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平成20年5月30日判決言渡
平成18年(行コ)第58号原爆症認定申請却下処分取消等請求控訴事件
(原審・大阪地方裁判所平成15年(行ウ)第53号,第69号,第96号~第99
号)
判決
主文
11審原告らの1審被告国に対する各控訴をいずれも棄却する。
21審被告厚生労働大臣の1審原告らに対する各控訴をいずれも棄
却する。
31審原告らに係る控訴費用は,1審原告らの負担とし,1審被告
厚生労働大臣に係る控訴費用は,同1審被告の負担とする。
事実及び理由
第1章控訴の趣旨
第11審原告ら
1原判決中,1審原告らと1審被告国に関する部分を取り消す。
21審被告国は,X1,X2,X3,X4,X5,X6,X9及び控訴人・被控
訴人(X8承継人)に対し,それぞれ300万円及びこれに対するX1,同X2及
び同X3については平成15年6月19日から,X4及び同X5については同年8月
28日から,X6,X9及び控訴人・被控訴人(X8承継人)については同年11月
13日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
31審被告国は,控訴人・被控訴人(X7承継人2名)に対し,それぞれ150万
円及びこれに対する平成15年11月13日から各支払済みまで年5分の割合によ
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る金員を支払え。
第21審被告厚生労働大臣
1原判決中,1審被告厚生労働大臣敗訴部分を取り消す。
21審原告らの1審被告厚生労働大臣に対する請求を棄却する。
第2章事案の概要
第1事案の要旨
1アメリカ合衆国軍により,昭和20年8月6日広島市に,また,同月9日に長崎
市にそれぞれ原子爆弾(以下「原爆」ということがある)が投下されたが,本。
,,,件は原子爆弾に被爆した1審原告らが原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し
又は疾病にかかり,現に医療を要する状態にあるとして,1審被告厚生労働大臣
(X5及び同X7については厚生大臣,以下同じ)に対し,被爆者援護法(X。
5及び同X7については(旧)被爆者援護法,以下同じ)11条1項に基づき,当。
該疾病等が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の認定の申請を行ったのに対し,1
()審被告厚生労働大臣が上記各申請をいずれも却下する旨の処分本件各却下処分
をしたため,1審原告らが,本件各却下処分の取消しを求めるとともに,1審被
告厚生労働大臣が故意又は過失に基づく違法な本件各却下処分を行ったことによ
り1審原告らは精神的苦痛を被ったなどと主張して,1審被告国に対し,国家賠
償法1条1項に基づき,各300万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日か
ら支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案であ
る。
2原審は,1審原告らの1審被告厚生労働大臣に対する請求については,1審原
告らは,本件各却下処分当時,いずれも原爆症認定申請に係る疾病について,放
射線起因性及び要医療性の要件を具備していたものと認められるから,本件各却
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下処分は違法であるとして,これを取り消したが,1審被告国に対する国家賠償
請求については,本件各却下処分をするについて,厚生労働大臣が職務上通常尽
くすべき注意義務を尽くさなかったとまではいえない等として,いずれも棄却し
た。
31審原告らは,国家賠償請求が棄却されたことを不服として控訴し,1審被告
厚生労働大臣は,本件各却下処分を取り消した点を不服として控訴した。
4控訴提起後,X7は,平成19年*月*日死亡し,妻及び子が承継し,X8は,
同年*月*日死亡し,子が承継した。
第2基礎的事実
以下の事実は,本件の主要争点を判断する上で基礎となる事実であり,当事者間
に争いがない事実,明らかに争わないから自白したとみなした事実,当裁判所に顕
著な事実,証拠(文中に記載)及び弁論の全趣旨によって認定した事実である。
1原子爆弾の投下
昭和20年8月6日午前8時15分,アメリカ軍により広島市に原子爆弾が投下さ
れ,また,同月9日午前11時2分,同軍により長崎市に原子爆弾が投下された。
2法令の定め等
(1)原爆被爆者に対する援護施策の経緯
ア原爆医療法の制定及びその内容
昭和32年,広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者が今なお置か
れている健康上の特別の状態にかんがみ,国が被爆者に対し健康診断及び医
療を行うことにより,その健康の保持及び向上をはかることを目的として,
原爆医療法が制定された。
同法は「被爆者」について,直接被爆者,入市被爆者,救護被爆者,胎,
児被爆者のいずれかに該当する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けた
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ものと定め(2条「厚生大臣は,原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し,),
又は疾病にかかり,現に医療を要する状態にある被爆者に対し,必要な医療
の給付を行う。ただし,当該疾病等が原子爆弾の放射能に起因するものでな
いときは,その者の治ゆ能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現
に医療を要する状態にある場合に限る」と規定し(7条1項,上記医療。)
の給付を受けようとする者は,あらかじめ,厚生大臣の原爆症認定を受けな
ければならないものとしていた(8条1項。)
その後,昭和35年法律第136号による改正により,原爆症認定を受けた被
爆者を支給の対象とする医療手当が創設された(改正後の14条の8。)
イ被爆者特別措置法の制定及びその内容
昭和43年,広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者であって,原
子爆弾の傷害作用の影響を受け,今なお特別の状態にあるものに対し,特別
,,手当の支給等の措置を講ずることによりその福祉を図ることを目的として
被爆者特別措置法が制定された。
同法は,原爆医療法上の原爆症認定を受けた者であって,同認定に係る疾
病等の状態にあるものに対し,特別手当を支給すること(2条1項)や,被
爆者であって,原爆医療法7条1項の規定による医療の給付を受けているも
のに対し,医療手当を支給すること(7条)などを定めていた。
その後,昭和49年法律第86号による改正により,原爆症認定を受けた被爆
者であって,当該認定に係る疾病等の状態でなくなったものを支給の対象と
する特別手当が創設され(改正後の同法2条,さらに,昭和56年法律第70)
号による改正により,原爆医療法に基づく医療手当と被爆者特別措置法に基
づく特別手当を統合した医療特別手当が創設され,原爆症認定を受けた被爆
者であって当該認定に係る疾病等の状態にあるものは,医療特別手当の支給
を受けることができることとされた(改正後の同法2条。)
ウ被爆者援護法の制定
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平成6年に,原爆医療法及び被爆者特別措置法(旧原爆2法)を一元化す
るものとして,被爆者援護法が制定され,平成7年7月1日に施行され,旧
原爆2法は廃止された。
(2)被爆者援護法の内容
ア被爆者援護法の趣旨目的
被爆者援護法は,その前文において,以下のとおり同法の趣旨目的を記し
ている。
「昭和20年8月,広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のな
い破壊兵器は,幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず,たとい一命
をとりとめた被爆者にも,生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し,
不安の中での生活をもたらした。
このような原子爆弾の放射能に起因する健康被害に苦しむ被爆者の健康の
保持及び増進並びに福祉を図るため,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律
及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律を制定し,医療の給付,
医療特別手当等の支給をはじめとする各般の施策を講じてきた(中略。)
国の責任において,原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する
健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ,高齢
化の進行している被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護
対策を講じ(中略)るため,この法律を制定する」。
イ被爆者の定義
被爆者援護法における「被爆者」の定義は,原爆医療法上の被爆者と同じ
く,直接被爆者,入市被爆者,救護被爆者,胎児被爆者のいずれかに該当す
る者であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものとされている(1条。)
ウ被爆者健康手帳
都道府県知事は,申請に基づいて審査し,1条の被爆者に該当すると認め
るときは,その者に被爆者健康手帳を交付する(2条。)
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エ被爆者に対する援護
(ア)健康管理
都道府県知事は,被爆者に対し,毎年,厚生労働省令で定めるところに
より,健康診断を行い(7条,同健康診断の結果必要があると認めると)
きは,当該健康診断を受けた者に対し,必要な指導を行う(9条。)
(イ)医療の給付
厚生労働大臣は,原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し,又は疾病にか
かり,現に医療を要する状態にある被爆者に対し,必要な医療の給付を行
。,,うただし当該疾病等が原子爆弾の放射能に起因するものでないときは
その者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を
要する状態にある場合に限る(10条1項。)
上記医療の給付を受けようとする者は,あらかじめ,原爆症認定を受け
なければならない(11条1項。)
(ウ)一般疾病医療費の支給
厚生労働大臣は,被爆者が,上記(イ)の医療の給付を受けることができ
る疾病以外で,指定医療機関等から医療を受けたときは,当該医療に要し
た費用の額を限度として,一般疾病医療費を支給することができる(18条
1項。)
(エ)医療特別手当の支給
都道府県知事は,原爆症認定を受けた者であって,当該認定に係る疾病
等の状態にあるものに対し,医療特別手当を支給する(24条1項。同項)
に規定する者は,医療特別手当の支給を受けようとするときは,同項に規
定する要件に該当することについて,都道府県知事の認定を受けなければ
ならない(同条2項。医療特別手当は,月を単位として支給するものと)
し,その額は,1月につき13万5400円である(同条3項。)
(オ)特別手当の支給
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,,()都道府県知事は原爆症認定を受けた者に対し特別手当月額5万円
を支給する。ただし,その者が医療特別手当の支給を受けているときは,
この限りでない(25条。)
(カ)健康管理手当の支給
都道府県知事は,被爆者であって,造血機能障害,肝臓機能障害その他
厚生労働省令で定める障害を伴う疾病(原子爆弾の放射能の影響によるも
のでないことが明らかであるものを除く)にかかっているものに対し,。
健康管理手当(月額3万3300円)を支給する(27条。)
(キ)保健手当の支給
都道府県知事は,被爆者のうち,原子爆弾が投下された際爆心地から2
kmの区域内に在った者又はその当時その者の胎児であった者に対し,保健
手当(月額1万6700円)を支給する。ただし,厚生労働省令で定める範囲
の身体上の障害(原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らか
であるものを除く)がある者等については,その額を3万3300円とする。
(28条。)
(ク)その他の手当等の支給
都道府県知事は,一定の要件を満たす被爆者に対し,上記各手当以外に
,(),()。,も原子爆弾小頭症手当26条介護手当31条等を支給するなお
介護手当の支給対象者は,被爆者であって,厚生労働省令で定める範囲の
精神上又は身体上の障害を伴う疾病(原子爆弾の放射能の影響によるもの
。),でないことが明らかであるものを除くにより介護を要する状態にあり
かつ,介護を受けているものとされている。
(3)被爆者援護法の定める原爆症認定制度の概要
ア原爆症認定要件
①要医療性被爆者が現に医療を要する状態にあること
②放射線起因性現に医療を要する疾病等が原子爆弾の放射線に起因す
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るものであるか,又は上記疾病等が放射線以外の原子爆
弾の傷害作用に起因するものであって,その者の治癒能
力が原子爆弾の放射線の影響を受けているため上記状態
にあること
イ原爆症認定の申請手続
原爆症認定を受けようとする者は,都道府県知事を経由して,厚生労働大
臣に,疾病等の名称,被爆時以降における健康状態の概要等を記載した認定
申請書に,医師の意見書及び当該疾病等に係る検査成績を記載した書類を添
えなければならないものとされ,上記医師の意見書には,①疾病等の名称,
②被爆者健康手帳の番号,③被爆者の氏名及び生年月日,④既往症,⑤現症
所見,⑥当該疾病等が原子爆弾の放射能に起因する旨,原子爆弾の傷害作用
に起因するも放射能に起因するものでない場合においては,その者の治ゆ能
力が原子爆弾の放射能の影響を受けている旨の医師の意見,⑦必要な医療の
内容及び期間,を記載すべきものとされている(被爆者援護法施行令8条1
項,同法施行規則12条。)
ウ審議会等の意見聴取
(旧)被爆者援護法によれば,厚生大臣の諮問に応じ,被爆者の医療等に関
する重要事項を調査審議させるため,厚生省に,学識経験のある者のうちか
ら厚生大臣が任命する20人以内の委員で組織された医療審議会を置くものと
され(3条,4条,厚生大臣は,原爆症認定を行うに当たっては,同審議)
会の意見を聴かなければならないものとされていた(11条2項。)
被爆者援護法は,厚生労働大臣は,原爆症認定を行うに当たって,審議会
等(国家行政組織法8条に規定する機関をいう)で政令で定めるものの意。
見を聴かなければならないとし(11条2項,同法施行令においてその審議)
会等は「認定審査会」とされた。
そして,認定審査会は,委員30人以内で組織し,特別の事項を審査させる
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ため必要があるときは,臨時委員を置くことができ,これら委員及び臨時委
員は,学識経験のある者のうちから,厚生労働大臣が任命するものとされて
いる(疾病・認定審査会令1条,2条。また,同審査会に,被爆者援護法)
の規定に基づき認定審査会の権限に属させられた事項を処理する分科会とし
て,医療分科会を置くものとされ,同分科会に属すべき委員及び臨時委員等
は,厚生労働大臣が指名するものとされている(同令5条。)
エ認定書の交付
厚生労働大臣は,原爆症認定の申請書を提出した者につき原爆症認定をし
たときはその者の居住地の都道府県知事を経由して認定書を交付する被,,(
爆者援護法施行令8条2項。)
(4)当事者
ア1審原告ら
(ア)X1
X1は,昭和2年*月*日生の女性であるが,18歳であった昭和20年8
月6日午前8時15分,広島市千田町所在の廣島赤十字病院寄宿舎(爆心地
からの距離は約1.5km)で被爆した。X1は,その後被爆者健康手帳の交
付を受け,平成13年9月20日,疾病等名を右眼球癆として,1審被告厚生
労働大臣に対し,被爆者援護法11条1項に基づく原爆症認定申請をしたと
ころ,同大臣は,同年7月1日付けで同申請を却下する旨の本件X1却下
処分(厚生労働省発健第****号)をした。X1は,同月10日,同処分
を知り,同年9月6日付けで,同大臣に対し,行政不服審査法に基づく異
議申立てをしたのち,平成15年5月27日,大阪地方裁判所に対し,同処分
の取消し等を求める本件訴えを提起した(書証番号略。)
(イ)X2
X2は,昭和5年*月*日生の女性であるが,15歳であった昭和20年8
月9日午前11時2分,長崎市a町所在の自宅内(爆心地からの距離は約3.
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3km)で被爆した。X2は,その後被爆者健康手帳の交付を受け,平成14
年4月23日付けで,疾病等名を甲状腺機能低下症として,1審被告厚生労
働大臣に対し,被爆者援護法11条1項に基づく原爆症認定申請をしたとこ
ろ,同大臣は,同年9月9日付けで同申請を却下する旨の本件X2却下処
分(厚生労働省発健第****号)をした。X2は,同月21日,同処分を
知り,同年11月17日付け(同月18日受付)で,同大臣に対し,行政不服審
査法に基づく異議申立てをしたのち,平成15年5月27日,大阪地方裁判所
に対し,同処分の取消し等を求める本件訴えを提起した(書証番号略)
(ウ)X3
X3は,昭和12年*月*日生の女性であるが,8歳であった昭和20年8
月6日午前8時15分,広島市b町*丁目所在の自宅(株式会社A工務店の
社宅。爆心地からの距離は約3km弱)から広島市bd丁目(ただし,昭和
60年当時の住所表示)所在の広島市立c小学校分校(現在の広島市立b小
,)。学校爆心地からの距離は約2kmに向かう途中の畑のあぜ道で被爆した
X3は,その後被爆者健康手帳の交付を受け,平成14年6月6日付けで,
疾病等名を胃がんとして,1審被告厚生労働大臣に対し,被爆者援護法11
条1項に基づく原爆症認定申請をしたところ,同大臣は,同年10月15日付
けで同申請を却下する旨の本件X3却下処分(厚生労働省発健第****
号)をした。X3は,同月21日,同処分を知り,同年12月18日付け(同月
19日受付)で,同大臣に対し,行政不服審査法に基づく異議申立てをした
のち,平成15年5月27日,大阪地方裁判所に対し,同処分の取消し等を求
める本件訴えを提起した(書証番号略。)
(エ)X4
X4は,昭和6年*月*日生の男性であるが,14歳であった昭和20年8
月6日午前8時15分,比治山橋詰(爆心地からの距離約1.8~1.9km)で被
爆した。X4は,その後被爆者健康手帳の交付を受け,平成14年7月31日
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,,,付けで疾病等名を右2指有棘細胞がん右2指の末節部の切断術として
1審被告厚生労働大臣に対し,被爆者援護法11条1項に基づく原爆症認定
申請をしたところ,同大臣は,同年12月20日付けで同申請を却下する旨の
本件X4却下処分(厚生労働省発健第****号)をした。X4は,平成
15年1月11日,同処分を知り,同年3月6日付けで,同大臣に対し,行政
不服審査法に基づく異議申立てをしたのち,同年7月28日,大阪地方裁判
,()。所に対し同処分の取消し等を求める本件訴えを提起した書証番号略
(オ)X5
X5は,昭和8年*月*日生の男性であるが,12歳であった昭和20年8
月6日午前8時15分,比治山橋東詰近くの広島県立j中学校の校庭(爆心
地からの距離は約2km弱。なお,X5は1.75kmと主張している)で被爆。
した。X5は,その後被爆者健康手帳の交付を受け,平成10年11月9日付
け同月10日受付で疾病等名を喉頭腫瘍として厚生大臣に対し(旧)(),,,
被爆者援護法11条1項に基づく原爆症認定申請をしたところ,同大臣は,
同年12月28日付けで同申請を却下する旨の本件X5却下処分(厚生省収健
医第**号)をした。X5は,平成12年2月2日,同処分を知り,同日付
けで,同大臣に対し,行政不服審査法に基づく異議申立てをし,平成15年
5月23日付けで1審被告厚生労働大臣の同申立てを棄却する旨の決定を受
けた後,同年7月28日,大阪地方裁判所に対し,本件X5却下処分の取消
し等を求める本件訴えを提起した(書証番号略。)
(カ)X6
X6は,大正13年*月*日生の女性であるが,20歳であった昭和20年8
月6日午前8時15分,広島駅前の猿猴橋商店街にあった父のいとこのB宅
(。,。)の建物内爆心地からの距離約1.9kmなおX6は1.8kmと主張している
において被爆した。X6は,その後被爆者健康手帳の交付を受け,平成14
年11月15日付け同年12月6日受付で疾病等名を甲状腺機能低下症橋(),(
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本病)として,1審被告厚生労働大臣に対し,被爆者援護法11条1項に基
づく原爆症認定申請をしたところ,同大臣は,平成15年7月23日付けで同
()。申請を却下する旨の本件X6却下処分厚生労働省発健第**号をした
X6は,同年8月7日ころ,同処分を知り,同年11月5日,大阪地方裁判
,()。所に対し同処分の取消し等を求める本件訴えを提起した書証番号略
(キ)X7
X7は,大正14年*月*日生の男性であるが,20歳であった昭和20年8
月6日の夕方ころに広島市内に入り,同市内において被爆者の救護作業や
。,,死体処理作業等に従事したX7はその後被爆者健康手帳の交付を受け
平成10年12月4日付け(平成11年1月4日受付)で,疾病等名を椎骨脳底
動脈(後下小脳動脈付近)循環不全,脳梗塞後遺症,高血圧症として,厚
生大臣に対し,(旧)被爆者援護法11条1項に基づく原爆症認定申請をした
ところ,同大臣は,平成11年6月23日付けで同申請を却下する旨の本件X
7却下処分(厚生省収健医第**号)をした。X7は,同月30日,同処分
を知り,同年8月10日付けで,同大臣に対し,行政不服審査法に基づく異
議申立てをし,平成15年8月5日付けで同異議申立てを棄却する旨の1審
被告厚生労働大臣の決定を受けたのち,同年11月5日,大阪地方裁判所に
対し,本件X7却下処分の取消し等を求める本件訴えを提起した(書証番
号略。)
(ク)X8
X8は,大正15年*月*日生の男性であるが,19歳であった昭和20年8
月7日原子爆弾が投下された直後の広島市内に入り,同市内において遺体
処理作業に従事した。X8は,その後被爆者健康手帳の交付を受け,平成
14年9月25日付けで,疾病等名を貧血として,1審被告厚生労働大臣(認
定申請書〈乙I1〉の名あて人は厚生大臣)に対し,被爆者援護法11条1
項に基づく原爆症認定申請をしたところ,同大臣は,平成15年3月26日付
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けで同申請を却下する旨の本件X8却下処分(厚生労働省発健第****
)。,,,,号をしたX8は同年4月3日同処分を知り同年5月29日付けで
同大臣に対し,行政不服審査法に基づく異議申立てをしたのち,同年11月
5日,大阪地方裁判所に対し,同処分の取消し等を求める本件訴えを提起
した(書証番号略。)
(ケ)X9
X9は,昭和2年*月*日生の女性であるが,17歳であった昭和20年8
月9日午前11時2分,長崎市d郷にあったC兵器e女子寮内(爆心地から
の距離は約2.1km)で被爆した。X9は,その後被爆者健康手帳の交付を
受け,平成15年1月17日付けで,疾病等名を肺がん及び転移性脳腫瘍とし
て,1審被告厚生労働大臣に対し,被爆者援護法11条1項の規定に基づく
原爆症認定申請をしたところ,同大臣は,同年9月9日付けで同申請を却
下する旨の本件X9却下処分(厚生労働省発健第****号)をした。X
,,,,9はそのころ同処分を知り平成15年11月5日大阪地方裁判所に対し
同処分の取消し等を求める本件訴えを提起した(書証番号略。)
以上を一覧の便宜のため,表にすると,次のようになる。
氏名X1認定申請日平13.9.20
生年月日昭2.*.*生申請疾病名右眼球癆
性別女性原処分日平14.7.1
被爆時年齢18歳処分を知った日平14.7.10
被爆場所広島市千田町異議申立日平14.9.6
廣島赤十字病院寄宿舎本訴提起日平15.5.27
爆心地からの距離約1.5㎞
氏名X2認定申請日平14.4.23
生年月日昭5.*.*生申請疾病名甲状腺機能低下症
性別女性原処分日平14.9.9
被爆時年齢15歳処分を知った日平14.9.21
被爆場所長崎市a町自宅異議申立日平14.11.18
爆心地からの距離約3.3㎞本訴提起日平15.5.27
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氏名X3認定申請日平14.6.6
生年月日昭12.*.*生申請疾病名胃がん
性別女性原処分日平14.10.15
被爆時年齢8歳処分を知った日平14.10.21
被爆場所広島市b町あぜ道異議申立日平14.12.19
爆心地からの距離2~3㎞本訴提起日平15.5.27
氏名X4認定申請日平14.7.31
生年月日昭6.*.*生申請疾病名右2指有棘細胞がん
性別男性右2指の末節部の切断術
被爆時年齢14歳原処分日平14.12.20
被爆場所広島市内比治山橋詰処分を知った日平15.1.11
爆心地からの距離1.8~1.9km異議申立日平15.3.6
本訴提起日平15.7.28
氏名X5認定申請日平10.11.10
生年月日昭8.*.*生申請疾病名喉頭腫瘍
性別男性原処分日平11.12.28
被爆時年齢12歳処分を知った日平12.2.2
被爆場所広島市内比治山東詰近く異議申立日平12.2.2
のj中学校の校庭本訴提起日平15.7.28
爆心地からの距離約2㎞弱
氏名X6認定申請日平14.11.15
生年月日大13.*.*生申請疾病名甲状腺機能低下症(橋本病)
性別女性原処分日平15.7.23
被爆時年齢20歳処分を知った日平15.8.7
被爆場所広島駅前猿猴橋商店街異議申立日(申立の有無を含め)不明
B宅本訴提起日平15.11.5
爆心地からの距離約1.9㎞
氏名X7認定申請日平10.12.4
生年月日大14.*.*生申請疾病名椎骨脳底動脈(後下小脳動脈
性別男性付近)循環不全,脳梗塞後遺
被爆時年齢20歳症,高血圧症
被爆場所広島市原処分日平11.6.23
爆心地からの距離入市被爆者処分を知った日平11.6.30
異議申立日平11.8.10
本訴提起日平15.11.5
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氏名X8認定申請日平14.9.25
生年月日大15.*.*生申請疾病名貧血
性別男性原処分日平15.3.26
被爆時年齢19歳処分を知った日平15.4.3
被爆場所広島市異議申立日平15.5.29
爆心地からの距離入市被爆者本訴提起日平15.11.5
氏名X9認定申請日平15.1.17
生年月日昭2.*.*生申請疾病名肺がん及び転移性脳腫瘍
性別女性原処分日平15.9.9
被爆時年齢17歳処分を知った日不明
被爆場所長崎市d郷異議申立日(申立の有無を含め)不明
C兵器e寮本訴提起日平15.11.5
爆心地からの距離約2.1㎞
イ1審被告厚生労働大臣
1審被告厚生労働大臣は,平成13年1月6日に施行された中央省庁等改革
関係法施行法(平成11年法律第160号)753条による改正後の被爆者援護法11
条1項に基づき,原爆症認定をする権限を有する行政庁である。なお,上記
改正前における被爆者援護法11条1項の原爆症認定権限を有していた厚生大
臣がした同項所定の処分については,中央省庁等改革関係法施行法130条1
項により,1審被告厚生労働大臣がしたものとみなされる(したがって,X
5及び同X7の各申請に係る処分等に関しても,以後,原則として「厚生労
働大臣」と表記する。。)
3争点
本件の争点は,①放射線起因性の判断基準,②1審原告らの原爆症認定要
件(放射線起因性,要医療性)該当性,③1審被告国に対する国家賠償請求の
成否の3点である。
第3章争点に対する当事者の主張の要旨
第1放射線起因性の判断基準(争点①)
-16-
【1審原告らの主張】
1原爆被害の実態
(1)原爆投下による被害(人間と都市の破壊)
ア概要
広島に投下された原爆はウラン爆弾であり,TNT火薬に換算して約15kt
(キロトン)の威力をもち,また,長崎に投下された原爆はプルトニウム爆
弾であり,TNT火薬に換算して約22ktの威力を有した。
原爆投下による昭和25年末までの死者は,広島で20万人,長崎で10万人を
,,,,超えると推定されており爆風熱線火災により灰じんに帰した総面積は
広島で13㎢,長崎で6.7㎢とされ,広島では約68%,長崎では約25%の建物
が全壊・全焼したとされている。このように,原爆による被害は筆舌に尽く
し難く,被爆後62年を経過した今日においても死者数すら正確に把握されて
いない。辛うじて死を免れた者も,原爆による様々な急性症状や後障害に苦
しめられることになった。
イ熱線による被害
核爆発の瞬間,温度は数百万度に達し,やがて表面温度が7000度にも達す
る火球が作り出された(太陽の表面温度は約6000度。この火球からの熱線)
が,多くの焼死者を生み出し,火傷を負わせ,家屋の火災等甚大な被害を及
ぼした。熱線による火傷は,広島で爆心から5km,長崎では4kmの地点にま
で及んだ。
ウ衝撃波と爆風による被害
原爆が空中で爆発すると,桁違いの高圧により発生した衝撃波が,爆発点
から球面状に,爆心地付近は音速より速く,遠距離になるにつれて音速です
べての方向に進行した。また,衝撃波の通過直後を追うように強烈な爆風が
-17-
発生し,その風速は爆心地から500m地点で秒速280mというすさまじいもの
であった。その結果,人体の内臓破裂,外傷,建築物の破壊等,多くの被害
が生じた。
エ放射線による被害
原爆の核分裂の連鎖反応によって,莫大な数の中性子線,ガンマ線その他
の放射線が放射された。放出された中性子線とガンマ線は,大気中や地上の
原子核に散乱,吸収されて線量を減少させながら地上に到達した。大量のガ
ンマ線を吸収して作られた火球からもガンマ線が放出された。そのガンマ線
や中性子線を原子核が吸収するなどして放射性原子核になると,そこからも
ガンマ線等が放出された。また,火球に含まれていた様々な放射性物質が,
黒い雨,黒いすす,あるいは放射性微粒子となって,広範囲にわたり地上に
降ってきた。
これらの放射線による人体への影響は,様々な経路をたどってもたらされ
。,。,た大きくは初期放射線の被曝と残留放射線の被曝に分けられるそして
残留放射線による被曝は,誘導放射線による被曝と,未分裂の核物質,核分
裂生成物,誘導放射化された放射性物質などの放射性降下物による被曝に分
。,,,けられるまた残留放射線による被曝は人体外部からの被曝だけでなく
放射性物質を呼吸や飲食等により体内に摂取することによる内部被曝があ
る。そのため,初期放射線のほとんど到達しなかった遠距離被爆者及び救助
・看護活動等のために被爆地以外の都市から広島,長崎市内に入ってきた者
も放射線に被曝するに至った(入市被爆者。)
(2)放射線による被害の態様
ア急性症状
被爆者には,被爆直後から発熱,下痢,喀血,吐血,下血,血尿,吐気,
嘔吐,脱毛,脱力感,倦怠,鼻出血,歯齦出血,生殖器出血,皮下出血,発
熱,咽頭痛,口内炎,白血球減少,赤血球減少,無精子症,月経異常などの
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様々な急性症状が現れた。
イ慢性症状(長期にわたる後障害)
放射線被曝により,被爆者は,様々な後影響(後障害)に苦しめられるこ
とになった。当初は,がん疾患への影響が報告されていたが,現在はがん疾
患以外の様々な疾患に対する影響が報告されている。
放射線被曝による後障害としては,白血病を含むがん,白内障,心筋梗塞
症を始めとする心疾患,脳卒中,肺疾患,肝機能障害,消化器疾患,晩発性
の白血球減少症や重症貧血などの造血機能障害,甲状腺機能低下症,慢性甲
状腺炎,被爆当日に生じた外傷の治癒が遅れたことによる運動機能障害,ガ
ラス片や異物の残存による障害を残している場合などが考えられるが,未解
明の点が残されている現在,限定的にとらえられてはならない。
ウ原爆ぶらぶら病(慢性原子爆弾症)
さらに,被爆者は,被爆後原因不明の全身性疲労,体調不良状態,労働持
続困難などのいわゆる原爆ぶらぶら病に悩まされることになった。
(3)放射線が人体に与える影響
ア外部被曝
(ア)初期放射線
原爆が炸裂し,100万分の1秒以内に核分裂が繰り返され,ガンマ線や
中性子線が放出された(初期放射線。これらの放射線は,瞬時に地表に)
到達し,建物等様々な物質を通り抜け,そこにいた人々の身体を貫き,細
胞組織や遺伝子を破壊した(初期放射線による外部被曝。)
また,中性子線は,空気,水,土,建造物など,あらゆる物質の原子核
に衝突して,正常な原子核を放射性原子核へと変え,新たな放射線を生み
出した。その最も危険なものがガンマ線である。建物の壁や屋根,地面な
どに中性子線が当たると,それらを構成する原子自体からガンマ線が発生
した。
-19-
しかし,原爆の放射線の人体に対する影響は,この初期放射線による外
部被曝に限られなかった。
(イ)放射性降下物
核分裂の連鎖反応と同時に,大量の放射性核分裂生成物(死の灰」と「
呼ばれる)が生成された。この放射性核分裂生成物は,主にベータ線や。
ガンマ線を放出する。また,広島原爆のウラン235及び長崎原爆のプルト
ニウム239のうち実際に核分裂を起こしたのは一部(ウラン235は約60kg中
700g,プルトニウム239は約8kg中1~1.1kg)であり,残った未分裂の核
分裂物質も,自らアルファ線を放出し,次々と種類の違う放射性原子に姿
を変えながら,ガンマ線やベータ線を放出する。さらに,原爆の装置と容
器が核分裂で生成された中性子を吸収して誘導放射化され,これも放射線
を放出する。これらが爆発直後の火球の中に含まれていた。
原爆の火球が膨張し,上昇して温度が下がると,火球に含まれていた様
々な放射性物質は,放射性微粒子あるいは「黒いすす」となる。更に上昇
して温度が下がると,この放射性微粒子や黒いすすが空気中の水蒸気を吸
着して水滴となり,放射性物質を大量に含んだきのこ雲が作られる。きの
こ雲からも放射線の放出は続いた。きのこ雲は更に上昇しながら成長し,
遂には崩れて広範囲に広がっていく。大きくなった水滴は放射能を帯びた
「黒い雨」となって地上に降り注いだ。
また,原爆の熱線によって発生した空前の大火災によって巨大な火事嵐
や竜巻が生じ,誘導放射化された地上の土砂や物体が巻き上げられて,再
び黒い雨や黒いすすとともに地上に降り注いだ。広島原爆投下後には非常
に広範囲に飛散降下物が広がっていることが示されており,このことから
も,原爆の威力がすさまじく,想像を絶する上昇気流が発生していたこと
が理解できる。
そして,黒いすす,黒い雨や降下してきた放射性微粒子などの放射性降
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下物は,初期放射線を浴びた直接被爆者のみならず,原爆投下時には市内
にいなかったが,救援や家族を探し求めるため市内に入った人々(入市被
爆者)の皮膚や髪,衣服に付着し,あるいは大気中や地面から,アルファ
線,ベータ線及びガンマ線を放出して身体の外から被曝させた(放射性降
下物による外部被曝。)
なお,放射性降下物は,1審被告らが主張する,広島における己斐,高
須地区,長崎における西山地区という限定された地区にとどまらず,非常
に広範な地域に及んでいる。
(ウ)誘導放射能
爆心地に近いところでは,初期放射線の大量の中性子によって,地上及
び地上付近の物質の原子核が放射性原子核となり(誘導放射化,それに)
よって放射線を放出する誘導放射能はガンマ線とベータ線を放出し続け
て,直接被爆者及び入市被爆者の体外から継続的に放射線を浴びせ続けた
(誘導放射能による外部被曝。誘導放射能は中性子線量の多い爆心地に)
近いところほど強いことから,原爆投下直後に爆心地近くに入市した被爆
者はこの誘導放射能の影響を強く受けた。
(エ)ケロイド形成
,。,初期放射線による外部被曝はケロイドの形成にも影響したすなわち
原爆によって生じたケロイド(熱傷による創面修復のための瘢痕組織が過
剰に増生し肥厚する状態)は,原爆炸裂により放出された熱線によるもの
であるが,それは単なる炎症性の変化ではなく,腫瘍性の変化を特徴とし
た。その発生原因としては,放射線によって人体内部が誘導放射化され,
長期にわたって内部被曝を受け続けていることが考えられている。あるい
は,放射性降下物がケロイドの中に閉じこめられて,継続的に内部被曝し
ていることが考えられる。
イ内部被曝
-21-
(ア)内部被曝の態様
内部被曝とは身体内部にある放射線源から放射線被曝することをいう。
原爆の爆発により生じた未分裂核物質や核分裂生成物,誘導放射化され
た放射性物質等が,被爆者の体内に入り込み,これらの放射性物質が被爆
者の体内で放射線を放出する。
(イ)放射性物質が体内に取り込まれる経路
放射性物質が人体内に進入する経路としては,①放射化した飲食物や
放射性物質が付着した飲食物を摂取する(経口摂取,②空気中に浮遊)
している放射性物質を吸引して摂取する(吸入摂取,③皮膚や傷口を)
通して直接人体内に入り込む(経皮摂取,という3つの経路がある。)
内部被曝では,放射性微粒子が身体の一定場所に沈着したり,血液やリ
ンパ液と共に運ばれたり,腸や皮膚から吸収されて,体の中全体が被曝を
することになる。
(ウ)内部被曝の影響
放射性物質が人体内に入った場合,その一部は人体のメカニズムにより
体外に排出されるが,残りは体内にとどまって人体内で放射線をまき散ら
すことになる。
,,。第1にガンマ線の場合にはその線量は線源からの距離に反比例する
したがって,質量の同一核種であっても,体外に存在する場合に受ける体
外被曝と比べて,体内に入った場合に受ける体内被曝(内部被曝)は,格
段に大きくなる。
第2に,飛程距離の短いアルファ線,ベータ線の問題がある。ベータ線
は生物組織の中ではせいぜい1cmしか透過せず,また,アルファ線の飛程
距離は0.1mm以内である。したがって,べータ線やアルファ線を放出する
核種が体内に入ってくると,飛程距離の短いこれら放射線のエネルギーの
ほとんどすべてが吸収され,体内からの被爆が桁違いに大きくなる。殊に
-22-
アルファ線の生物学的効果比(RBE)は大きく,1Gyで10~20Svにもな
る。このように,アルファ線は短い飛程距離の中で集中的に組織にエネル
ギーを与えて多くの染色体や遺伝子の接近した箇所を切断する。のみなら
ず,電離密度が大きいために,DNAの二重らせんの両方が切断され,誤
った修復をする可能性が増大する。
第3に,濃縮の問題がある。人工性放射線核種には,生体内で著しく濃
縮されるものが多いが,例えば,ヨウ素131なら甲状腺,コバルトやスト
,,ロンチウム90なら骨組織放射性セシウムなら筋肉と生殖腺というように
核種によって濃縮される組織や器官が特異的に決まっている。また,その
微粒子が水溶性の程度によって,移動する形態も変わり,これらが特定の
体内部位にとどまって集中的に放射線を浴びせると深刻な被害をもたらす
ことになる。
第4に,継時性の問題がある。ある放射性核種の体内への取込みがあっ
て,その核種が体内に沈着・濃縮されたとすると,その核種の寿命に応じ
て内部被曝が続くことになる。この点は,放射線源から遠ざかれば放射線
被曝を止めることができる外部被曝と根本的に異なる。また,体の外から
浴びるガンマ線が体のあちこちに傷を付けるというのとは異なり,体内に
取り込まれた放射性物質は沈着部位の比較的近傍にエネルギーを大量に与
えて破壊するような仕方で被曝を与える。
以上のとおり,人工放射線核種は内部被曝により自然放射線核種の内部
被曝よりも桁違いに大きな,かつ深刻な影響を及ぼすが,その最も大きな
要因は,自然放射線核種とは異なり,人工放射線核種は生体内で濃縮され
る点にあるとされる。すなわち,自然放射性核種の場合は生物が進化の過
程で獲得した適応力が働いて体内で代謝し,体内濃度を一定に保つのに対
し,自然界には存在しない人工放射性核種の場合,体内に取り込んで濃縮
し,深刻な内部被曝を引き起こすことになるのである。そして,この場合
-23-
には,体内に取り込んで長時間をかけて放射線を浴びることになるので,
急性症状が遅れて発症することが当然考えられる。このように,放射線に
よる人体への影響は,時間をかけて放射線を浴び続けるために,被爆後長
期間経過してからも後障害が発症するという特徴がある。
ウ放射線が人体に与える影響の機序
(ア)急性障害
,,放射線とりわけ人体への破壊力が大きな中性子線を浴びた人体内では
腸などの消化器系の内臓,血液を造る骨髄などで,細胞が自らの機能を停
止させ死んでいく細胞自殺(アポトーシス)を起こす。そのため,内臓の
機能が低下し,死に至る。被爆後,やけどなどの外傷が少ないのに,被爆
から数日後に死んでいった人の多くは,このアポトーシスが起こり,腸内
での出血が止まらない,骨髄が損傷し造血不良が起こったことなどが原因
で死に至ったと考えられる。
死に至らない場合でも,消化器系の粘膜は放射線に対する感受性が高い
ため,例えば,胃腸の粘膜の場合には剥離をしたり,びらんを起こしたり
して,自覚症状として,悪心,嘔吐,下痢などの急性症状として現れる。
しかし,このような急性症状は現われないが,後に放射線の影響で晩発
生障害が発生する被爆者もいる。とりわけ,内部被曝の場合には,しきい
値を確定することは困難であり,直接被曝の場合と急性症状の現れ方も異
なる。
(イ)晩発性障害
放射性物質は,原子の真ん中にある原子核の周りを回っている電子にエ
ネルギーを与えて,電子が原子や分子から外にはじき出されてしまう電離
作用をもつ。電子は分子を結合する役割を果たしているが,その分子がは
じき飛ばされると,結合していた分子は壊れてしまう。具体的には,体内
のDNAのらせんの間を鎖のように結ぶアミノ酸が放射線を浴びて切断さ
-24-
れ,集中的に破壊作用が起きると修復機能が正常に機能せず,様々な障害
を引き起こす原因になる(放射線の直接作用。)
また,ガンマ線が細胞の中の水分子に当たると,水がプラスイオンとマ
イナスイオンに電離し,そのマイナスイオンがDNAの二重らせんに到着
,()。すると化学反応を起こして二重らせんを切断する放射線の間接作用
これが一箇所だけ切断された場合には,ほとんどが元の正常な形に修復す
る機能を保つが,これが集中的に生じると,修復を誤るなどの事態が生じ
て,深刻な症状を引き起こすことになる。
ガンマ線が体内の原子の中に衝突すると,そのガンマ線のエネルギーを
電子がもらって走り出す。その電子は電気を持っているので,次々と周辺
の原子の中から電子にエネルギーを与えてどんどん電子を跳ね飛ばす密,(
度の低い電離作用。)
一方,中性子は,電子を持っていないので直接電離作用はしないが,中
性子が体の中の陽子にぶつかると,電気を持った陽子が走り出し,この陽
子が集中した電離作用を引き起こす(密度の高い電離作用。いずれも身)
体に深刻な影響を与える。
このように,放射線はDNAを損傷し,遺伝的な影響,晩発性のがんを
引き起こすなどの重大な影響を与えるが,それだけではなく,細胞膜など
の破壊による深刻な被害なども引き起こす。つまり,細胞に取り込まれた
結果,そこでベータ線等を出せば,細胞の膜が傷つけられることが当然起
こる。ベータ線の場合は,ガンマ線に比べて一定の距離を進む間に起こす
電離の数が多いので,ガンマ線の場合には素通りしていったり,まばらに
しか電離あるいは励起という作用を起こさないのに比して,ベータ線では
もっと濃密度で起こすので,細胞膜が傷つくことが起こり得るのである。
もちろん,これらが内部被曝単独で生じるのではなく,外部被曝の影響
をも合わせて起こり得るものであり,両方の影響を考慮する必要がある。
-25-
また,酸素は細胞の中に取り込まれ,命を作る運動をする。この酸素が
放射線にぶつかると電気を帯び,人体に有害な活性酸素に変化する。電気
を帯びた活性酸素は,人間の細胞を防護している細胞膜の電気に影響して
穴があく。その中に放射線が入った場合の影響については,科学的には解
明されていないが,放射線による桁違いのエネルギーにより新陳代謝が大
きな影響を受けて動揺し不安定になる。これが内部被曝の一番最初の影響
であり,被害の本質である。影響を受ける細胞が体細胞,つまり胃や肺,
肝臓という臓器である場合には,突然変異を受けてがん細胞に変わってい
き,生殖細胞の場合には,遺伝子に傷がついて遺伝に障害が生じる。
さらに,初期の物理的過程により,原子や分子の化学的結合が切れて放
射線分解が起こると,遊離基(1個又は複数個の不対電子を有する原子や
分子で,フリーラジカルという)が生成する。これを物理化学的過程と。
いい,10億分の1秒程度の時間内に起こる。人体内に放射線が入ったと
,。きに生成する遊離基は人体の主成分である水分子の変化したものが多い
遊離基は極めて不安定で非常に反応性に富むため,他の遊離基又は安定分
子と直ちに反応する。遊離基が生物学的に重要な分子である細胞内のタン
パク質や核酸と反応して変化を起こし結果として細胞に損傷を与える放,(
射線の間接作用。)
2原爆症認定のあり方
(1)国家補償制度としての原爆症認定のあり方
被爆者援護法前文には,核廃絶及び平和への願いが示され,また,被爆者の
置かれた状況を理解し,国の責任において被爆者を援護するということが示さ
れている。そうであれば,同法を解釈するに当たっては,原爆被害を正しく受
けとめ,認定制度が,国が原爆に基づく被害に対して「国家補償」する制度で
あることに見合った運用をしなければならない。
すなわち,援護に関する法律の根底には,国家による戦争開始・遂行,違法
-26-
な核兵器使用をしたアメリカに対する請求権の放棄,原爆被害の実態の隠蔽と
いう違法行為により,損害を受けた被爆者に対しては,本来,国の責任におい
。,て賠償を行うべきであるという国家賠償の理念があるのであるしかるところ
国家賠償請求のためにはさまざまな要件が課せられるが,原爆被害の深刻さに
,,かんがみ厳格な要件により被爆者を切り捨てることがあってはならないため
一定の条件と必要性のある国民に対して一律の給付を行う社会保障の要素も含
めた立法とされたのである。
そのような被爆者援護法の趣旨目的からして,厚生労働大臣の裁量の幅は極
めて限定されており,その給付手続は簡易にすべきであり,その給付対象者に
ついて,援護の必要のある被爆者は,すべて認定されなければならず,法律の
趣旨目的に反するような基準を作り,それに当てはまらない者を除外すること
は許されず,給付漏れを作ってはならないのは当然である。
(2)認定基準としての治療指針及び実施要領の意義
人類史上初めての原爆被害であって,放射線による人体への影響はまだ解明
が始まったばかりであり,誰も確実な判断ができない状況下において,厳格な
放射線起因性の証明を被爆者に要求するのは,被爆者援護の趣旨に反する。
原爆症認定基準の解釈のあり方は,昭和33年8月13日付けの厚生省公衆衛生
局長通知である「治療指針」及び「実施要領」によって明らかにされている。
実施要領においては「いうまでもなく放射線による障害の有無を決定する,
ことは,はなはだ困難であるため,ただ単に医学的検査の結果のみならず被爆
距離,被爆当時の状況,被爆後の行動等をできるだけ精細に把握して,当時受
けた放射能の多寡を推定するとともに,被爆後における急性症状の有無及びそ
の程度等から,間接的に当該疾病又は症状が原爆に基づくか否かを決定せざる
を得ない場合が少なくない」とされ,治療指針においても「原子爆弾被爆。,
者に関しては,いかなる疾病又は症候についても一応被爆との関係を考え,そ
の経過及び予防について特別の考慮がはらわれなければならず,原子爆弾後障
-27-
害症が直接間接に核爆発による放射能に関連するものである以上,被爆者の受
けた放射能特にガンマ線及び中性子の量によってその影響の異なることは当然
想像されるが,被爆者のうけた放射能線量を正確に算出することはもとより困
難である。この点については被爆者個々の発症素因を考慮する必要もあり,ま
た当初の被爆状況等を推測して状況を判断しなければならないが,治療を行う
に当たっては,特に次の諸点について考慮する必要がある」として,被爆距。
離,急性症状などを挙げている。そして,被爆距離については,おおむね2km
以内のときは高度の,2kmから4kmまでのときは中等度の,4kmを超えるとき
は軽度の放射能を受けたと考えて処理してさしつかえないとしている。
これらの通知は,原爆投下直後から行われた日米合同調査団による諸調査や
原爆被爆者の調査と救護のために現地で活動した国内の医学研究者による数々
の調査報告を医学的根拠として作成されており,初期放射線のみならず残留放
射線や内部被曝の影響を含めた被爆の現実を見つめ,実態を反映した認定基準
となっている。
その後,放射線量の評価に関しては,T65DやDS86が発表されている
が,これらは現実に起こっていることを説明することができない初期放射線に
対する机上の計算式にすぎない。このような現実を説明し得ない計算に基づい
た認定によって,現在は,救済されるべき被爆者が救済されない事態が生じて
いる。
被爆者の受けた放射線量を正確に算出することの困難性は,現在においても
変わらない。そうであるならば,現在においても,原子爆弾被爆者に関して放
射線の影響によるか否かを判定する判断基準としては,現実を反映し,被爆者
をもらすことなく救済することができる上記各通知の姿勢に基づいた基準を用
いるべきである。
3放射線起因性の判断のあり方
(1)放射線起因性の要件の緩和の必要性
-28-
一般の民事損害賠償制度は,社会に発生した損害を公平に分担させることを
目的とし,被害者の被った損害を加害者に填補させることによって当事者間の
公平を図るものであり,加害行為と損害との間に相当因果関係の立証が求めら
れている。
これに対し,被爆者援護法に基づく原爆症の認定制度は,被爆者の筆舌に尽
くし難い被害の回復のためのごく一部とはいえ被害回復を保障しようとする制
度であり,このような制度目的からすれば,一般の民事損害賠償制度と同じ要
件を原爆症の認定制度における放射線起因性の判断において求めることは誤り
である。原爆症の認定という制度の意味,目的に適する起因性の要件を考える
ならば,被爆者の疾病と原爆放射線との関係について,相当因果関係とは違っ
て,当該制度にふさわしい,被爆者の被害回復に役立つ論理,すなわち,起因
。,性の要件の緩和こそが必要である仮に相当因果関係説をとる場合においても
その相当性の判断においては,援護に関する法律の目的に照らして要件判断が
行われるべきである。最高裁判所平成10年(行ツ)第43号,平成12年7月18日
第三小法廷判決(裁判集民事198号529頁(以下「松谷訴訟最高裁判決」とい)
う)は,原爆症認定における因果関係の立証についても,通常の民事訴訟に。
おける場合と異なるものではないとしているものの,実際には,原爆症の起因
性の立証における,科学的・医学的立証の困難性を認め,被爆状況等の事実面
から総合判断を求めることで,実質的に被爆者の立証責任を軽減したものと解
される。
放射線起因性の判断のあり方(2)
1審被告らは,原因確率論が放射線起因性判断における科学的知見であると
,,しこれに機械的に1審原告らを当てはめて起因性を判断しようとしているが
後述するとおり,原因確率論及びその基礎となるDS86,DS02は,疾病
の発生,死亡あるいは急性症状の発症と放射線量推計との関係を十分説明する
ことができないものであり,原因確率論は原爆症の放射線起因性に関し科学的
-29-
知見として使用することができない。そして,現在の科学水準では,どのよ
うな被曝をした者がどのような原爆症を発症するのかを推測し得る科学的知
見は存在しないといわざるを得ない。
,,,,しかし実際に放射線を被曝することにより様々な人体の異変が起こり
様々な疾病に罹患することは,経験則上認められており,また,近距離での直
爆だけでなく,遠距離,入市等による間接被曝,内部被曝により急性症状等身
体に異変が起こることも経験則上認められる。
しかるところ,このように,確固とした科学的知見が存在しない場合の放射
線起因性の判断に関し治療指針が治療上の一般的注意として述べるところ前,(
記2(2))は,起因性判断の基準として極めて妥当な内容といえるのであり,
上記のような経験則からして,被爆者である1審原告らが広島・長崎において
被爆したこと(原因)と,1審原告らが疾病に罹患したこと(結果)が存在
,,すればその疾病が放射線被曝を原因としないという特段の事情がない限り
原因と結果との間の因果関係(起因性)が認められるべきである。
4厚生労働大臣の認定基準とその問題点
(1)概要
1審被告らは,現在,原爆症認定申請に係る疾病等の放射線起因性の判断に
おいて,DS86及びDS02による被曝線量推定が正当であり,また残留放
射線及び放射性降下物による被曝の影響が無視できるものであることを根拠と
して,原因確率という経験則を作り上げ,これに個々の被爆者を当てはめるこ
とを認定審査の基本としている。
しかし,この原因確率は,被爆者の個体差,被爆状況の違い,被爆後のそれ
ぞれの人生などの差異を無視し,疾病と性別ごとに,爆心地からの距離と被爆
時年齢で一律に起因性を判断するものであって,恣意的かつ不合理であり,被
爆者に生じた現実(遠距離被爆者や入市被爆者に急性症状が発生したことやそ
の他被爆者に現実に生じた急性症状が放射線の影響によるものであること)を
-30-
説明できず,科学的な放射線起因性の判断基準となり得るものではない。以下
詳論する。
(2)厚生労働大臣の原爆症認定基準
ア旧基準
,,原因確率が用いられるまでの認定行政は①申請者の被曝線量を推定し
②疾病ごとに認定するための一定の線量が決められており,①で推定した
線量がこれを上回るか否かを検討する,というものであった(認定基準。)
このような旧来の認定基準は,ある一定の線量を超えれば放射線の影響を
認める点において,放射線の人体影響一般にしきい値の議論を持ち込んでい
た。しかし,放射線の人体影響,特にがん等に関しては,しきい値のない確
率的影響であることは常識となっており,このようなしきい値論は,放射線
の人体影響についての理解を根本的に誤ったものであり,全く合理性を有し
ない基準であって,松谷訴訟最高裁判決等によっても否定されている。
イ「認定基準(内規)」から「審査の方針」への転換
厚生省(当時)は「DS86+しきい値理論」という全く合理性を有し,
ない従前の基準を維持することができず,児玉報告書において,被爆者の性
別・各疾病ごとの寄与リスクを求める確率的影響の考え方を取り入れる形
で,新たに「DS86+原因確率理論」という基準を作り上げた。
しかし,審査の方針も,松谷訴訟最高裁判決等によって否定されたDS8
6に依拠しているものであって,合理性はない。
ウ審査の方針による具体的審査
審査の方針の具体的内容は,以下のとおりである。
(ア)被曝線量を推定する。
(イ)疾病の種類及び性別によって作られた審査の方針別表に申請者の推定
被曝線量と被爆時の年齢を当てはめて原因確率を算定する。
(ウ)原因確率がおおむね50%以上であれば申請疾患について放射線起因性
-31-
の可能性があるものとし,おおむね10%未満であればその可能性が低いも
のと推定する。
(エ)放射線白内障については1.75Svをしきい値とする。
(オ)申請疾患の放射線起因性に係る高度の蓋然性の有無によって判断す
る。
このように,現在の原爆症認定の実態は,原因確率への当てはめを基本と
し,特定の疾病(放射線白内障)についてはしきい値を設定して申請者の被
曝線量がそれを上回るかを判断している。
エ審査の方針の根拠
(ア)被曝線量の推定
原因確率の第一段階である,申請者の被曝線量は,初期放射線による被
曝線量,誘導放射能(残留放射線)による被曝線量及び放射性降下物によ
る被曝線量を合計して計算される。
初期放射線による被曝線量は,審査の方針別表9に申請者の被爆時の爆
心地からの距離を当てはめて計算するが,この別表9は,DS86を根拠
としている。
残留放射線による被曝線量は,審査の方針別表10に,爆心地からの距離
と被爆後の経過時間を当てはめて外部被曝線量を計算する。
放射性降下物による被曝線量は,広島・長崎の特定の地域(己斐・高須
。地区及び西山地区)に居住していた者についてのみ外部被曝線量を加算する
(イ)原因確率表の作成方法
上記(ア)において推定された被曝線量を当てはめる対象は,原因確率表
,,,であり同表は児玉報告書における寄与リスクをそのまま転用しており
その寄与リスクは,ABCCや放影研が行っている疫学調査をもとに作成
されている。
(3)審査の方針の問題点
-32-
ア線量評価の誤り
(ア)DS86・DS02を用いることの誤り
審査の方針では,原因確率への当てはめの前提としてDS86により申
請者の被曝線量を推定している。しかし,DS86による被曝線量推定方
式には現実と符合しない多くの問題点がある。しかも,DS86は,放影
研の疫学調査の基礎にもなっており,DS86の誤りは疫学調査の結果の
誤りに直結し,原因確率の誤りにつながる。DS02によっても,この問
題点は解消されていない。
(イ)残留放射線の軽視
審査の方針では,線量評価において,誘導放射能による被曝と放射性降
,。下物による被曝の一部を考慮しているがこれは全く不十分なものである
遠距離被爆者や入市被爆者に生じた急性症状の実態からすれば,審査の方
針が用いるこれらの線量評価が被爆者の受けた被曝線量を無視ないし著し
く軽視していることは明らかである。
(ウ)内部被曝の無視
審査の方針では,線量評価において外部被曝線量のみを考慮しており,
内部被曝による被曝線量を特に算出していないが,内部被曝は,放射線被
曝態様の重要な一つであり,これを無視することは許されない。
イ原因確率の誤り
(ア)放影研の疫学調査の誤り
原因確率の基礎となる放影研の疫学調査には,調査集団の線量評価にD
S86を用いていること,残留放射線の影響を無視していること,内部被
曝の影響を無視していること,比較対照群の設定に問題があること,死亡
率調査を基礎にしていること,昭和25年までの被爆者の死亡を考慮に入れ
ていないことなどの問題点が存在する。
(イ)原因確率を個々の被爆者に当てはめることの誤り
-33-
疫学は,集団についての概念であり,その結果を個々の被爆者に当ては
めることは妥当ではない。特に,放射線の人体への影響には大きな個体差
があることからすれば,集団についての結論を個々の被爆者に当てはめる
ことの不合理さは明らかである。
(4)線量評価の誤り~DS86・DS02の問題点
ア線量推定式の変遷
(ア)T57D
昭和31年,アメリカ原子力委員会は,原爆放射線の人間に対する効果を
研究するために,オークリッジ国立研究所を中心にした「ICHIBAN計画」
と称する核実験をネバダ核実験場で行った。この核実験のデータに基いて
広島・長崎原爆の放射線量の推定を行い,線量評価システムT57Dが作
成された。
(イ)T65D
長崎型原爆と同じタイプのプルトニウム原爆を使用したり,ネバダ核実
「」,験場に500mの塔を建てて裸の原子炉やコバルト60の線源を設置して
中性子の伝播や遮蔽効果の研究が行われた。ABCCはオークリッジ国立
研究所と協力し,さらに放射線医学総合研究所などによる広島・長崎原爆
の放射線の測定結果と照合してT65Dを作成した。
(ウ)DS86
DS86は,T65Dと異なり,部分核停止条約によって空気中での核
実験が禁止された米国が,中性子爆弾の威力をはかるために作成したコン
ピュータプログラムに基づくシミュレーションであり,実験結果に基づく
ものではない。しかも,軍事機密のため,日本側に示されたのは,原爆容
器を通り抜けて外部へ放出された即発ガンマ線と中性子線の総量,エネル
ギー分布及び方向分布に関する計算結果だけであって,コンピュータプロ
グラムに関する重要な情報は公開されていない。
-34-
,,,そのためDS86は他の科学者等による追検証不可能なものであり
その線量推定式は信用性に乏しいし,その後実証された多くの問題点もあ
る。
イDS86の問題点の概要
DS86自身,中性子の推定値が不確実であり,改訂線量推定モデルでの
誤差の解析が不十分であることを前提としているが,DS86には以下のよ
うな重大な欠陥があり,誤った線量評価となっており,学術的にも信頼が置
かれていない。なお,1審被告らは,DS02によってDS86の正しいこ
とが裏付けられたと主張するが,DS86の以下の欠陥はDS02において
も全く改善されていない。
(ア)その推定線量は,実測値と比べて,近距離ではやや過大評価であり,
遠距離では過小評価になり,特に中性子線の線量評価は遠距離では桁違い
の過小評価となっている。
(イ)遠距離被爆者及び入市被爆者の急性症状を合理的に説明することがで
きない。
(ウ)放射性降下物等の影響については限られた地域に限定し,放射性降下
物及び誘導放射性物質を摂取したことによる内部被曝を無視している。
ウDS86と実測値の乖離
(ア)原爆の初期放射線の線量を測定するために,多くの科学者により初期
放射線の痕跡を測定して,原爆時の初期放射線量を逆算する研究が行われ
ている。このように物理的手法により測定された実測値と比較して,DS
86の推定値は,近距離で過大評価,遠距離で過小評価となる顕著な傾向
を示しており,実際に測定された現実を説明することができない。
aガンマ線
現在では,熱ルミネッセンス(TL)法により,半世紀も前に原爆が
放出したガンマ線の線量の測定が可能になっているところ,この方法に
-35-
よるガンマ線線量の測定の結果,爆心地から1000m以遠においてDS8
6のガンマ線推定線量は実際の線量よりも過小評価されていることが判
明しており,DS86報告書も実測値との間でずれがあることを認めて
いる。
b中性子線
原爆の爆発の瞬間に放出された中性子は,空気中や地上の原子の原子
核に散乱されたり,吸収されたりして,複雑な経路を経て地上に到達し
た。このように,中性子線は複雑な振舞いをするので,推定の困難さは
ガンマ線の比ではない。中性子についての推定線量が疑わしいというこ
とは,DS86報告書自体が指摘しているところである。
(a)熱中性子
中性子線のうち熱中性子線の実測値測定においては,熱中性子によ
って誘導放射化されたユウロピウム152,塩素36及びコバルト60の測
定が行われており,それによれば,これらの異なる核種について,広
島と長崎に共通して,DS86による中性子線量が,近距離において
過大評価であり,900mを超える遠距離において過小評価に転じてい
ることが明らかとなっている。
遠距離におけるDS86の熱中性子の計算線量が実測値よりも小さ
いということは,DS86の計算において近距離の高速中性子が過小
評価されていたことを示すとともに中性子線量全体の過小評価を示唆
するものである。
(b)速中性子
速中性子に関しては,リン32とニッケル63の測定により実測値が導
かれているが,これらの測定結果にしても1000mを超える辺りからD
S86が実測値よりも過小評価に至っている。
そして,速中性子は大気中の原子核によって何度か散乱されて次第
-36-
にエネルギーを失いながら熱中性子へと変わっていくのであるから,
速中性子の過小評価は熱中性子の過小評価へ直結する。
c以上からすると,DS86による中性子線の推定は実測値を説明する
ことができないのであり,特に1000mを超える辺りから推定は到底採用
できるものではない。
(イ)このようにDS86の中性子線量について誤差が生じる理由として
は,①原爆の爆発点から放出された中性子線のエネルギー分布,すなわ
ち,ソースタームの計算問題,②中性子の伝播に重要な影響を与える湿
度の高度変化,③ボルツマン輸送方程式に基づくコンピュータ計算にお
ける区分の設定,などが考えられている。
aソースタームの計算問題(上記①)について
原爆での核分裂の連鎖反応においては高速中性子が主要な役割を果た
しているところ,原爆の核分裂の連鎖反応は100万分の1秒以下という
短時間で終わるので,原爆容器が崩壊する以前の段階で放射線が容器を
突き抜けて容器の外に飛び出す。そして,中性子線の一部は原爆容器や
火薬などに吸収されてしまうことから,外部に放出された中性子線の量
を正確に推定するためには,原爆容器や火薬等の成分や厚さなどの詳細
な情報が必要であるが,これらは軍事機密として公表されておらず,原
爆放射線のエネルギー分布は追検証することができない。
そのため,DS86のソースタームの計算は,熱中性子に核分裂の連
鎖反応の主要役割を果たさせた広島原爆のレプリカの模擬原子炉におけ
る実験に依拠していると考えられ,高速中性子を過小評価していること
になる。そして,高速中性子の過小評価が熱中性子の過小評価に直結し
ており,このことが中性子線やガンマ線の誤差につながっていると考え
られる。同様の理由が長崎原爆における中性子線のズレの原因として考
えられる。
-37-
b湿度の高度変化(上記②)について
中性子は空気中の水素の原子核により吸収されたり散乱したりするの
で,湿度が低ければ吸収,散乱が少なくなり,より多くの中性子が遠距
離に到達することになるところ,DS86は,広島・長崎とも爆心と異
なる高湿度を前提として計算している可能性が高い。
cボルツマン輸送方程式(上記③)について
DS86は,広島でも長崎でもボルツマン輸送方程式を用い,爆心地
から半径2825m,高さ1500mの円筒の内部について計算している。しか
し,DS86が採用するボルツマン輸送方程式においては,ある1つの
要因でいったん計算値にずれが生じると,ずれは次々に累積・拡大して
しまう。
(ウ)まとめ
以上のとおり,実際に人体に降り注いだ放射線は,DS86による推定
と,特に遠距離では大きく異なるものである。広島ではDS86による推
定線量の数十ないし数百倍の放射線の影響があったことになる。
エDS02の問題点
(ア)概要
DS86における中性子線量に関する理論値と測定値の不一致を踏まえ
てDS02が作成されたところ,1審被告らは,DS02によってDS8
6の正当性が裏付けられた旨主張しているが,以下に述べるとおり,DS
86の欠陥はDS02で全く改善しておらず,DS86を起因性判断に使
うことができないことが明確になった。
(イ)高速中性子
a近距離で過大評価,遠距離で過小評価
DS02では,高速中性子について新たな測定結果を用いているが,
ニッケル63による中性子線量の実測値とDS02の推定線量とを対比す
-38-
ると,爆心地から391m地点では実測値が推定線量の0.85倍,1470m地
点で1.90倍となっている。このように,高速中性子線の推定線量は,近
距離で過大評価であり,遠距離で過小評価となっている。とりわけ,遠
距離におけるずれはDS86(1.52倍)よりDS02で拡大している。
液体シンチレーション法によるニッケルの測定もされ,加速器質量分
析法とも比較されその信頼性も確認されているが,それも1500mで実測
値が計算値を上回っている。
したがって,1400m以遠での被爆者又は入市被爆者である1審原告ら
に関しては,線量評価として役に立たない。
bバックグラウンドの評価の恣意性
バックグラウンド(原爆放射線の影響のない値)の評価は高速中性子
が全く到達しない遠距離の測定結果を用いるべきところ,DS02の基
となったストローメ(Straume=アメリカのローレンスリバモア国立研
究所)らの論文では,1880m地点の測定値をバックグラウンドとしてい
たが,DS02ではその数値を恣意的に操作している。
(ウ)ガンマ線
ガンマ線については,1500m以遠では測定値が計算値より系統的に上に
ずれており,DS02でも「遠距離では測定値が計算値よりも高いこと,
を示唆する若干の例がある」とされている。
(エ)熱中性子
熱中性子については,コバルト60もユウロピウム152も,遠距離では測
定値が系統的に計算値を上回っている。
オ推定線量批判に対する1審被告らの反論に対する1審原告らの再反論
1審被告厚生労働大臣は,DS86,DS02の線量評価が遠距離地点に
おいて測定値と比べて過小評価されている疑いがあるとの批判に対して,そ
,,の測定値と計算値との乖離は2倍程度にすぎずこれを絶対値として見れば
-39-
わずか0.129Gy程度にすぎないので,線量の過小評価があっても無視できる
と主張する。
しかしながら,DS86の計算値と実測値の乖離を約2倍と矮小化するこ
とが問題であって,中性子によって放射化されたユウロピウム152,塩素36
あるいはコバルト60の測定により得られた実測値を総合的に検証した場合に
は,DS86の計算値と実測値との乖離が2.2倍を上回る可能性は高いので
あり,爆心地(広島)からの距離が900mを超えるとDS86は過小評価に
転じ,1500mでは約0.1すなわちDS86による計算値は測定値の10分の1
に,1800mでは0.01すなわち約100分の1になる。これを2000m以遠に延長
していけば,DS86の推定線量は測定値の2桁も3桁も低い線量測定にな
っていくことが容易に推測される。
また,1審被告らは,過小評価の線量がわずかであるから無視できると主
張するが,これは被爆実態を無視したもので,欺瞞以外の何者でもない。D
S86及び02は,爆弾の出力や空中輸送など各種データーに基づく1つの
プログラムであり,遠距離における線量評価の誤りは,プログラムそのもの
に致命的な欠陥があることを意味する。遠距離被爆者に原爆放射線によって
しか説明できない急性症状が発症している実態に照らしたとき,遠距離にお
,,ける初期放射線の線量評価についても十分な検証が必要であり少なくとも
DS86及びDS02による初期放射線の線量評価が小さいからといって,放
射線が遠距離被爆者の人体に与えた影響が小さいとは決していえないのであ
る。
カ現実に起きた現象とDS86,DS02との乖離
(ア)概要
原爆投下直後から現在に至るまで,被爆者を対象として様々な健康調査
が行われている。後障害に関する調査として放影研の疫学調査が存在する
が,急性症状に関しても多数の調査が行われている。そして,これら急性
-40-
症状に関する調査の結果は,①2km以遠のいわゆる遠距離被爆者といわ
れる被爆者にも急性症状が発症していること,②入市被爆者にも急性症
状が発症していること,を明らかにしている。
急性症状は,被爆者が放射線を浴びたことの一つの目安となるものであ
り,遠距離被爆者や入市被爆者に急性症状が発症しているという事実は,
これらの被爆者が多量の原爆放射線を浴びたことを裏付けている。
ところが,DS86では初期放射線及び一部の残留放射線が考慮されて
いるだけであり,これらの線量評価では,遠距離・入市被爆者に急性症状
が生じたという現実を説明することはできない。
(イ)遠距離被爆者の急性症状に関する各種調査結果とDS86・DS02
a日米合同調査団の調査
日米合同調査団の記録によれば,典型的な急性症状である脱毛と紫斑
の距離別発症割合(長崎における屋外又は日本家屋内)は下表のとおり
である。なお,2.1km~2.5kmでの脱毛の発症率は,遮蔽がある場合につ
いては2.9%(ビルディング)~1.8%(防空壕,トンネル)というよう
に遮蔽の有無により異なっている。
爆心地から脱毛紫斑
の距離(m)人数割合(%)人数割合(%)
総人数
0-100037616844.710527.9
1100-1500112533529.821318.9
1600-200087211112.7778.8
2100-2500515377.2203.9
2600-3000569122.130.5
3100-4000931121.3131.4
4100-500022610.410.4
b東京帝国大学医学部の調査
広島における3km以内の被爆者4406名(男2063名,女2343名)を対象
-41-
にした東京帝国大学医学部の脱毛に関する調査結果は,下表のとおりで
あり,2.1km以遠でも脱毛の発症が見られている。また,2.1km~2.5km
での脱毛の発症率は,屋外開放の場合9.4%,屋内の場合4.2%であり,
遮蔽の有無により異なっている。なお,頭部脱毛の方向性に関する調査
によれば,700例のほとんどについて方向性がない。このことは,熱線
の影響であるとはおよそ考えられないことを示している。
爆心地から男女
の距離(m)人数割合人数割合
0-5001578.9675.0
600-100010074.011167.2
1100-150012329.113425.5
1600-2000557.97910.0
2100-2500335.7427.2
2600-300020.972.4
c於保源作医師の調査
於保源作医師の急性症状発症率調査「原爆残留放射能障碍の統計的観
察(広島)は,距離別,屋内・外の別,被爆後の入市(中心部)の有」
無により有症率が区分されているところ,熱線や爆風や残留放射線の影
響が小さく,初期放射線の影響を比較的よく表しているといえる「原爆
直後中心地に入らなかった屋内被爆者の場合」でも,2kmで30%の急性
,。症状有症率があり3km以遠においても多くの急性症状が発症している
また,同調査結果によれば,中心地出入りなしの3km以遠で,屋外被
爆者が屋内被爆者に比較して顕著に有症率が増加しており,初期放射線
が3km以遠まで到達していることを物語っている。
さらに,同調査結果によれば,爆心地から1kmの中心地に出入りした
,,,被爆者は4km以遠においても20%以上の有症率であるがこのことは
中心地への出入りにより強い放射線を浴びていることを裏付けており,
中心部付近の残留放射線の影響が非常に大きかったことを物語ってい
-42-
る。
dその他,遠距離被爆者の急性症状について調査した代表的な調査結果
として,放影研の調査,横田賢一らによる2つの調査,原子爆弾災害調
査報告集における剖検例,松谷訴訟の事例,原子爆弾症(長崎)の病理
学的研究報告,濱谷正晴の作成の分析データー,佐々木秀隆らによる調
査結果等,同様の傾向を示す多数の調査が行われており,遠距離にも初
期放射線が到達し,しかも2km以遠でも死に値する程度の放射線が存在
したことが裏付けられている。また,低線量被爆者群においても,白血
病の死亡率が約1.6倍になるなど,相対リスクが高くなっていることが
示されている。
eそして,これらの調査からは,被爆後の健康状態を想定するのは被爆
距離ではなく,急性症状等から推測される実際に被爆した程度であるこ
とが分かるこのように,DS86やDS02に基づけば初期放射線が。
ほとんど到達していないとされる2km以遠においても様々な急性症状が
出ていたのであり,このことは動かし難い事実である。
この点に関し,1審被告らは脱毛についてストレスの影響を指摘する
が,前記のとおり,脱毛の発症率は遮蔽の有無により異なっているので
あって,遠距離被爆者の急性症状がストレスによる影響とは考え難い。
なお,大規模空襲に遭った他の戦争被害者も惨状をまのあたりにしてい
るが,これら空襲被害者に脱毛等の急性症状様の症状が出たとの報告は
ない。
,,,また前記各調査結果からしてこれら遠距離被爆者の脱毛について
熱線の影響であるともおよそ考えられない。
以上のとおり,2km以遠でも脱毛といった急性症状が発生しているこ
とは明らかであるが,このような遠距離に放射線の影響が及ぶことにつ
いてDS86やDS02の初期放射線によって説明することはできな
-43-
い。
(ウ)入市被爆者の放射線影響に関する各種調査結果とDS86・DS02
a暁部隊
被爆直後入市した暁部隊の調査では,入市2日目ころから下痢患者が
多数続出し,基地帰投直後白血球3000以下になる者がほとんどに及び,
復員後の倦怠感や白血球の減少過半数などの症状が出ている。また,入
市被爆者については白血病に罹患するものが非被爆者に比較して数倍に
増加している。
b於保源作医師による調査
於保医師の調査でも,屋内被爆者について爆心地から1km以内への出
入りの有無の影響を比べたところ,脱毛や咽頭痛,皮粘膜出血などで,
出入りした者の方が比率が増加している。しかも,有症率は,原爆投下
直後から20日以内に中心地に出入りした人々がそれ以後に中心地に出入
りした人々よりも高く,中心地滞在時間に応じて有症率が変化したこと
が判明している。
c広島原爆戦災誌
広島原爆戦災誌編集室が昭和44年に行った,初期放射線の影響の考え
,,られない地点にいて原爆投下の当日ないし翌日に救援のために入市し
負傷者や遺体の収容等に従事した当時18~21歳の健康な男子青年233人
に対するアンケート調査(残留放射能による障害調査概要)では,昭和
20年8月8日ころから,下痢患者が多数続出し,食欲不振を訴え,救援
終了後に基地に帰ってから,軍医により,ほとんど全員が白血球3000以
下と診断され,下痢患者も引き続きあり,発熱,点状出血,脱毛の症状
が少数ながらあったとされている。
そして,同アンケート結果によれば,復員後も,倦怠感(168人),白
血球減少症(120人),脱毛(80人),嘔吐(55人),下痢(24人)を訴えてお
-44-
り,これらの入市被爆者に生じた症状は,放射線の急性期障害と符合し
ており,入市被爆者がかなりの量の放射線を浴びたことが裏付けられて
いる。
,,,d以上のほか中央相談所報14号の記載被団協のアンケート調査結果
三次高等女学校の入市被爆者についての調査報告書など,同様の傾向を
示すものが存在し,これらの資料によれば,被爆当日や翌日の入市者に
おいて脱毛,下痢,倦怠感等の急性症状が発症しているのは珍しくない
こと,被爆後一定期間過ぎた後も広島市内(約2km)一円は脱毛をもた
らすような放射線汚染が継続していたと考えられること,白血病の発症
者やがん死亡者もみられることが明らかとなっている。
e以上のような入市被爆者に生じた急性症状については,残留放射線の
影響を考慮せざるを得ない。前記のとおり,黒い雨や黒いすす,放射性
微粒子がかなり広い地域に降下したことは明白な事実であり,入市者に
とって,地上1mで計測されるガンマ線以外にも瓦礫から落剥・飛散し
た微小な片々,浮遊した土壌からの塵埃等が放射性物質として入市者の
身体に付き,呼気とともに気道深くに取り込まれること,初期放射線中
の中性子線によって,人体もまた誘導放射化され,重度被爆者や被爆直
後早期に死亡した被爆死遺体は,正に高線量被曝体であり,看護や埋葬
等に従事した入市者は,高線量の放射線を浴びた可能性が否定できない
ことを示している。従来考えられてきた脱毛発生の「しきい値」線量を
絶対として,遠距離・入市被爆者の脱毛が被曝と関係がないと否定する
ことはできない。
fDS86は,残留放射線の推定も行っているが,残留放射線の影響を
無視ないし著しく軽視している。DS86では測定時期の制約から長寿
命のセシウム137しか検討されていない。
また,残留放射線による内部被曝は重要で,爆発直後では短・中寿命
-45-
放射性物質をも吸入・摂取した可能性は高い。そして,被爆者の当時の
行動による個人差も大きい問題であり,DS86のように一律に無視で
。,,,きるといえるものではない特に空気中に漂ったり地表に付着して
その後風で拡散してしまった放射性物質は,DS86で考慮されたよう
な測定では知ることができない。そして,これらの放射性物質は,体内
に取り込まれ臓器の近くで長期間にわたって直接放射線を浴びせるの
で,その与える影響は体外からの初期放射線よりも大であった可能性が
ある。
(エ)遠距離・入市被爆者の急性症状を説明できないDS86及びDS02
以上のように,あらゆる調査において,遠距離・入市被爆者に放射線の
影響による急性症状が発生しているのは疑いのない事実である。
しかし,上記のような遠距離被爆者や入市被爆者に生じた多数の急性症
状につき,DS86やDS02による推定,しきい値論では説明がつかな
い。事実を説明することができないDS02やDS86の初期放射線だけ
に基づく被曝線量評価は科学的に誤ったものといわざるを得ない。
本来,原爆による放射線量を推定する基準であれば,現実に生じた結果
から導かれるべきであり,少なくとも現実との乖離は許されない。しかる
,,,,にDS86は前記のように既に生じた被爆者らの被爆実態を無視し
コンピュータによるシミュレーションから生み出されている。その結果,
被爆実態を反映しない基準となっている。
(5)線量評価の誤り~残留放射線の軽視
審査の方針では,線量評価において,誘導放射能による被曝と放射性降下物
による被曝の一部を考慮している(別表10)が,これは全く不十分なものであ
る。前記のような遠距離被爆者や入市被爆者に生じた急性症状の実態からすれ
ば,審査の方針が用いるこれらの線量評価が被爆者の受けた被曝線量を無視な
いし著しく軽視していることは明らかである。
-46-
ア放射性降下物とその影響
1審被告らは,放射性降下物が特に見られた地域は,広島の己斐・高須地
区,長崎の西山地区に限定されており,その地域の被曝線量も非常に微量で
あり人体に影響がないなどと主張する。
しかし,それらの地域は「黒い雨」が集中して降った地域にすぎないし,
それ以外の地域に降った「黒い雨」には放射性降下物が含まれていなかった
とする合理的根拠はない。また,被曝線量の測定も地上1m地点での放射線
量であり,さらに近い距離での被爆や,内部被曝を検討していないものであ
って,無視できるものと断定する根拠もない。なお,科学的には未解明であ
るが,低線量被曝が細胞レベルで影響していることが明らかにされており,
それも原爆症の一因となっている可能性が否定できない。
イ誘導放射線とその影響
1審被告らは,誘導放射線による外部被曝線量について,①広島・長崎
の原爆による初期放射線の中性子は,爆心地から600~700m程度を超えると
ほとんど届かないため,それより以遠では誘導放射化が起こることはほとん
ど考えられない,②すべての原子核が放射化されるわけではなく,放射化
されるのは,アルミニウム,ナトリウム,マンガン,鉄等の限られた元素で
あるうえ,それらの半減期は短い,③原爆投下直後は,市内は大火に包ま
れ,爆心地区に立ち入ることは現実には不可能であったから,実際に誘導放
射線によって被曝をした者は限られていた,④原爆投下直後から現在に至
るまで爆心地にとどまり続けているという現実にはあり得ない仮定をした場
合でも,その積算線量は,広島で約0.50Gy,長崎で0.18~0.24Gyにすぎなか
った,と主張する。
確かに,誘導放射化の作用は,中性子の捕獲によって生じるから,爆心地
に近いほど土壌や地上物(建物や樹木等)を構成していた原子核が誘導放射
化しやすいが,誘導放射化の作用を受けるものは,それだけでなく,空中に
-47-
あった原爆容器や衝撃波・爆風やその後の火災による破壊によって粉塵とな
って浮遊したものも含まれるのであって,①は理由がない。
誘導放射化される原子核はすべての元素に及び,その半減期も決して短い
ものばかりではない。しかも,時間単位の半減期であるマンガン56やナトリ
ウム24は,減りやすい反面,単位時間当たりのガンマ線の放出量が大きいか
ら,早期に爆心地付近に入った者は,急速にガンマ線を放出しつつある時期
に被爆することになり,短半減期の同位体に由来する誘導放射線が,その被
曝線量に大きく寄与したのであって,②も理由がない。
③について,原爆投下直後,爆心地付近が一定時間,大火災に見舞われた
ことは確かであるが,全く入市が不可能であったわけではなく,X7も,被
爆当日の夕方ころ,爆心地より0.5㎞にあった西練兵場北側の第一陸軍病院
(基町)に向かい,護国神社付近で野営している。
④については,1審被告らの挙げる誘導放射線の積算線量の由来が明らか
でない上,推定の基礎となった測定や計算にも問題があるし,線量測定を地
上1mを基準としている点も,ガンマ線は,距離の二乗に反比例して線量が
低下することからして,入市被爆者の具体的な作業状況に合致するか疑問が
ある。
(6)線量評価の誤り~内部被曝の無視
ア内部被曝の重要性
審査の方針では,線量評価において外部被曝線量のみを考慮しており,内
部被曝による被曝線量を特に算出していないが,内部被曝は,呼吸や飲食等
を通じて人の体内に取り込まれて骨組織等に沈着し,放射性降下物が長期間
,,,にわたってアルファ線ガンマ線ベータ線等を放出し続けることによって
直接の被爆者だけでなく,入市被爆者の被曝の原因となっており,放射線被
曝の態様の重要な一つであり,これを無視することは許されない。
イ内部被曝線量の推定
-48-
1審被告らは,内部被曝による被曝線量は極微量で,その影響は無視しう
ると主張するところ,その根拠はDS86報告書の「セシウム137からの内
部被曝線量」であるが,この研究は,セシウム137のみを対象としており,
原爆によって生じたその他の放射性物質(未分裂の核物質,核分裂生成物,
誘導放射化された物質)を測定していない点において不完全である上,半減
,,期の短い放射性物質は短い期間で大きな放射線影響を与えたはずであるが
これらについて一切考慮されていない。
ウ外部被曝との機序の違い
外部被曝と内部被曝では,人体に影響を与える機序が全く異なり,内部被
曝の場合,放射性物質に近接した周囲の細胞が集中的に放射線被曝を受ける
(ホット・パーティクル理論)のであるから,当該細胞から見れば,高線量
被曝であり,受けた線量が同じであれば影響に差がないとするのは実態を無
視するものである。
エ核医学診断に関する評価の誤り
1審被告らは,核医学診断が一般的に行われていることを理由に,内部被
,,曝の健康影響が無視しうるものである旨強調するが核医学診断においては
診断終了後,患者に投与された放射性物質を速やかに排出するための方策が
とられ,放射性物質による内部被曝の影響を可能な限り少なくする努力が図
られているし,核医学診断による内部被曝の影響(障害)が生じていないこ
との証明もなされていないのであって,内部被曝による健康影響を否定でき
るものではない。
(7)低線量被曝について
ア低線量被曝の存在
低線量被曝の人体影響については,現在においても未解明な部分が多くを
占めている。これは低線量被曝の人体影響を疫学的に証明するためには1000
万人規模の疫学調査が必要となり,疫学的側面からの裏付けが事実上不可能
-49-
だからである。しかし,細胞レベルや動物実験レベルにおける研究において
は,逆線量率効果やバイスタンダー効果,ホット・パーティクル理論,ゲノ
ム不安定性等の現象が報告されており,これらの現象は低線量被曝の危険性
を示唆するものである。
イ逆線量効果
単位時間あたりの放射線量を線量率といい,培養細胞での試験管内がん化
を指標にした研究では,同じ被曝線量であれば,長期にわたって被曝した場
合の方が,リスクが上昇することが示されており,これを逆線量率効果とい
う。確立した現象とまでは言い難いものの,少なくとも,1審被告らが主張
するように「総線量が同じであれば,時間をかけての被曝の方が,短時間,
の被曝(急性被曝)より影響が少ない」などとは断定できず,低線量被曝の
人体影響が大きい可能性を示唆している。
ウバイスタンダー効果とホット・パーティクル理論
バイスタンダー(細胞隣接)効果とは,被曝した細胞から周辺の被曝しなか
った細胞へ遠隔的に被曝の情報が伝えられ被曝しなかった細胞にも遺伝的影
響が及ぶ現象であり,1990年代半ばから指摘され,放射線による遺伝的効果
の標的分子がDNAだけでないことを示唆している。加えて,低線量や低線
量率照射の場合には,放射線を被曝しなかった細胞にも遺伝子(DNA)損
傷が生ずることから,高線量や高線量率照射に比べ遺伝的効果リスクが高く
なることを示唆するものであり,低線量放射線のリスク評価のために解決す
べき重要な課題であるとされている。
1審被告らは,ホット・パーティクル理論について,①国際放射線防護
委員会(ICRP)によって否定されているとか,②ホット・パーティクル
周辺の細胞は細胞死を来たし,以降の細胞分裂が起こらないため,がん化は
あり得ないなどと主張するが,①については,ICRPもホット・パーティ
クル周辺では,局所線量が非常に高くなる可能性を認めていて,ICRPが
-50-
ホット・パーティクル理論そのものを否定しているわけではないし,②につ
いては,バイスタンダー効果を前提とすれば,異なった結論が考えられる。
すなわち,ホット・パーティクルによる局所的な高線量被曝を受け,細胞死
に至る細胞があるとしても,当該細胞の周囲には,細胞死に至らない更に多
数の細胞が存在するのであるから,そのような細胞にバイスタンダー効果に
よる遺伝的効果が生じ得るのである。
エゲノム不安定性
ゲノム(遺伝的)不安定性とは,放射線被曝によって生じた初期の損傷を
乗り越え生き残った細胞集団に“遺伝的不安定性”が誘導され,長期間に,
わたって様々な遺伝的変化が非照射時の数~数十倍の高い頻度で生じ続ける
状態が続く現象であり,近年になり放射線による間接的な突然変異誘発機構
としてのゲノム不安定性の誘導が注目を集めており,低線量域において影響
を与える可能性が指摘されている。
オまとめ
以上でみたように,低線量被曝の影響については,細胞レベルでは明らか
に確認されているものの,人体全体への影響に関しては,解明途上であると
いうのが現在の到達点である。しかし,他方で,低線量被曝における人体影
響が大きいことを窺わせる報告が多数存在することも事実であり,これらに
全く考慮を払わない1審被告らの考え方は正当ではない。
(8)1審被告らのしきい値論に基づく反論に対する再反論等
ア1審被告らのしきい値論
1審被告らは,被爆者に現れた急性症状について,放射線による急性症状
は,最低でも1Gy,脱毛については頭部に3Gy以上,下痢については腹部に
5Gy以上被曝しなければ発症しないと主張する。
審査の方針によれば,1Gyの地点は,広島で1300~1350mの間,長崎で14
50~1500mの間,更に脱毛の3Gy地点は,広島で1050m~1100m,長崎で12
-51-
00~1240mの間,下痢の5Gyについては,広島で950m附近,長崎で1100m
附近である。
1審被告らは,これを根拠にして,爆心地から2km以遠では,急性症状は
あり得ないと主張する。
イ1審被告らのしきい値論の基本的問題点
(ア)放射線常識論の問題性
1審被告らは,上記のようなしきい値を「今日における放射線医学にお
ける疑う余地のない常識」であると主張する。しかし,被爆者において,
3Gy未満であれば,その脱毛が放射線被曝とは無縁であるとは,1審被告
らとこれを支持しようとする一部の学者を除いて誰も考えていない。
(イ)被曝実態の相違
1審被告らが主張する脱毛や下痢のしきい値線量は,放射線取扱い施設
における臨界事故や原子力発電所事故などの経験から得られたいわゆる
「」,急性放射線症候群において理解されているしきい値線量とみられるが
,。これらの被曝態様は短時間の高エネルギー放射線照射によるとみられる
これに対し,原爆被曝は,数キロメートルにわたる市域全体が瞬時に一大
照射域となり,引き続き放射性物質に満ちた一大線源域となり,個々の被
爆者は照射瞬間から持続的に短・長半減期の放射性同位元素にとらわれ,
しかも,外部のみならず,複雑な内部被曝にさらされたものであり,被曝
実態が異なるのである。以下,脱毛3Gy論及び下痢5Gy論を中心に反論す
る。
ウ脱毛3Gy論批判
1審被告らの主張によれば,広島では,1.1km以遠での脱毛は放射線被曝
と無縁ということになるが,東京帝大医学部診療班報告書によれば,放射能
傷909例中707例に脱毛が認められておりそのうち1.1km以遠が475名67.,,(
),。,2%に上っており1審被告らの主張とは全く乖離しているのみならず
-52-
DS86の線量と脱毛との相関を調べた図によっても,脱毛が3Gy未満では
生じないとする主張は成り立たない。
また,1審被告らは,被爆者に脱毛が生じる時期を「2~3週間後にバ,
サッと大量に抜ける」と主張しているが,被爆者の聞き取りや,諸調査報告
でも,必ずしもそのような形に限定されておらず,髪を梳いた時に抜けた,
朝,枕にたくさん毛髪がついていた,周りに指摘されて気づいた等,多様で
ある。したがって,1審被告らの主張するパターン以外の脱毛は,被曝によ
るものではない等とは到底いえない。
エ下痢5Gy論批判
,(),原爆被害においては半致死線量50%死亡線量は約4Gyとされており
1審被告らの主張によれば,瀕死の被爆者にみられる下痢も放射線被曝とは
無縁となる。また,東京帝大医学部診療班報告書では,下痢発症者総数480
名中,1.1km以遠の下痢発症者が344名いるが,それも全て被曝と無縁となる
が,合理的な議論とはいい難い。
なお,消化器症状(下痢)は,被曝の直接的な腸粘膜障害によるばかりで
はなく,被曝による自律神経系・内分泌系の影響も反映していると見られ,
下血よりも高頻度になるとともに,距離や遮蔽による減衰が緩徐となる。
(9)原因確率の問題点
ア原因確率の根拠
厚生労働大臣が原爆症認定を行うに当たっては医療分科会の意見を聴かな
ければならないが,医療分科会は,審査の方針を用いて放射線起因性の判断
を行っているところ,この審査の方針の原因確率は,児玉報告書の寄与リス
クの数値を転用している。そして,寄与リスクは,白血病,固形がんについ
,,。ては放影研が公開している死亡率調査発生率調査のデータを使っている
イ放影研の疫学調査の問題点
,()放影研の行っている寿命調査や成人健康調査は疫学調査コホート研究
-53-
であり,死因調査である寿命調査については10万人以上,発症率調査である
成人健康調査についても2万人に及ぶ調査集団を設定し,その後約50年にわ
たって継続して調査をしているが,以下のような問題がある。
(ア)線量評価の誤り
放影研の疫学調査は,現実との乖離が甚だしく,その正確性に問題があ
るDS86に基づいて被爆者の初期放射線量を推定している上,残留放射
線や内部被曝を全く無視している。
(イ)疫学調査の手法の誤り
a対照群設定の誤り
疫学調査のコホート研究によってある要因の影響を特定するために
は,他の条件が一致している非曝露群を対照群として,曝露集団との比
較をして,非曝露群に現れる罹患・死亡を基礎として,曝露集団に現れ
た現象について,用量-反応関係を分析する必要がある。被爆者に対す
る疫学調査の設計を提案したフランシス委員会の勧告においても「被曝
線量の最も少ない群における放射線の影響は,非被爆者と比較せねば推
定できない」として,非曝露群の設定及び非曝露群との比較が構想され
ていた。
しかし,放影研は,リスクの分析において,対照群(非曝露群)を設
定せず,曝露群について回帰分析を行い,得られた回帰式から想定上の
ゼロ線量における罹患率等を推定し,バックグラウンドリスクとしてい
る(ポワソン回帰分析に基づく内部比較法。)
このような手法を用いるためには,線量反応関係が正しく把握されて
おり,かつ,集団の線量が正確に把握されていることが絶対条件である
,,ところ既述のような問題のあるDS86を線量評価に用いているなど
その条件を満たしておらず,誤った結論を導くものであることは明らか
である。
-54-
また,放影研の疫学調査では,放射性降下物を浴びたかどうか,原爆
投下後にどのような行動を取ったか,内部被曝をした可能性がどの程度
あるかといった点を区別せずに扱っており,調査設計の構造上,低線量
被曝のリスク,放射性降下物によるリスク,残留放射線によるリスク,
内部被曝によるリスクを持った集団同士の比較をすることとなって,初
期放射線以外の被曝のリスクの分だけ原爆放射線のリスクが過小評価さ
れ,その結果,バックグラウンドリスクを過大評価することになる。
b死亡率調査を基本としていること
放射線起因性の判断においては,現に生きて苦しんでいる被爆者の疾
病が原爆放射線の影響によるものであるかが問題となる。ところが,放
影研の疫学調査及び児玉報告書では,死亡率調査を解析の基礎とし,死
亡の直接原因となった疾病のみを抽出しているため,死亡に直結しない
疾病が見落とされることになる(例えば,がんに罹患した被爆者が交通
事故で亡くなれば,死因は単なる事故死となる。。)
また,調査対象の観察期間についても,発症までの期間を用いず,死
亡までの期間を用いている疑いがあり,がん発生に関する放射線の影響
が過小評価されている。
c調査開始までの被爆者の死亡を無視する誤り
昭和20年12月までに死亡した被爆者数は約11.4万人とされており,全
被爆者の3分の1程度は死亡したことになる。すなわち,調査開始時点
である昭和25年ないし昭和33年までの間に,放射線感受性の高い被爆者
,,は死亡しており調査開始時に生存していて調査対象となった被爆者は
。,放射線感受性が低い被爆者に偏っていた可能性があるそうだとすると
平均的な被爆者を調査対象とした場合よりも,放射線の影響が表面化し
にくいことは明らかである。
また,放影研の寿命調査集団については,昭和25年までの死亡者,成
-55-
人健康調査集団については,昭和33年までに死亡した被爆者の調査は行
われていない。すなわち,昭和20年8月から調査が開始されるまでの5
年間(寿命調査,あるいは13年間(成人健康調査)の間に放射線障害)
を始めとする被曝に起因するなにがしかの原因により死亡してしまった
数十万人もの被爆者は,調査の対象になっていない。このように,放影
研(ABCC)による調査は,いわゆる「生き残り集団」しか対象とさ
れていないという,大きな欠陥を持っており,放射線の影響を過少評価
している可能性が十分にある。
(ウ)原因確率の算出に当たっての誤り
原因確率の算出の基礎とされた疫学調査に前記のような問題がある上,
審査の方針においては,放射線白内障以外について,その疫学調査で考慮
されていた中性子線の生物学的効果比が無視されており,被曝線量が過小
評価され,寄与リスクを低下させている疑いがある。
(エ)結論
以上にみたように,放影研の疫学調査には,個々の被爆者の被曝線量評
価に誤りがあり,さらに疫学調査の手法自体にも多くの問題点を抱えてお
り,このような疫学調査を基にして,被爆者の疾病に原爆放射線がどれだ
け寄与しているかを示す原因確率という指標を正確に導くことは不可能で
ある。
ウ疫学調査結果を原爆症認定基準に用いることの問題点
(ア)個人における疫学的要因の意味
疫学は,集団における健康事象の観察を通して,その集団における健康
事象の発生要因を究明するものであって,ある共通要因を持つ集団で,そ
の要因がある疾病発生の原因であると判定された場合は,その集団に属す
るすべての個人がその疾病にかかる危険性にさらされていたことを表す
が,個人が当該要因が原因で発生したことを示すものではないし,逆にそ
-56-
の要因が発生に関与していないとして関連を否定することもできない。
(イ)寄与リスクの大きさを個人の放射線起因性否定の基準にすることの誤

被爆者(曝露群)は,全員が放射線の曝露を受けており,その影響を発
現する危険(リスク)を付加されている。寄与リスクが認められる限り,
集団についてのリスクがいくら小さくても,罹患したや死亡しただけ・・
が付加されたリスクを負ったのではなく,その集団のすべての個人の罹患
や死亡のリスクが高まったと考えるべきである。
したがって,原爆症認定に当たり,寄与リスクが小さいからといって,
その要因はその群に属するある個人の発症原因を構成していない(あるい
は無視することができる)とし,寄与リスクの小さい群について全員を。
認定しない(起因性を否定する)のは誤りである。
(ウ)原因確率概念についての疑問
疾病の発症に関わる要因は多数あり,互いに関連しながら,相乗あるい
は相加,時には相殺効果を示しながら,多くの要因が総体として疾病の発
症に作用している(疾病の多要因性。ある個人が新たな要因に曝露され)
たとき,以前から持っていた要因(群)との間に新たな関係が作られ,新
たな要因群が形成され,疾病の発症に関与することになる。新たに負荷さ
れた要因が,以前からあった要因とは関係なく,独自にその個体の発症に
関わって発症するかしないかを決めるというわけではない。
これに対し,審査の方針に用いられている原因確率とは,個人に発生し
たがんについて,着目している個々の要因がその個人のがんの発生要因と
してどの程度関係しているかについての寄与率を表すもの,すなわち,あ
る要因が他の要因とは独立して,個々人の疾病(がん)の発症に作用し,
当該疾病を発症させた確率とされている。しかしながら,疾病の多要因性
にかんがみれば,このような原因確率という概念それ自体に疑問を持たざ
-57-
るを得ない。
(エ)統計学的有意性,信頼区間の扱いに関する疑問
また,審査の方針では「統計上有意とはいえない」あるいは「信頼区,
間が広い」というだけで,疫学研究でその疾病について観察された寄与リ
スクよりも低い値が原因確率として割り当てられている。
しかし,有意性検定における危険率や区間推定する場合の信頼係数の大
きさは,統計学によって論理的に決定されるものではない。要因と影響の
関連性を厳密に追求しようとする疫学的研究では危険率を厳しく設定して
「」,,有意な差が認められなかったとの慎重な結論をしたとしてもそれは
他の目的・分野での判断を拘束するものではなく,それぞれの判断基準は
あっていいはずである。なお「有意差が認められない」という意味は,,
差があることを否定したものではなく,差があることの判断を保留したも
のである。
この意味でも,原因確率を起因性判断の決め手とすることには大きな疑
問がある。
(オ)疫学調査結果を個人に当てはめることの問題点
被爆者には,放射線感受性の強い者もいれば弱い者もいる。疫学調査と
いう集団のデータを解析した結果を個々の被爆者に当てはめることは,こ
のような個体差を無視することになる。
(カ)認定審査の運用
ところが,医療分科会における放射線起因性の判断の運用は,ほとんど
を原因確率に依拠している。
この点,1審被告らは,原因確率が50%を超える場合は,放射線起因性
があると推定し,原因確率がおおむね10%未満である場合には,放射線起
因性の可能性が低いものと推定することとした上で,これらを機械的に適
用して判断するのではなく,更に当該申請者に係る既往歴,環境因子,生
-58-
活歴等も総合的に勘案した上で判断を行うものと繰り返し主張している。
しかし,実際の運用は異なり,原因確率が10%未満の場合には原則的に
却下され,10%以上の場合は大体のところはまず認定されている。
エまとめ
ある集団の寄与リスクの大小それだけでは,その集団に属する特定個人の
発症原因を特定することができないのであるから,寄与リスク(原因確率)
の大きさを個人の起因性を「否定」するための判断基準に用いることは誤っ
ているというほかない。
そもそも,既述のとおり放影研の疫学調査結果には大きな問題があり,個
人の起因性の判断に当たってこれを参考にすることは許されても,これを唯
一の基準とすべきではない。臨床医学や放射線生物学などを始めとする幅広
い分野の学問研究の成果と視点を取り入れて,被爆者に生じた現実の症状を
検討していくことが必要である。
(10)審査の方針の不合理性
以上のとおり,原爆症認定には審査の方針という基準が用いられているとこ
ろ,審査の方針は,児玉報告書を基に作成されたものであり,同研究は放影研
の疫学調査を基に作成されている。しかしながら,放影研の疫学調査は,その
調査手法自体に様々な問題点を含んでおり,しかも,根本となる線量評価にお
いてDS86という重大な欠陥を抱えた線量評価基準を用いている。このよう
に多くの問題点がある放影研の調査を基に作成された審査の方針や原因確率
が,原爆症認定行政において用いられる経験則として合理性を有するものでな
いことは明らかである。
5あるべき認定基準
(1)基本となる考え方
これまで論じてきたところからして,原爆症認定制度において,放射線起因
性の判断は,原因確率論やしきい値論に基づくものであってはならないことは
-59-
明らかである。この点,松谷訴訟最高裁判決は,放射線起因性について,被爆
者の被爆状況,被爆後の状況,病歴,病態等を総合的に判断すべきであると結
論付けている。そして,その具体的内容は,東訴訟控訴審判決の判示する以下
のような考え方が基本的考え方として妥当である。
ア放射線の人体に与える影響については,その詳細が科学的に解明されてい
るとはいい難い段階にあり,また,原子爆弾被爆者の被曝放射線量について
も,その評価は推定により行うほかないのであって,放射線起因性の検討,
判断の基礎となる科学的知見や経験則は,いまだ限られたものにとどまって
いる状況にあるといわざるを得ない。
イ原爆放射線による後障害の場合には,個々の症例を観察する限り,放射線
