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平成一四年一二月一八日宣告裁判所書記官
平成一一年刑(わ)第二七三一号、第三一七七号、第三五七五号、平成一二年刑(わ)
第六〇六号、合(わ)第四八一号
暴力行為等処罰に関する法律違反、恐喝、恐喝未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反
被告事件
主文
被告人を懲役一五年に処する。
未決勾留日数中六六〇日をその刑に算入する。
理由
(罪となるべき事実)
 被告人は、A寺住職Bらに対する街頭宣伝活動等を行っていた政治団体C党の最
高顧問であったが、
第一 C党党首Dと共謀の上、平成一一年四月一日午後四時一二分ころ、東京都世
田谷区のA寺墓地内において、同寺の警備員E(当時三二歳)に対し、被告人が右
Eの後方から右腕を同人の首に巻き付けて締め上げるなどの暴行を加え、右Dが右
Eの所持していたビデオカメラを取り上げ、右ビデオカメラ内からビデオテープを
抜き取るなどし、さらに右ビデオテープの返還を求めようとした右Eに対し、被告
人が「殺すぞ。」などと語気鋭く申し向け、右Eの生命・身体等に危害を加えかね
ない気勢を示して脅迫し、その旨同人を畏怖させ、よって、同人から右ビデオテー
プ一巻(時価八〇〇円相当)を喝取し、
第二 C党員であった分離前の相被告人Fとともに、平成一一年九月五日午前一〇
時四五分ころ、東京都世田谷区のA寺境内のB住職方西側外壁付近において、同寺
境内を警戒中の警備員G(当時四一歳)に対し、被告人が右Gに近づき、至近距離
で同人をにらむようにしながら、「てめえ殺してやる。」と語気鋭く申し向けるな
どし、右Fが右Gに体当たりする気勢を示しながら同人に近づき、至近距離で同人
をにらみ付けるなどし、こもごも同人の生命、身体等に危害を加えかねない気勢を
示して脅迫し、もって、数人共同して脅迫し、
第三 被告人が同乗していた普通乗用自動車とH(当時五五歳)運転の普通乗用自
動車とが接触した交通事故に関し、右Hに因縁を付け、同人から迷惑料名目で金員
を喝取しようと企て、
一 平成一一年九月一六日午後一時ころ、東京都世田谷区の喫茶店Z店内にお
いて、右Hの代理人である弁護士Iに対し、「俺のほうとしては一人五〇、それな
りに忙しい人間が乗っていて、一人五〇万掛ける四人で二〇〇ぐらいは考えてい
た。そちらのほうから二〇という金額が出ると思っていなかった。ただ、先生の顔
を立てて取りあえず一〇〇、内容としては二〇万の四人分、それに上乗せ二〇万と
いう形で一〇〇という線であれば構わない。」「とにかく明日までに連絡をよこ
せ。連絡をよこさなければ直接会いに行く。うちの若い衆を毎日交代で行かせる。
我々の場合には名前がこういう形だから一般人の方は名前だけで驚く、恐怖を感じ
るということもあるけれども、我々のほうがちょっと動くとすぐに警察に目をつけ
られる。だから警察に捕まるような形はやらない。ただ、こういう時期だからまあ
若いもんが会いに行ってどうなるかは俺は知らない。」「本人のほうには、あの人
も社会的に地位がある人だろうから金が大事なのか命が大事なのかよく伝えておい
てくれ。」旨などと語気鋭く申し向け、同日午後五時ころ、東京都千代田区のJ法
律事務所において、右Iをして右Hにその旨伝えさせて金員の交付を要求
し、
二 平成一一年九月一七日午後五時一五分ころ、右Iが横浜市中区の横浜地方
裁判所から被告人の携帯電話に電話をかけ、被告人に、「迷惑料は二〇万円で何と
かならないか。」旨申し向けた際、右Iに対し、「分かった。もういい。先生は代
理人だからしょうがない。あとは直接本人と話をするから。明日からすぐ行くか
ら。」「本人のほうに金が大事なのか命が大事なのか伝えておいてくれ。」などと
語気鋭く申し向け、同月二〇日午後五時三〇分ころ、前記J法律事務所にいた右I
をして東京都港区赤坂の事務所にいた右Hに電話でその旨伝えさせて金員の交付を
要求し、
この要求に応じなければ、右Hの生命、身体等にいかなる危害を加えるかも知
れない気勢を示して同人を脅迫し、同人を畏怖させて、同人から金員を喝取しよう
としたが、同人が警察に被害を届け出たため、その目的を遂げず、
第四 Kと共謀の上、いずれも法定の除外事由がないのに、平成一一年九月一八日
午前三時三六分ころ、東京都杉並区のL方前道路において、走行中の普通乗用自動
車内から同人方に向け、けん銃一丁で弾丸二発を発射し、もって、不特定若しくは
多数の者の用に供される場所において、けん銃を発射し、
第五 A寺の元僧侶であるM、C党党首D及び同寺の墓地管理等を営む有限会社N
石材店の取締役Nと共謀の上、B住職(当時四七歳)から金員を喝取しようと企
て、平成一一年四月二七日ころから同年一〇月一五日ころまでの間、
 一 別紙番号一一、同一四ないし一八及び同二八の各欄記載のとおり、いずれ
も右B住職に対し、暗に金員を要求するとともに、その要求に応じなければ、同人
及び同人の妻Oの生命、身体及び名誉等に危害を加えかねない気勢を示し、各犯行
当時A寺内にいた右B住職を脅迫し、
 二 別紙番号二四ないし二七、同二九ないし三七、同三九、同四一、同四五、
同五○、同五二、同五四、同五五、同五七ないし五九、同六一、同六三ないし六
五、同六七、同六九、同七一、同七四、同七五、同七八及び同七九の各欄記載のと
おり、右B及び右Oの身体、名誉等に危害を加えかねない気勢を示し、各犯行日欄
記載の年月日ころ、A寺内において、同寺の警備員を介して、各犯行状況欄記載の
内容等を右B住職に知らしめ、いずれも同人に対し、暗に金員を要求するととも
に、その要求に応じなければ、同人及び右Oの身体、名誉等に危害を加えかねない
気勢を示して右B住職を脅迫し、
