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平成19年(行ケ)第10304号審決取消請求事件
平成20年8月6日判決言渡,平成20年7月16日口頭弁論終結
判決
原告ザスキーペンズアイリサーチインスティテュートインコーポ
レイテッド
訴訟代理人弁理士秋元輝雄,加藤宗和
訴訟復代理人弁理士屋代順治郎
被告特許庁長官鈴木隆史
指定代理人塚中哲雄,弘實謙二,徳永英男,森山啓
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
第1原告の求めた裁判
「特許庁が不服2002−20454号事件について平成19年4月17日にし
た審決を取り消す。」との判決
第2事案の概要
本件は,原告が,特許出願の拒絶査定に対する不服審判請求を不成立とした審決
の取消しを求める事案である。
1特許庁における手続の経緯
(1)原告は,平成5年4月21日(パリ条約による優先権主張:1992年(平
成4年)4月21日(以下「本件優先日」という。),アメリカ合衆国),名称を
「シェーグレン症候群における眼のアンドロゲン療法」とする発明につき,特許出
願(国際出願。以下「本件出願」という。)をした(甲1)。
(2)原告は,平成14年7月10日,本件出願につき拒絶査定を受けたため,
同年10月21日,拒絶査定不服審判の請求をした(不服2002−20454号
事件として係属)。
(3)特許庁は,平成19年4月17日,「本件審判の請求は,成り立たない。」
との審決をし,同年5月1日,その謄本を原告に送達した。
2特許請求の範囲の記載
後記のとおり,審決は,本件出願が明細書の記載要件を満たしていないと判断し
たものであるが,当該判断につき,審決が検討の対象としたのは,平成18年7月
31日付け手続補正書(甲2。以下,同手続補正書による手続補正を「本件補正」
といい,本件出願に係る本件補正後の明細書(特許請求の範囲につき甲2,その余
につき甲1)を「本願明細書」という。)により補正された特許請求の範囲の請求
項1(以下,単に「請求項1」などというときは,本件補正後のものを指す。)及
び同請求項に記載された発明(以下「本願発明」という。)であり,同請求項の記
載は,次のとおりである(請求項2ないし請求項10の記載は省略する。)。
「【請求項1】局所適用において有効量のアンドロゲンまたはアンドロゲン類
似体,および当該アンドロゲンまたはアンドロゲン類似体を患者の眼球表面または
眼の直ぐ近傍に局所的に投与するための賦形剤を含む医薬的に許容できる物質を含
む,当該患者の眼の乾性角結膜炎の症状を治療する治療組成物。」
3審決の理由の要旨
審決は,本件出願は,明細書の記載が,平成6年法律第116号による改正前の
特許法(以下,単に「特許法」という。)36条4項及び同条5項1号に規定する
各要件を満たしていないので,拒絶をすべきものであるとした。
審決の上記判断に係る部分は,以下のとおりである(符号及び明らかな誤記を改
めた部分並びに略称を本判決が指定したものに改めた部分がある。)。
(1)特許法36条4項について
本願発明は,「局所適用において有効量のアンドロゲンまたはアンドロゲン類似体」及び
「当該アンドロゲンまたはアンドロゲン類似体を患者の眼球表面または眼の直ぐ近傍に局所的
に投与するための賦形剤」を含む組成物であって,「眼への局所投与」により,「当該患者の
眼の乾性角結膜炎の症状を治療する」ためのものである。
そこで,本願発明について,本願明細書の発明の詳細な説明に,当業者が容易にその実施を
することができる程度に,その発明の目的,構成及び効果が記載されているか否かを検討する。
ア本願明細書の記載事項の摘記
本願明細書には,本願発明については,以下の記載がある。
(ア)「本発明の特徴は,一般にシェーグレン症候群におけるKCSの管理についての新規な
試み,アンドロゲンまたはアンドロゲン類似体の治療量を含む調製物の眼への適用である。こ
の治療方法は,窮迫を引き起こすシェーグレン症候群の眼の症状を軽減し,しかも全身的治療
の発生の可能性のある,望ましくない副作用に患者を曝すことがない。
本発明の1つの特徴は,乾性角結膜炎の症状を治療する方法であるが,これは,有効量のア
ンドロゲンまたはアンドロゲン類似体を医薬的に許容できる物質中に含む治療剤を提供し,当
該治療剤を局所的に患者の眼の表面または眼の近傍に投与することを含む。
好ましくは,この物質は燐酸緩衝食塩水または担体物質(例えばヒアルロン酸塩)で,アン
ドロゲンまたはアンドロゲン化合物は,通常と異なる構造特色をもつか;またはこの化合物は
テストステロン,4,5α−ジヒドロテストステロン,17β−ヒドロキシ−5α−アンドロ
スタン,または19−ノルテストステロン誘導体であるか;またはこの化合物は窒素置換アン
ドロゲンである。」(本願明細書4頁10−23行)
(イ)「もし適切な内分泌療法が対応する特異的な組織に向けられるならば,ホルモン作用は,
その特定の組織に局在する免疫的病変を安全に,且つ効果的に軽減することができるであろう。
シェーグレン症候群の最悪の眼の窮迫を引き起こす症状を解除するための,対応する標的組織
は涙腺である。眼の表面またはその近くに局所的に適用された脂肪親和性の調節性ホルモンは,
シェーグレン症候群患者の付属涙腺組織および主要涙腺組織に直接作用し,これら組織の疾患
に関連した腺の炎症を抑制することができる。」(本願明細書5頁下から3行−6頁4行)
(ウ)「この効果は,全身的ホルモン活性とは完全に独立しているであろう。この免疫内分泌
相互作用の目的は:(a)隣接する涙腺組織のリンパ球浸潤を減少させ,それによって腺房細
胞および分泌管細胞の免疫仲介性破壊並びにそれらのリンパ球圧迫を軽減し;(b)付属およ
び/または眼瞼涙腺が基本的な涙液量を分泌することを可能にし:さらに(c)これらホルモ
ンの全身的接触と平行する副作用を避けることである。実際,局所的なアンドロゲン治療は涙
腺組織の機能的領域を産出し,それによって涙液の排出を増強しさらに乾燥眼の問題を修正す
る。」(本願明細書6頁4−11行)
(エ)「この薬剤戦略は以前には提唱されたことがなかった。これは,多分に免疫機能におけ
るアンドロゲンの作用メカニズムは,胸腺および視床下部−下垂体軸からの因子によって仲介
されるかまたはそれに補助されるか,そうでなければ(判決注:本願明細書における誤記を訂
正した。)リンパ球に対する直接の影響を伴うと考えられたからである(37,65,68,
77)。」(本願明細書6頁12−16行)
(オ)「眼の局所的適用療法の正当性のために必要な極めて重要なことは,アンドロゲンはシ
ェーグレン症候群の涙腺の免疫病変を抑制するということを示すことである。さらに,このア
ンドロゲン作用は涙腺組織を標的とし,一般化された全身的な影響とは独立していることを示
すことが重要である。下記に提示する実施例において,これら3つの基準は全て満たされるこ
とを示している。すなわち,アンドロゲンはシェーグレン症候群の涙腺の免疫病変を確かに抑
制し,アンドロゲン作用は涙腺組織を標的とし,さらにアンドロゲン作用は一般化された全身
的効果とは独立している。」(本願明細書6頁17−24行)
(カ)実施例Iには,この実験の目的が,「アンドロゲン療法が,シェーグレン症候群の開
始後涙腺における自己免疫疾患の進行を抑制するかまたは反対にするかを決定すること」であ
ること,テストステロンをシェーグレン症候群の動物モデルである成獣の雌のMRL/Mp−
lpr/lpr(MRL/lpr)マウスに局所的ではなく全身的に投与した理由について,
マウスの涙腺の場所へは眼の表面から到達できないからであることを説明し,試験結果につい
て「17日または34日間のテストステロンの投与は,涙腺組織のリンパ球浸潤を劇的に減少
