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○被害者の供述は信用性に欠けるとして,傷害罪につき一審の無罪判決が維持された事例
平成14年2月20日判決宣告
仙台高等裁判所平成13年(う)第119号 傷害被告事件(原審 青森地方裁判所平成
11年(わ)第190号,平成11年10月28日判決宣告)
               主       文
     本件控訴を棄却する。
               理       由
第1 控訴の趣意等
   本件控訴の趣意は,青森地方検察庁検察官戸谷博子作成の控訴趣意書に,これに対
  する答弁は弁護人小野允雄作成の答弁書にそれぞれ記載のとおりであるから,これら
  を引用する。
   控訴趣意は,事実誤認の主張であり,要するに,「被告人は,平成10年9月27
  日,青森市a町b丁目所在の中華料理店店舗内において,A(当時28歳)に対し,
  灰皿でその頭部を殴るなどの暴行を加え,同人に加療約10日間の頭頚部外傷等の傷
  害を負わせた。」旨の公訴事実に対し,原判決は,被告人が灰皿でAの頭部を殴打し
  て頭部挫創の傷害を負わせたとの点については,いまだ合理的な疑いを残さない程度
  に立証がなされたとはいえず,また,被告人がAの顔面を手拳で殴打し,全治約10
  日間の外傷性頚部症候群等の傷害を負わせた事実は認められるが,これは,先にAが
  殴ってきたのに対抗し更に暴行を受けるのを防ぐ目的でしたもので,正当防衛が成立
  する可能性が高いとし,結局無罪の言渡しをしたが,原審取調べの各証拠によれば,
  被告人が先制して灰皿でAの頭部を殴打して,頭部挫創の傷害を負わせた事実を優に
  認めることができ,また正当防衛も成立する余地がないから,原判決は事実誤認を犯
  している,というのである。
第2 当裁判所の判断
   記録を調査し,当審における事実取調べの結果を併せて検討し,以下のとおり判断
  する。
 1 事実関係の概要
   原判決が,第二外形的事実の項において,原審取調べの証拠から,一事件当時の状
  況,二事件後の状況としてそれぞれ認定する事実は,そのままおおむね是認できるが,
  なお,それら証拠から認定される本件の発端とその前後の状況は,概略次のとおりで
  ある。
   被告人とその友人Bは,平成10年9月27日午前1時30分ころ,青森市a町b
  丁目所在のラーメン店に入って,カウンター席に座り,間もなくA及びCが入ってき
  て,カウンター席の出入口に近い方に座った。テーブル席に男女2人連れが座ってい
  たが,女性に見つめられているのが気になり,Bが何で見ているのかと文句を言った
  が,女性も言い返すなどしたため,Bはなおもあれこれからみ,連れの男性にも文句
  を言った。AとCは,この様子を見ていたが,我慢できずにうるさいと腹を立て,2
  人で席を立って被告人らの方に近寄った。その後けんかとなり,Aと被告人,CとB
  がそれぞれ殴り合うなどした。Aは,被告人と殴り合っていた際,被告人の顔面に3
  回ほど頭突きを加え,それは被告人の前歯等に当たった。Aは,このけんかで頭部に
  負傷し,翌28日整形外科医院で診察を受け,左頭部に長さ約3センチメートルの真
  皮まで切れている開放創が認められたため,縫合手術を受けたが,その後も頭痛等を
  訴えたため,同年10月6日に脳外科医院で診察を受け,全治10日間の見込みの外
  傷性頚部症候群等及び全治7日の頭皮裂傷の傷害と診断された。被告人は,Aの頭突
  きを受けて前歯に歯牙打撲を負い,上前歯4本及び下前歯1本がぐらつく状態となり,
  上前歯2本は抜歯となった。そこで,被告人は,治療費を請求すべくAらを探し出し
  て,同年9月30日傷害事件として警察署に申告し,いったんは互いに相手の治療費
  を支払うことで合意し,告訴しないこととなったが,その後翌11年2月になって示
  談交渉が物別れに終わったため,被告人は,警察に傷害事件として捜査することを依
  頼し,平成11年4月ころまでに改めて本件の捜査が開始された。