 三 別紙番号一ないし一○、同一二、同一三、同一九ないし二三、同三八、同
四○、同四二ないし四四、同四六ないし四九、同五一、同五三、同五六、同六○、
同六二、同六六、同六八、同七○、同七二及び同七三の各欄記載のとおり、右B住
職、右O、同寺檀家総代P及び同Qらの身体、名誉等に危害を加えかねない気勢を
示し、いずれも各犯行日欄記載の年月日ころ、A寺内において、同寺の警備員並び
に各犯行状況欄記載の街頭宣伝活動対象者等であるQ、P、R、S及びTらを介し
て、同欄記載の内容等を右B住職に知らしめ、いずれも同人に対し、暗に金員を要
求するとともに、その要求に応じなければ、同人、右O、右P及び右Qらの身体、
名誉等に危害を加えかねない気勢を示して右Bを脅迫し、
 四 別紙番号七六及び七七の各欄記載のとおり、右B住職及びUらの生命、身
体等に危害を加えかねない気勢を示し、同年八月二五日ころ、A寺内において、右
Uをして同寺警備員Gを介して、右B住職に対し、「毎日毎日C党のほうに行っ
て、お前は何やってるんだ、住職のほうに約束を守るようにちゃんと伝えろという
形でがんがん言われて、もう非常に困っている。このままでいくと、私もBも危な
い、殺されるかもしれない。」などと伝えさせ、いずれも右B住職に対し、暗に金
員を要求するとともに、その要求に応じなければ、同人及び右Uらの生命、身体等
に危害を加えかねない気勢を示し、もって右U及び右Gを介して右B住職を脅迫
し、
 その旨右B住職を畏怖、困惑させたが、同人が右要求に応じなかったためその
目的を遂げなかった
ものである。
(事実認定の補足説明等)
第一 初めに
弁護人は、起訴されたすべての事件について被告人の刑事責任を争っている
ところ(ただし、判示第一の事実関係については特に争いはない。)、これらの事
件を概観すると、平成一一年刑(わ)第三五七五号恐喝未遂被告事件(判示第三)以
外の事件は、A寺と有限会社N石材店とのトラブル等に介入したC党の者らが、A
寺の住職Bから、金員を喝取しようと企て、また、その過程において敢行された一
連の犯行として起訴されたものである。そこで、まず、A寺と直接関係のない平成
一一年刑(わ)第三五七五号恐喝未遂被告事件(判示第三)について検討し、次に、
時系列順にA寺関連の事件を検討し、最後に平成一二年刑(わ)第六〇六号恐喝未遂
被告事件(判示第五)について、検討を加えることとする。
第二 判示第三の恐喝未遂について
一 弁護人の主張
弁護人は、被告人は、金員を喝取する目的で、Hの代理人であるI弁護士を
介して、Hを脅迫したことはないから、被告人は無罪であると主張し、被告人もこ
れに沿う供述をするので、以下検討する。
二 関係各証拠により認められる事実(12ないし15並びに17の各事実以外は特に
争いがないか容易に認定できるものであり、12ないし15並びに17の各事実について
は、三での検討から認定することができる。)
1 平成一一年八月二〇日午後二時三五分ころ(以下年月日は特に表示しない
限り、いずれも平成一一年である。)、首都高速都心環状線外回り線港区麻布永石
町(飯倉出口付近)先路上において、Hが運転する車両(メルセデスベンツ)と被
告人、D、K同乗のV運転の車両(トヨタセンチュリー)が接触事故(以下「本件
交通事故」という。)を起こした。本件交通事故により、V運転の車両は、右側後
部ドアなどが凹損し、塗装がはがれるなどし、H運転の車両は前部バンパー部分が
凹損するなどした。被告人を含めて本件交通事故で傷害の被害により医師の治療を
受けた者はなく、警察の捜査においても道路交通法違反被疑事件(物損事故)とし
て取り扱われた。その後、Hは、両肩から腕にかけて入れ墨をのぞかせている被告
人、D、Kに囲まれ、被告人から、どうしようとしているんだなどと言われたた
め、保険屋に電話しようと思っている旨答えたが、被告人から、そんなことよりも
もっとやることがあるだろう、早く謝らんかいなどと言われた。Hが、Vと名刺を
交換した後、被告人らは、その場を立ち去ったが、その際、被告人は、ベンツに乗
っているのか、金持ちだな、後で病院に行くからななどと言った。
2 Hは、W保険株式会社の自動車総合保険に加入していたため、同社に電話
をして本件交通事故の状況等を説明の上、担当者を至急決めてほしい旨頼んだ。
3 Hが、東京都港区赤坂のHの事務所にいたところ、八月二〇日午後五時こ
ろ、被告人から電話があり、奥沢の事務所に来るように言われた。Hは、保険会社
の担当の人に行ってもらう旨答えたが、被告人は、保険屋が来るのは当たり前で、
まずお前自身が来なきゃ始まらないだろう、事務所に来ないなら、自分のほうから
出向いてもいいんだぞなどと言ってきた。Hが、行くつもりもないし、こちらに来
られても困る旨言うと、被告人は、電話を切った。その後、Hは、六本木交番に行
って相談をし、C党が暴力団と関係のある団体である旨聞いた。
4 Hは、八月二三日、WのX及びYと話し、本件交通事故に関する交渉を依
頼した。
5 Hは、Xを通じ、Yにおいて八月二五日にC党事務所に行ったところ、被
告人から事故状況の説明が違うから、保険屋が来る前にH本人が来るべきだなどと
言われた旨の報告を受けた。
6 Hは、八月二五日又は二六日ころ、Wから紹介されたJ法律事務所所属の
Iに、本件交通事故についての処理を委任した。
7 八月二七日、被告人、D、K及びVは、Hの事務所に赴いたものの、Hが
外出していたため、Dは、対応に出た女性事務員を介して、J法律事務所のJと連
絡をとり、「Hはなぜ来ないんだ。来ると言ったのではないか。」などと言った
が、Jから、「Hは怖がっているし、代理人として弁護士が入っている。弁護を受
任したんだから交渉はこちらでやる。直接応対しないでほしい。とにかく帰りなさ
い。」などと言われた。これに対し、Dが、「車の修理代はどうする。」などと言