させ,このホルモン作用は時間依存性で,浸潤物のサイズと範囲の両方において著名な減少を
もたらした。」こと,さらに「興味深いことには,テストステロンの生理的用量と超生理的用
量との間で,実験結果に顕著な相違はなかった。対照的に,偽薬処置マウスの涙腺では,実験
の経過中にリンパ球浸潤は段々増加していった。テストステロン療法はまた,下顎骨下の腺の
免疫病変を顕著に減少させたが,この影響の程度は涙腺組織で認められたものより小さかっ
た。」ことが記載されている。(本願明細書6頁下から4行−7頁19行)
(キ)実施例IIには,この実験の目的が,「別の自己免疫のシェーグレン症候群の動物モ
デル(NZB/NZWF1〔F1〕マウス)(52,59)を用いることによって,涙腺疾患
に対するアンドロゲン治療の効果を評価すること」であること,テストステロンを局所的では
なく全身的に投与した理由について,マウスの涙腺の場所へは眼の表面から到達できないから
であることを説明し,全身投与した試験結果について「テストステロン投与は,涙腺における
リンパ球蓄積の顕著な時間依存性の減少を誘発した。アンドロゲン療法の34から51日後,
リンパ球浸潤の程度は,偽薬処置組織のそれと比べて22から46倍抑制された。このホルモ
ンの影響は,濾胞性浸潤の数,個々の濾胞の範囲および涙腺標本当たりのリンパ球浸潤の(判
決注:本願明細書における誤記を訂正した。)総量の減少を伴った。一定の群では,テストス
テロンとの接触はまた,処置前に同じマウスで測定されたものと比べて涙液量の上昇を刺激し
た。殆ど例外なく,生理的および超生理的テストステロン治療のF1マウスの涙腺自己免疫発
現の影響は,実質的に同じ自己免疫疾患の抑制であった。」ことが記載されている。(本願明
細書7頁20行−8頁16行)
(ク)実施例IIIには,この実験の目的が,「このアンドロゲン作用が,涙腺組織におい
て特定のリンパ球集団またはクラスII抗原(すなわちIa)発現の選択的抑制を伴うか否か
を決定すること」であり,テストステロンを雌のMRL/Mp−lpr/lpr(MRL/l
pr)マウスに全身投与した試験結果について「MRL/lprマウスの涙腺の炎症細胞集団
に定量的および定性的影響の両方を与えることを示した。したがって,偽薬ではなくテストス
テロンの治療は,T細胞,ヘルパーT細胞,サプレッサー/細胞毒性T細胞,Ia陽性リンパ
球およびB細胞の総数の急激な減少を誘発した。アンドロゲン投与はまた,B220+(すな
わちおそらく未成熟T)細胞の涙腺における濃度を,その頻度と同様顕著に減少させた。」こ
とが記載されている。(本願明細書8頁17行−9頁3行)
(ケ)実施例I∼IIIについて,多数の参考文献を引用し,「他の観察(45,47,4
8,56)と比較するとき,これらの発見は,テストステロンの抗炎症性活性は,固有で涙腺
特異的である可能性を提唱する。第一に,涙腺組織のアンドロゲン誘発免疫抑制は,末梢リン
パ節には及ばないが(56,57),このことは,このステロイドホルモンは,全身的または
粘膜部位へのリンパ球移動またはそこでの増殖における一般的な抑制を引き起こさないことを
示唆している。第二に,テストステロンとの接触は,MRL/lprマウスの下顎骨下の腺の
リンパ球浸潤の程度を減少させるが(47),このホルモンの影響の性質は涙腺で認められた
ものとは異なり,アンドロゲンおよび薬剤に対する唾液腺の濾胞性浸潤の全体的な感受性は,
涙腺組織で認められたものとは全く異なるようにみえる(47)。第三に,アンドロゲンは,
涙腺の免疫機能に対して顕著な制御を示すが,必ずしも唾液腺または全身組織に対してはそう
ではない(45)。」((数字)は参考文献番号を示し,文献名は明細書にリストとして掲載
されている。)ことが記載されている(本願明細書9頁4−15行)。
(コ)実施例IVには,この実験の目的が,「他のステロイドホルモンまたは免疫抑制剤は,
涙腺の自己免疫におけるテストステロンの効果を繰り返すことができるか否かを決定するこ
と」であり,(a)テストステロン,(b)19−ノルテストステロン,(c)ダナゾール,
(d)17β−エストラジオール,(e)非アンドロゲン性合成ステロイド,(f)シクロス
ポリンA,抗炎症性物質,(g)デキサメタゾン,および(h)シクロホスファミドを雌のM
RL/lprマウスに全身投与した試験結果について「同化アンドロゲン,19−ノルテスト
ステロン,またはシクロホスファミドの投与によって,涙腺組織の濾胞性浸潤範囲,濾胞の数
および浸潤リンパ球の%におけるテストステロンの抑制効果は再現されたが,エストラジオー
ル,ダナゾール,非アルドステロン性合成ステロイド,シクロスポリンAまたはデキサメタゾ
ンによる治療では再現されなかった。さらに,テストステロン,19−ノルテストステロンお
よびシクロホスファミドは,デキサメタゾンと同様,下顎骨下の腺のリンパ球浸潤を減少させ
た。しかし,いずれのアンドロゲンも,脾臓並びに頚の上部および腸間膜リンパ節を含むリン
パ組織の重大な炎症には緩衝しなかった。」こと,そして,複数の参考文献を引用して「アン
ドロゲン単独処置はまた,涙液へのIgA抗体の涙腺排出増加を促進する。これらの抗体は,
細菌の集落形成,ウィルス付着,寄生虫の浸入および黴または毒素誘発障害から眼球表面を保
護するが(48),典型的にはシェーグレン症侯群の粘膜部位では減少する(53)。」
((数字)は同上)ことが記載されている。(本願明細書9頁16行−10頁20行)
(サ)「これら総合された発見は,全体として,アンドロゲンまたは他の同化類似体は,シェ
ーグレン症候群の動物モデルの涙腺における自己免疫発現を抑制することを示している。アン
ドロゲン作用はまた,一般的全身性の効果とは独立した組織特異的応答を示すようにみえ,し
たがって,眼への局所的な治療を正当化する。」(本願明細書10頁21−25行)
(シ)「シクロホスファミド(全身的投与に際して涙腺組織のリンパ球浸潤を減少させる唯一
の非アンドロゲン)は,その作用態様故に,適切なヒトの局所治療であるとは考えられない。
このアルキル化剤(これは,細胞性DNAの直接修飾によって自己免疫機能を抑制すると考え
られる)は,活性を得る前に肝でまず代謝されなければならない。したがって,シクロホスフ
ァミドは局所適用では局所的作用が可能ではない。」(本願明細書10頁25行−11頁1
行)
(ス)「シェーグレン症候群または涙腺の他の自己免疫疾患をもつ患者へのアンドロゲンまた
はその類似体の局所適用は,付属涙腺組織および主要涙腺の眼瞼葉(これは眼球表面に隣接し
ている)における免疫病理学的欠陥を直接抑制することができる。最も適切な治療用化合物の
選択は,与えられたホルモンの免疫活性,潜在的な副作用および投与形態によって左右される。
例えば,局所的テストステロンは涙腺の炎症を減少させるうえで極めて有効であろうし,その
メチル化類似体は,眼内圧のようなパラメーターについて有害な副作用を持たないように思え
る(87)。しかし,医薬としてのテストステロンの利用は禁忌を示すかもしれない:種々の
末梢組織におけるこのホルモンの代謝は,エストロゲンへの芳香族化を伴うかもしれず(8
6),これは進行中の自己免疫疾患を悪化させるかもしれない。さらに,投与に関しては,ア
ンドロゲンが担体賦形剤(例えばヒアルロン酸塩)と複合体を形成することができる場合は,
窒素付加類似体が考えられよう。」(本願明細書11頁3−15行)
(セ)「したがって,雌のMRL/lprマウスの涙腺自己免疫疾患発現を抑制する,種々の
修飾および/または同化アンドロゲンの効力を比較した。動物に疾患の開始後6週間,全身的
に賦形剤または指定のアンドロゲンを投与した。このテストで調べたアンドロゲンは以下を含
む:(a)テストステロン;(b)ジヒドロテストステロン(またアロジヒドロテストステロ
