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裁判例


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      判 決 書 目 次
       主    文
       事    実
 第一、原告らの請求の趣旨及び請求の原因
  一、
  二、
  三、昭和二七年の国民審査は無効である。
 (その一) 審査法は憲法に違反する無効のものである。従つて同法に従つて行
われた右審査は無効のものである。
 (一) 審査は任命の適否の事後審査である。
 (二) 審査法は投票強制を規定する。
 (三) 投票用紙の様式並びに投票の方式を定める審査法の規定は無効である。
 (四) 罷免の可否不明の審査人の投票
 (その二) 今回の国民審査については、事実の上においても、次のような無効
原因があつた。
 (一) 投票強制
 (二) 投票の秘密の侵害
 (三) 罷免意思の有無を表示しない投票は罷免を可としない投票より除外すべ
きである。
 第二、被告の答弁及び主張
 (その一) 審査法は憲法に違反するところはない。
 (一) 審査は解職制度である。
 (二) 投票強制を規定しない。
 (三) 投票の方法に関する審査法の規定は違憲でない。
 (四) ×の記載のたい投票を罷免を可としない投票に算入しても違憲でない。
 (その二) 右審査については事実の上においても無効原因はない。
 (一) 
 (二) 
 (三) 
 (四) 
 第三、証拠
       理    由
 (その一) 法律上の主張について。
 (一) 国民審査は裁判官の任命の適否についての事後審査か。
  (1) 国民審査制度の基本
  (2) 任命の効力と審査の本質、効果。
  (3) 裁判官弾劾制度との両立。
 (二) 審査法は投票強制を規定しない。
 (三) 投票用紙の様式並びに投票の方式を定めた規定について。
  (1) 一種の投票だけしか認めない制度を考える。
   (甲) 罷免を可とする審査人にのみその投票をさせその投票と審査当日の
審査人総数とを比較する立法。
   (乙) 裁判官を信任する審査人にのみその投票をさせ、その投票と審査当
日の審査人総数とを比較する立法
   (丙) 罷免を可とする投票と、罷免を可としない投票とをさせ、且つ棄権
することもできるとする立法。
   (丁) 審査に付された裁判官の数と同じ枚数の白紙の投票用紙を審査人に
交付し、審査人は裁判官中、罷免を可とする裁判官についてはその裁判官の氏名を
投票用紙に記載し、又、罷免を可としない裁判官については白票を投函すべきもの
とし、各裁判官が得た罷免投票が罷免を可としない投票よりも多数である場合に
は、審査において罷免が可決せられたものとする立法。
  (2) 審査は、従つて投票ないし投票欄は裁判官毎に独立のものである。
  (3) 罷免を可とする投票と罷免に反対する効果を持つ投票。二、三の立法
の想定と条理。
   (い) 審査に付される各裁判官の氏名を各別に印刷した投票用紙をその裁
判官全員分だけ審査人に交付し、審査人をして罷免を可とする裁判官については×
を、罷免されないことに異議のたい裁判官については〇を記載して投票せしめる立
法。
   (ろ) 罷免を可とする裁判官には×を罷免されないことに異議のない裁判
官については○を記載して投票せしめるが、白票を投じても罷免に反対する効果を
もつものとする立法
   (は) 審査に付される裁判官毎に別個の投票用紙を用い、罷免を可とする
裁判官については×を記載し、又在任に異議のない裁判官については何らの記載を
しないで投票用紙を投函せしめ、後者の投票には罷免に反対する投票としての効果
を認める立法。
  (4) 現行法の下で棄権は可能である。
  (5) 棄権を不可能ならしめる投票方法を定めた法律は合憲か。投票の法律
上の義務があるか。
   1 「罷免の可否不明の審査人に対しその意志の発表方法を定めていないこ
とは思想及び良心の自由を害するものである。」との論旨について。
    A 罷免を可とする投票と罷免に反対する投票との二種しかない。
    B 罷免の可否が判らない審査人。
    C 罷免の可否が判らない審査人の意志発表方法。
   2 「罷免を可とする裁判官についてのみ積極的表示方法を定め、罷免を可
としない裁判官とその可否不明なる裁判官についてはこれを定めず無記載の投票方
式を採用したのは投票の本質をあやまり、国民の公務員罷免権の行使を不当に制限
したものである。」との論旨について。
   3 「連記投票の方式は投票の強制となる」との論旨について。
 (四) 罷免の可否が判らない審査人がした無記載投票について。
 (その二)事実上の主張について。
 (一) 投票強制。
 (二) 投票の秘密の侵害。
 (三) 罷免意志の有無を表示しない投票。
 (四) 審査の結果に対する影響
         主    文
     原告らの請求を棄却する。
     訴訟費用は原告らの負担とする。
         事    実
 第一原告らの請求の趣旨及び請求の原因
 原告ら訴訟代理人は、「昭和二十七年十月一日に行われた最高裁判所裁判官国民
審査は無効である。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の
原因として次のとおり陳述した。
 一 昭和二十七年十月一日最高裁判所の裁判官谷村唯一郎外四名に対なる国民審
査が行われたが、被告は、右審査に関する事務を管理した中央選挙管理会の委員長
であり、原告らはいずれもその審査人である。
 二 右審査は、最高裁判所裁判官国民審査法(以下単に審査法という。)に基い
てその定めるところの方法を以て行われた。すなわち、審査の投票は、同日行われ
た衆議院議員総選挙(以下単に総選挙という。)の投票所において、その投票と同
時にこれを行い(同法第十三条)、その投票用紙には、審査に付される五名の裁判
官の氏名が連記され、その各氏名の上に×の記号を記載なる欄を設けてあつたが、
それ以外の欄は設けてなく(同法第十四条)、審査人は投票所において、罷免を可
とする裁判官については、右投票用紙の当該裁判官に対する右記載欄に自ら×の記
号を記載し、罷免を可としない裁判官については、右投票用紙の当該裁判官に対す
る右記載欄に何らの記載をしないで、これを投票するという方法を用い(同法第十
五条第十六条)、審査の投票で×の記号以外の事項を記載したものは、すべてこれ
を無効とした(同法第二十二条)。 そして全有効投票はこれを罷免を可とする投
票と罷免を可としない投票の二種類に分つこととし(同法第三十二条)、かくして
行われた投票の結果を各審査分会から審査長に報告し、審査長は、昭和二十七年十
月十一日午後三時その指定した東京都千代田区霞ケ関人事院ビルヂング内自治庁長
官室で審査会を開き、右基準に従つてこれを調査した結果、審査に付された五名の
裁判官はすべて罷免を可とされないことに決定し、その旨中央選挙管理会に報告し
た。
 三 しかしがら右審査は、左記理由により無効である。すなわち
 (その一)(審査法は憲法に違反する無効のものである。従つて同法に従つて行
われた右審査は無効のものである。
 審査法は最高裁判所の裁判官の任命の適否を問うものとして規定すべきであるに
かかわらず、解職投票を規定したのは憲法第七十九条第二項に反し全体として無効
であるのみならず、審査法に定める投票方法に関する諸規定は憲法第十三条、第十
五条、第十九条、第二十一条に反する無効のものであり、従つてこれに基いて行わ
れた前記審査は当然無効である。
 (一) (審査は任命の適否の事後審査である。)
 最高裁判所の裁判官の国民審査は、憲法第七十九条第二項の定めるところであつ
て、その対象は天皇又は内閣によつてなされた最高裁判所の裁判官の任命の適否で
あり、その本質は、右任命に対する国民の事後審査であり、裁判官任命手続の一環
をなすものである。なろ程、最高裁判所の長たる裁判官は天皇が内閣の指名に基い
てこれを任命し(憲法第六条第二項)、その他の裁判官は内閣でこれを任命する
(憲法第七十九条第一項)。
 しかしながら、最高裁判所は、わが憲法上、国会及び内閣とならんで、国政処理
の最高機関であつて、いわゆる違憲立法審査権を有し(憲法第八十一条)、憲法の
条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部はそ
の効力を有しないこととされている(憲法第九十八条第一項)。従つてかかる地位
職責を有する最高裁判所の裁判官の任命が直接、間接に主権者たる国民の意思に基
いてなさるべきこと並びにその手続が憲法自体において定めらるべきことは当然の
要請であつて、憲法は、右要請に基き、一面最高裁判所の裁判官の人選を内閣の自
由に委すと同時に、他面第七十九条において右任命に関する国民審査の規定を設
け、成年者による普通選挙により、天皇又は内閣による最高裁判所の裁判官の任命
の適否を審査することとし、審査の結果、天皇又は内閣の任命に対し、投票者の多
数が反対したときは、当該裁判官は、任命を信任されなかつたものとして罷免さ
れ、そうでないときは、当該裁判官は、任命を信任されたものとして右審査の時か
ら十年間その地位が確定されるものとしたのであつて、かくしてこそ直接民主主義
の要請は達成せられるものというべく同条第三項に罷免という語を用いたのは、任
命を信任されなかつた裁判官が将来に向つて職を失うことを明らかにしたにすぎな
いのであつて、これがため国民審査を解職制度であるということはできないのであ
る。すなわち、憲法第七十九条の規定は、国会議員に関する憲法第四十三条の規定
及び内閣総理大臣に関する同法第六十七条の規定と同じく、最高裁判所の裁判官の
任命に関する規定であつて、国民審査は、最高裁判所の裁判官の任命手続の一環と
して天皇又は内閣の任命に対する国民の事後審査であり、この趣旨は、憲法審議の
際における提案理由の説明その他の論議に徴して明瞭であるばかりでなく、「最高
裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行われる衆議院議員総選挙の際国民の
審査に付し、」とある憲法第七十九条第二項の字句自体からみても明らかなところ
であり、仮りに裁判官弾劾制度とならんで任命せられた裁判官のうち不適当な者を
罷免させる趣旨を含んでいるとしても、それはどこまでも附随的第二義的であつ
て、その本質は主権者たる国民による裁判官任命の事後審査であることは、一点疑
いをいれないところである。
 国民審査の本質、対象にして右の如くなる以上、その投票は、常に任命に対する
信任投票の形式を以てなさるべきであつて、少なくとも任命を可とするか罷免を可
とするかの形式を以てなさるべきであり、従つて審査法は、この建前を以て規定さ
るべきであるにかかわらず、解職投票を規定したのは、憲法第七十九条に反するも
のであつて、審査法は全体として無効である。
 (二) (審査法は投票強制を規定する。)
 審査法第十二条第二項は衆議院議員の選挙における投票立会人は、審査における
投票立会人となるものとする旨規定し、同第十三条は、審査の投票は総選挙の投票
所において、その投票と同時にこれを行う旨規定している。これは、総選挙の投票
のため投票に赴いた者に対し、その好むと好まざるとにかかわらず国民審査の投票
をなすべきことを強制するものであつて、憲法第十三条によつて保障せられた身体
の自由、すなわち国民審査に際しその投票所に出頭すると否との自由及び投票する
と否との自由を侵害するものである。憲法第七十九条第二項は総選挙の際国民の審
査に付する旨いつているが、必ずしもその施設を利用しその投票と同時に国民審査
の投票をなすべきことをいつていない。同条項が「際」というふくみの多い文字を
使用し「同時」という語を使用していないことに留意すべきである。従つて審査法
第十二条第二項、第十三条は憲法第十三条に反する無効の規定であつて、右法条に
則り総選挙の設備機構を利用して国民審査を実施した結果事実問題としても後記の
ように投票強制又は投票の秘密を侵すような事態を生ずるにいたつたのである。
 (三) (投票用紙の様式並びに投票の方式を定める審査法の規定は無効であ
る。)
 審査法第十四条は投票用紙の様式について規定し第十五条、第十六条は投票の方
式につき、又第二十二条は投票の効力について、それぞれ規定しているが、元来国
民審査の投票は信任投票の形式を以て行わるべきものであるから、その投票用紙に
罷免を可とする意味の×の記号を記載する欄のみを設けて他の欄を設けていないの
は不当であるばかりでなく、仮りに解職投票であるとしても、罷免の可否不明の審
査人に対しその意思の発表方法を定めていない点、並びに、罷免を可としない裁判
官については投票用紙の当該裁判官に対する記載欄に何らの記載をしないでこれを
投票箱に入れなければならない旨規定している点(審査法第十五条、第十六条)に
おいて、許さるべきでない。けだし国民審査は国民が裁判官の罷免の可否について
の意思を投票の方法によつて表示すべきものであつて、国民固有の権利である公務
員罷免権(憲法第十五条第一項)に基くものであるから、審査の投票にあたつて
は、罷免の可否につき国民の明白なる意思が表示されることを要するものというべ
く、ひとり罷免を可とするものばかりでなく、罷免を可としないもの、罷免の可否
不明のものについてもそれぞれその意思を明白に表示すべきであつて、少なくとも
罷免を可とするものは×印、罷免を可としないものは〇印というように可否を明白
に表示することを要するものというべく、かくしてこそ投票の本質にもかなうので
ある。投票用紙の×の記号を記載すべき欄に何らの記載をしないで投函したからと
いつて、白紙は依然として白紙にすぎず、何らの意思を表示したことにならないの
である。しかるに審査法がこの理を弁えず、ひとり罷免を可とするもののみについ
て積極的表示方法を定め、その他についてはこれを定めず、罷免を可としないもの
について無記載の投票方式を採用したのは、ひつ竟投票の本質をあやまり、国民の
公務員罷免権の行使を不当に制限したものに外ならないばかりでなく、罷免を可と
しないものについては、投票用紙に何らの記載をすることを要しないのであるか
ら、仔細に投票所における審査人の行動を観察するときは、その記載台に立ち寄る
と否とにより、その審査人が罷免の可否いずれの投票をなしたかを明瞭に看するこ
とを得べく、かかる投票方式の採用は憲法第十五条第四項によつて保障せられた投
票の秘密を侵すものというべきである。
 更に審査に付される裁判官が二人以上ある場合を考えて見るに、この場合には投
票用紙にその氏名が連記されている(審査法第十四条)のにかかわらず、審査法は
一部の棄権について何ら定めていないため、一部の裁判官について投票しようと思
う者は、他の裁判官について棄権しようと思つてもその方法がないため棄権するこ
とができず、その意思に反して投票しなければならないことになるのであつて、し
かも罷免の可否を決定する投票の多寡は、審査法第三十二条の規定からもうかがわ
れるとおり、各裁判官一人一人について決定せらるべきものであるから、かかる投
票用紙の様式並びに投票の方式は不当である。
 これを要するにこれら投票用紙の様式並びに投票の方式に関する審査法の規定
は、或いは投票を強制し、又は投票の秘密を侵し、任命の可否ないし罷免の可否を
知らない審査人(かかる審査人が絶対多数を占めている)からその思想及び良心に
従つて知らないという意思表示をする自由を奪い、又は棄権によつて黙否権を行使
なる自由を奪うものであつて、憲法第十五条、第十九条、第二十一条に反する無効
のものである。
 (四) (罷免の可否不明の審査人の投票)
 審査法は審査に付された裁判官について、罷免の可否を決定するにあたり、全有
効投票を罷免を可とする投票と罷免を可としない投票の二種類に分つこととし、×
の記号のないものはすべて罷免を可としない投票に算入することにした(審査法第
三十二条)。これは、審査法が投票の方式について同法第十五条、第十六条のよう
に定めたことによるものであるが、×の記号のないもののうちには、罷免を可とし
ないものの外、裁判官の名前も知らず、審査の何ものであるかも知らず、又は知つ
ていたとしても罷免の事由の有無がわからないため、本来は可否不明の投票をすべ
きであるがその方法がないため、止むを得ず投票用紙に何らの記載をしないで投票
したものもあるのであつて、しかもかかる投票が大多数を占めていたのにかかわら