 2 被告人による灰皿でのAの頭部殴打の事実の存否について
  (1)Aは,原審公判において,被告人から灰皿でその頭部を殴打されて,頭部挫創の
   傷害を負った旨供述するが,その要旨は,次のとおりである。
    カウンター席には被告人に近い方から自分,Cの順で着席していた。被告人らが
   アベックに文句を言っていたが,初めは関係ないので知らないふりをしていたが,
   執ように続いてうるさかったので,席を立って,「おめだち,うるせんだね,この。
   いい加減にしねが。」と言いながら,被告人らの方に近づいて行き,Cも後につい
   てきた。近づいて行ったのは,とりあえずぐだぐだ文句を言っているのを止めさせ
   ようと思ったからである。右手でBの左肩をつかもうとしたところ,Bの後ろに座
   っていた被告人が立って,カウンター上にあった灰皿で左側頭部を殴りつけてきた。
   手を振り上げたときに,光っている灰皿を持っているのが見えた。殴られた直後に,
   ああ痛いなと思って,手でないなと思って,被告人の手元を見た時に,灰皿を持っ
   ていた。被告人は右手に灰皿を持っていた。ゴンと当たった時に,痛いなという感
   じはしたけれども,それと同時に素手でないなという感じであった。灰皿で殴られ
   た後,間のBを通り越して被告人につかみかかったら,押されて椅子に座ったとこ
   ろ,被告人から先に左の頬を四,五発殴ってきた。その後自分も立って押し返し,
   殴り返した。Bに対しては,後ろにいたCが押してトイレの方へ行ってけんかをし
   ていた。被告人と自分が殴り合ったが,自分は被告人の頬を四,五回殴り,腹を二,
   三回膝蹴りし,その後頭突きを3回くらい顔面にし,被告人は自分の頬を四,五回
   殴った。頭突きはおでこの髪の生え際でした。被告人が灰皿を持ったのは,持った
   直後と私の頭を殴りつけて手を引っ込める時に見た。灰を捨てる方に手を入れて持
   っていた。被告人は,灰皿を頭の横辺りの高さまで振り上げていた。灰皿で殴られ
   た後,首の辺りに血が流れているのが,感触で分かった。
(2)そこで,Aの上記供述の信用性について検討すると,次のようなことがいえる。
   ① Aは,灰皿で殴られたと分かった理由を尋ねられて,手を振り上げた時に光っ
    ている灰皿を持っているのを見たからと答えた上,「殴られた直後に,ああ痛い
    なと思って,手でないなと思って,被告人の手元を見た時に,それを持っていた
    と。」と供述し,また,殴られた時の痛みの感じについて,「ゴンと当たった時
    に,痛いなという感じはしたんだけれども,それと同時に素手でないなという感
    じで。」と供述しているが,原判決も指摘するとおり,明確に直前に光る灰皿を
    持っているのを見たと供述しながら,殴られた時の痛みについて,「手でないな」
    といった漠然とした表現をしているのはひょうそくが合わず,これは,灰皿で殴
    られたことを強調しようとしたものの,むしろ痛みからは「手ではない」との覚
    えしかなく,灰皿との自信はないことを表していると推論することができること
   ② Aの供述に従えば,被告人が灰皿で殴った際にはBが2人の間に座っていたの
    であるから,Bは音や人の動き等から当然殴ったことを察知してよく,また,A
    のすぐ後ろには身長の高いCが付いていたのであるから,Cも灰皿で殴る状況を
    目撃してよいはずであるのに,BもCも共に被告人が灰皿で殴ったことを全く知
    らない旨述べており,さらに,ラーメン店主もテーブル席にいた上記アベックも,
    そうした殴った音や気配を感じていないのは不合理であること
   ③ AとCは,うるさいと思いながら我慢していたのが抑えられなくなって,被告
    人らに近づいて行ったのであり,文句を言うだけであるならば席を立たずとも足
    りるのに,わざわざ被告人らに怒鳴りながら文句を言いながら近づいて行ったの
    であり,現に,Cは,「一発殴って黙らせるかというつもりであった。」旨供述