ン,アンドロスタノーロン,スタノロン,5α−ジヒドロステストステロンとも呼ばれる);
(c)フルオキシメステロン;(d)スタノゾロール;(e)ノルテストステロンプロピオネ
ート;(f)デヒドロエピ−アンドロステロン(アンドロゲン前駆体,アンドロステノロン,
デヒドロインアンドロステロン,DHEA,トランスデヒドロアンドロテロンとも呼ばれ
る);(g)オキサンドロドン;(h)メチルジヒドロテストステロン(メチルアンドロスタ
ノロンとも呼ばれる);(i)オキシメトロン;(j)5α−アンドロスタン−17β−オル
−3−オキシム;(k)5α−アンドロスタン−17α−オル−3−オン−アセテ−ト;
(l)2,(5α)−アンドロステン−17β−オル;(m)5α−アンドロスタン−2α−
メチル−17β−オル−3−オン;および(n)メチルテストステロン。」(本願明細書11
頁16行−12頁2行)
(ソ)「アンドロゲン性化合物のこの特異的な群の免疫活性を比較する正当性は以下の通り
である。」として,1969年(本件優先日より20年以上前)の文献を引用して,第1に,
これらの化合物が化学構造が似ていること,第2に,標準物(典型的にはテストステロン)に
比較してより強い同化活性を持つアンドロゲン活性を同定すること,第3に上記の化合物のう
ち窒素置換アンドロゲンは,アンドロゲン活性を抑制しないでヒアルロン酸塩へのステロイド
の結合を許容するかもしれないこと及び窒素置換アンドロゲンは同化活性は増強するがアンド
ロゲン性活性は減少しているといったものであることを挙げている。(本願明細書12頁3行
−13頁12行)
(タ)「代表的化合物の効果のテスト結果,全ての種類のアンドロゲン(経口的であれ,修飾
または同化類似体であれ)が,程度は種々であるけれども,涙腺自己免疫疾患の発現抑制に有
効であった。さらに別のルーチンな検査によって,特定の適用のための最適な治療化合物を決
定することができる。」(本願明細書13頁13−16行)
(チ)「滴剤(例えば遊離ホルモンまたは賦形剤物質との複合体)または軟膏の形で投与でき
るアンドロゲン療法は,アンドロゲン/細胞相互作用のメカニズムと持続時間を考えれば,頻
繁な適用を必要としないはずである。特定の化合物の投与は,医薬的に許容できる物質中で,
眼球表面または眼の隣接領域に対してルーチンな方法で行われるであろう。許容できる物質は,
緩衝溶液(例えば,燐酸緩衝食塩水)または不活性な担体化合物を含む。至適用量および投与
態様は,容易に慣用的なプロトコルで決定できる。」(本願明細書13頁17−23行)
イ局所投与による治療薬としての有用性について
医薬についての用途発明においては,一般に,有効成分の物質名,化学構造だけからその有
用性を予測することは困難であり,明細書に薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載をし
てその用途の有用性を裏付ける必要がある。
本願発明は,「局所適用において有効量のアンドロゲンまたはアンドロゲン類似体」及び
「当該アンドロゲンまたはアンドロゲン類似体を患者の眼球表面または眼の直ぐ近傍に局所的
に投与するための賦形剤」を含む組成物であって,「眼への局所投与」により,「当該患者の
眼の乾性角結膜炎の症状を治療する」ためのものである。
そこで,まず,本願発明が,眼への局所投与により,眼の乾性角結膜炎の症状の治療に有用
であることが,明細書に薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載をして裏付けられている
か否かについて検討する。
本願明細書には,シェーグレン症候群の動物モデルを用いた乾性角膜炎の炎症の治療効果の
有用性を示す試験結果として,実施例I,II,III,IVには,テストステロンを全身投
与した試験方法と試験結果が,実施例IVには,19−ノルテストステロンを全身投与した試
験方法と試験結果が記載されており,いずれも有効であったことが記載されている(上記記載
事項ア(カ),(キ),(ク),(コ))ものの,眼への局所投与を行った試験結果は一切記載されていな
い。
本願明細書には,シェーグレン症候群の動物モデルであるマウスでは,マウスの眼の解剖学
的構造から,涙腺への局所投与が実際上不可能であるので全身投与試験を行ったこと(上記記
載事項ア(カ),(キ)),そして,「眼の局所的適用療法の正当性のために必要な極めて重要なこ
とは,アンドロゲンはシェーグレン症候群の涙腺の免疫病変を抑制するということを示すこと
である。さらに,このアンドロゲン作用は涙腺組織を標的とし,一般化された全身的な影響と
は独立していることを示すことが重要である。」(上記記載事項ア(オ))と述べ,これらを示
すことで,アンドロゲンの眼への局所投与が,眼の乾性角結膜炎の症状の治療に有用であるこ
とを示すと述べている。
具体的には,本願明細書では,シェーグレン症候群の動物モデルであるマウスに,テストス
テロン等を全身投与し,涙腺組織への治療効果を確認するとともに他の組織についても調べた
ところ,涙腺組織への治療効果が確認されたこと(上記記載事項ア(カ),(キ),(ク),(コ)),実
施例Iでは,テストステロンについては,治療効果が涙腺組織で認められ,下顎骨下の腺の免
疫病変を顕著に減少させたが,この影響の程度は涙腺組織で認められたものより小さかったこ
と(具体的な記載は一切無い)(上記記載事項ア(カ)),実施例IVは,アンドロゲンとアン
ドロゲン以外のものに関するものであるが,アンドロゲンについては,全身投与による涙腺組
織への治療効果が,19−ノルテストステロンで認められ,このものは顎骨下の腺のリンパ球
浸潤を減少させたこと,いずれのアンドロゲンすなわちテストステロン,19−ノルテストス
テロンは,脾臓並びに頚の上部および腸間膜リンパ節を含むリンパ組織の重大な炎症には効果
がなかったことが記載されている。アンドロゲン以外のものについては,全身投与による涙腺
組織への治療効果が,シクロホスファミドでは認められたが,エストラジオール,ダナゾール,
非アンドロゲン性合成ステロイド(本願明細書では非アルドステロン性合成ステロイドと記載
されているが,非アンドロゲン性合成ステロイドの誤記であることは明らかである。なお,具
体的な化合物名は記載されていない。),シクロスポリンA,デキサメタゾンでは認められな
かったこと,シクロホスファミド,デキサメタゾンは下顎骨下の腺のリンパ球浸潤を減少させ
たことが記載されている(上記記載事項ア(コ))。
しかしながら,これらの記載は,テストステロン,19−ノルテストステロンは,治療効果
が涙腺組織とともに,下顎骨下の腺の免疫病変にも見られたが,テストステロンについては,
治療効果が涙腺組織に比べ,下顎骨下の腺については少ないこと,脾臓並びに頸の上部および
腸間膜リンパ節を含むリンパ組織の重大な炎症には治療効果がなかったことを示すだけのもの
である。
本願明細書では,実施例I∼IIIの「発見」は,参考文献に示される「観察」と比較する
ときテストステロンの抗炎症性活性は,固有で涙腺特異的である可能性を提唱するとしている。
その理由として,第一に,涙腺組織のアンドロゲン誘発免疫抑制は,末梢リンパ節には及ばな
いが,このことは,テストステロンが,全身的または粘膜部位へのリンパ球移動またはそこで
の増殖における一般的な抑制を引き起こさないことを示唆していること,第二に,アンドロゲ
ンおよび薬剤に対する唾液腺の濾胞性浸潤の全体的な感受性は,涙腺組織で認められたものと
は全く異なるようにみえること,第三に,アンドロゲンは,涙腺の免疫機能に対して顕著な制
御を示すが,必ずしも唾液腺または全身組織に対してはそうではないことを多くの参考文献番
号とともに記載している(上記記載事項ア(ケ))。
