弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主文
被告人は無罪。
理由
第1公訴事実及び争点の所在等
1本件の公訴事実
本件の公訴事実は,「被告人は,平成28年9月6日午前6時27分頃,鹿児
島県伊佐市ab番地AストアーB店敷地内において,同所に駐車中の軽四輪貨物
自動車の無施錠の運転席ドアを開け,同車助手席に置いてあったC所有の発泡酒
1箱(時価2500円相当)を窃取した。」というものである。
なお,以下,上記軽四輪貨物自動車を「本件軽トラック」といい,上記発泡酒
1箱を「本件発泡酒」という。
2争点の所在
被告人は,捜査・公判を通じ,公訴事実記載の窃盗を行ったことを認めてい
る。
その上で,弁護人は,本件で,警察官は,警察官の使用車両であること
を秘した自動車内に経済的に困窮していた被告人が盗みたくなるような本件
発泡酒等を配置することにより,被告人にいわゆる車上狙いの実行を働き掛
け,被告人がこれに応じてその実行に出たところを現行犯逮捕したものであ
り,そのような捜査手法は国家が犯罪を作り出し,また捜査の公正を害するも
のであって違法上記捜査手法の違法性は重大であり,かつそれに
基づき獲得した証拠を許容することは将来における違法な捜査の抑制の見地
からしても相当でないから,本件で検察官が提出した取調べ済みの証拠はい
したがって,公訴事
実記載の事実は立証されておらず,被告人は無罪である,と主張する。
これに対し,検察官は,本件発泡酒は,警察官が本件軽トラックを借用
した謝礼としてその車内に積載していたものに過ぎず,警察官は被告人に車
上狙いの実行を働き掛けていない,仮に弁護人主張の捜査手法を前提とし
ても,被告人には車上狙いの強い犯意があり,かつ通常の捜査手法のみでは被
告人の検挙が困難であったことから,同捜査手法は任意捜査として許容され
るものである,などと主張して,弁護人の上記主張を争っている。
第2認定事実
関係各証拠によれば,本件に関する事実経過につき,次の事実が認められる。
1車上狙いの散発的発生及びそれに対する捜査の経過
被告人の自宅がある鹿児島県伊佐市c付近では,平成28年(以下の事実は
全て同年である。)3月から7月までの間に,鹿児島県D警察署に対する車上
狙いの被害申告が9件あった(その内訳は,3月に4件,5月に1件,7月に
4件である。)。そして,それら9件の被害状況の特徴等は,次のとおりであ
る。
全件において,被害車両が被害当時無施錠であった。
9件中5件において被害車両が軽四輪貨物自動車(軽トラック)であり,
残りの4件は軽四輪乗用自動車である。
9件中8件において現金のみが盗まれ,その被害額は,1000円未満が
2件,1000円以上5000円未満が4件,その他は約4万5000円,
13万円である。なお,残り1件では,エンジンキーのみが盗まれた。
9件中8件において,被害時間帯に夜間が含まれている。
D警察署各被害につき所要の捜査を行ったが,いずれも犯人の
特定には至っていなかったところ,同警察署警部補C(以下「C警察官」とい
う。)は,7月11日ころ,同日ころに伊佐市aで発生した車上狙い(上記9
件のうち6件目のもの)の被害者から,深夜にその付近を徘徊し,自動販売機
の釣り銭を拾うなどしている疑わしい人物として被告人のことを聞いた。
上記の情報提供を元にC警察官らが調べたところ,被告人は,3月16日
午前3時28分ころ,マスクを着用し,婦人用自転車で伊佐市dを走行してい
たところを,警察官から職務質問を受けていたことが分かった。この時,被告
人は,警察官に対し,氏名を名乗った上で,午前3時ころから午前5時ころま
で散歩代わりに自転車で走っているなどと述べ,また懐中電灯2個及びエコ
バッグが在中するポーチを所持していた。
被告人は,7月27日午前3時50分ころ,伊佐市dにおいて,マスクを着
用し,自動販売機の前に立っていたところを警察官から職務質問を受けた。こ
の時,被告人は,警察官に対し,氏名を名乗った上で,いつも午前3時30分
ころから午前5時30分ころまで自転車で運動をしているなどと述べた。ま
