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裁判例


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       主   文
特許庁が、昭和62年審判第8790号事件について、平成3年12月26日にし
た審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
       事   実
第1 当事者が求めた判決
1 原告
主文同旨
2 被告
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
 原告は、名称を「止血用メタルクリップ」とする特許第1052401号特許権
の特許権者である。
 本件特許権は、当初、A外2名(以下「本件原特許権者」という。)が共有して
いたが、原告が、昭和61年9月25日、これを譲り受け、同年12月22日に移
転登録を経て、特許権者となった。
 被告は、弁理士Bを代理人とし、昭和62年5月14日、原告を被請求人とし
て、本件特許権につき特許無効の審判を請求し、同請求は、特許庁昭和62年審判
第8790号事件として係属した。
 被請求人である原告は、同事件の答弁書において、後記3(1)の事由を挙げ
て、B弁理士が被告の代理人となって本件無効審判の請求をすることは、弁理士法
8条1号に実質的に該当し許されないところであるから、同請求は、適法に代理人
となる資格を有しない者による審判請求であり、特許法13条2項、4項に基づい
て審判請求手続を無効とし、若しくは、同条1項1号及び135条に基づいて審判
請求を却下すべきである、と主張し、同弁理士の違法行為に異議を述べ、終始、審
判請求の効力について争った。しかるに、特許庁は、平成3年12月26日、上記
被請求人(原告)の主張に対し、次項に記載するとおりの判断(以下、この判断を
「審決の本案前の判断」という。)を示したうえ、「特許第1052401号発明
の特許を無効とする。」との審決をし、その謄本は、平成4年2月10日、原告に
送達された。
2 審決の本案前の判断
 審決は、被請求人(原告)の上記主張に対し、「本件審判請求人代理人は、弁理
士たる資格を有するものであること明らかであって、その手続能力に疑いはないか
ら、
本件無効審判請求は無効若しくは却下すべきものであるとの被請求人の主張は採用
できない。」と判示した。
3 審決を取り消すべき事由
 審決の本案前の判断は、以下に述べるとおり明らかに違法であるから、本件特許
を無効とした審決の判断について論ずるまでもなく、審決は、違法として取り消さ
れなければならない。
(1) B弁理士が被告(請求人)の代理人として、本件特許の無効審判を請求す
る行為は、弁理士法8条1号に違反する。その理由は、次のとおりである。
① 本件原特許権者は、昭和58年11月29日、被告補助参加人国際交易株式会
社(以下、「国際交易」と略称する。)に対し、本件特許権につき通常実施権を許
諾した。この際、B弁理士は、弁理士としての職務上、これに関与し、上記許諾に
ついての契約書を作成した。
② 昭和60年秋ころ、訴外株式会社東機貿の販売するメタルクリップが本件特許
発明の技術的範囲に属し、同訴外会社の販売行為が本件特許権を侵害しているので
はないかが問題となった。この事件に関し、B弁理士は、本件原特許権利者からの
委任を受け、その代理人であることを明示して、昭和60年10月4日付けの警告
書(表題は「申し入れ書」とされている。)を同訴外会社に差し出し、同訴外会社
からの昭和60年12月12日付け回答書を受領するなどした。
 すなわち、B弁理士は、特許侵害事件につき本件特許権者の代理人として本件特
許権が有効であることを前提に行動した。
③ ちなみに、本件審判事件において、本件特許の無効を主張する被告が援用した
公知文献「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル」1974年6月1日号47
8頁ないし481頁所載の論文は、元来、B弁理士が②の事件の過程において、上
記訴外会社の指摘によって職務上知り得た資料である。弁理士を業とする者が職務
