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裁判例


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主文
1原判決中,控訴人A2,控訴人A3(申請疾病を甲状腺機能低下症とする部
分に限る。),控訴人A4(申請疾病を甲状腺機能低下症とする部分に限る。),
控訴人A6(申請疾病を甲状腺機能低下症とする部分に限る。),控訴人A1
0(申請疾病を急性心筋梗塞とする部分に限る。)に関する部分を取り消す。5
2厚生労働大臣が平成22年2月23日付けで控訴人A2に対してした原子爆
弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の規定による認定の申請を却下
する処分を取り消す。
3厚生労働大臣が平成22年7月29日付けで控訴人A3に対してした原子爆
弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の規定による認定の申請を却下10
する処分(申請疾病を甲状腺機能低下症とする部分に限る。)を取り消す。
4厚生労働大臣が平成22年7月29日付けで控訴人A4に対してした原子爆
弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の規定による認定の申請を却下
する処分(申請疾病を甲状腺機能低下症とする部分に限る。)を取り消す。
5厚生労働大臣が平成22年11月26日付けで控訴人A6に対してした原子15
爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の規定による認定の申請を却
下する処分(申請疾病を甲状腺機能低下症とする部分に限る。)を取り消す。
6厚生労働大臣が平成24年12月14日付けで控訴人A10に対してした原
子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項の規定による認定の申請を
却下する処分(申請疾病を急性心筋梗塞とする部分に限る。)を取り消す。20
7控訴人A3,控訴人A4,控訴人A6及び控訴人A10のその余の本件各控
訴並びにその余の控訴人らの本件各控訴をいずれも棄却する。
8訴訟費用は,控訴人A2,控訴人A3,控訴人A4,控訴人A6及び控訴人
A10と被控訴人との間では,同各控訴人らと被控訴人の間で生じたものをそ
れぞれ第1,2審を通じて3分し,その2を同各控訴人らの負担とし,その余25
を被控訴人の負担とし,その余の控訴人らと被控訴人との間で生じた控訴費用
は,同控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第1章控訴の趣旨
第1原判決中,控訴人らに関する部分を取り消す。
第2厚生労働大臣が,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項に基5
づき,原判決別紙「被爆実態一覧」記載の各控訴人(ただし,控訴人Bらを除
く。)及びA1の各原爆症認定申請に対して行った同別紙中「原処分」欄記載の
各却下処分をいずれも取り消す。
第2章事案の概要(以下,特に断らない限り,書証番号は第1事件のものである。)
第1要旨10
本件は,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「被爆者援護法」
という。)1条に該当する者として被爆者健康手帳の交付を受けた被爆者である
控訴人ら(ただし,控訴人Bらを除く。)及びA1(同人は,原審の訴訟係属中
に死亡し,控訴人Bらがその地位を承継した。)が,厚生労働大臣に対し,同法
11条1項に基づき,同項に定める認定(以下「原爆症認定」という。)の申請15
をしたところ,厚生労働大臣から各却下処分(包括して,以下「本件各処分」
という。)を受けたため,その取消しを求めた事案である。
原審が控訴人らの各請求をいずれも棄却したので,控訴人らが本件各控訴を
提起した。
なお,控訴人らは,原審において,被控訴人に対し,本件各処分が被爆者援20
護法に反する違法行為に当たるとして,国家賠償法1条1項に基づき,慰謝料
等として各300万円(ただし,控訴人Bらについては各150万円)及びこ
れに対する遅延損害金の支払を求めていた。原審は,これらの請求もいずれも
棄却したが,控訴人らは不服申立てをしなかった。
第2法令の定め等25
1被爆者援護制度の概要
被爆者の定義
被爆者援護法において,「被爆者」とは,次の各号のいずれかに該当する者
であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいう(被爆者援護法1条)。
1号原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政
令で定めるこれらに隣接する区域内に在った者(以下「直接被爆者」と5
いうことがある。)
2号原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間(広島市に投
下された原子爆弾〔以下「広島原爆」という。〕については昭和20年8
月20日まで,長崎市に投下された原子爆弾〔以下「長崎原爆」という。〕
については同月23日まで)内に前号に規定する区域のうち政令で定め10
る区域内(おおむね爆心地から2km以内の区域)に在った者(原子爆
弾被爆者に対する援護に関する法律施行令〔以下「被爆者援護法施行令」
という。〕1条2項,3項,別表第二)(以下「入市被爆者」ということ
がある。)
3号前二号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後におい15
て,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者
4号前三号に掲げる者が当該各号に規定する事由に該当した当時その者の
胎児であった者
被爆者健康手帳
被爆者健康手帳の交付を受けようとする者は,その居住地の都道府県知事20
(広島市又は長崎市にあっては,当該市の長〔被爆者援護法49条〕であり,
この項及び次項において同じである。)に申請しなければならず,都道府県知
事は,同申請に基づいて審査し,申請者が被爆者に該当すると認めるときは,
その者に被爆者健康手帳を交付する(同法2条1項,3項)。
被爆者に対する援護25
ア健康管理
都道府県知事は,被爆者に対し,毎年,厚生労働省令で定めるところに
より,健康診断を行い,同診断の結果必要があると認めるときは,当該診
断を受けた者に対し,必要な指導を行う(被爆者援護法7条,9条)。
イ医療の給付
厚生労働大臣は,原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し,又は疾病に5
かかり,現に医療を要する状態にある被爆者に対し,必要な医療の給付
を行う。ただし,当該負傷又は疾病(以下「疾病等」という。)が原子爆
弾の放射能に起因するものでないときは,その者の治癒能力が原子爆弾
の放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある場合に限
る(被爆者援護法10条1項)。10
上記医療の給付の範囲は,①診察,②薬剤又は治療材料の支給,③医
学的処置,手術及びその他の治療並びに施術,④居宅における療養上の
管理及びその療養に伴う世話その他の看護,⑤病院又は診療所への入院
及びその療養に伴う世話その他の看護並びに⑥移送であり,これら医療
の給付は,厚生労働大臣が指定する医療機関(以下「指定医療機関」と15
いう。)に委託して行う(被爆者援護法10条2項,3項)。
上記医療の給付を受けようとする者は,あらかじめ,当該疾病等が原
子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生労働大臣の認定(原爆症認定)を
受けなければならない(被爆者援護法11条1項)。
ウ一般疾病医療費の支給20
厚生労働大臣は,被爆者が,疾病等(上記イの医療の給付を受けるこ
とができる疾病等,遺伝性疾病及び先天性疾病等を除く。)につき,都道府
県知事が指定する医療機関から上記イに掲げる医療を受け,又は緊急そ
の他やむを得ない理由により上記医療機関以外の者からこれらの医療を受
けたときは,その者に対し,当該医療に要した費用の額を限度として,一25
般疾病医療費を支給することができる(被爆者援護法18条1項本文)。
エ医療特別手当の支給
都道府県知事は,原爆症認定を受けた者であって,当該認定に係る疾病
等の状態にあるものに対し,医療特別手当を支給する。
上記の者は,医療特別手当の支給を受けようとするときは,上記要件に
該当することについて,都道府県知事の認定を受けなければならない。5
医療特別手当は,月を単位として支給するものとし,その額は,1か月
につき13万5400円とする(支給額は,後記ケの規定により,平成1
7年以降,ほぼ1年ごとに改定されている。現在の額は14万1360円
である。)。
医療特別手当の支給は,上記認定を受けた者が同認定の申請をした日の10
属する月の翌月から始め,上記要件に該当しなくなった日の属する月で終
わる(被爆者援護法24条)。
オ特別手当の支給
都道府県知事は,原爆症認定を受けた者に対し,その者が医療特別手当
の支給を受けている場合を除き,特別手当を支給する。15
上記の者は,特別手当の支給を受けようとするときは,上記要件に該当
することについて,都道府県知事の認定を受けなければならない。
特別手当は,月を単位として支給するものとし,その額は,1か月につ
き5万円とする(支給額は,後記ケの規定により,平成17年以降ほぼ1
年ごとに改定され,現在は5万2200円である。)。20
特別手当の支給は,上記認定を受けた者が同認定の申請をした日の属す
る月の翌月から始め,上記要件に該当しなくなった日の属する月で終わる
(被爆者援護法25条)。
カ健康管理手当の支給
都道府県知事は,被爆者であって,造血機能障害,肝臓機能障害その他25
の厚生労働省令で定める障害を伴う疾病(原子爆弾の放射能の影響による
ものでないことが明らかであるものを除く。)にかかっているものに対し,
その者が医療特別手当,特別手当又は原子爆弾小頭症手当の支給を受けて
いる場合を除き,健康管理手当を支給する。
健康管理手当は,月を単位として支給するものとし,その額は,1か月
につき3万3300円とする(被爆者援護法27条。支給額は,後記ケの5
規定により,平成17年以降ほぼ1年ごとに改定され,現在は3万477
0円である。)。
キ保健手当の支給
都道府県知事は,被爆者のうち,原子爆弾が投下された際爆心地から2
kmの区域内に在った者又はその当時その者の胎児であった者に対し,こ10
れらの者が医療特別手当,特別手当,原子爆弾小頭症手当又は健康管理手
当の支給を受けている場合を除き,保健手当を支給する。
保健手当は,月を単位として支給するものとし,その額は,1か月につ
き1万6700円(厚生労働省令で定める範囲の身体上の障害〔原子爆弾
の傷害作用の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。〕があ15
る者,配偶者,子及び孫のいずれもいない70歳以上の者であって同居者
がいないものは3万3300円)とする(被爆者援護法28条。支給額は,
後記ケの規定により,平成17年以降ほぼ1年ごとに改定され,現在はそ
れぞれ,1万7440円,3万4770円である。)。
クその他の手当等の支給20
都道府県知事は,一定の要件を満たす被爆者等に対し,原子爆弾小頭症
手当(被爆者援護法26条),介護手当(同法31条)等を支給する。
ケ手当額の自動改定
医療特別手当,特別手当,原子爆弾小頭症手当,健康管理手当及び保健
手当については,総務省において作成する年平均の全国消費者物価指数が25
平成5年(上記各手当の額の改定の措置が講じられたときは,直近の当該
措置が講じられた年の前年)の物価指数を超え,又は下るに至った場合に
おいては,その上昇し,又は低下した比率を基準として,その翌年の4月
以降の当該手当の額を改定するものとし,その改定の措置は,政令で定め
る(被爆者援護法29条,同法施行令17条)。
2原爆症認定の手続等5
原爆症認定の申請
原爆症認定を受けようとする者は,厚生労働省令で定めるところにより,
その居住地の都道府県知事を経由して,厚生労働大臣に申請書を提出しなけ
ればならない(被爆者援護法施行令8条1項)。
上記申請書は,①被爆者の氏名,性別,生年月日及び居住地並びに被爆者10
健康手帳の番号,②疾病等の名称,③被爆時の状況(入市の状況を含む。),
④被爆直後の症状及びその後の健康状態の概要,⑤医療の給付を受けようと
する指定医療機関の名称及び所在地等を記載した所定の様式の認定申請書に
よらなければならない。また,上記申請書には,当該疾病等に係る医師の意
見書及び検査成績を記載した書類を添えなければならず,同意見書には,既15
往症,現症所見,当該疾病等に関する原子爆弾の放射線起因性等についての
医師の意見及びその理由,必要な医療の内容及び期間等を記載すべきものと
されている(原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行規則12条)。
審議会等の意見聴取
厚生労働大臣は,原爆症認定を行うに当たっては,当該疾病等が原子爆弾20
の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかであるときを除き,
審議会等(国家行政組織法8条に規定する機関をいう。)で政令で定めるもの
の意見を聴かなければならない(被爆者援護法11条2項)。上記審議会等は,
厚生労働省に置かれた疾病・障害認定審査会である(被爆者援護法施行令9
条,厚生労働省組織令132条,133条)。25
疾病・障害認定審査会は,委員30人以内で組織されるとともに,必要に
応じて臨時委員及び専門委員を置くことができ,委員,臨時委員及び専門委
員は,学識経験のある者のうちから厚生労働大臣が任命する(疾病・障害認
定審査会令1条,2条)。同審査会には,被爆者援護法の規定により疾病・障
害認定審査会の権限に属させられた事項を処理する分科会として,原子爆弾
被爆者医療分科会(以下「医療分科会」という。)が置かれ,医療分科会に属5
すべき委員,臨時委員及び専門委員は,厚生労働大臣が指名する(同審査会
令5条1項,2項)。
認定書の交付
厚生労働大臣は,原爆症認定の申請書を提出した者につき原爆症認定をし
たときは,その者の居住地の都道府県知事を経由して,認定書を交付する(被10
爆者援護法施行令8条4項)。
3原爆症認定に関する審査の方針
旧審査の方針
医療分科会は,平成13年5月25日,以下の内容の「原爆症認定に関す
る審査の方針」(以下「旧審査の方針」という。)を定め,原爆症認定に係る15
審査は,これに定める方針を目安として行うものとした(乙A2)。
ア原爆放射線起因性の判断
判断に当たっての基本的な考え方
申請に係る疾病等における原爆放射線起因性の判断に当たっては,原
因確率(疾病等の発生が原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると20
考えられる確率)及びしきい値(一定の線量以上の放射線に被曝しなけ
れば疾病等が発生しないとされる場合の当該被曝線量。一般に,ある特
定の影響が被曝した者の少なくとも1~5%に生ずるのに必要な放射線
の線量を表す〔乙C13の21〕。)を目安として,当該申請に係る疾病
等の原爆放射線起因性に係る「高度の蓋然性」の有無を判断する。25
この場合にあっては,当該申請に係る疾病等に関する原因確率が,①
おおむね50%以上である場合には,当該申請に係る疾病の発生に関し
て原爆放射線による一定の健康影響の可能性があることを推定し,②お
おむね10%未満である場合には,当該可能性が低いものと推定した上
で,当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案して判断
を行う。また,原因確率又はしきい値が設けられていない疾病等に係る5
審査に当たっては,当該疾病等には原爆放射線起因性に係る肯定的な科
学的知見が立証されていないことに留意しつつ,当該申請者に係る被曝
線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別に判断す
る。
原因確率10
原因確率は,白血病,胃がん,大腸がん,甲状腺がん,乳がん,肺が
ん,肝臓がん,皮膚がん(悪性黒色腫を除く。),卵巣がん,尿路系がん
(膀胱がんを含む。),食道がん,その他の悪性新生物及び副甲状腺機能
亢進症について,それぞれ,申請者の性別,被曝時年齢及び被曝線量に
応じた所定の率とする。15
しきい値
放射線白内障のしきい値は,1.75シーベルトとする。
原爆放射線の被曝線量の算定
申請者の被曝線量は,初期放射線による被曝線量の値に,残留放射線
(誘導放射線)による被曝線量及び放射性降下物による被曝線量の値を20
加えて得た値とする。そして,①初期放射線による被曝線量は,申請者
の被爆地及び爆心地からの距離(2.5kmまで)の区分に応じた所定
の値とし(ただし,被爆時に遮蔽があった場合の初期放射線による被曝
線量は,被爆状況により0.5~1を乗じて得た値とする。),②残留放
射線による被曝線量は,申請者の被爆地,爆心地からの距離(広島原爆25
については700mまで,長崎原爆については600mまで)及び爆発
後の経過時間(広島原爆については72時間まで,長崎原爆については
56時間まで)の区分に応じた所定の値とし,③放射性降下物による被
曝線量は,原爆投下の直後に特定の地域(広島原爆については己斐又は
高須〔以下「己斐・高須地区」という。〕,長崎原爆については西山3,
4丁目又は木場〔以下「西山地区」という。〕)に滞在し,又はその後,5
長期間にわたって当該特定の地域に居住していた場合について,所定の
値(広島原爆については0.6~2センチグレイ,長崎原爆については
12~24センチグレイ)とする。
イ要医療性の判断
要医療性については,当該疾病等の状況に基づき,個別に判断する。10
新しい審査の方針
ア新審査の方針の定め
医療分科会は,平成20年3月17日,「新しい審査の方針」(以下「新
審査の方針」という。)を定めた。原爆症認定に係る審査に当たっては,被
爆者援護法の精神に則り,より被爆者救済の立場に立ち,原因確率を改め,15
被爆の実態に一層即したものとするため,これに定める方針を目安として
行うものとした(乙A1)。新審査の方針は,平成21年6月22日,一部
改定された(乙A13)。この内容(改定後のもの)は,以下のとおりであ
る。
放射線起因性の判断20
a積極的に認定する範囲
①被爆地点が爆心地より約3.5km以内である者,②原爆投下よ
り約100時間以内に爆心地から約2km以内に入市した者又は③原
爆投下より約100時間経過後から,原爆投下より約2週間以内の期
間に,爆心地から約2km以内の地点に1週間程度以上滞在した者か25
ら,放射線起因性が推認される以下の疾病についての申請がある場合
については,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝
した放射線との関係を積極的に認定する(このような取扱いを受ける
疾病につき,以下「積極認定対象疾病」ということがある。)。
悪性腫瘍(固形がんなど)
⒝白血病5
⒞副甲状腺機能亢進症
⒟放射線白内障(加齢性白内障を除く。)
放射線起因性が認められる心筋梗塞
⒡放射線起因性が認められる甲状腺機能低下症(平成21年6月2
2日改定により付加された。)10
⒢放射線起因性が認められる慢性肝炎・肝硬変(同上)
この場合,認定の判断に当たっては,積極的に認定を行うため,申
請者から可能な限り客観的な資料を求めることとするが,客観的な資
料がない場合にも,申請書の記載内容の整合性やこれまでの認定例を
参考にしつつ判断する。15
bそれ以外の申請について
上記aに該当する場合以外の申請についても,申請者に係る被曝線
量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起
因性を総合的に判断する。
要医療性の判断20
要医療性については,当該疾病等の状況に基づき,個別に判断する。
イ新審査の方針の平成25年改定
医療分科会は,平成25年12月16日,新審査の方針を以下のとおり
再改定した(以下,「新審査の方針」というときは,特に断らない限り,こ
の改定内容を含むものとする。乙A22)。25
放射線起因性の判断
放射線起因性の要件該当性の判断は,科学的知見を基本としながら,
総合的に実施するものである。特に,被爆者救済及び審査の迅速化の見
地から,現在の科学的知見として放射線被曝による健康影響を肯定でき
る範囲に加え,放射線被曝による健康影響が必ずしも明らかでない範囲
を含め,次のように「積極的に認定する範囲」を設定する。5
a積極的に認定する範囲
悪性腫瘍(固形がんなど),白血病及び副甲状腺機能亢進症の各疾
病については,①被爆地点が爆心地より約3.5km以内である者,
②原爆投下より約100時間以内に爆心地から約2km以内に入市
した者,③原爆投下より約100時間経過後から,原爆投下より約10
2週間以内の期間に,爆心地から約2km以内の地点に1週間程度
以上滞在した者のいずれかに該当する者から申請がある場合につい
ては,格段に反対すべき事由がない限り,当該申請疾病と被曝した
放射線との関係を原則的に認定する。
⒝心筋梗塞,甲状腺機能低下症及び慢性肝炎・肝硬変の各疾病につ15
いては,①被爆地点が爆心地より約2km以内である者,②原爆投
下より翌日までに爆心地から約1km以内に入市した者のいずれか
に該当する者から申請がある場合については,格段に反対すべき事
由がない限り,当該申請疾病と被曝した放射線との関係を積極的に
認定する。20
⒞放射線白内障(加齢性白内障を除く。)については,被爆地点が爆
心地より約1.5km以内である者から申請がある場合については,
格段に反対すべき事由がない限り,被曝した放射線との関係を積極
的に認定する。
これらの場合,認定の判断に当たっては,積極的に認定を行うため,25
申請者から可能な限り客観的な資料を求めることとするが,客観的な
資料がない場合にも,申請書の記載内容の整合性やこれまでの認定例
を参考にしつつ判断する。
bそれ以外の申請について
上記aに該当する場合以外の申請についても,申請者に係る被曝線
量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起5
因性を総合的に判断する。
要医療性の判断
要医療性については,当該疾病等の状況に基づき,個別に判断する。
第3前提事実(当事者間に争いがない事実,公知の事実,掲記の証拠及び弁論の
全趣旨により認められる前提事実)10
1原子爆弾の投下
アメリカ合衆国(以下「アメリカ」という。)軍は,昭和20年8月6日午前
8時15分,広島市に原子爆弾(広島原爆)を投下した。また,アメリカ軍は,
同月9日午前11時2分,長崎市に原子爆弾(長崎原爆)を投下した。
2控訴人らについて15
控訴人Bら
アA1(昭和4年▲月▲日生の女性)は,広島原爆に係る被爆者援護法1
条の被爆者である(被爆時年齢16歳)。
A1は,平成17年3月11日,甲状腺機能低下症及び甲状腺腫瘤(多
発性)を申請疾病とする原爆症認定の申請(以下「本件A1申請」という。)20
をしたが,厚生労働大臣は,平成18年3月27日,同申請を却下する旨
の処分(厚生労働省発健第J1号)をした。
A1は,平成18年4月1日同処分がされたことを知り,同年5月9日
同処分に対して異議を申し立てたが,平成22年3月18日棄却された(厚
生労働省発健J8号)。A1は,同年4月6日異議申立てが棄却されたこと25
を知った。(乙C1の1・8・10・17)
A1は,平成22年10月5日,本件訴えを提起した。
イA1は,平成26年12月30日死亡した。A1の子である控訴人Bら
がA1を相続し,本件訴訟上のA1の地位を承継した。
控訴人A2
控訴人A2(昭和18年▲月▲日生の男性)は,広島原爆に係る被爆者援5
護法1条の被爆者である(被爆時年齢2歳)。
控訴人A2は,平成18年9月4日,甲状腺機能低下症を申請疾病とする
原爆症認定の申請(以下「本件控訴人A2申請」という。)をしたが,厚生労
働大臣は,平成22年2月23日同申請を却下する旨の処分(厚生労働省発
健J2号)をした。10
控訴人A2は,平成22年3月18日同処分がされたことを知り,同年4
月6日同処分に対して異議を申し立てた。(乙C2の1・10・12)
控訴人A2は,平成22年10月5日本件訴えを提起した。
控訴人A3
控訴人A3(昭和7年▲月▲日生の女性)は,広島原爆に係る被爆者援護15
法1条の被爆者である(被爆時年齢13歳)。
控訴人A3は,平成20年6月20日,甲状腺機能低下症,狭心症及び高
血圧を申請疾病とする原爆症認定の申請(以下「本件控訴人A3申請」とい
う。)をしたが,厚生労働大臣は,平成22年7月29日同申請を却下する旨
の処分(厚生労働省発健J3号)をした。20
控訴人A3は,平成22年9月1日同処分がされたことを知り,同月21
日同処分に対して異議を申し立てた。(乙C8の1・5・7)
控訴人A3は,平成23年1月27日本件訴えを提起した。
控訴人A4
控訴人A4(昭和16年▲月▲日生の男性)は,広島原爆に係る被爆者援25
護法1条の被爆者である(被爆時年齢4歳)。
控訴人A4は,平成20年3月26日,甲状腺機能低下症及び脳梗塞後遺
症を申請疾病とする原爆症認定の申請(以下「本件控訴人A4申請」という。)
をしたが,厚生労働大臣は,平成22年7月29日同申請を却下する旨の処
分(厚生労働省発健J3号)をした。
控訴人A4は,平成22年9月1日同処分がされたことを知り,同月7日5
同処分に対して異議を申し立てた。(乙C9の1・7・9)
控訴人A4は,平成23年1月27日本件訴えを提起した。
控訴人A5
控訴人A5(昭和10年▲月▲日生の女性)は,広島原爆に係る被爆者援
護法1条の被爆者である(被爆時年齢10歳)。10
控訴人A5は,平成19年10月30日,甲状腺機能低下症を申請疾病と
する原爆症認定の申請(以下「本件控訴人A5申請」という。)をしたが,厚
生労働大臣は,平成22年2月23日同申請を却下する旨の処分(厚生労働
省発健J2号)をした。
控訴人A5は,平成22年3月6日同処分がされたことを知り,同年4月15
16日同処分に対して異議を申し立てたが,平成23年6月24日棄却され
た(厚生労働省発健J9号)。(乙C14の1・5・7・11)
控訴人A5は,平成23年8月31日本件訴えを提起した。
控訴人A6
控訴人A6(昭和19年▲月▲日生の女性)は,広島原爆に係る被爆者援20
護法1条の被爆者である(被爆時年齢1歳)。
控訴人A6は,①平成18年11月9日,脳内出血後遺症,脳梗塞,貧血
及び高血圧症を申請疾病とする原爆症認定の申請,②平成20年12月25
日,脳出血後遺症,脳梗塞及び甲状腺機能低下症を申請疾病とする原爆症認
定の申請(以下,併せて「本件控訴人A6申請」という。)をした。しかし,25
厚生労働大臣は,上記①について平成22年2月23日,上記②について同
年11月26日,各申請を却下する旨の処分(厚生労働省発健J2号,同J
4号)をした。
控訴人A6は,上記①について,平成22年3月18日同処分がされたこ
とを知り,同年4月26日同処分に対して異議を申し立て,上記②について,
同年12月23日同処分がされたことを知り,平成23年1月19日同処分5
に対して異議を申し立てた。しかし,上記①についての異議申立ては,平成
23年7月29日棄却された(厚生労働省発健J10号)。(乙C15の1・
5・7・11・12・18・20)
控訴人A6は,平成23年8月31日本件訴えを提起した。
控訴人A710
控訴人A7(昭和12年▲月▲日生の男性)は,広島原爆に係る被爆者援
護法1条の被爆者である(被爆時年齢7歳)。
控訴人A7は,平成20年4月25日,心筋梗塞を申請疾病とする原爆症
認定の申請(以下「本件控訴人A7申請」という。)をしたが,厚生労働大臣
は,平成22年7月29日同申請を却下する旨の処分(厚生労働省発健J315
号)をした。
控訴人A7は,平成22年9月1日同処分がされたことを知り,同月16
日同処分に対して異議を申し立てたが,平成24年1月27日棄却された(厚
生労働省発健J11号)。控訴人A7は,同年2月17日異議申立てが棄却さ
れたことを知った。(第3事件乙C1の1・4・6・10)20
控訴人A7は,平成24年8月7日本件訴えを提起した。
控訴人A8
控訴人A8(昭和3年▲月▲日生の男性)は,広島原爆に係る被爆者援護
法1条の被爆者である(被爆時年齢16歳)。
控訴人A8は,平成21年2月16日,心筋梗塞を申請疾病とする原爆症25
認定の申請(以下「本件控訴人A8申請」という。)をしたが,厚生労働大臣
は,平成22年11月26日同申請を却下する旨の処分(厚生労働省発健J
4号)をした。
控訴人A8は,平成22年12月10日同処分がされたことを知り,平成
23年2月7日同処分に対して異議を申し立てたが,平成24年2月24日
棄却された(厚生労働省発健J12号)。控訴人A8は,平成24年3月6日5
異議申立てが棄却されたことを知った。(第3事件乙C2の1・6・8・14)
控訴人A8は,平成24年8月31日本件訴えを提起した。
控訴人A9
控訴人A9(昭和5年▲月▲日生の女性)は,広島原爆に係る被爆者援護
法1条の被爆者である(被爆時年齢14歳)。10
控訴人A9は,平成22年3月25日,甲状腺機能低下症を申請疾病とす
る原爆症認定の申請(以下「本件控訴人A9申請」という。)をしたが,厚生
労働大臣は,平成23年7月29日同申請を却下する旨の処分(厚生労働省
発健J5号)をした。
控訴人A9は,平成23年8月12日同処分がされたことを知り,同月215
3日同処分に対して異議を申し立てたが,平成24年7月27日棄却された
(厚生労働省発健J13号)。控訴人A9は,平成24年8月4日異議申立て
が棄却されたことを知った。(第2事件乙C5の1・6・7・12)
控訴人A9は,平成25年2月1日本件訴えを提起した。
控訴人A1020
控訴人A10(昭和16年▲月▲日生の男性)は,広島原爆に係る被爆者
援護法1条の被爆者である(被爆時年齢3歳)。
控訴人A10は,平成24年6月21日,急性心筋梗塞及び白内障(両眼)
を申請疾病とする原爆症認定の申請(以下「本件控訴人A10申請」という。)
をしたが,厚生労働大臣は,同年12月14日同申請を却下する旨の処分(厚25
生労働省発健J6号)をした。
控訴人A10は,平成25年1月16日同処分がされたことを知り,同年
2月18日同処分に対して異議を申し立てた。(第2事件乙C7の1・4・5)
控訴人A10は,平成25年3月11日本件訴えを提起した。
控訴人A11
控訴人A11(大正15年▲月▲日生の男性)は,広島原爆に係る被爆者5
援護法1条の被爆者である(被爆時年齢19歳)。
控訴人A11は,平成26年9月18日,右白内障を申請疾病とする原爆
症認定の申請(以下「本件控訴人A11申請」という。)をしたが,厚生労働
大臣は,平成27年6月15日同申請を却下する旨の処分(厚生労働省発健
J7号)をした。控訴人A11は,平成27年7月15日同処分がされたこ10
とを知った。(第5事件乙C1・2)
控訴人A11は,平成28年1月14日本件訴えを提起した。
控訴人Bらを除く控訴人らの上記各申請は,いずれも新審査の方針の下で
審査が行われた。A1の申請は旧審査の方針の下で審査が行われたが,異議
申立ては新審査の方針の下で審査された。15
3放射線の危険性,種類及び単位,被曝の態様等
放射線の危険性
放射線による人の健康に及ぼす危険については,DNAの二重鎖を切断す
ることによるなどと説明されているが,未だ科学的に十分に解明されている
とはいえない(東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住20
民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関
する法律1条参照)。
放射線の種類
原子爆弾による被曝が問題となる放射線の種類には,アルファ線,ベータ
線,ガンマ線及び中性子線がある。なお,物質が放射線を放出する能力のこ25
とを放射能という。(乙B133,158,159)
アアルファ線
2個の陽子及び2個の中性子(ヘリウム原子核)から成る粒子線である。
ラジウム,プルトニウム,ラドン等の特定の放射性原子の自然崩壊により
発生する。質量が大きく,正の電荷を帯びている。また,物質との相互作
用が強く,物質通過中に急速にエネルギーを失うため,透過力は極めて小5
さい。空気中では数cm程度しか飛ばず,薄い紙1枚で完全に停止させる
ことができる。
よって,アルファ線被曝により健康影響が現れるのは,アルファ線を放
出する物質が体内に摂取されたとき(内部被曝)である。(乙B60,61)
イベータ線10
陽子や中性子の約2000分の1の質量を持つ高速度の電子から成る粒
子線である。トリチウム,炭素14,ストロンチウム90等の特定の放射
性物質の自然崩壊により発生する。負の電荷を帯びている。空気中では数
十cmないし数mの距離まで届くが,数mmないし1cmの厚さのアルミ
ニウム板やプラスチック板により,完全に停止させることができる。15
アルファ線と同様,健康影響が生じるのは主に内部被曝の場合である。
(乙B60,61)
ウガンマ線
原子核から放出される電磁波である。コバルト60やセシウム137等
の放射性物質の自然崩壊により発生する。質量も電気も持たないため,物20
質との相互作用の程度が他の放射線に比べて弱い。物質中を通過する際に
エネルギーを失いにくいため,透過力が大きい。(乙B60,61)
エ中性子線
電気を持たない中性子から成る粒子線である。ウランやプルトニウム等
の核分裂により発生する。透過力は大きい。水素の原子核(正の電荷を帯25
びた陽子)にぶつかることにより電離を引き起こし,障害を誘発する。吸
収線量が同じであれば,ガンマ線よりも中性子線の方が人体に与える影響
は大きい。誘導放射線(後記ア)を発生させる原因となる。(乙B60,
61)
放射線に関する単位
放射線の量は,放射線が物質や人体に及ぼす作用や影響の大きさにより評5
価され,複数の線量及び単位が定義されて用いられている。
ア照射線量(空気をどれだけ電離できるか)
放射線(ガンマ線又はエックス線)について,ある場所における空気を
電離する能力を表す線量をいう。単位は,クローン毎キログラム(C/k
g)やレントゲン(R)が用いられる。(乙B61,160)10
イ吸収線量(放射線のエネルギーがどれだけ物質に吸収されたか)
放射線が物質と相互作用を行った結果,その物質(人体を含む。)の単位
質量当たり吸収されたエネルギーの線量をいう。単位はグレイが用いられ,
1グレイは物質1kg中に1ジュールのエネルギー吸収があるときの吸収
線量である。かつて吸収線量の単位はラドが用いられており,1グレイ(115
00センチグレイ)は100ラドに等しい(1レントゲンは,概ね0.8
7ラドに相当する。)。(乙B61,133,160,161)
ウ等価線量(ある組織・臓器への影響はどれくらいか)
人体に放射線が当たった場合,同一の吸収線量であっても放射線の種類
やエネルギーにより受ける影響の程度は異なるところ,条件の異なった放20
射線照射により人体が受けるリスク(危険度)を表した線量である。吸収
線量の単位をグレイとしたときの等価線量の単位はシーベルトである(1
ミリシーベルト=0.001シーベルト)。吸収線量に放射線の種類ごとに
定められた放射線荷重係数(ベータ線及びガンマ線は1,アルファ線は2
0,中性子線はエネルギーにより2.5~約20)を乗じて,その総和と25
して算出される。(乙B61,160)
エ実効線量(人体が受けるリスクの大きさはどのくらいか)
人体が放射線を受けた場合,等価線量が同じであっても,その影響の現
れ方は,人体の組織・臓器によって異なるところ,人体の色々な組織に対
する影響を合計して評価するための単位として表した線量である。等価線
量に組織・臓器ごとに定められた放射線感受性を表す組織荷重係数を乗じ,5
これらを加え合わせて算出される。単位はシーベルトである。(乙B61,
160,161)
放射線被曝の態様
ア原子爆弾による放射線には,ウラン235(広島原爆)又はプルトニウ
ム239(長崎原爆)が臨界状態に達し爆弾が爆発する直前に瞬時に放出10
された放射線で,ガンマ線及び中性子線を主要成分(このうちガンマ線が
90%以上)とする初期放射線と,その後放出された残留放射線がある。
残留放射線は,誘導放射線と放射性降下物による放射線に分かれる。誘
導放射線は,地上に到達した初期放射線の中性子が,土壌や建築物等を構
成する物質中の特定の元素の原子核と反応を起こし(誘導放射化),これに15
よって生じた放射性物質が放出する放射線である。
また,放射性降下物による放射線は,核分裂生成物(放射性粒子)や分
裂しなかった核分裂物質で雨とともに又は単独で地上に降り注いだものが
放出する放射線である。放射性降下物は,広島原爆においては爆心地の西
側の己斐・高須地区で,長崎原爆においては爆心地の東側の西山地区で多20
く観測された。(乙B3〔6・348頁〕,121,133,162)
イ人の放射線被曝の態様は,人体の外部から放射線を浴びることによる外
部被曝と,呼吸,飲食,外傷又は皮膚等を通じて体内に取り込まれた放射
性物質が放出する放射線による内部被曝に大別される。そして,原爆放射
線による外部被曝は,初期放射線によるものと,残留放射線(誘導放射線25
と放射性降下物からの放射線)によるものとに分けられる。
よって,原爆被爆者の被曝態様には,初期放射線による外部被曝,放射
性降下物からの放射線による外部被曝,誘導放射線による外部被曝,放射
性物質を体内に取り込んだことによる内部被曝の4種類があり得ることに
なる。
原爆放射線及び放射線障害研究に関係する機関等5
ア公益財団法人放射線影響研究所(以下「放影研」という。)
原爆放射線の健康影響を長期的に調査することを目的として,アメリカ
政府(原子力委員会)の資金により昭和22年広島に,昭和23年長崎に
それぞれ設置された原爆傷害調査委員会(ABCC)を前身とする機関で
あり,昭和50年に日米両政府の合意により財団法人として発足した。10
被爆者の受けた放射線量の評価と人体への影響の分析を主要な研究テー
マとする。被爆者について,昭和25年に開始された寿命調査集団(開始
当初約12万人)における死亡率調査(LifeSpanStudy,
LSS),昭和33年に開始された成人健康調査集団(開始当初約2万人で
〔甲A45の2〕,2年に1回の健康診断等が行われている。)における健15
康調査(AdultHealthStudy,AHS)等,原爆放射
線による健康影響を長期的に調査しており,報告書を取りまとめている(寿
命調査集団における死亡率調査の報告書につき,以下「LSS第13報」
などといい,成人健康調査集団における健康調査の報告書も同様に,以下
「AHS第8報」などという。)。(乙B133)20
イ原子放射線の影響に関する国際連合科学委員会(UNSCEAR)
昭和25年以降に頻繁に行われた核実験による環境影響及び人間への健
康影響を世界的に調査するため,昭和30年に国際連合の下に設置された
機関であり,日本を含め,アメリカ,イギリス,フランス及びロシア等2
7か国が加盟している。同委員会は,大気圏内核実験が縮小した後も,世25
界中の放射線線源とその影響についての情報・資料を収集し,科学的健全
性を検証した上,毎年国連総会に報告し,数年ごとに詳細な報告書を刊行
している。この報告書は,ICRP勧告の科学的基礎資料となる。(乙A5
4,B1,2,63)
ウ国際放射線防護委員会(ICRP)
専門家の立場から放射線防護に関する勧告を行う民間の国際学術組織で5
あり,主委員会のほか,放射線影響,誘導線量等の5つの専門委員会が設
けられている。UNSCEAR作成の報告書の知見に基づき,放射線防護
基準の勧告を行っている。この勧告は国際的に権威のあるものとされ,国
際原子力機関(IAEA)の安全基準や各国の放射線障害防止に関する法
令の基礎とされている。(乙A54,B1,2,63)10
被曝線量の評価
旧審査の方針においては,初期放射線による被曝線量につき,日米合同の
研究者グループにより検討され,昭和61年に策定された被曝線量評価体系
(DosimetrySystem1986,DS86)に基づき,爆
心地からの距離(2.5kmまで)に応じて算定した値によって推定するも15
のとしていた(乙A2,6)。
DS86については,その後,日米合同の研究者グループにより再評価が
行われ,DS86の基本的な評価方法を踏襲しつつ,これを改良した新たな
被曝線量評価体系(DosimetrySystem2002,DS0
2)が策定され,平成15年3月日米合同の原爆放射線量評価検討会におい20
て承認された。(乙B3,6の1)
新審査の方針の下においては,DS02により,初期放射線による被曝線
量の推定が行われている(乙A6,弁論の全趣旨。DS86及びDS02の
評価及びこれに基づく推定線量の正確性については争いがある。)。
4主な申請疾病の概略25
複数の控訴人ら(控訴人Bらを除く。)及びA1に係る申請疾病の概略は,以
下のとおりである。
甲状腺機能低下症
ア甲状腺
甲状腺は,頸部の前面に存在する蝶々型の臓器であり,右葉と左葉に分
かれ,第2ないし第4気管軟骨の高さに位置する峡部で連結している。甲5
状腺は甲状腺ホルモンを合成,分泌する。血中に分泌された甲状腺ホルモ
ンが組織と結合することにより,代謝系が活発化し,又は酸素の消費量が
増え,熱量の産生が増加し,基礎代謝が亢進する。甲状腺ホルモンには,
約98%を占めるT4(サイロキシン),約1.5%を占めるT3(トリヨ
ードサイロニン)がある。甲状腺ホルモンは血中放出後ほとんどが直ちに10
血漿蛋白と結合するが,一部は遊離型(freeT4〔FT4〕,free
T3〔FT3〕)として存在する。
甲状腺ホルモンの分泌の調節を行うのは,脳から分泌される甲状腺刺激
ホルモン放出ホルモン(TRH)と甲状腺刺激ホルモン(TSH)である。
間脳の視床下部からTRHが分泌され,その刺激により脳下垂体前葉から15
TSHが分泌されて,さらにこのTSHが甲状腺にあるTSH受容体に結
合することにより,甲状腺ホルモンが分泌される。甲状腺ホルモンが血中
に増え過ぎると,甲状腺ホルモンが下垂体や視床下部に対し,逆にTSH
やTRHの分泌を抑えるよう作用し,ネガティブフィードバックが働く仕
組みになっている。(甲B4〔文献14〕,乙B87,91,155,1720
9,第2事件乙C2の15)
イ甲状腺機能低下症
概念
甲状腺機能低下症は,甲状腺ホルモンの合成が低下して血中の甲状腺
ホルモンが減少し,組織に対するホルモン作用が低下して,疲労,寒が25
り,皮膚乾燥及びむくみ等の様々な臨床症状を示す病態をいう(甲B4
〔文献16〕,乙B88,91,155,C14の14,第2事件乙C2
の15)。
原因
甲状腺機能低下症の原因は,①甲状腺自体の原因によりホルモンの欠
乏を来す病態(原発性甲状腺機能低下症),②視床下部や脳下垂体に異常5
があるためこれらからのTSH等の合成,分泌が障害され甲状腺ホルモ
ンの合成が二次的に低下する病態(中枢性〔続発性〕甲状腺機能低下症)
に大きく分けられる。甲状腺機能低下症の95%は原発性である。その
原因として最も多いのが慢性甲状腺炎であり,免疫学的異常b)
により甲状腺機能が障害を受ける。その他の原因として,甲状腺手術後,10
放射線照射後等の甲状腺組織の外因性の損傷が明らかなものがこれに次
ぐ。(甲B4〔文献14・16〕,乙B88,C14の14,第2事件乙
C2の15)
診断
a一般に,血液検査において,FT4,FT3及びTSHの血中濃度15
を測定することにより行われる。FT4及びFT3が低値及びTSH
が高値(日本甲状腺学会による甲状腺機能低下症の診断ガイドライン
では,FT4低値及びTSH高値)であれば原発性甲状腺機能低下症,
FT4及びFT3が低値並びにTSHも低値(同ガイドラインでは,
FT4低値及びTSH低値から正常値)であれば中枢性甲状腺機能低20
下症であるとされる(なお,FT3は甲状腺機能低下症が中等度以上
に進行した場合に低下するので,軽度の甲状腺機能低下症の診断には
適さないとされる。)。他方,臨床症状を欠き,FT4及びFT3とも
に正常範囲にあるが,TSHのみ上昇している状態のものは潜在性甲
状腺機能低下症とされ,甲状腺機能低下症のうち最も軽いもので,か25
つ初期のものとされている。このほか,慢性甲状腺炎の経過中に,甲
状腺の炎症性破壊による甲状腺ホルモン過剰状態に続発して,又はヨ
ウ素を過剰に摂取するなどして,一時的な甲状腺機能低下症(一過性
甲状腺機能低下症)が生じる場合がある。(甲B4〔文献14・16〕,
乙B88,91,155,250,263,C14の14,第2事件
乙C2の15)5
b原発性甲状腺機能低下症の原因として最も多い慢性甲状腺炎(橋本
病)は,びまん性甲状腺腫を示す疾患であり,甲状腺に関する自己抗
体である抗TPO(サイロイドペルオキシダーゼ)抗体(抗マイクロ
ゾーム抗体も抗TPO抗体の一種であり,測定法により名称が異なる。)
又は抗Tg(サイログロブリン)抗体が大多数の症例で検出される。10
自己免疫性甲状腺機能低下症は,これらの自己抗体が甲状腺細胞を破
壊することにより発症する。慢性甲状腺炎の70~80%は甲状腺機
能が正常であるが,病状が進行すると低下する。(甲B4〔文献14~
16〕,乙B88,91,92,155,156,179,250,2
63,C14の14,第2事件乙C2の15,証人D2〔11頁〕)15
疫学
甲状腺機能低下症の頻度は,型,性及び年齢によって異なるが,一般
論として女性に多く,年齢が高くなるほど頻度も増す(乙B88)。
治療
甲状腺機能低下症の治療はチラーヂン等の甲状腺ホルモン製剤を服用20
することによる補充療法であり,TSH及びFT4の血中濃度を正常域
に保つことを目的として行われる。チラーヂン等の服用により甲状腺機
能低下症を根治できるわけではない。(甲B4〔文献14・16〕,乙B
88,179,乙C14の14)
心筋梗塞,狭心症25
ア心臓
心臓は,主に心筋と呼ばれる筋肉で構成され,身体の各部位に血液を運
ぶことにより酸素を供給する臓器である。心臓そのものも血液(酸素)を
必要とすることから,心臓の周りには冠状動脈(冠動脈)が走行しており,
心臓に血液(酸素)を供給している。(乙B72,第2事件乙B66)
イ心筋梗塞,狭心症5
心筋虚血,虚血性心疾患
心筋虚血とは,心筋が酸素欠乏(虚血)を来した状態をいい,虚血性
心疾患は,心筋の酸素需要と供給の不均衡により引き起こされた心機能
障害をもたらす疾患であると定義される。虚血性心疾患は,一過性心筋
虚血である狭心症,心筋壊死を伴う心筋梗塞等に分類される。(乙B74,10
第2事件乙B69)
心筋梗塞
冠動脈の閉塞又は高度の狭窄により血行障害を来し,心筋虚血が一定
時間持続した結果,心筋細胞が壊死に陥る疾患である(乙B74,第2
事件乙B49,50,69)。15
狭心症
心筋が一過性に虚血に陥るために生じる胸部又は隣接部に特有の不快
感(狭心痛)を主症状とする臨床症候群であり,経過により安定狭心症
と不安定狭心症に分類される。不安定狭心症は急性心筋梗塞に至る可能
性のある重度の狭心症であり,心筋梗塞と共通の病態があるものとして,20
急性冠動脈群と総称される。(乙B74,94,第2事件乙B48,50,
69,70)
原因
a心筋梗塞は,冠動脈の粥状硬化による狭窄病変を基礎として閉塞に
至るものが大部分である。25
狭心症も,冠動脈の狭窄等により生じ,背景には基本的に動脈硬化
病変が存在する。(乙B74,第2事件乙B48,50,70)
b動脈硬化
定義・機序
動脈硬化は,血管壁の肥厚・硬化・再構築・機能低下を伴う動脈
病変の総称であり,粥状硬化,中膜硬化及び細動脈硬化を含む。こ5
のうち臨床的に最も重要なのは粥状硬化であり,脂質を含む粥腫が
内膜に蓄積し,内腔の狭窄,閉塞の原因となる。
動脈硬化は,種々の刺激により血管の内皮が傷害されることに端
を発する。内皮が傷害されると,LDLコレステロールが血管の内
膜内に侵入する。その結果,血管の内膜に脂質や平滑筋細胞,細胞10
外基質等の沈着物の病的集積が起き,粥状の隆起性病変(粥腫〔ア
テローム〕,アテローム性プラーク〔アテロームと線維組織が混在し
たもの〕)が形成されて,動脈硬化を来す。その後,徐々に粥腫が肥
厚し,血管内腔の狭窄を来した状態で安定型狭心症が生じ得る。急
速に粥腫が破綻して血栓のはく離による塞栓ができ,冠動脈の急激15
な血流低下が生じると,急性冠動脈群(心筋梗塞,不安定狭心症)
が生じ得る。(乙B74,76~79,94,178,第2事件乙B
48,50,51,70)
⒝危険因子
血管の内皮を傷害する種々の刺激(物理的刺激,化学的刺激)が20
動脈硬化の危険因子である。
血管壁には本来弾力性があり,高血圧の状態が続くことによって
血管内皮が引き伸ばされ,この作用が物理的刺激となって,動脈硬
化が起こる。また,LDLコレステロールが高い状態では,血管内
膜への脂質沈着が促進されること等により,動脈硬化の原因となる。25
トリグリセライドが高い状態では,動脈硬化の惹起性が強い物質(レ
ムナントリポ蛋白等)の増加が促され,間接的に動脈硬化の進展に
寄与するとされる。そして,喫煙については,体内に取り込まれた
ニコチンに血圧を上昇させる作用があるほか,喫煙により発生する
活性酸素に血管内皮を傷害する作用,血小板凝集能の亢進により血
栓が形成されやすくなる作用もある。血管内皮には血流の圧力によ5
り常に一定の負荷がかけられているから,時間の経過とともに少し
ずつ内皮は傷害される。動脈硬化は高齢者ではほとんどの人に多か
れ少なかれ生じている。
これらのほか,動脈硬化の危険因子には,肥満,糖尿病,性別(男
性に多い。),ストレス,運動不足及び家族歴(遺伝)等がある。(乙10
B74,76~84,178〔資料1~8〕,193,194,乙C
3の12,第2事件乙B54,69,115の1・2)
脳梗塞・脳出血
ア定義
脳梗塞・脳出血は脳血管障害に分類される。脳血管障害は,脳の一部が15
虚血若しくは出血により一過性若しくは持続性の障害を受けるか,脳の血
管が病理的変化により一次的に侵される場合,又はこの両者が混在する全
ての疾患と定義され,脳梗塞,脳出血及びくも膜下出血等を含むこれらの
総称である。脳卒中は脳血管障害と同義で用いられる場合が多いが,脳血
管障害には,無症候性脳梗塞等の症状を伴わない疾患が含まれる。脳卒中20
は,出血性脳卒中(脳出血及びくも膜下出血)と虚血性脳卒中(脳梗塞)
に分類される。
脳梗塞は,脳動脈の狭窄や閉塞により灌流域の虚血が起こり,脳組織が
壊死に陥る疾患である。障害部位により様々な局所神経症状(麻痺,感覚
障害,構音障害,失語等)を来す。脳血管疾患死亡の半数以上を占めてい25
る。脳出血は,脳を灌流する血管の破綻により脳内に出血が生じる病態で
あり,脳内血腫の圧迫による局所神経症状及び頭蓋内圧亢進症状を示す。
(甲B38,39,乙B99,180~182,189,乙C15の25・
26・28,第2事件乙B71)
イ分類・危険因子
脳梗塞の臨床病型分類として,アテローム血栓性脳梗塞(頭蓋内及び5
頭蓋外の主幹動脈のアテローム硬化病変を原因とする脳梗塞),心原性脳
梗塞症(心房細動等の塞栓源となる心疾患があり,心臓内血栓や心臓を
経由する栓子を原因とする脳梗塞)及びラクナ梗塞(脳深部の小さい穿
通枝病変により1.5cm未満の梗塞巣を来す脳梗塞)がある。アテロ
ーム血栓性脳梗塞は,高血圧,脂質異常症,糖尿病及び喫煙等の動脈硬10
化の危険因子により,時間的積算(加齢)に伴って血管内中膜に粥腫・
プラークが形成され,狭窄部血栓形成,プラーク内出血等による急性血
管閉塞等が発端となる。ラクナ梗塞も高血圧を危険因子とする。
脳出血は,その80%が高血圧性脳出血であり,高血圧性細動脈硬化
により穿通枝が破綻することにより発症する。(乙B99,180~1815
2,乙C15の25・26・28,第2事件乙B71)
高血圧は,脳梗塞・脳出血に共通する最大の危険因子である。このほ
かの危険因子として,脂質異常症,喫煙,肥満及び大量飲酒等がある。
慢性腎臓病(CKD)も,脳卒中の独立した危険因子である。(乙B83,
99,180~182,192~195,乙C3の12,15の27,20
第2事件乙B71)
高血圧
ア定義
高血圧とは,繰り返し測っても血圧が正常より高い場合(収縮期血圧が
140mmHg以上,又は拡張期血圧が90mmHg以上)をいう。25
高血圧には,本態性高血圧と二次性高血圧がある。二次性高血圧とは血
圧上昇の原因となる明らかな疾患が存在するものであり,本態性高血圧と
はそれ以外の全ての高血圧である。
高血圧症は自覚症状に乏しいが,高血圧の慢性的な持続により,動脈硬
化を引き起こす。この動脈硬化は大血管にも小血管にも起こるため,脳卒
中(脳梗塞,脳出血)や心筋梗塞等の重篤な疾患を引き起こすリスクが高5
くなる。(乙B95~98,289,乙C4の12)
イ原因
本態性高血圧には,遺伝的な因子及び生活習慣等の環境因子が関与して
おり,環境因子には,過剰な塩分摂取,肥満,精神的ストレス,自律神経
の調節異常,蛋白質・脂質の不適切な摂取及び喫煙等があるとされている。10
高血圧の患者数は,年齢層が上がるほどに増加傾向にある。(乙B97,9
8,289)
ウ原発性アルドステロン症
副腎(腎臓の上にある小さな内分泌臓器)の腫瘍や両側の副腎全体が肥
大する過形成により,ホルモンの一種であるアルドステロンが副腎から過15
剰に分泌され,これが腎尿細管に作用してナトリウムの尿への排出が阻害
されることにより高血圧を生じさせる疾患である。二次性高血圧の原因疾
患である。高血圧症の5~20%程度を占めるとする報告が相次いでいる。
血漿アルドステロン濃度と血漿レニン活性を同時に測定し,カプトプリル
負荷試験等の各種試験や局在診断として選択的副腎静脈サンプリングを行20
い,高血圧症例からのスクリーニング及び確定診断がされる。(乙B180
〔1663~1670頁〕,C15の21~24)
脂質異常症(高脂血症)(申請疾病ではないが,その危険因子であり,複数
の控訴人らに関連するので,前提事実として掲げる。)
ア定義25
血液中のLDLコレステロールや中性脂肪(トリグリセライド)が基準
値より高く,又はHDLコレステロールが基準値より低い状態のことをい
う。LDLコレステロールが140mg/dℓ以上で高LDLコレステロー
ル血症(LDLコレステロールは,検査値がない場合,総コレステロール
値から,HDLコレステロール値を減じ,さらにトリグリセライド値を5
で除した値を減じることで求められる。),トリグリセライドが150mg5
/dℓ以上で高トリグリセライド血症,HDLコレステロールが40mg/
dℓ未満で低HDLコレステロール血症と診断される。なお,以前は総コレ
ステロール(220mg/dℓ以上)も診断基準とされていたが,LDLコ
レステロール及びHDLコレステロールの増減を問題とする方がより正確
で本質的であるとして,平成19年改訂の日本動脈硬化学会の動脈硬化性10
疾患予防ガイドラインにより除外された(LDLコレステロールの計算や
参考のために測定はされる。)。また,上記改訂により,「脂質異常症」の用
語が用いられるようになったが,かつては高脂血症と呼んでいた。
自覚症状はないが,放置すると全身の血管の動脈硬化が徐々に進行し,
これにより心筋梗塞,脳梗塞等の重大な合併症が出現する。(乙B178〔資15
料1〕,194,242,243,251,288,C3の11)
イ原因
脂質異常症の発症要因は,大きく,原発性(遺伝的要因が基盤となる。)
と二次性(諸疾患や薬物,食事性要因等によるもの)に分けられる。
脂質異常症の発症には,遺伝的な素因に加えて,過食,摂食パターンの20
異常といった不適切な食生活,運動不足及びストレス過多等が重要な役割
を果たしている場合が多くあり,生活習慣病として広く知られている。(乙
B288,C3の11・12)
白内障
ア定義,水晶体の構造等25
白内障は,水晶体が,蛋白の変性,線維の膨化や破壊により混濁した
状態をいう。混濁の程度,範囲及び部位に応じて,種々の視覚障害を引
き起こす。(乙B65,71,乙C5の19)
水晶体は,直径約9mm,厚さ約3~4mm,重さ約0.2gで,虹
彩と硝子体の間に位置し,瞳孔を通過した光を網膜に結像させる両凸レ
ンズである。水晶体は,水晶体嚢,水晶体上皮,水晶体皮質及び水晶体5
核から成る。水晶体嚢は,水晶体の外側を包む膜であり,前面を前嚢,
後面を後嚢といい,前嚢と後嚢の接する円形境界部分を赤道部という。
前嚢下には一層の上皮細胞があり,これは後嚢側には存在しない。赤
道部前方の上皮細胞は生涯を通じて細胞分裂し,後方に押し出され,赤
道部付近で線維細胞に分化する。線維細胞は,細胞質が伸長して絶えず10
水晶体内部に移動するが,この移動に従い,線維細胞の細胞核が消失し
て細胞質のみとなる。内部の線維細胞は互いに接合し,徐々に長さを増
す。このようにしてできた線維細胞のうち,水晶体中央部に位置する古
い線維細胞を水晶体核といい,表層の比較的新しい線維細胞を水晶体皮
質という。(乙B65,71,204,209,C5の19)15
イ白内障の原因,分類
白内障の原因には先天性と後天性のものがあり,後天性のものとして,
老人性,外傷性,併発性,放射線性,内分泌代謝異常性,薬物又は毒物性
等がある。白内障の中で最も多いのが加齢による白内障(加齢性白内障)
であり,初発年齢には個人差があるが,一般に50歳以上で他に原因を見20
いだせないものをいう。
混濁部位による分類として,大きくは,皮質白内障,核白内障,嚢下白
内障(前嚢下白内障,後嚢下白内障)に分類され,そのうち皮質,核,後
嚢下の各白内障が3主病型とされる。加齢性白内障にあっては,3主病型
のうち,皮質混濁及び核混濁の有所見率が高い。(乙B65,67,71,25
203,204,C5の19,7の14,13の13・14)
5疫学・医療統計学の概念
相対リスク及び寄与リスク
ア相対リスク,過剰相対リスク
ある状況下に置かれたグループと置かれなかったグループとの間である
