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裁判例


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主文
1広島市長が,A1の原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律に基づく被
爆者健康手帳交付申請に対し,平成15年7月7日付けでした却下処分を取
り消す。
2広島市長が,A2の原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律に基づく被
爆者健康手帳交付申請に対し,平成17年1月14日付けでした却下処分を
取り消す。
3広島市長が,A3の原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律に基づく被
爆者健康手帳交付申請に対し,平成15年2月12日付けでした却下処分を
取り消す。
4広島市長が,A4の原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律に基づく被
爆者健康手帳交付申請に対し,平成14年8月1日付けでした却下処分を取
り消す。
5広島市長が,A5の原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律に基づく被
爆者健康手帳交付申請に対し,平成14年9月18日付けでした却下処分を
取り消す。
6広島市長が,A6の原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律に基づく被
爆者健康手帳交付申請に対し,平成16年8月4日付けでした却下処分を取
り消す。
7広島市長が,A7の原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律に基づく被
爆者健康手帳交付申請に対し,平成16年8月4日付けでした却下処分を取
り消す。
8原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
9訴訟費用は,これを2分し,その1を被告の負担とし,その余を原告らの
負担とする。
事実及び理由
第1章請求及び事案の概要
第1請求
1主文第1項ないし第7項と同旨
2被告は,原告ら各自に対し,220万円及びこれに対する平成17年10
月7日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
本件は,原告らが,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(平成6年
12月16日法律第117号(以下「被爆者援護法」という)1条3号,)。
2条1項,49条に基づき,広島市長に対し,被爆者健康手帳の交付申請を
したところ,同市長が,原告らについては,被爆者援護法1条各号の要件が
満たされないとして,上記各申請を却下する処分(以下,すべての処分をま
とめて指す場合には「本件各却下処分」といい,個別の却下処分を指す場合,
には「本件却下処分」という)をしたことから,原告らが,行政事件訴訟,。
法に基づき,本件各却下処分の取消しを求めるとともに,原告らが,本件各
却下処分が違法になされたこと等によって精神的苦痛を被ったとして,被告
に対し,国家賠償法1条1項に基づき,損害賠償金各220万円及びこれに
対する違法行為の日の後である平成17年10月7日から支払済みまで民法
所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
1争いのない事実等
()原子爆弾の投下1
,(「」昭和20年8月6日午前8時15分ころアメリカ合衆国以下米国
という)により,広島市に,原子爆弾(以下「広島原爆」という)が投。。
下された。
()当事者及び本件各却下処分に関係する事実経過2
アA1について
(ア)A1(昭和15年10月1日生まれ。原爆投下当時4歳10か月)。
は,広島市長に対し,平成14年7月1日付けで,被爆者健康手帳の
交付を申請した(乙B(1)1。)
(イ)広島市長は,平成15年7月7日付けで,上記A1の申請を却下す
,,(()る処分をし同日付けで上記処分結果をA1に通知した乙B1
15。)
(ウ)A1は,広島県知事に対し,平成15年8月29日付けで,上記却
下処分に関する審査請求を申し立てた(乙B(1)15,弁論の全趣
旨。)
イA2について
(ア)A2(昭和15年11月17日生まれ。原爆投下当時4歳9か月)。
は,広島市長に対し,平成16年2月2日付けで,被爆者健康手帳の
交付を申請した(乙B(2)1。)
(イ)広島市長は,平成17年1月14日付けで,上記A2の申請を却下
,,(()する処分をし同日付けで上記処分結果をA2に通知した乙B2
23。)
(ウ)A2は,広島県知事に対し,平成17年3月1日付けで,上記却下
((),)。処分に関する審査請求を申し立てた乙B225弁論の全趣旨
ウA3について
(。。),(ア)A3昭和17年8月9日生まれ原爆投下当時2歳11か月は
広島市長に対し,平成12年8月29日付けで,被爆者健康手帳の交
付を申請した(乙B(3)1。)
(イ)広島市長は,平成15年2月12日付けで,上記A3の申請を却下
,,(()する処分をし同日付けで上記処分結果をA3に通知した乙B3
6。)
(ウ)A3は,広島県知事に対し,平成15年3月20日付けで,上記却
下処分に関する審査請求を申し立てた(乙B(3)7)ところ,広島
県知事は,平成17年12月1日付けで,上記審査請求を棄却する裁
決をした(乙B(3)8。)
エA4について
(ア)A4(昭和10年3月3日生まれ。原爆投下当時10歳)は,広島。
市長に対し,平成11年1月26日付けで,被爆者健康手帳の交付を
申請した(乙B(4)1(以下,上記の申請を「本件第1次申請」と)
いう。。)
(イ)広島市長は,平成14年8月1日付けで,本件第1次申請を却下す
,,(()る処分をし同日付けで上記処分結果をA4に通知した乙B4
18(A4が,上記処分結果を知ったのは,同月9日であった(乙B)
(4)19,弁論の全趣旨。)。)
(ウ)A4は,広島県知事に対し,平成14年10月2日付けで,本件第
1次申請を却下する処分に関する審査請求を申し立てた(乙B(4)
20)ところ,広島県知事は,平成16年11月15日付けで,上記
審査請求を棄却する裁決をした(乙B(4)21。)
(エ)A4は,厚生労働大臣に対し,平成16年12月13日付けで,本
件第1次申請を却下する処分に関する再審査請求を申し立てた(乙B
(4)22,被爆者援護法50条参照。)
(オ)A4は,広島市長に対し,平成17年7月4日付けで,再度,被爆
者健康手帳交付申請をした(以下,上記の申請を「本件第2次申請」
という)ところ,広島市長は,A4に対し,平成18年8月4日付け。
で,被爆者健康手帳を交付した。
オA5について
(ア)A5(昭和9年3月25日生まれ。原爆投下当時11歳)は,広島。
市長に対し,平成13年11月20日付けで,被爆者健康手帳の交付
を申請した(乙B(5)1。)
(イ)広島市長は,平成14年9月18日付けで,上記A5の申請を却下
,,(()する処分をし同日付けで上記処分結果をA5に通知した乙B5
11。)
(ウ)A5は,広島県知事に対し,平成14年10月12日付けで,上記
却下処分に関する審査請求を申し立てた(乙B(5)13)ところ,
広島県知事は,平成17年2月23日付けで,上記審査請求を棄却す
る裁決をした(乙B(5)14。)
(エ)A5は,厚生労働大臣に対し,平成17年3月14日付けで,上記
却下処分に関する再審査請求を申し立てた(乙B(5)15。)
カA6について
(ア)A6(昭和5年10月16日生まれ。原爆投下当時14歳)は,広。
島市長に対し,平成8年2月6日付けで,被爆者健康手帳の交付を申
請した(乙B(6)1。)
(イ)広島市長は,平成16年8月4日付けで,上記A6の申請を却下す
,,(()る処分をし同日付けで上記処分結果をA6に通知した乙B6
16。)
(ウ)A6は,広島県知事に対し,平成16年9月26日付けで,上記却
下処分に関する審査請求を申し立てた(乙B(6)18。)
キA7について
(ア)A7(昭和18年7月15日生まれ。A6の妹。原爆投下当時2歳
0か月)は,広島市長に対し,平成8年2月6日付けで,被爆者健康。
手帳の交付を申請した(乙B(7)1。)
(イ)広島市長は,平成16年8月4日付けで,上記A7の申請を却下す
,,(()る処分をし同日付けで上記処分結果をA7に通知した乙B7
8。)
(ウ)A7は,広島県知事に対し,平成16年9月26日付けで,上記却
下処分に関する審査請求を申し立てた(乙B(7)10。)
()関連法令3
ア被爆者援護法制定に至る経過の概要
原子爆弾による健康被害に関しては,原子爆弾被爆者の医療等に関す
る法律(昭和32年3月31日法律第41号(以下「原爆医療法」とい)
う)が昭和32年に制定され,次いで原子爆弾被爆者に対する特別措置。
に関する法律(昭和43年5月20日法律第53号(以下「原爆特別措)
」。)(,。)。置法というが昭和43年に制定された詳細については後述する
被爆者援護法は,上記原爆医療法,原爆特別措置法に代わるものとし
て,平成6年に制定されたものである。
イ被爆者援護法等の定め
(ア)目的
被爆者援護法の前文は,法の目的を次のようにうたっている。
「昭和20年8月,広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という
比類のない破壊兵器は,幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみな
らず,たとい一命をとりとめた被爆者にも,生涯いやすことのでき
ない傷跡と後遺症を残し,不安の中での生活をもたらした。
このような原子爆弾の放射能に起因する健康被害に苦しむ被爆者
の健康の保持及び増進並びに福祉を図るため,原子爆弾被爆者の医
療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法
律を制定し,医療の給付,医療特別手当等の支給をはじめとする各
般の施策を講じてきた。また,我らは,再びこのような惨禍が繰り
返されることがないようにとの固い決意の下,世界唯一の原子爆弾
の被爆国として,核兵器の究極的廃絶と世界の恒久平和の確立を全
世界に訴え続けてきた。
ここに,被爆後50年のときを迎えるに当たり,我らは,核兵器
の究極的廃絶に向けての決意を新たにし,原子爆弾の惨禍が繰り返
されることのないよう,恒久の平和を念願するとともに,国の責任
において,原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健
,康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ
高齢化の進行している被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる
総合的な援護対策を講じ,あわせて,国として原子爆弾による死没
者の尊い犠牲を銘記するため,この法律を制定する」。
(イ)被爆者の定義
被爆者とは,被爆者援護法1条各号のいずれかに該当する者であっ
て,被爆者健康手帳の交付を受けたものを指すとされる(同法1条柱
書。被爆者援護法1条各号の定めは,下記のとおりである。)
1号a
「原子爆弾が投下された際当時の広島市又は長崎市の区域内又は政
令で定めるこれらに隣接する区域内に在った者」
なお,上記の「これらに隣接する区域」は,原子爆弾被爆者に対
する援護に関する法律施行令平成7年2月17日政令第26号以()(
下「援護法施行令」という)1条1項及び援護法施行令別表第1に。
おいて定められている。
以下において,上記1号の要件を満たす者を「1号被爆者」ある,
いは「直接被爆者」と称する場合がある。
2号b
「原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内に前号
に規定する区域のうちで政令で定める区域内に在った者」
なお,上記の「政令で定める期間」は,援護法施行令1条3項に
より,広島市に投下された原子爆弾については昭和20年8月20
日までの間,長崎市に投下された原子爆弾については同月23日ま
での間とそれぞれ定められている。また,上記の「政令で定める区
域」は,援護法施行令1条3項及び援護法施行令別表第2において
定められている。
以下において,上記2号の要件を満たす者を「2号被爆者」ある,
いは「入市被爆者」と称する場合がある。
3号c
「前2号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後に
おいて,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下に
あった者」
以下において,上記3号の要件を満たす者を「3号被爆者」と称,
する場合がある(特に,負傷した被爆者の救護・看護活動等をした
者を念頭におく場合には「救護被爆者」という呼称を用いる場合が,
ある。なお,以下においては,用語法の統一性を保つため,便宜,
後記第2章第1の5()ア(イ)()及び()の用語法に従い,救護活動1bab
とは,収容施設等への収容以前の段階における応急的な手当を行う
ことを指し,看護活動とは,収容施設等において,被爆者に直接接
触するなどして介抱等をすることを指すものとする。。)
4号d
「前3号に掲げる者が当該各号に規定する事由に該当した当時その
者の胎児であった者」
(ウ)被爆者健康手帳の交付
申請a
原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行規則(平成7年5
月15日厚生省令第33号(以下「援護法施行規則」という)1)。
,,条の定めによれば被爆者健康手帳の交付を申請しようとする者は
交付申請書に,その者が被爆者援護法1条各号のいずれかに該当す
る事実を認めることができる書類(当該書類がない場合においては
当該事実についての申立書)を添えて,都道府県知事に提出しなけ
ればならないものとされている。
交付b
被爆者援護法2条1項は,被爆者健康手帳の交付を受けようとす
る者は,その居住地(居住地を有しないときは,現在地)の都道府
県知事に申請をしなければならないと定めており,同条3項は,都
道府県知事が,申請に基づいて審査した結果,申請者が被爆者援護
法1条各号のいずれかに該当すると認めるときには,被爆者健康手
帳を交付するものとする旨定めている。
再交付c
援護法施行規則7条の2は,以下のように定めている。
1被爆者は,被爆者健康手帳を破り,汚し,又は失ったときは,
居住地(居住地を有しないときは,その現在地)の都道府県知事
(中略)に再交付を申請することができる。
2被爆者健康手帳を破り,又は汚した被爆者が前項の申請をする
場合には,申請書に,その被爆者健康手帳を添えなければならな
い。
3被爆者は,被爆者健康手帳の再交付を受けた後,失った被爆者
健康手帳を発見したときは,速やかに,これを居住地の都道府県
知事に返還しなければならない。
(エ)被爆者健康手帳の交付に伴う主な効果
健康管理a
()健康診断a
①都道府県知事は,被爆者に対し,毎年,厚生労働省令で定め
るところにより,健康診断を行うものとされている(被爆者援
護法7条。)
②上記の定めに基づき,援護法施行規則9条1項は,健康診断
は,)都道府県知事が期日及び場所を指定して年2回行うもの1
及び)各被爆者の申請により,各被爆者につき年2回を限度と2
して,都道府県知事があらかじめ指定した場所において行うも
のの2種類とする旨定めている。
また,同条2項は,健康診断を,一般検査又は精密検査の方
法によって行う旨定めている。さらに,同条3項は,被爆者の
申請によって行う一般検査において,各被爆者について年1回
を限度として,がん検診のための各種検査を実施するものと定
めている。
③なお,被爆者援護法附則17条により,原子爆弾が投下され
た際被爆者援護法1条1号に規定する区域に隣接する政令で定
,める区域内に在った者又はその当時その者の胎児であった者は
当分の間,被爆者援護法7条の規定との関係では,被爆者とみ
なされることになるため,同条所定の健康診断を受けることが
できる(この措置は,昭和49年以降とられるようになったも
ので「健康診断の特例措置」と称されている(乙A12(昭和,
49年7月22日衛発第402号各都道府県知事・広島・長崎
市市長あて厚生省公衆衛生局長通達,弁論の全趣旨。))。)
そして,現在,上記の健康診断の結果,造血機能障害,肝臓
,,,,機能障害細胞増殖機能障害内分泌腺機能障害脳血管障害
,,,循環器機能障害腎臓機能障害水晶体混濁による視機能障害
運動器機能障害があると診断された者は,3号被爆者に該当す
るものとして,被爆者健康手帳の交付を受けられる運用がされ
ている(乙A12,弁論の全趣旨。)
()指導b
被爆者援護法9条は,都道府県知事は,健康診断の結果,必要
があると認める場合には,当該健康診断を受けた者に対し,必要
な指導を行うものとする旨定めている。
一般疾病医療費の支給b
被爆者援護法18条1項は,被爆者が,同法10条1項(後述)
所定の医療の給付が受けられる負傷又は疾病等を除く負傷又は疾病
について,被爆者一般疾病医療機関から医療を受けた場合等におい
ては,厚生労働大臣は,原則として一般疾病医療費を支給すること
ができる旨定めている。
健康管理手当の支給c
被爆者援護法27条1項及び同条3項は,都道府県知事は,被爆
者であって,造血機能障害,肝臓機能障害その他の厚生労働省令で
定める障害を伴う疾病(原子爆弾の放射能の影響によるものでない
ことが明らかなものを除く)にかかっている者(医療特別手当,特。
別手当又は原子爆弾小頭症手当の支給を受けている者を除く)に対。
して,健康管理手当(1か月につき3万3300円)を支給するも
のと定めている。
ただし,被爆者が,健康管理手当を受給するためには,被爆者援
護法27条1項の要件に該当することについての都道府県知事によ
る認定を受けなければならないものとされている(被爆者援護法2
7条2項。)
介護手当の支給d
被爆者援護法31条は,都道府県知事は,被爆者であって,厚生
労働省令で定める範囲の精神上又は身体上の障害(原子爆弾の傷害
作用の影響によるものでないことが明らかであるものを除く)によ。
り介護を要する状態にあり,かつ,介護を受けているものに対し,
その介護を受けている期間について,政令で定めるところにより,
介護手当を支給するものと定めている。
葬祭料の支給e
被爆者援護法32条は,都道府県知事は,被爆者が死亡したとき
,,,,は原則として葬祭を行う者に対し政令で定めるところにより
葬祭料を支給するものと定めている。
特別葬祭給付金の支給f
被爆者援護法33条は,被爆者であって,①昭和44年3月31
日以前に死亡した1条各号に掲げる者すべて及び②昭和44年4月
1日から昭和49年9月30日までの間に死亡した1条各号に掲げ
る者のうちの一部の遺族であるものに対し,特別葬祭給付金を支給
するものと定めている。
(オ)原爆症認定(この語の意義については,後述する)。
被爆者援護法10条1項に規定されている要件a
被爆者援護法10条1項は「厚生労働大臣は,原子爆弾の傷害作,
用に起因して負傷し,又は疾病にかかり,現に医療を要する状態に
ある被爆者に対し,必要な医療の給付を行う。ただし,当該負傷又
は疾病が原子爆弾の放射能に起因するものでないときは,その者の
治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要
する状態にある場合に限る」と規定し,①申請に係る負傷又は疾病。
が原子爆弾の放射線の傷害作用に起因するものであること,又は申
請に係る負傷又は疾病が原子爆弾の放射線の傷害作用に起因するも
のでないときには,申請者の治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を
受けていること(これを「放射線起因性」という,②申請に係る。)
負傷又は疾病が現に医療を要する状態にあること(これを「要医療
性」という)を医療給付の要件としている(最高裁判所平成10年。
(行ツ)第43号同12年7月18日第三小法廷判決裁判集民事第
198号529頁参照。)
原爆症認定の手続b
()被爆者援護法11条1項は「前条第1項に規定する医療の給付a,
を受けようとする者は,あらかじめ,当該負傷又は疾病が原子爆
弾の傷害作用に起因する旨の厚生労働大臣の認定を受けなければ
。」(「」。)。ならないと規定している上記の認定を原爆症認定という
()被爆者援護法11条2項は「厚生労働大臣は,前項の認定を行b,
,(,うに当たっては審議会等国家行政組織法8条に規定する機関
すなわち,重要事項に関する調査審議,不服審査その他学識経験
を有する者等の合議により処理することが適当な事務をつかさど
らせるための合議制の機関をいう)で政令で定めるものの意見を。
聴かなければならない。ただし,当該負傷又は疾病が原子爆弾の
傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかであるとき
は,この限りでない」と規定し,原爆症認定に当たり,原則とし。
て審議会の意見を聴くべきことを定めている。
現在のところ,疫病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科
会(以下「分科会」という)が,上記の審議会に該当するもので。
ある。
原爆症認定の効果c
()指定医療機関による医療の給付a
原爆症認定を受けた者に対する医療の給付は,厚生労働大臣が
被爆者援護法12条1項の規定に従って指定する医療機関(指定
医療機関)において行われる(被爆者援護法10条3項。)
なお,厚生労働大臣は,被爆者が,緊急その他やむを得ない理
由により,指定医療機関以外の者から10条2項各号に掲げる医
療を受けた場合において,必要があると認めるときは,同条1項
に規定する医療の給付に代えて,医療費を支給することができる
ものと定められている(被爆者援護法17条1項。)
()医療特別手当の支給b
被爆者援護法24条1項は「都道府県知事は,第11条第1項,
の認定を受けた者であって,当該認定に係る負傷又は疾病の状態
にあるものに対し,医療特別手当を支給する」と定めている。。
上記医療特別手当の額は,1か月当たり13万5400円と定
められている(被爆者援護法24条1項。)
()特別手当の支給c
被爆者援護法25条1項は「都道府県知事は,第11条第1項,
の認定を受けた者に対し,特別手当を支給する。ただし,その者
が医療特別手当の支給を受けている場合は,この限りでない」と。
定めている。
上記特別手当の額は1か月当たり5万円と定められている被,(
爆者援護法25条1項。)
(カ)広島市及び長崎市に関する特例
(,。),被爆者援護法の規定同法6条51条及び51条の2を除く中
「都道府県知事」又は「都道府県」とあるのは,広島市又は長崎市に
ついては「市長」又は「市」と読み替えるものとされる(被爆者援護,
法49条。)
(キ)なお,被爆者援護法においては,各種手当等が支給されるための要
件として,所得の額が一定金額以下であることといった制限は設けら
れていない(甲A18の345頁。)
(ク)被爆者援護法制定時における附帯決議
被爆者援護法制定に先立ち,被爆者援護法案を審議した衆議院厚生
委員会は,附帯決議をした。
上記の附帯決議においては,政府は,保健,医療及び福祉にわたる
総合的な被爆者援護対策を講じるとの被爆者援護法案の趣旨を踏まえ
て「原子爆弾の被害の実態及び被爆者の現状の把握に遺漏なきを期す,
ること「被爆地域の指定の在り方について,原爆放射線による健康」,
影響に関する研究の進展を勘案し,科学性,合理性に配慮しつつ検討
を行うこと「被爆者の老人医療費負担に係わる地方公共団体への財」,
政措置については,被爆者の高齢化が進展していることを踏まえ,そ
の在り方について検討を行うこと」等の諸点につき,特にその実現を
努めるべきであるとされた(甲A39の2頁。)
2争点及びこれに対する当事者の主張
()A4の本件却下処分の取消しを求める訴えの利益の有無(争点1)1
(A4の主張)
A4は,平成18年8月4日に,被爆者健康手帳の交付を受けたことに
より,本件第2次申請の日である平成17年7月4日に遡って,被爆者援
護法にいう「被爆者」の地位を得た。これに伴い,A4は,平成17年7
月4日以降の医療費(自己負担分)の返還を受けられることにはなるが,
依然として,本件第1次申請を行った平成11年1月26日から平成17
年7月3日までの間の医療費の返還を受けることはできない。上記の医療
,。費の返還を受けるには本件却下処分が取り消される必要があるのである
したがって,A4に,被爆者健康手帳が交付された現在においても,A
4の訴えの利益が失われることにはならない。
(被告の主張)
争う。A4は,平成18年8月4日に,被爆者健康手帳の交付を受けた
ものであるから,これにより,A4の訴えの利益は失われたというべきで
ある。以下,理由を詳述する。
ア援護法施行規則7条の2第2項及び同条3項の定め(前記1()イ(ウ))3c
にかんがみれば,法令上,一人の被爆者が複数の被爆者健康手帳を所持
することは予定されていない。また,援護法施行令及び援護法施行規則
の他の定めにおいても,既に交付されている被爆者健康手帳の効力を失
わせて新たに被爆者健康手帳を交付するというような手続は想定されて
いない。
,,,したがって既にA4に被爆者健康手帳が交付されている以上仮に
A4に対する本件却下処分が取り消されたとしても,新たに被爆者健康
手帳の交付がされる余地はない。
イ(ア)被爆者援護法18条1項によれば,一般疾病医療費の支給を受ける
には,医療を受けたときに,被爆者援護法上の「被爆者」であったこ
とが必要である(前記1()イ(エ))。3b
そして,被爆者援護法において,各種手当については,申請日によ
って支給の範囲に影響を及ぶような規定がある一方で,被爆者健康手
帳の交付については,そのような趣旨の規定がない。このような法文
の定めにかんがみれば,被爆者健康手帳の交付を申請した者は,被爆
者健康手帳の交付を受けたときに初めて「被爆者」になるというべき
である。
とすれば,法的には,A4に,遡って,被爆者健康手帳が交付され
る以前の時期における一般疾病医療費の支給を受ける資格が与えられ
る余地はない。
(イ)なお,被告においては,実務上,事務上の遅滞等によって被爆者に
不利益を負担させるのは好ましくないこと等を考慮し,被爆者が被爆
者健康手帳の交付の申請日以降に受けた医療について一般疾病医療費
の支給を行う取扱いをしているが,これは,法律上の要請に基づくも
のではない。
()被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能を受けるような事情2
の下にあった者」の意義(争点2)
(原告らの主張)
ア原爆医療法の制定について
(ア)原爆投下直後の時期における「救護被爆者」の存在
原爆投下直後,医療従事者の被爆や医療施設の損壊により,あらか
じめ設けられていた救護所はまったく機能することがなく,広島市内
では,多くの重傷者が集まった場所が,事実上救護所となるような有
様であった。
そのため,原爆投下直後から,広島市に隣接する安芸,佐伯,安佐
の各郡内の町村には,避難被災者が殺到した(上記各郡に避難者が殺
到したのは,上記各郡には広島市民の非常時の避難先に指定されてい
た町村が多かったこと,広島市民の中にはこれらの郡の出身の者が多
かったこと,原爆投下当日には隣接町村から広島市内の建物疎開作業
に出ていた者がいたこと,避難途中に上記各郡の辺りで動けなくなっ
た者がいたことによるものであった。。)
上記の町村等には,負傷した被災者のための救護所や収容所が,学
校等に次々と設けられ,地域を上げての救護・看護活動が行われた。
中には,個人の立場で,救護・看護活動を行った者もいた。
(イ)被爆者救済を求める世論の動向
原爆被害の隠蔽等に起因する被爆者救済の停滞a
(「」占領政策を遂行した連合国軍最高司令官総司令部以下GHQ
という)は,原爆投下による被害の実態が明るみに出ることによっ。
て占領政策が円滑に進行しなくなることを恐れ,昭和20年9月1
9日,いわゆるプレスコードを発出し,原爆被害の実相を明らかに
することを禁止したばかりか,原爆に関する研究成果を米国のみで
独占するような体制を築き上げた。
日本政府は,このような状況に対し,原爆被害を人道上の問題と
して訴えたり,被爆者に対する支援策を講じたりすることをしなか
った。そればかりか,日本政府は,昭和20年9月,マルセル・ジ
ュノー博士による広島・長崎への医療支援の申し出を断り,被爆者
から,国際的規模での支援を受ける機会を奪った。
被爆者援護の契機b
()戦傷病者戦没者遺族等援護法(昭和27年4月30日法律第1a
27号)の成立
昭和26年9月にサンフランシスコ講和条約が調印された後,
同年10月16日「戦傷病者及び戦没者遺族等の処理に関する打,
合せ会の設置に関する件」が閣議決定されると,広島市は,政府
や国会に対し,原爆の犠牲となった,家屋疎開の協力作業者,防
空監視・防空壕構築作業者,学徒動員工,徴用工,隣組・応援隊
の遺族に対しての援護を求める内容の請願書を送った。また,広
島市長及び同市議会議長は,連名で,国民義勇隊員及び動員学徒
の遺族に対する国家補償を求める内容の陳情書を送った(これら
が,地方自治体による,被爆者援護についての最初の陳情であっ
た。その後,戦傷病者戦没者遺族等援護法が公布・施行される。)
,,,に至ったが同法によって救済の対象とされたのは軍人・軍属
国民義勇隊員,勤労動員学徒,徴用工,女子挺身隊員の遺族等で
あって,被爆者の中でも限られた範囲の者にすぎなかった(その
ため,引き続き,上記法律の改正によって被爆者を含む戦争犠牲
者全般への補償を実現しようとする動きが続けられることになっ
た。。)
「」(「」。)()広島市原爆障害者治療対策協議会以下原対協というb
の発足等
①昭和26年8月に広島流川教会の谷本清牧師によって結成さ
れた原爆障害者更生会による,原爆乙女に対する整形治療方法に
ついての指導運動,②昭和27年5月に真杉静枝によって始めら
れた原爆乙女に対する診療といった「原爆乙女救済運動」が,全,
国的に新聞や雑誌で大きく報道されたことを機に,原爆被害者の
問題に広く国民の関心が集まるようになった。
こうした世論の盛り上がりを背景に,広島の医学界も,原爆障
。,,害者に対して組織的に対応をする動きを始めたまた広島市は
原爆災害の人的被害に関する基礎資料を得るべく,原爆障害者に
ついての調査を行うようになった。そして,昭和28年1月13
日,原爆障害者の治療と健康指導,研究・治療に関する行政措置
,。,の要請を行うことを目的として原対協が設立された原対協は
早速,地元医師の力を借りて,原爆障害者に対する治療を行い始
めたが,当初から,治療費及び活動費の捻出が課題として浮き彫
りになった。当面,上記の費用は,募金活動によって捻出された
が,やがて,本格的な被爆者の治療を行うには国による全面的な
財政援助が必要であることが認識されるようになった。
被爆者援護の機運の更なる高まりc
()第五福竜丸事故とその意味a
昭和29年3月に米国が行った水爆実験により,ビキニ環礁付
近において,日本のマグロ漁船である第五福竜丸の乗船者がいわ
ゆる死の灰を浴びる事故が起きた。これをきっかけに,原水爆の
恐怖が世界に知れ渡り,人類史上初めて原爆被害を受けた広島・
長崎の被爆者の存在が注目されるようになった。
また,米国との折衝を踏まえて,第五福竜丸事故の被害者の治
療をはじめとする諸対策が国によって行われることになったこと
に伴い,原爆被害者に対する救済も同様に国によってなされるべ
きであるという機運が盛り上がるようになった。
()被爆者救済を求める動きの加速b
前記()をきっかけに,被爆者救済を求める動きはますます加速a
するようになり,例えば,原対協は,政府や国会に対し,原爆症
患者の治療費全額国庫負担,原爆障害者の生活援護についての特
別保護法の制定,原爆被爆者専用の特別設備の整備,原爆傷害調
(「」。)。査委員会以下ABCCというの設備の委譲等を要求した
また,このような原対協の動きを受け,広島市建設促進協議会
もこれに協力することになった。例えば,上記協議会の小委員会
は,原爆患者を爆心地から2km以内にいた者に限定するのは実
,「」情に沿わないことを述べた上第五福竜丸事故において死の灰
を浴びた者と同様,広島原爆・長崎原爆の第二次放射能による障
害を受けた者にも注目する必要があること,原爆障害者の集団健
康管理を急ぐ必要があること,原爆障害者の治療費は全額国庫の
負担とするべきこと,生活援護は治療促進の上からも必要である
ことを指摘した。
さらに,広島及び長崎の市議会,県議会も,国に対し,原爆障
害者の治療費の国庫負担を積極的に求めるようになった。
加えて,昭和29年8月27日には,広島・長崎原爆障害者治
療対策促進協議会も開かれ,それを機に,広島・長崎の両被爆地
からの統一的な運動が加速された。
(ウ)原爆医療法の制定に向けた動き
予算措置としての治療費国庫負担の始まりa
()昭和29年,広島市建設促進協議会において,厚生省環境衛生a
部長は,第五福竜丸事故に関する経緯等にかんがみ,行政措置に
よって昭和30年度から原爆被爆者に対する国家補償を行う方針
を示したが,被爆者に対する生活援護の実現は困難であるという
見通しを示した。
()そして,昭和30年度予算には,研究治療費を含む1244万b
2000円が原爆障害調査研究委託費として計上された。こうし
て,研究治療費という名目の予算が割り当てられたことは,原爆
医療法制定に向けた大きな足がかりとしての意味を持っていた。
なお,治療費が国庫負担となるという点が被爆者に周知された
結果,被爆者の治療意欲が高まり,予算額の不足が際立つように
なったため,昭和31年度の原爆障害治療費等の予算額は,前年
度よりも増額された。
原爆医療法案の策定に向けた流れb
()昭和31年8月9日,当時の日本社会党(以下「社会党」といa
う)は,原爆障害者の治療費及び生活費の国庫負担を内容とする。
原爆症患者援護法案要綱を議員立法として臨時国会に提案する方
針を固めた。そして,同党と,広島市や原対協等の関係者の間で
も,上記法案要綱の法制化の実現が申し合わせられた。
また,同年9月19日,社会福祉法人全国福祉協議会は,科学
的観点(熱傷,爆風及び放射性物質による被害が特殊であるとい
う観点,医学的観点(長期にわたる困難な治療が必要であり,後)
障害や遺伝的影響も生じるという観点,経済的観点(原爆障害の)
症状が特異であり,治療には長い期間と多額の費用がかかるとい
う観点,政治的観点(原爆障害は,国が行った戦争の犠牲として)
生じたものであって,しかも,個人の責任の範囲外において,想
像を絶するような被害が生じたという観点及びその他の観点原)(
爆障害者に対する援護は,原子力科学や放射能被害の予防治療に
も有益であるという観点)から,被爆者の健康管理,原爆障害者
の治療,原爆障害者への治療手当の支給,原爆障害者と同一世帯
の者への援護,弔慰金・遺族年金の支給といった内容を含む法案
要綱を作成した。
()その後,予算の裏付けが備わった形で政府によって法案が提出b
されることが望ましいという意見が多く出されたため,同年11
月5日,広島市議会議長及び長崎市議会議長は,連名で「原爆障,
害者援護法制定に関する陳情書」を関係各方面に提出した。上記
陳情書には,①原爆障害の症状は極めて複雑であり,治療は相当
長期間を要する困難なものであること,②原爆投下後11年が経
過してもなお,発病し重態に陥り,不測のうちに死亡する者もあ
ること,放射線の恐るべき影響が一般被爆者に大きな不安を与え
ているということといった事実が指摘されていたばかりでなく,
被爆者に対する治療や健康管理は当然に戦争を引き起こした国に
より行われるべきである旨が指摘されていた。そして,上記陳情
書には,①国が,原爆障害者に対して医療を行い,被爆者に対し
て健康管理を行うこと,②国が,医療を受けることにより生計を
立てることが困難になると認められる者に対して医療手当を支給
することを盛り込んだ原爆障害者援護法案要綱が添付された(上
記法案要綱の内容は,原爆医療法制定過程における参議院法制局
案の内容にも影響を及ぼしたものと考えられる。。)
また,自由民主党(以下「自民党」という)及び社会党は,昭。
和31年12月22日,衆議院本会議において,政府に対して原
爆障害者の健康管理と治療について適切な措置を講じることを求
める「原爆障害者の治療に関する決議案」を共同提案した。
こうした背景から,厚生省は,政府として法案を提出する方針
を固めるに至った。なお,厚生省は,法案提出に併せて,関係者
,,,の陳情を踏まえ生活援護費を含む予算要求をしたが大蔵省が
被爆者にのみ生活援護を認めることは生活保護の体系を崩すもの
であるとして,生活援護費の拠出をまったく認めなかったため,
被爆者に対する生活援護費の拠出は実現されないこととなった。
小括c
以上において述べたように,原爆障害の症状が複雑であって長期
にわたる困難な治療が必要となること,原爆障害を発症していなか
った者であっても,被爆後11年が経った段階で新たに発病して重
態に陥り,不測のうちに死亡する者があり,そのため一般被爆者に
も大きな不安があったことといった事情を背景として,国家補償の
観点から,被爆者に対する健康管理,障害を負った者への医療,生
計が困難になる者への医療手当の支給が求められ,そうした措置を
実現するために,原爆医療法の制定がなされることになったもので
ある。
(エ)具体的な法案の策定過程
厚生省の,昭和31年12月12日付け第一次原案は,直接被爆a
者を,広島市及び長崎市のうちの一部区域で被爆した者に限定し,
それ以外の定義については政令に委任するという内容であり,過度
に救済範囲を狭めたものであった。
そのため,第一次原案は訂正され,直接被爆者の範囲は,広島市
及び長崎市の全域並びに両市に隣接する区域において被爆した者に
まで拡大されるとともに,原爆投下後に爆心地付近に入った者も,
被爆者として定義された(もっとも,厚生省は,被爆者の定義につ
いて試行錯誤をしていたようであり,第7次案では,再び,入市被
爆者の定義を全面的に政令に委任するような文案が作成された。。)
()その後,厚生省における検討結果を集大成したともいえる「原ba,
子爆弾被爆者の医療等に関する法律案(途中整理案」が策定され)
た。この段階では,直接被爆者(1号)及び入市被爆者(2号)
の定義は,実際に制定された原爆医療法の定めと同様の形となっ
ていたが,3号については「前2号に掲げる者のほか,これに準,
ずる状態であった者で,原子爆弾による放射能の影響を受けたお
それがあるとして政令に定めるもの」という表現が用いられてい
た。
上記途中整理案について,厚生省内部において審議が行われた
ところ,その場では,原爆被爆者に限って国の責任において健康
診断等を行う理由として,①被爆者の医学上特異な傷害が休火山
のような状態で法案策定当時まで続いていること,②上記の傷害
が戦争によって惹起されたことが指摘された。さらに,1号の定
義には胎児被爆者が含まれていたにもかかわらず,2号及び3号
の定義には胎児被爆者が含まれないことや,被爆後に胎児となっ
た者が「被爆者」に含まれないことについて,健康管理を主目的
の一つとするという観点からは疑問もあるという指摘がされた。
()こうした審議経過からは,原爆医療法の主目的の一つが健康管b
理にある以上,医学的知見に拘泥せずに,放射能の影響を受けた
おそれがあると考えられる者をできる限り広く被爆者として取り
扱い,将来にわたって健康を管理するべきであるという考えがあ
ったことがうかがわれる。
()前記途中整理案に続いて策定された昭和32年2月7日付け法ca
律案では,3号の文言は「前2号に掲げる者のほか,これらに準,
ずる状態にあった者であって,原子爆弾の傷害作用の影響を受け
たおそれがあると考えられる状態にあった者」というものに改め
られ,3号に関しては政令への委任を行わないものとされた。ま
た,上記法律案においては,2号及び3号所定の者が当該各号に
,「」規定する事由に該当した当時その者の胎児であった者も被爆者
に含まれることとなった。
3号被爆者に関して政令への委任を行わないものとされたこと
は,法所管庁である厚生省が,原子爆弾の放射線の影響を受けた
おそれがあると考えられるような外部的事情について,被爆者ご
とに個別具体的に判断することを念頭においていたことを意味す
る。このような方針が採用されたのは,原爆医療法の主たる目的
は,当時の医学では原爆放射線の影響が解明されていなかったこ
とにかんがみ,原爆の影響を受けたおそれのある者について健康
を管理し,いつ原爆症を発症するか分からないという被爆者の不
安を和らげることであったため,不十分な当時の科学的知見に基
づいて原爆の影響を受けたおそれがある者を政令において具体的
に列挙するのではなく,抽象的な条項を設け,将来,新しい医学
的知見をも踏まえた上で原子爆弾の影響を受けたおそれがあるか
否かの個別具体的な判断を行うことを可能にする方が,原爆医療
。法の趣旨・目的に適合すると判断されたためであろうと思われる
()3号の文言は,内閣法制局における予備審査の過程を経て「前b,
2号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後にお
いて,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下に
あった者」と改められた。
これは,熱線や爆風による被害者は基本的には1号,2号によ
。って網羅されると考えられたことによるものであろうと思われる
なお「受けたおそれがあると考えられる状態」という表現が「受,
けるような事情」という表現に変わったのは,前者が法文として
不適切な表現であると判断されたためにすぎず,上記の変更は,
何ら,3号の内容の実質的な変更(あるいは3号によって救済さ
れる範囲の狭小化)を意味しない。
以上において検討した法案の策定過程からは,①原爆医療法によd
って救済するべき被爆者として,典型的には1号の直接被爆者及び
,,2号の入市被爆者が想定されていたこと②その他の者についても
被爆者の健康を管理し被爆者の不安を和らげるという観点からの救
済を広く行うべく,3号が規定され,しかも,原爆医療法の趣旨・
目的をより達成しやすいように,3号の対象となる者の範囲につい
て政令で具体的な規定を設けることがあえてされなかったことが分
かる。
(オ)原爆医療法案に関する国会での審議
国会での審議においては,原爆医療法案の2条3号について,同号
を設けたきっかけは,原爆投下時に爆心地から5km以上離れた海上
で,輻射を受けたというような人や,爆心地から5km以上離れたと
ころで死体の処理に当たった看護婦あるいは作業員らが,原子病を起
こしてきた例があるため,それらの者をも救済する必要があると考え
られたことにあるという説明がされた。
この説明からは,3号が,1号や2号に含まれない被爆者を救う補
完的規定であること,3号が設けられたきっかけは,1号や2号の要
件に当てはまらないが,その後「原子病」を起こした人がいることに
あったことが分かる。
(カ)原爆医療法制定当時の放射線の人体影響に関する科学的知見等
都築正男(以下「都築」という)による報告a。
()都築は,昭和29年2月に発表した論文において「慢性原子爆a,
弾症の人々のうちには,第一次放射能のほかに中性子の作用に基
づく誘導放射能,特に体外誘導放射能の影響と,原子核分裂破片
の作用とを蒙っているものと考えなければならないものも少なく
ないと思うが,これらの第二次的ともいうべき放射能の作用はそ
の強さは極めて微弱ではあるが,その生物学的作用は或る場合に
は無視することが出来ないと思う」と述べた。また,都築は,原。
爆投下時に初期放射線の影響をまったく受けなかった者が,その
後爆心地に入った場合に,急性症状や慢性原子爆弾症の症状を訴
える例は少ないが,原爆投下時に初期放射線の影響を少しでも受
けた者の中には,その後爆心地に入り,残留放射線の影響によっ
て急性症状を発症した者が多数おり,そうした者は,慢性原子爆
弾症になる可能性があるとも述べた。そして,都築は,上記の点
を踏まえて,個々の被爆者が相当の放射線の影響を受けたか否か
は,①初期放射線による傷害の程度,②急性放射線病の発現の有
無,③残留放射線の影響の3点を基準として判断するべきである
と結論付けた。
上記のような報告内容からは,原爆医療法が制定された段階に
おいて,既に,初期放射線のみならず,残留放射線もまた,人体
に何らかの影響を与えるものと考えられていたことがうかがわれ
る。
()都築は「原子爆弾の傷害とは直接関連性のないもののあるかもb,