に特異な症状を呈しているわけではなく,その症状自体をもって放射線起因
性を見極めることは不可能である。
ウ一定の被爆(被曝)集団について観察した場合に,ある特定の疾病がその
集団において発生する頻度が高いことがあり,そのような疾病については,
放射線に起因している可能性が強いと判断されるところ,放射線後障害につ
いては,このような統計的解析によってその存在が初めて明らかにされると
いう特徴が認められる。
エ1審原告らの疾病が放射線起因性を有するか否かを判断するに当たって
は,1審原告らが原爆放射線を被曝したことによって上記疾病が発生するに
至った医学的,病理学的機序の証明の有無を直接検討するのではなく,放射
線被曝による人体への影響に関する統計的,疫学的な知見を踏まえつつ,1
審原告らの被爆状況,被爆後の行動やその後の生活状況,1審原告らの具体
的症状や発症に至る経緯,健康診断や検診の結果等を全体的,総合的に考慮
した上で,原爆放射線被曝の事実が上記疾病の発生を招来した関係を是認す
ることができる高度の蓋然性が認められるか否かを検討することが相当であ
る。
-60-
オ病理学,臨床医学,放射線学等の観点から個別的因果関係の有無を判断す
ることには一定の限界があるというべきであり,その点に関する立証を厳密
に要求することは不可能を強いることにもなりかねない。
また,放射線の人体に与える影響については,その詳細が科学的に解明さ
れているとはいい難い段階にあり,放射線起因性の検討,判断の基礎となる
科学的知見や経験則は,いまだ限られたものにとどまっている状況にあるこ
と,さらに,人間の身体に疾病が生じた場合,その発症に至る過程には多く
の要因が複合的に関連していることが通常であり,特定の要因から当該疾病
の発症に至った機序を立証することにはおのずから困難が伴うものであるこ
となど総合的に考慮しなければならない。
カ大量の初期放射線の被曝,誘導放射線の被曝,残留放射線により放射化し
た塵や煤等や放射性降下物等が含まれた可能性のある水を摂取したことによ
る内部被曝の影響については,放射線の人体に与える影響の詳細が科学的に
解明されているとはいい難い段階にあり,放射線起因性の検討,判断の基礎
となる科学的知見や経験則はいまだ限られたものにとどまっている状況にあ
ることも十分考慮されなければならない。
(2)原爆症認定のあり方
ア治療指針の有効性と被爆者の疾患の特徴
原爆症認定のあり方については,先にも述べたとおり,被爆後13年目の昭
和33年8月13日に出された治療指針が適切な指針を示しており,その観点に
加え,被爆者の疾患の特徴として,①被爆者には単一がんのみならず多重
がんが発生する可能性が高いこと,②前立腺がんの発生率が被爆者に高い
可能性があること,③がん以外の疾患でも死亡と罹患率が最近増加傾向に
あること,④良性の甲状腺疾患についても放射線起因性が強く示唆されて
いること,⑤慢性肝炎及び肝硬変についても放射線起因性が強く示唆され
ていること,⑥白内障についても有意な線量反応関係が認められ,これま
-61-
で確定的影響の下にあると考えられていた放射線白内障が確率的影響の下に
,,あることが示唆されていること⑦熱傷・外傷後障害と原爆放射線の関係
さらに,⑧要医療性の判断に当たっては主治医の意見が十分尊重されるべ
きであることはもとより,被爆者に異時多重がんが多く見られることからす
れば,十分な追跡期間が必要であることが考慮されるべきである。
イあるべき認定基準
以上を前提に,①原爆放射線による被曝又はその身体への影響が推定で
,,きるとの要件が認められ②原爆被爆後に生じた白血病などの造血器腫瘍
多発性骨髄腫,骨髄異形成症候群,固形がんなどの悪性腫瘍,中枢神経腫瘍
のいずれかに罹患している場合,③原爆放射線の後影響が否定できず,治
療を要する健康障害が認められる場合において,現に医療を要する状態にあ
る場合には,原爆症と認定されるべきである。
(3)放射線起因性に関する判断に当たっての留意点
さらに,放射線起因性に関しては,以下の点に留意すべきである。
ア被爆者の発がんについて
(ア)被爆時年齢
被爆時年齢が低いほど発がんリスクが高くなる傾向が明らかとなってい
る。
(イ)多臓器における発がん
放射線は細胞分裂が旺盛な組織において最も染色体異常を生じやすい。
放影研の調査によっても,ほぼすべてのがんにおいて時期を経るに従って
(正の)相関関係が確認されてきており,男性では肺がん,胃がん,肝が
ん,大腸がん,女性では大腸がん,胃がん,肺がん,肝がんなど,非被爆
者と比較して有意に高い発生率を持つことが示されている。
(ウ)被爆と白血病
白血病は被爆後障害の代表となっているが,白血病のうちでも骨髄球性
-62-
白血病が被爆者白血病の特性と見られた。現在では被爆者においてMDS
(骨髄異形成症候群)のリスクが高いことが確認されている。被爆者MD
Sは被爆時年齢が若年であるほど,そして70歳台を発症のピークにしてい
ることが明らかになっている。
(エ)多重がん
被爆者においては,原爆放射線誘発・発癌が多臓器にわたって高リスク
であることが明確となってきており,また,発がんには一般に加齢(高齢
化)が影響していることから,高齢化する被爆者においても,多重がんの
高リスク発生が予想されてきた。
イ非がん性疾患について
非がん性疾患についても被爆との関連が指摘されてきている。
(ア)動脈硬化性心疾患(心筋梗塞)
成人健康調査(第8報)は,被爆時年齢40歳未満の群で,心筋梗塞と被
爆との有意の関係を指摘している。
(イ)慢性肝疾患
放射線を負荷された被爆者の肝組織は,C型肝炎ウィルスの関与の下で
慢性肝炎の発症と進行を早めていると考えられている。すなわち,被爆と
C型肝炎ウィルスとの共同成因である。しかし,現時点ではこの点につい
て一点の疑義もない自然科学的証明が可能になっているわけでもない。
(ウ)白内障
被爆者白内障は,被爆後,数か月から数年で発症し,その後の発症は明
確でなかった。しかし,成人健康調査(第8報)では遅発性原爆白内障が
確認されている。従来,老人性白内障は放射線の影響を受けるとの所見は
得られていなかったが,この点についても認識を新たにする必要が出てき
ている。
ウ全体的・総合的考慮の必要性
-63-
がん及び非がん性疾患において,同一病名の疾患については,病理学的に
も臨床経過上も,被爆,非被爆の区別は一般にはできない。疾患の診断は被
爆者も非被爆者ももともと共通の診断基準に基づいて行われるものであり,
放射線起因性は,疫学の助けを借りつつ,1審原告らの疾病発症の経過を踏
まえて判断されるべきものである。ところが,被曝線量と疾患との線量反応
関係を前提とする場合,厳密な定量化が困難な臨床的特性は,被爆との疫学
的関連性が明確となりづらい。そのような事情を踏まえれば,一般的に放射
線起因性の判断は「全体的・総合的」考慮とならざるを得ず,疫学的検討も
また,それらをサポートする手段として援用されるべきものである。
(4)要医療性
被爆者援護法10条にいう「現に医療を要する状態にある」との点は,医学的
に見て,何らかの治療効果を期待し得る可能性を否定することができない場合
には,これに該当するというべきである。
すなわち,放射線障害を有する被爆者に対しては,症状の推移を見守る意味
においても医師による長期の観察が必要であり,治療方法についても研究の余
地が残されていることのほかに,治療指針が治療上の一般的注意として指摘し
ているように,原爆被爆者の中には,自身の健康に関し絶えず不安を抱き神経
症状を現すものも少なくないので,心理的面を加味して治療を行う必要がある
場合もあることを考慮すると,医学的に見て何らかの医療効果を期待し得る可
能性を否定することができないような医療が存する限り,要医療性を肯定すべ
きである。放射線起因性の認められる被爆者に対しては,効果の期待し得る可
能性を否定することができない治療を施しながら研究を重ねる態度が望まれる
のであって,その態度こそがあらゆる可能性を求めて治療に努めるべき医の倫
理にかなうものというべきである。
(5)まとめ
以上に述べたところや松谷訴訟最高裁判決等の結論からすれば,申請疾病の
-64-
原爆放射線起因性の判断にあたっては,①申請に係る症状が,原爆による被
曝との関係が存する可能性があると見ることに相応の根拠があり,疫学的にも
このことを根拠づけることができること,②認定申請した者の被爆前の生活
状況,健康状態,被爆状況,被爆後の行動経過,活動状況,生活環境,被爆直
後に生じた症状の有無,内容,程度,態様,被爆後の生活状況,健康状態等を
全体的,総合的に考慮した上で,原爆放射線被曝の事実が申請に係る疾病の発
生を招来した関係を是認できること,③申請疾病が発症又は進行した原因と
して考えられる他の具体的な原因が見あたらないことなどから放射線起因性を
認めるのが相当な場合,また,④要治療性の判断に当たっては,主治医の判
断を尊重し,抜本的治療方法がなくても当該原爆症の症状を緩和させる医療の
必要性が肯定されるような場合には認めるべきである。
【1審被告らの主張】
1原爆症認定と審査の方針
(1)被爆者援護法に基づく原爆症認定審査
厚生労働大臣が原爆症認定を行うに当たっては認定審査会の意見を聴かなけ
ればならないところ,同審査会には医療分科会が置かれ,厚生労働大臣が指名
する委員及び臨時委員は,放射線科学者や,現に広島・長崎において被爆者医
療に従事する医学関係者,さらに内科や外科等の様々な分野の専門的医師等か
ら指名された者であり,疾病の放射線起因性や要医療性の判断について高い見
識を有する者である。厚生労働大臣は,このような専門家で構成された医療分
科会の意見を慎重に検討した上で,原爆症認定を行っている。
(2)審査の方針
医療分科会は,放射線起因性及び要医療性の判断の方針として審査の方針を
定めているが,これは,原爆症認定に当たって目安となる方針であって,医療
分科会の委員が審査に当たり,共通の認識として活用する趣旨のものである。
-65-
この審査の方針が定める放射線起因性の判断方法は,以下のとおりである。
ア審査の方針においては「原爆放射線起因性の判断に当たっては,申請疾,
病における原因確率及びしきい値(生体反応を引き起こす限界線量)を目安
として,当該申請疾病の原爆放射線起因性に係る高度の蓋然性の有無を判断
する」こととしている。原因確率とは,原爆放射線によって誘発された疾病
発生の割合のことであり,しきい値とは,確定的影響(ある一定の線量以上
の放射線に被曝すると影響が出現し,線量の増加に伴い症状が重篤になるも
の,白内障や脱毛などが典型例)において被曝による症状の発生するための
。,。最低限の線量をいう審査の方針においては95%信頼区間を設定している
イ原因確率は,疾患,性別の区分に応じて適用される原因確率表により,推
定被曝線量と被爆時の年齢によって算定する。推定被曝線量は,初期放射線
による被曝線量に,残留放射線による被曝線量及び放射性降下物による被曝
線量を加えて算定する。
ウ求められた原因確率がおおむね50%を超える場合は,当該申請疾患につい
て,一応,原爆放射線による一定の健康影響の可能性があると推定し,原因
確率がおおむね10%未満である場合には,当該可能性が低いものと推定する
こととした上で,これらを機械的に適用して判断するのではなく,更に当該
,,。申請者に係る既往歴環境因子生活歴等も総合的に勘案した上で判断する
エ原因確率等が設けられていない疾病等に係る審査に当たっては,当該疾病
等には,原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていないこ
とに留意しつつ,当該申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等
を総合的に勘案して,個別にその起因性を判断する。
(3)原爆症認定における審査の方針の意義
,,放射線起因性の判断は科学的・医学的知見に基づいて行わなければならず
,,,審査の方針において放射線起因性の判断をするために用いられる原因確率
被曝線量等は,いずれも,原子物理学,放射線学,疫学,病理学,臨床医学等
-66-
の高度に専門的な科学的・医学的知見に基づくものである。
そして,放射線起因性の判断は,訴訟上の因果関係として「高度の蓋然性」
によって決されるべきであるが,審査の方針は,原因確率がおおむね50%以上
である場合には,放射線起因性を推定することとし,これを緩和して,被爆者
援護法の趣旨から可及的に原爆症認定をしようとする観点も加味している。
個別具体の事案においては,原因確率の算出に当たって考慮されていない要
因による放射線起因性に配慮するため,申請者に係る既往歴,環境因子,生活
歴等も総合考慮している。
したがって,厚生労働大臣のした原爆症認定申請に係る判断は,専門家によ
って構成される被爆者医療分科会において,医学的・科学的合理性に基礎付け
られ,また,可及的に原爆症認定をしようという被爆者援護法の趣旨を加味し
た審査の方針を目安として形成された意見を尊重してされたものということが
できる。
(4)1審原告らの主張に対する反論
1審原告らは,放射線起因性の判断について,放射線に影響があることを否
定し得ない疾病等に罹り,医療を要する状態となった場合には,放射線起因性
が推定され,放射線の影響を否定し得る特段の事情が認められない限り,その
疾病等は原爆放射線の影響を受けたものとして原爆症認定がされるべきである
旨主張するが,失当である。
放射線の人体に与える影響について未解明の部分があることは否定し得ない
が,経験則に照らした上で高度の蓋然性の立証が必要である以上,現時点にお
いて専門的知見として確立している科学的・医学的な知見を経験則として判断
の基礎とすることは不可欠である。1審原告らの上記主張は,現時点において
確立していない学説等により放射線起因性を判断することを許容するばかり
か,放射線と疾病との関係が不明である場合についてまで放射線起因性を肯定
するに等しく,科学的・医学的にみて正当とはいえない。また,1審原告らの
-67-
主張は,放射線起因性がないことの立証責任を行政庁側に負担させることにな
るが,被爆者援護法にそのようなことを窺わせる規定は存しないし,松谷訴訟
最高裁判決の趣旨にも整合しない。なお,科学的調査や疫学調査のデータは一
般に公開されており,証拠の偏在ということもない。
1審原告らの上記主張は,その根拠を含めおよそ採り得ない失当なものとい
うべきである。
2審査の方針における初期放射線の評価の正当性(DS86の正当性)
(1)初期放射線による被曝線量の算定
審査の方針は,初期放射線による被曝線量について,別表9に定めるとおり
とするものとされているが,認定審査会においては,より厳密な審査会線量推
定表に基づいて被曝線量を算定している。
審査の方針における別表9及び審査会線量推定表は,DS86により求めら
れた数値に基づいており,平成15年3月にDS86を更新する線量推定方式と
してDS02が策定され,その策定に当たってされた研究によってDS86の
評価方法の正当性が検証されている。
(2)原爆放射線量推定方式の経緯
アDS86開発の経緯
T65Dには,測定データに基づく推定・評価システムであることによる
問題点(ネバダ核実験場と広島及び長崎と湿度の違い,原爆の種類の違い,
遮蔽推定精度の不足等)があった。
そこで,日米で線量再評価検討委員会と上級委員会が設置され,共同して
この問題に当たることとなり,昭和61年に日米合同上級委員会において新し
い線量評価システムとしてDS86が策定された。これは,大型コンピュー
タによる数値計算を主体としたシミュレーションを用いて,広島・長崎の初
期放射線量を推定・評価するシステムである。
イDS02策定の経緯
-68-
DS86の開発により,被爆者の放射線量がほぼ正確に推定できるように
なったと考えられたが,DS86公開後に行われた放射化分析による熱中性
子の測定結果において,広島における爆心地から1000m以遠の遠距離におけ
る熱中性子の試料の測定値とDS86による計算評価値とが異なるという内
容の報告がされ,その中には,爆心地から1400mの位置において,測定値が
計算値の10倍以上の違いがあるとの報告もあった。そこで,この不一致の解
明をすべく,日米の原爆放射線量評価実務研究班によって,引き続き個別に
研究が進められ,その知見を集積・統合し,平成15年3月,DS86を更新
する線量推定方式としてDS02が策定された。
DS02は,DS86における評価方法を踏襲した上で,更に進歩した最
新の大型コンピューターを駆使し,最新の核断面積データ等を使用し,かつ
DS86よりも緻密な計算を用いることにより,DS86よりも高い精度で
被曝線量の評価を可能としたものであって,DS02策定に当たりされた研
究は,DS86の評価方法の正当性を改めて検証する結果となった。
(3)DS86の概要とその正当性の根拠
アDS86の概要
原子爆弾(原爆)による初期放射線は,物理法則に従って発生し,容器の
外部に射出(漏出)し,空中を伝播(輸送)し,地形,家屋,人体等により
遮蔽されて人体各臓器に到達する。放射性物質が核種によりどの程度の放射
線を出してどの程度の時間で変化するかも,物理法則に従うものである。
原爆の初期放射線の飛散状況は,このような放射線物理学等の近時の科学
的知見によって十分解明されるに至っている。これらの科学的知見を集積し
て完成したのが,DS86による被曝線量推定システムであり,広島・長崎
の被爆者データを放射線防護の基準の考察に用いることを目的として開発さ
れたものである。
イ原爆出力の推定
-69-
広島・長崎に投下された原爆の出力は,投下時のデータの大部分が失われ
,,ているため直接の測定値は得られていないが複数の推定方式を用いた結果
広島原爆の出力は15kt,誤差は±3kt,長崎原爆の出力は21kt,誤差は±2
ktの範囲にあるとされた。
ウ被爆者の被曝線量の推定
DS86は,原爆の爆弾としての出力,ソースターム(爆弾から放出され
る粒子や量子の個数及びそのエネルギーや方向の分布,最新の計算方法に)
よる空気中カーマ(被爆者の周囲の遮蔽を考えない場合の被曝線量,遮蔽)
カーマ(被爆者の周囲の構造物による遮蔽を考慮した被曝線量,臓器線量)
(人体組織による遮蔽も考慮した被曝線量)の計算モデルを統合し,被爆者
の遮蔽データを入力して臓器の吸収線量(吸収した放射線のエネルギーの総
量で,単位はGy〈グレイ〉で表される)など各種の線量を計算するシステ。
ムである。当時としては,最高の大型コンピュータを駆使し,原爆放射線を
構成するガンマ線や中性子線の光子や粒子の1個1個の挙動や相互作用を最
,,新の放射線物理学の理論によって忠実に再現し膨大な計算結果に基づいて
最終的にすべてのガンマ線と中性子線の動きを評価するものであって,その
信頼性には極めて高いものがある。そして,原子力発電所や医用放射線の線
量推定にも応用されてきている。なお,DS86の策定に際しては,3個製
造された広島原爆の外殻のうち,使用されずに保管されていた残りのものを
利用して製作された原子炉を原爆の複製(レプリカ)として使い「爆弾自,
体の内部における状況を再現」するなど,日米の合同の研究グループが可能
な限り当時の状況を再現して開発したものである。
(4)DS86の問題点をめぐる議論
アガンマ線の測定値と計算値のずれ
原爆放射線の中心を占めるガンマ線について,熱ルミネセンス線量測定法
(煉瓦等に含まれる石英等の物質が浴びた放射線量の測定法)を用いて測定
-70-
した結果,広島においては爆心地から1000m以遠でDS86の計算値より大
きく,近い距離においては逆に小さくなっているが,長崎においてはこの関
係は逆になっている。しかしながら,これは細部における傾向であって,全
体としては測定値とDS86はよく一致していると考えられている。
イ中性子線の測定値と計算値のずれ
中性子線の検証には,線量を直接測定する方法はないため,中性子によっ
て特定の物質中に生成された特定の放射性物質の放射能を測定し,この測定
値とDS86の計算値との比較を行った。その結果,熱中性子線誘導放射能
(ユウロピウム152,塩素36)の測定値とこれに対応するDS86の計算値
との間には系統的なずれが見られ,爆心地からの近距離では計算値の方が測
定値よりも高く,遠距離では逆になっていた。この傾向は明瞭であり,DS
86が策定されて以降,測定値の数が増加するとともに,広島においてこの
ずれが顕著なものとなってきた。長崎においては,系統的なずれを示さない
データと,広島と同様のずれを示すデータとの両者がある。
(5)DS02の策定によるDS86の正当性の検証
以下のような各種の研究の結果を踏まえたDS02において,各測定値の検
証やバックグラウンドによる測定自体の誤差等が検討され,バックグラウンド
の評価を丹念に行い,バックグラウンドによる影響を極めて低くした精度の高
い測定を行うなどした結果,DS86による計算値と測定値のズレは,測定に
当たって対象外の放射線源から発せられる放射線が計測されるという測定方法
の問題であって,DS86の問題ではなく,正確に測定された測定値とDS8
6による計算値とがよく一致していることが確認された。
ア放射線量の再計算
(ア)出力の推定
DS02においては,爆弾の出力を計算するための最新の理論計算によ
り再計算がされ,広島型原爆の出力が15kt~16ktに修正されたほか,放射
-71-
化測定値を最適化するプログラムの開発により,爆発高度が580m~600m
に修正された。なお,これらの修正は,爆心地から近距離の線量評価に影
響を与えるが,爆央から1000m~1500mの距離になると線量評価に大きな
影響を与えない。修正の結果,爆心地近辺での線量の計算値と測定値とが
よく一致するものとなった。
他方,長崎型原爆は,DS02の再検討においてもDS86時とほぼ同
様の結果が示され,出力・爆発高度ともに再考の必要性はなかった。
(イ)ソースタームの評価
ソースタームは,現代の最新の放射線物理学に基づき,核分裂で放出さ
れた放射線が爆弾の外殻材料を透過した後のエネルギー分布や方向分布を
算定したものであるが,新しい核断面積データ等を用いて,エネルギー分
布をより精緻にし,高い精度の結果を得た。すなわち,DS02において
は,長崎型原爆において43%,広島型原爆において31%,即発ガンマ線の
モル数が増えたが,即発ガンマ線のガンマ線全体に対する割合は約4%に
すぎず,合計ガンマ線の約1%の増加にしかならないということが明らか
となった。
その結果,DS02の中性子,ガンマ線のソースタームは,全体的にD
S86とよく一致しているとの結論に至った。
なお,DS02による出力修正の影響は,もともと,12kt~20ktという
DS86時の広島型原爆の出力の推定誤差の範囲内の変更にすぎないの
で,DS02による出力推定の修正は,ソースタームに影響しない。
(ウ)空中輸送計算(空中伝播計算)
DS02における即発放射線に関する空中伝播計算は,DS86よりも
エネルギーや距離・角度の分布につき細かく計算され,中性子199群,ガ
。,ンマ線42群の核断面積データが離散座標法による計算に使用されたまた
離散座標法により求められた放射化量及び線量の分布については,モンテ
-72-
カルロ法の計算結果と比較され,2つの解析法の一致度は1500mまで±10
%の範囲に収まった。また,DS02においては,遅発放射線の計算につ
いても,DS86開発時よりも優れた計算方法により求められた。
DS02により求められた中性子線・ガンマ線の空気中カーマ線量は,
DS86と比較して,2.5kmの範囲において10%未満の違いであり,爆心
地からの距離が1000m~2500mの空気中カーマ線量の合計もDS02によ
る計算値がDS86に比べ広島で平均7%,長崎で平均約9%高いという
結果が得られ,その結果,DS86とDS02により求められる空気中カ
ーマ線量に有意な差がないことが明らかになった。
イDS02における測定値の評価
(ア)ガンマ線測定
DS02においては,広島,長崎両市におけるガンマ線量測定値の再評
価が行われ,各測定値の検証やバックグラウンドや熱ルミネッセンス法に
よる測定自体の不確実性等が検討された。
その結果,現行の熱ルミネッセンス法による測定値のうち,爆心地から
約1.5㎞以遠の測定値については,原爆によるガンマ線量がバックグラウ
ンド線量と同量となることから,バックグラウンド線量の誤差が測定線量
に大きく影響を与えるため,その測定値をもって正確なガンマ線量を評価
することが不可能であることが判明した。
そして,DS02報告書では,DS02,DS86の各計算値と熱ルミ
ネッセンス法によるガンマ線量の測定値との比較がされ,DS02の計算
値の方がDS86の計算値よりも一致度が若干高いものの,測定値と計算
値の全体的な一致度は,上記バックグラウンド線量の問題を考慮すること
により,DS02と同様,DS86も良好であるという結論に至り,ガン
マ線量の推定においてDS86による計算値の正当性が検証された。
(イ)熱中性子測定
-73-
aユウロピウム152の放射化測定
DS86の公表後,ユウロピウム152の測定がされ,DS86におけ
る熱中性子の計算評価値と放射化測定値について爆心地近くでは計算評
価値が高く,距離が離れるほど放射化測定値が計算評価値よりも高くな
り,地上距離1000m以遠の遠距離においては,不一致が10倍以上異なる
という結果がでて,DS86に系統的な問題があるのではないかという
指摘がされた。
しかし精度の高い測定法によるユウロピウム152の放射化測定値小,(
村和久教授〈金沢大学・視線計測応用研究センター低レベル放射能実験
施設,以下「小村教授」という)らによる測定)とDS02による計。
算評価値とを比較すると,よく一致していることが判明し,地上距離10
00mを超える距離においても,DS02の計算評価値の正当性が検証さ
れ,ほぼ同じ数値を推定しているDS86の計算評価値の正当性が検証
された。
1審原告らは,上記小村教授らによるユウロピウム152の実測値によ
っても1400m以遠の実測値においては系統的に計算値が過小評価となっ
ている可能性は否定できないのであり,遠距離においてその正確性は何
ら検証されていないと主張するが,広島の爆心地から1400m離れた地点
における原爆の中性子線量は,DS02に基づく計算値でわずか0.0171
Gy,2㎞地点では0.000386Gy,2.5㎞地点では0.0000199Gyにすぎず,広
島の爆心地から1424m地点における中性子線量の実測値は,約0.0285Gy
にすぎない(これより以遠では実測することすらできない低線量とな
る。1審原告らがるる主張する遠距離地点では,実測すらできないほ)
ど,中性子線量は低減しているのであり,このような遠距離における計
算値と実測値との乖離を問題にすること自体全く意味がない。
b塩素36の放射化測定
-74-
また,アメリカ,ドイツ及び日本において,広島・長崎で採取された
鉱物試料中の熱中性子線を測定するため,加速器質量分析法(AMS=
特定の原子核の個数を直接数えることによって目的の同位体〈放射性核
種〉を測定する方法)によって塩素36の放射化測定実験が行われ,それ
とともに,同測定法のバックグラウンド等による測定限界について検討
がされた。
アメリカにおけるAMSによる塩素36の測定値は,爆心地付近から塩
素36/塩素比がバックグラウンドと鑑別不可能になる距離までDS02
と一致するとの結論に至った。また,同研究により,従前測定された14
00m付近における塩素36の放射化測定値(ストローメら1992年)がDS
86,DS02の計算評価値と一致しなかった原因について,同測定に
高いバックグラウンドを示す表面セメントを試料としていたことに起因
するものであって,高い表面の測定値が原爆の射出した中性子により生
成されたものではないことが明らかになった。
ドイツのミュンヘンのAMS施設における爆央から約1300m地点の試
料に重点を置いた測定においても,DS86の計算評価値と放射化測定
値との間に明確な不一致が認められないことが確認されている。なお,
()爆央から1300m以遠の試料花崗岩及びコンクリートの表面付近の試料
を用いた塩素36の放射化測定によって,宇宙線並びにウラニウム及びト
リウムの崩壊が放射化測定値に大きな影響を与えることが確認され,そ
れが測定誤差の原因である可能性があることも確認されている。
cユウロピウム152と塩素36の相互比較
DS02報告書の研究では,再測定されたユウロピウム152と塩素36
の各放射化測定値を異なる研究機関で異なる方法を用いて測定し,それ
らを相互比較して検証した結果,爆心からの地上距離135m~1177mま
での試料の放射化測定値とDS02の計算値とが一致していることが確
-75-
認され,DS02の正当性が検証された。
dコバルト60の放射化測定
広島におけるコバルト60の放射化測定値とDS86の計算値の一致度
の低さが問題とされてきたが,コバルト60の半減期は短く,空中距離60
0m(ほぼ爆心地付近)以遠の測定値は,不確実性が大きいため,放射
化測定値をもってDS86の計算値を評価すること自体できない。DS
02においては,熱中性子線について,より半減期の長い核種であるユ
,ウロピウム152や塩素36につき精度の高い測定方法により再測定を行い
それらの測定値とDS86の計算値とが一致していることを確認し,D
S02及びDS86の計算値の正当性が検証されている。
eまとめ
以上のとおり,DS02において,DS86における広島の熱中性子
線に関する測定値と計算値との不一致について検討した結果,測定値の
方の精度に問題があることが判明し,バックグラウンドや測定限界を考
慮して,改めて検証したところ,計算値と測定値が一致することが判明
した。
(ウ)速中性子測定
aリン32の放射化測定
放射線により硫黄中に発生したリン32を測定することにより速中性子
線を測定する方法は,DS86開発時の研究において実施され,爆心地
から数百メートル以内の距離では,計算と測定との間に大きな隔たりは
みられないが,それ以上の距離では,測定値の誤差が大きすぎて計算値
との一致・不一致が判定できないとされていた。
DS02報告書の研究では,測定されたリン32の放射能測定値の再評
価がされ,広島型原爆については,爆心地近くではDS86とDS02
は両方ともリン32測定値とよく一致しているとの結論に至った。
-76-
bニッケル63の放射化測定
放射線により放射化された銅試料中のニッケル63を測定することによ
り,原爆の放射線の中の速中性子を測定する方法が開発され,速中性子
の再測定が可能となった。
加速器質量分析法(AMS)を用いた測定により,原爆被爆者の位置
に最も関係のある距離(900m~1500m)における速中性子の測定値が
初めて得られ,その結果,広島型原爆について,バックグラウンドを差
し引いた後のデータを昭和20年に対して補正すると,広島の銅試料中の
ニッケル63測定値はDS02に基づく試料別計算値とよく一致し,DS
86に基づく計算値との比較でも,日本銀行の場合を除いてよく一致す
るとされ,DS86及びDS02の計算値の正当性が検証された。
また,DS02報告書の研究では,液体シンチレーション計数法によ
り,AMSから得られたバックグラウンドデータを使用してニッケル63
の測定がされ,その結果,上記の結果とよく一致した。
(エ)測定値と計算値との比較
DS02報告書の研究で再評価されたガンマ線,熱中性子線,速中性子
線の各測定値とDS02,DS86の計算値とを改めて比較した結果は,
DS02の計算値と各測定値との比較につき,爆心地から地上距離が2500
mに至るまでのDS02自由場フルエンス計算値は,ガンマ線,熱中性子
及び速中性子の放射化によって,測定値と透過係数の不確実性の限度内で
確証されているとして,DS02の自由場放射線フルエンス(出力・ソー
スタームの評価,空中輸送計算を経て得られた数値)の正当性を検証する
ものであった。
DS02における自由場放射線フルエンスが検証されたことは,同様の
計算方法により評価されている遮蔽計算や臓器線量の計算方法の正当性が
検証されたことを意味する。
-77-
(6)審査の方針における透過係数の正当性
審査の方針においては,被爆時に遮蔽があった場合の初期放射線による被曝
線量につき,別表9に定める値に被爆状況によって0.5~1を乗じて得た値と
するものとされているところ,実際の審査に当たっては,一律0.7を乗じるこ
ととしている。これは,被爆時の周囲の建造物などの放射線遮蔽効果は,その
放射線の透過係数により評価されるところ,被爆状況の大半(近距離で広島69
,),,%長崎44%を占める日本家屋内被曝についてみるとDS86においては
係数は直接計算されず,空気中カーマに対する木造家屋内被爆者の遮蔽カーマ
の比を計算することによって得られており,その数値すなわち平均家屋透過係
数は,広島の場合は,ガンマ線0.46,中性子線0.36,長崎の場合は,ガンマ線
0.48,中性子線0.41であって,被爆者の周囲の遮蔽物がコンクリート造りの建
造物などであれば,遮蔽効果はこれより大きく,透過係数は小さくなるが,審
査の実際においては,個々の申請者の被爆状況を子細に把握することは困難で
あるため,透過係数を一律にして計算することとし,その数値については,日
本家屋の透過係数がせいぜい0.3~0.5程度であり,実際に透過係数が0.7以上
になるような被爆状況は想定し難いことから,これにより求めた被曝線量が推
定し得る最大の推定値となるようにするとの配慮により,これを0.7としたも
のである。したがって,透過係数を一律0.7としたことにより,1審原告らが
認定審査において不利になることはあり得ない。
(7)DS86に対する1審原告らの主張に対する反論
ア広島における線量推定の困難について
(ア)1審原告らは,広島原爆と同型の原爆での実験でなく,かつ,構造等
の詳細な情報が軍事機密とされており,被曝線量の推定が困難であると主
張をする。
しかし,DS86は,広島の爆弾のレプリカ(原子炉)による実験結果
を基礎に,その他の複数の理論的計算の結果や爆弾投下時測定器ゾンデに
-78-
よる測定結果,硫黄中の中性子誘導リン32の放射能の測定線量との比較,
屋根瓦中のガンマ線熱ルミネッセンス測定値等からの推定等も行われ,出
力の理論的計算値を得ているのであって,1審原告らの指摘する事実によ
って,DS86の推定値の科学的合理性が失われるわけではない。
(イ)1審原告らは,DS02の策定過程において原爆の出力が変更された
ことは,複製に基づく推定の誤り示すものであると主張する。
しかし,その変更は,不確実性の範囲内でなされたにすぎず,このよう
な出力の変更を前提としたDS02とDS86との中性子線量,ガンマ線
量の計算評価値の比較については,中性子線量は0~2500m間で約±10%
異なり,また,DS02の一次ガンマ線量は約1200m以遠の地上距離で20
%ほどDS86データよりも大きいなどと説明されているところ,放射線
線量推定においては,通常,500m~700mを超える遠距離では推定が困難
となるため,推定方式の更新に伴い100~300%程度違いが見られる場合も
多いことからすると,上記DS86とDS02の各計算評価値の違いは,
両計算評価値が極めてよく一致していることを示していると評価できる。
(ウ)また,広島原爆のレプリカは,砲身を短くしたことと核分裂物質を減
らしたこと以外は実際の広島原爆と同一であり,精度の高い検証実験が可
,,能な装置であり爆弾の後部にしか火薬が装填されていないことからして
火薬部分による中性子の吸収・散乱の影響は極めて弱く,実際に地上に到
達する放射線への影響は無視し得るものであるから,1審原告らの上記主
張は失当である。
イDS86が検証不能であることについて
(ア)1審原告らは,DS86は,実験結果に基づかないコンピュータシミ
ュレーションにすぎない上,軍事的な目的に出た研究であり,放出線量な
どの基本的事項が明らかになっていないなどと主張する。
しかし,DS86は,医療用放射線防護や原子力発電所での放射線防護
-79-
などの領域において広く用いられている様々な線量推定方式を広島・長崎
の原爆線量評価に応用したものであり,単なるコンピュータプログラムに
基づく計算にとどまらず,日米の線量再評価検討委員会及び上級委員会に
よって,原子炉実験や被曝試料の測定等を含めた総合的な検討を基礎に,
その推定がされたものである。
(イ)また,1審原告らは,DS86が,他の科学者等による追確認の検証
不可能なものであり,そもそも信用性が乏しい旨主張する。
しかし,DS86で用いられた線量推定方式は,日米の複数の研究機関
において追検証された上で策定され,その理論の概要等は,DS86報告
書等に記載されているとおりであり,DS86の内容等を検討するに足り
る内容が開示されている。
(ウ)さらに,DS02及びDS86において,ソースタームや空中輸送計
算に用いられている評価計算に用いられているコンピュタプログラムや核
断面積データはDS02報告書のとおりであり,これらのプログラムや核
断面積データも計算方法を検証することは可能である。
ウDS86におけるガンマ線の計算値と測定値との乖離について
(ア)1審原告らは,広島の爆心地から1000m以遠において,DS86のガ
ンマ線推定線量は,実際の線量よりも過小評価されている旨主張するが,
2.1km地点でも0.05Gy(推定値)と0.06Gy(実測値)の間の値で,0.01Gy
単位の精度で一致している。
,,(,「」(イ)また1審原告らは長友恒夫教授奈良教育大学以下長友教授
という)らによる爆心地から2050m,あるいは1591m~1635mにおける。
ガンマ線線量の測定結果を根拠に,DS86によるガンマ線の線量推定に
誤りがあることが明らかとなってきている旨主張する。
しかし,爆心地から約1.5km以遠では原爆によるガンマ線量がバックグ
ラウンド線量と同程度以下で,バックグラウンド線量の誤差が測定線量に
-80-
大きく影響を与えるので,測定値自体の信頼性に問題があり,的確な比較
ができず,DS86の計算値が誤っているとすることはできない。
(ウ)そもそも,1審原告ら側が提出した長友教授らの報告書によっても,
広島の爆心地から2.05km地点において熱ルミネセンス法により測定され
た,原爆のガンマ線の初期放射線の実測値は,わずか0.129Gy程度にすぎ
ず,DS86による同地点における計算値は,0.0605Gyであり,その差は
絶対値でみれば無視し得る程度のものでしかなく,その乖離は有意なもの
ではない。長崎においてもこれと大差はなく,1審原告らが提出した澤田
意見書も,長崎原爆のガンマ線に関するDS86の線量評価は,比較的実
測値と一致しているとしている。
要するに,1審原告らは,絶対値で見れば無視し得る,原爆の初期放射
線量の実測値とDS86による計算値の乖離を殊更に強調しているにすぎ
ず,いずれにせよ,遠距離地点においては急性症状を生じさせる初期放射
線による被曝はなかったから,1審原告らの主張は失当である。
エDS86における中性子線の計算値と測定値との乖離について
(,,(ア)既述のとおり熱中性子線誘導放射線ユウロピウム152コバルト60
塩素36)の測定値とこれに対応するDS86計算値との間には系統的なズ
レが見られ,その原因については,DS02の策定過程において検討され
るまで未解明であったが,DS02の策定過程において再測定を行った結
果,計算値と測定値が一致することが判明し,従前の広島の中性子線の不
一致は,測定方法の問題であって,DS86の問題ではなかったことが明
らかになっている。
(イ)1審原告らは,コバルト60の測定結果は,明らかに遠距離では測定値
が計算値を上回っている旨主張するが,先に述べたとおり,コバルト60の
放射化測定値をもって,DS86の計算値を評価すること自体できない。
コバルト60より半減期の長い核種であるユウロピウム152や塩素36につき
-81-
精度の高い測定方法により再測定を行い,それらの測定値とDS86の計
算値とが一致していることを確認しているのであって,その正当性が検証
されており,1審原告らの主張は,失当である。
(ウ)1審原告らは,中性子線についても,DS86による計算値と実測値
に差がある旨を主張するが,そもそも,原爆による中性子線量の全線量に
対する割合は,広島の場合は1000mで5.8%,1500mで1.7%,2000mで0.
5%と非常に低く,長崎の場合は更に低いとされており,仮に中性子線量
にDS86の理論計算値と実測値の乖離があったとしても,被爆者の推定
線量にはほとんど変化は発生しないのである
1審原告らは,絶対値で見れば,人の健康影響という視点からは無視し
得る,原爆の初期放射線量の実測値とDS86による計算値の乖離を殊更
に強調しているにすぎず,失当である。要するに,計算値と実測値の乖離
の問題は遠距離被爆者の被曝線量を検討する上で意味のある議論ではない
のである。
(エ)1審原告らは,爆心地から離れた遠距離地点において,DS86によ
る初期放射線量の計算値が過小評価されていることは,爆心地から2km以
遠の遠距離被爆者にも被曝による急性症状がみられたことからも明らかで
ある旨を主張するが,放射線による急性症状は,最低でも1Gy程度以上,
脱毛は頭部に3Gy程度以上,下痢は腹部に5Gy程度以上,被曝しなければ
発症しないことは,今日における放射線医学の常識である。
1審原告らの証拠による被曝線量では,被曝による急性症状が見られる
ことはあり得ない。
そうであるならば,爆心地から2km以遠の遠距離被爆者にも被曝による
急性症状がみられたことを根拠として,爆心地から離れた遠距離地点にお
いて,DS86による初期放射線量の計算値が過小評価されているとする
1審原告らの主張が失当であることは明らかである。
-82-
オ各種調査結果の問題点について
1審原告らは,爆心地から2㎞以遠の遠距離被爆者にも被曝による急性症
状が認められたとする根拠として,①日米合同調査団の調査,②東京帝
国大学医学部診察班の報告書,③於保源作医師の調査等の各種調査結果を
挙げるところ,これらの調査は,一定の集団における特定の健康障害の頻度
()()急性症状の発症率とその発症要因となり得る特定の曝露要因被曝線量
をそれぞれ観察し,両者の関連性を検討したものであり,一応,疫学調査の
一類型と呼び得るものであるが,これらの調査には,<ア>爆心地から2㎞
以遠の被爆者にも初期放射線の被曝と急性症状との間に関連性があるか否か
をみるためにデザインされたものではないこと,<イ>疫学調査上,留意し
なければならない偏り(バイアス)を適正に排除していないため,見かけ上
の発症者が含まれている可能性が極めて高いこと,<ウ>調査結果からみて
も,爆心地から2㎞以遠の遠距離被爆者には距離に応じて急性症状の発症率
(,が低下するという傾向が一貫してみられるわけではないこと③の調査では
逆の傾向さえ見られる,<エ>当時の状況にかんがみると,原爆とは無。)
関係に10~20%程度の国民が脱毛の症状を訴えていたとしても何ら不自然な
ことではなく,爆心地からの2.1㎞以遠の脱毛については,原爆放射線の被
,,曝に起因したものと決めつけることなどできないこと<オ>①の調査自体
発熱,下痢,食思不振及び倦怠感等の諸症状は他疾患の混在を思わしめると
指摘していること,<カ>被曝による脱毛は,毛母細胞が放射線によって破
,,,「」壊されることによって生ずる症状であり被曝後23週間後にバサッ
と一時期に大量に抜けるという特徴があるが,脱毛状況を把握した調査では
ないこと,<キ>急性症状のしきい値に関する知見や実験的研究などによる
他の知見との「関連の整合性」を有しないこと,等多くの問題点があり,各
調査報告に基づいて,爆心地から2㎞以遠の被爆者にも被曝による急性症状
が発症したと結論づけることは,こうした客観的な科学的知見と矛盾するこ
-83-
とになり,このような場合に関連性を認めることは疫学的にも許されないも
のである。
これらの調査は,後に放影研が何万人もの被爆者を対象とし,何年にもわ
たって疾病の発生状況を観察した追跡調査(いわゆるコホート研究)とは全
く次元を異にするものであって,一応の傾向を観察し,曝露要因と健康障害
との関連性についての仮説を立てるための手段にすぎないレベルのものであ
る。
(8)原爆の放射線の被曝線量評価の世界的評価と利用
被爆者が広島・長崎の原爆の放射線にどの程度被曝したのかについては,戦
後半世紀にわたる様々な研究報告の集積によって,現在では合理的に評価する
ことができる。原爆の人体影響を調査した放影研の疫学調査の結果は,この被
曝線量評価を前提としており,これが現在では世界的にも信頼される放射線防
護の基礎データとなり,各国もこれを前提として放射線の有効利用をしている
が,その前提となる原爆の被曝線量評価が誤っているなどと批判されることは
ない。原爆の放射線の被曝線量評価の合理性は世界的に受け入れられ,異論を
唱える者はいないのである。
3審査の方針における放射線降下物等による被曝線量算定の正当性
原爆放射線による外部被曝は,初期放射線によるもの以外に,残留放射能を持
つ放射性物質から放出される残留放射線によるものがあるが,審査の方針におい
てはその評価も適正に行われている。なお,残留放射線とは,一つは,原爆の核
分裂によって生成された放射性物質や未分裂の放射性核物質である放射性降下物
,,,によって生じたものでありもう一つは地上に到達した初期放射線の中性子が
建物や地面を構成する物質の原子核と反応(放射化)を起こし,これによって新
たに生じた放射性核物質による誘導放射線である。
(1)残留放射線の線量評価
ア広島・長崎の原爆による放射性降下物
-84-
(ア)広島(ウラン・長崎(プルトニウム)の原爆とも,上空で爆発した)
ものであり,原爆の核分裂直後に形成された火球の温度は,最高で摂氏数
百万度に達し,原爆の爆発とともに爆発点に数十万気圧という超高圧がつ
くられ,周りの空気が大膨張して爆風となったことから,未分裂の核物質
があったにしても,それらは気化(蒸発)し,放射性降下物として爆心地
の近辺にとどまることなく,原爆の激しい爆風で大気中に拡散し希釈され
て流れ去っており,発生した放射性降下物は比較的少なかったとされてい
る。
そして,昭和20年8月9日から同年11月にかけて,理化学研究所,大阪
帝国大学,京都帝国大学,マンハッタン技術部隊,日米合同調査団等によ
り広島及び長崎において行われた残留放射線の初期調査の結果,爆心地付
近のほか,広島においては己斐・高須地区,長崎においては西山地区で,
放射線の影響が比較的顕著に見られることが分かり,これは原爆直後,両
地区(両地区とも爆心地から約3㎞の風下に当たる)において激しい降。
雨があり,これによって放射性降下物が降下したことによるものであるこ
とが確認された。
なお,放射性降下物については昭和50年に,誘導放射線については昭和
51年以降被爆岩石中のユウロピウムの測定が行われているなど,残留放射
線の調査はその後も引き続き行われた。
(イ)そこで,放射性降下物についても,被爆者に最大でどの程度の被曝線
量を与えるかを把握するため,DS86の策定時に線量評価がされた。
広島の己斐・高須地区,長崎の西山地区において,被爆後数週間から数
か月の期間にわたり,数回の線量率(単位時間当たりの放射線量)の測定
が行われ,それらの測定値から爆発1時間後の線量率を推定し,任意の時
間内における積算線量が求められた。その結果,爆発1時間後から無限時
間,同地区にとどまり続けたという現実にはあり得ない仮定をした場合で
-85-
も,地上1mの位置での放射性降下物によるガンマ線の積算線量は,広島
の己斐・高須地区においては0.006~0.022Gy,長崎の西山地区で0.12~0.
24Gyにすぎないことが明らかになった。1審原告ら側が提出した静間清ら
調査結果でも己斐・高須地区における,現実にはあり得ない無限時間の滞
在を想定した積算線量は,わずか0.03Gy程度,それ以外の地区では0.001G
y程度にすぎない。
1審被告らも,広島の己斐・高須地区及び長崎の西山地区以外には,放
射性降下物が全く降らなかったとまではいうものではないが,これらの地
区の線量を超えることはなく,いずれにしても,無視し得るほどの線量に
しかならないことが実証的に明らかになっている。
したがって,放射性降下物によって「高線量の被曝をした可能性」があ
るとする1審原告らの主張は,およそ失当である。
審査の方針は,これらの結果を踏まえ,放射性降下物による被曝線量(ウ)
については,地域的には,己斐又は高須(広島,西山3,4丁目又は木)
場(長崎)とし,被曝線量は,それぞれ,0.006~0.02Gy,0.12~0.24Gy
としている。
,,したがって審査の方針における放射性降下物による被曝線量の算定は
正当である。
イ誘導放射線
(ア)誘導放射線は,被爆生存者や早期入市者に対する被曝線量を推定する
上で重要であり,昭和33年以降,被爆者の誘導放射能による被曝線量の計
算評価が行われるようになり,DS86策定時にも計算評価がされた。
DS86策定時における研究では,誘導放射線によって被爆者が最大で
どの程度の線量を被曝したかを把握するため,被爆者が爆心地において爆
発直後から無限時間まで滞在したと仮定した上で計算評価がされ,その結
果,爆発直後から無限時間までの爆心地における地上1mでの誘導放射能
-86-
,,。,による積算線量は広島で約0.5Gy長崎で0.18~0.24Gyとなったまた
爆心地において,線量率が爆発後の経過時間とともに減少していること,
爆発直後からの積算線量(放射線の総量)が爆心から距離が離れるととも
に減少していること,さらに,積算カーマ線量が爆発後の経過時間ととも
に減少することが示され,残留放射線による被曝線量は,爆心地からの距
離と入市時間と滞在時間に依存し,爆心地からの距離が大きくなり,爆発
後の経過時間が長くなれば,被曝線量は急速に小さくなるということが示
された。
(イ)そして,爆心地から,広島では700m,長崎では600mを超えると,誘
導放射線による被曝を受けることがほとんどなかったことが判明している
から,それ以遠において誘導放射線の影響を考慮する必要はない。他方,
それ以内の地域においては,誘導放射化された地上の物質等の元素もごく
,,,,限られており半減期も短いうえ原爆投下直後は市内は大火に包まれ
爆心地は6時間以上にわたって火災が続いていたから,誘導放射線の影響
が最もあった爆心地付近に立ち入ることは現実には不可能であった。
したがって,実際に誘導放射線による被曝を受けた者はごく限られてい
たことは明らかであり,火災が鎮火してから爆心地付近に立ち入り,誘導
放射化された物質に直接触れたとしても,それによる被曝の影響は無視し
得る程度のものであった。
,,,そこでこれらのデータに基づき爆心地からの距離を100m間隔とし
積算線量も8時間ごととして,広島,長崎それぞれに残留放射線量を算定
して作成されたのが,審査の方針における別表10である。したがって,審
査の方針における残留放射線(誘導放射線)による被曝線量の算定は,正
当である。
ウ残留放射線に関する1審原告らの主張に対する反論
(ア)1審原告らは,放射能を含んだ「黒い雨」や「黒いすす」がかなり広
-87-
い地域に降下したのに,それによる残留放射能の影響が無視されていると
主張する。
しかし,原爆投下直後にいわゆる「黒い雨」が見られたのは,火災によ
るすすが巻き上げられ,雨と一緒に降下したことによるものであり,この
すすと,原爆の核分裂によって生成された放射性物質(放射性降下物)と
は必ずしも同じものではない。広島の己斐・高須地区,長崎の西山地区に
降った黒い雨及び黒いすすに放射性降下物が含まれていたことは調査結果
により推定できるが,それ以外の地区では裏付けがないだけでなく,両地
区以外での放射性降下物による被曝線量は,それがあったとしても原因確
率の判断に影響しないようなごく微量にすぎないという理由からであり,
不当に無視しているわけではない。
(イ)この点に関し「黒い雨に関する専門家会議報告書」は,残留放射線,
の再測定,気象シミュレーション法による降下放射線量の推定,黒い雨に
曝された群と曝されていない群の体細胞突然変異及び染色体異常の頻度の
調査を実施したが,黒い雨降雨地域における残留放射線の残存と放射線に
よると思われる人体影響の存在は認められなかったとしている。したがっ
,,て1審原告らが黒い雨の降った雨域と主張する増田雨域の範囲について
それが放射性降下物の分布を示すものとすることはできない。
(ウ)先のとおり,広島・長崎に投下された原爆から放出され,地上に降り
注いだ放射性降下物の量自体が極めて少ないことからして,その程度の放
射性降下物を含んだ黒い雨を直接浴びたとしても,一時的なものにすぎな
いのであり,無限時間を想定した上記ア,イの積算線量を超えることは考
えられない。
(2)遠距離及び入市被爆者に関する1審原告らの主張に対する反論等
1審原告らは,DS86は,遠距離及び入市被爆者に見られた急性症状を説
明することができない旨主張する。
-88-
原爆の放射線被曝による症状については,被曝直後から第2週の終わりまで
に現れる症状を急性症状,第3週から第5週の終わりまでを亜急性症状,第6
週から第8週までを合併症状,第3月から第4月の終わりまでに生じたものを
回復症状と呼んでいるところ,全身倦怠感,悪心,下痢,発熱,歯齦出血,脱
毛,嘔吐などは,急性症状ないし亜急性症状とされており,放射線の確定的影
響の一つである。
したがって,一定の被曝線量に曝露されなければ発症することはないし,そ
の症状も,被曝による脱毛は,毛母細胞が放射線によって障害されることによ
って生ずる症状であり,被曝後,2~3週間後に「バサッ」と一時期に大量に
抜けるという特徴があり,被曝による下痢は,腸管の細胞が障害されることに
よって生ずる症状であり,被曝の3~8時間後に起こるとされ,食事とは何ら
関係なく起こり,ひどいときには起床時,就寝時を問わず生じるなどの特徴が
あり,血便に至るとされている。
しかるところ,既に述べたとおり,客観的な実測値等に基づいて明らかにな
っている広島・長崎の原爆による放射線量からして,遠距離・入市被爆者が急
性症状を生じ得る程度の被曝をしたことは考えられず,被曝による急性症状の
しきい値との関係からして,遠距離・入市被爆者が原爆の放射線に起因する急
性症状を生じたということはあり得ないといわなければならない。
一部に遠距離・入市被爆者に急性症状が見られたとする調査結果があるが,
これらの者に見られたとされる急性症状については,調査自体に多くの問題が
あり,その病態や発症状況からして,被曝による急性症状とは相入れないもの
が多く,また,被爆による急性症状であること自体相当疑わしいといわざるを
得ない。かえって,放影研が入市者を対象として行った大規模な疫学調査等に
よって,入市者に放射性降下物や誘導放射線による被曝の影響がなかったこと
が明らかにされている。
当時,我が国の国民は全体として著しい栄養失調状態にあり,その上に原爆
-89-
を投下され,苛酷で劣悪な衛生状態,栄養状態等に置かれたことにかんがみる
と,遠距離・入市被爆者の中に栄養失調や感染症による下痢の症状を訴えた者
や脱毛が見られた者がいたのは当然のことであり,何ら不自然ではない。
以上のように,遠距離・入市被爆者に原爆放射線に起因する急性症状が生じ
たことを前提とする1審原告らの主張は理由がない。
4審査の方針における内部被曝による被曝線量評価の正当性
(1)内部被曝による被曝線量の推定値
内部被曝とは,呼吸,飲食等を通じて体内に取り込まれた放射性物質による
被曝のことを指すが,DS86開発時においては,放射性降下物が最も多く堆
積した地域である長崎の西山地区の住民に対するセシウム137からの内部被曝
線量の推定がされた。同推定は,ホールボディーカウンターによる西山地区住
民の男性20名,女性30名中のセシウム137の測定を基礎とされ,その結果,昭
和20年から昭和60年までのこの地区における内部被曝による積算線量,すなわ
,。ち40年間分の内部被曝線量の総計は男性で10mrad女性で8mradと推定された
審査の方針においては,内部被曝による被曝線量を特に検討対象としていな
いが,これは個々の申請者ごとの内部被曝線量を科学的に推定することが困難
であること,上記のとおり,内部被曝による被曝線量を最大限に見積もったに
しても0.0001Gy以下と極微量であり,自然放射線による内部被曝線量年間2.4m
Svにも満たないため,審査時の線量推定時に考慮を要しないと判断されたこと
によるものである。これを裏付ける研究報告も存在する。
(2)内部被曝に関する科学の到達点
体内に取り込まれた放射性核種は,その物理的崩壊による減衰だけでなく,
各元素に特有の代謝過程を経て徐々に排せつされる。この代謝により半減する
期間を生物学的半減期といい,物理学的半減期と生物学的半減期との相乗によ
って体内の放射能が半減することが分かっている。
ところで,原爆による内部被曝を評価する上で着目すべき放射性核種は,原
-90-
爆の核分裂生成物(原爆粒)であるセシウム137とストロンチウム90である。
ICRPのモデルによれば,経口摂取されたセシウム137はそのすべてが胃
腸管から血中に吸収され,10%は生物学的半減期2日で,90%は生物学的半減
期110日で体外へ排せつされるとされている。これによると,10年後には7.3×
10,すなわち100億分の1以下に減衰することになる。一方,ストロンチウ-11
ム90は,経口摂取されたうち30%が消化器系を経由して血中に吸収され,残り
は便として排せつされるとされている。ICRPのモデルによれば,血液にス
トロンチウム90を1ベクレル(ベクレルとは,放射能の強さを示す単位)注入
された場合,10年後には軟組織全体に残留しているのは1.2×10ベクレルすな-4
わち約8300分の1以下に減衰することになる。
放射線の人体に與える影響については,このような,今日における放射線医
学の到達点を理解した上で判断すべきである。
(3)ホット・パーティクル理論
内部被曝の場合,体内に入り込んだ放射性物質が放出する放射線によって局
所的な被曝が継続するという考え方(ホット・パーティクル理論)がある。
しかし,放射線学に関して最も信頼できる知見に基づいて,国際的な放射線
防護と安全利用に関する基準を示す機関であるICRPは,このような理論を
明解に否定しており,一般的な放射線学の常識としても,このような理論によ
る人体影響の可能性は認められていない。医療の現場をみても,核医学の分野
では放射性核種を投与して,診断に役立てているが,それによって一定量の内
部被曝が起きているものの,これも,そのような内部被曝による人体影響はな
いという医療の常識に基づくものである。
したがって,ホット・パーティクル理論で実際の人体影響を説明することは
できないし,そもそもそれを実証する知見は存在しない。
飲食の影響(4)
被爆地には,水や食物も存在したが,水は,中性子の吸収体であるから,水
-91-
中に入った高速中性子は,エネルギーを失い熱中性子となるため,水の中の原
子核が放射化されることはない。食物は,放射化される原子核をほとんどもっ
ておらず,仮に放射化されていたとしても,その半減期は原子核により異なる
ものの最長でも15時間であり,自然放射線による被曝の影響よりもはるかに低
い。
(5)低線量による内部被曝の影響
1審原告らは,殊更に低線量被曝の影響を強調するが,総線量が同じであれ
ば,長時間かけての被曝(慢性被曝)の影響は,1回ないし数回の被曝(急性
被曝)の影響よりも少ないことが知られており,このことは,現在における放
射線医学の疑う余地のない常識である。
1審原告らは,細胞レベルにおける低線量被曝による人体影響の可能性につ
いてるる主張するが,そもそも,審査の方針においても,原因確率を適用する
確率的影響の疾患はしきい値がないという前提で考えており,線量0からのリ
スクを否定するものではない。しかし,被曝線量が低ければ,被爆後数十年後
に発生するがんといった健康影響が発症するリスクも極めて低くなることが,
放影研が実施した大規模かつ高度に専門的な疫学調査の結果によって明らかに
されており,それが原因確率という形に表され,これに基づいて放射線起因性
の判断が行われているのであるから,1審原告らの上記主張は,失当である。
低線量による内部被曝の影響を殊更に過大視することは,誤りである。
したがって,審査の方針が内部被曝による被曝線量を放射線起因性の判断の
ための被曝線量として考慮していないことは正当である。
(6)未分裂核物質による内部被曝の可能性
1審原告らは,原爆の爆発により生じた未分裂核物質も内部被曝を引き起こ
した旨主張する。
しかしながら,ウラン235の物理学的半減期は7.1×10年(約7億年)であ8
,,るところ広島においてウラン235の残留が有意に検出されたとの報告はなく
-92-
原爆の激しい爆風で大気中に拡散し希釈されて流れ去ったものと考えられる。
なお,ウラン235は物理的半減期が上記のように非常に長いものの,体内で
の代謝が早いため,その生物学的半減期は15日であり,この点からしても,長
期にわたって体内に残留して内部被曝を継続することはない。
このような科学的知見からすれば,放射性降下物によって継続的な内部被曝
が生じ,人体影響を生じるとは考えられない。
(7)結論
以上のとおり,広島・長崎の原爆による放射性降下物及び残留放射線による
放射線量は極めて低く,これらに起因する内部被曝の影響の程度も無視し得る
程度の線量であることは,実測値等によって客観的に明らかになっているので
ある。一方,低線量の内部被曝の健康影響をことさらに過大視しようとする考
え方は,今日の放射線学の常識に明らかに反している。そうである以上,内部
被曝による影響を格別考慮しないで放射線起因性の判断をすることにしている
審査の方針には何ら不合理な点はないというべきである。
5審査の方針における放射線起因性の判断方法の合理性
(1)申請疾病等の特徴と審査の方針が採用した起因性判断の在り方
被爆後,約50年も経過して発症したという1審原告らの申請疾病等は,被爆
者であろうとなかろうと加齢等の要因により国民一般に広く見られるものであ
。,(,,,),る1審原告らも悪性腫瘍胃がん有棘細胞がん喉頭腫瘍肺がん等
白内障,甲状腺機能低下症,橋本病,脳梗塞後遺症(高血圧症,貧血等を申)
請疾病等としているが,いうまでもなく,国民の多くがこうした疾病を患って
いる。
厚生労働省の人口動態統計報告によれば,平成16年の我が国の国民の死亡数
は,102万8602人であったが,死因の第1位は悪性腫瘍であり(32万0358人,3
1%。60歳代では約5割,70歳代では約4割,およそ3人に1人の国民が悪性)
腫瘍を原因として死亡しているのが現実である。これに心疾患(15万9625人,
-93-
15.5%,脳血管疾患(12万9055人,12.5%)を含めると,60%近くとなり,)
これらは,3大生活習慣病といわれている。白内障も,加齢とともに増加し,
,,。60歳代では約70%70歳代では約90%80歳代ではほぼ100%の人にみられる
橋本病は,女性の10~20人に1人の割合で見られるほど頻度の高い疾病である
(成人女性の約8%に甲状腺自己抗体陽性反応が見られる。高血圧症に至。)
っては,最も患者数の多い疾患であり,患者数は約781万人で,治療を受けて
いない者まで含めれば,約3000万人の患者がいるといわれている。70歳以上の
男性では,約70%が高血圧症である。
これらの疾病は,もちろん放射線被曝特有の症状が現れるわけではないため
(ただし,放射線白内障には特有の所見が見られる,当該被爆者個人の健。)
康状態や被爆状況等のみを分析しても,その疾病が放射線被曝によって生じた
ものか否かを個別的に判別することは極めて困難である(ただし,その疾病の
,。)。発症要因が合理的に特定でき放射線起因性がないと判断できる場合はある
また,1審原告らと全く同じような状況で被爆したにもかかわらず,1審原
告らが訴えるような申請疾病等に罹患しない者も多数存在し,むしろその方が
圧倒的に多いことも明らかである。その意味で,原爆放射線と申請疾病等との
関連性は,もともと極めて希薄というべきものである。
そこで,審査の方針では,以下のとおり,確率的影響に係る疾病,確定的影
響に係る疾病,原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていな
い疾病に分けて,原爆放射線起因性の判断をしており,このような判断手法に
不合理な点はない。
(2)確率的影響に係る疾病
ア原因確率論の採用
審査の方針では,確率的影響による疾病については,放影研が広島及び長
崎の被爆者の線量推定値を基礎に疫学的手法を用いて算出したリスク推定値
を基に,原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる原因確率
-94-
を算定し,これを目安として,放射線起因性の判断をすることとしている。
放影研が行った疫学調査は,世界的にみても例がないほどに大規模であり,
疫学的にも極めて精度の高い調査であって,このような調査に基づいて算定
された原因確率による判断方法に不合理な点はなく,これに勝る科学的な知
見は存在しない。原因確率は,申請疾患,申請者の性別の区分に応じて適用
される別表により,申請者の推定被曝線量と被爆時の年齢によって算定され
る。
そして,推定した被曝線量を前提とし,このような原因確率という確率論
を用いて,一定程度以上,当該疾病が放射線に起因した可能性があると認め
られるものについては,できる限り,申請者に有利に放射線起因性を認める
こととしている。原因確率が50%を超えているということは,原爆の放射線
が何らかの寄与をして当該申請疾病が発症した可能性が50%を超えていると
いうことであるため,それだけで放射線起因性を認めることとし,原因確率
が50%を下回った場合でも,すなわち,原爆の放射線が寄与した可能性が50
%を下回る場合でも,当該申請者の既往歴や,環境因子,生活歴等を総合的
に勘案した上で,できる限り,放射線起因性を認めるようにしている。この
ような原因確率の手法は,米国及び英国を代表とする先進諸国においても,
労働者被曝に対する補償制度等の中で採用されているが,原因確率が50%を
下回っても,それ以上の者と同額の給付金の支給をするのは,諸外国の制度
にはない。
しかしながら,そのような我が国においても,原因確率が10%を下回る場
合には,原爆の放射線が何らかの寄与をして当該申請疾病が発症した可能性
が10%にも満たないということであり,逆にいえば,原爆の放射線以外の要
因で発症した疾病である確率が90%を超えているということであって(原因
確率が10%であるということは,すべての者に10%の影響があることを意味
するものではない,通常は,放射線起因性について高度の蓋然性がある。)
-95-
とはいえないと判断されてやむを得ないものである。審査の方針では,それ
でも機械的に適用して判断することがないように戒め,更に当該申請者に係
る既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で判断を行うものとし
ているものの,原因確率が10%を下回るという事実自体は,最も重視されな
ければならず,審査の方針が「おおむね10%未満である場合には,当該可,
能性が低いものと推定する」というのは,このことをいうものである。。
このように,審査の方針には,科学的合理性があるし,原因確率が低い場
合にも総合的判定をしていることは,被爆者援護法の趣旨から正当である。
イ放影研における疫学調査
(ア)概要
被爆者に対する疫学調査は,ABCCによって始められ,その後放影研
が引き継いでいる。なお,ABCCは,被爆者について長期間追跡調査す
るために米国科学アカデミーの勧告によって設立され,アメリカ政府によ
って運営されていたもので,日本側も国立予防衛生研究所(予研)の支所
,,を広島・長崎のABCC内に設置していたが昭和50年に組織が変更され
ABCCは財団法人放射線影響研究所(放影研)と改められ,日米両国の
共同運営となったものである。
ABCCの被爆者調査は,昭和25年の国勢調査により確認された28万40
00人の日本人被爆者のうち,昭和25年当時に広島,長崎のいずれかに居住
していた約20万人を「基本群」とし,この基本群から選ばれた副次集団に
ついて行われた。死亡率調査においては,厚生省(厚生労働省,法務省)
の許可を得て,国内で死亡した場合の死因に関する情報の入手が行われて
おり,がんの罹患率については,地域の腫瘍・組織登録からの情報(ただ
し,広島,長崎に限る)によって調査が行われている。。
(イ)寿命調査集団
当初の寿命調査集団は「基本群」に含まれる被爆者の中で,本籍が広,
-96-
島又は長崎にあり,昭和25年に両市のいずれかに在住し,効果的な追跡調
査を可能とするために設けられた基準を満たす被爆者の中から抽出され,
爆心地から2000m以内で被爆した者全員から成る中心グループ(近距離被
爆者,爆心地から2000m~2500mの区域で被爆した者全員から成るグル)
ープ,近距離被爆者の中心グループと年齢及び性が一致するように選ばれ
た爆心地から2500m~10000mの区域で被爆した者のグループ(遠距離被
爆者,近距離被爆者の中心グループと年齢及び性が一致するように選ば)
れた,1950年代前半に広島,長崎に在住していたが原爆投下時は市内にい
なかったグループ(原爆投下時市内不在者。原爆投下後30日以内の入市者
とそれ以降の入市者が含まれる)に分けられた。。
その後,寿命調査集団は,1960年代後半に拡大され,爆心地から2500m
以内において被爆した基本群全員を対象とし,1980年には更に拡大され,
基本群における長崎の全被爆者を含むものとされ,今日では,爆心地から
10000m以内で被爆した9万3741人と,原爆投下時市内不在者2万6580人の
合計12万0321人となっている(なお,寿命調査においては,人数×年数ご
との死亡率を調査しているため,死亡した対象者も調査対象から除外され
るわけではない。。)
爆心地から10000m以内で被爆した9万3741人のうち,8万6632人は,D
S86により被曝線量の推定値が得られているが,7109人については,建
物や地形による遮蔽計算の複雑さや不十分な遮蔽データのため被曝線量の
推定値が得られていない。
なお,寿命調査集団には,1950年代後半までに転出した被爆者(昭和25
年国勢調査の回答者の約30%,国勢調査に無回答の被爆者,原爆投下時)
に両市に駐屯中の日本軍部隊及び外国人は含まれていない。
以上のことから,爆心地から2500m以内の被爆者の約半数が調査の対象
となっていると推測されている。
-97-
(ウ)成人健康調査集団
成人健康調査集団は,寿命調査集団の副次集団であり,2年に1度の健
康診断を通じて疾病の発生率とその他の健康情報を収集することを目的と
して設定された。成人健康調査集団は,昭和33年の集団設定当時,寿命調
査集団から抽出された1万9961人から成り,中心グループを爆心地から20
00m以内で被爆し急性症状を示した4993人とし,このほかに,都市・年齢
・性を中心グループと一致させた次の3グループ,すなわち,爆心地から
2000m以内で被曝し,急性症状を示さなかった者によるグループ,広島で
は爆心地から3000~3500m,長崎では3000~4000mの区域において被爆し
,,,た者のグループ当初の寿命調査集団のうち本籍が広島又は長崎にあり
1950年に広島又は長崎に居住していたが,原爆投下時にいずれも都市にも
いなかった者(原爆投下時市内不在者)によるグループから成っていた。
昭和52年には,高線量被爆者の減少を懸念して,新たに次の3つのグルー
プ,すなわち,寿命調査集団のうち,T65Dによる推定被曝線量が1Gy
以上である2436人の被爆者グループ,上記グループと年齢及び性を一致さ
せた同数の遠距離被爆者から成るグループ,胎内被爆者1021人から成るグ
ループを加え,成人健康調査集団を拡大し,合計2万3418人の集団となっ
た。
ウ放射線による発がん影響の評価法
(ア)概要
昭和21年以降に発生した放射線に起因すると考えられる人体影響を放射
線後障害という。原爆被爆者に発生する人体影響は,個々の症例を観察す
る限り放射線被曝に特異的な症状を示すわけではなく,一般に観察される
疾病の症状・所見と全く同様であり,放射線被曝に起因するか否かの見極
めは不可能である。しかし,被爆者集団として観察すると,集団内に発生
する疾病の頻度が有意に高い場合があり,そのような疾病は放射線被曝に
-98-
起因している可能性があると判断される。このように,放射線後障害は,
疫学研究において統計学的解析などの結果によってその存在が明らかにさ
れるという特徴がある。
原爆放射線後障害の中で最も重要なものの一つに悪性腫瘍の発生があ
る。悪性腫瘍は,放射線による疾病のうち,確率的影響に分類される。被
爆者が発症した悪性腫瘍に対する放射線の影響の評価は,疫学的な研究手
法を用いて被爆者集団を調査し,被曝群における発生頻度と対照群におけ
る発生頻度を比較するという形や,低線量から高線量を被曝した被曝群に
おいて性,年齢等を考慮した回帰分析を用い,単位線量当たりのリスクを
評価する方法等で行われる。
放影研では,リスク評価として絶対リスク,相対リスク及び寄与リスク
という指標を用いている。
(イ)絶対リスク
絶対リスクとは,観察期間中に,集団中に生じた疾病(死亡)の総例数
又は率である。なお,リスクを示す場合,通常,1万人年(人年は,人数
と観察年数の積を表す単位)当たり,あるいは1万人年Gy当たりで表され
ることが多い。
(ウ)過剰絶対リスク
過剰絶対リスクとは,被曝群と対照群の絶対リスクの差をいい,放影研
の疫学データでは,放射線被曝集団における絶対リスクから,放射線に被
曝しなかった集団における絶対リスク(自然リスク)を引いたものを意味
する。
(エ)相対リスク
,。相対リスクとは被曝群と対照群の死亡率(あるいは発病率)の比をいう
(オ)過剰相対リスク
過剰相対リスクとは,相対リスクから1を引いたもので,調査対象とな
-99-
るリスク因子によって増加した割合を示す部分をいう。
(カ)寄与リスク
被爆者は,当然放射線以外の発がん要因にも曝露されているので,被爆
者に発症したがんのうち,放射線によって誘発されたがんの割合を推定す
る必要があるが,この割合を寄与リスクと呼んでいる。審査の方針におい
て用いられている原因確率の値はこの寄与リスクの値に由来している。
(キ)線量当たりのリスクの推定
線量当たりのリスクを推定するためには,疫学調査データから線量反応
関係の形を推定し,それをモデルとして線量当たりのリスクを推定するの
が一般的であり,通常,次の3つのモデル,すなわち,線形にリスクが増
加する直線型,線量の自乗に比例して増加する二次曲線型,その中間とな
る直線-二次曲線型,が使われている。一般的に,線量当たりのリスクの
推定は,白血病では直線-二次曲線型,白血病以外のがんでは直線型に適
合すると考えられている。
エ寿命調査集団におけるリスクの算出方法
放影研における寿命調査集団を対象とする疫学調査報告では,放射線リス
ク評価は,被曝線量の程度に応じていくつかの群に分けた被曝群と対照群と
を比較するのではなく,ポアソン回帰分析を用いて,対照群をとらない内部
比較法によりリスク推定を行い,単位線量当たりのリスクを推定している。
回帰分析法を用いた内部比較法によると,曝露群と非曝露群の2種類しか
ない集団を比較する外部比較法と異なり,放射線被曝以外の性,年齢等の要
因が同様の曝露群同士を比較することができるほか,観察人数,疾病・死亡
数や罹患数が十分であるため,曝露要因量における累積死亡率(罹患率)を
算出し,直接比較することができる。これにより,ゼロSvの場合と任意のSv
の場合の発症率(死亡率)の推定値が出てくるので,単位線量当たりの過剰
絶対リスク及び過剰相対リスクが求められる。
-100-
オ原因確率の評価
(ア)原因確率の意義
原因確率は,個人に発症した疾病とそれをもたらしたかもしれない原因
との関係を定量的に評価するための尺度である。リスクが集団における将
来的な発生確率を予測しているのに対して,原因確率は,個別の案件にお
ける特定の結果があって,遡及的にある要因がその結果を引き起こしたと
考えられる割合を意味する概念である。
特定の被爆者に発症したがんについて考えると,当該被爆者は一般の非
被爆者と同様に放射線以外の発がん要因にも曝露されているので,がんが
発生したとしても一般人のように放射線被曝以外の要因でがんが発生した
可能性も考えられる。その中で当該被爆者に発症したがんのうち,放射線
被曝によって誘発されたがん発生の割合が原因確率ということになる。審
査の方針における原因確率は,前記の寄与リスクに由来している。
(イ)寄与リスクの基礎となった資料
審査の方針における原因確率の基となったのは,児玉報告書において算
出された寄与リスクの値である。当該論文において算出された寄与リスク
は,白血病及び固形がんについては,放影研のホームページにおいて公開
されている死亡率調査,発生率調査のデータを用いて算定した。なお,放
影研のホームページにおいて公開されている被曝線量に関する情報は,死
(),亡率調査のデータファイルではカーマ線量遮蔽カーマ及び臓器線量が
発生率調査のデータでは臓器線量が被曝線量値として登録されている。
,,また発生率調査は昭和33年から昭和62年までの結果を参照しているが
死亡率調査はそれより11年間長く実施され,昭和25年から平成2年までの
結果を参照している。そして,公開されているカーマ線量(遮蔽カーマ)
と死亡率調査の結果から白血病,胃がん,大腸がん,肺がんの寄与リスク
を求めた。しかし,甲状腺がんと乳がんは予後の良好ながんで,死亡率調
-101-
査より発生率調査のほうが実態を正確に把握していると考えられるため,
発生率調査の結果を用いた。
がん以外の疾病として,副甲状腺機能亢進症について寄与リスクを求め
た。副甲状腺機能亢進症は,有病率調査のみ発表されているため,有病率
調査結果から寄与リスクを類推した。
(ウ)原因確率を設定した疾病
「放射線の人体への健康影響評価に関する研究」において寄与リスク算
出の対象となった疾病は,寿命調査及び成人健康調査において,放射線被
曝と疾病の死亡・発生(有病)率に関する論文が既に発表されている疾病
である。
固形がん及び白血病については,寄与リスクを求めるに当たり次の3群
に分けた。
①部位別に寄与リスクを求めたがん(寿命調査集団による死亡率・発生
率の報告で放射線との有意な関係が一貫して認められ,かつ,部位別に
寄与リスクを求めても比較的信頼に値すると考えられるがん〈胃がん,
大腸がん,肺がん,女性乳がん,甲状腺がん及び白血病)〉
②原爆放射線に起因性があると思われるが,部位別のがんの症例数が少
ないなどの理由により,個別のがんごとに寄与リスクを求めると信頼性
が足りなくなるため,複数部位のがんをひとくくりにして寄与リスクを
求めたがん(肝がん,皮膚がん〈悪性黒色腫を除く,卵巣がん,尿。〉
路系〈膀胱を含む〉がん,食道がん)。
③現在までの報告では部位別に過剰相対リスクを求めると統計的には有
意でないが,原爆放射線との関連が否定できないがん(①,②以外のが
んのすべて)
固形がんの上記③のほか,寄与リスクを求めなかった疾病は,骨髄異形
成症候群(最近,放射線との関連が学会で発表されているが,いまだ論文
-102-
が発表されていない,放射線白内障(しきい値が求められている,。)。)
甲状腺機能低下症(論文発表されているデータからは寄与リスクを算出す
ることができない,過去に論文発表がない疾病(造血機能障害など)。)
である。
(エ)寄与リスクを求める際の被爆時年齢及び被爆後の経過年数の影響
白血病及び固形がんの放射線による過剰死亡及び過剰発生は,性,被爆
時年齢の影響を受ける。このうち,白血病については,被爆後10年を発生
のピークとして,その後年数の経過とともに過剰相対リスクは急激に低下
しているため,昭和55年から平成2年までの間におけるデータに基づき算
出した。固形がんについては,寄与リスクは観察期間の平均を使用した。
,,性差被爆時年齢によって過剰相対リスクに有意差があるがんについては
性別,被爆時年齢別に寄与リスクを求めた。
(オ)原因確率を適用することの合理性
以上のような調査,研究を経て算出された寄与リスクに基づき,疾病,
被爆時の年齢,性,及び被爆時の爆心地からの距離や被爆当時の行動等か
ら推定される被曝線量を考慮の上,被爆者に発症した疾病のうち,放射線
被曝によって誘発された疾病発症の割合を算出したのが原因確率である。
これを疾病及び性に応じて被爆時年齢及び被曝線量ごとに表にしたもの
が,審査の方針の別表1~8である。
原因確率は,放影研による疫学情報を基に,最新の科学的知見を踏まえ
て,個人に発症した疾病とそれをもたらし得た原因との関係を定量的に評
価するために作成された尺度であって,その科学的合理性は明白であり,
現在これ以上の科学的方法は存在しないといっても過言ではなく,原爆症
認定以外でも応用される確立した手法である。そして,審査の方針は,こ
の原因確率を基礎として,当該申請被爆者の疾病について放射線起因性を
検討することとしているのであるから,その合理性もまた明白である。
-103-
そして,放射線起因性の判断に当たっては,原因確率において示された
数値を参考に,申請者に係る既往歴,環境因子,生活歴等を総合考慮して
個別的に起因性を判断している。これは,原因確率の算出に当たっては,
申請疾患,性別,被爆時の年齢,及び被曝線量以外の要因を考慮しないた
め,原因確率は,厳密には,当該被爆者の疾病が放射線に起因する可能性
についての割合を直接示すものとはなっていないことから,原因確率から
機械的に放射線起因性を判断することになれば,原因確率の算出において
考慮された上記要因以外の申請疾患に関する他の要因が除外されてしまう
こととなり,個別具体的な事案において,放射線起因性が客観的に存する
場合を取りこぼしてしまうというおそれも否定できないことによるもので
ある。そこで,そのようなおそれを可及的に減らし,個別具体的な申請疾
患についての放射線起因性の判断をより適切に行うため,申請者に係る既
往歴,環境因子,生活歴等も総合考慮しているのである。
カ1審原告らの主張に対する反論
(ア)1審原告らは,原因確率10%以下を切り捨てており,誤っている旨主
張する。
しかし,審査の方針は,上記のとおり,原因確率を機械的に適用してい
るわけではなく,原因確率の算定において要因とされていない既往歴,環
境因子,生活歴等も総合的に勘案するとしているから,1審原告らの上記
主張は失当である。なお,原因確率がおおむね10%未満である場合に,放
射線起因性が低いと推定することは,先に述べたような原因確率の趣旨か
らして,何ら不合理ではない。むしろ,放射線起因性が低いと推定する値
をおおむね10%未満としていることは,法律判断としての適否という観点
から求められている訴訟上の因果関係において要求される高度の蓋然性と
いう観点からすれば,申請者を切り捨てるどころか,むしろ,被爆者援護
法の趣旨に照らし,高度の蓋然性を緩和して,可及的に原爆症の認定をし
-104-
ようとするものである。
(イ)1審原告らは,放影研の疫学調査について,比較対照群として非曝露
群の設定をしていない等,調査集団の設定に誤りがある旨主張するが,外
部比較法によって正確な調査結果を得るためには,曝露群と非曝露群とが
調査対象とする要因以外の要因につきできる限り異ならないことが要求さ
れるところ,放影研においても外部比較法に基づく解析も併せて行われた
ことがあったが,そのような対象群を得ることが困難であり,外部比較法
では重大なバイアスを生じていた可能性があるため,ポアソン回帰分析に
。,,よる方式を採用したものであるそして放影研のこのような疫学調査は
ICRPや国際連合原子放射線影響科学委員会等の国際的団体において現
実に活用されており,全世界的にその有用性が認められている。
以上によれば,内部比較法による放影研の調査方法は科学的に妥当なも
のであり,非曝露群を設定して比較する方法がかえってリスク評価を誤る
可能性のある不合理なものであるから,1審原告らの上記主張は失当であ
る。
(ウ)1審原告らは,放影研の疫学調査において,疫学調査の対象や調査手
法等の問題があると主張するが,この点についての主張も,以下のとおり
失当である。
a1審原告らは,被曝が人体に及ぼす影響を調べるなら,疾病の発症率
でみるべきなのに,死亡率の調査がされている旨主張するが,放影研に
おいては「癌発生率・充実性腫瘍」という調査結果も使用しており,,
死亡調査だけを基礎としているのではないし,高い信頼性を持つように
設計されているものであり,死亡率調査の結果に基づいていることを理
由に被爆者のがんのリスクや被曝影響の推定に用いる合理性が否定され
るものではない。
b1審原告らは,放影研の疫学調査においては,被曝態様について,放
-105-
,,射性降下物を浴びたかどうか原爆投下後にどのような行動を取ったか
内部被曝をした可能性がどの程度あるかといった点を区別すべきである
との前提に立った上で,低線量被曝のリスク,放射性降下物によるリス
ク,残留放射線によるリスク,内部被曝によるリスクを持った集団同士
の比較をすることになるから,初期放射線以外による被曝のリスクの分
だけ,原爆放射線のリスクが過小評価されてしまう,などと主張する。
しかしながら,前記のとおり,残留放射能及び放射性降下物について
はDS86の策定時に線量推定が行われており,現在の放影研の疫学調
査もこの推定値を基に推定線量を算出して疫学的検討を行っている。ま
た,内部被曝による被曝線量がごく微量であることは上記のとおりであ
る。さらに,個々の被爆者がどのような残留放射線によってどの程度被
曝したかということは,現時点では正確に把握することができず,現在
被爆者に生じている症状からも窺い知ることはできない。したがって,
1審原告らの上記主張は,およそ不可能な調査をすべきであるとの前提
に立って放影研の疫学調査を批判するものであって,失当である。
c1審原告らは,調査開始時点で放射線の影響を受けにくい被爆者が選
択された,調査開始時期が原爆投下後5年経過した昭和25年であり,そ
れ以前の死亡は反映されないことからバイアスが排除されない旨主張す
る。
しかしながら,現時点において認定申請する被爆者は,原爆投下後5
年経過時に生存していた以上,当時の生存者を対象とした疫学調査によ
るリスクは,認定申請者にも当然妥当する。ABCC及び放影研が調査
対象とした寿命調査集団は10万人以上にも及び,また,成人健康調査集
団も2万人程度であることからすると,健康な被爆者のみが選択された
おそれは存しない。
d1審原告らは,放射線の影響を受けやすい被爆者が発病・死亡によっ
-106-
て調査対象から外れていくことを考慮していないなどと主張する。
しかしながら,そもそも,コホート研究における追跡調査は,発病や
死亡がみられた者も含めて,現在までのコホート集団を文字通り追跡調
査していくものであるから,発病・死亡によって調査対象から外れてい
くということはあり得ないのであって,統計処理の時点より前に死亡し
た者も,観察人年当たりの死亡に計上されているのであるから,1審原
告らの上記主張は,研究方法についての理解を誤ったものである。
(エ)1審原告らは,放影研の疫学調査では中性子線の生物学的効果比を考
慮した上で臓器ごとの線量当量を用いているのに,審査の方針では放射線
白内障以外について中性子線の生物学的効果比を無視しているなどと主張
する。
しかしながら,推定被曝線量の絶対値が生物学的効果比を用いることに
よって増加したとしても,コホート集団である原爆被爆者において観察さ
れる疾病発生や死亡といった事象には変更が生じないのであるから,調査
対象である個々の被爆者の推定被曝線量が増加するということは,単位線
量当たりの過剰相対リスクが減少するだけであり,個々の被爆者の被曝線
量の絶対値の増加が単位線量当たりのリスクの減少と相殺され,結果とし
て個々の被爆者の被曝線量における過剰相対リスクの値やその線量での寄
与リスクの値はほとんど変化しない。また,生物学的効果比を考慮した場
合,吸収線量における中性子線の割合に応じて等価線量の絶対値は増加す
るので,ガンマ線と中性子線の割合が常に一定でないとすれば,等価線量
,,の絶対値が変わってくることになり発症率も変わってくることになるが
それでも大幅に寄与リスクが変動することはない。
キ医師団意見書に対する反論
1審原告らは,医師団意見書をもって,1審原告らの放射線起因性を立証
しようとしている。
-107-
(ア)そして,その医師団意見書は,原爆被爆者には単一がんのみならず多
重がんが発生する可能性も高いとする。
しかし,がん治療の進歩等により罹患の割に死亡する割合が減少し,そ
の分余命も延びることとなって,初発がん罹患後の生存期間が延長し,高
齢になるほど他のがんに罹患するリスクも大きくなるから,多重がんの発
生の頻度も高まることになり,その事情は被爆者についても同様である。
また,若年被爆者は高年齢被爆者よりも余命が長いから,多重がんの頻度
が高いこともまた当然である。現段階において被爆者集団で有意に多重が
ん発生のリスクが増加していることを示す科学的知見はない。
(イ)また,医師団意見書は,前立腺がんの発生は被爆者に高い可能性があ
るとするが,放影研の寿命調査報告(第13報)においても前立腺がん死亡
率の有意な増加が認められておらず,発生率からみても,原爆放射線被曝
と前立腺がんの発生に有意な関係は認められていない。
また,医師団意見書は,臨床的に発見される進行した前立腺がんはどの
角度からみても遠距離・入市被爆者群に多く発生していると述べるが,前
立腺がんに放射線起因性があるならば線量反応関係があるはずで,近距離
被曝群で最も高頻度になるはずであり,遠距離・入市被爆者に前立腺がん
が多いという報告が確かなものであれば,逆に,放射線起因性は否定的で
あるとみるのが科学的に妥当な解釈である。
(3)確定的影響に係る疾病
申請疾病の中には,放射線白内障のように,生体反応を引き起こす限界線量
であるしきい値が実証的に明らかにされている確定的影響に係る疾病がある。
審査の方針では,放射線白内障について,しきい値を1.75Svと定めているが,
これもそのような実証的研究に基づくものである。
審査の方針では,このようなしきい値を機械的に適用して判断することがな
いように戒めているものの,しきい値を下回っているという事実自体は,最も
-108-
重視されなければならない。
このように確定的影響に係る疾病について,放射線起因性があるというので
あれば,自らの被曝線量とその程度でも当該確定的影響に係る疾病が発症し得
。ることの高度の蓋然性が科学的な根拠をもって立証されなければならない
(4)原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が確立されていない疾病
ア申請疾病には,原爆の放射線との関連性を示唆する科学的知見がないもの
もある。審査の方針では,それでも,それだけで放射線起因性を否定するこ
となく「原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていない,
ことに留意しつつ,当該申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴
等を総合的に勘案して,個別にその起因性を判断するもの」と戒めている。
しかし,そうはいっても,原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見がな
い以上,通常は,放射線起因性について高度の蓋然性があるとはいえないと
判断されてやむを得ないというべきである。
申請疾病の中には,老人性白内障,糖尿病性白内障,甲状腺機能低下症,
,,,,,橋本病高血圧脳梗塞後遺症椎骨脳底動脈循環不全慢性虚血性心疾患
鉄欠乏性貧血症のように,放射線以外の要因によって発症したことが明らか
であるものもある。こうした疾病の発症又は増悪に50年も前に被曝したとい
う原爆放射線が寄与したとして,原爆症認定を求め,放射線起因性があると
いうのであれば,まず,それぞれの疾病と原爆放射線との関連性を調査した
疫学的な知見等によって,両者の関連性が一般的に認められることが高度の
蓋然性をもって立証されなければならず,その上で当該申請者の被曝線量を
明らかにし,その程度の被曝線量であれば,その申請疾病の発症又は進行に
寄与したといえること,すなわち,個別的な因果関係が高度の蓋然性をもっ
て立証されなければならない。
イ1審原告らは,他の要因が関係していることが明らかになったとしても,
それにより放射線起因性が全面的に否定されるものでもなく,放射線がその
-109-
発病を促進し,治癒を困難ならしめた可能性がある以上は放射線起因性を認
めるべきであるなどと主張する。
しかし,原爆放射線が「発病を促進」したなどと主張するのであっても,
そのこと自体の立証責任は1審原告らにある。
1審原告らの上記主張は,原爆放射線に何らかの被曝をした者が,数十年
後に1審原告らの申請疾病等と同様の疾病を発症させれば,その発症には必
ず原爆の放射線が何らかの寄与をしているとの誤解を所与の前提としている
のである。しかし,現実には,1審原告らと全く同じような状況で被爆した
にもかかわらず,1審原告らが訴えるような申請疾病等に罹患しない者も多
,。,,数存在しむしろその方が圧倒的に多い逆に1審原告らの申請疾病等は
被爆者であろうとなかろうと,日本中でごく一般的にみられる疾病である。
このような事実を見据えるならば,1審原告らの申請疾病等の発症等に数十
年前の原爆の放射線が必ず寄与しているなどと決めつけることはできない。
あくまでも,放射線起因性の立証責任は,1審原告らにあるのであって,1
審被告らは「放射線起因性がないこと」の立証責任を負うものではない。,
(5)放射線起因性の判断と治療指針
1審原告らは,治療指針及び実施要領を引用し,その観点から,原爆症の認
定がされるべきである旨主張する。
しかしながら,これらは昭和33年当時の一般の臨床医が被爆者の健康診断及
び治療をするに当たって考慮すべき点について定めたものであり,原爆症の認
。,定基準を定めたものではない1審原告らが指摘する被曝線量に関する記述も
DS86が完成した昭和61年よりも30年近く前の知見に基づき,放射線の影響
を受けた者を見落とすことのないように設けられた大まかな目安にすぎず,お
よそ現在の科学的知見に基づくものではない。これらは,その後の知見の蓄積
により,その意義は完全に形骸化し,現在では廃止されている。
6医療分科会の専門的な判断の重要性
-110-
厚生労働大臣は,原爆症認定を行うに当たり,認定審査会の意見を聴かなけれ
ばならない。これは,申請疾病が原爆放射線によるものかどうかの判断は極めて
専門的なものであるため,客観性,公平性を担保するためにも,医学・放射線防
護学等の知見を踏まえた判断をする必要があるとの趣旨によるものである。申請
疾病の放射線起因性について検討する認定審査会の分科会である医療分科会の委
員は,疾病の放射線起因性や要医療性の判断について高い識見と豊かな専門的知
見を備えた専門家である。こうした委員が,被曝線量の評価方法に関する科学的
な知見や,原爆放射線と様々な疾病の発症との関連性について調査した疫学的知
見等に関する最新の動向を常に把握し,新たに発表される個々の様々な知見につ
いての科学性,学術性を高度に専門的な見地から総合的に評価しつつ,常に最新
の科学的知見に基づいて申請疾病の放射線起因性についての判断をしている。
本件においても争点となっている,原爆の初期放射線,放射性降下物及び誘導
放射線による被曝線量評価,内部被曝の影響の評価や,遠距離・入市被爆者にみ
られたという急性症状を被曝によるものであると認めることができず,急性症状
を根拠にして申請疾病に放射線起因性を認めることはできないとの判断も,医療
分科会のこのような専門的判断に基づいているのであるから,その結論は,最大
限尊重されるべきである。
第21審原告らの原爆症認定要件該当性(争点②)
【1審原告らの主張】
1原爆症認定の対象となる疾患
(1)原爆症認定の対象疾患
被爆者援護法10条,11条によれば,原爆症認定の要件は,申請者の有する疾
病等に放射線起因性があり,かつ,要医療性があることの2点であり,原爆症
認定の対象となる疾病等につき,何の限定も加えておらず,申請疾病名を明示
-111-
して申請することも要件とされていない。このような規定からすれば,被爆者
が現に有する疾病等の放射線起因性と要医療性を被爆者単位で認定する手続で
あって,個々の疾病の放射線起因性が問題なのではなく,当該被爆者が現に有
する疾病等が対象とされていると解すべきである。
(2)違法性判断の対象
1審原告らは,本訴訟において,1審被告厚生労働大臣による原爆症不認定
処分が違法であることを理由にその取消しを求めているが,上記のような被爆
者援護法の規定からしても,その訴訟物は,上記2要件を認めなかった行政処
分の違法性自体であって,個々の違法事由ではない。個別の違法事由は,行政
処分の違法性を根拠付ける攻撃防御方法の1つにすぎず,口頭弁論終結時まで
追加・変更が可能である。
したがって,原爆症認定の対象となる疾患は,処分時に1審原告らが有して
いた疾患すべてとされるべきであり,原爆症認定申請の際に1審原告らが提出
した書類に申請疾患と明示していた疾患に限られるものではない。
(3)審査手続における対象疾患
実際,認定審査会(医療分科会)の手続において,申請疾患のみに限らず,
認定申請書及び添附書類に記載された原爆に起因すると思われる疾病等や自覚
症状のうちから,原爆症認定の可能性が認められるものを抽出し,必要に応じ
て申請者等から関係資料の提出を受けた上で,審査の対象としていることは,
1審被告らも自認するところである。このような点からも,原爆症認定の対象
となる疾患は,申請の際に1審原告らが提出した書類に申請疾患と明示してい
た疾患に限られるべきではない。
なお,1審原告らが有する疾患は,それら一つ一つの放射線起因性,要医療
性を切り離して判断できるものではなく,申請疾患だけに限定して判断するこ
とはできない。1審被告らは,申請疾患の放射線起因性を判断するため申請疾
患以外の疾病の罹患状況などを考慮することが有益になる場合があると主張し
-112-
ているが,このような主張自体,一つ一つの疾病を切り離して判断することは
できないことを自認するものである。複数の疾病が認定されても給付される医
療特別手当の額が変わらないという点にも,一つ一つの疾病を切り離して考え
るのではなく,放射線起因性がある疾病等により治療を必要としている被爆者
を原爆症として認定するという原爆症認定のあり方が示されている。
現に,1審被告らは,X1に係る処分について「当該却下処分は,本来,,
X1の4疾病につき原爆放射線による起因性がないとして却下すべきものであ
った」と主張していて,X1に係る処分を下すに当たって,申請書の「負傷又
は疾病名」欄に記載された疾病以外の疾病について,放射線起因性の有無を判
断していたことを,自ら認めている。1審被告らは,後になって,厚生労働大
臣による認定の対象となるのは,あくまで「申請疾患」であり,医師意見書等
に記載されている疾病は「申請疾患」の放射線起因性を判断するという目的,
のために検討されたものであると主張を変更したが,このような矛盾する主張
をすること自体,原爆症認定審査の杜撰さとともに,1審被告らの主張の不当
性を明らかにするものといわなければならない。
2急性症状としきい値論について
1審被告らは,1審原告らに生じた各急性症状について,①急性症状にもし
きい値があり,1審原告らに生じた下痢,脱毛,鼻血,倦怠感,疲労感等の「急
性症状」はそれらのしきい値に満たない,②放射線による急性症状には一定の
所見があるが,1審原告らに生じた上記「急性症状」はその所見に合致しないと
して,1審原告らの主張する急性症状は,被曝による急性症状ではなく,原爆放
射線と無関係な他原因によるものであると主張する。
しかし,その見解は誤っている。その理由は以下のとおりである。
(1)第1に,そもそも1審被告らの主張する被曝線量の考え方自体,これまで
の同種訴訟判決においても完全に否定されてきたものであり,この考え方が間
違っていることは明らかである。
-113-
(2)第2に,1審被告らの主張する急性症状しきい値論自体間違っている。1
審被告らの主張する急性症状しきい値線量は,放射線取扱い施設における臨界
「」事故や原子力発電所事故などの経験から得られたいわゆる急性放射線症候群
において理解されているしきい値線量であり,これらの被曝態様は,短時間の
高エネルギー放射線照射によるとみられる。これに対し,原爆被曝は,数キロ
メートルにわたる市域全体が瞬時に一大照射域となり,引き続き放射性物質に
満ちた一大線源域となり,個々の被爆者は照射瞬間から持続的に短・長半減期
の放射性同位元素にとらわれ,しかも,外部のみならず,複雑な内部被曝にさ
らされたものであり,被曝実態が異なるのである。原爆による急性症状に1審
被告らの主張する急性症状のしきい値線量は妥当しないものである。
(3)第3に,上記①により急性症状の放射線起因性を否定することは,本末転
倒の議論である。すなわち,1審被告らの信ずる被曝線量自体が誤ったもので
あることから,仮に,被曝による急性症状のしきい値論なるものが正しいとす
れば,逆にいえば,急性症状を発症した被爆者はそのしきい値を超える放射線
を被曝したことの裏付けになるだけのことである。
(4)次に,上記②の立論について反論する。
原爆による被曝においては,被爆者の原爆投下時の場所,遮蔽の有無,被爆
後の場所の移動や各場所の滞在時間やその場所での行動内容,被爆者のいた場
所にある物質の種類・量,被爆者の飲食等生活状況が,被爆者個々人によって
異なり,被爆者個々人により直爆による放射線,誘導放射線,内部被曝による
放射線の被曝態様が異なる。すなわち,被爆者個々人により,被曝した放射線
,,,。,の種類放射線の量被曝した時間被曝した体の部分もすべて異なるまた
被爆者個々人の放射線感受性,体質,当時の体調等にも個人差がある。
,(,),したがって原爆被曝による体調の変化急性症状その後の原爆症等は
被爆者個々人により,十人十色,みんな違うものであるはずであり(そのメカ
ニズムは,未だ解明されないものが多い,現に,被爆者はみな(1審被告。)
-114-
らが被爆者として認めているものも含め,急性症状も,その後の原爆症も,)
被爆者によりその疾病の種類や数,同種の疾病でもその発症パターン等は,個
々人により全く異なっている。
,,,,例えば脱毛の仕方をとってみても被爆者の聞き取りや諸調査報告でも
必ずしも1審被告らの主張のような形に限定されていない。髪を梳いたときに
抜けた,朝,枕にたくさん毛髪がついていた,周りに指摘されて気づいた等,
多様である。したがって,1審被告らの主張するパターン以外の脱毛は,被曝
によるものではない等とは到底いえないのである。脱毛の多様性は,毛髪の成
長サイクルの中で放射線感受性の高い時期が関係しており,更に被曝の多様性
や生体反応の多様性も影響していると考えられる。
したがって,1審原告らに生じた下痢,脱毛,鼻血,歯茎からの出血,倦怠
感,疲労感等の「急性症状」が多少1審被告らの主張するパターンと合致しな
いからといって,それだけをもって,被曝による急性症状ではないということ
はできず,逆に,1審原告らが相当の線量の放射線を被曝していることは,前
述のとおり明らかであることからして,それらの「急性症状」は被曝による急
性症状というほかない。1審被告らは,数値のみによる机上の空論を展開して
いるにすぎない。
31審原告らの原爆症認定要件該当性
(1)X1
ア被爆状況
X1(昭和2年*月*日生,被爆時18歳)は,爆心地から約1.5㎞の地点
にあった廣島赤十字病院寄宿舎(木造2階建)の1階で,ガラス窓のすぐ横
に立って,左斜め上を見ていた状態で被爆し,黄色い閃光を見ており,体に
無数のガラス片が刺さった。
被爆当日の夜,広島県産業奨励館(爆心地)に隣接していた日本赤十字社
廣島支部まで上司を探しに行き,同人の遺体を発見した。また,被爆当日か
-115-
ら廣島赤十字病院で被爆者の看護に当たり,昭和20年8月7日以降同月12日
ないし13日ころまでは,市役所や紙屋町近くの小学校へ出張看護に行ってい
た。その間,水道水を飲んだり,病院の地下で炊かれたご飯を握ったおにぎ
りを食べたりしていた。
X1は,昭和21年3月に看護学校を卒業するまで,廣島赤十字病院で治療
活動を続けた。
上記のような被爆及びその後の行動からして,X1は,多量の初期放射線
に被曝している上,大量の残留放射線にさらされ,相当量の放射性物質を体
内に取り込んで,かなりの内部被曝があったと考えられる。
イ急性症状等
被爆後,X1は,多くの急性症状を発症することとなった。
被爆後2,3日目から下痢が始まり,昭和20年9月まで続いた。歯茎から
の出血が始まり,怪我をして血が出ると止まりにくいこともあった。同月に
は高熱を発している。口内炎ができたこともあった。同年8月の終わりころ
から脱毛に気付くようになった。脱毛については,櫛を通すとごっそり抜け