上知り得たこのような資料を利用して無効審判の請求をすることは、とりもなおさ
ず職務上知得し他人の秘密を漏泄及び窃用することにほかならないから、それ自
体、弁理士法22条に該当する犯罪であり、許されないことといわざるをえない。
(2) このように、B弁理士は、
本件特許権が有効であることを前提に、その行使及び擁護を目的とする行為を弁理
士の職務として行ったのであり、その中には、本件特許権者の代理人としてのもの
も含まれている。
 B弁理士は、このような行為を行っておきながら、今度は一転してこれを攻撃す
る側に廻り、被告の代理人として、本件特許権者(原告)を相手とし、本件特許を
無効にする審判を請求したのである。
 同弁理士のこのような行為は、背信性の極めて強いものであり、「相手方ノ代理
人トシテ取扱ヒタル事件」につきその業務を行うことを禁止した弁理士法8条1号
に該当するという以外にない。
(3) B弁理士が本件特許権の行使及び擁護を目的とする行為をしていた時期と
同弁理士がこれに対する攻撃を目的とする本件審判事件の代理人としての行為をし
た時期との間に、本件特許権者に変更が生じたという事情はある。
 しかし、このような事情の存在は、B弁理士の上記行為の背信性を弱めるもので
はなく、同行為の上記法条該当性は、これによって何らの影響も受けるものではな
い。工業所有権に関する専門職として公的な資格を与えられている弁理士としての
地位にある者が、同一の特許権について、あるときは権利行使及び権利擁護の側に
立ち、あるときは一転権利否定の側に加担するということ自体のなかに、背信性の
根拠があるというべきであり、そうだとすれば、具体的な特許権者が誰であるか
は、この問題につき、特別の意味を持たないといってよいからである。
(4) 以上に述べたところは、弁理士法14条に基づき規定された弁理士会則2
6条及び更にそれを承けて制定されている弁理士倫理規定(昭和58年9月29日
制定。名称は、「弁理士倫理」とされている。)21条にそれぞれ次のように定め
られていることからも、明らかというべきである。
弁理士会則26条
「会員ハ出願人又ハ権利者ノ代理人トシテ取扱ヒタル権利ヲ攻撃スル者ノ代理人ト
為リソノ他如何ナル方法ヲ以テスルヲ問ハズ弁理士法第八条ノ精神ニ悖戻スル行為
ヲ為スコトヲ得ズ」
弁理士倫理規定21条
「弁理士は出願人又は権利者の代理人として取り扱った権利を撃する者の代理人と
なり、その他これに類する行為をしてはならない。」
(5) 付言するに、原告は、本件特許権を譲り受けた際、本件原特許権者に対
し、多額の対価(500万円)を支払っている。ある財産権を有償で譲渡した者は
その後になって当該財産権を否定したり毀損したりしてはならないということは信
義則上当然の義務というべきであるから、本件原特許権者は本件特許を否定したり
毀損したりすることを避けるべき義務を負っている。そして、この義務が、本件特
許権につきかつて譲渡人である本件原特許権者の代理人として行動した者にも同じ
ように課せられるべきであることは、委任契約に基づく信頼関係から見て自明の理
というべきである。B弁理士による前記無効審判の請求は、この義務にも反してい
るのであり、この点からもその効力は否定されるべきである。
(6) 以上のとおり、B弁理士が被告(請求人)の代理人として、本件特許の無
効審判を請求した行為は、弁理士法8条1号に違反し、かつ、被請求人である原告
は、同事件において、答弁書を提出した段階以来一貫して、これに対し異議を述べ
続け、審判請求の効力について争った。
 このような場合には、B弁理士による上記請求は無効と解する以外になく(昭和
38年10月30日最高裁判所大法廷判決・最高裁判所民事判例集17巻9号12
66頁、昭和44年2月13日最高裁判所第一小法廷判決・最高裁判所民事判例集
23巻2号328頁参照)、審決は、本件無効審判の請求を不適法な請求として却
下すべきであった。ところが、審決は、そうしないで実体に立ち入って判断し、本
件特許権を無効とした。
 したがって、本件審決は、違法として取り消されるべきである。
第3 請求の原因に対する認否、反論
1 認否
請求の原因1、2の事実は認める。
 同3(1)の①、②の事実は認める。③の事実は否認する。
 同3(2)ないし(6)の主張は争う。ただし、弁理士会則及び弁理士倫理規定