病気に罹患する危険度(リスク)の比を相対リスク(相対危険,相対危険5
度ともいう。)といい,相対リスクがどの程度増加するかを表すものを過剰
相対リスクという(甲A132,乙B106,166,167,C23,
25)。
イ寄与リスク
ある状況下に置かれたグループと置かれなかったグループにおいて病気10
に罹患する頻度の差を寄与リスク(寄与危険ともいう。)という(乙B16
6,167)。
P値
帰無仮説(グループ間に「差がない」という概念)が正しいとした場合で,
得られたデータ結果の差が起こり得る確率を示す値である。統計学上,一般15
に,0.05(5%)以下の場合にグループ間に有意な差があるとして,帰
無仮説を棄却するとされている。(甲A117,乙B109)
信頼区間
得られたグループ間の差がどの程度大きくなり又は小さくなる可能性を示
すもので,95%信頼区間は,95%の確率で真の差を含む値の範囲を示す20
ものである。幅が小さいほど有用なデータとなるとされている(乙B109)。
オッズ比
オッズとは,ある事象が起こる確率をその事象が起こらない確率で除した
値である。オッズ比とは,二つのオッズの比であり,ある要因が増大するこ
とにより発症リスクが増大する割合を示すものである。(乙B111,167,25
C23)
線量反応
数学的モデルの一つで,反応変数(生物学的測定値又は疫学的集団の統計
数)がいかに放射線の量に左右されるかを表すものである。線量に応じて反
応の程度が増加するか,減少するか,またその程度が線量の関数としてどれ
くらい早く変化するかを示す。5
一次(線形)線量反応とは,線量と生物学的反応の関係が一本の直線で示
される場合を指す(どの線量においても反応が変わる率は同じである。)。二
次線量反応とは,線量と生物学的反応の関係が曲線(2次関数)で示される
場合を指す(異なる線量では反応の変化する率が異なる。)。(弁論の全趣旨)
第4争点及び争点に関する当事者の主張10
1放射線起因性の判断基準(争点1)
【控訴人らの主張】
あるべき判断基準等
ア放射線障害の特徴や被爆者援護法の趣旨等から導かれる基準
放射線の人体に対する影響に関する科学的知見や経験則は,未だ確立し15
たものではない。そして,被曝による疾病の発生過程には多くの要因が複
合的に関連している上,放射線障害の症状は他の原因による場合と比較し
て特異なものではないから,特定の要因による発症の機序の立証は,そも
そも極めて困難である。病理学,臨床医学等の観点から,控訴人ら(控訴
人Bらを除く。)及びA1の疾病と被曝との間の個別的な因果関係を判断す20
る方法それ自体に限界が存するのであって,この点に関する立証を厳密に
要求することは,被爆者に不可能を強いることにほかならない。
また,被爆者援護法は,国際人道法に違反した原爆投下の被害者である
被爆者に対し,国家補償及び社会保障を目的として,その救済を図る特殊
な法律であり,このような同法の趣旨に照らし,放射線起因性に関する過25
重な立証の負担を控訴人らに負わせるべきではない。
「原子爆弾後障害症治療指針について」(昭和33年8月13日衛発第7
26号各都道府県知事・広島・長崎市長あて厚生省公衆衛生局長通知)は,
治療上の一般的注意として「原子爆弾被爆者に関しては,いかなる疾患又
は症候についても一応被爆との関係を考え,その経過及び予防について特
別の考慮がはらわれなければならず,原子爆弾後障害症が直接間接に核爆5
発による放射能に関連するものである以上,被爆者の受けた放射能特にガ
ンマ線及び中性子の量によってその影響の異なることは当然想像されるが,
被爆者のうけた放射線量を正確に算出することはもとより困難である。こ
の点については被爆者個々の発症素因を考慮する必要もあり,また当初の
被爆状況等を推測して状況を判断しなければならない」と指摘しており,10
上記指針の考え方は,放射線の人体に対する影響が未解明な今日において
も,なお妥当するものである。
以上のとおり,放射線の人体に対する影響は未解明であり,個別的因果
関係の判断自体に限界が存するものである以上,放射線起因性については,
医学的,病理学的機序の証明の有無を直接検討するのではなく,放射線被15
曝による人体への影響に関する統計学的・疫学的知見も踏まえ,被爆者の
被曝状況,その後の行動,生活状況,症状やその発生に至る経緯等の事情
を全体的,総合的に考慮して判断すべきである。そして,放射線は,それ
自体が,人体に対する極めて重大な障害を及ぼす性質を有していることが
明らかである以上,上記指針が正当に指摘するとおり,被爆者において,20
「いかなる疾患又は症候についても一応被曝との関係を考え」るべきであ
って,放射線の影響を否定し得る特段の事情がない限り,放射線起因性は
当然に存在するというべきである。
イ新審査の方針の評価
被控訴人は,旧審査の方針が依拠していた原因確率論を改め,平成2025
年3月17日,新審査の方針を定めた。さらに,被控訴人は,平成25年
12月16日,同方針を再改定し,放射線被曝による健康影響が必ずしも
明らかでない範囲を含めて積極的に認定する範囲を設定して,高齢化が進
んだ被爆者を救済する方向性を鮮明にした。現に,被控訴人は,上記範囲
に属する限り,生活習慣や加齢等の他の原因(危険因子)の有無を問わず
積極的に放射線起因性を認めているのであり,行政実務と裁判所の法律解5
釈に二重基準を持ち込むべきではない。
放射線起因性については,新審査の方針がいう上記積極的に認定する範
囲を考慮して検討されなければならず,少なくとも同範囲の疾病は,放射
線起因性の推定が働く。そして,新審査の方針は一つの目安であり,爆心
地からの距離,経過時間や疾病の範囲を異にし,これらを形式的に充足し10
ないからといって直ちに放射線起因性を否定すべきではなく,上記アのと
おり総合的な考慮に基づき,放射線起因性が判断されなければならない。
ウ他の原因(危険因子)の存在について
人体に対する放射線の影響(特に晩発的影響)の特徴は,放射線に特異的
な症状を示すものではなく,むしろ一般に見られるのと全く同様の症状を15
示すものであり,当該症状が放射線に起因するか否かの見極めは不可能で
ある。そして,疾病の発症に関わる要因は多数存在し,相互に関連し合い
ながら発症に至る。さらに,疾病の危険因子(高血圧等)それ自体が放射
線の影響を受けるとの知見や,交絡因子の影響を除外しても放射線の影響
は消失しないとの疫学研究も存在する。20
上記ア,イも併せ考慮すると,放射線起因性を争う被控訴人において,申
請疾病がもっぱら他の原因により発症したとの特段の事情を,具体的根拠
をもって立証すべきである。他の原因の可能性を含めた総合評価を行うと
しても,被爆者援護法の趣旨等も考慮し,控訴人らに過度な立証の負担を
負わせることは相当でない。25
被控訴人による被曝線量評価の問題点
ア問題点の概要
被控訴人は,DS02に基づき被曝線量評価をしているところ,DS0
2には,初期放射線量が爆心地から遠距離において実測値より過少となる
などの問題がある(ガンマ線の場合は,1500m以遠において実測値が
計算値を系統的に上回っている。)。のみならず,被控訴人は,放射線降下5
物による放射線及び誘導放射線といった残留放射線の影響(後記イ)をほ
とんど考慮しておらず,内部被曝の影響(後記ウ)については無視してい
るのであり,被控訴人による上記評価は誤っている。これらに加えて,低
線量被曝につき,高線量被曝とは異なる機序により人体に大きな影響が生
じるという点も否定することができない(後記エ)。10
イ残留放射線の危険性
原爆放射線に被曝した被爆者には,急性症状を発症した者が多数存在し
た。その中には,原爆投下後相当期間が経過してから入市した被爆者にも
発症例が多くあったのであり,初期放射線の影響のみではこのことを説明
することができない。なお,原爆放射線被曝は態様・機序が極めて複雑で15
あり,被爆者に生じた急性症状は,放射線事故における急性放射線症候群
の概念に当てはまらず,原爆放射線の影響以外には説明が困難である。
放射性降下物による放射線
a生成過程等
原爆容器の内部における核分裂の連鎖反応により,その狭い空間内20
に莫大なエネルギーが放出され(原爆の爆発),この時の核分裂生成物
から主にベータ線やガンマ線が放出された。さらに,原爆装置とその
容器が放出された中性子を吸収して放射性物質となった(誘導放射化)。
広島原爆のウラン235のうち実際に核分裂を起こしたのはほんの一
部であり,未分裂のウラン235も自らアルファ線を放出しつつ,異25
なる放射性原子に壊変しながらガンマ線やベータ線を放出した。
上記未分裂のウラン235,核分裂生成物及び誘導放射化された原
爆容器等から放出された電磁波は,直ちに周囲の空気に吸収され,空
気の温度を上昇させ,プラズマ状の空気の塊すなわち火球が形成され
た。火球は膨脹し,上昇して温度が下がり,様々な放射性物質が放射
性微粒子又は「黒いすす」となった。さらに火球が上昇して温度が下5
がり,放射性微粒子や「黒いすす」が空気中の水蒸気を吸着して水滴
となって,地上に降り注いだ。これらに含まれる中性子は土壌や建造
物等に吸収され,誘導放射化が生じた。
b降下の範囲
火球は温度が下がると急激に上昇し,これに伴い,周囲の放射性微10
粒子や「黒いすす」を含んだ空気が火球の下に吹き寄せられ,火球と
ともに上昇して,巨大なキノコ雲が形成された。キノコ雲は,圏界面
を突破して成層圏に到達した。また,原爆の熱線により生じた大火災
によって上昇気流が発生し,地上の粉塵が上空に巻き上げられた。こ
のような強い上昇気流が発生した周辺において,上昇気流を補填する15
ために強い下降気流が発生した。これらの結果,「黒いすす」,「黒い雨」
が相当広範囲に降下した。
被控訴人は,広島原爆において「黒い雨」を初めとする放射性降下
物の影響があるのは,己斐・高須地区に限られるとするが,調査によ
って,同影響は同地区に限られないことが判明している。上記地区に20
いなかったとしても放射性降下物の影響を否定することはできない。
誘導放射線
被控訴人は,誘導放射化について,爆心地から約600~700m以
遠においては初期放射線の中性子がほとんど届かなかったため,誘導放
射化はほとんど起こらなかったとか,誘導放射化される原子核は限られ25
ており,かつそれらの物理学的半減期は短いなどとして,誘導放射線に
よる外部被曝の影響を無視しうるとしていた。
しかし,誘導放射化された物質が粉塵となって爆風等により移動した
bのとおり空中で誘導放射化された放射性降下物は広範囲
に降下したのであるから,上記影響は爆心地から700m以内の地点に
限られない。そして,全ての原子核が誘導放射化されるといえる上,物5
理学的半減期が短いものは減少が速い反面,単位時間当たりの放射線放
出量が大きい。早期に爆心地付近に入った者は,物理学的半減期の短い
放射性物質が放出する誘導放射線に被曝した。そして,比較的遅く爆心
地付近に入った者についても,比較的物理学的半減期の長い放射性物質
に由来する誘導放射線に被曝したのであり,その影響を無視することは10
できない。
ウ内部被曝の危険性
放射線には,生体を透過するときにDNAを傷つける性質があるところ,
体内に放射性物質があるときには,細胞の至近距離に線源があることにな
るから,外部被曝に比べ,内部被曝の影響は格段に大きくなる。また,飛15
程の短いアルファ線やベータ線を放出する核種が体内に入ると,この短い
飛程で放射線のエネルギーがほとんど細胞に吸収され,これによってDN
Aの二重らせんが多数破壊されて,細胞の誤った修復によりがん化の原因
になるなど大きな影響が生じる。そして,原爆の原料となったウラン,プ
ルトニウムやこれらが核分裂した場合に生じる人工放射性核種は核種ごと20
に生体内の特定の部位に濃縮される(これに対し,自然界にも存在する放
射性核種は,人類の進化の過程で獲得した適応能力によって生体内で濃縮
することはない。)。さらに,体内に取り込まれた放射性核種は,その核種
の寿命に応じて継続的に放射線被曝を与え,しかも,ある細胞がアルファ
線に被曝した場合には,その近傍にある細胞も放射線の影響を受けるバイ25
スタンダー効果が生じる。
このように,内部被曝は極めて危険かつ有害で,その影響は深刻であっ
て,到底無視することはできない。
エ低線量被曝の危険性
低線量被曝の人体影響は未解明な部分も多いが,逆線量率効果(同じ被
曝線量であれば,長期にわたり被爆した方が,リスクが上昇する現象)や5
ゲノム不安定性(被曝により生じた初期の損傷を乗り越え生き残った細胞
集団につき,長期間にわたって様々な遺伝的変化が生じる状態が続く現象)
等の報告がされており,低線量被曝の危険性も無視することはできない。
オまとめ
初期放射線のほか,放射性降下物からの放射線及び誘導放射線により,10
外部被曝のみならず内部被曝という複雑な機構を通じて,人体にその影響
が生じる。残留放射線による放射線量は極めて低く,これに起因する内部
被曝の影響は無視しうるなどの主張は暴論である。原爆症認定にあっては,
被爆者に現に生じた健康障害(急性症状)をつぶさに把握し,残留放射線
による影響も踏まえ,外部被曝・内部被曝いずれの機会も慎重に検討した15
上で判断されるべきである。そして,被爆者に個体差があることにも照ら
すと,低線量被曝であるからといって軽視することはできないというべき
である。
【被控訴人の主張】
あるべき認定基準20
放射線起因性の有無については,当該被爆者の放射線への被曝の程度(考
慮要素①)と,統計学的・疫学的知見等に基づく申請疾病等と放射線被曝と
の関連性の有無及び程度(考慮要素②)とを中心的な考慮要素としつつ,こ
れに当該疾病等の具体的症状やその症状の推移,その他の疾病に係る病歴(既
往歴),当該疾病等に係る他の原因(危険因子)の有無及び程度(考慮要素③)25
等を総合的に考慮して,原爆放射線への被曝の事実が当該申請に係る疾病等
又は治癒能力の低下を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性があるか否か
を経験則に照らして判断するのが相当である。
各考慮要素について
ア考慮要素①について
放射線被曝と特定の疾病についての疫学的知見の大部分においては,5
DS02又はDS86により推定計算された放射線被曝線量をもって対
象者の被曝線量とした上で,被曝線量と相対リスク等との関連性につい
て調査・研究がされている。そのため,当該被爆者につきある程度概括
的にでも上記疫学的調査・研究に基づくリスク評価が可能な程度に定量
的に放射線被曝の程度を評価することが不可欠である。10
そして,DS02は,世界的に支持され,現在においても科学的妥当
性を有する原爆初期放射線に係る線量評価体系であり,原爆放射線に関
する疫学的知見の大部分はこれを用いて行われているのであって,DS
02を用いた線量評価は一般的妥当性を有している。DS02による被
曝線量は推定値にとどまるが,この値を上回る例外的事情については,15
控訴人らにおいて主張立証すべきであり,その場合には客観的科学的根
拠に基づくことが必要である。
残留放射線による被曝線量は,初期放射線による被曝線量に比べてか
なり小さな値であり,DS02における線量評価の誤差の範囲内にとど
まる。放射性降下物による放射線につき,未分裂の核物質や核分裂生成20
物の大半は成層圏に達して上層の気流により広範囲に拡散したから広島
市内・長崎市内に降り注いだ放射性降下物は極めて少なかった上,広島
原爆において放射性降下物が多く観測された己斐・高須地区でも健康影
響は大きくはなく,まして同地区以外の地域においてはおよそ健康に影
響を与える程度の有意なものであったとはいえない。誘導放射線につい25
ても,誘導放射化される原子核は限られており,かつそれらの物理学的
半減期は短いところ,爆心地から約600~700mの地点に至ると,
初期放射線の中性子がほとんど届かなくなり,1時間当たりの誘導放射
線量はほぼ0.001グレイにまで低減する。内部被曝によるリスクも
外部被曝によるリスクも大きさに違いはなく,残留放射線による被曝線
量自体が小さい場合,それを内部被曝したからといって,極端にリスク5
が高まるものではない。残留放射線による被曝線量が比較的高線量とな
る場合があるとしても,ごく一部の例外的事象にとどまる。
被爆者の残留放射線も含めた被曝の程度については,被曝後の急性期
における身体症状の有無及びその内容がその一つの考慮要素となる。
被爆者の当該症状がIAEA及び世界保健機関(WHO)が公表した10
急性放射線症候群の臨床症状に合致する場合に,1~8グレイの放射線
に被曝した事実を推認する。急性放射線症候群の特徴は,しきい値があ
る確定的影響(放射線による健康影響のうち,ある一定の線量以上の放
射線に被曝すると影響が出るもの)に属し,1グレイ以上の放射線被曝
をした場合,48時間以内の前駆期に前駆症状としての食欲低下,嘔吐,15
発熱及び下痢等が現れ,被曝後3日から1週間程度で一時的に症状が消
失する潜伏期に入り,その後,出血傾向(血液・骨髄障害),脱毛(皮膚
障害)及び下痢(消化器障害)等の多様な主症状が現れる。被曝線量に
応じて,症状の内容,程度及び発症時期が異なり,出血傾向は約2グレ
イ以上被曝した場合に生じる。皮膚障害としての脱毛は,約3グレイ以20
上の被曝で生じ,頭髪の一部又は少量ずつ抜けることはない。約3グレ
イの被曝であれば被曝後15日以降に脱毛が生じ,8~12週間後には
発毛がみられる。下痢については,前駆症状としての下痢は4グレイ以
上の被曝で生じ,潜伏期に入るとすぐに軽減する。約8グレイの被曝で
生じる主症状としての下痢は,腸管内の血管が破綻して大量出血を招く25
もので,救命可能性はない。
他方で,これらの臨床症状に合致しない場合には,下痢や脱毛等の一
定の身体症状が発現したとしても,同症状と放射線被曝との関連性を認
める科学的知見は存在しない。また,下痢や脱毛自体は,日常生活にお
いても発現し得るところ,原爆投下当時の衛生環境や栄養状況,あるい
は被爆それ自体による精神的影響等からすると,放射線被曝によらなく5
とも上記症状は十分に起こり得る。このような場合又は身体症状の発現
すらなかった場合には,およそ1グレイを超える放射線被曝をしたとは
考え難い。
イ考慮要素②について
疫学的因果関係は,集団現象としての疾病についての原因を記述するの10
みであり,現実に当該疾病を発症した個々人について,真に放射線被曝の
影響により発症したか否かについては,何ら決定するものではない。疫学
的知見に基づき特定の被爆者に対する放射線被曝の影響を考慮する場合も,
当該被爆者の当該疾病について,疫学的知見に基づく相対リスク等からど
の程度放射線起因性を推認することができるかについては,放射線被曝以15
外の要因による発症リスクとの比較の観点も踏まえる必要があるし,そも
そも統計学的・疫学的知見を用いるに当たっては,統計学的に有意な関連
性,疫学的知見の確実性があることが前提とされなければならない。
ウ考慮要素③について
放射線起因性の有無を判断するについては,放射線被曝と当該疾病等と20
の関連性のほか,これがある場合において,他の原因(危険因子)が考え
られるときは,当該疾病等がいずれに起因して発症したかについて,放射
線被曝による当該疾病の発症リスクと他の原因による発症リスクを慎重に
比較検討すべきである。そして,特定の結果の発生が他の原因によるもの
であるか否かが問題となる場合,他の原因の可能性については,因果関係25
につき主張立証責任を負う控訴人らが高度の蓋然性をもって否定する必要
がある。
2控訴人ら(控訴人Bらを除く。)及びA1の原爆症認定要件(放射線起因性及
び要医療性)該当性(争点2)
A1
ア本件A1申請時に甲状腺機能低下症に罹患していたか。5
【控訴人Bらの主張】
原爆症認定を受けるに際し,被爆者が疾病等に罹患しているか否かは,
医師の診断に基づき判断される。検査結果の数値が明らかでなくとも,
多数の医師により当該疾病等についての治療がされている場合には,経
験則上,当該被爆者において当該疾病等に罹患していると判断されるべ10
きである。
A1は,平成17年3月11日の本件A1申請時において,医師C1
(同医師は「C1クリニック」を開設している。)の診断及び同月10日
付け意見書記載のとおり,甲状腺機能低下症に罹患していた。また,C
1医師の診断の前に複数の医師がA1にチラーヂンを投与していたこと15
からすると,A1は甲状腺機能低下症との確定診断を受けていたのであ
り,長期間診断的治療が続いていたとは考え難い。
C1医師は,上記意見書及び健康診断個人票に,平成16年12月1
3日の甲状腺機能検査に基づき,「チラーヂンS50μg/日服用中にも
かかわらず,TSH2.91(0.5-2.5)とやや低下気味でした。」,20
「甲状腺機能検査の結果を見ながら薬の増減の指示をしていきます。」な
どと記載した。C1医師は,チラーヂンの投与にもかかわらず,甲状腺
ホルモンの改善(増加)が十分ではないことをもって甲状腺機能が「や
や低下気味」と記載したのであり,この時点でA1が慢性甲状腺炎によ
る甲状腺機能低下症に罹患したと診断した。25
仮に,A1の甲状腺機能がもともと正常であったのであれば,A1は,
それまで通院していたC2病院及び広島鉄道病院においてチラーヂンの
投与を受けていたから,平成16年時点では医原性甲状腺機能亢進症に
なってしまうはずであるが,そのような症状にはなっていない。
A1の平成9年12月10日及び平成23年7月11日の各検査数値
はいずれも正常値ではあるが,平成9年12月10日の検査数値はチラ5
ーヂン投与中の数値である。
平成23年7月11日の数値についても,検査数値は採血時間により
変化するため,C1医師は,A1が甲状腺機能低下症ではないと判断せ
ず,同投与を継続しながら経過を見ることとした。同年9月9日の検査
数値は,TSHは基準値より低め,FT4は基準値より高めであったた10
め,C1医師はチラーヂンの投与量を減少させた。その結果,同年11
月4日の検査数値は基準値の範囲内となった。被控訴人が主張する生体
の恒常性維持機能があるのであれば,このような検査数値の変動は生じ
ないはずであるし,そもそも1か月間の休薬と1回の検査数値のみによ
り症状を判断することはできない(なお,診療録の「チラ1Mのんでな15
い」との記載は,必ずしもA1が1か月間全くチラーヂンSを服用して
いなかったことを意味するものではない。)。A1は,平成23年7月1
1日時点においても甲状腺機能低下症に罹患していたのであり,遡って
本件A1申請時においても同様に罹患していた。
【被控訴人の主張】20
A1は,平成23年7月11日,同日まで1か月間,チラーヂンSを
服用していなかったにもかかわらず(診療録に「チラ1Mのんでない」
と自己判断による休薬期間があったとの記載がある。),FT4及びTS
Hはいずれも正常値であった。A1がその後にチラーヂンSを服用した
ところ,同年9月9日の検査においては,TSHは異常に低値を示し,25
FT4は異常に高値を示したことからすれば,A1の甲状腺は,少なく
とも同日時点では,正常に機能していた。そして,一般的に甲状腺機能
低下症の症状は加齢に伴って増悪すること,チラーヂンSには甲状腺機
能の治療効果はないことからすると,A1が本件A1申請をした平成1
7年3月11日時点においても,甲状腺機能低下症に罹患していたとは
考え難い。5
医師がチラーヂンSを投与したとしても,診断的治療として行われた
可能性があり,必ずしも甲状腺機能低下症の確定診断があったとはいえ
ない。また,甲状腺機能が正常な状態でチラーヂンSが長年にわたり投
与されると,生体の恒常性維持機能により,甲状腺は同投与がされた状
態で正常値を保とうとする作用が生じる。A1は甲状腺機能低下症に罹10
患していなかったが,長年にわたりチラーヂンSを服用していたため,
恒常性維持機能により,同服用をしていた状態でも検査数値がほどんど
正常範囲内のものとなっていた。
イ甲状腺機能低下症に放射線起因性があるか。
【控訴人Bらの主張】15
被爆時の状況,被爆後の行動等
A1(当時16歳)は,広島原爆が投下された時,爆心地から約1.
2kmに位置する廣島女学院専門学校の校舎の廊下を歩いていた。校舎
は倒壊し,瓦礫の下敷きとなったA1は自力で這い出したが,左眼のま
ぶたや左手を負傷した。A1は,近くの浅野泉邸(現在の縮景園)に避20
難し,夕方になり,救助の船で京橋川の対岸へ渡り,大河町の自宅(爆
心地から約3.3km)まで歩いて帰った。その後は,同月15日まで
自宅で過ごした。
被爆後に生じた症状(急性症状)等
A1は,被爆後約1週間が経過してから頭痛,発熱が出るとともに下25
痢や吐き気が続いた。約2週間経過後からは髪を梳く際に多量の毛が抜
け,このような状況が数か月間続いた。
病歴等
A1は,昭和26年貧血と診断された。昭和48年に子宮筋腫となり
子宮と卵巣を摘出し,平成2年には胆石症となり胆のうを摘出した。平
成5年に脳梗塞を発症した。5
甲状腺疾患について,平成3年放影研において甲状腺異常とされ,平
成4年C1クリニックを受診し,甲状腺腫(多発性腫瘤),慢性甲状腺炎
と診断された。その後,C2病院及び広島鉄道病院において診察及びチ
ラーヂンの投与を受けていたが,平成16年C1クリニックを再診し,
慢性甲状腺炎による甲状腺機能低下症と診断され,以後同クリニックに10
おいてチラーヂンの投与を受けていた。
放射線起因性があること
A1は,健康に影響を及ぼすべき相当程度
の放射線被曝をした。A1の被曝距離は約1.2kmであり,新審査の
方針において,格段に反対すべき事由がない限り,甲状腺機能低下症と15
被曝した放射線との関係を積極的に認定するとされている。このことも
併せ考慮すると,A1の甲状腺機能低下症には放射線起因性がある。
【被控訴人の主張】
否認ないし争う。爆心地から約1.2kmの地点において被爆したA1
に係るDS02による初期放射線の被曝線量(遮蔽あり)は約1.31620
グレイであり,A1に最大限有利に見積もった誘導放射線の被曝線量0.
001グレイを加えても,約1.317グレイにすぎないから,放射線起
因性があるとはいえない。
ウ甲状腺機能低下症に要医療性があるか。
【控訴人Bらの主張】25
A1は,C1クリニックに定期的に通院し,甲状腺機能低下症の治療薬
であるチラーヂンの投与を受けていたから,要医療性がある。
【被控訴人の主張】
否認ないし争う。
エ甲状腺腫瘤(多発性)に放射線起因性があるか。
【控訴人Bらの主張】5
上記イ【控訴人Bらの主張】のとおり,A1は健康に影響を及ぼすべき
相当程度の放射線被曝をしたのであり,甲状腺腫瘤(多発性)に放射線起
因性及び要医療性がある。
【被控訴人の主張】
A1が申請疾病とした甲状腺腫瘤(多発性)は多結節性甲状腺腫をいう10
と解される。多結節性甲状腺腫は,健康人にも高頻度でみられる疾患であ
る。その原因には,炎症,過形成,良性腫瘍又は悪性腫瘍があるが,A1
の診療録に悪性所見との記載はないから,悪性腫瘍以外によるものと解さ
れるところ,これらの原因と放射線被曝との関連性は何ら明らかでなく,
放射線起因性があるとはいえない。15
オ甲状腺腫瘤(多発性)に要医療性があるか。
【控訴人Bらの主張】
要医療性がある。
【被控訴人の主張】
争う。良性の多結節性甲状腺腫は,1年ないし数年に1回の超音波検査20
及び甲状腺関連血液検査により経過観察をすれば足りる。このように積極
的な治療を伴わず経過観察を受けているにすぎない場合は,要医療性があ
るとはいえない。
控訴人A2
ア甲状腺機能低下症に放射線起因性があるか。25
【控訴人A2の主張】
被爆時の状況,被爆後の行動等
控訴人A2(当時2歳)は,広島原爆が投下された時,爆心地から約
2.7kmの地点に位置する広島市南蟹屋町の木造2階建の自宅建物1
階に,両親,養父母及び祖母と一緒にいた。原爆の衝撃波により,屋根
瓦が吹き飛び,窓ガラスが割れ,屋根が傾いた。ガラス片が壁に突き刺5
さり,天井の一部が崩落していた。控訴人A2は,約4~5m飛ばされ,
右耳下に切創を負った。
控訴人A2は,母親に連れられて,自宅敷地内の防空壕に1時間程度
避難した。その後,自宅付近が被爆者の避難経路に位置し多数の被爆者
が水を求めてきたため,母親らが給水をし,薬を塗るなどの救護活動を10
行った。被爆当日の夕方頃から翌日にかけて,白っぽい灰状のものが大
量に降下し,身体に付着した。
控訴人A2は,投下翌日から数日間,親族等の安否を確認するため,
南蟹屋町や松原町(広島駅付近)を,母親に付いて歩き回った。控訴人
A2は,被爆後も,自宅を修繕してそのまま生活していた。15
被爆後に生じた症状(急性症状)等
控訴人A2は,被爆して2,3日後から,微熱と下痢が約10日間継
続した。なお,控訴人A2は,昭和29年のABCCによる被爆実態調
査において急性症状の申告をしなかったが,相当数の被爆者はABCC
に自らの急性症状を回答することに躊躇いを感じていたのであり,同申20
告がないことをもって急性症状の存在は否定されない。
病歴等
控訴人A2は,昭和20年末頃,目やにが出るようになり,屋外では
日光がまぶしく目を細めなければならない状態となった。この状態が小
学校を卒業する頃まで継続した。また,17,18歳頃まで両まぶたの25
部分が腫れていた。控訴人A2は,20代に,眼精疲労,肩こり,腰痛
及び心臓不整脈等が現れ,現在も続いている。
控訴人A2は,昭和60年頃,慢性甲状腺炎により広島市民病院に約
3か月間通院して投薬治療を受けた。
控訴人A2は,平成10年心臓病により同病院に通院し,平成15年
7月,甲状腺機能低下症によりC1クリニックに通院して,いずれも現5
在まで投薬治療を受けている。
このほか,控訴人A2は,平成18年5月,慢性胃炎及び食道静脈瘤
により舟入病院に通院し,以後,1年に1回,内視鏡による経過観察中
である。
甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性10
疫学研究の結果,甲状腺機能低下症は放射線被曝との間に有意な線量
反応関係があり,自己免疫性甲状腺機能低下症についても,放射線被曝
との間に一定の関連性が存在するとされている。
甲状腺機能低下症は,新審査の方針においても積極認定対象疾病であ
るとされた。15
放射線起因性があること
控訴人A2は,べき相
当程度の放射線被曝をした。控訴人A2は被爆時年齢が2歳であり放射
線感受性が特に高かった。甲状腺機能低下症は放射線被
曝との間に関連性があり,他の原因も存在しないことからすると,控訴20
人A2の甲状腺機能低下症には放射線起因性がある。
なお,控訴人A2は,抗甲状腺自己抗体が陰性であり,自己免疫性甲
状腺機能低下症(橋本病)ではない。控訴人A2の甲状腺機能低下症は
橋本病とは異なる原因である放射線被曝による。
【被控訴人の主張】25
被曝の程度
控訴人A2は爆心地から約2.7kmの自宅建物内で被爆しており,
DS02による初期放射線の被曝線量(遮蔽あり)は約0.00437
5グレイと推定され,相当低い。控訴人A2が主張する入市及び灰状の
ものが付着したとの事実はなく,控訴人A2の母親が被爆者を救護し,
控訴人A2が自宅での生活を続けたとしても,残留放射線による被曝線5
量も相当低い。そして,控訴人A2には,放射線被曝による急性期の身
体症状が発現していない。控訴人A2の被曝線量は,全体としても相当
低く,およそ0.1グレイを上回る放射線に被曝したとは考え難い。
甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性の有無及び程度
低線量の放射線被曝と甲状腺機能低下症との間には関連性が存在しな10
い。万一,両者の間に一定の関連性が存在するとしても,ごく低線量の
放射線被曝から推定される甲状腺機能低下症の発症リスクは相当低い。
なお,控訴人A2は,血液検査において,抗Tg抗体及び抗TPO抗
体がいずれも陰性であったが,自己免疫性の甲状腺機能低下症の確定診
断は病理検査による必要がある。また,自己抗体の測定は検査キットに15
よっても差異があるから,控訴人A2の甲状腺機能低下症が自己免疫性
である可能性は十分に考えられる。そして,自己免疫性の甲状腺機能低
下症と放射線被曝との間に統計学的に有意な関連性があるとする知見は
一部に限られるのであり,これらの間に関連性は存在しない。
他の原因(危険因子)の有無及び程度20
控訴人A2は,昭和60年(42歳)頃に慢性甲状腺炎に罹患し,平
成14年7月(59歳)で甲状腺機能低下症と診断されたところ,60
歳を超える男性の約8%は潜在性甲状腺機能低下症であり,その原因は
慢性甲状腺炎が最も多いとされている。控訴人A2が甲状腺機能低下症
を発症するまでの経過は,一般的な甲状腺機能低下症の発症経過と何ら25
相違ない。
総合考慮
上記を総合考慮すると,控訴人A2の甲状腺機能低下症が
放射線被曝により発症した可能性は極めて低く,加齢に伴い慢性甲状腺
炎を発症し,その後,これが増悪し,甲状腺機能低下症を発症するに至
ったと考えて,医学的に何ら不自然不合理ではない。5
よって,控訴人A2の甲状腺機能低下症に放射線起因性があるとはい
えない。
イ甲状腺機能低下症に要医療性があるか。
【控訴人A2の主張】
控訴人A2は,現在もC1クリニックを継続的に受診し,チラーヂンS10
を服用しているから,要医療性がある。
【被控訴人の主張】
否認ないし争う。
控訴人A3
ア甲状腺機能低下症に放射線起因性があるか。15
【控訴人A3の主張】
被爆時の状況,被爆後の行動等
控訴人A3(当時13歳)は,広島原爆が投下された時,爆心地から
約2.5kmの地点に位置する広島市舟入南町●丁目の自宅前の路上に
いた。被爆により右半身に火傷を負った。20
控訴人A3は,自宅玄関前の防空壕に逃げ込み,その後,自宅が半壊
して住むことができなかったため,自宅近くの会社(戸田工業)の部屋
に1週間程度住まわせてもらった。
被爆後に生じた症状(急性症状)等
控訴人A3は,昭和20年8月16日又は同月17日,松山市に避難25
することとなり,舟入南町から住吉橋,明治橋及び鷹野橋を経て宇品港
まで歩いた(爆心地から約1.3kmの地点を通過した。)。四国に渡り,
旅館に一泊した際,発熱,下痢及び血便の症状が現れた。控訴人A3は
赤痢と間違われて隔離病棟に数日間収容されたが,この間脱毛も生じた。
控訴人A3は,その後赤痢でないことが分かり,同年9月半ば過ぎに広
島に帰った。5
病歴等
控訴人A3は,昭和26年頃及び昭和37年頃に肝臓病に罹患した。
また,昭和36年卵巣膿腫の手術を受けた。昭和47年頃膝が悪くなり
整形外科で投薬治療を受けた。平成元年痔の手術,平成9年腹部大動脈
瘤の手術をそれぞれ受け,胆石も見つかった。また,耳鼻科でメヌエル10
氏病の診断を受けた。
控訴人A3は,平成10年(当時66歳),甲状腺機能低下症と診断さ
れた。
このほか,控訴人A3は,平成14年両膝変形性関節症,変形性脊椎
症及び頸椎骨軟化症と診断され,平成22年白内障手術を受けた。15
放射線起因性があること
控訴人A3は,健康に影響を及ぼすべき相
当程度の放射線被曝をした。甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性
A2り,他の原因は存在
しないから,控訴人A3の甲状腺機能低下症には放射線起因性がある。20
【被控訴人の主張】
被曝の程度
控訴人A3は爆心地から約2.5kmの路上において被爆しており,
DS02による初期放射線の被曝線量は約0.0126グレイと推定さ
れ,相当低い。また,仮に控訴人A3が広島原爆投下の10日又は1125
日後に爆心地から約1.3kmの地点に立ち入っていたとしても,残留
放射線の被曝線量も相当低い。控訴人A3に,放射線被曝による急性期
の身体症状が発現したことはなく,下痢及び血便が赤痢によるものであ
った疑いは排除されない。そうすると,控訴人A3は,全体としてもお
よそ0.1グレイを上回る放射線に被曝したとは考え難い。
甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性の有無及び程度5
低線量の放射線被曝と甲状
腺機能低下症との間に関連性が存在するとしても,その発症リスクは相
当低い。
他の原因(危険因子)の有無及び程度
控訴人A3は女性であり,平成8年(当時64歳)頃に甲状腺機能低10
下症の診断がされたところ(控訴人A3は診断時66歳であったと主張
している。),60歳を超えた女性の約15%は甲状腺機能低下症(潜在
性のものを含む。)である。控訴人A3が甲状腺機能低下症を発症するま
での経過は,一般的な甲状腺機能低下症の発症経過と何ら相違ない。
総合考慮15
上記を総合考慮すると,控訴人A3の甲状腺機能低下症が
放射線被曝により発症した可能性は極めて低く,加齢に伴い甲状腺機能
低下症を発症するに至ったと考えて,医学的に何ら不自然不合理ではな
い。
よって,控訴人A3の甲状腺機能低下症に放射線起因性があるとはい20
えない。
イ甲状腺機能低下症に要医療性があるか。
【控訴人A3の主張】
控訴人A3は,甲状腺機能低下症と診断されて以来,現在までチラーヂ
ン投与による薬物治療を継続しており,要医療性がある。25
【被控訴人の主張】
否認ないし争う。
ウ狭心症に放射線起因性があるか。
【控訴人A3の主張】
被爆時の状況,被爆後の行動等,被爆後に生じた症状(急性症状)等
及び病歴5
上記ア【控訴人A3の主張】。
狭心症と放射線被曝との関連性
疫学研究の結果,狭心症を含む心血管疾患一般と放射線被曝(低線量
被曝を含む。)との間に放射線起因性があることが明らかにされていると
ころ,心筋梗塞については新審査の方針において積極認定対象疾病とさ10
れた。そして,上記疫学研究は,加齢等の危険因子を織り込んでいるほ
か,高血圧及び脂質異常症それ自体に放射線被曝が関与していることを
も明らかにしているのであり,控訴人A3の狭心症が放射線被曝と関係
のない高血圧等により発症したとはいえない。
放射線起因性があること15
控訴人A3は,健康に影響を及ぼすべき相当程度の
連性があり,他の原因によることも否定されること(むしろ促進される
こと)からすると,控訴人A3の狭心症には放射線起因性がある。
【被控訴人の主張】20
被曝の程度
上記ア
狭心症と放射線被曝との関連性の有無及び程度
放射線被曝と狭心症を含む虚血性心疾患との関連性について,危険因
子が存在してもなお放射線被曝がその発症に大きく寄与するか否かを判25
断し得る科学的知見は確立しておらず,現在の知見においても,1~2
グレイ以下の被曝については,電離放射線と心血管疾患との因果関係を
立証するには十分でないと結論付けられている。
他の原因(危険因子)の有無及び程度
狭心症は動脈硬化を主因とする生活習慣病であるところ,控訴人A3
は65歳頃に狭心症を発症しており,放射線被曝の影響の有無にかかわ5
らず,狭心症を発症し得る年齢であった。また,控訴人A3には,狭心
症の重要な危険因子である高血圧及び脂質異常症が存在していたところ,
危険因子の重積により有病率は加速度的に増加する。
総合考慮
上記を総合考慮すると,控訴人A3の狭心症が放射線被曝10
により発症した可能性は極めて低く,重積した危険因子の作用により発
症するに至ったと考えて,医学的に何ら不自然不合理ではない。
よって,控訴人A3の狭心症に放射線起因性があるとはいえない。
エ狭心症に要医療性があるか。
【控訴人A3の主張】15
要医療性がある。
【被控訴人の主張】
否認ないし争う。
オ高血圧に放射線起因性があるか。
【控訴人A3の主張】20
被爆時の状況,被爆後の行動等,被爆後に生じた症状(急性症状)等及
び病歴は,上記ア【控訴人A3上記
ウ【控訴人A3の主張】高血
圧に関与していることが明らかとなっている。
よって,控訴人A3の高血圧には放射線起因性がある。25
【被控訴人の主張】
被曝の程度
上記ア
高血圧と放射線被曝との関連性の有無及び程度
高血圧と放射線被曝との関連性を明確に関連付ける医学的知見は存在
しない。5
他の原因(危険因子)の有無及び程度
控訴人A3は65歳頃に高血圧の診断を受けたところ,60歳以上の
女性の約50%以上が高血圧とされている。高血圧は,環境因子や加齢
の影響を強く受けるのであり,控訴人A3もその影響を受けた可能性が
高い。10
総合考慮
上記を総合考慮すると,控訴人A3の高血圧が放射線被曝
により発症した可能性は極めて低く,環境因子の作用により発症するに
至ったと考えて,医学的に何ら不自然不合理ではない。
よって,控訴人A3の高血圧に放射線起因性があるとはいえない。15
カ高血圧に要医療性があるか。
【控訴人A3の主張】
要医療性がある。
【被控訴人の主張】
否認ないし争う。20
控訴人A4
ア甲状腺機能低下症に放射線起因性があるか。
【控訴人A4の主張】
被爆時の状況,被爆後の行動等
控訴人A4(当時4歳)は,広島原爆が投下された時,爆心地から約25
2.5kmの地点に位置する広島市南千田町の自宅近くの畑におり,爆
風により飛ばされ脇腹を強打して負傷した。
控訴人A4は,自宅が倒壊したため,千田町の修道中学校のグラウン
ドに避難し他の被爆者とともに野宿した。控訴人A4は,昭和20年8
月7日,父親に連れられて,帰宅しない姉を捜すために,広島電鉄本社
及び広島赤十字病院付近を回り,爆心地から約1.6kmの地点まで接5
近した。控訴人A4は,同月8日から同月15日までの間も,同様に連
れられて,南千田町,鷹野橋,袋町,紙屋町,八丁堀及び鉄砲町付近ま
で歩き回り,爆心地から500m以内にまで接近した。控訴人A4は,
この頃まで,修道中学校のグラウンドで野宿を続けていた。
被爆後に生じた症状(急性症状)等10
控訴人A4は,被爆の2,3日後に,下痢及び発熱が生じた。また,
被爆後は,顔色も青白く元気がなくなった。
病歴等
控訴人A4は,昭和22年頃小児喘息となった。また,平成11年脳
梗塞を発症して入院し,平成13年左膝血管内上皮腫により入院し手術15
を受けた。そして,平成17年喘息を発症し,現在も投薬治療中である。
控訴人A4は,平成20年,甲状腺機能低下症を発症した。
放射線起因性があること
控訴人A4は,健康に影響を及ぼすべき相
当程度の被曝をした。控訴人A4は被爆時年齢が4歳であり放射線感受20
性が特に高かった。甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性は,上記
A2他の原因も存在し
ないことからすると,控訴人A4の甲状腺機能低下症には放射線起因性
がある。
【被控訴人の主張】25
被曝の程度
控訴人A4は,爆心地から約2.5kmの自宅付近の屋外で被爆して
おり,DS02による初期放射線の被曝線量は約0.0126グレイと
推定され,相当低い。また,その後の入市状況は,昭和20年8月7日
に爆心地から約1.6~2.5kmの地点付近に約1時間滞在し,同月
8日に爆心地付近に入市したにとどまるから,残留放射線の被曝線量も5
相当低い。そして,控訴人A4は,放射線被曝による急性期の身体症状
も現れなかったのであり,その被曝の程度は,全体としても相当低く,
およそ0.1グレイを上回る放射線に被曝したとは考え難い。
甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性の有無・程度
のとおりである。10
他の原因(危険因子)の有無及び程度
控訴人A4は,66歳頃に自己免疫性甲状腺機能低下症に罹患したと
ころ,控訴人A4が甲状腺機能低下症を発症するまでの経過は,一般的
な甲状腺機能低下症の発症経過と何ら相違ない。
総合考慮15
上記を総合考慮すると,控訴人A4の甲状腺機能低下症が
放射線被曝により発症した可能性は極めて低く,加齢に伴い甲状腺機能
低下症を発症するに至ったと考えて,医学的に何ら不自然不合理ではな
い。
よって,控訴人A4の甲状腺機能低下症に放射線起因性があるとはい20
えない。
イ甲状腺機能低下症に要医療性があるか。
【控訴人A4の主張】
控訴人A4は,甲状腺機能低下症と診断された後現在に至るまでチラー
ヂンの投与を受けて治療を継続しているから,要医療性がある。25
【被控訴人の主張】
否認ないし争う。
ウ脳梗塞後遺症(脳梗塞により起こされたもろもろの後遺症状をいうもの
と解されるため,以下,脳梗塞について検討する。)に放射線起因性がある
か。
【控訴人A4の主張】5
被爆時の状況,被爆後の行動等,被爆後に生じた症状(急性症状)等
及び病歴
上記ア【控訴人A4。
脳梗塞と放射線被曝との関連性
疫学研究の結果,心筋梗塞等の心疾患と放射線被曝との関連性につい10
て,しきい値がないことが合理的根拠に基づき明らかにされている。そ
して,心筋梗塞が新審査の方針において積極認定対象疾病であるとされ
たところ,脳梗塞は,循環器疾患である点において心筋梗塞と共通する
から,しきい値がなく,一般に放射線被曝との関連性がある疾病である。
また,疫学研究において,喫煙,高血圧及び脂質異常症の交絡因子が15
あっても,脳梗塞と放射線被曝との線量反応関係があり,放射線リスク
推定にほとんど影響を及ぼさないとされているほか,かえって,高血圧
及び脂質異常症については,それ自体が放射線被曝との関連性があると
されている。
放射線起因性があること20
控訴人A4は,健康に影響を及ぼすべき相当程度の
放射線被曝をした。控訴人A4は被爆時年齢が4歳であり放射線感受性
のとおり脳梗塞は放射線被曝との関連性が
あり,他の原因によることも否定されること(むしろ促進されること)
からすると,控訴人A4の脳梗塞後遺症は放射線起因性がある。25
【被控訴人の主張】
被曝の程度
上記ア
脳梗塞と放射線被曝との関連性の有無及び程度
脳梗塞については,放射線被曝との関連性が存在しない。放射線被曝
の未解明性を考慮し,さらに放射線防護の観点から,循環器疾患のしき5
い値が0.5グレイ程度まで低い可能性がある点を考慮しても,脳梗塞
と放射線被曝との関連性は相当消極的に考えるべきであり,低線量被曝
の場合はしきい値を考慮すべきである。
他の原因(危険因子)の有無及び程度
控訴人A4は58歳で脳梗塞を発症したところ,脳梗塞の発症年齢と10
して不自然でない。また,控訴人A4は,20歳頃から1日20~40
本の喫煙をしており,脳梗塞発症の約2年前から高血圧症や脂質異常症
に罹患していた。高血圧や脂質異常症という危険因子が2個重積するこ
とにより,脳卒中のリスクは約2.5倍高くなるとされている。そして,
高血圧及び脂質異常症と放射線被曝との間に控訴人A4が主張するよう15
な関連性はない。
総合考慮
上記を総合考慮すると,控訴人A4の脳梗塞が放射線被曝
により発症し各危険因子
のみにより脳梗塞を発症したと合理的に説明することができる。20
よって,控訴人A4の脳梗塞後遺症に放射線起因性があるとはいえな
い。
エ脳梗塞後遺症に要医療性があるか。
【控訴人A4の主張】
控訴人A4は,現在も再発防止のため薬物利用を受けているから,要医25
療性がある。
【被控訴人の主張】
否認ないし争う。
控訴人A5
ア甲状腺機能低下症に放射線起因性があるか。
【控訴人A5の主張】5
被爆時の状況,被爆後の行動等
控訴人A5(当時10歳)は,広島原爆が投下された時,広島市東雲
町の爆心地から約2.8kmの地点に位置する自宅にいた。当時窓は開
いており,控訴人A5は着替えのため上半身裸になっていたところ,意
識を失った。控訴人A5は,意識を回復したときタンスの下敷きになっ10
ていた。背中にはすだれの竹が4,5本刺さり流血しており,胴体にシ
ュミーズを巻いて血止めをしてもらった。控訴人A5は,建物疎開の手
伝いのため富士見町付近に行っていた兄を捜すため,裸足で段原,鶴見
橋を経て富士見町まで行き,同所付近で兄を捜したが見つからず,稲荷
橋,的場町を経て自宅に戻った(被爆直後,爆心地から1.5km以内15
の地点に長時間滞在していたことになる。)。その後,控訴人A5は,大
洲町のブドウ畑に避難したところ,そこには多数の避難者がいた。食料
がなかったためブドウ畑のブドウを食べ,その日はブドウ畑で夜を明か
した。
控訴人A5は,昭和20年8月7日,兄の死亡が判明し,葬儀のため20
安芸郡熊野町に行き,同日中に自宅に戻った。同月10日に食料の配給
がされるまで,屋外に置いてあった防火用のバケツや水槽に溜まった水
を飲んでいた。
控訴人A5は,同月7日夕刻から,比治山国民学校の校庭の砂場で死
体の焼却作業をし,1週間程度これを続けた。また,火災により損壊し25
た伯父の自宅(爆心地から約2km以内)の片付け作業を,1か月間程
度かけて行った。
控訴人A5の背中の負傷は化膿し,治癒までに約3か月間を要した。
被爆後に生じた症状(急性症状)等
控訴人A5は,被爆後発熱した。そして,10日後頃に頭部の脱毛が
始まり,その2~3日後には完全脱毛の状態になった。5
病歴等
控訴人A5は,中学2年生頃,盲腸になり,検査の結果白血球の数値
に異常が認められた。31歳頃まで,倦怠感や体調不良のため段原の医
療機関に通院し,30代から47歳頃まで,重度の倦怠感等のためC3
病院に通院した。43歳頃中国中央病院に2回入院し,47歳頃広島大10
学病院(前身の広島大学医学部附属病院についても,以下「広島大学病
院」という。)に3回入院した。47歳頃から67歳頃まで,C4内科循
環器科医院に通院し,甲状腺機能の異常及び狭心症と診断された。
控訴人A5は,67歳頃から現在まで,C7クリニックに通院してお
り,甲状腺機能低下症,高血圧,狭心症,糖尿病,変形性関節症及び乾15
燥症候群と診断された。C5病院又はC6脳神経外科においてMRI検
査を受けている。
放射線起因性があること
控訴人A5は,健康に影響を及ぼすべき相
当程度の被曝をした。甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性は,上20
A2
しないことからすると,控訴人A5の甲状腺機能低下症には放射線起因
性がある。
なお,仮に控訴人A5の甲状腺機能低下症が甲状腺機能亢進症(バセ
ドウ病)に対する放射線治療によるものであったとしても,甲状腺機能25
低下症も甲状腺機能亢進症も同じ自己免疫性甲状腺疾患である。放射線
が免疫系に影響を与えることが明らかとなっているところ,甲状腺機能
低下症のみならず甲状腺機能亢進症にも放射線の影響が考えられる。控
訴人A5が甲状腺機能亢進症であったとしても,原爆放射線の影響によ
るものであり,これに対して放射線治療がされた結果甲状腺機能低下症
に罹患したとすれば,放射線起因性はなお否定されない。5
【被控訴人の主張】
被曝の程度
控訴人A5は爆心地から約2.8~3kmの木造平屋建物内で被爆し
ており,DS02による初期放射線の被曝線量は,遮蔽があることを考
慮しなくても約0.00228グレイと推計され,相当低い。また,控10
訴人A5がその後入市した事実はなく,むしろ,昭和20年8月16日
までは爆心地から遠く離れた安芸郡熊野町で生活をしていたから,残留
放射線による被曝の程度はおよそ考慮する必要がない。さらに,控訴人
A5は,放射線による急性期の身体症状が現れたなどの事情もないから,
全体としての被曝線量も相当低い。15
甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性の有無及び程度
のとおり,低線量の放射線被曝と甲状
腺機能低下症との間に関連性が存在するとしても,その発症リスクは相
当低い。
他の原因(危険因子)の有無及び程度20
控訴人A5は,遅くとも66歳までに甲状腺機能低下症に罹患するに
至ったものであるが,48歳の時に広島大学病院に入院して甲状腺機能
亢進症(バセドウ病)の放射線治療として放射性ヨード131(3ミリ
キュリー)の投与を受けた。これは約2.442シーベルトの放射線被
曝に相当する。上記治療は甲状腺組織を破壊させることによりその機能25
を低下させることを目的とするため,同治療を受けたほとんどの患者が
20~30年経過後に甲状腺機能低下症に至る。
控訴人A5の甲状腺機能亢進症と広島原爆による放射線被曝との間に
関連性は存在しない。
総合考慮
上記を総合考慮すると,控訴人A5の甲状腺機能低下症が5
広島原爆の放射線被曝により発症した可能性は極めて低く,もっぱら放
射線治療により発症した医原性甲状腺機能低下症であると考えて,医学
的に何ら不自然不合理ではない。
よって,控訴人A5の甲状腺機能低下症に放射線起因性があるとはい
えない。10
イ甲状腺機能低下症に要医療性があるか。
【控訴人A5の主張】
控訴人A5は,現在もC7クリニックを継続的に受診し,チラーヂンを
服用しており,要医療性がある。
【被控訴人の主張】15
否認ないし争う。
控訴人A6
ア高血圧症に放射線起因性があるか。
【控訴人A6の主張】
被爆時の状況,被爆後の行動等20
控訴人A6(当時1歳)は,広島原爆が投下された時,爆心地から約
2.3kmの地点に位置する広島市愛宕町の木造平屋建物内にいた。同
建物は倒壊を免れたものの窓ガラスが粉々になって家の中に散乱した。
控訴人A6は,被爆直後,防空壕に避難した。
控訴人A6は,被爆後,母に背負われて防空壕と自宅を往復し,また,25
母は控訴人A6のおしめを洗濯するために,近くの川に出かけるのが日
課であった。控訴人A6は,時間は不明であるが,黒い雨に遭ったこと
があった。
被爆後に生じた症状(急性症状)等
控訴人A6は,被爆後,下痢と発熱に苦しみ,被爆後間もなくして脱
毛が生じた。5
病歴等
控訴人A6は,昭和34年頃貧血でよく倒れていた。昭和37年健康
診断で高血圧と診断された。昭和60年,身体の不調を感じて広島大学
病院で診察を受けたところ,高血圧と診断され,2か月間入院した。さ
らに血液検査の結果,造血機能障害と診断されて投薬治療を続けること10
になった。控訴人A6は,その後も同病院に通院したが,貧血と高血圧
のために入退院を約6回繰り返したところ,昭和63年頃入院中に腹痛
が起こり,胆石と診断され,胆嚢の全摘手術を受けた。
控訴人A6は,平成10年4月27日に倒れて広島大学病院に救急搬
送された。脳卒中(視床部脳内出血)と診断され,左半身が全く動かず15
言語障害もあった。その時の後遺症(視床痛)により,顔や手の痛みが
ある。控訴人A6は,平成18年6月頃,視床痛を和らげるために,広
島赤十字・原爆病院でリハビリ治療を受けるようになり,現在も通院治
療中である。
控訴人A6は,平成18年7月頃,尿の排泄がしにくくなり,検査し20
たところ,腎臓が萎縮し,健康体に比べると約半分になっていた。また,
同年8月頃,MRI検査の結果脳梗塞と診断され,その後左半身の麻痺
が強まった。
控訴人A6は,平成19年,甲状腺機能低下症と診断され,現在も投
薬治療中である。25
控訴人A6は,平成20年1月,急に食欲がなくなり,腹部が腫れて
きたのでエコー検査を受けたところ,腸に水が溜まっていた。同月8日
腸閉塞と診断された。現在も投薬治療を続け,薬によって大腸を動かし
ているが,すぐに水が溜まり薬も排泄してしまうので,薬の量も増え,
栄養も十分に摂れない状態が続いている。腎臓病も悪化しており,すぐ
に脱水症状になるため,その都度点滴治療を受けている。広島大学病院5
では,アルドステロン症と診断された。
控訴人A6は,平成21年10月7日,大腸全摘手術を受け,小腸と
直腸を繋いでいるが,そのため水分の吸収ができず,腎臓も悪化してい
る。現在も広島赤十字・原爆病院に通院している。
高血圧症と放射線被曝との関連性10
上記ウ【控訴人A3
被曝が高血圧に関与していることが明らかとなっている。なお,高血圧
の放射線起因性は,特定の高血圧症を除外して検討されているものでは
なく,本態性高血圧症とアルドステロン症による二次性高血圧症を区別
することに意味はない。15
放射線起因性があること
控訴人A6は,健康に影響を及ぼすべき相
当程度の放射線被曝をした。も否定されること
(むしろ促進されること)からすると,控訴人A6の高血圧症には放射
線起因性がある。20
【被控訴人の主張】
被曝の程度
控訴人A6は爆心地から約2.3kmの建物内で被爆しており,DS
02による初期放射線の被曝線量(遮蔽あり)は約0.01778グレ
イと推定され,相当低い。また,控訴人A6は,被爆後しばらくの間同25
所で生活していたところ,その間,「黒い雨」に遭うなどの事実もなく,
残留放射線による被曝線量も相当低い。控訴人A6は,放射線被曝によ
る急性期の身体症状が発現したこともなく,全体としての被曝線量は,
0.1グレイを大幅に下回る程度の相当低いものであった。
高血圧症(原発性アルドステロン症)と放射線被曝との関連性の有無
及び程度5
控訴人A6は,昭和60年ないし昭和63年頃には高血圧症と診断さ
れ,平成20年1月頃に原発性アルドステロン症の確定診断を受けたと
推測される。内分泌疾患である原発性アルドステロン症であっても,環
境因子や加齢に起因する本態性高血圧症であっても,放射線被曝との関
連性を明確に関連付ける医学的知見はない。むしろ放射線以外の原因に10
よるものと考えるのが自然かつ合理的である。
よって,控訴人A6の高血圧症は放射線起因性がない。
イ高血圧症に要医療性があるか。
【控訴人A6の主張】
控訴人A6は,通院治療を受けているから,要医療性がある。15
【被控訴人の主張】
否認ないし争う。
ウ脳出血後遺症(脳出血により起こされたもろもろの後遺症状をいうもの
と解されるため,以下,脳出血について検討する。)及び脳梗塞に放射線起
因性があるか。20
【控訴人A6の主張】
被爆時の状況,被爆後の行動等,被爆後に生じた症状(急性症状)等
及び病歴
上記ア【控訴人A6
脳出血後遺症及び脳梗塞と放射線被曝との関連性25
A4り,脳出血及び脳梗塞は,
いずれも一般に放射線被曝との関連性がある。
他の原因について
高血圧,脂質異常症及び慢性腎臓病(CKD)が脳出血及び脳梗塞の
危険因子であるとしても,疫学研究の結果,放射線被曝は,高血圧及び
A3,慢性炎5
症を引き起こし,低線量放射線により直接CKDを発症させることが明
らかとなっている。控訴人A6が高血圧症,CKD等の疾病に多数罹患
していることは,かえって,放射線の影響を受けていることを裏付ける
ものである。
放射線起因性があること10
控訴人A6は,健康に影響を及ぼすべき相当程度の放
射線被曝をしたところ,脳出血及び脳梗塞と放射線被曝
との間には関連性がある。によることも否定さ
れること(むしろ促進されること)からすると,控訴人A6の脳出血後
遺症及び脳梗塞には放射線起因性がある。15
【被控訴人の主張】
被曝の程度
脳出血後遺症及び脳梗塞と放射線被曝との関連性の有無及び程度
被曝との間で関連性が存在しない。脳出血については,疫学研究の結果
により,一定の関連性が認められ得るものの,特に女性について,1.