た,被告人は,この時,自転車のハンドル右下金具に手袋を被せていたほか,
手袋,LEDライト及びマスク等が在中するショルダーバッグを所持してい
た。
警察官ら(捜査主任はC警察官)は,ないしの事情のほか,上記9
件の車上狙いがいずれも被告人の自宅の周辺地域で発生していること(特に,
そのうち7件は被告人の自宅から約700メートルの範囲内で発生してい
る。)を総合的に考慮して,被告人が上記9件の車上狙いの犯人ではないかと
考えた。なお,被告人は,窃盗の前歴2回(平成14年の倉庫荒らし及び平成
24年の自転車盗)を有している。
そのような中,8月30日,D警察署に対し,同月29日午後6時から同月
30日午前7時までの間に,伊佐市dにおいて無施錠の自動車から財布等在
中のポーチが盗まれたとの新たな被害申告があった(以下,以上の全10件の
車上狙いを「一連の車上狙い」という。)。
2被告人に対する行動確認捜査の経過
C警察官らは,①8月30日午後10時ころから同月31日午前6時10
分ころまでの間,②同月31日午後10時ころから9月1日午前5時30分
ころまでの間,③同月2日午前2時ころから午前6時ころまでの間,④同月
3日午前3時20分ころから午前6時25分ころまでの間の4回にわたり,
警察官3名ないし4名の態勢で,被告人につき張込みや尾行等による行動確
認捜査を行った。
これらの捜査において,C警察官らは,自動車や自転車を使用するなどして
被告人の行動確認捜査を行い,その間被告人を見失い又はその行動をよく観
察できない時間帯も少なくなかったものの,午前3時30
分ころに自宅を出て,徒歩又は婦人用自転車で付近を徘徊し,遅くとも午前6
時30分ころまでには帰宅する同外出の際,白いマスクを着用し,
上着のフードを被っていることが多い同外出の際,自宅から北東方
向へ百数十メートルの位置にあるスーパーマーケット「AストアーB店」の西
側に隣接する同店の駐車場(以下「本件駐車場」という。同駐車場は,一辺が
約30メートルのほぼ正方形の形状で,北側及び西側が道路に面しており,全
体がアスファルト舗装されているが,夜間もチェーンによる施錠等はされず
自由に出入りできる。)付近をよく通ること(上記①ないし④の全ての時),
同外出の際,自動販売機の釣り銭口に手を入れたり(上記①,④の時),
駐車中の他人の自動車の中を覗き込んだり(上記②,④の時)することがある
こと,といった行動が観察された。
3本件当日の捜査経過及び被告人の現行犯逮捕
C警察官らは,9月6日(以下「本件当日」という。)午前1時30分ころ,
警察官4名の態勢で,本件駐車場を捜査拠点として,次の態様の下で被告人の
行動確認捜査を開始した。
ア警察官ら4名は,うち3名が本件駐車場内に張り込み,その余の1名が同
駐車場の道路を挟んですぐ北側にある車庫の裏に張り込んだ。
イ本件駐車場の北東角に,上記スーパー建物に隣接して白色の軽四輪貨物自
動車(本件軽トラック)1台を駐車した。本件軽トラックは,捜査用車両(い
わゆる覆面パトカーを含む。)でなく自家用車である。また,本件軽トラッ
クは,無人であり,施錠もされておらず,その助手席上には本件発泡酒(発
泡酒24本入りの箱1個)及びパン(食パン2袋及びロールパン(5個入り)
1袋)の入ったビニール袋(以下「本件パン」という。)が置かれていた。
なお,本件当日,本件駐車場には,警察官らが駐車した本件軽トラック等の
他に五,六台の自動車が駐車されていたが,C警察官らは,それらの各自動車
の施錠状況を確認しなかった。
C警察官らが張り込んでいたところ,午前3
時30分ころ,被告人が自宅方面から徒歩で現れ,本件駐車場において本件軽
トラックの車内を運転席ドアの窓越しに覗き込んだが,同軽トラックのドア
を開けることなく,そのまま本件駐車場を出て自宅方面へ立ち去った。
午前3時40分ころ,被告人が自宅から婦人用自転車に乗って出掛けたの
で,C警察官らは尾行等により被告人の行動を観察しようとしたが,しばしば
被告人を見失うなどして,その行動を十分に観察することはできなかった。
午前6時25分ころ,C警察官らが本件駐車場で張り込んでいたところ,被
