうかがわれることから,平成1
4年ころからの受診の事実を認めるに足りる的確な証拠はない。)。
イ白内障に関する診療録の記載等
証拠によれば,次の各事実が認められる。
(ア)原告丁が受診していたC1病院眼科の診療録には,平成16年2
月20日に眼科を受診し,老人性白内障と診断された旨の記載がある。
また,同日の問診表の記載によると,今まで眼の病気はしたことがない
との印字部分が丸で囲まれている。なお,同日の欄には「ちかちかする
のはかなり前より。左眼が何かスッキリしない感じ。右眼が涙目になる。」
との記載がある。また,Rv=1.0,Lv=0.9との記載もある。
さらに,同年12月21日の欄には,右眼が後嚢下白内障,左眼が皮質
白内障との記載がある。
(イ)原告丁の健康診断個人票の「現症」欄には,「右視力0.9(1.
2)左視力0.7(0.8)」との記載があり,「その他の検査」欄
には,「平成17年1月11日右=(0.9),左=(0.8)視
野検査施行」との記載がある。
(ウ)原告丁の両眼の細隙灯顕微鏡写真によれば,右眼には,広範囲の
後嚢下混濁が見られるとともに,核にも若干の混濁が見られ,左眼には,
後嚢下に混濁が見られるが,その範囲は右眼と異なり,一部分に止まる
とともに,核及び皮質に強い混濁が見られる。また,両目の後嚢下混濁
は,限局性の混濁ではなく,後極部後嚢下よりも前方に点状ないし塊状
混濁は見当たらない。
ウ白内障の病態
証拠によれば,次の各事実が認められる。
(ア)水晶体は,透明なカプセル,すなわち水晶体嚢に包まれ,直径9
㎜,厚さ3ないし4㎜,重さ0.2gで,ちょうど錠剤のような形をし
た両凸レンズである。水晶体の赤道部と毛様体との間には無数の線維状
の毛様(体)小帯,すなわちチン小帯が張っており,これにより虹彩の
裏側で硝子体の前に保持されている。水晶体は,やや黄色調を帯びてい
るが,ほぼ無色透明なレンズで血管,神経はない。水晶体の前面のカプ
セルを前嚢,後面のものを後嚢と呼ぶが,前嚢下には一層の上皮細胞層
がある。この内側には規則正しく密に配列した無数の六角柱状の線維が
あり,水晶体質の大部分をなしている。水晶体中心部の線維は,25歳
を過ぎるころから硬くなり,水晶体核を形成する。この核は,その後,
加齢とともに漸次増大し,硬化していく。核のまわりで水晶体嚢との間
の部分を水晶体皮質と呼ぶ。
(イ)白内障とは,水晶体が混濁した状態をいう。その混濁は,蛋白の
変性,線維の膨化や破壊によるもので,これには先天性と後天性のもの
がある。後天性の白内障としては,原因別に老人性,外傷性,併発性,
放射線性,内分泌代謝異常性,薬物又は毒物性などに分けられる。混濁
の程度,範囲,部位に応じて視力低下を訴える。後天性の白内障の主な
ものは,次のとおりである。
a老人性白内障は,白内障の中で最も多いものである。病因は,加齢
による水晶体の混濁で,70ないし80歳の高齢者になると多少なり
ともすべての人にこれが認められる。初発年齢には個人差があるが,
一般に50歳以上で他に原因を見いだせないものを指す。症状として
は,視力障害を訴える。程度の差はあるが,両側性で,進行は,一般
に緩徐である。混濁は,赤道部皮質や核,あるいは後嚢下に始まる。
混濁の程度により,進行の順に①初発白内障(混濁が赤道部皮質
付近にあり,点状,楔状,冠状などの形をしている。),②未熟白
内障(皮質が混濁し皮質白内障ともいう。混濁が瞳孔領にまで拡大す
る。),③成熟白内障(混濁が水晶体全体にわたり,嚢直下まで達
する。この時期になると眼底は透見できない。),④過熟白内障(混
濁がさらに強くなり,皮質及び核の萎縮硬化が見られ,水晶体自体は,
縮小・扁平となる。)に分けられる。視力が障害され,日常の生活に
支障をきたすようになったら手術を行う。手術適応は,矯正視力が0.
3以下をおよその目安とする。
b外傷性白内障は,水晶体嚢が破損し,水晶体線維が変性,膨化して
混濁することにより生じるものである。症状としては,水晶体嚢の破
損部から水晶体皮質の白濁が始まる。一般に混濁は進行し,早いもの
では数日のうちに水晶体全部に及ぶ。
c併発白内障は,長期にわたるぶどう膜炎,網膜剥離など眼内病変に
伴って水晶体の栄養障害をもたらし発生するものである。
d糖尿病白内障は,糖尿病者に生じるもので,若年者で両側性に進行
するものもあり,高齢者では老人性との区別が困難である。後嚢下白
内障をみることが多い。
eステロイド白内障は,副腎皮質ホルモンの長期にわたる全身投与で
両側性の後嚢下の皿状混濁を示す白内障をみる。
f放射線白内障は,放射線エネルギーによって生じる白内障で,レン
トゲンや原爆などの被曝による。放射線を受けると6か月から数年の
潜伏期を経て後嚢下に白内障をみる。これは外眼部や眼内に対する照
射による場合が多い。
g代謝異常に伴う白内障は,テタニー,ガラクトース血症,筋強直性
ジストロフィ,ウイルソンWilson病がある。
エ白内障と原爆放射線との関係についての科学的知見等
証拠によれば,次の各事実が認められる。
(ア)放射線被曝者医療国際協力推進協議会編「原爆放射線の人体影響
1992」(平成14年)には,次の記述がある。
a放射線白内障の特性
放射線白内障の特性としては,①電離放射線の種類に関係なく,
どの放射線でも水晶体に同じような形態学的変化を起こすこと,②
水晶体に同じ吸収線量が照射されたときには,放射線の種類によって
障害の程度に強弱があり,その差は生物学的効果比(RBE)によっ
て表され,白内障の発症に関しては,速中性子は,X線,γ線よりも
RBEが大きく,RBEが大きい放射線は,全身照射による致死線量
以下で白内障を起こすこと,③照射された線量が大きいほど,白内
障発生までの潜伏期間が短く,白内障の程度は強いこと,④幼若な
個体ほど変化が強いが,放射線に対する感受性にも個体差があること,
⑤混濁は,水晶体の後嚢下で初発し,斑点状ないし円板状混濁を形
成し,一部はドーナツ形となり,これを細隙灯顕微鏡でみると,混濁
の表面は顆粒状で多色性反射(色閃光)がみられることがあり,混濁
は後嚢下とその少し前方に位置するものとに分かれて二枚貝様の混濁
を形成し,このような初期に見られる所見は放射線白内障に特徴的な
ものであること,⑥後極部後嚢下に放射線白内障に類似の混濁を生
ずるものとしては,網膜色素変性症やブドウ膜炎に併発する白内障,
ステロイド白内障,老人性白内障などであり,これらの白内障との鑑
別が必要であること,以上が挙げられる。
b原爆白内障の臨床像
原爆白内障は,原爆以外の放射線によって生じた白内障と極めて類
似しており,水晶体の後極部後嚢下に混濁が認められても,軽い変化
は被爆していない人にも見られることがあるため,原爆の放射線によ
って起こったものかどうか判定しかねることもある。原爆白内障を診
断するためには,水晶体後極部の後嚢下に顆粒状の変化があるだけで
は十分ではなく,細隙灯顕微鏡で少なくとも円板状の混濁が見られる
ことを条件としている見解もある。
また,長崎の被爆者を調べた徳永によれば,原爆放射線による水晶
体の所見として,①分割帯の点状混濁,②後嚢下の凝灰岩様混濁
を挙げている。
広島の被爆者を調べた百々らは,原爆白内障の診断基準に,①後
極部後嚢下にあって色閃光を呈する限局性の混濁,②後極部後嚢下
よりも前方にある点状ないし塊状混濁という二つの形態学的特徴を挙
げている。そして,①このような水晶体混濁が認められて,②近
距離直接被曝歴があること,③併発白内障を起こす可能性のある眼
疾患がないこと,④原爆以外の電離放射線の相当量を受けていない
ことという4条件がそろっている場合に,原爆白内障と診断できると
している。
c原爆白内障の病理組織学的所見
臨床像に一致して水晶体後嚢下の皮質に変化が強い。水晶体繊維の
顆粒状の崩壊や無定形化が認められているが,放射線の種類による特
徴的な病理組織学的所見は得られていない。
d原爆白内障の程度分類
昭和32年10月から4年間にわたって広島大学で調べられた12
8人にみられた原爆白内障について4段階に分けられている。
①微度は,水晶体後極部の後嚢下に色閃光を呈する限局性混濁で,
直像鏡の+8Dレンズを通して徹照しても混濁は認められない。
②軽度は,後極部後嚢の前方(後分割帯)に細点状混濁があるもの
で,徹照法でかすかな混濁陰影を認めることがある。
③中等度は,徹照法で水晶体の中軸部に直径1㎜以下の類円形の混
濁陰影を認める。
④高度は,徹照法で後極部にかなり大きな類円形の混濁陰影を認め
る。
水晶体混濁が中等度以上になると徹照法でも確実に混濁陰影を捉え
ることができるが,視力障害をきたすことはない。視力障害を自覚す
るのは高度だけである。
e原爆白内障の発生頻度
原爆白内障の距離別発生率は,広島赤十字病院眼科で行われた調査
(昭和28年6月~昭和29年10月)では,爆心地から2.0㎞以
内で54.7%,2.0㎞以上で10.8%であり,広島大学眼科で
の調査(昭和32年10月~昭和36年9月)では,1.0㎞以内で
70%,1.0㎞~2.0㎞で30%,1.6㎞を超えると発生頻度
は急減したとされ,長崎大学眼科で行われた調査(昭和28年7月~
昭和31年12月)では,1.8㎞で57.4%,2.4㎞以内で4
8.5%で,原爆白内障が起こる被爆距離の限界は統計学的に1.8
㎞としている。
また,脱毛と遮蔽が後嚢下混濁の発生率に及ぼす影響についての調
査によると,広島・長崎の被爆者の調査で,頭部の脱毛の程度と水晶
体後嚢下混濁との間には高度の相関関係が認められ,また,長崎での
調査でも,脱毛がなく,遮蔽と被爆距離が増加するほど,後嚢下混濁
の発生率が減少していることが明らかにされている。
(イ)菅原務監修「放射線基礎医学(第10版)」(平成16年)には,
次の記載がある。
白内障は,水晶体に混濁を生ずる疾病で,水晶体混濁は2Gyの被曝で
起こるといわれるが,臨床的に問題となるような白内障は5Gyの被曝が
必要である。
最近の放影研の報告によるとDS86による推定線量で被曝線量の明
らかな広島の原爆被爆者2249名について,白内障の発生と線量の関
係を調べたところ,中性子線に対して0.06Gy,γ線に対して1.0
8Gyのしきい値から求めた中性子のRBEは18で,この値を用いた眼
の臓器線量当量で示される放射線誘発白内障のしきい値は1.75Sv,
安全域は1.31Sv(95%信頼限界の下限)であった。
潜伏期間は線量と照射期間にはほとんど関係がなく,原爆被爆者では
被爆後約5年で白内障が発生したと報告されている。この場合,混濁は
主に水晶体の後極部に起こり,同時に前嚢下部位に起こることがある。
この点で,赤道面上に起こる老人性白内障と区別されるが,進行すれば
他の白内障と区別できなくなる。中性子線はX線やγ線と比べると白内
障を起こしやすく,同一吸収線量でX線の5ないし10倍の効果がある
