弁護士法人ITJ法律事務所

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主文
被告人は無罪。
理由
第1訴因変更後の公訴事実の要旨
被告人は,平成24年9月5日午後8時10分頃,北海道北広島市a町b丁目c番地d
被告人方居間において,うつ伏せに倒れていたA(当時31歳)の背部に馬乗りになり,
その後頸部を手で押さえる暴行を加えて,同人の胸腹部及び顔面を床面に圧迫させ,
よって,その頃,同所において,同人を窒息により死亡させた。
第2無罪と判断した理由
以下の日付は,特記無き限り平成24年のものである。
1前提事実
以下の事実は,当事者間に争いが無く,証拠により,認定できる。
(1)被告人は,2歳違いの弟であるA及び父母と同居していた。本件当時,被告人は身
長170cm,体重96.3kgであり,Aは身長165cm,体重68kgであった。
Aは,平成13年頃に統合失調症を発症して以降,入通院を繰り返していた。平成23
年頃から本件に至るまでは,統合失調症の症状が不安定となり,「被告人が自分の部
屋に入ってきて物を盗む。」などと言っていた。春頃には,Aが,被告人の部屋に入
り,パイプ椅子で被告人に殴りかかり,ものすごい物音に気がついた父親が駆けつけ
ても,Aは,「警察でも何でも呼べや。」,「俺のCDや金が盗まれる。」などとわ
めいて暴れたので,父親が,両者の間に入ってAに抱きつき,Aを落ち着かせて自分
の部屋に戻らせたということがあった。
(2)9月5日本件当日午後6時30分頃,被告人が,風呂から上がり,脱衣所を出たと
ころ,居間にいたAが,被告人に対し,「CDとCDプレーヤーとっただろ。」と言
いながら突進してきて,被告人の顔面を拳で立て続けに2発殴った。
被告人は,両手をAの両肩に当てて,両腕を突っ張るようにして,「話聞いて
よ。」と言った。
しかし,Aは,「CDとCDプレーヤー…。」などと言って,さらに殴りかかって
きたため,被告人は,Aの肩から右手を外し,Aの顔面辺りを右手拳で1発殴った。
Aは,なおも被告人に殴りかかろうとしたため,被告人は,再び両腕を伸ばして,
Aの両肩を押して突っ張るようにして押し返した。Aも,被告人の両肩に両手を伸ば
して押していた。被告人はAの押す力をそらすために横方向へ動いたので,被告人と
Aは,居間でぐるぐる回りながら押し合いを続けた。両者は,疲れると休み,しばら
くして,また押し合うということを,4回ほど続けた。
その後,Aは,被告人の左腕を取って腰に被告人の体を乗せ,柔道の背負い投げの
ように被告人を投げようとしたが,Aが体勢を崩したことから,両者とも前のめりに
倒れ,毛の長さ約6mmのじゅうたんの上にうつ伏せになったAの上に,被告人が重な
る状態になった。
そこで,被告人は,うつ伏せに倒れているAの太もも付近に,Aの頭の方を向いて
またがるように乗った。それでもAが起き上がろうとしたため,被告人は,Aの腰を
押さえた。被告人がAの腰の辺りに乗ろうとして腰を浮かせたところ,Aが両膝を前
に引き寄せて立ち上がろうとしたので,被告人はすぐにAの臀部付近に乗った。する
とAは,膝を曲げて足をばたつかせ,かかとで被告人の腰の辺りを蹴った。被告人
は,Aの足を押さえてもAが蹴るのをやめなかったため,Aの肩胛骨の下辺りにまた
がって座り直した。
Aは,なおも,両手を床について,腕立て伏せのような体勢で腕を突っ張って,上
体を起こそうとした。被告人は,Aを起き上がらせないように,Aの右手を手で払っ
た。Aは,手の支えが外れると体勢が崩れてうつ伏せになったが,すぐにまた腕を突
っ張って起き上がろうとしたので,被告人はAの手を払ったり,Aの首の後ろの辺り
を手で押さえて,Aの顔面をじゅうたんに押しつけた。被告人とAは,これらの動作
