弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主          文
1 被告は,原告GAに対し,3278万9959円,原告GBに対し,3278
万9959円,及びこれらに対する平成12年7月10日から各完済まで年5分の
割合による金員を支払え。
2 原告らのその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は,これを50分し,その1を原告らの,その余を被告の各負担とす
る。
4 この判決は,第1項につき,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
1 被告は,原告GAに対し,3313万2049円,原告GBに対し,3313
万2049円及びこれらに対する平成12年7月10日から各完済まで年5分の割
合による金員を支払え。
2 被告は,原告GAに対し,81万0282円及びこれに対する平成11年4月
20日から完済まで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 本件は,被告に雇用され,競走馬育成のための調教業務に従事していた原告ら
の二男である亡GC(以下「亡C」という。)が,落馬して馬に腹部を踏まれるか
蹴られるかして,肝臓断裂の傷害を負い,肝損傷による出血により死亡した事故
(以下「本件事故」という。)について,被告には安全配慮義務違反があったと主
張する原告らが,被告に対し,損害賠償を求めるとともに,被告が,H農業協同組
合(以下「H農協」という。)との間で,亡Cを被共済者,原告らを受取人,受取
人代表者を原告GA(以下「原告A」という。)として締結していた傷害共済契約
に基づく共済金について,被告が,H農協をして共済金から一定額を控除した額を
原告Aに送金させ,控除額を被告に送金させたことは,不法行為又は不当利得に該
当すると主張して,原
告Aが,被告に対し,損害賠償又は不当利得の返還を求めるものである。
2 争いのない事実等
(1) 原告らは,亡Cの実父母であり,かつ,相続人であって,亡Cの相続人らは,
原告ら以外には存在しない。
  被告は,競走馬の生産,育成を事業目的とする有限会社である。
(2) 亡Cは,昭和58年3月8日に原告らの二男(甲1)として出生し,平成11
年1月下旬,北海道I職業安定所の紹介により,被告との間で,競走馬の調教を担
う牧夫として労働契約を締結し(亡C当時15歳),同年2月2日から,被告の本
店所在地で被告が経営する牧場(以下「被告牧場」という。)において,就労を開
始した。
(3) 亡Cは,早く来てほしいとの被告の希望で,同年2月1日に父である原告Aと
共に,被告牧場を訪ね,翌2日から就労することになったものである。
 なお,休日は月2日との契約であったが,被告の話では,毎月20日締めで従業
員の中で調整して月2日の休日を決めるため,亡Cの就労時には既に他の従業員の
2月の休日予定がすべて決まっており,亡Cについては,同年2月20日以降に2
日の休日を予定していたとのことであった。
 したがって,亡Cは,同年2月2日に勤務を開始して以来,本件事故が発生した
同月17日まで,16日間連続勤務であった。
(4) 亡Cは,同年2月2日から同月13日までは,パートの女性従業員と馬房掃除
(馬房内の汚れた寝藁の交換)に従事した(馬房掃除が午前中のみであったかにつ
いては争いがある。)。
 亡Cは,同月14日午前は馬房掃除に従事し,同日午後から同月16日まで,被
告牧場のD場長(以下「D場長」という。)の指導の下で騎乗訓練をした(騎乗訓
練が,馬房掃除等の補助作業に従事しながら,D場長の仕事の手が空いたときにな
されたものであるかについては争いがある。)。
 亡Cは,馬に一人で乗ること,鐙の長さを調節すること,鞍を付けることがで
き,手綱の持ち方を知っていた。
 亡Cは,同月17日からは,一人で騎乗し,他の経験者と同じスケジュールで3
歳馬の調教業務に参加し,午前中4鞍(鞍付けから始まる調教の工程単位を鞍とい
い,1鞍に約30分の時間を必要とする。)終了し,午後の2鞍目の同日午後2時
30分ころ,被告牧場のトレーニングセンター屋内円形馬場内で本件事故が発生し
た。
(5)本件事故は,亡Cを含む6名で各1頭ずつ6頭の馬に騎乗し,2列縦隊で入口
から円形馬場に入り,左回りに「並足」で1周300メートルのコースを入口の反
対側まで半周分進行した後,亡C騎乗の馬が前を行くD場長ら騎乗の2頭の馬の間
を抜けていった地点で発生した。なお,亡Cは,上記6頭の馬のうち,先頭から2
列目,2列縦隊の内側(円形馬場の中心側)の馬に騎乗していた。
 前記6頭の馬が,円形馬場の入口の反対側に達し,1列目の2頭が速度を「ダク
(速足(トロット)と軽速足(ライジング・トロット)を含むが,本件の場合は軽
速足)」に変えてスタートし,一定の間隔をあけて2列目の2頭(内側が亡C)が
「ダク」で正にスタートしようとした際,亡Cの騎乗していた馬が,1頭だけスッ
と先に抜け出し,やや速めの「ダク」で,先にスタートした1列目の2頭の間を抜
けて,円形馬場の反対側の方へ走って行った。この時,目撃した者によれば,亡C
騎乗の馬は,走り出してから次第に速くなり「キャンター(駈足)」になった。ま
た,亡Cは,従前教えられていたとおり,馬を止めようとする動作をしていた。
 他の騎乗者は,亡Cの騎乗していた馬を止めるため,馬を反転させ,逆回りに移
動し,4分の1周ほど進行したところで,亡Cが円形馬場入口から右へ少し入った
外側の壁際で,ずり落ちるように落馬したのを目撃した(D場長が直接目撃したの
か,円形馬場のフェンス越しに目撃したにすぎないのかについては争いがあ
る。)。
 他の騎乗者らが,亡Cの落馬地点に到着したところ,亡Cは,腹を押さえうずく
まり,「痛い,痛い。」とうめいていたので,被告の手配により,いったん地元の
医師の元に運ばれた後,苫小牧市立総合病院に搬送されたが,亡Cは,肝臓断裂の
傷害を負っており,同月19日午後11時5分,肝損傷による出血により死亡し
た。なお,亡Cの治療に当たった医師によれば,肝臓が鋭利に断裂しており,馬に
腹部を踏まれた(又は蹴られた)ものと考えられるとのことであった。
(6) 亡Cは,本件事故当時,15歳の少年であり,同月2日に就労を開始してから
16日目で,他の経験者と共に3歳馬の調教作業を開始したその初日の事故であっ
た。
 競走馬の育成業務は,騎乗している調教中の馬が暴れたり,予想外の行動をとる
ことが当然に予想され,常に落馬等の危険性を帯有する危険度の高い業務である。
(7) 原告らは,本件事故に関し,傷害共済保険から893万3202円を受領し,
労災保険給付として,遺族補償一時金500万円,葬祭料一時金45万5000
円,遺族特別支給金300万円の支給を受けた。
(8) 被告は,H農協との間で,平成11年2月4日,亡Cを被共済者とする死亡共
済金1000万円,入院共済金日額5000円,通院共済金日額3000円の傷害
共済契約を締結した。
 同年2月19日,本件事故により被共済者の亡Cは死亡し,死亡共済金1000
万円及び入院共済金1万5000円(入院期間3日間),手術共済金10万円の合
計1011万5000円(以下「本件共済金」という。)について共済金支払事由
が発生したため,同年3月15日,原告らは,H農協に対し,本件共済金の支払請
求をした。
 被告は,本件共済金のうち118万1798円をH農協から送金を受けて受領し
た。
3 争点
(1)本件事故の原因と被告の責任について
ア 原告らの主張
(ア) 亡Cの被告就職後の就業状況
 亡Cは,平成11年2月2日,就労を開始し,同日から同月13日午前まで馬房
掃除(馬房内の汚れた寝藁の交換)に従事した。 同月14日午前も馬房掃除に従
事し,同日午後から,屋内角馬場にて,騎乗訓練を開始し,放牧地から馬を引いて
鞍付けをし,飛び乗りを1頭につき各30回ずつ(左右)10分間くらい行い,そ
の後並足までの歩行訓練を行うことを,二,三頭について馬を替えて行った。
 同月15日,16日は,いずれも1日六,七頭(午前中三,四頭)の馬を替え
て,放牧地から馬を引いて鞍付けをし,飛び乗りを午前中三,四頭について1頭に
つき各30回ずつ(左右)10分間くらい行い,その後並足までの歩行訓練(1頭
につき角馬場5周くらい)を行い,同月15日の午後から16日までの1日半はダ
クの練習(1頭角馬場5周くらい)を行い,同日の最後からD場長は引き綱を持た
ずに見ていた。
 同月17日は,円周300メートルの円形馬場に初めて出て,6頭の部班で,ダ
クの調整作業に従事し(午前4頭,午後2頭それぞれ馬を替えて),午前4鞍消化
し,午後2鞍目で本件事故が発生した。
 なお,亡Cについて,同月2日の就労開始から本件事故が発生した同月17日ま
での16日間,休日は与えられていなかった。