ず、これらを一率に罷免を可としない投票に算入することとしたのは、これら投票
者の意思を曲げて解釈し、かつ本人の欲しない法律上の効果を付与したものという
べく、審査法の右規定は、思想及び良心の自由並びに表現の自由について規定した
憲法第十九条、第二十一条に反するものであつて、無効である。
 (その二)(今回の国民審査については、事実の上においても次のような無効原
因があつた。)
 すなわち
 (一) (投票強制)
 今回の国民審査にあたつては、投票強制が行われた。今回の国民審査は、審査法
に基いて、同日行われた総選挙のための機構と設備とを利用して実施せられたので
あるが、総選挙の投票所と国民審査の投票所とは同じ場所であつて、その入口も出
口も同じであり、且つ順路も一定して戻ることを許さないように設備してあり、右
投票所に出頭した有権者(選挙人であり且つ審査人である者)に対しては、係員
は、選挙の投票用紙と審査の投票用紙とを一緒に交付し、これが持ち帰りを禁止し
た結果、有権者は一旦選挙のため投票所に出頭した以上審査の投票をしたくないと
思つても投票しなければならない破目となり、又かかる審査人に対し、係員におい
て投票を強いた事例さえあつたのである。
 被告は審査の投票用紙の受領拒絶又は返還は自由であるというが、このことにつ
いては何ら周知せしめられず、却つて棄権防止が叫ばれていたのであるから、選挙
のため投票所に出頭した有権者がこの挙に出ることは思いもよらないところであつ
て、又投票用紙の同時交付とこれが持ち帰りの禁止は、これを切りはなしてみると
きは、或いは投票の強制にならないようであるが、これを投票所の設備と総合して
観察するときは、立派な投票強制となることに留意すべきである。
 仮りに投票用紙の同時交付の事実がなく、投票所に出頭した有権者に対してまず
選挙の投票用紙を交付して投票せしめ、ついで審査の投票用紙を交付して投票する
ように設備してあつたとしても、投票所が同じ場所であり、その入口出口が同じで
あつて順路もきまつているとすれば、投票所の入口に足を踏み入れた者は、その意
思いかんを問わず、選挙と審査の両方の投票を終らなければ出口に行けないのであ
るから、投票強制である点において何ら変りなく、これを要するに投票強制の主た
る原因は、その投票所の設備にあつたのである。
 (二) (投票の秘密の侵害)
 今回の国民審査においては、投票の秘密が侵された。
 審査法第十五条、第十六条の規定が投票の秘密を侵すものであることは、さきに
指摘したとおりであるが、事実の上においても、投票所の設備その他において投票
の秘密を防止する方法は何ら講ぜられず、罷免を可とする投票をしょうと欲する者
以外は、すべて記載台に立ち寄らず、投票用紙に何らの記載をしないでそのまま投
票したのである。
 (三) (罷免意思の有無を表示しない投票は罷免を可としない投票より除外す
べきである。)
 今回の国民審査においては、罷免を可としない投票として算入せられた投票中に
罷免の意思の有無を表示しない投票が多数あつた。
 もとより審査法第十五条、第十六条所定の投票方式をとる以上、投票用紙の記載
欄に何らの記載のない投票は一応罷免を可としないものとして推定さるべきであろ
うが、それでもなお罷免の意思の有無を表示しない投票であることが確認せられる
ときは右票は罷免を可としない投票から除外さるべきである。そして本訴において
かかる投票が多数存在していたことが明確になつたのであるから、右事実は、本件
国民審査の有効無効を判定するにつきしんしゃくさるべきである。
 以上(一)、(二)、(三)、の事実は、ひとり東京都においてのみならず、全
国の各投票所において同様の状況においてなされ、又は共通の現象としてみられた
ところであるから、これらの事実は、審査の結果に異動を及ぼす虞が多分にあるも
のというべく、従つて今回の審査は全部無効である。
 よつて、原告らは、ここに審査法第三十六条に基き被告を相手方として本件異議
の訴訟に及ぶ。
 第二被告の答弁及び主張
 被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として、次のとおり陳述した。
 原告らの主張事実中一、二の事実は認める。しかしながら、本件国民審査には、
原告らの三において主張しているような無効原因は存在していなかつた。すなわ
ち、
 (その一)(審査法は憲法に違反するところはない。)
 (一) (審査は解職制度である。)
憲法第七十九条第二項が最高裁判所の裁判官の国民審査について規定していること
並びに国民審査法が同条第四項の委任に基いて制定せられたものであり、その内容
として解職投票を規定していることは、原告ら所論のとおりであるが、同条所定の
国民審査は、天皇又は内閣によつてなされた最高裁判所の裁判官の任命の当否を問
うものではなくして、右任命によつて既にその地位にある裁判官に対し将来に向つ
てこれを罷免するかしないかを国民に問ういわゆる解職の制度であるから、審査法
が信任投票を規定しないで解職投票を規定したからといつて、それがため直ちに審
査法を全体として憲法に反する無効のものということはできない。
 被告が国民審査を以て解職投票の制度であると解する理由は、およそ次のとおり
である。
 1 憲法上国民審査の本質が解職投票であること(審査の目的が裁判官の罷免い
かんにあることには、憲法第七十九条の文面から明らかである。
 2 憲法上裁判官の任命は国民審査の以前において、既に完了しているものと解
すべきである。(憲法第六条、第七十九条、第八十条、裁判所法第三十九条、第四
十条)。
 3 裁判官の地位の保障と民主主義とを調和する上においては、国民審査を以て
解職投票と解することが適当である。
 4 一般国民をして裁判官たる適任者を選定せしめるということは、事実上甚し
く困難にしてほとんど不可能に近い。(特定裁判官に対する罷免投票も容易ではな
いが、比較的には実行しやすい)。
 5 国民審査を以て任命の適否を問うものとすれば、同一裁判官に対する第二回
以後の国民審査の性質を理解しがたい。
 6 国民審査を解職制度と解してもそれと裁判官の弾劾制度とは固より別箇のも
のであつて(趣旨を異にし又適用の範囲を異にする。)、その間に何の矛盾もな
い。
 (二) (投票強制を規定していない。)
 審査法第十二条及び第十三条の規定は、憲法第七十九条第二項に「衆議院議員総
選挙の際国民の審査に付し」とあることに由来する。憲法は、投票者の側の便宜の
点、莫大なる経費の関係、投票設備の人的物的諸要素(投票管理者、投票立会人、
投票所等)の一都合などを勘案し、総選挙の際においてそれと同時に国民審査の投
票を行うを適当とし、その旨を第七十九条第二項に明定した。審査法第十二条、第
十三条は、この憲法の趣旨精神をうけ各場合について具体的規定を定めているにす
ぎない。そして投票立会人の同一、投票所の同一並びに同時投票強制とは必ずしも
一致するものでないから、右審査法の規定を目して憲法の条規に反するものという
ことはできない。
 (三) (投票の方法に関する審査法の規定は違憲でない。)
 国民審査制度の本質がいわゆる解職制度である限り、国民審査の本来の目的は罷
免すべき裁判官を選定することであり、その具体的手段としては、積極的に罷免を
可とする投票とその他の投票とを区別すればそれで全く十分であつて、別に罷免を
必要としない投票の内訳を明白にし又詮索する必要は毛頭存しないのである。それ
は、いずれにしても、積極的に罷免を可とする投票に属しないことは明らかだから
である。これは解職制度の本質から来る当然の結論である。審査法第十四条、第十
五条、第十六条、第二十二条の規定は、この見地の下に規定されたのであつて、国
民審査の投票用紙に罷免を可とする意味の×の記号を記載する欄のみを設けて他の
欄を設けていないからといつて、又罷免を可とする場合の記載方法のみを定めて罷
免を可としない場合には何らの記載をしないこととし、更に罷免の可否不明の場合
にその意思の表示方法を定めなかつたからといつて、それは単に技術上の問題にす
ぎず、これがため投票の秘密を侵すこともないのであるから、審査法のこれらの規
定を目して憲法の条規に反するものということはできない。
 更に原告らは、「審査に付される裁判官が二人以上ある場合、その投票用紙が連
記となつており、一部の棄権について方法がないため一部の裁判官について投票し
ようと思う者は他の裁判官についても投票を強制されることとなる。」と主張する
が、この非難はあたらない。たとえ連記であつても、投票は一票である。これは現
行法の建前である。従つて、一票中の或部分を特に棄権するというが如きは、条理
上認め得ることではない。
 換言すれば審査法が一票中の或部分の棄権について何ら規定するところがないの
は、寧ろ当然のことである。
 技術的立法論的にいえば、このような場合には、それぞれその投票を別にし用紙
も各別にする方がよいという議論も成り立ち得るが、それは審査方法の巧拙の問題
であつてそれだからといつて審査法の投票に関なる諸規定を違憲であるということ
はできない。
 (四) (×の記載のない投票を罷免を可としない投票に算入しても違憲でな
い。)
 解職制度の本質上、罷めさせたいという積極的な意思の表示がなければ、その投
票が「罷免を可としない投票」とせられるのは、寧ろ当然のことに属し、そこに何
の不思議もない。従つて審査法が全有効投票中×の記号の記載のないものをすべて
罷免を可としない投票に算入する方法をとつたからといつて、投票者の意思を曲げ
て解釈しかつ本人の欲しない法律上の効果を付与したもの、憲法の保障する思想及
び良心の自由並びに表現の自由を侵すものであるということはできない。
 以上のとおりであつて、審査法は、全体としては固より、原告らの挙示する諸規
定もまた憲法の条規に反するものではないのであつて、この見解は、すでに昭和二
十七年二月二十日最高裁判所大法廷判決並びに昭和二十四年十二月五日東京高等裁
判所第四特別部の判決においても容認せられ詳論されているところであつて、この
点に関する原告らの主張は理由がない。
 (その二)(右審査については事実の上においても無効原因はない。)
 (一) 原告ら主張の(その二)(一)の投票強制の事実はこれを否認する。も
つとも、今回の国民審査に当たり、総選挙の投票所と国民審査の投票所とが同一場
所であつてその出入口が一つであつたことは事実であるが、それは、審査法第十三
条が「審査の投票は、衆議院議員総選挙の投票所において、その投票と同時にこれ
を行う。」と規定したことの当然の結果であつて、寧ろ適当の措置と解すべく、又
選挙の投票用紙と審査の投票用紙とを一緒に交付したということは、必ずしも事実
ではないのであるが、仮りに一部の投票所においてかかる事実があつたとしても、
それは審査法第十三条にかんがみても何ら非議すべき余地のない措置であり、且つ
投票用紙の同時交付と投票強制とは別物であつて、投票用紙の受領拒絶又は返還は
審査人の自由であつたのであるから、右同時交付の事実があつたからといつて投票
強制が行われたということができず、又投票用紙の持ち帰りが禁止さるべきこと
は、当然のことであつて、ひとり国民審査の場合のみならず、ひろく一般の選挙に
ついても行われているところであつて、その理由は持ち帰りを自由にすることより
生ずる弊害を考えれば多言を要せずして明らかであり、又投票用紙公給主義の原則
からいつても当然のことである。
 要するに、総選挙の投票の設備が総選挙と同時施行の審査の投票(審査法第二
条)の設備機構として利用せられた結果、総選挙の投票に引きつづいて国民審査の
投票をするように施設せられてあつたことは事実であるが、それはただそれだけの
ことであつて、そのこと自体又はこれと投票用紙の同時交付及び持ち帰りの禁止と
合せ考えてみても投票の強制などいうべき筋合又は内容のものでなく、各審査人の
棄権はその自由意思に任せられており、固より可能であつたのであるからこれを以
て審査人より投票の自由を奪つたものであるというが如きは不当の解釈であり、又
大袈裟にすぎるものである。全国的に観察すると、昭和二十七年十月一日施行の総
選挙と国民審査とにおいて、前者の投票総数は三五、七四九、七二三票であり、後
者の投票総数は三五、六六三、九三九票であつて、後者の方が八五、七八四票少な
いのである。この事実は、確実に国民審査につき平穏公然に旦つ合法的にその投票
を欲しない者は棄権できたことを明白にするものであつて、これによつても、原告
らのいうような投票強制の事実のなかつたことは、一点の疑いもない。
 (二) 原告ら主張の(その二)(二)の投票の秘密侵害の事実もまた否認す
る。審査法には、第十八条の外、投票所の人的設備、投票用紙の公給主義、無記名
投票制の堅持等多くの投票の秘密保持の規定があるが、今回の国民審査において
は、これらの規定は完全に遵守せられており、投票の秘密保持の上において寸毫の
遺漏なく、又審査人がその投票意思の内容を秘匿せんと欲する場合には、よくその
意思を遂行充足し得るだけの手段が与えられており、その設備に不足はなかつたの
である。投票所の設備その他において投票の秘密を防止する手段が講ぜられなかつ
たとか、又は投票の秘密を侵したというような原告らの非難は全くあたらないので
ある。
 (三) 全有効投票中投票用紙の記載欄に何らの記載をしていない票を罷免を可
としない投票に算入したのは事実であるが、かかる票中に罷免の意思の有無を表示
しない投票が多数あつたということは否認する。右は事実に反し、原告らの理由な
き独断である。
 仮りに罷免の可否不明のまま投票したものがあつたとしても、積極的に特定の裁
判官を罷免しようと欲する意思をもつていなかつたのであるから、かかる票を罷免
を可としない票中に算入しても本人の意思に反することはないのである。
 (四) 以上のとおりであつて、今回の国民審査においては、事実の上において
も原告ら主張のような無効原因は存在しなかつたのであるが、仮りに一部において
無効原因が存在していたとしても、それは審査の結果に何らの影響を及ぼし得るも
のではなかつたのである。
 すなわち今回の国民審査において、審査に付された各裁判官についての審査の結
果は次のとおりである。
<記載内容は末尾1添付>
 右のいずれの裁判官についてみても、およそ罷免を可とする投票は三百万見当で
あつて、罷免を可としない投票の一割位にしか当らず、その差は実に二千七百万見
当という莫大な数である。その審査の結果に影響を及ぼす虞の全くないことは右の
数からみても明らかなところであつて、仮りに東京都全体において投票の強制等の
ことが行われたとしても東京都における審査人の数は四、〇二四、九五一人であつ
たのであるから、それでもなお審査の結果に影響なく、裁判所は審査の全部又は一
部の無効の判決をすべき限りでない。
 第三 証拠
 証拠として、
 原告ら訴訟代理人は、甲第一号証の一から六まで、同第二号証の一から五まで、
同第三号証の一から六まで、同第四号証の一から十一まで、同第五号証から第十号
証までを提出し、証人a、b、c、d、e、f、g、h、i、j、k及びlの各証
言並びに原告m、nの各本人尋問の結果を援用し、
 被告訴訟代理人は、甲第一号証の一から六まで、同第二号証の一から五まで、同
第八号証の成立は認めるが、その余の甲号各証の成立は知らない、なお原告ら援用
の各証人の証言を被告の利益のため援用すると述べた。
         理    由
 原告らの主張の一、二の事実は当事者間に争がない。よつて三の無効原因の有無
について、その主張の順序に従い順次審究し検討する。
 (その一)(法律上の主張について。)
 (一) (国民審査は裁判官の任命の適否についての事後審査か。)
 原告らは、まず第一に、最高裁判所裁判官国民審査法は、最高裁判所の裁判官の
任命の適否を問うものとして規定すべきであるにかかわらず、解職投票を規定した
のは、憲法第七十九条第二項に反し、全体として無効であると主張する。なる程憲
法第七十九条第二項は最高裁判所の裁判官の国民審査について規定し、又、審査法
は同条第四項に基いて制定せられその内容として解職投票を規定していることは、
原告ら所論のとおりであるから、同条所定の国民審査の本質がもし天皇又は内閣に
よる最高裁判所の裁判官の任命の事後審査であり、その対象が右任命の適否を問う
ものであるとすれば、審査法はまさに違憲立法であつて、憲法第九十八条第一項に
より全体としてその効力を有しないものといわなければならない。
 よつて、先ずこの点について審究する。
 (1) (国民審査制度の基本)
 公務員を選定し及びこれを罷免することは、国民固有の権利である(憲法第十五
