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平成15年3月18日宣告平成13年(わ)  第241号,第330号
非現住建造物等放火,詐欺被告事件
主文
被告人両名はいずれも無罪。
理由
第1総論
1本件各公訴事実及び被告人らの主張
本件各公訴事実の要旨は,「被告人両名は,共謀の上,被告人Aにおいて,C
農業協同組合連合会との間に,函館市a町b番c号の被告人A長男D所有名義の
住宅兼事務所(木造モルタル,金属板葺2階建,総床面積約210平方メート
ル)内の家財家具,住宅内収容を目的とし,E農業協同組合を取扱農業協同組合
とする火災共済契約(共済金額1000万円)を,また,当時のF火災海上保険
株式会社との間に,本件建物を目的とする火災保険契約(保険金額1800万
円)をそれぞれ締結していたことから,本件建物に放火して,火災保険金等を騙
取しようと企て,
平成6年11月10日午前4時ころ,本件建物1階中央階段フロアーの床板
面に敷かれていたじゅうたん上に灯油を撒いた上,周囲の媒介物に点火して火
を放ち,その火を内壁,天井等に燃え移らせ,よって,現に人の住居に使用せ
ず,かつ,人の現在しない本件建物の天井,内壁等約62平方メートルを焼燬
した。
同年12月2日ころ,同市d町e番f号のG事務所において,E農協金融部
長Hに対し,真実は上記のとおり被告人両名の放火による火災であるのにその
情を秘し,本件火災の原因が被告人両名の故意以外のものであるように装った
上,Dを介し,家財家具損害申告書1通を提出するなどして,C建物共済課長
Iに対し,火災共済金の支払方を請求し,支払決定権限を有する同人らをして,
本件火災の原因が被告人両名の故意以外のものであると誤信させ,よって,平
成7年3月8日,E農協から,同市d町所在の当時のJ銀行g支店内の被告人
A名義の普通預金口座に,火災共済金名下に1067万9452円の振込入金
を受けて,これを騙取した。
前記記載同様に装った上,平成7年3月7日ころ,Dを介し,同市h町i
番j号F火災函館損害サービスセンター従業員に対し,保険金請求書を送付す
るなどして火災保険金の支払方を請求し,支払決定権限を有する同社北海道本
部業務部長Kをして,前記記載同様に誤信させ,よって,同月16日,同社
から,同市k町l番m号L信用金庫k支店に開設された同支店長M名義の借受
金口座に,同信用金庫に対する被告人Aの借入金の返済に充当するべきものと
して,火災保険金名下に1568万6000円の振込入金を受けて,これを騙
取した。」
というものである。
これに対し,被告人Aは,本件建物に放火したことはなく,また,本件建物に
かかる火災保険金等の請求も,放火していないからこそ保険契約者として請求し
たものであって詐欺ではないと供述し,被告人Bは,本件建物に放火したことは
なく,被告人Aによる火災保険金等の請求については分からない旨供述し,被告
人両名の弁護人もそれぞれ同様に述べ,被告人両名は無罪である旨主張する。そ
こで,以下,本件各公訴事実の成否について検討する。
なお,以下の判示において証拠を引用する場合,証人の公判供述及び証人に対
する受命裁判官の尋問調書中の証人の供述については,いずれも証人の姓に証言
を付して「○○証言」と,各被告人の公判供述は「A供述」又は「B供述」とい
う。証拠書類については,謄本等により取調べがされたものやその一部が取り調
べられたものでもその点の表示を省略する。また,「甲○○」,「乙○○」,
「弁○○」とあるのは,それぞれ証拠等関係カード記載の検察官請求甲○○号証,
乙○○号証,弁護人請求の弁○○号証のことをそれぞれ意味する。
2判断の前提となる事実
以下の各事実は,概ね争いがなく,関係証拠(甲1ないし15,37ないし4
4,46ないし48,107ないし125,A供述等)により認めることができ
る。
本件建物及びその火災について
ア本件建物は,函館市a町n番地eに所在し,その住居表示は同市a町b番
c号であり,市道が縦横に走り,一般住宅等が密集する旧来からの住宅街に
位置する,幅員7.45メートルの未舗装の市道に面した木造モルタル亜鉛
メッキ銅板葺2階建ての建物であり,1階は事務所と住宅の併用となってお
り,2階はアパート形式の住宅となっている。
本件建物は,同市a町に所在する地番n番e,地積150.54平方メー
トルの宅地上に建築されているものであり,本件土地ともども被告人Aがそ
の実母から相続した不動産であったが,平成2年8月にN株式会社に,さら
に平成4年8月27日にDに所有権移転登記がされているところ,実際には,
かねてから被告人Aが,自ら営んでいる貸金業の住宅兼事務所として使用し
ていた。
イ本件建物については,周辺住民から,平成6年11月10日午前3時52
分ころ,警察に,同日午前3時54分ころ,消防に,それぞれ火災の通報が
あり,同日午前3時57分ころに消防による放水が開始され,同日午前4時
36分ころに鎮火したが,延べ床面積約210平方メートルのうち,焼損床
面積約62平方メートル,焼損表面積約158平方メートルの半焼状態とな
った。
被告人Aは同月8日からO病院に入院していたため,本件火災当時,不在
であった。
本件建物に関係する火災保険等の加入状況,保険金等支払状況
ア火災共済契約(家財についての契約)
加入状況
被告人Aは,昭和54年ころから,C(E農協取扱い)との間で,本件
建物内の家財家具,住宅内収容を目的とする火災共済契約を締結,更新し
ていたが,本件火災時には,契約申込者を被告人Aとして,共済期間が平
成6年7月19日から平成7年7月19日まで,家屋用途を一般住宅(火
災後の調査で一般住宅,事務所に変更),共済の目的を家財家具,住宅内
収容(火災後の調査で家財家具,事務所内収容に変更),共済金額を10
00万円(火災後の調査で807万円に変更),掛金を1万7000円
(火災後の調査で1万7750円に変更)とする火災共済契約を締結して
おり,火災が発生し,家財,住宅内収容に損害が生じた場合,最大限,共
済金額を限度とする共済価額(共済の目的が存在する場所における時価
額)が支払われるほか,残存物とりかたづけ費用共済金,特別費用共済金
が支払われることとなっており,特約として,共済契約者又は被共済者の
故意又は重大な過失によって生じた損害については,共済金を支払わない
(約款第10条)との条項が定められていた。
Cによる調査,保険金支払状況
本件火災の発生後,Cでは,契約者である被告人Aが不在の間に火事に
なったこと,予め家財が運び出されていたとのうわさがあったこと,本件
火災後,現場を暴力団関係者とおぼしき人物がうろついていたことなどか
ら,契約者である被告人Aが何らかの形で本件火災に関係しているのでは
ないかとの疑念を生じ,慎重に調査を進めたが,被告人Aが本件火災に関
係していることについての明らかな証拠を発見することはできなかった。
被告人Aは,平成6年12月2日ころ,Dを介して,E農協金融部長Hに
家財家具損害申告書を提出して,保険金支払権限者たるC建物共済課長I
に対し保険金の支払を請求し,同人が決済した結果,被告人Aに対し,C
の従業員や鑑定士による調査の結果算出された火災共済金,臨時費用等各
種費用の合計となる1067万9452円が平成7年3月3日にCからE
農協に振り込まれ,同月8日に,同額が,E農協から,被告人A名義の普
通預金口座に振り込まれる形で支払われた。
イ店舗総合保険(家屋についての契約)
加入状況
被告人Aは,Dを保険契約者及び被保険者として,平成4年8月28日,
F火災との間で,保険の目的を本件建物,保険期間を平成4年8月28日
から平成9年8月28日までの5年間,保険金額を1800万円,保険料
を19万8360円とする店舗総合保険契約を締結した。この保険契約に
伴う保険金請求権には,後に詳述するとおりL信用金庫k支店が平成4年
にDに貸し付けた1500万円,更に平成6年に貸付けが実行された12
00万円の債権を被担保債権とする質権が設定された。なお,この火災保
険契約には,特約として,保険契約者,被保険者又はこれらの者の法定代
理人の故意又は重大な過失,法令違反により損害が生じた場合は保険金を
支払わない(店舗総合保険普通保険約款第2条1項)旨の定めがあった。
F火災の調査,保険金支払状況
本件火災の発生後,F火災では,当初から放火の疑いがあり,それにつ
き保険契約者らの関与も疑われたことから,独自に調査等を実施したが,
保険契約者であるDらの関与を示す明らかな証拠を発見することはできな
かった。
そこで,平成7年3月1日付けのDからの保険金請求書が,同月7日こ
ろ,函館市h町i番j号F火災函館損害サービスセンターに到着し,翌8
日ころ,札幌市o区南p条西i丁目p番所在のi丁目ビル9階同社北海道
本部業務部第1損害サービスセンターに送付されたことから,支払権限者
であるF火災北海道本部業務部長であるKが保険金の支払を決済し,F火
災従業員や鑑定士の調査結果を踏まえて,各種保険金合計1568万60
00円を保険金として支払うこととなった。火災保険金の具体的な支払方
法としては,当該火災保険に質権を設定したDの同意を得て,平成7年3
月16日,F火災から,D名義の保険金振込指図書に基づき,保険金が,
L信用金庫k支店借受金口座に振り込まれ,同月17日に,前記1568
万6000円のうち,L信用金庫のDに対する貸付残金96万84円(内
利息886円,平成4年の貸付分)及び貸付残金1148万3460円
(内利息1万825円,平成6年の貸付分)に相応する金額が債務の返済
に用いられ,残る324万2456円が,D名義の普通口座に入金された。
3本件火災の原因について
本件火災の原因について検討すると,関係証拠(甲2,4ないし9,128,
129等)によれば,本件火災当時,函館市内の天候は曇り,午前4時の時点で
気温は14.9度,湿度66パーセントであり,火災後の現場の状況は,本件建
物1階中央部付近の焼燬の度合いが強く,建物全体の焼燬の具合からして,火元
は1階中央部の階段ホール(すなわち公訴事実中の階段フロアー)南側東端の階
段下付近であると認められるところ,消防による見分時に当該部分床面側から強
い油臭が感じられ,灯油が浮遊しており,当該部分床上の複数の残焼物,じゅう
たん片から灯油が検出されたこと,当該部分付近からガスコンロ,アイロン,配
線,灰皿等,出火の原因となるものが見分されず,日頃からそのような物が置か
れていた形跡もないこと,本件火災当日は,日頃本件建物に居住している被告人
AはO病院に入院中であり,被告人Aの営む金融業についての事務員として雇わ
れていたPは,本件火災の前日も通常どおり出勤し,帰宅時にはたばこの火の始
末をした上で住宅部分入口ドアと事務室入口ドアの施錠をして帰宅していること,
それにもかかわらず本件火災当時,少なくとも1階北側東端寝室の窓及び鉄格子
の扉が開放され,1階南側東端の勝手口(ボイラー室出入口)のドアは施錠不能
で,外部からコンクリートを立てかけて戸締まりしていた状態であり,1階南側
居間の南側窓は施錠されておらず,1階北側西端の事務室入口ドアの施錠がされ
ていなかったなど,もともと施錠されていない,あるいは施錠が外されたとおぼ
しき開口部が複数存在し,人の出入りが疑われる状況であったこと,本件建物1
階事務室内の机,階段フロアー内の鉄製金庫などの引き出しや扉が開けられ,片
付けてあった書類等が机の上に雑然と置かれているなど,事務室内が物色された
とおぼしき形跡があること,1階西側玄関横の物置にはポリタンク数個が置かれ
ていたが,そのうち一つには灯油が約6分目ほど入っており,給油ポンプが差し
込んだままになっていたこと,出火時刻が午前3時台後半という,深夜から早朝
にかけての人目に付きづらい時間帯であり,また,通常の人の起居により失火が
生じる時間帯とはいえないことが認められ,消防当局でも,本件火災を,何者か
が本件建物の1階開口部から建物内に侵入し,1階中央の階段フロアー南側東端
の階段下付近に灯油を撒き,午前3時49分ころ,何らかの発火源を用いて放火
したものと推定している。
前記認定事実を前提とすれば,当該箇所における自然発火や失火の可能性は低
く,かえって外部から侵入した第三者による放火が疑われる状況が複数認められ
ることからして,消防当局の見解は是認できるものであり,本件火災は,自然発
火や火の不始末による失火とは考え難く,外部から侵入した何者かが,本件建物
1階中央部の階段フロアー南側東端の階段下付近において,灯油等を利用して放
火したことによるものと認めるのが相当である。
4本件における検察官の主張及び証拠の構造
本件において,検察官は,起訴状,冒頭陳述等において,本件放火について,
首謀者を被告人A,実行犯を被告人Bとする共謀共同正犯である旨主張しており,
本件各詐欺については,本件放火が被告人両名による犯行であることを前提とし
ている。したがって,当裁判所としては,まず,本件建物について,被告人Aと
同Bが共謀の上,被告人Bが実行犯として本件放火を遂行したといえるか否かを
検討する必要がある。ところで,本件においては,放火の実行行為ないしはその
直前直後の実行犯に関わる目撃証言や放火の実行についての謀議等についての目
撃証言など,いわゆる直接証拠ないしはそれに極めて近い有力な間接証拠,間接
事実は存在せず,検察官は,被告人らの本件犯行に係る動機,犯行前後の言動と
いった,間接事実,間接証拠の積み重ねにより犯罪事実の立証を目指している。
当裁判所としても,これらの事実や,証拠を慎重に検討,評価した上で,本件各
公訴事実の成否についての判断を示す必要がある。
第2被告人Aの本件への関与について
1前記のとおり,検察官の主張によれば,被告人Aが本件の首謀者であり,本件
火災によって主として利益を受けたものであるとされていることから,実行行為
者とされる被告人Bについての検討はひとまず置き,まず先に被告人Aの本件へ
の関与の存否を検討することとする。
2本件前後の被告人Aの経済的状況
関係証拠(甲17ないし33,102,127,乙1,2,4ないし7,W証
言,A供述等)によれば,本件前後の被告人Aの経済的状況について以下の事実
が認められる。
被告人Aは,昭和15年に旧満州国φ省に生まれ,第二次世界大戦後,実母
らと共に函館市に引き揚げ,昭和40年に結婚し,長男D,長女θをもうけた
が,昭和44年に離婚し,子供を引き取って,実母の営んでいた貸金業を引き
継いだり,借家業を営むなどしていた。本件火災当時,被告人Aは,貸金の回
収で1か月に70万円ないし80万円の収入があり,家賃収入を加えると10
0万円前後の収入があった。
被告人Aの貸金の原資は,暴力団組長であり貸金業(S商事)も営んでいる
Sなどから調達していた。また,被告人Aの貸金業の顧客には暴力団員,暴力
団関係者も複数おり,それらの者との交友もあり,取立てにこれらの者の力を
借りることもあった。
被告人Aは,昭和60年ころ,母親から相続していた本件土地建物と,函館
市q町内に所有していた土地建物を共同担保として,Q保険相互会社から18
00万円を借り入れていたところ,平成2年8月ころ,Rが経営するNに対し
本件土地建物とq町不動産を譲渡担保として差し入れて所有権移転登記手続を
し,約4000万円を借り受けて,Q保険相互会社への債務を弁済し,残余の
資金を貸付資金に回すなどしたが,約1年後のNへの返済期日までに返済資金
を用意することができなかった。その後,被告人Aは本件土地建物を取り戻そ
うと,L信用金庫k支店に対し,本件土地建物に1800万円の第1順位の根
抵当権を設定し,本件建物についてF火災の火災保険に加入してこれに質権を
設定し,さらに,既に担保に供されていた被告人A所有の函館市r町所在の土
地建物について第2順位の根抵当権を共同担保で設定することとして,平成4
年8月27日に主債務者をD,連帯債務者を被告人Aとして1500万円の融
資を受けてNから本件土地建物を買い戻すとともに,q町不動産を処分してR
への支払に充てた。なお,本件土地建物及び借入れの名義人はいずれもDがな
っているが,これは,被告人Aが将来の相続のことなどを考えてそのようにし
たものであり,本件建物には被告人Aが居住し,その経営する貸金業の事務所
として使用し,被告人AがL信用金庫k支店に対する上記債務の弁済も行って
おり,本件土地建物の実質的な所有者は被告人Aであった。
さらに,被告人Aは,平成6年7月21日に,本件土地建物の隣地の土地建
物を,L信用金庫k支店からD名義で1200万円を借り入れて代金1518
万円で所有者から購入し,D名義で所有権移転登記手続をした上,本件土地建
物と,隣地不動産に極度額3000万円の根抵当権(共同担保)を設定した。
被告人Aは,これらL信用金庫からの借入金について遅滞なく返済しており,
平成6年10月末の時点で,平成4年の借入れについては,残金が約1140
万円,平成6年の借入れについては,残金が約1185万円であった。
被告人Aは,前記のとおり,従前からSから貸金の原資を借り入れていたが,
平成4年ころ,東京のt所在のTという扇子屋の経営者であるU及びブローカ
ーであるVとの間で,貸借関係のトラブルを生じた。被告人Aは,この貸借に
関して,Sから少なくとも1500万円以上の借入れをしており,平成6年こ
ろからはSやその配下の者からその取立てを受け,同年4月にはr町不動産に
ついてL信用金庫から根抵当権設定の解除を受けた上,500万円でこれを処
分してSへの返済に充てるなどしたが,そのころ被告人AがSに対し負担する
債務は,約2300万円に達していた。また,この件に関して知人であるWか
ら500万円を借りたこともあった。
このように,被告人Aは,Sやその配下の者であるXから厳しく貸付金の返
済を求められ,自ら東京に行ってUらと折衝するなどし,被告人Aの主張に基
づけば4000万円に上るという貸金の回収に努めたが,回収は進まず,警察
に詐欺罪で告訴することなども検討していたが,結局そのような手続はとらな
かった。
そこで,Sは,平成6年9月ころから,被告人Aに対し更に厳しく貸付金の
返済を求め,本件土地の引渡しにより貸付金の清算をすることを要求するよう
になっていた。これに対し,被告人Aは,本件火災の前ころに,Sに対し,1
000万円を支払って全てを清算してほしいと持ちかけ,その後,実際に10
00万円を返済したが,その提案は結局受け入れられなかった。そして,本件
火災後,平成6年12月20日付けで被告人A及びD名義で,Wに依頼して振