る状態であり,このような状態が2か月くらい続いた。同年9月には白血球
が減少しているといわれている。
,,。このようにX1は原爆放射線特有の急性症状をほとんど発症している
ウその後の症状の経過等
(ア)昭和24年6月,X1は,右眼の中央が見えていないことに気付いた。
D眼科を受診すると,真ん中が焼けていて両端で見えているとの診断であ
ったが,通院しても無駄,仕方ないと思い,また舅・姑と同居していたた
め通院しにくかったことも重なり,通院はせず我慢して過ごすこととなっ
た。しかし,一層右眼が見えにくくなってきたこと,左眼もごろごろして
調子が悪くなってきたことから,昭和52年にE眼科を受診した。E眼科で
は,右眼が失明している,両端でも見えなくなってしまったのは白内障が
-116-
,。原因といわれ左眼の調子が悪いのは白内障の前兆のようだともいわれた
その後,平成6年に左眼が白内障であると診断された。
このような症状のため,X1は,昭和52年以降E眼科に通院し,点眼治
療等を受けることになった。平成7年1月の阪神大震災で交通が寸断され
てしまったことから,通院を断念することになったが,平成11年からF眼
科へ通院するようになった。平成15年12月に骨折したことから一時期通院
を中断した期間もあったが,現在に至るまで通院を続けている。
,(),)(イ)X1は30歳昭和32年のころから歯が抜け始め40歳(昭和42年
で総入れ歯となった。また,そのころまで歯茎からの出血が続いていた。
(ウ)看護学校を卒業したX1は,fの海軍病院,国立G病院,国立療養所
H園に勤め,f病院とH園では婦長を務めるなど,忙しく勤務することと
なった。また,昭和42年に舅が倒れたのをきっかけに病院勤めは辞めたも
のの,家業(寺,舅・姑の介護・看護に追われることとなった。そのた)
,,,,めX1自身は夫との夫婦生活についての欲求がないなど疲れやすさ
だるさに類似する症状も見られた。
エ現在の症状
X1は,右眼球癆,左白内障,左糖尿病性網膜症,両涙液分泌減少症を患
っている。右眼は,点眼をしなかったらかゆくなる,乾燥して開きにくくな
る,逆まつげになりやすい,といった症状が続いている。左眼は,白内障の
ため視力が落ち,出血しやすい状態となっている。
このような状況の下,X1は,点眼薬治療,検査や止血のためのレーザー
治療を受けている。
オ調査嘱託により明らかになった事項
調査嘱託〈F病院〉回答,X1のカルテには,左眼後嚢下混濁のスケッチ
がされている(平成8年9月2日,平成9年2月17日,平成10年4月21日等
多数。)
-117-
カ放射線起因性の要件該当性
(ア)X1は,①爆心地から1.5kmという近距離で被爆していること,②
被爆時に無数のガラス片が刺さったほか,被爆当日に爆心地の直ぐ近く
まで歩いて行っており,昭和20年8月7日以降も重篤被爆者の看護に従事
し,爆心地近くを行き来し,食料・飲料水も現地のものを摂取しているこ
とから,放射性生成物や降下物により外部被曝及び内部被曝をしているこ
と,③被爆後,2か月以内に多くの急性症状を発症していること,④
白血球の減少を指摘されていること,等の事実に照らせば,原爆放射線に
よる被曝がその身体へ影響していることは明らかである。
そして,右眼については,閃光によって網膜が焼け,白内障の進行も影
響し失明するに至っている。左眼についても,白内障及び糖尿病性網膜症
を患っている。加えて,両涙液分泌減少症を患っている。
(イ)なお,白内障については,原爆被爆者の放射線被曝と水晶体所見の関
係において遅発性の放射線白内障及び早発性の老人性白内障に有意な相関
が認められるなどの知見が得られており,被爆者の遅発性放射線白内障や
早発性の老人性白内障が,事実上しきい値のない確率的影響である可能性
が示唆されている。また,X1は糖尿病を患っているが,左眼についても
糖尿病に罹患する前から白内障との診断を受けており,左眼の白内障が糖
尿病だけによるものとは考えられない。さらに,放射線により網膜の血管
が脆弱になるという影響が生じることから,左眼の糖尿病性網膜症も,放
射線による悪影響により生じていると考えられる。
(ウ)そして,上記調査嘱託回答によれば,X1の左眼に放射線白内障の特
徴である後嚢下混濁があることが認められている。
もちろん,後嚢下混濁が存在することだけをもって,放射線白内障であ
ると判断できるわけではない。しかし,これまでに主張してきたX1の被
,,,爆状況被爆後の行動急性症状が見られることといった事情に照らせば
-118-
。,,同人が相当量の被曝をしていることは明らかであるまた高線量被曝群
特に若年被爆者について後嚢下混濁の上昇が成人健康調査の眼科調査で報
告されているところ,X1は被爆当時18歳と若年であった。これらの事情
と後嚢下混濁が認められた事実をあわせ総合的に判断すれば,X1の疾病
が放射線に起因することは明らかである。
キ要医療性の要件該当性
X1は,左眼について,術後抗生物質の点滴を受けてきたが,現在は,白
内障治療のための抗生物質と消炎剤の点眼治療を受けている。また,右眼に
ついても点眼治療を行っている。さらに,現在は膿瘍が左眼にあることから
白内障手術ができないでいるが,白内障の手術が必要な状況にある。このよ
うな事実に照らせば,X1が受けている治療が,今後効果の期待し得る可能
性を否定できない治療であることは明らかである。
ク本件X1却下処分の理由に係る1審被告らの主張の変更について
1審被告厚生労働大臣は,X1の申請疾病について放射線起因性を認めた
上で,要医療性を否定して,本件X1却下処分を行い,1審被告らは,本件
訴訟においても当初は,X1に放射線起因性があると認めたことについて明
らかに争っていなかったところ,その後,認定審査会においてX1の4疾病
についてはいずれも起因性がない旨の判断をし,その答申を受け却下処分の
手続を進めていたところ,誤って他の様式(放射線起因性を認めた上で要医
療性がないとして却下するもの)を用いて作成したものであると主張し,放
射線起因性をも否定するに至った。
しかし,自己に不利益な事実をあえて自白した以上その事実は真実に合致
している蓋然性が高いし,厚生労働大臣が行うものとされている原爆症申請
に対する却下処分という手続が,様式を誤るなどの事態が生じるようなもの
とは到底考えられず,その主張の変遷(自白の撤回)の経緯の不自然さに照
らしても,主張の変更こそ事実に反する疑いが極めて高い。
-119-
しかも,自白の撤回は,自白を信頼した者の活動を妨げることから許され
るべきでないし,とりわけ行政機関については,国民の法的安定性・期待可
能性という観点から,通常の当事者間以上に自己拘束力が要求されるという
べきである。
また,1審被告らは,取消訴訟における理由の差し替えが無条件に許され
るかのような主張をするが,行政処分に理由付記が義務付けられている(行
政手続法8条)趣旨にかんがみ,そのような主張が不当であることは明らか
であり,理由の差し替えは認められないとすべきである。
ケ放射線起因性がないとの1審被告ら主張に対する反論
(ア)X1の被曝線量について
先に述べたX1の被爆状況からして,1審被告らの「ほとんど被曝して
いない」との主張は失当である。
仮にX1の初期放射線量が1審被告らの主張する0.35Gyだったとして
も,審査の方針別表1-1にあてはめてみれば,原因確率が50%を超える
こともありうる。
(イ)X1の被爆後の行動と放射線降下物及び誘導放射線による被曝につい

初期放射線以外の被爆についても1審被告らは「ほとんど被曝していな
い」と主張するが,被爆後のX1の行動からして失当である。
なお,1審被告らは,X1が原爆投下当日に爆心地近くに立ち入った事
実を否定しているが,その根拠は「市は大火に包まれ,爆心地区に立ち,
入ることを長時間にわたって困難にした」と極めて抽象的な記述がされ。
ている文献のみであり,原爆投下当日に爆心地近くまで立ち入ったとされ
る記録は多数残されており,原爆投下当日に爆心地近くまで立ち入った出
来事を具体的に供述しているX1の説明を覆せるものではない。
(ウ)左白内障の放射線起因性について
-120-
a放射線白内障の特徴について
1審被告らは,未だに人体影響1992から引用された条件を放射線白内
障の基準として主張している。
しかし,放射線被曝と白内障に関する知見は,近時,著しい発展を見
せており,被爆者について早発性の皮質混濁及び遅発性の後嚢下混濁の
増加といった現象が確認されている。このような結果や報告は,原爆放
射線や白内障についての専門家である研究機関によってもたらされたも
ので,十分信用に値するものである。
bX1の発症時期について
1審被告らは,X1が平成6年以前に左白内障を発症していた可能性
に関して,調査嘱託〈E眼科〉回答をひいて,上記事実を裏付ける医証
がないと主張するが,同回答は単に診療記録等が残っていないとするも
ので,X1の供述を否定する趣旨のものではない。
また,仮に,調査嘱託〈F病院〉回答に基づき左白内障の発症時期が
平成5年より前と判断されなかったとしても,後述するとおり,かかる
事実をもって左白内障の放射線起因性が否定されることにはならない。
c老人性白内障について
1審被告らは,X1が左白内障を発症したのは平成6年であることを
前提に,当時のX1と同年齢であれば被爆の有無を問わず老人性白内障
を発症する可能性が高いことを指摘している。
しかし,疫学的に,早発性の皮質混濁・遅発性の後嚢下混濁について
有意な放射線リスクが認められているのであるから,老人性白内障の可
能性があるとの一事をもって放射線起因性が否定されることにはならな
い。X1の左白内障の放射線起因性についても,左白内障の発症時期だ
けでなく,その他の諸要素を総合考慮しながら判断されなければならな
い。
-121-
1審被告らは,F病院のカルテに記載された初診時の左眼のスケッチ
に後嚢下混濁を示す所見は認められないことを指摘して老人性白内障の
所見であると主張したり,皮質混濁が後嚢下混濁に先行・合併すること
は放射線白内障においてあり得ないと主張したりし,混濁の特徴をもっ
て放射線起因性が否定されると主張している。
しかし,1審被告らの主張は,国際的な研究の流れや実態に照らし採
り得るものではない。疫学的に,後嚢下混濁・皮質混濁を問わず有意な
放射線リスクが認められている。したがって,皮質混濁の存在により放
射線起因性が否定されることにはならない。
また,初診時の左眼のスケッチに関する主張は,初診時のカルテに後
嚢下混濁のスケッチがないというだけであり,初診から1か月も経って
いない平成8年9月2日のカルテのスケッチには後嚢下混濁があると記
録されているのであって,医師によって全てのスケッチを厳密に記載す
るとは限らない。
次に,1審被告らは,X1に処方された点眼薬は初期老人性白内障に
適応がある治療薬であると主張する。しかし,検査等の結果から放射線
性,老人性,糖尿病性を判別する検査結果を得ることはできず,仮にX
1が初診時から老人性白内障に適応する点眼薬の処方を受けていたとし
ても,その処方は「放射線に起因する白内障ではない」との判断により
なされたものとはいえない。
d糖尿病性白内障について
1審被告らは,X1が左白内障を発症するより前に糖尿病に罹患して
いた可能性があること,左白内障に係るカルテのスケッチの特徴等から
X1の左白内障が糖尿病性白内障であると考えられることを指摘し,左
白内障の放射線起因性を否定する根拠としている。
しかし,皮質混濁の存在により放射線起因性が否定されることにはな
-122-
らないことは既述のとおりである。
また,糖尿病の有無にかかわらず放射線リスクが認められている文献
もあり,仮に左白内障より先に糖尿病を発症していたとしても,かかる
事実をもって放射線起因性が否定されることにはならない。
eX1の急性症状について
1審被告らは,X1の急性症状について,X1は急性症状を発症する
ほどの原爆放射線の被曝をしていないと断定し,また,放射線による急
性症状の現れ方と異なるとして,X1に生じた症状が急性症状ではない
との主張を展開している。
しかし,まずX1の被曝の程度に係る1審被告らの主張が事実に反す
ることはこれまでに主張したとおりであり,かかる主張を前提として展
開される主張は採り得ない。また,急性症状が全ての人に同じ時期・頻
度で生ずるとは考え難く「被曝による急性症状」の定義をし,それに,
外れる症状は被曝による急性症状ではないなどとする1審被告らの主張
は,被爆の実相を全く理解しない,不当なものである。
さらに,1審被告らは,X1の歯齦出血について,痛みや潰瘍を伴っ
ていないなどと主張しているが,同人の歯齦出血が痛み等を伴うもので
はなかったことを示す証拠はない。
(2)X2
ア被爆状況
X2(昭和5年*月*日生,被爆時15歳)は,昭和20年8月9日長崎市に
原爆が投下された当時,長崎県立g高等女学校在学中(4年生)であり,工
場での勤労奉仕作業に従事していたが,暑いさなかの連日にわたる工場作業
の疲れで,さしたる病気でもないのに,工場内の診療医から数日の休養を命
,()ぜられ被爆時はたまたま自宅爆心地から約3.3㎞の長崎市a町**番地
内にいて,被爆した。
-123-
被爆の瞬間,自宅の障子はすべて開けたままの状態であり,強烈な閃光と
猛烈な爆風が同時に起こり,X2は,直接原爆の閃光を受けた。家の中にい
たX2は,母や姉とともに裏の竹藪にある防空壕に避難した。
X2は,その日,茂里町の工場で被爆しススで体中が真っ黒に汚れた**
(同級生)と会い,被爆状況の話を聞き,翌日には,長崎医大で被爆した隣
人から被爆後の状況などを聞いた。その隣人は,しばらくして唇が腫れてき
て,1週間ほどで亡くなり,隣組の人と協力し,遺体を担架に乗せて伊良林
小学校まで運び,その焼却作業に従事した。その際,同小学校の広いグラン
ドでは,あちこちで遺体が焼かれており,煙が無数に立ち上がっていた。
X2は,被爆以後,買ってきたかぼちゃや芋,鰯の配給以外にも,自宅隣
の**遺跡で育てられた夏野菜や糠で作った団子を食べるなどしていた。
イ急性症状等
X2は,被爆まで特段の病気をしたこともなく,健康状態も良好で元気で
活発であり,女学校3年生の2学期からは,C兵器製作所で肉体労働中心の
勤労奉仕作業を行うようになった。
X2は,被爆直後は緊急事態で気が張っていたものの,周囲の慌ただしさ
が収まるにつれ,次第に体のだるさを明確に感じるようになった。この体の
だるさは,勤労奉仕による過労とは全く別のものであり,言葉では表現出来
ないようなものであった。X2はその後,疲れやすい体質に変化した。
X2の被爆以前の健康状態と比較して,被爆後生じた倦怠感は,被曝によ
る急性症状であったといえる。
なお,X2は,原爆被爆者調査票には「原爆による急性症状」の欄に「な
し」と記載し,平成14年4月23日付けで提出した原爆症の認定申請書にも,
「」,,,,被爆直後急性症状なしと記載しているがこれはX2が脱毛や下痢
嘔吐等外部に現れる他覚的な健康不具合が急性症状であり,倦怠感はその範
疇に含まれないという認識の下に記載しているからにすぎない。
-124-
ウその後の症状の経過等
(ア)X2は,昭和20年9月になっても体調が完全に回復することはなかっ
たが,学校に行きたいという気持ちが強かったため,同月から西山地区に
あるg高等女学校に通い始めた。学校のガラスは爆風で全部割れており,
頭髪が抜けている生徒が何人もいたり,X2と同じように体調のすぐれな
い生徒も多くいた。
X2は,学校では西山貯水池を水源とする水道水を飲み,昼食は家から
持参した弁当を食べていた。そして,無理をしてでも学校に出ていたが,
体が疲れやすく,体調がすぐれないときは学校を休まざるを得なかった。
さらに,その後学校を卒業しても,X2の疲れやすい体質が改善される
ことはなかった。X2は,学校を卒業したのち教師となったが,疲れや頭
痛のために学校を休むことがあった。
X2は,29歳(昭和34年)のときに被爆者健康手帳の交付申請を行って
いるが,その際の調査票の「疲れやすい「視力が衰えた」という欄に」,
印をしている。
X2は,被爆前は健康状態も良好で,すこぶる元気だったにもかかわら
ず,被爆によって,倦怠感を覚えたり疲れやすくなり,さらには,その後
もそのような体調がすぐれない状態が続くことになった。
(イ)X2は,平成2年に**診療所に被爆者健康診断に行った際に不整脈
といわれ,そのため循環器の専門医がいるI病院を受診するようになり,
平成4年に同病院で甲状腺機能検査を行い,甲状腺機能低下症と診断され
た。その際行われた甲状腺機能検査の結果,TSH数値が135.1と高値を
示している。また,平成16年12月20日の検査でマイクロゾームテスト,サ
イロイドテストともに100未満と抗体陰性であることが確認され,自己免
疫性甲状腺疾患ではないことが確認されている。
X2は,平成4年以来現在まで,I病院で投薬される薬を服用し続けて
-125-
いる。
(ウ)また,X2は,平成13年と平成14年には白内障の手術を,平成14年10
月には乳がんの手術を受けていた。
その他,X2は50歳代から歯が徐々に抜け始め,骨折も頻繁に起こして
いた。
エ調査嘱託により明らかになった事項
調査嘱託〈J眼科院・K病院〉回答によって,X2の申請疾病(甲状腺機
能低下症,乳がん)について放射線起因性及び要医療性があることが,一層
明らかとなった。
(ア)調査嘱託〈J眼科院〉回答
上記回答によれば,X2の白内障について後嚢下混濁の存在が指摘され
ている。後嚢下混濁の存在は,放射線に起因する白内障に見られる大きな
特徴の一つである。そして,その存在は,X2の被爆状況や被爆後の健康
状態等とあわせ考えれば,X2の白内障の放射線起因性を強く疑わせるも
のである。
(イ)調査嘱託〈K病院〉回答
上記回答によれば,甲状腺に腫瘍,自己免疫疾患,外傷,炎症等の所見
は認められず,脳下垂体や甲状腺ホルモンの受容体の障害を疑わせるよう
な自覚的・他覚的症状もなかったから,甲状腺機能低下と被曝との因果関
係が示唆されるとされている。また,X2の甲状腺機能低下症の治療につ
き,平成8年より甲状腺ホルモン剤(チレオイド25㎎/日)を継続投与中
であり甲状腺ホルモン値はほぼ正常範囲を保っており,今後も引き続き同
薬剤の投与を行う予定であるとされている。
X2の主治医による多方面からの検討の結果は最大限尊重されなければ
ならず,X2の申請疾病(甲状腺機能低下症,乳がん)の放射線起因性及
び要医療性は明らかである。
-126-
オ現在の症状
X2は,現在,K病院に1か月に1度,甲状腺機能低下症,高血圧及び
骨粗鬆症の薬を処方してもらうために通院している。
また,X2は,乳がんの手術を受けたL病院で,2か月に1度術後の定
期検査を受け,術後の放射線治療を行ったM大学附属病院にも,3か月に
1度検診のために通院している。
その他,X2は,**病院に1か月に1度通院し,ラクナ梗塞のために
薬の処方を受けている。
カ放射線起因性の要件該当性
(ア)本件X2却下処分の対象疾病
原爆症認定の対象となる疾患は,処分時に有していたすべての疾患であ
る。本件X2却下処分は,平成14年9月9日付けでされているところ,X
2は,同年10月17日には乳がんの摘出手術を受けているが,同手術日から
して,本件X2却下処分時に既に乳がんを発症していたことは明らかであ
る。
よって,X2の原爆症申請に係る対象疾病には,認定申請書記載の甲状
腺機能低下症のみならず,乳がんも含まれる。
(イ)X2の被爆地点からの検討
長崎・西山地区については,爆心地をしのぐ多量の放射性降下物が確認
されており,西山地区の住民検診で有意の健康障害があることが認められ
ているところ,長崎原爆での黒い雨地域は西山貯水池周辺よりかなり広い
地域であったことが分かっている。
そうだとすると,X2は,西山地区から500m強しか離れていない場所
で被爆しており,放射線降下物による内部被曝を受けた可能性が相当高い
といえる。
また,遠距離被爆であっても放射線の影響による健康被害を受ける可能
-127-
性が十分にあるとする調査結果もあり,爆心地から3km以上離れた地点の
被爆であっても,その後の疾病により原爆症として認定されている者が多
数いることが明らかとなっている。また,X2が被爆したB地区での被爆
者に様々な急性症状が現れたことも実体験として報告されている。
この事実からも,爆心から3.3km地点で被爆したX2が原爆放射線によ
る健康被害を発症した可能性を強く推認することができる。
(ウ)X2のその後の行動からの検討
X2は,被爆後の行動から,放射線に汚染された食べ物や水を摂取し,
被爆者**との接触や,相当高度の残留放射線があることが証明されてい
る遺体処理などをしており,放射性降下物ないし人体放射化された放射性
物質によって,相当程度の内部被曝を受けた可能性が高い。
(エ)X2の体調の変化からの検討
X2は,原爆被害の典型的な急性症状である倦怠感を被爆直後から発症
し,その後も長年の間,体がだるさや疲れやすいという症状が継続してお
り,X2が被爆による健康被害を受けたことは明白である。
(オ)甲状腺機能低下症の病態からの検討
(,,,甲状腺疾患非中毒性結節性甲状腺腫び慢性甲状腺腫甲状腺中毒症
慢性リンパ球性甲状腺炎及び甲状腺機能低下症の障害が1つ以上存在する
疾患)の発生率と被爆放射線量との間には,有意な正の線量反応関係が見
られ,甲状腺機能低下症については,若年被爆者,女性,比較的低線量被
曝群に有意に多いとする調査結果が存在する。
また,放射性ヨウ素は甲状腺に濃縮されやすく,甲状腺が集中的な体内
被曝を受ける可能性があり,成長ホルモンをより多く必要とする若い個体
ほど,甲状腺にヨウ素を速く集めることから,被曝の身体に与える影響は
大きくなるなど,内部被曝が甲状腺に与える影響も科学的にも明らかとな
っている。
-128-
そして,昭和63年に西山地区の住民検診で甲状腺の調査をしたところ,
対象地域に比べて4倍強の甲状腺疾患を認めたと報告されている。
したがって,被爆時15歳の女性であるX2の放射線被曝と甲状腺機能低
下症との起因性は強く疑われるというべきである。
(カ)乳がん等を発症していることからの検討
。,乳がんについても放射線の影響の有意性が認められているしたがって
X2の乳がんについても,放射線の影響が強く疑われるべきである。
仮に,X2の乳がんが本件X2却下処分の対象疾病でないとしても,X
,,,2の乳がんの罹患頻繁な骨折白内障の手術をしている各事実からして
X2の甲状腺機能低下症の放射線起因性はより明白になったというべきで
ある。
(キ)結論
以上によれば,X2の疾病が放射線に起因することは明らかである。
キ要医療性の要件該当性
乳がんについては,現在抗がん剤の治療が必要とされているが,体力がな
く,抗がん剤の治療ができない状況にある。
X2の甲状腺機能低下症に対し,今後の甲状腺ホルモンの補充は不可欠で
あり,また,乳がんについての定期検診も必須である。X2の甲状腺機能低
下症及び乳がんの要医療性は明らかである。
ク放射線起因性がないとの1審被告ら主張に対する反論
(ア)初期放射線について
1審被告らは,X2の被曝地点の爆心地からの距離(3.3km)や木造家
屋内で被曝したことを理由に初期放射線に被曝していないといっても過言
ではないなどと主張する。しかしながら,1審被告らが根拠とするDS8
6及びそれに依拠した審査の方針に定める算定基準の機械的適用では,初
期放射線による被曝線量を適正に算定することはできない。
-129-
(イ)残留放射線について
1審被告らは,放射線降下物や誘導放射線による被曝による影響をほと
んど考慮せず,内部被曝を一切考慮しない審査の方針を前提に,X2につ
いても被爆の影響を否定する。
しかし,残留放射線による外部及び内部被曝の影響が急性症状を発症さ
せるほど多大であったことは顕著な事実というべきである。また,内部被
曝の重要性についても先に指摘したとおりである。
(ウ)甲状腺機能低下症と放射線起因性等
a1審被告らは,自己免疫性ではない甲状腺機能低下症につき,これま
で積み重ねられてきた放射線起因性を肯定する判断と異なるあらたな知
見が存在するような主張をし,佐々木ら意見書等を提出するが,客観性
のある調査結果等でなく,これまでの見解を覆せるものではない。
bX2が白内障に罹患していることに関連して,1審被告らは,これま
での間,放射線白内障の特徴のうち重要なものとして,目の水晶体に後
嚢下混濁が認められることを挙げてきたにもかかわらず,調査嘱託〈J
眼科院〉回答において,X2の白内障について後嚢下混濁の存在が指摘
されるや,その発症が被爆後50年以上経過していることを挙げ,老人性
白内障と主張するに至っているが,後嚢下混濁は原爆放射線に起因する
白内障の大きな特徴の一つであり,X2の被爆状況,被爆後の健康状態
等と合わせ考えれば,X2の白内障の放射線起因性を強く疑わせるので
あって,1審被告らの上記主張は失当である。
また,X2の乳がんに関連して,1審被告らは,乳がんは,被爆者で
あろうとなかろうと,生涯を通じて女性30人に1人の割合で発症すると
いう点を強調するが,原爆放射線とがんとが有意な関係にあることは明
らかである。
そして,X2が原爆放射線による被曝との関係が一般的に疑われる疾
-130-
病を複数発症していることと,X2が放射線降下物等による残留放射線
に被曝し又は放射性降下物等を体内に取り込み内部被曝をしていること
からすれば,これらの疾病が原爆放射線被曝に起因したことを強く推測
させるものである。
(3)X3
ア被爆状況
(ア)X3(昭和12年*月*日生,被爆時8歳)は,広島原爆投下当時,大
阪から広島に疎開して,広島の昭和大橋の西側の,広島市b町*丁目**
番地にあるA工務店の社宅で居住していたが,同社宅は,爆心地から約2.
9kmの位置にあった。
X3は,当時,広島市立c小学校3年生で,社宅から北北東の方向にあ
った分校に通学していた。
(イ)昭和20年8月6日午前8時ころ,X3は社宅を出てc小学校分校へと
向かった。社宅から学校までの通学路は,両側が畑の中の,畑よりも少し
高くなっている畦道で,周囲に遮蔽物はなかった。
X3がその通学路を分校へ向かって15分程度歩いていたとき,原子爆弾
が爆発し,X3は被爆し,爆風で畑の中に吹き飛ばされ,被爆により,背
中から足にかけて火傷を負った。
被爆地点を明確に特定することはできないが,社宅から15分程度歩いた
ところで被爆したこと,小学生の平均歩行速度が分速50m程度であること
からすれば,爆心地から2.0km~2.5km程度の地点で被爆したものと考える
のが合理的である。
(ウ)X3は,社宅に帰ってから,白っぽい服の背中の部分が焼けて背中か
。,,ら足にかけて火傷していること知ったその治療のために翌日ころから
病院代わりとなっていた己斐小学校まで通い油薬を塗ってもらった。己斐
小学校は,黒い雨が多く降り,多量の残留放射線が計測されている地域に
-131-
あったが,建物が倒壊していなかったことから,死亡者や傷病者が重なり
合うように収容されていた。X3は,己斐小学校に治療に通った際に,多
量の残留放射線に被曝している。
また,社宅近くの川には,たくさんの死体が浮いており,引き潮のとき
には海に流されていき,満ち潮のときに川に戻ってくるという状況であっ
た。
(エ)被爆後は配給が途絶え,食べるものがなくなったことから,X3は,
近所の畑から灰をかぶって真っ黒になった冬瓜や芋のつる,大豆などを取
ったり,社宅の目の前の川でアサリを取ってきて食べたりもしていた。さ
らに,水道水が出なくなったので,近くの農家から井戸水をもらって飲ん
でいた。そして,昭和20年9月には,台風により洪水となり,畑が水につ
かってしまったが,そこにあった野菜も食べていた。
X3は,被爆後2~3年間は上記社宅に住んでいた。
イ急性症状等
X3は,被爆するまでは非常に健康体であったが,原爆の熱線により背中
から足にかけてひどい火傷を負い,その数日後から,歯茎から出血し,吐き
気やめまい,そして体のだるさに襲われた。そのため家でごろごろして通学
,。することができず小学校5年生ころまではほとんど学校には行けなかった
これらは,典型的な放射線による急性症状であり,X3が相当量の放射線を
浴びたことを裏付けている。
ウその後の症状の経過等
X3は,中学卒業後,大阪に戻り23歳ころまで工場で働いていたが,この
間も体のだるさが続いており,病院にも行ったが,医師からは原因が分から
ないといわれるだけであった。
また,X3は,虫歯もなく歯が綺麗であることが自慢であったが,20代後
半から歯茎が浮いたり,腫れたりするようになった。痛くて食べ物を噛めな
-132-
いため,おかゆを食べていた時期もあった。そして,45歳で上の歯が総入れ
歯になり,下の歯も徐々に抜けていった。
20代後半ころからは,膀胱炎を患い,下腹部に痛みを感じ,尿に血が混じ
ることもあった。
40代になったころからは,体が冷えやすくなり,特に腰が冷えやすかった
のでカイロをいつも使用していた。
63歳のころには,下腹部が張って痛く正式に検査もしてもらったが,結局
原因不明であった。
そして,平成13年(65歳)胃がんと診断され,平成14年1月4日,リンパ
節郭清を伴う胃切除術を受けた。さらに術後に抗がん剤を投与され,同年3
月14日に退院した。
エ現在の症状
X3は,退院後も抗がん剤やアガリクスを服用し,3か月に1度定期検査
を受けるため通院している状況である。
また,本件訴訟中の平成15年11月には脳内出血で手術を受けている。
オ放射線起因性の要件該当性
(ア)被爆状況からの検討
X3の被爆地点は爆心地から約2.0~2.5kmの地点であり,周囲に遮蔽物
は全くなく,初期放射線により外部被曝したことは明らかである。
そして,X3が火傷の治療のために通った己斐小学校付近は残留放射線
の影響が大きく,X3が居住していたb町においても黒い雨が降ったとさ
れており,やはり残留放射線の影響を否定することができない。さらに,
X3は爆心地から約3.0km圏内において約7年間生活しており,被爆後に
は放射性降下物が付着した野菜などを食料として摂取し,呼吸により放射
性物質を体内に取り込んだと考えられる。したがって,X3は,残留放射
線により慢性的な外部被曝及び内部被曝を受けた。
-133-
(イ)症状からの裏付け
X3に被爆直後に生じた歯茎からの出血,吐き気,めまい,体のだるさ
は,典型的な放射線の急性症状である。また,その後の全身性疲労,体調
不良,健康障害,易疲労症候群は多くの被爆者にみられる晩発性健康障害
に一致する。
(ウ)胃がんの放射線起因性
放影研の寿命調査において,がんは「放射線被曝による有意な増加があ
る悪性疾患」として取り上げられており,胃がんに関しては,男性よりも
女性のリスクが高く,被爆時年齢が若いほど発症のリスクが大きくなると
されている。X3は8歳で被爆していることからすれば,放射線の影響は
大きいといえる。
そして,X3は,その被爆状況からして多量の原爆放射線被曝をしてい
ること,放射線に起因するものと思われる疾病や身体症状が多数生じてい
ること,申請疾患が胃がんであること等を総合的に考慮すれば,X3の胃
がんは放射線に起因するものといえる。
カ要医療性の要件該当性
X3は,胃切除術後,抗がん剤を投与され,退院後も転移・再発のおそれ
があるために現在も3か月に1回程度の割合で定期的に受診を継続してい
る。したがって,X3に要医療性が存在することは明らかである。
キ放射線起因性がないとの1審被告ら主張に対する反論
(ア)X3の被曝について
1審被告らは,X3はほとんど被曝していないと主張するが,相当性を
欠くDS86の初期放射線や残留放射線の推定線量をそのまま当てはめた
結果にすぎず妥当でない。
(イ)急性症状について
1審被告らは,被爆直後に生じたX3の歯茎からの出血,吐き気,めま
-134-
いなどが,放射線の急性症状とは合致しない旨主張するが,1審被告らの
主張する急性症状のしきい値や発症時期の理解は原爆被害の実像とかけ離
れたものであり,それに依拠した1審被告らの主張は相当でない。
また,1審被告らは,X3の被爆前後の体調の変化を原爆放射線と無縁
のものと主張するが,被爆者において被爆後長期間経過してからも原因不
明の体調不良などの不定愁訴を訴える者が少なくないのであって,1審被
告らの主張は失当である。
(ウ)他原因論について
1審被告らは,X3の胃がんは,喫煙歴,食習慣,ヘリコバクター・ピ
ロリの持続感染等の他の原因に起因して発症したものとみるのが自然であ
ると主張するが,当該他原因の存在については何ら立証されていない。
(4)X4
ア被爆状況
(ア)X4(昭和6年*月*日生,被爆時14歳。旧姓**,昭和30年婚姻に
より改姓)は,被爆当時,広島市h所在(当時)のi中学2年に在学中で
あり,昭和20年8月6日午前,学徒勤労奉仕動員により,家屋撤去作業に
従事するため現在の京橋川に架かる比治山橋東詰北約50mの防空壕前爆,(
心地から約1.75kmの地点)において,約150名の同級生と整列中に被爆し
た。
X4の右手上方で原爆が爆発し,全く遮蔽物がなかったため,X4は,
オレンジ色がかった閃光・稲光とともにものすごい熱線,ボンという音と
もに爆風をもろに受け,衝撃で飛ばされた。
X4は,この放射線と熱線により,両腕と背中の一部,左肩,左首筋な
どにひどい火傷を負い,両腕からは皮膚が垂れ下がり,両腕を前に突き出
さないと歩くこともできない状況であった。左顔面をひどく火傷し,戦闘
帽よりはみ出した頭髪は,頭の周囲すべてが焼けてなくなってしまった。
-135-
,。熱線の明かりがなくなると黒いすすで周りが1m先も見えなくなった
X4は,被爆後,i中学校に戻ろうとしたり,米軍機の機銃掃射を避け
ようとするなどして,結局,その日は一日中さまよい,比治山(現在の比
治山公園)に登り,多数の被災者とともに神社で一夜を過ごした。
(イ)翌7日,X4は朝から比治山の神社を出て,いったんhのi中学に行
ってみたが,校舎が折れ曲がっており,とても救助・治療を求められる状
況ではなかったので,b町の**造船社宅の自宅に戻ることにした。
御幸橋を渡り,たまたま爆心地から約1.5kmの廣島赤十字病院の前に出
た。しかし,病院自体が混乱を極めており,中には余りにもひどい状態の
被爆者であふれんばかりだったため,14歳の少年は恐ろしく,また,気が
引けて,病院の中に入って治療を受けることはできなかった。ただ,病院
前に設置された救護所とは名ばかりの仮設の救護所でヨードチンキを腕に
塗るだけの治療を受けただけであった。その際,国防婦人服を着た女性が
握り飯をくれたのが被爆後最初に口に入れた食物であったが,そのにぎり
めしは黒いすすで黒くなっていた。
その後,X4は廣島電鉄の鷹野橋の停留所から誤って北上してしまい,
廣島市役所からさらに爆心地に近い,爆心地から0.5kmほどの地点にまで
入り込んでしまった。そこからもう1度鷹野橋の停留所に戻り,西に向か
って歩き,明治橋,住吉橋,江波,昭和大橋を経て,b町の自宅に一日か
けてやっと戻った。
イ急性症状等
(ア)X4は,被爆するまではスポーツもよくする全くの健康体であった。
(イ)X4が帽子を被っていたため残っていた頭頂部付近の頭髪も,家に着
くとすぐに脱毛が始まった。脱毛が始まったのは,被爆2日目ころからと
いうことになる。
(ウ)X4は,家に着いてから2日目以後,1週間鼻血が止まらなかった。
-136-
その他,被爆直後から,嘔吐,めまい,全身倦怠感,下痢,鼻腔内粘膜か
らの出血等の急性症状が続き,2か月は寝たり起きたりの生活であった。
(エ)X4は,特にひどかった両腕の熱傷の化膿に悩み,乳母車に連日乗せ
て貰い,b町の総合グランド内の軍医から治療してもらった。しかし,そ
の治療は,薄皮が張ると中に膿があるということで,薄皮をはがして,手
先のほうに搾り出すという原始的なもので,それに加えて薬剤を塗る程度
であり,完治するまでに半年間を要した。それ以外にも,家では嘔吐が続
いたり,3日間,体の震えが止まらない状態で寝込んだりした。
(オ)2か月くらいたってから,黒い皮膚がぽろぽろはがれだし,顔は4か
月,首は半年で表面的には元の皮膚が戻った。胸の皮膚の黒みは被爆後50
年以上残り続け,数年前にようやく消えた。しかし,体の何か所かに瘢痕
が残り,特に,両腕のケロイド瘢痕は手の指先まで現在も残っている。
ウその後の症状の経過等
X4は,i中学に復学するのに被爆後1年かかり,復学後も1か月に10日
ほど休むという健康状態であった。その後,X4は,昭和23年に奈良の**
高校,昭和25年に**大学に進学したが,ずっと重度の倦怠感,疲労感に悩
まされ続け,その間の昭和28年には呼吸困難や鼓動の異常を感じて大学を1
年休学した。
X4は,昭和30年ころ就職しているが,この倦怠感,疲労感は相変わらず
続き,そのため仕事が長く続かず,約35年間に十数回も転職した。
X4のその後の病歴として,昭和40年ころ心臓肥大と無気肺と診断され,
昭和50年ころには糖尿病と,平成4年には十二指腸潰瘍とそれぞれ診断され
ている。その後,X4は,平成9年,12番胸椎圧迫骨折で2か月入院し,平
成10年にはヘルニアで手術を,平成15年には大腸ポリープで手術をそれぞれ
受けている。その他,X4の既往症として,突発性貧血症,心臓神経亢進症
も認められる。
-137-
現時点で,後述する皮膚がんの経過観察,指神経障害の治療以外に,糖尿
病,逆流性食道潰瘍,前立腺肥大,慢性咽頭炎,変形性膝関節症,腰痛など
で通院治療を続けている。
エ現在の症状
X4の右指爪は,被爆数年後から,他の正常な爪と違って,生えるたびに
変色・変形している状態であった。
平成12年ころより右第2指の指先の疼痛が続き,紫色となり,爪が次第に
浮き上がり,その下から黒い腫瘤が溢れ出し,平成13年,右第2指有棘細胞
がんと診断され,同年6月18日,右第2指末節部の切断術をしたが,その後
の右脇リンパ腺,肺への転移の危険性が高いところから経過観察を続けてい
る。指の神経障害も認められる。
現在,ケロイド瘢痕は両腕一面に残り,半袖の外側は両腕とも今もケロイ
ド瘢痕が残っている。右手は,特に半袖の上,二の腕もケロイド瘢痕が残っ
ている。
オ放射線起因性の要件該当性
(ア)熱傷瘢痕,ケロイドの放射線起因性
X4の皮膚がんが発生した右第2指まで色素沈着が被爆後60年経過した
今でも残っており,これが熱傷瘢痕のみならずケロイドもあったことを意
味することは明らかである。
,,ケロイドは2.1km以内の屋外では90%内外の非常に高い発生率であり
放射線被曝という要因が加味された形で形成された瘢痕異常であると考え
るのが一般であり,熱線と放射線との共同の成因で瘢痕異常,ケロイドが
発生したと考えられている。これはX4が大量の放射線を受けた何よりの
証拠である。この放射線熱傷後に生ずるケロイド瘢痕には長期にわたり放
射能が残っていることが明らかにされており,放射能による長期にわたる
ケロイドからの内部被曝もあったことが考えられる。
-138-
(イ)被爆者における皮膚がんの放射線起因性
原爆被爆者の皮膚がんについて,爆心地から近距離であるほど皮膚がん
の発生が多く,原爆と皮膚がんの関係が明らかにされており,熱傷瘢痕の
病変に皮膚がんの一種である有棘細胞がん(扁平上皮がん)が発生するこ
とは,周知の事実となっている。
,,さらに被爆後30年を過ぎてから皮膚がんの発生が著明に増加しており
潜伏期が非常に長く,今後ますます皮膚がんの発症に注意を要するとされ
ており,ICRPの2005年度版報告によれば,被爆者の皮膚がんの罹患率
は非常に高く,1万人当たり1Svで全体のがんが1800人弱であるところ,
そのうちの1000人を皮膚がんが占めている。このように,皮膚がんが放射
線との有意性が高いことが最新の知見で明らかにされている。
(ウ)X4のその他の疾患
X4は,被爆時までは健康体であったが,被爆直後から脱毛,鼻血,下
痢,嘔吐等の原爆特有の急性症状が出て,被爆後長期にわたって倦怠感,
疲労感に悩まされ続けたほか,これまで多くの病気にかかり,現在,糖尿
病,十二指腸潰瘍,逆流性食道炎前立腺肥大,慢性咽頭炎で治療を受けて
いる。これら多種多様な病気も原爆放射線の影響を受けていると考えられ
る。
(エ)結論
以上によれば,X4の皮膚がんは熱傷後のケロイドから発生した有棘細
胞がん(扁平上皮がん)であり,原爆放射線に起因すると考えられる。
カ要医療性の要件該当性
皮膚がんは脇の下のリンパ腺がん等への転移がないかどうかの検査が3か
月に一度必要である。特にこの皮膚がんは,有棘細胞がんであるから,脇下
リンパ腺から肺への転移などの可能性が大であり,厳格な経過観察が必要で
あり,5年の経過観察では全く足りない。
-139-
,,。また切断した神経系統の治療も必要で内服薬を服用するなどしている
よって,申請疾病につき,要医療性があるのは明らかである。
キ放射線起因性がないとの1審被告らの主張に対する反論
(ア)X4の被曝線量について
a初期放射線による被曝線量について
,,1審被告らはX4はほとんど被曝していないなどと主張しているが
1審被告らの被曝線量に関する主張は妥当ではない。1審被告らの依拠
するDS86及びDS02の初期放射線の数値は,少なくとも爆心地か
らの距離が1.3~1.5km以遠においては過小評価となっているところ,爆
心地から約1.75kmの距離でX4が被曝した初期放射線は,1審被告らの
主張よりも相当程度多かったというべきである。
b残留放射線による外部被曝ないし内部被曝
X4が,1審被告らのいう「無視し得るほどの線量」をはるかに超え
る線量の放射線に被曝した事実は,X4の被曝の状況並びに被爆後の行
動,X4に生じた急性症状,その後の健康状態の悪化等の事実から明ら
かである。
(イ)放射線起因性について
1審被告らは,審査の方針(原因確率)によってX4の右2指有棘細胞
がんの原因確率が極めて低いということのみを根拠とし,原爆放射線以外
の原因で発症した可能性が高いなどと主張するが,原因確率自体に合理性
がなく,1審被告らの主張は,そもそも失当である。
被爆者に発生した右2指有棘細胞がん(皮膚がん)と放射線被曝線量と
の関係については,有意な線量反応関係が認められ(皮膚がんの過剰相対
リスクは,他のがんと比べても高めである,被曝時年齢が若いほど発。)
生のリスクが高いという統計分析が複数存在している。
X4の右2指有棘細胞がんが放射線に起因するか否かの判断にあたって
-140-
,,,,はそのことを前提にしながらX4の被爆時の状況被爆後の行動経過
急性症状,その後の健康状態,申請疾病以外の疾病の内容等を総合的に考
慮して判断すべきものである。
しかるところ,X4が放射線の影響を受けやすい若年で被爆しているこ
と,前述した被爆時の状況,被爆後の行動経過,急性症状等からすればX
4が相当量の放射線に被曝したことは明らかであること,被爆前は至って
健康な子どもだったにもかかわらず,被爆後は全身倦怠感に苦しみ続け,
健康状態に明らかな質的変化がみられることなどからすれば,X4の右2
指有棘細胞がんに放射性起因性があることは明らかである。
(5)X5
ア被爆状況
X5(昭和8年*月*日生,被爆時12歳)は,県立j中学校1年に在学中
であったが,学徒勤労奉仕として道路拡張工事を行っていた。
X5は,昭和20年8月6日,勤労奉仕に出かけるべく,約400名の同級生
とともにj中学校の校庭で整列中に被爆した。被爆地点は比治山橋東詰から
南東方向にすぐの場所であり,爆心地から約1.7㎞に当たる。
X5は,被爆の瞬間,マグネシウムを焚いたような赤黄色の強烈な閃光が
眼前を右から左へと突き抜けてゆくのを感じた直後,轟音とともに襲ってき
た熱風に吹き飛ばされ,右半身を中心に全身に大火傷を負った。顔の右半分
から頚部,右肩から右手の先まで,さらには両膝部分の皮膚が焼けただれ,
特に右腕の皮膚はボロ布のように垂れ下がり,腕を下におろすこともできな
い状態であった。
X5はまもなく比治山へと避難し,1時間ほど経ったころ,屋外でランニ
ング姿のまま雨に打たれた。
同日夕方5時ころ,X5は山を下り,k町の自宅(爆心地から約1.2㎞)
を目指して比治山橋から明治橋の方向へと歩き始めた。道中のほとんどの建
-141-
物は破壊し尽くされ,赤い炎が立ち上って歩くのも困難なほどの熱気が立ち
こめる中,X5は,道路の両側に無惨な姿で折り重なっている遺体の列を縫
って歩き続けた(爆心地から約1~1.5㎞の地域。しかし,明治橋を渡っ)
た辺りで火の手が行く手を遮り,自宅に戻ることができなかったため,廣島
赤十字病院(爆心地から約1.5㎞)で一夜を明かすこととなった。同病院内
で偶然にも同級生の母親と会ったため,同級生を捜しに同病院を出て大手町
の周辺(爆心地から約1.4~1.5㎞)をしばらくさまよったが見付けることは
できず,再び同病院に戻った。同病院内部はひどい怪我や火傷を負った重傷
患者であふれかえっていた。
翌朝,X5は廣島赤十字病院を出て,いったんk町の自宅へ行ったが,焼
け跡になっていたため,やむなく,明治橋から比治山橋を通って中学校の校
庭(爆心地から約1.7km)に戻った。その後,同日のうちに専売公社(救援
センター)まで油を塗ってもらいに行き,さらに雑魚場町(爆心地から約1
km)の焼け野原で同級生を捜し歩くなどした。
この間,X5は,のどの渇きにたえられず,道中の焼け跡の破れた水道管
からしたたる水を何度も飲んだ。その後,X5は重度の倦怠感と火傷の痛み
から起き上がるのも困難な状態となり,学校の校庭で数日間過ごした後,同
月10日ころ,迎えに来た父親に大八車に乗せられ,市役所から中国電力を通
り,産業奨励館(原爆ドーム)で一休みするなど爆心地中心付近を通って横
川駅まで運ばれ,可部の知人宅に担ぎ込まれた。そして,火傷した跡が化膿
してきたことから同月16日から約3か月間可部小学校に設けられた広島陸軍
病院に入院し,同年10月ころには母の実家に戻ったものの,その後も約2年
間通院した。X5は,治療及び療養のため1年間休学している。
イ急性症状等
X5は,被爆翌日である昭和20年8月7日,方々歩き回った末に学校の校
庭に帰り着いて以降,強烈な全身倦怠感を生じ,容易に起き上がることので
-142-
きないほどの状態となった。当時の強烈な体のだるさからは,発熱があった
可能性も十分に推測される。
また,被爆後1週間ほど水のような下痢に見舞われ,その後,下痢と軟便
が半年ほど続き,さらに歯茎からの出血も昭和20年8月半ばころから1年ほ
ど毎日のように続いた。
さらに,化膿した部分からの膿がなかなか止まらず,完治するまでに非常
に長期間を要した。
ウその後の症状の経過等
(ア)ケロイド瘢痕
X5は,火傷が化膿してなかなか治らず,昭和21年9月ころまでは右腕
を動かすことさえも困難な寝たきりの状態が続いた。
被爆から2年が経過した昭和22年9月ころ,ようやく化膿していた部分
に新しい皮膚ができ,痛みも薄らいだが,身体の各部にひどいケロイド瘢
痕が残り,左肩関節,右側頚部,右上肢,両下肢多発性ケロイドと診断さ
れている。右肘ケロイドについては,ケロイド瘢痕拘縮で伸展が中等度障
害されており,手術(Z-形成術)によって大幅な改善が期待できるとさ
れている。
(イ)様々な疾病への罹患
X5は,被爆後,非常に疲れやすい状況がずっと続いた。40歳ころから
は風邪を引きやすく,全身倦怠感が強いため時々点滴を要する状態となっ
た。そのころから肝炎や糖尿病も患い,医者へ通院するようになった。60
歳ころからは週1回,3年ほど前からは毎日の点滴が必要不可欠な状態に
置かれている。これは,いわゆる原爆ぶらぶら病(慢性原子爆弾症)であ
ると診断される。
X5は,現在も,肝機能障害,胃炎,逆流性食道炎,糖尿病,緑内障な
どの多数の疾病を抱え,複数の病院への通院を継続することを余儀なくさ
-143-
れている。
(ウ)喉頭腫瘍
平成10年7月,X5は,喉頭腫瘍(扁平上皮がん)と診断され,放射線
治療を受けるも,白血球減少により中止となった。
その後,平成11年4月,喉頭全摘出術及び両頚部郭清術を受けた。
術後は首の筋肉がしばしば痛むようになり,整骨院への通院を余儀なく
されている。
また,現在も3か月に1回の通院を行い,経過観察を行うとともに,頚
部の痛みに対する治療も受けている。
さらに,平成17年8月にはあらたに膀胱がんとの診断を受け,同年11月
に手術を受けた。
エ放射線起因性の要件該当性
(ア)X5が放射線により被曝した客観的な状況
X5は,爆心地から約1.7kmの遮蔽物の全くない屋外で被爆し,閃光を
浴び,全身に大火傷を負っており,直接に大量の初期放射線を浴びた。
その上,X5は,上記のように被爆当日以降,爆心地から1~1.7kmの
地域で過ごし,雨に打たれたり,倒壊した建物や多数の死傷者に接し,焼
け跡の水を飲むなどしており,この間に,倒壊した建物や被爆した死傷者
らから発せられる放射線を浴び,又は放射性物質を含むほこりを吸い込ん
だりして大量の残留放射線に被曝している。
X5が,被爆直後から極度の全身倦怠感,下痢,歯茎からの出血などの
典型的な急性症状を呈していることからも,X5が相当量の被曝をしてい
ることは明らかである。
(イ)ケロイドの放射線起因性
ケロイドが熱線と放射線との共同の成因で生じることは先に述べたとお
りであり,X5のケロイドが瘢痕となり色素沈着して被爆後60年経った今
-144-
も残っているということは,X5が大量の放射線を受けた何よりの証拠で
ある。そして,ケロイド瘢痕には長期にわたり放射能が残っていることが
明らかにされており,長期にわたるケロイドからの内部被曝があったこと
も考えられる。
(ウ)喉頭がんの放射線起因性
放射線によって喉頭がんが発生することは,頚部の放射線療法で生じた
喉頭がんの報告が多数存在することからも,その起因性は明らかである。
被爆者の喉頭がんについては,その過剰相対リスクは0.41と,すべての
悪性腫瘍を合計した過剰相対リスクよりも高くなっており,放射線起因性
は一般論としても認められるというべきである。
この点,X5は,①相当量の被曝をしていること,②X5の喉頭部
の皮膚表面にケロイド瘢痕が存在することが確認されているところ,ケロ
イド内には誘導放射能が存在することが証明されており,この頚部付近の
ケロイド内の誘導放射能による喉頭部分への内部被曝が考えられること,
③X5が12歳という若年で被爆していること(被爆年令が低いほど発生
リスクは高い,④X5は被爆後まもなく典型的な急性症状に見舞われ)
た上,それまで健康状態であったのが,被爆後は常に全身倦怠感に悩まさ
れ続けてきているほか,肝機能障害,逆流性食道炎,糖尿病,緑内障など
多様な疾病に罹患しており,これらも原爆放射線の影響を受けていると考
えられること,⑤特に肝機能障害については,脂肪肝,B型肝炎,C型
肝炎,自己免疫疾患といった他原因がいずれも否定され,原爆放射線に起
因すると診断されていること,⑥さらに,X5は,平成17年に至り膀胱
がんにも罹患して,多重がんの様相を呈していること,なども併せ考えれ
ば,X5の喉頭がんが原爆放射線に起因することは明らかである。
オ要医療性の要件該当性
(ア)ケロイドについて
-145-
X5のケロイドは右上半身の広範囲に及び,特に右上肢は全体にケロイ
ド瘢痕が今も強く残っている。右肘関節は完全進展することができず,屈
。,曲位をとっている右上肢をまっすぐに延ばすためには手術が必要であり
X5のケロイドについても要医療性が認められる。
(イ)喉頭がんについて
X5は,現在も喉頭がんの経過観察及び頚部の痛みに関する治療を続け
。,,ている被爆者の多重がんの多さ再発の危険性の高さ等にかんがみれば
将来,長期間にわたる経過観察が必要不可欠であることから,要医療性は
優に認められる。
カ放射線起因性がないとする1審被告らの主張に対する反論
(ア)X5の被爆について
1審被告らは,X5はほとんど被曝していないと主張するが,その論拠
に合理性がないことはこれまで述べてきたとおりである。X5の被爆状況
からして,初期放射線も,誘導放射線や放射性降下物による被曝も1審被
告らの主張よりも相当程度多かったことは明らかである。
(イ)X5の喉頭腫瘍の放射線起因性について
1審被告らは,審査の方針に依拠して,X5の喉頭腫瘍の原因確率がわ
ずか0.5%にすぎないとし,この程度の放射線被曝では,喉頭腫瘍が発症
するリスクは極めて低く,これを原因として喉頭腫瘍になる人はいないと
いっても過言ではないなどと主張する。
また,X5の喫煙歴をことさらに取り上げ,X5の喉頭腫瘍は喫煙や飲
酒等の生活習慣によって発症したものとみるのが極めて常識的な判断とい
うべきであると主張する。
しかし,原因確率の問題点は先に指摘したとおりであり,これのみを根
拠とする1審被告らの主張はそもそも失当である。
喉頭腫瘍の発症について喫煙が危険因子の一つとされていることは指摘
-146-
のとおりであるが,一つのリスクファクターに過ぎず,喉頭腫瘍の放射線
起因性について有意な関係が認められていること,被爆時年齢が若いほど
その発症リスクが高いこと,X5の被爆状況等からして,放射線が共同成
因として疾病を生ぜしめたことは明らかであって,X5が発症した喉頭腫
瘍の放射線起因性を否定することはできない。
したがって,本件認定申請に係る喉頭腫瘍の放射線起因性は優に認めら
れる。
(ウ)X5の肝機能障害について
1審被告らは,X5の肝機能障害につき,その原因はアルコール摂取等
の生活習慣によるものと考えるのが自然であるなどとし,これがX5の喉
頭腫瘍の放射線起因性を肯定する根拠にならないとする。
しかし,X5は40歳ころから肝炎の治療を受けており,アルコール摂取
の影響も否定し得ないとしても,肝機能障害と放射線との有意な関係が指
摘されていること,X5の被爆状況等を全体的に鑑みれば,放射線被曝が
肝機能障害の発症に影響していることは否定し得ないというべきであり,
少なくともアルコールと放射線とが共同成因として肝機能障害を発症又は
進行させたといえることは明らかというべきである。
(エ)結論
以上のとおり,1審被告らの反論は失当であり,X5の申請疾病である
喉頭腫瘍が放射線に起因するものであることは明らかである。
(6)X6
ア被爆状況
X6(大正13年*月*日生,被爆時20歳)は,昭和20年8月6日,広島駅
前の猿猴橋商店街にあったB店内で被爆した。当時,X6は妊娠5か月であ
った。
被爆場所について,X6の被爆者健康手帳では,取得当時は爆心地から1.
-147-
,,。8kmとなっていたが更新している間に1.9kmと変更され現在に至っている
X6は,木造2階建のB店の1階土間の炊事場の流しで米をといでいたと
きに,中庭に面していたガラス窓(爆心地の方向)から稲光りの何万倍かと
いう閃光が入ってきて,そのまま気を失った。
X6が気が付いたとき,B金物店は全壊(後に全焼)しており,X6は,
隣家の3階屋上にあった庭が半分壊れて傾いて2階位の高さになっていたと
ころに立っていたが,X6にはこの間の記憶は全くない。
X6は,B金物店にいた家族3人が全壊した建物の下敷きになっていたの
で,素手で必死に土を掘るなどして,その救出活動をした。
X6は,同日午後,徒歩で広島駅の北東にあった東練兵場を通って約4km
離れたl村まで避難した。その途中黒い雨が降ってきて,農道のそばの小屋
へ避難するまでの間,10分位濡れた。また,避難途中の道は死傷者で一杯で
あった。
X6は,同日夕方近くにl村の知り合いの農家に着き,同日夕方から翌7
日夜にかけてl村で死傷者の世話や救護活動をした。
同月8日午前10時ころ,X6は,l村の農家を出て,五日市の知人宅に移
った。l村からは来た道を戻り,東練兵場から広島駅へ,そこから福屋デパ
ートや中国新聞社前の広い電車通りを歩いて己斐駅まで行き,己斐駅から汽
。,車に乗って五日市へ着いた福屋デパートや中国新聞社前の広い電車通りは
爆心地を通っていて,被害の最も大きかったところである。X6が歩いて通
,,。ったときにもいたるところに死体があり死体の焼却作業が行われていた
また,馬や牛も死んでいたし,線路に止まっている焼けた電車からは乗客が
窓から顔を出して死んでいた。
X6は,同日夕方に五日市の知り合いの家に着き,そこに同年10月半ばま
で世話になった。その間,広島市内やその周辺で被曝した死体を焼く煙とに
おい,土ぼこりやススなどが風に乗って五日市まで毎日のように流れてきて
-148-
いた。
X6は,その後母の実家のある**県mへ移り,昭和21年1月8日に長女
を出産した。同年11月に夫が復員してきたので同年12月に**へ移転した。
イ急性症状等
X6は,被爆時に背中一面に怪我をして血だらけになっていた。多分,窓
ガラスの小さな破片がささったものと思われる。背中の傷はその後5~6年
チクチクと痛んだ。
X6は,昭和20年8月6日夜激しい腹痛に襲われた。
X6は,同月10日ころから,①血が止まりにくい(指先を包丁でちょっ
と切っただけなのに3時間位止まらない,②頭の毛が3回位異常にたく)
さん束になって脱けたということがあり,また,③下痢や発熱,吐き気も
あったと思うが,気にしている余裕もなかった。
X6は,同年10月半ばころ,mに着いてから,吐き気があり,口がくさい
といわれた。吐き気はその後も長く続いた。
ウその後の症状の経過等
X6は,昭和25年ころ,10日間位激しい下痢が続いて入院させられた(赤
痢と疑われたがそうではなかった。また,25~26歳から,しょっちゅう吐)
き気があり,27歳(昭和28年)ころから,特に体がだるく,手が抜けそうに
だるく,吐き気もあって,しんどくてたまらなかった。吐き気はその後も続
いた。頭痛もひどかったが,病院には行っていない。頭痛はその後もひどか
った。
,(),。,X6は37歳昭和38年のとき被爆者健康手帳を取得したこのころ
背中が凝って石が載っているみたい,手が脱けそうにだるい,しんどくて横
になりたい,という状態であり,とても我慢ができずに横になると,夫から
「怠けている」と叱られた。ただし,病院には行っていない。
X6は,43歳(昭和43年)のときに**へ引っ越した。体のだるさやしん
-149-
どさは続いており,このころから貧血でよく倒れたり吐いたりすることがあ
った。
X6は,46歳(昭和47年)ころ,ひどい貧血で倒れて,初めてn診療所で
診察と検査を受けた。三宅成恒医師から輸血をしなければ危ないといわれた
が,夫に輸血を反対され,通院してマスチゲン(増血剤)の注射を20日間位
毎日打ち続けた。その後も家でよく倒れて寝ていた。貧血の症状は現在もあ
り,今も薬を飲んでいる。
X6は,55歳(昭和56年)のころから,変形性膝関節症,変形性脊椎症に
なり,n診療所で治療を受けている。
X6は,平成8年5月,n診療所で甲状腺機能低下症(橋本病)と診断さ
れ,通院して治療を受けた。数年前から,のどが腫れてきて言葉が言いにく
く,食べ物が飲み込みにくくなっていた。症状としては,首が太くなって腫
れる,のどにつっかかる,飲み込みにくくて苦しくなる,食事が胸につっか
かる,水分をそばに持っていないと声がかすれて話ができなくなる,などが
あった。
他に,腕が抜けるようにだるくなる,切り落としたい位になるという症状
も続いている。
X6は,平成11年3月ころから喘息になり,n診療所に通院して点滴など
の治療をした。現在も人工呼吸器を手放せない。
エ現在の症状
X6は,現在,貧血,変形性膝関節症,変形性脊椎症,甲状腺機能低下症
(橋本病)及び喘息の治療を受けている。
貧血については,現在も倒れることがあり,服薬している。
変形性膝関節症,変形性脊椎症では歩行困難を生じており,貼り薬やリハ
ビリ治療を受けている。
甲状腺機能低下症(橋本病)に関しては,服薬をやめると症状が悪化する
-150-
ので服薬を続けている。
喘息は,点滴によって軽快したが,現在も服薬と人工呼吸器の使用を続け
ている。
オ放射線起因性の要件該当性
(ア)放射線の被曝の程度
a直接被曝
上記のようにX6は爆心地から1.8~1.9㎞の建物内でガラス窓越に直
接被爆し,爆風に飛ばされて,割れたガラス片が突き刺さるなどして背
中一面に怪我をしているから,X6は,原爆の強い放射線を身体に直接
浴びているし,背中に傷があったので,より放射線の影響を受けやすか
った。
b残留放射線等による被爆
X6は,上記被爆状況のとおり,①被爆当日,被爆地点において,
全壊した建物の下敷きになったの救出作業等を行い,②死傷者と倒・
壊建物であふれる道をl村まで歩いて避難し,③被爆当日夕方から翌
日夜までl村で被爆者の救援活動に従事し,④被爆2日目には最も放
射線汚染のひどかった爆心地周辺を徒歩で移動して己斐駅まで行き,列
車で五日市へ避難し,⑤五日市で2か月間避難生活をしていたもので
あり,放射性降下物の残留放射線や,倒壊建物や死傷者等から発せられ
る誘導放射線を浴び,土砂やほこりを吸引したり,放射能汚染された水
を飲むことなどによって内部被曝した。
(イ)X6の疾病と放射線起因性
X6は,被爆したときに背中に怪我をした外に,昭和20年8月6日夜に
は激しい腹痛に襲われ,同月10日ころから出血傾向や脱毛などの症状があ
ったが,これらが放射線の被曝による急性症状であることは,既に公知の
事実である。なお,X6の記憶は明確でないが,下痢もしていたはずであ
-151-
る。
また,X6は,同年10月ころから,強いだるさ,疲れやすさ,吐き気,
頭痛を感じるようになり,長年続いており,原爆ぶらぶら病(慢性原子爆
弾症)の症状が出ている。
X6は,昭和21年1月に長女を出産しているが,この長女にも胎内被曝
の影響と思われる白血球減少や易疲労性があり,45歳のときに子宮ガンの
全摘出手術をしている。
X6は,昭和43年ころから貧血の症状が起こり,昭和47年ころに増悪し
。,,て初めて治療した貧血は放射線の起因性が認められている疾病であり
多くの被爆者に症状が現れている。X6の貧血も放射線に起因するもので
ある。
X6は,平成8年5月に,本件申請疾病である甲状腺機能低下症(橋本
病)と診断された。甲状腺機能低下症(橋本病)については,放射線被曝
と発症との有意な関連性が証明されている。
X6の場合,既述のとおり,直接被曝のみならず,残留放射線による被
曝,内部被曝,黒い雨による被曝などによって放射線の影響を受け,急性
症状を発症していたこと,その後も被爆者に共通する原爆ぶらぶら病(慢
性原子爆弾症)で苦しんできたことなどからみて,原爆放射線に被曝した
ことが本件申請疾病の発症原因であることは間違いない。
X6は,被爆前には健康そのものであり,家庭が裕福であったから,栄
養状態も良く,女学校時代は卓球の選手でもあった。結婚,妊娠後も,健
康状態には何ら問題がなかった。また,身内に甲状腺に関する罹病者はな
く,放射線被曝以外に発症原因となる要素は全くなく,X6の本件申請疾
病は,原爆放射線の起因性の要件を充たしている。
なお,X6とほぼ同様の被爆状況で同じ甲状腺機能低下症(橋本病)を
発症した****は,問題なく認定されている。
-152-
カ要医療性の要件該当性
X6は,現在も本件申請疾病について,通院による治療を継続中である。
治療内容は主に服薬であるが,薬を飲まないとのどが腫れて,食物が飲みに
くくなるなど甲状腺機能低下の症状が出るため,服薬をやめることはできな
い。
よって,X6には本件申請疾病について要医療性がある。
キ放射線起因性がないとする1審被告らの主張に対する反論
(ア)X6の被爆状況について
1審被告らは,X6はほとんど被曝していないと主張するが,合理性の
ない審査の方針に基づいた見解であり,誘導放射線や放射性降下物による
被曝をほとんど認めないものであって失当である。X6の被爆状況からし
て,初期放射線による被曝のみならず,放射性降下物や誘導放射線による
被曝や内部被曝もしていることは明らかであり,これらを軽視ないし無視
する1審被告らの主張は誤りである。
(イ)X6の甲状腺機能低下症(橋本病)の放射線起因性について
1審被告らは,自己免疫性甲状腺機能低下症と甲状腺機能低下症に関し
ては,放射線との関係はないとされている知見が得られているとして,橋
本病と放射線との関連については,これを否定するのが今日における常識
であるなどと主張する。
しかし,1審被告らが依拠する論文(調査結果)については,対象の範
囲,診断方法,時間の経過に伴う対象者の線量分布の変化等の問題点や調
査における特定の偏りなどが指摘されており,橋本病の放射線起因性を否
定し得る価値があるとはいい難い。
(ウ)X6の橋本病について
1審被告らは,X6の橋本病は同年代の者に通常みられるものと何ら変
わりのないものであるから,これについて,約50年も前の原爆放射線が寄
-153-
与しているなどと考えることは常識的にみて困難であると主張する。
しかし,原爆症の多くは,非特異性疾患であり,被爆者であるかないか
によって症状に特段の違いがあるわけではなく,このような主張をして,
原爆放射線の起因性を否定すること自体,原爆症に対する基本的な無理解
を露呈している。また,原爆放射線の人体への影響は,未だにほとんど解
明されていないのであって,このことこそが現在の科学の常識であり,被
爆後現在に至るも,解明に向けてさらなる努力が積み重ねられているとこ
ろである。したがって「50年も前の原爆放射線が寄与しているなどと考え
ることは常識的にみて困難である」と主張することこそ常識に反するし,
科学的ではない。現実には,被爆から50年を経て,ようやく原爆放射線と
の関連が解明されてきた疾病もあるのであって「被曝から50年もたてば,
疾病は起こるはずがない」などという根拠のない「常識」など,軽くこえ
てしまっているのが原爆放射線の恐ろしさであり,被爆者の苦しみの根源
である。
(7)X7
ア被爆状況
X7(大正14年*月*日生,被爆時20歳)は,広島市基町の広島第一陸軍
病院に陸軍衛生二等兵として勤務についており,昭和20年8月6日に広島市
内に原子爆弾が投下されたときは,患者護送のため派兵されていた**県*
,。,*市から広島に帰る途中であり汽車の中にいた汽車は広島駅まで進めず
X7は,数駅手前の海田市駅で降り,夕方ころ,広島駅に到着し,市電沿い
を歩いて第一陸軍病院(爆心地から約500m)に向かい,その日は爆心地に
極めて近い護国神社付近で野営をした。
X7は,翌日から約1週間程度,被爆者の救出,手当に従事したが,日中
は上半身裸で,夜はほとんど眠らないまま,死にものぐるいで働いた。死体
処理作業を行っているときも,手拭いで手を拭くだけでそのまま握り飯を食
-154-
べるような状態であった。
X7は,救助作業中,荷車に追突され背中を負傷し,出血がひどく,**
県内のm陸軍病院に入院して治療を受け,そのまま終戦を迎えた。
イ急性症状等
X7は,歯茎出血の経験はなかったが,第一陸軍病院での救援作業中,歯
茎からうっすらと血がにじむような出血があった。
X7は,m陸軍病院に入院したころから,継続的に身体のだるさを自覚す
るようになった。だるさは,手を膝の上に置いておくのもしんどくなり,ボ
ロンと垂れ下がってしまうような経験したことのないだるさであった。背中
の傷もなかなか治らなかった。
m陸軍病院から広島に戻ったX7は,その後も身体のだるさに悩まされ,
背中の傷の治りが悪く,痛みも増すようになった。
昭和20年10月ころ復員したX7は,背中の痛みや身体の不調からo町立病
院に入院し,背中の手術を受けた。このとき,白血球が減少していると医師
にいわれ,また,身体中の各部のリンパ腺が大きく腫れる症状も出ていたの
で,入院は長期に及んだ。昭和22年ころには右首筋にゴルフボール大に腫れ
上がったリンパ節の切除のために手術を受けたこともあった。
同病院に入院したころから,X7の頭髪は,徐々に抜け始め,昭和21年春
ころには全部抜けてしまった。脱毛は,一度にばさっと抜けるような感じで
。,,あった体調がいいときに退院することはあったものの約2年間にわたり
X7は,上記のような体調不良から,入退院を繰り返した。
それ以降も,X7は,脱力感,めまい,疲労感,食欲不振が続き,長年に
わたって病院通いを余儀なくされた。具体的な症状としては,肝機能障害,
高血圧,骨粗鬆症があり,また,白血球の減少も慢性化していた。
ウその後の症状の経過等
X7は,体調がいいときに****で歯科医院を開業している弟の仕事を
-155-
手伝うことはあったが,それ以外はほとんど定職に就くことなく,現在に至
っている。
X7は,平成9年,脳梗塞を発症し,後遺症で左半身に麻痺が残った。ま
た,翌平成10年11月23日から同年12月4日まで,強度のめまい,吐き気のた
め,入院した。そして,椎骨・脳底動脈(後下小脳動脈付近)循環不全,脳
,。,,梗塞後遺症高血圧と診断されたこのめまいは立っていることができず
吐き気を催すようなひどいものであった。
エ現在の症状
,,X7は本件認定申請後の平成16年6月には膀胱がんと前立腺がんを患い
2週間ほどN附属病院に入院し,退院後,脳梗塞と脳内出血で再入院し,そ
の後遺症で右半身に麻痺が残り,言語障害も残った。
そして,平成19年7月14日死亡した。
オ放射線起因性の要件該当性
(ア)放射線の被曝状況
X7の原爆投下日の爆心地付近への移動,爆心地近くでの野宿,翌日以
降の屍体処理や救護作業により相当量の残留放射線を浴び,作業中の土砂
やほこりの吸飲や食事等のほか,背中の大けがによる傷口からの放射性物
質の体内取込みによる内部被曝をした。
(イ)X7の疾病と放射線起因性
aX7は,それまで経験したことのない歯茎からの出血や,脱毛,全身
倦怠感という症状を認めたが,これらが放射線の被曝による急性症状で
あることは公知の事実である。
bX7の申請疾病名である椎骨脳底動脈循環不全という病名は,脳の血
管で脳幹部や平衡神経などに栄養を送っている椎骨動脈や脳底動脈の血
管循環が一時的に悪くなり,そのためにめまいが起こる症状をいうが,
神経学的にはっきり診断基準のない病態を表した病名で,原因不明のめ
-156-
まいが続くときに便宜上付けられることの多い病名である。そして,X
7は,これまで多数の病気にかかっているが,生活での一番の支障を来
した健康障害は例えようのない倦怠感であり,そのために人と同じよう
な定職に就けず苦労してきた。この体力がない,持続力がないという,
言葉では言い表しようがない体全体の倦怠感,脱力感は原爆ぶらぶら病
の症状そのものである。その状態を押し切って頑張った無理,極限の延
長状態に来るのが,X7が訴えているめまいであり,それにより椎骨脳
底動脈循環不全と診断されたものである。このめまいは,通常人が一般
に感じるものとは異なり,定職に就くこともできないほどひどいもので
あり,放射線に起因するとしか考えられない。
したがって,X7の椎骨脳底動脈循環不全が放射線に起因することは
明らかである。
cX7が罹患していた脳梗塞後遺症については,被爆者の循環器系疾患
の増加が指摘され,近距離被爆者において有意な死亡が確認されている
ことから,放射線の影響が考えられる。
dX7が罹患していた高血圧症については,有意な線量反応関係がある
とされており,放射線起因性が認められる。
eX7が罹患していた白内障は,晩発性の白内障の存在が認められてお
り,放射線起因性が認められる。
fX7が罹患していた白血球減少症は,急性期には白血球の減少が認め
られているが,10年後の調査では減少がないとされている。しかし,低
線量被爆者に負の線量関係を認めた報告があり,放射線起因性が認めら
れている。したがって,X7の白血球減少症についても,放射線起因性
は認められる。
gさらに,X7は,本件認定申請,異議申立ての後,平成16年9月に膀
胱がん,前立腺がんの多重がんに罹患した。これらの疾病は,本件X7
-157-
却下処分後に発症したものであって,審査の対象そのものにはなってい
ないが,被爆者に多重がんが多いことがその特徴とされており,X7が
放射線の影響を受けていること,そして上記疾病も原爆による放射線の
影響であることを強く推認させる。1審被告らは,がんの治療の進歩に
伴って寿命が延長していき,加齢によってがんに罹患するリスクは高ま
っていくから多重がんの発生率が高まるのは当然であると主張するが,
非被爆者のがん死亡数よりも被爆者の方が一定の数で多いことが知られ
ている。
X7が同じ時期に前立腺がん及び膀胱がんという多重がんに罹患して
,,いることはX7が放射線によって影響を受けていることを強く窺わせ
X7の上記疾病も放射線起因性があるというべきである。
カ要医療性の要件該当性
X7は,死亡するまで,めまい,ふらつきが続き,2か月に1度程度,脳
梗塞の後遺症やめまいなどの治療のためにN附属p病院や近隣のP内科にそ
れぞれ通院し,継続的に治療を受けていた。また,白内障の治療のために,
O病院に通っていた。
よって,X7が死亡するまで要医療性があったことは明らかである。
キ放射線起因性がないとする1審被告らの主張に対する反論
(ア)X7の被爆状況について
1審被告らは,調査票の記載を根拠に,X7が原爆投下当日に広島市内
に入市したとは考え難いと主張するが,調査票の妻子の名前が間違ってい
ることなどからして,X7自身が記載したものではなく,後日,被爆体験
がない役所の人間によって書かれたであろうことは容易に想像できるので
あり,X7の供述する被爆体験が事実である。
(イ)椎骨脳底動脈循環不全について
1審被告らは,調査嘱託〈O病院,P内科,Q病院,N附属p病院〉回
-158-
答を踏まえ,X7が椎骨脳底動脈(後下小脳動脈付近)循環不全に罹患し
ていると認めることができないこと,少なくとも却下処分時には要医療性
がなかったことが明らかになったと主張する。
しかし,上記疾患名は,原因不明のめまいが続くときに便宜上付けられ
ることの多い病名である。そして,X7は慢性原子爆弾症(原爆ぶらぶら
病)の症状を呈しながら無理を重ね,X7が訴えている原因不明のひどい
めまいに襲われたのであり,診断に当たった医師が,このような症状を平
衡神経中枢の循環悪化と考えて便宜上つけた診断名が椎骨脳底動脈環不全
というべきである。つまり,X7の,同病名は,慢性原子爆弾症(原爆ぶ
らぶら病)に相当するものであり,他の医療機関の調査嘱託回答にその旨
の記載がなかったとしても,そのことを以て,同人がかかる症状になかっ
たと決めつけることはできない。また,X7が脳動脈の一部の局地的閉塞
によって生じる脳梗塞を発症して,その後遺症(半身麻痺)が残っている
ことや血管性パーキンソンイズムが疑われていることからしても,X7の
述べる症状が存在したことは明らかである。
なお,本件X7却下処分時点でも,上記の症状を呈していたことは明ら
かであるから,要医療性についても認められる。
(ウ)循環器疾患(高血圧症,脳梗塞後遺症,虚血性心疾患)
1審被告らは,X7の循環器疾患(高血圧症,脳梗塞後遺症,虚血性心
疾患)は,同年代の者に通常見られる循環器疾患と何ら変わりのないもの
であり,約50年も前の原爆放射線が寄与しているなどと考えることは常識
的にみて困難であると主張する。
,,,しかし放射線後障害一般として現に罹患している疾患名で見る限り
若干の例外を除いて放射線後障害として特有の疾患名はなく,いずれも非
特異性疾患とされるものである。のみならず,放射線後障害と認められる
疾患について,放射線に起因するものであるという特有の症状や所見も現
-159-
在のところ認められていない。そのような原爆症の特徴からして,上記の
ような1審被告らの主張は失当というほかはない。
そして,放影研の最新の疫学調査の結果は,循環器疾患(心疾患,脳卒
中)の死亡率及び高血圧症の発生率と放射線被曝線量との間の線量反応関
係の存在を示しており,被爆年齢が低い群(40歳未満)では循環器疾患全
体の死亡率及び脳卒中(脳出血と脳梗塞を含む)又は心疾患の死亡率は。
線量と有意な関係を示し,線量反応曲線は純粋な二次又は線形-しきい値
型を示したという解析結果も報告されている。したがって,これらの最近
の研究結果からすれば,循環器疾患及び高血圧症についての放射線起因性
が明らかになりつつあるというべきである。
(8)X8
ア被爆状況
X8(大正15年*月*日生,被爆時19歳)は,陸軍船舶練習部教導連隊四
中隊に属していたが,昭和20年8月6日には分遣隊としてq町国民学校にい
て,原爆の閃光を見た。そして,同日午後8時ころ,q駅に出動して,広島
から送られてきた負傷者を病院に運んだ。
X8は,翌7日の朝,q町から汽車で広島駅に向かい,午前10時ころ,広
島駅東側で列車から降ろされた。そして広島駅前を経由し,路面電車に沿っ
て紙屋町(爆心地より約300m)の交差点を通り,宇品の船舶練習部(爆心
地より約4km)まで約2時間をかけて行進し,宇品で昼食をとった後の午後
3時過ぎに宇品を出発し,朝行進したコースを逆に行進し,紙屋町の交差点
。,(),に到着したその後八丁堀爆心地より約700mの交差点付近で就寝し
翌8日から10日まで,八丁堀交差点から紙屋町交差点の間の地域で遺体の焼
却作業を行い,夜も八丁堀交差点付近で泊まった。同月11日には相生橋東詰
南側(ほぼ爆心地)辺りで川に浮かぶ遺体の回収,焼却作業を行い,同日夜
もまた八丁堀交差点付近で宿泊,翌同月12日朝に宇品に戻った。同月13日に
-160-
,。は宇品の船舶練習部内の遺体の焼却作業をして同月14日に海路qに戻った
q町に戻ったころより,X8を含むほとんどの部隊員が激しい下痢を起こ
した。下痢は9月中旬くらいまで続き,部隊員のうち少なくとも1人は脱毛
を起こした末死亡した。また全員が倦怠感を持ち続けた。
イ急性症状等
X8は被爆するまで全く病気をせず健康であったが,qに戻った直後の昭
,。和20年8月14日ころから強度の下痢となりこれは10日間から2週間続いた
また,体がだるく何もできない状態であった。このような状態はX8だけで
なく,q町に戻った他の部隊員も同様の症状を呈した。
激しい下痢は死亡に至るまで断続的に発生し,また疲れやすく体調がすぐ
悪くなる状態も続いていた。
ウその後の症状の経過等
X8の症状の経過は,イ記載の断続的な下痢,慢性的な疲労感のほか,以
下のとおりである。
(ア)昭和30年ころ,風邪をこじらせて急性肺炎から肋膜炎となり,1年2
か月入院し,退院後も1年ほど自宅療養をした。また,このころ貧血であ
るとの診断がされ,貧血の薬も以後飲むようになった。
(イ)昭和32年ころ,健康診断で白血球減少症と診断された。
(ウ)昭和55年ころ,肝臓が少し悪いと診断された。
(エ)昭和57年,糖尿病と診断された。
(オ)昭和59年,右大腿閉塞性動脈硬化症と診断された。
(カ)平成元年,上記部位バイパス手術
(キ)平成2年,閉塞性動脈硬化症・狭心症と診断された。
(ク)平成4年,右大腿動脈血栓除去術
(ケ)平成6年,腰部脊椎管狭窄と診断された。
(コ)平成7年,腰部椎弓切除術
-161-
(サ)平成8年,貧血と診断された。
(シ)平成9年,大腿動脈狭窄症と診断され,右大腿-膝窩動脈バイパス手

(ス)平成10年,血管拡大術,血栓除去術。その後たびたび人工血管に閉塞
を起こし入退院を繰り返す。
エ現在の症状
X8はその後も貧血の投薬治療を続け,また人工血管の閉塞は定期的に
発症していたため,経過観察中であった(近い将来に手術をする可能性も
高かった)ところ,平成19年4月26日死亡した。。
オ放射線起因性の要件該当性
(ア)放射線の被曝状況
X8は,原爆投下翌日の昭和20年8月7日から同月12日朝まで,爆心地
及びその周辺500m以内のところで遺体の焼却作業をし,爆心地500m付近
で宿泊した。
X8の遺体焼却作業は,素手で瓦礫の中から遺体を取り出し,これを一
か所に運んだ上で,灯油をかけて焼くものであって,遺体に付着したほこ
りがX8の手等に付き,食事のときに素手で手にした握り飯を経由して口
の中に入ったこと,作業中舞い上がるほこりを口及び鼻から吸い込んだこ
とは明らかで,多量の残留放射線,二次放射線及び放射性降下物による内
部被曝を大量に受けたと考えられる。
X8は,同月14日ころから激しい下痢に苦しみ,それが同年9月中旬ま
で続いた。また,倦怠感も長く続いていた。このような症状は,X8と行
動を共にした同じ分遣隊員のほとんどの者が経験しており,放射線被曝の
急性症状であると認められる。1審被告らは集団食中毒の可能性があるか
のように主張するが,X8と同じように原爆投下後入市して,同月12日な
いし同月13日まで救護活動を行った他の部隊でも,同月8日ころから下痢
-162-
患者が多数続出しており,これらは,入市後放射線曝露したことによる急
性症状と考えるより他に合理的説明がつかない。以上の事実からすれば,
X8が内部被曝により下痢,倦怠感等の急性症状を発症したことは明らか
である。
そして,被爆前は健康であったX8が,被爆後極端に体力が落ち,日常
的に体がだるく不定愁訴となり,様々な病気を繰り返してきたのは,原爆
特有の原爆ふらぶら病(慢性原子爆弾症)としかいえないような症状であ
,,。,り原因は被爆の他に考えられないX8が罹患した疾病はすべて直接
間接に放射線の影響を受けている。
(イ)貧血の放射線起因性
被爆者に生じた貧血症は急性期だけでなく慢性的に認められるものであ
るところ,X8は,被爆後より繰り返す原因不明の貧血に苦しんできた。
放射線によって生じる貧血は,骨髄の障害で発生すると一般的に考えら
れている。骨髄に障害が発生した場合には赤血球のみならず白血球や血小
板,リンパ球などすべての血球成分に異常が生じる。しかし,これらの各
成分の感受性や回復の期間はそれぞれ異なり,赤血球だけが減ったり,白
血球だけが減ったり(あるいは増えたり,それぞれが減って白血球だけ)
が回復したりすることもあり得る。
X8には赤血球減少が長期間続いていたが,放射線による骨髄の障害を
原因として,X8の放射線感受性により,このような症状が現れていると
考えられる。他方,放射線被曝以外にX8の長期にわたる貧血の原因は存
在しない。
,,。したがってX8の貧血は放射線に起因性するものというべきである
(ウ)動脈硬化症疾患の放射線起因性
X8には既往症として動脈硬化性血管閉塞症(認定申請時の医師意見書
に記載)があり,これも本件X8却下処分の取消訴訟の審理対象の疾病に
-163-
当たる。
X8は糖尿病に罹患していたので,動脈硬化性疾患は糖尿病の合併症と
も考えられるが,放射線が血管病変を来すことは認められているところで
,,あり放射線被曝が更に動脈硬化性疾患の悪化の要因となったと考えられ
放射線起因性は認められるべきである。
カ要医療性の要件該当性
X8は,死亡するまで,貧血,糖尿病の状態は変わらず,投薬治療を続け
ていた。また,大腿動脈閉塞により人工血管を装着していたところ,この人
工血管は度々閉塞を起こしたので,その都度入退院を繰り返しており,死亡
するまで経過観察が必要であった。
よって,X8が死亡するまで貧血,動脈硬化性疾患双方ともに要医療性が
あったことは明らかである。
キ放射線起因性がないとする1審被告らの主張に対する反論
(ア)X8の被爆状況について
1審被告らは,放射線治療の線量を論拠にして血管病変が認められる放
射線量は50Gy程度であって,X8がそのような多量の被曝線量を浴びるは
ずがないと主張する。
放射線治療等により血管病変が生じるという結果は,放射線被曝により
血管病変が生じることを表すものであるが,放射線治療による放射線被曝
は外部被曝であるのに対し,X8の被曝は内部被曝であり,内部被曝は放
射性物質が特定の部位に組織沈着し,その局所に集中的に被曝を生じさせ
るものであって,外部被曝と同列に被曝線量を論じることはできない。し
,,かも放射線治療はがん組織にのみ放射線を集中的に当てるものであって
がん組織周辺の健康な組織にはできるだけ当たらないように配慮して行う
ものであるところ,放射線治療における放射線量は,がん組織に当てられ
る放射線量である。したがって,がん組織でない血管が影響を受ける線量
-164-
はこれより格段に弱いものである。それでもがん組織周辺の血管に病変が
生ずるということは,わずかな放射線により血管病変が生ずることを示す
ものといえる。さらに,放射線治療による血管病変は,がん治療後のごく
短期間について調査したものであって,20年,30年という期間を調べたも
のなど存在せず,原爆による放射線被害にそのまま当てはめることはでき
ない。
X8の原爆投下後の行動からして,少なくともX8が血管病変を来す程
度の重大な内部被曝を受けていることは容易に推測できるところである。
(イ)X8の貧血の原因について
1審被告らはX8の貧血を鉄欠乏性貧血と断じるが,鉄欠乏性貧血は赤
血球の主原料である鉄分が不足することによって起こる貧血である。そし
て,鉄分の欠乏は一般的には食生活での鉄不足,消化器官による鉄吸収率
が悪いこと,慢性的な出血が原因とされる。しかし,X8には食生活で偏
食が見られず,消化器官の吸収が悪いということも医師から指摘されたこ
ともないし,慢性的出血も認められない。なにより,直接X8を診断した
医師は,誰も鉄欠乏性貧血とは診断していない。
1審被告らはX8が骨髄穿刺を受けていないことをもって担当医師が骨
髄障害の疑いを持っていなかったと推測する。しかし,骨髄穿刺は被治者
の身体に多大な負担のかかる検査であって,X8が高齢であることや治療
上のメリットがないこと等を考慮して避けた可能性もある。
また,骨髄の造血能の低下は1血球系のみに限って起こる場合もあり,
赤血球系のみの減少症状であるから骨髄障害ではないと断ずることはでき
ない。
,,,,なお原爆被爆者についてはその原因機序については不明であるが
貧血有病率が他集団に比べて多く,しかも被爆距離の遠近や入市被曝であ
ることによって貧血発症に差がないことが指摘されている。
-165-
(9)X9
ア被爆状況
X9(昭和2年*月*日生,被爆時17歳)は,**から挺身隊として長崎
に出て,C兵器**工場に配属されており,夜勤明けで長崎市d郷(現在の
e町)にあるC兵器e女子寮(爆心地から約2km強)の2階の1室で熟睡し
ていた昭和20年8月9日午前11時2分に被爆した。
被爆の瞬間,木造の同女子寮は一瞬にして倒壊し,X9は建物の下敷きと
なった。奇跡的に外へ這いだしたが,右手の甲には2cm以上もの大きなガラ
ス片が突き刺さり,顎,左膝内側,右手首など全身に無数のガラス片が突き
刺さり,切り傷だらけで血まみれの状態であった。
X9は,C兵器トンネル工場まで歩いて避難したところ,同工場はひどい
火傷や怪我を負った重傷者であふれかえっていた。夕方になって寮まで歩い
て戻ったが,寮は完全に焼け跡となっており,体中焼けただれた寮生たちが
周りに大勢横たわっていた。X9は,焼け出された大勢の被爆者とともに寮
から西方向へと歩き,そこから汽車に乗って諫早方面に向かった。汽車の内
部もすし詰めであり,ひどい怪我や火傷を負った被爆者であふれかえってい
た。相当時間汽車に揺られた後,指示された駅で下車し,そこからトラック
の荷台にすし詰めに状態で乗せられて,山の上にある寺へと運ばれた。寺の
内部も,重症の被爆者であふれかえっていた。
数日後,ようやく軍医がX9の体に刺さったガラス片を取り出し,手当を
受けたが,ガラス片が突き刺さった傷口や傷跡からは多量の膿が出て容易に
止まらず,傷口もなかなかふさがらなかった。
X9は,その寺で終戦まで過ごした。終戦後の同月18日ころ,いったん長
崎市内へと戻り,道ノ尾駅でようやく友人に会い,血まみれの服を着替える
ことができた。
その後,X9は,長崎を出て,徒歩又は汽車で***まで行き,船に乗っ
-166-
て故郷の**へ帰った。
イ急性症状等
X9は,被爆の数日後に体に突き刺さったガラス片を取り出すなどの手当
を受けたが,その後も傷口は容易にふさがらず,多量の膿が出て止まらない
。,,。状態が続いたまた寺に避難している間下痢症状が約10日間ほど続いた
歯茎からの出血も何か月か続いた。そして,被爆前には全く感じたことのな
かった倦怠感を覚えるようになった。
ウその後の症状の経過等
(ア)X9は,被爆前は風邪ひとつ引いたことのない健康体であったが,被
爆後は強い倦怠感や疲労感を覚えるようになり,胃の調子も悪くなり,胃
,。,もたれや胃炎を繰り返し貧血気味の症状もみられるようになったまた
,。原因不明の体調不良に苦しめられ続け病院にかかることが頻繁になった
X9のこのような症状は,いわゆる原爆ぶらぶら病(慢性原子爆弾症)で
あると診断される。また,X9は,被爆後,体をどこかにぶつけるとすぐ
皮下出血して紫斑が出るようになった。
(イ)X9は,昭和35~36年ころに両眼の翼状片を患い,手術を受けた。そ
の後,白内障も患い,右眼は手術を受け,左眼も手術の必要があると言わ
れている状況にある。
(ウ)X9は,骨も弱く,昭和30年代から歯がどんどんすり減り,40歳代前
半で入れ歯となった。
(エ)X9は,昭和43年ころ以降は,風邪をこじらせては肺炎を起こし,喘
息の発作も起こすようになり,10年ほど前からは,毎年少なくとも1回は
喘息の発作のために入院を余儀なくされている。これらも放射線の影響に
よる免疫機能の低下によるものと判断される。
,,(),,(オ)X9は平成10年秋肺がん腺がんの診断を受け平成11年2月
摘出手術を受けた。さらに,平成14年5月ころ,脳に転移している(転移
-167-
性脳腫瘍)との診断を受け,ガンマナイフ放射線治療を受けた。現在も定
期的に検査を受け,厳重な経過観察を行っている。
,,,(カ)X9は平成17年2月上旬ころには背中のひどい痛みに苦しめられ
ひどい骨粗鬆症であるとの診断を受けた。
エ現在の症状
X9は,肺がんの手術後,従前にもまして体力が低下し,家の中で少し歩
いただけでも息切れするような状況にある。
また,しばしば重篤な喘息の発作を起こしては,入院を余儀なくされてい
る。平成17年5月にも重篤な発作を起こし,不整脈も出て,1か月近く入院
した。平成19年には,病院の検査で新たに脳梗塞の初期放射線がんが複数見
つかっている。
X9は,現在も全身がだるく,少し体を動かすのも大変な状況にあり,自
らの体調の悪化を感じ,がんの再発に脅えながら日々を過ごしている。
オ放射線起因性の要件該当性
(ア)放射線の被曝状況
X9は,爆心地から約2kmの木造家屋内で被爆し,閃光を浴び,直接に
大量の初期放射線を浴びている。
また,X9のその後の行動から,残留放射線に被曝し,又はホコリを吸
い込むなどして内部被曝した。
X9は,被爆直後から下痢,歯茎からの出血,膿が止まらない,全身倦
怠感などの症状を呈しているところ,出血傾向,化膿傾向はかなり白血球
が減少していることを示し,これらはすべて典型的な急性の放射線障害と
判断され,これらのことからX9が相当量の放射線に被曝していることは
明らかである。
(イ)X9の申請疾病(肺がんと転移性脳腫瘍)の放射線起因性
放射線被曝によって肺がんの発症率が有意に多くなることは,明白にさ
-168-
れており,特に女性の発症の危険性が高い(肺がんの過剰相対リスク男性
0.48,女性1.1。女性で,2km以内の近距離被爆群が1.8倍非被爆群より)
高率であったとする報告もある。さらに被爆年齢が若いほど放射線の感受
性が高く発病しやすいとされている(X9は17歳で被爆している。X。)
9は,喫煙歴も一切なく,また親族の中にもがん罹患者は1人もいない。
なお,X9は,放射線との有意な相関が指摘されている白内障にも罹患
しているうえ,平成19年に入って脳梗塞にも罹患しているところ,脳卒中
についても,被爆者に統計的に有意な増加が指摘されている。
X9が相当量の放射線被曝をしていることは明白であるところ,他原因
は全く存在しないことからも,X9の肺がん及び肺から転移した転移性脳
腫瘍が原爆放射線に起因することは明らかである。
カ要医療性の要件該当性
X9は,現在もがんの転移の有無についての経過観察中である。
既に肺がんが脳にも転移し,非常に全身も弱っており頻回の通院を余儀な
くされている現状においては,医学的管理が必要不可欠であること,さらに
は被爆者に多重がんが多く,再発の危険性も高いという現状にかんがみて,
将来にわたって長期間の厳重な経過観察を行う必要性が認められる。
よって,要医療性は明らかに認められる。
キ放射線起因性がないとの1審被告らの主張に対する反論
(ア)1審被告らは,X9はほとんど被曝していないと主張するが,不合理
なDS86及びDS02に依拠するものにすぎず,X9が被曝した初期放
射線は,1審被告らの主張よりも相当程度多かったというべきである。
また,1審被告らは,爆心地付近に立ち入っていないから誘導放射線に
よる被曝を考慮する必要はないとか西山地区に滞在・居住した事実が認め
られないから放射性降下物による被曝を考慮する必要もないなどと述べ,
誘導放射線や放射性降下物による被曝をほとんど認めようとしないが,こ
-169-
の点の誤りも既に指摘したとおりである。前述した被爆後の行動からも明
らかなとおり,倒壊した建物や重傷の火傷・怪我を負った被爆者等と接触
し,塵埃を吸い込み,あるいは全身に存在していた傷口から体内に取り込
むなどして,残留放射線に被曝し,または誘導放射化した物質を体内に取
り込んで内部被曝したことは,X9に生じた急性症状,その後の健康状態
の悪化,すなわち被爆前と被爆後でその健康状態に質的変化が生じている
事実からしても明らかに認められる。
(イ)1審被告らは,審査の方針によればX9の肺がんの原因確率が極めて
低いということのみを根拠とし,放射線以外の一般的な肺がんのリスク要
因,加齢の影響,一般的な患者数の増加などを並べて,X9の肺がんは原
爆放射線以外の原因で発症した可能性が高いなどと主張するが,その準拠
する原因確率が不適切であり,それのみを根拠とすること自体が失当であ
る。
1審被告らは,X9の白内障は老人性白内障であり,X9の肺がんに(ウ)
放射線起因性を認める根拠にはならないとする。
しかし,X9の主治医は,放射線性又は老人性,あるいはその両方が原
因と思われると判断しており,かつ右眼には後嚢下混濁が認められている
のであるから,X9の白内障が放射線に起因するといえることは明らかで
。,,ある近年の知見に照らしてみればX9が白内障に罹患していることは
X9の肺がんに放射線起因性を認める一つの根拠となることが明らかであ
る。
【1審被告らの主張】
1原爆症認定の対象となる疾患
(1)原爆症認定申請に係る処分の対象
-170-
被爆者援護法に基づいて原爆症認定を受けようとする者は,氏名等の身分事
項のほか,疾病等の名称,被爆時以降における健康状態の概要及び原爆に起因
すると思われる自覚症状があったときは,その医療又は自覚症状の概要等を記
載した認定申請書に,医師の意見書及び当該疾病等に係る検査成績を記載した
書類を添付して申請するものとされており,厚生労働大臣は,その疾病等(申
請疾患)を対象とし,放射線起因性及び要医療性を判断しているのであって,
原爆症認定申請に係る処分の対象となる疾患等は,申請者の申請疾患に限定さ
れる。
(2)審査会における申請疾患以外の疾病の考慮
厚生労働大臣は,原爆症認定に当たり,医療分科会の意見を求めるものとな
っているところ,その諮問を受けた医療分科会は,申請疾患の放射線起因性及
び要医療性を判断する上で必要な場合は,申請書等に記載された申請疾患以外
の疾病の罹患状況や放射線起因性等を考慮することはあるが,当該申請疾患の
放射線起因性等を判断するのに必要な限りにおいて行われるものであって,申
請疾患以外の疾患を認定対象としているわけではない。
(3)異議の対象
申請者は,不認定処分等に対して異議を申し立てることができるが,その審
査は,厚生労働大臣の原爆症認定に係る処分を対象にその当否が判断されるた
め,当該異議申立時に判断の対象となる疾病は,原爆症認定時と同様,申請者
の申請疾患に限定される。なお,厚生労働大臣は,異議申立てがされた場合,
実務上,医療分科会に対して再度答申を求めており,医療分科会は,この場合
も申請疾患の放射線起因性等の判断に必要な範囲で,既往症等の申請疾患以外
の疾病について考慮することがあるが,それはあくまで当該申請疾患の放射線
起因性等を判断する限りにおいて行われているものにすぎない。
(4)原爆症認定疾病に係る医療費の給付
,,厚生労働大臣の原爆症認定が申請者の疾病を対象に行うものであることは
-171-
原爆症認定により与えられる給付の内容からも基礎付けられる。
すなわち,原爆症認定においては,申請者が複数の疾病を申請疾患として申
請した場合,各疾病ごとに原爆症認定がされる必要がある。確かに,医療特別
手当の給付は,複数の疾病が原爆症と認定されても,1つの疾病分の手当しか
支払われないため,疾病ごとに原爆症の認定をする実益がないようにも見える
が,複数の疾病について原爆症と認定された場合,一部について要医療性が消
失したとしても,他の疾病の要医療性がなお残存している場合,医療特別手当
が支給されることとなるのであって,各疾病ごとに原爆症の認定をする実益が
ある。
,,,他方原爆症と認定された疾病については医療の給付を受けられるところ
当該医療給付は,複数の疾病が原爆症と認定された場合であっても,各疾病ご
とに必要な医療が給付されなければならないのであるから,各疾病ごとに原爆
症認定がされる必要がある。
21審原告らの主張する「急性症状」と放射線起因性
1審原告らの各申請疾患の放射線起因性について検討するに当たり,1審原告
らの主張に係る急性症状と放射線起因性について,共通する問題点を指摘する。
(1)1審原告らが主張する下痢,脱毛,歯齦出血(歯茎からの出血)といった
症状は,様々な原因があり得る非特異的な症状であるから,そのような症状が
発生したからといって,そのことから当然に当該1審原告らが健康被害を起こ
すほどの放射線被曝を受けたことにはならないことはいうまでもない。
(2)被曝による急性症状としての下痢や脱毛等には,その発症の仕方や経過に
特徴がある。すなわち,被曝による下痢は,腸管の細胞が障害されることによ
って生じる症状であり,5Gy程度以上の被曝をした場合に,まずは前駆症状と
しての下痢が被曝の3~8時間後に起こるとされている。食事とは何ら関係な
く起こり,その後,一定期間の潜伏期を経て,被曝の主症状(消化管障害)と
しての下痢(血便)に至るという特徴がある。また,被曝による脱毛は,毛母
-172-
細胞が放射線によって障害されることによって生じる症状であり,被曝後,少
なくとも1週間過ぎ(8~10日後)から2,3週間続き,見た目にはほぼすべ
ての毛髪が「バサーッ」と脱落したように見え,その後毛母細胞が修復される
ため,8~12週間後には発毛が見られるという特徴がある。
そして,急性症状が生じる被曝線量は最低でも1Gy程度以上とされている。
これらの事実は,国際原子力機関(IAEA)も,チェルノブイリ原発事故
等での被曝事例に基づいて明らかにしているところであり,今日における放射
線医学の常識として広く承認されている。
(3)1審原告らは,原爆放射線の被曝による急性症状について「しきい値」,
があるとしても,その値をどう考えるかについては,さまざまな説があるし,
未だ研究途上の理論なのであるなどと主張するが,科学的医学的根拠を欠く独
自の見解というほかない。
31審原告らの原爆症認定要件該当性
(1)X1
ア被爆状況及び推定被曝線量について
(ア)被爆後の行動
X1は,原爆投下当日の夕刻ころ,爆心地付近の日赤広島支部付近に行
ったと主張するが,原爆投下当日は爆心地付近では火災が生じており立ち
入りは不可能であった。仮に立ち入ったとしてもごく短時間の滞在であっ
たと考えられる。
(イ)推定被曝線量について
a初期放射線による被曝線量の推定
広島の爆心地から1.5㎞地点における原爆の初期放射線による被曝線
量は,0.5Gyにすぎず,X1は,建物(木造2階建)内で被爆したから,
同人の初期放射線による被曝線量は,最大限見ても遮蔽係数0.7を乗じ
た0.35Gyを超えることはない。
-173-
なお,ガラス越しに眼に初期放射線の直撃を受けたことを重視し,屋
外被曝と同程度の被曝線量の被曝をしたと仮定しても,0.4964Gy程度に
しかならない。
b残留降下物,誘導放射線等による被曝線量
X1は,広島の己斐・高須地区に滞在・居住した事実はないから放射
性降下物による被曝を考慮する必要はない。仮にX1が原爆投下当日に
爆心地付近に行ったとしても,当時の上記状況からしてごく短時間の滞
在であったと考えられるから,有意な放射線の被曝があったとは考え難
い。また,被爆翌日の7日から12日ころまでの救護活動について,その
場所が爆心地から700m以内か否か,その区域に入ったのが原爆爆発か
ら72時間以内かどうかが明らかではないから,誘導放射線による有意な
被曝をしたとは認められない(仮に,X1が主張するうちで最も爆心地
に近い紙屋町付近〈爆心地から300m〉において救護活動を継続したと
しても,最大限0.04Gyにすぎない。)
したがって,誘導放射線及び放射性降下物による被曝を認めることは
できず,仮に最大限考慮したとしても0.04Gyを超えることはない。
なお,X1が放射性物質を体内に取り込んだ可能性が全くないわけで
はないが,その被曝線量は外部被曝線量を超えるものではないし,それ
によって白内障が発症するなどというものではない。
以上よれば,X1の推定被曝線量は,0.35Gyとなり,誘導放射能によ
る被曝を考慮してもその線量は0.04Gy未満であることから,これを合計
しても0.39Gy未満にすぎない。
イ急性症状について
(ア)X1は,急性症状を発症するほどの原爆放射線の被曝をしていないか
ら,X1に被曝による急性症状が発症するはずがない。
,(,,),そしてX1が生じたと主張する急性症状下痢脱毛歯齦出血は
-174-
放射線被曝による急性症状と態様が異なり,この面からしても,被曝によ
る急性症状とはいえない。
a下痢について
被曝による急性症状としての下痢は,5Gy程度以上の被曝をしている
必要があり,その場合の下痢の発症経緯は前記のとおりであり,X1の
説明とは符合しない。しかも,5Gy程度の被曝をした場合であれば,被
曝後1時間以内に発熱や嘔吐が生じ,白血球や血小板の最低値を示すほ
どの減少を必ず併発していたはずであるが,被爆直後から後のX1の行
,。動状況からしてそのような放射線被曝をしたと見ることは困難である
b脱毛について
X1は,昭和20年8月終わりころから脱毛が生じ,同年9月に実家に
帰って寝込んでいたところ,櫛で髪をといてもらうと髪が大量に抜ける
ようになり,脱毛は同月一杯ころまで続いた旨供述しているが,被曝に
,,よる脱毛が生じるしきい値である3Gy程度の被曝をしていれば被曝後
少なくとも1週間過ぎから2,3週間続き「バサーッ」と脱落したよう
に見える脱毛が生じるはずであり,X1の供述する脱毛の発症時期及び
症状と整合しない。
X1の脱毛は,自然脱毛や栄養障害や代謝障害による脱毛や精神的ス
トレスによる脱毛であると考えるのが自然である。
歯齦出血についてc
X1に生じたという歯茎からの出血(歯齦出血)は,被曝による骨髄
障害(血小板減少)による出血傾向の症状を指すのか,口腔粘膜の障害
を指すのか,明らかではないが,出血が歯茎に限定されており,痛みや
潰瘍を伴っていないため,口腔粘膜の障害とは考え難い。仮に骨髄障害
によるものとすれば,被曝から3週間程度経過した後に発症するとされ
ており,昭和20年8月15日から出血傾向が見られたというのは不自然で
-175-
ある。
X1は,固いものを食べたり歯を食いしばったりしたときや風邪を引
いたときにも出血し,総入れ歯になる昭和40年ころまでずっと続いたと
いうのであり,歯周疾患が原因と見るのが医学的な常識にかなった判断
である。
ウ申請疾患(右眼球癆)について
眼球癆は,毛様体炎が強いと毛様体の房水産生が低下して低眼圧になり,
それが高度となって眼球が縮小して生じるものであって,主たる成因は炎症
であるとされ,放射線起因性を認めるに足る知見はない。
なお,X1の場合,左眼に糖尿病性網膜症も指摘されているところ,糖尿
病のような全身疾患の合併症が片側だけに起こるとは考え難いことから,右
眼にも糖尿病性網膜症があり,同疾病による組織障害が眼球癆を惹起した可
能性も考えられる。
エ左白内障について
認定申請書添付の意見書には,左白内障,左糖尿病性網膜症,両涙液分泌
減少症も挙げられている。両涙液分泌減少症については,放射線によって引
き起こされる障害であることを示唆する科学的知見はない。以下,左白内障
の放射線起因性について検討する。
(ア)白内障の有力原因である加齢
白内障とは,眼の水晶体が混濁した状態をいう。その混濁は,蛋白の編
成,線維の膨張や破壊によるもので,先天性と後天性のものがある。後天
性の白内障は,原因別に老人性,外傷性,併発性,糖尿病性,放射線性,
内分泌異常性,薬物・毒物性などが知られているが,そのうち,最も多い
のは,加齢による老人性白内障である。老人性白内障の初発年齢は,早い
人で40歳代からみられ,60歳代では約70%,70歳代では約90%,80歳代で
はほぼ100%の人にみられる。
-176-
したがって,戦後60年が経過した今日における白内障の原爆症認定の判
断に当たっては,申請者と同年代のほとんどの者が程度の差こそあれ,白
内障に罹患していることを前提とし,検討されなければならない。
(イ)放射線白内障の特徴
水晶体全体を包んでいる袋(嚢)の内側には前側に透明な細胞の層があ
る(上皮細胞。この層は,水晶体の縁(赤道部)で細胞が分裂し,中央)
部に向かってゆっくりと動くことにより,水晶体の機能を保っているが,
放射線は,分裂している細胞に特に傷を与えやすいため,赤道部で細胞に
,,。異常が生じそのような細胞が水晶体の後方にまわって中央部に集まる
それらの変性した細胞は,光の直進を妨げるためにごりとなる。これが,
放射線白内障の特徴であり,老人性白内障とは異なり,多くは進展せず,
視力障害を生じることは少ない。
原爆による放射線白内障は,確定的影響の疾病であって,原爆被爆者の
疫学調査の結果に基づき,しきい値は1.75Sv(ガンマ線で換算すると,1.