3グレイ未満の放射線被曝との間の関連性は相当程度慎重に検討される
べきである。
他の原因(危険因子)の有無及び程度25
控訴人A6は53歳で脳出血を,61歳で脳梗塞をそれぞれ発症した
が,同各疾病の発症年齢として何ら不自然ではない。また,脳出血及び
脳梗塞のいずれも高血圧を最大の危険因子とするところ,控訴人A6は,
昭和49年頃高血圧を指摘され,特に,昭和62年頃から平成6年頃ま
での間に,高血圧の加療目的で入退院を繰り返すなど,重度の高血圧症
であった。さらに,控訴人A6は,脳梗塞が確認される以前から,脂質5
異常症及びCKDに罹患していたところ,これらも脳梗塞の発症に寄与
し得る危険因子である。脂質異常症及びCKDと放射線被曝との間に控
訴人A6が主張する関連性は存在しない。
総合考慮
上記を総合考慮すると,控訴人A6の脳出血及び脳梗塞が10
放射線被曝により発症した可能性は極めて低く,
各危険因子のみにより脳出血及び脳梗塞を発症したと合理的に説明する
ことができる。
よって,控訴人A6の脳出血後遺症及び脳梗塞につきいずれも放射線
起因性があるとはいえない。15
エ脳出血後遺症及び脳梗塞に要医療性があるか。
【控訴人A6の主張】
控訴人A6は,通院治療を受けているから,要医療性がある。
【被控訴人の主張】
否認ないし争う。20
オ本件控訴人A6申請時において,貧血に罹患していたか。
【控訴人A6の主張】
控訴人A6は,本件控訴人A6申請時,貧血に罹患していた。
【被控訴人の主張】
否認ないし争う。成人女性の場合,ヘモグロビン濃度が11.5g/d25
ℓ未満の場合を貧血ということが多いが,控訴人A6のヘモグロビン値は1
2.3g/dℓで正常範囲内である。
カ貧血に放射線起因性があるか。
【控訴人A6の主張】
被爆時の状況,被爆後の行動等,被爆後に生じた症状(急性症状)等及
び病歴は,上記ア【控訴人A6控訴5
人A6は健康に影響を及ぼすべき相当程度の放射線被曝をしたから,貧血
につき放射線起因性がある。
【被控訴人の主張】
否認ないし争う。
キ貧血に要医療性があるか。10
【控訴人A6の主張】
要医療性がある。
【被控訴人の主張】
否認ないし争う。
ク甲状腺機能低下症に放射線起因性があるか。15
【控訴人A6の主張】
被爆時の状況,被爆後の行動等,被爆後に生じた症状(急性症状)等
及び病歴
上記ア【控訴人A6
放射線起因性があること20
控訴人A6
被曝をした。控訴人A6は被爆時年齢が1歳であり放射線感受性が特に
訴人A2
からすると,控訴人A6の甲状腺機能低下症には放射線起因性がある。25
【被控訴人の主張】
被爆の程度
上記ア【被控訴人の主張】のとおりである。
甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性の有無及び程度
り,低線量の放射線被曝と甲状
腺機能低下症との間に関連性が存在するとしても,その発症リスクは相5
当低い。
連性がない。
他の原因(危険因子)の有無及び程度
控訴人A6は,平成19年9月25日(当時63歳),チラーヂンSの
投与を開始するとの判断がされたところ,同日及び実際にチラーヂンS10
の処方がされた同年10月2日の各検査結果は,TSHのみ軽度高値で
あり,FT4は正常範囲内であったから,潜在性甲状腺機能低下症であ
った。そして,上記処方後の平成22年3月23日の検査結果はTSH
が異常低値であり,チラーヂンの過剰投与が疑われ,同日時点でも潜在
性甲状腺機能低下症であった可能性が排除されないところ,60歳を超15
えた女性の約15%が潜在性甲状腺機能低下症であるとされている。
総合考慮
上記を総合考慮すると,控訴人A6の甲状腺機能低下症が
放射線被曝により発症した可能性は極めて低く,加齢に伴い潜在性甲状
腺機能低下症を発症したと考えて,医学的に何ら不自然不合理ではない。20
よって,控訴人A6の甲状腺機能低下症につき放射線起因性があると
はいえない。
ケ甲状腺機能低下症に要医療性があるか。
【控訴人A6の主張】
控訴人A6は,通院治療を受けているから,要医療性がある。25
【被控訴人の主張】
否認ないし争う。
控訴人A7
ア心筋梗塞に放射線起因性があるか。
【控訴人A7の主張】
被爆時の状況,被爆後の行動等5
控訴人A7(当時7歳)は,広島原爆が投下された時,疎開先の広島
県賀茂郡原村にいた。
控訴人A7は,昭和20年8月12日早朝,家族の安否確認等のため,
兄G1,姉G2とともに広島市内に向かい,同日午後4時又は午後5時
頃(原爆投下から約150時間後),爆心地から約1.8kmの地点に位10
置する広島市猿猴橋町にある自宅付近に到着した。崩壊していた自宅付
近に家族はおらず,控訴人A7は,付近の京橋町,的場町及び松川町の
心当たりのある場所で父G3を捜したが,見つからなかった。控訴人A
7は,夜遅くなって牛田町のG3の知人宅を訪ねてG3と再会した。控
訴人A7及びその家族は,同月13日から,倒壊した自宅や近所の家屋15
の廃材等を集めて自宅跡地に,バラック小屋を作り始めた。夜は防空壕
で過ごした。控訴人A7は,G3から,袋町や十日市町の親戚宅に行き,
言伝をしたり,食物を届けたり融通してもらったりするように言われ,
急造のバラック小屋で生活している袋町や十日市町の親戚を毎日のよう
に訪ねた。控訴人A7の家族は,食料がなくなり,破裂した水道管から20
漏れ出ている水を飲んだり,近辺に散らばって放置されたままとなって
いた保存食や乾パン等を拾い集め食べたりするなどした。控訴人A7は,
このような生活を,夏休み一杯続け,同月29日頃疎開先の小学校に通
うため原村に戻った。そして,同年9月下旬広島の自宅に戻り,以後バ
ラック小屋(自宅)で家族と一緒に生活した。25
被爆後に生じた症状(急性症状)等
控訴人A7は,入市して約2週間経過後から,発熱,下痢が始まり,
2~3か月間続いた。昭和20年9月から耳鳴りを患い,2年間通院し
た。同年秋には脱毛の症状が現れた。
病歴等
控訴人A7は,昭和29年1月肺浸潤に罹患して3~4か月間通院し,5
昭和48年5月胃潰瘍と診断され約1年間通院した。昭和50年8月及
び平成4年11月,変形性脊椎症のため,それぞれ約6か月間,約3か
月間通院した。
控訴人A7は,平成5年2月,救急搬送されて心筋梗塞と診断され,
約1か月間入院した。10
控訴人A7は,平成16年2月緑内障(右)手術を,平成17年緑内
障(左)手術をそれぞれ受けた。平成24年11月には白内障(右)手
術も受けた。
控訴人A7は,平成20年1月胆のう全摘手術を受け,同年4月以降
現在まで,心筋梗塞及び緑内障の治療のため,通院を続けている。15
心筋梗塞と放射線被曝との関連性
心筋梗塞と放射線被曝との間に有意な関連性があることは,国際的な
認識が確立しており,多数の疫学研究により,0~1グレイの低線量被
曝において心疾患に対する影響があることが明らかにされている。線量
反応しきい値分析の結果0グレイが最適値であるとする分析もあり,心20
筋梗塞と放射線被曝との関連性の程度については,しきい値がないと想
定することが合理的である。新審査の方針においても,心筋梗塞は積極
認定対象疾病であるとされた。
また,上記心疾患に対する影響は,喫煙及び脂質異常症等の交絡因子
を調整してもほとんど変わらないとされている。むしろ,脂質異常症に25
ついては,それ自体が放射線被曝の影響を受けることが明らかとなって
いる。
放射線起因性があること
控訴人A7は,べき相
当程度の放射線被曝をした。控訴人A7は被爆時年齢が7歳であり放射
線感受性が特に高かった。放射線被曝との関5
連性があり,他の原因によることも否定されること(むしろ促進される
こと)からすると,控訴人A7の心筋梗塞は放射線起因性がある。
なお,控訴人A7の心筋梗塞の発症年齢は55歳であり,加齢は危険
因子として重要でない。控訴人A7の喫煙歴を重視することはできない。
【被控訴人の主張】10
被曝の程度
控訴人A7は,広島原爆が投下された時,爆心地から20km以上離
れた原村にいたため,初期放射線による影響は受けていない。また,控
訴人A7は,昭和20年8月12日に入市し,同月14日に原村に戻っ
たところ,この間の誘導放射線による被曝の程度もごく僅かであった。15
そして,控訴人A7には,放射線被曝による急性期の身体症状の発現も
なかったから,その被曝線量は,全体としてもおよそ人体に健康影響が
及ばない程度のものであった。
心筋梗塞と放射線被曝との関連性の有無及び程度
現在の信頼性の高い知見において,少なくとも0.5グレイを下回る20
被曝線量についてまで心筋梗塞を含む心疾患と放射線被曝との間の直接
的な因果関係があるとはされていない。また,放射線被曝が低線量にな
ればなるほど心筋梗塞の発症リスクは低減するとされている。そうする
と,放射線被曝が低線量であった場合には,心筋梗塞発症との間の関連
性の程度はより慎重に検討されるべきである。25
他の原因(危険因子)の有無及び程度
控訴人A7は,21歳頃から平成5年2月(当時55歳)に心筋梗塞
を発症するまでの約34年間,1日20~30本もの喫煙をしていた。
また,控訴人A7は,平成5年4月21日の血液検査の結果,高LDL
コレステロール,低HDLコレステロール及び高トリグリセライドが確
認され,脂質異常症の治療が開始されたのであり,心筋梗塞を発症した5
当時既に脂質異常症が進行していた。脂質異常症と放射線被曝との間に
関連性はない。
総合考慮
上記を総合考慮すると,控訴人A7の心筋梗塞が放射線被
曝により発症した可能性は極めて低く,医学的にも,上記10
子のみにより心筋梗塞を発症したと合理的に説明することができる。
よって,控訴人A7の心筋梗塞に放射線起因性があるとはいえない。
イ心筋梗塞に要医療性があるか。
【控訴人A7の主張】
控訴人A7は,治療のために通院しているから,要医療性がある。15
【被控訴人の主張】
否認ないし争う。
控訴人A8
ア心筋梗塞に放射線起因性があるか。
【控訴人A8の主張】20
被爆時の状況,被爆後の行動
控訴人A8(当時16歳)は,広島原爆が投下された時,爆心地から
約4.1kmの地点に位置する広島市南観音町の学徒動員先の三菱重工
製缶工場におり,敷地内の事務所から工場に向かって屋外を歩いていた。
控訴人A8は,熱風と爆風に襲われ,咄嗟に両手で頭を覆い地面に伏せ25
たところ,上方からスレートやガラスの破片等が落下し,右手首を負傷
した。控訴人A8は急いで防空壕に避難した。
控訴人A8は,数時間後大竹市の自宅に帰ることとした。歩いている
途中,西大橋(爆心地から約2km)の手前付近において黒い雨が降り
始め,しばらくの間全身が濡れた状態となった。控訴人A8は,衣服が
焼けて大火傷を負った多数の被爆者とともに歩き,庚午近辺でトラック5
の荷台に乗せてもらった。廿日市駅でトラックを降りたが,駅構内は被
爆者で溢れていた。ようやく乗ることができた汽車も負傷者で立錐の余
地もないほどであった。控訴人A8は,2時間程度乗車し,午後7時頃
帰宅した。
控訴人A8は,昭和20年8月8日,広島市楠木町(爆心地から約1.10
4km)に住んでいた親戚(伯父)の安否確認のため広島市内に向かっ
た。己斐駅で汽車を降り,旭橋(爆心地から約2.5km),西大橋を渡
って南下し,午前8時前,伯父も勤務していた三菱重工製缶工場に到着
した。伯父が通勤中に被爆したと考えた控訴人A8は,その後同工場を
出て,徒歩で天満川沿いの西側堤防を北上し,観音橋を渡り,土橋,十15
日市町(爆心地から約0.7km)を経て,横川駅(同1.5km)・楠
木町方面に向かった。控訴人A8は,学校,寺社及び川土手等に設けら
れていた各救護所に立ち寄り,伯父を捜した。救護所には,遺体や瀕死
状態の人が並べられており,控訴人A8は,名札を確認したり,身体に
触って特徴を確認したりしたが,伯父は見つからず,午後6時過ぎ横川20
駅から汽車に乗って帰宅した。
控訴人A8は,同月9日午前7時30分頃横川駅に到着し,徒歩で伯
父一家の自宅周辺や三滝の竹藪,焼け落ちた陸軍病院,太田川沿いの大
芝公園等を見て回った。午後6時過ぎに横川駅から汽車で帰宅した。
控訴人A8は,同月10日から同月15日までは午前8時から午後125
時頃まで,同月16日から同月18日までは午前8時から午前10時頃
まで,学校の指示で己斐の旭山(黒い雨が激しく降った区域である。)で
木材の運搬作業に従事した。
被爆後に生じた症状(急性症状)等
控訴人A8は,昭和20年8月15日頃から極度の全身のだるさ,倦
怠感に見舞われるようになった。同月下旬頃からは,1日に急に何回も5
下痢をするようになり,血便も出た。下痢は同年9月中旬まで続いた。
そして39度の高熱が2日間続き,その後も5日間程度下がらなかった。
同年8月末頃には,歯茎から出血し,手足に紫色の斑点が現れた。
控訴人A8は,被爆後間もなくほとんど寝たままの状態になり,同年
9月中旬頃何とか起き上がれるようになった。10
病歴等
控訴人A8は,被爆直後からの全身の倦怠感や風邪を引きやすい状態
がその後も続き,昭和22年4月に逓信局に就職したものの3か月経過
後頃から微熱が続き,倦怠感及び食欲不振にも見舞われ,体力や気力を
維持することができず退職を余儀なくされた。また,出血するとなかな15
か血が止まらず,歯や歯茎も弱くなり,31歳で歯を全て失い,総入れ
歯となった。
控訴人A8は,昭和40年頃,急に意識がなくなる症状が出始め,約
1年間続いた。昭和47年(当時44歳),虚血性心疾患と診断され,通
院治療により症状はいったん治まった。昭和60年頃呼吸が止まり意識20
がなくなる症状が1か月間に3回程度生じ,検査の結果異常はなかった
が,倦怠感・胃弱は続いた。
控訴人A8は,平成20年9月25日夜(当時79歳),就寝直後に胸
が重苦しく呼吸困難となった。同年10月8日,広島市民病院で心筋梗
塞と診断され,入院してステントを挿入する治療を受けた。現在も,通25
院治療および検査入院を継続している。
心筋梗塞と放射線被曝との関連性について
ア【控訴人A7の主張】のとおり,心筋梗塞と放射線被曝と
の間には有意な関連性がある。喫煙及び脂質異常症等の交絡因子の存在
は同関連性をほとんど左右せず,かえって,喫煙を除く交絡因子につい
ては,それ自体が放射線被曝の影響を受ける。5
放射線起因性があること
控訴人A8は,健康に影響を及ぼすべき相
当程度の放射線被曝をした。放射線被曝との
関連性があり,他の原因によることも否定されること(むしろ促進され
ること)からすると,控訴人A8の心筋梗塞には放射線起因性がある。10
なお,控訴人A8は昭和47年(当時44歳)に虚血性心疾患を発症
し,これが平成20年の心筋梗塞の発症に繋がったから,心筋梗塞診断
時の年齢(79歳)は危険因子ではない。控訴人A8の心筋梗塞発症当
時のトリグリセライド及び総コレステロールはいずれも正常範囲内であ
り,かかりつけ内科医も経過良好としていた。そして,控訴人A8は昭15
和32年(35歳)頃以降喫煙をしていないから,喫煙歴を重視するこ
とはできない。
【被控訴人の主張】
被曝の程度
控訴人A8は,爆心地から約4.1kmと遠距離のしかも屋内におい20
て被爆した。DS02による初期放射線の被曝線量は,遮蔽があること
を考慮しなくても0.0001グレイを更に下回ると推定されるのであ
り,ごく僅かであった。また,控訴人A8がその後己斐地区を通過した
際に放射性降下物が降下したとしても,残留放射線の被曝の程度は低線
量にとどまる上,放射線被曝に起因する急性期の身体症状が発現したこ25
とがなく,昭和47年頃虚血性心疾患に罹患したとの事実が存在しない
ことも併せ考慮すると,全体として被曝の程度は低線量であった。
心筋梗塞と放射線被曝との関連性の有無及び程度
ア【被控訴人の主張】のとおりであり,放射線被曝が低線量
であった場合には,心筋梗塞発症との間の関連性の程度はより慎重に検
討されるべきである。5
他の原因(危険因子)の有無及び程度
控訴人A8は,79歳という高齢になってから心筋梗塞を発症した。
また,控訴人A8は,昭和47年頃以降長年脂質異常症に罹患し,か
つ,35歳から63歳まで長期間喫煙をしていた。63歳で禁煙したと
しても,喫煙により長期間にわたって血管壁に形成された粥腫が完全に10
消失することはないところ,平成20年10月当時,控訴人A8の動脈
硬化は既に相当進行していた。
総合考慮
上記を総合考慮すると,控訴人A8の心筋梗塞が放射線被
曝により発症した可能性は極めて低く,医学的にも,上記各危険因子の15
みでこれらを発症したと合理的に説明することができる。
よって,控訴人A8の心筋梗塞に放射線起因性があるとはいえない。
イ心筋梗塞に要医療性があるか。
【控訴人A8の主張】
要医療性があることは明らかである。20
【被控訴人の主張】
否認ないし争う。
控訴人A9
ア本件控訴人A9申請時に甲状腺機能低下症に罹患していたか。
【控訴人A9の主張】25
控訴人A9は昭和46年C10内科で甲状腺機能低下症と診断され,チ
ラーヂンの服用を開始した。その後,平成3年4月26日C9クリニック
を受診(初診)し,平成21年7月からはC8クリニックを受診するよう
になった。控訴人A9は,この間ずっとチラーヂンの服用を続けた。C9
クリニックの上記初診時の検査結果は,TSHが異常値(低値),FT4が
正常値であり,その後の検査結果も同様であったが,上記服用の影響を受5
けたものである。そしてチラーヂンの処方は,甲状腺機能低下症の確定診
断がされていなければ行われない反面,甲状腺機能低下症は治る見込みが
なく,同処方は一生続くのであるから,昭和46年上記診断を受けていた
控訴人A9は,本件控訴人A9申請時においても甲状腺機能低下症に罹患
していた。10
なお,控訴人A9のTSHが感度以下に低下してもチラーヂンSの処方
が休止されなかったのは,臨床現場において,前医の処方箋を確認するこ
とができ,患者に何らの異常が認められない場合には,前医の診断を信頼
して薬の処方を継続するとの経験則が存在し,控訴人A9に係る甲状腺機
能低下症の診断についても合理的な信頼が生じていたからである。15
【被控訴人の主張】
控訴人A9は,遅くとも平成3年4月26日以降平成25年9月24日
(本件控訴人A9申請がされたのは平成22年3月2日である。)まで,継
続して1日50μgのチラーヂンSの投与を受けこれを服用していたとこ
ろ,この間,TSHはほとんどが異常値(低値)であり,その大部分は測20
定可能な範囲(感度)以下を示していた。チラーヂンSの上記投与量は比
較的少量であり,上記服用によりTSHの大部分が感度以下に低下したの
であるから,控訴人A9の甲状腺機能が正常であった可能性が十分に存在
する。このような場合,上記投与を中止して甲状腺機能を検査する必要が
あるが,控訴人A9についてはされていない。25
よって,控訴人A9は,本件控訴人A9申請時点において,甲状腺機能
低下症に罹患していたとはいえない。
イ甲状腺機能低下症に放射線起因性があるか。
【控訴人A9の主張】
被爆時の状況,被爆後の行動等
控訴人A9(当時14歳)は,広島電鉄家政女学校で寮生活をしてい5
たところ,広島原爆が投下された時,爆心地から約2.5kmの地点に
位置する広島市皆実町の同校木造講堂内にいた。控訴人A9は咄嗟に床
に伏せ,怪我や火傷はしなかった。
控訴人A9は,すぐに講堂の外に出た。避難先として指定されていた
鈴が峰の実践女学校のある西の山側方向に歩いて避難することになった。10
地理が不案内であった控訴人A9は,爆心地方向を避け,爆風で飛び散
ったガラスや瓦礫等を踏まないようにして,真っ黒になりながら西広島
方面に向かった。日が暮れてから己斐駅(西広島駅)に着き,さらに線
路沿いに歩いて実践女学校に向かった。到着した時には午後9~10時
になっていた。実践女学校には既に多くの被爆者が避難しており,火傷15
等が酷く,死んだように動かない人も多数運ばれてきていた。
控訴人A9は,昭和20年8月27日頃まで,その講堂内で避難生活
を送った。避難して2~3日後から同月末頃まで,宮島駅から己斐駅ま
で往復する広電電車の車掌として働いた。仕事が休みの日等の午後に,
広電市内線の線路をたどり,土橋付近まで2,3回同級生を捜しに行っ20
たが,誰も見つけることはできなかった。
被爆後に生じた症状(急性症状)等
控訴人A9は,昭和20年8月末頃,唇や口の中の粘膜が剥がれ口に
水もふくめないほどの痛みが生じ,飲食もできなくなったので,安芸高
田市の実家に帰った。実家に戻ってからすぐに,頭髪がほとんど抜け落25
ち,発熱があり,下痢及び血便が1週間程度続いた。その後めまいのす
る状態が同年冬を過ぎる頃まで続き,頭髪が男性の短髪程度の長さにな
るまで1年程度要した。
病歴等
控訴人A9は,18歳頃から貧血及びめまいがするようになった。昭
和36年頃の健康診断で甲状腺が悪いと言われ,広島大学病院で検査を5
受けたが,治療の必要はないとされ,以後通院しなかった。
控訴人A9は,昭和46年頃,C10内科を受診し,甲状腺機能低下
症と診断され,以後通院した。平成3年4月からC9クリニックに通院
し,平成21年7月からはC8内科に通院している。
放射線起因性があること10
控訴人A9健康に影響を及ぼすべき相
当程度の放射線被曝をした。甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性
ア【控訴人A2
も存在しないことからすると,控訴人A9の甲状腺機能低下症には放射
線起因性がある。15
【被控訴人の主張】
被曝の程度
控訴人A9は爆心地から約2.5kmの木造講堂内で被爆しており,
DS02による初期放射線の被曝線量は,遮蔽状況を十分考慮しない場
合で約0.005グレイと推定され,実際にはこれを下回ることが見込20
まれるのであり,相当低い。また,控訴人A9は,その後爆心地から約
1kmの地点に入市したことはなく,残留放射線による被曝の程度も相
当低い。さらに,放射線被曝による急性期の身体症状が発現したことも
なかったことなどから,全体としての被曝の程度は相当低い。
甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性の有無及び程度25
,低線量の放射線被曝と甲状
腺機能低下症との間に関連性が存在するとしても,その発症リスクは相
当低い。
他の原因(危険因子)の有無及び程度
控訴人A9が仮に41歳頃に甲状腺機能低下症に罹患していたとして
も,その年齢及び性別の点から,一般的な甲状腺機能低下症の発症経過5
と何ら相違ない。
総合考慮
上記を総合考慮すると,控訴人A9の甲状腺機能低下症が
放射線被曝により発症した可能性は極めて低く,加齢に伴い甲状腺機能
低下症を発症したと考えて,医学的に何ら不自然不合理ではない。10
よって,控訴人A9の甲状腺機能低下症に放射線起因性があるとはい
えない。
ウ甲状腺機能低下症に要医療性があるか。
【控訴人A9の主張】
控訴人A9は,チラーヂンの服用を続けているから,要医療性がある。15
【被控訴人の主張】
否認ないし争う。
控訴人A10について
ア急性心筋梗塞に放射線起因性があるか。
【控訴人A10の主張】20
被爆時の状況,被爆後の行動等
控訴人A10(当時3歳)は,広島原爆が投下された時,爆心地から
約3kmの地点に位置する広島市牛田町の自宅におり,飛行機の音がし
て遮蔽物のない濡れ縁(敷居の外側につけられた軒下の廊下)に踏み出
ようとしていた。鴨居に掛けてあった額縁が落下し,控訴人A10は額25
に5cm程度の切傷を負って意識を失った。顔面にも火傷を負い,油を
塗り野草による民間治療をした。控訴人A10は,姉に手を引かれて裏
山に避難した。裏山には黒い雨が降った。
控訴人A10は,裏山から戻ると,自宅が全焼していたため,約10
0m離れた伯父のE1宅(爆心地から約3km)に身を寄せた。E1宅
は部分損壊であった。控訴人A10の両親は,当日,広島市基町の陸軍5
基町倉庫(爆心地から約1.2km)の作業中に被爆し,意識不明とな
った。E1夫婦が両名を捜しに行き,リヤカーに乗せてE1宅に運んだ。
そのE1夫婦も,爆心地から約2.3kmの田で農作業の準備中に被爆
し,その田に連れてこられていた両名の長男及び二男も被爆した。両名
の長女も爆心地から約1.2kmの富士見町で被爆した。10
控訴人A10は,近距離被爆をした重症の両親らを含む被爆者少なく
とも11名とともにE1宅で共同生活をした。控訴人A10の父親は昭
和20年8月8日死亡し,母親は昭和39年頃脳出血で倒れて右半身不
随となり,昭和49年4月24日,62歳で死亡した。その余の当時の
同居者も,がん,心筋梗塞及び脳梗塞等の疾病に罹患した。15
被爆後に生じた症状(急性症状)等
控訴人A10は,被爆直後,下痢が続いた。また,幼年時は病弱であ
り,小学生の頃に腎盂炎を患った。
病歴等
控訴人A10の病歴等は以下のとおりである。20
平成14年又は15年硬膜下血腫のため,頭蓋骨にドリルで穴を開け
て血を抜く手術を受け,平成15年下肢静脈瘤のため,血管40cmを
取り除く手術を受けた。同年12月4日不安定狭心症,同月9日狭心症,
脂質異常症及び高血圧症と診断され,同月左冠動脈狭窄(#7の狭窄率
99%)のためカテーテル治療を受けた。25
平成16年3月11日腰痛症,2型糖尿病,同年5月24日多発性両
側腎のう胞と診断された。
平成17年2月10日慢性心不全,同年11月15日片頭痛と診断さ
れ,また,同年12月2日に白内障(両眼)と診断された。平成18年
2月23日慢性胃炎と診断され,同年8月心臓カテーテルを受けた。
平成19年4月25日小脳出血(入院治療を受け,現在も通院治療中5
である。),同年5月11日軽度の両側頸動脈狭窄,同年8月11日逆流
性食道炎(再発),同年11月15日末梢神経炎,平成20年6月2日め
まい症となった。
平成21年3月31日急性心内膜下梗塞(急性心筋梗塞)のため,同
年4月1日緊急入院し,以後内服治療中である。同年6月12日陳旧性10
脳梗塞と診断された。
平成22年8月11日両肩関節周囲炎,平成23年11月7日急性上
気道炎,平成24年7月9日腰椎圧迫骨折となった。
控訴人A10は,同年5月8日左眼の白内障手術を受けた。
急性心筋梗塞と放射線被曝との関連性15
ア【控訴人A7の主張】,心筋梗塞と放射線被曝と
の間には有意な関連性がある。喫煙,高血圧及び脂質異常症等の交絡因
子の存在は同関連性をほとんど左右しない。かえって,高血圧及び脂質
異常症等の喫煙を除く交絡因子については,それ自体が放射線被曝の影
響を受ける。20
放射線起因性があること
控訴人A10健康に影響を及ぼすべき
相当程度の放射線被曝を心筋梗塞は放射線との関
連性がある疾病であり,他の原因によることも否定されること(むしろ
促進されること)からすると,控訴人A10の急性心筋梗塞には放射線25
起因性がある。
なお,控訴人A10が急性心筋梗塞を発症したのは平成21年3月3
1日(当時67歳)であるところ,それ以前の平成15年12月には不
安定狭心症(#7の狭窄率99%)で血栓が大きくなって閉塞すると心
筋梗塞が発症する状態であった。加齢は他の原因として有力でない。ま
た,控訴人A10が高血圧であったとは必ずしもいえず,高血圧の傾向5
にあったとしても,心筋梗塞の発症を招く程度の高血圧ではなかった。
血糖値も概ね正常範囲内であった。そして,控訴人A10は,平成15
年12月までに32年間禁煙していた。若年時の放射線被曝は動脈硬化
との間に関連性があり,脂質異常症も放射線被曝の影響を受ける。以上
のとおり,加齢以外の危険因子も放射線起因性を否定する事情とはなら10
ない。
【被控訴人の主張】
被曝の程度
控訴人A10は,爆心地から約3kmの地点にある建物内で被爆して
おり(土壁による遮蔽があった。),DS02による初期放射線の被曝線15
量は約0.002グレイ(遮蔽を考慮するとさらに低下する。)とごく僅
かであった。
控訴人A10の主張する被爆後の行動(他の被爆者らとの共同生活)
等の事実を前提としても,残留放射線による被曝線量もごく僅かであり,
控訴人A10は放射線被曝による急性期の身体症状が発現したこともな20
かったから,その被曝の程度は全体としても相当低線量であった。
急性心筋梗塞と放射線被曝との関連性の有無及び程度
ア【被控訴人の主張】り,放射線被曝が低線量
であった場合には,急性心筋梗塞発症との間の関連性の程度はより慎重
に検討されるべきである。25
他の原因(危険因子)の有無及び程度
控訴人A10が急性心筋梗塞を発症したのは67歳であり,一般に心
筋梗塞を十分に発症し得る年齢である。また,控訴人A10は,遅くと
も平成10年6月5日に脂質異常症の治療薬が処方され,その後も長年
にわたり脂質異常症に罹患していた。控訴人A10は,高血糖,肥満及
び高血圧であったほか,20歳頃から約10年間の喫煙歴もあった。上5
記各危険因子と放射線被曝との間にはいずれも関連性がない。
総合考慮
上記を総合考慮すると,控訴人A10の急性心筋梗塞が放
射線被曝により発症した可能性は極めて低く,医学的にも,上記各危険
因子のみでこれらを発症したと合理的に説明することができる。10
よって,控訴人A10の心筋梗塞に放射線起因性があるとはいえない。
イ急性心筋梗塞に要医療性があるか。
【控訴人A10の主張】
控訴人A10は,医師の指示に従い,通院して診察を受け,検査をし,
投薬を受けているから,要医療性がある。15
【被控訴人の主張】
否認ないし争う。
ウ白内障に放射線起因性があるか。
【控訴人A10の主張】
被爆時の状況,被爆後の行動等,被爆後に生じた症状(急性症状)等20
及び病歴
上記ア【控訴人A10
白内障と放射線被曝との関連性
放射線の白内障に対する影響は,現在の国際的な研究結果では,しき
い値のない確率的影響(放射線による健康影響のうち,被曝した放射線25
量が多いほど影響の出現する確率が高まるもの)であると解されている。
被控訴人は,しきい値が0.5グレイであると強調するが,かつての旧
審査の方針においては,しきい値が1.75シーベルトとされていた。
そして,現在の研究結果によれば,後嚢下混濁のある放射線白内障の
ほか,若年時の放射線被曝による早発性の加齢性白内障が存在し,被爆
後数十年経過後に発症し後嚢下以外の皮質等の部分に混濁が生じた白内5
障との間にも放射線被曝との関連性があることが明らかとされている。
新審査の方針においても,放射線白内障は積極認定対象疾病とされて
いる。同方針においては加齢性白内障を除くとされているが,放射線の
確率的影響として白内障を考えた場合,純粋な加齢性白内障と区別する
ことは不可能であり,被爆者に生じた皮質等の混濁による白内障も放射10
線白内障に当たる。
放射線起因性があること
控訴人A10すべき相当程度の
放射線被曝をした。そして,放射線被曝との間
には関連性があるところ,白内障の発症は63歳よりも前であったこと,15
放射線白内障に特徴的な後嚢下混濁があること等も併せ考慮すると,控
訴人A10の白内障は放射線起因性がある。
仮に控訴人A10の白内障が加齢性であったとしても,その症状であ
る皮質混濁は放射線に起因して生じたものである。
【被控訴人の主張】20
被曝の程度
上記ア【被控訴人の主張】のとおりである。
白内障と放射線被曝との関連性の有無及び程度
原爆症認定の対象となるのは,被爆者援護法10条1項の文言上,放
射線白内障に限られる。25
白内障の放射線影響のしきい値について,放射線防護の観点を加味し
た上で,0.5グレイであるとするのが国際的な共通認識であり,0.
5グレイ未満の低線量被曝と白内障との間に関連性はない。
また,放射線白内障は,水晶体前嚢直下にある上皮細胞が分裂する際
に被曝による障害を受け,変性した細胞が核を持ったまま後嚢中央部で
ある後極に移動して集まることにより,光の直進が妨げられ,後嚢下の5
混濁が起こると考えられているところ(被曝により遺伝子が損傷し,細
胞分裂・分化の結果,異常な線維細胞が集積して起こるとの知見もある。),
少なくとも核混濁及び前嚢下混濁が放射線の影響により生じ得るとの医
学的知見は存在しない。後嚢下混濁の所見も,糖尿病白内障に特徴的に
生じるほか,加齢性白内障においても,核混濁や皮質混濁と並んで一般10
的に生じる。
他の原因(危険因子)の有無及び程度
控訴人A10が白内障を発症したのは,一般に66%以上の割合で白
内障が認められる60歳代(63歳)である。その所見は両眼前嚢下混
濁及び左眼後嚢下の軽度混濁であり,いずれも加齢性白内障においてし15
ばしばみられる所見である。加えて,控訴人A10は,平成16年3月
11日以降高血糖の状態が断続的に続いており,糖尿病により白内障(左
眼後嚢下の軽度混濁)が発症した可能性も十分にある。
総合考慮
上記を総合考慮すると,控訴人A10の白内障が放射線被20
曝により発症した可能性は極めて低く,加齢及び糖尿病により白内障を
発症したと考えて,医学的に何ら不自然不合理ではない。
よって,控訴人A10の白内障に放射線起因性があるとはいえない。
エ白内障に要医療性があるか。
【控訴人A10の主張】25
「現に医療を要する状態にある」(要医療性)の解釈
要医療性がある場合とは,疾病等につき,被爆者援護法10条2項に
規定する医療の給付を要する状態にある場合をいい,積極的な治療行為
を伴う場合に限られず,当該疾病等の予後として悪化や再発が予想され,
状況に応じて的確に積極的な治療を行うべく経過観察を受けているとき
は,「診察」(被爆者援護法10条2項1号)を要する状態にあるとして,5
要医療性があるというべきである。被爆者援護法の国家補償的側面に照
らすと,被爆者が白内障につき健康診断を受けることができ,一般医療
費の支給がされるから問題が生じないということはできない。
白内障治療に関し,医師と患者は,点眼治療にもかかわらず視力の低
下が一層進む場合に,やむを得ず眼内レンズ挿入手術を行うことを選択10
するのであり,白内障の種類(加齢性白内障か放射線白内障か)や混濁
の部位により治療法を選択するのではない。医師は,白内障患者に対し,
手術を勧める場合もあれば,経過観察とする場合もある。手術である以
上,リスクは一定程度あり,一定の疾患を伴っている場合はそのリスク
はさらに増加するし,その効果が100%保障されたものではないこと15
も伝える。このような結果として手術を選択しない患者や,手術に至る
までの期間の患者に対し,医師は,主として点眼液(カリーユニ点眼液
等)を投与する。白内障患者にとって,これらは定期的な通院治療であ
り,経過観察である。医療を要するか否かに関する医師の裁量は尊重さ
れるべきであるところ,医師の裁量的判断により上記のような経過観察20
が行われている場合には,手術ではなくとも白内障の治療であることに
変わりはなく,医療を要する状態にある。
白内障に要医療性があること
控訴人A10は,医師の判断により,カリーユニ点眼液の処方を受け
ながら経過観察を行っていたところ,左眼は平成24年5月に手術を受25
けた。右眼についても平成30年2月20日,視力0.02(矯正0.
15)で白内障が確認され,同年4月16日に手術を受けた。それまで
続けられてきた経過観察及び点眼に要医療性があったことを裏付ける。
よって,控訴人A10の白内障は,いずれも要医療性がある。
【被控訴人の主張】
「現に医療を要する状態にある」(要医療性)の解釈5
要医療性がある場合とは,被爆者が,原爆症認定申請時において,積
極的な治療(医学的に有効適切なもの)を要する状態にあることをいう。
白内障に対する有効適切な治療法は手術のみであるから,白内障につ
いて要医療性があるというためには,原爆症認定申請時において,当該
白内障につき手術を要する状態であることが必要である。10
右白内障に要医療性があるとはいえないこと
控訴人A10は平成24年6月21日に本件控訴人A10申請を行っ
たところ,同年5月8日,左白内障については手術が行われたのに対し,
右白内障については,医師から,軽度なので手術をせずに様子を見る旨
を伝えられ,実際,同月9日時点の控訴人A10の右眼の矯正視力は0.15
9とかなり良好であった。また,控訴人A10は,本件控訴人A10申
請をした当時及びこれと近接した時点において,カリーユニ点眼液は処
方されていなかった(もっとも,同点眼液は放射線白内障の治療のため
医学的に有効適切なものではない。)。
よって,控訴人A10の右白内障に要医療性があるとはいえない。20
控訴人A11(右白内障に要医療性があるか。)
【控訴人A11の主張】
アA10の主張】のとおり,要医療性がある場合とは,
状況に応じて的確に積極的な治療を行うべく経過観察を受けている場合も
含まれる。25
イ控訴人A11は,平成19年1月19日,核と後嚢下皮質部分に混濁が
あり(このほか黄斑変性も確認された。),両眼白内障(軽度~中等度)と
診断された。視力は右0.1,左0.5であり,いずれも手術適応がある
とされた。白内障の診察は継続して行われ,平成20年12月には左眼に
ついて白内障手術が行われた(点眼液は効果が少ないとして処方されなか
った。)。平成27年10月頃から,右白内障の混濁部位に変化はなかった5
ものの,視力低下がみられ,多少進行傾向にあるとして,同年11月30
日進行抑止のためにカリーユニ点眼液の処方が開始された。白内障の治療
において水晶体の混濁を除去するには,現在のところ,手術によるほかな
いが,臨床の現場では,症状の進行抑止のためカリーユニ点眼液が処方さ
れることも多い。控訴人A11の意思によっては,右眼についても手術を10
受ける可能性がある。
控訴人A11は,平成26年9月18日の本件控訴人A11申請時にお
いて,定期的な経過観察がされるにすぎなかったが,状況に応じて的確に
積極的な治療を行うべく経過観察を受けていたのであるから,その右白内
障に要医療性がある。15
【被控訴人の主張】

のとおりであるところ,控訴人A11の右白内障については,本件控訴人A
11申請時において,手術を要する状態にあったとはいえないから,要医療
性があるとはいえない。カリーユニ点眼液の投与は放射線白内障の治療に効20
果はない上,そもそもその処方が開始されたのは本件控訴人A11申請から
1年以上経過した後のことである。
よって,控訴人A11の右白内障につき要医療性があるとはいえない。
3本件各処分につき行政手続法8条違反があるか。
【控訴人らの主張】25
行政手続法8条は,拒否処分をする場合につき理由を示さなければならない
と定めているが,被控訴人は,本件各処分をするにつき具体的な理由を付して
いなかったから,手続上の違法事由が存在する。
【被控訴人の主張】
争う。
第3章当裁判所の判断5
第1放射線起因性の判断基準(争点1)
1放射線起因性の立証の程度等
被爆者援護法10条1項,11条1項の規定によれば,原爆症認定の要件と
して,①被爆者が現に医療を要する状態にあること(要医療性)のほか,②現
に医療を要する疾病等が原子爆弾の放射線に起因するものであるか,又は,上10
記疾病等が放射線以外の原子爆弾の傷害作用に起因するものであって,その者
の治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けているため上記状態にあること
(放射線起因性)が必要であると解される。
行政処分の要件として因果関係の存在が必要とされる場合に,その拒否処分
の取消訴訟において原告(控訴人)がすべき因果関係の立証の程度は,特別の15
定めがない限り,通常の民事訴訟における場合と異なるものではない。そして,
訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではない
が,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招
来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通
常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必20
要とすると解すべきである(最高裁判所平成12年7月18日第三小法廷判決・
裁判集民事198号529頁参照〔以下「平成12年最判」という。〕)。
被爆者援護法には,同法11条1項の原爆症認定に係る放射線起因性の立証
の程度につき特別の定めはされていない。かえって,同法は,給付ごとに支給
要件を区別して定めているところ,健康管理手当や介護手当の支給要件につい25
てはいずれも弱い因果の関係でよい旨を明文で規定していること(同法27条
1項,31条)と対比すれば,原爆症認定については,原爆放射線と疾病等又
は治癒能力の低下との間に通常の因果関係があることを要件として定めたもの
と解するのが相当である。
以上によると,原爆症認定の要件とされている放射線起因性については,控
訴人らにおいて,控訴人ら(控訴人Bらを除く。)及びA1が原爆放射線に被曝5
したことにより,その疾病又は治癒能力の低下を招来した関係を是認し得る高
度の蓋然性を証明する必要があり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない
程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とするものと解すべきで
ある。
控訴人らは,被爆者援護法の趣旨・目的や原爆被害の立証の困難性等を根拠10
として,特段の事情がない限り,放射線起因性が存在すると解すべきである旨
を主張する。この点につき,控訴人らの指摘する観点を無視することはできな
いが,そうであるからといって,一般的に訴訟上の因果関係の立証の程度を軽
減することは許されないというべきである。放射線起因性の直接的な立証が困
難であることは,後記2のとおり放射線起因性の判断をいかに行うかという方15
法を検討するに際して考慮することとする。
2放射線起因性の具体的判断手法
放射線起因性の立証の程度は上記1のとおりであるが,人間の身体に疾病が
生じた場合に,その発症に至る過程においては,多くの要因が複合的に関連し
ていることが通常であり,特定の要因から当該疾病の発症に至った機序を逐一20
解明することには困難が伴う。特に,放射線に起因する疾病は,放射線に起因
することによって特異な症状を呈するとは限らず,放射線に起因しない場合と
その症状が同様であることもまま見受けられる上,放射線が人体に影響を与え
る機序は,科学的にその詳細が解明されてはおらず,長期間にわたる調査にも
かかわらず,放射線と疾病の関係についての知見は,統計学的,疫学的解析に25
よる有意性の確認等の限られたものにとどまっており,これらの科学的知見に
も一定の限界があるところである。
これらからすると,放射線起因性の判断に当たっては,当該疾病の発症に至
る医学的又は病理学的機序を直接証明することを求めるのではなく,当該被爆
者の放射線への被曝の程度と,統計学的又は疫学的知見等に基づく申請疾病と
放射線被曝との関連性の有無及びその程度とを中心的な考慮要素としつつ,こ5
れに当該疾病に係る他の原因(危険因子)の有無及び程度を総合的に考慮して,
原子爆弾の放射線への被曝の事実が当該申請に係る疾病又は治癒能力の低下を
招来した関係を是認し得る高度の蓋然性が認められるか否かを経験則に照らし
て判断するのが相当であるというべきである。
控訴人らは,低線量被曝の危険性も無視することはできない旨を主張するが,10
この点についても,被曝の程度,申請疾病と放射線被曝との関連性の有無及び
その程度等の枠組みにおいて判断するのが相当である。
3被曝線量の評価方法
新審査の方針における被曝線量の評価方法
放射線起因性の判断に当たっては,上記2のとおり,当該被爆者の放射線15
への被曝の程度が中心的な考慮要素の一つとなる。厚生労働大臣が原爆症認
定を行うに当たっては,原則として,疾病・障害認定審査会の意見を聴かな
ければならないとされているところ,上記第2章第2の法令の定め等,証拠
(乙B1〔18頁〕,2〔15頁〕)及び弁論の全趣旨によれば,医療分科会
は,旧審査の方針の下において,被爆者の被曝線量を,①初期放射線による20
被曝線量の値に,②残留放射線(誘導放射線)による被曝線量の値及び③放
射性降下物による被曝線量の値を加えて得た値とし,④内部被曝による被曝
線量は特に考慮していなかったことが認められる。新審査の方針も,このよ
うな取扱いの変更に言及するものではなかったから,大枠として同様の評価
方法を踏襲していると認められる(乙A6,弁論の全趣旨)。25
そこで,以下,現在の新審査の方針の下における医療分科会の具体的な被
曝線量の評価方法を踏まえて,上記①~④の評価方法の合理性を検討し,さ
らに,これらに関連する⑤遠距離被爆者及び入市被爆者の各被曝線量の評価
について検討する。
初期放射線の被曝線量の評価
ア初期放射線等5
初期放射線とは,原子爆弾のウラン235(広島原爆)又はプルトニ
ウム239(長崎原爆)が臨界状態に達し,爆弾が爆発する直前に,瞬
時に放出された放射線であり,その主要成分は,ガンマ線(90%以上)
及び中性子線である(上記第2章第3の前提事実〔以下,単に「前提事
ア,乙B3〔4頁〕,62)。10
なお,原子爆弾のエネルギーは,通常の爆弾と異なり,爆風(後記a)
と強烈な熱線(後記b),放射線を伴った。エネルギー分布は,爆風が5
0%,熱線が35%,放射線が15%であったとされる。爆風,熱線と
発生した火災の複合的効果により被害は広範囲にわたり,建物(鉄筋コ
ンクリート建物を含む。)の全壊全焼(灰燼に帰した状態)は爆心地から15
半径2kmの区域全体に及び,半壊は同4kmの範囲にまで及んだ。(乙
B3〔3頁〕,121,122)
a爆風
爆発と同時に爆発点に数十万気圧という超高気圧が発生した。そし
て空中に生じた火球の表面から衝撃波が発生し,これが先行する爆風20
となった。その後強い外向きの爆風が続き,風速は爆心地付近で28
0m/秒,約3.2kmの地点でも28m/秒であった(台風につい
て,平均風速25m/秒以上の風が吹いているか,吹く可能性がある
範囲を暴風域と呼ぶ〔顕著な事実〕。)。外向きの風が吹き止むと,外側
から内側に弱い風が吹き込み,爆心地で上昇気流となってキノコ雲の25
幹を形成した。(乙B3〔3頁〕,121)
b熱線
上記火球は,爆発の瞬間に最高で数百万度に達し,爆心地の地表温
度は約3000~4000℃になった。火球から放射された熱線の9
9%が地上に影響を与え,露出した皮膚での熱線による熱傷は広島原
爆では爆心地から約3.5km,長崎原爆では同4kmにまで及んだ。5
約1.2km以内で無遮蔽であった者は致命的な熱傷を受けた。
(乙B3〔3頁〕,121)
イDS02
DS86の策定
原爆被爆者の線量推定方式については,昭和40年,アメリカの研究10
者により,T65D(Tentative1965Dose)が開
発され,放射線による健康影響が量的に評価されるようになった。T6
5Dはその後約20年間放影研による疫学研究等に使われてきた。しか
し,1970年代後半以降,T65Dに対して様々な問題点が指摘され
るようになり,日米合同の研究者グループにおいて線量評価方法の検討15
が重ねられた。そして,昭和61年,日米合同の原爆放射線量再評価検
討委員会において,新しい線量評価方式として,DS86が策定,発表
された。
DS86は,当時の最新の核物理学の理論に基づき,高性能の大型コ
ンピュータを駆使して,爆弾の出力を推定し,ソースタームを実験によ20
り検証した上,空気中カーマ,遮蔽カーマ及び臓器カーマの計算モデル
を統合した線量計算方法であり,被爆者の遮蔽データを入力してその被
曝線量を計算するシステムである。上にいうソースタームは,最初に原
子爆弾から放出される放射性粒子や量子の個数及びその角度分布とエネ
ルギー分布をいい,カーマとは,吸収線量と似た概念で,電荷を持たな25
い放射線が物質に照射されたときにその単位質量当たりに発生する荷電
粒子の初期運動エネルギーの総和をいう(乙B61,160)。空気中カ
ーマは,爆弾から空気中を伝播してきた放射線量で,被爆者の周囲の遮
蔽を介する前の被曝線量,遮蔽カーマは被爆者の周囲の構造物による遮
蔽を考慮した被曝線量,臓器カーマは人体組織による遮蔽も考慮した被
曝線量をいう。5
DS86の計算値の妥当性は,①ガンマ線につき,被曝した試料(瓦
やタイル)に熱を与え,発生した光の量を測定して(熱ルミネッセンス
法。光の量が被曝したガンマ線の線量に比例する。),計算値(理論値)
と比較することにより,②中性子線につき,原爆の中性子により特定の
物質(イオウ,コバルト,ユーロピウム)中に生成された特定の放射性10
物質(リン32,コバルト60,ユーロピウム152)の放射線を測定
し,この測定値から推定した中性子線量と計算値(理論値)とを比較す
ることにより,それぞれ検証することとされた。検証の結果,上記①に
ついて,広島原爆では1000m以遠の地点で測定値が計算値より大き
く,近い地点では逆に小さくなり(長崎原爆では関係が逆になった。),15
測定値の平均とよい一致を得るためには計算値を約18%大きくする必
要があるなどとされたが,T65Dと比較すると,DS86の方が遥か
によい一致を示した。上記②については,特に広島原爆において計算値
との間に系統的な不一致が見られ,未解決の問題が残るとされた。(甲B
1の13,8の4,乙B3〔332,337,343頁〕,4,5の1,20
8,13)
DS86の発表後は,放影研の疫学研究も,DS86の線量推定に基
づいて行われるようになった。ICRPにおいても承認され,放射線防
護のリスク評価として世界的に採用されることとなった。(乙B1,2,
3〔332,341頁〕,6の1〔ⅴ頁〕)。25
旧審査の方針においても,初期放射線による被曝線量について,DS
86により爆心地からの距離(2.5kmまで)に応じて算定した値に
よって推定するものとしていた(前提事実3)。
DS02の策定
DS86には,その発表後も続けて行われた検証により,計算値(理
論値)と測定値が一致しない部分があることが認められたため,日米合5
同の研究者グループにおいて,上記不一致や不確実性を解消するための
方策が検討された。そして,平成14年,DS86の評価方法を基本的
に踏襲しつつ,さらに進化した大型コンピュータ及び最新のデータを用
いてこれを改良した新たな被曝線量評価体系(DS02)が策定され,
平成15年,日米合同のDS02に関する原爆放射線量評価検討会にお10
いて承認された。(甲B8の4,乙B4,5の1〔3,40頁〕,6の1・
2,8)
DS86からの主な変更点は,広島原爆については,出力が15kt
から16ktへ,爆発点の高度が580mから600mへそれぞれ修正
され,爆心位置が15m西に移動し,ガンマ線量が10%以内の増加,15
中性子線量が爆心地から1~2kmで最大10%の増加とされたことで
あり,長崎原爆については,爆心位置が3m西に移動し(出力と高度は
変化なし),ガンマ線量が約10%の増加,中性子線量が爆心地から1~
2kmで10~30%の減少とされたことである。これにより,測定値
と計算値との間で全般的に一致度が大きく高まったとされた。(甲B8の20
4,乙B4,5の1・2,6の1〔ⅺ,46頁〕,8〔19頁〕,13)
新審査の方針の下においては,DS02の線量評価方式により初期放
射線による被曝線量の推定が行われており,ICRPにおいても,放射
線リスクの改定にDS02を用いている(前提事実3乙A6,B6
の1〔46頁〕,弁論の全趣旨)。25
ウDS02の評価
本件において,審査に用いられるDS02による線量評価方式の評価に
つき,控訴人らと被控訴人との間で争いがあるので,DS02による線量
評価方式の合理性について検討することとする。
上記イのとおり,DS86の被曝線量評価方式は,当時の最新の核物
理学の理論に基づき,高性能の大型コンピュータを用いて,被爆者の被5
曝に関する諸条件を統合して被曝線量を推定したものであり,ICRP
において承認され,世界の放射線防護の基本的資料とされるなど,国際
的に通用する体系的線量評価方式として取り扱われてきたものである。
DS02は,DS86の評価方法を基本的に踏襲した上で,更に進歩し
た大型コンピュータ及び最新のデータを用いて,DS86よりも高い精10
度で被曝線量の評価を可能にしたものである。そして,この分野に関し
て,より高次の科学的合理性を備えた線量評価方式は存しないこと(弁
論の全趣旨)も併せ考えると,現時点においては,DS02の被曝線量
評価方式は,被爆者の初期放射線による被曝線量を高い精度で算定する
ことが可能な相当の科学的合理性を有するものであると評価することが15
できる。
もっとも,DS02も,DS86と同様に,コンピュータによる計算
の結果(理論値)を基礎として策定されたものであるので,初期放射線
量の推定値(計算値)は,あくまでも近似的なものにとどまる。現に,
DS02の代表的被爆者線量の合計誤差は広島原爆・長崎原爆ともに約20
30%であり,合計線量の27~45%の範囲とされている(乙B6の
1〔45頁〕・2〔1006頁〕)。また,高濃縮ウラン片を爆圧で圧縮さ
せて核分裂を起こさせるタイプの広島原爆については,核実験を含めて
実際に起爆されたのが広島原爆のみであり,その出力は爆発効果の測定
と理論的計算によらざるを得ず(乙B4,5の1〔6,9頁〕),計算誤25
差は大きいとされるところ,その出力はプラスマイナス2kt(14k
tから18kt)の範囲との推定がされており(乙B6の1〔48,5
8頁〕),これに伴い放射線量の増減をもたらす可能性があるといえる。
加えて,DS02による計算値と測定値との不一致について,以下の
ような問題が指摘されている。
aガンマ線量5
DS86において,熱ルミネッセンス法による測定値は,全般的に
計算値より7%高かった。広島原爆において,DS86の公表以来,
追加の熱ルミネッセンス法による測定が,より精度を上げるため最新
の技法を用いて行われた。DS02における再検討の結果,主に出力
の変更により全般的な一致度が高まり,中遠距離の一致度はDS8610
よりも良好であるとされたが,遠距離では測定値が計算値を上回るこ
とを示唆する若干の例があるとされた(乙B6の1〔35,463頁〕)。
ガンマ線のバックグラウンド線量(土壌,岩石及び建材に含まれる自
然放射線核種からのガンマ線及び宇宙線等の試料採取場所で測定され
た自然放射線)が広島原爆に係る爆心地から約1500m以遠におい15
て正味の線量測定値の誤差の主要な寄与要因であるとされてはいるも
のの(乙B6の1〔386,402,463頁〕),遠距離におけるガ
ンマ線量の計算値が過小評価されている可能性はなお完全には排除さ
れない。
b中性子線量20
初期放射線の熱中性子線(運動エネルギーの低い中性子線)量につ
いては,DS86によると,コバルト60(物理学的半減期約5.3
年),ユーロピウム152(同約13.3年),塩素36(同30万8
000年)を対象とした計算値が,爆心地から近距離では測定値より
も大きく,遠距離になるに従って測定値を下回る系統的な不一致があ25
ると指摘されていたが(甲B8の4,乙B8〔9頁〕),DS02にお
いて解析された結果,計算値と測定値の不一致の問題は解決をみたと
された(乙B5の1〔24頁〕,6の1〔26頁〕)。もっとも,コバル
ト60について,爆心地からの距離約1300m以内で測定値が計算
値を上回る地点が存在したほか,約1300m以遠では,測定値が計
算値を上回った。その原因については,試料の線量カウントと検出器5
のバックグラウンド線量とを区別する際に問題があったと推測されて
いるが(乙B5の1〔47頁〕,6の2〔486頁〕),過小評価の可能
性が完全に払拭されているとまではいえない。
以上によると,DS02においても,爆心地から約1300m以遠に
おいて初期放射線の被曝線量を過小評価している可能性を完全には否定10
することができない。もっとも,初期放射線の測定値と計算値との相違
は,主としてバックグラウンド線量との区別が困難であることなどの測
定値の不確実性等によるものとされている上(乙B8〔3頁〕),仮に過
小評価がありえたとしても,上記認定した誤差の範囲等に照らすと,そ
の値が大きなものであるとは考え難いということができる。15
エ小括
以上のとおり,初期放射線の被曝線量を推定するに当たって,DS02は
相当の科学的合理性を有しており,これによって被曝線量を推定すること
は合理的であるということができるが,殊に遠距離被爆者の被曝線量推定
にDS02を適用する場合には,上記ウにおいて検討したとおり限界が存20
することも考慮に入れるべきである。
誘導放射線の被曝線量の評価
ア誘導放射線
誘導放射線とは,原子爆弾の初期放射線の中性子が地上に到達して,土
壌や建築物等を構成する物質の特定の元素の原子核と反応を起こすこと25
(誘導放射化)によって生じた放射性物質が放出する放射線である(前提
ア)。
DS86の報告書において,DS86により誘導放射線の線量を算定す
ることはできないが(乙B4,13〔22頁〕,223〔22頁〕),爆発直
後から無限時間爆心地にとどまり続けた場合の地上1mにおける累積ガン
マ線量につき,広島原爆において約80レントゲン(約0.5グレイ),長5
崎原爆においては約30~40レントゲン(約0.18~0.24グレイ)
と推定された。これは,組織吸収線量に換算すると,広島原爆において約
50ラド,長崎原爆において約18~24ラドとなる。線量は,経過時間
及び爆心地からの距離により減少するが,特に経過時間において顕著であ
り,1日後に約3分の1に,1週間後には数%に減少するとされた(乙B10
1,2,13〔227,465頁〕)。DS02においては,初期放射線の
み見直しが行われ,誘導放射線については検討されなかった(乙B5の2
〔52頁〕,7の1〔150頁〕)。
イ評価
誘導放射線による外部被曝線量について,旧審査の方針は,広島原爆15
において72時間以内に爆心地から700m以内に,長崎原爆において
は56時間以内に爆心地から600m以内にそれぞれ入った場合に,申
請者の被爆地,爆心地からの距離及び爆発後の経過時間の区分に応じた
所定の値としていた(乙A2)。これに対し,新審査の方針には誘導放射
線による外部被曝線量の算定基準は明示されていないが,医療分科会は,20
旧審査の方針の考え方を基本的に踏襲し,その後に現れたDS02に基
づく今中哲二(京都大学原子炉実験所)「DS02に基づく誘導放射線量
の評価」(乙B7の1〔150頁〕。以下「今中論文」という。)等も踏ま
えて線量を算定しているものと認められる(乙A6,弁論の全趣旨)。
今中論文は,DS86による初期放射線(中性子線)の線量評価を前25
提に誘導放射能量を計算したGritznerらの研究「原爆が誘発し
た土壌の放射化による線量の計算」(乙B29)をDS02に応用するこ
とにより,誘導放射線(ガンマ線)による地上1mでの外部被曝線量(空
気中組織カーマ)を推定したものである。これによると,広島原爆の爆
発直後から無限時間同じ場所に居続けたと仮定したときの放射線量(積
算線量)は,爆心地においては120センチグレイ(長崎原爆では575
センチグレイ)であるが,爆心地から離れるとともに速やかに減少し,
爆心地から1000mの地点では0.39センチグレイ(同0.14セ
ンチグレイ),爆心地から1500mの地点では0.01センチグレイ(同
0.005センチグレイ)となったとし,これ以上の距離での誘導放射
線被曝は無視して構わないと結論付け,誘導放射線による被曝が問題と10
なるのは,爆心地から1km以内に1週間以内に入った場合であるとし
ている(乙B7の1)。
この結果について,その計算過程の合理性を疑わせる事情は特に見当
たらないこと等に照らすと,医療分科会が新審査の方針において用いて
いる誘導放射線による外部被曝線量の算定方法は,相当の科学的根拠に15
基づくものということができる。
しかし,DS02自体の誤差があることから,
DS02に基づく誘導放射線量の推定においても,少なくとも同程度の
誤差が存在するということができる。また,広島及び長崎の土壌に由来
する誘導放射線について,DS86においても,土壌中の放射能活性化20
前元素の濃度が測定者によりかなり大きく異なっているとして,計算さ
れた放射化が広範には適用できないかもしれないとされていた(乙B1
3〔220頁〕)。そして,マンガン55及びナトリウム23は,それぞ
れ中性子の照射により被曝との関連において重要とされる放射性核種で
あるマンガン56(物理学的半減期約2.6時間)及びナトリウム2425
(同約15時間)に誘導放射化されるところ(乙B29〔4頁〕),マン
ガン55及びナトリウム23の土壌中の含有量は,同一市内でも測定場
所によりかなりの開きがある(乙B13〔220,464頁〕,30〔6
頁〕)。そうすると,主体及び場所を異にする測定のうちいずれを基礎と
するかにより,誘導放射線の線量も異なり得るということができる。今
中論文は,DS86とDS02の地上1mでの放射性核種コバルト605
(物理学的半減期約5.3年)の土壌放射化量の比をそのまま誘導放射
線量の比としたところ,推定計算の前提に一定の制約があることは否定
することができない。
また,誘導放射線(ガンマ線)の線源は,地表面(土壌)のほかにも,
原子爆弾の中性子によって誘導放射化した建物等の建築資材,空気中の10
塵埃等もあり得るところ,原子爆弾の爆発時に生じた強烈な爆風(上記
)により誘導放射化した土壌等が粉塵となって舞い上がり,遠
距離に飛散した可能性がある(乙B20の2〔542項〕)。遠距離にお
ける誘導放射線の外部被曝線量が爆心地と同程度に達するとはおよそ考
えにくいとしても(乙B20の1〔132項〕),だからといってこれを15
軽視してよいともいい難い。そして,被曝の形態としても,外部被曝の
ほかに内部被曝があり得るところ(イ),今中論文は,誘導
放射化された粉塵の吸入に伴う内部被曝線量の簡易な見積りを試みてい
るものの,内部被曝の経路は粉塵の吸入に限られず,飲食物を介しての
摂取や傷口に粉塵が付着することによる侵入も想定される(甲A136。20
放射線業務を行う事業の事業者に対し,傷創部が汚染された労働者をし
て速やかに医師の診察又は処置を受けさせることを義務付けた電離放射
線障害防止規則44条1項5号参照。放影研も,特に火傷は放射線の人
体に対する悪い影響を増加させることが知られているとする〔乙B13
3〕。)。さらに,今中論文は,爆心地から1000m地点の誘導放射線に25
よる外部被曝線量(積算線量)は1センチグレイにも満たない(0.3
9センチグレイ)とするが,後記のとおり,初期放射線にほとんど被
曝していないいわゆる遠距離被爆者や入市被爆者にも放射線被曝による
急性症状とみられる症状が一定割合生じている旨の調査結果が複数報告
されており,これらの調査結果については,上記の外部被曝線量評価だ
けでは合理的に説明することが困難である。5
これらの点を考慮すると,新審査の方針の下における誘導放射線によ
る被曝線量の評価については,過小評価となっている疑いを否定するこ
とができない。そして,実際に被爆者の被曝線量を評価するに当たって
は,吉川友章(東京理科大学総合研究所教授)・丸山隆司(放射線影響協
会研究参与)「黒い雨の放射線影響に関する意見書」(乙B23〔9頁〕)10
において,広島原爆については,粉塵の水平スケールが4500mと見
積もられていることに照らし,少なくとも爆心地から2250m以内の
区域には(同〔11頁〕),誘導放射化物質が一定程度存在していた可能
性を考慮に入れる必要がある。かつ,被爆者の個別の被爆状況,被爆後
の行動内容,被爆後に生じた症状等に照らし,誘導放射化された放射性15
物質による様々な形態での外部被曝及び内部被曝の可能性を十分に検討
する必要があるというべきである。
放射性降下物による放射線の被曝線量の評価
ア放射性降下物による放射線
放射性降下物による放射線とは,核分裂生成物(放射性粒子)や分裂し20
なかった核分裂物質で雨とともに又は単独で地上に降り注いだものが放出
する放射線であるア)。
DS86の報告書において,放射性降下物による放射線は,算定のため
の理想的なデータが存在せず,また,各個人が異なる被曝率の地域でどれ
くらいの時間過ごしたかについての決定の問題があるなどとして,DS825
6によりその線量を算定することはできないとされたが(乙B13〔22,
211頁〕,223〔22頁〕),が示された。
DS02においては,この点は検討されなかった(乙B7の1〔150頁〕)。
イ評価
放射性降下物による放射線の外部被曝線量について,旧審査の方針は,
原爆投下の直後に特定の地域に滞在し,又はその後,長期間にわたって5
当該特定の地域に居住していた場合についてそれぞれ所定の値としてお
り,具体的には,広島原爆では己斐・高須地区につき0.6~2センチ
グレイ,長崎原爆では西山地区につき12~24センチグレイとしてい
た(乙A2)。これに対し,新審査の方針には,放射性降下物による放射
線の外部被曝線量の算定基準は明示されていないが,医療分科会は,旧10
審査の方針の考え方を基本的に踏襲し,DS86の報告書における分析
結果等によって同線量を算定・評価しているものと認められる(乙A6,
B20の1〔85項〕,弁論の全趣旨)。
放射性降下物については,原子爆弾投下の数日後から複数の測定者が
放射線量の測定を行い,これらの調査の結果,己斐・高須地区(広島原15
爆の爆心地から約3km北西方向)及び西山地区(長崎原爆の爆心地か
ら約3km東方向)において,それぞれ放射線の影響が比較的顕著に見
られることが判明した。これは,初期放射線によるものではなく,原子
爆弾の爆発後,風下に位置していた両地区において激しい降雨があり,
これによって放射性降下物が降下したことによるものであることが確認20
された(甲A78,B8の15,乙B3〔348頁〕,9~12,弁論の
全趣旨)。
そして,DS86の報告書において,昭和20年9月以降に行われた
複数の測定結果を総括し,地表1mの高さにおける放射性降下物による
ガンマ線の累積的被曝への寄与につき,その影響が最も大きい場所とし25
て,己斐・高須地区においておそらく1~3レントゲンの範囲,西山地
区においておそらく20~40レントゲンの範囲であるとし,組織吸収
線量に換算すると,己斐・高須地区で0.6~2ラド,西山地区で12
~24ラドになると結論付けられた(乙B5の2〔62頁〕,13〔21,
218,228,465頁〕)。
上記分析は,原子爆弾投下から間もない時期に行われた調査に基づく5
複数の調査結果を総括したものであり,その後の調査結果による推定値
もこれらと整合するものであること(甲A77の1・2,乙B14の1・
2)等も考慮すると,医療分科会が新審査の方針において採用している
放射性降下物による放射線の外部被曝線量の算定方法は,相当の科学的
根拠に基づくものということができる。10
しかし,放射性降下物の測定結果については,DS86の報告書にお
いても,風雨の影響を受ける前に測定されなかったこと(広島市は昭和
20年9月17日及び同年10月9日に台風に遭い,広島原爆投下後の
3か月間に900mmもの大量の降雨があった。),測定場所があまりに
も少なかったこと,代表的でない標本が抽出されることが多かったこと15
等の事情により,多数の測定の精度やすべての外挿の精度が非常に低い
ことが強調されている(乙B13〔210,213頁〕)。放射性降下物
は,降下時の地理的分布が一様でない上,地表到達後,風や地表水によ
る移動の結果,分布がさらに複雑になるところ(乙B114),原子爆弾
投下後数か月以内に行われた複数の測定結果(物理学的半減期の短い放20
射性核種から放出される放射線の測定も可能であった。)からは,放射性
降下物が相当不均一に存在していたことが推認される(乙B10~12。
特に乙B11〔第1表,第2表〕)。放射性降下物による放射線に起因す
る外部被曝線量の上記算定方法については,測定精度や測定資料等の制
約から一定の限界が存するというべきである。25
また,旧審査の方針においては,特定の地域についてのみ放射性降下
物による放射線の外部被曝線量を算定することとされていたが,広島原
爆投下後の降雨域は相当に広く,己斐・高須地区以外の地域でも放射性
降下物を含む降雨があったとの報告がある(甲A2〔5頁〕,67〔10
6頁〕,77の1・2,78,乙B14の1・2)。また,己斐・高須地区
において降ったとされる「黒い雨」について,不完全燃焼した火災のす5
すが雨に取り込まれて落下したために雨が黒く見えたのであり,「雨が黒
いこと」自体は「放射性降下物を含有していること」を必ずしも意味し
ないのであり(乙B23),
降下物が単独で遠距離まで拡散した可能性もある。そして,DS86の
報告書は,放射性降下物によるガンマ線を地表1mの高さで積算するも10
のであるが,放射性降下物についても,誘導放射線における粉塵の場合
と同様に,付着し,又はこれを体内に摂取するなどの様々な形態での外
部被曝及び内部被曝の可能性があることは否定できない。福島第一原子
力発電所の事故後に強い放射線源となったホットスポットが同発電所の
遠距離地域を含む各所に存在したとの報道がされたこと(公知の事実)15
からもうかがわれるように,放射性降下物は地表に均一に降下し存在し
たものではなく,集積して局地的に強い放射線を放出している場合があ
り得るから,これに接触し,又は摂取するなどして相当量の被曝を引き
起こした可能性も考えられる。
これらの点を考慮すると,新審査の方針の下における放射性降下物に20
よる被曝線量の評価は,過小評価となっている疑いがある。実際に被爆
者の被曝線量を評価するに当たっては,己斐・高須地区以外の地域にも
放射性降下物が一定量降下し又は浮遊していた可能性を考慮に入れ,か
つ,当該被爆者の被爆後の行動内容,被爆後に生じた症状等に照らし,
放射性降下物による様々な形態での外部被曝及び内部被曝の可能性がな25
いかどうかを十分に検討する必要があるというべきである。
内部被曝の影響の評価について
ア内部被曝とは,呼吸,飲食,外傷又は皮膚等を通じて体内に取り込まれ
た放射性物質が放出する放射線による被曝をいうイ)。
DS86の報告書においては,後記ウのとおり,セシウム137の内部
被曝についてのみ言及されている。DS02においては検討されていない5
(乙B6の1・2,弁論の全趣旨)。
イ旧審査の方針においては,内部被曝による被曝線量は特に考慮されてい
なかった。新審査の方針の下においても,医療分科会は,旧審査の方針の
考え方を基本的に踏襲し,内部被曝による被曝線量を特に考慮していない
(乙A6,弁論の全趣旨)。10
ウ内部被曝について,昭和44年及び昭和56年に西山地区の住民を対象
として,ホールボディカウンター(人間の体内に摂取された放射性物質の
量を体外から測定する装置。乙B36〔9頁〕)を用いて,セシウム137
(物理学的半減期30.04年)による放射線量を実測し,内部被曝線量
の評価が行われた。DS86の報告書は,そのデータを用いて,昭和2015
~60年の40年間に及ぶ内部被曝線量を積算した結果,男性で10ミリ
レム,女性で8ミリレム(この場合,ミリレムはミリラドに等しい。)と推
定されるとした(乙B13〔219,464頁〕)。このほか,広島原爆投
下当日に爆心地から1km以内の地点において8時間の片付け作業に従事
した場合の内部被曝線量の推定は0.06マイクロシーベルトであるとし20
て,外部被曝に比べ無視できるレベルであるとする今中論文の報告(乙B
7の1〔153頁〕)や,放射性降下物により土壌が最も高濃度に汚染され
た西山地区を流れる浦上川の水を大量に飲んだとしても,内部被曝線量は
障害を起こし得る程度のものではない旨の石榑信人(放射線医学総合研究
所)の意見(乙B35)等がある。医療分科会は,このような科学的知見25
に基づいて,内部被曝による被曝線量を重視していないものと考えられ,
それ自体は相当の科学的根拠に基づくものということができる。
しかし,DS86の報告書においても,物理学的半減期の長いセシウム
137からの内部放射線量を復元するほか原爆投下後の内部被曝を評価す
る方法はないとしており,現に,上記実測調査においてもセシウム137
以外の放射性物質については測定されていない(乙B13〔219頁〕)。5
爆心地付近に限らず局地的に誘導放射化物質
や放射性降下物が集積するなどした場合があり得ることも考慮すると,内
部被曝線量はおよそ無視し得る程度のものであると評価することには疑問
が残る。内部被曝による健康影響は目的とする臓器での蓄積線量が同じで
あれば外部被曝による健康影響と同等であるとの見解(乙A6,B20の10
1〔66項〕,114)がある一方で,内部被曝については,チェルノブイ
リ原子力発電所事故において,チェルノブイリの子どもに内部被曝が原因
と考えられる甲状腺がんが多発したとの実例が存在する(乙B37~40)。
この点につき,同事故においては,放射線による汚染の事実が隠ぺいされ
たため放射性物質が濃縮された牛乳を長期間摂取したこと,予防剤である15
ヨウ素剤が使用されなかったことによるとの見解(乙B114)があるが,
原爆投下時にはもとより事前に放射線防護の措置は講じられていなかった。
内部被曝との関連において,原子爆弾の爆発に伴い生成される約200種
類の放射性核種のうち物理学的半減期が長い放射性核種であるセシウム1
37(30.04年),ストロンチウム90(28.74年)を考えれば足20
り,しかも核種に特有の代謝過程を経て人体から排泄されるから,物理学
的半減期を待たずに(生物学的半減期),核種が減衰するなどとの見解(乙
B20の1〔175項〕,35)もあるが,チェルノブイリ原子力発電所事
故により問題となった放射性核種の一つであるヨウ素131の物理学的半
減期は8.05日と短いこと(乙B37~40)に鑑みると,健康影響を25
考慮すべき放射性核種が短半減期のものを含めてほかに存在した可能性も
完全には否定することができない。そして,平成16年3月,原子力安全
委員会の放射線障害防止基本専門部会・低線量放射線影響分科会において,
核分裂中性子線については同じ被曝線量であれば長期にわたって被曝した
場合(低線量率の場合)の方がリスクは上昇するという逆線量率効果,被
曝した細胞から隣接する細胞に被曝の情報が伝わるというバイスタンダー5
効果,放射線被曝を受けDNAが損傷した細胞が間接的な突然変異を誘発
するゲノム不安定性誘導等の可能性が指摘された(甲A138〔18頁〕)。
これらの見解が現状において科学的知見として確立しているとはいえない
が(上記指摘においても,低線量リスクへの関わりが明確でないなどと言
及されている。),内部被曝の機序について必ずしも科学的に解明・実証さ10
れていないことに鑑みると,これらの見解が示すところを全く無視するこ
ともまた相当でないと考えられる。加えて,後記のとおり遠距離被爆者
等に放射線被曝による急性症状とみられる症状が一定割合生じているとの
調査結果があり,推定される外部被曝線量だけでは必ずしもこれを十分に
説明し得ないことを併せ考慮すると,内部被曝線量が無視し得る程度のも15
のであるとしてこれを考慮しないとすることには,合理的な疑問を差し挟
む余地があるというべきである。
エ以上によると,被爆者の被曝線量を評価するに当たっては,当該被爆者
の被爆状況,被爆後の行動内容,被爆後に生じた症状等に照らし,誘導放
射化物質及び放射性降下物を体内に取り込んだことによる内部被曝の可能20
性があるかどうかについても十分に検討する必要がある。その際には,内
部被曝による身体への影響には,一時的な外部被曝とは異なる特徴があり
得ることを念頭に置く必要があるというべきである。
遠距離被爆者及び入市被爆者の被曝線量の評価
ア遠距離被爆者について25
急性症状の発症に関する調査結果
放射線被曝による急性症状に関し,原子爆弾投下後比較的早期に行わ
れた調査の結果は,以下のとおりであった(総括的なものとして,甲B
11の19)。
a日米合同調査団報告書(昭和26年4月19日発行)(乙B127の
1・2)5
広島・長崎における原爆投下から20日後の生存者(広島6882
名,長崎6621名)につき,範囲・距離別,遮蔽(屋外又は日本式
建物内,重質な建物内,防空壕又はトンネル内,不明)の別ごとに,
急性症状とみられる症状(脱毛,紫斑,喉頭の傷害,壊死性歯肉炎,
下痢,嘔吐,発熱等)の発生割合を分析した。10
脱毛について,広島原爆の爆心地から1000m以内の屋外又は日
本式建物内における被爆者については570名のうち434名(76.