を10回ほど繰り返した。
2上記の後,さらに,被告人がAの後頸部を押さえつけていたのか,被告人がAの
後頸部を押さえつけていたとき,Aの鼻と口は塞がっていたかには争いがある。そこ
で,まず,Aの鼻と口は塞がっていたのかを,Aの死因との関連で検討する。
(1)Aの死体解剖をしたB医師の公判供述及び解剖時のAの遺体の写真(甲20)によれ
ば,(ア)Aには鬱血性急死の所見があり,(イ)鬱血性急死には,窒息死,酸素欠
乏性窒息,心臓性突然死が含まれるが,本件でAの周りの酸素濃度が低下していた事
情はないから,酸素欠乏性窒息の可能性はなく,(ウ)Aの肝機能検査や腎機能検査
を行ない,摘出した臓器の病変の有無を確認しても,心臓性突然死を示す積極的な所
見はなかったことが認められる。これらの事実から,Aの死因は,窒息である可能性
が相当程度高い。
加えて,B医師は,(エ)Aの遺体には結膜に程度の強い溢血があるが,それは,
顔面の鬱血を強く示すものであり,心臓性突然死よりも窒息死を示唆する所見である
こと,(オ)喉頭粘膜に溢血点や粘膜下出血が見られるが,これは頸部圧迫による窒
息や喉頭部に何か圧力が加わった可能性を示す所見であり,B医師の経験では,これ
ほど喉頭粘膜に溢血点等が見られる心臓性突然死の事例はないことから,Aは窒息に
より死亡した可能性が高いと供述する。B医師は,平成15年以降,1000件以上の死体
解剖に立ち会い,405体の死体については,自ら執刀して鑑定書を作成しており,立ち
会った解剖の約1割は死因が純粋に窒息死であったというのであるから,そのような豊
富な経験に基づく同人の上記供述は信用性が高い。そうすると,Aが窒息により死亡
した可能性はより高度であるといえる。
(2)さらに,被告人は,捜査段階においては,Aが強い抵抗をしなくなった後に,被
告人がAの後頸部を押さえていた状態について,再現写真のとおりであると供述して
いるところ(9月21日付検察官調書乙2),同再現写真によれば,Aの顔は真下を向き,
鼻と口が床に押しつけられた状態となっている。そこで,以下,この被告人供述の信
用性を判断する。
被告人は,捜査段階においても,Aの後頸部から手を離した後の被告人及びAの体
勢に関して,自分の体勢を変えたことは供述しているが,Aの顔の向きが変わるよう
な行動については一切供述していない。公判段階においては,Aの後頸部から手を離
すときのAの顔の向きが捜査段階の供述とは異なるという前提ではあるが,Aの体を
動かしてはいないと明言している(速記録37~38頁)。そうすると,被告人が手を離し
て以降,Aの体は,死斑が形成されるまでの相当な時間の間,動いていなかったと認
められる。
ところで,Aの遺体の両頬には死斑があるのに,鼻には死斑がない。死斑は,血液
が重力により遺体の下面に集まることにより形成されるところ,両頬に死斑が形成さ
れたことは,Aは動かなくなったとき以降,顔を真下に向けていたことを示す所見で
ある。鼻に死斑がないことは,同所が圧迫されていたと理解できる所見である。そし
て,被告人が,Aの後頸部から手を離した後,Aの体は動いていないと認められるこ
とを併せ考えると,この死斑についての所見は,乙2のAの顔の向きに関する被告人供
述の信用性を高めるものである。
さらに,被告人のこの点の供述の経緯をみると,被告人は,本件の翌々日である9月
7日には,Aが頭を正面に向けて下のじゅうたんにつけた状態で「警察呼ぶぞ。」と言
ったのが最後に聞いた言葉で,そう言ってから1分以内にAは動かなくなった旨を身振
りを交えて供述し,その後,検察官が,Aが「警察呼ぶぞ。」と言った時の状態を身
振りを交えて確認した時,検察官が顔を左向きにして下を向いたところ,被告人は検
