弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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○ 主文
被告が原告に対し昭和五八年二月一七日付けでした一般旅券の発給をしない旨の処
分を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
○ 事実
第一 当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
主文と同旨
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求の原因
1 本件拒否処分及び異議申立て
(一) 本件拒否処分の存在
原告は、昭和五七年九月当時、シリア・アラブ共和国(以下単に「シリア」とい
う。)に在留していたものであるが、同年九月一日、在シリア日本大使館を経由し
て被告に対し、数次往復用一般旅券の発給の申請(以下「本件申請」という。)を
したところ、被告は、昭和五八年二月一七日付けで、本件申請につき一般旅券の発
給をしない旨の処分(以下「本件拒否処分」という。)をし、同年三月二日に、
「貴殿の従前からのいわゆる日本赤軍との密接なる関係にかんがみ、貴殿は旅券法
一三条一項五号にいう著しくかつ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う
虞があると認めるに足りる相当の理由がある者に該当する。」との処分理由を付記
して、本件拒否処分を原告に通知した。
(二) 異議申立ての経緯
原告は、昭和五八年四月二〇日に本件拒否処分につき被告に対し異議申立てをした
ところ、被告は、同年六月二〇日付けで右の異議申立てを棄却する旨の決定をし、
同月二二日に原告に通知した。
2 本件拒否処分の違法
(一) 旅券法一三条一項五号の違憲性
(1) 海外渡航の自由は、その憲法上の根拠を同法一三条、二二条一項、二項の
いずれに求めるかの議論は存するにせよ、憲法上保障された国民の権利であること
は疑いがなく、かつ、その権利としての法的性格は、単に経済的自由権というに止
まらず、個人の本性に属する基本的自由権としての自然権の一種であると解される
ものである。
すなわち、国民は、個人の種々の目的を達するため、広く世界各国の人々と接触し
て、思想、意見、知識等を交換し、各人の人格の形成、発展を図り、あるいは人間
的な結び付き、友好、相互理解を築くために自由に外国を旅行することが必要なの
であり、そのための海外渡航の自由は、ことに、国際的な文化、経済、政治のあら
ゆる分野における交流と相互理解、人間的接触の重要性と必要性とが飛躍的に増大
している現代社会においては、精神的自由権として把えられるべきものである。
したがつて、公権力によつて、海外渡航の自由を制約するに際しては、かかる権利
の基本的性格に照らして、慎重かつ最大限の配慮がなされなければならない。
(2) しかるに、旅券法一三条一項五号は、「外務大臣において、著しく且つ直
接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理
由がある者」について一般旅券の発給をしないことができる、とするものであつ
て、国民の海外渡航の自由を制約する規定であるところ、その拒否基準の内容が極
めて漠然とし、不明確であつて、行政府(外務大臣)の政治的考慮に基づく恣意的
な裁量判断により、右のように憲法上保障された国民の自然権的基本権である海外
渡航の自由を制約することを可能とするものであるから、憲法に違反するものとい
うべきである。
(二) 理由付記不備の違法
(1) 旅券法一三条一項五号を根拠に一般旅券の発給を拒否する場合における理
由付記は、いかなる事実関係を認定して申請者が同号に該当すると判断したかを具
体的に記載することを要するものであり、この場合、申請者の海外渡航に同号の定
めるいかなる害悪が発生するのかということと右害悪発生の相当の蓋然性が客観的
に存在する旨の判断をした根拠とが拒否の理由中に示される必要があるものであ
る。しかして、旅券法一三条一項五号の規程する一般旅券の発給の拒否基準の内容
が極めて漠然とした不明確なものであることは右(一)の(2)のとおりである
が、右(一)の(1)で述べた海外渡航の自由の権利としての性格に鑑み、また、
旅券法立法当時の国会における立法担当者である国務大臣及び政府委員の説明に徴
すると、同号の「日本国の利益又は公安を害する行為」とは、犯罪行為又は犯罪行
為の遂行に向けられた準備行為若しくは犯罪行為と密接不可分な行為のみを意味す
るものであり、「著しく・・・・・・行う虞がある」とは、右のような行為を将来
するであろうということが顕著に十分な根拠をもつて予想されることを、また、
「直接に・・・・・・行う虞がある」とは、認定した事実関係と右のような行為と
の間に直接の関係があることを指すものと解すべきである。
したがつて、右の理由付記の程度は、認定の根拠となる証拠の摘示や推論の過程の
摘示までは必要ないとしても、申請者について認定した事実関係及び申請者が行う
虞れのある右のような「日本国の利益又は公安を害する行為」の内容並びに右両者
間の因果関係が具体的事実として記載されることが要求されるものと解すべきであ
る。
(2) ところで、本件拒否処分の通知に付記された処分理由は右1の(一)のと
おりであつて、該当法条を摘示した部分を除くと「原告の従前からの日本赤軍との
密接な関係にかんがみ」というに過ぎないが、「従前から」というのがいつからで
あるか、「密接な関係」というのがどのような意味であり、どのような関係におい
て密接であるのかが全く明らかにされておらず、その理由の全体を見ても、被告が
原告の本件申請を拒否するに当たつて認定した事実関係や、原告が日本国の利益又
は公安を害するどのような行為を行うおそれがあるとするのかが一切不明であつ
て、原告の本件申請が拒否された理由を読み取ることができないものである。
したがつて、本件拒否処分の理由付記は、旅券法一四条に違反するものである。
(三) 旅券法一三条一項五号非該当
(1) 原告は医師であるが、昭和四六年四月、市民団体パレスチナ難民支援セン
ターを中心に日本アラブ友好協会、アラブ・リーグ(アラブ諸国加盟の政府間機
関)等も加わつた諸団体の支援により、レバノン共和国(以下単に「レバノン」と
いう。)在住のパレスチナ難民(以下「難民」という場合にはパレスチナ難民を指
す。)に対する医療救援のためのボランテイア医師としてベイルートに渡航し、以
後、パレスチナ解放機構(パレスチナ人の代表機関として日本国を含め国際的に承
認された準国家機関。以下「PLO」という。)の正式機関であるパレスチナ赤三
日月社(PRCS。世界保健機構(WHO)にも加盟する概ね日本国における日本
赤十字社に相当する機関で、月赤十字社ともいう。以下単に「赤三日月社」とい
う。)に所属する医師として、レバノン各地の難民キヤンプ内の赤三日月社の医療
機関において、医療活動を中心に、衛生活動及び医療教育活動に専心してきたもの
であり、さらに、昭和五七年のイスラエルのレバノン侵略により、赤三日月社がP
LOの詣機関と共にシリアに撤退した際にはこれと同行してシリアに移り、その後
はダマスカスの難民キヤンプ内の赤三日月社の医療機関において同様の活動に従事
して、昭和六二年一一月に帰国したものであつて、この十数年間の原告の献身的な
医療活動は、諸外国から高い評価を受け、現地において敬愛の念を集めているとと
もに、日本人に対する信頼感を高める上に少なからぬ役割を演じてきたものであ
る。
(2) しかして、原告は、右のように、PLOの正式機関である赤三日月社の医
療機関で働き、医療活動を通じてパレスチナ人を支援する立場にあつて、パレスチ
ナ人から生地パレスチナを奪つた上これを圧殺しようとするイスラエル政府の政策
を憎み、これに対し医師としての立場からパレスチナ人と共に闘おうとする決意を
有し、また、それ故に日本政府のイスラエル寄りの政策に対して批判的であること
は、これを隠すものではないが、日本赤軍なる組織との間には何らの関係をも有す
るものではなく、これとの間に密接な関係を有するとか、そのテロ活動その他の非
合法武力活動を援助助長するとかいつた事実は全く存在しない。
(3) 以上のとおり、本件拒否処分は事実を誤認してされたものであつて、旅券
法一三条一項五号に違反する違法がある。
3 よつて、原告は、本件拒否処分を取り消すことを求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1は認める。
2 (一) 同2の(一)のうち、海外渡航の自由が憲法二二条の保障する国民の
権利であることは認め、その余は争う。
(二) 同(二)は争う。なお、旅券法立法当時の国会における国務大臣及び政府
委員の説明は、同法一三条一項五号の「日本国の利益又は公安を害する行為」を犯
罪構成要件に該当する場合のみに限るとする趣旨ではないし、同号の解釈は、旅券
法という行政法規独自の見地からされるべきものであつて、犯罪構成要件にとらわ
れる理由はない。
(三) (1)同(三)の中のうち、原告が医師であること、昭和四六年四月にパ
レスチナ難民支援センター等の支援によりボランテイア医師としてベイルートに渡
航してレバノン各地の医療機関において医療活動に従事したこと、昭和五七年にP
LOがレバノンから撤退した際にこれと同行してシリアに移住し、ダマスカスの医
療機関において医療活動に従事したこと、昭和六二年一一月に帰国したことは認
め、その余は不知。
(2) 同(2)のうち、原告が日本赤軍との間に何らの関係も有さず、その非合
法活動を援助助長するといつた事実が存在しないことは否認し、その余は不知。
(3) 同(3)は争う。
三 被告の主張
1 本件拒否処分についての被告の権限
請求の原因1の(一)のとおり、本件拒否処分は、当時シリアに在留していた原告
が、在シリア日本大使館を経由して被告に対してした一般旅券発給申請を受けて、
被告が行つたものであるが、以下のとおり、被告は、本件拒否処分を行う権限を有
するものである。
(一) 旅券法三条一項によれば、国外において一般旅券の発給を受けようとする
者は、もよりの領事館(領事館が設置されていない場合には大使館又は公使館。以
下同じ。)に出頭の上、領事官(領事館の長をいう。以下同じ。)に所定の書類を
提出して、一般旅券の発給を申請しなければならないとされ、また、同法五条一項
及び六条一項によれば、国外においては、領事官が一般旅券の発行及び交付をする
ものとされている。これらの規定は、一般旅券の発給申請並びに発行及び交付に関
する事務を所掌する機関を定めたものであり、旅券法は、これらの事務手続につい
ては、申請者の現在するところで処理することとして、迅速かつ便宜に行われるよ
う配慮しているものである。
他方、旅券法一三条一項によれば、外務大臣又は領事官は、一般旅券の発給を受け
ようとする者が同項各号の一に該当する場合には一般旅券の発給をしないことがで
きるとされ、また、同法一四条によれば、外務大臣又は領事官は、同法一三条に基
づき一般旅券の発給をしないと決定したときは、すみやかに理由を付した書面をも
つてその旨を通知しなければならないとされていて、これらの場合には、当該一般
旅券発給の申請者が国内にあるか国外にあるかを区別していない。これらの規定
は、一般旅券の発給の許否の決定及びこれに関連する手続は、国民の基本的人権の
制約に関する事項を含むとともに旅券行政上最も重要な手続であるから、右判断を
するにふさわしい専門的知識、資料あるいは権限を有する者が行うのが最も適当で
あるという観点から、一般旅券の発給の許否の判断及びその発給拒否の権限を、発
給申請並びに発行及び交付の事務手続とは異なつて、当該一般旅券発給の申請者が
国内にあるか国外にあるかを区別することなく、外務大臣又は領事官に付与したも
のである。
(二) もつとも、旅券法一三条一項五号に該当することを理由として一般旅券の
発給を拒否する権限については、外務大臣の専門的裁量判断に委ねられているので
あつて、領事官は同号該当性を判断する権限を有しない。すなわち、外務大臣は、
同号に基づいて旅券の発給を拒否しようとするときは、あらかじめ法務大臣と協議
をした上で行うこととされており(同条二項)、この判断過程において、領事官が
関与する余地はないのであるから、同法一三条一項五号を理由に一般旅券の発給を
拒否する権限は外務大臣の専権に属するものであり、その限りにおいて領事官の権
限が排除されているというべきである。このことは、当該一般旅券発給の申請者が
国内にあると国外にあるとを問わないのである。
(三) 旅券の発給の許否を決定するに当たつては、後記3の(三)の(1)のと
おり、国内の政治、経済、社会等の諸事情、外交関係等の諸般の事情を斟酌し、時
宜に応じた的確な判断をすることが要請されており、このような判断は、事柄の性
質上、旅券行政の責任を負う外務大臣が行うのが最も適当である。一般旅券の発給
に関する事務の権限は、本来外務大臣の固有の権限と解すべきであるが、右権限の
うち、国外における一般旅券の発給申請並びに発行及び交付という事実行為に属す
る事務については、旅券法の定めるところによつて領事官に委任されており、ま
た、同法一三条一項一号ないし四号の二の拒否事由は具体的・個別的であつて、そ
の該当性の判断に専門的裁量を要するものでないから、旅券事務の迅速、便宜を考
慮して、右事由を理由とする発給の許否を決定する権限を、外務大臣と並んで領事
官に対しても付与したものである。もつとも、事務手続上は、領事官が右事由を理
由として発給拒否処分をする場合においても、外務大臣の伺いを経た上でこれを行
うものとされている。
(四) 領事官は、外務公務員法上、外務職員に該当するものであるから(同法二
条一項七号、五号)、その任免権限は外務大臣にあり、その職責遂行についても外
務大臣の指揮監督を受けるものである(国家公務員法五五条一項)。また、大使館
の長である特命全権大使は、外務大臣の命を受けて、大使館の事務を統括し(外務
省設置法一〇条三項参照)、大使館又は公使館が設置されている地に領事館が設置
されていない場合には、特命全権大使又は特命全権公使は、領事事務について外務
大臣の命を受けるものと解されている(同法一一条三項)。したがつて、旅券法一
一二条一項一号ないし四号の二のように旅券発給拒否の決定について領事官が外務
大臣とともに職務を行う権限を有する場合においても、領事官が外務大臣の判断に
優越する独自の権限を付与されているものと解することは行政組織上できない。そ
して、同法一三条一項五号の該当性については、法律上専ら外務大臣が行うものと
された事項であり、外務大臣の職責において行われるのであつて、領事官の権限は
排斥されることとなるのである。
(五) 以上のとおり、被告は、本件拒否処分を行う権限を有するものである。
2 理由付記の適法性
被告が本件拒否処分の通知に付記した理由は請求の原因1の(一)のとおりであ
る。
しかして、日本赤軍は、後記3の(一)の(2)のとおり、これまで海外で度重な
る破壊的暴力活動を敢行してきた極左暴力集団であつて、今後も同様の活動を行う
危険性が極めて高く、このことは、新聞、雑誌、テレビ等の報道によつて広く知ら
れた公知の事実である。そして、このように公知の事実である日本赤軍のこれまで
の破壊活動に鑑みて、日本国の利益又は公安を害するおそれのあるような日本赤軍
との「密接な関係」がある者とは、その構成員ではないが、単なる共感者に止まら
ず、日本赤軍に対して有形無形の支援活動をするなどしてその破壊活動を援助助長
するような関係にある者を意味することは明らかであり、したがつて、本件拒否処
分に付記された理由を全体としてみると、一般旅券発給の申請者である原告が右の
ような者であることを拒否の理由としていることが明白であるから、一般旅券発給
拒否の原因事実関係の記載として欠けるところはないというべきである。
そうすると、本件拒否処分に理由付記不備の違法があるとする原告の主張は失当で
ある。
3 旅券法一三条一項五号該当性
(一) 日本赤軍の組織実態及びその破壊活動等
(1) 日本赤軍の組織実態
日本赤軍は、日本の極左団体の一である共産主義者同盟赤軍派を母体として、昭和
四六年二月にアラブに渡つた同派中央委員aらが同派から分派して組織したグルー
プであつて、当初はアラブ赤軍とも称し、国際・国内遊撃戦を中心にあらゆる人民
の指導勢力の結集を図り、世界革命へ向けての根拠地たるべき日本人民共和国を建
設しようとの独善的な闘争理論を掲げ、後記(2)のとおり破壊活動等を展開し、
かつ、後記(3)のとおり今後も同様の破壊活動を展開しようとするものである。
日本赤軍は、aをキヤツプとする約二〇人の日本人グループで構成され、その組織
としては、最高指導機関である政治委員会の下に調査、兵站等を担当する組織委員
会及び軍事の実行を担当する軍事委員会が置かれており、軍事委員会に所属する実