知れないが,明らかに多数の人々を殺傷した傷害威力による影響
であるから,幸いにして死を免れ得た人々にもある程度の傷害を
与えたことは疑う余地はあるまい。その意味において後障害症の
問題はますます重大なこととなるべきものといわなければなるま
い」と述べた。これは,原爆放射能の影響による傷害,すなわち。
原爆症の範囲が,その後の科学的知見の進展によって広がること
を示唆したものであったといえる。
()都築は「庇護的の手段によって平穏な生活を続けるように」すc,
るためには「狭義の医的庇護だけでなく,社会保障的の養護もま,
た甚だ肝要である」として,国費による医療給付の必要性のみな
らず,生活援助の必要性にも言及した。また,都築は「原子爆弾,
傷害の後障害症として現在最も注目せられている血液疾患,たと
えば白血病や再生不能性貧血等,或はリンパ組織系等の腫瘍性増
殖状態等のことが慢性原子爆弾症を土台として発生するか否かの
問題は,医学的になお未解明であるが,これらの後障害症は何れ
も慢性原子爆弾症の発生と同一条件におかれた人々の間から見出
されている」から「臨床医学の立場からするならば慢性原子爆弾
症の人々には常に注意を与え,その生活に破綻を来して悪性後障
」,害症発生の誘因を作らないように努めさせるべきであるとして
健康診断の必要性を訴えた。
こうした考え方は「いかなる疾患又は症候についても一応被曝,
との関係を考え,その経過及び予防について特別の考慮が払われ
なければならない」という考え方をうたった,厚生省による「原
子爆弾後障害症治療指針」にも反映されたものである。
小括b
上記においてみたように,原爆医療法制定当時,既に初期放射線
や残留放射線が人体に影響を及ぼすであろうと考えられていたこと
は明らかである。ただ,当時の科学的知見では,放射線の人体に対
する影響は未だ十分に解明されていなかったため,科学者によって
も,後障害の予防の観点から,健康診断や生活保護の必要性が訴え
られていたものである。
イ原爆医療法改正,原爆特別措置法制定から被爆者援護法制定までの経
緯等について
(ア)原爆医療法の改正等
昭和35年における原爆医療法の改正等a
被爆地である広島及び長崎からは,原爆医療法の根本的な問題点
として,①医療手当の支給等の生活援護的な要素が盛り込まれなか
ったこと,②原爆症認定を受けた者に対する医療給付の範囲が狭い
ことが指摘された。特に,①の点は,原爆障害者の中には,安心し
て医療を受ける余裕のない低所得者が多かったため,深刻な問題で
あった。
そこで,昭和32年8月に開催された第3回原水爆禁止世界大会
において,原爆医療法を被爆者に対する「援護法」とすることが目
的として掲げられたのを契機に,広島・長崎両県及び広島・長崎両
市等による陳情が重ねられることになった。特に,昭和34年9月
7日に,広島市長が,原爆症の認定範囲が狭いために多くの被爆者
が自己負担で診療を受けていること,入院治療を受けると生計が維
持できなくなるために治療が受けられない人がいることといった現
実を踏まえた陳情をしたのをきっかけに,原爆医療法の改正を求め
。,,る動きが本格化したこのような動きの過程で昭和34年9月に
広島・長崎が一体として運動を進めていくため,広島・長崎原爆被
爆者援護対策促進協議会が設置された。
しかしながら,当初,政府の対応は消極的なものにとどまってい
た。そこで,広島市は,昭和34年11月,運動の機運を一層盛り
上げるべく,県・市議会関係者らとともに,自民党の関係者にケロ
イドや白血病等について説明した資料や被爆者の写真等を配布した
上で陳情を行ったりもした。また,政府による改正法案の提出が決
まってからは,広島・長崎の両県並びに広島・長崎の両市により,
予算措置を求める陳情も精力的に行われた。
このような度重なる被爆地からの陳情等を背景として,昭和35
年に,原爆医療法の改正が実現した。上記改正法の下では,①「特
別被爆者(当初,被曝線量と被爆距離について種々の検討が行われ」
た結果,国際医学で指摘されていた25レントゲンの許容被曝線量
を基準として,概要,)爆心地から2km以内にいた者及び)直接12
被爆者でかつ被爆後2週間以内に爆心地から概ね2km以内の区域
に入った者で厚生大臣が定める障害がある者を「特別被爆者」とす
る定義が設けられた)に認定された者は,原爆症以外の一般疾病で。
医療を受ける場合にも医療費(一般疾病医療費)が国庫から支給さ
れる旨(このような改正がされたのは,原爆放射線を多量に浴びた
者が,一般に疾病にかかりやすく,負傷又は疾病に罹患した場合に
治癒が遅い傾向があるためであった,②厚生大臣から原爆症認定。)
を受けた被爆者で,一定の所得以下の者には,治療期間中,医療手
当が支給される旨(このような改正がされたのは,原爆障害者の中
に,安心して治療を受ける余裕のない低所得者が多いことに配慮が
なされた結果であった)が新たに規定された。。
また,上記の改正とは別に,昭和35年度から,被爆者健康診断
のうちの精密検査を受診した者に,新たに国費負担で交通手当が支
給されることになった。これは,被爆者健康診断の受診率が満足で
きる水準に達しなかった事態を解消するためにとられた措置であっ
た。
原爆医療総合研究機関の設置b
上記の原爆医療法改正によっては実現されなかったものの,被爆
地においては,被爆者の福祉を増進し,将来の不幸を防止するため
には,原爆の人体に対する影響や原爆障害についての総合的な研究
が不可欠であるという視点から,原爆医療総合研究機関の設置が切
望されていた。そこで,広島市等が,国に対し,昭和36年度の予
算措置を要求するに当たり,原爆医療総合研究機関の設置を重点的
に要望した結果,昭和36年4月1日,広島大学原爆放射能医学研
究所の開設が実現した。
原爆医療法の改正による被爆者救済の強化等c
()昭和35年の改正によって導入された「特別被爆者」の範囲がa
狭すぎることに対する被爆者の不満が強かったことから,広島市
等は,地元の医師会や医療機関の協力を得て,爆心地から2km
以遠の区域で被爆した者についての資料を作成し,それを添えた
陳情書を提出する等の運動を行った。その結果,昭和37年3月
31日付けで,原爆医療法施行令が改正され「特別被爆者」の範,
囲が,①爆心地から3km以内にいた者及び②直接被爆者又は被
爆後2週間以内に爆心地から概ね2km以内の区域に入った者で
厚生大臣が定める障害がある者にまで拡大された。
()さらに,昭和38年9月28日には,広島市議会において,①b
原爆投下当時周辺地区にいた者が,広島市内にいた者を救援に来
る等して二次放射能の強烈な影響を受けた事実があるにもかかわ
らず,そうした者が救済の対象とされていないこと,②原爆投下
当時,爆心地から3km以上離れた区域にいた者にも,放射線の
甚大な影響が生じた場合があり,これらを救済しなければならな
いことが指摘された。このような指摘をもとに「特別被爆者」の,
,,要件の更なる拡大を求める陳情が続けられ昭和39年3月には
3号被爆者であっても,一定の障害を有している場合には特別被
爆者となる旨の定めが原爆医療法施行令に設けられることになっ
た。
,,()一方同じく昭和35年改正で導入された医療手当についてもc
支給額が低いことに対する被爆者の不満が強かった。
そこで,被爆地からは,生活援護的要素に基づく医療手当制度
の改善・強化の要求が続けられたが,当初,政府は,医療手当に
生活援護的な意味を持たせることに消極的な姿勢をとり,医療手
当の大幅な充実・強化は難しいという姿勢を示していた。
もっとも,そのような中でも,被爆地からの陳情等により,徐
々に,医療手当支給に関する所得制限の緩和や,医療手当の支給
額の増加が実現していった。
()さらに,昭和40年4月には,原爆医療法施行規則の改正に伴d
い,定期健康診断とは別に,被爆者の便宜を考慮した希望健康診
断が行われるようになり,また,昭和41年4月以降,一般検査
の結果必要と認められた場合に3日程度の入院を伴って行われる
収容検査も行われるようになった。
(イ)原爆特別措置法の制定に至る経緯等
原爆医療法の根本的な問題点a
原爆医療法が制定され,その改正が重ねられることによって,国
費によって行われる被爆者に対する医療面の対策は徐々に充実した
ものとなっていった。
しかし,原爆後障害が時を経るにつれて顕在化する中で,原爆医
療法の根本的な問題点も浮き彫りとなった。
まず,特別被爆者の範囲が拡大された中においても,特別被爆者
と一般被爆者を区別し,被爆者に対する救済に序列を設けることそ
のものに対する疑問が指摘されるようになった。また,医療手当が
徐々に増額されたとはいえ,医療手当の申請の手続は複雑であり,
しかも支給される額も,原爆症を患っている者が生活を営むには十
分な額ではなかったことから,医療手当の制度も十分なものではな
いと考えられるようになった。さらに,原爆医療法が,医療面から
の対策のみを規定し,被爆者に対する生活援護を規定していない点
も,被爆者が,生活のために無理をして働き健康診断も受けられな
いような状況の下で体調を一層悪くするという悪循環が生じるよう
になるにつれ,深刻な問題として受け止められるようになった。
被爆者救済の抜本的な強化を求める動きの加速b
昭和38年12月7日,東京地方裁判所は,いわゆる東京原爆訴
訟(昭和30年4月に,Bら3名が,米国による原爆投下が国際法
違反であると主張し,国に対して損害賠償を求めた訴訟)に対する
判決を言い渡した。同判決は,戦争災害に対する国家補償責任の存
在を前提として「原爆医療法の)程度のものでは,とうてい原子,(
爆弾による被害者に対する救済,救援にならないことは,明らかで
ある「終戦後十数年を経て,高度の経済成長をとげたわが国にお。」
いて,国家財政上これ(原爆被害者全般に対する救済策)が不可能
であるとはとうてい考えられない。われわれは,本訴訟をみるにつ
け,政治の貧困を嘆かずにはおられないのである」等として,原爆。
医療法の救済策の不十分性を強く非難した。
これを契機に,被爆者に対する救済の拡大を求める動きは更に加
速するようになった。
具体的には,まず,昭和39年3月から同年4月にかけて,衆・
参両院の本会議が「原爆被爆者援護強化策に関する決議案(被爆,」
者に対する特別な手当を支給することを考慮するべきであるという
内容を含むもの)を可決した。さらに,同年4月には,自民党が,
政務調査会内に「原爆被爆者対策小委員会」を発足させ,原爆医療,
法の改正等の被爆者援護問題への取り組みを加速させた。
一方,広島市も,東京原爆訴訟の判決や,上記の国会決議に呼応
するように,昭和39年4月に,広島原爆被害者対策促進委員会を
,(「」拡充する形で広島原爆被害者援護強化対策協議会以下強対協
という)を設置し,以降,強対協を被爆者援護対策促進のための陳。
情の中心と位置付けるようになった(強対協による陳情の成果によ
り,昭和40年に,原爆医療法施行令の改正による特別被爆者の拡
大等も実現した。。)
「特別措置法」を求める動きc
以上に述べたような背景から,昭和41年7月,強対協は,①健
康管理の徹底強化,②医療の拡充,③施設の整備の充実を骨子とす
る「原子爆弾被爆者特別措置計画案」をまとめた。さらに,同年8
月,強対協は「原子爆弾被爆者特別措置法」の骨子をまとめた。加,
えて,日本原水爆被害者団体協議会(以下「日本被団協」という)。
も「原爆被害の特質と「被爆者援護法」の要求」と題するパンフレ,
ットを作成し,国家保障の精神に基づく援護法制定に関する要求項
目を体系化した。
そして,昭和42年夏ころには,特別措置法を求める動きが更に
活発化し,それに伴って,広島・長崎双方の県・県議会,市・市議
会の八者の取組みが活発なものとなり,広島・長崎双方が,一体と
なって,広島側を窓口として原爆特別措置法の制定を求める運動を
行っていくことも申し合わされた(なお,上記八者は,後に「広島
・長崎原爆被爆者援護対策促進協議会(いわゆる「八者協)を発」」
足させた。以降,八者協は,被爆者からの政府等への陳情の中心的
な役割を継続して担うことになった。。)
昭和42年9月には,広島・長崎両県・市及び各市議会議長は,
,「」,連名で原子爆弾被爆者特別措置法制定に関する陳情書を提出し
「原爆に起因すると考えられる病気に悩まされている被爆者に対し
ては,その病勢の進行,悪化を阻止する万全の医療方途を講じ,ま
た一応健康は維持しつつも,正常なる労働力を失い,あるいは常人
としての行動,生活力を持続することができない日々を送り,生命
の不安を感じつつある被爆者に対しては,安んじて余生を送り得る
ような健康管理の強化をはかり,生計維持の困難な被爆者に対して
は,その救済措置を実行に移す等,積極的に国家施策を講ずること
こそ,衆・参両院の決議の主旨にそうものであると思われます」と。
いう趣旨の訴えを行った。さらに,強対協は,上記のような陳情の
趣旨を理解してもらうため,医学的な裏付けを盛り込んだ説明資料
を関係方面に配布する等の活動も行った。
このような被爆地からの陳情と,社会党による国家補償的な意味
を持つ援護法制定の要求,自民党による政府への特別措置法案制定
の要求等があいまって「第二の被爆者対策法」ともいえる原爆特別,
措置法成立の機が熟すようになった。
原爆特別措置法の制定d
前記のような動きを背景として,昭和43年,特別の状態に置c
かれている被爆者が安定した生活を営めるようにすることを目的と
する原爆特別措置法が制定されたところ,同法には,①原爆症認定
,(,を受けた被爆者に対する特別手当の新設②医療手当の増額なお
原爆特別措置法の施行に当たり,厚生省は,通達により,医療手当
の支給は,原爆症の治療方法が確立されたとはいえない中,長期に
わたり不安な生活を余儀なくされている者に慰安,教養の手段を与
えることで精神的安定を図り,医療効果の向上を図ることを目的と
するものであることを改めて周知徹底した,③健康管理手当(特。)
別手当の支給対象者以外の特別被爆者に対して支給されることにな
ったものである・介護手当(特別被爆者が原子爆弾の傷害作用の。)
影響があると思われる身体上ないし精神上の障害にかかり,介護の
必要があると認められた場合に支給されることとなったものであ
る)の新設等(いずれの手当にも所得制限があった,生活援護。。)
の側面を充実させる内容が盛り込まれた。上記の原爆特別措置法制
定によって,被爆者からの要望が完全に実現したとはいいがたく,
とりわけ被爆者が要望していた「援護」措置がとられたとは到底い
えなかったものの,八者協等の陳情活動の成果から,立法府や行政
,,府が医療面だけの対策では被爆者を救済しきれないことを認識し
「生活保護・福祉」の領域にまで踏み込んだ被爆者対策を志向する
ようになったことの意義は大きかった。
(ウ)被爆者援護法の制定に至る経緯
原爆特別措置法の問題点a
,被爆者救済に関して原爆医療法と原爆特別措置法が並立したこと
原爆特別措置法によって認められた各種手当の支給には様々な要件
が満たされる必要があったことに伴い,上記の手当に係る申請件数
は予想外に少なかった。
,。,この他にも原爆特別措置法には根本的な問題があったそれは
生活援護の対象とする被爆者の範囲が,ごくわずかな「特別な被爆
者」に限られており,その「特別な被爆者」に該当するか否かすら
も一義的に明確ではない点であった。
問題点の改善を求める動き及びそれに基づく法改正等b
「」被爆者の実態を把握するための健康管理手当未受給者実態調査
等の調査によって,原爆特別措置法の対象とならない被爆者の状況
も対象となる被爆者の状況と大差ないことや,原爆医療法・原爆特
別措置法の対策が不十分であることが明らかになったということも
あり,前記のような問題点を改善するべく,被爆地から,各種手a
当の対象となる範囲の拡大や申請手続の簡素化等が求められるよう
になった。とりわけ,昭和50年以前には,高度成長期において被
爆者の生活面での苦労が際立ったことが背景となって,障害を持つ
被爆者への援護,医療機関・保養施設等の設置についての要望が強
かった。
こうした要望を背景として,昭和49年には,特別被爆者制度が
廃止され,昭和50年に,被爆者が疾病の診療を受けていない段階
においても予防措置を講じる場合があることを念頭に,保健手当が
新設されたのをはじめとして,その後も,所得制限の緩和や手当の
支給範囲の拡大が進められた。
さらに,昭和53年には,厚生省通知によって,問診を厳重に行
うことの必要性が明らかにされ,昭和63年には,被爆者の高齢化
を背景にした要望や被爆者の実態に関する調査結果を踏まえ,国に
よるがん検診の実施が実現された。
被爆者援護法の制定までの流れc
原爆特別措置法に前記のような問題点があったことから,同法a
制定後まもなく「特別な被爆者」を救済するにとどまらない,一元,
「」,,的な被爆者援護法の必要性が認識されるようになり国会では
,「」昭和46年以降毎年のように国家補償法としての被爆者援護法
が議員提案された(もっとも,政府が消極的な姿勢を崩さなかった
ため,廃案と継続審議が繰り返されることになった。また,昭和。)
48年4月には日本被団協が被爆者援護法制定要求集会を開き原,,「
爆被害者援護法案のための要求骨子」を発表した。さらに,昭和4
9年3月,広島市議会が,被爆者援護法制定に関する意見書を採択
して以降,広島市は,国家補償の精神に基づく被爆者援護対策の確
立を訴え続けた。加えて,昭和53年には,八者協も,原爆医療法
,及び原爆特別措置法の一本化という方針を初めて打ち出すとともに
被爆者に対する援護法の制定を求める方針を明らかにする等そ「」(
れ以前にも,八者協は,特に昭和46年以降,国家補償の精神に基
づく援護措置の要求を続けていた,被爆者と遺族の援護対策の確。)
。,,立を一貫して訴えた昭和54年12月には日本弁護士連合会も
被爆者問題についての調査結果をもとに,被爆者援護法に関する報
告書(国家補償の考え方に基づいて原爆被害の回復がされるべきで
あるという内容を盛り込んだもの)を作成した。
そのような中で,①原爆対策の国家補償的な意味を肯定し,被爆
者に対する救済拡大の必要性を説いた司法判断が相次いだこと,②
厚生大臣の私的諮問機関である原爆被爆者対策基本問題懇談会が,
被爆地の現地視察や関係者からの事情聴取をも踏まえた上で,広い
意味における国家補償の見地を打ち出したことが契機となり,政府
の姿勢も柔軟化することになった。そして,国家補償の精神に基づ
いた一元的な援護対策法の確立を求める動きはますます加速される
ことになった(八者協からの要望も,昭和60年ころからは,単に
多岐にわたる援護の実現というよりも,国家補償の精神に基づく援
護の実現を主として求める内容のものとなった。。)
上記のような,国家補償の観点からの一元的な法律を求める動きd
を背景に,平成6年に至り,被爆者援護法が制定されたものである
,,,,が同法においては結局被爆者からの強い要望にもかかわらず
「国家補償」という文言が明記されることはなく「国の責任」とい,
う文言が記されるにとどまった。
もっとも,被爆者援護法の内容面では,各種手当の所得制限の完
全撤廃や特別葬祭給付金の創設等,国家補償法としての色彩がより
濃くなるような事項が盛り込まれたといえる(前記第2の1()イ参3
照)。
()ウ3号被爆者の問題に関係する最新の科学的知見内部被曝の危険性等
(ア)内部被曝の危険性
外部被曝の場合には,放射線が疎らに身体全体に分散するし,影a
響も一時的なものにとどまる。
これに対し,内部被曝の場合,特に飛程が短く電離作用を局所的
に集中して及ぼすα線やβ線の影響が強く働くため,体内に入った
放射性原子が多数個固まった放射性微粒子(放射性核分裂生成物,
未分裂の核物質,誘導放射化で生成された放射性物質等。5ミクロ
,。)ン以下の微粒子であれば鼻から体内に入って肺胞にまで達し得る
の周囲(ホットスポットと呼ばれる)においては,集中的な被曝が。
生じる(例えば,100万分の1gというわずかな量の放射性降下
物を体内に飲み込むだけでも,毎秒数億個のβ線が放出され,極め
て大きな放射線被曝が起こると考えられる。しかも,内部被曝の。)
場合体内に放射性物質が残る限り被曝が継続することになる特,,(
に,放射性物質が特定の臓器等に沈着する場合には,非常に長期間
にわたって被曝が継続しやすい。そのため,間接効果やバイスタ。)
(,ンダー効果後記第2章第2の6()ア(ア)()参照)をも考慮すると1bb
内部被曝の場合には,DNA二重鎖の切断が高い確率で生じること
になり,遺伝子の変性,ひいては発がん等の様々な健康被害が生じ
る危険性が高まる。また,局所的な内部被曝に伴う細胞の死滅のみ
によっても,腸管の吸収機能が損なわれたり,毛根の機能が失われ
たりして,下痢や脱毛等の急性症状が生じることになる危険性が大
きい。。)
上記のような内部被曝の危険性は,例えば,以下のような事実かb
ら裏付けられる。
()広島原爆で使用されたウラン235のうちで,核分裂しなかっa
た約45kgのほとんどは放射性降下物になって降下したと考え
られる。
そして,直径5ミクロンの酸化ウランの微粒子には1.61×
10個のウラン原子核があり,それらが1年間にα崩壊する確12
率は約10億分の1である。この酸化ウランの微粒子が体内に1
年間停留しただけでも,127シーベルトもの被曝が局所的に起
こることになる。
()ホールボディーカウンターによるγ線の測定結果によれば,水b
溶性のセシウム137を通常の者の体内に回して測定をした場合
には,セシウム137の生物学的半減期は約100日であった一
方,長崎の西山地区の被爆者について測定をした場合には,セシ
ウム137の生物学的半減期が7.4年であったという事実は,
ホットスポットを形成する放射性物質であるホットパーティクル
が被爆者の体内に滞留し続けていることを裏付けるものである。
(イ)被告の主張に対する反論
被告は「原爆線量再評価広島および長崎における原子爆弾放射a,
線の日米共同再評価DS86DOSIMETRYSYSTE
M1986(以下「DS86」という)等により,原爆被爆者」。
の内部被曝線量を正確に計算することができることを前提にしてい
るようである。
しかし,内部被曝線量を正確に評価するには,①どの放射性物質
が気道,口,皮膚を通じてどれだけ体内に取り込まれたか,②それ
らの放射性物質がそれぞれの臓器や周辺臓器にどのような時間的変
化で存在したか,③放射性物質の崩壊に伴って,どの部位にどれだ
けの放射線エネルギーが与えられたか,④当該臓器の質量がどの程
度かといった点が確定されなければならない。ところが,①の点に
ついては,実測的情報がなく仮説によらざるを得ない。②の点につ
いても,正確な情報は望むべくもない。また,④の点も,被爆者ご
とに数値が異なるから,標準化されたデータは有用ではない。
したがって,そもそも,被爆者の内部被曝線量を正確に算出する
ことはできないから,被告の主張の前提には誤りがある(なお,後
述する原告らの解釈を前提とすれば,そもそも,原告らそれぞれの
被曝線量自体を解明する必要はない。。)
被告は,土中における放射性物質の測定等を根拠として,内部被b
曝の影響を含む残留放射線被曝の影響を無視することができると述
べる。
,,しかし体内に取り込まれて内部被曝をもたらす放射性微粒子は
ミクロンサイズの小さいものだから,そうした放射性微粒子の大部
分は,原爆投下後の測定時までに,風で運び去られ,あるいは,豪
雨で洗い流されてしまっていたと考えられる。また,そもそも,土
壌に固定されている放射性物質の量は,そこに降り注いだすべての
放射性物質の量ではあり得ない。
これらの事情をまったく考慮しないで内部被曝線量等を算出した
としても,内部被曝線量や,内部被曝による影響を正確に推定する
ことができないことは論を待たない。
被告は,半減期の短い放射性物質については,内部被曝の影響をc
考える上で無視してよい旨主張する。
しかし,半減期が短いということは,単位時間当たりでみればよ
り多くの放射線が放出されることを意味するから,被告の主張は失
当である。
このことは,入市被爆者が入市した当日の夜から下痢を発症した
のは,飲食によって体内に取り込まれた放射性微粒子の中の半減期
が短い放射性原子核が放出したβ線等が,腸壁の細胞に直接傷害を
与えた結果であると説明されていることからも明らかである。
被告は,原爆投下直後に「黒い雨」がみられたのは,火災によるd
煤が巻き上げられ,雨と一緒に降下したことによるものであり,黒
い雨と放射性降下物は必ずしも同じものではないと主張する。しか
し,黒い雨の黒色は炭素のみによるものではないのであって,炭素
以外の様々な物質が微粒子となったときにも,黒色となることはあ
り得るのだから,被告の主張は前提を誤認したものである。
被告は,原告らの主張を前提とした場合,人間が自然放射線を浴e
びても何ら障害を発症しないことや,放射線治療を受けても何ら障
害を発症しないことを合理的に説明することができないという趣旨
を述べる。
しかし,自然放射性物質は,1個1個がばらばらに体内に入るの
に対し,人工放射性物質は,放射性原子が多数個集まっていわゆる
ホットパーティクルを形成するという点で,大きな相違があるのだ
から,自然放射線を浴びても害が出ないことと,原爆投下によって
生じた微量の放射性物質によっても重篤な被害が生じ得ることとは
何ら矛盾しない。
また,医療の現場におけるX線撮影や放射性核種投与は,そのリ
,スクを上回る医学的メリットのために行われているものであるから
放射線医療が行われていることと,原爆放射線被曝の影響が小さい
こととはまったく結び付かない。
被告は,原爆放射線被曝と昭和61年に起こったチェルノブイリf
原子力発電所での爆発事故(以下「チェルノブイリ原発事故」とい
う)における被曝との比較をしている。しかし,そもそも,チェル。
ノブイリ原発事故の場合,ヨウ素131の存在割合が原爆の場合よ
りも遥かに高いものとなっていたものであり,チェルノブイリ原発
事故における被曝態様と原爆の場合の被曝態様とはまったく異なる
のだから,そのような比較を持ち出すこと自体が誤りである。
エアないしウの事実を踏まえた上での,被爆者援護法1条3号のあるべき
解釈のあり方
(ア)前記アにおいて述べた原爆医療法制定に至る経過にかんがみれば,a
原爆医療法は,原爆投下時以降健康な状態が続いていた者にも突然
後障害が発症するようなことがあり,原爆の人体への影響が十分に
解明されていないことを前提として,身体に放射能の影響を受ける
ような可能性がある者であれば,①原爆症を発症して現に医療を受
ける必要がある者のみならず,②疲れやすいといった症状を訴えて
いる者,③何らかの症状があるわけではないが,症状を訴えている
者と同様の状況にあったため,自分がいつ原爆症や慢性原子爆弾症
を発症するかも分からないという不安に駆られている者を広く被爆
者と認定し,それらの者に健康診断を受けさせて障害の発症を予防
するとともにそれらの者の不安を和らげ,健康診断によって原爆症
が発見された場合には医療給付を行うこと,ひいてはそうした個々
の被爆者に対する診断と治療を積み重ねることで放射線の人体影響
についての科学的知見を積み重ねていくことを目的として制定され
た法律であるといえる(こうした原爆医療法の目的は「原子爆弾に,
よる被爆者には今日においてなお多数の要医療者を数え,また,一
方,健康と思われる被爆者の中からも突然発病し,死亡する者が生
ずる等被爆者の置かれている健康上の特別の状態にかんがみ,国に
おいてこれら被爆者の健康診断及び医療等を行うべく制定されたも
のである「被爆者の健康の保持向上のためには,その一貫した施。」
策が円滑に実施されることが必要であり,特に被爆者の把握とこれ
に対する健康診断とが適正に行われることが重要であると考えられ
る」旨を述べた「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の施行につ
いて(依命通達」と題する昭和32年5月14日付け厚生事務次官)
通達(厚生省衛発第267号)や「被爆後10年以上を経過した今,
日,いまだに原子爆弾後障害症というべき症状を呈する者がある状
態である「被爆者の一部には絶えず疾病発生の不安におびえる者。」
もみられる「従って,被爆者について適正な健康診断を行うこと。」
によりその不安を一掃する一方,障害を有するものについてはすみ
やかに適当な治療を行い,その健康回復につとめることがきわめて
必要であることは論をまたない」等と述べた「原子爆弾被爆者健康。
診断要領」と題する昭和33年8月13日付け厚生省公衆衛生局長
通達(衛発727号)の存在によっても裏付けられる。。)
とすれば,原爆医療法の下では,原爆医療法制定当時の科学的知
見によっては放射線の影響を受けたか否かが明らかでない者であっ
ても,その後の科学的知見の集積いかんでは放射線の影響が肯定さ
れる可能性があるような者については,広く被爆者として認めるこ
とが当然に予定されていたものといえる(そうした者にも,健康診
断を受けさせなければ,同法の趣旨・目的は没却されることにな
る。。)
原爆医療法に3号被爆者の定義規定が設けられたことには,上記b
のような法の趣旨・目的が密接に関係している。
すなわち,原爆医療法は,十分に科学的知見が蓄積されていない
ために,既に原爆医療法制定当時の諸研究の成果によっても原爆投
下の際又はその後に放射線の影響を受けたことが想定された直接被
爆者や入市被爆者以外にも,放射線の影響を受けたと考えられる者
があることを想定し(なお,原爆医療法の制定に向けての陳情活動
等では,主に,人数が多い直接被爆者及び入市被爆者が念頭におか
れていたが,そのことが,それ以外の者が想定されなかったことを
。),,意味するわけではないことは明白であるそうした者に対しても
健康診断等を提供することができるようにするための補完的規定と
して,同法2条3号の規定を設けたものである。しかも,放射線の
影響を受けているか否かの判断は,科学的知見の進歩によって変わ
り得るものであり,原爆医療法制定当時に科学的知見のすべてを予
見することはもとより不可能であったために,3号は,あえて抽象
的な規定とされたものである。
そうだとすれば,原爆医療法2条3号の「身体に原子爆弾の放射c
能の影響を受けるような事情の下にあった者」の意義に関しては,
原爆医療法制定当時の科学的知見に固執することなく,最新の科学
的知見まで踏まえた上で,原爆放射能の影響を受けた可能性がある
者を広く対象に含める方向での解釈がされるべきである。
被爆者のすべてに健康診断を提供しながら,厚生大臣による原爆
症認定を受けた被爆者だけを医療給付による救済の対象とするとい
う同法の取扱いは,最終的には医療給付による救済の対象とならな
いような者であっても,原爆の放射能の影響を受けた可能性がある
者については,広く被爆者として健康診断の対象としようとする姿
勢の現れといえるから,上記の取扱いは,上述した解釈の正しさを
裏付けるものである。
上記のような原爆医療法2条3号の解釈のあり方は,被爆者の定d
義規定において,同号とまったく同一の文言を採用した被爆者援護
法1条3号の解釈のあり方にもそのまま当てはまるというべきであ
る。
さらに言えば,①前記イのごとく,原爆医療法の制定以降,被爆者
,,援護法の制定に至るまで被爆地からの国に対する働きかけもあり
被爆者への医療給付や生活援護のための給付の範囲は一貫して拡大
してきたこと,②前記イのごとく,被爆者援護法は,原爆医療法ある
いは原爆特別措置法に比して,国家補償法としての色彩の強い法律
であるところ,国により,原爆による損害があまねく填補されない
限り,国家補償法としての目的は達成され得ないことからすれば,
被爆者援護法の下では,原爆医療法の下よりもなお一層,被爆者の
範囲を広く解釈することに正当性があるものといえる。
(イ)以上に述べたような,被爆者援護法1条3号の解釈のあり方を前提
としつつ,前記ウに述べた最新の科学的知見を踏まえて,救護所等にい
,。た者を念頭においた場合の3号被爆者該当性の判断基準を検討する
近時明らかにされた内部被曝についての知見を踏まえて,原爆医療
法2条3号が設けられる際に具体的に想定されていたいわゆる救護被
爆者について考察すると,上記の者らに「原子病」が生じたのは,①
救護所等にいた直接被爆者等の身体に付着していた放射性物質が,空
気中に浮遊した(救護所内での放射性降下物の攪拌,拡散,対流等を
想定したとしても,このようなことは十分に起こり得る)ために,そ。
れらの物質が,救護者の身体に付着したり救護者の体内に取り込まれ
たこと(体内に取り込まれた場合には,内部被曝が生じる。身体に付
着した場合には,内部被曝に準じる外部被曝の一形態である「付着被
曝」が生じる,②被爆者の身体それ自体が放射能の影響により放射。)
化していたために救護者が被爆者に触れることで被曝が生じたことに
よるものと考えられる。
そうすると,上記①②(人体への影響という意味で重要な意味を持
,。),つのは①の被曝態様であるのような被曝をした可能性がある者は
3号被爆者に該当すると考えるのが妥当である。そして,その判断に
当たっては,①救護・看護をした人数,②直接被爆者等がいるような
場所にいたか否か,③②の場所に単位面積当たりどのくらいの人数の
直接被爆者等がいたか,④②の場所にどれだけの時間いたか,⑤その
他②の場所の状況(建物の構造等)といった事実関係を総合考慮する
べきである。
なお,幼少者が親等に背負われていない状態で,②のような場所に
いた場合には,背負われていた場合よりも,被曝の危険性が高まると
いう前提が採られるべきである。なぜなら,外部被曝を想定しても,
背負われていれば背負っている者による遮蔽のために被曝線量が少な
くなるし,内部被曝を想定しても,背負われていない場合の方が,空
気より重いために低い場所に滞留しやすい放射性物質に曝されやすく
なるからである。
(被告の主張)
ア被爆者援護法1条3号の解釈
(ア)原爆医療法及び原爆特別措置法は,ともに,原爆による特殊な健康
被害の存在を前提として医療の給付等を認めたものである。被爆者援
護法は,上記二法を一元化して制定されたものであるから,原爆医療
法及び原爆特別措置法の趣旨は,被爆者援護法においても妥当する。
ところで,もともと,原爆医療法2条3号は,原子爆弾の放射線に
起因する健康被害に苦しむ被爆者が,1号被爆者及び2号被爆者のみ
であるとはいえなかったために,それ以外の,身体に原爆放射線の影
響を受けるような事情の下にあった者を救済の対象とする趣旨で設け
られたものである。そして,原爆医療法2条1号及び2号が,特定の
時期又は期間において所定の区域に「在った」かどうかという形式的
な判断を可能とする要件を定めているのとは異なり,3号は,放射線
の影響を受けるような事情,更に言えば,原爆放射線による健康被害
が想定され,原爆医療法に基づく各種救済が必要であると考えられる
ような事情があるといえるか否かについて,個々の被爆者ごとの実質
的な判断がされるということを前提としている。
とすれば,原爆医療法の趣旨・目的を引き継ぐとともに,原爆医療
法2条3号の規定を引き継いだ被爆者援護法1条3号の要件に該当す
るか否かの判断は,科学的な知見に基づいて,個別具体的な状況を確
認した上で行われるべきものである。
(イ)なお,幼少の被爆者が,放射線の影響を受けるような救護・看護活
動等をした者に背負われていた場合には,その者は,救護・看護活動
等をした者とともに移動したのだから,同様に,放射線の影響を受け
るような事情の下にあったと考えるのが合理的である。これに対し,
救護・看護等の作業に従事した者に背負われていなかった子は,経験
則上,救護・看護等の作業に従事した者と必ずしも行動を共にしてい
たとは限らないから,そうした子が,救護・看護等の作業に従事した
者と同程度の放射線の影響を受けるような事情の下にあったとはいえ
ない。
イ原告らの主張に対する反論
(ア)そもそも原告らの解釈が根本的に破綻していることについて
仮に,内部被曝や「付着被曝」についての原告らの理解が正しいと
すれば,放射線被曝の危険性が肯定されるのは,何も救護所や看護所
の中にいた者だけではないはずであって,例えば,原爆投下の直後に
爆心地から10km離れたところにいたにすぎない者についてすら,
「身体に放射能の影響を受けるような事情があった」ことを否定でき
なくなり,被爆者援護法1条3号によって救済される者の範囲に外延
がなくなることになってしまうが,そのようなことは明らかに不当で
ある。
また,原告らは,建物の構造,単位面積当たりの被爆者の人数や滞
在時間といった要素を総合的に考慮するべきであると主張しながら,
各要素が具体的にどのように考慮されるべきかについては何ら言及し
ないものであって,この点も不当である。
(イ)原爆医療法の制定について
立法当初の世論等についてa
昭和30年9月7日及び昭和31年11月5日に厚生大臣に提出
された陳情書においては,被爆者の数が記載されているところ,そ
の数字は,ほとんど直接被爆者のみを想定した数字であると考えら
れる。また,昭和31年11月5日付けの陳情書には,法案要綱の
試案が添付されていたところ,同試案には,入市被爆者を想定した
,。条項はあったものの救護被爆者を想定した条項はみられなかった
さらに,原爆医療法の施行のための予算を編成する際にも,主に直
接被爆者の人数が念頭におかれていた。
このようなことからすれば,原爆医療法の制定に向けた陳情等の
段階で救済の対象として想定されていたのは,直接被爆者や入市被
爆者であって,少なくとも,原告らの指摘するような,放射線の影
響を受けるような抽象的可能性しか認められない者は,想定されて
いなかったというべきである。
立法当初の科学的知見についてb
都築は,第一次放射能の作用をまったく受けていない者が,第二
次放射能だけで重篤な症状や慢性原子爆弾症の症状を発症するよう
。,,,なことはないようであると述べていたまた都築は具体的にも
相当の放射能障害を蒙っている疑いが濃厚である者として,せいぜ
,,,い原子爆弾投下時に爆心地から遠くとも6km以内におりかつ
原爆投下直後に爆心地付近にある程度の期間留まった者を想定して
いたにすぎず,いわゆる救護被爆者のような類型を念頭においてい
たわけではない。
法案策定の過程についてc
法案策定時に,内閣法制局による予備審査の過程を経て,3号被
爆者の定義規定の文言が限定的かつ客観的なものに改められたこと
は,原告らの解釈の不当性を端的に裏付ける。
国会における審議経過についてd
国会における審議経過からしても,原爆医療法2条3号が,放射
線の影響を受けた者が同条1,2号の範囲だけで収まるとは断定で
きなかった(ただ,立法者が,1,2号に該当しないような者が発
病した事実を確たる形で認識していたわけではなかった)ために,。
例外的な救済規定として設けられたことは明らかであり,3号が,
放射線の影響を受けた抽象的な可能性があるにすぎない者まで広く
救済する趣旨の規定ではないことは明らかである。
(ウ)被爆者援護法の制定に至る経過について
原爆医療法が施行された後,昭和55年12月11日,原爆被爆者
対策基本問題懇談会は,原爆被爆者に対する対策が,結局国民の租税
負担によって賄われることになるところ,ほとんどすべての国民が何
,,らかの戦争被害を受けたという実情の下では被爆者に対する援護は
国民的合意を得ることのできる公正妥当な範囲に止まらなければなら
ないと述べたものである。このような事実に照らせば,原告らの主張
する解釈が不当であることは,なおさら明らかである。
また,原爆医療法制定後,原告らが主張するような法改正が行われ
てきたこと自体は事実であるが,被爆者に対する援護内容をいかなる
ものとし,被爆者の間で援護内容の差をいかなるものにするかという
問題と,そもそもそうした援護の対象となる被爆者の範囲をいかなる
ものとするかという問題とはまったく異なるのだから,原告らの指摘
する法改正が,被爆者の範囲に関する解釈に影響を及ぼすようなこと
にはならない。
さらに,原告らは,被爆者援護法が国家補償法としての性格を帯び
た法律であることを自らの解釈の根拠の一つとするようである。しか
し,戦争被害に対する国家補償は,国の立法政策に委ねられた問題で
あるから,国家補償法としての性格が,被爆者の範囲を広く解釈する
ことに直ちに結びつくものではない。
(エ)最新の科学的知見について
そもそも残留放射線の合計線量が無視し得るものであったことにa
ついて
()放射性降下物についてa
原爆投下直後から複数の測定が行われた結果,広島では己斐・
高須地区,長崎では西山地区で放射性降下物が比較的顕著にみら
れたことが分かった(これは,原爆の爆発直後,両地区において
激しい降雨があったためであった(ただし「黒い雨」は,単に,,
放射化しにくいとされる煤のために黒くなっているにすぎず,黒
い雨と放射性降下物とは必ずしも同じものではない。。)
もっとも,放射性降下物からの残留放射線に係る被曝線量は,
原爆投下後1時間経過した時点から無限時間,己斐・高須地区あ
るいは西山地区にとどまり続けるといった現実にはあり得ない想
,..定をした場合でも己斐・高須地区で0006グレイないし0
02グレイ,西山地区で0.12グレイないし0.24グレイに
すぎない。
そして,上記の線量計算の正当性は,①高須地区の家屋の壁に
残っていた黒い雨のそのままの痕跡に含まれているセシウム13
7の濃度,広島の原爆投下3日後に己斐橋付近で収集された土壌
サンプル中のセシウム137の濃度が,いずれも上記の計算結果
と整合したこと(このことはその後の風雨による影響を無視して
よいことも意味している,②上記のセシウム137の濃度は,。)
大気圏核実験の結果拡散したセシウム137の濃度の8分の1程
度にすぎなかったことによって裏付けられている。
このように放射性降下物の量が少量であったのは,原爆が地上
約500mないし600mにおいて爆発したため,未分裂の核物
,,質や核分裂生成物の大半が瞬時に蒸散して火球とともに上昇し
成層圏に達して広範囲に広がったためである(このことは,①被
爆直後に採取された広島の土壌から,ほぼ自然界に存在するのと
同じ割合でしかウラン235が検出されなかったこと,②ウラン
の半減期は非常に長いため,原爆投下直後に有意な量の放射性降
下物が降下していたとすれば,現在もなおその影響が残存するは
ずであることからも裏付けられる。。)
上記のように,放射性降下物の量自体が限られていた以上,放
射性降下物が負傷した被爆者の身体に付着したとしても,その量
が更に限られていたことが明らかである。さらに,負傷した被爆
者が救護所等まで運ばれてくる間に,負傷した被爆者の身体に付
着した放射性物質は剥がれ落ちるであろうし,それでも剥がれ落
ちないような物質であれば,容易には救護所内に浮遊しないはず
である。とすれば,負傷した被爆者の身体に付着した放射性降下
物が空気中に浮遊し,救護者がそれを体内に取り込んだり身体に
付着させたりするといった被曝態様をほとんど無視してよいこと
は明白である。
()誘導放射線についてb
爆発直後から無限時間を想定した爆心における地上1m地点で
の誘導放射線の積算線量(組織吸収線量)は,広島の場合0.5
グレイ,長崎の場合0.18グレイないし0.24グレイである
と推定されている。そして,誘導放射線量は,爆心地から離れる
に従って急激に低減する。
したがって,誘導放射化された物質が空気中を浮遊したとして
も,その量は,非常に限られているというべきであり,負傷した
被爆者に付着した量は更に限られる以上,それによって救護者が
被曝した点については無視し得ることが明らかである。また,誘
導放射化された放射性核種の物理学的半減期が短いことのみから
しても,誘導放射化された物質による放射線被曝を無視し得るこ
とは明らかである。
内部被曝線量を無視し得ることについてb
()a
①原子爆弾による放射性降下物が最も多く堆積したとされる長
崎の西山地区の住民について,セシウム137を用いた内部被
曝線量の推定が行われた結果によれば,昭和20年から昭和6
0年までの同地区における積算線量(内部被曝線量)は,男性
で0.0001グレイ,女性で0.00008グレイであると
評価された(これは,セシウム137を用いた測定結果をもと
に,原爆の核分裂によって生じる核種の生成割合を踏まえ,さ
らに,α線・β線をも考慮した上で求められた累積被曝線量で
ある。。)
②また,内部被曝を評価する上で着目するべき放射性核種は,
セシウム137とストロンチウム90である(ストロンチウム
90の生成量は,セシウム137よりも少ない)ところ,セシ。
ウム137の降下量は,最も放射性降下物が降下したとされる
西山地区においても,1cm当たり3.3ベクレルであったと2
推定されている。そして,上記の量の放射性物質をまんべんな
く体表面に付着させた者に付着した放射性物質をすべて経口摂
取した者がいたという仮定をおいても,その者の50年間の累
積被曝線量は,セシウム137の付着を仮定した場合で0.0
0092シーベルト,ストロンチウム90の付着を仮定した場
合で0.00184シーベルトとなるにすぎない。
③上記①及び②で求められた線量は,いずれも,自然放射線に