といわれている。子供は,成人に比べ,低線量で混濁を生じる。
(ウ)菅原務監修「放射線基礎医学(第11版)」(平成20年)には,
次の記載がある。
白内障のしきい値に関する先駆的な報告は,1950年代のMerrian
とFochtによるものである。彼らは頭頸部のがん患者で放射線治療後3
年間眼科学的な検査を行い,積算線量では0.55Gyからまた1回の線
量では2Gyから水晶体の混濁は生じることを示した。またHenkらは分
割照射の例からは5Gyで白内障が生じるとしている。またGragoudasら
は線量が高くなれば被ばくから早期に白内障を発症し,程度も重症化す
るが,分割照射では,潜伏期は長くなり,程度も軽くなるとしている。
(エ)広島市・長崎市原爆災害誌編集委員会編「広島・長崎の原爆被害」
(昭和54年)には次の記載がある。
放射線白内障の臨床的な特徴として,①検視鏡で照らしてみたとき,
水晶体の中央にドーナツ型の混濁がみられることや,②細隙灯顕微鏡
で調べたとき,水晶体の後極部の被膜の下に前境界面がはっきりとした
二枚貝のような形の混濁が見出されることが指摘されている。さらに,
原爆放射線による水晶体の特有の変化として,分割帯の点状混濁,後被
膜下凝灰岩様混濁が挙げられている。なお,皮質内の空胞は,放射線白
内障以外の各種の白内障にも発生するし,後被膜下斑点状混濁は非被爆
者の生理的な変化としても認められるとされる。
重症のものは,被爆後10か月より早い時期に初発するが,軽症ない
し中等症のものの潜伏期は,10か月ないしそれよりも長いと推定され
ている。
原爆白内障が生じる被爆距離の限界は,統計学的に1.8㎞であると
いう見解が示されている。
放射線によって発生した水晶体混濁は,通常,長期にわたりゆっくり
進行し,次いで停止性になると考えられているが,原爆白内障を長期に
わたって調べてみると,少数ではあるが,混濁の程度が強くなったり弱
くなったりするものもあるとされる。混濁が強くなって視力が障害され,
日常生活に支障が生じた場合には,老人性白内障の場合と同様,水晶体
の摘出手術を行うことが必要となるが,通常,手術後の経過に異常はみ
られないとされる。
(オ)大竹正徳ら「広島原爆被爆者の放射線白内障,1949-64年」
には,次の記載がある。
電離放射線被曝が眼に与える生物学的影響の程度は,主として電離放
射線の量的,質的特質によって決定される。しかし,ヒトの放射線に関
連する白内障発生に関する細胞レベルの事象は完全には把握されていな
いので,すべての線量反応モデルはある程度推測的なものになる。
国際放射線防護委員会(ICRP)の研究班は,「高LETあるいは
低LETにかかわらず電離放射線による白内障誘発に関する線量反応
は,高度にS状曲線である」と報告している。ICRPの委員会Ⅰの第
2研究班は,この見解を再び確認した。ICRPとその第2研究班は,
白内障の発生は非確率的現象であり,適度の線量制限内では完全に避け
られ得るとみなしている。換言すると,両者ともにそれ以下では放射線
白内障が発生しないしきい値の存在を仮定している。単一急性被曝での
低LETのしきい値線量は一般に2Gy前後とみなされている。
被爆者に認められた水晶体変化のうち高頻度に報告された病変は,高
線量被曝者における水晶体後嚢下円板状混濁や多色性光彩であった。約
10年前の所見と比較して,これらの病変にはほとんど進行がみられな
かった。片眼あるいは両眼の水晶体混濁の程度は,従来どおりに生体顕
微鏡検査を用いて,判定不能,微小,小,中あるいは大に分類されてき
た。ほとんどの場合は,混濁の程度は小以下(約70%)であり,大と
分類されたものはわずかに5症例であった。臨床調査によると,ヒトに
おいてX線曝露から水晶体混濁が発現するまでの時間的間隔は6か月か
ら35年と広範囲にわたっており,平均して2,3年である。X線の単
一急性被曝のしきい値線量は,一般に2Gy前後であるとみなされてきた
が,原爆被爆者はγ線と中性子線に同時に被曝しているため,同時被曝
の場合には放射線生物学的影響に相互作用が存在するか否かに関する疑
問が生じる。しかし,被爆者に関する限られたデータを利用するため,
相互作用の存在の決定及びその影響の推定は困難である。いずれにして
も中性子線量とγ線量の各しきい値は単一X線被曝の結果と比較できな
いかもしれない。また,安全領域を定義づける上で両しきい値を考慮す
ることは賢明であると思われる。
(カ)小原喜隆ほか「科学的根拠に基づく白内障診療ガイドラインの策
定に関する研究」(平成14年)には,次の記載がある。
水晶体混濁の有所見率は,3主病型(皮質,核,後嚢下白内障)とも
に加齢に伴い増加する。初期混濁を含めた有所見率は50歳代37~5
4%,60歳代66~83%,70歳代84~97%,80歳以上で1
00%,程度2以上の進行した水晶体混濁の有所見率は50歳代で10
~13%,60歳代で26~33%,70歳代で51~60%,80歳
以上では67~83%と報告されている。3主病型では,皮質及び核混
濁が多く,後嚢下混濁は最も少ない。日本人では,皮質単独混濁で発症
することが多く,高齢者では,混合型混濁が多い。
(キ)津田恭央ら「原爆被爆者における眼科調査」(平成16年)には,
次の記述がある。
平成12年6月から平成14年9月にかけて,成人健康調査対象者の
うち被爆時の年齢が13歳未満の者全員及び昭和53年から昭和55年
に眼科調査を受けた者を対象として,細隙灯検査,写真撮影及び水晶体
混濁分類システム2による分類を行い,性,年齢,都市,線量,中間危
険因子を説明変数とし,核色調,核混濁,皮質混濁,後嚢下混濁それぞ
れ所見なし群を基準として混濁群別比例オッズモデルを用いたロジステ
ィック回帰分析を行ったところ(核色調,核混濁に放射線との相関は認
められなかった。),原爆被爆者の放射線被曝と水晶体所見の関係にお
いて遅発性の放射線白内障及び早発性の老人性白内障に有意な相関が認
められた。すなわち,放射線白内障(後嚢下混濁)は被曝後数か月後に
現れ,その後は安定的に経過し視力障害をきたすことはないとされてき
たが,小児期に被曝するとかなり遅くにも発症することが報告された。
次いで皮質混濁(いわゆる老人性白内障)が早期に現れることも報告さ
れた。本調査で原爆被爆者においても両所見ともに確認された。
ではなぜ55年を経てこのような現象が見られるのかその機序は不明
である。白内障には紫外線,糖尿病,ステロイド治療,炎症,カルシウ
ム代謝など様々な危険因子が存在することが知られているが,それらを
調整しても線量との関連の有意性の変化は認められなかった。今後動物
実験などにより確認する必要があると考えられる。
(ク)中島栄二ら「原爆被爆者における白内障有病率の統計解析,20
00-2002」(平成16年)には次の記載がある。
平成12年6月から平成14年9月まで,放影研で行われた広島長崎
の原爆被爆者の白内障有病率調査のデータを利用して白内障線量反応の
詳しい統計解析及び白内障線量反応におけるしきい値を検討したとこ
ろ,核色調及び核混濁では,女性では線量効果が示唆的であり,ほぼ同
程度の放射線リスクが見られた。これは,紫外線の水晶体への影響の疫
学調査の結果と相似する。皮質混濁に対しては,有意な放射線リスクが
認められ,Hallらによる放射線白内障疫学調査の結果と一致する。我々
の結果では,このリスクは,都市,性及び被爆時年齢に無関係であった。
後嚢下混濁に対しては,有意な放射線リスクが認められた。この結果は,
前回調査の結果と一致する。このリスクは,被爆時年齢とともに示唆的
に減少し,被爆時年齢5歳,10歳及び20歳で1Sv当たりのオッズ
比は,それぞれ1.67,1.50及び1.22であった。放射線の主
効果が有意であった早発性皮質混濁と晩発性後嚢下混濁について,しき
い値の検討を行ったが,しきい値の存在は認められなかった。これは,
しきい値が約1.5Svであるとする前のしきい値に関する研究結果と
は異なる。放射線白内障におけるしきい値の存在の有無は,今後,チェ
ルノブイリを始めとする世界各地での放射線関連疫学調査での検討課題
の一つであると思われる。
(ケ)山田美智子ほか「原爆被爆者におけるがん以外の疾患の発生率,
1958-1998年」には次の記述がある。
昭和33年から平成10年の成人健康調査受診者からなる約1万人の
長期データを用いて,がん以外の疾患の発生率と原爆放射線被曝線量と
の関係を調査した。
その結果,白内障に関し,有意な正の線形線量反応関係を認めた。
水晶体混濁は60歳以降に急増するので,調査時年齢が60歳以下と
60歳を超える者の間での線量反応における異種混交を検討した。放射
線の影響は若年群において有意であったが,高齢群では有意ではなかっ
た。
これを基に考察するに,過去の成人健康調査の眼科調査により高線量
被曝群,特に若年被爆者において後嚢下混濁の発生率の上昇が明らかに
されたが,初期の成人健康調査の眼科調査や昭和33年から昭和61年
の以前の成人健康調査のがん以外の発生率調査では白内障に関する放射
線の付加的な影響は明らかにされなかった。
しかしながら,さらに12年間の経過観察の追加により白内障の全体
的な発生率が放射線量に伴い有意に上昇した。
最新の経過観察における発症時60歳未満の白内障症例によって,放
射線影響の検出が高まったようである。
(コ)gunillawildeら「小児期早期の水晶体γ線照射による成人期放射
線白内障」(平成9年)には次の記載がある。
眼球辺縁にできた皮膚血管種腫に1本か2本のラジウム針で治療を受
けた集団に関し,γ線照射後30年から45年経って調査をしたところ,
平均線量として,約1Gyから8Gyの照射を受けた治療側の水晶体は,
軽度のから中程度の後極部後嚢下,及び皮質に白内障形成が高頻度に見
られた。白内障の発症は線量の関数として増加した。非治療側の水晶体
は,ほぼ0.1Gy前後と見られる被曝をしているが,後嚢下に,小斑状
の混濁や空砲形成が見られた。乳児期の成長しつつある水晶体は,ラジ
ウム被曝に対して,従来いわれているよりも低線量で感受性がある。
(サ)放影研「放射線被曝と年齢に関連する眼科的所見の変化広島・
長崎成人健康調査集団」(昭和58年)には,次の記述がある。
昭和53年から55年まで,広島・長崎成人健康調査集団における年
齢および放射線被曝に関連する眼科的病変の調査を行った結果,広島の
被爆者では,軸性混濁及び後嚢下混濁の双方に関し,全年齢層において
300rad以上群の過剰リスクに高い有意差が認められた。長崎では
このようなリスクの増加は認められなかった。後嚢下混濁について,広
島の100rad以上群における受診時年齢別の相対的危険度は,40
歳未満群で13.8,40~49歳群で2.9,50~59歳群で2.
