弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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       主   文
一 原告が被告に対し労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
二 被告は、原告に対し、金三、三六二、三六六円及び別紙認容未払賃金一覧表の
各月欄記載の各金員につき、同欄起算日の項記載の日より支払済みに至るまで年五
分の割合による金員を各支払え。
三 被告は、原告に対し、金一、四三一、七七二円及び別紙請求未払賃金一覧表
(二)の各季覧記載の各金員につき同覧起算日の項記載の日より支払済みに至るま
で年五分の割合による金員を各支払え。
四 被告は、原告に対し、昭和四九年五月以降毎月二五日限り一ケ月金六一、四九
八円の割合による金員及びこれに対する毎月二六日より支払済みに至るまで年五分
の割合による金員を各支払え。
五 原告のその余の請求を棄却する。
六 訴訟費用は被告の負担とする。
七 この判決は第二、第三、第四項に限り仮に執行することができる。
       事   実
第一 当事者双方の申立
一 原告(請求の趣旨)
(一) 主文第一、第三、第六項の同旨。
(二) 被告は原告に対し金三、四四〇、二九七円及び別紙請求未払賃金一覧表
(一)の各月欄記載の各金員につき、同欄起算日の項記載の日より支払済みに至る
まで年五分の割合による金員を各支払え。
(三) 被告は原告に対し、昭和四九年五月以降毎月二五日限り一ケ月金六三、四
四五円の割合による金員及びこれに対する毎月二六日より支払済み至るまで年五分
の割合による金員を各支払え。
(四) 仮執行の宣言。
二 被告
(一) 原告の請求をいずれも棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 請求の原因
一 被告学校法人足立学園(以下「被告学園」という。)は、肩書地において稲沢
女子短期大学、稲沢女子高等学校、稲沢女子短期大学附属幼稚園を経営する学校法
人である。
二 原告は、被告学園の経営する稲沢女子高等学校に教論として勤務していたが、
被告学園は、昭和四三年三月二二日、原告に対し、被告学園教職員服務規定三〇条
により解雇する旨の意思表示(以下「本件解雇」という。)をなした。
三 本件解雇は以下の事由により労組法七条一号に該当する不当労働行為であり無
効である。
(一) 原告には、右教職員服務規定三〇条に該当するような事由は存しない。
(二) 原告は、愛知私学単一労働組合の結成準備会の段階よりその活動をし、被
告学園においてC分会を結成し分会長として学園の民主化、労働条件の改善、研究
教育に関して分会員の先頭に立つて被告学園との団体交渉を要求するなどの活動を
し、昭和四一年五月の右組合の第二回定期大会において本部執行委員に選出され賃
金対策部長として、昭和四二年六月の第三回定期大会においても引続き本部執行委
員となり、不当弾圧対策部長として積極的に組合活動を展開してきた。
(三) これに対し、被告学園は、昭和四〇年一一月「学校と考え方が合わな
い。」という抽象的な理由により原告に対し退職勧告を行なつたが、原告らは、昭
和四一年二月右退職勧告を撤回させることに成功し、同年三月以降分会の活動をよ
り発展させた。
 即ち、同年三月の春休み期間中に、分会は合宿を行なつてそこで約四〇項目の要
求案をまとめ、次いで、同月二五日には全教職員に呼びかけて希望職員会議を開き
全教職員の要求としてまとめ上げ、翌二六日に原告を含む代表が被告学園長と交渉
を行なつたが、学園長は「教育に自信をなくしたので学校を辞めたい。」と発言す
るなど教職員の右要求を押えにかかつた。しかし、その後も、分会は、教職員の自
主的サークル「みんなの会」を中心に読書会や討論を進め、同年九月以降は職場新
聞の発行、週一回の会合の定着化、会員の増加者着着と成果をあげていつた。 こ
うした中で、被告学園事務局長P1は、昭和四一年一一月二六日、原告に対し、滝高
校への転校を勧め、原告がこれを断わると「本校に不満のある先生は他に替つても
らいたい。」と言い出し、昭和四二年三月付の解雇予告をなし、昭和四二年に入る
や原告の後任の教論の採用を決定した。
 これに対し、分会は、「みんなの会」の会員とともに解雇予告撤回の話合いを進
めて新たに四名の教師を分会に迎え、昭和四二年三月八日には、原告が、同じく同
年三月末の解雇を予告されていたP2教論とともに分会を公然化させ、被告学園に対
し正式の団体交渉を申入れた。被告は、右分会公然化に対し、同月一〇日の職員朝
礼で学園長が組合の教育破壊に全力を尽して闘う覚悟であるから、先生方も教育を
守るために協力してもらいたい旨発言し、その後、被告学園理事P3が中心となつて
連日女子教諭を個別的に呼出して「教育を破壊するつもりなのか、共産堂に入つた
のか。」と追及し、P1事務局長が分会員及び「みんなの会」会員が集まる前記P
2教諭宅に見張りを立てその集合を妨害し、PTA役員まで乗出して原告とP2教諭
に組合の脱退工作を行なうなど、分会の活動への不当な介入を数多く行なつた。
(四) 右原告に対する解雇予告は結局撤回されたが、昭和四二年四月以降、被告
学園は、原告を級担任、教科担任、校務分掌の一切からはずし、教師の生命ともい
える原告の教育活動を奪い、従来の職員会議、職員朝礼の名称を教科担当者会議、
教科担当者朝礼と変更することにより原告の参加を拒否した。
(五) 本件解雇は、被告学園が分会の結成、その活動、及び分会の中心となつて
活動した原告を好ましくないものとして原告を排除しようとしてなされたものであ
ることは、以上のとおり明らかである。したがつて、本件解雇は不当労働行為に該
り無効である。
四(一) 原告の昭和四一年度(昭和四一年四月から昭和四二年三月まで)におけ
る賃金月額は二九、六〇〇円(基本給二八、〇〇〇円、通勤手当一、六〇〇円)で
あつた。
(二) ところで、被告学園の給与体系は公立学校に準じていたところ、公立学校
における教員の賃金に関する人事院の勧告及びその実施内容は、さらには全産業労
働者の賃金上昇率に関する統計資料を参酌すれば、被告学園においても高等学校の
教員の賃金は毎年少なくとも一割を下らない程度の増加があり、したがつて、原告
の賃金も昭和四二年度以降毎年四月に少なくとも一割を下らない上昇が認められう
るはずである。
(三) ところが、右基準によれば、原告の昭和四二年度における賃金は少なくと
も一割増の三二、五六〇円となるべきところ、被告学園は、原告に対し、昭和四二
年四月から一一月までは二七、九八〇円(基本給二六、五〇〇円、通勤手当一、四
八〇円)しか支払わず、同年一二月から昭和四二年三月までは基本給である二六、
五〇〇円しか支払わなかつた。これは、前記被告学園の原告に対する不当労働行為
と軌を一にするもので、被告学園は右三二、五六〇円との各差額を支払うべき義務
がある。
 また、被告学園においては、夏季及び年末各一時金(夏季、基本給の一・五ケ月
分、年末同二・四ケ月分)及び三月に年度末一時金(基本給の一ケ月分)を各支給
しているが、昭和四二年度は、原告に対し右いずれの一時金も支給しなかつた。こ
れも、被告学園の前記不当労働行為意思の結果であつて、被告学園は右各一時金を
原告に対し支払うべき義務がある。
(四) 被告学園は、本件解雇以降、原告の教員としての地位を否定し、その就労
を拒否するばかりか賃金の支払もなさない。
 昭和四三年四月以降の原告の賃金も、前記同様、毎年四月に少なくとも一割ずつ
上昇すべきであり、また、右各一時金も右上昇した基本給をもとに原告に支払われ
るべきである。
 被告学園における賃金は、前月二一日から当月二〇日までの分につき毎月二五日
に支払われ、また夏季一時金は七月末、年末一時金は一二月二二、三日頃、年度末
一時金は三月末までに遅くとも支払われる。
(五) 以上の、昭和四二年度の被告学園の差別意思に基づく未払賃金及び未払い
一時金及び本件解雇以降昭和四九年四月までの未払賃金及び昭和四八年度までの未
払一時金は別紙未払賃金一覧表(一)、(二)のとおりである。
五 よつて、原告は、被告に対し、労働契約上の権利を有する地位にあることの確
認を求めるとともに、昭和四二年四月以降昭和四九年四月までの各未払賃金の合計
三、四四〇、二九七円及び別紙請求未払賃金一覧表(一)の各月欄記載の各金員に
つき同欄起算日の項記載の日より支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合によ
る遅延損害金、昭和四二年度以降昭和四八年度までの各未払一時金の合計一、四三
一、七七二円及び別紙請求未払賃金一覧表(二)の各季欄記載の各金員につき同覧
起算日の項記載の日より支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損
害金、昭和四九年五月以降の賃金及びこれに対する各支払日の翌日より支払済みに
至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。
第三 請求の原因に対する認否
一 請求の原因一項・二項の事実は認める。
二 同三項の主張は争う。
(一) 同項(一)の事実は否認する。
(二) 同項(二)の事実は不知。但し、被告学園が、原告が愛知私学単一労働組
合に関係していることを知つたのは昭和四二年三月七日である。
(三) 同項(三)の事実中、昭和四一年二月二五日に希望職員会議のあつたこ
と、翌二六日に原告を含む代表が被告学園長に要求書を提出したこと、昭和四二年
三月八日に団体交渉の申入れがあつたことは認めるがその余は不知ないし否認す
る。
(四) 同項(四)の事実中、被告学園が昭和四二年四月以降原告を級担任、教科
担任、校務分掌の一切からはずし、従来の職員会議、職員朝礼の名称を教科担当者
会議、教科担当者朝礼と変更したことは認めるが、その余は否認する。
三(一) 同四項(一)の事実は認める。但し、基本給の内訳は俸給二五、〇〇〇
円、学級担任手当二、〇〇〇円、諸手当一、〇〇〇円である。
(二) 同項(二)の事実中、被告学園の給与体系が公立学校に準じており、被告
学園においても、高等学校の教育の賃金(基本給部分)が毎年少なくとも一割を下
らない程度の増加があることを認め、その余は否認する。
(三) 同項(三)の事実中、被告学園が原告に対し昭和四二年四月から一一月ま
で二七、九八〇円、同年一二月から昭和四二年三月まで二六、五〇〇円の賃金を支
払つたこと、原告主張のとおりの各一時金を支給していること、昭和四二年度には
原告に右各一時金を支給しなかつたことは認めるが、各差額、各一時金の支払義務
については争う。
 原告の昭和四二年度四月以降の賃金は、同月以降原告が学級担任でなくなつたこ
とにより、俸給二五、〇〇〇円、諸手当一、〇〇〇円、昇給分五〇〇円の合計が基
本給として二六、五〇〇円、また通勤手当については従前は一律に一、六〇〇円支
給してきたが、昭和四二年度からは実費支給とし、原告の場合は本人の申出により
一、四八〇円となつたものである。同年一二月以降は、原告が登校しなくなつたの
で通勤手当は支給されなかつた。
 なお、年度末一時金は被告学園が支給するものではなく稲沢女子高等学校PTA
