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裁判例


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        主       文
1 原判決中,甲事件控訴人ら及び乙事件控訴人らと被控訴人国とに関する部分を
次のとおり変更する。
 (一) 被控訴人国は,甲事件控訴人ら各自に対し,それぞれ120万円及びこれ
に対する平成8年1月17日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払
え。  
 (二) 被控訴人国は,乙事件控訴人ら各自に対し,それぞれ120万円及びこれ
に対する平成8年10月1日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払
え。
 (三) 甲事件控訴人ら及び乙事件控訴人らの被控訴人国に対するその余の各請求
をいずれも棄却する。
2 甲事件控訴人ら及び乙事件控訴人らの被控訴人B1株式会社に対する本件各控
訴をいずれも棄却する。
3 丙事件控訴人らの被控訴人B2株式会社に対する本件各控訴をいずれも棄却す
る。
4 訴訟費用は,甲事件控訴人ら及び乙事件控訴人らと被控訴人国との間では,第
1,2審を通じて,甲事件控訴人ら及び乙事件控訴人らに生じた分の10分の1を
被控訴人国の負担とし,その余は各自の負担とし,甲事件控訴人ら及び乙事件控訴
人らと被控訴人B1株式会社との間並びに丙事件控訴人らと被控訴人B2株式会社
との間では,控訴費用はすべて各控訴人らの負担とする。
        事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判                         
                   
 1 別紙控訴人目録記載の甲事件,乙事件及び丙事件各控訴人ら(控訴人ら)
  (一) 原判決を取り消す。
  (二)  甲事件 
    (1) 被控訴人B1(被控訴人B1株式会社)及び被控訴人国は,連帯し
て,甲事件控訴人ら(甲事件控訴人ら)に対し,各金1100万円及びこれに対す
る平成8年1月17日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
    (2) 被控訴人B1株式会社は,甲事件控訴人らに対し,原判決添付の別
紙二の賃金請求金額一覧表の「価値調整額」欄記載のとおりの各金員及びこれに対
する平成8年1月17日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
  (三) 乙事件
    (1) 被控訴人B1株式会社及び被控訴人国は,連帯して,乙事件控訴人
ら(乙事件控訴人ら)に対し,各金1100万円及びこれに対する平成8年10月
1日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
    (2) 被控訴人B1株式会社は,乙事件控訴人らに対し,原判決添付の別紙
二の賃金請求金額一覧表の「価値調整額」欄記載のとおりの各金員及びこれに対す
る平成8年10月1日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
  (四) 丙事件
    (1) 被控訴人B2株式会社(被控訴人B2株式会社)は,丙事件控訴人
ら(丙事件控訴人ら)に対し,被控訴人B1株式会社及び被控訴人国と連帯して,
各金1100万円及びこれに対する丙事件控訴人A1,同A2,同A3,同A4に
ついては平成8年1月17日から,同A13,同A34については平成8年10月
1日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
    (2) 被控訴人B2株式会社は,丙事件控訴人らに対し,原判決添付の別
紙二の賃金請求金額一覧表の「価値調整額」欄記載のとおりの各金員及びこれに対
する丙事件控訴人A1,同A2,同A3,同A4については平成8年1月17日か
ら,同A13,同A34については平成8年10月1日から各支払済みまで年5分
の割合による金員を支払え。
  (五) 訴訟費用は,第1,2審を通じて被控訴人らの負担とする。
  (六) 仮執行宣言
 2 被控訴人国
     控訴棄却
 3 被控訴人B1株式会社及び同B2株式会社
     控訴棄却
第2 事案の概要
 1 本件は,大韓民国(韓国)の国籍を有する甲事件,乙事件及び丙事件の各控
訴人ら合計40名(控訴人ら)が,その他の原審原告6名と共に,第2次世界大戦
中の昭和19年(1944年),国民徴用令に基づいて朝鮮半島の各居住地から広
島市に強制的に連行され,当時のB株式会社(旧B株式会社)のC1製作所及びC
2造船所において労働に従事させられた上,昭和20年(1945年)8月6日に
は原子爆弾の投下により被爆したにもかかわらず,被控訴人国及び旧B株式会社は
何らの救護も行わず,朝鮮半島の居住地への送還義務も履行せず,さらに,被控訴
人国は,戦争終結後も控訴人らが受けた原爆被爆の被害に対して何らの援護,補償
の措置も講じていないなどとして,不法行為(被控訴人国に対しては国家賠償法1
条1項に基づく請求も含む。),債務不履行等を理由に,被控訴人らに対し(被控
訴人B1株式会社及び同B2株式会社は旧B株式会社の債務を承継しているとし
て),その精神的損害に対する賠償を求めるとともに,被控訴人B1株式会社及び
同B2株式会社に対して,旧B株式会社の未払賃金等の支払を求めた事案である。
   原判決は,控訴人らの被控訴人国に対する請求については,そのうち,強制
連行,強制労働を理由とする部分は,①国際法に基づく損害賠償責任については,
控訴人らには国際法上の法主体性が認められず理由がない,②不法行為に基づく損
害賠償責任については,国家の権力的作用により損害が生じても国は責任を負わな
いという大日本帝国憲法(明治憲法)下での国家無答責の法理により理由がない,
③損失補償の法理については,明治憲法には損失補償に関する規定はなく,控訴人
らの主張する戦争被害についての損失補償を明治憲法が予想していたとも解されな
い,④安全配慮義務違反の債務不履行については,その義務違反の内容等に関する
控訴人らの主張立証が具体性を欠き認められない,⑤結果責任,条理に基づく責任
については,いずれも裁判規範というには抽象的で,これにより損害賠償請求権が
生じるとは認められないとし,原爆被爆による被害の放置を理由とする部分は,原
子爆弾被爆者の医療等に関する法律(原爆医療法),原子爆弾被爆者に対する特別
措置に関する法律(原爆特別措置法)(この2法を合わせて原爆2法)及び原子爆
弾被爆者に対する援護に関する法律(被爆者援護法)の定めが,日本国憲法(憲
法)や市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)に反するものとは認めら
れず,原爆2法及び被爆者援護法を控訴人ら在韓被爆者に適用しなかったことも違
法とはいえず,立法不作為の違法も認められないとして,いずれも棄却した。ま
た,被控訴人B1株式会社及び同B2株式会社に対する請求についても,①国際法
に基づく損害賠償責任については,被控訴人国についてと同様に理由がない,②不
法行為に基づく損害賠償請求権は除斥期間の経過により消滅している,③安全配慮
義務違反の債務不履行についても,被控訴人国についてと同様に具体性を欠き認め
られない,④未払賃金等の請求権は時効により消滅しているとして,いずれも棄却
した。
  そのため,控訴人らが控訴したものであるが,控訴人らは,当審において,新
たに被控訴人らに対する請求原因として,控訴人らに対する未払賃金等についての
旧B株式会社の違法,無効な供託による債権侵害の不法行為等を,被控訴人国に対
する請求原因として,被爆者健康手帳の交付を受けた被爆者が日本の領域を越えて
居住地を移した場合には原爆特別措置法の適用がないとする昭和49年7月22日
衛発第402号各都道府県知事・広島・長崎市市長あて厚生省公衆衛生局長(当
時)通達(402号通達)の作成,発出及びこれに従った行政実務の取扱いの違法
を追加して主張した(402号通達に関しては,控訴人らは原審においてもその違
法を主張していたものである。)。なお,控訴人らの中には当審での審理期間中に
死亡した者もいるが,訴訟代理人が選任されていることから訴訟手続は中断せず,
また,承継人について明らかにされないので,本判決では,死亡した者についても
そのまま控訴人として表示することとする。
  以上のほかの事案の概要は,次項以下に各当事者の当審における主張を付加す
るほかは,原判決の事実及び理由中の第二ないし第六に記載のとおりであるので,
これを引用する。
 2 控訴人らの当審における付加主張
  (一) 被控訴人国に対する請求について
    (1) 強制連行・強制労働についての損害賠償責任
     ア 国際法に基づく責任について
       国内法による補完・具体化がなくとも,内容上そのままの形で国内
法として直接に実施され,私人の法律関係について国内の裁判所と行政機関の判断
根拠として適用することのできる条約は自動執行力を有する。この自動執行力の概
念は,①立法府による立法が必要でないこと,②内容上そのままの形で,他の措置
を必要とせずに適用することができることという,二つの要素からなる。②の要素
は,条文の具体性という条約の実質的適用の条件であって,条約の規定の仕方それ
自体から判断される。
      憲法は,日本が締結した条約及び確立された国際法規に,直ちに国
内法的効力を認める一般的受容方式を採用している(憲法98条2項)。これは,立
法府や行政府に条約遵守の懈怠があった場合にも,裁判所の司法的営みを通じて条
約の遵守を確保し,もって国際協調主義の実現を図ろうとしたものである。このよ
うな憲法の立場からすれば,自動執行力の有無を決する条文の具体性とは,裁判所
が司法審査基準として用いるに足るだけの具体性を意味するというべきである。
      控訴人らは,被控訴人国に対し,戦争犯罪責任に関する国際慣習法及
び強制労働ニ関スル条約(ILO第29号条約)をもって,その賠償責任を追及する
ものであるが,国際慣習法のなかでも戦争犯罪責任については自動執行力を有する
ことが広く認められている。また,ILO第29号条約の規定は,司法審査基準と
して用いるに足りる具体性を有しており,自動執行力を有する。したがって,これ
らの適用により,本件では,控訴人らに国際法上の権利能力が認められる。なお,
被控訴人国のILO条約違反については,ILO条約勧告適用専門委員会の199
9年報告においても指摘されており,被控訴人国の責任は国際社会において広く認
められているのである。
     イ 国内法に基づく責任について
      (ア) 不法行為に基づく損害賠償責任(国家無答責の法理について)
        a 権力作用においては,国家は,必要な行政目的を達するため
に,法が定めたところにより国民に対し優越的な地位を行使できるが,そのことは
必然的に当該権力作用により発生した損害の賠償についても国家が優越的地位に立
つことを意味しない。       
         原因たる不法行為が公法上の行為であっても,賠償義務その
ものは私法関係である。ところが,戦前においては,権力作用により国民に損害を
与えた場合には,権力作用であることが,民法解釈上,責任阻却事由として考慮さ
れてきていた。
          しかし,憲法17条は,国家無答責の法理を明確に否定して
おり,現在,そのような法理に導かれて民法を解釈することは許されない。そし
て,法令の解釈は,過去の時点の解釈に従うのではなく,現時点における法令の解
釈を適用しなければならない。現時点における解釈としては,国家無答責の法理を
当てはめる余地はないといわなければならず,権力作用により発生した損害の賠償
義務について,国家が民法に基づく不法行為責任を免れる根拠は存しない。
        b 国家無答責の法理といえども,正義・公平という一般法原則
により制限を受ける。正義・公平の原則は,一般法原理として条理法に位置付けら
れるものである。本件加害行為は,国際人道法に違反する極めて重大な人権侵害行
為である。明治憲法の人権保障の精神にさえ明らかに違反する非道行為である。し
たがって,本件加害行為に対して国家無答責の法理の適用を主張することは,正
義・公平の原則に反し許されない。
  (イ) 損失補償の法理について
      そもそも損失補償の法理とは,権力的作用,非権力的作用を問
わず,国家の行為によって国民の財産権が侵害される場合において,正義・公平の
見地から認められるものであって,明治憲法下においても,場合によっては可能で
あったと解釈されている。権力的作用であるとの理由で損失補償までもが否定され
るのは不当である。
   戦争被害を憲法が予想しなかったとしても,それは,予測ので
きない被害を被控訴人国がその責任で惹起したということにすぎず,被控訴人国の
責任を否定する根拠にはなり得ない。
     (ウ) 結果責任の法理について
     結果責任の法理は,国家の行為による損害が生じているにもか
かわらず,国家賠償法や損失補償の理念では救済され得ない者について,その未救
済状態が正義・公平の観念に照らして妥当でない場合にそれを是正するための法理
であり,憲法の精神に合致する考え方である。したがって,明文規定がないとして
も,個々の憲法の条文に基づいて救済が可能であると解される。
      (エ) 条理について
       条理とは,端的には正義・公平の理念であるところ,控訴人ら
の被った被害が加害者である被控訴人国によって回復されなければならないことは
人類にとっての普遍的見地である。仮に,条理がその内容において抽象的,多義的
かつ相対的な存在であるとしても,本件に関して控訴人らが法源として主張する条
理は,極めて具体的,一義的かつ絶対的なものである。
      (オ) 安全配慮義務違反について 
       a 控訴人らと被控訴人国との間の事実上の労働関係の存在は,
昭和19年(1944年)10月に「国民総力朝鮮連盟」が発行した「国民徴用の
解説」(甲101)で明確に肯定されている。この資料は,朝鮮総督府労務課の監
修にかかるもので,国民徴用令の様々な点について,当時の朝鮮総督府鑛工局労務
課事務官により平易に解説されている。
        b  安全配慮義務の具体的内容について
        (a) 強制連行
            控訴人らは,徴用に際して,これに応じなかったり,逃
げ出したりすれば,家族までもが逮捕されると脅迫されたり,給料の半分は家族に
送金すると欺罔されたりした上,貨車に詰め込まれて監視されながら食事も与えら
れずに広島まで連行された。
       (b) 作業現場における安全対策の欠如
    ⅰ 強制労働
      被控訴人国は,旧B株式会社とともに,控訴人らを強
制労働に従事させた。労働は長時間で,十分な休息や食事も与えられない過酷なも
のであった。休日の外出も自由ではなく,控訴人らが強制労働に従事した工場及び
居住した寮周辺には警察官や憲兵を配置し,旧B株式会社とともに控訴人らの監視
に当たっていた。命令に従わない者に対しては罰を科して強制するなど,控訴人ら
の人間としての尊厳,人格を無視した待遇を強いた。また,就労期間中,賃金の半
分を郷里の家族に送金するとの約束も果たさずに,徴用工を搾取の対象としたもの
である。
      被控訴人国と旧B株式会社は,ひたすら被控訴人国が遂
行する戦争を支え,また戦争を利用して旧B株式会社の財を築く手助けをさせるた
めに,賃金等を欺き,何らの安全対策(注意喚起,安全教育,防具支給等)も講じ
ないまま,各種の過酷かつ危険な作業に控訴人らを就かせ,使役し続けた。このよ
うな強制労働の実態そのものが,被控訴人国において,控訴人らの労働現場での生
命・身体の安全に配慮すべき義務に違反したものであることは明白である。
    ⅱ 労働災害の多発
      控訴人らの中には,作業中に自ら負傷した者のほか,
作業現場で労働災害を目撃した者も少なくない。これらの労働災害は,被控訴人国
において,控訴人らに労働を強制しながら,作業内容に関する研修や作業の危険性
についての注意喚起といった基本的な安全対策を講じなかったために生じたもので
ある。控訴人らのほとんどは日本語が理解できず,作業現場での指示が伝わらず
に,危険な事態の生じる可能性が高かった。そのような特殊事情をも踏まえれば,
被控訴人国は,より一層安全対策に慎重であるべきであった。控訴人らの身体に対
する被害について,安全配慮義務違反による責任を否定することはできない。
    ⅲ 個別事情について                
    (あ) 控訴人A14(控訴人番号14)は,C1製作所
の鋳鉄工場で石炭を釜に入れる作業に従事していたが,モーターのベルトがはずれ
て,その修理中に右手の指が巻き込まれ,人差し指と中指の指先の関節を失った。
同人に対しては,作業についての詳細な説明,研修等,安全確保のための配慮がさ
れていなかった。
    (い) 控訴人A37(控訴人番号37)は,C1製作所
に配属されて間もなく,工場内で膝を強打して負傷し,歩くことのできない状態が
しばらく続いた。工場の診療所にすら通うことができず,治療を受けられなかっ
た。同人に対しても,作業内容や注意事項についての十分な説明は行われず,その
ために事故が生じたものである。
    (う) 控訴人A4(控訴人番号4)は,かねてより胃の
具合が悪く,健康状態がすぐれなかったにもかかわらず,そのようなことはまった
く考慮されず,治療等を受けさせてもらえなかった。
    (え) 控訴人A19(控訴人番号19)は,C1製作所
の鋳鉄工場で鉄鉱石を砕いて溶鉱炉に運び入れる作業に従事していたが,以前から
リュウマチを患って,足や腰が痛い状態であったにもかかわらず,重労働に就かな
ければならなかった。
       (お) 原審原告F3は,C2造船所でパイプ造りやボイ
ラーの組立作業に従事していたが,作業中に鉄板が落ちてきて頭部に加療約1か月
の重傷を負った。同人に対しても,工場での作業についての注意,安全への対策等
一切されていなかった。
       (か) その他,作業中に事故を目撃したという供述も多
い。
      C1製作所の鋳鉄工場では,控訴人A24(控訴
人番号24)や控訴人A30(控訴人番号30)が,ハンマーで誤って手等を叩き
負傷した者や,手を切ったり足を折ったりするのを目撃しており,C2造船所第3
工場では,控訴人A35(控訴人番号35)が,酸素ボンベの爆発で酸素溶接工だ
った徴用工が片目を失明したのを目撃している。同じ第3工場で,控訴人A39
(控訴人番号39)は,週3回もの徹夜での仕事のため,睡眠不足で居眠りをして
高所から落ちそうになったことがあった。これらの個別事情は,控訴人らがいかに
過酷な状況の下で就労を強いられていたかを示すものである。
    ⅳ まとめ
     これらを総合すれば,控訴人ら徴用工の就労にあたっ
て,それぞれの職場での事故の防止や徴用工の生命・身体の安全に十分な配慮がさ
れていたとは到底いえない。控訴人らは,常に事故と背中合わせの危険な状況に置
かれ,高度の緊張を伴う状態での就労を強いられていたのである。
     よって,被控訴人国は,その安全配慮義務違反に基づ
いて,控訴人ら全員の精神的苦痛,実際に負傷した控訴人らの肉体的な苦痛につい
て慰謝すべき責任を負うものである。
    (c) 原爆投下後の放置
    被控訴人国は,原爆投下により控訴人らが被爆し,既に
徴用の目的を達し得ないことが明らかになった後も,控訴人らに対する治療の措置
すら施さず,控訴人らを送還しようともせず,自力で帰国することを余儀なくさせ
た。本件強制連行が,法令に基づいて合法的に行われたのだとすれば,被控訴人国
は,少なくともその目的を終了した時点で,控訴人らを安全に郷里へ送還する義務
を負っていたというべきである。
         被控訴人国は,この意味における安全対策を全く講じる
ことなく,控訴人らの生命・身体の安全を顧みなかった。その結果,控訴人らの多
くは,それまで厳重な監視下で労働を強制されていたこともあって,勝手にその場
を離れられずに,指示を待ちながら被爆地に不必要にとどまり,残留放射能に曝さ
れることとなった。その間に控訴人らが口にした食べ物は,いずれも放射能で汚染
されたものであり,控訴人らの多くは,直接の被爆のみならず,経口で放射能を体
内に摂取することとなり,一層被爆被害を増悪させたのである。
    被控訴人国は,原爆投下後,安全配慮義務の履行として
速やかに適切な指示をすべきであるのにこれをせず,控訴人らを放置して被爆によ
る健康被害を悪化させたものであり,控訴人らが被爆被害の増悪によって被った精
神的・肉体的苦痛を慰謝すべき責任がある。
   (2) 原爆被害放置等(立法不作為を除く)についての損害賠償責任
     ア 原爆2法及び被爆者援護法(合わせて被爆者法)不適用の違法につ
いて
      (ア) 被爆者法による被爆者への援護措置は,特別の犠牲に対するも
のであるから,無拠出でも給付が受けられるのは当然である。また,本件で問題と
なっているのは,外国人一般の問題ではなく,かつて日本が朝鮮半島を侵略して,
植民地支配により日本国籍を強要し,第2次世界大戦後,日本国との平和条約(サ
ン・フランシスコ平和条約)を締結する際に,一方的に日本国籍を剥奪した結果,
韓国籍とされてしまった控訴人ら在韓被爆者についての問題である。被控訴人国
が,多大の犠牲を強いた在韓被爆者の援護を行なうのは当然のことである。
      (イ) 原爆医療法が制定された昭和32年(1957年)ころは,社
会保障立法には国籍条項が存在し,日本に居住する外国籍の者に対しては社会保障
給付が一般的に行われていなかった。このような時期に,原爆医療法が国籍条項を
設けず,日本国民のみならず在日朝鮮人らに対しても給付を行った事実は,同法が
単純な社会保障立法ではなく,国家補償的性格を有することを裏付けるものであ
る。被爆者の援護という観点から,通常の社会保障の枠よりも広い範囲で,被爆者
であるという点に着眼して制定されたことを意味する。また,被爆者である以上,
被爆当時は広島及び長崎市内にいたものであり,国家補償的配慮からすると,事後
の場所的離脱や自己の意思によらない日本国籍の喪失により被爆者法の適用を認め
ないのは相当でない。
         明文の根拠規定がなくても国外居住者への海外適用が認められ
ている例は,戦傷病者戦没者遺族等援護法,健康保険法,労災保険法,国民年金法
等多く存在する。アメリカ施政権下の沖縄でも,原爆2法は適用されたのである。
      (ウ) 被爆者法では,被爆者健康手帳の交付を受けようとする者は,
その居住地(居住地を有しないときは現在地)の都道府県知事若しくは広島,長崎
市長(都道府県知事等)に申請しなければならないとされている。しかし,この規
定は手続規定であり,手続規定をもって,日本に居住又は現在して被爆者健康手帳
の交付を受けなければ被爆者法における被爆者たる地位を有しないとすることはで
きない。手続規定によって本来の実体的権利が奪われて良いはずはない。
         仮に,上記手続規定が,在外被爆者からの申請を認めない趣旨
と解されるのであれば,在外被爆者に手続面で過大な負担を強いてその権利行使を
困難にし,被爆者の権利を不当に侵害するものであり,合理的な理由のない差別と
して憲法14条及びB規約26条に違反する。
      (エ) 憲法14条もB規約26条も合理的理由のある区別は許容す
る。
       問題は合理的理由の有無である。被控訴人国の主張する国民の
受忍論は相当でないが,仮にこれによったとしても,侵略と植民地支配が前提にな
っている戦争被害等について,日本固有の領土の住民と,侵略により植民地となっ
た地域の住民との間では,その合理的理由の有無の判断は当然異なる。すなわち,
控訴人らは,強制的に日本の侵略戦争の遂行にかり出され,原爆被爆という被害を
受け,挙げ句の果てに,一方的に日本国籍を剥奪された人達である。韓国でも容易
に行うことのできる援護措置を,日本に居住していないという理由だけで行わない
ことには合理性がない。
     (オ) 被爆者法の給付内容と適用対象
         原爆医療法は,被爆者の健康状態の向上のために,健康診断と
医療給付を採用しているが,それはあくまでも,被爆者の健康状態の向上という目
的達成のための手段であり,健康診断や医療給付が目的ではない。そして,健康診
断と医療のみでは目的達成に十分でないため,原爆特別措置法によって,さらなる
健康の保持及び向上が図られ,さらにそれらを引き継いだ被爆者援護法において
も,被爆者に対する援護という目的達成の手段として,各種の援護措置が設けられ
たのである。このことは,原爆特別措置法の制定及び度重なる改正と被爆者援護法
の制定により,被爆者の健康の保持及び向上のための手段が,医療面から生活面
へ,さらには精神面へと拡充されていった経過に照らしてみても明らかである。立
法目的達成のための一つの手段にすぎない医療給付だけから,援護の対象者を限定
することはできない。
        また,仮に,被爆者たる地位が医療を受け得る地位と同義であ
るとしても,医療を受け得る地位とは,指定医療機関及び被爆者一般疾病医療機関
を訪れることにより医療を受けることのできる地位にほかならない。この地位は,
その者が,国外にいるか,国内にいるかにかかわらない。国外に居住していても,
指定医療機関等を訪れれば医療を受けることができる。また,健康診断や医療給付
を受けることは義務ではない。これを受けなくても被爆者たる地位は失わないので
ある。
     イ 違法な402号通達に基づく損害賠償責任について
       被控訴人国は,被爆者健康手帳の交付を受けた被爆者が日本の領域
を越えて居住地を移した場合には原爆特別措置法の適用がなく,同法の被爆者たる
地位を失うとする402号通達を制定し,これに従った取扱いを継続することによ
り,控訴人らの被爆者たる地位ないし権利を侵害してきた。この行為が,公権力の
行使に当たる公務員の,その職務を行うについての行為であることは明らかであ
り,被控訴人国は,国家賠償法1条1項に基づき,控訴人らに対し損害賠償責任を
負うものである。
      (ア) 違法性及び故意・過失について
       a 違法性
        (a) 国家賠償法1条にいう違法とは,行為規範たる法条に違反
して公権力が発動された場合を指す。ここにいう行為規範には,行為の根拠規範だ
けでなく,権力の行使を制約する各種の制約規範や,条理上の制約も含まれる。被
控訴人国が制定した402号通達は,その根拠規範である被爆者法に違反するもの
である。また,402号通達の制定は,当然のことながら,この通達どおりに行政
実務が運用されることを目的としており,直接的に控訴人らの権利を侵害するもの
である。
        (b) 法律の委任のない事項について通達していることの違法
     ⅰ 原爆特別措置法違反
       402号通達は,昭和49年(1974年)7月,原
爆特別措置法の施行規則の一部を改正する省令(昭和49年厚生省令第27号,同
年9月1日施行)に伴って発せられた。この施行規則の改正により,従前,特別手
当や健康管理手当の受給権者は,都道府県の区域を越えて居住地を移すと権利を喪
失するとされていたのが改められたのであるが,そもそも原爆特別措置法には,そ
のような規定は全くなく,それを定めていた改正以前の施行規則は法律に違反した
ものであった。上記改正は,かかる違法な状態を法律の規定に合わせて是正したに
すぎない。
       ところが,厚生省(当時)は,後述するような経緯
で,在韓被爆者を排除する意図から,法律上何らの根拠もないのに上記改正規則の
趣旨にも反した402号通達を発し,日本の領域の外へ居住地を移した場合につい
ては,改正前の違法な施行規則と同様の取扱いを存続させることとしたのである。
原爆特別措置法には,居住地の変更によって権利を喪失させるとの規定はなく,権
利喪失を定めていた改正前の施行規則が違法であることを厚生省が認識していたの
は明らかである。また,居住地を日本の領域外に移す場合に失権扱いにするか否か
について,同法が下位規範に白紙委任などしていないことについても認識していた
はずである。法律に規定もなく,改正規則でも居住地の変更により権利が喪失する
ことはないとの規定が置かれたにもかかわらず,ひとり,日本の領域を越えて居住
地を移した被爆者には原爆特別措置法の適用がないとする402号通達は,明らか
に同法の委任の範囲を超えている。法律が権利の得喪の要件を定めている場合に,
法律の委任なく規則でその要件を変更することはできない。
           ⅱ 被爆者援護法違反
       被爆者援護法1条によれば,同法の「被爆者」たる要
件は,同条各号のいずれかに該当する被爆者であることと,被爆者健康手帳の交付
を受けたことの2点であり,日本に居住又は現在することは要件とされていない。
そして,被爆者健康手帳の交付については同法2条が定めており,これによれば,
被爆者健康手帳を取得するためには,交付申請の時点で日本に現在することを要す
るが,一旦取得した後に,被爆者健康手帳の返還が必要となるのは死亡の場合だけ
である(同法施行規則8条)。「被爆者」が日本に居住又は現在しなくなった場合
に,都道府県知事等が被爆者健康手帳の返還を求め得る実定法上の根拠はない。し
かも,「被爆者」が日本に居住も現在もしなくなった場合に,被爆者たる地位を喪
失する旨の規定は一切存しない。明文の規定がないにもかかわらず,解釈のみによ
って,ある一定の事実の存在を効力存続要件とすることは,法律上の地位ないし権
利の得喪という重要な事項について許容されるものではなく,法律による行政の原
理にも悖るものである。
        日本に居住又は現在することが被爆者たる地位の効力
存続要件であるという解釈は,被爆者の救済を図るという人道的見地に反し,被爆
者援護法の根本的な趣旨目的に反するといわざるを得ない。
        (c) 憲法違反
           ⅰ 憲法14条違反
             日本に居住又は現在することが「被爆者」たる要件で
あるとすれば,「被爆者」のうち「日本に現在するが居住しない者」のみ出国によ
りその地位を失うことになる。これは,「日本に居住する者」との間の明白な差別
である。かかる差別について,行政法の適用範囲に関する原則,被爆者法の法的性
格ないし構造,立法者意思等は,いずれもこれを根拠付ける合理的理由とはなり得
ない。
           ⅱ 憲法25条1項違反
             被爆者法の被爆者たる地位とそれに基づく諸権利は,
具体的権利として被爆者に保障された生存権である。これを失権等させる行政処分
ないし意図的後退措置は,具体的権利としての生存権侵害であり,憲法25条1項
に違反する。
           ⅲ 憲法98条2項違反
             B規約及び経済的,社会的及び文化的権利に関する国
際規約(A規約)を日本が批准し,国内的にも効力を有するに至った後も,それ以
前に出された402号通達に依拠して後退的措置を続けることは誤りであり,国際
法規を遵守していないことが明白である。日本に居住又は現在しなくなることによ
って被爆者法上の保護を否定する扱いを続けることは,憲法98条2項に違反す
る。
        (d) 国際人権規約違反
      ⅰ B規約26条,2条1違反
       B規約26条は内外人平等の原則を規定する。また,
締約国は,B規約2条1で,平等原則を尊重し,確保し,救済措置を確保すべき義
務をも負う。この平等権の保護を受けるのは,B規約で認められる権利に限らず,
A規約上の権利等についても保障されるというのが国際的に確立された解釈であ
る。被控訴人国が,日本に居住又は現在するかどうかという地位に基づき差別をし
て,効果的な被爆者法上の保護を与えないことはB規約26条,同2条1に違反す
る。
      ⅱ A規約2条2違反
       A規約2条2は,締約国の義務として,「国民的若し
くは社会的出身・・又は他の地位によるいかなる差別もなしに」社会権が行使され
ることを保障する内外人平等の規約実施義務を規定する。A規約上からも,日本に
居住又は現在するかどうかという地位による差別的取扱いを正当化することはでき
ず,A規約2条2にも違反する。
      ⅲ A規約2条1違反
       A規約2条1によれば,日本は,「立法措置その他の
すべての適当な方法により,この規約において認められる権利の完全な実現を漸進
的に達成するため」「行動をとる」義務があり(行動をとる義務),そのため,
「自国における利用可能な手段を最大限用いることにより,個々に又は国際的な援
助及び協力」を通じて行動をとるべき義務を負っている(国際協力義務)。国外に
出国した被爆者に,一旦与えた被爆者法上の保護を否定して,国際的協力のもとに
保護を与える行動をとる義務を尽くさないことは,A規約2条1に違反する。
       b  違法性の認識
     (a) 被控訴人国は,在韓被爆者に対して基本的な援護の措置を
講じることなく,不合理・恣意的・差別的な取扱いを行ってきた。
       すなわち,在韓被爆者への被爆者健康手帳交付政策は,日
本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(昭和40年条約第25号)(日韓
条約)の調印を境に,交付から拒否へと180度の転換を見せたが,その法的根拠
は全くなかった。
       日韓条約調印前には,観光ビザで来日した在韓被爆者に対
して,被爆者健康手帳を交付していたにもかかわらず,調印後には交付を拒否し
た。この変更は,同条約調印後増大が予想される在韓被爆者の入国,被爆者健康手
帳交付申請という動きに対して防御策をとったとしか考えられない。ところが,密
入国のF1氏が被爆者健康手帳の交付を求めて福岡地方裁判所で勝訴するや,「治
療目的で適法に入国し1か月以上滞在している者は日本社会の構成員」に当たると
変更されて在韓被爆者のF2氏に被爆者健康手帳が交付され,さらにF1氏が福岡
高裁でも勝訴するや,どのようなビザであっても「入国目的を問わず適法な入国後
概ね1か月以上滞在していれば居住関係がある」と見解を変え,最高裁でも入国の
適法性を問わないとの判断が示されると,日本に「現在する限り,その理由を問わ
ない」と「現在性」の要件を持ち出すようになったのである。
       このような被控訴人国の判断基準の変更には,法的根拠は
無関係に,恣意的に在韓被爆者への被爆者法の適用を可能な限り制限するという姿
勢が如実に示されている。被爆者法には国籍条項はなく,日本の領域内のみに適用
がある旨の規定等も全く存しないにもかかわらず,在韓被爆者を意図的に排除しよ
うとしたといわざるを得ない。402号通達はその典型であり,到底,法の解釈か
ら導き出されるものではない。
        (b) また,被控訴人国は,前記のとおり,原爆2法について,
都道府県の区域を越えて居住地域を変更した場合には権利を喪失させるという法に
反した扱いをしていた。それ故,昭和49年(1974年),原爆特別措置法施行
規則の一部を改正する省令によってこれを改めたのであるが,当然,このときに原
爆2法の趣旨と従前の扱いの整合性について検討し,原爆2法には日本国外に居住
地を移すことが権利喪失の要件として規定されていないことを認識したはずであ
る。しかるに,在韓被爆者からの被爆者健康手帳の交付申請が今後増加することを
危惧し,在韓被爆者への法の適用を可能な限り制限するために,あえて402号通
達を発したのである。
       c  故意・過失
        (a) 402号通達は,被爆者法が定める被爆者の要件を改変
し,法律上の根拠がないにもかかわらず,日本に居住又は現在することを被爆者た
る地位の効力存続要件とするものである。
         このような通達の制定に,公務員に職務上要求されている
標準的な注意義務違反の存することは明らかである。
        (b) 被爆者法上,日本に居住又は現在することを被爆者たる地
位の効力存続要件とする根拠はどこにも存在しない。また,他の法律で,日本に居
住又は現在することを効力存続要件と解し得るものも存在しない。
         しかるに,被控訴人国は,本来,一義的に一定の事実を効
力存続要件としていることが明らかな場合でなければ,解釈による要件の付加は認
められないにもかかわらず,あえて解釈による効力存続要件の付加を行ったもので
あり,故意ないしは重大な過失があったといえる。
        (c) 402号通達制定の経緯からも,故意又は重大な過失が認
められる。
           被控訴人国は,昭和40年(1965年)までは,個人救
済を求めて観光ビザで来日した在韓被爆者に対し被爆者健康手帳を交付し,被爆者
法による援護を行っていた。ところが,同年に日韓条約が締結された後,従前の取
扱いを変更して,来日した在韓被爆者に対し,明文のない居住要件を付加して被爆
者法の適用を拒むようになった。これに対し,前記のF1訴訟の第1審判決(福岡
地方裁判所昭和49年3月30日判決)は,日本国内に正規の居住関係を有するこ
とを必要と解する理由はないと判断し,これを受けて同年7月,東京都は,厚生省
の同意の下,日本に滞在していた在韓被爆者F2氏に対し被爆者健康手帳を交付し
て,被爆者法に基づく援護措置を取った。ところが,厚生省は,同年7月22日,
402号通達を発し
て,一旦被爆者健康手帳の交付を受けても,日本を出国した場合には失権するとの
取扱いをすることとしたのである。
           このように,被控訴人国は,従前認めていた在韓被爆者へ
の原爆2法の適用を,明文のない居住要件を付加して拒んだことについて,司法か
ら断罪されたにもかかわらず,今度は日本に居住又は現在することを被爆者たる地
位の効力存続要件として付加したものであり,故意又は重大な過失がある。
      (イ) 損害
       a 健康管理手当
        (a) 控訴人番号1ないし4,7,9,17,21,32,34
ないし37,39番の控訴人らについては,一度は被爆者健康手帳を取得して健康
管理手当を受給したが,402号通達により出国を理由に失権させられ,同手当の
支給を打ち切られた。失権の取扱いがなければ,都道府県知事等が定める当該疾病
が継続すると認められる期間,上記手当の支給を受けられ(被爆者援護法27条,
原爆特別措置法5条),同期間の満了後も,手当受給の手続をとったことは確実で
あり,現在まで継続的に支給を受けられたはずである。したがって,上記控訴人ら
は,出国を理由に支給を打ち切られてから,現在までの間に受給することができた
上記手当相当額の損害を受けたものである。
        (b) その余の控訴人らは健康管理手当を受給したことはない
が,これは違法な402号通達により,多大な負担を覚悟し苦労して被爆者健康手
帳を取得しても,その恩恵はわずかに日本に滞在することのできる短期間の医療費
と手当支給のみで,日本を出国すれば失権させられ,健康管理手当も打ち切られる
という違法な取扱いをされてきたために,被爆者健康手帳は取得しながら健康管理
手当の支給認定を申請しなかったり,被爆者健康手帳自体を取得しなかったことに
よるものである。
           402号通達による違法な取扱いがなければ,その余の控
訴人らにおいても,遅くとも本件訴訟が提起された後の平成8年8月には,被爆者
健康手帳を取得して健康管理手当の支給を申請し,その翌月である同年9月から健
康管理手当を受給することができたものと認められる。したがって,これらの者
は,平成8年9月以降の健康管理手当相当額の損害を受けたものである。
       b 精神的損害
         被控訴人国による違法な402号通達に基づく取扱いは,被爆
者法の人道的精神に違反する重大な違法行為であり,これにより控訴人らが被った
精神的苦痛は甚大である。控訴人らは,日本に強制連行されてきたが故に広島で原
爆に被爆し,命からがら独力で帰国したものの,被爆による健康被害に苦しみなが
ら,それに耐えて生活を続けてきたのである。ところが,被控訴人国は,そうした
控訴人らを含む在韓被爆者を長年にわたり補償の埒外においてきた。のみならず,
日本に来れば日本在住の者と同様の扱いはするが,日本を一歩たりとも離れれば一
切の法的保護はしないという,法の趣旨に反する扱いを402号通達により長期間
にわたって続けてきたのである。
         これによる精神的苦痛に対しては,控訴人らが受けた強制連
行・強制労働・原爆被爆後の放置・日本に居住する被爆者との不当な差別による肉
体的精神的苦痛に対する慰謝と合わせ,控訴人ら各人に対し1000万円の慰謝料
が認められるべきである。
       c 402号通達の廃止による救済の限界
         402号通達の廃止によって,控訴人らが真に救済されたとは
いえない。
         これまで被爆者健康手帳を取得していない在韓被爆者は,その
取得のために来日して被爆者の認定を受けなければならない。
         しかしながら,控訴人らはほとんどが80歳以上の高齢であ
る。遠路日本に渡ることの肉体的,精神的負担は並大抵ではない。病床で寝たきり
の控訴人もいる。しかも当然に経済的負担が伴う。こうした一連の手続を高齢の控
訴人らが独力で行うことは不可能である。被控訴人国は,402号通達による措置
は廃止したが,在韓被爆者が被爆者健康手帳の交付や健康管理手当の支給を受けら
れるための措置について全く配慮していない。
         控訴人A8(控訴人番号8),控訴人A10(控訴人番号1
0),控訴人A15(控訴人番号15),控訴人A16(控訴人番号16),控訴
人A27(控訴人番号27),控訴人A28(控訴人番号28),控訴人A29
(控訴人番号29),控訴人A30(控訴人番号30),控訴人A31(控訴人番