(イ) 亡Cの被告就職時点における騎乗経験及び技量
 亡Cは,J乗馬協会で,平成10年12月まで半年ほど(週1回程度)乗馬用の
馬の乗馬経験があった。
 同月末の時点における亡Cの乗馬に関する技量は,乗馬用の馬で,ダクまででき
るくらいであったが,いまだキャンターの練習に入る段階ではなく,キャンターの
練習はしていなかった。
 上記の乗馬教室主催者のEが,亡Cの育成牧場への就職希望を聞いて,平成10
年12月にキャンターの歩様(動き)を体験させるため,調馬索にてキャンターの
体験をさせたのが唯一のキャンターの体験であった。
(ウ) 亡Cの落馬の原因
 本件事故の発生状況によれば,6頭が2列縦隊で並足で円形馬場を半周し,その
後,集団でダクに移ることにし,一番先頭だったD場長が声を掛け,先頭の2頭が
ダクを踏み始め,2列目の人たちが続いてダクを踏み始めるその瞬間に,亡Cの騎
乗していた馬が走り出した。亡Cは,乗馬クラブでのレッスンにより,出ようとす
る馬の状況を察知することができる程度の乗馬経験は積んでいた。しかしながら,
本件事故当時,騎乗馬が走り出すことを察知できず,あるいは,察知したときには
騎乗馬をコントロールできない状態になっていたことから,亡Cの騎乗馬は走り出
してしまった。
 これは,亡Cには,就業以来16日間連続勤務で休日がなく,かつ,同月14日
から17日にかけてのベテラン牧夫と同一のメニューによる集中的な(換言すれ
ば,過酷な)騎乗訓練によって,体力が消耗し,集中力を持続させることができな
い状況に陥っていたことが原因であると考えられる。
 また,馬が走り出した原因は不明であるが,「馬が何かに驚いた」という理由以
外に,騎乗していた亡Cが,馬がキャンターの扶助であると誤解するような刺激を
与えてしまったことも,原因として考えられる。なぜなら,亡Cの騎乗馬は,キャ
ンターまでの訓練を経ているので,キャンターの扶助を知っているのに対し,亡C
においては,キャンターの騎乗訓練を経験していないので,キャンターの扶助の仕
方を知らず,誤解を与えるような動きを防止しようとする意識を期待することがで
きないからである。このような,馬が誤解するような扶助をしてしまった原因は,
亡Cが疲労によって,騎乗馬に対する扶助の扱いが乱暴になってしまったことが考
えられる。
 亡Cの騎乗馬が走り出した後,普通にキャンターを踏むような動作並びに速さで
走っていった。亡Cは,馬を止めようとした動作をしていたが,騎乗馬は止まらな
かった。これは,騎乗者が止めるつもりになってそのような動作をしても,現実
に,馬にその操作の合図が伝わっていなかったものと考えられる。その原因は,亡
Cが,疲労並びに経験不足によって,乗り手の意思がしっかりと伝わるような手綱
さばきができなかったところにある。
 結果的に,亡Cの騎乗馬は,普通にキャンターを踏むような動作並びに速さで走
っていったにもかかわらず,亡Cは,壁際で落馬してしまった。亡Cが,仮にキャ
ンターの練習をしていたら,騎乗馬が意思に反して走り出してしまっても,慌てず
に落ち着いて乗っていられた。仮に馬を止めることができなくても,落ち着いて円
形馬場の円に沿って乗り続けることができれば,馬も落ち着き,止める機会も出て
くるのであるが,亡Cは,キャンターの経験がないため,騎乗馬が走り出したこと
で慌ててしまい,止めることだけしか頭になく,バランスを崩して壁際に落馬して
しまったのである。
(エ) 被告の安全配慮義務違反の存在
a 従業員が,就業中に馬に蹴られるか踏まれて死傷した場合に,この事故が使用
者の義務違反ないしは過失によって生じたとき,使用者は,債務不履行(民法41
5条)又は不法行為(民法715条,709条)に基づく損害賠償責任を負う。す
なわち,使用者は,労働契約上の信義則(民法1条2項)に基づき,従業員の生命
及び健康を当該業務から生ずる危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義
務)を負っている(最高裁昭和50年2月25日判決)。この安全配慮義務とは,
使用者が,その業務遂行に内在する危険を予め管理者として予測し,これらの危険
を排除すべく,諸条件を整備して,従業員の生命,健康等を保護すべき義務のこと
をいう。
b 本件において,被告は,「馬というものは一般に敏感かつ臆病な動物であり,
何かの音や動きに驚いて急に暴れ出したり,騎乗者からの止まれの指示に対しても
興奮などのためその指示を無視することなど日常的なことであ」ると主張してお
り,被告は,管理者として,競走馬の調教業務に上記のような危険が本来的に内在
することを予め明白に予測しかつ予見していた。
 本件の調教業務においても,亡Cの騎乗馬が,何かに驚くなどして,騎乗者の指
示に反して走り出す等の事態が生じ得ることは,被告において容易に予見し得たも
のである。したがって,被告には,亡Cをかような馬の調教業務に従事させる際に
は,上記のような想定される危険を排除すべく,亡Cに対しては,少なくともキャ
ンター状態の騎乗馬にバランスを崩すことなく騎乗し続け,あるいは,キャンター
状態の騎乗馬をコントロールし得るだけの力量を備えさせてから従事させるべき,
業務上の注意義務を負っていた(仮に,本件の調教業務が,亡Cに対しての騎乗訓
練の性格を併有していたとしても同じである。)。
c 上記のとおり,亡Cは,キャンターの練習経験がなかったことから,亡Cの騎
乗馬が走り出した後,普通にキャンターを踏むような動作並びに速さで走っていっ
たにもかかわらず,バランスを崩して壁際で落馬してしまったものである。仮に,
被告が,亡Cに対し,キャンターの訓練をしていたならば,壁際での落馬という事
態を回避し,本件事故を回避することができたがい然性が極めて高い。被告は,亡
Cに対し,訓練の方法として,調馬索を使用するなどの方法で,指導者が,地上か
ら,亡Cの騎乗馬をコントロールし得る状態において,キャンターの状態における
騎乗姿勢やバランスの取り方,手綱の持ち方,馬の制御の仕方などについて経験を
積ませ,キャンター状態の騎乗馬にバランスを崩すことなく騎乗し続け,かつ,キ
ャンター状態の騎乗
馬をコントロールし得るだけの力量を備えさせてから,(亡Cに対しての騎乗訓練
の性格を併有しているとされる)本件の調教業務に従事させるなどの手段をとるこ
とができたのである。
 現実に,その他の育成牧場においても,調馬索によるキャンター練習を採用し,
キャンター練習の経験を重ねてから調教実務に段階的に従事させる取扱いをしてい
るのである。しかるに,このような訓練を怠り,キャンター練習を経験させないま
ま,1周300メートルの円形馬場で部班でのダクの集団調教業務に参加させたと
ころに,被告の根本的な過失がある。
d さらに,初心者であり,かつ,就労し始めて16日もの間,全く休日を与えら
れていなかった亡Cに対しては,その疲労度を考慮し,使用者として,事故防止の
見地から,(当初は初心者として集中力が持続できる限度である1日1鞍から始
め,状況を見て,次第に亡Cの従事する鞍数を増やしていくなど)段階的に調教業
務に従事させるべきであった(このことは,仮に騎乗訓練の性格を併有するとされ
る調教業務の場合でも異ならない。)にもかかわらず,当初から,経験者と全く同
じスケジュールで,午前中4鞍,午後2鞍という目一杯の調教業務に参加させてい
たことにも,本件事故の原因があるのである。けだし,疲労していなければ,亡C
において,馬が動き出そうとする状況を察知し,その段階で馬を制止することがで
きた可能性が高く,本
件事故を防止し得たがい然性が極めて高いのである。ほかの育成牧場においても,
新人の調教実務の従事については,体づくりができていないため,体力面や精神面
を考慮し,段階的に作業量を増加させていく措置をとっている。被告は,このよう
な配慮が可能であったにもかかわらず,これを怠り,その結果,本件事故を招来し
たものである。
e また,騎乗の際には,事故防止の見地から必要とされているヘルメットのほか
に防護服(中央競馬の騎手は防護服(防護ベスト)を着用すべきこととされてい
る。)の着用をさせるべき業務上の注意義務があったにもかかわらず,被告は,本
件事故の際,亡Cに対し,ヘルメットは着用させたものの,防護服を着用させなか
った(被告においては,本件事故当時,防護服の用意もしていなかったのであ
る。)結果,死亡という結果を生じさせたものである。
 本件事故は,騎乗馬に踏まれたか蹴られたかして,肝臓断裂の傷害を負ったもの
と考えられるが,腹部にかかる防護服を着用すれば,圧力が分散され,死亡という
最悪の結果を防止することができたものと考えられる。なお,他の育成牧場におい
ても,防護服を着用して調教に当たり,かつ,いつでも着用できるよう準備してお
り,被告においても,本件事故発生の2か月後(平成11年4月ころのことであ
り,本訴提起の1年3か月も前のことである。)には防護服の着用を義務づけてい