告人が自転車に乗って同駐車場に現れた。この時,本件駐車場には上記の時
と同じ位置に本件軽トラックが駐車されていたが,同軽トラックは無人であ
り,施錠もされていなかった。また,運転席ドアの窓が約12センチメートル,
助手席ドアの窓が約14センチメートルそれぞれ開いていたほか,助手席上
の時と同じく本件発泡酒及び本件パンが置かれていた。
本件駐車場に現れた被告人は,本件軽トラックに近付き,その車内
を運転席ドアの窓越しに覗き込んだものの,一旦同軽トラックから離れて,自
己の婦人用自転車をすぐ近くの別の場所に駐輪した上で,本件駐車場に戻っ
てきた。そして,午前6時27分ころ,被告人が本件軽トラックの運転席ドア
を開けて上半身を同車内に入れ,助手席にあった本件発泡酒を両手で持って
それを車外に持ち出したところ,C警察官らは被告人に声を掛け,被告人をそ
の場で現行犯逮捕した。
4本件の捜査及び公判の経過
警察官らは,被告人の現行犯逮捕と同時に,本件発泡酒のほか,被告人が着
用していた手袋(左手用)及びマスク,被告人使用の婦人用自転車を差し押さ
えるとともに(捜索差押調書〔甲2〕),午前7時15分から,被害者として
のC警察官の立会いのもと,本件駐車場及びその周辺につき実況見分を行っ
た(実況見分調書〔甲3〕)。また,同日中には,本件につき現行犯人逮捕手
続書〔甲12〕及びC警察官作成の被害届〔甲1〕が作成された。
被告人は,現行犯逮捕及びそれに続く勾留の後,9月16日,本件につき当
庁に起訴された。なお,この捜査期間中,被害者としてのC警察官の供述調書
は作成されなかった。
第1回公判期日(10月14日)において,被告人は公訴事実記載の事実を
認め,弁護人もこれを争わず,検察官請求にかかる各書証(上記被害届〔甲1〕,
捜索差押調書〔甲2〕,実況見分調書〔甲3〕,被告人の供述調書〔乙1~5〕
等)を証拠とすることに同意したため,当裁判所は同各書証を採用し,取り調
べるなどして,弁論を終結した。しかし,当裁判所は,第2回公判期日(10
月28日)において,被告人の現行犯逮捕時における捜査の違法性の有無を検
討するため,職権で弁論を再開する旨の決定をした上で,検察官請求にかかる
追加書証(上記現行犯人逮捕手続書〔甲12〕等)を取り調べ,また同日には職
権で被告人の勾留を取り消した。そして,当裁判所は,第3回公判期日(11
月22日)において検察官請求の追加書証(C警察官作成の報告書〔甲27〕(後
出の「C報告書」))を取り調べ,第4回公判期日(12月15日)において
検察官請求にかかるC警察官の証人尋問及び被告人質問を実施した後,第5
回公判期日(平成29年2月10日)において補充的な被告人質問を実施した
上で,検察官の論告及び弁護人の弁論等を行い(その主張内容は前記のとおり
である。),弁論を終結した。
第3認定事実に基づく本件当日の捜査手法の推認
1本件当日の捜査手法の推認
上記認定事実等に基づき,本件当日のC警察官らの捜査手法について検討す
ると,まず,本件では,車上狙いの嫌疑につき被告人の行動確認捜査を行ってい
たC警察官が,その捜査の最中に,自ら被告人による車上狙いの被害に遭い,な
おかつ直ちにその場で被告人を現行犯逮捕しているのであって,このこと自体が
かなり特異な出来事といえる。そして,これに加え,C警察官が捜査現場に駐車
した自動車が捜査用車両でなく自家用車であり,かつ被害品である発泡酒1箱
(本件発泡酒)も捜査活動とは全く無関係であること,同警察官の駐車車両の車
種(軽四輪貨物自動車)が一連の車上狙いにおいて多く被害に遭った車種と同じ
であること,同警察官の駐車車両が施錠されていなかったことも併せて考慮する
と,以上の事情のみによっても,C警察官らは被告人に車上狙いを実行させる目
的で本件発泡酒を本件軽トラックに積載していたのではないかとかなり強く推
認することができる。
また,C警察官らは,本件駐車場を捜査拠点とし,被告人が同駐車場で車上狙
いの実行に出ないか重点的な張込み捜査を行っていたにもかかわらず,本件軽ト
ラックを除く五,六台の駐車車両についてはその施錠状況すら確認していないの
であって,このことからは,C警察官らが本件軽トラックを主な捜査対象として