よる年間の内部被曝線量0.0016シーベルト,あるいは人
体影響が生じない程度の医療被曝の線量と比較しても極めて少
ない量である。
()さらに,本件で問題になるような,爆心地から遠く離れたとこb
ろにおける,負傷した被爆者に付着した放射性物質による被曝線
量が,放射性降下物が多く存在するとされた場所における被曝線
量よりも少ないことは明白であるから,本件においては,なおさ
ら,内部被曝の影響を無視して差し支えない。
()原爆投下直後に爆心地に赴いて負傷者の救護・看護作業に従事c
した者にすら,白血球数の異常がみられなかったことは,上記()a
及び()の結論の正当性を裏付けている。b
内部被曝あるいは付着被曝の影響に関する原告らの理解の誤りにc
ついて
()ホットパーティクル理論についてa
①原告らは,ホットパーティクル理論を根拠として,内部被曝
や付着被曝の危険性を主張していると解されるところ,内部被
曝あるいは付着被曝の有意な影響の存否が問題となっている本
件においては,この理論の正当性が裏付けられることなくして
。原告らの主張全体の正当性が基礎付けられることはあり得ない
そこで,以下,ホットパーティクル理論の誤りについて詳細に
検討する。
②理論的に,全身や組織,臓器が受ける放射線量が同じであれ
,,「」ば外部被曝であるか内部被曝であるかあるいは付着被曝
であるかによって放射線の人体影響に差異はない。
③また,内部被曝の場合,集中的な被曝のために,一部の細胞
だけが細胞死を来すことになるが,1個の臓器や器官の組織を
構成する細胞の数(数百万個から数千万個にまで上る)の中で。
死んだ細胞の割合が少ない場合には,生存した細胞によって臓
器や器官の機能が代償されることになる。したがって,いわゆ
る確定的影響とされる急性症状をホットパーティクル理論によ
って説明することはできない。なお,バイスタンダー効果は,
被曝していない細胞に被曝の情報が伝わり,そのような細胞の
遺伝子に変異が起きるという効果をいうものであるから,バイ
スタンダー効果を考慮したとしても,ホットパーティクル理論
によって確定的影響である急性症状のメカニズムが説明できる
という余地はない。
そもそも,被曝による急性症状としての下痢には,被曝当日
に生じる水様性のもの(前駆症状,腸管細胞が死滅して血管が)
むき出しになって破綻した後に大量出血として現れるもの主,(
症状)があるが,後者のような下痢が生じた場合には救命の可
能性はないのだから,現に生存している者に生じた下痢を急性
。症状として説明すること自体に無理があるといわざるを得ない
④さらに,局所的な被曝で細胞死が生じると,かえって突然変
異や遺伝子異常が他の細胞に引き継がれることはないので,ホ
ットパーティクル理論によって確率的影響の危険性の増大を説
明することもできない。
⑤現に,一定の面積の範囲内で線量をそろえて均等被曝と不均
等被曝をもたらし,その一定の面積における発がんリスクを比
較した結果,均等被曝の場合に最もリスクが大きくなることが
確認されたこと等から,ホットパーティクル理論は,ICRP
。や英国放射線防護庁によっても既に否定されているものである
また,ホットパーティクル理論は,1970年代のMOX燃
料の実用化に反対する動きとともに,物理学的な理論として出
されたものにすぎず,何らかの実証を伴ったものではない。む
しろ,①昭和40年に米国のロッキーフラットという軍事工場
で発生した,酸化プルトニウムの内部被曝(肺からの吸入によ
る内部被曝)の事例(ホットパーティクル理論の提唱者が述べ
る許容線量の11万5000倍以上の線量の被曝が生じたとさ
れている)において,肺がんを発症した被曝者が一人もいない。
,(「」。),こと②於保源作以下於保というによる調査報告でも
原爆投下後に爆心地から1km以遠の広島市内に入市した者に
は,急性症状が何らみられなかったこと,③核医学の検査で,
β線を放出する金198という放射性物質を誤って1000倍
静脈注射され,全身被曝線量で計算しても4グレイないし5グ
レイもの被曝をした者にも,何らの急性症状もみられなかった
ことによって,同理論が成り立たないことは既に実証されたも
のといってもよい(なお,Σ(以下「矢ヶ崎」という)が指摘。
する米国のハンフォード事故は,被告が依拠する科学的知見に
よっても疾病の放射線起因性が肯定されるほどに被曝線量が多
い事例である。また,矢ヶ崎が指摘する,湾岸戦争で使用され
た劣化ウラン弾に含まれる劣化ウランによる内部被曝の問題に
ついても,そもそも劣化ウランによる健康影響を裏付ける確実
な根拠があるわけではない。加えて,劣化ウランによって,広
島に投下された原爆の場合の1万4000倍から3万6000
倍の放射能原子が生じたことをも考えれば,上記の問題は,原
爆災害においてホットパーティクルによる有意な人体影響が生
じたか否かとは無関係である。。)
⑥なお,DS86における,セシウム137の「有効半減期」
が「7.4年」であるという趣旨の記載は,被爆者がセシウム
137の摂取を原爆投下後も続けていることが反映された結果
にすぎず,ホットパーティクル理論とは何ら関係がない。
()原告らは,内部被曝の影響が長期間持続することを強調する。b
しかし,内部被曝の影響を考慮する上で重要とされる放射性核種
の生物学的半減期を考慮すれば,セシウム137の場合,10年
後には体内の量が100億分の1になり,また,ストロンチウム
90の場合,10年後には体内の量が約8300分の1になるの
だから,内部被曝の影響が長期間にわたって続くということは想
定できない。また,内部被曝の影響で細胞が死ねば,放射性物質
が剥がれ落ちることになるから,その意味からも,特定の場所に
放射性物質が長時間にわたって付着し続けることはあり得ない。
()原告らが指摘するように,核種や線量の点を無視し,単に放射c
性物質の個数のみで内部被曝の影響を評価するのは不当である。
この点以外にも,原告らが依拠していると思われる矢ヶ崎が行
ったシミュレーションについては,多くの問題がある。例えば,
①核分裂生成原子の質量数を,様々な放射性核種の平均をとって
117とすること自体に問題があるし,②質量数117の放射性
同位元素の半減期はほとんどが1日以内だから,質量数117の
。放射性物質の半減期を5日であると仮定することにも問題がある
また,上記シミュレーションは,③放射性核種ごとの,体内にお
ける代謝の違い(生物学的半減期の違い)や放出する放射線の種
類・エネルギー,照射を受ける臓器の特質の相違を捨象している
点でも大きな問題がある。
()原爆被爆者には,チェルノブイリ原発事故の場合のように,例d
えばヨウ素の甲状腺への沈着によって起こる甲状腺がんや,スト
ロンチウム90の骨への沈着によって起こる骨がんが顕著にみら
れることはなかったから,このことからしても,原爆放射線の内
部被曝の影響を無視できることは明白である。
()付着被曝についてe
そもそも,放射性物質が直接皮膚に付着し,その物質を放射線
源とする外部被曝が起きたとしても,β線は体幹部には届かない
,。のだからこれによって皮膚障害以外の障害が起こることはない
そして,被爆者に集中的に皮膚障害が生じたという報告もないか
ら付着被曝という被曝態様を無視し得ることは明らかであるα,(
線は,数ミクロン程度しか飛ばず,皮膚の基底細胞層にまでは達
しないから「付着被曝」との関係で,α線の被曝を問題にする必,
要はない。。)
また,原爆により爆心地付近の土壌が誘導放射化し,それが皮
膚に一様の厚みで原爆爆発の瞬間から1週間にわたって付着し続
けたというあり得ないような仮定をしても,皮膚に付着した物質
からの被曝線量は,爆心地から2kmの地点では0.00000
002366グレイ,爆心地から2.5kmの地点では,0.0
0000000121グレイにすぎないことも判明している。
さらに,本件では,原爆爆発の瞬間からの被曝が問題となるわ
けではないため,放射能も相当減衰することを考慮しなければな
らないこと,救護者らは衣服を着ていたはずである(その場合,
β線は,通常皮膚を透過できない)から,放射性物質が直接皮膚。
に付着する面積は限定的であったと考えられることからすれば,
本件争点との関係上,付着被曝を無視し得ることは,なお一層明
らかであるというべきである。
現に,原告らをはじめ,原告らが接触したであろう原告らの家
族や知人,看護対象となった被爆者のいずれにも,付着被曝等に
よる重篤な皮膚潰瘍をうかがわせるような症状は一切生じていな
い。
身体症状は何ら放射線の影響と関係ないことについてd
()原告らは,原爆投下後に,広島陸軍病院戸坂分室等において看a
護に当たっていた人が急性症状を呈したと報告されていること等
,。を残留放射線の影響を裏付ける事実として指摘するようである
()しかし,放射線被曝による急性症状には,閾値,発症する症状b
の具体的な内容,発症時期,程度,回復時期等に明確な特徴があ
る。そうした特徴の内容は,チェルノブイリ原発事故,昭和62
年に起こったゴイアニアの事故,平成2年に起こったイスラエル
の事故,平成3年に起こったベラルーシの事故等をもとに明らか
にされたものであって,IAEAによっても承認されたものであ
る。そして,上記の特徴があらゆる放射線被曝に普遍的なもので
あることは,平成11年に茨城県東海村において起こったJCO
臨界事故においても上記の特徴がみられたことによって証明され
た。仮に,原告らが主張するように,内部被曝の問題が重要なの
だとしても,こうした被曝は,上記に掲げたような事故,例えば
ゴイアニアの事故においても生じたものであるし,また,個々の
被曝態様の違いが決定的な相違をもたらすとすれば,上記のよう
な多数の事故における放射線被曝に,共通した特徴がみられるこ
とを合理的に説明することができない。
そうすると,上記の特徴は,原爆放射線によって生じる症状に
ついても当てはまるといえる。とすれば,上記のような急性症状
としての特徴を備えない症状を含めた身体症状の発症についての
調査結果によって,低線量の放射線被曝と急性症状の関係が基礎
付けられるという余地はない。
()このように考えても,原爆被爆者にみられた身体症状についてc
合理的な説明を加えることは可能である。なぜなら,原爆被爆者
にみられた身体症状は,放射線以外の要因によって十分に説明す
ることができるからである。
例えば,原爆被爆者にみられた急性症状は,衛生環境,栄養状
態の悪化や心因的素因によっても十分に説明できる。特に,黒い
雨を浴びた者や閃光を浴びた者がその後死亡するというような風
評があったとすれば,遮蔽の有無や爆心地からの距離によって,
精神的影響の程度に有意な差が出ることもあるから,遮蔽の有無
や爆心地からの距離によって症状の発症率に差が出るということ
も十分にあり得るというべきである。
()なお,原告らは,急性症状の発症率が,爆心地からの距離と相d
関していることを,残留放射線の影響によって説明しようとして
いるが,仮に,爆心地からの距離と必ずしも相関しない形で降下
したと考えられている放射性降下物が重要な影響を及ぼしたのだ
とすれば,遠距離被爆者の急性症状の発症率が,距離に反比例し
て単調に低減するはずはないのであるから,原告らの主張は矛盾
を抱えている。
救護所等の内部における環境に関する原告らの主張の誤りについe

原告らが述べるように,放射性物質の濃度が床に近いほど濃いと
いった状態が生じるのは,長時間にわたり非常に静穏な状態が続い
ている場所においてであって,救護所のような,絶えず人が出入り
して内部でも頻繁に人が移動するような場所では,空気が攪拌され
るために,原告らの主張の前提が成り立たない。また,原告らの上
記の主張は,人の体温によって生じる上昇気流に伴う対流も無視し
たものといわざるを得ない。
また,救護所のように,絶えず人が出入りし,また内部で頻繁に
人が移動するような環境の下では,空気が頻繁に入れ替わるため,
放射性物質は,救護所内にとどまり続けることなく外部にも拡散す
ると考えるべきだから,救護所内の放射性物質の濃度が特筆するほ
どに高いものであったとは考えがたい。
()本件各却下処分に被爆者援護法1条3号への該当性についての認定・判3
断を誤った違法性が認められるか否か(争点3)
アA1について
(A1の主張)
(ア)A1は,昭和20年8月当時,4歳であった。
A1は,昭和20年8月6日から同月26日までの間,自宅近くの
V寺(V寺は,同月6日のうちに,被爆者の救護所に指定された)に。
おいて,収容されていた多数の負傷した被爆者(以下「負傷した被爆
」,「」。)者という意味で単に負傷者という用語法を用いる場合がある
とともに生活をした(A1は,昼には,本堂の中で,炊き出しのご飯
を食べる等して過ごしており,夜も,本堂で過ごすことがあった。。)
,,,,V寺の本堂は幅約18m奥行き約30mで畳敷きとなっており
本堂の中には負傷者50人ないし60人がぎっしりと収容され,本堂
に入りきれない者は,周辺の板張りの廊下に収容され,ほとんどの者
は横たわったままになっていた。
そして,A1は,V寺において,井戸の水を汲み,本堂の中で寝て
いる負傷者の間を歩いて,負傷者の枕元においてある茶碗に水をつい
だりした。手が使えない負傷者もいたため,A1は,そのような負傷
者の側により,負傷者の身体を一方の手で軽く支え,茶碗を負傷者の
口に持って行って,水を飲ませたりもした。また,A1は,同人の兄
らが負傷者の蛆を取るのを手伝ったり,自身で蛆を取ったりもした。
さらに,A1は,板張りの廊下において負傷者の歩行訓練の手助けを
したり,蝿を追い払うために負傷者の側で団扇を仰いだり,比較的軽
傷の負傷者と話をしたりもした。
加えて,V寺では,多数の死亡者が出たところ,火葬場が使えず,
近くにある根谷川の河原で火葬が行われたため,A1も,死体を乗せ
た大八車を河原まで押すのを手伝った。
(イ)以上述べたように,放射性降下物が大量に舞う中を避難してきた負
傷者が50人ないし60人程度収容されていた閉鎖的な空間において
は,多量の放射性降下物が空中を漂っていたはずである。とすれば,
,,A1が上記のような看護活動をする過程で負傷者に接触する等して
付着被曝や内部被曝をした可能性は十分にある。
とすれば,A1について,被爆者援護法1条3号の要件が満たされ
るというべきである。
(被告の主張)
(ア)A1の供述
A1は,昭和20年8月当時4歳であり,少なくとも同月6日から
同月16日ころまでの間,婦人会による救護・看護活動に参加するこ
とになった母親に連れられてV寺へ行き,V寺において,茶碗に水を
入れて負傷者に水を飲ませたり,負傷者の蛆を取ったり,負傷者の歩
,。行訓練の手助けをしたり死体搬送を手伝ったりしたと供述している
(イ)活動状況等に関する疑問
しかしながら,Cは,具体的にA1が何をしていたかまでは分かa
らない旨を申述したし,Dも,A1が湯飲みを並べる以外にどのよ
うな作業をしたかについては覚えていない旨を申述した。この他,
A1の救護・看護活動(特に,被爆者に直接触れるような行動)へ
の従事をうかがわせる証明者の申述は得られていない。
()A1の母親の被爆者健康手帳交付申請書には,A1の母親がVba
寺において看護を行ったのは1日おきであると記載されているこ
と,A1は,被爆者健康手帳交付申請書に,母親とともに看護活
動に参加したと記載していたことに,A1の昭和20年当時の年
齢を考え併せれば,A1がV寺に入ったのは1日おきにすぎなか
ったというべきである。
()また,4歳の子どもができる活動には限度があったと考えられb
ることからすれば,A1が建物内で看護の手伝いをした1日当た
りの時間は,朝から宵の口までの長時間ではなく,合計しても半
日に満たないような短時間であったと考えられる。
()さらに,当時4歳で身長も低く,体力もなかったA1が,果たc
して傷ついた被爆者の手を引いて歩行訓練の手助けをすることが
できたのか,あるいは遺体を乗せた重い大八車を押すことができ
たのか,大いに疑問が残る。
(ウ)検討
そもそも,V寺に避難してきた者の皮膚等に放射性物質が付着しa
ていたとすれば,それらの者に重篤な被曝による急性症状が生じて
いなければ不自然であるが,そのようなことはなかったから,負傷
者の皮膚等に付着した放射性物質による内部被曝・付着被曝の点は
無視して差し支えない。
また,前記(イ)においてみたように,A1がV寺内で看護の手伝いb
をした時間は限られていたものであるし,また,同人の手伝いの内
容も,湯飲みに水を汲む程度のものであって,被爆者との濃密な接
触を伴うようなものではなかったと考えられる。
この点からしても,A1が,身体に影響が生じるほどの被曝をし
たとは到底考えられない。
イA2について
(A2の主張)
(ア)A2は,昭和20年8月当時,4歳であった。
A2は,原爆投下後,昭和20年8月10日から同月18日までの
間に2日程度,広島県佐伯郡観音村にあったW国民学校(教室や廊下
に,200人程度の負傷者が横たわっていた)において,看護活動を。
していた母親らの周りをつきまとっており,時折,看護活動(怪我の
手当て,食事の支度,配膳等)をしていたA2の叔母に背負われたり
もした(当時,A2は小柄であったため,大人がA2を背負っても,
特に作業に支障は生じなかった。。)
(イ)このように,A2がいた救護所には,数え切れないほどの負傷者が
収容されており,A2は,2日間,母親らとともに一日の大半をその
救護所で過ごしたものであるから,A2がまだ4歳9か月と年少であ
ったことも併せ考慮すれば,A2は相当程度の内部被曝をしたものと
考えられる。したがって,A2について,被爆者援護法1条3号の要
件が満たされる。
(被告の主張)
(ア)A2の供述
,,,A2は昭和20年8月10日から同月18日までの間に2日間
W国民学校において,負傷者に水を飲ませたり,おむすびを食べさせ
たり,負傷者の身体に赤チンをつけたりして1日当たり20人くらい
。の負傷者を看護していた同人の叔母に背負われていたと供述している
(イ)活動状況等に関する疑問等
Eは,A2が同人の叔母に(1日当たり)3時間ないし4時間くa
らい背負われていたことを認め,また,A2の叔母が直接20人な
いし30人の負傷者に触れるような看護活動を,A2を背負った状
態で行ったのではないかと述べつつも,ずっとA2のことを見てい
。たわけではないので具体的な看護人数までは分からないと申述した
また,Fは,A2の叔母がA2を背負って看護活動等をすること
があったか否かについては分からないと申述した。さらに,Gは,
A2の叔母が1日当たり20人ないし30人くらいの看護をしてい
たことを申述しつつも,同人が,A2を背負いながら何人を看護し
たのかは分からない旨を申述した。
このように,A2の叔母がA2を背負って救護・看護活動に従事
。したことに関する具体的な状況を基礎付けるような申述はなかった
,,,,こうしたことにA2は当時4歳8か月であり同人の叔母が
真に,乳児とはいえないA2を背負いながら救護・看護活動をなし
得たかについては疑問の余地があることをも勘案すれば,A2の叔
母がA2を背負ってどの程度の救護・看護活動を行ったのかは判然
としない。
A2らの供述を総合すると,A2の母親や叔母は,日中,かなりb
の時間,負傷者と接触することのない校舎外で,多数の負傷者のた
めに昼食・夕食の準備をしていたと考えられる。また,A2らは,
自ら昼食を持参して被爆者と離れたところでそれを食べたこともあ
ったことからすれば,A2の母親や叔母が,負傷者のいる校舎内に
おいて看護活動等をしたのは,昼・夕食の準備や自らの昼食の時間
を除いた半日にも満たない数時間程度であったと推認される。さら
に,A2の母親の申述によれば,A2は,同人の母親らが看護活動
をしていた間にも,校舎の裏等で遊んでいたというのだから,A2
が校舎内に入っていた時間は,A2の母親や叔母よりも更に短い時
間であったといえる(A2の母親は,当時4歳であったA2の動静
に注意を払っていたと考えられるから,A2の母親の上記申述は信
用できる。加えて,A2の叔母自身が,A2を一日中背負ってい。)
たわけではなく,A2がぐずっている時に他人の邪魔になるので背
負っていた程度であると申述したことからすれば,A2が背負われ
ていた時間はより一層短いというべきである。なお,A2が,負傷
者と直接接触した事実がなかったことは明らかである。
(ウ)検討
仮に,W国民学校に避難してきた者の皮膚等に有意な量の放射性a
物質が付着していたとすれば,それらの者に被曝による急性症状が
生じなければおかしいが,そのような事実は確認されていない。
とすれば,負傷者に付着していた放射性物質が空気中に浮遊し,
それをA2が体内に取り込むといった機序で,A2の身体に放射線
の影響が及ぶことはそもそも考えられない。
しかも,A2が最初にW国民学校に行ったのは原爆投下の4日後b
,,,であるしA2がW国民学校内にいた時間は非常に限られており
同人は負傷者に直接触れなかったことを考慮すれば,なお一層,A
2が身体に影響が生じるような放射線量に被曝しなかったことは明
らかである。
ウA3について
(A3の主張)
(ア)A3は,昭和20年8月当時,2歳ないし3歳であった。
A3は,昭和20年8月7日から同月末ころまでの間,佐伯郡a町
bのX病院に急性脱腸炎で入院した。
X病院には,足の踏み場もないほど多くの負傷者(病院全体で20
0人ないし300人)がいた。そして,A3は,同月8日に急性脱腸
炎の手術を受けてから,負傷した被爆者と同じ部屋で看護を受け,負
傷した被爆者から食べ物をもらったりした。その後,A3は,体調が
,,回復して歩けるようになると病院内を歩いて負傷者に話しかけたり
その体を触ったりした。また,A3は,他の負傷者を看護していたA
3の母親に背負われたこともあった。
(イ)このように,A3は,負傷した被爆者で溢れたX病院に相当期間入
院し,その中を歩き回り,看護活動をしていた母親に背負われたりも
したものであり,A3が当時3歳と年少であったことも併せ勘案すれ
ば,A3は,相当程度の内部被曝をしたものと解される。
したがって,A3について,被爆者援護法1条3号の要件が満たさ
れているといえる。
(被告の主張)
(ア)A3の供述
A3は,昭和20年8月22日ころから,病態が改善し,負傷者の
看護をしていた母親の手伝いをしたり,母親に背負われたりしたと供
述している。
(イ)活動状況等に関する疑問等
A3自身が,同人の母親に背負われていたのは少しの間であったa
と申述したこと,同人の母親も,A3が寝ている間に看護に当たっ
たという趣旨の申述をしたこと(同人の母親は,A3の状態を注視
していたはずだから,その供述の信用性は高い)等に照らし,そも。
そも,A3の母親が,A3を背負った状態で救護・看護活動等を行
った事実を確認すること自体ができないというほかない。
①経験則に照らしても,当時3歳になったばかりで,急性脱腸炎b
の手術後にようやく歩けるようになったA3が,母親の看護の手伝
いができたとは考えがたいことに,②A3が負傷者の看護をしたと
いう供述は本訴において提出された陳述書の段階で初めてされるよ
うになったことも,負傷した被爆者の看護という体験が通常記憶に
残りやすいことを考慮すれば不自然であることを併せ勘案すれば,
A3が自ら看護をした事実は認められない。
また,A3の母親の申述内容を合理的に検討すれば,A3がいたc
部屋には,少なくとも手当てが必要な負傷者はいなかったとみるべ
きである。
さらに,A3の母親の申述によれば,A3が病院内を歩いたりす
,。るようになったのは手術から2週間経過したころだったといえる
そして,A3が手術後2週間にわたって寝込んでいた以上,同人が
長時間にわたり歩き回ることができたとは考えがたいこと,A3の
母親はA3が起きているときには同人の病床に付き添っていたと考
えるのが自然であること,A3が母親を離れて負傷した被爆者が多
くいるところに行く理由もないことからすれば,A3が負傷した被
爆者の多くいる本院を歩いたのもごく短時間であったというべきで
ある。
(ウ)検討
A3は,2週間もの間,病院の別棟で寝たきりで入院していたとこ
ろ,入院していた部屋には少なくとも手当てが必要な負傷者がいなか
った以上,同人に放射能の影響など生じ得ない。
また,A3は,病院内を歩けるようになった後においても,ごくわ
ずかな時間,負傷者と接触しない形で負傷者が多数いる場所に入った
にすぎなかったのだから,A3に,放射線の影響を受けるような事情
がなかったことは明らかである。
エ原告A4について
(A4の主張)
(ア)A4は,昭和20年8月当時,10歳であった。
A4は,昭和20年8月7日から同月10日にかけて,自宅と背中
合わせにあるY寺(広島県安芸郡c町)に行き,その本堂に寝ていた
(。)。負傷者合計100人くらいの負傷者が収容されていたを看護した
具体的に,A4は,水を欲しがる者に対し,汲んできた水を飲ませる
行為を1日当たり4,5時間程度行う等して,20人以上の世話をし
たし,その間,2人程度の負傷者の蛆を取ったりもした。
また,A4は,昭和20年8月7日,山陽道において,行列をなし
ている被爆者の間をかき分けて,多数の被爆者におむすびを渡したり
もした。
,,,(イ)このようにA4は大勢の負傷者が寝かされていたY寺において
4日間にわたり,1日数時間かけて,1日当たり20人以上の負傷者
,,の看護をしたことA4が当時10歳と年少であったことからすれば
A4は,相当程度の内部被曝をしたと考えられる。
したがって,A4について,被爆者援護法1条3号の要件が満たさ
れるというべきである。
(被告の主張)
前記()のとおり,A4の訴えの利益は失われたから,争点2について1
は主張を要しない。
オA5について
(A5の主張)
(ア)A5は,昭和20年8月当時,11歳であった。
A5は,同月6日から同月31日までの間,昼食を挟んで,おおよ
そ,午前8時から午後8時くらいまで,広島県安芸郡c町にあったZ
国民学校の講堂(100人以上の負傷者がいた)及び教室において,。
母親とともに負傷した被爆者の看護を行った。
A5は,1日当たり少なくとも7,8人,多いときで20人を超え
る負傷者に対し,火傷が生じたところにわいた蛆虫をピンセットで取
る,消毒して赤チンを塗って団扇で扇いで乾燥させる,油紙を当てて
包帯を巻くなどの看護を行った。さらに,A5は,負傷者の身体を拭
いたり,負傷者の服等の洗濯をしたりするとともに,A5の母親が食
事の介抱をした際に,負傷者の体を支えたりした。また,A5は,負
傷者に,おかゆを食べさせたり,お茶を飲ませたり,火傷した子ども
を抱いて300mくらい先のトイレまで連れて行ったりもした。
さらに,A5は,原爆投下当日には,負傷者の体に大きな火膨れが
あったため,そうした負傷者の服を脱がしたり,負傷者の皮をはいだ
りもした。
(イ)このように,A5は,足の踏み場もない程に多数の負傷者がいた学
校の講堂で,同月6日から同月31日までの間,蛆虫を取る,体をふ
く,赤チンを付ける,包帯やシーツを巻く等の看護活動をしたり,被
爆者の食事やトイレの世話をしたりしたこと,A5が当時11歳と年
少であったことからすれば,A5は相当程度の内部被曝をしたと考え
られる。
したがって,A5について,被爆者援護法1条3号の要件が満たさ
れるというべきである。
(被告の主張)
(ア)A5の供述
A5は,昭和20年8月6日から同月31日までの26日間,Z国
民学校において,少なくとも1日5人ないし6人,平均して1日14
人ないし15人の負傷者に対し,水を飲ませたり,むすびを食べさせ
たり,身体に赤チンをつけたり,ガーゼを貼ったり,身体から蛆を取
ったり,負傷者を寝かせたり起こしたりする等の看護を行ったと述べ
ている。
(イ)活動状況に対する疑問等
Hは,A5がどんなことをしていたか具体的に覚えていないと申a
述しており,他に,A5の看護活動の内容を裏付けるに足るような
申述も得られなかった(なお,Iは,A5の当時の年齢を5歳くら
いと述べたため,そもそもIが,A5に関する申述をしたか否か自
体を確認することができない。。)
とすると,証明者の申述によっては,A5が,そもそも救護・看
護活動等をしたのか,あるいはどの程度の救護・看護活動等に従事
したかを確認することはできない。
仮に,A5が,真に,約1か月間にわたり,看護活動をしていたb
のであれば,同じように看護に従事していた人(近所の顔見知り,
同級生等)がA5の活動状況を覚えていないのは不自然であること
からすれば,A5の供述を信用することはできない。
また,1日当たりの看護人数について,A5は,当初,1日当た
りせいぜい5,6人であると述べていたものである(これは,A5
が,昭和20年当時,小学生にすぎなかったことからすれば,不自
然ではない。しかしながら,他方,A5は,看護人数が基準に満。)
たないとされたために被爆者健康手帳交付申請を取り下げた後に再
度提出した申請書には,人数について「5,6人(それ以上介護し
た時もあったと思います」という記載をし,その後,被告の担当。)
者からの事情聴取の際には「1日当たり14,15人」と述べ,本,
訴における本人尋問においては,1日当たり10人から20人くら
いを看護したと供述した。このような供述の変遷を正当化する合理
的な理由はない。
さらに,看護の日数についても,Z尋常高等小学校に在籍してい
た者への被爆者健康手帳の交付実績からみる限り,同校の生徒がそ
れほど長い日数にわたって看護に携わったということはなかった看(
護の期間は,せいぜい1週間程度であった)と考えるべきである。。
加えて,1日当たりの看護時間についても,A5の当初の申述ど
おり,6時間程度であったとみるのが自然である。
最後に,看護の具体的内容についても,A5は,当初「包帯をま,
く「体をふく「下の世話「運搬」という作業をいずれもしてい」」」
なかったと回答したのに対し,本訴においては,そうした作業をし
たものであると供述したが,同人が被爆者健康手帳交付申請の際に
過小な事実を述べる理由も,戦後60年以上が経過してから同人の
記憶がよみがえる理由もないから,A5の上記の供述も信用できな
い。
(ウ)検討
Z国民学校に避難した者に急性症状が生じていなかった以上,そこ
に避難した者の身体や衣服に放射性物質が付着していたとは考えがた
い。
仮に,そのようなことがあるにしても,A5は,1週間程度,せい
ぜい蛆をとったり水を汲んだりする程度の作業を1日当たり5,6人
に対して行ったにすぎないから,A5が,身体や衣服に放射性物質を
付着させたり,体内に放射性物質を取り入れたりすることはなかった
というべきである。
とすれば,A5に,放射線の影響を受けるような事情がなかったこ
とは明らかである。
カA6及びA7について
(原告ら(本項において「原告ら」とは,A6及びA7の両名を指す)。
の主張)
(ア)A6について
A6は,昭和20年8月当時,14歳であった。a
A6の父親は,昭和20年8月6日夕方ころから同年9月15日
ころまでの間,広島県豊田郡d町e付近に避難してきた負傷者を,
自身が経営している鮮魚店の奥の座敷に連れて来て,休ませるなど
した。
A6は,そうした負傷者を多数(1日当たり8人ないし10人程
度)看護した。具体的には,A6は,負傷者に,商売用の植物油を
塗り,包帯を巻くなどしたし,さらに,A6は,熱を出している負
傷者の汗を拭き,痛みで苦しんでいる負傷者の背中をさすったりも
した。
このように,A6は,自宅の鮮魚店において,昭和20年8月6b
日から同年9月中旬ころまでの間,多くの負傷者に対し,火傷箇所
に油を塗る,包帯を巻く,背中をさする等の行動をとったこと,A
6が当時14歳と年少であったことからすれば,A6が相当程度の
内部被曝をしたことは明らかである。
したがって,A6について,被爆者援護法1条3号の要件が満た
される。
(イ)A7について
A7は,昭和20年8月当時,2歳であった。a
A7は,同人の両親やA6らが前記(ア)のように負傷者を看護して
いたところで,母親やA6に背負われたり,負傷者のそばで遊んだ
りしていた。
このように,A7が,負傷者の看護が行われていた自宅で,看護b
,,をしていた家族に背負われたり負傷者のそばで遊んだりしたこと
A7が当時2歳と年少であったことからすれば,A7は,相当程度
の内部被曝をしたと考えられる。
したがって,A7について,被爆者援護法1条3号の要件が満た
される。
(被告の主張)
(ア)原告らの供述
A6は,昭和20年8月6日から同年9月15日までの間,eのa
自宅において,1日当たり最大15人の被爆者に対し,水を飲ませ
る,食物を食べさせる,薬をつける,包帯を巻く,体をふく,寝起
こしをする等の看護活動をしたと述べている。
,,,bまたA7は昭和20年8月6日から同年9月15日までの間
上記のような看護活動をした姉や母親らに背負われていたと述べて
いる。
(イ)活動状況等に対する疑問等
しかし,Jは,原告らの自宅にどのくらいの人数の負傷者が収容a
されていたか,A6や原告らの母親がどのような治療をしていたか
は分からないと申述した。また,Kは,原告らの自宅における収容
人数は記憶にないし,原告らが何をしていたかまでは分からないと
申述した。Lは,原告らがいつから何日間,何人程度の救護・看護
をしたか分からないと申述した。Mは,原告らの自宅において,看
護が必要な人がいたか,何人が収容されたかは分からないと申述し
た。Nは,A7が,負傷者の看護(1日当たり2人ないし3人,多
いときでも5人)をしていた母親に背負われていたし,A6は,1
日当たり2人ないし3人,多いときで5人の負傷者に対し,奥の座
敷で水を飲ませたり,火傷をしたところに油を塗ったり,簡単な包
帯替えをしたりしていたと申述した。さらに,Oは,A6が火傷の
手当てをしているのを見たが,原告らの自宅に10人以上の被爆者
が泊まり込むことはなかったし,A6やA7を背負った同人の母親
は,1日当たり最大4,5人の看護をしていたにすぎなかったと申
述した。
また,原告らの姉であるPも,1日当たり7人ないし8人の看護
をした旨を申述したにすぎない。
そうすると,A6が,どの程度の救護・看護活動等に従事したの
かを確認することはできないし,A7を背負った状態で,同人の母
親がどの程度の救護・看護活動等を行ったかも確認することができ
ない。
A6と一緒に看護をしたPは,原爆投下後から昭和20年8月末b
まで看護をしたと申述したところ,この申述は,他の証明者の申述
内容とも整合し,信用できるものであるから,原告らの自宅におい
て看護活動が行われたのは,昭和20年8月末までであったという
べきである。
また,A6や同人の母親は,商店の仕事や家事の片手間に,負傷c
者の看護等を行っていたにすぎないと思われる。
(ウ)検討
原告らの自宅に避難した者らの身体や衣服に放射性物質が付着して
,,いたという主張は上記の者らに何らの急性症状も生じなかった以上
それ自体として不自然なものである。とすれば,原告らが,避難して
きた者に付着していた放射性物質を体内に取り込む等したという点は
無視して差し支えない。
また,原告らが負傷者の収容されていた空間に入っていた時間は短
く,A7は負傷者に触れなかったことも併せ勘案すれば,原告らが,
身体に影響が生じる程度の放射線被曝をしなかったことは明らかであ
る。
()本件各却下処分は,行政手続法5条3項違反により取り消されるべきか4
否か(争点4)
(原告らの主張)
ア(ア)行政手続法5条3項は「行政庁は,行政上特別の支障があるときを,
除き,法令により当該申請の提出先とされている機関の事務所におけ
る備付けその他の適当な方法により審査基準を公にしておかなければ
ならない」と定める(行政上特別の支障があるとき」とは,定めら。「
れた審査基準について公にしておくと個別法の適正な運用に著しい支
障が生じるおそれがあって,申請者等の不利益を考慮してもなお公益
上の観点から公にしない方がよいと判断される場合をいう。例えば,
公にすることで国の安全が害されるおそれがある場合や,他国若しく
は国際機関との信頼関係が損なわれるおそれ又は外交交渉上不利益を
被るおそれがある場合が上記に該当するものであるが,本件が「行政,
上特別の支障があるとき」に該当しないことは明らかである。。)
そして,裁量基準と解釈基準の区別は必ずしも明瞭ではなく,実務
においても両者が厳密に区別されていないことから考えれば,上記の
規定は,裁量基準だけではなく,解釈基準にも適用されると考えるべ
きである。
(イ)また,行政手続法5条3項の趣旨は,申請の段階で,許可をするか
否かの基準を公にすることで,申請者にあらかじめ要件等を知らせ,
また,申請が拒否された場合にどんな基準によって申請が認められな
かったかを知らしめることによって,行政庁の判断過程の透明性を確
保し,申請者の予測可能性を高めることにある。このような行政手続
法5条3項の趣旨に照らせば,審査基準は申請時に公にされている必
要があるといえる。
イしかるに,①広島市長は,せいぜい,審査基準(後述する「被爆者の
定義)に従って審査を行って結論を導いた後になって,取下げを促すた」
めに,申請者に対して審査基準の説明をしたにすぎないこと,②平成1
6年11月24日以前の段階での「被爆者の定義」からは,1日当たり
の人数を問題とする趣旨がまったく読みとれなかったことからすれば,
広島市長が,原告らの申請がされた時に,審査基準を公にしていたとは
到底いえない。
ウそして,申請時に申請人である原告らに対して審査基準が公にされな
かった以上,当該申請に対してされた本件各却下処分は,取消しを免れ
ない。
なぜなら,そもそも,行政手続法は,申請者に対して適正な手続によ
って行政処分を受ける権利を保障したものだからである。加えて,申請
者が,1日当たり10人以上の救護又は看護に従事したという要件を証
明しなければならないとすると,その裏付け資料はかなり限られてくる
,,ところ申請段階で審査基準が公にされていれば証人を確保できたのに
期間が経過したため証人が確保できなくなるということも十分に考えら
れることからすれば,本件においては,特に手続上の瑕疵が重大である
ということができるからである。
(被告の主張)
ア広島市長が策定した審査基準である「被爆者の定義」は,広島市社会
局原爆被害対策部の窓口において,遅くとも平成14年4月以降,ファ
イルに入れた状態で閲覧に供されている。また,被爆者健康手帳の交付
申請を受け付ける区役所等においても,相談があれば,職員により「被,
爆者の定義」の内容が説明されている(そして,このことと,遅くとも
昭和52年度以降,不動文字で,被爆者健康手帳交付申請書に1日当た
りの人数に関する記載がされていたことを併せれば,上記審査基準にお
ける「10人」が1日当たりの人数を意味することは十分に明確になっ
ていたものということができる。。)
さらに,広島市長は,平成16年11月25日以降においては,被爆
者健康手帳の交付の申請を予定している者に配布する「被爆者健康手帳
交付申請書の記入上の注意と記入例」の中の「被爆者健康手帳の交付申
請について」の「対象者」の欄に「救護施設などで10名以上(1日当
たり)の被爆者の救護や死体処理などに直接従事した人」とも明記して
いるものである。
なお,平成14年4月以前においても,被告の担当者は,被爆者健康
手帳の交付申請に係る個別の相談等に際し,申請者等に対し「被爆者の,
」。,定義に定められた内容についての説明を行っていたものであるまた
少なくとも,被告の担当者は「被爆者の定義」の要件が満たされていな,
い場合には,申請者に対し,具体的な審査基準を説明していた。
,,,「」したがって一貫して広島市長は審査基準である被爆者の定義
を公にしているところである。
イなお,仮に,本件において審査基準が公にされていないとされる場合
に備えて,以下の点を主張する。
,,行政手続法5条3項違反で当該行政処分が取り消されても行政庁は
手続を履践した上で再度拒否処分をすることも可能なのだから,行政手
続法5条3項違反の程度のいかんにかかわらず,同項違反をもって,直
ちに取消原因が生じると解するべきではない。
,,,「」そして本件の場合広島市長は①審査基準である被爆者の定義
を踏まえて,被爆者健康手帳交付申請書に不動文字で「1日当たり」と
記載しており,②申請者に対して,必要に応じて審査基準の内容を説明
していたものである。このことに,③本件各却下処分の通知書には「救,
護,看護に従事したとして,被爆者健康手帳が交付されるには,昭和2
0年8月6日から20日までに,10人以上(1日当たり)の被爆者に
対し救護・看護等をされたことが要件となります」という記載がされて。
いたことも併せ考えれば,本件において,仮に,行政手続法5条3項違
反があったとしても,実際の処分結果への影響は考えがたいから,取消
原因が認められるべきではない。
()国家賠償法に基づく損害賠償請求の可否(損害額を含む(争点5)5。)
(原告らの主張)
「」「」ア(ア)広島市長が被爆者の定義の中で採用したいわゆる10人基準
は,救護被爆者の内部被曝の危険性や継続性を考えれば何らの科学的
合理性もないものであって,被告が自認するとおり,事務処理上の便
宜から考案されたものにすぎない。現に,全国の地方自治体が設けて
いる審査基準をみても,人数を問題としない審査基準を設けている場
合「概ね10人「約10名」といった形で弾力性をもたせた基準を,」
設けている場合,あるいは,のべ人数を問題とする基準を設けている
場合(内部被曝線量は経時的に累積するものであることからすれば,
のべ人数を問題とする方がまだしも合理的である)が大半であり,広。
島市長が設けているような不合理な基準を設けている自治体は少数で
ある。
(イ)また広島県知事が広島市長が設けた審査基準と同一内容の被a,,「
爆者の定義」を設けるに当たり,広島県の担当者が,広島大学原爆
放射能医学研究所(以下「原医研」という)の医師に対して照会を。
したところ,同医師は「50名位を数日間行なえば影響があると思,
うが,政治的な問題もあり,10名位にしてはどうか,期間につい
ては,法律に規定してある8月20日までならば,日数に関係なく
影響があると考えてよいだろう」と回答したようである。。
このように,広島市長が設けた審査基準の根拠となる科学者の意
見は,ある一名の医師が口頭で述べた主観的な所感にすぎず,信頼
性が乏しいことは明らかである。
厚生省の事務官も,10名という人数については,被爆者健康手b
帳交付者の調査を行った結果,最低の人数が10名程度であったと
いうこと以上に根拠はないとして,家族1名を看護した場合であっ
ても放射能の影響を受けたものと判断されるのであれば行政庁の裁
量で被爆者健康手帳を交付しても差し支えないという見解を示して
,「」。いたものであって10人基準を積極的に了承したわけではない
以上の2点から,広島市長が,審査基準を設けるに当たって,何c
らの確実な根拠にも依拠しなかったことは明白である。
(ウ)A4に対する審査の経過をみると,当初,看護人数を証言した証人
がいなかったという理由で本件第1次申請を却下する処分がされたの
に対し,本件第1次申請のときと同じ証人が,A4が10人や20人
どころではない人数に水をあげる等していたという証言をするや,本
件第2次申請が認められたものである。
このような経過からみても,広島市長が設けた審査基準は,恣意的
な運用の余地を多分に残すものであるといえる。
イこのように,広島市長が,本件原告らについての審査に当たって依拠
した審査基準は極めて不合理なものであるといわざるを得ないところ,
広島市長は,被爆者の実情を最もよく認識し得る立場にあり,また,被
爆者の実情をよく探究するべき立場にあったことを考えれば,広島市長
が,上記のような基準に依拠して,不合理な審査を行った点は,国家賠
償法上違法であるといわざるを得ない。
そして,広島市長が,上記のような不合理な基準に依拠せず,内部被
曝の問題を適切に考慮した上でしかるべき判断をしていれば,原告らの
いずれについても,3号被爆者に該当するという判断がされていたはず
である。
ウ原告らは,本来,被爆者健康手帳を早期に給付されるべき地位にあり
ながら,何らの保障も受けることもないまま,不安な生活を強いられ,
ひいては,本件訴訟の提起まで強いられることになった。こうしたこと
による精神的苦痛は,単に,行政処分が取り消されるというだけで治癒
されるものではなく,上記苦痛を慰謝するには,原告らそれぞれに20
0万円の慰謝料の賠償が認められるべきである。また,弁護士費用とし
て,原告1人当たり20万円の賠償が認められるべきである。
なお,A4には,既に被爆者健康手帳の交付がされたものであるが,
同人が被爆者健康手帳の交付を申請してから実際に交付がされるまでの
間,7年半もの歳月がかかり,その間,同人は,何度も不服申立てを繰
り返してきたという事情が認められる以上,同人の損害賠償請求が退け
られるべきではない。
(被告の主張)
否認し,争う。
ア(ア)本来,3号被爆者に該当するか否かの判断は,科学的な知見に基づ
いて,個別具体的な状況を確認した上で行われるべきものである。し
かしながら,個々の事案ごとに個別具体的に審査を行うとすれば,3
,号被爆者該当性の判断にはかなりの困難が伴うことが予想されるから