ることからも,防護服が事故防止や損害拡大の防止に有用であること,並びに被告
が事故防止に防護服着用が有益であることを認識するに至ったことは,明らかであ
る。
イ 被告の主張
(ア) 落馬という事態は,騎乗を前提とする業務に従事する以上避け難いことであ
り,まして後続の馬が前方で落馬した者を避けきれずに踏んでしまったというので
あれば格別,騎乗馬自体が落馬した当該騎乗者の人体,特にその腹部を踏みつける
などということは,通常予測し得ない事態であって,本件事故は不可抗力というほ
かはなく,被告に法的責任はないものといわざるを得ない。
(イ) 亡Cに対する就労指導の実際
 乗馬クラブでの騎乗体験を有していたとはいえ,亡Cが育成牧場で新馬の調教に
従事することは初めてのことであったため,主として危険防止の観点から,被告牧
場のD場長は,亡Cに対して,おおむね以下のとおりの就労指導を行った。
a 平成11年2月1日
  採用決定の日であり,この日は就労させなかった。
b 同月2日から同月13日まで
午前中はパートの従業員と共に寝藁の交換作業に従事させ,午後はD場長はじめ先
輩牧夫の調教振りを見学させた。時に馬の手入れや鞍付け作業を手伝わせたりし
た。
c同月14日
この日は日曜日でパート従業員が休みのため,午前中は牧夫全員で寝藁の交換作業
に従事し,午後からは屋内角馬場にてD場長の指導の下,騎乗訓練を行った。その
内容は騎乗馬への飛び乗り練習と並足による騎乗訓練であり,同騎乗訓練中,D場
長は騎乗馬の脇で引き綱を持って共に歩行し,馬の暴走(騎乗者の意図に反する行
動)を予め抑止するとともに,万が一「かかった(馬の興奮状態)」場合の制御に
備えた。
なお,この日は日曜日で本来牧夫たちは騎乗しない日であったが,亡Cのための訓
練中に同騎乗馬が1頭のみで不安がることからくる危険(の可能性)を防止すると
いう観点から,他の牧夫たちにも同じ屋内角馬場にてダクまでの調教に従事させ
た。また,同騎乗馬には調教が進んでいて気性のおとなしい馬を選ぶとともに馬の
首の根元にロープを巻いて落馬防止の措置を講じた。
d同月15日
この日の午前中は前日と同様に飛び乗りと並足での騎乗訓練に従事し,午後から
ダクまでの訓練に移行した。この際もD場長は騎乗馬の引き綱を持って,馬と共に
走って,並足の時と同様に暴走の防止に努めた。もっとも,最後のころには引き綱
を持たず,屋内角馬場の中央から亡Cの騎乗を見守った。
なお,他の牧夫も同じ屋内角馬場にてダクまでの調教に従事させたこと,気性のお
となしい馬を選んだこと,馬の首にロープを巻いたことは前日と同様である。
e同月16日
この日も前日と同様の条件下で,同様の訓練を行ったが,亡Cは馬を暴走させる
こともなく無難にダクをこなしており,この騎乗振りから,D場長は,翌日から集
団によるダク調教に参加させる力量が備わっていると評価した。
f同月17日
この日から亡Cを集団によるダクまでの調教(騎乗訓練)に従事させたが,D場
長は,亡Cの騎乗馬に気性のおとなしい馬を選ぶとともに,隊列上も2列目の内側
に配置し,自らは前列,同列,後列とその位置を移動させて,様々な角度から亡C
の騎乗姿勢を監視し,問題点の把握に努めた。
なお,午前中に4鞍の調教(騎乗訓練)を行ったが,亡Cは馬を暴れさせることも
なく,無難に騎乗をこなした。そして,休憩を挟み,午後の2鞍目に本件事故が発
生した。
(ウ) D場長の理にかなった指導の一貫性
 D場長は,騎手学校を卒業して,現実にも騎手として競走馬の騎乗体験を有し,
育成牧場での新人牧夫の教育にも相当年数従事しているところ,上記のとおり,亡
Cが乗馬クラブでの騎乗経験を有していたとはいえ,D場長の亡Cに対する指導内
容は,牧場生活への親和や新馬の生態学習や騎乗技術に関しても,亡Cの力量を見
定めながら段階的に実践していったことが明らかであって,極めて理にかなったも
のということができる。
(エ) キャンターによる騎乗訓練を先行させるべきとの原告ら主張について
原告らは,亡Cが落馬する直前の騎乗馬の速度がキャンター程度の速度であった
ことをとらえ,亡Cに予めキャンターの訓練を施しておけば,馬をコントロールで
き,落馬を防止できた旨主張する。
 しかしながら,かかる主張は,騎乗の本質(どのような経験者でも落馬はあり得
ること)や訓練の有り様(訓練に当たり遵守されるべき準則)とかけ離れた立論で
あって,結果論的にも承服できない。
 第1に,前記のとおり,D場長は,亡Cの力量を踏まえ,並足からダクへと段階
的に訓練を実施したものであり,そのこと自体非難されるべき理由は全くなく,キ
ャンターによる騎乗は,かかる訓練を積んでからその後に実施されるべき訓練とい
うべきだからである。原告らは,馬の暴走(騎乗者の意図に反する行動)や落馬が
並足の時でもダクの時でも起こり得ることの理解を欠落しているものといわざるを
得ない。並足の騎乗もダクの騎乗も十分でない亡Cに,調馬索を用いるとはいえ,
予めキャンターによる訓練を実施させるべきとの主張は,騎乗訓練は段階的に進め
られるべきとの原告らが証人として申請したEの証言にも矛盾するものとのそしり
を免れない。また,調馬索を用いたキャンターは,「ダクに毛の生えた」程度のも
のであって,当然の
ことながら速度に限界があり,これによる落馬の危険をも考えると,並足やダクで
の騎乗を積み重ねることの方が,より適切な訓練であるというべきだからである。
なお,原告らの見解や論法に従うと,仮にかかるキャンターの訓練中に事故が発生
したとすると,並足やダクでの騎乗体験が十分でないことを理由に,かかる訓練指
導者の責任を追及することになるのであろうが,もはやこれは結果論としての域を
出ないものと指摘せざるを得ない。
 第2に,原告らの立論は,馬の速度がキャンター程度であったことを殊更に重視
し,いわば結果論的に被告の非をあげつらうものであるが,仮に亡Cに対し,原告
らが想定するキャンター訓練を施していたとしても,馬の暴走や落馬自体は騎乗経
験の多寡を問わず,また,並足においてもダクにおいても起こり得るとの命題を承
認する限り,本件の落馬を防止できたとは到底いい得ないからである。落馬を防止
できたとする特段の証拠はないし,かかる因果関係についての証明責任は原告らが
負っているというべきである。
(オ) 被告が実施した集団による訓練の妥当性
 (エ)において,被告は,原告らの「キャンターによる訓練を実施しておくべきで
あった」との自己矛盾的主張に反論を加えたが,原告らの主張には「集団的調教に
従事させる前にキャンターをも含んだ訓練を十分に積んでおく必要があった」とす
る趣旨を含むものと善解することもできるので,以下この点について反論する。
 馬を集団的に行動させることの方が,馬も落ち着き,暴走防止につながること
は,証人としてのE自身も認めている馬の習性である(なお,乙13の1において
も「数頭の馬で連なって運動をする「部班(ぶはん)」で練習するとよい」と記さ
れている点を参照されたい。)。加えて,騎乗訓練は並足に始まって,ダク,キャ
ンター,ギャロップと段階的にレベルを高めていくべきこと,馬の暴走を抑止する
原則的な方法は手綱を引いて馬の行動を抑止すること,馬は並足においてもダクに
おいてもキャンターにおいても騎乗者の意図に反する行動を起こし得るものである
こと等の事情を踏まえると,被告が亡Cに対する訓練の方法として,他の牧夫と共
に集団的にダクまでの騎乗をさせたこと自体に非難されるべき点は全くないものと
いわざるを得ない。な
お,被告が再三指摘しているように,騎乗される馬にとっては調教の一環ではあっ
ても,騎乗者から見れば騎乗訓練というべきものであって,原告らは繰り返しこれ
を「調教業務」と表現することにより,かかる事柄の両側面を意図的にか混同さ
せ,誤解に導く主張を展開している。
(カ) 本件事故は亡Cの疲労によるものか
 確かに,亡Cが本件事故までの16日間,休日を取ることなく就労していたこと
は,原告ら指摘のとおりである。したがって,一般論的に「中間に休日を取ってい
た場合と比較して,精神的,肉体的な疲労度に差異がある」と指摘されたとして
も,被告として有効な反論はなし得ない。
 しかしながら,本件における問題は,そのことの労働法制上の当否ではなく,本
件の落馬による亡Cの死亡とかかる疲労との間に因果関係があるかどうかという損
害賠償請求権の存否にかかわる法的判断の是非にある。
ところで,原告らの主張は,慣れない生活の中で16日間就労を続けたという外形
的事実のみをその根拠とするものである。もっとも,証人Eは,亡Cの体験した肥
育牧場での餌やり作業との比較や,自らの寝藁交換作業経験等を念頭に,亡Cが相
当に疲労していた旨の推測を証言しているが,肥育牧場における作業や被告におけ
る寝藁交換作業の実際を知らずに,亡Cの現実の疲労度を推測できるとは考えられ
ないから,かかる証言をもって本件事故に結びつき得る疲労があったものと判断す