考えていた様子が見て取れる。
さらに,本件については,C警察官作成の被害届はあるものの,異例なことに
被害者(同警察官)の供述調書が1通も作成されておらず,公判前に作成された
証拠には重要な情状である被害品の所有・管理の経緯や処罰感情が全く現れてい
ないのであって(なお,上記被害届にはこれらの点に関する記載はない。),こ
のような犯行後の捜査状況からも本件の特殊性を見て取ることができる。
そこで,以上の諸事情を総合すると,C警察官らは,本件当日,被告人を車上
狙いの現行犯で検挙する目的のもと,本件軽トラックを無人かつ無施錠の状態で
駐車し,その助手席上に本件発泡酒や本件パンが放置された状況を作出した上で,
被告人がこれに対して車上狙いの実行に出るのを待ち設けていたものと推認す
ることができる。
2C警察官の供述の信用性の検討
C供述の要旨
C警察官は,本件の捜査経過について,公判開始後に捜査報告書(甲27。以
下「C報告書」という。)を作成し,また当公判廷で証言しているが,その内
容は概ね次のとおりである(以下,これらを併せて「C供述」という。なお,
C報告書と証言との間に内容の齟齬があるときは,証言内容による。)。
「私たちは,一連の車上狙いの発生後,捜査用車両や自転車を用いて被告人に
対する行動確認捜査を行っていたが,被告人が警察の捜査を警戒する様子が見
て取れたため,私は,9月2日夕方,自動車自体を被告人の尾行に用い,また
尾行用の2台の自転車を搬送する目的で,私の知人から本件軽トラックを借り
た。そして,私たちは本件軽トラックを使用して被告人に対する捜査を続けた
が,同月4日又は5日には,同知人との間で,同月6日(本件当日)午前8時
ころに同知人の勤務先で同軽トラックを返却する約束をした。そこで,私は,
借用の謝礼として捜査費で本件発泡酒を購入した上で,本件当日午前1時ころ,
他の警察官らとともに,本件軽トラックの助手席上に本件発泡酒及び捜査に従
事する警察官らの夜食用に購入したパン(本件パン)を積載して,同軽トラッ
クで本件駐車場へ行き,被告人に対する行動確認捜査を開始した。この日,私
は,私が本件駐車場で張込み等の捜査を行っている間,本件軽トラックを本件
駐車場に駐車していたが,すぐに被告人の尾行を行えるよう,同軽トラックは
駐車中も施錠はしなかった。なお,この日,本件駐車場には他に五,六台の自
動車が駐車されていたが,いずれも他人の物なので,それら各車両の施錠状況
は確認しなかった。午前6時27分ころ,被告人が本件軽トラックから本件発
泡酒を盗んだので,被告人を現行犯逮捕したが,以前の一連の車上狙いの被害
品がほとんど現金だったので,本件発泡酒や本件パンが盗まれるとは全く思っ
ていなかった。」
C供述の信用性の検討
アまず,本件軽トラックを知人から借りて捜査に使用したとの供述部分に
ついて,その事実を裏付ける証拠が全く提出されていないことを踏まえる
と,果たして本件でその借用の事実を前提としてよいのかについてそもそ
も疑問がないではない。また,この点はひとまず措くとしても,本件軽トラ
ックを借りた目的に関する供述部分に関し,被告人に気付かれずに被告
人を尾行するためとの目的については,捜査用車両(いわゆる覆面パトカー)
尾行用の自転車を
2台搬送するためとの目的についても,C報告書によれば,C警察官らは同
軽トラック借用前にも被告人の尾行用に2台の自転車を使用していた(す
なわち,本件軽トラックがなくても2台の自転車を捜査に使用することが
できた。)というのであって,その述べる目的はいずれもわざわざ無関係の
市民から自動車を借りる必要性を基礎付けるようなものとはいえず,その
説明は説得性に欠けるものというべきである。また,本件軽トラックを9月
6日朝に返却することを知人と約束した時期について,C報告書には同軽
トラックを同月2日に借りた際にその約束をしたとの記載があるのに対し,
尋問ではその借用後の同月4日又は5日に同知人に連絡して約束したと供
述しており,この点に看過し難い供述の変遷が見られる。
イ次に,本件発泡酒が本件軽トラック借用の謝礼であったとの供述部分に