号31)の9名は,平成15年(2003年)4月10日までに,それぞれ広島
市,長崎市に被爆者健康手帳交付の仮申請を行ったが,在韓被爆者からの仮申請が
殺到していて,処理には3年以上を要する状態であり,平成16年1月末までに交
付を受けることができたのは,控訴人A27(控訴人番号27)と控訴人A28
(控訴人番号28)の2名だけである。こうした様々な負担の故に,そしてまた高
齢,健康等の理由から,手続自体をあきらめざるを得ない在韓被爆者も多い。ま
た,健康管理手当の受給が実現した在韓被爆者も,その年齢からして,受給するこ
とのできる期間はそれほど長くはない。                
         既に健康管理手当の支給認定を受けていた控訴人らも,十分な
救済は受けられない。被控訴人国は,平成14年(2002年)12月から5年以
上遡る未払部分については,地方自治法上の時効を理由に支払わないという。しか
し,この時効の完成については控訴人らには何の責任もなく,権利の上に眠ってい
たということはできない。しかも,健康管理手当の支給要件として,少なくとも5
年に1度の検診が求められてきた。即ち,平成14年(2002年)12月から遡
って5年以内に診断書を添えて健康管理手当の申請をしていない被爆者は,現時点
においても,なお来日して指定医療機関で検診を受けなければならないとされてい
る(ただし,平成15年(2003年)8月に健康管理手当の支給認定期間の改正
により,一定の障害を伴う疾病については,支給認定期間の上限が無制限(終身)
とされた。)。
      (ウ) 一部請求
         以上のとおり,控訴人らは,それぞれ健康管理手当受給額相当
額の損害及び1000万円の慰謝料に相当する精神的損害を受けた。そこで,控訴
人らは,これを従前の請求原因と併せて,それぞれ損害額の内金1000万円と弁
護士費用100万円の支払を被控訴人国に求める。
      (エ) 被控訴人国の主張に対して
         被控訴人国は,被爆者法には在外被爆者に対して給付を行うこ
とを予定した規定が存在しなかったこと,原爆医療法に基づく給付は在外被爆者に
対して行われる余地がなかったこと,被爆者法は各種給付を行う実施機関を都道府
県知事等としていること,原爆特別措置法や被爆者援護法の制定過程で在外被爆者
に対しては適用されない旨明らかにされていること,F1訴訟においても在外被爆
者には被爆者法の適用のないことが前提と理解されていたことなどを理由に,40
2号通達を立案・維持し,同通達に依拠して行われていた被爆者援護行政につい
て,当該公務員が職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と行為をし
たと認め得るような事情があったとはいえないと主張する。
         しかしながら,国外に出国した被爆者について,一旦取得した
被爆者健康手帳を失効させ,手当の受給資格を失わせるという被控訴人国の取扱い
は,極めて異例である。行政処分によって一旦取得した法的な地位や資格・免許・
権利を,国外に居住地又は現在地を移すことによって,何らの法律の規定もなく当
然に喪失するという例は他に存在しない。行政作用によって私人の権利を侵害し,
私人に義務を課す場合には法律の根拠が必要であり,行政処分によって一旦付与さ
れた権利・資格を,明文に根拠のない効力存続要件によって失権させられること
は,法治主義の大原則に反するものである。
         しかも,402号通達は,原爆2法が制定された当時から存し
たものではない。既に述べたような402号通達が制定される経過に照らしても,
被控訴人国の上記主張は認められない。
    (3) 立法不作為による損害賠償責任
     ア 本件における立法不作為の検討
  本件において問題となっているのは,植民地支配の結果原爆を被爆
した在韓被爆者に対して,戦後これが放置されて損害が拡大していったにもかかわ
らず,補償を行うための立法を怠ったことについての立法不作為である。
 (ア) 在韓被爆者に対する補償立法の必要性
  F1訴訟についての最高裁判所昭和50年(行ツ)第98号昭和
53年3月30日第一小法廷判決・民集第32巻第2号435頁(F1訴訟最高裁
判決)は,原爆医療法の制定理由について,「原子爆弾の被爆による健康上の障害
は,かつて例をみない特異かつ深刻なものであることと並んで,かかる障害が遡れ
ば戦争という国の行為によってもたらされたものであり,しかも,被爆者の多くが
今なお生活上一般の戦争被害者よりも不安定な状態に置かれているという事実を見
逃すことはできない。原爆医療法は,このような特殊の戦争被害について戦争遂行
主体であった国が自らの責任によりその救済をはかるという一面を有するもので
あ」る,と述べている。
  この原爆医療法の制定理由こそ,被爆者が救済されるべき必要
性と,これを被爆被害を招いた被控訴人国自身が行うべきであるという立法事実を
明確に指摘したものということができる。そして,在韓被爆者についても,被爆者
として深刻な状況に置かれている点,被爆が日本による戦争遂行の結果もたらされ
たという点では何ら変わるところはない。むしろ,在韓被爆者の置かれている状況
や被爆に至る経緯にかんがみれば,被爆者として救済されるべき必要性は,より高
度に存するのである。
 (イ) 在韓被爆者の置かれた状況を理由とする立法の必要性
  控訴人ら在韓被爆者において重視されるべき事実は,戦後,何
らの救済も受けられず,悲惨な状態で放置され損害が拡大していったことである。
   日本の被爆者は,戦後まもない頃から,放射線被曝が健康障害
をもたらすとの知見のもと,専門の治療・研究機関まで擁した医療体制下での治療
を受け,原爆2法や自治体の施策による経済的支援を受けることができ,そのよう
な社会的制度を背景として,周囲から健康障害についての理解を得ていたのに対
し,在韓被爆者は,爆弾が原子爆弾であったことを知ったのが被爆後十数年を経過
してからであり,戦時中日本にいたために朝鮮での経済的基盤を失ったことから,
体調不良のまま無理をして働いて一層健康を害し,治療を受けても医療機関が放射
線障害を理解していないという,病苦と貧困と無理解の悪循環に陥っていたのであ
る。特に韓国においては,原爆が「解放をもたらした正義の爆弾」とされて,その
被害の深刻さは全く理解されなかった。在韓被爆者は,まさに見捨てられていたの
である。
  このような状況においては,憲法,特に13条,29条3項等
において要求されている補償立法の必要性はより高度なものとなっており,国会に
は強度の立法義務が課せられているのである。
      (ウ) 在韓被爆者が被爆に至った経緯を理由とする立法の必要性
  F1訴訟最高裁判決は,原爆医療法の性格について「特殊の
戦争被害について戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済をはかると
いう一面を有する」と述べ,原爆被害補償法たる原爆医療法が,特殊な戦争被害を
惹起した国の責務として立法されたものであるとしている。この最高裁判決からす
れば,朝鮮人被爆者に対しては,植民地支配の結果,原爆被爆という特殊な戦争被
害に他国の者を巻き込み,いわれなき被害を強いたという国の責任がさらに加重さ
れているはずである。
 (エ) 立法義務を根拠付ける憲法条項
  在韓被爆者に対する補償立法は,①憲法制定に先立つ「議員
ノ戦争責任ニ関スル決議」「戦争責任ニ関スル決議」,②憲法前文,③憲法9条,
④憲法13条,⑤憲法14条,B規約26条,⑥憲法17条,29条1項・3項,
⑦憲法40条の各規定により,義務付けられている。現存する,種々の戦争被害補
償立法は,これらの規定を憲法上の根拠とし,憲法上の要請に基づき立法されてき
たのである。
 (オ) 国会が立法の必要性を認識した後,相当期間が経過したこと
  昭和47年(1972年)10月に,当時の大平外相が外国
人被爆者を救済する立法の必要について言及し,同年末に政府が実態調査を行い,
以後官房長官らが在韓被爆者救済の必要性について言及してきたこと,また,F1
訴訟最高裁判決により在韓被爆者補償立法の必要性がより明確となり,昭和54年
(1979年)の社会保障制度審議会でもF1訴訟をふまえた答申がされたことに
照らし,遅くとも,F1訴訟最高裁判決の時点で国会に立法義務が発生している。
以後,現在まで20年以上を経過しており,立法に必要な合理的期間は優にこれを
経過している。
     イ 在韓被爆者に対する補償が,いわゆる戦後補償問題として政治的問
題を孕んでいることや,立法技術上の困難性を伴うものであることを理由に立法不
作為の違法を否定することは許されない。いわゆる戦後補償立法は,現に種々存す
るのであり,憲法下の法秩序として既に形成されている。そのような法秩序下にあ
って,憲法の諸規定が在韓被爆者に対する補償立法を義務付けているのである。
    (4) 違法,無効な供託による債権侵害の不法行為
     ア 旧B株式会社が控訴人らの未払賃金等についてした供託は,後記
(二)(4)に記載のとおり供託要件を欠くものである上,内容や手続等においても無効
なものである。
   イ この供託は,朝鮮人徴用工らの未払金支払要求・補償要求を封じる
ことを目的に,「処理済み」の抗弁を作出するための方策として,被控訴人国及び
各企業の共謀のもとに行われたものであった。このような供託行為は,控訴人ら朝
鮮人徴用工らに対する新たな加害行為といわざるを得ない。
     (ア) 朝鮮人徴用工らの未払金の供託に関する経緯
       a 控訴人らの未払賃金等は昭和23年(1948年)9月7日付
けで供託されている。しかし,終戦からのこの3年間に,日本では,朝鮮人団体や
朝鮮人労働者自身の手によって,強制労働に関わった企業に対して直接に支払要求
がされ,なかには地方自治体が和解案を提示し,これを受け入れる姿勢を見せた企
業もあった。ところが,昭和22年(1947年)9月ころに被控訴人国が供託の
方針を打ち出したため,各企業がこれに従ったのである。
         旧B株式会社は「債権者の居所不明」を理由に供託を行い,被
控訴人国はこれを受け付けたのであるが,朝鮮人労働者等による直接交渉が行われ
ていた状況で居所不明としたことは事実に反する。同供託が,被控訴人国の指示に
より行われたことから,被控訴人国が企業とともに,国家的に支払問題のもみ消し
を行ったとの非難は免れない。
       b 朝鮮人労働者や朝鮮人団体による補償要求の開始
         戦時中に強制労働をさせられていた朝鮮人労働者やこれを支援
するD1連盟は,終戦後の昭和20年(1945年)中から,各地で,企業に対し
て,朝鮮への帰還手段の確保,未払給与,退職金,就労中の死傷に対する補償を要
求する行動を起こした。補償要求を受けた企業では,要求者らの身元確認を行って
おり,実際に確認できた事例も報告されている。そして,C3製鉄所をはじめ,各
地で問題解決への動きが見られていたところ,被控訴人国は,朝鮮人労働者に対す
る未払金処理について,昭和21年(1946年)7月11日付けの厚生省労政局
給与課長名の各府県内務部長等宛書面において,D1連盟には法人格がないので代
理行為はできない旨指摘した上で「朝鮮人労務者等に対する未払金その他の処理に
ついては・・・供託せしめることとする方針で目下・・・研究中である」として,
解決の動きに牽制をかけた。
         その後,同年9月,厚生省は,「朝鮮人労務者に対し退職金そ
の他の未払金のある場合は,厚生省の責任において供託せしめ,正当なる請求に対
してのみ支払わせる。」とし,この厚生省の指導を受けた各企業は,順次供託を始
めていくこととなった。しかしながら,昭和22年(1947年)初めには,供託
通知書の送付ができるまでに朝鮮との間の郵便事情は回復していたにもかかわら
ず,どの企業が行った供託についても,朝鮮に供託通知が送付されることはなかっ
た。
       c 旧B株式会社のC1製作所・C2造船所における供託
         控訴人らを含む旧B株式会社の朝鮮人徴用工を被供託者とする
供託は,上記のとおり昭和23年(1948年)9月7日付けで行われている。昭
和22年(1947年)初めには,朝鮮との間の郵便事情は十分に回復したのであ
るから,朝鮮人徴用工らに,直接又は朝鮮の面(役場)事務所を通じて受領を促
し,支払方法を問い合わせることは可能であり,供託通知の送付も可能であった。
しかし,控訴人らに対して,そのような手紙や供託通知は発送されていない。しか
も,供託書の内訳書を見る限り,本籍について道・郡までしか記載されておらず,
本件供託は,そもそも通知を発送せず,被供託者に権利行使をさせないことを予定
して行われたものといわざるを得ない。
       d まとめ
         朝鮮人労働者に対する未払金等について供託制度が利用される
までの以上のような経緯を見れば,供託は,D1連盟等の団体による要求を封じる
ために,被控訴人国が指導して行わせたものであることが明らかである。
         被控訴人国が供託の方針を打ち出す以前には,朝鮮人労働者自
身,その代表者,D1連盟等の団体が,各企業に対して直接に請求を行い,合意解
決に至った企業もあり,交渉過程にあるものも問題解決に向かっている状況にあっ
た。ところが,被控訴人国が,直接交渉を封じるべく供託の方針を打ち出したこと
により,以後,これらの支払要求に対しては,「処理済み」として対応されること
になった。そして,朝鮮半島に帰郷した朝鮮人労働者に対しては,供託通知が送付
されず,その結果被供託者として権利を行使することもできず,他方,直接に請求
すれば支払済みと抗弁され,その請求権は,事実上,行き場のない権利となってし
まったのである。
      (イ) 本件供託行為それ自体による被控訴人国及び旧B株式会社の不
法行為等
       a 被控訴人国と旧B株式会社は,共謀して,被供託者への払渡し
を予定しない供託をすることにより,控訴人らの請求権そのものを抹殺するという
積極的な妨害行為に及んだのである。その結果,被控訴人B1株式会社らに「処理
済み」との取扱いを許すことになり,控訴人らは,ただでさえ外国からの請求権の
行使が困難であったものが,より一層困難な状況に置かれることとなった。
         かかる供託行為は,もともと被控訴人国及び旧B株式会社が控
訴人らに対する補償義務を負っていたことにかんがみれば,あえて控訴人らの有す
る請求権に対する侵害行為に及んだものと評価することができる。控訴人らは,こ
の債権侵害行為を理由に,かかる供託を指示した被控訴人国に対して,国家賠償法
1条1項に基づき損害賠償を請求することができる。
       b 供託の受付,供託通知不送付に関する被控訴人国の違法行為
         被控訴人国は,かかる供託を受け付け,供託通知を発送しなか
った点において,民法,供託規則に違反しており,国家賠償法上の責任を負う。
        (a) 供託を受理した違法行為
           本件供託書には,供託原因として「債権者の居所不明のた
め交付すること能わざるに付き」と記載されている。供託書の内訳書にも,195
1名全員の本籍欄には,朝鮮の道・郡までしか記載されていない。しかし,本件供
託の被供託者らについては,旧B株式会社や被控訴人国において名簿等を備えてい
たのであって,全員について居所が不明とされていることは,明らかに供託原因を
欠く疑いを生じさせる。
           ところが,被控訴人国はこれを受け付け,有効な供託とし
て取り扱った。民法494条,供託規則13条2項に規定された要件に反した受理
であり,法令に違反する行為である。
        (b) 供託通知を発送しない違法行為
           民法495条3項は,遅滞なく供託通知を発送することを
供託者に義務付けており,供託規則19条で,供託官がその発送をすることとされ
ている。ところが,本件供託手続では,供託通知は,現在まで発送されていない。
供託官は,供託通知の発送を懈怠し続けているのである。
        (c) これらの違法行為により,控訴人らの権利行使が,より一
層困難な状態に置かれたことは上記のとおりであり,控訴人らの精神的損害につい
て,被控訴人国は国家賠償法1条1項に基づく損害賠償責任を負う。したがって,
これを従前の請求原因に併せて主張する。
        (d) 時効の起算点
           なお,同供託においては,供託通知は未だに発送されてお
らず,控訴人らが自己への未払金等が供託されているのを具体的に確認したのは,
文書提出命令によって平成13年(2001年)1月30日に供託書副本の写しが
提出された時点が最初である。したがって,上記不法行為についての損害賠償請求
権の時効の起算点は,その翌日である。
    (5) 除斥期間の予備的主張について
      被控訴人国は,予備的に,控訴人らに民法の不法行為による損害賠償
請求権が認められるとしても,民法724条後段の除斥期間の経過により消滅して
いる旨主張するが,その主張に理由のないことは,被控訴人B1株式会社らの同様
の主張に対する反論(後記(二)(3)記載)のとおりである。
    (6)日韓請求権協定に関する予備的主張について
     ア 被控訴人国は,財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力
に関する日本国と大韓民国との間の協定(日韓請求権協定)第2条3の「財産,権
利及び利益」については,財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関
する日本国と大韓民国との間の協定第2条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対す
る措置に関する法律(財産権措置法)を制定して消滅させたものであり,韓国国民
の日本国及びその国民に対する「請求権」(日韓請求権協定第2条3)について
は,日韓請求権協定自体の法的効果として,日本国及びその国民は,韓国国民の
「請求権」に基づく請求に応じる法的義務がないという。しかし,韓国国民個人の
請求権について,どのような根拠に基づき,これに応じる法的義務がないのかにつ
いて,明確な理論的説明がされていない。
     イ 日韓両国は,国家としては,日韓請求権協定において,自国及びそ
の国民の「財産,権利及び利益」及び「請求権」に関する外交保護権を相互に放棄
することにより,いわゆる戦争損害の補償,賠償等の問題につき,国際法上,両国
の国家間において,完全かつ最終的に解決されたことを確認したものということが
できる。しかし,個人が他国の加害行為により被害を受けた場合に,当該被害者個
人が加害国の国内法に従い,実体的に権利を行使することは,国際法上の外交保護
権の存否にかかわらず許容される。したがって,韓国国民である控訴人らが,日本
の裁判所に本件の主張に係る損害の補償,賠償等を求めて提訴することは妨げられ
ておらず,当該請求権についての法律的根拠の有無は,受訴裁判所において個別具
体的に判断されるべきことになる。日韓請求権協定によって解決したとされていて
も,それは国家間における外交保護権の行使を巡る問題にすぎず,そのことにより
直ちに個人の請求権が消滅するものではない。
     ウ 財産権措置法についても,日本の統治権に服さない韓国国民の有す
る財産権を,日本の法律によって何らの補償もなく剥奪することは許されない。少
なくとも憲法29条3項により正当な補償を要するというべきである。
   (二)  被控訴人B1株式会社及び同B2株式会社に対する請求について
    (1)国際法に基づく責任について
     国際法上,個人に法主体性が認められることは,被控訴人国との関
係で述べたとおりである。そして,旧B株式会社は,第2次世界大戦中の戦時経済
体制下において,軍部からの要請に基づき,広島に工場(造船,機械)を建設して軍
需生産に邁進し,軍需会社として国の管理統制を受けるべき立場にあり,実態とし
て国家と同様の機能を果たしたのであるから,控訴人らは,国際法上,被控訴人B
1株式会社及び同B2株式会社に対して,損害の賠償を請求できるというべきであ
る。
    (2) 安全配慮義務違反について
       安全配慮義務違反の具体的内容については,被控訴人国について述
べたところと同様である。特に,旧B株式会社は,原爆投下後,控訴人らの生命,
身体の安全に配慮することなく,何の指示も出さずに,控訴人らを不必要に被爆地
に滞在させることになった。控訴人らの被爆による被害は,その結果増悪したこと
が明白であり,およそ職場の管理責任者による基本的な安全対策が講じられなかっ
た責任を免れることはできない。
    (3) 時効,除斥期間について
     ア 不法行為責任について
      (ア) 除斥期間説の誤りと時効説
     民法724条後段を除斥期間と解することは誤りである。すな
わち,これを長期時効と解しても同条前段のように起算点に主観的認識を含めない
のであるから,そこに二重規定の意義を認めることができる。また,長期時効説に
立ち20年の期間の中断を考えた場合も,中断の前提として損害及び加害者を知っ
ているわけであるから,その時から短期の3年間の時効が進行するはずであり,浮
動性の排除の点でそれほどの差異はない。この短期時効の中断を続けていけば確か
に権利は永続するかもしれないが,それは権利一般に当てはまることである。そし
て,この規定の淵源となったドイツ民法典852条においては,3年の短期時効と
ともに規定されている長期期間は明文上時効とされており,中断や停止も当然に前
提とされているのであ
る。
    さらに,文言上は民法724条後段の期間は時効と解するのが
素直であり,立法者の意思もこれを時効とするものであったこと,除斥期間説は時
効説に比して浮動性排除をより達成するかもしれないが,それも程度問題にすぎな
いこと,公害や労災など,構造的,潜在的な被害発生の多発する今日において,除
斥期間説による画一的な処理は,いたずらに被害者切り捨て機能を果たすだけであ
ることからは,民法724条後段の期間は,長期の時効を定めたものと解するのが
妥当である。
    以上により,民法724条後段は時効を規定したものであるか
ら,その適用にあたっては,当事者の援用が必要である。そして,その援用が信義
則違反,権利濫用にならないかが問題とされねばならない。
    (イ) 除斥期間と信義則違反・権利濫用
    仮に,民法724条後段の期間が除斥期間であるとしても,信
義則違反,権利濫用等を理由とする適用制限が認められるべきである。同条後段の
適用制限のあることを認めた最高裁判所平成5年(オ)第708号平成10年6月1
2日第二小法廷判決・民集52巻4号1087頁は,時効の停止事由を定める民法
158条の法意を借りながら,実質的には,停止事由に該当する被害者の心神喪失
の状況が当該不法行為の結果として発生している事実を重視している。この判決
が,不法行為者が被害者の権利行使を困難にしたことを重視しているのは,時効援
用の信義則,権利濫用の法理と同じ発想である。実質的には除斥期間に対する信義
則,権利濫用の法理適用に踏み込んで,不法行為者が被害者の権利行使を困難にし
た場合等,同条後段の適用
を認めることが著しく正義・公平の理念に反する場合には,広く適用制限が認めら
れることを示したものと解すべきである。
      (ウ) 本件における信義則違反・権利濫用の事情
    a 違法性・被害の大きさ
     (a) 強制連行・原爆被爆と帰国後の生活状況
        控訴人らは,植民地下の朝鮮から広島まで強制連行され,
劣悪な環境のもとで強制労働を強いられたものである。これらの行為は,逮捕,監
禁,強要,暴行,傷害罪等の犯罪をも構成すべき重大な違法行為である。
       旧B株式会社は,控訴人らの起臥寝食の一切を支配し,控
訴人らを使役して利得を得ながら,他方で,控訴人らに対し,使役の内容に適した
衣類,食料,適当な宿舎・寝具を整えることもなく,日常的に暴力を背景とした監
視体制を敷き,飢餓状態を作出し,これを利用して控訴人らの反抗を不能としてい
た。また,労働現場や福利厚生の面で,日本人労働者と比較して差別待遇をしてい
たのであった。
        (b) 被爆後の放置
           広島市に原爆が投下された後,旧B株式会社は,その日の
午後には被害対策本部を設け,日本人従業員の救済・復旧対策を検討し,当面の対
策として,罹災従業員救援の捜索隊を市中に派遣して日本人従業員の肉親,縁者の
捜索を続け,日本人従業員らには炊き出しを行うなど,各種の救護・援護措置をと
った。
       ところが,控訴人ら朝鮮人徴用工に対しては,避難場所や
食糧を提供することなく被災した状態のまま放置し,それまで収容されていた寮か
ら立ち去るに任せた。控訴人らは自らの手でその生命身体を守るほかなく,何とか
生きる術を得ようと,言葉も十分に通じず,不便で危険な外部へ活路を見出すほか
なかったのである。控訴人らは,生存の危機にさらされたといっても過言ではな
い。
        (c) かろうじて自力で郷里に帰ってからも,控訴人らは被爆に
よる健康被害に悩まされ,同じ境遇の被爆者が次々と死んでいくなかで,社会の偏
見にも耐えながら,困窮を極めた生活を送ってきたのである。旧B株式会社の行為
の違法性はきわめて高く,被控訴人らの被害は甚大であったといわなければならな
い。かかる控訴人らを救済すべき必要性は高い。
       b 外的事情による権利行使不能と被控訴人らによる信頼作出
   (a) 日韓協議と日韓請求権協定
   昭和26年(1951年)9月にサン・フランシスコ平和
条約が調印され,同年10月から日韓の2国間協議が開始されたが,在韓被爆者を
含む韓国の戦争被害者は,この日韓協議において,1910年以来の植民地支配に
ついて,然るべき賠償及び補償が行われることを期待した。しかし,控訴人らの期
待に反して日韓協議は容易に決着せず,被控訴人B1株式会社らも自ら何らかの対
応をしようとはしなかった。
           14年もの長期にわたる協議の末,昭和40年(1965
年)6月22日,ようやく日韓条約・関連諸協定の締結に至った。韓国の戦争被害
者は,これにより真に日本による賠償がなされるものと期待していた。しかし,そ
の内容は,日本が3億ドルを経済協力金として拠出する形で押し切ったものであっ
た。その上,控訴人らは,日韓請求権協定によって,請求権問題も「完全かつ最終
的に解決済」と思い込まされてしまったのである。
        (b) D2援護協会の活動等
           しかし,控訴人ら在韓被爆者は問題を放置することはでき
ず,昭和42年(1967年)7月10日,社団法人D2援護協会(後にD2協会
と改称)(D2援護協会)を設立し,被控訴人国と被控訴人B1株式会社に対して
補償を求めて交渉を始めることとなった。そして,昭和49年(1974年)8月
には,被控訴人B1株式会社は,D2援護協会との交渉において,ようやく問題解
決に前向きな姿勢を示すに至ったのである。こうした動きについて,控訴人ら在韓
被爆者らが多くの期待をもったのは当然であった。
           一方で被控訴人国の在韓被爆者への対応も,大いなる期待
をもたせながら,最終的にはわずか5年間の渡日治療を極めて不十分な形で実施
し,また被爆者個人の手には渡さない条件付きで40億円の「医療面での補助」を
するにとどまったのであった。被控訴人B1株式会社においては,具体的な解決策
を何ら示すことなく月日が経過していくこととなった。
           被控訴人B1株式会社が,真実,問題解決に前向きであっ
たなら,控訴人ら朝鮮人徴用工の使役や被爆の実態を調査し,その救済の手助けを
すべきであったが,実際には,上記の政治状況などを利用しながら,外面では被害
救済を装いつつ,何の手助けもしてこなかった。その態度は,控訴人らが法的手段
等に訴え出るのを防ぎながら,その老いるのを待ち続けていたものと評価されても
やむを得ない。
        (c) 「戦後50年」の節目と本件訴訟の提起
           いわゆる「戦後50年」という節目を迎え,平成7年(19
95年)には戦後補償問題の解決が社会問題としてクローズアップされた。控訴人
らも,被控訴人国及び被控訴人B1株式会社から解決に向けての動きがあるものと
期待した。しかしながら,具体的な解決策は何も示されないまま経過し,やむな
く,控訴人らは,裁判による解決を期待して,同年12月11日,6名で本件の第
1次提訴に及んだのである。
        (d) こうした国際政治情勢や,被控訴人国及び被控訴人B1株
式会社らがことあるごとに表向き被害救済をほのめかす態度をとってきたために,
控訴人らの権利行使は,本件訴訟提起まで現実的な期待可能性がなかったといわざ
るを得ない。
       c 被控訴人B1株式会社らには採証の困難がない。
         長期間の経過による採証の困難をいうのであれば,その事情は
控訴人らにとっても同様であり,むしろ不利益を被るのは控訴人らである。
         被控訴人B1株式会社らの社会的実力をもってすれば,証拠の
収集は控訴人らが行なうよりもはるかに容易である。被控訴人らが収集すべき証拠
はほとんどすべてが社内資料である。50年史を発行して,その歴史・業績を誇る
ことができるのであれば,本件訴訟のための資料を収集することも可能なはずであ
る。控訴人らと被控訴人B1株式会社らの証拠収集能力の違いに照らせば,被控訴
人B1株式会社らには採証の困難がないというべきである。
      (エ) 時効,除斥期間の趣旨は,権利行使が十分可能でありながら,
権利を長期間行使せず,あるいは権利の不行使につき権利者に基本的な責任がある
場合に,「権利の上に眠る者」の権利をいつまでも保護する必要がないという考え
である。また,一方で義務者側の防御権の行使が,その期間の経過故に妨げられる
結果ともなることから,正義・公平の理念から認められてきた制度である。
         控訴人らの本件訴訟までの経緯を見れば,到底「権利の上に眠
る」という評価は当たらない。また,形式的に除斥期間が適用され,あるいは消滅
時効の援用を許すときは,控訴人らにとって極めて過酷な結果となり,法の正義に
も著しく反する。逆に,ことあるごとに控訴人らに期待をもたせ,裏切ってきた被
控訴人国や被控訴人B1株式会社らの態度は,厳しく断罪されなければならない。
本件において,時効を援用し,除斥期間を主張することは,明らかに権利濫用であ
り,著しく信義に反するといわざるを得ない。
        イ 安全配慮義務違反に基づく損害賠償責任及び未払賃金債務に
ついて
      (ア) 被控訴人B1株式会社に関する消滅時効の起算点
         消滅時効の起算点についての「権利を行使することを得る時」
とは,単に権利の行使につき法律上の障害がないというだけではなく,さらに権利
の性質上,権利行使が現実に期待できるものであることを要すると解される。
         昭和49年(1974年)8月,D2援護協会役員が来日し被
控訴人B1株式会社と交渉したことは,未払賃金請求権等の行使が可能になったこ
とを示すものではない。被控訴人B1株式会社は,D2援護協会役員に対し,
「国,自治体,他の企業,一般社会が救助する動きを見せたとき,その一員として
協力する。」と回答し,支払義務を否定せず,時期が来れば支払う旨発言した。控
訴人らは,この回答を信頼していたのである。また,戦争の終結後,韓国ではアメ
リカ軍による軍政の後,軍事政権が続き,昭和62年(1987年)6月29日の
民主化宣言までは,控訴人らは,被控訴人国や日本企業に対する権利行使が不可能
な状態に置かれていた。民主化宣言の後,韓国の国家機関による監視が行われなく
なって,はじめて権利行
使の現実的可能性が認められる前提が整ったのである。昭和49年(1974年)
当時は,まだ軍事政権下にあり,上記のような陳情はともかく,日本で被控訴人B
1株式会社を相手に訴訟を提起することはできない政治状況にあった。さらに,被
控訴人B1株式会社は,交渉の際,未払賃金が供託されていることを明らかにし
た。そこで,控訴人らは,法務局に,供託金の内容を明らかにするよう求めたが,
法務局は,平成7年(1995年)2月に至るまで,様々な理由を付けて供託書を
閲覧させようとしなかった。このため,供託内容の確認ができず,控訴人らが司法
的解決を図ることはできなかった。
         控訴人らは,平成7年(1995年)の「戦後50年」という
節目を契機に,被控訴人国及び被控訴人B1株式会社から解決に向けての動きがあ
るものと期待したが,具体的な解決策は何も示されなかった。また,同年2月に閲
覧した供託書は,到底有効な供託とはいえないものであった。このため,これ以上
被控訴人B1株式会社の支払約束に期待することはできないと考え,本件訴訟の提
起に至ったものである。したがって,本件訴訟に至るまで,未払賃金等について控
訴人らが司法的解決を求めることは現実に期待できなかったのであり,被控訴人B
1株式会社に対する消滅時効の起算点は,本件訴訟提起時とすべきである。
      (イ) 被控訴人B2株式会社に関する消滅時効の起算点
         昭和49年(1974年)8月にD2援護協会役員が被控訴人
B1株式会社と交渉した際,被控訴人B1株式会社は被控訴人B2株式会社の存在
について全く触れなかった。控訴人らは,本訴に至るまで被控訴人B1株式会社の
みが未払賃金請求等の相手方当事者であると信じて疑わなかった。控訴人らが被控
訴人B2株式会社に対し,未払賃金請求等を行うことが現実的に可能となったの
は,平成9年(1997年)12月2日の長崎地方裁判所の判決が,被控訴人B2
株式会社による旧B株式会社の承継を判示したときである。被控訴人B2株式会社
に対する提訴は,この判決から1年以内にされているから時効期間は経過していな
い。
      (ウ) 消滅時効の援用の権利濫用・信義則違反等について
         仮に消滅時効が完成しているとしても,被控訴人B1株式会社
及び同B2株式会社による消滅時効の援用が,権利濫用,信義則違反になること
は,不法行為による損害賠償請求権における除斥期間,消滅時効の適用,援用が権
利濫用,信義則違反となることを論じたところより明らかである。
         さらに旧B株式会社の契約責任について,被控訴人国が時効を
援用することなく供託しなければならないと指示した事実からしても,非道な強制
連行・強制労働下で生じた債権は時効にかからしめるべきでないとの条理の存在が
認識されていたものであり,そうであるからこそ旧B株式会社も供託を行なったの
である。いまさら時効の援用に及ぶのは禁反言の原則にも反する。
   (4) 旧B株式会社がした供託の無効とこれによる債権侵害の不法行為につ
いて
     ア 旧B株式会社の供託の無効性
     旧B株式会社が控訴人らの未払賃金等についてした供託は無効なも
のであり,控訴人らの未払賃金等に関する請求権は消滅していない。
     (ア)供託の要件を欠くこと
      供託書によれば,供託理由は「債権者ノ居所不明ノタメ交附ス
ル能ハザルニ付」とされ,「供託物ヲ受取ル者ノ指定」は「○○○○外1950
名」とされている。しかしながら,旧B株式会社及び被控訴人国は,朝鮮人徴用工
らの本籍,住所,さらには遺族となる近親者の住所に至るまでを記載した名簿を備
えていたものであり,供託当時,控訴人らを含む朝鮮人徴用工らの居所が不明であ
ったはずはない。
      (イ) 供託書の記載内容それ自体において無効であること
      a供託書における債権者の特定は,氏名(創始改名による氏名)
と本籍によってされているが,提出された供託書副本の全部(35名分)におい
て,本籍は郡までしか記載されていない。
       供託当時,旧B株式会社や被控訴人国は,朝鮮人徴用工らの本
籍,住所について把握していたのであり,少なくとも,被供託者1951名全員に
ついてその居所が郡までしか判明していないとすることは,供託原因を欠くことを
強く疑わしめるものである。
        このような供託は,供託規則上,受け付けることのできない
ものであったことは明白である。
       b本件における供託が本旨弁済でないことも明らかである。
       (a)解雇年月日「不詳」の者の賃金額計算根拠が不明であるこ

          控訴人のうち26名について,「解雇年月日」欄に「不
詳」と記載されている。仮に,実際の解雇年月日が不詳であったとしても,いずれ
かの合理的な解雇日を設定して賃金額を計算しているはずであり,その金額が本旨
弁済であると確認されなければ,当該供託は受け付けられない。
         ところが,本件供託書では,大半が「解雇年月日」を「不
詳」としたまま賃金額欄の記載がされており,この点において,本件供託は本旨に
従った弁済であるか否か全く不明である。本件供託は,その内容の有効性以前に,
有効性を確認することすらできないものであり,一見して無効な供託としかいいよ
うがない。
       (b) 未払給与額に円未満の端数が見られないこと
         控訴人中3名については,銭単位の賃金額が記載されてい
るが,残る32名については,円未満の端数(銭単位)がない。解雇年月日が「不
詳」であるにしても,いずれかの日を賃金算出のために設定していることは間違い
なく,日割計算をすれば円未満の端数(銭単位)のある金額となるはずである。3
5名中32名について,円未満の端数が存しないのは全く不自然である。
        (c) 未払賃金額の格差が不自然なまでに大きいこと
           供託書によれば,その「未払い賃金」額は,0円00銭~
124円00銭と非常に幅が広く,個人格差が余りに大きい。
        旧B株式会社は,本件強制労働当時,朝鮮人徴用工に対し
て,その全員を寮に居住させて完全な管理下におき,工場労働に一律従事させてい
たのであるから,かように賃金に格差が発生することは不自然である。
        (d) 未払賃金が「0円00円」とされている者についての不自
然さ
        控訴人A18(控訴人番号18),控訴人A36(控訴人
番号36),控訴人A38(控訴人番号38)の3名については,未払賃金額は
「0円00銭」とされている。しかし,これらの者は,いずれも「解雇年月日」
「解雇理由」とも「不詳」とされており,未払賃金が存しないのは極めて不自然で
ある。
        (e) 未払預金額の不自然さについて
       控訴人らの35名については未払預金が存しており,その
金額は1円36銭~143円21銭と,未払賃金額と同様に個人によって大きな格
差が存する。また,当時の強制的な預金の実態からは,供託書に記載された未払預
金額は不自然なまでに低額である。金額の正確性は疑わしく,国民貯金を外して,
残る勤倹貯蓄部分にも操作を加えるなど,全く事実に反した記載であるとしか解さ
れない。
        (f) 以上のとおり,本件供託は,内容が非常に不自然で,適当
に虚偽を記載したものであるばかりか,賃金支払の対象期間さえ「不詳」とされて
おり,到底,本旨に従った金額が供託されたとはいえない。
     (ウ) 供託手続における無効
        旧B株式会社がした供託手続では供託通知書が発送されてお
らず,控訴人らの誰も供託通知書を受領していない。民法495条3項は,供託者
が債権者に対して遅滞なく供託通知をすることを規定し,供託規則19条及び20
条は,供託官が被供託者に供託通知の発送することを義務付けている。本件供託
は,かかる規定に反して供託通知を懈怠したまま現在に至っているもので,その手
続において違法なことは明らかである。
     イ 違法,無効な供託行為による債権侵害の不法行為
      この無効な供託は,朝鮮人徴用工らの未払金支払要求・補償要求を
封じることを目的に,「処理済み」の抗弁を作出するための方策として,被控訴人
国及び各企業の共謀のもとに行われたものである。
       このような供託行為は,それ自体の無効にとどまらず,控訴人ら朝
鮮人徴用工に対する新たな加害行為といわざるを得ず,被控訴人B1株式会社及び
同B2株式会社がこれにより不法行為責任を負うべきことについては,前記(一)
の(4)に記載のとおりである。したがって,これを従前の請求原因に併せて主張す
る。
 3  被控訴人国の当審における付加主張
  (一) 強制連行,強制労働を理由とする損害賠償について
    (1) 国際法に基づく責任について
    ア 条約が自動執行力を有すると認められるためには,主観的要件(条
約の作成,実施の過程の事情により,私人の権利義務を定め直接に国内裁判所で執
行可能な内容のものにするという締約国の意思が確認できること)及び客観的要件
(私人の権利義務が明白,確定的,完全かつ詳細に定められていて,その内容を具
体化する法令に待つまでもなく国内的に執行可能な条約規定であること)を具備し
なければならない。控訴人らの援用する条約等のいかなる規定がこの要件を充たす
かについての主張が不可欠であるが,控訴人らはその主張をしていない。
     イ ILO第29号条約においては,被害者個人が,加害国の国内裁判
所において,加害国を相手に損害賠償を求め得るとする特別な制度は設けられてお
らず,同条約違反により被害者個人が加害国に損害賠償を求め得るとする国際慣習
法の成立を示す一般慣行,法的確信の存在も認めることはできない。
     ウ 人道に対する罪違反について
         国際法としての人道に対する罪の性質は,被害者個人の民事的
請求権を基礎付けるものではない。人道に対する罪を初めて明文化したニュールン
ベルグ国際軍事裁判所条例6条や,極東国際軍事裁判所条例5条によれば,人道に
対する罪とは,一般市民に対する殺りく・絶滅・奴隷的虐待・追放その他の非人道
的行為又は政治的・人種的・宗教的理由による迫害をいうものと解され,各条項の
文言からすれば,明らかに違反行為者個人の犯罪構成要件を規定しているものであ
る。そして,各条例が,先の第2次世界大戦に関連して非人道的行為・迫害行為を