ったところ、Jから、「修理代はこちらで持つ。代車はそちらで手配して、後で請
求してくれ。会社にいないので帰ってください。」と言われたため、被告人らは、
Hの事務所から立ち去った。
8 Iは、八月三一日、V及びDに対し、J法律事務所所属の他の弁護士と連
名で、Hから委任を受けて、本件交通事故の処理を担当する旨の内容証明郵便を送
った。
9 Iは、九月一日、東京都千代田区のJ法律事務所において、被告人からの
電話を受けた。その際、Iは、被告人から、受任通知をもらったが弁護士が入ると
はどういうことだ、Hのほうが出てきて話をすべきじゃないか、保険会社に話がい
ったり、それから弁護士に話がいったりとか、話の順番がちょっと違うじゃないか
などと言われたが、今後のことに関しては後で連絡する旨伝え、いったん電話を切
った。その後、Iは、Jと協議の上、同日夕方、被告人に連絡をとり、翌日、被告
人と会って話をすることとした。
10 Iは、九月二日午後三時三〇分ころ、東京都世田谷区の喫茶店Zで被告人
と会って話し、その際、修理費用、代車料を支払うことなどを伝え、さらに、同所
に後から来たDに対しても同様のことを話した。
11 Iは、九月四日又は五日ころに、Hと会い、今後の対応について基本的な
方針を確認した。
12 Iは、九月一六日朝、Wの担当者とも話した上、Dに電話し、修理代及び
代車料に加え、車の評価損を考慮し解決金として二〇万円を支払う旨伝えた。I
は、その約一時間後、被告人からの電話を受け、二〇万円というのは一人分かと尋
ねられたのに対し、総額で二〇万円である旨答えると、被告人から、今日会う必要
もないと言われ、電話を切られた。Iは、再度、被告人と連絡をとり、同日午後一
時に、Zで被告人と会うこととした。
13 Iは、同日午後一時ころから、Zにおいて、被告人から、「俺は最初聞い
たときに二〇と言ったから、一人二〇だと思ったんだ。先生のほうでその金額を考
えてくれと言ったことも悪かったかもしれないけれども、俺のほうとしては一人五
〇、それなりに忙しい人間が乗っていて、一人五〇万掛ける四人で二〇〇ぐらいは
考えていた。そちらのほうから二〇という金額が出ると思っていなかった。ただ、
先生の顔を立てて取りあえず一〇〇、内容としては二〇万の四人分、それに上乗せ
二〇万という形で一〇〇という線であれば構わない。」旨などと言われ、さらに、
「とにかく明日までに連絡をよこせ。連絡をよこさなければ直接会いに行く。うち
の若い衆を毎日交代で行かせる。我々の場合には名前がこういう形だから一般人の
方は名前だけで驚く、恐怖を感じるということもあるけれども、我々のほうがちょ
っと動くとすぐに警察に目をつけられる。だから警察に捕まるような形はやらな
い。ただ、こういう時期だからまあ若いもんが会いに行ってどうなるかは俺は知ら
ない。」「本人のほうには、あの人も社会的に地位がある人だろうから金が大事な
のか命が大事なのかよく伝えておいてくれ。」旨などと言われた。
14 Iは、同日午後五時又は六時ころ、J法律事務所で、HやYと会い、Iの
提示した案に対する前記の被告人の反応をHに伝えるとともに、C党員などがHの
事務所などに直接来た場合には、Iや警察に連絡をするようにとアドバイスした。
15 Iは、九月一七日午後五時一五分ころにも、横浜市中区の横浜地方裁判所
において、自分の携帯電話から、被告人の携帯電話に電話をかけ、「迷惑料は二〇
万円で何とかならないか。」旨言ったところ、被告人から、「分かった。もうい
い。先生は代理人だからしょうがない。あとは直接本人と話をするから。明日から
すぐ行くから。」「本人のほうに金が大事なのか命が大事なのか伝えておいてく
れ。」旨言われ、電話を切られたため、Hの事務所に電話し、このやり取りをHに
伝えるよう頼んだ。
16 Hは、九月二〇日、警視庁捜査四課に行き、本件交通事故の事後処理に関
するトラブルについて、相談した。
17 Iは、九月二〇日午後五時三〇分ころ、Hの事務所から電話をかけてきた
Hに対して、被告人から、明日にでも若い者を行かせるから、命が惜しいのか金が
惜しいのかという話をしておけと言われたことなどを伝えた。
18 Hは、八月下旬から九月中旬ころにかけて、A寺とN石材店とのトラブル
にC党が関与しており、九月九日ころには、A寺の警備員が射殺されるという事件
も発生したという報道がなされていることを知った。
三 検討
前記二の12ないし15並びに17の各事実については、被告人がこれを否定する
供述をしているので、これらに沿いかつこれらの事実の認定に重要な証拠となるI
及びHの公判供述の信用性が問題となる。
1 Iの公判供述の信用性
そこで、まず、Iの公判供述の信用性を検討するに、Iの被告人との会話
内容に関する供述は、被告人が述べた要求額の具体的な積算根拠まで含むもので、
相当具体的かつ詳細な内容になっているし、Hが当公判廷において、Iと被告人と
の交渉内容について、Iから報告を受けたものとして述べているところとも符合し
ている。また、Iが、九月一六日に被告人と交渉した際、被告人が「うちの若い衆
を毎日交代で行かせる、まあ我々の場合には名前がこういう形だから一般人の方は
名前だけで驚く、恐怖を感じるということもあるけれども、我々のほうがちょっと
動くとすぐに警察に目をつけられる、だから警察に捕まるような形はやらない、た
だ、こういう時期だからまあ若いもんが会いに行ってどうなるかは俺は知らな
い。」などと述べたとする点については、争いなく認定できる一連の経緯、特に、
被告人らがHやIに対しC党と記載のある名刺を渡すなど、少なくとも外形的には
C党に所属する者として行動していること、本件交通事故発生後に被告人らが複数
名でHの事務所に赴いていること、当時、A寺とC党とのトラブルやA寺の警備員
が九月九日に殺害される事件が発生したことなどが報道されていたことな