7,60~69歳群で2.1,70歳以上群で1.4であり,70歳以
上群以外の全ての年齢群において,この過剰リスクは高い有意差を認め
(P値は0.001未満),最も顕著なリスクは40歳未満群であった。
そして,放射線誘発性と思われる加齢促進効果の最も明瞭な証拠が,受
診時年令33~49歳(被爆時15歳未満)群に認められた。
(シ)皆本敦ら「原爆被爆者における白内障」(平成16年)には,次
の記載がある。
原爆投下時に13歳未満であって,昭和53年と昭和55年における
研究でも検査の対象となった被爆者を対象として,平成12年から平成
14年にかけて,ロコスⅡモデルの診断手法を用いた検査を実施したと
ころ,原爆被爆者における2つの型の白内障(皮質白内障,後嚢下白内
障)について,放射線の影響が有意であることが確認された。また,皮
質混濁と後嚢下混濁とは,相互に有意に関連しており,その2つの混濁
に共通の生物学的相互作用があることが示唆された。
(ス)草間朋子ほか平成13年度委託研究報告書「電離放射線障害に関
する最近の医学的知見の検討」(平成14年)には,次の記載がある。
水晶体の混濁あるいは白内障の発生は,以前は,水晶体前面の水晶体
包下の上皮細胞に生じた細胞死あるいは細胞障害が,水晶体の後面に移
動し,水晶体中心軸上の混濁となるとされていた。線量が少ない場合は,
視力障害を伴わない混濁のみであり,線量の増加に伴い視力障害を伴う
白内障となると考えられていた。
しかし,最近の知見では,水晶体混濁は,水晶体の分裂細胞(上皮細
胞)の細胞死ではなく,水晶体の上皮細胞のゲノムの遺伝子の変異によ
る水晶体の繊維蛋白の異常が原因であるとされている。被曝から水晶体
混濁が生じるまでの潜伏期間の長さは,繊維組織に分化するまでの時間
と,上皮細胞の遊走にかかる時間が関係する。線量が極めて高い場合に
は,代謝性の変化が生じ,その結果,透明性が失われると考えられてい
る。
病理学的には,最初に水晶体後面の水晶体包下の異常として確認され
る。被曝による水晶体前面の異常の程度が大きい場合には,視力障害の
原因となる。
放射線による水晶体混濁あるいは白内障の発生には,①線量,②被
曝時の年齢,③線量率などが関係する。原爆被爆者のデータでは,1
5歳未満の若年者の感受性が高いとされている。
(セ)横山知子ら「原爆被爆者における白内障危険因子」(平成16年)
には,次の記載がある。
原爆被爆者における白内障の発症に影響する危険因子についての検討
がされた結果,従来白内障の危険因子として報告されている紫外線・喫
煙・糖尿病・肥満においては,いずれもリスクを高める傾向はあるもの
の,有意差を認めたのはごく一部であった。一方,血清カルシウム値に
ついては,後嚢下混濁と正の相関が示されたことから,原爆放射線が血
清カルシウム値等の因子を介して白内障を発症させる可能性が示唆され
たとされる。
(ソ)白内障と原爆放射線との関係についての医師の意見
a小出良平作成の意見書の概要は次のとおりである。
原爆による放射線白内障については,①後極部後嚢下にあって色
閃光を呈する限局性の混濁,もしくは後極部後嚢下よりも前方にある
点状ないし塊状混濁のいずれかの水晶体混濁が認められること,②
近距離直接被曝歴があること,③併発白内障を起こす可能性のある
眼疾患がないこと,④原爆以外の電離放射線の相当量を受けていな
いこと,以上の4条件がそろった場合に診断できるとされており,特
に①の水晶体混濁が認められることが肝要であるとする。
そのため,水晶体混濁の状況を確認すべく,散瞳した状態で細隙灯
顕微鏡検査を実施し,申請者の水晶体混濁が上記①の状況であること
を確認することが重要である。
また,放射線白内障は,放射線の影響により生じ,被曝後数か月か
ら数年で発症し,特に重傷例にあっては,被曝後早期に発症すること
が判明しているから,原爆放射線の被曝のみで,被曝後50年以上経
過した後に遅発性の放射線白内障が発生したとは考えにくく,仮に遅
発性の放射線白内障が発症したとしても,後極部後嚢下にあって色閃
光を呈する限局性の水晶体混濁を呈しないことから,老人性白内障と
の鑑別は大変困難である。
その根拠としては,放射線が水晶体に与える影響は「確定的影響」
であり,被曝線量がしきい値を超えない限り,その影響は観察されな
いことにある。またしきい値を超える放射線を被曝した場合でも,線
量が低い場合には,水晶体混濁が発生したとしても顕微鏡的大きさに
とどまり,著明な視力障害を起こさないことから症状を呈しないとさ
れている。
したがって,申請者に発症した白内障が原爆による放射線白内障か
どうかの判断においては,白内障の発症年齢とその病状,細隙灯顕微
鏡検査による水晶体混濁の状況,ブドウ膜炎等の白内障を発生させる
ことがある眼疾患の発生状況,糖尿病,強皮症等白内障を生じる全身
性疾患の罹患状況,副腎皮質ステロイド薬等服薬状況,外傷の有無,
職歴などにかんがみ,老人性白内障や糖尿病性白内障など,他の白内
障と鑑別できることも重要である。
b聞間元ら「原爆症認定に関する医師団意見書」には次の記載がある。
従来,放射線起因性が疑われる白内障については,被爆後数ヶ月で
生じたか,または若年被爆者に遅発性に生じてきた水晶体後極部の後
嚢下混濁による放射線白内障,または早発性の皮質混濁による老人性
白内障が特徴とされてきた。最新のAHS第8報ではあらためて白内
障に有意な線量反応関係が認められている。また,平成15年の第4
4回原子爆弾後障害研究会で,「原爆被爆者の放射線被曝と水晶体所
見の関係において遅発性の放射線白内障及び早発性の老人性白内障に
有意な相関が認められた」と報告されている。これは,従来,確定的
影響とされてきた遅発性の放射線白内障の発生が,確率的影響の下に
あるかも知れないことを示唆する重要な知見である。
オ白内障と原爆放射線との関連性についての検討
前記の知見及び所見等によれば,放射線白内障は,これまで,確定的影
響に属する疾病であるとされ,水晶体混濁は2Gyの被曝で発症するが,臨
床的に問題になるような白内障は5Gyの被曝が必要であり(前記エ(イ)),
被曝から水晶体混濁を発症するまでの期間は,6か月から35年と広範囲
にわたっているものの,平均すると2,3年であり(前記エ(オ)),放
射線白内障の臨床上の特徴としては,水晶体の混濁が後嚢下に初発するこ
とであり,同時に前嚢下にも混濁を生ずることもあるが,放射線白内障に
おける混濁は,円盤状あるいは斑点状のものであって,細隙灯顕微鏡によ
れば,混濁の表面は顆粒状で色閃光があり,後嚢下と前嚢下に分かれて二
枚貝様の形状となることが確認できるとされている(前記エ(ア))。
そして,老人性白内障など,放射線白内障以外の白内障によっても後嚢
下に混濁を生ずることが指摘されており,放射線白内障も進行した場合に
は,他の白内障と区別することが困難になる上,後極部後嚢下の軽度の変
化は非被爆者にもみられることがあるため,原爆白内障であると診断する
ためには,水晶体の後極部後嚢下に顆粒状の変化があるだけでは不十分で
あり,①後極部後嚢下にあって色閃光を呈する限局性の混濁又は後極部
後嚢下よりも前方にある点状ないし塊状混濁という水晶体混濁が認められ
ること,②近距離直接被曝歴があること,③併発白内障を起こす可能
性のある眼疾患がないこと,④原爆以外の電離放射線の相当量を受けて
いないこと,これらの4条件がそろっていることが確認されなければ,原
爆白内障と診断することはできないとする見解も存在し(前記エ(ア)b),
このような知見は研究者らの一定の支持を得るところとなっているものと
解される(前記エ(ソ)a)。
他方,原爆被爆者の放射線被曝と水晶体所見の関係において遅発性の放
射線白内障及び早発性の老人性白内障に有意な相関が認められたとする報
告(前記エ(キ))や,遅発性の放射線白内障及び早発性の老人性白内障
の発症にしきい値は認められなかったとする報告(前記エ(ク))も示さ
れているところであり,放射線白内障におけるしきい値の存在については,
今後の研究に委ねられている部分が大きいというべきである。
そうすると,白内障について,放射線の影響があるか否かについては,
現時点においては,しきい値に囚われず,被曝線量の大小,放射線白内障
の特徴を備えているか否か,白内障発症の時期,既往歴等を総合的に考察
して判断するほかないというべきである。
カ放射線起因性についての意見
(ア)高橋稔(船橋二和病院附属ふたわ診療所医師)作成の意見書の概
要は次のとおりである。
原告丁は,爆心地から1.2㎞という近距離で,屋外で熱線・爆風を
受け,かつ,高線量被曝をしたものである。加えて,原告丁がその後の
行動によって誘導放射化された微粒子を吸入して相当程度の内部被曝を
していたことがうかがわれる。
原告丁は,被爆1か月後に倦怠感,発熱,脱毛,出血等の急性症状が
あり,残留放射能物質の呼吸による吸引による体内,体外被曝状況を考
慮すると,原告丁の急性症状は放射線被曝の障害を示すものとして理解
されなければならない。
原告丁の白内障については,医師により「後嚢下に強い混濁を認める
ことにより放射線による影響があると考えられる」と診断されているが,
これは,放射線白内障に見られる特徴的な所見である。
今日,若年時被曝においては,遅発性放射線白内障の発症促進が指摘
されていることからすれば,原告丁の白内障は,放射線との関連性を否
定することはできない。
(イ)葉田野宜子(船橋二和病院附属ふたわ診療所医師)作成の意見書
は次のとおりである。
広島市1.2㎞で被曝。急性症状(発熱,紅斑,脱毛など)あり,直
接被曝に加え,強く放射線の影響を受けたことが考えられ,白内障も後
嚢下に強い混濁を認めることにより放射線による影響があると考えられ
る。
キ放射線起因性についての検討
(ア)a前記第2の2「前提事実」によれば,原告丁は,原爆投下時に
広島の爆心地から約1.2㎞の地点にいたところ,旧審査方針別表9
によれば,初期放射線による被曝線量は173cGyであり,被爆時に
遮蔽があった場合に被爆状況に応じて0.5~1を乗じて得た値とす
るとされていることからすると,原告丁の初期放射線による被曝線量
は,86.5~173cGyということになる。
また,前記認定事実によれば,原告丁は,翌8月7日には,爆心地
付近を通って,伯母の家に向かっているところ,旧審査方針別表10
によれば,広島の原爆投下の16時間後から24時間後まで爆心地に
入った場合,誘導放射線による捕縛線量は10cGyということになる。
そして,原告丁は,広島市のA12又はA13地区に原爆投下直後
に滞在したことも,その後長期間に渡って居住したこともないから,
旧審査方針によれば,原告丁の放射性降下物による被曝線量は0cGy
ということになる。
したがって,旧審査方針によれば,原告丁の原爆放射線の被曝線量
は最大で183cGyということとなる。
bそして,前記認定のとおり,原告丁は,昭和20年8月6日,避難
の途中で黒い雨を浴び,さらに,具体的な被曝態様によっては,誘導
放射線による被曝線量が旧審査方針別表10の値を超える場合があり
得るところ,原告丁は翌7日には爆心地付近を通っており,誘導放射
線又は放射性降下物による相当量の外部被曝をした可能性があり,か
つ,以上の行動を通じて残留放射線による内部被曝をした可能性も高
いというべきである。
cまた,前記認定事実によれば,原告丁は,被爆から1か月後の平成
20年9月6日,ひどい倦怠感に襲われ,腕から胸元にかけて紅赤色
の斑点が無数に浮き出る,発熱をするなどの症状が現れ,その後,2
~3日して,歯茎から出血をしたり,鼻血が出たりするなどした。そ
して,2週間から20日ほど静養し,徐々に快方に向かったが,その
間,寝返りを打つ際には,髪の毛が抜けることがあった。
原告丁の上記のような症状は,発熱や脱毛については,典型的な急
性症状とは異なることは否定できないが,紅赤色の斑点の出現時期,
出血傾向などは,典型的な急性症状と矛盾するものではなく,放射線
による急性症状として説明することが自然である。
さらに,原爆放射線と白血球減少症との関連性が報告されていると
ころ,原告丁は,昭和20年10月末ないし11月初旬ころ,医療健
診を受けた際,「白血球が少ない」といわれていたり,平成8年に発
見された皮膚がん及び平成16年に発見された前立腺がんについて
は,いずれも原爆放射線との関連性が認められる疾患であり,放射線
起因性が認められて原爆症認定をされていることからしても,原告丁
は,健康に影響を及ぼす程度の高線量の放射線被曝を受けていたとい
うことができる。
dそして,原告丁の両眼の細隙灯顕微鏡写真によれば,原告丁の両眼
には,強度の差があるものの,いずれにも後嚢下に混濁があることが
認められる。
(イ)aしかしながら,後嚢下混濁は,放射線白内障に特有に認められ
る症状ではなく,他の要因の白内障にも認められる症状でもあること
は,前記のとおりである。そして,放射線白内障は,前記のとおり,
水晶体の混濁が後嚢下に初発することや,後極部後嚢下にあって色閃
光を呈する限局性の混濁,もしくは後極部後嚢下よりも前方にある点
状ないし塊状混濁のいずれかの水晶体混濁が認められることを特徴と
するところ,現在の原告丁については,後嚢下混濁のみならず,左眼
には,放射線との相関が認められず,老人性白内障の特徴である皮質
混濁及び核混濁が広範囲に生じており,右眼には,核混濁がそれぞれ
認められ,それらのいずれが最初に発症したのかについては,認める
に足りるカルテの記載等の証拠はなく,後嚢下に混濁が初発したか否
かについては不明といわざるを得ない。また,原告丁の細隙灯顕微鏡
写真では,いずれの眼についても,後嚢下の混濁は,限局性あるいは
点状ないし塊状とは認めがたいところである。
さらに,原告丁の白内障の発症が自覚された時期は,前記のとおり,
早くても平成14年(73歳)ころと認められ,それ以前には,眼部
に何らかの疾患が発症していたと認めるに足りる証拠もないところ,
この年齢であれば,放射線の影響を受けていない通常人の多くが白内
障を発症するとの知見も示されている(前記エ(カ))。そして,原
告丁の白内障について,放射線起因性が認められるとの意見書を作成
した高橋医師も「放射線による白内障と加齢に伴う白内障は区別でき
ない。」「原告丁の白内障は積極的に放射線に起因するとまではいえ
ないけれども,それを否定することはできない。」と証言するに止ま
るものであることなども併せ考慮すると,上記(ア)の各点や,統計
学的に原爆白内障が生じうる1.8㎞以内での被爆であること,原告
丁の被爆時年齢が16歳であり,放射線感受性が高い若年群に近い年
齢であったこと,原告丁が白内障のリスクを高める傾向のある糖尿病
の罹患等の危険リスクを有していないことなどの事情を勘案しても,
原告丁の白内障については,単に老人性白内障との区別が判然としな
いというだけでなく,白内障の発症が自覚された時期が遅く,老人と
される年齢に達してからであり,その診断がされた時点において後嚢
下混濁が初発していたとは認められず,また,老人性白内障の特徴で
ある核混濁や皮質混濁が顕著に認められるという医学的所見が認めら
れること等に照らせば,むしろ老人性白内障である蓋然性を相当程度
有しているというべきである。そうすると,原告丁の白内障に放射線
起因性が認められるとするには,合理的な疑問が残るといわざるを得
ない。
bそして,原告丁の視力については,平成16年2月20日時点では,
右眼1.0,左眼0.9,平成17年1月11日時点では,右眼(0.