多数の事案を円滑に処理するためには,認定事務の客観的かつ画一的
な処理が必要であり,そのためには,審査基準の策定が必要となる。
そこで,広島市長は,広島県との審査事務との統一性を保ちつつ多
数の申請に対応するため「被爆者の定義」を定めている広島県知事と,
同様の運用を開始し,昭和48年8月11日からは「被爆者の定義」,
を自らの審査基準として定めたものである。
(イ)広島県の担当者は,上記「被爆者の定義」の策定に当たり,被爆者
の看護や死体処理を,どれくらいの人数に対して,どれくらいの期間
にわたり行えば原子爆弾放射能の影響が生じるのかについて,放射線
医学の専門家(昭和43年当時,原医研に所属していた者)に照会し
た。その結果,広島県の担当者は「1日当たり)50人くらいの人,(
を数日間,直接に取り扱われた場合には影響があるのではないか」と
いう意見を得た。そこで,広島県知事は,慎重を期し,より広く放射
,線の影響を受けるような事情が肯定される場合もあることを想定して
画一的な基準を設けても被爆者に不利な方向での誤りがない最低線と
して「1日当たり10名以上」という審査基準を定めた。そして,広,
,,島県知事は救護・看護等の作業に従事した者に背負われていた子は
救護・看護等の作業に従事した者と同一の影響を受けた者として同一
に取り扱うべきという判断をした。
広島市長が策定した審査基準は,このような過程を経て策定された
広島県知事の審査基準と同じ内容のものであって,十分な合理性を有
している。
(ウ)なお「被爆者の定義」の定める要件に該当しない場合であっても,,
科学的な知見等に基づいて,個別具体的な状況を確認した上で,身体
に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情があったと認められれ
ば,3号被爆者に該当するという判断が下されることもあり得ないわ
けではない。しかし,前記(イ)のとおり,画一的な処理をしても被爆者
に不利な方向での誤りがないように審査基準が設けられた以上,審査
基準を満たしていないにもかかわらず3号被爆者該当性が肯定される
(,「」ということは起こりにくいといわざるを得ない現に被爆者の定義
を満たさないにもかかわらず,被爆者健康手帳が交付された例は見当
たらない。。)
イ広島市長が本件各却下処分をする前提として,被告の担当者は,上記
,「」に述べたとおり十分な合理性を有する審査基準である被爆者の定義
に即して,原告ら本人はもとより,証明者に対しても,面接や電話等の
適宜の方法で詳細な行動状況を聴取する等して慎重に事実関係を把握し
たものである。
そして,広島市長は,上記のようにして把握された事実関係を踏まえ
て,科学的知見をもとに3号被爆者該当性を判断したのだから,本件に
おいて,広島市長は,職務上通常尽くすべき注意義務を十分に尽くして
いたものといえる。
ウ原告らは,A4に対する一連の審査過程において「被爆者の定義」の,
不合理性が明らかになった旨を主張する。
しかしながら,本件第2次申請が認められたのは,①QがA4の看護
人数について具体的な供述をするようになったこと,②A4の母親の申
述とA4の申述の間における齟齬が解消されたことによるものであるか
ら,何ら不合理な点はない。したがって,原告らの上記主張は失当であ
る。
第2章争点に対する判断
第1争点に対する判断の前提として認定することのできる事実(すべての原告
に共通する事実に限る)。
1原子爆弾の仕組み等
()広島原爆は,ウラン235の原子核に高速中性子を衝突させて,核分裂1
(中性子が原子核に入り込み,一種の不安定な状態が起きることで,核が
2個以上の粒子に分裂すること)を引き起こし,核分裂の連鎖をもたらす
ことによって巨大なエネルギーを放出させるという仕組みのものである。
広島原爆の出力は,TNT火薬15kt程度に相当し,放出されたエネル
ギーの約50%が爆風,約35%が熱線,約15%が放射線となったと考
えられている(甲A8の6頁,乙A36の2頁,証人Σ。)
()放射性微粒子の生成過程等2
ア爆発前には長さ3m,直径0.7m程度のものであった広島原爆は,
爆発とともに,超高温の火球の源となった。火球は,爆発当初,膨脹を
続けたが,直径約200mにまで拡大すると,火球内の温度は下がり始
め,火球の急激な膨脹は停止した(甲A8の6頁,甲A44の7頁。)
しかし,火球の膨脹に伴って,空気が外側に押しやられて強烈に圧縮
されることで,火球の周囲に壁のような高圧部が形成されたために,火
球の膨脹が停止しても,空気が元の方向に戻ることができない状態とな
った。このことから,高圧のかたまりが,周囲に広がる衝撃波となり,
衝撃波の伝搬に伴って爆風が生成された(甲A44の8頁。)
イ火球内の温度が下がると,熱エネルギーが減少し,核分裂によって生
,,成された原子核と電子が結合して原子が形成されるようになりやがて
原子どうしが衝突・結合して,分子が形成された。さらに,分子が他の
分子(酸素分子等)と衝突・結合を繰り返して,放射性微粒子(放射性
の埃あるいは塵)が形成された(甲A44の9頁。)
また,放射性原子によって電離(後述)された原子はイオンとなり,
それが空気中の水分子に吸着して水滴となったために,原子雲が形成さ
れた(甲A44の9頁,Σ。原子雲(爆心地から直径約20kmの範囲)
内に生じた(Σ)を形成した放射性原子は,その後,下降気流や雨と)。
一緒になって,地上に降り注いだとされている(甲A44の9頁。)
2放射線に関する基本的な用語等
()放射能1
外部からの刺激なしに,自発的に原子核から放射線を発射する性質を放
射能という(甲A3の14頁。放射能を持つ物質のことを放射性物質とい)
う(甲A17の6頁。)
()電離2
ア放射線が物体に当たった場合に,原子を構成する電子を吹き飛ばす形
で,エネルギーを生じさせることを電離という(甲A3の3頁(こうし)
た電離作用を持つ放射線を電離放射線という(甲A3の13頁。電)。)
子は,電離されると,イオンという荷電された状態になる(甲A21の
3頁。)
イ電離によって,原子と原子を結びつけている電子が吹き飛ばされるた
め,分子どうしも切断されることになる(甲A3の3,13頁。このよ)
うな作用の結果,遺伝子DNAの二重鎖が切断され,間違った修復がさ
れて突然変異が生じることは,発がん等の健康被害の要因となり得ると
される。また,切断されたDNAの二重鎖が接合されない場合,最終的
には細胞の死滅がもたらされるものとされる(甲A3の3頁,甲A21
の116頁,Σ。)
なお,放射線の直接の電離作用によってDNAが損傷する機序以外に
も,細胞の中の水に放射線が当たり,水が電離されることによって生じ
るマイナスイオンがDNAの二重らせんに到達することで,化学反応が
起こってDNA二重らせんが切断されるという間接的な機序これを間(「
接効果」という)もあるものとされる(甲A42の34頁,Σ。。)
()被曝3
ア(ア)被曝とは,放射線に曝されることを指す。
(イ)一般に,人体は,自然環境の下でも,大地から放射される放射線に
曝されており,人体が,日本における平均線量の十倍ないし数十倍の
放射線に曝されているような地域もあるとされる(このような地域に
おいても,人体に対する放射線の影響は認められていないとされる)。
(乙A20の10頁。また,人体にも天然の放射性物質(カリウム-)
40,炭素-14等)が含まれており,人体は,それらから出る放射
線を体内から浴びているとされる(乙A20の11頁。)
人体は,平均的には,1年間に約2.4ミリシーベルトの放射線を
浴びており,そのうち体内に吸入した物質から浴びる線量は約1.6
3ミリシーベルト(空気中の物質の吸入によるものが1.3ミリシー
ベルト,食物からの吸入によるものが0.33ミリシーベルト)であ
るとされる(甲A17の7頁,乙A20の13頁。)
(ウ)その他,人体は,CT撮影では1回当たり約9ミリグレイ,胃のX
線検査では1回当たり約4ミリシーベルト,胸部X線間接撮影では1
回当たり約0.1ミリシーベルトないし0.3ミリシーベルトの放射
線に被曝するとされる(乙A20の12頁,乙A31の407頁。)
イ外部被曝
外部被曝とは,体外にある放射性原子等が放射する放射線に被曝する
ことをいう(甲A3の3頁。)
外部被曝は,主にγ線によってもたらされるとされる(甲A3の3,
4頁。)
ウ内部被曝
(ア)内部被曝とは,呼吸や飲食で放射性物質が空気,水,食べ物と一緒
に体内に侵入した場合や,皮膚を通して放射性物質が取り込まれた場
合に,当該放射性物質が照射する放射線に被曝することを指す(甲A
3の4,16頁。内部被曝には,α線,β線,γ線のいずれもが関与)
するとされる(甲A3の4頁。)
(イ)内部被曝線量を計算するには,①どの放射性核種が気道,口,皮膚
を通じてどれだけ体内に取り込まれたか,②それらの放射性核種がそ
れぞれの臓器にどのような濃度の推移をたどって残留したか,③それ
ぞれの臓器にα線・β線・γ線等の放射線エネルギーがどれだけ与え
られたか(厳密には,当該臓器に沈着した放射性物質による寄与成分
だけではなく,隣接した臓器あるいは遠隔の臓器に沈着した放射性物
質から当該臓器に与えられる放射線エネルギーの寄与成分も評価する
必要があるとされる,④当該臓器の質量等の諸因子が把握されなけ。)
ればならないとされる(甲A37の9頁,甲A39の8頁。)
()放射線の種類4
ア(ア)α線
α線は,電荷を持っており,その質量も大きいため,α線の空中a
での飛程(届く距離)は,45mm程度であり,α線の水中におけ
る飛程は40μmであるとされる(甲A3の3,14頁。一方で,)
α線は,短い飛程の範囲内においては,周囲の原子との間で大きな
相互作用を営むとされる(甲A3の14頁。α線は,ウランやプル)
トニウム等,質量数が大きい核種からしか放出されないものとされ
る(乙A35の32頁。)
①単独のα線が細胞の一部を通過した場合,②細胞が,α線の飛b
程の末端部分に位置していたために細胞の損傷範囲が限局された場
合等においては,細胞は分裂機能に支障を来さない程度の損傷を抱
え込んだまま生き残ることになるとされる(甲A39の11頁。)
(イ)β線
β線の空中での飛程は,ほとんどの場合約1m程度であるとされる
が,β線の体内における飛程は,数cmから数mまで様々であるとさ
れる(甲A3の3頁,弁論の全趣旨。)
β線は,原爆投下後の2週間において最大の放射能強度を持ってい
たという指摘がされている(甲A3の4,10頁。また,皮膚から吸)
収されたβ線量は,皮膚から吸収されたγ線量よりも,数倍から数十
倍多いことが示唆されているという指摘もある(甲A39の9頁。)
(ウ)γ線
γ線は,光子の流れであって,物質との相互作用が小さいため,γ
線の飛程は,α線やβ線に比べて非常に長いとされる(甲A3の3,
14,15頁,Σ。γ線は,大きな透過力を持つが,その反面,物質)
にエネルギーを与えにくいものとされる(甲A3の4頁。)
γ線には,原爆投下時の核分裂の際に放出されるもの(大半が爆弾
器材に吸収される)と,大気中の原子が中性子を吸収することで放出。
されるもの(大半が地上に到達する)がある(甲A3の14頁,甲A。
8の9頁。)
なお,原爆放射線のほとんどがγ線であるという指摘もされている
(甲A17の6頁。)
(エ)中性子線
高速中性子a
高速中性子とは中性子の中でもエネルギーが高いものを指す甲,(
A37の6頁。)
熱中性子b
熱中性子とは,中性子の中でもエネルギーの低いもので,中性子
をある温度の環境中に解き放ったときに,最終的に平衡に達した状
態における中性子のことを指す(甲A37の6頁。)
(オ)非電離放射線
非電離放射線とは,原爆の爆発によって放出される強烈な電波のこ
とを指す。例えば,核電磁パルス(核爆発に際して極めて短時間の間
に放出される)は,数千km離れた地域の停電の原因となる等,電子。
回路に過大な電流を誘発して機能不全に陥らせたりする作用を有する
ものとされる(甲A37の6頁。)
広島原爆や長崎原爆においても,核電磁パルスが放出されたものと
考えられているが,その人体に対する影響についてはほとんど検討が
されていない。核爆発の場合,非常に短時間の間に極めて強烈な核電
磁パルスが放出されるため,実験室規模での再現は不可能であるとさ
れており,低強度の非電離放射線の長期照射という形での動物実験の
結果から,核電磁パルスの影響を推定することが妥当か否かも定かで
はないとされる(甲A37の6頁。)
イ(ア)高LET放射線
高LET放射線とは,α線のように,高い密度で電離作用を行って
短い距離の間に多くのエネルギーを与える放射線のことを指す(甲A
37の5頁。高LET放射線による被曝の場合には,細胞の局所に不)
均等に損傷が生じることになるとされる(甲A37の5頁。)
なお,LET(線エネルギー付与。linearenergy
transferの略である)とは,1μm当たりで物質に与えられ。
るエネルギーを現す単位である(甲A37の5頁。)
(イ)低LET放射線
低LET放射線とは,γ線のように,低い密度で電離作用を行って
細胞にまばらにエネルギーを与える放射線をいう(甲A37の5頁。)
低LET放射線による被曝の場合には,細胞にほぼ均一に損傷が作ら
れるものとされる(甲A37の5頁。)
(ウ)生物学的効果比(RBE)
RBE(relativebiologicaleffect
iveness)とは,放射線の種類によって異なる生物への影響の
程度を数値化したもので,高LET放射線の方が,RBEが高くなる
とされる(甲A37の5頁。)
例えば,γ線やβ線のRBEは1であるのに対し,中性子線のRB
Eはエネルギーに応じて5ないし20,α線のRBEは20であると
いう指摘がみられる(甲A37の5頁。)
ウ(ア)初期放射線
原爆投下から1分以内に放出された放射線(α線,β線,γ線,中
性子線)を指す(甲A8の8頁。)
初期放射線は,2kmを超えたところではほとんど減衰したものと
される(Σ,弁論の全趣旨。)
(イ)残留放射線
残留放射線には,原爆投下時に放出される中性子の活性化によるも
の(誘導放射線)と,放射性降下物によるものの2種類があるとされ
る(甲A17の24頁。)
誘導放射線a
放出された中性子が,地上の物質の原子核と衝突してそれに吸収
されることで,吸収した物質が放射能を帯び(誘導放射化,その物)
質が,β線及びγ線等の放射線を一定期間放射し続ける場合に,出
される放射線のことを誘導放射線という(甲A8の10頁,乙A3
0の9頁。)
初期放射線のうちの中性子線は,爆心地から約2km以内の区域
で,環境内の物質の誘導放射化をもたらしたものとされる(甲A2
8の63頁。)
放射性降下物b
放射性降下物には,下記の種類があるとされる。
()核分裂生成原子a
核分裂によって生み出された原子のことであり,核分裂生成原
子は,放射能を持つとされる(甲A3の14頁。)
核分裂生成原子はほとんどがβ線を出して別の原子になりβ,(
崩壊(崩壊ないし放射性崩壊とは,ある放射性原子がα線やβ線)
を放出することで,放射性原子の種類が変化することを指す。崩
壊が繰り返されることで生成される一連の放射性原子を「放射系
列」という(甲A3の4頁,甲A23の62頁,ひいては,)。)
次々とβ線を出す放射系列をなすとされる(甲A44の6,20
頁。)
()核分裂性原子b
中性子が原子核に進入することにより,核分裂を起こす性質を
,()。持つ原子のことであり放射能を持つとされる甲A3の14頁
核分裂性原子には,ウラン235やプルトニウム239がある
,,()ところこれらはα線を出して別の元素の原子となるα崩壊
とされる(甲A44の6頁。)
()原爆器材が中性子を吸収し誘導放射能を帯びたもの(甲A8のc
11頁)
様々な原子が放射性降下物を形成したために,放射性降下物は,
(,黒い雨あるいは黒い煤の形で降下する場合があったとされるなお
火災による煤煙に放射性物質が付着したために,放射性降下物が黒
い雨あるいは黒い煤の形で降下する場合もあったものとされる甲。)(
A40の13頁,甲A46の21頁,乙A70の2頁。)
広島・長崎の原爆は,上空で爆発したために,未分裂の核物質や
核分裂生成物の多くは,爆発による超高温により瞬時に蒸散して火
球とともに上昇し,成層圏にまで達した後,上層の気流によって広
範囲に広がったことから,両市内に降り注いだ放射性降下物の量は
比較的少なかったとされる(乙A35の13頁,乙A36の7頁,
弁論の全趣旨。また,放射性降下物の粒子が微細な場合には,沈降)
速度は極めて遅く,地表面に達するのに何日も何週間もかかる場合
があり,その間に,放射性降下物が,風によって,爆心から遠く離
れた地域にも運ばれる場合があったとされる(甲A39の8頁(も)
っとも,乾燥している場所に比べると,湿度の高い場所では,放射
性降下物が水と付着することで重くなるため,放射性降下物は,遠
方まで運ばれにくくなるとされる(Σ。)。)
()半減期(放射性物質の量が半分にまで減少するのに要する期間)5
ア物理的半減期
物理的半減期とは,放射性核種の固有の半減期を指す(乙A38の1
4頁。)
イ生物学的半減期
体内に取り込まれた放射性核種や放射性化合物は,人体に備わった代
謝機能により,体外に排泄されていき,その量が減少していくことにな
る(乙A30の19頁。この点を考慮して計算された半減期のことを,)
生物学的半減期という。
ただし,不溶性の放射性物質が体内の臓器等に沈着した場合には,放
射性物質の減衰が,生物学的半減期に従わない場合があるとされる(甲
A44の26頁。)
ウ有効半減期
放射性物質の体内量の減少は,①放射性崩壊による物理的減衰と②排
泄機構による生物学的減少の2つに支配されるところ,その両者による
放射性物質の体内量の減少を併せて表したものを有効半減期という。有
効半減期は,次の計算式によって求められるとされる(乙A45の29
4頁。)
(計算式)
1/有効半減期=1/物理的半減期+1/生物学的半減期
()放射能,放射線量の単位等6
アベクレル
ベクレルとは,放射能を表す単位で,原子核が毎秒1個の割合で崩壊
するときの放射能を1ベクレルと表す(弁論の全趣旨。)
イグレイ
(ア)グレイは,放射線が体に吸収される量(吸収線量)を表す単位であ
る(なお,センチグレイはグレイの100分の1,ミリグレイはグレ
イの1000分の1の単位を表す(甲A17の7頁。。))
1グレイとは,放射線の種類に関係なく,1ジュールのエネルギー
が1kgの物質に吸収された場合の線量を指す(甲A17の24頁。)
(イ)国際放射線防護委員会(以下「ICRP」という)の勧告において。
は,吸収線量は,ある一点で規定された線量としてではなく,1つの
組織・臓器内の平均線量として定義されている(甲A44の27頁。)
ウシーベルト
(ア)シーベルトは,放射線の種類や被曝した部位によって,同じ線量の
被曝でも健康への影響が異なること(すなわち,RBEの相違)を考
慮した単位である(甲A17の7頁。)
厳密には,シーベルトを用いる場合,①組織の吸収線量に,放射線
の種類によって重み付けされた係数を掛けて求められる等価線量を表
すときと,②組織の等価線量に,更に組織別の健康影響の違いを考慮
した係数を掛けて求められる実効線量を表すときがあるものとされる
(甲A17の24頁。)
(イ)被曝後30日以内に半数の割合の者が死ぬ被曝線量は4シーベルト
と推定されており,100%の者が死ぬ被曝線量は7シーベルトであ
るとされている(甲A25の79頁。)
(ウ)放射線影響研究所(以下「放影研」という)では,中性子線のRB。
Eを考慮し,γ線量に中性子線量の10倍を加えた合計線量を用いて
いる(甲A17の7,25頁。)
()放射線の影響7
ア確定的影響と確率的影響
(ア)確定的影響
ある閾値以上の線量域でのみ生じ,重篤度が線量とともに増すとa
いう関係がみられるような影響を指す(甲A21の18頁,乙A30
の6頁。閾値は,臨床データによるものなので,絶対的なものでは)
ないとされる(甲A37の7頁。ICRPでは,被曝した者の1%)
ないし5%に症状が出現する線量を閾値としている(乙A41の2
頁。)
確定的影響には,主として,細胞の損失による臓器中の組織の機b
能不全あるいは機能喪失(別の組織の細胞に生じた被曝が,当該組
織の機能に影響するような場合を含む)が関係するものとされ(甲。
A21の110,124頁,確定的影響は,臓器や組織を構成する)
様々な細胞のかなりの数に障害が生じることによって生じるとされ
る(乙A30参考文献2の2頁。)
いわゆる急性症状(脱毛,下痢等)は,確定的影響の典型例であc
るとされる(乙A30参考文献2の2,3頁。)
(イ)確率的影響
閾値がなく,線量に対応する形で,発症のリスクが高まるような影
響を指す(甲A21の19,20頁,乙A30の6頁。がんや遺伝性)
障害が,確率的影響の典型例であるとされる(甲A21の126頁。)
(ウ)両者の区別の相対性
従来,小頭症は確定的影響とされていたが,今日では一般的に確率
的影響として認識されるようになっている(甲A37の7頁。)
イ放射性物質の量と放射線の影響の関係
放射性物質には,様々な種類があり,放射性物質によって,放出され
る放射線の種類やエネルギーの大きさが異なるため,単に,放射性物質
の量が多いからといって,それだけで人体に与える影響が大きくなると
は限らないとされる(弁論の全趣旨。)
ウ逆線量率効果
高LET放射線の場合,同じ線量を照射しても,低線量率(単位時間
当たりの線量が低いこと)の場合の方が,照射の効果が大きくなること
が指摘されているところ,このような効果のことを逆線量率効果という
一般的には高線量率の方が効果が大きいと考えられているために逆(,,「
線量率」という言葉が用いられている(甲A21の133頁。。))
逆線量率効果は,ペトカウによる,牛の脳から抽出した燐脂質でつく
った細胞膜モデルに放射線を照射するという実験によって確認されたも
のとされる(甲A21の132,133頁,甲A25の90,91頁。)
逆線量率効果が生じる理由として,放射性分子が酸素が溶け込んだ体液
の中で酸素分子に衝突した際に作られる電気を帯びた毒性の高い活性酸
素(フリーラジカル(フリーラジカルは,がんの発症や老化の促進に寄)
与するものとされる(甲A25の94,96頁)の,細胞損傷をもた)。
らす力は,フリーラジカルの数が少ないほど大きくなる(フリーラジカ
ルが多いと互いにぶつかり合って非活性化するためである)ということ。
が指摘されている(甲A25の92,93頁,甲A49の4頁。)
ただし,低線量域における放射線の影響に関する研究は,未だ不十分
であり,逆線量率効果についても,十分な解明はされていない(甲A2
1の133,138,168頁,弁論の全趣旨。)
3原爆医療法の制定に関する事実
()原爆投下直後における救護活動・看護活動等の状況1
ア広島
原爆投下直後の時期から,宇品の陸軍船舶部隊をはじめとする多くの
部隊によって,火傷等を負った負傷者の救護所への輸送及び看護が行わ
れたし,広島赤十字病院をはじめとする医療機関においても,負傷者の
看護が行われた(甲A8の21,22頁。)
また,原爆投下直後から,広島市に隣接する安芸,佐伯,安佐といっ
た各郡の町村に,市内からの避難者が殺到したことから,これらの地域
にも,救護所や収容所が次々と設けられ,地域を上げての医療・看護活
動が展開され,その他市外の各地域においても,多数の死体の火葬等が
行われた(甲A8の22,31,32頁。)
市外へ逃れ出た原爆被災者は15万人といわれており,佐伯,安芸,
安佐の3郡だけでも約12万人の被災者が受け入れられたとされる甲,(
A8の27頁。)
もっとも,重傷者に対する手当ては満足に行われず,軽傷者に塗るた
めの消毒薬も満足には調達できなかったため,救護・看護活動は困難を
窮めた(甲A8の25頁以下。)
イ長崎
上記のような状況は,概ね長崎においても同様であり,数万人の負傷
者に対し,救急的対症療法を行うことが可能であったにすぎないとされ
る(甲A12の113,115頁。また,長崎市に近接する市町村にお)
いても,負傷者の収容や治療が行われた(甲A12の115頁。)
()被爆者救済を求める世論の動向や政府の対応等2
ア被爆者援護に関する対応の遅れ
(ア)戦後,日本は,GHQによる占領体制の下におかれたところ,GH
Qは,10項目からなる「日本に与える新聞遵則(いわゆる「プレス」
コード)による報道規制を敷くことで,米国による公式発表以外の原」
爆被害についての報道を厳しく規制した(甲A8の50頁。また,原)
爆被害に関する報道等の制約は,新聞報道のみならず,他の様々な分
野にも及んだ。例えば,文部省学術研究会議の原子爆弾災害調査研究
特別委員会の映画撮影班が撮影したフィルムや調査資料はすべて没収
され,また,同委員会の医学科会長であった都築による研究成果の公
表も禁じられた(甲A8の51頁。)
これによって,後障害で苦しむ被爆者の状況が国内外に知らされる
ことがなかったために,被爆者援護の世論が醸成される基盤がなく,
被爆者に対する援護も遅れることになった。また,原爆障害に関する
研究成果が公表されなくなってしまったため,被爆者に対する治療が
進展することもなかった(甲A8の51頁,甲A12の115頁。た)
,,,だしそのような中でも於保をはじめとする広島の医師らによって
放射線障害に対する治療に関する研究は進められていた(甲A8の5
2頁。)
(イ)昭和23年ころに,長崎において,原爆により負傷した婦人らかa
ら,無料診療所の設置についての要望が出されるようになった。ま
た,昭和24年11月20日に,原爆青年交歓会が発足し,広島及
び長崎で集会が開かれたのを契機として,原爆被害者の要望が一つ
の声にまとめられる素地が形成された。しかし,その後,しばらく
の間,被爆者の要望が世論を動かすほどの力にまで発展することは
なかった(甲A12の115頁。)
昭和20年代の前半の時期における被爆者に対する資金援助は,b
①海外移民や各国のキリスト教徒からの資金援助や,②共同募金等
からの自治体への寄付等にとどまっていた(甲A8の58ないし6
0頁。)
イ被爆者援護の契機が本格的に形成される社会的背景
(ア)戦傷病者戦没者遺族等援護法の制定及びそれを契機とする運動の加

昭和26年9月に,サンフランシスコ講和条約が調印された直後a
の時期から,政府は,戦傷病者及び戦没者遺族に対する対応を行う
ための法案の準備を進めていることを明らかにした。
()これを受けて,広島市は,政府及び国会に対し,原爆の犠牲とba
,,,,なった家屋疎開の協力作業者防空監視者防空壕構築作業者
学徒動員工,徴用工等の遺族に対しての援護を求める陳情書を提
出し,また,広島市長及び同市議会議長も,連名で,政府及び国
会に対し,国民義勇隊員及び動員学徒の遺族に対する国家補償を
求める「原爆犠牲者援護に関する陳情書」を提出した(甲A8の
68頁。)
()昭和27年1月ないし2月ころ,広島市や広島県は,前記のba
法案を軍の命令で出動して被爆した者に適用することを要求する
前提として,調査を行い,それをもとに,再度,政府及び国会に
対し,原爆によって犠牲を受けた学徒らにも法律を適用すること
を要求した(甲A8の69,72頁。)
前記,のような背景を踏まえて,昭和27年4月30日,戦傷cab
病者戦没者遺族等援護法が,公布,施行された。同法は,国民義勇
隊員,勤労動員学徒,徴用工,女子挺身隊員の戦没者の遺族に弔慰
金を支給することを認める内容であったため,広島市あるいは広島
,()。,県の要求は一部実現された形となった甲A8の69頁ただし
同法によって援助を受けられるようになった被爆者は,被爆者全体
の中のごく一部にすぎなかった(甲A8の69頁(そのため,その)
後も,同法を改正し,被爆者に対する援護措置を拡充するための運
動が進められ,現に,法改正を経て,同法による救済の範囲は,拡
大されることになった(甲A8の70,71頁。)。)
戦傷病者戦没者遺族等援護法の制定は,同法による救済が受けらd
れる被爆者と受けられない被爆者の間の格差をもたらすこととなっ
たため,同法制定を機に,原爆被害に対する治療費助成を求める動
きが加速することになった(甲A8の80頁。)
()昭和28年1月13日,広島市長,広島県医師会長及び広島市a
医師会長は,原対協を設立し,原爆障害者の治療,健康指導,研
究に関する行政措置の要請を行うこととした(甲A8の73頁。)
原対協は,実際に原爆による障害を負った者に対する治療を開
始したが,治療に要する予算の調達に苦心する状況が続いた(甲
A8の74頁。)
そこで,原対協は,本格的な被爆者の治療を行うためには,国
による全面的な財政援助を求める必要があると認識するに至り,
被爆者治療費の全額国庫負担等を求める署名運動に取り組むよう
になった(甲A8の76頁。)
()長崎においても,長崎平和を守る会等によって原爆犠牲者の救b
援を求める動きが加速したことから,自治体が,被爆者救済問題
を取り上げるようになり,長崎市も,昭和28年5月14日に,
長崎原対協を設立した。また,長崎大学医学部は,同年8月1日
から,無償で原爆患者の治療を行うことを始めた(甲A12の1
20頁。)
,,,()昭和28年7月広島長崎の両市長及び市議会議長が連名でc
原爆障害の特殊性にかんがみ,原爆障害を負った者に対する国費
による治療費援助を求める旨の請願を行った(甲A8の80頁。)
こうした請願や「原爆障害者NHKたすけあい旬間」の運動等,
によって被爆者の実態が社会的にも認知されるようになったこと
を背景に,厚生省は,昭和28年11月,原爆後障害に対する治
療方法の研究のために,原爆症調査研究協議会を設けた(甲A8
の80頁(この協議会は,後に「原爆被害対策に関する調査研),
究連絡協議会」に発展した(甲A8の83頁。そして,厚生)。)
省は,同協議会が行った事業に対し,100万円の予算を計上し
たところ,このことは,後の原爆障害者治療費の国庫支出への足
がかりとなった(甲A8の81頁。)
(イ)第五福竜丸事故及びこれを契機とする運動の加速
()昭和29年3月,米国の水爆実験により,ビキニ環礁付近におaa
いて,日本のマグロ漁船である第五福竜丸に乗船していた者が俗
に死の灰と呼ばれた放射性降下物を浴びる事故が起こった甲「」(
A8の69頁(以下「第五福竜丸事故」という。)。)
()第五福竜丸事故の被害状況が判明するにつれて,日本政府は,b
米国政府に対し,損害補償を求めるようになったところ,同政府
は,日本政府が行った被災者に対する金銭的援助について償還に
応じる旨を述べた(甲A8の82頁。これを踏まえて,日本政府)
は,第五福竜丸事故の被災者に対し,金銭的な補償措置をとった
(甲A8の83頁。)
()第五福竜丸事故をきっかけに,原水爆禁止を訴える世論が高まba
る(甲A8の83頁)とともに,広島・長崎の原爆は,単なる過
去の一偶発事では済まされないという認識を一般の人々が強く持
つようになり,原爆被爆者の問題に対する世論の関心も高まるよ
うになった(甲A12の122頁。)
例えば,昭和29年5月15日,原爆水爆禁止広島市民大会が
開かれ(甲A8の83頁,原子兵器の使用禁止等が訴えられると)
ともに,国家が原爆被爆者に対して医療・生活・精神にわたる全
面的な救済を行うための特別保護法の制定も求められた(甲A8
の83,84頁。その後,同年8月6日には,第1回原水爆禁止)
平和大会が広島市における平和記念式典に続いて開かれ,被爆の
実相を解明することと被爆者を救済することの必要性が訴えられ
た(甲A8の84頁。さらに,同年11月から同年12月にかけ)
て,広島市及び長崎市は,日本赤十字社との共催により,東京都
の日本赤十字社本社において「広島,長崎原爆資料公開展」を開,
催し,原水爆使用禁止の方向の世論を喚起するとともに,原爆障
害者治療への政府支援の必要性を強く訴えた(甲A8の76,8
5頁。)
()b
①一方,第五福竜丸事故をきっかけに,米国の水爆実験によっ
て生じた被害への諸対策が国費によって行われるのであれば,
原爆被爆者が同様の救済を受けられないはずはないという考え
方も広がった(甲A8の83頁。)
そうした被爆者援護を求める機運の高まりを背景として,原
対協,広島市建設促進協議会等は,それぞれ,原爆障害者治療
費の国庫負担,原爆障害者に対する生活援護についての特別保
護法の制定,治療研究機関の設置等(研究機関の設置が求めら
れたのは,原爆に関連する疾病についての総合性をもった研究
が,被爆者の福祉を増進し,将来の不幸を防止することにつな
がるところ,昭和29年ころの段階では,原爆災害についての
資料の収集や実態の調査が不十分であると認識されていたため
であった)を政府に陳情した(甲A8の70頁,甲A9の52。
4,728頁(なお,こうした運動の成果により,昭和31年)
9月に,広島原爆病院が設置された(甲A8の77頁。)。)
このような動きに対し,厚生省の環境衛生部長は,昭和29
年4月26日,広島市建設促進協議会の場において「従前は,,
原爆障害者だけを特に補償することは,他の戦争障害者と区別
することになるために難しかったが,ビキニ事件にかんがみれ
ば,原爆障害者に対して国家補償は早急に確立されるべきであ
る」という見解を示すとともに,行政措置により,昭和30年。
度から国家補償に関する予算を計上する方針を固めた旨を表明
した(甲A8の83頁。)
②上記のような厚生省当局の積極的な姿勢を受け,広島市や長
崎市の市長及び市議会等は,政府や国会に対し,原爆障害者の
治療費の国庫負担をより積極的に要求するようになった(甲A
8の83頁。)
例えば,広島市議会及び広島県議会は,昭和29年5月,原
爆障害者治療費の国庫負担等を国に対して求めることを決議し
た(甲A8の69頁。上記広島市議会における決議の提案理由)
に関する市議会議員の説明内容の一部は次のとおりである甲,(
A8の86頁。)
「本月(昭和29年5月)20日衆議院水産委員会において,
,ビキニ水爆実験による損害については米国から損害補償につき
,,中間補償ではなく全額一括払いにしたいとの内意があったと
政府委員の答弁があったとのことでありますが,然らば広島の
原爆犠牲者に対してはどうしてくれるのか。ビキニ水爆実験に
よる被害者と,国家の戦争目的による,しかも非戦闘員として
の広島の原爆犠牲者とはその根本的な理念においてその規模,
軽重の度合いにおいて,決して同日の論ではないと信ずるので
あります。当然国家において補償の責任を担うべき広島の原爆
犠牲者が,今日なお放置せられておるときに,ひとりビキニ水
爆実験の被災者にのみ,国をあげて大きな関心と努力を傾けて
いることは,本末転倒であり,われわれの憤懣に堪えざるとこ
ろであります。
広島市における原爆障害者の治療費を,全額国家において補
償されるよう要請することは,われわれ広島市民として当然の
権利でありむしろ余りに控え目な要求であると言っても過言で
はないと思うのであります」。
③また,広島市建設促進協議会は,原対協の要望事項の実現の
ために小委員会を設けることとしたところ,昭和29年5月1
3日,広島市建設促進協議会原爆障害者治療対策小委員会の第
1回会合(厚生省事務次官及び同省環境衛生部長らの厚生省幹
部も出席した)において,具体的に,①原爆患者を,原爆投下。
時において爆心地から2km以内にいた者に限定することは実
情にそぐわないこと,②原爆障害者の集団健康管理を急ぐべき
であること,③治療費は全額国庫負担とすべきであること,④
生活援護は治療促進の観点からも必要であること等が指摘され
た(甲A8の86頁。)
ウ政府による対応及び原爆医療法の制定に向けた流れ
(ア)政府による対応
厚生省は,昭和29年9月6日,昭和30年度の予算に関し,原a
爆障害者調査研究委託費(精密検査費,研究治療費,印刷製本費,
事務費等)の要求を行うことを決定し,さらに,同月30日,昭和
29年度予算の予備費から,広島・長崎分を合わせて,352万2
000円を原爆障害者調査研究事業委託費として支出することを決
定した(甲A8の87頁。)
,。このことは被爆者の医療費の国庫負担が実現する端緒となった
特に,原爆障害者調査研究委託費の中で「研究治療費」という名目,
で治療費の予算計上が認められたことは,原爆医療法の制定に向け
た大きな足がかりとなった(甲A8の87頁。)
厚生省の浅香忠雄政務次官は,昭和29年10月7日,衆議院地b
方行政委員会において「広島,長崎の原爆障害者の治療対策につい,
ての特別立法を研究中である」と発言した(甲A8の88頁。。)
(イ)被爆地における状況の変化
上記のように,国家予算による治療関係費の支給が認められたこa
とで,広島では,各医療機関において治療を受ける者が増加し,現
状の資金で治療を行っていくことが困難となった。
そこで,広島市は,さらに,昭和30年9月7日「原爆障害者治,
療費等に関する陳情書」を提出した。上記の陳情書において算定さ
れた治療費見込額の前提として,昭和25年10月1日の国勢調査
の際の付帯調査における,広島で被爆し広島市内に在住する者の数
(9万8102名)が用いられていた(甲A8の88頁,甲A9の
591,593頁。)
こうした陳情の成果や,原水爆禁止日本協議会の設立に伴う世論
の高まり等のために,昭和31年度においては,研究治療費等の予
算額が前年度の2倍以上も計上された(甲A8の88頁。)
他方で,被爆地においては,独力で被爆者の健康管理を進める動b
きもみられるようになった。
広島市段原の内科医であった中山広実医師は,昭和30年,自ら
の診療地域である段原地区の被爆者を対象として調査を行い,被爆
者に対し,マスターファイルナンバー・住所・氏名・被爆地・遮蔽
状況・外傷・急性症状等を記入した私製の「被爆者健康手帳」を渡
した。そして,同人は,広島市民病院,原対協,ABCCの協力を
得て,上記の手帳を持っている被爆者は,いつ,どこでも,健康診
断や検査が受けられ,その結果を「被爆者健康手帳」の所定の欄に
記入してもらえ,かつ,異状が発見された場合には原対協の承認を
得て治療が受けられるという仕組みを整えた。こうした仕組みは,
その後の原爆医療法に基づく被爆者健康手帳の仕組みの先駆けとな
った(甲A8の76頁。)
(ウ)立法に向けた動きの具体化
昭和31年1月7日,小林英三厚生大臣は「広島が原爆の地としa,
て特殊なところで,困っている人はこれからも出るだろう。これに
対しては何か特殊な援護法が考えられないことはないだろう。そこ
で国会の多数の賛成を得て,一つの法律としてつくることを研究し
たい」と述べた。。
同年8月9日,社会党は,初めて,原爆症患者援護法案の要綱をb
策定し,医学的,経済的,政治的の3つの観点から,国費により原
,爆症患者の治療を行うことが必要であることの根拠を示すとともに
治療を行う者の範囲,治療を行う期間,医療機関の治療方針等につ
いても具体的な言及をした(甲A8の89頁。)
同年11月5日,広島市及び長崎市は「原爆障害者援護法案要綱c,
(試案」を盛り込んだ「原爆障害者援護法制定に関する陳情書」を)
策定した(甲A8の89頁,甲A9の645頁。)
上記陳情書の内容の一部は,下記のとおりである。
「今日までの治療実績によりますと,原爆障害の症状は極めて複雑
でありまして,治療は相当長期を要し且つ困難であります。また,
被爆後11年の今日に至っても発病して重態に陥り不測のうちに死
亡するものがあり,放射能の恐るべき影響は一般被爆者に大きな不
安を与えております。なお,放射能による遺伝的影響をも残すので
はないかと心配せられており,原爆障害の研究及び治療は国家的規
模のもとに組織的に,総合的に行われなければなりません」。
「原爆障害の症状が特異であり,治療に長い期間と多額の経費を必
要とするので,これが医療費を個々の患者が負担することは極めて
困難であります。しかも原爆障害は国の責任において遂行した戦争
による犠牲であり,それが戦後11年の今日に至ってなお,犠牲者
の健康をむしばんでいるのでありますから,治療ないし健康管理は
当然国家の責任で行われるべきであると存じます。
なお,今日国の方針として原子科学及びその実用化の推進が取上
げられている折柄,これに随伴するであろう放射能障害の予防及び
治療対策を立てるためにも広島,長崎の原爆障害の研究及び治療が
貴重な貢献をすると思われます。
以上述べました事由により,この際,原爆障害者の援護に関する
法律を制定せられて,全国に散在する被爆者,障害者の福祉向上に
一段と御配慮賜わらんことを切に懇願申上げる次第であります」。
上記の陳情書は,広島・長崎原爆の被爆生存者は,両県内に合計
23万名,他の都道府県に約5万名あり,そのうち,精密検査を要
する者が約5万名,要治療者数が1万名であるということを前提と
したものであった(甲A9の644頁。)
同年12月12日,自民党及び社会党の共同提案に係る「原爆障d
害者の治療に関する決議案」が提出され,国会において,政府に対
し,速やかに必要な健康管理と医療に関する適切な措置を講じるこ
とが求められた(甲A8の90頁)
昭和32年1月7日,厚生省は「原爆障害者援護法」の実施に必e,
要な予算として,総額2億6749万3000円を大蔵省に対して
要求した(甲A8の90頁。上記予算の根拠となった健康診断(一)
般検査)費の支給対象者数,すなわち被爆者総数27万4653人
という数は,昭和25年の国勢調査に伴う付帯調査の結果(29万
2092人)をもとに推定された数値であった(甲A11の29,
30頁,乙A26,弁論の全趣旨。)
大蔵省が,このうち,生活援護費(医療手当)の予算を全額削除
したことから,厚生省や広島市,長崎市は,医療手当予算の復活に
向けて折衝を重ねたが,結局,予算案に医療手当分が盛り込まれる
ことはなかった(甲A8の91頁。)
なお,上記のように生活援護費が要求されたのは,治療のために
仕事を休まなければならなくなり,それによって生活に支障が出る
者や,市内の病院まで健康診断のために出かけていく旅費を確保で
きない者がいるといった事情が背景にあったためであった(乙A2
6。)
エ原爆医療法制定当時における科学的知見等
(ア)原子爆弾災害調査報告集(昭和28年(乙A21,乙A22))
広島原爆に関しては,原爆投下後広島市に移動したため,当日の降
雨には遭遇しなかった者にも,①相当の時間が経過した後に白血球数
が減少し,かつ一定時間後に減少していた白血球が増加した場合があ
ったこと,②程度の差はあったが,原爆症状に類似する症状が相当多
数生じた場合もあったことが報告された(乙A21の391頁。)
ただし,長崎原爆に関しては,直接被爆するのでなければ,爆心部
への滞在によっても,少なくとも原爆投下から1か月後において人体
に影響が認められることを確認することはできなかった旨が報告され
ている(乙A22の1056頁。)
(イ)原子爆彈後障害症治療指針(甲A15(昭和28年度版,原爆症調)
査研究協議会(なお,後に,原爆被害対策に関する調査研究連絡協議)
会によって,昭和30年度版が公表された(甲A16))。
上記の指針には,以下のような記述がみられる。a
「被爆者に限り,如何なる疾患又は症候についても一応被爆との関
連を考え,その経過及び予後について特別な配慮を以て当たる。そ
のためには被爆者の健康管理を系統化する。即ち一定規格のカード
を交附して,彼等の軽微な変調についても慎重に経過を観察する」。
(189頁)
「従来一般放射線障害に対する対策としては,予防的な面に止まり
積極的な治療法は行われていない。それで原爆被爆者に対しては保
険診療の制限の枠を超える充分な全身補強的処置によりその変調の
快復を促進すると共に,次に進展すべき不測の重篤な疾患の予防を
はからねばならない(190頁)。」
一方で,上記の指針には「被爆後既に10年を経過した今日に於b,
ては,もはや恐るべき障害が来ることは極めて稀であり,健康生活
の維持によって何の心配がないことを説き,医師の手で不安神経症
の誘発することがないように努める」という記述もみられる(甲A。
16の678頁。)
(ウ)都築「慢性原子爆彈症について(甲A14の3頁(昭和29年)」)
(上記の文献は,原爆医療法制定に当たって,最も参考にされたとさ
れている(弁論の全趣旨))。
慢性原子爆弾症の定義a
都築は,原爆投下後時間が経過してから障害が起こる場合,種々
雑多な障害が起こり,定まった特徴がないということを踏まえて,
原爆に遭った人々が,それから何年かを経た後に訴えている症状を
一括して慢性原子爆弾症と呼ぶものとした。
都築は,慢性原子爆弾症の具体的な症状として,①常に疲れやす
く仕事をする意欲がわかない,②記憶力が減退する,③胃腸障害,
特に下痢に悩むといった,初老期又は更年期の症状,あるいは終戦
後の生活環境が不良であったときに多くの者が訴えた症状と同様の
症状を指摘した(甲A14の3頁。)
放射能の影響に関する見解等b
都築は,慢性原子爆弾症の者の中に,①第一次放射能以外に,②
誘導放射能(特に骨外誘導放射能)の影響や,③原子核分裂破片の
作用を蒙ったと考えるべき者がいたことを指摘した上「第二次的と,
もいうべき放射能(上記②③を指す)の強さ自体は極めて微弱で」。
あるものの,第二次放射能が作用する時間が非常に長いために,第