条第一項)。これは憲法の宣明する国民主権主義の原則を公務員の選定罷免につい
て表明したものであるが、国民がいかなる公務員を具体的にいかにして直接または
間接に選定し罷免するかは憲法並びに憲法に基いて制定される各個の法律によつて
定まるのである。例えば、内閣総理大臣は国会の責任において指名する(憲法第六
十七条)のであり、会計検査院の検査官は両議院の同意を経て内閣がこれを任命す
る(憲法第九十条第二項会計検査院法第四条第一項)。又、国民が直接或公務員の
選定に関与し得るからといつて常に直接その公務員の罷免に関与し得るものでもな
く、この二つの権利は各別に具体化され得るのである。例えば国民は選挙により国
会議員を選定し得るが(憲法第四十三条第一項)その罷免を請求することは許され
ない。
 今これを最高裁判所の裁判官についてみるに、憲法は裁判官の地位は選挙によつ
て成立するものとせず、最高裁判所の長たる裁判官は天皇が内閣の指名に基いてこ
れを任命し(憲法第六条第二項)、最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官は内閣
でこれを任命する(憲法第七十九条第二項)こととした。
 国民主権主義を徹底せしめて裁判官もまた公選とすることも一つの政策であろう
が、裁判官の職務が何であるか、或人は裁判官として適任であるかということは国
民大衆に理解しにくい傾向を免れず、わが国の立憲国としての歴史がまだ長くない
現代においては殊に左様であつて後(その一(三)1B)にも述べるように国民審
査制度さえ国民大衆には十分な理解が欠ける虞がある点を考え、又裁判官の職務の
性質を考えると、公選制をとることは必ずしも策の得たるものてはない。裁判官を
新たに任命する必要が起つた場合でもこれを国民の投票で選出するには多大の労費
と日時を要なる。又、裁判官の任命又は罷免を国会の意思に依らしめることも司法
部を立法部に従属せしめ政治に捲き込ませる危険などもあつて面白くない。そこで
憲法は最高裁判所の長たる裁判官は内閣の指名に基いて天皇が、その他の全裁判官
は内閣がこれを任命することとしたと思われる。これは裁判官の任命は国の行政権
の発動であり「行政権は内閣に属し」(憲法第六十五条)内閣は行政権の行使につ
いて国権の最高機関である国会に対して責任を負う(憲法第六十六条三項)ことに
照らし、そして内閣は或人が裁判官という専門職公務員として適任であるかどうか
を職務上知る方法を持つている点にかんがみ、一応筋が通つた方法だといえるので
ある。けれども、内閣はいろいろな事情から故意もしくは錯誤から不適任者を最高
裁判所裁判官に任命することがないとも限らず、又或人が任命当時は最高裁判所裁
判官として適任と考えられても後になつてその人格言動等が知れ不適任と考えられ
るようになり、或いは事実上不適任者となることもあろう、内閣ないし国会が彼を
適任と考えても国民の多数が社会情勢の変化その他理由のいかんを問わす彼を不適
任と考えるかも知れない。ついては公務員を選定罷免する最高権力者たる国民にお
いて彼が適任かどうかを審査する機会を設け、もし国民が彼を不適任と決定したな
らば憲法ないし法律所定の事由があると否とを問わずまた内閣ないし国会もしくは
裁判官本人の意思いかんにかかわらず相当の処置をつけることが必要である。こう
いう趣旨から憲法は国民審査の制度を設け、最高裁判所の裁判官の任命は、その任
命後初めて行われる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過し
た後初めて行われる総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とし、その場合にお
いて、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときはその裁判官は罷免される(憲
法第七十九条第二項・第三項)こととしたのである(後段(一)(2)(ロ)
(ハ)(ニ)参照)。
 (2) (任命の効力と審査の本質、効果)
 しからば、ここにいわゆる「最高裁判所の裁判官の任命を国民の審査に付し」 
「投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は罷免される」と
は、いかなる意味であろうか。
 原告らは、「審査の対象となるのは裁判官の任命の適否であり、罷免されるとは
当該裁判官が将来に向つてその職を失うことを明らかにしたものである。すなわ
ち、国民審査の制度は、最高裁判所の裁判官の任命手続の一環として認められたも
のであつて、審査の結果、天皇又は内閣の任命に対し投票者の多数が反対したとき
は、当該裁判官は、任命を信任されなかつたものとして罷免され、そうでないとき
は、当該裁判官は、任命を信任されたものとして右審査の時から十年間その地位が
確定されるものとしたのである。」と主張する。なる程、憲法第七十九条第二項の
「任命を国民の審査に付し」という字句だけからみると、審査の対象となるのは裁
判官の任命の適否の点てあるかのようにみえ又、任命後第一回の国民審査はその性
質上任命に対する国民の事後審査たる実質を持つものということができるであろ
う。しかしながらこの問題は右条項の字句だけからでなく、任命の効力と審査の行
われる時機と罷免を可となる審査の効果などの関係を総合的に検討して決定せられ
なければならない。
 (イ) 憲法第六条及び第七十九条は最高裁判所の裁判官は天皇又は内閣の任命
するところであることを明定し、これらの規定は単純明瞭で何らの制限も条件もつ
いていない。すなわち最高裁判所の裁判官が任命せられてから国民審査によつて罷
免せられるまでの間の裁判官の地位については憲法は特別の明文をもつてこれを何
らか暫定的の、もしくは未完成の地位でありもし裁判官が審査によつて罷免された
場合にはその任命は初めに遡つて効力を失い恰かも裁判官欠格者が裁判官として裁
判その他の行為を行つたようなものとしてその行為を無効とするというような趣旨
を定めていない。
 すなわち憲法は最高裁判所裁判官が審査を受けることなくして本人の願による内
閣の辞令、定年、死亡などにより退官した場合にはその在任中の裁判官としての行
為は無効のものとせられる趣旨を定めていない。(任命にかような異例の効力を持
たせるには特別の明文を要する。)従つて最高裁判所裁判官の任命は下級裁判所の
裁判官その他憲法所定の任命による公務員の任命の場合と同じく任命行為によつて
任命は完了するのである。最高裁判所裁判官は任命以後憲法、法令、規則に定める
職務に関する行為を為しその他最高裁判所裁判官としての地位に基く権利義務を有
し、その行為は憲法、法令、規則に定めたとおりの効力を生ずるというのが憲法の
趣旨であると解すべきである。何となれば、もしかく解しないならば審査を経ない
裁判官の関与によつて成立した最高裁判所の裁判、規則制定、司法行政行、為等及
びこれらによつて生じた法律関係はこれに関与した裁判官の任命が後日の審査によ
り遡つて無効とせられる場合があり得る結果として安定しないものとなる不合理を
承認しなければならないからである。所論のように国民審査は任命手続の一環とし
ての任命の事後審査であり、任命はこの審査があるまでは完了せず審査によつて初
めて完了するのだというような趣旨を窺うべき条規は憲法にはない。
 (ロ) 憲法第七十九条第二項・第三項は最高裁判所の裁判官の任命は国民の審
査に付し、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときはその裁判官は罷免される
旨規定している。
 これによれば、任命を審査に付するということは、国民をして罷免を可とする投
票か、もしくは左様でない投票かをさせることであり、罷免を可とする投票が多数
のときは裁判官は罷免されるのであるから、任命を審査に付するとはとりも直さず
罷免を可とするかしないかを審査し、罷免を可とするときは裁判官はその審査の当
然の法律効果として爾後最高裁判所裁判官たる地位を失うことに外ならない。従つ
て「任命」を審査に付するとは「今後も任命せられていること」すなわち、「今後
の在任」を換言すれば「今後も罷免されないでいること」を審査に付することであ
る。
 (ハ) 国民審査は任命後初めて行われる総選挙の際行われるものであるから、
任命後初めての国民審査であつても、常に任命直後に行われるものとは限らない。
時として任命後数年たつてから行われることもあり、又裁判官が審査を受けること
なくして定年、死亡などにより退官することもあり得るのである。任命の適否を問
うということならば任命直後に行われてこそ意味あることであるが、憲法は任命後
数年を経過した後においても審査が行われるべきものとしている。
 (ニ) 国民審査は、任命後初めて行われるものに限らず、その後十年を経るご
とに行われる(憲法第七十九条第二項)。もし国民審査が任命の適否を国民に問う
制度であるとするならば、二度も三度も国民の審査に付する必要はない。論者或い
は第一回の審査により十年間その地位が確定されるのであつて、第二回、第三回の
審査により更に十年間ずつその期間が延長されるのであると説くかも知れないが、
この説によれば第一回の審査により初めの任命が信任され完了したのに何が故に十
年を経過することによつて再び右任命の適否を国民に問う必要が生ずるかの説明が
つかない。又、第二回、第三回の審査は、これを再任とみるのが相当であるという
説があるかも知れないが、最高裁判所裁判官は天皇又は内閣が任命すること憲法第
六条及び第七十九条の明定するところであるから、再任ならば再び天皇又は内閣の
任命行為が必要であり、国民の投票だけで任命することはできない。
 <要旨第一>以上述べたとおりであるから国民審査は決して原告ら主張のような国
民の公務員選定権に基く裁判官の任命の適否を国民に問う制度とは解し
がたく寧ろ憲法は、任命後第一回の国民審査がその性質上任命に対する国民の事後
の審査たる実質をそなえていることに意義を認めつつも特にこれを国民の公務員選
定権に基くものとして規定せず、第二回以後の審査と共に終始一貫してすべてこれ
を国民の公務員罷免権に基くものとして定めたものと認めるのが相当である。そし
てかく定めたからといつて必ずしも不都合不合理とはいえないのである。詳言すれ
ば、国民審査の対象となるのは、任命が適当であつたかどうかという過去の関係で
はなくして、或人が最高裁判所の裁判官として引きつづきその職に留まることが適
当かどうかという将来の問題である。憲法第七十九条第二項にいわゆる任命を審査
に付するとは今後における在任の可否を審査に付するという意味であると解すべき
である。審査の結果、投票者の多数が当該裁判官の罷免を可とするときは、その裁
判官は、その地位を失うが、それまでの彼の地位とそれによつて生じた法律関係の
効力には影響がない。憲法第七十九条第三項はこの趣旨を明らかにした規定であ
る。このように、国民審査は、国民が投票により最高裁判所の裁判官を罷免させる
ヒとのできる制度であつて、一種の解職の制度とみることができ既に述べたように
(その一(一)1)、この制度があるため、国民は、或最高裁判所の裁判官の任命
を以て初めから不適当と考えた場合、或いはその後になつて、その人格言動等を知
り又は社会情勢の変化によつて不適当と考えるにいたつた場合、その他理由のいか
んを間わず、現在その裁判官の罷免を可とすると考えるときはこれを罷免させる機
会を得、これによつて最高裁判所の裁判官が国民多数の意思に反して長年その地位
に留まることのないことが保障せられるのである。
 (3) (裁判官弾劾制度との両立)
 裁判官は公の弾劾訴追に基いて国会の弾劾裁判所で罷免の裁判を受けたときは罷
免せられるが、この罷免は国家機関が司法的な法定の手続を以て裁判官たるに適し
ない法定の事由があつたと認められた場合に裁判によつて行うものであつて、最高
裁判所及び下級裁判所のすべての裁判官について、総選挙の機会をまたず、任命の
直後たると否と、十年の期間を経たると否とを問わず、国民の投票によらず、また
国民審査が行われると否とを問わず行うものであつて、弾劾裁判があるから国民審
査は要らないとか国民審査があるから弾劾裁判は要らないとかいう関係のものでは
ない。両制度は両立し得るのである。従つて裁判官弾劾制度があるからといつて国
民審査が解職制度でないということはできない。
 以上説示のとおり、国民審査は、憲法によれば一種の解職制度なのであるから、
審査法が解職投票を規定したのは当然であつて、少しも違憲の点なく、審査法が全
体として無効であるとの原告らの主張は到底採用することができない。
 (二) (審査法は投票強制を規定しない。)
 次に原告らは、「審査法第十二条、第十三条の規定は、総選挙の投票のため投票
所に赴いた者に対し、その好むと好まざるとにかかわらず国民審査の投票をなすべ
きことを強制するものであつて、憲法第十三条に反し無効である。」と主張する。
 按ずるに憲法第七十九条第二項が国民審査は必ず「衆議院議員総選挙の際」に行
うべきものと定めているのは国民審査が成年者による普通投票(国民の投票)の方
法によるべきであるがため、審査人にも審査の管理者にも便利でなるだけ少ない時
間、労力、費用でやれるように、殊に棄権を少なくして審査をしてできるだけよく
審査人の総意を表明せしめるようにしたいからそれには総選挙が最も多く有権者が
投票所に集まる絶好の機会だからに外ならない。もつとも憲法が審査を総選挙の際
に行うべきものとしているということは必ずしも最も厳密な意味で同一投票所で同
時に投票なることを要求しているとはいえず、例えば両投票所は互いに隣接<要旨第
二>する建物にあつても差し支えない。しかし、審査法第十二条、第十三条のよう
に、選挙の管理者をして審査の管理者たらしめ、選挙立会人をして審査
立会人たらしめ、又選挙の投票所においてその投票と同時に審査の投票を行うべき
ものとし、総選挙の人的機構と物的設備とを同時に審査に利用するように立法して
も、それは審査人に投票に便利な機会を与えた規定だというに止まり、右規定自体
が当然審査の投票をしなければならないように強制していて憲法第十三条に違反し
ているとまではいえない。審査法のこの規定の下においても審査人は自分の意思と
おりの投票をし又は投票しないことの自由を持つている。(このことはその一
(三)(5)において述べる)。
 よつて原告らの三の(その一)(二)の主張は理由なしとして排斥する。
 (三) (投票用紙の様式並びに投票の方式を定めた規定について。)
 次に原告らの三の(その一)(三)の主張について判断する。
 右主張中国民審査が任命の可否を国民に問う制度であることを前提とする所論の
理由のないことは前記(一)の説明により自ら明らかであろう。よつてここには国
民審査は解職の制度であることを前提として原告らの主張を吟味することとする。
 原告らは、国民審査の投票用紙の方式並びに投票の方式に関する審査法第十四
条、第十五条、第十六条、第二十二条の諸規定は、憲法第十五条、第十九条、第二
十一条に反する無効のものであると論難する。その主張を要約すれば、
 (イ) 罷免の可否不明の審査人に対しその意思の発表方法を定めていないこと
は、思想及び良心の自由並びに表現の自由を侵すものである。
 (ロ) 罷免を可とする裁判官についてのみ積極的表示方法を定め罷免を可とし
ない裁判官とその可否不明なる裁判官とについてはこれを定めず、無記載の投票方
式を採用したのは、投票の本質をあやまり、国民の公務員罷免権の行使を不当に制
限したものである。
 少なくとも罷免を可とするものは×印、罷免を可としないものは〇印を記載する
というように可否を明白に表示してこそ投票の本質にもかなうのである。
 (ハ)連記投票の方式は投票の強制となる。
 の三点に帰着する。そしてそれは相互に関連する事項でもある。
 よつて、以下(1)ないし(3)の点を考えそして右三点について判断すること
とする。
 (1) (一種の投票だけしか認めない制度を考える。)
 国民審査の方法を憲法が定めるに当つては一応次のような方法を考えることがで
きよう。
 (甲) 例えば、審査に付される裁判官について罷免を可とする審査人にのみそ
の旨の投票をさせ、この罷免投票の数が審査当日の審査人総数の過半数にあたると
きはその裁判官は罷免されるとする方法をとることは理論上は不可能ではない。こ
の方法によるときは、罷免を不可とする審査人、もしくは罷免の可否が判らないと
いう理由などから投票したくない審査人は投票の労をはぶくことができる。しか