ついても,そのような事情は本件起訴前に作成された捜査書類には一切記
載されていない。前記のとおり,被害者の捜査協力に何ら困難のない本件に
おいて,このように被害品の所有・管理の経緯や処罰感情に関する被害者の
供述調書等が全く存在しないのは明らかに不自然である(仮に本件軽トラ
ックを借用した事実が一種の捜査機密に当たるとの判断があり得るとして
も,何らかの親切に対する謝礼として知人に贈与するつもりであったとの
範囲で本件発泡酒の所有・管理の経緯を供述し,処罰感情を表明することは,
全く困難なことではない。)。
ウまた,本件軽トラックに積載していた本件パンは食パンやロールパンで
あって,捜査員らがトースターもなくマーガリンやジャム等もない状況下
で張込みや尾行等の捜査活動に従事しながら食べるのに全く適さない種類
のものであるから,これを捜査員らの夜食用であるとするC警察官の供述
は明らかに不自然・不合理である。なお,C警察官は,この指摘を受けて,
警察署に戻ればトースターもあるなどと供述を加えるが,後付けの弁解と
いうほかない。
エそして,すぐに被告人の尾行を行えるよう本件軽トラックを無施錠のま
まにしておいたとの供述部分に関しても,被告人が徒歩又は婦人用自転車
で移動していたことを踏まえると,仮に同軽トラックを施錠していたとし
ても,その施錠を解いた上で遅れずに被告人の行動を追跡することは十分
可能であったといえるから,C警察官の上記説明はいささか説得力に欠け
るものといわざるを得ない。
オそのほか,従前の一連の車上狙いの被害品がほとんど現金だったので,本
件発泡酒や本件パンが盗まれるとは全く思っていなかったとの供述部分は,
一般論としてもおよそ理解不能な弁解であるし,C警察官らが従前の行動
確認捜査等(例えば,被告人が自動販売機の釣り銭口に手を入れるのを観察
している。)を通じて被告人の困窮状況を十分認識していたことに照らすと,
その弁解の不自然さはいっそう明らかである。
また,C警察官らがその供述どおり本件軽トラックへの車上狙いの可能
性を重視していなかったと仮定すると,本件駐車場を捜査拠点とし,集中
的に警察官を配置しているにもかかわらず,同警察官らが同軽トラック以
外の五,六台の駐車車両の施錠状況を全く確認しなかったというのも,や
はり不可解というほかない。
カ以上のとおり,C警察官の供述には,その信用性に疑問を抱かせる事情が
少なからず認められる。よって,C供述の信用性は全体的に低いというべき
であり,同供述によっては上記1のような本件捜査手法の推認に対して疑
いを差し挟むことはできない。
3小括
以上によれば,C警察官らは,本件当日,被告人を車上狙いの現行犯で検挙す
る目的のもと,本件軽トラックを無人かつ無施錠の状態で駐車し,その助手席上
に本件発泡酒や本件パンが放置された状況を作出した上で,被告人がこれに対
して車上狙いの実行に出るのを待ち設けていたものと認められる(以下,C警察
官らによるこの捜査を「本件捜査」という。また,本件捜査のように,捜査機関
又はその依頼を受けた捜査協力者が,捜査対象者が自己等に対する犯罪を実行
しやすい状況を秘密裡に作出した上で,同対象者がこれに対して犯罪の実行に
出たところで現行犯逮捕等により検挙する捜査手法を,以下,仮に「なりすまし
捜査」という。)。
第4本件各証拠の証拠能力について
1本件捜査の違法性の有無
なりすまし捜査は,任意捜査の一類型として位置付けられるところ,本件に
おいてその捜査手法が許容されるか否かは,本件捜査の必要性やその態様の
相当性等を総合的に考慮して判断するのが相当である。
ところで,なりすまし捜査に類似する捜査手法にいわゆる「おとり捜査」が
あるが,おとり捜査が「捜査機関又はその依頼を受けた捜査協力者が,その身
分や意図を相手方に秘して犯罪を実行するように働き掛け,相手方がこれに応
じて犯罪の実行に出たところで現行犯逮捕等により検挙するもの」(最一小決
平成16年7月12日・刑集58巻5号333頁)と定義され,相手方に対す
る犯罪実行の働き掛けを要素とするのに対し,なりすまし捜査ではそのような
働き掛けは要素となっておらず,これらの両捜査手法はこの点において区別さ