り出してもらった200万円の手形5通をSに差し入れることで1000万円
の債務を返済する旨の債務確認書が作成され,この手形5通と,残余の300
万円がSに対し支払われ,各手形はその支払期日である平成7年1月から5月
にかけて順次決済された。また,被告人Aは,平成7年1月18日に,本件建
物が本件火災により焼失して更地となった本件土地の一部(約110平方メー
トル)を売却し,同年3月までに合計約1100万円をその代金として受け取
った。
なお,被告人Aの本件火災前後の経済的状況,Sとの貸借関係については,
被告人Aが詳細に公判で供述し,それを裏付けるかのようにも思える証拠物
(弁11,12など)も存在しているが,その供述内容は必ずしも合理的では
なく,前記証拠物も,真に本件に関連のある,被告人Aの供述を裏付けるもの
であるのか疑問の余地がないわけではない。他方,この点については,Sの検
察官調書(甲127)における供述やW証言も言及しているが,その内容は,
A供述とは必ずしも一致せず,また,これらの供述等を明確に裏付ける証拠も
認められない。よって,本件の証拠上,この点については,詳細を明らかにす
ることはできないが,前記記載のとおり,少なくとも,被告人Aは,本件火
災前の時点で,Sへの借金の支払に苦慮し,厳しい取立てを受けていたという
限度においては,その事実を認めることができる。
3被告人Aの犯行動機の存否に関する検討
本件火災による被告人Aの経済的利益について
被告人Aは,前記第1の2の及び第2の2記載のとおり,本件火災に至る
までに,Cの共済とF火災の火災保険に加入しているのであるが,本件火災前
には,資産としてD名義の築後約30年を経た本件建物,本件土地,隣地不動
産,貸金債権などを保有しており,また,本件建物は被告人Aの住居として使
用され,骨董品を含む家財が置かれている状態であり(被告人Aは,上記以外
にも不動産,動産,債権等の資産を保有していたと推測されるが,火災前後に
おける変動を比較するには不要なので,ここでは触れないこととする。),こ
れに対応する負債として,D名義でL信用金庫k支店から本件土地建物のNか
らの買戻資金及び隣地不動産の購入代金として合計2700万円(本件当時の
残額は合計約2325万円)を借り入れ,これらの土地建物に共同担保として
極度額3000万円の根抵当権が設定されており,さらに,Sを含む複数の金
融業者らから金融業の原資を借り入れている状態であり,特にSからの債務は
約2300万円に上り,返済を強く求められていた。
ところが,被告人Aは,本件火災により更地となった本件土地の一部(約1
10平方メートル)を平成7年1月に売却し,その代金として約1100万円
を取得し,L信用金庫k支店からの平成4年時の借入金の返済として,売買代
金の授受が行われた平成7年3月10日に1002万1955円を支払った。
また,F火災から本件火災に関し合計1568万6000円の保険金が支払わ
れることとなり,L信用金庫k支店が前記2700万円の債務についてこの保
険金に質権を設定していたことから,その残債務1244万3544円に相当
する額が返済に充てられ,残る324万2456円がL信用金庫k支店のD名
義の口座に振り込まれた。また,Cから本件火災に関し支払われた保険金10
67万9452円は,平成7年3月8日に,被告人A名義の普通預金口座に振
り込まれて支払われた。これにより,被告人Aは,現金1392万1908円
を取得した上,取り片付け費用等がかかるとはいえ,古い本件建物がなくなっ
た更地の状態の本件土地を手に入れることとなり,なおかつ,従前のL信用金
庫k支店からの債務を全て清算することができたのである。もちろん,被告人
Aは,火災保険等の掛金を出捐しており,本件建物とその内部の家財などは本
件火災によりその効用を失い,複数の骨董品や家財などを失ってはいるが,火
災保険等の掛金額は,支払われた保険金額に比べればごく少額であること,後
記4記載のとおり,本件火災前に本件建物からいくつかの高価な家財が持ち
出されたり,骨董品が売却されていること,借用書等の重要書類も持ち出され
ていることからすれば,生活に必要な家財や価値のある骨董品,重要な書類等
の一部は本件火災前に本件建物から持ち出されており,被告人Aが本件火災に
よって被った経済的損失はそれほど大きいものとはいえない。そして,被告人
Aは,本件火災があったことにより,本件土地を処分しやすい更地の状態で手
に入れており,実際に本件火災後間もなくである平成7年3月にはこの一部を
分筆した上,売却しており,この売買代金は前記のとおりL信用金庫k支店へ
の繰り上げ返済に使用されており,この点でも本件火災により二次的な利得を
得ているとさえいえる。しかも,関係証拠(甲17,127,A供述等)によ
れば,本件火災前に,既に本件土地の一部を被告人Aが売却する計画があるこ
とを前提とした融資の相談を被告人AがL信用金庫k支店にしていること,被
告人Aが,Sに対し,不動産屋に本件土地建物を売る話があることを話してい
ること,被告人Aが,Wから本件火災前に本件土地を買いたいという人がいる
という話を聞いていたことなどが認められ,被告人Aは,本件火災前から本件
土地の一部の売却を意図していたと認めるのが相当であり,そうであるとすれ
ば,本件火災によって被告人Aがどのような利益を得たかどうかを考えるにあ
たっては,本件土地の一部の売却も当然に考慮すべき事項と考えるべきである。
したがって,被告人Aは,本件火災により多大な経済的利益を取得した事実
が認められる。
本件火災前における被告人Aの置かれた経済的状況について
また,被告人Aは,前記2記載のとおり,Sから執拗な貸付金の返済を迫ら
れ,本件土地建物の引渡しなども求められていたのであって,Sが暴力団組長
であり,現にその配下のXらが取立てに訪れていたことからして,極めて経済
的に切迫した状況であったといえ,後記4エ記載のとおり,その当時本件建
物を訪れた者に対しても,経済的に切迫した状態を訴えるような言動をしてい
ること,後記4カ記載のとおり,本件火災前に被告人AがYに日記帳を預け
た事実が認められるが,その日記帳の最後のページには経済的窮状を訴える記
載があったことが認められる。したがって,被告人Aは,本件火災直前には,
早急にSへの返済資金を必要としている状態にあったと認めるのが相当である。
動機の存否
以上,,で検討したところによれば,被告人Aは,本件火災により火災
保険金の支給を受けることで多大な利益を得ることとなる状況にあったことが
認められるのであり,本件建物に放火し,火災保険金を詐取することについて,
被告人Aには十分な動機があったことをうかがわせる事情,状況があったもの
といえる。
なお,被告人AがD名義でL信用金庫k支店から借り入れていた各債務につ
いては,返済は滞っていなかったのであるから,火災保険金により繰り上げ弁
済する必要性はなかったとも見ることができる。しかし,被告人AがSからの
借金取立てに苦しんでいたのは前記のとおりであって,その借金支払のために
本件を敢行し,その副次的効果としてL信用金庫k支店の債務も弁済して債務
を清算できるのであれば,より動機を深めることになるのであり,この点は前
記結論を左右しない。
4被告人Aの本件前後の言動
被告人Aの本件前後の言動について,検察官は数々の不審な点が認められる
と主張し,これが被告人Aが本件放火に関与したことを示す重要な間接事実と
なると主張している。そこで,これらの事実の存否及びそれらの事実と被告人
Aの本件への関与との関連性について検討する。
この点に関しては,例えば,Wの事務所兼自宅に本件建物から家財の一部が
運び込まれたことのように,客観的事実の存在には争いがなく,その行動の意
味の解釈が問題となる事実と,Wらが本件建物の放火について相談を受けてい
たか否かということのように,客観的な裏付けがなく,もっぱら関係者の供述
のみからその事実の存否を判断せざるを得ない事実とがある。そこで,まずこ
の時期の被告人Aの言動について多くの供述をしているW,Yの証言内容を検
討し,これらの供述と他の客観的証拠,関係者の供述,被告人Aの供述を対比
しながら,各事実の存否について検討することとする。
Wの証言内容について
アW証言の要旨は以下のとおりである。
Wは,以前は運送会社に勤務する傍ら,Z建設という建築会社を経営し
ていたが,平成4年か5年の春先に,知人が被告人Aから借入れをするに
際して保証人になったことから被告人Aと交際するようになった。Wは,
被告人Aが貸金を回収するため,貸し付けた客が,住宅建築の融資を受け
るときに,実際に必要な資金よりも高めに見積もりをして,高めに融資を
受けて,その差額を返済に回すといういわゆるオーバーローンを組む客を
紹介してもらっていた。また,平成6年ころには,Wが,手形の決済資金
を被告人Aに一時的に貸し付けることもあった。本件火災の当時,Wは,
本件建物には週二,三回は行っていた。また,そのころ,Yも本件建物に
出入りし,被告人Aが貸金の集金をする際に同人を乗用車に乗せて送迎す
るなどしていた。
被告人Aは,平成6年春ころから,Sの配下であるXから取立てを受け
ていた。被告人Aも,Xの取立てにつき,「こうやって集金に来て払わな
きゃならないので困っている。」「四,五千万円借りている。」などとW
に言っていた。
また,Wは,被告人Bとは本件建物で顔を合わせることがある程度の仲
であり,平成4年か5年ころ,被告人Bが前記のオーバーローンの手法で
s町に住宅を建てる際に,Wがこれを担当したものである。
Wは,平成6年の春先に,本件建物の事務所兼居間で,被告人Aから,
S商事から催促されて借金を支払わなければならないのに,自己の債権の
集金ができず,困ったから,放火をして保険金を取るという趣旨の話を聞
かされた。Wとしては,被告人Aは当時S商事にはかなり追いつめられて
いるように見えたし,放火をして火災保険金で支払をするのだと思った。
Wとしては,被告人Aがさほど酒を飲んでいないときに話しており,何度
もそのような話を聞いたので,真剣な話だと思った。
同じく平成6年の春先,Wは,被告人Aから,本件建物内の居間で,家
が古くても火災になれば火災保険金が出るのかどうかを調べてほしいと言
われ,知人に確認した上,被告人Aに対して,家が古くても保険金は出る
から,家財も保険に入っているか契約内容を確認しろとアドバイスした。
被告人Aが,Wに対し,これらの話をしたのは,当時,Wが債権の回収
についてアドバイスをしていたからではないかと思う。
また,Wは,平成6年の春先から夏ころにかけて,本件建物2階に人が
入居していると思っていたので,被告人Aに対し,2階に人がいるときに
火災を出すと,迷惑をかけるし放火だと分かるから出てもらった方がいい
とアドバイスをした。
平成6年の夏か,秋口に,Wは,被告人Aから家財を預かるよう頼まれ,
テレビや茶箪笥,テーブル,絵,置物などの家財を函館市uの事務所兼自
宅に預かった。これらの家財を運ぶのには,Wの勤務先のトラック,運転
手を使った。これらの家財については,被告人Aから,もし人に聞かれる
ことがあったら,債権の一部として預かっていると言ってくれと言われた
ので,事務所兼自宅に出入りする人に対しては,被告人Aという名前は出
さずに,担保として預かっていると言っていたが,Wとしては,本件建物
に放火をする際に預かっておくという趣旨で預かった。これらの家財は,
平成7年夏に,隣地土地上に建てられた被告人Aの新居に返還した。預か
った絵のうち2枚は,被告人Aに言われたとおりに知人に説明していたと
ころ,知人から欲しいと言われ,断れなくなり処分してしまった。
家財を預かる前ころ,Wは,被告人Aと,本件建物の事務所か居間で,
S商事が取立てに来ていて,支払わなければ本件土地建物を処分しても払
えと言われて困っているという話をしていたときに,被告人Aから,「知
合いの右翼の人に頼めば,いつでも放火する人がいる。放火する場合には,
醤油を飲んだりして,仮病になって救急車で入院し,被告人Aが本件建物
にいない間に放火する。火をつける人には泥棒に見せかけて入ってもら
う。」と言われた。また,放火をする人間について,被告人Aは,「電話
をすればいつでも来て放火してくれるんだ。もしやる場合は,しばらく,
本件建物には出入りさせず,放火後も函館には来ないようにする。」と言
っていたので,Wは,放火する人間は,函館におり,本件建物に出入りし
ている人間だと思っていた。また,Wは,被告人Aから,「もし火災のこ
とを警察が聞いてきたら,S商事の若い衆がやったと言ってくれ。」とも
言われた。
本件火災前,被告人Bは,被告人A方に手形の割引や借入の仲介で頻繁
に来ているようだったが,本件火災の1か月か1か月半前からその姿を見
なくなっていた。
本件火災後,被告人AがO病院に入院しているとき,1階の喫煙室で被
告人Aと話した際,Wが被告人Aに平成6年春先にばくちの金として貸し
付けた1000万円の返済を迫ると,被告人Aは,「うまくいったから火
災保険が出るから,それが出たら払う。本件火災について警察の取調べを
受けたら,預かった家財については債務の一部としてもらったと言ってほ
しい。本件火災については,Sの若い衆が放火したんではないかと言って
くれ。」と言われた。そして,貸し付けた1000万円については,平成
7年の3月か4月ころ,新車2台と中古車1台を被告人Aが購入してWに
引き渡す形で支払われた。
その後,Wは,被告人Aから,「火をつけた人に300万円の報酬を渡
した。それで,函館にはしばらく帰って来ない。」と言われた。
平成7年2月か3月ころ,Wは,被告人Aとともに札幌αホテルへ行き,
被告人Bらと会った。これは,被告人Aが,Tへの貸金の回収を被告人B
の紹介で右翼に頼むということで,Wが自動車を運転して被告人Aを乗せ
て行ったもので,札幌へ向かう車内では,被告人Bが建てたs郡s町内の
建物の件などについて話していたが,Wが,「(本件建物に)誰が火をつ
けたんだ。右翼と言っているけど,Bさんが出入りしてないけど,彼じゃ
ないの。」と何度か尋ねたところ,被告人Aは,「Bさんに頼んでやった。
300万円払った。」と答えた。もともと,Wとしては,被告人Bが,頻
繁に出入りしていたのに急に出入りしなくなったことや,被告人Bが被告
人Aのところに持ち込んだ手形が現金化できなかったことがあって被告人
Aに迷惑を掛けていたことから,被告Bが火をつけたのではないかと疑っ
ていた。札幌αホテルでは,Wと被告人Aは,被告人Bら右翼の者3人と
会い,Wと被告人Bは他の3人とは別のボックス席で近況などを話してい
た。その際,Wは,被告人Bに対し,「あんた,a町手伝ったんでしょ
う。」と尋ねたが,被告人Bがすぐに答えなかったことから,「500万
くらいもらったのか,それくらいもらわなかったらあわないべな。」など
と何度か尋ねたところ,被告人Bが,「300万円もらって,おれがやっ
たんだ。灯油に薬品を入れて放火した。保険金は2400万円くらい出た
のでないか。」と話した。
平成13年1月か2月ころ,函館βホテルで,WとYが強盗事件の相談
をしていたときに,Yが,「Aさんとおれ,トラブルあるから,1回敵討
ちしなきゃだめだ。」と言ったことから,Wが,「どういうことでできる
んだ。」と尋ねたところ,Yが,「あの火事のことで,おれ,日記帳を持
ってるんだ。」「親からもらった財産をなくしてしまってどうのこうのと
書いてあった。多分放火だから,それで脅しをかけてお金をもらうべ。」
と言った。W自身は,そこでは本件火災が放火ではないかとは言っていな
いし,Yの言う日記帳も見ていない。
イW証言の信用性の程度についての検討
当時のWと被告人Aとの関係は,関係証拠(W証言,A供述,B供述
等)によれば,両名の間には互いに少なからぬ額の貸借関係があり,また,
Wが建設業を営んでいたことを背景に,いわゆるオーバーローンを利用し
て被告人Aが貸金の返済を受け,Wは住宅建設の受注を受けるという相互
に利用しあう関係にあったものと認められる。なお,被告人Aは,Wを介
してオーバーローンを利用して貸金の返済を受ける方法をとっていたこと
を否定するかのようにも思える供述をしているが,関係証拠(W証言,B
供述等)によれば,被告人BがWを介しオーバーローンを利用してs町内
に住宅を建築した事実が認められ,Wがオーバーローンによる金融の便宜
を利用者に図っていた事実が裏付けられるのであり,これを前提とした場
合,被告人Aがオーバーローンを利用して貸金の返済を受けていたという
W証言は,客観的状況に合致し信用性が高い。
ところで,W証言は,被告人AとWとの間で本件放火に関する種々の会
話がなされたことをその内容としているが,通常,放火という重大犯罪に
関する会話が犯人と目される者と他の者との間でなされるとすれば,その
両者の間には,特別に緊密な人的関係があると考えられるところ,この点
につき被告人AとWの関係を見てみると,この両名は,上記のとおりオー
バーローンを組むという非合法的な行為を共同して行っているほか,貸借
関係等もあって経済的な結び付きもあったと認められるから,かなり緊密
な人的関係を有していたといえ,放火に関する会話を被告人AがWに対し
てしていたとしても,そのこと自体がおよそ不自然とまではいえない。
また,Wは,本件放火に関する事実については,平成11年に,被告人
Aが,Wに対する債権を保証人からも回収をして二重取りをしたというこ
とでトラブルとなり,Wが警察に匿名で本件火災を放火であると通報した
ことがあると供述しており,上記のトラブル以外にも,遅くとも平成10
年ころからは,Wと被告人Aとの間では,金銭や不動産を巡ってのトラブ
ルが生じていたことが認められ,被告人Aも,公判において,平成13年
1月ころ,Wから借入れを申し込まれたときに断ったことがあると供述し
ており,Wが本件放火に関わる供述をするようになった背景には,被告人
Aとの間の金銭トラブルの存在も否定できない。Wは,自身が起こした強
盗致傷等事件で身柄拘束中に捜査機関に対して本件放火に関する供述を始
めており,このような供述を始めた理由として,被告人Aとの金銭トラブ
ルをあげて,被告人Aを懲らしめてやるつもりで供述するに至った旨証言
している。このような経緯によれば,Wが被告人Aに不利益な虚偽の供述
を織り交ぜる可能性がないわけではないが,前記2記載のとおり,被告
人Aが暴力団とも関わりのある人間であることや,客観的な事実に符合せ
ずに虚偽とすぐに露呈するようなことを述べるとは考えにくいことを考慮