察官に対し,「正面ですね。」とAの顔が真下を向いていたと指示した(甲18,16時17
分以下,時刻の表示は当該報告書添付のビデオの時刻を24時間制で示す。)。乙2が
作成された同月21日も,途中からAの手を払わなくなったのかという検察官の質問に
対して,被告人は,真下を向く動作をしてAの顔の向きを説明し(甲19,11時25分),
Aの状態を問う検察官の質問に対しても,被告人は「下になってます。」と答え,再
度真下を向く動作をしてAの顔の向きを説明している(甲15,14時37分)。このように,
被告人は,一貫して,自ら,Aの顔の向きが真下であった旨説明していた。
以上から,乙2における被告人供述のうち,Aの顔が真下を向いた状態であったとい
う部分は信用できる。
被告人は,公判廷においては,「Aが強い抵抗をしなくなった際,Aの顔は左頬を
床につけて右を向いていた。被告人が最後にAの手を払った後,Aは顔を右に向けて,
『警察呼ぶぞ。』と言い,その後身動きしなくなった。その際,一瞬だけAの目が見
えた。被告人が最後にAの手を払って以降は被告人はAの首を押さえたことはな
い。」旨供述する。しかし,同供述どおりだとすると,Aの左頬には死斑が形成され
ず,逆に,鼻にもある程度の死斑が形成される可能性が高いところ,それが遺体の状
況と異なることは前述のとおりである。また,上記のとおり,被告人は,検察官に対
しては,一貫してAの顔の向きが真下であったと説明していたことにも反する。被告
人の公判供述は,これらの点に照らし信用できない。
被告人の父であるCは,公判廷において,帰宅してAを見た際,Aの顔が右の方を
向いていた旨供述するが,捜査段階の供述から変遷している上,Aの死斑の状態にそ
ぐわない点は被告人の公判供述と同様であるから,信用できない。
(3)そうすると,Aの遺体の状況のみからしても,Aの死因は窒息である可能性が相
当程度高い上,体重約90kgの被告人がAの肩胛骨の下辺りに馬乗りになって胸腹部を
圧迫し,さらに,Aの顔が真下を向くようにして後頸部を押さえつけることにより,
Aの口と鼻が毛足の長いじゅうたんに押しつけられていたと認められるのであるから,
Aの死因は,Aの背部に馬乗りになり,その後頸部を手で押さえる暴行を加え,Aの
胸腹部及び顔面を床面に圧迫させた被告人の行為による窒息であると認定できる。
なお,弁護人は,心臓性突然死の一つである致死性不整脈は解剖でも所見を得るこ
とができないとして,本件でも,致死性不整脈によりAが死亡した可能性があると主
張するが,上記の点に照らすと,それは抽象的可能性に過ぎず,合理的疑いを形成す
るものではない。
3次に,被告人が,Aが抵抗しなくなった後もAの後頸部を押さえつけていたかど
うかについて判断する。
(1)上記のとおり,Aは被告人の行為により窒息死したことからすれば,Aが窒息死
するに足るある程度の時間,被告人がAの後頸部を押さえ,それによりAの鼻と口が
塞がっていたと推認できる。被告人は,公判廷においては,「Aが腕立て伏せのよう
に腕を突っ張り,それを自分が払うという行為を繰り返しているときに,Aの首を押
さえたことはあるが,Aが腕を突っ張らなくなった後は,Aの首を押さえたことはな
い。最後に,Aの顔は右を向いていた。」旨供述する。しかしながら,Aの顔が右を
向いていたと認められないことは前述のとおりであるし,ある程度の時間,被告人が
Aの首を押さえ続けないとAは窒息死しないことに照らしても,被告人の公判供述は
信用できない。
もっとも,鼻と口を塞がれたAは,当然,気を失うまでの間は抵抗をしているであ
ろうから,Aが窒息死するに足るある程度の時間,被告人がAの後頸部を押さえてい
たとしても,そのことから,直ちに,Aが抵抗しなくなった後にも相当の時間,被告