し、この方法では罷免を不可とする審査人と棄権者といずれが多数であつたかの実
情が判らない欠点がある。これは審査に無関心な審査人には便利であるが、しか
し、かくては一般国民の国民審査制度、ひいては裁判ないし国政に対する関心を薄
くする虞があり、審査に付される裁判官に有利に過ぎる嫌いもある。
 (乙) 或いは反対に、裁判官を信任する審査人にのみ罷免を不可とする投票を
させ、この信任投票が審査当日の審査人総数の過半数にあたるときに限りその裁判
官は引続き在任するものとし、それが過半数に満たないときは罷免されるとする方
法をとることも理論上は不可能ではない。しかし、審査人総数の過半数の信任投票
がなければその地位を保ち得ないとなるような方法は裁判官に対し(殆んど如何な
る重要な公務員に対してでも同様であるが)苛酷に過ぎる条件であつて、かくては
しばしば最高裁判所裁判官の更迭を来たし、ひいて裁判官の地位の安固を害する虞
が多くなるといわなければならない。
 (丙) 憲法が右(甲)(乙)いずれの方法をとるとしても、罷免投票なり、信
任投票なりが審査人総数の過半数を占める場合が現実の問題として一般的にしばし
ばあり得るかどうかは疑問に属する。寧ろ常にいえることは、審査人中には裁判官
の罷免を可とする者もあり得る。罷免を不可とする者もあり得る、その可否につい
て投票しない者もあり得る、そしてこれらのそれぞれが占める数の多少は予想する
ことができないということである。この考えを基本として憲法を立法なるならば国
民審査の方法としては全審査人に投票の機会を与え、審査人は特定の裁判官につい
て自己の自由な意見に従つて「罷免を可となる投票」か「罷免を可としない(罷免
を妨げる効果を持つ)投票」かいずれか一の投票をなすべく、しかし、投票しない
で棄権するヒともできるものとし、得られた投票の多数が「罷免を可となる」もの
であるときは罷免の効果を生ずる審査があつたものとする制度をとることが適当で
ある。この方法は各審査人の意思をありのままにハツキリ知ることのできる適正確
実な方法であるということができる。わが憲法はこの制度をとつているものであ
る。このことは後に(その一)(三)(5)及び同(三)1Aにおいて述べる。
 (丁) ここで、ついでに、審査の投票方法として次のような立法をすることは
合理的かどうかを考えてみる。
 すなわち、審査に付された裁判官の数と同じ枚数の白紙の投票用紙を審査人に交
付し、審査人は、裁判官中、罷免を可とする裁判官についてはその裁判官の氏名を
投票用紙に記載し、又、罷免を可としない裁判官については何らの記載をしないで
白票を投函すべきものとし、各裁判官が得た罷免投票が罷免を可としない投票より
も多数である場合にば審査において罷免が可決せられたものとなる立法である。
 この立法によれば、審査に付された裁判官が一人の場合にはもちろん、裁判官が
数人の場合にもその裁判官全部について一斉に、罷免投票か信任投票か又は棄権か
をすることはできるが、数人の裁判官中の一部について罷免投票をした後、残りの
裁判官については、棄権しようとする審査人は投票用紙にその裁判官の氏名と棄権
する意思表示とをして投函するという方法によつて棄権できると解しない限り、棄
権する方法はない。白票を投ずればそれは信任投票と同じ効果、すなわち、罷免投
票に対抗しそれを否定し罷免を妨げる効果を持つものとして扱われるからである
が、それは本人の意思に反する投票をなさしめるものである。
 白票の中に信任投票と実質的棄権票との双方が含まれていることは、白票がいか
に多数であつてもそれは或いは実質的棄権票を多数に含有しているかも知れないと
いう危険性があることを意味し、もしかなると実質的棄権が百分の九十九を超える
場合(審査法第三十二条但書参照)さえなしとしないことを示すものであつて、民
意はありのままに反映されないことになる(後述その一(三)(5)末段及び回
(三)1B末段参照。)
 のみならず、この立法の下における白票が、信任投票として扱われた暁において
も、一体信任投票(白票)は、どの特定の裁判官を信任するというのか投票者は裁
判官を特定して指示しないからその意思は表示せられずして不明である。しかし、
国民審査で審査に付せられるのは、従つて、投票又は棄権が行われるのは、性質
上、特定の個個の裁判官についてでなければならない(すぐ次にその一(三)
(2)で述べる)。従つて、投票用紙上で裁判官の氏名を知り得ない信任投票は審
査に付されたいずれの特定の裁判官の得票とも決し難く、せいぜいこれを混同して
審査に付された裁判官全員に平等に分配してそれぞれ同数の信任投票を得たことと
する外ない。
 しかし、これは審査人の意思を正確に国民審査に表明する方法ではない。例え
ば、審査人は裁判官イ、ロ、ハの三人の中イについて罷免投票を口、ハの二人につ
いて白票の信任投票をしたとせよ。この二枚の白票は審査人の意思に従えばイ裁判
官の信任得票中に加えられるべきではないが、白票は裁判官の氏名を示さないから
他のすベての白票と共に三等分せられてイ裁判官の信任得票中に加えられる不合理
の行われる可能性はあるのである。結局、次のような場合を想定すればその不合理
が判る、仮りに審査に付される裁判官が三人で、審査人が総数一、四〇〇万人あつ
て、全部有効投票をしたとする。この立法の下では裁判官一人毎に投票用紙一放ず
つが交付せられるのだから、投票用紙総数は四、二〇〇万枚で、各裁判官の得票は
罷免を可とする投票と可としない投票とを合せて一、四〇〇万枚ずつある筈であ
る。今もし、審査人をして罷免投票にも信任投票にも裁判官の氏名と罷免又は信任
の意思表示とを記載せしめたならば、各裁判官の総得票は、裁判官イは罷免投票八
五〇万票、信任投票五五〇万票、裁判官ロは罷免投票六九〇万票、信任投票七一〇
万票、裁判官ハは罷免投票六八〇万票、信任投票七二〇万票というように分布せら
れたであろうという場合に、この投票をここに挙げた「信任投票は投票用紙に裁判
官の氏名を記載しないで、投函する」という方法によつてしたとすれば、右裁判官
各自の得た罷免投票が右の通りであることはもちろん変りはないが、どの信任投票
はどの裁判官についてなされたものかを区別せられない結果、信任投票合計一、九
八〇万票は平等に六六〇万票ずつ三裁判官に分配せられることとなり、得票は裁判
官イは罷免投票八五〇万票、信任投票六六〇万票、裁判官ロは罷免投票六九〇万
票、信任投票六六〇万票、裁判官ハは罷免投票六八〇万票、信任投票六六〇万票と
なり、従つて、前の場合には裁判官イだけが罷免されたのが、後の場合には裁判官
三人とも罷免されることになろ。前の審査結果が審査人の真意に合致する真実のも
のであり、後の審査結果は真実に適合しないものである。これは結局どの裁判官を
信任するかを投票に表示させないで白票を投ぜしめた当然の結果として、審査人の
隠れた意思に従えば信任白票を多く得たに違いない裁判官の得べかりし白票を、そ
れを少なく得たであろうところの裁判官の得票に混同流用し、よつて全裁判官の信
任投票を平均化したことから起る、約言すれば国民審査の性質に反し特定の一人ず
つの裁判官の氏名を信任投票に表示せしめない投票方法をとつたことから起る背理
である。
 要するにこの立法は国民の投票において棄権の自由を侵してはならない、棄権の
自由があつてこそ投票が投票者の真意を表明するものである(後述その一(三)
(4)(5)参照)ということを認めず、又、棄権票と信任投票とを混同し、もし
くは、特定の一人の裁判官に対する信任投票を他の裁判官に対する信任投票として
扱うような投票者の意思を無視する不合理があるものと結論する外なく、これは審
査人が裁判官について罷免を可とする場合にのみその旨の投票をさせる前記(甲)
の立法に比して投票者の意思を無視するだけ寧ろ一層不合理な立法といわざるを得
ない。かような立法は固より現行憲法に違反するものである。
 以上のことから、審査の投票は罷免投票も信任投票も共にどの裁判官についてな
されるのかが明らかにせられるように、又、棄権もどの裁判官についてなされるの
かが混同されないように仕組まれなければならないことが判るのである。
 (2) (審査は、従つて投票ないし投票欄は裁判官毎に独立のものである。)
 国民審査は性質上特定の一人の最高裁判所裁判官について行われるべきものであ
る。すなわち憲法第七十九条第二項は、或特定の最高裁判所裁判官が任命後初めて
総選挙を迎える場合、或いは国民審査を無事に通過してから十年を経過した後初め
て総選挙を迎える場合には、彼は国民審査に付されるべきことを定めているが、各
裁判官の任命の日又は前の国民審査の日は異り得るものであるから国民審査は場合
によりただ一人の裁判官について行わなければならないばかりでなく、本来審査人
が罷免の可否について投票するのは審査に付された特定の一人一人の裁判官につい
てであり、罷免を可とする投票と可としない投票とのいすれが多数であるかを比較
することも、又審査の結査罷免の効果が生じたり、生じなかつたりすることも、同
様に一人一人の裁判官についてでなければならないことは審査の性質上当然のこと
であり、憲法第七十九条第二項、第三項の予定しているところである。
 このことは本件の問題を解決するに当つて忘れてはならないことである。だから
又、審査は最高裁判所裁判官の中の特定の誰が審査に付されるかを示して行われる
ことを要するものである。審査は現職の最高裁判所裁判官達の中から誰かを罷免を
可とする者として選び出す制度であると解する被告などの見解は正しくない。
 審査従つて又その投票の対象が特定の個個の裁判官であり、投票と審査の効果が
決定せられるのもその特定の個個の裁判官についてであるということは審査法第十
四条第二項第十五条第十六条第一項、第二十二条、第三十二条本文にも現われてい
る。もつとも同法第十四条、第十五条などは審査に付される裁判官が二人以上ある
ものとして規定しているかのように見えるが、これは裁判官が二人以上審査に付さ
れるときについて<要旨第三>規定すれば裁判官ただ一人の場合はおのずから明らか
であるからに外ならない。法律上の性質からいえば二人以上の裁判官が
同時に審査に付されることはいわば偶然のことであつてその場合でも審査は各裁判
官個個について行われるのであり、すなわち、二人以上の審査が同時に併合して行
われる訳なのである。この理は審査に付される二人以上の裁判官について審査法第
十四条所定の場合のように同じ一枚の投票用紙を用いる場合にも変るべき筋合では
なく、投票の趣旨及び効果はその各裁判官についての欄毎に各別に定められるべき
ものである。もつとも投票用紙は投票者一人について一枚を用いるのであるから審
査事務或いは投票用紙の取扱などに関しては右の場合これを一個の審査、一個の投
票として考えることが法令規則の上でも実務取扱の上でも適当である場合のあるこ
とはいうまでもない。(例えば審査法第六条、第十四条はこの意味を含む。)
 (3) (罷免を可とする投票と罷免に反対する効果を持つ投票。二、三の立法
の想定と条理。)
 憲法第七十九条第二項、第三項は「最高裁判所裁判官の任命は……総選挙の際国
民の審査に付し」「投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は
罷免される」と定めているところがら観ると、憲法は第一に、裁判官の罷免を可と
する投票と左様でない投票とがあつて、前者が後者より多いかどうかが比較されな
ければならないものとしていること、第二に、罷免を可とする一票は裁判官を罷免
させる方向の効果を持ち、左様でない一票は裁判官を罷免させることを否定し、妨
げ、これに反対する方向の効果を持つものとしていること。すなわち、前者が後者
よりも多くないときは裁判官の罷免は否定せられるものとしていることが判る。も
ちろん、ここに投票というのは法律上の有効要件を備えた投票をいうのであつて、
無効投票は投票として罷免させる方向の効果をも罷免に反対する効果をも持たない
ものとせられるべきことはいうまでもない。
 しからば審査においてほ投票の有効要件を定めて審査人をして罷免を可とする投
票か左様でない投票かをさせ前者が後者より多数なるときは裁判官は罷免せられる
こととすることは憲法の要求に適合する訳である。
 今、事柄の性質を明らかにするため、現行憲法に適合する範囲内で、しかも現行
審査法とは違つた審査方法を定める一、二の立法を考えてみたい。
 (い) 先ず、投票方法を次のように定める立法はどうか。すなわち、審査に付
される各裁判官の氏名を各別に印刷した投票用紙(一枚の用紙にただ一人の裁判官
の氏名を印刷したもの)をその裁判官全員分だけ審査人に交付し、審査人をして罷
免を可とする裁判官については×印を、「罷免されないことに異議のない」裁判官
については〇印を記載して投票せしめ、前者の投票が後者の投票よりも多数である
裁判官は罷免せられるものと定める立法はどうか。この立法の下では或一人分裁判
官について棄権したいと思う審査人はいずれの記号をも記載しないで白票を投ずる
ことができる。この立法によれば現行審査法の連記投票のように投票と棄権の自由
が不当に制限せられるというような論旨の出る余地がなく、合憲であるヒとは明ら
かである。
 問題は、この白票を「罷免を可としない」投票として有効のものとして取り扱う
ことが許されるか、である。
 思うに、罷免の可否について裁判官毎に別個の投票用紙に×印か〇印を記載させ
る投票制の下で投ぜられた白票は、審査人が罷免の可否が判らないなどの理由から
その可否について投票する意思がなく、沈黙し棄権なる意思を示すものであつて、
これは罷免を可とする投票でも罷免に反対なる投票でもないと見なければならな
い。かく見ることは本人の意思に合致し、従つて国民審査をして審査人の真の総意
を反映するものたらしめる上からいつて正当なことである。
 この白票を例えば、罷免に反対する投票として扱うのは彼が〇印を記載しなかつ
た彼の意思を無視するものである。
 この白票は、他事記入(審査法第二十二条)をしたり破つたりして無効のものと
せられた投票或いは投票用紙の不投入と性質上同一であつて「投票」ではなく
「無」(ゼロ)である。この制度の下では或裁判官の罷免を可となるか否かがどう
しても判らないと思う審査人はこの白票を投ずるなり投票しないなりして棄権する
ことができるのである。
 しかし、この立法の下で、白票は罷免の可否が判らない審査人だけがするものだ
とは限らない。
 罷免の可否が判つていても何らかの理由で棄権したい考から投じた白票もあるの
である(後述その一(三)1B参照。)漫然「白票は在任に異議のない有効投票で
ある。」と断ずることはできない。在任に異議のない投票は別に〇印の信任投票と
してなされているのである。従つて、白票は単に棄権票である。白票投票には罷免
の可否が判つている者も判らない者も包含せられているのである、と観念すべきで
ある(その一(三)1Bにおいて後に述べる)
 (ろ) それでは投票方法を次のように定める立法はどうか。すなわち、審査に
付される裁判官毎に別個の投票用紙を用い、罷免を可とする裁判官については×印
を、「罷免されないこと(在任)に異議のない」裁判官については〇印を記載して
投票せしめる、又何らの記号を記載しないで白票を投ずることもできるようにす
る。しかし白票は〇印の投票と同じく罷免に反対の効果を持つものとして扱うべき
ことを法律で規定しておく立法をとることはどうか。この立法は白票を〇印の投票
と同じく罷免に反対する投票として扱うべきことを法律で明示している点が前段
(い)の立法と違う。この立法の下で審査人が白票を投じたとすれば、彼は白票は
罷免に反対する有効投票として〇印の投票と同様に扱われることを知つて(もしく
は、知るべき立場にあつて)白票を投じたのであるから、これを罷免に反対する有
効投票として扱うことは彼の意思には反しない。けだし、もし彼が自分の投票を罷
免に反対の投票として扱われたくないならば彼は投票せず又は他事記入による無効
投票によつて棄権する自由を持つているからである。従つて、この立法の下での白
票は前段(い)の立法の下での白票と異り「無」ではなく、罷免に反対する有効投
票であり、そのことが初めから法律に規定されていること〇印投票と同じである。
この立法の下での白票が信任投票であるべきことは、恰かも罷免を可とするときは
×印を記載すべきことが規定せられている場合に×印投票が罷免投票として扱われ
るべきことと同じである。(後述その一(三)(5)参照。)だから在任に異議の
ない審査人は〇印投票をしてもよく、白票を投じてもよく、結局〇印を記載する面