    しており(平成11年10月1日付け検察官に対する供述調書,同年4月13日
    付け司法警察員に対する供述調書でも同じ),実際にも一挙にBを奥に連れて行
    き攻撃を加えていることからすれば,Aらが腹立ち紛れに一挙に被告人らに暴行
    を加えておかしくない状況であったと認めることができ,それに対し,被告人ら
    としては,アベックに対し偉ぶったりあるいはやゆするよう文句を言っていたも
    のの,格別激昂し好戦的になっていた状況は認められないのであって,突然第三
    者が介入してきたのに対し,事情をのみ込めずたじろぐことはあっても,とっさ
    に先制的に攻撃を加えるというのは,飛躍しすぎていると考えられること
   ④ Aの頭突きによって被告人は前歯に打撲を受け,そのため前歯はぐらつく状態
    となり,さらに,被告人の供述によれば前歯2本はその場で折れたというのであ
    るから,頭突きを加えた際A自身も衝撃や痛みを感じておかしくないのに,頭突
    きをした場所は額の髪の毛の生え際と特定していながら,頭突きをした際の感覚
    や痛みについて,Aは何ら覚えがないとして述べていないのは不自然であり,ま
    た,Aの供述するように額で頭突きをしたのであるならば,同所に傷等が残るこ
    とが十分考えられるのに,そうしたものがなかったというのも不自然であること
  (3)さらに,Aの供述の推移を見ると,A自身が原審公判において,警察官に対する
   供述と検察官に対する供述が変わっており,更に原審公判でも検察官に対する供述
   と一部変わっていることを認めているのであるが,当審での事実取調べの結果を併
   せると,被告人に頭部を殴られたとのAの供述は,次のように変遷している。
    本件の翌日の平成10年9月28日に診察を受けた際,医師には「灰皿で殴られ
   た」と供述し,その2日後の警察官の取調べに対しては,「カウンター上にあった
   と思われる灰皿か何か堅いもので頭を殴られた」(平成10年9月30日付け司法
   警察員に対する供述調書)と供述し,その後の警察官の取調べに対しては,「テー
   ブルの上に置かれていた何か堅い物をもって,私の左側頭部を1回殴ってきたので
   す。」(同11年4月13日付け司法警察員に対する供述調書)と供述し,また検
   察官の取調べに対しては,「すると突然,奥に座っていた被告人が,灰皿をつかん
   で,私の頭を殴りつけたのです。問,被告人が手に持ったものが灰皿であることは,
   はっきり見たのか。答,はい,見ました。相手が私の頭を殴った後,手を引っ込め
   たときに,被告人が手に灰皿を持っているのを見ました。」(同年10月4日付け
   検察官に対する供述調書)と供述している。
    しかし,本件の翌日に医師には灰皿で殴られたと供述していながら,その2日後
   には「灰皿か何か堅い物」と供述し,更に事件から半年後に「何か堅い物」と供述
   し,事件から1年後に今度は一転して「灰皿」と供述し,かつ,それまで述べてい
   ない灰皿を目撃した状況も供述しているのであるが,灰皿を目撃しそれを明確に記
   憶しているのであれば,早い段階での警察官の取調べに対し,なぜ灰皿と供述しな
   かったのか不自然であり,この変遷は不合理というほかない。Aは,警察官の取調
   べに対して灰皿と明確に供述しなかった理由として,警察に呼ばれて気分が悪かっ
   たからなどというが,気分が悪いのに,あえて自己に不利になるような供述すると
   いうのは矛盾しており,ましてや,本件から間もない平成10年9月30日の取調
   べにおいて,自己が認識している受傷の原因をわざわざあいまいに供述したり,被
   告人と互いの受傷について供述が食い違い,治療費を巡っても対立し,自己の刑事
   責任も問題になっている段階である平成11年4月13日の取調べにおいて,記憶
   に反するような供述をするということは,およそ考え難いといえる。さらに,検察