どに照らしても、自然な内容になっている。さらに、Iは、弁護人からの反対尋問
に対しても、揺らぐことなく、一貫した供述をしているし、Iが弁護士であって、
Hの代理人として本件交通事故の事後処理に関わる過程において、初めて被告人と
面識を持ったもので、被告人を陥れようとするとは考えにくく、Iにはあえて虚偽
の供述をする動機も見いだせない。
これに対し、弁護人は、①Iは、Hから示談交渉を依頼された代理人であ
り、Hの利益を擁護する義務を負っていたのであるから、被告人との交渉の際、被
告人から明らかに恐喝罪に該当する脅迫的言動を受けたのであれば、当然、Hの代
理人として直ちに所轄警察署に刑事告訴をしたり、被告人側の面会禁止の仮処分の
申立てをするなどの措置を執るべきであるところ、Iはそのような措置を執ること
なく、Hに対し、被告人らが押し掛けてきた際にビデオカメラでその様子を撮るこ
とを勧めているのみであること、②前記のとおり、Iと被告人の交渉内容につい
て、Hの公判供述と符合してはいるものの、交渉の相手方が暴力団関係者であり、
相手方に脅されて怯えている依頼者本人に、然るべき刑事手続ないし保全手続を採
ることを説明しないで、そのまま依頼者たる本人に脅迫内容を伝えるというのは疑
問であることなどを指摘し、Iの公判供述には疑いを抱かざるを得ないなどと主張
している。
しかしながら、Iが、刑事告訴や面会禁止の仮処分の申立てなどの法的手
段を採るためには、ある程度の疎明資料となり得るものを収集することが、その前
提として必要であるから、Hに対し、ビデオカメラでその様子を撮るよう指示した
Iの行動は、Hの代理人として、相応合理的なものといえるし、Iが、その後、右
のような法的手段に出ていないことについては、Iが、当公判廷において、九月二
〇日、Hが同日午前中に警察に相談に行ったことを聞き、その後被告人が逮捕され
たことを知り、被告人らがHを恐喝するなどの現実的危険性が大きく減少したもの
と認識したためである旨説明していて、その説明は納得し得るものであるから、弁
護人が指摘する①の事情はIの公判供述の信用性に影響を及ぼすものとはいえな
い。また、②についても、後記のとおり、Hの公判供述がそれ自体信用できるもの
であることはもとより、Iが、Hに対し、あえて脅迫内容を伝えた理由として、被
告人らが、Hの事務所に押し掛けてきた場合に、Hに直接交渉してもらっては困る
し、その際の対応をHに認識してもらう必要があるなどと述べていることも、代理
人の行動として相応合理的で首肯できるものであることからすると、こ
れもIの公判供述の信用性に何ら影響を与えるものではないというべきである。
こうした事情からすると、Iの公判供述は信用できる。
2 Hの公判供述の信用性
次に、Hの公判供述の信用性を検討するに、Hは、本件交通事故発生後の
事実経過について、自己の心情を交えながら、時系列に沿って、具体的かつ詳細に
供述しており、その内容も自然である。また、Iと被告人との交渉内容に関する供
述は、信用できるIの公判供述とも符合する。特に、前記認定のとおり、Hは、九
月二〇日に警察に相談に行っているのであるから、それ以前に、自己の身に危険が
迫りつつあることなどを認識したものと考えられるが、こうした観点からすれば、
九月一六日に、Iから被告人の脅迫的言動について報告を受け、翌日午後四時過ぎ
ころにも、これから、被告人と話して被告人の要求を断るから、被告人やその関係
者等がHの事務所に押し掛けてくる可能性もあると聞いたとするHの公判供述は、
自然で合理的な内容であるといえる。さらに、Hは、本件交通事故まで、被告人と
一面識も有していなかったもので、あえて虚偽の供述をしてまで、被告人を陥れよ
うとする動機等も見当たらない。
以上のことからすると、Hの公判供述も信用できる。
四 被告人の弁解
これに対し、被告人は、Iには、Hの謝罪を求めただけであって、金員の要
求をしたことはないなどと弁解する。
確かに、前記のとおり、被告人は、本件交通事故の直後、Hに対して謝罪す
るよう述べ、その後もIらに対し、執拗にHとの直接交渉を求めているし、実際に
かかった修理費用も、Wの見積りより一三万余り低額に収まっており、被告人はこ
れを過分に請求するような行為には出ていない。
しかしながら、前記のとおり、Iが、九月一七日にも、被告人の携帯電話に
電話をかけて、二〇万で何とかならないかと再度交渉を持ちかけていること自体
は、被告人も争っていないところ、仮に被告人が弁解するとおり、Hが謝罪するこ
とが前提であり、Iがこれに応じなかったため、九月一六日の交渉が物別れに終わ
ったとすれば、その翌日に、Iが、Hの謝罪について何ら触れることなく、再度具
体的な金額を提示して、被告人に交渉を持ちかけてくるとは考えにくく、被告人の
弁解には不自然なところがある。また、被告人自身、公判廷において(第四四
回)、「九月一六日に、Iから、修理代、代車料のほかに解決金として二〇万円支
払う旨提示された際に、自分が、最初一人二〇万かと聞いたら、Iが、違う、みん
なで二〇万だと言うので、それならもういいと断った。」旨供述するなど、前後矛
盾するような供述もしている上、言葉のあやであるとはいうものの、「一〇〇万く
らいの誠意は見せてくれとIに言ったことはある。」などと、Iとの交渉の成否
が、HあるいはWからの金額の多寡によっていることを認めるような供述もしてい
る。さらに、被告人が、Hとの直接交渉を執拗に求めていることも、一般の社
会生活を送っているHが暴力団関係者と見てとれる被告人らとの直接交渉を嫌って
いることは被告人も十分認識していたと推認されるところ、示談交渉に慣れたWの
担当者やIを相手にするよりは、そうした経験に乏しい一般の社会生活を送り相応
の財産も有すると目されるHを相手にしたほうが、多額の金員を取得できる可能性