行った行為者個人の刑事責任を明らかにし,これを処罰するために設けられたもの
であることを併せ考慮すると,人道に対する罪の違反行為は,行為者個人の国際刑
事責任が追求される
という効果を有するにすぎず,行為者個人の所属する国家の民事的責任を基礎付け
るものではない。
     エ ハーグ陸戦条約3条は,その文言上も,交戦当事国間の国家責任を
明らかにしたものにすぎず,国家が,交戦当事国の被害者個人に対して直接損害賠
償責任を負う趣旨ではない。
     オ 1949年ジュネーブ条約においても,控訴人ら個人が加害国の国
内裁判所において加害国を相手に直接損害賠償を求め得るような特別な制度は設け
られておらず,同条約違反から,直ちに個人の加害国に対する損害賠償請求権が発
生するものではない。したがって,加害国に対し,個人が直接損害賠償を請求でき
ることが国際慣習法化していることを確認したともいえない。
     カ 控訴人らは,その主張する戦争犯罪に関する国際慣習法は,自動執
行力を有することが広く認められていると主張する。
    しかし,人道に対する罪等は,違反行為者個人の所属する国家の民
事的責任を基礎付けるものではない。その他,戦争犯罪に関する国際慣習法とし
て,被害者個人が加害者の所属国の国内裁判所において,その所属国に対し,損害
賠償を請求し得るとする一般慣行,法的確信の存在を認めることはできない。
    国際慣習法上も,個人に関する請求であっても,これを国際的に提
起する資格を持つのは国家であるとの原則が,今日もなお維持されており,個人の
国際法上の請求権を認めた事例はない上,裁判例においても個人の国際法上の法主
体性を認めた国際慣習法の成立は否定されている。
   (2) 国内法に基づく責任について
     ア 不法行為に基づく責任(国家無答責の法理について)
       控訴人らが主張する被控訴人国の行為は,国の権力的作用であるか
ら,民法の不法行為に関する規定の適用はなく,明治憲法下においては,かかる国
の権力的作用による損害について賠償責任を認める規定がなかったことから,被控
訴人国が賠償責任を負う余地はない(国家無答責の法理)。また,同行為は国家賠
償法施行前の行為であり,同法附則6項の「従前の例による」との定めにより,同
法施行後においても,被控訴人国が賠償責任を負うことはない。
      行政裁判法と旧民法が公布された明治23年の時点で,公権力行使
についての国家無答責の法理の採用という基本的法政策が確立したのである。そし
て,憲法17条は,この国家無答責の法理を廃し,公務員の不法行為につき国又は
公共団体に損害賠償責任を認めるという政策的判断をしているのである。国家無答
責の法理は,国の権力的作用に基づく損害について,民法の不法行為規定の適用が
なく,国家賠償法施行前は,損害賠償責任を認める一般的規定がなかったことによ
る実体法上の法理であって,単なる訴訟制度上の問題ではない。国家無答責の法理
は,「君主ハ不善ヲ爲スコト能ハズ。」との理念に基づくものであり,裁判所にお
いて訴求できないのは,実体法上損害賠償請求権が成立しないからにほかならな
い。
       憲法を前提とする現在の価値観から,国家無答責の法理の合理性を
否定することは全く根拠のないことである。憲法17条に基づき国家賠償法が制定
されたが,立法者の価値判断も,国家賠償法の遡及的適用を否定するべく,同法附
則6項に,同法施行前の行為については同法施行後においても国は賠償責任を負わ
ない旨を定めたのである。現時点において,国家無答責の法理に正当性,合理性を
見い出しがたいとして,国家賠償法施行前の民法の解釈として,国の権力的作用に
民法715条を適用できるとするのは誤りである。
       また,現行民法は,公法上の行為には適用されないとの理解のもと
で制定されたものであり,国家賠償法もそれを踏まえて制定されたものであること
は,同法案の審議内容から明らかである。国家の権力的作用による損害賠償の問題
について,特別法がない場合には,一般法としての民法709条以下の不法行為法
が適用される余地があるとの理解も誤りである。
     イ 損失補償の法理,結果責任の法理,条理について
       立法がされることなく上記法理等により個人に具体的請求権が認め
られるものではない。このことは,最高裁判所平成10年(オ)第2036号平成1
1年12月20日第一小法廷判決・訟務月報47巻7号1787頁において認めら
れている。
     ウ 安全配慮義務違反について
      控訴人らが安全配慮義務違反として主張する事実のいずれについて
も,その内容がどの程度のものをいうのか,それが当時の社会情勢を基準として違
法と評価されるべきものであったのか,被控訴人らにはそれが違法であることを認
識予見し,これを回避する手段はあったのかなどの点が明らかとはいえず,主張自
体失当であることに変わりはない。特に,控訴人らは,本件請求の基礎事実とし
て,原爆の被爆による被害を前提にしているが,これによる被害と被控訴人らの安
全配慮義務との関係は不明のままである。
  (二) 原爆被害放置等(立法不作為を除く)による損害賠償について
   (1) 被爆者法不適用の違法について
     ア 原爆医療法2条は「この法律において『被爆者』とは,次の各号の
一に該当する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいう。」と規定
し,被爆者援護法1条も同旨であるから,被爆者法の適用を受けるためには,原爆
医療法2条各号ないし被爆者援護法1条各号に該当するだけでは足りず,居住地又
は現在地の都道府県知事等に被爆者健康手帳の交付を申請し(原爆医療法3条1
項,被爆者援護法2条1項),その交付を受けることが必要である。これらの要件
を満たしていない在韓被爆者が被爆者法の適用を受けられないのは当然である。在
韓被爆者は,韓国内に居住したままの状態では被爆者法の適用を受けられないので
あって,被控訴人国の公務員の行為に何ら違法はない。
     イ 被爆者法が日本に居住も現在もしない被爆者に対して適用を予定し
ていないことは,それを審議した国会での政府委員の答弁に照らしても明らかであ
る。被爆者援護法は,原爆医療法及び原爆特別措置法の性質を引き継いだものであ
り,原爆医療法及び原爆特別措置法も日本の主権の及ばない外国において適用を予
定していなかったこともまた明らかである。F1訴訟最高裁判決も,日本に現在し
ない者に対して適用の余地がないことを明らかにしている。被爆者法は,その適用
範囲について,国内に居住又は現在しているか否かという属地主義を採用している
のである。したがって,日本に居住又は現在する被爆者であれば,日本国籍を有す
るか否かにかかわらず一律に適用されるのに対し,居住も現在もしていない者につ
いては,国籍を問わ
ず同法の適用はない。
     ウ 憲法14条は合理的理由のない差別を禁止するが,各人に存する経
済的,社会的その他種々の事実関係上の差異を理由として,その法的取扱いに区別
を設けることは,その区別が合理性を有する限り何ら同規定に違反しない。これを
立法府の政策的,技術的裁量に基づく判断にゆだねられるべき立法分野においてみ
ると,当該法律が憲法14条1項に違反するかどうかの司法審査は,それが立法府
の裁量を逸脱するものであるかどうかを基準とすべきである。すなわち,立法府が
法律を制定するに当たり,その政策的,技術的判断に基づき,各人についての経済
的,社会的その他種々の事実関係上の差異又は事柄の性質上の差異を理由としてそ
の取扱いに区別を設けることは,それが立法府の裁量の範囲を逸脱するものでない
限り,合理性を欠く
ということはできず,憲法14条1項に違反するものではない。
   エ これを本件についてみると,原爆被爆による損害は,戦争損害ない
し戦争犠牲であるというべきところ,これら戦争損害ないし戦争犠牲に対する補償
は憲法の予想するところではなく,その補償の要否及び在り方は,高度の政策的判
断を要する問題といえる。そして,被爆者法は,原爆被爆者が受けた放射線による
健康被害が他の戦争被害と異なる特殊な被害であることに着目し,福祉国家の理念
に基づき,他の戦争被害者に対する対策との間に著しい不均衡を生じさせないよう
にしながら,被爆の実態に即応した対策を講じた法律であり,基本的には社会保障
法としての性格を有しているのであり,日本に居住も現在もしない被爆者について
は,援護の対象としないこととしても不合理ではなく,立法府の裁量を逸脱したと
はいえない。
     また,被爆者に対する医療の給付や医療費及び各種手当の支給財源
は,租税収入による公費であるから,厚生労働大臣及び都道府県知事等は,被爆者
の被爆の事実及び健康状態を適正に把握し,その結果に基づいて医療の給付や医療
費等支給の適正を確保し,その他被爆者法所定の事務が円滑,適正に行われるよう
にしなければならない。この点からしても,以下に述べるように,申請時に日本に
現在することを要件とする被爆者法の規定には合理性がある。
  (ア) 被爆者健康手帳交付に伴う確認事務について
  a原爆2法ないし被爆者援護法上の給付,手当を受けるためには,
原爆医療法3条1項や被爆者援護法2条1項の規定に基づき,被爆者健康手帳の交
付を申請する必要があるが,同申請を受けた都道府県知事等は,当該申請者が法律
所定の要件に該当するか否かを審査しなければならない(原爆医療法3条2項,被
爆者援護法2条2項)。この審査は,当該申請者を「被爆者」と認めて,各種給付
を受ける権利を付与するか否かを判断するための審査であるから,単なる書面審査
にとどまらず,申請者及び証人となる者から,申請者の身分確認や被爆時の具体的
状況等の事情を聴取するなどし,申請内容が事実に合致するか否かを合議等の適切
な審査体制によって審査することが必要である。
  bところが,原爆医療法2条各号ないし被爆者援護法1条各号該
当性を判断するための資料は,時の経過に伴い散逸し収集困難になっていることな
どから,所定の要件の認定判断を適正かつ妥当に行うためには,申請者の提出した
書面の審査にとどまることなく,申請者本人や申請者の被爆の事実を証明する者な
どから事情聴取等を行い,十分な資料を収集することが不可欠である。国外からの
被爆者健康手帳交付申請を許容することになれば,交付事務の前提となる身分確認
や関係者に対する被爆状況の事情聴取等の実施が事実上困難になり,ひいては認定
事務が書面審査だけの形式的なものになり,被爆者に該当しない者に被爆者健康手
帳を交付し,各種給付を行ってしまう事態も起こり得る。このため原爆医療法及び
被爆者援護法は,被爆者
健康手帳の申請時に被爆者が日本に居住又は現在することを要件としているのであ
り,このような法の定めに合理性があることは明白である。
  (イ)健康管理手当等の受給要件認定について
   本件で問題となっている健康管理手当についてみれば,原爆特
別措置法5条1項は,「都道府県知事は,被爆者であって,造血機能障害,肝臓機
能障害その他の厚生省令で定める障害を伴う疾病(原子爆弾の放射能の影響による
ものでないことが明らかであるものを除く。)にかかっているものに対し,健康管
理手当を支給する。」と,同条2項は,「前項に規定する者は,健康管理手当の支
給を受けようとするときは,同項に規定する要件に該当することについて,都道府
県知事の認定を受けなければならない。」と規定している(被爆者援護法27条も
同旨)。
   したがって,都道府県知事等が健康管理手当の支給・不支給を
決定するに当たっては,被爆者健康手帳交付時と同様,当該申請者が原爆特別措置
法5条1項及び被爆者援護法27条1項に定める疾病にかかっているかどうかを実
質的に審査し,場合によっては,医学的専門知識を有する専門家の意見を聴くこと
も必要である。仮に国外からの健康管理手当支給申請を許容することになれば,右
認定が書面審査だけの形式的なものになり,本来受給資格のない申請者に対して支
給認定がされるおそれも生じかねないが,原爆特別措置法及び被爆者援護法がその
ような事態を予定していないことは明らかである。
   このため原爆特別措置法及び被爆者援護法は,各種手当支給認
定の申請時に被爆者が日本に居住又は現在することを要件としているのであり,こ
のような法の定めに合理性があることは明白である。
    オ 以上のように,被爆者健康手帳の申請及び各種手当支給認定の申請時
に,被爆者が日本に居住又は現在することを要求することは,それによって被爆者
を不合理に差別するものではない。在韓被爆者を含む在外被爆者(国内に現在ある
いは居住していない被爆者)に対して,被爆者法の適用を認めず,各法律所定の受
給権を認めないとしても,不合理な差別的取扱いとはいえず,憲法14条違反の主
張は理由がない。また,B規約26条において禁止されているのも憲法14条と同
様の不合理な差別と解されるから,B規約26条違反を理由とする控訴人らの主張
も失当である。
   (2)402号通達に関する損害賠償責任について
     402号通達を立案・維持したことについて,被控訴人国の公務員に国
家賠償法1条1項の違法や故意,過失はない。また,402号通達によって,控訴
人らに損害が発生したとも認められない。
    ア 被控訴人国の公務員に国家賠償法1条1項の違法がないこと
     (ア) 国家賠償法1条1項の違法について
        国家賠償法1条1項は,国又は公共団体の公権力の行使に当たる
公務員が,個別の国民等に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民等
に損害を与えたときに,国又は公共団体がこれを賠償する責に任ずることを規定す
るものである。したがって,国の公務員による公権力行使が結果的,客観的には根
拠規範の解釈適用を誤っており,これにより国民等の権利利益が侵害されたとして
も,そのことから直ちに同法1条1項にいう違法があったと評価されるものではな
く,当該根拠規範の解釈適用に当たり,当該公務員が職務上通常尽くすべき注意義
務を尽くすことなく漫然と行為をしたと認め得るような事情がある場合に限って,
違法の評価を受けると解すべきである。
   (イ) 本件における国家賠償法1条1項の違法について
    本件についてみるに,厚生省等の職員が被爆者法の解釈運用をす
るについて,以下の事情が認められる。
    ① 被爆者法には,在外被爆者に対する各種給付の方法を定めた
規定,在外被爆者が各種給付を受けるための手続を定めた規定など,在外被爆者に
対して給付を行うことを予定した規定は全く存在しなかった。
    ② 原爆医療法に基づく給付は,在外被爆者に対して給付される
余地が全くなく,また,原爆特別措置法及び被爆者援護法の適用対象は原爆医療法
と同じであることから,結局,被爆者法は在外被爆者を適用対象としていないもの
と考えられた。
    ③ 被爆者法は,被爆者に対して各種給付を行う実施機関を都道
府県知事等としており,これは,日本に居住又は現在する被爆者のみを支給対象と
していることを裏付けるものと考えられた。
    ④ 原爆特別措置法の制定過程で,在外被爆者に同法は適用され
ない旨の厚生大臣の答弁があり,また,被爆者援護法の制定過程では,在外被爆者
には同法が適用されない旨の政府委員の答弁がされている上,在外被爆者を含む全
被爆者へ年金を支給すること等を内容とするI党の修正案を否決する形で同法が成
立していた。
    ⑤ F1訴訟最高裁判決においても,原爆医療法が在外被爆者に
対して適用されないことを当然の前提としているものと理解される判示がされてお
り,最高裁調査官解説(最高裁判所判例解説民事篇昭和53年度131頁)でも同
様の理解が示されていた。
  かかる事情を考慮すると,厚生省等の職員が402号通達を立
案,維持し,同通達に依拠して行っていた被爆者援護行政につき,「当該公務員が
職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と右行為をしたと認め得るよ
うな事情」があったとは到底いいがたい。
    イ 国家賠償法1条1項の故意又は過失は認められないこと
   法令の解釈に関し,学説・判例等の見解が分かれ,そのいずれにも一
応の論拠が認められる場合に,公務員が一方の解釈を採ったときは,それが結果的
に違法であっても,公務員に国家賠償法1条1項の過失があるとはいえない。
   このような観点から見るに,被爆者法が日本に居住も現在もしない者
に対しては適用されないとの解釈は,被爆者法の給付体系,立法者意思,被爆者が
日本に居住又は現在することを前提とする各種の規定の存在,法的性格等を根拠と
する合理的な解釈であったほか,被爆者法においては在外被爆者に対する給付を予
定した規定が全く存在せず,その他に被爆者法が在外被爆者に適用されるとの判
例・学説は本件訴訟以前にはなかった。したがって,仮に402号通達が違法であ
ることを前提としたとしても,402号通達の制定,維持について,国家賠償法1
条1項の故意・過失がないことは明らかである。
    ウ 損害について
     (ア) 被爆者健康手帳交付決定を受けたことのない者について
    控訴人らのうち,一度も被爆者健康手帳の交付を受けていない1
0名については,402号通達の存否にかかわらず被爆者法の適用を受ける余地が
ない。したがって,402号通達によって被爆者法の適用を受けられなかったとい
う関係にはなく,いかなる損害も生じていない。
    402号通達は,一旦日本で被爆者健康手帳の交付を受け手当支
給認定を受けた者が,日本に居住も現在もしなくなった場合に失権することを示達
したものにすぎず,日本国外に居住地を有する被爆者が,来日して被爆者健康手帳
の交付を受けることを妨げるものではない。したがって,402号通達が存在した
ことは,上記控訴人らが被爆者健康手帳の交付を受けなかったことと無関係であ
る。控訴人らは,来日して被爆者健康手帳の交付を受けることの困難性を問題にす
るが,申請時に日本に現在することが法律上の要件であることは前記のとおりであ
って,来日の困難性は402号通達と無関係である。
     (イ) 被爆者健康手帳の交付を受けたが健康管理手当支給認定を受けて
いない者について
   a 控訴人らのうち,一旦は被爆者健康手帳の交付を受けたが,健
康管理手当支給認定は受けなかった16名について,控訴人らは,医療の給付や支
払った医療費の支給などの援護措置を受けることができなくなったことを問題とす
る。
     しかしながら,原爆医療法に基づく医療給付は,日本国内の指定医療機
関や被爆者一般疾病医療機関においてのみ行われる医療の現物給付であるから,出
国により被爆者健康手帳が失権扱いとなるか否かにかかわりなく,在韓被爆者は韓
国にいるままの状態では,医療の現物給付を受けることができないのである。ま
た,再来日して医療の現物給付を受けようとするときには新たに手帳を取得する必
要があるが,過去に有していた者は申請をしたその日に交付を受けられるのが通例
であるから,来日時に医療の現物給付を受けることに支障はない。したがって,4
02号通達によって,本来受けられた医療の現物給付が受けられなかったという関
係にはない。
     また,原爆医療法14条1項及び14条の2第1項は,「緊急
その他やむを得ない理由」により指定医療機関や被爆者一般疾病医療機関以外の者
から医療を受けた場合に,医療費の支給をすることができる旨規定しているが(被
爆者援護法17条1項,18条1項も同旨),「緊急その他やむを得ない理由」と
は,救急車により指定医療機関等以外の医療機関に搬送された場合等の例外的事態
を想定しているのであって,在外被爆者が国外で日常的・継続的に医療を受けるこ
とはこれに当たらない。
         したがって,在韓被爆者は,韓国にいるままの状態では,医療
費の支給を受けることはできないのであって,402号通達によって,本来受けら
れた医療費の支給が受けられなかったという関係にはない。
   bまた,402号通達は,在韓被爆者が来日して健康管理手当支
給認定を受けることを妨げるものではなく,402号通達の存在と,上記16名が
健康管理手当支給認定を受けなかったことは無関係である。
  (ウ) 被爆者健康手帳の交付を受け,健康管理手当支給認定を受けてい
る者について
    (ア)及び(イ)以外の控訴人らは,一旦,被爆者健康手帳交付決定
及び健康管理手当支給認定を受けたが,日本に居住も現在もしなくなったことによ
り,402号通達の解釈に基づいて健康管理手当の支給を打ち切られたものであ
る。
    しかしながら,日本に居住も現在もしなくなっても手当受給権が
喪失しないのであれば,これらの控訴人らは依然として健康管理手当受給権を有し
ていたことになるのであるから,その権利行使が可能であった以上,手当相当額の
財産的損害は発生していない。
   (エ) 控訴人らは,402号通達によって,精神的損害を被ったとも主
張する。
    しかしながら,各人の価値観が多様化し,精神的な摩擦が様々な
形で現れている現代社会においては,各人が自己の行動に他者の社会的活動との調
整を十分に図る必要があるから,人が社会生活において他者から内心の静穏な感情
を害されて精神的苦痛を受けることがあっても,一定限度では甘受すべきである
(いわゆる水俣待たせ賃訴訟にかかる最高裁判所昭和61年(オ)第329号,第3
30号平成3年4月26日第二小法廷判決・民集45巻4号653頁)。402号
通達に基づく解釈により,出国と同時に被爆者たる地位を喪失したとの取扱いを受
けるものとしても,原爆2法及び被爆者援護法にいう「被爆者」とは,これらの法
律に基づいて各種給付を受けられる地位のことであるから,被爆者たる地位の喪失
とは,各種給付請求権の
喪失を意味するにとどまり,それ以上の意味を有するものではない。そうすると,
控訴人らの損害は,402号通達に基づく取扱いによって,被爆者法に基づく各種
給付請求権が侵害されたか否かという観点からのみ問題となり得るものであって,
こうした保護法益である各種給付請求権を離れて,独立して法の保護に値する精神
的苦痛があるとは考えられない。
  (三) 無効な供託による債権侵害の主張に対する反論
   (1) 控訴人らは,無効な供託によって,未払賃金等請求権が違法に消滅し
たと主張する。しかし,控訴人らの主張する未払賃金等請求権が存在し,供託が無
効であったとすれば,これによって同請求権が消滅することはないのであるから,
無効な供託により違法に請求権が消滅したという事態は生じ得ない。
   (2) 控訴人らは,被控訴人国の供託通知の送付義務の不履行が新たな不法
行為を構成する旨主張する。
     しかしながら,供託官の行為は職務上の法的義務に違背していない。
     すなわち,控訴人らは,本件供託が無効である旨主張しているのであ
るから,そもそも有効な供託を前提とする供託通知の送付義務が発生する余地はな
い。また,民法495条3項は供託者の通知義務を規定し,本件供託がされた昭和
23年(1948年)当時に行われていた旧供託物取扱規則(大正11年司法省令
第2号)は,供託官が,供託者から提出された供託通知書を債権者に発送する手続
を規定している(同令2条1項ただし書,3条3項,3条ノ2第2項)。この供託
官による供託通知書の送付は,供託者(債務者)の民法上の通知義務を前提としつ
つ,その通知義務の履行を確実ならしめるための手続であるから,供託者に民法上
の通知義務が生じない場合には,当該通知書を送付する必要はない。本件供託は,
債権者の居所不明を
原因としているのであるから,供託者には民法上の通知義務が発生せず,供託官が
供託通知書を発送しなかったとしても,職務上の義務に違背するものではない。
  (四) 除斥期間の経過による請求権消滅について(予備的主張)
   (1) 控訴人らの主張する不法行為による損害賠償請求権ないし損失補償請
求権が認められたとしても,それらの請求権は本件訴訟の提起より20年以上前の
行為に基づくものであることが明らかであり,民法724条後段の除斥期間の経過
によって既に消滅している。
   (2)最高裁判所平成5年(オ)第708号平成10年6月12日第二小法廷
判決・民集52巻4号1087頁は,民法158条という時効の停止に関する既存
の条項の法意を援用して,極めて限定的に除斥期間の効果についての例外を認めた
ものであって,一般的に,除斥期間の適用が著しく正義・公平の理念に反する場合
には,その適用を排除できるとしたものではない。
      また,この最高裁判決に照らしても,本件が,除斥期間の適用を制限
すべき例外的な場合に該当しないことは明らかである。
    ア 本件は「およそ権利行使が不可能」とはいえない。
 控訴人らが主張する事情は,結局のところ,裁判所による解決以外の救済を期待
して待ち続けてきた控訴人らが,平成7年(1995年)に至り,もはや裁判所に
よる解決以外には手段がないと判断して提訴に踏み切ったというにすぎず,最高裁
判決の判示するような事情に該当しないことは明らかである。
    イ 本件では,時効の停止等のような除斥期間の適用を制限する根拠とな
るものは何ら存しない。
      控訴人らの主張は,時効の停止のようなその法意を援用できる制度の
存在を問題とすることなく,ただ著しく正義・公平の理念に反する場合には,除斥
期間の制度を一般的に適用すべきではないというのであり,適用を制限する根拠,
範囲について,上記最高裁判決の判示するところを大きく逸脱している。控訴人ら
の主張によれば,極めて広範かつ無限定に除斥期間の適用が制限がされることにな
り,法的安定性を重視して民法724条後段の除斥期間を設けた法意に反すること
は明らかである。
(五) 日韓請求権協定による解決について(予備的主張)
   (1)控訴人らが主張する請求権が存在するとしても,日韓請求権協定2条
1及び3により,被控訴人国にはこれらの請求に応じるべき法的義務はない。
     日韓請求権協定2条1は,「両締約国は,両締約国及びその国民(法
人を含む。)の財産,権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関
する問題が・・・完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」と規
定し,同条3は,「2の規定に従うことを条件として,一方の締約国及びその国民
の財産,権利及び利益であってこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあ
るものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民
に対するすべての請求権であって同日以前に生じた事由に基づくものに関しては,
いかなる主張もすることができないものとする。」と規定する。これらの規定によ
り,日韓請求権協定で特に定められる場合を除き,同協定の対象となった財産,権
利及び利益並びに請
求権については,裁判所に訴えを提起しても救済が拒否されることとなる。
   (2)日本と韓国との間の戦後処理
  ア 日韓請求権協定締結に至る経緯について
  (ア) 日本は,サン・フランシスコ平和条約の署名に先立って,昭和2
6年(1951年)10月20日に韓国政府と予備会談を開催し,昭和27年(1
952年)2月15日から,同平和条約発効までに交渉を妥結することを双方の当
事国が共通の目標として第1次会談を開いた。ところが,韓国政府が,その直前に
いわゆる「李ライン宣言」なるものを発表し,また同会談において,請求権をはじ
めとする多くの問題について,日本側の立場と相容れない主張をするに至って,短
期交渉の見通しは完全に失われるに至った。その後,日本は,韓国政府と何度も会
談を行い,予備会談開始以来13年8か月を経て,昭和40年(1965年)6
月,日韓基本条約,日韓請求権協定をはじめとする1条約,4協定,1交換公文を
締結するに至った。
  (イ) このうち,請求権問題が最も重要かつ困難な案件であったが,こ
の問題のために,日韓両国間の友好関係の確立をいつまでも遅らせることは,大局
的見地からみて適当でなく,将来における両国間の友好関係の発展という見地から
も,この際韓国の民生の安定,経済の発展に貢献することを目的として,日本の財
政事情や韓国の経済開発計画のための資金の必要性をも勘案した上,日本が韓国に
対して,3億ドルの無償供与及び2億ドルの長期低利の貸付という膨大な金額の資
金供与を行い,これと並行して請求権問題を最終的に解決することとして,日韓請
求権協定が締結されたのである。
  (ウ) この全体的な問題解決の方法の一つとして,日韓請求権協定2条
1において,「両締約国は,両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産,権利
及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が,1951年9
月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定
されたものを含めて,完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」
と規定された。
    韓国は,これを受けて,昭和41年(1966年)2月に,「請
求権資金の運用及び管理に関する法律」を制定した。同法は,日本からの経済協力
として導入される無償供与,借款及びそれらの使用から発生するウォン資金を「請
求権資金」と定義し,「大韓民国国民が持っている1945年8月15日までの日
本国に対する民間請求権は,この法律で定める請求権資金中から補償しなければな
らない。」(5条1項)とした。次に,昭和46年(1971年)1月に,「対日
民間請求権申告に関する法律」が制定され,申告の対象となる「対日民間請求権」
の範囲及び申告に係る請求権を審査する委員会の設置が定められた。申告対象の範
囲は,日本国債,日本の金融機関に対する預金,日本政府機関に寄託した寄託金,
郵便貯金等のいわゆる
確定債務のほか,人的被害に関しては,「被徴用死亡者」(日本によって,軍人,
軍属又は労務者として,召集され又は徴用され1945年8月15日以前に死亡し
た者)のみが申告対象とされた(同法2条)。そして,昭和49年(1974年)
12月に,「対日民間請求権補償に関する法律」が制定され,同法は,日本国通貨
1円に対して大韓民国通貨30ウォン,被徴用死亡者に対して1人30万ウォンを
補償することとした(同法4条)。
  イ 日韓請求権協定2条による「財産,権利及び利益」と「請求権」の処
理について
    (ア) 「財産,権利及び利益」と「請求権」の意義について
       日韓請求権協定2条にいう「財産,権利及び利益」と「請求権」
の意義に関しては,「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する
日本国と大韓民国との間の協定についての合意された議事録」(昭和40年12月
18日外務省告示第256号)(合意議事録)2(a),(g)に規定されている。す
なわち,日韓請求権協定及び合意議事録は,「財産,権利及び利益」(日韓請求権
協定2条2(a),合意議事録2(a)(g))と,それ以外の「請求権」(合意議事録
2(g))とを分けて規定しているところ,「財産,権利及び利益」とは,合意議事
録2(a)により,「法律上の根拠に基づき財産的価値を認められるすべての種類の
実体的権利」をいうものとされている。したがって,「請求権」とは,これに当た
らないあらゆる権利又は
請求を含む概念であると解される。
    (イ) 「財産,権利及び利益」と「請求権」の各処理について
      a 日韓請求権協定では,「財産,権利及び利益」については,一定
の分類を行い,その内容に応じて処理方法を定めた。
        すなわち,日韓請求権協定2条2は,在日韓国人の財産等及び終
戦後の「通常の接触の過程」において取得された財産等には,同協定2条の影響が
及ばないことを規定し,これを処理の対象から除外した。
        次に,これ以外の「財産,権利及び利益」については,日韓請求
権協定2条3において,これらに対する措置についていかなる主張もすることがで
きないとしている。この規定を受けて,日本では,財産権措置法が制定され,日韓
請求権協定に明記される一部の例外を除き,韓国国民の日本国又は日本国民に対す
る債権,担保権は消滅させられ,韓国国民の物(動産又は不動産)は保管者に帰属
したものとされた。
        なお,韓国人元軍属の未払給与債権を消滅させた財産権措置法が
憲法14条,29条3項及び98条に違反するものであるか否かが争われた事案
(いわゆるBC級戦犯公式陳謝等請求事件)につき,最高裁判所平成12年(オ)第
1434号平成13年11月22日第一小法廷判決・訟務月報49巻8号2173
頁は,「このような敗戦に伴う国家間の財産処理といった事項は,本来憲法の予定
していないところであり,そのための処理に関して損害が生じたとしても,戦争損
害と同様に,その損害に対する補償は憲法の前記各条項の予想しないものといわざ
るを得ない。したがって,措置法が憲法の上記各条項に違反するということはでき
ない。」と判示している。
      b これに対し,「財産,権利及び利益」に当たらない日韓請求権協
定2条の「請求権」については,同協定2条3において,一律に「いかなる主張も
することができないものとする。」とされており,同協定2条1において,「請求
権に関する問題が完全かつ最終的に解決されたこととなる。」ことが確認されてい
る。
        これは,韓国及びその国民が,どのような根拠に基づいて日本国
及びその国民に請求しようとも,日韓請求権協定自体の効果として,日本国及びそ
の国民は韓国国民の「請求権」に基づく請求に応じる法的義務はないという意味で
ある。日韓請求権協定で解決したのは単なる国家間の外交保護権だけであって韓国
国民が日本国の裁判所で訴訟を提起すれば認容されるとの理解は,全く誤りであ
る。
     (ウ) 裁判規範性について
        日韓請求権協定2条では,「財産,権利及び利益」は国内法上の
「措置」をとることを予定しているのに対し,「請求権」については,そのような
文言を置かずに,「請求権についてはいかなる主張もすることができない」(2条
3)と規定され,「請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決されることとな
る」(2条1)ことが確認されている。このことから,日韓両国は,「請求権」に
ついては,日韓請求権協定の内容を具体化する国内法を制定せずして,同協定の規
定を直接適用する意思であったことは明らかであり,また,上記のような協定上の
客観的な文言上も,当該請求を拒絶し得る法的効果を規定したことが明白かつ確定
的に認められる。よって,同条項については,その内容を具体化する国内法を待つ
までもなく,日本の裁
判所において直接的に適用が可能であることは明らかである。
        したがって,日本において,これに該当する裁判上の請求は,同
条項の適用によって認容されないこととなる。
    ウ 控訴人らが主張する損害賠償請求権あるいは損失補償請求権は,上記
の「請求権」に該当すると考えられるが,請求権協定2条1及び3により,被控訴
人国及び日本国民にはその請求に応じる法的義務はない。
      また,控訴人らは,それぞれの損害賠償請求権の成立の前提として,
日本に補償立法義務が存在すると主張した上で,それぞれの作為義務違反を理由に
損害賠償を請求している。しかし,これらの作為義務に対応する控訴人らの日本に
対する作為を要求する請求権を仮に観念するとしても,そのような請求権は,日韓
請求権協定の署名の時点で権利関係が明確でなかったものであって,これもまた,
日韓請求権協定2条1及び3の「請求権」に該当するものである。
 4 被控訴人B1株式会社の当審における付加主張
  (一) 安全配慮義務違反ついて
     控訴人らの主張は,労働の実態そのものから控訴人らの労働現場での生
命,身体の安全に配慮すべき義務違反を主張しているにすぎず,安全配慮義務の具
体的内容の特定には至っていない。
  (二) 除斥期間,消滅時効について
    (1) 民法724条後段の適用が制限されるのは,同条後段の規定をその
まま適用したのでは民法の時効停止の各規定(民法158条ないし161条)の法
意に照らし正義・公平の理念に反すると考えられ,同規定の効果を制限することが
条理にかなう場合に限られるべきであるところ,本件については,そのような事情
は認められない。
    (2) 控訴人ら主張の未払賃金等の債務が存在したとしても,昭和20年
(1945年)10月1日から1年又は10年の経過によりいずれも消滅時効が完
成しており,このことは,D2援護協会やD3会が設立され,被控訴人B1株式会
社と交渉を行ってきた昭和49年(1974年)頃を起算点としても同様である。
     また,被控訴人B1株式会社において,未払賃金等について,その支
払義務を肯定したり,支払意思があると控訴人らが誤解するのもやむを得ないとい
えるような言動をしたことはなく,消滅時効の援用が権利濫用・信義則違反となる
ものではない。
  (三) 供託による債権侵害の不法行為について
    控訴人らの主張は争う。
 5 被控訴人B2株式会社の当審における付加主張
  (一) 消滅時効,除斥期間について
   (1) 時効においては,法律上の障害がある場合,その障害の止んだとき
から6か月ないし2週間権利行使期間の延長を認めている(民法158条~161
条)のであるから,控訴人らは,その理由とする時効期間遵守の障害事由の止んだ
ときから,少なくとも6か月以内に訴求すべきである。
       また,一般の消滅時効は債権者が債務者を知らなくても時効期間は
進行するものであり,法律上の障害あるときに限り,時効の完成が一定の期間猶予
される。被控訴人B2株式会社の存在を知ったときから時効が進行するとの控訴人
らの主張は誤りである。しかも,平成7年(1995年)12月8日付け日弁連人
権擁護委員会作成の申立て事件調査報告書において,被控訴人B2株式会社の債務
承継の問題に言及されている上,本件訴訟において被控訴人B1株式会社は平成8
年(1996年)4月4日付け答弁書によって被控訴人B2株式会社の存在を明ら
かにしている。被控訴人B2株式会社に対する提訴は平成10年(1998年)5
月7日であり,6か月はおろか2年余り経過した後である。控訴人らの不知が法律
上の障害と同一の効
力を持つと仮定しても,障害の止んだ後,相当の期間内に提訴したとは到底いえな
い。 
   (2) 民法724条後段の適用除外,適用制限について
     民法724条後段の適用除外の可否を「被害者の救済が正義の実現に
かなう場合」なる基準で決したのでは,不法行為に基づく損害賠償請求はすべて適
用除外を受けることとなり,民法724条後段の存在価値はない。20年以上経過
した後に,防御の手段を探索しなければならない被控訴人B2株式会社ら側の立証
上の不都合等も参酌すべきである。
     控訴人らは,被控訴人B2株式会社らの不法行為の違法性は極めて高
く,控訴人らの被害は甚大であるから,救済すべき必要性が高いとも主張するが,
控訴人らが挙げる強制連行等は不法行為自体の違法ないし被害の大小をいうもので
あって,民法724条後段の適用除外は勿論,適用制限の対象とはならない。
   (3)時効の援用と信義則違反,権利濫用
      控訴人らは,日韓請求権協定等により問題は解決済みと思い込まされ
たというが,被控訴人B2株式会社らがそうしたわけではない。被控訴人B1株式
会社が,D2援護協会との交渉において前向きの姿勢を示したというのは控訴人ら
の解釈であり,被控訴人B1株式会社は補償意思のないことを表明したにすぎな
い。被控訴人B2株式会社による時効の援用が信義則違反,権利濫用とされる理由
はない。控訴人らが主張するその他の事情も,被控訴人B2株式会社らの時効の援
用を信義則違反等とするに足りるものではない。
  (二) 供託による債権侵害の不法行為について
    控訴人らの主張は争う。
第3 当裁判所の判断
 1 控訴人らの徴用と原爆被爆について
  (一) 徴用に至る背景及び徴用の概要(甲16,96ないし101,123な
いし128,弁論の全趣旨)
    (1) 明治28年(1895年)4月の日清講和条約の後,日本は軍事力
を背景に,朝鮮に対して積極的に進出を図り,明治37年(1904年)2月の日
韓議定書,同年8月の第1次日韓協約の各締結を経て,朝鮮の内政外交への関与を
深めた。そして,日露戦争の勝利によってロシアの圧力を排除し,明治38年(1
905年)11月の第2次日韓協約の締結により,当時の大韓帝国の外交権を掌握
し,その後,明治40年(1907年)の第3次日韓協約等により内政への関与を
一層強化した上,明治43年(1910年)8月22日,韓国併合に関する条約を
締結して大韓帝国を併合し,朝鮮半島を日本の領土としてその統治下に置いた。
         その後,天皇から大権の委任を受けた朝鮮総督が立法,行政,
司法のすべての権限を独占して統治し,様々な抵抗を弾圧,排除しながら,日本語
の常用や創氏改名をはじめとする同化政策(皇国臣民化)を押し進めていった。
    (2) 一方,日本は,昭和6年(1931年)の満州事変,昭和12年
(1937年)の盧構橋事件を経て戦争に突入し,昭和16年(1941年)の太
平洋戦争の開戦に至るのであるが,このような戦争の拡大,激化という状況のもと
で,徴兵制の強化による兵員の確保等に伴う戦時下の労働力不足に対応するため
に,産業界からの強い要請もあって,昭和13年(1938年)4月国家総動員法
が制定された。同法では,「政府ハ戦時ニ際シ国家総動員上必要ナルトキハ勅令ノ
定ムル所ニ依リ帝国臣民ヲ徴用シテ総動員業務ニ従事セシムルコトヲ得」(4条)
とされ,これに基づいて昭和14年(1939年)7月15日に国民徴用令が施行
(朝鮮については同年10月1日から施行)され,国内における徴用ばかりではな
く,朝鮮半島からの朝鮮