人がAの後頸部を押さえていたと認めることはできない。そして,他にAが抵抗しな
くなった後も被告人が相当の時間,Aの後頸部を押さえつけていたことを示す客観的
な証拠はない。この点に関する証拠は被告人の供述しかない。
この点,被告人は,捜査段階においては,「被告人がAの背中に馬乗りになってか
らの最初の10分間は,Aは,起き上がろうとして,腕を突っ張らせるなど,強く抵抗
していた。Aは,だんだん抵抗する力が弱くなっていったが,被告人はAの背中に馬
乗りになったまま,Aの後頸部を押さえていたところ,Aは,10分位すると完全に動
かなくなった。被告人は,興奮していたため,さらに10分間くらい,Aの背中にまた
がったまま,Aの後頸部を力強く押さえ続けていた。」旨供述している(乙2)。
そこで,この被告人供述の信用性について検討する。
(2)この点に関する被告人の供述経緯を見ると,まず,被告人は,本件の翌々日であ
る9月7日には,前述のとおり,「Aが『警察呼ぶぞ。』と言ってから1分も経たないう
ちにAは抵抗しなくなり,Aは体力なくなったんだなと思って,自分は座り直したと
思う。」旨供述し(甲18,16時16分~19分),同日作成された検察官調書には,Aが動
かなくなった後にもAの後頸部を押さえていたとの内容は記載されていないと認めら
れる(乙7)。乙2が作成された同月21日の取調べでは,Aの強い抵抗がなくなった後の
状況について,検察官に最初に説明した際,「で,僕が気がついたら弟が動かなくな
ったんで,あの,首に手あったんで,ちょっと動かなくなったんでよけたんです
ね。」と供述したり(甲19,11時23分),Aの抵抗がずっと続いていたのかという検察
官の質問に対して,「あのバタバタしてるっていうか,だんだん弱くなってると思う
んですよね。体力使ってるから。僕気がつかなかったんですけど。で,動かなくなっ
たんで,あの,手離したんですけど。」と供述している(甲19,11時24分)。このよう
に,被告人は,当初,気がついたらAが動かなくなっていたので,後頸部から手を離
した旨供述している。
その後,検察官が,被告人に対し,Aの手を途中から払わなくなったのかを確認し
た上で,Aが動かない状態でも首を押さえていたのか質問したところ,被告人は「そ
うですね。」と答え,「わかんないですけど,ちょっと興奮してたんで,興奮冷める
まで押さえてました。」と供述し,検察官からどのくらいの時間か質問されると,被
告人は「わかんないですけど。ちょっと,10分だと思うんですけど。」と供述して(甲
19,11時26分),被告人は,Aが動かなくなってからも10分間,Aの後頸部を押さえて
いた旨供述を変遷させている。
また,検察官が,被告人に対し,Aが抵抗していた後の状況について質問したとこ
ろ,被告人は,「首押さえてて,興奮冷めるまでが10分だと思います。」と供述して
いる(以下,すべて甲15,14時35分)。さらに,検察官が,被告人に対し,警察官調書
では,Aが抵抗していた時点と動かなくなった時点の間に10分間あったことになって
いるが,いずれが正しいのか質問したところ,被告人は,「そうですね,ええと,暴
れてるので,押さえてるのが10分で,押さえて力が,あの,動かなくなったのが10分
で,で,僕が興奮冷めるのが10分だと思います。」と供述を変遷させている(14時36分
~37分)。
しかし,検察官が,再度この点を確認したところ,被告人は,「動かなくなった後,
手離したのは覚えてるんですけど。その後,10分押さえてたか,すぐ離したか,ちょ
っと覚えてないんですけど。あの,Aが,暴れてて10分で,だんだん力が弱くなって
10分で,あの,動かなくなったので手離したのか,まだ興奮してるので10分ぐらい押
さえてるのがちょっとわかんないです。」と供述し(14時39分),検察官が,被告人の
