弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主文
被告人を懲役3年に処する。
この裁判が確定した日から5年間その刑の執行を猶予する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は,平成22年2月11日午後11時ころ,埼玉県a市内の被
告人方において,長男のA(当時56歳)に対し,殺意をもって,その
頸部に靴下等を巻きつけて強く絞めつけ,よって,同月12日午後3時
42分ころ,同市内のa市立病院において,同人を頸部圧迫による窒息
により死亡させて殺害したものである。
(証拠の標目)(省略)
(法令の適用)
被告人の判示所為は,刑法199条に該当するところ,所定刑中有期
懲役刑を選択し,なお犯情を考慮し,同法66条,71条,68条3号
を適用して酌量減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役3年に処し,情
状により同法25条1項を適用してこの裁判が確定した日から5年間そ
の刑の執行を猶予し,訴訟費用については,刑事訴訟法181条1項本
文により被告人に負担させることとする。
(量刑の理由)
1事実経過等
(1)事実の経過
昭和25年,被告人は結婚し,その後一男(被害者A)二女をも
うけ,昭和45年に夫が死亡した。平成元年,子供達が独立し,被
告人は一人暮らすようになった。被害者は,平成3年,Ⅰ型糖尿病
に罹患し,平成5年,被告人方に身を寄せ,二人暮らしとなった。
平成8年,被害者がパーキンソン病に罹患し,平成11年には外傷
性脳出血を患った。そして,平成19年には,多発性脳梗塞を発症
し,神経因性膀胱を患った。平成20年5月には要介護1と認定さ
れた。医師から見て,被害者は,急にインシュリン注射を打たなく
なったり,過食したりするなど血糖コントロールに問題があるため,
頻繁に診察して生活状況等を観察する必要のある患者で,週に1回
診察していた。平成20年には3度入院した。特に同年9月には血
糖コントロールの問題で昏睡状態に陥ったことによる入院であった。
この入院以降,週1回の訪問介護と週2回のデイサービスによって
被害者の生活状況の見守りが強化された。
平成21年11月ころ,被害者の病状が急激に悪化した。自力歩
行が困難となり,座り込むと一人で立ち上がることも難しい状態と
なった。また,失禁を多発するようになったり,喫煙等の欲求抑制
困難となった。手足の震えも大きくなり,一人でインシュリン注射
を打つことも困難となった。さらに,性格変化によって怒りっぽく
なり,また,認知症による意欲の低下が見られたり,多量によだれ
を流したりするようにもなった。医師から見ると,被害者は,自分
の欲求を抑えられない,治療に難渋を来す患者であり,ケアマネー
ジャーから見ると,被害者は,完治困難な病気を複数抱え,自己規
制ができないなど「困難事例」の一人であった。医師もケアマネー
ジャーも,被告人が被害者を一人で介護することは困難であり,施
設か病院に入所(院)させる必要があると判断しており,平成21
年12月施設入所について被告人も交えて話合いがなされた。平成
22年1月身体障害者等級が3級から1級に変更された。同年2月
4日,これまで受診日に遅れたことがなかった被害者が来なかった
ため,a市立病院から電話を掛けたところ被害者が来診した。これ
が最後の診察となった。同年2月5日か6日ころ,被害者に膵臓癌
の疑いありということで,被害者を埼玉県内の病院に入院させる話
合いが持たれた。被告人もこれに同意していた(なお,この点につ
いて,被告人は,当公判廷では記憶がないと供述している。)。
(2)本件犯行状況
被害者は,医師からタバコを1日5本以内と制限され,これに満
足できなかったため,日々介護する被告人との間で1日10本以内
と決めていた。本件当日の夕食後,被害者は,被告人にタバコを要
求したが,当日は既に約束の10本を吸っていたため,被告人は,
明日にするよう諭したが,被害者は納得せず,ライターを持ち出し,
のれんに点火する仕草をした。被告人は,太平洋戦争時に東京下町
が大空襲を受け,火災により多くの人々が悲惨な被害を受けたこと
を身近に経験し,火の恐ろしさを嫌というほど知りぬいていため,
被害者ら子供達にも火の恐ろしさを厳しく教育していたのに,その
子供の一人である被害者が病気を抱えていたとはいえ一度ならずタ
バコの火で座布団を焦がすなどしていたことに心を痛めていたとこ
ろ,被害者ののれんに火を点ける仕草を見て自分に対する嫌がらせ
であると考えて激怒し,被害者とケンカとなった。被害者は,すき
焼きか何かのたれの小型のビンを手に取り,中身を辺りにまき散ら
し,そのビンを投げつけた後,台所に移動して座り込んで一人で立
てない状態となったものの,なおも手近にあった鍋を振り上げたり,
包丁が収納された流し台の扉を開けたりしたため,被告人は,慌て
て包丁を取り出して被害者の手に届かないところに移したが,この
ような被害者の態度に激高し,被害者を懲らしめようと前記ビンを
手に取り,被害者の右側頭部を2,3回たたいたり,タオルで被害
者の首を巻いてひっぱったりしたところ,被害者が「助けてくれ」
などと謝罪するようなことを言ったためタオルを緩めた。しかし,
その際,被害者がなおも被告人に向かってくるような行動に出たと