   官に対して警察官に対して述べていないことを供述し,事件から約1年8か月もた
   った原審公判において,今度は検察官に対しても述べていなかった,殴られる前に
   も灰皿を見たとか,灰皿で殴られた後更に押されて座らされ殴られたと供述し,事
   件から2年以上たった当審での証人尋問でも,思い出したとして原審でも述べてい
   ないことを新たに供述しており,時間がたつほど記憶を呼び起こしたとして新たな
   供述しているのであって,これは,むしろ記憶にないことも都合のよいように供述
   していると考えられるのである。そして,このような供述の変遷やその供述態度に
   照らすと,翌日の医師の診察に際して灰皿で殴られたと供述しているのも,何か堅
   い物との認識しかなかったものを,思い付きやすい灰皿と供述したのではないかと
   推論さえされるのである。
  (4)既に検討したとおり,Aの供述は,その内容及び変遷の状況からして,信用性に
   欠けるといわざるを得ないが,さらに,Aの負った頭部創傷の状況及びそれから推
   認される負傷原因について検討する。
   ① Aの頭部創傷は,左耳上方6センチ,前額部後方13センチの左側頭部に,顔
    面に対してほぼ水平に長さ約3センチメートルにわたり真皮まで切れている開放
    創があり,その周囲が挫滅している創傷である。
     この創傷の成因について,診断,治療をしたD医師は,原審証人として,「本
    件創傷は,いわゆる鈍器というか,硬い物にぶつかってできた傷である。成傷器
    としては,押収された灰皿とイメージが合致せず,もっと重いものだと思った。
    しかし,押収された灰皿で勢い強くぶつかれば本件創傷を生じさせた可能性があ
    る。切れている開放創の周りが挫滅傷になっているので,素手だと,それだけの
    範囲にできないのではないかと思われ,頭突きを加えた場合,頭と頭ならできる
    可能性がある。」旨供述し,当審における証人尋問においては,本件創傷は割創
    で,灰皿で勢いがあれば,灰皿のどの個所が当たっても挫滅して開放創ができる
    とし,さらに,当審で取り調べた検察官に対する供述調書及び当審における証人
    尋問において,「傷がきれいであり,口の中には雑菌があるから,頭と歯牙が当
    たれば傷が膿むと考えられ,傷がきれいなので歯と当たった可能性は低く,開放
    創の長さが約3センチメートルなので,歯によるかは疑問である。」旨供述する。
     また,同じく診断,治療をしたE医師は,原審証人として,「角のある硬い物
    に当たって切れた可能性がある,押収してある灰皿は,硬い物で角があるので,
    可能性としてはないわけではない,例えば指輪とか硬い物を手につけて殴打した
    場合の可能性もないわけではない,素手では絶対できないということではなく可
    能性として少ない,頭突きで相手の体に硬い物を身につけている場所に衝突して
    できる可能性はないわけではない,頭突きが歯に当たった場合に大体歯に沿った
    形で傷ができるが,診察のときに診た範囲では,傷の周りに歯型を思わせるよう
    な浅い傷という記憶がないので,頭突きで歯に当たって切れた可能性としては少
    ない。」旨供述する。
     F短期大学整形外科助教授Gは,「素手で頭部に裂傷を負わせることが可能か」
    との弁護人の質問に対して,意見書(原審弁護人請求証拠番号6)において,素
    手で頭部を滑るように殴ると,皮膚は拳によって引っ張られて殴った方向と直角
    に裂傷が生じるものであり,傷の状況から灰皿あるいは指輪での可能性は極めて
    低く,突き出した素手の拳によって生じた可能性が高いとする。それに対し,H
    大学医学部法医学講座I教授は,上記G助教授の意見に関する検察官の照会に対
    して,「実際の挫滅の大きさ,性状を観察してみないと責任もって断定できない
    ものの,素手による殴打と考えるより,稜を有する鈍体など何か硬いものが強く
    当たってできた可能性が高い,真皮まで切れている開放創であり,相当に大きな