ることは到底できないものといわざるを得ない。
この点における判断に関しては,既述のとおり,亡Cが従事した寝藁交換作業は,
あくまで牧場生活への親和や理解が主目的であって,作業自体は女性パート従業員
のなすべきこととされ,亡Cはその補助としてかかわったにすぎないものであるこ
と,かかる補助作業も午前中のみであり,午後はD場長らの調教振りを見学してい
たにすぎないこと,本件事故は亡Cが馬に騎乗し始めた4日目であること,亡Cは
将来騎手になることを志望して,被告へ就職するに至ったものであるから,馬への
騎乗は職務であると同時に自らの志望を実現するに欠くことのできない手段であ
り,また自らもこれを強く望んでいたこと,被告関係者の観察では,亡Cは明るく
元気に牧場生活を楽しんでいたこと等の諸事情が考慮されるべきである。
なお,疲労が本件事故の原因となっているとの因果関係についても,原告らに立証
責任があるというべきである。
(キ) 防護服の着用について
原告らは,亡Cに防護服を着用させていれば,死亡という最悪の事態は防止できた
として,防護服を着用させなかった被告の不作為が安全配慮義務違反を構成すると
主張している。
しかしながら,かかる防護服を着用させることにより,機敏かつ柔軟な動作が妨げ
られ,かえって落馬を招きかねないとの評価から,現実にはほとんどどこの育成牧
場でも,また,キャンターやギャロップでの調教を実施するために設けられた中央
競馬会運営のトレーニングセンターにおいても使用されていないのが実状であっ
て,原告らの主張は憶測に基づく単なる結果論にすぎない。
なお,原告らは,「中央競馬の騎手は防護服(防護ベスト)を着用すべきこととさ
れ,現実に皆着用している事実に留意されたい」と指摘しているが,明らかな誤
解,歪曲であり,本件事故が発生した平成11年2月17日時点においては,より
危険の予測される中央競馬の騎手に対してすら,(障害飛越競走レース以外の競馬
レースにおいて)防護服の着用は義務化されていなかったものである。 すなわ
ち,日本中央競馬会競馬施行規程第76条4項は「騎手は,本会が定めた保護ベス
トを着用しないで,競走に騎乗してはならない。ただし,平地競走(被告代理人
注:障害飛越競走に対するもので,通常の競馬レースのこと)にあっては,競馬番
組で定める期間又は裁決委員がやむを得ない事由があると認めたときは,この限り
ではない。」と定めている
が,同規程は平成12年12月15日の改正により,平地競走への適用条項として
新設されたものであり,その施行日は平成13年1月1日だからである。
そして,同規程からは,①保護ベストの着用義務は,実際の「競走」(すなわち競
馬レース)に限定されており,中央競馬会の運営,管理の下にあるトレーニングセ
ンター及び育成牧場での「調教」などでは何ら義務化されていないこと,②「競
走」においても,その着用は絶対的なものではなく,平地競走の場合は一定期間
(6月から9月まで)又は裁決委員がやむを得ないと認めた場合には保護ベストを
着用せずに競走に騎乗できるものとされていることを読みとることができる。
ところで,実際の競馬の競走中は,その頭数(最大18頭)の多さ,スピード,激
しいレース駆け引きなどで,馬同士が接触したり,騎乗馬又は前方の馬の脚に突然
の故障が発生したり,前方を走る馬の突然の斜行などによって,後方の馬がバラン
スを崩すなどして人馬共に転倒したり,コース内側の埒(馬場の周囲の柵)に衝突
したりすることがあり,騎乗者の身体に及ぼす危険は極めて高いということができ
るが,かかる競走においてですら,例えば6月から9月までの期間中は,保護ベス
トの着用を免除する措置が用意されているのである。
かように,防護服の着用については,競馬騎手という極めて危険な職務に従事する
者においても,本件事故当時において(障害飛越競走以外の一般競走では)義務化
されておらず,着用の功罪に関する評価は一律ではなかったものと指摘せざるを得
ない。
だとすれば,(年間を通して極めて薄手の「勝負服」しか着用しない競馬騎手に比
して)冬季で厚手の作業衣を着ている亡Cに,更に行動の自由を制約することにな
る防護服を着用させなかったとしても,これをもって安全配慮義務の懈怠であると
非難されるべきものとは到底考え難い。
加えて,仮に亡Cが防護服を着用していたとしても,本件事故による死亡を防止で
きたかは大いに疑問である。防護服は,鎧甲と異なり,ウレタン素材でできてお
り,防護の範囲も肋骨下部までであって,腹部のすべてを覆っているわけではない
からである。確かに,防護服が落馬の際の衝撃の緩衝用として,外傷等を防止ない
し軽減するのに相応の効果があろうことは,認めるにやぶさかでないが,馬重が4
00から500キログラムもある新馬の脚で腹部をまともに踏まれてしまった場合
に,ウレタン素材でできている防護服がどこまで有用であったかは大いに疑問であ
るといわざるを得ない。 なお,かかる点についての立証責任も原告らにあること
は,あえて指摘するまでもない。
被告が,本件事故後,防護服の着用を義務づけたのは,原告らから責任を追及され
た経緯にかんがみて,同種紛争を回避する観点から防護服の着用を義務づけたもの
であって,有用性に基づく判断によるものではない。    
(2) 原告らの損害額について
ア原告らの主張
(ア) 亡Cの逸失利益         4330万4492円
 亡Cは,本件事故当時,中学校を卒業後11か月を経過した15歳の健康な男子
であり,平成10年の学歴別(中卒)男子労働者の全年齢平均給与額は497万0
900円である。亡Cは,本件事故がなかりせば,67歳まで就労し,全生涯平均
して,中卒男子としての学歴別平均賃金程度の収入を得られるがい然性があった。
したがって,その逸失利益をライプニッツ方式により,法定利率による中間利息を
控除し,死亡時の一時払額に換算すると,4330万4492円となる(497万
0900円×0.5×17.4232)。
 原告らは,上記損害賠償請求権を2分の1ずつ相続した。
(イ) 交通費等        70万7901円
原告らは,本件事故による入院雑費,北海道への原告らの交通費,宿泊費,遺体
運搬費等として連帯して合計70万7901円を支出した(負担部分各2分の
1)。その明細は以下のとおりである。
a 事故発生入院時
航空券代(名古屋空港から千歳空港まで 行き)
 大人3名(両親,長男),子供1名(三男)
                    9万9800円
タクシー代(千歳空港から苫小牧市民病院まで)7500円
空港駐車科金(名古屋空港2月17日から2月20日まで)
6300円
                  計11万3600円
b 葬儀後事後処理(牧場宿舎の後片付け)
航空券代(名古星空港から千歳空港まで 往復)
 大人3名(両親,長男)2万8350円×2×3
                   17万0100円
タクシー代(千歳空港から宿泊ホテルまで)  6290円
宿泊ホテル代(3月5日両親2名分)   1万2075円
交通費(苫小牧からHまで JR2名分)   1800円
空港駐車料金(3月5日から3月7日まで)  4200円
亡Cの荷物の宅急便送料 2万3570円
                  計21万8035円
c 証明書代
保険会社提出の住民票,戸籍謄本,印鑑証明等4750円
d遺体運搬費
  棺桶,病院から空港までの輸送代20万円
  航空貨物代5万1167円
e帰り 航空チケット7万8000円
  ビジネスホテル代(2月17日,18日 2泊分 入院時)
1万7000円
f入院雑費4200円
g 診断書代等2万1149円
                  計70万7901円
(ウ) 葬儀費用等465万6705円
原告らは,葬儀費用,墓地・墓石費用として連帯して合計465万6705円を
支出した(負担部分各2分の1)。その明細は以下のとおりである。なお,原告ら
は,従前,墓地・墓石を所有していなかったため,本件事故により,亡Cの遺骨を
安置すべき墓地・墓石の取得を余儀なくされたものである。
葬祭費   158万3085円
火葬場使用料4万円
火葬場待合室使用料3140円
火葬場タクシー代金(自宅から火葬場まで 5台分)
1万6420円
上記タクシー運転者心づけ2万円
告別式出席者ホテル宿泊代6万4680円
両親の親,兄弟 7名分
父の姉2名,父の義姉,母の両親,母の姉2名
お坊様費用(L寺)経読料 33万円
          院号料8万円
葬儀手伝いへの謝礼
F様謝礼 向かいの人 通夜準備 5000円
E様謝礼 乗馬の先生 1万円
母の友達13名,父の会社2名7万6180円
お礼郵送料500円
葬儀雑費
菓子1万1340円
酒代1420円
おりん代6000円
告別式出席者靴紛失弁償代2万0520円
墓地,墓石費用
墓地永代使用料88万8420円
墓石代150万円
                 計465万6705円