二次放射能の生物学的作用は,一定の場合には,無視することがで
きないという考えを示した(甲A14の3頁。)
そして,都築は,具体的には,自身が数年にわたり広島及び長崎
の状況を観察したところを根拠に,①第一次放射能の作用をまった
く受けなかった者が,第二次放射能だけで重篤な症状を発現したり
慢性原子爆弾症に罹ったりした例はあまりなかったこと(例えば,
原爆投下時に爆心地から10km以上離れたところにいたが,直後
に爆心地付近に入り込んで,救護作業や死体処理の作業に従事した
人々の中には,急性症状を発症した者や慢性原子爆弾症を発症した
者は少なかったと思われること,②原爆投下時に,爆心地から2k)
mないし6km程度の位置にいた者の場合,そのことだけでは急性
(,,「」放射線症は現れなかったただし一部の者は潜伏性原子爆弾傷
の状態であったとされる)ものの,上記の者が,直後に爆心地付近。
に出入りして作業したり,あるいは生活したりするようなことがあ
ると色々の意味の第二次放射能の影響が併せ加わり,中度の傷害が
生じ,急性放射線症を発症した例が少なくなかったことを指摘する
とともに,③原爆放射線は,爆心地から1kmまでの地域では高度
の傷害を,1kmから2kmまでの地域では中度の傷害を,2km
から4kmまでの地域では軽度の傷害を与えたようであると指摘し
た(甲A14の4,8頁。)
慢性原子爆弾症の診断c
()都築は,慢性原子爆弾症の診断に当たっては,①被爆当時,どa
のくらいの第一次放射能の傷害を受けたか,②急性放射線病の症
状を発したか否か,発した場合はその程度はどうであったか,③
被爆直後1か月ないし2か月の間に,第二次放射能の影響を受け
る機会が濃厚であったかが重要であると指摘した(甲A14の7
頁。)
具体的に,都築は,①の点について,戸外では爆心地から2k
m以内,木造家屋内では1.5km以内,コンクリート建物内で
は1kmまでの範囲が,それぞれ後障害状態が起こり得る限界で
あるとした(甲A14の8頁。また,都築は,③の点について,)
原爆投下後1か月ないし2か月の間に,特に原爆投下直後の1週
間ないし2週間のうちにしばしば爆心地に入り込み,被爆地の整
理,負傷者の救護等に従事した人,とりわけ中心地区の廃墟内に
寝宿して上記の仕事に従事した人は放射能の影響を受けているら
しいと指摘した(甲A14の8頁。)
()都築は,上記の3点からみて,相当の放射能傷害を蒙っているb
疑いが濃厚である人が,何年か後になって色々な苦しみを訴え,
,,あるいは不定の症状を発症した場合には医師による診察の結果
それらの症状等を説明するに足るだけの他の疾患又は状態が発見
されない限り,ひとまず慢性原子爆弾症の可能性を疑うことが相
当であると指摘した(甲A14の8頁。)
慢性原子爆弾症に対する対応d
都築は,被爆者が,平穏な生活が続けられるよう,医療の面でも
)。社会保障の面でも手当てが必要であると指摘した(甲A14の8頁
(エ)於保「原爆残留放射線障碍の統計的観察(昭和32年(以下「於」)
保論文」という)。
於保論文における調査対象は,広島市内の一定地区(爆心地からa
2kmないし7kmの範囲)に住む被爆生存者全部である(乙A7
4の21,22頁。)
於保論文は,まず,原爆投下の瞬間に広島市内にいた者(於保論
文で「被爆者」と定義されているのは上記の集団である(乙A74
の22頁)を,原爆投下直後から3か月以内に中心地(爆心地から)。
1km以内)に出入りしたか否かで区分し,更に原爆投下の瞬間に
広島市内にいなかった非被爆者で原爆投下直後から3か月以内に入
市した者(直後入市者)についても,3か月以内に中心地に出入「」
,(,りしたか否かで区分して被爆時における遮蔽状態屋内にいたか
遮蔽物があったか,どのような建造物の中にいたか,爆心地におけ)
る滞在時間等をも考慮に入れた上,それぞれへの障害(3か月以内
における急性症状)の程度について分析した(乙A74の22頁。)
調査結果は,下記のとおりである(乙A74。b)
①原爆投下直後に中心地に入らなかった屋内被爆者
有症率(何らかの症状を発症した率)は20.2%であり,被
爆距離に反比例して有症率が高くなった。各症状の発症率も被爆
距離に反比例していた。
②原爆投下直後に中心地に出入りした屋内被爆者
有症率は36.5%であり,必ずしも被爆距離に反比例して有
症率が高くなったわけではなかった。
③原爆投下直後に中心地に入らなかった屋外被爆者
有症率は44.0%であり,被爆距離に反比例して有症率が高
くなった。各症状の発現率も被爆距離に反比例していた。また,
滞在時間が長いほど,有症率は高かった。
④原爆投下直後に中心地に入った屋外被爆者
有症率は51.0%であり,必ずしも被爆距離に反比例して有
症率が高くなったわけではなかった。被爆距離が4km程度であ
っても28.8%の有症率があった。
⑤原爆投下直後に入市した非被爆者の場合
中心地に入らなかった者の有症率は0%であったが,これに対
し,中心地に入った者の有症率は43.8%であった。特に,昭
和20年8月7日及び同月8日の午前8時に入市し,数日にわた
り横川町爆心地から15kmから爆心地を経て山口町爆,(.)(
心地から1km)に至る間の被爆者の救助と道路疎開作業を行っ
た消防団員の中に,帰村後すぐに発熱,下痢,粘血便,皮膚粘膜
の出血,全身衰弱等を来し臥床するに至った者が多数あった(家
族が同様の病気にかかった者はなかった。なお,原爆投下から。)
20日以内に中心地に出入りした者の有症率が高く,1か月後に
中心地に入った者の有症率は極めて低かった(乙A74の23,
25頁。また,中心地での滞在時間が4時間以下の場合には有症)
者が少なかったが,10時間以上の場合には有症率が高かった。
以上の調査結果を踏まえて,於保は,仮に赤痢の流行によって発c
熱や下痢が生じているのだとすれば,被爆距離が短いほど発熱・下
痢の頻度が高く,被爆距離が長くなるほど規則的に頻度が低くなっ
ている傾向や非被爆者の中でも中心地に入った者に発熱や下痢がみ
()。られる傾向を説明することができないと述べた乙A74の25頁
(オ)ABCC(米国政府(原子力委員会)の資金により,民間の学術団
体である米国学士院が第2次世界大戦終結後に設立した機関(甲A1
7の3頁)による調査)
ABCCによる調査は,昭和33年ころ「原子爆弾被爆生存者のa,
寿命調査(第1報)医学調査サブサンプルにおける死亡率と研究方
法の概略1950年10月-1958年6月(甲A13(以下」)
「第1報」という)という形でまとめられた。上記にまとめられた。
ABCCの調査結果の初期のものは,厚生省に提出され,昭和32
年の原爆医療法制定の一助ともなった(甲A17の3頁,弁論の全趣
旨。)
第1報の内容b
()ABCCは,動物実験によって,放射線に加齢現象を促進するa
作用があることが知られていたことから,被爆者における寿命短
縮の有無を確認するべく,死亡を対象項目として研究を実施する
こととした(甲A13の2頁。)
その結果,爆心地から2km未満で被爆した者の生存者数は,
爆心地から2km以遠の生存者数よりもはるかに少ないというこ
とが判明した(甲A13の8頁。しかし,早期入市者と後期入市)
者の間に死亡率の差があるとは考えられなかった(甲A13の3
8頁)こと等から,放射線のために人類の死亡率(全死因)が影
響を受けるという仮説を実質的に裏付けることはできなかったと
された(ただし,被爆後長い潜伏期間を経て発病する疾病を発見
するには時期が早すぎることも考えられるため,人間の死亡率に
対する放射線の一般的影響を確認することも否定することもでき
ない旨が指摘された(甲A13の20頁。また,非被爆者の死亡)
率は,日本全国の平均と比較しても異常に低かったことから,対
照群の設定が適当でなかった旨も指摘された(甲A13の35
頁。)。)
()第1報においては,広島市で登録された悪性腫瘍の事例を解析b
した結果,近距離被爆者中の悪性新生物罹患率は,遠距離被爆者
あるいは非被爆対照者より有意に高率であったという報告がある
旨が指摘された(甲A13の29頁。)
()第1報においては「放射性降下物と二次放射線については,議c,
論の余地もあるが,著者はこれらを二義的の放射線源と見なした
い。初期入市者(原爆投下直後に市に入ってきたもの)と非被爆
者の死亡率を比較すると統計的に有意の差を認めることができな
かった。したがって本報告では,一次放射線量だけを基礎として
被爆の程度を現わすように分類した」という記述がみられる(甲。
A13の6頁。)
()第1報においては,脱毛,口腔咽頭部病変,紫斑,点状出血,d
その他の出血といった急性放射線症は,放射線を大量に受けたと
考えられる群を選び出すために用いるのが相当であるとされた甲(
A13の5頁。)
オ原爆医療法2条(被爆者の定義規定)の制定に至る経緯
(ア)社会福祉法人全国社会福祉協議会(以下「全社協」という)による。
「原爆被害者援護法案要綱(昭和31年9月19日付け(甲A11」)
の60ないし62頁)
上記要綱は,政府により作成されたものではないが,原爆医療法制
定に関係する厚生省の内部資料に編綴された(甲A11,弁論の全趣
旨。)
「第一方針」においては,以下のとおり,法律が必要とされるa
趣旨が,下記の5つの観点から述べられた。
()科学的な観点a
原爆障害とは,放射性物質のα・β・γ線による,持続的な細
胞内原子機能の根本的破壊ならびに爆発時における熱傷と爆風に
よる広範な被害である。
()医学的な観点b
原爆被害者の治療は,長期間を要し,かつ困難である。また,
被害者は多数にわたり,かつ後障害及び遺伝的影響も残るとされ
るから,原爆被害に関する研究,治療は,総合的で規模も大がか
りであることを必要とする。
()経済的な観点c
原爆障害者の症状は特異であり,治療に長い期間と多額の費用
,。が必要となるため個々の患者は自らの治療の負担に耐え得ない
原爆障害者及び原爆死没者と同一世帯の者は,原爆による被害
が広汎長期にわたったために,生命維持の方途に苦しんだもので
ある。したがって,その障害者若しくは死没者が当該世帯の生計
の中心者に該当する場合,又は将来生計の中心者として期待され
る場合においては,その者と同一世帯の者の生活は国家の責任に
おいて保障されることを必要とする。
()政治的な観点d
,,原爆被害は国の責任において遂行した戦争による犠牲であり
原爆という当時においては予想を絶する特殊兵器による被害であ
ると同時に,無防備無準備のままにまったく個人の責任の範囲外
で生じた被害であるから,原爆被害の治療と被爆者に対する生活
保障については,国の責任で行われるべきである。
()その他の観点e
今日,国の責任において原子力科学及びその実効化の推進を取
り上げているのであるから,これに随伴するであろう放射能被害
の予防治療その他にも貴重な貢献をすると思われる。
「第二要領」においては,以下のような具体的な制度設計が提b
案された。
すなわち,国費によって治療を行う者の範囲は,まず,都道府県
知事が,被爆者の登録を行い,さらに,都道府県知事が,その中か
ら具体的に治療を行う者(原爆障害者。原爆投下当時胎内にいた者
を含む)を認定するという二段の手続によって決定するものとされ。
た。
そして,登録の対象は「現に原爆障害者である者及び将来原爆症,
の発生する可能性のある者,すなわち,被爆当時又はその直後に被
爆地域に在った者」とされた。
(イ)広島市及び長崎市による「原爆障害者援護法案要綱(試案(昭和)」
)(,,)31年11月5日付け甲A8の89頁甲A9の645646頁
上記試案には,以下のような事項が盛り込まれた。
「一国は原爆障害者に対して医療を行い,被爆者に対しては,健康
管理を行うものとすること。
原爆障害者とは,昭和20年8月広島市又は長崎市に投下され
た原子爆弾の影響により受けた政令で定める障害を有する者をい
う。
被爆者とは,昭和20年8月広島市又は長崎市に原子爆弾が投
下された時又はそれに引き続く政令で定める期間内に,政令で定
める区域内にあった者及びその者の胎児であった者をいう」。
上記試案における「被爆者」の定義は,厚生省の内部資料にも編綴
された「参議院法制局案(原爆障害者援護法案」における「被爆者」)
の定義とほぼ同趣旨のものであると認められる(甲A11の32頁。)
(ウ)政府部内における検討
厚生省「原爆被爆者の医療等に関する法律案(第1次原案(昭a」)
和31年12月12日付け(甲A11の44頁))
,「」,。上記の案においては被爆者の定義が次のように設けられた
「この法律において「被爆者」とは,昭和20年8月広島市又は
長崎市に原子爆弾を投下された時,広島市及び長崎市及び政令で定
めるこれに隣接する地域内にあった者(当時その者の胎児であった
者を含む)並びに原子爆弾が投下された時以後に爆心地(広島市細。
工町及び長崎市松山町とする)附近に立ち入った者等政令で定める。
者であって,都道府県知事の登録を受けた者をいう」。
厚生省原爆被爆者の医療等に関する法律案要綱第7次案昭b「」()(
和32年1月9日付け(甲A11の2頁))
上記の案においては「被爆者」の定義について,次のような内容,
を盛り込むものとされた。
「この法律において「被爆者」とは,昭和20年8月広島市又は
長崎市に原子爆弾が投下された時(投下時という)に広島市,長崎。
市又は政令で定める地域(投下地域という)内にあった者(当時そ。
の者の胎児であった者を含む,及びこれに準ずる者で政令で定め。)
るもの等であって,健康手帳の交付を受けたものをいうこと(甲。」
A11の2枚目)
原子爆弾被爆者の医療等に関する法律案(途中整理案(甲A11c)
の51ないし59頁)
()上記「途中整理案」は,厚生省の内部案の集大成として位置付a
けられるものであるところ,上記案においては,以下のとおり,
被爆者の定義規定が設けられた。
「この法律において「被爆者」とは,次の各号の一に該当する
者であって,第三条の規定による被爆者健康手帳の交付を受け
た者をいう。
1原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区
域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内にあった者及
び当時その者の胎児であった者
2原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内
に前号の区域のうちで政令で定める区域内にあった者
3前2号に掲げる者のほか,これに準ずる状態にあった者で
あって,原子爆弾による放射線の影響を受けたおそれがある
として政令で定めるもの」
()上記の案は,厚生大臣の諮問機関である審議会にかけられたもb
のであるところ,審議の際には,以下のような説明がされたり,
意見が述べられたりした(甲A11の41ないし43頁)
まず,原子爆弾被爆者に限って「国の責任として」健康診断等,
を行うこととする理由について,委員から,被爆者の有する医学
上の特異な障害が,いわば休火山のような状態で,今日まで及ん
でいること,及びそれが戦争によって惹起されたものであること
が指摘された(甲A11の41頁。また,被爆者に限定せず,死)
亡者及び爆風による障害者に対しても措置をとるべきではないか
との議論に関しては,厚生省の担当官から,予算の制約により範
囲を限定せざるを得なかったという説明がされた(甲A11の4
1頁。)
また,委員からは,被爆者の定義に関し「第2号及び第3号に,
胎児を含まぬ理由並びに第1号該当者関係においても,被爆後胎
児となった者を含まぬ理由は,二代に亘る遺伝は,まだ医学上の
定説となっていないということによるが,健康管理を主目的の一
とする本法案の法律案としては若干の疑問もある」という指摘が。
された。
「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律案(昭和32年2月7日d」
付け(甲A11の6ないし14頁,弁論の全趣旨))
上記の案は,厚生省が作成した法律案として,各省庁との協議に
かけられたものであった(甲A11の6頁。)
上記の案においては,以下のとおり,被爆者の定義規定が設けら
れた。
「この法律において「被爆者」とは,次の各号の一に該当する者
であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいう。
1原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域
内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内にあった者
2原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内に
前号に規定する区域のうちで政令で定める区域内にあった者
3前2号に掲げる者のほか,これらに準ずる状態にあった者で
あって,原子爆弾の傷害作用の影響を受けたおそれがあると考
えられる状態にあったもの
4前各号に掲げる者が当該各号に該当した当時その者の胎児で
あった者」
なお,各省庁との協議が開始された後,上記3号は,内閣法制局
による予備審査における指摘を踏まえ「前2号に掲げる者のほか,,
原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放
射能の影響を受けるような事情の下にあった者」という文言に修正
された(甲A11の15頁。)
その後,同年2月18日,上記法案について,厚生大臣から,内
閣総理大臣臨時代理に対し,法案提出についての閣議の請議がなさ
れ,同月19日,閣議決定がされた。そして,同法案は,同月21
日,政府により国会に提出された(甲A8の90,91頁,甲A1
1の1,63,76頁。)
「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律案(甲A8の91頁,甲e」
A11の63頁(以下「原爆医療法案」という))。
上記法案における「被爆者」の定義は,以下のとおりであった。
「1原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域
内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内にあった者
2原子爆弾の投下された時から起算して政令で定める期間内に
前号に規定する区域のうちで政令で定める区域内にあった者
3前2号に掲げる者のほか,原子爆弾の投下された際又はその
後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事
情の下にあった者
4前3号に掲げる者が当該各号に規定する事由に該当した当時
その者の胎児であった者」
上記原爆医療法案における被爆者の定義の根拠は,原爆投下の際
の障害作用,特に放射線の強さやその影響範囲等に関する諸研究を
基に,この各号に該当する者が,放射線によって人体に障害を及ぼ
す程度の影響を受けたであろうとみなされたことにあったとされる
(甲A8の93頁。)
(エ)国会における審議経過
原爆医療法案は,衆議院社会労働委員会に付託された(甲A12a
の124頁。そこで,昭和32年2月22日,同委員会において原)
爆医療法案が議題として提出され,同法案の審議が始められた(甲
A12の124頁。まず,神田博厚生大臣は,同委員会において,)
次のとおり,原爆医療法案の提案理由を説明した。
「昭和20年8月,戦争末期に投ぜられました原子爆弾による被爆
者は,十年余を経過した今日,なお多数の要医療者を数えるほか,
一見健康と見える人におきましても突然発病し死亡する等,これら
被爆者の健康状態は,今日においてもなお医師の綿密な観察指導を
必要とする現状であります。しかも,これが,当時予測もできなか
った原子爆弾に基くものであることを考えますとき,国としてもこ
れらの被爆者に対し適切な健康診断及び指導を行い,また,不幸発
病されました方々に対しましては,国において医療を行い,その健
康の保持向上をはかることが,緊急必要事であると考えるのであり
ます。これらにつきましては,政府といたしましても昭和29年度
以降若干の予算を計上して,広島長崎両県に居住する一部の人に対
し逐次精密検査及び研究治療を行って参ったのでありますが,被爆
者の現状にかんがみますれば,今後全国的にこれが必要な健康管理
,,と医療とを行いもってその福祉に資することといたしたいと考え
ここに原子爆弾被爆者の医療等に関する法律案を提出した次第であ
ります(甲A8の91頁)。」
同委員会における原爆医療法案の審議の過程においては,以下のb
ような質問及びそれに対する政府側からの回答が行われた。
()質問被爆者の生活の実態からして,生活扶助が必要ではないa
か。
回答(厚生大臣)
生活扶助の点は,他の戦争犠牲者等との関係ですぐには
,。,実現できなかったが将来に向けた懸案事項である当面
()。世帯更生資金の方で賄っていきたい甲A12の125頁
()質問原爆医療法2条3号は,いわゆる原水爆の実験による放b
射能の影響を受けた者,並びに日本国内における宇治や茨
城県の東海村等において放射能の影響を受けた者にも適用
されるのか。
回答(政府委員)
広島原爆,長崎原爆のこと以外は想定していない。
2号については,原爆投下時には市内にいなかったが,
(),2週間の期間内に入市爆心地からおよそ2km以内し
遺骨の掘り出しや見舞で探し回った人を想定している。
3号については,例えば,原爆投下時に爆心地から5k
m以上離れた海上にいた者や,ずっと離れたところで死体
の処理等に当たった看護婦あるいは作業員が,その後に原
子病を起こしてきたというような場合があるので,そのよ
うな場合を救済する趣旨で設けた(甲A12の127頁。)
()質問被爆者健康手帳交付の際の判定は,いかなる方法で行うc
のか。
回答(政府委員)
申請する際には,申請書のほかに被爆者であったかどう
かということを証明するに足る書類を添付することとされ
ている。しかし,書類の焼失や紛失等のために,そのよう
な書類を整えることが現実的には難しくなり,審査を明確
になし得ない場合も想定される。そこで,できるだけ当時
の被爆者を救っていきたいという考えから,申請者が原爆
医療法2条の要件に該当することを2人の証明者に証明し
てもらい,都道府県知事による認定を行うこととしたいと
考えている。
放射能の影響の科学的な証明それ自体は,一層困難であ
り,ほとんど不可能であると考えられる(甲A12の12
7頁,乙A2。)
()質問被爆後に受胎した胎児が白血病になって死亡した事例がd
あるところ,このような事例については,胎児被爆につい
ての学説が定説になるのを待たずに救済がされるべきでは
ないか。
回答(厚生大臣)
質問の趣旨は理解できるが,被爆後に受胎した者につい
てまで手が届かなかった(甲A12の127,128頁。)
回答(政府委員)
被爆後に受胎した者への,遺伝学的な意味での放射能の
影響については,現在の学界でもいろいろ問題になってお
り,国際遺伝学会も近く開かれてその問題が議せられると
いうことを聞いている。しかし,今までのところは,上記
,のような影響については消極的な意見が割合多かったため
,。被爆後に受胎した者については法案の対象としなかった
もっとも,専門家による遺伝学的な検討が進み,上記の
ような影響も当然考えなければならないということになれ
ば当然法の対象に含めなければならないと考えている乙,(
A2。)
厚生省公衆衛生局において,原爆医療法案の審議に関係して用意c
された想定問答のうち,主要なものは以下のとおりであった(乙A
28。)
()質問原爆で死亡した者に対する措置は考えないか。a
回答この点につきましては他の戦争犠牲者との均衡の問題も
あり,慎重に検討いたすべきだと存じますが,現在被爆者
の置かれております特殊な健康状態にかんがみ,これらの
者の医療及び健康管理を行うこととした法案を提出した次
第であります。
()質問原爆症とは何か。b
回答原爆症とは,原子爆弾に起因すると考えられる疾病傷害
について仮に呼ばれている名でありまして,決定的な単独
の疾病としてははっきり致しておりません。
従いましてその病名は,白血病とか,再生不良性貧血と
,。かその他一般に使用されている病名であらわれています
しかし現在の医学においては未だ証明されないものが被
,爆者に加わっていることも想像されるところでありまして
例えば被爆者が一見老化現象が早く現われるように感ぜら
れること,疾病に対する抵抗性が弱いこと等が考えられる
のであります。瘢痕につきましてもケロイドの発生が特に
多くあったことはご承知の如くでありまして瘢痕れん縮に
よる機能障害を治療するにおきましてもその治ゆが困難を
伴っていることが経験されております。
要するに原子爆弾の放射能に起因すると推定される疾病
等であって特異な症状を呈する一群の疾病群を総称して原
爆症と呼ばれていると考えます。
()質問広島市・長崎市に隣接する区域とはどの程度を考えていc
るか。
回答爆心地よりおおむね5kmの範囲が妥当であろうという
学者の意見でありますのでその程度を考えております。
()質問投下以後の政令で定める期間,政令で定める区域とはどd
のようなものを考えているか。
回答学者の意見によりまして投下後約2週間,爆心地より約
2km程度を考えております。
()質問身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下e
にあった者とは例えばどういうものをいうか。
回答例えば投下後に爆心地より3kmの地点において患者の
収容に当った看護婦が発病したというような事件もあると
いわれておりますので,このようなことを考慮して規定を
おいた次第であります。要するに原爆の放射能の影響も未
だ完全に究明されておらない現状でありますので,このよ
うな例についてもこの法律による医療等を受け得るように
するため,かような規定を設けたわけであります。
()質問被爆者健康手帳の交付を受けた者は,それをもって行けf
ば指定医療機関で医療を受けられるようなことは考えられ
ないか,仮に認定処分が必要であるとしても知事(市長)
が行うようにした方が患者の保護が図れるのではないか。
回答負傷,疾病が原爆の傷害作用に起因するかどうか極めて
むづかしい問題でもありますので,全国的に統一をとる意
味から厚生省において又審議会の意見をきいて行うことが
より適切だと考えた次第であります。
()質問原子爆弾被爆者医療審議会はどのような構成でどんな事g
務を行うか。
回答委員は20名で年8回行う予定であります。委員は,原
爆症について高度の経験と識見のある方から選ぶつもりで
ありまして,現在の原爆被害対策に関する調査研究連絡協
議会(広島長崎部会)の先生方等にお願いしたいと思いま
す。地元の先生にもお願いしたいと思っております。
同年3月25日,衆議院社会労働委員会において,非課税措置にd
関する一部修正を経て,原爆医療法案が可決され,併せて,附帯決
議動議も可決された。翌同月26日,原爆医療法案は,衆議院本会
議において可決され,同法案は,同日,参議院に送付された(甲A
12の124,128,129頁。)
上記附帯決議には「政府は原子爆弾その他に因る放射能障害につ,
いての研究及び之に対する治療法の進歩を図るため積極的施策を講
。」(,)。ぜられたいという項目が盛り込まれた甲A8の9192頁
その後,原爆医療法案は,参議院における審議を経て,昭和32e
年3月31日に成立した。原爆医療法は,同年4月1日から施行さ
れた(甲A8の91頁。)
(オ)原爆医療法制定後の関連資料
昭和36年8月に発行された「広島原爆医療史(これは,原対協の」
評議員会において,保健文化賞受賞の記念事業として出版することと
なったものである(甲A9の733頁)においては,原爆医療法が)。
制定された趣旨について「突然発病したようにみえる疾病も,実は徐,
,々にその傾向が高まっていたことを知らずに生活していた場合が多く
多少の疲労感や倦怠感などは無視して働いていたために,発病すると
。,短期間のうちに重症に陥ることもよくみられた例であったこれらは
定期的な健康診断によって医師の適当な健康指導を受けておれば発病
を防止することもできるし,また不幸にして発病していても,早期発
見早期治療の原則どおり比較的軽症のうちに短期間で軽快し得るもの
である。これは,原爆症だけでなく他の一般疾病についても同様であ
って,ことに被爆者は放射能障害による生活機能の減弱や治癒能力の
欠除が目だっているので,この法律では健康診断による健康管理に最
も意を注いでいるわけである」という記述がみられる(甲A9の66。
8頁。)
,「」,,また上記広島原爆医療史においては3号被爆者の例として
当時海上等遮蔽物のないところで放射能の直射を受けた者,応急の救
護所で働いた者(多数の被爆者の看護等をした者,死がいを片付けた)
りした者等が列挙されている(甲A9の665頁。さらに,上記「広)
島原爆医療史」においては,3号被爆者への放射能の影響につき「降,
下した放射性物質はもちろん,被爆者に付着した放射性物質及び被爆
者自身からの放射能などを受けていると目される」とも述べられてい。
る(甲A9の666頁。)
(,)()原爆医療法の規定及び関連する通達等甲A9の742頁以下乙A13
ア目的
(ア)原爆医療法1条の定め
原爆医療法1条は,同法の目的について,広島市及び長崎市に投下
された原子爆弾の被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態に
かんがみ,国が被爆者に対し健康診断及び医療を行うことにより,そ
の健康の保持及び向上をはかることと定めている(甲A8の93頁。)
(イ)昭和32年5月14日付け衛発第267号厚生事務次官発通達
同通達は,原爆医療法の目的について「原子爆弾による被爆者には,
今日においてなお多数の要医療者を数え,また,一方,健康と思われ
る被爆者の中からも突然発病し,死亡する者が生ずる等被爆者の置か
れている健康上の特別の状態にかんがみ,国においてこれら被爆者の
健康診断及び医療等を行うべく制定されたものである」と述べている。
(甲A8の93頁,乙A11。)
イ被爆者の定義
(ア)原爆医療法2条の定め
「この法律において「被爆者」とは,次の各号の一に該当する者で
あって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいう。
1原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内
又は政令で定めるこれらの隣接する区域内にあった者
2原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内に前
号に規定する区域のうちで政令で定める区域内にあった者
3前2号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後
において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の
下にあった者
4前3号に掲げる者が当該各号に規定する事由に該当した当時そ
の者の胎児であった者」
(イ)原爆医療法2条1号にいう,政令で定める広島市に隣接する地域a
は,安佐郡祇園町,安芸郡戸坂村,同郡中山村,同郡府中町のそれ
ぞれ一部とされた原子爆弾被爆者の医療等に関する法律施行令昭((
)(「」。)和32年4月25日政75号以下原爆医療法施行令という
1条1項(甲A8の93頁。))
原爆医療法2条2号にいう期間については,原爆医療法施行令1b
条2項により「広島市に投下された原子爆弾に関しては昭和20年,
8月20日まで,長崎市に投下された原子爆弾に関しては同年同月
23日まで」と定められた(甲A9の749頁。)
ウ被爆者健康手帳の申請
(ア)原爆医療法3条の定め
被爆者健康手帳の交付を受けようとする者は,都道府県知事(ただ
,,。)し広島市あるいは長崎市の居住者の場合には市長以下同様である
に対して交付申請をしなければならないものとされた(3条1項。)
都道府県知事は,同条1項の申請に基づいて審査し,申請者が2条
各号のいずれかに該当すると認めるときは,その者に被爆者健康手帳
を交付するものとされた(3条2項。)
(イ)原子爆弾被爆者の医療等に関する法律施行規則(昭和32年4月3
0日厚令8号(以下「原爆医療法施行規則」という)の定め)。
原爆医療法施行規則1条は,被爆者健康手帳の交付を申請しようと
する者は,交付申請書に,その者が原爆医療法2条各号のいずれかに
該当する事実を認めることができる書類(当該書類がない場合におい
ては,当該事実についての申立書)を添えて,その居住地の都道府県
知事に提出しなければならないと定めている(乙A1の436頁。)
(ウ)昭和32年5月14日衛発第387号厚生省公衆衛生局長通達「原
子爆弾被爆者の医療等に関する法律の施行について(以下「昭和32」
年通達」という)。
被爆者であることは,次のような書類によって認めるものとされた
(甲A8の93,98頁。)
①当時の罹災証明書その他公の機関が発行した証明書
②前号のものがない場合,当時の書簡,写真等の記録書類
③前2号のものがない場合,市町村長等の証明書
④前3号のものがない場合,第三者(3親等内の親族を除く)2人。
以上の証明書
⑤前各号のいずれもない場合は,本人以外の者の証明書又は本人に
おいて当時の状況を記載した申立書及び誓約書
ただし「申請者において法2条各号の一に該当することを立証する,
については相当の困難を伴うものと考えられるので,被爆者健康手帳
の交付申請の際の添付書類についても,必要に応じ弾力性ある処理を
考慮する等により,被爆者となるべき者に被爆者健康手帳が交付され
ないことがないよう留意する」べきである旨も併せて通達された(甲
A8の98頁,甲A18の170頁。)
なお,広島市長による審査においても,被爆者健康手帳交付申請の
際に添付するべき書類については,昭和32年通達に従った運用がさ
れている(乙A10。)
(エ)昭和51年3月18日衛企第5号厚生省公衆衛生局企画課長通知被「
爆者健康手帳の交付事務について」
,証明書の入手や証人2人を探し出すことが極めて難しくなったのに
それらを被爆者健康手帳交付の必須条件とすることが非現実的となっ
たことを踏まえて,上記通知は「審査は,単なる書面審議にとどまら,
ず,可能な限り申請者本人及び申請者の被爆の事実を証明する証明書
を書いた者から事情を聴取する等により事実の確認に努められたいこ
と「手帳交付の決定に際しては,部内の合議による等の適切な審査体」
制について配慮されたいこと」と述べた。
なお,これを受けて,被告においても,昭和52年6月9日に,審
査会が設置された(甲A18の170,171頁,乙A11。また,)
,,,被告の担当者は添付書類のみに依拠することなく申請事由ごとに
標準的な質問事項を記載した面接票を用意し,それをもとにして関係
者に対する面接等を行っている(乙A4の75頁。)
エ健康診断
(ア)原爆医療法4条は「都道府県知事は,被爆者に対し,毎年,厚生省,
令で定めるところにより,健康診断を行うものとする」と定めた(甲。
A9の743頁。)
(イ)厚生省公衆衛生局長昭和33年8月13日衛発727号「原子爆弾
被爆者健康診断要領(甲A9の668,669頁)」
「昭和20年広島及び長崎の両市に投下された原子爆弾は,もとよ
り世界最初の例であり,従って核爆発の結果生じた放射能の人体に
及ぼす影響に関しても基礎的研究に乏しく明らかでない点がきわめ
て多い。しかしながら被爆者のうちには,原子爆弾による熱線又は
爆風により熱傷又は外傷を受けた者及び放射能の影響により急性又
は亜急性の造血機能障害等を出現した者の外に,被爆後十年以上を
経過した今日,いまだに原子爆弾後障害症というべき症状を呈する
者がある状態である。特に,この種疾病には被爆時の影響が慢性化
して引き続き身体に異常を認めるものと,一見良好な健康状態にあ
るかにみえながら,被爆による影響が潜在し,突然造血機能障害等
の疾病を出現するものとがあり,被爆者の一部には絶えず疾病発生
の不安におびえるものもみられる。
従って,被爆者について適正な健康診断を行うことによりその不
安を一掃する一方,障害を有するものについてはすみやかに適当な
治療を行い,その健康回復につとめることがきわめて必要であるこ
とは論をまたない。
しかしながら,いうまでもなく放射能による障害の有無を決定す
ることは,はなはだ困難であるため,ただ単に医学的検査の結果の
みならず被爆当時の状況,被爆後の行動等をできるだけ精細に把握
して,当時受けた放射能の多寡を推定するとともに,被爆後におけ
る急性症状の有無及びその程度等から間接的に当該疾病又は症状が
原子爆弾に基づくか否かを決定せざるを得ない場合が少なくない。
従って健康診断に際してはこの基準を参考として影響の有無を多
面的に検討し,慎重に診断を下すことが望ましい」。
オ医療の給付(甲A8の94頁)
厚生大臣が,被爆者について,原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し
又は疾病にかかり,現に医療を要する状態にあると認定した場合,ある
いは,当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射線に起因するものでないとき
は,その者の治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けているため現に
医療を要する状態にあると認定した場合には,当該被爆者は,医療の給
付が受けられるものと定められた(7,8条。医療の給付の範囲は,①)
診察,②薬剤又は治療材料の支給,③医学的処置,手術及びその他の治
療並びに施術,④病院又は診療所への収容,⑤看護,⑥移送と定められ
た(7条2項。)
なお,厚生大臣が上記の認定を行うに当たっては,原子爆弾被爆者医
療審議会の意見を聞かなければならないものと定められた(8条。)
カ昭和33年8月13日衛発第726号各都道府県知事・広島・長崎市
長あて厚生省公衆衛生局長通知原子爆弾後障害症治療指針について甲「」(
A9の763頁)
上記通知には,下記の内容が記載されている。
「原子爆弾被爆者に関しては,いかなる疾患又は症候についても一応被
爆との関係を考え,その経過及び予防について特別の考慮がはらわれな
ければならず,原子爆弾後障害症が直接間接に核爆発による放射能に関
連するものである以上,被爆者の受けた放射能特にX線及び中性子の量
によってその影響の異なることは当然想像されるが,被爆者の受けた放
射能線量を正確に算出することはもとより困難である。この点について
は被爆者個々の発症素因を考慮する必要もあり,また当初の被爆状況等
を推測して状況を判断しなければならないが,治療を行うに当っては,
特に次の諸点について考慮する必要がある」。
「被爆地が爆心地から概ね2km以内のときは高度の,2kmから4k
mまでのときは中等度の,4kmを超えるときは軽度の放射能を受けて
たと考えて処置して差し支えない」。
「被爆後の急性症状の有無及びその状況,被爆後における脱毛,発熱,
粘膜出血,その他の症状を把握することにより,その当時どの程度放射
能の影響を受けていたか判断することのできる場合がある」。
4原爆医療法の改正,原爆特別措置法の制定及び改正の経緯
()原爆医療法について浮き彫りとなった問題点1
原爆医療法の制定後,仕事を休んでまで被爆者健康診断や医療を受けよ
うとはしない者が多くいることが判明し,生活援護の必要性が浮き彫りと
なった(甲A8の104頁。)
原爆医療法制定時における衆議院社会労働委員会の附帯決議をもとに,
世帯更生資金予算は増額されたが,それだけでは十分な措置がされたとは
いえなかったため,昭和33年2月,原対協は「原爆障害者生活援護費給,
付規程」を制定し「原爆被爆者にして低額所得のため原爆医療を受けるこ,
とにより生活を脅かされるおそれのある者」に対し,2000円以内又は
6000円以内の生活費を支給することにした(甲A8の104,105
頁。)
()原爆医療法の改正(昭和35年)2
ア「特別被爆者」の概念
(ア)上記の法改正により「特別被爆者」に対しての救済の拡充が図られ,
た。ここに「特別被爆者」とは「原子爆弾の放射線を多量に浴びた,,
被爆者で政令で定めるもの」を指す(原爆医療法14条の2。特別)
,()。被爆者には特別被爆者健康手帳が交付されるものとされた甲A2
上記原爆医療法14条の2を受けて,政令(昭和35年政令第22
4号原子爆弾被爆者の医療等に関する法律施行令の一部を改正する政
令)においては「特別被爆者」の範囲が,①原爆投下の際,爆心地,
から2km以内にいた者とその胎児,②原爆医療法8条1項により治
療認定を受けた者,③原爆投下の際,広島・長崎両市及びその隣接区
域内にいて直接被爆した者で,原爆投下後2週間以内に爆心地から概
ね2km以内の区域に入り,しかも健康診断の結果,造血機能障害,
,,,,肝臓機能障害悪性新生物内分泌系の障害中枢神経系の血管損傷
循環器系の障害腎臓機能障害があると認められた者と定められた甲,(
A8の110頁。)
,,,なお①について爆心地から2kmの範囲に限定がされた理由は
被曝放射線量と被爆距離についての種々の検討の結果,国際医学で指
摘されていた被曝線量である25レントゲン(約0.15グレイ)以
上の被曝をした者を特に区別するべきであると考えられたためであっ
た(甲A8の110頁,弁論の全趣旨。)
(イ)特別被爆者に認定された被爆者には,原爆症認定を受けた疾病以外
の一般疾病で医療を受ける場合にも医療費(一般疾病医療費)が国費
から支給されることとなった(甲A8の110頁。)
特別被爆者に,一般疾病医療費が支給されることになったのは,原
子爆弾の放射線を多量に浴びた被爆者は,一般的に疾病にかかりやす
く,負傷又は疾病にかかった場合も治癒が遅い傾向にあり,また,負
傷や疾病が基で原爆症が誘発されやすい傾向にもあるという理由に基
づくものであった(甲A8の110頁。)
イ医療手当の新設
厚生大臣は,原爆症のために医療が必要であると認定した被爆者(た
だし,一定の所得に満たない者に限る)に対して,治療期間中,医療手。
当を支給するべきものとされた(甲A8の110頁。)
ウ健康診断の充実等
(ア)昭和35年における法改正に併せて,厚生省の通達によって,被爆
者健康診断の精密検査を受診した者に,国費負担で交通手当が支給さ
れることになった(甲A8の114頁。)
(イ)昭和40年4月の原爆医療法施行規則の改正により,従来,都道府
県知事及び広島市長,長崎市長が期日や場所を指定して行っていた健
康診断(定期健康診断)の他にも,被爆者の便宜を考慮する形で,被
爆者の申請に応じる形での健康診断(希望健康診断)があらかじめ指
定された場所で年に2回を限度として行われることになった。
また,原爆医療法施行規則の改正は伴わなかったが,一般検査の結
果,医師が必要と認めた場合に,3日程度の入院を伴って行われる精
()()。密検査収容検査の仕組みも新たに設けられた甲A8の121頁
()その後の改正の経緯3
ア特別被爆者の認定要件の緩和
(ア)特別被爆者の定義において,爆心地から2kmの地点で線引きがa
されたことに関しては,地元関係者の不満が大きかった(甲A8の
117頁。)
前記「広島原爆医療史」(前記3()オ(オ)参照)においても「特別2,
被爆者の定め方が原子爆弾の放射線を多量に浴びたという事実を根
拠とする以上,問題のある被爆距離や二次放射能関係については被
爆者の健康管理の面から,もっと幅のある措置をとり,医療保障の
前進を図るべきであろう」という記載がされていた(甲A9の73。
1頁。)
そこで,昭和37年3月31日,原爆医療法施行令が改正され,b
前記()ア(ア)①の類型の特別被爆者の範囲が,原爆投下の際,爆心地2
から3km以内にいた者及びその胎児にまで拡張されるとともに,
前記()ア(ア)③の類型の特別被爆者の範囲が「直接被爆者でかつ被2,
爆後2週間以内に爆心地から概ね2km以内の区域に入った者」で
厚生大臣が定める障害がある者から「直接被爆者又は被爆後2週間,
以内に爆心地から概ね2km以内の区域に入った者」で厚生大臣が
定める障害がある者にまで拡張された(甲A8の118頁。)
(イ)広島市議会は,昭和38年9月28日「原爆医療法の拡大強化とa,
被爆者救援に関する決議」を採択したところ,上記決議に当たって
の趣旨説明においては,周辺地区の者が市内の者を救援に来たり,
死体収容等をしたりして二次放射能の強烈な影響を受けたのにそれ
らの者が救済の対象とされていないことが指摘された。また,上記
の決議においても,爆心地から3km以上離れたところにいた者に
おいても,甚大な放射能の影響が医学的に現れている例があること
が指摘された(甲A8の118頁。)
上記のような背景を踏まえて,昭和39年3月,原爆医療法の施b
,,,行令の改正がされ原爆医療法で定義されている被爆者はすべて
厚生大臣が定める障害があれば特別被爆者とすることとされた甲,(
A8の118頁。)
さらに,昭和40年の改正においては,被爆後3日以内に爆心地