が高いからであると考えても不合理でないことに鑑みると、このことは、必ずし
も、Hの謝罪を求めたにすぎないとする被告人の弁解を裏付けるものでもない。ま
た、実際にかかった修理費用がWの見積りより低額に収まっている点については、
修理費用を水増しして請求するためには、自動車修理業者の協力等が必要となり、
ある程度の困難を伴うところ、それよりは、一義的に算定しにくい慰謝料という形
で多額の金員を請求しようと被告人が考えたとしても不自然ではないのであるか
ら、このことも、必ずしも、被告人の弁解を裏付けるものとはいえない。
こうした事情や信用できるIやHの公判供述と対比すると、被告人の弁解は
信用できない。
五 結論
前記二の事実のうち争いがないか容易に認定できる事実に、以上のとおり信
用できるI及びHの公判供述などによって認められる二の12ないし15並びに17の事
実を併せ考慮すると、被告人は、Hから金員を喝取する目的で、Iを介してHを脅
迫したが、その目的を遂げなかったものと認めるのが相当であるから、被告人に
は、恐喝未遂罪が成立するものというべきである。
なお、弁護人は、被告人は、本件交通事故の被害者ないし被害者側の代理人
として、加害者Hの代理人であるIに対して、不法行為に基づく損害賠償請求権を
行使したもので、正当な権利行使として、社会通念上一般に認容すべきものと認め
られる程度を超えていなかったものであるから、その違法性は阻却されるべきであ
る旨も主張するが、被告人の脅迫内容やその頻度に加え、前記認定の本件交通事故
の内容や被害の程度に照らし、被告人の要求額はその権利の範囲を大きく逸脱する
ものであったと認められることをも考慮すると、被告人の行為は、社会通念上許容
される程度を超える違法なものと認められるから、弁護人の主張は採用できない。
第三 判示第二の暴力行為等処罰に関する法律違反について
一 弁護人の主張
弁護人は、被告人において、Gを脅迫したことはないし、被告人はFの行為
については認識しておらず、共同実行の意思も事実もないから、無罪であると主張
し、被告人もこれに沿う供述をするので、以下検討する。
二 関係各証拠により認められる事実(5ないし11の事実中、被告人やFの具体
的言動には争いがある部分もあるが、三の検討によりこれらの事実も認定できる
し、その余の各事実は、特に争いがないか容易に認定できるものである。)
1 C党は、A寺とN石材店との民事上の紛争に介入し、N石材店側につい
て、同党党員をして、B住職やその家族らを誹謗する街頭宣伝活動を行わせたり、
夜間に、鐘を鳴らしながらA寺境内や墓地内を徘徊させ、さらには、A寺境内のB
住職方に押し掛けさせ、A1(B住職の趣旨)出てこいなどと大声を出させるなど
して、A寺側に対する嫌がらせを繰り返していた。そこで、B住職は、警備会社に
警備を依頼し、A寺に警備員の派遣を受けるようになり、平成一一年九月当時は、
株式会社B1、株式会社C1の二社の警備員が警備に当たっていた。
2 Fは、兄のD1がC党に加入していたことから、平成一一年五月ころ、同
党党員となり、右のような街頭宣伝活動等に参加するなどしていた。また、被告人
は、同党最高顧問の立場にあり、遅くとも平成一一年二月初旬ころには上京してい
た。他方、Gは、株式会社C1に勤務し、平成一一年七月から平成一二年五月ま
で、A寺の警備を担当していた。
3 Fは、平成一一年八月一三日(以下年月日は特に表示しない限り、いずれ
も平成一一年である。)、C党党首であったDから指示を受けて、B住職に対する
嫌がらせをするため、B住職方前まで行ったところ、A寺の警備員と衝突し、B住
職方のガラス戸を割るなどしたことから、現行犯人逮捕されたが、九月二日又は三
日ころ、釈放された。
4 Fは、九月五日、C党事務所前の道路で、ビラを配っていたところ、Dか
ら、B住職方裏(西側)まで、脚立を持っていってくれ、そこには被告人がいる旨
言われたため、C党事務所から、脚立を持ち出し、B住職方裏(西側)に向かっ
た。
5 B住職方裏(西側)には、墓地部分とB住職方を区切る外壁があり、墓地
の方から外壁に向かって土手状に高くなっていた。その土手の部分と墓地通路の境
には立ち入り禁止の立て札が立ててあった。Fは、脚立を持って、B住職方裏(西
側)に赴き、既にそこにいた被告人から指示を受けて、土手を上り、この外壁のす
ぐ近くに脚立を置いた。被告人は、脚立に上り、B住職方をのぞき、その間、F
は、脚立を押さえていた。
6 A寺の警備に当たっていたGは、他の警備員から被告人らの行動について
連絡を受けて、B住職方裏(西側)に赴き、被告人らの行動を監視していたとこ
ろ、被告人が、右のとおり立ち入り禁止とされている場所に入り、B住職方をのぞ
き始めたため、土手の下の墓地通路部分から「軽犯罪法違反になりますよ。」など
と注意した。
7 Gは、被告人がその後もB住職方をのぞくのをやめないので、再度、「軽
犯罪法になりますよ。」などと注意した。すると、被告人は、脚立から降り、サン
グラスをかけた状態でGをにらむような仕草をし、Fは、Gをにらんだ。
8 その後、被告人らが脚立を放置したまま帰ろうとしたため、Gは、「この
まま放置すると不法物件として撤去します。」などと言った。これに対し、被告人
は、「俺らが持ってきてんの分かってんだろう。」などと怒鳴るように言って、そ
のまま土手を下りて帰ろうとした。
9 Gが、被告人らに対して、再度、「不法物件として撤去します。」と言っ
たところ、被告人は、Gの至近距離まで近づき、Gに対し、にらむようにして、
「てめえ殺してやる。」と言い、そのまま土手を下りて行った。
10 Fは、Gをにらみ付けながら、Gに早足で向かっていったが、直前でその
勢いを緩め、Gをにらんだ。このとき、被告人は、墓地通路に立ち、Fの様子を見