行担当者(コマンド)によつて、後記(2)のテロ、ゲリラ事件が引き起こされて
いる。
日本赤軍の活動拠点はアラブ諸国であるが、日本国内にも海外から送還された日本
赤軍関係者を含め一〇〇名を下らない支援グループが存在するとみられている。
(2) 日本赤軍による破壊活動等
日本赤軍が過去において行つた破壊活動等は次のとおりである。
ア テルアビブ・ロツド空港事件
日本赤軍コマンドであるb、c及びdは、昭和四七年五月三〇日、イスラエルのテ
ルアビブ・ロツド空港の待合室で群衆約三〇〇人に向けて自動小銃を乱射し、手投
げ弾を爆発させて、九八人を殺傷するという無差別殺人事件を敢行し、b、cはそ
の場で自爆したが、dは、イスラエル当局に逮捕された後、終身刑の判決を受けて
服役していた。
イ 日航機ハイジヤツク事件
日本赤軍コマンドであるeは、アラブゲリラ四名とともに、昭和四八年七月二〇
日、日本航空の旅客機(乗員二二名、乗客一二三名)をアムステルダム上空で乗つ
取り、アラブ首長国連邦のドバイ空港を経て、同月二五日にリビアのベンガジ空港
に着陸させ、乗員乗客を解放した後、同機を爆破した。eら犯人はリビア軍に逮捕
されたが、まもなく釈放され、日本赤軍に合流した。
ウ シンガポール・クウエート事件
日本赤軍コマンドであるfら二名は、アラブゲリラ二名とともに、昭和四九年一月
三一日、シンガポールのシエル石油製油所を襲撃爆破し、フエリーボートを奪つて
乗組員を人質として海上に逃れた。一方、その支援として、同年二月六日、アラブ
ゲリラ五名が在クウエート日本大使館を占拠し、大使ら一六人の人質と交換にシエ
ル石油製油所襲撃ゲリラグループを日本航空特別機でクウエート空港まで移送さ
せ、合流した上、同月八日、同機を南イエメンのアデン空港に着陸させ、右ゲリラ
九名は、南イエメン政府の管理下に入つた。
エ 翻訳作戦
日本赤軍は、昭和四九年二月ころから同年六月ころまで、aらが中心となり、西ド
イツのデユツセルドルフの日本商社の支店長クラスの人物を人質として身代金を強
奪することを企て、gらにおいて調査活動を継続していたが、同年七月二六日に後
記オのとおりhがフランス当局に逮捕されるに及び中止した。
オ パリ事件及びハーグ事件
日本赤軍構成員hは、昭和四九年七月二六日にフランスのオルリー空港において、
同国に入国するに際し、i名義の偽造旅券を同空港の税関職員に提示したため逮捕
された。
日本赤軍コマンドであるf、j及びkは、昭和四九年九月一三日、オランダのハー
グのフランス大使館を襲撃占拠し、大使ら一一名の人質と交換にフランス当局から
hを奪還するとともに、オランダ当局から三〇万ドルを強奪した上、同月一七日、
フランス航空機でスキポール・アムステルダム空港を離陸し、同月一八日にシリア
のダマスカス空港に着陸し、シリア政府の管理下に入つたが、同年末までには日本
赤軍に合流した。
カ ストツクホルム事件
日本赤軍構成員j、l及びmは、昭和五〇年三月五日、スウエーデンのストツクホ
ルム市内で、レバノン大使館の出入り状況について調査中、警察官に職務質問され
て偽造旅券を提示し、j及びmがスウエーデン当局に逮捕された。
キ クアラルンプール事件
日本赤軍コマンドであるl、kら五名は、昭和五〇年八月四日、マレーシアのクア
ラルンプールのアメリカ大使館及びスウエーデン大使館を襲撃して、アメリカ領事
ら五三人を人質にとつて両大使館を占拠し、人質と交換に日本で拘禁中のj、m、
n、o及びpを奪還した上、同月七日、クアラルンプール空港を日本航空特別機で
離陸し、同月八日にリビアのトリポリ空港に着陸してリビア政府の管理下に入つた
が、まもなく日本赤軍に合流した。
ク ダツカ空港事件
日本赤軍コマンドであるj、e、o、nら五名は、昭和五二年九月二八日、日本航
空の旅客機(乗員、乗客合計一五六名)がインドのボンベイ空港を離陸した直後
に、これを乗つ取り、バングラデイシユのダツカ空港に着陸させ、人質と交換に日
本で拘禁中のk、q、r、s、t及びuを奪還するとともに、現金六〇〇万ドルを
奪つた上、同年一〇月三日、
ダツカ空港を離陸し、ダマスカスを経てアルジエリアのダル・エル・ベイダ空港に
着陸し、同月四日、人質を解放して、アルジエリア政府の管理下に入つた。
ケ ジヤカルタ日本大使館等襲撃事件
昭和六一年五月一四日、インドネシアのジヤカルタ市内において、日本大使館及び
アメリカ大使館に迫撃弾が撃ち込まれ、さらにカナダ大使館が入居しているビルの
前に停めてあつた同大使館の公用車に仕掛けられていた爆発物が爆発する事件が発
生したが、この事件に日本赤軍構成員であるsが関与していたことが判明した。
コ ローマ米大使館等襲撃事件
昭和六二年六月九日、イタリアのローマ市内においてアメリカ大使館及びイギリス
大使館にロケツト弾が撃ち込まれ、アメリカ大使館近くに駐車中の自動車が爆破さ
れる事件が発生したが、イタリア警察は、この事件の犯人を日本赤軍の構成員であ
るk及びsと断定した。
サ vの爆発物所持事件
昭和六三年四月一二日、アメリカのニユージヤージー州において、vが爆発物を所
持していて、同国の警察に逮捕されたが、同国の連邦検事局は、この事件で、vを
日本赤軍構成員であるとする捜査文書をニユージヤージー州連邦地方裁判所に提出
した。
シ ナポリ米軍クラブ前車両爆破事件
昭和六三年四月一四日、イタリアのナポリ市内において、米軍クラブ前に駐車中の
自動車が爆破され、米軍人ら五人が死亡する事件が発生したが、イタリアの警察
は、日本赤軍構成員a及びkをこの事件の犯人と断定した。
(3) 日本赤軍による破壊活動等再発の危険性
日本赤軍が昭和五二年以降昭和六三年までに、後記人民新聞、英文機関誌「ソリダ
リテイ」、パンフレツト等に発表した各種声明文等において、武装闘争の正当性及
び必要性を訴え、今後もこれを維持継続していく趣旨の宣言をしていること、日本
赤軍の中心人物であるaが昭和五六年以降昭和六〇年までに新聞記者等と会見し又
は雑誌に手記を発表して、同趣旨の発言をしていること、並びに、昭和六〇年五月
二四日付け読売新聞夕刊が、日本赤軍が最近においても中東を拠点として活動を続
けており、PLO内急進派又は後記パレスチナ解放人民戦線(PFLP)と密接な
関係を保つとともに、その組織力、発言力も相当に強く、dの奪還にも関与してい
る旨報道していることなどに照らすと、日本赤軍は、
本件拒否処分当時である昭和五八年においてはもとより、今後も従前のような破壊
活動を繰り返す危険性を十分に有している。
(4) 日本赤軍とパレスチナ解放人民戦線(PFLP)との関係
ア パレスチナ解放人民戦線(以下「PFLP」という。)は、フアタハ等多くの
派閥によつて構成されているPLO内の一組織であるところ、その路線は、PLO
多数派が穏健中道寄りであるのに対して、マルクス・レーニン主義を標傍し、各種
闘争において過激な方向を指向する最左翼急進主義派に属し、その活動もパレスチ
ナゲリラの中にあつては最も過激であつて、これによつて敢行されたハイジヤツク
闘争等の非合法的活動も数多いところである。
PLOは、政治局、情報局、海外局等一三部門から構成されるところ、PFLP
は、その中で、p24PLO議長の出身母体であるフアタハが委員の九〇パーセン
トを占める情報局に少数の代表を送つているに過ぎない少数派であるが、過去に
は、昭和四八年から昭和五六年までの間、政治的主張の対立から、八年以上PLO
に代表を派遣しないこともあり、また、昭和五七年六月以降のイスラエルのベイル
ート侵攻に対し、PLO内部が国外退去か徹底抗戦かをめぐつて激しく対立した
際、PFLPは、p24PLO議長の国外退去提案に対し最後まで反対して、PL
Oとの訣別も予想される事態となるようなこともあつた。
イ 日本赤軍は、その成立の当初からPFLPと極めて密接な関係がある。即ち、
aがレバノンに渡航してすぐにPFLPに連絡し、その庇護の下に活動を開始した
ことを始めとして、テルアビブ・ロツド空港事件がPFLPの指導のもとに一部の
日本赤軍構成員が敢行したものであることは両組織自身が認めているところである
し、シンガポール・クウエート事件、d奪還闘争等においても両組織は共闘関係に
あり、その他日常的な戦闘活動においても日本赤軍ほPFLPと行動を共にし、ま
た、aも、雑誌記者等との会見において、日本赤軍がPFLPと親密な関係にある
ことを認めているところである。
なお、後記(二)の(3)のアのとおり、「日本PFLP医療委員会」、「PFL
P日本人医療隊」なる組織の存在が認められるところであるが、これも、日本赤軍
とPFLPとの右のような関係に基づくものと認められる。
(二) 原告と日本赤軍との関係
次の各事実を総合すると、
原告が日本赤軍と密接な関係を有することは明らかである。
(1) 原告の出入国及び中東地域における移動状況
ア 原告は、昭和四六年四月、パレスチナ難民支援センター等の後援により、ボラ
ンテイア医師として、看護婦のwとともに日本を出国し、同月末からベイルート市
内の赤三日月社のアルコツツ(ジエルサレム)病院において医療活動をする傍ら、
同市内のシヤテイーラキヤンプ内の診療所でも稼働をした。
イ 原告は、昭和四六年冬ころ、政治的立場の相違によりwと喧嘩別れの状態とな
つたため、同人とは別行動をとることとし、レバノン南部のスールにあるラシヤデ
イーエキヤンプ内のPFLP直轄のラシヤデイーエ診療所に移り、昭和四九年五月
まで同診療所で医療活動に従事した。
ウ この間、原告は、昭和四七年三月から同年五月までは帰国しており、また、昭
和四八年五月から同年七月まではベイルートのシヤテイーラキヤンプに診療の応援
に赴いた。
エ 原告は、昭和四九年五月からは、スールにあるプルジユシユマーリキヤンプ内
の赤三日月社の病院に籍をおき、PFLPのラシヤデイーエ診療所も手伝つていた
が、昭和五一年二月から同年一二月まではベイルート市内のアラブ大学救急病院そ
の他の救急病院で稼働し、昭和五二年に再度スールに戻り、昭和五七年六月までア
ルバス病院、レバノン民族戦線ナバテイエ診療所等で稼働した。
オ 原告は、昭和五七年六月、たまたまベイルートに滞在中に、イスラエルが南部
からレバノン侵略を開始したためスールに戻ることができなくなり、そのままベイ
ルートに止まつて、トライアンフ病院等において診療活動に従事し、同年八月、在
レバノン日本大使館係員に一般旅券の発給を求める希望を伝えたが、同年八月末、
ベイルートから撤退したPLOと行動を共にしてシリアに移住し、ダマスカス市内
のヤルムークキヤンプ診療所、デルヤシン診療所等に勤務したが、昭和六二年一一
月に帰国した。
(2) 原告と日本赤軍との直接の関係を示す事実
ア aとの交際関係
原告は、昭和四六年にベイルートに渡航してから、現地において、日本赤軍の中心
人物であるaと交際し、テルアビブ・ロツド空港事件が発生した昭和四七年五月三
〇日以降も、同人との接触を保つていたばかりでなく、aが日本赤軍の最高幹部と
してその破壊活動を指導していることを知りながら、
後記イ及びウのとおり、日本赤軍のアジトに出入りし、また、積極的にaと他の者
との連絡役等を務めていた。
イ g及びjの供述
a gは、日本赤軍構成員として翻訳作戦に参加し、その後アメリカに密入国しよ
うとして、昭和五〇年九月一日に偽造有印私文書行使の被疑事実により日本の警察
当局に逮捕された者であるが、逮捕後の勾留期間中である同月八日及び一五日の司
法警察員の取調べに対し、同人がベイルートに滞在していた昭和四九年八月末から
同年一二月末までの状況を供述するに際して、当時、ベイルートに残つていた人物
として、「a、e、l、x、y、z(日本人女性三〇才位)、痩身の二〇才くらい
の日本人女性、m」を挙げた上、司法警察員が示した一三〇葉の写真の中からe等
の日本赤軍構成員の写真とともに原告の写真を選別して、これを「z、三〇才位
女」と特定し、さらに、昭和四九年九月ころに日本赤軍がハーグ事件の成否に関心
を寄せ、ベイルートに残留していたa、e、y、l及びgもが当時の日本赤軍のア
ジトであつた「なみだ橋」に集まり、ラジオ、新聞の報道に関心を払つていた状況
を供述するに当たり、z即ち原告が時々右「なみだ橋」に来て、日本赤軍構成員と
ともに、ハーグ事件の成り行きを見守つていたことを述べている。
なお、gに対しては、取調べの時点で供述拒否権が適法に告知されており、また、
同人自身アメリカに入国しようとした意図等については否認ないし供述を拒否して
いて、供述拒否権があることは十分に知悉しており、その上で、自己の意思で任意
に供述をし、あるいは供述を拒否していたのであるから、取調官がgを誘導し得る
余地はなく、gが虚偽の供述をすることも考えられないし、また、gに対する取調
べは、食事時間や休憩時間も設けられていて、時にはgから冗談が出るようなこと
もあるような状況であつたので、gの供述が任意に出たものであることはもとよ
り、その内容も真実と認めることができる。このことは、gの供述の内容が極めて
詳細かつ具体的であること、gは、逮捕当初選任した救援連絡センター所属の弁護
士を勾留中に解任し、人民救援会からの差入れも辞退するなど、いわゆる「落ちた
被疑者」となつていたことからも明らかである。
b 日本赤軍構成員のjは、昭和五〇年五月二日の司法警察員の取調べにおいて、
五一葉の写真の中から、日本赤軍関係者を選別し、それらのものの活動状況につい
て説明をしているが、その際、f、k、h、e、l、m、a、p1、p2、p3、
g、p4、yの写真とともに原告の写真を抽出し、名前は知らないが、ベイルート
のアジトで見かけたことがある旨を供述している。
jが原告をアジトで見かけた時期については、jの供述からは特定することができ
ないが、jが昭和四八年五月に日本を出国して日本赤軍に加わり、昭和四九年九月
のハーグ事件に参加してシリアで投降した後、同年末ころまでに釈放され、さらに
昭和五〇年三月にストツクホルム事件で逮捕されていること、jはgとともに翻訳
作戦に参加し、同作戦の総括のためベイルートでgと会つていること等に徴する
と、昭和四九年末ころと推認することができる。
なお、jは、司法警察員の取調べに対し、当初は黙秘を続けていたが、後に供述を
始めたものであり、「アジト」という用語も同人から用いたもので、また、原告の
写真を選別した際の態度についても、見たのはこの人かも知れないという程度のも
のではなく、事実原告を見たとして選別したものであつて、その供述が任意にされ
たものであることはもちろん、信用性も極めて高いものである。
c なお、日本赤軍の構成員は、逮捕されても各種活動、構成員氏名とその役割、
アジトの所在等について、自供することがなかつたところ、昭和五〇年三月にスト
ツクホルム事件でj及びmが逮捕され、また、同年九月にgが逮捕されて、それぞ
れ取調べに対し日本赤軍に関する事項を詳細に供述するに及んで、日本赤軍のアジ
トの所在、構成員の状況、活動内容等が公安当局に明らかとなつて、日本赤軍は大
きな打撃を受けたが、これに関連して、日本赤軍ないしaは、事あるごとに、自己
批判の対象としてストツクホルム事件の「敗北」を説いて構成員に反省を求めてお
り、このことは、j、g及びmが取調べにおいて日本赤軍に関する真実をいかに多
く供述したかを物語るもので、このことからしても、g及びjの供述が真実に合致
し、信用できるものであることは明白である。
d 以上のとおり、原告は、日本赤軍のアジトに出入りし、
aを初めとするその構成員と会つていたものである。
ウ p5の手紙文
司法警察員が、昭和四九年二月五日に、y(同人は、同年六月に出国して日本赤軍
に合流している。)を中心として結成され日本赤軍の国内支援組織と認められる世
界革命情報センター(以下「IRF・IC」又は「IRF」という。)の事務所を
捜索した際に押収した手紙文(乙第一五三号証)は、その内容及びyの司法警察員
に対する供述に照らしてyと親交のある映画評論家のp5がベイルートからyに宛
てて出したものと認められるところ、その内容中に、aとの接触を求めてベイルー
トを訪れたp5に「z」が会つて、aの見解を伝えたとする部分が存在する。
p5はベイルートにおいて、p6、p7及びp8(映画監督p9)と合流の上、a
にインタヴユーしているのであるが、右手紙文は、その内容の右インタヴユーに関
する部分の一部がaの著書のp7の後書き及び雑誌に掲載されたaとp6との対談
記事の記述と一致していて信用性が高いと認められ、かつ、右手紙文が作成された
時期は、p5の出入国の日、手紙文中のp7、p9、p6の出入国の日、p5らに
よるaへのインタヴユーの日との前後関係から昭和四八年一〇月ころと特定される
ものであるところ、これはaが行方をくらました昭和四七年四月の後のことであ
る。
ところで、日本赤軍関係者の間で原告を「z」と呼ぶことがあつたことは、前記イ
のaのgの供述によつて明らかであり、また、当時、レバノンに滞在していた日本
人で「z」と呼ばれ得る者は原告以外にあり得ず、したがつて、右手紙文の「z」
は原告を指すものであるところ、右の事実によれば、原告は、スールに移住した後