から2km以内に入市した者及びその胎児,特定区域(残留放射能
濃厚地区)で直接被爆した者及びその胎児が新たに特別被爆者に加
えられた(甲A8の120頁。)
イ原爆特別措置法の制定
(ア)原爆医療法に関して問題とされた点
()まず「特別被爆者」の問題に関しては,原爆後障害を発症したaa,
のは,必ずしも特別被爆者の要件を満たす者だけではないことが
指摘され,特別被爆者の線引きの根拠等をめぐって議論が続けら
れた(甲A18の124頁。)
()また,医療手当の額は,昭和35年改正の後にも増額されたもb
のの,昭和42年の時点でも,月額3400円あるいは1700
(),円程度当時の老齢福祉年金の額と概ね同額にとどまっており
関係者からは,疾病を現に患っており労働が困難な者が生きてい
くことを考えれば低額にすぎるということが指摘された(甲A1
)。,,8の124頁また医療手当を受給するまでの手続の煩雑さや
医療手当について所得制限が設けられていることも,批判の対象
となった(甲A18の124頁。)
()さらに,被爆者には,抵抗力が衰えるいわゆるぶらぶら病等のc
病気が生じやすかったため,被爆者は十分な栄養と休養をとる必
要があったにもかかわらず,被爆者は,生活のために無理をして
働くために健康診断を受ける余裕すらも確保できない状態であっ
たことから,生活保障面での公的な施策が必要不可欠であるとい
うことが強く指摘されるようになった(甲A18の125頁。)
()併せて,被爆者援護対策を充実するためには,被爆者が置かれd
た実態を把握することが不可欠であるとして,被爆者の実態を調
査することの必要性も強く説かれるようになった(甲A18の1
28頁。そうした背景をもとに,昭和40年11月,厚生省によ)
る被爆者の実態調査が行われた(甲A18の128頁)が,その
結果については被爆者の不満が強く,上記調査の結果は公表され
なかった(甲A18の129頁。)
なお,いわゆる東京原爆訴訟の判決においても,原爆医療法につb
いて「この程度のものでは,とうてい原子爆弾による被害者に対す,
る救済,救援にならないことは,明らかである」という指摘がされ。
た(甲A18の126頁。この判決は,被爆者援護の充実を求める)
更なる動きを生み出すきっかけとなった(甲A18の126頁。)
(イ)原爆特別措置法の制定
前記(ア)のような問題点を是正するため,広島・長崎双方の県,県a
議会,市,市議会の八者の連名で「原子爆弾被爆者特別措置法」の,
制定を求める陳情が政府に対して行われた甲A18の131頁な()(
お,この後も,八者協による陳情は,全国の自治体の被爆者行政の
あり方を方向付ける指針として重視され,毎年の予算編成の参考と
された(甲A18の146頁。)。)
,,,b上記の陳情等を受け政府において法案の策定作業が進められ
昭和43年4月2日に,原爆特別措置法案が国会に提出された。法
案提出の趣旨については「原子爆弾の傷害作用の影響を受けた者の,
中には,身体的,精神的,経済的あるいは社会的に生活能力が劣っ
ている者や,現に疾病に罹患しているため,他の一般国民には見ら
れない特別の支出を余儀なくされている者等,特別の状態に置かれ
ている者が数多く見られる(中略)これら特別の状態に置かれてい。
る被爆者に対する施策としては,医療の給付等の健康面に着目した
対策のみでは十分ではなく,その特別の需要を満たし,生活の安定
をはかることが必要である」という説明がされた(甲A18の13。
7頁。)
原爆特別措置法の内容c
()目的a
原爆症の治療方法が確立されたとはいえない中で,長期にわた
り不安な生活を余儀なくされている者に慰安,教養の手段を与え
ることで精神的安定を図り,医療効果の向上を図ることが目的に
掲げられた(甲A18の137,138頁。)
()医療手当の増額b
原爆特別措置法の下では,入通院している認定被爆者を対象と
して,月額3000円あるいは5000円の医療手当が支給され
ることになった(甲A18の138頁。ただし,医療手当の支給)
については,所得制限がなお設けられた(甲A18の138,1
41頁。)
()特別手当の新設c
特別手当(月額1万円)は,負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作
用に起因する旨の認定を受けた者で,現在もその状態にある者に
対し,支給されるものとされた(甲A18の137頁。)
特別手当の支給についても,所得制限が設けられた(甲A18
の141頁。)
()健康管理手当の新設d
健康管理手当(月額3000円)は,特別手当の支給対象者を
除く特別被爆者に対して支給されることと定められたが,対象と
なる疾病は,①無形成貧血等の造血機能障害,②肝硬変等の肝臓
機能障害,③がん等の細胞増殖機能障害,④糖尿病等の内分泌腺
機能障害,⑤脳出血等の脳血管障害,⑥高血圧性心臓病等の循環
器機能障害,⑦慢性腎炎等の腎臓機能障害の7種類の障害に限ら
れた。また,支給条件としても,上記の疾病で日常自ら十分な保
健措置を講じることが困難な者であること(具体的には,①65
歳以上の者,②国民年金法に定める1,2級に該当する重度の障
害者,③小頭症患者,④母子世帯の母親等のいずれかに該当する
こと)が必要であるとされた(甲A18の137頁。)
健康管理手当の支給についても,所得制限が設けられた(甲A
18の141頁。)
ウ原爆特別措置法の制定後の施策の動向等
(ア)原爆特別措置法制定後に問題視された点等
原爆医療法,原爆特別措置法の下で,生活援護の恩恵を享受できa
る被爆者がごく一部の範囲に限定されていることが問題視された甲(
A18の140頁。)
こうした事情に加え,社会が高度成長を遂げる中で被爆者の生活
苦が目立ったことから,医療手当等の拡充や医療機関,保養施設等
の設置に重点をおいた陳情活動がされた(甲A18の148頁。こ)
のような働きかけがあったこともあり,原爆特別措置法所定の諸手
当は,整理,統合,細分化されながら全体として増額されることに
なり,所得制限も緩和されることになった(甲A18の159頁。)
また,特別被爆者と一般被爆者を区別して取り扱うことに対するb
批判を受け,昭和49年10月には,被爆者健康手帳の一本化(特
別被爆者制度の廃止)が実現された(甲A18の155頁。すなわ)
ち,すべての被爆者が,健康診断と一般疾病医療費の支給を等しく
受けられるようになった(甲A18の175頁,乙A1。)
原爆医療法と原爆特別措置法が併存する形となったことにより,c
被爆者がとるべき申請手続が複雑化したことが問題視されるように
なったこと(甲A18の139頁)もあり,昭和53年には,八者
協が「現行二法の一本化」を打ち出したところ,これを皮切りに,
国家補償の精神に基づく画期的な援護対策の確立が本格的に求めら
れるようになった(甲A18の148頁。)
例えば,国会では,毎年のように「被爆者援護法」が議員提案さ
れたが,廃案や継続審議が繰り返された(甲A18の333頁。)
(イ)原爆被爆者対策基本問題懇談会による指摘等
,,,ac前記(ア)のような八者協等による働きかけに対し当初政府は
①原爆による被害者を一般空襲による戦災者と区別して特別扱いす
ることはできない,②被爆者の生活が苦しい場合には,生活保護法
等の社会福祉体系の中で救済されるべきである,③国家補償の対象
は,軍人,軍属といった国と何らかの法的関係のある者に限られる
,「」べきであるといった理由から国家補償法としての被爆者援護法
の制定に消極的な姿勢を示していた(甲A18の333頁。)
その後,昭和54年6月に厚生大臣の私的諮問機関として設置さb
れた原爆被爆者対策基本問題懇談会(以下「基本問題懇談会」とい
う)は,原爆被爆者対策の基本理念及び原爆被爆者対策の基本的在。
り方について,被爆者団体や関係自治体の代表その他学識経験者か
らの意見聴取及び現地視察をも踏まえ,14回にわたって検討を行
い,昭和55年12月11日「原爆被爆者対策の基本理念及び基本,
」(「」。)的在り方についてと題する報告書以下懇談会報告書という
をとりまとめた(乙A29。)
懇談会報告書は,まず,被爆者対策の基本理念について「この惨,
禍で危うく死を免れた者の中にも原爆に起因する放射線の作用によ
り,35年を経た今日なお,晩発障害に悩まされている者が少なく
ない。原爆放射線による健康上の障害には,被爆直後の急性原爆症
に加えて,白血病,甲状腺がん等の晩発障害があり,これらは,被
爆後数年ないし10年以上経過してから発生するという特異性をも
つものであり,この点が一般の戦災による被害と比べ,際立った特
殊性をもった被害であると言うことができる」と述べ,さらに,原。
爆医療法の制度の根底に実質的に国家補償的配慮があることを肯定
した最高裁判所昭和50年(行ツ)第98号同53年3月30日第
一小法廷判決民集32巻2号435頁を引用した上「従来国のとっ,
てきた原爆被爆者対策は,原爆被害という特殊性の強い戦争損害に
着目した一種の戦争損害救済制度と解すべきであり,これを単なる
。,,社会保障制度と考えるのは適当でないまた原爆被爆者の犠牲は
その本質及び程度において他の一般の戦争損害とは一線を画すべき
特殊性を有する「特別の犠牲」であることを考えれば,国は原爆被
爆者に対し,広い意味における国家補償の見地に立って被害の実態
。」。に即応する適切妥当な措置対策を講ずべきものと考えると述べた
続いて,懇談会報告書は「広い意味における国家補償の見地」に,
立った「適切妥当な措置対策」の具体的な意味について「第1に,,
国家補償の見地に立って考えるというのは(中略)今次戦争の過程,
において原爆被爆者が受けた放射線による健康障害すなわち「特別
の犠牲」について,その原因行為の違法性,故意,過失の有無等に
かかわりなく,結果責任(危険責任といってもよい)として,戦争
「」。」,被害に相応する相当の補償を認めるべきだという趣旨である
「第2に,原爆被爆者に対する対策は,結局は,国民の租税負担に
よって賄われることになるのであるが,殆どすべての国民が何らか
の戦争被害を受け,戦争の惨禍に苦しめられてきたという実情のも
とにおいては,原爆被爆者の受けた放射線による健康障害が特異の
ものであり「特別の犠牲」というべきものであるからといって,他,
の戦争被害者に対する対策に比し著しい不均衡が生ずるようであっ
ては,その対策は,容易に国民的合意を得がたく,かつまた,それ
は社会的公正を確保するゆえんでもない。この意味において,原爆
被爆者対策も,国民的合意を得ることのできる公正妥当な範囲に止
まらなければならないであろう」と述べた。。
その上で,懇談会報告書は,原爆被爆者対策の基本的な在り方に
ついて言及し「ひとしく原爆被爆者と称せられる者は,すべて「特,
別の犠牲」を余儀なくされた者と理解すべきものとしても,放射線
被曝の程度には人によって差があり,多量の線量を被曝した者から
被曝の可能性があったにすぎない者まで含まれている。また,被曝
による放射線障害の程度についても,原爆による放射線障害である
と明らかに認められる者から放射線障害の生ずる可能性のある者に
至るまで,まちまちであり,これに対する対策の必要性は,人によ
って著しく異なる。したがって今後の対策は,画一に流れることを
避け,その必要性を確かめ障害の実態に即した適切妥当な対策を重
点的に実施するよう努めるべきである」と述べた。。
そして,懇談会報告書は,より具体的に,被爆地域の指定につい
て「被爆者対策に関し,被爆地域拡大の要求が関係者の間に強い。,
ところで,被爆地域の指定は,本来原爆投下による直接放射線量,
残留放射能の調査結果など,十分な科学的根拠に基づいて行われる
べきものである。ところで,これまでの被爆地域の指定は,従来の
行政区域を基礎として行われたために,爆心地からの距離が比較的
遠い場合でも被爆地域の指定を受けている地域があることは事実で
あるが,上述のような科学的・合理的な根拠に基づくことなく,た
だこれまでの被爆地域との均衡を保つためという理由で被爆地域を
拡大することは,関係者の間に新たに不公平感を生み出す原因とな
り,ただ徒らに地域の拡大を続ける結果を招来するおそれがある。
被爆地域の指定は,科学的・合理的な根拠のある場合に限定して行
うべきである」と指摘した。。
加えて,懇談会報告書は,国の行う被爆者対策の内容の改善につ
いても触れ「原爆放射線の身体的影響については,多くの事実が明,
らかにされているが,なお解明されていない分野がある。また,原
爆放射線の遺伝的影響についても,現在までのところ有意な影響は
認められていないものの,さらに研究を重ねる必要がある。このた
め,研究体制の整備充実を図ることにより周到な研究を進め,問題
を逐次解明することが,被爆者に対する国の重大な責務であると同
時に,世界における唯一の被爆国であるわが国が国際社会の平和的
発展に貢献する道といえるであろう」と述べた。。
(ウ)被爆地域の指定についての政府の姿勢
昭和57年3月1日,衆議院予算委員会第三分科会において「被爆,
地域の不均衡」に関する質問に対し,政府委員は,以下のような答弁
をした。
まず,政府委員は,原爆医療法制定当時における被爆地域の指定に
ついて「当初の被爆地域の指定に際しましては,日本学術会議の発行,
いたしました原子爆弾災害調査報告書やあるいはその他の専門家の意
見も参考にいたしまして,爆心地から大体5kmの範囲といたしまし
て,その際に既存の行政区画の範囲も考慮に入れたということでござ
います」と説明した。その上で,政府委員は,原爆医療法制定以降に。
おける放射線に関する研究を紹介して,①一生の間に一度被曝する場
合の最大許容線量というのは,ICRPの勧告によれば25レムであ
るところ,広島においてそれ以上の線量の被曝をしたと考えられるの
は爆心地から1.7km以内にいた者であるとされること,②ABC
Cの調査研究によれば,爆心地からおよそ3km離れると,被曝線量
がゼロとなるとされることを説明し,こうしたことから,政府として
は,原爆医療法の被爆地域の指定によって十分に必要な範囲が網羅さ
れていると認識している旨を答弁した。
上記の答弁に対し,質問者から更に追及がされたところ,政府委員
は,懇談会報告書にも言及した上,被爆地域の見直しをする際には,
科学的合理性が伴わなければならず,そうでなければ,新たな不公平
感が生み出される懸念があるという見解を示した(乙A27の22,
23頁。)
(エ)健康診断等の充実
昭和53年7月11日付け厚生省公衆衛生局長通知「原子爆弾被a
爆者の健康診断における問診票の採用について」
上記通知においては,被爆者の高年齢化に伴って健康面で何らか
,,の自覚症状を訴える受診者が増加しているところ健康診断に際し
問診が成人病等の早期発見の端緒になる等,健康診断における問診
の重要性が,ますます大きくなっていることが指摘された(甲A1
8の155,156頁。)
昭和63年5月1日,原爆医療法施行規則が改正され,健康診断b
に,胃がん,肺がん,乳がん,子宮がん,多発性骨髄腫についての
がん検診が追加して設けられることになった(甲A19の42,4
3頁。その後も,平成4年には,がん検診項目に大腸がんが追加さ)
れた(甲A19の44,45頁。)
こうしたがん検診の追加は,被爆者の高齢化とともに,被爆者の
間に,がんの発生率の上昇がみられるようになったことを背景とす
るものであった(甲A18の156頁。)
エ被爆者援護法の制定
前記ウのような,国家補償の観点からの画一的な被爆者援護法を求める
動きや,基本問題懇談会による被爆者対策の基本的な在り方についての
指摘を受け,政府において被爆者援護法案の策定作業が行われ,平成6
年に,被爆者援護法が制定された(甲A18,弁論の全趣旨。)
なお,結果として,前記第1章第2の1()イにおいて示したように,3
被爆者援護法において「国家補償」という文言が法文上明記されること
はなかった。もっとも,各種手当の所得制限の撤廃や,葬祭料・特別葬
祭給付金の創設等,法律の国家補償的な色彩を強める内容が新たに盛り
込まれた。
5被爆者援護法の下における各地方自治体の運用等
()広島市における3号被爆者該当性についての審査のあり方等1
ア審査基準の内容について
(ア)広島市長は,昭和48年に,当時の原爆医療法2条3号の運用に関
して,3号被爆者該当性に関する審査基準として「被爆者の定義」を,
策定した。それ以降「被爆者の定義」については,被爆者援護法制定,
時に形式的な修正がされたが,実質的な意味での修正は一度もされて
いない(乙A7。)
現在における「被爆者の定義」の内容は,以下のとおりである。

1原子爆弾が投下された際当時の広島市の沿岸部と金輪島および似
島とを結んだ線内の海上であって,遮蔽物のない場所で被爆した者
とする。
,(「」2原子爆弾が投下されたその後被爆者援護法施行令以下政令
という)第1条第2項に定める期間内に,政令別表第2に掲げる地。
域以外の地域において,次に掲げる作業に従事した者(当該従事者
に背負われた子等を含む)とする。。
(1)10名以上の被爆した者の輸送
(2)10名以上の被爆した者の救護
(3)被爆した者の収容施設等における10名以上の被爆した者の
看護
(4)10名以上の被爆した者の死体の処理
広島市長が上記審査基準を設けていることは,上記基準が満たされ
ない場合であっても,科学的知見等に基づいて,被爆者援護法1条3
号の要件に該当すると考えられるときに被爆者健康手帳の交付がされ
ることをおよそ否定するまでの趣旨ではない。もっとも,上記の基準
を満たさないような救護・看護活動しか行わなかった者等が,3号被
爆者に該当すると判断された例が実際にあることはうかがわれない弁(
論の全趣旨。)
(イ)上記「被爆者の定義」における10名以上とは,1日当たりの最a
大人数を問題にする趣旨であり,例えば,1日当たりの救護人数と
看護人数の合計が最大で10名以上である場合にも,被爆者該当性
が肯定されることになる(乙A9,乙A10,乙A11の13頁。)
()上記「被爆者の定義」における「救護」とは,収容施設等(一ba
定期間にわたり被災者を収容した施設)へ被爆した者を収容する
以前の段階において,焼失区域の周辺に設けられた救護所等(緊
急的に被災者を収容するため屋外にテント等によって造られた場
所)へ被爆者を救出し,又は被爆者に対し応急手当を行うことを
いう。また「被爆者の定義」における「看護」とは,収容施設等,
に収容された被爆者に対し,直接接触し手当てや介抱をしたり,
洗顔・食事・排便等について介助したりすること等をいうものと
される(乙A6の143頁,弁論の全趣旨。)
,()個人の家屋が被爆者の公的収容施設として提供されていた場合b
以下のような行為を行った者について「看護」を行ったものとさ,
れる(乙A11の17頁(これ以外の行為が「看護」に当たるか)
否かは,個別的に判断される。。)
①被爆者に直接接触した事例
・包帯の交換をする。
・油,薬,アカチン,キュウリの汁等を傷につける。
・蛆を取ってあげる。
・注射をしてあげる。
・食事及び水を飲ませてあげる。
・便所に連れていってあげる。
・大小便をとってあげる。
・子どもの世話をする。
・体,顔等をふく,体をさする。
・寝起きの手助けをする。
・タオルを水にぬらし,火傷を冷やす。
・体の位置をかえてあげる。
・衣服をぬがしてあげる。
②被爆者に間接接触した事例
・包帯,衣服,布団,シーツ等の洗濯をする。
・汚れ物を土の中に埋める。
()「被爆者の定義」に該当する作業をした者に背負われていた者c
としては,概ね2歳までの者が認定の対象となっている(乙A1
5,弁論の全趣旨。)
イ上記の審査基準の策定経緯及びその見直し等
(ア)審査基準の策定に至る経緯
広島県知事は,審査基準を明確なものにするという観点から,昭a
和43年9月30日,前記「被爆者の定義」と同趣旨の審査基準を
策定した(乙A4の69,70頁,乙A5。)
これに先立ち,広島県の担当者は,放射線医学の専門家とされる
者(原医研の者)に電話照会をし,救護所等で被爆者の看護や死体
処理等を行った者の人体への放射線の影響について尋ねたところ,
上記の専門家とされる者は「学問的に云えば,50名位を数日間行,
なえば影響があると思うが,政治的な問題もあり,10名位にして
はどうか。期間については,法律に規定してある8月20日までな
らば日数に関係なく影響があったと考えてよいだろう」という回答。
をした(乙A5。さらに,広島県の担当者は,厚生省の事務官に対)
しても上記の点に関する意見を求めたところ,同事務官は,当初,
単に「不特定多数」としか回答をしなかった。そこで,広島県の担
当者が「不特定多数では事務を行うことが困難なためはっきりした,
人数を回答してほしい」と述べたところ,同事務官は,広島県が救
護等の人数が10名以上であれば被爆者健康手帳を交付し,10名
以下であれば被爆者健康手帳の交付申請を却下とする取扱いとし,
裁定に不服がある者については厚生大臣に対する再審査請求をさせ
るようにするということを一応了解した。
そこで,広島県知事は,絶対に被爆者に不利な方向での誤りが生
じないところでの線引きをするべく,1日当たり10人以上という
数字を審査基準に掲げることとした(弁論の全趣旨。)
広島市長は,上記審査基準に倣う形で「被爆者の定義」を策定しb,
た(弁論の全趣旨。)
上記の策定に至るまでには,次のような経過があった。
すなわち,昭和44年10月22日に,中国新聞の夕刊に,1名
の被爆者を看護しても被爆者健康手帳の交付を受けることができる
という趣旨を伝える記事が掲載されたことに伴って,広島市民から
家族の看護を行った場合には被爆者健康手帳の交付が受けられるの
か否かについての問い合わせがあったのを受け,被告の担当者は,
同年11月4日に,厚生省事務官に対して,電話で,基準に関する
照会をした。これに対し,厚生省事務官は「原子爆弾の放射能を受,
ける事情のもとにあった者」の意義について「看護や死体処理を行,
った人数は10名前後が妥当であると思う。10名前後というのも
正しい根拠があるのではない。手帳交付者の調査を行った結果最低
が10名位であったためである。家族1名を看護した場合でも放射
能の影響を受けたと判断できれば,市長の裁量で交付しても差支え
ないと思うが,広島県と広島市の取扱いが相違することは行政上好
ましくないので,十分,広島県と協議のうえ決定し,交付すること
が決定するようなことがあれば,厚生省に連絡して欲しい」と回答。
した(乙A5。)
上記の回答を受けて,被告の担当者は,同日,更に広島県の担当
者にも電話で意見を求めたところ,広島県の担当者は,被告の担当
,(,)。者に対し前記の経過の概要を説明した乙A5弁論の全趣旨a
(イ)審査基準についての見直し等
昭和59年,厚生省の企画法令係長は,全国原爆被爆者対策講習a
会及び事務打合会の場において,広島県原爆対策課からの質問に回
答する形で,救護者が負傷した被爆者に背中合わせでびっしり密着
された場合でも,被曝線量は,原爆投下当日で数ラド程度であり,
10日以上経つと0.01ラド以下になることを指摘した上「救護,
・看護については,かなり厳格に取扱う必要があると考えている。
そのため「被爆者の定義」により10人以上と運用しており,広島,
・長崎のやり方にそってやっていただきたい」と指摘した(乙A1。
5,乙A16の1。)
また,上記講習会及び事務打合会の場において,厚生省の企画法b
令係長は「救護・看護については,ある程度厳密な対応をする必要,
があると考えているが,何才という基準は困難で,結局は事実関係
で処理することになると考えている。取り扱いを慎重にお願いした
い」という一般論を指摘した上で「最近年少者で救護・看護した。,
とする申請があるが,実際審査してみるとそうでないという事例が
多々見受けられる。したがって,一応さきほど広島県のいわれたよ
うに,当時の国民学校の6年生以下の者については,救護・看護等
に当たる必然性について相当程度の立証を要するとするのが妥当と
考える。相当程度の立証とは,当時の記録,引率者の証明とか広島
県のいわれたやり方で確認していくことが必要である」と述べ,さ。
らに,救護・看護活動をした者に背負われていたと認定できる年齢
の限界について「常識的に言って,広島県の言われたように2才程,
度が妥当であって,それを超える者については相当程度の立証が必
要と考えられる」と述べた(乙A15,乙A16の1。。)
,,,,c広島市長としてはこれまで原爆投下当時小学校12年生で
単に看護に当たった者に同行したにとどまる者については,被爆者
に当たるという認定をしてこなかった(乙A6の80頁。このよう)
な姿勢に対し,昭和57年度予算特別委員会において,委員から,
①介護そのものをしていなくても長時間母親と救護所にいて被爆者
,,に接触していれば被爆者健康手帳の交付を認めるべきではないか
②医学的にはまだまだ未解明の分野が多いが,それだけに原爆の影
響を受けたのではないかと考えられる人に対しては,積極的に被爆
者健康手帳を交付するようにするべきではないか,といった疑問が
呈された(乙A6の80頁。)
()広島市長は,一応「被爆者の定義」を見直すだけの新たな科学da,
的知見が得られれば必要な見直しを行うという姿勢をとっている
(乙A9。現に,被告の担当者は,昭和57年の時点では,救護)
・看護の人数や従事者の年齢等の面で,審査基準について整理し
なければならない問題があると認識しており,広島県とともに,
国に対し,明確な解釈基準を示すように求めていた(乙A6。)
()b
①平成15年12月18日に開かれた広島市議会厚生委員会の
会議においては3号被爆者の認定のあり方が問題とされた乙,(
A4しかしながらその後においても現在に至るまで被)。,,,「
爆者の定義」の改定はされていない。
②上記の厚生委員会においては,被告の原爆被害対策部援護担
当課長により,次のような指摘がされた(乙A4。)
すなわち「被爆者の定義」が設けられた理由やその科学的な,
裏付けの有無について「運用に当たって,審査基準を明確にし,
たいということで,これは昭和43年9月に,広島県において
今の厚生労働省と協議の上,10人以上の被爆者の救護・看護
等に従事された方などということで,この3号の被爆者の定義
という形で定められた。本市も,いわゆる周辺町村の合併とい
うこともあって,昭和48年8月に,広島県と同一内容でこれ
を定めている。そして,現在,これにより運用しているところ
である。また,昭和43年に広島県が被爆者の定義を定める際
に,放射線医学の専門家に相談し,救護所等で被爆者の看護や
死体処理などを行われた場合,その人体に及ぼす放射線の影響
を,学問的に言えば50人くらいの人を数日間,直接に取り扱
われた場合には影響があるのではないかと,そういう意見があ
った。また,それまでの取扱いを踏まえて,放射線の影響があ
ると考えられる最低線として,1日当たり10人という人数が
決められているものである」という指摘がされた。この指摘に。
対し,同課長に質問をした委員からは「科学というのは進歩す,
るし,放射能がどの程度,人体に影響を及ぼすものであるかと
いうのは,まだまだ知られざる世界も大きいわけである。そう
いう意味では,10人と,1日ということでぴたっと区切るの
がいいのかどうか,これは疑問が残る点ではないかというふう
に思うのである。それで,私は,今の話を聞いても,科学的な
根拠は,なるほどというふうには納得できない」という反応が。
あったものの,同課長は「被爆者の定義」の科学的根拠等につ,
き,更に具体的かつ詳細な答弁を行わなかった。
上記のような原爆被害対策部援護担当課長の答弁の内容は,
広島市議会における昭和57年度予算特別委員会(厚生関係)
において,原爆被害対策部長が行った答弁の内容とほぼ同趣旨
であった(乙A6の81頁。)
ウ3号被爆者に対する被爆者健康手帳交付の実情等
広島市内の3号被爆者が広島市における原爆医療法ないし被爆者
援護法所定の「被爆者」の全体に占める割合は,昭和56年の時点
では4.3%(3号被爆者の合計人数は4753名,平成17年の)
時点では10.0%(3号被爆者の合計人数は8151名)であっ
た(乙A13,乙A14。)
なお,平成17年度における広島県内全体での一般疾病医療費の
支出は,約158億円であり,同年度における広島県内全体での健
康管理手当の支出は,約283億円であった(甲A19の77,8
8頁。)
()他の自治体における3号被爆者についての審査基準の内容等(調査嘱託2
の結果)
(本項においては,便宜,都道府県知事あるいは市長でなく,都道府県あ
るいは市の形で,表記をしている)。
ア審査基準を設けていない都道府県
,,,,,,,,青森県岩手県秋田県山形県福島県茨城県栃木県千葉県
富山県,石川県,福井県,山梨県,長野県,愛知県,三重県,京都府,
奈良県,和歌山県,鳥取県,島根県,愛媛県,高知県,宮崎県,鹿児島
県,沖縄県
なお,以下の都道県においては,次のような留意がされている。
①北海道
事例が少ないため,国に問い合わせる等して,第三者の証明や証明
者の手帳交付状況等から個別に審査する。
②群馬県
広島県,長崎県の事務手引を参考としている。
③埼玉県
身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者
として,被爆した者の探索,救援,死体の処理,調査に従事した者が
考えられる。
そして,そうした活動が行われた具体的な日時・場所,被探索者や
被救援者等の人数やそれらの者との接触状況,探索や救援等の必要性
などを総合的に勘案し,客観的に判断すべきであるという厚生労働省
の指導に基づいて,審査を行っている。
④東京都
被爆者の搬送,救護,死体処理及び救護所等の収容所内での看護を
行った者が考えられる。
個別の事例に応じて,関係機関に救護所の設置状況や同様の認定事
,,,,例の有無等を照会の上従事期間従事した経緯具体的な従事内容
接触した被爆者数等を総合的に勘案し,審査を行うこととしている。
⑤新潟県
交付審査に当たっては,広島県,長崎県,広島市,長崎市に審査方
法等について照会をしている。
⑥静岡県
申請者が不特定多数の者の救護や死体処理を救護所で行っていたか
否かということについて,審査における判断の一環としている。
⑦滋賀県
軍や県等の命令の下に救護等に従事しており,団体行動をとってい
た場合が想定される。
このような場合,同じ救護に従事していた者で被爆者健康手帳を所
持している者からの証明書の添付により認定ができるし,そのような
証明がとれない場合でも,都道府県等に照会を行って得た資料から本
人の供述との合致が得られる場合には認定が可能である。
⑧徳島県
徳島県における過去の認定事例,広島県・長崎県等他の都道府県の
同様の事例に係る認定の有無,当該事例に係る審査基準等を問い合わ
せ,参考とする。
⑨香川県
広島市の取扱いを参考にするとともに,個別具体的に救護等の状況
等も勘案している。
イ審査基準を設けている府県及び市
①長崎市
「原子爆弾が投下された後,施行令第1条第2項に定める期間内に施
行令別表第2に掲げる入市区域の範囲外において,多数の被爆者と接
触する次の作業に従事した者(当該従事者に背負われた子等を含む)。
とする。
ア10人以上の被爆者の輸送・救護
イ10人以上の被爆者の死体処理
ウ被爆者が収容された施設等において10人以上の被爆者の看護
エ刊行された被災記録により救護活動の状況が確認できる救護所
で従事した者
オ組織された救護(看護)で多数(10人以上)の者を収容,処
理した者」
長崎市長は,原則として,ウ,エ,オのとおり,公的収容施設(救
護所)又はそれに準ずる施設において,公的命令またはこれに準ずる
者の命令によって従事した者を3号被爆者とすることを前提としてい
る。そして,代表的な公的収容施設については「長崎原爆戦災誌第1,
巻」に記載されており,収容人数等が確認されているところ,長崎市
長は,こうした救護所での活動であれば,多数の被爆者と直接,接触
せざるを得ない状況にあるため,当該ア,イの要件を満たすと判断し
ている。
長崎市長は,申請者の活動場所が公的収容施設でない場合は,まず
刊行された被災記録や当時の施設管理者及び官公署関係者からの事情
聴取等により,収容人数や活動内容を確認し,救護所として認定でき
るかを判断する。そこが救護所として認定できない場合は,ア,イの
要件に該当するか確認することが困難であるので,原則として,申請
を却下している。
②宮城県
被爆した者10人以上の死体処理,救護活動等に従事した者
③神奈川県
・原爆が投下されてから2週間以内に10名以上の被爆者の搬送・
救護・死体処理及び救護施設内で看護を行うもの
・遮るもののない海上で直接被爆したもの
④大阪府
広島市長が策定した基準に依拠している。
⑤兵庫県
原子爆弾が投下された際又はその後2週間以内において,おおむね
10体以上の死体処理,被爆者の救護活動等を行った者
⑥岡山県
10名以上の被爆者の輸送,救護,死体処理又は被爆者の収容施設
等における10名以上の被爆者の看護をした者(当該従事者に背負わ
れた子等を含む)。
人数は従事期間のうちで最も多い日における人数とする。
⑦山口県
援護法施行令(以下「政令」という)1条2項に定める期間内に,。
政令別表第二に揚げる地域以外の地域で,10名以上の被爆者の輸送
・救護・看護・死体処理に従事した者
⑧福岡県,佐賀県
以下の2点が考慮され,さらに,)に関しては,以下に詳述する要2
素が考慮される。
)被爆当時の住所,職業,年齢,家族の状況等から,申請内容のよ1
うな救護に従事し得る状況にあったか
)申請内容が法第1条第3号に該当するか2
・原爆が投下されたその後,施行令1条2項に定める期間内に施
行令別表2に挙げる入市地域の範囲外において,多数の被爆者と
接触する次の作業に従事したか
a10名以上の被爆者の輸送,救護
b10名以上の被爆者の死体処理
c被爆者の収容施設等において10名以上の看護
・刊行された被災記録により,救護活動の状況が確認できる規模
のものか(被爆した親戚知人の救護,死体処理は含まない)。
・組織された救護(看護)で,多数の者を収容,処理したか
・申請者の作業従事体験を具体的に申述しているか
⑨長崎県
前記「被爆者の定義」と概ね同様であるが,各事案ごとに,以下の
ような要素を総合的に判断して認定の可否を決定している。
)身体に放射能の影響を受けるような事情下にあったか1
)原子爆弾投下後,昭和20年8月23日まで,要請等により入市2
区域外の公の収容施設内外において,組織された救護で多数の被爆
者を看護搬送したか,あるいは,死体搬送,火葬埋葬に従事したか
)上記)の内容が,被爆者(又は死体)とどの程度の濃厚な接触を32
伴うか
)証明書は同一作業場における同一作業内容の者からの証明である4

,,,5)申請者の家族に手帳所持者がいる場合その者が申請に際して
申請者の活動についてどう述べていたか
⑩熊本県
被爆者の救護や死体処理,搬送に従事した者等
⑪大分県
被爆者の搬送(輸送,救護,死体処理及び収容所内での看護を約1)
0名以上行った者
()地方自治体の運用に対する厚生労働大臣の姿勢3
厚生労働大臣は,平成15年ころ,被爆者健康手帳交付申請却下処分に
,(()関する審査請求についての裁決において次のように説示した乙B4
21,弁論の全趣旨。)
「法(被爆者援護法)第1条第3号の規定に該当する被爆者として認定す
るに当たっては,申請者の救護等の事実の有無及びその具体的な内容を極
力正確に把握した上で判断することとなる。具体的には,救護等の開始日
時,場所,救護等を行った人数,救護等の具体的な内容等について確認す
ることが必要であり,特に申請者と被爆した者との接触状況等については
必要不可欠な情報である。
また,申請者が昭和20年当時年少者であった場合など,申請者が救護
等に当たる必然性が低いと考えられる場合には,その事実関係について,
当該申請者が救護等に当たる必然性を含めて,特に慎重に立証する必要が
ある。さらに,単に救護等の活動に従事したというのではなく,身体に原
子爆弾の放射能の影響を受ける程度の救護等の活動に従事した者でなけれ
ば,1条第3号に該当する者であると認めることはできない」。
6本件において問題となる現在の科学的知見等
()内部被曝の危険性について1
ア内部被曝特有の危険性を肯定する考え方
(ア)理論的な説明
内部被曝のメカニズムa
外部被曝の場合,放射能を有する物体から全方位に照射される放
射線のうち,当該人体に向かうもののみが問題となり,しかも,有
意な被曝をもたらすのは,γ線のみであるとされる。まして,人体
が,被曝した放射線環境から離れれば,継続して被曝することには
ならないとされる(甲A3の4頁。)
これに対し,内部被曝の場合,人工放射性物質が微粒子を形成す
ると(一般に,天然放射性物質の場合,放射性原子1個1個がばら
ばらに他の原子と結合していることが多いのに対し,人工放射能原
子の場合,原子が集まって微粒子を形成する傾向が強いものとされ
る(甲A46の31頁,膨大な数の放射性原子が微粒子内部に)。)
存在することになるため,微粒子から連続的に放射線が放出され,
微粒子(特に,水溶性ではなく排泄がされにくい微粒子。ホットパ
ーティクルとも呼ばれる)の周囲にホットスポットと呼ばれる濃密。
な被曝領域が作り出されるという仮説が唱えられている。そして,
この仮説によれば,ホットスポットにおいては,局所的に,飛程の
短いα線やβ線によって密度の濃い電離作用が働くことになるもの
とされ,また,放射線の強さは距離に反比例することから,γ線の
影響も非常に大きくなるものとされる。加えて,内部被曝の場合に
は,放射性物質が体内に存在し続けることになるため,人体が放射
性環境を離れても,被曝が継続することになるとされる(甲A3の
16頁,甲A25(平成17年6月刊)の86頁,甲A38の12
頁,甲A43の50,51頁。)
,,なお上記のような内部被曝の局所的な作用の危険性については
身体全体が均等に被曝することを想定した吸収線量の評価によって
は適切に評価することができないものという指摘がされている甲,(
A3の5頁,甲A37の10頁。)
内部被曝によって生じ得る影響b
()内部被曝によって放射線に直接打撃された細胞が死滅することa
で,腸管や毛根の機能が失われ,下痢や脱毛といった急性症状が
生じることは十分にあり得るという見解が存在する(甲A46の
30頁。)
()電離作用によってDNAの二重鎖の切断が起こることは前記2b
()イのとおりであるところ,上記のような切断は,放射線によっ2
てDNAが直接損傷を受ける場合だけではなく,①電離によって
イオン化した水分子がDNAの二重鎖を切断するような場合(間
接効果が生じる場合)や,②直接照射を受けていない近隣の細胞
のDNAが放射線照射の影響で切断されるような場合(バイスタ
ンダー効果が生じる場合)にも起こり得るとされる(甲A3の1
4頁。)
バイスタンダー効果については,近時注目が集まっているとこ
ろであり,少なくとも,放射線(特にα線)の照射を受けていな
い近隣の細胞にも被曝の情報が伝わり,突然変異が生じるという
ことはほぼ明らかにされたものと考えられているが,そうした突
然変異が発がんまでもたらすか否かという点に関しては,知見が
確立しているとまではいいがたいものとされる(甲A39の11
頁,乙A75の78頁,Σ,弁論の全趣旨(なお,遮蔽された領)
域が低線量被曝をする場合,腫瘍発生の確率が,均一照射の場合
に匹敵することが確認されたことは,照射されていない細胞が皮
膚腫瘍の発生等に影響を与えていることを示唆するものであると
いう指摘がされている(乙A50。)。)
(イ)ICRPの「1990年勧告(以下「ICRP勧告」という)に」。
よる指摘
ICRP勧告においては,放射線の皮膚への影響に関連して「放射,
性粒子,とくにいわゆる“ホットパーティクル”で生じうるような,
非常に小さな面積が中程度から高エネルギーのβ線によって非常に高
線量の被曝をすることは,特殊な問題を提起する」という指摘がされ。
ている(甲A21の177頁(ただし,ICRP勧告は,一方では,)
「皮膚の確定的影響を防止するためには,放射線の照射野の大きさが
増すにつれて線量を下げなければならないことが臨床的に受け入れら
れている」とも述べている(甲A21の178頁。。)。)
また,ICRP勧告においては,内部被曝の場合,放射性物質の摂
取後長い時間を経てから線量の一部が与えられることがあるために,
障害の実際の発現は遅れることになるという指摘もされている(甲A
21の203頁。)
(ウ)内部被曝の危険性を示唆するとされる事実(チェルノブイリ原発事
故)
昭和61年4月26日ころ,チェルノブイリ原子力発電所の4号炉
が爆発し,300メガキュリー(キュリーは,放射能を表す単位の一
種である)にも上るとされる放射性物質(そのうち,ヨウ素131が。
40メガキュリー,短寿命放射性ヨウ素が100メガキュリーを占め
たとされるところ,ヨウ素は甲状腺に集中する性質を持つとされる)。
が放出される事故が起きた(乙A47の149頁,乙A48の1頁。)
この事故による被害として,甲状腺がん(特に小児甲状腺がん)の発
生が顕著にみられたことは,内部被曝の危険性を裏付ける事実である
とも指摘されている(乙A47の150頁,弁論の全趣旨。)
なお,チェルノブイリ原発事故に起因する一般住民の放射線被曝の
場合,種々の経路を通じた内部被曝の影響が極めて大きく,個人の被
曝線量を推定することは至難であるという指摘がされている(乙A4
7の150頁。)
イ内部被曝の危険性を否定する考え方
(ア)内部被曝のメカニズムについて
外部被曝であろうと内部被曝であろうと,全身や組織,臓器が受a
,,ける放射線の量が同じであれば人体影響に差異はないのであって
内部被曝であるからといって,ことさらに危険性が高まるというこ
とはないし,むしろ,内部被曝は,局所において徐々に被曝する形
の連続被曝であるため,急性の全身被曝の場合に比べて人体の回復
力が働きやすいという指摘がされている(甲A38の76頁,乙A
35の22頁,乙A38の14頁,乙A60の1の20頁,Σ。)
()ホットパーティクルによる局所被曝の危険性を唱える,いわゆba
る「ホットパーティクル理論」は,科学的実験によって否定され
たものであるという考え方が唱えられている(ただし,上記実験
については,被曝区域間の距離が細胞どうしの距離に比較して離
れすぎている状況の下での照射実験であった点が,ホットパーテ
ィクル理論を支持する立場からの批判の対象とされている(甲A
49の4頁。)。)
()また,ホットパーティクル理論はICRP勧告における次の記b
(,述によっても否定されたものであるという指摘がある甲A21
弁論の全趣旨。)
がん誘発のリスクは「ある特定の臓器または組織においてリス,
クを負った被照射細胞の数(中略)に大まかに比例すると考えら
れる。臓器・組織が不均等に照射される場合には特殊な状況が出
現し,その極端な場合は“ホット(非常に放射能の高い)パー,”
ティクルが肺または肝臓のような臓器・組織の一部のみを照射す
るときに起こる。そのとき全組織にわたって平均された線量は,
高濃度の放射性物質の近くの線量よりもずっと低い(中略)一般。
に“ホットスポット”中の高濃度の放射性物質は,均一に分布し
てもっと低い均等な線量を与える同量の物質よりも,発がん性に
ついては効率が低いことがわかっている。このことは概して理論
的予想と一致する(甲A21の127,128,178頁,な。」
お乙A50参照)
(イ)被曝線量について
残留放射線量の全体についてa
()DS86がとった前提a
DS86は,検討の前提として,誘導放射能,放射性降下物の
いずれによる放射線であっても,数ラドの放射線量があるとすれ
ば,全体の線量推定において考慮するべきであるとしている(甲
A31の209頁。)
また,DS86においては,残留放射線の個人被曝は,爆弾投
下時における直接放射線の被曝に比べて,有意でないかもしれな
いが,これらの線源への被曝の可能性のある人々は,被曝しなか
ったと考えられるグループに含めるには,疑わしい人たちである
と述べられている(甲A31の227頁。)
()誘導放射線b
DS86においては,爆心地での誘導放射能からの外部放射線
の潜在的最大被曝線量(爆発直後から無限時間まで爆心地にいた
ものとして仮定した場合の被曝線量)は,広島について約80レ
ントゲン(約0.5グレイ,長崎について約30レントゲンない)
し40レントゲン(約0.18グレイないし0.24グレイ)で
あると推定されている(甲A31の227頁,弁論の全趣旨。)
()放射性降下物c
DS86は,黒い雨が恐らく放射性のものであったであろうと
いうこと,放射性降下物が己斐・高須地区を中心に降下したこと
(これは,原爆投下当時の風向きによるものとされる(乙A37
の4枚目)を前提としている(甲A31。)。)
その上で,DS86は,基本的には昭和20年9月以降の調査
結果に依拠し(甲A31の209,213,217,218頁,
弁論の全趣旨,風雨の影響を補正することなく,放射性降下物の)
測定が行われるまでの数週間ないし数か月の間における,己斐・
高須地区での放射性降下物による累積的被曝の寄与は,恐らく1
レントゲンないし3レントゲン(約0.006グレイないし0.