しかしながら,実施例I∼IIIのどの「発見」と,各参考文献に示されるどの「観察」と
から,どうして上記の可能性が提唱できるのかについては,なんら具体的な説明はない。
また,本願明細書には,上記の実施例I∼IVの結果と多数の参考文献の記載を総合すれば,
「アンドロゲン作用は,一般的全身性の効果とは独立した組織特異的応答を示すようにみえ,
したがって,眼への局所的な治療を正当化する。」(上記記載事項ア(サ))と結論づけている
が,そのように結論づけることができる理由についてはなんら記載されていない。
したがって,本願明細書の記載からは,「アンドロゲンはシェーグレン症候群の涙腺の免疫
病変を抑制するということを示すこと」,さらに,「このアンドロゲン作用は涙腺組織を標的
とし,一般化された全身的な影響とは独立していることを示すこと」により,アンドロゲンの
眼への局所投与が,眼の乾性角結膜炎の症状の治療に有用であることが裏付けられているとは
いえない。
一方,本願明細書に「本発明の特徴は,一般にシェーグレン症候群におけるKCSの管理に
ついての新規な試み,アンドロゲンまたはアンドロゲン類似体の治療量を含む調製物の眼への
適用である。」(上記記載事項ア(ア))とあるように,本願発明は,シェーグレン症候群の患
者を対象とするものである。
そもそも,シェーグレン症候群は,眼に症状が表れるが臓器非特異的な疾患,つまり全身性
の自己免疫疾患である。したがって,シェーグレン症候群における乾性角結膜炎の症状の治療
のためには,当業者であれば,一般的には,全身投与を考えるものであり,本件出願日前に,
全身投与で治療効果が認められれば眼への局所投与でも治療効果があると推測できるとの技術
常識は存在しなかった。
この点については,本願明細書にも,「アンドロゲンの作用メカニズムは,胸腺および視床
下部−下垂体軸からの因子によって仲介されるかまたはそれに補助されるか,そうでなければ
リンパ球に対する直接の影響を伴うと考えられた」ので,眼への局所投与は提唱されたことが
なかった(上記記載事項ア(エ))と,本件出願日当時は,眼への局所投与では効果が期待でき
ないものと考えられていたことが記載されている。
以上のとおり,本願明細書には,全身投与による涙腺効果が確認されたとするテストステロ
ン,19−ノルテストステロンに限ってみても,眼への局所投与による,乾性角結膜炎の症状
の治療の有用性を裏付ける記載がなされているとは到底認めることができない。
なお,審判請求人は,当審における平成18年1月25日付けで通知した拒絶の理由に対す
る意見書において,「アンドロゲン作用は,一般的全身性の効果とは独立した組織特異的応答
を示すようにみえ,したがって,眼への局所的な治療を正当化する。」理由については,上記
の本願明細書の記載を繰り返し指摘するだけであり,また,提出した臨床試験データは,マイ
ボーム腺機能不全に関するものであり,シェーグレン症候群における乾性角結膜炎の治療とい
う本願発明の用途とは異なる医薬用途に関するものである。
ウ局所適用における有効量について
次いで,本願発明は,「局所適用において有効量のアンドロゲンまたはアンドロゲン類似
体」を含む医薬組成物であるが,「局所適用において有効量のアンドロゲンまたはアンドロゲ
ン類似体」を,当業者が,本願明細書の記載と技術常識に基づいて容易に選定し,本願発明を
容易に実施することができるか否かを検討する。
本願明細書には,眼への局所投与におけるアンドロゲンまたはアンドロゲン類似体の有効量
については,具体的な説明は一切なく,また,眼への局所投与のための医薬組成物である本願
発明の配合例,製剤例は一例も記載されていない。本願発明の具体的な医薬組成物の製造につ
いては,単に,ルーチンな方法で行われるであろうと説明されているだけであり,アンドロゲ
ンまたはアンドロゲン類似体の有効量については,「至適用量および投与態様は,容易に慣用
的なプロトコルで決定できる。」(上記記載事項ア(チ))と記載されているのみである。
上記「イ局所投与による治療薬としての有用性について」に述べたとおり,本件出願日前
には,眼への局所投与は知られておらず,当業者は,一般的には,全身投与を考えるものであ
るから,慣用的なプロトコルでアンドロゲンまたはアンドロゲン類似体の有効量を容易に決定
できない。
また,上記のとおり,眼への局所投与におけるアンドロゲンまたはアンドロゲン類似体の有
効量がどのような量かということは当業者の技術常識ではない。
以上のとおり,本願発明は,「局所適用において有効量のアンドロゲンまたはアンドロゲン
類似体」を含む医薬組成物であるが,「局所適用において有効量のアンドロゲンまたはアンド
ロゲン類似体」を,当業者が,本願明細書の記載と技術常識に基づいて容易に選定し,本願発
明を容易に実施することはできない。
エ小括
上記イのとおり,本願明細書において,眼への局所投与のための医薬組成物の本願発明が,
眼への局所投与により,眼の乾性角結膜炎の症状の治療に有用であることが裏付けられている
とはいえず,また,上記ウのとおり,本願発明の特許を受けようとする発明の構成に欠くこと
のできない事項である「局所適用において有効量のアンドロゲンまたはアンドロゲン類似体」
を,当業者が,本願明細書の記載と技術常識に基づいて容易に選定することはできない。
したがって,本願発明について,本願明細書の発明の詳細な説明に,当業者が容易にその実
施をすることができる程度に,その発明の目的,構成及び効果が記載されていない。
(2)特許法36条5項1号について
特許法36条5項1号の規定によれば,特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記
載したものでなければならない。
上記の「(1)特許法36条4項について」に記載したとおり,本願明細書において,眼へ
の局所投与のための医薬組成物の本願発明が,眼への局所投与により,眼の乾性角結膜炎の症
状の治療に有用であることが裏付けられているとはいえず,また,本願発明の特許を受けよう
とする発明の構成に欠くことのできない事項である「局所適用において有効量」を,当業者が,
本願明細書の記載と技術常識に基づいて容易に選定することはできないので,本願発明は,発
明の詳細な説明に記載された発明ではない。
(3)審決の「むすび」
以上のとおりであるから,本件出願は,明細書の記載が,特許法36条4項に規定する要件
及び同法36条5項1号に規定する要件を満たしていないので,拒絶をすべきものである。
第3原告主張の審決取消事由の要点
審決は,本願明細書の発明の詳細な説明の記載が特許法36条4項に規定する要
件(実施可能要件)を満たしているか否かについての判断及び本願明細書の特許請
求の範囲(請求項1。以下同じ。)の記載が同条5項1号に規定する要件(サポー
ト要件)に適合するものであるか否かについての判断をいずれも誤った結果,本件
出願は拒絶をすべきものであると判断したものであるから,取り消されるべきであ
る。
1取消事由1(実施可能要件についての判断の誤り)
以下のとおり,本願明細書の発明の詳細な説明には,当業者が容易に実施可能な
程度に,本願発明の目的,構成及び効果が記載されているといえるから,本願明細
書の発明の詳細な説明の記載が実施可能要件を満たさない旨の審決の判断は,誤り
である。
(1)局所投与による治療薬としての有用性(以下「本件有用性」ということが
ある。)について
下記アないしオのとおり,本願明細書の発明の詳細な説明の記載は,乾性角結膜
炎につき,眼への局所投与による治療の有用性を裏付ける蓋然性の高いものである
から,本件有用性に関し,本願明細書の発明の詳細な説明には,当業者が容易に実
施可能な程度に,本願発明の目的,構成及び効果が記載されているといえる。
アシェーグレン症候群による疾患の局所性について