人労働者の動員が図られることとなった。また,同年7月に,8万5000人の移
住を目標とする内務・厚生次官名の通牒「朝鮮人労務者内地移住ニ関スル件」が出
されて,各事業者が厚生省の雇用認可と朝鮮総督府による募集許可を受けて,指定
地域で割当人数の募集を行い,集団渡航させるという方法で,募集による計画的な
動員が始められた。そして,昭和16年(1941年)12月からは,12万人の
移住を目標に,雇用認可を受けた事業主から朝鮮総督府に提出される斡旋申請に基
づいて,朝鮮総督府が道別に人数を割り振って動員人数を調達し,D4協会が輸送
を担当するという官斡旋方式に強化されて,政府と各業界が一緒になっての動員が
進められた。しかし,労働力不足は一層深刻化し,そのため昭和19年(1944
年)8月には,「半
島労務者ノ移入ニ関スル件」が閣議決定されて,同年9月から国民徴用令が朝鮮に
も一般的に適用されることになり,徴用という法的義務に基づいた強制的な動員が
始められ,昭和19年度の移住者は20万人を超えることとなった。
       この国民徴用令による徴用は,工場や事業場からの徴用の申請を受
けて,朝鮮総督がその必要があると認めたときは,道知事に対して,人数や徴用条
件を示して徴用命令を出し,道知事はそれに従って国民登録に基づいて適格者を選
別して出頭を命じ,本人の身体や職業,家庭の状況等を調査して適否を判定して徴
用令書を出し,あるいは緊急の場合や調査の必要を認めない場合には直ちに徴用令
書を出して徴用するというものであり,徴用令書の交付を受けながら病気等の正当
な理由なくこれに応じない場合には,国家総動員法の定めに従って処罰(1年以下
の懲役又は1000円以下の罰金)されることとされていた。
    (3) 旧B株式会社は,昭和18年(1943年)4月から広島市G1町
とG2町に跨る50万坪の埋立地に造船,造機工場の建設を始め,完成前の同年1
2月から操業を開始して,昭和19年(1944年)3月に,主にタービンやボイ
ラーを製造するC1製作所,戦時標準船を建造するC2造船所として,両工場合わ
せて徴用工を含め約2000名の職員,工員で発足した。その後,同年5月には学
徒動員のほか,朝鮮半島からの徴用工約1500名が入所し,さらに同年10月に
は1200名の朝鮮人徴用工が加わるなどして,昭和20年(1945年)7月末
には合計で約1万1800人が在籍していた。この徴用に当たっては,旧B株式会
社の従業員がソウルまで行って,朝鮮総督府の担当者と共に途中の各駅で徴用工ら
を集めながら列車で
釜山まで戻り,釜山で旧B株式会社が徴用工を引き取る形をとって,そこから徴用
工を船と列車で広島まで連れてきた。広島では寮(西寮7棟,東寮9棟,北寮8
棟,南寮8棟で各棟が概ね20部屋)の12畳程度の部屋に10人から12人の割
合で収容し,日本語の分かる者を隊長にして中隊,小隊を編成し,各寮には日本人
の舎監と舎監補,寮母が配置された。逃げ出す徴用工も多く,同年8月6日の時点
では合計2700名の朝鮮人徴用工が半数近くに減っていたと述べている者もい
る。
      同年8月6日の原爆投下により,上記各工場の建物の3割が破壊さ
れ,操業は不可能な状態となったが,徴用動員の解除が決定されたのは,終戦の後
の同月30日であった。
  (二) 控訴人らの徴用から帰国までの経過,帰国後の状況(甲4,13ないし
16,18,21,50,53,55ないし57,59ないし69,71ないし7
5,77ないし87,89ないし91,94,95,116,127,223,2
28,238,丁1,原審における証人F5,控訴人A1,同A2,同A4,同A
34,当審における控訴人A35,同A36,原審及び当審における控訴人A3,
弁論の全趣旨)
    控訴人らは,その全員が,国民徴用令に基づく徴用令書の交付を受けて
徴用されたものである。それぞれに家族の生活を支える立場であったものの,徴用
令書の交付を受け,家族には給料の半額が送金されるという説明もあって,やむを
得ずこれに応じたものである。なかには徴用に応じないと家族が逮捕されるなどと
言われた者もいる。その移動に当たっては,警察官や役人,あるいは旧B株式会社
の従業員らが監視を兼ねて引率し,貨車まで使って広島まで連行された。食事を与
えられず,行く先を告げられなかった者もいた。広島では,C1製作所又はC2造
船所に配属され,それに応じて西寮や北寮(一部は南寮)に収容され,概ね1人1
畳当たりの割合で1部屋に大勢が入れられた。食事は,粗末な上に量が少なく,ほ
とんどの者が常に空
腹で,給料は食べ物を買うのに使ってしまっていた。腐った臭いのする食事が出さ
れ,日本人徴用工との差別に怒った朝鮮人徴用工らが騒ぎを起こしたこともあっ
た。
    到着後,軍事教練を受けた者と受けていない者がいるが,従事する作業
について特に指導や訓練を受けた者はほとんどいない。作業時間は,概ね午前8時
ころから午後6時ころまでで,配属された部署によっては残業や徹夜での作業に従
事した者もいる。作業内容はそれぞれに異なるが,鉄を切断したり,溶けた鉄を運
んだり,高所で作業するなど,危険な作業に従事した者もおり,作業中に怪我をし
た者もいる。寮でも工場でも行動は監視されていて,休日には許可を得て外出する
ことができたが,それも集団で行動しなければならなかった。毎月の給料からは税
金,食費,寮費のほか貯金が控除されていたが,貯金通帳を見たり払戻しを受けた
者はいない。大半の者が給料の半額は家族に送金されているものと信じていたが,
実際は全く送金され
ていなかった。昭和20年(1945年)8月6日の原爆投下により,控訴人らの
全員が被爆したが,その後は,旧B株式会社からの指示も救助も全くなく,寝起き
する場所や食べ物もそれぞれが自分で何とか確保して生活し,その結果,多くの者
が残留放射能の影響をも受けることとなった。その後,終戦により帰国するに際し
ても,罹災証明書の発行を受けて帰国船に乗ることのできた僅かの例外を除いて
は,ほとんどの者が自力で下関や博多に行き,闇船等に乗って帰国した。帰国後
は,従前小作農をしていた多くの者は,徴用の間に農地を返還させられていたた
め,残された僅かな農地で農業をするか,他の農家の作業を手伝って細々と生活せ
ざるを得なかった。控訴人らのほとんど全員が,治療を受けているかどうかは別に
して,帰国後何らかの体調
の不良を訴えており,当然に被爆による影響の存在が疑われる。 控訴人らそれぞ
れについての徴用から帰国までの経過,帰国後の状況は次のとおりである。
   (1)控訴人A1(控訴人番号1)
      控訴人A1は,平澤郡で,祖父母,両親,妻,弟4人と共に農業をし
て生活していた。昭和19年(1944年)9月20日ころ,徴用令書の交付を受
け,学校に集められてBのマークの付いた帽子を被った日本人に引き渡され,「給
料の半分は送金する。もし逃げたら家族が罰せられる。」という説明の後,兵隊の
監視を受けながら貨車で釜山に運ばれ,連絡船で下関に渡り,鉄道で広島まで連れ
て行かれた。広島では,西寮の12畳の部屋に12人が収容された。寮は有刺鉄線
で囲まれて,監視塔も建っていた。
      毎日,午前8時から午後6時まで,広島市G3町所在(原爆の爆心地
から約3.7キロメートル)のC1製作所の鋳鉄工場で働いた。給料からは税金,
食費,寮費などのほか,貯金も控除されていたが,通帳はなく,払戻しも受けたこ
とはない。給料の半分は家族に送金されているものと信じていた。
      昭和20年(1945年)8月6日は,工場で作業中に原爆が投下さ
れ,爆風で飛ばされた際に,顎に鉄の破片様の物が当たり怪我をした。その後,旧
B株式会社の従業員からの指示は何もなく,兵士の指示で救護活動に加わった。8
月13日に罹災証明書を貰って徳山を経て下関に向かい,9月13日ころ闇船で帰
国した。
        帰国後も,被爆の際の怪我は治っておらず,傷口からは膿が出る
状態だったが漢方薬で治療した。それからも体調は悪く,5,6年してから息苦し
い症状が出始めて,その後も続いている。     
  (2) 控訴人A2(控訴人番号2)  
      控訴人A2は,平澤郡で生まれ,祖母,両親,弟2人,妹2人と共に
生活し,小作農をしていたが,昭和19年(1944年)8月ころ,徴用令書の交
付を受け,翌日,学校に集合して,警察官が取り囲む中で,Bのマークの付いた帽
子を被った日本人から「お前たちに1年間日本で働くようにとの指令が出てい
る。」「給料の半分を家族に送るから心配するな。」「一人でも欠けたら班全員が
処罰されるぞ。」等の説明をされた後,警察官の監視の下で1泊し,日本人が同行
して,翌日貨車で釜山に運ばれ,その後,船で下関に渡り,列車で広島まで連れて
行かれた。
      広島では,西寮の部屋に1人1畳の割合で入れられ,1週間ほどの整
列訓練の後,C1製作所の鋳鉄工場に配属され,毎日,朝から午後6時ころまで,
部品の型を作る作業に従事した。昭和20年(1945年)5,6月ころ,徳山の
ガソリン工場に行った際,空襲に遭って工場が破壊されたこともあった。
      寮や工場での食事は粗末で量も少なく,常に空腹だった。傷んで臭い
のするご飯が出されて大騒ぎになったこともあった。休日は月に1日あり,許可を
得て外出もできたが,監視が付いていた。給料からは,税金や食費のほかに貯金も
控除された。半分が家族に送られているものと信じていた。
      同年8月6日は,工場での作業の開始前に原爆が投下された。その
後,防空壕に逃げたが入りきれず,河口の堤防の上に避難して一晩過ごした。翌
日,戻ってみると寮は壊れ,日本人はいなくなり,食料もないので畑から野菜を取
って食べて過ごし,缶詰を貰おうと広島市内に出た際に罹災証明書の発行を受け,
これで船に乗れるというので,汽車で下関まで向かった。しかし,船は出ておら
ず,闇船に乗る費用を稼ぐために1か月ほど働いてから釜山に渡り,汽車で家に帰
った。
      その後,再び農業に戻ったが,10年後から神経痛に悩まされるよう
になり,体調を崩して病院に通うことも多く,肝臓や胆嚢の手術を6回も受け,脳
卒中にもなった。そのため昭和58年(1983年)と昭和60年(1985年)
の2回,日本に行き,E1病院等で治療を受けたが,その医療費や渡航費用などで
農地改革で取得したわずかの農地も手放さなければならなかった。
   (3) 控訴人A3(控訴人番号3)    
      控訴人A3は,安城郡で,父,妻と共に小作農をして生活し,兄2人
は別に家庭をもって独立していた。昭和19年(1944年)9月21日,面事務
所の役人と駐在所の巡査から徴用令書の交付を受け,その際,「向こうで貰う給料
の半分は家族に送金されるので心配ない。徴用は1年間で,誰でも行かなくてはな
らないから,早く行って早く帰る方がよい。」などと言われた。徴兵よりもましと
思ってその日のうちに面事務所から郡庁に行き,上記と同様の説明を受けてから,
貨車に乗せられ,警察官や憲兵に見張られながら釜山まで行った。そこからはBの
マークの付いた帽子を被った日本人に引率されて,船で下関に行き,汽車で広島ま
で連れて行かれた。
      広島では,西寮の12畳の部屋に10人が入れられ,しばらくの期
間,訓練を受けた後,C1製作所の工場で,毎日午前8時から午後6時まで,ボイ
ラーの部品の銅管を造る作業に従事した。たまに残業があるときは,午後9時ころ
まで働いた。月に2回休日があり,集団での外出に限り許可された。寮の周囲には
鉄条網が張られ,角には監視塔があった。
     給料からは寮費や貯金が控除されていたが,通帳は渡されていない。
      給料の半分が家族に送られているものと信じていたが,送られていな
かった。食事の量が少なく,いつも空腹で,鉄条網を乗り越えて雑炊を食べに行っ
たこともある。朝鮮人徴用工の食事だけ腐った臭いがしたことから,食器を投げる
などの騒動になったこともあった。
      同年8月6日は,空襲警報で防空壕に入っているときに原爆が投下さ
れた。夕方までそこにいて,海岸で一晩過ごし,その後,工場からは旧B株式会社
の人は誰もいなくなって,どうしたら良いか分からず,8月20日すぎに憲兵から
罹災証明書を貰い,戦争が終わったのも知らずに,9月末ころ歩いて西に向かい,
1週間で博多に着き,そこから闇船で釜山に渡って,汽車で家に戻った。
      帰宅すると農地は取り上げられていたため,他の農家の仕事を手伝っ
て暮らし,昭和34年(1959年)に水利組合に就職した。帰国後,体全体の調
子が悪く,呼吸器の障害で昭和57年(1982年)から大学病院で治療を続けて
いるほか,足腰の痛みがひどく,昭和63年(1988年)と平成6年(1994
年)に広島のE3病院で脊椎の手術を受けた。現在も足腰の痛みや関節炎に苦しん
でいる。昭和42年(1967年)に結成されたD2援護協会,昭和49年(19
74年)5月に結成されたD3会には,当初から参加している。
   (4) 控訴人A4(控訴人番号4)
      控訴人A4は,安城郡で,父と妻及び長男と共に生活し,小作農をし
ていた。昭和19年(1944年)9月,警察官から徴用令書の交付を受け,翌
日,郡庁に集合して,給料の半分は家族に送金するなどの説明を受け,Bの従業員
に引率され,監視されながら鉄道で平澤を経て釜山に行き,船で下関に渡り,列車
で広島まで連れて行かれた。
      広島では,最初東寮に入り,その後南寮に移り,12畳の部屋に11
人が入れられた。敷地内には憲兵がいて,寮の内外を監視していた。
      到着後5日ほど行進などの訓練を受け,広島市G2町所在(原爆の爆
心地から約4.3キロメートル)のC2造船所の資材課倉庫係に配属され,午前8
時から午後5時まで,造船の材料を倉庫から出して渡す作業に従事した。胃の調子
が悪く,手術のため帰国を申し出たが認められず,診療所で薬だけ貰っていた。給
料は説明と違って家族には送られていなかった。食費などが控除されているのは分
かったが,それ以上のことは分からなかった。
      昭和20年(1945年)8月6日は,胃の調子が悪くて寮で休んで
いたときに被爆した。爆風で寮の向きが変わってしまい,2階から飛び降りて防空
壕に逃げたが,その際にガラスや鉄の破片で手足に怪我をした。その後は北寮で生
活したが,旧B株式会社からの指示は何もなく,8月9日に軍人から罹災証明書を
貰ってから下関に向かい,博多まで行って1か月ほど待って帰国船に乗って釜山に
行き,家に戻った。
      帰国後は,農地を取り上げられていたため,農家の作業を手伝って生
活した。従前からの胃の病気に加えて,腰が痛くなり,50歳のころからは全身に
斑点が出て痒くなる症状が出始めた。昭和58年(1983年)から始まった渡日
治療により,被爆時に体に入ったガラスや針金を取り出して貰った。また,斑点や
腰痛などについても治療を受けたが,韓国に帰ってくると症状が元に戻ってしま
う。現在も胃潰瘍や腰痛,関節炎,身体の痒み等で治療を受けている。
   (5) 控訴人A5(控訴人番号5)
      控訴人A5は,平澤郡で,両親,妹2人と共に小作農をしていたが,
昭和19年(1944年)9月ころ,役人から「日本に1年間行ってこい。給料の
半分は家族に送られる。日本に行っている間,家族の面倒は見てやるから安心し
ろ。」と言われて,徴用令書の交付を受けた。翌朝,他の徴用工と共に郡内の学校
に集合して給料などの説明を受け,1泊した後,銃を携帯した兵隊に監視されなが
ら貨車で釜山まで連れて行かれ,船で下関に着いた際にも,同様に兵隊に監視され
ながら上陸し,Bのマークの付いた帽子を被った人が同乗する客車で広島まで移動
した。
      広島では,西寮の12畳の部屋が12人の朝鮮人徴用工に割り当てら
れた。2,3日は,整列訓練などを受けて,C1製作所に配属され,午前8時から
午後6時まで,鉄板を切断して他の金属を挟んで溶解する作業に従事した。
      寮では,絶えず監視を受けており,外出は届出をすれば1か月に2回
認められ,手紙を出すこともできた。給料は昭和20年(1945年)6月分まで
支給を受けたが,税金や寮費のほか,貯金も控除された。
      同年8月6日には,工場で作業を始めようとしているときに原爆が投
下された。海岸まで逃げて,2日間防空壕で過ごした後,寮に戻ったが,日本人の
姿も食料もなかったため,広島を出て下関まで行き,そこで雑用仕事をして貯めた
金で闇船に乗り,帰郷した。給料は送られておらず,小作農地も働き手がいないた
め取り上げられていた。
      帰国後,2,3年して,首から頭にかけて痛みが走るようになり,重
い物を持つこともできなくなって,以後,入退院を繰り返すことになった。
   (6) 控訴人A6(控訴人番号6)            
      控訴人A6は,平澤郡玄徳面大安里で,両親,妻,弟,妹2人と共に
農業と大工をしていたが,昭和19年(1944年)9月20日ころ,徴用令書の
交付を受けて,小学校に集められ,1年間日本の工場で働くことと給料の半額は家
に送金するといった説明を受けた。その後,監視を受けながら貨車で釜山に運ば
れ,船で下関に渡り広島に行った。広島では,西寮の8畳の部屋に8人の朝鮮人徴
用工が入った。
      日本人との格差は定かでないが,食事は粗末で量も少なかった。
      C1製作所で鋳物製造の仕事に,毎日午前8時から午後7時ころまで
従事した。
     昭和20年(1945年)8月6日には,工場で就労中に原爆が投下
され,閃光と爆風で気を失った。気がついてから寮に戻ったが,建物は半壊してお
り,食料もなく,ほとんど食べることなく過ごして8月15日になった。その間,
旧B株式会社の従業員は誰もいなかった。その後,下関に向かい,8月18日に闇
船に乗って帰国した。以後,大工をして生計を立てているが,歳をとるに連れて,
手,腕,足や腰が痛み,医者に通うようになった。
   (7) 控訴人A7(控訴人番号7)
      控訴人A7は,平澤郡で,父と2人で小作農をしていたが,昭和19
年(1944年)9月ころ,徴用令書の交付を受け郡庁に出頭し,貨車で釜山に運
ばれ,下関を経て広島に行った。
      広島では南側の建物の2階の部屋に12,3人で一緒に生活した。
      食事は量が少なく,受け取った給料は食べ物を買うのに使ってしまっ
た。
      C1製作所の鋳鉄部で,J学校の日本人学生と共に,午前8時から午
後6時まで,機械の型を仕上げる作業に従事した。夜勤もたまにあった。
      昭和20年(1945年)8月6日には,工場で就労中に原爆が投下
され,このときから右耳が聞こえなくなった。寮の建物は倒れて住める状態ではな
く,旧B株式会社の従業員もいなかったので,G4島の方に行って防空壕で8月1
5日を迎え,広島市内に戻って軍人から証明書を貰って下関に行った。その証明書
で船に乗り,8月30日ころ,家に帰った。
        帰郷後,農業をして生活しているが,広島で空襲で防空壕に逃げ
込む際に転んで腰を痛めたことなどから足腰が痛く,耳も含めて,昭和57年(1
982年)と平成2年(1990年)に広島で手術や治療を受け,足は良くなった
が耳は治っていない。
   (8) 控訴人A8(控訴人番号8)
      控訴人A8は,平澤郡で,両親,姉,兄2人と共に小作農をしてい
た。昭和19年(1944年)9月に徴用令書により徴用され,面事務所の労務職
員から「日本に行け。行かないと父母が警察に連れて行かれるぞ。」と言われた。
9月下旬に学校に集められ,旧B株式会社の人もいて,給料の半額は家に送金する
という話を聞いた。その後,監視を受けながら貨車で釜山に運ばれ,広島に連れて
行かれた。
      広島では,西寮の12畳の部屋に8,9人が入り,何の訓練もなく工
場で働くことになった。食事は粗末で量も少なく,許可を得て市内に出て粥を食べ
に行ったこともあった。C1製作所の鋳鉄工場で,午前8時から,残業が多く午後
9時,10時まで,溶鉱炉にコークスや石灰を入れて鉄を溶かす作業に従事した。
      昭和20年(1945年)8月6日には,工場に行こうとしたところ
で警報が鳴り,防空壕に入っていた際に原爆が投下された。その後,旧B株式会社
の従業員は誰もいなくなり,畑のものを取って食べながら過ごすうちに終戦を知
り,下関から連絡船に乗って帰国し,9月28日に家に帰った。その後も農業で生
活し,治療は受けていないが,度々めまいがすることがある。
   (9) 控訴人A9(控訴人番号9)
      控訴人A9は,平澤郡で,母親と兄(徴兵でフィリピンに出征),
弟,妹2人で農業をして生活していた。昭和19年(1944年)9月に,徴用令
書の交付を受けて学校に集められ,「徴用期間は1年間。給料は半分は家に送金
し,もう半分は本人に渡す。家への送金は15円くらいである。」との説明を受け
た。
      1泊して貨車で釜山に行き,そこから旧B株式会社の人に広島まで連
れて行かれた。
      広島では西寮に入った。食事は量が少なく,腐ったご飯が出されたこ
ともあった。C1製作所の鋳鉄工場で,午前8時から午後6,7時ころまで,旋盤
で穴を開けた鉄板の棘などを落とす作業に従事した。
      昭和20年8月6日は,工場で作業を始めようとした時に原爆が投下
され,防空壕に避難した。寮の建物は壊れたため,近くの川辺で過ごし,何日かし
てから旧B株式会社の従業員の指示で復旧作業に従事した。
      8月30日ころになって帰国するように言われ,九州に行って大工の
片付け仕事を手伝うなどした後,同年11月ころ家に戻った。
      説明と違って給料の半分は送金されておらず,その後,農業をして生
活したが,被爆の影響で右腰から足にかけての神経痛があり,昭和56年(198
1年)ころ長崎のE5病院で入院治療を受けた。平成4年(1992年)にも広島
に行き,歯の治療を受けた。
   (10) 控訴人A10(控訴人番号10)
      控訴人A10は,平澤郡で,兄夫婦と甥らと共に生活し,小作農をし
ていた。昭和19年(1944年)9月,面事務所の役人から徴用令書の交付を受
け,3日後に学校に集められて,貨車で釜山に運ばれた後,広島に連れて行かれ
た。
      広島では西寮の12畳の部屋に12人が入れられた。C1製作所の鋳
鉄工場で鉄の塊を運んだり,溶接の手伝いの作業に従事した。
      昭和20年(1945年)8月6日は,工場に入ったところで原爆の
投下に遭い,爆風で工場の建物が壊れ,防空壕に避難したが,右耳の鼓膜が破れた
ようであった。旧B株式会社の従業員からは何の指示もなく,翌日,罹災証明書を
貰った。その後,下関に向かって2日ほどで着き,2,3日して,闇船に乗って帰
国した。再び農業で生活を始めた。帰国後,耳鳴りが続き治療を受けたが,右耳は
ほとんど聞こえなかった。
      頭痛や歯痛,肩や腕,足の痛みもあって,治療を受けた。日本に行っ
たのでは家族が生活に困るため,行くことができなかった。
   (11) 控訴人A11(控訴人番号11)
      控訴人A11は,平澤郡で,両親,妻,2子と共に生活し,小作農を
していた。昭和19年(1944年)9月,徴用令書の交付を受けて面事務所に召
集され,貨車で釜山に運ばれ,広島に連れて行かれた。
      広島では,西寮に入れられた。食事は少なく,腐っていたことから騒
ぎになったこともあった。C1製作所の鋳鉄工場で鉄鉱石を砕いて溶鉱炉に入れる
作業等に従事した。
      昭和20年(1945年)8月6日は,工場の中で被爆した。工場の
建物も壊れて混乱状態になったが,旧B株式会社の従業員からの指示はなかった。
翌日,帰国しようと思って,ひとりで下関に行き,10日間ほど後に闇船に乗って
帰国した。
      給料の送金はされておらず,農業をして生活した。平成3年(199
1年)ごろ,日本に行って被爆者健康手帳の交付を受けた。
   (12) 控訴人A12(控訴人番号12)
      控訴人A12は,平澤郡で,母親,妻及び2子と小作農をして生活し
ていた。昭和19年(1944年)9月に徴用令書の交付を受け,3日後に学校に
集められ,旧B株式会社に行くことが分かり,監視を受けながら貨車で釜山に運ば
れ,下関を経て広島に行った。
      広島では,西寮の12畳の部屋で12人が生活することになった。
      食事は粗末で量も少なく,一度腐っていて騒動になったこともあっ
た。到着してから2週間ほど,軍事教練や避難訓練を受けた後,C1製作所の鋳物
工場に配属され,午前8時から午後6時半ころまで,鋳型を作る作業に従事した。
給料は,半分を家に送金すると聞いていたが,家族からは送られてきていないとい
う返事だった。
      昭和20年(1945年)8月6日は,工場に行く途中で原爆が投下
され,爆風で飛ばされた。その後,広島市の北の方の知合いの韓国人の家で1か月
ほど世話になり,9月10日に船で下関に行き,釜山を経て9月20日ころ家に帰
った。
      農業や日雇い仕事等,様々な仕事をして暮らしてきたが,皮膚病がひ
どく,通院治療を続けた。昭和59年(1984年)には広島のE3病院で治療を
受けたこともある。
   (13) 控訴人A13(控訴人番号13)
      控訴人A13は,平澤郡で,母親,妻及び2子と農業をして生活して
いた。昭和19年(1944年)9月,徴用令書の交付を受けて学校に召集され,
「徴用期間は1年間。給料は半分は家に送金し,もう半分は本人に渡す。家への送
金は約15円くらいである。」との説明を受けた。その後,貨車で釜山に運ばれ
て,広島まで連れて行かれた。
      広島では西寮に入れられた。食事は量が少なく,腐ったご飯を食べさ
せられたこともあった。到着して工場案内が終わると,すぐにC1製作所の鋳鉄工
場で,旋盤で降りてきた物の埃を落とす作業に従事し,残業につぐ残業であった。
      昭和20年(1945年)8月6日は,防空壕に入っているときに原
爆が投下された。その際に転んで手首の骨にひびが入った。その後,しばらくは寮
で生活し,旧B株式会社の人に下関まで連れられて行き,そこからは自分で船に乗
り,8月末ころ,H1港に帰った。
      帰国後,心臓が悪く,昭和61年にはE2病院で入院治療を受け,被
爆者健康手帳の交付を受けた。
   (14) 控訴人A14(控訴人番号14)
      控訴人A14は,平澤郡で,妻と1子の3人家族で小作農をして生活
していた。昭和19年(1944年)9月,徴用令書の交付を受けて学校に集めら
れた後,貨車で釜山に運ばれて,広島まで連れて行かれた。
      広島では,西寮の12畳の部屋に12人で生活することとなった。
      C1製作所の鋳鉄工場で,石炭を釜に入れる作業に従事したが,5か
月ほどしたころ,ベルトが外れたモーターの修理中に右手の指が挟まれて,人差し
指と中指を第1関節から失う傷害を負い,治療は受けたものの補償はなかった。
      昭和20年(1945年)8月6日は,同じ班の日本人の小隊長の家
から出勤する途中で原爆の投下に遭った。火災で工場まで行くことができずに,3
日間小隊長の家で過ごした後,寮に戻って,控訴人A1と会い,一緒に帰国した。
      その後,農業をして生活しているが,皮膚が弱く,化膿しやすくな
り,皮膚病で通院治療を受けることが多かった。また,視力も極端に低下してい
る。
   (15) 控訴人A15(控訴人番号15)
      控訴人A15は,平澤郡で,父親と弟,3人の妹と小作農をして生活
していた。昭和19年(1944年)9月,徴用令書の交付を受け,そのまま郡庁
に連れて行かれ,貨車で釜山に運ばれた後,広島に行った。
      広島では,西寮の12畳の部屋に11人が入った。食事は麦飯で量が
少なかった。C1製作所鋳鉄工場の製品場で焼き上がった鉄製品の棘や角を落とし
て仕上げる作業に従事した。怪我はしなかったが,右足がよく曲がらず,工場内の
病院に通っていた。
      昭和20年(1945年)8月6日は,工場の中で就労中に原爆が投
下された。爆風が吹いて,左手に火傷を負った。寮に戻って,翌日以降はすること
もなく15日ほど旧B株式会社の日本人に食事を貰って過ごした。その後,闇船に
乗って釜山を経て家に帰った。
      それからは,他人の農作業を手伝って生活したが,昭和61年(19
86年)ころから,膝から大腿部,腰へと痛みが拡がり,D2援護協会からの医療
補助費で通院治療を受けた。
   (16) 控訴人A16(控訴人番号16)                
            
      控訴人A16は,平澤郡で,母親,妻及び娘と小作農をして生活して
いた。昭和19年(1944年)9月に徴用令書の交付を受け,2日後に面事務所
に召集され,そこから貨車で釜山に運ばれ,下関で班分けをされて,日本人に引率
されて広島に行った。
      広島では,西寮の12畳の部屋に12人が入った。食事は少なく麦飯
で,いつも腹が減っていた。日本人が米を食べているので,文句を言ってデモをし
たという話を聞いたことがある。給料は半分が送金されていると聞いた。
      1か月ほど教練のようなものを受けた後,C1製作所の鋳鉄工場で,
鉄の塊をハンマーで叩いて切っていく作業に従事した。
      昭和20年(1945年)8月6日は,工場に入ろうとしていたとき
に原爆が投下された。爆風で工場の板が飛ばされたりした。旧B株式会社の従業員
からの指示は何もなく,食料もないので,山の方に行って過ごした。その後,1週
間くらいで下関まで行き,5日ほど後に闇船に乗って帰国した。
      帰国後,農業をして生活したが,昭和51年(1976年)ころから
胃腸が悪くなった。
   (17) 控訴人A17(控訴人番号17)
      控訴人A17は,平澤郡で,両親,弟2人,妻及び娘と農業をして生
活していた。昭和19年(1944年)9月,徴用令書の交付を受け,貨車で釜山
に連れて行かれて,日本人に引き渡され,そこからは監視されながら広島まで行っ
た。
      広島では,西寮の10畳の部屋に6人が入れられた。食事は粗末で,
日本人との差別に文句を言ったこともある。
      到着後,10日間ほど訓練を受けてから,C1製作所のベアリング作
業場に配属され,3か月後に鋳鉄工場に移り,午前7時から午後8時ころまで働い
た。
      昭和20年(1945年)8月6日は,鋳鉄工場での始業前,工場の
外にいるときに原爆が投下された。爆風で工場の屋根が吹き飛び,旧B株式会社の
従業員がいなくなったので,寮に戻り,4日間はそこで過ごした。その後,市内で
遺体を集める仕事をした後,下関を経て,8月下旬に闇船で帰国した。
      帰国後は農業で生活したが,昭和59年(1984年)と昭和63年
(1988年)など,これまでに渡日治療で3回広島のE3病院で耳や腎臓,大腸
の手術を受け,被爆者健康手帳の交付も受けた。
   (18) 控訴人A18(控訴人番号18)
      控訴人A18は,平澤郡で,母親,兄夫婦,姪,妻と娘,弟2人と農
業をして生活していた。昭和19年(1944年)9月に徴用令書の交付を受け,
郡庁に召集されて,貨車で釜山に行き,広島まで連れて行かれた。
      広島では,西寮の部屋に16人が入れられた。食事は粗末で,量も少
なかった。
      C1製作所の鋳鉄工場で,色々な作業に従事した。
      昭和20年(1945年)8月6日は,寮で休んでいたときに被爆し
た。市内に出てみたが,ひどい状態で,翌日には寮を出て,広島市外の韓国人の飯
場で15日間ほど過ごし,9月に下関から帰国した。
      帰国後,再び農業をして生活したが,10年くらいしてから皮膚病が
ひどくなり,治療を続けた。日本で治療を受けたかったが,家族が生活できなくな
るため,行くことができなかった。
   (19) 控訴人A19(控訴人番号19)
      控訴人A19は,平澤郡で,両親,妻,弟5人と共に小作農をして生
活していた。昭和19年(1944年)9月に徴用令書の交付を受け,3日後に召
集され,「待遇も良い。きちんと給料もくれる。家族の生活費も送ってやる。」な
どと説明を受けた。貨車で釜山に運ばれて,広島まで行った。
      広島では,西寮に入れられた。食事が悪く,不満が募って食堂に食べ
物を投げつけるという騒ぎもあった。C1製作所の鋳鉄工場で鉄鉱石を砕いて溶鉱
炉に入れる作業に従事した。徴用前からリュウマチで足腰が悪かったが働いた。
      昭和20年(1945年)8月6日は,工場で仕事を始めようとして
いたときに原爆が投下された。防空壕に逃げ込んだが,その後は混乱状態で,何の
指示もなく,食料もないので,20日間ほどは郊外の農家で手伝いをしながら食べ
させて貰った。それから,下関に行き,9月中旬ころ帰国した。
      農地を取り上げられたため,借金をして買った船を貸して生計を立て
た後,農業に戻った。背骨が悪く,肩や腕に変調をきたして,手術を受けた。昭和
60年(1985年)に日本で検査を受けて被爆者健康手帳の交付を受けた。
   (20) 控訴人A20(控訴人番号20)
      控訴人A20は,平澤郡で,両親,兄夫婦,甥と共に,小作農をして
生活していた。昭和19年(1944年)9月に徴用令書の交付を受け,3,4日
後に召集され,そこに来ていた日本人に引率されて,貨車で釜山に行き,広島まで
連れて行かれた。
      広島では,西寮の部屋に8人が入れられた。食事は非常に粗末で,量
も少なく,給料は食べ物を買うのに使ってしまった。C1製作所の鋳鉄工場で様々
な作業に従事した。
      昭和20年(1945年)8月6日には,工場の外で作業中に原爆が
投下された。その後,当日は広島市の周辺で野宿して,呉まで歩いていき,汽車で
下関に行った。3日後,連絡船に乗って帰国した。
      家に戻ってから,再び農業で生活したが,左足の神経痛に苦しみ,昭
和61年(1986年)ころ,長崎のE3病院で3か月治療を受けたものの,効果
が無かった。
   (21) 控訴人A21(控訴人番号21)
      控訴人A21は,平澤郡で,祖父母,父親,妻及び兄の妻と共に小作
農をして生活していた。昭和19年(1944年)9月,徴用令書の交付を受け,
2日後に召集されて,H2駅から日本人に引率されて,貨車で釜山に行き,その
後,広島まで連れて行かれた。広島では,西寮の12畳の部屋に12人が入れられ
た。
      C1製作所の鋳鉄工場で,主に鉄の塊をハンマーで叩き切る作業等に
従事した。給料の半分は家族に送金されているものと思っていた。給料は良かった
が,食事はひどく,腐っていて喧嘩をしたこともあった。
      昭和20年(1945年)8月6日は,倉庫から机を運搬中に建物の
外で被爆した。爆風で吹き倒されて,叩きつけられ,顔面を負傷した。防空壕に避
難した後,寮が傾いていたため,その夜は川辺で眠り,翌日は韓国人の飯場に行
き,次の日,広島市内で憲兵から証明書を貰って下関に行った。1日待って,闇船
で帰国した。
     帰国後,右足が痛くなり,胃腸も悪くなった。また,突然意識がなくな
り,顔の負傷が原因とのことで手術を受けた。渡日治療で腹部の手術も受けたほ
か,韓国で腰や左頭部の手術も受けた。
   (22) 控訴人A22(控訴人番号22)
      控訴人A22は,平澤郡で,母親,妻と娘と共に,小作農をして生活
していた。昭和19年(1944年)9月に徴用令書の交付を受け,1週間後に召
集されて,監視を受けながら貨車で釜山に連れて行かれ,そこから日本人に引率さ
れて広島まで行った。
      広島では,西寮の部屋に12人が入れられた。食事は量が少なかった
が我慢した。到着して約10日間訓練を受けた後,C1製作所の鋳鉄工場で,午前
8時から午後6時まで,機械の型を作る作業に従事した。給料は半分が家族に送ら
れるということだったが,実際には送金されていなかった。
     昭和20年(1945年)8月6日は,作業に入る前に原爆が投下さ
れた。爆風が凄く,建物も壊れた。旧B株式会社の従業員は誰もいなくなり,寮で
3日ほど過ごした後,下関に行き,8月下旬に闇船で帰国した。帰国後,すぐに皮
膚病になり,その後も続いている。
   (23) 控訴人A23(控訴人番号23)
      控訴人A23は,平澤郡で,両親,兄3人,姉と妹,妻と1子と共に
農業をして生活していた。昭和19年(1944年)9月下旬ころに徴用令書の交
付を受けて,面事務所に召集され,貨車で釜山に運ばれた後,広島に連れて行かれ
た。広島では,西寮の部屋に8人から10人が入れられた。
      C1製作所の鋳鉄工場に配属され,クレーン運転の訓練を受けた後,
1日10時間,熔解場でクレーンの運転に従事した。食事は麦飯で量も少なく,い
つも空腹でいた。食事のことで,喧嘩をしたことも何度かあった。
      昭和20年(1945年)8月6日は,工場で就労中に原爆が投下さ
れ,爆風でガラスが割れ,小屋が倒れたりした。腕にガラスの破片が刺さったが手
当は受けられなかった。寮には怪我をした人たちが集まり,挺身隊の女性が治療を
していた。旧B株式会社の従業員はどこかに行ってしまい,1か月間寮で過ごして
から,挺身隊の女性の家の果樹園を20日ほど手伝い,その後下関に行き,闇船で
帰国して,10月末に家に帰った。
      再び農業に戻って生活したが,早いうちから頭痛がして,昭和60年
(1985年)には広島のE3病院に入院して,蓄膿症,歯及び頭痛の治療を受け
た。その後,E6病院で肩の手術を受けた。頭痛はその後も続いた。
   (24) 控訴人A24(控訴人番号24)
      控訴人A24は,龍仁郡で妻と農業をして生活していた。昭和19年
(1944年)9月ころ,徴用令書の交付を受けて5日後に郡庁に集められ,「日
本の工場で人が不足しているので,月給も多く,家族に半分を送金するので安心し
て働くように。」などと説明を受けた後,汽車で釜山まで行った。釜山には,沢山
の日本人が来ていて,その監視を受けるなどしながら,船で下関に渡り,汽車で広
島まで行った。
      広島では寮の12畳の部屋に12人が入れられた。食事は1日3合の
米だったが,量が少なく,空腹でたまらなかった。夏に,豆と芋が腐っていたの
で,投げつけて抗議したことがあった。
      C1製作所の鋳鉄工場で,午前8時から午後5時か6時まで,ハンマ
ーで鉄を叩き切る危険な作業に従事した。午後8時か9時ころまでの夜勤もあっ
た。
      昭和20年(1945年)8月6日は,工場で作業を始めようとした
ときに原爆が投下された。爆風で工場の建物が壊れ,防空壕に逃げ込んだが,転ん
で腰を強打してしまった。翌日,臨時事務所で旧B株式会社の従業員から休暇の書
類を貰って,1週間ほど広島にいてから下関に行き,船で帰国した。
      帰国すると,説明と違い給料は送金されていなかった。再び農業を始
めたが,原爆投下の際に強打した腰が悪くて十分に働くことができなかった。平成
7年(1995年)に広島で1週間腰の治療を受け,被爆者健康手帳の交付も受け
た。
   (25) 控訴人A25(控訴人番号25)
      控訴人A25は,平澤郡で,父親,兄夫婦2組,弟,妹2人及び妻と
農作業の手伝いをして生活していた。昭和19年(1944年)9月に,徴用令書
の交付を受けて,郡庁に集められ,日本人に監視されながら,釜山を経て広島に連
れた行かれた。
      広島では,西寮の12畳の部屋に12人が入れられた。食事は量はそ
れなりだったが,内容が粗末で,騒ぎになり,何人かの徴用工が憲兵に連れて行か
れたことがあった。
      C1製作所の鋳鉄工場で,鉄を溶かし,型に流し込む作業に従事し
た。給料の半分は家に送るとの説明だったが,実際には送金されていなかった。
      昭和20年(1945年)8月6日は,工場の中で被爆した。爆風が
凄かった。旧B株式会社からの指示は何もなく,寮での生活はできなくなり,歩い
て下関まで行き,船で釜山に戻った。
      帰国後は,以前と同じく,近所の農家の手伝いをして暮らしたが,健
康状態は,視力が極端に低下し,胃が悪く,膝も弱ってしまった。
   (26) 控訴人A26(控訴人番号26)
      控訴人A26は,平澤郡で,両親,兄及び妻と共に,小作農をして生
活していた。昭和19年(1944年)9月に徴用令書の交付を受け,面事務所に
集められて,貨車で釜山に運ばれた。船で下関に渡り,汽車で広島に行った。
      広島では,寮の部屋に10人くらいが入れられた。食事は量が少な
く,傷んだご飯が出たときには抗議のデモのようなことが起こった。
      C1製作所の鋳鉄工場で,鋳型から部品を取り出して仕上げる作業に
従事した。残業をすると食べ物が貰えるので,毎日のように残業をした。給料は,
一部を家族に送り,一部は貯金していると聞かされていたが,受け取っていない。
      昭和20年(1945年)8月6日は,工場の中で被爆した。日本人
は誰もいなくなり,食べ物もなかったので,工場を出て,下関に行き,9月ころ,
漁船に乗せて貰って帰国した。帰国後,皮膚病に悩まされ,腰も痛くて苦しんだ。
医者の話では被爆したためとのことであった。
   (27) 控訴人A27(控訴人番号27)
      控訴人A27は,平澤郡で,両親,弟2人,妹3人,妻と共に,小作
農をして生活していた。昭和19年(1944年)9月初め,徴用令書の交付を受
けて学校に集められ,どこに行くか分からないまま連れて行かれ,釜山からは日本
人の引率されて広島に行った。
      広島では,西寮の大きな部屋に入ったが,ひとつの布団に2人ずつ寝
ていた。食事は少なく,一度腐ったご飯が出たこともあった。
      C1製作所の鋳鉄工場で鉄の塊を叩き切ったり,運んだりする作業に
従事した。給料の半分は家に送るということだったが,送金されていなかった。
      昭和20年(1945年)8月6日は,工場で作業を始めたときに原
爆が落ちた。仕事ができなくなったので,その日のうちにG4島の韓国人の飯場に
行き,終戦となったので下関から闇船で帰国した。
      その後,再び農業を始めた。帰国後,すぐに胃が悪くなって投薬を受
け,その後,右足の脛も痛むようになった。
   (28) 控訴人A28(控訴人番号28)
      控訴人A28は,平澤郡で,両親,姉3人,弟,妻と共に,小作農を
して生活していた。昭和19年(1944年)8月ころに徴用令書の交付を受け,