1%)にみられ,距離が遠ざかるに連れて漸減し,1600~200
0mにおける同被爆者については1633名のうち145名(8.
9%),2100~2500mにおける同被爆者については1415名15
のうち68名(4.8%),2600~3000mにおける同被爆者に
ついては674名のうち16名(2.4%)などであった。下痢(出
血性下痢を含まないもの)についても同様の傾向であったが,310
0~4000mにおける同被爆者についても548名のうち124名
(22.6%)が該当するなど,遠距離においても発症がみられた。20
重質な建物内,防空壕又はトンネル内の被爆者で,上記症状がみられ
た者は顕著に少なかった。
なお,広島原爆の爆心地から2100~2500mにおける脱毛又
は下痢があったとした被爆者は,屋外(遮蔽なし)で6.8%であっ
たのに対し,屋外(遮蔽あり)では9.6%,日本式建物内で4.7%,25
重質な建物内では8.3%であった。同様に,3100~4000m
における同被爆者は,屋外(遮蔽なし)で3.8%であったのに対し,
屋外(遮蔽あり)では4.8%,日本式建物内で1.2%,重質な建
物内で0%であった。このように若干の例外があるものの,概ね,爆
心地からの距離が近く,遮蔽がない地点における被爆者において急性
症状を訴える割合が高く,爆心地から遠ざかり,遮蔽が堅固になるに5
つれ,同割合は低下する傾向にあった(被控訴人は,広島原爆の爆心
地から2100~2500mにおける脱毛又は下痢があったとした被
爆者の割合につき,屋外(遮蔽なし)又は日本式建物内より重質な建
物内が高いことを指摘するが,後者の対象者数は12名中1名にすぎ
なかったのであり,上記傾向にあったとする評価を左右しない。)。10
b東京帝国大学医学部診療班の原子爆弾災害調査報告(広島)(甲B1
1の7・8)
東京帝国大学医学部診療班は,昭和20年10月から同年11月に
かけて,広島市の各地点において,爆心地から5km圏内における広
島原爆の被爆者5120名につき診療及び調査(第1次調査)をした。15
同調査において,原子爆弾の放射線により生じたと考えられる脱毛,
皮膚溢血斑,口内炎症,白血球減少,下痢,発熱,悪心嘔吐,倦怠感,
食思不振その他各種の出血性素因(吐血,下血,血尿,歯齦出血等)
のうち,脱毛,皮膚溢血斑及び壊疽性又は出血性口内炎症のうち1症
状以上を示したものを放射能傷と定めたところ,全調査例中放射能傷20
は909例(うち脱毛は707例)であった。爆心地から1km以内
の地域では,放射能傷発生頻度は80%以上を示したが,1km以遠
の地域では急激に減少し,2~2.5kmの地域では10%以下であ
った。
脱毛の距離別発現頻度は,爆心地からの距離が0.6~1kmでは25
211例(70.3%),1.1~1.5kmでは257例(27.1%),
1.6~2kmでは134例(9%),2.1~2.5kmでは75例
(6.4%),2.6~3kmでは9例(1.7%)であった。
遮蔽状況との関係について,屋内外で脱毛出現率が高いと考えられ
る距離は,コンクリート内(屋内)が0.1~1km,木造内及び屋
内陰が0.6~1.5km,屋外開放が1.1~2.5kmであり,5
木造内及び屋外陰は放射線に対してほぼ同程度の防護作用があったと
推測されるとした。
脱毛(全例頭髪)は,7例(1%)を除き,方向性がない脱毛であ
り,放射線がガンマ線を主とし,散乱線が多いため,方向性がないの
は当然とされた。10
なお,この調査は,付近居住民の来訪を求めて行われたものが多く,
被爆後何らかの障害を自覚した者が余計に集まった傾向があるとして
いる。
c於保源作「原爆残留放射能障碍の統計的観察」(甲A112,B6の
8,7の20,8の16)(以下「於保論文」という。)15
於保源作医師は,昭和32年1月から同年7月まで,広島原爆の爆
心地より2km~7kmに及ぶ一定地区に住む被爆者(いずれも広島
原爆の投下当時広島市内にいた者で,①原爆直後から3か月以内に爆
心地から1km以内の中心地に入らなかった屋内被爆者1878名,
②同中心地に出入りした屋内被爆者1018名,③原爆直後から3か20
月以内に同中心地に入らなかった屋外被爆者652名,④同中心地に
出入りした屋外被爆者398名)の生存者全員(計3946名)を対
象に調査を行った(この調査では,原爆放射能障碍及び同熱障碍を受
けた者を「有症者」といい,有症者の割合を「有症率」とされた。)。
この調査によれば,上記①の屋内被爆者1878名の被爆距離別有25
症率は平均20.2%であったところ,被爆地点1.5~2kmで4
6.7%(うち下痢37.1%,皮粘膜出血18.5%,脱毛16.
7%),2~2.5kmで30.3%(うち下痢20.9%,皮粘膜出
血8.1%,脱毛2.1%),2.5~3kmで27.6%(うち下痢
18.7%,皮粘膜出血5.9%,脱毛5.4%),3~3.5kmで
19.0%(うち下痢14.8%,皮粘膜出血2.5%,脱毛2.9%),5
3.5~4kmで15.7%(うち下痢8.4%,皮粘膜出血2.6%,
脱毛0.9%),4~4.5kmで8%(うち下痢4%,皮粘膜出血2%,
脱毛3%)などであり,被爆距離別有症率が被爆距離と反比例し,急
性原爆症の発現率も爆心地から遠距離になるほど低下しており,その
具合はかなり整然としているとした。これに対し,上記②の屋内被爆10
者1018名の被曝距離別有症率は平均36.5%であったところ,
被爆地点1.5~2kmで44.5%(うち下痢32.6%,皮粘膜
出血14.8%,脱毛17.8%),2~2.5kmで43.5%(う
ち下痢33.3%,皮粘膜出血12.9%,脱毛12.9%),2.5
~3kmで41.1%(うち下痢30.3%,皮粘膜出血12.7%,15
脱毛6.8%),3~3.5kmで40.8%(うち下痢28.7%,
皮粘膜出血9.7%,脱毛8.6%),3.5~4kmで27.9%(う
ち下痢21.5%,皮粘膜出血4.0%,脱毛4.0%),4~4.5
kmで18.9%(うち下痢11.7%,皮粘膜出血2.7%,脱毛
1.8%)などであり,上記①と比較して,被爆距離別有症率が被爆20
距離の延長に従って低下せず,急性原爆症の発現率も整然と低下して
いないとした。上記③の屋外被爆者については上記①と同様の傾向が,
上記④の屋外被爆者は上記②と同様の傾向があったとした。
d調来助(長崎医科大学外科第一教室教授)ほかは,昭和20年10
月から同年12月までの3か月間に,長崎原爆の被爆者(生存者)525
748名を対象として,爆心地からの距離及び被爆時の環境(遮蔽状
況)等と脱毛との関係等につき調査し,距離別脱毛の頻度は爆心地か
らの距離とともに低下し(1~1.5kmで25.8%,1.5~2
kmで8.9%,2~3kmで3.2%,3~4kmで1.8%),環
境別脱毛の頻度は,屋外開放が最も高く(20%),屋内(コンクリー
ト)(15.5%),同(木造)(11.1%),屋外(陰)(8.6%),5
壕内(2.7%)の順に低下したと報告した。なお,死亡者333名
の調査も行われたが,脱毛に至らないまま死亡した例が近距離,屋外
開放で多く認められるとした。(「長崎ニ於ケル原子爆弾災害ノ統計的
観察(抄録)」甲B1の5)
eDalePrestonほか(放影研)は,広島原爆の被爆者510
万8500名,長崎原爆の被爆者2万8132名に関して,昭和22
年以降の約10年間に入手した資料に基づき,脱毛と爆心地からの距
離に関する分析を行い,爆心地から2km以内での脱毛の頻度が爆心
地に近いほど高く,爆心地からの距離とともに急減したなどと報告し,
3km以遠では放射線以外の要因を反映している可能性があるとした15
(「原爆被爆者における脱毛と爆心地からの距離との関係」甲A113,
乙B128)。
f横田賢一(長崎大学医学部附属原爆後障害医療研究施設資料収集保
存部資料調査室)ほかは,被爆者手帳を持つ長崎原爆の被爆者から無
作為抽出した3000名を対象として,原爆被爆者調査に係る調査票20
に基づき急性症状(特に脱毛)の距離別発症率等に関する分析を行い,
被爆直後に行われた日米合同調査団(上記a)や長崎医科大学外科第
一教室(上記d)の各調査と同様の結果であったと報告した。この報
告において,脱毛や皮下出血は放射線以外の要因では起こりにくいと
考えられているものの,放射線を要因とするものか否かを判断するに25
はさらに詳細な調査が必要であるとしていた。(「長崎原爆における被
爆距離別の急性症状に関する研究」甲B8の8)
横田賢一ほかは,さらに,対象を長崎原爆の被爆者1万2905名
として,同様に調査票(そのほとんどが昭和35年以降の約10年間
に記載されたものである。)に基づき,遮蔽状況も考慮した分析を行っ
たが,被爆直後に行われた上記各調査と同様の結果であったと報告し5
た(「被爆状況別の急性症状に関する研究」乙B129)。
そして,横田賢一ほかは,急性症状の発現における地形遮蔽(長崎
市の地形は山や丘等の起伏が多い。)の影響を検討するため,急性症状
の情報が得られた長崎原爆の被爆者のうち,遮蔽地域で被爆した16
01名と無遮蔽地域で被爆した1715名の計3316名を対象とし10
て,急性症状の発現頻度等を調査し,発現頻度及び程度のいずれにつ
いても,遮蔽地域と無遮蔽地域との間で有意差があったと報告した
(「長崎原爆の急性症状発現における地形遮蔽の影響」甲B8の9)。
g厚生省公衆衛生局は,昭和40年11月に健康調査を受けた広島原
爆・長崎原爆の被爆者9042人を対象として,被爆後2か月以内の15
身体異常の発現率に関する調査を行い,近距離で被爆した者ほど発現
率が高く,爆心地からの距離との間に密接な関係がみられると報告し
た(乙B52〔資料30〕)。
判断
の各調査結果からは,脱毛や皮下出血(紫斑)が生じたとする20
者が,概ね,爆心地から1.5~2kmの地点で被爆した者については
10%前後,2km以遠で被爆した者についても数%以上存在し,かつ,
これらの症状(特に脱毛)を生じたとする者の割合が,爆心地からの距
離や遮蔽の有無に応じて減少するといった共通する傾向があることを読
み取ることができる。これらの症状の全てとはいえないまでも,その相25
当部分は放射線被曝による急性症状であると認めるのが自然かつ合理的
である。
これに対し,被控訴人は,一般的な医学的知見として,放射線被曝に
よる急性放射線症候群のしきい値につき,出血傾向は約2グレイ,脱毛
は約3グレイであるなどと主張し,これと同旨の意見書等(乙B20の
1〔47項〕・2〔108項〕,32の1〔12,15頁〕・2〔18,25
7頁〕,50,51)も存在する。この点につき,2グレイは,広島原爆
において,DS02により,爆心地から1.1~1.2kmにおける初
期放射線の被曝線量と推定される数値であり,同様に3グレイは,1~
1.1kmにおける同被曝線量と推定される数値である(乙B6の1〔1
95頁〕,第2事件乙B67)。長崎原爆の場合は,それぞれ,1.3~10
1.4km,1.2~1.3kmにおける同被曝線量と推定される数値
である(乙B6の1〔201頁〕,第2事件乙B67)。また,DS86
及び今中論文により算出される誘導放射線及び放射性降下物からの放射
線による外部被曝線量は,最大でも百数十センチグレイ程度である(乙
B7の1,13〔22,227頁〕)。そうすると,被控訴人が主張する15
上記知見によれば,爆心地から1.5km以遠において出血傾向,脱毛
及び下痢といった放射線被曝による急性症状が生じることはほとんどな
いはずであるが,これに反して,各調査結果のとおり現実には
少なくない割合の急性症状が報告されている。被控訴人は,精神的影響
や衛生環境及び栄養状態の悪化等の放射線被曝以外の要因で発症したと20
考えられる旨を主張し,これに沿う証拠(乙B171~173)もある。
爆心地からの距離及び遮蔽の有無により急性
症状の発現頻度に相違が存在すること,相当多数の者に対する調査の結
果として同様に上記傾向が示されたことのほか,放射線被曝以外の要因
が少なくとも相対的に考えにくいとされる脱毛についてもそれ以外の下25
痢等の症状と同様の傾向が表れたこと等の事情に照らすと,症状及び経
過が,被控訴人が主張する急性放射線症候群の特徴(第2章第4の1【被
とは一致しないとしても,実際に現れた急性症
状のすべてを放射線被曝以外の原因に求めることは,社会通念上,合理
性に欠けるといわざるを得ない(甲A95〔34頁〕,126〔4頁〕。
平成12年最判も,「放射線による急性症状の一つの典型である脱毛につ5
いて,DS86としきい値理論を機械的に適用する限りでは発生するは
ずのない地域で発生した脱毛の大半を栄養状態又は心因的なもの等放射
線以外の原因によるものと断ずることには,ちゅうちょを覚えざるを得
ない。」と説示する。)。この点につき,被控訴人の上記主張する急性放射
線症候群は,確かに,原爆被爆者に対する医療調査の結果も踏まえてで10
きた概念であると認められるが(乙B140の1・2,146の1・2,
第2事件乙B131),IAEAが平成10年に公表したレポート「放射
線傷害の診断と処置」(乙B150)において,「急性放射線症候群の診
断と処置」については「外部被曝」の章に記載されており,主として外
部被曝を受けた場合が想定されていることがうかがわれる。これに対し,15
原爆による放射線被曝の態様は,上記説示のとおり,誘導放射化された
粉塵等及び放射性降下物を体内に取り込んだことによる内部被曝の可能
性があるかどうかについても十分に検討する必要があるように,外部被
曝と内部被曝の複合的な要素がある。被爆者に発現した急性症状と急性
放射線症候群との関係について,放射線被曝の態様を必ずしも同一とす20
るものではないのではないかとの疑問を差し挟む余地があり,少なくと
も,急性放射線症候群の上記特徴に当てはまる症状でなければ放射線被
曝に起因するものではない,ということはできない。そして,複数の調
査結果に基づいて行った上記認定のとおり,脱毛や下痢等の症状の相当
部分は放射線被曝による急性症状とみるのが相当であり,当該症状を発25
症した被爆者において健康を害する程度の放射線被曝をした可能性を相
当程度推認させるものというべきである。
ところで,初期放射線の被曝線量は,爆心地から2km以遠において
は1グレイにも達しないと認められるところ(乙B6の1,第2事件乙
B67),外部被曝による急性放射線症候群としての出血傾向や脱毛のし
きい値が上記のとおり2~3グレイ程度とされていることを参酌すると,5
爆心地から1.5km以遠にみられる脱毛等の症状につき,初期放射線
による外部被曝が主たる原因であると理解することもまた困難であり,
誘導放射化した大量の粉塵等や放射性降下物から発せられる放射線によ
る外部被曝及び内部被曝をしたことが相当程度寄与していたものと見る
のが合理的であると考えられる。10
なお,被控訴人は,急性症状に関する情報の不確かさについて注意す
べきである旨を主張し,横田賢一ほか「長崎原爆被爆者の急性症状に関
する情報の確かさ」は,急性症状に関し,被爆直後の調査と被爆から1
5~20年後の調査における被爆者の回答の一致率は安定していなかっ
たなどと指摘する(乙B58)。急性症状があったか否かの認定について15
は,原爆投下から長い年月が経過し,現在の生存被爆者の多くが若年で
あったこと等の事情が存在する本件の性質上,立証の困難性に十分配慮
すべきであり,客観的証拠がないことの一事をもって認定できないとす
ることは相当な態度であるとはいえないが,その一方で,上記指摘があ
ることを踏まえ,回答内容に一貫性があるか否か等にも留意し,慎重に20
行う必要があるというべきである。
イ入市被爆者について
急性症状の発症に関する調査結果
原子爆弾投下時には広島市内又は長崎市内におらず,その後に市内に
入った者(いわゆる入市被爆者)についても,以下のとおり,脱毛等の25
急性症状があったとする調査結果がある。
a於保論文
於保源作医師は,昭和32年1月から同年7月まで,広島原爆の爆
心地より2km~7kmに及ぶ一定地区に住む者のうち広島原爆投下
の当時広島市内にいなかった非被爆者で,原爆投下直後から3か月以
内に入市した者(629名)を対象に調査を行った。このうち原爆投5
下直後から3か月以内に入市したが爆心地から1km以内の中心地に
入らなかった者(104名)では有症者(原爆放射能障碍及び同熱障
碍を受けた者)はいなかったが,上記同様に入市し中心地に出入りし
た者525名中有症者は230名で,有症率は43.8%であった。
原爆投下直後から20日以内に中心地に出入りした者の有症率が高く,10
また,中心地滞在時間が4時間以下の場合は有症率が低いが,10時
間以上の場合は有症率が高いとした。
この525名の中には,広島県安佐郡安佐町の消防団員120名が
含まれていた。強壮な壮年ないし中年から成る団体であり,各々の生
活環境がほぼ等しく,入市の日時,作業地及び作業目的等が一定して15
いたため,残留放射能障害の調査に適した症例とされた。同消防団は,
昭和20年8月7日及び8日のそれぞれ午前8時に入市して横川町
(爆心地から約1.5km)から爆心地を経て山口町(同約1km)
に至る間に被爆者の救助と道路疎開作業を行った。団員の中にはその
後も引き続いて5日間以上中心地付近で人探しその他の作業に従事し20
た者もいた。作業は午後4時に打ち切って帰町した。作業中に河川の
水を飲用する者はいなかった。団員中,帰町して1~5日後に発熱,
下痢,粘血便,皮膚粘膜の出血,全身衰弱等を来し臥床するに至った
者が多数に上ったが,その家族(広島市内に入らなかった者)には同
様の病気に罹った者はいなかった。25
b広島市「広島原爆戦災誌第1編総説」中の「残留放射能による
障害調査概要」(甲A118)
原爆投下直後に広島市に入って救護活動を行った部隊の将兵400
名を対象として広島市が昭和44年に行った調査において,うち23
3名から回答があった。このうち,①安芸郡江田島幸の浦基地(爆心
地から約12km)の部隊(201名)は,昭和20年8月6日に基5
地から舟艇により宇品に上陸し,正午前に広島市内に進出して,直ち
に活動を開始し,負傷者の安全地帯への集結を行った。同日夜から翌
7日早朝にかけて中央部へ進出し,主として大手町・紙屋町・相生橋
付近,元安川で活動した。その後も活動を続け,同月12日又は13
日に基地に帰還した。他方,②豊田郡忠海基地(爆心地から約50k10
m)の部隊(32名)は,同月7日朝から広島市周辺(東練兵場,大
河,宇品その他主要道路沿い等)の負傷者の多数集結場所において救
援を行った。上記各部隊の主な作業の具体的内容は,死体の収容と火
葬,遺骨の埋葬,負傷者の収容と搬送,道路・建物の清掃,収容所で
の看護等であった。15
出動中の症状として,2日目(同月8日)頃から下痢患者が多数続
出した。また,軍医の診断によれば,基地帰投直後の症状として,白
血球3000以下がほとんど全員に及び,下痢患者が出て,発熱する
者,点状出血,脱毛の症状の者が少数ながらあった。さらに,回答者
のうち,復員後に経験した症状として,120名が白血球減少,8020
名が脱毛,55名が嘔吐,24名が下痢を挙げた。
cNHK広島局・原爆プロジェクト・チーム『ヒロシマ・残留放射能
の四十二年〔原爆救援隊の軌跡〕』(特に,加藤寛夫・渡辺忠章〔放影
研〕「賀北部隊工月中隊の疫学的調査」)(甲A119,B11の38,
乙B115)25
原爆が投下されて間もなく,広島県賀茂郡北部地区在郷の陸軍予
後備兵役の軍人の一部に召集令が発せられ,二中隊総勢200名余
りの広島地区第14特設警備隊(通称「賀北部隊」)が編成された。
その隊員の一部99名(工月中隊)は,昭和20年8月7日昼頃,
爆心地付近の西練兵場(爆心地から約500m)に到着し(先発隊
7名は同月6日深夜にすでに到着していた。),同月7日から同月15
5日まで,第1・第2陸軍病院や大本営跡(爆心地から約500m
~1km)等において,負傷者の救護や死体の処理等に当たってい
た。
⒝DS86により推定した残留放射線による被曝線量は,線量が最
も大きい先発隊7名については,最大11.8ラド,最小2.1ラ10
ド,平均5.1ラドであり,先発隊を含めた全隊員平均で1.3ラ
ドと推定された(丸山隆司〔放射線医学総合研究所〕の物理的計算
による。)。
⒞原爆投下42年後に行われた生存者に対する面接又は電話による
調査において,急性症状(脱毛,歯齦出血,皮膚の点状出血,口内15
炎,嘔吐・下痢等の胃腸障害等)があったと答えた者は32名であ
った。このうち,下痢,歯齦出血及び口内炎等は,被爆直後の栄養
障害や過酷な肉体労働,精神的ストレス等の異常環境要因によるこ
とも十分考えられるとして,症状の重症度(脱毛の場合,その範囲
が頭髪の3分の2以上,3分の2から4分の1,4分の1以下)・経20
過期間等により,確実なものと不確実なものとに分けることとされ
た。この結果,放射線被曝に起因することがほぼ確実な急性症状が
あったと思われる者は,脱毛6名(うち3分の2以上頭髪が抜けた
者が3名),歯齦出血5名,口内炎1名,白血球減少症の見られた者
2名であり,このうち2名は脱毛と歯齦出血の両方の症状が現れて25
いた。
上記加藤・渡辺「賀北部隊工月中隊の疫学的調査」は,同様の症
状は,放射線被曝以外の栄養障害,種々のストレスによっても起こ
り得るとしつつ,これらが仮に放射線被曝による急性症状であると
すれば,低い推定線量によっても同症状が現れた者が存在したこと
になるところ,特殊環境下における人体の放射線に対する抵抗性の5
低下によるとも考えられ,飲食物による内部被曝の影響の可能性も
否定しきれないなどとした。
⒟なお,死亡追跡調査も行われ,昭和20年8月から昭和62年5
月までの総死亡率(27.3%)は,同期間の日本全国の平均死亡
率(26.7%)と差異はなく,がんの死亡率を比較しても同様で10
あった。
判断
これらの各調査結果によれば,原爆投下時には広島市内にいなかった
者で,原爆投下直後に爆心地付近に入った入市被爆者についても,放射
線被曝による急性症状とみられる脱毛,下痢及び発熱等といった症状が15
一定の割合で生じており,爆心地付近に入った時期が早く,また滞在時
間が長いほどその発現頻度が高いという傾向があると認められる。この
ような傾向に照らすと,上記のような症状の多くは,誘導放射線又は放
射性降下物からの放射線による外部被曝及び内部被曝の影響によるもの
とみるのが自然であって,上記症状のすべてが放射線被曝以外の原因に20
よるものと理解することは困難というべきである。
ウ被控訴人の主張について
被控訴人は,入市被爆者としては最も多くの放射線被曝をしていると
される賀北部隊工月中隊について,物理学的推定法とし
てDS86等を用いて得られた推定被曝線量と,生物学的線量推定法と25
して隊員の末梢血10mℓの染色体分析の結果が,その最大値,最小値,
平均値のいずれにおいても整合的であったこと,放射性降下物が最も強
く残留したとされる西山地区の住民についても物理学的推定法による
被曝線量と生物学的線量推定法(染色体異常頻度)による被曝線量とが
整合的に得られたことを指摘する。
しかし,染色体異常頻度による推定法については,放射線によって誘5
発される染色体異常に不安定型異常と安定型異常があるところ,放射線
被曝後長時間経過した調査の場合には安定型異常を指標とするのが適
しているとされるが,その識別が難しいという問題(不安定型異常は時
間の経過とともに体内から失われるから,被曝後長期間経過した場合に
適切でないとされる。)がある。また,染色体検査は,試料(血液)の入10
手は容易であるものの,細胞分化に関わる問題があるとされる。すなわ
ち,血液リンパ球は生涯にわたって骨髄幹細胞から作られ続けるので,
被曝後何十年も経過した後で観察している血液リンパ球は均一な集団
ではなく,少なくともその一部は被曝した時点ではもっと未分化の細胞
であった可能性があり,どれだけの割合の細胞がどの段階で被曝したか15
を知る手立てがなく,よって,被曝後長期間を経た後の血液リンパ球に
おける染色体異常のデータから,放射線の被曝線量を推測するための理
論の立てようがないとされる。推定被曝線量に対して染色体異常頻度が
幅広い分散(ばらつき)を示した調査結果もあるのであり(乙B116
〔64頁の③〕),上記整合的であったとの調査結果をもって,入市被爆20
者の被曝線量や放射性降下物による放射線の被曝線量が,健康被害がお
よそ生じない程度の低線量であったということはできない。(乙B11
6,117)
被控訴人は,約3km以上の遠距離被爆者について,生物学的線量推
定法である歯エナメル質を用いた電子スピン共鳴法(ESR法)による25
被曝線量の測定を行ったところ,遠距離被爆者の大多数が浸透力の大き
い残留放射線によって大きな線量(例えば1Gy)を受けたという主張
を支持しなかったと結論付けられているとも指摘する。
しかし,ESR法は測定試料(歯)の入手の点で問題があるとされる
ところ(乙B116,117),被控訴人が上記指摘する平井裕子(放影
研)ほか「歯エナメル質の電子スピン共鳴法による解析は大部分の遠距5
離被爆者が多量の放射線に被曝したことを示唆しない」における測定も,
49名の被爆者から提供された56本の大臼歯という限られた資料に
基づくものにすぎない。診断用歯科X線の被曝の可能性や内部被曝が検
出されていない可能性もうかがわれる(乙B117,119の1・2,
120)。10
被控訴人は,賀北部隊工月中隊の総死亡率及びがん死亡率調査では日
本全国の統計と有意な差が認められなかった,寿命調査集団(LSS)
のうちの原爆投下後1か月以内の早期入市者4512名について白血病
以外の全部位のがんによる死亡率が調査されたが増加が認められなかっ
たなどとして,残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物からの放射線)15
による外部被曝及び内部被曝によって健康影響を及ぼすほどの被曝が存
在する根拠はないと主張する。
しかし,賀北部隊工月中隊の死亡率調査の結果については,その考察
において,早期入市者に死亡に至らない種々の疾病・障害があった可能
性についてさらに追究する必要がある旨が指摘されている(甲A119,20
B11の38,乙B115)。早期入市者の上記調査(LSS第9報)に
ついても,原爆投下の当日又は翌日に1000m以内(広島原爆)又は
1200m以内(長崎原爆)に入市した者(調査においてa群と分類)
は191名に過ぎず,その考察において,集団の規模が小さいとされて
いる上,慎重に長期観察を継続することが重要であることが明らかとさ25
れている(乙B126〔18,23頁〕)。
以上のとおり,遠距離被爆者及び入市被爆者の被曝線量は極めて低い
とし,およそ健康被害が生じる程度のものでなかった旨の被控訴人の主
張は採用することができない。
エ小括
遠距離被爆者及び入市被爆者に生じた脱毛,下痢及び発熱等については,5
それらが放射線被曝以外の原因によっても生じ得るものであり,急性放射
線症候群の特徴に当てはまらなかったとしても,そのことのみをもってお
よそ放射線被曝の影響によるものではないとすることはできず,むしろ有
意な放射線被曝をした場合が存在すると考えるべきである。そして,これ
らの場合,被爆状況(爆心地からの距離,遮蔽の状況等)や被爆後の行動10
内容(入市被爆者にあっては入市の時期,場所,滞在時間等)をより慎重
に考慮することを要するということができる。
まとめ
新審査の方針の下での被曝線量の算定方法は,科学的合理性を肯定するこ
とができるものの,初期放射線に関してはシミュレーションに基づく推定値15
であることや測定精度の問題等から一定の限界が存することに十分留意する
必要がある上,誘導放射線及び放射性降下物による放射線について,内部被
曝の影響を考慮していない点を含め,地理的範囲及び線量評価の両方におい
て過小評価となっている疑いを否定することはできない。そうすると,DS
02等により算定される被曝線量は,あくまでも初期放射線に関する一応の20
目安とするにとどめるのが相当であり,被爆者の被曝線量を評価するに当た
っては,当該被爆者の被爆状況,被爆後の行動内容及び被爆後に生じた症状
等に照らし,様々な形態での外部被曝及び内部被曝の可能性があるかどうか
を十分に検討する必要があるというべきである。
4主な申請疾病等に関する知見及び放射線被曝との関連性25
甲状腺機能低下症
ア一般的知見
のほか,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によると,甲状腺機
能低下症に関し,以下の一般的知見が存在することが認められる。
診断基準
甲状腺機能低下症の診断において,FT4,FT3及びTSHの血中5
濃度が測定される(FT4,TSHの測定は必須とされる。)。基準値に
つき,各文献及び医療機関等において,以下のとおり定められている。
(乙B88,91,101,155,179,C14の14,18の1
3,証人D2)
a「病気がみえるVol.3代謝・内分泌疾患」(平成18年11月110
日第1版第3刷発行)(乙B91,155)
FT40.7~1.7ng/dℓ
FT32.5~4.5pg/mℓ
TSH0.34~3.5μU/mℓ
平成23年7月28日第2版第9刷発行の第2版(第2事件乙C215
の15)においても同じである。
b「今日の臨床検査2005-2006」(平成17年7月10日第9
版第2刷発行)(乙B101)
TSH0.5~5.00μIU/mℓ(ECLIA法),0.38
~3.64μIU/mℓ(CLIA法)20
c「今日の臨床検査2013-2014」(平成25年4月20日第1
3版発行)(乙C18の13)
FT40.90~1.70ng/dℓ(ECLIA法)
FT32.30~4.30pg/mℓ(ECLIA法)
TSH0.500~5.00μU/mℓ(ECLIA法),0.325
8~3.64μU/mℓ(CLIA法)
d東京大学医学部附属病院検査部「血液検査の参考基準値表(主要検
査項目のみ)」(平成23年6月改訂)(乙B102。健康な成人の検査
値から,その95%が含まれる範囲を示すものである。)
FT40.82~1.63ng/dℓ
FT32.10~3.80pg/mℓ5
TSH0.38~4.31μU/mℓ
e今泉美彩(放影研)ほか「日本人高齢者の潜在性甲状腺機能低下症
における顕性甲状腺機能低下症への進展リスク」(平成23年)(乙C
14の12)
TSH0.45~4.5mIU/ℓ10
f検査項目レファレンス/総合検査案内(株式会社エスアールエルホ
ームページ・平成24年9月5日印刷)(乙C14の13)
TSH0.500~5.00μIU/mℓ(ECLIA法)
疫学
甲状腺機能低下症は,年齢とともに原因である慢性甲状腺炎の発生数15
が累積するため,加齢により増加する。慢性甲状腺炎の発生に最も関係
の深い抗TPO抗体陽性の頻度は成人で約5%,高齢の女性では約1
5%とされている。潜在性甲状腺機能低下症の頻度もこれに近く,成人
女性で約8%,同男性で約3.5%であるが,60歳を超えると,女性
では約15%,同男性では約8%が潜在性甲状腺機能低下症であるとさ20
れる。(乙B88,263,第2事件乙B68)
このほか,人間ドックや検診結果において,顕性甲状腺機能低下症の
発見率は0.5~0.69%であり,潜在性甲状腺機能低下症は3.3
~6.1%で発見され,女性にやや多く,加齢で上昇したとの報告(乙
B179〔資料2,3〕)や,顕性甲状腺機能低下症の頻度は男性で0.25
24~0.40%,女性で0.70~0.85%であるが,潜在性甲状
腺機能低下症を含めると,男性で0.68~3.6%,女性で2.97
~5.9%であるとの報告(乙B89)もある。
治療等
a甲状腺ホルモン製剤の投与による対症療法であり,少量の甲状腺ホ
ルモン製剤の投与から開始し,血中のFT4,TSH濃度を正常域に5
保つように投与量を調整する(甲B4〔文献14・16〕,乙B88,
179,証人D2〔12・19・36頁〕)。
b甲状腺ホルモン製剤として,作用時間が長く,効果発現が緩徐なチ
ラーヂン等のT4製剤がある。
チラーヂンSの半減期は,正常者で6~7日,甲状腺機能低下症罹10
患者で9~10日である。
チラーヂンS錠の用法及び用量は,成人の場合,通常,25~40
0μgを1日1回経口投与する。一般に,投与開始時には25~10
0μgとし,維持量を100~400μgとすることが多く,年齢及
び症状により適宜増減することとされる。(甲B4〔文献14・16〕,15
乙B179〔資料4〕,C14の15)
c甲状腺機能低下症は大部分が永続的(非可逆性甲状腺機能低下症)
であり,甲状腺ホルモン製剤は生涯服用する例が多い。しかし,自己
免疫性慢性甲状腺炎(橋本病)を原因とする甲状腺機能低下症の中に
は,甲状腺機能低下症から回復し(可逆性甲状腺機能低下症),甲状腺20
ホルモン製剤を長期間服用した後服用を中止できる例がある。また,
一過性甲状腺機能低下症においては,甲状腺ホルモン製剤を投与せず
様子を見ることとされる。(甲B4〔文献14・16〕,乙B179〔資
料8〕)
d潜在性甲状腺機能低下症の場合25
甲状腺ホルモンが正常であるため治療を行うかどうかは議論がある
が,TSHが10μU/mℓを超えるような場合は,甲状腺ホルモンの
補充療法を行うとの複数の知見がある。
治療をせずに経過観察をした場合,顕性の甲状腺機能低下症になる
率は,抗甲状腺自己抗体が陽性のものは年4.3%,陰性のものは年
2.6%であるとする報告がある。(甲B4〔文献14〕,13〔635
頁〕,48〔4頁〕,乙B89,証人D1〔第2回・22頁〕,証人D2
〔13頁〕)
イ甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性
関連性に関する知見
掲記の証拠及び弁論の全趣旨によると,甲状腺機能低下症と放射線被10
曝との関連性について,以下の知見が存在することが認められる。
a伊藤千賀子(広島原爆被爆者健康管理所)「原爆被爆者の甲状腺機能
に関する検討」(甲B4〔文献5,6〕)(以下「伊藤報告」という。)
昭和59年4月から同年11月末までに一般検診を受診した広島原
爆の直接被爆者9159名(爆心地から1.5km以内の近距離被爆15
者群6112名〔男性1983名,女性4129名〕,3km以遠の対
照群3047名〔男性994名,女性2053名〕)について甲状腺機
能の調査を行った。
甲状腺機能低下症の頻度は,男女とも近距離被爆者群(男性1.2
2%,女性7.08%)が対照群(男性0.35%,女性1.18%)20
よりも有意に高かった。また,被曝線量(T65Dによる推定値)と
の関係は,1~99ラド群が男性1.03%,女性6.23%であっ
たのに対し,200ラド以上群において,男性3.67%,女性7.
76%と有意に高率であった。
さらに,甲状腺機能低下症症例における抗マイクロゾーム抗体陽性25
率(陽性の場合は慢性甲状腺炎があるとされる。)は,男女ともに近距
離被爆者群(男性16.4%,女性25.3%)では対照群(男性8
8.9%,女性63.3%)に比して著しく低率であった。一般に,
後天性の原発性甲状腺機能低下症の多くは慢性甲状腺炎による甲状腺
組織の傷害によるところ,近距離被爆者の甲状腺機能低下症の発症機
序はこれとは異なる機序が推測されるが,調査対象とした甲状腺機能5
低下症の多くは軽症例(潜在性甲状腺機能低下症)であったこと,被
曝線量との間に線量反応関係が示唆されたことのほか,甲状腺組織は
放射線感受性が高いことを併せ考えると,加齢現象の促進による可能
性も否定することができず,被爆者の甲状腺機能に関する詳細な検討
が必要であるとした。10
b井上修二・長瀧重信ほか(放影研・長崎大学医学部第一内科)「長崎
原爆被爆者における甲状腺疾患の調査」(甲B4〔文献7〕)(以下「井
上・長瀧論文」という。)
昭和59年10月から長崎のAHS集団1745名(直接被爆者。
DS86による推定線量は,0ラド群974名,1~49ラド群2715
9名,50~99ラド群208名,100ラド以上群284名であっ
た。)を対象に行った甲状腺疾患の発生頻度に関する調査において,被
爆者全体の甲状腺機能低下症の発生頻度は4.5%であり,0ラド群
の2.5%と比して有意な増加が認められた。被曝線量別では,1~
49ラド群においてのみ0ラド群に比して有意な発生頻度の増加(6.20
1%)が認められた。橋本病によるものも,被爆者全体で2.2%で
あり,0ラド群の0.6%と比して有意な増加が認められ,被曝線量
別では,これも1~49ラド群においてのみ有意な発生頻度の増加
(3.6%)が認められた。
cAHS第7報(原爆被爆者における癌以外の疾患の発生率,19525
8-86年)(甲B1の30,4〔文献9〕,乙C12の17)
甲状腺疾患を,非中毒性甲状腺腫結節,びまん性甲状腺腫,甲状腺
中毒症,慢性リンパ球性甲状腺炎及び甲状腺機能低下症のうち一つ以
上が存在するものと定義した上,これと被曝線量(DS86による推
定値)との関係に有意な正の線量反応が見られ,1グレイ当たりの相
対リスク1.30,P値<0.0001,95%信頼区間1.16~5
1.47であったとした。特に若年被爆者でリスクの増加が見られ,
被爆時年齢50歳の1グレイ当たりの相対リスク1.03に対し,同
20歳では1.24であった。被曝放射線量が0.001グレイ以上
の被爆者における甲状腺疾患の寄与リスクは約16%と推定され,こ
れはがん以外の疾患では最も高いものの1つであった。10
調査結果を踏まえ,若年者の甲状腺が電離放射線の影響に敏感であ
ることが示されたが,甲状腺疾患の過剰リスクは数十年の追跡期間中
不変であったことから,AHS集団の甲状腺異常を引き続き観察する
必要があるとした。
d長瀧重信(長崎大学医学部第一内科),柴田義貞(放影研)ほか「長15
崎原爆被爆者における甲状腺疾患」(甲B4〔文献3〕,44の1)(以
下「長瀧・柴田論文」という。米国医師会雑誌に掲載されたものであ
る〔乙B151〕。)
昭和59年10月から昭和62年4月までに長崎のAHS集団2
587名(男性1001名,女性1586名。うちDS86による線20
量推定が可能な者は1978名であり,男性752名,女性1226
名であった。)を対象に行った甲状腺疾患の調査において,甲状腺切除
手術等の病歴のない甲状腺機能低下症である特発性甲状腺機能低下
症が43名に認められ,抗体陽性が27名,陰性が16名であった。
うち22名は潜在性甲状腺機能低下症であった。抗体陽性特発性甲状25
腺機能低下症(自己免疫性甲状腺機能低下症)の有病率について,0.
7±0.2シーベルトで最大レベルに達する上に凸の線量反応関係が
示された。
抗体陽性特発性甲状腺機能低下症と被曝線量との関係は,慢性甲状
腺炎等の潜在的な自己免疫性甲状腺障害に起因すると考えられ,この
推論を裏付けると思われる複数の調査(頭頸部に放射線治療を受けた5
者の慢性甲状腺炎の有病率が有意に高い,悪性リンパ腫の治療を受け
た患者における放射線関連の甲状腺機能低下症の頻度が免疫抑制剤
による化学療法を併用すると有意に低下するなど)が存在するとした。
そして,自己免疫性甲状腺機能低下症の有病率の増加に関する初めて
の研究であるとともに,頻度のピークに達する線量ががんよりも低い10
約0.7シーベルトであることから,比較的低線量の放射線被曝が甲
状腺に及ぼす影響をさらに研究する必要があることを強く示唆する
ものであるとした。
eAHS第8報(原爆被爆者におけるがん以外の疾患の発生率,19
58-1998年)(甲B1の31,4〔文献12〕,7の16,1115
の40,乙B183,216〔文献3〕,C12の18)
甲状腺疾患における1シーベルト当たりの相対リスク(推定線量は
DS86による。)は1.33(P値<0.0001,95%信頼区間
1.19~1.49)であり,放射線被曝のリスクは20歳未満で被
爆した者において顕著に増大した。1シーベルト当たりの相対リスク20
は1.54(P値<0.0001,95%信頼区間1.33~1.8
1)であった。
f今泉美彩(放影研)ほか「被爆55-58年後の広島・長崎の原爆
被爆者における甲状腺結節と自己免疫性甲状腺疾患の放射線量反応関
係」(甲B44の6,乙B152の1~3)(以下「今泉論文」という。)25
平成12年3月から平成15年2月までに広島・長崎のAHS集団
4091名に甲状腺検査を行い,うち胎内被爆者,入市被爆者及び推
定線量が不明な者を除いた3185名(平均年齢71歳,男性102
3名,女性2162名。DS02による甲状腺被曝線量平均値0.4
49シーベルト,中央値0.087シーベルト)を対象として甲状腺
疾患の線量反応を解析したところ,抗甲状腺自己抗体陽性率は,抗5
TPO抗体⒝及び抗Tg抗体⒞個々の陽性率も含め,甲状腺被曝放射
線量に関連していなかった(P値はそれぞれ0.20,⒝が0.
91,⒞が0.52であった。)。抗甲状腺自己抗体陽性甲状腺機能低
下症(有病率3.2%)も同放射線量とは関連していなかった(1シ
ーベルト当たりの過剰オッズ比0.01〔P値=0.92〕)。なお,10
同陰性甲状腺機能低下症も,同様に関連していなかった(同過剰オッ
ズ比0.17〔P値=0.31〕)。別に解析された若年被爆者におい
ても同様であった(抗甲状腺自己抗体陽性,同甲状腺機能低下症と同
放射線量との関係につき,同過剰オッズ比は,それぞれ-0.17〔P
値=0.11〕,-0.09〔P値=0.72〕であった。)。15
長瀧・柴田論文との違いについて,調査集団を拡大したこと,抗甲
状腺自己抗体やTSHの測定レベルに対する診断技術が異なってい
ること,時間の経過に伴い対象者の線量分布が変化したこと(寿命の
中央値は被曝放射線量1グレイ当たり約1.3年の割合で減少し,高
線量に被曝した被爆者の割合が減少するとともに,がんリスクも被曝20
放射線量に依存するため重度の甲状腺がん患者が早期死亡により除
外された可能性があり,特に高線量被爆者に生存による偏りがある。),
いずれの研究においても1回の血清検査のみを基礎に診断されたこ
と(血清検査結果は時間の経過により変化する。)に起因するとした。
判断25
a上のとおり,甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性を肯定
する疫学的知見が存在している。そして,平成21年6月22日付け
で改定された新審査の方針において,「放射線起因性が認められる甲状
腺機能低下症」が積極認定対象疾病に付加され(乙A13),さらに平
成25年12月16日付けで再改定された新審査の方針は,一定の被
爆者につき,格段に反対すべき事由がない限り,甲状腺機能低下症と5
放射線被曝との関係を積極的に認定すべきものとしている(乙A22。
抗甲状腺自己抗体の陽性・陰性で区別されていない。)。
以上を考慮すると,甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性につ
いては,抗甲状腺自己抗体の陽性・陰性を問わず,一定程度までの低
線量域も含めて,一般的に肯定することができるというべきである。10
b被控訴人の主張について
被控訴人は,伊藤報告は,非被爆者,爆心地から1.5~3km
における直接被爆者を対象としておらず,統計学的解析がされてい
ない上,近距離被爆者の甲状腺機能低下症の発症機序について慢性
甲状腺炎による甲状腺組織の傷害(自己免疫性甲状腺機能低下症)15
以外のもの,すなわち自己免疫性でない甲状腺機能低下症の機序に
よるものと推測するにすぎず,自己免疫性甲状腺機能低下症と放射
線被曝との関係を明らかにしたものではない旨を主張する。確かに,
1.5km以内の近距離被爆者群と3km以遠の対照群との比較で
は被曝線量と甲状腺機能低下症との関係が科学的な意味において厳20
密に確かめられるとはいえないとしても,一定の傾向をうかがい知
ることは可能であるといえる。また,甲状腺機能低下症の具体的な
機序が未解明であるとしても,線量反応関係があることを示唆する
調査結果となった事実は存在するのであり,この結果それ自体に不
自然不合理な点は特段見当たらない。25
⒝被控訴人は,井上・長瀧論文及び長瀧・柴田論文について,有病
率の調査は調査時点で偶然当該疾病に罹患している場合や完治して
いる場合等もあり交絡因子やバイアスが介在しやすいこと,長瀧・
柴田論文の報告は「上に凸の線量反応」が示されたという特殊な内
容であるところ,その再現性を検証するために行われた今泉論文に
おける調査結果とは整合しないことなどを主張する。しかし,甲状5
率の調査に指摘に係る交絡因子等が介在しやすいとは必ずしもいえ
ない。また,今泉論文において,長瀧・柴田論文における調査結果
との間で違いが生じた理由が検討されているのであり,少なくとも
同調査結果を積極的に否定するものではない。今泉論文の発表後に10
行われた研究の結果(乙B153,154,254)も,いずれも
今泉論文の結論に沿うものであるが,同様に,長瀧・柴田論文の調
査結果を積極的に否定するものとまではいえない。長瀧重信・井上
修二ほか「甲状腺機能低下症に関する意見書」(乙B151)は,長
瀧・柴田論文における現象及び統計学的な結果自体は,今泉論文等15
を踏まえても当然正しいとしている。結局のところ,今泉論文は,
長瀧・柴田論文によっては線量反応関係が放射線被曝と関係して発
生したものと断定することまではできないとしながら,推論の可能
性までは排除していないのであって,民事訴訟における証明の概念
が自然科学的な証明とは異なることにも鑑みると,今泉論文等によ20
っても,上記aのとおり認定判断することが妨げられるとはいえな
い。
⒞被控訴人は,AHS第7報及び第8報は,いずれも,甲状腺疾患
全体を対象としたものであり,甲状腺機能低下症を対象としたこと
を明確かつ正確に定義して分析されたものではないから,放射線起25
因性の判断材料とすることはできない旨を主張する。確かに,AH
S第7報及び第8報が甲状腺疾患全体の線量反応関係を検討したも
のであり,甲状腺機能低下症のみについて解析をした場合に異なる
結果が出る余地があることは否定できない。しかし,これらの報告
は,低線量の放射線被曝が甲状腺に対して一定の傷害作用を有する
ことを示唆するものということができ,その限りにおいては,甲状5
腺機能低下症と低線量の放射線被曝との関連性を検討する上で意味
を持つというべきである。
⒟被控訴人は,ICRPは,甲状腺機能低下症を起こす甲状腺に対
する線量は25~30グレイ程度(分割照射)であると推定してお
り,核実験の際にはこれより低い線量でも甲状腺機能低下症が生じ10
た例が報告されているが,それでも最低で4グレイとされているこ
と(乙B90)を指摘するが,上記イの各調査結果によると,上
記4グレイ以上の放射線被曝でなければ甲状腺機能低下症との関連
性が存在しないということはできない。
被控訴人の上記各主張は,いずれも採用することができない。15
虚血性心疾患(心筋梗塞,狭心症)
ア一般的知見
前提事実のほか,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によると,心筋梗塞,
狭心症に関し,以下の一般的知見が存在することが認められる。
疫学20
心筋梗塞,狭心症を含む心疾患は生活習慣病の一つであり,高血圧性
を除いた心疾患は,死因の2位(平成22年度全死亡の15.8%,平
成23年度全死亡の15.6%)を占めている(乙B190)。
心筋梗塞の発症は40歳代から徐々に増加し,70歳~74歳でピー
クとなる。すなわち,厚生労働省平成26年度患者調査では,5歳ごと25
に年齢を区切った場合の患者数が,60~64歳で約1万6000人と
1万人を超え,65~69歳で約2万5000人,70~74歳で約2
万7000人とピークとなり,75~79歳で約2万4000人と減少
に転じた(乙B178〔資料4〕)。虚血性心疾患では高齢者の発症が圧
倒的に多く,70歳以降でピークとなる(同〔資料3〕)。
危険因子(乙B178)5
心筋梗塞も狭心症も,冠動脈の動脈硬化病変を基礎とするため,動脈
硬化の原因となる血管の内皮細胞を傷害する種々の刺激が心筋梗塞及び
狭心症の危険因子となる。
a喫煙
喫煙本数と危険度との関係10
1日の喫煙本数に応じて冠動脈疾患の危険度が高まる。
虚血性心疾患の一次予防ガイドライン(2012年改訂版)は,
喫煙者の虚血性心疾患の相対危険度が,非喫煙者に対して男性で1.