も、aとの交際を継続していたばかりか、日本赤軍最高幹部として所在を秘匿する
必要のあつたaと同人に対する訪問者との連絡役を務めていたと認められるのであ
る(なお、スールとベイルートとの距離は約七〇キロメートルで、交通機関が円滑
に運行している限りその間を移動することはさほど困難でなく、前記(1)のとお
り、原告はしばしば往復しているところである。)。
エ yのノート
司法警察員が、昭和四九年二月四日に、yの着衣、所持品について捜索差押えをし
た際に押収したyのノート(乙第一五六号証。なお、同ノートの表紙には、上部に
「y」と、中央部に「I・R・F」と、下部に「p10」と記載されている。)中
に、「日本人戦士奪還闘争」との表題の下に、H・J闘争に関し、IRFらの団体
がリビア大使館に又は電文によりリビア政府に陳情をし、かつ、リビア政府に対す
る直接陳情のため、アラブ赤軍から「p11」が、東京から「p10」がトリポリ
に派遣されるとの計画について記載がある。
右のH・J闘争とはハイジヤツク闘争の意味であり、かつ、右ノートの押収年月日
及び陳情先がリビア政府とされている点に照らして、日本赤軍コマンドeらが昭和
四八年七月二〇日にアムステルダム上空で日本航空機をハイジヤツクし、リビアの
ベンガジ空港でこれを爆破して、リビア軍に逮捕された日航機ハイジヤツク事件を
指すものと解されるところ、右計画においてトリポリに派遣されることとされた者
のうち、「p10」はy自身のことであり、また、「p11」が、右ウのとおり、
日本赤軍内部において「p11(z)」が原告を指称するものであつたこと及び他
の日本赤軍関係者にp11と呼ばれる者が存在しなかつたことから、原告を意味す
ることは明らかである(なお、p11が男性に対する呼称であり女性形はドクトー
ラとなるべきであるにしても、右ノートの記載は必ずしも現地語に堪能でないと思
われるyによるものである上、原告自身が現地において「p12」と呼ばれていた
のであるから、p11を原告を指称するものと解する妨げとはならない。)。
右の事実は、原告が、日本赤軍内部において、yと並んでハイジヤツク犯人の奪還
闘争の一環としての対政府交渉を委ねられる程の地位にあつたことを示すものであ
る。
オ 換字表の記載
司法警察員は、右エのとおり、昭和四九年二月四日に、yの着衣、所持品について
捜索差押えをした際に、「1 p13」から始まり「191p14」で終わる人
名、地名等を数字に対応させた記載があり、かつその二番目に「2 p15」との
記載のあるメモ三枚(以下「第一の換字表」という。)及び同じく「1 f」から
始まり「188 p16」で終わる人名、地名等を数字に対応させた記載があり、
かつその二番目に「2 p17」との記載があるほか、0から9までの数字を平仮
名に、また1から12までの数字を他の数字に対応させる記載のあるメモ二枚(以
下「第二の換字表」という。)を押収し、また、右ウのとおり、昭和四九年二月五
日に、IRF・ICの事務所を捜索した際に、0から9までの数字を平仮名に、ま
た一月から一二月までを他の月に対応させる記載があるほか、「1 f」から始ま
り「253 p18」で終わる人名、地名等を数字に対応させた記載があり、か
つ、その九番目に「9p17」との記載のある切り裂かれたメモ(以下「第三の換
字表」という。)を押収した。
右各換字表は、第一、第二の換字表についてのyの供述、第一の換字表の三枚目に
aの筆跡によるメモが貼付されていたこと、yがaの旧友であり、当時から日本赤
軍のスポークスマン的存在でその様々な声明を発表している立場であつて、日本赤
軍幹部としてaに次ぐ地位にあると認められることなどから、日本赤軍との暗号文
による通信の解読に現実に使用されていたものであることが明らかであるところ、
それに記載された用語は、日本赤軍構成員の本名又は暗号名、地名、政党名、日本
赤軍と何らかの接触を持つた者の氏名、活動行為の必需品、作戦の成否等に係るも
のばかりで、乱数表の要素や目くらましのための不要な語の混入があるとは認めら
れないから、右各換字表に記載された氏名又は暗号名のうち、日本赤軍と接触した
ジヤーナリスト、著名人、世界の政治家等日本赤軍構成員でないことが明らかであ
るものを除いた者は、日本赤軍構成員又はその関係者である公算が極めて高いもの
というべきである。しかして、第二の換字表及び第三の換字表には原告の名前が、
また、第一の換字表には原告の現地名であるp15が、それぞれ日本赤軍構成員の
本名又は暗号名とともに、しかも比較的上位に記載されているのであるから、原告
が日本赤軍と密接な関係を有していたことが推認できるものである。
(3) 原告とPFLPとの関係
日本赤軍とPFLPとが極めて緊密な関係の下に活動してきたことは、前記(一)
の(4)のとおりであり、また、原告が昭和四六年冬ころに自らの意思でwと訣別
してPFLP直轄の診療所に移動したことは、前記(1)のイのとおりであるとこ
ろ、互いにPFLPと緊密な関係を持つ原告と日本赤軍とが様々な理由により接近
ないし接触する機会がもたれることはむしろ当然であり、以下の事実からもその接
触が推測されるものである。
ア 原告の発表した声明文
I RF・ICが他の組織と共同編集して昭和五〇年六月三〇日に出版した「隊伍
を整えよ-日本赤軍宣言」と題する出版物には、「PFLP日本人医療隊」の声明
文が三通、「日本PFLP医療委員会」の声明文が一通掲載されているところ、右
各声明文の内容のうち、声明者の所在を示す部分を日付とともに示すと、
(1) 「ここ、南レバノンで人民の医療にたずさわつてはや一年が過ぎました。
一九七二年八月一〇日」
(2) 「我々は、一昨年より・・・・・・パレスチナ難民キヤンプ及びレバノン
南部国境での医療活動を行つてきました。もちろんPFLP医療委員会の要請に応
じ、最前線での救護活動と難民キヤンプでの診療活動を中心に一年間を闘つてきま
した。そして、今は、四月中旬以来、ベイルートの中心にある最大のキヤンプシヤ
テイーラで闘つています。七三・五・二〇」
(3) 「私たち日本人医療隊は、その最前線で一歩も退かず、・・・・・・一九
七三(日付不明)」
(4) 「イスラエルは、南部国境のレバノン村人達の誘拐等、国境侵犯をいつも
より強化している。一九七五年五月三〇日」
となり、これを前記(1)の原告の移動状況と対比すると両者が一致することが判
明する。さらに、当時レバノンに居住しつつ医療に従事していた日本人女性は原告
とwのみであるところ、wがベイルート近辺に止まつており、原告がスールのPF
LP直轄の診療所に赴き、主としてレバノン南部の病院で稼働していたことも前記
(1)のとおりである。そうすると、右の四通の声明文はPFLPと密接な関係を
有する日本人の医療関係者が作成したものであり、かかる者としては原告以外に考
えられないから、いずれも原告の作成に係るものと推認することができる。
しかして、右の各声明文は、日本赤軍の闘争を讃え、「同志」との特殊な呼掛けを
し、かつ、日本赤軍兵士の逮捕を憂うるなど、その内容は極めて過激であり、ま
た、日本赤軍の主張に酷似するものである。また、この声明文の掲載は、「隊伍を
整えよ-日本赤軍宣言」と題する出版物の編集者からの依頼によるものであると考
えられるから、右各声明文は、PFLPと原告との密接な関係のみならず、日本赤
軍又はIRF・ICと原告との密接な関係をも示すものである。
イ 新聞報道によるPFLP幹部の発言等
昭和四七年六月二日付け東京新聞は、PFLPのp19・スポークスマンが同月一
日に共同通信記者と会見し、PFLPに協力している日本人として赤軍派幹部のa
と医師p20(原告の氏名を誤記したものと思われる。)を挙げ、「二人とも実に
よい人で働いてもらつて助かつている。」とした上、「p20さんはレバノン南部
にある難民キヤンプで働いており、aさんは最近日本から医療機械などの救援物資
が到着したので、それの使い方を教えるため現在同じ難民の病院で働いている」と
述べた旨の報道をし、また、同紙は、さらに、レバノンの新聞デイリー・スター
が、同日、テルアビブ空港を襲撃した日本人はPFLPに加わつている赤軍(ジヤ
パニーズ・レツド・アーミー)グループの一部であり、同グループには女性を含む
日本人医師からなる医療隊があり、赤軍は、医師、看護婦、器材からなる完全な野
戦病院の提供を約束したが、これは「交流計画」の一部として取り決められたもの
である旨を報じたとの報道をした。
さらに、昭和五七年一二月二一日付けサンケイ新聞及び同日付け朝日新聞は、日本
赤軍に近いPFLP幹部が同月一九日にレバノンで時事通信記者と会見してその当
時の日本赤軍の動向を明らかにし、その中で、日本赤軍は現在一七、八人で、最高
幹部のaら少なくとも四人はシリア国内にいること、このうち、aはp21という
シリア人名で自分の子供と一緒にいること、他の三人はダマスカス市内のPFLP
事務所近くにおり、一人は女医、もう一人は歌が上手な女性であることを伝えた旨
を報道した。
このように、原告と密接な関係を有するPFLPの幹部においてさえ、原告を日本
赤軍の一員であると理解しており、また、原告はaと行動を共にしていたのであつ
て、原告は日本赤軍関係者として行動していたものというべきである。
(4) その他の事情
ア レバノン国防当局からの情報
レバノン国防当局から日本の外務省に対する情報によれば、レバノン国防当局は、
PLOが撤退した後、ブルジユ・バラジユネキヤンプを調査し、撤退前まで三人の
日本赤軍女性がおり、そのうちの一人はp22という名前であつたことを把握し
た。
原告の現地名がp22(p23又はp15。なお、アラビア語の発音には本来
「オ」の母音はなく、「ウ」の母音に近く発音される。)であることは、前記
(2)のエ及びオのとおりであるから、原告はレバノン国防当局からも日本赤軍関
係者と目されていたことが明らかである。
イ 原告及び日本赤軍コマンドの出入国時期の一致
前記(1)の原告が日本に出入国した時期は、日本赤軍コマンド、特にeらのそれ
と一致している。このことは、原告が日本国内において、コマンドの「一本釣り」
又は外国送り出しに何らかの役割を担つていたことを推測させるものである。
ウ 原告のシリアにおける居住地とPFLP及び日本赤軍の勢力範囲の一致
原告は、前記(1)のとおり、ベイルート撤退後、シリアのダマスカスに移住し、
ヤルムークキヤンプ診療所等で稼働していた。
他方、ダマスカス近郊には、パレスチナ解放人民戦線総指令部派(以下「PFL
P・GC」という。)のキヤンプがあり、日本赤軍構成員dを始めイスラエルの捕
虜とされていたパレスチナゲリラが、解放後、同キヤンプからベカー高原に移動し
たほか、前記(3)のイのとおり、PFLPの幹部筋が、aと共に原告も日本赤軍
の構成員としてダマスカス市内にいることを表明しており、日本赤軍構成員fもダ
マスカスのキヤンプにいたことが外国の新聞記者により確認されている。また、ダ
マスカスは、ベカー高原に至る交通の要所で、同高原にいるとされる日本赤軍の前
線を訪れるジヤーナリストはいずれもダマスカス経由で、シユトウーラ又はパール
ベツクにおいて接触をとつている。
右の事実は、ダマスカスからベカー高原までがPFLP及び日本赤軍の勢力下にあ
ることを示しており、レバノン国内におけると同様、原告と日本赤軍関係者との交
流がダマスカスにおいても可能であつたものである。
エ 原告及び日本赤軍と人民新聞社との関係
人民新聞社(昭和五一年四月前の旧称は新左翼社。以下旧称当時を含めて「人民新
聞社」という。)は、その発行する「人民新聞」(昭和五一年四月前の旧称は「新
左翼」。以下旧称当時を含めて「人民新聞」という。)に、日本赤軍の声明を極め
て頻繁に掲載し、時にはこれを他の報道機関に積極的に公表するなどしているほ
か、唯一の刊行物として日本赤軍の声明等をまとめた「団結をめざして-日本赤軍
の総括-」を発刊し、また、その社説等でテルアビブ・ロツド空港事件を賛美した
ことを始めとして日本赤軍に対する支持支援を呼びかけ、日本赤軍のポスターの販
売斡旋を行い、さらに、日本赤軍に対する支援活動を行つている「三多摩パレスチ
ナと連帯する会」に事務所、会合等の場所を提供して、その行う種々の集会を共催
ないし協賛し、IRF・IC等の団体と共にシンガポール事件を支持する共同声明
を発表するなど、日本赤軍ないしその関係者と極めて緊密な関係を有している。
原告は、右人民新聞社にイスラエルの軍事行動を非難するなどの現地報告を再三寄
稿し、右報告は、一九七一年一〇月五日付け、一九八三年一二月一五日付け、一九
八四年一月五日付け、同月一五日付け、同月二五日付け、同年四月二五日付け、同
年五月五日付け及び同年六月五日付けの各人民新聞紙上に掲載されている。
(三) 原告の旅券法一三条一項五号該当性について
(1) 旅券法一三条一項五号該当性の判断基準
旅券法一三条一項五号は、治安維持あるいは国際関係における日本国の利益擁護等
公共の福祉のために、基本的人権に対して合理的な制限をしたものであるが、同号
の規定は、同項一号ないし四号の二と比較して、抽象的、概括的であり、同項五号
による旅券発給拒否事由に該当するか否かの判断は、発給申請者の地位、経歴、人
柄、旅行目的等の主観的事由はもとより、各国の治安対策、日本国の経済・外交政
策、国際世論の動向等の国際情勢その他の客観的事情をも総合考慮し、高度の専門
的知識に基づく裁量によつて慎重に判断されなければならないところ、前記1のと
おり、旅券法が同法一三条一項五号の事由による旅券発給拒否の権限を外務大臣に
委ねた趣旨は、右の判断権者としては、右の点について専門的知識経験を有する外
務大臣をおいて、他に見い出し難いからにほかならない。
しかして、旅券法一三条一項五号の規定に照らすと、同号は、処分時における外務
大臣の合理的裁量判断により、申請者が著しくかつ直接に日本国の利益又は公安を
害する行為を行うおそれがあると、外務大臣において認めるに足りる相当の理由が
ある場合をその拒否事由としたものであつて、外務大臣の判断を離れて、客観的、
事後的判断により、申請者が右の行為を行うおそれがあるか否かを問題とするもの
ではない。したがつて、外務大臣が同号に該当するとして行つた一般旅券発給拒否
処分の取消訴訟において、拒否事由の存否を判断するに当たつては、右処分時に外
務大臣が入手していた判断資料を総合勘案して行つた認定判断が合理性を有するか
否かを基準とすべきであり、これが違法となるのは、右認定判断がその裁量の範囲
を逸脱して合理性を欠くことが明らかな場合であることを必要とするものと解すべ
きである。
(2) 原告の旅券法一三条一項五号該当性
ア 日本赤軍は、隠密理に非合法的破壊活動を行う団体であり、主たる活動地域が
日本から遠く離れているとともに、必ずしも思想的に統一された団体ではなく、そ
の構成員が幹部及び一部コマンドを除き、常に流動的であるので、その構成員の把
握は極めて困難である。
したがつて、日本赤軍の構成員であるかどうか、これと密接な関係を有するかどう
かの判断は、被逮捕者の自供、日本赤軍幹部の外部に対する声明やインタヴユーで
の発言、日本赤軍と緊密な関係にあるPFLPからの情報、マスコミ報道等の断片
的資料(これらの資料中には、極めて確度の高いものから、単なるデマ、憶測の類
まで様々のものがある。)を総合的に判断する以外にない。
被告は、前記(一)及び(二)の事実を根拠として、原告と日本赤軍との間には密
接な関係があると認められるとの判断をしたものであるが、右資料を総合すると、
原告が日本赤軍と行動を共にし、又は、これと極めて密接な関係にあることが認め
られ、本件拒否処分の理由が事実に即したものであることは明らかである。
イ a 日本赤軍による前記(一)の(2)の破壊活動等に対しては、日本国内は
もとより、国際世論からも非難が浴びせられているところであり、世界各国は、こ
のような破壊活動を惹起させないよう自国の出入国管理を強化する一方、右破壊活
動等の中心的人物の所属国である日本に対しても、出入国管理の強化及び破壊活動
等の再発防止に努めるよう強く期待している。また、国連総会においても、昭和五
一年二月一五日、人質行為防止の国際条約案の起草が全会一致で採択され、テロ活
動防止のための各国の協力が要請されている。
このような国際的環境下にあつて、既往の日本赤軍関係者等による破壊活動等の中
心的人物の所属国である日本が、原告を日本赤軍と密接な関係を持つと認められる
者であることを知りながら、その海外渡航を認めれば、そのこと自体によつて、テ
ロ活動防止に関する日本の基本的姿勢について世界各国から疑惑を招き、非難を浴
びせられるのは必定で、日本の国際的な信用を著しく損なうおそれがあるばかりで
なく、国際関係に悪い影響をもたらし、日本の国益を著しく、かつ直接に害するお
それがある。
b 日本赤軍は、右aのような国際的非難の中で、孤立感を強める反面、その存在
を世界に誇示するため、クアラルンプール事件、ダツカ空港事件にみられるよう
に、人質と交換に、日本で拘禁中の過激派及び一般刑事犯らの釈放を求めて奪還す