見て,被告人は,さらに怒りを募らせ,「被害者を生かしておいて
も娘達にも迷惑を掛けるだけだ,もうだめだ,死んでもらうしかな
い。」などと被害者の殺害を決意し,左手で流し台を掴んで身体を
支え,被害者の背後から首に最初はタオルで,続いて脱げた被害者
の靴下をまわし,靴下を被害者の首の後ろで結んで右手で持ち,右
膝で被害者の背中を前に押して右手の靴下を力一杯引いて被害者の
首を締めつけて本件犯行を行った。
2不利な事情
(1)結果について
殺人罪は人の死亡を内容とする犯罪であり,人の死亡の事実その
ものを量刑上有利にとか不利にとか考えるべきでないとの弁護人の
指摘は一理あるが,本件犯行によって,被害者の尊い命が奪われた
という,取り返しのつかない結果が生じた事実は指摘しなければな
らない。
被害者は完治困難な病気を複数抱えながらも自分なりに前向きに
生きてきたものであり,また,被告人の述べるところによっても,
被害者は被告人に「甘えて」いたのであって,その母である被告人
の手によってこの世を去らなければならなくなった無念や悲しみは
容易に想像できる。同人の死は,姉妹をはじめとする遺族にも,安
堵の気持ちがあったとしても,大きな悲しみを与えた。
(2)行為態様について
被告人は,座り込んだまま動けない被害者に対して,首をタオル
で絞め,その後,力の入りやすい靴下に持ち替えて渾身の力を込め
て,体を支えながら力一杯絞め付けたものであって,強固な確定的
殺意に基づく犯行である。
(3)動機について
被告人は,弁護人指摘のとおり,被害者のケアマネージャーにと
っても「困難事例」とされる被害者の介護を,特に病状の悪化した
平成21年11月以降は一人在宅で介護する中で,犯行当日,タバ
コを巡る喧嘩が発端となって,それぞれ難病を抱える我が子を持つ
娘達に迷惑をかけまいという親としての責任感と,ライターでのれ
んに火を点けようとしてみたり,包丁の入った流しの扉を開けたり
するなどの今まで経験したことのない被害者の自分に対する態度へ
の怒りや被害者の病状への絶望感とが相俟って,殺害を決意し犯行
に至った。
しかし,いかなる理由があろうとも我が子の生命を奪うことは決
して許されるものではなく,また,被告人の当時の財産状況や被害
者を担当していた医師や看護師らによるサポート体制からして,自
らの負担の軽減も含め他に取り得る方策があったことをも考慮すれ
ば,その動機は,やはり短絡的と評価せざるを得ない。
なお,このように殺意を抱いた根底には,純粋な介護疲れや将来
への悲観といった気持ちばかりではなく,被害者に対する腹立ちや
怒りがあったことも認められる。しかし,前記経過に照らせば,こ
れらの気持ちを過大に評価して被告人にとって殊更不利な事情と評
価することは必ずしも相当ではない。
(4)その他の事情について
被告人同様の境遇の下,家族で手を携えて懸命に生活している人
々に対して本件犯行が及ぼす衝撃等を考慮すれば,一般予防の見地
も軽視できない。
3有利な事情について
(1)本件犯行に計画性はない。被告人は,被害者に対して甘えるこ
とはかまわないが,その方法に問題があるなどという気持ちを抱い
たり,自立を求めて突き放すような態度をとったりしていたものの,
親としての気持ちから,病気を持つ被害者と同居し,被害者にとき
には理不尽な言動を受けながらも,病院へ付添い,食事をはじめ被
害者の失禁の処理など身の回りの世話,タバコの摂取制限の指導等
を高齢の身ながら懸命にしてきたものであって,被告人に日ごろ被
害者を憎んでいたような感情は認められない。
(2)被告人の責任感の強い性格に加え,娘達それぞれの事情があっ
たとはいえ,本件に至るまでの間,娘達は被告人を案じながらも,
被害者を世話する被告人の状況について十分には把握していなかっ
た。被告人は,ケアマネージャーなどのサポートは受けつつも,
「自分のことは自分でしなければならない,他人や独立して世帯を
持った娘達に迷惑はかけられない」などの思いから,一人懸命に介
護する中で本件犯行に及んだものである。その思いも本件犯行を正
当化できるものではなく,酷な見方であるが,いわば一人よがりと
評されかねないものであるものの,その思い自体を非難することは
できない。こうした経緯,被告人の年齢,境遇などをみれば,酌む
べき点があり,本件の責任を一人被告人にだけ負わせ,厳しく断罪
することには躊躇を覚えざるを得ない。
(3)被告人は,自らの犯した罪を悔い,深く反省している。
(4)被告人は,現在83歳と高齢であり,本件後,更に体力,判断
力の衰えが進んでいる。また,前科前歴もなく,被告人の2人の娘
及び孫が,情状証人として当公判廷に出廷し,「寛大な処分を望む,
これまでの関わり方を反省して一緒に罪を償っていきたい,被告人
の今後の面倒をみる」などと述べている。
4結論
そこで,量刑であるが,以上の諸事情を総合考慮し,被告人に対し,
酌量減軽した上,刑を量定し,娘ら各家族の連携の下,被害者の冥福
を祈らせながら,被告人に社会内で更生する機会を与えるのが相当で
あると判断した。
よって,主文のとおり,判決する。
(求刑懲役5年)
(さいたま地方裁判所第3刑事部裁判長裁判官傳田喜久裁判官寺
尾亮裁判官菱川孝之)

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