すぐに郡庁に連れて行かれ,日本人に引率されて汽車で釜山に向かい,そこから下
関を経て広島に行った。
      広島では,西寮の部屋に12人が入った。食事は量が少なく,いつも
空腹でいた。食事について日本人との違いはなかった。1か月ほど職業訓練等を受
けてから,C1製作所の鋳鉄工場で,J学校の日本人学生の班長のもとで,午前8
時から午後6時ころまで,溶鉄の作業に従事した。夜勤は週に4日ほどあった。給
料の半分は家に送金するという話だった。
      昭和20年(1945年)8月6日は,工場で就労中に原爆が投下さ
れた。ものすごい音と光で溶解炉の足場から転げ落ち,防空壕に逃げ込んだが,こ
のときに右手の中指を骨折し,今でも指は曲がったままである。寮は壊れて住める
状態ではなく,何の指示もないので,寮の近くの駐在所で証明書を貰って下関まで
行き,15日ほど土方をして貯めた金で船に乗り帰国した。家に戻ってからは農地
が取り上げられていたので,土方をして生活した。
   (29) 控訴人A29(控訴人番号29)
      控訴人A29は,平澤郡で,両親,兄,姉,弟3人と共に,小作農を
して生活していた。昭和19年(1944年)8月に徴用令書の交付を受け,翌日
学校に集められて,Bのマークのついた帽子を被った人から,給料の半分は家族に
送るという話があった。翌日,客車で釜山に運ばれて,広島まで連れて行かれた。
      広島では,西寮の8畳間の部屋に8人が入れられた。寮の周りには監
視の人がいた。食事は量が少なく,休日に許可を得て外出し,お粥を食べに行った
こともあった。ご飯が腐っているような臭いがして騒動が起こったこともあった。
      C1製作所の鋳鉄工場で,午前7時から午後5時まで,ボイラーに石
炭を入れて燃やす作業に従事した。残業や夜勤もあった。
      昭和20年(1945年)8月6日は,工場のボイラー室で火を焚こ
うとしたときに原爆が投下され,防空壕に避難した。翌日,寮に戻ると建物が倒れ
かかっていたため,韓国人の飯場に行って8月10日まで過ごし,それから山口を
経て下関に行き,8月下旬に帰国した。
      旧B株式会社からの送金はされておらず,再び,農業に従事したが,
足腰が痛く,歩くのもむずかしくなった。
   (30) 控訴人A30(控訴人番号30)
      控訴人A30は,平澤郡で,祖父母,両親,兄,弟2人,妹2人と共
に,農業をして生活していた。昭和19年(1944年)9月初め,徴用令書の交
付を受け,郡庁に集められて説明を聞いた後,客車で釜山に行き,下関を経て広島
まで連れて行かれた。
      広島では寮の8人部屋で寝起きしていたが,寮には,「とりしま(取
締)」という監視の人間がいた。食事は量が少なく,足りなかった。
      到着して1か月ほど作業の訓練を受けた後,旧B株式会社の従業員が
警備している鋳鉄工場で,午前8時から午後6時か6時半ころまで,溶解した鉄を
取り出して運ぶ作業に従事した。残業もあった。給料の一部を,3,4回家族に送
ったこともあった。休日には市内に出てお粥を食べたりした。
      昭和20年(1945年)8月6日に原爆が投下された時には,工場
の防空壕の中にいたが,壕が崩れて腰を痛めた。その後,山の方に避難して,3日
ほどして寮に戻ったが,建物はつぶれていて,罹災証明書を貰って8月20日ころ
まで野宿して過ごした。それから,下関まで行き,対馬を経由して釜山に戻った。
      8月25日に帰郷した後,農地は処分していたので植木職人の仕事を
して生活したが,腰痛で無理はできず,足先が冷えたり,胸に霧がかかったような
咳が出る。その後,目も悪くなった。腰は手術を受け,漢方薬を飲み続けた。
   (31) 控訴人A31(控訴人番号31)
      控訴人A31は,平澤郡で,祖母,両親,兄,弟,妹4人と共に,小
作農をして生活していた。昭和19年(1944年)9月上旬に面事務所の徴用係
から徴用令書の交付を受けたが,その際に,「徴用するから日本に行け。行かない
と父母が困るぞ。逃げてはならない。逃げたら家族を警察に送るぞ。」といわれ
た。2週間後に召集され,「給料は一部を家族に送金する。」等の説明を受けた
後,Bの腕章をした日本人に監視されながら,釜山を経て広島に連れて行かれた。
      広島では西寮の12畳の部屋に8,9人が入れられて,ひとつの布団
を2人で使いながら寝起きした。寮でも監視されていた。食事は粗末で,日本人と
同じにするよう要求して,2回ほど騒ぎになったことがある。
      すぐにC1製作所の鋳鉄工場に配属され,J学校の学生の班長の下
で,午前8時から午後5時か6時まで,タービンにコークスや石灰,鉄を入れて溶
かし,型を取る作業に従事した。残業のほか,1週間交替で夜勤もあった。また,
20日間ほど,徳山に行って働いたこともあった。給料からは家族への送金分と貯
金分が引かれていた。
     昭和20年(1945年)8月6日は,夜勤明けで工場の中にいたと
きに原爆が投下された。すぐに外に出たが,爆風で工場が揺れ,左耳の鼓膜が破れ
て聞こえなくなった。落ちてきた破片が頭や足に当たって怪我をした。寮に戻った
が,誰もおらず,以後,旧B株式会社からは何の指示もなかった。
      その後,罹災証明書を貰って,9月下旬まで,広島市内で遺体の片付
け作業を手伝ってから下関に向かい,闇船で釜山に戻って,10月に家に帰った。
再び農業を始めて生活し,耳の治療を受けたが効果がなく,膿が出る状態が続い
た。
   (32) 控訴人A32(控訴人番号32)
      控訴人A32は,安城郡で,祖母,両親,弟3人,妹3人,妻と1子
と共に,面事務所の公務員として働き,父親が小作農をして生活していた。昭和1
9年(1944年)9月初めに徴用令書の交付を受け,「給料の半分は家に送金す
る」旨の説明を受けた後,汽車で釜山に行き,下関を経由して広島まで連れて行か
れた。
      広島では,南寮の12畳の部屋に12人が入れられた。食事は量が少
なく,腐ったご飯が出たこともあった。到着してから1か月は軍事教練を受け,そ
の後はC2造船所で,1か月見習いをした後,船の溶接の作業に従事した。ほとん
ど毎日残業があった。
      昭和20年(1945年)8月6日は,寮で寝ていたときに原爆が投
下された。その後,仕事はなく,下関まで自分で辿り着いて,8月末に家に帰っ
た。帰国後は病気がちで苦しい生活を送っている。
   (33) 控訴人A33(控訴人番号33)
      控訴人A33は,平澤郡で,小作農をして妻と1子と共に生活してい
た。昭和19年(1944年)9月初めに徴用令書の交付を受け,1週間後に召集
され,「給料の半分は家族に送る」などと話があった後,鉄道で釜山に行き,そこ
からはBの帽子をかぶった人に監視されながら,下関を経て広島まで連れて行かれ
た。
      広島では,南寮の12畳の部屋に11人が収容された。食事は量が少
なく,いつも空腹で,給料は食べ物を買うのに全部使ってしまった。
      C2造船所の資材課の倉庫係に配属され,荷物の積み下ろしの作業に
従事した。
      昭和20年(1945年)8月6日は,倉庫にいるときに原爆が投下
された。すぐに防空壕に逃げたが,途中,壊れた工場の塀が左足の上に落ち,小指
の半分を失う怪我をした。その後,旧B株式会社の従業員はいなくなり,罹災証明
書を貰って九州に行き,1か月ほど働いてから闇船で帰国した。
      家に戻ってからは,農地を取り上げられていたために,農家の作業を
手伝って生活した。足と腕の神経痛に悩まされたほか,平成3年(1991年)と
平成4年(1992年)8月に胆石の治療のため広島に行き,被爆者健康手帳の交
付も受けた。
   (34) 控訴人A34(控訴人番号34)
      控訴人A34は,平澤郡で,両親,妻と長女と共に,農業の傍ら面事
務所に勤務して生活していた。昭和19年(1944年)の旧暦の8月に徴用令書
の交付を受けたが,軍隊に行くよりはましと考えた。郡庁に集められ,警察官らが
監視する中で,旧B株式会社の従業員から説明を受けた後,汽車で釜山に行き,船
で下関に渡って,再び汽車で広島に連れて行かれた。
      広島では南寮の12畳の部屋に12人が収容された。2週間ほどの軍
事教練の後,C2造船所の資材課倉庫係に配属された。徴用工の分隊長として徳山
に出張したこともあった。給料は半分が送金されているとの説明を受けていた。ま
た,腐ったご飯が出たとして抗議したこともあった。
      昭和20年(1945年)8月6日は,造船所構内にいたときに原爆
が投下され,爆風で倒されて,肱や膝を強打した。寮は壊れて中に入ることはでき
ず,その晩は外で過ごした。それから,G4島に逃げて韓国人の飯場で働いた後,
下関から闇船で釜山に渡り,家に戻った。
      帰国後は精米所で働き,朝鮮戦争の後は面事務所で働くようになっ
た。身体が重く,力が出ない状態が帰国後ずっと続き,肩や腰,膝の痛みもひど
く,平成6年(1994年)には,渡日治療でE4病院で入院治療を受け,その際
に被爆者健康手帳も取得した。
   (35) 控訴人A35(控訴人番号35)
      控訴人A35は,ソウル市で,両親,姉,弟2人と共に生活し,朝鮮
総督府の鉄道局に勤務していた。昭和19年(1944年)9月に徴用令書の交付
を受け,10日後に市庁舎に召集され,Bのマークのついた帽子を被った人に監視
されながら,引率されてH3駅から釜山に行き,下関を経由して広島に行った。
      広島では,北寮の12畳の部屋に12人が収容された。食事は少な
く,いつも空腹で,休日には食べ物を買いに出たりした。
      到着後,約2週間軍事教練を受けてから,C2造船所の第3工場に配
属され,午前8時から午後6時まで,鉄板を切ったり,パイプを曲げる作業に従事
した。監視されていて,怠けると殴られた。酸素ボンベが爆発して,一方の目を失
明した人や高所から落ちた人もいた。給料は家族に半分送るということだった。
      昭和20年(1945年)8月6日は,作業を始める準備中に原爆が
投下された。爆風に吹き飛ばされたが外傷はなかった。防空壕に避難してから寮に
戻ったが,旧B株式会社からは何の指示もなく,2,3日後になって握り飯が配給
された。8月15日に祖国の解放を知り,下関に向かい,同月30日に帰国した。
      家に帰ってからは鉄道局に復職した。帰国後,病気がちになり,胃腸
病,高血圧,心臓疾患で具合が悪くなった。昭和56年(1981年)に,渡日治
療でE4病院で2か月治療を受け,被爆者健康手帳の交付も受けた。
      昭和44年(1969年)から昭和55年(1980年)までD2援
護協会の常任理事,平成4年(1992年)まで事務局長を務めた。また,昭和4
9年(1974年)にはD3会を結成して会長になり,同年8月には,F4らが被
控訴人B1株式会社本社を訪れて補償交渉を行った。
   (36) 控訴人A36(控訴人番号36)
      控訴人A36は,ソウル市で,両親,兄2人,弟2人及び妹と共に生
活し,保健所に勤務していた。昭和19年(1944年)9月に徴用令書の交付を
受け,中学校に集められて,日本人から「給料の半分は家族に送る」という話をさ
れた後,日本人に監視されながら,H3駅から貨車で釜山に行き,下関を経て広島
まで連れて行かれた。
      広島では,北寮の11畳位の部屋に9人が入れられた。食事は粗末で
量も少なかった。到着後,2週間ほど軍事教練を受けてから,C2造船所の第1工
場に配属され,午前8時から午後6時まで,タービンのパイプを連結する作業に従
事した。
      昭和20年(1945年)8月6日は,工場で作業を始める準備中に
原爆が投下された。北寮は半分壊れており,旧B株式会社の従業員もおらず,3日
後には市内の中心部に出て罹災証明書を貰い,同月15日に下関に着いた。その
後,船で釜山に渡り,同月末頃,家に帰った。
      帰国後,髪の毛が抜け,歯茎から出血して,疲れやすく,不整脈も出
るようになった。渡日治療で,昭和56年(1981年)に長崎で治療を受け,被
爆者健康手帳の交付も受けた。その後,3回以上,渡日治療を受けた。
   (37) 控訴人A37(控訴人番号37)
      控訴人A37は,ソウル市で,両親,妻と共に生活し,コックとして
働いていた。昭和19年(1944年)9月20日ころ徴用令書の交付を受け,H
3駅で日本人から「給料の半分は家族に送金する」旨の話をされた後,日本人に監
視されながら,客車で釜山に向かい,下関を経て広島まで連れて行かれた。
     広島では,北寮の12畳の部屋に10人から12人が入れられた。
     到着後,1週間の軍事教練を受けてから,C1製作所の第1工場に配
属されたが,すぐに膝を強打して半月ほど歩くことができずに寮で休んでおり,そ
の後も力仕事ができないため,掃除や弁当の配達等の雑用をしていた。この怪我の
ために膝が十分に曲がらなくなってしまった。家族からの手紙では給料は送金され
ておらず,工場長に確かめたところ,知らないと言われただけだった。
      昭和20年(1945年)8月6日は,寮にいるときに原爆が投下さ
れた。すぐに山の方に逃げたが,翌日戻って,寮で寝泊まりを続けた。その間に,
雨水が右耳に入って,耳が腫れたことがあった。9月中旬ころになって旧B株式会
社の出した木船でH4駅まで行き,そこから下関,仙崎を経由して釜山に帰った。
      9月19日ころ家に戻り,再びコックとして働き始めた。帰国後,耳
が治らず,現在でも時々膿が出る。また,膝の調子も悪く,平成7年(1995
年)には日本で2か月入院し,その際に被爆者健康手帳の交付を受けた。
   (38) 控訴人A38(控訴人番号38)
      控訴人A38は,ソウル市で母親,兄夫婦,妻と1子と共に生活し,
鉄工所で溶接の仕事をしていた。昭和19年(1944年)9月に徴用令書の交付
を受け,行かなければ罰を受けることから行かざるを得ず,10日後に集められ
て,Bのマークを付けた人に引率されて,H3駅から広島まで連れて行かれた。途
中,給料が家族に送金されると聞いた。
      広島では,北寮の12畳の部屋に12人が入れられた。食事は粗末で
量も少なかった。休日には市内に出て食べ物を買って食べた。
      1週間ほど軍事教練を受けてから,C2造船所の第3工場の溶接部に
配属され,午前8時から午後7時まで,日本人技術者と一緒に働いた。残業や徹夜
での作業も多くあった。眠気や空腹のため,高所から転落した人もいた。火傷や切
り傷も多かった。
      昭和20年(1945年)8月6日は,工場の横で待避所の穴を掘っ
ているときに原爆が投下された。爆風から逃れる際に転んで右手の甲を怪我した。
それから,5,6日は寮で過ごしたが,旧B株式会社の従業員はいなくなり,食事
も出ないので,市内に出て罹災証明書を貰って下関まで行き,闇船で同月21日こ
ろ釜山に帰った。
      家に戻ってから,再び鉄工所で溶接工として働くようになった。白内
障で手術を受け,高血圧で通院を続けた。平成8年(1996年)に,広島で頭部
の瘤等に対する治療を受け,その際に被爆者健康手帳の交付を受けた。
   (39) 控訴人A39(控訴人番号39)
      控訴人A39は,ソウル市で,両親,姉,弟,妹と共に,ガラス工場
に勤務して生活していた。昭和19年(1944年)9月に徴用令書の交付を受
け,1週間後に集められて,旧B株式会社の日本人から「給料の半額は家族に送
る」等の説明を受けてから,H3駅から,旧B株式会社の人の監視を受けながら,
客車で釜山に行き,下関を経て広島に連れて行かれた。
      広島では,北寮の12畳の部屋に11人位が入れられた。食事は量が
少なく,空腹でたまらず,給料は全部食べ物を買うのに使ってしまった。食堂の人
に抗議したところ,憲兵がやってきて連行され,2時間ほど説教されたこともあっ
た。
      到着後,1週間は軍事教練を受け,その後,C2造船所の第3工場に
配属され,1日9時間,配管の作業に従事した。週に3回くらい徹夜での作業もあ
った。眠気のため高所から落ちかけたこともあった。また,給料は家族には送金さ
れていなかった。
      昭和20年(1945年)8月6日は,工場にいたときに原爆が投下
され,爆風で飛ばされたが,怪我はしなかった。その後,旧B株式会社からは何の
指示もなく,5,6日いて,下関に向かい,船賃を稼ぐために2か月ほど働いて,
10月20日ころソウルに帰った。
      帰国後,自転車の修理の仕事をして生活したが,10年ほどしてから
息が苦しくなることが度々あり,その後,高血圧や腰痛,白内障に悩まされるよう
になり,平成7年(1995年)と平成8年(1996年)に広島で治療を受け,
その際に被爆者健康手帳の交付を受けた。
   (40) 控訴人A40(控訴人番号40)
      控訴人A40は,京畿道金浦郡で,両親,姉2人,兄,弟4人,妹と
共に,水利組合の職員をして生活していた。徴兵されそうになったことから,昭和
19年(1944年)10月,徴用に応じ,金浦郡庁に集められた徴用工と共に,
釜山,下関を経由して広島に連れて行かれた。その間,旧B株式会社の従業員と共
に,小隊長として監視に当たったりした。
      広島では,北寮の8畳間に小隊長ばかり8人が収容された。寮では,
徴用工達を取りまとめ,工場に引率したり,休日の外出証を出したりした。
      到着後,1か月ほど工場の見学をしてから,C2造船所の工具庫で作
業に従事したり,診療所で通訳をしたりした。
      昭和20年(1945年)8月6日は,寮にいるときに原爆が投下さ
れた。仲間の徴用工から,日本人が自分を殺すと言っていると聞いたため,その後
は南寮の寮母を頼って一緒に行動した。それから,以前,広島から長崎に行った人
を頼って,同月13日には長崎に行ったが,戦争が終わったことを知り,下関に戻
って,同月20日ころ闇船に乗って帰国した。
      同月下旬に故郷に戻ってからは食糧営団に勤務した。平成8年(19
96年)に胆石の手術をしたほかは健康を損ねたことはないが,子供が病弱で亡く
なったりしたため,原爆の影響ではないかと不安になったことがある。
 2 被爆者に対する援護について
  (一) 被爆者援護の経過(甲37,38,乙61ないし63の各1・2,弁論
の全趣旨)
   (1) 原爆被爆者数は広島市で約40万人,長崎市で約27万人,このうち
朝鮮人被爆者は広島市で約5万人,長崎市で約2万人ともいわれている。
      戦争終結後,日本政府はアメリカ合衆国と共に原子爆弾による被害調
査を始めたが,被害実態の調査が主となって,被爆者に対する援護の面では十分な
対策が講じられずにいた。そのため,被爆による健康被害だけでなく,生活全般に
おいて様々に深刻な被害を受けていた被爆者らは,長い間,困難な状態に放置され
た。しかし,被害の特殊性,深刻さ等から,その援護の必要性が叫ばれ,ようやく
昭和29年(1954年)になって原爆後障害の治療指針が打ち出され,被爆者援
護の要求の高まりもあって,昭和32年(1957年)4月1日,「広島市及び長
崎市に投下された原子爆弾の被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にか
んがみ,国が被爆者に対し健康診断及び医療を行うことにより,その健康の保持及
び向上をはかること
を目的と」(1条)して原爆医療法が施行された。同法では,原爆投下当時の広島
市若しくは長崎市の区域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内にあった者等
で被爆者健康手帳の交付を受けたものを同法における「被爆者」とし(2条),こ
の「被爆者」に対して都道府県知事により毎年の一般検査及び精密検査による健康
診断(4条)とそれに基づく必要な指導を行い,さらに厚生大臣(当時)におい
て,原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し又は疾病にかかり現に医療を要する状態
にある「被爆者」について,その負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨
認定した上で(8条),指定する医療機関に委託して診察,治療,薬剤等の支給,
療養看護等を内容とする必要な医療の給付又はこれに代わる医療費の支給を行い
(7条ないし14条),
これらの費用はすべて国が負担するものとされた。被爆者健康手帳の交付について
は,交付を受けようとする者は,その居住地(居住地を有しないときは,その現在
地)の都道府県知事等(居住地が広島市又は長崎市であるときは,当該市の長)に
申請しなければならないとされ,通達により,申請に当たっては,①当時の罹災証
明書その他公の機関が発行した証明書,②前号のものがない場合は,当時の書簡,
写真等の記録書類,③前2号のものがない場合は,市町村長等の証明書,④前3号
のものがない場合は第三者(3親等内の親族を除く。)2人以上の証明書,⑤前各
号のいずれもない場合は,本人以外の者の証明書又は本人において当時の状況を記
載した申述書及び誓約書を添付書類として提出すべきものと定められた。そして,
昭和35年(196
0年)8月の改正により,医療費や医療手当が支給されるようになったが,同法に
は,上記のほかに,その適用対象者に関する定めはなく,これを日本国籍を有する
者に限定するようないわゆる国籍条項も設けられなかった。
   (2) しかし,このような医療面での援護措置だけでは被爆者の窮状は改善
されないことから,昭和43年(1968年)9月1日,「広島市及び長崎市に投
下された原子爆弾の被爆者であって,原子爆弾の傷害作用の影響を受け,今なお特
別の状態にあるものに対し,医療特別手当の支給等の措置を講ずることにより,そ
の福祉を図ることを目的と」(1条)して原爆特別措置法が施行され,上記の原爆
医療法8条の認定を受けた「被爆者」に対する特別手当(3条),そのうち負傷又
は疾病の状態にある者に対する医療特別手当(2条)の各支給,原爆医療法8条の
認定を受けていない「被爆者」であっても,造血機能障害,肝臓機能障害その他の
厚生省令で定める障害を伴う疾病にかかっている者に対する健康管理手当の支給
(5条)等が実施され
ることとなったが,これらの各手当の支給を受けるためには,居住地又は現在地の
都道府県知事等の認定を受ける必要があるものとされた(原爆特別措置法施行規
則)。
   (3) その後,上記原爆2法の精神を受け継ぎ,その援護内容を充実させる
ものとして,平成6年(1994年)12月に,「国の責任において,原子爆弾の
投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊
の被害であることにかんがみ,高齢化の進行している被爆者に対する保健,医療及
び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ」(前文)るものとして被爆者援護法が制
定され,平成7年(1995年)7月1日,施行された。原爆2法はこれに伴って
廃止され,その内容はそのまま被爆者援護法に一本化されて引き継がれるものとさ
れるとともに,各種手当の支給について存在した所得制限の撤廃や原爆死没者の遺
族である被爆者に対する特別葬祭給付金の支給,被爆者への福祉事業に対する国の
補助等が盛り込まれ
た。
      こうして,被爆者に対する援護は,援護を必要とする被爆者の状況の
変化や,その時々の社会状況等に応じて,順次,拡充されてきたものということが
できるが,各法律における「被爆者」としての要件については当初から変更される
ことなく,日本国籍を有する者には限っていないものの,居住地又は現在地の都道
府県知事等に申請して被爆者健康手帳の交付を受けることが必要とされた。そのた
め,在韓被爆者を含む日本国外に居住する在外被爆者は,国外に居住したままでは
被爆者健康手帳の交付を申請することはできず,申請のためには,少なくとも日本
に入国して,日本国内に現在地があるという事実を満たすことが必要とされ,その
状況は現在においても変わっていない。
     なお,被爆者健康手帳の交付を受けた者は,広島市の統計資料によれ
ば,平成9年(1997年)3月末現在で,全国では約31万8000人,広島市
で9万5260人(このうち外国人は1525人)となっている。また,上記認定
したように控訴人らが原爆を被爆した際にいた地域は,いずれも上記の各法律にお
いて被爆者として認定を受けることのできる地域とされている。
  (二) 在韓被爆者に対する援護の状況(甲19,22,23,27,29,3
0,33ないし36,38ないし41,44ないし47,54,103,218,
228,232,乙26及び27の各1・2,28,29,32ないし37,原審
における証人F6及びF7,弁論の全趣旨)
   (1) 日本国内の被爆者に対しては上記のような援護策が講じられる一方
で,当時の沖縄在住の被爆者を除き,在韓被爆者を含む在外被爆者に対しては,ほ
とんど何らの援護策も講じられなかった。ただ,昭和40年(1965年)の日韓
条約締結以前には,観光ビザで来日した在韓被爆者に対して,被爆者健康手帳が交
付された例がわずかにあったが,それも日韓条約の締結後は,居住関係がないこと
を理由に一切交付されなくなった。
      韓国においても被爆者に対する格別の援助が行われることはなく,そ
のため,昭和42年(1967年)7月10日に,在韓被爆者らによってD2援護
協会が設立されて,昭和47年(1972年)8月には会長が来日して当時の三木
副総理に要望書を提出し,また,昭和49年(1974年)5月12日には協会の
下部組織としてD3会が設立され,被控訴人B1株式会社に対して被爆補償や未払
賃金の請求を行い,同年8月にはD2援護協会の役員が来日し,被控訴人B1株式
会社に未払賃金の支払等を求めて交渉したことがあった。
   (2) これらと時期を同じくして,広島市で原爆に被爆して,昭和45年
(1970年)12月に日本に不法入国して逮捕され,昭和46年(1971年)
10月に原爆医療法に基づいて被爆者健康手帳の交付申請をして却下された在韓被
爆者F1氏について,被爆者健康手帳の交付を求める訴訟(福岡地方裁判所昭和4
7年(行ウ)第33号)(F1訴訟)が提起された。そして,昭和49年(1974
年)3月30日に,福岡地方裁判所が,原爆医療法は一般の社会保障法と類を異に
する特異の立法であり,被爆者個々人の救済を第一義とする同法の目的と,居住関
係の存在を要件としたと解し得る規定がないことから,不法入国した外国人被爆者
についても同法の適用を認めるべきであるとして,請求を認容して却下処分を取り
消すと,被控訴人国は,
同年7月25日,来日していた在韓被爆者であるF2氏について,日本における在
留期間,その滞在目的等から総合的に判断するに,原爆医療法に基づき被爆者健康
手帳を交付しても差し支えないとして,東京都知事による被爆者健康手帳の交付を
日韓条約の締結後初めて認めた。
      しかし,それと共に,被控訴人国は,同年6月17日に公布された原
爆2法の一部改正法や同年9月1日施行の原爆特別措置法の施行規則の一部を改正
する省令(都道府県等の区域を越えて居住地を変更したときは健康管理手当や特別
手当の受給権を失権するという従来の扱いを改めるもの)に合わせる形で,同年7
月22日付けで,被爆者健康手帳の交付を受けても,日本の領域を越えて居住地を
移した被爆者には原爆特別措置法の適用がないものと解される旨の402号通達を
発出し,これにより在外被爆者は,日本国内で被爆者健康手帳を取得しても,出国
と同時に手帳は無効とされ,同法による健康管理手当や特別手当の支給も打ち切ら
れるとの措置がとられることとなった。
     そして,上記のF1訴訟については,控訴審の福岡高等裁判所(同裁
判所昭和49年(行コ)第3号)も,昭和50年(1975年)7月17日に,原爆
医療法は一面社会保障法たる性格をもちながらも,他面,被爆者に対する国家補償
法的性格をも併有する一種特別の立法とみるべきであるとして,1審の福岡地方裁
判所と同様の判断を示して,福岡県知事の控訴を棄却すると,被控訴人国は,同年
9月1日,適法に入国していれば入国目的を問わず,おおむね1か月以上滞在する
者であれば居住関係があるものと判断して,被爆者健康手帳を交付しても差し支え
ないものとした。さらに,昭和53年(1978年)3月30日,最高裁判所も
「原爆医療法は,被爆者の健康面に着目して公費により必要な医療の給付をするこ
とを中心とするもので
あって,その点からみると,いわゆる社会保障法としての他の公的医療給付立法と
同様の性格をもつものであるということができる。しかしながら,被爆者のみを対
象として特に右立法がされた所以を理解するについては,原子爆弾の被爆による健
康上の障害がかつて例をみない特異かつ深刻なものであることと並んで,かかる障
害が遡れば戦争という国の行為によってもたらされたものであり,しかも,被爆者
の多くが今なお生活上一般の戦争被害者よりも不安定な状態に置かれているという
事実を見逃すことはできない。原爆医療法は,このような特殊の戦争被害について
戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済をはかるという一面をも有す
るものであり,その点では実質的に国家補償的配慮が制度の根底にあることは,こ
れを否定することが
できないのである。」「このような原爆医療法の複合的性格からすれば,一般の社
会保障法についてこれを外国人に適用する場合には,そのよって立つ社会連帯と相
互扶助の理念から,わが国内に適法な居住関係を有する外国人のみを対象者とする
ことが一応の原則であるとしても,原爆医療法について当然に同様の原則が前提と
されているものと解すべき根拠はない。かえって,同法が被爆者の置かれている特
別の健康状態に着目してこれを救済するという人道的目的の立法であり,その3条
1項にはわが国に居住地を有しない被爆者をも適用対象として予定した規定がある
ことなどから考えると,被爆者であってわが国内に現在する者である限りは,その
現在する理由等のいかんを問うことなく,広く同法の適用を認めて救済をはかるこ
とが,同法のもつ国
家補償の趣旨にも適合するものというべきである。」として,不法入国した被爆者
についても原爆医療法の適用を認め上告を棄却すると,被控訴人国は,同年4月,
わが国に現在する限りはその理由等を問わないとして,国内に現在する在外被爆者
に対しては被爆者健康手帳を交付する取扱いに改めた。このように被控訴人国は,
裁判所の判断に連れて,在外被爆者に対する被爆者健康手帳の交付の取扱いを変更
して,次第に交付を認める範囲を広げてきたのであるが,これに対して,在外被爆
者が日本から出国すると,交付を受けた被爆者健康手帳は無効となり,被爆者法に
おける被爆者としての地位も失うとの402号通達による取扱いは見直されること
なく,そのまま続けられた。
   (3) ところで,D2援護協会は,その後も,日本政府に対する補償請求
や,在外被爆者の援護に関する特別立法等を求めて活動を続け,こうした運動があ
って,昭和54年(1979年)6月,日韓両国の政権政党間で,在韓被爆者の医
療援護に関し,①韓国医師を日本に派遣して研修させる,②日本医師を韓国に派遣
する,③在韓被爆者の渡日治療を行うとの3項目が合意されたが,このうち渡日治
療のみが昭和55年(1980年)11月から開始され,昭和61年(1986
年)11月まで広島と長崎の病院において実施された。しかし,約2万人と推定さ
れる在韓被爆者に対し,渡日治療を受けることができたのは年間で60名程度,合
計で349人の少数にとどまった。
     昭和62年(1987年)からは,韓国政府により医療費の90%を
国庫が負担するという内容の被爆者援護策が実施され,平成元年(1989年)か
らの韓国での国民皆保険制度の実施に当たっては,被爆者については自己負担分を
政府とD2援護協会が肩代わりすることにより無料で治療を受けることが可能とさ
れた。
     被控訴人国は平成元年(1989年)度と平成2年(1990年)度
の予算に在韓被爆者援護資金各4200万円を計上してE7赤十字社に支出し,被
爆者の治療費として使用されることになった。また,平成2年(1990年),被
控訴人国は在韓被爆者の医療援助のために40億円を支出することを決め,E7赤
十字社に対して,平成3年(1991年)11月に17億円が,平成5年(199
3年)2月に23億円がそれぞれ交付された。しかし,その使途は,健康診断,治
療,福祉センター建設といった医療援護に限定され,被爆者法による各種手当の支
給に相当するような在韓被爆者に対する給付は行われず,在韓被爆者らの要求には
ほど遠く,その窮状を改善するに足りるものではなかった。そして,被爆者援護法
の制定に際しても,
在韓被爆者に対する援護措置が盛り込まれることはなく,その後も依然として上記
の402号通達に従った取扱いが続けられた。
 3 控訴人らによる本件提訴とその後の状況(甲1,7,19,22,26,8
7,145,228ないし230,234,235,237,238,245の
1・2,246,247の1ないし5,乙26及び27の各1・2,原審における
証人F6,弁論の全趣旨)
  (一) 控訴人らは,終戦後,日本からの補償や援護を何ら受けることなく経過
したが,昭和43年(1968年)4月になって,D2援護協会が,被控訴人B1
株式会社に対して未払賃金等の支払を請求し,昭和49年(1974年)にはD3
会が被控訴人B1株式会社に対して補償や未払賃金の支払等を要求し,同年8月に
はD2援護協会の役員が来日して被控訴人B1株式会社との直接交渉が行われた。
     これに対して,被控訴人B1株式会社は,「国,自治体,他の企業,一
般社会が救助する動きを見せたとき,その一員として協力する。」旨の回答をした
ものの,交渉はその後全く進展せず,また,上記のように控訴人らが望むような在
韓被爆者に対する援護も実現しないままに推移して,平成7年(1995年)にな
って控訴人らによって本件訴訟が提起されるに至った。
  (二) その後,平成10年(1998年)には,被爆治療のため韓国から日本
に来て,被爆者援護法に基づき被爆者健康手帳の交付と健康管理手当の支給認定を
受けた在韓被爆者であるF6氏が,帰国のため日本を出国したことを理由に健康管
理手当の支給が打ち切られたことが違法であるとして,被控訴人国と大阪府等を相
手に,被爆者援護法に定める被爆者たる地位にあることの確認と支給打切り後の健
康管理手当相当額の支払を求めて提訴し(大阪地方裁判所平成10年(行ウ)第60
号)(F6訴訟),大阪地方裁判所は平成13年(2001年)6月1日,日本に
居住又は現在していることが被爆者援護法における被爆者たる地位の効力存続要件
とは認められず,日本からの出国によって被爆者たる地位を失うものではないとし
て,同氏の請求を認
容し,控訴審の大阪高等裁判所(平成13年(行コ)第58号,同第103号)も,
平成14年(2002年)12月5日,同様の判断をして,日本に居住又は現在す
ることが被爆者法における被爆者たる地位の効力存続要件であるとする被控訴人国
と大阪府の主張を排斥し,その控訴を棄却した。
     被控訴人国は,この判決に対して上告せずに,上記402号通達による
取扱いを改めることとして,必要な政令及び省令の改正を経て,平成15年(20
03年)3月1日付け厚生労働省健康局長通知により,同日以降,上記402号通
達による取扱いを改め,日本に居住地及び現在地を有しない者が所持している被爆
者健康手帳は有効であるとした上,国外への居住地変更の届出,国外における氏名
又は居住地の変更の届出,国内への居住地変更の届出等の手続を設けるとともに,
日本において健康管理手当の支給認定を受けた者が出国した場合及び日本において
同手当の支給申請をした者が出国した後に支給認定を受けた場合であっても健康管
理手当を支給することとなる旨を各都道府県知事及び広島・長崎市長宛に通知し
た。
     これを受けて,健康管理手当の支給申請のために,同年3月から5月に
かけての3か月間で約1000人もの在韓被爆者が来日し,また,被爆者健康手帳
の交付を受けていない在外被爆者からの広島,長崎両県,両市に対する仮申請(被
控訴人国は,平成14年(2002年)6月1日から在外被爆者渡日支援等事業を
開始して,渡日治療支援事業や被爆確認証交付事業等のほか,被爆者健康手帳の交
付を受けるための渡日に必要な旅費の支給が行われるようになり,当初はあまり利
用されなかったが,402号通達の廃止に伴い,この事業の利用を前提としての被
爆者健康手帳の交付の仮申請が一斉に行われるようになった。)が殺到し,平成1
5年(2003年)11月末日時点で広島市571人,広島県81人,長崎市67
人,長崎県28人の
合計747人(このうち500人以上が在韓被爆者)が審査未処理の状態にあり,
これまでの処理状況からすると,これらの未処理仮申請の処理が終わるには,さら
に3年を要するものと思われる。なお,同年11月末日時点で,被爆者健康手帳を
所持している在韓被爆者は1293人で,D2援護協会への登録被爆者2140人
の60.4%,健康管理手当を受給している者は1166人で54.5%となって
いる。また,現在の健康管理手当の額は,被爆者援護法,平成15年度における国
民年金法による年金の額等の改定の特例に関する法律及びこれに基づく政令によっ
て,月額3万4030円とされている。
  (三) 控訴人らは,いずれも広島市で原子爆弾の投下に遭い被爆したものであ
るが,402号通達が出される以前に被爆者健康手帳の交付を受けた者はなく,上
記の渡日治療が始まってから以後,平成8年(1996年)12月2日までの間
に,控訴人A1(控訴人番号1),控訴人A2(控訴人番号2),控訴人A3(控
訴人番号3),控訴人A4(控訴人番号4),控訴人A5(控訴人番号5),控訴
人A6(控訴人番号6),控訴人A7(控訴人番号7),控訴人A9(控訴人番号
9),控訴人A11(控訴人番号11),控訴人A12(控訴人番号12),控訴
人A13(控訴人番号13),控訴人A14(控訴人番号14),控訴人A17
(控訴人番号17),控訴人A18(控訴人番号18),控訴人A19(控訴人番
号19),控訴人A20
(控訴人番号20),控訴人A21(控訴人番号21),控訴人A23(控訴人番
号23),控訴人A24(控訴人番号24),控訴人A25(控訴人番号25),
控訴人A26(控訴人番号26),控訴人A32(控訴人番号32),控訴人A3
3(控訴人番号33),控訴人A34(控訴人番号34),控訴人A35(控訴人
番号35),控訴人A36(控訴人番号36),控訴人A37(控訴人番号3
7),控訴人A38(控訴人番号38),控訴人A39(控訴人番号39),控訴
人A40(控訴人番号40)の30名が被爆者健康手帳の交付を受け,このうち,
控訴人A1(控訴人番号1),控訴人A2(控訴人番号2),控訴人A3(控訴人
番号3),控訴人A4(控訴人番号4),控訴人A7(控訴人番号7),控訴人A
9(控訴人番号9),控
訴人A17(控訴人番号17),控訴人A21(控訴人番号21),控訴人A32
(控訴人番号32),控訴人A34(控訴人番号34),控訴人A35(控訴人番
号35),控訴人A36(控訴人番号36),控訴人A37(控訴人番号37),
控訴人A39(控訴人番号39)の14名は健康管理手当を受給したことがある
が,いずれも出国を理由に支給が打ち切られた。
     そのほかの被爆者健康手帳の交付を受けた控訴人ら16名は,平成15
年(2003年)3月の上記取扱いの変更までの間に健康管理手当の支給を受けた
ことはなかった。
     また,控訴人A8(控訴人番号8),控訴人A10(控訴人番号1
0),控訴人A15(控訴人番号15),控訴人A16(控訴人番号16),控訴
人A22(控訴人番号22),控訴人A27(控訴人番号27),控訴人A28
(控訴人番号28),控訴人A29(控訴人番号29),控訴人A30(控訴人番
号30),控訴人A31(控訴人番号31)の10名は,被爆者健康手帳の交付を
受けることなく経過し,上記の取扱い変更後,控訴人A22(控訴人番号22)を
除く9名は被爆者健康手帳の交付の仮申請をし,現在までに控訴人A27(控訴人
番号27),控訴人A28(控訴人番号28)の2名が交付を受けて健康管理手当
の受給を申請している。なお,控訴人A29(控訴人番号29)と控訴人A33
(控訴人番号33)の2名は
病気のため渡日が不可能な状態にある。
     上記の取扱いの変更に伴う被爆者健康手帳の交付仮申請及び健康管理手
当の受給等の点も含めて,控訴人らそれぞれについての状況は以下のとおりであ
る。
   (1) 控訴人A1(控訴人番号1)は,昭和59年(1984年)10月1
6日,渡日治療を受けた際に被爆者健康手帳の交付を受け,平成7年(1995
年)3月から4月まで健康管理手当を受給したが,出国により打ち切られて,その
まま平成13年(2001年)2月24日死亡した。
   (2) 控訴人A2(控訴人番号2)は,昭和58年(1983年)10月1
3日,渡日治療の際に被爆者健康手帳の交付を受け,平成7年(1995年)3月
から4月まで健康管理手当を受給したが,出国により打ち切られて,そのまま平成
13年(2001年)11月10日死亡した。
   (3) 控訴人A3(控訴人番号3)は,昭和61年(1986年)5月23
日,被爆者健康手帳の交付を受け,平成7年(1995年)3月から4月まで健康
管理手当を受給したが,出国により打ち切られ,上記の取扱い変更後,平成15年
(2003年)5月に支給申請をして,再び受給している。
   (4) 控訴人A4(控訴人番号4)は,昭和58年(1983年)10月1
2日,渡日治療の際に被爆者健康手帳の交付を受け,昭和63年(1988年)4
月から6月まで健康管理手当を受給したが,出国により打ち切られ,上記の取扱い
変更後,平成15年(2003年)3月に支給申請をして,再び受給している。
   (5) 控訴人A5(控訴人番号5)は,平成7年(1995年)12月11
日に被爆者健康手帳の交付を受けたが,健康管理手当を受給したことはなく,上記