から主としてクラブ活動を指導した先生に支給されるもので、昭和四三年以降は基
本給の一ケ月分であるが、昭和四一、四二各年度は基本給の〇・五ケ月分しか支給
されなかつた。また、夏季及び年末一時金を昭和四二年度に原告に支給しなかつた
のは、原告が同年度は学級担任も教科担任もなく講師なみの取扱いとなつたため、
支給対象外となつたからである。
(四) 同四項の事実中、被告学園が本件解雇以降原告の地位を否定し、その就労
を拒否し、賃金の支払もなしていないこと、被告学園における賃金支払方法、各一
時金支給時期は認め、その余は争う。
第四 被告の主張
一 (本件解雇に至る経緯)
(一) 原告は、昭和三八年四月一日より被告学園に勤務し、同年度は取りあげて
云う程の問題はなかつたが、昭和三九年度になつてから、与えられた仕事を忠実に
実行せず上長から注意されると素直に聞き入れることなく、こと毎に反抗的態度に
出て他の教職員とも融和もしないきらいがあつたので、昭和四〇年二月被告学園校
長が原告に対し転任方勧告したことがあるがその際原告は「就任早々で被告学園の
ことがよく解らなかつた、抵抗を感じたこともあつて迷惑をかけたが、今後は心を
改めて他の教職員とも融和し被告学園の教育方針に従い一生懸命努力するからこの
まま被告学園に勤務させて貰い度い。」旨願つたので被告学園は原告の右言を信じ
原告を引き続き被告学園に勤務させることを承認した。
 それまでには次のようなことがあつた。
(1) 原告は昭和三九年四月より校務分掌として私学共済組合の事務を担当する
こととなり同組合の加入手続・扶養家族の変更手続等を取扱うこととなつたがP4教
諭・P5教諭の加入手続を放置し、同年秋頃からは被告学園の事務職員において右事
務を処理せざるをえないこととなつた。
(2) 原告は、昭和三九年四月より被告学園の教職員を以て組織する親睦団体で
ある温交会の会計を担当したが、会計処理がずさんの上出納記録簿を紛失し、城崎
温泉へ旅行した際の収支報告は記録簿紛失を理由に放置され、残つていると予想さ
れた四万円位の現金の所在も判明しないまま今日に至つている。
(3) 原告は、昭和三九年四月より職員会議の議長団(議長・副議長・書記各一
名)の一人として書記の事務をとることとなつたが、職員会議の議事録を作成せ
ず、再三請求するもこれを実行しなかた。
(4) 被告学園においては、学級担任の教論は毎年度末三月二五日までに担任し
た生徒の生活指導要録を記載し学校長に提出することになつているが、原告は、昭
和三九年度は高校一年C組の学級担任であるのにこれを提出せず、教務課の再三の
請求により昭和四〇年四月末頃になつて漸くこれを提出したが、右記載が不正確で
整理不十分なものであつた。生徒健康診断票についても同様であつた。
(5) 原告は上長が右の不始末その他につき注意を与えると「やかましく云わな
くてもやる時にはやる。」とか「多忙でやれない。」とか「大したことではな
い。」とか事毎に反抗的態度に出て、素直に上長の注意や指導を受け入れるところ
がかなつた。
(二) 原告は、昭和四〇年度(昭和四〇年四月一日より昭和四一年三月末日ま
で)は高校一年C組、昭和四一年度(昭和四一年四月一日より昭和四二年三月末日
まで)は高校三年C組の学級担任であり、文章実務その他の商業科目並びに英語を
担当し、週二〇時間位の授業をもつていたが、前記(一)冒頭記載のような確約に
反し勤務態度は容易に改善されなかつた。
(1) 原告は、昭和四〇年七月一六日付学内新聞「まこと」(年二回発行)に
「揺れるベトナム」と題し所信を発表したが、その中に「大きな危険をはらんだベ
トナム戦争を解決するには解放戦線及び北ベトナム政府が声明しているようにまず
アメリカ軍が南ベトナムから徹退することが必要ではないだろうか。」という内容
の記事があり、厳正中立の立場にあるべき教師として学内新聞に一方に偏した所信
を発表することは妥当でないという物議をかもした。
(2) 同年七月、二見ヶ浦に臨海修練の監督として行つた際、原告は合図用の
「呼リン」を紛失したが、その時原告はこれを探そうともせず紛失後にとつた原告
の無責任な態度に関係者一同は驚かされた。
(3) 昭和四二年夏になつて判明したことではあるが、原告は、昭和四一年二月
頃学校長に無断で二クラス位の生徒から学校・先生・授業に関する不平不満等につ
いてアンケートをとつたが、その内容はともかく、被告学園においては職員会議な
いし学校長の許可なく学園内に於てアンケート等をとることは禁止されている(職
員服務規定三条一〇号・三三条六号)のこれに違反し、かかる行為を秘密に行つた
ことに対し、強い批判があつた。
(4) 昭和四二年四月になつて判明したことではあるが、原告は学校図書室より
正規の手続を経ることなく書物二冊を持出し、昭和四一年二月頃から他の教論が紛
失に気づいていた点から推察すると、その頃原告が無断持出したこととなるが、生
徒ならまだしもその範たるべき教諭が長期間にわたり公の物を私物化したこと、及
び、書物貸出し手続に違反したことは強く非難さるべきことである。
(5) 昭和四〇年度の生活指導要録の提出も昭和三九年度同様遅遅怠しその記載
もずさんであつた。
(6) 原告は、学校に出ていても自分の授業をせず生徒に自習をさせることが昭
和四一年度になつてから格別多く、学校長から注意を与え原告自らも自習が多すぎ
ると反省していたようではあるが、容易に改まらず、例えば、高校三年C組文章実
務は週に三回であるが、原告が出校していて自習となつているのは昭和四一年度に
一一回もありその他欠席による自習が三回もある。その間原告が学園内において何
をしていたか、或いは、無断外出していたか今日に至るも明らかでない。
(7) 原告は、昭和四一年度生徒募集の担当学校として古知野・富田・葉栗・浅
井・大口及び布袋の六中学校を割り当てられ、同年五月中に一度は各校を訪問する
よう上長より命ぜられた。他の教諭は割当校をその頃訪問したのに原告は再三の依
頼にも耳を傾けず、「行く必要がない。」とか云つて反抗的態度を示し、漸く同年
九月下旬になつて訪問するありさまで、上長の命に従わなかつた。
(8) 昭和四一年一〇月学校長の叙勲に際し、職員一同お祝いの品を送ることと
なり一人当り五〇〇円を募金したところ、原告はその必要なしと非協力的態度を示
していたが、心がとがめたか昭和四二年になってから幹事に募金を納めそのため幹
事が迷惑した。
(三) ところで、被告学園は昭和二年創設された稲沢女子高等学校を母体とする
ものであつて、学制改革により女子高校が創設され、女子短期大学を昭和二六年に
併設、その後稲沢幼稚園が同三一年に、萩原幼稚園が同四二年に設置され、愛知県
下における有数の女子綜合学園として発展し、宗教的情操を身につけた健康で真面
目な真の女性を育成するのが被告学園の理想であつて、学校長始め全職員の実践に
よつて推進され、その躾の厳正、その健康な校風は広く父兄の信頼を得ており、昭
和四四年当時で女子短期大学六八〇名、女子高校七六〇名、稲沢幼稚園四四六名、
萩原幼稚園二三〇名の女子教育に当つている。
(四) 原告は、被告学園が原告に対し昭和四一年一一月二六日に昭和四二年三月
付解雇の予告をしたと主張するが、かかる事実はない。もつとも、昭和四一年一二
月末頃被告学園P1事務局が原告に「昭和四二年度より滝高校へ転校するという話を
聞いているが本当か。」と聞いたことはある。これに対し、原告は「そういう話も
あつたが転校する気はない。」ということであつた。事務局長がかかる質問を発し
たのは次の事由による。昭和四一年四月二〇日校長会の休憩時間中に、滝高校のP
6校長より被告学園の事務局長に対し、昭和四二年度より原告を割愛してくれないか
との申出があり、被告学園の事務局長としては、原告の義兄が滝高校に奉職してお
り原告の通勤にも便利なので、原告に転校の話があるのかと思い、原告の承諾があ
れば被告学園としては差しつかえない旨答えておいたところ、同年一二月上旬滝高
校において、昭和四二年度から原告が滝高校にて勤務する旨の発表があつたことを
周知したので、被告学園としても、もし原告に転校の意思があるならば後任の問題
等もあるので、原告の真意を確かめたものである。
(五) 原告が転校の意思を否定したものの、被告学園としては、原告は被告学園
の校風に合わず、他の教論とも融和しないので、折角滝高校の要請もあること故、
この機会に転校して貰つた方が原告本人にも両校にも幸せであると考え、昭和四二
年に入つてから転校方説得をしたことはあるが、原告本人の意に反しこれを強行す
る意思はなかつた。
 しかるに、原告はこれを退職勧告、不当解雇だと問題をすり替え、たまたま退職
方を申出ていたP2教諭(体育担当)に留任するよう説得し、原告本人の件とP2教
諭の件を一に結びつけ被告学園は両教諭を不当解雇しようとしていると同僚教師に
呼びかけ、これに同調する数名の教諭と共に先輩教師の私宅を訪問して留任方を懇
請し、生徒に対しても機会ある毎に被告学園の不当性を宣伝し、問題を紛糾させる
に至つたのである。
 そして、昭和四二年三月七日の卒業式の日、高校一、二年の生徒約百名は卒業時
後解散せず、学校長等に対し両教諭の不当解雇撤回を迫り、他の教師等の説得によ
り漸く解散するという事件があつたが、同日原告は、数名の教師に対し、P2教諭と
二人で愛知私学単一労働組合稲沢女子分会を結成したから今後被告学園に対し団体
交渉を申込む旨漏らした。果して、翌八日被告学園に対し愛知私学単一労働組合委
員長P7名義による団体交渉の申入れがあり、被告学園は原告がかかる労働組合に関
係していたことを始めて知つたのである。
(六) 昭和四二年三月一九日、中部日本新聞の朝刊には「二教諭解雇でもめる稲
沢女子高・署名運動を開始」の見だしで被告学園と両教諭との問題が報道され(右
報道記事は正確なものではないが)、被告学園稲沢女子高等学校PTAの知るとこ
ろとなり、同月二一日PTA役員会が開催され、両教諭の言動は被告学園の教諭と
して好ましくないのでPTA役員等において退職勧告をすることを決め、両教諭と
接渉を重ねた結果、P2教諭との間は円満解決したが、原告との間には話合いがつか
なかつたので、PTAは、同月二八日再び役員会を開き、かかる考えの原告には直
接生徒の指導に当つてもらつては困るとの決議をなし、同日その旨学校側に通告し
てきたので、被告学園女子高等学校としても、右決議に従い、昭和四二年度より原
告の学級担任・教科担任・校務分掌の一切をはずすこととしたのである。
(七) その間原告は、
(1) 昭和四二年三月七日から同月一八日までの間、前後六回に亘り、愛知私学
単一労働組合稲沢女子分会ニユースというパンフレットを被告学園内において無断
でかつ被告学園の警告を無視して教職員等に配布し、もつて服部規定三条一〇号、
三三条六号に違反する行為を重ね、
(2) 原告に同調する教諭等をして、その頃、前後十数回に亘り、同月二〇日、
被告学園に提出する予定のもとに生徒或いは父兄より不当解雇反対の署名をとら
せ、もつて教師の本分を忘れ教師にあるまじき行為を重ねてきた。
(八) 被告学園は、前記PTA役員会の決議(右決議は同年四月一日開催のPT
A役員会において再確認された)もあつたので、同年四月三日付内容証明郵便を以
て原告に対し正式に退職方勧告した。
 その理由は、
(イ) 昭和四二年三月二〇日付分会ニユース第八号に記載されているところは、
被告学園の建学の精神及び学校長を誹謗するものであり、宗教の何たるかその本質