9),左眼(0.8),との記録があり,その前後の検査結果と思わ
れる健康診断個人票の「現症」欄には,「右視力0.9(1.2)左
視力0.7(0.8)」との記録があり,これらの検査結果が裸眼の
視力であるのか矯正の視力であるのか必ずしも判然としないものの,
いずれにせよ,原告丁の視力障害が手術適応まで進んでいるものとは
認められないこと(前記ウ(イ)a),細隙灯顕微鏡写真を見ても,
両眼とも混濁が水晶体全体にまでわたっておらず,成熟白内障まで進
行しているとまでは認められないことなどからすると,原告丁の白内
障が通常以上に進行しているとはいえず,原告丁が相当程度の放射線
被曝の影響を受けたことを勘案しても,その白内障の進行に,放射線
被曝が寄与したことについては,疑問が残るといわざるを得ない。
(ウ)小括
以上からすれば,原告丁の白内障の発症又は進行については,放射線
起因性を認めることができない。
ク結論
したがって,原告丁は,原爆症認定要件には該当しない。
(2)原告甲について
ア原告甲の被爆状況等
前記第2の2「前提事実」(4)アの事実及び証拠によれば,次の各事
実が認められる。
(ア)被爆前の生活状況
原告甲は,昭和20年8月6日当時,13歳であり,身体が丈夫で,
子供ながらに水泳の監視員の資格を有するほどであった。
(イ)被爆状況,被爆後の行動等
a昭和20年8月6日の状況
原告甲は,広島市に原爆が投下された午前8時15分ころ,広島県
賀茂郡A3町の女学校でミシン作業を行っていた。
b昭和20年8月7日以降の状況
(a)原告甲は,昭和20年8月7日未明,当時疎開していた広島県
賀茂郡A4村から,伯父や従姉妹を捜すため,父と一緒に広島市内
に向かい,同日午前6時ころ,同市内に到着した。その後,A14
方面からA7(爆心地から約1.7㎞)を経由し,A15(爆心地
から約1.3㎞。当時,父の伯父の家があった。),A16町(爆
心地から約1.1㎞)を通り,A17町(爆心地から約1.8㎞。
当時,父のいとこの家があった。)付近まで行った。A15では父
の伯父の家に行き,そこで,周囲に埃が舞う中,崩壊した家の跡の
瓦やタイル等のがれきをどかすなどし,伯父らの捜索をした。その
際,口を覆うものがないまま作業をし,また,うがいをした水をそ
のまま飲み込んだり,汚れた手で食事をするなどした。
なお,被告は,①被爆者健康手帳の交付申請の際及び原爆症認
定申請の際には,いずれも,原爆投下後初めて広島市に入市したの
は昭和20年8月11日であると申告していたこと,②原告甲が
一緒に広島市に入市したと主張する父であるDの被爆者健康手帳交
付申請書には,同人は,昭和20年8月9日に一人で広島市に入市
した旨記載されていること,③原告甲の昭和20年8月7日にA
4村を出発した時刻等の供述に曖昧な点が見られることを指摘し,
その供述に信用性は認められない旨主張する。確かに,①の点は認
められるが,原告甲は,その理由につき,被爆者健康手帳の申請に
あたり,入市の事実を証明する証人がいなければ申請を受け付けら
れないと説明をされたところ,父では近親者であるために証人にな
ることができず,証人になることができる叔母に会うことのできた
昭和20年8月11日を入市日として申請せざるを得なかったと説
明し,同様の考えから,原爆症認定申請書にも同様の記載をした旨
説明しており,かかる説明に合理性がないとはいえない。また,②
の事実も原告甲の供述と必ずしも矛盾するわけではない。そして,
60年以上前の事実に関する供述であるのであるから,その供述内
容に多少曖昧な点があったとしても,直ちにその信用性が失われる
ものというべきではないから,③の指摘も原告甲の供述の信用性を
必ずしも揺るがすものではない。したがって,上記①ないし③の事
情は,上記認定を左右するものではないというべきである。
(b)同月11日,原告甲は,再び伯父らの安否を確認するため,同
月7日と同じルートで広島市に入市し,A15やA17町付近で父
の伯父や父のいとこの捜索をした。同日,午前中,原告甲は,広島
市内で叔母に遭遇し,防空壕に備蓄されていた米を食べた。
(c)(a),(b)の捜索の後,しばらくして体調に変化が生じ,
強い倦怠感が常時発現するようになり,また,ズキンズキンという
頭痛がつきまとう等の状態になり,動作をするのが困難になるよう
になった。
(ウ)被爆後の健康状態,病歴
a昭和23年ころ(16歳ころ)
倦怠感や激しい頭痛により,これまで通っていた片道8㎞の女学校
に通うことができず,出席日数が足りなくなるほどであった。
b昭和24年(17歳)
銀行に就職したが,大変疲れやすく長時間座り続けることができな
くなり,紙幣を数えていると気分が悪くなる状態で,就職後1か月経
ずに退職した。その後,家事手伝いをしていたが,その生活の中では,
例えば入浴中に目眩を起こして倒れたり,リヤカーを押しているとき
に足が付いて行かず,突然倒れて一時寝たままの状態となることもあ
った。
c昭和26年(19歳)ころから昭和43年(36歳)ころまで
昭和26年2月に結婚し,同年12月に子を出産した。しかし,依
然として著しい倦怠感は続いており,突然意識を失ってしまうことか
ら,子を風呂に入れることもできず,また,背負うこともできなかっ
たため,実家の両親や兄弟に代わってしてもらっていた。
昭和26年ころから,夫の転勤に伴い,宮城,鹿児島,山口などを
転々とした。この間も,著しい倦怠感は続き,子が幼稚園のころには,
朝,歩いて40分位のところにある幼稚園に子を送っていくこともで
きず,夫と子を送り出した後,家事を済ませること,起きていること
ができない状態であった。
昭和42年(35歳)ころ,東京へ引っ越したが,そのころから,
原爆投下直後に一緒に入市した原告甲の父の容態が悪化し,原因不明
の吐血が続くようになった。
d昭和43年(36歳)ころから昭和50年(43歳)ころまで
激しい頭痛と吐き気,心電図の異常により,C2病院に検査入院を
した。また,顔や手足に異様なむくみが現れ,昭和48年(41歳)
に国立がんセンターの医師から特発性浮腫との診断を受けた。昭和5
0年(43歳)ころには,さらに頭痛が激しくなり,そのころから,
入退院を繰り返すようになった。
e昭和62年(55歳)
大腸ポリープが見付かり,同年1月にその切除を行ったところ,悪
性の大腸がんであることが判明した。
f平成3年(59歳)
急性ネフローゼ症候群(臨床的概念であり,尿中に多量の血清タン
パク成分を喪失するときにみられる共通の病態をいう。)に罹患し,
平成7年ころまで入退院を繰り返した。
g平成9年(65歳)
慢性腎不全と診断され,その後も腎機能障害が進行し,平成12年
4月には慢性糸球体腎炎と診断され,透析を行うために人工血管を造
設する手術を受け,同年7月から透析を受けるようになった。
h平成12年(68歳)
10月に大腸がんが発見され,切除した。また,同年12月には,
心臓の冠動脈に狭窄が認められ,ステントが入れられた。
i平成13年(69歳)
C型肝炎に罹患していることが判明した。また,甲状腺機能低下症
との診断も受けた。さらに,白内障の手術も受けた。
j平成15年(71歳)
6月に変形性脊椎症が発見され,また,大腸癌が発見され,頚椎症
脊髄症,副甲状腺機能亢進症との診断も受けた。さらに,左手が移動
性関節リウマチになった。
k平成16年(72歳)
左腕の人工血管手術を受けた。
l平成17年(73歳)
心臓の大動脈狭窄症により,心臓カテーテル検査を受けた。
m平成18年(74歳)
左腕の動脈が切れ,人工血管によるバイパス手術を受けた。
イ原告甲の血液検査結果と治療経過等
証拠によれば,原告甲の血液検査の結果及びチラージンS(合成で作ら
れたT4ホルモン)の投薬状況は,次のとおりと認められる。なお,下表
中,最上段の括弧内の数値は基準値を表す。
日付(受付日)FT3
(2.5-4.3)
FT4
(1.0-1.8)
TSH
(0.4-4.001)
チラージンS
の投薬状況等
平成13年2月21日1.60.911.322
平成13年6月4日2.00.861.886
平成13年7月2日1.80.782.802
平成13年7月20日投薬開始
平成13年10月15日2.20.851.713
平成14年4月15日増量
平成14年4月17日1.80.841.990
平成14年4月26日再増量
平成14年8月9日動悸がするた
め,減量
平成15年1月15日2.50.870.030
平成15年1月20日投薬中止
平成16年12月15日1.50.801.820
平成16年12月20日投薬再開
平成17年4月4日1.80.850.665
平成17年8月1日1.80.910.265
平成17年11月25日2.21.030.772
平成18年4月3日1.60.840.530
平成18年12月5日1.91.031.150
平成19年3月6日2.21.100.826
平成19年3月12日投薬中止
平成19年4月9日1.80.700.679
平成19年8月6日2.11.110.212
また,平成13年2月21日の検査結果によれば,自己抗体検査である
サイロイド及びマイクロゾームの測定値(いずれも100>)は,いずれ
も基準範囲(バイ100未満)内であった(すなわち陰性である)ことが
認められる。また,ACTH(副腎皮質刺激ホルモン)の数値は,同年1
0月15日の検査結果によれば,4.0未満であり,基準値を下回るもの
であったこと,一方,平成16年12月20日の検査結果では8,平成1
7年11月25日の検査結果では15であり,いずれも基準値内であった
ことが認められる。
ウ原告甲の疾病についての検討
原告甲の甲状腺ホルモン低下状態については,それが原発性甲状腺機能
低下症によるものであるのか,中枢性甲状腺機能低下症によるものである
のか,ユーサイロイド・シック・シンドロームによるものであるのか,あ
るいは,これらの病態が混在した結果によるものであるのかにつき,争い
があるので,まず,この点につき検討する。
(ア)甲状腺機能低下症の病態等
証拠によれば,次の事実が認められる。
a定義・概念
甲状腺機能低下症とは,体内で甲状腺ホルモンの作用が不十分なた
めに引き起こされる病態である。通常は血中ホルモンレベルが低値で,
甲状腺ホルモン量の不足によるためであるが,なかには作用機構の障
害によって機能低下となる場合がある。
b分類・病因
甲状腺機能低下症は疾患名ではなく病態に対する名前であり(組織
に甲状腺ホルモンが作用しないことによって生じる病態を示すと考え
て良い。),病因的には甲状腺自体に障害がある場合と,甲状腺より
上位の下垂体や視床下部に障害がある場合,あるいは甲状腺ホルモン
の作用部位である末梢組織に障害がある場合に分けられる。甲状腺自
体の障害のためにホルモン分泌・合成障害をきたすものを原発性甲状
腺機能低下症とよぶ。先天性や後天性に甲状腺組織の欠損や破損が起
こった場合,あるいは甲状腺におけるホルモンの生成,分泌が何らか
の要因で障害されている場合がある。二次性(下垂体性)とは,下垂
体からのTSH分泌の減少による甲状腺機能低下症であり,三次性(視
床下部性)とは,視床下部からのTRH分泌が減少し,このため下垂
体からのTSH分泌,さらには甲状腺からのホルモン分泌が減少した
状態である。実際には,下垂体性と視床下部性の区別は難しいことが
多いため,中枢性甲状腺機能低下症としてまとめられている。甲状腺
機能低下症の90~95%は,甲状腺に障害がある原発性であるが,
その病因としては慢性甲状腺炎(橋本病)が圧倒的大多数であり,進
展すると甲状腺ホルモンが低下する。
c病態生理
甲状腺ホルモンレベルは視床下部,下垂体,甲状腺間のフィードバ
ック機構で,血中遊離型ホルモンレベルが一定範囲に保たれるよう調
整されている。視床下部からTRHが出て下垂体のTSH分泌を刺激
し,TSHは甲状腺に作用してT4,T3を合成,分泌する。一方,
過剰の血中T3はTRHとTSH分泌を強く抑制する。これによって
血中甲状腺ホルモンは正常範囲に保たれている。甲状腺ホルモンレベ
ルが低下したりその作用が不十分であると,ネガティブフィードバッ
クによりTRH,TSH分泌が上昇,甲状腺が刺激される。甲状腺組
織に障害がなければ,甲状腺からホルモン分泌が亢進し,T3作用不
足は解消される。もし甲状腺組織に障害があり,過剰のTSH刺激に
も反応できない場合は,甲状腺ホルモンの分泌は不十分で,機能低下
症となる(原発性甲状腺機能障害)。一方,何らかの要因で視床下部
や下垂体からのTRH,TSH分泌が障害された場合は,甲状腺に対
する刺激因子が欠乏した状態となり,甲状腺ホルモン不足となる(中
枢性甲状腺機能低下症)。原発性と中枢性甲状腺機能低下症は,TS
H分泌を調べることで鑑別できる。
d検査成績
甲状腺機能検査では,TSH測定が最も有用である。原発性甲状腺
機能低下症では必ず上昇し,中枢性甲状腺機能低下症では,正常~低
下する。総T4,遊離型T4の低下は甲状腺機能低下症全般に見られ
るが,T3は正常のことがある。
なお,慢性甲状腺炎(橋本病)では,大多数の例で抗ミクロゾーム
抗体やサイロイドテスト(自己抗体)が陽性である。まれにこれらの
抗体が陰性である例もごく少数あるが,これは感度の問題で検査の感
度が上がれば事実上すべての症例で自己抗体が証明されるものと考え
られる。
e診断・鑑別診断
遊離型T4の低下とTSHの上昇が見られれば,原発性甲状腺機能
低下症である。遊離型T4が低下していてTSHが低値ないし正常な
ときは,中枢性甲状腺機能低下症が疑われる。臨床的に機能低下症が
疑われる症例で,遊離型T4は正常ないしやや高値,TSHの上昇が
見られる場合は,甲状腺ホルモン不応症を念頭に置く。
重症感染症,慢性消耗性疾患,肝硬変,尿毒症,糖尿病ケトアシド