75Gy。95%信頼区間は1.31~2.21Sv)とされており,放射線被曝をしてか
ら,数か月から数年後までに発症するというのが,今日における放射線医
学の常識とされている。
そして,放射線白内障と診断するためには,①後極部後嚢下にあって
色閃光を呈する限局性の混濁,もしくは後極部後嚢下よりも前方にある点
状ないし塊状混濁のいずれかの水晶体混濁が認められること,②近距離
直接被曝歴があること,③併発白内障を起こす可能性のある眼疾患がな
いこと,④原爆以外の電離放射線の相当量を受けていないこと,の4条
件が揃うことが必要とされており,特に①の水晶体混濁が認められること
が肝要である(人体影響1992。)
(ウ)X1の左白内障の原因について
X1の左白内障は,同年代の者に通常見られる老人性白内障あるいは糖
-177-
尿病性白内障と何ら変わりがない。
a調査嘱託〈F病院〉回答によれば,X1は,初診時(平成8年6月10
日)に「左初期白内障」と診断されており,水晶体所見は,混濁が周辺
部(水晶体皮質)に認められているが,中心部(後嚢下)に混濁を示す
所見は認められておらず,皮質混濁とともに後嚢下混濁の所見が記載さ
れている。その後,X1にはカリーユニ点眼薬による治療が平成15年9
月10日まで行われている。
後嚢下混濁に皮質混濁が先行あるいは合併することは,老人性白内障
が進行した所見若しくは糖尿病性白内障の典型的な所見であり,上記点
眼薬は,初期老人性白内障に適応がある治療薬であって,放射線白内障
には用いられない。
これによれば,X1の左白内障は平成6年ころ,すなわち,被爆後約
50年も経過した後,67歳前後で発症したものと見るべきであるところ,
その年代の者であれば,白内障に罹患していない者の方が少ないのであ
って,加齢により発症したものと見るのが自然である。そして,水晶体
所見及び治療薬からして,老人性白内障であることは明らかである。
b一方,X1の糖尿病は,昭和40年ころに医師から可能性を指摘されて
いたもので,F病院の初診時の平成8年6月10日には,既に眼底出血を
来たし,単純型糖尿病性網膜症と診断されている上,平成10年3月には
前増殖期糖尿病性網膜症と診断され,既に入院による血糖コントロール
が必要なほどに進行しており,そのころ,糖尿病性網膜症に対するレー
ザー治療も受けていた(調査嘱託〈F病院〉回答。このような臨床経)
過からして,X1が糖尿病を発症していたのは,遅くとも昭和60年ころ
と見るのが自然である。
X1は,それから9年以上が経過した平成6年ころ,左白内障を発症
したものであるところ,糖尿病者は,非糖尿病者より有意に白内障を発
-178-
症しやすいとされている。そして,糖尿病性白内障の典型的病型は,皮
質白内障と後嚢下白内障若しくはそれらに核白内障を含む混合型である
ところ,X1には皮質混濁とともに後嚢下混濁の所見が記載されている
から,これは糖尿病性白内障の典型的な所見ともみることができる。
また,白内障は,血糖レベル及び糖化ヘモグロビン量(HbA1c)が高
いほど発症しやすく,60歳以下の場合,糖尿病による皮質白内障がより
顕著に出現するとされているところ,X1については,内服薬でコント
ロール不良(HbA1c9.3)とされており,X1は,糖尿病による皮質白内
障を顕著に発症しやすい状態にあった。
これらに照らし,X1の左白内障は,糖尿病性白内障と考えることも
できる。
(エ)放射線白内障の否定
放射線白内障と診断されるためには,上記(イ)の4条件が揃うことが必
要であるところ,X1の場合,④については不明であるが,①ないし③は
すべて否定できる。また,視力障害を来すほどの放射線白内障は,通常,
放射線被曝をしてから数か月から数年後までの短期間に発症するとされて
いるところ,X1が左白内障を発症したのは,被爆後約50年も経過した時
期である。しかも,X1の被曝線量は,原爆放射線白内障のしきい値を大
きく下回っている。
したがって,X1の左白内障は,放射線白内障ではない。
(オ)X1の主張に対する反論
aX1は,白内障であることが立証されれば,いずれの所見かを鑑別す
るまでもなく,放射線起因性が認められるかのような主張をするが,放
射線が糖尿病性白内障の発症率を高めるなどとする科学的知見は全くな
いし,老人性白内障の発症に放射線被曝が寄与し得るとの知見なども存
在しない。
-179-
bまた,X1は,老人性白内障に放射線との有意なリスクがあるとか,
放射線被曝と白内障発症との間にはしきい値が存在しないなどと主張す
るようであるが,原爆の放射線に被曝したことが,その後数十年を経過
し,既にごく一般的に白内障が認められる年代となった被爆者にみられ
る老人性白内障の発症を早める要因となるとは考え難い。
さらに,白内障のしきい値についてのX1の主張が放射線学の常識に
反することは既に述べたとおりである。
オ結論
以上のように,X1の申請疾患である右眼球癆には,放射線起因性を見い
だすことはできず,それに伴う要医療性も認められない。
仮に左白内障等が申請疾患に含まれていたとしても,X1の左白内障は,
同年代の者に通常見られる老人性白内障あるいは糖尿病性白内障と何ら変わ
りのないものであり,それらの発症に放射線被曝が寄与し得るとの確立した
,,科学的知見は存しない上X1は多量の原爆放射線による被曝もしておらず
X1が発症したという被曝による急性症状と称する諸症状が被曝による急性
症状であると見るべき医学的根拠もないことにも照らせば,X1の左白内障
に,放射線起因性は認められないというべきである。
したがって,X1の原爆症認定申請を却下した処分に誤りはない。
(2)X2
ア推定被曝線量について
(ア)初期放射線による被曝線量
長崎の爆心地から3.3km地点における原爆の初期放射線による被曝線量
は,最大限見ても0.003Gyを超えることはなく,これは,通常のCTX線
,。検査1回分の被曝線量にも満たないものであってほとんど0Gyに等しい
まして,X2は,木造家屋内で被爆したのであるから,同人は,原爆の初
期放射線に被曝していないといっても過言ではない。
-180-
放射性降下物等による被曝線量(イ)
X2の主張によっても,X2は,原爆投下直後に爆心地付近に立ち入っ
ていないのであるから,誘導放射線による被曝を考慮する必要はない。
X2が原爆投下の翌月から西山地区内に存した女学校に通ったことをと
らえ,西山地区に爆発1時間後から無限時間とどまり続けるといった現実
にはあり得ない想定をした場合でも,原爆投下の翌月から西山地区内に就
学時に滞在したにすぎないX2の被曝線量は,これより相当程度少ないも
のであることは明らかである。
X2は,爆心地から近距離で被曝した者と接したと主張するところ,人
体を構成する物質には放射化される元素は元々極めて微量(体重1kg当た
りの含有量はアルミニウムが0.857mgナトリウムが1.5gマンガンが1.,,,
43mg,鉄が86mg)しか存在しないし,放射化を起こす中性子は体重の60%
以上を占める水分が吸収するため,体表面に近い部位に存在するこれらの
元素のごく一部が放射化されるにすぎない。さらに放射化された元素の半
減期は短いので,被救護者の人体が有意な放射線源となることはない。
また,X2が接した被爆者が西山地区において放射性降下物を浴びたこ
とがあったとしても,西山地区において,降り注いだ放射性物質を含んだ
地面から受ける被曝線量(積算線量)は最大限見積もったとしても0.18~
,,0.24Gyにすぎず降り注いだ放射性物質の量自体ごくわずかなものであり
その一部が被爆者の衣服や身体に付着した可能性は否定できないとして
も,その量自体は更に限られたものであって,当然,上記積算線量を超え
ることなどあり得ない。しかも,付着した放射性物質はしばらくすれば,
被爆者の身体からは脱落することも明らかであり,X2の身体に放射性物
質が付着したとしても,所詮一時的なものにすぎないから,その被曝線量
は,無視し得る程度のものであった。したがって,ごく微量の放射性降下
物であるにもかかわらず,これが体内に取り込まれたことによる内部被曝
-181-
の影響を殊更に過大視するのは問題であって,外部被曝であろうと内部被
曝であろうと,全身や組織,臓器が受ける放射線の量が同じであれば,人
体影響に差異はない。問題は,要するに被曝線量の多寡であり,内部被曝
であることのみから危険性が高まるというものではない。放射性核種を投
与して,これを診断に役立てている現代の核医学も,このような常識に基
づくものである。
そもそも,内部被曝で甲状腺に何らかの異常が起こったのだとすれば,
それは,取り込んだ放射性物質の中に,甲状腺に特異的に集積するような
核種(放射性ヨウ素)が相当量含まれていたということになるが,原爆被
爆者においてそのような事実はない。
なお,長崎の浦上川には放射性降下物が混入したと考えられるが,その
水を大量に飲んだとしても,その影響は,自然放射線による被曝の影響よ
りもはるかに低いことも明らかになっている。
以上,要するに,内部被曝によってあらゆる健康障害が起こると考える
のは,被曝による健康影響についての理解を根本的に誤ったものであって
失当である。
イ申請疾患について
X2の申請疾患は甲状腺機能低下症のみであり,認定申請時に提出された
いかなる書面においても乳がんの既往に関する記載が一切ない以上,認定申
請時に乳がんを考慮する余地はなく,本件取消訴訟は本件X2却下処分に対
するものであるから,本件訴訟において乳がんの放射線起因性を検討する必
要はない。
ウX2の甲状腺機能低下症の放射線起因性について
甲状腺機能低下症と被曝線量(ア)
甲状腺機能低下症と放射線との関連性については,もともと,甲状腺上
皮の放射線感受性は他の組織や臓器に比べてかなり低く,甲状腺自体が低
-182-
線量の放射線被曝で機能低下や機能障害を来さない器官であることを留意
すべきである。すなわち,医療被曝では,一般に30Gy程度以上の甲状腺被
曝で甲状腺機能低下症のリスクが明らかに高く,3~13Gy程度で3.8~35
%の甲状腺機能低下症の発症が報告されているが,3Gy程度以下の被曝線
量で甲状腺機能低下症が起こったという報告はなく,甲状腺機能低下症と
低線量の原爆放射線被曝との関連性は,これを否定するのが今日における
放射線学の常識である。
ちなみに,被曝による甲状腺機能低下症は確定的影響であり,医療用放
射線による高線量の頭頚部被曝は甲状腺機能低下症の原因となることが明
らかとなっているが,これはあくまでも頭頚部の局所被曝の場合をいうも
のにすぎない。仮にこのような高線量の放射線を全身に被曝した場合,生
存は困難である。
(イ)調査嘱託〈K病院〉回答について
上記回答には「甲状腺機能低下と被曝との因果関係が示唆される」,。
,,。との結論的意見が記載されているが根拠は示されておらず不明である
ほかに,同回答添付の検査結果等を見ても,X2の甲状腺機能低下症が原
爆放射線に起因して発症したことを裏付けるものは何ら見当たらない。
(ウ)X2の既往症(白内障,乳ガン)と甲状腺機能低下症との関係
a白内障について
高齢(被爆後55年後,71歳)で発症したX2の白内障は,発症時期,
しきい値を超えない低線量被曝しかあり得ないこと,高齢者の白内障発
症率等からして,老人性白内障であることは明らかである。老人性白内
障に放射線被曝が寄与し得るとの知見など存在しないし,内部被曝によ
って水晶体が被曝することもあり得ない。
調査嘱託〈K病院〉回答によれば,初診時(平成13年6月1日)に後嚢
下混濁が認められているが,軽度であり,視力障害を訴えた時期や水晶
-183-
体混濁の程度等からみて,老人性白内障が進行し後嚢下に混濁を生じ始
めたことによって視力障害が出現したものというべきである。なお,後
嚢下混濁自体は,進行した老人性白内障の所見としても見られる典型的
な症状である。
したがって,X2の白内障をもって,原爆放射線による被曝との関係
が一般的に疑われる疾病を発症しているとし,X2の申請疾病の放射線
起因性を認定する根拠とすることはできない。
b乳がんについて
そもそも,乳がんは,被爆者であろうとなかろうと,生涯を通じて女
性30人に1人の割合で発症する疾病であるから,被曝線量の多寡がその
放射線起因性を判断するメルクマールになるのであって,単に乳がんを
発症したというだけでは,その者の乳がんが原爆放射線による被曝に起
因するものと判断することなどできない。また,甲状腺に蓄積して甲状
腺障害の原因となるのはヨード131であるところ,このヨード131の体内
への取り込みにより乳がんが増加するということもない。
小括c
以上の次第であるから,X2の既往症(白内障,乳がん)の存在は,
X2の甲状腺機能低下症の放射線起因性を認める根拠とはなり得ない。
エ健康状態の質的変化と甲状腺機能低下症の放射線起因性について
X2は,被爆者健康手帳交付申請時にも原爆症認定申請時にも急性症状は
訴えておらず,異議申立書で初めて「疲労「発熱「頭痛」等を急性症,」,」,
状として記載し,その後「体の何ともいえないだるさ」を加えている。しか
し,これらの具体的症状は不明確である上,X2は,被爆前から勤務工場の
診療医から静養を指示され,被爆時も床に伏していたというのであって,原
爆投下後に倦怠感があったとしても,それを原爆の放射線によるものである
と認める根拠はなく,X2が被爆前後でその健康状態に質的な変化があった
-184-
とはいえない。
なお「体のだるさ」といった倦怠感については,主観的であり,疲労,,
精神的ストレス等,放射線以外の要因によっても起こり得るものである。被
曝による急性症状として見られる発熱に起因して「倦怠感」が生じることが
あるとしても,それにはしきい値があるところ,X2は急性症状を発症する
ほどの原爆放射線の被曝をしていないから,X2が被曝による急性症状を発
症するはずもない。また,放射線被曝が原因で生じる倦怠感が長期間持続す
ることはないから,現在まで継続しているという症状とは相容れない。
原爆被爆者の間に,被爆後長年にわたって「倦怠感」等の様々な症状が見
られることもあるが,これは,PTSDなどの心因的な症状とみるべきであ
る。
したがって,被曝の影響によってX2の健康状態に質的な変化が見られた
ということはできないから,このような症状が見られたことを理由としてX
2の申請疾病である甲状腺機能低下症に放射線起因性を認めることはできな
い。
オ結論
,,,以上のとおりX2は原爆の放射線にほとんど被曝していないのであり
また,そもそも,X2の申請疾患である甲状腺機能低下症の発症に原爆の放
射線による被曝が寄与するとの知見はないし,原爆の放射線により惹起した
ことを認めるに足りる証拠はない。
したがって,X2の甲状腺機能低下症に,放射線起因性は認められず,申
請疾患に関する原爆症認定申請を却下した処分に誤りはない。
(3)X3
ア被爆状況と被曝線量の推定について
(ア)被爆地点について
X3の被爆地点は明確でないところ,X3自身,被爆者健康手帳交付申
-185-
請においては,爆心地よりの距離を3.0kmと申告しており,X3は,爆心
地から約3kmの自宅近辺で被爆したと推定される。
(イ)被爆後の行動について
X3は,被爆後に自宅に戻っており,その後爆心地付近に進入した事実
はない。なお,X3は,火傷の治療のため,病院代わりとなっていた己斐
小学校に油薬をもらいに行っていたと主張するところ,薬をもらうだけで
自宅に戻っていた上,通院の頻度や回数については明らかではなく,己斐
地区での滞在時間は短時間であったと推定される。
(ウ)推定被曝線量について
広島に投下された原爆の初期放射線による被曝線量は,爆心地から2.5k
m以遠ではほとんどないものとされており,また,X3は爆心地付近には
立ち入っていないから誘導放射線による被曝の影響を考慮する必要はな
い。なお,X3は,一応放射性降下物による被曝の影響が問題となり得る
己斐地区に立ち入っているが,爆発1時間後から己斐・高須地区に無限時
間とどまり続けるといった現実にはあり得ない想定をした場合でも,その
積算線量は0.006~0.02Gyにすぎないうえ,原爆投下の翌日,治療のため
に短時間己斐地区に滞在しただけのX3の放射線降下物による被曝線量は
極めて僅かなことは明らかであって,有意な被曝線量はほとんどないと推
定することができる。
イ急性症状について
(ア)X3が主張する被爆後の急性症状(歯茎からの出血,吐き気,めまい
,),,,感全身倦怠感についてはX3の供述のみであって医証が存在せず
客観性に欠けるばかりか,X3の供述によっても各症状の発現時期があい
まいである。被曝による急性症状には,しきい値があるところ,X3は,
急性症状を発症するほどの原爆放射線の被曝をしていないから,被曝によ
る急性症状を発症するはずがない。
-186-
(イ)「歯茎からの出血」が被曝による骨髄障害(血小板減少)による出血
傾向の症状を指しているとすると,被曝直後ではあり得ないから,X3の
主張する状況と合致しないし,被曝の急性障害としての骨髄障害は一時的
なものであって,数か月後には回復するか,被曝線量が高い場合には回復
せずに死に至るから,小学校,中学校時代までときどき繰り返したという
のであれば,被曝による急性症状とはいい難い。それに引き続き歯が抜け
,,。ていることからすれば単なる歯周炎歯槽膿漏の症状とみるべきである
(ウ)「吐き気,めまい」については,これが被曝による急性症状の前駆期
としての症状であれば,被曝後数時間以内に現れるはずであるから「被,
曝して数日後から」発症したというX3の供述とは合致しない。
(エ)「体のだるさ」などは,原爆以外の大規模災害の被災者などにおいて
も被災後に起こり得る心因的な症状として合理的に理解できるし,そのよ
うな症状があったからといって,放射線被曝に起因するものであると推認
することはできないし,まして高い線量の被曝をしたなどと推認できるも
のでもない。むしろ,放射線被曝が原因で生じる倦怠感は長期間持続する
ことはないから,倦怠感が長期間継続したのであれば,その原因から放射
線被曝は積極的に除外すべきものである。
(オ)このように,X3が発症したという被曝による急性症状と称する諸症
状は,被曝による急性症状としての所見に合致せず,被曝による急性症状
であると見るべき根拠はない。また,X3に健康状態の質的な変化がみら
れたことを,被曝の影響によるものとする根拠もない。そうである以上,
X3に生じたとされるこれらの症状を根拠として,X3の申請疾病(胃が
ん)に放射線起因性を認めることはできない。
ウ申請疾患について
(ア)申請疾患の発生機序と病態について
X3の申請疾患である胃がんは,放射線に被曝していない場合でも生じ
-187-
ることがよく知られた悪性腫瘍であり,原爆放射線との関連性はもともと
希薄である。胃がんの発生原因は,様々な要因が考えられるが,現時点の
医学的知見では確実に特定できてはいない。
(イ)X3の申請疾患の診断と治療について
胃がんが放射線によって引き起こされる可能性は否定できず,確率的影
響があるとされている。そのため,審査の方針では,がんについて,放影
研が広島及び長崎の被爆者の線量推定値を基礎に疫学的手法を用いて算出
したリスク推定値を基に,原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると
考えられる原因確率を算定し,これを目安として,放射線起因性の判断を
することとした。
しかるところ,放影研が実施した上記疫学調査の結果によって,線量が
少なければそれだけリスクも低減することが明らかにされており,原因確
率が低くなれば,当該がんが他原因で発症した可能性が高まるところ,が
んの原因は,放射線に限らず,加齢や飲食・喫煙等様々な要因があり,そ
の影響の方が放射線よりもはるかに大きいから,がんに放射線起因性があ
るとして,原爆症認定を受けようとする者は,がんがそれによって発症し
たと認められるほどの放射線被曝をしたことを主張立証しなければならな
い。
そして,X3の胃がんの原因確率を求めると,X3の被曝線量は,0.00
2Gyにすぎないから,原因確率は0.3%にすぎず,ほとんど0%に等しい。
これは,原爆放射線以外の原因により発症した可能性が99.7%もあるとい
うことである。要するに,この程度の放射線被曝では,胃がんが発症する
リスクは極めて低く,これを原因として胃がんになる人はいないといって
も過言ではない。
ところで,X3は,65歳ころに胃がんに罹患したものであるが,喫煙
が胃がんのリスクを高めることは,多くのコホート研究でも一致して示さ
-188-
れ,確立したリスク要因とされているほか,食塩及び高塩分食品が胃がん
のリスクを高めることもおそらく確実とされており,さらに,胃粘膜に住
み着く細菌として知られるヘリコバクター・ピロリの持続感染も,確立し
た胃がんのリスク要因とされている。上記事実やX3の胃がんの原因確率
に照らしたとき,X3の胃がんがこうした原爆放射線以外の原因で発症し
た可能性が高いといわざるを得ない。
以上を総合すれば,X3の胃がんは,他原因に起因して発症したものと
みるのが自然であり,このような胃がんの発症に,50年以上も前のごくわ
ずかな原爆放射線が寄与していると認めることはできない。
エX3の胃がんの放射線起因性と既往症(脳内出血)の関係
X3は脳内出血を発症させている(平成15年11月手術)が,脳内出血を含
む脳卒中による死亡率については,その調査の全期間において,原爆放射線
による被曝との有意な関係を示した資料はないから,X3が上記疾病に罹患
,。したことをもってX3の胃がんに放射線が寄与したと見ることはできない
オ結論
以上のように,X3の申請疾患である胃がんに原爆の放射線による起因性
は見い出せず,X3の胃がんが原爆の放射線により惹起したことを認めるに
足りる証拠もない。したがって,X3の申請疾患に関する原爆症認定申請を
却下した処分に誤りはない。
(4)X4
ア被爆状況と被曝線量の推定
(ア)被爆地点について
X4は,爆心地から1.75km地点で被爆したと主張するが,客観的な根拠
に乏しいし,原爆症認定申請時には1.9kmとして申請している。
X4の主張を最大限考慮しても,地図から見て,約1.8kmと評価し得る
にとどまるから,被爆地点は,1.8~1.9kmとするのが相当である。
-189-
(イ)被爆後の行動について
X4の被爆後の行動については,判然としない点があるが,X4が主張
のとおり行動していたとしても,最も爆心地に近い地点でも爆心地から10
00m以上離れている。
(ウ)推定被曝線量について
審査の方針別表9によれば,X4が被爆した地点が爆心地から1900mで
あれば0.1Gy,1800mであれば0.15Gyと推定できる。なお,誘導放射線に
よる被曝については,X4の主張によっても爆心地から700m以内の地域
に立ち入っていないのであるから,これを考慮する必要はないし,広島の
己斐・高須地区に滞在・居住した事実も認められないから,放射性降下物
による被曝を考慮する必要はない。したがって,X4の原爆放射線による
被曝線量は,最大限見積もっても0.1~0.15Gyにすぎない。
イ急性症状について
X4は,急性症状として,下痢,嘔吐,鼻出血,脱毛等があり,また,体
調不良が長期間継続し,そのため大学で1年留年したり,就職後も何度も転
職したと主張する。
しかし,これまでに述べたのと同様に,被曝による急性症状には,しきい
値があり,X4は急性症状を発症するほどの原爆放射線の被曝をしていない
から,X4が被曝による急性症状を発症するはずがない。また,X4が発症
したという脱毛,鼻血,下痢等の症状は,被曝による急性症状としての所見
に合致せず,被曝による急性症状であると見るべき根拠はない。また,X4
の健康状態に質的な変化がみられたことを,被曝の影響によるものとする根
拠もない。
そうである以上,X4に生じたとされるこれらの症状を根拠として,X4
の申請疾病に放射線起因性を認めることはできない。
ウ申請疾患について
-190-
(ア)申請疾患
X4の申請疾患は,右2指有棘細胞がんと右2指の末節部の切断術とさ
れているが,右2指の末節部の切断術は,手術方法の名称であり,疾病名
でも診断名でもない。
(イ)X4の申請疾患の原因確率
皮膚がんの発生要因については,いまだ科学的に解明されていない。も
っとも,皮膚がんは,がんの一種である以上,現在の科学的知見を前提と
すると,放射線被曝後の確率的影響による疾病に当たるため,放射線被曝
によって発生する可能性を排除することはできないが,放射線で発症する
確率が被曝線量の高低によって増減する関係にあると考えられている。認
定審査会においては,皮膚がんの放射線起因性を判断する要素として,審
査の方針別表7-1又は7-2を適用して,原因確率を算定し,当該疾病の
放射線起因性の判断の参考にしている。
これによると,X4の被曝線量は,0.1~0.15Gyであるから,がんの原
因確率は5.4~7.9%にすぎない。これは,原爆放射線以外の原因により発
症した可能性が94.6~92.1%あるということである。そうすると,この程
度の放射線被曝では,右2指有棘細胞がんが発症するリスクは極めて低い
というべきである。
なお,X4は,熱傷後のケロイドから発生した有棘細胞がん(扁平上皮
がん)であることを理由に原爆放射線に起因すると考えられる旨主張する
が,臨床的にケロイドと鑑別できるような腫瘤の形成を示す所見は見当た
,,。らずX4自身指についてケロイドが残らなかったことを自認している
したがって,X4の皮膚がんの発生部位にケロイドが存在していたとはい
えないのであって,上記主張は根拠がない。
(ウ)X4の右2指有棘細胞がんの発症原因
X4は,70歳で右2指有棘細胞がんに罹患したものであるが,有棘細胞
-191-
がんの罹患率は,1.7対1で男性に多く,加齢とともに増加し,70歳以上
がおよそ60%を占めている。したがって,X4の上記がんに加齢が寄与し
ていることは明らかである。
また,X4の上記がんは,日光の当たりやすい右手の指に生じたがんで
あるところ,有棘細胞がんの誘因として一番に考えられるのは紫外線の関
。,,与である有棘細胞がんは短期間に大量の紫外線を浴びるのはもちろん
子供のころからの蓄積の影響でも発生するため,人口の高齢化に伴って,
顔や首,手の甲など日光の当たる部分の有棘細胞がんが増えている。した
がって,X4の上記がんに紫外線が寄与している可能性も高い。
さらに,火傷や外傷の瘢痕は,有棘細胞がんの発生母地の一つであると
ころ,X4は,原爆の熱線により右手の指にひどい火傷を負い,その瘢痕
部分に上記がんを発症したというのであるから,原爆の熱線による火傷や
外傷の瘢痕が原因で発生した可能性も高い。
(エ)小括
以上のとおり,X4の右2指有棘細胞がんは,加齢,紫外線,火傷,外
傷といった原爆の放射線以外の原因で発症したものと考えるのが自然であ
る。
エ結論
以上のとおり,X4は原爆放射線による被曝をほとんどしていないのであ
るから,被爆後約50年後も経過した後の70歳になって発症したというX4の
右2指有棘細胞がんに原爆の放射線による起因性を見い出せず,X4の申請
疾患が原爆の放射線により惹起したことを認めるに足りる証拠もない。
したがって,X4の申請疾患に関する原爆症認定申請を却下した処分に誤
りはない。
(5)X5
ア被爆状況と被曝線量の推定
-192-
(ア)被爆時点及び被爆後の行動について
X5が被爆した県立j中学校の校庭から爆心地までの距離は約2㎞であ
る。また,X5の主張によっても,X5は,被爆後,己斐・高須地区に滞
在・居住した事実はない。
(イ)放射性降下物等による被爆の有無
X5は,己斐・高須地区に滞在・居住した事実はないから,放射性降下
物による被曝を考慮する必要はない。また,X5が爆心地付近に立ち入っ
たのは原爆投下4日後に爆心地付近で一休みしたのみであり,原爆爆発か
,ら72時間以内に爆心地から700m以内の区域に立ち入った事実はないから
誘導放射線による有意な被曝をしたとは認められない。
(ウ)X5の被爆後の行動からX5が放射性物質を体内に取り込んだ可能性
は全くないわけではないが,その被曝線量は,己斐・高須地区に無限時間
とどまり続けたことを想定した外部被曝線量(0.006~0.02Gy)を超える
ものではなく,無視し得るものであることは明らかであり,それによって
喉頭腫瘍が発症する可能性が高まるなどというものではない。そうとすれ
ば,X5の推定被曝線量は,爆心地から2㎞地点における初期放射線量に
よる被曝線量である0.07Gyにすぎない。
イ急性症状について
被曝による急性症状には,しきい値があり,X5は急性症状を発症するほ
どの原爆放射線の被曝をしていないから,X5が被曝による急性症状を発症
するはずがない。また,X5の主張する急性症状(下痢,歯茎からの出血,
倦怠感等)は,先に述べたとおり,発現時期や態様等が被曝による急性症状
,。としての所見に合致せず被曝による急性症状であると見るべき根拠はない
そうである以上,X5に生じたとされるこれらの症状を根拠として,X5
の申請疾病に放射線起因性を認めることはできない。
ウ申請疾患について
-193-
(ア)申請疾患の原因確率
X5の申請疾患である喉頭腫瘍の発生要因については,いまだ科学的に
解明されていないが,放射線被曝後の確率的影響による疾病であると考え
られるから,推定被曝線量を0.07Gyとして,審査の方針別表2-1を用い
て原因確率を算出すると0.5%となる。この程度の放射線被曝では,喉頭
腫瘍が発症するリスクは極めて低く,これを原因として喉頭腫瘍になる人
はいないといっても過言ではない。
(イ)喉頭腫瘍と喫煙との関係
X5は,喉頭腫瘍と診断された平成10年時点で40年間にわたり1日30本
もの喫煙歴を有し,10年間にわたり1日2合(ビールで大ビン2本)のア
ルコールを飲み続けた飲酒歴も有しているところ,一般に,男性の喉頭腫
,,瘍についてはその原因のほとんどは喫煙であるといっても過言ではなく
原因確率に相当する寄与リスクは96%にもなる。また,喉頭腫瘍の罹患率
は,男性では50歳代から80歳代まで急激に増加し,罹患率,死亡率は,と
もに男性が女性の10倍以上高いとされている。
これらの事実からすれば,65歳になって発症したX5の喉頭腫瘍は,喫
煙や飲酒等の生活習慣によって発症したものとみるのが極めて常識的な判
断というべきである。
(ウ)小括
以上のとおり,X5の喉頭腫瘍は,喫煙等に起因して発症したものと考
えるのが自然であり,これを50年以上も前のごくわずかな原爆放射線に起
因するものであると認めることはできない。
エ既往症(肝機能障害)と喉頭腫瘍の放射線起因性
X5は,平成10年6月から平成16年10月までの間,複数回にわたり,肝機
能検査を受けているが,最後の検査を除き,いずれも基準値内で全く異常が
ないか,γ-GTPがわずかに高値となっているものにすぎない(γ-GT
-194-
Pが微増微減はアルコールの摂取量の増減に呼応しているものと見るのが自
然である。少なくともX5は,上記期間中,肝機能障害について継続的。)
に治療を受けていた事実は窺われない。仮に脂肪肝による軽度の肝機能障害
が以前からあったとしても,飲酒の影響によるものであり,それが,X5の
喉頭腫瘍に放射線起因性を認める根拠とはなり得ない。
オ申請疾患以外の疾病や所見について
X5は,認定申請時は喉頭腫瘍だけを申請疾患としていたが,異議申立時
にケロイドも追加している。しかしながら,原爆症認定申請時に申請疾患と
された疾病以外の疾病については,認定の判断の対象となり得ない。
また,X5のケロイドに対する外科的処置の必要性については,医師によ
,。ってその判断が分かれており要医療性が強く示唆されているわけではない
さらに,X5は,被爆後に白血球減少症があった旨述べるが,医証等の客
観的な証拠はなく,白血球数が記された健康診断個人票における白血球の数
値は正常域にある。
なお,X5は,出血傾向も訴えているが,健康診断個人票における血小板
数も正常域にある。
カ結論
以上のように,X5の申請疾患である喉頭腫瘍に放射線起因性は見い出せ
,。ずその他の疾病や病歴等においても放射線後障害を考慮すべきものはない
したがって,X5の申請疾患に関する原爆症認定申請を却下した処分に誤り
はない。
(6)X6
ア被曝線量の推定
X6の被爆地点は,広島市原爆被災地図によれば爆心地から1.9kmである
から,X6の被曝線量は,審査の方針別表9により推定して得られた0.1Gy
に,B店内被爆による透過係数0.7を乗じた0.07Gyと推定できる。
-195-
X6は放射性降下物による被曝の影響が問題となりうる己斐地区に立ち入
っているが,滞在・居住したわけではないし,爆心地付近を通過したという
が原爆投下の2日後に通過しただけであることからすれば,誘導放射線及び
放射性降下物による有意な線量の被曝があったとは認められない。
なお,X6は,黒い雨に当たった旨主張するが,黒い雨に放射性降下物が
含まれていたとしても,無限時間を想定した積算線量(広島の己斐・高須地
区で0.006~0.02Gy)に比べれば一時的なものにすぎず,同積算線量を超え
ることは考えられない。
イ急性症状について
被曝による急性症状には,しきい値があり,X6は急性症状を発症するほ
どの原爆放射線の被曝をしていないから,X6が被曝による急性症状を発症
するはずがない。また,X6の主張する急性症状(出血が止まりにくい,脱
毛,嘔吐,口臭,体のだるさ,疲れやすいこと,下痢,発熱等)は,先に述
べたとおり,発現時期や態様等が被曝による急性症状としての所見に合致せ
ず,被曝による急性症状であると見るべき医学的根拠はない。
最近でも,ウラン加工工場の臨界事故や原発事故などで,放射線被曝によ
る健康不安等から心身症やPTSD(外傷後ストレス障害)などになり体調
を崩すことがあることが報告されている。
そうである以上,X6に生じたとされるこれらの症状を根拠として,X6
の申請疾病に放射線起因性を認めることはできない。
ウ申請疾病の放射線起因性について
(ア)自己免疫性甲状腺機能低下症(橋本病)の病因
X6の申請疾患は,甲状腺機能低下症(橋本病)である。
自己免疫性甲状腺機能低下症(橋本病)とは,甲状腺に対する自己免疫
機序によって生じる慢性炎症性甲状腺疾患であり,甲状腺組織破壊が進行
すると,甲状腺機能が低下するとされている。橋本病は,発症のメカニズ
-196-
ムこそ不明であるが,同一家系で多発する傾向があり,遺伝的背景がある
ことが明らかになっている。また,橋本病は,女性の10~20人に1人の割
合で見られるほど頻度の高い疾病であり,加齢とともに進行する傾向があ
る。
ところで,橋本病と放射線との関連性について,最近に至り自己免疫性
甲状腺疾患は放射線被曝には有意に関連しなかったことが明らかにされ,
橋本病と原爆放射線との関連性が明確に否定されるに至っており,これを
否定するのが今日における放射線学の常識である。
X6は,平成8年5月31日に甲状腺機能低下症と診断され,同年10月(イ)
28日に橋本病であるとの確定診断がなされており,被爆後約50年も経過し
た後,72歳ころになって発症したものと見られる。その発症経過,時期,
その後の検査結果及び治療経過からして,同年代の者に通常見られる甲状
腺機能低下症(橋本病)の場合と比べて特段異常な点は見当たらない。
エ結論
以上のとおり,X6の甲状腺機能低下症(橋本病)は,同年代の者に通常
見られる橋本病と何ら変わりのないものであり,その発症に放射線被曝が寄
与し得るとの知見は存しない上,X6は原爆放射線による被曝をほとんどし
ておらず,X6が発症したという被曝による急性症状と称する諸症状(出血
傾向,脱毛)が被曝による急性症状であると見るべき医学的根拠もないこと
にも照らせば,X6が被爆後約50年も経過した後の72歳ころに発症したとい
う甲状腺機能低下症(橋本病)に,放射線起因性は認められないというべき
である。
したがって,X6の申請疾患に関する原爆症認定申請を却下した処分に誤
りはない。
(7)X7
ア被爆状況及び推定被曝線量について
-197-
(ア)被爆地点と入市状況について
X7の主張する被爆地点,被爆後の行動は,認定申請時や異議申立時に
,。提出された種々の書面に記載された内容とは齟齬が多く信用性に欠ける
特に,調査票の各記載からして,X7が原爆投下当日に広島市内に入市
したとは考え難い。
(イ)推定被曝線量について
X7の主張によっても,入市は昭和20年8月6日の夕方であるから直曝
による放射線量についてはその検討を要しない。
そして,X7の主張するとおりに入市し,爆心地から500m付近の広島
第一陸軍病院へ赴き,同月14日まで同所において救護活動に従事したもの
と仮定しても,X7の誘導放射能による被曝線量を推定すると,累積被曝
線量は0.08Gyを超えることはない。
また,X7の供述によっても,X7は,広島市己斐・高須地区に滞在又
は居住した事実は認められないから,放射性降下物による被曝の影響は考
慮する必要がない。
イ急性症状について
上記のとおり,X7は急性症状を発するほどの被曝をしていない。
その上,急性症状と称する諸症状(脱毛,歯茎の出血,白血球減少,リン
パ節の腫れ,体調の変化)の発症に関するX7の供述は,認定申請時や異議
申立時に提出された種々の書面に記載された内容とは齟齬が多く,その供述
が著しく信用性を欠いており,このような信用性の低い供述に安易に依拠し
て科学的知見に則った医学的経験則に反する事実認定をすることは許されな
い。
,(,,)しかもX7の供述するそれらの発症状況発症時期発現態様経過等
は,放射線被曝以外の要因でも発症しうるものであり,しかも,被爆者以外
の者にもよく見られる症状である上,被曝による急性症状としてこれまで述
-198-
べてきた所見と合致しておらず,被曝による急性症状と見るべき医学的根拠
。,「」,もないそうである以上X7に生じたとされる急性症状を根拠として
X7の申請疾病に放射性起因性を認めることはできない。
ウ申請疾患について
(ア)X7の申請疾患は,椎骨脳底動脈(後下小脳動脈付近)循環不全,脳
梗塞後遺症,高血圧症であり,認定申請時の医師の意見書には,慢性虚血
性心疾患,高血圧,脳梗塞,骨粗鬆症が「負傷又は疾病の名称」欄に挙げ
られ,その他既往症として,脳梗塞,椎骨脳底動脈循環不全が記載されて
いる。
(イ)椎骨脳底動脈(後下小脳動脈付近)循環不全の罹患について
X7が被爆後53年が経過して73歳になって診断されたという椎骨脳底動
脈(後下小脳動脈付近)循環不全については,O病院及びP内科の医師作
成に係る意見書に,現症状又は既往症として記載されているのみであると
ころ,P内科は調査嘱託に対し「当院では強く椎骨脳底動脈循環不全を,
疑っていたわけではありません」との回答しており,他の病院等の回答に
は,上記病名の記載は全くないことに照らせば,O病院の当初の診断には
疑問があり,X7は,そのような疾病に罹患していなかったというべきで
ある。この点をおくとしても,少なくともX7に対する却下処分時(平成
11年6月23日)に要医療性がなかったことは明らかというべきである。
(ウ)循環器疾患について
a高血圧症について
,,。高血圧症は最も患者数の多い疾患であり生活習慣病の代表である
その中でも90%以上とされる本態性高血圧症は,遺伝的な因子や生活習
慣(過剰な塩分摂取,肥満,飲酒,精神的ストレス,喫煙等)などの環
境因子が関与しているといわれている。
しかるところ,X7は,高血圧症と診断されるまで26年間にわたり1
-199-
日20本もの煙草を吸い続けた喫煙歴及びある程度の飲酒歴を有している
上,両親とも高血圧症である。そうすると,55歳になって高血圧症と診
断されるのもごく自然であって,同年代の者に通常見られる生活習慣病
としての高血圧症と何ら変わりがない。なお,X7は,平成18年に体重
減少に伴い高血圧状態も落ち着いてきているとみられており,肥満が高
血圧の原因であったというべきであるし,同居の妻も高血圧症になって
いることからすれば,食生活に由来する可能性も指摘できる。
そして,高血圧は,脳梗塞及び虚血性心疾患の重大なリスク因子であ
る。
b脳梗塞後遺症について
X7が72歳になって発症したという脳梗塞は「多発性ラクナ梗塞」と
されているところ,ラクナ梗塞とは,高齢,高血圧患者の脳深部,脳幹
に見出される小さな空洞よりなる小梗塞をいい,多発性が多く,全脳梗
塞例の約40~60%を占めている。
そうであれば,55歳から現在に至るまで高血圧症を発症し,脳梗塞を
発症するまで43年もの喫煙歴があり,飲酒の習慣もあるX7が72歳にな
って脳梗塞を発症したとしても特異なことではなく,同年代の高血圧症
患者に通常見られる生活習慣病としての脳梗塞と何ら変わりがないので
あって,これに基づく脳梗塞後遺症も同様である。
c慢性虚血性心疾患について
,,慢性虚血性心疾患は認定申請書に申請病名として記載されておらず
医療分科会においても検討されていないのであって,認定の対象とはな
っていない。
,,この点をおくとしても平成11年5月20日に診断されている狭心症は
罹患の事実自体も明確でないし,通常見られる慢性虚血性心疾患と異な
る経過,症状を示すものと見るべき事情は見当たらない。そして,その
-200-
病因のほとんど(95%以上)が冠動脈硬化を基礎としており,動脈硬化
を促進する因子は,年齢,喫煙,カロリー過多と脂質の過剰摂取の食習
慣,肥満等であり,X7の生活状況等からすれば,73歳になって慢性虚
血性心疾患と診断されるのもごく自然であって,同年代の高血圧症患者
に通常見られる生活習慣病としての慢性虚血性心疾患と何ら変わりがな
い。
d小括
このように,X7の循環器疾患は,同年代の者に通常見られる循環器
疾患と何ら変わりのないものであるから,これについて,約50年も前の
原爆放射線が寄与しているなどと考えることは常識的にみて困難であ
る。
エ申請疾病等の放射線起因性について
(ア)1審原告らは,循環器疾患(心疾患,脳卒中)の死亡率及び高血圧の
発生率と放射線量との間に線量反応関係が存在していると主張するが,そ
れは高線量域での被曝の場合であるし,線量反応関係に一貫した傾向はみ
られず,未だ仮説の域を出るものはなく,低線量被曝で被爆後数十年が経
過してから発症した循環器障害の発症原因となり得るなどということは,
生物学的メカニズムの見地からして考え難いところである。X7の被曝線
量は最大限見積もっても0.08Gyにすぎないのであるから,放射線起因性が
あるとする根拠とはなり得ない。
(イ)動脈硬化は,虚血性心疾患の有力な原因となり得る症状であるが,原
爆の放射線と被爆者の動脈硬化との間には関連性はみられておらず,原爆
被爆者らの動脈硬化の危険因子としては加齢が重要であって,原爆放射線
の影響については否定的との結果が示されている。
(ウ)X7は,各種の既往症(肝機能障害,白内障,白血球減少症,膀胱が
ん,前立腺がん)があり,これらの疾病が原爆放射線による被曝との関係
-201-
が合理的に疑われる疾病であることから,これら既往症の存在が,X7の
循環器疾患放射線起因性を肯定すべき事情に当たると主張する。
,,,しかし肝機能障害については血液検査結果を見ても格別異常はなく
罹患の事実自体が認められない。白内障については,被爆後50年以上経過
した後,74歳ころに発症した老人性白内障であって,同年代の者に通常見
,。られる白内障と何ら変わりはなく放射線の寄与を示すものとはいえない
白血球減少症は,既往症として取り上げる必要もない程度の一時的かつ軽
微な症状であったと見るのが相当であり,放射線被曝が,被爆後50年以上
も経過した後,このように一時的に白血球減少を来すことはあり得ない。
膀胱がんについては,喫煙が確立されたリスク要因(寄与リスク31%)で
あることからして,50年間にわたり1日20本もの煙草を吸い続けた喫煙歴
を有しているX7が79歳になって膀胱がんを発症したとしても何ら不自然
ではなく,これが60年近く前のごくわずかな放射線被曝に起因するものと
見るのは,医学的知見に基づく経験則に照らして,非常識な判断というほ
かない。前立腺がんについては,発症の事実自体,客観的根拠がない。
オ結論
以上のとおり,そもそもX7が椎骨脳底動脈(後下小脳動脈付近)循環不
全に罹患していると認めるに足りる証拠はない上,X7の循環器疾患は,同
年代の者に通常見られる循環器疾患と何ら変わりのないものであるところ,
循環器疾患の発症に低線量の放射線被曝が寄与し得るとの確立した科学的知
見は存しないし,X7は原爆放射線による被曝をほとんどしておらず,X7
が発症したという被曝による急性症状と称する諸症状が被曝による急性症状
であると見るべき医学的根拠もなく,X7の既往症(肝機能障害,白内障,
白血球減少症,膀胱がん,前立腺がん)もその存在自体疑わしいものや,そ
れぞれ同じような生活習慣の下にある同年代の者に通常見られる疾病にすぎ
ないことにも照らせば,被爆後35年が経過し55歳になって診断されたという
-202-
高血圧症,被爆後52年が経過して72歳になって発症したという脳梗塞に基づ
く脳梗塞後遺症,被爆後53年が経過して73歳になって診断されたという椎骨
脳底動脈(後下小脳動脈付近)循環不全及び慢性虚血性心疾患に,放射線起
因性は認められないというべきである。したがって,X7の申請疾患に関す
る原爆症認定申請を却下した処分に誤りはない。
(8)X8
ア被爆状況及び推定被曝線量について
(ア)被爆地点と入市状況について
X8が原爆投下翌日以降に立ち入った地域については,東が八丁堀交差
点,西が元安川,北が紙屋町と八丁堀を結ぶ路面電車の道路,南がその道
路から100mも離れていない範囲内であったと供述していることから,爆
心地からの距離としては,最も近い紙屋町交差点付近で約300m,最も遠
い八丁堀交差点で約800mであったことになる。
(イ)推定被曝線量について
a最大限被曝線量の推定
X8が被曝した最大限の被曝線量を推定するため,X8が爆心地から
約300mの地点に昭和20年8月8日以降滞在していたと仮定して累積被
曝線量を算定しても,審査の方針別表10によって0.03Gyを超えることは
ない。また,原爆投下の翌日に爆心地付近を徒歩で2回通過したとして
も,その滞在時間はごく短時間であり,誘導放射線による有意な被曝を
考慮する必要はない。さらに,X8の供述によっても,広島の己斐又は
高須地区に滞在又は居住した事実は認められないから,放射性降下物に
よる被曝は考慮する必要はない。
b内部被曝の可能性
X8は,広島の己斐・高須地区に滞在・居住した事実は認められない
から,放射性降下物による内部被曝を考慮する必要はない。また,X8
-203-
が放射性物質を体内に取り込んだ可能性が全くないわけではないとして
も,その被曝線量は,己斐・高須地区に無限時間とどまり続けたことを
想定した外部被曝線量(0.006~0.02Gy)を超えるものではなく,無視
し得るものである。
イ急性症状について
(ア)X8は急性症状を発するほどの被曝をしていない。
被曝による急性症状には,しきい値があるところ,X8は急性症状を発
症するほど原爆放射線の被曝をしていないから,X8が被曝による急性症
状を発症するはずがない。
(イ)X8の下痢について
X8の主張する下痢の発症時期及び症状の経過も被曝による急性症状の
特徴と整合していない。なお,全身被曝(X8も腹部の局所被曝であった
との主張はしていない)で下痢をするほどの被曝をしていれば,被曝性。
の脱毛が生じるはずであるが,そのような供述もないから,この点からし
ても,X8の下痢が被曝による急性症状であるとは認め難い。
(ウ)被爆前後の体調の変化について
X8は,原爆投下前までは全く病気もなく健康であったのに,qに戻っ
た後から下痢が続いたうえ,体がだるく何もできない状態であったと主張
する。
しかし,そのような症状は,X2に関して主張したとおり,放射線被曝
以外の要因でも発症し得るものであり,X8の供述する症状からして,む
しろ原爆体験による心身症,PTSDの症状とみるのが妥当で,放射線被
曝はその倦怠感の原因からはむしろ積極的に除外できるというべきであ
る。
ウ申請疾患について
(ア)申請疾患(貧血)の発生機序と病態について
-204-
aX8の申請疾患は,貧血であるが,貧血とは,単位容積血液中の赤血
球数,ヘモグロビン濃度あるいはヘマトクリット値が正常より低下した
状態である。貧血の発生機序には,大きく赤血球数の産生が減少する場
合と,破壊が亢進する場合があり,X8の病態と関連性があるとみられ
るのは,赤血球産生の低下であり,その中でも赤芽球の成熟障害の中に
分類されるヘモグロビン合成障害による貧血,なかんずく鉄芽球性貧血
(鉄欠乏性貧血)と思われる。
,,()そしてX8の治療経過上平成9年6月にヘマトクリットHCT
等の検査値がいずれも基準値より低値を示し,小球性低色素性貧血が認
められたことがあるが,鉄剤(フェロミア)の投与が行われて改善され
ている。その後鉄剤の投与が打ち切られ,平成14年6月に再度小球性低
色素性貧血と診断されて鉄剤の投与が再開されているが,1か月ほどの
投与で改善されていることが認められる。
このような治療経過にかんがみると,X8の貧血は鉄欠乏性貧血であ
ることは疑う余地がない。
なお,鉄欠乏性貧血と放射線との関連性を肯定すべき科学的知見は皆
無である。
bX8は,放射線被曝による骨髄障害による貧血であると主張するが,
そのように見るべき根拠は全くない。
すなわち,放射線被曝による骨髄障害は,確定的影響の1つであり,
それに関して最も感受性が高い組織はリンパ球で,0.5Gy程度の放射線
を受けると,被曝後早期に末梢血リンパ球数が低下する。また,被曝に
よる骨髄障害は,回復可能な程度の被曝線量であった場合には,数週間
程度で回復し,被爆後数十年にわたって貧血が持続することはない。し
かるところ,X8の被曝線量は,上記のとおり,0.03Gyを超えることは
ないから,放射線被曝による骨髄障害が起こるはずがない。また,放射
-205-
線被曝による貧血の場合は赤血球だけでなく白血球や栓球(血小板)を
形成する機能も障害され,これらすべてが減少する(汎血球減少)のが
一般であるところ,そのような症状が見られないことからしても,X8
の貧血が被曝による骨髄障害を原因とするとは考え難い。なお,骨髄障
害を疑った場合に行われる骨髄穿刺の検査も行われておらず,鉄欠乏性
貧血と考えた治療が行われてきており,担当医が骨髄障害を疑っていた
形跡はない。
これらの事実からすれば,X8の貧血は,放射線被曝による骨髄障害
による貧血であると見るには,被曝線量,発症時期,症状の内容のいず
れの面からも不自然極まりなく,放射線被曝による骨髄障害による貧血
であると見るべき根拠は全くない。
小括c
以上のとおり,X8の貧血は通常見られる鉄欠乏性貧血と何ら変わり
がなく,これについて,約50年も前のごくわずかな原爆放射線の被曝が
寄与しているなどと考えることは常識的にみて困難である。
dX8のその他の疾病について
X8の申請疾患は貧血だけであるが,X8は,原爆症認定申請時の意
見書の既往歴欄記載の動脈硬化性血管閉塞症(動脈硬化性疾患)も原爆
放射線に起因する旨主張する。そして,X8は,動脈硬化性疾患の一つ
である心筋梗塞については,放射線被曝により発症率が増加する旨の報
告を論拠として指摘している。
しかし,X8指摘の報告は,放射線治療による被曝によって周囲の血
管に障害が生じたことを示す報告であり,数十Gy程度の非常に大きな線
量を照射した場合のものであって,X8のように0.03Gyと非常に低い線
量の被曝による人体影響を示すものではなく,参考とすること自体が失
当である。
-206-
エ結論
以上のように,X8の申請疾病には放射線起因性を見いだすことはできな
いから,X8の申請疾患に関する原爆症認定申請を却下した処分に誤りはな
い。
(9)X9
ア推定被曝線量について
,,X9の被爆地点は爆心地から約2.1kmの木造家屋内であり最大限見ても
原爆の初期放射線による被曝線量0.09Gyに木造家屋の遮蔽係数0.7を乗じた
0.063Gyを超えることはない。
また,X9は,被爆当日(昭和20年8月9日,爆心地付近には滞在して)
おらず,むしろ爆心地から離れているし,その後も放射性降下物による被曝
を考慮すべき西山地区又はその周辺地域に行っていない。
したがって,X9については,誘導放射線による被曝や放射性降下物によ
る被曝を考慮する必要もないから,X9の原爆放射線による被曝線量は,最
大限見積もっても0.063Gyである。
なお,X9が放射性物質を体内に取り込んだ可能性が全くないわけではな
いとしても,その被曝線量は,西山地区に無限時間とどまる続けたことを想
定した外部被曝線量(0.12~0.24Gy)を超えるものではなく,無視し得るも
のであることは明らかである。
イ急性症状について
被曝による急性症状には,しきい値があり,X9は急性症状を発症するほ
どの原爆放射線の被曝をしていないから,X9が被曝による急性症状を発症
するはずがない。また,X9の主張する急性症状(下痢,歯茎からの出血)
は,先に述べたとおり,発現時期や態様等が被曝による急性症状としての所
見に合致せず,被曝による急性症状であると見るべき根拠はない。また,X
9の健康状態に質的な変化がみられたことを,被曝の影響によるものとする
-207-
根拠もない。
そうである以上,X9に生じたとされるこれらの症状を根拠として,X9
の申請疾病に放射線起因性を認めることはできない。
ウ申請疾患について
(ア)申請疾患の発生機序と病態について
,,,X9の申請疾患は肺がん及び転移性脳腫瘍であるが転移性脳腫瘍は
肺がんが脳に転移して発症したものであるから,X9の脳腫瘍の発生要因
に係る検討は,X9の肺がんの発生要因の検討をもって足りるというべき
である。そして,肺がん発生の要因の一つとして放射線被曝が挙げられて
いることは否定できず,審査の方針別表6-1及び6-2においては,肺が
んの原因確率が示されている。
(イ)X9の肺がんの原因確率
X9の肺がんは,審査の方針別表6-2によりその原因確率を求めるこ
とができるが,その被曝線量は,上記アのとおり,わずか0.063Gyにすぎ
ないから,X9の肺がんの原因確率も5.6%にすぎない。この程度の放射
線被曝では,肺がんが発症するリスクは極めて低く,これを原因として肺
がんになる人はいないといっても過言ではない。
そして,X9の肺がんは,72歳ころに発症したものであるところ,肺が
んの罹患率は,40歳代後半から増加し始め,高齢ほど高くなり,女性の死
,,亡数では2番目に多くその70%は腺がんといわれていることからすれば
X9の肺がん(組織型では腺がん)に加齢が寄与している可能性は高い。
また,放射線以外にも,受動喫煙,アスベスト,シリカ,ヒ素,クロム,
コールタール,ディーゼル排ガスの曝露等の肺がんのリスク要因と考えら
れているのである。
したがって,X9の肺がんの原因確率に照らしても,X9の肺がんはこ
れらの原爆放射線以外の原因で発症した可能性が高い。
-208-
(ウ)X9の既往症(白内障)について
白内障の鑑別診断の重要性については,X1について述べたとおりであ
,。り老人性白内障の発症に放射線被曝が寄与し得るとの知見は存在しない
しかるところ,X9の白内障は,74歳で診断され,初期老人性白内障に適
応があるカリーユニ点眼薬(放射線白内障には用いられない)が投与さ。
れている。また,放射線白内障の鑑別診断には,後極部後嚢下にあって色
閃光を呈する限局性の混濁,もしくは後極部後嚢下よりも前方にある点状
ないし塊状混濁のいずれかの水晶体混濁が認められることが肝要であると
ころ,X9の左眼には後嚢下混濁が見当たらないし,右眼には後嚢下混濁
が認められるものの同時に核白内障も認められているから,いずれも放射
線白内障の特徴に合致しない。
以上の事実と高齢者の白内障の発症頻度(70歳代で約90%)等からすれ
ば,X9の白内障は老人性白内障以外の何ものでもないことが明らかであ
る。したがって,このような疾病に罹患したことが,X9の肺がんに放射
線起因性を認める根拠になることはあり得ない。
エ結論
以上のように,X9の申請疾患である肺がん及び転移性脳腫瘍には,放射
線起因性を見いだすことは困難であり,同疾病が原爆の放射線により引き起
こされたことを裏付けるに足りる資料等の提出もない。したがって,X9の
申請疾患に関する原爆症認定申請を却下した処分に誤りはない。
第31審被告国に対する国家賠償請求(争点③)
【1審原告らの主張】
1責任原因(1審被告厚生労働大臣の違法行為と故意過失)
(1)違法行為の継続-独自の審査基準の設定
-209-
広島・長崎における2度にわたる原爆投下は,無辜の市民に対する無差別殺
戮であって,当時において国際的に承認されていた様々な国際人道法に違反す
る行為であった。
ところが,1審被告国は,今日に至るまでの間,核兵器の使用を国際法違反
であると明言することを避け,原爆症認定においても,以下のとおり,違法な
処分を行った上,度重なる司法判断にもかかわらずこれに逆らう審査基準を独
自に設定して旧来の違法行政を継続し,また行政手続法上,求められる審査基
準を定めずに審査を行い,1審原告らに損害を与えた。
(2)行政手続法5条1項違反(手続的違法-その1)
行政手続法5条1項は「行政庁は,申請により求められた許認可等をする,
かどうかをその法令に定めに従って判断するために必要とされる基準以下審(「
査基準」という)を定めるものとする」と規定しているところ,1審被告。。
らは,原爆症認定の判断に使用されている審査の方針は,上記の「審査基準」
ではないこと,本件各却下処分を行うについて,上記の「審査基準」を設けて
それに従って本件各却下処分を行ったものではないことを認めている。そうと
すれば,1審原告らに対してなした本件各却下処分は「審査基準」を設ける,
ことを規定している行政手続法5条1項に違反する。
(3)処分理由の不提示(手続的違法-その2)
行政手続法8条1項は,申請により求められた許認可等を拒否する場合は,
申請者に対して当該処分の理由を示さなければならないと規定しているとこ
ろ,この「理由」は,いかなる事実関係に基づき,いかなる判断経過をたどっ
て原爆症認定が拒否されたかを,申請者がその記載自体から了知できるもので
なければならず,単に抽象的,一般的に審査結果のみを記載するだけでは不十
分である。
しかるに,1審原告らに対する本件各却下処分通知には,実質的な理由は全
,。く明らかにされておらずほとんど定型的な文言が記載されているだけである
-210-
ここに記載されているのは,認定審査会の審議の結果,原爆症とは認定しない
という結論のみであり,同審査会においていかなる事実を前提にいかなる審議
がなされ,認定却下という処分に至ったかについては全く記載されていない。
よって,本件各却下処分は,行政手続法8条1・2項に違反する。
(4)審査の方針の機械的適用の違法性
ア原爆症認定をめぐっての,松谷訴訟最高裁判決を含め,従来の判例の到達
点は,以下の3点に要約できる。
(ア)科学的知見や経験則の限界を正面から認めた上で,DS86等に基づ
く推定線量としきい値とを機械的に適用することによって放射線起因性の
有無を判断することは相当ではない。
(イ)起因性の判断にあたっては,被爆状況,被爆後の行動やその後の生活
状況,具体的な症状や発症に至る経緯,健康診断や検診の結果等を総合的
に考慮した上で,原爆放射線被曝の事実が上記疾病の発生を招来した関係
を是認できる高度の蓋然性が認められるか否かを検討する。
(ウ)疾病に他原因が関与している場合でも,原爆放射線の被曝による影響
も否定できない場合は,その起因性を認めるべきである。
イしかるところ,1審被告厚生労働大臣は,被爆者の被爆状況を個別具体的
に検討して総合的に判断すべきとした判例の度重なる指摘を無視して,従前
の,推定被曝線量としきい値の機械的な当てはめによって放射線起因性を判
断するという運用を一切変えようとしなかったばかりか,敗訴が確定した松
谷訴訟最高裁判決の後,これを当てはめたら当の松谷さえ原爆症と認定され
ないことになる原因確率を内容とする審査の方針を平成13年5月25日に導入
し,それに基づいて1審原告らの原爆症認定申請に対して次々と却下処分を
行い,その際1審被告厚生労働大臣は,原因確率以外の事情をほとんど考慮
せず,原因確率なる基準に従って形式的に審査したにすぎない「基準に即。
して却下した」という1審被告厚生労働大臣の抗弁は,何ら改善されていな
-211-
い基準をあえて採用し続けた本件各却下処分当時において通用するはずがな
い。
(5)小括
,,以上によれば原爆症認定という職務を行う公務員が故意又は過失によって
誤った認定処分により却下処分を行ったことは明らかである。本件各却下処分
には上記(4)のような実体的な違法性のみならず,上記(2)及び(3)のような手
続的違法も存在することから,1審被告厚生労働大臣は,その却下処分行為に
より,故意又は過失によって,1審原告らに損害を与えたというべきであり,
1審被告国は国家賠償法1条1項に基づく責任を負わなければならない。
2損害
(1)概要
1審原告らは,当然に原爆症と認定され,必要な給付を受けるべきであるに
もかかわらず,1審被告厚生労働大臣がした本件各却下処分や異議申立てに対
する棄却処分により,長年の間救済されずに見捨てられてきた者である。その
結果,高齢であるにもかかわらず,自ら原告となって本件訴訟を提起すること
を余儀なくされた。
以下記載の各原告らの具体的な被害内容に照らせば,1審被告厚生労働大臣
の上記行為によって各原告らが被った精神的苦痛を慰謝するには,それぞれ20
0万円を下らない。
なお,1審原告らは高齢化しており,既に2名の原告が判決後に死亡してお
り,認定申請に対して一刻も早く認定がなされることが1審原告らにとって必
要であること,1審原告らにとって,原爆症の認定を受けることは単に手当の
受給という問題だけではなく,国の行為による原子爆弾被爆について国が公的
に認証することにより,国の補償責任が確認されるという意味を持つことを考
えると,仮に,1審被告厚生労働大臣の却下処分が,長い訴訟のすえ違法とし
て取り消されたとしても,それだけで,1審原告らの被害が回復されるもので
-212-
はないのである。
しかも,1審被告厚生労働大臣は,1審原告らが平成18年5月12日の原判決
言渡しによりようやく年来の訴えが認められたと思うまもなく,控訴をなした
ばかりか,原判決で指摘された自らの誤った行政につき再度見直しをすること
なく,旧態依然とした審査の方針があくまでも正しいとの主張を繰り返す態度
を続けている。
このような控訴提起による,認定処分の引き延ばしが,1審被告厚生労働大
臣の公権力行使の違法性をさらに積み増し,有責性を疑いないものにすること
は明らかである。
(2)1審原告らが被った損害
アX1
X1は,被爆後,様々な健康障害に苦しめられることとなった。特に目の
障害は深刻で,右眼は失明し,左眼もほとんど見えない状況にあるため,外
出するのに困難を伴っている。また,身体的な面だけでなく,被爆者という
ことで偏見を持たれたり,結婚・出産に躊躇せざるを得なくなったりした。
,,X1はこのような苦しみが原爆によるものであることを認めてもらうため
原爆症認定の申請をしたにもかかわらず「起因性は認められるが要医療性,
はない」という理由で,その申請は却下されてしまった。そればかりか,訴
訟になって,起因性はないと判断していた,様式を誤って通知してしまった
などと1審被告らから主張されている。
このように,X1は,1審被告らのずさんな原爆症認定行政により,甚大
な精神的苦痛を被ることとなった。本件提訴後の1審被告らの不誠実な訴訟
活動により,その苦痛は一層増すこととなった。このような1審被告厚生労
働大臣の却下処分と本訴における係争の長期化によってX1が被った精神的
苦痛をあえて慰謝料として評価すれば,200万円を下ることはない。
イX2
-213-
X2の健康状態は,被爆によって大きく変化し,何ともいえない体のだる
さ,疲れやすいという新たに生じた体質を抱えながら,これまでの間,何と
か生活を続けてきた。そして,ようやく落ち着いた生活を送れるようになっ
た矢先に,X2は,白内障,甲状腺機能低下症,乳がんといった明らかに原
爆放射線の影響と考えられる疾患に次々に罹患し,長きにわたって闘病を余
儀なくされるに至った。また,頻繁に骨折が生じるようにもなった。
そして,X2は,自らの病気を原爆症として認定を受け,適切な治療を早
期に受けるため,本件原爆症認定申請を行った。ところが,1審被告厚生労
働大臣は,意見書を書いた医師の意見も聞かず,また,本人からの聴き取り
を行うことなく,形式的基準のみでX2の申請を却下したものである。自ら
の疾患が原爆症であると確認しているX2にとって,同申請が簡単に却下さ
れたことによる精神的苦痛は計り知れない。それは,被爆者の名誉にもかか
わることでもある。だからこそX2は,高齢であるにもかかわらず本件訴訟
を提起するに至ったものである。X2が被った精神的苦痛をあえて慰謝料と
して評価すれば,200万円を下ることはない。
ウX3
X3は,被爆以前は,非常に健康な小学生であった。しかし,原爆被爆を
境にして,以後体調不良を恒常的に訴えた。そして,その苦しみは60年もの
間X3の体をむしばみ続けた。
X3は,胃がんに罹患し,それは原爆放射線に起因するものであった。そ
して,胃がんの治療のために手術を受け,死ぬ思いであった抗がん剤の
治療をも乗り越えてきた。原爆のためにこれだけの苦しみを受けたのであ
るから,当然原爆症と認定されるべきであるにもかかわらず,1審被告厚生
,。,労働大臣は原因確率を機械的に適用してX3の申請を却下したそして
本件訴訟においても1審被告らは却下処分の誤りを正そうとせず,被爆
者を切り捨てるための非科学的な主張に固執している。
-214-
このような被告らの対応により,X3の精神的苦痛は現在も増すばか
りであり,X3が被った精神的苦痛をあえて慰謝料として評価すれば,200
万円を下ることはない。
エX4
X4は,中学生のときに被爆し,体中に熱線を浴び,火傷治療のために多
。。,大な苦痛を強いられた中学に復学するのにも1年を要しているその後も
重度の疲労感,倦怠感を中心とする慢性原子爆弾症に苦しめられ,大学を留
年し,職を転々とせざるを得なかった。このように,X4は,被爆後,現在
に至るまで,長年にわたって多病を患っており,在職中も身体不調のため,
十数回も職場を変える状態が続いている。
また,X4は,現在も,申請疾病だけでなく,多種多様の病気に苦しんで
いる。
それにもかかわらず,自己に残された原爆の具体的な「傷跡」というべき
ケロイド瘢痕上に生じた皮膚がんさえ,1審被告厚生労働大臣は原爆症と認
定しなかった。X4は,被爆後60年間,被爆者として心身ともに苦しんでき
た。X4の疾病は否定しようのない原爆症である。にもかかわらず1審被告
らに原爆症と認められなかったX4の精神的苦痛は想像を絶するものがあ
る。
X4は,国の命令で,国のために動員され,被爆したのである。それにも
かかわらず,当然受けられるはずの原爆症認定を1審被告厚生労働大臣から
受けられなかった。再び,X4は1審被告国らによって踏みにじられたので
あり,その精神的損害は甚大で,X4が被った精神的苦痛を慰謝料として評
価すれば,200万円を下ることはない。
オX5
X5は,被爆する以前は,非常に健康で元気な少年であったにもかかわら
ず,12歳の若さで被爆し,2年もの間寝たきりの生活を余儀なくされ,それ
-215-
以降もケロイド瘢痕が残った身体への劣等感に悩み,さらには全身倦怠感を
始めとする体調不良に苦しめられ続けてきた。
このように,X5は,被爆したことによって一生涯にわたって多大な苦痛
を被り続けてきたところ,1審被告厚生労働大臣がX5からの聴取をするこ
ともなく,その理由も告げないままに却下し,さらにはX5からの異議申立
てをも棄却したことは,X5が被ってきた人生全般にわたる苦痛を否定する
に等しいものであり,X5はこの1審被告厚生労働大臣の処分によって大き
な精神的な苦痛を被り,解決が長引くことによりその苦痛はさらに増大を続
けている。
このような1審被告厚生労働大臣の却下処分と本訴における係争の長期化
によってX5が被った精神的苦痛をあえて慰謝料として評価すれば,200万
円を下ることはない。
カX6
X6は,20歳で妊娠5か月のときに被爆し,急性症状があったほか,長期
,,。間にわたって体がだるく疲れやすく吐き気や頭痛に悩まされ続けてきた
これは原爆ぶらぶら病(慢性原子爆弾症)と呼ばれ,原因不明のために怠け
者とか仮病とかいわれて,被爆者を一層苦しめてきた症状である。X6も夫
から「怠けている」と非難され,しんどくても横にもなれないような状態で
あったから,苦しい思いをしながらも医者にみてもらうこともなく過ごして
きた。
X6は昭和47年に倒れて,初めて受診し,被爆の影響を知ったのであり,
それは被爆後27年もたってのことであった。この間,1審被告国が放射線の
人体への影響について,被爆者の立場に立った調査研究と救済を進めてこな
かった責任は大きい。
X6は,平成8年に甲状腺機能低下症(橋本病)と診断され,平成14年11
月に本件認定申請をしたが,平成15年8月に却下された。前記のとおり,同
-216-
じころに申請した****が認定されたにもかかわらず,同じような被爆状
,,況で同じ疾病であったX6が認定されなかったのは理由のない差別であり
X6には全く納得することができなかった。X6は,これまで長期間にわた
って,原爆放射線に起因する疾病に苦しみ続け,既に81歳になっている。こ
れは,1審被告国が早期に被爆者の救済をしてこなかったことによる重大な
損害である。このような1審被告厚生労働大臣の杜撰な却下処分と,本訴に
おける紛争の長期化によって,原告X6が被った精神的苦痛を慰謝料として
評価すれば,200万円を下ることはない。
キX7
X7は,陸軍衛生二等兵として,軍の命令により原爆投下の当日には広島
の爆心地付近に戻り,その翌日から爆心地近くで死体処理や救出作業をさせ
られたものであり,軍の命令がなければX7の被爆もなかった。
X7は,被爆後,一貫して身体の内部からわき起こるような倦怠感を持ち
続け,定職にも就くことができず,妻や弟の支えで生活をしてきた。X7の
人生は,病気との闘いの人生であり,様々な疾患に罹ってきた。この間,X
7は,被爆者への偏見と差別から原爆症の認定を見送ってきたが,子どもも
就職,結婚したことと,原因不明のめまいのためいつ倒れるかわからないと
いう不安から,原爆症の申請を行った。ところが,申請は却下され,これに
対する異議申立ては4年近くも放置され,棄却されたのである。X7は,自
,,,分自身も含めもっと早く1審被告国が救済の手を差し伸ばしてくれたら
もっと多くの人が助かったかもしれないと考え,早期の救済を訴えている。
このような1審被告厚生労働大臣の杜撰な却下処分と,本訴における紛争
の長期化によって,X7が被った精神的苦痛を慰謝料として評価すれば,20
0万円を下ることはない。
なお,X7は,前記のとおり,当審係属中の平成19年7月14日死亡した。
クX8
-217-
X8は,生まれは**県**市であり,広島とはもともとなんの縁もな
かった。徴兵されて広島に赴任し,軍の命令により原爆投下翌日から爆心
地近くでの死体処理作業をさせられたものである。国(軍)の命令がなけ
ればX8の被爆もなかったのである。
被爆以来,60年もの間,X8は様々な健康障害に苦しめられてきた。病
めるとき以外でも,少しでも無理をすると大病になると自覚し,20代の青
年期より通常の健康な者であればできる行動ができず,身体をいつもい
たわりながら生活してきた。現在も貧血や動脈硬化性の疾患,断続的に
継続する下痢等により,自宅からほとんど外に出られない状態で生活を
送っている。
X8は,青年期から現在に至る人生の大部分を被爆者として生活しなけ
ればならなかった。せめて自分自身が罹患した幾多の疾病が原爆放射線が
原因であることを認めて欲しいとの思いから原爆症認定を申請したが,1
審被告厚生労働大臣は,X8が入市被爆者であることから,DS86の利
用により被曝線量を過小評価し,まともな理由付けも示さぬまま数行の
文章による却下通知をした。そして,本件訴訟においても1審被告らは
却下処分の誤りを正そうとはしない。X8の精神的苦痛は現在も増すば
かりである。X8が被った精神的苦痛をあえて慰謝料として評価すれば,2
00万円を下ることはない。
なお,X8は,当審係属中の平成19年4月26日死亡した。
ケX9
X9は,被爆する以前は非常に健康で,活発な女性であったにもかかわら
ず,17歳という若さで被爆した以降,今まで60年もの間,常に全身倦怠感,
体調不良に苦しめられ続けてきた。
申請疾病である肺がんを患い,さらにがんが脳に転移するに至って,今や
X9は病院への入通院以外はほとんど自宅から出ることもできず,自宅内で
-218-
体を動かすことすら苦痛を伴うような状況におかれている。
このようにX9は,被爆したことによって一生涯にわたって多大な苦痛を
被り続けてきたところ,1審被告厚生労働大臣がその認定申請を却下し,X
9が被ってきた苦痛を否定するかのような結論を下したことにより,X9は
さらに大きな精神的な苦痛を被り,解決が長引くことによりその苦痛はさら
に増大を続けている。
このような1審被告厚生労働大臣の却下処分と本訴における係争の長期化
によってX9が被った精神的苦痛を慰謝料として評価すれば,200万円を下
ることはない。
(3)弁護士費用
,,1審原告らは1審被告厚生労働大臣ないし厚生大臣の前記違法行為により
本訴の提起,追行を余儀なくされた。1審原告らが1審原告ら訴訟代理人に支
払うことを約した着手金及び報酬のうち1審原告ら各自につき100万円を下ら
ない部分は1審被告国が負担すべきである。
【1審被告国の主張】
1責任原因について
(1)本件各却下処分の実体的適法性
1審被告厚生労働大臣による本件各却下処分はいずれも適法であるから,1
審原告らの1審被告国に対する国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求は,
いずれも理由がない。
(2)本件各却下処分と行政手続法5条1項
審査の方針は,審査会において放射線起因性及び要医療性の審査を担当する
医療分科会が,委員の共通の認識として活用するための基本的な考え方(審査
の姿勢とでもいうべきもの)を示したものであり,行政手続法5条1項にいう
-219-
「審査基準」には当たらず,1審被告厚生労働大臣は,原爆症認定申請につ
いて審査基準を定めていないのは,1審原告ら主張のとおりであるが,それは
次の理由によるものであり,行政手続法5条1項に違反しない。
行政手続法5条は,行政庁に審査基準の設定,具体化及び公表を義務付けて
いるところ,同条1項の審査基準設定義務は,いかなる場合であっても例外が
認められないものと解すべきではなく,①法令の規定において「許認可等,
をするかどうかをその法令に従って判断するために必要とされる基準」が,当
該許認可等の性質に照らしてできる限り具体的なものとして明確に定められて
おり,当該「法令の定め」のみによって判断することができる場合や,②許
認可等の性質上,個々の申請について個別具体的な判断をせざるを得ないもの
であって,法令の定め以上に具体的な基準を定めることが困難であると認めら
れる場合など,審査基準を設定しないことに合理的な理由ないし正当な根拠が
あると認められる特段の事情がある場合には,行政庁は,審査基準を設定する
ことを要しない,というべきである。
被爆者が被爆者援護法10条に規定する医療給付を受けるためには,厚生労働
大臣の認定(原爆症認定)を受けなければならず(同法11条1項,原爆症認)
定を受けるためには,同条1項所定の放射線起因性と要医療性の2要件を満た
すことが必要である。
しかるところ,この放射線起因性と要医療性は,事柄の性質上,個別具体的
に判断しなければならないので,行政庁である1審被告厚生労働大臣が,被爆
者援護法11条1項の定め以上に具体的な基準を定めることは,極めて困難であ
る。そして,被爆者援護法は,その科学性及び専門性にかんがみ,厚生労働大
臣は,原爆症認定を行うに当たり,申請疾患が原爆の傷害作用に起因すること
又は起因しないことが明らかである場合を除き,審議会(被爆者援護法23条の
2同法施行令9条により審査会の意見を聴かなければならないと規定し同,)(
法11条2項,審査会の意見に十分な考慮を払い,特段の合理的理由のない限)
-220-
り,審査会の意見に反する処分をしないようにすることにより,当該処分の客
観的な適正妥当と公正を担保し,もって1審被告厚生労働大臣の処分を適正な
らしめている。
以上のとおり,原爆症認定については,上記②の場合に該当し,1審被告厚
生労働大臣は,原爆症認定に関して審査基準を設定することを要しないから,
これを設定せずにした本件各却下処分が行政手続法5条1項に違反することは
ない。
(3)本件各却下処分と行政手続法8条1項及び2項
行政手続法8条によれば,行政庁は,申請により求められた許認可等を拒否
する処分をする場合は,申請者に対し,同時に,当該処分の理由を示さなけれ
ばならず(1項本文,当該処分を書面でするときは,その理由は,書面によ)
り示さなければならい(2項)とされているが,その趣旨は,行政庁による許
認可等の判断の合理性を担保するとともに,申請者に不服申立てのための便宜
を与えることにあるから,示すべき理由は,申請者が当該処分の根拠事実及び
根拠法規を了知し得る程度のもので足りると解される。
そして,被爆者援護法11条1項の原爆症認定は,申請疾病が放射線起因性及
び要医療性を有するか否かについて,医学や放射線防護学等の科学的知見を踏
まえて判断されるものであるから,その申請を却下する処分をなす場合に示す
べき理由は,申請手続に関する手続的要件を欠くこと又は実体的要件(放射線
起因性と要医療性)を欠くことについて,その根拠事実及び根拠法規が示され
ることで足りると解される。
本件各却下処分は,その各通知書によれば,申請疾病について,被爆者援護
法10条1項所定の放射線起因性が認められないという理由でされたことは明白
であり,処分の根拠事実及び根拠法規が示されているものであるから,行政手
続法8条1項及び2項に違反するものではない。
(4)審査の実情
-221-
1審原告らは,1審被告厚生労働大臣は,本件各却下処分に当たり,原因確
率以外の事情をほとんど考慮せず,原因確率なる基準に従って形式的に審査し
たにすぎないなどと主張する。
しかしながら,原爆症認定審査においては,総合的な判断が必要であり,事
前の資料収集等を含み,十分な審査が行われている。原因確率が審査の方針に
定められている疾病等については,医療分科会で配布される資料において事前
,,に算定した原因確率が記載されているところ原因確率が50%以上の場合には
改めて放射線起因性について議論する必要性は乏しいため,極めて短時間で認
定するとの結論が得られることが多いが,下調べの段階で資料の追加提出を求
めているのが全体の20~30%はあるとされており,事前の資料収集等に相当の
時間と手間を費やしているのであるから,医療分科会における審査時間の長短
をもって十分な審査がされていないということはできない。被爆地点,被爆距
離,被爆時の状況,被爆後の行動については,当該申請を医療分科会に諮問す
るに当たり,厚生労働省においても,申請者から提出された情報を子細に検討
し,必要に応じて都道府県等に照会するなどして,その正確な事実関係の把握
に努めているところである。
2損害
1審原告らの主張はいずれも争う。
第4章当裁判所の判断
第1原子爆弾による被害
(,,,,,,,,,,証拠甲A18の111の1・213172229303436
42,43,45,60,67,76,86,90,113の1~3,114,11
5の3・4・11の1・2,118の1・3,119,124の9・11,乙A3~5,7,9,1
-222-
,,,,,,,,,,,,213192024~2832333843465860
62,68,91,原審証人肥田舜太郎,同安斎育郎,同澤田昭二)及び弁論の全
趣旨によれば,以下の事実が認められる。
1原子爆弾の概要
(1)広島型原子爆弾
ア広島に投下された原子爆弾は,砲身式(ガンタイプ)といわれ,核分裂性
物質(核爆薬)であるウラン235を砲弾状とリング状の2つの臨界未満の塊
にわけ,火薬の爆発による推進力で砲弾状の塊をリング状の塊に急速に合体
させ,超臨界状態を作ると同時に引き金の中性子を打ち込むことにより,核
分裂連鎖反応を始めさせるものであるが,広島に投下された1個しか製造さ
れておらず,軍事機密上,その詳細なデータは公表されていない。
イ広島原爆は,昭和20年8月6日午前8時15分,広島市細工町19番地(現大
手町1-5-24)の島病院敷地内(原爆ドームの中心から南東160m)の上空5
80m(±15m)で,搭載されていたウラン60kgのうち約0.7kgが核分裂して
核爆発が起こった。残りのウラン235は環境中に放出されたとされている。
なお,爆発時の気象状況は,気温26.8度,湿度80%,西の風風速1.2m/sで
あった。
ウ核爆発の機序は,中性子発生装置から放出された中性子がウラン235の原
子に衝突し,原子核が2分裂するとともに新たな中性子が放出され,その中
(),性子が新たなウラン原子核を分裂させる過程連鎖反応を繰り返すもので
核分裂のたびにエネルギーとさまざまな放射線が発生するが,その反応は10
0万分の1秒という瞬間に起こり,中性子線は,原爆の外殻が破裂する以前
,,。に外部に放出され爆弾内部の温度は250万度にも達して爆弾が炸裂した
エ爆弾炸裂により火球が出現して急速に膨張し,核分裂反応の開始から約0.