に入れるとすれば,Wがあえて虚偽の事実を並べたてて供述するというよ
うな事情は乏しいともいい得る。
それから,Wと被告人Bとの関係については,本件建物で顔を合わせ
ることがある程度の仲だったのであり,また,オーバーローンの件で経済
的に関わりがあるものの,それ以外の接点については証拠上認められず,
Wが被告人Bとの関係において,殊更に同人を罪に陥れようとする目的を
有しているとはいい難い。
次に,Wの捜査機関に対する供述経過から,W証言の信用性を検討する
こととする。
すると,本件証拠上最初の供述調書となる平成13年6月20日付け警
察官調書においては,強盗致傷等事件で身柄を拘束されるうちに,自分の
これまでの人生を反省し,他の犯罪に関する情報も話すこととしたとして,
本件火災のころ,被告人AがS等から多額の借入れを重ねて返済に窮して
いる状態であったこと,本件火災前に被告人Aの家財を預かったこと,被
告人Aが入院して本件火災が発生した後,被告人Aが,「保険金が下りた
らあんたからの借金も返すから。」などと言っていたこと,平成7年2月
か3月ころに札幌γホテルで被告人Bらと面会したときに,被告人Bから,
被告人Aに頼まれて本件建物の階段のところに灯油を撒いて,火をつけて
放火した,300万円もらったなどという話を聞いたので,本件火災が被
告人A自らが計画したものだと知ったことなどが供述されており,以後,
本件放火の起訴日に近い平成13年9月27日付け検察官調書に至るまで
ほぼ同趣旨の供述がされている。
一方で,本件放火の起訴日以降である同年10月11日付け警察官調書
以降の供述調書においては,上記の供述に加え,平成6年春先のまだ雪が
残っていたころ,被告人Aから,「Sから金を払えと言われている。払え
なかったら家と土地をよこせと言う。借金を早く整理しなきゃならないし,
なんだかんだと返さないといけない。もうどうしようもない。家に火をつ
けて保険金を取るしか方法がない。」「こういう古い家(本件建物)でも
火災保険に入っていたら(火災保険金が)出るんだろうか。」と言われた
こと,これを受けて,Wも,知り合いの保険屋に古い家でも火災保険金が
出るかどうか確認したり,被告人Aに本件建物2階の住人を引っ越しさせ
た方がよいなどと話していたこと,また,本件火災の2か月くらい前に,
被告人Aが,「家に火をつけるときは自分が居ないときだ。仮病を使って
救急車で病院に入った後に火をつける。醤油を飲んで急病のふりをすれば
救急隊も疑わない。」と言ったこと,同じころ,被告人Aが「家に火をつ
けるのは誰か他の人に頼む。」「泥棒に見せかけて家に入ってもらった方
がいいが,玄関から入ってもらった方がいいか,居間の窓から入ってもら
った方がいいか。」などと言ったこと,さらに,「Sの若い衆が入って火
をつけたと思わせたい。」「火をつける人間は1か月くらい前から家に来
させないようにしている。」と言ったこと,家財を預かった件についても,
「家に火をつけるから高価な家具を一時預かってほしい。」と頼まれたこ
と,本件火災後,O病院で被告人Aから,「計画がうまくいったからあん
たにも借金を返せるよ。もしあんたが警察に事情を聞かれたら,Sのとこ
ろの若い衆が火をつけたんじゃないかと言ってほしい。」と言われたこと,
平成7年2月か3月ころに被告人Aと一緒に札幌へ行く途中に,被告人A
から,「被告人Bに頼んで火をつけさせた。300万やった。」と言われ
たことなどを一貫して供述している。
しかしながら,被告人Bの関与についての情報に関しては,平成13年
10月12日付け検察官調書においては,本件火災前に被告人Aから,
「火をつけるのは被告人Bがやる。そういう手配もしている。私が電話一
本掛ければいつでもやるスタンバイはできている。」と言われた旨の,ま
た,本件火災後にO病院に行ったときに被告人Aから,「被告人Bに頼ん
で火をつけさせたから,現金300万をやった。」と言われた旨の供述が
ある(後者については前日である同月11日付け警察官調書にもその旨の
記載がある。)が,これらの点については,同年12月19日付け検察官
調書においては,ともに,被告人Bという具体名は出なかったと思うと供
述している。
以上のとおり,Wの捜査機関に対する供述には変遷が見られるが,これ
らの供述間の変遷を検討すると,平成13年9月27日付け検察官調書ま
での供述においては,本件火災前に被告人Aから本件放火についての話を
聞かされていたことについては一切供述がなく,同年10月11日付け警
察官調書以降の供述になって,初めて本件火災前から被告人Aとの間で本
件放火に関する話をしていたことを供述し,また,本件火災前後の被告人
Aとのやりとりについても克明に供述するようになり,特に同年12月1
9日付け検察官調書での供述は,W証言とほぼ同旨であるといえる。この
ような平成13年10月10日前後を境として急激な供述の変遷が生じた
理由について,Wは,公判において,W自身が被告人Aから放火の計画を
打ち明けられてアドバイスをするなどしていたので,放火の教唆とか幇助
になるかもしれないと思って,10月まで供述することができなかったが,
10月に至っても被告人Aらが否認しているとの話を聞いて,前記のとお
り保証人からの二重取りの件もあって,正直に話そうと思い,電報を打っ
て担当警察官に来てもらった旨供述している。W証言によれば,当時Wは
自身が起こした強盗致傷等の被告事件で未決勾留中であったことが認めら
れ,W自身が供述するように,本件放火への関与が疑われた場合には,捜
査機関の追求を受け,刑責を問われる可能性がないわけではなかったので
あり,Wの掲げる理由にも一応納得できないわけではないが,供述を始め
た理由については,Wの言う刑責を問われる可能性との権衡を考えると,
それまで計算高く行動していたWにしては,情に流された行動として違和
感を覚え,直ちに信用することはできない。
しかし,その後の供述内容は,被告人Bの名前が出てくる部分を除けば,
ほぼ一貫して変遷がなく,また,関係証拠(甲177,W証言等)によれ
ば,W自身が強盗事件の容疑者として函館中央警察署に接見禁止付きで勾
留されていた平成13年6月20日ころになって,本件火災が,被告人A
の行った放火である旨を供述するようになっていることが認められ,もう
1人の有力な間接事実についての供述をしているYとの間で,これらの点
について口裏合わせをした形跡が認められないにもかかわらず,後記検討
のとおり,それぞれが経験し供述する具体的事実は別個のものではあるが,
同時期に非常に関連の深い事実,すなわち被告人Aが本件放火を計画して
いたことをうかがわせる諸事実を経験し,供述しているという点からする
と,にわかに虚偽の供述をしているとも断ずることはできない。なお,関
係証拠(W証言,Y証言等)によれば,ともに被告人Aにとって不利益な
事実を供述しているWとYが,平成13年2月ころに,函館βホテルにお
いて,本件火災が被告人Aの放火である趣旨の会話を交わしていることが
認められるが,この時点ではWらは自分たちが身柄拘束される事態もいま
だ予想していなかったと考えられ,両名がそのような事態に備えて口裏合
わせをして殊更に被告人Aを罪に陥れようとしたと考えることは到底でき
ないというべきである。
他方,Wの供述内容,ことに被告人両名がWに対し本件放火に関わる話
をしたとされる場面についての供述内容は,被告人両名が言ったとされる
言葉のみが浮き上がり,その言葉が発せられた状況等について具体性のあ
る供述がないという特徴が指摘できる。この点,人間の記憶は一様に忘却
されていくものではないから,ある出来事についての記憶のうち,一部だ
けを覚えていて,他の重要ではない部分を忘れていることはあり得ること
である。しかし,Wの供述内容を見ると,被告人Aや同Bが述べたとされ
る供述のみが具体性を持っているのに対し,他の状況についての記憶が余
りに貧弱で,釈然としないものが残るのである。
以上の検討によれば,Wの公判供述の信用性に関する外部的事情として,
本件火災当時,Wと被告人Aが仕事などを通じて比較的親しい関係にあっ
たが,その後金銭的トラブルから関係が悪化しており,これがWが本件に
関する供述をするきっかけとなっていると思われること,口裏合わせの機
会に乏しかったにもかかわらず,Yと同様の事実を経験した旨の供述をし
ていることなど,その信用性を一応肯定する方向に斟酌できる事情があり,
一方で,供述に変遷があり,かつその変遷の理由について十分に合理的な
説明がされていないこと,その供述内容には必ずしも具体性がないことな
ど,その信用性を否定する方向に斟酌できる事情もあり,W証言は一概に
排斥することはできないものの,各事実の認定に際してはその供述内容を
他の関係証拠に照らしながら特に慎重に検討して判断すべきであるといえ
る。
Yの供述内容について
アY証言の要旨は以下のとおりである。
Yは,平成3年7月ころから,その母親の借金の整理に関して被告人
Aの援助を受け,本件建物2階や被告人A所有の他のアパートに居住する
などし,Y自身も仕事をしながら被告人Aの自宅兼事務所の掃除,雑用,
車の運転,ノートや200万円くらいの現金の入ったかばん持ちなどをし
ていた。
Yは,Wとは,平成4年か5年ころ,被告人Aに紹介されて知り合い,
Wのしていた建築関係の仕事に関連して,新築住宅の後片付けや清掃をす
るようになったほか,夜間は病院の警備,設備係をして働いていたが,本
件火災のころまで,ほぼ毎日,昼間に本件建物に行っていた。
被告人Bについては,平成4年ないし5年ころ,何回か本件建物で見た
ことはあるが,言葉を交わしたわけでもなく,ただ頭を下げる程度であり,
電話を何回か受けたことがある関係であった。被告人Bが本件建物に来て
いた頻度は,平成6年5月ころより前は,月一,二回程度,その後は二,
三回程度,電話は,平成6年5月より前は月二,三回,その後は週二,三
回,月6回くらいであり,放火の二,三日前まで,その姿を頻繁に見てい
た。
平成6年9月か10月ころから,Xが本件建物に来て借金の取立てをし
ていたが,そのようになってから被告人Aの酒量が増え,「先祖から続い
た家がなくなる。借金のかたに取られる。Sに借金を払わなければならな
い。追い込みがかかっている。」などと言っていたが,Yは,これを半信
半疑で聞いていた。被告人Aが居間から電話をかけているときに,「うち
を買い取ってくれるんでしょう。話が違うんでないか。」と大声で怒鳴っ
ていたため,Yが被告人Aに相手が誰かを尋ねたところ,「Sさんだ。」
と言われたことがあった。当時,Yは,被告人Aは,どうしようもなくな
って,自殺して生命保険金で金を払うのではないかと思っていた。
そのころ,Yは,Wの事務所に被告人Aの家財が置いてあるのを見て,
Wに聞いたところ,「Aの家具だ。」と答えたので,Yは,被告人Aが金
を工面するため,Wに買い取ってもらったと思った。どうして家財がある
のかをWには聞かなかった。また,Yとしては,被告人Aから放火を依頼
され,自分も本件建物が火事になることを知っていたので,高価な物を運
んだのではないかとも考えた。
Yは,本件火災の二,三週間前の午後8時ころ,ポケットベルで,被
告人Aから呼び出された。被告人Aは,居間でこたつに足を入れて酒を飲
んでおり,既に相当量を飲んで酔っている状態で,Yに,「にっちもさっ
ちもいかない。保険の関係もあるから,このうちに火をつける。実行する
人も決まっている。もし,その人たちがやらなかったらあんたがやってく
れ。」と言って,右手の指2本を立てたので,報酬200万円で本件建物
に放火をしてほしいという意味だと思った。最初は冗談だと思ったが,被
告人Aが真剣に思い詰めたように言っていたので,せっぱ詰まって真剣に
言っているのだと思った。被告人Aが暴力団関係者ともつながりがあった
ことから,その場しのぎで返事をしたが,放火をやったら捕まるし,七,
八年刑務所に入らなければならないと思ったので,1週間後くらいにその
放火の依頼を被告人Aに断った。Yが,そのような話をされたのは,いつ
もそばにいる側近のような感じで周りから見られており信用されていたか
らだと思った。
上記の話と同じころ,被告人Aから,横20センチ,縦25センチくら
いの,硬めの水玉模様の入った青色のカバーがついた表紙がミッキーマウ
ス,裏がミニーマウスの日記帳を預かった。これは,夕方に,被告人Aか
ら,「ちょっと預かってくれないか。何かあったら処分してくれ。」と言
われて渡された。Yとしては,自殺とか火災があったときには,その日記
帳を処分してくれという意味だと思った。その日記帳には,最初の五,六
ページは日々の出来事や,お金を貸した人の名前,金額などが書かれてい
たが,最後のページに走り書きで「にっちもさっちもいかない。先祖続い
た家がなくなる。どうしようもない。」などと書かれていた。Yは,本件
火災の後,この日記帳を破いて,半分は自宅のゴミ収集の日にゴミに出し,
半分は公園のゴミ箱に捨てた。
また,Yは,日記帳を預かった日の二,三日後に,被告人Aから,ファ
イルに入った借用書の束を預けられそうになったが,断った。
被告人Aが入院した日は,本件建物内に被告人A,P,δ,εらがおり,
被告人Aは居間で座っており,Yは事務所にいた。この日は,Yが自動車
を運転して被告人Aがv町の方面に取立てに行く予定だったが,Pが被告
人Aの代わりに行った。そのうち,δから,「ママがおなかが痛いけど,
どうしたらいいだろう。」などと言われ,救急車を呼び,δが救急車に同
乗してO病院へ向かい,Yは戸締まりをして,O病院へ行った。
O病院に着いたときには,被告人Aがストレッチャーに乗っているとこ
ろで,Yは手招きされて,5センチくらいの「w温泉○○さん」と書かれ
たメモ紙を渡され,「申し訳ないけれども,ここに電話してくれ。二,三
人の人が泊まっているので,電話して入院したことを伝えてくれ。」と言
われた。○○とはΩだった気がするが,自信はない。
翌日,電話番号を調べてw温泉に電話をかけ,相手に,「実はAさんが
入院しましたので,今日会うことはできません。ママからの言づてで
す。」と伝えたところ,相手は,「はい。分かりました。」と言って電話
を切った。Yは,それまで被告人Bと電話で話したことは何回かあったと
ころ,その相手の声が被告人Bに似ていると感じた。そこで,Yは,この
電話を切った後に,Pに対し,電話の相手の声が被告人Bに似ていたと話
をした。
翌日朝8時ころ,被告人AとDがアパートにやって来て,本件火災が発
生した旨を告げられた。そこで,Yは,以前被告人Aから持ちかけられた
本件建物への放火の話は本当だったんだと思った。そして,w温泉への電
話が放火の実行犯への合図かなと思った。
現場では,消防から,階段の下が一番焼けていると聞いた。運び出せる
ような荷物がないか見ていたが,机一個くらいは持ち出した気がする。
本件火災のしばらく後に,θ,Pに,被告人Aから放火を依頼された件
や,w温泉への電話の相手の声が被告人Bの声に似ていたことを話したこ
とがあるが,同人らに,「まさか間違ってもそんなことを言うんでない
よ。」などと言われた。
本件火災の後に,O病院にSがやって来て,被告人Aに対し,「うちが
火事になっても借金はなくならないんだよ。」と言っているのを聞いた。
本件火災の後,かつて所属していた右翼団体の上司であるΦに平成7年
の暮れにΨ屋の付近で会って喫茶店で話をし,Yが被告人Aから放火を依
頼されたが断ったと言うと,Φも,同様に放火を依頼されたけれども報酬
の金額も少ないし,放火をする勇気も根性もないので断ったと言っていた
記憶があるが,定かではない。
平成13年2月ころ,函館市x地区のβホテルで,Wに対して,被告人
Aから放火を依頼されたということ,被告人AがO病院に入院した際,同
被告人に依頼されてw温泉に電話をかけたときの相手の声が被告人Bに似
ていたので,火をつけたのは被告人Bではないかということ,被告人Aか
ら日記帳を預かったが破ってしまったことを話した。Wは,日記帳を被告
人Aに見せて脅して金を取ればよかったと言っていた。また,Yが,w温
泉への電話に関し,「あのときの声,Bさんに似てた。」と言ったら,ち
ょっと間があって,Wが,「Bよ。」と言って被告人Bが本件放火をした
ということを肯定していた。
イY証言の信用性の程度についての検討
Yと被告人Aとの関係は,Y証言によれば,Yが実母の借金の整理で被告
人Aの援助を受けたことから付き合いが始まっており,Yは,被告人Aの小
間使い的な活動をしており,本件建物にある被告人Aの事務所にも毎日のよ
うに顔を出していたというのであり,被告人Aを含む関係者の供述からもこ
れらの事実を認めることができる。被告人Aは,捜査,公判において,Yに
様々なことを頼んでいたのは,単に便利だから頼んでいただけで,特別信用
していたわけではないかのような供述をしているが,他方,関係証拠(Y証
言,A供述,乙1等)によれば,被告人AはYに対してガソリン代などとし
て月に二,三万円を渡すことがあったこと,Y以外にも,貸金業の客などに
頼んで車で送ってもらうことなどもあったが,その際には金を渡すことはな
かったことが認められ,このようなエピソードからしても,Yは,被告人A
に雇われているわけではないものの,頻繁に本件建物に出入りし,被告人A
の周辺で活動をしていた人間であり,そのような活動をYがしていたのは,
かつて実母の借金整理で被告人Aに世話になった恩義もあると推測され,被
告人AもYに一応の信用をおいていたと考えられる。
また,証拠上,Yが被告人Aに対し,格別に害意を持ち,虚偽の供述をし
て被告人Aを罪に陥れるような事情は認められない。被告人Aは,公判にお
いて,Yが被告人Aの娘であるθに好意を寄せていたのを被告人Aが咎めた
ことから,これを恨んで,虚偽の供述をしているのではないかという趣旨の
供述をしているが,これを裏付ける証拠はなく,また,そのような事実が認
められたとしても,それをもって,暴力団とのつながりのある被告人Aを,
虚偽の事実を述べることによって罪に陥れるだけの動機になるとは考え難い。
よって,外部的事情からみた場合,Yの公判における証言は一応信用でき
るものであるといえる。
被告人Aの本件放火前後の言動等
前記,の検討を前提としつつ,関係者の各供述などの関係証拠を元に,
被告人Aの本件火災前後の言動等について1つずつ検討する。
ア被告人Aが平成6年春ころにWに対し,保険金目的の放火をほのめかした
こと
Wは,前記第2の4ア記載のとおり,公判において,平成6年の春先
