弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主         文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中70日を原判決の本刑に算入する。
                  理         由
1 本件控訴の趣意は,弁護人杉本秀介作成の控訴趣意書に記載されたとおりであ
るから,これを引用する。
そこで,記録を調査し,当審における事実取調べの結果をも併せて検討し,次のと
おり判断する。
2 控訴趣意中,事実誤認について
論旨は,要するに,原判決は,被告人が,妻のAが不貞をして出産した子であるB
を引き取ったが,平成15年10月26日B(当時2歳)が生命に危険を生じかね
ない重い熱傷を負ったことを知り,さらに,遅くとも同月29日午前3時ころ,そ
のままBに医療機関の治療を受けさせないで放置すると,Bが死亡することを予見
しながら,これを認容し,もって殺意を抱き,Aと暗黙のうちに意思を相通じ,B
を自宅の押入に入れるなどして放置し,同年11月2日午前5時ころ,Bを上記熱
傷による敗血症のため死亡させたという,殺人の事実を認定したが,被告人には殺
意がなく,被告人とAとの間に黙示の共謀もなかったので,被告人がBに対する殺
意を持ってAと黙示の共謀をしたと認定した原判決には,判決に影響を及ぼすこと
の明らかな事実誤認がある,というのである。
この点につき,関係各証拠によると,(1)Bは,前額部,左顔面,後頭部,後頸部,
左右側頸部及び背部に合わせて体表面積の20パーセントの第2度の熱傷を負い,
体表に形成された水疱が破れて真皮が露出し,その血管から細菌に感染して敗血症
に罹患し,これが原因で死亡したもので,栄養状態が悪くて抵抗力が弱っていたと
はいえ,死亡の前日であっても,医師による適切な処置が施されておれば救命され
た可能性があったこと,(2)Bは,平成13年10月20日に出生したが,平成15
年11月3日の解剖時,体重が7キログラムで,平均的な2歳児に比べて明らかに
体重が少なく,しかも1,2歳の女児では平均28.12グラムある胸腺の重さが
4グラムしかなく,暴力的な虐待を受けた形跡はなかったものの,以前から食事を
満足に与えられず,精神的な虐待を受けていたと推測されたこと,(3)Aは,不貞に
より妊娠してBを出産し,Bを乳児院に預けたまま被告人方に戻った,平成15年
4月19日から被告人の了解を得てBを自宅に引き取ったが,同年5月ころから被
告人がBを避けるようになり,被告人に負い目を感じていたため被告人の気に入る
ようにしようと思い,精神的に追い詰められ,同年6月ころからBを居間の押入に
閉じこめ,同年7月に入ると十分な食事を与えなかったため,同年8月ころにはB
が急激にやせ細ったこと,(4)Aは,同年10月25日夕方,被告人が「わしの子じ
ゃねえけえ。」などと言ったうえ,Bに与える毛布がないのを知りながら「風邪を引
かさんようにせえ。」と言ったことで,わざとらしく心配するような口振りをしたと
して憤まんの情を募らせ,さらに同月26日午前零時ころ,Bを風呂に入れようと
したとき,警戒するような目つきでにらまれたため,激情に駆られ,Bに熱湯を浴
びせて上記熱傷を負わせたが,浴槽の水で冷やした後,消毒してガーゼを当てただ
けで,食事を十分与えていないなどのそれまでの虐待の事実の発覚をおそれて病院
に連れて行かなかったこと,(5)Aは,その後も毎日ガーゼ交換をしてBの手当をす
ると共に1日3度の食事を与えていたが,同月28日にはBが立ち上がれなくなっ
たうえ,夕方に嘔吐し,同月29日午前3時ころにはぐったりした様子で,日毎に
衰弱しており,Bの死が迫っていることを認識したにもかかわらず,なお虐待の発
覚をおそれ,病院に連れて行かず,Bが死亡しても構わないとの決意を固め,同年
11月2日午前5時ころBを死亡させたこと,(6)一方,被告人は,同年4月ころ,
世間体等を考えてAとは離婚せず,やむなくBを引き取ったが,Bの姿からAの不
貞が想起されて苦痛を感じ,その存在を無視し続けたため,Aが被告人の面前で食
事を与えないなどBを蔑ろにするようになり,同年8月ころには,AがBを乳児院
に連れて行くと言い出したものの,Bがやせ細っていたため,虐待の発覚をおそ
れ,乳児院に連れて行かせなかったこと,(7)被告人は,同年10月26日,Bが上