2秒後からガンマ線が放出され,地上に熱線が到達し始める。そして,数百
万度の超高温に達した火球によって大気が加熱されて急激に膨張し,数十万
-223-
気圧という超高圧の気体あるいはプラズマ状態になり,衝撃波が発生する。
約1.7秒後にはキノコ雲が形成され,火球に含まれている核分裂生成物質,
誘導放射化された原爆の器材物質と大気中の原子核,分裂しなかったウラン
235をほとんど含んだままで上昇し,30分後には高度1万2000mに達し,1
時間後には,高さ,半径ともに十数kmに達したと推定されている。なお,爆
心地付近では上昇気流が,その外縁では下降気流が支配的となっていた。火
球の温度が低下し,キノコ雲が拡散し,一部には降雨もあって,市内各地に
放射性微粒子が降下した。
オ広島原爆の出力は,TNT(トリニトロトルエン)火薬に換算して,約15
kt(DS86による推定出力)~16kt(DS02による推定出力)と推定さ
れている。
(2)長崎型原子爆弾
ア長崎に投下された原子爆弾は,爆縮式(インプロージョン型)といわれ,
中性子発生装置の周囲に核分裂性物質(核爆薬)である未臨界のプルトニウ
ム239を球状に配置し,その周囲を天然ウランで囲み,その外側に爆縮レン
ズと呼ばれる高性能火薬を取り付け,火薬の爆発でプルトニウム球を臨界状
,,態にし同時に中性子が放出されて核分裂連鎖反応を始めさせるものであり
同タイプが多数作られ,ネバダ等で核実験が行われている。
イ長崎原爆は,昭和20年8月9日午前11時2分,長崎市松山町交差点の南東
約80m地点(平和公園の原爆中心碑の南南東約30m地点)の上空503m(±1
0m)で,搭載されていたプルトニウム8kgのうち約1~1.1kgが核分裂して
核爆発が起こった。残りのプルトニウム239は環境中に放出されたとされて
いる。
なお,爆発時の気象状況は,気温28.8度,湿度71%,南西の風風速3m/s
であった。
ウ核爆発の機序やその後の経過は,おおむね広島原爆と同様であるが,キノ
-224-
コ雲は,午前11時40分ころの時点で底部が1200~1400m,頂部が4000~5000
m,半径は25km付近まで広がっていたとされている。
エ長崎原爆の出力は,TNT火薬に換算して,約21kt(DS86及びDS0
2による推定出力)と推定されている。
2原爆によるエネルギー
原爆によって発生したエネルギーは,衝撃波と爆風が約50%,熱線が約35%,
放射線が約15%であったとされている。
(1)衝撃波と爆風
原爆の爆発によって形成された火球の膨張によって数十万気圧という超高圧
が生じ,その部分が火球から離れて衝撃波(高圧空気の壁)となって音速を超
えるスピードで広がった。衝撃波は爆発約10秒後には爆発点から3.7km,30秒
後には11kmに達した。そして,高圧の衝撃波と大気の圧力差から爆風が発生し
た。爆心地辺りでの風速は280m/s,爆心地から3.2km地点でも28m/sに及んだと
されている。
(2)熱線
原爆の爆発と同時に空中に発生した火球は,爆発の瞬間に最高数百万度に達
,()。し0.3秒後に火球の表面温度は約7000度太陽表面温度約6000度に達した
爆心地付近の温度は,約3000~4000度に達したものと推定されている。原爆に
よる熱線は,爆発後約3秒以内に99%が地上に影響を与え,爆心地で99.6cal/
㎠,3.5km地点で1.8cal/㎠の熱線量が計算されている。
(3)放射線
ア放射線の生体影響と単位
放射線には,X線やガンマ線などの光と同じ性質を持つ電磁波と,アルフ
ァ線,ベータ線,中性子線などの粒子線とがあるが,いずれも生体を含む物
質を通過する能力があり,放射線の生体への影響は,放射線が生体を通過し
たり,生体に吸収されたりしたときに生体の細胞を構成する蛋白質や水など
-225-
の分子中の電子にエネルギーを与え,エネルギーを得た電子が分子から飛び
出す電離作用によって引き起こされる。このように放射線の照射によって電
子が弾き出され,この電子がさらに周囲の原子から電子をはぎ取って二次的
な電離を起こさせる放射線を電離性放射線(以下,特に断らない限り,放射
。),,線は電離性放射線を意味するといい上記電磁波や粒子線はこれに属し
紫外線,可視光線,赤外線,電波等は非電離性放射線といわれる。原爆の爆
発に際しては,非電離性放射線も発生し,その影響も懸念されているが,具
体的な評価はされていない。放射線の生体影響度は,以下のような単位で示
される。
(ア)線量単位(吸収線量)
放射線の影響は,どれだけのエネルギーを生体に与えて電離作用を起こ
しているかによって決まるので,放射線の強さ(線量単位)は,物質1kg
当たり1ジュールのエネルギーを与える放射線を1Gy(Gray)として,吸
収線量の単位で示される。従来から使用されてきた吸収線量の単位はラド
(rad)であり,1Gy=100rad,1rad=0.01Gy=10mGyである。
(イ)生物学的効果比(RBE)
同じ吸収線量でも放射線の種類によって生体に対する影響は異なり,高
い密度で集中して電離作用を行い,短い距離の間に多くのエネルギーを与
える放射線を高LET放射線(アルファ線,中性子線等)と,低い密度で
比較的まばらな電離作用を行う低LET放射線(ガンマ線)がある。
各放射線の生体に与える影響(危険度)を表す指標として生物学的効果
比(RBE)が求められており,ICRPの1990年勧告(国際放射線防護
委員会は,世界の放射線防護の研究者で組織され,公表された研究報告等
を検討して,放射線防護に必要な結論を引き出し,世界各国に勧告してい
る機関であり,世界中の放射線防護関連法令は,すべてICRP勧告に準
拠して作成されており,世界共通の基準となっている)によれば,ガン。
-226-
マ線の生体への影響を基準(=1)として,アルファ線は20,ベータ線は
1,中性子線は5(低エネルギー)~20(高エネルギー)とされている。
(ウ)線量当量
放射線の生体への影響を考慮した線量としては,吸収線量に生物学的効
果比を乗じた線量当量が用いられる。1Gyのガンマ線と同じ生物学的影響
を与える線量当量を1Svとする。したがって,アルファ線は20Sv,中性子
線は5~20Svとなる。
イ初期放射線と残留放射線(乙A9)
空中爆発による原爆の放射線(原爆放射線)については,爆発後1分以内
に空中から放射される放射線(全エネルギーの約5%)と,それ以後の長時
間にわたって放射される放射線(同約10%)の2種類に分類し,前者を初期
放射線,後者を残留放射線と称している。
(ア)初期放射線
初期放射線の主要成分はガンマ線と中性子線である。
ガンマ線のうち,核分裂反応が起こっている100万分の1秒以内に放出
されるものを即発ガンマ線と呼び,爆発1分以内に核分裂生成物や誘導放
射化された原子核から放出されたものを遅発ガンマ線という。
中性子についても,核分裂の連鎖反応の瞬間に放出される即発中性子の
ほかに核分裂で生じた核分裂生成物の原子核からやや遅れて放出される遅
発中性子がある(広島原爆では即発中性子のみによる連鎖反応を,DS8
6は遅発中性子による連鎖反応を利用している)。
(イ)残留放射線
残留放射線は,核爆発後1分以降の長期間にわたって放射されるものであ
り,2種類に区分されている。一つは,核分裂生成物や分裂しなかったウラ
ン235(広島原爆)ないしプルトニウム239(長崎原爆)が空中に飛散し,地
上に降り注ぎ,爆発1分以後のガンマ線,ベータ線,アルファ線の放射線源
-227-
となった放射性降下物(いわゆる「死の灰)であり,他の一つは,地上に」
降り注いだ初期放射線(中性子線)が地表や建築物資材の原子核に衝突して
原子核反応を起こし,それによって放射能を誘導することによって生ずる誘
導放射線に分けられる。
3原子爆弾による被害
(1)死亡
広島市調査課が発表した昭和21年8月10日までの広島原爆による距離別の死
傷者数(軍人及び当時広島で作業をしていた朝鮮半島の人々を除く)は,次。
表のとおりである(乙A9・7頁。昭和21年1月以降の死者を除くと11万40)
00人と推定されている。
死亡者重傷者軽傷者無傷者合計
爆心地から行方
の距離(km)不明者
0.5未満19,32947833859392421,662
0.5~1.042,2713,0461,9191,3664,43453,036
1.0~1.537,6897,7329,5221,1889,14065,271
1.5~2.013,4227,62711,51622711,69844,490
2.0~2.54,5137,83014,1499826,09652,686
2.5~3.01,1392,9236,7953219,90730,796
3.0~3.51174741,934210,25012,777
3.5~4.01002951,768313,51315,679
4.0~4.586437304,2604,705
4.5~5.0313615616,5936,817
5.0以上421913616711,79812,162
合計118,66130,52448,6063,677118,613320,081
長崎原爆による昭和20年12月末日までの死者数は6~7万人とされている。
(2)熱線による被害
原爆による熱線は,爆心地付近では人体を炭化させ,瓦や岩石の表面を溶融
させるほどの熱作用をもたらし,かなり広範囲にわたって人体に重度の火傷を
負わせ,また,火災を発生させて多数の焼死者を作り出した。
衣服をまとわぬ人体皮膚の熱線火傷(2cal/㎠以上の熱量で起こる)は,。
-228-
爆心地から広島では約3.5kmまで,長崎では約4kmまで及んだ。また,爆心地
から約1.2km以内で遮蔽物のなかった人が致命的な熱線火傷を受け,死者の20
~30%がこの火傷によるものと推定されている。また,熱線による織物や木材
などの黒こげ(3cal/㎠以上の熱量で起こる)は,爆心地から広島では約3k。
mまで,長崎では約3.5kmまで及んだ。
(3)爆風による被害
原爆の爆風による人間の死亡や外傷は,主として建築物の崩壊や飛び散る破
片によるものであった。爆心地から約1.3km以内においては,爆風による死傷
が特に深刻で,死者の約20%はこれによるものであった。
また,爆風と熱線,火災の効果が相乗して被害が増幅された。すなわち,熱
線による建築物等への全面的な着火は大規模な火災を引き起こし,巨大な火事
嵐となって大災害につながった。熱線によって着火した建築物等は,続いてや
って来る衝撃波と爆風によって着火したまま崩壊し,屋内にいた人々をその下
敷きにした。爆風によって一時的に炎が吹き飛ばされることがあっても,しば
らくくすぶり続け,衝撃波,爆風の通過後,倒壊した建築物等から一斉に発火
し,爆発後かなりの時間経過後火災を引き起こす場合もあった。熱線と火事の
両方による人体火傷が死者の約60%に対する原因であったと考えられている。
爆風と火災により灰じんに帰した総面積は,広島では約13㎢,長崎では約6.
7㎢であった。建物の被害状況は,広島(被爆前の建物数約7万6000戸)では
全壊全焼が62.9%,全壊が5.0%,半壊・半焼・大破が24.0%(合計91.9%)
であり,長崎(被爆前の建物数約5万1000戸)では全壊全焼が22.7%,全壊が
2.6%,半壊・全焼・大破が10.8%(合計36.1%)であった。
(4)放射線による被害
原爆の放射線による障害は,①発現時間の違いで,急性障害(昭和20年8
月の爆発時から同年12月末までの時期の症状)と後障害(昭和21年1月以降に
発生した障害)に,②障害の発生にしきい値(一定の線量で一定の結果が発
-229-
生する確定的影響の場合の線量であるが,個体差はある)の有無で確定的影。
響と確率的影響に,③被曝態様の違いで,外部被曝と内部被曝に,④影響
発症者の違いで,身体的影響と遺伝的影響に分類される。
ア急性障害と後障害
(ア)急性障害は,さらに,第1期(被曝直後から第2週の終わりまでの2
週間,第2期(第3週から第8週の終わりまでの6週間,第3期(第))
3月から第4月の終わりまでの8週間)に分けることができる。
a第1期
高度の放射線を受けた者の多くは,直ちに全身の不快な脱力感,吐き
,,,,,気嘔吐などの症状が現れ2~3日から数日の間に発熱下痢喀血
吐血,下血,血尿を起こし,全身が衰弱して被曝から10日前後までに死
亡していった。この時期の死亡者の病理学的所見として,放射線による
骨髄,リンパ節,脾臓などの造血組織の破壊及び腸の上皮細胞,生殖器
や内分泌腺細胞における腫脹と変性などがみられた。
b第2期
前半期(第3週~第5週)には,亜急性症状として,吐き気,嘔吐,
下痢,脱毛,脱力感,倦怠,吐血,下血,血尿,鼻出血,歯齦出血,生
,,,,,,,殖器出血皮下出血発熱咽頭痛口内炎白血球減少赤血球減少
無精子症,月経異常などがみられた。病理学的に最も著明な変化は,放
射線による骨髄,リンパ節,脾臓などの組織の破壊で,その結果,血球
特に顆粒球及び血小板の減少が生じた。これが原因になって,感染に対
する抵抗力の減退及び出血症状がみられた。この時期の死因の多くは敗
血症であった。そのほか,死因とは直接の関係は少ないが,下垂体,甲
状腺,副腎などの内分泌腺に放射線による萎縮性障害像がみられた。
後半期(第6週~第8週)は,比較的軽度な症状であったものは回復
に向かい始め,解熱,炎症症状の消退,出血性素因の消失がみられ始め
-230-
た。しかし,一部には肺炎,膿胸,重症大腸炎などの症状を発し,いっ
たん好転しかけていたのに再び容態を悪化するものがかなりみられた。
これらの合併症状の発現は放射線による抵抗力の減弱によるものと考え
られている。
c第3期
放射線による血液や内臓諸臓器の機能障害も回復傾向を示し,第3期
の終わりまでに大体治癒した。軽度脱毛では発毛がみられ,白血球数の
,,。,正常化骨髄での顆粒球系赤芽球系の増殖所見などがみられた一方
生殖器への放射線の影響はなお続いており,男性の精子数減少,女性の
月経異常もみられる。
(イ)後障害
a悪性腫瘍
昭和21年1月以降に原爆放射線に起因して発生した後障害としては,
白血病,甲状腺がん,乳がん,肺がん,胃がん,結腸がん,食道がん,
卵巣がん,膀胱がん,多発性骨髄腫などの悪性腫瘍が挙げられる。
bがん以外の疾病
また,近時,がん以外の疾病についても放射線との間に有意な関係が
指摘されるようになり,寿命調査第12報第2部「原爆被爆者の死亡率調
査~がん以外の死亡率:1950-1990年(甲A67文献番号18)では,」
被曝線量が推定されている8万6572人の原爆被爆者におけるがん以外の
(),,,死亡者2万7000人以上について解析を行った結果心臓病脳卒中
消化器疾患,呼吸器疾患及び造血器系疾患に放射線との統計的に有意な
関係がみられるとしている。また,成人健康調査第7報「原爆被爆者に
おける癌以外の疾患の発生率1958-86年(第1-14診察周期(甲A)」
42)では,成人健康調査コホートの長期データに基いた解析の結果,
子宮筋腫,慢性肝炎及び肝硬変,甲状腺がんを除く甲状腺所見が1つ以
-231-
上あることという大まかな定義に基づく甲状腺疾患に,統計的に有意な
過剰リスクを認めたとされており,成人健康調査第8報「原爆被爆者に
,」()おけるがん以外の疾患の発生率1958-1998年甲A67文献番号31
,,。ではこのほか白内障にも有意な正の線量反応を認めたとされている
c慢性原子爆弾症ないし原爆ぶらぶら病
被爆前には全く健康であった原爆被爆者で,急性症状が生じなかった
者や急性症状から回復した者が,被爆後にはいろいろな病気に罹患した
り,自覚症状として,全身の疲労感,倦怠感を訴えたり,風邪をひきや
,。すい下痢をしやすいといった症状を訴えたりするものが多くみられた
,,それらの被爆者については一般検診で異常が発見されていないものの
被爆距離や被爆状況の違いによる相異がほとんど見られず,相当高率で
の愁訴がある。原爆投下後,数年間にわたり,広島・長崎の状況を観察
してきた都築正男は,これらの人々の状態を臨床医学の立場から「慢性
原子爆弾症」と称することを提案し,身体的あるいは精神的異常が認め
られない場合については,低線量被曝の影響(放射線障害に起因した諸
内臓機能障害)に基くものと考えたいとしている。また,国内外の多く
の被爆者の診療をしてきた肥田舜太郎医師は,特に身体の異常なだるさ
が全被爆者に共通しており,内部被曝の特徴であるとの見解を述べてい
る。ただ,このような症状は,初老期あるいは更年期の症状と酷似して
おり,神経症様症状ととらえる見方もある(甲A34,36,43,6
7文献番号3・37,115の3,119,原審証人肥田舜太郎。)
イ確定的影響と確率的影響
(ア)確定的影響
体内の多くの組織・臓器の中では,常に細胞の喪失と交替が起こってい
る。確定的影響は,細胞死に伴う臓器(組織)の機能障害に関連するもの
である。ある臓器(組織)が被曝した場合,その臓器(組織)を構成する
-232-
多数の細胞のうちある割合が死ぬが,被曝線量がある線量以下である場合
は死ぬ細胞の割合も小さく,生存した細胞で代償されて機能の低下が起こ
らず,その後の細胞増殖(交替率の上昇)により元の細胞数に戻り,その
()。,,臓器組織の機能も完全に回復するしかし線量があるレベルを超え
細胞がある割合以下になるまでに死んでしまうと,代償が不可能となり,
その臓器(組織)の機能が完全に停止し,障害が起こる。このような影響
を確定的影響という。この確定的影響の特徴は,その影響が起こるための
線量にしきい値(しきい線量)があり,また,線量とともにその重篤度が
変わる(線量が大きいほどより重篤となる)点にあり,白内障,皮膚の。
,,,(,)。紅斑脱毛不妊血液失調症などが挙げられている乙A6068
ただし,このしきい値については,個体の放射線感受性によって影響が
異なるだけでなく,被爆グループの中に放射線被曝時すでに病的状態に近
い健康状態であった者などがいた場合,放射線被曝による細胞喪失量が通
常より少ないときでも病的状態に陥ることがあり得るのであって,本来幅
のある数値であり,新しい症例が出てくれば低く変更されることもあると
(,,)。の指摘がされている甲A11の113・17~18頁原審証人安斎育郎
(イ)確率的影響
確率的影響は,照射された細胞が殺されるのではなく,修飾されること
から起こるのであり,被曝した臓器(組織)を構成する細胞のDNA分子
の何らかの変化に関連するものである。この場合は,理論的には放射線が
DNAにたった1つの損傷を作った場合でも障害が起こる可能性があるの
で,どんなに低い線量でも障害が起こり得ることになる(例えば,修飾さ
れた1つの体細胞によるクローン形成が阻止できなければ,長期の潜伏後
に被修飾細胞の増殖が制御されなくなり悪性状態を生ずる可能性があ
る。このような影響を確率的影響という。この確率的影響の特徴は,。)
線量とともに障害が起こる頻度が増加するが,重篤度は線量に依存しない
-233-
点にあり,発がんや遺伝的影響が含まれるとされている(甲A13乙A,
60。)
ウ外部被曝と内部被曝
被曝態様としては,人体の外部から放射線が照射される外部被曝と人体の
内部に放射性物質が入り込み,細胞組織等に作用する内部被曝とがある。
外部被曝が総じて体外からの一時的な被曝であるのに対し,内部被曝の場
合,体内に入り込んだ放射性物質が,その物質の物理的,化学的性質に応じ
て,身体内の特定の器官や組織に沈着し(セシウム137はほぼ全身に分布す
るが,ヨウ素131は甲状腺に取り込まれて影響を与え,また,ストロンチウ
ム90は主として骨に沈着して影響を与えることが一般的に知られている。原
審証人安斎育郎,その放射能がなくなるまで,周囲の組織を照射し続ける)
という特徴を持つとされ,その放射線量が大きい場合には,放射線障害を引
き起こすとされている(乙A43。)
第2厚生大臣ないし厚生労働大臣による原爆症認定の基準
1原爆症認定要件に係る法令の定め
原爆症認定に係る法令(原爆医療法,被爆者特別措置法,被爆者援護法)の定
めの概要は,第2章第2の2記載のとおりであり,原爆症認定を受けるための要
件としては,①被爆者が現に医療を要する状態にあること(要医療性)と,②
現に医療を要する疾病等が原爆の放射線に起因するものであるか,又は上記疾
病等が放射線以外の原爆の傷害作用に起因するものであって,その者の治癒能力
が原爆の放射線の影響を受けているため上記状態にあること(放射線起因性,)
の2つの要件が必要である。
2原爆症認定の基準(放射線起因性と要医療性)
上記2要件の認定に関する基準は以下のとおりである。
-234-
(1)治療指針及び実施要領
原爆医療法の制定(昭和32年3月)後,昭和33年8月13日付けで治療指針及
び実施要領が出された。その概要は,次のとおりである。なお,この当時は,
放射線量の推定方式は存在しなかった。
ア治療指針(甲A112の2)
治療指針は,医療審議会の意見を聞いて,原爆医療法に基づき医療の給付
を受けようとする者に対し適正な医療が行われるよう,原爆の傷害作用に起
因する疾病等(後障害症)の特徴及び患者の治療に当たり考慮されるべき事
項を定めて,厚生省公衆衛生局長が各都道府県知事及び広島・長崎市長あて
に通知したものである。
そして,治療上の一般的注意として,被爆者に関しては,いかなる疾病又
は症候についても一応被爆との関係を考え,その経過及び予防について特別
の考慮が払われなければならず,後障害症が直接間接に核爆発による放射能
に関連するものである以上,被爆者の受けた放射能特にガンマ線及び中性子
の量によってその影響の異なることは当然想像されるが,被爆者の受けた放
射能線量を正確に算出することはもとより困難である,この点については被
爆者個々の発症素因を考慮する必要もあり,また,当初の被爆状況等を推測
して状況を判断しなければならないが,治療を行うに当たっては,特に次の
諸点について考慮する必要があるとして,①被爆距離については,被爆地
,,が爆心地からおおむね2km以内のときは高度の2~4kmのときは中等度の
4kmを超えるときは軽度の放射能を受けたと考えて処理して差し支えない,
②被爆後における急性症状の有無及びその状況,被爆後における脱毛,発
熱,粘膜出血その他の症状を把握することにより,その当時どの程度放射能
,。の影響を受けていたか判断することのできる場合があるなどとされている
イ実施要領(甲A33)
実施要領は,原爆医療法による健康診断に関し,放射能による障害の有無
-235-
を決定することははなはだ困難であるため,ただ単に医学的検査の結果のみ
ならず,被爆距離,被爆当時の状況,被爆後の行動等をできるだけ精細に把
握して,当時受けた放射能の多寡を推定するとともに,被爆後における急性
症状の有無及びその程度等から間接的に当該疾病又は症状が原子爆弾に基づ
くか否かを決定せざるを得ない場合が少なくないから,健康診断に際しては
この基準を参考として影響の有無を多面的に検討し,慎重に診断を下すこと
が望ましいとし,被爆者の健康診断を行うに当たって特に考慮すべき点とし
て,被爆者の受けたと思われる放射能の量,被爆後における健康状況,臨床
医学的探索及び経過の観察を挙げている。このうち,被爆者の受けたと思わ
れる放射能の量については,現在において被爆当時に受けた放射能の量を把
握することはもとより困難であるが,おおむね次の事情は当時受けた放射能
の量の多寡を推定する上に極めて参考となり得るとして,上記①と同じ判断
,,,基準を示し加えて被爆当時の遮蔽状況を詳細に調査する必要があること
被爆後の行動については,放射能の体外照射以外に,放射能物質が体内に入
った場合の体内照射が問題となり得るから,被爆後の行動及び滞在期間が照
射量を推定する上に参考となる場合が多いと指摘している。また,被爆後に
,,おける健康状況については被爆者の受けたと思われる放射能の量に加えて
被爆後数日ないし数週に現れた被爆者の健康状態の異常が,被爆者の身体に
対する放射能の影響の程度を想像させる場合が多い,すなわち,この期間に
おける健康状態の異状のうちで脱毛,発熱,口内出血,下痢等の諸症状は被
曝による急性症状を意味する場合が多く,特にこのような症状の顕著であっ
た例では,当時受けた放射能の量が比較的多く,したがって後障害症が割合
容易に発現し得ると考えることができるとしている。
(2)認定基準(内規(甲A28))
その後,後記のような被曝放射線量の推定方式としてT65DやDS86が
公表されるに伴い,医療審議会あるいは認定審査会において,原爆症認定申請
-236-
者の被爆距離等から上記線量推定方式を基に申請者の被曝線量を推定し,一方
で,疾病ごとに認定の基準となる一定の線量を定め,上記推定被曝線量が当該
疾病の認定の基準となる線量を超えるか否かをみるという基準により,原爆症
認定審査が行われるようになった。
平成6年9月19日付け医療審議会の認定基準(内規)は,まず,線量評価に
ついて,爆心地からの距離に応じた被曝線量(広島の1.2kmでは170rad,2.5km
では1rad,長崎の1.2kmでは320rad,2.5kmでは2rad等)を評価し,さらに,
遮蔽条件による係数(遮蔽なし1.0,遮蔽ありは0.7)を乗じ,誘導放射能によ
る被曝線量(8時間滞在時。2時間後に爆心地から0.3km地点で滞在を開始し
た場合,広島で10rad,長崎で5rad等)を考慮し,さらに,放射性降下物によ
る被曝線量(組織吸収線量)として,広島の己斐・高須地区で0.6~2rad,長
崎の西山地区で12~24radを考慮するものとしている。
この推定被曝線量が,確率的影響もしくは確定的影響によるとされる各疾患
に設定された線量(胃がん等は10rad,肝臓がん等は25rad,子宮がん等は50ra
d,放射線白内障等は10radなどとする)を超える場合は放射線に起因性があ。
ると判断するものとしている。
また,要医療性の評価についても,原則として,ほぼ毎月,保険医療を受療
している状態にあることなどの基準を定めている。
(3)審査の方針(乙A1)
平成12年度の厚生科学研究費補助金厚生科学特別研究事業として,児玉和紀
広島大学医学部保健学科健康科学教授を主任研究者とする「放射線の人体への
健康影響評価に関する研究(児玉報告書,乙A2)が行われ,その研究結果」
をも踏まえて,医療分科会により平成13年5月25日付けで審査の方針が作成さ
れ,原爆症認定に係る審査に当たってはこれに定める方針を目安として行うも
のとしている。その概要は,次のとおりである。
ア放射線起因性の判断
-237-
(ア)判断に当たっての基本的な考え方
申請に係る疾病等における放射線起因性の判断に当たっては,原因確率
(疾病等の発生が原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられ
る確率)及びしきい値(一定の被曝線量以上の放射線を曝露しなければ,
疾病等が発生しない値)を目安として,当該申請に係る疾病等の放射線起
因性に係る「高度の蓋然性」の有無を判断する。
この場合にあっては,①当該申請に係る疾病等に関する原因確率がお
おむね50%以上である場合には,当該申請に係る疾病の発生に関して原爆
放射線による一定の健康影響の可能性があることを推定し,②おおむね
10%未満である場合には,当該可能性が低いものと推定する。
ただし,当該判断に当たっては,これらを機械的に適用して判断するも
のではなく,当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案し
た上で,判断を行うものとする。
また,原因確率等が設けられていない疾病等に係る審査に当たっては,
当該疾病等には,放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されてい
ないことに留意しつつ,当該申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,
生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を判断するものとする。
(イ)原因確率の算定
原因確率は,申請に係る以下の各疾病等,申請者の性別の区分に応じ,
()。それぞれ定める別表1~8本判決添付の別表1~8に定める率とする
白血病男別表1-1女別表1-2
胃がん男別表2-1女別表2-2
大腸がん男別表3-1女別表3-2
甲状腺がん男別表4-1女別表4-2
乳がん女別表5
肺がん男別表6-1女別表6-2
肝臓がん,
皮膚がん(悪性黒色腫を除く)。
-238-
卵巣がん男別表7-1女別表7-2
尿路系がん(膀胱がんを含む)。
食道がん
その他の悪性新生物男女別表2-1
副甲状腺機能亢進症男女別表8
(ウ)しきい値
放射線白内障のしきい値は,1.75Svとする。
(エ)原爆放射線の被曝線量の算定
申請者の被曝線量の算定は,①初期放射線による被曝線量,②残留
放射線による被曝線量,③放射性降下物による被曝線量の各値を加えて
得た値とする。
初期放射線による被曝線量は,申請者の被爆地及び爆心地からの距離の
区分に応じて定めるものとし,その値は別表9(本判決添付)に定めると
おりとする(ただし,被爆時に遮蔽があった場合はこの値に被爆状況によ
って0.5~1を乗じて得た値とする。。)
残留放射線による被曝線量は,申請者の被爆地,爆心地からの距離及び
爆発後の経過時間の区分に応じて定めるものとし,その値は別表10(本判
決添付)に定めるとおりとする。
放射性降下物による被曝線量は,原爆投下の直後に下記特定の地域に滞
在し,又はその後,長期間にわたって当該特定の地域に居住していた場合
について定めることとし,その値は次のとおりとする。
己斐又は高須(広島)0.006~0.02Gy
西山3,4丁目又は木場(長崎)0.12~0.24Gy
(オ)その他
(イ)記載のその他の悪性新生物に係る別表については,疫学調査では放
射線起因性がある旨の明確な証拠はないが,その関係が完全には否定する
-239-
ことができないものであることにかんがみ,放射線被曝線量との原因確率
が最も低い悪性新生物に係る別表2-1を準用したものである。
(ウ)に規定する放射線白内障のしきい値は,95%信頼区間が1.31~2.21
Svである。
イ要医療性の判断
要医療性については,当該疾病等の状況に基づき,個別に判断するものと
する。
ウ方針の見直し
この方針は,新しい科学的知見の集積等の状況を踏まえて必要な見直しを
行うものとする。
3放射線起因性判断基準としての被曝線量算定方式
,,()上記のとおり原爆症認定の基準として平成6年9月19日に認定基準内規
が,平成13年5月25日には審査の方針が定められており,X5及び同X7につい
ては認定基準(内規)が,その余の1審原告らについては審査の方針がそれぞれ
の原爆症認定基準として適用されたものと認められる。そして,両者とも,推定
被曝線量(両基準で多少の違いはあるが,ほぼ距離ごとに同様の線量が定められ
ている)を基準として,認定基準(内規)では,各疾患に設定された線量が,。
審査の方針では被曝線量に依拠する原因確率が主たる判断の要素とされている。
これらが依拠する被曝線量算定方式の内容は以下のとおりである。
(1)審査の方針における被曝線量算定方式(概要)
上記認定のとおり,審査の方針は,被曝線量について,①初期放射線によ
る被曝線量,②残留放射線による被曝線量,③放射性降下物による被曝線
量の各値を加えて得た値とするものとし,①につき別表9,②につき別表10を
定め,③については,己斐又は高須(広島)及び西山3,4丁目又は木場(長
崎)についてのみ,上記③の線量を付加するものとしている。
(2)初期放射線による被曝線量
-240-
別表9は,DS86の線量評価システムに基づいて推定された数値に基づい
(,,,て作成されているなお1審被告らの説明によれば認定審査会においては
DS86により求められた数値を端数処理して得られた別表9による数値では
なく,寿命調査に際し被爆者の初期放射線による被曝線量の算定に用いていた
より厳密な線量推定表に基づいて被曝線量を算定しているということである
が,その差は端数処理の方法が異なる等にすぎないというものであり,実質的
にDS86に依拠しているものと認められる。また,別表9の注の透過係数も
DS86の示す透過係数から判断して0.5を超えることはないとして設定され
たものであるが,1審被告らによれば,認定審査会においては,実際の審査に
おいて個々の申請者の被爆状況を子細に把握することが困難である上,透過係
数が0.7以上になるような被爆状況は想定し難いことから,それを一律0.7とし
て被曝線量を算定しているということである。。)
(3)残留放射線による被曝線量
別表10は,DS86において,爆心地における誘導放射能からの外部放射線
への潜在的最大被曝は,広島について約50rad,長崎について18~24radと推定
され,また,これらの被爆は時間や距離とともに減少するとされたことに基づ
,(,),いて爆心地からの距離を100m間隔広島は700m長崎は600mまでとし
積算線量を8時間ごととして,広島及び長崎のそれぞれについて残留放射線量
を推定して作成された。
(4)放射性降下物による被曝線量
放射性降下物による被曝線量は,広島及び長崎の原爆による放射性降下物の
量は,爆心地から約3km離れた己斐・高須地区(広島)及び西山地区(長崎)
に特に多くみられたとの知見に基づき,DS86における推定値(地上1mに
おける累積ガンマ線被曝線量。己斐又は高須地区につき0.006~0.02Gy,西山
地区につき0.12~0.24Gy)に依拠して,上記のとおり定められた。
4原爆放射線の線量評価システムの変遷と各システムの内容
-241-
以上のとおり,審査の方針の定める原爆放射線の被曝線量の算定に関する基準
はDS86の線量評価システムに依拠して作成されているものと認められるが,
それにいたる線量評価システムの変遷とDS86の内容及びDS86の見直しと
して実施されたDS02の内容は以下のとおりである。
(1)原爆放射線の線量評価システムの変遷
証拠(甲A11の1・2,12,60,乙A9,10,18,20,34,3
8,39,45,46,48,75,76,原審証人安斎育郎,同澤田昭二,
同小佐古敏荘)によれば,DS86,DS02に至る原爆放射線の線量評価シ
ステムの変遷について,大要以下のとおり認められる。
アT57D及びT65D
米国原子力委員会は,原爆放射線の人体に対する影響を研究するため,オ
ークリッジ国立研究所(ORNL)に要請してICHIBANプロジェクトを立ち
上げ,ネバダ州(砂漠)の核実験データを基に,1957年,距離による被曝線
量の評価方式を定式化し,1957年暫定線量(T57D)を定めた。そして,
これが広島,長崎の被爆生存者の放射線被曝線量の推定に用いられるように
なった。しかし,この実験では日本家屋等による遮蔽効果の検討がされてお
らず,しかも当時は中性子線その他の測定技術も未熟で,多くの誤差を含む
ものであり,開発を指揮したヨーク大尉自ら再調査の必要性を指摘していた
上,広島,長崎と環境の大きく異なるネバダ州の核実験データをそのままに
適用するのは不適当と考えられた。
そこで,ICHIBANプロジェクトは,ネバダ州の核実験場において,長崎型
原爆と同型の原爆を使用した実験,約500mの鉄塔を建て,そこに裸の小型
原子炉あるいは強力なコバルト60を線源とした大がかりな実験装置を設置し
て行った実験,日本家屋を建設して,周辺への放射線伝播を測定する遮蔽実
験等を行い,そこから得られた結果を基に,ABCCやORNL等により19
65年暫定線量(T65D)が策定された。
-242-
このT65Dの評価システムは,広島型で±15%,長崎型で±10%程度の
,,,精度があると評価されABCCは広島長崎の被爆者の被曝線量を計算し
発がんなどの疫学調査と併せて,放射線による影響のデータ収集を行った。
その後,ICRPがこの放射線の影響データを放射線のリスク決定の基本的
な資料として利用するようになった。
ところが,1970年代後半から,T65Dの中性子線量に問題があるなどの
指摘がされるようになった。すなわち,T65Dは,米国のネバダ州という
日本よりもかなり湿度の低い場所で実験したため,中性子線量が正確に再現
(,されなかったこと広島型で爆心から2km地点のガンマ線は約1/2~2/7低く
中性子線で10倍位高いなどの指摘があった,長崎に投下されたのと同じ。)
タイプのプルトニウム型の爆弾を主として用いたため,広島原爆による放射
線の分布と著しく異なった結果となっていること,さらに,遮蔽物の日本の
家屋の構造等が不十分で遮蔽の推定精度が十分でなかったことなどの問題が
存した。
イDS86(乙A20,34,76)
上記のようなT65Dの問題が指摘される中で偶然に広島型原爆のレプリ
カが発見されたこともあって,これらの問題点を解消するため,1981年にア
メリカにおいて線量再評価検討委員会が設置されるとともに,その結果を評
,,,価吟味するための上級委員会が設置されこれに対応して日本においても
厚生省により検討委員会と上級委員会が組織された。そして,1963年の部分
的核実験禁止条約に調印していたため核実験ができなかったこともあって,
主として実験データに基づいたT65Dに代わって,1970~1980年代に本格
的な利用が可能となったコンピュータによる数値計算を主体としたシミュレ
ーション・アンド・ゲーミングのプログラムを用いた新たな線量評価システ
ムが開発され,1986年に最終報告書が承認され,1987年にDS86として発
表された。
-243-
DS86は,ICRPによる放射線防護等の基準の根拠として用いられる
など,世界の放射線防護の基本的資料とされ,世界中において優良性を備え
た体系的線量評価システムとして取り扱われてきた(もっとも,DS86自
体,空気中カーマの推定値に25~30%程度の誤差を含みうる可能性を否定し
ていない。甲A52。)
ウDS02(乙A10,39,76)
DS86の計算値と測定値との熱中性子線の系統的なずれの存在はDS8
6報告書自身で指摘されていたところであるが,1990年代に入り,DS86
の計算とコバルト60やユウロピウム152の測定結果との間の系統的なずれの
存在が指摘されたため,この問題を再検討するため1996年に日米の研究者に
よる研究会が開催され,共同研究が開始された。この研究においては,コン
ピュータの進歩により精密で高速の計算ができるようになったため,より複
雑な体系の計算ができるようになり,これに基づく新たな線量推定を行い,
放射線測定方法の向上などを受けた新たな知見などが付け加えられた。そし
て,2003年3月,厚生労働省と米国エネルギー省合同の上級委員会の承認を
得て,DS02が決定された。なお,DS02報告書は,2005年になって公
表された。
(2)DS86の概要
審査の方針の定める原爆放射線の被曝線量の算定に関する基準がDS86に
,(,依拠して作成されていることは前記3のとおりであるところ証拠乙A16
19,20,38)によれば,DS86の概要は,以下のとおりであると認め
られる。
アシステムの概要
原爆の爆発と同時に生じた放射線は,起爆剤(火薬)や爆弾の殻と相互作
用を起こしながら大気中に放出され,放出された放射線は,大気中の空気分
子と作用し,二次ガンマ線を作りながら伝播して家屋等の遮蔽物に達し,そ
-244-
こでまた相互作用を起こしながら被爆者の身体表面に到達し,身体の組織と
再び相互作用を起こして臓器に線量を与えることになり(即発放射線,ま)
た,核分裂片は火球とともに上昇し,その過程でガンマ線を放出し,遅発中
性子もわずかではあるが放出され(遅発放射線,即発放射線と同様の過程)
を経て臓器に線量を与える。
DS86は,これらの諸過程をすべて物理的素過程に基づいて計算コード
に組み立て,種々の実験データや広島,長崎における測定データをこのコー
ドの検証に用い,計算と実験との一致が十分でない場合は,両者に落ち度が
ないかを検討して改善を加えていくという過程を経て開発された。この開発
作業においては,主として日本側は,花崗岩,コンクリートなどの被爆資料
を収集し中性子で誘導された放射能(コバルト60,ユウロピウム152)を測
定し,またガンマ線に対しては屋根瓦や煉瓦,タイルを収集し熱ルミネセン
ス法により発光量を測定することによって線量を評価した。これに対し,ア
メリカ側は,主にスーパーコンピュータを用いた計算を行い,放射線の発生
源でのスペクトル(ソースターム)の計算結果を基に,中性子,ガンマ線の
輸送計算を行い,家屋での透過線量,被爆者の計算モデルを利用した各臓器
線量などを求めた。
こうして作成されたDS86においては,任意の位置におけるエネルギー
別,角度別のフルエンスを与えることができ,フルエンスから容易に空気中
組織カーマ(空気中カーマ。DS86においては地形,構造物又は身体によ
る遮蔽を受けていない地上1mの地点における線量として計算されてい
る,遮蔽がある場合の空気中組織カーマ(遮蔽カーマ。被爆者の周囲の。)
構造物による遮蔽を考慮した被曝線量)及び臓器線量(人体組織による遮蔽
も考慮した被曝線量)を計算することができる。
DS86は,T65Dと比べ,長崎においては,ガンマ線カーマ(カーマ
は,組織の単位質量当たりに放出された,身体による吸収を受けないエネル
-245-
ギー量をいい,被爆者の皮膚線量に相当する)はT65Dよりも幾分小さ。
くなっているが,誤差の範囲内とされ,中性子カーマはT65Dの約1/2~1
/3であり,広島においては,ガンマ線カーマはT65Dの2~3.5倍に増大
し,中性子カーマはT65Dの約1/10と大幅に減少している。
イ原爆の出力の推定
広島及び長崎に投下された原爆の出力については,投下時のデータの大部
分が失われたために,直接の測定値からの値は得られていない。
そこで,長崎原爆については,同型の原爆を用いた実験結果等により,推
奨値が21kt±2ktとされた(爆発高度は503m±10m。)
広島原爆については,同型の爆弾が他に存在しないことから,出力の理論
的計算と組み合わせて出力決定のための絶対評価法(①圧力上昇時間の測
定,②爆風波被害の観察,③檜の炭化,④中性子測定,⑤ガンマ線
の測定)及び相対評価法(長崎市との爆風効果の比較及び熱効果の比較)並
びに理論的計算の重み付き平均の方法によりその出力を推定し,推奨値を15
kt±3ktとされた(爆発高度は580m±15m。)
そして,計算においては,広島原爆につき出力15kt,爆発高度580mが,
長崎原爆につき出力21kt,爆発高度503mが採用された。
ウソースタームの計算と検証
ソースターム(爆弾から放出される粒子や量子の個数及びそのエネルギー
や方向の分布。漏洩スペクトル)は,発生する核分裂の数と爆弾中の物質の
性質と位置により決まる。ソースタームは,核分裂で放出された放射線とそ
の二次放射線が爆弾の外殻材料を通過し爆弾の周りの大気を透過することを
考慮したコンピュータプログラムにより算出された。計算にはモンテカルロ
法というシミュレーション計算方法を中性子線とガンマ線の輸送計算に応用
したMCNPコードを主体とした計算が行われた。ソースタームは爆発する
爆弾の表面におけるスペクトルであり,爆弾の材料が核分裂を引き起こして
-246-
いる間に放出されたすべての放射線を含むものである。
ソースタームの算出については,広島原爆がいわゆるガンタイプで弾頭は
厚い鋼鉄でできているのに対し,長崎原爆はいわゆるインプロージョン型の
爆弾で薄い鋼板でできていること(そのため,放出された中性子のスペクト
ルは広島の場合の方が軟らかくなる)等が考慮された。その結果,出力kt。
当たりの放出数は,ガンマ線は長崎原爆の方が多く,中性子は広島原爆と長
崎原爆とで大きな差はないとされた。また,計算の検証は広島型原爆のレプ
リカを用いて組み立てた臨界実験装置(ただし,砲身を短くし,核分裂物質
を少なくしたもの。低出力原子炉)を用いた実験と比較して行われた。弾頭
方向を除いた他の方向での計算値との一致は良好であった。
エ放射線の空中輸送の計算
初期放射線のうち,即発中性子,即発ガンマ線及び空気捕獲ガンマ線の空
中輸送については,二次元コンピュータコードやモンテカルロコードを用い
て大規模な計算がされ(これらの即発放射線は爆風より先に通過するから,
その輸送については大気は爆風によってかく乱されていないとして計算され
た,これら計算結果は,実験データとの比較あるいは異なったコード計。)
算を用いた結果と比較することにより検証された。すなわち,広島及び長崎
における即発中性子とガンマ線フルエンスは,ORNLで二次元離散的座標
,。コードDOT-4により計算されモンテカルロ計算により広範囲に点検された
陸上大気の形状は円筒形で示され,その下部は大地より成り,その上部は空
気より成り,線源は円筒の軸上の空中に位置する。空気は,最大地上距離28
12.5mまで伸びる6つの半径方向区分と最大高度1500mまでの空気密度の減
少を伴う7つの軸方向区分に分けられた。最大高度は爆発高度より十分上に
置かれて,爆発した上の空気から地上に向けて散乱してきた放射線も考慮に
入れるようにした。2つの都市の7つの軸方向区分の各々での空気の密度と
組成はその分布状態の表から取った。
-247-
なお,遅発中性子の寄与も別に計算されたが,その寄与は小さいものとさ
れた。
オガンマ線の熱ルミネセンス測定値との比較
ガンマ線の熱ルミネセンス測定については,原爆投下から約40年を経過し
て,被爆したままの状態で火災にも遭っていない煉瓦やタイルなどの試料を
収集することは困難であったが,爆心地から1.5km近辺でいくつかの試料が
収集でき,特に,広島大学理学部校舎,長崎市家野町民家の塀から被爆時の
状態を保持している大量の試料が採集でき,これら試料を熱ルミネセンス法
。,,により測定したそして測定した熱ルミネセンス量をガンマ線量に換算し
試料を収集した建物の建築年月日の1年前を製造年月日として,バックグラ
ウンドを評価した。その結果,広島においては1000m以上の地点で測定値は
DS86による計算値よりも大きく,近い地点は逆に小さくなっており,長
崎においてこの関係は逆であるとされた。
カ中性子線の測定値との比較
中性子の測定は,リン32,コバルト60,ユウロピウム152の中性子核反応
による誘導放射能の測定が広島と長崎の試料について行われ,米国において
も原爆や裸の原子炉を用いた実験が行われ,これらの測定結果が主として中
性子に関する計算モデルや断面積等のパラメータの検証に用いられた。
高エネルギー中性子フルエンスについては,原爆投下直後の調査で広島に
おいて採取された絶縁ガラス中の硫黄に含まれるリン32の測定結果がほとん
ど唯一のデータであるとして,再吟味され,広島原爆の出力を15ktとした場合,
計算値と測定値の一致は近い地上距離においてはかなりよいが,400m以遠
では測定値の誤差が大きくなるため結論を下すことはできないとされた。
低エネルギー中性子フルエンスについては,コンクリート建物の鉄筋その
他の鉄材中に不純物として含まれるコバルトの放射化生成物であるコバルト
60を分析し,実験的に求めた換算係数を用いて組織カーマを計算したが,こ
-248-
のカーマ値は換算係数の決定に用いた中性子源が適切でなかったためおそら
く正しくなく,むしろ,コバルトの放射化量を計算によって求めて比較する
方が直接的である。計算の結果は,近距離では測定値より大きく,遠距離に
なるに従って測定値を下回り,1180m地点では1/4になるという系統的な食
い違いを見いだした。この不一致を解決するため,コンクリート中のホウ素
や水分含有量の効果,爆風が中性子減衰に与える効果,地面の元素組成特に
水分の効果などを調べたが,いずれも結果を大して変えるものではなく,ま
た,遅発中性子を考慮した計算を行っていたが,これも上記の食い違いを説
。,,明するに至らなかったこの測定値は反復分析結果の再現性も良好であり
コバルト60に関する他のデータと比べて信頼性が高いと考えられ,1180m地
点における4倍の違いは解決せず,この問題は未解決のまま残されており,
熱中性子の問題は完全に解決したとはいえないとされた。
キ残留放射能の放射線量の測定
残留放射能の放射線量については,1つは,地上に落下した核分裂生成物
いわゆる放射性降下物(フォールアウト)からの放射があり,もう1つは,
爆心地付近の土壌,建造物等が中性子の照射を受けてできる誘導放射能によ
るものがあるとされた。
放射性降下物による影響があった地域としては,長崎では爆心地の東方約
3kmの西山地区,広島では西方約3kmの己斐,高須地区の限定された地域が
該当するとされ,両地区においては,原爆投下後数週間から数か月の期間に
わたってそれぞれ数回の線量率の測定が行われており,それらの値から爆発
1時間後の線量率を計算し,任意の時間における線量を求める方法により,
爆発1時間後から無限時間まで,地上1mの位置でのガンマ線の積算線量を
計算した。その結果は,長崎の西山地区の最も汚染の著しい数ヘクタールの
地域で12~24rad,広島の己斐,高須地区では0.6~2radと推定された(た
だし,この計算は,天候等の影響が無視されているので,その誤差はかなり
-249-
大きいとされた。そして,西山地区の住民(約600人)の原爆直後の行動。)
の実態調査結果を基にして,汚染区域に居続けた人の最大照射線量は上記積
算線量の約2/3と推定されるとされた。また,西山地区の住民のホールボデ
ィカウンターによるセシウム137の体内量実測値から,1945~1985年の40年
間のセシウム137による被曝線量は男性で10mrem(ミリレム,女性で8mre)
mと推定された。
,,,誘導放射能による線量評価については広島長崎の爆心地付近において
原爆投下後数週間から数か月の期間に,誘導放射能による地上でのガンマ線
の線量率の測定がそれぞれ数回行われており,また,中性子フルエンスと土
壌分析結果から重要核種の誘導放射能による照射線量を計算することもでき
るとして,爆発直後から無限時間までの爆心地での地上1mの積算線量は,
広島で80レントゲン(50rad,長崎では30~40レントゲン(18~24rad)と)
推定された。地上での線量率は時間とともに急激に減少し,累積的被曝は1
,,,日後にはその約1/31週間後にはわずか数%であっただろうとされまた
爆心地から離れても急速に減少し,広島では爆心地から175m,長崎では350
m離れると半減しているとされた。そして,早期入市者の被曝線量は,その
人の爆心地付近の行動の状況を正確に把握しなければ評価することができな
いとされた。
,,以上のとおり放射性降下物による人体組織の無限時間までの積算線量は
最大で広島で0.6~2rad,長崎で12~24radとなり,誘導放射能によるもの
は,最大で広島で約50rad,長崎で18~24radとなるものとされた。
ク家屋及び地形による遮蔽効果の計算
家屋及び地形による遮蔽については,日本家屋の典型的な6種の家屋の集
団と長屋の集団の2種類のモデルを作り(その際,日本家屋の構造,材料や
厚さなどに関して最良の情報を用いる,6家屋集団の屋内の21か所と長。)
屋集団の屋内の40か所の点を選び,爆心地に対する16方向について合計976
-250-
種類の遮蔽状態を考え,4つのパラメータ(階層数の3つの値,直線透過距
離の5個の値,前方遮蔽物の有無と爆心方向にある遮蔽されていない窓から
の距離等の5つの組み合わせ)により75種類(実際に被爆者がいるのは57種
類)の遮蔽状態に分類し,上記976種類の各個所に対し,家屋遮蔽の計算を
するためにモンテカルロ法による4万個の粒子追跡計算を行うなどした。そ
して,日本家屋内で被爆した場合,その位置でのエネルギーと角度別フルエ
,()ンスが上記手法により計算されるとともにその時点でカーマ遮蔽カーマ
が計算されるとされ,中性子スペクトルは距離により変化するので,ガンマ
線の透過率も距離の関数となり,ガンマ線の透過率は,1500mの地点で,即
発ガンマ線に対して0.53,遅発ガンマ線に対して0.46となるものとされた。
ケ臓器線量の計算
臓器線量の計算については,1945年当時の典型的日本人のファントム(模
型)として,新生児から3歳までの乳幼児の被爆者に対して9.7kgファント
ム,3~12歳の小児に対して19.8kgファントム,12歳以上については55kgフ
ァントムの3種類を用い,また,被爆時の姿勢によって臓器の位置や身体の
遮蔽などが異なることを考慮して,日本式正座位のファントムを開発し,直
立,座位,臥位の各体位別に,15の臓器を対象として,ファントムに入射し
て臓器に達するまでの放射線の輸送に関する連結計算を行った。臓器線量評
価システムをファントムに適用したところ,ガンマ線の等方入射では実験と
非常によく一致し,中性子とガンマ線の混合場の被曝では中性子の測定値は
入射ガンマ線に対する透過率と同様によい一致を示しているが,人体中での
中性子の相互作用によって生ずるガンマ線については計算値より実測値の方
が大きいことを示している。
コまとめ
DS86は,以上のような原爆の出力,ソースターム,最新の計算方法に
よる空気中カーマ,遮蔽カーマ及び臓器カーマの計算を統合し,被爆者の遮
-251-
蔽データを入力して臓器の吸収線量など各種の線量(カーマ)を計算するコ
ンピュータシステムであり,特定の被爆者の入力データに基づき,超大型コ
ンピュータにより行われた膨大な計算の結果得られた,①自由空間データ
ベース,②家屋遮蔽データベース,③臓器遮蔽データベースを組み合わ
せて,所要の線量を出力として取り出すことができるようになっている。す
なわち,被爆者の位置及び爆心地からの距離を入力して,被爆者の位置にお
ける自由空間の放射線場が得られ,次に,被爆時の遮蔽状況に応じて,9パ
ラメータ(日本家屋内での被爆の場合)又はグローブ・データ(家屋や地形
により遮蔽された屋外での被爆の場合)の入力により遮蔽フルエンスを出力
することができ,また,年齢,性,体位の入力により特定臓器の吸収線量等
所要の情報を出力することができるようになっている。
DS86により算定される推定線量に対する不確実性(誤差)の推定は,
予備的な値としては空気中カーマに対して広島で16%,長崎で13%となり,
臓器カーマに対しては25~35%となっている。
(3)DS02の概要
証拠(乙A46,75,76)によれば,DS02の概要は,以下のとおり
であると認められる。
アシステムの概要
DS02の計算システムとしての構造は基本的にはDS86と同じである
が,DS02においては,計算システムを構成する4つの計算プロセス,す
なわち,ソースタームの計算,大気・地上系での長距離輸送計算,地上構造
物での遮蔽計算,人体の自己遮蔽と組織線量計算のうち,ソースタームの計
算及び大気・地上系での長距離輸送計算が全面的に入れ替えられ,地上構造
物での遮蔽計算において広島の比治山,長崎の金比羅山などによる地形の影
響がモデル化され,長崎の工場や広島の学校校舎といった建物モデルが追加
された。なお,臓器線量計算については,DS86最終報告書が作成された
-252-
後に女性と幼児の臓器線量に変更が加えられたが(改定DS86,改定D)
S86の数値と比較してDS02における臓器透過係数にはそれほど変化は
ない(なお,吸収線量を決定する物質中のエネルギー放出〈カーマ〉と単位
体積の物質を通過する放射線〈フルエンス〉とを関連付ける,フルエンス-
カーマ換算係数〈カーマ係数〉についての評価が新たに行われ,軟組織の新
しいカーマ係数が提示されたが,軟組織のカーマ係数の新旧の差は,原爆被
爆者の線量測定において重要である光子と中性子のエネルギーでは小さ
い。。)
このようにして検討された結果,DS02においては,DS86からの大
きな変更として,広島原爆の総放出線量計算値に対する総放出線量測定値の
比がもっともよく一致する出力及び高度として出力が15ktから16ktに,爆発
高度が580mから600mに修正されたが,空気中線量全般に関して大幅な変更
はなく(ガンマ線量については,爆心地付近ではDS02線量とDS86線
量はあまり変わらないが,遠くなるに従ってDS02線量が次第にDS86
線量よりも高くなり,約10%以内で横ばいとなる。中性子線に関しては,爆
心地付近ではDS02線量がDS86線量よりも低いが,500m付近で逆転
して1000m付近でDS02線量がDS86線量より10%程度高くなり,再び
その比率が小さくなっていき,2000m近くで同じ程度になり,それ以遠では
DS02線量がDS86線量よりも低くなっていく,日本,アメリカ,。)
ドイツによるガンマ線(熱ルミネセンス)及び中性子(放射化による残留放
射能)に関する測定値は,爆心地から少なくとも1.2kmの地点まではDS0
2の計算値と全般的に極めてよく一致し,爆心地から1.2~1.5km以遠の中性
子の測定値と計算値の相違については,線量の絶対値が小さくバックグラウ
ンドとの区別が困難なことなど測定値の誤差によるものと判断された。
イ原爆の出力と爆発高度の推定
原爆の出力と爆発高度について,広島,長崎における熱中性子と速中性子
-253-
の中性子放射化測定値及びガンマ線の熱ルミネセンス量測定値と計算値とを
系統的に評価することにより,長崎原爆については,推定出力21kt±2kt,
爆発高度503m±10mが推奨され,DS86における爆発パラメータが確証
され,また,広島原爆については,少し変更されて推定出力16kt±4kt,爆
発高度600m±20mが推奨された。なお,広島原爆の出力の推定に当たって
は,DS86における絶対法及び相対法が再び使用された。そして,計算に
おいては,長崎原爆についてはDS86と同じであったが,広島原爆につい
ては出力16kt,爆発高度600mが採用された。そして,広島原爆について新
しく設定された条件において,すべての中性子放射化測定値及びガンマ線熱
ルミネセンス測定値と全体的に最もよく一致することが分かった。
ウソースタームの評価
ソースタームについて,コンピュータの能力の向上により,DS86より
も高度な幾何学的分析が行われ,より広範なデータが組込まれた上で広島原
爆と長崎原爆の爆発過程を模擬したモンテカルロ計算が行われ,中性子とガ
ンマ線の放出スペクトルが再計算されたが,その結果は,全体的にみて,重
複部分についてはDS86の計算とよく一致している上,精度が高まり幾何
学的側面が改善されたとされる。
エ初期放射線の空中輸送の計算
ソースタームから地表へ到達する放射線の計算(離散座標計算)は,2次
元輸送計算コードDORTを用いて行われた。離散座標計算での大気-地面系モ
デルでは,広島及び長崎の大気-地面系環境を円柱状R-Z座標でモデル化
し,Z軸は,地下0.5mから地上2000mまで広がる110のメッシュ区分とし,
この幾何学形状の半径は130のメッシュ区分で3000mまでとし,R軸の左側
境界は,反射境界条件で扱い,上側,下側及び右側(円柱状表面)の境界は
真空として扱い,大気は,7つの高さに分け,それぞれの空気密度は高度に
応じて変化させ,地面は,50cmの厚さの層にモデル化し,20メッシュに区分
-254-
した。中性子及びガンマ線の輸送計算用断面積は,199個の中性子エネルギ
ー群及び42個のガンマ線エネルギー群から構成され,DS86における中性
子46個及びガンマ線22個のエネルギー群構造と比較して大幅に増加した。
遅発放射線は,火球中の核分裂生成物から放出される中性子及びガンマ線
であり,直線距離1500mまででは両市におけるガンマ線量の1/2以上に寄与
する。遅発中性子の寄与は,広島においてはすべての距離において線量と熱
中性子放射化で10%未満,速中性子放射化で5%未満である。長崎において
は,遅発中性子の寄与が大きく,直線距離約700mにおいて熱中性子放射化
に対する寄与は最大となり(約60%,爆心地で中性子線量の寄与が最大と)
なる(約40%。遅発中性子の寄与は距離に応じて急激に減少し,2500mに)
おいては,中性子線量あるいは熱中性子放射化への寄与は5%未満となる。
長崎の速中性子放射化に対する遅発中性子の寄与はすべての距離において10
%未満である。遅発放射線計算においては,即発放射線輸送計算で使用した
ものと同じ空気成分,密度及び地上成分,密度を使用し,DORTコードを用い
て計算を実施した。広島の遅発中性子線量については,爆発高度及び出力の
変更に伴い,距離に応じて1~8%補正した。広島の合計中性子線量におけ
る遅発中性子の寄与は約5%であるから,この補正の影響は非常に小さい。
DS02においてはDS86に比して爆弾位置から中間の空気を透過し地
面に入射したり反射したり吸収されたりする中性子及びガンマ線の挙動を記
述するために用いられる放射線輸送コード及び核データが改善され,また,
演算能力の増大により爆弾線源スペクトルをより正確に記述し,より高い中
性子・光子エネルギーまで拡大することができるようになるなどし,輸送計
算において一貫した正確なデータの記述が保証されるようになった。反応計
算値と測定値の一致度は高く,管理された条件下での測定と計算との一致度
,,が10~20%であれば一般的にみて容認することができるレベルでありまた
広島と長崎の測定値と計算値に同様の一致度がみられることは注目すべきこ
-255-
とであるとされる。
オガンマ線の熱ルミネセンス法による測定値と計算値との比較
測定値と計算値の全体的な一致度はDS86と同様DS02についても引
き続き良好である。広島においては,全体的な一致度はDS86よりもDS
02の方が若干高く,爆心地付近における一致度はDS02が優れており,
中ないし遠距離における一致度もDS86よりもDS02の方が優れている
が,遠距離では測定値が計算値よりも高いことを示唆する若干の例があり,
この点については,バックグラウンドに関連した問題を慎重に考慮すること
により検討すべきである。長崎においては,爆心地から約800m以内では測
定値が計算値より幾分低く,この傾向はDS86よりもDS02で若干強い
が,全体的によく一致しており,低い測定値はほとんどそのすべてが透過係
数について十分な情報のない古い測定値である。
なお,測定されたセラミック試料の大部分については焼成から測定まで数
十年以上が経過していた。様々な測定者は,自然バックグラウンド・ベータ
線,地球ガンマ線及び宇宙線から試料が受けた合計蓄積線量を約10~40cGy
の範囲と推定した。この線量は試料周辺の環境の状況及び試料自体の特徴に
よって当該範囲内で大きく変動するかもしれない。新しい,より遠距離の測
定値が,古い,より近距離の測定値よりも全体として低いバックグラウンド
値を示すかもしれないことが示唆されている。この傾向は,遠距離における
計算値と測定値との比較において考慮されるべきであり,これについてはさ
らなる調査により有益な情報が得られる可能性がある。広島市及び長崎市の
爆心地から約1.5km以遠の地上距離における原爆ガンマ線量はバックグラウ
ンドとほぼ同じであり,測定正味線量は推定バックグラウンド線量の誤差に
大きく影響されるから,上記の遠距離においては現行の熱ルミネセンス測定
値で原爆ガンマ線量を正確に決定することは不可能であるとされている。
カ熱中性子の測定値と計算値との比較
-256-
(ア)コバルト60の測定値と計算値
広島においては,1つの例外を除いて,地上距離約1300m以内のコバル
ト60測定値とDS02に基づく計算値とは全体的によく一致した。広島の
地上距離1300m以遠では,実測値が計算値を上回る傾向があるが,試料の
線量カウントと検出器のバックグラウンド線量とを区別する際に問題があ
るようである(なお,小村教授らによる広島原爆の1400~1500m付近のコ
バルト60の測定結果は,DS86及びDS02の計算値を数倍ないし数十
倍上回っているが,この測定結果はサンプル量が小さく検出限界における
ものであるから,検討対象として的確であるとは認められない。原審証人
小佐古敏荘。)
長崎においては,コバルト60測定値は,DS02に基づく計算値とおお
むね一致したが,近距離においてさえも大きな差異を示している。いくつ
かの初期の実験において長崎型原爆が使用され,これらの実験のいくつか
で得られた中性子放射化測定値がDS02で用いられたのと同じ計算方法
で調べられた。長崎におけるコバルト60測定値とDS02に基づく中性子
計算との間で認められた差異と比較して,これらの核実験での中性子放射
化の計算値と測定値の間の差異は小さかった。しかし,長崎におけるコバ
ルト60測定値を含めたすべての中性子放射化測定値及びすべての熱ルミネ
,,センス測定値はDS02に基づく計算値と系統的に比較され解析の結果
長崎原爆について以前使用された503mと21ktに非常に近い爆発高度及び
出力を用いると全体的に最も良好な結果が得られた。
(イ)ユウロピウム152の測定値と計算値
DS86最終報告書以降に広島,長崎においてユウロピウム152データ
が精力的に収集された。低レベルガンマ線計測のためにユウロピウムの純
度を向上させるための化学処理の改善が行われている。
そして,広島においては,広島大学大学院工学研究科教授(以下「静間
-257-
教授」という)らにより,爆央から1500m以内で採取された70個の試料。
から測定値が得られた。その測定値は,爆心から800m以内においては,
DS86による計算値より低く,DS02による計算値とはよく一致して
おり,800m以遠においては,計算値より測定値がやや高い傾向にはある
,。,,が誤差の範囲では一致しているといえるなお静間教授らの測定では
地上距離1050m(爆央からの距離1200m)でほとんど検出限界となってい
るから,約1000m以遠のデータを系統的ずれの議論に用いるのは困難であ
ることを意味している。
長崎のデータについては,中西孝らの1020~1060mにおける屋根瓦につ
いての6データの結果は,幾分ばらついているが,DS86中性子に基づ
く計算とほぼ合っている。静間教授らのデータは,爆央距離1000m以遠で
は計算よりやや高いが,800mまでは計算とよく一致しており,中西孝の
屋根瓦の2データと矛盾はしない。
また,広島試料中のユウロピウム152について,16個の花崗岩試料を用
いて,化学的濃縮を行い,金沢大学の尾小屋地下測定室に設置した2台の
大型ゲルマニウム検出器で超低バックグラウンド測定が行われた。有意な
結果が得られた最小計数は爆心地から1424m地点で採取した試料であっ
た。広島の花崗岩試料のユウロピウム152の測定値はDS02による計算
値とよく一致し,ユウロピウム152の測定値と計算値の不一致が解決され
た。
(ウ)塩素36の測定値と計算値
a広島及び長崎の様々な距離で採取された花崗岩及びコンクリート試料
,,()中の塩素36について米・独・日において加速器質量分析法AMS
による相互比較測定が実施された。
(a)アメリカにおける測定
アメリカでの測定では,花崗岩及びコンクリート試料(コンクリー
-258-
ト表面を除く)中の塩素36の測定値は,爆心地付近からバックグラウ
ンドと鑑別不可能になる1200m弱までDS02と一致した。
広島の1400m以遠の塩素36について以前示唆された高い測定値/計
算値比は,表面セメント(深部のコンクリートよりも高いバックグラ
ウンドを示す)が使用されたことに由来するものであり,原爆中性子
線により生成されたものではないことが明らかになった。
(b)ドイツにおける測定
ドイツでは,広島で原爆中性子に被曝した花崗岩試料及び被曝して
いない対照花崗岩試料における塩素36/塩素比が算出された。遠距離
花崗岩試料については,宇宙線並びにウラニウム及びトリウムの崩壊
により試料内に生成された塩素36も計算された。その結果,実験の誤
,,差の範囲内において花崗岩試料中の塩素36の自然濃度を考慮すれば
地上距離800m以遠における測定に基づく塩素36/塩素比とDS02計
算に基づく同比に顕著な不一致は認められなかった。近距離において
は,塩素36から得られた実験に基づくフルエンスはDS02計算値に
基づくものよりも低い。
(c)日本における測定
日本では,筑波大学で測定が行われ,提供された相互比較用花崗岩
試料の塩36/塩素比を求めた。地上距離で1100m辺りまではDS02
計算とよい一致がみられ,DS02の有効性が確かめられた。提供さ
れた非被曝花崗岩(バックグラウンド測定用)の塩素36/塩素比の測
定値は平均で1.92×10となった。地上距離1163mの試料(№9興禅-13
寺)が2.50×10であることから,1100m以遠の試料の塩素36の測定-13
は困難である。
b鉱物試料における自然塩素36の生成
広島原爆から放出された中性子により誘発されたシグナルに対する鉱
-259-
物試料中の自然塩素36生成の寄与を算定するための方法が開発された。
計算に使用されたパラメータは,分析された各試料についての局所浸食
率,岩石圏中の深度及び元素組成である。位置が判明している採掘場か
ら採掘された花崗岩試料について,計算値はAMSによる測定に基づく
塩素36値と誤差の範囲内で一致することが分かった。計算値と測定値の
いずれも,鉱物試料についての代表的な塩素36/塩素比が約10であるこ-3
とを示唆している。
広島原爆に由来する中性子に被曝した鉱物試料については,地上距離
約1200mでの塩素36/塩素比が約10であると考えられる。したがって,-3
広島の1000m以遠で爆弾中性子に被曝した鉱物試料の塩素36バックグラ
ウンドレベルを決定するためには試料中の塩素36生成についての計算が
不可欠である。
cユウロピウム152と塩素36の放射化の相互比較
新たに近距離からバックグラウンドの遠距離まで被曝資料を準備し,
相互比較研究を実施した。1200m以内で被曝した9つの花崗岩サンプル
とユウロピウムと塩素の標準液を熱中性子場と熱外中性子場照射したサ
ンプルを使用した。ユウロピウム152のデータは金沢大学の尾小屋で測
定して得られ,塩素36のデータはアメリカのリバモアとドイツのミュン
ヘンで測定し得られた。今回の相互比較の結果ユウロピウム152と塩素3
6のデータは互いに合っているだけでなくDS02とも一致した。ただ
し,アメリカで測定された旧県庁と興禅寺のデータは一致がよくない。
しかしながら,ユウロピウムのデータは全体として少しだけ(14%)塩
素のデータより大きい傾向があった。この理由については将来散乱断面
積など各種の要因を検討しチェックする必要がある。
キ速中性子の測定値と計算値との比較
(ア)硫黄(リン32)の放射化データの測定値との比較
-260-
広島において,電柱の絶縁碍子の接着剤として使われていた硫黄試料中
のリン32の測定値について,DS86に基いて再評価が行われた。これに
より更新,訂正された硫黄放射化データに基づく爆弾出力計算値は爆弾の
理論的出力推定値とかなりよく一致しており,すべての関連する爆弾出力
データを慎重に検討した上でDS02で広島原爆の出力として最も確実と
考えられた16ktと極めてよく一致していた。
(イ)ニッケル63の測定値(広島)との比較
速中性子は半減期が極めて短く新しいデータの取得ができないため,速
中性子の最新の検証データを提供する方法として,銅に中性子が衝突する
と銅の中の陽子が突き飛ばされて中性子が入り込み,ニッケルに変化する
ことを利用して,銅試料中のニッケル63を測定し,中性子の線量を計る方
法が採られるようになり,その方法として,加速器質量分析(AMS)に
基づく方法と低バックグラウンド・シンチレーション計数法が開発され
た。
広島の異なる距離から採取された銅試料中のニッケル63のAMSを用い
た測定(ストローメら)が行われ,爆心地から700m以遠における原爆に
。,起因する速中性子についての最初の信頼できる測定値が得られたこれは
原爆被爆者の位置に最も関係のある距離(900~1500m)において初めて
得られた速中性子の測定値であり,1945年に行われたリン32の測定と比較
して,速中性子の検出力が著しく向上した。なお,爆心地から約1800mの
距離から少なくとも5000mの距離までは,測定値は銅1g当たりのニッケ
ル63原子7万個の値で平坦となり,ほぼ約1800mの距離の測定値がバック
グラウンドの大きさと推測されるところ,リン32の測定値がバックグラウ
ンドになるのは約700mである。
このバックグラウンドを差し引いた後のデータを1945年に対して補正す
ると,広島の銅試料中のニッケル63測定値はDS02に基づく試料別計算
-261-
値とよく一致する。DS86に基づく計算値との比較でも,日本銀行の場
合を除いてよく一致する。
上記バックグラウンドは,銅試料中の宇宙線によるニッケル63の計算値
とは一致しないことから,宇宙線誘発の作用だけで説明することは不可能
であり,主に試料の化学成分,試料ホルダー及びAMS装置などに起因す
る可能性があるが,これについては更に検討すべきである。
また,液体シンチレーション法により得られた結果とAMSを用いた測
定結果とはよく一致した。
クDS86における空気中カーマ線量との比較
DS02においても,空気中カーマ(中性子線及びガンマ線の空気中カー
マを合計した線量)は,地形,構造物又は身体による遮蔽を受けていない地
上1mの地点における線量として計算されたが,広島,長崎ともDS86の
計算値より高かった。広島では,爆心地から2500mの範囲内では,その差は
5%に満たず,1000~2500mの範囲に限ると7%高く,長崎では,爆心地か
ら2500mの範囲内で8%,1000~2500mでは9%高かった。しかし,その差
はいずれも10%未満であり,有意な差はない。もっとも,線量の中性子線と
ガンマ線の成分において重要な変化がある。距離別の総線量値及び両者の比
()()。率DS02/DS86は下表のとおりである乙A46・下巻95・98頁
距離広島DS02長崎DS02
mDS86DS02DS86DS86DS02DS86
0170.6980154.94180.9077355.5180347.24050.9767
100151.5241146.98530.9700310.7000329.08601.0592
200122.8852120.65680.9819248.1020260.91321.0516
30091.399590.44540.9896181.5460193.50251.0659
40062.281163.75741.0237125.4460132.52731.0564
50041.188142.15221.023481.898785.98531.0499
60026.116527.20160.041552.005854.88081.0553
70016.411317.41801.061332.438634.35201.0590
80010.311710.99971.066720.209921.96231.0867
9006.54646.98421.066912.659613.72591.0842
10004.16924.48181.07507.98448.74001.0946
11002.67592.87951.07615.05785.49531.0865
12001.73561.87501.08033.22843.52741.0926
-262-
13001.13711.21961.07252.09592.30111.0979
14000.74620.80581.07991.36901.50401.0986
15000.49640.53571.07910.90280.98841.0948
16000.33330.35801.07410.60270.66491.1032
17000.22420.23991.07000.40470.44491.0993
18000.15230.16621.09120.27400.29941.0929
19000.10430.11111.06570.18660.20471.0973
20000.07160.07681.07250.12790.13861.0841
21000.04960.05261.05920.08830.09491.0748
22000.03430.03601.04740.06110.06531.0697
23000.02400.02541.05850.04270.04661.0916
24000.01680.01791.06290.02990.03271.0952
25000.01190.01261.05910.02110.02281.0816
ケ測定値と計算値の比較のまとめ
爆心地から地上距離が2500mに至るまでのDS02自由場フルエンス計算
値は,ガンマ線,熱中性子及び速中性子の放射化の測定値によって,測定値
と透過係数の誤差の限度内で確証されている。測定値/計算値の比は,最善
の測定値でさえもかなり変動する。各同位元素に関する重み付け測定値/計
算値の比は,広島においては非常によく一致しており,長崎においては報告
されている計算の誤差の範囲内である。同位元素の平均値は広島では1であ
り,長崎ではほぼ1である。広島の被爆者に対してDS02によって割り当
てられている誤差を減ずるために広島の測定値の一致を使用することが可能
であるかもしれない。長崎でそれをすることはできないであろう。
広島の爆発高度を580mから600mに上げたために,DS86と比較したD
S02の改善点は爆心地近くにおいて特に顕著である。さらに,ユウロピウ
ムと塩素の測定値を相互比較したことにより,DS02による遠距離の熱中
性子放射化の計算を確証することができる。新たに得られた銅の放射化測定
値は,主要な爆弾パラメータと広島原爆の傾きの影響を受けやすい指標とし
て硫黄のデータの信頼性を確証した。
長崎では,中性子に関するよい測定値が不足しているため,長崎市の中性
子フルエンスを直接的に確証することに限界がある。限られた数の塩素測定
-263-
値が中性子フルエンスを最も直接的に裏付けている。長崎に速中性子放射化
の測定値がないということは,原爆実験場で起爆された同種の爆弾から得ら
れた測定値に頼って確証を行うことを意味している。
両市においてガンマ線熱ルミネセンス測定値が被爆者距離における線量を
誤差の範囲内で確証している。長崎では,爆心地近くにおいて少しではある
が計算の過大推定と測定の過少推定があるようであり,これはこのように極
めて高い線量と温度における熱ルミネセンスの測定値又は火球内の破片核分
裂ソースの流体力学的上昇のどちらかに問題があることを示唆している。し
かし,対象距離範囲においてはよい一致がみられているので,これらの問題
は重要ではない。
自由場放射線フルエンスから計算されている被爆者線量は,試料内の放射
化の測定値と計算値の間におおむねよい一致がみられることから信頼するこ
とができる。被爆者の遮蔽線量及び臓器線量の計算方法は,遮蔽試料放射化
の計算と同じ方法である。それゆえに,爆弾のパラメータとアウトプット,
放射線輸送及び被爆者の遮蔽線量推定の方法は,検証され,適切であること
が示されている。
5放射線起因性判断基準としての原因確率の算定
審査の方針において,放射線起因性の判断が原因確率及びしきい値を目安とし
てなされていること,この原因確率が児玉報告書を基として作成されていること
は先に判示したとおりである。以下,児玉報告書の成り立ちとその根拠について
検討する。
なお,原因確率とは,個人に発生したがんについて,着目している個々の要因
がその個人のがんの発生としてどの程度関係しているかについての寄与率を表す
ものであり,審査の方針において用いられている原因確率とは,放射線被曝をし
た既往のある人に発生したがんについて放射線が原因としてどの程度関連してい
るかを定量的に表したものであるとされ,ある年齢で発生したがんが放射線に起
-264-
因すると推定される確率(原因確率)は,放射線被曝に起因したと推定されるが
んの当該年齢時における発生又は死亡率を,当該発生又は死亡率に放射線被曝が
ない場合のがんの当該年齢時における発生又は死亡率を加えたもので除して得た
数値とされている。また,審査の方針においては,原因確率を求める際の放射線
に起因するリスクは遮蔽カーマを用いて評価されている値が使用されている(乙
A15。)
(1)児玉報告書の概要(乙A2)
ア研究目的
本研究は,寿命調査対象者における利用可能な最新のがん死亡及びがん発
生のデータを基に,がんによる死亡及び発生における原爆放射線被曝の寄与
リスクを主要部位について性及び被爆時年齢別に算出することを目的とし,
さらに現在までに論文発表されていてそのデータが使用可能な資料から,が
ん以外の疾患による死亡や有病についての寄与リスクも検討した。
イ研究方法
(ア)リスク評価の指標
放射線の人体への健康影響に関するリスク評価の指標として,①相対
リスク(非曝露群に対する曝露群の疾患発生あるいは死亡の比を示すも
の,②絶対リスク(曝露群と非曝露群における疾患発生あるいは死亡)
の差を示すもの,③寄与リスク(曝露者中におけるその曝露に起因す)
る疾病などの帰結の割合を示すもの。例えば,曝露群におけるがん死亡者
〈罹患者〉のうち原爆放射線が原因と考えられるがん死亡者〈罹患者〉の
割合を示す)の3種類の評価指標があるが,寄与リスクは,絶対リスク。
,,の相対的大きさで表され大きさが0~100%に数値化されるものであり
種々の疾患に対する放射線リスクの評価が同じ枠内の数値として統一的に
考えられることから,放射線が占める割合としてのリスク評価の指標とし
ては,寄与リスクが最適と考えられる(なお,寄与リスクの値は,過剰相
-265-
対リスクを過剰相対リスクに1を加えたもので除して算定される。。)
(イ)寄与リスクを求めた疾患
寄与リスクの算出の対象となった疾患は,寿命調査及び成人健康調査で
放射線被曝と疾病の死亡・発生率(有病率)についての関係が既に論文発
表されている疾患について求めた。
固形がんについては,寄与リスクを求めるに当たって,次の3群に分け
た。
①部位別に寄与リスクを求めたがん(寿命調査集団を使った過去の死亡
率・発生率の報告で放射線との有意な関係が一貫して認められ,かつ,
部位別に寄与リスクを求めても比較的信頼性に足りると考えられる部位
のがん~胃がん,大腸がん,肺がん,女性乳がん,甲状腺がん)及び白
血病
②原爆放射線に起因性があると思われるが,個別に寄与リスクを求める
と信頼区間が大きくなると考えられるがん(肝臓がん,皮膚がん〈悪性
黒色腫を除く,卵巣がん,尿路系〈膀胱を含む〉がん,食道がん)〉
③現在までの報告では,部位別に過剰相対リスクを求めると統計的には
有意ではないが,原爆放射線被曝との関連が否定できないもの(①②以
外のがんすべて)
寄与リスクを求めなかった疾患は,骨髄異形成症候群(最近,被曝との
関連が学会で発表されているが,まだ論文発表されていない,放射線。)
白内障(しきい値が求められている,甲状腺機能低下症(論文発表さ。)
れているデータから寄与リスクを算出することができない,過去に論。)
文発表がない疾患(造血機能障害など)である。
なお,放射線白内障における安全領域のしきい値は,眼の臓器線量で1.
75Sv(95%信頼区間1.31~2.21Sv)である。
(ウ)寄与リスクを求めた基となった資料
-266-
a白血病,固形がん
白血病,胃がん,大腸がん及び肺がんについては,放影研が公開して
いる死亡率調査(1950~1990年,甲状腺がんと乳がんは,発生率調査)
(,)。1958~1987年臓器線量からカーマ線量に変換のデータを使用した
bがん以外の疾患
副甲状腺機能亢進症は,有病率調査結果から寄与リスクを推定し,線
量は論文で使われている甲状腺線量で求めた。
肝硬変については,がん以外の疾患の死亡率調査から算出し,線量は
論文で使われている結腸線量を使った。
子宮筋腫は成人健康調査集団を対象にした発生率調査から求めた。
(エ)寄与リスクを求める際の被爆時年齢及び被曝からの経過年数
白血病及び固形がんの放射線に対する過剰死亡及び過剰発生は,性,被
爆時年齢,被曝後の経過年数の影響を受ける。特に白血病については,被
曝後10年をピークにして,その後被曝後年数の経過とともに急激に過剰相
対リスクは低下しており,1981年から1990年のデータに基づき算出した。
固形がんについては,寄与リスクは観察期間の平均を使用した。性差,被
爆時年齢による過剰相対リスクに有意差があるがんについては,性別,被
爆時年齢別に寄与リスクを求めた。
ウ研究結果
(ア)白血病,胃がん,大腸がんの死亡,甲状腺がんの発生
性別,被爆時年齢,線量別の寄与リスクを求め,表(審査の方針の別表
1~4の各1・2と同内容の表)に示す。
(イ)女性乳がん
被爆時年齢,線量別の寄与リスクを求め,表(審査の方針の別表5と同
内容の表)に示す。
(ウ)肺がんの死亡
-267-
被爆時年齢の影響を受けなかったので,性別,被曝線量別の寄与リスク
を表(審査の方針の別表6の1・2と同内容の表)に示す。
(エ)肝臓がん,皮膚がん(悪性黒色腫を除く,卵巣がん,尿路系(膀胱)
を含む)がん,食道がん
この5疾患をまとめて計算した寄与リスクを表(審査の方針の別表7の
1・2と同内容の表)に示す。
(オ)副甲状腺機能亢進症の有病率調査
被曝の影響に性差は認められなかったので,被爆時年齢と甲状腺臓器線
()。量別に求めた寄与リスクを表審査の方針の別表8と同内容の表に示す
(カ)肝硬変による死亡
被曝の影響に性差,被爆時年齢による差は認められなかったので,被曝
線量と寄与リスクの関係を表(本判決別表11)に示す(ただし,審査の
方針にはこれに対応する肝硬変に係る表は存しない。。)
(キ)子宮筋腫の有病率
放射線の影響に被爆時年齢による差は認められなかったので,被曝線量
と寄与リスクの関係を表(本判決別表12)に示す(ただし,審査の方針
にはこれに対応する子宮筋腫に係る表は存しない。。)
(2)放影研の疫学調査の概要
以上のとおり,児玉報告書は,放影研の疫学調査の寿命調査集団を対象にし
()て行われた既存の発表論文寿命調査第12報第1部及びがん発生率調査第2部
を基に寄与リスクの推定を行ったものであるところ,証拠(甲A19,112
の5,123の1・2,乙A3~7,12,25~27,30~33,94)によ
れば,放影研の疫学調査の概要について,以下のとおり認められる。
ア放影研の沿革
米国は,広島・長崎の被爆者を長期間追跡調査することの重要性にかんが
み,1947年,米国原子力委員会の資金によって原爆傷害調査委員会(ABC
-268-
C)を設立した。その運営は米国が当たってきたが,日本政府も協力し,19
48年には厚生省(当時)国立予防衛生研究所(予研)が参加して,共同して
大規模な被爆者の健康調査に着手した。その後,1955年にフランシス委員会
による全面的な再検討が行われ,研究計画が大幅に見直されて今日も続けら
れている集団調査の基礎を築いた。
放影研は,ABCCの承継組織として,我が国の民法に基づき,我が国の
外務,厚生両省(当時)が所管し,また日米両国政府が共同で管理運営する
公益法人として1975年4月1日に発足したものであり,日米共同による調査
研究を続行する必要性があると考えられ,これを受け,放影研の運営管理は
日米の理事によって構成される理事会が行い,調査研究活動は両国の専門評
議員で構成される専門評議会の年次勧告を得て進められている(乙A5。)
イ疫学調査における調査集団
(ア)概要
ABCCは,1955年11月6日に提出されたフランシス報告書(フランシ
ス委員会の「ABCC研究企画の評価に関する特別委員会の報告書〈甲」
A19)を受けて,1950年の国勢調査時に行われた原爆被爆者調査から〉
得られた資料を用いて,固定集団の対象者になり得る人々の包括的な名簿
を作成した。この国勢調査により28万4000人の日本人被爆者が確認され,
この中の約20万人が1950年当時広島,長崎のいずれかに居住しており,基
本群とされた。
1950年代後半以降,ABCC,放影研で実施された被爆者調査(寿命調
査,成人健康調査等)は,すべてこの基本群から選ばれた副次集団につい
て行われてきた。
死亡率調査では,厚生省(当時,法務省の公式許可を得て,国内であ)
る限りは死亡した地域にかかわりなく死因に関する情報を入手している。
がんの罹患率に関しては,地域の腫瘍・組織登録からの情報(広島,長
-269-
崎)により調査が行われる。
成人健康調査参加者については,疾患の発生と健康状態に関する追加情
報もある(乙A5。)
(イ)寿命調査集団
a当初の寿命調査集団
基本群に含まれる被爆者の中で,本籍が広島か長崎にあり,1950年に
両市のどちらかに在住し,効果的な追跡調査を可能にするために設けら
れた基準を満たす人の中から選ばれており,以下の4群から構成されて
いる。
(a)爆心地から2000m以内で被爆した基本群被爆者全員からなる中心
グループ(近距離被爆者)
(b)爆心地から2000~2500mで被爆した基本群全員
(c)中心グループと年齢,性が一致するように選ばれた,爆心地から
2500~10000mで被爆した人(遠距離被爆者,)
(d)中心グループと年齢,性が一致するように選ばれた,1950年代前
半に広島長崎に在住していたが原爆投下時は市内にいなかった人原,(
爆投下時市内不在者。原爆投下後60日以内の入市者とそれ以降の入市
者も含まれている)。
bその後の変更
当初9万9393人から構成されていた寿命調査集団は,1960年代後半に
,。拡大され本籍地に関係なく2500m以内で被爆した基本群全員を含めた
次いで,1980年に更に拡大されて,基本群に含まれる長崎の全被爆者
,「」()が含められ1999年12月の財団法人放射線影響研究所要覧乙A5
発行の時点では集団の人数は合計12万0321人となっている。この集団に
は,爆心地から10000m以内で被爆した9万3741人と原爆投下時市内不
在者2万6580人が含まれている。これらの人々のうち8万6632人につい
-270-
ては被曝線量推定値が得られているが,7109人(このうち95%は2500m
以内で被爆している)については建物や地形による遮蔽計算の複雑さ。
や不十分な遮蔽データのため線量計算はできていない。
現在,寿命調査集団には基本群に入っている2500m以内の被爆者がほ
ぼ全員含まれるが,1950年代後半までに転出した被爆者(1950年国勢調
査の回答者の約30%,国勢調査に無回答の被爆者,原爆投下時に両市)
に駐屯中の日本軍部隊及び外国人は除外されている。以上のことから,
爆心地から2500m以内の被爆者の約半数が調査の対象になっていると推
測されている(乙A5。)
(ウ)成人健康調査集団
成人健康調査集団は,2年に1度の健康診断を通じて疾病の発生率と健
康上の情報を収集することを目的として設定されたものであり,この成人
健康調査によって,人のすべての疾患と生理的疾病を診断し,がんやその
他の疾患の発生と被曝線量との関係を研究し,寿命調査集団の死亡率やが
んの発生率についての追跡調査では得られない臨床上あるいは疫学上の情
報を入手することができる。
1958年の設立当時,成人健康調査集団は当初の寿命調査集団から選ばれ
た1万9961人から成り,中心グループは,1950年当時生存していた,爆心
,。地から2000m以内で被爆し急性放射線症状を示した4993人全員から成る
このほかに,都市,年齢,性をこの中心グループと一致させた3つのグル
ープ(いずれも中心グループとほぼ同数,すなわち,①爆心地から20)
00m以内で被爆し,急性症状を示さなかった人,②広島では爆心地から
3000~3500m,長崎では3000~4000mの距離で被爆した人,③原爆投下
時にいずれの都市にもいなかった人,が含まれる。
1977年に,高線量被爆者の減少を懸念して,新たに3つのグループを加
え成人健康調査集団を拡大し,①寿命調査集団のうち,T65Dによる
-271-
推定放射線量が1Gy以上である2436人の被爆者全員,②これらの人と年
齢及び性を一致させた同数の遠距離被爆者,③胎内被爆者1021人,を加
えた合計2万3418人とした。
成人健康調査集団設定後40年を経た1999年現在5000人以上が生存してお
り,その70%以上の人々が1999年12月時点でも成人健康調査プログラムに
参加している(乙A5。)
ウ疫学研究の方法
(ア)疫学研究の手法
a疫学研究の分類
疫学研究の手法としては,研究者が調査対象者に要因を与えるか与え
ないかを決定する介入研究と,研究者は調査対象者の要因曝露に関与す
ることができず,要因曝露と結果発生の現象をあるがままに観察する観
察研究があり,さらに,この観察研究には,時間の経過を考慮する縦断
研究と,これを考慮しない横断研究(断面研究)がある。そして,観察
研究中の縦断研究の1つとして,比較する2群の調査集団の設定を曝露
の有無で行うコホート研究がある(乙A31。)
bコホート研究
コホート研究は,何らかの共通特性(同じ所在地,同じ職業,同じ学
校,同一の曝露要因など)を持った集団を追跡し,その集団からどのよ
うな疾病,死亡が起こるかを観察し,要因と疾病との関連を明らかにし
,,ようとする研究であって疾病の要因と考えられている情報に基づいて
調査集団を設定し,その後の疾病や死亡の起こり方が要因の有無やその
要因曝露の程度によってどのように異なるかを観察する研究である。
このコホート研究の長所としては,分母集団の死亡率や罹患率が直接
,,,測定でき相対危険も算出することができることや曝露要因の影響を
単一疾病に対してだけでなく,複数の疾病に対して同時に観察すること
-272-
ができることが,短所としては,調査集団設定時に調査された要因のみ
についてしかその健康影響を測定し得ないことや,他の疫学調査に比べ
て設定する調査集団を大規模にしなければならず,少なくとも数千人な
いし数万人の調査集団を設定し,長期にわたり追跡しなければならない
ため,調査期間と調査費用が膨大になることがそれぞれ挙げられている
(乙A30。)
コホート調査における解析の手法としては,調査集団を外部集団と比
較する外部比較法と,調査集団内部で曝露要因の程度によって分けられ
たグループ内で比較する内部比較法がある。外部比較法は,一般に,比
較的情報が入手しやすい全国の暦年別,性,年齢別死亡(罹患)率が用
いられる場合が多いが,標準集団として用いた集団が調査しようとする
要因以外に質的に異なっていないかについて十分な検討が必要である。
これに対し,内部比較法は,調査集団内部において曝露の程度に応じて
グループ分けを行い,曝露が高い群から発生した死亡罹患が非曝露群,
また,低濃度曝露群から発生した死亡罹患に比べてどう違うかをみるも
のであって,観察人-年数,疾病,死亡の発生数が十分であれば,それ
ぞれの群から起こった累積死亡率(罹患率)を算出し,直接比較するこ
とができ,その比が相対危険として算出される(乙A30。)
cポアソン回帰分析
内部比較法の一手法として,対照群を設定せず,回帰分析を用いて,
要因曝露に応じた用量反応関係を求める方法がある(回帰分析とは,予
測したい変数である目的変数と目的変数に影響を与える変数である独立
変数との関係式〈回帰式〉を求め,目的変数の予測を行い,独立変数の
影響の大きさを評価することをいう。。)
ポアソン回帰分析は,目的変数がポアソン分布(ポアソン分布とは,
ある事象が万一起こるとすれば突発的に〈互いに独立して〉起こるが,
-273-
普段は滅多に起こらないという場合における一定時間当たりの事象発生
回数を表す分布をいう)に従うと仮定して行う回帰分析法である。ポ。
アソン回帰分析の手法は,被曝補償を行うためのリスク評価として米国
公衆衛生院国立がん研究所が放射線疫学表を作成した際にも使用されて
いる(乙A93。)
(イ)放影研の疫学研究の方法
aフランシス委員会の勧告
フランシス委員会は,ABCCの被爆者調査について,1955年11月に
フランシス報告書(甲A19)を発表して,研究方法についての勧告を
した。
同報告書によれば,強度の放射線を受けた群について調査を行うこと
が主要目的であり,真の意味の対照を設けることは明らかに不可能で,
軽度の被爆群及び非被爆群のいずれをも比較に使用することが肝要であ
ると考えられ,これによって放射線の影響,放射線量別の影響及びその
他爆弾に伴う影響の鑑別が可能となってくるのであり,線量が主要な影
響を及ぼさない遅発性放射線影響の場合には,比較のために非被爆群が
なければ放射線との関連性が見失われることもあるとされ,また,治療
群と対照群のように厳密な統計学上の意味の「対照群」を任意に割り当
てることがあり得ないことは明白であるが,被爆群内の放射線の影響の
強弱を調べるだけでなく,いくらかの非被爆群も調査の対象に含めるこ
とが望ましいと考えられ,たとい被爆群内の影響に勾配が認められたと
しても,被曝線量の最も少ない群における放射線の影響は,非被爆者と
比較しなければ推定することができず,影響に勾配が認められない場合
は,被曝線量の最も少ない群にも直接被爆又は降下物による放射線の障
害があったのかどうか決定することができないから,非被爆者群を調査
の対象に含めることを勧告するとされ,最も適切な非被爆者群は,1950
-274-
年10月1日に両市に居住していた者であるなどとされていた。
b疫学調査の方法の変遷
放影研(ABCC-予研)は,寿命調査について,当初は分割表法と
呼ばれる内部比較法に基づく調査,解析を行っていたが,寿命調査第6
報及び同第7報においては,内部比較法に基づく調査,解析のほか,市
内不在者群や1967年の日本全国の死亡率を用いた,外部比較法に基づく
調査,解析も行っていた。しかし,市内不在者群は,原爆投下当時軍務
に服していただけでなく,戦後朝鮮,中国及び南方アジア方面から引き
揚げてきて広島及び長崎に定住した多数の民間人が含まれているなど,
被爆者群とは社会経済的条件に差があること,日本全体の死亡率を利用
して死亡期待数を算出すると,バックグラウンドの死亡率が都市によっ
て異なることなどの調整をすることができず,偏りが生じる可能性があ
ること,などの問題があった。
そこで,寿命調査第8報においては,市内不在者及び線量不明群を削
除し,また,全国の死亡率から算定した期待死亡数も一般に使用しない
など,外部比較法に基づく調査,解析は行われなくなり,以後,内部比
較法による調査,解析が行われてきた。そして,寿命調査第10報におい
て,これまでの分割表法では種々の制約があったため,統計的進歩によ
り導入が可能となった新しい統計的手法として,ポアソン回帰分析とい
う内部比較法が用いられるようになった。このような回帰分析を行うこ
とによって,被曝線量と死亡(罹患)率との関係,すなわち,線量反応
関係を関係式で表すことが可能となり,必ずしも正確な非曝露群のデー
タが得られなくても,曝露要因ゼロのときの死亡(罹患)率の値を推定
,()()することができこれと任意の曝露要因量被曝線量での死亡罹患
率とを対比することによって,相対リスク等を得ることができると考え
られている(乙A94。)
-275-
エ寿命調査第12報第1部(1996年)の概要(乙A3)
(ア)調査の概要
上記報告書は,放影研により追跡調査が行われている原爆被爆者の寿命
調査集団における死亡率に関する定期的な全般的報告書シリーズの第12報
であって,前回の報告書(同第11報)の追跡期間を5年間追加し,線量推
定体系の拡大により放射線被曝線量推定値が得られた1万0500人の被爆者
を新たに加えた情報を掲載したものである。
(イ)調査集団及び追跡調査
この報告書で用いられている寿命調査集団には,線量推定値が分かって
いる被爆者8万6572人が含まれている。また,この集団には推定線量が0.