記憶としてはどうなのか質問したところ,被告人は,「えーと,でも興奮してたので。
でも力が弱くなったから手離したのは覚えてんですよね。」と供述し(14時40分),検
察官が,Aが動かなくなってから興奮が冷めるまでの時間を聞くと,「それが10分か
かったのか,えーと,Aが動かなくなって興奮冷めたのかがちょっと覚えてないんで
すけど。そうですね,思い出さないと駄目なんですけど。でも,そうですね,動かな
くなって離したのは覚えてんですけど。」と供述し(14時41分),当時興奮していたこ
と,動かなくなった後に手を離したのは覚えているが,さらに押さえていたのかは覚
えていないと,またもや供述を変遷させている。そして,検察官から,検察官の言っ
ていることが分かるかと質問されると,「動かなくなってから10分を思い出してくだ
さいって言うことですよね。」と,Aが動かなくなってからの10分間を説明しなけれ
ばならないと考えていたことを窺わせる供述をしている(14時47分)。
以上のような経過をたどり,最終的に,被告人は,「力が弱くなるまで10分だと思
います。で,興奮が冷めるまで10分だと思います。」と供述し(14時57分),同内容の
乙2が作成された。
以上の供述経緯に照らすと,乙2における被告人供述のうち,被告人がAの後頸部か
ら手を離した際には,Aが身動きしない状態であった点や,当時被告人が興奮してい
たという大筋については,被告人の供述に変遷はなく,信用できる。しかし,Aの体
の動きが完全に止まって以降もAの後頸部を10分間押さえていたとする点については,
被告人は記憶していなかったが,検察官から具体的な質問がなされたり,警察官調書
との食い違いについて問われた際に,質問に合わせる形で,Aが死亡するに至るには
被告人がどのような行動をどの程度の時間行なったかを被告人なりにつじつまが合う
ように考えて供述をしたために,供述の変遷を繰り返した可能性が高く信用できない。
そうすると,他に証拠のない本件では,Aが抵抗しなくなった後にも相当の時間,
被告人がAの後頸部を押さえていたとの事実を認定することはできない。
4以上を前提に,正当防衛の成否を検討する。
(1)なお,上記認定によれば,Aの背部に馬乗りになり,その後頸部を手で押さえる
という被告人の行為は,Aの抵抗が続いている間に開始され,Aが動かなくなった後
もある程度の間継続していたと認められる。起訴状記載の公訴事実には,検察官がA
が抵抗しなくなったと考えている午後8時10分頃以降の暴行しか記載されておらず,A
が動かなくなる前と後で,被告人の行為は2個の行為と評価すべきであるという第3回
公判期日における検察官の釈明を併せ考えると,起訴検察官の意図は,Aが抵抗しな
くなった後の被告人の行為についてのみ処罰を求めるものであると解される。しかし,
Aの背部に馬乗りになり,その後頸部を手で押さえるという行為を,Aが動いている
かどうかにより2つに分断することは,法的評価を離れ,社会的にみても,あまりに不
自然である。したがって,本件では,Aの抵抗が続いている間から1個の行為があると
扱うほかはない。その上で,検察官が1個の行為の一部のみを起訴することができるか
どうかが問題となるが,そのような分断起訴を許すと,検察官が,Aの抵抗が続いて
いる間のものを含めて起訴した場合には過剰防衛が成立する可能性があるのに,Aの
抵抗が終わった後の部分だけを起訴すれば,正当防衛状況が終了しているとして,過
剰防衛さえ成立し得ない可能性があることとなり,不合理である。したがって,この
ような場合には,検察官の訴追裁量権は働かないと解される。そうすると,分断でき
ない行為を分断してなされた本件公訴提起には違法があるのではないかとの疑いも生