(エ) 慰謝料 2200万円
亡Cは,原告らの二男で,わずか15歳の男子であり,平成10年3月に中学を
卒業し,自己の将来の職種を思い定め,平成11年2月から親元の愛知県春日井市
を離れ,遠く北海道沙流郡K町所在の被告牧場に住み込みで働き始めた矢先に,本
件事故に遭い,死亡したものである。原告らは,亡Cが,慣れない調教中の新馬を
相手にする仕事で,希望と共に疲労をも訴えるのに対し,「頑張るように」と励ま
していた中で,急に本件事故の連絡に遭い,失望と悲嘆のどん底に突き落とされ
た。原告らの上記精神的苦痛に対する慰謝料としては,原告らにおいてそれぞれ1
100万円が相当である。
(オ) 弁護士費用 105万円
原告らは,本件を原告ら代理人に委任し,その費用として,弁護士報酬基準規程
に定める範囲内で相当額の着手金,報酬金を支払う旨合意し,本訴提起時点には着
手金として連帯して105万円を支払った(負担部分各2分の1)。
(カ) 損益相殺545万5000円
  原告らは,本件事故に関し,労災保険給付として,遺族補償一時金500万
円,葬祭料一時金45万5000円の支給を受けた。
(キ) よって,原告らは,被告に対し,本件事故の損害賠償金として,それぞれ3
313万2049円{(4330万4492円+70万7901円+465万67
05円+2200万円+105万円-545万5000円)÷2}及びこれに対す
る訴状送達の日の翌日である平成12年7月10日から各完済まで民法所定の年5
分の割合による遅延損害金の支払を求める。
イ 被告の主張
原告らが,本件事故に関し,労災保険給付として,遺族補償一時金500万円,
葬祭料一時金45万5000円の支給を受けていることは認め,その余はいずれも
不知ないし争う。
(3) 本件共済金に係る請求権の存否について
ア 原告らの主張
(ア) 本件共済金の受取人は原告ら(代表者原告A)である。
  被告は,原告らに対し,本件共済金のうち,本件事故後に出費した被告の諸経
費を控除した金額をH農協から原告らに送金し,控除した額はH農協から被告に支
払うことを承諾するよう求めた。
 なお,被告が,諸経費として控除を求めた費用の内訳は,次のとおりである。
香典                  50万円
有限会社M               20万円
航空貨物代5万1167円
航空チケット4人分(G様分) 7万8000円
ビジネスホテルN    1万7000円
O(生花代)    2万5200円
ホテル(P)      2万4832円
千歳と名古屋間のチケット(3人分)17万1600円
市立売店(入院用品)4200円
食事代(G様病院分) 2万円
その他(食事代ほか)5万円
タクシー代(名古屋分 空港とホテルとG宅の間)
                     1万8650円
診断書代                 2万1149円
                   計118万1798円
(イ) 原告らは,上記金額のうち,被告が亡Cの葬儀に際し,原告らに交付した香
典50万円や生花費用2万5200円,被告代表者ら3名が亡Cの葬儀に出席した
際,必要となった食事代ほか(5万円),亡C入院時の家族差入れ食事代(2万
円)等については,遺族側の心情や金額の相当性等の見地から,社会通念上,会社
諸経費として控除することについて相当性を欠くものであると判断し,これに異議
を唱え,社会的相当性のある諸経費についてのみの控除を承諾し,上記香典等の控
除について再考を求め,控除を拒絶した。 また,仮に,拒絶の意思表示と解し得
ないとしても,被告は,乙1の書面の文脈からして,原告らの,上記香典等の控除
について承諾しない真意について,知り得べきであった。
(ウ) ところが,被告は,あえて原告らの意思に反し,H農協に対し,上記全額を
控除して原告らに支払うよう要請し,かつ,上記全額(118万1798円)をH
農協をして被告に送金させたものである。
(エ) 上記のとおり,被告は,原告らとの間の約旨に反し,上記金額全額の控除に
ついての合意なきまま,被告のH農協に対する不法な指示により,原告らの受領を
妨げたものである。
(オ) よって,被告は,原告らに対し,香典等会社諸経費と認められない金額相当
額(具体的には,被告が亡Cの葬儀に際し,原告らに交付した香典50万円,被告
が亡Cの葬儀に際し,提供した生花費用2万5200円,被告代表者ら3名が,亡
Cの葬儀に出席した際,必要となった交通費19万0250円,宿泊費2万483
2円,食事代ほか5万円,亡C入院時の家族差入れ食事代2万円の合計81万02
82円)について,不法行為による損害賠償責任を有する。
(カ) また,仮にそうでないとしても,被告は,上記香典等会社諸経費と認められ
ない金額相当額81万0282円について,法律上の原因(すなわち原・被告間の
合意)なきにもかかわらず(仮にかかる合意があったとしても,被告が,本来原告
らの受領すべき本件共済金から,上記香典等の返還を受けようとすることは,著し
く人倫に反することであって,被告の返還請求行為に基づく合意は,公序良俗に反
し許されない。),利得をしたものであり,原告らは,その反面として損失したも
のであるから,被告は原告らに対し,上記相当額について不当利得として返還義務
を負う。
(キ) よって,原告Aは,本件共済金の受取人代表者として,被告に対し,損害賠
償請求権ないし不当利得返還請求権に基づき,81万0282円及びこれ対する被
告が本件共済金の残金を原告Aに送金した日の翌日である平成11年4月20日か
ら完済まで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
イ 被告の主張
(ア)本件共済金の受取人は被告であるとして契約されたものである。 すなわ
ち,被告は,昨今の景気低迷,地方競馬の衰退,斜陽化により,厳しい経営環境下
にあり,労災保険以外の福利的保障を自己資金で賄う余裕がないことから,地元の
H農協の薦めもあって,事故が発生した場合の従業員の生活保障の充実を主要な眼
目とし,併せてかかる場合に負担を余儀なくされる各種経費などの企業損失を回避
し,もって安定的な経営を維持することを副次的な目的として,H農協との間で普
通傷害共済契約を締結していた。この契約は,契約者並びに共済掛金(保険料)支
払義務者を被告,被共済者を従業員とし,共済金受取人を被告とする契約であっ
た。
 被告代表者は,亡Cが入社するに当たって,亡Cについても上記契約に加入する
こと,そして万が一事故が発生した場合には,労災保険では当然に給付の対象とな
らない各種の会社諸経費を共済金から控除して,その残金全額を被告の責任の有無
を問わず,補償金,見舞金として支払うこととしている旨,原告Aに説明し,その
了解を得た。
(イ) なお,H農協の手違いにより,亡Cの契約については,親権者である原告ら
の署名捺印がなく,受取人欄も白地となっていたため,契約書面上は,原告らがH
農協に対し直接に共済金請求権を行使できる内容となってしまっていた。そのた
め,本件事故後,H農協は,被告に共済金全額を払い込むことができず,かかる実
質と形式との齟齬を埋めるべく,原告Aと被告代表者及びH農協の担当者との間で
話合いがもたれた。その結果,上記共済契約の締結目的を改めて確認し合うととも
に,形式上の請求権者である原告らが,被告の支出した金員について,これを被告
宛支払うことを了解し,同金員相当額の共済金請求権を放棄することで合意をみた
ものである。そして,H農協は,原告らの同意をまって,原告ら及び被告にそれぞ
れ送金手続を行ったも
のである。
(ウ) 被告が,原告ら主張に係る118万1798円をH農協から受領したことに
は争いがなく,問題はかかる金員の受領が法律上の原因に基づいているか否かにあ
る。そして,この点に関しては,原告らもかかる金員の受領を結果的に承諾,追認
しているものであって,法律上の原因に欠けるところは全くない(受領の承諾も立
派な法律上の原因である。)。
 原告らは,乙1の文言は原告らの真意ではなく,また,被告は原告らの真意を知
り,あるいはこれを知り得べきであった旨主張するが,原告ら指摘の同文言の箇所
は今後の運用に当たっての希望にすぎず,原告らが被告の受領を承諾していたこと
は文言上も明白であるといわなければならない。
 なお,法律上の原因を欠いていることの主張,立証責任が原告らにあることは,
あえて指摘するまでもなく明らかである。
 よって,原告らの不当利得返還請求はもとより,損害賠償請求についても理由が
ない。
第3 争点に対する判断
1争点(1)(本件事故の原因と被告の責任)について
(1) 前記争いのない事実等に証拠(甲12の1ないし27,13,18の1ないし
3,19,20,21の1ないし19,22の1ないし4,23,25の1ないし
3,26,乙2,6,7,被告代表者,証人D,同E智康)及び弁論の全趣旨を併