ーシス,飢餓状態などは,血中T3(重篤ではT4も)低下が見られ
るが,臨床的には機能低下症状はなく,TSHも上昇しない。これは,
euthyroidsickSyndrome(低T3症候群)と呼ばれる病態で,甲状
腺自体に病変はなく,真の機能低下症ではない。
f頻度
甲状腺機能低下症の頻度は,型,性,年齢によって異なるが,一般
論として女性に多く,年齢が高くなるほど頻度も増すと考えて良い。
(イ)医師の意見
a高橋稔(船橋二和病院附属ふたわ診療所医師)作成の意見書及び供
述内容の概要は,次のとおりである。
原告甲の平成13年2月の甲状腺機能検査によれば,FT4,FT
3が共に低下しているがTSHは一応正常範囲に入っているので,こ
の時点では中枢性甲状腺機能低下,透析(腎不全)によるユーサイロ
イド・シック・シンドロームも考えられる。しかし,同年7月の検査
結果からは,FT4の低下とTSHの上昇と甲状腺そのものに障害の
ある機能低下症を思わせる変化が見えている。チラージンSの内服が
始まると平成15年1月にはFT4とFT3がともに増え,TSHが
顕著に減少したが,一時的に甲状腺ホルモン値がほぼ正常になったた
め,チラージンSが終了となった。しかし,平成16年には再びFT
4とFT3が低下し,チラージンSの内服を再開した。
これらの経過から,T3,T4はともにチラージンSに反応してお
り,TSHが甲状腺ホルモンの増減に合わせて動いているのであるか
ら,視床下部ないし脳下垂体は正常に動いている。
中枢性甲状腺機能低下症の場合,甲状腺ホルモンからのフィードバ
ックが働かず,チラージンSなどの治療によってFT4,FT3が改
善されても,ほとんどTSH値は変動しないことが多いが,原告甲の
検査結果の経過を見ると,基準値内ではあるが原告甲のFT3,FT
4とTSHは逆比例の動きを示していることから脳下垂体や甲状腺の
フィードバック機構は働いているといえる。
また,原告甲には,慢性腎不全があり,透析療法を受けていること
からユーサイロイド・シック・シンドロームが起きている可能性は否
定できないが,ユーサイロイド・シック・シンドロームはFT3の低
下が主症状であるのに対し,原告甲のチラージンS投与前である平成
13年2月ないし7月の経過を見ると,FT3のみならずFT4も低
下している。
以上のことから,原告の甲状腺機能低下症は,ユーサイロイド・シ
ック・シンドロームあるいは中枢性甲状腺機能低下症だけで説明し尽
くすことはできず,原発性甲状腺機能低下症が混在し,それらが競合
して現在の病態を形成している可能性は否定できないと考える。
b宮川めぐみ(虎の門病院内分泌代謝科医師)作成の意見書の概要は,
次のとおりである。
原告甲は,現在慢性腎不全で血液透析を受けており,このような場
合には,ユーサイロイド・シック・シンドロームが起こることは良く
知られているが,これは,栄養状態の悪化に伴う異化作用の亢進から
生体を防御する合目的な反応である。すなわち,カロリー摂取量が減
少してもこれに応じて基礎代謝レベルを低下させれば異化状態に陥る
のを回避できるのである。消耗性疾患や腎不全では,このような合目
的な機序で血中甲状腺ホルモンレベルが低下するという生体反応が生
じる。このような機序で低T3血症は透析患者の50%以上でみられ
るとされる。臨床上ユーサイロイド・シック・シンドロームの診断は,
血中甲状腺ホルモンであるT3は低下,T4も次第に低下,リバース
T3は上昇,血中TSHはそれほど上昇しないのが特徴的ともいえる
所見である。
原告甲は,現在慢性腎不全で血液透析を受けていることに加え,平
成13年2月21日,同年6月4日ともに低T3,低T4血症にもか
かわらず,血中TSHは正常範囲であり,この所見は,まさしく腎不
全で見られるユーサイロイド・シック・シンドロームの病態と考えら
れる。本例では,甲状腺自己抗体は陰性であり,血中TSHの増加あ
るいは正常高値が認められない点からは,原発性甲状腺機能低下症で
ある可能性は少ないと考える。
その後,同年7月20日より甲状腺ホルモン剤(チラージンS:2
5ug)での治療が開始され,さらに平成14年4月15日よりチラー
ジンS:50ugに増量されている。本人が動悸を訴えて投薬が中止に
なる直前の平成15年1月15日時点のデータを見ると,fT3:2.
5,fT4:0.87,TSH:0.030と甲状腺ホルモン自体は
依然正常範囲以下であるにもかかわらずTSHが低値となっている。
これは,原疾患である腎不全という病態に対して生体内では合目的に
新陳代謝を抑えて調節されていたところに,甲状腺ホルモン剤の投与
を行ったことで体内でのアンバランスがおこり具合が悪くなったと考
える。甲状腺ホルモン剤の投与を再開して中止するというエピソード
を2回も繰り返している事実が証明しているように,本例においては,
原発性甲状腺機能低下症という甲状腺自体が問題なのではなく,腎不
全に基づく生体反応の結果としてユーサイロイド・シック・シンドロ
ームが起こっていると思われる。
(ウ)検討
a原告甲のFT3,FT4及びTSHの測定結果の数値の変動をみる
と,全体的な傾向として,FT3に関しては,全期間を通じてほぼ基
準値以下であり,FT4に関しては,平成17年半ばころまでは基準
値未満であったが,その後は,基準値を超えることがあるものの,そ
の場合であっても基準値内の下限付近に止まるものである。これに対
し,TSHは,全期間を通じ,基準値内の下限付近ではあるものの,
ほぼ基準値内で推移している。すなわち,全体的な傾向としては,T
3が低値,T4が正常値あるいは低値であり,TSHが正常値である
といえ,ユーサイロイド・シック・シンドロームの特徴(血中T3〔重
篤ではT4も〕が低下し,TSHも上昇しない。前記(ア)e)に沿
うものである。
そして,ユーサイロイド・シック・シンドロームは,透析患者の5
0%以上で見られる疾患であることからしても,原告甲は,ユーサイ
ロイド・シック・シンドロームに罹患しているものと認めるのが相当
である。
また,上記のFT3,FT4及びTSHの数値の変動が,中枢性甲
状腺機能低下症の特徴(FT4が低下していて,TSHが低値ないし
正常。前記(ア)e)とも矛盾しないこと,平成13年10月15日
の血液検査等の結果によれば,脳下垂体から分泌される副腎皮質刺激
ホルモンの数値が基準値以下であり,脳下垂体に何らかの機能異常が
ある可能性が否定できないことからすれば,中枢性甲状腺機能低下症
に罹患している可能性も否定することはできないというべきである。
さらに,TSHの数値が基準値を超えることを示す証拠はなく,原
発性甲状腺機能低下症の特徴とは合致しないところではあるが,甲状
腺機能が正常に働いている場合には,甲状腺刺激ホルモンであるTS
Hの数値が上昇すれば,それに伴って,FT3及びFT4の測定値も
上昇するところ,原告甲の検査結果の数値を子細に観察すると,TS
Hの数値が上昇しても,それに伴ってFT3及びFT4の上昇が見ら
れない部分も見られる(平成13年2月21日と同年6月4日と同年
7月2日の各測定値の比較,同年10月15日と平成14年4月17
日の各測定値の比較,平成15年1月15日と平成16年12月15
日の各測定値の比較)。かかる事実からすると,原告甲の甲状腺自体
に,何らかの病変があり,その機能が低下している可能性は否定でき
ない。
ただし,平成13年2月21日の原告甲の検査結果によれば,サイ
ロイド及びマイクロゾームの測定値は,いずれも基準範囲内,すなわ
ち陰性であったことが認められるから,原告甲の甲状腺機能低下症は,
自己免疫性ではない可能性が高いといえるが,自己抗体検査の結果が
残っているのはこの時のみであることから,原告甲の甲状腺機能低下
症が自己免疫性でないとまでは必ずしも断定できない。
b(a)この点,被告は,①原発性甲状腺機能低下症のほとんどは,
自己免疫性であるところ,平成13年2月21日の原告甲の検査結
果によれば,サイロイド及びマイクロゾームの測定値は,いずれも
基準値の範囲内,すなわち陰性であったことが認められること,②
TSHの数値が基準値を超えることがないこと,③FT3及びF
T4の数値が上昇しているのにTSHの数値も上昇している部分
(平成17年8月1日と同年11月25日の各測定値の比較,平成
18年4月3日のと同年12月5日の各測定値の比較)があること,
また,FT3及びFT4の数値が減少しているのにTSHの数値も
減少している部分(平成17年11月25日と平成18年4月3日
の各測定値の比較,平成19年3月6日と同年4月9日の各測定値
の比較)があること,を指摘し,原告甲は原発性甲状腺機能低下症
ではない旨主張する。
しかし,原告甲の甲状腺機能低下症は,必ずしも自己免疫性でな
いとまでは言い切れないだけでなく,仮に自己免疫性でなく,原発
性甲状腺機能低下症の圧倒的多数が自己免疫性であるとしても,そ
れ以外の原発性甲状腺機能低下症も存在し得る(後記マーシャル諸
島における被曝住民についての疫学的調査の結果記載のとおり。)
のであるから,かかる事実をもって,原告甲が原発性甲状腺機能低
下症に罹患していないということはできず,①の主張は理由がない。
また,確かに,原告甲の検査結果によれば,TSHの値が基準値を
超えることはないものの,仮に,原発性甲状腺機能低下症と中枢性
甲状腺機能低下症が併発しているのであれば,中枢機能の低下によ
りTSHの数値が基準値を上回らない可能性も十分に考えられると
ころ,原告甲は,前記のとおり,中枢性甲状腺機能低下症に罹患し
ている可能性は否定できないのであるから,②の主張も採用できな
い。さらに,確かに被告が指摘するようなFT3,FT4及びTS
Hの数値の変動がみられる部分はあるが,逆に,前記のとおり,T
SHの数値が上昇しても,それに伴って,FT3及びFT4の数値
が上昇しない部分もみられ,かかる事実からすれば,甲状腺の機能
自体に何らかの欠陥がうかがわれることは前記のとおりであるか
ら,③の事実をもってしても,原告甲が原発性甲状腺機能低下症に
罹患していないとは直ちに認めることはできない。
(b)また,被告は,原告甲の病態は,ユーサイロイド・シック・
シンドロームのみで説明することができる旨主張する。
確かに,前記のとおり,原告甲の検査結果からすれば,ユーサイ
ロイド・シック・シンドロームの病態と矛盾するものではなく,ユ
ーサイロイド・シック・シンドロームのみで説明することができる
ことも否定しがたいところである。しかし,ユーサイロイド・シッ
ク・シンドローム,中枢性甲状腺機能低下症及び原発性甲状腺機能
低下症は,いずれも排他的な関係に立つわけではなく,併存しうる
ものであることに加え,前記のとおり,中枢性甲状腺機能低下症及
び原発性甲状腺機能低下症であることを示唆する数値の変動等もみ
られるのであるから,ユーサイロイド・シック・シンドロームの病
態のみで原告甲の症状を説明できることをもって,中枢性甲状腺機
能低下症及び原発性甲状腺機能低下症に罹患している可能性を否定
することはできないというべきである。
(エ)小括
以上からすれば,原告甲の甲状腺ホルモン低下状態は,ユーサイロイ
ド・シック・シンドローム,原発性甲状腺機能低下症及び中枢性甲状腺
機能低下症が混在した結果によるものであると認めるのが相当である。
エ放射線起因性についての検討
(ア)甲状腺機能低下症と放射線との関係についての科学的知見
証拠によれば,次の各事実が認められる。
a菅原務監修「放射線基礎医学第11版」(平成20年)には,次の
記載がある。
甲状腺は組織の中でも,通常は細胞分裂をせず,放射線感受性がか
なり低い方に分類されている。したがって,一般的に放射線に抵抗性
があると考えてよい。しかしながら,IAEAとWHOは5Gy以上の
高線量被曝では甲状腺機能低下が現れることを示唆しており,この場
合,甲状腺刺激ホルモンは増加する。10-20年後でさえ,機能低
下を伴う甲状腺の萎縮を起こすことがある。
b放射線被爆者医療国際協力推進協議会編「原爆放射線の人体影響1
992」(平成4年)には,次の記載がある。
森本らは,被爆時年齢20歳以下で100rad以上の被爆者477
人(被爆群)と0rad被爆者501人(対照群)について検討を行っ
た結果,結節性甲状腺腫は,被爆群で13例,対照群で3例と被爆群
に有意に高率であった。
長瀧重信らは,長崎型原爆の甲状腺への影響を検討した結果,甲状
腺結節は,被曝線量が高いほど増加し,被爆時年齢が20歳以下の群
に有意に多かったと報告している。また,被爆42年後に,長崎市西
山地区の住民180人及び性,年齢が適合された対照群800人につ
いて,甲状腺に対する影響を調査した結果,結節性甲状腺腫の発生率
は,西山地区住民(4.74%)が対照群(1.13%)に比べて有
意に高率であった。
浅野らは,放影研の剖検症例(昭和29年ないし昭和49年)中1
55例に橋本病の存在が確認されたが,発生率又は被爆時年齢と放射
線との関係は認めていない。
森本らの被爆時年齢20歳以下を対象とした調査では,100rad
被爆群と0rad群との間に,血清TSH及びサイログロブリンは差が
なかったと報告している。
伊藤らは,広島の原爆で爆心地から1.5㎞以内の直接被爆者61
12名と3㎞以遠の直接被爆者3047名のTSH値を検討した結
果,甲状腺機能低下症の頻度は,男性では,1.5㎞以内群1.22
%,対照群0.35%,女性では,1.5㎞以内群7.08%,対照
群1.18%であったと報告している。また,被曝線量別にみた甲状
腺機能低下症の頻度は,男性の1ないし99rad群で1.03%,2
00rad以上で3.67%であり,女性では,それぞれ6.23%,
7.26%となり,被曝線量の増加とともに機能低下症が高率となっ
た。さらに,機能低下症の症例のマイクロゾーム抗体陽性率は,1.