るなどの犯行を重ね、海外組織の強化を図ろうとしており、また、前記(一)の
(3)のとおり、今後も武装闘争を辞さない構えを示している。
このような状況下で、日本赤軍と密接な関係を持つと認められる原告の海外渡航を
認めることは、直接、間接に日本赤軍の組織の充実をもたらすことにつながり、日
本の公安を直接、間接に侵害するおそれが極めて強いものである。
(四) 結論
以上のとおり、被告が、原告について日本赤軍との間に密接な関係が認められると
判断し、著しくかつ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがある
と認めるに足りる相当の理由があるとしてした本件拒否処分には合理性が存するの
であるから、本件拒否処分は適法である。
四 被告の主張に対する原告の認否及び反論
1 被告の主張1の主張は認める。
2 同2の主張は争う。
3 (一)(1)同3の(一)の(1)のうち、日本赤軍が、昭和四六年二月にア
ラブに渡つたaらが共産主義者同盟赤軍派から分派して組織したグループで、当初
はアラブ赤軍とも称したことは認め、その余は不知。
(2) ア 同(2)のアのうち、dら三名がテルアビブ・ロツド空港の待合室で
群衆約三〇〇人に向けて自動小銃を乱射し、手投げ弾を爆発させて九八人を殺傷す
るという無差別殺人事件を敢行したことは否認し、その余は認める。
dは、法廷で、群衆に向けて銃を発射したことは否認しており、同人に対する求刑
及び判決も殺人についてのものではない。
イ 同イ及びウは認める。
ウ 同エのうち、hが逮捕されたことは認め、その余は不知。
エ 同オないしクは認める。
オ 同ケ及びコは不知。
カ 同サは認める。
キ 同シは否認する。
(3) 同(3)は否認する。
被告主張の声明文等又は会見若しくは手記における「武装闘争」とは、p24議長
主導のPLOが結成以来パレスチナ解放の主要手段として宣言し、実行してきた対
イスラエル戦争の戦闘行為の趣旨であり、これは、PLOの抵抗組織と終始共闘し
てきた日本赤軍の当然固執する闘争方針である。なお、PLOは、昭和六三年一一
月のパレスチナ民族評議会(PNC)第一九回大会で採択された政治綱領において
今後テロ手段をとらないことを宣言し、その後、PFLP及び日本赤軍とも同様の
声明を出している。
(4) ア 同(4)のアのうち、PFLPが、PLO内の一組織であることは認
めるが、その余は否認する。
PFLPが、PLOの重要な構成分子であることは終始変わらず、昭和四七年にP
LOの執行委員会から代表を引き上げ、その状態が約八年間継続した間も、PFL
Pの武装隊は、PLOの武装力として、対イスラエル戦闘に常に参加し、その実力
は評価されている。また、PFLPは、反対意見は明白に表明しながらも、PLO
の多数による決議には従う態度を保持しており、昭和五七年のベイルート撤退の際
にも、PLOの他の部隊と共に統一ある撤退行動をとつている。
イ 同イのうち、日本赤軍がこれまでの闘争においてPFLPと共闘してきたこと
は認める。ただし、dの奪還の交渉に当たつたのは、PFLP・GCであり、同派
はPFLPとは別個の組織である。
(二) (1)同(二)の(1)のうち、イは否認し、その余は認める。
原告は、赤三日月社に所属する医師として、終始赤三日月社の診療所等で稼働して
いたものである。ただし、PFLPもパレスチナその他の地域にある難民キヤンプ
内に診療所を有しており、これらの診療所は、医師、医薬、医療材料等の点で赤三
日月社と緊密に協力しあつている。原告も、昭和四六年冬ころ、スールのラシヤデ
イーエキヤンプ内の赤三日月社の診療所に移つて、同診療所で稼働していた際、同
じラシヤデイーエキヤンプ内のPFLPの診療所に出向いて診療を行い、あるいは
PFLP等の組織が行つていたレバノンの無医村への巡回診療に参加したことはあ
る。
(2) ア 同(2)のアのうち、原告がベイルートに渡航した直後にaと交際し
たことがあることは認め、その余は否認する。
右の時期のaとの交際は、数少ない在留邦人同士としてのもので、その時期もテル
アビブ・ロツド空港事件が起こる前までであり、また、当時は、aはベイルート市
内で自由に行動しており、日本大使館にも公然と出入りしていた。
イ 同イは否認する。
なお、仮にg及びjが司法警察員に対し被告主張の供述をしたものとすれば、右両
名は、原告の氏名を知らなかつたというのであるから、原告とは供述にある昭和四
九年ころに初めて会つたものであると解せられる。しかして、g及びjは、後に司
法警察員から原告の写真を示されて、それが右の当時会つただけの原告であると判
定し得たことになるが、g及びjが示された写真は、原告が昭和四二年ころ学園紛
争に参加していて逮捕勾留されたときに写されたもので、原告が中学一年のころか
ら常時使用している眼鏡もかけておらず、レバノン渡航以来、境遇の激変のため、
やせて頬がこけるなどした昭和四九年ころの原告の容姿とはかなり異なつているも
のである。したがつて、g及びjが、右の写真を原告と判定し得たとすることは不
自然で、右各供述はいずれも信用性がないものといわなければならない。
ウ 同ウは否認する。
被告主張のp5の手紙文なるものについては、その成立の真正について何ら明らか
とされておらず、その内容の信憑性は疑わしいのみならず、文中の「z」が原告を
意味するものであるとする根拠もない。
エ 同エのうち、被告主張のノートが存在することは認め、その余は否認する。
なお、右ノートの「p11」とは、yの要請でベイルートに赴き、y及びa並びに
PFLP関係者と会見した上で、在レバノンリビア大使館を通じ、日航機ハイジヤ
ツク事件でリビアに拘束されていた日本赤軍コマンド及びパレスチナゲリラの釈放
の交渉をした弁護士庄司宏を指すものである。
オ 同オのうち、被告主張の換字表の存在は認め、その余は否認する。
yの所持していた換字表の上位部分に原告の名やアラブ名が記載されていたとして
も、それだけでは原告と日本赤軍との間に密接な関係があることの根拠とはなり得
ない。ことに第二の換字表においては、被告により日本赤軍のリーダーと目されて
いるaの暗号名とされている「p13」の上位にfや原告の名が記されているので
あるから、当該換字表が日本赤軍の構成員及びその地位等を表すものと解するより
は、y個人との関係で何らかの必要性のある人物等をその必要性の深浅に応じて記
載したものと解するのが常識的である。
なお、原告は、昭和四七年に帰国した際、yからアラブ詩人p25に対する連絡を
手伝つたことがあり(当時は、yは日本赤軍構成員とは目されていなかつた。)、
また、原告がレバノンに先住する日本人医師であるということで、日本を出国する
に当たり、
yが原告の名を記載したものと考えられる。
(3) ア 同(3)のアは否認する。
原告は、「PFLP日本人医療隊」又は「日本PFLP医療委員会」なる組織に関
係したことがないことはもちろん、その存在さえも知らず(そもそも、右組織の存
在を証する資料は、被告主張の「隊伍を整えよ-日本赤軍宣言」なる出版物に掲載
された記事のみであつて、他には全く存在しない。)、被告主張の声明文の作成に
関与したことはない。
なお、被告は、右声明文の作成者を原告であるとする根拠として、レバノン在留の
原告以外の日本人医療関係者であるwがベイルート近辺に止まつており、レバノン
南部の病院で稼働していた日本人医療関係者は原告のみであることを挙げるが、仮
にそうであるとすれば、右声明文の主語が「我々」、「私たち」等と複数形となつ
ていることと符合しない。
イ 同イは否認する。
被告主張の東京新聞の記事中のPFLPp19・スポークスマンの共同通信記者と
の会見記事からは、原告がPFLPに協力していることは読み取れても(原告がP
FLPの医療機関に協力していたことは前記のとおりである。)、原告が日本赤軍
の構成員等であるとの趣旨には読めないし、また、日本赤軍がPFLPに医師、看
護婦、器材からなる完全な野戦病院の提供を約束したとのデイリー・スター紙から
の引用記事については、当時の日本赤軍にそのような物質的力量がないことは明ら
かであつて、その信用し難いことは明白である。
また、被告主張のサンケイ新聞及び朝日新聞の記事については、時事通信記者と会
見したというPFLP幹部の名も明らかにされていない上、その発言内容も、事実
に反し(PFLPの情報責任者であるp26は、原告代理人の照会に対し、右記事
の内容に沿う事実は存在しない旨を回答している。)、信用できるものではない。
(4) ア 同(4)のアは否認する。
なお、レバノンの「国防軍」なるものの実態は、同国の各政治勢力の抱える私兵の
寄せ集めであつて、その情報は、客観性及び中立性に乏しいものと評価されてい
る。
イ 同イは否認する。
ウ 同ウは否認する。
PFLP・GCがPFLPとは別個の団体であることは前記のとおりである。ま
た、ベカー高原に向かうのにダマスカスを経由する道筋をとるのは、レバノンの内
戦でベイルート空港が閉鎖されている最近の状況であつて、通常は、
ベイルート経由の道筋であり、ダマスカス経由は厳しく制限されている。
なお、ダマスカスはシリアの首都であつて、同市におけるPFLPの活動はシリア
政府の厳しい監視を受けており、ダマスカスからベカー高原までがPFLP及び日
本赤軍の勢力下にあるなどという状況は全く存在しない。
エ 同エは否認する。
(三) (1)同(三)の(1)の主張は争う。
請求の原因の2の(一)の(1)で述べた海外渡航の自由の権利としての性格に鑑
みると、仮に旅券法一三条一項五号が直ちに違憲ではないとしても、これに基づい
て一般旅券発給拒否処分をするには、外務大臣が抽象的に同号の規定に該当すると
認めるのみでは足りず、そこに定める害悪発生の相当の蓋然性が客観的に存するこ
とを認定する必要があり、このような蓋然性の存在しない場合に旅券発給拒否処分
を行うときは、その適用において違憲となると判断され、その処分は違憲の処分と
して正当性を有しないこととなるものである。
(2) 同(2)の主張は争う。
原告が「日本赤軍と密接な関係を有する」とか「日本赤軍に有形無形の支援活動を
するなどしてその破壊活動を援助助長する関係にある」とかいつた事実関係を認め
るに足りる客観的な根拠は何ら存在しない。また、「テロ活動防止に関する日本の
基本的姿勢について世界各国から疑惑を招く」とか「日本の国際的信用を損なう」
とかいう害悪の生ずる蓋然性についても何ら客観的な裏付けが存しないのみなら
ず、諸外国は、そのボランテイア活動に対する理解並びにレバノン及びシリアのパ
レスチナ人キヤンプにおける原告の献身的な診療活動に対する評価からして、日本
国が原告に対し旅券を発給したとしても、テロ活動防止に対する日本国の基本的姿
勢を疑い、あるいは日本国に対し不信を抱くようなことは決してあり得ないのであ
るから、原告について旅券法一三条一項五号を適用し、旅券の発給を拒否すること
は、その適用において違憲であるといわざるを得ない。
(四) 同(四)の主張は争う。
第三 証拠(省略)
○ 理由
第一 請求の原因1の事実は当事者間に争いがない。
第二 原告は、旅券法一三条一項五号の拒否基準の内容が不明確であつて、行政府
(外務大臣)の政治的考慮に基づく恣意的な裁量判断により、憲法上保障された国
民の海外渡航の自由を制約することを可能とするものであるから、
同号の規定は憲法に違反するものである旨主張する。
しかして、国民の海外渡航の自由は、憲法二二条二項によつて保障された自由権で
あるが、公共の福祉に基づく合理的な制約に服するものであると解すべきところ、
旅券法一三条一項五号は、海外渡航の自由に対し、公共の福祉の観点から合理的な
制約を課したものと解することができるのであつて、その規定する旅券発給の拒否
の基準が不明確であり、外務大臣の恣意的な裁量判断を可能とするとまではいうこ
とができないから、同号の違憲をいう右主張は失当というべきである。
第三 そこで、本件拒否処分が適法であるかどうかについて検討する。
一 本件拒否処分についての被告の権限について
本件拒否処分は、昭和五七年九月一日に、当時シリアに在住していた原告が在シリ
ア日本大使館を経由してした一般旅券発給申請に対して被告がしたものであること
は、第一のとおりである。
ところで、旅券法三条一項、五条一項及び六条一項によれば、国内において旅券の
発給(発行及び交付を併せ指すものと解される。)を受けようとする場合には、申
請者が原則として都道府県に出頭の上都道府県知事を経由して外務大臣に対し申請
書その他の書類を提出して発給の申請をし、これに基づいて外務大臣が旅券の発行
をして、都道府県知事が当該申請者に交付するものとされているのに対し、国外に
おいて旅券の発給を受けようとする場合には、申請者がもよりの領事館に出頭の上
領事官に申請書その他の書類を提出して発給の申請をし、これに基づいて領事官が
旅券の発行をして、当該申請者に交付するものとされていて、国内と国外とでは旅
券の発給の手続が明確に区分されており、国外においては、領事官がその権限を有
していることが明らかである。しかして、旅券の発給を拒否することは、旅券を発
給することと表裏の関係にあるというべきであるから、国外において、右のように
領事官が旅券を発給する権限を有するものとすれば、旅券法一三条一項に基づいて
旅券の発給を拒否する権限もまた原則的には領事官にあるものと解すべきである。
しかしながら、旅券法一三条一項五号は、申請者が、外務大臣において著しくかつ
直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相
当の理由のある者に該当する場合を一般旅券発給の拒否の事由としており、また、
同条二項は、外務大臣は同条一項五号の認定をしようとするときは、あらかじめ法
務大臣と協議しなければならないとしているのであるから、同号の要件に該当する
か否かの判断権は外務大臣に専属するものと解されるところ、旅券法一三条一項五
号について、同号の要件に該当するか否かについての判断を行う行政機関と同号に
該当することを理由として旅券の発給をしない旨の行政処分を行う行政機関とを異
にしなければならない格別の理由は見い出し難い上に、旅券法が同号の処分の過程
についてそのようなむしろ異例ともいうべき構造を採用していると考えるべき特段
の根拠事由も考え難く、そうだとすれば、同号に基づいて一般旅券の発給を拒否す
る場合に限つては、例外として申請者が国内にあると国外にあるとを問わず、右の
処分の権限は外務大臣に専属すると解するを相当とする。
したがつて、被告は、本件拒否処分を行う権限を有するものである。
二 理由付記不備の違法の主張について
原告は、被告が本件拒否処分を原告に通知するに当たつて付記した処分理由につい
て、被告が認定した事実関係や原告が日本国の利益又は公安を害するどのような行
為を行うおそれがあるとするのかが一切不明であり、原告の本件申請が拒否された
理由を読み取ることができないものであるから、右理由の付記は旅券法一四条に違
反するものである旨主張する。
しかして、旅券法一四条が一般旅券の発給拒否処分の通知に拒否の理由を付記すべ
きものとしているのは、一般旅券の発給を拒否すれば、前記のとおり憲法二二条二
項で保障された国民の自由権である海外渡航の権利が制約されることとなることに
鑑み、拒否事由の有無についての処分権者の判断の慎重と公正妥当とを担保してそ
の恣意を抑制するとともに、拒否の理由を申請者に知らせることによつて、その不
服申立ての便宜を図る趣旨に出たものであるから、右通知に付記すべき理由として
は、いかなる事実関係に基づきいかなる法規を適用して一般旅券の発給が拒否され
たかをその記載自体から了知し得るようなものでなければならず、ことに、同法一
三条一項五号のごとき概括的、抽象的な文言で規定された拒否事由に基づいて一般
旅券の発給を拒否する場合においては、いかなる事実関係を認定して申請者が同号
に該当すると判断したかを具体的に記載することを要するものと解すべきである。
これを本件についてみるに、本件拒否処分の通知に付記された理由が「貴殿の従前
からのいわゆる日本赤軍との密接なる関係にかんがみ、貴殿は旅券法一三条一項五
号にいう著しくかつ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認
めるに足りる相当の理由がある者に該当する」というものであることは第一のとお
りであつて、右のうちの「貴殿の従前からのいわゆる日本赤軍との密接なる関係」
という部分が被告の認定した事実に当たり、その余の部分が旅券法一三条一項五号
によつて旅券発給拒否の事由とされている申請者の行うおそれのある行為の部分に
当たると解せられるところ、その記載の文言のみを取り出してみれば、右に述べた
ような、いかなる事実関係を認定して申請者が同号に該当すると判断したかについ
ての具体的な記載としては、いかにも、概括的、抽象的に過ぎるものであつて、旅
券法一四条が要求する理由付記の要件を充足しているものとみることは困難である
といわざるを得ない。