シェーグレン症候群は,自己免疫疾患の一つであるが,株式会社南山堂平成2年
2月1日発行の「南山堂医学大辞典(第17版)」(甲3。以下「甲3辞典」とい
う。)にも記載があるとおり,たとえ自己免疫疾患が全身性のものであるとしても,
シェーグレン症候群による疾患自体は,現象的には,非常に局所的といえるもので
ある。
イアンドロゲン又はアンドロゲン類似体(以下「アンドロゲン等」という。)
による処置の涙腺特異性について
シェーグレン症候群は,涙腺のほか,唾液腺等にも病変をもたらすものであるが,
本願発明における乾性角結膜炎は,涙腺組織の病変によって生じるものであり,涙
腺をターゲットにして治療するものである。そして,本願明細書の発明の詳細な説
明(以下,前後の文脈から明らかな場合に限り,単に「本願明細書」ということが
ある。)には,実施例I(7頁17∼19行)及び実施例III(9頁4∼15
行)において,全身投与の場合についてではあるが,本願発明におけるアンドロゲ
ン等が,唾液腺等よりも,涙腺に対して特異的に効果を奏することが確認された旨
の記載がある。このように,本願発明におけるアンドロゲン等による処置が,シェ
ーグレン症候群による病変箇所中,涙腺に特異的なものであることは明らかである。
ウ全身投与が持つ局所投与的性質について
全身投与は,複数の局所投与の態様の集合ともいえるものであるから,両者は,
相互に関連を有しない投与態様とはいえない(例えば,全身的治療による他の臓器
への副作用についての本願明細書の記載(3頁17∼19行)参照)。加えて,上
記アの点をも併せ考慮すると,全身投与の実験例は,局所投与の実験例を包含して
いるといえる。
なお,本願明細書において,(マウスに対する)全身投与の方法による実験結果
が記載されているのは,マウスの涙腺組織が,解剖学的に眼球表面から到達するこ
とができないものであるためである(本願明細書の7頁9∼10行及び8頁5∼7
行参照)。
エ「3つの基準」の充足について
(ア)「3つの基準」
全身投与の実験結果が以下の3つの基準(以下,単に「3つの基準」という。)
を満たす場合には,上記アないしウの各点とも相まって,当該実験結果から,眼へ
の局所投与においても十分な効果が期待され得ると考えることには,合理性がある
ということができ,本願明細書(6頁17∼24行)にも,その旨の記載がある。
aアンドロゲンが,シェーグレン症候群の涙腺の免疫病変を確かに抑制するこ
と(以下「第1の基準」という。)。
b当該アンドロゲンの作用が,涙腺組織を標的とするものであること(以下
「第2の基準」という。)。
c当該アンドロゲンの作用が,一般化された全身的な効果とは独立しているも
のであること(以下「第3の基準」という。)。
(イ)第1の基準の充足
本願明細書(実施例I(7頁11∼14行))には,テストステロン(アンドロ
ゲンの一種)の投与が涙腺組織に対する白血球浸潤の程度を劇的に軽減させた旨の
記載がある。白血球浸潤は,涙腺の免疫病変の一つであるから,上記記載内容は,
第1の基準を満足するものである。
(ウ)第2の基準の充足
本願明細書(実施例I(7頁17∼19行))には,「テストステロン治療は,
下顎の腺(唾液腺)の免疫病変を減少させたが,その程度は,涙腺組織に対する効
果で見出されたものよりも劣るものであった」旨の記載がある(実施例IIIにも,
同旨の記載がある。)。この記載内容は,アンドロゲンの作用が涙腺組織を標的に
するものであるということができ,第2の基準を満足するものである。
(エ)第3の基準の充足
本願明細書(9頁4∼15行)には,アンドロゲンの作用が,涙腺に対する影響
に限れば,局所的なものであって,全身作用又は全身にわたる作用でない旨の記載
がある。この記載内容は,アンドロゲンの作用が全身的な効果とは独立しているも
のであること(当該作用が涙腺に対して局所的,特異的なものであって,シェーグ
レン症候群の病変箇所である全身の器官及び臓器に等しく有効なものではないこ
と)を示すものであるということができ,第3の基準を満足するものである。
オテストステロンの肝臓非依存性について
テストステロンは,本願明細書の実施例IVに記載されたシクロホスファミドと
は異なり,肝臓で代謝された活性代謝物により初めて効果を奏するというものでは
なく,したがって,肝臓での代謝の有無に関係がないため,全身投与による効果が
確認されれば,局所投与においても同等の効果を奏するといえるものである。
(2)局所適用における有効量(以下「本件有効量」ということがある。)につ
いて
下記アないしウのとおり,本件優先日当時の当業者は,本願明細書の発明の詳細
な説明の記載及び技術常識に基づいて,本件有効量を容易に決定することが可能で
あったから,本件有効量に関し,本願明細書の発明の詳細な説明には,当業者が容
易に実施可能な程度に,本願発明の目的,構成及び効果が記載されているといえる。
ア本件有効量の非臨界性について
本願明細書には,テストステロンを通常の生理的用量で適用した場合と,超生理
的用量(通常の生理的用量を超える過剰な用量)で適用した場合とで,実験結果に
有意な差がなかった旨の記載(実施例I(7頁15∼16行)及び実施例II(8
頁14∼16行)),すなわち,本件有効量に臨界性がない旨の記載がある。
イ当業者の技術常識について
テストステロンは,本件優先日前から,ヒトに対しても既に適用されていたもの
であるから(他の自己免疫疾患に関するものではあるが,本願明細書の記載(3頁
11∼14行)参照),当業者は,本願発明におけるアンドロゲンの生理的用量に
ついても,これをよく知っていたといえる。
ウ上記ア及びイに加え,前記(1)ウの点をも併せ考慮すると,本件優先日当時
の当業者は,その技術常識に基づき,慣用的なプロトコルで本件有効量を容易に決
定することが可能であったといえる。
(3)実施可能要件を満たすために必要な記載事項について
ア日本製薬工業協会医薬品評価委員会臨床評価部会企画・編集の「『くすり』
と『治験』」と題する冊子(甲8)にも記載されたとおり,医薬品開発においては,
ちけん
まず,動物レベルでの有効性を確認した後,次の実験で安全域用量を設定し,ヒト
における第Ⅰ相試験により,健常人における安全性を確認し,第Ⅱ相試験(少数患
者における有効性試験)により,至適用量を定め,第Ⅲ相試験(大規模患者におけ
る治験)を通じて,最終的な有効性,安全性を確認していくものである。したがっ
て,ヒト治験の前臨床試験である動物実験の段階では,ヒトに投与することができ
るか否かの試験結果が得られていればよい。
イそして,特許権に保護された状態で長期にわたる医薬品開発が行われるため
には,特許出願の審査においては,動物レベルでの有効性が確認されれば足りると
解する必要があり,現に,動物実験による薬理効果の確認は,明細書の発明の詳細
な説明に記載すべきヒトに対する薬理効果の確認として認められているものである。
ウしかも,本願発明においては,シェーグレン症候群による眼の乾性角結膜炎
が涙腺に起因し,動物レベルでの実験において最適とされているマウスに対しては,
点眼では薬剤が涙腺に到達し得ないという特殊性がある。
エそうすると,本件出願について,マウスにおいて実験不可能な涙腺への局所
適用例の記載を要求し,かつ,ヒトの治験を通じて初めて分かる有効量の記載を要
求することは,上記医薬品開発の実情及び本願発明の特殊性を考慮せずに,過重な
記載を求めるものであって,違法であるというべきである。
2取消事由2(サポート要件についての判断の誤り)
上記1のとおりであるから,本願明細書の特許請求の範囲の記載は,サポート要
件に適合するものであるといえる。したがって,本願明細書の特許請求の範囲の記
載がサポート要件に適合しない旨の審決の判断は,誤りである。
第4被告の反論の要点
1取消事由1(実施可能要件についての判断の誤り)に対し