の取扱い変更後,平成15年(2003年)5月に支給申請をして,これを受給し
ている。
   (6) 控訴人A6(控訴人番号6)は,平成7年(1995年)12月11
日に被爆者健康手帳の交付を受けたが,健康管理手当を受給したことはなく,上記
の取扱い変更後,平成15年(2003年)5月に支給申請をして,これを受給し
ている。
   (7) 控訴人A7(控訴人番号7)は,昭和57年(1982年)5月17
日,渡日治療の際に被爆者健康手帳の交付を受け,平成2年(1990年)1月か
ら3月まで健康管理手当を受給したが,出国により打ち切られ,上記の取扱い変更
後,平成15年(2003年)5月に支給申請をして,再び受給している。
   (8) 控訴人A8(控訴人番号8)は,これまでに被爆者健康手帳の交付を
受けたことはなく,上記の取扱い変更後の平成15年(2003年)4月10日,
長崎市に交付の仮申請をしている。
   (9) 控訴人A9(控訴人番号9)は,昭和58年(1983年)10月1
2日,渡日治療の際に被爆者健康手帳の交付を受け,平成5年(1993年)8月
に健康管理手当を受給したが,出国により打ち切られ,そのまま平成13年(20
01年)10月29日に死亡した。
   (10) 控訴人A10(控訴人番号10)は,これまでに被爆者健康手帳の交
付を受けたことはなく,上記の取扱い変更後の平成15年(2003年)4月10
日,長崎市に交付の仮申請をしていたが,病気のため平成16年(2004年)8
月に死亡した。
   (11) 控訴人A11(控訴人番号11)は,平成3年(1991年)7月2
7日に被爆者健康手帳の交付を受けたが,健康管理手当を受給することのないま
ま,平成12年(2000年)8月13日死亡した。
   (12) 控訴人A12(控訴人番号12)は,昭和56年(1981年)12
月20日,渡日治療の際に被爆者健康手帳の交付を受けたが,健康管理手当を受給
したことはなく,上記の取扱い変更後,平成15年(2003年)5月に支給申請
をして,これを受給している。
   (13) 控訴人A13(控訴人番号13)は,昭和61年(1986年)5月
23日,渡日治療の際に被爆者健康手帳の交付を受けたが,健康管理手当を受給し
たことはなく,上記の取扱い変更後,平成15年(2003年)5月に支給申請を
して,これを受給している。
   (14) 控訴人A14(控訴人番号14)は,平成8年(1996年)12月
2日に被爆者健康手帳の交付を受けたが,健康管理手当を受給したことはなく,病
気のため平成15年(2003年)2月20日死亡した。
   (15) 控訴人A15(控訴人番号15)は,これまでに被爆者健康手帳の交
付を受けたことはなく,上記の取扱い変更後の平成15年(2003年)3月3
日,広島市に交付の仮申請をしている。
   (16) 控訴人A16(控訴人番号16)は,これまでに被爆者健康手帳の交
付を受けたことはなく,上記の取扱い変更後の平成15年(2003年)3月3
日,広島市に交付の仮申請をしたが,平成16年(2004年)1月20日ころ死
亡した。
   (17) 控訴人A17(控訴人番号17)は,昭和59年(1984年)10
月16日,渡日治療の際に被爆者健康手帳の交付を受け,平成元年(1989年)
7月から9月まで健康管理手当を受給したが,出国により打ち切られ,上記の取扱
い変更後,平成15年(2003年)3月に支給申請をして,再び受給している。
   (18) 控訴人A18(控訴人番号18)は,平成8年(1996年)12月
2日に被爆者健康手帳の交付を受けたが,健康管理手当を受給したことはなく,病
気のため平成15年(2003年)3月8日死亡した。
   (19) 控訴人A19(控訴人番号19)は,昭和60年(1985年)3月
26日,渡日治療の際に被爆者健康手帳の交付を受けたが,健康管理手当を受給し
たことはなく,上記の取扱い変更後,平成15年(2003年)5月に支給申請を
したが,同年8月29日死亡した。
   (20)控訴人A20(控訴人番号20)は,昭和61年(1986年)5月
23日,渡日治療の際に被爆者健康手帳の交付を受けたが,健康管理手当を受給す
ることのないまま,平成13年(2001年)4月6日死亡した。
   (21) 控訴人A21(控訴人番号21)は,昭和61年(1986年)5月
22日,渡日治療の際に被爆者健康手帳の交付を受け,昭和63年(1988年)
4月から6月まで健康管理手当を受給したが,出国により打ち切られ,病気のため
平成15年(2003年)2月16日死亡した。
   (22) 控訴人A22(控訴人番号22)は,被爆者健康手帳の交付を受ける
ことのないまま,平成13年(2001年)8月14日死亡した。
   (23) 控訴人A23(控訴人番号23)は,昭和59年(1984年)10
月16日,渡日治療の際に被爆者健康手帳の交付を受けたが,健康管理手当を受給
したことはなく,病気のため平成15年(2003年)2月5日死亡した。
   (24) 控訴人A24(控訴人番号24)は,平成6年(1994年)12月
14日に被爆者健康手帳の交付を受けたが,健康管理手当を受給したことはなく,
上記の取扱い変更後,平成15年(2003年)5月に支給申請をして,これを受
給している。
   (25) 控訴人A25(控訴人番号25)は,平成3年(1991年)7月2
7日に被爆者健康手帳の交付を受けたが,健康管理手当を受給することのないま
ま,平成11年(1999年)7月6日死亡した。
   (26) 控訴人A26(控訴人番号26)は,平成3年(1991年)7月2
7日に被爆者健康手帳の交付を受けたが,健康管理手当を受給することのないま
ま,平成14年(2002年)11月14日死亡した。
   (27) 控訴人A27(控訴人番号27)は,これまでに被爆者健康手帳の交
付を受けたことはなく,上記取扱い変更後の平成15年(2003年)4月10
日,長崎市に交付の仮申請をして,同年12月に交付を受け,健康管理手当の支給
を申請している。
   (28) 控訴人A28(控訴人番号28)は,これまでに被爆者健康手帳の交
付を受けたことはなく,上記取扱い変更後の平成15年(2003年)4月10
日,長崎市に交付の仮申請をして,同年12月に交付を受け,健康管理手当の支給
を申請している。
   (29) 控訴人A29(控訴人番号29)は,これまでに被爆者健康手帳の交
付を受けたことはなく,上記取扱い変更後の平成15年(2003年)4月10
日,長崎市に交付の仮申請をし,被爆確認証の送付を受けたが,脳内出血で右半身
麻痺のために渡日が不可能な状態にある。
   (30) 控訴人A30(控訴人番号30)は,これまでに被爆者健康手帳の交
付を受けたことはなく,上記取扱い変更後の平成15年(2003年)4月10
日,長崎市に交付の仮申請をしている。
   (31) 控訴人A31(控訴人番号31)は,これまでに被爆者健康手帳の交
付を受けたことはなく,上記取扱い変更後の平成15年(2003年)3月3日,
広島市に交付の仮申請をしている。
   (32) 控訴人A32(控訴人番号32)は,平成3年(1991年)7月2
7日,被爆者健康手帳の交付を受け,平成4年(1992年)4月から5月まで健
康管理手当を受給したが,出国により打ち切られ,上記の取扱い変更後,平成15
年(2003年)5月に支給申請をして,再び受給している。
   (33) 控訴人A33(控訴人番号33)は,平成3年(1991年)7月2
7日,被爆者健康手帳の交付を受けたが,健康管理手当を受給したことはなく,現
在,脳梗塞で介護を要する状態で渡日することができない。
   (34) 控訴人A34(控訴人番号34)は,平成6年(1994年)3月2
8日,被爆者健康手帳の交付を受け,同年11月から12月まで健康管理手当を受
給したが,出国により打ち切られて,そのまま平成13年(2001年)7月27
日死亡した。
   (35) 控訴人A35(控訴人番号35)は,昭和56年(1981年)12
月20日,渡日治療の際に被爆者健康手帳の交付を受け,平成4年(1992年)
10月から12月まで健康管理手当を受給したが,出国により打ち切られて,上記
取扱い変更後,従前の受給権の継続により受給している。
   (36) 控訴人A36(控訴人番号36)は,昭和56年(1981年)12
月21日,渡日治療の際に被爆者健康手帳の交付を受け,平成元年(1989年)
10月から12月まで健康管理手当を受給したが,出国により打ち切られて,その
まま平成13年(2001年)5月28日死亡した。
   (37) 控訴人A37(控訴人番号37)は,平成7年(1995年)5月1
6日,被爆者健康手帳の交付を受け,同年6月から8月まで健康管理手当を受給し
たが,出国により打ち切られ,上記取扱い変更後,平成15年(2003年)5月
に支給申請をして,再び受給するようになったが,同年12月30日死亡した。
   (38) 控訴人A38(控訴人番号38)は,平成8年(1996年)12月
2日に被爆者健康手帳の交付を受けたが,健康管理手当を受給したことはなく,上
記の取扱い変更後,平成15年(2003年)5月に支給申請をして,これを受給
している。
   (39) 控訴人A39(控訴人番号39)は,平成7年(1995年)5月1
6日に被爆者健康手帳の交付を受け,同年6月から8月まで健康管理手当を受給し
たが,出国により打ち切られ,上記取扱い変更後,従前の受給権の継続により受給
している。
   (40) 控訴人A40(控訴人番号40)は,平成8年(1996年)12月
2日に被爆者健康手帳の交付を受けたが,健康管理手当を受給したことはなく,上
記の取扱い変更後,平成15年(2003年)5月に支給申請をしたが,同年死亡
した。
  (四) 平成15年(2003年)3月1日の上記取扱いの変更後においても,
被爆者健康手帳の交付を受けるに当たっては,居住地又は現在地の都道府県知事等
に申請しなければならないとの規定(被爆者援護法2条1項)により,また,健康
管理手当等の支給に係る申請についても,同法施行規則により居住地(居住地を有
しないときは現在地)の都道府県知事等に申請すべきものとされていることから,
いずれの申請についても,少なくとも一度は来日する必要があるものとされてお
り,その負担が既に高齢となっている控訴人らには大きな障害となっている。ま
た,病気で来日が困難な状態にある控訴人も存在する。
 4 被控訴人国に対する請求について
  (一) 強制連行,強制労働を理由とする損害賠償責任について
   (1) 国際法に基づく責任について
    ア  国際法は,原則として,国家と国家又は国際機関等との関係を規律
するものであり,その法主体は国家又は国際機関である。そこでは,個人の法的地
位は,その属する国家の国内法によって形成されるものであって,個人が直接に国
際法上の法主体となることはない。
      したがって,仮に,その権利や利益が他の国家やその国民によって
侵害されても,国際法上は関係国間の権利義務関係の中に包摂され,外交保護権の
行使を通じて間接的に被害回復がはかられるのであり,個人が国際法を根拠に相手
国等に対して直接に何らかの請求をすることはできない。
       もっとも,国際社会において,個人の利益主張がどの範囲で容認さ
れ,それが具体的にどのような方法で実現されるべきか,あるいは,個人にいかな
る義務が課せられ,どのように規律されるかということについては,すべて国家間
の合意(条約)で定められるものであり,その結果としての条約等の国際法規範
が,直接に個人の権利や義務について定め,さらに個人自らによる権利実現のため
の国際法上の具体的手続をも設定し,個人の義務違反について国際的手続で処罰や
制裁を科すための制度を設けているような場合には,例外的に,個人が国際法上の
権利義務の主体となることがあり得る。
      しかし,これも条約等がそのような内容の保護と規律を定めている
ことに基づくのであって,具体的な条約等の国際法規範の存在と無関係に個人に国
際法上の法主体性が認められるものではない。
    イ 控訴人らは,条約の規定の仕方それ自体に司法審査基準としての具体
性が備わっていれば,その条約は自動執行力を有し,それに基づいて個人に国際法
上の法主体性が認められる旨主張する。しかし,条約がそのままの形で国内法とし
て受容されるためには,それが国家間の権利義務ではなく,個人の権利義務につい
て定めたものであって,権利義務の発生要件,効果,手続等が条約に明確,詳細に
定められており,さらにこれを補完,具体化する法令を必要とせずに国内における
裁判規範として執行可能なものであることと,締約国がこれを直接国内裁判所で執
行可能なものとする意思を有することが必要である。控訴人らは,戦争犯罪責任に
関する国際慣習法やILO第29号条約は,いずれも個人を権利義務の主体として
認めたものであり,
自動執行力を有するものであるとする。しかし,戦争犯罪責任に関する国際慣習法
については,陸戦の法規慣例に関する条約(ハーグ陸戦条約)は,交戦国及びその
軍隊構成員に陸戦において軍隊が守るべき事項を定めた陸戦の法規慣例に関する規
則(ハーグ陸戦規則)を遵守させるために,交戦当事者である国家が,その軍隊構
成員によるハーグ陸戦規則違反の行為によって生じた損害について被害国に対して
賠償の責任を負う旨を定めたものであって,それ以上に,被害を受けた個人に対す
る加害国等の賠償責任等を認め,あるいは被害者個人を権利義務の主体と定めて,
その加害国等に対する請求権や出訴権を認めたものではない。また,戦争犯罪責任
に関しての「人道に対する罪」も,その内容からして,戦争犯罪の行為者個人の刑
事責任を明らかにし
,その処罰を目的としたものであって,戦争犯罪行為の被害者個人について,権利
義務の主体として,加害行為者やその属する国家に対する賠償請求等を認めたもの
ではない。
      したがって,ハーグ陸戦条約や「人道に対する罪」を根拠に,控訴人
らが主張するような国際法違反の行為による被害者個人を権利義務の主体として,
加害国等に対する賠償等の請求を認めることはできず,またそのような国際慣習法
が成立しているものともいえない。その他,本件全証拠によっても,控訴人らが主
張するような国際慣習法の成立を認めることはできない。
      さらに,ILO第29号条約についても,同条約は専ら締約国の国家
としての義務について定めたものであり,条約で禁止された強制労働の被害者個人
を権利義務の主体として,違反した国家等に対する賠償請求等を認めるものではな
く,そのような規定も存しない。 また,個人の権利義務について,その発生要
件,効果,手続等が明確,詳細に定められ,これを補完,具体化する法令を必要と
せずに裁判規範として執行可能なものということもできない。
    ウ 以上によれば,本件に関して,控訴人らを国際法上の権利義務の主体
として認めることはできず,また控訴人らの主張する強制連行,強制労働に関し
て,控訴人ら個人に損害賠償請求権を具体的に認め得る国際法規範の存在も認めら
れず,国際法違反に基づく損害賠償責任に関する控訴人らの主張は理由がない。
   (2) 国内法に基づく責任について
    ア 不法行為に基づく損害賠償責任について 
     (ア) 被控訴人国の不法行為について
        控訴人らに対する徴用の経過は,前記認定したとおりであり,い
ずれも国家総動員法及び国民徴用令に基づいて行われたものである。控訴人らは,
徴用令書の交付を受けて,これに応じるべき法的義務を課され,やむを得ず徴用に
応じたものであり,その望んだものではないという意味において強制された連行で
あり,労働であったということができる。しかし,その意思を抑圧されて,拉致さ
れたというものではなく,その当否は別として,当時の法制下における国民徴用令
に基づく控訴人らの徴用それ自体をもって直ちに不法行為と認めることはできな
い。また,徴用の手続等が国民徴用令等の定めに従って行われたものである限り
は,具体的な徴用の行為が当然に違法ということもできない。
        ただ,前記認定したような徴用の経過に照らすと,控訴人らに対
する徴用の実施に際しては,実際に行われるかどうかも明らかでないのに賃金の半
分を家族に送金するとか,徴用に応じないと家族までもが逮捕されたりするなどと
いった欺罔や脅迫とも評価されるような説明が徴用に当たった官吏等によって行わ
れ,各人の居住地から広島までの連行の際も,警察官や旧B株式会社の従業員等が
監視して,事実上軟禁に等しい状態で押送されたことが窺われる。控訴人らが徴用
に応じたものであるとしても,このような行為は国民徴用令等の定めを逸脱した違
法な行為というべきものと考えられ,この点で被控訴人国について不法行為の成立
する余地があると認められる。
        控訴人らは,原爆の投下後,被控訴人国が控訴人らを救護しなか
ったとして,この点も不法行為と主張するが,被爆後救護しなかったという事実の
みをもって直ちに不法行為が成立するものとは認められず,また救護義務の存在を
認めるに足りる具体的な主張もなく,控訴人らの主張は採用することができない。
     (イ) 国家無答責の法理について
        被控訴人国は,控訴人らの主張する被控訴人国の行為は,国の権
力的作用であるから民法の不法行為に関する規定の適用はないものと解され,ま
た,明治憲法下では国の権力的作用による損害について賠償責任を認める規定はな
く,国が賠償責任を負う余地はなかったところ,日本国憲法の下で制定された国家
賠償法もその附則6項で「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従
前の例による。」と定めていることから,本件において被控訴人国が賠償責任を負
うことはない旨主張する。
        たしかに,明治憲法下においては,国の権力的作用に基づく公務
員の行為によって損害を被ったとしても,国に対する損害賠償請求訴訟について
は,行政裁判法16条で「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」とされていた
ことから行政裁判所では受理されず,また,司法裁判所では,私経済作用や非権力
的作用に基づく場合はともかく,権力的作用に伴う行為について民法の不法行為規
定は適用されないとの解釈のもとに請求は棄却され,その結果,損害賠償請求は認
められず,いわゆる国家無答責といわれる法状態であったことは被控訴人国の主張
するとおりである(甲119ないし122,244,乙38ないし40,42ない
し44,48ないし53)。
        しかし,実定法上,国家無答責といった法理が明文で規定されて
いたわけではない。また,権力的作用に伴う行為による損害について,国の賠償責
任を否定する法規も,反対に現在の国家賠償法のようにこれを認める旨の特別な法
規も存在しなかった。そして,行政裁判所では損害賠償請求訴訟を受理しないこと
が行政裁判法の明文で定められていたことから,問題は,司法裁判所において,こ
のような権力的作用に伴う行為に関する損害賠償請求が受容されるかどうかの判断
にかかることとなった。しかるに,上記のとおり,このような損害賠償請求につい
ては,肯定,否定,いずれの法規も存在しなかったのであるから,その判断は,こ
のような行為について民法の不法行為規定の適用を認め得るかどうかによることと
なり,司法裁判所は
,その多くの裁判例においてこれを否定して,損害賠償請求を棄却する判断を重ね
ていたということなのである。したがって,実定法上,国に損害賠償責任が存在し
ないことが確定していたわけではなく,単に,損害賠償請求を実現する法的な手段
が認められていなかったにすぎないものということができる。
        ところで,日本国憲法の施行に伴い,行政裁判所は廃止されて司
法裁判所に一元化されるとともに,憲法17条では公務員の不法行為について国又
は公共団体が賠償責任を負うことを明確に定め,これを受けて国家賠償法が制定さ
れ,私経済作用を除く公務員の行為により被った損害については同法の定めに従っ
て国又は公共団体が賠償責任を負うこととされている。もっとも,同法の附則6項
では,「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。」
とされていることから,本件強制連行にかかる国の行為については,国家賠償法が
適用されないことが明らかであるほかに,損害賠償請求を実現する手段が存在しな
いという上記のような法状態が維持されるものと解されるようにも思われる。
        しかし,従前も,要は司法裁判所における民法の不法行為規定の
適用の有無の判断にかかっていたものと考えられることは上記のとおりである。現
に,明治憲法下での裁判例においても,当初は国に対する損害賠償請求は全く認め
られていなかったものが,私経済作用に伴う不法行為については民法の不法行為規
定の適用が認められるようになり,次いで非権力的作用に伴う不法行為についても
拡げられていったのである。したがって,上記の国家賠償法の附則6項にいう従前
の例というのも,司法裁判所における民法の不法行為規定適用の有無の判断にかか
っているという状態を指すものと解するのが相当であり,同項が,同法施行前の行
為に関して国家無答責の法理が適用されることまでも明らかにしたものということ
はできない。
        当裁判所は,このような意味合いにおいて,本件強制連行にかか
る国の行為に関して民法の不法行為規定の適用が認められるかどうかを判断すべき
ものと考える。そして,行政裁判所が廃止されて司法裁判所に一元化されたこと
や,国家賠償法のような特別法が存在しない状態においては,民法の不法行為規定
は,公務員の公権力の行使に伴う不法行為をも含めて不法行為に関する一般法とも
いえる存在であると解すべきこと,明治憲法下においても限定された範囲内ではあ
っても個人の尊厳は尊重されていたものであり,少なくともこれを否定することは
許されないこと,そして,国家無答責という考え方に一般的な正当性を認めること
はできないこと等からすれば,本件強制連行にかかる国の不法行為については,民
法に基づいて不法行為
による損害賠償責任が認められるべきものと判断する。よって,被控訴人国の国家
無答責を内容とする上記主張は採用することができない。
     イ 損失補償の法理について
       控訴人らは,国民徴用令による強制連行,強制労働により,身体に
対し,特別の犠牲を受けたものであるから,明治憲法27条に基づく損失補償の法
理の適用ないし類推適用により,被控訴人国から損失補償を受ける権利を有する旨
主張する。
       しかし,明治憲法27条は,「日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルヽコ
トナシ」(1項),「公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」(2項)と
規定するにとどまっている。これをもって,私有財産を公共のために用いるには正
当な補償を要する旨を定める日本国憲法29条3項のような損失補償に関する明文
規定ということはできず,その文言からは,損失補償についても法律の定めに委ね
られているものと解されるのである。損失補償請求権はこれを認める法律の定めに
基づいてはじめて生じる権利であり,明治憲法27条の規定から直接に損失補償請
求権が生じるものと解することはできない。そして,本件においては,控訴人らの
被控訴人国に対する損失補償請求権に関して定めたような法律は認められない。ま
た,控訴人らが主張
している特別の犠牲とは,第2次世界大戦下において国民徴用令の適用を受けて強
制連行,強制労働させられたことによる損害であって,戦争被害の一種であるとい
うことができるところ,第2次世界大戦においては,国民のほとんどすべてが様々
な被害を被り,その多くが,自身や近親者の生命,身体,財産を危機に晒し,ある
いは自身や近親者の生命を失い,財産を喪失したものであって,このような事態に
おける損失の補償を明治憲法が予想していたものと考えることもできない。控訴人
らは,明治憲法27条の規定の解釈においては,日本国憲法29条3項の規定と同
様の解釈によるべき旨を主張するが,上記のような戦争被害に対する補償について
は日本国憲法も同様に予想しないところというべきであり,また,日本国憲法29
条3項の解釈を,規
定の文言が全く相違し,基本的人権に関する基本理念も相違する明治憲法27条の
解釈にそのまま持ち込むことも相当とはいえない。以上によれば,損失補償に関す
る控訴人らの上記主張は理由がない。
     ウ 結果責任の法理について
       控訴人らは,損害賠償や損失補償により損害が填補される場合以外
の場面において,国の活動によって帰責事由のない国民個人に損害が生じ,これが
救済されない場合,その未救済状態が正義・公平の観念に照らして妥当でないとき
は,憲法の精神に照らして,明文の規定がなくても,それを是正するための結果責
任の法理を認め,被控訴人国に対して損害の填補を命じるべきである旨主張する。
しかし,控訴人らの主張する結果責任の法理は,極めて抽象的で,内容も明確でな
いといわざるを得ないのであって,これを行為規範,裁判規範とすることはでき
ず,この法理に基づいて控訴人らに何らかの具体的な請求権が発生するようなこと
は認められない。また,本件のような戦争被害に対する補償が憲法の予想しないと
ころであることも上記
のとおりである。
     エ 条理について
       控訴人らは,国が行った徴用に伴って生じた損害について被控訴人
国が賠償ないし補償の責任を負うのは条理上当然であると主張する。
       ところで,第2次世界大戦における戦争犠牲・被害については,そ
れぞれの内容に応じて,各対象者に対し各種の補償が実施されているが,このよう
な補償については,その補償要件,内容,程度等に関して,政治的,社会的,財政
的な諸事情を総合的に勘案した上で決定する必要があることなどから,いずれも,
そのための特別の立法を行い,そこで定められた基準に従って補償が実行されてい
るのであり,立法を経ることなく補償がされた事例は存しない。また,上記のよう
な諸事情やこれに基づく補償の要件,内容等については,その性質上,条理といっ
た抽象的規範でこれを評価し定めることは困難であり,相当でないと考えられる。
さらに,本件のような戦争被害について,立法を待たずに当然に戦争遂行主体であ
った国に対して補償
を請求することができるという条理が存在するものとも認められないのであって,
控訴人らの上記主張を採用することはできない(最高裁判所平成10年(オ)第20
36号平成11年12月20日第一小法廷判決・訟務月報47巻7号1787頁参
照)。控訴人らは,国際裁判管轄の有無について条理に基づいて判断された事例の
存在することを挙げるが,事案を異にするものであり,上記の判断を左右するもの
ではない。
     オ 安全配慮義務違反に基づく損害賠償責任について
      (ア) 控訴人らは,被控訴人国は,旧B株式会社と共に,控訴人らを
強制連行し,旧B株式会社のC1製作所又はC2造船所において強制労働に従事さ
せて,控訴人らとの間に事実上の労働関係を形成した上,旧B株式会社が安全配慮
義務違反を犯すことを容認したとして,被控訴人国にも安全配慮義務違反に基づく
損害賠償責任が存する旨主張する。
         ところで,安全配慮義務とは,ある法律関係に基づいて特別な
社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随的義務として当
事者の一方又は双方が,相手方に対して信義則上負担する保護義務であり,安全配
慮義務違反の法的性質は広い意味での不完全履行(債務不履行)の一種と解され
る。したがって,安全配慮義務が発生するための当事者間における特別な社会的接
触の関係とは,契約関係もしくはこれに準ずる法律関係であって,このような信義
則上の義務を認めるに足りる直接,具体的な関係であることを要するものというべ
きであり,安全配慮義務はこのような直接,具体的な関係から生じる付随義務とし
ての相手方の生命,身体等に対する保護義務であると解するのが相当である。この
ような関係が存在しな
い場合の一般的な保護義務については,不法行為の問題として捉えられるべきもの
である。
      (イ) そこで,検討するに,本件においては,控訴人らが徴用令書に
基づいて徴用されて旧B株式会社に引き渡されるまでの間の被控訴人国と控訴人ら
との関係と,控訴人らが旧B株式会社に引き渡されて,旧B株式会社における労働
に従事するようになった後の被控訴人国及び旧B株式会社と控訴人らとの関係とが
問題になる。
         そして,このうちの控訴人らが旧B株式会社における労働に従
事するようになった後の関係については,このような労務の提供,業務の執行に関
して認められる安全配慮義務は,使用者が被用者の業務遂行のために必要な施設,
設備,器具等を設置管理し,又は,被用者の勤務条件等を支配管理することにその
実質的な根拠が存在し,このような管理に当たって,その施設,設備,器具若しく
は勤務条件等から生じる可能性のある危険の防止等について負担する義務であると
考えられるのであるから,安全配慮義務の成立が認められるためには,その当事者
間に施設等の設置管理又は勤務条件等の支配管理の関係があることを要するものと
いうべきである。
         本件においては,前記認定のとおり,控訴人らは,徴用令書に
基づいて徴用され,その居住地から広島まで連行されて,旧B株式会社の前記各工
場での労働に従事させられたのであるが,被控訴人国の関与は,控訴人らを徴用
し,旧B株式会社に引き渡すまでの間にとどまるものであって,その後は,控訴人
らは,専ら旧B株式会社の管理下において,前記各工場に配置され,旧B株式会社
が設置管理する工場施設内で生活し,旧B株式会社の労務管理の下で作業に従事し
たのであり,被控訴人国がその施設等の設置管理又は勤務条件等の支配管理に具体
的に関与したことを認めるに足りる証拠はない。したがって,C1製作所やC2造
船所における控訴人らの生活や労働に関して,被控訴人国と控訴人らとの間に,直
接,具体的な,安全配
慮義務が観念されるような特別の社会的接触と認めるに足りる関係が存するという
ことはできない。甲101号証には,徴用された者は,事業主とは使用関係はある
が雇用関係はなく,国家との公法関係に立つ旨の記載のあることが認められるが,
これは国民として,国家に対し,徴用に応じて配置された職場で就労すべき義務を
負うとの解釈を示したにすぎないものである。また,徴用に応じない者に対する処
罰規定が国家総動員法に定められ,警察官や憲兵らが工場等の周辺に配置されてい
た事実が存したとしても,これによって被控訴人国に上記の意味における支配管理
があったと認められるものではなく,いずれも,上記の認定,判断を左右するもの
ではない。
         また,控訴人らは,被控訴人国が,旧B株式会社の安全配慮義
務違反を容認したとも主張するが,徴用それ自体が安全配慮義務違反を当然に容認
しているものとはいえず,本件の具体的な事案についてみても,原爆投下後の対応
も含めて旧B株式会社における控訴人らの生活や労働に関して,被控訴人国が旧B
株式会社による安全配慮義務違反の行為を容認していたといえるような事情を認め
るに足りる的確な証拠はない。
      (ウ) しかしながら,控訴人らが旧B株式会社における労働に従事す
る以前の,被控訴人国が控訴人らを徴用し旧B株式会社に引き渡すまでの間につい
ては,その事実関係からすれば,徴用という行為を契機として,被控訴人国と控訴
人らとの間に,直接に,上記の意味における特別の社会的接触に当たる関係の成立
することが考えられる。
         徴用の法的性質が行政処分の一種であるという理由でこれを否
定することは相当でなく,徴用の内容やその実態に照らしてこれを判断すれば,徴
用による法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入ったものと考えることが
できる。したがって,この点においては,被控訴人国について,控訴人らに対する
安全配慮義務が生じる余地があるものと認められる。そして,前述したような徴用
の実施に当たっての不法行為の成立する可能性,ことに控訴人らの連行の態様から
すれば,その義務違反が認められる余地もまた否定することはできない。ただし,
被控訴人国と控訴人らとの間にこのような関係が認められるとしても,控訴人らが
旧B株式会社に引き渡されて被控訴人国との間に直接,具体的な関係がなくなった
後までこれが継続す
るものとは解されない。また,これが継続しているといえるような事実関係の存在
も認められない。
         以上によれば,控訴人ら主張の本件強制連行,強制労働に関し
ては,旧B株式会社についての安全配慮義務とは別に,被控訴人国についても,控
訴人らを旧B株式会社に引き渡すまでの間において,安全配慮義務違反の認められ
る余地があるものというべきである。
   (3) 除斥期間について
    ア被控訴人国は,控訴人らの主張する不法行為による損害賠償請求権
ないし損失補償請求権が認められたとしても,本件訴訟の提起より20年以上前の
行為に基づくものであるから,民法724条後段の除斥期間の経過により既に消滅
している旨主張し,控訴人らは,同条後段を除斥期間と解するのは誤りであり,仮
にそうでないとしても,本件においてはその適用が制限されるべきであると主張す
る。
    イ そこで検討するに,民法724条後段の20年の期間は,同条前段
の3年の短期時効とは異なり,不法行為の被害者側の認識のいかんを問わず,一定
の時の経過によって法律関係を確定させるため,損害賠償請求権の存続期間を画一
的に定めた除斥期間の規定であり,不法行為による損害賠償請求の訴えがその期間
の経過後に提起された場合には,裁判所は,当事者からの主張がなくても,除斥期
間の経過により損害賠償請求権が消滅したものと判断すべきものと解される(最高
裁判所昭和59年(オ)第1477号平成元年12月21日第一小法廷判決・民集4
3巻12号2209頁)。控訴人らは,724条後段を除斥期間と解すべき必然性
はなく,また,除斥期間による画一的な処理は不法行為の被害者切り捨ての機能を
果たすだけであると
主張する。しかし,上記のように3年の短期時効の定めがあっても,それが被害者
の主観的事情のいかんによって左右される浮動的なものであり,また,その中断を
繰り返すことによって時効期間の延長が可能ともいえることから,法律関係の不確
定状態が長期にわたって続くことが考えられ,これを避けて,法的安定性が損なわ
れることのないようにするために,法は同条後段で20年という除斥期間を定めた
ものと解することには十分な合理性が存する。
       したがって,本件において,前述したように,国による控訴人らの
徴用の実施に当たって不法行為の成立する余地のあることが認められるとしても,
本件訴訟が提起されたのが平成7年(1995年)12月11日であることは記録
上明らかであって,不法行為の時である昭和19年(1944年)からは50年以
上を経過している(日韓条約が締結されて日本と韓国との間に国交が回復し,控訴
人らの権利行使が可能になったと認められる昭和40年(1965年)からは30
年以上,D2援護協会の会長が当時の三木副総理に会って,被爆被害についてでは
あるが,被控訴人国に対して補償等の要求をした昭和47年(1972年)からで
も20年以上を経過している。)ことからすれば,控訴人らの上記損害賠償請求権
は既に20年の除斥
期間の経過により消滅しているといわなければならない。           
なお,控訴人らは,その権利行使が可能になったといえる上記時期について争う
が,次項で述べるとおり認められない。
    ウ  控訴人らは,本件においては,除斥期間の適用は制限されるべきで
あるとも主張する。
       最高裁判所平成5年(オ)第708号平成10年6月12日第二小法
廷判決・民集52巻4号1087頁は,被害者が集団予防接種を受けた結果,高度
精神障害,運動障害を伴う寝たきりの重度心身障害者になった事案において,不法
行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6か月以内に不法行為を原因
として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しない場合には,被害者は,およ
そ権利行使が不可能であるのに,単に20年が経過したということのみをもって一
切の権利行使が許されないこととなる反面,心神喪失の原因を与えた加害者は,2
0年の経過によって損害賠償義務を免れる結果となり,著しく正義・公平の理念に
反するものといわざるを得ないとして,上記の場合に禁治産宣告により就職した後
見人が6か月内に損
害賠償請求権を行使したなど特別の事情があるときは,民法158条の法意に照ら
し,同法724条後段の効果は生じないものと解するのが条理にかなう旨判断して
いる。このように,除斥期間の適用が著しく正義・公平の理念に反するときにはそ
の効果の発生が制限される場合のあることが認められるのであるが,除斥期間の趣
旨が法的安定性の確保にあることや,上記判決が民法158条の法意をも根拠とし
ていることなどに照らせば,その適用制限が認められるためには,被害が重大,深
刻で,救済の必要性が高度に存することや,除斥期間内の権利行使が困難であった
こと,加害者が責任を免れることの不相当なこと等の事情に加えて,権利行使が可
能になってからすみやかに被害者がその権利を行使したことを要するものと解すべ
きである。
       これを本件についてみるに,控訴人らによる被控訴人国に対する損
害賠償請求権の行使は,終戦後の日本と韓国との間の特殊な外交関係から一時期極
めて困難であったものと認められるが,その原因が専ら被控訴人国にのみあるとい
うことはできず,また,日韓条約が締結され国交が回復された昭和40年(196
5年)以降,あるいは遅くとも前述のようにD2援護協会の役員らによる被控訴人
国に対する補償要求がされた昭和47年(1972年)には,既に権利行使が可能
になったものと認められるところ,本件訴訟は,それからさらに30年ないし20
年もの期間を経過して提起されているのであって,到底,すみやかに権利が行使さ
れたということはできない。
       控訴人らは,日本と韓国の国交回復後も,韓国における軍事政権の
継続等の事情から,控訴人らが被控訴人国や被控訴人B1株式会社らに対して訴え
の提起等の法的手段をとることは,昭和62年(1987年)の民主化宣言までは
困難であったとするが,国交回復後,昭和42年(1967年)にはD2援護協会
が設立され,以後,昭和47年(1972年)の被控訴人国に対する補償の要求や
昭和49年(1974年)の被控訴人B1株式会社との補償交渉等,補償を求める
様々な行動が重ねられていることからすれば,控訴人らの主張するように本件訴訟
の提起が困難であったと認めることはできない。
        したがって,除斥期間の適用が制限される場合があり得るとして
も,控訴人らの本件訴訟における請求がその場合に該当するものとは認められな
い。
   (4) 日韓請求権協定について
    ア 被控訴人国は,控訴人らの主張するような各請求権が存在するとし
ても,昭和40年(1965年)6月22日に締結された日韓請求権協定2条1及
び3により,被控訴人国にはその請求に応じる義務はないとも主張する。
    イ そこで,控訴人らが帰国した後の日韓関係と日韓請求権協定につい
てみるに,証拠(甲42,乙57ないし60,65,71)及び弁論の全趣旨によ
れば,次のような事実が認められる。
     (ア) 日本のポツダム宣言受諾によって第2次世界大戦は終結し,朝鮮
半島に対する日本の支配も終わり,連合国による統治の後,昭和23年(1948
年)8月13日,北緯38度以南においては大韓民国が樹立されたが,その後,同
国と日本との間には国交のない状態が長く続いた。
        昭和26年(1951年)9月8日に調印されたサン・フランシ
スコ平和条約により,日本は朝鮮の分離独立を正式に承認して,朝鮮に対するすべ
ての権利,権原及び請求権を放棄した(同条約2条(a))。また,連合国との間の
賠償問題については,日本は,いわゆる役務賠償に応じるほか,各連合国がその管
轄下にある日本国及び日本国民の財産,権利及び利益について,一部の例外を除い
てこれを処分する権利を有することを承認し(14条(a)),連合国は,連合国の
すべての賠償請求権,戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた
連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権
を放棄する(14条(b))こととされたが,朝鮮半島住民の日本国及びその国民に
対する債権を含む請求
権の処理については,日本と現に朝鮮半島の施政を行っている当局との間の特別取
極の主題とすることとされた(同条約4条)。
     (イ) サン・フランシスコ平和条約締結後の昭和26年(1951年)
10月から始められた日本と韓国の国交正常化交渉は,韓国のいわゆる対日請求8
項目を主とする請求権問題や法的地位,漁業問題等で難航したが,昭和40年(1
965年)6月22日に締結された日韓条約によって国交が回復された。
       また,同時に締結された日韓請求権協定では,「日本国は大韓民
国に対して,1080億円に相当する日本の生産物及び日本人の役務を10年間に
わたり無償で供与する,日本国は大韓民国に対して,720億円の長期低利貸付け
を10年間にわたって行う」(1条)ことが定められ,2条においては次のとおり
規定された。
      「1 両締約国は,両締約国及びその国民(法人を含む。)の財
産,権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が,19
51年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条