を理解しない者の言であり、原告は被告学園の建学の精神に反する考えをもつてい
るものであること。
(ロ) 前記(七)(1)及び(2)のこと、
(ハ) 被告学園稲沢女子高等学校PTAも原告のような考えの先生には直接生徒
の指導に当つてもらつては困ると要望していること、
(ニ) 被告学園の建学の精神は仏教精神により情操教育を施し、質実有為な真人
を育成することで、原告も就任の時以来このことを熟知しているにもかかわらず公
然とこれに反対することは、被告学園の教諭として不適任であること、
(ホ) 前記(二)(7)のごとく原告には被告学園の方針に協力する誠意のない
ことである。
(九) 右退職勧告にもかかわらず、原告はこれに応ずることなく、昭和四二年度
も被告学園に勤務していたが、原告には反省の色更になく他の教職員との溝は深ま
るばかりで、原告を解任すべしとの意見が被告学園の一致したところとなつたの
で、原告に対し、しばしば口頭を以て退職方勧告してきたが、被告学園は、昭和四
三年三月一八日付内容証明郵便を以て従来の理由のほかに「昭和四三年度はクラス
も生徒も激減し原告にやつて貰うことはない。」という理由も付加して再び正式に
退職勧告した。
 しかるに、原告はこれにも応ずる気配がなかつたので、同年三月二〇日、原告の
件を被告学園理事会に諮つたところ、被告学園教職員服務規定三〇条七号の解任決
議がなされたので、被告学園は同月二二日付内容郵便を以て同条七号に則り原告を
解任したのである。
 なお、五名の理事のうち、理事長P8、理事P3はともに学内理事で原告の行動は
その都度熟知しており、理事P9は昭和四二年度中に数回原告に会つて話合つてお
り、またP1事務局長らからその都度原告の件については聞いていたので、残るP
10、P11の両理事のみが、右理事会の席で判断の資料を提供され始めて詳細な事情
を知ることになつたものである。
二 (本件解雇の理由)
(一) 原告に対する右解任決議の理由となつたのは、前記昭和四二年四月三日付
内容証明郵便記載の事実が主たるものであるが、それを要約すると次のとおりであ
る。
(1) 被告学園の建学の精神は、仏教精神により情操教育を施し、質実有為な真
人を育成することにあり、原告も就任以来これを熟知しているにもかかわらず、前
記昭和四二年三月二〇日付分会ニユース第八号の記載のごとく、これに公然と反対
したのであり、原告が被告学園の教諭として不適任であるのは明らかである。
(2) 被告学園稲沢女子高等学校PTAの要望はいささか行き過ぎの点があると
はいえ、PTAが原告のような考えの先生には直接生徒の指導に当つてもらつては
困ると要望している以上、被告学園としてもこの要望を軽視することができない。
(3) 前記一項(七)(1)及び(2)の各行為。
(4) 前記一項(二)(7)のごとき、被告学園に対する非協力的な態度、及び
これを注意された際の反抗的態度。
(二) 右が、本件解雇の直接の理由であるが、このほか、前記一項(一)の
(2)、(4)、同項(二)の(5)、(6)、同項(四)、(五)、(六)の各
事実、及び以下に述べる各事実が右解任決議をなすに至つた理事会において逐一報
告され、本件解雇の判断の資料に供された。
(1) 原告は、昭和四二年四月四日付稲沢女子高等学校PTA会長P12名義の高
校二、三年生父兄宛文書を秘かに盗み、同月五日付愛知県私学単一労働組合稲沢女
子分会のパンフレットを作成し、学校長の承認を得ないで各父兄宛に学園内で生徒
に配布した。
(2) 原告は、昭和四二年四月二一日朝、「新任の先生方へ」というパンフレッ
トを第一職員室の新任の教諭数名の机の中に秘かに置いて配布した。原告はこの件
により同日戒告処分になつている。
(3) 原告は、同月二〇日と二五日の二回にわたり東運動場の草とり、小石とり
等その整備を命ぜられたにもかかわらず、これを行わず、注意を与えると反抗的態
度に出た。
(4) 原告は、同年四月と五月には第一職員室の校長の席に来て校長に対し学級
担任・教科担任をはずしたことを批難し、時には大声をあげ教師の校長に対する言
動とは思われない抗議をなし、他の教職員の制止にも耳を傾けず、ほとんど連日こ
れを繰り返し、校長の職務の遂行を妨害した。
(5) 原告は、昭和四二年度は遅刻二五回、早退一二回、無断外出数回、欠席五
回(但し九月一日より一〇月七日まで長期欠勤を除く。)と出勤常ならず、再三注
意しても反省の色がなかつたので、昭和四三年二月一九日戒告処分にしたが、同月
二三日までに提出すべき始末書も提出せず、再度同年三月四日までに提出するよう
勧告したがこれにも応じなかつた。
(6) 原告は、昭和四二年一二月二日、名鉄国府宮駅において、被告学園生徒に
対し学校長の許可なく文書を配付したので、被告学園は同月六日原告を戒告処分に
した。
(7) 原告は、右のほか度重なる注意にもかかわらず、愛知私学単一労働組合稲
沢女子分会なるパンフレットを学校長の許可なく配付した。
(三) 原告の右(二)の(1)ないし(7)の各所為及び前記一項(二)(7)
の行為は服務規定三四条の懲戒解雇事由
 二号 正当な理由なく遅刻早退の多いこと
 三号 正当な理由なく学校長の服務命令に従わない時
 七号 しばしば戒告を受けたにもかかわらず改悛の見込がないとき
の各号にも該当し、理事会においては、懲戒解雇相当との意見もあつたが、同規定
三〇条七号の「本学園に対して又は教職員として不都合の行為があつた理事会にお
いて解任すべきものと決定したとき」との規定により予告解雇にて処理したもので
ある。
(四) 本件解雇後、昭和四二年三月一六日に、生徒約一〇〇名が下校時刻経過後
も教室内に滞留して集会を開いていた事実、及び、これに原告が何らかの形で関与
或いは示唆を与えていた事実が判明した。
 即ち、同日午後四時すぎ、生徒約一〇〇名が被告学園三階の二年生の教室内に集
まり集会を開いていた。これを察知したP5教諭は、右集会が無届であり校則違反で
あるとの理由で直ちに参加者らに解散を命じた。この集会は、未だ被告学園が原告
に対し解雇或いは解雇予告すらしていない時期ではあつたが、その雰囲気からすれ
ば、原告の不当解雇撤回の要求をするにつき、何らかの対策をたてることを目的と
して開かれたもののようであつた。
 ところで、これも後日判明したことであるが、当日被告学園宛に、一父兄から、
生徒が署名運動をしているから、注意してほしい旨の電話がかかつて来ていたこ
と、原告は、右に先立ち、昭和四二年三月一〇日に解雇予告の撤回を要求する旨の
アジビラを多数撒いていたこと、P5教諭は先の三月七日の生徒の集合についてP
3教諭から、その模様を聞いていたこと、被告学園の生徒らが、三月七日の集会とい
い、三月一六日の集会といい、その後三月二一日に明らかとなつた署名運動とい
い、かかる積極的な活動に出るようなことは、到底考えられないこと、原告は、授
業中に、再々学校の方針を誹謗することがあり、また、そのために、学校長の反感
をかつて、やめなければならなくなつた旨の発言をなし、署名活動についても話題
としていたことを総合すれば、三月一六日の右集会は、生徒の自発的意思によるも
のではなく、原告の何らかの形での関与或いは示唆により開かれたものと考えられ
る。
 右事実は、後日判明したこととはいえ、本件解雇以前に既に客観的に存在してい
た事実であるから、本件解雇の理由として追加する。
(五) 原告は本件解雇は組合活動の中心人物である原告を被告学園より排除しよ
うとする目的でなされた不当労働行為であると主張するが、被告学園は昭和四二年
三月七日までは原告が組合に関係していたかどうかも知らなかつたのであり、その
後においても、まもなく円満解決したP2教諭以外被告学園の教職員にして組合に関
係していた者はないから、「組合活動の中心人物」などという表現は適切でない。
 本件解雇は組合活動とはまつたく無関係のこれまで詳述してきた事由によるもの
である。
 原告が組合活動をしかも中心人物として活動してきたと自負することは、原告の
勝手であるが、被告学園は原告の言動を組合活動とは受けとめていない。原告は、
その言動よりみて、被告学園の教育方針に反する考えの持ち主で被告学園の教諭と
して不適任な人物であると判断したのである。原告が組合活動をしたこと、或い
は、愛知私学単一労働組合の組合員であることは本件解雇とは何ら関係のないこと
である。
第五 被告の主張に対する認否及びこれに対する原告の反論
一 (被告の主張一項について)
(一)(1) 同項(一)(1)の事実中、原告が昭和三九年四月より校務分掌と
して私学共済組合の事務を担当することになつたことは認め、その余は争う。
 右事務は、本来事務職員が行なうべきもので、原告はその旨被告学園に要求して
いた。当時、原告は教科、担任の事務が多忙で右共済組合の事務を担当すること自
体無理な状況であつた。
(2) 同項(一)(2)の事実については、昭和三九年一二月に城崎温泉への旅
行が行なわれ、原告が記録簿の所在を忘れたため会計報告が遅れたが、後日記録簿
が見つかり文書で報告した。その余は争う。
(3) 同項(一)(3)の事実中、昭和三九年四月より原告が職員会議の議長団
に選ばれたことは認め、その余は争う。
 書記の事務は、議長、副議長、書記が交替でやることになつており、原告が右事
務を行なつた時は、メモ用紙に会議の記録をとり、後に議事録に写すようにしてい
たが、その際、議事録に写すのが遅れることはあつた。
(4) 同項(一)(4)の事実中、原告において生活指導要録、生徒健康診断票
の提出が遅れたことは認め、その余は争う。
 当時、この二帳簿については教師間において次年度担任に適宜引渡す状態であつ
た。原告は提出が遅れたのでクラス別に分けて次年度の担任に渡した。また、記載
については必要な記入は正確に行なつた。
(5) 同項(一)(5)の事実は否認する。
 原告は「多忙でやれないので少し待つてもらいたい。」という意味のことを言つ
たことはあるが、事毎に反抗的態度をとつたりしたことはなかつた。
(二)(1) 同項(二)(1)の事実中、原告が「まこと」に被告主張のような
記事を発表したことは認め、その余は争う。
 被告学園においては、学校新聞は学園長の許可を得て印刷発行されており、原告
は学園長より寄稿者の名前を付すよう言われて右記事に名前を付したものである。
ベトナム問題は、当然生徒たちにも関心が持たれるべき問題で、教育基本法の「真
理と平和を希求する人間の育成を期する」という基本精神の要求するところであ
り、一方に編したとの非難は当らない。
(2) 同項(二)(2)は争う。
 帰校後、呼リンがないことが分り、原告が備品の係であつたので探した結果見つ
からなかつたが、後になつて発見された。
(3) 同項(二)(3)は争う。
 当時、分会の方針により、前記「みんなの会」で生徒指導について研究、討論が
行なわれていたが、生徒からのアンケートはその一環である。右アンケートは教育
上の必要から行なつたもので、これを許可制にすることは教師の教育権に対する侵
害であり許されない。
(4) 同項(二)(4)は争う。
 原告は、就任当初教科主任より学校図書を二、三冊預り使用していたが、このこ
とは他教科でも行なわれており、無断持出し、私物化という非難はあたらない。
(5) 同項(二)(5)の事実は否認する。
(6) 同項(二)(6)の事実中原告が自分の担当クラスの三年C組で自習が多
かつたことは認める。