倒を省いて白票を投じてもよいことになる。この場合に投票は罷免を可とする投票
と罷免を可としない投票との二種に分れるが、「罷免を可としない」投票とは「罷
免しないことに異議のない」投票すなわち、信任投票に外ならない。この信任投票
をしたくない審査人は目由に罷免投票か棄権かを選ぶことができ、棄権は投票用紙
が裁判官一人一人について別個のものであるから容易にすることができる。
 (は) そこで(ろ)の立法を整備して、これと同趣旨の立法をすれば次のよう
なものになる。すなわち、審査に付される裁判官毎に別個の投票用紙を用い、「罷
免を可とする」裁判官については×印を記載し、又、「在任に異議のない」裁判官
については何らの記載をしないで投票用紙を投函せしめる、後者の投票には何らの
記載はないがこれには裁判官の罷免に反対する投票(信任投票)としての効果を認
める。という立法をすることになる。これによれば、信任投票をしたくない審査人
が罷免を可とする投票をもしたくないなら彼は棄権する外ない。投票用紙は裁判官
別に各別になつているから棄権は裁判官別にすることが可能である。従つてこの立
法の下では審査人が自己の意思に反して罷免投票なり信任投票なり、棄権なりを余
儀なくさせられることはない。
 この立法は投票と棄権とを自由にすることができることが明白になつている点に
おいて優つているといえる。
 しからば、現行審査法はこれらの立法にくらべていかなる点において異同がある
かを見よう。
 第一に、現行審査法の下でただ一人の裁判官が審査に付される場合は、一人の裁
判官のために一枚の投票用紙が用いられ、そして投票用紙に何らの記載をしないで
投票すればそれは罷免に反対する効果を持つものとせられる(審査法第十五条、第
三十二条)場合であるから、恰度前記(は)の立法に該当する。
 従つて罷免投票又は信任投票或いは棄権が自由にできることは明白で問題になら
ず、合憲である。
 第二に、現行審査法のように、罷免を可となるときは×印を記載し又、在任に異
議がないときは何らの記載をしないで投票用紙を投函すべく、×印の投票が何らの
記載のない投票よりも多数のときは裁判官は罷免せられると規定したとしても、も
し審査法が審査に付される裁判官毎に各別の投票用紙を用いるべきことを規定する
立法をするならば、これは全く前記(は)の立法に該当する。従つて何らの記載を
しない投票は「裁判官の在任に異議がない」とする信任投票の意味での「罷免を可
としない」投票なのであつて、これは「罷免の可否が判らない」投票でもなく棄権
でもないのである。審査人は或特定の裁判官について棄権しようと思えばその裁判
官の分の投票用紙を投函せず或いは他事記入による無効投票をすることによつて棄
権する自由を持つているのである。こうように、要するに、常に裁判官毎に投票用
紙を別にする立法をとつたならば、たとえ信任投票の方式を「投票用紙に何等の記
載をしないこと」と定めても審査人は可否いずれの投票でも又棄権でも自由にでき
ることは余りに明白であるから違憲ではなく、又「右無記載投票は罷免の可否が判
らない者の白票(もしくは棄権)を信任投票として扱う不当があるものだ」などと
いう論旨がでる余地は先ずないと思われる。
 第三に、現行審査法の定めるいわゆる連記投票の場合である。この場合に審査人
は果して常に自己の意思とおりに罷免投票もしくは信任投票或いは棄権をする自由
を持つているであろうかという点は確かに問題になる。もし審査人が連記投票用紙
を用いてはその中の一人の裁判官についてだけ棄権する方法がない場合が生ずると
すれば連記投票制を定める現行審査法の規定は審査人の投票における棄権の自由を
奪いその投票に本人の欲しない効果を付与する違憲あるものといわざるを得ない。
 問題は、現行審査法の下で、同時に二人以上の裁判官が審査に付された場合に、
審査人がその中の一人だけについて棄権したいと思う場合に常に棄権する方法があ
るか、例えば甲、乙、丙三人の裁判官が審査に付されている場合に、審査人が「甲
については罷免させたい、乙については罷免させたくない、丙については棄権した
い。」と考える場合に審査人はどうしたら丙について棄権することができるか。甲
については×印をつけ、乙については信任投票の意味で空白欄を残すことが必要で
あるが、丙についてはどうすればよいか、丙を罷免させたいと思わないのであるか
ら×印をつける訳にはいかないし、丙を信任する(換言すれば丙が罷免されないこ
とに異議はないとする)のでもないから記載欄を空白にして投票する訳にもいかな
い、全然投票用紙を投函しないなら、甲、乙についての投票は不可能になる、丙に
ついての欄だけにおいて棄権する方法はないかという問題である。
 思うに現行連記投票制の場合には、審査人が棄権を欲しないならば問題はなく、
彼は投票用紙に記載せられた裁判官の全員についてでも一人についてでも罷免投票
又は信任投票を自由にすることができ、又、全員について棄権を欲するならそれも
する方法があることは明らかである。従つて問題になるのは、結局、審査に付され
た裁判官中の一人について信任投票をし、他の一人について棄権する方法があるか
ということに帰する。もし棄権の方法がないならば現行連記投票制が違憲だという
ことになる(後記その一(三)(4)(5)参照)。仮りに連記投票制をとるとし
ても、審査人をして各裁判官にのいて罷免を可とするときは×印を、罷免されなく
ても異議がないとするときは〇印を記載すべきものとする立法をとるならば、棄権
したいと思う審査人は×印をも〇印をも記載せずに真正の意味での白票を投ずるこ
とができるからこれは前記(い)の立法と同じく投票と棄権の自が保障せられた合
憲のものだということができる。この立法は筋の通つたものであるのに、これをと
らなかつた理由の中にはわが国民大衆の現状では棄権が多くなつて国民審査が国民
の総意を表明するに足らず国民投票たるの実を備えないものに堕する場合が生ずる
懸念があつた点などがあると思われる(後記その一(三)(5)1B2参照)。そ
れゆえに現行審査法が立法せられたのであり、当裁判所は現行法では審査に付され
た裁判官数人中の一人について棄権しようと思う審査人はその裁判官についての欄
だけにおいて積極的な方法で棄権する方法はあると解するものである。が、この点
は次に(4)で述べる。
 (4) (現行法の下で棄権は可能である。)
 <要旨第四(ロ)>当裁判所は、審査法第十四条所定の投票用紙を用い第十五条所
定の方式で投票すべきものと定めた場合においても、審査人は審
査に付された裁判官の一人だけについて投票しないで棄権することは可能であり且
つ許されなければならない、棄権の方法は投票用紙の当該の裁判官に対なる記号記
載欄に棄権という文字を記載するなど棄権の意思を表示してこれを投函することで
ある、と解するものである。そもそも審査は憲法の上で性質上個個の裁判官につい
て各別になされるべきものであること前述のとおりである。そしてこのことは投票
をするかしないかも、投票の趣旨(罷免を可とするか否かの)も、投票の効果も個
個の裁判官各別に考えられなければならないことを意味し、これは連記投票の場合
でも審査人が或一人の裁判官について棄権したいと思うときは棄権する途をたとえ
多少面倒でも常に開いておかなければならない(後にその一(三)(5)で述べ
る)ことを意味する。憲法の上からは当然には連記投票制はでて来ないし、たとえ
連記投票制をとつても各裁判官に対する記載欄に罷免を可とするときは×印を、在
任を可とするときは〇印を記載すべきものとする立法(前述その一(三)(い)
(ろ))をとるときは、或一人の裁判官についてだけ棄権したいと思う審査人は投
票用紙の当該裁判官に対する欄に何らの記載をしないでこれを投函することができ
るのであつて、同様な棄権方法は現行審査法の下でもなければならないし、又現に
禁止せられてはいないのである。問題は、そんな棄権の意思表示の記載は審査法第
二十二条第一項第二号によつて他事記入としてその一枚の投票用紙を用いてなされ
た連記投票全部を無効とするものではないか、ということである。思うにいわゆる
他事記入の禁止は投票の趣旨が簡明正確且つ迅速に判明し審査事務の管理が明確迅
速に行われること、並びに憲法第十五条第四項に従つて投票の秘密が保障せられる
ことを目的とするものであつて、この目的達成上必要な限り厳重に守られなければ
ならないが、そうでないときは必ずしも厳格に解釈せられるを要しない。現に公職
選挙法では候補者の氏名の外、職業、身分、住所又は敬称の類を記載したものはこ
れを無効としていない(公職選挙法第六十八条第一項、第五号但書)から、これに
よれば選挙人が予め投票用紙における職業、身分、住所又は敬称などの文言や書き
方を暗号として用いることを通謀して投票し、よつて投票の秘密が漏れるようにす
る可能性が幾分多くなるかも知れないが、よつて生ずる弊害はいうに足らないの
で、同法の右規定は妥当であつて違憲とはいえないのと同様である。当裁判所は、
現行審査法の解釈として、一人の裁判官についての一欄内に限つてなされた「らく
がき」のような一般の他事記入がその一欄だけを無効ならしめるか、又はその投票
用紙の全欄を無効ならしめるかの問題はしばらくおき、又、国民審査がただ一人の
裁判官について行われる場合には他の棄権の方法があるからこれを除外し、審査が
数人の裁判官について連記投票の方法で行われる場合に他に棄権の方法がない場合
に限り、審査人は或一人の裁判官についてだけ棄権したいと思うときは投票用紙の
当該裁判官に対する記載欄内に限り「棄権」「キケン」などの文字その他棄権の意
思を表示する記載をしてその裁判官について棄権することができると解する。これ
がこの場合における唯一の棄権の方法でありこの方法をさえ許さないと解するにお
いては審査法は憲法の保障する投票と棄権の自由をふみにじつた違憲のものだとい
うの外ないのである(前述その一(三)(3)(は)及び後記その一(三)(5)
参照)。この解釈は或一人の裁判官についての欄内になされた棄権の意思表示でな
い「らくがき」(例えば俳句)の記載までも棄権と解するというのではない。
 要するに、当裁判所は他事記入を広く認めるのでなく、現行審査法の下での連記
投票の場合で他に棄権の方法がないときに限り且つ棄権しようとする裁判官につい
ての記載欄内に棄権の意思を表示することによつてのみ例外的に審査人は棄権する
ことが許される、そしてこの場合だけは例外的に他事記入とせられずその投票用紙
における裁判官全員に対する投票の無効を来すものではないと解する。かく棄権の
許される場合とその方法とを狭く解するときは棄権の途を幾分狭くする結果となる
が、棄権の途を杜絶するという重大な法の欠陥はなくなる。そして当裁判所の解釈
は棄権の方法として投票用紙に種々雑多な「らくがき」を許すという訳ではないか
ら、第一に、審査事務の管理の正確簡明も害されることなく、第二に、全国数千万
の審査人が同時に行う審査投票の際投票用紙内の一欄内にこの棄権の意思表示だけ
をすることを投票の秘密を漏らすための暗号として用いるような陰謀は、その方法
において至難のことであり、それが審査の総結果に異動を生ずる程度の少くとも幾
千人という多数審査人の間で行われなければならない以上陰謀の秘密が曝露する公
算が頗る大きいため殆んど企図実行せられ得ないから、投票の秘密が侵される虞も
いうに足らないことになり、しかも棄権の自由は現行審査法の下でも常に保障せら
れているのを見ることになるのである。
 (5) (棄権を不可能ならしめる投票方法を定めた法律は合憲か。投票の法律
上の義務があるか。)
 国民審査における審査人の投票の権利は憲法第十五条第一項が国民固有の権利と
して保障する公務員選定・罷免の権利の一に属し、主権は国民に存するという憲法
の国民主権主義の顕著な現われの一である。しかして国民の総意が投票によつて形
成される場合には投票者の意思が自由に表明せられなければ国民の真の総意とはい
えずこれを国政の基礎となし得ないこというまでもないから、公務員選定・罷免の
ための国民の投票権の行使に当つては投票の権利と棄権の自由が侵されてはならな
い。このことは憲法第十五条第四項の投票の秘密の保障の規定、同法第二十一条第
一項の表現の自由の保障の規定から明らかである。国民審査における投票の権利は
審査人が裁判官の罷免を可とする投票をするか、否とする投票をするかの選択を自
己の自由な意思に従つてすることができる意味を含むと共に、投票をしないこと
(棄権すること)の選択をも自己の自由な意思に従つてすることができることを意
味する。審査が国民の総意の表明たる実を挙げるにはそれができるだけ多数の国民
の投票によつて行われることを理想とするが、同時に、審査は一般国民の投票によ
つて行われる普通選挙と同じく投票による国民の真実の総意の表明でなければなら
ないから、そして棄権の自由があつてこそ投票が真意の表明として国政の基礎とせ
られる価値を持つのであるから、審査人に法律上の投票義務を課することは適当で
ない。これは法によつて構成せられる会議体の会議において構成員が発言表決の権
利と同時にその義務を有するものとせられてよい場合があり得るのとは違うのであ
る。審査人の棄権の自由は国民の公務員選定、罷免の権利そのものに関するもので
あるから、単なる表現の自由以上に憲法上重要なものであり、従つて、単なる投票
方法の技術上の問題ぐらいで棄権の自由が奪われるような立法をしてはならないの
である。
 裁判官の罷免を可とするか在任を可とするかがよく判らない審査人は熟考の末罷
免投票か信任投票をすることができる。しかし、いくら熟考しても罷免の可否が判
らないときでも彼はいずれかの投票をしなければならないとなることは、投票権者
の真意に反する投票を強いることになり、国民をして国民の真の意思を示し得ずま
た知り得ざらしめる結果となる。のみならず、投票義務の違反に対し何らかの制裁
を課する立法をして投票を義務としてみても、投票権者が無効投票をすることを事
実上阻止する方法もなく後になつてから投票義務違反を調査する方法もない。殊に
大切なことは棄権の意思でなされた無効投票を本人の意思に適合する何らかの有効
投票(すなわち有効な罷免投票か有効な信任投票)として扱う方法もあり得ないこ
とである。けだしそれは本人の意思に反する効果をこれに付与するものだからであ
る。ここで注意しなければならないのは「棄権しようとする者」は「あくまで罷免
の可否が判らない者」以外にもあり得るということである。例えば、審査人は裁判
官を罷免させるべきであるということは判つているが、私情においては罷免投票を
するに忍びないから棄権したいと考える場合、或いは、審査人自身が審査に付され
た裁判官本人であるような場合、その他、審査人が罷免の可否は判つているが政治
的、道徳的理由その他の理由から棄権したいと思う場合はあり得ることもちろんで
あつて(後述その一(三)1B参照)、かように審査人がいずれの投票をも欲しな
いならすべて棄権せしめる外ないのである。要するに「罷免の可否が判らない審査
人」というものは「棄権したいと思う審査人」の概念の中に包含せられるべきもの
である。
 以上述べたように、棄権は常に許されなければならないことは国民審査における
投票用紙の様式、投票の方式、裁判官の一人又は数人であることのいかんにかかわ
らず、変りはない。既に(前述その一(三)(3)(い)(ろ)(は))で見たよ
うに、審査が(一)裁判官毎に別個の投票用紙を用いて行われる立法の場合、又
は、(二)連記投票制の下でも罷免を可とするときは×印をつけ、在任を可とする
ときは〇印をつけて投票すべきものとする立法の場合には、棄権の自由とその方法
があることは極めて明瞭である。(三)現行法の下でも(イ)審査に付された裁判
官がただ一人の場合、(ロ)又は、数人の裁判官の全員について、棄権しようとす
る場合には、審査人には棄権の自由とその方法があることもまた明らかである。こ
れから観ても国民審査については投票義務を認めず棄権の自由を認めることは合憲
で合理的な、審査に普通の法則だということができる。ひとり現行審査法の定める
連記投票制の下で数人の裁判官が審査に付される場合に限つて棄権の自由は奪われ
るのであろうか。又奪われてよいものであろうか。連記せられた裁判官中の一人に
ついて棄権することが許されないなら審査に付された唯一の裁判官について、又審
査に付された数人の裁判官の全員について棄権することも許されない筈である。寧
ろ連記投票の場合一人の裁判官だけについて棄権できない場合を生ずるとすれば現
行連記制こそ違憲ではないのか。前記(その一(三)(3))設例の審査人が裁判