れる。しかし,これらの両捜査手法は,本来犯罪を抑止すべき立場にある国家
が犯罪を誘発しているとの側面があり,その捜査活動により捜査の公正が害さ
れる危険を孕んでいるという本質的な性格は共通しているから,おとり捜査が
許容される場合として上記判例が示した要件,すなわち,①機会があれば犯罪
を行う意思があると疑われる者を対象としていること,②直接の被害者がいな
い薬物犯罪等の捜査において,通常の捜査方法のみでは当該犯罪の摘発が困難
であること,との要件は,両捜査手法の間の上記差異のためにその要件判断の
厳格さに多少の差異があり得るにせよ,なりすまし捜査の必要性及びその態様
の相当性に関する判断のあり方を具体化するものとして,なお有用であると解
される。
そこで,本件でも上記要件に沿って検討することとし,まず被告人の犯意の
点から見ると,被告人が連日深夜に自宅の周辺を徘徊し,その際,自動販
売機の釣り銭口に手を入れるなどするとともに,駐車中の他人の自動車の中
を覗き込む行動を取っているその際,夏場であるのにマスクを着用し,
上着のフードを被るなど,人目を避けるような服装をしている手袋や懐
中電灯等を携帯している,といった行動が観察されており,また過去約半年の
間に被告人の自宅の周辺地域で夜間を含む時間帯に車上狙いの被害が散発的
に発生していたことなどによれば,C警察官らが,上記のような捜査結果を踏
まえて,本件捜査の時点において,被告人には機会があれば無施錠の自動車に
対して車上狙いを行う意思があるものと判断したことには一応の理由がある
ものと認められる。よって,被告人は,機会があれば車上狙いを行う意思があ
ると疑われる者に当たるものといえる(なお,上記のような事情によって一連
の車上狙いと被告人とを結び付けてよいかは疑問がないわけではないが,一
連の車上狙い以外の事情のみを見ても被告人には車上狙いの犯意が十分に窺
われるので,その点はひとまず措くこととする。)。
ただ,他面で,上記のような被告人の犯意の疑いを前提としても,被告人の
行動範囲内(被告人の自宅の周辺は小さな集落である。)に被告人が車上狙い
を実行できるような自動車(搬出が容易な財物を積載した無施錠の自動車)が
それほど頻繁にあるとは思えない上,被告人には手当たり次第に他人の自動
車に触れてその施錠状況を確認したりその車内を物色したりするような行動
などは観察されておらず,被告人がかなり慎重な態度で車上狙いの実行に臨
んでいる様子が見て取れる。これらの事情を考慮すると,被告人には上記のと
おり機会があれば車上狙いを行う意思があるものと疑われるものの,その犯
罪傾向は,本件捜査を行わなくても被告人は早晩別の車上狙いを行うはずで
あるといえるほど強いものとは思えない。そうすると,本件捜査において,C
警察官らが,被告人が狙いをつけそうな車種である本件軽トラックを,無人か
つ無施錠で窓も少し開いた状態で被告人のよく通る場所に駐車し,その車内
の見えやすい位置に本件発泡酒や本件パンが放置された状態にしておいたこ
とにより,被告人の車上狙いの実行が促進された面が多分にあるというべき
である。そして,このことを踏まえると,本件におけるなりすまし捜査の必要
性及びその態様の相当性の判断は,特に慎重な態度でこれを行う必要がある
ものと思われる。
そこで,次に,本件におけるなりすまし捜査の必要性を検討すると,C警察
官らは,被告人には車上狙いの嫌疑があるものの,その捜査が困難なため,被
告人を現行犯逮捕により検挙しようと考えて本件捜査を行ったものと認めら
れる。しかし,以下のとおり,このような目的によっては本件捜査の必要性を
十分に基礎付けることはできない。
すなわち,まず,密行性が高く犯罪事実の把握すら困難な薬物犯罪等とは異
なり,車上狙いは,被害者の申告等により捜査機関が犯罪の発生をほぼ確実に
把握できる種類の犯罪であって,証拠の収集や犯人の検挙が困難な犯罪類型
ではない。
また,本件を具体的に見ても,捜査対象者である被告人の住居は把握されて
いる上,被告人の行動時間や行動範囲は概ね限定されており,かつその行動方
法は徒歩又は婦人用自転車であるから,C警察官らにおいて被告人の行動を追