 昭和四一年度は、四教科週二二時間の授業を持ち、ほとんど全員が就職する商業
科の担任を持ち就職業務も多忙であつて、就職業務を進めるため、生徒に課題を与
えて自習させざるをえないこともあつた。
(7) 同項(二)(7)は争う。
 被告学園の中学校教師を招いて酒を与えたりする手段を選ばない生徒募集対策は
教育的、社会的に許されず、原告はこれに反対したのである。
(8) 同項(二)(8)の事実中、昭和四一年一〇月学校長の叙勲が行なわれた
ことは認め、その余は否認する。
(三) (同項(3)の主張について)
 被告学園は、学習よりも掃除としつけを極端に重んじ、これに私物検査、厳しい
懲罰等が相まつて、生徒たちは教育の名のもとに非人間的に扱われ、自覚的な規律
を身につけることができない状態であつた。また、教員も低賃金、教育設備不足に
加えて、職員会議で自由な意見を述べる状態ではなく、その権利をまつたく無視さ
れていた。このような状態の中で、分会は学校の民主化、教師の生活擁護、教育の
正常化のために活動してきたのである。
(四) 同項(四)、(五)、(六)はすべて争う。
(五)(1) 同項(七)(1)の事実中、原告が分会ニユースを配布したことは
認めるが、これは正当な組合活動であり何ら非難に値しない。
(2) 同項(七)(2)の事実中、生徒たちが署名活動をしたことは認めるが、
これは生徒たちが自発的に行なつたものである。
(六) 同項(八)の事実中被告主張の分会ニユースを発行したことは認めるが、
その余は争う。
二 (1) 被告の主張二項(一)の原告が建学の精神に反していたとの点は争
う。
 原告は、商業簿記関係の教師として被告学園に採用されたものである。したがつ
て、仏教的情操教育を中心とする建学の精神の面から教師として不適格かどうかを
判断することは、特段の事情のない限り、極めて不合理である。原告は、採用され
るに際して、その信じる宗教の有無等について何の条件を示されていない。建学の
精神にもとづく私立学校の独自性が、一定の範囲において尊重されるべきことを否
定するものではない。しかし、その具体的な現われ方のなかで、私学経営者の立場
からみて建学の精神に反する「考え」を持つ者は解雇できるというようなことは許
さるべくもない。したがつて、被告が一切の批判を許さぬとの一方的立場から、原
告の「考え」を理由の一にして解雇するのは労基法三条に違反する。
(2) 被告の主張二項(二)(1)は争う。
 原告は右文書の重大性を知り、事務職員が棄てた印刷原紙を拾つたものにすぎな
い。
(3) 同項(二)(2)は争う。
 原告は、パンフレツトを新任教諭の机の上或いは机の上の本にはさんで置いたに
すぎない。
(4) 同項(二)(3)の事実中、原告がP1事務局長から東運動場の草とり、小
石とりの作業を命ぜられたことは認める。
 原告は雨が降つていることを理由に右作業を断わつた。右作業が教師のなすべき
仕事でないのはいうまでもない。
(5) 同項(二)(4)の事実中、原告が教師としての一切の仕事を奪われたこ
とに抗議したことは認める。
(6) 同項(二)(5)は争う。
 被告学園の教師の出勤時刻は午前八時二〇分までであつたが、昭和四二年度より
原告のみ午前八時までの出勤、さらに出勤簿への出勤時刻の記入を命ぜられた。ま
た、原告は同年八月、九月中は骨髄炎のため入院、通院し欠勤等が多くなつた。昼
休み中の通院についてはP13教諭から他出届を出すよう注意されたので、その後こ
れに従つた。
(7) 同項(二)(6)、(7)の事実は認めるが、これらはいずれも正当な組
合活動であつて、被告学園の行なつた不当な介入こそ許されるべきではない。
三 (被告学園服務規程について)
 被告学園服務規程は、分会の活動が活発化していた昭和四二年三月に急拠作成さ
れたもので、これは右規当の作成が組合活動の抑圧と原告の解雇を目的としたもの
であることを物語つている。
 右規定は、労基法の就業規則にあたるものであるが、その作成の過程で一般教職
員からの意見を聴取せず、反組合の立場にあつたP14、P15両教輸の意見のみ付し
て労働基準局に届けられ、同月中頃に職員室の柱に吊された。しかも、同規定は昭
和四一年一二月一日より施行とされているが、これは原告に対する解雇予告が行な
われた時期と合致し、同規定の目的を明確に示している。したがつて、同規定を根
拠とする本件解雇は無効である。
第六 原告の服務規定に関する主張に対する被告の反論
原告は被告の服務規定作成が組合活動の抑圧と原告解雇の準備として行われたもの
であるというがこの主張は争う。
一 服務規定の一宮労働基準監督署の正式受付は昭和四二年三月一六日となつてお
り、従業員代表の意見書の日付も前同日となつているが、被告は昭和四〇年夏頃か
ら服務規定の作成に着手し、昭和四一年一一月頃完成したので、従業員たる教職員
の代表者の意見書を添付して基準監督署に届出たところ、不備その他訂正個所を指
摘され整備に手間どり、正式届出は昭和四二年三月一六日になつたのであつて施行
期日をあえて昭和四一年一二月一日に遡及させたものではない。施行期日が右のと
おりになつていることは昭和四一年一一月中に届出たことを証しているともいいう
る。
二 仮に、原告主張のとおり、被告の服務規定の届出が昭和四二年三月一六日でそ
の施行日が昭和四一年一二月一日からと遡及されていたとしても、右服務規定の作
成届出自体の効力がないということにはならない。少なくとも、昭和四二年三月一
六日以降は適法に施行されているものであり、原告の本件解雇は昭和四三年三月二
二日付内容証明郵便にて服務規定三〇条七号に則り行なわれたものであるから、同
規定を根拠とする解雇が無効であるとの主張は採用しえない。同規定作成の意図が
どのようなものであつたにせよ正式に作成届出のあつた以上同日以降はその意図と
は関係なく服務規定は有効に施行され適用されるものである。
第七 証拠関係(省略)
       理   由
一 請求の原因一項・二項の事実は当事者間に争いがない。
二 成立に争いのない甲第一・第二号証、同第一三・第一四・第一五号証、同第一
八号証、同第二一・第二二号証、乙第七号証、同第一一・第一二号証、同第一六な
いし第二〇号証、同第二二・第二三号証、同第二五ないし第三三号証、同第三八号
証、同第四二号証の各記載、書込み部分については原告本人尋問の結果により成立
が認められその余の部分については成立に争いのない甲第二三号の記載、証人P9の
証言及びこれにより成立を認めうる乙第六号証、同第四〇号証の各記載、証人P1の
証言(第一回・第二回)及びこれにより成立を認めうる乙第三号証、同第八号証、
同第一〇号証の一、同第一三号証、同第一五号証、同第二一号証、同第二四号証の
各記載、証人P12の証言及びこれにより成立を認めうる乙第一四号証の記載、証人
P16の証言及びこれにより成立を認めうる乙第一〇号証の二の記載、原告本人尋問
の結果及びこれにより成立を認めうる甲第三ないし第一二号証、同第一九・第二〇
号証、同第二四・第二五号証の各記載、証人P4、同P17、同P7、同P18、同P
14、同P15、同P5、同P19、同P3の各証言、弁論の全趣旨及びこれにより成立を
認めうる乙第三七号証、同第四一号証、同第四三号証の各記載を総合すれば次の事
実が認められ、右認定に反する前掲証人P1、同P12、同P14、同P15、同P5、同
P19、同P3、原告本人の各供述部分は措信できず、他に右認定を左右するに足る証
拠はない。
(一) (本件解雇に至る経緯)
(1) 原告は、昭和三七年三月長崎大学経済学部を卒業し、一年間民間会社に勤
めた後、昭和三八年四月より被告学園経営の稲沢女子高等学校の教諭として勤務す
るようになつた。被告学園へは、原告の義兄で滝高校教諭であるP20を通じ被告学
園の習字の教師をしていたP21の紹介により就職するに至つたものであるが、同年
三月被告学園において被告学園理事長で学校長でもあるP8(以下「学校長」とい
う。)と面談した際、同人から給与等について説明を受けたが、被告学園の特色、
ことに宗教行事などについては格別の説明を受けなかつた。
(2) 原告は、被告学園に雇傭された直後から労働組合の必要性を感じていた
が、前記P20を通じて私学単一労働組合の準備会の存在を知り、昭和三八年一〇月
二日右準備会である愛知県私立学校教職員組合協議会に個人加入し、同協議会が、
昭和三九年一一月一五日、愛知私学単一労働組合(以下「単一労組」という。)と
して結成された後、昭和四一年、四二年と連続して同単一労組本部執行委員に選出
された。
 そして、原告は、被告学園内においても、一部の同僚に右単一労組への加入を勧
誘し、昭和三八年暮れにはP22、P23(女子)の両名が同単一労組に加入するに至
り、ここに稲沢女子高等学校に同単一労組C分会が発足した。同分会は、被告学園
には秘密裡のうちにその活動を進めた。しかし、翌昭和三九年に右両名が退職し
て、再び、稲沢女子高等学校における単一労組の組合員は原告一名になつたが、そ
の後P4、P2、P24が単一労組に加入し、昭和四〇年六月頃再びC分会が確立し
た。また、この頃から原告らを中心に分会員を含めて、各参加者の下宿などで、自
主的に学園内の様々の問題や生徒に対する教育、生活面の指導等について学習、研
究、討議を進めることも行なわれ、昭和四一年からは「みんなの会」という名称で
機関紙を発行し、さらに同年九月からは職場新聞「いね」を発行し、「みんなの
会」の会合も週一回もつようになり、参加者も増加するなど、より積極的なサーク
ル活動として発展し、同会での活動を通じて単一労組に加入する者も漸次増加して
いつた。
 こうした分会員や「みんなの会」会員との連帯を通じて被告学園内における具体
的な問題への取組みも行なわれ、原告も、職員会議において、昭和四〇年六月頃前
記P2が運動部の対外試合のためスクール・バスを運転手の承諾を得て使用したのに
対して被告学園事務局長P1(以下「P1事務局長」という。)が被告学園に無断で
使用したとして憤激した事件に関し、P2のとつた方法は非難に値しないと主張した
り、同年一一月には、従来文化祭の期間中生徒と女子教員が宿直していたのを廃止
すべきだと主張し、これが契機となつてその年から男子教員が宿直にあたり、同時
にそれまでは被告学園から食事しか支給されていなかつたのを一定の手当が支給さ
れる取扱いに変更されるに至り、或いは、生徒が毎月一〇〇円ずつ納入する生徒会
費の半額を職員の研修費として使用するなど被告学園の生徒会費の使用方法の不明
朗な点につきその説明を求めるなどした。さらに、被告学園においては、従来から
学校長、事務局長及びその一族の教員を除いた教員で、職員会議では話せない或い
は話すのが適当でない事項について自主的に話合う希望職員会議という集まりが時
おりもたれることがあり、ここで話された事項については、比較的古参の教員であ
るP14、P15の両名から適宜必要に応じ学校長に報告されていたが、原告が被告学
園に勤務するようになつてからは一度もたれただけでその後は開かれていなかつ
た。そこで、原告らは、昭和四一年三月の春休み期間に入つてから分会員(当時
六、七名)を中心に「みんなの会」をP2の下宿に集まつて集中的にもち、右P14に
一回相談のため参加してもらつたりして被告学園に対する要望をまとめあげた。そ
して「みんなの会」会員の中でも古参の教員で被告学園運営委員会の構成員でもあ