02グレイ)の範囲であるという結論を導いた(甲A31の21
8頁,乙A30の10頁。)
ただし,DS86は,上記のように,風雨の影響を補正しない
前提での評価を述べつつも,一般的に,降雨は地表の物質を斜面
から低地帯又は排水装置へと洗い落とす傾向があるが,一方,平
坦な地域では放射性降下物を保持する傾向があるかもしれず,試
料採取場所についての詳細な知識なしには風雨の影響を評価する
のは不可能であるとしている(甲A31の214頁。)
なお,DS86が,爆発後の3か月間における広島での900
mmの降雨や枕崎台風の襲来によっても放射性降下物が洗い流さ
れなかったことを仮定している点については,放射性降下物の量
の過小評価に結びつくものであるという批判がされている(甲A
28の64,65頁。)
内部被曝線量の推定についてb
()DS86は,黒い雨及びその後の3か月にわたる広島・長崎両a
市での大量降雨は,大気から放射能を取り除いたので,吸入によ
る被曝の可能性を最小限度のものとしたということを前提として
いる(甲A31の211頁。)
()放射性降下物に含まれるセシウム137(セシウム137は,b
骨,肝臓,腎臓,肺,筋肉に多く沈着するとされる(甲A25の
)。,82頁セシウム137がβ線を出してバリウム137に変わり
バリウム137がγ線を放出して安定したバリウム137に変化
するものとされる(甲A44の18頁)の量は,昭和44年の)。
-1
時点において男性で13ピコキュリー/kg(ピコ」は,10「
を指す)女性で10ピコキュリー/kgであったところ,身体2

負荷値が指数的に減少し,環境半減期(環境中に存在するセシウ
ムに汚染された物質を体内に摂取し続けたことをも仮定した半減
,。).期であって単なる生物学的半減期とは異なる概念であるが7
4年(なお,セシウム137の物理的半減期は37年であり(甲
A20の480頁生物学的半減期は100日であるとされる弁),(
論の全趣旨)であったと仮定すると,昭和20年から昭和60)。
,,年までの40年間の内部被曝線量の合計は男性で10ミリレム
女性で8ミリレムであると推定できるものとされる。なお,この
線量は,身体を通じての一様な分布を仮定した上で計算されてい
る(甲A31の219頁,乙A75の45頁,弁論の全趣旨。)
上記の線量計算においては,ホールボディーカウンターを用い
てセシウム137から発せられることになるγ線(ホールボディ
ーカウンターによっては,α線,β線を測定することはできない
(乙A45の295頁)を測定した結果をもとに,線量換算係)。
数を用いて預託線量(放射線核種が摂取された時点から生涯にわ
)()。たっての線量が求められているといわれている弁論の全趣旨
ただし,DS86においては,放射性降下物の中のすべての核分
裂生成物及び放射化生成物から由来するセシウム137の堆積量
と無限大時間までの累積的γ線被曝の間の関係にしか言及がされ
ておらず(セシウム137堆積量1ミリキュリー/kmは,全核2
種からの累積的γ線被曝線量300ミリレントゲンに換算できる
ものとされている,α線やβ線の内部被曝線量が求められた形。)
跡はうかがわれない(甲A31の214,216頁(DS86に)
おいて参考文献の一つとして引用されている「長崎における原爆
」(,),の放射性降下物の影響調査ABCC昭和44年においては
ホールボディーカウンターによる測定によって,β線とγ線を合
計して算定がされた旨が記述されている。しかし,この点につい
ては,どのような方法でβ線量を測定し,あるいは算定したのか
が不明瞭であるという指摘がされている(乙A54の19頁,
Σ。)。)
()なお,石榑信人は,半減期の関係から,長期間の内部被曝を検c
討するに当たって考慮するべき核種は,ストロンチウム90とセ
シウム137に限られると指摘している(乙A40の1頁。)
(ウ)その他
吸入摂取の場合,粒子径が1μm以下のものでなければ肺胞まで到
達しないが,1μm以下の粒子を含む火災塵の中には,有意な内部被
曝線量をもたらす誘導放射性核種が含まれない(灰のもとになる木材
に含まれるナトリウム及びマンガンの存在比は極めて小さい)ため,。
吸入による内部被曝の危険性は少ない旨を指摘する見解もある(乙A
35の22,23頁,Σ。)
()「付着被曝」の考え方について2
ア「付着被曝」を内部被曝と同様にとらえ,その危険性を重視する考え

放射性の埃が衣服や身体に付着すると,長時間にわたり局所的な被曝
が起こるとして,上記のような「付着被曝(外部被曝の一形態)を,内」
部被曝に準じるような特殊な態様の被曝であるとする見解が,矢ヶ崎ら
により唱えられている(甲A3の7頁,甲A41の34頁,Σ。)
β線,γ線をはじめ,α線によっても付着被曝が起こり得るとされる
(),,甲A3の10頁がα線を放出する放射性核種が皮膚に付着しても
α線の飛程は皮膚の再生に不可欠とされる基底細胞層にまで達しないた
め,α線による付着被曝のみでは,急性皮膚障害(紅斑等)等の急性症
状は起こらないとされる(甲A21の177頁,乙A41の1頁,乙A
62の55,56頁,Σ,弁論の全趣旨。また,β線も,基底細胞層ま)
では達するが皮下組織にまでは達しないことが多いため,β線のみでは
皮膚以外の障害は起きにくいとされる(乙A41の1頁。)
イ付着被曝の危険性を否定する考え方
佐々木康人や草間朋子(両名は,分科会の構成員を務めている)は,。
付着被曝が重篤な影響をもたらし得るのであれば,まずは皮膚が最も強
く被曝の影響を受け,紅斑等の皮膚障害の症状が現れるはずであると指
摘している(乙A35の12頁。また,田中憲一らは,誘導放射線量の)
うち皮膚に付着した土壌による部分はわずか1%程度であり,しかもそ
のうちほとんどがβ線であったと述べる(乙A64の33頁。)
()救護所における被曝態様についての見解3
ア救護所における環境
救護所においては,放射性原子が漂うところをくぐり抜けてきた被爆
者の身体や衣服に付着していた放射性降下物が埃として空気中に浮遊し
,(,たことにより放射性物質の濃度が高くなったとされる甲A3の6頁
Σ。)
また,放射性降下物を多く付着させていた患者の近くにいた場合,相
対的には,外部被曝の危険性が高くなるとされる(甲A3の10頁。)
イ救護所内における被曝の評価
救護所内にいた者についての内部被曝あるいは付着被曝の評価は,単
に,救護者が,何人の被爆者と接したかということによってのみ決せら
れるものではなく(甲A3の7頁,放射能環境の強さに関係して,①単)
位面積当たりに何人の被爆患者がいたか,放射性物質の取り込みの危険
性に関係して,②室内にどれほど長い時間滞在したかということを考慮
して行われるべきであると指摘されている(甲A3の7頁,Σ。)
ウ幼少者に特有の要素について
放射性の埃は空気分子よりも重い(甲A3の11頁)ため,放射性の
,,埃の濃度は低い位置の方が高いので背負われていない幼少者の場合に
相対的に,内部被曝の危険性が高くなるという指摘がされている(甲A
3の9頁,甲A45の3頁。)
こうした指摘は,救護活動や看護活動をする人の動きによって,空気
の流れが擾乱することをも考慮した上でのものである(甲A46の23
頁。)
()放射線による後障害についての知見4
戦後数年のうちに,原爆被爆者に放射線白内障が増加していることが分
かり,さらに,その後,放射線被曝によって白血病やがんによる死亡が増
えることが明らかになったとされる(甲A17の11頁。肺がんや胃がん)
,,について被爆者の罹患例が相対的に多数であることが判明するまでには
20年くらいの時間がかかったとされる(甲A17の11頁。)
第2争点1(A4の本件却下処分の取消しを求める訴えの利益の有無)につい

1問題の所在
被爆者援護法18条1項においては,被爆者(被爆者援護法1条各号のい
ずれかに該当し,かつ,被爆者健康手帳の交付を受けた者)は,一定の負傷
又は疾病について,被爆者一般疾病医療機関から医療を受けた場合あるいは
緊急やむを得ない理由により被爆者一般疾病医療機関以外の者から医療を受
けた場合には,一般疾病医療費の支給を受けることができるものとされてい
る。
上記一般疾病医療費の支給が,被爆者健康手帳交付申請時以降に受けた医
療についてなされるのだとすれば,A4は,本件第1次申請を却下する処分
が取り消されることによって初めて,本件第1次申請から本件第2次申請ま
での間に受けた医療に係る一般疾病医療費の支給を受け得る地位を取得する
ことになるから,A4には,本件却下処分の取消しを求める訴えの利益があ
ることになる。
そこで,以下,一般疾病医療費の支給を受けることができるのはいつの時
点以降の医療についてであるかを検討する。
2検討
この点,被爆者援護法18条1項の定めから,現に被爆者健康手帳の交付
を受けた者にのみ,一般疾病医療費の受給資格があることは明らかである。
しかし,同項の文言だけからでは,被爆者健康手帳の交付を受けた者が,い
つの時点以降の医療についての一般疾病医療費の受給ができるのかが一義的
に明確であるとはいえない。
そこで,以下,被爆者援護法が,被爆者に一般疾病医療費を支給すること
にした趣旨に立ち返って,上記の点を検討する。被爆者に一般疾病医療費の
支給が認められた趣旨は,前記4()ア(イ)のごとく,被爆者には,一般に疾病2
に罹りやすく,罹患した疾病からの治癒も遅くなる傾向があることから,被
爆者に対する健康管理に加えて,一般疾病医療費の支給を認めることで,被
爆者に対する保護を強化することにあるものといえる。
,((),(),(),()ところで証拠甲B21甲B31乙B11乙B5
1,乙B(6)1,乙B(7)1等)によれば,通常,被爆の体験を有する
者が被爆者健康手帳の申請を行おうと考える契機となっているのは,多くの
場合,具体的な身体の変調を感じたり,何らかの疾病に罹患したりするなど
して,病院における診察や治療を受ける必要性を強く感じたことであるとう
。,,かがえるそのような契機から被爆者健康手帳の申請をした者がそれ以降
実際に被爆者健康手帳を交付されるまでに受ける治療についての治療費の支
給を受けられないのでは,一般に疾病に罹患しやすいとされる被爆者の保護
の強化を図った上記の制度の目的が十分に達成されないものといわざるを得
ない。
そうすると,被爆者援護法18条1項は,被爆者が,被爆者健康手帳の交
付を申請した時点以降の一般疾病医療費の支給を受けられる旨を定めた規定
であると解釈するのが相当である。
3結論
以上検討したとおりであるから,A4は,本件却下処分を取り消された場
合には,本件第1次申請時から本件第2次申請時までの間に受けた医療に係
る一般疾病医療費の支給を受け得る地位を取得することができることになる
というべきである。
したがって,A4の本件第2次申請が認められ,A4が現に被爆者健康手
帳の交付を受けたからといって,A4が本件却下処分の取消しを求める訴え
の利益が失われることにはならない(なお,この点に関する被告の主張は採
用できない。。)
第3争点2(被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能を受けるよう
な事情の下にあった者」の意義)について
1被爆者援護法1条3号についての解釈のあり方
()前提1
前記第1章第2の1()イ(イ)及び前記第1の3()イ(ア)において示した3c3
とおり,被爆者援護法1条3号の規定は,原爆医療法2条3号の規定をそ
のまま引き継ぐ形で設けられたものである。そこで,以下においては,ま
ず,これまでに認定説示した原爆医療法制定の背景,制定に至る経緯,制
定当時の科学的知見といった立法事実を踏まえた上で,同法2条3号のあ
るべき解釈について検討した上,被爆者援護法のもとにおいてもその解釈
が妥当するか否かを検討し,被爆者援護法1条3号の解釈のあり方につい
て判断するものとする。
()原爆医療法2条3号に関して2
ア原爆医療法の趣旨・目的について
(ア)原爆医療法が制定される社会的背景
,GHQによる原爆被害についての報道統制や研究成果の独占により
戦後しばらくの間,被爆者援護に関する世論が形成されることはなか
った(前記第1の3()ア)。2
しかし,昭和26年以降,戦傷病者戦没者遺族等援護法の制定等を
契機に,同法によっては救済されなかった被爆者への救済を求める動
きが活発化した(特に,重要視されたのは,被爆者の治療を行うのに
,。)必要な財政的な裏付けを得るための治療費国庫負担の実現であった
(前記第1の3()イ(ア)。そして,治療費国庫負担に向けた足がかり2)
2dは昭和28年ころから徐々にできつつあった前記第1の3()イ(ア),(
())ところ,昭和29年3月に発生した第五福竜丸事故を契機に,原c
水爆反対の世論(前記第1の3()イ(イ)())や,第五福竜丸事故の被2ba
害者が補償を受けられるのであれば被爆者も補償を受けられてしかる
,,べきであるという世論が盛り上がったのを受けて被爆地においては
①原爆障害者に対する健康管理,②被爆者に対する医療面や生活面で
の救済,③原爆に関連する疾病についての研究によって被爆者の福祉
を増進し,将来の不幸を防止することを目的とした研究機関の設置等
()。を求める動きが加速されることになった前記第1の3()イ(イ)()2bb
被爆地から上記①ないし③のような要望が出された背景には,①原爆
障害の症状が非常に複雑であり,長期間にわたる困難な治療が必要と
なっていたこと,②原爆に起因するとみられる発病・死亡が被爆後相
当年数が経過してからも新たに生じていたこと,③上記②のために一
般の被爆者が大きな不安を抱いていたこと,④放射線の遺伝的影響の
おそれも指摘されていることから,国の責任において,国家的規模に
よる総合的な研究や治療費の国庫負担が実施されるべきであるという
考え方の存在があったことがうかがわれる(前記第1の3()ウ(ウ)。2c)
そして,被爆者に対する生活援護が求められた主な理由も,治療や健
康管理を受けやすいようにすることにあったことがうかがわれる(前
記第1の3()ウ(ウ)。2e)
(イ)原爆医療法制定当時における科学的知見等
()「原子爆弾災害調査報告集」では,原爆投下後に広島市に移動aa
した者に,白血球の減少等の急性症状が生じた旨が報告されてお
り,これは,残留放射線の影響を無視することができないことを
示唆する報告であったものということができる(前記第1の3()2
エ(ア)。)
()また,於保論文は,①原爆投下後3か月以内に中心地(爆心地b
から1km以内)への立入りがない場合には,有症率,各急性症
状の発症率が被爆距離(爆心地から2km以遠を含む)に反比例。
する形で減少し,また,②3か月以内に中心地への立入りがある
場合には,①の場合よりも有症率が高くなったばかりか,原爆投
下時に広島市内にいなかった者にまで急性症状がみられ(特に,
20日以内の立入りの場合や滞在時間が10時間以上の場合に有
症率が高くなった,有症率は必ずしも被爆距離に反比例しなか。)
,,,()ったこと③①②のいずれの場合でも遮蔽がない状況屋外
で被爆した者に,より症状が現れる傾向がみられたことを報告し
たものである(前記第1の3()エ(エ)。2)
初期放射線量が,距離に応じて減少するとともに遮蔽によって
も減少しまた残留放射線量が時間の経過とともに減少するこ,,(
のことは半減期の概念から当然である)ことは,弁論の全趣旨に。
よれば確立した知見であると認められる。このような知見を踏ま
えて,於保論文によって明らかにされた,被爆者に生じた身体症
状の率が,被爆距離に反比例して減少し,かつ,遮蔽の有無と有
意に関連しており,また,入市日が早く,滞在時間が長い者ほど
高くなっているという事実をみれば,於保論文は,放射線のため
に,比較的爆心地から遠い地点で被爆した被爆者や入市被爆者ら
にも上記の身体症状が急性症状として生じた場合があること,ひ
いては,爆心地付近への立入りに伴う残留放射線の影響を軽視で
きないことを強く示唆していたということができる。
()都築は,具体的に,初期放射線の影響をまったく受けなかったc
者が残留放射線の影響だけで何らかの症状を発症したという例は
見当たらないとしつつも,原爆投下時に爆心地から2kmないし
6km程度の位置にいたような者が,爆心地付近に入り救護活動
等を行った場合,急性症状が生じた例があることを指摘した。そ
して,都築は,そのことを前提に,残留放射線の強さ自体は微弱
,,であるとしつつも残留放射線が作用する時間が非常に長いため
その生物学的作用は一定の場合に無視することができないという
考え方を示した(前記第1の3()エ(ウ)。2b)
ABCCの調査においては,放射線によって加齢現象が生じる
こと等が裏付けられたわけではなかったし,残留放射線の影響が
重視されたわけでもなかったが,疾病の潜伏期の関係もあり,必
ずしも放射線の影響について断定的な結論が出せる状況にないこ
とが指摘された(前記第1の3()エ(オ)。2b)
「原子爆彈後障害症治療指針」は,前記のような知見を踏まえba
て,いかなる疾患又は症候についても一応被爆との関連性を考える
必要があるため,被爆者の健康管理を系統化する必要がある旨を述
べたことがうかがわれる(前記第1の3()エ(イ)。また,都築も,2a)
原爆投下後に後障害が起こる場合には,特徴のない,種々雑多な障
害が生じることを指摘した上,相当の放射能傷害を蒙っている疑い
が濃厚な者が不定の症状を発した場合には,原則として慢性原子爆
(,)。弾症を疑うことが相当である旨を述べた前記第1の3()エ(ウ)2ac
以上述べたところによれば,昭和32年に原爆医療法が制定されc
た当時,①被爆者の実態に関する調査や疫学的な研究から,被爆者
に原爆投下直後に生じた身体症状が放射線の影響によるものである
ことが強く示唆されるとともに,②原爆投下時に爆心地から5km
以上離れたような場所におり,その後爆心地付近に入市したような
者にも放射線によるとみられる急性症状が生じたことが複数の調査
で報告されたことから,残留放射線の身体に対する影響が軽視でき
ないものであることが,科学者の間で,広く認識されるようになっ
ていたことがうかがわれる。
一方で,昭和32年当時には,放射線の影響で急性症状が生じる
科学的なメカニズム,放射線が後障害をもたらす科学的なメカニズ
ムについての研究が十分な成果を上げていたことまではうかがわれ
ない。また,同年当時においては,特に放射線の影響が生じるまで
の潜伏期間が長いこと等の理由から,後年になって後障害に関する
新たな知見が得られることも多分に想定されていた。
このように,疫学的なデータからは放射線(特に残留放射線)が
広範囲の者に影響を及ぼした可能性が示唆されていたものの,放射
線の影響に関する科学的知見が十分に確立されない中で,当時,原
爆放射線の影響に関する問題に取り組んでいた科学者は,被爆者に
生じた多様な障害について,一応は放射線との関係を疑い,被爆者
に対して健康管理を行うことの重要性を説いていたものといえる。
その意味において,前記(ア)において述べた被爆者の要望の背景にあ
った考え方は,当時の科学者らの考え方とも符合するものであった
ということができる。
(ウ)原爆医療法の制定過程及び主な内容
前記第1の3()ウ(ウ),前記第1の3()オ(ア)において認定した事2c2a
実からは,法所管庁である厚生省が,法案策定に当たり,被爆者によ
る要望の背景にあった,前記(ア)①ないし④の視点を意識していたこと
がうかがわれる。厚生省は,上記のような視点に立ちつつ,原爆医療
法制定当時における前記(イ)のような科学的知見を可能な限り収集し
前記第1の3()オ(エ)()ないし()参照都築による報告の内容(前()(2cbe
記第1の3()エ(ウ))と,前記昭和33年8月13日付け通知等の内容2
(前記第1の3()エ(イ)及びカ)とを比較対照すると,法所管庁である厚3
生省が,とりわけ,当時の代表的な研究成果の一つである同報告を重
要視していたことがうかがわれる,そうした知見を踏まえて,広島。)
市において民間の力によって実行に移されていた,被爆者健康手帳を
持参すれば健康診断や検査が受けられ,異状が発見された場合には治
(),療も受けられるという仕組みを参考にしつつ前記第1の3()ウ(イ)2b
原爆医療法案の策定作業を行ったものといえる。
このような立案過程を経て制定された原爆医療法は,被爆者に対す
る健康診断及び原爆障害者に対する医療の給付という,被爆者への健
康管理を機軸に据えた内容のものであった(前記第1の3()アないし3
オ。そして,立案過程について上述したところに,原爆医療法1条の)
目的規定,原爆医療法案に関する審議過程,法案制定後に法所管庁で
ある厚生省が発出した通達の内容等をも加味すると,上記の内容の立
法がされたのは,原爆投下後に相当な時間が経過してもなお,被爆者
の健康状態が医師の綿密な観察指導を要する状態であること,老化現
象や疾病への抵抗力の減退といった点も含め,原爆放射線による被害
の全貌が当時の医学によっては明らかにされていないことが考慮され
た結果,被爆者に対し健康管理(健康診断等)を行うことに,被爆者
の不安を一掃し,いつ生じるとも分からない後障害に対する適正な予
防・治療を実現するという重要な意義が見出されたためであったとい
うことができる(前記第1の3()オ(エ),前記第1の3()エ(イ)等。23)
(エ)小括
以上によれば,原爆医療法は,原爆投下後十年以上が経過した時点
における被爆者に,現実に,原爆に起因するとみられるような複雑困
難な障害が起こる等の事態が生じており,そうした事象が被爆地にお
いて大きな問題となっていたこと,そうした事象を解明する科学的な
知見も十分に確立されていなかったことを前提としつつ,被爆者に対
する健康管理(健康診断等)を十分に行うことによって,被爆者に生
じる障害を予防ないし軽減するとともに,被爆者の不安を一掃し,ひ
いては,将来における科学的知見の蓄積・発展をもたらすことを主眼
とする法律であったということができる。そして,このような原爆医
,,療法の趣旨・目的は原爆医療法1条の定め(前記第1の3()ア(ア))に3
端的に表されているということができる。
イ原爆医療法2条3号が設けられるに至った経緯
(ア)原爆医療法2条3号は,①原爆投下時に爆心地から5km以上離れ
た海上にいた者に,原爆症とみられるような症状が発症した例があっ
たこと,②広島市に隣接する地域においては,避難した多くの被爆者
を救護ないし看護するための救護所や収容所が多く設けられ,地域全
体を上げた救護・看護活動等が展開されたところ,そのような地域で
救護活動等に当たった者にも,原爆症とみられるような症状を発症し
た者がいたことといった客観的事実を背景として設けられた(前記第
1の3(),前記第1の3()オ(エ)(),前記第1の3()オ(エ)()。12bb2ce)
(イ)もっとも,全社協や広島・長崎両市による法文に関する提案の段階
では,直接被爆者でも入市被爆者でもない上記のような者が,救済の
対象となるべき「被爆者」であるということが具体的に想定されてい
(,),たわけではなく前記第1の3()オ(ア)前記第1の3()オ(イ)参照2b2
そのため,法所管庁である厚生省が原爆医療法提出に向けた第1次原
案を策定した段階においても,同省は,直接被爆者・入市被爆者以外
の類型を法律の適用対象に含めることを想定していたわけではなかっ
た(前記第1の3()オ(ウ)。2a)
しかし,厚生省における検討が進むにつれて,いわゆる直接被爆者
や入市被爆者以外の者にも放射線の影響があったことを示唆する前記
(ア)①②のような事実を踏まえ,救済の範囲に漏れが出ないようにしな
ければならないことが明確に意識されるようになった。そこで,前記
「」,「」途中整理案においては直接被爆者や入市被爆者に準ずる状態
にあり「原子爆弾による放射線の影響を受けたおそれがある」者を政
令で具体的に定めるものとされた(前記第1の3()オ(ウ)()。さら2ca)
に,その後,昭和32年2月7日付け法律案においては,3号被爆者
に関して政令に委任を行うことが見直され,その後,内閣法制局によ
る予備審査を経て「原子爆弾の傷害作用の影響を受けたおそれがある,
と考えられる状態にあったもの」という表現が「身体に原子爆弾の放
射能の影響を受けるような事情の下にあった者」という表現に改めら
れて,最終的な法文案が策定されるに至った(ただし,上記内閣法制
局の予備審査を受けて行われた文言の修正は,法案の各省協議が開始
された後のものであり,しかも,この修正がされてから法案の閣議決
定がされるまでの間がせいぜい10日余りと短期間であったことにか
んがみれば,厚生省が,上記の文言修正によって,実質的な内容にわ
たる修正を行う意思を有していたものとは考えがたい(前記第1の。)
3()オ(ウ)及び。2de)
(ウ)上記の法案策定過程において,法所管庁である厚生省が,当初予定
していた政令への委任を取りやめ,抽象的な文言からなる原爆医療法
2条3号の規定を設けることとした理由を,前記に認定した立案経過
から直接うかがい知ることはできない。しかしながら,①前記ア(エ)に
述べた原爆医療法の趣旨・目的に,②同法2条3号が,放射線(とり
わけ残留放射線)の影響に関する解明が十分でない中で,1・2号の
いずれにも該当しない被爆者を救済する道を閉ざさないために設けら
れたこと,③法所管庁である厚生省も,昭和32年当時,原爆医療法
2条3号に関し,放射線の影響の科学的な証明は不可能であると考え
ていた節があり(前記第1の3()オ(エ)(),現に,前記第1の3()2bc2)
エにおいてみたように,昭和32年当時,直接被爆者にも入市被爆者に
も該当しないような者への放射線の影響に限っていえば,信頼に足る
疫学的あるいは科学的な研究があったことはうかがわれないこと,④
厚生大臣の諮問機関である審議会における原爆医療法案についての審
,,議の場や国会における審議の場において被爆後に胎児となった者を
遺伝的影響が医学上の定説となっていないという理由で「被爆者」か
ら除外することは,健康管理を目的とする法案の趣旨と相容れないと
いう趣旨の意見が出された(前記第1の3()オ(ウ)(),前記第1の32cb
()オ(エ)())のに対し,厚生省の事務方も,そのような意見について2bd
一定の理解を示し,放射線による遺伝的影響を考慮する必要があるこ
とが後に明らかになれば,法の適用対象を見直すべきであるという見
解を示した(前記第1の3()オ(エ)())という経緯があったことを併2bd
せ考慮すれば,法所管庁である厚生省が,政令への委任を取りやめて
あえて抽象的な文言の条項を設けるべきであるという政策判断をした
のは,①原爆医療法制定当時には3号に該当する者を政令において例
示することを可能にするだけの科学的な知見がないことや,後年にお
ける科学的な知見の進展を踏まえた柔軟な対応を可能にする必要があ
ることが考慮されたこと,②そのような制度設計をしたとしても,原
爆被爆による特別の被害を他の戦争災害に比して手厚く保護すること
とした原爆医療法の建前に反することにはならないと理解されたこと
によるものと考えられる。
ウまとめ
以上を踏まえて,原爆医療法2条3号の解釈について述べる。
(ア)①)前記ア(エ)に述べたように,原爆医療法の趣旨・目的が,放射線1
の影響が未解明な中で,被爆者の不安を一掃し,また,原爆後障害を
予防するべく,被爆者に対する健康管理を行うことにあったこと,)2
現に,原爆医療法制定当時「被爆者」に該当することと直結する効果,
は,唯一,都道府県知事(広島市,長崎市については各市長,以下同
様である)による健康診断(一般検査及び精密検査)が受けられるこ。
とであったこと(前記第1の3()エ(ア))からすれば,放射線の影響が3
肯定できなければ「被爆者」であると扱わないというのはそもそも本
末転倒であるといわざるを得ない。このことに,②原爆医療法2条3
号の制定過程,特に,)厚生省の原案の段階から,放射線の影響を受1
けた「おそれ」という文言を用いることが検討されたところ,その後
法案が成立するに至る過程の中で,同号の基礎となる考え方について
実質的な意味での修正が加えられたとは認められないこと,)原爆医2
療法2条3号への該当性に関する判断をするに際しては,原爆医療法
制定当時の科学的知見に拘泥することなく,最新の科学的知見が考慮
されるべきことが想定されていたことがうかがわれること,③原爆医
療法自体が,付随的にではあれ,被爆者に対する健康管理を積み重ね
ることで,放射線の影響に関する科学的知見が積み重ねられることを
も想定していたと解されることを併せ勘案すれば,原爆医療法2条3
号に該当するか否かは,最新の科学的知見を考慮した上で,個々の者
について,身体に放射線の影響を受けたことを否定できない事情が存
するか否かという観点から,判断されることが予定されていたといえ
る。
()被爆者援護法制定に至るまでの経緯に関して3
ア(ア)厚生省は,原爆医療法立案の当初においては,被爆者に対する健a
康診断,治療費の国庫負担に加え,被爆者に対する医療手当の支給
を実現しようとしていた。しかし,大蔵省が,医療手当分の予算を
盛り込むことに難色を示したため,医療手当の支給の法制化は実現
するに至らず,当面は,世帯更生資金によって対処がされることに
なった(前記第1の3()ウ(ウ),前記第1の3()オ(エ)())。2e2ba
そこで,昭和35年以降の法改正は,生活に余裕がないために健
,康診断や治療を受けられない者がいるという社会的背景を踏まえて
主に,原爆医療法制定当時に実現することができなかった生活援護
の実現・強化を最も大きな柱とする形で進められることになった。
具体的には,昭和35年以降の原爆医療法改正や原爆特別措置法の
制定・改正において,医療手当・特別手当・健康管理手当の支給等
が実現され,法改正を経るごとに,所得制限の緩和や手当の額の増
額が行われた(前記第1の4()ないし()。13)
さらに,医療給付の面の法制も充実され,放射線の影響を受けたb
者は一般に疾病にかかりやすく治癒も遅れがちであるという理由か
ら,被爆者に対する一般疾病医療費の支給(当初は,被爆者の中で
限定された範囲の者のみが支給の対象であったが,後に,全被爆者
が支給の対象とされた)が実現された(前記第1の4()ア(イ),前。2
記第1の4()ウ(ア)。3b)
さらに,法律の改正は伴わなかったものの,被爆者に対して行わ
れる健康診断の内容等も,時を経るごとに強化され,①精密検査受
診者への交通手当の支給(前記第1の4()ウ(ア),②希望健康診断2)
や収容検査の新設(前記第1の4()ウ(イ),③被爆者の高齢化を背2)
景とする,がん検診の新設・強化(前記第1の4()ウ(エ))が行わ3b
れた。
,,c前記のように被爆者に対する救済の拡大が続けられた背景には
①原爆投下後長期間が経過しても,晩発障害に悩まされる者が出続
けたことから,原爆被害の特殊性が,原爆投下後10年余りが経過
していた原爆医療法制定当時よりも,なお顕著に意識されるように
なったこと(前記第1の4()ウ(イ))や,②原爆投下後長期間が経3b
過しても,放射線の遺伝的影響等が依然として未解明であったこと
(前記第1の4()ウ(イ))といった事情があったものといえる。こ3b
のことは,基本問題懇談会によっても十分に認識されていた(前記第
1の4()ウ(イ))。3b
(イ)原爆医療法の被爆者についての定義規定に関しては,同法2条1号
ないし2号に関する政令所定の地域(以下「被爆地域」という)の拡。
大が議論の対象となったことがうかがわれる。しかし,厚生省におい
ては,昭和50年代後半ころに,原爆投下時に爆心地から1.7km
以遠にいた者であれば被曝線量は許容限度以内であるし,爆心地から
3km以遠にいた者であれば被曝線量はゼロであるといった知見に基
づいて,爾後に被爆地域を拡大することについての科学的な合理性が
明らかにならない限り,被爆地域の拡大は行い得ないという結論がま
とめられた(前記第1の4()ウ(イ),前記第1の4()ウ(ウ)。その他3b3)
の点に関しても,原爆医療法2条の規定の改正や関連する政令・厚生
省令の改正等は行われなかった。
なお,被爆者の定義規定には直接関係しないが,特別被爆者の範囲
(),に関する原爆医療法施行令の改正の経緯前記第1の4()アからは3
3号被爆者とされる者に生じた原爆障害の点が,原爆医療法制定当時
よりも重要視されるようになっていたことをうかがい知ることができ
る。
イ(ア)前記アのような経緯を経て,被爆者援護法が制定されるに至ったとこ
ろ,同法の目的には,原爆被爆者が生涯癒すことのできない傷跡と後
遺症を残し,不安の中で生活を送っており,原爆投下の結果として生
じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害と異なる特殊な被害で
あることにかんがみ,国の責任で,保健・医療・福祉にわたる総合的
な援護対策を講じることが掲げられた(前記第1章第2の1()イ(ア))。3
また,同法の下では,従前にはあった各種手当についての所得制限が
撤廃され(前記第1章第2の1()イ(キ),新たに葬祭料や特別葬祭給3)
付金の支給の制度が創設される等(前記第1章第2の1()イ(エ)及び3e
,更なる被爆者への救済の拡大が行われた。f)
上記のように,被爆者援護法の目的に「国の責任」という言葉が明
記され,所得制限の撤廃をはじめとする措置がとられたことは,被爆
者援護法が,原爆医療法や原爆特別措置法に比して,国家補償法とし
ての意味合いを色濃くもつ法律であること,同法が上記二法の定める
被爆者援護を更に拡充する趣旨で制定された法律であることを意味し
ているといえる。
また,被爆者援護法案可決時における衆議院厚生委員会の附帯決議
において,①原爆被害の実態や被爆者の現状把握に遺漏なきを期する
こと,②被爆地域の指定のあり方については研究の進展を勘案して科
学性・合理性に配慮して検討するべきことが指摘されたこと(前記第1
章第2の1()イ(ク))からは,被爆者援護法の制定当時においても,放3
射線の影響に関する科学的な解明が爾後においても進められることが
念頭におかれていたことがうかがわれる。
(イ)被爆者援護法における被爆者の定義規定は,原爆医療法2条の規定
をそのまま引き継いだものとなった。また,被爆者援護法において,
原爆症認定は,厚生労働大臣が審議会の意見を聴取した上で行うべき
ものとされているのに対し,被爆者援護法1条各号の要件についての
判断は,都道府県知事(あるいは広島市長,長崎市長)によって行う
べきものとされている点も,原爆医療法におけるのと同様である。
ウこのような,被爆者援護法制定までに至る一連の法改正及びその背景
となった事情を踏まえてみるに,①原爆投下後約50年が経過し,被爆
者援護法が制定された当時においても,依然として原爆放射線による晩
発被害が収まらず,原爆被害の特殊性が以前にも増して顕著になった一
方で,依然として放射線の影響の全貌が科学的に解明されておらず,更
なる科学的知見の積み重ねが期待されていたといえること,②上記のよ
うな背景を踏まえ,基本問題懇談会は,その報告書において,原爆放射
線の身体的影響については多くの事実が明らかにされているがなお解明
されていない分野があり,このため,研究体制の整備充実を図ることに
より周到な研究を進め,問題を逐次解明することが被爆者に対する国の
重大な責務である旨を述べたものであり(前記第1の4()ウ(イ)),政府3b
も,その趣旨を十分に認識していたものといえること,③被爆者援護法
制定に至るまでの間,健康診断や医療の給付といった健康管理の充実・
強化が進められたのはもちろん,主として被爆者が健康診断や治療を安
心して受けられるようにすることを目的として,多数回にわたる法改正
や運用の改善を経て,被爆者に対する生活援護の強化が進められ,これ
らの成果を基礎として被爆者援護法が制定されたことに,④被爆者援護
法の前文に掲げられた「国の責任において,原子爆弾の投下の結果とし
て生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被
害であることにかんがみ,高齢化の進行している被爆者に対する保健,
医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ」るという同法の目的を
併せ勘案すれば,被爆者援護法もまた,原爆医療法と同様に,放射線の
身体に対する影響が完全には解明されていないことを前提として,被爆
者に対する健康管理を十分に行い,被爆者の不安を一掃し,また,被爆
者の障害を予防ないし軽減することを一つの目的とした法律であるとい
うことができる。
そして,①このように,原爆医療法と同じ目的をもつ被爆者援護法1
,,条3号に原爆医療法2条3号の定義規定がそのまま引き継がれたこと
②原爆医療法制定以降,被爆者援護法の制定に至るまで,被爆者の定義
規定の解釈の基本的なあり方に関係するような法改正及び運用の改正が
,,あったこともうかがえないこと③被爆者援護法制定に至る過程の中で
新たな科学的知見等を踏まえ,原爆医療法制定時と同様に,あるいはそ
れ以上に,いわゆる3号被爆者に生じる原爆障害の問題が注目されてい
た経緯もあることに加え,④原爆医療法2条3号の運用について,各自
治体ごとに,審査基準を設けるか否か,いかなる内容の審査基準を設け
るかはまちまちであり,政府は,このような実情を認識していたものと
考えられるにもかかわらず,前述のごとく,被爆者援護法には,抽象的
な文言からなる原爆医療法2条3号の定義規定がそのまま引き継がれ,
しかも,新たに政令が定められるようなこともなかったという経緯(前記
第1の5()及び())をも併せ考慮すれば,被爆者援護法1条3号の基本12
的な解釈のあり方については,原爆医療法2条3号の基本的な解釈のあ
り方について前述したところがそのまま妥当すると解するべきである。
()まとめ4
以上に述べたところによれば,被爆者援護法1条3号に該当するか否か
は,最新の科学的知見を考慮した上で,個々の申請者について,身体に放
射線の影響を受けたことを否定できない事情が存するか否かという観点か
ら,判断されるべきものであると解される。そして,このように解するこ
とこそ,上述した原爆医療法,被爆者特別措置法,被爆者援護法の立法の
背景となった事実関係からうかがえる法の趣旨に合致するものであるとい
うことができる。
2本件原告らにつき被爆者援護法1条3号の要件が満たされるか否かをどの
ように判断するべきか
()前提1
本件において,原告らは,同人らが看護活動を行ったりした救護所等に
おいて,看護等の対象となった負傷者の身体に付着していた放射性物質が
空気中を浮遊し,そうした放射性物質が原告らの身体に付着するか,若し
くは原告らの体内に取り込まれるといった形による被曝が生じ,それが原
告らの身体に影響を及ぼしたという可能性を問題とする。
そこで,以下では,現在までに明らかにされた科学的知見を踏まえた上
で,上記のような可能性が存するといえるか否かを検討し,それを前提と
して,原告らそれぞれについて被爆者援護法1条3号の要件が満たされる
か否かをどのように判断するべきかに関する検討を加えるものとする。
()現在までに明らかにされた科学的知見等2
ア(ア)内部被曝の危険性について
外部被曝の場合と異なり,内部被曝の場合には,飛程の長いγ線a
の影響だけではなく,飛程の短いα線・β線の影響も考慮する必要
がある(前記第1の2()イ,前記第1の2()ウ(ア)。そして,飛程33)
が短い放射線の場合には,LETが高く,その飛程の範囲内におい
ては,電離作用が集中することになるため,人体への影響がより大
きくなるものとされる前記第1の2()ア(ア)前記第1の2()イ(ア)(,4a4
及び(ウ)。)
そして,放射線の電離作用(間接的な電離作用(前記第1の2()2
イ)を含む)が局所的に集中すると,遺伝子DNAの二重鎖の切断。
が起こりやすいとされるところ,切断箇所が修復されなければ細胞
の死滅がもたらされるし,また,切断箇所が誤って修復されて突然
変異が生じれば,発がん等の健康被害の原因が生じ得る(前記第1
)。,,,の2()イしかも発がん等はいわゆる確率的影響とされるから2
グレイあるいはシーベルトといった単位で考えれば微量にすぎない
放射線により,必ずしも多数ではない細胞に突然変異が生じたのみ
でも,発がん等の身体影響が生じる可能性があるといえる(前記第1
の2()ア(イ))。7
不溶性の放射性物質が,特定の部位に沈着した場合,放射性物質b
が,生物学的半減期よりも緩やかなペースでしか逓減しないような
場合もあることから,内部被曝の持続性についても軽視はし得ない
とされている(前記第1の2()イ,前記第1の6()ア(ア)。現に,51a)
未だ確定的な知見が得られているわけではないものの,細胞損傷,
ひいてはがんの発症や老化の促進をもたらすようなフリーラジカル
の性質のために,高LET放射線の場合,単位時間当たりの線量が
少ない形で持続的に照射される場合の方が影響が大きいということ
も指摘されているところである(前記第1の2()ウ。7)
(イ)「付着被曝」の危険性について
原告らは,外部被曝の一類型としての「付着被曝」という被曝態様
が重要視されるべきである旨を主張する。
この点,α線が基底細胞層にまで届かないことを考えれば,付着被
曝に通常の外部被曝とは異なる危険性があるとすれば,β線の影響が
重要であるものと思われる(前記第1の6()ア。そして,β線によっ2)
て皮膚以外の障害は起こらないとされること(前記第1の6()ア)を2
,,前提とすると付着被曝が重要な意味を持つ被曝態様であるとすれば
被爆者には,他の急性症状に比して皮膚障害が顕著に生じる傾向がみ
られたはずである。しかしながら,そのような傾向がみられたという
ことを認めるに足りる証拠はない。とすれば,少なくとも現在明らか
にされている科学的知見を前提とする限り,付着被曝という被曝態様
を独自に重要視すべきであるとまではいえない。
よって,上記の原告らの主張を採用することはできない。
イ救護所等における環境について
放射性降下物が,己斐・高須地区を中心としつつ「黒い雨」の形で降,
下したものとされ,比較的遠方にも降下したとされていること(前記第
1の2()ウ(イ),前記第1の6()イ(イ)())を前提とすれば,救護所等4b1ac
において収容されていた,広島市内から避難した負傷者の身体に,放射
性物質が付着していたことは十分に想定することができる。
とすれば,救護所内においては,その外におけるよりも,空気中を浮
遊する放射性物質の量が有意に多かった可能性が十分にあったものとい
える(なお,放射性物質が空気中を浮遊する場合,空気の流れの擾乱を
考慮しても,放射性物質が空気よりも重いために,比較的低い位置にお
ける濃度が高くなっていたものと考えられる(前記第1の6()ウ)か3)。
ら,救護所等の内部に相応の時間いた経験のある者は,そのような経験
を有しない者よりも有意に高いレベルで,放射性物質を体内に取り込む
危険に曝されていたということができる。
()具体的な判断基準3
ア以上()において述べたところによれば,救護所等,負傷した被爆者が2
多数集合していた環境の中に相応の時間とどまった者は,実際に負傷者
に対する救護・看護活動をしたか否か,あるいは実際に被爆者に対する
救護・看護活動をした者に背負われたり,そのような者と一体となって
,,行動したか否かに関わりなく救護所等に立ち入らなかった者に比して
有意に,原爆投下を契機として生じた放射性物質を体内に取り込む大き
な危険に曝されていたものといえる。
そして,現在の科学的知見のもとでは,上記のような放射性物質を少
量であっても体内に取り込めば,前記に述べた内部被曝特有の集中的か
つ持続的な電離作用が働くことにより,発がん等遺伝子の突然変異に起
因する身体影響が生じるおそれが高くなることは否定しがたい(なお,
いわゆる確定的影響は,臓器や組織を構成する様々な細胞のかなりの数
に障害が生じることにより起こるとされている(前記第1の2()ア(ア))7
ので,確定的影響の例とされている急性症状を,内部被曝による細胞の
局所的な死滅等によって説明することは,本件における関係各証拠から
明らかになった現在の科学的知見を前提とする限り,困難であるという
ほかない。。)
イ(ア)そうすると,原爆投下から間もない時期に,救護所等,広島市内で
被爆して負傷した者が多く集合していた環境の中に(このような環境
に当たるか否かは,どのくらいの面積にどのくらいの人数の負傷者が
集合していたかということのみならず,当該環境が閉鎖された空間で
あったか否かをも考慮して決せられるべきである,相応の時間とど。)
まったという事実が肯定できる者については,身体に放射線の影響を
受けたことを否定できない事情が存するというべきである。上記の解
釈は,都道府県や広島・長崎両市が,現実に被爆者援護法に基づき被
爆者健康手帳の交付申請に関する事務を遂行することを考えても,判
断の統一性,公正・妥当性を担保することを可能とする解釈であると
いうべきであるし,また,上記の解釈に従う限り,これまで,広島市
長が前記の「被爆者の定義」に該当するとして被爆者健康手帳を交付
してきた者について,すべからく被爆者援護法1条3号の要件が満た
されることになることも明らかである。
なお,原爆投下後に,救護所等の空気中に放射性物質が存在してい
たとしても,その量が,時間が経つにつれて減少することは,放射性
。,,物質の半減期の概念からしても当然であるしかし現在においても
直接被爆者や入市被爆者にも該当しない,救護所等において活動した
者等への放射線の影響に関する疫学的な研究が存在することはうかが
えず,原爆投下後どの程度の期間が経過したところで,身体への影響
を完全に無視し得る程度にまで放射性物質の量が減衰したといえるの
かを確定する手がかりとなる知見は皆無であるといわざるを得ない。
とすれば,現時点においては,被爆者援護法1条3号の規定が,同条
1号及び2号に準じる者を救済する趣旨で設けられていることにかん
がみ,一応の目安として,原爆投下時から2週間以内に救護所等に相
応の時間とどまったか否かを問題とするのが相当である。
(イ)ところで,本件における原告らの中には,原爆投下から間もない時
期に下痢や貧血といった身体症状を発症したと訴える者や,その後各
種の障害に罹患したと訴える者もいるところである(乙B(5)1,
乙B(6)1,乙B(7)1等。この点,上記のような身体症状の発)
症や疾病への罹患の事実それ自体は,原爆放射線の影響に特有のもの
ではないから,発症や罹患の事実のみから,身体に放射線の影響を受
けたことを否定できない事情を基礎付けることができないことは明ら
かである。
一方で,論理的には,身体症状の発症や疾病への罹患の事実が放射
線に起因するといえることあるいはその可能性が高いことが証明され
た場合には,放射線の影響を受けたことあるいは受けた可能性が高い
ことが証明されたことになり,結果として3号被爆者への該当性が肯
定されるという余地が考えられる。しかしながら,①被爆者援護法1
,,,条3号と並ぶ同条12号は原爆投下時における爆心地からの距離
原爆投下後一定期間における入市行動の有無という類型的な要件を定
めていること,②厚生省は,原爆医療法に被爆者を定義する規定を設
けるに当たり,当初,全社協が,原爆症認定を都道府県知事が行うも