しかしながら、いわゆる日本赤軍が、日本人からなる極左集団であつて、アラブ地
方を根拠地として主に海外において活動し、本件拒否処分当時までに数々の破壊的
暴力行為を現に敢行していることは公知の事実であり(日本赤軍の敢行した破壊的
暴力行為とは、具体的には後記三の1の(一)に認定する行為のことであるが、こ
れらの行為の個々具体的な内容の詳細についてはともかく、これら一連の行為の概
要については、新聞、雑誌、テレビ等の報道によつて国民一般にあまねく知られて
いるものということができる。)、このことから、本件拒否処分当時において以後
も同様の破壊活動を行う危険が予測される状態にあつたというべきところ、右の処
分理由とかかる事実とを併せ考えれば(旅券発給拒否の根拠となる事実関係及び適
用法条が付記された理由の記載自体から了知し得るものでなければならないという
ことが、その記載の文言と右のような公知の事実とを併せ考えることを妨げるもの
でないことはもちろんである。)、「著しくかつ直接に日本国の利益又は公安を害
する行為を行うおそれがある」ことに至る「原告の従前からの日本赤軍との密接な
関係」とは、日本赤軍の構成員であるというわけではないが、単に日本赤軍ないし
はその活動の共感者であるとか、日本赤軍の構成員と偶々接触をしたことがあると
かということに止まらず、原告が、過去において、日本赤軍の組織、戦力の充実に
寄与する活動をしたとか、積極的にその活動の指示を宣明するなどしてこれを支援
する活動をしたとか等といつたような日本赤軍に対する有形無形の支援活動をする
などして、その破壊活動を援助助長するような関係にあつたとの趣旨であると読み
取れないことはなく、そうであるとすれば、翻つて、本件拒否処分の通知に付記さ
れた理由中の、原告が行うおそれのある「日本国の利益又は公安を害する行為」
も、日本赤軍との間でその破壊活動を援助助長する前同様の関係を保ち、日本赤軍
が行う危険のある新たな破壊活動を容易にさせ、ひいては国際社会における日本国
の信用を失墜させてその利益を損ない、あるいは、日本国の公安を害することを意
味するとの趣旨を窺うことができないわけではない。
したがつて、本件拒否処分に付記された理由は、これを全体としてみれば、十全と
はいい難いものの、旅券法一四条に違反する不備があるとまではいえないものであ
り、本件拒否処分に理由付記不備の違法があるとする原告の主張はこれを採用しな
い。
三 旅券法一三条一項五号該当性の有無について
被告は、原告が日本赤軍と密接な関係、すなわち日本赤軍に対して有形無形の支援
活動をするなどしてその破壊活動を援助助長するような関係(なお、以下「密接な
関係」というときは、このような関係を指す。)にあつたとした上で、原告は旅券
法一三条一項五号の「著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う
虞があると認めるに足りる相当の理由がある者」に当たると主張するので判断す
る。
1 日本赤軍の組織実態及びその破壊活動等
(一) (1)被告の主張3の(一)の(1)のうち、日本赤軍が、昭和四六年二
月にアラブに渡つたaらが共産主義者同盟赤軍派から分派して組織したグループ
で、当初はアラブ赤軍とも称したこと、同(2)のアのうち、昭和四七年五月三〇
日にイスラエルのテルアビブ・ロツド空港で、b及びcが自爆し、dがイスラエル
当局に逮捕された後、終身刑の判決を受け服役していたこと、同エのうち、hが逮
捕されたことは当事者間に争いがないところ、右争いのない事実に、原本の存在及
びその成立に争いのない乙第三号証の一、第一〇ないし第一二号証、第二二号証、
第一一三号証、第一七五号証、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したも
のと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第四七号証、弁論の全趣旨により
成立の真正を認め得る乙第四号証、第五号証、証人p27の証言により原本の存在
及びその成立の真正を認め得る乙第一一一号証及び同証言並びに弁論の全趣旨を総
合すると、被告の主張3の(一)の(1)の事実並びに同(2)のア及びエの各事
実を認めることができる。
(2) 同(2)のイ、ウ、オないしクの各事実は、当事者間に争いがない。
(3) 同(2)のケないしシの各事実は、前掲乙第一一一号証、原本の存在及び
その成立に争いのない乙第一三七ないし第一四八号証、第一八八ないし第二〇九号
証、証人p27の証言によれば、これを窺い得ないではない。
(二) 前掲乙第五号証、成立に争いのない乙第七号証、原本の存在及びその成立
に争いのない乙第六六ないし第七五号証、弁論の全趣旨により成立の真正を認め得
る乙第六号証によれば、日本赤軍は、ダツカ空港事件のあつた昭和五二年以降本件
拒否処分時である昭和五八年までの間に、「団結をめざして-日本赤軍の総括-」
と題する出版物(昭和五二年一二月一〇日発刊)、一九七八年一月五日付け、同年
二月五日付け、同年一二月一五日付け、同年五月一五日付け、同年五月二五日付
け、同年六月五日付け、同年六月一五日付け、同年六月二五日付け、同年一一月二
五日付け及び一九八〇年一月一五日付けの各人民新聞紙上に発表した声明文及び論
文等、「国際主義を実践しよう-リツダ闘争九周年を迎えて」と題するパンフレツ
ト(昭和五六年発行)において、従前のハイジヤツク闘争等のいわゆる武装闘争を
肯定もしくは評価し、あるいはこれを継続する趣旨を述べているほか、日本赤軍の
中心人物であるaが一九八一年七月三一日付けの朝日ジヤーナル誌に掲載された会
見記において同趣旨の発言を行つていると認めることができ、右事実によれば、本
件拒否処分時において、日本赤軍による破壊活動の再発の危険性がなお存在してい
たということができる。
なお、原告は、右声明文等にいう「武装闘争」とは、日本赤軍が終始共闘してきた
PLOの対イスラエル戦争における戦闘行為の趣旨である旨主張するが、前掲各証
拠上、右声明文等の「武装闘争」の趣旨をそのように限定することはできない。ま
た、原告は、昭和六三年一一月以降に、PLO、PFLP及び日本赤軍は今後、テ
ロ手段を取らないことを宣言した旨主張するけれども、右事実は、それが認められ
るとしても、本件拒否処分から相当に後のことに属する上、日本赤軍の過去の行動
に照らすと、右宣言が直ちにその文言どおり実行されるとも考え難いから、右宣言
は本件拒否処分の当否判断に当たつては特にこれをとり上げない。
(三) 被告の主張3の(一)の(4)のアのうち、PFLPがPLO内の一組織
であること、同イのうち、日本赤軍がPFLPと共闘してきたことは当事者間に争
いがなく、右事実に、前掲乙第四号証、第一一三号証、成立に争いのない甲第三七
号証の二、第四〇号証の二、第四三号証、乙第四六号証、原本の存在及びその成立
に争いのない乙第一七ないし第二一号証、第六一号証及び原告本人尋問の結果並び
に弁論の全趣旨を総合すれば、本件拒否処分当時、PLOは、フアタハ、PFL
P、PFLP・GC、アル・サイカ等の武装組織及び一般のパレスチナ人の代表等
によつて構成され、議会に相当するパレスチナ民族評議会(PNC)、内閣に相当
する執行委員会等の機関を持ち、パレスチナ人を代表する唯一合法的な組織として
国際的な承認を得ている組織であつたところ、PFLPは、パレスチナ民族評議会
に代議員を、また執行委員会に代表を送つているPLOの有力構成メンバーではあ
るものの、マルクス主義的思想傾向を有し、PLOの歴史を通じ、その内部におい
てはフアタハを中心とする主流派に対して少数急進派の立場にあつて、昭和四〇年
代後半にハイジヤツクなどの過激な行動に出たり、また日本赤軍とともにシンガポ
ール・クウエート事件を敢行したりしたほか、昭和四九年にいわゆるミニ・パレス
チナ国家構想の受入れの許否等をめぐる対立から、PFLP・GCとともに執行委
員会から代表を引き上げ、昭和五六年に復帰した後も、昭和五七年六月以降のイス
ラエルのベイルート侵攻に際しては、主流派の提案した国外退去案に反対して主流
派と対立したが、最後には国外退去の決定に従つたこと、日本赤軍は、その中心人
物であるaがレバノン渡航直後にPFLPに連絡を取り、その指導の下にテルアビ
ブ・ロツド空港事件を敢行し、PFLPの戦闘員とともにシンガポール・クウエー
ト事件を引き起こしたほか、対イスラエル戦争における戦闘行為においてもPFL
Pと共関するなど、その成立の当初から本件拒否処分時までPFLPと緊密な関係
を有していたことを認めることができる。
2 原告と日本赤軍との関係について
(一) 原告の出入国の状況及び中東における移動状況について
(1) 被告の主張3の(二)の(1)のア及びウないしオの各事実は当事者間に
争いがないところ、前掲甲第四〇号証の二、弁論の全趣旨により成立の真正を認め
得る甲第八号証及び原告本人尋問の結果によれば、赤三日月社は、PLOの機関
で、多数の病院、診療所、医院等を開設し、医療を中心とする社会事業を行うほ
か、アラブの赤十字社連盟及び赤三日月社連盟に加盟し、また、赤十字国際委員
会、世界保健機構(WHO)等にオブザーバーの資格で参加する概ね我が国の日本
赤十字社に相当する活動を行う機関であることが認められる。
(2) 被告は、原告が昭和四六年冬ころに、政治的立場の相違によりwと喧嘩別
れの状態となつて同人とは別行動を取ることとし、ベイルート市内にある赤三日月
社のアルコツツ(ジエルサレム)病院から、スールのラシヤデイーエキヤンプ内の
PFLP直轄の診療所に移り、昭和四九年五月まで同診療所で医療活動に従事した
旨主張する。しかし、原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和四六年冬ころ、
右アルコツツ病院からレバノン南部のスールのラシヤデイーエキヤンプ内にある同
じく赤三日月社の療養所に移籍して同療養所の診療所で稼働していたが、その時期
に同キヤンプ内にあつたPFLPの診療所から応援を請われて、これに出向いて診
療を行つたことがあるとの事実を認めることができるものの、被告主張のごとく赤
三日月社の診療施設を離れてPFLPの診療施設に移つたとの事実を認めるに足り
る証拠はない。
なお、この点につき、原本の存在及びその成立に争いのない乙第三七号証の一のw
の供述記載中には、原告が右アルコツツ病院から赤三日月社とは別の解放組織の病
院に移籍した旨を述べる部分があるが、右供述記載は、その解放組織の名称に触れ
ておらず、また、移籍した病院の名称も解らないとしているのであるから、右供述
記載により右被告主張事実を認めることができないことはもとより、これのみによ
つては、原告が赤三日月社とは別の解放組織の病院に移籍したとの事実を認定する
ことも困難であるというべきである。
(二) aとの交際関係の主張について
被告は、原告がベイルートに渡航してから、現地においてaと交際し、テルアビ
ブ・ロツド空港事件が発生した昭和四七年五月三〇日以降も、同人との接触を保つ
ていたばかりでなく、aが日本赤軍の最高幹部としてその破壊活動を指導している
ことを知りながら日本赤軍のアジトに出入りし、また、積極的にaと他の者との連
絡役等を務めていた旨主張するところ、右事実のうち、原告がベイルートに渡航し
た直後にaと交際したことがあることは当事者間に争いがなく、右争いのない事実
に前掲乙第七号証、第三七号証の一、成立に争いのない甲第三二号証、乙第九二号
証、第九三号証、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められ
るから真正な公文書と推定すべき乙第四〇号証、弁論の全趣旨によりp8作成部分
の成立の真正が認められ、その余の部分についてはその方式及び趣旨により公務員
が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第三八号証、
第三九号証、証人p8の証言並びに原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和四
六年四月にwとともにベイルートに渡航した後、ベイルート市内においてaと知り
合い、同年五月ころp9及び当時同人とともに映画製作に携わつていたyが映画撮
影のためベイルートを訪れた際にwやaとともにp9らに会つたり、同年夏ころa
を診察したりしたこともあつたこと、当時は日本赤軍は未だ結成されていないか、
少なくとも活動を開始していなかつた時期で、aは、その所在を明らかにして、ベ
イルート在留の報道関係者その他の邦人と公然と交際し、在レバノン日本大使館員
とも接触を保つており、同人が所在をくらましたのは、昭和四七年四月ころのこと
であることを認めることができる。
なお、成立に争いのない甲第二二号証の二、原本の存在及びその成立に争いのない
乙第八九号証によれば、昭和四六年五月二二日付けの読売新聞に、そのころaが原
告及びwとともにベイルート郊外の「ゲリラ病院」で稼働している旨の記事が掲載
された事実を認めることができるけれども、証人p28の証言により成立の真正を
認め得る甲第二二号証の一、第二三号証の一、二(甲第二三号証の一のうちの官公
署作成部分については成立に争いがない。)によれば、読売新聞社は、右記事のa
に関する部分が誤りであることを認める社会部長及び外報部長名の謝罪文をパレス
チナ難民支援センター宛に郵送したことを認めることができるほか、仮に被告にお
いて右読売新聞社の謝罪の事実を把握していなかつたとしても、前記のとおり、そ
の所在を明らかにし、報道関係者とも交際していたaが当時医療機関で稼働してい
た事実を伝えた報道が他には見当たらないのであるから、右読売新聞記事のaに関
する部分の信憑性には疑いを持つて然るべきであり、右読売新聞記事によつて、原
告とaとの間に昭和四六年当時、前述した以上の交際があつたと認定することは困
難というべきである。
被告の前記主張事実のうち、昭和四七年五月三〇日以降の原告とaとの関係につい
ては、被告が別に改めて主張するところであるから、後に検討する。
(三) gの供述について
前掲乙第四七号証、証人gの証言により同人作成部分の成立の真正が認められ、そ
の余の部分についてはその方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認め
られるから真正な公文書と推定すべき乙第五二号証、第五三号証、弁論の全趣旨に
よりg作成部分の成立の真正が認められ、その余の部分についてはその方式及び趣
旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき
乙第四八ないし第五一号証、証人g、同p27の各証言並びに原告本人尋問の結果
によれば、gは、ストツクホルム滞在中の昭和四九年二月ころ、日本赤軍構成員で
あるp2の誘いにより翻訳作戦に加わり、主にスイスのケルンにおいて日本商社員
の行動調査に当たつていたところ、同年七月二六日に日本赤軍構成員であるhがパ
リで逮捕されたことから、同年八月末にベイルートに逃走し、同年一〇月初めから
バクダツドに滞在し、同年一一月末又は一二月初めに一旦ベイルートに戻つた後、
同月末にストツクホルムに帰り、さらに、昭和五〇年八月にアメリカに密入国する
ため偽造の選挙人登録カードを米加国境の検問所で示して発覚し、日本に送還され
て同年九月一日に偽造有印私文書行使の被疑事実により逮捕勾留され、同事実によ
り有罪判決を受けたこと、gが逮捕後司法警察員に対し、ベイルートに逃走した当
時、同地に残つていた人物として、「a、e、l、x、y、痩身の二〇歳位の日本
人女性、m」と並んで、「z(日本人女性三〇歳位)」を挙げ、司法警察員の示し
た一三〇葉の写真の中から原告の写真を「z、三〇歳位女」と特定した旨の昭和五
〇年九月八日付けの供述調書が存在すること、右の原告の写真は、原告が昭和四四
年ころ、デモ行進に参加して逮捕された際に撮影されたもので、原告が常時使用し
ている眼鏡をかけずに写されていること、また、gが同じく司法警察員に対し、ベ
イルート滞在中にハーグ事件が発生したことに関し、「a、e、私、y、lらは、
拠点の『なみだ橋』に集まり、ラジオ、新聞などに注意深く関心を払い焦慮のとき
を過ごしました。この拠点には主としてa、e、私、遅くなつてmらがつめ、時々
y、二〇歳位の日本人女性、z、lらが来て、コマンドが何時何処で動くか待つて
いた訳です。」との供述をした旨の昭和五〇年九月一五日付けの供述調書が存在す
ること、右の「なみだ橋」については、前記同月八日付けの司法警察員に対する供
述調書において、「彼らが『なみだ橋』と呼んでいるハムラ地区にあるアパート
(三部屋)」と説明されていることをそれぞれ認めることができる。
しかして、右各供述調書の右の部分に信用性が認められれば、原告は、gによつ
て、ベイルートに在留していた日本赤軍関係者の一員で、他の関係者から「z」と
呼ばれていた者と認識されており、かつ、原告がaら日本赤軍構成員とともにその