(1)本件有用性について
アシェーグレン症候群の全身的疾患性について
(ア)シェーグレン症候群は,眼に症状が現れるものの,全身性の自己免疫疾患
である。すなわち,甲3辞典及び平成3年4月25日発行の日経バイオテク編「日
経バイオテクノロジー最新用語辞典91(第1版)」(乙1。以下「乙1辞典」と
いう。)に記載のとおり,シェーグレン症候群は,涙腺のみならず,種々の外分泌
腺に炎症を引き起こすものであり,その症状も,眼球の乾燥に限らず,口腔の乾燥
を伴い,場合によっては関節症状をも伴うものである(なお,甲3辞典にいう「臓
器特異的自己免疫疾患」とは,比較的限られた臓器群に関係する疾患を意味し,唯
一の臓器にのみ関係する疾患を意味するものではない。)。
(イ)このように,シェーグレン症候群は,全身性の自己免疫疾患であるから,
シェーグレン症候群における乾性角結膜炎の症状の治療のためには,当業者であれ
ば,一般的には,薬剤の全身投与を考えるものであるところ,本件優先日当時,当
該症状の治療として,薬剤の全身投与で効果が認められれば,眼に対する局所投与
においても効果があるものと推測することができるとの技術常識は存在しなかった
ものである。
(ウ)そうすると,本願発明における乾性角結膜炎が眼に現れる症状であること
(原告の主張によれば,「現象的には,非常に局所的といえる」こと)をもって,
本件有用性を根拠付けることはできないというべきである。
イアンドロゲン等による処置の涙腺非特異性について
(ア)原告が指摘する本願明細書の実施例Iの記載(7頁17∼19行)は,
「テストステロン療法はまた,下顎骨下の腺の免疫病変を顕著に減少させた」とい
うものであるから,テストステロン療法が,涙腺及び唾液腺の双方に対して顕著な
治療効果を示すものであるといえる。
(イ)また,原告が指摘する同実施例IIIの記載(9頁4∼15行)について
は,当該記載にいう「これらの発見」のうちのどの「発見」と,「他の観察(引用
文献)」のうちのどの「観察」とから,なぜ「涙腺特異的である可能性を提唱す
る」ことができるのかについての具体的な説明が全くない。
(ウ)なお,後記ウ(ウ)のとおり,むしろ,本願明細書(3頁17∼19行)には,
アンドロゲンが涙腺特異的に作用するものではない旨の記載がある。
(エ)以上からすると,原告が指摘する本願明細書の実施例I及びIIIの記載
は,アンドロゲン等による処置の涙腺特異性の根拠となるものではない。
ウ全身投与と局所投与との関係について
(ア)原告は,全身投与の実験例が局所投与の実験例を包含しているといえる旨
主張するが,そもそも,その主張の趣旨自体,不明である。
(イ)全身投与と局所投与とは,全く異なる形態のものであり(例えば,静脈注
射による投与や経口投与(全身投与)が,点眼投与や皮膚への塗布(局所投与)の
集合であるとは到底いえない。),全身投与の実験例が局所投与の実験例を包含し
ているとはいえない。
(ウ)なお,原告が指摘する副作用についての本願明細書の記載(3頁17∼1
9行)は,全身投与されたアンドロゲンが,涙腺特異的に作用するものではなく,
他の臓器にも作用することを意味するものにすぎない。
エ3つの基準及びこれを充足しないことについて
(ア)3つの基準についての説明等の欠如
本願明細書には,3つの基準の説明及びこれらを充足すれば眼の局所的適用療法
が正当化される理由についての記載はない。
(イ)第2の基準の非充足
下記aないしcのとおり,本願明細書に,アンドロゲンの作用が涙腺組織を標的
とするものである旨の記載があるとはいえない。
a上記ウ(ウ)のとおり,本願明細書には,全身投与されたアンドロゲンが,涙
腺特異的に作用するものではなく,他の臓器にも作用する旨の記載(3頁17∼1
9行)がある。
b原告が指摘する実施例Iの記載(7頁17∼19行)は,上記イ(ア)のとお
り,テストステロン療法が,涙腺及び唾液腺の双方に対して顕著な治療効果を示す
ものであるといえる。
c原告が指摘する実施例IIIの記載(9頁4∼15行)については,上記イ
(イ)のとおりであるから,アンドロゲンの作用が涙腺組織を標的とすることを裏付
けるものとはいえない。
(ウ)第3の基準の非充足
下記aないしcのとおり,本願明細書に,アンドロゲンの作用が一般化された全
身的な効果とは独立しているものである旨の記載があるとはいえない。
a上記(イ)aのとおり,本願明細書には,全身投与されたアンドロゲンが,涙
腺特異的に作用するものではなく,他の臓器にも作用する旨の記載(3頁17∼1
9行)がある。
b原告が指摘する実施例IIIの記載(9頁4∼15行)については,上記イ
(イ)のとおり,当該記載にいう「これらの発見」のうちのどの「発見」と,「他の
観察(引用文献)」のうちのどの「観察」とから,なぜ「涙腺特異的である可能性
を提唱する」ことができるのかについての具体的な説明が全くない。
cなお,本願明細書には,実施例IないしIVの結果と多数の参考文献の記載
を総合した結果として,「アンドロゲン作用はまた,一般的全身性の効果とは独立
した組織特異的応答を示すようにみえ,したがって,眼への局所的な治療を正当化
する。」との記載(10頁下から7∼5行)があるが,そのように結論付けること
ができる理由についての記載はない。
(2)本件有効量について
原告が指摘する本願明細書の各記載(7頁15∼16行(実施例I),8頁14
∼16行(実施例II)及び3頁11∼14行)は,いずれも,全身投与について
のものであるところ,上記(1)ウのとおり,全身投与の実験例が局所投与の実験例
を包含しているといえる旨の原告の主張の趣旨自体,不明であるし,また,全身投
与と局所投与とは,全く異なる形態のものであり,全身投与は,各局所への投与を
同時に含むものではない。
そして,原告は,上記各記載のほか,本件有効量が本件優先日当時の当業者の技
術常識の範囲内のものであったことの根拠を何ら示していない。
以上からすると,全身投与が局所投与を含むものであることなどを根拠として,
「本件優先日当時の当業者は,その技術常識に基づき,慣用的なプロトコルで本件
有効量を容易に決定することが可能であったといえる。」との原告の主張は,失当
である。
(3)取消事由1についての結論
以上のとおりであるから,本願明細書の発明の詳細な説明の記載が実施可能要件
を満たさないとした審決の判断に誤りはない。
2取消事由2(サポート要件についての判断の誤り)に対し
上記1のとおりであるから,本願明細書の特許請求の範囲の記載がサポート要件
に適合しないとした審決の判断に誤りはない。
第5当裁判所の判断
1取消事由1(実施可能要件についての判断の誤り)について
(1)本願発明に係る実施可能要件について
ア特許法36条4項は,「・・・発明の詳細な説明には,その発明の属する技
術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度
に,その発明の目的,構成及び効果を記載しなければならない。」と定めるところ,
この規定にいう「実施」とは,本願発明のような物の発明の場合にあっては,当該
発明に係る物の生産,使用等をいうものであるから,実施可能要件を満たすために
は,明細書の発明の詳細な説明の記載は,当業者が当該発明に係る物を生産し,使
用することができる程度のものでなければならない。
そして,本願発明のようないわゆる医薬用途発明においては,一般に,当業者に
とって,物質名,化学構造等が示されることのみによっては,当該用途の有用性及
びそのための当該医薬の有効量を予測することは困難であり,当該発明に係る医薬
を当該用途に使用することができないから,そのような発明において実施可能要件
を満たすためには,明細書の発明の詳細な説明に,薬理データの記載又はこれと同