官甲については罷免投票を、乙については信任投票を、丙については棄権をしたい
と思う場合、丙については棄権する方法はないのであろうか。要するに審査に付さ
れた裁判官二人の中一人について信任投票をし、他の一人について棄権する方法は
ないのであろうか。
 この場合当裁判所の解釈のように各裁判官についての記載欄の独立性(既述その
一(三)(2))を認め棄権したい裁判官についてはその欄内に棄権の意思表示を
することによつて棄権することを認めるなら格別、左様でないならば連記の二人の
裁判官の内乙については信任投票をし丙については棄権したいと思う場合に棄権す
る方法はない。もし審査人は丙について罷免投票か又は信任投票をしなければなら
ないというならば、それは彼の意思に反する投票を強いることになる。丙について
は何らの記載をしないで投票しなければならないとするならばこれまた彼の意思に
反する信任投票を強いることになる。
 けだしこの後の場合は彼が丙について何らの記載をしないで投票するときは法律
はこれに信任投票としての効果を与えるからである。この場合に審査人がそれを嫌
つてあくまで棄権したいと思うときに連記せられた中の一人の裁判官についての欄
だけにおいて棄権する可能性を法が認めないならば、棄権の自由は奪われたことに
なるのである(前述その一(三)(3)(は)(4)参照)。
 一説によれば、罷免を可としない投票というのは広く信任投票と「罷免の可否が
判らない」者の投票とを包含するものと解する。しかし、「罷免の可否が判らない
審査人」の観念中には、その可否が判らないために結局罷免投票をする決意、又は
在任に異議なしとする信任投票をする決意を持つに至つた者を包含せしめてはなら
ない。けだし、この両者は、正確にいえば、既に罷免投票又は信任投票をする意思
を持つに至つた者だからである。従つてあくまで罷免の可否が判らない審査人と
は、正確にいえば投票を欲しない者に外ならない。しからばあくまで投票を欲せず
棄権の意思しか持たない審査人をして記載欄に何らの記載をしないで投票せしめ、
これに罷免を妨げる投票、すなわら信任投票としての効果を持たせることは本人の
意思に反して投票を強いる不当を敢てし、その種の投票が審査の総結果に異動を生
ずる危険を招くような場合も生ずることを是認する不合理と違憲があるといわなけ
ればならない。この場合に、かかる投票も「罷免を可とする投票」でない投票であ
るから「罷免を可としない投票」の一種に属すると解し「罷免の可否が判らないた
めに棄権したいと思う審査人は罷免を可としない投票をすべきである。」というの
は正当ではない。(この点については後にその一(三)1B末段でも述べる。)け
だし、罷免を可としない投票は罷免に反対し、罷免を否定する効果が付せられるか
ら、これは性質上効果上信任投票であるから、あくまで棄権したい者がこの投票を
することは間違いであり、「罷免を可としない投票」の中には棄権の意思を示す票
は全然含まれない筈だというのが法の立て前だからである。(ただ「罷免の可否が
よく判らないために裁判官が罷免されなくても異議はないと思う審査人は罷免を可
としない投票をすべきである。」というのは正しい。この投票に対しては投票者の
意思どおりに罷免を妨げる効果が付せられることになつており、それでよいのであ
る。)
 本当の意味で「罷免の可否が判らない」ため、その他の理由で投票を欲しない審
査人に対しては立法としては棄権する方法を常に残しておくのでなければ憲法に定
めた投票(及び投票しないこと)並びに表現(及び表現しないこと)の権利、自由
を侵害する違憲あるものといわざるを得ないのである。
 「投票用紙が裁判官毎に別個のものになつていたならば棄権したに違いない審査
人が、たまたま投票用紙が特異の連記制になつている場合には棄権の方法がなくな
るが、それでよいのだ。」というのは論旨が一貫しない。このような場合には、当
裁判所のように、各裁判官に対する欄毎に棄権できるという解釈をとらない限り、
彼は裁判官全員について棄権するか、或いは当該裁判官に対し罷免もしくは信任の
投票をする外ないが、この場合、この三つの態度はいずれも彼の意思に反するもの
であるから、これをもつて国民審査を決すべき投票と認めることは失当である。寧
ろ、罷免を可とするときは×印、可としないときは〇印を記載すべきものとすれば
この点では問題はなかつたのであるが、そうしないで単純な連記投票制を定めた現
行審査法の規定は、後に(その一(三)1Bにおいて)述べる棄権防止の必要に出
でたものではあるが、この点についてはおかしいのではないかを検討すべきであ
る。当裁判所はこの点を検討した結果、現行法の下でも各裁判官に対する欄毎に棄
権する方法があると解するものである(前述その一(三)(4)参照)。査人が棄
権しないでした投票で×印をつけてないものは裁判官の在任に異議のない意思の表
明であり同法は法定の形式に従つて示された本人の意思とおりにこれを信任投票と
したのであり、棄権は「無」であつて投票ではなく、これは罷免に反対する投票と
しての効果を持たしめらるべきではないと解する。そしてこの解釈が投票の性質に
適合すると考えるものである。
 法律が罷免投票をしたいなら記載欄に×印を記入し、信任投票をしたいなら何ら
の記載をしないで投函せよと定めている場合に、投票が何らの記載をしてないもの
ならこれは当然信任投票と解せられるべきことは、×印の投票が当然罷免投票と解
せらるべきであるのと同じである。けだし、投票はそれに表示せられたところに従
つてその趣旨を解せられなければならないのを原則とするからである(後述その一
(四)参照)。本当の意味であくまで棄権したいと思う審査人は単に漫然「罷免の
可否がよく判らない。」と考え、その揚句「裁判官が在任しても異議はない。」と
考える審査人に比して極めて少ないかも知れないが、現行法はこの少数の審査人の
ために棄権の方法を残しているという当裁判所の解釈をとる以上、現行法の連記投
票制は合理的且つ合憲のものであるということができる。又当裁判所の解釈によれ
ば、罷免の可否のよく判らない沢山の審査人が棄権するために、国民審査は国民の
総意の表明たる実を失うヒとや極めて少数の一派の審査人の意思によつてしばしば
最高裁判所裁判官の罷免更迭を来たし裁判官の地位の安定を害なる虞を生ずるとい
うようなことはみだりに起らないようにすることができるのである。是非とも棄権
したいと考える熱心な審査人は現行連記投票制の下では棄権したいと思う裁判官に
対する欄内に簡単に棄権の意思表示をすれば足り、この意思表示に棄権の効果を認
めることは現行審査法を合憲のものと解するために必要なことであると考えられる
(後記その一(三)(4)1B)。もしそれ、各裁判官に対する欄毎に棄権する方
法があると解することが現行法の下では無理であるというなら、棄権の自由を奪う
場合を生ずるように定められた現行審査法の規定こそ違憲のものというの外ないの
である。
 要するに裁判官毎に別個の投票用紙を用いるか連記投票制でも罷免投票は×印、
信任投票は〇印をつけて投票する方法をとるかするならば棄権は自由である。も
し、このような制度でない現行連記制の下では棄権が許されない場合があるという
解釈をとらなければならないとすれば、右のような制度の下でなら投票したに違い
ない審査人は現行連記制の下では信任投票を余儀なくしなければならない。さすれ
ば、罷免を可としない投票の中には実質的棄権票であるところの信任投票をいくら
か含む結果となる。「それは投票が表示によつてその趣旨が理解されなければなら
ない当然の結果である。」とは、この場合いえない。かくいい得るのは、棄権の自
由がある場合に限るのである。
 もし「罷免を可としない」投票の中に信任投票と実質的に棄権の意思でなされた
投票との二種が含まれていてそれらがすべて裁判官罷免に反対する効果を持つこと
を是認するとすれば、「罷免を可としない」審査決定の信任投票は、実は、実質的
棄権票を多数に含有しているかも知れず、それは審査の結果に異動を及ぼす程度の
ものであるかも知れないという欠陥を投票の仕組そのものに内蔵するものであるこ
とを是認しなければならない。
 すなわち、この審査決定は、もし棄権を許したならば、実質的棄権の信任投票の
総数が審査の結果を逆転させたであろうという場合(例えば、罷免投票四〇パーセ
ント、実質的信任投票三五パーセント、実質的棄権の信任投票二五パーセントの場
合)や、実質的棄権票が百分の九十九を超えていて審査決定が国民の総意の表明た
る実を備えないという意味で裁判官罷免の効果を生ずるに足らないとせられるとい
う極端な場合(審査法第三十二条但書参照)であるかも知れないという欠陥を常に
持つものであることを是認しなければならない。
 かくては折角の審査の決定も民意をありのままに明確に表明しない、価値と権威
の乏しいものとなるのである(前述その一(三)(1)(丁)、同(三)1B末段
参照)。
 もちろん、罷免投票、信任投票及び実質的棄権の信任投票がそれぞれどれだけの
数に上るかの具体的調査は、投票の秘密保護の必要や、審査人数と投票数とが余り
に多数であることから投票者の真意を確知することが不可能であり、又、これを調
査して投票の効力を覆えし得るものとすることは投票によつて生ずる法律関係の安
固を維持する上から許されないことであるため、行われ難いところであるが(後記
その一(四)参照)、右の投票方法は、投票強制を伴なうがために、投票の仕組そ
のものに当然審査人の意思をありのままに表明しない欠陥があることは争い得ない
(後述その一(三)1B末段参照)。
 これに反し、棄権を認めるならば個個の投票は投票者の真意に合致し、審査の総
結果における両種の投票の数(及び棄権の数)が国民の意思をありのままに表明し
その大勢を国民に知らせ憲法の精神に叶つた好結果をもたらすのである。論者のい
うように、現行審査法は実質的棄権を信任投票に繰り入れ、そして棄権が不可能な
場合を生じても止むを得ないとしているものと解する外ないならば、現行法の立法
には無理と違憲があるといわざるを得ない。
 当裁判所は、国民審査は審査に付された特定の個個の裁判官について、在任の可
否についての国民の真意を投票において表明せしめる制度であり、現行法の下で
は、審査人は、罷免を可とする投票か在任を可とする投票か或いは棄権かを自己の
自由なる選択によつてすることができると解するものである。かような方法こそ解
職投票制度において投票者の真意をありのままに投票の総結果に表明せしめるに適
するものであつて、解職制度に普通の妥当な方法であり、現行審査法がこの方法を
とつていると解しうることこそ同法を合憲のものと断定しうる正当の理由なのであ
る。
 以上(1)ないし(5)において示したところによつて、おのずから前述の
(イ)、(ロ)、(ハ)の三点についての当裁判所の見解は判ると思われるが、更
に、以下1、2、3においてこれを述べる。
 1 (「罷免の可否不明の審査人に対しその意思の発表方法を定めていないこと
は思想及び良心の自由を害するものである。」との論旨について。)
 <要旨第四(イ)>A (罷免を可とする投票と罷免に反対する投票との二種しか
ない。)
 憲法第七十九条第二項、第三項は、国民審査においては審査人に最高裁判所裁判
官の「在任の可否」裏からいえば「罷免の可否」について投票せしめ、投票の多数
が「罷免を可とする」ときはその裁判官は罷免される旨規定している。
 これによれば、第一に、投票には、「罷免を可とする」投票と左様でない投票と
の二種があり、前者の投票が後者の投票よりも多いかどうかが比較せられなければ
ならないこと、第二に、罷免を可とする一票は裁判官を罷免させる方向の効果を持
ち、左様でない一票は罷免させることを否定し、妨げ、これに反対する方向の効果
を持つこと、すなわち、前者が後者よりも多くないときは罷免は否定せられること
が判る。ここに投票とは法律上の有効要件を備えた投票を指すこというまでもな
い。以上は既に(その一)(一)(2)(ロ)及び(三)(3)において述べたと
ころである。
 しからば憲法は投票には二種あるべきことを定めているといえる。第一種の「罷
免を可とする」投票とは広く「是非とも罷免されなければならない。」「罷免され
る方がよいだろう。」又は「罷免されることに異議はない。」という意思の投票
(在任を否とする、不可とする投票、罷免賛成する投票)であり、これは罷免投票
又は不信任投票といつてよい。第二種の投票は第一種に属しない投票である。しか
し、第二種の投票は罷免に反対する効果を付与せられるものであるが、この効果は
固より投票者の真意に従つて付与せられるべきものであるから、第二種の投票は結
局罷免を否定する投票(罷免を否とする、不可とする、罷免に反対する投票、在任
を可とする投票)であつて、広く「決して罷免されてはならない。」「罷免されな
い(在任する)方がよいだろう。」又は「罷免されない(在任する)ことに異議は
ない。」という意思の投票でなければならないのである。
 しからば、罷免を可とするか否とするかについて「意見なし。」「沈黙する。」
という意思を示す票は第一種の投票でも第二種の投票でもなく、全然投票としての
効力を持たない単なる「無」すなわち「不投票」であり棄権であつて、これは罷免
の可否を問う審査において投票より除外されなければならない筋合のものである。
仮りに投票の方式として、投票用紙に、罷免を可とする者は×印を、罷免を不可と
する者は〇印を記載すべく立法した場合に、×印をも〇印をも記載しない白票は無
効のものとして、罷免の可否について投票を比較する際には除外されるべきもので
ある。これを×印の票または〇印の票に入れることは本人の意思に反する。審査人
であくまて罷免を可とするか否とするかが判らない者は結局この白票を投ずる外な
い。この場合に、「前記の白票は罷免を可とする投票でないからこれもまた罷免を
否とする投票と並べて第二種の罷免を可としない投票の部類に入れるべきだ。」と
する説は正当でない。この説は、前例の場合に×印をも〇印をもつけない票は〇印
をつけた票と同じく罷免反対投票として扱つてもよいという不合理な説だといわざ
るを得ない。
 法律が〇印の票にのみ罷免を妨げる効果を付すべきことを定めているのに白票に
まで罷免を妨げる効果を認めるのは法律の趣旨にも本人の意思にも反するものだか
らである。すなわち、罷免の可否不明などのため「意見なし。」「沈黙する。」と
いう趣旨の票を投ずることを認めるということは棄権の趣旨の白票を認めることに
外ならない。すなわち、第二種の投票の中にかような白票は混入せらるべきでな
く、第二種の投票としては罷免反対投票(信任投票)一本だけしかない。たとえ、
罷免の可否不明というような白票を何ちかの形式で区別して、これを第三種の投票
として、もしくは第二種投票中の特種のものとして扱うべく立法してみても、結局
これは罷免を可とする投票と否とする投票といずれが多いかの決定の場合には除外
せらるべき性質のものなのである。
 国民審査とは罷免を可とするか否とするかについて国民をして投票させ罷免投票
が多数か否かを見る制度である以上、国民は自己の自由意思に従い、罷免を可とす
る投票か、又は否とする投票か二者いずれか一の投票をなすべきであるが、しかし
棄権することもできるとすべきは当然である。この投票方法は簡明で条理と常識に
叶い寧ろ解職制度に普通な方法といえる。地方自治法施行規則(昭和二十二年五月
三日号外内務省令第二十九号)第一条別記様式の解職投票がこの方式をとつている
のは合理的である。
 かような訳であるから、罷免の可否が判らない審査人のためにその意思の発表方
法として判らない旨の意思表示を特に投票の形でさせる立法は必要でもなく意味も
ない。
 当裁判所は、「特に裁判官を罷免しようという何らかの理由を持たない者は罷免
した方がよいか悪いかわからない者を含み総て記載欄に記載のない投票を投ずべき
ものである。」という考をとらない。これは棄権したい審査人を含めてはいえるこ
とではない。
 B(罷免の可否が判らない審査人)
 原告らは罷免の可否が判らない審査人ということをいい、これに罷免を可とする
投票でもなく罷免を可としない投票でもない第三種の投票をさせるべきだと主張す
る。
 よつて罷免の可否不明の審査人ということについて考えてみよう。
 思うに国民審査はまだ国民になじまない制度であり、又審査に付される裁判官の
人物、能力、識見、業績などが国民の間に十分に知れわたらない傾向があるなどの
理由のため、審査人中には、罷免の可否について十分に判断することができず、よ
く判らないとか、確たる意見がないとかいう考の者が沢山混在していることは十分