(a)に規定されたものを含めて,完全かつ最終的に解決されたこととなることを確
認する。
       2 この条の規定は,次のもの(この協定の署名の日までにそれ
ぞれの締約国が採った特別の措置の対象となったものを除く。)に影響を及ぼすも
のではない。
          (a)  一方の締約国の国民で1947年8月15日からこ
の協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことがあるものの財産,権利
及び利益
          (b)  一方の締約国及びその国民の財産,権利及び利益で
あって1945年8月15日以後における通常の接触の過程において取得され又は
他方の締約国の管轄の下に入ったもの
       3 2の規定に従うことを条件として,一方の締約国及びその国
民の財産,権利及び利益であってこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下に
あるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国
民に対するすべての請求権であって同日以前に生じた事由に基づくものに関して
は,いかなる主張もすることができないものとする。」
          そして,合意議事録において,日韓請求権協定2条にいう
「財産,権利及び利益」とは,法律上の根拠に基づき財産的価値を認められるすべ
ての種類の実体的権利をいうことが了解されたこと(2(a)),「通常の接触」に
は,第2次世界大戦の戦闘状態の終結の結果として一方の国の国民で他方の国から
引き揚げたものの引揚げの時までの間の他方の国の国民との取引等,終戦後に生じ
た特殊な状態の下における接触を含まないことが了解されたこと(2(d)),2条
3により執られる「措置」については,同条1にいう両国及びその国民の財産,権
利及び利益並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題の解決のために執ら
れるべきそれぞれの国の国内措置をいうことに意見の一致を見たこと(2(e)),
2条1にいう完全かつ最
終的に解決されたこととなる両国及びその国民の財産,権利及び利益並びに両国及
びその国民の間の請求権に関する問題には,日韓会談において韓国側から提出され
た「韓国の対日請求要綱」の範囲に属するすべての請求が含まれており,したがっ
て,対日請求要綱に関しては,いかなる主張もなし得ないこととなることが確認さ
れたこと(2(g))などの了解に達したものとされた。
     (ウ) この請求権協定に基づき,日本では,昭和40年(1965年)
に財産権措置法(昭和40年法律第144号)が制定されたが,同法では,次のと
おり定められた。
      「1 次に掲げる大韓民国又はその国民(法人を含む。以下同じ。)
の財産権であって,財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日
本国と大韓民国との間の協定第2条3の財産,権利及び利益に該当するものは,次
項の規定の適用があるものを除き,昭和40年6月22日において消滅したものと
する。ただし,同日において第三者の権利(同条3の財産,権利及び利益に該当す
るものを除く。)の目的となっていたものは,その権利の行使に必要な限りにおい
て消滅しないものとする。
        一 日本国又はその国民に対する債権
  二 担保権であって,日本国又はその国民の有する物(証券に化
体される権利を含む。)又は債権を目的とするもの」
          また,韓国では,昭和41年(1966年)に請求権資金の
運用及び管理に関する法律,昭和46年(1971年)に対日民間請求権申告に関
する法律,そして,昭和49年(1974年)に対日民間請求権補償に関する法律
がそれぞれ制定され,これに基づいて韓国国民が日本国に対して有する一定の民間
請求権について,日本からの無償供与資金からの補償措置が実施された。
    ウ そこで,以上に照らして考えるに,控訴人らに,被控訴人国に対する
本件徴用の実施に伴う不法行為や安全配慮義務違反の債務不履行による損害賠償請
求権が認められるとしても,その各損害賠償請求権は,日韓請求権協定の署名の日
以前に生じた事由に基づくものであり,法律上の根拠に基づいて財産的価値の認め
られる実体的権利であって,日韓請求権協定2条3の「財産,権利及び利益」に該
当し,財産権措置法1条により昭和40年(1965年)6月22日をもって消滅
したものと認められる。
      被控訴人国は,控訴人らの上記損害賠償請求権をはじめ,その主張に
係る請求権は,いずれも日韓請求権協定の署名時点では権利関係が明確でなかった
ものであるから,日韓請求権協定2条の「請求権」に該当すると解されるとも主張
するが,同協定及び合意議事録においては,「財産,権利及び利益」というために
署名時点で権利関係が明確になっていることを要するものとはされておらず,ま
た,合意議事録では上記のとおり,「財産,権利及び利益」とは,法律上の根拠に
基づき財産的価値を認められるすべての種類の実体的権利をいうものとされている
のであるから,これを被控訴人国の主張するように限定して解釈すべき理由はな
い。なお,被控訴人国のこの点の主張は,財産権措置法1条による消滅を否定する
趣旨とは解されない。
      そして,上記のように,日本が日韓請求権協定に基づく国内的措置と
して財産権措置法を制定して,韓国国民の権利を消滅させたことについては,これ
もサン・フランシスコ平和条約と同様に日本の敗戦に伴う国家間の財産処理として
行われたものであって,本来憲法の予定していないところであり,そのための処理
に関して損害が生じたとしても,前記の戦争被害,戦争損害と同様に,その損害に
対する補償は憲法の各条項の予想しないものといわざるを得ないのであって,財産
権措置法が憲法29条をはじめとする憲法の各条項に違反するということはできな
い(最高裁判所平成12年(オ)第1434号平成13年11月22日第一小法廷判
決・裁判集民事203号613頁,同平成15年(オ)第1895号平成16年11
月29日第二小法廷
判決)。
   (5) 以上によれば,強制連行,強制労働を理由とする被控訴人国の控訴人
らに対する損害賠償責任については,徴用の実施に関しての不法行為及び安全配慮
義務違反の成立し得る余地が存するとはいえるものの,除斥期間の経過あるいは日
韓請求権協定に基づく財産権措置法の定めによって,控訴人らの損害賠償請求権は
いずれも消滅したものと認められ,これを本件請求の理由として認めることはでき
ない。また,控訴人らのその余の主張はいずれも理由がなく認められない。
  (二) 原爆被害放置等(立法不作為を除く)に基づく損害賠償責任について
   (1)被爆者法不適用の違法について
    ア 控訴人らは,被爆者法を控訴人らを含む在韓被爆者に適用しないこ
との違法を主張する。
       原爆2法及びこれを引き継いだともいえる被爆者援護法において
は,いずれも,その適用対象を日本人に限定するようないわゆる国籍条項等が設け
られていないことは前記のとおりである。そして,これらの被爆者法が,国家補償
的配慮を根底にして,被爆者の特異かつ深刻な健康被害等に着目し,これを救済す
るという人道的目的の立法であると解されること(F1訴訟最高裁判決参照)に照
らしても,その適用対象から外国人が一般的に排除されているものと解することは
できない。被控訴人国もそのような解釈を主張しているものとは解されない。
    イ ところで,被爆者援護法によれば,同法における「被爆者」という
ためには被爆者健康手帳の交付を受けることを要し(1条),この交付を受けるに
は,その居住地(居住地を有しないときは現在地)の都道府県知事等に対して申請
しなければならず(2条1項),また,医療給付をはじめ,その定める各種手当を
含む給付を具体的に受けるためには,居住地又は現在地の都道府県知事等に対し,
又は,これを経由して厚生労働大臣に対して申請して,支給に必要な所定の要件を
満たしている旨の認定を受けることを要するものと定められている(11条1項,
25条2項,27条2項,同法施行令8条,同法施行規則44条,52条1項な
ど)。そして,いずれについても,日本国外からの申請を想定した規定は設けられ
ておらず,その結果,
日本国外にいるままでは被爆者健康手帳の交付や各種手当の受給に必要な認定は受
けられず,被爆者法の具体的適用を受けるためには,少なくとも一度は日本に来て
被爆者健康手帳の交付を受け,各種給付の受給に必要な認定を受けなければならな
いこととされてきたものである。
       これは,被爆者健康手帳の交付に当たって必要な審査を行う都道府
県知事等を具体的に決定し,また都道府県知事等の審査においては,申請者である
被爆者の身上関係を調査した上,被爆の事実について申請内容に基づいて関係資料
を収集,調査し,また,申請者本人だけでなく証人や関係者についても被爆時の状
況等について聴取するなどして確認する必要があるところ(乙28,74,75,
弁論の全趣旨),申請者が日本国内にいることで,これをより適正,円滑に行うこ
とができると考えられ,また医療給付や各種手当の支給のために必要な認定を厚生
労働大臣や都道府県知事等が行うに当たっても,原子爆弾の放射能の影響による所
定の疾病等の存在を専門家によって審査する際に,場合によっては申請者である被
爆者から事情を聴取
したり,その提出した診断書を作成した医師に照会をするなどして,実質的な審査
を行う必要があるところ,この点でも,申請者が日本国内にいることで,より適
正,円滑な認定,審査を図ることができると考えられることからすれば,必ずしも
合理性がないわけではない。  
    ウ  しかしながら,被爆者援護法を含む被爆者法の趣旨,目的は,既に
述べたとおり,国家補償的配慮を根底にして,原爆の被爆により特異かつ深刻な健
康被害等を被っている被爆者らを,その原因となる戦争の遂行主体であった被控訴
人国が,被爆者の国籍のいかんにかかわらず,広く援護し救済しようとする人道的
立法であり,特に被爆者援護法は,その前文で,「国の責任において,原子爆弾の
投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊
の被害であることにかんがみ,高齢化の進行している被爆者に対する保健,医療及
び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ」るものであると明言しているところであ
る。また,被爆者援護法における被爆者としての実質的要件は被爆の事実であり,
医療給付や各種手当
の支給認定との関係での実質的要件は所定の健康被害の存在であって,被爆者健康
手帳の交付を受けていることは形式的な要件にすぎず,国内に居住又は現在してい
ることは,交付手続のための技術的な規定にすぎないともいうことができる。実質
的要件が肯定できるのに,形式的,技術的な要件が満たされない場合に,それがや
むを得ない理由によるものであっても,被爆者援護法の定める給付を被爆者に認め
ないということは本末転倒というべきである。被爆者援護法が定める給付について
は,すべてがこれを受ける被爆者が日本国内にいなければ行うことのできないもの
ではなく,被爆者が日本国内にいなくても可能なものも存する。そして,被爆者援
護法における被爆者としての地位は,日本から国外に出国しても失われるものでは
ないと解されるので
あって,その意味からも,上記の各申請に当たって国内に居住又は現在することを
要するとすることは,より一層形式的,技術的な理由にすぎないものということが
できる。さらに,被爆者健康手帳の交付及び医療給付や各種手当の支給認定のため
の審査の適正,円滑に関しては,情報通信技術が高度に発達した現在においては,
申請者が日本国内にいないからといって代替する手段,方法が考えられないわけで
はなく,必要な調査を行うことが不可能とまではいえない。これらの事情を考慮す
ると,上記のとおり,各申請に際して,申請者に来日を求めることについて一応の
合理性が認められるとしても,例外なく来日することが必要であるとして,病気そ
の他のやむを得ない理由により居住する国から来日することが困難な在外被爆者に
対しても来日を要求
し,来日しない限りは被爆者健康手帳は交付せず,あるいは各種の手当についての
支給認定をしないとすることは,被爆者援護法の趣旨,目的に反するものというべ
きである。
      ことに,年月の経過とともに,被爆者も高齢化するのであって,老
齢あるいは病気等のためにやむなく来日することができない者のあることは当然に
予測できるものであり,被爆者援護法はその前文でわざわざ被爆者の高齢化の進行
についても言及していることは上記のとおりである。また,前述したように402
号通達による取扱いが改められた後に,在外被爆者からの被爆者健康手帳の交付申
請や健康管理手当等の支給に係る申請が殺到した事実からすれば,多くの在外被爆
者は402号通達とそれに従った出国による失権の取扱いがあったために,これま
でに来日して被爆者健康手帳の交付申請や各種手当の支給に係る申請をすることが
なかったものと考えられる。後述するように被爆者法の定めを逸脱して違法と解さ
れる402号通達と
これに従った取扱いのために申請が遅れ,その間に高齢化も加わって,やむを得な
い理由により来日が困難になってしまった在外被爆者について,現在,来日しない
ことを理由に被控訴人国が被爆者援護法による救済を否定することは著しく信義に
悖るものというべきである。
       以上によれば,上記の各申請に当たって,原則としては,申請者で
ある在外被爆者に来日を求めている被爆者援護法の上記各規定は,その限りにおい
ては不合理とはいえないとしても,病気その他のやむを得ない理由で来日が困難な
在外被爆者に対してまでも,手続上の理由からあくまでも例外なく来日を求めてい
るものと解することは相当でない。そうではなく,やむを得ない理由で来日するこ
とができない在外被爆者については,来日することなく上記の各申請を行う余地を
認めた規定と解することによって,はじめて被爆者援護法の上記各規定に合理性を
肯定することができるものと認められる。
      したがって,病気その他のやむを得ない理由で来日が困難な在外被
爆者に対して,来日しないことを理由に上記の各申請を受理せず又は却下し,ある
いは来日するまで処分しないというようなことは,国籍要件を設けずに,広く外国
人被爆者に対しても救済を認めようとする被爆者援護法の趣旨,目的に反し,ま
た,やむを得ない理由で来日することが困難な在外被爆者に対する不合理な差別と
して違法というべきである。
    エ  なお,被爆者健康手帳の交付申請を居住地又は現在地の都道府県知
事等に対して行うべきものと最初に定めたのは原爆医療法3条であり,同法により
医療給付を受けるために必要な厚生大臣の認定の申請を居住地又は現在地の都道府
県知事等を経由して行うべきものとしたのは同法施行規則9条であるが,そもそも
同法は,前述したように,被爆者の健康被害にかんがみ,必要な健康診断とそれに
基づく指導及び日本国内の指定する医療機関に委託して必要な医療給付を行うこと
を内容とするものであったことや,上記のとおり,申請者が日本国内にいることに
よって審査を適正,円滑に行うことができるものと考えられたこと,同法が施行さ
れた昭和32年(1957年)当時は,まだ日本と韓国との間の国交は回復してお
らず,その他の国も
含め外国との間の情報通信手段も現在と比較して格段に劣っていたことなどからす
れば,同法が施行された当初において,被爆者健康手帳の交付申請や医療給付のた
めの認定申請に当たって,申請者たる被爆者が日本国内に居住地又は現在地を有す
ることを前提としたことは一応合理的なものと認められ,これによって,在外被爆
者を不当に差別したものということはできない。
    オ  その後,昭和43年(1968年)に原爆特別措置法が施行され
て,被爆者に対する給付に,原爆医療法による医療給付のほかに,特別手当や健康
管理手当等の各種の手当の支給も加わって,給付の内容が一層充実したものとなっ
たのであるが,被爆者健康手帳の交付申請については原爆医療法3条の規定による
こととされ,また,各種手当の受給に必要な所定の要件を満たしていることの認定
については,居住地又は現在地の都道府県知事等に対して申請すべきものとされ
た。これは,同法が,原爆医療法を前提にして,同法における被爆者に対する給付
内容を充実させることを目的としたものであったこと,申請者である被爆者が日本
国内にいることにより被爆者健康手帳の交付についての審査が適正,円滑に行うこ
とができるという事情に
変わりはなく,原爆特別措置法によって新たに認められた各種手当の支給に必要な
要件の認定のための審査もまた適正,円滑に行うことができると考えられることな
どから,同法が,これらの申請に当たって,原爆医療法と同様に,申請者である被
爆者が日本国内に居住地又は現在地を有することを前提としたものと思われる。し
かしながら,原爆特別措置法が新たに設けた各種給付の中には,健康管理手当等の
各種手当のように,必ずしも被爆者が日本国内にいなくても給付が可能なものも存
することなどからすれば,被爆者援護法における場合と同様の理由から,原爆特別
措置法及びその施行後の原爆医療法において,上記の各申請に当たって,被爆者の
来日を原則として必要とすることは,その限りでは違法でないとしても,病気その
他のやむを得ない理
由により来日が困難な在外被爆者に対しても例外なく来日を必要として,来日しな
いことを理由に必要な処分をせず,あるいは不利益な処分をすることは,法の趣旨
に反し,また,不合理な差別として違法と評価されるというべきである。
    カ  被控訴人国は,日本国内に居住も現在もしない被爆者に対して被爆
者法が適用されないことは立法の際の審議の経過から明らかであり,また,原爆被
爆による損害に対する補償は高度の政策的判断を要する問題であって,立法府の政
策的,技術的裁量に委ねられている旨主張する。
       法の解釈は,先ずは当該法律の趣旨,目的に照らして法文を合理
的,合目的的に解釈すべきものであり,立法の際の経緯やこれから推察される立法
者意思については,個々の具体的な問題についてすべてその意思が明らかにされて
いるとは限らないことから,解釈の際に参考となるにとどまるものと解すべきであ
る。本件では上記の各申請について,日本国内の居住地又は現在地の都道府県知事
等に対して行うべきものとする上記のような規定が,病気その他のやむを得ない理
由により来日することができない在外被爆者に対する例外を許さない趣旨であるか
否かが問題となるのであるが,この点については,立法の過程で,法律の適用範囲
一般の問題として被爆者法の外国での適用について論議されたことは窺えるものの
(甲140,146な
いし149,乙17),それ以上に明確に上記の問題を意識して論議が交わされ
て,この点の立法者意思が明示されたような事実を認めることはできない。もちろ
ん,明文で居住地又は現在地の都道府県知事等と定めていることからは,それを原
則とするものであることは明らかといえるが,被爆者法の趣旨や目的からすれば,
絶対に例外を許さない趣旨の規定であるとも解されないのである。そして,仮に例
外を認めない趣旨の規定であるとすれば,上記のように,病気その他のやむを得な
い理由で来日が困難な在外被爆者を不合理に差別するものとして違法と解される余
地の存するところであり,それでもなお例外は許さないとするのが立法者意思であ
るとは到底認めることはできない。このことは,あくまでも法律の解釈の範疇の問
題であって,立法府の
裁量権の行使の適否の問題ではない。
       被控訴人国は,F1訴訟最高裁判決は,日本国内に現在しない者に
対しては被爆者法の適用の余地がないことを明らかにしており,また,被爆者法は
属地主義を採用しているとも主張する。しかし,F1訴訟最高裁判決は,日本に不
法入国した在韓被爆者について,日本国内に現在する限りは,その理由のいかんを
問うことなく原爆医療法の適用を認めるべきであるとするものであり,それ以上
に,やむを得ない理由で来日することができず,そのために日本に現在しない在外
被爆者について原爆医療法等の適用があるかどうかについては明確には言及してい
ないのであって,同判決が,在外被爆者は来日しない限りいかなる理由があっても
被爆者法の適用を認めないとするものとは解されない。また,被爆者法のような給
付行政については,他
の公権力の行使の場合のように属地主義の原則によるべき必然性はなく,被爆者法
の上記のような国家補償的,人道的立法としての性格からすれば,給付を受ける者
に着目して属人主義的に国外での適用を認めているものと解すべきである。
       被控訴人国は,被爆者法による給付は公費を財源とするものであ
り,適正な執行,適正で円滑な事務の遂行が要求されるとも主張する。しかし,被
爆者法が単なる社会保障立法にとどまるものではなく,国家補償的性格を併有する
特殊な立法であることは前述したとおりである。そして,法の適用,執行が適正に
行われ,適正で円滑な事務の遂行が求められることは当然であり,原則として申請
者である在外被爆者に来日を求めることがそれに適うと認められることも前述した
とおりであるが,病気その他のやむを得ない理由で来日が困難な場合に,国外にい
るままで例外的に上記の各申請を行うことを認めたからといって,直ちに被爆者法
の適正な執行,適正で円滑な事務の遂行が不可能になるものとは認められず,代替
する手段,方法を工夫
することにより(現在行われている被爆確認証の交付事業などが参考となる。),
適正に執行し,適正で円滑に事務を遂行することは十分に可能と考えられる。この
点の被控訴人国の主張も理由がない。
    キ  もっとも,以上検討したところから控訴人らについてみるに,本件
各証拠からは,控訴人らが,これまでに被爆者健康手帳の交付申請や医療給付及び
各種手当の支給に係る申請について,病気その他やむを得ない理由があるにもかか
わらず,来日することができないことが原因で申請を行わず,あるいは来日しない
ことを理由に申請が受理されず又は却下されたような事実は認められない。控訴人
らの中には,上記の各申請をしないまま年月の経過するうちに病気のために来日が
むずかしくなった者のいることが窺われるものの,その経緯や,前述したように4
02号通達とこれに従った取扱いが改められた後には生存している控訴人らのほぼ
全員がそれぞれの申請をしていることからすれば,これらの者が各申請をしなかっ
た理由は,来日の困
難性というよりも402号通達の存在にあったものと認めるのが相当である。
      また,402号通達とこれに従った取扱いが改められた後に控訴人
らが行った各申請についても,病気のために来日が困難であるにもかかわらず,来
日しないことを理由に申請が却下されたわけではなく,現在まで処分がされていな
いことについても,それが来日しないことを理由とするものであると認めるに足り
る証拠もない。
      したがって,在外被爆者による上記の各申請について,病気その他
のやむを得ない理由で来日することができない場合にまで,例外なく来日を要する
との扱いをすることは違法と考えられるところではあるものの,控訴人らについて
は,そのような扱いによって具体的に何らかの不利益を受けたものとは認められな
いのであって,この点を理由にして控訴人らの損害賠償請求を認めることはできな
い。
    ク  控訴人らは,被爆者法が,被爆者健康手帳の交付申請及び医療給付
や各種手当の支給認定の申請に当たって,原則として申請者である被爆者の来日を
必要とすること自体が不合理な差別であり,在外のままでの被爆者法の適用を認め
るべきであるとして,アメリカ合衆国の施政権下にあった沖縄に在住する被爆者に
対して,原爆2法を準用という形で適用したことに言及している。しかし,証拠
(乙12ないし15,23,24)によれば,沖縄に在住する被爆者に対する援護
に関しては,まず,昭和40年(1965年)4月5日,日本政府と琉球政府との
間で「琉球諸島住民に対する専門的診察及び治療に関する了解覚書」が取り交わさ
れ,昭和42年(1967年)5月19日には,日本政府,琉球政府間において,
これに代えて,「琉球
在住原子爆弾被爆者の医療等に関する了解覚書」が取り交わされた上,これにアメ
リカ合衆国政府が承認を与えることによって,必要な医療の給付等が実現したこ
と,また,昭和41年(1966年)12月7日には,琉球政府行政主席が,本土
の原爆医療法に準拠して「原子爆弾被爆者の医療等に関する実施要綱(1966年
告示第413号)」を発表し,同要綱に基づき被爆者健康手帳の交付,患者の治療
等が実施され,特別手当や健康管理手当等の支給については,昭和44年(196
9年)1月14日,上記行政主席が告示した「原子爆弾被爆者に対する特別措置に
関する実施要綱」に基づき実施されるようになったことが認められるのである。 
このような経過に照らせば,沖縄における被爆者援護対策は,上記の要綱等に基づ
き沖縄地域に関する琉
球政府の政策として同政府の権限によって行われたというべきであり,アメリカ合
衆国施政権下の沖縄に対して被控訴人国が原爆2法を適用したとする控訴人らの主
張は認められない。
       また,控訴人らは,日本国内の被爆者に比して,不当に在外被爆者
の権利を侵害するものであって,合理的な理由のない差別にほかならないとして,
憲法14条及びB規約26条に違反する旨主張する。しかし,憲法14条1項もB
規約26条も,いずれも合理的理由のない差別を禁止する趣旨のものであって,各
人に存在する経済的,社会的その他種々の事実関係上の差異を理由としてその法的
取扱いに区別を設けることは,その区別が合理性を有する限り,何らこれらの規定
に違反するものではないと解される(最高裁判所昭和37年(オ)第1472号昭和
39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁,同平成3年(ク)第143
号平成7年7月5日大法廷決定・民集49巻7号1789頁参照)。本件では,前
記のとおり,申請者
が日本国内に居住若しくは現在することによって必要な手続や審査を適正,円滑に
行うことができるという実質的な理由の存在が認められることからすれば,原則と
して,申請に当たっては日本国内に居住又は現在することを前提とし,来日するこ
とができる者に対して来日を求めることには,一応の合理性が認められるというべ
きであって,控訴人らのこの点の主張は認められない。
   (2) 402号通達に基づく損害賠償責任について
     ア(ア)  前記2(二)で認定した事実及び証拠(乙34ないし37)に
よれば,昭和49年(1974年)7月22日付けで,402号通達が発出された
こと,402号通達は,同年6月17日に公布された原爆2法の一部改正法(昭和
49年法律第86号)の施行について,事務次官通知と併せて発出されたものであ
るが,原爆特別措置法に定める特別手当及び健康管理手当の支給要件の変更に絡め
る形で,「特別手当受給権者が都道府県等の区域を越えて居住地を移した場合に
は,従来は失権することとされていたが,今回の改正により当該事由によっては失
権しないこととするとともに,これらの者は原爆特別措置法施行規則第11条の規
定により新居住地の都道府県知事等に居住地変更の届出をすることとされ,また,
当該届出を受理した都
道府県知事等は,当該特別手当受給権者の従前の居住地の都道府県知事等に文書で
その旨を通知することと改められたこと。この場合において,特別手当受給権者に
支給すべき特別手当は,その者が居住地を移した日の属する月までは従前の居住地
の都道府県知事等が支給し,その翌月からは新居住地の都道府県知事等が支給する
取扱いとするので,手当の支給事務を円滑に行うよう十分留意するとともに,被爆
者にこの旨周知されたいこと。」とした上,続けて,「なお,特別手当受給権者
は,死亡により失権するほか,同法は日本国内に居住関係を有する被爆者に対し適
用されるものであるので,日本国の領域を越えて居住地を移した被爆者には同法の
適用がないものと解されるものであり,従ってこの場合にも特別手当は失権の取扱
いとなること。」(第
二,1(6))と定め,健康管理手当についても,「健康管理手当受給権者が都道府県
等の区域を越えて居住地を移した場合には,従来は失権することとされていたが,
特別手当の場合と同様に,今回の改正により当該事由によっては失権しないことと
するとともに,これらの者は原爆特別措置法施行規則第28条第1項において準用
する第11条の規定により新居住地の都道府県知事等に居住地変更の届出をなすこ
ととされたこと。なお,この場合の事務取扱いは第二の1(6)を参照されたいこ
と。」(第二,2(5))としていることが認められる。
          そして,前記2(二)及び3(二)で認定した事実,証拠(甲3
7,38,40,41,44ないし47,104,乙19,32ないし37)及び
弁論の全趣旨によれば,次のとおりの各事実が認められる。
        a これは,従来,原爆特別措置法の施行規則で,上記各手当の
受給権者が都道府県等の区域を越えて居住地を移した場合には,従前の権利は失権
したものとされて,新居住地において改めて被爆者健康手帳の交付申請を行うなど
の手続を経なければならなかったものを,昭和49年(1974年)9月1日施行
の原爆特別措置法の施行規則の一部を改正する省令によって,新居住地の都道府県
知事等に対する居住地変更の届出をすれば足りるものと改めることに伴うものであ
って,上記の昭和49年法律第86号自体は,そのような取扱いの変更に関する改
正規定を定めたものではないこと。また,上記のような従来の取扱いについては,
法律に明確に定められていたわけではなく,その法的根拠は疑わしいものであった
こと。
      b 在韓被爆者に対する原爆2法の適用に関しては,被控訴人国
は従前から否定的であったところ,前述のとおり,F1訴訟で,昭和49年(19
74年)3月に福岡地方裁判所が,原爆の被爆者でさえあれば,たとえその者が外
国人であっても,日本国内に現在することによって原爆医療法の適用を受け得るも
のと解されるとして,日本に不法入国した在韓被爆者からの被爆者健康手帳の交付
申請を却下した処分を取り消す旨の判決をした後には,「治療目的で適法に入国し
1か月以上滞在している者は日本社会の構成員」に当たると態度を変更し,同年7
月25日には,東京都知事からの照会に対して,公衆衛生局長名で,「原子爆弾被
爆者の医療等に関する法律の適用に当たっては,国籍の如何を問わない。日本国に
入国した外国人に対
する同法の適用については,その立法趣旨にかんがみ,日本国内に居住関係を有す
ることが必要である。本件については,日本における在留期間,その滞在目的等か
ら総合的に判断するに,同法に基づき被爆者健康手帳を交付して差し支えないもの
と思料する。」旨の回答をし,これにより,在韓被爆者であるF2氏(D2援護協
会の会長)に対して,日韓条約締結後,初めて被爆者健康手帳が交付されたこと。
        c この事実や上記判決等によって,それまで認められていなか
った在韓被爆者に対する被爆者健康手帳の交付の途が開かれ,在韓被爆者にも原爆
2法による救済が可能になるものとの期待が高まったこと。
        d その後,昭和50年(1975年)7月17日に,福岡高等
裁判所でもF1訴訟の1審の判断が維持されると,被控訴人国は,「入国目的を問
わず適法な入国後概ね1か月以上滞在していれば居住関係がある。」(昭和50年
9月1日厚生省公衆衛生局長回答)とし,更に,昭和53年(1978年)3月3
0日,最高裁判所でもこれが維持されると,「日本に現在する限り,その理由を問
わない。」(昭和53年4月4日厚生省公衆衛生局長通知)と改めたこと。
        e このように,被控訴人国は,F1訴訟での裁判所の判断が示
されるに連れて,在外被爆者に対する被爆者健康手帳の交付要件の解釈,取扱いに
ついての方針を変更している一方で,日本国の領域を越えて居住地を移した被爆者
には原爆特別措置法は適用されず,被爆者健康手帳も手当の受給資格も失権となる
(したがって,再来日しても,改めて申請手続を行わなければならない。)旨の4
02号通達は,被爆者援護法が制定された後も,平成15年3月まで変更すること
なく維持され,行政実務においてもこの通達に従った取扱いが続けられていたこ
と。
        f F1訴訟の上記各判決やF2氏に対する被爆者健康手帳の交
付を契機に,在外被爆者からの手帳の交付や各種手当の支給に係る申請が増大する
ものと考えられたが,実際には,在外被爆者からの被爆者健康手帳の交付申請等が
一挙に増大するということはなく,昭和53年に上記最高裁判決が出された後も同
様であり,その原因は,わざわざ来日して被爆者健康手帳の交付を受けても,40
2号通達により,日本から出国すれば「被爆者」としての権利を失い,健康管理手
当等の支給も受けられないとされたことにあるものと考えられること。
      (イ) 以上の事実,殊に,本件の402号通達が発出されたのが,在
韓被爆者に対する被爆者健康手帳の交付の可否を巡って裁判所の判断が示され,そ
れまでの被控訴人国の取扱いが見直されようとしていた時期であること,被控訴人
国は裁判所の判断が示されるに連れて,順次,在外被爆者に対する被爆者健康手帳
の交付要件の解釈,取扱いを少しずつ拡げていったのであるが,その経過からは,
交付を極力限定的なものにしようとする意図が窺われること,そして,在外被爆者
の出国による失権に関する402号通達の内容や,それが上記の昭和49年法律第
86号による原爆2法の改正事項に直接関わるものではないにもかかわらず,わざ
わざその改正に絡める形で402号通達に盛り込まれたこと,この通達の結果,増
大すると考えられて
いた在外被爆者からの被爆者健康手帳の交付申請はそれほど増えなかったことなど
からすると,402号通達は,在外被爆者からの被爆者健康手帳の交付や各種手当
の支給に係る申請が増大することを予測した上で,そのことへの対策として,被爆
者健康手帳の交付を受けても出国すれば失権し,各種手当も受けられないとの解釈
を示し,これに従った行政実務の取扱いを徹底して,当事者である在外被爆者に対
して,被爆者健康手帳の交付等を受けることの意義が極めて限定されたものにとど
まることを認識させる意図のもとに発出されたものであると認めることができる。
      (ウ) しかしながら,402号通達が,被爆者健康手帳の交付を受
け,各種手当の受給権者であっても,日本から出国すれば失権するとしたのは,原
爆2法の解釈として誤りであり,その後に制定された被爆者援護法の解釈としても
認められないものである(甲229,234)。
         すなわち,被爆者法は,いずれも各法律にいう「被爆者」と
は,原子爆弾が投下された際,当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令で定
めるこれらに隣接する区域内にあった者等であって,被爆者健康手帳の交付を受け
たものをいうとしているだけであって,その適用対象者を日本国民に限るような国
籍要件等を全く定めていないのである。ただ,被爆者健康手帳の交付を受けるため
には,その居住地若しくは現在地の都道府県知事等に対して交付申請をすることを
要する旨定めていることから,被爆者健康手帳の交付を受ける手続上,日本国内に
居住若しくは現在することが必要となるものの,それはあくまでも被爆者健康手帳
の交付を受ける際に必要なのであって,被爆者健康手帳の交付を受けた後にも継続
して必要なこととはさ
れていないのであり,被爆者健康手帳の交付を受けた後に日本から出国した場合に
は失権することを定めたような規定も存在しない。また,被爆者法のような給付行
政に関する法律については,属地主義の原則に厳格に従うべき必然性はなく,給付
を受ける側の人的側面に着目して属人主義的に解することにも合理性があり,戦傷
病者戦没者遺族等援護法,戦傷病者特別援護法など明文規定なしに海外での適用を
認めている例もあり,被爆者法は社会保障と国家補償双方の性格を併有する特殊な
複合的な法律と解され,その人道的目的に照らしても,日本に居住も現在もしない
からといって当然に適用が否定されるとは解されないのである。被控訴人国は,被
爆者法は社会保障法であるとの見解に立っていたが,F1訴訟の第1,2審判決及
び最高裁判決により
,国家補償的配慮が制度の根底にある複合的性格であると判断されたことは既に述
べたとおりである。そして,立法過程においても,一旦「被爆者」たる地位を取得
した者が,その後,日本に居住も現在もしなくなることによりその地位を失うか否
かについては,明確に意識した質疑が行われておらず,この点の立法者意思は明ら
かでないというほかなく,しかも,日本に居住又は現在することを被爆者たる地位
の効力存続要件と定めることは立法技術上困難であったとは考えられないにもかか
わらず,あえてそのような規定は設けられていない。被爆者法の定める各種給付の
実施主体が都道府県知事等とされ,居住地を移したときにも都道府県知事等に届け
出ることとされているが,いずれも技術的な規定であって,出国による被爆者たる
地位の失権の根拠と
なり得るものではない。在外被爆者に対する給付の手続に関する規定が法律にない
としても,事務的,技術的事項であって不自然とまではいえない。医療給付等,
「被爆者」が日本国内に居住又は現在し続けなければ受けられない給付について,
国外にいるために受けられないことがあるとしても,それは「被爆者」側の事情に
よるものであり,それゆえに被爆者としての地位が認められないとするのは本末転
倒である。
         以上によれば,被爆者法の定めからは,被爆者健康手帳の交付
を受けて,被爆者たる地位を取得した者が,日本から出国することによりその地位
を失うという402号通達のような解釈を導き出すことはできないのであって,同
通達は,法律の解釈を誤り,その定めに反した違法な内容の通達であり,これに従
った行政実務の取扱いもまた違法といわざるを得ない。
      (エ) そして,402号通達の内容やそれが出された経緯等からすれ
ば,そこには在外被爆者からの被爆者健康手帳の交付や各種手当の支給に係る申請
の増加が予想されたことから,在外被爆者に対して,被爆者健康手帳の交付等を受
けることの意義が限定されたものにとどまることを認識させる意図があったものと
認められることは上記のとおりである。
         しかしながら,402号通達の上記のような解釈は,在外被爆
者に被爆者健康手帳の交付等を認めることの意義を失わせるに等しいものであるこ
とからすれば,このような矛盾した解釈,取扱いが失権についての明確な規定もな
しに許容され得るものかどうかについて当然に疑問を持つべきであった。また,こ
れと同時に,都道府県等の区域を越えて居住地を移した場合に失権するとしていた
従来の取扱いを改めていることに関しても,原爆2法自体にはそのような従来の取
扱いについての明確な規定はなく,したがって,法律上の根拠を欠いた取扱いであ
った疑いがあり,それを是正したものと解されるところでもある。さらに,F1訴
訟の第1審判決において,原爆医療法が通常の社会保障法とは異なる特異な立法で
あるとされ,その結
論からしても国家補償的性格を併有するものと解し得ることが,既に示されていた
という事情もあり,この判断は,原爆の被爆による健康被害の特異性,深刻さから
すれば,十分に首肯することのできるものであった。このような事情からすれば,
制度の性格が社会保障であるとの理解のもとに,従来から同様の解釈をしていたと
いうだけでは,その解釈に相当の根拠が存するということはできない。通達を作成
し発出するにあたっては,日本からの出国によって失権するという解釈や取扱いに
ついて,法律上の根拠があるといえるのかどうかを,原爆2法の趣旨,目的に則っ
て,類似する他の制度における取扱いの実際との比較等も含めて,十分に調査検討
する必要があったというべきである。そして,そうしていれば,402号通達が違
法であると解される
上記のような理由に照らしてみても,少なくともその違法であることを認識するこ
とは十分に可能であったものと認められる。
         しかるに,被控訴人国は402号通達の作成,発出の際の具体
的事情について明らかにしようとせず,本件の全証拠によっても,十分な調査検討
が行われたものと認めることはできない。それにもかかわらず,上記のような意図
のもとに,誤った法律解釈に基づいて402号通達を作成,発出し,これに従った
行政実務の取扱いを継続したことは,法律を忠実に解釈すべき職務上の基本的な義
務に違反した行為というべきである。本件全証拠からは,その違法なことを認識し
故意があったものとまでは認められないものの,402号通達の作成,発出に関わ
った担当者には少なくとも過失があったものと認められる。
     (オ)  被控訴人国は,公務員が通常尽くすべき注意義務を尽くしてい
れば,その結果が仮に違法と評価されても,国家賠償法1条1項の違法があったと
評価されるものではなく,法令の解釈について見解が分かれ,そのいずれにも一応
の論拠があると認められる場合に,その一方の解釈を採ったことが結果的に違法で
あったとしても,過失があったとはいえない旨主張している。しかしながら,被爆
者法における被爆者たる地位を取得していても,一旦日本から出国すればその地位
や権利を失うという解釈は,被控訴人国が自らそのような解釈を打ち出して運用し
てきたというにすぎないのであって,学説の見解や裁判例が分かれて対立している
ような場合と同様に考えることはできない。また,その解釈も,明文の根拠規定も
なしに,一旦,適法
,有効に取得された法律上の地位を,日本からの出国という事実のみをもって当然
かつ一方的に失わせるという,他の同種の制度では見られないものである上に,被
爆者にとっては重大な影響を及ぼすものであることを考慮すると,それが公務員と
しての職務上の注意義務に反しないものとは到底いえず,過失がないものというこ