73,女性で1.90であり,冠動脈イベントの発症リスクが喫煙
者は非喫煙者の1.6倍であったとする(乙B178〔資料3〕)。15
また,NIPPONDATE80は,19年間の追跡調査の結果,
1日2箱以上の喫煙者において,心筋梗塞につき4倍を超える相対
危険度があり,喫煙と心筋梗塞との間の関連性は特異的に強いとす
る(甲B23,乙B83,178〔資料5〕)。祖父江友孝(国立が
んセンターがん対策情報センターがん情報・統計部)は,喫煙と虚20
血性心疾患死亡のハザード比は,男性で2.2(95%信頼区間1.
8~2.7)であり,喫煙本数との量反応関係が認められ,喫煙開
始年齢が若いほどリスクが高いとした(甲B25)。国立循環器病研
究センターのホームページには,喫煙は動脈硬化性疾患の発症を促
す強力な因子であり,1日20本以上の喫煙者は,虚血性心疾患の25
発生が50~60%も高くなるとする記事が掲載されている(乙B
78)。厚生労働省研究班は,男性の虚血性心疾患の発症リスクにつ
いて,1日の喫煙本数が14本以下の喫煙者は非喫煙者の2.3倍,
15~34本の喫煙者は3倍,35本以上の喫煙者は4.4倍とな
ったなどとする報告をまとめた(乙B82)。
⒝禁煙の効果5
禁煙すると,虚血性心疾患の発症リスクは低下する。国立循環器
病研究センターのホームページには,循環器疾患では禁煙の効果が
比較的早く現れ,禁煙して約2年で心筋梗塞の発症危険度は喫煙者
の半分に,5年経過後には非喫煙者とほぼ同程度に減少するとする
記事が掲載されている(甲B24)。祖父江友孝は,男性において禁10
煙後約5年で全循環器疾患の死亡リスクの減少がみられ,約10年
で非喫煙者のリスクと同じレベルに達したとした(甲B25)。日本
動脈硬化学会は,非喫煙者の冠動脈疾患による死亡率を1とした場
合,毎日喫煙した群の死亡率は1.76,1~4年以下の禁煙者群
は1.47,5年以上の禁煙者群は1.31であると紹介している15
(乙B178〔資料7〕)。このほか,D3医師(D5診療所所長)
は2年以上の禁煙により心筋梗塞の発症率は非喫煙者と差がなくな
る旨の意見(甲B59。甲B13〔25頁〕,22も概ね同旨)を述
べる一方,D4医師(大分大学循環器内科臨床検査診断学講座准教
授)は,喫煙により長年にわたり形成された血管の粥腫は禁煙によ20
っても消滅することはない旨の意見(乙B178,証人D4〔29
頁〕)を述べている。
喫煙本数と禁煙年数との関係につき,1日1~19本喫煙した者
が10年以上禁煙した場合の虚血性心疾患による死亡リスクは0.
99と非喫煙者に相当するまでに低下したが,1日20本以上喫煙25
した者は禁煙期間が10年を経過しても同リスクはなお35%高い
とする研究結果や,同様に虚血性心疾患の死亡リスクについて,禁
煙期間が5年以上となれば,4年以下の場合(1.15)と比較し
てリスクは減少するが(0.9),禁煙までに20万本喫煙していた
場合にはその減少率は小さく(4年以下で2.1,5年以上で1.
82),禁煙効果はそれまでの喫煙量が深く関与しているとする研究5
結果がある(第2事件乙B113〔448頁〕)。
b高血圧
血圧水準と虚血性心疾患との間には,血圧値の上昇に従い虚血性心
疾患の発症リスクが高まる量依存関係が存在する。
NIPPONDATE80は,虚血性心疾患死亡の相対危険度につ10
き,収縮期血圧120~139mmHg群に対する同180mmHg
以上群では3.05,拡張期血圧70~79mmHg群に対する同1
00~109mmHg群では3.92,同110mmHg以上群では
4.75であったとする(乙B178〔資料3〕)。また,高血圧治療
ガイドライン2014は,至適血圧と比較した場合の心血管病死亡の15
ハザード比(BMI,総コレステロール及び喫煙等を調整したもの)
は,40~64歳の中壮年者においてⅠ度高血圧で3前後,Ⅱ度高血
圧で5前後であり,65~74歳の前期高齢者においてⅠ度高血圧で
2前後,Ⅱ度高血圧で2~3であって
),冠動脈疾患死亡のうち59%が至適血圧を超える血圧高値に起因20
する死亡と評価されるなどとする(乙B193〔10頁の図1-4〕)。
c脂質異常症
高LDLコレステロール血症,高トリグリセライド血症,低HDL
コレステロール血症はいずれも虚血性心疾患の危険因子であり,うち
LDLコレステロールが最も動脈の粥状硬化と関連が強いが,トリグ25
リセライド及びHDLコレステロールも独立した危険因子である。(乙
B178〔資料1〕,194,243,251,288,C3の11)
虚血性心疾患の一次予防ガイドライン(2012年改訂版)は,冠
動脈疾患の発生率につき,LDLコレステロール80mg/dℓ未満群
に対し,80~99mg/dℓ群では1.35倍,100~119mg
/dℓ群では1.66倍,120~139mg/dℓ群では2.15倍,5
140mg/dℓ以上群では2.8倍と増加し,トリグリセライド値(一
般成人において,男性88~110mg/dℓ,女性63~105mg
/dℓ)が150mg/dℓを超えると冠動脈疾患の発症率が3.7倍
と急激に上昇したとする(乙B178〔資料3〕)。また,NIPPO
NDATE80も,冠動脈疾患による死亡の相対危険度について,総10
コレステロール160~179mg/dℓ群に対し,200~219m
g/dℓ群では1.4倍,220~239mg/dℓ群では1.6倍,
240~259mg/dℓ群では1.8倍,260mg/dℓ以上群で
は3.8倍になるとし,特に男性では,総コレステロール,LDLコ
レステロールの上昇に伴い,冠動脈疾患の発症率・死亡率が連続的に15
上昇するとする(乙B194,243)。
d糖尿病(耐糖能異常)
空腹時血糖値が126mg/dℓ以上,75g経口ブドウ糖負荷試験
2時間値が200mg/dℓ以上,随時血糖値が200mg/dℓ以上
のいずれかが,別の日に行った検査で2回以上確認された場合,又は20
これらが1回確認され,かつ血糖コントロールの指標であるヘモグロ
ビンA1c(HbA1c)が6.5%以上(国際標準のNGSP値。
平成24年3月までは日本糖尿病学会のJDS値で6.1%以上)の
場合等に,糖尿病と診断される(乙B288,C4の9・11,7の
16,第2事件乙B110)。25
虚血性心疾患の一次予防ガイドライン(2012年改訂版)は,糖
尿病患者の初回虚血性心疾患発症率が年に5/1000人で健常者の
発症率(年に1.6/1000人)と比べて有意に高率であり,脳梗
塞を加えた心血管疾患の発症に対する相対危険につき,空腹時血糖1
20mg/dℓ以上の糖尿病患者につき有意な危険率の上昇を認める
とする。また,糖尿病の診断に至る前の耐糖能異常者の心血管疾患(脳5
卒中を含む。)の危険率が正常耐糖能者の1.9倍であり,心血管イベ
ントの発症率につき,空腹時血糖75mg/dℓ群に対し,110mg
/dℓ群の相対危険率が1.33であるなどとする(乙B178〔資料
3〕)。
e肥満10
体内の脂肪組織が過剰に蓄積した状態であり,内臓脂肪型の肥満は,
脂質異常症,高血圧等の生活習慣病の要因となり,動脈硬化性疾患を
早期に発症させる。肥満の判定は,BMI(体重kg/身長m2
)で行
われる。判定基準は,普通体重18.5以上25未満,肥満(1度)
25以上30未満,肥満(2度)30以上35未満等であり,統計的15
に最も病気にかかりにくい標準値は22であるとされる(乙C10の
10)。
虚血性心疾患の一次予防ガイドライン(2012年改訂版)は,B
MI25以上では22に対し健康障害が相対危険度で約2.2であり,
また,BMI20以上24未満群(中央値22)を基準としたとき220
4~27.9群(中央値27)において高血圧,低HDLコレステロ
ール血症及び高トリグリセライド血症に関するオッズ比が2を超えた
などとして,BMI25のレベルからの体重管理が必要であるとして
いる。(乙B178〔資料3・11〕)
f危険因子の重積25
冠動脈疾患の危険因子が重積すると,心筋梗塞の死亡危険度が加速
度的に高くなる。
NIPPONDATE80は,肥満,高血糖,高コレステロール及
び高血圧等の危険因子が3,4個重積すると,心筋梗塞は同因子のな
い人に比べて8倍高くなるとする(甲B23,乙B83,178〔資
料5〕)。国立循環器病研究センターのホームページにも,動脈硬化の5
5つの危険因子は高血圧,高脂血症(脂質異常症),喫煙,肥満及び糖
尿病であり,うち高血圧,高脂血症及び喫煙が3大危険因子であって,
これらは相互に関係し,重積により雪だるま式に心疾患のリスクが高
まるとする記事が掲載されている(乙B78)。
イ心筋梗塞,狭心症と放射線被曝との関連性10
関連性に関する知見
掲記の証拠及び弁論の全趣旨によると,心筋梗塞,狭心症及びこれら
の危険因子である動脈硬化と放射線被曝との関連性について,以下の知
見が存在することが認められる。
aLSS15
第11報第3部(改訂被曝線量(DS86)に基づく癌以外の死
因による死亡率,1950-85年)(甲B1の29,14,乙B2
16〔文献1〕)
昭和25年から昭和60年までの循環器疾患による死亡1万11
64例(推定線量はDS86による。)について,心疾患(この調査20
において脳卒中以外の循環器疾患をいう。)による死亡例4962名
の死亡率は,全期間を通じて被曝線量との有意な傾向を示した(放
射線量0グレイを1とした場合の相対リスクは,0.01~0.0
5グレイで1.03,0.1~0.19グレイで0.96,0.5~
0.99グレイで1.18,1~1.99グレイで0.95,2~25
2.99グレイで1.32,3~3.99グレイで1.45であっ
た。)。また,昭和41年から昭和60年までの後期において,被爆
時年齢が低い群(40歳未満)では,循環器疾患全体の死亡率及び
心疾患の死亡率は,いずれも線量と有意な関係(線量反応曲線は純
粋な二次又はしきい値線量を1.5グレイと仮定した場合の線形―
しきい値型)を示した。心疾患のうち最も死亡数が多い冠状動脈性5
心疾患の死亡率も,同一の期間及び被爆時年齢区分の心疾患と同じ
傾向を示した(放射線量0グレイを1とした場合の相対リスクは,
0.01~0.49グレイで1.35,0.5~0.99グレイで
1.25,1~1.99グレイで0.92,2~2.99グレイで
2.57,3グレイ以上で2.38であった。)。特に若年被爆者群10
において循環器系の疾患による死亡率の増加がみられることから,
その放射線感受性が高いことが示唆されるとした。
なお,死因は死亡診断書に基づいて分類しており(以下のLSS
においても同様である。),信頼性には限界があるとしている。
⒝第12報第2部(がん以外の死亡率:1950-1990年)(甲15
B1の18,15,乙B216〔文献1〕)
昭和25年から平成2年までの心疾患による死亡例6826名
(推定線量はDS86による。)につき,1シーベルト当たりの推定
過剰相対リスクは0.14(P値〔片側検定〕=0.003,90%
信頼区間0.05~0.22)で,そのうち冠状動脈性心疾患(220
362名)の同推定過剰相対リスクは0.06(90%信頼区間-
0.06~0.2),高血圧性心疾患(1199名)の同推定過剰相
対リスクは0.21(90%信頼区間0~0.45)であった。
調査結果を踏まえて,心疾患を含むがん以外の複数の疾患(消化
器疾患,呼吸器疾患等)についても,低線量域(例えば0.5シー25
ベルト)における関連性の程度は不明であるが,放射線被曝の影響
はもはや最も高い線量域に限られず(調査期間の初期にみられた健
康な被爆者の存在の影響によるU字型線量反応が時間の経過により
線形反応に移行している。),脳卒中・心疾患の過剰リスクは,心臓
血管疾患共通の放射線影響を反映している可能性があり,このよう
な影響に関する機序が解明されていないからといって,機序が存在5
しないという意味ではないと考えられるなどとされた。
⒞第13報(固形がんおよびがん以外の疾患による死亡率:195
0-1997年)(甲B1の19,7の11,16,乙B216〔文
献1〕)
昭和43年から平成9年までの心疾患による死亡例4477名10
(推定線量はDS86による。)について,有意な過剰リスクが認め
られ,1シーベルト当たりの推定過剰相対リスクは0.17(P値
=0.001,90%信頼区間0.08~0.26)であった(な
お,対象期間を昭和43年から平成9年に限定したのは,一般集団
より健康であった近距離被爆者の存在による影響を考慮したことに15
よる。)。
調査結果を踏まえ,統計的に,原爆被爆者において心疾患を含む
がん以外の複数の疾患の死亡率が,1シーベルト以下の線量域を含
め,線量の上昇とともに増加した,低線量における線量反応の形状
については著しい不確実性があり,特に約0.5シーベルト以下で20
はリスクの存在を示す直接的証拠はほとんどないが,調査結果はこ
の線量範囲でも線形性に矛盾しないことから,心疾患を含むいくつ
かの疾患に放射線の影響が存在する可能性が示唆されるなどとした。
⒟第14報(1950-2003年:がんおよびがん以外の疾患の
概要)(甲B49の1・2,乙B186の1~3)25
昭和25年から平成15年までに循環器系疾患で死亡した1万9
054名(推定線量はDS02による。)における1グレイ当たりの
過剰相対リスクは,0.11(90%信頼区間0.05~0.17)
であり,リスクの増加が示されたが,因果関係については今後の研
究が必要であるとした。
bAHS第8報(原爆被爆者におけるがん以外の疾患の発生率,195
58-1998年)(甲B1の31,4〔文献12〕,7の16,11
の40,乙B183,216〔文献3〕,C12の18)
40歳未満で被爆した人の心筋梗塞に有意な二次線量反応関係を
認め(1シーベルト当たりの相対リスク1.25,P値=0.04
9,95%信頼区間1~1.69),二次モデルで,放射線被曝の寄10
与リスクは16%であった(推定線量はDS86による。)。比較的
高い放射線被曝がアテローム性硬化病変の誘発に関与していること
が考えられるほか,被爆者のコレステロールが非被爆者より有意に
高く,若年被爆者の血圧傾向にも同じ傾向が見られる
こと(同ⅰ)から,これらが若年被爆者の心筋梗塞の発生率上昇の15
理由であるかもしれないとした。
なお,虚血性心疾患全体では,1シーベルト当たりの相対リスク
は1.04(P値=0.47,95%信頼区間0.94~1.14)
であり,同様に心筋梗塞(全年齢)では,1.11(P値=0.3
8,95%信頼区間0.9~1.46)であり,いずれも関連性は20
認められなかった。
⒝喫煙と飲酒の影響が出ないようにこれらの因子を調整した場合,
心筋梗塞を発症する相対リスクは,1.12(P値=0.48,9
5%信頼区間0.84~1.60)であり,40歳未満の被爆者に
おいても,1シーベルト当たり1.17(P値=0.14,95%25
信頼区間0.97~1.56)であって,放射線被曝との間に統計
学的に有意な関連性は示されなかった。
c清水由紀子ら(放影研)「放射線被曝と循環器疾患のリスク:広島,
長崎の被爆者データより,1950-2003」(甲B19の1・2,
乙B187の1・2,216〔文献2の1・2〕)(以下「清水論文」
という。イギリスの著名医学雑誌BMJに掲載されたものである。)5
LSS集団の8万6611名(DS02により0~3グレイの被
曝線量が推定されており,うち86%の被曝線量は0.2グレイ未
満である。)のうち,昭和25年から平成15年までの間に,846
3名が心疾患で死亡した。心疾患の1グレイ当たりの過剰相対リス
クは0.14(P値<0.001,95%信頼区間0.06~0.10
23)であった。被曝線量との関係は線形モデルが最も適合し,低
線量被曝領域でも過剰リスクがあることが示唆されたが,0~0.
5グレイの線量範囲では統計的に有意ではなかった。しきい値線量
の最良推定値は0グレイであり,95%信頼限界はおよそ0.5グ
レイであった。15
なお,心筋梗塞(死亡例1735名)に限った場合,1グレイ当
たりの過剰相対リスクは0(P値>0.5,95%信頼区間-0.
15~0.18)であった。また,心筋梗塞を含む虚血性心疾患(死
亡例3252名)については,1グレイ当たりの過剰相対リスクは
0.02(95%信頼区間-0.1~1.5)であるが,P値は0.20
5超であり,有意な関連は示されなかった。ただし,死因は死亡診
断書に基づくものであるところ,広いカテゴリの死因は正確である
が,詳しい分類の鑑別診断の精度は貧弱であり,剖検報告との一致
率は,虚血性心疾患69%,高血圧性心疾患(死亡例922名)2
2%などであったとする。病名そのものではない心不全(心臓の機25
能不全を意味する概念)による死亡例も,2983名であったとさ
れ,研究の限界又は不確かさであるとしている。
調査結果を踏まえ,中等度の線量(主に0.5~2グレイ)にお
いて心疾患リスクを上昇させるかもしれないことについての強力な
証拠となったが,0.5グレイ以下の線量では同リスクの上昇との
関連は明確ではなく,長期間のフォローアップが必要であるとした。5
⒝喫煙,飲酒,教育,職業,肥満及び糖尿病の交絡因子を調整して
も,心疾患の放射線リスク評価に対して重要な変化がもたらされな
かったとした。
⒞BMJは,清水論文を,0.5グレイ以下では統計的に有意では
なかったが,主に0.5~2グレイの中線量被曝で心疾患が増加す10
る可能性を示唆し,この関係は,生活スタイル,人口統計学その他
の健康因子,誤診等の交絡因子を考慮しても,論理的に強固である
ことを明らかにしたものであると紹介した(甲B46)。
d高橋郁乃ほか(放影研)「LSS集団における心疾患死亡率,195
0-2008」(甲B62,乙B239の1・2)15
LSS集団について,昭和25年から平成20年までの異なる期間
におけるいくつかの心疾患サブタイプの死亡率を調査した。虚血性心
疾患の1グレイ当たりの過剰相対リスクは,どの一期間又は全期間を
みてもゼロと有意に異なることはなかった。心筋梗塞とその他の虚血
性心疾患の両方についても線量反応関係は認められなかった。ただし,20
サブタイプへの分類により統計的検出力が低下すること,早期治療に
より疾患の自然経過に影響を与え,ひいては死因にも影響することを,
調査の限界として指摘している。
eSarahC.Darbyら「放射線関連心疾患:最近の知見と
将来展望」(甲B51の1・2,乙B283の1~3)(以下「Sar25
ah論文」という。)
心疾患の死亡率につき,両性の8400名を超える心疾患死亡にお
いて,被曝線量に応じて増加が確認されたが(1グレイ当たり14%,
95%信頼区間6~23%),約0.5グレイ未満の被曝線量でのリス
ク増加は明らかではなかった,いつ死亡率の増加が始まったかは不明
であるが,被爆後50年が経過してもリスクが減少したという示唆は5
ないとした。
f動脈硬化との関連性
赤星正純(放影研)「原爆被爆者の動脈硬化・虚血性心疾患の疫学」
(甲B18,乙B216〔文献4〕)(以下「赤星報告」という。)
放射線被曝と心血管疾患との関連につき,心筋梗塞の危険因子で10
ある大動脈弓石灰化が被爆放射線量と関連していること,さらに動
脈硬化及び心血管疾患の危険因子である高血圧(後記ⅰ),高脂血症
(後記ⅱ)及び炎症(後記ⅲ)に対しても,放射線被曝が関与して
いること等の研究結果があり,これらを介して被爆者の動脈硬化が
促進され,心血管疾患の増加に繋がったことが考えられると報告し15
た。
ⅰ佐々木英夫(放影研)ほか「原爆被爆者の血圧に対する加齢お
よび放射線被曝の影響」(第2事件乙B108の1・2)(以下「佐々
木論文」という。)
AHS集団9411名(男性3362名,女性6049名。腎20
臓,心臓弁膜,動脈又は内分泌腺疾患の者を除外した。推定線量
はDS86による。)を対象とし,被曝群(被曝線量1グレイ)と
非被曝群(同0グレイ)との血圧を比較した。測定回数は1から
14回で中央値は9回であり,喫煙の影響を補正した。この結果,
①昭和15年に生まれ,1グレイの原爆放射線に被曝した40歳25
男性は,非被曝男性よりも平均収縮期血圧レベルが約1.0mm
Hg(95%信頼区間0.6~1.5mmHg),平均拡張期血圧
レベルが約0.8mmHg(同0.2~1.2mmHg)それぞ
れ高く,②明治33年に生まれ同様に被曝した70歳男性は,非
被曝男性よりも平均収縮期血圧レベルが1.2mmHg(同0.
6~1.8mmHg),平均拡張期血圧レベルが1.0mmHg(同5
0.5~1.4mmHg)それぞれ低かった。男女間で放射線影
響に有意差はみられなかった。
調査結果を踏まえ,収縮期血圧及び拡張期血圧の縦断的傾向の
いずれについても,小さいが統計的に有意な電離放射線の影響が
認められたとした上で,若年者と高齢者との相違について,加齢10
現象(特に動脈壁弾性の低下)との関連性を考慮すべきであり,
若年における放射線被曝が動脈血管を変化させ,末梢血管抵抗を
引き起こしたとの仮説を立てることができるなどとした。
ⅱF.LennieWongほか(放影研)「被爆者における血
清総コレステロール値の継時的変化における放射線の影響」(乙B15
244,274,第2事件乙B107の1・2)(以下「Wong
論文」という。)
AHSにおいて昭和33年から昭和61年までに収集したデー
タに基づき,血清総コレステロール(TC)の継時的変化におけ
る放射線の影響について調査した。明治43年,大正9年,昭和20
5年及び昭和15年に広島及び長崎で生まれた被爆者(DS86
による推定被曝線量2グレイ)と非被爆者のTCが比較された。
この結果,非被爆者に比べて被爆者はTCの高値を示した。放射
線被曝による増加は女性がより大きく,女性で放射線の影響が全
般にみられたのに対し,男性では若年被爆者でのみ明らかであっ25
た。年齢が70歳以上では平均TCの違いは消失した。この現象
が自然経過なのか人為的なものであるかは不明であるが,1グレ
イ当たりのTCの増加(年齢別の最大値)は,女性(昭和5年生
の52歳)において,2.5mg/dℓ(95%信頼区間1.6~
3.3mg/dℓ)(広島),2.3mg/dℓ(同1.5~3.1m
g/dℓ)(長崎)であり,男性(昭和15年生の29歳)におい5
ては,1.6mg/dℓ(同0.4~2.8mg/dℓ)(広島),
1.4mg/dℓ(同区間0.3~2.6mg/dℓ)(長崎)であ
った。喫煙の影響を考慮しても,TCと放射線の関係に影響は認
められなかった。
調査結果を踏まえ,被曝の影響に性差があり女性で影響が大き10
いことは放射線被曝によるホルモンの変化があることを示唆する
とし,また,被曝に伴うTC値の上昇は被爆者でみられる冠動脈
性疾患の増加を部分的に説明するとした。
ⅲ林奉権ほか(放影研)「原爆被爆者における炎症応答マーカーの
放射線量依存的上昇」(甲A151,B60の9,乙B277の1・15
2)(以下「林論文」という。)
平成7年3月から平成9年4月までにAHS集団453名から
得た血液資料につき,いずれも炎症マーカーである血漿中の反応
性蛋白質(CRP)及びインターロイキン6(IL-6)を測定
した。CRPの基準値は,成人で0.3mg/dℓ以下であり(乙20
B281),冠動脈疾患との関係につき,0.07mg/dℓ以下
であれば危険が非常に低い群であり,0.2mg/dℓ以上であれ
ば危険が高いとの知見がある(乙B280)。非被爆者群のCRP
値は0.05mg/dℓ(95%信頼区間0.041~0.061
mg/dℓ)であり,0.005~1.5グレイ被爆者群で0.025
59mg/dℓ(同0.048~0.072mg/dℓ),1.5グ
レイを超える被爆者群で0.093mg/dℓ(同0.074~0.
116mg/dℓ)であった(P値<0.001)。推定放射線量
1グレイ当たり約31%有意に上昇し(P値=0.0001),年
齢,性別,肥満度及び心筋梗塞の既往歴の要因を補正しても,1
グレイ当たり約28%の有意な上昇を示した(P値=0.0005
2)。IL-6も,1グレイ当たり9.3%(P値=0.0003)
上昇していた(多重補正後の上昇率9.8%〔P値=0.000
7〕)。これらの上昇は,末梢血リンパ球集団中のCD4⁺ヘルパー
T細胞の割合の減少に比例していた。
調査結果を踏まえ,原爆放射線への被曝が被爆者の炎症活性を10
有意に亢進させる明らかな兆候が血液中に認められることを示す
ものであり,原爆被爆者に心臓血管疾患その他のがん以外の疾患
のリスクが上昇していることの説明の一助となると考えられると
した。
⒝井上典子(広島市医師会臨床検査センター)「原爆被爆者と心血管15
疾患」(甲B17,乙B216〔文献8〕)
昭和62年から平成15年までに原爆検診を受診した40歳から
79歳までの被爆者1万6335名につき,直接被爆群(爆心地か
らの距離2km未満,同2km以上)及び入市他群に分類し,大動
脈脈波速度(PWV)の測定結果を解析したところ(伝播速度が大20
きいほど大動脈の動脈硬化が強い。),放射線被曝と動脈硬化の関連
があり,特に被爆時年齢が10歳未満男性の近距離直接被爆群に関
連性が強いとの結果であったとした。
⒞山田美智子ほか(放影研)「動脈硬化の有病率と原爆放射線被曝と
の関係について」(乙B246,273の1・2)(以下「山田論文」25
という。)
広島原爆の被爆者1804名に対し,単純胸部撮影による大動脈
弓の石灰化と超音波検査による総頸動脈の内膜中膜肥厚(IMT)
を調査した上,可能性のある交絡因子を調整して,動脈硬化性変化
と放射線被曝との関連について検討した。
被曝線量1グレイに対する大動脈弓石灰化のオッズ比は男性で1.5
3(95%信頼区間1.05~1.53),女性で1.31(同1.
13~1.51)であり,放射線量が大動脈の動脈硬化有病率を助
長すると評価した。頸動脈のIMTは放射線量によって有意に変化
せず(P値=0.18),影響を認めなかった。
なお,0.005グレイ以上0.5グレイ未満の比較的低線量で10
は対照群(0.005グレイ未満)と比較して大動脈弓石灰化に対
して有意な影響はなかった。0.5グレイ以上の比較的高線量群の
オッズ比は男性1.63(P値=0.02),女性1.48(P値=
0.007)であった。
⒟Sarah論文15
放射線による虚血性心疾患(coronaryartery
disease)の機序について,他の原因によるアテローム性動
脈硬化による虚血性心疾患と本質的に同じであり,筋繊維芽細胞の
内膜での増殖,脂肪を貪食したマクロファージによるプラークの形
成によって血栓症が引き起こされる可能性があるとした。20
楠洋一郎ほか(放影研)「心筋梗塞を有する原爆被爆者血液中のC
D4T細胞比率の低下」(甲B60の4)
免疫学的研究により,原爆被爆者における長期間のT細胞免疫異
常,特にCD4T細胞の減損が明らかとされている。CD4T細胞
の割合を測定した被爆者1006名のうち18名に心筋梗塞の既往25
があったところ,①CD4T細胞の割合は放射線量の増加に伴い有
意に低下した,②心筋梗塞の既往はCD4T細胞比率の低い例にお
いて有意に高かったことから,被爆者の心筋梗塞がCD4T細胞の
減損と関連している可能性が示唆されるとした(関連する研究報告
として,楠洋一郎ほか〔放影研〕「心筋梗塞の既往歴を有する原爆被
爆者の黄色ブドウ球菌毒素に対するT細胞の応答能低下とナイーブ5
CD4T細胞の減損」〔甲A152〕等がある。)。
⒡原爆放射線の人体影響改訂第2版(楠洋一郎,林奉権)(乙B27
8)
被爆者の免疫及び炎症応答に関する調査結果を概観し,以下のと
おり検討した。10
被爆者の免疫系に放射線被曝に関連した変化が観察される。変化
は,Tリンパ球を中心とする適応免疫の低下と活性化された自然免
疫によると考えられる軽度な炎症状態である。その機序はほとんど
不明であるが,放射線被曝に関連してみられる免疫系の変化の多く
は加齢に伴って免疫機能が衰退していく様相(免疫老化)と類似し15
ており,被爆者では過去の放射線被曝により免疫老化が促進されて
いる可能性が示唆される。
被爆者の免疫系で観察される被曝線量依存性の変化の大部分は1
グレイ当たり数%と小さいように思われ,僅かな免疫系の異常のた
めに特定の疾患に罹患するという筋書きは描きにくいかもしれない。20
しかし,その僅かな異常が数十年継続する場合に,被爆者集団にし
ばしば観察される疾患のリスクを増加させたかもしれないと考える
ことは可能である。放射線による免疫老化の促進という仮説を支持
する知見が蓄積されれば,放射線被曝で加齢関連疾患のリスクが高
くなる機序を一部説明できるかもしれない。25
国際的な知見
この点に関するUNSCEAR及びICRPにおける国際的な知見は,
以下のとおりである。
aUNSCEAR報告書
2006年報告書(甲B58〔文献2〕,乙B86の1・2)
「放射線治療に伴う心臓に対する高線量被曝に関連し,循環器疾5
患のリスクは増加するが,心臓への線量がより低くなった新たな治
療技術はそのリスクを大幅に低下させた。今日まで,致死的な心臓
血管疾患と1~2グレイ以下の範囲の線量の関連性を示した証拠は
日本における原爆被爆の生存者の解析のみであり,その他の調査で
は1~2グレイ以下の被曝線量においての致死的な心臓循環器疾患10
のリスクに関する明確な証拠は示されていない。現在ある科学的デ
ータには一貫性のある疫学的データやもっともな生物学的メカニズ
ムの説明が欠けており,電離放射線と心血管疾患の因果関係を立証
するには十分でない。」,「放射線により循環器疾患が発生するリスク
を評価しようとする際には,喫煙や,遺伝子,コレステロール値を15
はじめとして,多数のリスク因子を考慮する必要がある。1~2グ
レイ以下の被曝線量に関連するリスクにおいて,相対的に小さいリ
スクの増加があることは分かったが,死亡率のみの疫学的調査が循
環器疾患と1~2グレイ以下の線量の放射線被曝との関連の可能性
や特性を解明するために寄与するかどうかは定かでない。」などと報20
告した。
⒝2010年報告書(甲B34,50,乙B142,216〔文献
10〕)
「放射線被曝に関連した致死的な心血管疾患の過剰リスクを示す
唯一の明確な証拠は,心臓への線量が約1~2グレイ未満では,原25
爆被爆者のデータから得られている。」,「本委員会のレビューは,約
1~2グレイ未満の線量の被曝と心血管疾患及びその他の非がん疾
患の過剰発生との間の直接的な因果関係についての結論を下すこと
はできなかった。これらの疾患の低線量における線量反応関係の形
状はまだ明らかでない。」,「1~2グレイ未満の線量,またはるかに
低い線量の場合においても,非がん疾患のリスクが増加することを5
示す最近の疫学調査からの新たな証拠がある。しかしながら関連す
るメカニズムはいまだ不明瞭で,低線量におけるリスク推定には問
題が残る。」などと報告した。
bICRP声明・勧告
声明(乙B188の1・2)10
ICRPは,平成23年4月21日,「不確実性は残るものの,循
環器疾患のしきい吸収線量は,心臓や脳に対しては,0.5グレイ
程度まで低いかもしれないことを医療従事者は認識させられなけれ
ばならない。いくつかの複雑な介入を行う間に患者の被曝線量がこ
の程度まで達してしまう可能性はある。したがって,こうした状況15
の最適化には特に重点が置かれるべきである。」などとする声明を承
認した。
⒝2012年勧告(甲B40の1・2,58〔文献5〕,乙B216
〔文献11〕,238の1・2,240,241,272)
ICRPは,2012年勧告において,心疾患と低線量被曝との20
関係につき,「最近更新された原爆被爆者データの分析によると(清
水論文),心疾患の推定しきい線量は0グレイとされ,95%信頼区
間の上限は0.5グレイであった。しかしながら,0~0.5グレ
イの範囲を通して,線量反応関係は統計学的に有意ではなく,低線
量の情報が不十分であることを示している。」などとした。また,実25
質的なしきい線量という用語を,特定の観察可能な影響が放射線に
被曝した個人のうち1%だけに現れるために必要な放射線の量と定
義し,ほとんどの先進国において循環器疾患の死亡率が自然ベース
ラインで30~50%であり病因を放射線被曝とその他に区別する
のが困難で,しきい線量の存在及びその値も不明であるが,1グレ
イ当たりの過剰相対リスク約0.1は原爆被爆者研究に特に当ては5
まるもっともな数値であると考えられるとした上で,多くの疫学研
究を統合したリスク計算によると,「約0.5グレイの線量により約
1%の被曝した個人に循環器疾患が発症する結果をもたらす可能性
がある」と推定した。そして,「0.5グレイ以下の線量域における,
いかなる重症度や種類の循環器疾患リスクも,依然として不確実で10
あることが強調されるべきである。」などとする。放射線に起因する
心臓に対する影響については,「特に低線量被曝後において炎症過程
を含んでいる。高線量被曝後では,明らかに毛細血管の数が減少し,
虚血,心筋壊死や線維化へとそのうち進行し,大血管においてアテ
ローム硬化が促進され,心機能の低下や致死的なうっ血性心不全に15
至る。」などとしている。
なお,清水論文のほか,佐々木論文,Wong論文,山田論文及
び林論文がレビューの対象とされている。
判断
a心筋梗塞20
関連性の有無
心筋梗塞については,
関する各疫学的知見が存在する。これらの中には,一部に他と整合
しないものが含まれてはいるものの,調査の限界として指摘されて
いる内容も踏まえて総合的に検討すると,上記関連性を肯定する知25
見が集積しているとみることができる。依然として仮説の段階では
あるものの,機序に関する知見についても集積されつつある状況に
あるといえる(上掲したもののほか,楠洋一郎ほか〔放影研〕「原爆
放射線が免疫系に及ぼす長期的影響:半世紀を超えて」は,免疫学
的観点から,原爆放射線がT細胞ホメオスタシスを攪乱する,長期
にわたる炎症を誘発して疾患の発生に繋がったなどとする複数の仮5
説を提示している〔甲A158〕。)。
国際的知見としても認められるに至っている。そして,平成19年
12月17日付け「原爆症認定の在り方に関する検討会報告」(乙A
6)において,心筋梗塞については,原爆被爆者を対象とした疫学
調査のみならず,動物実験を含む多くの研究結果により,一定以上10
の放射線量との関連があるとの知見が集積してきており,認定疾病
に追加する方向でしきい値の設定等の検討を行う必要があるとして
おり,これを受け,平成20年3月17日付けで定められた新審査
の方針は,「放射線起因性が認められる心筋梗塞」を積極認定対象疾
病とした(乙A1)。さらに平成25年12月16日付けで再改定さ15
れた新審査の方針は,一定の被爆者につき,格段に反対すべき事由
がない限り,心筋梗塞と放射線被曝との関係を積極的に認定すべき
ものとしている(乙A22)。
以上を考慮すると,心筋梗塞と放射線被曝との関連性については,
これを一般的に肯定することができる。20
なお,被控訴人は,LSS及びAHSにおいて放射線被曝との関
連性が示唆されているのは,あくまで心疾患又は循環器疾患のリス
クにとどまっており,心筋梗塞という疾病分類についての関連性を
肯定するものではない旨を主張する。確かに,LSSは,いずれも
死亡診断書に基づき心疾患又は循環器系疾患と分類された死因につ25
いてリスク推定を行っており,より狭いカテゴリである心筋梗塞に
ついてリスク評価を行っているものではないが,心疾患のカテゴリ
に含まれる疾患のうち心筋梗塞だけが他と傾向を異にすることを認
めるに足りる証拠はない(AHS第8報は,40歳未満で被爆した
人の心筋梗塞について報告している。)。同様に,被控訴人は,清水
論文も,心疾患について放射線被曝との関連性を指摘したもので,5
心筋梗塞に限った場合,1グレイ当たりの過剰相対リスクは0であ
るなどと分析していると指摘するが,高血圧性心疾患に分類されて
いるもののうち相当数が虚血性心疾患又は心筋梗塞である可能性が
ある上,心不全のカテゴリには相当数の虚血性心疾患又は心筋梗塞
が含まれていると考えるのが自然であり(甲B13〔96頁〕),心10
疾患のうち虚血性心疾患及び心筋梗塞については放射線被曝との間
に関連性がないとみることは相当ではないというべきである。
⒝関連性の程度
上記各知見からす
ると,高線量の被曝ほど関連性を肯定する方向で考えるべきであり,15
中~低線量被曝の場合,0.5グレイが一応の有力な目安であるこ
とは否定することができない。この点につき,放射線被曝と心筋梗
塞発症との関係についてのD1医師ほかの補充意見書(甲B46)
及びD3医師の意見書(甲B58)が各引用するJ.H.Hend
ry「しきい値線量と循環器疾患リスク」(甲B47の3の1・2)20
は,Littleら「低線量電離放射線被曝による循環器疾患の系
統的レビュー及びメタ解析並びに潜在的な人口死亡率の推計」を引
用し,0.5グレイ未満又は1日10ミリグレイ未満の被曝後にい
くつかの種類の循環器疾患のリスクが陽性となる可能性について言
及する(乙B269の1・2)。しかし,上記引用に係る論文には,25
解析対象としたピアレビュー(査読)文献の選択に偏りがあること,
原爆被爆者のほか放射線と循環器疾患の罹患又は死亡に関わる7集
団が対象とされているところ,うち少数集団である旧ソビエト社会
主義共和国連邦のマヤック核技術施設(乙B58〔文献2・371
頁〕)における作業者の研究が過剰相対リスク推定値を高めているこ
と等の複数の疑義が呈されている(乙B270)。ICRPの知見と5
して採用されたとも認められないのであり,その信用性は懐疑的に
評価せざるを得ない。また,控訴人らが指摘するとおり,ICRP
2012年勧告は,清水論文を引用して,心疾患全体に対する過剰
相対リスクにつき,0~1グレイの線量反応関係が有意であったと
する部分があるが,その直前の部分で「0~0.5グレイに限定す10
ると線量反応関係は有意ではなかった」としているのであり(甲B
47の5の1・2),心疾患の放射線リスクが0.5グレイ以下の線
量域においても有意であるとの国際的認識が確立しているというこ
とはできない。他方で,上記3原爆被爆者
が内部被曝を含めた複合的な被曝を受けたことをも考慮すると,0.15
5グレイを僅かでも下回った場合に一律に関連性を否定すべきと考
えることもまた相当性を欠くというべきであって(なお,清水論文
は,しきい値線量の最良の予想は0グレイであるとしている。),こ
の点は,上記2説示のとおり,他の原因(危険因子)も併せた総合
考慮において判断するのが相当である。20
b狭心症
の各知見が存在するところ,心筋梗塞について,上記a
のとおり,放射線被曝との関連性を一般的に肯定することができる。
そして,前提事実のとおり,狭心症と心筋梗塞との違いは心
筋虚血が一過性か,心筋壊死を伴うかにより分類されるところ,その25
原因が基本的に冠動脈の動脈硬化によることも共通している。この点
からすると,狭心症を心筋梗塞と殊更に区別すべき合理的な理由は見
当たらないというべきであり,狭心症についても,一般的に,心筋梗
塞と同程度の関連性を認めることができる。
脳梗塞,脳出血
ア一般的知見5
前提事実のほか,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によると,脳梗塞,
脳出血に関し,以下の一般的知見が存在することが認められる。
疫学
脳卒中(脳血管疾患)は,生活習慣病の一つであり,国民の死因の上
位(平成22年度全死亡の10.3%,平成23年度全死亡の9.9%)10
を占めている(乙B190)。
脳梗塞,脳出血ともに,患者は40歳代から増加し,70歳代と80
歳代でピークとなる(乙B191)。
危険因子
a高血圧15
高血圧は脳梗塞,脳出血に共通の最大の危険因子である。血圧値と
脳卒中発症率は直線的な正の相関関係にあり,血圧が高いほど脳卒中
の発症率は高くなる。脳卒中治療ガイドライン2009は,収縮期血
圧160mmHg以上の患者の脳梗塞の発症リスクが3.46倍,拡
張期血圧が95mmHg以上では3.18倍であったなどとする(乙20
C15の27)。脳卒中治療ガイドライン2015は,3~5年の5~
6mmHgの拡張期血圧の下降により脳卒中の発症率が42%減少し
たなどとして,血圧を収縮期血圧140mmHg未満,拡張期血圧9
0mmHg未満(糖尿病の合併がある場合はそれぞれ130mmHg
未満,80mmHg未満)に降圧することを強く推奨している。(乙B25
178〔資料13〕,192,193)
b喫煙
喫煙も,脳梗塞,脳出血の危険因子である。脳卒中治療ガイドライ
ン2015は,男性において1日20本以上の喫煙が脳梗塞の危険因
子であるとする報告や,ラクナ梗塞又はアテローム血栓性脳梗塞の危
険因子であるとの報告があるとしている。また,同ガイドラインは,5
40~59歳の男性喫煙者において,脳卒中発症の相対危険度につき,
全脳卒中1.27(95%信頼区間1.05~1.54),脳梗塞1.
66(同1.25~2.20),脳出血0.72(同0.49~1.0
7)であったとし,喫煙本数の増加とともに脳卒中の発症が増える関
係があるとする(乙B192)。NIPPONDATE80も,1日210
箱以上の男性喫煙者において,脳卒中の相対危険度は2.2倍であっ
たとする(甲B23,乙B83,178〔資料5〕)。祖父江友孝は,
喫煙と脳卒中死亡のハザード比は,男性で1.3(95%信頼区間1.
1~1.4)であり,喫煙開始年齢が若いほどリスクが高いとした(甲
B25)。15
c脂質異常症
脂質異常症は,脳梗塞の危険因子である。脳卒中治療ガイドライン
2015においては,LDLコレステロールが1mmol/L(38.
6mg/dℓ)低下すると脳卒中の発症が14~17%低下したとする。
また,動脈硬化との関連が強いアテローム血栓性脳梗塞につき血清総20
コレステロールと脳梗塞発症リスクが相関し,血清総コレステロール
値が高い場合に虚血性脳卒中の発症リスクが高まる傾向にあるものの,
有意ではなく,血圧と比較すると重要性は低いとする(乙B192)。
動脈硬化性疾患予防ガイドライン2012年版は,冠動脈疾患より弱
い関連であるものの,高トリグリセライド血症は脳梗塞のリスクであ25
るとする報告が多いとし,150㎎/dℓを高トリグリセライド血症の
スクリーニング基準とする(乙B194)。
d慢性腎臓病(CKD)
CKDは,腎臓に何らかの異常所見が見いだされるか,又は糸球体
濾過量(GFR。日常診療では,血清クレアチニン〔Cr〕と年齢,
性別に基づき,GFR推算式により計算されるeGFR〔推定GFR〕5
が用いられる。乙B195)が60mℓ/分/1.73㎡未満の腎機能
低下が3か月以上持続するものと定義される。高血圧はCKDの発症
リスクを上昇させる。
CKDは,脳卒中の危険因子である。脳卒中治療ガイドライン20
15は,疫学研究において,CKDの女性の脳卒中のリスクは1.810
5倍又は1.51倍であったなどとし,女性では特に脳梗塞の有意な
リスク因子であるとする。(乙B192,195,261)
e危険因子の重積
循環器疾患の危険因子が重積すると,脳卒中の死亡危険度も高くな
る。NIPPONDATE80は,高血圧等の危険因子が3,4個重15
積すると,脳卒中は同因子がない人に比べて5倍高くなるとする(甲
B23,乙B83,178〔資料5〕)。
イ脳梗塞,脳出血と放射線被曝との関連性
関連性に関する知見
掲記の証拠及び弁論の全趣旨によると,脳梗塞,脳出血と放射線被20
曝との関連性につき,以下の知見が存在することが認められる。
aLSS
第11報第3部(改訂被曝線量(DS86)に基づく癌以外の
死因による死亡率,1950-85年)(甲B1の29,14,乙
B216〔文献1〕)25
昭和25年から昭和60年までの循環器疾患(脳卒中,心疾患)
による死亡例1万1164名(推定線量はDS86による。)につ
いて,脳卒中の死亡例6202名では,死亡率と被曝線量との有
意な関連は示されなかった。しかし,昭和41年から昭和60年
までの後期において,被爆時年齢が低い群(40歳未満)では,
循環器疾患全体の死亡率及び脳卒中の死亡率は,いずれも被曝線5
量と有意な関係(線量反応曲線は純粋な二次又はしきい値線量を
1.5グレイと仮定した場合の線形―しきい値型)を示した。
⒝第12報第2部(がん以外の死亡率:1950-1990年)
(甲B1の18,15,乙B216〔文献1〕)
脳卒中(死亡数7859名)の1シーベルト当たりの推定過剰10
相対リスク(推定線量はDS86による。)は0.09(P値〔片
側検定〕=0.02,90%信頼区間0.02~0.17)であ
り,そのうち脳出血(死亡数3687名)の同推定過剰相対リス
クは0.03(90%信頼区間-0.06~0.14),脳梗塞(死
亡数1611名)の同推定過剰相対リスクは0.07(90%信15
頼区間-0.09~0.25)であった。
と同じく,がん以外の複数
の疾患について,低線量域(例えば0.5シーベルト)における
関連性の程度は不明であるが,放射線被曝の影響はもはや最も高
い線量域に限られない。調査期間の初期にみられた健康な被爆者20
の存在の影響によるU字型線量反応が時間の経過により線形反応
に移行している。脳卒中・心疾患の過剰リスクは,心臓血管疾患
共通の放射線影響を反映している可能性があり,このような影響
に関する機序が解明されていないからといって,機序が存在しな
いという意味ではないと考えられるなどとされた。25
⒞第13報(固形がんおよびがん以外の疾患による死亡率:19
50-1997年)(甲B1の19,7の11,16,乙B216
〔文献1〕)
昭和43年から平成9年までの脳卒中による死亡例3954名
について,有意な過剰リスクが認められ,1シーベルト当たりの
推定過剰相対リスク(推定線量はDS86による。)は0.12(P5
値=0.01,90%信頼区間0.02~0.22)であった。
調査結果を踏まえ,統計的に,原爆
被爆者において脳卒中を含むがん以外の複数の疾患の死亡率が,
1シーベルト以下の線量域を含め,線量の上昇とともに増加して
いることを示す強力な統計的証拠がある,低線量における線量反10
応の形状については著しい不確実性があり,特に約0.5シーベ
ルト以下ではリスクの存在を示す直接的証拠はほとんどないが,
調査結果はこの線量範囲でも線形性に矛盾しないことから,脳卒
中を含むいくつかの疾患に放射線の影響が存在する可能性が示唆
されるなどとした。15
⒟第14報(1950-2003年:がんおよびがん以外の疾患の
概要)(甲B49の1・2,乙B186の1~3)
bAHS第8報(原爆被爆者におけるがん以外の疾患の発生率,19
58-1998年)(甲B1の31,4〔文献12〕,7の16,1120
の40,乙B183,216〔文献3〕,C12の18)
昭和33年から平成10年までの,くも膜下出血,脳内出血,脳実
質外動脈の狭塞(症)及び狭窄(症),脳動脈の狭塞(症)の脳血管疾
患(国際疾病分類〔ICD〕コードによる。AHS第8報6頁の表3
中の「脳卒中Ⅰ」)の症例数531例について,1シーベルト当たりの25
相対リスク(推定線量はDS86による。)は1.05(P値=0.5
2,95%信頼区間0.90~1.25)であった。急性の診断名不
明確の脳血管疾患を加えた場合(上記表中の「脳卒中Ⅱ」)の症例数7
29例についても,同様に相対リスクは1.06(P値=0.43,
95%信頼区間0.92~1.23)であり,いずれも放射線量との
有意な関係は認められなかった。なお,上記各相対リスクは飲酒及び5
喫煙の影響を考慮しない場合であるが,考慮した場合の結果も同様で
あった。
c高橋郁乃(放影研)ほか「広島・長崎の原爆被爆者の致死的・非致
死的脳卒中と放射線被曝の関連についての前向き追跡研究(1980
-2003年)」(甲B42,乙B184の1・2,185)(清水論文10
と同様,BMJに掲載された。)
AHS集団の被爆者9515名(男性34.8%)を対象として,
放射線被曝(推定線量はDS02による。)と脳卒中発生との関連につ
き,昭和55年から24年間追跡調査を行った。症例数235名の出
血性脳卒中,607名の虚血性脳卒中(脳梗塞)が確認された。放射15
線量と出血性脳卒中との関連(年齢,血圧及び喫煙等の危険因子を調
整した後のもの)について,男性では被曝線量が0.05グレイ未満
群から2グレイ以上群に上昇するに伴い,直線的な線量反応関係で増
加し(1万人中年11.6人から同29.1人に増加,P値=0.0
09),1グレイ未満群においてもしきい値のない発生率の増加が認め20
られた(P値=0.004)。女性は,1.3グレイ以上では,被曝線
量の増加に伴いリスクは増加したが(1.3~2.2グレイ群で1万
人中年20.3人,2.2グレイ以上群で同48.6人。P値=0.
002),1.3グレイ未満ではリスクの増加は認められないとされた
(95%信頼区間0.5~2.3)。25
放射線量と虚血性脳卒中のリスクには関連が認められなかった。
調査結果を踏まえ,放射線被曝線量の増加に伴い,男女ともに出血
性脳卒中のリスクが増加したが,女性におけるその影響はしきい値1.
3グレイ未満では明らかでないと総括した。
d清水論文
LSS集団の8万6611名()のうち,昭和25
5年から平成15年までの間に,9622名が脳卒中(脳梗塞,脳
出血,くも膜下出血,その他)で死亡した。1グレイ当たりの過剰
相対リスクについて,脳梗塞(死亡数2659名)は0.04(P
値>0.5,95%信頼区間-0.1~0.2),脳出血(死亡数4
060名)は0.05(P値=0.36,95%信頼区間-0.010
6~0.17),くも膜下出血(死亡数461名)は0.3(P値=
0.09,95%信頼区間-0.04~0.76),その他(死亡数
2442名)は0.16(P値=0.04,95%信頼区間0.0
1~0.34)であり,脳卒中全体では0.09(P値=0.02,
95%信頼区間0.01~0.17)であった。15
被曝線量との関係について,線量範囲のより低い部分に対しては
明白なリスクが示されなかった。過剰リスクが生じない低線量領域
に無視できないしきい値が存在するかもしれず,しきい値線量の9
5%信頼区間の上限は2グレイであり,最良の推定は0.5グレイ
であったが,しきい線量が存在しない可能性もある。被爆時年齢620
0歳未満の被爆者は同60歳以上の被爆者に対して1グレイ当たり
の過剰相対リスクが高率ではあったが,被爆時年齢と過剰相対リス
クとの間には統計学的な有意差はなかった。
調査結果を踏まえ,心疾患と同様に,中等度の線量(主に0.5
~2グレイ)において脳卒中リスクを上昇させるかもしれないこと25
についての最も強力な証拠となったが,0~0.5グレイの線量で
は統計学的に有意でなく同リスクの上昇との関連は不明確であり,
長期間のフォローアップが必要であるとした。
⒝心疾患と同様に,喫煙,飲酒,教育,職業,肥満及び糖尿病の交
絡因子を調整しても,脳卒中の放射線リスク評価に対して重要な変
化がもたらされなかったとした。5
⒞BMJは,清水論文を,0.5グレイ以下では統計的に有意では
なかったが,主に0.5~2グレイの中線量被曝で心疾患とともに
脳卒中が増加する可能性が示唆され,この関係は,生活スタイル,
人口統計学その他の健康因子,誤診等の交絡因子を考慮しても,論
理的に強固であることを明らかにしたものであると紹介した(甲B10
46)。
eUNSCEAR及びICRPにおける各国際的知見
のとおり(ただし,心疾患を含む循環器疾患に関するも
のである。)。
判断15
脳梗塞,脳出血については,
を肯定する疫学的知見が存在しているということができる。心筋梗塞と
の間でその機序及び危険因子を共通にする部分があることも併せ考慮す
ると,脳梗塞,脳出血と放射線被曝との間に一般的な関連性があること
が認められる。ただし,脳梗塞,脳出血は新審査の方針において積極認20
定対象疾病であるとはされておらず,その発生部位が心筋梗塞と異なり,
上記の疫学的知見における相対リスクの大きさの相違等も勘案すると,
心筋梗塞と同程度の関連性まで認めることはできない。
高血圧
ア一般的知見25
前提事実のほか,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によると,高血圧に
関し,以下の一般的知見が存在することが認められる。
疫学
高血圧は,日本における有病者が,治療を受けていない者まで含めれ
ば約4300万人いると言われるほど患者数の多い疾病である。年齢層
が上がるほど増加傾向にある。平成18年国民健康・栄養調査の結果に5
よると,男性は50代(約59.2%),女性は60代(約57.6%)
で高血圧の有病者が50%を超え,70歳以上になると,男性では約7
1.4%,女性では約73.1%が高血圧であった(乙B98)。その後
の調査でも同様の傾向である。(乙B193)
分類10
高血圧治療ガイドライン2009(乙C4の12,第2事件乙B10
9)において,成人における血圧値の分類(単位はmmHg)は以下の
とおりとされている。
a正常域血圧(収縮期,拡張期)
至適血圧<120かつ<8015
正常血圧<130かつ<85
正常高値血圧130~139又は85~89
b高血圧(収縮期,拡張期)
Ⅰ度高血圧(軽症)140~159又は90~99
Ⅱ度高血圧(中等症)160~179又は100~10920
Ⅲ度高血圧(重症)≧180又は≧110
原発性アルドステロン症
原発性アルドステロン症は,副腎の腫瘍や過形成等によりアルドステ
ロンが過剰に分泌されることによる疾患であるところ,その作用により
高血圧を生じさせるほか,アルドステロン自体が脳出血,脳梗塞及び腎25
不全等を促すホルモンであり,脳心血管疾患を起こしやすい病気である
とされ,本態性高血圧の患者群と比較して,脳卒中の発症率が4.2倍
であるなどの報告がある(乙C15の23)。上記腫瘍及び過形成の成因
は不明である。
原発性アルドステロン症による高血圧は,変動が比較的少なく,治療
抵抗性高血圧である。また,食塩感受性高血圧(食塩摂取により血圧上5
昇を来し,減塩により血圧が低下する。)の代表疾患である。
血圧のコントロールとともに,片側副腎腫瘍に対する副腎摘出などの
外科的処置又は薬物療法により,脳心血管疾患の合併を防ぐ必要がある。
(乙B180,C15の21~24)
イ放射線被曝との関連性10
関連性に関する知見
掲記の証拠及び弁論の全趣旨によると,高血圧と放射線被曝との関連
性につき,以下の知見が存在することが認められる。ただし,いずれも,
本態性高血圧と二次性高血圧を区別して検討された知見ではない。
a佐々木論文15
b赤星報告
佐々木論文を引用し,血圧に及ぼす放射線被曝の影響について,昭
和5年以降に生まれた若年被爆者において,加齢に伴う収縮期血圧及
び拡張期血圧の経過が上方に偏位していることから,特に若年被爆者20
において高血圧と診断される人の割合が高くなっていることが推測さ
れると報告した。
cAHS第8報(原爆被爆者におけるがん以外の疾患の発生率,19
58-1998年)(甲B1の31,4〔文献12〕,7の16,11
の40,乙B183,216〔文献3〕,C12の18)25
高血圧に対する放射線影響(推定線量はDS86による。)は線形の
線量反応モデルでは明瞭ではなかったが(P値=0.15),理論的な
二次モデルでは有意であった(1シーベルト当たりの相対リスク1.