跡することは比較的容易であったといえる。そして,これに加え,車上狙いは
屋外で行われ,また自動車のドアの開閉を伴う点で一般に他者から観察しやす
い犯罪であり,実際にもC警察官らには被告人が駐車車両の中を窓の外から覗
き込んでいる様子を観察したことが何回かあることも考慮すると,仮に被告人
が車上狙いの実行に出た場合,行動確認捜査中のC警察官らにおいてその犯行
を現認することは十分可能であったというべきである。また,以上のような捜
査方法によらず,新たな被害申告を受けた後で捜査に着手するとしても,本件
について,通常の捜査手法ではその捜査を遂げるのが特に困難であると認める
べき事情も見当たらない。なお,本件では,捜査を困難とする事情として,
被告人の行動時間が夜間で人通りのない時間帯であるために,張込みや尾行
等の捜査が被告人に気付かれやすい被告人が手袋を使用しており,指紋
等の犯行の痕跡が残りにくい,被害品が現金である場合,それが被告人の
所持金と混和しやすい,といった点が挙げられるものの,このような事情は捜
査実務上しばしば見られるところであり,これらの事情のみでは通常の捜査手
法によって犯人を検挙することが困難であったということは到底できない。
さらに,C警察官らが被告人に嫌疑を掛けていた車上狙いの内容は,その被
害額は概して少額である上,その手口も自宅の周辺を徘徊中に見つけた無施
錠の駐車車両から現金を盗み取るというだけの単純なものであり,その犯行
頻度も約半年間に10件といった程度であって,これらによれば,被告人に対
してなりすまし捜査を行わない場合に生じ得る害悪も決して大きなものとは
いえない。
したがって,本件では,被告人には機会があれば車上狙いを行う意思がある
ものと疑われることを踏まえても,なりすまし捜査を行うべき必要性はほと
んどなかったと評価するのが相当である。
以上によれば,本件捜査は,なりすまし捜査を行うべき必要性がほとんどな
い以上,その捜査の態様のいかんにかかわらず,任意捜査として許容される範
囲を逸脱しており,国家が犯罪を誘発し,捜査の公正を害するものとして,違
法であるといわざるを得ない。
2本件各証拠の証拠能力
本件捜査が違法であることを前提に,本件各証拠の証拠能力を検討すると,
本件ではなりすまし捜査を行うべき必要性がほとんどなく,適法手
続からの逸脱の程度は大きいといえること,前記のとおり,本件捜査によ
り国家が犯罪の発生を一定程度促進する結果となってしまっていること,
C警察官らは,地道な捜査を厭い,手っ取り早く被告人を検挙しようと考えて
安易に本件の違法捜査に出たものであり,同警察官らには捜査方法の選択に
つき重大な過失があったといえること,本件がそれほど重大な犯罪に関す
るものではないことC警察官らには,被告人の検挙においてなりすまし
捜査を行った事実を捜査書類上明らかにせず,また公判廷においても同事実
を否認する内容の証言をするなど,本件捜査の適法性に関する司法審査を潜
脱しようとする意図が見られること等に照らすと,その違法は重大であると
いわざるを得ない。
また,本件捜査の性質に照らすと,今後も本件と同様の違法捜査が繰り返し
行われることは大いにあり得るところであるから,本件捜査により獲得され
た証拠を許容することは,将来における違法捜査の抑制の見地からして相当
でないというべきである。
したがって,取調べ済みの各証拠のうち,少なくとも違法な本件捜査と直接
かつ密接な関連性を有する被害届〔甲1〕,捜索差押調書〔甲2〕,実況見分
調書〔甲3〕及び現行犯人逮捕手続書〔甲12〕は,いずれも証拠能力を欠くも
のとして,これらを証拠から排除するのが相当である。
第5結論
以上によれば,公訴事実については,被告人の自白があるものの,それを補強す
べき証拠がないから,刑事訴訟法319条2項により被告人を有罪とすることはで
きない。
よって,被告人は無罪であるから,刑事訴訟法336条により,主文のとおり判
決する。
平成29年3月24日
鹿児島地方裁判所加治木支部
裁判官小畑和彦

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