のとする仕組みを提案していた(前記第1の3()オ(ア))ところを,2b
あえて,負傷又は疾病が原爆の作用によるか否かは困難な判断である
し,全国的に統一した判断がされる必要もあるという理由から,厚生
大臣が審議会(学識経験を有する者の集まり)の意見を聴取した上で
原爆症認定を行うべきものとする仕組みを提案し(前記第1の3()オ2
(エ)()及び(),原爆医療法においてその提案が実現された一方で,cfg)
原爆医療法2条3号に該当するか否かの判断については,同法1,2
号に該当するか否かの判断と同様,都道府県知事に委ねるものとされ
たこと,そしてそのような制度の仕組みは被爆者援護法の下において
も維持されていることを踏まえれば,個々の症状や疾病への罹患が放
射線に起因するか否かという問題は,厚生労働大臣が原爆症認定の局
面において分科会の意見を聴取し,最新の科学的知見を駆使して決す
ることが予定されている事項であって,3号被爆者への該当性が問題
となる局面において考慮することが予定されている事実には含まれな
いと解するのが相当である。
()被告の主張について4
ア(ア)まず,被告は,①DS86に基づいて計算された内部被曝線量の推
定が正確であることを基礎としつつ,②放射線の種類とエネルギーが
同じであれば,自然放射線と人工放射線による人体への影響は同じで
ある(乙A41の1頁参照)という前提のもと,原爆投下に伴う内部
被曝線量はどんなに多くても自然放射線による年間の被曝線量前,,(
記第1の2()ア(イ)や放射線医療における被曝線量前記第1の2()33)(
ア(ウ))にはるかに及ばない旨を指摘する。
(イ)しかし,①の点について,まず,内部被曝線量を正確に計算するた
めには,どの放射性核種がどのような経路で摂取されたか,それらの
放射性核種がどれだけの質量の臓器にどのような濃度変化で残留した
か等が確定される必要があるところ,被爆者について,このような点
を事後的に検証することはおよそ不可能であるといわざるを得ない前(
記第1の2()ウ(イ)。3)
次に,DS86における内部被曝線量の推定は,放射性物質が身体
を通じて一様に分布したことを前提としているものである(前記第1
の6()イ(イ)())ところ,このような前提をおいたのでは,前記()ア1bb2
(ア)において述べたような内部被曝による局所的な影響を正確に把握す
ることは,およそ不可能である(前記第1の6()ア(ア)。1a)
さらに,DS86の記述からみる限り,DS86の内部被曝線量の
計算は,あくまでホールボディーカウンターで検出可能なγ線のみを
考慮してなされた可能性が高い(前記第1の6()イ(イ)()。なお,D1bb
S86が引用する参考文献において,ホールボディーカウンターによ
る測定によって,β線とγ線の両方の合計が算定された旨の記述があ
ることは前述のとおりである。しかし,ホールボディーカウンターで
はβ線を測定できないことを踏まえて考えると,上記の記述の趣旨自
体が必ずしも判然としない。しかし,前記()アにおいて述べた内部。)2
被曝の危険性に照らせば,内部被曝による影響を考慮する上では,α
線・β線の影響を考慮することが必要不可欠であることにかんがみれ
ば,上記の可能性の存在は,DS86による算定の信用性を減殺させ
る事情となる。
よって,被告が指摘する①の前提それ自体が成り立たないものとい
わざるを得ない(なお,上記のとおり,内部被曝の影響を考慮する上
では,身体全体あるいは臓器全体の吸収線量を問題としても無意味な
のだから,原爆投下に伴って生じた残留放射線量の算定結果が,グレ
イあるいはシーベルトの単位でみて少量にすぎないという被告の主張
も,本件における争点との関係では,特に意味のないものといわざる
を得ない。。)
(ウ)次に,②の点について,自然放射線の場合には,放射性原子がばら
ばらに体内に取り込まれることが多い(前記第1の6()ア(ア))のに対1a
し,原爆放射線の場合,放射性原子が局所的に多く集まる傾向がある
(例えば,原爆の爆発に伴って生じた核分裂生成原子は,しばらくは
火球内にとどまり,火球内の温度が下がり,原子核と電子,原子と原
子,分子と分子が結合するようになるに伴って,放射性微粒子を形成
するため,形成された放射性微粒子には,当然,多くの放射能原子が
集まることになる)(前記第1の1()イ,前記第1の6()ア(ア))のだ。21a
から,自然放射線に被曝する場合と原爆放射線に被曝する場合とを同
列に論ずることはできない。
また,放射線治療においては,人体に対する安全性を考慮した上で
局所被曝がもたらされているにすぎないのだから,放射線治療による
被曝線量を単純に原爆放射線被曝による被曝線量と比較することもで
きないというほかない。
イまた,被告は,電離作用が狭い範囲に集中したとしても,その範囲内
の細胞が死滅することになるので,かえって遺伝情報が他の細胞に引き
継がれることはないため,有意な影響が生じない旨を主張する。
しかしながら,放射線照射による直接的な影響だけを考慮した場合で
も,①単独のα線が細胞の一部を通過した場合,②細胞がα線の飛程の
末端部分に位置するために細胞内での損傷範囲が限局された場合には,
細胞が死滅に至らず,遺伝情報が他の細胞に引き継がれることもあり得
ると考えられる(前記第1の2()ア(ア)。4b)
さらに,バイスタンダー効果や間接効果(前記第1の6()ア(ア)())に1bb
よって腫瘍のリスクの増大をも説明し得ることを示唆するような検証結
果が出されていること(前記第1の6()ア(ア)())をも考慮すれば,な1bb
おさら,被告の主張が当を得ないものであることは明らかである。
ウさらに,被告は,内部被曝特有の危険性を強調する,いわゆるホット
パーティクル理論は科学的に否定された旨を主張する。
しかし,①ホットパーティクル理論が否定される根拠となった実験に
ついては前記のとおり疑問が呈されているところである(前記第1の6
()イ(ア)()。また,②ICRP勧告は,あくまでも平成2年の段階に1ba)
おける知見に基づくものであるし,ICRPも,ホットパーティクルに
よる被曝が特殊な問題を提起すること自体は否定していなかったところ
である(前記第1の6()ア(イ)。とすれば,上記被告の主張が,前記()12)
及び()において述べたところを左右するものであるとまではいえない。3
第4争点3(本件各却下処分に被爆者援護法1条3号への該当性についての認
定・判断を誤った違法が認められるか)について
1A1について
()前提として認定することのできる事実(甲B(1)1,A1本人)1
アA1は,昭和20年8月6日当時,広島県安佐郡f村g丁目h番地に
おいて暮らしていた(乙B(1)1の2頁。)
イA1は,少なくとも,同日から同月15日ころまでの間,ほとんど毎
日,自宅と地続きとなっており,自宅から約15mしか離れていないV
,((),(),,寺に家族とともに出かけた乙B11の6頁乙B125
8,9,10,11,A1本人,弁論の全趣旨。)
当時,V寺は,負傷者の収容所に指定されており,昭和20年8月6
日から同月9日の昼過ぎころにかけてV寺には108名の負傷者重,,(
傷を負った者から,自力で歩ける程度の者まで様々であった)が収容さ。
れ,また,同月20日ころまでに,合計約500人の負傷者が収容され
たとされる(甲A32の2の372頁,甲A32の4の512頁,乙B
(1)5。そして,V寺においては,近所の各家から少なくとも1名の)
女性が出て,負傷者の救護・看護に当たっており,A1の母親も,国防
婦人会に動員され,V寺において看護等に当たっていたものである(甲
A35の6頁。)
ウA1は,自宅とV寺を行ったり来たりしつつ,同寺において,同人の
弟や妹の子守りをしたり,一日に数回,50名前後の負傷者が横たわっ
ていた本堂(幅約18m,奥行き約30m。一面に畳が敷かれていた)。
において,負傷者の病床にある茶碗に井戸水を汲んで回ったりした(甲
B(1)1の2頁,甲B(1)2の3,乙B(1)1,2,3,5,A
1本人。また,A1は,負傷者の体を起こして水を飲ませたり,負傷者)
を移動させたり,A1の兄らが負傷者の身体から取る蛆を入れるための
器を持って歩いたり,自らも負傷者の身体にわいた蛆を取ったり,負傷
者の近くで団扇を仰いだり,廊下に出て負傷者の手を引いて歩行訓練の
手助けをしたり,比較的軽傷の負傷者の話し相手をしたりもした(甲B
(1)2の4,乙B(1)5。)
さらに,A1は,V寺において死亡した者の遺体を乗せた大八車を近
くの川まで押して行ったり,遺骨を拾ったりもした(乙B(1)5。)
A1は,上記の期間,昼には,本堂の中で,炊き出しのご飯を食べた
(甲B(1)1の3頁。)
エ広島市長が,A1の申請を却下した主な理由は,証人の申述によって
はA1が行った救護・看護活動を確認し得なかったこと,A1の母親ら
A1の家族が被爆者健康手帳交付申請をした際にA1のことに触れてい
なかったことであった(乙B(1)14。)
()3号被爆者該当性についての判断2
前記()において認定したところによれば,A1は,原爆投下当日である1
昭和20年8月6日から同月15日ころまでの間,幅約18m・奥行き約
30mのV寺の本堂に最大で50名前後の負傷した被爆者がいた中におい
,,,,て主に①一日当たり数回負傷者に水を汲んで回って水を飲ませたり
,,②負傷者の身体についた蛆を取ったり③負傷者の近くで団扇を仰いだり
負傷者と話をしたりしたことが認められる。
かかる事実を前提とすれば,A1が,原爆投下から間もない時期に,多
数の負傷した被爆者が集合していた環境の中に,相応の時間とどまったこ
とを優に認めることができるから,A1について,身体に放射線の影響を
受けたことを否定できない事情を認めることができる。
したがって,A1について,被爆者援護法1条3号の要件が満たされる
というべきであるから,A1の被爆者健康手帳交付申請を却下した広島市
長の処分には,違法がある。
2A2について
()前提として認定することのできる事実(甲B(2)1,A2本人)1
アA2は,昭和20年8月6日当時,広島県佐伯郡i村jk番地lにお
いて暮らしていた(乙B(2)1の2頁,乙B(2)2。A2は,bに)
,ある鍼灸院に行こうとしていたところで原爆が投下された際の音を聞き
,,(()自宅に引き返したがその途中でいわゆる黒い雨に遭った乙B2
26。)
イA2は,昭和20年8月10日から同月18日までの間に,数日間,
A2の母親及び叔母とともに自宅近くにあったW国民学校に行った乙,(
B(2)1の6頁,A2本人。)
W国民学校には,同月6日から,約200人の負傷者(重傷者が多か
った)が収容され,最終的にはそのうち半数が死亡したとされる(甲A。
33の3の727頁,甲B(2)1の3頁,乙B(2)1の6頁,乙B
(2)7,弁論の全趣旨。収容された負傷者は,学校の教室や廊下の辺)
りに横たわっていた(乙B(2)1の6頁,乙B(2)6,7。)
,,,A2の母親及び叔母はW国民学校において朝方から夕方にかけて
負傷した者に対する怪我の手当て(薬を塗ること)や,食事の支度(校
舎の裏でご飯を炊くこと等)と配膳等を行った(乙B(2)1の6頁,
乙B(2)2,3,5,A2本人。A2自身は,他の子どもと校舎の裏)
で遊んでいたりもして,負傷者に対する怪我の手当て等を行わなかった
(乙B(2)1の6頁,乙B(2)26)が,校舎内において,同人の
母親や叔母について回ったり,時折,作業の邪魔にならないよう,看護
をしているA2の叔母に背負われたりしたこともあった(乙B(2)1
の6頁,乙B(2)2,3,5,7,A2本人。)
ウ広島市長が,A2の申請を却下した理由は,そもそもA2の叔母が当
時4歳になっていたA2を背負いながら負傷者に対する手当て等をする
ことができたのかが疑問であること,A2の叔母がA2を背負った状態
でどの程度の救護活動をしたのかを証人の申述によって明らかにするこ
とができないこと及びA2の叔母や弟の被爆者健康手帳交付申請に係る
((),)。書類の中にA2に関する言及がないことであった乙B2622
()3号被爆者該当性についての判断2
前記()において認定したところによれば,A2は,昭和20年8月101
日から同月18日までの間の数日間,同人の母親や叔母が,朝から夕方に
かけて,W国民学校(教室や廊下を含めて,約200人の負傷した被爆者
が収容されていた)において,負傷した被爆者に対する食事の配膳や怪我。
,,,の手当てをしている周りを歩いたりしており時にはA2の叔母により
作業の邪魔にならないように背負われたりもしていた。
かかる事実を前提とすれば,まず,W国民学校に,多数の負傷した被爆
者が集合していたことは明らかである。また,A2が時には校舎外で遊ん
でいたこともあったことや,A2の母親や叔母が校舎外で炊き出しをした
りしていたこともあったことを考慮しても,原爆投下から2週間が経たな
いうちに,A2が,相応の時間,W国民学校の校舎に立ち入り,とどまっ
ていた事実を優に認めることができる。
したがって,A2について,身体に放射線の影響を受けたことを否定で
きない事情を認めることができるから,A2について,被爆者援護法1条
3号の要件が満たされるというべきであって,A2の被爆者健康手帳交付
申請を却下した広島市長の処分には違法があると認められる。
3A3について
()前提として認定することのできる事実(甲B(3)1,A3本人)1
アA3は,昭和20年8月6日当時,広島県佐伯郡m村no-p番地に
おいて暮らしていた(乙B(3)1の2頁。)
イ(ア)原爆投下後における,広島県下各郡への避難者総数は,14万91
88人とされており,特に,最も避難者の多かった安佐郡とそれに次
いで避難者の多かった安芸郡・佐伯郡の3郡を合計しただけでも,1
1万6716人の避難者が出たとされる。
このように多数の避難者が,一挙に各郡に殺到し,各学校・寺院・
神社・農協事務所・役場をはじめとして,一般民家等にまで助けを求
めたが,上記3郡においては,それでも,道ばたに溢れていた負傷者
も多く出たとされる(甲A32の3の502頁。)
佐伯郡a町bにあったX病院にも,原爆により負傷した者が約20
0人ないし300人詰めかけており,病室内はもちろん,通路や,病
院の外にまで負傷者が多くいるような有様であった(乙B(3)3。)
(イ)A3は,昭和20年8月6日の夜から体調が悪くなったため,翌7
日の朝,甲医院において診察を受けたところ,同医院の医師は,A3
について,急性脱腸炎であって手術が必要となるという診断を行うと
ともに,同人に対し,X病院を紹介した。そこで,A3は,昭和20
年8月7日,急性脱腸炎に対する手術のためにX病院(別棟)に入院
し,翌日中に手術を受け,そのまま,同月末日までX病院(別棟)に
入院した(乙B(3)1の6頁,乙B(3)9。)
A3は,同月22日ころまでは,自身の病室において,ずっと寝込
んでいた。同病室には,1台のベッドがあり,また,床には,5名程
度の負傷した被爆者が横たわっていた(甲B(3)1,A3本人。)
同日ころ以降A3は別棟とは別にある本院において看護活動水,,(
を汲んで飲ませること,トイレの介助,汗をふくこと等)をしていた
同人の母親の周りにいたり少しの間母親に背負われたりしていた乙,(
B(3)1の6頁,乙B(3)2,4,9(その際,A3は,何人か)
の被爆者に触れたりもした(乙B(3)4。なお,A3の母親は,)。)
基本的には,A3が寝ている間を見計らい,本院において負傷者の看
護等を行うようにしていた(乙B(3)2。)
ウ広島市長が,A3の申請を却下した主な理由は,A3が昭和20年8
月22日まで寝込んでいたとすればそもそも期間の点で前述した「被爆
者の定義」の要件に該当しないこと,A3の母親が,自身の被爆者健康
手帳の交付申請の際に,自らはA3が寝ている間に看護活動をした旨を
述べていたことであった(乙B(3)2。)
()3号被爆者該当性についての判断2
前記()において認定した事実を前提とすれば,A3が,昭和20年8月1
7日以降に入院したX病院には,負傷した被爆者が約200人ないし30
0人詰めかけており,A3が約2週間にわたって寝込んでいた病院内の部
屋においても,ベッドが1台しかないところに,5人程度の負傷者が横た
わっているような状況があったものといえる。とすれば,A3は,原爆投
下から間もない時期に,部屋の面積を考えれば多くの被爆者が集合してお
り,しかも閉ざされていた環境の中に,相応の時間居続けたものと認めら
れる。
したがって,A3について,身体に放射線の影響を受けたことを否定で
きない事情を認めることができるから,A3について,被爆者援護法1条
3号の要件が満たされるというべきであって,A3の被爆者健康手帳交付
申請を却下した広島市長の処分には,違法があると認められる。
4A4について
()前提として認定することのできる事実(甲B(4)1,A4本人)1
アA4は,昭和20年8月6日当時,Z国民学校の5年生であり,広島
県安芸郡c町字西q番地において暮らしていた(乙B(4)1。)
イA4は,昭和20年8月7日から同月10日にかけて,自宅のすぐ近
くにあるY寺に出かけ,同寺に半日くらいずつとどまった(乙B(4)
1の6頁,乙B(4)29。A4が,Y寺に向かったのは,同人の母親)
が,国防婦人会からの要請によってY寺で看護等を行うことになり,自
宅を留守にしたことから母親について行くことにしたためであった甲,(
B(4)1。)
Y寺には,原爆投下当日以降,最大約100人の負傷者が収容された
(,(),)(,甲A33の5の798頁乙B41の6頁弁論の全趣旨なお
原爆投下当日,c町においては,上記Y寺やZ国民学校等に,合計約3
00人から350人程度の避難者が収容されたとされる(甲A33の5
の798頁。)。)
A4は,上記の期間,Y寺において,数時間にわたり,多くの負傷者
の首を手で支えて負傷者に水を飲ませる,負傷者の蛆を取る手伝いを若
干する等の行動をとった(甲B(4)1の2頁,乙B(4)1の6頁,
(),,,,,,,,,)。乙B4491112131720272932
,,,,またA4は寺の外においても行列をなす負傷者の間をかき分けて
一部の負傷者に水やおにぎりを渡すなどした(乙B(4)1の6頁,乙
B(4)5。)
ウ広島市長が,A4の本件第1次申請を認めなかった主な理由は,救護
・看護の対象となった負傷者の人数についての証人(R,S,T,Q,
U)の申述が得られなかったこと,A4と同人の母親が一緒に救護・看
護活動に当たっていたか否かについて関係者の申述が一致していなかっ
たことであった(乙B(4)4,17。)
一方,広島市長が,A4の本件第2次申請を認めた主な理由は,Q証
人が,A4が水を飲ませたりした負傷者の数が,状況からみて5人や1
0人どころではないと述べたこと(乙B(4)23,28,A4が,同)
人の母親とY寺で一緒になることもあった旨を述べたことから,A4の
申述と関係者の申述とが整合するようになったこと(乙B(4)28)
であった。
()3号被爆者該当性についての判断2
前記()において認定したところによれば,Y寺は,原爆投下直後から多1
数の被爆者の避難先となったc町における,代表的な収容所の一つとなっ
ていたものであり,同寺には,最大で約100人の負傷した被爆者が収容
されていたというのであるから,同寺の中は,多数の負傷した被爆者が集
合する空間となっていたということができる。
A4は,そのような空間に,原爆投下の翌日から4日間にわたり,毎日
数時間ずつ立ち入り,負傷者に水を飲ませたり,負傷者の蛆を取ったりす
る活動をしたものである。
とすれば,A4は,原爆投下から間もない時期に,多数の負傷した被爆
者が集合していた環境の中に相応の時間とどまったということができる。
したがって,A4について,身体に放射線の影響を受けたことを否定で
きない事情を認めることができるから,A4について,被爆者援護法1条
3号の要件が満たされるというべきであって,A4の被爆者健康手帳交付
申請を却下した広島市長の処分には,違法があると認められる。
5A5について
()前提として認定することのできる事実(甲B(5)1,A5本人)1
アA5は,昭和20年8月6日当時,広島県安芸郡c町大字rs番地t
において暮らしており,同人は,同郡にあるZ国民学校の5年生であっ
た(乙B(5)1。)
イ(ア)A5は,同日の午前中,水を求めて同人の自宅を訪れた負傷者に対
し,水を分け与えた(甲B(5)1,A5本人。)
(イ)また,A5は,同人の母親とともに,同日(昼ころ以降)から同月
,(())。末日ころまで自宅近くにあったZ国民学校へ行った甲B52
Z国民学校には,最大約100人の負傷者が収容され,同校の講堂
等の中には,ぎっしりと被爆者が収容された(同日以降数日間にわた
り,多数の負傷者を乗せたトラックが,何度も,Z国民学校へ入って
いった。また,多数の死体が,同校近くの乙川堤防において荼毘に。)
付されたりもした(甲A8の33頁,甲A33の5の798頁,乙B
(5)1の6,8頁,乙B(5)7,A5本人。)
(ウ)A5は,前記(イ)の間,少なくとも1日当たり5,6時間程度,Z国
民学校の講堂や教室において,負傷者に食事を運んで食べさせたり水
,,を飲ませたりする火傷を負っていた子の子守やトイレの世話をする
,,負傷者の火膨れをはぐのを手伝う負傷者の身体についた蛆虫を取る
負傷者の体をふいて薬をつける,負傷者の身体に包帯の代わりに家に
あったシーツ等を巻き付ける等の活動をした(乙B(5)1の6頁,
乙B(5)4,A5本人(なお「救護看護従事者面接聴取表(乙),」
B(5)4)の中に,A5が「包帯をまく「体をふく「下の世話」,」」
といった活動をしなかったかのような記載がされていることは,A5
,。)。の本人尋問の結果等に照らし上記の認定を左右するものではない
ウ広島市長が,A5の申請を却下した主な理由は,同人の申述を裏付け
((),るだけの証人からの申述が得られなかったことであった乙B53
10。)
()3号被爆者該当性についての判断2
,,前記()及び前記4()イにおいて認定したところによればZ国民学校は11
原爆投下直後から多数の被爆者の避難先となったc町における,代表的な
収容所の一つとなっていたものであり,同校には,最大約100名の負傷
した被爆者が収容されたというのであるから,Z国民学校の中は,多数の
負傷した被爆者が集合していた空間であったということができる。
A5は,そのような空間に,原爆投下の当日から20日以上にわたり,
毎日5,6時間ずつ立ち入り,負傷者に飲食をさせたり,負傷者の怪我の
手当てやトイレの世話等に携わったものである。
とすれば,A5は,原爆投下から間もない時期に,多数の負傷した被爆
者が集合していた環境の中に相応の時間とどまったということができる。
したがって,A5について,身体に放射線の影響を受けたことを否定で
きない事情を認めることができるから,A5について,被爆者援護法1条
3号の要件が満たされるというべきであって,A5の被爆者健康手帳交付
申請を却下した広島市長の処分には,違法があると認められる。
6A6について
()前提として認定することのできる事実(甲B(6)1,A6本人)1
アA6は,昭和20年8月6日当時,広島県豊田郡d町eu番地v(当
時の呉線e駅のすぐ近く)において暮らしており,同人の自宅において
は,同人の父親が鮮魚店を営んでいた(乙B(6)1,5,乙B(7)
1,弁論の全趣旨。)
イA6の父親は,同日夕方ころから同年9月15日ころまで,主に広島
市内から呉線でe駅まで避難してきた者(比較的軽傷の者から,自力で
歩けないほどの重傷者までいた)を最大15名程度ずつ,自宅兼鮮魚店。
の奥の座敷等(10畳の部屋,8畳の部屋及び12畳の部屋)に自主的
に受け入れ,看護した(ただし,A6の自宅に泊まった負傷者はそれほ
ど多くなかった(乙B(6)1の6頁,乙B(6)2,3,4,6,。)
7,8,11,12,A6本人(なお,被告は,A6の姉であるPの申)
述を根拠に,A6の自宅に負傷者が受け入れられたのは同月末日までで
あると主張するが,A6のみならず,同人の被爆者健康手帳の申請に際
して証人となった者も,昭和20年9月においてもA6の自宅に負傷者
が受け入れられていた趣旨を申述したことにかんがみ,被告の主張は上
記の認定を左右しない。また,A6をはじめ,同人の家族は,上記の。)
看護を手伝った(乙B(6)1の6頁。)
具体的に,A6は,鮮魚店の商売のために自宅におかれていた植物油
,,を負傷者に塗って包帯を巻いたり発熱していた負傷者の汗を拭いたり
痛みを訴えている負傷者の背中をさすったり,負傷者を起こして飲食を
((),(),,,,)。させたりした乙B61の6頁乙B6457811
ウ広島市長が,A6の申請を却下した主な理由は,同人が1日当たり1
0人以上の被爆者に対する救護・看護活動をしたことを裏付けるだけの
証人からの申述が得られなかったことであった(乙B(6)5,15,
16。)
()3号被爆者該当性についての判断2
前記()において認定したところによれば,A6の自宅には,特に,原爆1
投下から間もない時期において,広島市内から電車でeに避難してきた負
傷者が,継続的に多く立ち寄り,同所の合計30畳程度のスペースに,最
大約15名の負傷した被爆者が収容されたというのであるから,A6の自
宅は,部屋の面積を考えれば,多数の負傷した被爆者が集合していた空間
であったということができる。
A6は,そのような空間において,原爆投下当日以降,少なくとも約1
か月にわたり,同人の家族とともに,負傷者に飲食をさせたり,負傷者の
怪我の手当てを行ったりしたということになる。とすれば,A6は,原爆
投下から間もない時期に,多数の負傷した被爆者が集合していた環境の中
に相応の時間とどまったということができる。
したがって,A6について,身体に放射線の影響を受けたことを否定で
きない事情を認めることができるから,A6について,被爆者援護法1条
3号の要件が満たされるというべきであって,A6の被爆者健康手帳交付
申請を却下した広島市長の処分には違法がある。
7A7について
()前提として認定することのできる事実(甲B(7)1,A7本人)1
アA7は,昭和20年8月6日当時,広島県豊田郡d町eu番地v(当
時の呉線e駅のすぐ近く)において暮らしており,同人の自宅において
は,同人の父親が鮮魚店を営んでいた(乙B(6)1,5,乙B(7)
1,弁論の全趣旨。)
イA7の父親は,同日夕方ころから同年9月15日ころまで,主に広島
市内から呉線でe駅まで避難してきた者(比較的軽傷の者が多かった)。
を最大15名程度,自宅兼鮮魚店の奥の座敷等(10畳の部屋,8畳の
部屋及び12畳の部屋)に自主的に受け入れ,看護した(乙B(6)1
の6頁,乙B(6)6,乙B(7)1の6頁,乙B(7)2,4,5,
6,7。)
A7は,上記の負傷者に対する看護(看護の内容は,前記6()イにお1
いて認定したのと同様である)をしていた同人の母親等に背負われてい。
たこともあったし負傷者がいた座敷付近で遊んでいたこともあった乙,(
(),(),(),,,,,)。B65乙B71の6頁乙B7234567
ウ広島市長が,A7の申請を却下した主な理由は,同人を背負った同人
の母親らが1日当たり10人以上の被爆者に対する救護・看護活動をし
たことを裏付けるだけの証人からの申述が得られなかったことであった
(乙B(6)15,乙B(7)8,弁論の全趣旨。)
()3号被爆者該当性についての判断2
前記()及び前記6()において認定したところによれば,A7の自宅に11
は,特に,原爆投下から間もない時期において,広島市内から電車でeに
避難してきた負傷者が,継続的に多く立ち寄り,同所の合計30畳程度の
スペースに,最大約15名の負傷した被爆者が収容されたというのである
から,A7の自宅は,多数の負傷した被爆者が集合していた空間であった
ということができる。
A7は,そのような空間において,原爆投下の当日以降,約1か月間に
わたり,負傷者の手当て等を続けていた同人の家族の周りにいたり,同人
の母親に背負われたりしていたものであると認められる。とすれば,A7
は,原爆投下から間もない時期に,多数の負傷した被爆者が集合していた
環境の中に相応の時間とどまったということができる。
したがって,A7について,身体に放射線の影響を受けたことを否定で
きない事情を認めることができるから,A7について,被爆者援護法1条
3号の要件が満たされるというべきであって,A7の被爆者健康手帳交付
申請を却下した広島市長の処分には違法があると認められる。
第5争点5(国家賠償請求の可否及び損害額)について
1原告らの主張の要旨
原告らが,国家賠償法上違法であると主張する点は,要するところ,公務
員である広島市長が,最新の科学的知見を考慮せず「被爆者の定義」という,
不合理な審査基準に依拠して不合理な審査を行った点であるということがで
きる。そこで,以下,上記の主張に関して検討するものとする。
2広島市長の義務の内容について
()被爆者援護法1条3号及び同法2条2項の定めによれば,広島市長は,1
各申請者について「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に,
原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情」が認められる場合には,同
法2条2項に基づき,当該申請者に対し,被爆者健康手帳を交付する処分
をしなければならないものと解される。
もっとも,広島市長が,ある申請者について,被爆者援護法1条3号の
要件が満たされないものと判断し,当該申請者の被爆者健康手帳交付申請
を却下する処分をした場合において,その判断が誤っていたとしても,そ
のことから直ちに国家賠償法1条1項にいう違法があったという評価を受
けるものではなく,広島市長が,被爆者援護法1条3号に基づく申請に基
づいて審査するに際し,資料を収集し,これに基づき「身体に原子爆弾の
」,,放射能の影響を受けるような事情に関する認定判断をする上において
職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と被爆者健康手帳交
付申請を却下したと認め得るような事情がある場合に限り,上記の評価を
受けるものと解するのが相当である(最高裁判所平成元年(オ)第930
号,第1093号同5年3月11日第一小法廷判決民集47巻4号286
3頁参照。)
()アところで,乙B(1)15号証,乙B(2)23号証,乙B(3)62
,(),(),(),号証乙B418号証乙B511号証乙B616号証
乙B(7)8号証及び弁論の全趣旨(特に,本訴における被告の主張の
内容)によれば,広島市長は,本件原告らの申請について,前記「被爆
者の定義」(前記第1の5()ア(ア))に依拠し「被爆者の定義」に該当す1,
れば被爆者健康手帳を交付し「被爆者の定義」に該当しなければ被爆者,
健康手帳交付申請を却下するという前提のもとに,審査を行ったものと
認められる。
イ(ア)もとより3号被爆者該当性についての判断は前記第3の2()イ(ア),,3
に示したような類型的な事実に基づいてされるべきものであるから,
そのような判断の性質からも,広島市長が,一定の類型的な事実を踏
まえて,被爆者援護法1条3号の解釈を具体化する審査基準を設ける
ことは,当然に必要とされるところである(行政手続法2条8号ロ,
同法5条1項,2項参照。)
(イ)そして,前記に示した「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるよ,
うな事情」の有無を最新の科学的知見を踏まえて判断しなければなら
ないという法解釈は,当然のものであるといえるから,広島市長は,
上記のような審査基準を設けるに際しては,可能な限り,身体に対す
る放射線の影響に関する最新の科学的知見を収集した上で,そうした
知見に基づいて,着目すべき類型的事実を抽出し,基準の内容を決定
するとともに,科学的知見の変化に応じて必要な見直しを行わなけれ
ばならないものと解される。
(ウ)また,広島市長は,被爆者援護法1条3号を解釈適用すべき立場に
ある以上,当然に,被爆者援護法及びその前身である原爆医療法・原
爆特別措置法の趣旨・目的について十分に理解しておかなければなら
ないところである。したがって,広島市長は,被爆者援護法が,原爆
医療法に引き続き,放射線の身体への影響の全貌が未解明であること
を前提として被爆者健康手帳の交付を受けた者に対する健康管理健,(
康診断及び治療)を主眼とした法律であることを十分に考慮しなけれ
ばならないものである。
とすれば,広島市長は,被爆者に該当するか否かについての審査基
準を設けるに当たり,数値的な指標(例えば救護・看護活動を行った
人数についての指標等)を導入する際には,そのような数値的な指標
に満たない者については,類型的に身体への放射線の影響を否定する
ことができるために健康管理の対象にすらする必要がないということ
を基礎付けるに足りる相当に合理的な根拠を収集しなければならない
ものと解される。
ウ(ア)そうすると,①広島市長が,本来であれば収集し得た科学的知見を
収集せず,又はそうした科学的知見を考慮しなかったために,若しく
は,相当に合理性をもった根拠を収集せずに数値的な指標を導入した
ために,不適切な内容を含む審査基準を採用しており,かつ,②広島
市長が,当該審査基準を改め,別の内容の審査基準に基づく運用を行
うべきであったといえるにもかかわらず,同市長が,漫然と当該審査
基準に依拠した判断を行ったことによって,誤って被爆者健康手帳交
付申請を却下する処分をしたものといえる場合には,広島市長は,職
務上の注意義務を尽くさなかったものと評価され,その義務違反は,
国家賠償法上違法であると評価されることになるものと解するべきで
ある。
3本件に関する検討
()ア前記第1の5()アにおいて認定したとおり,被爆者援護法1条3号に11
「」,関して広島市長が策定した審査基準である被爆者の定義においては
原爆投下後2週間以内に,1日当たり最大10人以上の被爆者の輸送,
救護,死体処理又は(収容施設等における)看護に従事した者又はその
者に背負われていた子等を「被爆者」とする旨が規定されている。
上記の審査基準を,被爆者援護法の立法事実等に加えて,現在の科学
的知見をも踏まえて導かれた被爆者援護法1条3号の解釈(前記第3)
,,に照らして客観的にみた場合本件における争点との関係だけでみても
上記の基準が,(ア)収容施設等の中にとどまった者のうち,看護等を行っ
た者あるいはその者に背負われていた者についてしか,3号被爆者該当
性を肯定していない点,(イ)1日当たり最大10人以上という要件(以下
「本件人数要件」という)を設けている点は,不適切であるといわざる。
を得ない。
イそこで,まず,広島市長が,上記のような客観的にみて不適切な審査
基準を策定し,採用し続けたことが,①本来であれば収集し得た科学的
知見を収集せず,あるいはそうした科学的知見を考慮しなかったこと又
は②相当に合理性をもった根拠を収集しないままに数値的な指標を導入
したことによるのか否かについて検討を行うものとする。
ウ(ア)第1に,広島市長が,(ア)「被爆者の定義」において,収容施設等の
中にとどまった者のうち,看護等を行った者あるいはその者に背負わ
れていた者についてしか3号被爆者該当性を肯定しない扱いをとって
いる点について検討する。
この点,平成2年のICRP勧告における言及(甲A21)に照ら
せば,内部被曝特有の危険性を強調するホットパーティクル理論はそ
れ以前から提唱されていたものと認められるから,広島市長は,本件
各却下処分がされた平成14年ないし平成17年ころまでには,少な
くとも,残留放射線による内部被曝の場合に外部被曝とは別の要素を
考慮しなければならないという知見が存在することについて一応認識
することができたものといえる。
しかしながら,内部被曝特有の危険性に関して前記第1の6()アに1
おいて引用した証拠は,いわゆる原爆症認定に関する集団訴訟におい
て提出された意見書(甲A37,甲A39)やそれに関係する証人尋
問調書(甲A38,甲A43,本訴において提出される目的で作成さ)
れたと認められる意見書(甲A3,甲A46)あるいはごく最近にお
いて公刊された書籍(甲A25,平成17年6月刊)に限られている
といえるから,本件証拠上は,広島市長が,本件各却下処分がされた
平成14年ないし平成17年ころの時点において,少量の放射線によ
る内部被曝の具体的な危険性や,そうした危険性ががん誘発のリスク
をも高め得るといった点についてまで,十分な認識を持つことは困難
であったものといわざるを得ない。
さらに言えば,内部被曝に特有の危険性が,救護所等,多数の負傷
者が集合していた環境においてどのように具体化したと考えられるか
については,本件証拠上,本訴において提出される目的で作成された
と認められる意見書(甲A3,甲A46等)以外に,参照に値する文
献等が見当たらない。とすれば,前記第1の5()イ(イ))に示したよう1c
な予算特別委員会における指摘があったことをも考慮に入れても,広
島市長が,平成14年ないし平成17年ころの時点において,内部被
曝に関する知見を可能な限り収集したとしても,救護所等においてど
のような者に放射線の影響が生じ得るかを具体化する基準を的確に策
定することができたとまで認めることはできない。
以上によれば,広島市長が,本件却下処分時において,救護ないし
看護活動に従事した者あるいは上記従事者に背負われていた者のみを
3号被爆者と扱い,それ以外の者(背負われていなかったが,従事者
の周りにいた者,救護所等において寝込んでいた者等)を3号被爆者
とは扱わない審査基準を策定した点を,同市長が,科学的知見の収集
を怠ったことに帰することまではできないというべきである。
(イ)第2に,(イ)広島市長が本件人数要件を設けた点について検討する。
前記第1の5()イにおいて認定した事実(特に,広島市議会等にお1
いては,少なくとも数回「被爆者の定義」の妥当性が問題とされてい,
たにもかかわらず「被爆者の定義」の根拠(科学的根拠を含む)に,。
関する被告担当者の答弁は,昭和57年当時と平成15年末とでほぼ
同趣旨のものであったこと(前記第1の5()イ(イ)()②)に弁論の全1db)
趣旨を併せれば,広島市長が本件人数要件を策定し,それを採用し続
けている根拠としては,本件全証拠によっても,①昭和43年ないし
昭和44年ころに,広島県の職員から照会を受けた原医研の者が「学,
問的に云えば,50名位を数日間行なえば影響があると思うが,政治
的な問題もあり,10名位にしてはどうか」という趣旨の指摘をした。
こと,②昭和44年ころ,厚生省の事務官が「10名前後というのも,
正しい根拠があるわけではない「家族1名を看護した場合でも放射。」
能の影響を受けたと判断できれば,市長の裁量で交付しても差支えな
いと思う」などと述べつつも「看護や死体処理を行った人数は10。,
名前後が妥当であると思う」と指摘したこと,③昭和59年に,全国。
の原爆被爆者対策講習会及び事務打合会において,厚生省の企画法令
,,係長が救護者が被爆者に背中合わせでびっしり密着された場合でも
被曝線量は,原爆投下当日で数ラド程度にすぎなかった等として,本
件人数要件を肯定的に評価するような意見を述べたことがうかがわれ
るにすぎない。
このことに,①原爆投下直後の時期において,救護活動の現場が混
乱に陥っていたことは想像に難くない以上,各申請者あるいはその関
係者が,当該申請者が救護・看護等をした人数について正確な記憶を
有していることは通常考えがたく,このことは,当然に広島市長も認
識し得たものである以上,広島市長は,人数の点を審査基準の内容に
,盛り込むにはとりわけ慎重を期さなければならなかったといえること
②前記第1の5()において認定したところによれば,他の都道府県知2
事が策定した審査基準においては,必ずしも人数による限定を付して
いない場合もあるし,必ずしも1日当たりの人数を問題にはしていな
い場合もあることがうかがわれ,しかも,乙A15号証ないし乙A1
6の2号証の記載内容に照らせば,昭和59年に開かれた全国の原爆
被爆者対策講習会及び事務打合会の場では,広島市長が策定した審査
基準が他の都道府県知事の審査基準と異なる内容であることが問題と
なったことがうかがわれるのであるから,広島市長は,遅くとも昭和
59年までには,本件人数要件が他のすべての都道府県において採用
されているわけではなく,決して必然的に導かれるものではないこと
を認識する契機を得ることができたと考えられることをも併せて考え
れば広島市長は被爆者の定義を策定し運用するに当たり5,,「」,,「
0名位を数日間」という基準がどのような科学的根拠から導かれるの
かといった点や,数ラドあるいはそれ以下の線量の放射線被曝が身体
にどのような影響を与えるのかといった点を検討する等,本件人数要
件の合理的な根拠について十分な精査をするべきであったといえる。
それにもかかわらず,広島市長は,上記の点を精査することなく,本
件人数基準を,被爆者援護法が制定された後においても,被爆者に該
当するか否かを分ける基準として漫然と採用し続けたものといわざる
を得ない。
以上より,広島市長は,相当に合理性をもった根拠を収集しないま
まに数値的な指標を導入し,それを採用し続けたものといわざるを得
ない。
()アそこで,次に,広島市長が,本件人数基準のような,合理的な根拠を2
伴わない数値的な指標に依拠することなく3号被爆者該当性を審査する
運用を行うべきであったといえるか否かについて検討する。
この点,被爆者健康手帳の交付事務は,第1号法定受託事務(地方自
治法2条9項1号,10項,同法別表第一参照)に該当するところ,第
1号法定受託事務は,国が本来果たすべき役割に係るものであって,国
においてその適正な処理を特に確保する必要があるものであるから,法
所管庁である厚生労働省(ないし厚生省)が一定の見解を明示してそれ
に従った運用を行うよう強く示唆するなどした場合には,処分行政庁で
ある広島市長は,法所管庁の解釈が一見して誤っており,そのことが認
識可能である等,厚生省の見解を否定して独自の運用を行うことが義務
付けられるべき特段の事情がない限り,当該見解を尊重し,それに従え
ば足りるものと解される(地方自治法245条の4第1項。)
イこのことを前提としてみるに,法所管庁である厚生省は,昭和44年
の時点では,被告に対し「10名前後というのも正しい根拠があるので,
はない「十分,広島県と協議のうえ決定し」て欲しいなどとしつつ,。」
「看護や死体処理を行った人数は10名前後が妥当であると思う」と述。
べたにとどまっており(前記第1の5()イ(ア)),必ずしも,法所管庁と1b
して,本件人数要件が妥当である旨の見解を明示した上で処理方針を示
唆したとまではいいがたい。しかしながら,昭和59年においては,厚
生省の企画法令係長が,全国の自治体の被爆者援護担当者が一同に介し
,たと考えられる全国原爆被爆者対策講習会及び事務打合会の場において
被曝線量に関する具体的な根拠をも示した上,各自治体に対し,本件人
数要件に従った取扱いを行うように要望した事実が認められるところ(前
記第1の5()イ(イ)),このような企画法令係長の言動は,厚生省の担当1a
者として,3号被爆者該当性の判断に際して本件人数要件を採用するこ
とを是とする見解を明示した上で,各自治体に対し,その見解に沿った
運用をするように強く示唆したものであるといえる。
そして,本件全証拠によっても,厚生省ないし厚生労働省が,上記の
見解を訂正したことはうかがわれない。とすれば,本件各却下処分当時
においても,広島市長は,上記の見解を尊重しなければならない立場に
あったものである。このことに,本件において,被爆者健康手帳交付事
務の円滑な遂行には国の権限による予算措置が不可欠であったことから
すれば,広島市長が,法所管庁である厚生省(ないし厚生労働省)が明
示した範囲よりも広い範囲で3号被爆者該当性を認めるような基準の策
定・運用を行うことには,事実上大きな困難が伴ったものと考えられる
ことをも併せ勘案すると,広島市長は,特段の事情のない限り,本件人
数要件に従った運用をすれば足りたものといえる。
ウそこで,上記特段の事情の有無について検討すると,①原爆医療法2
条3号及びその規定を受け継いだ被爆者援護法1条3号の文言は,抽象
的なものであって,一義的な解釈は困難であること,②本件各却下処分
当時,3号被爆者の定義規定に関する実体的解釈を示した司法判断は,
下級審を含めても存在しなかったこと,③本件各却下処分当時,本件人
数要件を採用したのでは明らかに放射線の影響を受けた者が3号被爆者
の範囲から除外されてしまうといったことを基礎付けるような,救護被
爆者に関する疫学的な研究が存在していたこともうかがえないことにか
んがみれば,本件全証拠によっても,広島市長に厚生省が示した見解を
否定して独自の運用を行うことを義務付けるに足りるだけの特段の事情
を認めることまではできない。
()以上に述べたところによれば,広島市長が,本件人数要件を含む審査基3
準を策定し採用し続けたことは,相当に合理的な根拠を収集しなかったこ
,()とに起因するものではあるが法所管庁である厚生省ないし厚生労働省
が本件人数要件を是とする見解を明示した上で各自治体に対して強い示唆
をしており,その見解を誤りとして独自の運用を行うべきことを基礎付け
るに足りる特段の事情も認められないという本件事実関係のもとでは,法
定受託事務を担う者として厚生省ないし厚生労働省の見解を尊重するべき
立場にある広島市長が,本件人数要件を改め,異なる運用を行うべきであ
ったとまでいうことはできない。
したがって,広島市長が「被爆者の定義」を策定し,それに基づき個々,
の原告に対する審査を行ったことについて,職務上通常尽くすべき注意義
務に対する違反があるということはできないから,その余の点について判
断するまでもなく,原告らの主張は理由がない(なお,法所管庁である厚
生省ないし厚生労働省の担当者において,原爆医療法及び被爆者援護法の
統一的な運用を可能とするような適切な通達を出す等の措置を講じず,ま
た,昭和59年に本件人数要件を是とする見解を採用することを強く示唆
し,それを今日に至るまで訂正していない点が,厚生労働大臣の行為とし
て非難されるべきか否かということは,以上の検討とは論点を異にするも
のである。。)
第6結論
1被爆者健康手帳交付申請却下処分の取消しを求める訴えについての結論
前記第3及び第4において述べたところから,本件各却下処分には,いず
れも,被爆者援護法1条3号の解釈を誤った違法が認められる。
したがって,争点4(本件各却下処分が行政手続法5条3項違反により取り
消されるべきか否か)について判断するまでもなく,本件原告らの,本件各
却下処分の取消しを求める訴えは,いずれも理由がある。
2原告らの損害賠償請求についての結論
前記第5において述べたところから,原告らの損害賠償請求は,いずれも
理由がない。
3その他適用法条等
訴訟費用の負担については,民事訴訟法64条本文,61条,65条1項
本文を適用し,主文のとおり判決する。
広島地方裁判所民事第1部
裁判長裁判官野々上友之
裁判官大須賀寛之
裁判官佐藤政達

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