ころ,本件建物の事務所兼居間で,被告人Aから,放火をして保険金を取る
という話を聞かされたこと,家が古くても火災になれば火災保険金が出るの
かどうか調べてほしいと言われ,知人に確認した上で,被告人Aにアドバイ
スしたこと,また,同年春先から夏ころにかけて,Wとしては,本件建物2
階に人が住んでいると思っていたので,この人に出てもらった方がいいとア
ドバイスしたことなどを供述している。この点についてのWの供述内容は,
当時被告人AがSからの借金の返済に困るようになっていたという事実とも
合致しており,また,その供述内容も具体的,詳細であり,さらに,被告人
Aの発言に呼応してW自身が知人に確認をとったという事実が含まれている
こと,当時の被告人AとWとの関係からしてそのような話が出ても不自然で
ないことなど,信用性を肯定する諸事情も認められる。
なお,関係証拠(甲157等)によれば,本件建物2階には,平成6年5
月ころから10月ころまでの間,ζが,居住しており,本件火災の前ころに
本件建物2階に居住していたのは同人のみであることが認められる。ところ
が,Wは,2階の住人について言及した時期について,捜査段階では平成6
年の春先のまだ雪が残っていたころと供述しており,これはζの入居期間と
は明らかに一致しないことからすると,この点に関するWの供述は看過し難
い変遷を見せているともいえる。しかし,Wは,この点について,公判では,
平成6年の春から夏にかけて何度か話があったこと,2階に実際に人が住ん
でいるとは思っていたが確実に住んでいたかどうかは分からないと証言して
おり,その内容は一応首肯することができるといえ,この点についてのWの
証言はそのような前提で解釈されるべきである。
したがって,Wが,平成6年の春先に,本件建物の事務所兼居間で,被告
人Aから,S商事から催促されて借金を支払うのに,集金にならないし,困
ったから,放火をして保険金を取るという話を聞かされたこと,また,同じ
ころに,家が古くても火災になって火災保険金が出るか調べてほしいと言わ
れ,知人に確認した上で,保険金は出るから,家財も入っているか契約内容
を確認しろとアドバイスしたこと,また同じころ,Wとしては本件建物2階
に人が住んでいると思っていたので,本件建物2階に人がいるときに火災を
出すと,迷惑をかけるし放火だと分かるから出てもらった方がいいとアドバ
イスしたことが,一応認定できそうである。しかしながら,その供述内容の
評価については,この出来事のあった時期やその内容に鑑みて慎重にならざ
るを得ず,後に詳しく検討することとする。
イWが被告人Aの家財を預かったこと等
関係証拠(W証言,Y証言,P証言,A供述等)によれば,平成6年10
月ころ,被告人Aは,テレビや茶箪笥,テーブル,置物など比較的高価な家
財を函館市u所在のWの事務所兼自宅に預けたこと,これらの家財は,平成
7年に被告人Aが隣地土地上に新築した事務所兼自宅に戻されたことが認め
られる。これによれば,客観的には,被告人Aの家財の中でも高価な部類に
属するものの一部は,本件火災による被害を免れていることとなり,被告人
Aのこの行動は本件放火を計画していたことを裏付ける一つの間接事実とも
考えられることになる。
この点について,Wは,公判において,放火するから預けられたと思って
いた,被告人Aから,「もし人に聞かれることがあったら,債権の一部とし
て預かっていると言ってくれ。」と言われたので,事務所兼自宅に出入りす
る人に対しては,Aという名前は出さずに,担保として預かっていると言っ
ていたと述べているが,放火のために預かったとする明確な証言はなく,W
証言から,何故に被告人AがWにこれらの家財を預けることとしたのかを直
ちに認めることはできない。
また,Pは,公判において,Sから追い込みがあるので,大事なものを運
び出すと聞いていた旨,θは,公判において,家財を移動させる理由を被告
人Aが客に対して家を直すからと言っていたので,自分もそうなのかと思っ
ていた旨,Yは,公判において,Wの事務所兼自宅に被告人Aの家財が置い
てあるのを見てWに聞いたところ,「Aの家具だ。」と言われ,被告人Aが
金を工面するためWに家財を買い取ってもらったと思った旨それぞれ証言し
ている。被告人Aの発言を直接,間接に聞いたP,θの供述からすると,被
告人Aは,家に家財を置いておくことができない事情があって家財をW方に
移すということを周囲の者に述べていたと推測することができる。
以上からすると,本件建物からWの事務所兼自宅にテレビ,茶箪笥など,
高価な家財の一部を運び込んだことについて,被告人Aは,周囲の人間に対
し,様々な理由を述べて本件建物に家財を置いておくことができない旨を説
明していたことが認められる。
また,関係証拠(甲88,δ証言等)によれば,平成6年10月初めころ
に,被告人Aが,古物商のηに,置物などの骨董品を6万円で売却したこと,
δが離婚をする予定だったので,被告人Aからテレビ,冷蔵庫,こたつなど
の家財を30万円で買わないかという話を受け,d町にあるΣ家具店で預か
ってくれるという話をしたこと,その後,結局金がなく買わなくなったが,
それらの家財は本件火災後,被告人Aの新居に戻っていたことが認められる。
ウWに対し,放火の具体的方法についての話をしたこと
Wは,前記第2の4ア記載のとおり,公判において,被告人Aから
家財を預かる前ころ,被告人Aから,右翼の者に放火を依頼する話を本件建
物の事務所か居間で聞かされた旨を証言している。Wのこの点についての供
述内容は具体的,詳細であり,被告人Aが救急車で入院し,その間に放火が
なされること,放火犯は泥棒に見せかけることなどは,本件火災当時の状況
とよく一致しており,また後記エのYの供述とも符合する点も見られる。し
かし,本件火災当時の状況は,本件火災後もWと被告人Aとの間には交流が
あったことからすれば,Wも本件火災後に知る機会があったと考えられ,ま
た,放火犯人がしばらく被告人A方に出入りしないという点については,W
は,その供述からすると被告人Bが放火犯人であるという認識に立って供述
しているものと認められることからすれば,自身が被告人Bを見かけた頻度
などから逆算して話している可能性も否定できないことなど,必ずしもW証
言の信用性が担保されているとまではいい難い状況も認められる。
よって,この点については,Wの供述には信用性がないわけではないもの
の,裏付けとなる事実に乏しく,この供述の採否は,総合評価に委ねること
とする。
エ被告人Aが,Yに本件建物の放火の依頼と受け取れる発言をしたこと
Yは,前記第2の4ア記載のとおり,公判において,本件火災の二,
三週間前の夜8時ころ,本件建物の居間で,飲酒していた被告人Aから,本
件建物に放火するよう何者かに依頼をしていることを聞かされ,更に報酬2
00万円で本件建物に放火をする依頼をされた旨を供述している。そのYの
供述内容は詳細,具体的で,特に臨場感にあふれるものである。また,関係
証拠(Y証言,δ証言,A供述,甲81等)によれば,このころ,被告人A
はSからの借入れの返済に頭を悩ませ,朝から飲酒するような生活を送って
いたことが認められるから,このような客観的状況にも合致しており,信用
性が高い。他方,被告人Aはこの点を否定し,本件火災の3年ほど前までは
冬の間こたつを出すことはあったが,その当時は本件建物の居間にはこたつ
はなかったと供述しており,Pも当時本件建物にはこたつはなかったような
気がすると供述していることからして,本件建物の居間にこたつがあったと
するY証言には疑義を差し挟む余地がないではない。しかし,この点につい
ては,Yは,同じく公判で,こたつと言ったのは,テーブルに布団という状
態のことをさしていると述べており,必ずしも家具としてのこたつがあった
と言っているわけではないと思われること,その他の点においては十分に詳
細かつ具体的な供述がされており,また,θも,公判において,時期につい
ては明確に覚えていないものの,本件火災後にYから,被告人Aに「火をつ
けれ。」と言われたけれども断ったということを聞いたと述べており,十分
信用性が担保されていること,前述したY証言の全般的な信用性からして,
Yの供述の核心部分は信用することができる。
よって,被告人Aが,本件火災の二,三週間前に,飲酒酩酊状態で,Yに
対し,本件建物の居間で,「にっちもさっちもいかない。保険の関係もある
から,このうちに火をつける。実行する人も決まっているが,その人たちが
やらなかったらあんたがやってくれ。」と言って,右手の指を2本立てた事
実が認められ,この事実は,被告人AがYに報酬200万円で本件建物への
放火を依頼したものと評価するのが相当である。
オ本件建物2階の入居状況
関係証拠(甲157等)によれば,本件建物2階には,平成6年5月ころ
から10月ころまでの間,それまで被告人Aが所有していた函館市r町所在
のアパートに入居していたζが,そのアパートを壊すことになったと被告人
Aから言われたが,すぐには転居先が見付からないということで,とりあえ
ず本件建物2階に住むように勧められて居住していたこと,その際,いずれ
本件建物も取り壊すから新しい部屋を見付けてほしいとは言われていたが,
すぐ取り壊すとか,出て行くように催促されたことはなく,一,二年の間は
住むことができると思っていたこと,ところが,平成6年10月ころ,被告
人Aに呼ばれ,「どうしても家を壊さなくてはならなくなった。あんたいい
人だから,本当はいてほしいけど,そんなわけだから,出て行ってほし
い。」「家を建て直して息子と住む。」などと言われ,Pが部屋を探してき
たので引っ越したこと,本件火災の前ころに本件建物2階に居住していたの
はζのみであることが認められる。
カYがノートを預かったり,借用書らしきものを預けられそうになったこと
Yは,前記第2の4ア記載のとおり,公判において,本件火災の二,三
週間前ころ,被告人Aから表紙にミッキーマウスの絵が入った日記帳を預か
り,本件火災後,その日記帳は破いて捨てたことなどを供述しているところ,
Pも,公判において,Yから,被告人Aから預かりものをしていると聞いた
ことがあること,被告人Aが,本件放火の前にミッキーマウスかスヌーピー
のキャラクターの付いた青い感じの厚さ1センチメートル以下のノートない
しはメモ用紙のようなものを持っていたことがあると上記Y証言を裏付ける
証言をしている。
被告人Aは,この点について,Yに日記帳を預けたり借用書を預けようと
したことはないし,そもそも言われているような日記帳を持っていたことは
なく,思い当たることといえば,火事の後に孫が事務所に置き忘れたノート
くらいであると供述しているが,Pは,ノートないしはメモ用紙のようなも
のについては,明確に火災前に見たと述べており,また,Yが被告人Aから
預かり物をしているという証言もしていることからすると,Yの証言は一応
信用できそうである。ただ,その内容を検討すると,Yが証言する日記帳の
記載内容からすると,なぜこの日記帳を被告人AがYに預け,何かあった場
合の処分を依頼したのか,その真意を推測しかね,果たしてそのようなやり
とりが本当にあったのか疑わしい面もないではない。しかし,Yの証言内容
は具体的で迫真性に富み,Yにはあえてこのような手の込んだ虚偽の事実を
述べるだけの動機が認められないこと,Y証言によると,その日記帳にはあ
る男性に関する記載があったとされるところ,関係証拠(A供述,θ証言
等)によれば,この男性と被告人Aが交際していた事実が認められることな
どからすると,その証言の核心部分は信用できるといえ,これによれば,本
件火災の二,三週間前ころ,Yは,被告人Aから,青色でキャラクターの絵
柄の入った表紙の日記帳を,何かあったら処分してくれと言われて預かった
こと,Yとしては,被告人Aのその依頼を自殺とか火災があったときのため
に処分してくれという意味と思ったこと,その日記帳の中には,日々の出来
事が書いてあったほか,最後のページに走り書きで本件建物を失ってしまう
といった趣旨のことが書かれていたこと,その日記帳は本件火災後にYが破
いて捨てたことがそれぞれ認められる。
また,借用書をYに預けようとしたとの点については,後に検討するとお
り,被告人Aが実際に借用書等をPに預けていること,当時Yは被告人Aの
ところで小間使い的な仕事をしており,毎日のように出入りしていたことか
らして,それなりに被告人Aの信頼を得ていたと認められ,被告人Aが言う
ように単なる雑用をするだけの関係でなかったと思われることからすれば,
Yのいうファイルに入った書類を預けようとしたことは十分あり得ることで
あるといえ,さらに,そのような書類をわざわざ預けようとしたとすれば,
それは重要な書類と推測されるのであり,結局,借用書などとおぼしきファ
イル入りの書類を被告人AがYに預けようとしたことは認めてよい。
キδが,被告人Aから,入院前に,酒を飲んで苦しがるから,救急車を呼ん
でくれと言われたこと
δは,期日外尋問において,本件放火の1か月くらい前から,被告人Aか
ら,「暴力団から金を借りている。Sに家を取られる。」という話を聞いて
いたこと,被告人AがO病院に入院する二,三日前の夜に,本件建物に行っ
たとき,酒に酔っていた被告人Aから,「酒を飲んで苦しがって七転八倒す
るから,救急車を呼ぶ手配をしてほしい。」と頼まれた旨を証言している。
他方,被告人Aは,δが被告人Aから上記のとおり救急車を呼ぶよう言われ
た日は本件建物に泊まり,被告人Aと同じベッドで寝たと供述するのに対し,
このころδが本件建物に来て泊まったことはないし,また,被告人Aのベッ
ドはシングルベッドであって一緒に寝たりはしないなどとして,δの上記証
言を否定している。この点について,δは,捜査段階においては,被告人A
の入院は仮病で,本件放火の際のアリバイ工作としてなされたものであると
思った旨供述していたところ,公判においては,この点について,そのよう
に思ったことはない旨供述し,δ自身の主観の点について供述の変遷が見ら
れる。しかしながら,δは,被告人Aの言動については,捜査段階において
も,被告人AがSに借金をしていて,追い込みを掛けられて本件建物を取ら
れそうになっていると話していたのを聞いたこと,被告人Aは,本件火災の
1か月くらい前から毎日ビールを飲んで酔っぱらい,睡眠剤を飲むような生
活をしており,Sから借金をして追い込まれていると言っていたこと,本件
火災の二,三日前に本件建物に行ったところ,被告人Aがδに,「近いうち
に私はバタバタ腹が痛いと言って倒れるから,倒れたら救急車を呼んで。」
と頼んだ旨供述しており,被告人Aの具体的な文言はやや異なるものの,被
告人Aが,近いうちに倒れるので,その際には救急車を呼ぶようδに話した
ということで一貫している。δは,自己の主観については,被告人Aからの
後難を恐れて,証言をためらっている様子が見て取れ,それゆえに捜査段階
とは異なる供述をしているものと推認されるが,いずれにしても,被告人A
の言動については,前記のとおり,捜査,公判を通じて基本的に一貫した供
述をしており,その内容は具体的で臨場感があり,暴力団とつながりの深い
被告人Aに関して,あえて虚偽の供述をして罪に陥れるだけの理由は認めら
れず,加えて,被告人Aに関する供述をすることについて極めて慎重な態度
をとっていることからしても,δとしては,被告人Aに不利にならないよう
に供述をあいまいにすることがあるとしても,被告人Aに不利な虚偽の内容
を加えて述べる理由はなく,δの供述は信用できる。
よって,本件火災の二,三日前ころ,本件建物において,被告人Aがδに
対し,酒に酔って,近いうちに倒れるので,その際には,救急車を呼んでほ
しい旨話した事実が認められる。
ク被告人Aの入院について
関係証拠(Y証言,δ証言,A供述,甲184等)によれば,被告人Aは,
平成6年11月8日昼ころ,急に腹部等の痛みを訴え,Yが手配した救急車
でO病院に同日午後1時ころ到着して入院したことが認められる。
この点について,検察官は,被告人Aは,本件放火による自己への被害を
避けるとともに,放火犯人であるとの疑いを抱かれないように偽装するため,
詐病により入院したものであると主張する。
そこで,まず,当時の被告人Aの症状について医学的見地から検討すると,
鑑定書(甲195)によれば,カルテ等の診療記録から事後的に検討した結
果として,当時の主治医は,被告人Aが,左側腹部から背部にかけての痛み
を訴えていたことや同女の既往病歴からして,肺,気管支の炎症,膵炎,心
疾患等を疑ったと思われるものの,検査結果からすれば,いずれも主訴に対
応する疾病は特定できなかったことを前提に,被告人Aが主訴に対する疾病
を解明できなかったことによっては何らの利益を得ていないこと,診療記録
に現れた療養態度は通常の病人の訴えと理解できること,疾病に対する主訴
も,病状の推移も,診断が付かなかったとしても医学的に理解可能なもので
あることから,当時の被告人Aの主訴を詐病ではないと結論付けている。こ
のうち,「被告人Aが主訴に対する疾病を解明できなかったことによっては
何らの利益を得ていないこと」については,仮に被告人Aが本件放火を計画
していたとすれば,保険金による経済的利得を狙って詐病を訴えて本件建物
を留守にし,その間に共犯者により放火を実行したという推論が成り立ちう
るのであるから,鑑定書の上記指摘は的を射ていないというべきである。ま
た,その他の点については,被告人Aの主訴に対応する疾病は特定できなか
ったのであって,すなわち,当時の被告人Aには自覚症状の訴えのみが認め
られるのに対し,被告人Aの主訴に対応する他覚症状は全く認められないこ
とからすると,診療記録に現れた療養態度が通常の病人の訴えと理解できる
としても,これによって直ちに詐病ではないと断定するには論理の飛躍があ
るというべきである。そして,前記第2の4キ記載のとおり,被告人Aが,
事前にδに対し,飲酒の上,腹痛を訴えて倒れるから救急車を呼ぶようにと
の依頼をした事実が認められるところ,被告人Aは,その依頼の相手である
δの面前で,しかもその事前予告と全く合致する形で腹痛を訴えているので
あり,この事実と,被告人Aの入院時の症状が,自覚症状だけだったとする
事実を併せ考えると,むしろ被告人AのO病院への入院は詐病によるもので
はなかったかとの疑いを強く抱かせるものである。しかしながら,関係証拠
(A供述,δ証言等)によれば,当時,被告人Aが膵臓疾患にり患した上,
多量の飲酒をしていたこと,更には被告人Aが精神安定剤ないしは睡眠剤等