じるが,起訴状の公訴事実には,1個の行為の一部しか明示していないとしても,行為
が不可分である以上,1個の行為全体が審判の対象になると解すべきであり,そのよう
に解しても,当事者の攻撃防御に問題が生じない場合には,公訴提起に違法があると
しても,その違法は,公訴棄却を要するものではないと解することができる。本件に
おいては,正当防衛の成否が争点とされ,Aの抵抗が続いている間の馬乗り及び後頸
部の押さえつけのみならず,それ以前の被告人及びAの行為も十分な攻撃防御の対象
となっているので,当裁判所は,本件について公訴棄却はしない。
(2)被告人がAの背部に馬乗りになり,その後頸部を押さえつける前のA及び被告人
の行為は,1で認定したとおりである。その一連の事情,特に,(ア)本件当時,A
は被告人よりも身長と体重が劣っていたが,Aの被告人に対する攻撃が相当の時間継
続的に繰り返されたこと,(イ)被告人が体勢を崩してうつ伏せ状態になったAに馬
乗りになった時点で,ある程度,被告人が優勢になっていたと認められるが,Aは,
それ以降も,被告人を蹴ったり,起き上がろうとして相当程度抵抗していたこと,
(ウ)本件の数か月前にもAがパイプ椅子で被告人を攻撃したことからすれば,Aが
現実に抵抗を続けていた時点はいうまでもなく,Aが抵抗をやめた時点でも,直ちに
Aが被告人に対する攻撃を再開する可能性がなくなったとはいえないから,Aの抵抗
が止んでからある程度の時間は,Aの被告人に対する急迫不正の侵害は継続していた
と認められる。
そして,前記のとおり,被告人が,Aが抵抗しなくなった後,相当の時間Aを押さ
えつけていたとは認められないから,急迫不正の侵害が止んでからも,被告人がAの
後頸部を押さえ続けたという事実は認められない。
次に,本件当日,Aは,被告人に対して,2回殴りかかり,肩をつかみ,背負い投げ
をするといった攻撃をしたのに対し,被告人がした反撃行為は,Aの肩をつかみ,1回
殴り,たまたま,背負い投げに失敗して倒れたAの上になったことからAの背部に馬
乗りになり,Aが起き上がるのを防ぐために,Aの手を払って後頸部を押さえたとい
うものであり,反撃行為を全体的に見るとAの攻撃に対する防衛行為として相当性を
欠くようなものは認められない。Aの背部に馬乗りになり後頸部を押さえつけた行為
は,客観的にみると,Aの鼻と口を塞いでAを窒息させる行為であり,危険性が高い
行為であるが,それは,Aが起き上がるのを防ぐために防御的になされたものであり,
Aの行動から離れて積極的に攻撃をしたというものでもない。また,顔面を下に向け
て後頸部を押さえつけたからといって,鼻と口の双方が塞がり呼吸ができなくなると
は限らない上,被告人がことさらにそのようになることを意図していたとの証拠もな
いから,不注意であったことは否めないにしても,本件当時,偶々Aの鼻と口の双方
が塞がったことが,当時の被告人の防衛行為の相当性を失わせるものではない。
被告人に防衛の意思が認められることは明白である。
したがって,本件当時,被告人がAに対して加えた暴行は,Aの攻撃から被告人の
身体を守るためやむを得ずにした行為であると認められるから,被告人には正当防衛
が成立する。
5よって,被告人の行為は,刑法36条1項に該当し,正当防衛行為として罪にならな
いものであるから,刑事訴訟法336条前段により,被告人に対し,無罪を言い渡すこと
とし,主文のとおり判決する。
(裁判員裁判,検察官森中尚志,同鎌田航,弁護人菅野亮,笹森学各出席)
(求刑懲役4年)
平成25年10月11日
札幌地方裁判所刑事第3部
裁判長裁判官加藤学
裁判官三宅康弘
裁判官瀬戸麻未

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