るP25からP14らに働きかけて、同人を中心に同年三月二五日希望職員会議を開催
することに成功した。同会議の席上、原告ら「みんなの会」会員がまとめあげた要
望書が案として提出され、これを希望職員会議一同の要望として採択し、翌二六日
原告らはP14、P15とともに学校長に右要望書を手交しに赴いた。その際、学校長
は「いろいろ要望をいうなら辞めたい。」と発言したが、同日の運営委員会でも右
要望書について一応の回答がなされ、同月二八日の特別職員会議で被告学園から要
望書に沿つて改善すべきは改善するとの回答がなされた。しかしながら、その後右
回答どおりに実現されたものはガリ版、ゴム印等の備品が一部揃えられたにすぎな
かつた。(三月二五日に希望職員会議が開かれ、翌二六日に要望書が被告学園に提
出されたことは当事者間に争いがない。)
(3) 被告学園は、学校長が僧侶ということもあつて、宗教的行事、宗教教育を
重んじ、その建学の精神は「宗教的情操豊かな女性の育成」という点にあり、宗教
の授業を週二時間行ない、また毎朝生徒朝礼で合掌して法句経を読経することにな
つている。生徒に対する生活指導では、服装検査、持物検査を実施することにより
不必要な物品を学園内に持込ませず、髪やスカートの長さに至るまで細かく指導し
ていた。生徒は、週刊誌、雑誌の携帯を許されず、単行本を学園内に持込むのも許
可制であり、また、登下校時に寄り道して他の場所に立寄るには被告学園に届出る
ことが必要とされ、私服による外出も許されず、他校の男子生徒との会話も禁止さ
れるなど厳しい躾教育を受けていた。懲罰も登校謹慎、自宅謹慎(いわゆる停学)
などしばしば行なわれていた。
 昭和四〇年一月二九日、職員会議において翌三〇日に生徒の一斉持物検査を行な
うことが決議されたが、翌三〇日、生徒を運動場に出してその間に生徒の鞄を検査
する方法で右持物検査が実施され、生徒の一部がこれに抗議する意味で欠席し、こ
のことが新聞で報じられるという事件が発生した。その後、持物検査の際には生徒
側からも室長らが立会う取扱いとなつた。
 生徒は、被告学園の授業料、生徒会費などを納入しなければならないが、被告学
園は、授業料未納の生徒の氏名を貼り出したり、また、生徒会費の一部を職員の研
修費にあてたりした。スクール・バスの使用についても生徒から費用が徴収され或
いはPTAから教員の親睦団体である温交会に寄付を受けたりすることがあつた。
 被告学園は、学校長の妻P3が副学校長、学校長の子P1が事務局長というよう
に、学園の中枢部をその一族で占め、教員の中にも学校長の家族や教え子などが多
く含まれており、学校長と右のような関係にない教員は、毎年四、五名ほど公立学
校へ転校したり、退職したりしていく実情であつた。教員の数は専任でない者も含
めて約四〇名であつたが、生徒数が一、〇〇〇名程であつたので必ずしも十分な教
員が配置されていたとはいえず、教員免許のない科目を担当せざるをえないような
教員もあり、ほとんどの教員の一週間の授業の持時間数は二二、三時間であり、公
立学校などに比べて相当多く、事務局の方も十分な人員が配置されていないため、
一般には事務職員が行なうべき事務まで教員が校務分掌上担当させられることもあ
り、教員は、休日に出勤しても手当の補償がないなど教員の労働条件は相当劣悪な
ものであつた。しかも、学校長は、かなり性格的に短気な面を持ちあわせており、
昭和四一年女子の教員が突然理由もなく水を浴せられるという出来事が起つたこと
もあり、また、P1事務局長やP5教論は地方政治に非常に熱心で、自由民主党公認
や保守系無所属で市会議員に立候補したことがあり、昭和三八年にP1事務局長が立
候補した際、職員朝礼で同人を応援しようという話が出たりすることもあつた。
 原告らは、以上のような被告学園の教育方針、組織、教員の労働条件などに種々
の問題点があると考え、「みんなの会」などで積極的に討議を進めたものである。
なお、昭和四一年二月頃、生徒会指導をしていた先生の発案により「みんなの会」
で生徒に対するアンケートを実施することを決め、生徒会を通じて一九七名の生徒
を対象にアンケートを募り、その回収率は一〇〇パーセントであつたが、その結果
は、生徒会等の活動をより自主的かつ積極的に行なうことを期待し、風紀関係につ
いては厳しすぎるとし、また設備、特に運動設備の充実を希望する意見が大勢であ
つた。
(4) 昭和四〇年一一月、原告は、学校長から「学校と考え方が合わない。」と
の簡単な理由で他校へ替つてもらいたい旨勧告を受けたが、その後原告自身が学校
長に引続き被告学園に勤めさせてほしい旨要請したり、前記P2らと相談したりして
いるうち、翌昭和四一年二月学校長から「今後とも一生懸命やつてもらたい。」と
言われ、右勧告は撤回された。
 同年四月二〇日、一宮で開かれた公私立高等学校の校長会に学校長の代理で出席
したP1事務局長は、同席の滝高校のP6校長から、原告を譲つてもらえないかとの
打診を受け、本人の希望であればけつこうである旨答えた。その後、同年一二月初
旬、前記P14は、一宮商工会議所で、滝高校のP26教諭から、同校の職員会議で被
告学園から一人新しく同校に赴任されるとの発表があり、その先生は九州出身の人
であるとの話を聞き、かねて同校には原告の義兄が在職していることを聞いてお
り、九州出身ということで原告が該当するところから、原告が同校に転校する話が
あるものと考えて、そのことを学校長に報告した。そこで、P1事務局長から、原告
に対して滝高校への転校の意思の有無を確かめたが、原告は「そういう話もあつた
が、替る気はない。」と答えた。原告に対しては、同年六月頃、前記P20を通じて
滝高校へ替らないかとの勧誘があつたが原告はこれを断り、原告が同校に履歴書等
を提出したこともなく、同校においても、同年一一月ないし一二月頃には原告の転
校の問題は終止符が打たれていたものであつた。
 しかし、原告が被告学園に対し滝高校へ転校する意思がないことを明確に表明し
てからも、P1事務局長が「学園としては転校した方がよいと思う。本当に行くのだ
ろう。」と念押ししたり、翌昭和四二年一月には学校長自らが「既にあんたの代り
は考えてあるから辞めなさい。滝に替りなさい。滝がいやならほかの高校にでも行
きなさい。」などと強行に転任勧告を続けた。また、P14も、原告に対し、「学校
外でやつている活動、サークルをやめなさい。そういうことをやめれば問題は解決
するんだ。そのことは分かつているだろう。」と原告の「みんなの会」などの活動
の中止を示唆した。
 また、この頃、前記P2に対しても被告学園から来年度から生徒数が減ることを理
由に転任勧告がなされていた。P2は、被告学園と前記スクール・バスの使用につい
てトラブルを起したことがあり、また、同人は、被告学園において専任の体育教師
として勤務していたものであるが、被告学園に工事に来ていた人夫たちが校庭の半
分くらいに土を盛つてしまつたので体育の授業ができないと被告学園に抗議し、P
1事務局長との間で口論になつたことがあり、被告学園との間には気まずい関係にあ
つた。
 同年二月に入つても原告らに対する転任勧告は続けられた。同月一六日、原告と
P2が学校長と面談した際、学校長は、原告については、校風に合わない。職員会議
で決つたことを理解できていない、学校と違う考えをもつている、言動を見ても不
満が多いようで建学の精神に沿つていない、今さら何を言われても考え直す余地は
ない等退職以外に方法はないことを示唆し、P2については、公立に替る噂を聞いて
いる、不満があり本校に満足してもらえない、無口で協調性がない等の理由を述べ
たがもう一度再考してみると答えた。そこで、原告らは原告とP2に対する転任勧告
の不当性を訴えるビラを有志の名で被告学園の教員に配付したり、或いは、生徒に
対しても、学園内で原告とP2に対する転任勧告という問題が持ち上がつている旨説
明したりした。
(5) 同年三月七日被告学園で卒業式がもたれたが、在校生約一〇〇名が教室内
に留まり、副学校長P3に対して建学の精神とはどういことか、原告を何故首にする
のかと詰問するなどしたが、同人らの指示に従いまもなく解散した。同日、P14は
P25から原告とP2が私学単一労組を通して転任勧告の撤回を求める予定であること
を聞かされた。翌八日、当時一〇名程いた単一労組の組合員のうち、原告とP2のみ
で稲沢女子分会を公然化させ、被告学園に対し単一労組委員長P7名で正式に団体交
渉を申入れた。一方、P3は、前日の在校生の行動に不安を覚え、生徒に対して、建
学の精神とは、感謝の思いで毎日暮させて頂く人生観であり、自分達は幸せに暮さ
せて頂く人間にしたいのであり、原告らの問題は生徒とは関係がない旨説明した。
 被告学園は、単一労組の団交開催申入れに対し、相談中であるなどの理由で応ぜ
ず、P7委員長もP1事務局長らに対して口頭で開催を要求していたが、被告学園は
明確な回答をなさず、同月一七日学校長の名で文書をもつてP7委員長宛の回答をな
したが、そこでも労働組合とか団体交渉とかいうものは今まで研究したこともない
のでよく検究して後日改めて回答する、組合規約、組合員の住所、氏名、組合の登
記簿謄本、最近一年間の発行物を送付されたいとして、確答を避けた。
 同月一九日、新聞紙上に「稲沢女子高等学校二教諭解雇でもめる。生徒は署名運
動を開始した。」という内容の記事が掲載された。これを見た同校PTA会長P
12は、被告学園と相談のうえ緊急常任委員会を開くことにした。翌二〇日、P12会
長は、原告と面談し、原告に対して「組合を作つたのは非常に残念だ。生徒を扇動
しているのではないか。」と話し、原告がこれに対し翌二一日の役員会に出席させ
てほしい旨申入れたが明確に回答しなかつた。翌二一日の常任委員会は、委員一
五、六名が出席して開催されたが、冒頭、P1事務局長が原告とP2には授業を受け
させたくないとする一父兄の手紙、一父兄が持参した学校長、P2、原告の各発言を
列記し原告とP2の両名を辞めさせないでほしい、PTAも協力してほしいという内
容で生徒一同の名を付してある文書、稲沢女子分会のビラ等を各委員に回覧し、こ
れまでの経過、原告の組合活動等について発言した。その際、委員の一人P16が、
右生徒一同の名を付してある文書と筆跡は異なるが同一内容の文書を自分の娘も持
つていたとして同会に提出した。その後、P1事務局長は退席して、原告らの出席は
認められないまま討議が続き、原告が生徒の署名活動を扇動した張本人である、原
告をして教壇に立たせることは適当でない旨の結論が出され、P12会長が口頭で被
告学園に右結論を伝達したが、当日P2の取扱いについては話題にならなかつた。同
月二四日も常任委員会が開かれ、原告とP2の出席が認められた。席上、原告らは分
会の要求の内容等を委員に説明し、一部の委員はこれに理解を示したが、P12会長
は他二名の委員と別室へ原告らを案内し、原告らに対して「組合をやめなさい。そ
したら、私たちの責任できちつと今の状況を巧く解決してやる。」と組合脱退の説
得を試みた。一方、被告学園は、P12会長から二一日の常任委員会での結論を伝え
られた翌日の二二日に、理事会も開かないまま原告を教壇に立たせない意思を固め
ていた。そして、同月二九日原告に対し、「一、貴殿には本学園より御退職を願つ
た方が宜しいとお勧め致してまいつたのであります。二、担任並びに授業のないの
は父兄の意見及び学校の方針等からであります。」と文書で伝えた。(三月八日に