に考えられるところである。
 しかし、それだからといつて、原告らが(その一)(三)(四)いて主張するよ
うに、審査人が罷免を可とするときは投票用紙に×印を、罷免を不可とするときは
〇印を、罷免の可否が判らないときは少なくとも何らの記載をしないで投函すると
いうような投票方法をとらない立法は違憲だということはいえない。このことにつ
いては既に(その一)(三)(1)(3)において述べたし、次にも論ずるつもり
である。
 思うに審査法が原告ら主張のような右の×印と〇印を記載する方法をとらなかつ
たのは、この方法によれば罷免の可否について十分に判らない沢山の審査人が裁判
官の適任かどうかについて判ろうともせずまた熟考もせずにみだりに何らの記載を
しないで棄権する情勢を誘致する虞なしとしないからであり、もしそうなれば、国
民の総意が国民審査に表明せられ難くなり、国民の裁判ないし国政に対する関心は
薄らぐ反面、審査人中の少数の一派の投票が審査の総結果を支配し、場合によつて
はしばしば最高裁判所裁判官の更迭を来たし、ひいて裁判官の地位の安固を害する
弊が生ずるかも知れないからであると思われる。憲法によれば審査の投票には罷免
投票と信任投票との二種しかない(その一(三)(1)(3)(5))から、現行
審査法がこの二種の投票だけを規定し、その中信任投票の方式は記載欄に何らの記
載をしないで投函すべきものとする一方、棄権を認めていると解するのは簡明で合
理合憲のことである。もつとも現行法の方式によれば信任投票は罷免投票と違つて
何も書かなくてよいだけ投票しやすい嫌いがないでもないが、これは罷免投票が現
に裁判官の地位にある人を現状を不利益に変更して罷免させようとするものである
からその意思表示を明確にする必要上妥当な方法であり、それは投票における意思
表示の自由を制限したものとまではいえない。
 さて、「罷免の可否が判らない審査人」という観念については、なお少しく分析
検討する必要がある。先ず広く罷免の可否が判らない審査人という中には熟考の末
結局罷免投票か信任投票かをするに至る者と、熟考してもあくまで罷免の可否が判
らない者との二種があると一応考えられるが、本当の意味で罷免の可否が判らない
者とは後者だけを指すのである。(そしてこの後者に至つては寧ろ少数かも知れな
い。)ところで、最高裁判所およびその裁判官がいかなるものであるべきか、又、
具体的に審査に付されている裁判官がいかなる人格、能力の人であるかについて全
然判らない審査人でも、例えば民選で就任したのでない裁判官、特定政党内閣で任
命されたのでない裁判官、特定の信教を持たない裁判官、もしくは特定の階級又は
地域の出身でない裁判官は罷免を可とするというような意見を持つ者は罷免の可否
が判つている審査人の部類に入るこというまでもない。すなわち、罷免の可否が判
らないというのは狭い意味で裁判官の適任かどうかが判らないという意味ではな
く、結局、罷免投票をすべきか信任投票をすべきかが判らないという意味でなけれ
ばならない。更に、「自分は当該裁判官が適任かどうか判らない、自分が適任とし
て信任できない裁判官は罷免される方がよい。」と考え、又は、反対に、「自分は
当該裁判官が適任かどうか判らない、ということは裁判官を罷免すべき理由を発見
しないということであるから罷免されなくても異議はない。」と考える審査人も共
に罷免の可否が判つている審査人の部類に属する。又「自分は判らないから何某又
は自分の属する団体、党派の役員の意見とおりに投票しよう。」と考えるような審
査人も罷免の可否が判つている審査人として本問題の場合には考えなければならな
い。更に極端な例を挙げるならば、何らかの迷信などから「自分は裁判官が適任か
どうか判らないから、自分は投票用紙に連記せられた順序に従い最初の裁判官何名
については信任投票をし、残りの裁判官については罷免投票をしよう。」と考える
審査人も罷免の可否が判つている審査人に属する。かく考えて来ると罷免の可否に
ついて理由のいかんを問わず罷免か信任かの投票をする意思を持つている審査人は
罷免の可否が判らない者とはいえない。
 すなわち、罷免の可否が判らない審査人とは理由のいかんを間わず罷免又は信任
の投票をする意思を持たない者を指すのである(前述その一(三)(3)(い)及
び(5)参照)。彼は罷免投票をも信任投票をもしないであろうし、しないことの
自由は奪われてはならない。彼に第三種の「判らない」投票をさせて、これを罷免
投票に算入することは本人の意思に反し、又、これを信任投票に算入することも彼
がわざわざ信任投票を避けた意思にも反する。可否不明の審査人のために可否不明
の旨の意思表示を第三種の投票の形でさせる立法は意味がないこと前段Aに述べた
とおりである。厳正な意味で「罷免の可否が判らない審査人」とは罷免の可否を投
票によつて決定すべき国民審査において、罷免の可否が判らないため、もしくは政
治的、道徳的その他の理由から、可否いずれの投票をもしようとしない者であるか
ら、結局棄権を欲する者をいうと結論せざるを得ない。
 かような審査人には棄権の自由を残しておけばよいのである。
 だから国民審査の方法についての立法としては、審査人が自由に罷免投票か信任
投票か又は棄権ができるような方法をとることが必要であり且つこれをもつて足る
のである。罷免投票と信任投票との二種の投票をさせる以上、審査の決定のために
は「判らない」旨の投票は不必要であり、たとえこれをさせてもこれは罷免投票か
らも信任投票からも除外されなければならない。
 ここで前述(その一(三)(5))の一説について重ねて説明しておく。
 右の説は「罷免する方がいいか悪いかわからない者は積極的に「罷免を可とす
る」という意思を持たないこ勿論だから、かかる者の投票に対し「罷免を可とする
ものではない」との効果を発生せしめることは何等意思に反する効果を発生せしめ
るものではない。」という。この説にいわゆる「罷免する方がいいか悪いかわから
ない者」とは「罷免する方がいいか悪いかわからないが裁判官が在任することに異
議がないと思う者」を意味する限りこの説は正当である。実際審査人の中にかよう
な意味での「判らない者」が多数いることは十分に考えられる。
 しかし、このような「判らない者」は信任投票者の部類に属するのであるから、
これは信任投票をしようと思う者として扱えばよいので問題はない。問題とされな
ければならないのは、右に述べたように、単に「罷免の可否がわからない者」では
なくして「罷免の可否がわからない」ために結局棄権したいと思う者及び政治的、
道徳的その他の理由から棄権したいと思う者」である。換言すれば、問題になるの
は「罷免の可否が判らない」と否とを問わず結局棄権しようと思う者に限定せられ
る。
 ここではわれわれは「罷免の可否が判らない者」といつてもそれは最早や少しも
罷免反対の意思も罷免賛成の意思も持たない者を指すのであることを忘れてはなら
ない。さて、この問題に対して、右の説は次のように読みかえられることになる。
すなわち、「棄権したいと思う者は積極的に「罷免を可とする」という意思を持た
ないこと勿論だから、かかる者の投票に対し「罷免を可とするものではない」との
効果を発生せしめることは何等意思に反する効果を発生せしめるものではない。」
ということになる。
 この説に従えば、例えば、審査公報に「裁判官の罷免を可とするか可としないか
が判らないため棄権しようと思う審査人もやはり投票用紙の記載欄に何らの記載を
しないて投票して下さい。」という記事を掲載して審査人に周知せしめても不法が
なく、審査は有効だということになる。
 この説は棄権(不投票)は信任投票であるという背理の基礎の上に立つて、実質
上の棄権票に対し本人の意思に反して信任投票と同一の効果を付与し、又、棄権し
たいと思う審査人が場合により棄権の自由を失うような投票方法を規定する立法を
是認する説であつて賛成し難い。一体、棄権したい者に棄権する自由をなくして投
票させそれを裁判官の罷免に反対する投票として計上し審査の総結果を決定する仕
組は、審査の結果裁判官の罷免が否決された場合にも、この審査の決定は「罷免を
可としない」投票の中に信任投票と実質的に棄権の意思でなされた投票との二種が
含まれていてそれらがすべて罷免に反対する効果を持つこととされた背理の所産で
あり、そして実質的棄権投票は棄権する方法がないことの結果であり、従つてこの
決定は実は実質的棄権票を多数に含有しているかも知れず、それは審査の結果に異
動を及ぼす程度のものであるかも知れないという欠陥を投票の仕組そのものに内蔵
するところのものである。すなわちこの審査決定は、もし棄権を許したならば、実
質的棄権の信任投票の総数が審査の結果を逆転させたであろうという場合(例え
ば、罷免投票四〇パーセント、実質的信任投票三五パーセント、実質的棄権の信任
投票二五パーセントの場合)や、実質的棄権票が百分の九十九を超えていて審査決
定が国民の総意の表明たる実を備えないという意味で裁判官罷免の効果を生ずるに
足らないとせられるという極端な場合(審査法第三十二条但書参照)であるかも知
れないという欠陥を常に持つものである。かくては折角の審査の決定も民意をあり
のままに明確に表明しない。価値と権威の乏しいものとなるのである(前述その一
(三)(1)(丁)、同(5)末段参照)。
 しかし、棄権の性質、棄権の自由及び現行審査法の下でも棄権の方法は常にある
ことを考えるならば、審査法はかような不合理な投票及び審査の仕組を規定してい
るものと解すべきではない、審査法は審査人が自己の自由な選択に従つて罷免投票
か信任投票か又は棄権かをできるようにし、二種の投票方法を定め、審査人がいず
れかの投票をしたときは投票者の欲したとおりの効果を生ずるように規定している
のである、という当裁判所の解釈に到達するのである。
 右の説によるならば、審査に付されている裁判官が二人の場合にその全員につい
て棄権はできるが二人の中の一人について信任投票をし他の一人について棄権する
ことは不可能となりこの場合には棄権の自由は失われるという解釈となる。しから
ば連記投票制をやめて裁判官一人一票制立法(その一(三)(3)(い)参照)を
とるか、もしくは当裁判所のように連記投票制の下に各欄の独立性(その一(三)
(2)参照)に着眼し各欄独立に棄権できるという解釈に到達するかするのでなけ
れば、現行審査法の連記投票制の規定そのものが違憲不合理だという結論になるこ
とは避けられないと断ぜざるを得ない。
 C (罷免の可否が判らない審査人の意思発表方法)
 罷免の可否が判らない審査人で問題となるものは、当裁判所の見解では、(その
一)(三)(5)及び前段Bで述べたように、棄権しようとする審査人に外ならな
いから、審査法としてはこの審査人に自由に棄権できる方法を残しておけば違憲で
はなく、又現に審査法では常にその方法があるのである。これは(その一)(三)
(4)などで述べたとおりである。なお棄権とは投票しないことであるから意思表
示をしてでもできるし投票用紙の不投函というような事実上の不作為によつてもで
きるこというまでもない。審査法は棄権の方法を明文をもつて定めていないがこれ
は棄権防止上適当なことであり、同法の解釈上常に棄権の方法はあるのであるか
ら、同法はその発表方法を定める規定を欠いているとはいえない。
 実際の場合に、罷免の可否が判らない審査人はどうしたらよいのであろうか。そ
れは前段Aに述べたとおり、意見がないとか、判らないとかいう意味が(一)、も
し、「自分は当該裁判官が適任かどうか判らない、その判らない裁判官を在任させ
ることはできない。」という意味ならば、彼は罷免投票をなすべきである。
(二)、もし「自分は裁判官が適任かどうか判らない。罷免させるべき理由を発見
しないから在任させても異議はない。」という意味ならば、彼は信任投票をなすべ
きである。(三)、更に、「罷免の可否が判らないからこれについての意見を示し
たくない。」という意味ならば、彼は棄権すればよいのである。結局、棄権の自由
がある限り、審査法が罷免の可否不明の審査人に対しその意思の発表方法を定めて
いないとはいえないのである。従つて、審査法の投票用紙の様式、投票の方式並び
に投票の効力について定めた諸規定を憲法の条規に反する無効のものということは
できない。
 2 (「罷免を可とする裁判官についてのみ積極的表示方法を定め、罷免を可と
しない裁判官とその可否不明なる裁判官についてはこれを定めず無記載の投票方式
を採用したのは投票の本質をあやまり、国民の公務員罷免権の行使を不当に制限し
たものである。少なくとも罷免を可とするものは×印、罷免を可としないものは〇
印を記載するというように可否を明白に表示してこそ投票の本質にもかなうのであ
る。」との論旨について。)
 憲法によれば審査において要求せられ、いずれが多いかを比較せられるべき投票
は罷免を可とする投票と罷免を不可とする投票の二種しかないこと、憲法の下での
投票の方法としては所論のように罷免を可とするものは×印、罷免を不可とするも
のは〇印を投票用紙に記載するという方法を用いる立法をしてもよいことは前に述
べた(その一(三)1A及びその一(三)(3)(ろ))。
 しかし、投票に二種しかない場合には、法律で投票用紙に記号記載欄を設け審査
人が罷免を可とするときは×を記載し、罷免を不可とするときは何も記載しないで
これを投函すべきものと定めるならば、何も記載してない投票は罷免を不可とする
ものであることが当然明白であるから、かく定めてもよい訳である。
 審査法においては審査人が投票用紙に何らの記載をしないで投票用紙を投函する
ときはその投票は罷免に反対する効果を持つことを明定し且つその趣旨については
審査人に周知せしめるべく周到の用意がなされている制度の下では審査人は何らの
記載をしない投票をするときは罷免に反対なる効果を生ずることを知つて投票した
ものとして扱つてよいのである。けだし投票の趣旨は投票に現われた意思表示の外
形を見て決する外ないからであつてさもなければ投票と審査の効力に関する法律関
係の安固が害されるからである。すなわち、法律で記載欄に何らの記載をしない投
票は信任投票としての効果を持つことを定めている場合には何らの記載のない投票
は法律上当然信任投票となるのである。このことは×印の記載ある投票は罷免投票
としての効果を持つことを定める法律の下で×印投票が罷免投票とされるのと同理
である(前述その一(三)(3)(ろ)及び同(三)(5)参照)。
 <要旨第四(ハ)>原告らは無記載の投票方式は何らの意思表示にはならないとい
うが、およそ投票の方式は投票用紙に必ずしも文字又は記号を記
載して投函する方法でなければならないと限るべき訳もないから、右の問題のよう
な場合には、特定の欄に何らの記載をしないで投函するときは当然罷免を不可とす
る意思表示が立派になされたということになるのである。これがため投票の本質を
あやまり国民の公務員罷免権の行使を不当に制限したものであるということはでき
ない。いうまでもなく、この場合記号記載欄に何らの記載をしないで投票用紙を投
函することは審査法が予めこれを信任投票とすることを規定しているのであるか
ら、これは無効の白票ではなく、法定の方式に従つた信任投票なのである。
 これは法律が罷免投票の方式として×印、信任投票の方式として〇印を記載すべ
きことを定めている立法の場合に、何らの記載をしないで投じた白票と異り無効と
なるべきものではないのである(その一(三)(3)(ろ)(は)以下参照)。
 3 (「連記投票の方式は投票の強制となる。」との論旨について。)
 審査法は、審査に付される裁判官が二人以上ある場合に連記投票の方式をとつて
いる(審査法第十四条、第十五条、第十六条)。従つてもし裁判官中の特定の一人
又は数人について棄権する方法がないときは、審査人が一部の裁判官について投票
し、他について棄権しようと欲してもできないこととなり、その限りにおいて投票
を強制するものということができる(前述その一(三)(5)1B参照)。被告
は、「たとえ連記であつても投票は一票である、従つて一票中の或部分を特に棄権
するというが如きは条理上認められるところでなく、審査法がこのことについて何
ら規定していないことは当然である。」と主張するが、審査と投票とは裁判官一人
一人について行われ、罷免の可否を決定する投票の多寡は各裁判官一人一人につい
て決定せらるべき性質のものであるから(前述その一(三)(2)参照)、たとえ
連記投票が一枚の投票用紙を用いて一括して行われる意味では一票であるとしても
特定の一人の裁判官についての棄権は許されなければならない。もし一部の裁判官