視し得る程度の記載をすることなどにより,当該用途の有用性及びそのための当該
医薬の有効量を裏付ける記載を要するものと解するのが相当である。
イなお,原告は,本件出願について,マウスにおいて実験不可能な涙腺への局
所適用例の記載を要求し,かつ,ヒトの治験を通じて初めて分かる有効量の記載を
要求することは,違法である旨主張するが,この主張が,上記アに説示したところ
と異なる趣旨をいうものであるとすれば,原告の独自の見解であるといわざるを得
ず,失当である。
ウそこで,以下,上記アの観点に立ち,まず,本願明細書の発明の詳細な説明
に,本件有用性を裏付ける記載があるか否かにつき検討する。
(2)アンドロゲン等の有用性に関する本願明細書の発明の詳細な説明の記載及
びこれに係る原告の主張の概要
ア本願明細書に,審決が認定した各記載(前記第2の3(1)ア(ア)ないし(チ))
があることは,当事者間に争いがないところ,これらによれば,本願明細書には,
アンドロゲン等の有用性に関する薬理試験として,マウスを用いた全身投与の実験
結果の記載があるのみであるといえる。
イこれに対し,原告は,種々の理由を挙げて,全身投与の実験結果の記載であ
っても,局所投与に係る本件有用性を裏付けるものである旨主張する。
ウそこで,以下,原告の各主張に即して検討する。
(3)シェーグレン症候群による疾患の局所性について
ア原告は,シェーグレン症候群による疾患自体は,現象的には,非常に局所的
といえるものである旨主張し,そのことをもって,アンドロゲン等の眼に対する局
所投与が有用であることを根拠付けようとする。
イそこで検討するに,本件優先日当時の医学的知見を示すものとして提出され
た乙1辞典及び甲3辞典には,次の各記載がある。
(ア)乙1辞典
「シェーグレン症候群
・・・
膠原病の一つである。全身の外分泌腺に炎症が起こり,その結果,外分泌機能に障害が生じ
るが,特によくみられるのは涙腺と唾液腺の障害である。このために眼球や口腔の乾燥が症状
として現れる。炎症が発生する原因は,まだつきとめられていないが,他の多くの膠原病と同
様,きっかけとして自己免疫が起こるためではないかと考えられている。
・・・シェーグレン症候群は,関節症状に眼球と口腔の乾燥が伴うものとされていたが,現
在は関節症状は伴っていなくても,涙腺や唾液腺などの外分泌腺に炎症による障害があれば,
シェーグレン症候群と診断される。」(276頁右欄5∼28行)
(イ)甲3辞典
a「生体が自己の構成成分に対する抗体を産生しないということは,リンパ球系に非自己と
自己を区別する防御機構が働いていることを示しており,・・・この自己・非自己の識別機構
が障害されると,自己の構成成分と反応する抗体,すなわち,自己抗体が産生され自己免疫が
成立することになる。」(797頁左欄下から3行∼右欄4行)
b「生体は,・・・自己の成分に対してもアレルギー反応を起こす。・・・これをもとに,
ある病態が生じた時には,自己免疫疾患と呼ぶ。自己免疫疾患は,全身性の疾患であるが,臓
器特異性のない疾患と,特異性のある疾患の2つに大別される。臓器特異的疾患には,・・・
シェーグレン症候群がある。・・・自己免疫疾患には,多彩な自己抗体や,自己抗原感作リン
パ球が存在する。それらが実際に組織障害とどのように関連しているかは重要な問題であ
る。」(797頁右欄20∼40行)
ウ上記イの各記載によれば,シェーグレン症候群は,これによる具体的な障害
(炎症)の好発部位を涙腺及び唾液腺とするものの,その実体は,自己抗体が産生
されることによる自己免疫疾患であり,涙腺及び唾液腺以外の全身の外分泌腺に対
する障害や,場合によっては関節症状をも引き起こす全身性の疾患であるといえる。
本件優先日当時に認識されていた,このようなシェーグレン症候群の性質にかん
がみれば,本願発明にいう乾性角結膜炎(これがシェーグレン症候群に基づく疾患
を意味するものであることについては,当事者間に争いがない。)が,現象的には
涙腺という局所の障害によるものであるとしても,そのことから直ちに,アンドロ
ゲン等を眼に対して局所投与することの有用性が根拠付けられるとはいえない。
(4)アンドロゲン等による処置の涙腺特異性について
ア原告は,本願明細書に,アンドロゲン等による処置が,シェーグレン症候群
による病変箇所中,涙腺に対し特異的に効果を奏するものである旨の記載があると
主張し,次の各記載を挙げる。
(ア)「テストステロン療法はまた,下顎骨下の腺の免疫病変を顕著に減少させたが,この影
響の程度は涙腺組織で認められたものより小さかった。」(7頁17∼19行)
(イ)「他の観察(45,47,48,56)と比較するとき,これらの発見は,テストステ
ロンの抗炎症性活性は,固有で涙腺特異的である可能性を提唱する。第一に,涙腺組織のアン
ドロゲン誘発免疫抑制は,末悄リンパ節には及ばないが(56,57),このことは,このス
テロイドホルモンは,全身的または粘膜部位へのリンパ球移動またはそこでの増殖における一
般的な抑制を引き起こさないことを示唆している。第二に,テストステロンとの接触は,MR
L/lprマウスの下顎骨下の腺のリンパ球浸潤の程度を減少させるが(47),このホルモ
ンの影響の性質は涙腺で認められたものとは異なり,アンドロゲンおよび薬剤に対する唾液腺
の濾胞性浸潤の全体的な感受性は,涙腺組織で認められたものとは全く異なるようにみえる
(47)。第三に,アンドロゲンは,涙腺の免疫機能に対して顕著な制御を示すが,必ずしも
唾液腺または全身組織に対してはそうではない(45)。」(9頁4∼15行)
イ(ア)そこで検討するに,上記ア(ア)の記載は,テストステロン療法による効果
が,下顎骨下の腺(これが唾液腺を意味するものであることについては,当事者間
に争いがない。)に対するそれよりも,涙腺に対するそれのほうが大きかったこと
をいうものではあるが,同時に,「テストステロン療法はまた,下顎骨下の腺の免
疫病変を顕著に減少させた」というのであるから,上記ア(ア)の記載をもって,ア
ンドロゲン等による処置が涙腺に対し特異的に効果を奏する旨をいうものであると
は認められない。
(イ)上記ア(イ)の記載は,アンドロゲン等による処置が涙腺に対し特異的な効果
を奏するとする理由として,①涙腺組織におけるアンドロゲン誘発免疫抑制が末梢
リンパ節に及ばないこと,②テストステロンは,下顎骨下の腺(唾液腺)の病変を
減少させるが,唾液腺に対する効果は,涙腺に対する効果と異なること,③アンド
ロゲンの涙腺に対する効果が必ずしも唾液腺又は全身組織に対して現れるものでは
ないことを挙げるものである。
しかしながら,上記①ないし③は,いずれも,具体的なデータ等に基づくもので
はなく,発明の詳細な説明の末尾に番号を付して多数列挙した参考文献のリスト
(それらの文献の記載内容の開示は一切ない。)の中から,該当する文献を,その
番号を掲げることによって引用するものにすぎない。
また,上記②は,畢竟,上記ア(ア)の記載と同旨であると考えられるところ,こ
れが,アンドロゲン等による処置が涙腺に対し特異的に効果を奏する旨をいうもの
とは認められないことは,上記(ア)のとおりであるし,上記③は,少なくとも唾液
腺に関しては,上記ア(ア)の記載と齟齬するものであり,上記③に係る記載に接し
た当業者にとって,アンドロゲン等による処置が涙腺に対して特異的に効果を奏す
るものと認識することができるものとはいえない。
さらに,一般に,薬剤を全身投与した場合,臓器,器官等によって効果の現れ方
に差異があるのは通常みられることであるところ,上記①ないし③が,そのような
薬剤の全身投与から通常生じ得る差異をいうものではなく,投与方法(全身投与)
とは別の原因で涙腺に対する特異的な効果が生じたことについての具体的な理由を
指摘するものであるとまで認めることはできない。
そうすると,上記の程度の抽象的な理由の記載をもって,アンドロゲン等による