ともできない。
         したがって,被控訴人国には,国家賠償法1条1項により,違
法な402号通達の作成,発出と,これに従った行政実務の運用の結果,控訴人ら
に生じた損害について賠償すべき義務があるものと認められる(なお,控訴人らは
いずれも韓国籍を有する者であるが,韓国の国家賠償法においてもわが国と同様の
国家賠償義務と相互保証主義が定められていることから,相互の保証があるものと
解するのが相当である。)。
    イ(ア)  402号通達が発出されてから,これが,前記F6訴訟の大阪
高裁判決を契機にして平成15年(2003年)3月に改められるまで,行政実務
が402号通達に従って運用されてきたことは既に認定したとおりである。
         前述したように,原爆の被爆による健康上の被害が他に例をみ
ない特異かつ深刻なものであって,一般の戦争被害とは違った特殊な被害というべ
きものであり,被爆者法はこのような被爆者の置かれている特別の健康状態に着目
してこれを救済するという人道的目的の立法であると解されることからは,この法
律を執行し,その目的とするところの実現を担う被控訴人国には,このような法律
の趣旨に則った適切な対応が求められているというべきである。しかるに,402
号通達及びこれに従った行政実務の運用は,これに反して,法律の解釈を誤り,被
爆者の救済という法律の目的に全くそぐわない,相反するものであったといわざる
を得ない。
         在外被爆者にとっては,来日して被爆者健康手帳の交付申請を
行い,その交付を受けて被爆者法における被爆者としての地位を取得すれば,被爆
者法に基づいて,健康診断とこれに基づいた指導,指定医療機関による診察や治
療,薬剤・治療材料の支給,療養看護等の必要な医療給付,指定医療機関以外で医
療を受けた場合の医療費の支給等のほか,その疾病等の内容や状態に応じて,必要
な認定を受ければ,医療特別手当,特別手当,健康管理手当,介護手当等の給付を
受けることができるのであるが,それも402号通達及びこれに基づく運用によれ
ば,ひとたび日本から出国して居住する国に帰れば,その地位を当然に失って各種
の給付を受けることもできないことになってしまうのである。そうであれば,わざ
わざ被爆者健康手帳を
取得してみても,日本に滞在し続けない以上,何らの救済も援助も受けられないこ
とになり,事実上,在外被爆者が在外被爆者である限りは被爆者法の適用を否定す
るに等しいものということができる。
     (イ)  402号通達は既に改められたものの,被爆者健康手帳の交付
申請や各種手当の支給認定のためには,現在でも,少なくとも来日することが必要
とされている。ただ,証拠(甲245の1・2,乙74)によれば,現在,在外被
爆者からの被爆者健康手帳の交付申請については,その負担を軽減するために,来
日する前の事前申請(仮申請)を認め,これに基づいて事前審査を行い,被爆者健
康手帳の交付が可能と判断された者について,来日して正式の申請を求めて交付す
るという方法がとられていることや,来日のための旅費の支給を内容とする手帳交
付渡日事業等が行われていることが認められるが,来日を要することが最大の負担
として残っていることは依然として否定できない。そして,前述したように,原則
として来日が可能な
者について来日を求めること自体は違法とまではいえないとしても,原爆被害の深
刻さ,その特殊性は在外被爆者についても同様であって,人道的見地からその救済
が強く望まれることからすれば,在外被爆者のこのような負担が早急に軽減される
ことが望まれるところである。
     (ウ)  控訴人らの中には,402号通達の出された後に被爆者健康手
帳の交付を受けた者,上記のように同通達及びその取扱いが改められた後に申請を
して既に交付を受けた者,現在仮申請中である者,申請も仮申請もしていない者
等,様々であるが,いずれの控訴人らも,前記のとおりの経過で徴用され,広島市
で原爆に被爆したことは明らかである。そして,被爆による健康被害に苦しみ,そ
の影響下での生活上の苦難を受け続けながら,一様に,被爆被害に対して,早期に
日本国内における内容と差別のない同等の救済を受けられることを強く求めている
ことや(甲223,228,237,238,245の1・2,246,弁論の全
趣旨),実際に,402号通達及びこれに従った行政実務の取扱いが続く中で,控
訴人らが本件訴訟を提
起し,また,402号通達による取扱いが改められた際に生存していた控訴人らの
ほぼ全員が,被爆者健康手帳の交付や健康管理手当の支給に係る申請手続を直ちに
行っていることからすれば,仮に402号通達がなければ,もっと早い時期にそれ
ぞれの申請手続を行っていたものと認めることができる。そして,その申請が認め
られるべきものであることは,既に述べたところから明らかである。
         しかるに,控訴人らは,原爆の被爆という被害を受けて以来,
被爆に対するいわれのない差別を受けながら,適切な医療も受けることができずに
募っていく健康や生活への不安,そのような境遇に追いやられ,在韓被爆者である
が故に何らの救済も受けられずに放置され続けていることへの怒りや無念さといっ
た様々な感情を抱いていたところ,F1訴訟等を契機に在韓被爆者にも被爆者健康
手帳が交付される途が開かれ,ようやく被爆者法による救済が期待できる兆しが感
じられた途端に本件の402号通達が発出され,以後これに従った行政実務が継続
して行われることによって,従前にも増して,一層の落胆と怒り,被差別感,不満
感を抱くこととなった。さらに,年月の経過と共に高齢化していくことによる焦燥
感も加わって,本件
訴訟を提起して在韓被爆者援護の必要性,相当性を訴えるとともに,402号通達
及びこれに従った行政実務の取扱いの違法性,不当性を主張するという具体的な行
動にまで出ざるを得なくなったものであり,控訴人らが,このような精神的損害と
いうに足りる多くの複雑で深刻な感情を抱かされてきたことが上記の各証拠及び弁
論の全趣旨によって認められる。
         本件の402号通達は,被爆者法の「被爆者」に対し法律によ
って認められる具体的な権利や利益に直接的なかかわりをもち,その影響は行政組
織内部にとどまらずに「被爆者」にも及び,「被爆者」としての具体的な権利や利
益を喪失させるものであって,行政実務においてもこれに従った取扱いが行われた
ことからすれば,通達が,本来は行政組織内部においてのみ法的拘束力を有するも
のであるとしても,402号通達及びこれに従った取扱いによって,「被爆者」な
いしその実質的要件を満たしている関係にある控訴人らの上記精神的損害が生じた
ことが否定されるものではない。
         また,被爆者法は,いうまでもなく広島,長崎で原爆を被爆し
て健康被害を受けた被爆者を対象とするものであって,広く一般の国民や外国人を
対象とするものではない。当然ながら,402号通達の対象も同様であり,その意
味では,この通達は,そのように限定された範囲の被爆者を対象として行われた一
種の処分にも匹敵する実質を有するものということもできるのである。さらに,被
爆者の救済という特殊な目的を有する制度,法律に関する事柄であることをも併せ
考慮すると,本件と他の通達の違法の問題一般とを同様に考えることはできない。
     (エ) そして,控訴人らの精神的損害については,被爆者健康手帳を
既に取得している者と,そうでない者との間で,本件402号通達により被ったで
あろう上記のような失望感,不満感,怒り,無念さ,被差別感,焦燥感等の感情に
差異はなく,また,この点は各控訴人ら相互の間においても同様であって,その精
神的損害の程度に違いはないものと認めるのが相当である。
       被控訴人国は被爆者健康手帳の交付を受けていない控訴人らに
ついては,402号通達は,来日してその交付を受けることを妨げるものではな
く,また,被爆者健康手帳の交付を受けている控訴人らも含めて,同通達によって
被爆者法の被爆者たる地位を喪失するとしても,それは法律に基づく各種の給付請
求権を失うことにほかならず,そのことと離れて独立に法的保護に値する精神的損
害があるとは考えられないなどと主張する。
       しかし,402号通達が在外被爆者の来日それ自体を直接に妨
げるものでないことは,その主張のとおりではあるが,前述のように,この通達自
体が,予想された在外被爆者からの被爆者健康手帳の交付申請等の増加への対策と
して発出されたものと認められる上に,そのために来日して被爆者健康手帳の交付
を受けることの意義が著しく損なわれ,実際に交付申請が大幅に増えることもなか
ったことからすれば,控訴人らを含む在韓被爆者の来日を妨げる効果があり,また
それは被控訴人国が意図していたところでもあったと認めるのが相当である。40
2号通達がなければ,困難な事情を乗り越えてでも来日して被爆者健康手帳の交付
を申請し,各種手当の支給に係る申請をしたであろうものが,402号通達のため
に,被爆者健康手帳
の交付や各種手当の支給認定を受けてもほとんど意味がないものとされ,その後,
年月の経過や高齢化により,来日することの負担が一層増大したということも十分
に考えられるのであって,その精神的損害が既に被爆者健康手帳の交付を受けてい
る場合よりも小さいということはできない。
       そして,被爆者法における被爆者たる地位が,突き詰めれば法
の定める各種の給付請求権に具体化されるものであることも被控訴人国の主張する
とおりであるが,そのような給付を受けることのできる地位そのものが誤った解釈
に基づく通達とこれに従った行政実務の取扱いによって否定されたこと,そして,
そのような状態が続く中で,これを正すために本件訴訟を提起してまでその違法を
主張せざるを得なかったことに伴う精神的損害は,通達及び行政実務の取扱いが改
められたからといって解消されるものではなく,その意味では給付請求権とは別個
独立に保護されるものというべきである。
       現在の,多様化した社会の中での生活においては,他者から内
心の静穏な感情を害されることがあっても,一定限度では甘受すべきものとは考え
られるものの,社会通念上その限度を超えると認められる場合には,人格的な利益
として法的に保護されるものと解すべきである。本件は,原爆の被爆という他に例
を見ない深刻な被害を受けた被爆者の救済に関して,被控訴人国の発出した通達が
法の解釈を誤ったものであったという特殊な事案に関するものであり,これにより
訴訟の提起にまで至った控訴人らが被った上記のような精神的損害の深刻さ,重大
性,特異性に照らせば,その受忍すべき限度を超えて法的な保護の対象となるもの
と認めるのが相当である。
     (オ) 現在,控訴人ら在外被爆者自身の叫びに加えて,多くの人々の
協力もあって,ようやく,在外被爆者の救済の必要性が認識され,少しずつではあ
るが,改善の兆しが見えてきているといえる。しかし,被爆者らの高齢化を考える
と,救済は急がれるのであって,早急に可能な限りの保護,援護が望まれるところ
であるが,このように救済が遅れてしまったことについても,結果として在外被爆
者を形式的に切り捨てることになったとも評価し得る本件402号通達の存在が大
きく影響しているといわなければならない。
     (カ) 以上の点に加えて,被爆者法による給付の内容や健康管理手当
の額,本件訴訟の提起に至る経緯や訴訟の経過,そして訴訟提起から402号通達
及び行政実務の取扱いが改められるまでの期間,その他本件において認められる諸
般の事情をも併せ考慮すると,控訴人らの上記精神的損害に対する慰謝料として
は,控訴人らそれぞれについて100万円が相当と認められる。そして,弁護士費
用としてはそれぞれ20万円が相当と認められる。
         なお,控訴人らは,従前,既に健康管理手当の支給認定を得て
いた控訴人らについては,402号通達によって日本からの出国を理由に失権した
として支給を受けられなかった期間の健康管理手当相当額の損害がある旨主張して
いる。しかし,上記のとおり402号通達が違法と解されるのであれば,それによ
る失権の処理は無効というべきであるから,支給認定を得ていた控訴人らには依然
として支給を求める権利が存するものと解されるのであって,損害が生じていると
いうことはできない。もっとも,控訴人らによれば,被控訴人国による時効消滅の
主張が予想され,未支給分の全額の支払を受けられるかは明らかでないというので
あるが,そうであるからといって,現時点で未支給分全額を控訴人らの損害と認め
ることはできず,ま
た具体的な不支給分を認定し得るものでもない。また,控訴人らは,未だ被爆者健
康手帳の交付を受けていない控訴人らや,被爆者健康手帳の交付は受けたものの健
康管理手当の支給認定を得ていない控訴人らについても,健康管理手当相当額の損
害があるとも主張するが,具体的に支給認定の申請をしていない場合にまで健康管
理手当相当額の損害が生じているものと認めることはできない。したがって,この
点の控訴人らの主張は認められない。
  (三) 立法不作為による損害賠償責任について
      控訴人らは,在韓被爆者に対する補償立法の必要性があり,国会がこ
れを怠っていることは違法であると主張する。
    国会議員は,立法に関しては,原則として,国民全体に対する関係で
政治的責任を負うにとどまり,個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負
うものではない。国会議員の立法行為は,立法の内容が憲法の一義的な文言に違反
しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき,容易に想定し
がたいような例外的な場合でない限り,国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法
の評価を受けないものである(最高裁判所昭和53年(オ)第1240号昭和60年
11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512頁)。
      本件のような戦争被害の一環としての原爆の被爆による被害につい
て,どのように援護若しくは補償し,救済を図るかといった事柄は,基本的には立
法府の裁量的判断に委ねられていると解されるものである。この点,控訴人らは,
帝国議会衆議院における決議の存在,日本国憲法前文,9条,13条,14条,1
7条,29条1項及び3項,40条並びにB規約26条の規定の解釈上,当然にそ
の主張のような内容の補償立法をする義務が国会にあると主張する。しかし,この
ような補償立法は,社会・経済・財政事情のほか,わが国の国民感情,補償措置を
講じた場合の諸々の社会的影響,日韓関係を含む外交上の問題等を考慮した上で行
われるべきもので,多分に政治的配慮を必要とするだけでなく,補償対象者の範
囲,補償事由,補償額及
び補償措置を講ずるための手続について立法技術上あるいは運用上複雑で困難な問
題を有しているのであって,控訴人ら主張の決議や規定のみを根拠として,一定内
容の補償立法をする義務が国会又は国会議員に課されていると認めることはできな
い。そうすると,控訴人ら主張のような在韓被爆者に対する補償立法を行うこと
が,憲法上必須の要請であるということはできず,一義的にそのような立法を行う
べき義務が定められているということもできない。控訴人らの主張は,立法府の裁
量的判断に属することを否定するものであって認められない。
    控訴人らは,らい予防法に関する立法不作為が問題とされた裁判例に
ついても言及しているが,本件とは事案の性質,内容を異にするものであって,同
様に考えることはできない。したがって,立法不作為を理由とする損害賠償責任に
関する控訴人らの主張は認められない。
  (四) 無効な供託による債権侵害の不法行為について
   (1) 控訴人らは,旧B株式会社による昭和23年(1948年)9月7日の
控訴人らの未払賃金等についての弁済供託は,供託要件を欠くなどして無効のもの
である上,これは控訴人ら朝鮮人徴用工からの未払金支払要求や補償要求を封じる
ことを目的として被控訴人国が旧B株式会社ら各企業を指導し,各企業がこれに荷
担,共謀して行われたもので,供託内容に照らしても最初から被供託者への払渡し
を予定しておらず,控訴人らの権利行使を積極的に妨害する債権侵害の不法行為で
あり,また,被控訴人国については,このような違法,無効な供託を受理した違法
行為もあるとして,損害賠償責任が存する旨主張している。
   (2) 証拠(甲222,227の1ないし10,233,239ないし24
1,243,丙13,19の1ないし4)及び弁論の全趣旨によれば,未払賃金等
の供託について,次の各事実が認められる。
   ア 終戦後まもなくから,徴用に応じた者を含め日本での労働に従事して
きた朝鮮人労働者やこれを支援するD1連盟により,朝鮮人労働者を使用していた
各企業に対する未払金の支払や補償の要求が各地で相次いで起こり,当事者間での
交渉では解決できずに都道府県などが仲介に入って交渉が進められるものや,激し
く対立して紛争となるものもあった。このような状況に対して,被控訴人国は,昭
和21年(1946年)6月21日付け厚生省事務次官通牒で,委任を受けた場合
を除きD1連盟には事業主との交渉権限はないとの見解を示し,次いで同年7月1
1日には,厚生省労政局給与課長名の書面で,各府県内務部長等に宛て,D1連盟
には法人格がなく団体として委任を受けて行為することはできない旨指摘した上,
朝鮮人労務者等に対
する未払金その他の処理については供託の方針で研究中であることを明らかにし
た。そして,同年9月には正式に供託によることを決定して,同年10月12日,
厚生省は「朝鮮人労務者に対する未払金その他に関する件」との通牒を出して,各
企業に対し未払金の供託を指導し,これを受けて,各企業は,債権者の居所不明等
を理由に未払金を供託することとなった。
    イ 旧B株式会社においても,昭和23年(1948年)9月7日,控訴
人らを含むC1製作所及びC2造船所の朝鮮人労働者1951名に対する未払賃金
及び国民貯金について,債権者の居所不明により交付することができないことを原
因として,未払金合計17万8479円66銭を当時の広島司法事務局に供託し
た。この供託手続では,債権者の氏名と金額は添付の内訳書に一覧表として記載さ
れていたが,氏名は創氏改名による日本名を,住所は本籍地の郡までしか記載され
ておらず,多くが解雇年月日不詳とされ,また被供託者らに対する供託通知も行わ
れなかった。
   (3) 控訴人らは,この弁済供託は供託原因を欠くものであると主張する
が,前掲の各証拠及び弁論の全趣旨によれば,当時は日本と韓国との間に国交がな
かったことなどから,控訴人らの権利行使が困難であったのと同様に,旧B株式会
社から韓国に居住する控訴人らを含む朝鮮人労働者に対する弁済の履行も,その居
所についての調査ができず,通信も容易でないなど,困難であったことが窺えるの
であって,債権者が弁済を受領することができない場合に該当するということがで
き,供託原因は存在するものと認めるのが相当である。
      もっとも,控訴人らを含む徴用工らは,被控訴人国による徴用の手続
を経て旧B株式会社のC1製作所及びC2造船所に配置されたのであるから,旧B
株式会社が徴用時の控訴人らの住所を把握していないことは考えられず,それにも
かかわらず,上記のとおり,その住所について,本籍として郡までしか記載しなか
ったことは,被供託者の特定の点で不十分というべきである。現に,そのために,
控訴人らは,被供託者本人であることが証明されていないなどとして,供託関係書
類の閲覧すらできなかったのであり(甲1,8,9,弁論の全趣旨),このことは
控訴人らが供託権利者として還付請求等を行う場合においても同様に障害となるこ
とを示すものであり,そうである以上は,この供託を有効として弁済の効果を認め
ることはできない。
また,少なくとも,旧B株式会社がそのような不十分な供託手続を行っている以上
は,被控訴人B1株式会社や同B2株式会社が供託の効果を主張することは信義則
上許されないというべきである。
      控訴人らは,そのほかにも,解雇日が不詳としながら未払賃金が供託
されていたり,国民貯金未払分も含めて,その金額が低額で,端数がなかったり,
各人間の金額の格差が大きかったりして不自然であること,控訴人ら被供託者に対
して供託通知書が送付されていないことを指摘している。供託金額については,当
時の状況からすれば,なかには不正確なものが含まれている可能性のあることは否
定できないものの,そのような債権額の算定の誤りの結果,債権の一部の供託とな
って供託が無効と解されることがあるのは別として,本件各証拠によっても,上記
供託における債権額の算定や内容が,明らかに本旨弁済と認めるに足りず,それに
より供託を無効とすべきものとまでは認めることができない。供託通知書の送付に
ついても,供託の有
効要件ではなく,この通知を怠ったことによって債権者に損害が生じた場合に,債
務者がその賠償義務を負うにとどまるものと解される。
   (4) 控訴人らは,被控訴人国が,上記のような供託を受理したことをもっ
て違法であると主張する。しかし,供託申請の受理に当たっては,供託書の適式
性,添付書類の存否等の手続的要件のほか,提出された供託書及び添付書類に基づ
いて判断する限りにおいて,供託原因の存否等の実体的要件についても審査すべき
ものと解されるものの(最高裁判所昭和56年(行ツ)第83号昭和59年11月2
6日第二小法廷判決・訟務月報31巻7号1585頁参照),それ以上に審査が及
ぶものではなく,本件についていえば,供託者が被供託者の正確な住所を知ってい
るか否かまで調査すべきものとは解されない。その他に,本件供託が上記理由で無
効と認められることに関連して被控訴人国が本件供託を受理したことをもって違法
とすべき事情の存在は認
められない。
   (5) 控訴人らは,上記の供託は,被控訴人国と旧B株式会社ら企業とが共
謀して,控訴人ら朝鮮人徴用工からの未払金支払要求や補償要求を封じることを目
的として,その権利行使を妨げるために行った違法な行為であると主張している。
      前記認定したところや,証拠(甲222,227の1ないし10,2
33,239ないし241,243,丙13,19の1ないし4)及び弁論の全趣
旨によれば,控訴人らの主張するように,朝鮮人労働者からの各企業に対する未払
金請求等の要求行動は,終戦後間もなくから始まっており,C4鉱業所やC3製鉄
所,C5製鉄所等をはじめとして,全国各地で朝鮮人労働者自身やD1連盟等の朝
鮮人団体と企業との交渉が重ねられていたこと,これに対して被控訴人国は,その
交渉がしばしば紛糾するなどの事情のあったことから,D1連盟の代理資格等交渉
における問題点を指摘して,昭和21年(1946年)9月には,未払金について
は供託をする旨の方針を示して各企業を指導したこと,各企業もこの指導に応じ
て,供託によって対応
するようになり,本件に関しても,旧B株式会社は昭和23年(1948年)9月
7日に上記のような供託を行っていることが認められる。しかし,旧B株式会社や
被控訴人B1株式会社,同B2株式会社が,供託を理由に責任を否定するような積
極的言動をとった事実を認め得る証拠はなく,昭和49年(1974年)8月にD
2援護協会の役員らが来日して被控訴人B1株式会社との間で交渉を始めて以降に
ついても同様である。
      これによれば,被控訴人国も各企業も,朝鮮人労働者等からの要求活
動への対応に苦慮していたことや,その対応策として供託による方法が考えられ,
実施されたことが認められるのであるが,供託原因が存在する以上は,供託は債務
者の権利でもあるのであって,それが朝鮮人労働者等からの要求行動への対応策で
あったとしても,その限りでは,それ故に供託が違法になり,不法行為と評価され
るものではない。本件における供託に供託原因の認められることは上記のとおりで
ある。もっとも,控訴人らの住所について不十分な記載をしているものではある
が,実際に,旧B株式会社や被控訴人B1株式会社らが,本件訴訟前の交渉等にお
いて,殊更,積極的に供託の事実をもって徴用工らからの要求に対抗したことが認
められないことからす
れば,被控訴人国や旧B株式会社において,あえて被供託者の供託権利者としての
権利行使ができないような供託をした上で,その要求行動に対しては供託による債
務消滅を対抗手段として用いる意図であったものとまでは認められない。
      したがって,旧B株式会社による供託が控訴人らの債権の行使を妨げ
る債権侵害の不法行為であるとする控訴人らの主張も認められない。
 5 被控訴人B1株式会社及び同B2株式会社に対する請求について
  (一)  国際法に基づく責任について
      国際法に基づく責任に関する控訴人らの主張に理由のないことは,被
控訴人国に対する請求についての判断において述べたとおりであり,同様の理由
で,旧B株式会社についての国際法違反を理由とする控訴人らの主張は認められな
い。
  (二)  不法行為に基づく損害賠償責任について
      被控訴人国の不法行為について検討したところ(前記4(一)(2)ア
(ア))と同様に,控訴人らの徴用に関しては,当時の法制下では徴用それ自体は当
然に違法とはいえないものの,その実行に当たって,国民徴用令等の定めを逸脱し
た違法な行為が行われたことが窺われ,旧B株式会社についても,この点で被控訴
人国と同じく不法行為が成立する余地があるものと認められる。
      控訴人らは,控訴人らが原爆に被爆した後,旧B株式会社が何らの救
護措置も講じることなく控訴人らを放置し,また,控訴人らを元の居住地に送還し
なかったことについても,旧B株式会社の不法行為である旨主張しているが,旧B
株式会社がこれらを怠ったとしても直ちに不法行為と認め得るものではなく,旧B
株式会社と控訴人らとの関係からすれば,後述するとおり,旧B株式会社の安全配
慮義務違反と考えるのが相当である。
  (三)  安全配慮義務違反による損害賠償責任について
    (1) 控訴人らは,控訴人らと旧B株式会社との間には通常の労働契約関
係は存しなかったものの,旧B株式会社は控訴人らをその監視下において,直接控
訴人らに労働を強いたものであるから,その実態に照らして事実上の労働関係があ
り,安全配慮義務が認められる特別の社会的接触の関係の存在が認められ,旧B株
式会社は控訴人らに対し,その生命,身体等を危険から保護すべき義務を負ってい
たところ,その不履行があった旨主張する。
       控訴人らと旧B株式会社との間の法律関係は,国民徴用令に基づく
徴用によって設定されたものであり,雇用契約等の契約関係が存在するものとは考
えられない。しかし,その実態は,前記認定したとおり,控訴人らは旧B株式会社
の各工場に配置され,旧B株式会社の設置管理する工場施設において生活し,旧B
株式会社の労務管理の中に組み込まれて,その指示の下でそれぞれの作業に従事
し,これに対し,旧B株式会社は控訴人らに賃金を支払っていたものである。この
事実からすれば,控訴人らと旧B株式会社との間には,雇用契約は存在しなかった
ものの,それに準ずる法律関係が存在し,信義則上,安全配慮義務が認められるよ
うな特別の社会的接触の関係があったものと認めるのが相当である。
     したがって,旧B株式会社は,この法律関係に基づく付随的義務と
して,控訴人らから労務の提供等を受けるに当たって,控訴人らの生命,身体等に
対する保護義務(安全配慮義務)を負っていたものと認められる。被控訴人B1株
式会社らは,明治憲法下の本件当時には安全配慮義務を負うことは考えられない旨
主張するが,この義務は憲法の規定内容にかかわらず,雇用契約等の契約関係やこ
れに準ずる法律関係に基づいて,特別な社会的接触の関係に入ったことを理由に信
義則上負担する法的義務と解されるのであるから,上記主張は理由がない。
    (2) そこで,旧B株式会社に控訴人らに対する上記義務違反が認められ
るか検討する。
       控訴人らは,旧B株式会社は十分な休息や食事を与えずに長時間過
酷な労働に控訴人らを従事させたこと,何らの訓練も教育もないまま控訴人らに危
険な業務を担当させ,実際に作業により負傷した者もいたこと,工場だけでなく寮
においても控訴人らを監視して拘束したこと,原爆が投下され控訴人らが被爆した
後も何らの救護措置も講じることなく放置し,元の居住地へ送還しようともしなか
ったことなどを挙げて,旧B株式会社には控訴人らに対する安全配慮義務違反があ
ると主張する。
       そして,旧B株式会社のC1製作所及びC2造船所における控訴人
らの生活及び就労等の状況については前記認定したとおりであり,現在と比較すれ
ば,貧弱で不十分な生活及び労働環境であったことが推察されるのであるが,戦争
遂行時でわが国の社会全体が物資が不足して食糧も十分にないという状況にあった
ことを前提に考えた場合,本件各証拠からは,その食事や生活環境が安全配慮義務
に反するといえるほどに劣悪であったものとまでは認めることができない。また,
労働時間についても,残業や夜間勤務が存在したものとしても,同様に安全配慮義
務違反といえるほどのものとは認められない。担当した作業の内容や,その危険性
についても,当時の状況に照らして一般的に安全配慮義務違反と認め得るような危
険な状態にあったも
のとまで認めるに足りる証拠はなく,作業中に負傷したという控訴人A14(控訴
人番号14),控訴人A37(控訴人番号37)等についても,その負傷の状況等
が必ずしも明らかではなく,事故や負傷の原因が旧B株式会社の安全配慮義務違反
にあると具体的に認めることはできない。控訴人らを監視していたという点につい
ても,その状況を具体的に判断するに足りる的確な証拠はなく,それが監禁とか拘
束に該当するものであることまでは認められない。
       しかしながら,原爆が投下された後に,旧B株式会社が控訴人らの
救護や保護のための何らの措置も講じず,そればかりか食事等も与えることなく控
訴人らを放置していたこと,また,その後,工場の操業が不可能となり,昭和20
年(1945年)8月15日には戦争も終わり,徴用を継続する必要はなくなった
にもかかわらず,一部を除いて,控訴人らを送還したり,控訴人らが自ら帰還する
のに協力することもなかったことは,前記認定したとおりであり,控訴人らが朝鮮
から徴用されて旧B株式会社の上記各工場に配置され,施設内の寮での生活を義務
付けられながら,作業に従事してきたという事実を考えると,少なくとも,これら
の点は旧B株式会社の控訴人らに対する安全配慮義務違反であるというべきであ
る。したがって,旧B
株式会社は,これにより控訴人らが被った損害について賠償すべき責任を負うもの
と認められる。
  (四)  未払賃金等の請求について
      控訴人らは,昭和20年(1945年)7月分(同年6月21日から
同年7月20日まで),8月分(同年7月21日から同年8月20日まで)及び9
月分(同年8月21日から同月31日まで)の賃金の未払分,旧B株式会社が控訴
人らに対し賃金の半額を朝鮮の家族に送金する旨説明しながら履行していない未払
分,さらに,社内預金と称して控訴人らの賃金から差し引いて積み立てていた国民
貯金相当額の金員について,旧B株式会社には,物価水準の変動に照らしてその名
目額の200倍の金員を支払うべき義務があり,控訴人ら各自についての金額は原
判決添付の別紙二の賃金請求金額一覧表記載のとおりとなる旨主張する。
        そして,既に述べてきたところによれば,旧B株式会社には,控
訴人らの家族に送金する旨説明しながら履行していない分を含めて,控訴人らに対
する相当額の未払賃金及び預貯金として積み立てていた金員を支払うべき義務のあ
ることが窺われるのではあるが,各控訴人についてそれらの具体的金額がいくらに
なるのかについては,本件全証拠をもってしても判断することができない。
      なお,被控訴人B1株式会社及び同B2株式会社は,本件訴訟におい
ては,旧B株式会社が昭和23年(1948年)9月7日に,控訴人らに対する未
払賃金等について,広島司法事務局に供託したことにより,控訴人らの賃金債権等
は消滅していると主張する。しかしながら,その供託をもって有効な弁済供託と認
められないことは前述したとおりである。
  (五)  無効供託による債権侵害の不法行為について
      控訴人らは,旧B株式会社による控訴人らに対する未払賃金等につい
ての弁済供託が債権侵害の不法行為であるとも主張するが,前記4(四)で被控訴人
国について述べたのと同様の理由により認められない。
  (六)(1) 以上によれば,旧B株式会社との関係において,控訴人らには,上
記のとおり,本件徴用に伴う不法行為による損害賠償請求権の認められる余地があ
り,また安全配慮義務違反の債務不履行による損害賠償請求権及び未払賃金等の支
払請求権の存することが認められる。
       しかしながら,不法行為による損害賠償請求権については,被控訴
人国について前記4(一)(3)で述べたのと同様に,既に20年の除斥期間の経過によ
り消滅しているものと認められ,その余の請求権について,被控訴人B1株式会社
及び同B2株式会社は,消滅時効の完成と日韓請求権協定及び財産権措置法による
消滅を主張している。
    (2) 控訴人らの主張する安全配慮義務違反の債務不履行による損害賠償請
求権及び未払賃金等の支払請求権は,いずれも遅くとも昭和20年(1945年)
9月よりも以前に発生した債権であり,終戦後の日本と韓国との間の特殊な外交関
係からその権利行使が法的にも極めて困難であった時期があったものの,日韓条約
が締結され,国交が回復した昭和40年(1965年)以降は権利行使は可能であ
ったものと考えられる。また,前記のとおり,D2援護協会の役員が来日して,昭
和47年(1972年)8月には日本政府に対して被爆被害について補償の要求を
し,昭和49年(1974年)8月には,被控訴人B1株式会社との間で直接に交
渉の機会をもった事実が認められるが,少なくともこの時期には権利行使は可能に
なっていたものとい
うべきである。控訴人らは,その交渉の際に被控訴人B1株式会社が支払義務を否
定しなかったことや韓国における政治的,社会的状況などの諸事情を挙げて,本件
訴訟の提起時点までは法的な権利行使は現実には期待できなかった旨主張するが,
上記交渉における前記認定したような被控訴人B1株式会社の回答をもって,法的
な意味において控訴人ら主張のように支払義務を否定しなかったものということは
できず,他にこれを認めるに足りる証拠はなく,その余の控訴人ら主張の事情につ
いても,それにより権利行使が可能でなかったとは認められない。また,控訴人ら
の権利の性質からも,その行使が現実に期待できなかったものとは認められない。
控訴人らは,被控訴人B2株式会社が旧B株式会社を承継していることについて
は,平成9年(199
7年)12月2日に言い渡された長崎地方裁判所の判決によって初めて知ったとも
主張するが,被控訴人B2株式会社は,昭和32年3月25日に設立され,同年1
0月31日に当時のB株式会社を合併して,その旨の登記をしているのであって
(丙6,弁論の全趣旨),被控訴人B2株式会社の存在を知り得なかったものとは
認められず,この点の主張も上記判断を妨げるものではない。
       以上によれば,控訴人らの上記各請求権は,その権利行使が可能に
なったと認められる時から長くても10年の期間の経過によって消滅時効が完成す
るところ,控訴人らが被控訴人B1株式会社に対して本件訴訟を提起したのはその
経過後の平成7年(1995年)12月11日,被控訴人B2株式会社に対しては
平成10年(1998年)5月7日であり,被控訴人B1株式会社及び同B2株式
会社が原審において消滅時効を援用したことは本件記録上明らかであるので,上記
各請求権はいずれも既に時効により消滅したものと認められる。
    (3) 控訴人らは,被控訴人B1株式会社らによる消滅時効の援用は信義
則に反し,権利の濫用であると主張する。
       債権者が時効期間経過前に権利を行使せず,あるいは時効中断の行
為をしなかったことについて,時効の援用権者である債務者が債権者の権利行使や
時効中断行為を妨げる行為に出た場合や,妨害とまではいえなくても権利行使等の
できなかった原因が債務者の行為等に基づくものであって,消滅時効の援用を認め
て債権を消滅させることが著しく正義・公平に反すると認められるような特段の事
情のある場合には,債務者による消滅時効の援用は権利の濫用として許されないも
のと解するのが相当である。
       そこで検討するに,控訴人らは,強制連行,強制労働そして原爆被
爆後の放置の違法性が重大で,被害も甚大で救済の必要性の高いこと,日本と韓国
の外交問題や韓国国内の政治的,社会的諸事情等の外的事情による権利行使の不能
と被控訴人B1株式会社による補償に対する信頼作出の行為などを挙げるのである
が,債権発生の原因となる債務者の行為の違法性や債権者の被った被害が重大で,
救済の必要性が高度であるという事情だけで消滅時効の援用を権利濫用とすること
は,違法性や被害の程度が重大な場合に時効制度の適用を一般的に否定することを
認めることとなって相当でない。また,本件は,徴用や原爆被爆という特殊で深刻
な被害が生じている事案ではあるものの,旧B株式会社との関係において控訴人ら
に認められる上記の
各請求権の発生に関しては,原爆投下後の混乱を考慮すると,その違法性が著しい
とまでは認められない。そして,外的な事情により権利行使が不能であったとする
が,前記のとおり権利行使が可能になったと判断される昭和40年(1965年)
の日韓の国交回復後,あるいは,昭和49年(1974年)のD2援護協会役員に
よる被控訴人B1株式会社との交渉の後において,控訴人らの権利行使を不能とす
るような外的な事情があったと認めることはできず,また,それが外的事情といわ
れるものである以上は,被控訴人B1株式会社らにその原因があるものとも解され
ない。被控訴人B1株式会社による補償への信頼作出行為に関する主張について
も,本件の全証拠によっても被控訴人B1株式会社にそのような行為があったもの
とは認められず,ほか
に被控訴人B1株式会社や同B2株式会社が控訴人らによる権利行使や時効中断の
ための行為を妨げたり,困難ならしめたといえるような事情も認められないのであ
って,上記の違法性や被害の重大性,救済の高度の必要性といった事情を正義・公
平についての判断の要素として勘案してみても,本件において,控訴人らの上記各
請求権についての被控訴人B1株式会社及び同B2株式会社による消滅時効の援用
を権利の濫用とすべき特段の事情が存するものとは認められない。したがって,控
訴人らの上記主張は理由がない。
   (4)  控訴人らは,強制連行,強制労働に基づいて生じた控訴人らの請求
権は消滅時効にかからせるべきではないとする条理があり,旧B株式会社が控訴人
らに対する供託まで行っていることから,被控訴人B1株式会社及び同B2株式会
社による時効の援用は禁反言の原則に反するとも主張するが,そのような条理が存
在するものとは認めるに足らず,また,旧B株式会社が未払賃金等について弁済供
託を行っているからといって,被控訴人B1株式会社や同B2株式会社が消滅時効
を援用することが妨げられるものではなく,禁反言に反するとも認められない。
   (5) さらに,控訴人らの被控訴人国に対する請求権に関して前記4
(一)(4)で述べたところからすれば,控訴人らに認められる旧B株式会社との関係に
おける上記の各請求権についても,同様に,日韓請求権協定の署名の日以前に生じ
た事由に基づくもので,法律上の根拠に基づいて財産的価値の認められる実体的権
利であって,日韓請求権協定2条3にいう「財産,権利及び利益」に該当するもの
と解すべきであり,同協定及び財産権措置法1条により昭和40年(1965年)
6月22日をもって消滅したものと認められる。したがって,この点からも,控訴
人らの被控訴人B1株式会社及び同B2株式会社に対する上記の各請求権は既に消
滅していることとなる。そして,財産権措置法が憲法に違反するものでないこと
も,既に述べたとおりである。
 6  結論
    以上によれば,控訴人らの本件各請求は,甲事件控訴人ら及び乙事件控訴
人らが,被控訴人国に対して,違法な402号通達の発出等に伴う精神的損害につ
いての慰謝料及び弁護士費用として,同控訴人らそれぞれに120万円及びこれに
対する訴状送達の日の翌日(甲事件控訴人らについては平成8年1月17日,乙事
件控訴人らについては同年10月1日)から各支払済みまで年5分の割合による遅
延損害金の支払を求める限度で理由があるが,同控訴人らの被控訴人国に対するそ
の余の各請求,同控訴人らの被控訴人B1株式会社に対する各請求及び丙事件控訴
人らの被控訴人B2株式会社に対する各請求はいずれも理由がない。原判決が,被
控訴人B1株式会社及び同B2株式会社に対する各請求をいずれも棄却したのは結
論において相当であ
る。したがって,原判決中,甲事件控訴人ら及び乙事件控訴人らと被控訴人国に関
する部分を上記のとおり変更し,甲事件控訴人ら及び乙事件控訴人らの被控訴人B
1株式会社に対する本件各控訴,丙事件控訴人らの被控訴人B2株式会社に対する
本件各控訴をいずれも棄却することとする。なお,被控訴人国との関係での仮執行
宣言については相当でないので,これを付さない。
   よって,主文のとおり判決する。
広島高等裁判所第3部
  裁判長裁判官          西   島   幸   夫      
                    
                                     
                 
                                     
                       
     裁判官          齋   藤   憲   次
     裁判官          永   谷   幸   恵

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