5㎞以内群においては,対照群に比して,男女ともいずれも著明に低
率であった。
長瀧らは,長崎型原爆の甲状腺への影響を検討した結果,甲状腺機
能低下症の発生頻度は,低線量群に有意に高く,また,10歳代ない
し30歳代時に被爆した群に高く,特に女性に多かったと報告した。
横山直方らの調査によれば,長崎市西山地区住民における甲状腺機
能では,freeT4は正常範囲内ではあるが,対照群に比して有意
に低下しており,この差は被爆時年齢20歳以下の集団で顕著であっ
た。
1960年代には,マーシャル群島の住民が,水爆実験による強度
の放射性降下物によって被曝したが,この被曝者群においても,甲状
腺がんの発生率の増加,甲状腺機能低下症の発生率の上昇が認められ
た。しかし,上記調査では,被曝線量が古い線量基準によって行われ
たため,線量の信頼性に問題があり,精度に欠ける点がある。
c井上修二ほか「長崎原爆被爆者における甲状腺疾患の調査(第3報)」
(昭和63年,以下「井上論文」という。)には,次の記載がある。
昭和59年10月から,長崎成人健康調査集団の対象者のうち17
45人について,DS86に基づく被曝線量により,0rad群(97
4人),1ないし49rad群(279人),50ないし99rad群(2
08人),100rad以上群(284人)の4群に分けた上,甲状腺
超音波断層装置による甲状腺体積測定等により,すべての甲状腺疾患
の発生頻度について調査を行った。
その結果,甲状腺機能低下症の発生頻度は,0rad群で2.5%,
被爆者全体で4.5%と有意の増加を認めた。被曝線量別に見た場合,
1ないし49rad群(6.1%)のみが0rad群に比し有意な増加を認
めた。原因別に分けた場合では,橋本病によるものが,0rad群0.
6%に対し被爆者全体で2.2%と有意な増加を認め,これを線量別
で見た場合も,1ないし49rad群(3.6%)のみに有意差を認め
た。
原爆被爆者に橋本病による甲状腺機能低下症の発生頻度が高いこと
は,今回の調査で初めて明らかになったことである。Kaplanらは,放
射線被曝にて自己免疫性甲状腺炎の発生頻度は有意に増加するが甲状
腺機能低下症では有意の差は認めていない。また,これまでの被爆者
の調査でも甲状腺機能低下症の発生頻度の増加は認めていない。しか
し,一方では,被爆者の血中TSHは有意に増加しているとの報告も
あり,これは放射線被曝が甲状腺機能低下症への進展に関与している
ことを示唆しているとも考えられる。更に興味のあることは,甲状腺
機能低下症が結節性甲状腺腫と違い,1ないし49radの低線量被曝
群のみに発生頻度の増加を認めたことである。このことは,放射線被
曝による免疫系異常の発生と発がんは,違った機序によることを示唆
しているものとも考えられる。
d長瀧重信ほか「長崎原爆被爆者における甲状腺疾患」(平成6年,
以下「長瀧論文」という。)には,次の記載がある。
昭和59年10月から昭和62年4月にかけて2年に1度の定期検
診を受けた長崎成人健康調査の対象者(2856人)のうち,広島で
被爆した者,胎内被爆者及び原爆投下時長崎にいなかった者以外で,
DS86による甲状腺被曝線量が利用可能であった1978人を対象
として,甲状腺疾患の有病率と甲状腺被曝線量,性及び年齢との関係
をロジスティックモデルを用いて解析を行ったところ,甲状腺疾患の
有病率は,腺腫様甲状腺腫,抗体陰性瀰漫性甲状腺腫及び特発性甲状
腺機能低下症(抗体陽性及び抗体陰性)を除き,男性より女性の方が
有意(P<0.05)に高かった。充実性結節及び組織学的診断のな
い結節の有病率では,性と線量の交互作用が有意であった。
充実性結節(女性のみ),がん,甲状腺腺腫,組織学的診断のない
結節(女性のみ)及び抗体陽性特発性甲状腺機能低下症(自己免疫性
甲状腺機能低下症)については,有病率と線量との関係が認められた。
これらの疾患の有病率には,がんと抗体陽性特発性甲状腺機能低下症
を除き,有意(P<0.01)で単調増加な線量反応関係が認められ
た。がんの場合,単調増加な線量反応関係が示唆されたが,有意では
なかった(P=0.09)。甲状腺線腫の有病率は,被爆時年齢と甲
状腺線量との交互関係が有意(P<0.05)であり,甲状腺線量の
影響は,若年被曝群において有意に高いことを示した。女性における
充実性結節の有病率も被爆時年齢と甲状腺線量との交互作用の存在を
示したが有意ではなかった。特発性甲状腺機能低下症の有病率は,有
意(P<0.05)な線形-2次で上に凸の線量反応関係が認められ
た(0.7±0.2Svで最大レベルに達する。)。このような上に凸
の線量関係は,比較的低線量の放射線が甲状腺に及ぼす影響を更に研
究する必要のあることを示している。
マーシャル諸島の核実験で被曝した子どもにおいては10年以内に
甲状腺機能低下症がみられ,その多くは自己免疫型ではなかったが,
マーシャル諸島の住民においては,甲状腺の被曝は主として内部放射
線(放射性ヨード)によるもので,推定された甲状腺線量は甲状腺機
能低下症のある被爆者における原爆からの直接の外部放射線による甲
状腺線量よりも高い。
eFLennieWongほか「成人健康調査第7報原爆被爆者における癌
以外の疾患の発生率,1958-86年」(平成4年,以下「Wong
論文」という。)には,次の記載がある。
昭和33年から昭和61年の成人健康調査コホートの長期データを
用いた調査において,甲状腺疾患(非中毒性甲状腺腫結節,び慢性甲
状腺腫,甲状腺中毒症,慢性リンパ球性甲状腺炎,甲状腺機能低下症
の障害が一つ以上存在することをいう。)の発生率に有意な正の線量
反応が認められた(相対リスク1.30,p=0.001)。被曝放
射線量が0.001Gy以上の人たちにおいて被爆に起因する症例の割
合は16%であり,女性が疾患にかかる確率は男性より3倍高く,性,
市,被爆からの期間のどれも相対リスクの有意な修飾因子とならず,
被爆時年齢の影響は有意で,主に若い時に被爆した人たちでリスクが
増加し,被爆時年齢20歳以下の人と20歳を超える人についてそれ
ぞれ解析を行ったところ,線量効果は若いグループのみにみられた。
f山田美智子ほか「成人健康調査第8報原爆被爆者におけるがん以
外の疾患の発生率,1958-98年」(平成16年,以下「山田論
文」という。)には,次の指摘がある。
昭和33年から平成10年の成人健康調査受診者から成る長期デー
タを用いてがん以外の疾患の発生率と原爆放射線被曝線量との関係を
調査したところ,甲状腺疾患に対する1Svでの全相対リスクは1.3
3であり,放射線のリスクはより低年齢で被爆した被験者及びより低
年齢で調査を受けた被験者においてより高く,被爆時年齢が最も顕著
な効果修飾因子として含まれ,調査時年齢はそれほどには有意ではな
く,被爆時年齢がより強力な要因であることを示唆しており,実際,
放射線のリスクは20歳未満で被爆した者で顕著に増大したが,より
高齢で被爆した者では顕著ではなかった。統一した診断基準を適用し
た最近の長崎における成人健康調査での甲状腺疾患の発生率調査で
は,特に若年で被爆した人において,女性の充実性結節との有意な線
量反応,自己免疫性甲状腺機能低下症の凹型の線量反応を示したが,
他の甲状腺疾患では有意な放射線の危険性は認められなかった。甲状
腺機能低下症又は甲状腺炎の発生率は,放射線療法を受けた患者にお
いて増加していたものの,比較的低い線量の外部放射線被曝の影響は
不明瞭である。
g今泉美彩ほか「広島・長崎の原爆被爆者における甲状腺疾患の放射
線量反応関係」(平成17年,以下「今泉論文」という。)には,次
の記載がある。
成人健康調査集団のうち,平成12年3月から平成15年2月まで
の間に,2年に1度の検診を受けた4552人のうち,協力依頼に同
意した4091人について,遊離サイロキシンや甲状腺刺激ホルモン
レベル等の測定検査,甲状腺超音波検査等を行い,胎内被爆者,市内
不在者及び放射線量不明者を除いた3185人について,各甲状腺疾
患の線量反応を解析した。
その結果,甲状腺自己抗体陰性甲状腺機能低下症は線量に関連して
いなかった。自己免疫性甲状腺疾患については,甲状腺自己抗体陽性
率と甲状腺自己抗体陽性甲状腺機能低下症のいずれについても,有意
な放射線量反応関係は認められなかった。この結果は,ハンフォード
原子力発電所からのヨウ素131に若年時に被曝した人々に関する最
近の報告結果及び被爆者に関する以前の疫学調査報告と一致してい
る。しかしながら,昭和59年から昭和62年に長崎の成人健康調査
対象者について実施された調査においては,甲状腺自己抗体陽性甲状
腺機能低下症について凸状の線量反応関係が示され,有病率は,0.