005Sv未満の3万6459人も含まれている。推定線量が0.005Svを超える対象
者5万0113人の平均線量は0.20Svである。
死亡追跡調査は,我が国の戸籍制度を利用し,生存している被爆者全員
の状況を3年周期の調査を通じ行われている。原死因に関する情報は死亡
診断書から得ている。この報告書の追跡調査は,1991年~1993年の周期に
行われた戸籍調査に基づき,1950年10月1日~1990年12月31日までの期間
を扱っている。
死亡診断書に記録された原死因情報の正確さが,1960年代前半から1984
年まで行われた寿命調査剖検プログラムに基づいて調査され,報告されて
いるところ,剖検から得られた結果と比較すると,がん死亡の約20%が死
亡診断書ではがん以外の原因による死亡と誤分類されており,一方で,が
ん以外の原因による死亡の約3%ががん死亡と誤分類されている。これら
誤分類の割合を考慮に入れて寿命調査集団におけるがん死亡率の解析を行
った結果,誤差を修正すると,固形がんのERR(過剰相対リスク)推定
値が約12%,EAR(過剰絶対リスク)推定値が約16%上昇することが示
唆されているが,この報告書においては,このような補正は行われていな
-276-
い。
(ウ)線量測定法
2km以内の被爆者における個々の線量推定値は,1950年代後半から1960
年代前半にかけて行われた面接調査によって得られた詳細な遮蔽歴に基づ
いている。他の被爆者の推定値は,質問票に対する回答から得られた情報
に基づいているが,面接調査からの情報ほど詳細ではない。
DS86線量推定方式により,個人のガンマ線及び中性子被曝線量(遮
蔽カーマ)推定値並びに15種の臓器のガンマ線及び中性子線量推定値が得
られる。寿命調査第11報以降,DS86が第3版にまで拡大され,さらに
1万0536人(このうち9000人以上は推定線量が0.10Sv未満である)の線。
量推定値が得られるようになった。追加された対象者は,被曝線量が極め
て低い非遮蔽の遠距離被爆者(広島7037人,長崎2541人,長崎の工場内)
高線量被爆者(652人)及び長崎の地形による遮蔽を受けた低線量被爆者
(306人)である。
この報告書の本文にある解析はすべて推定臓器線量を用いて行われた。
白血病の解析では骨髄線量を用い,固形がんの解析では臓器の代表として
結腸線量を用いている。
広島での放射線には,ガンマ線よりも単位線量当たりの生物学的効果が
大きいとされる中性子がかなり含まれていることを考慮して,ガンマ線量
に中性子線量を10倍したものを加え,線量に重みを付けた。
(エ)統計手法
被爆時年齢,観察年齢(特定の追跡調査期間における対象者の年齢,)
,(),()追跡調査期間重み付き臓器線量下限は0.005Sv遮蔽カーマ0.4Gy
の区分でデータを交差分類し,詳細な表を作成し,それに基づいて,ポア
ソン回帰分析法を用いて分析し,線量反応の形,生涯リスクの推定,部位
別リスクの推定を行った。
-277-
(オ)結果の概要
固形がんの場合,被爆時年齢30歳の場合,1Sv当たりの過剰生涯リスク
は,男性が0.10,女性が0.14と推定される。被爆時年齢50歳の人のリスク
はこの約1/3である。被爆時年齢10歳の人の生涯リスク推定値はこれらよ
りも不明確であり,妥当な仮定の範囲では,この年齢群の推定値は被爆時
年齢30歳の人の推定値の約1.0~1.8倍の範囲になる。
白血病の場合には,被爆時年齢10歳あるいは30歳の人の1Sv当たりの過
剰生涯リスクは男性が約0.015,女性が約0.008と推定される。被爆時年齢
が50歳の人のリスクは10歳あるいは30歳の人の約2/3である。
固形がんの過剰リスクは約3Svまで線形を示すが,白血病の場合,線量
反応が非線形を示し,0.1Svにおけるリスクは1.0Svでのリスクの約1/20と
推定される。部位別リスクの違いの大部分は推定値の不正確さにより簡単
,。に説明することができるので解釈に当たっては慎重を期する必要がある
具体的には,肺,乳房,胃,食道,膀胱,結腸及び卵巣の各がん並びに
多発性骨髄腫については,放射線との優位な牽連性が認められた。
(カ)なお,同報告書は,近年,広島の中性子被曝線量推定値の妥当性に疑
問が投げかけられ,広く論争されてきているとして,これに対し,次のよ
うな考察をしている。
これは重要な問題ではあるが,改定されると寿命調査から得られている
幅広い結論に及ぼすと思われる影響に関して混乱がある。ストローメらは
中性子被曝線量の補正因子の暫定的推定値を出し,中性子の推定値が鉱物
や金属資料における中性子放射化測定値によりよく一致するようにした。
この暫定的な補正法を本報のデータに適用すれば,広島における固形がん
の過剰相対リスク推定値は約15%減少するのみである。変化があまり大き
くない理由は,線形線量反応解析において最も影響力のあるデータが大体
1000~1200mの範囲にあり,その範囲では現在の中性子推定値は全線量の
-278-
1.5%であり,暫定的補正では中性子推定値はわずか2~3倍程度にしか
ならないからである。もちろん,2つの都市を一緒にしたリスク推定値の
変化は,広島における変化よりも相当小さい。これらの補正は暫定的では
あるが,中性子推定値を改定するとリスク推定値が劇的に減少するであろ
うという報告には懐疑的でなければならない。
オがん発生率調査第2部(1995年)の概要(乙A4)
(ア)調査の概要
上記報告書は,寿命調査拡大集団における原爆被爆者の充実性腫瘍罹患
データとリスク推定についての最初の包括的報告書である。
(イ)調査集団及び追跡調査
この報告書の調査集団(調査コホート集団)は,拡大寿命調査集団(12
)(),(),万0321人から市内不在者2万6580人DS86線量不明者7109人
DS86カーマ線量が4Gyを超える者(263人,死亡又は1958年1月1)
日以前にがんに罹患したことが分かっている者(6397人)を除いた7万99
72人である。
この調査集団は,あらゆる被爆時年齢の者を含んでいた。1958年の調査
開始時は,平均被爆時年齢は26.6歳,平均到達年齢は39.0歳であった。19
87年の追跡終了時は,調査集団の加齢のため,生存者の平均被爆時年齢は
9歳減少し,平均到達年齢は60歳に増加した。
調査対象者の68%が広島で被爆し,32%が長崎で被爆した。
調査集団の40%が1987年末までに死亡した。
死亡者の割合と被爆時年齢との間には非常に強い関連性がみられた。20
歳未満で被爆した3万5000人のうち88%はまだ生存しており,がん罹患年
齢に近づいている。
調査集団中,3万9213人(49%)のDS86総カーマ推定値が0.01Sv未
満であることを示しており,これらを対照集団とする(この報告書では非
-279-
被爆者群とも呼ぶ。被爆群はDS86総カーマ推定値が0.01Sv以上の。)
4万0759人(51%)である。
拡大コホート集団の女性対男性の比は高く,線量区分別にみても女性対
男性の比は高く,被爆年齢が20~39歳の群では多くの男性が軍務に服して
おり原爆投下時に広島や長崎にいなかったため,女性が圧倒的に多数であ
った。調査集団のこのような年齢及び性分布はこのコホートのリスク推定
値に強い影響を与える可能性がある。
(ウ)腫瘍の確認
広島と長崎の腫瘍登録の日常作業として,拡大寿命調査集団との同定を
コンピュータ・リンゲージ・システムと手作業(放影研の採録者による医
),,療記録の確認により把握されている上広島及び長崎の腫瘍組織登録と
,,地元の保健所から入手した死亡票のがん死に関する情報で補われさらに
長崎県がん登録,放影研白血病登録及び外科手術,剖検及び成人健康調査
検査プログラムから放影研が得た記録により強化される。従来のデータ精
度測定方法によると,広島及び長崎の登録の症例確認の精度は他のがん登
録の精度と同等である。
1980年までには調査コホート集団の生存者のうち約20%が広島又は長崎
に居住していなかったと推測される。このことより,解析は診断時に広島
又は長崎に居住していた症例に限定し,統計学的方法により転出について
観察人年を調整した。
(エ)線量測定法
この調査では,最新版のDS86線量推定方式を用いて対象者個々のガ
ンマ線と中性子線遮蔽カーマ及び臓器線量のDS86推定値を計算した。
DS86により,長崎の工場労働者,爆心地から2000m以内にいたが地
形的に遮蔽されていた長崎の工場労働者以外の労働者,原爆投下時に戸外
におり,長崎では爆心地から1600m,広島では2000m以遠にいた両市の被
-280-
爆者の線量推定値の計算ができ,拡大コホート集団の被爆者のうち92%の
推定値が得られ,このうち,DS86カーマ推定値が0.1Gy未満の者は80
%以上で,1Gyを超えていた者は4%未満であった。
この報告書における解析は,ガンマ線量に中性子線量の10倍を加えたD
S86加重臓器線量に基づいている。部位別の解析は,DS86にある15
の臓器線量のうち最も適切なものを選んで行った。DS86には推定皮膚
線量が含まれていないので,皮膚線量は遮蔽カーマとほぼ等しいと仮定さ
れた。
(オ)統計学的解析
部位別や器官系に関する解析は,被爆時年齢(13区分,DS86臓器)
加重線量(10区分,暦年期間(7区分,性及び都市別に層化した症例))
数と人年の詳細な集計に基づいて行った。
解析は,一般的過剰相対リスクモデル(過剰相対リスクに1を加えたも
のにバックグラウンド率を乗じたもの)に基づいている。
標準化過剰相対リスクは,コホート集団が18~50歳の男性の割合が比較
的小さいので単純な過剰相対リスク要約推定値は幾分歪曲されたリスクの
姿を示すことが懸念されたため,1985年,日本人人口の年齢と性の分布に
従うウエイトを用いて,ポアソン回帰推定値として算出した。
(カ)結果の概要
全充実性腫瘍は,血液及び造血器官の腫瘍を除き,良性と性状不明の脳
と中枢神経系の腫瘍を含む全悪性腫瘍であると定義した。
対象者7万9972人のうち1958~1987年の間に一次原発性充実性腫瘍が86
13例診断され,このうち75.4%が組織的に確定され,4.4%が肉眼的観察
に基づき,7.6%が臨床診断に基づき,12.6%は死亡診断書のみに基づき
確認された。口腔,咽頭,悪性黒色腫を除く皮膚,乳房,子宮頚,子宮体
及び甲状腺のがんの組織学的確定の割合は90%を超えていた。
-281-
死亡に関するこれまでの所見と同様に,全充実性腫瘍について統計学的
に有意な過剰リスクが立証された。
(),(),(),胃1Sv当たりの過剰相対リスク0.32結腸同0.72肺同0.95
乳房(同1.59,卵巣(同0.99,膀胱(同1.02)及び甲状腺(同1.15)))
のがんにおいて放射線との有意な関連性が認められた。
20歳以下で被爆した群において神経組織(脳を除く)腫瘍の増加傾向。
があった。
今回初めて寿命調査集団において放射線と肝臓(同0.49)及び黒色腫を
除く皮膚(同1.0)のがん罹患との関連性がみられた。
口腔及び咽頭,食道,直腸,胆嚢,膵臓,咽頭,子宮頚,子宮体,前立
腺,腎臓及び腎盂のがんには放射線の有意な影響はみられなかった。
充実性腫瘍の部位別解析においても,また,全腫瘍をまとめた解析にお
いても,広島,長崎間に顕著な差は認められなかった。
全充実性腫瘍の解析では,女性の相対リスクが男性の2倍であること,
また,被爆時年齢の増加とともに相対リスクが減少することが示された。
肺,全呼吸器系,泌尿器系のがんの相対リスクは,男性よりも女性の方が
高かった。全消化器系,胃,黒色腫以外の皮膚,乳房及び甲状腺のがんで
は,過剰相対リスクは被爆時年齢の増加とともに減少した。全充実性腫瘍
の過剰発生率は,到達年齢の増加に伴い,バックグラウンド罹患率に比例
して増加した。
従来の調査では,がんの死亡と放射線被曝との関係に重点が置かれてき
た。このような死亡調査は極めて重要であるが,がん診断の精度に限界が
あり,生存率が比較的高いがんについては,死亡診断書から十分な情報は
得られない。罹患データも限界はあるが(例えば,症例確認が不完全なこ
と,死亡診断書診断に部分的に依存していることなど,生存率のよいが)
んや,組織型及び被爆からがん罹患までの期間に関するより完全なデータ
-282-
を提供することができる。したがって,原爆被爆者の今後の解析において
は,がんの死亡と罹患の両方に焦点を当てるべきである。
(3)放影研の他の疫学調査等
ア寿命調査第9報第2部(乙A32)
(,)上記報告書原爆被爆者における癌以外の死因による死亡率1950-78年
は以下のような指摘をしている。
1975~1978年の4年間における寿命調査対象者中の死亡者数を調べ,1950
年以来28年間の死亡率を算定する方法により,がん以外の死因による死亡率
の増加等について調査したところ,新生物と血液疾患以外の全疾患の線量反
応関係に有意な関係は認められず,がん以外の特定死因で原爆被爆との有意
な関係を示すものはみられなかった。
寿命調査の開始(1950年)以前の死亡の除外による偏りの大きさを求める
ために1946年に行われた広島市の被爆者調査1945年の長崎被爆者調査調,,(
調査)及び被爆妊婦婦人調査から1946~1950年の死亡率資料の解析を行った
ところ,調査集団設定以前(1950年以前)の感染性及びその他の疾患による
死亡率が1950年以降の集団内の放射線と悪性新生物との関係を大きく偏らせ
ている可能性は少なく,悪性新生物以外の死因に関しては線量との関係は認
められず,上記の偏りは1950年以後に調査対象に認められた放射線影響の解
釈に重大な影響を及ぼすとは思われない。
早期入市者(原爆投下後1か月以内に市内に入った者)においては,後期
入市者(早期入市者以外の市内不在者)及び0ラド被曝群よりも死亡率が引
き続き低く,白血病又はその他の悪性腫瘍による死亡の増加は認められてい
ない。
イ寿命調査第11報第3部(甲A67文献番号29)
上記報告書(改訂被曝線量〈DS86〉に基づく癌以外の死因による死亡
率,1950-85年)は,以下のような指摘をしている。
-283-
まだ限られた根拠しかないが,高線量域(2又は3Gy以上)においてがん
以外の疾患による死亡リスクの過剰があるように思われる。統計学的に見る
と,二次モデル又は線形-しきい値モデル(推定しきい値線量1.4Gy〈0.6Gy
-2.8Gy)の方が単純な線形又は線形-二次モデルよりもよく当てはまる。〉
がん以外の疾患による死亡率のこのような増加は,一般的に1965年以降で若
年被爆者(被爆時年齢40歳以下)において認められ,若年被爆者の感受性が
高いことを示唆している。
,,()死因別に見ると循環器及び消化器系疾患について高線量域2Gy以上
で相対リスクの過剰が認められる。この相対リスクはがんの場合よりもはる
かに小さい。これらの所見は,死亡診断書に基づいているので,信頼性には
限界がある。おそらく最も重要な問題は,放射線誘発がんが他の死因に誤っ
て分類される可能性があることである。高線量域でがん以外の死因による死
亡が増加していることは明白であるが,そのうちどれだけがこの誤りに起因
するのかを明確かつ厳密に推定することは,現在のところ難しい。しかし,
死因の分類の誤りだけでこの増加を完全には説明することができないように
思われる。
ウ成人健康調査第7報(甲A42)
上記報告書(原爆被爆者における癌以外の疾患の発生率,1958年-1986年
〈第1-14診察周期)は,以下のような指摘をしている。〉
1958~1986年までに収集された成人健康調査コホートの長期データを用い
て,悪性腫瘍を除く19の疾患の発生率と電離放射線被曝との関係を初めて調
査したところ(被曝線量はDS86線量体系から得た最も適切な臓器線量を
用い,層別された非被曝者群の発生率に基づく線形相対リスクモデルを用い
て線量効果を解析した,子宮筋腫,慢性肝炎及び肝硬変,甲状腺疾患(甲。)
状腺がんを除く甲状腺所見が1つ以上あることという大まかな定義に基づく
もの)に統計的に有意な過剰リスクを認めた。
-284-
エ寿命調査第12報第2部(甲A67文献番号18)
上記報告書(がん以外の死亡率,1950年-1990年)は,以下のような指摘
をしている。
寿命調査集団のうち被曝線量が推定されている8万6572人の調査集団にお
ける1959年10月1日~1990年12月31日までのがん以外の疾患による死亡者に
ついて主に解析を行ったところ,その解析結果は,放射線量とともにがん以
外の疾患の死亡率が統計的に有意に増加するという前回の解析結果を強化す
るものであった。
有意な増加は,循環器疾患,消化器疾患,呼吸器疾患に観察された。1Sv
の放射線に被曝した人の死亡率の増加は約10%で,がんと比べるとかなり小
さかった。リスクが小さいこと及び説明することができる生物学的メカニズ
ムがないことを考えて,今回の結果が死因の誤分類,交絡因子,対象者選択
効果によって説明することができるか否かについて特に留意したが,現在ま
でに得られているデータでは,観察された線量反応関係をこれらの要素では
十分に説明することができないように思われた。
有意な線量反応関係は血液疾患による死亡にも認められ,過剰相対リスク
は固形がんの数倍であった。白血病又はその他のがんをがん以外の血液疾患
へ誤分類した結果ではないかという可能性に特に注意を払ったが,この血液
疾患の過剰相対リスクは誤分類では説明することができなかった。
オ成人健康調査第8報甲A67文献番号31)(
(,)上記報告書原爆被爆者におけるがん以外の疾患の発生率1958年-98年
は,以下のような指摘をしている。
1958~1998年の成人健康調査受診者から成る約1万人の長期データを用い
て,がん以外の疾患の発生率と原爆放射線被曝線量との関係を調査したとこ
ろ,以前にも統計的に有意な正の線形線量反応が認められた甲状腺疾患,慢
性肝炎及び肝硬変,子宮筋腫に加えて,白内障に有意な正の線量反応を,緑
-285-
内障に負の線形線量反応を,高血圧症と40歳未満で被爆した人の心筋梗塞に
有意な二次線量反応を認め,腎・尿管結石での有意な線量効果は男性では認
められたが女性では認められなかった。
白内障,緑内障,高血圧症,男性の腎・尿管結石での放射線影響は新しい
知見である。
これらの結果は,がん以外の疾患の発現における放射線被曝の影響を十分
に明らかにするため,高齢化している被爆者の追跡調査を続けることの必要
性を立証するものである。
カ寿命調査第13報(甲A112の19,115の11,乙A163)
上記報告書(固形がん及びがん以外の疾患による死亡率:1950-1997年)
は,以下のような指摘をしている。
1959~1997年までの47年の追跡調査に基づく解析結果として,固形がんの
過剰リスクは0~150mSvの線量範囲においても線量に関して線形であるよう
である。放射線に関連した固形がんの過剰率は調査期間中を通じて増加した
が,新しい所見として,相対リスクは到達年齢とともに減少することが認め
られ,また,子供の時に被爆した人において相対リスクは最も高い。典型的
なリスク値としては,被爆時年齢が30歳の人の固形がんリスクは70歳で1Sv
当たり47%上昇した。部位別相対リスクの差異の同定は困難であり,また,
それには注意を要することが部位別解析によって明らかになり,さらに,こ
れらの解析により,寿命調査における被爆時年齢の影響の推定値の解釈及び
一般化が困難であることも明らかになった。がん以外の疾患による死亡率に
対する放射線の影響については,追跡調査期間中の最後の30年間では1Sv当
たり約14%の割合でリスクが増加しており,依然として統計的に確かな証拠
が示された,がん以外の疾患のリスクは1Sv以下の線量においても増加して
いることを示す強力な統計的証拠がある。低線量における線量反応の形状に
ついては著しい不確実性が認められ,特に約0.5Sv以下ではリスクの存在を
-286-
示す直接的証拠はほとんどないが,寿命調査データはこの線量範囲で線形性
に矛盾しない。データをより詳細に検討すると,脳卒中,心疾患及び呼吸器
疾患などの,がん以外の疾患のいくつかの大きな区分にリスクの増加が認め
られるが,感染症あるいは内分泌系又は神経系の疾患などその他の疾患のリ
スクの増加を示す証拠はほとんど得られていない。リスク増加の全般的特徴
から,また,機序に関する知識が欠如していることから,因果関係について
は当然懸念が生ずるが,この点のみから寿命調査に基づく所見を不適当とみ
なすことはできない。疫学データ及び実験データは限られているが,多くの
研究は,がん以外のいくつかの疾患に放射線影響が存在する可能性を示唆し
ている。寿命調査集団の部分集団における臨床調査及び検査研究によって,
心臓血管疾患,脳卒中,慢性肝疾患及びその他種々の疾患の罹患率と放射線
量との統計的関連性が示されており,死亡率調査の結果を補完するデータが
得られている。さらに,被爆者において,大動脈弓石灰化,収縮期高血圧並
びにコレステロール及び血圧の年齢に伴う変動など,がん以外のいくつかの
疾患のいくつかの前駆症状について長期にわたるわずかな放射線との関連が
報告されている。最近の調査では,被爆者に持続性の免疫学的不均衡及び無
症状性炎症と放射線との関連が認められた。これらは,がん以外の広範な疾
患に対する放射線影響の機序と関連するのかもしれない。寿命調査における
がん以外の疾患に関する所見は,これらの疾患の率に対する放射線影響の機
序を同定あるいは否定する上で役立つであろうさらなる調査の必要性を強調
している。
第3審査の方針の依拠する線量評価方式に対する指摘等
1初期放射線量に関する指摘
初期放射線(ガンマ線,熱中性子線及び速中性子線)の測定値とDS86ない
-287-
しDS02による計算値との不一致について,以下のような調査結果の報告や指
摘(要旨)がなされていることが認められる。
(1)DS86報告書の指摘(1987年(乙A38))
アガンマ線について
広島においては,すべての研究所におけるガンマ線の測定結果で,1000m
以遠の距離において,計算値に対して測定値の方が大きく,28の測定中24が
計算値を超えている。逆のことが1000m以下の距離で当てはまるように思わ
れ,14の測定中10が計算値よりも低い(ただし,新しい測定のみを考慮する
と,合一性はこの距離で向上する。1000m以遠で理論値が広島の測定値。)
の平均値に一致するためには,18%の増加を,これらの距離での理論モデル
で行わなければならない。
5つの研究所による長崎家野町塀煉瓦(1428m)の測定値と計算値との平
均差は10%であるが,その差は広島の不一致に対して逆である。これは,系
統的な熱ルミネセンス誤差が両都市における測定の結果を偏らせてはいない
ことを示唆する。長崎では,1000mを超えた場合10%以下の減少をすること
が,正確な一致のために必要となるであろう。
イ熱中性子線について
鉄の中の不純物であるコバルト中に誘導化されたコバルト60が測定された
結果,DS86による計算値は,爆心地から近距離では測定値より大きく,
遠距離になるに従って測定値を下回るようになり,1180m地点では測定値の
1/4になるという系統的な不一致が見いだされた。コバルトの放射化の測定
値が熱フルエンスの正確な表示として正しいものであり,それから地上での
計算された中性子フルエンスがすべてのエネルギーにわたってある割合だけ
小さいという仮定をすると,広島で1000mを超えるところでは中性子とガン
マ線の混合場のうちの中性子カーマの割合は,増加するため,有意なしから
有意ありに変わるであろう。中性子線量についてはさらに研究を進める必要
-288-
がある。
ウ速中性子線について
速中性子線について,原爆投下直後の調査で広島において採取された絶縁
碍子中の硫黄に含まれるリン32の測定結果がほとんど唯一のデータであり,
爆心地から近距離ではかなりよく一致するが,400m以遠においては,測定
値の誤差が大きく結論を下せない。
(2)長友教授らの測定結果及び指摘(1992,1995年)(甲A24,25の各1・2)
ア長友教授らは,論文「広島の爆心地から2.05kmにおける測定ガンマ線量と
DS86の評価値との比較」において,次の指摘をしている。
広島の爆心地から2053m地点で採取した5枚の瓦のサンプルを用いてガン
マ線線量を熱ルミネセンス法によって測定し,2453mで収集した瓦のサンプ
ルもバックグラウンド評価の信頼性を検証するために解析したところ,2.05
kmの距離に対する結果は5枚の瓦についての測定値の平均で129±23mGyであ
り,この値は,対応したDS86の推定(60.5mGy)より2.2倍大きい。
イまた,長友教授らは,論文「爆心地から1.59kmから1.63kmの間の広島原爆
のガンマ線量の熱ルミネセンス法の線量評価」において,次の指摘をしてい
る。
爆心地から1591~1635mのビルディング郵便貯金局の屋根の5か所各()(
4枚)から収集した瓦の標本からサンプルを採り石英の粒子を抽出し,これ
らの粒子の熱ルミネセンスを高温ルミネセンス法により解析してガンマ線カ
ーマを測定したところ,組織カーマの結果は,DS86の評価より平均して
21%(標準誤差は4.3~7.3%)多かった。現在のデータと報告されている熱
ルミネセンスの結果は,測定されたガンマ線カーマはDS86の値を約1300
mで超過し始め,この不一致は距離とともに増加することを示唆している。
この不一致は,DS86の中性子のソース・スペクトルに誤りがあることに
原因があり,これまでの中性子放射化の測定によって支持されている。
-289-
(3)静間教授らの測定結果及び指摘(2002年(甲A18の1・2))
静間教授らは,論文「長崎における原爆中性子によって誘導された残留コバ
ルト60の測定と環境中性子によるバックグラウンドへの寄与」において,長崎
の爆心地から1063mまでの距離で採取された5個の鉄鋼試料を用いて,低バッ
クグラウンド井戸型ゲルマニウム検出器によりコバルト60の測定を行ったとこ
,。ろDS86の計算値との間に系統的な不一致が見いだされたと指摘している
(4)平良専純らの評価及び指摘(2003年3月(乙A10))
厚生労働科学研究所研究費補助金厚生労働科学特別研究事業「原子爆弾の放
射線に関する研究」平成14年度総括・分担研究報告書(主任研究者放影研副
理事長平良専純)には,以下の指摘がある。
日,米,独によるガンマ線及び中性子線に関する測定値は,爆心地から少な
くとも1.2km地点まではDS02における計算値と全般的に極めてよく一致し
ており,爆心地から1.2~1.5km以遠での中性子線の測定値と計算値の相違につ
いては,線量の絶対値が小さくバックグラウンドとの区別が困難なことなど測
定値の不確実性によるものと判断されている。
中性子の不一致問題について,静間らのグループは,数多くの測定を爆心地
付近から遠距離まで広範囲にわたって行い,爆心地付近では測定値が計算値よ
りも低く,距離とともにこの関係が逆転して遠距離では測定値の方が計算値よ
りも高くなっていることから,計算における何らかの間違い,例えば広島原爆
の線源の間違いの可能性を示唆している。
,ユウロピウム152などの測定値と計算値との不一致が明らかになった段階で
ストローメやリューメ(Ruehm=ドイツミュンヘン工科大学)らが塩素36の測
定に参加したところ,これら測定値も計算値と距離との関係において,おおむ
ね静間教授らの測定値と同様の傾向を示した。
リューメらは,墓石などの被曝岩石を使用して塩素36を測定したが,測定値
には宇宙線などの自然環境のバックグラウンドが加わっていること,墓石によ
-290-
りバックグラウンドが異なることなどの細かな研究を続け,最終的にはバック
グラウンドの補正をすれば計算値と一致するとした。ストローメらの場合も,
コンクリート試料の複雑さ(海水中の砂の自然界における被曝,建造物使用に
小石を混入,コンクリート壁面と深部における塩分を含んだ雨水の浸透度の違
い)を徹底的に調べ上げ,最終的にはバックグラウンド補正をすれば計算値と
一致するとしている。
中性子の不一致問題の解決の決め手となったのは,9か所の異なる被爆距離
における被曝試料を,それぞれ4人の測定者に分割して同一試料の測定をした
相互比較である。小村教授らによるユウロピウム152の測定は,低バックグラ
ウンド施設において行われ,それでもなお残っている原爆以外の放射線由来の
ユウロピウム152をコンピュータによる解析により除去する工夫がされたが,
その最終結果は,DS86又はDS02における計算値と1kmを超す遠距離に
至るまで非常によく一致している。塩素36については,異なる日米独3か所で
測定された結果,若干のばらつきが認められるものの,ユウロピウム152と同
様に計算値との一致がみられた。後に,長島泰夫らは,補正方法の改善により
測定値の評価に改善を加え,全員の測定値がより一層一致度を増した。
(5)ストローメらの測定結果と指摘(2003年7月(乙A37の1・2))
ストローメらは,論文「広島の原爆生存者における距離の関数としての高速
中性子の測定」において,以下の指摘をしている。
加速器質量分析法を用いて銅の中の微量のニッケル63の検出方法を開発し,
広島において,爆心地から距離の異なる7地点(380~5000m以上)から採取
,,した銅の被曝試料の測定を行った結果銅1g当たりのニッケル63の測定値は
爆心地からの約1800m地点でバックグラウンドの値(銅1g当たりニッケル63
が7万3000個)に近づき,これを測定値からバックグラウンドとして差し引い
た上,1945年以降の崩壊に関する修正を行い,その結果得られた測定値とDS
86ないしDS02の計算値とを対比すれば,①日本銀行(爆心地からの距
-291-
離:DS86で380m,DS02で391m)において,測定値は,対DS86計
,,,算値で0.64±0.14対DS02の計算値で0.85±0.19②醤油工場(各949m
964m)において,測定値は,各1.08±0.46,1.33±0.57,③市庁舎(各1014
m,1018m)において,測定値は,各0.92±0.26,1.12±0.31,④小学校(各
1301m,1308m)において,測定値は,各0.96±0.70,1.20±0.87,⑤放射
性同位元素建屋(各1461m,1470m)において,測定値は,各1.52±1.41,1.90
±1.77となる。
上記測定値は,爆心地から900~1500mの距離において,DS86による計
算値とよく一致しているが,380m地点の測定値は計算値より幾分小さく,近
距離ではDS86による計算値を下方修正する必要がある。この傾向はリン32
の測定結果ともよく一致しており,広島の爆発高度がやや低めに設定されてい
ることと矛盾なく説明できると考えられる。
これに加えて,ガンマ線について十分な検証がされていることからすれば,
被曝線量に将来修正が必要になるとしても,その程度はわずかなものと考えら
れる。
(6)澤田教授の指摘(2004年11月(甲A12,60,62,原審証人澤田昭)
二)
名古屋大学名誉教授澤田昭二(以下「澤田教授」という)は,共著「共同。
研究広島・長崎原爆被害の実相」や原審証言等において,以下のような指摘
をしている。
アガンマ線について
バックグラウンド線量を測定値から差し引いて原爆による正味の放射線量
が求められるところ,長友教授らは,熱ルミネセンス法による同様の方法で
原爆放射線が到達していないことが明白な爆心地から遠い距離における測定
値を求めて,原爆以外の影響によるバックグラウンド値としているが,この
バックグラウンド値を爆心地から2450mにおける瓦のサンプルの測定値から
-292-
差し引いて原爆によるガンマ線量を求めるとマイナスになった。本来線量が
マイナスになることはあり得ないので,DSがバックグラウンドの値を大き
めにとったことを示している。
イ熱中性子線について
広島原爆の中性子によって放射化されたコバルト60の実測値と,DS86
による放射化の計算値を比較すると,DS86の計算値は,爆心から1000m
付近までは実測値よりも1.5倍~2倍大きく,1000mを超えると実測値を下
回り,距離とともに急速に過小評価になっていく(なお,コバルト60の実測
値中,爆心から約1400mの実測値がその他の地点の実測値を結んだなめらか
な曲線から下に外れているが,このコバルト60の実測値は,試料採取場所が
天満川鉄橋であり,河川の高湿度による中性子線の吸収が影響したものと思
われる。。)
ユウロピウム152と塩素36についても,同様の傾向があり,このように種
類の異なる原子核について同じ不一致の傾向を出すことは,DS86の計算
値に問題があることを示している。最近得られたユウロピウム152と塩素36
の精度の良い実測値(小村教授らと長島教授らによるもの)は,近距離をD
S86から改善したDS02による計算値と爆心地から1400m付近まではよ
く一致することが示されが,ユウロピウム152については,1400m辺りから
DS02の計算値が実測値に比べて過小評価に移行する傾向がみられる。こ
れ以上の遠距離についての検討は現状では難しいので,コバルト60の1800m
付近の実測値との比較が重要になるが,コバルト60の実測値に基づいてカイ
自乗フィットにより中性子線量を求めると,爆心地から700mまではDS8
6がやや過大評価であり,900mでは逆転して過小評価になり,急速に不一
致は拡大していく。DS86の計算値は実測値に比して,爆心地から1500m
では約1/14となり,2000mでは約1/167となる。
一方,長崎原爆の中性子線については,遠距離において適切な測定試料を
-293-
入手することが困難であるため,爆心地から約1100mまでの測定値しか得ら
れていない。測定値にばらつきの少ないコバルト60についてみると,DS8
6の計算値は,爆心から900mまでは実測値の上側にあり,それを超えると
計算値が過小評価に転じる。コバルト60の実測値をカイ自乗フィットにより
中性子線量を求めると,爆心地から1300mではDS86の計算値の約4.2倍
に,2500mではDS86の計算値の172倍になる。
ウ速中性子線について
爆心地から380mのDS86による計算値はストローメらの測定値の1.56
倍で過大評価であり,1461mでのストローメらの実測値は,誤差が大きいも
のの,逆にDS86の計算値の1.5倍になっている。このストローメらの速
中性子の不一致の傾向は,従来のリン32の放射線を測定した速中性子線量や
誘導放射化の測定による熱中性子の不一致と同じ傾向を示している。
ストローメらの速中性子の測定結果から,その半減距離を計算すると170
mであるのに対し,DS86の計算値では145.8mとされており,DS86
の計算値よりも実測値の方がゆっくり減少していることを示している。広島
原爆の爆発高度を600mに設定し直したDS02によっても実測値から求め
た半減距離は165mとなるのに対し,DS02の半減距離は145.6mであり,
なお約20mの違いがある。
ストローメらの報告のもう1つの重大な問題点は,爆心地から1880mの実
測値をそっくりバックグラウンドに採用して,この距離より近距離の実測値
から差し引いて原爆から放出された速中性子線量を求めていることである。
爆心地から1880mの地点には,DS02の計算値によってもまだかなりの量
の速中性子が到達している距離であるにもかかわらず,この地点における実
測値をすべてバックグラウンドとみなすことは,爆心地から1880mの中性子
線量はゼロであると初めから仮定することになり,相当でない。
エ初期放射線に係るDS86による計算値と測定値の不一致の原因
-294-
DS86の測定値と計算値との不一致の原因として,原爆の爆発点から放
出された中性子線のエネルギー分布,すなわちソースタームの計算の問題,
中性子の伝播に重要な影響を与える湿度の高度変化,ボルツマン輸送方程式
に基づくコンピュータ計算における区分の設定,が挙げられる。
このうち,ソースタームの計算の問題については,広島原爆の構造を含め
てソースタームの計算の詳細は軍事機密として公表されておらず,長崎原爆
のソースタームについても,ネバダの核実験で使用された原爆よりも長崎原
爆の方が容積が大きかったことや,爆発威力にばらつきがあるなどの不確定
要因がある。
湿度分布については,DS86では,長崎の原爆爆発時の湿度として,海
に近い海洋気象台の記録値をそのまま採用して,地表から上空1500mまでの
湿度を71%としているが,長崎では,爆心地付近は海からやや離れ,河川の
影響も小さい。また,海面近くと上空とで湿度が異なり,上方になるにつれ
て湿度が小さくなっていたとすれば,大気中の水蒸気に含まれる水素の原子
核による中性子線の吸収が減少し,DS86による計算値よりもずっと多く
の中性子線が遠方に到達したことになり,この効果によるずれは遠方ほど大
きい。DS86の放射線輸送計算においては,地上の上空1500mまでの大気
が考慮され,それ以上は無視されているが,上空の大気の湿度が低い場合,
上空の空気の原子核から反射して地上に到達した中性子の寄与は遠距離でか
なり増大する。長崎原爆の近距離の中性子線量の減少がDS86の計算値で
は実測値よりやや急激になっていることは,中性子を吸収する水分量をDS
86では実際より大きく取ったためと考えられる。
オDS02について
遠距離におけるガンマ線の実測値との不一致,コバルト60による中性子線
の遠距離における測定値との不一致,高エネルギー中性子のニッケル63の半
。,減距離の不一致はDS02においても解消されていないこれらの不一致は
-295-
共通して,ソースタームにおける高エネルギー中性子の過小評価を示唆して
おり,ソースタームに関する疑問はDS02においても依然として未解決の
まま残されているが,軍事機密によって問題の解明が妨げられ続けている。
(7)小村教授の指摘(2004年8月(甲A107))
小村教授は,DS02報告書において熱中性子測定による検証に用いられた
ユウロピウム152の測定値とDS02との計算値について,1.2kmまでは測定値
と計算値の一致は極めてよく,DS02の方がDS86より測定値との一致が
良いが,1km以遠の試料ではアクチニウムの寄与が高いためユウロピウムの検
出限界が低く,再度化学処理しアクチニウムを低減すれば精度を上げることが
可能でより遠方試料のユウロピウム152を検出する可能性があるとしている。
(8)小佐古助教授の指摘(2004年12月(乙A39,原審証人小佐古敏荘))
東京大学原子力研究総合センター助教授小佐古敏荘は「新たな原爆線量評価
システムDS02に関する意見書」において,以下の指摘をしている。
アガンマ線について
ガンマ線に関しては,複数の研究機関が広島と長崎から採取された試料に
ついて熱ルミネセンス法による相互比較測定を行っており,その測定値はい
ずれもDS86の計算値とよく一致している。同法による測定値算出の過程
からして,その一致度は相当高いものと判断される。
イ熱中性子線について
小村教授らによって超低バックグラウンドの尾小屋地下測定室において,
広島から採取された試料中のユウロピウム152の測定が行われたが,その測
定値は,DS86及びDS02による計算値とよく一致している。
長崎におけるユウロピウム152の測定値は,DS02による計算値を上回
っているが,相互比較による裏付けがなく,重視できない。
コバルト60について,長崎における測定値とDS02の計算値は一致して
いると言い難いが,広島の測定値は,近距離においてはDS02の計算値と
-296-
一致している。一部外れている測定値があるが,1960年代のものやバックグ
ラウンドの検討を要するデータである。
ウ速中性子線について
リン32については,爆心地から600mくらいまではDS86による計算値
が測定値をよく再現できているが,それ以遠では測定値の誤差が大きく,明
確な判断はできない。
ニッケル63については,ストローメらの測定値は,爆心地から1400m前後
までDS86による計算値とよく一致している。
2残留放射能等に関する調査結果等
広島原爆及び長崎原爆による放射性降下物の範囲及び量に関する調査等に関
し,以下の事実が認められる。
(1)宇田道隆らの指摘(1953年(甲A69))
文部省学術研究会議原子爆弾被害調査委員会第一分科会C班広島管区気象台
の気象技師宇田道隆ほか2名が昭和20年8月以降同年12月までに収集した資料
に基づいてとりまとめた論文「気象関係の広島原子爆弾被害調査報告(原子」
爆弾災害調査報告書。昭和28年)によれば,以下の指摘がある(以下,上記報
告にいう雨域を「宇田雨域」ということがある。。)
昭和20年8月6日,内地は高気圧におおわれ一般に天気は良い方で風も弱く
視界は良好であり,広島は,夜半来快晴で午前6時ころから薄曇りとなり,午
前8時5分陸風から海風に交代を始め,まず静穏に近い状態であった。
原爆投下後20分ないし1時間後に降雨が始まり,終雨時は午前9時ないし9
時30分から始まり午後3時ないし4時ころまでにわたっている。
降雨の範囲は爆心地付近に始まって北西方向の山地に延び遠く山県郡内に及
んで終わる長卵形を成している。
,,,,継続時間2時間以上の土砂降りの甚だしい豪雨域は三條横川山手広瀬
福島町を経て己斐,高須より石内村,伴村を越え戸山,久地村に終わる長楕円
-297-
形の区域である。
相当激しい継続時間1時間ないしそれ以上の大雨域は,長径19km,短径11km
の楕円形ないし長卵形の区域を成している。
少しでも雨の降った区域は長径29km,短径15kmに及ぶ長卵形を成している。
始雨時の小雨の雨粒は特に黒い泥分が多かったため粘り気があり,1~2時
間黒い雨が降った後,続いて白い普通の雨が降った。
降雨域,降雨継続時,始雨時,終雨時のいずれの分布をみても,爆心位置か
ら北西方向に引いた線に対し著しく北側に偏倚し,前線帯を中軸とするかのよ
うな特殊の分布を示している。
宇田雨域での雨水は黒色の泥雨を呈したばかりでなく,その泥塵が強烈な放
射能を呈し人体に脱毛,下痢等の放射性生理作用を示し,魚類の斃死浮上その
他の現象を現した。
長崎では広島に比しはるかに小規模な驟雨現象があったにすぎないが,これ
はおそらく広島の場合のような前線帯が現れなかったことと,火災がずっと小
規模であったことが,一般気象による成雨条件のほかに大きな因子とならなか
ったからであろう。
己斐・高須地区の人は原爆投下後約3か月にわたって下痢するものがすこぶ
る多数に上った。
大気中の塵埃は1時間ないし2時間の雨水洗滌によりおおむね除去され,こ
れが地上に降ったため,この降下量の多い地区すなわち広島市西方の己斐・高
須方面に高放射能性を示すに至ったのであろう。
,,,,,,,飛撤降下物は焼トタン板屋根のソギ板蚊帳片綿片布片紙片切符
名刺,紙幣,債券,埃など軽重大小種々雑多なものが無数にあり,降下はおお
むね降雨の前から始まって降雨中にかけてみられ,降下物の分布範囲は広島市
内に少なく爆心より3km以上離れた市北西方山岳地帯を主として雨域よりも広
く,その分布の濃密状態は降雨域と異なり爆心から北西方に引いた軸線に対し
-298-
てその南西方に偏倚して多い。
爆発後の己斐・高須地区の放射能の著大な分布は降雨による持続的な放射性
物質の雨下,特に爆弾による高放射能物質の混在と南東気流による降灰中に放
射能物質を含有しその最も強く己斐・高須方面に指向されたためであろう。
(2)エドワードT.アラカワの指摘(1962年(乙A11))
ABCC業績報告集において,エドワードT.アラカワは「広島および長崎
における残留放射能」と題する報告を行い,以下のような指摘をしている。
1945年10月3日から同月7日にかけて行われた日米科学者合同調査班による
調査の結果,広島の己斐・高須地区の降下物による放射線量は最高0.045mr/hr
が記録されており,爆発の1時間後から無限時まで積算すれば,戸外被爆者の
場合の総被曝線量は約1.4rとなり,また,長崎の西山地区の放射線量は,最高
1.0mr/hrを記録し,これを爆発後1時間後から無限時まで積算すれば,戸外被
爆者の場合の総被曝線量は約30rとなる(ただし,実際には戸外に居続けるわ
けではないことから,多く見積もっても10r程度となる。そして,ともに爆。)
心地から約3000m離れたこれらの地域では中性子束は無視して差し支えないか
ら,これらの放射線量は降下核分裂生成物によるものであり,広島では同年9
月16日から同月17日に台風が襲来しているものの,台風襲来前の計測値とその
後の計測値との間には核分裂生成物の時間の経過による減衰の法則との関係に
おいて十分に相関関係が認められる。
また,広島,長崎両市の爆心地では降下核分裂生成物の量は無視して差し支え
ない程度であり,中性子誘導放射能によって受けると考えられる最大照射線量
,,。は計算方法によって異なるが183r~24rの範囲にわたるものと推定される
(3)増田善信の指摘(1989年(甲A70))
元気象研究所予報研究部に勤務していた増田善信は,気象官署の資料,宇田
道隆らの聞き取り調査資料,自ら行った聞き取り調査及びアンケート調査等を
基に,広島原爆後の黒い雨の雨域,降雨継続時間,降雨開始時刻,推定降水量
-299-
,「“”」()を検討し論文広島原爆後の黒い雨はどこまで降ったか1989年2月
にまとめ,以下のような指摘をしている(以下,増田の指摘する雨域を「増田
雨域」という。。)
少しでも雨の降った区域は,爆心より北西約45km,東西方向の最大幅約36km
に及び,その面積は約1250㎢(宇田雨域の約4倍の広さ)に達する。
,,,,この区域以外の爆心の南ないし南東側の仁保海田市江田島向側部落呉
さらに爆心から約30kmも離れた倉橋島袋内でも黒い雨が降っていたことが確認
された。
1時間以上雨が降ったいわゆる大雨域も,宇田らの小雨域に匹敵する広さに
まで広がっていた。
,。降雨域内の雨の降り方は極めて不規則で特に大雨域は複雑な形をしている
推定降水量の図から,爆心の北西方約3~10kmの己斐から旧伴村大塚にかけ
て,100mmを超す豪雨が降っていたことが推定され,これは宇田らの推定とほ
,,,ぼ一致するものでありまた20mmを超える大雨が降ったところが数か所あり
爆心から北西方約30kmも離れた加計町穴阿では40mmに近い集中豪雨があったも
のと考えられる。
爆心のすぐ東側の約1kmの地域では,全く雨が降らなかったか,降ったとし
てもわずかであったと考えられ,しかも,この地域を取り囲んで20mm又はそれ
以上の強雨域が馬蹄形に存在していた。
黒い雨には原爆のキノコ雲自体から降ったものと爆発後の大火災に伴って生
じた積乱雲から降ったものとの2種類の雨があったものと考えられ,これは宇
田らの推論と同じである。
もっとも,上記文献によれば,資料には原爆投下直後から43年近く経った現
在までのものが混在しており,記憶の薄れたものもあり,また,当初は黒い雨
を過少に報告する傾向が強かったと考えられる反面,宇田らの大雨域が健康診
断特例地区に指定されてからは,地域指定を進める運動と関連して過大に報告
-300-
する傾向が強くなったと考えられ,このような社会的な背景を考慮して資料を
評価する必要があるとされている。
(4)岡島俊三らの指摘(1990年(甲C5の6))
長崎大学医学部附属原爆後障害医療研究施設の岡島俊三らは,論文「長崎西
山地区におけるプルトニウム調査(第3報(長崎医学会雑誌59巻特集号))」
において,次の指摘をしている。
1978年以来,長崎西山地区(西山町及び木場町)に未分裂のまま飛び散った
可能性のあるプルトニウム239の汚染状況について調査を開始し,未耕地の土
壌中のプルトニウム含有量は西山地区では他地区のものに比し約10倍高いこと
が判明した。さらにその後の調査により,プルトニウムの汚染が西山地区では
対照地区(西山地区以外の長崎市郊外及び一部熊本県の地区)に比して農耕地
土壌で約20倍,農作物中で約7倍と非常に高度であることが認められた。しか
し,土壌から農作物への経根摂取率はプルトニウムはセシウムの約1/10~1/10
0と極めて低く,農作物を通しての取込みはプルトニウムの場合微量と考えら
れ,むしろ呼吸を通しての取込みの方が重要であろうと考えられる。
(5)「黒い雨に関する専門家会議報告書」の指摘(1991年(乙A14,77))
宇田雨域の指摘もあり,国(厚生省)は,昭和51年9月に大雨地域を健康診
断特例区域に指定し,同区域にあった者は被爆者と同様に健康診断が受けられ
る特例措置を講じた。そのためこの区域から外れた地域の住民から不満の声が
上がった。その後増田雨域が発表され,被曝地域の拡大を要望する運動が広が
った。このような状況を受けて,広島県・市は,昭和63年8月「黒い雨に関,
する専門家会議(座長放影研理事長重松逸造)を設置した。同会議は,平」
成3年5月,上記報告書を発表した。
これによると,①残留放射能の推定(国が昭和51年及び昭和53年に採取し
た爆心地から半径30km範囲の107地点の土壌試料について行ったセシウム137の
調査〈以下「昭和51・53年土壌調査」という〉についての再検討,土壌中の。
-301-
ウラン235/ウラン238の測定,屋根瓦に含まれるセシウム137の含有量の調査及
び柿木の残留ストロンチウム90の測定,②気象シミュレーション計算法に)
よる放射性降下物の降下範囲並びに降下放射線量の推定(原爆投下当日の気象
条件,原子爆弾の爆発形状,火災状況等,種々の条件を設定した拡散計算モデ
ルを用いたシミュレーション法によって,広島原爆の放射性降下物の降下量と
その降下範囲の検討を行うもの,③体細胞突然変異及び染色体異常による)
放射線被曝の人体影響の有無(降雨域に当時在住し黒い雨にさらされた者と対
照地域に当時在住し黒い雨にさらされていない者についてグリコフォリンA蛋
白〈GPA〉遺伝子に生じた突然変異頻度及び末梢血リンパ球に誘発された染
色体異常頻度についての検討,の3点に絞って具体的検討を行っている。)
その結果,①の残留放射能の推定では,黒い雨との関係は確定することがで
きず(なお,昭和51・53年土壌調査で採取された試料は昭和30年以降の原水爆
実験による放射性降下物〈セシウム137〉を多量に含んでおり,測定値間の有
意差についても広島原爆の放射性降下物によるものと断定する根拠は見当たら
ず,昭和51・53年土壌調査の測定結果と宇田雨域との相関関係はみられないこ
とが判明したとされている,②の気象シミュレーション法による降下放射。)
線量の推定では,気象シミュレーションによる放射性降下物質とその地上での
分布は,火球によって生じた原爆雲の乾燥大粒子の大部分は北西9~22km付近
にわたって降下し,雨となって降下した場合には大部分が北西5~9km付近に
落下した可能性が大きいことが判明し,衝撃波によって巻き上げられた土壌な
どで形成された衝撃雲や火災煙による火災雲による雨(いわゆる黒い雨)の大
部分は北北西3~9km付近にわたって降下した可能性が大きいと判断され,降
雨地域の推定は,これまでの降雨地域(いわゆる宇田雨域)の範囲とほぼ同程
度(大雨地域)であるが,火災雲の一部が東方向にはみ出して降雨落下してい
るとの計算結果となり,また,原爆雲の乾燥落下は北西の方向に従来の降雨地
域を越えていることが推定されるが,その後の降雨などでこれらの残留放射線
-302-
量は急速に放射能密度を減じており,③の体細胞突然変異及び染色体異常頻度
の検討では,降雨地域と対象地域で統計的に有意差はなく,人体への影響を明
確に示唆する所見は得られなかったとされている。
なお,上記報告書によると,気象シミュレーション法に基づいた降下放射線
量の推定によれば,広島原爆の残留放射能による照射線量は,無限時間照射さ
,,れ続けたと仮定した場合の最大積算線量が約25radと推定されるとされまた
この気象シミュレーション法を用いて測定した長崎の降雨地域は,これまでの
物理的残留放射能の証明されている地域と一致することが確認されたとされて
いる。
(6)山本政儀らの指摘(1995年(甲C6の5))
北陸大学薬学部の山本政儀らは,論文「長崎と広島の被爆地で採取した土に
含まれるプルトニウムアイソトープ(同位元素,アメリシウム241とセシウ)
ム137(J.RADIAT,研究26,1985年)において,次の指摘をしている。」
原爆の爆発のすぐ後に行われた放射性核種降下物の測定や表面土のウラニウ
ムのアイソトープの放射性科学分析によっても濃縮ウラニウム235の証拠は全
く得られておらず,広島の黒い雨地域で採取された土及び同地域以外の地域か
ら採取された土プルトニウム,アイソトープとセシウム137及びアメリシウム
の分析(原爆の爆発の際に原爆のウラニウムから出たベータ崩壊に続く連続的
中性子捕獲によって超ウラン核種が作られそれが地表に降下したとの推定に基
づく調査)を行った結果,地球上の放射性降下物と違った割合は発見されず,
原爆の影響を検出することはできなかった。
(7)静間教授らの指摘(1996年(甲A27の1・2))
広島大学の静間教授らは,論文「広島原爆の早期調査での土壌サンプル中の
セシウム137濃度と放射性降下物の累積線量評価(1996年)において,次の」
指摘をしている。
広島原爆投下の3日後に爆心地から5km以内で収集された土壌のサンプル中
-303-
のセシウム137含有量につき低バックグラウンドガンマ線測定を行った結果,2
2サンプル中11サンプルについてセシウム137が検出され,己斐・高須地区の土
壌から高濃度のセシウム137が検出されたほか,3サンプルはいわゆる宇田雨
域に含まれておらず(うち1サンプルは爆心地からの距離約3km,2サンプ)
ルは宇田雨域の境界上にあり(うち1サンプルは爆心地からの距離が約3~4
km,他方,5サンプルは宇田雨域に含まれているがセシウム137は検出限界)
より低い(なお,1980年までのすべての核実験からのセシウム137の沈着は,
緯度30~40度では約3.7×10Bq/㎢であり,これは原爆の放射性降下物よりお9
よそ2桁大きいから,原爆のセシウム137の沈着は原爆投下直後に収集された
核実験による放射性降下物によって被曝していないサンプルによってのみ測定
することができるところ,上記土壌サンプルは核実験による全地球的な放射性
降下物には曝されていないとされている。。)
上記調査の結果は,原爆投下直後に起こった降雨の降雨域が宇田雨域より広
かったことを示している。
(8)今中哲二の指摘(2004年(乙A75))
京都大学原子炉実験所の今中哲二は,2004年7月に開催された広島・長崎原
爆線量新評価システムDS02に関する専門研究会で「DS02に基づく誘導
放射線の評価」を発表し,以下の指摘をしている。
DS02においては土壌中放射化量の計算はされていないが,無遮蔽の地上
1mでの放射化量が計算されており,DS86とDS02でのコバルト60生成
量の比をDS86報告書におけるグリッツナーらによる値に乗ずることにより
DS02に基づく誘導放射線量を計算した。
計算の結果,爆発1分後の爆心地での1時間当たりの放射線量率は,広島で
約600cGy,長崎で約400cGyとなり,広島,長崎ともに1日後にはその1000分の
1に,1週間後にはその100万分の1にまで減少しているが,それでも,爆心
地近辺では約1年近く自然レベル以上の放射線量率が続いていたことになる。
-304-
測定値と計算値を比較すると,広島においてはおおむね一致するが,長崎は測
定値に比べて計算値がその6~8倍である。違いの理由は定かではないが,一
応,計算の方が大きめの方向である可能性を示唆しており,さらに,上記放射
線量率を基に各爆心距離について無限時間までの積算線量を求めると,爆心地
,,,では広島が120cGy長崎が57cGy爆心からの距離が1000mでは広島が0.39cGy
長崎が0.14cGy,爆心地からの距離が1500mでは広島が0.01cGy,長崎が0.005c
Gyとなり,これ以上の距離での誘導放射線被曝は無視してかまわないであろう
とされている。また,爆心地に1日後に入って滞在し続けた場合の線量は広島
では19cGy,長崎では5.5cGyとなり,1週間後に爆心地に入って滞在し続けた
場合は,それぞれ0.94cGy及び1.4cGyとなる。
3内部被曝に関する指摘
内部被曝に関する議論や指摘等について,以下の事実が認められる。
(1)DS86報告書における指摘(1987年(乙A16))
DS86報告書によれば,原爆投下後の内部放射線への被曝の推定は,長崎
において原爆からの放射性降下物が最も多く堆積した地域である西山地区の住
民中のセシウム137からの内部線量について行われ,岡島らが1969年にホール
ボディカウンターを用いて西山地区に住む男性20人及び女性30人中のセシウム
137の内部負荷を同数の対照とともに測定したところ,体重のpCi/kgにした結
果は,西山の男性で38.5,女性で24.9であり,対照では男性25.5,女性14.9で
あり,長崎の原爆降下物による寄与は,西山の住民と対照との差(男性で13pC
i/kg,女性で10pCi/kg)に等しいと仮定され,また,セシウム137成分の縦軸
変化を調べるために,1969年に比較的高い値を示した15人のうち10人(男性と
女性を含む)が1981年に2回目の測定を受けた結果,1969年の平均48.6pCi/。
kgから1981年の15.6pCi/kgへの低下が認められ,身体負荷が指数的に減少した
と仮定すれば,有効な半減期は7.4年と推定されるとして,このデータを用い
て,1945年から1985年までの40年間の内部線量は,男性で10mrem(mrad,女)
-305-
性で8mrem(mrad)と推定されるとされている。
(2)チャールズらの指摘(2003年(乙A116の1・2))
バーミンガム大学のチャールズらは,ホット・パーティクル(放射能の高い
放射性物質からなる不溶性粒子)による不均一な被曝は,同量のエネルギーが
組織全体に均一に沈着する場合より発がん性が高いとの指摘(1974年米国の
タンプリンらによる指摘)を評価するため,動物実験(生体内及び試験管内)
と人間の疫学データの調査を行い,放射線防護ジャーナルに「ホット・パーテ
ィクル(粒子)被曝の発がんリスク」と題する論文を発表した。同論文は,以
下のような指摘をしている。
動物実験や疫学データに基いた検討からすると,全体的には,この指摘とは
反対の見解が支持され,ICRPが提唱するような平均線量が±3倍の範囲内
で,発がんリスクの適切な評価になることが示唆された。
この問題に応用できる人間のデータはほとんどないが,プルトニウム噴霧の
職業的吸入後の肺がん死亡率と診断のために投与されたトロトラストによる肺
がんと白血病の発生率に関する限られたデータでは,有意な増大因子の裏付け
とならない。
主に肺と皮膚の被曝を含む非常に限られた動物実験でもホット・パーティク
ルによる発がんの増加は示されていない。
試験管内での悪性形質転換の実験で,ホット・パーティクル被曝での細胞形
質転換の増加を示したものがあるが,増大因子を裏付ける証拠が十分でない。
(3)石榑信人の指摘(2004年(乙A84))
放射線医学総合研究所放射線安全研究センター防護体系構築研究グループの
石榑信人は「内部被曝に関する意見書」で以下の指摘をしている。
長期間の内部被曝を評価する上で着目すべき放射性核種はストロンチウム90
及びセシウム137の2つであると考えられるところ,爆発の30分後に爆心から
3km東の西山地区を中心にいわゆる黒い雨が降り,この地域の土壌を汚染し,
-306-
このため,核分裂生成物が浦上川の水面にも降下し,河川水が汚染された可能
性が考えられるが,セシウム137の浦上川の水面への降下量は西山地区におけ
る最も高い推定値である3.3ベクレル/㎠を超えていたとは考え難く,核分裂に
よるストロンチウム90の生成量はセシウム137よりも少ないので,ストロンチ
ウム90の水面への降下量も3.3ベクレル/㎠を超えていたとは考え難く,かつ,
川の流れによりかなり希釈されると考えられるから,生物学的半減期に関する
ICRPのモデルによれば,浦上川の河川水の飲水により障害を起こし得る量
を摂取することができるものではないと考えるのが妥当である。
ICRPのモデルによれば,セシウムの物理学的半減期は約30年であるが,
経口摂取されたセシウム137はそのすべてが胃腸管から血中に吸収され,10%
は生物学的半減期2日で,90%は生物学的半減期110日で体外へ排泄されると
されており,また,ストロンチウム90の物理学的半減期は約29年であるが,経
口摂取されたうち30%が消化器系を経由して血中に注入され,残りは便として
排泄される。
(4)安斎育郎の指摘(2004年(甲A17,45,乙A16,原審証人安斎育)
郎)
立命館大学国際関係学部の安斎育郎教授は,内部被曝に関して,次のような
指摘をしている。
内部被曝の影響については,外部被曝とは違った機序で人体に作用する可能
性が示唆されている。外部被曝は,人体の外部から放射線が照射されるのに対
し,内部被曝は,人体の内部に放射性物質が入り込み,細胞組織等に継続的に
作用する。外部被曝が総じて体外からの一時的な被曝であるのに対し,内部被
曝の場合,体内に入り込んだ放射性物質が放出する放射線によって局所的な被
曝が継続するという特徴を持つ。例えば,骨組織に沈着したプルトニウム239
は,プルトニウム239(α)から,順次,ウラン235(α,トリウム231(β,))
プロトアクチニウム231(α,アクチニウム227(β,トリウム227(α,)))
-307-
ラジウム223(α,ラドン219(α,ポロニウム215(α,鉛211(β,ビ))))
スマス211(α,タリウム207(β,鉛207などと変化し,その過程でアルフ))
ァ線,ベータ線,ガンマ線などを放出し,周囲の組織に被曝を与える。細胞膜
が溶液中の放射性イオンからの放射線に敏感であり,低線量で影響を受けると
の報告があり,長時間に及ぶ内部被曝の結果,外部被曝の場合とは異なる態様
において細胞組織のDNAの損傷等が生じる可能性がある。さらに,このよう
な内部被曝の影響については,微小な細胞レベルで生じるため,吸収線量や線
量当量などマクロな概念によってはその影響を正確に評価することができない
可能性がある。例えば,放射線が組織1kg中に与えた平均エネルギーが等しく
ても,組織全体が平均的に浴びたのか,それとも特定の細胞が集中的に浴びた
のかによって影響が異なり得るにもかかわらず,これらの単位は,局所的に生
じた被曝について,その影響を1kgの組織全体に対する被曝として平均化して
しまうからである。
長崎大学岡島らのフォールボディモニターによる人体のセシウム137の測定
で内部被曝が推定されているが,実際には,セシウム137以外のフォールアウ
トもあり,初期にどれだけの内部被曝をしているかは不確定である。昭和20年
9月23日以降に長崎に駐屯したアメリカ海兵隊1万人の中で多発性骨髄腫を発
症した者がある。
(5)澤田昭二の指摘(2003~2005年(甲A60,原審証人澤田昭二))
澤田教授は,内部被曝の影響について,次のような指摘をしている。
放射性物質を体内に取り込んだとき,水溶性や油溶性の場合は,放射性物質
が原子又は分子のレベルで体内に広がり,元素の種類によって特定の器官に集
中して滞留することが起こる。ヨードが甲状腺に集まるとか,リンやコバルト
が骨髄に集まるなどである。こうした場合は尿などの排泄物などから取り込ん
だ放射性物質の量を推定することができる。ところが,水溶性や油溶性でない
放射性微粒子が取り込まれ,微粒子がある程度の大きさを保ったまま固着する
-308-
と,その周辺の細胞が集中して被曝する。この場合は,沈着した部位でかなり
持続的に強い放射線を出し続けるような場合を除いて特定することも困難で,
排泄物から推定することもできない。このような放射性微粒子による影響は,
微粒子の大きさ,微粒子に含まれる放射性元素と放出される放射線の種類に大
きく依存する。この影響を生物学的効果比のように単純な因子で表現すること
も困難である。
広島原爆のウラン235だけでも,内部被曝によって局所的にICRPの設定
。した一般人に対する年間許容被曝線量0.001Svをはるかに超える被曝を受ける
,,,,このホット・スポットが肺胞にできるか骨髄か生殖細胞かなどによって
起きる疾病が変わってくる。
長崎原爆のプルトニウム239の場合は,内部被曝によって,局所的に細胞が
死滅する被曝線量を受け,さらに,プルトニウム239のアルファ崩壊後のアク
チニウム系列の崩壊による被曝が加わる。
急性外部被曝の場合は,外部の様々な方向から放射線によって照射されたと
しても,ほぼ一様に被曝するため,生体組織1kg当たりの吸収エネルギーとい
うような平均的な量である吸収線量によって被曝影響を評価することができ
る。これに対し,放射性微粒子による内部被曝の場合は,ホット・スポットの
直近の球殻の細胞組織が集中して継続的な強い被曝を受け,これに次ぐ影響を
その周りの球殻が受ける。微粒子の大きさによっては2か月間に10Gy以上を被
曝し,球殻内の細胞が死滅してしまうような被曝も考えられる。微粒子の大き
さによっては,がんや遺伝的影響のような晩発性の障害を引き起こしやすい被
曝線量を浴びせる可能性がある。したがって,器官組織全体の吸収線量のよう
な被曝影響評価では内部被曝の影響を評価することに適していない。
1つの放射線粒子のエネルギーは数万eV(エレクトロンボルト)から数百万
eVであり,一方,細胞内のDNAなどの分子の1個の電子が電離するエネルギ
ーは10eV程度であるから,1個の放射線粒子が電離させる電子の数は数千個か
-309-
ら数十万個に達する。これらの電離によって切断された分子の大部分は元通り
に修復されるが,電離によって破壊された分子の中には正しく修復されないで
染色体異常や突然変異などを起こし,急性症状やがんなどの晩発的症状を引き
起こす可能性がある。1個の放射線粒子が1gの組織に与えるエネルギーは,
被曝線量が0.0001mGyと極めて低線量であるが,それでも細胞のミクロのレベ
ルでは急性症状や晩発的症状につながる変化が生じている可能性がある。
入市被爆者が爆心地付近に入り,中性子線によって誘導放射化された残留放
射能を帯びた微粒子を体内に取り込んだ場合,入市の期日にもよるが,一般に
半減期が数時間以上から数年間,あるいはそれ以上の放射性原子核から放射さ
れた放射線によって体内被曝する。特に,土埃に含まれる半減期84日のスカン
ジウム46や半減期5.3年のコバルト60,セシウム134による被曝が問題になる。
(6)矢ヶ崎克馬の指摘(2004~2005年(甲A196))
矢ヶ崎克馬(琉球大学理学部教授)は,内部被曝について次のような指摘を
している。
極めて小さい放射性物質は呼吸や飲食等によって身体内部に取り込まれ,親
和性のある組織に沈着・滞留し,飛程の短いアルファー線とベータ線が放出時
に有していたすべてのエネルギーが周囲の細胞組織を形成している原子の電離
等に費やされ,ホット・スポットが形成され,その内部では,均一的な対外被
曝と異なり,高密度電離が行われている可能性がある。そして,高密度電離を
行うアルファー線などは,DNAの二重鎖切断を引き起こし,誤った修復がさ
れる確率が高くなり,その結果,誤った遺伝情報を伝えたり,異常細胞を生成
・成長する。内部被曝線量を測定する方法であるホールボディーカウンターで
は,放射線のうち飛程の長いガンマ線しか測定できないから,内部被曝線量を
正確に測定することはできない。
(7)今中哲二の指摘(2005年(乙A75))
今中哲二は,上記2(8)の専門研究会で「DS02に基づく誘導放射線の評
-310-
価」を発表し,次の指摘をしている。
焼け跡の片付けに従事した人々の塵埃吸入を想定し,土壌中のナトリウム24
とスカンジウム46を吸入の対象とし,DS02検証計算で得られた地上1mの
中性子束を用いて放射化生成量の1km以内の平均値を計算し,塵埃濃度を2mg
,,/㎥と想定して原爆投下当日に広島で8時間の片付け作業に従事したとして
内部被曝を評価した結果,0.06マイクロSvとなり,この値は考えられる外部被
曝に比べ無視することができるレベルである。
4低線量放射線による被曝の影響に関する指摘
証拠(甲A21の1・2,36,37,198)によれば,低線量放射線による
被曝の影響に関する議論や指摘等について,次の事実が認められる。
(1)ドネルW.ボードマンの指摘(1992年(甲A36))
ケンブリッジ及びマサチューセッツの原子放射線研究センターのドネルW.
ボードマンは,著書「放射線の衝撃低線量放射線の人間への影響(被爆者医
療の手引き(肥田舜太郎訳)において,以下の指摘をしている。)」
大量の放射線でも明らかな影響がないこともあるが,わずか一発の命中が致
命的に影響することもある。この意味では,放射線被曝は,それが有機体のど
れか特別な分子に直接衝撃を与えることはできないので,生物に特別な予告的
な影響は持たず,分子の段階では,あらゆる放射線照射の影響は,当たるか当
たらないかの文字通り無作為の「確立的」である。それと同時に,放射線の影
響は吸収された線量に正比例するので,ここからは「非確立的」である。生物
学的な影響の重傷度は,放射性エネルギーを吸収して起こる分子傷害の部位と
タイプ,分子の変化した状態,近くの他の分子成分との自然な再編成の程度,
生物学的修復と復位にかかっている。
細胞膜の位置にある遊離基(フリーラジカル)の連鎖反応は,低線量か微量
の放射線被曝の方が,ミリラド(1mrad=0.001rad)でなくグレイ(1Gy=10
0rad)で計る通常の線量被曝よりも比較的激しく,長く持続するというペトカ
-311-
ウ博士(カナダの医師,生物物理学者)の最初の報告(1971年)以来,この考
えは次第に大きくなってきた。遊離基は,脂質,蛋白,薄膜,そして老化の構
造と機能の撹乱に寄与するようにみえる。
,,リン脂質の細胞膜の脂質部分と蛋白構造は構造のレベルでのことであるが
長時間照射の方が高線量放射線の短時間照射よりもより影響が大きく(誘導放
射線障害,より激しい。このように言われるのは,適当な脂質蛋白の環境の)
中での自立した遊離基の連鎖反応は,放射線の誘導で化学的に始まる反応の後
も執拗に持続するためである。最近,被曝した体液の遊離基は高線量放射線よ
りも低線量の時の方がより活性化されやすいことが報告されている。
放射線への被曝は,低線量への被曝でも,急性放射線症候群又は晩発性のが
ん,白血病,先天性欠損以外に,より複雑な障害を引き起こす。放射線による
エネルギーの沈着は無作為の経過をとり,物質の小さな容量の中で相互に影響
し合う同エネルギーの全く同じ分子は,偶然だけの理由によってエネルギー量
を違えて沈着するため,電離放射線への被曝あるいは放射線の衝撃は「確立,
的,あるいは,放射線生物学的境界「無作為的」である。生物学的な修復反」
応は奇跡的だが不完全であり,損傷はあらゆる種類の生物物質に対し執拗に時
には世代を超えて与え続けられる。
(2)ジェイM.グールドらの指摘(1994年(甲A37))
「放射線と公衆衛生に関する研究計画」の責任者であるジェイM.グールド
とベンジャミンA.ゴルドマンは共著「死にいたる虚構国家による低線量放
射線の隠蔽(1994年10月肥田舜太郎ほか訳)において,以下のような指摘」
をしている。
広島原爆の経験に基づく高線量域から外挿した(機械的に当てはめた)線量
反応関係(被曝線量の増加に応じて,被害が増加する相関性)に基いて,フォ
ールアウト(放射性降下物)や原子力施設の放射能漏れによる低線量の危険は
極端に過小評価され無視することができるほど小さいと信じられてきた。しか
-312-
し,医療被曝や原爆爆発のような高線量瞬間被曝の影響は,まず最初に,細胞
中のDNAに向けられ,その傷害は酵素によって効果的に修復されるが,この
過程は,極低線量での傷害に主として関与するフリーラジカル(遊離基)の間
接的,免疫障害的な機序とは全く異なっている。このことは,チェルノブイリ
原発の事故後のミルク中のヨウ素131被曝による死亡率が,ヨウ素131のレベル
が100pCi以下で急激に上昇しているのに,高線量レベルになると増加率が平坦
になってしまうことから裏付けられた。チェルノブイリの経験から言えば,こ
の過程は最も感受性のある人々に対する低線量被曝の影響を1000分の1に過少
評価していることを示している。
チェルノブイリ事故以後の健康統計から計算すれば,低線量の線量反応曲線
は,低線量域で急峻なカーブの立ち上がりを示す上方に凸の曲線又は対数曲線
であり,線量反応関係の対数カーブは,ペトカウ博士らが行った1971年の放射
線誘発フリーラジカルの細胞膜障害の実験結果と一致する。低線量放射線によ
る慢性的な被曝は,同時には,ほんのわずかのフリーラジカルが作られるだけ
,,でありこれらのフリーラジカルは血液細胞の細胞膜に非常に効率よく到達し
透過する。そして,非常に少量の放射線の吸収にもかかわらず,免疫系全体の
統合性に障害を与える。それと対照的に,瞬間的で強い放射線被曝は,大量の
フリーラジカルを生成し,そのため互いにぶつかり合って,無害な普通の酸素
分子になってしまうため,かえって細胞膜への障害は少ない。
チャールス・ワルドレンと共同研究者たちも,極めて低い線量の放射線の場
合,高線量を用いた通常の方法やエックス線装置からの瞬間照射の場合よりも
200倍も効果的に突然変異が生じることを発見した(体内摂取されたベータ線
による持続的な被曝は,外部からのエックス線瞬間被曝に比べて細胞膜への障
害が千倍も強い。彼らのデータは,線量反応曲線は直線であり,低線量の。)
影響についても高線量のデータによる直線の延長線上で評価することができる
としてきた伝統的な化学的ドグマと対立している。
-313-
ストロンチウム90は,化学的にはカルシウムに似ているため,成長する乳幼
児,小児,思春期の男女の骨髄の中に濃縮される。一度骨中に入ると,免疫担
当細胞が作られる骨髄に対し,低線量で何年にもわたって放射線を照射し続け
る。ストック博士と彼の協力者は,1968年,オスローがん病院で,わずか10~
20mradの少線量のエックス線がおそらくフリーラジカル酸素の産生を通じて骨
。,髄造血細胞にはっきりした傷害を作り出すことを初めて発見したこのことが
直接的には遺伝子を傷つけ,間接的にはがん細胞を見つけて殺す免疫の機能を
弱め,骨肉腫,白血病その他の悪性腫瘍の発育を導く。ストロンチウム90など
による体内のベータ線被曝で最も効率よく生産されるフリーラジカル酸素は,
低比重コレステロールを酸化して動脈に沈着しやすくし血流を阻害して心臓発
作を誘導すると考えられており,発がん性と同様に冠動脈性心疾患の一要因な
のかもしれない。
(3)ドナルドA.ピアースらの指摘(2000年(甲A21の1・2))
放影研のドナルドA.ピアースとデールL.プレストンは,論文「原爆被爆
者の低線量放射線被曝に関連するガン発生リスク(2000年)において,次の」
指摘をしている。
放影研の充実性腫瘍発生率に関する1958~1994年のデータを使用し,爆心地
から3000m以内で,主として0~0.5Svの範囲の線量を被曝した被爆者の充実
性腫瘍(固形がん)の発生率を解析したところ,その結果は,0.05~0.1Svと
いう低線量被曝についてのがん発生リスクの有用な推定値を提供しており,こ
の推定値は0~2Svあるいは0~4Svというより幅広い線量範囲から算定され
た線形のリスク推定値によっても過大評価されておらず,0~0.1Svの範囲で
も統計的に有意なリスクが存在し,あり得るどのしきい値についても,その信
頼限界の上限は0.06Svと算定され,現在検討されている中性子推定線量の見直
しは,これらの結論を著しく変えることにならないであろう。
(4)低線量放射線影響分科会の指摘(2004年(甲A198))
-314-
我が国の原子力安全委員会は,2001年8月,原子力利用に伴う障害防止の基
本に関する事項等について調査審議する放射線障害防止基本専門部会に低線量
放射線影響分科会を設置した。同分科会は,低線量放射線の生物影響に関する
研究成果の現状と今後取り組むべき研究課題等について調査審議し,2004年3
月「低線量放射線リスクの科学的基盤-現状と課題-」と題する報告書をま,
とめた。同報告書は,以下のような指摘をしている。
現在までの調査結果から100mSv以上の線量域では,線量とがん発症率の関係
は直線的であることが確かめられているが,それ以下では線量反応曲線は決定
されていない。しかし,実用上必要な放射線防護の枠組みとしては,高い線量
域の直線関係をゼロ線量まで外挿した,しきい値なしの直線仮説が採用されて
いる。この仮説が現実の低線量の放射線影響の実態とどこまで一致しているか
については,世界的にも多くの議論がある。
生体は,放射線をストレスとして感知し,これに応答して,分子レベルでの
DNA損傷修復,細胞レベルでは細胞周期抑制や損傷細胞の排除,組織レベル
では喪失細胞補充のための増殖等様々な高次機能を立ち上げ,生体の恒常性を
回復しようとするが,一部の細胞は,長期の潜伏期を経てがん化する。放射線
に対するこれらの生体影響は線量・線量率により異なることが知られている
が,最近になり低線量放射線に対する応答機構に新しい研究の展開が見られ,
放射線影響評価に直接関係する生物学的現象とその機構(ゲノム不安定性,バ
イスタンダー効果など)が明らかになりつつある。
核分裂中性子線のような高LET放射線については,低線量率(線量率=単
位時間あたりの放射線量)の方が高線量率照射よりも影響が大きい場合が試験
管内実験で報告されている(逆線量率効果)が,人の低線量リスク評価に大き
く寄与するものとは現在のところ考えにくい。
1900年代半ばからアルファ線照射を受けた細胞に隣接し,自身は照射を受け
ていない細胞に染色体異常,突然変異あるいは細胞がん化などの遺伝的効果が
-315-
生ずることが指摘されるようになった。この効果は,バイスタンダー(細胞隣
接)効果と総称され,照射を受けた細胞から隣接する細胞に被曝の情報が伝わ
る現象であり,エックス線などでも誘導され,その効果には線量効果も認めら
れており,放射線でDNAが直接損傷を受けなくても突然変異や発がんが起こ
る可能性を意味している。これは高線量や高線量率照射に比べて単位線量当た
りの遺伝的効果リスクが高くなることを示唆するものであり,低線量放射線の
リスク評価のために注目すべき新たな課題である。
近年になり放射線による間接的突然変異誘発機構としてのゲノム不安定性
(放射線被曝によって生じた初期の損傷を乗り越え生き残った細胞集団にみら
れる遺伝的不安定性)の誘導が注目を集めるようになった。低線量リスクにと
って重要な意味を持つが,一方で,ゲノム不安定性誘導の分子機構がいまだに
不明である現時点においてその低線量リスクへの関わりは明確ではない。
科学的知識は常に変遷・進歩するものである以上,リスク推定や安全基準も
常に新知見を取り入れて,その科学的基盤の強化を図る必要がある。しきい値
問題をとってみても,その有り無しの双方が根拠にするもののほとんどは,こ
れまでヒトなり動物なりでの現象論的なデータであった。このような現象論的
,。研究はサンプルサイズの制約による統計的限界を乗り越えることはできない
,,これまでの現象論的解析から展開し低線量放射線発がんの分子機構について
細胞レベル組織レベルでの機構論的解析を推進することにより,低線量・低線
。,量率効果係数について真の科学的基盤形成が可能になる米国エネルギー省は
ヒトの疫学研究には統計的限界があるため,機構研究充実を図ることが必要と
考え,低線量放射線の影響におけるしきい値の有無,低線量放射線に対する感
受性に作用する遺伝的要因等について,1999年より10か年の研究プロジェクト
をスタートさせている。
5放射線による急性障害の調査結果と発症の機序についての見解
(1)遠距離被爆者及び入市被爆者の急性障害に関する調査結果
-316-
放射線被曝による急性障害の距離別,症状別,被爆状況別(遮蔽の有無,爆
心地付近への立入の有無等)の発症状況について多くの調査結果が発表されて
いる。その概要は以下のとおりである。
ア「原子爆弾による広島戦災医学的調査報告(1945年(乙A109)」)
陸軍軍医学校は,広島原爆投下の翌日,陸軍省医務局からの指令で,特殊
爆撃による被害調査を命じられ,昭和20年8月8日,5名の係官を広島に派
遣し調査を開始した。調査開始後2日目にこの爆弾に放射能があることを知
り,順次係官を増派し,調査・研究に当たらせた。その結果,上記報告書が
まとめられた。
これによると原子爆弾症については爆心地から0~1.5kmで重度の1.,,,
5km~2.5kmで軽度の発症者を観察し,爆心地から1km以内で有効なる遮蔽が
なかった場合は,8月10日から略10日以内に重篤なる症状を発し,1.5km以
内で遮蔽の少なかった者も8月16,17日ころから特有な症状を発し,2km以
遠においては特有な症状を発したる者は稀であったとしている。なお,原子
爆弾症の軽重には更に受傷後の生活環境,個人差が大なる影響を与えたと指
摘している。脱毛患者の発生地域については「爆心より半径約1.3km以内」,
(「」,,。)103粁との記載があるが第10図及び第3表からして誤記と認める
の地域であるとしている(ただし,この部分の調査は,広島第1陸軍病院等
の入院,外来患者等243名の調査結果である。。)
イ「爆発後被爆地帯に入れる者に対する障害(1953年(乙A112)」)
上記陸軍軍医学校の行った入市被爆者(原爆投下当時は放射線被曝の圏外
にあったが,爆発直後から広島市に入り,屍体発掘等の作業をした船舶練習
部第10教育隊等及び爆心地から約8kmの石内村住民で被爆から10日ころまで
に広島市内に入って行動した者)に対する調査結果によると,軍関係者では
ごく一部に赤血球沈降速度の促進,下痢,食思不振,出血斑(軍医診断)を
認めたが,脱毛は認めていない。
-317-
また,石内村住民についての調査では,被爆当日にあった驟雨に濡れなか
った群(甲類)と濡れた群(乙類)に分けて観察したところ,いずれにも白
血球の減少や原爆症状類似の症状(下痢,倦怠等17症状)のある者が相当多
数おり,乙類では,多数の症状を訴える者が多かったとしている。
ウ日米合同調査団報告書(1951年(甲A6,124の13))
日米合同調査団が広島と長崎で,被爆後20日後に生存していた被爆者に対
して行った距離・遮蔽状況別の脱毛及び紫斑又はそのいずれかの発現者の調
査結果(1951年)は下表のとおりである(A=屋外又は日本家屋内,B=ビ
ルディング内,C=防空壕及びトンネル内。広島,長崎とも,おおむね爆)
心地からの距離が遠のくにつれて急速に発現者が減少し,遮蔽度に応じて逓
減していることが認められる(ただし,2km以遠では,いずれもやや明瞭さ
に欠けており,逆転もみられる。2km以遠の絶対数が少ないことも一因と思
われる。)
広島
0~1.0km1.1~1.5km1.6~2.0km2.1~2.5km2.6~3.0km3.1~4.0km4.1~5.0km
対象者568対象者959対象者1632対象者1415対象者674対象者547対象者202
A489人393人195人83人28人13人3人
86.1%41.0%12.0%5.9%4.2%2.4%1.5%
対象者113対象者118対象者74対象者12対象者14対象者13対象者27
B71人27人5人1人1人0人1人
62.8%22.9%5.4%8.3%7.1%0%3.7%
対象者20対象者1対象者3対象者1対象者0対象者0対象者0
C3人0人0人0人0人0人0人
15.0%0%0%0%0%0%0%
長崎
0~1.0km1.1~1.5km1.6~2.0km2.1~2.5km2.6~3.0km3.1~4.0km4.1~5.0km
対象者377対象者1125対象者872対象者515対象者569対象者931対象者226
A200人489人158人48人14人22人1人
53.1%43.5%18.1%9.3%2.5%2.4%0.4%
対象者303対象者605対象者88対象者35対象者30対象者152対象者17
B107人214人22人3人5人5人0人
-318-
35.3%35.4%25.0%8.6%16.7%3.3%0%
対象者73対象者72対象者47対象者110対象者25対象者29対象者9
C19人4人2人3人0人1人0人
26.0%5.6%4.3%2.7%0%3.4%0%
エ東京帝国大学医学部診療班の原子爆弾災害調査報告(広島(1953年(甲))
A124の9・11,乙A91)
下表は,昭和20年10月に米国原子爆弾災害調査団が広島で被害調査を行っ
た際に上記診療班が随行して,同月と翌11月に爆心地から5km以内の生存被
爆者5120人を調査した結果であるが,同報告自身,調査対象者の来訪を求め
て調査したため,障害を自覚した者が余計に集った傾向があることを指摘し
ている。
この結果によれば,すべての症状において,距離が遠くなるに従って発症
者が減少しており(近距離で一部逆の結果が見られるが,それは死亡者を含
めていない結果と思われる。),2km以遠においても少数ながら発症者が認
められている。
爆心地からの距離(km)
0~0.50.6~1.01.1~1.51.6~2.02.1~2.52.6~3.0合計
対象人数27人300人947人1474人1156人502人4406人
21人211人257人134人75人9人707人
脱毛
(77.7%)(70.3%)(27.1%)(9.0%)(6.4%)(1.7%)(16.0%)
9人101人132人69人26人8人345人
皮膚溢血症
(33.3%)(33.6%)(13.9%)(4.6%)(2.2%)(1.5%)(7.8%)
17人150人187人93人59人10人516人
口内炎
症(62.9%)(50.0%)(19.7%)(6.3%)(5.1%)(1.9%)(11.7%)
10人126人176人99人56人13人480人
下痢
(37.0%)(42.0%)(18.5%)(6.7%)(4.8%)(2.5%)(10.8%)
18人167人209人109人64人9人576人
発熱
(66.6%)(55.6%)(22.0%)(7.3%)(5.5%)(1.7%)(13.0%)
状16人161人177人63人31人4人452人
悪心嘔吐
(59.2%)(53.6%)(18.6%)(4.2%)(2.6%)(0.7%)(10.2%)
13人140人173人112人59人8人505人
食思不振
(48.1%)(46.6%)(18.2%)(7.5%)(5.1%)(1.5%)(11.4%)
12人147人192人127人81人7人566人
倦怠感
-319-
(44.4%)(49.6%)(20.2%)(8.6%)(7.0%)(1.3%)(12.8%)
なお,上記調査結果によれば,対象者(4406人)の距離・遮蔽状況と脱毛
の発現率の関係は以下のとおりである。爆心地から2km以内ではほぼ遮蔽の
強度と比例して脱毛の発現率が低下しているが,2km以遠ではやや遮蔽効果
が明瞭ではない(対象人員が少ないことに由来するとも考えられる。。)
爆心地からの距離(km)
0~0.50.6~1.01.1~1.51.6~2.02.1~2.52.6~3.0
開放90.9%37.2%13.4%9.4%0.8%
屋外
陰100.0%88.2%43.0%9.0%6.0%3.1%
木造88.8%79.6%26.0%6.2%4.2%1.1%
屋内
66.6%30.0%6.8%1.3%7.6%コンクリート
その他,以下のような調査結果が示されている。
脱毛出現最大距離は,爆心よりの水平距離で2.8km。ⅰ
全脱毛者の約90%は2km以内で発現している。ⅱ
頭部脱毛に方向性ありと考えられる例は,707例中7例(約1%。ⅲ)
放射能傷と規定された者は,2.8km以遠には発見されなかった。ⅳ
口内炎症及び悪心嘔吐は,3.1~4.0kmの間でも明らかに存在する。ⅴ
発熱及び下痢は,被爆当日に4kmまで発生をみている。ⅵ
食思不振,悪心嘔吐及び倦怠感は,被爆当日に5kmまでかなりの発生をⅶ
みている。
,,,なお上記調査には東京帝国大学医学部放射線科の筧弘毅教授も参加し
脱毛に関する統計をとり,性差は認められない,出現範囲は2.8km以内(1.5
km以内とする報告もある,脱毛時期は被爆数日後から始まり,多くは2。)
週間前後などと整理しているが,その考察及び総括において,調査した人々
の観察や意見が必ずしも一致せず,従来の考え方をもってしては常識的でな
-320-
い事実も報告されているとの指摘もしている(甲A124の9。)
オ「長崎市における原子爆弾による人体被害の調査(1953年(乙A11」)
4)
九州帝国大学医学部放射線治療学教室教授中島良貞らは,放射線による人
体への影響を調査した中で,長崎原爆炸裂時に遠隔地にいたが,その直後か
ら数日中に長崎市に入り,昭和20年9月10日まで救護活動等をした17名につ
いて,いずれも白血球の減少が認められなかったと報告している。
カ「長崎ニ於ケル原子爆弾災害ノ統計的観察(1982年(甲A67文献番」)
号4,90)
長崎医科大学外科第一教室の調来助教授らが昭和20年10月から同年12月に
かけて調査した結果,爆心地からの距離と脱毛との関係は以下のとおりであ
ったとされている。この調査でも生存者については,距離とともに脱毛の発
症者は低下し,2km以遠でも発症者が認められている。死亡者については,
そのような傾向は見られないが,調査者は,脱毛に至らずに死亡するためで
あろうと推測している。
0~1.0km未満1~1.5km未満1.5~2km未満2~3km未満3~4km
生存死亡生存死亡生存死亡生存死亡生存死亡
調査数443人192人1401人105人858人26人1739人10人1079人0人
138人52人362人39人76人4人56人2人19人0人
脱毛者
31.1%27.1%25.8%37.1%8.9%15.4%3.2%20%1.8%0.0%
キ「原爆残留放射能障碍の統計的観察(1957年(甲A5)」)
於保源作医師が昭和32年に発表した「原爆残留放射能障碍の統計的観察」
によれば,同医師が中心となって同年1月から同年7月にかけて,広島市内の
()(),一定地区爆心地から2~7kmに住む被爆生存者全部3946人について
-321-
その被爆条件,急性症状の有無及び程度,被爆後3か月間の行動等を各個人
ごとに調査した結果は,次のとおりであったとされる。
(ア)被爆者(屋内/屋外)の距離別有症率と爆心地周辺への出入りの関係
被爆者(昭和20年8月6日午前8時15分に広島市にいた人)の被爆時の
爆心地からの距離別と屋内・屋外被爆別の有症率(原爆放射能障碍及び同
熱障碍を受けた率)等を調査し,かつ,そのうち原爆直後から3か月以内
に原爆中心地(爆心地から1km以内)に入った者と入らなかった者の有症
率を比較検討したものである(下表は,そのうち,有症率と脱毛のみの発
現率を示したものであり,A群は,中心地に入らなかった者,B群は,中
心地に入った者である)。
屋内被爆者屋外被爆者
A群(1878人)B群(1018人)A群(652人)B群(398人)
距離(km)有症率脱毛有症率脱毛有症率脱毛有症率脱毛
0.5100.0%100.0%62.5%50.0%0%0%100.0%100.0%
1.065.0%48.3%80.7%68.0%82.3%52.9%100.0%56.2%
1.546.7%16.7%44.5%17.8%75.5%24.4%71.4%14.2%
2.030.3%2.1%43.5%12.9%67.4%18.7%72.3%21.6%
2.527.6%5.4%41.1%6.8%67.0%10.9%55.0%7.5%
3.019.0%2.9%40.8%8.6%60.8%12.0%50.6%12.2%
3.515.7%0.9%27.9%4.0%28.4%0.1%46.1%7.6%
4.08.0%3.0%18.9%1.8%12.8%2.8%28.8%7.6%
4.51.9%0%23.5%2.5%2.7%0%28.1%9.3%
5.0以上6.8%0.8%35.5%5.2%6.0%4.0%30.9%2.3%
(上記文献の表1)(同表2)(同表3)(同表4)
上記調査結果からすると,以下の事実が窺われる。
屋内・屋外に関わらず,直接被爆者では,急性原爆症の有症率は,被ⅰ
爆距離にほぼ反比例している。
A群とB群を比較すると,総じてB群の有症率が高く(屋内被爆者のⅱ
-322-
A群の平均有症率20.2%に対し,同B群のそれは36.5%であり,屋外被
爆者では,それぞれ44.0%と51.0%となっている,直接被爆以外に,。)
中心部に入ったことが有症率を高める原因となったことが推定できる。
屋内より屋外が有症率が高く,遮蔽効果の影響が見られる。ⅲ
以上の傾向は,2km以遠についてもおおむね当てはまる。ⅳ
(イ)非被爆者の中心地立入と急性障害の有症率
原爆投下の瞬間に広島市内にいなかった非被爆者で,被爆直後入市した
(),()人629人について調査した結果中心地に入らなかった入市者104人
に有症者はいなかったが,中心地に入った入市者(525人)の有症率と下
痢,皮粘膜出血,脱毛の発現率及び中心地に入った後の滞在時間と有症率
との関係は下表のとおりである。
入市月日対象数有症率下痢出血脱毛滞在時間有症率
8/684人45.7%33.3%10.7%8.3%1時間11.7%
7214人53.7%39.3%7.4%3.2%4時間28.6%
878人52.5%35.8%15.3%3.8%1日間42.5%
917人29.4%29.4%11.7%5.8%2日間50.0%
1017人35.2%17.6%5.8%11.7%3日間53.4%
116人52.0%33.3%33.3%0%4日間70.0%
1216人18.7%0%18.7%6.2%7日間61.1%
137人14.2%0%0%0%10日間66.6%
1531人32.2%25.8%3.2%3.2%15日間78.1%
8/20まで26人19.2%11.5%3.8%3.8%20日間66.6%
9/5まで28人3.5%0%3.5%0%30日間以上37.5%
10/5まで1人0%0%0%0%合計43.8%
以上の調査結果によれば,中心地に早く入り,長く滞在したほど有症率
が高いことが認められる(一部,直線的な関係となっていない部分がある
が調査対象者が極めて少ないためと思われる。非被爆者で原爆直後に。)
中心地に入り10時間以上活躍した者ではその43.8%が急性原爆症様の症状
を呈していたことが認められる。なお,その2割の人には高熱と粘血便の
-323-
あるかなり重症の急性腸炎があったことが記載されている。
ク「残留放射能による障害調査概要(広島市の「広島原爆戦災誌第一編総」
説」に掲載された「暁部隊」に関する調査(1971年(甲A112の17)))
被爆直後から入市して救護活動に従事した広島市陸軍船舶司令部隷下の将
兵(暁部隊)について,二次的放射能障害にかかわる調査が実施された。
対象者と活動状況は以下のとおり
幸の浦基地救援隊201人(原爆投下時は爆心地から約12km地点で駐屯)
昭和20年8月6日,原爆投下当日の正午前に広島市内に進出し,直
ちに活動を開始し,負傷者の安全地帯への集結を行い,同日夜から翌
7日早朝にかけて中央部へ進出し,主として大手町・紙屋町・相生橋
付近,元安川で活動し,同月12~13日まで活動して,幸の浦に帰還し
た。
忠海基地救援隊32人(原爆投下時は爆心地から約50km地点で駐屯)
同月7日朝から東練兵場・大河・宇品その他主要道路沿いなど広島
市周辺の負傷者の多数集結場所において救援を行った。
各救援隊の救護作業の内容は,死体の収容と火葬,負傷者の収容と輸送,
道路・建物の清掃,遺骨の埋葬,収容所での看護,焼跡の警備,食糧配給な
どとされている。
上記対象者に対するアンケート調査の結果,①出動中の症状として,2
日目(同月8日)ころから,下痢患者多数続出,食欲不振がみられ,②基
(),,地帰投直後の症状軍医診断としてほとんど全員白血球3000以下となり
下痢患者が出て(ただし,重患なし,発熱する者,点状出血,脱毛の症状)
の者も少数ながらあり,③復員後経験した症状として,倦怠感が168人,
白血球の減少が120人,脱毛が80人,嘔吐が55人,下痢が24人であり,④
調査時点(昭和44年)の身体の具合として,倦怠感が112人,胃腸障害が40
人,肝臓障害が38人,高血圧が27人,鼻・歯の出血が27人,白血球減少が23
-324-
人,めまいが20人,貧血が15人,であったとされている。
ケ「ヒロシマ・残留放射能の四十二年[原爆救援隊の軌跡(賀北部隊の]」
調査(1988年(乙A21)))
NHK広島局・原爆プロジェクトチームは広島地区第一四特設警備隊賀,(
北部隊)の工月中隊に所属した隊員99人(昭和20年8月6日深夜から同月7日
昼ころにかけて西練兵場に到着し,同日ころから第1,第2陸軍病院,大本
営跡,西練兵場東側,第11連隊跡付近で作業に従事)に対するアンケート等
調査の結果,32名が放射線障害による急性障害に似た諸症状を訴えており,
その内訳は,出血が14人,脱毛が18人,皮下出血が1人,口内炎が4人,白
血球減少が11人であったとされ,放影研の加藤寛夫疫学部長らは,上記のう
ち,脱毛6人(うち3分の2以上頭髪が抜けた者が3人,歯齦出血5人,)
口内炎1人,白血球減少2人についてほぼ確実な放射線による急性症状があ
ったと思われるとしている。
,「」そして上記文献中の加藤部長らによる賀北部隊工月中隊の疫学的調査
によれば,以下のような指摘がある。
推定被曝線量は,最も多く受けたと思われる部隊でも,最大で12rad,平
均5rad(全隊員の平均線量は1.3rad)と少なかったのであるが,このよう
な調査対象者の中に,たとい若干名であろうと急性放射線症状(脱毛,歯齦
出血,白血球減少症など)を示した者があったと思われることは,被爆当時
の低栄養,過酷な肉体的・精神的ストレスなどに起因するものが混在してい
たにせよ,通常この程度の外部被曝線量ではこのような急性症状がないと考
えられていることからすると興味深いものがある。もし,放射線による急性
症状とすれば,特殊環境下における人体の放射線に対する抵抗性の低下によ
ることも考えられるし,また,飲食物による内部被曝の影響の可能性も否定
し切れない(ただし,フォールアウトによる被曝線量はほとんど無視するこ
とができることが今回の調査で明らかになった。。)
-325-
被爆後42年間の死亡追跡の結果,死亡率は全国の平均死亡率と変わらず,
がんによる死亡は多くはなかったが,早期入市者に死亡に至らない種々の疾
病,障害があった可能性については,今後とも追究する必要があろうとされ
ている。
また,上記文献中の「賀北部隊工月中隊における残留放射線被曝線量の推
定-染色体異常率を基にして-」によれば,賀北部隊工月中隊に所属し同月
7日から7日間西練兵場近くで救護活動に従事した10人の隊員と2人の対照
者の染色体分析を行ったところ,上記隊員の染色体異常率は非常に少なく,
染色体異常数に基づく被曝線量の推定式に当てはめるとせいぜい10rad前後
と考えられたとされている。
コ早期入市者の末梢血リンパ球染色体異常人体影響19921992年乙「」()()(
A9)
上記文献によれば,原爆投下の翌日広島市内に入市し,西練兵場付近で救
護活動などの作業に4~7日間滞在して従事した前記賀北部隊工月中隊に所
属した隊員20人及び原爆投下直後から3日以内に爆心地付近に入った者20人
の合計40人を対象として,原爆投下後の医療用放射線被曝の回数やその内容
などを詳細に聴取した上,末梢血リンパ球の染色体分析による調査を行った
ところ,染色体異常の頻度は,長期入市滞在者で医療被曝の多い者(推定線
量平均13.9rad,長期入市滞在者(推定線量平均4.8rad,短期入市滞在者))
で医療被曝の多いもの(推定線量平均1.9rad,短期入市滞在者(推定線量)
),,,平均1rad以下の順になり滞在時間の差が染色体異常に反映されまた
長期入市滞在者,短期入市滞在者のいずれでも医療被曝による染色体異常が
考えられる結果が得られ,これらのことからすれば,原爆による放射線量よ
りも医療被曝線量の寄与が大きい者も存在すると考えられるとされている。
サ「原爆被爆者における脱毛と爆心地からの距離との関係(長崎医学会雑」
誌73巻特集号(1998年(甲A87)))
-326-
放影研統計部のデイル・プレストンらは,寿命調査対象者(8万6632人)
について集められた脱毛のデータに基づいて脱毛と爆心地からの距離との関係
,。を検討し既に公表されている主要調査結果とも合わせて比較検討を行った
その結果,寿命調査集団において脱毛の陽性(原爆後60日以内に起こった
と報告された脱毛)を報告した被爆者数は,
広島対象者5万8500人脱毛3857人(うち重度1120人)
長崎対象者2万8132人脱毛1349人(うち重度287人)
であり,脱毛と爆心地からの距離の関係は,爆心地から2km以内での脱毛の
頻度は,爆心地に近いほど高く,爆心地からの距離とともに急速に減少し,
2km~3kmにかけて緩やかに減少し(3%前後,3km以遠でも少しは症状)
が認められている(約1%)が,ほとんど距離とは独立であり,また,脱毛
の程度は,遠距離にみられる脱毛はほとんどすべてが軽度(1/4未満)であ
,()。ったが2km以内では重度2/3以上の脱毛の割合が高かったとしている
なお,上記文献においては,以上のようなパターンを総合すると,3km以
遠の脱毛が放射線以外の要因,例えば,被曝によるストレスや食糧事情など
を反映しているのかもしれず,特に低線量域では,脱毛と放射線との関係に
ついて論ずる場合や脱毛のデータから原爆被曝線量の妥当性について論ずる
場合には注意を要すると思われる旨記載されている。
シ被爆状況別の急性症状に関する研究広島医学53巻3号2000年甲「」()()(
A88)
長崎大学医学部附属原爆後障害医療研究施設の横田賢一らは,長崎市の被
爆者健康手帳保持者で被爆距離が4km未満の1万2905人を対象に被爆者健康
手帳申請時の調査票から得た被爆距離,被爆時の遮蔽状況及び急性症状に関
する情報を基に遮蔽状況を考慮した急性症状についてその発生頻度,発症時
期及び症状の程度に関して調査を行った。
急性症状発現者4685人(36.3%)
-327-
うち下痢/21.8%発熱/14.6%脱毛/10.5%歯肉出血/8.1%嘔吐/8.5%
皮下出血/5.6%口内炎/5.6%鼻出血/4.1%その他/3.9%
これらの症状のうち,放射線以外の要因では比較的起こりにくいと考えら
れている脱毛についてさらに分析された。その結果は以下のとおりである。
被爆距離遮蔽なし遮蔽あり重度中等度軽度
1.0~1.4km41.8%26.6%210例144例271例
1.5~1.9km18.4%8.9%34例37例88例
2.0~2.4km12.5%5.5%21例29例74例
2.5~2.9km8.6%2.8%13例15例67例
3.0~4.0km2例2例12例
以上の結果,脱毛の頻度は,被爆距離が3km未満では,どの距離でも遮蔽
なしの場合が遮蔽ありの場合よりも多く,発現率は,被爆距離が遠くなるほ
ど減少し,症状の程度も軽くなっているが,2km以遠でも上記のような症例
がみられた。また,脱毛の発現時期は,被爆距離にかかわらず,約60%が昭
和20年8月中,約30%が同月9月中であり,被爆距離による傾向の違いは見
られなかった。
上記文献は,2km以遠でも遮蔽の有無で頻度に明らかな差がみられたこと
及び脱毛の程度について2km以遠でも被爆距離との相関がみられたことは,
2km以遠で起こった脱毛も放射線を要因としていることが考えられるが,こ
れらのことから直ちに要因が放射線であると判断することはできず,放射線
との因果関係を調査するためには,染色体分析調査などにより個人レベルで
放射線を受けたことを確認する調査を行う必要があると指摘している。
なお,横田らは,後に,被爆者の急性症状に関する情報が自己申告による
ものであるためその情報の正確さが問題となる場合があるとし,同一人物が
被爆直後の調査(調査A)と15年後以降の調査(調査B)での申告との一致