の薬剤を服用した可能性があることなどが認められることからすると,意図
的に被告人Aがその症状を招来させたかどうかという点の問題はあるものの,
被告人Aの腹痛の訴えが真実であった可能性も否定できない。
以上の事実からすると,結局,被告人AのO病院への入院が詐病によるも
のであるとまでは認めることはできない。
ケ被告人Aが入院後,w温泉への電話を指示したこと
Yは,前記第2の4ア記載のとおり,公判において,被告人Aから平
成6年11月8日O病院でw温泉への電話の伝言依頼を受け,翌日,w温泉
に電話をかけたところ,相手の声が被告人Bに似ていたことなどを証言して
いる。この点については,Pが,捜査段階において,本件火災後にYやθと
本件火災は被告人Aによる放火ではないかと話をしたところ,Yから,「マ
マに頼まれてw温泉に電話を掛けた。電話に出たのが被告人Bの声に似てい
た。被告人Bも火事に絡んでいるのではないか。」と言われたと供述し(甲
71),公判においても,本件火災の前にYがw温泉に電話したところ,電
話の相手の声が被告人Bに似ていたという話を本件火災後にYがしていたこ
とを証言しており,θも,本件火災後,しばらくして落ち着いたころ,Yが,
本件火災前に被告人Aに頼まれてw温泉に電話をしたところ,被告人Bの声
そっくりだったと言っていたと証言していることなどからすれば,Yが本件
火災からさほど遠くない時期において,P,θと話をしているときに,本件
火災前に被告人Aから依頼されてw温泉に電話を掛けたこと,その電話に出
た相手の声が被告人Bに似ていたと話したことは認められ,本件火災後さほ
ど遠くない時期に,比較的仲が良かったと思われるY,P,θらの間におい
てそのような会話がされていたということは,そのような経験をYが実際に
していたことを強く推認させるものであり,前記供述内容のうち,Yがw温
泉に電話をしたところ,電話に出た相手の声が被告人Bに似ていたとYが思
ったという点は事実として認定できる。
次に,Yが入院した被告人Aの指示によってそのような電話を掛けたのか
どうかという点については,Yは,被告人Aからこの電話をかける依頼をさ
れた場所について捜査段階においてO病院の1階ロビーであったと供述しな
がら,病室内であったと供述を変更し,公判においては再び1階ロビーであ
ったと証言し,その供述に変遷があり,当時被告人Aに付き添うなどしてい
たδの証言においても,Yが被告人Aから電話をかけるよう指示を受けるよ
うな状況がうかがえないことからすると,この点についてのYの供述の信用
性に疑問を差し挟む余地があるようにも思える。しかし,前記のとおり,Y
が実際にw温泉に電話を掛けたこと自体は十分認定できるところ,Yには,
あえてこの点につき虚偽の供述をするような事情は全く見いだせない。した
がって,被告人Aが入院する際に,Yに対し,w温泉に電話をするように指
示したことは認定してよい。
一方で,証拠上,被告人BとYが電話を含めて頻繁に会話を交わしていた
状況は認められず,Yに,電話の相手の声が被告人Bであるかどうかを聞き
分けるだけの経験,能力があったかどうかについては疑問が残る。結局,Y
としては,被告人Bによく似た声の人が電話の応対に出たと感じたという趣
旨においてその供述内容は理解されるべきである。
以上からして,Yが,被告人Aから,その入院の際に,w温泉に電話を掛
けることを依頼されたこと,その電話をしたところ,Yとしては被告人Bに
似た声の持ち主だと感じられた者が応対したことが事実として認められる。
なお,関係証拠(θ証言,P証言等)によれば,本件火災前に被告人Aの
指示を受けて,Pも,w温泉の電話番号を調べて電話をかけたこと,また,
Pとしては,w温泉という場所は,被告人Aの仕事では一度も出てきたこと
のない場所であったことも認められる。
コ被告人Aの入院後,Pが,本件建物の事務所内の金庫の鍵を付けたままに
したり,同金庫内の現金をDに渡したり,借用書等を預かるなどした事実
Pは,公判において,被告人Aが入院した後,本件建物の事務所内の金庫
に入っていた現金150万円をDに渡したこと,平成6年11月9日に被告
人Aの見舞いに行ったところ,被告人Aから,金庫の鍵は付けたままでいい
と言われ,そのとおりに金庫の鍵を差したまま帰ったこと,金庫の中に重要
な物は残っていなかったことを証言しており,θも,公判において,本件火
災後,Pから,被告人Aに金庫の鍵を付けたまま帰っていいと言われたとい
う話を聞いたと証言している。
P証言によれば,Pは平成3年ころから同11年ころまで被告人A方で事
務員として稼働しており,本件当時も事務員として稼働していた事実が認め
られ,本件について格別の利害関係を有していたり,あえて被告人Aにとっ
て不利益になるような虚偽の事実を述べる事情は認められず,供述内容も具
体的であり,この点については,捜査段階でも概ね同様の供述をしているこ
とからしても,その供述は信用性が高い。これに対し,被告人Aは,公判に
おいて,Pは男性関係について被告人Aに思うところがあるから虚偽の事実
を述べているのではないかとの趣旨の供述をしているが,以前の雇い主であ
り,これまで指摘したとおり暴力団との結び付きもある被告人Aに対し,遠
慮こそすれ,あえて被告人Aに不利益な虚偽の事実を述べるとまでは考えら
れない。また,被告人Aは,本件火災までに金庫の鍵が何度か抜けなくなっ
たことがあったことから,そもそも鍵を付けたままにしていたと思う旨公判
で供述しているが,平成7年1月ないし2月に録取された警察官調書(乙
1)では,金庫の鍵は付けたままだが,大切なものを入れたときは施錠して
Pに鍵を預けていたと供述しており,金庫の鍵を抜き差しできることを前提
とした発言をしているのであって,無視できない相違点が見られ,その公判
供述は信用できない。
よって,被告人Aが入院した後の平成6年11月9日,Pは,被告人Aの
指示に従って,鍵がきちんと掛けられる状態であった金庫の鍵を,あえて鍵
穴に差し込んだままの状態にして帰った事実が認められる。
また,現金150万円をDに預けた点については,P自身も預けたことは
認めるものの,それが被告人Aの指示によるものであったかどうかについて
は記憶が明らかでない旨証言しており,被告人Aも,この点については記憶
がない旨公判で供述しているが,他方,被告人Aは,前記の警察官調書(乙
1)では,自分の指示でPにDに現金を渡すように言った旨供述しているし,
Pは被告人Aが雇用していた事務員にすぎず,自分の判断のみで150万円
もの多額の現金の処分をするとは考え難いことからすると,被告人Aの入院
後,その指示によってPがDに金庫の中にあった150万円を預けたと考え
るのが相当である。
また,Pは,公判において,検察官の主尋問に対しては,被告人Aからの
指示がいつ出たか覚えてないが,被告人Aが入院して事務所に誰もいなくな
るので大事な物を置いておけないことなどの理由により,被告人Aの借用書
や権利証を自宅に持ち帰った旨供述しているが,被告人Aの弁護人の反対尋
問に対しては,これらの書類を預かったのは入院前であり,家を建て直す話
があって貴重なものであることと,Sからの追い込みがあって預かったこと
と,2つの理由があると被告人Aから聞かされたことを供述しており,さら
に,捜査段階では,O病院で被告人Aから金庫の中に保管してあった借用証
や権利証を預かるよう言われたと思う旨供述しており,被告人Aから依頼を
受けた時期について供述が変遷しており,その時期を特定するだけの定かな
記憶を持っているのかどうかについては大いに疑問があり,結局,この点に
ついては,Pの供述からは,本件火災前に被告人Aから借用書等を家で保管
するよう依頼を受けて持ち帰ったという事実を認めることができるにとどま
るというべきである。
サ本件火災後,病院に被告人Aを見舞ったWに対し,被告人Aが,「うまく
いったから返せるよ。」「警察に聞かれたら,Sのところの若い衆がやった
と言ってくれ。」と言ったこと
Wは,前記第2の4ア記載のとおり,公判において,本件火災後,O
病院に入院していた被告人Aから,「うまくいったから火災保険が出るから,
それが出たら払う。本件火災について警察の取調べを受けたら,預かった家
財については債務の一部としてもらったと言ってほしい。本件火災について
は,Sの若い衆が放火したんではないかと言ってくれ。」と言われ,また,
別の機会に,被告人Aから,「火をつけた人に300万の報酬を渡した。そ
れで函館にはしばらく帰ってこない。」と言われた旨を述べている。
この点に関しては,Wの供述は,捜査初期の段階では,被告人Aは,「保
険金が下りたらあんたからの借金も返すから,ちょっと事情があったんだ
わ。」などと奥歯に物がはさまった言い方をしていた旨の供述があり,また,
平成13年10月11日付け警察官調書以降の供述では,公判供述とほぼ同
旨の内容を(ただし,同日付け警察官調書,翌12日付け検察官調書では,
300万円の報酬をもらった者について被告人Bと特定して供述してい
る。)述べている。これらの供述の変遷をみると,平成13年10月11日
付け警察官調書以降のWの供述は概ね一貫しており,被告人AからWが家財
を預かっていること,被告人Aが借金をしているSに本件火災の責任を押し
つけようとしていることなど,当時の状況に合致するとみられる事情が含ま
れている。ここで述べられている内容には,Wが本件火災前に被告人Aから
家財を預かっていることなどが含まれ,Wが本件火災に以前から関与してい
る嫌疑をかけられるおそれがあることからすると,捜査初期の供述において
その点を明確に述べていなかったことにも一応説明がつくといえ,W証言の
核心部分は客観的真実に照らして合理的な説明が可能であるように思える。
被告人Aの弁護人は,本件放火直後にはF火災やCにおいて本件火災の原因
について調査を行っており,直ちに火災保険金が支払われる状態ではなかっ
たから,このような会話があったとは考え難いと指摘するが,ここで被告人
Aが述べたとされる会話の内容は,直ちに火災保険金の支払がされることを
前提としているわけではなく,将来的に火災保険金が支払われるであろうと
いう前提に立って述べられているに過ぎないと考えられるから,弁護人の指
摘はあたらない。
ただし,被告人AとWとの間の会話における被告人Aの発言に関してのW
の上記証言は,客観的真実に照らして合理的に説明が可能であるとはいって
も,その証言自体を直接的に裏付ける証拠はないから,上記事実が認定でき
るかどうかは,Wの証言の信用性にかかっているというべきところ,その判
断は,後記シにおいて併せてすることとする。
シ平成7年2月ないし3月ころ,被告人A,同B,Wらが札幌で会った際の
状況
まず,関係証拠(W証言,A供述,B供述等)によれば,平成7年2月な
いし3月ころ,被告人Aは,Tに対する貸金の回収を,被告人Bが所属する
右翼団体の幹部であるιに依頼するため,Wに運転を依頼してその乗用車で
札幌に向かい,札幌αホテルにおいて,被告人Bらと面談した事実が認めら
れる。
この件に関し,Wは,前記第2の4ア記載のとおり,公判において,
札幌へ向かう自動車内で,Wが,被告人Aに対し,「誰が火をつけたんだ。
右翼と言っているけど,Bさんが出入りしてないけど,彼じゃないの。」な
どと何度か尋ねたところ,被告人Aが,「300万円で被告人Bに頼ん
だ。」と答えたこと,札幌αホテルでは,Wと被告人Aは,被告人Bら3人
と会ったが,このうちWと被告人Bが,他の3人とは別の席で話していた際,
Wが,被告人Bに対し,「あんた,a町手伝ったんでしょう。500万くら
いもらったのか。」などと何度か尋ねたところ,被告人Bが,「300万円
もらって,おれがやったんだ。灯油に薬品を入れて放火した。保険金は24
00万円くらい出たのでないか。」と話したことを供述している。
W証言の信用性については,前述のとおり特に慎重に検討すべきであると
ころ,このWと被告人A,Wと被告人Bのやりとりの内容については,これ
を裏付ける直接的な証拠は全くなく,もっぱらWの供述の信用性をどう考え
るかによらなければならない。そこで検討するに,Wの供述は,札幌へ向か
う車内での会話については平成13年10月11日付け警察官調書になって
初めて述べられているが,それ以降は一貫しており,また,札幌αホテルに
おける被告人Bとのやりとりについては捜査,公判を通じて供述内容は一貫
しているのであるが,これらの出来事は本件火災後に起きた出来事であるか
ら,Wには自己の訴追の可能性等これを述べるのをためらう事情はないと思
われるのに,なぜ当初はホテルにおける状況のみを述べて,あえて札幌に向
かう車内での出来事については秘匿していたのか,その理由が判然としない
面がある。また,被告人Bの関与について,Wは,前述のとおり,捜査段階
の途中では,本件火災前や本件火災後にO病院において被告人Bが放火の実
行犯である旨被告人Aから聞いたと供述していたが,その後,Bという具体
的な名前ではなかったと思う旨供述し,看過し難い変遷を示している。それ
から,Wは,被告人Aとの車内での会話は,被告人Bが本件建物に頻繁に出
入りしていたのに本件火災の前(1か月から1か月半前)に急に出入りしな
くなったので,被告人Bを放火の実行犯と疑っていたことから,Wが切り出
したと述べており,また被告人Bとの会話において,Wは,「あれだけ,a
町(本件建物)に出入りしてたのに,なんで急にいなくなったんだ。」と切
り出して,結局,被告人Bに白状させた旨述べている。しかしながら,後に
検討するとおり,被告人Bは平成5年4月以降,生活の本拠を函館から札幌
に移していた可能性があることも否定できず,そうすると,Wの述べるとこ
ろはいずれもそのようなやりとりが実際にあったのかどうか疑問を禁じえな
い。この札幌での出来事に関してWが正確な供述をしているのか疑問が残る
ところがある。
なお,Wの捜査段階における供述調書では,被告人AやWが札幌で被告人
Bらと面談した場所が札幌γホテルである旨の供述がなされているが,W証
言によれば,この供述は取調警察官の誤った誘導によりなされていることが
明らかであり,面談の場所は札幌αホテルと認めるのが相当である。
一方,被告人A,同Bは,捜査公判を通じて,札幌αホテルにいたのは被
告人A,同B,ι及びWの4人であり,4人が席を別にしたことも,前記の
ようなやりとりをしたこともないと供述し,さらに,被告人Aは,Wに対し
Sへの借金の処理の件で借金をしており,その返済に回すためにもTからの
取立てを進めようとしたため,Wに付いてきてもらった旨を,また,被告人
Bは,そのような席で,自己が所属する右翼団体の目上の人間であるιのそ
ばを離れることはない旨を供述している。この点についての被告人両名の供
述は,客観的状況にも一応合致しており,上記のごとく変遷しているWの供
述に比べると格段に自然であって,信用性が高いといわざるを得ない。結局,
Wの上記証言は,被告人両名が共謀の上で本件放火をしたとの推論に立ち,
Wが認識したところの客観的真実に符合するよう作出された証言ではないか
とする疑問が払拭し切れないのである。そして,この疑問は,前記サにおい
て検討した,O病院において被告人AがWに対してなしたとする発言に関す
るWの証言にも全く同様に当てはまるというべきである。してみると,Wの
これらの証言の信用性は低いと認めざるを得ない。
よって,これらの点については,平成7年2月ないし3月ころに被告人両
名とWらが札幌αホテルで面談した事実は認められるものの,その道中や面
談の席で,Wに対して本件放火を自認するような被告人両名の動があったと
いうこと,また,本件火災後,O病院において,被告人Aが,Wに対し,
「うまくいったから火災保険が出るから,それが出たら払う。本件火災につ
いて警察の取調べを受けたら,預かった家財については債務の一部としても
らったと言ってほしい。本件火災については,Sの若い衆が放火したんでは
ないかと言ってくれ。」と言い,また,別の機会に,被告人Aが,Wに対し,
「火をつけた人に300万円の報酬を渡した。それで函館にはしばらく帰っ
てこない。」と言ったということまで認めるのは困難であるといわざるをえ
ない。
5認定事実の検討
以上の検討に基づいて,ひとまず事実を整理すると,以下のようになる。
被告人Aによる犯意の表明ないし徴表
この点については,①平成6年の春先ころ,被告人Aが,本件建物の事務所
兼居間で,Wに対し,「S商事から催促されて借金を支払うのに,集金になら
ないし,困ったから,放火をして保険金を取る。家が古くても火事になって火
災保険金が出るか調べてほしい。」などと言ったこと,Wは,知人に確認した
上で,保険金は出るから,家財も保険に入っているか契約内容を確認しろとア
ドバイスしたこと,また,同じころ,Wとしては本件建物2階に人が住んでい
ると思っていたので,本件建物2階に人がいるときに火災を出すと,迷惑をか
けるし放火だと分かるから出てもらった方がいいとアドバイスしたこと,②被
告人Aが,Yに対し,本件火災の二,三週間前に,飲酒酩酊状態で,本件建物
の居間において,「にっちもさっちもいかない。保険の関係もあるから,この
うちに火をつける。実行する人も決まっているが,その人たちがやらなかった
らあんたがやってくれ。」と言って,右手の指を2本立てて,報酬200万円
で本件建物への放火をしてくれるよう申し入れたと受け取れる言動をしたこと,
③本件火災の二,三日前ころ,本件建物において,被告人Aが,δに対し,酒
に酔って,近いうちに倒れるので,その際には,救急車を呼んでほしい旨話し
たことが挙げられる。
これらの事実は,いずれも被告人Aの供述をその内容としているから,その
持つ意味を考えるためには,被告人Aが当時どのような状況におかれ,どのよ
うな趣旨でその発言をしたかを検討する必要がある。
そこで,まず①の事実について検討すると,前記4ア記載のとおり,本件
建物2階には,平成6年5月ころからζが入居し,同年10月までは出ていく
よう催促されることも特段なかったことが認められ,もし被告人Aが平成6年
の春先から既に本件建物への放火を真剣に検討していたとすれば,同年5月こ
ろに本件建物2階に人を住まわせるようなことはしなかったであろうと推測さ
れる。また,前記2認定のとおり,W以外の関係者の証言等からすれば,被告
人Aに対するSの追い込みが厳しくなってきたのは平成6年9月ころ以降であ
ると考えられることからすると,平成6年の春から夏ころにかけての時点で,
被告人Aが放火の実行を真剣に考慮していたといえるのか疑問が残る。