処置が涙腺に対し特異的に効果を奏する旨をいうものと認めることは,およそでき
ないといわざるを得ない。
(ウ)したがって,原告の挙げる各記載によって,本願明細書に,アンドロゲン
等による処置が涙腺に対し特異的に効果を奏する旨の記載があるとは認められない。
(5)全身投与と局所投与との関係について
ア原告は,全身投与の実験例は,局所投与の実験例を包含している旨主張する
(なお,被告は,原告の上記主張の趣旨が不明であると主張するが,少なくとも,
原告が,上記主張により,全身投与の実験結果であっても,局所投与の有用性を裏
付けるものであることを根拠付けようとしていることは認められる。)。
イしかしながら,薬剤の全身投与においては,注射等により直接血管に注入さ
れ,あるいは消化器系を通じるなどして血液中に取り込まれた薬剤が,全身の血管
系を循環し,全身の臓器,器官等を経由しつつ,標的とされる病変部位に到達する
ものであるから,そのような過程を経ない局所投与が,全身投与と本質的に異なる
ものであることは明らかである。
また,とりわけ,シェーグレン症候群のような全身性の疾患においては,現実に
症状が発現している具体的な部位以外の部位(全身性の疾患の根源と考えられる部
位)に薬剤が到達することにより,当該薬剤の効果が生じるということも十分に考
えられるところである。
そうすると,シェーグレン症候群に基づく乾性角結膜炎について,全身投与にお
いて有用であった薬剤が,直ちに,局所投与においても有用であるということがで
きないことは明らかであり,原告の上記主張は,失当である。
(6)3つの基準について
ア3つの基準の合理性について
(ア)原告は,全身投与の実験結果が3つの基準を満たす場合には,当該実験結
果から,眼への局所投与においても十分な効果が期待され得ると考えることに合理
性がある旨主張し,そのことを記載したものとして,本願明細書の次の部分を挙げ
る。
「眼の局所的適用療法の正当性のために必要な極めて重要なことは,アンドロゲンはシェー
グレン症候群の涙腺の免疫病変を抑制するということを示すことである。さらに,このアンド
ロゲン作用は涙腺組織を標的とし,一般化された全身的な影響とは独立していることを示すこ
とが重要である。下記に提示する実施例において,これら3つの基準は全て満たされることを
示している。すなわち,アンドロゲンはシェーグレン症候群の涙腺の免疫病変を確かに抑制し,
アンドロゲン作用は涙腺組織を標的とし,さらにアンドロゲン作用は一般化された全身的効果
とは独立している。」(6頁17∼下から5行)
(イ)しかしながら,本願明細書には,3つの基準がすべて満たされれば,全身
投与の実験結果であっても,局所投与における有用性が示されたことになるとの知
見を根拠付ける記載は全くなく,また,当該知見が本件優先日当時の当業者の技術
常識であったものと認めるに足りる証拠もない。
そうすると,3つの基準の充足性について検討するまでもなく,同基準に合理性
があることを前提とする原告の主張には理由がないことになるが,以下,念のため,
上記記載のいうように,3つの基準がすべて充足されることが本願明細書の記載上
示されているといい得るか否かについて検討する。
イ第2の基準(シェーグレン症候群の涙腺の免疫病変を確かに抑制するとのア
ンドロゲンの作用が,涙腺組織を標的とするものであること)について
(ア)原告は,本願明細書中,前記(4)ア(ア)及び(イ)の各記載を挙げ,第2の基準
を満足するとの記載がある旨主張する。
(イ)しかしながら,上記の各記載によって,本願明細書に,アンドロゲン等に
よる処置が涙腺に対し特異的に効果を奏する旨の記載があると認めることができな
いことは,前記(4)イのとおりであるから,これらの各記載をもって,第2の基準
を充足することが示されていると認めることはできない。
ウ第3の基準(シェーグレン症候群の涙腺の免疫病変を確かに抑制するとのア
ンドロゲンの作用が,一般化された全身的な効果とは独立しているものであるこ
と)について
(ア)原告は,本願明細書中,前記(4)ア(イ)の記載を挙げ,これが第3の基準を
満足する旨の記載である旨主張する。
(イ)そこで検討するに,前記(4)イ(イ)のとおり,上記記載は,アンドロゲン等
による処置が涙腺に対し特異的な効果を奏するものであること,その理由として,
①涙腺組織におけるアンドロゲン誘発免疫抑制が末梢リンパ節に及ばないこと,②
テストステロンは,下顎骨下の腺(唾液腺)の病変を減少させるが,唾液腺に対す
る効果は,涙腺に対する効果と異なること,③アンドロゲンの涙腺に対する効果が
必ずしも唾液腺又は全身組織に対して現れるものではないことを挙げるものである。
しかしながら,前記(4)イ(イ)のとおり,上記①ないし③は,いずれも,具体的な
データ等に基づくものではなく,発明の詳細な説明の末尾に多数列挙した参考文献
の中から,該当する文献の番号のみを引用するものにすぎない。
また,前記(5)イのとおりの全身投与の性質に照らせば,全身投与の方法による
実験の結果が,薬剤が全身の血管系を循環し,全身の臓器,器官等を経由すること
による影響を一切受けていないものであるということは,通常考え難いところ,上
記①ないし③は,アンドロゲンの作用が,そのような影響を一切受けていないこと
についての具体的な理由を指摘するものではない。
そうすると,上記の程度の抽象的な理由の記載をもって,アンドロゲンの作用が,
一般化された全身的な効果とは独立している旨をいうものと認めることはおよそで
きないといわざるを得ない。
(ウ)なお,本願明細書には,次の記載がある。
「アンドロゲン作用はまた,一般的全身性の効果とは独立した組織特異的応答を示すように
みえ,したがって,眼への局所的な治療を正当化する。」(10頁下から7∼5行)
しかしながら,上記(イ)において説示したところに照らせば,この程度の抽象的
な記載をもって,アンドロゲンの作用が,一般化された全身的な効果とは独立して
いることが裏付けられているということはできない。
(エ)したがって,本願明細書に,第3の基準を充足することが示されていると
認めることはできない。
(7)テストステロンの肝臓非依存性について
ア原告は,テストステロンは肝臓で代謝された活性代謝物により初めて効果を
奏するというものではないため,全身投与による効果が確認されれば,局所投与に
おいても同等の効果を奏するといえる旨主張する。
イしかしながら,前記(5)イのとおりの全身投与の性質に照らせば,テストス
テロンが肝臓で代謝されることにより初めて効果を奏するものでないとしても,そ
のことから直ちに,全身投与による効果が確認されれば局所投与においても同等の
効果を奏するということはできないから,原告の上記主張は,失当である。
(8)小括
以上のとおりであるから,アンドロゲン等の有用性に関する薬理試験として,マ
ウスを用いた全身投与の実験結果の記載があるのみである本願明細書の発明の詳細
な説明に,局所投与に係る本件有用性を裏付ける記載があるといえる旨の原告の各
主張は,いずれも採用することができず,その他,本願明細書の発明の詳細な説明
に,本件有用性を裏付ける記載があるものと認めるに足りる証拠はない。
そうすると,本件有効量についての記載の有無について検討するまでもなく,本
願明細書の発明の詳細な説明は,特許法36条4項に規定する実施可能要件を満た
さないものといわざるを得ない。
よって,取消事由1は,理由がない。
2結論
以上のとおり,取消事由1は理由がないから,取消事由2について判断するまで
もなく,原告の請求は棄却されるべきである。
知的財産高等裁判所第4部
裁判長裁判官
石原直樹
裁判官
榎戸道也
裁判官
浅井憲

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