ていた。
11 その後、Fは、いったん墓地通路に出たが、被告人から脚立を持ってくる
ように指示され、脚立を取りに行った。Fは、脚立を肩に担いで、再び墓地通路に
向けて土手を下りていったが、Gの側を通る際、Gをにらみ付けた。このときも、
被告人は、Fのほうを見ながら、Fが下りるのを待っていた。
12 本件当時、Fは、身長一八一センチメートル、体重約一一〇キログラムで
あり、被告人は、身長一七八・五センチメートル、体重約七八キログラムであった
のに対して、Gは、身長約一七七センチメートル、体重約八〇キログラムであっ
た。
三 検討
前記二の5ないし11の各事実のうち、被告人やFの具体的言動には、被告人
が否定する供述をしている部分も含まれているので、これらに沿いかつこれらの事
実の認定に重要な証拠となるGの公判供述及びFの捜査段階の供述の信用性が問題
となる。
1 Gの公判供述の信用性
そこで、まず、Gの公判供述の信用性から検討するに、Gは、被告人らと
のやり取りについて、自己の心情を交えながら、会話の内容やFの行動まで含めて
具体的かつ詳細に供述しているし、その内容にも特段不自然な点は認められない。
また、Gの公判供述は、後記のとおり信用できるFの捜査段階の供述とも概ね符合
しているし、被告人が、Gに近づき、殺すという趣旨の言葉を言った点について
は、E1の公判供述によっても裏付けられている。確かに、Gは、株式会社C1に
勤務してA寺の警備を担当していたもので、本件当時、B住職らに対する嫌がらせ
を繰り返していた被告人らとは対立関係にあったことからすれば、Gが、被告人に
不利な供述をする動機が全くないとはいえないものの、他方で、Gは記憶がはっき
りしない部分はそのように答えるなどその供述態度は誠実であるし、前記のよう
に、Gの公判供述の信用性を肯定する方向の事情は多く、Gがことさらに被告人に
不利な虚偽の供述をしたとは認められない。
これに対し、弁護人は、被告人の供述に基づき、被告人は、当時、麦わら
帽子を被り、深緑色のサングラスをかけていたのであるから、サングラス越しに目
の動きが見えるはずがなく、サングラス越しに目の動きが見えたとしているGの公
判供述は信用できないと主張する。
しかしながら、Gは、太陽光線の関係で、サングラス越しに被告人の目が
見えたときもあったと供述しているにすぎず、常に見えたとしているものではない
し、また、Gは、その際の被告人とGの位置関係や被告人の顔の向き等の事情を総
合して被告人ににらまれたと判断しているのであって、サングラス越しに被告人の
目が見えたこと自体をその判断の根拠としているわけではないのであるから、仮
に、時間の経過によりGの記憶が変遷し、サングラス越しに被告人の目が見えるこ
ともあったという部分が思い込みであったとしても、このことはGの公判供述の信
用性に影響を及ぼすものではない。
2 Fの捜査段階の供述の信用性
次に、Fの捜査段階の供述の信用性について検討するに、Fは、警備員が
発した言葉などについては、若干の変遷が見られるものの、事実の流れ自体につい
ては、概ね一貫した供述をしているし、その供述内容は、GやE1の公判供述とも
概ね符合している。確かに、C党の一党員にすぎないFにとって、その最高顧問で
ある被告人とともに本件犯行に及んだ旨供述することは、F自身の刑事責任を軽減
する方向に働くとも考えられるが、Fは、被告人から明示的な指示を受けて本件犯
行に及んだ旨供述しているわけではないし、本件犯行についての自身の裁判が終わ
り既に服役していた証人尋問の時点においても、被告人が、Gに近寄って関西弁で
殺すぞと言ったなどと供述していることに鑑みると、Fが、自己の刑事責任の軽減
を狙って、あえて被告人にとって不利な事実を述べたとは考えられない。
また、Fは、被告人と併合審理された第一回公判期日の本件被告事件に対
する陳述の際、公訴事実中の被告人が「「てめえ殺してやる。」と語気鋭く申し向
ける。」という部分について、それについてはよく聞こえなかった、それと私は関
西弁がよく分かりません、これと似たようなことは言っていたようですなどと述べ
ており、捜査段階の供述と異なる供述もしている。しかしながら、Fは、その理由
について、第三一回公判期日において、被告人と同じ弁護人が自分にも付き、被告
人と一緒に裁判がなされていたから、言いたいことが言えなかった旨述べており、
その理由とするところは、当時のFの立場を考えれば、その心情として理解できる
ものといえるから、この点も、Fの捜査段階の供述の信用性に影響を与えるもので
はないというべきである。
以上によれば、Fの捜査段階の供述は信用できる。
3 E1の公判供述の信用性
E1も、被告人の発言やFの行動など主要な部分については、公判廷で具
体的な供述をしており、Gの公判供述やFの捜査段階の供述とも符合しているとこ
ろである。また、E1の公判供述は、弁護人からの詳細な反対尋問にも揺らいでお
らず、一貫している。株式会社B1に勤務し、A寺の警備に当たっていたE1に
も、Gの公判供述の信用性を検討した際に触れたとおり、被告人に不利な供述をす
る動機が全くないわけではないが、その供述態度などに特に不審なところは見当た
らない上、前記のとおり、E1の公判供述の信用性を肯定する方向の事情が多いこ
とからすると、E1がことさらに被告人に不利な虚偽の供述をしたとは認められな
い。
これに対し、弁護人は、被告人の供述を前提として、その供述するE1と
被告人との位置関係からすれば、コンクリート塀が邪魔になって、E1からは被告
人が見えるはずはないのであるから、FがGに向かっていった際、被告人がFのほ
うを見ていたとするE1の公判供述は信用できないと主張する。
そこで、まず、その前提となるE1が右状況を目撃した位置やその際の状
況について検討するに、この点、E1は、「はっきりとは覚えていませんけれど