拠点においてハーグ事件(昭和四九年九月に発生)の成り行きに注目していたとの
事実を認定することができるというべきところ、被告は、gの供述調書の右部分の
信用性について、gは供述拒否権があることは十分に知悉しており、その上で、自
己の意思で任意に供述をし、あるいは供述を拒否していたのであるから、取調官が
gを誘導し得る余地はなく、gが虚偽の供述をすることも考えられないし、また、
gに対する取調べは、食事時間や休憩時間も設けられていて、時にはgから冗談が
出ることもあるような状況であり、さらに、gの供述の内容が極めて詳細かつ具体
的であり、gはいわゆる「落ちた被疑者」となつていたものであるから、gの供述
が任意に出たものであることはもとより、その内容も真実と認めることができる旨
主張し、また、j及びmの供述とともにgの供述によつて、日本赤軍が大きな打撃
を受けたことに関連して、日本赤軍ないしaが、これを自己批判の対象として構成
員に反省を求めており、このことはgらが日本赤軍に関する真実をいかに多く供述
したかを物語るものである旨主張する。
しかしながら、gは、本件の証人として、当時、ベイルートにおいて原告と会つた
記憶はなく、右各供述調書中の「z」と呼ばれていた者がベイルートに在留してい
た旨の供述及び原告の写真の特定は取調警察官の誘導による旨を供述しているとこ
ろであるが、この点は措くとしても、前掲各証拠及び前掲乙第四号証、第五号証、
第七号証、第一一三号証、原本の存在及びその成立に争いのない乙第一〇八号証、
第一一五号証によれば、gは、p2に誘われて、翻訳作戦について日本赤軍構成員
と行動を共にしたが、日本赤軍のその他の破壊活動については関与していない上、
日本赤軍ないしaは、その声明、会見記、手記等において、ストツクホルム事件で
逮捕されたj及びmが取調べにおいて日本赤軍に係る構成員の状況、活動内容等を
供述するに及んだことについては、これを「ストツクホルム事件での敗北」と称
し、組織のあり方等に関する自己批判の対象としているけれども、gの自供につい
ては特に問題視している形跡がないのであるから、gは日本赤軍の一時的な協力者
ではあつてもその構成員とまではいえないこと、gの逮捕事実であり、有罪判決に
おける罪となるべき事実となつた偽造有印私文書行使の事実は、翻訳作戦その他日
本赤軍の活動とは直接関係を有しないこと、公安当局は、gの取調べ以前に、既に
原告が日本赤軍関係者から「z」と呼ばれている旨の情報(ただし、入手先は明ら
かでなく、その真偽の程を確定することはできない。)を得ていたことがそれぞれ
認められ、右各事実によれば、gが供述拒否権のあることを知悉し、その取調べに
食事時間や休憩時間が設けられ、また、gがいわゆる「落ちた被疑者」であつて、
冗談もいい、供述の内容が詳細かつ具体的であつたとしても、その日本赤軍に関す
る供述の細部の正確性には疑問があり、前記各供述調書のgの供述のうち原告に関
する部分についても取調べ警察官の誘導によるものではないと断定することはでき
ず、その疑いは残るというべきであるのみならず、前掲各証拠によれば、gの供述
調書の内容自体に関しても、日本赤軍の構成員として名を挙げられている前記の者
のうち「z」についてだけは、ハーグ事件の成り行きに注目していたとの行為以
外、その具体的な行為について何ら言及していないのであるから、gが「z」を日
本赤軍構成員であるかのように供述したものとすれば、同人が「なみだ橋」に来て
ハーグ事件の成り行きに注目していたとの行為に基づくものと解されるところ、前
記2の(一)の(1)のとおり、原告は、昭和四九年九月当時はレバノン南部のス
ールのキヤンプ内の医療機関に在籍して診療活動に従事していたのであるから、g
の供述するごとく、ハーグ事件の発生から終了(日本赤軍コマンドのオランダから
の脱出)までの四、五日の間に、ベイルートの「なみだ橋に時々来る」ことが可能
であつたかどうか疑わしいこと、gが示された原告の写真は昭和四九年から五年前
に撮影されたもので、原告が常時使用している眼鏡もかけておらず、これを原告の
写真と特定し得たかどうか疑わしい上、その年齢についても、昭和四九年九月当時
であれば原告は三四歳のはずで、しかも、レバノンで診療活動に入つてから三年以
上を経て、実際の年齢よりは老けて見えたものと思われるのに、これを三〇歳位と
しているのはやや不自然であること(因みに、撮影当時であれば原告は二九歳であ
つたから、写真に写つている原告の年齢を三〇歳位とすることに不自然さはな
い。)などが認められ、これらの事実を併せ考えると、前記各供述調書中のgの供
述のうち、原告に係る部分の信用性は疑わしく、これによつて、原告が日本赤軍の
構成員ないし関係者であつて、他の関係者から「z」と呼ばれ、また、aら日本赤
軍構成員と共にハーグ事件の成り行きを注目していたとの事実を認定することは困
難であるというべきである。
(四) jの供述について
jが日本赤軍構成員であり、昭和四九年九月のハーグ事件に参加した後、ストツク
ホルム事件で昭和五〇年三月に逮捕されたが、同年八月のクアラルンプール事件の
際に日本赤軍に奪還され、その後、五二年九月のダツカ空港事件に参加したこと
は、前記1の(一)のとおりであり、前掲乙第五二号証、原本の存在及びその成立
に争いのない乙第二八号証、第一二六号証によれば、jは、昭和四八年五月に出国
してベイルートで日本赤軍に合流した後、翻訳作戦に参加して昭和四九年五月末な
いし六月初めころから同年八月ころまでデユツセルドルフに滞在し、同作戦の失敗
後右のとおりハーグ事件に参加したものであることが認められるところ、前掲乙第
一一一号証、証人p27の証言によりj作成部分の成立の真正が認められ、その余
の部分についてはその方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められ
るから真正な公文書と推定すべき乙第一六八号証、証人p27の証言によれば、j
がストツクホルム事件で逮捕された後、司法警察員に対し、「いままで話してきた
人名について写真を見ながら説明する」として、司法警察員の示した五一葉の写真
の中から、f、k、h、e、l、m、a、p1、p2、p3、g、p4、yの写真
合計二一葉とともに、原告の写真一葉を抽出し、これについて「名前は知りませ人
がベイルートで見たことがあります。アジトで偶然見かけたことがあります。この
人がp17であることはいまはじめて知りました。」との供述をした旨の昭和五〇
年五月二日付け供述調書が存在すること、右の原告の写真は、右(三)の写真と同
じく原告が昭和四四年ころデモ行進に参加して逮捕された際に撮影されたものであ
るが、原告が眼鏡をかけて写されているものであることを認めることができる。
しかして、右供述調書の原告に係る部分の信用性が認められれば、これによつて、
原告がベイルートの日本赤軍のアジトに出入りしていた事実を認定することができ
るものというべきところ、被告は、この点につき、jは当初黙秘を続けていた後に
供述を始めたもので、「アジト」という用語も同人から用いたものであり、また、
原告の写真を選別した際の態度についても、見たのはこの人かも知れないという程
度のものではなく、事実原告を見たとして選別したものであつて、その供述が任意
にされたものであることはもちろん、信用性も極めて高い旨主張する。
しかしながら、前述のjの活動経過からみて、jが右の人物を見かけた時期は、昭
和四八年五月以降昭和四九年六月ころまでの間又は同年九月のハーグ事件でシリア
に投降し同年末ころまでに釈放された後昭和五〇年三月までの間と考えられるとこ
ろ、jが示された原告の写真はこの時期から四年ないし六年前に撮影されたもので
ある上、供述調書の記載内容自体に関しても、jは当該人物の氏名あるいは現地名
を知らず、また、見かけた際の当該人物の具体的な行動等はもとより、見かけた時
期やアジトの具体的な位置、名称等についても何ら触れていないのであるから、j
と当該人物との間には、jがそれまでは全く知らなかつた人物を偶々見かけたとい
う以上の接触はなかつたものと推測することができ、このように殆ど接触のない人
物を、後になつて、たとえ眼鏡をかけて写されているにせよ、右のように見かけた
時期から四年ないし六年前の写真を見ただけで、その写真に撮影されている原告で
あると特定し得たとするのは極めて不自然であり、jの供述態度が前記の被告主張
のとおりであつたとしても、その信用性には疑問が残るものといわざるを得ない。
また、被告は、j及びmの供述によつて、日本赤軍が大きな打撃を受けたことに関
連して、日本赤軍ないしaが、これを自己批判の対象として構成員に反省を求めて
おり、このことはjらが日本赤軍に関する事実をいかに多く供述したかを物語るも
のである旨主張するところ、日本赤軍ないしaが、j及びmの自供を「ストツクホ
ルム事件での敗北」と称し、組織のあり方等に関する自己批判の対象としているこ
とは、右(三)のとおりであるけれども、日本赤軍及びaらが、具体的にj及びm
の自供のうちのどの部分を問題としているのであるかを明らかにする証拠はなく、
したがつて、jの供述調書中の原告を見かけたとする部分がこれに含まれると断定
することはできないから、被告の右主張も失当である。
そうすると、jの供述調書中の右の部分によつて、原告がベイルートの日本赤軍の
アジトに出入りしていたとの事実を認定することはできないというべきである。
(五) p5の手紙文について
前掲乙第一一一号証、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認め
られるから真正な公文書と推定すべき乙第七九号証、第一五二号証、右乙第七九号
証の記載により原本の存在及びその成立を認め得る乙第一五一二号証並びに証人p
27の証言によれば、司法警察員が、昭和四九年二月五日に、yを中心として結成
された日本赤軍の国内支援組織であるIRF・ICの事務所を捜索した際、用箋三
枚に書かれた中途までの手紙文のコピー(乙第一五三号証)を発見押収したこと、
右手紙文の原本は、p9及びyが製作した「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」とい
う映画の上映運動をフランスで行うべく昭和四八年一〇月一二日に出国したp5
が、PFLP及びaと連絡をとるため立ち寄つたベイルートからyに宛てて出した
もので、その内容中に、「(ベイルートで)p29君とまず会い、その時彼女が私
と会う必要はないと言つていたと聞かされ、愕然とした。彼女は、私と会うために
は、私がパリでまず上映運動をやつてみる、それで何か月か成果が上がつてから、
相互の経験を交流しようというのだそうである。・・・・・・それも結構と諦めて
いたところに、zと三、四日後に会い、zもまた彼女の見解として、私がパリで自
活するといつている、どこまでやれるか頑張らせたところで、それから会つてみよ
うということを伝えた。」という部分があり、さらに、「p7さんとp9ちやんが
やつて来、いろいろ経過があつて、彼女と会う羽目になつたとき、さいわいp6氏
を含めて四人がつるんでいたときだから、彼女もついでに私と会うこととなり、結
局、テープどりが終わる二日間さらに待たされ、話した。」との部分及び「翌日、
テープに収録しつつ行われたp6氏を含めた三者会談で、例によつて連絡が悪く、
私が遅参していた最初の三〇分間に行われた彼女のp6氏に対する問題提起
が・・・・・・」という部分があることがそれぞれ認められる。他方、前掲乙第七
九号証、第一一一号証、成立に争いのない乙第九四号証、原本の存在及びその成立
に争いのない乙第一五四号証、第一五五号証、証人p27、同p8の各証言並びに
弁論の全趣旨によれば、p9及びシナリオライターp7は、aの著書の出版のた
め、昭和四八年一〇月二〇日にベイルートに渡航し、同年九月一〇日に出国したp
6と同地で出会つたこと、p9及びp7とp6とは、それぞれ同年一〇月二八日こ
ろまでの間にaと会見し、p9及びp7はその結果をa著「わが愛わが革命」とい
う書物として出版し、また、p6は雑誌「流動」(昭和四九年二月号)にaとの会
見記を掲載したこと、p7は、右「わが愛わが革命」の後書きにaとの会見につい
て「丸二日かかつて、収録したテープが一二時間分」と書いていること、他方、雑
誌「流動」の右会見記には、p6とaとの会見に途中から「M氏」なる人物が参加
したものとされていることがそれぞれ認められるところ、右事実中には、前記p5
の手紙文の内容と符号する点があつて、p5の手紙文の内容には一応信用性を認め
ることができ、かつ、文中の「彼女」はaを、「p7さん」はp7を、「p9ちや
ん」はp9を指すものと認められるので、右手紙文の内容から、p5は、昭和四八
年一〇月一二日ころから同月二八日ころまでの間に、ベイルートで、「p29君」
及び「z」を通じaよりの連絡を受けた後、p7、p9及びp6と合流してaと会
見した事実を窺い得ないわけではない。
しかして、被告は、日本赤軍関係者の間では原告を「z」と呼ぶことがあり、ま
た、当時、レバノンに滞在していた日本人で「z」と呼ばれ得る者は原告以外にあ
り得ず、したがつて、右手紙文の「z」は原告を指すものであり、原告は、スール
に移住した後も、aとの交際を継続していたばかりか、日本赤軍最高幹部として所
在を秘匿する必要のあつたaと同人に対する訪問者との連絡役を努めていたもので
ある旨主張する。
しかしながら、原告は医師であるから、日本赤軍関係者であると否とを問わず、そ
のことを知る者から一般に「z」と呼ばれることがあつたであろうことは容易に推
認し得るところではあるが、逆に、医者、博士の意味を有する一般名詞である
「z」が原告に対する呼称としてのみ用いられるということはできないところ、前
記p5の手紙文中の「z」なる語は、差出人であるp5と名宛人であるyとの間で
特定の人物を指称するものとの了解の下にいわば固有名詞として用いられているこ
とが明らかであるから、右手紙文中の「z」が原告であると認定するためには、単
に原告が医師として「z」と呼ばれることがあつたというのみでは足らず、少なく
とも、p5とyとの間で「z」を原告を指称する固有名詞的に用いていたとの事情
が認められなければならないというべきである。
しかして、この点について、前記(三)のとおり、gの供述調書中に、昭和四九年
八月ころ、ベイルートの日本赤軍の拠点にyらとともにzと呼ばれる日本人女性が
出入りしていたとし、かつ、原告の写真を右zの写真として特定した旨の部分があ
るが、gの右供述が信用するに足りるものでないことも前記(三)のとおりであ
る。次に、証人p27の供述中には、警察当局は、原告が日本赤軍関係者から
「z」と呼ばれているとの情報を入手しているとする部分があるが、同証人は右情
報の情報源を明らかにしないので、これに信憑性を認めることはできないのみなら
ず、右供述自体によつても、原告が単に医師として「z」と呼ばれることがあつた
という以上に、「z」の語が原告を指称するいわば固有名詞として用いられていた
かどうかまでは明らかでないから、右供述によつて、p5の手紙文中の「z」が原
告を意味すると認めることはできない。また、証人p27の供述中には、同人が司
法警察員として昭和四九年三月一六日にyから事情聴取した際、右p5の手紙文の
「z」が原告を指すものかという同証人の質問に対してyは「警察は知つているく
せに。ご想像にまかせます。」と答えて、暗に肯定したとする部分があるが、前掲
乙第七九号証によれば、同証人が右事情聴取の結果を記載した事情聴取報告所書に
は、同証人が右手紙文の「彼女」及び「p29君」について問い質したのに対して
yが「ご想像にまかせます」と答えた旨の記載はあるのに、右供述のような「z」
についてのやり取りがされたことの記載はない上、同証人の供述中のyの言葉自体
によつても、yが「z」は原告を指すものと認めたとまではいえず、当時から日本
赤軍と極めて緊密な関係にあつたyが、「z」の正体を秘匿するため、警察当局の
誤つた理解をそのままにしておく意図で曖昧な返答をしたものと解する余地もあ
り、結局、証人p27の右供述を信用することはできない。さらに、証人p27
は、当時、レバノンに在留していた日本人の医療関係者は原告とwしかいない旨供
述し、また、原告を除くと日本赤軍関係者で医師資格あるいは博士号の取得者はい
ないので、p5の手紙文の「z」は原告であるとも供述するが、右供述中のレバノ
ン在留中の医療関係者ないし医師資格あるいは博士号取得者に関する部分が信用し
得るものであるとしても、p5の手紙文の「z」が日本人であることを確定するに
足りる証拠はない上、「z」が本来は医者、博士の意味を有する一般名詞であると
しても、これを固有名詞的に通称として用いる場合にまで、
その範囲を医者又は博士号取得者に限定し得るとする根拠も薄弱であるといわなけ
ればならない。
以上のとおり、右各証拠によつても、p5の手紙文中の「z」が原告を指称するも
のと断定することはできないというべきであり、他にこれを認めるに足りる証拠も