に原告主張の定めがあることは認める。
2 反論
 B弁理士には、
弁理士法8条1号に違反する行為はない。
 同弁理士は、昭和58年に国際交易が本件特許権につき本件原特許権者から実施
の許諾を受けることになって以来、国際交易の依頼のみを受けて、その職務を行っ
てきたのであって、この事実は、同弁理士が、現在まで本件原特許権者と全く面識
を有していないことからも明らかである。
(1) 本件原特許権者が国際交易に対し通常実施権を許諾した際、B弁理士がこ
れに関与したのは、もっぱら国際交易の依頼に基づくものであり、その関与の程度
は、国際交易に契約条項のひな型を提供しただけにすぎない。
(2) B弁理士は、訴外会社東機貿に対する本件原特許権者の申入れ書(警告
書)に代理人として記名押印したが、この申入れ書は、本件特許の実施権者である
国際交易が同訴外会社の侵害を排除するため、同弁理士に依頼して作成させ、発送
させたものである。この文書を同訴外会社に宛て発送することについての本件原特
許権者の了解も、国際交易が得てきたものである。
 このような経緯に徴すれば、上記申入れ書は、特許権の侵害に対する警告書は特
許権者名でなければできないことから、本件原特許権者の名義が借用されたものに
外ならない。
(3) 原告は、B弁理士が同訴外会社からの回答書で職務上知り得た公知資料
を、被告(請求人)が本件審判事件で無効の理由に援用したことをもって、職務上
知得した他人の秘密の漏泄又は窃用となる旨主張しているが、そのような事実はな
い。しかも、本件審決は、この資料を本件特許を無効とする判断資料として用いて
いない。
(4) なお、付言すると、被告は、国際交易の下請けとして本件特許発明を実施
した止血用メタルクリップの製造に従事していたところ、国際交易と原告との間
で、国際交易が本件特許の実施権を有するか否かをめぐって紛争が発生したことか
ら、製造業者としての自己の立場を守るため、本件無効審判の請求をなすに至った
ものである。
第3 抗弁(瑕疵の治癒)
 原告は、本件におけるのと同一の理由に基づいて、昭和62年9月21日付けの
答弁書で本件無効審判の請求の無効を主張し、さらに、
昭和62年10月2日、B弁理士の懲戒を弁理士会に申し立てた。そこで、同弁理
士は、答弁書が請求人に発送されるに先立ち、昭和62年10月12日に代理人を
辞任し、同月22日、新たにC弁理士が請求人代理人に選任され、以後の手続きは
同弁理士によって進められた。
 したがって、仮に本件無効審判の請求の当初に手続上代理人の選任につき瑕疵が
あったとしても、その瑕疵は、本件審決を無効とするに足るほどの重大な瑕疵では
ないのみならず、B代理人が直ちに請求人代理人を辞任し、新たに代理人が選任さ
れたことにより、治癒されたものというべきである。
第4 抗弁に対する認否
 B弁理士の辞任及び新たな弁理士の選任の事実関係は認める。
 しかし、瑕疵が治癒されたとの主張は争う。上記瑕疵は、請求代理人であるB弁
理士の本件無効審判の請求行為自体が弁理士法8条1号(弁理士会則26条及び弁
理士倫理規定21条)の禁止規定に明白に違反するというものであり、上記禁止規
定の趣旨が、本人と代理人との単なる個人的な関係を規律することにあるのではな
く、公益を図り、社会的秩序の維持を全うするため、所定の行為を弁理士が行うこ
とを厳しく禁止することにある以上、上記事実によってこの瑕疵が治癒されると解
する余地はない。
第5 証拠(省略)
       理   由
1 請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(審決の本案前の判断)の
事実は当事者間に争いがない。
 また、同3(1)の①、②のB弁理士の一連の行為に関する事実、弁理士会則及
び「弁理士倫理」に原告主張の定めがあることは、当事者間に争いがない。
 上記事実によれば、B弁理士は、弁理士としての職務上、昭和60年10月、本
件原特許権者と訴外株式会社東機貿間の本件特許権についての特許侵害事件につ
き、特許権者の代理人として、本件特許権を擁護する立場に立って行動したが、昭
和六二年五月、被告の代理人として、本件特許の無効審判を請求し、本件特許権を
攻撃する立場に立って行動したこと、この間の昭和61年12月、本件特許権は、