記熱傷を負ったことを知り,Aが熱傷を負わせたかも知れないと察知し,しかも自
宅で治療できるような熱傷ではないと認識し,一応救急当番医院を探してAに連れ
て行くよう指示したものの,Aが自分で治療すると言い張ったことや,自ら病院へ
連れて行くとやはりBに対する虐待の事実が発覚すると思ったことから,AにBを
病院へ連れて行くようそれ以上強く勧めず,自分で病院へ連れて行くこともしない
まま,押入からBのうめき声が聞こえても放置したこと,(8)被告人は,同月29日
午前3時ころ夜勤明けで帰宅した際,その途上でAからBが吐いたと聞いたので様
子を確かめ,押入の奥でぐったりしたBを抱きかかえるように押入から出して乳酸
菌飲料をすすらせ,同日昼前ころにもBに飲料を与えたが,同月30日午前3時こ
ろ帰宅したときは押入からBの声が聞こえず,Aがガーゼ交換をしたときにBが泣
き叫んだことに驚き,同日昼前ころ起きたときにもBの声は聞こえず,死が間近で
あると察しながら放置したことの各事実が明らかである。
以上の認定事実を基に判断すると,被告人は,同月26日午前零時ころBが熱傷を
負った後,AのBに対する虐待及び自らもそのような状態を放置し続けていたこと
が発覚することをおそれ,医師の治療を受けさせず,押入からBのうめき声が聞こ
えても放置し,AからBが吐いたと聞いて様子を確かめ,同月29日午前3時ころ
押入の奥でBがぐったりしているのを認めたのであるから,その時点でBの容体が
死を予見させるほど重いことを認識したことは明らかであるが,他方,被告人は,
Aが毎日ガーゼ交換をしたり食事を与えたりしてBの日毎に衰弱する様子をつぶさ
に認識していたのとは異なり,Bが上記熱傷を負った日に一旦は病院に連れて行く
よう指示しているうえ,夜勤の多い勤務体制の影響もあり,同月26日から同月2
9日午前3時ころまでの間Bの衰弱していく様子を熟知してはいなかったこと,ま
た,被告人がそのころBを押入から出して飲料を与えた行為は,自己の罪障感を軽
減しようとしたものと見る余地がある一方,救命の効果はともかく,少なくともB
の生命に対する配慮から出たものと見る余地もあり,Bの死を認容していた者の行
為に必ずしもそぐわない側面があることに徴すると,被告人が同月29日午前3時
ころBが極度に衰弱していることを知ったことから,直ちにその時点でその死を認
容したと認めるにはなお若干の疑問が残るというべきである。しかしながら,被告
人は,上記のとおり同月29日にBがぐったりし,危険な状態となっているのを確
知したのであるから,同月30日午前3時ころ押入からBの声が聞こえないことに
気付き,同日昼前ころにもBの声は聞こえなかったにもかかわらず,Bを押入に入
れたまま,全く救命のための措置をとることなく放置したことは殺意を推認させる
行動であるといわざるを得ず,被告人は,遅くとも同月30日昼前ころ,Bの死が
目前に迫っていることを認識しながら,Bが死に至ることを認容し,この時点で,
被告人がBに対する未必的な殺意を抱き,既にBの死亡を認識し認容していたAと
意思を相通じ,被告人とAとの間に黙示の共謀が成立したというべきである。
したがって,原判決が,被告人においてBに対する殺意を抱き,Aと暗黙のうちに
意思を相通じて共謀したと認定したこと自体は相当であるが,その殺意の発生及び
共謀の成立の時期につき,平成15年10月30日昼前ころと認定すべきであった
のに,被告人の捜査段階の自白を過信し,被告人の殺意発生になお疑問の余地の残
る「遅くとも同月29日午前3時ころ」と認定した点に事実の誤認があるといわざ
るを得ないところ,この点は判決の結論に影響を及ぼすものではないので,原判決
には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があるとまでは認められない。
結局,論旨は理由がない。
3 控訴趣意中,法令適用の誤りについて
論旨は,要するに,原判決は,被告人がBに対する刑法上の保護義務を負い,Bに
医療機関による治療を受けさせるべき地位にあったので,被告人の不作為が殺人の
構成要件に該当すると判断したが,実母であるAがBの世話を全面的に引き受け,
また熱傷を負わせたという先行行為により被告人よりも強度の保護義務を負ってお
り,AがBに医療機関による治療を受けさせることが十分期待できたのであるか
ら,被告人の不作為が作為による殺人と同様の類型的危険性を有するものとはいえ
ないので,被告人の不作為が殺人の構成要件に該当すると判断した原判決には,判