03,P値=0.028,95%信頼区間1~1.06)。高血圧発症
率が特に2シーベルト以上の被爆者において放射線量に伴い上昇した
とした。5
喫煙・非喫煙の別では,非喫煙被爆者において高血圧のリスク上昇
(1シーベルト当たりの相対リスク1.04,P値=0.07)が考
えられる根拠があったが,喫煙被爆者ではその根拠は存在しなかった
(1シーベルト当たりの相対リスク1)。
判断10
,高血圧については,若年被爆者につき一定の線量以
上の放射線被曝との関連性が存在することを示唆する各疫学的知見があ
るということができる。しかし,1グレイ未満の被曝にとどまる場合の
疫学的知見は明らかでない上,上記各知見によっても,血圧上昇の程度
に対する放射線被曝の影響は限定的であること,喫煙被爆者においては15
さらに関連性が低い可能性があることを考慮する必要があるというべき
である。
この点に関し,C11医師は,血圧上昇の程度の些少性が問題ではな
く,対象被爆者全員に長期間にわたって血圧上昇が認められたことが重
大である旨の意見を述べるが(甲A3〔309頁〕),関連性の有無とそ20
の程度は別個の問題である上,高血圧の場合,上昇の程度とこれが危険
因子となる疾病の発症リスクには強い量依存関係があるのであるから

い。上記意見は採用することができない(C11医師は,脂質について
も同旨の意見を述べるが,同様である。)。また,D3医師は,国民の健25
康の増進の総合的な推進を図るための基本的な方針(平成24年7月1
0日号外厚生労働省告示第430号。いわゆる健康日本21〔第2次〕)
において,収縮期血圧0.12mmHgの低下でも統計的に大きな意味
があることが示されているとの意見を述べるが(甲B62),健康日本2
1(第2次)の目標設定の考え方で示されているのは,高血圧につき収
縮期血圧4mmHg低下,脂質異常症につき高コレステロール血症者の5
割合25%減少,40歳以上の禁煙希望者において全て禁煙及び糖尿病
有病率の増加抑制の4つの危険因子に係る目標が達成された場合に,虚
血性心疾患(男性13.7%,女性10,4%)及び脳血管疾患(男性
15.7%,女性8.3%)が減少するというもので(甲B71),収縮
期血圧0.12mmHgの低下のみをもって大きな意味があることが示10
されているとはいえない。上記意見も採用することができない。
脂質異常症(高脂血症)
脂質異常症と放射線被曝との関連性について,
Wong論文が存在し,赤星報告は,同論文を引用して,加齢に伴うコレス
テロール経過は全ての被爆時年齢において,被爆者では上方に偏在している15
とした。
これらによると,脂質異常症についても,一定の線量以上の放射線被曝と
の関連性が存在することを示唆する疫学的知見があるということができる。
しかし,2グレイ未満の被曝にとどまる場合の疫学的知見は明らかでない上,
上記知見によっても,血清総コレステロール上昇の程度に対する放射線の影20
響が限定的であることを考慮する必要があるというべきである。
白内障
ア加齢性白内障に関する一般的知見
前提事実のほか,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によると,加齢性白
内障に関し,以下の一般的知見が存在することが認められる。25
加齢と有所見率
加齢性白内障の初発年齢には個人差があるものの,水晶体混濁の有所
見率は,加齢に伴い増加し,一般に50歳以上からみられるとされる。
科学的根拠(evidence)に基づく白内障診療ガイドラインの策
定に関する研究(平成14年3月)は,初期混濁を含めた有所見率につ
き,50歳代で37~54%,60歳代で66~83%,70歳代で85
4~97%,80歳以上で100%であったと報告した(乙B67〔7
頁〕,C5の1,7の14)。近時の所見として,標準眼科学(平成22
年3月15日第11版発行)は,初期白内障例は40歳代で約30%で
あるが80歳代では100%であり,進行例はそれぞれ1%,60%で
あるとする(乙B71〔70頁〕,C13の14〔70頁〕)。10
混濁部位
加齢性白内障にあっては,皮質,核,後嚢下混濁の3主病型のうち,
皮質混濁及び核混濁の有所見率が高い。後嚢下白内障は,上記2病型と
比べると有所見率は低いが,ステロイド白内障,糖尿病白内障等におい
て多くみられるほか,加齢性白内障でもよく見られる。前嚢下混濁は,15
副病型ではあるが,加齢性白内障にしばしば見られる。(乙B71〔70,
74頁〕,204〔250,254頁〕,C13の14〔70,74頁〕)
原因
水晶体を構成する蛋白の加齢変性による混濁が原因であるが,変性の
機序については不明な点も多い。20
細胞内のアミノ酸の一種であるトリプトファンの代謝障害の結果生じ
たキノン体(キノイド物質)が,水晶体を構成する水溶性蛋白の一つで
あるαクリスタリンに結合し,これを変性させ,不溶性蛋白に移行させ
ることで,混濁が生じるというキノイド説があったが(乙B208,2
10,211,213,C5の17・18,6の2),近時では,水溶性25
及び不溶性蛋白の総量変化,増殖帯における上皮細胞異常,遺伝,水及
び電解質バランスの崩壊,抗酸化物質の減少による酸化障害等の多因子
が複合することにより発症するとされる(乙B71〔70頁〕,C13の
14〔70頁〕,204〔238頁〕,C5の19〔213頁〕)。
治療等
治療法は,薬物療法と手術療法に分けられる。5
薬物療法は,水晶体の代謝改善,変性抑制を目的として行われるもの
で,混濁を改善させる効果はなく,進行を遅延させるのみとされる(乙
B71〔71頁〕,203,204〔251頁〕,C13の13・14〔7
1頁〕)。カリーユニ点眼液(一般名ピレノキシン)は,添付文書上の効
能・効果は初期加齢性白内障と記載されている。その薬効は,加齢性白10
内障の発生機序につきキノイド説を前提に,キノン体よりも水晶体の水
溶性蛋白と親和性の強いカリーユニを投与することで,キノン体が水晶
体の水溶性蛋白に結合するのを阻害して水晶体蛋白の変性を防止すると
いうものである。(乙B208,210,213,C5の17・18,6
の2)15
視力を改善させるには,手術療法を要する。方法は,疾患,基礎疾患及
び症例の背景等を考慮して慎重に決定される。第一選択とされる術式は,
水晶体超音波乳化吸引術及び眼内レンズ挿入術であり,超音波で混濁し
た水晶体核を乳化,破砕し,水晶体を除去した上,前嚢・水晶体嚢内に人
工の眼内レンズを挿入する(乙B203,206〔224頁〕,C5の120
9〔217頁〕,13の12〔224頁〕・14〔76頁〕)。手術に要する
時間は約10~30分であり,日帰り手術がごく一般的である(乙C13
の13,第5事件乙B5)。
加齢性白内障に限らず,白内障の手術適応時期について,一般的に,矯
正視力が0.5以下(新聞が読みにくくなる視力)で日常生活に不便を感25
じていれば手術適応となるといわれるが(甲B28,乙B204〔252
頁〕),視力の必要度が患者の社会生活により異なり,混濁の程度と視力が
一致しないことがあるため,視力検査の数値及び混濁の程度のみにより
一概に手術適応の時期を決めることはできない(乙B203)。標準眼科
学(平成22年3月15日第11版発行)は,急速に白内障が進行する外
傷性白内障等を除いては,視力低下の状態及び患者が必要とする視力の5
程度によって決めればよいとする(乙B71〔75頁〕,C13の14〔7
5頁〕)。
イ放射線白内障に関する一般的知見(原爆白内障に関する知見を含む。)
放射線白内障
掲記の証拠によると,放射線白内障に関し,以下の一般的知見が存在10
することが認められる。
a定義・特徴
放射線被曝により生じる白内障である。水晶体は,上皮細胞におい
て生涯を通じて細胞分裂が生じるが,放射線による影響を受けやすい
のは細胞分裂が盛んな部位であるため,人体の中で最も放射線感受性15
が高い組織の一つである(甲B3の4,27の1・2,29,乙B6
8〔150頁〕,206,第2事件甲B40)。
放射線白内障には,以下のような特徴があるとされている。
電離放射線の種類に関係なく,どの放射線でも,水晶体に同じよ
うな形態学的変化が起こる。20
⒝水晶体に同じ吸収線量が照射されたときには,放射線の種類によ
って障害の程度に強弱がある。
⒞照射された線量が大きいほど,白内障発生までの潜伏期は短く,
白内障の程度は強い。
⒟幼若な個体ほど変化が強いが,放射線に対する感受性には個体差25
もある。
混濁は水晶体の後極部で後嚢下に初発する。斑点状又は円板状混
濁を形成し,一部は拡大してドーナツ形となる。これを細隙灯顕微
鏡で見ると,混濁の表面は顆粒状で,多色性反射(色閃光)が見ら
れることがある。混濁は後嚢下とその少し前方に位置するものに分
かれ,二枚貝様の混濁を形成する。5
このような初期にみられる所見は放射線白内障に特徴的なもので
あるが,加齢性白内障でも後嚢下から混濁が始まるものもあるから,
鑑別が必要である。
⒡放射線白内障は,加齢性白内障と異なり,多くは進展しない(停
在性)。(乙B66,68〔156頁〕)10
⒢放射線白内障の治療は,加齢性白内障と同様,手術以外にはない
(証人D1〔第1回・51頁〕,弁論の全趣旨)。
b発生機序
放射線白内障の発生について,分裂を起こしやすい水晶体前嚢下の
上皮細胞は,正常に分裂して成熟すれば,核を失って後極に移動し透15
明な水晶体線維を形成するところ,水晶体に放射線が当たって細胞増
殖帯で細胞が障害されると,変性した細胞が膨化し,核を持ったまま
後嚢の内側を正常な細胞よりもゆっくりと後極に移動して,後極部の
後嚢下に変性した細胞が集まり,水晶体混濁を形成するという機序で
説明されていた(乙B66,68〔151頁〕)。20
しかし,最近では,放射線白内障で水晶体混濁が発生する原因は,
上皮細胞のゲノムの遺伝子の変異によって生じた水晶体の線維蛋白の
異常にあるとされている(甲B3の10〔13頁〕)。すなわち,放射
線被曝により生じた遺伝子の損傷や誤修復により,細胞の分裂・分化
に異常が生じ,その結果,透明度を失い混濁・白濁した水晶体線維細25
胞が後嚢下に移行して一定の数以上に集積した結果であると考えられ
ている(乙B213)。
cしきい値
ICRP勧告は,放射線白内障は,確定的影響の疾病であり,しき
い値が存在するとする(乙B69)。
原爆白内障5
原爆白内障(原爆放射線の後障害としての白内障)の臨床像は,原爆
以外の放射線によって生じた白内障と極めて類似しているとされる。
原爆白内障の診断基準として,①後極部後嚢下にあって色閃光を呈す
る限局性の混濁,又は,後極部後嚢下よりも前方に点状又は塊状混濁が
あること,②近距離直接被曝歴があること,③併発白内障を起こす可能10
性のある眼疾患がないこと,④原爆以外の電離放射線の相当量を受けて
いないことの4条件を指摘する知見がある。(乙B68〔151頁〕)
また,原爆白内障は,通常は,被曝して数か月後から数年後に発症す
る。被曝線量が高くなるほど発症率も高く,重篤になる傾向があり,発
症時期も早くなるが,軽症例の潜伏期は遷延するとされている。治療に15
つき,混濁が増強して日常生活に支障がある程度まで視力が低下した場
合に加齢性白内障と同様の手術を行ったところ,手術後の経過に異常は
認めなかったとする報告がある。(乙B68〔153,156頁〕)
ウ白内障と放射線被曝との関連性
関連性に関する知見20
掲記の証拠及び弁論の全趣旨によると,白内障と放射線被曝との関連
性につき,以下の知見が存在することが認められる。
aAHS
第7報(原爆被爆者における癌以外の疾患の発生率,1958-
86年)(甲B1の30,4〔文献9〕,乙C12の17)25
昭和33年から昭和61年までのAHS対象者(推定線量はDS
86による。)において,白内障の発生率に放射線の影響があること
は示唆されなかった(1グレイ当たりの相対リスク1.05,P値
=0.1495,95%信頼区間0.99~1.12)。被爆時年齢
が20歳以下の集団において過剰リスクが昭和33年から昭和43
年までの最初の10年間のみに見られたが,昭和33年以前に放射5
線白内障になった患者を含むことに起因している可能性があるとさ
れ,年齢層の高い集団では過剰リスクは見られなかった。
調査結果を踏まえ,被爆以降の13年間に白内障発生に関する影
響が減衰したか消滅したことが示唆され,被爆後長期間が経過して
新しい症例が発生するとは思われないなどとされた。10
⒝第8報(原爆被爆者におけるがん以外の疾患の発生率,1958
-1998年)(甲B1の31,4〔文献12〕,7の16,11の
40,乙B183,216〔文献3〕,C12の18)
昭和33年から平成10年まで,白内障の症例数3484例につ
いて,有意な正の線形線量反応関係があるとされた。1シーベルト15
当たりの相対リスク(推定線量はDS86による。)は1.06(P
値=0.026,95%信頼区間1.01~1.11)であった。
放射線のリスクが調査時年齢(P値<0.001)と経過観察期間
(ただし,P値=0.09である。)により有意に変動し,直近10
年において1シーベルト当たりの相対リスクが1.08に上昇した。20
水晶体混濁は60歳以降に急増した。調査時年齢が60歳以下と6
0歳超の間の線量反応の異質性が検討されたところ,放射線被曝の
影響は,若年群において1シーベルト当たりの相対リスクが1.1
6(P値=0.009,95%信頼区間1.04~1.32)と有
意であったが,高齢群では同相対リスクが1.03(P値=0.225
4,95%信頼区間0.98~1.09)と有意でなかった。
調査結果を踏まえ,若年被爆者における水晶体混濁に対する放射
線被曝の影響が増加し,長期潜伏期間を伴う相対リスクが上昇して
いるとし,放射線療法後及び宇宙飛行士における宇宙放射線への被
曝後に,遅延性の水晶体変化が検出されたとの近時の研究結果とも
一致するとした。5
b津田恭央(長崎大学医学部眼科学教室)ほか「原爆被爆者における
眼科調査」(甲B2の4,3の3)(以下「津田報告」という。)
AHS対象者のうち被爆時の年齢が13歳未満の者全員及び昭和5
3年~55年に眼科調査(2回目の調査)を受けた者につき,被曝後
55年が経過した平成12年~14年に眼科調査(3回目の調査)が10
行われた(なお,1回目の調査は,昭和38年から昭和39年にかけ
て行われた。)。DS86により被曝線量が推定されている873名に
ついて解析した結果,1シーベルトでの皮質混濁のオッズ比が1.2
9(95%信頼区間1.12~1.49),後嚢下混濁のオッズ比が1.
41(同1.21~1.64)であり,有意な関連性が認められた。15
紫外線,糖尿病,ステロイド治療及び炎症等の中間危険因子を調整し
た場合でも,オッズ比はそれぞれ1.34(同1.16~1.52),
1.36(同1.17~1.58)であり,有意性に変化はなかった
(いずれもP値<0.001)。
調査結果を踏まえ,小児期に被曝すると,①かなり遅れて放射線白20
内障(後嚢下混濁)が発症することがあること,②皮質混濁(加齢性
白内障)が早期に現れることがあることが確認され,原爆被爆者の被
曝と水晶体所見の関係において,遅発性の放射線白内障及び早発性の
加齢性白内障に有意な相関があると総括した。
c皆本敦(広島大学医学部眼科学教室)ほか「原爆被爆者における白25
内障」(甲B27の1・2)(以下「皆本論文」という。)
上記bのデータにつき,混濁の程度を水晶体混濁分類システム(L
OCSⅡ)により等級化して解析した。LOCSⅡは,細隙灯及び徹
照法写真を用いて,核,皮質及び嚢下白内障の混濁の程度を分類する
ものであり,観察者間の同一再現性が確保される(乙207の1・2)。
その結果,1シーベルト当たりのオッズ比は,皮質混濁について1.5
29(95%信頼区間1.12~1.49),後嚢下混濁について1.
41(同1.21~1.64)であり,放射線量と皮質及び後嚢下混
濁との有意な相関が示されたとした。
d中島栄二(放影研)ほか「原爆被爆者における白内障有病率の統
計解析,2000-2002」(甲B2の6)(以下「中島報告」と10
いう。)
皆本論文のデータが解析された。皮質混濁及び後嚢下混濁に対す
る最良のモデルではいずれも線量効果が有意であった。皮質混濁は,
都市,性別及び被爆時年齢に関わりなく,1シーベルト当たりのオ
ッズ比が1.28(P値=0.001,95%信頼区間1.11~15
1.48)であった。後嚢下混濁は,被爆時年齢10歳の男女にお
ける1シーベルト当たりのオッズ比が1.5(P値<0.001,
95%信頼区間1.28~1.76)であり,線量効果が被爆時年
齢の上昇とともに減少した(同年齢5歳のオッズ比1.67,同年
齢20歳のオッズ比1.22。P値=0.06)。しきい値は,皮質20
混濁が0.2シーベルト(95%信頼区間0~1.4シーベルト),
後嚢下混濁が0シーベルト(95%信頼区間0~0.8シーベルト)
であり,いずれも95%信頼区間の下限が0シーベルトより大きく
ないため,しきい値が存在するとはいえないとした。
⒝中島栄二ほか「2000-2002年の原爆白内障データの再解25
析:閾値解析」(乙B112)(以下「中島論文」という。)
上記cのデータにつき,統計学的に最適のモデルを得るため,D
S02を使用してしきい値モデルの適合度を分析した。
皮質白内障において,しきい値線量の点推定値(統計学的に最も
確からしい推定値)は0.6シーベルト(90%信頼区間<0~1.
2シーベルト)であり,有意な線量効果が認められ(P値=0.05
02),シーベルト当たりのオッズ比は1.3(95%信頼区間1.
1~1.53)であった。後嚢下混濁において線量しきい値の点推
定値は0.7シーベルト(90%信頼区間<0~2.8シーベルト)
であり,同様に有意な線量効果が認められ(P値<0.001),シ
ーベルト当たりのオッズ比は被爆時年齢10歳で1.44(95%10
信頼区間1.19~1.73)であり,線量効果は被爆時年齢の上
昇とともに有意に減少した(P値=0.022)。
調査結果を踏まえ,730名の被爆者において皮質白内障と後嚢
下混濁のしきい値の90%信頼区間の下限が0シーベルトであり,
しきい値が0シーベルトより大きいと結論付けることはできないと15
された。
国際的な知見
この点に関するUNSCEAR及びICRPにおける国際的な知見は,
以下のとおりである。
aUNSCEAR(2010年報告書)(乙B142〔17頁〕)20
「最近の研究によって白内障の罹患の増加が,低線量放射線被ばく
に関連している可能性を示唆していることも記す。目の水晶体におけ
るそのような異常の誘発は,高線量被ばくの影響として何年にもわた
って認識されてきた。循環器疾患と同様に,本委員会はこの分野にお
ける新たな知見の監視とレビューを継続するつもりである。」と報告さ25
れた。
bICRP
2007年勧告(乙B69)
放射線白内障のしきい値(1%発生率の推定値)は,1.5グレ
イとしていた。
⒝2012年勧告(乙B141の1・2,143,C20の1・2)5
「放射線防護を目的として勧告される急性のしきい線量は,現在
の値から0.5シーベルトという値に引き下げられるべきであると,
エビデンスの重みを踏まえて判断せざるを得ない。これは,検査で
見つかるような混濁が白内障に進行するという性質や,思春期直後
に比して子どもの水晶体の放射性感受性がより高い傾向にあるとい10
う警告に従ったものであって,今後さらなる評価が必要である。」,
「いくつかのしきい値計算において,95パーセント信頼区間の下
限に0線量を含むものがあるが,ひとつの損傷された祖先となる水
晶体上皮細胞が白内障を引き起こしうるとの直接的な証拠はなく,
それゆえ,放射線起因性のある水晶体白内障は,今もなお,小さく15
てもしきい線量のある組織反応(確定的影響)であると考えられて
いる。」として,放射線白内障のしきい値につき,放射線防護の観点
を加味して0.5シーベルトに引き下げつつも,なおしきい値が存
在するとしている。
なお,皆本論文及び中島論文がレビューの対象とされている。20
エ判断
白内障について,上記イ,ウのとおり,放射線被曝との関連性を肯定
する知見が集積されている。放射線白内障については,旧審査の方針に
おいても,放射線との関連が明らかな疾病であるとされていたところ(乙
A6),平成20年3月17日付け新審査の方針において,加齢性白内障25
を除き,積極認定対象疾病であるとされ(乙A1),平成25年12月1
6日付けで改定された新審査の方針においては,放射線白内障(加齢性
白内障を除く。)につき,被爆地点が爆心地から約1.5km以内の場合
には,格段に反対すべき事由がない限り,放射線被曝との関係を積極的
に認定すべきものとされた(乙A22)。また,皮質混濁(加齢性白内障)
についても,上記イ,ウのとおり,従前,放射線白内障(原爆白内障)5
の特徴とされてきた後嚢下混濁とは混濁の部位が異なるもの,放射線被
曝がこれを早発させることに関する疫学的知見が複数存在する。そして,
発症の時期についても,被爆後数十年経ってからの発症についても関連
性があることを明らかにした知見が存在する(昭和33年から昭和61
年までを対象としたAHS第7報と,平成10年までを対象とした同第10
8報の間で,報告及び考察の内容が全く異なっている。)。
放射線白内障については,しきい値0.5シーベルトの確定的影響と
することが現在における国際的な知見ではある。しかし,同しきい値に
つき,ICRPの2007年勧告において1.5グレイであったものが,
2012年勧告で0.5シーベルトに引き下げられた。dのと15
おり,しきい値が存在したとしても0.5シーベルトより小さいか,し
きい値が存在しない可能性を示唆させる疫学的知見も存在する。
定することができる。
ここで,放射線被曝と関連性を肯定することのできる白内障は,①混20
濁部位につき,放射線白内障の特徴とされてきた後嚢下混濁に限らず,
皮質混濁の所見が認められる場合も含まれる。また,②発症時期につき,
被爆後数十年が経過してから発症した白内障であっても,放射線被曝と
の関連性を肯定することができる場合も存在する。そして,③被曝線量
との関係につき,しきい値が存在しない可能性を示唆させる疫学的知見25
も存在する。上記①~③によると,当該被爆者に生じた白内障につき,
放射線白内障の特徴に一致しないからといって,又は想定される被曝線
量が0.5シーベルトに満たないからといって,直ちに放射線被曝との
間の関連性を肯定できないとすることは相当でない。当該被爆者に生じ
た白内障と放射線被曝との関連性については,一方で加齢性白内障が加
齢に伴い高頻度で発症することにも鑑みつつ,その具体的症状や推移を5
慎重に観察し,放射線白内障の特徴と合致するか,被曝が原因の早発の
加齢性白内障として矛盾しないか等を検討して判断する必要があるとい
うべきである。
オ被控訴人の主張について
被控訴人は,白内障の放射線影響が確定的影響で,そのしきい線量が10
0.5シーベルトであることは国際的知見である旨を主張する。
しかし,ICRPにおいても,しきい値が200
7年勧告では1.5グレイとしていたところ,2012年勧告において,
子どもの水晶体の放射性感受性が高いことなどを考慮して0.5シーベ
ルトに引き下げ,今後さらなる評価が必要であるとしており,被控訴人15
の指摘する国際的知見が確定したものとまではいえない。UNSCEA
Rの2010年報告においても,最近の研究によって白内障の罹患の増
加が,低線量放射線被曝に関連している可能性を示唆しているとしてお
り,低線量被曝と白内障の関連性を否定していない。
被控訴人は,津田報告,皆本論文及び中島論文は,低線量被曝との関20
連性につき,ICRP等の国際的知見を上回る科学的知見であるとはい
えないなどと主張する。
しかし,被控訴人の指摘する国際的知見が確定したものとまでいえな
皆本論文及び中島論文は,いず
れもICRP2012年勧告においてレビューの対象とされたほか(上25
,厚生労働省の委託調査研究としてされた業務上疾病に関す
る医学的知見の収集に係る調査研究の報告書において,いずれも「国際
的な活動として取り組まれ信頼性の高い文献」として扱われているので
あり(甲B30),科学的知見として考慮に値する論文であるということ
ができる。そして,津田報告及び中島報告も,中島論文等と同様の調査
データを対象として分析したものであり,同調査は科学的に問題のない5
方法等でされたものと推認することができる。そうすると,これらの論
文及び報告は,いずれも科学的知見として考慮することができるという
べきである。
なお,被控訴人は,津田報告につき,調査対象疾病の定義付けが曖昧
で,「遅発性」,「早発性」の内容も明らかでない上,そもそも同報告が用10
いた解析方法であるロジスティック回帰分析モデルによれば発症までの
時間は考慮されないから,加齢性白内障の「早発」又は放射線白内障の
「遅発」の結論を導き出すことはできない旨を主張する。しかし,津田
報告は,被爆後数十年が経過した時点において,被爆者に生じた皮質混
濁又は後嚢下混濁につき,それぞれのオッズ比により放射線被曝と有意15
な関係があることを示したものであり,そのこと自体は明確な内容にな
っている。津田報告は,これらの内容を示した知見の限度で不適切なも
のであるということはできない。
よって,被控訴人の上記各主張はいずれも採用することができない。
第2控訴人ら(控訴人Bらを除く。)及びA1に関する放射線起因性及び要医療性20
(争点2)について
1A1
認定事実
掲記の証拠及び弁論の全趣旨によると,以下の各事実が認められる。
ア被爆時の状況,被爆後の行動等25
A1(当時16歳)は,昭和20年8月1日頃,広島市上流川町の廣
島女学院専門学校に入学した。A1は,同月6日広島原爆が投下された
当時,爆心地から約1.2km離れた同校の校舎(木造一部鉄骨3階建)
内におり,講堂での礼拝を終えて廊下を歩いていたところ,強い光を感
じ,気づいた時は校舎の下敷きとなっていた。A1は自力で這い出し,
左まぶた及び左手を負傷していたが,校舎は瓦礫となり周囲は火の海と5
なっていたため,浅野泉邸(現在の縮景園)に避難した。
A1は,同日夕方に,救助船で京橋川の対岸(東側)に渡り,東練兵
場(爆心地から約1.7km)の救護所に負傷した友人を送り届けた後,
大河町の自宅(同約3.3km)に帰った。(甲C1,1の2,乙C1の
1〔19,24頁〕・10)10
A1は,昭和20年8月15日まで自宅で過ごし,翌16日から重傷
を負った母親が大竹市内の病院に入院するのに付き添った。
A1は,被爆の約1週間経過後から頭痛や発熱が現れ,吐き気や下痢
も生じた。脱毛も数か月間続いた。(甲C1,乙C1の1〔19,24頁〕・
10)15
イ申請疾病等(基準値及び所見はいずれも放影研及び各医療機関による。
控訴人Bら以外の控訴人らについても,特に断らない限り,以下同じであ
る。)
A1の放影研における甲状腺機能検査の結果は,以下のとおりであっ
た。20
a昭和60年8月19日
TSHが4.3μU/mℓ(基準値8μU/mℓ以下)であり,T4,
T3ともにいずれも基準値内であった(乙C1の20)。
b昭和62年8月12日
TSHが3.2μU/mℓ(基準値0.6~5.1μU/mℓ)であ25
り,T4,T3ともにいずれも正常範囲内であった(乙C1の4〔3
0頁〕・20)。
c平成元年7月26日
TSHが2.4μU/mℓ(基準値0.6~5.1μU/mℓ)であ
り,T4,T3ともにいずれも正常範囲内であった(乙C1の4〔3
0頁〕・20)。5
A1は,平成3年,放影研において甲状腺の異常を指摘され,平成4
年6月15日(当時63歳),C1クリニックを受診し,C12医師(広
島大学名誉教授)の診察を受けた(甲C1の4,乙C1の1〔20頁〕・
19〔13頁〕)。
甲状腺機能検査の結果は,FT4が1.78ng/dℓ(基準値0.710
1~1.85ng/dℓ),FT3が4.36pg/mℓ(同3.05~5.
35pg/mℓ),TSHが2.73μU/mℓ(同0.46~3.7μU
/mℓ)であった(乙C1の1〔27頁〕)。
A1は,甲状腺内に多発性の腫瘤が認められるとして,結節性甲状腺
腫と診断された(診療録に,甲状腺に結節〔Nodule〕があると記15
載された。)。また,慢性甲状腺炎の所見も示しているとされ,同日チラ
ーヂンSを処方されて,その服用を開始した。(乙C1の1〔20頁〕・
19〔13,14頁〕)
A1は,平成4年11月16日,C1クリニックにおいて甲状腺機能
検査を受けた。その結果は,FT4が1.78ng/dℓ(基準値0.720
1~1.85ng/dℓ),FT3が4.95pg/mℓ(同3.05~5.
35pg/mℓ),TSHが0.15μU/mℓ(同0.46~3.7μU
/mℓ)であった。(乙C1の19〔13頁〕)
A1は,脳梗塞を発症したため,平成5年3月23日を最後に,C1
クリニックを受診しなくなった(甲C1)。25
A1は,その後,C1クリニック以外の医療機関(C2病院,広島鉄
道病院)を受診し,チラーヂンSの処方を受けていたところ,平成9年
12月10日(当時68歳),C2病院において受けた甲状腺機能検査の
結果は,FT4が1.8ng/dℓ,FT3が3.1pg/mℓ,TSH
が1.79μU/mℓであった(乙C1の1〔20頁〕・4〔31頁〕・1
9〔15頁〕)。5
aA1は,平成16年6月9日(当時75歳),C1クリニックを再受
診し,C1医師の診察を受けた。A1は,この当時,1日50μgの
チラーヂンSを服用していた。直近(同年5月19日)の他院におけ
る甲状腺機能検査の結果は,FT4が1.37ng/dℓ(基準値0.
97~1.72ng/dℓ),FT3が2.5pg/mℓ(同2.1~4.10
2pg/mℓ),TSHが2.28μU/mℓ(同0.54~4.54μ
U/mℓ)であった。C1クリニックにおいて,抗TPO抗体及び抗T
g抗体の検査がされたところ,いずれも陽性であり,慢性甲状腺炎と
診断された。
また,A1は,同日,甲状腺腫瘤の診察のため,エコー検査を受け15
た。(乙C1の1〔20頁〕・19〔13,15頁〕)
bA1は,平成16年6月23日,C1クリニックにおいて,甲状腺
腫瘤の精査のため,エコー検査及び細胞診(穿刺吸引細胞診)を受け
た。この結果,良性の甲状腺腫があるとされ,甲状腺腫瘤(多発性)
と診断された。20
A1は,以降,概ね半年ないし1年の間隔を空けて,エコー検査又
は細胞診を受けていた。(乙C1の10〔4頁〕,19〔13,16~
22頁〕)
A1は,平成16年12月13日,C1クリニックにおいて甲状腺機
能検査を受けた。その結果は,FT4が1.47ng/dℓ(基準値1.25
2~1.7ng/dℓ),FT3が2.86pg/mℓ(同2.4~3.9
pg/mℓ),TSHが2.91μU/mℓ(同0.5~2.5μU/mℓ)
であった。C1医師は,TSHの検査数値について,チラーヂンSを1
日50μg服用中であるにもかかわらず,甲状腺機能がやや低下気味で
ある旨を平成17年3月10日付け意見書に記載した。
また,C1医師は,同意見書に,必要な医療の内容として,定期的な5
診察及び甲状腺剤の服用と記載したが,甲状腺腫瘤(多発性)に関する
治療行為は記載しなかった。C1医師は,健康診断個人票にも,甲状腺
腫瘤(多発性)に関する治療行為については記載していない。(乙C1の
1〔20,21頁〕・19〔16頁〕)
本件A1申請(平成17年3月11日)に直近の同年2月16日にさ10
れた甲状腺機能検査の結果は,FT4が1.62ng/dℓ,FT3が3.
2pg/mℓ,TSHが2.82μU/mℓであった(乙C1の19〔1
6頁〕)。
A1がC1クリニックにおいて受けた平成23年7月11日の甲状腺
機能検査の結果は,FT4が1.11ng/dℓ(基準値1.0~1.615
ng/dℓ),FT3が2.48pg/mℓ(同2.4~3.9pg/mℓ),
TSHが3.72μU/mℓ(同0.5~4.0μU/mℓ)であった(こ
の項の検査数値につき,基準値は同じである。)。A1は,同日まで約1
か月間,チラーヂンSを服用していなかった(同日受診時の診療録には,
「チラ1Mのんでない」との記載がある。)。同日,チラーヂンSの投与20
量が,3日間で3.5錠(1日1.5錠,1錠,1錠のサイクル)から
毎日1.5錠に変更された。
同様に,同年9月9日の甲状腺機能検査の結果は,FT4が1.62
ng/dℓ,FT3が2.97pg/mℓ,TSHが0.054μU/mℓ
であり,TSHが過度に低下していた。これを受けて,チラーヂンSの25
投与量が,従前の3日間で3.5錠に戻された。同年11月4日の同結
果は,FT4が1.35ng/dℓ,FT3が2.64pg/mℓ,TS
Hが1.32μU/mℓであった。(甲C1の4,乙C1の19〔5,2
0,21頁〕)
A1申請時に甲状腺機能低下症に罹患していたか。)につ
いて5
ア甲状腺機能低下症の一般的知見(上記
前提に,上記の各事実によると,A1がチラーヂンSの服用を開始す
る以前の昭和60年8月19日,昭和62年8月12日,平成元年7月2
6日及び平成4年6月15日の各検査数値は,いずれ
も甲状腺機能が低下していたことを示すものとは認められない。その後,10
A1はチラーヂンSの服用を続け,遅くとも平成16年6月9日以降は1
日50μgのチラーヂンSを服用していたところ),本件A1
申請時まで,その影響を排除した方法で甲状腺機能検査がされたことがあ
ったとは認められず,甲状腺機能低下症の診断基準を満たした検査結果は
存在しない(乙B179〔資料1〕)。15
控訴人Bらは,平成16年12月13日のTSHの検査数値2.91μ
U/mℓにつき,異常値である旨を主張し,C1医師は上記
数値につき,基準値0.5~2.5μU/mℓを上回る旨の控訴人Bらの主
張に沿う意見書を作成した(乙C1の1)。TSHの基準値は医療機関等に
より一致しておらず,例えば,健康な成人の検査数値の95%が含まれる20
範囲であるという東京大学医学部附属病院におけるTSHの基準値は0.
38~4.31μU/mℓであるが,C1医師の採用した上記基準値は,東
京大学医学部附属病院の基準値はもとより,上
の基準値と比較しても上限値が相当に低く抑えられており,その根拠は不
明である(C1クリニックのその他の受診時の検査において採用された基25
準値も他の医療機関のそれと近似する。)。上記2.91μU/mℓは,他の
医療機関のいずれの基準値によっても正常範囲内であり,異常値であると
はいい難い。かえって,本件A1申請後の平成23年7月11日,チラー
ヂンSを1か月間服用しない状態で甲状腺機能検査が行われ,その結果が,
FT4,FT3及びTSHのいずれも正常範囲内であったところ。
「チラ1Mのんでない」との診療録の記載について,C1医師は意味がは5
っきりしないと陳述書に記載するが〔甲C1の4〕,このように認めるほか
ない。),甲状腺機能低下症の患者が1か月間チラーヂンSを服用しない場
合には甲状腺の機能低下を示す数値となるのが通常であること(上記第1
証人D2〔15,52頁〕)からすると,同日時点でA1が
甲状腺機能低下症に罹患していたとは認められず,甲状腺機能低下症は大10
部分が永続的(非可逆性甲状腺機能低下症)であること
に照らすと,本件A1申請時においてA1が甲状腺機能低下症に
罹患していたことについては合理的な疑問があるというべきである。
イ控訴人Bらの主張について
控訴人Bらは,本件A1申請時においてA1が甲状腺機能低下症に罹患15
していた旨を主張し,①C1医師が甲状腺機能低下症であると診断し,同
医師を含む多数の医師によりその治療がされていたこと,②A1の甲状腺
機能が正常であったのであれば,チラーヂンSの服用により医原性甲状腺
機能亢進症になるはずであるところ,そうなっていないこと,③平成23
年9月9日の検査数値がTSHは低値,FT4は高値であったところ,チ20
ラーヂンSの投与量を減少させたことにより同年11月4日の検査では基
準値の範囲内になったのであり,被控訴人が上記②の根拠と主張する生体
の恒常性維持機能によりこのような数値の変化を説明することはできず,
A1には当てはまらないことをそれぞれ指摘する。これに沿う証拠として
C11医師の意見(甲B9)及びD1医師の意見(甲B48,甲C1の3・25
7・8,証人D1〔第2回・30頁〕)がある。
上記①について,控訴人Bらは,C1医師においてチラーヂンSの服用
によっても甲状腺ホルモンの改善(増加)が十分でなかったことを指摘す
るが,上記アのとおりC1医師の引用する基準値自体の根拠が明らかでな
い。また,複数の医師が治療していたからといって,診断基準を満たさな
いにもかかわらず,A1が甲状腺機能低下症に罹患していたと認めること5
はできない。この点につき,D1医師も,「(平成4年6月15日)当時,
甲状腺機能の正常者に対し,何故甲状腺ホルモン剤の投与を開始したかは
定かではない。」と述べている(甲C1の7)。また,D1医師は,いずれ
甲状腺機能低下症となるとの見立ての下,チラーヂンSの投与が開始され
たと思われる旨の意見も述べているが(甲C1の8),治療的診断としてさ10
れる可能性が否定できないとしても,このような投与が一般にされている
との医学的知見を認めるに足りる証拠はない。
上記②について,甲状腺を含む内分泌腺の疾患を専門とするD2医師(日
本医科大学内分泌糖尿病代謝内科学教授)は,生体が恒常性を維持し,甲
状腺においてチラーヂンSが服用された状態で正常値を保とうとする生体15
反応のため,甲状腺機能が正常な人が長期間にわたり徐々にチラーヂンS
を服用した場合にはFT4の増加やTSHの低下を来さない旨の意見(乙
B179,証人D2〔18頁〕)を述べる。同意見は,甲状腺がんの治療と
してTSHを0.5mU/ℓまで抑制させるにつき,個人差があるものの,
かなり多量の甲状腺ホルモン(T4)製剤を服用しない限りはTSHが低20
下せず,50μg程度の同製剤の投与では,TSHが抑制される人はほと
んどいなかったとの研究結果(乙B179〔資料5〕)の裏付けがあり,採
用することができる。この点につき,控訴人Bらは,同研究結果は上記意
見の裏付けとはならない旨を主張する。確かに,A1に甲状腺がんの既往
はなく,この点においては上記研究と前提が一致しない。しかし,甲状腺25
ホルモン及び甲状腺刺激ホルモン(TSH)の分泌状況において両者の間
に相違があることを認めるに足りる証拠はなく,生体の恒常性維持機能の
作用をみるという点で基盤的な共通性があるのであり,上記意見の裏付け
とすることが相当でないとはいえない。そして,A1は長期間にわたりチ
ラーヂンSを服用し,その量50μgも少なめであったこと(上記第1の
から,生体の恒常性維持機能により,甲状腺機能亢進症に罹5
患しなかったとの説明は合理的である。
上記③についても,平成23年9月9日の検査数値につ
き,TSHが異常値(低値)及びFT4が同(高値)となったことについ
て,その約2か月前である同年7月11日にチラーヂンSの投与量を増や
したことによるとの説明は合理的である。控訴人Bらは,10
生体の恒常性維持機能によっては検査数値の変化を説明することができず,
A1に同機能は当てはまらない旨を主張するが,上記生体の恒常性維持機
能が,短期間におけるチラーヂンSの投与量の変動にも対応可能なもので
あることを認めるに足りる証拠はない。また,控訴人Bらは,A1が平成
4年6月15日にチラーヂンSの服用を開始し,同年11月16日の検査15
においてはTSHの検査数値が低下していること(上記から,
同様に,上記維持機能はA1に当てはまらない旨も主張するが,同服用開
始から同検査まで僅か5か月間しか経過しておらず,未だ同機能が作用す
る条件が満たされていなかった可能性がある。
上記各指摘はいずれも採用することができない。20
ウよって,争点2Bらの主張は理由がない。
争点2イ(甲状腺機能低下症に放射線起因性があるか。),ウ(甲状腺機
能低下症に要医療性があるか。)について
いずれも判断を要しない。
争点2エ(甲状腺腫瘤〔多発性〕に放射線起因性があるか。)について25
ア被曝の程度
A1は,爆心地から約1.2kmの木造建物内で初期放射線に被爆をし
たところその被曝線量は,DS02によれば,約1.31
6グレイと推定される(乙C1の18)。
そして,A1において,廣島女学院専門学校から避難先に移動し,その
後帰宅するまでの間に,誘導放射化された粉塵や放射性降下5
物の微粒子を含む粉塵等に接触し,呼吸を通じ,又は左手等の傷口を介し
て,上記粉塵等を体内に取り込むなどした可能性も高いというべきである。
A1には急性症状とみられる脱毛等の症状も現れた。
そうすると,A1は,健康に対する影響があり得る程度の線量の放射線
に外部被曝及び内部被曝をしたものと認めるのが相当である。10
イ甲状腺腫瘤(多発性)と放射線被曝との関連性
甲状腺腫瘤に関する医学的知見
a甲状腺が腫大した状態を甲状腺腫といい,頸部超音波検査又は画像
検査において甲状腺に腫瘤性病変が認められる。
甲状腺腫を来す疾患(甲状腺腫瘍)として,びまん性甲状腺腫と結15
節性甲状腺腫がある。結節性甲状腺腫は,腫瘍又は局所の炎症である
が,大部分は腫瘍であり,過形成,良性腫瘍及び悪性腫瘍がある。し
ばしば多発して多結節性甲状腺腫となる。
甲状腺腫を有する人の割合は,1000人中15~84人であり,
うち結節性甲状腺腫は7~26人に存在したとする過去の疫学研究や,20
最近の精密検査において,40歳以上の健康な成人のうち17%に何
らかの甲状腺疾患があり,そのうち4.5%に結節性甲状腺腫があっ
たとの報告がある。東京大学医学部附属病院腎臓・内分泌内科のホー
ムページには,健康な人でも詳しく調べれば10人中約3人の割合で
甲状腺内にしこりがみつかるが,その多くは線種様甲状腺腫という良25
性のもの(過形成の結節性甲状腺腫に分類される。)であるとの記載が
ある。
良性の甲状腺腫の大部分は心配する必要がないとされるが,悪性の
しこりが若干生じやすいとされている。また,良性の甲状腺腫であっ
ても,大きくなって自覚症状を伴うこともあり,場合によっては経過
観察のため定期的に医療機関を受診する必要がある。なお,稀に見つ5
かる悪性腫瘍(甲状腺がん)についても,ごく一部の例外を除く大部
分はおとなしい性質であり,他の臓器のがんと比べて治療成績が良好
であるとされる。
治療方法について,細胞診で良性の多結節性甲状腺腫と診断された
場合,他の所見から濾胞がんの可能性が高いもの,圧迫症状があるも10
の,美容上患者が希望するもの,縦隔に進展するものを除き,大部分
は手術対象とならず,1ないし数年に1回の超音波検査と甲状腺関連
血液検査で経過観察をすれば足りるとされている。(乙B103,21
8,219)
bA1の申請疾病である甲状腺腫瘤(多発性)とは,15
b及び上記aによると,良性の多結節性甲状腺腫と解される。
結節性甲状腺腫(多結節性甲状腺腫)と放射線被曝との関連性
原爆放射線被曝と結節性甲状腺腫(多結節性甲状腺腫)との関連性に
つき,①被爆時年齢20歳以下で100ラド以上の被爆者477名と0
ラドの被爆者501名について比較検討したところ,結節性甲状腺腫が20
被爆群で13例,対照群で3例であり,被爆群において有意に高率であ
った,②長崎原爆における西山地区の住民180名及び対照群800名
について比較検討したところ,結節性甲状腺腫が西山地区の住民で4.
74%と対照群の1.13%に対し有意に高率であり,被曝線量が高い
ほど増加し,また,被爆時年齢が20歳以下群に有意に高かったとの各25
報告がある(甲A139〔資料6〕,B1の32)。このほか,放射線の
外部照射による甲状腺良性腫瘍の発生率はがんの3倍以上であるなどと
する報告(甲A139〔資料6〕,B1の32・33)や,良性結節の1
シーベルト当たりの線形過剰オッズ比が1.53(P値<0.001,
95%信頼区間0.76~2.67)であり,若年被爆者で甲状腺結節
のリスクが高いとする報告(今泉論文)もある。5
これらによると,結節性甲状腺腫及び多結節性甲状腺腫と放射線被曝
との関連性を一般的に認めることができる。
ウ判断
A1は,健康に対する影響があり得る程度の線量の放射線に被曝したも
のと認められる。多結節性甲状腺腫と放射線被曝との関連性については,10
一般的に肯定することができるところ,A1の多結節性甲状腺腫は,その
考慮しても,原爆
放射線に被曝したことによって発症したものとみるのが合理的である。
よって,本件A1申請に係る甲状腺腫瘤(多発性)については,放射線
起因性が認められる。15
ア要医療性の判断基準について
のとおり,A1は,良性の多結節性甲状腺腫に
つき,経過観察を受けていたものと認められる。
被爆者援護法の規定等に照らせば,経過観察を受けている被爆者が同20
法10条1項所定の「現に医療を要する状態にある」と認められるため
には,当該経過観察自体が治療行為を目的とする現実的な必要性に基づ
いて行われているといえること,すなわち,経過観察の対象とされてい
る疾病が,類型的に悪化又は再発のおそれが高く,その悪化又は再発の
状況に応じて的確に治療行為をする必要があることから当該経過観察が25
行われているなど,経過観察自体が,当該疾病を治療するために必要不
可欠な行為であり,かつ,積極的治療行為(治療適応時期を見極めるた
めの行為や疾病に対する一般的な予防行為を超える治療行為をいう。以
下同じ。)の一環と評価できる特別の事情があることを要するものと解す
るのが相当である。
そして,上記特別の事情があるといえるか否かは,経過観察の対象と5
されている疾病の悪化又は再発の医学的蓋然性の程度や悪化又は再発に
よる結果の重大性,経過観察の目的,頻度及び態様,医師の指示内容そ
の他の医学的にみて当該経過観察を必要とすべき事情を総合考慮して,
個別具体的に判断すべきである(最高裁判所令和2年2月25日第三小
法廷判決・裁判所時報1742号1頁。以下「令和2年最判」という。)。10
イ判断
る必要がないとされているのであり,悪化の医学的蓋然性が高いとはいえ
ない(現に,A1の多結節性甲状腺腫がその後進行して悪化したことをう
かがわせる証拠はない。)。また,悪性のしこりが生じるなどして甲状腺が15
んの罹患に至ったとしても,その治療成績は良好であるとされていること
からすると,悪化による結果が重大であるとまではいえない上,必要とさ
れる経過観察の頻度は1ないし数年に1回で足りるとされている。そして,
A1の多結節性甲状腺腫に対し,不定期にエコー検査及び細胞診を行う以
上に具体的な治療がされていたものとは認められず,多結節性甲状腺腫に20
関する積極的治療行為の一環として経過観察が必要である旨の特別の指示
がされたことをうかがわせる事情も見当たらない。
以上の事情を総合考慮すると,A1の多結節性甲状腺腫に対する経過観
察について,上記特別の事情があると認めることはできない。
そうすると,A1の甲状腺腫瘤(多発性)に要治療性があるとはいえな25
Bらの主張は採用することができない。
まとめ
本件A1申請に係る甲状腺機能低下症は罹患の事実が認められず,甲状腺
腫瘤(多発性)については要医療性の要件を満たしていたとは認められない。
2控訴人A2
認定事実5
証拠(甲C2,C2の3,控訴人A2本人のほか,掲記したもの)及び弁
論の全趣旨によると,以下の各事実が認められる。
ア被爆時の状況,被爆後の行動等
控訴人A2(当時2歳)は,昭和20年8月6日広島原爆が投下され
た当時,養父母,祖母及び父母とともに,爆心地から約2.7km離れ10
た広島市南蟹屋町の自宅建物(木造2階建て)の1階にいた(乙C2の
6)。自宅が傾き,窓ガラスが吹き飛んで割れたが,控訴人A2はかすり
傷を負うにとどまった。
被爆後,控訴人A2及びその家族は,自宅前の防空壕に避難したが,
しばらく経過した後,自宅に戻った。控訴人A2宅では当時大衆食堂を15
経営していたところ,その前が避難経路となっていたこともあり(甲C
2の2),火傷を負った多数の被爆者が水を求めて訪れた。控訴人A2の
家族のうち3名はかなり酷い傷を負い,控訴人A2の両親は,控訴人A
2を含む家族を温品の避病院に避難させた。控訴人A2の両親は,その
後すぐに引き返し,自宅前の空き地に倒れていた被爆者に応急手当てを20
施し,青崎病院に運んだ。控訴人A2の両親は,被爆当日の夜,おむす
びをもって避病院に行ったが,そのとき灰のようなものが降ってきたの
で,夏布団を被った。控訴人A2の両親は,3日又は4日ごとに夜同病
院に食事を持って行った。(甲C2の5,乙C2の1〔75頁〕・12〔別
添3〕)25
控訴人A2の家族は,その後自宅建物を修理して住み続けた(甲C2
の5,乙C2の1〔71,75頁〕)。
控訴人A2は,昭和29年1月25日,ABCCによる検診を受けた
が,発熱,下痢等の急性症状については,いずれも「NONE(なし)」
と回答した(その余の選択肢は,「MILD〔軽度〕」,「MODERAT
E〔中等度〕」,「SEVERE〔強度〕」,「NOT-STATED〔言及5
なし〕」であった。)(乙C2の16〔1枚目〕)。
イ申請疾病等
控訴人A2は,昭和60年(当時42歳)頃,広島市民病院において,
甲状腺が腫れていると診断され,投薬治療を受けたことがあった。
控訴人A2は,平成15年7月(当時60歳)に甲状腺機能低下症と10
診断され,チラーヂンSの投与が開始された(乙C2の17〔3頁〕)。
控訴人A2は,平成20年5月29日,平成22年8月31日及び平
成23年5月31日に自己免疫性甲状腺機能低下症に関する血液検査を
受けたが,いずれも,抗TPO抗体及び抗Tg抗体ともに陰性であると
の結果であった(乙C2の17〔1頁〕,証人D2〔45頁〕)。15
ウ事実認定の補足説明
控訴人A2は,原爆投下の翌日以降数日間,南蟹屋町や松原町(広島
駅付近)に母親に付いて立ち入った旨を主張し,これに沿う陳述書(甲
C2,2の3)及び控訴人A2の供述(5,11頁)がある。
しかし,控訴人A2自身は当時の状況を記憶しているわけではなく(甲20
C2,控訴人A2本人〔1頁〕),被爆当時の状況を母親から聞いて書い
たという控訴人A2の被爆者健康手帳交付申請書(乙C2の1〔75頁〕)
には,上記主張と同旨の事実は記載されておらず,かえって,控訴人A
2の母親の被爆者健康手帳交付申請書(甲C2の5)に,控訴人A2の
両親は,控訴人A2を避難させた後,松原町方面に人捜しに行ったとの25
記載がある。控訴人A2の被爆者健康手帳交付申請手続に際し,同人の
被爆の事実に係る各証明書を作成したF1及びF2も,控訴人A2が広
島駅付近等に立ち入ったことまで同各証明書に記載しているものではな
い(乙C2の1〔76,77頁〕)。各所において爆風と火災により建物
が破壊され,道路が瓦礫の山となるなどしていた危険な状況下にあって
(乙C2の15),控訴人A2の母親が当時2歳の控訴人A2を背負い歩5
き回ったとの内容それ自体も自然であるとはいい難い。控訴人A2の上
記供述については,母親自身の経験との混同が生じている可能性があり,
採用することができない。
控訴人A2は,原爆投下の2,3日後から,微熱と下痢が約10日間
継続した旨を陳述書(甲C2)に記載し,同旨の供述(7頁)をする。10
しかし,同供述の内容は,
る。この点につき,控訴人らが主張するように,被爆者がABCCに対
して嫌悪,反発の感情を持っていたとしても,控訴人A2は,被爆の事
実それ自体は隠さず申告していたのであり(乙C2の16),急性症状の
有無についてのみあえて虚偽の回答をしなければならなかった理由は具15
体的に明らかではない。このことに照らし,上記供述は採用することが
できない。
ア被曝の程度
控訴人A2の被曝線量は,初期放射線につき,爆心地から約2.7k20
mの木造建物内で被爆をしたとして,DS02によれば,約0.004
375グレイと推定される(乙C2の14)。
しかし,控訴人A2は被爆時2歳と極めて若年であり放射線感受性が
高かったといえるが,爆心地から約2.7kmの自宅から防空壕,温品
の避病院への移動中に誘導放射化された粉塵や放射性降下物の微粒子を25
含む粉塵等に接触し,呼吸を通じ,又は傷口を介して,上記粉塵等を体
内に取り込むなどした可能性がある。また,控訴人A2は,被爆者の救
護に当たった両親が持参したおむすびを食べ,その後は自宅に住み続け,
誘導放射化された粉塵や放射性降下物の微粒子を含む粉塵等を,飲食を
通じて体内に取り込むなどした可能性も否定することができない。
そうすると,控訴人A2は,健康に対する影響があり得る程度の線量5
の放射線に外部被曝及び内部被曝をしたものと認めるのが相当である。
これに対し,被控訴人は,控訴人A2がおよそ0.1グレイを上回る
被曝をしたとは考え難い旨を主張するが,誘導放射化された物質や放射
性降下物による外部被曝や内部被曝を軽視している点において相当でな
いというべきである。被控訴人の上記主張は,採用することができない。10
イ甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性
控訴人A2の申請疾病は甲状腺機能低下症であるところ,上記第1の4
のとおり,甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性については,
一定程度の低線量域も含めて,一般的に肯定することができる。
被控訴人は,控訴人A2の甲状腺機能低下症は自己免疫性であることが15
十分に考えられると主張する。D2医師は意見書(乙B179)に同旨の
記載をし,自己免疫性の甲状腺機能低下症であっても違和感はないと証言
のとおり,3回の血液検査の結果,抗
甲状腺自己抗体がいずれも陰性であったのであり,血液検査の精度に合理
的な疑問を差し挟むべき事情があるとは認められない(D2医師も,平成20
23年5月31日の血液検査について,おそらくは最新の方法により行わ
れたと思う旨を証言している〔46頁〕。)。控訴人A2の甲状腺機能低下症
が自己免疫性であったとは認め難い。被控訴人の上記主張は採用すること
ができない。
ウ他の原因(危険因子)25
控訴人A2は,60歳頃に甲状腺機能低下症を発症したと推認されると
ころ(上記),好発年齢で発症したといえるが,女性に多い疾病であ
ること及びその頻度等の疫学的知見()によると,控
訴人A2と同年代の男性の多くが甲状腺機能低下症を発症するということ
はできない。
なお,仮に控訴人A2の甲状腺機能低下症が自己免疫性であり,その経5
過が一般的な症例と比較して特異な点が見当たらないとしても,上記疫学
的知見に照らし,なお加齢の点を重くみることは相当でない。
エ判断
控訴人A2は,健康に対する影響があり得る程度の線量の放射線に被曝
したものと認められる。甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性につい10
ては,一定程度の低線量域も含めて,一般的に肯定することができるとこ
ろ,控訴人A2が,被爆時2歳と極めて若年であり,放射線に対する感受
性が高かったといえること等も併せ考慮すれば,控訴人A2の甲状腺機能
低下症発症時の年齢を考慮しても,放射線に被曝したことによって甲状腺
機能低下症を発症したものとみるのが合理的であるということができる。15
よって,本件控訴人A2申請に係る甲状腺機能低下症については,放射
線起因性があると認められる。
甲状腺機能低下症に要医療性があるか。)について
控訴人A2は,本件控訴人A2申請時において,チラーヂンSを服用して
おり(乙C2の1〔72頁〕),当該治療が必要な状態が続いていたといえる20
から,本件控訴人A2申請に係る甲状腺機能低下症については,要医療性が
あると認められる。
まとめ
本件控訴人A2申請に係る甲状腺機能低下症については,放射線起因性及
び要医療性の各要件をいずれも満たしていたものと認められる。同申請を却25
下した処分は違法であり,争点3につき判断するまでもなく,その取消しを
求める控訴人A2の請求は理由がある。
3控訴人A3
認定事実
証拠(甲C8,控訴人A3本人のほか,掲記したもの)及び弁論の全趣旨
によると,以下の各事実が認められる。5
ア被爆時の状況,被爆後の行動等
控訴人A3(当時13歳)は,昭和20年8月6日広島原爆が投下さ
れた当時,母親とともに,爆心地から約2.5km離れた広島市舟入南
町の自宅前の路上にいた。
控訴人A3は,玄関前の防空壕に入ったが,右半身(首,顔,手,腿10
等)に熱傷を負っていた。
控訴人A3の自宅は壊れて住むことのできない状態となったことから,
控訴人A3の家族は,その日の夜以降,近所の会社の建物を間借りして
仮住まいとした。
控訴人A3の熱傷は,被曝後,化膿してケロイド状となり,ピンセッ15
トで膿を除去してもらっていた。(乙C8の1〔482~486,490
頁〕・7)
控訴人A3は,昭和20年8月16日頃,姉のいる松山市に避難する
ことになった。舟入南町から宇品港まで,住吉橋(爆心地から約1.5
km),明治橋及び鷹野橋(同約1.3km)を経由して歩いた(甲C820
の2・3)。
控訴人A3は,四国に渡り,途中の旅館に1泊した時,発熱し下痢を
して血便が出るようになり,赤痢にかかっているとして隔離病棟に入れ
られたが,髪の毛も抜けるようになった。
控訴人A3は,数日して退院したが,松山市には行かず四国の親戚宅25
で養生した後,同年9月中下旬頃広島に帰り,補修が進んだ自宅で生活
した(乙C8の1〔482~486頁〕)。
イABCCに対する回答等
控訴人A3は,昭和30年6月3日に行われたABCCの被爆状況調
査に対し,昭和20年9月に下痢(血性,非血性ともに中等度)があっ
たと回答したが,その余の症状はなかったと回答した。原爆による火傷5
について,右顔面,右首筋,右肩,右手及び右足に中等度の火傷を受け,
油等を塗って治療したが化膿し,現在も痒く,瘢痕が残っている旨を回
答した。(乙C8の9)
控訴人A3は,昭和31年4月10日に行われたABCCの被爆状況
調査に対し,昭和20年8月下旬から下痢(血性が中等度,非血性が強10
度)が始まったほか,発熱(中等度)も同時期に始まり,脱毛について
は発症時期が不明であるが,10分の1以下の程度(軽度)で生じてい
たと回答した(下痢について,赤痢と間違えて隔離されたとした。)。ま
た,同様に,原爆によって,顔,首,肩,腕及び大腿部のいずれも右側
に火傷を負い,特に首が酷かったこと,約4か月間化膿し,瘢痕とケロ15
イドがある旨を回答した。(乙C8の10)
控訴人A3は,昭和32年6月21日,被爆者健康手帳の交付を申請
した。昭和41年7月7日に交付された同手帳には,被爆当時の外傷・
熱傷の状況として,「右半身(首,顔,手,腿等)熱傷首,肩等ケロイ
ド状態残る」,被爆当時の急性症状(概ね6か月以内)として,「火傷化20
膿しウミが当分続く血便が出て髪の毛が抜ける」と記載された(乙C
8の1〔490,491頁〕)。
ウ申請疾病等
甲状腺機能低下症
控訴人A3は,平成8年頃,甲状腺機能低下症と診断された。控訴人25
A3は,同年8月18日(当時64歳),C13循環器科・心臓血管外科
を初診し,遅くとも平成9年以降,同循環器科・心臓血管外科等におい
てチラーヂンSの投与を受け,内服を開始した(乙C8の1〔493,
494頁〕)。平成10年1月20日の血液検査の結果,FT4が1.2
3ng/dℓ,FT3が2.36pg/mℓ,TSHが0.24μU/mℓ
であり,TSHのみ基準値(0.47~4.07μU/mℓ)を下回って5
いるとされた(甲C8の4・5,乙C8の1〔496頁〕)。
狭心症
控訴人A3は,平成9年9月3日,C13循環器科・心臓血管外科に
おいて心臓カテーテル検査を受けたところ,冠動脈の枝の一つである前
下行枝に狭窄が認められ,同月(当時65歳)頃までに狭心症を発症し10
た(乙C8の1〔487,493,494,497~500頁〕)。
高血圧
控訴人A3は,平成8年8月(当時64歳),C13循環器科・心臓血
管外科において心臓カテーテル検査を受けたところ,腹部大動脈瘤が発
見され,腹部大動脈瘤人工血管置換術が行われた。この際の高血圧の持15
続と心エコーにより心負荷(左室肥大)が認められたことから,本態性
高血圧と診断された。
控訴人A3は,平成20年6月11日,収縮期血圧が158mmHg,
拡張期血圧が92mmHgであった(甲C8の4・5,乙C8の1〔4
88,493,494,497頁〕)。20
脂質異常症
控訴人A3は,平成20年6月11日,LDLコレステロールが83
mg/dℓ,HDLコレステロールが42mg/dℓ,トリグリセライド
が218mg/dℓであり,原爆症認定申請(平成20年6月20日)の
ころ,トリグリセライド値が基準値を大きく上回っていた(乙C8の125
〔493,498頁〕)。同傾向は,このころ始まったものではなく,平
成9年8月18日の検査時のトリグリセライド値は,すでに236mg
/dℓであった。その後,控訴人A3は,平成9年中3回,平成10年中
12回,平成11年中11回,平成12年中13回,平成13年中11
回,平成14年中9回,平成15年中6回,平成16年中7回,平成1
7年中7回,平成18年中7回,平成19年中6回,平成20年中6回,5
以上11年間に合計99回の検査を受けたが,同値が正常範囲にあった
のは,平成10年4月8日(120mg/dℓ),同年6月29日(13
1mg/dℓ),同年12月8日(125mg/dℓ),平成11年12月
9日(137mg/dℓ),平成12年1月6日(109mg/dℓ),同
年2月3日(148mg/dℓ),同年10月4日(116mg/dℓ),10
平成13年3月16日(134mg/dℓ),同年9月7日(104mg
/dℓ),同年10月5日(148mg/dℓ),同年11月2日(124
mg/dℓ),平成14年3月22日(139mg/dℓ),平成16年4
月15日(138mg/dℓ),同年7月13日(118mg/dℓ),平
成18年12月19日(144mg/dℓ)の合計15回であり,多くの15
検査結果は基準値を大きく上回るものであった。(甲C8の5)
エ事実認定の補足説明
被控訴人は,控訴人A3に急性症状がなかった旨を主張する。この点に
のとおり,控訴人A3は,昭和30年6月3日の
ABCCの被爆状況調査に対しては,発熱及び脱毛がなかった旨を回答し20
た。しかし,控訴人A3は,その翌年の昭和31年4月10日の同調査に
おいては,発熱及び脱毛があったと回答し,被爆者健康手帳の交付申請に
際しても脱毛があったと申告していた(上記A3におい
て,昭和30年6月3日の上記調査に対して上記回答をしたのは,火傷が
右半身の相当部分に及び,瘢痕が残る重いものであった一方,25
発熱及び脱毛は火傷に比べて症状が軽く,相対的に印象が薄かったからで
あることが推測される。控訴人A3は,それから間もない時期の調査等に
際しては,発熱及び脱毛があったと回答しているところ,回答内容を変更
したことにつき意図的なものであることをうかがわせる事情は見当たらな
いのであり,同各症状が現れたと認定することができる。また,控訴人A
3は,被爆後生じた下痢についても,ABCCに対して赤痢によるもので5
あったとは一度も回答していないのであり(上記イ),赤痢によるも
のであったとは認められない(赤痢ではなかったと母親から聞いたことは
ないのかとの問いに対し,赤痢ではなく下痢の症状が出たことを何年も経
過して知った旨の控訴人A3本人の供述〔15頁〕は,母親から赤痢では
ないのに下痢の症状が出た旨を聞いたことを含意するものと解される。)。10
争点)について
ア被曝の程度
控訴人A3の被曝線量は,初期放射線につき,爆心地から約2.5k
mの地点で直接被爆をしたとして,DS02によれば,約0.0126
グレイと推定される(乙C8の8)。15
しかし,控訴人A3は被爆時13歳と若年であり放射線感受性が高い
と考えられるところ,右半身に中等度の火傷を負い,化膿してケロイド
状になった部分から,誘導放射化された粉塵や放射性降下物の微粒子を
含む粉塵等を体内に取り込んだ可能性は高いというべきである。被爆後
に爆心地から自宅と同程度の距離にある建物で間借りをしていた間に,20
上記粉塵を,呼吸又は飲食を通じて体内に取り込むなどした可能性も否
定することができない。
そして,控訴人A3に,被爆後,発熱,脱毛及び下痢の症状が現れた
ことも併せ考慮すると,控訴人A3は,健康に対する影響があり得る程
度の線量の放射線に外部被曝及び内部被曝をしたものと認めるのが相当25
である。
なお,控訴人A3が昭和20年8月16日頃に爆心地から約1.3k
mの地点に立ち入ったことは,原爆投下後の経過日数や滞在時間を考慮
すると,その際に有意な被曝を受けたとは認められない。
これに対し,被控訴人は,控訴人A3がおよそ0.1グレイを上回る
被曝をしたとは考え難い旨を主張するが,誘導放射化された物質や放射5
性降下物による外部被曝や内部被曝を軽視している点において相当でな
いというべきである。被控訴人の上記主張は,採用することができない。
イ甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性
控訴人A3の申請疾病の一つは甲状腺機能低下症であるところ,上記第
のとおり,甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性につ10
いては,一定程度の低線量域も含めて,一般的に肯定することができる。
ウ他の原因(危険因子)
控訴人A3は,64歳頃に甲状腺機能低下症を発症したと推認されると
ころ(上記),好発年齢で発症したといえる。また,女性に多い疾患
であるところ),控訴人A3は女性であり,これらの15
危険因子を有していたということができる。
エ判断
以上のとおり,控訴人A3は,健康に対する影響があり得る程度の線量
の放射線に被曝したものと認められる。甲状腺機能低下症と放射線被曝と
の関連性については,一定程度の低線量域も含めて,一般的に肯定するこ20
とができるところ,控訴人A3は,被爆時13歳と若年であり,放射線に
対する感受性が高かったといえる。そうすると,控訴人A3の性別及び甲
状腺機能低下症発症時の年齢を考慮しても,放射線被曝の影響が否定され
るとはいい難く,放射線に被曝したことにより発症したものとみるのが合
理的であるということができる。25
よって,本件控訴人A3申請に係る甲状腺機能低下症については,放射
線起因性があると認められる。
争点)について
控訴人A3は,本件控訴人A3申請時において,チラーヂンSを服用して
おり(乙C8の1〔487頁〕),当該治療が必要な状態が続いていたといえ
るから,控訴人A3申請に係る甲状腺機能低下症については,要医療性があ5
ると認められる。
争点)について
ア被曝の程度
認定説示のとおりである。
イ狭心症と放射線被曝との関連性10
控訴人A3の申請疾病の一つは狭心症であるところ,上記
のとおり,狭心症と放射線被曝との間には一般的な関連性があること
が認められる。
ウ他の原因(危険因子)
高血圧及び脂質異常症は狭心症の危険因子である15
b,c)。控訴人A3が狭心症を発したのは平成9年9月ころであるが,そ
の当時,本態性高血圧と診断され(上記
として治療が開始された(甲C8の6)こと,当時及びその後の控訴人A
3のトリグリセライド値及びその推移(上記)からすると,その相
当以前から,高血圧及び脂質異常症に罹患し,継続していたとの疑いが存20
する。また,控訴人A3が狭心症を発した65歳頃はその好発年齢である

エ判断
控訴人A3は,健康に対する影響があり得る程度の線量の放射線に被曝
したものであり,狭心症と放射線被曝との関連性については,一般的に肯25
定することができるが,控訴人A3が狭心症を発したころ本態性高血圧,
脂質異常症に罹患しており,その症状が相当以前から継続していた疑いが
あり,65歳ころが狭心症の好発年齢でもあることも併せ考慮すると,被
曝時若年であったとしても,控訴人A3において,放射線被曝により狭心
症を発したことを是認し得る高度の蓋然性が証明されたものということは
できない。5
よって,本件控訴人A3申請に係る狭心症については,放射線起因性が
あるとは認められない。
要医療性があるか。)について
判断を要しない。
高血圧に放射線起因性があるか。)について10
ア被曝の程度
認定説示のとおりである。
イ高血圧と放射線被曝との関連性
控訴人A3の申請疾病の一つは高血圧であるところ,イ
のとおり,高血圧と放射線被曝との間の関連性があることを示唆する疫15
学的知見があるものの,その程度は限定的であることが認められる。
ウ他の原因(危険因子)
控訴人A3が高血圧を発症した時期は具体的に明らかでないものの,診
断されたのは64歳以降である。
り,60歳女性の過半数が高血圧であるなど患者数の多い疾病であり,多20
くは生活習慣を原因として発症する
控訴人A3については本態性高血圧の診断を受ける相当以前から高血圧に
罹患し継続していたとの疑いがある。
エ判断
控訴人A3は,健康に対する影響があり得る程度の線量の放射線に被曝25
したものと認められる。しかし,高血圧と放射線被曝との間に関連性があ
るとしてもその程度は限定的なものと考えられるところ,控訴人A3の放
射線被曝が高血圧を発症させる程度に高線量であったとは認め難い。高血
圧が生活習慣に起因するものであり,控訴人A3の年齢も併せ考慮すると,
もっぱら生活習慣によって発症したものとみるのが合理的であるというこ
とができる。5
よって,本件控訴人A3申請に係る高血圧について,放射線起因性があ
るとは認められない。
判断を要しない。
まとめ10
本件控訴人A3申請に係る狭心症及び高血圧については放射線起因性の要
件を満たさないが,甲状腺機能低下症については放射線起因性及び要医療性
の各要件をいずれも満たしていたものと認められる。上記申請を却下した処
分のうち,申請疾病を甲状腺機能低下症とする部分は違法である(この点に
限っては,争点3につき判断するまでもない。)。15
4控訴人A4
認定事実
証拠(甲C9の1,控訴人A4本人のほか,掲記したもの)及び弁論の全
趣旨によると,以下の各事実が認められる。
ア被曝時の状況,被爆後の行動等20
控訴人A4(当時4歳)は,昭和20年8月6日広島原爆が投下され
た当時,爆心地から約2.5km離れた広島市南千田町の自宅建物(木
造平屋建て)そばの畑で遊んでいた。同建物が遮蔽となった。控訴人A
4は,爆風で飛ばされて,手に軽い怪我をした。
控訴人A4は,自宅が全壊したため,南千田町の修道中学校のグラウ25
ンドに野宿し,昭和20年8月15日,賀茂郡西条町の母親の実家に転
居するまで,野宿生活を続けた。(乙C9の1〔117,122,123
頁〕・9)
控訴人A4は,昭和20年8月7日家族とともに,帰宅せず行方不明
となっていた姉を捜すため,自ら歩きあるいは父親に背負われて市内の
各収容所を訪ねて回り,同日午前8時頃から午前9時頃までの約1時間,5
広電本社前(爆心地から約2km)及び広島赤十字病院(同約1.6k
m)付近に赴いた(甲C9の3,乙C9の12の1・2)。
控訴人A4は,同月8日も同様に姉の行方を捜した。広電本社前,広
島赤十字病院付近からさらに爆心地に接近し,鷹野橋(爆心地から約1.