せれば,以下の事実を認めることができる。
ア 亡Cは,中学校3年生であった平成9年12月ころから,中央競馬の騎手にな
ることを希望するようになり,高校を中退して,平成10年6月から,J乗馬協会
で,乗馬の練習をするようになった。練習馬場は,直径約14メートルの円形馬場
であり,騎乗馬は,牡12歳のサラブレッドであった。最初は週1回(騎乗時間は
10分間から30分間),同年7月からは週2回くらいの乗馬練習を行い,同年1
2月までの半年ほどの間に,平均週二,三回,1日の騎乗は30分間1鞍という乗
馬経験を積んだ。亡Cの習得技術は,ダクまでであり,キャンターの練習に入る段
階ではなかったが,上記の乗馬教室の主催者であるEが,亡Cの育成牧場への就職
希望を聞いて,キャンターの動きを体験させるため,調馬索を用いてキャンターの
体験をさせたことが
あった。
イ 亡Cは,平成11年2月2日から,被告牧場において,競走馬の調教を担う牧
夫として就労を開始したが,その当時15歳であった。
ウ 亡Cは,同月2日から同月13日までの12日間は,牧場に慣れ,馬と触れ合
う機会を持つことを目的として,おおむね午前中はパートの女性従業員と共に馬房
内の汚れた寝藁の交換作業に従事し,午後はD場長はじめ先輩牧夫の調教振りを見
学したり,時に馬の手入れや鞍付け作業を手伝ったりした。
エ D場長は,同月13日までの亡Cの馬への接し方などを見て,同月14日から
亡Cの騎乗訓練を開始することとした。
 同月14日は日曜日でパート従業員が休みのため,午前中は亡Cも他の牧夫と共
に寝藁の交換作業に従事した。
 そして,亡Cは,同日午後から,屋内角馬場(長辺が約36メートル,短辺が約
24メートル)において,D場長の指導による騎乗訓練を受けた。その内容は,放
牧場から競走馬として調教中の新馬を引いてきて鞍付けをし,屋内角馬場におい
て,馬1頭につき,左右合わせて30回,10分間くらいの飛び乗り練習をした
後,並足により角馬場を5周くらいするという歩行訓練を馬を替えて行うというも
のであった。その騎乗訓練中,D場長は亡Cの騎乗馬の脇で引き綱を持って共に歩
行し,馬の暴走(騎乗者の意図に反する行動)を予め抑止するとともに,万が一
「かかった(馬の興奮状態)」場合の制御に備えた。また,D場長は,亡Cに馬が
暴れた時の対処方法について説明した。
 日曜日は本来他の牧夫たちは騎乗しない日であったが,亡Cの訓練中にその騎乗
馬が1頭のみでは落ち着きがなくなることからくる危険性を防止するため,他の牧
夫たちも同じ屋内角馬場でダクまでの調教に従事した。
 D場長は,Cの騎乗馬には比較的調教が進んでいて気性のおとなしい馬を選ぶと
ともに,馬の首の根元にロープを巻いて落馬防止の措置を講じた。
 亡Cは,同日午後,2頭の馬について,上記のような騎乗訓練を行った。
オ 同月15日,亡Cは,屋内角馬場において,午前中は前日と同様に飛び乗りと
並足での騎乗訓練に従事し,三,四頭の馬に騎乗した。そして,午後からはダクに
よる騎乗訓練に移行した。このダクによる騎乗訓練の際もD場長は,最初のころの
騎乗馬については,引き綱を持って,馬と共に走って,並足の時と同様に暴走の防
止に努めたが,同日の練習の最後のころからは,引き綱を持たず,屋内角馬場の中
央から亡Cの騎乗を見守った。
 同日も,他の牧夫も同じ屋内角馬場でダクまでの調教に従事し,亡Cの騎乗馬に
は気性のおとなしい馬を選び,馬の首には落馬防止のためのロープを巻いた。
 亡Cは,同日,合計六,七頭の馬について,上記のような騎乗訓練を行った。
カ同月16日,亡Cは,前日と同様な訓練を受けたが,亡Cは馬を暴走させるこ
ともなく無難にダクをこなしており,引き綱を持たない状態でのダクによる騎乗訓
練の合計時間が二,三時間くらいに達したことから,D場長は,翌日から屋内円形
馬場での集団によるダク調教に参加させる力量が備わっていると判断した。
キ同月17日,亡Cは,1周約300メートルの屋内円形馬場において,集団に
よるダクまでの調教に従事したが,亡Cの関係では,騎乗訓練でもあった。
 D場長は,亡Cの騎乗馬に気性のおとなしい馬を選ぶとともに,隊列上も2列縦
隊の6頭の馬の2列目の内側に配置し,亡Cの騎乗馬を取り囲むようにし,自らは
前列,同列,後列とその位置を移動させて,様々な角度から亡Cの騎乗姿勢を確認
しながら指導した。午前中に4鞍の調教(騎乗訓練)を行ったが,亡Cは馬を暴れ
させることもなく,無難に騎乗をこなした。
 そして,休憩を挟み,午後の2鞍目の午後2時30分ころ,亡Cは2列縦隊の6
頭の馬の2列目の内側に,D場長はその前方の1列目の内側に位置した状態で,2
列縦隊の6頭が入口から円形馬場に入り,左回りに並足で1周約300メートルの
コースを入口の反対側まで半周分進行したところで,集団の先頭に位置していたD
場長が,ダクに移行する合図として,「行くぞ。」と声を掛け,ダクを踏み始めた
ところ,亡Cの隣の騎乗者から,「行った。」と声が掛かった。D場長は,亡Cの
騎乗馬が暴走したと思い,自分の馬を横にして止めようと考え,後ろを向いたが,
間に合わず,亡Cの騎乗馬は,キャンターなみの速度で,D場長の騎乗馬とその隣
に位置していた馬との間を走り抜けていった。D場長は,亡Cに対し,大きな声で
「抑えろよ。」と声
を掛けたが,その時の亡Cの騎乗馬は異常に興奮しているという状態ではなく,亡
Cは,自分で馬を止めようとしており,その騎乗姿勢は普通であった。
 他の騎乗者は,亡Cの騎乗していた馬を止めるため,馬を反転させ,逆回りに移
動し,4分の1周ほど進行したところで,亡Cが円形馬場入口から右へ少し入った
外側の壁際で,ずり落ちるように落馬するのを目撃した。
 他の騎乗者らが,亡Cの落馬地点に到着したところ,亡Cは,腹を押さえうずく
まり,「痛い,痛い。」とうめいていた。
 亡Cは,搬送された苫小牧市立総合病院において,同月19日午後11時5分,
肝損傷による出血により死亡した。
ク 本件事故当時,被告牧場では,騎乗の際の防護服は用意しておらず,亡Cは,
厚手の防寒用ジャンパーを着用していた。
本件事故後,被告牧場では,防護服を用意し,騎乗の際の防護服の着用を従業員に
命ずるようになった。
ケ他の競走馬育成牧場においては,未経験の新人牧夫を実際の調教実務に従事さ
せるまでに,新人専用の練習馬を用いた騎乗訓練を行い,実際の競走馬の調教業務
に従事するまでには最低四,五週間から最長1年くらいの訓練期間をとっており,
調馬策を使用したキャンター訓練も採用しているところがある(甲25の1ないし
3,26)。
(2)ア 以上認定の事実によれば,本件事故は,亡Cが,突然キャンターなみの速度
で走り出した騎乗馬を制御することができず,これに乗り続けることができずに落
馬したことによって発生したものと認めることができる。
 そして,前記認定のとおり,亡Cは,被告牧場で就労する前に,J乗馬協会にお
いて,直径約14メートルの円形馬場で,12歳のサラブレッドに騎乗して,半年
ほどの乗馬練習をした経験があったが,習得技術はダクまでで,キャンターの練習
に入る段階ではなく,亡Cが育成牧場への就職を希望していたことから,Eが調馬
索を用いてキャンターの動きを体験させたことがあったにすぎなかった。
 前記認定のとおり,亡Cは,平成11年2月2日から,被告牧場での就労を始
め,同月14日午後から,騎乗練習用の馬ではなく,調教中の競走馬の新馬を用い
た騎乗訓練を受けるようになったが,同月15日午前までは,飛び乗り練習と並足
の歩行訓練であり,同月15日午後からはダクによる騎乗練習も受けるようになっ
たが,本件事故発生までのダクによる騎乗練習は,同月15日午後,16日午後,
17日午前及び午後の1鞍であった。
 以上のとおり,本件事故発生までの亡Cの乗馬経験歴は,乗馬学校での半年ほど
の乗馬練習,被告牧場での3日間の屋内角馬場でのダクまでの騎乗訓練,本件事故
当日の円形馬場における午前と午後1鞍の集団によるダクまでの騎乗訓練しかな
く,キャンターによる騎乗を本格的に経験したことはなかったものであって,その
ような亡Cが,突然騎乗馬がキャンターなみの速度で走り出した場合,慌ててしま
うのは当然というべきであり,指導を受けたとおりに何とか馬を止めようとしたも
のの,キャンターなみの速度で走行する馬に乗り続けることができず,バランスを
崩して落馬してしまったことが本件事故の原因と認めるのが相当である。
 なお,原告らは,本件事故の原因について,亡Cには,就業以来16日間連続勤
務で休日がなく,かつ,同月14日から17日にかけてのベテラン牧夫と同一のメ
ニューによる集中的な(換言すれば,過酷な)騎乗訓練による疲労が原因であると
も考えられる旨主張するが,亡Cの疲労度合いに関する証人Eの証言は,推測の域
を出るものではなく,亡Cが本件事故当時,本件事故の原因となるような疲労状態
にあったものと認めるに足りる的確な証拠はない。
イ 被告が主張するように,馬が一般に敏感かつ臆病な動物であり,何かの音や動