してみると,この点についても,W証言は,前記4シにおいて検討した事
項と同様に,Wが認識したところの客観的真実に符合するように作出されたも
のではないかという疑問が払拭し切れないものであり,その信用性は乏しいも
のといわざるを得ない。
他方②,③の事実について検討すると,前記2記載のとおり,被告人Aは,
当時,Sに対する借金について返済を強く迫られ,返済原資としてあてにして
いたTに対する貸金の回収も進まず,経済的に非常に厳しい状態に置かれてお
り,これらの問題を抱えていたことから,朝から酒を飲んで気を紛らわせてい
るような状態であったことが認められる。そのような状況の下,飲酒酩酊状態
でYに対し放火の実行を依頼するかのごとき言動をしたとすれば,それはあな
がち冗談ともとれず,真意から出たものであるとも推測できる。Yも,「最初
は冗談だと思ったが,最後になると真剣に思い詰めたように言っていたので,
せっぱ詰まっていると思った。」旨供述している。また,同様の理由から,被
告人Aが,δに対し,腹が痛いと言って倒れることを予告したことについても,
被告人Aの真意に基づいてなされたものと考えても不自然ではない。
そこで,これらの供述が持つ意味について検討すると,Yに対する放火の実
行の依頼は,まさに,当時,被告人Aが本件建物の放火を計画し,実行に移そ
うとしていたことを強く推認させるものである。そして,その内容が,既に第
1次的な実行犯の選定,依頼を終えていることを示していることからして,こ
の時点で既に被告人Aの本件放火の計画が進行していることを指し示している
のである。また,δに対する,腹が痛いと言って倒れることを予告した言動に
ついては,その内容は,持病を持っている人であれば周囲の人間に発言しても
おかしくないようなものであり,実際被告人Aは,体調が思わしくないのに酒
を朝から飲んでいた状況がうかがえるのであるが,他方,当時,被告人Aはま
さに経済的に窮していた時期であり,あえてこのような発言をしたことについ
ては,単に倒れたら救急車を呼んでほしいという趣旨ではなく,近日中に確実
に倒れるから,そのときは確実に救急車を呼んでほしいという,入院手続を取
る依頼であったのではないかと考えられるのである。
また,このような検討を前提とすると,④Wが,被告人Aから家財を預かる
前ころ,「知合いの右翼の人に頼めばいつでも放火する人がいる。放火する場
合には,醤油を飲んだりして,仮病になって救急車で入院し,被告人Aが本件
建物にいない間に放火する。火をつける人には,玄関から入るか,ベランダか
ら入るか,泥棒に見せかけて入ってもらう。」「(放火をする人間について)
電話をすればいつでも来て放火してくれるんだ。もしやる場合は,しばらく本
件建物には出入りさせず,放火後も函館には来ないようにする。」という話を
本件建物の事務所か居間で聞かされた旨の証言についても,その時期や会話の
内容に照らして信用性が高いようにも思われる。しかし,この点についてのW
証言も,これを直接的に裏付ける証拠はないことから,前記4シ,5①に
おいて指摘したのと同様の疑問点が指摘でき,事実認定において重視すること
はできないものと考える。
本件火災の発生を前提とした行動
この点については,①被告人Aは,平成6年10月ころ,テレビや茶箪笥,
テーブル,置物など比較的高価な家財を函館市u所在のWの事務所兼自宅に預
けたこと,これについて,被告人Aは,周囲の人間には,様々な理由を述べて
本件建物に家財を置いておくことができない旨を説明していたこと,また,同
じころ,δが離婚する予定だったので,同人に対し,家財を合計代金30万円
で買わないかという話を持ち掛けていたこと,古物商に対し,置物等の骨董品
を6万円で売却したこと,②Yが,本件火災の二,三週間前ころ,被告人Aか
ら,「何かあったら処分してほしい。」と言われ,最後のページに走り書きで
本件建物を失ってしまう趣旨のことが書かれていた日記帳を預かり,本件火災
の後にこれを捨てたこと,同じくYが,日記帳を預かった二,三日後の夕方に,
透明なファイルに入った借用書の束とおぼしきものを被告人Aから預けられそ
うになったが,これを断ったこと,また,本件火災前に,Pが,被告人Aの指
示を受けて,借用書等を家に持ち帰り保管していたこと,③平成6年10月こ
ろ,本件建物2階に住んでいたζが,被告人Aから,家を建て直して息子と住
むので出て行ってほしいなどと言われ,Pが探してきた家に引っ越したことが
挙げられる。
まず,被告人Aが家財をWの事務所兼自宅に預けていたことについては,そ
の後,実際に本件火災が発生し,更にその後,新築した被告人Aの自宅にこれ
らの家財が戻されていることからすると,本件放火に備えて家財がり災しない
ように被告人Aが避難させたのではないかとの推測が成り立つ。さらに,この
点について,当時,周囲の人間は,家財が本件建物からWの事務所兼自宅に移
されたことを知って,本件建物の建て直しや修理などのためにそのようにした
のではないかと考えたり,あるいは被告人Aを含む関係者からそのように聞か
されたりしていた状況が認められる。そして,被告人Aは,この点について,
逮捕当初の平成13年9月20日付け警察官調書(乙4)では,Wが振り出し
た1000万円の手形が被告人A経由でSの元に渡っていたので,この手形が
取立てに回されるとWに迷惑をかけることから家財を渡してやったと述べてい
たところ,平成13年10月9日付け検察官調書(乙8)においては,Sから
借金の返済のため本件土地建物を明け渡すよう言われていたから引っ越し準備
のため家財をWに預けたと述べており,捜査段階においても既に供述に変遷が
見られる上,公判においては,「Wに手形が回って迷惑を掛けるので,少しで
も金にして足しにしてもらおうと思って,売れやすい見映えのいいものを預け
た。」と述べるなど,被告人Aの供述は大きく変遷しており,その場しのぎの
供述をしているのではないかという疑いが極めて大きい。さらに,被告人Aは,
家財をWに預ける時点において,その理由を周囲に隠していたのであるが,こ
の点について,被告人Aは,自分の借財に関わってくることであるから,その
ようなことをあえて関係のない周囲の人に言う必要はないと供述しており,そ
の主張も理解できないわけではないものの,必ずしも具体性のない虚偽の理由
を周囲の人間に説明する必要がなぜあったのか疑問である。加えて,被告人A
がWに預けた家財については,被告人A自身,これを転売してもWに請求が行
くであろう手形金額1000万円には到底足りないようなものであることを自
認しており,そのような家財をあえてWの家に運び込む理由が判然としない。
このように,家財をWに預けた理由についてのA供述は信用することができな
いといわざるを得ない。以上からすると,被告人Aが家財の一部をWの事務所
兼自宅に預けたことについては,被告人Aから合理的な説明がされているとは
いえない。また,δへの家財の売却の話や骨董品等の売却の事実についても,
この時期にこれらのことを行った合理的説明が,A供述によってはなされてい
ないというべきである。
さらに,Yが,本件火災前に,被告人Aから日記帳を預かった二,三日後の
夕方に,透明なファイルに入った借用書の束とおぼしきものを被告人Aから預
けられそうになったが,これを断ったこと,Pが,被告人Aの指示を受けて,
借用書等を家に持ち帰り保管していたことについては,本件火災の発生を前提
に考えれば,借用書等の重要な書類を本件建物内に置いておくことができない
事情が当時あったことを指し示しているといえる。この点について,被告人A
は,公判において,Sとの交渉の中で,債権の共同回収の話が出たが,乗り気
ではなかったので,事務所に置いておくと,S側から見せてくれと言われて断
ることができないので,息子であるDと事務員のPのどちらに預かってもらう
か考えた上,Pに預けた旨供述している。しかし,前記2記載のとおり,被
告人AとSとの貸借の経緯については判然とせず,事実を確定し難いが,上記
のとおり,被告人Aが本件火災前にWに家財の一部を預け,δに家財の一部売
却を持ち掛け,古物商に骨董品等を売却した事実と,Yに借用書類とおぼしき
物を預けようとし,結局は,借用書類をPに預けた事実とを併せて考えてみる
と,被告人Aが本件火災に備えて,家財や重要書類を避難させ,又は一部処分
を図ったのではないかとの疑いが強まり,しかも,被告人Aは,これらのこと
を行った合理的理由を十分に説明できていないのである。
そして,被告人Aが,平成6年10月にζを本件建物2階から退去させたこ
とも,当時の被告人Aには,本件建物内に人が居住していては困る事情があっ
たのではないかということをうかがわせる事情である。ζは,平成6年5月こ
ろ,それまで居住していた被告人A所有の他のアパートを被告人Aが処分する
ということから本件建物2階に転居してきたものであり,本件建物に長期にわ
たって居住する約束ではなかったものの,ζは,しばらくの間は本件建物に住
むことができるつもりでいたところ,入居から半年も経たないうちに,被告人
Aは,突然,平成6年10月になってζを本件建物から退去させたのであるか
ら,この当時,被告人Aにとって,本件建物の使用,処分に関して新たな事情
が発生したと考えるのが相当である。この点について,被告人Aは,Sに本件
建物を引き渡す話が進んでいたからζを引っ越しさせたとの説明をしているが,
前記2記載のとおり,Sと被告人Aの間の貸借関係については判然としない
上,被告人Aは,ζに対し,本件建物から退去してもらう理由として,家を取
り壊して息子と二人で住むと説明したと供述しているというのであり,以上の
事情からすると,ζを早急に本件建物から退去させた理由についても,被告人
Aは,合理的な説明をしていないのである。
結局,ここで指摘されている事実は,いずれも本件火災前に,被告人Aにお
いて,本件建物に置いてあった物,居住していた人間について,何らかの理由
から本件建物外へこれを移動させている事実であり,しかる後,本件火災が発
生していることからすると,被告人Aが,本件火災を発生させることを前提と
した行動ではないかとの疑いを強く生じさせる事情であるといえるが,これに
対し,被告人Aはその疑いを払拭する合理的な説明ができていない状況にある
といえるのである。
本件火災の発生に至るまでの被告人Aの行動
この点については,①被告人Aは,平成6年11月8日の昼ころ,急に腹部
等の痛みを訴え,Yが手配した救急車でO病院に午後1時ころ到着して入院し
たこと,②Yが,被告人Aから,O病院入院の際に,w温泉に電話を掛けるよ
う依頼され,w温泉に電話をしたところ,Yとしては被告人Bに似た声の持ち
主だと感じられた者が応対したこと,また,本件火災前に被告人Aの指示を受
けて,Pが電話番号を調べてw温泉に電話をかけたこと,③Pが,被告人Aが
入院した後,その指示に従って,本件建物の事務所内の金庫に入っていた現金
150万円をDに渡すとともに,被告人Aが入院した翌日の平成13年11月
9日,Pが被告人Aの指示を受けて,鍵がきちんと掛けられる状態であった金
庫の鍵を,あえて金庫に付けたままにして帰ったことが挙げられる。
まず,被告人Aの入院については,本件火災の直前に入院をしているという
事実は,本件火災の発生を前提として本件建物から離れ,アリバイと身の安全
を確保したということを疑わせる事実であるといえるが,前記4ク記載のと
おり,被告人Aの入院が詐病によるものとまでは認定できないことからすると,
この事実のみから被告人Aが本件放火に関与したことを推認することは困難で
ある。しかし,被告人Aは,当時毎日のように朝から酒を飲み,睡眠薬等を服
用するような生活を送っていたのであるから,体調の不良を訴えても何ら不思
議のない状態であり,被告人Aとしても,この点を利用して,何らかの手段で
意図的に実際に自ら体調を悪化させて入院をし,その間に,何者かに本件放火
を実行させるということもあり得ないことではないと考えられ,前記記載の
とおり,被告人Aが,δに痛みを訴えて倒れるということを予告し,そのとお
りの症状で,しかも,δの面前で腹痛を訴えて入院していることからすると,
この入院は,その症状が詐病であるかどうかという点が確定できないとしても,
被告人Aとしては,不慮のものではなく,自ら計算してのものであった可能性
が高いといえる。
また,被告人Aが,遅くとも本件火災前にPに対し,また,入院時にYに対
し,w温泉に電話をするよう依頼した点については,被告人Aは,w温泉とい
う名前自体に全く記憶がないし,PやYに電話するよう依頼したことはない旨
供述しているが,Y,θ,Pと3人もの供述が合致していることからすると上
記事実の存在は動かし難い。そして,被告人Aの供述状況からすると,被告人
Aは,この点について,あえて虚偽の弁解をしていると考えざるを得ないので
あり,上記事実は,被告人Aにとって表に出したくない事情に関係することで
ある可能性が高いことや,本件放火の直前であるというタイミングの良さなど
の事情を考えると,検察官の主張するように,w温泉への電話が放火の実行犯
への合図等本件放火と何らかのつながりがある事実であるとも考えられる。他
方,被告人Bの弁護人が指摘するように,放火という重大犯罪の実行の連絡が,
Yの供述に基づけば,病院のロビーという開放的な空間で複数の人間が周囲に
いる状態で,しかも,情を知らないと考えられるYを介して行われるという不
確実な方法でなされるというのは考え難い面もあり,真にこれが本件放火の実
行を指示する行為であったのかについては,疑問がないわけではない。
さらに,被告人Aの指示により,Pが,現金150万円をDに預けた点につ
いては,被告人Aが入院し,本件建物が無人になってしまうこと,金庫の鍵も
付けたままになることからして,安全のために預けることとしたとも考えられ
るのであるが,これまで検討してきた事実と併せ考えれば,本件放火を前提と
して現金を本件建物外に持ち出すよう指示したという推論も十分成り立ち得る。
また,被告人Aが,Pに対し,本件火災の前日,わざわざ金庫の鍵を付けたま
まにして帰るよう指示した点については,これまで検討したとおり,この金庫
の錠を掛けることができたと認められることからすると全く不可解であるとい
うほかなく,本件放火後の本件建物内の状況からすると,あえて金庫の鍵を付
けたままにして,放火犯人が室内を物色した状況を作り出し,部外者の犯行に
見せかけようとしたと考えるのが自然である。
本件火災後の被告人Aの行動
関係証拠(甲37ないし40,45等)によれば,被告人Aは,Cに対し,
相当に過大な金額の損害申告をしていることが認められ,殊更に高額の保険金
を取得しようとした状況がうかがえる。これについては,被告人Aは,公判に
おいて,共済の担当者から説明されたとおりに記載しただけであると反論する
が,前掲証拠によれば,明らかに過大な損害申告が意図的になされているとし
か考えられず,被告人Aが保険金の取得を強く指向していたことを示している
といえる。けれども,本件放火が被告人Aの関与によるものでなかったとして
も,自ら損害をてん補するとともに,これを奇貨として大きな利益を得ようと
考えて,過大な損害申告をすることは十分あり得ることからすると,この事実
のみから,本件放火と被告人Aとを結びつけることにはちゅうちょせざるを得
ない。
総合検討
以上を踏まえて総合的に検討してみると,まず,被告人AがYに対し放火の
依頼とおぼしき発言をし,その際,既に他の者に放火の依頼をしている旨話し
たことは,被告人Aが本件放火を何者かに依頼したことを非常に強く疑わせる
事実である。また,本件放火の1か月ほど前から,本件建物内の家財のうちの
一部の高価な物が,Wの事務所兼自宅に運び込まれ,いわば避難させられてい
たこと,他にも家財の一部をδに処分しようとし,骨董品等を古物商に処分し
たりして,本件建物内の家財を整理しつつあったこと,借用書等をPに預ける
などしたことは,上記の被告人AのYに対する発言内容を併せ考えると,被告
人Aが,本件建物が火災に遭うことを前提として,これらのものを本件建物か
ら移動させ,又は処分したと評価するのが自然である。したがって,これら家
財の移動などの事実は,本件建物への放火計画の実行への準備としてこれをと
らえると,非常に納得がいく事実である。そして,被告人Aが,δに対し,痛
みを訴えて倒れることを予告し,実際に平成6年11月8日に痛みを訴えて倒
れ,救急車でO病院に搬送され,入院したこと,その後,同月10日に本件火
災が発生したことからすると,被告人Aの入院は余りにタイミングが良く,こ
の入院事実には被告人Aの意図的なものが感じられる。また,Pに対し,本件
建物の事務所内の金庫の鍵を付けたままにして帰っていいと指示したことは,
極めて不自然な指示であるところ,関係証拠(甲4,A供述等)によれば,本
件火災後,本件建物内に物色された痕跡が残されているにもかかわらず,特に
盗まれた物がないことなどからすると,放火犯人は,当初から放火が主たる目
的であり,物色の痕跡はカモフラージュではないかとの疑いがあるのであるが,
金庫の鍵を付けたままにしておけば,金庫に対する物色の痕跡となって,その
カモフラージュを強めることになるのであり,これら事実からすると,被告人
Aが本件建物への放火があることを事前に知り,しかも,その放火犯人が窃盗
犯を装うという犯行の手口も理解していたとも推測することができるのである。
これらの事実のうち,Yに対して放火の依頼をしたことや既に何者かに放火
の依頼をした旨を話した事実以外の事実は,被告人Aが本件建物への放火を目
論んだことを直接に指し示す事実とまではいえないものではある。しかし,こ
れまでに認定した諸事実は,いずれも,被告人Aが何者かに本件建物への放火
を依頼し,これを実行させたものと考えると納得ができるという状況にある。
そして,被告人Aは,これらの事実について,種々の説明をしているところで
あるが,すでに検討したとおり,被告人Aの説明は合理性がなく,信用性が乏
しいといわざるを得ない。
他方,被告人Aが本件に関わる火災保険等に加入した時期,動機についてみ
ると,Cの火災共済については,昭和54年ころから継続加入しているもので
あり,またF火災の火災保険についても,平成4年にL信用金庫k支店から借
入をするに際して,担保設定のために加入したものであることが認められ,そ
の加入時期や加入動機に鑑みると,火災保険等への加入は本件放火を前提とし
たものであったと考えることはできず,その意味では,この事実は被告人Aと