の程度を調べ「原爆急性症状の情報の確かさに関する研究(乙A154),」
-328-
を発表している。それによると,上記ウの日米合同調査団報告の長崎の対象
者(調査A)と15年後に被爆者手帳を取得した者(調査B)とで同定された
627人を対象として,急性症状についての回答の一致率を調査したところ,
脱毛の発現率が調査Aでは14%,調査Bでは23%となっており,不自然な増
加が見られ,調査Aで脱毛ありとした人で,調査Bでも脱毛ありと回答した
人は約70%であり,調査Bを基準とすると調査Aでも脱毛ありと回答してい
た者は42.1%にすぎず,回答の一貫性に問題があったと指摘されている。
ス「原爆被害者調査』の結果に関する分析データ集~分析対象6744人の集『
計結果から~(2005年(甲A152の1・2)」)
一橋大学大学院濱谷正晴教授は,被団協が1985年に実施した「被爆40年・
原爆被害者調査」の際に回収した調査票1万3168枚のうち有効回答6744枚に
ついて,種々の観点から分析を行ったが,被爆状況,被爆距離別の急性症状
様の症状(吐き気,下痢,食欲不振,口が渇く,口喉の腫れ痛み,発熱,脱
毛,血を吐く,下血,鼻血,歯茎の出血,皮膚の斑点,めまい,頭痛,ひど
いだるさ,生理異常の16症状)との関係は,以下のとおりである。
該当者数あったなかったわからない
直接被爆(全体)4863(100.0%)2924(60.1%)960(19.7%)983(20.2%)
(内)1km以内407(100.0%)337(82.8%)36(8.8%)34(8.4%)
2km以内2111(100.0%)1483(70.3%)322(15.3%)306(14.5%)
3km以内1077(100.0%)582(54.0%)241(22.4%)254(23.6%)
3km超1251(100.0%)507(40.5%)357(28.5%)387(30.9%)
入市被爆1414(100.0%)548(38.8%)441(31.2%)425(30.1%)
救護被爆199(100.0%)57(28.6%)63(31.7%)79(39.7%)
以上によれば,爆心地からの距離が遠くなるほど発症率が減少している。
また,各人に発症した上記急性症状様の症状の個数をみると,近距離ほど発
症個数が増加している。
(2)急性障害の機序
-329-
急性障害の主症状及び発症の機序に関しては多くの研究があるが,その主要
なものは以下のとおりである。
ア財団法人放射線影響研究所要覧(乙A5)
,()急性放射線症と総称される疾患は高線量の放射線約1~2Gyから10Gy
に被曝した後数か月以内に現れ,主な症状は,被曝後数時間以内に認められ
る原因不明の嘔吐,下痢,血液細胞数の減少,出血,脱毛,男性の一過性不
妊症などである。
下痢は腸の細胞に傷害が起こるために発生し,血液細胞数の減少は骨髄の
造血幹細胞が失われるために生じ,出血は造血幹細胞から産生される血小板
の減少により生じ,また,毛根細胞が傷害を受けるために毛髪が失われる。
これらの症状が起こるのは,嘔吐を除いて,いずれも,細胞分裂頻度と深い
関係があり,分裂の盛んな細胞は放射線による傷害を受けやすく,放射線の
,,,,線量が少なければ放射線症は普通生じないが線量が多ければ被曝の1
2か月後に主に骨髄の傷害で,線量が極めて多い場合は,早ければ10~20日
後に重度の腸及び骨髄の傷害で,それぞれ死に至る可能性がある。重度脱毛
(2/3以上)を報告した人の割合と放射線量の関係をみると,放射線の量が
1Gyまではわずかな影響しかみられないが,それ以上の量になると脱毛は線
量とともに急激に増加している。
イ放射線基礎医学(第10版(乙A68))
早期反応は多数の細胞の死によって細胞回転の早い組織に起こるが,発現
時期は細胞の増殖速度によって異なる。
細胞再生系である造血系や小腸上皮,骨髄に存在する幹細胞,リンパ球な
どは放射線感受性が高く,①急性照射線量1~2Gyの場合,3時間超の潜
伏期を置いて,0~50%の発生率で,中等度の白血球及び血小板の減少が現
れ,②2~5Gyの場合,1~2時間の潜伏期を置いて,50~90%の発生率
で,血小板減少,出血,脱毛,白血球減少,感染が現れ,③5~10Gyの場
-330-
合,0.5~1時間の潜伏期を置いて,100%の発生率で,骨髄症状,血小板減
少,白血球減少,出血,感染,脱毛が現れ,④10~15Gyの場合,0.5時間
の潜伏期を置いて,100%の発生率で,消化器症状,下痢,発熱,電解質失
調が現れ,⑤50Gy超の場合,数分の潜伏期を置いて,100%の発生率で,
神経学的症状(けいれん,振せん,失調,嗜眠,視野欠損,昏酔)が現れ,
⑥口腔咽頭粘膜の障害は,3~5Gyの急性全身照射を受けた場合,痛みを
伴った発赤,浮腫,毛細血管の拡張,粘膜炎,出血,潰瘍が生じ,多くの場
合壊死を伴う,⑦1Gy以下では嘔吐はほとんど起こらない,などとされて
いる。
ウ電離放射線の非確率的影響(日本アイソトープ協会(乙A58))
上記文献(ICRP専門委員会1の課題グループの報告書)によれば,①
人の皮膚の10㎠の面積に紅班を生じさせるエックス線又はガンマ線のしき
い線量は1回短時間照射の場合6~8Gy,毛嚢の損傷に対するしきい値は,
低線エネルギー付与(LET)放射線の1回短時間照射の場合,3~5Gyの
線量で一過性脱毛が起こり得るが,永久脱毛のしきい値はそれより高く,1
回照射で約7Gyである,②胃,小腸及び大腸の腺細胞からなる粘膜に対す
る1回照射での耐容線量は低く,事故的全身被曝のようにもし小腸の大部分
が10Gyを超える線量を短時間に受けると,急性の致命的な赤痢様症状が引き
起こされる,③1Gyを超える線量の全身急照射で数分以内に骨髄とリンパ
濾胞に細胞学的変化が観察され,同程度の全身照射の後まもなく末梢血球数
の変化も起こり,リンパ球数は直後に減少し,④1Gyを超える線量レベル
の全身急照射後は,白血球数の減少の最大が2~5週目にみられ,その速さ
は線量の増加とともに増し,血小板数はこれより幾分ゆっくりと下降する,
などとされている。
第4放射線起因性の判断基準(争点①)について
-331-
1原爆症認定要件の立証責任とその程度等
(1)被爆者援護法は,被爆者に対し種々の援護を行うものとしているところ,
そのうち,医療の給付,医療特別手当の支給及び特別手当の支給については,
同法11条1項に基づく認定(原爆症認定)を受けることを要件としている。そ
して,その認定を受けるためには,被爆者が現に医療を要する状態にあること
(要医療性)のほか,現に医療を要する疾病等が原子爆弾の放射線に起因する
ものであるか,又はその疾病等が放射線以外の原子爆弾の傷害作用に起因する
ものであって,その者の治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けているため
医療を要する状態にあること(放射線起因性)の2つの要件が必要とされてい
る。これに対し,健康管理,一般疾病医療費の支給及び通常の保険手当(距離
要件あり)の支給については,そのような要件を設けず,また,健康管理手当
の支給,保健手当の支給(増額分)及び介護手当については,厚生労働省令で
定める一定の疾病等の存在を要件とし,その疾病等が「原子爆弾の放射能の影
響によるものでないことが明らかであるものを除く」として,除外要件を定め
ている(第2章第2の2(2)参照。)
(2)このように,行政処分の要件として一定の要件が定められている場合に,
その拒否処分の取消訴訟においては,特段の定めがない限り,その要件は被処
分者が立証すべきものであって,処分行政庁が拒否処分の正当性を立証しなけ
ればならないものではなく,その立証の程度も通常の民事訴訟の場合と異なる
ものではない。そして,上記のとおり,被爆者援護法は,援助の内容ごとに,
要件を定め,健康管理手当の支給等については,放射線起因性を要件とせず,
逆に「原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかであるものを除
く」としているのであって,そのような定め方をしていない原爆症認定につい
て,これと同様に解することはできない。
したがって被爆者である1審原告らが広島・長崎において被爆したこと原,(
-332-
因)と,1審原告らが疾病に罹患したこと(結果)が存在すれば,その疾病
が放射線被曝を原因としないという特段の事情がない限り,原因と結果との
間の因果関係(起因性)が認められるべきであるとする1審原告らの主張は
採用することはできない。
(3)そうすると,原爆症認定の2要件の立証は,通常の民事訴訟における場合
と同様であるというほかはなく,訴訟上の立証は,一点の疑義も許されない自
然科学的証明ではないが,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実
が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することで
あり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得
るものであることを必要とすると解すべきであるから,原爆症認定要件の一つ
である放射線起因性についても同様の枠組みで判断することになる(松谷訴訟
最高裁判決参照。)
(4)ところで,一般に,疾病は,多くの要因が複合的に関連して発症するのが
通常であり,疾病発症の特定の要因やその機序を一義的に証明することは医学
的にも困難であり,特に非特異性疾患についてその証明は不可能ともいうべき
である。
ことに原爆放射線の人体への影響(後障害)については,これまでに認定し
てきたところからも明らかなように,物理学者や医学者を中心として,国際的
な機関等を含め,長年にわたる大規模な疫学調査等が展開され,放射線医療に
よるデータも集積され,相当なレベルで疫学的解析による有意性の判定などが
されてきているが,それでもとりわけ低線量被曝領域においては,人体への影
響の有無や機序等について,次々に新たな見解が示される状況にあって,いま
だ帰一した基準が定立されているとはいえない状況にあるものといわざるを得
ない(現放影研理事長大久保利晃は,半世紀に及ぶ被爆者調査で,被爆後の比
較的早い時期に起きる健康影響は,ほぼ明らかになったが,最近,新たな疾病
について,統計学的に死亡リスクの増加が認められているし,晩発影響〈後影
-333-
響〉で分かっているのは,まだ5%程度かもしれないと述べている。平成18年
8月6日。甲A186。しかも,放射線の確定的影響とされる一部の疾患に)
ついてはしいき値線量が設定されており,これを超える放射線被曝がある場合
や,確率的影響とされる疾患であっても,統計的な有意性が認められた疾患で
ある場合は,一般的には放射線起因性が認められることになるが,それらの場
合でさえも,個々の症例を観察する上においては,放射線に起因することを示
すような特異な症状を呈するわけではない(人体影響1992)から,具体的な起
因性が明らかになるものではない。
また,被曝線量の推定方式についても,国際的な研究がなされてきており,
放射線防護の基準として機能している状況にあるが,既述のとおり,それが実
際に原爆を投下された広島,長崎の被害実態を説明し得るものかについて多く
の異なる調査結果や意見が表明されている状況にあって,個々の被曝線量の推
定も必ずしも正確に行える状況にあるものとまでは判断できないといわざるを
得ない(この点は,後述する。。)
(5)この点,1審原告らは,被爆者援護法の定める原爆症認定制度の趣旨,目
的等からすれば,放射線起因性の要件の判断に当たっては,被爆者の被害回復
,,に役立つ要件の緩和が必要であり仮に相当因果関係説をとる場合においても
その相当性の判断においては被爆者援護法の目的に照らした判断がされるべき
であって,被爆者が広島又は長崎において被爆し,放射線の影響があることを
否定し得ない疾病等にかかったときは,放射線起因性が推定され,放射線の影
響を否定し得る特段の事情が認められない限り,その疾病等は原爆放射線の影
響を受けたものと解すべきである旨主張する。
確かに,被爆者援護法は,原子爆弾の投下の結果として生じた放射線に起因
する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ,国
家補償的配慮から,被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護
対策を講じること等を目的として制定されたものであり,その趣旨は尊重され
-334-
なければならないのであって,いたずらに不可能を強いるような立証を求める
ことは法の趣旨に適合するものではないといえなくはない。その意味で1審原
告らの上記主張には首肯し得る点がないわけではないが,それが,被爆者援護
法が定める原爆症認定の要件としての放射線起因性について,通常の因果関係
ではなく弱い因果の関係で足りるとする趣旨を含むものであるとすれば,上記
のとおり採用することはできない。
(6)しかしながら,上記(4)で述べたような状況と被爆者援護法の趣旨を勘案す
れば,放射線起因性の判断にあたっては,原爆放射線被曝の事実が疾病等の発
生又は進行に影響を与えた関係(専ら又は主として放射線が起因している場合
のほか,体質や被爆時の体調などの要因やストレス等の他要因が影響している
可能性が否定できない場合においても,他要因が主たる原因と認められない場
合を含む)を立証の対象とするのが相当であり,その立証方法は,疾病等が。
発生するに至った医学的,病理学的機序を直接証明することを求めるのではな
く,被爆状況,急性症状の有無や経過,被爆後の行動やその後の生活状況,疾
病等の具体的症状や発症に至る経緯,健康診断や検診の結果,治療状況等を全
体的・総合的に把握し,これらの事実と,放射線被曝による人体への影響に関
する統計学的,疫学的知見等を考慮した上で,原爆放射線被曝の事実が疾病等
の発生又は進行に影響を与えた関係が合理的に是認できる場合は,放射線起因
性の存在について,高度の蓋然性をもって立証されたものと評価するべきであ
る。
(7)そこで,以下,この観点に立って,1審原告らについて,原爆症認定要件
該当性(争点②)について判断していくことになるが,1審被告らは,審査の
方針によって,個々の申請者の被曝線量を推定し,その被曝線量を原因確率表
,,に当てはめて原因確率を求めそれに従って本件各却下処分の判定をしており
その基準(線量推定及び原因確率表)が合理的なものであり,1審原告らへの
当てはめに問題がなければ,放射線起因性は自ずから否定されることになるか
-335-
ら,先ず,その点から判断をし,その基準によることの合理性が認められない
場合は,1審原告ら個々について,先のような観点で原爆症認定要件の存否を
判断することにする。
2審査の方針における被曝線量算定基準の合理性
(1)初期放射線による被曝線量の算定
ア審査の方式とDS86
前記のとおり,審査の方針は,初期放射線による被曝線量を別表9に従っ
て認定するものとしており,別表9は,DS86の原爆放射線の線量評価シ
ステムにより求められた数値に基づいて作成されている(端数処理のレベル
で多少の違いがあり,また,遮蔽があった場合の透過係数を一律0.7として
いる点に違いがあることは既述のとおりである。そして,1審被告らは,。)
DS02においてDS86の正当性が検証されていると主張する。
そこで,以下,先に認定した事実を前提に,DS86及びDS02の原爆
放射線の線量評価方式の合理性について検討する。
イ従前の線量評価
先に認定したとおり(第4章第2の4,米国原子力委員会は,核兵器の)
実験を進めていた時代から,原爆放射線の人体への影響を研究する必要を認
識し,プロジェクトを立ち上げて,ネバダでの核実験データ等を基として,
距離による被曝線量の評価方式(T57D)を策定した。しかし,放射線の
測定技術の未熟さ,建物等による遮蔽効果及び広島・長崎との環境の相異を
考慮していなかったことなどから,開発担当者自身が再調査の必要性を指摘
するレベルのものであった。そのため,同プロジェクトは,長崎型原爆と同
型の原爆や広島型原爆に代わるものとして原子炉等を使い,かつ,広島・長
崎の原爆炸裂時の高度に擬した大がかりな実験を行い,実際に日本家屋を建
設して遮蔽効果を調査するなどして,新たな線量評価システムT65Dを策
定した。そして,T65Dは,相当精度の高いシステムと評価され,ICR
-336-
Pもこのシステムによる放射線影響データをリスク決定の基本資料として利
用するようなった。しかし,それにもかかわらず,このシステムも中性子線
量が正確に再現されないなどの欠陥があり,精度が十分でないと批判される
ようになった。そこで,日米が協力して,開発されていた大型コンピュータ
を利用した数値計算を主体とする体系的な線量評価システムを構築すること
が目論まれた。
ウDS86の策定
DS86の概要は,第4章第2の4(2)のとおりであり,原爆の爆発から
初期放射線が発生して人体の臓器に到達するまでの過程のすべてを,原爆の
出力の推定,ソースタームの計算,放射線の空中輸送の計算,家屋等による
遮蔽効果の計算,臓器線量の計算の各局面に分けて様々な要因を検討し,広
島及び長崎で被曝した物理学的な試料の中の残留放射能の測定値との相互比
較もしながら,計算モデルを統合した線量計算方法であって,被爆者の遮蔽
データを入力して被爆者ごとの被曝線量を出力として取り出すことができる
ようになっているものである。
その結果は,ガンマ線については,広島において,爆心地から1000m以上
の地点で測定値は計算値より大きく,それより近い地点では逆に小さくなっ
ており,長崎においてはこの関係は逆になっているが,T65Dと比較すれ
ばはるかによい一致をしているとされ,速中性子については,近い地上距離
においてはかなりよく,爆心地から400m以遠では誤差が大きくなるため結
論を下すことはできないとされ,熱中性子については,近距離では測定値よ
り大きく,遠距離になるに従って測定値を下回り,1180m地点では1/4にな
るという系統的な食い違いが見いだされた。
また,976種類もの遮蔽データや当時の日本人の模型を用いた臓器線量の
計算では,ガンマ線の等方入射では実験と非常によく一致し,中性子とガン
マ線の混合場の被曝では中性子の測定値は入射ガンマ線に対する透過率と同
-337-
様によい一致を示しているが,人体中での中性子の相互作用によって生ずる
ガンマ線については計算値より実測値の方が大きいことを示したとされてい
る。
エDS02の策定
その後,測定技法の進歩(加速器質量分析法等)や測定環境の整備(尾小
屋地下測定室等)などを受けて,コバルト60,ユウロピウム152,塩素36,
ニッケル63の測定が可能となり,日,米,独の相互比較も行われるなどして
得られた知見を集積して,DS86を更新した線量評価システムが検討され
ることになった。その結果,DS02が策定された。
その概要は,第4章第2の4(3)のとおりであり,計算システムとしての
構造は基本的にはDS86と同じであるが,DS86の計算システムのうち
ソースタームの計算及び空中輸送計算(大気・地上系での長距離輸送計算)
が全面的に入れ替えられ,爆弾の出力と高度について再検討された結果,長
崎原爆についてはDS86からほとんど変更が加えられなかったが,広島原
爆については,推定出力16kt,爆発高度600mが採用された。ソースターム
の評価については,全体的にみて,重複部分についてはDS86の計算とよ
く一致している上,精度が高まり幾何学的側面が改善されたとされた。放射
線の輸送計算(離散座標計算)では,放射線輸送コード及び核データが改善
等により一貫した正確なデータの記述が保証されるようになり,DS86に
おける空気中カーマと比較すれば,線量の中性子とガンマ線の成分において
重要な変化はあるものの,線量の平均値はDS02とDS86によって得ら
れた線量に有意な差はないことを示しているとされている。
そして,DS86における出力,ソースターム及び放射線の輸送計算の結
果は,DS02におけるそれらと極めてよく一致し,新たに得られた誤差の
少ない測定値によりDS02の計算値が検証され,DS86に対して指摘さ
れていた熱中性子の放射化の測定値と計算値の系統的な食い違い等の問題が
-338-
解決され,DS86の計算値の正当性が検証されたとされる。
オ測定値と計算値との乖離
(ア)以上のようにDS86は,その時代における最新の核物理学の理論に
基づき,最良とされるシミュレーション計算法と演算能力の高い高性能の
,,コンピュータを用いて可能な限り厳密かつ正確に諸条件をデータ化して
被曝放射線量を推定しようとするシステムであって,広島原爆については
その詳細やソースタームの計算コードが明らかにされていないなどの指摘
があるものの,その計算過程に大きな疑問を抱かせるべき事情は証拠上見
当たらず,また,より高次の合理性を備えた線量評価システムが他に存在
することを認めるに足りる証拠もなく,しかも,同システムによる計算値
は最新の技術を用いるなどして行われた放射化測定の結果と相当程度一致
していることは否定できない。そして,そのような評価の下に,同システ
ムはICRPによる放射線防護基準の勧告の根拠としても用いられ,世界
の放射線防護の基本的資料(例えば,英国においては,原子力産業におけ
る職業的被曝者に対する補償の基礎資料として利用されている〈乙A20
5の1・2)とされるなど,世界中において優良性を備えた体系的線量評〉。
価システムとして取り扱われていることをも斟酌すれば,同システムは,
放射線防護の基本的資料としてのみならず,原爆の初期放射線による被曝
線量の評価システムとしても,現時点において実際に機能している放射線
の評価方法として相応の合理性を有するシステムであると評価するのが相
当である。
(イ)しかしながら,上記のとおり,DS86及びDS02の初期放射線の
線量評価システムは,その基本的性格はあくまでもシミュレーション計算
を主体として構築されたシステムにすぎないのであって,過去に生起した
現象を現時点において可能な限り忠実に再現することを志向し,それに資
する最良のデータを収集,分析等し,また,最良の計算法を用いるなどし
-339-
ているものの,その結果は,その性格上,あくまでも近似的なものにとど
まらざるを得ないことに加えて,そもそも,広島・長崎に投下された原子
爆弾は,兵器として使用され,現実に都市を廃墟と化し,膨大な死傷者を
生じさせたのであって,実験場でのテストではない広島・長崎の被害の実
相がどこまでシミュレーションに反映されているかについての疑問が払拭
し切れているとは到底いい難い。
広島原爆及び長崎原爆の爆発による初期放射線の放出等の現象を現時点
において再現する上で,同システムが現存するものとしては相応の合理性
を肯定し得るとはいえ,その適用についてはそれ自体に上記観点からの限
界が存することを十分に留意しなければならない。
なお,1審被告らは,ICRPによって世界的基準とされている事実を
もって,DS86が世界的に承認されたシステムであり,何ら問題がない
と主張するが,ICRPは,後に大きな欠陥があったとされるT65Dを
リスク決定の基本資料として利用し,世界的に推奨していた時代もあり,
現時点で他に有力な評価システムがなく,相応の合理性を有しているとい
う以上にICRPが採用していることを過大評価することは相当でない。
また,1審被告らが指摘する上記英国の例では,DS86ないしDS02
の線量を一方的に適用しているわけではなく,原因確率のもつ不確実性に
ついての認識の上に,原子力産業の雇用者と放射線労働者の組合との協定
によって適用されており,原因確率が低い場合でも,個別要因の有無を専
門家パネルに照会する道が設けられていることに留意が必要である(乙A
205の1・2。)
(ウ)以上に加えて,前記認定事実(第4章第3の1)のとおり,DS86
及びDS02に対しては種々の指摘がされており,ガンマ線についての長
友教授や澤田教授らの指摘(広島で爆心地から2.05kmでDS86による計
算値より約2.2倍高い測定値が得られたとする,熱中性子線についての。)
-340-
コバルト60やユウロピウム152の測定値が遠距離では計算値を上回ってい
るとの測定データ(静間教授,小村教授ら,速中性子についても,スト)
ローメらの測定値についての意見はあるものの,計算値が測定値によって
検証されたとまでは断定できないことなど,計算値と実測値との不一致が
完全に解決されているとまでは認め難い状況にあるというべきである。
これらの指摘を総合すれば,爆心地から約1300m以遠において,ガンマ
線について測定値が計算値を上回る無視し得ない測定結果が存在するほ
か,熱中性子及び速中性子について測定値が計算値を上回る結果が示され
ているのであって,爆心地からの距離が遠距離になるほど測定限界やバッ
クグラウンド評価などといった技術的に困難な問題がより顕在化すること
を斟酌してもなお,DS86及びDS02の計算値が過小評価となってい
るのではないかとの疑いを抱かせるに足りるものということができる。
もっとも,このような計算値と測定値との乖離が認められるとしても,
放射線の空中輸送において距離減衰が見られることは確立された事実であ
って,2kmを超える地点での推定線量の絶対値は極わずか(2km地点で,
広島では0.07Gy,長崎では0.13Gy)であって,誤差を数倍とみても1Gyに
も達しないことは留意しなければならない。
カ急性症状との関係
(ア)先に認定(第4章第3の5(1))したとおり,爆心地から2km以遠の
遠距離被爆者や入市被爆者や被爆当日の驟雨に濡れた者について,少ない
割合ながら脱毛,下痢,紫斑,皮下出血などといった放射線の急性症状様
,,の症状が生じたとする調査結果が多数存在しておりほとんどの調査では
爆心地から離れるに従って発症率が減少し,また,遮蔽がない場所での被
爆の方が,ある場所での被爆より発症率が高い傾向を示していることが認
められる。
(イ)これらの調査については,その結果の信憑性を左右するに足りる的確
-341-
な証拠は提出されていないが,調査対象者の選別においてどのような配慮
(バイアスの排除)がされているかが十分明らかにされていないこと(東
京帝国大学医学部診療班の調査では,調査対象者の来訪を求めて調査した
ことから,障害を自覚した者が余計に集った傾向が指摘されているが,他
の調査ではそのような調査条件自体の説明が十分でないものが多い,。)
急性症状とされる症状の具体的内容が明確にされていないこと(脱毛や下
痢などは放射線被曝と関係なく起こりうることであり,放射線の影響があ
る場合の脱毛や下痢の特徴が分析され,適切な基準が示されて,発症時期
や症状の経過等の調査がされた形跡もなく,それらの状況を踏まえた解析
もされていない,急性症状様の症状を訴える者について専門家による。)
診断が行われたか必ずしも明らかでないこと(陸軍軍医学校の行った入市
被爆者に対する調査は軍医による診断がされており,東京帝国大学医学部
診療班の調査でも診療並びに調査を行ったとされているが,日米合同調査
などは診断したかどうか不明であり,於保源作医師の調査は,被曝10年以
上経過した後の聞き取り調査である。なお,ほとんどの調査が自己申告に
よるものと見られるところ,その申告に対する信頼性に一部問題があるこ
とが横田賢一らの調査〈乙A154〉によって指摘されている。また,下
痢を訴えた患者15人を診断したところ7人に赤痢の合併症が発見された
との資料〈乙A121〉もある)など,疫学調査としての問題点がある。
ことは否定できない。
(ウ)ところで,1審被告らは,放射線に起因する急性症状には,それぞれ
しきい値線量があり,それ以下では発症することはないとして,爆心地か
ら2km以遠で1Gy以上もの線量の被曝をすることはあり得ないとの前提か
ら,上記各調査結果が放射線に起因する急性症状を示すものであること自
体を争い,1審原告らの主張する急性症状のみならず,上記各調査で申告
されている急性症状様の症状は,ストレス等の他原因によっても惹起され
-342-
たものであるなどと主張する。
しかるところ,証拠(乙A98,101,114,120,121,1
,,,,,,,)36の1・2137139152153158160198
によれば,①およそ1Gyを超える放射線の急性被曝を全身に受けると,
骨髄障害,皮膚障害,口腔粘膜障害,消化管障害,中枢神経障害,心臓血
管障害などの放射線による確定的影響(急性放射線症候群)が被曝線量に
応じて発現すること,②急性放射線症候群については,チェルノブイリ
等の原発事故や放射線治療における高度被曝事故等の医学的所見を基に国
際原子力機関(IAEA)がまとめた資料やICRPが動物実験などの多
くの研究成果を整理したデータなどで,症状別にしきい値が設定されてお
,,,りそれらに示された最低レベルは嘔吐・頭痛・疲労感・脱力感は1Gy
脱毛・発熱・出血は2Gy,下痢は4Gy以上とされていること,③それぞ
れの症状に特異な前駆期,潜伏期,発症期,回復期(死亡)の各段階があ
り,一時的脱毛は被曝から1週間過ぎから出現し,2~3週間続き,見た
目にはバサーと脱落したように見え,8~12週間後には発毛が見られると
されていること,④急性放射線症候群は,いずれも放射線被曝に特異な
症状ではなく,栄養不良や不衛生やストレス等によっても発症するもので
あるところ,被爆当時の我が国の国民栄養状態は劣悪であり,被爆後の広
島などではハエの大量発生なども見られ,極めて不衛生な環境があり,苛
烈な被害によるストレスも尋常ならざるものがあったと推定され,これら
が急性放射線症候群と同様の症状の原因となった可能性が十分にあるこ
と,⑤原爆による熱線や爆風は,放射線よりも遠くまで到達することか
ら,被爆者らはまず熱傷や外傷を受け,それ以外の異常はないと思ってい
たところに,しばらくして脱毛,出血,下痢などの症状が現れることにな
り,放射線被害と意識する可能性が否定できないことなどが認められる。
(エ)急性放射線症候群の上記のような特性と急性症状に関する疫学的調査
-343-
,,,の問題点を考慮しかつストレスで急性症状様の症状を呈するとすると
爆心地に近く,遮蔽物がないほど被害が甚大となり,ストレスも高じるこ
とは容易に推察できることからすると,1審被告らの主張は相応の理由が
あるようにみえないではない。
しかしながら,急性症状に関する前記各調査によって相当数の遠距離,
入市被爆者の脱毛,下痢,発熱,出血傾向等が認められているところ,阪
神・淡路大震災や大規模な原発事故等によるストレスでPTSDを発症し
たことを示す資料(乙A138,139等)や東京大空襲で不衛生な状況
下での下痢の例(乙A151)などはあるが,脱毛(円形脱毛を除く)。
を生じたとの報告は見られないし,爆心地から3km程度までは,多少不整
合な資料はあるものの,多くは距離減衰及び遮蔽減衰を示していることか
らして,1審被告らの指摘するような他の要因が影響している可能性は否
定し難いとはいえ,すべての原因がストレスや衛生状態等であるとするだ
けの明確な資料は存在せず,少なくとも3km程度までは発症率と距離との
関連が認められるとする多くの調査結果があることに加え,被爆者に対す
る大規模な調査を続けてきている放影研が最近でもそのホームページで
「脱毛,出血,下痢などの急性放射線症状が出現したという被爆者の訴え
のどこまでが心理的精神的なものか,放射線によるものかいまだによく分
かっていない」と指摘している(乙A160)ことからしても,放射線。
の影響があったことを否定することまではできないというべきである。
(オ)なお,下痢や脱毛に関するしきい値は,先に述べたように放射線治療
現場での高線量の瞬間的被曝や原発事故等を含めたデータから分析された
ものであって,広島や長崎の現に原爆が投下され,修羅場となった被爆地
,,の実態から帰納されたものではなくこのように著しく被爆環境も異なり
その後の生活環境も著しく異なる状況下でのデータに基くしきい値線量を
広島・長崎の被爆者にそのまま当てはめることが適切であるか甚だ疑問で
-344-
ある。
(カ)以上のような諸事情を総合的に勘案すれば,爆心地から2km以遠で被
曝した遠隔地被爆者や原爆投下に近接した時期に爆心地近くに入った入市
被爆者に,放射線の影響が否定し難い急性放射線症候群といわれる症状が
見られたこと,そのしきい値には,多少の疑問はあるが,それにかなり近
い程度の線量の被曝があり,それとストレスや栄養障害等の諸状況(特殊
環境下における人体の放射線に対する抵抗性の低下を想定する見解もある
〈乙A21)が加わって,それらの症状が現れたものと認めるのが相〉。
当である。
このように考えると,現実に急性症状が発症した者にどの程度の線量の
被曝があったか明らかでなくなるが,2000m地点での初期放射線に係る空
気中カーマ線量は,DS86によれば,広島で0.0716,長崎で0.1279,D
S02によれば,広島で0.0768,長崎で0.1386であるから,しきい値の最
低レベルからしても大きな差があり,その差の一部はストレス等の他原因
と見ても,かなりの部分は,DS86及びDS02の初期放射線の計算値
が少なくとも2km以上の遠距離で相当の過小評価となっているのではない
かとの合理的疑いを生じさせるに足りるものというべきである。
キ小括
以上説示したところによれば,DS86及びDS02の原爆放射線の線量
評価システムは,相応の合理性を有する優れたシステムであるということが
できるものの,シミュレーション計算を主体として構築されたシステムによ
り広島原爆及び長崎原爆の爆発による初期放射線の放出等の現象を近似的に
再現することを基本的性格とするものであって,その適用についてはそれ自
体に内在する限界が存することに加えて,その計算値が少なくとも爆心地か
らの距離が1300m以遠の遠距離において過小評価となっているのではないか
との疑いを抱かせるに足りる残留放射線の測定結果が存在していること,爆
-345-
心地からの距離が2km以遠において被爆した者でも脱毛等放射線の影響が否
定できない症状が生じたとするものが一定割合存在すること,この事実から
もDS86及びDS02の計算値が少なくとも約2km以遠においてかなりの
過小評価となっているのではないかとの合理的疑いを生じさせるに足りるも
のであることからすれば,広島についても長崎についても,少なくとも爆心
地からの距離が1300m以遠で被爆した者に係る初期放射線の算定において,
DS86又はDS02の計算値をそのまま機械的に適用するのは相当でない
といわざるを得ない。
(2)残留放射線及び放射性降下物による被曝線量の算定等
ア残留放射線による被曝線量に係る審査の方針の別表10及び放射性降下物に
よる被曝線量に係る審査の方針がいずれもDS86における推定値に依拠し
て定められたものであることは,第4章第2の2(3),3(3)(4)で認定した
とおりであり,DS86における残留放射能の放射線量の推定は,前記(第
4章第2の4(2)キ)のとおり,原爆による残留放射線は,放射性降下物に
よるものと誘導放射能によるものがあり,前者については,いずれも爆心地
から約3km離れた広島の己斐・高須地区及び長崎の西山地区のみが該当し,
後者については爆心地付近の地域(広島で700m,長崎で600m)が該当する
とした上で,放射性降下物による人体組織の無限時間までの積算線量は,最
,,,大で広島で0.6~2rad長崎で12~24radとなり誘導放射能によるものは
最大で広島で約50rad,長崎で18~24radと推定されたものである。
そして,DS86における原爆による残留放射能による被曝線量の推定そ
れ自体については,その計算の基礎とされた測定結果の信憑性及び計算方法
の合理性を左右するに足りる証拠はなく,今中哲二の前記「DS02に基づ
く誘導放射線の評価(乙A75)における検討結果に照らしても,一応の」
合理性を肯定することができる。
イしかしながら,残留放射線については,DS86自体いくつかの留保をつ
-346-
けているところである上,第4章第3の2(1)~(8)で紹介したとおり,この
点についても種々の異なる調査結果や指摘がある。それらによれば,①残
留放射線(放射性降下物及び誘導放射能)については,原爆投下直後の十分
な実測値が得られておらず,本格的な調査がされたのは昭和20年9月17日の
台風の後であり,DS86自体,風雨の影響を考慮しておらず,測定場所が
少なく,放射能の地理的分布を十分推定できなかったことなどを指摘してい
ること,DS86の指摘する2地区以外からも高濃度のセシウム137が検出
されたとする静間教授らの指摘があること,宇田雨域の指摘に加え,核爆発
によって大気中で核分裂生成物が生成されるのみならず,爆発により発生す
る熱線,爆風,これらによって発生する大規模な火災,それによって起こる
火事嵐等により,爆発による初期放射線によって誘導放射化された物質が大
気中に巻き上げられ,降雨だけでなく自然沈降等により地上に降下すること
も十分考えられることであり,少なくともその可能性を否定することはでき
ず,上記2地区以外の地域には核分裂生成物の降下がなかったとするのはか
えって不自然,不合理であること,これらの事実によれば,DS86の指摘
する2地区に限定する合理的な根拠は十分でなく,少なくとも宇田雨域等に
も量の多少はあれ核分裂生成物や未分裂の核分裂物質の降下が存在したとみ
うること(増田雨域については,そのデータの不確実性もあり。採用できな
い,②残留放射能による放射線量についても,原爆投下直後の測定値。)
に基く推定でないこと,根拠とされた測定値は,台風による影響が考慮され
ていないこと,誘導放射能についても,初期放射線の線量から推定計算がさ
れたものであって,半減期の短い核種を対象とする早期の直接測定はされて
いないことなどの問題点があること,③遠距離被爆者及び入市被爆者に一
定程度の急性症状(脱毛,下痢,発熱,歯齦出血,白血球減少症等)とみら
れる症状が認められていること(これらに被爆当時の低栄養,ストレスなど
に起因するものが混在し,特殊環境下における人体の放射線に対する抵抗性
-347-
の低下などが考えられるにしても,放射線の影響が排除できるものでないこ
とは先述のとおりである,などが考慮されるべきであり,この点につい。)
ても審査の方針の機械的適用には疑問があるといわざるを得ない。
ウまた,内部被曝については,無視することができる程度のものにすぎない
と指摘する文献もあるが,他方で,呼吸,飲食等を通じて体内に取り込まれ
た放射性核種が生体内における濃縮等を通じて身体の特定の部位に対し継続
的な被曝を引き起こし障害を引き起こす機序を指摘する科学文献も少なから
ず存在しているのであって,1審被告らの主張するとおり内部被曝における
機序の違いについてはいまだ必ずしも科学的に解明,実証されておらず,現
状においては,これらの科学文献の説くところが科学的知見として確立して
いるとはいい難い状況にあるものの,研究途上というべきであって,内部被
曝を全く考慮しない審査の方針には疑問があるといわざるを得ない。
エさらに,低線量放射線による継続的被曝が高線量放射線の短時間被曝より
も深刻な障害を引き起こす可能性について指摘する科学文献も存在している
上,放影研の充実性腫瘍発生率に関する1958~1994年のデータを使用し,爆
心地から3000m以内で,主として0~0.5Svの範囲の線量を被曝した被爆者
の充実性腫瘍(固形がん)の発生率を解析したところ,0~0.1Svの範囲で
も統計的に有意なリスクが存在し,あり得るどのしきい値についても,その
信頼限界の上限は0.06Svと算定されたとする文献も存在しているのであっ
て,これらの科学的知見や解析結果を一概に無視することもできない。
オそうすると,残留放射線による被曝線量及び放射性降下物による被曝線量
の算定において審査の方針の定める別表10その他の基準を機械的に適用し,
審査の方針の定める特定の地域における滞在又は長期間にわたる居住の事実
が認められない場合に直ちに放射線起因性がないとすることは,原爆放射線
による被曝の実態を正当に評価するものとはいえない。
(3)まとめ
-348-
以上検討したところによれば,入市被爆者や遠距離被爆者については,初期
放射線による被曝が過少評価されていることを考慮し,さらに放射性降下物に
よる被曝の可能性や内部被曝の可能性をも念頭に置いた上で,先に述べたよう
に,当該被爆者の被爆状況,急性症状の有無や経過,被爆後の行動やその後の
生活状況,疾病等の具体的症状や発症に至る経緯,健康診断や検診の結果,治
療状況等を全体的・総合的に把握し,これらの事実と,放射線被曝による人体
への影響に関する統計学的,疫学的知見等を慎重に検討し,総合考慮の上で全
体としての被曝線量の評価を行うのが相当というべきである。
3審査の方針における原因確率の算定の合理性
(1)放影研の疫学調査の評価等
ア審査の方針は,DS86に依拠した推定線量と放影研の寿命調査等の疫学
調査の結果を整理した児玉報告書に従って原因確率表を決定し,これに基い
て放射線起因性の判断を行っているところ,放影研の疫学調査(ABCC,
放影研による寿命調査及び成人健康調査等)は先に詳細に認定したとおりで
あり,原爆による放射線に被曝した広島,長崎住民について,非常に特異な
大規模コホート集団を長期間にわたり継続的に追跡調査をしたものであり,
その調査集団の規模,調査対象期間及び解析方法などに照らすと,疫学調査
として一般的な合理性を有するものと認めるのが相当であり,現にその結果
はICRPなどによって国際的な放射線防護基準の基礎資料としても広く認
められている。
イしかるところ,1審原告らは,その疫学調査に種々の問題があると指摘す
る。
(ア)先ず,1審原告らは,放影研の疫学調査は,DS86に基づいて被爆
者の初期放射線の被曝線量を推定しており,残留放射線の影響及び内部被
曝を無視している点において,曝露要因の質的差異を無視し,量的評価を
誤っている旨主張するところ,DS86については,爆心地からの距離が
-349-
1300mより以遠で被爆した者に係る初期放射線の計算値が過小評価となっ
ている可能性があり,遠距離被爆者や入市被爆者については,放射性降下
物による被曝の可能性や内部被曝の可能性をも念頭に置いた上で,被曝線
量の評価をすべきであることは先に述べたとおりである。そして,調査対
象者に対する被曝線量の過少評価は,寄与リスクの過小評価につながる可
能性があるから,遠距離被爆者や入市被爆者など低線量被爆者の寄与リス
クの評価に当たっては一定の考慮が必要である。
しかし,それより近距離での被爆者については,そのような問題点は見
い出せないし,遠距離被爆者等についても,多少の誤差があることは否定
できないながら,全体的傾向を示すものとしての意義まで否定しなければ
ならないものではない。
(イ)また,1審原告らは,放影研の疫学調査については,非被爆者を対照
群として設定せずに内部比較法(回帰分析)を用い,しかも,回帰分析の
手法を用いるためには,線量反応関係が正しく把握されていること及び集
団の線量が正確に反映されていることが絶対条件であるところ,DS86
を線量評価に用いて放射性降下物による被曝の可能性や内部被曝の可能性
を無視し,線量反応関係として科学的に完全に証明されたとはいえないモ
デルを設定している点,死亡率調査を基本としている点,調査開始までの
被爆者の死亡が無視されている点において,疫学調査の手法の誤りがある
と主張する。
しかし,先に認定したとおり,ポアソン回帰分析は,統計的手法の進歩
により導入が可能となった疫学調査における内部比較法の新しい手法とし
て認められているものということができることや,放影研がポアソン回帰
分析を用いるようになった経緯に加えて,調査集団が内部比較法による解
析を行うのに十分な規模の集団であることからすれば,放影研の疫学調査
において内部比較法としてのポアソン回帰分析の手法を用いたことには十
-350-
分な合理性が存するものというべきである。
もっとも,内部比較法によって,非被爆者(対照群)のリスクを推定す
る場合,被曝線量が過少評価された低線量被爆者が対照群に含まれる危険
性が生じ,その結果,特に低線量被爆者について,被曝線量当たりの過剰
リスクが検出されなかったり,低く算出される可能性が生じる。また,死
亡率調査において,死因について相当の誤差があり,その誤差を修正する
と,固形がんのERR(過剰相対リスク)推定値が約12%,EAR(過剰
絶対リスク)推定値が約16%上昇することが示唆されており,放射線によ
るリスクが過小評価されている可能性が否定できない。さらに,ABCC
による寿命調査開始(昭和25年)までの多数の死者が対象とされていない
,,ことにより高線量被爆者の可能性の高い死亡者を排除することによって
高線量被爆者のリスクが低く算定され,その結果,低線量被爆者について
も低いリスクが与えられるおそれを否定できない。
ウ以上のように放影研の疫学調査には,全く問題がないわけではないが,そ
れがどの程度調査結果に影響を与えているかを判断できるような的確な資料
はなく,そもそもこのような大規模な疫学調査について,疑義の入る余地の
ない完璧な設計をすること自体が困難というべきであって,1審原告らの指
摘はいずれも放影研の疫学調査の基本的価値を否定するようなものではな
く,低線量被爆者に関し,算出された寄与リスクに基づいて放射線起因性の
有無を判断する際の考慮要素として斟酌すれば足りるというべきである。
エなお,1審原告らは,審査の方針は原因確率の算定について中性子線の生
物学的効果比を無視しており,広島原爆と長崎原爆とではガンマ線と中性子
線の比率(放射線スペクトル)が異なっているから,中性子線の生物学的効
果比を無視した場合,爆心地から特定の距離の被爆者について,寄与リスク
の評価を誤らせることになる旨主張する。
確かに,審査の方針は,申請者の被曝線量の算定にあたり,ガンマ線と中
-351-
性子線を単純加算した吸収線量を用いているところ,その割合が一定でない
場合,等価線量の絶対値が変わってくることとなって,死亡率ないし発生率
も変わってくることになるが,証拠(乙A15〈資料3・4)によれば,そ〉
れによって寄与リスクが大幅に変動することはないと推認されるのであり,
他にこの認定を左右するに足りる的確な証拠はないから,審査の方針におい
て原因確率の算定にカーマ線量を用いていること自体が特段不合理であると
いうことはできない。
(2)原因確率の評価と限界
ア放射線による後障害は,個々の症例を観察する限り,放射線に特異的な症
状を有しているものではなく,一般にみられる疾病と同様の症状を有してい
ることが多いため,放射線に起因するか否かの見極めは困難であるが,被曝
集団としてみると,当該集団中に発生する疾病の頻度が高い場合があり,そ
のような疾病は放射線に起因している可能性が強いと判断されるという態様
で,高い統計的解析の上にその存在が明らかにされてくるという特徴がある
ということができ(乙A9,その限りにおいて,当該疾病に対する寄与リ)
スクすなわち原因確率は,当該疾病の発生に対する原爆放射線のリスクの程
度を表す指標として有用である。
イ疫学調査における解析は,統計分析の結果から線形モデル,線形二次モデ
ルなどといった関数を帰納することにより線量反応関係を設定することをそ
の基本的内容とするものであるから,現実に存在するとされる関係を近似式
でもって把握し,これを推定の手段として用いるものということができ,し
たがって,その解析結果(原因確率)については,このような解析方法に由
来する限界が存することは否定することができないというべきである。
ウそして,原因確率は,現存する最良のものであるとしてもそのような基本
性格をもつ疫学調査に基づいて算定された寄与リスクを個別具体的な個人に
発症した個別具体的な疾病に適用しようとするものであるが,寄与リスク自
-352-
体は,あくまでも当該疾病の発生が放射線に起因するものである確率を示す
,,ものにすぎず個々人の疾患等の放射線起因性を規定するものではないから
原因確率が小さいからといって直ちに経験則上高度の蓋然性が否定されるも
のではない(例えば,原因確率5%という場合,10人全員が5%の過剰リス
クを負っていた場合もあるし,10%の者が5人で他は0%の場合もあり,審
査の方針のいう10%を超える者であるか否かは,個別の審査でなければ判定
できない。。)
4審査の方針による放射線起因性判断の合理性
以上に検討してきたところによれば,審査の方針は,DS86に基いて推定被
曝線量を算出し,放影研の疫学調査の結果に依拠して作成された原因確率を組み
合せて,疾病,性,被爆時の年齢と推定被曝線量を当てはめて,当該申請者の原
,,,因確率を求めこれを中心的要素として放射線起因性の判断をしているところ
DS86及び原因確率は,幾つかの問題点はあるものの,現段階における科学的
知見に照らして相応の合理性・正当性を有するものと評価するのが妥当であるか
ら,これに基いて算出された原因確率は,放射線起因性判断の有力な資料となる
ことは否定できない。
しかしながら,以上に指摘した点に照らせば,DS86も原因確率も,それぞ
れに一定の限界があり,特に遠距離被爆者や入市被爆者など,被曝線量が低く評
定されている被爆者についてこれらを機械的に適用する場合は,被曝線量を過少
に評価し,したがって放射線のリスクを低く評価し,原因確率が低く算定されて
しまうおそれがあるといわざるを得ない。
また,先に示したように,審査の方針が依拠した資料やより後の期間の経過に
よる症例の蓄積や研究,技術の進歩等によって新たな疫学的,統計的及び医学的
知見が得られているのであるから,当該原因確率がそれが算定された当時の疫学
的,統計的及び医学的知見に規定されたものであることにも留意すべきであると
いえる。
-353-
そうすると,申請に係る疾病等に関する原因確率が10%未満である場合に,当
該疾病等の発生に関して原爆放射線による健康影響の可能性が一般的に低いと推
定すること自体が不当であるとはいえないものの,それのみによって放射線起因
性を否定するのは妥当ではなく,審査の方針第1の1の3に定めるとおり,当該
申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で,経験則に照らし
て高度の蓋然性の有無を判断すべきであり,殊に,遠距離被爆者や入市被爆者に
ついては,審査の方針の定める原爆放射線の被曝線量の算定に含まれる上記のよ
うな問題点や原因確率の算定に含まれる問題点さらには原因確率を当該申請者に
適用することについての問題点等にかんがみ,残留放射線による被曝や内部被曝
の可能性をも念頭に置いた上で,当該疾病について,疫学調査の結果によって放
(),射線被曝との間に有意な関係線量反応関係が認められている事実を踏まえて
当該申請者の被爆状況,急性症状の有無や経過,被爆後の行動やその後の生活状
況,疾病等の具体的症状や発症に至る経緯,健康診断や検診の結果,治療状況等
を全体的・総合的に把握し,これらの事実と,放射線被曝による人体への影響に
関する統計学的,疫学的知見等を考慮した上で,上記事実,すなわち,原爆放射
線被曝の事実が疾病等の発生又は進行に影響を与えた関係が合理的に是認できる
か否かを個別に判定すべきである。
なお,審査の方針において原因確率又はしきい値が設けられていない疾病につ
いても,最新の疫学的,統計的及び医学的知見をも踏まえた上で,当該疾病等の
発生と原爆放射線被曝との一般的関係についての知見に相応の科学的根拠が認め
られる限り,同様の総合判断が必要である。
以下,この観点に立って,1審原告ら各人について,原爆症認定要件の有無を
判断する。
第51審原告らの原爆症認定要件該当性(争点②)について
-354-
1原爆症認定の対象疾病等
(1)原爆症認定制度及び申請手続の概要
被爆者援護法の内容は,第2章第2の基礎的事実2(2)及び(3)に記載したと
おりであるが,被爆者に対する重要な援護対策として,原爆の傷害作用に起因
して負傷し,又は疾病にかかり,現に医療を要する状態にある被爆者に対し,
必要な医療の給付を行う旨,さらには医療特別手当を支給する旨定めていると
ころ,被爆者がこれらの給付を受けるためには,あらかじめ厚生労働大臣から
原爆症の認定を受けなければならないことになっている。
そして,上記認定を受けるための申請手続の概要は,基礎的事実2(3)イに
記載したとおりであるが,原爆症認定の審査は,これを受けようとする者の申
請があって始めて開始されるところ,被爆者援護法を受けた同法施行令や同法
施行規則は,原爆症の認定を受けようとする場合,まず申請書に当該疾病等を
記載し,疾病等の名称及び当該疾病等が原爆の放射能に起因する旨(原爆の傷
害作用に起因するも放射能に起因するものでない場合は,その者の治癒能力が
原爆の放射能の影響を受けている旨)を記載した医師の意見書の提出を求めて
いる。
(2)原爆症認定の対象疾病等
以上のように,被爆者援護法が,医療特別手当等の給付を受けようとする者
について,厚生労働大臣の原爆症認定を求めていることからすれば,同法が申
請主義を採用していることは明らかである。これを受けて,同法施行令や同法
施行規則において,具体的な申請方法(経由先,申請書の記載事項,添付書類
等)を定めている。
しかし,被爆者援護法は,特に対象疾病等の特定などは求めていないこと,
そもそも申請者に生じた様々な具体的症状をどのようにとらえるかは必ずしも
一義的ではなく,当該疾病の内容が常に他の疾病と截然と区別し得るものであ
るとは限らないこと,原爆症認定の申請書には,疾病等の名称に加えて,被爆
-355-
時以降における健康状態の概要及び原爆に起因すると思われる疾病等について
医療を受け,又は原爆に起因すると思われる自覚症状があったときは,その医
(),療又は自覚症状の概要をも記載するものとされ被爆者援護法施行規則12条
同申請書に添付すべきものとされている医師の意見書にも,上記の他に既往歴
や現症所見を記載すべきものとされていること(同規則様式第6号)などから
すれば,認定申請書に「負傷又は疾病名」を記載させるのは,原爆症認定審査
をする上での便宜から定められたものと解すべきであって,申請書の各記載事
項や添付書類等から放射線起因性が認められる疾患等があるのに,申請者が記
載した「負傷又は疾病名」に関しては,放射線起因性が認められないとして,
これを却下するのは相当ではない。
もっとも,医療分科会が,申請者を個々に診察して,放射線起因性の認めら
れる疾病の有無を審査すべきであるとするのも現実的ではないし,それは審査
の遅延にもつながることであるから,一次的には当該申請書に記載された疾病
等の名称に着目して審査すれば足りるが,必ずしもこれに限定されるものでは
なく,申請書及び医師の意見書その他の添付書類の記載内容に照らして申請者
の合理的意思を探求し,医学的知見を参酌しつつ社会通念に従って決するのが
相当である。
2X1の原爆症認定要件該当性について
(1)認定事実
ア被爆状況等(甲A15,甲B1,2,乙B7,原審X1本人)
(ア)被爆前の生活状況
X1(旧姓**)は,昭和2年*月*日生まれの女性であり,昭和20
年8月6日当時,18歳であって,日赤(日本赤十字社廣島県支部)甲種看
護婦養成の生徒課程2年(看護学生)に在籍し,広島市千田町所在の廣・
島赤十字病院(甲A15・283頁)で救護に従事していた。
(イ)被爆状況
-356-
,,X1は同日午前7時ころ前日から出ていた空襲警報が解除されたため
爆心地から約1.5㎞の距離にある上記赤十字病院の寄宿舎(木造2階建)
内において,同級生とともに掃除の点検のため1階廊下で窓ガラスの埃が
ないか見ていたところ,午前8時15分に被爆した。X1は,斜め上から原
爆の強い閃光を受け,黄色い光線が眼に入った。ほぼ同時に,窓ガラスが
爆風で一斉に破損し,建物が崩れ,その下敷きになったが,次の瞬間には
意識を失った。
被爆した上記赤十字病院は,当時,戦時体制により陸軍病院赤十字病院
となっていたが,鉄筋コンクリート造の病院本館の外郭は残ったものの,
室内は破壊され,約250人の軍患者,医師,看護婦,看護生徒など600人の
うち,85%が死傷した。同病院の周囲は,一面の焼け野原となり,ほとん
どの地物は消滅した(甲A15・283頁,甲B2。)
(ウ)被爆後の行動
aX1は,まもなく意識を回復し,自力で外に這い出したが,身に着け
ていた眼鏡も時計もなくなっており,顔面左側と右腕周辺を中心にガラ
。,,スが突き刺さっていたX1は鉄筋造りの廣島赤十字病院本館に赴き
顔中や手足に包帯を巻かれた後,休むように言われてしばらく寝ていた
が,負傷者が多数来院する中,友人が動いているのを見て,自らも看護
活動に勤しんだ。
同日夕方6時ころ,X1は,上司の命令で,数人で,広島県産業奨励
館(現原爆ドーム)直近の紙屋町にある日本赤十字社の廣島支部(甲A
15・197頁)まで上司のR参事を探しに行った。途中で多くの被爆者と
出会ったが,それらの人々はみな焼けただれてボロをまとっているよう
に見え,同支部の周りは金庫と水道の蛇口以外何も立っていなかった。
X1らは,同支部のあったはずの場所を探し,転がっている人を調べて
いったところ,真っ暗にならないころに,真っ黒に焼け焦げたR参事ら
-357-
しき遺体を発見し,付けていた記章から同参事と判断した。
bX1は,翌7日朝,他の看護学生(なお,400人いた看護学生中集ま
れたのは60人であった)らと一緒に廣島赤十字病院に来る患者の看護。
活動に従事することになったが,足の踏み場もないほど被爆者であふれ
ていた(甲A15・102頁。X1は,上司の命令で,同日から10日くら)
いまで毎日,午前8時前から昼過ぎまでは,病院から紙屋町にあった小
学校と市役所に通って看護活動に従事し,昼からは廣島赤十字病院に帰
って看護活動をしていたが,看護中蛋白質の焦げる異様な臭いがしてい
て,多数の患者が死亡していった。
X1は,被爆当日から4日目ころまではほとんど何も食べられず,被
爆当日の同月6日から水道管から漏れている水を汲んで飲んでいた。被
爆後4日目ころからは主食(米飯)だけ運ばれてくるようになり,病院
の地下(元の炊事場)で,汲んだ水で飯を炊き,朝晩に1人100個くら
,。,,い握り飯を作って配りX1もこの握り飯を食べていたなおX1は
被爆後5,6日したころ,外科の医師から体に刺さったガラス片を除去
するのでその数を数えるよう言われ,五十数個までは数えたが,それ以
上は気分が悪くなって数えられなかった。
cX1は,昭和21年3月に看護学校を卒業するまで,廣島赤十字病院で
の看護活動を続けた。昭和20年9月ころまでは,病院に患者があふれ,
毎日遺体を外に出してはまた新しい患者が入ってくるという状況であっ
た。なお,X1とともに看護学校を卒業することができたのは同学年の
者106人中66人で,40人が死亡した。
イ急性症状等(甲B1,乙B4,原審X1本人)
(ア)X1は,被爆後2~3日目から下痢が始まった。下痢は水様便で,食
物がないときでも1日に2回はトイレに行くような状態であった。このよ
うな状態が昭和20年8月中続き,下痢の症状自体は同年9月一杯続いた。
-358-
血便があったかどうかは,穴を開けただけのトイレであり,確認はしてい
ない。
,(),(イ)X1は同年8月15日ころから歯茎からの出血歯齦出血が始まり
出血が止まらない状態はその後1~2か月位続いた。同年8月末ころは,
,,,固いものを食べたり歯を食いしばったりするとすぐに歯茎から出血し
その後,風邪を引いたり熱が出ても歯茎から血が出るようになったが,こ
うした状態は,X1が総入れ歯になった昭和40年ころまで続いた。
(ウ)X1は,昭和20年8月終わりころから脱毛が生じた。同年9月に実家
に帰って寝込んでいたころ,櫛で髪をといてもらうと髪が大量に抜けるよ
うになった。脱毛は同月一杯ころまで続いた。
(エ)X1は,同年9月に実家に帰ったころ,悪寒と発熱があり,40度の高
熱が出て寝込んだ。また,このころ,何か所も口内炎ができた。
(オ)X1は,同年9月ころ,占領軍の採血で白血球の数が減少している,
数値が2000くらいになっていると言われた。
ウその後の症状の経過等(甲B1,乙B1,4,7,原審X1本人,調査嘱
託〈F病院及びI病院〉回答)
(ア)被爆前の健康状態
X1は,昭和19年12月ころに盲腸の手術をし,その手術後患部が化膿し
たためしばらく入院したことがあったものの,それ以外には大きな病気を
したことはなく,被爆時も健康に暮らしていた。
(イ)被爆後の生活状況及び健康状態
,,()aX1は昭和21年3月に看護学校を卒業後f現在の東広島市付近
の海軍病院(現在の国立f病院)勤務を命じられ,同病院で看護婦とし
て勤務した。昭和23年に辞令が解除となり,***県所在の国立G病院
で勤務するようになり,昭和24年5月ころからは**県**市所在の国
立療養所「H園」で勤務し,f病院とH園では婦長を務めるなどした。
-359-
bX1は,H園で勤務していたときに入院していた夫と知り合い,昭和
35年に結婚し,昭和38年には長女を出産した。なお,X1は,夫との夫
婦生活については,あまり欲求がなく,新婚のころから月に1回あるか
ないかという程度であった。
cX1は,昭和51年ころ被爆者健康手帳の交付を受けた。以後,X1は
毎年被爆者に対する健康診断を受けている。
(ウ)被爆後の病歴
aX1は,昭和24年6月に右眼の中央が見えていないことに気付き,兵
庫県**市所在のD眼科を受診したところ,右眼の中央(網膜の中心部
=黄斑部)が焼けており,治療はできないといわれ,両端で見えている
と説明された。このとき,左眼についてもごろごろする旨医師に告げた
が,治療ができないのであれば通院しても仕方がないと思い,以後通院
せずに過ごした。
bX1は,いっそう右眼が見えにくくなったため,昭和52年ころ兵庫県
**市所在のE眼科で診察を受けたところ,右眼については,両端も白
内障が原因で見えなくなっている,右眼は治療をしても治らないから,
左眼を大事にするようにと言われた。また,X1は,このころ,左眼も
ごろごろするような感覚を有していた。
X1は,右眼の手術をしてみようと思い,同年10月ころ広島県所在の
**眼科で診察を受けたところ,被爆時に網膜が焼けているから白内障
の手術はできない,左眼を大切にするようにと言われた。
cX1は,昭和38年ころから歯が抜けるようになり,歯医者に通院して
いたが,昭和40年ころ,通院していた歯医者から,糖尿でも歯が抜ける
旨言われたことがあった。もっとも,そのころは糖尿病を示す検査所見
はみられなかった。
X1は,昭和61年ころ被爆者検診で尿糖が発見されて近医から糖尿病
-360-
と指摘され,食事療法を始めて,昭和63年3月血糖降下剤の服用を開始
したが,同年11月ころ低血糖症状が出現したのでこれを減量した(ダオ
ニール1錠/日その後平成元年5月からは同剤が2錠/日に増量さ)。
れ,平成元年9月4日,血糖をコントロールするため**市**区所在
の特定医療法人******会・I病院に教育入院した。入院後は食事
療法と薬物療法を受け血糖の数値は改善した。以後,コントロール不良
状態で入院し,これが改善すれば退院するという経過で,平成19年3月
まで合計5回にわたって入退院した。この間,平成8年ころ血糖コント
ロールが必ずしも良好でなかったこともあり,平成15年7月には糖尿病
性腎Ⅰ-Ⅱ期との診断がなされているが,糖尿病自体が極端に重篤化す
ることはなかった。
dX1は,E眼科で目薬の投薬を受けていたが,平成5年末ころに左眼
も白内障になりかけていると言われ,平成6年終わり頃には白内障の診
断をされたが,阪神淡路大震災で通院できなくなっていたところ,上記
I病院に教育入院中の平成8年5月中旬,眼科治療のため(同病院には
眼科がなかった,兵庫県**市所在のF病院を紹介された。そこで,。)
X1は,同年6月10日,F病院で受診したところ,右眼については眼球
癆で失明しており(熟成ないし過熟白内障と思われる症状もある,。)
左眼は初期白内障,単純型糖尿病性網膜症とそれぞれ診断された。その
際,散瞳して検査を受け,水晶体周辺部に白内障混濁が軽度認められる
とともに,眼底に小出血が散在していると診断された。
X1は,その後,F病院において,主として左眼白内障治療のため,
点眼薬(カリーユニ点眼薬)治療を受けたが,同点眼薬治療は,平成15
年9月10日まで続いた。F病院の主治医F***(以下「F医師」とい
う)は,この間の平成10年3月,X1について,単純型糖尿病性網膜。
症が前増殖期糖尿病性網膜症に移行したと診断して,同年4月,汎網膜
-361-
光凝固術を施行した。また,平成13年8月再び網膜光凝固術が,平成15
年9月には白内障手術及び人工水晶体挿入術がそれぞれ実施された。さ
らに,平成16年12月から糖尿病性網膜症に対して止血剤,血管拡張剤の
内服投与が行われ,平成19年2月には網膜光凝固術がなされた。
eX1に係る本件原爆症認定申請の際添付された平成13年9月14日付け
F医師の意見書(乙B7)には,以下の記載がある。
負傷又は疾病の名称:右眼球癆,左白内障,左糖尿病性網膜症,両涙液
分泌減少症
既往歴:右眼球癆
現症所見:右眼球癆,左視力裸眼0.1(矯正0.4,左白内障,糖尿病性)
網膜症,両涙液分泌減少症を認め,点眼にて加療を行っている。
放射線起因性:平成12年3月6日受診時,すでに右眼は眼球癆におちい
っており,視力は完全に零であった。白内障のため眼底の透視は不能
。,。であった本人の申し立てにより原爆被爆後に生じたものと考える
医療の内容:点眼薬にてドライアイ,白内障の加療を行い,眼底検査施
行して糖尿病性網膜症の経過を観察している。
なお,F医師は,左白内障の発症時期について「初診時散瞳したと,
きの水晶体混濁が周辺部にごくわずかに認められたのみなので」平成5
~8年である旨回答している(調査嘱託回答。)
fX1は,戦後,肺に影があると度々言われ,昭和30年代後半には,結
核の初期の患者に処方されるヒドラという抗生物質を与えられるなどし
。,,,,。たまたX1は平成6年ころI病院で肺浸潤があると言われた
エX1の原爆症認定対象疾病
X1の原爆症認定申請に係る認定申請書(乙B1)には「負傷又は疾病,
名」の欄に「右眼球癆」の記載しかないが,医師の意見書(乙B7)の「現
症所見」欄には,右眼球癆のほか,左白内障,左糖尿病性網膜症及び両涙液
-362-
分泌減少症を認める旨の記載があり,同書に添付されたX1の「被爆時の詳
細について」と題する書面には,右眼球癆で失明した後,左眼の治療(白内
障等)に眼科に通っていたことが記載されており,また,X1の健康診断個
(),,人票乙B4には糖尿病に罹患している旨の記載もあることが認められ
前記1で考察したところに従えば,X1の原爆症認定申請において対象とす
べき疾病は,右眼球癆並びに左白内障,左糖尿病性網膜症及び両涙液分泌減
少症であると認めるのが相当である(なお,1審被告らも,原審において,
認定審査会は,上記4疾病を原爆症認定の対象疾病として審査したことを認
めている。1審被告ら原審第1準備書面18頁。)
(2)原爆症認定対象疾病(左白内障を除く)の放射線起因性。
ア眼球癆について
(ア)眼球癆は,毛様体炎が強いと毛様体の房水産生が低下して低眼圧にな
り,それが高度になると眼球が縮小して発症するに至るとされている(乙
A55・161頁)が,眼球癆と放射線被曝との関係の有意性について言及
した文献は証拠上見あたらない。
(イ)F医師は,原爆認定申請書に添付された意見書(乙B7)において,右
「」眼球癆について本人の申し立てにより原爆被爆後に生じたものと考える
と記載しているが,放射線起因性には触れていない。
,(,。(ウ)これに対し医師意見書医師郷地秀夫同小林栄一及び同三宅成恒
甲B4。以下,これら3医師作成の意見書を「3医師意見書」という)。
及び証人郷地秀夫〈⑮-16頁〉は「右目が失明した原因は閃光によって,
網膜が焼けたことによる。直後に生じた視力障害は回復するどころか徐々
に進行し,ついには失明に至っている。こうした障害が進んだことは放射
線による影響しか考えられない」と述べているが,どのような経緯で原。
爆の閃光による網膜被爆から失明に至ったのかも明らかでなく,その機序
に放射線被曝がいかように関わったのかについても合理的な説明はない
-363-
(もっとも,上記(イ)のF医師の意見書によれば,平成12年3月6日に診
療した際,すでに右眼は眼球癆に陥っていただけでなく,眼底の透視がで
きないほど白内障が進行していたことが窺え,この点は後記のとおり,放
射線起因性との関連が問題となりうる。。)
(エ)以上のような事実関係からすれば,X1の右眼球癆については,放射
線起因性を認めるのは困難というほかはない。
イ両涙液分泌減少症について
3医師意見書(甲B4)及び証人郷地秀夫〈⑮-16頁〉によれば,X1の
両涙液分泌減少症についても,放射線起因性のある右眼球癆及び左白内障の
影響により発症したものと考えられるから,放射線に起因するものと考えら
れるとされているが,両涙液分泌減少症と放射線被曝との間に有意な関係に
ついて言及した文献はなく,上記3医師意見書も,具体的な機序を説明する
ものではないから,結局,両涙液分泌減少症についても放射線起因性を認め
るべき根拠が十分でないといわざるをえない。
ウ左糖尿病性網膜症について
(ア)糖尿病及び糖尿病合併症に関する知見
a糖尿病は,血液の中に含まれている糖の濃度が高い状態が続く疾患で
あり,大別して,インスリン依存性とインスリン非依存型の病型がみら
れ,前者は,ウイルス感染等の誘発する抗原に対する自己抗体がβ細胞
を破壊し,インスリン産生が著しく低下して発症する。発症は25歳以下
,。の若年者に多くわが国でのこの病型の頻度は全患者の3%以下である
後者は,特殊型を除いて,前者以外を網羅し,遺伝に基づく膵臓のイン
スリン分泌不足とインスリンの作用不足の結果,肝臓よりの糖放出の抑
制低下と筋肉,脂肪組織での糖取り込みの低下等により発症する(乙A
65,弁論の全趣旨。)
糖尿病患者に高頻度で見られる代表的な合併症は,網膜症,腎症,神
-364-
経障害であり,これらは糖尿病3大合併症と呼ばれているところ,一般
,,的に糖尿病発症後に糖尿病性網膜症を発症するピークは10~15年後で
その後も年齢の上昇とともに緩やかに増加するものとされている(乙A
65,104。)
b人体影響1992(乙A9)における指摘
同書の「糖尿病」の項によれば,エックス線照射の影響について,膵
臓は放射線感受性の比較的低い臓器と考えられているとして,Oughters
onの「日本における初期の原爆による死亡者には膵ランゲルハンス島の
形態学的異常は証明されなかった」との報告(1956年)を引用し,動物
実験の結果や原爆被爆者の被爆距離別の血中インスリン値等の調査結果
等を踏まえて,放射線被曝の急性期においても数百radの放射線被曝で
は組織学的にも内分泌学的にも異常は報告されていない,放射線被曝と
糖尿病発症との関連については,インスリン分泌低下,糖尿病頻度,糖
尿病発症率及び合併症について報告がみられるが,いずれも否定的な見
解が得られていると総括されている。
c楠洋一郎ほか「原爆放射線が免疫系に及ぼす長期的影響:半世紀を
越えて(2004年,甲A218)」
同論文は,成人健康調査対象者(広島)について従前の調査データー
の解析から,被曝時20歳未満の者においては,2型糖尿病の有病率と放
射線量との間に有意な正の相関関係が示唆されたこと,宿主の免疫応答
に影響を及ぼす可能性のある遺伝的要因が異なることによって,被曝群
と低線量被曝群又は非被曝群の糖尿病有病率には有意な差があると思わ
れたこと,以上の所見から,20歳未満の若年高線量被爆者における糖尿
病のリスクに強く関わる免疫系の何らかの構成要素は,特定の遺伝子の
影響を受けると考えられることが指摘されている。そして,論者は,こ
の研究は,遺伝的背景の違いによって特定の疾患における放射線のリス
-365-
クが異なることを示した最初の報告であり,このような免疫遺伝学的ア
プローチにより,放射線被曝が疾患を発生させる機序を解明するための
新しい手掛りが得られるかもしれないと指摘している。
(イ)上記3医師意見書及び証人郷地秀夫〈⑮-16頁〉によれば,X1の左
糖尿病性網膜症についても,放射線起因性のある右眼球癆及び左白内障の
影響により発症したものと考えられるとしている。
(ウ)上記のとおり,放射線被曝と糖尿病頻度,糖尿病発症率及び糖尿病合
併症との関係について,統計学的に有意な関連はみられないとする見解が
多いが,最近では関連性を示唆する見解もあるものの,未だ定説といえる
状況にあるとまでは認め難く,上記3医師意見書もX1の左糖尿病性網膜
症について具体的な放射線起因性を説明するものとまではいえず,また,
本件において,放射線被曝が糖尿病性網膜症の発症を促進させたことを窺
わせる要因も見い出せないことからすれば,糖尿病性網膜症に放射線起因
性を認めることはできない。
(3)原爆症認定対象疾病(左白内障)の放射線起因性
ア白内障の医学的・疫学的知見(乙A9,55,157)
(ア)水晶体は,透明なカプセル(水晶体嚢,前側を前嚢,後側を後嚢とい
う)に包まれた両凸レンズであり,前嚢下に1層の上皮細胞層があり,。
最周辺部の赤道部で細胞が増殖し,正常に分裂して成熟した細胞は核を失
い,後極に向かって移動し,透明な水晶体繊維を形成する。上皮細胞層の
内側は規則正しく配列した無数の六角柱状の繊維で形成された水晶体皮質
,,。がありその中心部の繊維は25歳過ぎから硬くなり水晶体核を形成する
水晶体のほとんどは水と蛋白からなる。
(イ)白内障とは,水晶体が混濁した状態をいい,その混濁は蛋白の変性,
線維の膨化や破壊によるもので,これには先天性のものと後天性のものが
ある。後天性の白内障としては,原因別に,老人性,外傷性,併発性,放
-366-
射線性,内分泌代謝異常性,薬物又は毒物性などに分けられる。
(ウ)老人性白内障は,加齢による水晶体の混濁で,70~80歳の高齢者にな
ると多少なりともすべての人にこれが認められ,白内障の中でも最も多い
ものである。初発年齢には個人差があるが,一般に50歳以上で他に原因を
見い出せないものを指す。程度の差はあるが,両側性で,進行は一般に緩
徐である。混濁は赤道部皮質や核あるいは後嚢下に始まる。
(エ)外傷性白内障は,水晶体嚢が破損すると水晶体繊維が変性,膨化して
混濁する。水晶体嚢の破損部から水晶体皮質の白濁が始まる。一般に混濁
は進行し早いものでは数日のうちに水晶体全体に及ぶ。
(オ)併発白内障は,長期にわたるぶどう膜炎,網膜剥離など眼内病変に伴
って水晶体の栄養障害をもたらし発生するものである。このうち,糖尿病
白内障は,糖尿病者に生じるもので,若年者で両側性に進行するものもあ
り,高齢者では老人性との区別が困難である。後嚢下白内障をみることが
多い。
なお,赤木好男「科学的根拠に基づく白内障診療ガイドラインの策定に
関する研究糖尿病白内障(乙A157)によれば,糖尿病者は,非糖」
,,尿病者より有意に白内障を発症しやすい糖尿病性白内障の典型的病型は
皮質白内障と後嚢下白内障もしくはそれらに核白内障を含む混合型であ
,,る白内障は血糖レベル及び糖化ヘモグロビン量が高いほど発症しやすく
60歳以下の場合,糖尿病による皮質白内障がより顕著に出現する,とされ
ている。
(カ)放射線白内障は,放射線エネルギーによって生じる白内障で,レント
ゲンや原爆などの被曝による。放射線を受けると6か月から数年の潜伏期
を経て後嚢下に白内障をみる。これは外眼部や眼内に対する照射による場
合が多い。
なお,広島,長崎の原爆被爆生存者に最初に見い出された後障害として
-367-
の放射線白内障は,特に「原爆白内障」といわれている。放射線白内障,
特に原爆の被爆者に生じた白内障の特性,放射線との関係については,項
を改めて記載する。
イ放射線白内障(原爆白内障を含む)と放射線との関係。
(ア)「電離放射線の非確率的影響(昭和62年(乙A58)」)
ICRPは,1977年にいくつかの非確率的影響に関するしきい線量を示
し,個々の臓器・組織に対する年線量限度を勧告していたところ,本件報
告書(1984年5月に主委員会により採択されたもの)は,ICRP専門委
員会の課題グループが上記勧告の根拠を示したものであり,以下のような
指摘をしている。
a水晶体は,身体の中で最も放射線感受性が高い組織の一つである。
b高線量被曝では白内障が数か月以内に発生し,急速に進行するが,も
っと低い線量では混濁が発生するのに何年もかかることがあり,顕微鏡
的大きさにとどまり,顕著な視力障害を起こさない。
,,,c水晶体混濁の病因は分裂細胞の損傷であり細胞の顕微鏡的異常は
低LET放射線の1Gyの急性被曝の数分以内に検出可能となる。
d損傷を受けた細胞等が後方に移動し,後嚢下に蓄積すると,点状の中
央後面被膜下混濁として眼科学的に観察可能となるが,この段階では,
放射線誘発混濁は視力にほとんど影響はなく,他原因による白内障と容
易に区別できる。
e病変が進行するか否かは線量によって決まり,病変が進行すると水晶
体の前面皮質と核も巻き込み重篤な視力障害を引き起こすことなる。さ
らに進行した段階では,混濁を放射線誘発病変としてもはや識別できな
くなる。
f原爆被爆生存者では,眼科学的に検出しうる混濁の頻度を増加させる
低LET放射線のしきい値は大体0.6~1.5Gyと推定されている。
-368-
g最大級の放射線治療患者(233人)において,検出可能な最小の水晶
体混濁を誘発するのに必要なエックス線のしきい値は,1回照射の約2
Gyから,3~13週の分割照射の5.5Gyまで変わると推定された。6~7
週間にわたる低LET放射線の分割照射では14Gy未満で白内障は観察さ
れなかった。これらの結果,遷延された被曝条件下の職業被曝で白内障
を生じさせるには,低LET放射線の8Gyを超える線量が必要と推測さ
れる。
hこれらの調査結果に基づくと,放射線治療における白内障の1回照射
のしきい値(ある特定の影響が被爆した人々の少なくとも1~5%に生
ずるのに必要な放射線の量)は2~10Gyと推定される。
(イ)「ICRPの1990年勧告(平成3年(乙A59)」)
上記勧告において水晶体に検知可能の白濁を生じさせるしきい線量1,(
回短時間被ばく全線量当量又は全等価線量)は0.5~2.0Sv,視力障害(白
内障)を発生させるそれは5Svと推定されており,NCRP(米国放射線
防護測定審議会)では1989年に2~10Svとしている。
(ウ)人体影響1992(乙A9)
原爆白内障は,広島,長崎の原爆被爆生存者に最初に見い出された後障
害であり,水晶体が眼の中で放射線に最も感受性が高くその影響を受けや
すいことから,眼の障害としては頻度が最も高い病変である。放射線白内
障は,水晶体に放射線が当たって赤道部の細胞増殖帯で細胞が障害される
と,変性した細胞は膨化し,核を持ったまま後嚢の内側を正常な細胞より
もゆっくりと後極へ移動し,後極部の後嚢下に変性した細胞が集まって水
晶体混濁を形成する。放射線白内障には以下のような特性がある。
a放射線の種類に関係なく,どの放射線でも水晶体には同じような形態
学的変化を起こす。
b速中性子はエックス線やガンマ線よりも生物学的効果比(RBE)が
-369-
大きい。
c照射された線量が多いほど,白内障発生までの潜伏期は短く,白内障
の程度は強い。
d幼若な個体ほど変化が強いが,放射線に対する感受性には個体差もあ
る。
e混濁は水晶体の後極部で後嚢下に初発し,斑点状ないし円板状混濁を
形成し,一部は拡大してドーナツ形となる。これを細隙灯顕微鏡で見る
と,混濁の表面は顆粒状で,多色性反射(色閃光)がみられることがあ
る。混濁は後嚢下とその少し前方に位置するものとに分かれ,二枚貝様
の混濁を形成する。このような初期に見られる所見は放射線白内障に特
徴的なものである。
f後極部後嚢下に放射線白内障類似の混濁を生じるのは,網膜色素変性
症やぶどう膜炎に併発する白内障,ステロイド白内障,老人性白内障で
後嚢下から始まるものなどがあり,鑑別が必要である。原爆白内障の臨
,,床像は原爆以外の放射線によって生じた白内障と極めて類似しており
原爆白内障を診断するためには,水晶体後極部の後嚢下に顆粒状の変化
があるだけでは十分ではなく,細隙灯顕微鏡で少なくとも円板状の混濁
が見られることを条件とするもの,後極部後嚢下にあって色閃光を呈す
る限局性の混濁及び後極部後嚢下よりも前方にある点状ないし塊状混濁
の二つの形態学的特徴を診断基準として取り上げているもの,などがあ
る。原爆白内障の発生頻度と混濁の程度は,被曝線量と平行し,被曝時
の年齢と相関する。広島原爆は長崎原爆に比し中性子線量を多量に含ん
でいるため,同じ線量でも広島原爆の被爆者の方が混濁を示す比率が多
い。水晶体の加齢現象である老人性白内障の頻度が被爆者に高いか否か
の検討はまだ明らかにされていない。
そして,百々次夫らの論文を紹介して,これによれば,原爆による放
-370-
射線白内障については,①後極部後嚢下にあって色閃光を呈する限局
性の混濁,もしくは後極部後嚢下よりも前方にある点状ないし塊状混濁
のいずれかの水晶体混濁が認められること,②近距離直接被曝歴があ
ること,③併発白内障を起こす可能性のある眼疾患がないこと,④
原爆以外の放射線の相当量を受けていないことの4条件(以下「百々ら
4条件」という)が揃った場合に,その診断ができるところであり,。
特に①の水晶体混濁が認められることが肝要である,としている。
また,同文献中に,広島及び長崎で行われた原爆白内障の発生率の調
,,,査結果が掲載されておりそれによると原爆白内障の距離別発生率は
広島赤十字病院眼科で行われた調査(1953年6月~1954年10月)では,
爆心地から2.0㎞以内で54.7%,2.0㎞以上で10.8%であり,広島大学眼
科での調査(1957年10月~1961年9月)では,1.0㎞以内で70%,1.0㎞
~2.0㎞で30%,1.6㎞を超えると発生頻度は急減したとされ,長崎大学
(),,眼科で行われた調査1953年7月~1956年12月では1.8㎞で57.4%
2.4㎞以内で48.5%で,原爆白内障が起こる被爆距離の限界は統計学的
に1.8㎞とされている。
(エ)放射線基礎医学改訂第10版(2004年(乙A68・331頁))
水晶体混濁は2Gyの被曝で起こるといわれるが,臨床的に問題となるよ
うな白内障は5Gyの被曝が必要である。最近の放影研の報告によると,D
S86で被曝線量の明らかな広島の原爆被爆者2249人について白内障の発
生と線量との関係を調べたところ,中性子線に対して0.06Gy,ガンマ線に
対して1.08Gyのしきい値を仮定した線形-2次線量反応関係が最良のモデ
ルであり,2つのしきい値から求めた中性子の生物学的効果比は18で,こ
の値を用いた眼の臓器線量当量で示される放射線誘発白内障のしきい値は
1.75Sv,安全域は1.31Sv(95%信頼限界の下限)であった。
潜伏期間は線量と照射時間にはほとんど関係がなく,原爆被爆者では被
-371-
曝後5年で白内障が発生したと報告されている。この場合,混濁は主に水
晶体の後極部に起こるが,同時に前嚢下部位に起こることがある。この点
で,赤道面上に起こる老人性白内障と区別されるが,進行すれば他の白内
障と区別できなくなる。中性子線はエックス線やガンマ線と比べると白内
障を起こしやすく,同一吸収線量でエックス線の5~10倍の効果があると
いわれている。子供は,成人に比べ,低線量で混濁が生じる。
(オ)成人健康調査第7報(甲A67・文献番号30)
重度被爆者では被爆直後,軸性混濁の発生率が増加するとした以前の報
告とは対照的に,現在の調査結果は,1958~1986年の成人健康調査対象者
における白内障発生率に放射線の影響があることを示唆していない(1Gy
での相対リスク=1.05。このことは原爆投下以降13年間に白内障発生に)
関する影響が減弱したか消滅したことを示唆する(ただし,被爆時年齢が
20歳以下の若年時被爆者については,1958~1968年に過剰リスク〈1.20〉
が見られた。。)
(カ)成人健康調査第8報(甲A67・文献番号31)
上記第7報に12年間の追跡期間を追加して更新された報告である。
1958~1998年の成人健康調査受診者からなる約1万人の長期データーを
用いて,白内障の発生率と原爆放射線被曝線量との関係を調査した結果,
白内障に有意な正の線量反応を認めた。白内障での放射線影響は新しい知
見である。また,白内障の1Sv当たりの過剰相対リスクは,全相対リスク
が1.06,被爆時年齢25歳の相対リスクが1.07である。
(キ)津田恭央ら「原爆被爆者における眼科調査(広島医学57巻4号。20」
04年4月(甲B5の10))
2000年6月~2002年9月にかけて,成人健康調査対象者のうち被爆時の
年齢が13歳未満の者全員及び1978~1980年眼科調査を受けた者を対象とし
て,細隙灯検査,写真撮影及び水晶体混濁分類システム2による分類を行
-372-
い,性,年齢,都市,線量,中間危険因子を説明変数とし,核色調,核混
濁,皮質混濁,後嚢下混濁それぞれ所見なし群を基準として混濁群別比例
オッズモデルを用いたロジスティック回帰分析を行ったところ,原爆被爆
者の放射線被曝と水晶体所見の関係において遅発性の放射線白内障及び早
発性の老人性白内障に有意な相関が認められた。なぜ55年を経てこのよう
。,,な現象が見られるのかその機序は不明である白内障には紫外線糖尿病
ステロイド治療,炎症,カルシウム代謝など様々な危険因子が存在するこ
とが知られているが,それらを調整しても線量との関連の有意性の変化は
認められなかった。今後動物実験などにより確認する必要があると考えら
れる。また,今後,しきい値モデルを用いた解析を行い,放射線確定的影
響について別途報告の予定である。
(ク)練石和男らの報告(平成17年(甲B5の12))
()上記眼科調査の報告者グループの構成員である放影研臨床研究部広島
の練石和男らは,財団法人広島原爆障害対策協議会主催の第46回原子爆弾
後障害研究会(平成17年6月5日)において,上記2000年6月~2002年9
月まで放影研の成人健康調査の全受診者のうち白内障診断を受けたもの17
36人,白内障手術を受けたもの442人について,都市,性,被ばく時年齢
及び糖尿病を調整し,線量反応関係,間接効果因子,しきい値を解析した
ところ,原爆被爆者における術後白内障には有意な線量反応関係があり,
カルシウムなど放射線の間接効果因子が存在し,また,しきい値モデル適
合曲線の90%信頼限界の下限は白内障診断,術後白内障ともにしきい値線
量0Svを超えない(有意性がない)ので,しきい値は存在しないと考えら
れる,などという報告をしている。
(ケ)草間朋子の報告書(乙A98・13頁以下)
医療分科会会長代理の草間朋子は,平成13年度委託研究報告書「電離
放射線障害に関する最近の医学的知見の検討」において,以下のような報
-373-
告をしている。
水晶体の混濁あるいは白内障の発生は,以前は,水晶体前面の水晶体包
下の上皮細胞に生じた細胞死あるいは細胞障害が,水晶体の後面に移動し
水晶体中心軸上の混濁となるとされていた。線量が少ない場合は,視力障
害を伴わない混濁のみであり,線量の増加に伴い視力障害を伴う白内障と
なると考えられていた。
,,,()しかし最近の知見では水晶体混濁は水晶体の分裂細胞上皮細胞
の細胞死ではなく,水晶体の上皮細胞のゲノムの遺伝子の変異による水晶
体の繊維蛋白の異常が原因であるとされている。被ばく(ママ)から水晶体混
濁が生じるまでの潜伏期間の長さは,繊維組織に分化するまでの時間と,
上皮細胞の遊走にかかる時間が関係する。線量が極めて高い場合には,代
謝性の変化が生じその結果透明性が失われると考えられている。
,。病理学的には最初に水晶体後面の水晶体包下の異常として確認される
被ばくによる水晶体前面の異常の程度が大きい場合には,視力障害の原因
となる。
放射線による水晶体混濁あるいは白内障の発生には,①線量,②被ばく
時の年齢,③線量率などが関係する。原爆被爆者のデーターでは15歳未満
の若年者の感受性が高いとされている。
放射線被ばくによる水晶体混濁あるいは白内障のしきい線量は,研究者
(機関)によって一致しないが,短時間被ばくの場合,水晶体混濁は0.5
~2Gy,白内障は2~10Gy,多分割又は遷延被ばくの場合,水晶体混濁は
6~14Gy,白内障は4~15Gyとなっている。
ウ本件関係医師等の放射線起因性についての意見
(ア)F医師(乙B7,調査嘱託〈F病院〉回答)
F医師は,原爆認定申請時に申請書に添付された意見書(乙B7)にお
いて,左白内障については言及していなかったが,当審での調査嘱託の回
-374-
答で「白内障の原因について,放射線性,老人性,糖尿病性を判別する,
結果は得られていない」と回答している。
(イ)3医師意見書(甲B4)及び証人郷地秀夫〈⑮-17~19頁〉
放射線により白内障が生じることは多くの文献でも知られているとこ
ろ,中でも脱毛の急性症状を併発した被爆者に白内障傾向が著明に見られ
ることが報告されている。放射線白内障は被爆後比較的早期に起こるとさ
れてきたが,その後30~40年を経て発病することが明らかにされてきた。
また,当初の後嚢下混濁だけでなく,老人性白内障と同じ皮質混濁が年齢
より早期に発病することが明らかになった。さらに白内障のしきい値が存
在しない研究も登場した。以上により,X1の白内障は放射線に起因する
と考えられる。
(ウ)小出良平作成の意見書(乙A56)
昭和大学医学部眼科学教授の小出良平は,百々ら4条件を前提として,
①白内障は放射線の確定的影響であるが,被曝線量がしきい値に満たな
いこと,②白内障の発症時期,症状等から放射線白内障との診断は困難
であり,老人性白内障など他の白内障と推察されること,③細隙灯顕微
鏡検査の写真によると,後極部後嚢下の限局性の混濁等,放射線白内障で
見られる水晶体の混濁像が得られていないこと,などの理由により,放射
線白内障ではないとの判断が妥当であるとしている。
(エ)佐々木康人及び草間朋子作成の意見書(乙B10)
X1の被曝線量(34.7cGy,水晶体の等価線量に換算して約0.40Sv,)
X1の白内障が被曝から40年以上経過し67歳で発症したという経過,初診
時の水晶体所見で,混濁が周辺部(水晶体皮質)に認められていて老人性
白内障の所見であること,原爆白内障の4条件が満たされていないこと,
白内障と診断される以前から糖尿病を発症していたこと,被爆後にみられ
た急性症状は被曝の急性症状とは考えられないこと等から,X1の白内障
-375-
は,老人性白内障もしくは糖尿病性白内障と考えるのが妥当であって,放
射線起因性を認めることはできない。
エ放射線起因性の検討
,,,(ア)1審被告らは審査の方針に従ってX1の初期放射線の被曝線量は
遮蔽なしとした場合で50cGyであり,木造家屋内での被爆であることから
遮蔽係数0.7を乗じると35cGyとなること,X1が被爆翌日(被爆当日のR
参事の捜索は短時間であり,考慮するべきでない)以降滞在した地域を。
(),爆心地に最も近い紙屋町付近爆心地から約300mと仮定したとしても
審査の方針(第10表)に従って残留放射線による被曝線量を推定すると,
16~24時間/300mでせいぜい4cGy程度となり,初期放射線による被曝線
量と併せても39cGy程度にすぎないこと(認定審査会の答申線量目安34.
7cGy。乙B8,これに対し,白内障のしきい値は1.75Svであることを根)
拠に,X1の白内障は放射線に起因するものではないと主張する。
そして,審査の方針が上記のように規定していること,白内障のしきい
値が上記のように設定され,これを裏付ける文献も存在することは先に認
,,,定してきたとおりでありこれらを前提とすればX1の合計被曝線量は
計算上は白内障に係る上記しきい値に達しないというほかない。
(イ)しかしながら,X1の被曝線量については,先に判断したとおり,①
爆心地から1300m以遠においては,DS86の推定する初期放射線量は
過少に推定されている可能性があり,その差は特定できないものの,長友
らの指摘(広島の爆心地から2.2kmで約2.2倍)を参考に2倍とすれば,X
1の初期放射線の被曝線量は1Gyとなること,②ガラス越しに初期放射
線の直曝を受けたことからすれば,遮蔽効果があったか疑問であること,
③X1は,被爆時から約10時間後に,壊滅状態となった地帯を歩いて,
多くの被爆者と出会いながら,爆心地から約300mにある日本赤十字社広
島支部付近に赴き,R参事を探し歩き,真っ暗になる前(真夏のことであ
-376-
り,午後8時前ころと推定する)に同参事の遺体を発見したというので。
あるから,別表10の8~16時間の項に該当するというべきであり,その時
刻の残留放射線量は7cGyであること,④X1のその後の紙屋町付近と
広島赤十字病院とを往復しての看護活動,その間の飲食状況,被爆後数日
間は身体にガラス片が刺さったままの状態であったこと等に照らせば,爆
心地付近の誘導放射化した土壌等による残留放射線の被曝に加えて,飲食
物の摂取又は負傷した部位から誘導放射化した物質を体内に取り込んだ
(内部被曝)可能性も十分考えられること,これらの点を考慮すれば,X
1の被曝量の総計は,上記推定された被曝線量をかなり超えた,相当多量
であった可能性が大きいと考える余地は十分にあるというべきである。
そして,X1には,前記のとおり,下痢,歯茎からの出血,脱毛,白血
球の減少といった,放射線による急性症状として説明することが可能な症
状を発現していることは,上記判断を裏付けるものである。
この点について,1審被告らは,放射線障害としての下痢は血性の慢性
下痢を特徴とするものであり,鑑別診断なくしてX1の訴える下痢が放射
線による急性症状であったと断じることはできず,また,X1の被曝線量
からみてX1の歯茎からの出血や脱毛を放射線による障害であると考える
ことには無理があるなどと主張する。
しかし,急性症状については先に詳細に検討したとおり,下痢や脱毛等
に関するしきい値を広島・長崎の被爆者にそのまま当てはめることには疑
問があること,審査の方針の線量推定にも上記のような問題点があること
に加え,X1は,被爆前は,盲腸の手術後患部が化膿したため短期間入院
したことがあったものの,それ以外には大きな病気をしたことはなく,健
康に生活していたことからすると,被爆直後から発症したこれら症状に放
射線の影響があったことを否定する理由はないというべきである。もとよ
り,18歳の女性が先に認定したような苛酷な状況に置かれたのであり,ス
-377-
トレスを受けたのは明らかであろうし,当時の衛生状態も体調に影響を与
えないはずもないであろうから,それらが発症の一因であった可能性は否
定すべくもないが,X1がパニック的な状況に陥ったような形跡も窺われ
ず,それらが主たる原因であると断じ得るような証拠はない。
そうすると,上記白内障にかかるしきい値を前提としても,X1がそれ
を超える放射線被曝をしていないと断ずることはできない。
しかも,上記しきい値自体,ICRPの1990年勧告では5Svとされ,放
射線基礎医学改訂第10版(2004年)では1.75Svとされ,放影研の練石らの
報告(2005年)ではしきい値は存在しないとされているのであって,時代
と共に評価が変動している可能性もあり,所与の前提としてとらえること
にも疑問がないではない。
いずれにしても,X1が白内障を発症する可能性のある原爆放射線被曝
を受けた可能性は否定できない。
(ウ)次に,1審被告らは,加齢が白内障にとって有力な原因であり,糖尿
病も白内障の原因となることを前提とし,X1の左白内障は,被爆後50年
(67歳)もたってから発症したものであり,しかもX1はその10年位前か
,,ら糖尿病に罹患しており白内障の発症状況も周辺の皮質混濁から始まり
百々ら4条件のうち①②③の3条件を満たしていないなどとして,糖尿病
白内障ないし老人性白内障あるいはその合併症であると主張する。
確かに,X1の左白内障の発症は,平成5年末から平成6年末ころの間
と推定され,また,昭和60年ころから糖尿病に罹患していたことも先に認
定したとおりである。
そして,加齢による水晶体の混濁は多くの人にみられ,70~80歳の高齢
者になると多少なりともすべての人に認められるとされており,混濁は,
赤道部皮質や核あるいは後嚢下に始まるとされており,また,糖尿病者は
有意に白内障を発症しやすいとされ,その典型的病型は,皮質,後嚢下,
-378-
核を含む混合型とされている。
これらの事実を前提とすれば,X1の左白内障に加齢や糖尿病が原因し
ていることを否定することはできない。
(エ)しかしながら,①X1は,右眼も高度の白内障に罹患しており,平
成8年ころにはF医師によって熟成ないし過熟白内障(混濁が水晶体全体
にわたり,嚢直下まで達している状態,ないし,さらに混濁が進み,皮質
又は核の萎縮硬化が見られる状態。乙A55)と判断されているところ,
左眼の白内障の進行と著しく異なっており,通常両側性とされる老人性白
内障や糖尿病白内障の進行と異なるところがあること(1審被告らも,糖
尿病のような全身疾患の合併症が片側だけに起こることは考え難いと主張
している。原審被告ら第11準備書面8頁,②X1は,右眼に網膜を損)
傷する程の直接閃光を受けており,その理由は明らかでないものの,左右
で被曝線量の違いがある可能性があり,左右の眼の発症状況の大きな違い
は,放射線線量の違いとして理解可能であること,③百々らは,その4
条件のうちでも特に第1の条件(後極部後嚢下にあって色閃光を呈する限
局性の混濁,もしくは後極部後嚢下よりも前方にある点状ないし塊状混濁
のいずれかの水晶体混濁が認められること)が必須としているが,百々ら
論文を紹介している人体影響1992も,放射線白内障の場合,細隙灯顕微鏡
で見ると多色反射(色閃光)が見られることがあるとしており,他の診断
法もあることを紹介しているのであって,被曝線量の違いや個体差や進行
の程度等も考えれば,これを必須要件とすることには疑問があること,④
F医師は,初診時(平成8年6月10日)には水晶体周辺部に軽度の白内
障混濁を認めたことだけをカルテに記載しているが,同年9月2日以降の
カルテには,たびたび左眼後嚢下混濁の記載をしている(調査嘱託〈F病
院〉回答)ところ,短期間に後嚢下混濁が発症したと見るのは不自然であ
るから,同時的,あるいは左眼後嚢下混濁が先行していた可能性も否定で
-379-
きない。さらに,放射線白内障の場合,放射線によって傷害された赤道部
の細胞が後嚢部に移動することが知られており,後嚢下混濁が見られたこ
とは,放射線白内障と矛盾するものではないことが認められ,これらの事
実からすれば,左白内障の発症状況は,放射線の影響を否定するものでは
ないというべきである。
(オ)以上のとおり,X1が白内障のしきい値に相当する放射線被曝を受け
ていた可能性が十分にあること,原爆白内障は爆心地から1.6㎞以内では
発生頻度が高いこと,原爆放射線被曝線量と白内障との間に有意な正の線
量反応を認められていること,原爆被爆者の放射線被曝と水晶体所見の関
係において遅発性の放射線白内障及び早発性の老人性白内障に有意な相関
が認められたとする見解があること,白内障診断,術後白内障ともにしき
い値が存在しないと考えられるとする研究成果があること,X1の左白内
障の発症時期や発現形態は放射線白内障であることを否定するものではな
,,いこと糖尿病性白内障又は老人性白内障の可能性も否定できないものの
それのみによって,あるいはそれが主因となって発症したことを裏付ける
資料は存在しないことなどの事実関係からすれば,X1の左白内障は,少
なくとも原爆放射線の影響によって発症した面があると判断するのが合理
的かつ自然というべきであり,X1の左白内障について放射線起因性を肯
定すべきである。
(4)X1の原爆症認定対象疾病の要医療性
以上のとおり,X1の原爆症認定の対象とすべき疾病のうち左白内障につい
て放射線起因性を認めることができるところ,X1は,前記認定のとおり,平
成8年6月から平成15年9月10日まで,主として左白内障治療のため点眼薬治
療を受けていたから,申請時にX1の左白内障について要医療性のあったこと
は明らかである。
(5)本件X1却下処分の理由に係る1審被告らの主張の変更について
-380-
1審被告厚生労働大臣は,X1の申請疾病について放射線起因性を認めた上
で,要治療性を否定して,本件X1却下処分を行い(乙B2,さらに本件訴)
訟係属後も,原審の答弁書では,この事実を認めていたところ,その後「認,
定審査会においてX1申請に係る4疾病についてはいずれも起因性がない旨の
判断をし,その旨却下処分の手続を進めていたところ,誤って他の様式(放射
線起因性を認めたうえで要医療性がないものとして却下するもの)を用いて作
成したものである」と主張し,放射線起因性をも否定するに至った。。
X1は,1審被告らの上記主張の変更を強く非難するので,検討するに,証
拠(乙B8)によれば,認定審査会が放射線起因性がないものと判定して認定
却下の答申をしたことは明らかであり,それにもかかわらず,1審被告厚生労
働大臣がこれと異なる理由で本件X1却下処分をしたことが認められる。
1審被告厚生労働大臣が認定審査会の判定を覆して決定をしたと見る余地は
ないから,1審被告らの主張するように単なる処分理由用紙を取り違えたもの
と認めるのが相当であるが,原爆症認定という被爆者にとって重大な申請につ
いて,その処分理由用紙を誤って申請被爆者に送付するということは,軽率の
そしりを免れず,訴訟提起後もその誤りに気づかないまま答弁を行っているや
に窺われるのも看過できないが,事実に反している以上,主張を変更すること
はやむを得ないものといわざるを得ない。
その点はさておいても,取消し訴訟において,処分行政庁は,行政訴訟手続
法7条により準用される民事訴訟法157条等の一般的な制限を除き,取消しを
求められた処分の適法性を基礎付けるため,処分時の認定事実や根拠法規の解
釈適用にとらわれることなく,訴訟物の範囲内で客観的に存在した一切の事実
上及び法律上の根拠を主張しえる(最高裁昭和53年9月19日第三小法廷判決・
),「」,判例時報911号99頁から1審被告らの放射線起因性がないとの主張を
手続的事由を理由として排斥することはできない。
(6)結論
-381-
以上のとおり,X1は,本件X1却下処分当時,原爆症認定申請の対象とさ
れるべき左白内障について放射線起因性及び要医療性の要件を具備していたも
のと認められるから,本件X1却下処分は違法というべきである。
3X2の原爆症認定要件該当性
(1)認定事実
ア被爆状況等(甲A121,甲C1,2,3の1・2,7の1・2,乙C6,原審
X2本人)
(ア)被爆前の生活状況
X2は,昭和5年*月*日生まれの女性であり,昭和20年8月当時,満
15歳であって,長崎県立g高等女学校に在学中であった。X2は,昭和19
年9月ころから勤労奉仕としてC兵器製作所**工場で主として魚雷の製
造作業に従事し,男性に混じって黒鉛を担いで運んだり,スコップで土塊
をすくっては篩にかける作業等もしていた。
(イ)被爆状況
X2は,昭和20年7月末ころ,工場内の診察医からしばらく休養するよ
,(。「」。)う言われ長崎市B町**番地の自宅木造家屋以下X2宅という
で療養中であったところ,同年8月9日午前11時2分に被爆した。自宅の
窓及び障子はすべて開放した状態であったため,奥の部屋の方角(北西方
向)から強烈な閃光とともに爆風を受け,布団に潜って様子をみた後,X
2宅にいた母及び姉とともに防空壕に避難した。特に身体に負傷を負うこ
とはなかった。
(ウ)被爆後の行動
,,,aX2は被爆後もそのまま自宅にとどまっていたところ被爆当日に
同宅で下宿していた同級生のYが被爆現場の**工場(爆心地から約1.