についての棄権が許されないとするならば、審査人は、一部の裁判官について投票
を欲する限り他の裁判官についても投票せざるをえないことになり、しかも他事を
記載すれば投票全体が無効となるため(審査法第二十二条)、止むを得ず他の裁判
官について何らの記載をしないで投票したとすれば、それが審査人の意思に反して
罷免を可としない投票に算入せられることになり、由由しき結果を生ずるにいたる
のである(前述その一(三)(4)(5)1B参照)。
 総じて投票は、ひとり国民審査の投票に限らず、投票者の自由に表示した意思に
基くことによつて、初めてその意義を持つのであつて、かくしてこそ国民の総意が
投票の結果の上に適正に表明せられるものということができるのである(前述その
一(三)(5)参照)。
 或いは、「国民審査の制度は解職の制度であるから、審査に当つては、積極的に
罷免を可とする投票が投票総数の過半数を占めるか否かを知ればよいのである。そ
して連記投票の場合、一部の裁判官について棄権しようと思う者は結局その裁判官
について積極的に罷免を可とする意思を有する者でないということができるから、
この者がその裁判官について投票せざるを得ないことになつても、国民審査の本質
に照らし投票の強制と目すべきものでない。」と論ずる者があるかも知れないが、
罷免の可否について比較の標準を有権者の総数にとつている場合ならば格別、投票
の総数にとつているのであるから、当然罷免を可とする投票と可としない投票の二
種類にわかれることとなるべく、右の論は容認することができない。
 又、「投票をすることは国民の義務であるから、この場合投票の強制となるよう
な事象を生じても、これがため国民の思想及び良心の自由並びに表現の自由を侵し
たことにならない。」という者もあるかも知れないが、もしそうだとすれば、全部
の裁判官についての棄権も許されない筈であつて、一部の棄権のみ許されないとい
うのは筋のとおらない話であるばかりでなく、投票する義務があるというのは、審
査人の意思を無視するものであつて、不合理である。棄権は裁判官の全部について
も一部についても自由でなければならない(前述その一(三)(5)参照)。
 このように連記投票の方式をとつた場合に、審査法上一部の裁判官についての棄
権が許されること及びその方法についての当裁判所の見解については既に(その一
(三)(4))で述べたところである。
 <要旨第四(ニ)>審査法は当裁判所の見解による棄権の方法について何ら明文を
設けていないが、それは結局憲法第二十一条、第十五条第一項、
審査法第十四条ないし第十六条、第三十二条及び第二十二条の解釈上必然的に許さ
れるところであるから、審査法がその明文を設けていないからといつて、他の法律
が一般に棄権の自由について何ら明定していないことと同様、法の不備ではなく、
連記投票の場合でも一部の棄権の方法は立派にあるのであるから、審査法が連記投
票の方式をとつたことを以て投票を強制するものであるとする原告らの非難は当ら
ない(前述その一(三)(3)(4)(5))。
 叙上のとおりであつて、国民審査の投票用紙の様式、投票の方式並びに効力に関
する審査法の諸規定は、少しも憲法の条規に反する点がなく有効であつて、これに
反する原告らの主張は、結局審査法の立法技術を拙劣として論難するにすぎないの
で、理由なしとしてこれを排斥する。
 (四) (罷免の可否が判らない審査人がした無記載投票について。)
 次に原告らの三の(その一)(四)の主張について判断する。
 憲法によれば国民審査の投票には罷免を可とする投票と罷免を不可とする投票と
の二種類だけしかあるべきでない(前述その一(三)(3)1A参照)。罷免の可
否が判らない審査人とは厳密にいえば棄権したいと思う審査人の意味に外ならない
(前述その一(三)1B参照)。しからば彼には何時でも棄権できるようにするこ
とが必要であるがこれをもつて足るのであつて(前述その一(三)(4)(5)参
照)、別に可否不明の投票をさせる必要はない(前述その一(三)(3)1AB参
照)。可否が判らない審査人とは棄権したいと思う審査人の意味である以上彼のし
た投票が信任投票として計上せられるようなことがあつてはならない(前述その一
(三)1B参照)。
 右は憲法と条理との要求であるから審査法がこれらの要求箇条に違反すれば憲法
違反となる。従つて、罷免の可否が判らないために棄権を欲する審査人の棄権の途
を杜絶して投票させその投票を裁判官の罷免に反対する投票として扱うような立法
は違憲である(前述その一(三)1B参照)。しかし当裁判所の見解では、審査法
はいかなる場合でも棄権の方法があるようになつているため審査人は自己の自由な
選択に従つて罷免投票又は信任投票或いは棄権をすることができるから審査法は違
憲ではない。このような審査法の下でこそ或審査人が記載欄に何らの記載をしない
で投票したとすれば、彼が棄権する意思も罷免投票をする意思も持たず、自己の自
由意思に従つて在任に異議のないという意味の投票をしたことが判るのである。か
ように投票に表示せられたところに従つて投票者の意思を解釈し得るのも投票と棄
権の自由を認めるから(前述その一(三)(5)2参照)である。
 以上の事柄については既に述べたとおりである。
 国民審査において要求せられる投票は罷免を可とする投票と可としない投票であ
る。そして両者を比較することにより罷免の可否が決定せられるのである。
 審査法は、この二種の投票についてその意思の表示方法を定め、罷免を可とする
裁判官については投票用紙の当該裁判官に対する記載欄に×の記号を記載し、罷免
を可としない裁判官については投票用紙の当該裁判官に対する記載欄に何らの記載
をしないこととしたのである。従つて審査法が審査の結果を判定するに当り、全有
効投票を罷免を可とする投票と罷免を可としない投票の二種類に分つこととし×の
記号のないものはすべて罷免を可としない投票に算入することにした(審査法第三
十二条)のは、投票用紙に表示せられた審査人の意思に従つたもので、当然のこと
である。
 投票用紙に表示せられたところが審査人の意思と違つていたというならば、それ
は錯誤の問題であり、意思と表示との不一致の問題である。しかも棄権の自由は許
されており罷免の可否について意思を発表したくない審査人は、全部の裁判官に対
すると一部の裁判官に対なるとを問わず、その方法はあつたのである。真意と違つ
た投票は実質的には無効投票であるかも知れないが、審査の結果の判定にあたつて
は投票の秘密保持の必要や、審査人数と投票数とが余りに多数であることのため多
数投票者の真意を確知することが不可能であるから、又これを調査して投票の効力
を覆えし得るものとすることは投票によつて生ずる法律関係の安固を害するから、
国民の一般的投票である国民審査の投票については、許されるべきではないので
(前述その一(三)(5)末段参照)、結局、投票に表示せられた意思に従う外な
いのである。例えば罷免を可としない意思を持ちながら誤まつて×の記号の記載し
た場合その投票は罷免を可とする投票に算入せられるのである。実際問題として、
今次の国民審査では罷免の可否について意見の発表をしたくないと考えながら投票
用紙の記載欄に何らの記載をしないで投票した者が多数あつたかも知れないが、そ
のことや、殊に、罷免の可否が判らない審査人が絶対多<要旨第五>数であつたこと
は右の理由で調査の方法がなく、知る由もない。従つて審査法のとつた投票の方式
をもつて投票者の意思を曲げて解釈し且つ本人の欲しない法律上の効果
を付与したものということはできないのである。
 何故ならば、審査法は投票に表示せられた投票者の意思に従い、それに相応する
効果を付与しているにすぎないからである。審査法第三十二条は少しも憲法第十九
条、第二十一条に違反するものでない。
 以上説示のとおり、審査法は全体としては固より原告らの挙示する個個の規定も
また、何ら憲法の条規に反するものでないから、有効であることもちろんである。
従つて右審査法に基いて行われた今次の国民審査は、それだけの理由ではこれを無
効とすべきいわれはない。
 (其の二)(事実上の主張について。)
 (一) (投票強制)
 まず第一に、原告らは、「今回の国民審査にあたつては投票強制が行われた。」
と主張する。その具体的事実として、「今回の国民審査は、総選挙のための機構と
設備とを利用して実施せられた結果、総選挙の投票所と国民審査の投票所とは同じ
場所であつて、その入口も出口も同じであり、且つ順路も一定して戻ることを許さ
ないように設備してあり、右投票所に出頭した有権者(選挙人であり且つ審査人で
ある者)に対しては、係員は選挙の投票用紙と審査の投票用紙とを一緒に交付し、
その持ち帰りを禁止したので、選挙のため投票所に出頭した有権者は、その意思に
反して国民審査の投票をもしなければならないことになつた。これは心理的に投票
を強制するものである。」というのである。そして、選挙の投票所と審査の投票所
とが同じ場所であつて、その入口も出口も同じであつたこと、並びに投票用紙の持
ち帰りを禁止したことは、被告においても認めるところである。
 しかしながら、選挙の投票所と審査の投票所とが同じ場所であることは、審査法
第十三条が「審査の投票は衆議院議員総選挙の投票所において、その投票と同時に
これを行う。」と規定したことの当然の結果である。
 問題は、その投票所の設備が果して心理的に投票を強制するような風になつてい
たかどうかであるが、単に入口と出口が各一つであつて入口から出口にいたる順路
が一定していたとしても、それだけでは必然的に選挙の投票と審査の投票は別別に
なされ得ない理由とはならない、一方の有効投票をして他方の有効投票をしないこ
との自由が物理的にも心理的にも失われる理由とはならない。
 有権者は投票所に入つてから出るまでの間法律上も事実上も、或いは審査の投票
を棄権し又は無効投票を投ずることができたのであるから、出入口の同一というこ
と自体のために心理的に投票が強制せられるということはできないと思う。又、選
挙のために投票所に出頭した有権者に対し選挙の投票用紙の外審査の投票用紙を交
付することは(同時交付であるか順次交付であるか当事者間に争があるが、これは
判定に影響を及ぼすような重要な事項でない。)有権者が選挙の投票のためだけで
なく審査の投票をするためにも出頭したものと見て両方の投票用紙を受け取る権利
のある彼に両方の投票用紙を提供することは寧ろ当り前の管理事務の扱い方といつ
てよく、これは審査の投票をさせるに便利な結果になつてもそれは審査を総選挙の
際行うものとしてなるべく多数の投票を得ようとした憲法第七十九条、審査法第十
三条の精神(前述その一(二)参照)に適いこそすれ投票用紙の受領拒絶又は返還
は有権者の自由である以上、右の提供をすることは直ちに投票用紙を押しつけて投
票を強制するものとはいえない。投票用紙の持ち帰りの禁止にいたつては、これは
投票用紙公給主義の原則からいつても当然のことであり、持ち帰り投票用紙を他人
に乱用させ二重投票や投票用紙のたらいまわしをさせるような弊害を予防する別の
理由から正当とされなければならないのである。これを以て投票強制の手段である
と論ずるが如きは論外である。
 要するに、原告ら主張の事実は、これを各別にみても又これを総合してみても、
到底投票強制の方法ないし手段とみることはできない。当裁判所は、原告らの申出
により多数の証人を取り調べ、主として東京都内における各投票所の設備の実態、
審査人の投票の動機、その心理経過等の把握につとめたのであるが、投票強制とな
るような事実はついにこれを発見することができなかつた。ただ証人g、hのよう
に、棄権する方法がなかつたから投票したと証言する者もあつたが、その具体的事
情は明らかでなく、にわかに措信できない。審査事務管理当局が故意に投票用紙の
受領拒絶又は返還は審査人の自由であることや棄権又は無効投票もできることを審
査人が知らないのに乗じて投票を強制したような事実があつたことは口頭弁論に顕
われた証拠によつては認め難い。なお、全国的にみて、今次の総選挙と国民審査に
おいて、前者の投票総数は三千五百七十四万九千七百二十三票であり、後者の投票
総数は三千五百六十六万三千九百三十九票であつて、両者符合せず、後者の方が八
万五千七百八十四票少ないことは、成立に争いない甲第八号証によつて明らかなと
ころであつて、このことは選挙のため投票所に出頭した選挙人が必ずしも全部国民
審査の有効投票をしたものでないことを物語るものであつて、原告らのいうような
投票強制のなかつたことの一証左となすことができるであろう。
 なお、原告らは、審査の係員において投票強制をした事実もあつたと主張する
が、右事実を認めるに足る的確な証拠はない。
 (二) (投票の秘密の侵害)
 次に原告らは、「今回の国民審査においては、投票の秘密が侵された。」と主張
する。なる程罷免を可としない投票については投票用紙の記号記載欄に何らの記載
をしないでこれを投票箱に入れるという投票の方式をとつている(審査法第十五
条、第十六条)のであるから、罷免を可としない投票をしょうとする審査人は、格
別記載台に立ち寄る必要がなく、従つて仔細に審査人の行動を観察するときは、少
なくとも記載台に立ち寄らないでそのまま投票した審査人は多分罷免を可としない
投票をしたらしいという事実をうかがうことができるが、しかし、投票記載台に立
ち寄つた審査人でも何らの記載をせず、又は他事を記載することができ、又、どの
裁判官について×の記号を記載したかは判らないし、一方、記載台に立ち寄らず直
接投票箱に行つて投票した審査人でも秘かに×の記号を記載し又は他事を記載する
ことが不可能ではないのであるから、審査法第十五条、第十六条の定めたとおりの
施設と方法で投票を行つたとしてもそれで投票の秘密が侵されたものとはいい難
い。
 今次の審査において、何処かの投票所における投票の方法施設が法定の限界を超
えて投票の秘密を侵す違法があつた事跡は原告らの証拠によつては到底認めること
ができない。この点に関する原告らの主張は理由がない。
 (三) (罷免意思の有無を表示しない投票)
 最後に原告らは、「今回の国民審査においては、罷免を可としない投票として算
入せられた投票中に、罷免の意思の有無を表示しない投票が多数あつた。」と主張
する。しかしながら、これらの投票がその記号記載欄に何らの記載をしていないも
のであつたことは、原告らの認めるところであるから、既に(その一(三)2)で
述べた理由により審査法第十五条、第十六条、第三十二条の趣旨に従いこれが罷免
を可としない投票に算入せられたことは当然であつて、その間何らの違法はない。
 実際問題として、これらの投票中には、真実は罷免の可否について意見を発表し
たいとも思わないが棄権の方法がないと誤信して投票したものがあつたかも知れな
いが、本件証拠によつてはこの事実は証明せられないのみならず、前に(その一
(三)(5)2)でも述べたとおり、投票の効果は投票に表示せられた投票者の表
示意思に従うべく、その内心的意思を一一探究詮索することは投票によつて生じた
法律関係の安固のために許されないところであるから、たとえ本件の証拠調におい
て、投票者の意思と表示の一致を欠いた場合のあることが証明せられたとしてもそ
のことは、本件審査の結果を判定するについてしんしゃくすべきでない。
 四 (審査の結果に対なる影響)
 このように、原告らの三の(その二)(一)、(二)、(三)の事実上の主張は
すべて理由がないが、仮りに今回の国民審査において原告らの指摘しているような
事実上の無効原因が多少存在していたとしても、審査の結査が被告が第二(その
二)(四)で主張するとおりであつたことは成立に争いのない甲第八号証により明
らかであり、原告らの証拠によつては、これらの無効原因の存在が右審査の結果に
異動を及ぼす虞のあるものとは到底認めることができない。そして裁判所は、審査
法第三十七条により、このような虞のある場合でなければ審査の全部又は一部の無
効の判決をすることができないのであるから、原告らの右主張はこの点からいつて
も理由がないものといわなければならない。
 このように原告らが本訴において無効の理由として主張するところは、法律上の
主張たると事実上の主張たるとを問わずすべて理由がないので、原告らの本訴請求
はいずれも理由なしとして棄却すべく、よつて民事訴訟法第八十九条、第九十三条
を適用して主文のとおり判決した。
 (裁判長裁判官 垂水克巳 裁判官 大江保直 裁判官 柳川昌勝)

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