団体交渉の申入れがあつたことは当事者間に争いがない。)
(6) 一方、被告学園は、原告とP2以外の教員らに対し以下のような措置をとつ
た。
 まず、同月一〇日、職員朝礼の場で、学校長が私学単一労組ができ学校を破壊す
るような動きが出ているが、そういうふうにならないように協力してほしい旨発言
した。また、P3が女子の教員を集めて、涙を流しながら学校を破壊するような行動
をとつてもらつては困る旨説得したり、或いは、職員全体に対して、「私は協力一
致、自己の責任を重んじ、誠意をもつて職務に精励し、学園の建学の精神の高揚に
努め、理事長、学校長の教育方針を遵守し、外部の団体に無断で加入しないことを
誓います。」という内容の誓約書を提出させようとしたりした。
(7) 同年四月三日、被告学園は被告の主張一項(八)の(イ)ないし(ホ)の
理由を付した内容証明郵便をもつて、原告に対し正式に退職を勧告した。しかし、
原告がこれに応じないまま、同月以降、原告は級担任、教科担任、校務分掌の一切
からはずされ、講師が主に入つている第二職員室に移され、また、従来の職員会
議、職員朝礼が教科担当者会議、教科担当者朝礼と変更されたことにより、これら
の会議、朝礼にも出席を許されなくなつた。そして、最初のうちは、被告学園よ
り、教科の勉強など一日何をやつていたかの報告書を出すよう指示されていたが、
その後草むしりや運動場の整備などの雑役を命ぜられるようになつた。また、原告
の出勤簿のみ廊下に出され、加えて、教職員の出勤時刻は後記「教職員服務規定」
上は午前八時となつているが、右教科担当者朝礼が午前八時二五分から始まること
になつている関係で午前八時二〇分頃までに出勤すればよい慣行となつていたが、
原告に対してのみ、他の教職員は右規定上の終業時刻である午後四時三〇分を過ぎ
ても勤務を続けているのに原告は午後四時三〇分で帰つてしまうのであるから、出
勤時刻も右規定どおり午前八時を遵守するよう命ぜられた。原告は、以上のような
被告学園の措置を、人権侵害であるとして名古屋法務局一宮支局へ申告し、同支局
は、同年七月一六日、原告の出勤簿のみを廊下に出したこと、原告の被告学園運動
会参観を拒否したこと等は原告に対する差別的取扱いであるとして人権意識喚起の
ため被告学園に説示した。また、原告は三男が誕生したので健康保険の扶養家族の
手続を申請しようとしたが、被告学園はこれに応ぜず、学校長の子P13は「あんた
なんかちうちの職員と思つていないから、そんなことはできない。」という有様で
あつた。
 一方、P2は、被告学園が同人の推薦者を通じて来名させた同人の父親らから組合
脱退の説得を受け、悩んだ末に脱退を決意し、これを前提にして、後任の体育の教
員が主に体育の授業をもち、同人は週六、七時間授業を受けもつことになつたが、
結局同年七月から、岐阜大学に内地留学することになり、翌昭和四三年三月、被告
学園を自然退職した。(同年四月以降、原告が級担任、教科担任、校務分掌の一切
からはずされ、従来の職員会議、職員朝礼が教科担当者会議、教科担当者朝礼と変
更されたことは当事者間に争いがない。)
(8) 原告に対する被告学園の措置は、原告の抗議等にもかかわらず継続され、
被告学園は、昭和四三年三月一八日再び内容証明郵便をもつて原告に対し退職を勧
告し、次いで、同月二〇日理事会を開催して「教職員服務規定三〇条七号により原
告を解任する」旨決議し、同月二二日本件解雇に及んだ。
(二) (被告主張の本件解雇の理由ないし事情)
(1) 原告は昭和三九年四月以降、校務分掌上私学共済組合の事務を担当するこ
とになつたが、同事務は学校組織上事務局の統轄のもとにあつて、その事務の内容
は、各種給付事務、標準給与の報告、加入手続等であり量も相当多く、原告は、P
25を通じて運営委員会の席で私学共済組合の事務は本来事務局でなすべき事務であ
る旨主張してもらつたことがあり、翌昭和四〇年からは事務職員が同事務を担当す
るようになつた。原告は、前任者のP22教諭からも被告学園からも事務内容につい
て詳しい説明を受けておらず、また、帳簿類も十分整備されていなかつたため、多
忙であることも併せ加わつて、十分理解しながら右事務を遂行することができなか
つた。しかしながら、原告が右事務遂行中、その怠慢により被告学園や被告学園職
員に迷惑をかけたとして被告学園から注意を受けるようなことはなかつた。(原告
が、昭和三九年四月以降校務分掌上私学共済組合の事務を担当することになつたこ
とは当事者間に争いがない。)
(2) 原告は、同年四月より被告学園稲沢女子高等学校の学校長以下全教職員の
親睦団体である温交会の幹事を担当することになつた。原告のほかにP27教諭らも
幹事であつたが、温交会の会計は、毎月の会費のほかに年一回の旅行の積立金があ
り、会費は毎月給料から差引かれ、積立金は原告が徴収していたが、現金は学校長
が保管しており、また、原告が管理していたのは右旅行積立金の帳簿のみであつ
た。同年一二月城崎温泉への旅行会が催され、原告がその会計担当にあたつた。参
加者の交通費、宿泊費は予め旅行業者に支払われ、その余の費用については原告が
学校長から預つていた現金で支払つた。そして翌四〇年二月頃、右旅行の会計報告
を原告がなしたが、その後原告は旅行積立金の帳簿の在場所を失念し、後任者であ
る前記P5に対し引継ぎができず、同人から催促され、その後ようやく帳簿を発見し
て同年六月頃同人に引継いだ。その際、同人から、原告が学校長から預つた金額と
実際に使われた金との額が合わないという指摘を受け、原告は、学校長に対しもし
不足の金があれば自分の給料から差引いてもらつてもよい旨弁明した。
(3) 原告は、昭和三九年四月以降、校務分掌上前記P4、P25とともに職員会議
の議長団に選ばれた。同会議の議事録は期間を区切つて右三名が交替で記載してい
たが、原告はメモ用紙にメモをしたまま、それを正式の議事録に写し替えることを
しないで、約半年間の議事録を空白にした。しかし、当時、このことについて被告
学園から催促や注意を受けたことはなかつた。(原告が、同年四月以降職員会議の
議長団に選ばれたことは当事者間に争いがない。)
(4) 原告は、昭和三九年度、商業科一年C組の担任であり、学級担任は毎年三
月二五日までに生徒指導要録、生徒健康診断票を提出することになつていたが、四
月になつて新学期が始まつてからようやく提出した。生徒指導要録の記載は、通知
表が一〇段階評価であるのに対して五段階評価となつていたところ、原告は最初こ
れに気づかず一〇段階評価のまま記載していたが、途中で右誤りに気づき自らすべ
て訂正したうえ提出した。原告のほかにも、少数ではあるが生徒指導要録の提出が
遅れる教員もあつた。提出された生徒指導要録等は教務でとりまとめてクラス別に
分けた後、新しい担任に渡すことになつており、被告学園が記載内容を逐一チエツ
クするということはなく、原告の場合も次期担任の生徒指導に支障を与えるほど提
出が遅れたわけではなく、したがつて、この点につき被告学園から注意を受けるよ
うなことはなかつた。翌昭和四〇年度についても、原告は生徒指導要録の提出が若
干遅れたが、次期担任から苦情を受けたり、被告学園から注意を受けたりしたこと
はなかつた。(原告の、昭和三九年度の生徒指導要録、生徒健康診断票の提出が遅
れたことは当事者間に争いがない。)
(5) 原告は、昭和四〇年七月一六日付学内新聞「まこと」に「揺れるベトナ
ム」と題する記事を執筆し、その中でベトナム戦争の経過を述べたうえ、「大きな
危険をはらんだベトナム戦争を解決するには解放戦線及び北ベトナム政府が声明し
ているようにまずアメリカ軍が南ベトナムから徹退することが必要ではないだろう
か。」という形で締めくくつた。当時、校務分掌上学内新聞発行の担当者はP28と
いう女子の教諭であつたが、P28は最初右記事に執筆者名が入つていなかつたとこ
ろ、学校長から氏名を入れるよう指示を受けて、原告にその旨要請して氏名を付し
たうえ右記事を掲載した。原告は、右記事につき被告学園から注意されたことはな
かつたが、前記P5から「おまえ社会党のようなことを書いておるじやないか。」と
言われたことがあつた。(原告が右記事を「まこと」に掲載したことは当事間に争
いがない。)
(6) 同年七月、原告は、被告学園の臨海訓練で二見ケ浦に監督者として随行し
た際、合図用の呼リンを紛失した。その後、原告は格別呼リンを探そうともしなか
つたが、まもなく呼リンは発見された。この件で原告が被告学園から注意を受ける
ことはなかつた。
(7) 被告学園では、学校図書室からの図書貸出しには、正規の手続として貸出
簿に記載することになつているが、昭和四二年四月被告学園が図書室より紛失して
いた図書二冊を原告が使用していたことを発見した。被告学園では、司書を置かず
教員を図書係にあてていたが、図書係の教員は授業をもつていて常に貸出し手続に
あたることができないため、図書の貸出しを受けようとする者は図書係の教員に断
わりを入れて貸出しを受け、貸出簿には記載しないでいることもしばしば行なわれ
る実情であつた。
(8) 昭和四一年度の原告の担任は商業科三年C組であり、原告は自己の担当ク
ラスも含めて週二二時間の授業を受持つていたが、同年度の原告の授業には自習が
一三、四回もあり、そのうち原告の欠席によるものは二、三回で、残りは原告が出
校しながら自習にしたものであつた。原告が担任する三年C組では特に自習が多
く、原告自身がホームルーム日誌の中で右クラスの文書実務の時間に自習が多いこ
とを反省するとの記載をしたこともあつた。商業科は就職する生徒が多く、就職指
導のため自己の担任のクラスの授業を自習にしたり、他のクラスとの教科の進展を
調整するため自習にしたり、或いは、試験の前などに自習にすることもあつたが、
試験の前などを除いてはほぼ生徒に一定の課題を与えたうえ自習にしていた。自習
が多いことについては、職員会議などで一般的に自習を少なくするよう注意を喚起
されることはあつても、原告が名指しで注意されることはなかつた。(原告が三年
C組で自習が多かつたことは当事間に争いがない。)
(9) 被告学園では、生徒募集や入学した生徒についての連絡のため中学校の教
員を被告学園に招いたり、被告学園の教員が手土産を持参のうえ中学校を訪問する
ことが毎年行なわれており、昭和四一年度は原告に古知野中学校など六校が割当て
られ、同年五月中学校の教員を被告学園に招くため、その連絡と挨拶を兼ねて各中
学校を訪問するよう被告学園から指示があつたにもかかわらず、原告はこれを実行
しなかつた。原告は、多忙を理由に或いは行く必要がないなどの理由で右指示に従
わなかつたものである。私学においては一般に生徒募集の必要から中学校教員に品
物を贈つたり酒食を与えての招待をしたりする例が多く被告学園も例外ではなかつ
た。このことに関して、後に私学協会から自粛するよう要請が行なわれたこともあ
るほどで、原告がいう行く必要がないとの意味は、結局教員が中学校教員の接待を
する必要などないということであつた。しかしながら、原告は同年九月の中学校訪
問は指示どおりに行ない、また、五月の中学校教員招待についても、原告が事前に
訪問しなかつたため特に支障を生じるようなことはなかつた。この件で、原告が特
に被告学園から注意を受けるようなことはなかつたが、原告に対する転任勧告等が
問題になつていた昭和四二年三月二九日、被告学園は、理事長の名をもつて内容証