3km),袋町富国生命ビル暁部隊収容所(同約0.5km),紙屋町(同10
約0.4km),八丁堀(同約0.9km),鉄砲町(同約1km)及び
浅野泉邸収容所(同約1.5km)方面を回ったが,姉を見つけること
はできなかった(甲C9の2,乙C9の1〔122~124頁〕)。
控訴人A4は,被爆後6か月が経過するまでに,下痢,発熱及び貧血
の症状が現れた。これらの症状は,約5か月間続いた。(乙C9の1〔115
24頁〕)
イ申請疾病
甲状腺機能低下症
控訴人A4は,平成19年3月28日(当時66歳)の血液検査の結果,
FT4(ECLIA法)が1.03ng/dℓ,FT3(同)が2.2p20
g/mℓ,TSH(同)が19.17μIU/mℓであり,FT3が基準値
(2.5~3.9pg/mℓ)を下回り,TSHが基準値(0.34~5.
60μIU/mℓ)を大きく超えていた。控訴人A4は,同年9月頃甲状
腺機能低下症を指摘され,遅くとも同月26日以降,チラーヂンSの投与
を受けていた。(乙C9の1〔134頁〕・11)25
また,控訴人A4は,平成19年11月16日,甲状腺エコー検査を受
けたところ,甲状腺が腫大しているとして,慢性甲状腺炎と診断された。
平成22年11月24日及び平成23年4月12日には,それぞれ,抗甲
状腺自己抗体の検査も行われたが,いずれも抗Tg抗体が異常値(高値)
であった。(乙C9の11)
脳梗塞5
控訴人A4は,平成11年8月9日(当時58歳)に自宅で左半身麻痺
を発症し,救急搬送され,CT及びMRI検査の結果,脳梗塞と診断され
た。その後,同年11月2日まで入院して治療を受けた。(乙C9の1〔1
17,120,133,138頁〕・13)。
ウ生活状況10
喫煙
控訴人A4は,昭和36年(当時20歳)頃,喫煙を開始し,その後,
平成11年に脳梗塞を発症するまで,1日1箱から2箱のたばこを吸っ
ていた(乙C9の13〔1頁〕)。
高血圧・脂質異常症(高脂血症)15
a控訴人A4は,平成9年(当時56歳)頃,高血圧症と診断され,
降圧薬を内服していた(乙C9の13〔1頁〕)。
b控訴人A4は,平成9年9月1日に受けた健康診断の結果,血圧は
収縮期血圧が120mmHg,拡張期血圧が80mmHgであったが,
総コレステロールが272mg/dℓ,トリグリセライドが471mg20
/mℓであり,高脂血症と診断された。控訴人A4は,平成10年3月
9日にも健康診断を受けたが,血圧は収縮期血圧が130mmHg,
拡張期血圧が80mmHgであり,トリグリセライドが228mg/
dℓであって(なお,総コレステロールは健康診断個人票に記載がな
い。),前回同様,高脂血症と診断された(乙C9の14)。25
c平成11年8月9日の脳梗塞発症時の控訴人A4の血圧は,収縮期
血圧200mmHg,拡張期血圧100mmHgであった。また,総
コレステロールは298mg/dℓ,トリグリセライドは82mg/d
ℓであった。(乙C9の13〔2,4,5頁〕)
エ事実認定の補足説明
控訴人A4は,昭和20年8月9日から同月15日までの間も,爆心地5
付近に入市して姉を捜した旨を主張し,これに沿う証拠として,本件控
訴人A4申請に係る認定申請書(乙C9の1〔117頁〕),被爆者健康
手帳交付申請書(同〔123頁〕),被爆証明書(同〔128,129頁〕)
及び陳述書(甲C9の1)がある。しかし控訴人A4は,尋問において,
姉を捜しに行ったのは同月7日及び同月8日の2日間だけであり,それ10
以降は父だけが捜しに行った旨を供述した(4頁)のであり,上記陳述
書等の記載を採用することはできず,ほかに上記主張を認めるに足りる
証拠はない。
控訴人A4の症状のほか,嘔吐及び脱毛があった旨供述
する(6,15,27頁)。しかし,上記供述を裏付ける証拠はない。か15
えって,昭和48年3月13日付けで控訴人A4が母親から聞いて作成
したとする被爆者健康手帳交付申請書に,被爆時又はその後6か月まで
の間に現れた症状につき,「はらくだし」,「発熱」及び「血が少なくなっ
た」に該当すると記載された一方,「毛が抜けた」に該当するとは記載さ
れなかった(乙C9の1〔124頁〕)。また,本件控訴人A4申請に係20
る平成20年3月26日付け認定申請書に,被曝後半年間の症状につい
て,下痢,発熱及び血が少なくなった等の症状が出たようである旨を記
載したが,嘔吐及び脱毛については記載していない(乙C9の1〔11
7頁〕)。これらに照らし,上記供述は信用することができない。
放射能起因性があるか。)について25
ア被曝の程度
控訴人A4の被曝線量は,初期放射線につき,爆心地から約2.5k
mの地点で直接被爆をしたとして,DS02によれば,約0.0126
グレイと推定される。さらに,爆心地から約1.5kmの地点に原爆投
下の翌日に行き,その後永遠に滞在した場合の誘導放射線による被曝線
量が0.000016グレイ,同0.5kmの地点に翌々日(原爆投下5
から50時間後)に行き,その後永遠に滞在した場合の誘導放射線によ
る被曝線量が約0.01グレイであるとの計算結果がある。(乙C9の1
0)
しかし,控訴人A4は被爆時4歳と極めて若年であり放射線感受性が
高いといえる上,翌日に爆心地から約1.6km付近にまで接近し,さ10
らに翌々日には爆心地から約0.4km付近にまで接近したのであって,
この間に,手の傷口や呼吸等を介して,誘導放射化された粉塵や放射性
降下物の微粒子を含む粉塵等を体内に取り込んだ可能性は高い。被爆後
の野宿生活をしていた間に,上記粉塵等を,呼吸又は飲食を通じて体内
に取り込むなどした可能性も否定することができない。15
そして,控訴人A4に,被爆後,下痢や発熱等の症状が現れたことも
併せ考慮すると,控訴人A4は,健康に対する影響があり得る程度の線
量の放射線に外部被曝及び内部被曝をしたものと認めるのが相当である。
これに対し,被控訴人は,控訴人A4がおよそ0.1グレイを上回る
被曝をしたとは考え難い旨を主張するが,誘導放射化された物質や放射20
性降下物による外部被曝や内部被曝を軽視している点において相当でな
いというべきである。被控訴人の上記主張は,採用することができない。
イ甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性
控訴人A4の申請疾病の一つは甲状腺機能低下症であるところ,上記第
のとおり,甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性につ25
いては,一定程度の低線量域も含めて,一般的に肯定することができる。
ウ他の原因(危険因子)
控訴人A4は,66歳頃に甲状腺機能低下症を発症したと推認されると
ころ,好発年齢で発症したといえる。しかし,女性に多い疾
患であること等の疫学的知見()によると,控訴人A
4と同年代の男性の多くが甲状腺機能低下症を発症するということはでき5
ない。
エ判断
控訴人A4は,健康に対する影響があり得る程度の線量の放射線に被曝
したものと認められる。甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性につい
ては,一定程度の低線量域も含めて,一般的に肯定することができるとこ10
ろ,控訴人A4は,被爆時4歳と極めて若年であり,放射線に対する感受
性が高かったといえる。そうすると,控訴人A4の甲状腺機能低下症発症
時の年齢を考慮しても,放射線に被曝したことにより発症したものとみる
のが合理的であるということができる。
よって,本件控訴人A4申請に係る甲状腺機能低下症については,放射15
線起因性があると認められる。
要医療性があるか。)について
控訴人A4は,本件控訴人A4申請時において,チラーヂンSを服用して
おり(乙C9の1〔119,133頁〕),当該治療が必要な状態が続いてい
たといえるから,本件控訴人A4申請に係る甲状腺機能低下症については,20
要医療性があると認められる。
放射線起因性があるか。)について
ア被曝の程度
認定説示のとおりである。
イ脳梗塞と放射線被曝との関連性25
控訴人A4の申請疾病の一つは脳梗塞後遺症であるところ,脳梗塞と放
射線被曝との間には,上記イのとおり,心筋梗塞と比較する
と相対的に程度が低いものの,一般的な関連性があることが認められる。
ウ他の原因(危険因子)
上記第1の4a~c,eのとおり,脳梗塞について,最大
の危険因子が高血圧であるほか,喫煙及び脂質異常症も危険因子であり,5
加齢とともに発症率が増加し,危険因子が重積することによりリスクが
急激に高まるとされているところ,控訴人A4は,平成9年頃には高血
圧症と診断され,降圧薬を内服していたが,平成10年3月9日から脳
梗塞を発症した平成11年8月9日までの間に血圧が急激に上昇し,最
大の危険因子である高血圧)。また,控10
訴人A4は,脳梗塞の発症まで約38年の長期にわたり,1日1~2箱
もそして,控訴人A4は,平成9年9
月1日及び平成10年3月9日の各健康診断において,高脂血症と診断
され,平成9年9月1日のトリグリセライド及び平成11年8月9日の
総コレステロールは当時の基準値を相当15
b,c)。
控訴人A4は,以上のとおり,脳梗塞の発症時,危険因子が重積して
いた。
控訴人A4は,高血圧及び脂質異常症に放射線被曝がそれぞれ関与し
ている旨を主張するが,この点については,の20
とおり,いずれも関連性の存在を示唆する疫学的知見があるものの,そ
の程度は限定的であると認められる(高血圧について,控訴人A4は喫
煙者であるから,より一層限定的に考慮する必要がある。)。
また,控訴人A4は,喫煙,高血圧及び脂質異常症は疫学研究に織り
込み済みであり,放射線被曝によるリスク推定にほとんど影響を及ぼさ25
ない旨も主張
のように,喫煙等の交絡因子が放射線リスク評価に重要な変化をもたら
さなかったとする疫学研究がある(なお,高血圧は,清水論文にいう交
絡因子に含まれているとは認められない。)。しかし,疫学は,人間集団
における疾病罹患と死亡の分布,発生要因及び制御要因を研究する学問
で,公衆衛生の分野において,定義された人間集団や地域社会における5
健康問題を理解し説明しようとするものであり(乙B169,第2事件
乙B80),交絡因子の調整も,一般的な疫学的因果関係の判断のために
行われるものである。そして,喫煙,高血圧及び脂質異常症の程度も個々
人により異なるのであるから,疫学的知見を個々人の疾病の原因にその
まま当てはめることはできない。控訴人A4の上記主張は採用すること10
ができない。
エ判断
控訴人A4は,健康に対する影響があり得る程度の線量の放射線に被曝
したものと認められ,脳梗塞と放射線被曝との間に一定程度の関連性があ
ると認められる。15
しかし,控訴人A4は,脳梗塞の最大の危険因子である高血圧のほか,
複数の危険因子が重積しており,これにより発症リスクが増大していたと
考えられ,もっぱら生活習慣に基づき脳梗塞を発症した可能性があると合
理的に考えることができる。控訴人A4の被曝の程度が特に高いとみるべ
き事情もないのであり,被爆時年齢が極めて若年で,脳梗塞発症時の年齢20
も発症のピークに達していなかったこと等の事情を考慮しても,控訴人A
4において放射線被曝により脳梗塞を発症したことを是認し得る高度の蓋
然性が証明されたものということはできない。
よって,本件控訴人A4申請に係る脳梗塞後遺症については,放射線起
因性があるとは認められない。25
判断を要しない。
まとめ
本件控訴人A4申請に係る脳梗塞後遺症については放射線起因性の要件を
満たさないが,甲状腺機能低下症については放射線起因性及び要医療性の要
件をいずれも満たしていたものと認められる。上記申請を却下した処分のう5
ち,申請疾病を甲状腺機能低下症とする部分は違法である(この点に限って
は,争点3につき判断するまでもない。)。
5控訴人A5
認定事実
証拠(甲C14,C14の2,控訴人A5本人のほか,掲記したもの)及10
び弁論の全趣旨によると,次の各事実が認められる。
ア被爆時の状況,被爆後の行動等
控訴人A5(当時10歳)は,昭和20年8月6日広島原爆が投下さ
れた当時,爆心地から約2.8~3km離れた広島市東雲町の自宅建物
(木造平屋建て)の中にいた。控訴人A5は,衣服を着替えていたとこ15
ろであり,ガラスの破片により背部に軽い怪我をした。
控訴人A5は,その後,大洲町(爆心地から約3km超)のブドウ畑
に逃げ込み,食べ物がなかったのでブドウを食べるなどして過ごした。
(甲C14の3・4・8,乙C14の1〔87,92頁〕・20)
控訴人A5の兄は,上記投下の当時,鶴見橋付近(爆心地から約1.20
5km)で建物疎開の作業に従事していたところ(甲C14の3,乙C
14の21),昭和20年8月7日に死亡した。控訴人A5は,母親とと
もに父親の実家のある安芸郡熊野町に行って葬儀を執り行い,同実家に
同月16日まで住んでいた。父親が軍隊から帰って来たので,同日以降,
倒壊を免れていた東雲町の自宅に戻って生活した。(乙C14の1〔8725
頁〕)
イABCCに対する回答等
控訴人A5は,昭和30年2月10日に行われたABCCの被爆状況
調査に対し,発熱,下痢及び脱毛等の症状は全く現れなかったと回答し
た(乙C14の20)。
控訴人A5は,平成14年以降,概ね毎年2回(2月と8月)に健康5
診断を受けていた。控訴人A5は,原爆によると思われる急性症状(概
ね6か月以内)につき,平成14年2月4日から平成22年8月5日ま
での健康診断において,発熱及び脱毛はいずれも「無」,下痢は平成16
年8月5日から平成18年8月3日までの健康診断において「有」,その
余の同診断においては「無」と回答していた。10
しかし,控訴人A5は,平成23年2月16日から平成24年2月2
日までの健康診断においては,発熱,下痢及び脱毛のいずれについても,
「有」と回答した。そして,控訴人A5は,同年8月22日から平成2
6年8月19日の健康診断においては,脱毛だけが「有」と,平成27
年2月5日から平成28年2月4日の同診断においては,いずれも「無」15
と回答した。(乙C14の23・24)
ウ申請疾病等
甲状腺機能亢進症(バセドウ病)に対する放射線治療
控訴人A5は,昭和54年末(当時44歳)頃,前頸部腫脹を指摘さ
れ,甲状腺機能検査を受けたところ,バセドウ病と診断され,昭和5520
年7月14日(当時45歳)から内服治療(メルカゾール)が開始され
た。しかし,控訴人A5は,1か月に数日程度服用を忘れるなどして,
甲状腺機能はコントロールできていなかった。
控訴人A5は,昭和58年6月(当時48歳),広島大学病院に入院し,
バセドウ病に対する放射線治療(アイソトープ治療)として,3ミリキ25
ュリーの放射性ヨード131の投与を受けた(約2.442シーベルト
の放射線被曝に相当する〔乙B236〕。)。(乙C14の18)
甲状腺機能低下症の発症
控訴人A5は,平成13年頃(遅くとも平成14年1月5日〔当時6
6歳〕まで),甲状腺機能低下症を発症し,チラーヂンSの投与を受けた
(乙C14の1〔96頁〕・19)。5
エ事実認定の補足説明
控訴人A5は,広島原爆の投下当日,兄を捜すために鶴見橋方面に行
き爆心地に接近した旨を主張し,これに沿う証拠として,陳述書(甲C
14,14の2)及び控訴人A5本人の供述(3,15,28頁)があ
る。そして,控訴人A5は,平成27年9月10日付け陳述書(甲C110
4の2)を提出するまで,爆心地への接近に関する主張及び陳述書の提
出をしていなかった理由として,被爆後の行動に関する事実が重要であ
るとは知らなかったためである旨説明する(控訴人A5本人〔18頁〕)。
この点につき,控訴人A5は,本件控訴人A5申請に係る平成19年
10月30日受付の認定申請書(乙C14の1〔87頁〕)及び平成2215
年4月15日付け異議申立書(乙C14の7)には,上記接近について
記載しておらず,平成23年8月31日付け訴状にも同接近の事実は記
載していなかった。しかし,家族のことやその後住んでいた場所等につ
いては上記認定申請書等に記載されていた。本訴提起のための訴状の作
成に当たり,控訴人A5は,被爆後の行動の重要性について理解の深い20
代理人から詳細な聴取を受けたはずであり,爆心地に接近した事実が重
要であるとは知らなかったとの説明は容易に首肯し難い。上記供述等を
採用することはできず,このほか上記主張を認めるに足りる証拠はない。
また,控訴人A5は,昭和20年8月7日に広島市の自宅に戻った旨
を主張する。しかし,控訴人A5は,上記認定申請書に,「8月16日ま25
では父の実家安芸郡熊野町出来庭に住んでいました。父が戦地(香川県
宅間航空隊)からかえりましたので広島市東雲町2組で生活しました。」
と明確に記載したのであって,その内容は自然で具体的であり,信用す
ることができる。その後,控訴人A5は,昭和20年8月8日に自宅に
戻った(上記異議申立書),同月7日に戻った(上記訴状)などと記載を
変遷させたが,これらの変遷に首肯するに足りる理由があるとは認め難5
く,相対的に信用性が劣るものと評価せざるを得ない。上記主張も採用
することができない。
控訴人A5は,発熱及び脱毛の急性症状があった旨を主張する。これ
に沿う証拠として,陳述書(甲C14)及び控訴人A5本人の供述(7,
19頁)がある。また,控訴人A5は,ABCCの被爆状況調査の際,10
真実の急性症状を回答するのにためらいを覚えた旨を主張し,急性症状
に関する質問をされなかった旨を供述(甲C14の2,控訴人A5本人
〔21頁〕)する。
しかし,控訴人A5は,ABCCに対し,発熱及び脱毛はなかった旨
の回答をした),平成14年以降平成22年まで15
の間,健康診断の際,脱毛及び発熱はなかった旨の回答をしたのであり
(同いて
上記ためらいがあったことは想定し難い。健康診断における回答の内容
(同)についても変遷が大きく,控訴人A5が主張し供述する急性症状
に関する記憶は相当程度曖昧になっているとの合理的疑いを差し挟む余20
地がある。上記供述は採用することができず,このほかに控訴人A5に
急性症状があったとの主張を認めるに足りる証拠はない。
放射線起因性があるか。)について
ア被曝の程度
控訴人A5の被曝線量は,初期放射線につき,爆心地から約2.8km25
の地点にある木造建物内で被爆したとすると,それぞれDS02により推
定される同約2.7km地点の被曝線量約0.004375グレイを下回
り,同約3km地点の被曝線量約0.001596グレイを上回る範囲と
なる(乙C2の14,14の17)。
そして,控訴人A5は,昭和20年8月6日に爆心地に接近した事実は
認められず,急性症状が現れたとも認められない。その後,控訴人A5は,5
同月16日まで安芸郡熊野町で生活していたのであり,残留放射線又は放
射性降下物の放射線による有意な外部被曝・内部被曝をする機会があった
とも認め難い。
以上によると,DS02による線量が推定値であり過小評価となった可
能性があることを考慮したとしても,控訴人A5の全体としての被曝線量10
は,相当に低いと評価せざるを得ない。
イ甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性
控訴人A5の申請疾病は甲状腺機能低下症であるところ,上記第1の4
のとおり,甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性については,
一定程度の低線量域も含めて,一般的に肯定することができる。15
ウ他の原因(危険因子)
医原性甲状腺機能低下症の可能性
a被控訴人は,控訴人A5が甲状腺機能亢進
症(バセドウ病)に対する放射線治療(アイソトープ治療)として,
放射性ヨード131の投与を受けたことから,医原性の甲状腺機能低20
下症である可能性がある旨を主張する。
掲記の証拠によると,甲状腺機能亢進症(バセドウ病)に関し,以下
の医学的知見が存在することが認められる。
病態等
甲状腺自体の活動が亢進し,そのため甲状腺における甲状腺ホル25
モンの合成,分泌が高まっている病態を甲状腺機能亢進症といい,
代表的な疾患がバセドウ病である。発症頻度について,1000人
中0.6~3人程度で男女比は1対3~5と女性に多く,20~3
0歳代の頻度が高いとする報告や,女性では200~300人に1
人の割合で発症し,以前にバセドウ病と診断されて治療歴がある者
を含めると,女性における頻度は50人に1人の割合となるとの報5
告もある。
バセドウ病は,自己免疫異常の関与により甲状腺において過剰な
甲状腺ホルモンが合成,分泌される疾患で,びまん性の甲状腺腫が
あり,甲状腺ホルモンの過剰により,いらいら,発汗過多及び眼球
突出等の様々な臨床症状が生じる。代表的な臓器特異的自己免疫疾10
患であり(ただし,自己免疫性甲状腺炎ではない。),発症機序の中
心はTSH受容体に対する自己抗体である。(乙B250,255,
256,257の1・2)
⒝放射線ヨード治療
バセドウ病について,自己免疫機序そのものに対する根本的治療15
は確立していない。抗甲状腺薬により甲状腺ホルモン合成を抑制す
る薬物療法(数年間の投与が必要となることが多い。),手術療法の
ほか,内科的治療が困難な中等度の機能亢進症の中年以降の患者に
対する放射線ヨード治療(アイソトープ治療)がある。
放射線ヨード治療は,甲状腺グラム当たりの吸収線量として8020
~100グレイとなる放射性ヨウ素131を経口投与し,ベータ線
により甲状腺の細胞を破壊縮小して過剰のホルモン合成を抑制する
治療法である。投与1,2週間後に放射性甲状腺炎が生じることが
ある。晩発性の甲状腺機能低下症の頻度は高く,10年後で40~
70%に達するとされる。日本核医学分科会腫瘍・免疫核医学研究25
会・「放射性ヨード内用療法」委員会・「甲状腺RI治療」委員会編
「バセドウ病の放射性ヨード内用療法に関するガイドライン(改訂
第3版)」は,放射性ヨード治療の副作用について,同治療の目的は
亢進した甲状腺の機能を低下させることであるから,同治療後に生
じる甲状腺機能低下は副作用ではなく治療効果と捉えるのが的確で
あるとする(乙B179〔資料7・19頁〕)。(乙B255,256)5
D2医師は,控訴人A5の甲状腺機能低下症について,甲状腺機能
亢進症のアイソトープ治療による医原性の甲状腺機能低下症である
と考えられる旨の意見を述べている(乙B179,証人D2〔20頁〕)。
bこれに対し,控訴人A5は,被控訴人の上記主張を争うとともに,
甲状腺機能亢進症自体に,放射線被曝の影響が考えられるから,甲状10
腺機能亢進症の存在をもって放射線起因性を否定することができない
旨を主張する。
確かに,AHS第7報及び第8報は,甲状腺疾患と放射線被曝との
間に有意な関連性があるとしており,こ
の中に甲状腺機能亢進症が含まれている可能性は否定することができ15
ない。しかし,甲状腺機能亢進症(バセドウ病)について現時点にお
いて放射線被曝との間の統計的に有意な関連性が認められるとした知
見は見当たらない。かえって,今泉論文は,3185名の被爆者(上
を調査した結果,バセドウ病(有病率1.2%)
の線形過剰オッズ比が0.49(P値=0.1,95%信頼区間-0.20
06~1.69)であり放射線被曝との間に統計的に有意な関連性が
認められないとする結果を報告する(今泉美彩ほか「小児期に被曝し
た原爆被爆者における被曝62-65年後の甲状腺機能異常と自己免
疫性甲状腺疾患」〔乙B254〕の報告内容も同様である。)。また,放
射線の非確率的影響(確定的影響)についてまとめたICRPの報告25
書(乙B90,252)に,放射線と関連のある疾患としてバセドウ
病は記載されていない。UNSCEARの2000年報告書付属書(乙
B253の1・2)においても,放射線被曝によって甲状腺機能亢進
症のリスクが増加しなかったとされている。発生機序についても,自
己免疫性という限度において共通性はあるものの,抗体が病態そのも
のに影響を与えると考えられているバセドウ病に対し(),甲5
状腺機能低下症の原因として最も多い慢性甲状腺炎では,甲状腺細胞
にアポトーシスが生じると考えられているのあって(乙B91,92,
155,257の1・2),相違しているといえる。放射線被曝との関
連性があるとは直ちには認め難く,仮にあるとしても,その程度はか
なり限定的なものと考えざるを得ない。10
その他
控訴人A5は,66歳頃に甲状腺機能低下症を発症したと推認される
),発症時にある程度高齢であったといえる。また,
A5は女性
であり,これらの危険因子を有していたということができる。15
エ判断
控訴人A5の被曝線量は全体としてもかなり低い。甲状腺機能低下症と
放射線被曝との間には一般的な関連性があると認められるが,控訴人A5
は,甲状腺機能亢進症(バセドウ病)の治療として投与された放射性ヨー
ドの影響を受けて甲状腺機能低下症を発症したとの合理的な疑いがある。20
甲状腺機能亢進症(バセドウ病)と放射線被曝との間に仮に関連性がある
としてもかなり限定的であると判断されるところ,控訴人A5の上記被曝
線量は,甲状腺機能亢進症の発症に影響を与えるものとは考え難い。仮に
甲状腺機能低下症が医原性でないとしても,被曝の程度,性別及び発症年
齢等を総合的に考慮すると,被爆時年齢が若年であったとしても,控訴人25
A5において広島原爆の放射線被曝により甲状腺機能低下症を発症したこ
とを是認し得る高度の蓋然性が証明されたものということはできない。
よって,本件控訴人A5申請に係る甲状腺機能低下症について放射線起
因性があるとは認められない。
争点イ(甲状腺機能低下症に要医療性があるか。)について
判断を要しない。5
まとめ
本件控訴人A5申請に係る甲状腺機能低下症は放射線起因性の要件を満た
さない。
6控訴人A6
認定事実10
証拠(甲C15,控訴人A6本人のほか,掲記したもの)及び弁論の全趣
旨によると,以下の各事実が認められる。
ア被爆時の状況,被爆後の行動等
控訴人A6(当時1歳)は,昭和20年8月6日広島原爆が投下され
た当時,爆心地から約2.3km離れた広島市愛宕町の控訴人A6の母15
の実家建物(木造平屋建て)にいた。控訴人A6は,すぐに自宅の庭に
設けていた防空壕に避難した。
控訴人A6は,被爆の後,母親が実家近くの川に洗濯に行ったり,田
舎まで買い出しに行ったりする際,いつも背負われて一緒に出歩いてい
た。20
控訴人A6は,被爆後約半年の間,下痢及び発熱の症状があった。
イ申請疾病
控訴人A6は,昭和49年(当時30歳)頃,検診で高血圧を指摘さ
れた(乙C15の38)。この頃の血圧は,収縮期血圧が160~170
mmHg程度であった(乙C15の39〔1,8,32頁〕)。25
控訴人A6は,昭和62年(当時42歳),検診で血圧が収縮期血圧1
80~190mmHg,拡張期血圧120~130mmHgと高値であ
ったので,同年12月23日,広島大学病院第一内科を受診した。同日
の血圧は,収縮期血圧224mmHg,拡張期血圧132mmHgであ
り,入院して精査することになった。昭和63年1月4日外来受診時の
血圧も,収縮期血圧208mmHg,拡張期血圧118mmHgであっ5
た。(乙C15の39〔8,24頁〕)
控訴人A6は,昭和63年1月8日,広島大学病院第一内科に入院し
た。入院中,常塩,減塩及び増塩による血圧の変動を観察するとともに,
血漿レニン活性等が測定され,二次性高血圧の可能性が検討された。常
塩後,減塩後及び増塩後の各血圧(収縮期血圧/拡張期血圧)は,それ10
ぞれ138/93,131/80,158/98mmHg(平均108,
97,118mmHg)であった。控訴人A6は,血圧が塩化ナトリウ
ム(NaCl)の量に依存しており,二次性高血圧の可能性も除外され
たことから,本態性高血圧(食塩依存性高血圧)であると診断された。
そして,今後は食事において食塩を制限することが血圧を低く保つため15
に必要で,肥満もあるため体重を減らすこと(当時の身長157cm,
体重70kg)も大事であるなどと指導され,同年2月5日退院した(乙
C15の1〔329頁〕,乙C15の39〔7~9,13頁〕)。
控訴人A6は,広島大学病院第一内科を外来受診していたところ,昭
和63年5月頃,血圧のコントロールが不良(収縮期血圧180~2220
0mmHg,拡張期血圧100~140mmHg)であるとして,入院
を勧められたが,自己の都合で入院しなかった。
控訴人A6は,昭和63年12月26日(当時44歳),急性気管支炎
の加療及び高血圧コントロールの目的で広島大学病院第一内科に入院し
た(2回目)。入院中,カルシウム拮抗薬の投与のほか,約31%の肥満25
があるため,カロリー制限(1250kcal)及び減塩(7g)をし
たところ,外来受診時の血圧(収縮期血圧200~220mmHg,拡
張期血圧110~140mmHg)が徐々に低下して,それぞれ160
~180mmHg,100~110mmHgとなった。カルシウム拮抗
薬に有意な血圧降下の効果が認められた。控訴人A6は,他の薬剤の効
果を確認するため外来受診を継続することとして,平成元年2月1日退5
院した。
なお,血液検査において,ヘモグロビンが10.7g/dℓ(女性の基
準値12g/dℓ以上〔乙C15の32〕,11~16g/dℓ〔乙C15
の33〕又は11.3~15.5g/dℓ〔乙B102〕),MCV(赤血
球の平均の大きさ)が82.6fℓ(同基準値80~100fℓ),MCH10
(赤血球1個に含まれるヘモグロビンの量)が27.4pg(同基準値
27~34pg)であったところ(乙C15の33),子宮筋腫等を疑わ
せる症状がなく,鉄欠乏性貧血として加療がされた。退院時のヘモグロ
ビンは11.0g/dℓであった。(乙C15の39〔3,4,24,2
7~29頁〕)15
控訴人A6は,平成元年6月頃から血圧が収縮期血圧200mmHg,
拡張期血圧130mmHgと上昇したため,同年8月1日から同年9月
18日まで,広島大学病院第一内科に入院した(3回目)。カルシウム拮
抗薬の投与により,投与前の血圧(収縮期血圧170mmHg,拡張期
血圧110mmHg)が徐々に低下し,それぞれ130~140mmH20
g,90~100mmHgと落ち着いた。控訴人A6は,平成元年9月
18日,胆のう摘出術のため同病院第二外科に転科し,同年10月24
日退院した。同病院第一内科入院中のヘモグロビンは,12.4(同年
8月25日)~13.4g/dℓ(同月2日)であった。(乙C15の3
9〔31~36頁〕)25
控訴人A6は,平成元年11月以降,広島大学病院第一内科を外来受
診していたが,血圧につき,収縮期血圧は190mmHg以上,拡張期
血圧は110mmHg以上などと高い状態が続き,平成2年9月27日,
高血圧治療目的で同科に入院した(4回目)ところ,食事制限,減塩及
び薬物投与の結果,収縮期血圧160mmHg程度,拡張期血圧100
mmHg程度までコントロールされ,同年10月29日退院した。入院5
中のヘモグロビンは,10.9g/dℓ(同月22日)~11.2g/d
ℓ(同月1日)であった。(乙C15の39〔37~49頁〕)
控訴人A6は,広島大学病院第一内科の外来受診を継続していた。平
成3年以降変動が大きいが,概ね,収縮期血圧が170mmHg以上,
拡張期血圧が110mmHg以上と,依然として血圧が高く,平成4年10
以降は胸痛を感じるようになった。そこで,控訴人A6は,平成4年7
月31日,虚血性心疾患の精査及び血圧コントロールの目的で同科に入
院した(5回目)。心臓カテーテルが実施され,狭心症と診断された。ま
た,鉄欠乏性貧血があるとされ,鉄剤が処方された結果,同年8月31
日,ヘモグロビンは9.9g/dℓとなった。血圧は,収縮期血圧が1415
0~150mmHg程度,拡張期血圧が100mmHg程度で安定し,
同年9月7日退院した。(乙C15の39〔52~70,73~78頁〕)
控訴人A6は,その後も概ね,収縮期血圧が180mmHg以上,拡
張期血圧が110mmHg以上と血圧が高く,平成6年9月16日,血
圧コントロール及び悪性腫瘍精査のため,広島大学病院第一内科に入院20
した(6回目)。入院時の血圧は収縮期血圧182mmHg,拡張期血圧
114mmHgであったが,減塩(7g)により1週間後にはそれぞれ
160mmHg,90mmHgに低下し,降圧薬の内服開始によりそれ
ぞれ140mmHg,80mmHg台で良好にコントロールされるよう
になった。悪性腫瘍の所見はなく,同年10月13日退院となった。入25
院中のヘモグロビンは,11.5g/dℓ(同月6日)~12.6g/d
ℓ(同年9月19日)であった。(乙C15の39〔67,71,72,
82~90頁〕)
控訴人A6は,広島大学病院第一内科の外来受診を継続していたが,
依然として,収縮期血圧が180mmHg以上,拡張期血圧が110m
mHg以上と血圧が高い状態が続いていた。5
控訴人A6の平成9年10月1日(当時53歳)の総コレステロール
は,253mg/dℓであった。血清クレアチニン0.75mg/dℓか
ら推算されるeGFRは62.8であった。ヘモグロビンは,12.8
g/dℓ(平成7年1月25日)等であり,異常値を示したことはなかっ
た。(乙C15の39〔84,91~108頁〕)。10
控訴人A6は,平成10年4月27日(当時53歳),突然呂律が回ら
なくなり,立ち上がろうとした時に,ふらつき及び左半身下肢の脱力を
認めて,転倒した。広島大学病院第一内科に救急搬送され,緊急入院と
なった(7回目)。入院時の血圧は,収縮期血圧220mmHg,拡張期
血圧110mmHgと高く,頭部CTにより右視床に出血巣の存在が確15
認され,脳出血と診断された。止血剤等の静脈注射がされたところ,症
状が改善したため,今後血圧をコントロールすることにより再出血を予
防することとして,同年6月3日退院した。左不全麻痺及び視床痛が残
存し,独歩は可能であるものの,跛行のため長距離の歩行は難しいとさ
れた。(乙C15の39〔109~114,138頁〕)20
控訴人A6は,広島大学病院第一内科の外来受診を継続していた。血
圧は,変動が大きいものの,概ね,収縮期血圧が140mmHg以上,
拡張期血圧が90mmHg以上であり,以前の測定値と比べて低めにコ
ントロールされていた。
控訴人A6は,平成11年3月17日(当時54歳)の血液検査の結25
果,クレアチニンは0.76mg/dℓであり,推算されるeGFRは6
1.6であった。同様に,平成12年3月15日(当時55歳),クレア
チニン0.83mg/dℓから推算されるeGFRは55.7であり,総
コレステロールは237mg/dℓであった。(乙C15の39〔117
~125頁〕)
控訴人A6は,平成13年2月19日(当時56歳),広島大学病院放5
射線部において頭部単純MRI検査を受けたところ,古い出血巣のほか,
両大脳白質等の広範囲に虚血性病変を示唆する高信号域が認められたと
して,多発性脳梗塞,陳旧性右視床出血と診断された。血圧は,収縮期
血圧が120~150mmHg程度,拡張期血圧が70~90mmHg
程度までにコントロールされていたが,徐々に上昇するようになった。10
(乙C15の39〔125~136,141頁〕)
控訴人A6は,平成15年8月27日(当時59歳)の血液検査の結
果,クレアチニンは0.79mg/dℓであり,推算されるeGFRは5
7.6であった。同様に,平成16年2月9日の同検査の結果,クレア
チニン0.77mg/dℓから推算されるeGFRは59.2であった。15
また,総コレステロールは,平成16年8月25日は279mg/d
ℓ,平成17年1月14日は232mg/dℓであったが,正常範囲内を
示したこともあった。(乙C15の39〔137頁〕)
控訴人A6は,血液検査において原発性アルドステロン症の疑いがあ
るとして,平成17年1月13日(当時60歳),広島大学病院第一内科20
に入院した(8回目)。入院時の血圧は収縮期血圧154mmHg,拡張
期血圧66mmHgであった。同月18日の血液検査の結果,クレアチ
ニンは0.79mg/dℓであり,推算されるeGFRは57.3であっ
た。また,総コレステロールは232mg/dℓであった。
控訴人A6は,入院中に各種試験及び副腎静脈サンプリング(前提事25
を受け,原発性アルドステロン症(アルドステロン産生腺種)
と確定診断された。そして,治療の第一選択は腫瘍摘出手術であるが,
血圧コントロールが良好であり,画像上明らかな線種が指摘されないこ
とから,自宅での血圧観察を続けることになり,同年2月9日退院した。
その後,控訴人A6の血圧は低下し,平成18年後半以降,収縮期血
圧は100~110mmHg程度,拡張期血圧は60~70mmHg程5
度でそれぞれ推移するようになった。(乙C15の1〔343,344頁〕・
39〔138~148頁〕)
控訴人A6は,平成18年4月21日(当時61歳),広島赤十字・原
爆病院放射線科において頭部単純MRI検査を受けたところ,深部白質
を中心に高信号域が広がり,慢性虚血が推測されるとされ,右視床出血10
後遺症,多発性脳梗塞と診断された。
平成19年4月9日(当時62歳)の頭部単純MRI検査では,新た
な狭窄や動脈瘤は認められないとされ,右視床出血後ラクナ梗塞と診断
された。(乙C15の1〔330,331,340頁〕・40)
控訴人A6が平成18年4月24日に受けた血液検査の結果,ヘモグ15
ロビンは12.3g/dℓであり,同様に,同年7月7日は11.4g/
dℓ,平成20年10月28日は12.2g/dℓであった。控訴人A6
は,平成7年以降,鉄剤の服用をしていない。(乙C15の1〔329,
330,345頁〕・12〔357頁〕)
控訴人A6は,平成18年7月7日(当時62歳),広島赤十字・原爆20
病院腎臓内科において,腎不全が認められるとされ,尿蛋白は陰性であ
ったが両腎ともに軽度の萎縮があった(乙C15の40)。
広島大学病院腎臓内科においては,平成19年10月15日,腎機能
には問題がないとされた(乙C15の39〔145頁〕)。
控訴人A6は,平成19年9月25日(当時63歳),広島赤十字・原25
爆病院において,甲状腺機能検査を受けたところ,FT4が0.73n
g/dℓ(基準値0.70~1.48ng/dℓ),FT3が1.66pg
/mℓ(同1.71~3.71pg/mℓ),TSHが6.87μU/mℓ
(同0.35~4.94μU/mℓ)とFT3及びTSHが異常値であり,
チラーヂンSの投与が開始された(甲C15の3,乙C15の36)。
控訴人A6は,平成19年10月2日,広島赤十字・原爆病院におい5
て,再度甲状腺機能検査を受けたところ,FT4が0.70ng/dℓ,
FT3が1.61pg/mℓ,TSHが7.6μU/mℓであった。(乙C
15の12〔357,372頁〕)
控訴人A6は,チラーヂンSを1日50μg服用していたところ,平
成22年3月23日,広島赤十字・原爆病院において受けた甲状腺機能10
検査の結果は,FT4が1.31ng/dℓ,FT3が2.76pg/m
ℓ,TSHが0.12μU/mℓであった(乙C15の12〔370,3
71頁〕)。
ウ生活習慣
控訴人A6は,これまでに喫煙をしたことはない。病歴要約(乙C1515
の39〔138頁〕)には,平成17年2月時点において,日本酒1日1合
40年間の飲酒歴,1日5本以上50年間の喫煙歴があったとする記載が
あるが,第一内科外来カルテ(乙C15の39〔1頁〕),退院時所見(同
〔32頁〕)ほかに同旨の記載はなく,控訴人A6も否定する供述(19頁)
をしていることから,上記喫煙歴に関する記載は誤記と認められる。20
エ事実認定の補足説明
控訴人A6は,被爆当時の記憶はなく,被爆時の状況,被爆後の行動に
関する供述は全て母親からの伝聞に基づくものであるが(控訴人A6本人
〔1頁〕),急性症状に関し,脱毛があったとする点以外は一貫性があり(脱
毛があったとする点は,異議申立書〔乙C15の20〕に記載がなく,一25
貫性があるとはいい難い。),その内容も不自然な部分はなく,信用性を減
殺すべき客観的証拠の存在も認められないから,上記アのとおり認定する
ことができる。黒い雨に遭ったことは,控訴人A6が尋問において否定す
る供述をしているから(4頁),認めることはできない。
放射線起因性があるか。)について
ア被曝の程度5
控訴人A6の被曝線量は,初期放射線につき,爆心地から約2.3k
mの木造建物内で被爆したとして,DS02によれば,約0.0177
8グレイと推定される(乙C15の30)。
しかし,控訴人A6は,被爆時1歳と極めて若年であり放射線感受性
が高いと考えられるところ,被爆後の行動や,下痢及び発熱の症状が現10
れたことも併せ考慮すると,健康に対する影響があり得る程度の線量の
放射線に外部被曝及び内部被曝をしたものと認めるのが相当である。
これに対し,被控訴人は,控訴人A6がおよそ0.1グレイを上回る
被曝をしたとは考え難い旨を主張するが,誘導放射化された物質や放射
性降下物による外部被曝や内部被曝を軽視している点において相当でな15
いというべきである。被控訴人の上記主張は,採用することができない。
イ高血圧症と放射線被曝との関連性
控訴人A6の申請疾病の一つは高血圧症であるところ,
イのとおり,高血圧と放射線被曝との間の関連性があることを示唆する
疫学的知見があるものの,その程度は限定的であることが認められる。20
なお,高血圧につき,本態性高血圧と二次性高血圧に区別して,放射線
被曝との関連性を検討した知見は見当たらない。
ウ他の原因(危険因子)
控訴人A6は原発性アルドステロン症と診断されたのであり
,控訴人A6の高血圧は二次性である。原発性アルドステロン症の原因25
は副腎の病変(腫瘍又は過形成)であり,その成因は不明であるとされる

エ判断
以上のとおり,控訴人A6は,健康に対する影響があり得る程度の線量
の放射線に被曝したものと認められる。しかし,その高血圧が本態性であ
れ二次性(原発性アルドステロン症)であれ,放射線被曝との間に関連性5
があるとしてもその程度は限定的なものと考えられるところ,控訴人A6
の放射線被曝が高血圧を発症させる程度に高線量であったとは認め難い。
よって,本件控訴人A6申請に係る高血圧症については,放射線起因性
があるとは認められない。
)について10
判断を要しない。
争点ウ(脳出血後遺症及び脳梗塞にそれぞれ放射線起因性があるか。)
について
ア被曝の程度
認定説示のとおりである。15
イ脳出血及び脳梗塞と放射線被曝との関連性
控訴人A6の申請疾病に脳出血後遺症及び脳梗塞があるところ,脳出血
及び
梗塞と比較すると相対的に程度が低いものの,一般的な関連性があること
が認められる。20
ウ他の原因(危険因子)
控訴人A6は,当初,本態性高血圧と診断され,高血圧の加療目的によ
る入院を繰り返し,外来受診も継続していたところ,高血圧の程度も非常
に高く,期間もかなり長期に及んだのであり,脳出
血及び脳梗塞(ラクナ梗塞)に共通する最大の危険因子25
があった。また,控訴人A6の原発性アルドステロン症も,脳出
血及び脳梗塞の危険因子である)。他方,控訴人A6は,腎不全
(CKD)があったが,その程度は軽度ないし中等度の腎機能の低下にす
ぎず,脳卒中(女
性では特に脳梗塞)の危険因子としてさほど重くみることはできない。脂
質異常症も同様であり,総コレステロールが基準値を上回ることがあった5
ものの,重くみることは相当でない。
なお,控訴人A6は,慢性腎臓病(CKD)及び脂質異常症に放射線被
曝が関与している旨を主張する。CKDについて,世羅至子(放影研)ほ
か「原爆被爆者における慢性腎臓病と心血管疾患危険因子との関連」(甲B
47の9,乙B259,260)は,慢性腎臓病と放射線量との間に関連10
があり(1グレイ当たりのオッズ比1.29,P値=0.038,95%
信頼区間1.01~1.63),重度腎機能障害(ただし,対象者が16人
と少数であった。)にあっては強い関連がある(1グレイ当たりのオッズ比
3.19,P値<0.001,95%信頼区間1.63~6.25)など
と報告する。しかし,上記説示のとおり,控訴人A6のCKDは軽度ない15
し中等度の腎機能低下にすぎず,脳出血及び脳梗塞の危険因子として有力
なものとは考えられない。脂質異常症についても
関連性の存在を示唆する疫学的知見があるものの,その程度は限定的であ
ると認められる上,控訴人A6の総コレステロール値からすると,上記危
険因子として有力であるということはできない。20
エ判断
控訴人A6は,健康に対する影響があり得る程度の線量の放射線に被曝
したものと認められる。しかし,控訴人A6は,脳出血及び脳梗塞の最大
の危険因子である高血圧症に罹患していたのであり,その程度及び期間を
考慮すると,高血圧症が脳出血及び脳梗塞の発症に大きく寄与したものと25
して重く考えざるを得ない(控訴人A6の高血圧それ自体の放射線起因性
が否定されることは,A6の被曝線
量が高いとまでは評価できないことや放射線被曝との関連性の程度に照ら
すと,控訴人A6は,もっぱら高血圧等の他の原因により脳出血及び脳梗
塞を発症した可能性があると合理的に考えることができる。被爆時年齢が
極めて若年であったこと等の事情を考慮しても,控訴人A6において放射5
線被曝により脳出血及び脳梗塞を発症したことを是認し得る高度の蓋然性
が証明されたものということはできない。
よって,本件控訴人A6申請に係る脳出血後遺症及び脳梗塞については,
いずれも放射線起因性があるとは認められない。
争点後遺症及び脳梗塞にそれぞれ要医療性があるか。)につ10
いて
いずれも判断を要しない。
争点オ(本件控訴人A6申請時において貧血に罹患していたか。)につ
いて
控訴人A6は,貧血に罹患している旨を主張する。15
しかし,控訴人A6のヘモグロビンは,のとおりであ
り,控訴人A6は,以前に鉄欠乏性貧血の診断及び治療を受けたことがあっ
たものの,貧血を申請疾病とする本件控訴人A6申請時(平成18年11月
9日)においては,ヘモグロビンの値が貧血の基準値を満たしているとは認
められない。広島大学病院のC14医師は,上記申請に係る認定申請書に添20
付された意見書(乙C15の1〔329頁〕)に,疾病等の名称として貧血と
記載し,その説明として,ヘモグロビンが11.6g/dℓと軽度に低値であ
るが鉄剤の内服なしに維持することができている旨を記載するところ,上記
11.6g/dℓも,東京大学医学部附属病院検査部「血液検査の参考基準値
表(主要検査項目のみ)」(平成23年6月改訂)(乙B102)による基準範25
囲(11.3~15.5g/dℓ)内の値であり,同記載によっても罹患の事
実は認められない。このほか,同事実を認めるに足りる証拠はない。
要医療性があ
るか。)について
いずれも判断を要しない。
争点ク(甲状腺機能低下症に放射線起因性があるか。)について5
ア被曝の程度
認定説示のとおりである。
イ甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性
控訴人A6の申請疾病の一つは甲状腺機能低下症であるところ,上記
甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性10
については,一定程度の低線量域も含めて,一般的に肯定することがで
きる。
被控訴人は,控訴人A6は潜在性甲状腺機能低下症であるとした上,
潜在性甲状腺機能低下症と放射線被曝との間に関連性はない旨を主張す
る。15
しかし,控訴人A6のチラーヂン投与前におけるFT4,FT3及び
FT3及びTSHがいずれも異常値であ
FT4も,
同aの基準値を満たさない。),控訴人A6は顕性甲状腺機能低下症に罹
患していたと認められる。被控訴人の上記主張は前提を欠き,採用する20
ことができない。
ウ他の原因(危険因子)
控訴人A6は,63歳頃に甲状腺機能低下症を発症したと推認されると
ころ(上記),好発年齢で発症したといえる。また,女性に多い疾患
控訴人A6は女性であり,これらの25
危険因子を有していたということができる。
エ判断
控訴人A6は,健康に対する影響があり得る程度の線量の放射線に被曝
したものと認められる。甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性につい
ては,一定程度の低線量域も含めて,一般的に肯定することができるとこ
ろ,控訴人A6は,被爆時1歳と極めて若年であり,放射線に対する感受5
性が高かったといえる。そうすると,控訴人A6の性別及び甲状腺機能低
下症を発した年齢を考慮しても,放射線被曝の影響が否定されるとはいい
難く,放射線に被曝したことにより発症したものと見るのが合理的である
ということができる。
よって,本件控訴人A6申請に係る甲状腺機能低下症については,放射10
線起因性があると認められる。
争点)について
控訴人A6は,申請疾病を甲状腺機能低下症とする本件控訴人A6申請時
(平成20年12月15日)において,チラーヂンSを服用しており(乙C
15の12〔356・357頁〕),当該治療が必要な状態が続いていたとい15
えるから,本件控訴人A6申請に係る甲状腺機能低下症については,要医療
性があると認められる。
まとめ
本件控訴人A6申請に係る貧血については罹患していたとは認められず,
高血圧症,脳出血後遺症及び脳梗塞についてはいずれも放射線起因性の各要20
件を満たさないが,甲状腺機能低下症については放射線起因性及び要医療性
の各要件をいずれも満たしていたものと認められる。上記申請を却下した処
分のうち,申請疾病を甲状腺機能低下症とする部分は違法である(この点に
限っては,争点3につき判断するまでもない。)。
7控訴人A725
認定事実
証拠(第3事件甲C16の1,控訴人A7本人のほか,掲記したもの)及
び弁論の全趣旨によると,以下の各事実が認められる。
ア被爆時の状況,被爆後の行動等
控訴人A7(当時7歳)は,昭和20年8月6日広島原爆が投下された
当時,爆心地から約30km離れた広島県賀茂郡原村にいた。控訴人A75
は,当時,母G4及び姉G2とともに縁故疎開していた。(第3事件乙C
1の1〔159,168頁〕)
控訴人A7は,父G3,姉G5及び兄G1との連絡が取れなかったとこ
ろ,G1は,昭和20年8月11日,広島の様子を知らせるため,原村を
訪れた。控訴人A7は,翌12日,G1に連れられて,G2とともに,早10
朝原村を出発し,徒歩で広島市内に向かった(G4は寝込んでいたため同
行することができなかった。)。同日午後5時頃に同市猿猴橋町(爆心地か
ら約1.8km)の自宅があった場所(自宅は壊れて瓦礫が散乱してい
た。)に到着し,その後,避難所となっていた近くの信用金庫において,
G3及びG5と会った。その夜は,牛田新町(爆心地から約2.5km)15
のG3の知人宅に宿泊した。(第3事件甲C16の2,同事件乙C1の1
〔150,153,158,159,161,162,166,168~
174頁〕)
控訴人A7は,昭和20年8月13日,G2とともに,同人の同級生を
見舞うため,宇品町にある広島県立広島第二高等女学校(爆心地から約20
3.3km)を訪れ(第3事件乙C16の12),同日夜は信用金庫に泊
まった。
控訴人A7は,同月14日,G1,G5及びG2とともに,疎開先の原
村に戻った。(第3事件乙C1の1〔162,167,169~173頁〕)
イ申請疾病25
控訴人A7は,平成5年1月頃から呼吸が苦しくなり,又は負荷がか
かると胸が締めつけられることが2~3分続くようなことがあった。そ
して,控訴人A7は,同年2月27日(当時55歳),急性心筋梗塞を発
症し,広島市民病院に救急搬送され,即日入院した。入院中に,血栓溶
解療法及び経皮的冠動脈形成術を受け,同年3月25日退院した。(第3
事件乙C1の1〔154,155頁〕,16の11〔1~29頁〕)5
控訴人A7は,平成11年2月23日(当時61歳)にも,広島市民
病院において経皮的冠動脈形成術を受けた(第3事件乙C1の1〔15
4頁〕)。
ウ生活習慣
喫煙10
控訴人A7は,昭和32年(当時20歳)頃から数十年もの間,1日
20~30本もの喫煙をしていた。控訴人A7は,平成5年心筋梗塞を
発症して入院中
あり,平成19年5月時点でも,1日3~4本の喫煙をしていた。(第3
事件乙C16の11〔3,27,36,37,40頁〕)15
脂質異常症(高脂血症)
控訴人A7は,平成5年4月21日に受けた血液検査の結果,総コレ
ステロールが328mg/dℓ,LDLコレステロールが248.4mg
/dℓ(計算により算出),HDLコレステロールが32mg/dℓ,トリ
グリセライドが238mg/dℓであり,高脂血症と診断された。治療薬20
メバロチンの処方が開始され,同年8月11日には同シンレスタールも
追加処方されるようになった。しかし,平成11年2月23日に2回目
の経皮的冠動脈形成術を受けるまでの間,トリグリセライドは基準値上
限程度にまで低下したが,総コレステロール及びLDLコレステロール
はいずれも異常値(高値)が続き,基準値を大幅に上回ることもあった25
(平成10年5月27日は,総コレステロールが291mg/dℓ,LD
Lコレステロールが224.8mg/dℓ〔計算により算出〕であった。)。
HDLコレステロールもずっと異常値(低値)であった。(第3事件乙C
16の11〔28,29,33,69,70,73~75頁〕)
エ事実認定の補足説明
控訴人A7は,昭和20年8月13日以降,毎日のように袋町や十日5
市町の親戚を訪ねるなどしていたのであり,同月14日に原村に戻った
ことはなかった旨を主張する。これに沿う証拠として,認定申請書(第
3事件乙C16の1〔150~153頁〕),異議申立書(同事件乙C1
の6),陳述書(同事件甲C16の1)及び控訴人A7本人の供述がある。
しかし,G2は,自身及び控訴人A7の各被爆者手帳交付申請手続に10
係る広島市による入市者面接聴取において,入市した日につき,昭和2
0年8月12日から同月14日までの3日間であり,入市日を覚えてい
る理由につき,終戦の前日に広島市内から原村に帰ったところ,3日間
同市内にいたので,逆算すると同月12日に入市したこととなるとし,
同行者につき,G1及び控訴人A7と3人で終始行動を共にしたと回答15
した。また,G2は,「8/14に姉G5,弟,兄G1と4人で帰った(帰
りはリヤカーを引いて帰った)」,「8/15に疎開先で人より終戦を聞い
た(玉音放送は聞いていない)」などとも回答した(第3事件乙C1の1
〔170,171頁〕)。これらの回答内容は具体的であり何ら不自然な
点は見受けられない。控訴人A7は,上記回答中の昭和20年8月1420
日に帰ったとする場所は広島市猿猴橋町の自宅(跡地のバラック)であ
る旨を主張する。しかし,控訴人A7と終始行動を共にしていたG2が
同月15日に疎開先で終戦を聞いたとの上記回答と整合しない。広島市
は,上記各申請手続に係る審査として,G5からも事情を聴取したとこ
ろ,G5も,G2及び控訴人A7がG1に連れられて疎開先から広島市25
内に帰って来て,数日間市内に滞在したと述べたのであって(第3事件
乙C1の1〔173頁〕),G2の上記回答と整合する一方で,控訴人A
7の上記供述等とそぐわない。控訴人A7の入市後の行動につき,同月
14日までの行動は,G2の同級生を含む控訴人A7以外の第三者が関
与して作成された証拠による裏付けがあるが(同〔166~174頁〕),
同月15日以降の行動に関しては,控訴人A7の供述及びその記憶に基5
づき本件控訴人A7申請以降に作成されたもの以外の証拠は存在してい
ない。そして,控訴人A7の主張及び供述によれば,同人は,同月13
日以降爆心地にかなり近接した地区を何度も通行し,相生橋の欄干に腐
乱した死体が引っ掛かっているのを目撃したなど極めて衝撃的な経験を