なく、加えて、後記(七)のとおり、p5の手紙文が押収された日の前日に押収さ
れたyの作成に係るものと認められる換字表では、原告を指称するのに「p15」
という現地名が使用され、「z」の語は用いられていないことも認められるのであ
るから、本件拒否処分時に、被告において、p5からyに宛てた右手紙文中の
「z」が原告を指称するものと認定するに足りる資料が存在していたということは
できず、したがつて、右手紙中の「z」が原告を指称するものであることを前提と
して、原告がスールに移住した後も、aとの交際を継続していたばかりか、aと同
人に対する訪問者との連絡役を務めていたものである旨の被告の主張は、その前提
を欠くもので失当であるといわなければならない。
(六) yのノートについて
その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文
書と推定すべき乙第七七号証、証人p27の証言により成立の真正を認め得る乙第
一五六号証並びに同証言によれば、司法警察員が昭和四九年二月四日にyの着衣及
び携帯品について捜索した際、表紙の上部に「y」と、中央部に「I・R・F」
と、下部に「p10」と記載されたノートを発見押収したこと、右ノート中には、
「日本人戦士奪還闘争」との表題の下に、
1 H・J闘争の国内評価醸成と陳情攻セ
A I・R・F、パレ解、パレ人支、パレ研等を通して、リビア大使館への陳情
(東京5・30行動実委)
B リビア政府への陳情電文攻七(東京5・30行実委)
C リビア政府(トリポリ)への直接陳情(抗ギ)代表派遣
(アラブ赤軍=p11、東京から=p10)
等の記載のあるページがあることが認められる(右ノートの存在については当事者
間に争いがない。)。
しかして、被告は、右のH・J闘争とは日本赤軍による日航機ハイジヤツク事件を
指すもので、右事件でリビア軍が日本赤軍コマンドを逮捕したことに関し、IRF
その他の団体がリビア大使館に又は電文によりリビア政府に陳情をし、かつ、リビ
ア政府に対する直接陳情のため、アラブ赤軍から「p11」が、東京から「p1
0」がトリポリに派遣されるとの計画について記載したものであり、右計画におい
てトリポリに派遣されることとされた者のうち、「p10」はyを、「p11」は
原告は意味するものであるとした上、この事実は、原告が、日本赤軍内部におい
て、ハイジヤツク犯人の奪還闘争の一環としての対政府交渉を委ねられる程の地位
にあつたことを示すものである旨主張する。
しかしながら、被告の右主張のうち、右ノートの記載が、日航機ハイジヤツク事件
に関し、IRFその他の団体がリビア大使館等に陳情をし、かつ、リビア政府に対
する直接陳情のため、アラブ赤軍から「p11」が、東京から「p10」がトリポ
リに派遣されるとの計画について記載したものであるとする部分については、右ノ
ートの押収の時期及びその記載内容に照らし、また、証人p27の証言により原本
の存在及びその成立の真正を認め得る乙第一五七号証によつて認めることのできる
一九七三年一一月付けのパレスチナ人民支援センター機関誌「支援センターニユー
ス」なる出版物に、日航機ハイジヤツク事件に関し「われわれはリビア政府が四人
のハイジヤツカーを解放戦士として取り扱うよう大使館を通して要請してきた」と
の右被告主張に沿う記事が掲載されている事実並びに原本の存在及びその成立に争
いのない乙第四一号証、第四二号証によつて認めることのできるyが日航機ハイジ
ヤツク事件の直後である昭和四八年八月一三日にパリにおいて同事件に関する日本
赤軍の声明を発表した事実に徴して、これを推認することができるけれども、「p
11」が原告を意味するものであるとする部分については、前記(五)のとおり、
「p11(z)」なる語が固有名詞的に原告を指称するものとして用いられている
事実を認定するに足りる資料は存在しないというべきであつて、したがつて、右の
「p11」が原告を意味することを前提として、原告が、日本赤軍内部において、
ハイジヤツク犯人の奪還闘争の一環としての対政府交渉を委ねられる程の地位にあ
つたとする被告の主張も、その前提を欠き、失当であるといわざるを得ない。
(七) 換字表の記載について
前掲乙第三号証の一、第七七号証、第七九号証、第一一一号証、第一五二号証、第
一五六号証、成立に争いのない甲第二六号証、原本の存在及びその成立に争いのな
い乙第八一号証、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められ
るから真正な公文書と推定すべき乙第七八号証の一、第八〇号証の一、第一五八号
証、第一六七号証、乙第七八号証の一の記載により原本の存在及びその成立の真正
を認め得る乙第七八号証の二、乙第八〇号証の一の記載により原本の存在及びその
成立の真正を認め得る乙第八〇号証の二、証人p27の証言並びに原告本人尋問の
結果によれば、司法警察員が前記(六)のとおり昭和四九年二月四日にyの着衣及
び携帯品について捜索した際、第一の換字表及び第二の換字表を、また、前記
(五)のとおり同月五日にIRF・ICの事務所を捜索した際、第三の換字表をそ
れぞれ発見押収したこと(各換字表の存在については当事者間に争いがない。)、
第一の換字表は三葉のメモからなり、各葉の両面を用いて「1p13」に始まり
「191p14(上記別紙)」で終わる人名、地名その他の名詞を1から191ま
での数字に対応させた記載があり、その二番目に「2 p15」との記載があるほ
か、右「191p14(上記別紙)」との記載のある三葉目の裏面の上部に、「同
封のp4さんあての手紙を下記に転送して下さい。至急(住所は(秘)にひかえと
いて)」として、特定人の住所氏名の記載のあるaの筆跡のメモが貼付してあつた
こと、第二の換字表は二葉のメモからなり、各葉の表面を用いて「1 f」から始
まり「183 p16」で終わる人名、地名その他の名詞を1から183までの数
字に対応させた記載があり、その二番目に「2 p17」との記載があるほか、一
葉目の裏面に0から9までの数字を平仮名に、また1から12までの数字を他の数
字に対応させた記載もあること、第三の換字表は押収当時切り裂かれていたが、こ
れを復元すると、「1 f」から始まり、「253 p18」、「254 p3
0」に終わる人名、地名その他の名詞を1から254までの数字に対応させた記載
があり、その九番目に「9 p17」との記載があるほか、0から9までの数字を
平仮名に、また一月から一二月までを他の月に対応させる記載があること、各換字
表に記載されている名詞は、p13(aの現地名)、p4、p31(hの現地
名)、f等の日本赤軍構成員の本名又は現地名、p5、p9、p6、p7等日本赤
軍と何らかの接触をもつた者の名前、p32女史(p32参議院議員のことと推測
される。)、p33、p34、p35、p36、p37等日本赤軍にとつて何らか
の意義を有すると思われる者の名前、東京、成田、京都、札幌、ベイルート、ダマ
スカス、フランス、モスクワ、ロンドン、オランダ等の日本及び世界各地の地名、
H・J(ハイジヤツク)、声明、攻撃、作戦、カンパ、オルグ、資金、旅券等日本
赤軍の活動行為の内容又は活動時の携帯品等に関係するものなどに大別することが
できること、yは司法警察員に対し、第一及び第二の換字表について「メモに記載
の暗号についてはある人間から自分宛に来た手紙を読むのに必要なものである。こ
の暗号は自分が決めたものでなく、向こうから言つて来たものである。ある人の名
前は言えない。」と供述したこと、原告はレバノン在住当時「p23」という現地
名を使用していたことをそれぞれ認めることができる。そして、右各事実に徴する
と、各換字表は暗号文の解読に用いられるものであり、そのうち第二及び第三の換
字表に原告の名前が記載されていることが認められるほか、右のように第二及び第
三の換字表に原告の名前が記載されていること並びに原告の現地名である「p2
3」の発音が「p15」という発音と類似していることに照らし、第一の換字表に
記載のある「p15」も原告の現地名を表記したものと認めるのが相当である。
しかして、被告は、右の各換字表はyと日本赤軍との間の暗号文による通信の解読
に現実に使用されていたものである旨主張し、これを前提として、右各換字表の比
較的上位に記載されている原告が日本赤軍と密接な関係を有していたことが推認で
きるものであると主張するところ、右主張のうち、各換字表がyと日本赤軍との間
の暗号文による通信の解読に現実に使用されていたとの点については、右のよう
に、各換字表には日本赤軍又はその活動にとつて何らかの関係又は意義を有する名
詞が列挙されていること、第一の換字表にaの筆跡になるメモが貼付されていたこ
と、第一及び第二の換字表についてのyの右供述の内容などのほか、前記(五)及
び(六)のとおり、yが各換字表の押収当時において、国内において日本赤軍の支
援団体を結成し、パリで日航機ハイジヤツク事件に関する日本赤軍の声明を発表す
るなど日本赤軍と緊密な関係を有していたことなど、その主張事実を窺わせるかの
ような事実も存在する。しかしながら、前掲乙第七八号証の二、第八〇号証の二、
第九二号証、第一五六号証、第一五八号証、成立に争いのない乙第九五号証、第一
〇〇号証並びに証人p8及び同p27の証言によれば、右各換字表ともyの筆跡で
あること、第二及び第三の換字表では、日本赤軍の最高幹部であるaの現地名より
もfの名前が上位にあるが、fは、p9の制作する映画に傾倒し、出国して日本赤
軍に参加する以前にはp9の下で仕事をしており、p9とともに映画制作に携わつ
ていたyとも交際があつたこと、第一の換字表を用いることによつて解読すること
のできる暗号文が、yの筆跡で、yの所持していた前記(六)のノート中に記載さ
れているが、このことは、右換字表が他からyに宛てられた手紙を読むのに必要で
あるとのyの供述と符号しないことがそれぞれ認められ、さらに、各換字表を用い
ることによつて解読することのできる日本赤軍とyとの間の通信文が現実に存在す
る事実も窺われないことを考え併せると、前記の事実が存在するからといつて、直
ちに、各換字表がyと日本赤軍との間の暗号文による通信の解読に使用されていた
ものであるとの被告主張事実を認定するには足らず、むしろ、各換字表は、y個人
がその心覚え等を記すのに用いていたもので、記載されている人名も同人が必要性
と認めた観点から選択されていたものと窺われるのである。
もつとも、y自身も、前記のように各換字表の押収当時から日本赤軍と緊密な関係
を有していたのみならず、前掲乙第四六号証、第五二号証、第五三号証、成立に争
いのない乙第九六号証、第一〇三号証、第一〇五号証、第一〇六号証、原本の存在
及びその成立に争いのない乙第四三ないし第四五号証によれば、yは、昭和四九年
八月までには出国してベイルートの日本赤軍に合流し、その後日本赤軍幹部とし
て、ダツカ空港事件に関し昭和五二年一〇月四日にニコシアで記者会見をし、日本
赤軍との接触を求めるジヤーナリストと会見するなど、日本赤軍のスポークスマン
的な役割を果たしていることが認められるが、前記(二)のとおり、yは、昭和四
六年五月ころp9とともに映画撮影のためベイルートを訪れた際に原告と会つてい
るのであるから、各換字表が押収された昭和四九年二月当時、ベイルート渡航を控
えて、レバノン在住の日本人医師である原告を意識していたとしても格別これを異
とするに当たらないともいえないではなく、したがつて、各換字表の比較的上位に
原告の名前が記載されていたからといつて、被告主張のごとく原告が日本赤軍と密
接な関係を有していたことが直ちに推認できるものということはできない。
(八) 原告の発表した声明文について
前掲乙第四号証及び証人p27の証言によれば、IRF・ICが、査証編集委員会
なる組織と共同編集して、昭和五〇年六月三〇日に出版した「隊伍を整えよ-日本
赤軍宣言」と題する出版物に、アラブ赤軍(日本赤軍)及びPFLP国際局、PF
LP・GC政治局等のPLO内急進派組織などの声明文と並んで、それぞれ被告主
張の内容の「PFLP日本人医療隊」の声明文が三通、「日本PFLP医療委員
会」の声明文が一通掲載されていること、右声明文から窺われる声明者の所在及び
その時期が前記(一)の原告の移動状況と概ね合致すること、右声明分の内容に、
テルアビブ・ロンド空港事件等の日本赤軍の活動を讃えるなどのほか、日本赤軍の
主張と共通する部分があることをそれぞれ認めることができる。
しかして、被告は、右のように右各声明文の声明者の所在及びその時期が原告の移
動状況と概ね合致することのほか、当時レバノンに居住しつつ医療に従事していた
日本人女性は原告とwのみであり、wがベイルート近辺に止まつていたのに対し、
原告がスールのPFLP直轄の診療所に赴く等、主としてレバノン南部の病院で稼
働していたことを挙げて、右の四通の声明文はPFLPと密接な関係を有する日本
人の医療関係者が作成したものであり、かかる者としては原告以外に考えられない
から、いずれも原告の作成に係るものと推認することができるとし、これを前提と
して、原告とPFLPとの間のみならず、原告と日本赤軍又はIRF・ICとの間
にも密接な関係がある旨主張する。
しかしながら、前記(一)の(2)のとおり、原告が赤三日月社の診療施設を離れ
てPFLP直轄の診療施設に移つたとの事実を認めるに足りる資料は存在しないの
みならず、右「隊伍を整えよ-日本赤軍宣言」と題する出版物の外には「PFLP
日本人医療隊」又は「日本PFLP医療委員会」なる組織の存在を窺わせるに足り
る資料も見当たらないのであるから、右各組織の実在さえ疑わしく、また、仮に右
各組織が実在するとすれば、組織の名称並びに右各声明文の主語に「我々」及び
「私たち」という複数形が用いられていることに照らして、複数の構成員がいるは
ずであるところ、被告主張に従えば、その構成員は原告とwということにならざる
を得ないが、前掲乙第三七号証の一、原本の存在及びその成立に争いのない乙第三
七号証の二によれば、wはベイルート周辺の医療機関に勤務したのみで、レバノン
南部の医療機関で勤務してはいないことが認められるのであるから、右各声明文の
内容と符号せず、仮に、原告やw以外の構成員を想定するとすれば、右各声明文の
作成者が原告以外に考えられないということはおろか、原告が右各組織の構成員で
あるということさえもできなくなり、といつて、組織の名称や声明文の主語の表記
が原告に上る僣称であることを確認するに足りるだけの証拠もないのであるから、
いずれにしても、右各組織が実在し、右各声明文の内容が事実であるなどとして、
その作成者が原告であると推論することは、極めて不合理であり、右各声明文を根
拠として、原告が日本赤軍又はIRF・ICとの間に密接な関係を有すると認める
ことは到底できないものというべきである。
もつとも、原告がPFLPの医療機関に属していたことが認められないとはいえ、
前記(一)の(2)のとおり、PFLPの診療所から応援を請われて診療を行つた
ことがあるほか、弁論の全趣旨により成立の真正を認め得る甲第九号証の一によれ
ば、その他にもPFLPによる医療活動に関与し、これに協力してきた事実を認め
ることができるが、原告のPFLPへの支援協力は医療活動の範囲に止まるもので
あり、これを超えて、PFLPを介し、前記1の(三)のとおり、PFLPと緊密
な関係にあつた日本赤軍の活動と関わり合つたことを認めるに足りる証拠は存在し
ない。
(九) 新聞報道によるPFLP幹部の発言等について
(1) 原本の存在及びその成立に争いのない乙第八三号証によれば、昭和四七年
六月二日付け東京新聞に、PFLPのp19・スポークスマンが同月一日に共同通
信記者と会見し、PFLPに協力している日本人として赤軍派幹部のaと医師p2
0(原告のことと推測される。)を挙げ、「二人とも実によい人で働いてもらつて
助かつている。」とした上、「p20さんはレバノン南部にある難民キヤンプで働
いており、aさんは最近日本から医療機械などの援助物資が到着したので、それの
使い方を教えるため現在同じ難民の病院で働いている」と述べた旨の記事が掲載さ
れ、さらに、同新聞の同一紙面に、レバノンの新聞デイリースターが、同日、テル
アビブ空港を襲撃した日本人はPFLPに加わつている赤軍(ジヤパニーズ・レツ
ド・アーミー)グループの一部であり、同グループには女性を含む日本人医師から
なる医療隊があり、赤軍は、医師、看護婦、器材からなる完全な野戦病院の提供を
約束したが、これは「交流計画」の一部として取り決められたものである旨を報じ
たとの記事が掲載されたことが認められる。
しかして、被告は、右記事を根拠として、PFLPの幹部が原告を日本赤軍の一員
であると理解し、また、原告とaとが行動を共にしていた旨主張する。
しかしながら、右各記事のうち前者については、原告に関する限り、前記(一)の
(2)のとおり、当時レバノン南部のラシヤデイーエキヤンプ内の赤三日月社の療
養所で稼働する傍らPFLPの診療所の応援にも出向いていたのであるから、誤り