本件放火とのつながりを否定する方向にも働き得る事実である。しかしながら,
従前は本来の目的で火災保険等に加入していたものが,既加入の保険等を利用
し,放火による保険金詐取を目論むことは十分に考えられることであり,火災
保険等への加入時期が早かったからなどといって,保険金目的の放火の疑いが
晴れるものではないというべきである。また,関係証拠(甲2等)によれば,
本件火災当時,被告人A方には,いまだ相当数の家財が残されており,その中
には高価と思われる家財も含まれていたことがうかがわれるところ,この事実
も,一見本件放火と被告人Aとの結び付きを否定する事情にも見える。しかし
ながら,被告人Aとしては,Sへの返済に回すための現金を欲していたと考え
られるのであり,これを得る手段として放火による保険金詐取を目論むのであ
れば,当然,家財をも焼損して損害を演出しなければならず,1000万円と
いう共済価額に見合った家財を本件建物に残しておく必要があったといえ,前
記の事実をもって被告人Aと本件放火との結び付きを否定することはできない。
それから,被告人Aは,自らが深く信仰している龍神の飾り物を本件火災によ
って焼失した旨を供述しており,このような個人にとって大切な品物を火災前
に運び出さずに焼損してしまったこと自体,被告人Aと本件放火との結び付き
を否定する事情にも見えないわけではない。しかし,仮に被告人Aが本件放火
を目論んでいた場合,そのような信仰の対象を本件建物から持ち出していれば,
真っ先に放火の嫌疑をかけられることは明らかであるから,あえてこれを持ち
出さないという可能性も十分あり得るのであり,被告人Aの供述によっても,
その龍神に対する信仰は,日頃祭っている龍神の形をした物体ではなく,龍神
そのものに対する観念的なものであって,龍神の飾り物が失われることが被告
人Aにとって極めて不利益であるとか痛恨事であるとかまではいい難く,被告
人Aと本件放火との結び付きを否定する事情とまではいえない。
また,被告人Aの弁護人は,被告人AにはSに対する借金を返済する資金を
調達する能力があったことを主張し,その根拠として平成6年11月ころに1
000万円を調達してSに支払うことができており,また平成7年3月には本
件土地の一部を売却してL信用金庫k支店に対する債務を一部弁済しているこ
とを挙げている。しかしながら,本件火災当時,被告人AがSに対して負って
いる借金の合計額は約2300万円に達しており,被告人Aが1000万円を
返済することで清算させてほしいと申し入れたのに対し,Sはこれを拒絶した
ことはこれまで認定したとおりであって,仮に1000万円を調達できたとこ
ろで,Sとの間の貸借関係は清算することができないのである。また,本件土
地の一部売却は,正に本件建物が本件火災により焼失したことで容易に実行す
ることができたのであり,もし本件火災がなければ,被告人Aとしては,引っ
越し先を確保した上で自らの費用で本件建物を取り壊し,本件土地の一部を売
却することとなったのであるから,被告人Aは,更に多くの負担をしなければ
ならない状態だったのである。したがって,被告人Aの弁護人の主張はいずれ
も採用し難い。
被告人Aの弁解について
本件において,被告人Aは本件放火への関与を完全に否定し,捜査公判にお
いてるる供述している。被告人Aの供述中には,これまで検討してきたとおり,
客観的証拠に合致し信用できる部分もあるものの,多くの点において,客観的
に認定できる事実に反している部分が見受けられ,また,本件火災から間もな
い時点である平成7年1月ないし2月に録取された警察官調書(乙1)と,逮
捕後公判までの供述の間に少なからぬ相違点が見られるなど,その場その場で
都合の良いように供述を変えている態度が強く見受けられる。これは,被告人
Aが現に刑事責任を問われ得る立場にいることから,たとえその真実が本件に
関連がなくとも,疑いを抱かせるような情報を言いたくないと考えて虚偽の供
述をしたか,あるいは被告人Aの性格によるものにすぎないという可能性も考
えられなくもない。しかし,それらの事情を考慮したとしても,その供述態度
は,ごまかしや客観的事実に反する強弁が目立ち,真摯に真実を述べようとす
る態度とは到底考えられないのである。
すなわち,被告人Aは,本件火災から間もない平成7年1月ないし2月に録
取された警察官調書(乙1)においては,本件火災の原因について漏電につい
てのみ言及しており,公判においても,当時は不審火であったと話が出たこと
しか記憶がないと述べているが,平成13年10月9日付検察官調書(乙8)
においては,本件建物内に灯油が撒かれていたことは,平成6年11月当時か
ら刑事に聞いて知っていた旨の供述がある。また,被告人Aは,前記警察官調
書(乙1)においては,本件火災後,被告人Aが現場に行っていないことを前
提とする供述がされているのであるが,公判においては,本件火災当日に外出
して火災現場に赴いたことを認めており,関係証拠(甲184等)からすると,
被告人Aが本件火災後に火災現場に実際に赴いたと考えるのが合理的である。
そうだとすると,被告人Aは,記憶がまだ鮮明な平成7年1月時点で,あえて
虚偽の供述をしたと考えられるのである。また,被告人Aは,w温泉には全く
記憶がなく,縁もない旨を供述しているが,前記検討のとおり,Y,P,θら
が一致してw温泉への連絡の事実を証言していることからして,Yらが被告人
Aの指示に基づいてw温泉への連絡を取った事実は認められるのであり,この
点について被告人Aはあえて虚偽の事実を述べているとしか考えられない。
また,被告人Aは,暴力団員との交際について,捜査公判において,暴力団
員との交際があること,貸借関係があることは認めるものの,取立てを頼んだ
りしたことはないこと,暴力団員への貸付けは,せいぜい客の中の1割程度で
あると供述している。しかし,暴力団員が客のうちどれだけを占めているかは
必ずしも客観的な証拠に基づいているわけではないから,その供述の当否を問
うことはできないとしても,関係証拠(Y証言,甲170,171等)によれ
ば,被告人Aは,暴力団員の名刺を多数所持しており,また,暴力団組織であ
る2代目κの構成員一覧表を持っていることが認められることからすると,暴
力団組織と非常に密接なつながりを有しているといわざるを得ない。被告人A
は,公判で,λ組組長の所に行ったときにたまたま紹介されて名刺をもらった
りしただけであるなどと供述するが,そもそも一般人はそのような機会に遭遇
すること自体が少ないと考えられ,さらに,その際に,このようなものを入手
することはほとんど考えられないのであり,そのようないい加減な供述をする
こと自体,暴力団との関係の深さを物語っている。また,Tの経営者であるU
の警察官調書(甲102)や被告人Bの平成13年9月20日付け警察官調書
(乙13)によれば,明らかに暴力団風の男たちが被告人Aが債権回収や交渉
に乗り込む場面に同席し,脅迫的言動を行っていることが認められる。被告人
Aも自認する暴力団関係者との交際の存在や,暴力団員の名刺,暴力団構成表
を所持していることからしても,取立てに暴力団員を利用していたことは十分
に認められ,これを否定する被告人Aの供述は信用できない。
6小括
以上の検討によれば,被告人Aには,Sからの借金の返済に関する追い込みを
受けており,早急に借金返済の原資を必要としていたこと,本件火災により多大
な利益を得たことからして本件放火を実行する動機となり得る事情が認められる
こと,被告人AがYに対し他の者に放火の依頼をした旨話し,更にY自身にも放
火の依頼とおぼしき発言をしたこと,本件放火の1か月ほど前から,本件建物内
の家財のうちの一部の物が,Wの事務所兼自宅に運び込まれたり,家財の一部が
古物商に処分されるなどしていたこと,借用書等がPに預けられていたこと,被
告人Aが,δに対し,痛みを訴えて倒れることを予告し,実際に平成6年11月
8日に痛みを訴えて倒れ,救急車でO病院に搬送され,入院したこと,その後,
同月10日に本件火災が発生したこと,Pに対し,金庫の鍵を付けたままにして
帰ってよい旨指示したことなど,本件放火を前提としなければ説明が困難な事実
が多数存することが認められるのであり,このことからすると,被告人Aが本件
放火の首謀者として,何者かに依頼して本件建物に放火させたということが強く
推認されるといわなければならない。
これに対し,被告人Aが本件に関わる火災保険等に加入したのは本件放火より
も2年以上前のことであり,本件火災を前提として加入したものとは認められな
いこと,本件火災当時,被告人A方には,いまだ相当数の家財が残されており,
その中には高価と思われる家財も含まれていたことなどの一見被告人Aと本件放
火との結び付きを否定する方向に働く事実も存在するが,これらの事実について
は,その意味や前記の各事実による推認の強さとの関連を検討すると,その存在
が前記推認を覆すほどのものとはいえない。また,被告人Aは本件放火への関与
を完全に否定し,捜査公判においてるる弁解しているが,その弁解は信用できず,
そのような虚偽の弁解をしていること自体,被告人Aが本件放火へ関与している
ことをうかがわせる一事情ともいえ,結局,被告人Aと本件放火との関わりを否
定する事情にはなり得ない。
第3被告人Bの本件への関与について
1これまで検討したとおりの認定事実からすると,実行犯についての検討をする
以前においても,被告人Aが本件放火を何者かに依頼して実行させた可能性が非
常に高いと認められる。ところで,本件放火について,検察官は,起訴状記載の
公訴事実においては,実行行為者を特定せず,被告人両名が共謀の上,放火を実
行した旨を記載し,第1回公判における冒頭陳述や第12回公判における当裁判
所の求釈明に対する平成14年12月5日付け釈明書においては,本件放火の実
行行為者が被告人Bであると明確に主張している。もとより共同正犯の訴因にお
いて実行行為者が誰であるかが明示されていなくとも,それだけで直ちに訴因の
記載として特定に欠けるものとはいえないが,実行行為者が誰であるかは,被告
人の防御にとって重要な事項であるから,当該訴因の成否について争いがある場
合等においては,訴因においてこれが明示されていなくとも,審理の経過に照ら
して検察官が特定の実行行為者を主張している場合には,訴因変更手続を経るこ
となく,判決において,検察官が主張する特定の者以外の者を実行行為者と認定
して,その者との共謀によるものとして被告人を有罪とするのは,当該被告人の
防御権の観点から許されないものといわなければならない。したがって,本件に
おいて,被告人Bが実行犯であると認定できない場合には,被告人Aの本件放火
への関与を示す事実が多数存在しようとも,同人について放火の共謀共同正犯で
あるとの認定をすることはできない。
すなわち,被告人Bが本件放火に関与していることが証拠上認められるかどう
かは,被告人B自身の犯罪の成否のみに関するだけでなく,被告人Aの犯罪の成
否にも大きく関わるものである。
以下,被告人Bの本件への関与について,検討することとする。
2実行犯が満たすべき条件について
まず,本件放火の実行犯が満たすべき前提要件としては,①動機,②被告人A
との謀議の可能性,③本件現場への臨場可能性等が挙げられる。そして,これら
を検討するに当たっては,検察官において首謀者として主張している被告人Aと,
実行犯とされる被告人Bとの人的関係が問題となる。そこで,まず,被告人Aと
同Bの本件放火前後にわたる交友関係について検討する。
3具体的検討
被告人Bの生活状況及び被告人Aとの関係について
ア関係証拠(W証言,A供述,B供述,乙3,14ないし21,23,25,
弁24,25等)によれば,被告人Bについて,次の各事実が認められる。
すなわち,被告人Bは,北海道y市出身で,高校中退後,北海道内を転々
としながら稼働し,同郷出身のμと交友を持ち,右翼団体の幹部であるμの
実兄のιの誘いで右翼団体であるνに加入していたこと,平成2年ころ,知
人の借金問題から被告人Aと知り合い,被告人Aに対し300万円の保証債
務を負うこととなり,そのころ,函館市z町内のアパートに住むようになっ
たこと,その後,ψ町のξの手形を被告人Aに割引してもらうようになり,
その後,μやξの社長が自ら被告人Aの元に手形を持ち込むようになったが,
ξは倒産し,被告人Aが手形の割引に関連して損害を被ったこと,平成5年
3月ころにWを介していわゆる「ふかし」の住宅ローン,すなわちオーバー
ローンを組んだこと,また,個人的に少額の借入れを被告人Aからしており,
少なくとも,平成6年11月ころには残額が約100万円となっていたこと,
その後,平成7年2月か3月ころ,被告人AがTへの貸付けの回収の件でι
と面談することとなり,札幌αホテルで被告人A,W,ιと面談したこと,
その後,遅くとも平成10年ころには函館に居住し,訪問販売の仕事をする
などして生活していたこと,その後,平成12年2月ころ,交際相手のοと
二人で,被告人Aが所有する函館市d町所在の貸店舗を借りてリサイクルシ
ョップを始めたが,経営はうまくいかず,平成13年2月ころ閉店したこと,
また,そのころ,被告人Aが,税金対策のため,被告人B名義の銀行口座を
借り,貸金の客からの返済を同口座を通じて取り立てるなどしていたこと,
以上の事実が認められる。
イ他方,本件火災当時の被告人Bの生活状況は必ずしも明らかではない。
この点についての,被告人Bの供述は,捜査公判を通じて変遷を重ねてい
る。すなわち,被告人Bは,平成13年9月20日付け警察官調書(乙1
3)においては,「平成5年ころに札幌に行き,右翼活動とιの経営するπ
の仕事を手伝い,北海道檜山郡ψ町内の現場に行くなどし,ψ町内のξの役
員になっていたμから同社の手形の割引を依頼され,被告人Aのところで手
形を割っていたが,そのうちにμや社長が自ら持っていくようになり,その
後ξは倒産してしまった。そのころ(平成5年ないし6年ころ),頼まれれ
ば被告人Aの運転手などもやっており,Wを紹介されて,いわゆるふかしを
やった。その後,ιから呼び戻されて,平成7年ころからは,右翼の仕事や
πの仕事,ιの運転手などをする一方,かにの販売も始めたが,平成8年に
はπもかにの仕事もつぶれ,平成8年8月ころには古タイヤの商売を始めた
が,当時も被告人Aと連絡は取っていた。」旨供述しており,平成13年9
月20日付け警察官調書(乙14)では,「平成6年ころは,πの仕事でψ
町のξに来ていて,手形割引の件などで被告人Aのところに出入りしてい
た。」旨,同月23日付け警察官調書(乙16)では,「平成4年ころ,被
告人Aを介してWと知り合い,いわゆるふかしを行い,その後,μがξの専
務であったことから,平成5年の春先ころから1年ほど仕事を手伝い,これ
が倒産した後は,札幌でιの世話になっていた。」旨,同年10月9日付け
検察官調書(乙19)では,「平成6年11月9日から10日の時期は,札
幌のπの手伝いをしていたので,函館にはいない。」旨,同月29日付け警
察官調書(乙17)では,「被告人Aのところには,平成4年ころから出入
りしており,平成4年ないし5年ころ,頼まれて運転手代わりのようなこと
をしたり,顔を出したりしていたが,函館を平成6年ころ離れた。」旨,同
年12月18日付け検察官調書(乙25)では,「平成4年ころ,μに頼ま
れてξの手形を被告人Aのところで割り引いており,これが1年くらい続き,
その後,μがιのπに入り,自身は,中古タイヤの販売をするようになり,
平成6年か7年ころは札幌にいた。」旨をそれぞれ供述しており,さらに,
公判では,「被告人Aと頻繁に会っていたのは平成3年ころであり,そのこ
ろは週3回くらいは会っており,車の運転をするなどしていた。平成4年こ
ろ,μにψ町のξの仕事を手伝ってほしいと言われて行くようになり,ξの
手形を被告人Aに割引してもらうなどしてもらい,ψ町と函館市を行き来し
ていたが,家を建ててすぐの平成5年4月前後に札幌に移り,πの雑務やι
の運転手をしたり,古タイヤ販売の仕事をするようになり,古タイヤの販売
の仕事は,平成5年11月ころから平成10年春先までやり,これによって
主として生計を立てていた。τの地震のときには既に札幌にいた。」旨を供
述している。
被告人Bは,本件記録上,平成13年9月19日に逮捕されているが,以
上見たとおり,当初は,平成6年の本件火災当時,本件建物への出入りをし
ていたかのような供述をしていたものの,同年10月9日付け検察官調書
(乙19)において,本件火災当時札幌でπの手伝いをしていたので函館に
は居なかったと明確に供述するようになり,その後は公判に至るまで,その
旨の供述を続けている。被告人Bは,逮捕により気が動転していたため逮捕
当初は真実と異なる供述をしてしまった旨公判で供述しているが,逮捕直後
であればともかく,それから数日もすれば,一応精神的にも落ち着いて当時
の状況について思い返すこともできたであろうと考えられることからすると,
この供述の変遷についての被告人Bの説明は必ずしも受け容れ難い面がある。
また,被告人Bは,公判において,北海道南西沖地震のころには既に札幌に
いたと述べ,後述する平成6年11月ころに起こったとされるρの刑事事件
の件などを自らの公判供述の裏付けに当たる事実として述べているが,これ
らの事情は,捜査段階においては一切触れられていない。もちろん,供述調
書は捜査官が作成しているものであるから,被告人Bが取調べにおいて供述
した内容が全て漏れなく記載されているとは限らないが,供述調書に上記の
ような時期確定の裏付けとなる事実が記載されていないことからすると,そ
のような事実は,後でつじつまを合わせるために考え出されたにすぎないと
の疑問を禁じ得ない。
大黒証言及びA供述は,上記B供述とほぼ一致しており,これを裏付けて
いるかにも思える。しかし,証人σは,その供述によれば,被告人Bが長年
に渡り交友を持っていたιの息子であり,また被告人Bが所属していた右翼
団体の幹部でもあることが認められることからすると,同証人が被告人Bに
有利な供述をする可能性は否定できないし,A供述は,公判における上記B
供述を聞いた後になされており,その内容を一致させるのは容易である。し
たがって,これらの供述が存在するからといって,被告人Bの供述が直ちに
信用できるとはいい難い。
一方で,W,Y,Pら関係者の,この点についての証言も混乱している。
すなわち,Wは,公判において,本件火災の直前には余り見かけなくなって