も、正確な場所は。ただ、全員がいるところの後ろ側にいたと。」「(被告人たち
との距離を尋ねられたのに対し)目測なんで、一〇から一五メートルくらいかと思
います。」「(E1が自分が見ているということを被告人やFに分からせようとし
て、あえて被告人やFからも見える位置から堂々と見ていたのか、それとも、墓石
に隠れて、見ていることを知られないようにして見ていたのか、どちらかを尋ねら
れたのに対し)後者です、知られないように。」などとして、明確な供述はしてい
ないものの、これらの供述を総合すると、E1は、被告人らの後方一〇ないし一五
メートルの位置において、被告人らの行動を意識的に観察しようとしていた旨の供
述をしているものと認められる。また、E1は、FがGに向かって土手を下りてき
た際、Gは、一瞬身体を後ろの方に反らせる動作をしたなどと、被告人らの行動等
について、具体的かつ詳細な供述をしている上、本件当時、E1は眼鏡を掛けてお
り、矯正視力は両眼とも一・五であったことや、E1と被告人らとの間
には、墓石などが存在するものの、証拠上認められる墓石等の佇立状況からすれ
ば、視界を全く遮蔽されるような状況にはないこと(甲三写真三)などに鑑みれ
ば、E1が目撃したと供述する位置から、先に述べたような状況を視認することは
可能であるといえ、E1の公判供述に不自然不合理な点があるということにはなら
ない。
他方、被告人は、前記のとおり、E1が被告人を見ることができない位置
にいた旨供述しているものの、E1は、GらとともにA寺の警備に当たっていたも
ので、被告人やFがA寺の墓地内に侵入したとの無線連絡を受けて、Fの跡を追
い、被告人らの行動を意識的に観察しようとしていたものと認められるのであるか
ら、そのE1がわざわざ被告人らの行動を確認できないような位置にいたとするほ
うが不自然不合理である。被告人の供述は信用できない。
そうすると、弁護人の主張は、その前提を異にすることになるから、この
点がE1の公判供述の信用性に影響を及ぼすものとはいえず、前記の事情も考慮す
ると、E1の公判供述は信用することができる。
四 被告人の公判供述の信用性
  ところで、被告人は、公判廷において、「Gをにらんだりしたことはない
し、Gに詰め寄っててめえ殺してやるとも言っていない、FがGに対して体当たり
をするような姿勢を示しながら詰め寄ったというところは見ていないし、Fに脚立
を持ってこいと指示した後、一回振り向いてそのまま帰ったから、Fが脚立を取り
に行ってから戻るまで、FとGがどのような状況にあったかというのも見ていな
い。」などと弁解しているが、これらは、信用できるGの公判供述及びFの捜査段
階の供述に明らかに反していてそのままこれを信用することはできない上、被告人
も、被告人らがGから脚立の撤去を求められ、Gにきつい言葉を言うなどして揉め
ていたことについては認めており、さらには、Fに脚立を取りに行かせたことをも
認めていることからすれば、その後のFの行動やそれに対するGの対応が気になら
ないはずはないのであって、Fの行動を全く見もしなかったというのは不自然であ
る。
よって、被告人の前記の弁解は信用できない。
五 被告人とFとの共同実行の意思と共同の実行行為の認定
信用できるGの公判供述、Fの捜査段階の供述及びE1の公判供述などの関
係証拠によれば、前記二の事実関係が認められ、この事実関係を前提にして共同実
行の意思と共同の実行行為について検討する。
共同実行の意思については、右の事実関係からも、被告人とFが事前に共同
実行の意思を有していたとか本件の現場で明示的な共同実行の意思の連絡を行った
と認定することができないのは弁護人が指摘するとおりである。
しかしながら、まず、前記認定のC党とA寺との関係、本件当日の被告人の
行動状況、FのC党における立場、Fと被告人との関係に加え、F自身が、前記二
3記載のとおり、A寺の警備員と衝突したことで身柄を相当期間拘束され、A寺の
警備員に対して不愉快な感情を抱いていたと推認できることなどからは、Gから脚
立を撤去するよう求められた被告人が、Gに対して脅迫的言動に出る際に、Fもこ
れに乗じて、被告人とともにGを脅迫しようと考えたとしても不自然ではないし、
F自身、捜査段階において(乙一五)、その旨認める供述をしている。また、F
は、自身がGをにらみ付けたり、同人に早足で近づくなどして同人を脅迫した際に
は、いずれも土手に接する墓地通路にいる被告人から見られているのを認識してい
る旨供述していることを併せ考慮すると、Fにおいて被告人と共同してGを脅迫す
る意思があったことは優に認定することができる。
そして、被告人も、Fと被告人との関係、C党とA寺との関係、これまでの
C党の活動などからすれば、自らがGを脅迫するような言動に出れば、これを認識
したFも、追随してGを脅迫するであろうことを認識しこれを容認していたと推認
できる上、前記のとおり、被告人が自らGを脅迫した後、土手に接する墓地通路か
ら、Fが早足でGに近づき、GをにらむなどしてGを脅迫するのを見ていたことが
認められることからすれば、被告人にもFの行為を利用する意思があったものとい
え、被告人のほうにもFと共同してGを脅迫する意思があったということができ
る。以上によれば、被告人がGに対し脅迫行為に及ぶ際には、被告人とFとの間に
Gに対して共同して脅迫する黙示の意思の連絡があったと認定するのが相当であ
る。この点、弁護人は、被告人がFの右行動を見ていたとしても、被告人はFの行
動を認識し、それを利用して、さらにGに対して、何らかの脅迫的言動を取ったこ
とがないことは、本件関係証拠上明らかであるから、共同実行の意思は認められな
い旨主張するが、被告人は、前記認定のとおり、自らGを脅迫した場合のFの行動