とまではいえないとしても、aに関しては、他に同人がラシヤヂイーエキヤンプ内
のPFLPの診療所で稼働していたことを認めるに足りる資料も同人が医療機械の
使用法に通じていることを認めるに足りる資料もともに見当たらない上、右記事に
よるp19・スポークスマンの会見の日はテルアビブ・ロツド空港事件の翌々日で
あるところ、かかる時期に日本赤軍の最高幹部であるaが医療機械の使用法の講習
をしていたなどといつたことは通常考え難いところであり、したがつて、右記事
は、aに関する限り、容易に誤りであることが判明する類のものであるというべき
である。また、右各記事のうち後者については、その信用性がデイリー・スターと
いうレバノンの新聞の信頼性に前面的に頼つているのに、この点を首肯させるに足
りる証拠はない上、そこに、日本赤軍がPFLPに医師、看護婦・器材からなる完
全な野戦病院の提供を約束したとするなど、にわかには信じ難い内容が含まれてお
り、同紙の信用性には疑いがさしはさまれてしかるべきであるといわなければなら
ない。そうすると、右各記事を根拠として、PFLPの幹部が原告を日本赤軍の一
員であると理解し、また、原告とaとが行動を共にしていたと認定することは到底
できないものというべきである。
(2) 原本の存在及びその成立に争いのない乙第八五号証、第八六号証による
と、昭和五七年三月二一日付けサンケイ新聞及び同日付け朝日新聞に、日本赤軍に
近いPFLP幹部が同月一九日にレバノンで時事通信記者と会見して最近の日本赤
軍の動向を明らかにし、その中で、日本赤軍は現在一七、八人で、最高幹部のaら
少なくとも四人はシリア国内にいること、このうち、aはp21というシリア人名
で自分の子供と一緒にいること、他の三人のうち、一人は女医、もう一人は歌が上
手な女性、残りは男性で、ダマスカス市内のPFLP事務所近くに住み、外国から
の資金援助が豊富なため不自由のない生活ぶりであることを伝えた旨の記事が掲載
されたことを認めることができる。
しかして、被告は、右記事の「女医」が原告であるとして、PFLPの幹部が原告
を日本赤軍の一員であると理解し、また、原告とaとが行動を共にしていた旨主張
する。
しかしながら、弁論の全趣旨により成立の真正を認め得る甲第六号証によれば、P
FLP政治局メンバーであるp26が原告代理人に対し、PFLP幹部が日本の通
信員に対しかかる内容の情報を与えたことがない旨の書面を提出していることが認
められるところ、右記事が情報提供者を匿名としていることに鑑み、被告におい
て、右記事を本件拒否処分の資料とするのであれば、その真偽を調査すべきであつ
たと考えられるのみならず、この点は措くとしても、前掲甲第三二号証、成立に争
いのない甲第一一号証、第三〇号証、第三一号証、原本の存在及びその成立に争い
のない乙第八二号証、原告本人尋問の結果によれば、原告は、イスラエルのレバノ
ン侵略に際し、昭和五七年八月にベイルートから脱出してシリアに移住した後は、
ダマスカス市内のヤルムークキヤンプ内の一間の粗末なアパートに居住し、赤三日
月社から至急されるわずかの報酬で暮らしていたところ、原告はシリアに移住した
直後に、旅券の発給を求めるため、ダマスカス市内の在シリア日本大使館を訪れ、
その後も、本件拒否処分に至るまで旅券の発給をめぐり同大使館員と度々折衝した
ほか、日本からシリアを訪れた国会議員や知識人、ボランテイア活動家等の応援の
際にも同大使館員と接触していることが認められるので、同大使館員は、右のよう
な原告の生活状態についておおよそは知り得たものと考えられ、したがつて、右記
事の「女医」が原告であるとすれば、右記事は少なくとも原告の生活状態について
は誤つた事実を報じていて、ひいて全体の信用性も疑わしいことが、被告において
も明らかであつたというべく、右記事を根拠として、PFLPの幹部が原告を日本
赤軍の一員であると理解し、また、原告とaとが行動を共にしていたと認定するこ
とは困難である。
(一〇) レバノン国防当局からの情報について
原告がレバノン在住当時「p23」という現地名を使用していたことは、前記
(七)のとおりであるところ、証人p38の証言によれば、レバノン国防軍が昭和
五七年八月のPLOのベイルート撤退後にベイルート市内のブルジユ・バラジユネ
キヤンプ内を捜索した際、同年六月まで同キヤンプ内で三人の日本赤軍の女性兵士
が活動しており、そのうちの一人は「p22」という名前であつたことを把握した
との情報が、レバノン国防当局から在レバノン日本大使館を通じて被告にもたらさ
れたとの事実を認めることができる。
しかして、被告は、右のレバノン国防当局からの情報に基づき、原告がレバノン国
防当局からも日本赤軍関係者と目されていたと主張するが、右のレバノン国防当局
からの情報の「p22」が原告を指すものとしても、その内容は、前記(一)の原
告のレバノンにおける移動状況と必ずしも符号しないし、情報の正確性を明らかに
する資料の存在も窺われない上、そもそもレバノンがマロン派を始め多くの宗派に
分かれるキリスト教徒とシーア派及びスンニ派に分かれるイスラム教徒との複合国
家であり、昭和五一年から昭和五二年にかけての熾烈な内戦を経た後のレバノン国
防軍(政府軍)は、政権を握るマロン派キリスト教徒、特にフアランジスト(カタ
イエブ)党の民兵組織とその構成の上で截然と区別し得るものではなく、また、フ
アランジスト党の民兵組織がレバノン国内のPLOないしパレスチナ難民と厳しく
敵対していたことは、公知の事実といえるので、PLOがベイルートを撤退した後
のレバノン国防軍によるPLO関係の情報に客観性及び中立性が乏しいであろうこ
とは容易に推認し得るところであり、ひいてその信用性にも疑いがもたれるところ
であるから、右のレバノン国防当局の情報に基づく被告の主張も失当であるという
べきである。
(一一) 原告及び日本赤軍コマンドの出入国時期の一致について
前掲乙第一一一号証及び証人p27の証言によれば、原告が最初にベイルートに向
けて出国したのが昭和四六年四月二一日であるところ、同年二月二六日にはテルア
ビブ・ロツド空港事件に参加したbがまた、同月二八日にはaがそれぞれベイルー
トに向けて出国していること、原告が昭和四七年三月に一旦帰国して、再度ベイル
ートに向けて出国したのが同年五月一四日であるところ、同年二月二九日にはテル
アビブ・ロツド空港事件に参加したdが、また、同年四月一三日にはeがそれぞれ
ベイルートに向けて出国していることが認められる。なお、本件拒否処分の相当後
であり、本件提起後のことではあるが、成立に争いのない乙第一七三号証、第一七
四号証によれば、原告は昭和六二年一一月二〇日ころにシリアから帰国したとこ
ろ、同月二一日には、日本赤軍構成員eが帰国していることが認められる。
しかして、被告は、右のように、原告の出入国の時期と日本赤軍コマンド、特にe
の出入国の時期とが比較的近いことを根拠として、原告が日本国内において、コマ
ンドの「一本釣り」又は外国送り出しに何らかの役割を担つていたことが推測され
る旨主張するけれども、その根拠が、単に出国時期の右の程度の近さというだけで
は、証人p27が自ら供述するごとく何の根拠もない推測に等しく、牽強付会の説
というを免れない。
(三) 原告のシリアにおける居住地とPFLP及び日本赤軍の勢力範囲の一致に
ついて
原告がベイルート撤退後シリアのダマスカスに移住し、ヤルムークキヤンプ診療所
等で稼働していたことは、前記(一)のとおりである。
しかして、被告は、ダマスカス近郊には、PFLP・GCのキヤンプがあつて、日
本赤軍構成員dを始めイスラエルの捕虜とされていたパレスチナゲリラが、解放
後、同キヤンプからベカー高原に移動したほか、PFLPの幹部筋が、aとともに
原告も日本赤軍の構成員としてダマスカス市内にいることを表明し、日本赤軍構成
員fもダマスカスのキヤンプにいたことが外国の新聞記者により確認されており、
さらに、ダマスカスは、ベカー高原に至る交通の要所で、同高原にいるとされる日
本赤軍の前線を訪れるジヤーナリストはいずれもダマスカス経由で、シユトウーラ
又はパールベツクにおいて接触をとつていると主張し、右事実を根拠として、ダマ
スカスからベカー高原までがPFLP及び日本赤軍の勢力下にあり、原告と日本赤
軍関係者との交流がダマスカスにおいても可能であつた旨主張する。
しかしながら、右主張のうち、PFLP・GCのキヤンプの所在及び右キヤンプか
らのdらの移動に関しては、原本の存在及びその成立に争いのない乙第三二号証に
よつて、これを認めることができるが、PFLP・GCがPFLPから分派した組
織ではあるものの、PFLPとは別組織であることは、公知の事実であるから、P
FLP・GCのキヤンプの所在がPFLPの勢力範囲と関係のないことは明らかで
ある。また、被告主張のPFLP幹部筋の表明は、前記(九)の(2)の昭和五七
年三月二一日付けサンケイ新聞及び同日付け朝日新聞の記事によるものと考えられ
るところ右各記事の内容に信頼がおけないことも前記(九)の(2)のとおりであ
る。さらに、成立に争いのない乙第一〇二号証によれば、昭和四九年一一月一〇日
付け夕刊フジに、外国人記者がダマスカスでfと会見した旨の記事が掲載されたこ
とが認められ、被告主張のfのダマスカス滞在の事実は、右記事によるものと認め
られるが、右記事では、同記者はシリアでの会見の翌日ベイルートでもfと会つた
としているほか、同人のシリア滞在を疑問視する日本の警察関係者の談話も掲載さ
れていて、同記者がシリアでfと会見したとの事実の信用性には疑問が残るのみな
らず、仮に、同記者にある右会見の事実が真実であるとしでも、その日時は同年一
〇月三一日とされていて、これは原告がシリアに移住した時期よりも八年前のこと
であるから、原告のシリア移住後の同国における日本赤軍の勢力範囲とは、直接に
は関係をもたないものというべきである。被告はまた、ダマスカスがベカー高原に
至る交通の要所で、同高原にいるとされる日本赤軍と接触をとろうとするジヤーナ
リストはダマスカスを経由するとも主張するところ、前掲乙第九六号証、第一一一
号証によれば、本件拒否処分後に、かかる経路で日本赤軍のaらと接触したジヤー
ナリストが存在することは認められるが、単に右事実のみをもつて、ダマスカスか
らベカー高原までがPFLP及び日本赤軍の勢力下にあるものとは到底推認し得な
いのみならず、シリアが中東における強国の一つであつて、従前からパレスチナ問
題に関しては強い発言力を有し、PLOないしパレスチナゲリラに対して強大な影
響力を及ぼしていることは公知の事実であるから、シリア領内にあるPFLPその
他のPLO各派が、事実上、シリアの支配力の下にあることは考え得ても、シリア
の首都ダマスカスがPFLP及び日本赤軍の勢力下にあるなどとは到底考えられな
いところであり、右の被告の主張が失当であることは明らかである。
(一三) 原告及び日本赤軍と人民新聞社との関係について
前掲乙第三号証の一、第五号証、第六一号証、第六六ないし第七五号証、原本の存
在及びその成立に争いのない乙第五五号証、第五九号証、第六〇号証、第六三ない
し第六五号証、第七六号証、第一六三号証の一ないし四、第一六四号証の一ないし
三、第一八〇ないし第一八二号証、第一八四ないし第一八七号証、原本の存在及び
その成立に争いのない乙第三号証の二の記載及び前掲乙第三号証の一の供述記載に
よつて原本の存在及びその成立の真正を認め得る乙第一七七号証並びに弁論の全趣
旨によれば、人民新聞社は、昭和四八年ころから本件拒否処分までの間に、その発
行する「人民新聞」紙上に、日本赤軍又はその構成員等から同新聞社に寄せられた
声明文、意見等を多数掲載し、そのうちの一九七七年一〇月一五日付け同新聞に掲
載した「l隊声明」と題する声明文については掲載前に他の報道機関にその寄稿の
事実を公表したほか、一九七三年八月二五日付け同新聞にリビア政府に逮捕された
日航機ハイジヤツク事件の犯人の日本への引渡しに反対するアツピールを、一九七
四年八月五日付け同新聞にリビアで同事件の裁判を受けているeへの支援を訴える
呼掛けを、一九七八年六月一五日付け同新聞に日本赤軍作成のポスター等の販売を
斡旋する旨の記事をそれぞれ掲載したこと、また、同新聞社は、昭和五二年三月一
〇日に日本赤軍の声明文等をまとめた「団結をめざして-日本赤軍の総括」と題す
る出版物を発刊したこと、さらに、同新聞社は、その東京支局を日本赤軍に対する
支援活動を行つている「三多摩パレスチナと連帯する会」の事務所と同じ立川市の
風林舎に置き、また、昭和五二年二月一一日及び昭和五七年一〇月二四日に右「三
多摩パレスチナと連帯する会」その他の団体とパレスチナ問題に関する講演会等を
共催したほか、昭和四九年二月五日にIRF・IC外の団体と共同で日本赤軍によ
るシンガポール事件を支持する旨の声明を発表したこと、一九七一年一〇月五日付
け、一九八三年三月一五日付け、一九八四年一月五日付け、同月一五日付け、同月
二五日付け、同年四月二五日付け、同年五月五日付け及び同年六月五日付けの各人
民新聞には、レバノン等におけるパレスチナ人の生活、原告の活動状況、イスラエ
ルの軍事行動やこれに対するパレスチナ人の抵抗の模様、PLO内部の政治状況等
を内容とする原告の現地報告が掲載されたことをそれぞれ認めることができる。
しかして、被告は、右事実を根拠として人民新聞社が日本赤軍と緊密な関係を有す
るものとし、原告の現地報告が同新聞社の発行する人民新聞に掲載されたことを取
り上げて原告と日本赤軍との間に密接な関係があるかのように主張する。
しかしながら、前掲乙第五五号証によれば、被告主張の各現地報告のうち、一九七
一年一〇月五日付け人民新聞に掲載されたものについては、それが「サンデー毎
日」誌宛てに送付されたものである旨の人民新聞社による断り書きが付されている
ことが認められ、右現地報告が人民新聞に掲載されることを原告が意図ないし予期
していたか否かは明らかとはいえない。また、前掲各証拠並びに原本の存在及びそ
の成立に争いのない乙第六二号証、第一七六号証によれば、人民新聞に掲載される
記事、論説、投稿等が新左翼的立場からの政治運動の報道や同様の立場の政治的主
張を中心としつつも、それに止まらず、労働運動や市民運動の状況の報道等にも及
んでおり、日本赤軍の活動の報道ないしその主張の紹介を専らにしている訳ではな
く、また、外部からの投稿についても必ずしも日本赤軍の思想や行動に共鳴するも
のばかりでなく、これを批判する立場の者からのものも取り上げていることが窺わ
れるほか、同新聞に掲載された日本赤軍の声明文等に付されることのある人民新聞
社自身による断り書きから、それらの声明文等は日本赤軍から同新聞社に一方的に
送付されてきたものをそのまま掲載しているものであることも窺われ(以上の事実
は、原本の存在及びその成立に争いのない乙第一六九号証の一、二の供述記載によ
つても裏付けられる。)、前記認定に係る日本赤軍の声明文等の掲載その他日本赤
軍と関連する人民新聞社の活動の事実を併せ考えても、同新聞社が単に新左翼的立
場の新聞社であるという以上に日本赤軍との間に特別の関係を有するものとは認め
難く、したがつて、原告が人民新聞に現地報告を投稿したことがあるからといつ
て、そのことによつて原告と日本赤軍との間に密接な関係があると認定することは
困難である。
3 本件拒否処分の適否について
右1の、日本赤軍の組織実態及びその破壊活動等からすれば、日本赤軍と密接な関
係にあると認められる者については、被告主張の国際情勢等諸般の事情のもとにお
いて、被告が旅券法一三条一項五号に該当するとの判断をすることは合理的な根拠
を有するものと解される。しかしながら、右2によつては、原告が日本赤軍と密接
な関係にあるものと断定することは困難であり、また、他に原告が日本赤軍と密接
な関係にあることを認めるに足りる証拠はない。そうすると、被告において、原告
が日本赤軍と密接な関係にあると認められることを前提とし、被告主張の国際情勢
等諸般の事情を配慮の上、原告が同号に該当するとしてした本件拒否処分は、前提
となる重要な事実を誤認したもので、その余の点につき判断するまでもなく、事実
上の基礎を欠く違法なものというほかはない(なお、同号該当性の判断について、
被告にある程度の裁量が認められることは、同号の文言からも明らかであるが、同
号の規定が憲法二二条二項によつて保障された海外渡航の自由を制約するものであ
ることに鑑み被告の裁量権はそれほど広いものではなく、少なくとも、被告の判断
の基礎となる重要な事実の存否につき裁判所の審査が及ぶことはいうまでもな
い。)。
第四 よつて、本件拒否処分の取消しを求める原告の本訴請求は理由があるので、
これを認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法
八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 鈴木康之 石原直樹 青野洋士)

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