いたと供述しているが,W自身が本件建物に頻繁に出入りしていたわけでは
ないことからして,被告人Bの本件建物への出入りの状況について的確な認
識,記憶を有しているかどうか多大な疑問があり,信用し難いところがある。
また,Yは,公判において,本件放火が近付くに連れて被告人Bが頻繁に本
件建物に出入りするようになったと証言しているが,その供述の経過をみる
と,その頻度などについての記憶は混乱している可能性があり,この供述の
みをもって被告人Bの当時の行動を認定することにはちゅうちょせざるを得
ない。さらに,Pは,公判においては,当時被告人Bが本件建物に出入りを
していたかどうか記憶がないとしながら,出入りしていなかったと思う旨証
言しているが,捜査段階では,本件火災になる少し前ころから被告人Bが次
第に姿を見せなくなったと供述しているところ,公判証言はあいまいであっ
て信用性が乏しい一方,捜査段階の供述についても,次第に姿を見せなくな
ったという事実が,どの時点とどの時点を比較して供述したものなのか定か
ではなく,信頼するに足りるだけの供述とはいえない。してみると,関係者
の証言等から,本件当時,被告人Bが本件建物に出入りするなどしていたか
どうかを認定することは難しいといわざるを得ず,検察官が主張するように
函館にその生活の拠点を置いていたと断ずることはできず,被告人Bが供述
するように,札幌にその生活の拠点を置いていた可能性も否定できない。
動機について
前記記載のとおり,本件火災の前後ころ,被告人Bがどこに生活の本拠を
置き,どのような手段で生計を立てていたのかについては確たる証拠がなく明
らかではない。しかしながら,被告人Bの捜査公判における供述(乙13,B
供述)によっても,被告人Bは,本件火災当時,札幌で古タイヤ販売を主たる
仕事としていたこと,被告人Aに対し,300万円の保証債務と100万円程
度の債務を負っていたこと,古タイヤの販売については月200万円もの売上
を上げた時期もあり,150万円ほどの貯金もできたがιに貸してしまったと
いうことが述べられているところ,実際の利益がどれほどだったかについては
これを裏付ける証拠はなく,これらの供述を前提としても経済的に余裕があっ
たとまではいい難い。また,当時の生活状況について確たる証拠がないという
ことは,当時被告人Bが安定した正業についていなかったことを推測させるも
のであり,少なくとも,本件火災当時,被告人Bが金銭的に安定した生活をし
ていたことを示す証拠はない。してみると,被告人Bには,本件火災当時,利
欲的動機から報酬のある仕事の誘いがあった場合,これを受けた可能性はあり
得るといえ,被告人AがYに対し,報酬を暗示しつつ本件放火の実行を依頼し
ようとした事実を前提とすると,仮に被告人Aが報酬を示して被告人Bに本件
放火の実行を依頼したとすれば,利欲的動機から同人はこれを受けた可能性は
ないとはいえない。
さらに,前記で認定したとおり,被告人Bは,本件火災前には本件建物に
出入りしていた時期があったこと,被告人Aは,ξの倒産に伴い,被告人Bの
供述によれば1000万円程度の損害を被ったとされるところ,被告人Aがξ
関係の手形を割り引くようになったのは被告人Bが初めにこれを持ち込んだこ
とに端を発しており,被告人Bとしては,被告人Aに対し,損失を被らせた過
去があることからすると,被告人Aからの依頼を断り難い状況にあったといえ,
放火のような犯罪行為であっても引き受ける可能性もなかったとはいえない。
しかし他方で,これまで検討した事実によっても,被告人Bが本件放火の実
行を引き受けなければならないような事情があったとまではいうことが困難で
ある。すなわち,被告人Bが経済的に極めて困窮しており犯罪に手を染めてで
も金員を必要としていたとか,被告人Aの意のままに行動していたとかいった
事情は見受けられないのである。したがって,動機の面については,被告人B
と本件放火とを強く結びつけるだけの事情は見当たらないといわざるを得ない。
また,被告人Bが被告人Aから報酬とおぼしき金員等の利得を得たことを認
めるに足りる証拠は全く見当たらない。また,被告人Aは,本件火災により現
実に火災保険金を取得しているから,被告人Bに対し,本件放火の報酬を支払
うことは可能であったと考えられるのであるが,証拠上そのような金員等の授
受の形跡を認めることはできない。
本件放火についての謀議について
被告人Bが,仮に本件放火の実行犯であるならば,本件は保険金詐取を目的
とする放火であるから,ある程度周到な計画の立案が必要であると考えられ,
事前に電話や面談によって被告人Aと謀議を遂げたであろうと推測される。と
ころが,この点について,本件火災前に被告人両名が謀議とおぼしき行動を取
ったことを証拠上認めることはできない。前記記載のとおり,被告人Bが本
件火災当時にどのような生活状況であったのかについても,そもそも証拠上判
然としないといわざるを得ないのであるが,さらに,本件火災に間近い時期に
被告人Bが被告人Aと連絡を取っていた事実すらも証拠上は明らかではない。
Yは,本件火災直前に被告人Bが本件建物を頻繁に訪れていた旨を供述してい
るが,この供述を直ちに信用することができないのは,これまで検討してきた
とおりである。
本件放火の実行可能性について
被告人Bが本件放火の実行犯であるとすれば,函館市内またはその周辺地域
に居住していた方が,そうでない場合に比べ,本件犯行を実行しやすいことは
否定できない。しかし,前記記載のとおり,被告人Bの本件放火当時の生活
状況は証拠上明らかではなく,かつ,本件火災当時,被告人Bが本件建物周辺
に出入りしていたか,あるいはその可能性があったのかについても証拠上は明
らかではない。
なお,被告人Bの供述に基づいて検討すると,被告人Bは,捜査段階では,
札幌のπの手伝いをしていたので函館にはいなかった旨供述していたが,公判
では,平成6年11月2日にνの構成員であるρが逮捕されたことから,連絡
係になって色々情報を調べたり,病気で対応ができないιに連絡したりしてい
たので,札幌を一両日離れることはできず,また,μと連絡を取って,同月8
日から12日ころまでの間,毎日のように,札幌周辺の24時間温泉等で待ち
合わせをしていた旨供述している。ρの件については,大黒証言の中にも平成
6年11月2日にρが逮捕された旨の供述があり,その時期にそのような事実
があったことは認められるが,他方,被告人Bが供述するような,被告人Bが
その件で忙殺されていたかについては他にこれを裏付けるものもなく,にわか
に信用し難い。また,そのような事情があったとしても,札幌から函館にやっ
て来て,本件放火を実行し,すぐに札幌に帰るということは物理的に不可能で
はない。しかしながら,その一方で,本件証拠中に被告人Bの上記供述を覆す
べきものが全く見当たらないのも事実である。また,後に検討するとおり,仮
に被告人Aの指示によってYがw温泉に掛けた電話が被告人Bに対する本件放
火の実行の合図であったとすると,被告人Bはその時点で既にw温泉に待機し
ていなければならないことになり,ここから本件放火を敢行し,居住地に戻っ
たとすれば,少なくとも二,三日の間は本件のために時間を拘束されているこ
とになり,被告人Bがそれだけの時間を本件犯行のために割くことができる状
態であったのか,大きな疑問が残るところである。
被告人Bと本件放火を結びつける他の事実
アYがw温泉にかけた電話について
前記第2の4ケ記載のとおり,被告人Aが入院した際に,その指示を受
けてYがw温泉に電話をしたところ,相手の声が被告人Bに似ていたとYが
感じた事実が認められる。この点について,被告人Bは,捜査公判を通じて,
平成6年ころにw温泉に仕事の関係で宿泊したことはあるが,Yから電話を
受けたことはない旨供述している。そして,この点については,既に検討し
たとおり,Yが,電話口において,被告人Bの声を明確に識別するだけの能
力,経験があったかどうかについては疑問が残るといわざるを得ないから,
この事実のみからw温泉にYが掛けた電話に出た者が被告人Bであったと認
定することはできない。また,前記第2の5記載のとおり,w温泉への電
話が放火の実行犯への合図であった疑いがある一方で,被告人AからYへ電
話の依頼をした時の状況や,Yを通しての伝達の不確実性等を考慮すると,
この電話が放火の実行犯への合図であったと断定することはできない。
イ逮捕直前に被告人Aと同Bが連絡を取っていること
本件記録上,被告人Bは平成13年9月19日に,同Aは同月20日に本
件により逮捕されているが,関係証拠(甲144等)によれば,被告人両名
が逮捕される直前の同月16日午前7時58分から約14分27秒間にわた
り,被告人Aが携帯電話で被告人Bに連絡を取っている事実が認められる。
この点については,被告人Aは,これは,被告人Bの知人から,「警察が来
たので,被告人Bに連絡を取ってその知人の方に電話をかけるよう言ってほ
しい。」と言われたので電話したものであり,そのとき,函館市@町のアパ
ートで知人が死んだことがあったので,その話題などを話しており,警察か
ら疑われているという件で連絡を取ったわけではない旨供述し,被告人Bも
概ね同様の供述をしている。この電話において,被告人Aと同Bがどのよう
な会話をしたのか,客観的証拠からは判然とせず,また,被告人両名の上記
各供述についても,これを排斥するだけの証拠がない一方で,これを裏付け
る証拠もない。したがって,ここでは,平成13年9月16日午前7時58
分から約14分27秒間にわたり,被告人Aが携帯電話で被告人Bに連絡を
取っていることが認定できるにとどまり,この事実がいかなる意味を持つか
という点については,総合評価に委ねることとする。
ウそれから,W証言中には,被告人Aや被告人B本人から,同人が本件放火
を実行した旨の話を聞いた旨の供述があるが,この点が信用できないことに
ついてはこれまで検討したとおりである。
なお,Wには,被告人Aに対する関係ではともかくとしても,被告人Bに
対する関係では,殊更に虚偽の供述をしてまで被告人Bを罪に陥れるような
理由は見いだし難い。しかし,これまでに検討したとおり,Wは,自己が認
識したところの客観的真実に符合するように事実を作出して供述している可
能性があるのであり,WとYとの会話等により,Wとしては,被告人Bが本
件放火の実行犯であると推定し,被告人Aに本件各犯行の刑事責任を確実に
負わせようと考えて供述をしているのではないかとの疑問が拭い切れないの
である。このように考えた場合,YがWに対し,w温泉への電話や被告人A
の日記帳の話をするなどした際に,少し間をおいて,Wが「Bよ。」と言っ
た事実も合理的に説明できるし,R証言中の,同証人が勾留中のWに接見し
た際,Wが,「被告人Aはだめ。」「被告人Bはセーフ。」と述べたとする
点も,その際に,Wが把握していた証拠の状況から,Wなりの推測を述べた
と考えれば,十分に納得できるからである。
総合検討
以上を前提に考えると,被告人Bは,遅くとも平成3年ころまでには被告人
Aと面識を持ち,同人の元に関係会社の手形を持ち込んで割引を受けるなどし
ていたが,この会社が倒産したため被告人Aに損害を被らせたこと,本件火災
当時,被告人Bは,被告人Aに対し,保証債務として300万円,個人的な債
務として約100万円の債務を負っていたことが認められる。してみると,本
件当時,被告人Bとしては,経済的に困窮していたわけではないものの,借金
を抱えていたことからして,利欲的動機から犯罪行為に加担する可能性がない
とはいえず,また,これまで被告人Aに経済的な損失を被らせていたこと,自
身も借財を抱えていることからして,被告人Aに対する負い目から本件放火の
依頼を受諾する可能性もないわけではないといえる。しかし,被告人Bが,犯
罪行為に踏み切らなければならないような動機を有していたものとは,関係証
拠上認めることはできず,動機の面では,被告人Bと本件放火との結び付きは
弱いといわざるを得ない。
また,本件火災前に被告人両名が謀議を遂げた上,被告人Bが放火を実行す
ることが可能であったかどうかについては,前記記載のとおり,本件放火当
時,被告人Bが生活拠点をどこに置いていたかについては証拠上明らかではな
いが,札幌に生活の拠点を置いており,本件火災のころは他の事件に忙殺され
ていたとする被告人Bの供述は,これを完全に排斥することができず,その供
述を前提とすれば,被告人Bが本件放火を敢行することが容易であったとはい
い難い。逆に,被告人Bでなければ,本件放火を実行することができなかった
事情は何ら認められない。
さらに,本件放火の直前に被告人Aの指示でYがw温泉に電話をした際に応
対した人物の声が被告人Bに似ていた事実は認められるけれども,この事実か
ら,このYからの電話に出た相手が被告人Bであったという事実を認めること
はできないことはすでに検討したとおりである。そもそも,仮に被告人両名が
本件放火の犯人であったとしても,前記第2の5記載のとおり,この電話が
本件放火に関わるものであるかどうかは明らかではない。被告人Aが入院の際
に何らかの理由で緊急に連絡を取りたい本件放火とは無関係の相手がいたとし
ても何ら不思議はないのである。
また,本件による逮捕直前に,被告人Aと被告人Bが連絡を取り合っている
事実は,被告人Aが本件放火の首謀者であると強く推認されることからすると,
被告人Bが本件放火に何らかの関わりを持っているのではないかとの疑いを生
じさせるものではある。しかし,その会話内容については被告人両名の供述以
外には証拠はなく,また,その前後の状況から会話内容を推定することもでき
ない。結局,この事実も,被告人Bが本件放火の実行犯であることを推認させ
るものではない。
4小括
検察官が,被告人Bを本件放火の実行犯だと主張する根拠の大きな柱は,一つ
がWが被告人Aや被告人Bとの会話の中で被告人Bが本件放火の実行犯である旨
同人らから聞いたという点,もう一つが,Yがw温泉に本件放火の直前に被告人
Aの指示により電話をした際,電話に出た者の声が被告人Bの声に似ていたと感
じたという点である。しかしながら,前者についてはそのWの供述自体が信用性
に疑いがあり,後者については,そのような事実が被告人Bが本件放火を実行し
たことを直接裏付けるものではない。そして,これら以外の事実について検討し
たところ,本件において,被告人Bが本件放火に関わりを有しているのではない
かと思わせるいくつかの事実は認めることができるものの,それらは,仮に被告
人Bが本件放火の実行犯であると仮定した場合,これを矛盾なく説明することが
可能である程度の意味しか有しないものであり,これらの事実が被告人Bと本件
放火とを強く結びつけるものではない。すなわち,本件において,被告人Bが本
件放火の実行犯であったとしても説明が付く事実は存在するが,被告人Bが本件
放火の犯人であると考えなければ説明が付かないという事実は,証拠上認めるこ
とはできないのである。換言すれば,被告人Bが本件放火に関与したと認定する
には,合理的な疑いを差しはさむ余地が多分にあるといわざるを得ない。
したがって,被告人Bについては,本件放火に関与したとの証明がないといわ
なければならない。
第4結論
以上の検討からすると,被告人Aに関しては,本件放火の首謀者として,何者
かに放火の実行を依頼したことが強く推認されるところではあるが,本件放火に
おいて実行犯として問擬されている被告人Bについては,本件放火との関わりを
疑わせる事実はないわけではないものの,実行犯であることを認めるに足りる証
拠はないといわざるを得ず,本件放火に関与したとの証明がないことになり,し
たがって,被告人Bが本件放火に関与したことを前提としている保険金騙取の事
実についても,その帰結として犯罪の証明がないことになる。
したがって,被告人Bについて無罪の言渡しをすることはもちろんであるが,
前記第3の1で述べたとおり,本件放火の審理においては,訴因としては明示さ
れていないものの,検察官は実行犯が被告人Bであることを審理の経過において
明確に主張しており,実行犯が被告人Bであるかどうかという点は被告人Aの防
御権の行使にとって重要な事項であることは明らかであるから,訴因変更手続を
経ることなく,本件放火に関し,被告人B以外の者を実行犯として,被告人Aに
つき,共謀共同正犯の成立を認めることは,被告人Aの防御権を抽象的にも具体
的にも侵害しているといわざるを得ず,許されないものというべきである(そも
そも,被告人B以外の者が本件放火を実行した可能性があるという前提に立った
としても,その者がどういう者で被告人Aとどのような関係にあるのか,被告人
Aと本件放火についてどのように謀議したのかなどについて,全く立証はなされ
ていない。)。よって,被告人Aが,本件放火の首謀者であると強く推認される
状況にはあるが,この点の事実を確定するまでもなく,本件放火の事実に関して
は,被告人Bと共謀して放火を実行したという証明がない以上,被告人Aについ
ても無罪の言渡しをせざるを得ないというべきである。
次に,各保険金詐欺の事実に関しては,その実行犯としては被告人Aが想定さ
れていると考えられるから,放火の場合と異なり,被告人Aについてだけでも犯
罪事実が証明されれば,被告人Aを単独犯と認定することができるのではないか
との考え方も成り立ち得ないわけではないようにも思われる。しかしながら,本
件は,被告人Aが放火を依頼した人物と共謀して保険金詐欺をも敢行した事案と
してとらえるべきであるから,本件各詐欺についても,共犯者の存在が前提とな
っており,被告人Aと本件放火の実行犯との共同正犯として起訴されているもの
と考えられる。したがって,本件放火を前提とした本件各保険金詐欺についても,
訴因変更手続を経ることなく,被告人B以外の者を共犯者としたり,被告人Aの
単独犯として詐欺罪の成否を検討することは許されないものというべきであるか
ら,被告人Bにつき詐欺罪の成立が認められない以上,結局,被告人Aについて
も,本件各保険金詐欺の事実について,無罪の言渡しをすべきである。
よって,本件においては,被告人両名について,いずれも犯罪の証明がないと
いうべきであるから,刑事訴訟法336条により被告人両名に対し無罪の言渡し
をする。
(求刑被告人Aに対し懲役7年,被告人Bに対し懲役5年)
平成15年3月18日
函館地方裁判所刑事部
裁判長裁判官成川洋司
裁判官橋康明
裁判官野村武範

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