きに驚いて急に暴れ出したり,騎乗者からの止まれの指示に対しても興奮などのた
めその指示を無視することなど日常的なことである以上,被告としては,馬がその
ような状態になっても慌てることなくこれを制御できる技量を有することを見極め
た上で,亡Cを競走馬の調教業務に従事させるべき使用者としての安全配慮義務を
負っていたものというべきであり(このことは,亡Cが従事する調教業務が騎乗訓
練を兼ねるからといって異なるものではない。),また,被告が主張するように,
そのような技量を有する者であっても,騎乗を前提とする業務に従事する以上落馬
が避け難いのであれば,そこまでの技量を有しない者を騎乗させる場合にはなおさ
らのこと,落馬した
ときの危険防止のために防護服を着用させるべき使用者としての安全配慮義務を負
っていたものと認めるのが相当である。
 本件事故は,前記認定のとおり,亡Cが,キャンターなみの速度で走り出した騎
乗馬を制御できないまま,落馬したものであって,その事故態様と亡Cの乗馬経験
歴に照らせば,亡Cには,競走馬の調教業務に従事中に騎乗馬がキャンターなみの
速度で暴走した場合,これを落ち着いて制御できるような技量が十分には備わって
いなかったものと認めるのが相当であり,そのような技量の亡Cを防護服を着用さ
せないまま1周約300メートルの屋内円形馬場における集団によるダクまでの調
教に従事させたことについて,被告には使用者としての前記安全配慮義務に違反し
た点があったものといわざる得ず,本件事故の発生については被告に責任があると
いうべきである。
 なお,前記認定のとおり,D場長は,亡Cの騎乗馬に気性のおとなしい馬を選ん
でいるが,被告の安全配慮義務違反の態様が前記認定のとおりである以上,そのこ
とによって,被告の安全配慮義務違反の点が左右されるものではない。
ウ これに対し,被告は,D場長の亡Cに対する指導内容は,牧場生活への親和や
新馬の生態学習や騎乗技術に関しても,亡Cの力量を見定めながら段階的に実践し
ていったことが明らかであって,極めて理にかなったものである旨主張する。
 しかし,被告代表者自身が,亡Cが本件事故時に騎乗していた馬はキャンターま
で訓練がなされていた馬であり,そういう馬に乗せるには亡Cがキャンターまでの
訓練を終えていることが必要であった旨供述しているところ,前記認定のとおり,
亡Cは本格的なキャンターの練習を受けていなかったものであって,前記認定の他
の競走馬育成牧場の新人牧夫の訓練内容と比較すると,D場長が実施した亡Cに対
する段階的訓練は,極めて早急なものであったということができる。また,亡Cが
キャンターなみの速度の騎乗馬を制御できないまま落馬したという本件事故の態様
に照らせば,D場長が行った亡Cの力量の見定めには不十分な点があったものとい
わざるを得ない。そうすると,D場長の亡Cに対する指導内容が極めて理にかなっ
たものとは到底認め
ることができない。
 また,被告は,防護服を着用させることにより,機敏かつ柔軟な動作が妨げら
れ,かえって落馬を招きかねないとの評価から,現実にはほとんどの育成牧場等で
使用されていないのが実状であり,冬季で厚手の作業衣を着ている亡Cに,更に行
動の自由を制約することになる防護服を着用させなかったとしても,これをもって
安全配慮義務の懈怠であると非難されるべきものとは到底考え難い旨主張する。
 しかし,D場長の証言や乙8も,防護服の着用により動きがとりにくくなり,そ
の着用によりかえって落馬を防げなかった可能性があることを否定できないという
にとどまるのに対し,乙14によれば,日本中央競馬会競馬施行規程は,本件事故
当時において,平地競争に比べ落馬等の危険性の高い障害飛越競走において,防護
服の着用を義務づけていたことが認められる。そうすると,防護服の着用によりか
えって落馬を招きかねないものと認めることはできない。そして,前記認定のとお
り,乗馬学校での半年ほどの乗馬練習と被告牧場での3日間の屋内角馬場でのダク
までの騎乗訓練しか経験していない亡Cについて,1周約300メートルの屋内円
形馬場における集団によるダクまでの調教に従事させようとする場合,亡Cの落馬
等による事故発生の
がい然性は,十分な調教業務従事経験を有する者に比べて高いことは明らかという
べきであって,その事故発生の際の危険防止のため,使用者である被告としては,
予め防護服を着用させるべき安全配慮義務があったものというべきである。
 さらに,被告は,仮に亡Cが防護服を着用していたとしても,防護服は,ウレタ
ン素材でできており,防護の範囲も肋骨下部までであって,腹部のすべてを覆って
いるわけではないから,本件事故による死亡を防止できたかは大いに疑問である旨
主張する。
 しかし,甲15,20によれば,腹部まで防護する防護服があることが認めら
れ,また,前記認定のとおり,日本中央競馬会競馬施行規程が騎手に対し一定の場
合に防護服の着用を義務づけているが,それは落馬等の事故発生の時の被害を軽減
する効果があることによるものであることは明らかというべきであって,亡Cが防
護服を着用していなかったことが,亡Cが死亡するに至った原因の一つであると優
に推認することができる。
2争点(2)(原告らの損害額)について
(1) 亡Cの逸失利益         4577万7018円
 前記争いのない事実等,1で認定した事実及び弁論の全趣旨によれば,亡Cは,
昭和58年3月8日に原告らの二男として出生したものであり,本件事故当時は,
中学校を卒業後11か月を経過した15歳の健康な男子であったこと,平成10年
の中卒男子の学歴別全年齢平均賃金は497万0900円であること,亡Cは,本
件事故がなければ,15歳から67歳までの52年間就労し,全生涯平均して,中
卒男子としての学歴別平均賃金程度の収入を得られるがい然性があったことが認め
られる。したがって,その逸失利益について,生活費の控除割合を50パーセント
とし,ライプニッツ方式により,法定利率による中間利息を控除し,死亡時の一時
払額に換算すると,4577万7018円となる(497万0900円×0.5×
18.4180(5
2年間の労働能力喪失期間に対応したライプニッツ係数))。そして,原告らは,
この逸失利益に係る損害賠償請求権を2分の1ずつ相続した。
(2) 交通費等        70万7901円
甲4,27ないし40,58ないし60,66,83ないし85及び弁論の全趣
旨によれば,原告らは,本件事故による入院雑費,北海道への原告ら等の交通費,
宿泊費,遺体運搬費等として,以下のとおり,連帯して合計70万7901円を支
出したものであり(原告らの負担部分各2分の1),これは本件事故と相当因果関
係のある損害と認めることができる。
ア 事故発生入院時
航空券代(名古屋空港から千歳空港まで 行き)
 大人3名(両親,長男),子供1名(三男)
                    9万9800円
タクシー代(千歳空港から苫小牧市民病院まで)7500円
空港駐車科金(名古屋空港2月17日から2月20日まで)
6300円
                  計11万3600円
イ 葬儀後事後処理(被告牧場の宿舎の後片付け)
航空券代(名古星空港から千歳空港まで 往復)(甲27)
 大人3名(両親,長男)2万8350円×2×3
                   17万0100円
タクシー代(千歳空港から宿泊ホテルまで)(甲28)
                      6290円
宿泊ホテル代(3月5日両親2名分)(甲29)
                    1万2075円
交通費(苫小牧からHまで JR2名分)   1800円
空港駐車料金(3月5日から3月7日まで)(甲30)
                      4200円
亡Cの荷物の宅急便送料(甲31ないし35)
                    2万3570円
                  計21万8035円
ウ証明書代
  労災保険等の関係で提出した住民票,戸籍謄本,印鑑証明等(甲4,36ない
し40)4750円
エ遺体運搬費
  棺桶,病院から空港までの輸送代(甲58)
                     20万円
  航空貨物代(甲59)5万1167円
オ帰り 航空チケット(甲59)7万8000円
  ビジネスホテル代(2月17日,18日 2泊分 入院時)(甲60)
1万7000円
カ入院雑費(甲66)4200円
キ 診断書代等(甲83,84)2万1149円
                  計70万7901円
(3) 葬儀費用等150万円
ア甲41ないし54,85及び弁論の全趣旨によれば,原告らは,亡Cの葬儀費
用,墓地・墓石費用などとして,以下のとおり,連帯して合計465万6705円
を支出した(負担部分各2分の1)ことが認められる。
葬祭費(甲41)158万3085円