明郵便で、原告に対し、右訪問を果さなかつたことを注意した。
(10) 昭和四一年一〇月、学校長の叙勲に際し、被告学園の一部の職員が発起
人となつてお祝いの品を送るため一人あたり五〇〇円の募金を開始した。原告は右
募金に協力する意思はなかつたが、他の教員がすべて募金に参加したので、最後に
なつて原告自身も募金に参加した。(昭和四一年一〇月に学校長の叙勲があつたこ
とは当事者間に争いがない。)
(11) 原告は、昭和四二年三月七日以降、単一労組稲沢女子分会ニユースとい
うパンフレツトを、被告学園内で許可を受けることなく、また、被告学園の再三の
注意にもかかわらず、教員らに対して配布し続けた。同年一二月二日には、名鉄国
府宮駅において、被告学園生徒に対し文書を配布したので、被告学園は同月六日原
告を戒告処分に付した。(以上の事実は当事者間に争いがない。)同年三月二〇日
付稲沢女子分会ニユース第八号は、「学校の教育方針が教師に対する生徒達の不信
を作つている」と題したうえ、被告学園の教育方針に対し、躾教育ということで理
不尽な処罰を加えたりしているのは封建的であると批判し、建学の精神にもあるよ
うに「信じあうこと」即ち教師と生徒の間の信頼が教育を支えるものであるのに、
生徒達は教師をあまり信頼しておらず、その原因は被告学園の教育方針にあるとの
内容のものであつた。同日付稲沢女子分会ニユース第七号は「学園側こそ建学の精
神を守れ」と題したうえ被告学園の運営の様々な不明朗な点が、建学の精神、即ち
「正明和信」ということばに示された信じあうことを基礎として常に明るく和やか
に生活し生きていく人間を育成するという理念を踏みにじつていると、被告学園の
運営方法を批判していた。
 単一労組の「建学の精神」ないし「私学の独自性」というものに対する認識は、
現実の「建学の精神」というものは憲法、教育基本法に照らして評価に耐えるもの
は少なく、空しい封建道徳の一面的な強調として、厳しく批判されなければならな
いものも多く、教育現場で形骸化しているのが実態であり、もともと創設者や設置
者個人の思想にすぎないものを教育目標として掲げること自体が企業教育権主義と
でもいうべきドグマであつて奨励されるべきことではないが、各学校の生徒、父
母、教職員らによつて歴史的に形成された「校風」や「伝統」というものは、これ
とは別の次元のものとして現実的な意味をもつのであり、これは私学に限らず公立
学校でも成立しうるもので、それをもつて「私学の独自性」の根拠とすることはで
きないというものである。
(12) 昭和四二年四月四日、原告は第二職員室で事務職員が印刷していた前記
P12名義の父兄宛文書の内容が、原告が学校長、被告学園を誹謗し、生徒を扇動
し、稲沢市議会を共産党員らしい者といつしよに傍聴したが、このような生生には
教壇に立つてもらつては困るので、このことを確認し署名して下さいというもので
あることに気づき、その重大さから右事務職員が捨てた原紙を秘かに拾得して、右
内容を稲沢女子分会ニユースに掲載した。
(13) 同月二一日、原告は「新任の先生方へ」というパンフレツトを第一職員
室の新任の教諭数名の机の上ないし机の中に秘かに置いて配布し、同日被告学園か
ら戒告処分を受けた。
(14) 原告は、同月二〇日と二五日に、東運動場の草とり、小石とり等その整
備を命ぜられたが、これに従わなかつた。雨が降つている日に同様のことを命ぜら
れ、原告がこれを断わると、P1事務局長が憤慨するということもあつた。(二〇
日、二五日に原告が右の命令を受けたことは当事者間に争いがない。)
(15) 原告は、学級担任、教科担任をはずされた後、しばしば第一職員室に来
て学校長に対し、被告学園の右措置をやめるよう抗議した。時には、「なぜ俺に授
業を持たせん。」などと語気を荒げ、執拗に抗議することもあり、学校長が授業に
赴こうとしても抗議を続けることもあつた。(原告が、被告学園の措置に対し抗議
したことは当事者間に争いがない。)
(16) 原告は、昭和四二年度(昭和四二年四月から翌昭和四三年三月まで)、
昭和四二年九月・一〇月の骨髄炎で入院した期間を除き、遅刻二〇数回、早退一二
回、欠席五回と出勤状況が悪かつた。遅刻は主に前記のとおり原告のみ午前八時に
出勤するよう指示されたためのもので、早退は右骨髄炎の治療のため通院するため
のものもあつた。被告学園は、昭和四三年二月一九日、勤務不良との理由で原告を
戒告処分に付し、同時に同月二三日までに始末書を提出するよう通告したが、原告
はこれに応ぜず、同月二九日再度三月四日までに始末書を提出するよう通知した
が、原告はついに始末書を提出しなかつた。
(17) 昭和四二年三月一六日の放課後、生徒約一〇〇名が教室内に参集してい
た。これに気づいた前記P5は、直ちに解散を命じた。同人は、生徒たちの話の内容
は聞かなかつたが、生徒たちの状況、顔ぶれ、などから原告の解雇問題についての
集会であると判断した。
三 (教職員服務規定について)
 証人P14の証言及びこれにより成立を認めうる乙第四号証の二・三の各記載、証
人P1の証言(第一回)及びこれにより成立を認めうる乙第三四号証の記載、官署作
成部分については成立に争いがなく、その余の部分については右P14の証言により
成立を認めうる乙第四号証の一の記載、原告本人尋問の結果を総合すれば次の事実
が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
 被告学園では従来からガリ版刷りの「職員服務規定」が存在していたが、文言も
古く条文も不備のためその改正が検討されていた。右「職員服務規定」は教職員ら
に示されたことはなかつた。改正作業は、昭和四一年一一月頃完成し、職員の代表
として前記P14、P15連名の意見書を付して一宮労働基準監督署に提出したが、右
意見書に不備があり同監督署より訂正するよう指示され、結局正式に被告学園の
「教職員服務規定」が同監督署に受付けられたのは昭和四二年三月一六日であり、
その頃職員室にも掲示され、職員らに周知された。なお、同規定の施行期日は昭和
四一年一二月一日とされている。
 同規定三条は職員の遵守事項として、二号で「正当な理由なく遅刻、早退又は欠
勤しないこと。」と規定し、六号で「理事長の承認なく在籍のまま他に就任し又は
校内において職務外の業務を行なわないこと。」と規定し、一〇号で「文書、金銭
の取扱いに留意し、学校長の承認を得ないで在学生、父兄等に文書を配布し又は金
品を集めないこと。」と規定している。また三三条は、戒告又は論旨退職の事由と
して、六号で「理事長の許可なく学校内において文書、図画等の類を配布又は掲示
し、或いは、演説をなし若しくは会合を行なつた時」、八号で「理事長の許可なく
特定の団体又は個人について宣伝その他の運動をなした時」、九号で「理事長の許
可なく外部の団体に加入した時」などを掲げている。本件解雇は、同規定三〇条七
号の「本学園に対して、又は教職員として不都合の行為があつて理事会において解
任すべきものと決定したとき」との規定による解任決議によりなされたものであ
る。
四 (本件解雇の効力)
(一) まず、被告主張の解雇理由ないし事情について検討する。
(1) (建学の精神について)
 私立学校におけるいわゆる「建学の精神」が私学の存在価値を高め、その独自性
を担保するものとして一定の役割を果していることは否めない。したがつて、教員
や生徒がこれを尊重しなければならないことはいうまでもないことである。しかし
ながら、建学の精神それ自体は極めて抽象的なものであり、それが学校の運営を通
じてはじめて具体化されるものといえる。この具体化された建学の精神を否定する
ような行動をとることは学校運営を阻害するものとして許されないといわなければ
ならない。しかし、建学の精神に対する考え方や建学の精神の実践方法につき批判
を加えることは、それが虚偽の事実を前提としたり、学校の運営について建設的な
視点を失わない限り、正当な言論活動の範囲に属するものとして許されるものとい
うべきである。
 原告が、被告学園の建学の精神の一つの実践方法となつている合掌或いは発句経
読経を拒否するなどして同学園の基本方針に反する行動をとつたとする証拠はな
く、また、稲沢女子分会ニユースで建学の精神をとりあげた際も、被告学園との間
に認識の差があるのはともかく、虚偽の事実を前提としているとは認められず、か
えつて、その全体の語調からすれば、被告学園の運営に対する批判を通して被告学
園における教育の質の向上を願望する意図のもとに記されたと認められるのであつ
て、もとより正当な批判の域を出るものではなく、これをとらえ建学の精神に反す
るものとして解雇理由とすることは許されないといわなければならない。
(2) (P・T・Aの要望について)
 前認定の事実からすれば、P・T・Aが原告に子弟の教育を委ねてほしくない要
望したとはいえ、その理由ないし動機となつているのは、原告の組合活動、思想傾
向にあつたというほかはなく、このことを解雇理由となしえないのは明らかであ
る。また、原告が生徒たちを扇動して署名活動をさせたということも右要望の主た
る理由となつているが、常任委員会で検討された生徒が所持していた文書の内容か
らしても、右文書が生徒独自の判断では作成しえないものと断定することはでき
ず、他の事情を考慮してみても原告が扇動したとのことは、単なる疑いの域を出
ず、事実と断定することは困難である。原告らが、授業中に転任勧告の問題を生徒
に話したことからすれば、生徒たちが自主的に署名活動を始めたとも考えられない
わけではない。原告らが生徒たちに転任勧告問題を話したことは必ずしも教育活動
としてふさわしいものであるとはいえないが、生徒たちには事実を事実として知ら
しめようとする教育理念に基づきこれを実践すること自体教師の教育現場における
裁量の範囲内のものとして、このことにより教科の指導に支障を生ぜしめたりしな
い限りは、許されるものと解する。
 また、昭和四二年三月七日及び一六日に生徒たちが集合したことにつき、原告の
扇動、指示、示唆等が介在していたものとも断定できない。
(3) (パンフレツト配布)
 被告学園の「教職員服務規定」は少なくとも一宮労働基準監督署に正式に受理さ
れ、職員に周知された昭和四二年三月から効力を生ずるもので、原告の稲沢女子分
会ニユースなどの配布行為が同規定三条一〇号、三三条六号に一応違反することは
明らかである。
 しかしながら、一般的に校内での文書配布行為を禁止することは許されず、勤務
時間中に配布するなどして学校の業務に支障を与えない限り、組合活動としての文
書配布は正当な組合活動として右規定に抵触するか否かに関わりなく許されるとい
わなければならない。原告の右配布行為が勤務時間中にもなされたと認めるに足る
証拠はないのであるから、これをとらえて解雇理由とすることはできない。
 昭和四二年四月四日、原告が事務職員の捨てた文書を拾得した行為は、窃取とい
うほどのものではなく、既に廃棄されたものを分会ニユースの資料として利用した
ものにすぎず、解雇に値する行為と評価することはできない。また、同月二一日
「新任の先生方へ」というパンフレツトを新任の教員の机の中に入れた行為も、前
述のとおりパンフレツト配布自体は正当な組合活動であり、配布方法が少々妥当を
欠いたとしても、それを解雇理由とすることは許されないものというべきである。
したがつて、右四月四日の行為のみが一応本件解雇の判断の一資料となしうるとい