    外力で生じた創傷であるといえるので,手拳又は指輪をした手拳によって頭部表
    面を滑るようにして殴打したことによって,このような創傷を生じるはいささか
    困難ではないかと思われ,むしろ手拳より,創口の長さ程度の大きさの稜のよう
    な構造を有する硬いもので頭部を殴打したことによって生じたと考える方がより
    自然である,頭髪は滑りやすくできており,頭皮を不要な擦過力から保護すると
    いう自然獲得的な性状を有していることから考えて,素手で殴打する程度では頭
    皮は容易に切れるものではない,指輪の種類や形状によるが,仮に殴打した手拳
    に指輪がはめられていたとしても,それで生じた創傷にはその指輪に対応する限
    局的な挫滅や擦過などの痕跡が残ると推定されることから,このような明らかな
    所見がない場合には,指輪をした手拳によると断定することもできない,むしろ,
    灰皿等の硬いもので叩くような打撃を受けてこの創傷が生じたと考える方が自然
    である,灰皿による打撃により当該創傷ができうるか否かの要素として,著しく
    軽量で変形しやすい,あるいはもろいというような状況である場合を除き,その
    重量は余り重要ではない,むしろ,その堅さが十分で変形しにくいこと,及び灰
    皿なら灰皿に稜のような角張った突出部があるかどうかが決め手である。」旨の
    意見(原審検察官請求甲証拠番号33)を述べている。
   ② こうした診断,治療した両医師の供述及び書面で回答しているG助教授,I教
    授の意見によっても,Aの創傷が灰皿による殴打によってできたといまだ断定で
    きるものではない。そして更に,E医師がいう歯型の痕跡の欠落,D医師にいう
    雑菌による化膿の可能性については,噛んだ場合ではなく,頭突きにより歯に当
    たった場合には必ずしもそれらが当てはまるとは考えられない上,被告人の上前
    歯4本が打撲を受けていることから,長さ約3センチメートルの傷もその打撲に
    より形成されることが考えられ,両医師の指摘する点は,いずれもAの創傷が頭
    突きの際被告人の前歯に当たったことによる可能性を否定する根拠にはならず,
    その他両医師の供述及びG助教授,I教授の意見から,Aの創傷が頭突きの際被
    告人の前歯に当たったことによる可能性が否定されるものではない。
     したがって,Aの頭部創傷の状況から,それが灰皿による殴打によると断定で
    きず,むしろ,それは頭突きの際被告人の前歯に当たったことによる可能性も否
    定できないといえる。
  (5)被告人の供述について検討する。
   被告人は,捜査段階及び原審公判において,近づいてきたAがいきなり殴りかか
   ってきたものであると供述し,さらに,原審公判では,自分が灰皿で殴ったことは
   一切ないと否認するが,捜査段階の被告人の調書には,灰皿等で殴った記憶がある
   ような記載がある。すなわち,被告人の平成10年9月30日付けの司法警察員に
   対する供述調書には,「このとき私も相手の男の人の頭を何か物を持って1回殴っ
   ているが,このとき私が何を持って相手の男の人を殴ったかははっきり思い出せな
   い」旨の供述記載,平成11年4月9日付けの司法警察員に対する供述調書には,
   「灰皿か何かを右手に持ってAの頭を1回殴っている。問,物を持って殴ったのは
   殴り合いになってすぐのことか。答,夢中になってしまって,いつのことか分から
   ない。問,どこから何を持ちだしたか。答,それも分からない。場所的にいって灰
   皿か何かと思うがはっきり覚えていない。」旨の供述記載,平成11年10月1日
   付け検察官に対する供述調書には,「Aはこのとき頭を何か堅い物で殴られて怪我
   をしたとのことですが,私は覚えていないが,殴り合いの時無我夢中で灰皿か何か
   でAの頭を殴ったかもしれない。問,本当に何か堅い物を使ってAの頭を殴ったと