したというのであるが(第3事件甲C16の2,控訴人A7本人〔1010
頁〕),自身の被爆者健康手帳交付申請書(平成元年7月14日付け)中
の,初めて入市した日を除く最初の2日間の経過を記載するよう指定さ
れた欄に,同月12日(初めて入市した日)及び同月13日の経過とし
て,いずれもG2の上記回答に沿う内容を記載し,同月14日の経過に
ついては何ら記載しなかったのであり(第3事件乙C1の1〔161,15
162頁〕),同月13日以降,控訴人A7が上記主張するような行動を
とっていなかったことをうかがわせる。これらからすると,上記
とおり,控訴人A7は,同月14日に原村に戻ったと認めることができ
るのであり,これに反する控訴人A7の供述等の証拠は採用することが
できない。20
控訴人A7は,発熱,下痢等の急性症状があった旨も主張し,これに
沿う供述をする(第3事件甲C16の1,控訴人A7本人〔13,21
頁〕)。
しかし,控訴人A7自身が作成した被爆者健康手帳交付申請書におい
て,6か月以内に現れた症状につき,「発熱」,「下痢」,「脱毛」といった25
選択肢があるにもかかわらず,「なにもなかった」を選択しているのであ
り(第3事件乙C1の1〔159頁〕),これに反する控訴人A7の上記
主張は採用し難い。なお,この点につき,控訴人A7は,被爆者健康手
帳交付申請書の作成をG2に代行してもらったため,G2の誤った記憶
に基づき記載された旨を主張する。しかし,本件控訴人A7申請に係る
認定申請書の控訴人A7の自署(第3事件乙C1の1〔150頁〕)と上5
記交付申請書における同人名義の署名は,その各筆跡がよく似ている。
これと対比してG2の筆跡を検討すると,同人の自署(同〔165,1
69頁〕)においては,例えば「新」の13画目がほぼ垂直に下ろされ,
終点が止められているのに対し,上記交付申請書に記載された「G2」
(同〔162頁〕)中の「新」の13画目は,左に反れて払うような記載10
がされている。上記交付申請書が控訴人A7でなくG2により作成され
たとは考え難い。加えて,直接被爆者でなければ申請できないと思って
交付を申請してこなかったが,健康に不安を感じて強い思いをもって上
記交付申請書を提出した(第3事件乙C1の1〔158頁〕)という控訴
人A7が,上記症状の有無に関心を払わずにG2に任せ切りにしていた15
とも考え難く,控訴人A7において自ら上記交付申請の手続ができなか
ったことをうかがわせる事情も見当たらない。上記のとおり,上記交付
申請書は控訴人A7が自ら作成したものと認めることができる。このほ
か,控訴人A7は,本人尋問において脱毛があった旨の供述をした(1
4頁)が,同控訴人の訴状及び陳述書(第3事件甲C1620
の1)のいずれにも脱毛の記載がなく,主張,陳述と供述の変遷につき
首肯するに足りる説明はない。以上を総合すると,控訴人A7に急性症
状があったとの主張は採用することができない。
放射線起因性があるか。)について
ア被曝の程度25
控訴人A7は,広島原爆投下の当時,爆心地から約30kmも離れた原
村にいたのであり,初期放射線による被曝をしたとは認められない。そし
て,控訴人A7が入市したのは上記投下から6日が経過した後の昭和20
年8月12日夕方から同月14日までの実質的に2日間程度にすぎず,こ
の間に,爆心地付近に接近したとも認められない。被爆後の急性症状がな
かったことも併せ考慮すると,控訴人A7の被爆線量はごく微量にすぎず,5
人体に健康影響が及ぶ程度に達していたといえるかは,極めて懐疑的に考
えざるを得ない。
イ心筋梗塞と放射線被曝との関連性
控訴人A7の申請疾病は心筋梗塞であるところ,
のとおり,心筋梗塞と放射線被曝との間には一般的な関連性があることが10
認められる。
ウ他の原因(危険因子)
上記第1の4のとおり,心筋梗塞につき,その
原因である動脈硬化との関連が深い,喫煙及び脂質異常症が危険因子で
あり,加齢とともに発症率が増加し,危険因子が重積することにより,15
リスクが急激に高まるとされている。
控訴人A7は,心筋梗塞を発症した当時,20歳頃からの長期に及ぶ
1日20~30本もの喫煙歴があり,脂質異常症の程度も,
正常範囲から大幅に逸脱する重度のものであった。
控訴人A7は,心筋梗塞の発症時,危険因子が重積している状態であ20
った。
控訴人A7は,喫煙の影響は,禁煙により比較的短期間に非禁煙者と
同程度まで解消する旨を主張するが,そもそも控訴人A7は,心筋梗塞
を発症するまで禁煙していないのであり,採用することが
できない。25
また,控訴人A7は,脂質異常症に放射線被曝が関与している旨を主
張するが,
があるものの,その程度は限定的であると認められる。
そして,控訴人A7は,喫煙及び脂質異常症は疫学研究に織り込み済
みであり,放射線被曝によるリスク推定ににほとんど影響を及ぼさない
であり採用することがで5
きず,長年にわたる喫煙歴があるなど個別具体的な事例において当該疾
病が他の危険因子によって発症したものとみることが否定されるべきも
のではない。
エ判断
そもそも控訴人A7は,健康に対する影響があり得る程度の線量の放射10
線に被曝したとは認め難い。心筋梗塞は,一般的に放射線被曝との関連性
がある疾病であるものの,控訴人A7において,心筋梗塞の発症に影響を
与える程度の放射線に被曝したといえるかどうかは疑問がある。むしろ,
控訴人A7が心筋梗塞の危険因子を重積的に有していたこと(控訴人A7
の脂質異常症は,その被曝線量の程度からすると,放射線被曝との関連性15
の存在を肯定するとしても,これにより引き起こされたとは認め難い。)に
照らすと,発症年齢が比較的低年齢であったことを考慮しても,もっぱら
他の原因により発症した可能性を合理的に否定することができず,控訴人
A7において放射線被曝により心筋梗塞を発症したことを是認し得る高度
の蓋然性が証明されたものということはできない。20
よって,本件控訴人A7申請に係る心筋梗塞については,放射線起因性
があるとは認められない。
争点イ(心筋梗塞に要医療性があるか。)について
判断を要しない。
まとめ25
本件控訴人A7申請に係る心筋梗塞は放射線起因性の要件を満たさない。
8控訴人A8
認定事実
証拠(第3事件甲C17の1・3,控訴人A8本人)及び弁論の全趣旨に
よると,以下の各事実が認められる。
ア被爆時の状況,被爆後の行動等5
控訴人A8(当時16歳)は,昭和20年8月6日広島原爆が投下さ
れた当時,学徒動員で爆心地から約4.1km離れた広島市南観音町の
三菱重工の製缶工場内にいた。工場の窓ガラスが割れ,屋根や外壁のス
レートが飛び散ったが,怪我はしなかった。(第3事件乙C2の1〔63
3,634,641,644頁〕・8)10
控訴人A8は,各自で避難するようにとの指示が出たことから,西大
橋(爆心地から約2.2km),旭橋(同約2.4km)を渡り,己斐方
面に逃れた。その後,庚午付近でトラックに乗せてもらい,廿日市駅か
ら汽車に乗って,午後7時頃,大竹市内の自宅に帰り着いたが,その途
中黒い雨を浴びた。(第3事件甲C17の2,同事件乙C2の1〔634,15
644頁〕・8)
控訴人A8は,昭和20年8月8日午前8時頃上記製缶工場に出勤す
ると,己斐の旭山に行くよう指示されたが,広島市楠木町(爆心地から
約1.4km)在住の伯父家族の安否が気がかりで,旭山には行かず,
その安否を確認することとした。伯父も当時三菱重工の購買部に動員さ20
れており,控訴人A8は,伯父が通勤途中に被爆したものと考え,楠木
町に向かい,途中,観音橋(同約1.7km),十日市町(同約0.7k
m),横川橋(同約1.2km)を通過して救護所を巡り,瀕死の人に触
れるなどして伯父を探した。控訴人A8は,午後6時頃,横川駅(同約
1.7km)から汽車に乗って自宅に帰った。25
控訴人A8は,昭和20年8月9日も同様に,伯父を捜して,横川駅
を起点に伯父一家の自宅周辺や付近の救護所等を訪ねたが,同月10日
から同月18日までは,午前中を中心に,かねて指示を受けていた旭山
で木材運搬の作業に従事した。旭山は黒い雨の降った地域である。(第3
事件甲C17の2,6,同事件乙C2の1〔635頁〕・7)
控訴人A8は,昭和20年8月下旬以降,全身のだるさ,血便,下痢5
及び39度前後の発熱等の症状が現れた。これらの症状はそれぞれ約5
日間続いた。(第3事件乙C2の1〔636頁〕)
イ申請疾病
控訴人A8は,平成20年9月25日(当時79歳),心筋梗塞を発症し
た。控訴人A8は,同月29日にC15内科胃腸科を受診し,C15医師10
の診察を受けたところ,心筋梗塞の所見がみられたため,精査のため広島
市民病院を紹介された。
控訴人A8は,平成20年10月8日広島市民病院に入院し,カテーテ
ル検査を受けたところ,右冠動脈が99%,左冠動脈が75%,それぞれ
閉塞していた。同月9日に経皮的冠動脈形成術が施行された。同月15日15
に広島市民病院を退院し,以降,C15内科胃腸科で内服による通院治療
を受けている。(第3事件乙C2の1〔639,648,653頁〕,17
の17〔1頁〕)
ウ生活習慣等
喫煙20
控訴人A8は,昭和47年(当時35歳)頃から約28年間,1日1
5~25本程度の喫煙をしていた(第3事件乙C17の17〔4頁〕)。
脂質異常症(高脂血症)
控訴人A8は,昭和47年頃高脂血症と診断された(第3事件乙C1
7の17〔3頁〕・18〔18頁〕)。25
控訴人A8は,平成10年8月26日,健康管理手当の支給を申請す
るため,広島市民病院を受診した。血液検査の結果,総コレステロール
が246mg/dℓ,LDLコレステロール158.4mg/dℓ(計算
により算出),HDLコレステロールが47mg/dℓ,トリグリセライ
ドが203mg/dℓであり,同月31日,ローコールが処方された(第
3事件乙C17の18〔10,17,18頁〕)。5
控訴人A8は,平成12年1月29日,風邪の症状を訴えて広島市民
病院を受診した。血液検査の結果は,総コレステロールが231mg/
dℓ,LDLコレステロール138.4mg/dℓ(計算により算出),H
DLコレステロールが41mg/dℓ,トリグリセライドが258mg/
dℓであった(第3事件乙C17の18〔10,17頁〕)。同年4月2210
日,内服薬(エパデール)の処方が開始された(第2事件乙C7の20,
第3事件乙C17の18〔15頁〕)。
以降,心筋梗塞の発症までの間,LDLコレステロール及びHDLコ
レステロールは,それぞれ一時的に基準範囲を上回り,又は下回ること
があったが,その程度はわずかであり,概ね基準範囲内にコントロール15
されていた。しかし,トリグリセライドは,一時的に基準範囲内となっ
たことがあるものの,平成14年以降は概ね200mg/dℓを上回る値
で推移し,平成19年7月17日には315mg/dℓとなって,同年1
1月22日に内服薬(トライコア)が追加処方された。なお,同年10
月21日から心筋梗塞発症までは基準範囲内であった。(乙B178,第20
3事件C17の18〔6,8~11,14頁〕)
動脈硬化の進行
控訴人A8は,平成20年10月10日,足関節上腕血圧比検査を受
けた。同検査の正常値は1.0~1.3であり,0.9以下の場合,主
幹動脈の狭窄・閉塞が示唆され,0.91~0.99の場合,脳心血管25
リスクの観点でのボーダーラインとされる(乙B178〔資料9〕)。検
査の結果,右足の値は1.19であったが,左足の値は0.69であっ
た。この結果に基づき,入院診療録に,右下肢閉鎖性動脈硬化症の疑い
との病名(左下肢閉鎖性動脈硬化症の誤記と解される。)が記載された。
(第3事件乙C2の1〔662頁〕,17の17〔7,10頁〕)
平成21年4月15日及び同年12月14日に受けた足関節上腕血圧5
比検査も,左足の値は0.7であった。(第3事件乙C2の1〔668頁〕,
17の17〔13,16頁〕)
エ事実認定の補足説明
控訴人A8は,広島原爆投下の当時,工場の外(屋外)にいた旨を主
張し,これに沿う証拠として,陳述書(第3事件甲C17の1)及び控10
訴人A8本人の供述がある。しかし,控訴人A8は,昭和48年2月5
日付け被爆者健康手帳交付申請書(第3事件乙C2の1〔644頁〕)に,
「屋内」又は「屋外」の選択肢がある被爆の状況欄につき「屋内」に該
当するとした上で,さらに「木造」,「コンクリート」又は「石造」から
選択することとされた部分に「スレート」と記載したのであり,屋外に15
いたとの上記主張は採用することができない。控訴人A8は,上記申請
書に「屋根外壁のスレートが飛散りました」と記載したことから,外壁
等が見える場所である屋外で被爆したとも主張するが,ガラスが割れた
窓を通して屋内からも外壁等の飛散状況が見えた,又は屋外に出た後に
同状況を見たことが推測されるのであり,同記載によって控訴人A8が20
被爆時に屋外にいたとはいえない。控訴人A8が上記当時に負傷したと
の主張も,上記申請書に,「けがは有りませんでした。」と明記したこと
から,採用することができない。
他方,被控訴人は,控訴人A8が黒い雨を浴びた事実,昭和20年8
月8日以降に入市した事実及び急性症状があった事実を否認する。しか25
し,控訴人A8は,広島原爆の投下後,帰宅するまでの間に,黒い雨が
降った地域を通過して帰宅している。被控訴人は,入市及び
急性症状につき,上記申請書に各記載がないことを指摘するが,同申請
書は,書式上,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(昭和32年法律
第41号)2条1号の直接被爆者に該当するとして行う申請の場合(被
爆者援護法制定附則3条1号,4条参照),入市及び急性症状の各記載を5
求めていなかったのであるから,同各記載がないからといって,入市及
び急性症状の各事実がなかったとはいえない。黒い雨を浴び,入市し,
急性症状が生じた事実に関する控訴人A8の主張及び供述は,平成21
年2月16日に本件控訴人A8申請がされた時点から概ね一貫しており,
その内容も具体的で特段不自然な点が見当たらないことからすると,こ10
れを信用することができる。
控訴人A8は,昭和47年頃虚血性心疾患と診断された旨を主張し,
これに沿う証拠として,C15医師が作成した意見書及び健康診断個人
票(第3事件乙C2の1〔639,640頁〕),控訴人A8本人の供述
(14頁)がある。15
しかし,C15内科胃腸科における平成10年8月26日の診療録に,
既往症として,控訴人A8が昭和47年頃に虚血性心疾患に罹患してい
たとの趣旨の記載があるとは認められない(乙C17の18〔18頁〕)。
また,控訴人A8が平成20年10月8日心筋梗塞の検査を受けるため
に広島市民病院を受診した際に作成した問診票にも,既往症として,昭20
和47年頃盲腸,同年頃から高脂血症,平成20年6月前立腺炎の各記
載はあるものの,昭和47年頃虚血性心疾患に罹患したとは記載してい
ない(乙C17の17〔3頁〕)。虚血性心疾患の疾病としての重大性(前
に鑑みると,控訴人A8が真実虚血性心疾患に罹患し
ていたとしたら,このことを心筋梗塞の検査に当たる医師に申告しなか25
ったとは考え難い。これらの記載と相反するC15医師の上記意見書等
及び控訴人A8の供述は信用することができず,上記主張は採用するこ
とができない。
控訴人A8は,1日5本程度の喫煙をしていたが,昭和32年(当時
35歳)頃に禁煙した旨を主張する。確かに,平成20年10月8日の
広島市民病院の外来診療録(第3事件乙C17の17〔2頁〕)には,こ5
れに沿う記載がある。しかし,平成21年4月中旬ころ作成の退院時サ
マリー(同〔4頁〕)には,「過去に25本/日×28年。」との記載があ
るほか,控訴人A8自ら,35歳頃から喫煙を始め,1日15~20本
程度吸っていた旨を供述した(15,22頁)のであり,上記主張は採
用することができない。10
ア被曝の程度
控訴人A8の被曝線量は,初期放射線につき,DS02によれば,約
0.0001グレイを下回ると推定され(第3事件乙C2の15),初期
放射線による被曝線量は相当に低いということができる。15
しかし,控訴人A8は,被爆時年齢が16歳と若年であり放射線感受
性が高かったところ,広島原爆の投下当日に黒い雨を浴びており,また,
昭和20年8月8日から同月18日まで,爆心地付近に入市して救護所
等を回り,又は黒い雨が降った地域において作業に従事しており,この
間に,呼吸等を介して誘導放射化された粉塵や放射性降下物の微粒子を20
含む粉塵等を体内に取り込んだ可能性は高い。
そして,控訴人A8に,被爆後,下痢や発熱等の症状が現れたことも
併せ考慮すると,控訴人A8は,健康に対する影響があり得る程度の線
量の放射線に外部被曝及び内部被曝をしたものと認めるのが相当である。
これに対し,被控訴人は,控訴人A8の被曝の程度は全体としても低25
線量であった旨を主張するが,誘導放射化された物質や放射性降下物に
よる外部被曝や内部被曝を軽視している点において相当でないというべ
きである。被控訴人の上記主張は,採用することができない。
イ心筋梗塞と放射線被曝との関連性
控訴人A8の申請疾病は心筋梗塞であるところ,
のとおり,心筋梗塞と放射線被曝との間には一般的な関連性があることが5
認められる。
ウ他の原因(危険因子)
fのとおり,心筋梗塞について,そ
の原因である動脈硬化との関連が深い,喫煙及び脂質異常症が危険因子
であり,加齢とともに発症率が増加し,危険因子が重積することにより,10
リスクが急激に高まるとされている。
控訴人A8が心筋梗塞を発症したのは79歳であったところ
イ),そのピーク年齢も超えるような年齢で発症したものであった(上記
。また,控訴人A8は,昭和47年頃に高脂血症と診断
され,平成12年4月以降,内服薬を服用し,LDLコレステロール及15
びHDLコレステロールはいずれも概ね正常範囲内に保たれるようにな
ったが,トリグリセライドは依然として相当に高い状態が継続していた
。控訴人A8は,現に,心筋梗塞の発症時既に主幹動脈の
狭窄・閉塞が示唆される状態であった。
そして,控訴人A8は,35歳頃から約28年間にもわたる喫煙歴が20
あり,喫煙本数も相当に多い。禁煙の効果について,上記
るところ,控訴人A8が禁煙し
てから心筋梗塞を発症するまで約16年が経過していた一方で,それま
での喫煙量もかなりの程度に達していたのであるから,禁煙により,喫
煙の影響はある程度小さくなっていたとはいえ,無視できる程度に低下25
していたとみることは相当でない。
控訴人A8は,心筋梗塞の発症時,危険因子が重積している状態であ
った。
控訴人A8は,脂質異常症に放射線被曝が関与している旨を主張する
存在するとしても,その程度は限定的であると認められる上,トリグリ5
セライドの上昇に関する知見は見当たらない。
喫煙及び脂質異常症の存在が放射線被曝によるリスク推定にほとんど
影響を及ぼさない旨の控訴人A8の主張を採用することができないこと
エ判断10
控訴人A8は,健康に対する影響があり得る程度の線量の放射線に被曝
したものと認められる。心筋梗塞と放射線被曝との関連性については,一
般的に肯定することができる。
しかし,控訴人A8は,79歳という好発年齢のピークも過ぎたような
高齢で心筋梗塞を発症したところ,脂質異常症(高トリグリセライド血症)15
の状態が長期間継続しており,主幹動脈の狭窄・閉塞が示唆される状態で
あった。長期間にわたる多量の喫煙の影響も無視することはできない。そ
うすると,控訴人A8は,もっぱら加齢及び生活習慣に基づき心筋梗塞を
発症した可能性があると合理的に考えることができる。被爆時年齢が若年
であったこと等の事情を考慮しても,控訴人A8において放射線被曝によ20
り心筋梗塞を発症したことを是認し得る高度の蓋然性が証明されたものと
いうことはできない。
よって,本件控訴人A8申請に係る心筋梗塞については,放射線起因性
があるとは認められない。
争点2要医療性があるか。)について25
判断を要しない。
まとめ
本件控訴人A8申請に係る心筋梗塞は放射線起因性の要件を満たさない。
9控訴人A9
認定事実
掲記の証拠及び弁論の全趣旨によると,以下の各事実が認められる。5
ア控訴人A9は,昭和46年,C10内科において甲状腺機能低下症と診
断され,以降甲状腺ホルモン薬を投与された(第2事件乙C5の1〔22
6頁〕)。
イ控訴人A9は,平成3年4月26日以降,C9クリニックに通院し,1
日当たりチラーヂンS50μgの投与を受けた。10
これ以降の甲状腺機能検査の結果,概ね,TSHは0.1以下と異常値
(低値)であり,FT4,FT3はいずれも正常範囲内又は異常値(高値)
であった。(乙B179〔別紙2〕,第2事件C5の17〔238~245
頁〕)
ウ控訴人A9は,平成21年7月28日からC8クリニックに通院し,C15
8医師の診察を受けるようになり,引き続き,1日当たりチラーヂンS5
0μgの投与を受けた。本件控訴人A9申請は平成22年3月25日にさ
れたところ,平成21年11月25日の甲状腺機能検査の結果,TSHは
0.01μU/mℓ以下,FT4は0.83ng/dℓ,FT3は3.53
pg/mℓであり(第2事件乙C5の18〔6頁〕),平成22年2月26日20
の同結果も,TSHは0.01μU/mℓ以下,FT4は0.83ng/d
ℓ,FT3は3.1pg/mℓであった(同〔11頁〕)。その後も同様に,
TSHは異常値(低値)であるが,FT4,FT3はいずれも正常範囲内
であった(乙B179〔別紙2〕,第2事件乙C5の18)。
エC8医師は,本件控訴人A9申請に際して添付された,平成22年3月25
24日作成の意見書に,1日チラーヂンS50μg投与でFT4,FT3
はいずれも正常域であると記載し,同日付け健康診断個人票に,同年2月
26日の検査結果(上記ウ)を記載した(ただし,TSHは0.01μU
/mℓと記載した。)(第2事件乙C5の1〔226,227頁〕)。
また,C8医師は,本件控訴人A9申請に係る照会に対し,平成23年
1月21日作成の「原爆症認定申請照会に対する回答事項」と題する書面5
において,治療を開始する前の甲状腺ホルモン検査結果はC8クリニック
にはない(昭和46年C10内科で甲状腺機能低下症と診断された)旨を
記載した(第2事件乙C5の1〔235頁〕)。
A9申請時に甲状腺機能低下症に罹患していたか。)
について10
アの各事実によると,控訴人A9が本件控訴人A9申請時に甲状腺
機能低下症に罹患している根拠となる検査数値は存在しない。
イ控訴人A9は,昭和46年に甲状腺機能低下症と診断され,その後長期
間にわたる通院及びチラーヂンSの服用の経過から,甲状腺機能低下症に
罹患していたことが明らかである旨を主張し,これに沿う証拠としてD115
医師の意見(甲B48,第2事件甲C5の3,証人D1〔第2回・47頁〕)
がある。
,FT4,FT3はいずれも概ね正常範囲内又
は異常値(高値)であり,TSHのみが異常値(低値)であったことから
すると,チラーヂンSの服用が必要であるどころか,逆に過剰投与の疑い20
があることをうかがわせる(甲B48,乙B179,証人D1〔第3回・
9頁〕,証人D2〔19頁〕)。上記通院及び経過の事実は,控訴人A9が甲
状腺機能低下症に罹患していたことを基礎付けるものではない。この点に
ついて,控訴人A9は,チラーヂンSの処方は確定診断がされていなけれ
ば行われず,一度確定診断がされたら一生その処方が続く旨を主張するが,25
甲状腺ホルモン製剤の服用を中止することができる場合や一過性甲状腺機
能低下症の場合もあるのであるから,必ずしもそ
のようにはいえない。控訴人A9は,主治医であるC8医師において,前
医の診断を信頼し,そのまま従前の処方を継続するとの臨床現場の経験則
に従い,チラーヂンSの投与を継続した旨を主張する。しかし,上記各場
合である可能性があるところ,上記検査数値が明らかになって5
もなお従前の処方を継続するとの経験則があるとは認められない。むしろ,
D1医師(証人D1〔第2回平成28年9月21日実施・9,62頁〕)及
びD2医師(乙B179,証人D2〔34頁〕)の各意見が一致するとおり,
チラーヂンSの投与量を休止し又は減らし,FT4,FT3及びTSHの
変化を観察するのが通常であるとうかがわれる。控訴人A9は,甲状腺機10
能低下症であるとしたC10内科の診断につき特に疑うべき事情はないと
も主張するが,上記検査数値の経過に照らし,合理的な疑いを差し挟む余
地があるというべきである。D1医師は,チラーヂンSの過剰投与になっ
ている可能性があるとしつつ,甲状腺機能低下症であるとみてよい旨を供
述するが(第2回・48頁),的確な根拠を伴っていないというほかはない。15
ウよって,控訴人A9が本件控訴人A9申請時に甲状腺機能低下症に罹患
していたとは認められない。
争点(甲状腺機能低下症に放射線起因性があるか。),同ウ(甲状腺
機能低下症に要医療性があるか。)について
いずれも判断を要しない。20
まとめ
本件控訴人A9申請に係る甲状腺機能低下症は罹患の事実が認められない。
10控訴人A10
認定事実
証拠(第2事件甲C7の1・12,控訴人A10本人のほか,掲記したも25
の)及び弁論の全趣旨によると,以下の各事実が認められる。
ア被爆時の状況,被爆後の行動等
控訴人A10(当時3歳)は,昭和20年8月6日広島原爆が投下さ
れた時,爆心地から約3km離れた広島市牛田町の自宅(木造平屋建て)
に姉弟と一緒にいた。自宅建物の土壁が遮蔽となった。(第2事件乙C7
の1〔54,68頁〕・6・23)5
控訴人A10は,その際,火傷はしなかったが,額に1か所,ガラス
の破片による外傷を負った(第2事件乙C7の23)。
控訴人A10は,その後,裏山に避難したが,戻ってくると自宅は焼
失していた。そこで,自宅から約100m離れた伯父E1宅に避難した。
(第2事件乙C7の1〔68頁〕・25の1~3)10
控訴人A10の父E2及び母E3は,原爆投下の当日,朝から広島市
基町の陸軍倉庫(爆心地から約1.2km)で作業に従事中(第2事件
甲C7の25の1,同7の26,第4事件乙C20の11)被爆した。
E3とE2は避難の途中動けなくなったが,E1夫婦に見つけられ,同
人宅に避難することができた。しかし,E2は2日後の昭和20年8月15
8日に死亡した。
控訴人A10は,その両親・E1夫婦・姉弟のほか,5名のいとこと
ともに,E1宅で共同生活を送った。広島原爆が投下された当時,E1
夫婦とその子ども2名(当時5歳,3歳)はともに爆心地から約2.3
kmの地点におり,当時12歳の子どもは同約1.2kmの地点にいた。20
(第2事件甲C7の4・20・28)
控訴人A10は,その後約3年間,E1宅に居住した。
控訴人A10は,下痢等の急性症状はなかった(第2事件乙C7の2
3)。
イ申請疾病等25
急性心筋梗塞
a控訴人A10は,平成15年12月3日(当時62歳)夜,急に胸
痛がしたため,C16クリニックを受診した。同月4日,同クリニッ
クから紹介された広島市民病院循環器内科を受診し,入院することと
なった。控訴人A10は,同科において不安定狭心症と診断され,心
臓カテーテルによる検査・治療を受けた。(第2事件乙C7の13〔35
94頁〕・15〔7,8,40,41頁〕)
b控訴人A10は,平成21年3月31日(当時67歳)夕方,胸痛
が現れ持続するため,同年4月1日広島市民病院循環器内科を受診し,
同日入院して心臓カテーテルによる検査を受けた。この時経皮的冠動
脈形成術が試みられたが,ガイドワイヤーが通過せず取り止められた。10
ただし,末梢の血管の病変であり,心機能に影響はないと判断された。
控訴人A10は,急性心内膜下梗塞(急性心筋梗塞)と診断され,C
16クリニックでの経過観察を続けることとされて,同月6日退院し
た。(第2事件乙C7の13〔394,414,443~445,48
1頁〕・15〔46頁〕)15
白内障
a控訴人A10は,定期的にC18眼科医院を受診していたところ,
平成17年8月26日(当時63歳),初めて左眼水晶体前嚢下混濁の
所見が認められた。もっとも,この時点では,白内障とは診断されず,
何ら治療もされなかった。控訴人A10の視力は,右0.6(矯正視20
力1.5),左1.0(同1.5)であった(第2事件乙C7の10〔1,
18頁〕)。
b控訴人A10は,平成17年12月2日(当時64歳),白内障と診
断され(診療録に「老人性白内障」と記載された。),以降,カリーユ
ニ点眼液が処方されるようになった。控訴人A10の視力は,右0.25
5(矯正視力1.5),左0.8(同1.5)であった(第2事件乙C
7の10〔1,5,18頁〕)。
c控訴人A10は,平成22年5月6日(当時68歳),左眼の視力が
0.7(矯正視力0.8)と低下し,平成23年春頃(当時69歳)か
ら,左眼の視力障害を自覚するようになった。
控訴人A10は,平成24年2月4日(当時70歳),視力が右0.5
1(矯正視力0.8),左0.5(矯正不可)であった。控訴人A10
は,左白内障の手術を受けることを希望し,同月21日,同手術を目
的として,C18眼科医院から広島市民病院眼科を紹介された。控訴
人A10の白内障の所見は,両眼の前嚢下混濁及び左眼後嚢下の軽度
混濁があり,病名は加齢性白内障(両眼)とされた。(第2事件乙C710
の10〔1,25,27,32頁〕)
d控訴人A10は,平成24年3月1日,広島市民病院眼科を受診し,
担当のC17医師に対し,2~3年前から見えにくい旨を述べた。
控訴人A10は,同年5月7日上記病院に入院し,同月8日,左白
内障手術(超音波摘出,眼内レンズ挿入)を受けた。手術時間は1015
分であった。控訴人A10の左眼の手術後診断名は,皮質性加齢性白
内障とされた。上記手術後の視力は,右0.15(矯正視力0.9),
左0.8(同1.0)となった。控訴人A10は,同月10日退院し,
C18眼科医院での経過観察を続けることとなった。
なお,右白内障に関して,C17医師から,同月7日,控訴人A120
0に対し,「右の白内障は軽いので手術をせず様子を見ましょう。」と
伝えられた。(第2事件乙C7の10〔33,34頁〕・13〔167,
491,507,522,545頁〕)
e控訴人A10は,平成24年8月29日(当時70歳),右眼の視力
が0.1(矯正視力0.8)と低下したが,手術はせずに経過観察を25
続けることとした(第2事件乙C7の10〔1頁〕)。
控訴人A10は,平成30年2月20日(当時76歳),右眼の視力
が0.02(矯正視力0.15)となり,同年4月16日,白内障手
術を受けた(第2事件甲C7の29)。
控訴人A10は,平成29年9月8日,前立腺がんを申請疾病とする
原爆症認定を受けた(第2事件甲C7の25の1~5)。5
ウ生活習慣
控訴人A10は,昭和36年(当時20歳)に喫煙を始め,20代前
半には1日25本程度吸っていたが,その後,1日20本程度に減らし,
昭和46年(当時30歳)に完全に禁煙した(乙C7の13〔397,
499頁〕)。10
血液検査等の結果
a総コレステロール等
控訴人A10は,平成15年8月28日,血液検査を受けたところ,
その結果は,総コレステロールが240mg/dℓ,LDLコレステロ
ールが158mg/dℓ(計算により算出),HDLコレステロールが15
45mg/dℓ,トリグリセライドが185mg/dℓであり,HDL
コレステロールを除き,いずれも正常範囲外であった(第2事件乙C
7の21〔4頁〕)。控訴人A10は,同年12月9日,C16クリニ
ックにおいて脂質異常症と診断され,治療薬メバロチンの処方が開始
された。平成16年3月11日の血液検査の結果は,総コレステロー20
ルが196mg/dℓ,LDLコレステロールが130mg/dℓ,H
DLコレステロールが50mg/dℓ,トリグリセライド80mg/d
ℓであり,いずれも正常範囲内となった。その後平成21年4月1日の
心筋梗塞の発症に至るまで,LDLコレステロールは平成19年7月
13日(142mg/dℓ)を除き正常範囲であり(なお,同日,脂質25
異常症治療薬エパデール〔第2事件乙C7の20〕が追加処方された。),
HDLコレステロールは平成20年4月17日,同年12月5日及び
平成21年3月10日に39mg/dℓであったほか,いずれも正常値
であった。他方,トリグリセライドは,メバロチンの処方開始以降し
ばらくは正常範囲内であったが,平成19年1月25日,159mg
/dℓとなった以降異常値(同年5月1日は192mg/dℓに上昇し5
た。)を示し,上記エパデールの処方が開始された後,正常値(146
mg/dℓ)を示したことがあったものの,再度上昇し,平成21年3
月10日には209mg/dℓを示した。
平成21年4月1日の血液検査の結果は,LDLコレステロールが
111mg/dℓ,HDLコレステロールが48mg/dℓ,トリグリ10
セライドが174mg/dℓであった。(第2事件乙C7の13〔58,
381,382,473頁〕・15〔8,17,34~36〕・21〔4
頁〕)
b血糖値等
控訴人A10は,平成16年3月11日の血液検査の結果,血糖が15
214mg/dℓ(異常値),ヘモグロビンA1cが5.6%であり,
糖尿病と診断された。しかし,その後心筋梗塞の発症に至るまで,血
糖について,125mg/dℓ(平成19年5月1日),120mg/
dℓ(平成21年3月10日)などと異常値を示すこともあったが,概
ね正常範囲内であり,ヘモグロビンA1cも6%を上回ったことはな20
かった。
平成21年4月1日の血液検査の結果は,血糖が206mg/dℓ,
ヘモグロビンA1cが6.2%であった。(第2事件乙C7の13〔5
8,381,473頁〕,15〔1,34~36頁〕)。
c血圧25
控訴人A10の血圧は,平成15年8月31日から同年9月8日ま
で,収縮期血圧は130mmHg未満,拡張期血圧は同日を除き90
mmHg未満(同日は99mmHg)であり,不安定狭心症を発症し
た同年12月4日,収縮期血圧は140mmHg,拡張期血圧は88
mmHgであった。同月9日,高血圧症の治療薬アムロジピンの処方
が開始された。その後急性心筋梗塞の発症に至るまで,平成19年45
月25日の小脳出血の発症時を除き,拡張期血圧が90mmHgを上
回ることが数回あったが,収縮期・拡張期ともに,概ね正常域血圧を
保っていた。(第2事件乙C7の13〔16,239,254,259,
270~274,276,280,295頁〕・15〔8~23頁〕・
21〔5~9頁〕,22〔3,6~9頁〕)10
肥満
控訴人A10は,急性心筋梗塞を発症した平成21年4月当時,身長
174cm,体重76kgで,BMIは25.1であった。平成19年
5月8日から平成21年4月1日までの間,BMIは,測定年月日によ
り一定していないが,25前後で推移していた。(第2事件乙C7の1315
〔292,409頁〕・22〔1・2・4・5頁〕)
エ事実認定の補足説明
控訴人A10は,被爆時,濡れ縁に出ていたのであり,土壁で遮蔽され
ておらず,顔面に火傷を負った旨及び急性症状として下痢が続いた旨を主
張し,これに沿う証拠として陳述書(第2事件甲C7の1)及び控訴人A20
10本人の供述(4,9,14,16頁)がある。
しかし,控訴人A10に係るABCC調査票(第2事件乙C7の23)
につき,昭和24年8月8日調査において,控訴人A10の被爆時の位置
として,「軒下」の選択肢があるのに,「木造建物の内部」に該当すると記
載されたほか,昭和32年3月4日調査においても,遮蔽の状態として,25
「日本式木造平家建内にて土壁にて遮蔽さる」と記載されたことに照らし,
控訴人A10が上記投下時に濡れ縁に出ていたとは認められない。同様に,
ABCCの同調査に係る調査票には,原爆火傷及び火災火傷につきいずれ
も「None」と記載され,発熱,下痢等の症状についても全て「Non
e」に該当するとの記載がされたのであり,これらと異なる控訴人A10
の上記供述等がより信用性が高いと認めるべき事情はない。よって,同供5
述等は採用することができず,このほか,上記主張を認めるに足りる証拠
はない。
控訴人A10は,ABCC調査票の上記各記載はE3からの聴取に基づ
くところ,安易に信用することができない旨を主張し,E3が被爆により
重傷を負ったにもかかわらず,同人の説明に基づいて作成された控訴人A10
10に係るABCC調査票にE3に関し
て「症状なし健康」と記載されたこと(昭和32年3月4日調査),同様
にE3が控訴人A10のために作成した昭和32年5月31日付け被爆者
健康手帳交付申請書(第2事件乙C7の1〔67,68頁〕)にも,申立人
E3の「被爆地」を控訴人A10とともにいたかのように「広島市牛田町」15
と誤り,控訴人A10の爆心地からの距離も2.3kmと誤って申請した
ことを指摘する。
しかし,E3に対する昭和30年8月31日調査に基づき作成された同
人に係るABCC調査票(第2事件甲C7の4)には,E3が被爆時に裂
傷を負い,顔に原爆火傷もあったことが記載されており,控訴人A10に20
係るABCC調査票におけるE3に関する「症状なし健康」との記載は
あくまで昭和32年3月4日の調査時におけるものと解される(なお,E
3〔被爆時33歳〕は,昭和38年〔51歳〕頃脳出血となり,昭和49
年4月24日〔62歳〕死亡したが〔第2事件甲C7の12・20〕,上記
調査時にE3の健康に問題があったことはうかがえない。)。また,E3に25
係るABCC調査票(昭和24年8月10日調査)には,E3が被爆時に
爆心地から1232mの地点にいたとの記載がされており,これは,控訴
人A10の被爆地からの距離として被爆者健康手帳交付申請書に記載され
た2.3kmとも真実の爆心地からの距離約3kmとも異なっているから,
E3が上記申請時に控訴人A10とともに被爆したと認識していたとは解
し難い。E3は,上記申請書に牛田東(申請時)の地図を添付して控訴人5
A10の被爆地を図示していることから,その爆心地からの距離の記載を
誤ったにすぎないものと認められる。また,上記控訴人A10の被爆者健
康手帳交付申請書の申立人E3の被爆地が牛田町とされたのは,「被爆地」
住所記載欄と誤った可能
性がある。ABCCのE3に対する調査に関して検討するに,E3は,昭10
和24年8月10日にされたE3に対する調査の際,E2とともに被爆し
た際の模様,その後のE2の様子,E1夫婦に助けられるまでの二人の行
動等を,詳細かつ具体的に迫真性をもって述べており(第2事件甲C7の
4),記憶が良好であったことがうかがわれる。以上を総合すると,控訴人
A10の被爆状況及び急性症状がなかったことに関する控訴人A10に係15
るABCC調査票(第2事件乙C7の23)の上記各記載につき信用性を
減殺させるべき事情があるとはいえない。控訴人A10の上記主張はいず
れも採用することができない。
争点2急性心筋梗塞に放射線起因性があるか。)について
ア被曝の程度20
控訴人A10の被曝線量は,初期放射線につき,爆心地から約3km
の地点で直接被爆したとして,DS02による屋外の推定線量約0.0
02グレイをさらに下回ると推定される(第2事件乙C7の8)。
しかし,控訴人A10は被爆時3歳と極めて若年であり放射線感受性
が高いと考えられる上,原爆の投下当日から,両親を含む複数の近距離25
被爆者とともに共同生活を送っており,同人らに付着していた,誘導放
射化された粉塵や放射性降下物の微粒子を含む粉塵等に接触し,呼吸を
通じ,又は額の傷口を介して,上記粉塵等を体内に取り込むなどした可
能性は高い。また,誘導放射化された粉塵や放射性降下物の微粒子を含
む粉塵等を,飲食を通じて体内に取り込むなどした可能性も否定するこ
とができず,残留放射線及び放射性降下物による放射線に相当程度被爆5
したものと認められる。控訴人A10につき急性症状とみられる症状が
生じなかったとしても,控訴人A10は,健康に対する影響があり得る
程度の放射線に被曝した事実を認めるのが相当である。
これに対し,被控訴人は,控訴人A10の被曝線量は全体としても相
当低い旨を主張するが,誘導放射化された物質や放射性降下物による外10
部被曝や内部被曝を軽視している点において相当でないというべきであ
る。被控訴人の上記主張は採用することができない。
イ心筋梗塞と放射線被曝との関連性
控訴人A10の申請疾病の一つは急性心筋梗塞であるところ,上記第1
のとおり,心筋梗塞と放射線被曝との間には一般的な関連性15
があることが認められる。
ウ他の原因(危険因子)について
硬化との関連が深い,喫煙,高血圧,脂質異常症,糖尿病及び肥満が危
険因子であり,加齢とともに発症率が増加し,危険因子が重積すること20
により,リスクが急激に高まるとされている。
控訴人A10は,67歳で急性心筋梗塞を発症しており,発症のピー
ク年齢には達しないものの,心筋梗塞の好発年齢であった(上記第1の
なお,ともに急性冠動脈群に分類される不安定狭心症の発症
年齢は,62歳であった。)。25
被控訴人は,控訴人A10に,喫煙,高血圧,脂質異常症,糖尿病及
び肥満があったと主張する。
しかし,喫煙について,控訴人A10は,20歳から約10年間の喫
煙歴があるが,その後禁煙しており,喫煙の影響はかなり
の程度小さくなっていたとみるのが相当である。また,高血圧及び糖尿
病(耐糖能異常)については,検査結果からみて,いずれもその程度は5
軽度であったといえ,肥満についても,BMIがわ
ずかに基準値を上回っていた程度にすぎない。ただし,脂質異常
症のうちトリグリセライドについては,基準値を上回る値(高トリグリ
セライド血症)で推移していた。
控訴人A10は,以上の限度で,急性心筋梗塞の発症時,危険因子が10
重積している状態であった。
控訴人A10は,高血圧及び脂質異常症等に放射線被曝が関与してい
射線被曝との間に関連性が存在するとしても,その程度は限定的である
と認められる上,トリグリセライドの上昇に関する知見は見当たらない。15
高血圧及び脂質異常症等の存在が放射線被曝によるリスク推定にほと
んど影響を及ぼさない旨の控訴人A10の主張を採用することができな
なお,控訴人A10は,糖尿病(耐糖能異常)にも放射線被曝が関与
する旨を主張するが,膵臓は放射線感受性の低い臓器であると考えられ20
ている上,関連性を示す疫学的知見も見当たらず(第2事件乙B111,
112),採用することができない。
エ判断
控訴人A10は,健康に対する影響があり得る程度の線量の放射線に被
曝したものと認められる。急性心筋梗塞と放射線被曝との関連性について25
は,一般的に肯定することができる。
そして,控訴人A10は,67歳というその好発年齢で急性心筋梗塞を
発症したところ,喫煙,高血圧,糖尿病(耐糖能異常)及び肥満の各危険
因子は,その程度等に照らすと,同発症に寄与した度合いを重くみること
はできない。加えて,控訴人A10が,被爆時3歳と極めて若年で被爆し
たことも併せると,心筋梗塞発症時の年齢及び脂質異常症(高トリグリセ5
ライド血症)があったことを考慮しても,控訴人A10において,放射線
に被曝したことによって急性心筋梗塞を発症したものとみるのが合理的で
あり,高度の蓋然性が証明されたということができる。
よって,本件控訴人A10申請に係る急性心筋梗塞については,放射線
起因性があると認められる。10
要医療性があるか。)について
控訴人A10は,本件控訴人A10申請時において,内服薬を服用してお
り(第2事件乙C7の1〔55頁〕),当該治療が必要な状態が続いていたと
いえるから,本件控訴人A10申請に係る心筋梗塞については,要医療性が
あると認められる。15
白内障に放射線起因性があるか。)について
ア被曝の程度
とおりである。
イ白内障と放射線被曝との関連性
控訴人A10の申請疾病の一つは白内障(両眼)であるところ,上記第20
,その具体的症状や推移(放射線白内障の特徴と合
致するか,被曝が原因の早発の加齢性白内障として矛盾しないか等)を慎
重に観察して判断する必要があるというべきである。
ウ他の原因(危険因子)
のとおり,加齢性白内障につき,60歳代では25
初期混濁を含む有所見率が66~83%であるところ,後嚢下混濁は,加
齢性白内障において,皮質白内障,核白内障と比べて有所見率は低いもの
の3主病型の一つであるとされる。また,前嚢下混濁は,加齢性白内障の
主病型ではないものの,副病型の中でしばしば見られる混濁であるとされ
ている。
控訴人A10は,63歳で初めて左眼に前嚢下混濁の所見が認められ,5
64歳で白内障と診断されたのであり,このことは,
加齢性白内障の所見及び発症年齢と整合的であって,放射性白内障の特徴
とは合致しない。控訴人A10は,平成24年2月時点において両眼の前
嚢下混濁のほか左眼の後嚢下の軽度混濁が認められたものの(同c),この
点も,加齢性白内障の所見と矛盾するところはない。発症年齢及び症状は,10
他の原因(放射線被曝によらない加齢性白内障の可能性)として十分に考
慮する必要があるというべきである。
なお,控訴人A10が糖尿病(耐糖能異常)であったとしてもその程度
は軽微であったから(上記b),危険因子として特段考慮することは
相当でない。15
エ判断
控訴人A10は,健康に対する影響があり得る程度の線量の放射線に被
曝したものと認められ,白内障と放射線被曝との間には,所見及び発症時
期に関して一定の関連性があると認められる。しかし,控訴人A10の白
内障については,左眼に後嚢下混濁があるもののその発症時期の点におい20
て放射線白内障の特徴に合致しておらず(後嚢下混濁のほか上記関連性に
関する知見が集積している皮質混濁の所見はない。),かえって加齢性白内
障の所見に整合的である上,発症年齢の点でみても早発の加齢性白内障で
あるとはいい難い。控訴人A10の白内障は加齢性白内障であると認める
のが相当であり,放射線被曝により白内障を発症したこと(混濁が発生し,25
症状が進行したこと)を是認し得る高度の蓋然性が証明されたものという
ことはできない。
よって,本件控訴人A10申請に係る白内障については,放射線起因性
があるとは認められない。
判断を要しない。5
まとめ
本件控訴人A10申請に係る白内障については放射線起因性の要件を満た
さないが,急性心筋梗塞については放射線起因性及び要医療性の各要件をい
ずれも満たしていたものと認められる。上記申請を却下した処分のうち,申
請疾病を急性心筋梗塞とする部分は違法である(この点に限っては,争点310
につき判断するまでもない。)。
11控訴人A11
認定事実
証拠(第5事件甲C2のほか,掲記したもの)及び弁論の全趣旨によると,
以下の各事実が認められる。15
ア事実経過
控訴人A11は,平成19年1月19日,C19眼科医院のC19医
師の診察を受けた。控訴人A11の視力は,右0.1(矯正不能),左0.
5(同)であった。
C19医師は,両眼とも,軽度から中等度の白内障であり,核と後嚢20
下部分に混濁があるとともに,萎縮型加齢黄斑変性(後記イ)があると
診断した(第5事件甲C1の2,同事件乙C3)。
C19医師は,控訴人A11の視力低下に対する影響は,白内障より
も黄斑変性の方が明らかに大きい状態であったことから,白内障につい
ては経過観察をすることとし,白内障のための点眼液の処方もしなかっ25
た。(第5事件甲C1の1)
控訴人A11は,平成20年6月4日,視力が右0.2,左0.5で
あり,両白内障について手術を希望した。C19医師は,中電病院眼科
を紹介した。(第5事件甲C1の1)
中電病院眼科の医師は,その後,控訴人A11を診察し,視力は右0.
1,左0.3であった。そして,確実に視力が回復するとはいえないが,5
左眼のみ白内障手術をすることを提案した。控訴人A11は,平成20
年12月19日,左白内障の手術を受けた。(第5事件甲C1の2)
しかし,控訴人A11の左眼の視力は回復せず,平成26年9月6日
の視力は,0.1(矯正不可)であった(第5事件乙C1)。
控訴人A11の右眼の視力は,平成26年9月6日,0.1であり,10
本件控訴人A11申請をした同月18日当時,萎縮型加齢黄斑変性のた
め,相当低下していた(第5事件乙B15,同事件C1,3)。
C19医師は,本件控訴人A11申請に係る被控訴人からの照会に対
し,控訴人A11の右白内障については,手術する可能性はあるとしつ
つも,萎縮型加齢黄斑変性があるため,手術の予定はない旨の回答をし15
た(第5事件乙C3)。
C19医師は,平成27年11月30日,控訴人A11に対し,白内
障の進行を抑えるためとして,カリーユニ点眼液を処方するようになっ
た(第5事件乙C4)。
C19医師は,控訴人A11の右白内障の状態(混濁の程度,部位)20
のみを前提とすると,初診時から医学的には手術適応があるとの意見を
述べている。
イ加齢黄斑変性に関する医学的知見
黄斑とは,網膜の中心にある直径1.5~2mmの部分の名称であり,
その中心は中心窩といい,見ているところからの光が当たる部位である。25
黄斑が障害されると,網膜が正しく働かなくなり,視力の低下等が生じ
る。(第5事件乙B2〔6,150頁〕,10,11)
加齢黄斑変性は,加齢に伴い,網膜の裏打ちに当たる部分にある色素
上皮細胞の異常によって直接的又は間接的に黄斑が障害される疾病であ
る。変視症(中心部が歪んで見える。),視力低下,中心暗点(中心が見
えなくなる。)及び色覚異常の症状がある。萎縮型と滲出型がある。5
萎縮型では色素上皮細胞が萎縮し,視細胞が変性して,視力が低下す
る。広範囲に生じるため症状は軽くない。現在のところ,治療方法はな
い。(第5事件乙B2〔153頁〕,3〔161頁〕,10~12)
判断
ア要医療性の判断基準10
A11は,右白内障につき,経過観察を
受けていたものと認められる。

また,現に医療を要する状態にあるかどうかは,医療特別手当の支給15
が認定申請日の属する月の翌月に遡って支給すべきものとされているこ
と(被爆者援護法24条4項)から,原爆症認定申請時を基準に判断す
べきであると解するのが相当である。
イ判断
控訴人A11の右白内障は,放射線白内障又は原爆放射線により早発し20
た加齢性白内障であるところ,そのいずれであっても,白内障の視力障害
を改善するための治療方法は,手術以外にはない
白内障に
対する経過観察も手術適応の有無を判断することを目的とするものと認め
られる。そして,当該手術適応の有無の判断においては,日常生活におけ25
る支障があるか否かという患者の主観的な側面が重視されていること(同
との医学的必要性は認められるとしても,これが放射線白内障又は早発の
加齢性白内障に対する積極的治療行為の一環であるとまではいえないし,
控訴人A11の同各白内障に関する積極的治療行為の一環として経過観察
が必要である旨の特別の指示が担当医からされたことをうかがわせる事情5
も見当たらない。そもそも,控訴人A11の右白内障については,加齢黄
の悪化の状況に応じて的確に治療行為をする必要があることから経過観察
が行われているともいい難い。
以上の事情を総合考慮すると,控訴人A11の右白内障に対する経過観10
察について,経過観察自体が右白内障を治療するために必要不可欠な行為
であり,かつ,積極的治療行為の一環と評価できる特別の事情があると認
めることはできない。
これに対し,控訴人A11は,加齢黄斑変性に罹患していたという偶然
の事情により要医療性がないと判断するのは不合理である旨を主張する。15
しかし,医療特別手当については,健康管理手当や特別手当とは異なり,
現に医療を要する状態にあることによって余儀なくされている入通院雑費
や栄養補給等の特別の出費を補うこと等により生活の面の配慮をするとい
う,特別の生活上あるいは健康上の状態に対して手当を支給する目的が含
まれていると解すべきであり(令和2年最判参照),その理由が何であれ,20
手術適応にない以上,上記特別の事情があるということはできない。また,
控訴人A11は,カリーユニ点眼液が処方されていると主張するが,要医
療性は,本件控訴人A11申請時である平成26年9月18日を基準に判
断すべきであるところ,同処方が開始されたのは平成27年11月30日
ものではない。この点を措いても,カリーユニ点眼液は,加齢性白内障の
成因についてキノイド説(上記第1の4
抑止を目的と
障の治療は手術以外にはないのであるから,上記処方をもって,同各白内
障に対する治療が現に行われていると認めることはできない。
まとめ5
よって,本件控訴人A11申請に係る右白内障については要医療性の要件
を満たさない。
12争点3(本件各処分につき行政手続法8条違反があるか。)について
本件控訴人A2申請に対する処分,本件控訴人A3申請,本件控訴人A4申
請及び本件控訴人A6申請に対する各処分(以上3名につきいずれも申請疾病10
を甲状腺機能低下症とする部分)及び本件控訴人A10申請に対する処分(う
ち申請疾病を急性心筋梗塞とする部分)を除く本件各処分につき,検討する。
行政手続法8条1項本文の規定によりどの程度の理由を提示すべきかは,当
該処分の根拠法令の規定内容,当該処分に係る処分基準の存否及び内容並びに
公表の有無,当該処分の性質及び内容,当該処分の原因となる事実関係の内容15
等を総合考慮して決すべきであり(同法14条1項についての最高裁判所平成
23年6月7日第三小法廷判決・民集65巻4号2081頁参照),原爆症認定
の申請を却下する処分については,疾病・障害認定審査会に諮問された場合に
はその審議の概要と結果のほか,放射線起因性又は要医療性のいずれの要件を
欠くものとされたかを明らかにすれば足りると解するのが相当であるところ,20
本件各処分に係る通知書の理由の記載からは,原爆症認定の要件が示された上
で,疾病・障害認定審査会における審議の概要と結果のほか,放射線起因性又
は要医療性を欠くものとされたことが明らかである(乙C1の8,8の5,9
の7,14の5,15の5・18,第2事件乙C5の6,同事件乙C7の4,
第3事件乙C1の4,同事件乙C2の6,第5事件乙C2)。そうすると,本件25
各処分が行政手続法8条に違反するものとはいえない(なお,本件A1申請及
び本件控訴人A9申請に対する処分について,被控訴人は,処分理由とは異な
る理由を追加主張したが,この追加主張が許されることにつき,最高裁判所昭
和53年9月19日第三小法廷判決・集民125号69頁,最高裁判所平成1
1年11月19日第二小法廷判決・民集53巻8号1862頁各参照。)。
13結論5
控訴人A2の請求は理由があり,原判決中控訴人A2に関する部分は相当で
ないから,同部分を取り消し,その請求を認容することとする。また,控訴人
A3,控訴人A4及び同A6の各請求は申請疾病をいずれも甲状腺機能低下症
とする部分に限り,控訴人A10の請求は申請疾病を急性心筋梗塞とする部分
に限り,それぞれ理由があり,原判決中同各控訴人に係る同各部分は相当でな10
いから,同各部分を取り消した上,同各部分に係る各請求を認容し,原判決中
同各部分を除く部分は相当であるから,その余の本件各控訴をいずれも棄却す
ることとする。その余の控訴人らの請求はいずれも理由がなく,原判決中同控
訴人らに関する部分は相当であるから,同控訴人らの本件各控訴をいずれも棄
却することとする。15
よって,主文のとおり判決する。
広島高等裁判所第2部
裁判長裁判官三木昌之
裁判官冨田美奈25
裁判官長丈博は,てん補により署名押印することができない。
裁判長裁判官三木昌之

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弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
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