7Svの線量で最も高くなるとされている(前記d参照)。この違いは,
本調査では,調査集団が拡大され,広島及び長崎の被爆者の両方が対
象とされたこと,甲状腺抗体と甲状腺刺激ホルモン(TSH)の測定
に異なる診断技法が用いられたこと,時間の経過に伴い,対象者の線
量分布が変化したこと(死亡及びがんリスクは,放射線量に依存する
ため)に起因するのかもしれない。さらに,両調査においては,1回
の血清検査に基づき診断が行われたが,血清検査の結果は時間の経過
に伴い変化することが時折ある。
本調査には,幾つかの限界があり,まず,以前に結節性甲状腺疾患
の診断を受けた人は,それにより調査に参加する意向を持った可能性
があり,調査における特定の偏りが生じた可能性がある。第2に,本
調査には,生存による偏りが明らかに存在する。すなわち,寿命の中
央値は,放射線量に伴い,1Gy当たり約1.3年の割合で減少するの
で,昭和33年当初の集団に比べて,本調査では,高線量に被曝した
被爆者の割合が減少していること,死亡リスクだけでなく,がんリス
クも放射線量に依存し,重度の甲状腺がん患者は,早期死亡により本
調査から除外された可能性があることから,本調査集団,特に高線量
に被曝した被爆者には,生存による偏りがあると考えられる。第3に,
本調査は,被爆後55年ないし58年経過した後に実施された横断調
査であるため,甲状腺結節形成に対する放射線の早期の影響や,被爆
後に影響が持続した期間を明らかにすることができなかった。
h山下俊一ほか「最近10年間の甲状腺疾患と放射線との関連につい
ての文献レビュー」(平成19年,以下「山下論文」という。)には,
次の記載がある。
放射線被曝によるがん以外の甲状腺疾患についての関連性を最近の
調査研究により解明することを目的に,異なる4つの被爆様式の違い
について,甲状腺被曝線量の正当性に注目すると共に診断の精確さも
考慮して文献レビューした。その結果,医療用放射線による高線量の
頭頚部被曝は甲状腺機能低下症の原因となるが,線量のしきい値は不
明である。放射線災害では線量との関係を検討した報告は少ないが,
現在のところ,甲状腺自己抗体(自己免疫性甲状腺炎)に関しては線
量との有意な関係を認めた結果とそうでない結果があり,今後の長期
的追跡調査が不可欠である。一方,自己免疫性甲状腺機能低下症と甲
状腺機能低下症に関しては線量との関係は否定的な結果がある。原爆
に関しては,自己免疫性甲状腺機能低下症において線量との有意な関
係を認めた初期の結果は,その後の再調査により否定的であり,甲状
腺自己抗体陽性率と甲状腺機能低下症(自己抗体の有無を問わない)
では,甲状腺被曝線量との関連性はこの15年間の文献では認められ
ていない。
(イ)甲状腺機能低下症と原爆放射線との関連性についての検討
前記のとおり,甲状腺は細胞分裂頻度が低く,放射線感受性が低い臓
器に分類されているが,細胞が障害を受け,その生存率が低いと甲状腺
の萎縮を起こすことがあるとされている。そして,自己免疫性甲状腺機
能低下症については,前記(ア)bの森本,長瀧,横山の各報告,その
後の研究に属する井上論文(前記(ア)c),長瀧論文(前記(ア)d),
山田論文(前記(ア)f)が放射線との線量反応関係を認めており,特
に0.7Gyの被曝線量においてピークを示す結果となっている。また,
甲状腺機能低下症に限定しない甲状腺疾患に関するものではあるが,
Wong論文(前記(ア)e)が相対リスク1.30,山田論文(前記(ア)
f)が相対リスク1.33の結果を報告している。
これに対し,今泉論文(前記(ア)g)は,甲状腺自己抗体陽性率及
び甲状腺自己抗体陽性の甲状腺機能低下症について有意な線量反応関係
が認められなかったことを明らかにし,それ以前に甲状腺機能低下症と
原爆放射線との関連性があることをうかがわせる調査結果(長瀧論文。
前記(ア)d)を否定している。また,山下論文(前記(ア)h)は,
今泉論文の正確性を是認し,長瀧論文を否定したものであると結論づけ
ている。しかしながら,今泉論文は,調査対象が長瀧論文の昭和59年
10月から昭和62年4月までのものとは異なり,平成12年10月か
ら平成15年2月までのものであり,今泉論文自体が,①以前に結節
性甲状腺疾患の診断を受けた人はそれにより調査に参加する意向をもっ
たかもしれず,調査における特定の偏りが生じた可能性がある,②本
調査には生存による偏りが明らかに存在する,すなわち,寿命の中央値
は放射線量に伴い1Gy当たり約1.3年の割合で減少するので,昭和3
3年当初の集団に比べて本調査では高線量に被曝した被爆者の割合が減
少している,③この調査は原爆被爆後55年から58年を経過した後に
実施した横断調査であるため,甲状腺結節形成への放射線の早期の影響
や被爆後どれくらいの期間影響が持続したのかを明らかにすることがで
きなかったと述べており,長瀧論文の結果を明示的に否定していない。
したがって,今泉論文においても,甲状腺機能低下症(これを含む甲状
腺疾患)の放射線との関連性を肯定する知見をすべて否定するものでは
ないというべきである。また,山下論文は,上記の今泉論文を根拠に,
甲状腺機能低下症について甲状腺被曝線量との関連性は認められていな
いとするものに過ぎない。
以上からすれば,自己免疫性甲状腺機能低下症と原爆放射線との間に
は関連性があるとする科学的知見は,現在においても否定しきれるもの
ではなく,関連性を有するものと解するのが相当である。
また,自己免疫性ではない甲状腺機能低下症については,明確に原爆
放射線との関連性を認めた研究結果は現れていないところであるが,長
瀧論文中には,マーシャル諸島の核実験被曝の子どもには,10年以内
に甲状腺機能低下症が認められ,その多くが自己免疫型ではなく,その
甲状腺の被曝が外部被曝よりも内部被曝であるとされている。そして,
その内部被曝線量は,甲状腺機能低下症にある被爆者における原爆から
の直接の外部被曝線量よりも高いとされている(前記(ア)d)。そう
すると,自己免疫性でない甲状腺機能低下症についても,原爆放射線と
の関連性があるものとして,原爆症認定における放射線起因性の認定判
断を行うのが相当であるというべきである。
(ウ)放射線起因性についての検討
a前記認定事実によれば,原告甲は,原爆投下時には,広島市内にい
なかったことからすれば,原爆による初期放射線による被曝はしてい
ないというべきである。
また,前記認定事実によれば,原告甲は,昭和20年8月7日午前
6時ころに広島市に入市し,A14方面からA7(爆心地から約1.
7㎞)を経由し,A15(爆心地から約1.3㎞),A16町(爆心
地から約1.1㎞)をとおり,A17町(爆心地から約1.8㎞)に
行ったところ,旧審査方針別表10によれば,広島の原爆投下の16
時間後から24時間後まで爆心地から700m以内に入っても,誘導
放射線による被曝線量は0cGyということになる。
さらに,前記認定事実によれば,原告甲は,広島市のA12,A1
3地区に原爆投下の直後に滞在したことも,その後長期間にわたって
居住したこともないから,旧審査方針によれば,放射性降下物による
被曝線量は0cGyということになる。
したがって,旧審査方針によれば,原告甲は,原爆放射線をほとん
ど受けていないこととなる。
bしかしながら,前記のとおり,具体的な被曝態様によっては,誘導
放射線による被曝線量が旧審査方針の値を超える場合があり得るとこ
ろである。そして,原告甲は,原爆投下の翌日である昭和20年8月
7日に,広島市内を歩き,爆心地から約1.3㎞の距離にあるA15
において,父の伯父らを捜索するために,瓦やタイル等のがれきをど
かすなどの作業を,口を覆うことなく行い,また,うがいをした水を
そのまま飲み込んだり,汚れた手で食事をするなどしたことからする
と,誘導放射化された物質が身体や衣服に付着し,これにより相当量
の外部被曝をした可能性があり,また,以上の行動を通じ,放射性物
質を呼吸や飲食等により体内に摂取する態様で残留放射線による内部
被曝をしたことも十分に考えられる。
cさらに,原告甲は,被爆前は,健康体で,子どもながらに水泳の監
視員をするなどしていたが,被爆後はさほど時が経過しないころから
身体が疲れやすく頭痛がし,それまで通っていた女学校への通学にも
苦労し,更には,その後も頭痛が継続するなど体調が優れない状態が
長期間にわたって続いたことに加え,平成12年以降,原爆放射線と
関連性があるとの知見が存在する大腸がん,C型肝炎等に次々に罹患
したことからすると,被曝の前後で原告甲の健康状態に質的な変化が
みられるというべきであり,その原因を専ら心因性やストレスのみで
説明するのは困難であって,他にその原因を明らかにするに足りる証
拠はなく,放射線被曝による影響を否定することはできないというべ
きである。
d以上からすれば,原告甲は,旧審査方針で算定されるようにほとん
ど被曝していないというわけではなく,原爆放射線による急性症状が
直後にみられなかったことを考慮しても,原告甲の健康に影響を及ぼ
す程度の線量の被曝をしたと認めるのが相当である(ただし,原告甲
が広島市に入市したのが,原爆投下の翌日であること,その後の行動
経過,放射線による急性症状とみられる症状が直後に現れていないこ
となどの事情に照らしてみると,爆心地に近い距離で初期放射線に被
曝した者や,より早期に広島市に入市し,爆心地付近で救護作業に従
事するなどして,強度の誘導放射能に被曝した者等と比べ,その被曝
線量は相対的に少ないものであったと推測される。)。
e以上のとおり,原告甲の被曝線量は,相対的に少ないと推測される
ものの,その後の健康状況や生活状況等に照らせば,健康に影響を及
ぼす程度のものであった可能性がある上,甲状腺機能障害については,
低線量で発症率が有意に高いとの知見がある他,男性より女性の方が
発症率が高く,また,被爆時年齢20歳未満のグループにリスクが増
加するとの知見もあるところ,原告甲はこれらの条件にすべて当ては
まること,他方で,原告甲に発症している甲状腺機能低下症が原爆放
射線に起因すると判定することの妨げとなる積極的な障害事由は見当
たらないこと,改訂後の新審査方針では,「原爆投下より約100時
間以内に爆心地から約2㎞以内に入市した者」の「放射線起因性が認
められる甲状腺機能低下症」についての申請に対しては,格別に反対
すべき事由がない限り放射線との関係を積極的に認定するものとされ
ていることなどを総合考慮すると,原告甲の甲状腺機能低下症は原爆
放射線に起因して発症あるいは進行したものとみるのが,経験則に照
らして合理的かつ自然であるから,同疾病については放射線起因性が
認められるというべきである。
オ要医療性についての検討
原告甲は,平成13年ころから合成ホルモン剤の投与を受けており,今
後もホルモン治療を継続する必要があると認められることからして,本件
処分C当時,原告甲の甲状腺機能低下症について要医療性の要件を満たし
ていたというべきである。
カ結論
以上のとおり,原告甲は,本件処分C当時,原爆症認定申請に係る疾病
である甲状腺機能低下症について放射線起因性及び要医療性の要件を満た
していたものと認められるから,本件処分Cは,違法である。
4争点4(行政手続法違反の有無)について
(1)行政手続法5条違反の主張について
原告丁は,本件処分Aについては,行政手続法5条1項所定の審査基準が
定められていたのに,これが公表されていなかったから,審査基準の公表を
定める行政手続法5条3項違反があり,取り消されるべきである旨主張する
ものと解される。
この点,被告は,同項所定の審査基準は存在せず,旧審査方針もこれに当
たらないが,本件においては,例外的に審査基準を定める必要はない旨主張
する。
そこで検討するに,旧審査方針は,原爆症認定における判断の際に,被曝
線量を評価し,原因確率を求めるなどして用いられていることは前記のとお
りである。そして,これらに加え,申請者の既往症,環境因子,生活歴等も
総合的に勘案した上で判断することとされており,旧審査方針は,具体的に
実体要件をすべて網羅し,これを充足するか否かにより,機械的にその認定
が可能となるような審査基準であるとまではいえないが,原爆症認定におけ
る判断の審査基準でないともいえず,行政手続法5条1項所定の審査基準は
存在していたことが認められる。
しかしながら,本件全証拠を精査しても,本件処分Aがされた当時,旧審
査方針が公開されていなかったことを認めるに足りる証拠はない。
したがって,本件処分Aに関し,行政手続法5条違反があったとは認めら
れない。
(2)行政手続法8条違反の主張について
ア行政手続法8条1項が,行政庁において申請により求められた許認可等
を拒否する処分をする場合に,当該処分の理由を申請者に示すことを義務
付けているのは,行政庁の判断の慎重性と公正妥当性を担保してその恣意
を抑制するとともに,処分の理由を申請者に知らせることによって,その
不服申立てに便宜を与える趣旨に出たものというべきであるから,行政庁
が申請者に示すべき処分理由の内容及び程度は,当該処分がいかなる事実
関係に基づきいかなる法的理由で行われたかを申請者において了知し得る
ものであることを要し(最高裁昭和57年(行ツ)第70号同60年1月
22日第三小法廷判決・民集39巻1号1頁参照),また,それをもって
足りるというべきところ,原告丁が主張するように,判断過程を申請者に
おいて了知しうるものであることまでは必要ないと解するのが相当であ
る。
イそこで,検討するに,本件処分Aに係る通知書における処分理由の記載
内容は,原爆症認定を受けるために必要とされる援護法10条1項の要件
が具体的に摘示されているのに続けて,疾病・障害認定審査会において,
申請書類に基づき,申請者の被爆状況が検討され,これまでに得られた通
常の医学的知見に照らし,総合的に審議されたが,当該疾病については,