5㎞弱)からX2宅に徒歩で,体中を真っ黒に汚して,戻ってきた。X
2は原から被爆状況についての話を聞いた。さらに翌日になって,長崎
-382-
医科大学(爆心地から約500m)で被爆した隣人が戻ってきて,被爆状
況などを聞いた。ところが,同人は,しばらくして唇が腫れてきて,1
週間ほどで亡くなった。X2は,隣組の人と協力し,同人の遺体を担架
に乗せて伊良林小学校まで運び,その焼却作業に従事した。その際,同
小学校の広いグランドでは,各所で遺体が焼かれており,煙が無数に立
ち上っていた。
bX2は,被爆以後,買ってきたかぼちゃや芋,鰯の配給以外にも,自
宅隣の**遺跡で栽培した夏野菜や糠で作った団子を食べ,水道水を飲
んでいた。
cX2は昭和20年9月から女学校に登校したが,原子爆弾で死亡した生
徒も多く,クラス数も7クラスから5クラスに減少した。また,登校し
ている生徒の中にも体調がすぐれない者や頭髪が抜けている者が何人も
いた。
イ急性症状等(甲C1,乙C1,5,7,原審X2本人)
X2は,被爆の数日後ころから,次第に工場労働による疲労などとは違う
体のだるさを覚えるようになった。
被爆当時X2宅にいたX2の母及び姉にも急性症状はみられなかったが,
母及び姉も被爆後は体調を崩して寝込むことが多かった。
ウその後の症状の経過等甲C111乙C15~8証人郷地秀夫⑮(,,,,〈
-20頁,原審X2本人,調査嘱託〈K病院及びJ眼科院〉回答)〉
(ア)被爆前の健康状態
X2は,幼少期のころ,腎臓炎,赤痢,気管支カタルに罹患したことが
あったが,被爆当時は健康体で,勤労奉仕として男性に混じっての肉体労
働にも従事していた。もっとも,被爆当日のしばらく前から疲れが出てい
たので,自宅で静養していた。
(イ)被爆後の生活状況及び健康状態
-383-
aX2は,昭和20年9月から西山地区に存した長崎県立g高等女学校に
登校し,学校では水道水を飲み,昼食は家から持参した弁当を食べてい
た。しかし,体が疲れやすく,体調がすぐれないため学校を休んだこと
もあった
bX2は,女学校卒業後,同じ敷地内にある女子専門学校に入学し,教
員免許を取得した。そして,専門学校卒業後,長崎市内の学校で教員と
して勤務した。勤め始めて後も,体が疲れやすく,体調がすぐれないた
め勤めを休んだこともあった。
cX2は,昭和32年1月,結婚し,昭和35年ころ,**県に転居した。
X2は3子をもうけ,子育てもあって昭和45年3月に退職した。
dX2は,昭和34年10月27日付けで長崎市長に対し被爆者健康手帳の交
付申請をした(乙C6。同申請に係る原爆被爆者調査票(乙C7)に)
は「現在の健康状態」として「つかれやすい「視力がおとろえた」,,」,
の項目に丸印が付けられておりまた被爆後にかかった病気として心,,「
臓・脚気」と記載されている。
(ウ)被爆後の病歴
aX2は,平成2年ころ**診療所で被爆者健康診断を受けた際に不整
脈を指摘された。同年6月の甲状腺機能検査ではTSH(甲状腺刺激ホ
ルモン)が基準値(0.3~4.2μIU/ml)をわずかに上回っていた程度で
あったが,平成4年4月にI病院において検査した結果,TSHが135.
1と高値を示しており,甲状腺機能低下症と診断され,甲状腺ホルモン
の投与が開始された。その結果,同年8月の検査ではTSHは0.2とな
って症状が改善したが,その後も今日まで投薬治療を続けており,平成
8年ころからは医療法人社団**会K病院に1か月に1回通院し,甲状
腺ホルモン剤の投与を受けている。なお,平成16年12月20日の検査によ
れば,TSH(同病院での基準値は0.54~4.54μIU/ml)は1.6と基準値
-384-
内にあり,また,甲状腺自己抗体の検査結果は,サイロイドテスト及び
マイクロゾームテストがいずれも100未満,TSH-R抗体がマイナス
であって,I病院の郷地秀夫医師(以下「郷地医師」という)によれ。
ば,X2の甲状腺機能低下症は自己免疫性甲状腺疾患ではないことが確
認されたとしている(甲C11。)
X2の原爆症認定申請の際に提出されたK病院の担当医師の平成14年
3月18日付け意見書(乙C8)には,X2の甲状腺に腫瘍,自己免疫疾
患,外傷,炎症等の所見は認められないとされている。
bX2は,平成13年と平成14年には白内障の手術を受けた。また,同年
10月にはL病院で乳がんの摘出手術を受け,その後,M大学附属病院に
通院して放射線治療を25回受けた。X2は,L病院で2か月に1度術後
の定期検査を受け,術後の放射線治療を行ったM大学附属病院にも3か
月に1度検診のために通院している。
cX2は50代から歯が徐々に抜け始めた。また,60歳のころ脊椎を圧迫
骨折し,65歳のころ肩の骨を複雑骨折した。
dX2は,現在,上記のとおり,K病院に1か月に1回甲状腺機能低下
症,高血圧及び骨粗鬆症の治療のため通院し,L病院で2か月に1度術
後の定期検査を受け,M大学附属病院に3か月に1度検診のために通院
しているほか,**病院に1か月に1度通院し,ラクナ梗塞のために投
薬治療を受けている。
エX2の原爆症認定対象疾病
X2は,原爆症認定申請に係る対象疾病には乳がんも含まれる旨主張する
,(),()がX2の原爆症認定申請に係る申請書乙C1医師の意見書乙C8
,,には疾病等の名称のほか現症所見欄にも甲状腺機能低下症の記載しかなく
上記申請書等において乳がんについて一切触れられていないことに加えて,
前記認定のとおりX2が乳がんの摘出手術を受けたのは本件X2却下処分
-385-
(平成14年9月9日付け)より後の同年10月であり,X2は乳がんが発見さ
れたのは手術の1月くらい前であると供述していることをも斟酌すれば,前
記1の原爆症認定の対象疾病等の範囲に関する枠組みに従えば,X2の原爆
症認定申請に係る疾病に乳がんが含まれていたと認めるのは困難であり,対
象疾病は甲状腺機能低下症のみといわざるを得ない。
(2)原爆症認定対象疾病の放射線起因性
ア甲状腺機能低下症の医学的・疫学的知見
(ア)甲状腺機能低下症一般(甲A161の2・文献番号16,乙A66,6
8,72)
甲状腺機能低下症は,疾患名ではなく,狭義には甲状腺組織でのホルモ
ン産生・分泌障害に基づく血中甲状腺ホルモンの低下による病態である
が,より広義には,末梢組織に対する甲状腺ホルモンの作用不足による病
態ともいえる。成人の一般的症状は,全身倦怠感,無力感,うつ状態,寒
がり,発汗減少,便秘,関節痛等であり,最終的には典型的な粘液水腫性
昏睡の状態となり,しばしば致死的となる。
病因的には,種々の原因があるが,甲状腺自体に障害があり,ホルモン
分泌・合成障害を来すものを原発性甲状腺機能低下症と呼ぶ。これには,
後天的に甲状腺が自己免疫機序によって破壊されるものや放射線によって
破壊されるもの,ヨード欠亡・ヨード過剰など外因性の機能抑制によるも
のとがある。甲状腺機能低下症の大部分は慢性甲状腺炎(甲状腺に対する
〈〉自己免疫機序によって生じる慢性炎症性甲状腺疾患自己免疫性甲状腺炎
であり,1912年に九州大学の橋本策博士により最初に報告されたため,橋
本病と呼ばれている)である。。
甲状腺機能検査ではTSH測定が最も有用であり,原発性甲状腺機能低
下症では必ず上昇する。総T,遊離型Tの低下は甲状腺機能低下症全般に44
見られるが,Tは正常のことがある。また,貧血が高頻度に認められる。3
-386-
甲状腺機能低下症の治療は甲状腺ホルモンの補充療法であり,甲状腺機
。,能低下症患者の血中ホルモン濃度を正常域に保つことを目的とする通常
生涯服用を続ける必要がある。
(イ)甲状腺機能低下症と放射線との関係について
a放射線基礎医学第10版(乙A68)
甲状腺上皮は組織の中でも,細胞分裂頻度が低く,放射線感受性がか
なり低い方に分類されている。したがって,放射線に抵抗性があると考
えてよい。しかし,障害を受けた細胞が除去されるにつれて,甲状腺刺
激ホルモンは増加する。細胞の生存率が低いと10~20年後でさえ,機能
低下を伴う甲状腺の萎縮を起こすことがある(238,253頁。)
b人体影響1992(乙A9)
,,(a)原爆被爆による放射線障害は初期放射線によるものが最も多く
次いで誘導放射能によるものや放射性降下物によるものなどに起因す
る。核分裂生成物の核種のうちヨウ素が約1/2を占め,放射性ヨウ素
の中ではヨウ素131が主であり,被曝直後では呼吸によりヨウ素131が
,,取り込まれたり経皮膚的に吸収され甲状腺の内部被曝を起こしたり
また,地上に落下したヨウ素131が野菜・牧草を汚染するとともに,
食物連鎖を通じ牛乳も汚染される結果,野菜・牛乳を通じて人体へ移
行する。
(b)森本らの被曝時年齢20歳以下を対象とした調査では,100rad以上
被爆群(477人)と対照群=0rad被爆群(501人)について検討した
結果,結節性甲状腺腫は,被爆群では13例,対照群では3例と被爆群
に有意に高率であった。
,,(c)長瀧教授らにより長崎原爆の甲状腺への影響が検討された結果
甲状腺結節は,被曝線量が高いほど増加し,被曝時年齢が20歳以下の
群に有意に多かったとされているほか,同教授らによる長崎市西山地
-387-
区住民の調査により,放射性降下物による被爆においても結節性甲状
腺腫の発生が高くなることが明らかにされた。
(d)浅野らは,放影研の剖検症例(1954~1974年)中155例に橋本病
の存在を確認したものの,発生率あるいは被曝時年齢と放射線との関
係は認めていない。
(e)森本らの上掲調査では,100rad被爆群と0rad被爆群との間に血
清TSH及びサイログロブリンは差がなかったと報告している。
(f)伊藤千賀子らは,広島の原爆で1.5㎞以内の直接被爆者6112人と
3㎞以遠の直接被爆者3047人のTSH値の検討を行い,甲状腺機能低
下症の頻度は,男性で1.5㎞以内群1.22%,対照群0.35%,女性では
それぞれ7.08%及び1.18%であり,また,被曝線量の増加とともに機
能低下症が高率となり,さらに,機能低下症症例のマイクロゾーム抗
体陽性率は1.5㎞以内群は対照群に比して男女ともいずれも著明に低
率であったと報告している。
(g)長瀧らは,長崎における原爆の甲状腺への影響を検討し,甲状腺
機能低下症は低線量群に有意に高く,10~30歳代時に被爆した群に特
に高く,特に女性に多かったという(後記e参照。)
(h)横山直方らによれば,西山地区は原爆放射能降下物で汚染された
地域であり,原爆投下後40年での土壌のセシウム137は対照地の約2
倍で,農作物のセシウム137は約10倍という。西山地区住民における
甲状腺機能は,freeTは正常範囲内ではあるが,対照群に比して有意4
に低下しており,この差は被曝時年齢20歳以下の集団で顕著であった
という(後記c参照。)
(i)1960年代の水爆実験によるマーシャル群島住民の被曝者群におい
ても甲状腺機能低下症の発生率の上昇が認められているが,調査が古
い線量基準によって行われたため,線量の信頼性に問題があり,精度
-388-
に欠ける点がある。
c「長崎西山地区住民と対照の健康調査(第2報(放影研倉田明彦)」
ほか,長崎医学会雑誌59巻特集号(甲C5の4))
1983年1月から5月にわたる期間に西山地区住民と年齢,性を一致さ
せた対照地区住民の34組について調査を行ったところ,甲状腺ホルモン
の生化学的検査の結果は,血清TとFreeT値の平均値と中央値が西山地44
区住民が対照群に比較して統計的に有意に低い値を示し,この有意差は
被爆時年齢が20歳未満の被爆時若年群のみに認められたが,これらの差
は正常範囲内においての有意差であり,甲状腺疾患が多いかどうかにつ
いては現在結論を得ていない。
d「長崎原爆被爆者における甲状腺疾患の調査(第3報(X4修二)」
ら,1982年(甲A161の2・文献7))
(a)昭和59年10月から,長崎成人健康調査集団の対象者のうち1745人
,,(),についてDS86に基づく被爆(ママ)線量により0rad群974人
(),(),()1~49rad群279人50~99rad群208人100rad以上群284人
の4群に分けた上,甲状腺超音波断層装置による甲状腺体積測定等に
より,すべての甲状腺疾患の発生頻度について調査を行ったところ,
甲状腺機能低下症の発生頻度は,0rad群において2.5%,被爆者全体
において4.5%であり,被爆者において有意な増加が見られ,被曝線
量別では,1~49rad群(6.1%)のみにおいて,0rad群に比して,
有意な増加が見られた。また,原因別では橋本病による甲状腺機能低
下症の発生頻度が,0rad群において0.6%,被爆者全体において2.2
%であり,被爆者において有意の増加が見られ,これを線量別で見た
場合も,1~49rad群(3.6%)のみにおいて,0rad群に比して,有
意差が見られた。
(b)被爆者において,橋本病による甲状腺機能低下症の発生頻度が高
-389-
いことは,今回の調査で初めて明らかになった。Kaplanらによれば,
原爆放射線被爆(ママ)により,自己免疫性甲状腺炎の発症頻度について
は,有意な増加が見られるが,甲状腺機能低下症の発生頻度について
は,発生頻度の増加が認められていない。しかし,一方では,被爆者
の血中TSHは有意に増加しているとの報告もあり,これは原爆放射
線被爆(ママ)が甲状腺機能低下症の進展に関与していることを示唆して
いるとも考えられる。さらに甲状腺機能低下症が結節性甲状腺腫と違
い,1~49radの低線量被曝群のみに発生頻度の増加が認められたこ
とは,原爆放射線被爆(ママ)による免疫系異常の発生と発がんは,違っ
た機序によることを示唆しているものとも考えられる。
「」(,)e長崎原爆被爆者における甲状腺疾患長瀧重信ほか1994年12月
(甲C5の9の2)
1984年10月~1987年4月にかけて2年に1度の定期検診を受けた長崎
成人健康調査の対象者を対象に甲状腺疾患の有病率と甲状腺被曝線量
(DS86線量推定方式による,性及び年齢との関係をロジスティッ)
クモデルを用いて解析したところ抗体陽性特発性甲状腺機能低下症自,(
己免疫性甲状腺機能低下症)においては有意な線量反応関係が認められ
たが,他の型の甲状腺機能低下症では認められず,自己免疫性甲状腺機
能低下症の有病率は0.7±0.2Svで最大レベルに達する上に凸の線量反応
を示した。原爆被爆者における自己免疫疾患の有意な増加が認められた
のは初めてである。上に凸の線量反応関係は,比較的低線量の放射線が
甲状腺に及ぼす影響を更に研究する必要のあることを示している。マー
シャル群島の核実験で被曝した子どもにおいては10年以内に甲状腺機能
低下症がみられ,その多くは自己免疫型ではなかったが,マーシャル群
島の住民においては,甲状腺の被曝は主として内部放射線(放射性ヨー
ド)によるもので,推定された甲状腺線量は甲状腺機能低下症のある原
-390-
爆被爆者における原爆からの直接の外部放射線による甲状腺線量よりも
高い。
f「若年期に被バクした原子爆弾生存者の血清TSH,サイログロブリ
ンと甲状腺障害:30年の追跡調査(甲C6の8)」
原爆投下40年後の広範囲な追跡調査として長崎地域で成人健康調査の
登録者を対象に調査したところ,非被曝群と100rad被曝群との間に血清
TSH及びサイログロブリンの濃度に有意な差は認められず,被曝群に
おける甲状腺機能低下者の発生率が増えたとの結果は見つからなかっ
た。
g成人健康調査第7報(甲A67・文献番号30)
1958~1986年の成人健康調査コホートの長期データを用いた調査にお
いて,甲状腺疾患(非中毒性甲状腺腫結節,び慢性甲状腺腫,甲状腺中
毒症,慢性リンパ球性甲状腺炎,甲状腺機能低下症の障害が一つ以上存
在することをいう)の発生率に有意な正の線量反応が認められた。被。
曝放射線量が0.001Gy以上の人たちにおいて被爆に起因する症例の割合
は16%であり,女性が疾患にかかる確率は男性より3倍高く,性,市,
被爆からの期間のどれも相対リスクの有意な修飾因子とならず,被爆時
年齢の影響は有意で,主に若い時に被爆した人たちでリスクが増加し,
被爆時年齢20歳以下の人と20歳を超える人についてそれぞれ解析を行っ
たところ,線量効果は若いグループのみに見られた。
h成人健康調査第8報(甲A67・文献番号31,115の16)
1958~1998年の成人健康調査受診者から成る長期データを用いてがん
以外の疾患の発生率と原爆放射線被曝線量との関係を調査したところ,
甲状腺疾患に対する1Svでの全相対リスクは1.33,被爆時年齢10歳の相
対リスクは1.64,25歳の相対リスクは1.15であり,放射線のリスクはよ
り低年齢で被爆した被験者及びより低年齢で調査を受けた被験者におい
-391-
てより高く,被爆時年齢が最も顕著な効果修飾因子として含まれ,調査
時年齢はそれほどには有意ではなく,被爆時年齢がより強力な要因であ
ることを示唆しており,実際,放射線のリスクは20歳未満で被爆した者
で顕著に増大したが,より高齢で被爆した者では顕著ではなかった。統
一した診断基準を適用した最近の長崎における成人健康調査での甲状腺
疾患の発生率研究は,特に若年で被爆した人において,女性の固い小結
節との有意な線量反応,自己免疫性甲状腺機能低下症への凹型の線量反
応を示したが,他の甲状腺疾患では有意な放射線の危険性は認められな
かった。甲状腺機能低下症又は甲状腺炎の発生率は,放射線療法を受け
た患者において増加していたものの,比較的低い線量の外部放射線被曝
の影響は不明瞭である。
i「原爆被爆者にみられた甲状腺障碍について(横田素一郎ほか,長」
,)()崎医学会雑誌36巻11・12号昭和36年甲A161の2・文献番号4
昭和33年5月下旬の長崎原爆病院開設以来,昭和35年10月までの54人
の甲状腺疾患患者を臨床的・統計的に観察した結果,甲状腺機能低下症
は僅か3例にすぎないが,うち2例は2㎞内で被爆し,また機能亢進症
に対する頻度も高い等,原爆放射能の関係が深いように思われた。
j「原爆被爆者における甲状腺疾患の検討(平田久美子ほか,長崎医」
学会雑誌75巻特集号,2000年(甲A162))
平成9年度から平成11年にかけて広島原爆障害対策協議会健康管理・
増進センターを訪れた被爆者検診受診者のうち甲状腺疾患を疑われた者
376人につき甲状腺超音波検査を実施したところ,何らかの異常を示し
た者が大多数を占めたうえ,慢性甲状腺炎が71人に認められ,そのうち
治療中が24人,未治療の機能低下症が47人であった。
k「検診で発見された甲状腺機能低下症の臨床像について(野間興二」
ほか,広島医学41巻3号,昭和63年3月(甲A163))
-392-
過去4年間に広島原爆被爆者健康管理所を訪れた者の中から原発性甲
状腺機能低下症30例について,その病因及びその他の臨床所見等につい
て検討を加えた結果,MCHA(抗マイクロゾーム抗体)やTGHA陰
性例が7例(23.3%)に認められたが,これは伊藤らの被爆者には慢性
,。甲状腺炎に由来しない甲状腺機能低下症が多いという報告と一致する
l「原爆被爆者の甲状腺機能低下症についての意見書(聞間元也ら,」
2006年6月(甲A161の1))
被爆者の甲状腺機能低下症に関する従前の文献や調査結果を網羅的に
整理したうえ,結論として次のとおり述べる。
,,放射線の直接傷害作用による甲状腺機能低下症は広島・長崎以降も
原水爆実験,原発事故などの際に多くみられており,これまで確定的影
響,すなわちしきい値のある障害とみなされてきたが,発症に要する線
量レベル,すなわちしきい線量についての根拠のある知見は現在もなお
得られていない。
一方,原爆被爆者の甲状腺機能低下症の大部分を占める自己免疫性甲
状腺機能低下症(事実上橋本病と同義)においては,ごく低線量からは
じまり,0.7Svをピークとする低い線量域で過剰に発症していることが
わかった。ここにみられる線量反応関係は,確定的影響とは明らかに異
なるものであり,したがって放射線起因性の判断にあたっては,しきい
線量をもって論じることは妥当でない。
m「広島・長崎の原爆被爆者における甲状腺疾患の放射線量反応関係」
(今泉美彩ら,平成17年,アメリカ医師会雑誌に掲載(乙A149))
数多くの放影研調査で原爆被爆者における甲状腺の異常が評価されて
きたが,同調査には,良性結節及び自己免疫性甲状腺疾患など様々な甲
状腺疾患を同定できないという制約があった。そこで,平成12年3月~
平成15年2月の間の被爆者検診受診者(不同意者,胎内被爆者,市内不
-393-
在者及び放射線量不明者を除く)3185人(男性1023人,女性2162人)。
の甲状腺刺激ホルモン等の測定を行い,各甲状腺疾患の線量反応を解析
した。
解析の結果,甲状腺自己抗体陽性率と甲状腺自己抗体陽性甲状腺機能
低下症のいずれについても有意な放射線量反応関係は認められなかっ
た。この結果は,ハンフォード原子力発電所からのヨウ素131に若年で
被曝した人々に関する最近の報告結果等と一致するが,長瀧らの前記e
の調査結果とは一致しない。
この違いは,本調査では調査集団を拡大し,広島・長崎の原爆被爆者
の両方を対象としたこと,甲状腺抗体と甲状腺刺激ホルモンの測定に異
なる診断技法が用いられたこと,時間の経過に伴い対象者の線量分布が
変化したことに起因するかもしれない(なお,本調査には,以前に結節
性甲状腺疾患の診断を受けた人がそれにより調査に参加する意向を持っ
たかもしれない点で調査における特定の偏りが生じる可能性があるこ
と,昭和33年当初の集団に比べて,高線量被曝等による早期死亡者が本
調査から除外された可能性があること,原爆被爆後55~58年経過後に実
,,施した横断調査であるため甲状腺結節形成への放射線の早期の影響や
被爆後どの位の期間影響が持続したのかを明らかにすることができなか
ったことなどの限界がある。。)
(ウ)本件関係医師等の放射線起因性についての意見
a3医師意見書(甲C4)及び証人郷地秀夫〈⑮-24~26頁〉
放射線が甲状腺疾患を起こすことは知られており,原爆においても甲
状腺疾患が有意に多いことは知られている。特に長崎では爆心地より遠
方の被爆者に甲状腺障害が多数報告されている。X2の被爆地の西北50
0mに位置する西山地区では甲状腺機能低下症が多く見られ,フォール
アウトが甲状腺障害に関係していると考えられている。X2の甲状腺機
-394-
能低下症は自己免疫疾患ではなく,原因不明の原発性甲状腺機能低下症
である。他に明らかな原因が不明な以上,放射線による甲状腺機能低下
が強く疑われる。
bK病院P*医師(乙C8,調査嘱託回答)
甲状腺に腫瘍,自己免疫疾患,外傷,炎症等の所見は認められなかっ
た上,脳下垂体や甲状腺ホルモンの受容体の障害を疑わせるような自覚
的・他覚的症状はなかった。したがって,甲状腺機能低下と被爆との因
果関係が示唆される。
c郷地医師作成のX2さんの甲状腺機能検査の経過と題する書面甲「」(
C11)
1990年当時,X2の症状は倦怠感が中心で,発熱や甲状腺の痛みもな
く,白血球,GRPは正常で亜急性甲状腺炎などでないことは明らかで
あり,甲状腺手術の既往もなく,甲状腺に障害のある薬物も投与されて
いないから,放射線以外の他の外因性の甲状腺機能低下症は考えられな
い。
d佐々木康人及び草間朋子作成の意見書(乙C10)
放射線被曝による甲状腺機能低下症は確定的影響の一つで,3~13Gy
以下の被曝で発症したという報告はないこと,甲状腺機能低下症と原爆
放射線の関連は認められていないこと(マーシャル群島の例は,X2の
被曝量の1万倍である,X2の被曝線量がごくわずかであり,被爆。)
後に見られたという急性症状は被曝の急性症状とは考えられないこと,
X2の白内障は老人性白内障であり,乳がんも女性のがんの中で最も患
者数の多いがんであることから,白内障や乳がんに罹患したからといっ
て,甲状腺機能低下症を起こすような内部被曝をしたという根拠になら
ないこと等から,X2の甲状腺機能低下症に放射線起因性を認めること
はできない。
-395-
イ乳がんの放射線との関連性
人体影響1992(乙A9)によれば,乳がんについては,乳房組織への被曝
放射線量と乳がん発生との関係は明白であり,線量の増加とともにほぼ線形
のパターンを示して乳がん発生頻度が上昇する,広島と長崎での放射線の質
的相違が示唆されているにもかかわらず,ほぼ同様の線量反応が確認されて
いる,被曝時の年齢は放射線関連乳がんの最も重要な変動因子であり,乳が
んの過剰リスクは強く被曝時年齢に依存しており,最近の研究結果から被曝
時年齢が若ければ若いほど乳がんリスクは相対的表現であれ絶対的表現であ
れ高いことが明らかになり,殊に10歳未満での被爆者のリスクは最も高く,
この年齢グループのリスクが確認されるまで被曝後30年以上の期間が必要で
,,,あったこれらの結果から女性の乳腺組織は放射線に対して感受性が高く
その放射線感受性は思春期以前の未熟な乳腺細胞において最も高いことがわ
かった,などとされている。
ウ放射線起因性の検討
(ア)被爆状況について
a前記認定事実によれば,X2は長崎の爆心地からの約3.3㎞距離にあ
る自宅(X2宅)内で被爆したものであるところ,DS86によっても
DS02によっても,X2の初期放射線による推定被曝線量は極微量と
(。)。,いうことになる認定審査会の答申線量目安0.3cGy乙C9また
前記認定事実によれば,X2は,被爆の数日後ころから次第に体のだる
さを覚えるようになったという以外に原爆放射線による急性症状として
説明可能な症状がみられた形跡は証拠上窺われない。さらに,X2が被
爆後2週間以内に爆心地付近に入った形跡もない。
bしかしながら,証拠(甲A121,乙C11)によれば,X2の被爆
場所であるX2宅は,爆心地の南東約3.3㎞の距離にあったものの,長
崎市西山町3丁目の南東約500mに位置し,ABCCの調査によって長
-396-
崎で最も降下核分裂生成物等が多く,強い残留放射能が認められた西山
町3丁目及びその北方の西山町4丁目を含むいわゆる西山地区(同地区
では,1978年以降の調査によっても,未耕地,農耕地を含めて土壌中の
プルトニウム含有量が非常に高いことが明らかになっている)の南瑞。
からは3~400m程度の位置にある。このように,X2の自宅が西山地
区に近い位置に存したことからすれば,X2の自宅の周辺においても,
原爆による未分裂のプルトニウムや核分裂生成物等の放射性降下物が相
当量降下したとみるのが自然である。
cそして,前記認定の,X2の被爆当日やその翌日において被爆者らと
会話して少なからず接触した事実のほか,自宅や西山地区を拠点とした
日常生活,特に自宅隣地で栽培した野菜等を食べ,あるいは西山地区に
あった学校に通い,西山地区の水源地から引かれた水道水を飲んだこと
等からすると,X2が放射性降下物等による残留放射線に被曝し又は放
射性降下物等の放射性物質を体内に取り込んだ(内部被曝)可能性があ
るというべきである。
dしかるところ,前記認定事実によれば,X2は,被爆前は,健康体で
勤労奉仕として男性に混じっての肉体労働にも従事していたのが,被爆
後は,体が疲れやすく体調がすぐれない状態が長期にわたり続いたとい
うのであって,被爆の前後でX2の健康状態に質的な変化がみられるの
であり,その原因を専ら心因性やストレスのみで説明するのは困難であ
って,他にその原因を明らかにするに足りる的確な証拠は見当たらない
以上,放射線被曝による影響を否定することはできない。
e以上に加えて,先に判断したDS86の残留放射線の測定や評価に関
する問題点,内部被曝を全く考慮しない審査の方針に対する疑問点及び
低線量被曝の可能性等を考慮すれば,X2の被曝線量は,DS86ない
しDS02によって推定されるような極微量というのではなく,X2の
-397-
健康に影響を及ぼす程度の線量であったと認めるのが相当である。
(イ)放射線の影響について
aX2の申請疾病は甲状腺機能低下症であるが,調査嘱託〈K病院〉回
答によれば,X2の甲状腺には腫瘍,自己免疫疾患,外傷,炎症等の所
見は認められなかったというのであるから,甲状腺機能低下症の大部分
が自己免疫性であるとの知見を考慮にいれても,X2の甲状腺機能低下
症は,自己免疫性のものではなかったと認めるのが相当である。
bX2の申請疾病である甲状腺機能低下症は,審査の方針において放射
,,,線起因性が認められた疾病ではなく元来甲状腺上皮は組織の中でも
細胞分裂頻度が低く,放射線感受性がかなり低い方に分類され,したが
って放射線に抵抗性があると考えられてきた。しかし,他方で,核分裂
生成物の主要成分であるヨウ素131は甲状腺に取り込まれて影響を与え
ることは一般的に知られていた。
cしかるところ,その後において,前記のとおり,甲状腺機能低下症の
発生頻度について,原爆放射線被曝との関係で有意差が認められないと
する複数の調査結果がある一方で,被曝線量の増加とともに発生頻度が
高率となったとする伊藤千賀子らの調査結果(上記ア(イ)b(f),被)
爆者において発生頻度が有意に高いうえ,特に被曝線量別では低線量群
が年齢別では若い女性に多かったとする長瀧教授らの調査結果同(c),(
(g),西山地区住民における甲状腺機能は,対照群に比して有意に低)
下しており,この差は被曝時年齢20歳以下の集団で顕著であったとの横
山らの調査結果(同(h),水爆実験による強度の放射性降下物によっ)
て被曝したマーシャル群島の住民が甲状腺機能低下症を有意に発症さ
せ,その多くが自己免疫型ではないとの指摘(同(i))等が出てきてい
るのであって,これらは,原爆放射線被曝が甲状腺機能低下症の進展に
関与していることを示唆していると考えられ,かつ,低線量被曝群のみ
-398-
に発生頻度の増加が見られたことについては,原爆放射線被曝による免
疫系の異常の発生と発がんが違った機序によることを示唆していると考
えられるとの見解(上記ア(イ)d(b),ア(イ)l)も存在している。
dこれに対して,1審被告らは,例えばマーシャル群島の住民は,X2
の被曝線量とは比べものにならない被曝線量であって参考にならない
し,X2の被曝線量は,通常の医療で頻繁に使用されるGTX線検査1
回分の被曝線量よりも低いものであって,放射線降下物による被曝を考
慮したとしても,到底,甲状腺機能低下症の原因となるものではないと
反論する。
しかしながら,X2の被曝線量については,先に述べたとおり,その
健康に影響を及ぼす程度の被曝をした可能性がある上,低線量群で発症
率が有意に高い事例があることや,甲状腺がんについて放射線起因性が
認められていることからして,放射線が甲状腺に何らかの悪影響を与え
ていることは否定し難いことなどをあわせ考えると,1審被告ら主張に
沿う所見や調査結果によっても甲状腺機能低下症に放射線起因性が認め
られないとまで断ずることはできないといわなければならない。
eそうとすれば,当該被爆者の被爆状況や身体症状等から推定される被
曝の程度,症状経過,病歴等を総合考慮し,放射線による影響が相当強
く疑われる一方で,他に有力な原因が考えられないような事例において
は,甲状腺機能低下症の放射線起因性を肯定するのが相当である。
この観点から検討すると,X2は,相当程度の放射線被曝の可能性が
認められるうえ,被爆当時の年齢からして放射線感受性も高かったもの
と考えられること,他方で,ほかに甲状腺機能低下症をもたらすような
有力な原因も見あたらないこと,X2は放射線との関係が肯定しうる乳
がんにも罹患していること(なお白内障は,被爆地点が爆心地から3.3
㎞の距離があることからして,直ちに放射線起因性を認めるのは困難で
-399-
ある)などからすると,X2の甲状腺機能低下症については放射線起。
因性を認めるのが相当である。
fなお,前記認定事実によれば,X2に発症した甲状腺機能低下症は,
自己免疫性甲状腺疾患ではないことが確認されているところ,自己免疫
性疾患ではない甲状腺機能低下症が,それ以外の甲状腺疾患,なかんず
く自己免疫性甲状腺機能低下症(橋本病)よりも原爆放射線被曝との間
で有意な関係にあるとまでは認められないものの,成人健康調査第8報
(上記ア(イ)h)でみたとおり,甲状腺疾患に対する放射線のリスクは
より低年齢で被爆した被験者においてより高く,かつ,20歳未満で被爆
した者で顕著に増大しているのであり,またマーシャル群島の核実験で
被曝した子どもにおいては10年以内に甲状腺機能低下症がみられ,その
多くは自己免疫型ではなかったこと等からすれば,自己免疫性でない甲
状腺機能低下症であることが,前記の認定を覆すものはない。
(3)X2の原爆症認定対象疾病の要医療性
前記認定事実によれば,X2は,平成8年ころから医療法人社団**会K病
院に1か月に1回通院し,甲状腺ホルモン剤の投与を受けているというのであ
り,一般にこの投与は,その影響をみながらも生涯続けなければならないとさ
れていることからして,X2の甲状腺機能低下症について要医療性を認めるこ
とができる。
(4)結論
以上のとおり,X2は,本件X2却下処分当時,原爆症認定申請に係る疾病
である甲状腺機能低下症について放射線起因性及び要医療性の要件を具備して
いたものと認められるから,本件X2却下処分は違法というべきである。
4X3の原爆症認定要件該当性
(1)認定事実
ア被爆状況等(甲D1,2,乙D1,4~6,原審X3本人)
-400-
(ア)被爆前の生活状況等
,(,X3は昭和12年*月**日に**で生まれ7男6女の兄姉妹の五女
12番目,**で家族と暮らしていたが,昭和20年*月*日の**大空襲)
で焼け出され,同年7月半ばころ,兄夫婦の居住していた広島市b町*丁
目**番地所在のA工務店の社宅(以下「社宅」という)に母及び兄姉。
,(,妹5人とともに移住し広島市立c小学校分校現在の広島市立b小学校
以下「分校」という)に通っていた。。
(イ)被爆状況
X3(当時8歳,3年生)は,昭和20年8月6日朝,空襲警報が発令さ
れていたため,登校せずに社宅で待機していたが,午前8時ころ空襲警報
が解除されので,直ちに社宅を出て北北東の分校へと向かった。社宅から
分校までの通学路は,周囲が畑の中のあぜ道で,畑よりも少し高くなって
,。,,おり大人が1人通れる程度の幅であったX3はそのあぜを通行中・
午前8時15分,原爆に被爆し,爆風で畑の中に吹き飛ばされて気を失い,
また,背中から足にかけて火傷を負った。X3は,意識を取り戻すと,も
と来た道を戻って社宅に帰った。社宅は潰れずに残っていたが,窓ガラス
が割れ,屋根が飛んで天井が落ちていた。
なお,社宅は昭和大橋(天満川)の西側にあって爆心地からの距離は約
3㎞弱であり,また,分校は爆心地方向に1kmほど行ったところにあった
(昭和60年当時の住所表示は広島市b*丁目*-**。)
(ウ)被爆後の行動
aX3は,被爆の翌日(昭和20年8月7日)ころから,当時病院代わり
となっていた己斐小学校まで通い,約1か月半,火傷した部分に油薬を
塗るなどの治療を受けた。同小学校の建物は倒壊を免れて残っていたこ
とから,死亡者や傷病者が重なり合うように収容されていた。
bX3は,被爆後,配給が途絶え,食べるものがなくなったことから,
-401-
近所の畑から灰を被って真っ黒になった冬瓜や芋のつる,大豆などを取
って食べたり,社宅の前の川でアサリを採ってきて食べたりしていた。
また,水道水が出なくなったので,近くの農家から井戸水をもらって飲
んでいた。昭和20年9月には,台風による洪水で畑が水につかったが,
水につかって堅くなった野菜を母が煮て食べさせるなどしていた。
cなお,X3の家族のうち母,三女,四女及び六女が社宅で,五男は社
宅の近所の家で,二女は爆心地からA工務店広島出張所(社宅よりも爆
心地から遠いで七男はc小学校本校に登校途上で二女の夫相),(),(
生橋付近に居住)はA工務店広島出張所に赴く途中で,三男の妻は広島
駅近くの旅館で,それぞれ被爆した。三男及び六男は原爆投下時には呉
にいたが,翌日に社宅に戻ってきた。
イ急性症状等(甲D1,原審X3本人)
(ア)被爆して数日後から,歯茎から出血し,吐き気やめまいに襲われた病
因通いをしていたが,脱毛はみられなかった。
(イ)被爆後,体のだるさ,つらさを覚え,家でごろごろして通学すること
ができなかった。
ウその後の症状の経過等(甲D1,乙D1,3,4,原審X3本人)
(ア)被爆前の健康状態
X3は,被爆前は健康体で,普通に小学校に通っていた。
(イ)被爆後の生活状況
aX3は,被爆後2,3年間は社宅に住んでいた。X3は,被爆後,体
のだるさ,つらさを覚え,小学校5学年ころまで家でごろごろして通学
することができないことが多かった。X3は,昭和24年3月,分校(b
小学校)を卒業した。
bX3は,中学校卒業後**に戻り,23才ころまで工場で働いたが,こ
の間も体のだるさが続いていた。その間,下腹部に痛みを感じて病院で
-402-
,。診察を受けたこともあったが医師からは原因が分からないと言われた
cX3は,25歳のときに結婚し,2人の子をもうけた。そして,31歳の
,,,。ころスポーツ用品店を開業し以後家業と家事育児に従事してきた
dX3は,それまで虫歯もなかったが,20歳代後半から歯茎が浮いたり
腫れたりするようになり,40歳代のころから上歯が次々と抜けだし,40
歳代後半で上歯がすべて入れ歯になり,下歯も徐々に抜けた。
eX3は,昭和60年ころ,被爆者健康手帳の交付を受けた。
fX3の家族のうち,父は原爆投下前の昭和20年7月に心筋梗塞で死亡
し,母は92歳で脳腫瘍で死亡した。13人いる兄姉妹のうち,被爆しなか
った4人のうち3人が肝臓がん(長男,胃がん(二男,肺がん(四))
男)に罹患しており,被爆した9人のうち,4人が胃がん(五男,肝)
臓がん(六男,胃がん(五女=本人,乳がん(六女)に罹患し,2))
人が白内障等の眼疾患(二女,三女)に,1人が白血病(三男)に罹患
している。なお,被爆した四女の娘が42歳で胃がんで死亡している。
(ウ)被爆後の病歴
aX3は,20歳代後半ころから,膀胱炎を患い,下腹部に痛みを感じ,
尿に血が混じることもあった。また,40歳代になったころから,体が冷
えやすくなり,特に腰が冷えやすかった。さらに,63歳のころには,下
腹部が張って痛み,病院で検査を受けたが,原因不明とされた。
bX3は,平成13年12月ころ胃がんと診断され(当時65歳,平成14年)
1月17日,リンパ節郭清を伴う胃切除術を受けた。そして,術後,抗が
ん剤の投与を受け,同年3月14日に退院した。退院後も通院し,抗がん
剤やアガリクスを服用していた。
cX3は,平成15年11月,脳内出血で手術を受けた。その後,医師の勧
めもあって抗がん剤やアガリクスの使用を止めているが,3か月に1度
の定期検査にZ病院に通院し,医薬や消化剤を処方されている。
-403-
エX3の原爆症認定対象疾病
X3の原爆症認定申請に係る申請書(乙D1,医師の意見書(乙D7))
及び健康診断個人票(乙D4)等によれば,X3の原爆症認定申請に係る疾
病は,胃がんであると認められる。
(2)原爆症認定対象疾病の放射線起因性
ア胃がんと放射線との関係についての知見
(ア)胃がんと放射線との関係に関する文献
a人体影響1992(乙A9)
放射線被曝と胃がん及び病理組織学的特徴との関連について,現在ま
でのところ明らかにされている内容は,①胃がん発生率は,集団検診
()()成績昭和39年度~昭和43年度・1万5288例から近距離1.9km以内
被爆者に明らかに高率であると昭和48年に初めて報告され,その後,T
65Dを用いた分析で男女とも0rad群に対して100rad以上群で明らか
に高率(相対リスク男性4.29,女性4.02)となっている,②死亡診
断書を用いた胃がん死亡率の増加は昭和51年ころから認められ,DS8
6を用いて0Gy群よりも有意に高い胃がん死亡率が認められる最低の線
量は遮蔽カーマで1Gy,臓器吸収線量の場合0.5Gyと計算されている,
③病理組織学的には低分化型腺がんが被曝線量とともに増加し,腫瘍
間質量は被曝線量とともに髄様型が減少し,硬性型の増加がみられる,
湿潤態度には差がみられていない,④胃がんを含む白血病以外の全部
位のがん死亡率は同一の死亡時年齢では被曝時年齢が若いほど相対リス
クも絶対リスクも大きくなっており,被曝時年齢が10歳以下の群におい
て発がんのリスクが最大であり,高線量群では対照群よりも発がんの時
期が早まる傾向がみられる,⑤白血病以外のがんの相対リスクは男性
よりも女性に高い,などとされている。
b寿命調査第10報第1部(乙A7)
-404-
胃がんは非常に有意な放射線関連相対危険度を示す。胃がんは日本人
に最も多発するがんであり,そのため,原爆放射線に起因する症例の割
合は低いが,平均過剰危険度は白血病以外の特定部位におけるがんの中
でも最も大きい(白血病以外のがんによる死亡の37%を占める。胃。)
がんを含む主要ながんの相対的危険度は被爆時低年齢群において最大で
ある。白血病以外のがんにおいて,放射線誘発がん死亡の相対危険度は
女性の方が男性よりもかなり大きい。
cがん発生率調査第2部(乙A4)
がんが最もよくみられる3部位(胃,肺,肝)は,リスクの尺度とし
て相対リスク及び絶対リスクのいずれを用いてもすべて放射線との有意
な関連を示した,消化器系がん(主に胃,黒色腫を除く皮膚,乳房,)
甲状腺のがんにおいて被爆時年齢の有意な影響があったとされ,また,
胃がんの1Sv当たりの過剰相対リスクは0.32(95%信頼限界で0.16~0.
50,寄与リスクは6.5%(同3.5~10.5%)とされている。)
d寿命調査第13報(甲A112の19)
寿命調査集団について1950~1997年までの期間のがん及びがん以外の
疾患による死亡率を検討したところ,胃がんの死亡例は2867例であり,
このうち1685例の被曝線量は5mSv以上であり,このうち約100例が原爆
放射線に関連していると推定される。胃がんによる死亡は固形がん死亡
の約30%を占めるとされ,また,被爆時年齢30歳の男性の場合,1Sv当
たりの過剰相対リスクは0.20(90%信頼区間で0.04~0.39,推定線量)
が0.005Sv以上の被爆者における寄与リスクは3.2%(同0.07~6.2%,)
被爆時年齢30歳の女性の場合,1Sv当たりの過剰相対リスクは0.65(同
0.40~0.95,推定線量が0.005Sv以上の被爆者における寄与リスクは8.)
8%(同5.5~12%)とされている(23頁。)
(イ)本件関係医師等の放射線起因性についての意見
-405-
a3医師意見書(甲D3)及び証人郷地秀夫〈⑮-26~29頁〉
胃がんについては,寿命調査が数次にわたり「放射線被曝による有意
な増加がある悪性疾患」として取り上げていること,白血病以外の全部
位のがんは被爆時年齢が若いほど発症のリスクが大きくなると報告され
ているところ,X3が被曝したのは8歳のときであること,被爆後の体
調の変化等を総合的に考えると,X3の胃がんは放射線に起因すると考
えられる。
bZ病院医師****作成の意見書(乙D7)
胃がんの発生は(原子爆弾の放射能と)関連がある可能性がある。,
c佐々木康人及び草間朋子作成の意見書(乙D9)
X3の被曝線量は,初期放射線による推定被曝線量が0.2cGyで,放射
性降下物による被曝もその積算線量は0.6~2cGyにすぎないところ,X
3の場合は原爆投下翌日に治療のためごく短時間己斐地区に滞在しただ
けであり,ほとんど無視できる。また,内部被曝があったとしてもその
線量はわずか0.01cGy程度と自然放射線に比べても格段に小さいから,
X3の被曝線量が0.2cGyを超えることはなく,これにより原因確率(別
表2-2)を求めると0.3%にすぎないから,X3の胃がんは原爆放射
線以外の原因で発症した可能性が高い。また,X3が発症した脳卒中は
,。確定的影響とされているが0.2cGyでは放射起因性があるとはいえない
被爆後に見られた急性症状は被曝の急性症状とは考えられない。これら
からすれば,X3の胃がんに放射線起因性を認めることはできない。
イX3に発症した脳卒中と放射線との関係
X3は,平成15年11月脳内出血で手術を受けているところ,こうした循環
器疾患の知見,特に放射線との関係については,X7の申請疾患であること
から,同所で詳述するとおりであるが,結論的にいえば,放影研の最近の疫
学調査等において原爆放射線による被曝との有意な関係が示されているもの
-406-
である。
ウ放射線起因性の検討
(ア)前記認定事実によれば,X3は爆心地からの距離が約3㎞弱の地点に
あった社宅から爆心地からの距離が約2㎞の地点にあった分校へ登校する
途中,周囲が畑の中のあぜ道で被爆し,爆風で吹き飛ばされるとともに背
中から足にかけて火傷を負ったというのであるから,その被爆地点は,少
なくとも爆心地から2㎞以遠であるところ,DS86によってもDS02
によっても,X3の初期放射線による推定被曝線量は極微量ということに
なる(ちなみに爆心地からの距離が2.5kmの地点における初期放射線によ
る被曝線量〈空気中カーマ線量〉は,DS86によれば0.0119Gy,DS0
2によれば0.0126Gyと推定される〈認定審査会の答申線量目安0,2cGy,
原因確率0.3%。乙D8。〉)
上記のとおりX3の推定被曝線量は審査の方針によれば1cGy別,,,(
表9)と推定され,(1)ア(ウ)において認定したX3の被爆後の行動経過
に照らし,審査の方針に従って残留放射線による被曝線量を推定すると,
X3が被爆後放射性降下物による被曝影響が問題となりうる己斐地区に立
ち入っていることを考慮したとしても,その累積被曝線量は0.6~2cGy程
度ということになり,初期放射線による被曝線量と併せても,最大3cGy
程度にすぎないことになる。
一方,胃がんについては,放射線量の如何をとわずその影響があるとさ
れる特定疾患であるところ,申請疾病,申請者の性別の区分に応じて適用
される別表(審査の方針別表2-2)により,原因確率を求めると,X3
の胃がんの原因確率は,4.4%にとどまり,審査の方針の目安となる10%
に達しないことになる。
(イ)aしかしながら,前記認定のとおり,X3は,その被爆地点の爆心地
からの距離が必ずしも証拠上確定できないものの,社宅を出たとする時
-407-
刻やX3が被爆により背中から足にかけて火傷を負ったことなどからみ
て,社宅を出た後,より爆心地に近い分校に向かって相当程度の距離を
進んでいたものと認められる上,X3の被爆態様は遮蔽のない状態での
直曝であるところ,先に詳細に検討したとおり,初期放射線量について
は,1300m以遠において過少に推定されている可能性があること,X3
は背中一面を火傷しており,被爆の翌日ころから,当時病院代わりとな
っていた己斐小学校まで通い,火傷した部分に油薬を塗ってもらい,ま
た,被爆後は配給が途絶え,食べるものがなくなったことから,近所の
畑から灰を被って真っ黒になった冬瓜や芋のつる,大豆などを取って食
べたり,社宅の前の川でアサリを取ってきて食べたりし,また,水道水
が出なくなったので,近くの農家から井戸水をもらって飲んでいたなど
,,というのであってこれら被爆後の行動経過及び内容等にかんがみると
残留放射線に被曝し又は放射性降下物等の放射性物質を体内に取り込ん
だ内部被曝の可能性も十分考えられ,そうとすれば,X3の被曝量の総
計は,上記推定された被曝線量をかなり超えた,相当多量であったと考
える余地は十分にあるといわざるを得ない(ちなみに,審査の方針の別
表2-2によれば,8歳の女性の胃がんの場合,9cGyで原因確率は12.
1%となる。。)
bまた,X3には,前記のとおり,脱毛はみられなかったものの,被爆
して数日後から,歯茎からの出血,吐き気やめまいといった放射線被曝
,,による急性症状として説明が可能な症状を発現しているところX3は
被爆前は健康体であったことからすると,これら症状は少なくとも放射
線被曝も影響して発症したものとみうるものであり,そうとすれば,X
3が健康に影響を及ぼす程度の放射線被曝を受けた可能性は十分にあり
得るものと認められる。
,,,(ウ)ところでX3の原爆症認定申請に係る疾病は胃がんであるところ
-408-
前記認定のとおり,胃がんは,バックグラウンドとしての発生率ないし死
亡率の高い疾病であるが,放射線被曝との間に非常に有意な関係が認めら
れ,しかも,発症の危険は被爆時年齢が10歳以下の群及び女性に高いとさ
れている。これによれば,被曝線量の点を除けば,X3(女性)の被爆時
年齢(8歳)からして,X3に発症した胃がんが原爆放射線による被曝に
起因するものとみても決して不自然ではないというべきである。
(エ)また,前記認定事実によれば,X3は,平成15年11月,脳内出血で手
術を受けているところ,後に説示するとおり,循環器疾患(心疾患,脳卒
中)については,放影研の最近の疫学調査等において原爆放射線による被
曝との有意な関係が示されているものである。
(オ)以上のような諸事情(X3が被爆時8歳の女性であったこと,直曝で
,,,あること広範な火傷を負ったこと急性症状と見うる症状が生じたこと
残留放射線被曝及び内部被曝の可能性が否定できないこと,原爆放射線と
の有意な関係が示されている脳内出血を発症していること等)を総合勘案
すれば,X3の胃がんは原子爆弾の放射線に起因して発症したものとみる
のが経験則に照らして合理的かつ自然というべきであり,X3の胃がんに
ついて放射線起因性を肯定すべきである(なお,X3の兄姉妹の多くがが
んに罹患しており,とりわけそのうち3名は被爆していないことからすれ
ば,遺伝的素地が影響している可能性は否定できないが,両親はがんで死
亡したものではないこと,X3とともにその近傍で被爆した兄や妹もがん
に罹患していることからすれば,遺伝的素因が主たる原因であると断定す
ることはできず,上記の判断を動かすに足りる事情とまではいえない。。)
(3)X3の原爆症認定対象疾病の要医療性
前記認定事実によれば,X3は,平成14年1月17日,リンパ節郭清を伴う胃
切除術を受け,術後,抗がん剤の投与を受けていたところ,平成15年11月,脳
内出血で手術を受けたことから,その後,医師の勧めもあって抗がん剤等の使
-409-
用を止めているものの,3か月に1度の定期検査に通院し,医薬や消化剤を処
方されているというのであるから,X3の胃がんについて要医療性を認めるこ
とができる。
(4)結論
以上のとおり,X3は,本件X3却下処分当時,原爆症認定申請に係る疾病
である胃がんについて放射線起因性及び要医療性の要件を具備していたものと
認められるから,本件X3却下処分は違法というべきである。
5X4の原爆症認定要件該当性
(1)認定事実
(,,,,,,ア被爆状況等甲A120の1甲E15の1~47乙A95乙E1
4,5,原審X4本人)
(ア)被爆前の生活状況
X4(旧姓**)は,昭和6年*月*日生まれの男性であって,昭和20
年8月当時,満14歳でi中学校第2学年に在学中であり,学徒勤労動員を
受けて,勤労奉仕として家屋の撤去作業に従事していた。
(イ)被爆状況
,()昭和20年8月6日X4の在籍するi中学校第2学年は鶴見橋京橋川
付近の建物撤去の片付け作業を割り当てられており,X4は,午前8時15
分,比治山橋東詰,すなわち,比治山橋の北東付近の防空壕前(爆心地か
ら約1.8~1.9㎞の距離。X4は約1.75㎞と主張するが,これを裏付けるに
足りる的確な証拠はない)に約150名の同級生と整列中(最前列)に被。
爆した。
X4は,爆風で後方に吹き飛ばされて倒れ,周りは黒いすす様のもので
覆われた。X4は,当時,半袖シャツ及び長ズボンを着用しゲートルを巻
いていたが,X4の着ていたシャツは焼けてはがれ,戦闘帽で覆われた部
,,,,,。分以外の毛髪も焼け左顔面左首筋左肩背中両腕に火傷を負った
-410-
両腕の火傷が特にひどくて皮膚が垂れ下がり,X4は両腕を前に突き出し
てあてもなく歩き始めた(動員学徒誌によれば,生徒22名が死亡。)
(ウ)被爆後の行動
X4は,被爆後,比治山橋を渡り,市の中心部の方へ向かおうとしたと
ころ,行く手に火災が発生しており,また,中心部分から逃げてきた人々
の異様な有様に怖くなって引き返し,i中学校(h)に戻ろうとしたが,
行程を半分ほど進んだところで敵機の機銃掃射の噂を聞いたため,再び比
治山に戻り,比治山にあった神社で夜を明かした。翌7日朝,X4は,い
ったんi中学校に着いたものの,重傷者であふれかえっていたため,b町
にあった自宅(C造船社宅)を目指して御幸橋を渡って市内に入ったが,
意識朦朧のまま偶然廣島赤十字病院(爆心地から約1.5㎞)に着いた。X
,,4は同所で白いチンク油を塗布してもらうだけの簡単な治療を受けた上
黒くすすけた握り飯をもらい,再び自宅(b町)に向けて歩き出した。と
,,,,ころがX4は道を誤り広島電鉄鷹野橋の停留所から北上してしまい
市役所(爆心地から約1㎞)の付近まで来たところで,真っ黒に横たわる
多数の焼死体に恐れを抱いて引き返し,明治橋,住吉橋,昭和大橋などを
,。,,,通って自宅にたどり着いたX4は道中上記握り飯を食べたのみで
壊れた水道管の水を飲むなどしていた。
X4は,自宅に戻って後,b町の総合グランド(高射砲陣地)にいた軍
医の下に赴いて火傷の治療を受けたが,その治療は,火傷の上に張ってく
る薄皮がすぐに化膿するため薄皮をはいで赤チンを塗布するという程度の
ものであった。
イ急性症状等(甲E1,原審X4本人)
X4は,昭和20年8月8日ころから,頭髪が抜け,鼻血が出てなかなか止
まらず,下痢,眩暈それに嘔吐などの症状が出,鼻血と嘔吐は1週間くらい
続き,そのほか,体の震えのため3ないし5日間くらい寝込んだ。またそう
-411-
。した不具合のため,寝たり起きたりする生活が2か月くらい続いた,
ウその後の生活状況等(甲E1,8の1・2,乙E1,4,原審X4本人)
(ア)被爆前の健康状態
X4は,被爆前は健康体で軟式野球チームを作るなどスポーツもよくし
ていた。
(イ)被爆後の生活状況及び健康状態
aX4は,被爆後1年くらいしてi中学校に復学したが,倦怠感,疲労
感,不眠症のため,その後も休みがちであった。X4は,昭和23年,*
*県の**高校に転校したが,倦怠感,疲労感が続き,以前のようにス
ポーツをすることはなかった。昭和25年4月,**大学法学部に入学し
たが,倦怠感,疲労感が続き,昭和28年ころには呼吸困難や鼓動の異常
を感じ,大学を1年休学した。
bX4は,昭和30年3月に大学を卒業して就職したが,倦怠感,疲労感
や不眠症に悩まされ続け,そのため,仕事が長く続かず,約35年の間に
十数回も転職した。
cX4は,昭和37年10月14日付けで被爆者健康手帳の交付を受けた。
(ウ)被爆後の病歴
aX4は,被爆後2か月くらいして,黒い皮膚がはがれ出し,顔は4か
月,首は半年くらいで火傷の痕が消えたが,胸の皮膚の黒みは長く消え
ず,両腕や右手親指の付け根から肘の方にかけての甲側には今も変色し
た火傷の痕が残っている。また,被爆後,手の皮膚は盛り上ってケロイ
ド状となり,右手の爪は変形してはがれればまた下から柔らかい爪が生
えてくるといった状態が続いた。
bX4は,昭和40年ころ,**市の*クリニックで心臓肥大と無気肺の
診断を受けた。
cX4は,昭和50年ころ,**の**病院で糖尿病と診断された。
-412-
dX4は,平成4年ころ,**市の**病院で十二指腸潰瘍と診断され
た。
eX4は,平成9年ころ,12番胸椎圧迫骨折により**市の**会病院
及び上記**病院にそれぞれ1か月くらい入院した。
fX4は,平成10年ころ,ヘルニアで**病院に約2週間入院して手術
を受けた。
gX4は,平成10年ころから,右手人差指(右二指)の先に痛みを感じ
るようになり,平成13年2月ころには同所の爪半分が黒くなって痛みが
止まらなくなったので,r市立病院皮膚科で診察を受けたところ,皮膚
がん(有棘細胞がん)の診断を受け,同年6月15日から同月29日まで同
病院に入院し,その間の同月18日,右二指の末節部の切断術,断端形成
術を受けた。X4の原爆症認定申請に係る同病院担当医師の平成14年7
月24日付け意見書(乙E5)によれば,再発,転移は認められていない
が,術後5年間は再発,転移の有無を定期的に診察,検査していく必要
があるとされており,右腕リンパ腺,肺などへのがんの転移を防止する
ため,3か月に1回同病院に通院しているほか,同指の神経障害の通院
治療を行っている。
hX4は,その後,糖尿病,逆流性食道潰瘍,変形性膝関節症等で**
,,市の**病院に通院し咽頭炎で**病院及び**耳鼻咽喉科に通院し
平成15年には正愛病院で大腸ポリープの手術を受けた。また,平成17年
3月前半から前立腺肥大でペリタス病院に通院している。
エX4の原爆症認定対象疾病
()()X4の原爆症認定申請に係る申請書乙E1及び医師の意見書乙E5
等によれば,X4の原爆症認定申請に係る疾病は,右二指有棘細胞がんであ
ると認められる。
(2)原爆症認定対象疾病の放射線起因性
-413-
ア申請疾病の医学的・疫学的知見
(ア)有棘がん一般(甲E10の5,乙A178)
皮膚は,表皮,真皮,皮下組織からなり,表皮は,表面から順次,角質
層,顆粒層,有棘層,基底層に分かれている。
有棘細胞がん(SCC)とは,表皮の中間層を占める有棘層を構成する
細胞から発生するがんで,日本人に多い皮膚がんの一つである。発がん因
,(。)子としては日光紫外線が最も重要日光露出部での発症が55%を占める
であり,放射線曝露がそれに続くが,ヒト乳頭腫ウィルス,化学物質も発
がんに関連する因子としてあげられる。そのほか,有棘細胞がんには以前
から知られている発生母地といわれているものがあり,やけどや外傷の瘢
痕,慢性膿皮症といわれる完治しにくい臀部のおでき,皮膚から下にでき
る難治性の皮膚潰瘍,長期間にわたる褥瘡,放射線療法後における慢性放
射線皮膚炎などが該当する。こうした瘢痕や褥瘡病変部に長年月経過後有
棘細胞がんが生じるのはいずれも慢性的に炎症が繰り返された結果であ
り,このような局所に継続的に産生,遊離される活性酸素や増殖因子を含
めたサイトカイン類などがケラチノサイトのがん化と進展を促すものと考
えられる。
なお,有棘細胞がんは,1.7:1の割合で男性に多く,40歳未満では全
体の2%程度であるが,加齢とともに増加し,高齢層で急増し,通常のが
ん年齢よりも高い70歳以上がおよそ60%を占めている。
(イ)皮膚がんと放射線の関係
a人体影響1992(甲E10の1,乙A9)
(a)ICRPのグループは,放射線治療後に誘発された皮膚がんの多
くは基底細胞がんであり,有棘細胞がんの軽度の増加も認められてい
るとするが,我が国における従来の報告では,放射線皮膚がんの組織
型は有棘細胞がんが圧倒的に多く約80%を占めている。もっとも,最
-414-
近,本邦でも基底細胞がんが増加し,有棘細胞がんの割合が低下して
きたとの報告がある。
(b)現在までに報告された放射線によって誘発された皮膚癌は放射線
の長期間にわたる持続照射又は間欠照射後に生じたものが大部分を占
める。1回照射後に急性放射線皮膚炎を生じ,その後慢性放射線皮膚
炎に移行することもあるとされているが,1回照射で皮膚炎が誘発さ
れるか否かはまだ結論が出ていない。
放射線皮膚がんは照射部位に生じた慢性放射線皮膚炎を基盤として
発生したものが多く,放射線皮膚炎の症状の程度はその後の皮膚がん
の発生率に影響を与えていたという調査結果がある。
(c)貞森直樹らは,1991年,放影研の長崎寿命調査拡大集団における
1958~1985年の間の皮膚がん発生と放射線の関係についてDS86線
量に基づいて検討したところ,皮膚がんについての線量反応関係はし
きい値のない線形であり,過剰相対リスクは1Gy当たり2.2(95%信
頼区間0.5~5.0)で高い有意性が認められたとする。
(d)馬淵清彦らは,1991年,放影研の広島,長崎寿命調査拡大集団に
おける1958~1987年の間の悪性黒色腫以外の皮膚がん発生を腫瘍組織
登録に基づいて解析したところ,調査対象者7万9972人中確認された
皮膚癌は168例であり,皮膚がんの発生は年齢と共に著しく増加し,
近年における発生率の増加が認められ,1Sv当たりの過剰相対リスク
は1.0(95%信頼区間0.41~1.09)であり,被曝時年齢が若いほど相
対リスクは大きく,また,組織型別に行った解析では基底細胞がんは
有棘細胞がんに比べ放射線の影響がより強かった。
(e)原爆放射線被曝と皮膚がんとの関係が検討されてきたが,いまだ
に不十分な点もあると思われる。
皮膚がん特に有棘細胞がんの発生母地として熱傷や裂傷の瘢痕が占
-415-
める割合は大きく,皮膚がんの発生が被爆による火傷や裂傷の瘢痕を
基盤として増加したか否かを検討することも重要と思われる。
このように,皮膚がんにおいては他の臓器のがんと異なり熱線,爆
風による放射線以外の原爆の影響も無視できないであろう。
放射線治療が単独又は原爆被爆との相互作用により皮膚がんを誘発
し,それを反映して被爆者で皮膚がんが増加したのかもしれない。
b「長崎原爆被爆者における皮膚癌」第2~5報(貞森直樹ほか,西日
皮膚・52巻1号,1990年(甲E10の7~10))
長崎原爆被爆者のなかでも近距離被爆者においては皮膚培養細胞に原
爆放射線に起因すると考えられる染色体構造異常が観察された。長崎市
内の3大主要病院から収集された110症例について皮膚がん発生頻度と
被爆距離との関連を検討した結果,皮膚がん発生頻度と被爆距離との間
に統計学的に高い相関を示し,被爆距離の増加と共に皮膚がん発生頻度
が有意に低下することが認められたが,女子例に限った場合,推計学的
に有意な相関は認められなかった(甲E10の7。そこで,調査対象)
を31医療機関に増やして収集した140症例について解析した結果,全症
例の場合と同様に男女別症例に分けた場合にも皮膚がん発生頻度と被爆
距離との間に推計学的相関を認めた(甲E10の8。また,原爆資料)
センターの資料を用いて原爆被爆から今日に至るまでの皮膚がん発生率
の年次推移を検討した結果,皮膚がん発生症例は1962年以降増え続け,
特に1975年ころを境にして,2.5㎞未満被爆者からの皮膚がん発生率の
増加が3.0㎞以上被爆者のそれに比べて有意に高くなっていることが判
明した(甲E10の9。さらに,上記140症例について被爆者皮膚がん)
の特異性の有無について検討したところ,唯一推計学的に有意差が認め
られたのは,有棘細胞がんにおいては近距離被爆者群の被爆年齢が遠距
離被爆者群のそれに比べて若いということであった(甲E10の10。)
-416-
cがん発生率調査第1部(乙A4)
今回初めて寿命調査集団において放射線と肝臓及び黒色腫を除く皮膚
のがん罹患との関連性がみられた(2頁,82頁。全消化器系,胃,黒)
色腫以外の皮膚,乳房及び甲状腺のがんでは,過剰相対リスクは被爆時
年齢の増加とともに減少した(2頁,83頁。また,黒色腫を除く皮膚)
(),がんの1Sv当たりの過剰相対リスクは1.095%信頼区間で0.41~1.9
寄与率は24.1%(95%信頼区間で11.5~38.6%)である(23頁。)
(ウ)本件関係医師等の放射線起因性についての意見
ar市立病院医師S作成の意見書(乙E5)
原子爆弾の放射能で放射線皮膚障害を生じた部位であるとのことか
ら,原爆との関連が認められる。
b3医師意見書(甲E9)及び証人郷地秀夫〈⑮-29~34頁〉
X4の被爆地点(爆心地から約1.75㎞)や被爆状況(遮蔽物のない校
庭での被爆)からみて初期放射線による外部被曝は明らかであるうえ,
その後の行動等からして残留放射線を大量に浴び,かつ,放射性降下物
の影響を受けていること,急性症状を呈しているうえ,被爆前後で健康
状態に変化があること,放射線により皮膚がんが発生することは古くか
ら知られており,特に,被爆者の熱傷瘢痕から生じたケロイド病変(組
織上も普通のケロイドとは違うし,長期にわたり放射能が残存する)。
,,,から皮膚がんが発生することが危惧されてきたことX4はほかにも
原爆放射線の影響を受けたと見られる糖尿病,十二指腸潰瘍,逆流性食
道炎,前立腺肥大,慢性咽頭炎などの病気に罹患していること等を考え
れば,X4の皮膚がんは,熱傷後のケロイドから発生した有棘細胞がん
であり,原爆放射線に起因すると考えられる。
c佐々木康人及び草間朋子作成の意見書(乙E7)
X4の被曝線量は,初期放射線による推定被曝線量が10~15cGyで,
-417-
誘導放射線及び放射性降下物による被曝を考慮する必要がないから,最
大限見積もっても15cGyにすぎないこと,この被曝線量を前提として皮
膚がんの原因確率(別表7-1)を求めると7.9%にすぎないから,原
爆放射線以外の原因で発症した可能性が高いこと,有棘細胞がんの誘因
として,紫外線の関与,ヒト乳頭腫ウィルス,火傷や外傷の瘢痕等が挙
げられるところ,X4の有棘細胞がんも,一般の場合と同様,加齢,紫
外線,火傷の瘢痕などが原因と考えるのが相当であること,被爆後に見
られた急性症状は被曝の急性症状とは考えられないこと等から,X4の
有棘細胞がんに放射線起因性を認めることはできない。
イX4に発症したケロイドと放射性との関係
(ア)ケロイド一般(乙A50,69,70)
a「標準病理学第2版(町並陸生ほか(乙A50)」)
ケロイドとは,皮膚の創傷や火傷後の瘢痕部ないしその周辺の繊維性
増殖よりなる腫瘍様病変で,組織学的に硝子化した太い繊維束の存在が
特徴である。病変は自然に退縮することなく,再発が切除後にみられる
ことがある。
b「標準皮膚科学第5版(池田重雄ほか(乙A69)」)
瘢痕ないしケロイドは,皮膚損傷後の創面が扁平に隆起し,ときに蟹
足状突起を生ずる結合組織の肥大増殖症をいい,その程度により,①肥
厚性瘢痕,②瘢痕ケロイド,③真性ケロイドに分類される。
c「皮膚科学第6版(上野賢一(乙A70)」)
ケロイドとは,境界明瞭な扁平隆起性ないし半球状隆起で,鮮紅ない
し紅褐ないし褐色で,徐々に側方に進行するとともに,中央部はしばし
,,ば退色扁平化しあたかも餅を引き伸ばしたかのような像を示すもので
下床に軟骨・骨のある部位に好発し,前胸・顔面・上腕・背部に多い。
明らかな誘因なく発するのを特発性ケロイド,外傷,熱傷などの瘢痕か
-418-
ら生ずるのを瘢痕ケロイドという。組織所見としては,真皮中深層に波
状ないし渦巻状に膠原繊維が増殖し,小血管がその内に新生,基質には
酸性ムコ多糖類が増加する。
(イ)ケロイドと放射線との関係
a「原子爆弾災害調査報告(第4次(羽田野茂ほか,原子爆弾災害)」
調査報告集第1分冊所収(甲E10の2))
昭和21年12月13日より同月18日まで,広島市内の各学校を訪問して原
子爆弾爆発により集団的に惹起された熱傷患者のケロイド発生状況を調
査(調査実施426例)した結果,2.1㎞以内においては屋外開放の熱傷例
のほとんど90%内外のものがケロイド発生を来していた。この事実はケ
ロイド発生に際して,特に先天的の素因を必要とすることなく,ある一
定条件下においては相当高率にケロイドが発生することを示している。
b「原子爆弾に因するケロイドの研究(岡山医科大学病理学教室玉川」
忠太ほか(甲E10の3))
昭和20年8月6日爆心から1500~2600mの距離で被爆した者を対象と
して,昭和21年1月より昭和22年4月に至る間,約200例の罹患部(ケ
ロイド様新生物)の組織学的検索を行った結果,患部組織像に著明な病
変の推移のあることを認めた。この腫瘍状新生物が病理組織学上ケロイ
ドなりや否やの問題であるが,皮下組織における結締織及び結締織繊維
,,,の増殖は単なる肉芽性炎肉芽組織等ではなく腫瘍状の増殖が著明で
繊維腫状を示し,一部には肉腫状の組織像を示すものがある。
c「原子爆弾被爆者における瘢痕ケロイドの成因について(広島逓信」
病院逓信技官勝部玄(甲A112の18,甲E10の4))
同技官が被爆後半年より1年9か月後までの間に同病院外科に来院し
た患者中瘢痕ケロイドの切除術を受けた者についてその後の経過を観察
するとともに,ケロイドの持つ放射能を測定した結果として,①切除
-419-
瘢痕中瘢痕の肥厚顕著なものはそうでないものに比較して一般に放射能
量が大であること,②切除ケロイド片の放射能は初期に切除したもの
に最も多く切除期日の遅れるにつれて減少し,1年以上経過して切除し
たものはほとんど正常値に接近した,③切除ケロイド片の持つ放射能
の多寡と縫合線のケロイド化の模様を比較すると,ケロイド出現率と放
射能の多寡とはほぼ相平行して推移した,④死体解剖例の肝骨に刺激
有効量の放射能の潜在が認められたことから考えると,被爆時生体と全
,。組織もそれ相応の放射能を帯びていたものと思われると報告している
d郷地医師作成の意見書(甲A111)
郷地医師は,上記勝部論文を引用したうえ,被爆者のケロイドから,
通常人よりも高い放射線が検出されるということは,被爆者のケロイド
自体が誘導放射化されたか,もしくは,残留放射線を体内に取り込んだ
ためと考えられる,このことは被爆者が恒常的な内部被曝をしているこ
とを裏付けるものと考えられる,とする。
ウ放射線起因性の検討
(ア)X4の被爆地点は爆心地から約1.8㎞~1.9㎞の地点であるところ,爆
心地からの距離が1800mの地点における初期放射線による被曝線量(空気
中カーマ線量)は,15.23cGy(DS86)~16.62cGy(DS02,1900)
mの場合は,10.43cGy(DS86)~11.11cGy(DS86)と推定される
(認定審査会の答申線量目安10.4cGy,原因確率5.6%。乙E6。)
(イ)aしかしながら,先に判断したとおり,DS86の初期放射線の計算
値は過小に推定されている可能性があり,X4の被爆当日以降の行動,
飲食・飲水の状況に照らして残留放射線に被曝し又は放射性物質を体内
に取り込んだ(内部被曝)可能性も十分考えられ,X4の被曝量の総計
は,上記推定された被曝線量をかなり超えた,相当多量であったと考え
る余地は十分にあるといわざるを得ない。
-420-
bまた,X4は,被爆して2日後位から,脱毛,鼻血,下痢といった放
射線被曝による急性症状としても説明が可能な症状を発現しているとこ
ろ,X4が,被爆前は健康体であったことからすると,これら症状は少
なくとも放射線被曝の影響によって発症したとみるのが素直であり,X
4が健康に影響を及ぼす程度の放射線被曝を受けた可能性は十分にあり
得るものと認められる。
(ウ)ところで,X4の原爆症認定申請に係る疾病は,右二指有棘細胞がん
であるところ,有棘細胞がんの発がん因子としては,日光紫外線に次いで
放射線が重要とされ,疫学的にも,被爆者に生じた皮膚がんが放射線に起
因するとの個別的因果関係を肯認しうる可能性の高いものであることは,
。,,,前記のとおりであるもっとも皮膚がん特に有棘細胞がんについては
熱傷や裂傷の瘢痕も発がん因子として指摘されているところ,X4におい
ても,前記のとおり,身体の各部分に相当ひどい火傷を負ったうえ,火傷
のため両腕から皮膚が垂れ下がり,被爆後も相当期間火傷の痕が残り,特
に手の皮膚は盛り上ってケロイド状となり,右手の爪は変形してはがれれ
ばまた下から柔らかい爪が生えてくるといった状態が続いたというのであ
るから,X4に発症した右二指有棘細胞がんについては,原爆の熱線によ
る火傷(熱傷)がその発生母地となった可能性は否定できない。
また,有棘細胞がんについて加齢の影響が少なからずあることも否定で
きないところ,X4の発症年齢は70歳であり,その年齢での発症率の高さ
からして,加齢を無視することもできない。
(エ)しかし,被爆者に発生した皮膚がんと放射線被曝線量との関係につい
て,有意な線量反応関係が認められたのみならず,被爆時年齢が若いほど
発生のリスクが高いという統計分析が複数存在していること,X4には,
有棘細胞がんが発症した付近に放射線の影響が否定できないケロイドが発
症していることなどの事情とX4の被爆状況等を総合的に勘案すれば,放
-421-
射線の寄与も少なからずあったとみるのが相当であり,X4の右二指有棘
細胞がんの発症に原爆放射線の被曝が相当影響しているとみるのが合理的
かつ自然というべきである。したがって,X4の右二指有棘細胞がんの放
射線起因性を肯定すべきである。
(3)X4の原爆症認定対象疾病の要医療性
X4の原爆症認定申請に係るr市立病院医師S作成の平成14年7月24日付け
意見書(乙E5)によれば,X4の右二指有棘細胞がんにつき,現在のとこ,
ろ再発,転移は認められていないが,術後5年間は再発,転移の有無を定期的
に診察,検査していく必要があるとされており,右腕リンパ腺,肺などへのが
んの転移を防止するため,3か月に1回同病院に通院しているほか,同指の神
経障害の通院治療を行っているというのであるから,X4の右二指有棘細胞が
んについて要医療性を認めることができる。
(4)結論
以上のとおり,X4は,本件X4却下処分当時,原爆症認定申請に係る疾病
である右二指有棘細胞がんについて放射線起因性及び要医療性の要件を具備し
ていたものと認められるから,本件X4却下処分は違法というべきである。
6X5の原爆症認定要件該当性
(1)認定事実
ア被爆状況等(甲A120の1,甲F1,2,3の1~4,乙F1,3,原審
X5本人)
(ア)被爆前の生活状況
X5は,昭和8年*月*日生まれの男性であって,昭和20年8月当時,
満12歳で,広島県立j中学校第1学年に在学中であり,勤労奉仕として道
路拡張工事(建物疎開)に従事していた。
(イ)被爆状況
昭和20年8月6日,X5はその日予定されていた建物撤去作業に従事す
-422-
るため登校し,午前8時15分,j(爆心地から約2㎞弱の比治山橋東詰付
近にある。X5は約1.7㎞と主張するが,これを裏付けるに足りる的確な
証拠はない)校庭に約400名の同級生とともに整列中,被爆した。爆風。
により木造2階建の校舎が倒壊し,周囲は薄暗くなった。X5も吹き飛ば
されて倒壊した校舎の下敷きとなった。
X5は,当時,ランニングシャツにズボンを着用しゲートルを巻いてい
たが,上半身露出部分,右顔面,両膝の部分,右肩から右手の先にかけて
火傷を負い,皮膚が垂れ下がり,ゲートルも焼けた。
(ウ)被爆後の行動
aX5は,倒壊した建物から脱出後,同様に下敷きとなった同級生を助
け出し,避難場所とされていた比治山の暁部隊通信部に避難した。約1
時間後,降雨があり,X5は避難先(屋外)でランニングシャツのまま
雨に打たれた(約10分間。同日夕刻,X5は比治山を下りて,比治山)
橋から明治橋を経てk町にあった自宅に戻ろうとして,沢山の死体や重
傷の被爆者の倒れている焼跡の中を,大火傷をして皮膚が垂れ下がった
右腕を前に突き出すようにして歩いていったが,明治橋を渡った辺りで
行く手が火の手で遮られたため,廣島赤十字病院に立ち寄って同所で夜
を明かした。
b翌7日朝,X5は,廣島赤十字病院を出て再度自宅の方向へ向かった
が,自宅は焼失しており(母と妹が自宅で被爆死していたことが後に判
明した,いったんjまで戻った。途中,焼跡の破れた水道管からし。)
たたり落ちる水を飯盒に受けて飲むなどした。X5は,その後,専売公
社へ赴いて傷の手当を受け,小学校時代の同窓生を捜しに雑魚場町まで
歩いて行ったものの捜し当てることはできず,再びjに戻ったところ,
火傷痕の痛みと体のだるさのため動けなくなり,校庭の防空壕に横たわ
っていた。
-423-
cX5は,翌8日,広島女子専門学校(広島高校)まで連れて行っても
らって手当を受けた。その後同月10日ころまで,痛みとだるさのため,
広商の校庭の防空壕で寝ていたが,同日ころ,X5の父が迎えに来た。
そしてX5は大八車に乗せられ市役所中国電力産業奨励館現,,,,,(
原爆ドーム。同所で一時休憩した)を経て横川駅まで行き,同所でト。
ラックに乗り換えて,広島市郊外の可部町にあるX5の父の知人の**
宅まで運ばれた。
dX5は,同月16日ころまで二宮宅で寝ていたが,火傷した部位が化膿
してきたことから,同日ころ可部小学校に設けられた広島陸軍病院に入
院した。
イ急性症状等(甲F1,原審X5本人)
(ア)X5は,二宮宅にいたころ歯茎から薄く出血し,陸軍病院に入院した
8月16日ころから約1か月間くらい毎日のように歯茎から出血し,この歯
茎からの出血は1年間くらいみられた。
(イ)X5は,被爆後1週間くらい下痢が続き,その後も半年くらい軟便が
みられた。
ウその後の症状の経過等(甲F1,乙F1,4,6,9,10,12,原審
X5本人,調査嘱託〈T大学附属病院,**胃腸科クリニック,**医院〉
回答)
(ア)被爆前の健康状態
X5は,被爆前は健康体で,小学校を欠席したこともなかった。
(イ)被爆後の生活状況及び健康状態
aX5は,昭和20年8月16日から同年10月ころまで広島陸軍病院に入院
していたが,同病院が大竹国立病院となって移転することになったこと
から,広島県**郡**町にあった母の実家に移った。X5は,昭和21
年5月ころまで寝たきりの状態が続いたが,その後少しずつ身体をなら
-424-
していき,昭和22年3月に復学した。しかし,復学した後も化膿は完治
せず,通院治療を継続し,半年後くらいにようやく症状が改善した。
その後,高等学校及び大学へと進学し,大学卒業後,証券会社等に勤
め,65歳で退職した。
bX5は,被爆後,倦怠感,疲労感が続いたが,40歳前後のころからは
風邪をひきやすく,疲れやだるさがひどい時など時々点滴を受けるよう
,,,になりその後も体のだるさ疲れは年を経るごとにひどくなっていき
現在に至っている。
cX5は,25歳ころから煙草を吸うようになり,喉頭がんと診断された
平成10年ころまでの約40年間,1日30本程度を吸っていた。また,時期
や種類は不明であるが,10年くらいは,1日2本程度の飲酒をしていた
(調査嘱託〈T大学附属病院〉回答。)
(ウ)病歴等について
aX5は,被爆後,火傷の痕が化膿し,特に右腕の化膿がひどく,医師
から切断を勧められたこともあった。昭和22年3月に復学したころも化
膿は完治しておらず,復学後半年くらいしてようやく化膿部位に新しい
皮膚が生えてきて痛みが和らいだ。X5は,平成12年9月当時,火傷部
位である左肩関節,右側頚部,右上肢及び両下肢(膝)に多発性ケロイ
ドがあり,右肘関節はケロイドの瘢痕拘縮で伸展が中等度障害されてお
り,右前頚部は頚椎の運動に対する軽度の影響が認められる,と診断さ
れている。
bX5は,平成10年5月末ころから咽頭痛があり,近医の耳鼻咽喉科を
受診したところ,声帯に病変が確認されたため,T大学附属病院を紹介
され,同年6月16日同病院を受診した。X5は,上記初診時において,
視診上左声帯に腫瘍性病変が認められため,入院し,同年7月9日全身
麻酔下に喉頭直達鏡検査を受けたところ組織検査の結果喉頭がん声,,(
-425-
門型)との診断を受けた。X5は,このため,引続き入院して,同月29
日から同年9月28日まで,放射線治療を受けた。
cX5は,上記放射線治療後,外来で経過観察を受けていたところ,平
成11年2月ころから咽喉痛を自覚したため,同年3月16日診察を受けた
結果,再発が疑われ,同年4月15日入院のうえ再び全身麻酔下で喉頭直
達鏡検査を受けたところ組織学的に再発が確認された。そのため,同年
5月6日,喉頭全摘手術及び両頚部郭清術を受けた。
dX5は,同年7月10日退院後,3か月に1回の頻度でT大学に通院し
て超音波検査やレントゲン検査等を受けるとともに痛み止め等の投薬を
受けて,現在に至っている。
eX5は,昭和48年(40歳)ころ**の国立病院で肝炎の指摘を受け,
同病院あるいはその後大阪の**でも治療を受けた模様である(その詳
細は不明である)が,その後はこれが悪化することなく経過していた。
(平成10年6月の喉頭がんが発見されたとき,あるいは再発時の平成11
年3月の各検査でも,γ-GTPのみがやや高値のときもあるが,肝機
能はほぼ正常範囲である。調査嘱託〈T大学附属病院〉回答3頁)とこ
ろ,平成16年9月になって肝臓機能が悪化し,平成18年9月に至りさら
にいっそう悪化し,以後肝臓庇護の点滴治療を受けている。
fX5は,平成17年に至り,膀胱がんに罹患した。
エX5の原爆症認定対象疾病
(ア)X5の原爆症認定申請に係る申請書(乙F1)及び医師の意見書(乙
F6)等によれば,喉頭腫瘍がX5の原爆症認定申請に係る疾病であるこ
とは明らかである。
(イ)さらに,証拠(乙F1,3,5,9,10)及び弁論の全趣旨によれ
ば,X5に係る認定申請書には「原子爆弾に起因すると思われる自覚症,
状があったときはその自覚症状の概要」の欄に「※身体には1/4以上ケロ
-426-
イドあり」と,原爆症認定申請に係る健康診断個人票(乙F9。検査年。
月日は平成11年11月5日)中の「特に記すべき医師の意見」の欄には「ケ
ロイド頚・上肢下肢」と,それぞれケロイドに着目した記載がなされて
いること,X5は,本件X5却下処分に対する異議申立手続において,異
議申立書の申立ての趣旨にケロイドが原子爆弾の放射能に起因するもので
ある旨記載するとともにケロイドに対する医師の意見書を提出したとこ
ろ,異議申立てに対する決定において,これを受けた形で,追加資料に記
載された「右肩関節部,右側頚部,右上腕・両下肢多発性ケロイド」を含
めて検討した上でいずれにも放射線起因性に係る高度の蓋然性はない旨が
記載され,ケロイドについても放射線起因性の有無を明確に判断している
こと,さらに,X5において,別途,今日に至るまでケロイドについて原
爆症認定を求める新たな申請を出さないまま,ケロイドが放射線起因性を
認められなかったことについてあくまで本件訴訟で争っていることが認め
られる。
以上の事実によれば,X5が原爆症認定申請の際に提出した医師の意見
書(乙F6)にはケロイドについて全く触れられておらず,上記健康診断
個人票においても,ケロイドの部位,状態,運動に対する影響,必要な治
療の具体的内容などといった放射線起因性及び要医療性の判断の手掛りと
なる具体的事実が記載されていないことを考慮しても,ケロイドもX5の
原爆症認定申請に係る疾病と認めるのが相当であり,上記異議申立手続に
おいてケロイドについて放射線起因性及び要医療性について判断している
ことから,ケロイドを疾病とする原爆症認定申請がされ,かつ,これにつ
いての却下処分がされたものと認めるのが相当である。
(2)原爆症認定対象疾病の放射線起因性
ア喉頭がんの医学的・疫学的知見
(ア)喉頭がん一般(甲F6の4,乙A179)
-427-
喉頭は,いわゆる「のどぼとけ(甲状軟骨先端)に位置しているとこ」
ろ,喉頭がんは耳鼻咽喉科領域において最も発生頻度の高い悪性腫瘍(た
だしその予後は比較的良いとされているであり部位では声門声,。),,(
帯)に発生するがんが60~65%を占め,声門上は30~35%で,声門下は極
めて少ない。。
喉頭がんの罹患率は,男性では50歳代から80歳代まで急激に増加し(女
性でも高齢ほど高くなるが男性ほど顕著ではない,罹患率,死亡率と。)
も男性の方が高く,女性の10倍以上である。喫煙及び飲酒によって,確実
に喉頭がんのリスクが高くなり,それぞれが別々に,また双方が相乗的に
働いてリスクを確実に高くする。
(イ)喉頭がんと放射線との関係
a寿命調査第10報第1部(乙A7)
口腔前庭と咽頭のがんによる死亡が68例あるところ,詳細に検討され
ていないが,死亡と放射線量には明らかな関連は見られないとされてい
る。
b放射線起因性の咽頭癌と喉頭癌:5つの臨床的ケーススタディ甲「」(
F7の3)
上記論文は,一次がんに対する外部放射線治療後に発生した放射線起
,,因性の咽頭がんあるいは喉頭がん5例のケーススタディであり結果は
潜伏期間が9年±3.7であり,5人中4人は照射領域の境界部位にがん
が発生しており,その領域に入った放射線量は治療のために照射した量
より少なかったとされている。なお,同論文は,一般に咽頭や喉頭は放
射性発がんのリスクが低い器官であると考えられており,この器官での
固形がんが発生するリスクは皮膚や甲状腺又は他のリンパ系器官の照射
後よりはかなり低いとされるが,放射線治療後又は原爆爆発後の放射線
被曝者の研究で咽頭と喉頭の放射線起因性腫瘍が確認されているとの指
-428-
摘をしている。
cがん発生率調査第2部(乙A4・2,15頁)
寿命調査(追跡期間:1958~1987年,調査集団:7万9972人)の対象
者のうち,喉頭がんは合計80例で,被曝者37人,非被曝対象者43人であ
る。喉頭がんには放射線の有意な影響はみられなかった。
d寿命調査第13報(甲A112の19・43頁)
上記調査の追跡期間は1950~1997年であり,寿命調査集団の男性のす
べての固形がん死亡4451中,口腔がん死亡例は68(うち被曝線量0.005S
v以上のもの37)であり,被爆時年齢30歳の人の1Sv当たりの過剰相対
リスク(年齢に対して一定である線形過剰相対リスクモデルにおけるも
の)-0.20(90%信頼区間-0.3~0.45,寄与リスク-5.2(同-6~)
11)とされている。
e「頭頚部における放射線誘発性癌(甲F7の2)」
大阪府立成人病センター耳鼻咽喉科において,1979~1985年の間の頭
頚部に生じた放射線起因性がん20例の報告であるが,良性疾患に対して
放射線療法を受けた後のがん出現の潜伏期間は37.4年であったこと,喉
,。頭がんは0.7%であり放射線抵抗性があるように思われたとしている
イケロイドの医学的・疫学的知見
前記X4の項(イ)で記載したとおりである。
ウ本件関係医師等の放射線起因性についての意見
(ア)3医師意見書(甲F5)及び証人郷地秀夫〈⑮-34~41頁〉
X5の被爆地点(爆心地より約1.7㎞)からみて相当の初期放射線によ
る外部被曝は明らかである上,放射性降下物の影響も受け,かつ,残留放
射線を大量に浴びていること,急性症状を呈していること,被爆前後で健
康状態に変化があること,放射線により喉頭がんが発生することは,頸部
の放射線療法で生じた喉頭がんが報告されていること,寿命調査第13報で
-429-
は有意差がはっきり出ていないが,喉頭がんを含むその他の固形がんの相
対危険率は0.37という高水準を示していること,X5は,喉頭部の皮膚表
面にケロイドが及んでいるが,ケロイド内に誘導放射能の存在が確認され
ていること等を考えれば,X5の喉頭がんは原爆放射線に起因すると考え
るのが妥当である。
(イ)T大学附属病院医師****作成の意見書(乙F6)
喉頭腫瘍自体は原子爆弾に起因するものとは考えにくいが,完全に否定
できるものではない。
(ウ)佐々木康人及び草間朋子作成の意見書(乙F13)
X5の被曝線量(広島の爆心地から2㎞,屋外による被爆,爆心地付近
の短時間の出入り等から被曝線量は7cGyと推定される,審査の方針別。)
表2-1により原因確率を求めると0.5%にすぎないから,原爆放射線以
外の原因で発症した可能性が高いこと,一般的に男性の喉頭がんについて
は,その原因のほとんどは喫煙といってよい(他に飲酒も危険因子とされ
ている)が,X5の喫煙歴及び飲酒歴からすれば同人の喉頭がんの原因。
も通常の喉頭がんと同じく,喫煙や飲酒等の生活習慣によるものとみるの
がきわめて常識的であること,X5の肝機能障害の程度は(少なくとも申
請当時は)軽度であって,また,その原因はアルコール摂取等の生活習慣
による脂肪肝と考えるのが妥当であること,被爆後に見られた急性症状は
被曝の急性症状とは考えられないこと等から,X5の喉頭腫瘍に放射線起
因性を認めることはできない。
エ放射線起因性の検討
(ア)X5の被爆地点は爆心地から約2㎞弱の地点であるから,初期放射線
による被曝線量(空気中カーマ線量)は,DS86によれば7.16cGy,D
S02によれば7.68cGyと推定される(認定審査会の答申線量目安7.2cG
y,原因確率0.5。乙F8。)
-430-
(イ)aしかしながら,DS86の初期放射線の計算値が1300m以遠におい
て過少に推定されている可能性がある上,X5は,広範囲な大火傷を負
いながら,被爆当日及び翌日において,爆心地から1~1.5㎞内の地域
を含め,広島市内を長時間にわたり歩き回っており,その間に破れた水
道管から水を飲むなどしていた行動等からすると,X5が残留放射線に
被曝し又は放射性物質を経口ないし傷口から体内に取り込んだ(内部被
曝)可能性も十分考えられ,X5の被曝量の総計は,上記推定された被
曝線量をかなり超えた,相当多量であったと考える余地は十分にあると
いうべきである。
bまた,X5は,当時丸坊主であったため脱毛には気が付かず,紫斑な
いし内出血もみられなかったものの,被爆して数日後から歯茎からの出
血,下痢といった放射線被曝による急性症状としても説明が可能な症状
,,,,を発現しているところX5が被爆前は健康体であったのが被爆後
倦怠感,疲労感が続き,体のだるさ,疲れは年を経るごとにひどくなっ
てきたと訴えていることなど,被爆の前後でX5の健康状態に質的な変
化がみられることをも併せ考えると,X5の被爆当時の年齢(12歳,)
前記認定のような被爆後の体験等がX5に少なからず衝撃を与えたこと
は否定することができないとしても,被爆直後の上記症状をすべて衛生
状態や心因性ないしストレスによるものとして説明するのは困難であ
り,上記各症状は,放射線被曝の影響もあって発症したとみられること
からすれば,X5が健康に影響を及ぼす程度の放射線被曝を受けた可能
性は十分にあり得るものと認められる。
(ウ)ところで,X5の原爆症認定対象疾病は,喉頭がんとケロイドとであ
るが,前記認定事実によれば,喉頭がんの罹患率は,男性では50歳代から
80歳代まで急激に増加するとともに,喫煙及び飲酒によって,確実に喉頭
がんのリスクが高くなり,それぞれ別々に,また双方が相乗的に働いてリ
-431-
スクを確実に高くするとされているしかるところX5は喉頭がん左。,,(
声帯の腫瘍性病変)が発見された平成10年6月までにおいて,長期間の喫
煙歴,飲酒歴があったことは前認定のとおりであるから,これがX5の喉
頭がんの発症の原因となった可能性のあることは否定し難い。
しかしながら,人間の身体に疾病が生じた場合,その発症に至る過程に
おいて多くの要因が絡み合い,複合的に関連しているのが通常であり,そ
の発現した結果(症状)自体からその発症の要因を断定すること自体は困
難であるところ,前認定の,X5が相当程度の放射線被曝を受けた事実を
斟酌すると,本件においては,X5に長期間の喫煙歴,飲酒歴があるから
といって,これらの生活習慣が放射線被曝の要因を排除して,あるいは,
それより優位に,X5の喉頭がんの原因となったとまでは認めることはで
きない。
(エ)一方,喉頭がんについては,前記のとおり,従前から同がんによる死
亡又は発生率と放射線との間に有意な関係がみられないとされてきたが,
これは,喉頭がんがその予後が一般的によく死亡率が低いことの結果とし
,,,て解析の対象とされる症例数が少ない反映と認められるところ一般に
がんについては,原爆放射線被曝との関連を否定することはできないもの
とされている上,固形がん全体については,被爆時年齢が若いほど発生の
リスクが高いとされていること,のみならず,前記認定のとおり,放射線
治療後又は原爆爆発後の放射線被曝者の研究で咽頭と喉頭の放射線起因性
腫瘍が確認されているとする報告も存在していることからすれば,X5の
,。喉頭がんについては放射線起因性を十分考慮してしかるべきものである
これに加えて,前記のとおり,X5は,火傷部位である左肩関節,右側
頚部,右上肢及び両下肢(膝)に多発性ケロイドがあるところ,同ケロ
イドについては少なくとも熱線と放射線との共同の成因で発生した可能性
が高い上,同ケロイドに放射能が残存したことにより,X5に対し内部被
-432-
曝としての影響を与えた可能性を否定することができない。
(オ)以上によれば,X5のケロイドについて放射線起因性があることが認
められ,また,喉頭腫瘍については,X5の長年にわたる喫煙歴及び飲酒
歴が影響していることは否定し難いものの,それのみが原因であると断定
することまではできないことからして,相当量の原爆放射線に被曝したこ
とも喉頭腫瘍を発症又は進行させるについて相当の影響を与えたとみるの
が合理的かつ自然というべきである。したがって,X5の喉頭腫瘍及びケ
ロイドの放射線起因性を肯定すべきである。
(3)X5の原爆症認定対象疾病の要医療性
前記認定事実によれば,X5は,平成11年5月に喉頭全摘手術及び両頚部郭
清術を受けた後,3か月に1回の頻度でT大学附属病院に通院して超音波検査
やレントゲン検査等を受けるとともに痛み止め等の投薬を受けているというの
であるから,X5の喉頭腫瘍について要医療性を認めることができる。ケロイ
ドについても,ケロイドの瘢痕拘縮で伸展に障害がある左肘関節等は手術によ
って大幅な改善が期待されるとされている(乙F10)ことからして,要医療
性を認めるのが相当である。
(4)結論
以上のとおり,X5は,本件X5却下処分当時,原爆症認定対象疾病である
喉頭腫瘍及びケロイドについて放射線起因性及び要医療性の要件を具備してい
たものと認