本件原特許権者から原告に譲渡されたことが明らかである。
2 以上の事実関係を前提に、B弁理士が本件特許の無効審判を請求した行為が、
弁理士法8条1号に違反するものであるかどうかについて判断する。
 わが国の現行制度の下において、工業所有権に関する専門職として公的な資格を
認められている弁理士は、弁理士会が昭和53年9月29日に制定した倫理規定で
ある「弁理士倫理」の前文に宣言されているとおり、「産業上の創意、創作を育
成、擁護し、工業所有権制度の健全な運用と発達に寄与し、もって社会の進歩、発
展に貢献する」(成立に争いのない甲第7号証)使命を有するものである。そし
て、特許権を初めとするいわゆる工業所有権は、特許庁の審査手続を経て設定登録
されることによってのみ発生するものであり、また、発生した工業所有権に無効原
因があるときは、特許庁における無効審判手続を経て、これを無効とする旨の審決
が確定することによってのみ無効となるものであり、弁理士は、弁理士法一条に規
定される業務を行うことを通じ、この工業所有権の帰趨に深く関与するものである
ことは明らかである。
 このような立場にある弁理士が、同一の特許権について、あるときは、その権利
の行使又は権利の擁護に回り、あるときは一転して、その権利の無効を主張しその
権利を攻撃するような行為に及ぶときは、当事者のみならず、広く世人をして、弁
理士一般に対する信用を失墜させるおそれがあるばかりでなく、特許権を初めとす
る工業所有権の法的安定性に疑念を抱かせ、その権利の社会的価値を毀損し、ひい
ては、工業所有権制度の健全な運営と発展を阻害するに至るおそれがあるといわな
ければならない。
 弁理士がその自治規範として制定した弁理士会則26条が前示当事者間に争いが
ない内容の規定を定め、「出願人又ハ権利者ノ代理人トシテ取扱ヒタル権利ヲ攻撃
スル者ノ代理人ト為」る行為を特に取り上げて、「弁理士法第八条ノ精神ニ悖戻ス
ル行為」を唯一例示する行為として挙げ、また、前掲甲第7号証によれば、「弁理
士倫理」21条が、弁理士として禁止されるべき行為として、
上記行為を「相手方の代理人として取り扱った事件を受任」する行為と並立させて
規定していることが認められる。このことからすれば、権利が同一のものである限
り、その権利が譲渡その他の原因により移転し権利者が変わったとしても、上記行
為は、弁理士一般の信用を失墜させ、工業所有権制度の健全な運営、発達を阻害す
るに至る重大な職業倫理違反行為と認識され、このような行為を弁理士の業務とし
て行うことを固く禁止する法規範が弁理士法の下で確立しているものということが
できる。
 以上の考察に従えば、弁理士法8条1号の規定は、上記行為を含めた意味におい
て規定されているものと解釈するのが相当である。したがって、前叙事実関係の下
で、B弁理士が被告の代理人として、本件特許の無効審判を請求した行為は、同規
定に違反する行為といわなければならない。
3 前示当事者間に争いのない事実によれば、本件審判事件において、被請求人で
ある原告は、答弁書でB弁理士の上記違法行為に対し異議を述べ、終始、本件審判
請求の効力について争っていたことが明らかであるから、本件無効審判の請求は無
効であるといわなければならない。
 被告は、抗弁として瑕疵の治癒をいうが、採用できない。本件無効審判の請求の
瑕疵の性質が先に述べたようなものであり、被請求人(原告)が異議を述べ続けて
いた以上、B弁理士の辞任及び新たに選任された代理人による手続きの続行があっ
たからといって、これによって瑕疵が治癒されることはないと解すべきであるから
である。
4 以上のとおりであるから、本件無効審判の請求を有効とした審決の本案前の判
断は誤りであり、したがって、審決は、その余の点を判断するまでもなく、違法と
して取消しを免れない。
 よって、原告の本訴請求を正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき
行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 牧野利秋 山下和明 三代川俊一郎)

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