放射線起因性を欠くと判断され,処分行政庁は,上記審査会の意見を受け,
申請を却下した旨が記載されている(前記第2の2「前提事実」(2)ウ)。
これによれば,原告丁は,上記通知書の記載自体から,①疾病・障害
認定審査会において,それぞれの被爆状況や医学的知見を踏まえて総合的
に審議されたが,援護法10条1項の放射線起因性の要件を欠くと判断さ
れたこと,②処分行政庁は,この意見を受けて本件各処分を行ったこと
を了知し得るものと認められる。
そうすると,上記通知書の記載は,本件処分Aがいかなる事実関係に基
づき,いかなる法的理由で行われたかを申請者において了知し得るもので
あるということができる。
ウしたがって,本件処分Aに関し,行政手続法8条違反があるということ
はできない。
5争点5(国家賠償請求の成否)について
(1)本件各処分の実体的違法について
ア前記3のとおり,本件処分Aについては,処分行政庁の処分に違法な点
はないから,原告丁の主張に理由はない。
イ(ア)次に,本件処分Cについては,前記3のとおり違法である。また,
本件処分B及び本件処分Dについては,各申請却下処分が取り消され,
原爆症認定処分がされたため,これらの却下処分の実体的違法性につい
て,当裁判所は判断をしないが,原告乙及び原告丙に対して原爆症の認
定処分がされたのは,医療分科会における審査の目安である旧審査方針
を改訂して,新審査方針を付加したものによることは明らかである。処
分行政庁において,原爆症認定の実体要件中の放射線起因性についての
法律解釈そのものを変更するものではないとしても,また,旧審査方針
が必要な見直しを行うことを予定されていたとしても,具体的事案に適
用するについての実質的な審査基準を変更したことに変わりはない。そ
して,各却下処分から認定処分までの間に,却下処分当時の判断は適法
であり,その後の事情の変更によって事後的に却下処分が違法となると
する事情の変更があったとは認められないから,原告乙及び原告丙に係
る申請却下処分は,その当時,違法であったと推認できる。
しかしながら,国家賠償法1条1項は,国又は公共団体の公権力の行
使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違
背して当該国民に損害を加えたときに,国又は公共団体がこれを賠償す
る責任を負うことを規定するものである(最高裁平成13年(行ツ)第
82号,第83号,同年(行ヒ)第76号,第77号同17年9月14
日大法廷判決・民集59巻7号2087頁参照)。そして,原爆症認定
申請に対する却下処分が,放射線起因性に関する判断を誤ったものであ
るとしても,そのことから直ちに国家賠償法1条1項にいう違法があっ
たとの評価を受けるものではなく,処分行政庁が資料を収集し,これに
基づき放射線起因性の有無について判断する上において,職務上通常尽
くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と却下処分をしたと認め得るよ
うな事情がある場合に限り,上記の評価を受けるものと解するのが相当
である(最高裁平成元年(オ)第930号,第1093号同5年3月1
1日第一小法廷判決・民集47巻4号2863頁参照)。
(イ)これを本件についてみるに,前記2(2)イのとおり,初期放射
線による被曝線量の推定について旧審査方針が依拠したDS86の線量
評価システムは,科学的知見に基づくものとして国際的にも受け入れら
れており,一般的な合理性を肯定することができ,DS86における計
算値と測定値との不一致は,測定値の測定に当たってバックグラウンド
線量が計測されたことによるものとする意見を支持する見解も相当数あ
ったものである。また,前記2(2)ウのとおり,旧審査方針が,残留
放射線及び放射性降下物による被曝線量推定の根拠とした研究報告も,
科学的知見に基づく一定の根拠を有するものであったり,その合理性を
支持する見解も示されていたところである。そして,前記2(3)のと
おり,寄与リスクを原因確率として転用し,被爆者個人の放射線起因性
の程度を推認する事情として考慮することには,統計的解析の一方法と
しての有用性を肯定することができ,また,上記寄与リスクについても,
一般的な合理性を肯定することができる。
そうすると,旧審査方針の定める基準を適用して,申請者の被曝線量
を推定し,確率的影響と解される疾病については原因確率を算出した上
でこれを目安として,申請疾病の放射線起因性に係る高度の蓋然性の有
無を判断することは,旧審査方針において申請者の既往歴,環境因子,
生活歴等も総合的に勘案した上で判断を行うものとされていることをも
考慮すると,全体として合理性を欠くものということはできない。この
ことは,旧審査方針が策定されたのが,最高裁平成10年(行ツ)第4
3号同12年7月18日第三小法廷判決・裁判集民事198号529頁
の言渡し後であることや,原告らの引用する下級審判決の後に本件各処
分がされたことによって,左右されるものではない。
したがって,旧審査方針の定める基準によって算定された被曝線量及
び原因確率に依拠することをもって一概に不合理であるということはで
きない。
また,原告甲,原告乙及び原告丙は,原爆症の認定申請に関する多数
の処分事例をみると,原因確率10%を境にして,認定と却下が区分さ
れていると主張するが,仮にそのような事実が認められたとしても,そ
れは,処分を結果の面から整理したものであり,種々の事情を検討して
判断した結果を整理するとそのようになる場合も考えられることから,
そのことだけでは,原因確率10%を認定と却下の境界線とすることを
事前に定めて機械的な審査をしていることを示しているとまでいうこと
はできない。そして,医療分科会の委員であった草間朋子は,入市の際
の行動,被爆者の既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に審理して審査
することを述べている。その他,処分行政庁が,旧審査方針を機械的に
当てはめることのみによって本件各処分を行ったことを認めるに足りる
証拠はないから,機械的な審査をしているとする原告甲,原告乙及び原
告丙の主張は採用できない。
(ウ)以上によれば,本件処分B,本件処分C及び本件処分Dについて,
処分行政庁が放射線起因性の要件を判断する上において,職務上通常尽
くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と却下処分をしたということは
できないから,同義務を尽くさなかったことをいう原告甲,原告乙及び
原告丙の国家賠償法1条1項違反の主張も,理由はない。
(2)本件各処分の手続的違法について
ア行政手続法7条違反,条理上の作為義務違反について
(ア)原告らは,申請から175日ないし329日後にされた本件各処
分は,行政手続法7条に違反し,また,不当に長期間にわたらないうち
に応答処分をすべき条理上の作為義務に違反したものである旨主張す
る。
(イ)しかしながら,前記のとおり,原爆症認定に当たっての放射線起
因性及び要医療性についての判断は,医学的知見,疫学的知見等を踏ま
えた高度に科学的及び専門的なものであって,申請疾病等が原爆の傷害
作用に起因すること又は起因しないことが明らかであるときを除き,疾
病・障害認定審査会の意見を聴かなければならないとされていること(援
護法11条2項,援護法施行令9条)等からすると,本件各処分までに
上記日数を要したことをもって,直ちに処分行政庁における審査の開始
に遅滞があるものとは認めるに足りない。したがって,本件各処分に行
政手続法7条違反はない。
(ウ)また,原爆症認定申請を受けた処分行政庁は,不当に長期間にわ
たらないうちに応答処分をすべき条理上の作為義務があり,同作為義務
に違反したというためには,客観的に処分行政庁がその処分のために手
続上必要と考えられる期間内に処分ができなかったことだけでは足り
ず,その期間に比して更に長期間にわたり遅延が続き,かつ,その間,
処分庁として通常期待される努力によって遅延を解消できたのに,これ
を回避するための努力を尽くさなかったことが必要である(最高裁昭和
61年(オ)第329号,第330号平成3年4月26日第二小法廷判
決・民集45巻4号653頁参照)。
援護法11条の認定申請に対する判断は,前記認定のとおり,被爆状
況,既往歴,環境因子,生活歴等の諸事情を考慮し,科学的,専門的観
点から個別具体的に検討しなければならないものであるから,本件各処
分までに上記日数を要したことや原爆放射線による被害をもって,客観
的に処分行政庁が本件各処分のために手続上必要と考えられる期間内に
処分ができず,また,その期間に比して更に長期間にわたり遅延が続い
たものと認めるに足りないから,本件各処分が,条理上の作為義務に違
反してされたということはできない。
(エ)したがって,本件各処分に行政手続法7条違反や条理上の作為義
務違反があるということはできず,上記違反があることを前提として国
家賠償法1条1項違反をいう原告らの主張も失当である。
イ行政手続法5条1項について
原告らは,処分行政庁が,行政手続法5条に従って原爆症認定に関する
審査基準を設けなかったことを国家賠償法上の違法事由として主張するも
のであるが,個別の処分の審査過程あるいは結論と無関係に,単に処分行
政庁が審査基準を設けていないことによって,個々の被爆者に精神的苦痛
が生じるとみることはできないから,原告らの上記主張は失当である。
ウ行政手続法8条違反について
前記認定のとおり,本件処分Aについて,行政手続法8条違反は認めら
れない。
また,本件処分B,本件処分C及び本件処分Dに係る通知書における処
分理由の記載内容は,原爆症認定を受けるために必要とされる援護法10
条1項の要件が具体的に摘示されているのに続けて,いずれも,疾病・障
害認定審査会において,申請書類に基づき,申請者の被爆状況が検討され,
その上で申請疾病の原因確率を求め,この原因確率を目安としつつ,これ
までに得られた通常の医学的知見に照らし,総合的に審議されたが,当該
疾病については,放射線起因性を欠くと判断され,処分行政庁は,上記審
査会の意見を受け,申請を却下した旨が記載されている(前記第2の2「前
提事実」(3)ないし(5)の各ウ)。
これによれば,原告乙,原告甲及び原告丙は,上記各通知書の記載自体
から,①疾病・障害認定審査会において,それぞれの被爆状況や医学的
知見を踏まえて,原因確率を目安としつつ,総合的に審議されたが,援護
法10条1項の放射線起因性の要件を欠くと判断されたこと,②処分行
政庁は,この意見を受けて本件各処分を行ったことを了知し得るものと認
められる。
そうすると,上記各通知書の記載は,本件各処分がいかなる事実関係に
基づき,いかなる法的理由で行われたかを申請者において了知し得るもの
であるということができる。
したがって,本件処分B,本件処分C及び本件処分Dについても,行政
手続法8条違反は認められない。
なお,原告甲は,被告が原告甲の処分理由の「原因確率(中略)を求め
ました」,「原因確率を目安としつつ」との記載を誤記であると認めたこ
とを指摘し,原告甲に対して処分理由を示していないことになる旨主張す
る。確かに,処分理由の記載に誤記があったことは遺憾であるが,かかる
点に誤りがあったとしても,処分自体が,「疾病・障害認定審査会におい
て,それぞれの被爆状況や医学的知見を踏まえて総合的に審議されたが,
援護法10条1項の放射線起因性の要件を欠くと判断された」ということ
を理由に却下されたことに誤りがあったわけではない。すなわち,処分理
由の根幹部分が誤っていたとまでは認められず,上記の行政手続法8条の
趣旨を没却するものということはできないから,上記の誤りをもって,直
ちに処分理由が示されていないということはできないというべきである。
(3)小括
以上によれば,原告らの被告に対する損害賠償請求は,いずれも理由がな
い。
第4結論
以上によれば,原告甲の本件処分Cの取消請求は理由があるから認容し,本件
訴えのうち,原告乙の本件処分Bの取消請求及び原告丙の本件処分Dの取消請求
に関する部分は不適法であるから,いずれも却下し,原告らのその余の請求は理
由がないからいずれも棄却することとし,訴訟費用の負担につき,行訴法7条,
民訴法65条1項本文を,原告乙の本件処分Bの取消請求及び原告丙の本件処分
Dの取消請求に関しては,同法62条を,その余の請求に関しては,同法61条
をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。
千葉地方裁判所民事第3部
裁判長裁判官堀内明
裁判官花村良一
裁判官井草健太
(別紙)
費用負担一覧
1原告丁に生じた費用の全部及び被告に生じた費用の4分の1を同原告の負担と
する。
2原告乙,原告甲及び原告丙に生じた費用の各3分の2と被告に生じた費用の2
分の1を当該各原告の負担とする。
3原告乙,原告甲,原告丙及び被告に生じたその余の費用を被告の負担とする。
(別紙)
単位記号
放射能の単位
Bq(ベクレル)
Ci(キュリー):ベクレルの370億倍
吸収線量の単位
Gy(グレイ)
rad(ラド):グレイの100分の1。センチグレイ(cGy)
照射線量の単位
R(レントゲン)
線量当量の単位
Sv(シーベルト)
接頭語接頭語が表す乗数
G(ギガ)109
M(メガ)106
k(キロ)103
c(センチ)10-2
m(ミリ)10-3
μ(マイクロ)10-6
(別紙)
原告らの主張1(省略)
被告の主張1(省略)
原告らの主張2(省略)
被告の主張2(省略)
原告らの主張3(省略)
被告の主張3(省略)
原告らの主張4(省略)
被告の主張4(省略)

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