火葬場使用料(甲42)4万円
火葬場待合室使用料(甲43) 3140円
火葬場タクシー代金(自宅から火葬場まで 5台分)(甲44)
1万6420円
上記タクシー運転者心づけ2万円
告別式出席者ホテル宿泊代(甲45)6万4680円
両親の親,兄弟 7名分
父の姉2名,父の義姉,母の両親,母の姉2名
お坊様費用(L寺)経読料 33万円
          院号料(甲46)8万円
葬儀手伝いへの謝礼
F様謝礼 向かいの人 通夜準備 5000円
E様謝礼 乗馬の先生 1万円
母の友達13名,父の会社2名(甲47)7万6180円
お礼郵送料(甲48)500円
葬儀雑費
菓子(甲50)1万1340円
酒代(甲51)1420円
おりん代(甲52)6000円
告別式出席者靴紛失弁償代(甲49)2万0520円
墓地,墓石費用
墓地永代使用料(甲53)88万8420円
墓石代(甲54)150万円
                 計465万6705円
イ しかし,原告らの上記支出額の内容に照らせば,その支出額のすべてについ
て,本件事故と相当因果関係のある損害であると認めることは困難であり,本件事
故と相当因果関係のある亡Cの葬儀に要する費用としては,墓石建立の点も考慮の
上,150万円の限度でこれを認めるのが相当である。
(4) 慰謝料 2200万円
原告らは,わずか15歳の二男である亡Cを本件事故により突如失ったものであ
って,その精神的苦痛を慰謝するための慰謝料としては,原告らにおいてそれぞれ
1100万円と認めるのが相当である。
(5) 弁護士費用 105万円
本件訴訟の経緯等にかんがみれば,本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相
当額の損害としては,原告ら主張の105万円を下回ることはないと認めるのが相
当である。
(6) 損益相殺545万5000円
原告らが,本件事故に関し,労災保険給付として,遺族補償一時金500万円,葬
祭料一時金45万5000円の支給を受けたことは,当事者間に争いがなく,遺族
補償一時金は上記逸失利益から,葬祭料一時金は上記葬祭費用等から損益相殺する
のが相当である。
(7) 小括
 1で認定した本件事故の態様に照らせば,亡Cについて過失相殺すべきような落
ち度があったものと認めることはできず,そうすると,本件事故によって原告らが
それぞれ被った損害としては,①亡Cの逸失利益4577万7018円から遺族補
償一時金500万円を控除した4077万7018円,②交通費等70万7901
円,③葬儀費用等150万円から葬祭料一時金45万5000円を控除した104
万5000円,④慰謝料2200万円,⑤弁護士費用105万円を合計した655
7万9919円の2分の1である3278万9959円(円未満切り捨て)と認め
られる。
3 争点(3)(本件共済金に係る請求権の存否)について
(1) 調査嘱託の結果,甲11,13,乙1,被告代表者本人によれば,被告は,労
災補償だけでは従業員の福利に十分でなく,万が一の場合負担を余儀なくされる各
種の経費を保険で賄いたいとの希望から,平成元年11月から,被告牧場で稼働す
る全従業員を被共済者とし,被告を共済金の受取人とする普通傷害共済契約をH農
協との間で締結し,その共済掛金は被告が負担していたこと,被共済者が未成年の
場合には,法定代理人の同意を得て,共済金受取人を被告とする取扱いとなってい
たが,本件共済金の受取人については,契約申込書に亡Cの法定代理人の署名捺印
がなく,また,死亡受取人の記載もなかったことから,H農協としては,本件共済
金の支払について,原告らの了解を求める必要があり,原告Aと被告との話合いに
立ち会って契約締結
の趣旨や経緯について説明したこと,その説明を受けて,原告Aと被告との間で,
本件共済金から被告の経費を控除した残額を弔慰金として原告らに支払う旨の合意
が成立し,原告Aは,H農協が北海道農業協同組合連合会から本件共済金に係る傷
害再共済金の支払を受けるための支払通知書(甲11)の共済金受取人欄に「代表
 GA」と署名したこと,その後,原告Aは,被告が経費として控除を希望する額
が118万1798円であり,その内容がどのようなものであるかを知らされた上
で,H農協に対し,会社が会社の経費で任意に掛ける保険等の目的としては,一般
的に遺族補償並びに会社の損失補填であることを理解し,今回の被告の経費の請求
については基本的に同意するものとするが,遺族側と会社側の受取割合は契約時に
取り決めるべきもの
であるから,一応全額遺族側に支払われたものから会社の経費を支払うという形は
今後は避けられるよう指導願いたいとの希望を表明した上,特に香典等の領収書を
とった後にその支払を請求することは遺族側の気持を考えるときいかがなものかと
思われるので,今一度内容を検討して経費希望額を控除した額を振り込むととも
に,形としては原告らより被告への支払となるので控除分の領収書を送付願う旨記
載した書面(乙1)を送付してきたこと,これを受けて,H農協は,被告の希望し
た経費額を本件共済金から控除の上,残額の893万3202円を被告名義で原告
らへ送金する手続をとったことが認められる。
(2)原告らは,被告が経費として控除を希望した金額のうち,被告が亡Cの葬儀に
際し,原告らに交付した香典50万円や生花費用2万5200円,被告代表者ら3
名が亡Cの葬儀に出席した際,必要となった食事代ほか(5万円),亡C入院時の
家族差入れ食事代(2万円)等については,遺族側の心情や金額の相当性等の見地
から,社会通念上,会社諸経費として控除することについて相当性を欠くものであ
ると判断し,これに異議を唱え,社会的相当性のある諸経費についてのみの控除を
承諾し,上記香典等の控除について再考を求め,控除を拒絶したものであり,仮
に,拒絶の意思表示と解し得ないとしても,被告は,乙1の書面の文脈からして,
原告らの,上記香典等の控除について承諾しない真意について,知り得べきであっ
た旨主張する。
 しかし,前記認定のとおり,原告らは,乙1において,今後の共済保険金の支払
方法について改善を希望するとともに,予め知らされていた被告の経費控除希望額
とその内容について,基本的には本件共済金からの控除に同意しつつ,いま一度控
除する経費の内容を検討するよう要求したものであり,甲13によれば,原告らと
しては,被告の経費控除については,被告の誠意,良識に期待して,最終的には被
告に任せたものと認められるのであって,原告らにおいて,社会通念上,被告の経
費として控除することについて相当性を欠くと判断したものについて異議を唱え,
再考を求めて控除を拒絶したものと認めることはできない。そして,乙1の書面の
内容は前記認定のとおりであり,また,前記のとおり,甲13によれば,原告らと
しては,被告の経費
控除については,被告の誠意,良識に期待して,最終的には被告に任せたものと認
められるのであって,乙1の書面の文脈から,原告らが控除を承諾しない経費があ
るとするのが真意であり,その真意について被告において知り得べきであったもの
と認めることはできない。
 また,原告らは,仮に,被告の主張する経費を本件共済金から控除することにつ
き,被告と原告らとの間で合意があったとしても,本来原告らの受領すべき本件共
済金から香典等の返還を受けようとすることは,著しく人倫に反することであっ
て,かかる合意は公序良俗に反し許されない旨主張する。
 しかし,前記認定のとおり,被告は,労災補償だけでは従業員の福利に十分でな
く,万が一の場合負担を余儀なくされる各種の経費を保険で賄いたいとの希望か
ら,被告牧場で稼働する全従業員を被共済者とし,被告を共済金の受取人とする普
通傷害共済契約を締結し,その共済掛金を被告が負担していたものであり,原告A
としても,そのことについてH農協から説明を受け,被告が被告の経費で任意に掛
ける保険等の目的には被告の損失補填があることを理解したものであって,本件共
済金から香典等の負担部分を含む被告の経費を控除することについて合意すること
が公序良俗に違反するものということはできない。
(3) そうすると,原告らが,予め知らされていた本件共済金からの被告の経費控除
希望額とその内容について,基本的に同意した上,再度の検討を求めたものの,最
終的には被告に経費控除を任せたものである以上,予め知らされていた被告の経費
控除希望額が控除されたことをもって,被告が原告らのH農協に対する本件共済金
請求権を違法に侵害したものであるとか,被告が原告らの損失において法律上の原
因を欠く不当な利得をしたものということはできない。
第4 結論
 よって,原告らの請求は,主文掲記の限度で認容し,その余は理由がないから棄
却することとし,主文のとおり判決する。
名古屋地方裁判所民事第1部
裁判官橋本昌純

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