   いう記憶はないのか。答,ありません。しかし,このへんのところは記憶があいま
   いではっきりしたことは断言できない。」旨の供述記載がある。しかし,これら記
   載のある調書においても,Aと殴り合いとなった後において,その最中にカウンタ
   ーにあった灰皿か何かで殴ったかもしれないというもので,Aの供述する状況とは
   全く異なり,しかも明確に灰皿で殴ったと供述しているものではないので,これら
   の供述記載をもって,灰皿でもって被告人がAを殴打したとの事実を認めることが
   できるとは到底いえない。
  (6)以上検討したとおり,灰皿で頭部を殴打されたとのAの供述は,信用できるもの
   ではなく,その頭部創傷の状況自体からも灰皿によると断定することはできず,他
   に積極的に灰皿による殴打の事実を証明する証拠は存しないのであって,同事実の
   証明はないといわねばならない。
 3 正当防衛の成否について
  (1)被告人は,捜査段階及び原審公判において,近づいてきたAがいきなり殴りかか
   ってきたものであり,その後Aと殴り合いになったものである旨供述し,捜査官に
   対する供述調書には,上記のとおり,殴り合いの最中に灰皿か何か堅い物で殴った
   かもしれないとの供述記載があるものの,Aが先制的に攻撃してきたものであると
   の点は一貫して供述している。そして,Aが近づくと,被告人に対して先制的に攻
   撃をしたことは,Cの前掲記の検察官及び司法警察員に対する各供述調書並びに本
   件直後の平成10年9月30日付け司法警察員に対する供述調書からも,裏付けら
   れるといえる。これに対し,Aは,被告人が先に灰皿で殴打してきて,続いて顔面
   を手拳で殴打してきた旨供述するが,その供述が信用できないものであることは,
   上記のとおりである。そうすると,被告人らがアベックに執ように文句を言ってい
   ることに腹を立てたAは,席を立って被告人に近づきざま,被告人に対し,その顔
   面を手拳で3回ほど殴打し,続いてその腹部を二,三回膝蹴りする暴行を加え,こ
   れに対し被告人はAの顔面を手拳で3回ほど殴打したが,Aはその後更に被告人の
   顔面に頭突きを加え,それによって被告人に上記歯牙打撲を負わせたことが認めら
   れる。
  (2)このように,被告人は,近づいてきたAからいきなりその顔面を手拳で殴打され,
   続けて膝蹴り等をされたものであり,被告人らのアベックに対する文句は,内容が
   格別相手を挑発するようなものでも,ましてやAやCに向けられたものではないか
   ら,Aの危難を自ら招いたといえないのであって,Aの被告人に対する暴行は,予
   期できない急迫不正の侵害に当たることは明らかである。それに対して,被告人は
   素手でAの顔面を3回ほど殴打しているが,これはAの暴行に対し自己の身体を防
   衛するために行ったものであり,しかもそれによって全治10日間の見込みの外傷
   性頚部症候群等を負わせたにとどまるので,防衛のための相当な範囲内にあるから,
   被告人のAに対する素手での顔面殴打行為については正当防衛が成立するといえる。
 4 結論
   以上検討したとおり,被告人が灰皿によりAを殴打したことについては,その証明
  がなく,被告人によるAの顔面殴打については,正当防衛として罪にならないから,
  被告人を無罪とした原判決には事実誤認がない。
第3 よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却することとし,当審における訴訟費
  用については刑訴法181条3項本文により被告人に負担させることができないので,
  主文のとおり判決する。
平成14年2月20日
  仙台高等裁判所第1刑事部
      裁判長裁判官   松   浦       繁
         裁判官   卯   木       誠
         裁判官   春   名   郁   子

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