えるにすぎない。
(4) (被告学園に対する非協力的態度)
 昭和四一年五月に、原告が中学校訪問を実行しなかつたことは、たとえ原告が被
告学園の方針に反対であつたとしても、それを批判することはともかく、指示に従
わず実行しなかつたことについて原告にその非のあることは明らかである。しかし
ながら、被告学園の中学校教員に対する招待方法にも行き過ぎの点があつたこと、
原告の非協力により格別支障を生じなかつたことを考慮すれば、原告の右非協力が
解雇に値するほど情状の重いものであるということはできない。また、この件で、
当時原告が処分或いは注意を受けたことはなく、被告学園が原告の右行為を重視し
ていたと推認するのは困難である。
 温交会幹事としての原告の態度は、いささか不注意、無責任のそしりを免れない
が、これを被告学園と原告との信頼関係を損うほど重大な行為であると評価するこ
とはできない。直接本件解雇の理由とされているわけではないが、私学共済組合の
事務、職員会議議事録作成の失念、呼リンの紛失、図書の貸出しについての手続の
怠慢、募金に対する態度などの中には、原告にも反省すべき点のあるものも含まれ
ているが、いずれも末梢的な場面でのことで、教育活動そのものの場におけるもの
ではないから、被告学園の原告に対する感情を害する原因となつたであろうことは
容易に想像できても、原告が被告学園の教員として「建学の精神」に反し不都合で
あるということを根拠づけうるものではない。
(5) (生徒指導要録、自習)
 昭和三九年度、四〇年度と連続して原告の生徒指導要録生徒健康診断票の提出が
遅れたことは、職務に対する忠実さに欠けるものとして非難されなければならない
が、次期担任の生徒指導に支障を与えたものではないから情状は軽いというべきで
ある。
 次に、昭和四一年度、原告の授業に自習が多かつたことも、教員には生徒に対す
る教育方法についてある程度の裁量に委ねられている部分があるとはいえ、自習は
教育の放棄に等しく、その理由はともあれ自習を避けるべき責務に反するものとし
て非難されなければならない。しかしながら、自習にしても生徒に課題を与えるな
ど工夫していたこと、就職指導のためや他クラスと進度を調整するための場合もあ
つたことなどを考慮すると、重大なる怠慢とまで評価できない。
(6) (転任勧告問題)
 被告学園は、原告が被告学園の滝高校への転任勧告を退職勧告、不当解雇だと問
題をすり替えたと主張するけれども、前認定の経過に照らせば、原告が滝高校への
転任を断わつた後も被告学園は執拗に原告に対し転任を勧告し続けたのであつて、
まさしく退職勧告であり、原告がこれを退職勧告、不当解雇と受けとつたのは当然
であり、後記のとおり被告学園の退職勧告こそ不当であつたというべきである。
(二) (不当労働行為)
 被告学園が、稲沢女子分会公然化以前から原告の組合活動を察知していたことを
前認定の事実から認めることは困難である。しかしながら、原告が職員会議で学校
側と対立しかねないような発言をなしてきたこと、昭和四一年三月に希望職員会議
を開催し要望書を提出したことに関し原告が積極的に参加したこと、ベトナム問題
について「まこと」に掲載された記事、前記のとおり中学校訪問に関する原告の非
協力的態度等は被告学園の感情を害することになつたであろうことが推認でき、こ
れらの事柄を通じて被告学園が原告を好ましくないものと考え被告学園より排除し
ようとし、滝高校転任の話に乗じて原告を放逐するため執拗に転任勧告を続けたも
のといわざるをえない。加えて、P14は、昭和四一年三月に「みんなの会」に呼ば
れたことがあり、被告学園の転任勧告が続いていた頃学校外でのサークルをやめる
よう原告に要請していたのであり、被告学園も同人から原告のサークル活動を聞か
されていたと推認するに難くない。
 分会公然化後の、被告学園の団体交渉開催要求に対する態度、前記二(一)の
(6)で認定の被告学園のとつた措置、P・T・A常任委員会でのP1事務局長の説
明でも原告の組合活動について触れており、P・T・Aの原告を教壇に立たせてほ
しくないとの要望も原告の組合活動を重視したものであることは、被告学園にも容
易に判断できたはずであること等を総合勘案すれば、被告学園はP・T・Aの右要
望に藉口し、原告の組合加入、組合活動そのものを嫌悪し、原告の組合加入、組合
活動自体が或いはそうした原告の考え方自体が「建学の精神」と相容れないものと
とられ、「建学の精神」を楯にとり原告から級担任、教科担任、校務分掌分担の一
切を奪い、その教育活動を不能ならしめたのであつて、被告学園の右措置は原告の
正当な組合活動の故をもつてなされたもので労組法七条一号に該当する不当労働行
為というべきである。
 前認定の事実からすれば、被告学園の反組合的意図はあまりにも露骨であつて、
組合に加入するような思想の持主は、それだけで「建学の精神」に反するととらえ
ていたものというべきであり、このことからすれば、被告学園の原告に対する転任
勧告も、原告の具体的行動が被告学園の教員としてはふさわしくないというより、
具体的行動から被告学園が把握したところの原告の思想傾向そのものを嫌悪した結
果、執拗に続けられたものと認めざるをえない。
 右のとおり、原告は一切の教育活動を奪われたのであるが、同時に、昭和四二年
四月から、被告学園が従来の職員会議、職員朝礼を教科担当者会議、教科担当者朝
礼と変更して原告の参加を排除し、原告にのみ教育活動とは全く無縁な草むしり等
の雑役をさせ、原告の出勤簿のみ廊下に出し、原告にのみ午前八時出勤を命じたこ
となどは、いずれも被告学園の前記意図と軌を一にするもので、原告に対する不利
益取扱いと解するのほかはない。そうすれば、原告が草むしり等の雑役を拒否した
こと、学校長に執拗に抗議したこと、午前八時出勤と命令されたために生じた遅刻
をもつて原告を非難することはできない筋合である。
 被告学園の原告の組合活動に対する弾圧はその後も続き、「教職員服務規定」の
中の三三条六号、八号、九号などの組合活動制限の規定と相まつて原告のパンフレ
ツト配布等に関し逐一処分等で臨んでいたものである。しかも、被告主張の解雇理
由のうち、中学校訪問等に関する非協力的態度以外は解雇理由とはなしえず、前認
定のとおり右非協力的態度についても当時は原告が格別注意を受けるということは
なく、分会公然化後始めてとりあげられたものであつて、右非協力的態度も前記の
とおりさほど情状の重いものではなく、これが解雇の真の理由であるとは到底考え
られない。その他被告学園が本件解雇の事情として主張する事実も、そのほとんど
が原告には非はなく、原告に非があるものについても状情の重いものはなく、分会
公然化前は特に問題としていなかつたことや、公然化後の原告に対する差別の中で
差別撤廃のためやむをえず原告がなしたものであつて、被告学園が本件解雇後口実
として主張しているにすぎないものというべきである。そうとすれば、原告の教育
活動を奪つた措置と同一の理由で本件解雇も労組法七条一号に該当する不当労働行
為であることは明白である。
(三) 右説示のように、原告に対する本件解雇は不当労働行為に該当し無効であ
るといわなければならない。
五 (賃金)
(一) 以上説示のとおり、本件解雇は無効であるところ、本件解雇以降被告学園
が原告の地位を否定し、その就労を拒否し、賃金の支払をなしていないことは当事
者間に争いがないから、原告は民法五三六条二項により本件解雇以降も被告学園に
対する賃金請求権を有する。
 被告学園の右態度からすれば、将来の賃金についてもその不払は確実であると考
えられ、原告には将来の賃金についても予め請求をなす必要が存するというべきで
ある。
(二) 原告の昭和四一年度の賃金月額が二九、六〇〇円であつたこと、被告学園
の高校の教員の賃金の基本給部分が昭和四二年以降毎年少なくとも一割を下らない
程度の増加があること、原告に対する賃金は昭和四二年四月から一一月までは二
七、九八〇円、同年一二月から昭和四三年三月までは二六、五〇〇円しか支払われ
なかつたこと、昭和四二年度の一時金は全く支払われなかつたこと、被告学園では
原告主張のとおりの各一時金がその主張のとおりの率で支払れること、被告学園に
おける賃金支払方法、各一時金の支給時期は原告主張のとおりであることは当事者
間に争いがない。
 被告は、昭和四二年度の原告の賃金につき学級担任手当二、〇〇〇円が支給され
なくなつたと主張するが、これは前記の被告の措置が不当労働行為である以上理由
がなく、同年度の各一時金を支給しないことにつき原告が講師なみの扱いとなつた
ためと主張する点についても同様に理由がない。同年度から通勤手当が実費支給と
なり一、四八〇円となつたことは、原告自身その本人尋問の際に明らかに否定しな
いところであるからそのように推認され、右認定に反する証拠はないが、同年一二
月以降は原告が通勤しなくなつたので右通勤手当を支給しなかつたとする被告の主
張は、前掲乙第九号証の記載に明らかに反し理由がない。また、年度末一時金は、
P・T・Aから主としてクラブ活動を指導した先生に支給されるとする被告の主張
も、これを認めるに足りる証拠はない。
 そうとすれば、原告の教育活動を奪つた被告の前記措置は不当労働行為であつて
許されず、原告についても他の教員と同様、昭和四二年以降も賃金の基本給部分
(通勤手当を除く)について毎年少なくとも一割の増加が認められ、昭和四二年度
の賃金減額、一時金不支給は不当労働行為であるからこれらについても原告は賃金
請求権を有する。昭和四一年度の原告の基本給部分が二八、〇〇〇円であつたこと
は当事者間に争いがないから、これを基礎に原告に対する未払賃金を算定すれば、
昭和四二年四月以降昭和四九年四月までの各未払賃金は別紙認容未払賃金一覧表記
載のとおりで、その合計が三、三六二、三六六円となることは計数上明らかであ
る。また、昭和四九年五月以降は毎月六一、四九八円の賃金請求権を有する。しか
し、これらを超える原告の請求部分は理由がない。なお、各一時金についての請求
は、一時金の基礎に通勤手当が含まれていないからすべて理由がある。
六 (結語)
 よつて、原告の本訴請求は、原告が被告に対し労働契約上の権利を有する地位に
あることの確認を求め、金三、三六二、三六六円及び別紙認容未払賃金一覧表の各
月欄記載の各金員につき同欄起算日の項記載の日より支払済みに至るまで民法所定
の年五分の割合による遅延損害金、昭和四二年度以降昭和四八年度までの各未払一
時金の合計一、四三一、七七二円及び別紙請求未払賃金一覧表(二)の各季欄記載
の各金員につき同覧起算日の項紀載の日より支払済みに至るまで民法所定の年五分
の割合により遅延損害金、昭和四九年五月以降の賃金六一、四九八円及びこれに対
する各支払日の翌日である毎月二六日より支払済みに至るまで民法所定の年五分の
割合による遅延損害金の各支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その
余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書を、仮執
行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
別紙(省略)

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