決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがある,というのである。
しかしながら,前述のとおり,被告人は,Aの不貞行為により出産した子であるB
を被告人方に引き取って養育することを了解したものの,その存在をことさら無視
する冷淡な態度を取り続け,そのため精神的に追い詰められたAがBを虐待するの
を放置し,さらにAがBに熱傷を負わせた後も,自宅で治療できるような熱傷では
ないことを認識し,かつ,Bに医師の治療を受けさせられる立場にあるのがAと被
告人だけであったにもかかわらず,Aと同様,虐待の発覚をおそれて医師の治療を
受けさせないこととしたうえ,押入からBの声が聞こえなくなってBの生命に切迫
した危険が生じた後も,なおBに対する虐待の発覚をおそれ,Bに医師の治療を受
けさせなかったため,Bを死亡させたものである。そうすると,被告人は,(1)Aの
不貞行為の結果出産した子であるBを乳児院から引き取って同居したことにより,
たとえそれが被告人にとって不本意な決断であったとしても,少なくともBが健全
に生育できるような生活環境を整えるべき法的義務を負担したと解されること,(2)
平成15年10月29日ころには,Bが重度の熱傷により生命の危険があるほど衰
弱していることを確知し,Bを救うことができるのはA以外には被告人しかいない
ことを十分認識していたこと,(3)その熱傷はAが負わせたと察知し,かつAがその
ような行為に及んだのは,被告人がBの存在を無視する態度を取ってAを精神的に
追い詰めたためであることを熟知しており,被告人が積極的にBの生命を維持する
ために必要な医療措置を受けさせる行為をとらない限り,Bが自発的にそのような
措置をとる可能性が極めて低いことを十分認識していたことの3点が明らかであ
る。以上によれば,被告人には,遅くとも同月30日昼前ころの時点において,B
に緊急の医療措置を受けさせるべき法的義務があり,かつその義務を尽くすことは
十分可能であったといわなければならない。それにもかかわらず,被告人は,未必
的な殺意をもって,上記医療措置を受けさせないまま放置してBを死亡させたので
あるから,被告人がBに上記医療措置を受けさせなかったという不作為は,作為に
よってBを殺害する行為と構成要件的に等価値であり,殺人罪の構成要件が予定す
る違法類型に当たると評価すべきものである。一方,Aは,被告人に負い目を感じ
ていたため,Bを押入に閉じこめ,十分な食事を与えなかったうえ,Bに熱傷を負
わせながら,虐待の発覚をおそれて医師による治療を受けさせず,Bを熱傷による
敗血症のため死亡させたのであるが,AがBの実母であること,Bを被告人方に引
き取って養育していたこと,自らBに熱傷を負わせてその生命に切迫した危険を生
じさせたことを考慮すると,Aにつき不作為による殺人罪が成立することは明らか
である。したがって,被告人は,Aと暗黙のうちに意思を相通じ,被告人とAの各
不作為によりBを死亡させたのであるから,被告人とAが共同して作為によりBを
殺害した場合,すなわち殺人の実行共同正犯と構成要件的に等価値であると評価す
ることができ,不作為による殺人の実行共同正犯が成立するといわなければならな
い。
したがって,原判決が(罪となるべき事実)と(事実認定の補足説明)第7の3で
それぞれ説示するところは,作為義務発生の根拠についていささか不明確な部分が
認められるものの,結局のところ被告人の不作為が殺人の構成要件に該当する行為
(実行行為)であると判断したものと解されるので,その判断は結論において相当
である。
論旨は理由がない。
4 よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却し,刑法21条を適用して当審
における未決勾留日数中70日を原判決の本刑に算入し,当審における訴訟費用
は,刑訴法181条1項ただし書を適用してこれを被告人に負担させないことと
し,主文のとおり判決する。
  平成17年8月10日
   広島高等裁判所岡山支部第1部
            裁判長裁判官   安   原       浩
               裁判官   河   田   充   規
               裁判官   吉   井   広   幸

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