を予測しつつGに対する脅迫行為に及んだ上、その予測に見合うFの行動
(脅迫)を認識しながら、そのままその場にいて何らこれを制止するような行動に
も出ていないのであるから、Fの行動を利用したものと評価することができ、その
後、被告人自身がFの行動を利用して、さらにGを脅迫する具体的な言動に出なか
ったからといって、被告人の共同実行の意思が否定されるものではない。弁護人の
右主張は採用できない。
そして、共同の実行行為については、前記二認定の事実関係と前記の検討も
前提にして考えると、本件は、C党最高顧問の被告人と同党党員のFが、対立する
A寺の警備員で被告人らに注意などしてきたGに対し、同じ場所で、連続して脅迫
行為を行ったものであり、その脅迫行為の時点が完全に同時で重なるとはいえない
までも、被告人の脅迫行為にすぐ続いてFの脅迫行為がなされている事実と右認定
の被告人とFとの共同実行の意思からすれば、被告人とFの脅迫行為を捉えて共同
して脅迫したと評価するのが相当である。
以上によれば、被告人には、暴力行為等処罰に関する法律違反(共同脅迫)
の罪が成立する。
第四 判示第四の銃砲刀剣類所持等取締法違反について
一 弁護人の主張
弁護人は、被告人がKと共謀した事実はないから、被告人は無罪であると主
張し、被告人もこれに沿う供述をしているので、以下検討する。
二 特に争いがないか、容易に認定できる事実
関係各証拠によれば、以下の各事実は、特に争いがないか、容易にこれを認
定することができる。
1 被告人は、C党党首であるDから、同党に参加するように誘われて、平成
一一年一月末ないし二月初旬ころ(以下年月日は特に表示しない限り、いずれも平
成一一年である。)上京し、春ころには、C党の事務所が置かれていた、東京都世
田谷区のF1二〇五号室に居住するようになった。なお、被告人とDは、ともに大
阪にある指定暴力団G2会H2組に所属していたが、H2組内における地位は、被
告人のほうが上であった。また、被告人は、C党において、最高顧問の立場にあっ
た。
2 C党は、三月又は四月ころから、同党党員をして、A寺周辺などで、B住
職やその家族らを誹謗する街頭宣伝活動を行わせるなどして、A寺側に対する嫌が
らせを行うようになり、六月三日に行われたDとB住職との直接交渉が決裂した後
は、一層、街頭宣伝活動を激化させ、東京都杉並区のL(Lは、A寺住職Bの姉で
あるTの夫である。)方付近で、Tらを誹謗する街頭宣伝活動を行うこともあっ
た。その後、L方に対する街頭宣伝活動はいったん中断されていたものの、九月一
六日ころ再開された。
3 Kは、大阪にある暴力団E2組F2組に所属し、同組若頭補佐として活動
していたところ、平成一〇年八月二八日に広島刑務所を出所した被告人と知り合っ
た。Kの所属する暴力団E2組は独立団体であって、被告人の所属する暴力団G2
会H2組とは系列を異にしており、Kは、暴力団の稼業としての仕事を被告人と一
緒にしたことはなかった。
4 Kは、大阪に居住していたところ、七月ないし八月ころ、被告人に誘われ
て、上京し、F1二〇二号室に寝泊まりするようになったが、その後も、C党が行
っていたA寺側に対する街頭宣伝等の活動にはほとんど参加せず、大阪にも、時折
帰っていた。
5 九月九日、A寺の警備員が射殺される事件が発生し、警察によって、A寺
周辺の警備が強化されるようになった。
6 Kは、九月一二日ないし一四日ころ、再び上京し、それ以降、F1二〇二
号室に寝泊まりしていた。
7 Kは、F1から、一人でG1の車両(コロナ)を運転して、L方まで行
き、九月一八日午前三時三六分ころ(甲一六六)、同人方窓ガラスに向けて、けん
銃で弾丸二発を発射した(以下この事件を「本件発砲事件」という。)。
8 KやKの関係者の携帯電話の利用明細記録に基づき、架電先を捜査した携
帯電話架電先判明捜査報告書(甲一九二)によれば、Kの携帯電話から、①九月一
八日午前零時四一分ころに、二分二四秒間、Kの妻H1の電話に架電された事実
と、②同日午前二時五二分ころに、一三秒間、午前三時五七分ころに、一四秒間、
午前四時二四分ころに、三五秒間、それぞれ被告人の携帯電話に架電された事実が
認められる。
9 I1は、九月二一日、被告人から預かった紙袋をその中身と一緒にゴミ捨
て場に捨てた。
10 Kは、被告人が逮捕された後、Dに呼ばれ、一〇月二六日に、Dが逮捕さ
れるまで、Dと一緒に逃亡生活を送っていた。
三 Kの捜査段階の供述要旨及びその信用性
1 Kの捜査段階の供述要旨
Kは、検察官に対して、要旨以下のとおり、供述する。
はっきりした日にちは覚えていないが、被告人が「今度は荻窪の姉さんの
ところに行かんといかんなあ。」などと言っていた。この話を聞き、私は、被告人
が住職の姉の家をターゲットにして何かしようと考えていることは分かったが、具
体的にどのようなことを考えているのか分からなかった。九月一五日午後一〇時こ
ろから一六日午前零時ころまでの間に、被告人の部屋に呼ばれ、被告人から「住職
の姉さんの家にかち込む。ガラス割りでいいんだ。他の奴にも一人一人聞いたんだ
が、腹の据わった奴がおらん。お前しかおらん。頼む。いややったら、俺がやって
もかまへんが。」と言われた。順番からすれば、私ではなく、C党の党員がやるべ
きだと思ったし、家族のためにもやりたくなかった。そこで、「東京の道も分かり
ませんし、家がどこにあるのかも分かりません。運転手は付くんですか。」と尋ね
ると、被告人は「運転手のことは考えてみる。家はこれから教えたる。」と答え
た。本当は、断りたかったが、これを断ったら、もうこの稼業では生きていけな
い、関西にその話が伝わったら、「Kは根性のない奴だ。使い者にならん。」とい
う噂が流れ、どこの組も相手にしてくれなくなるから、断るわけにはいか
ないと思い、これを承諾した。それから、すぐに、被告人と二人で、下見に出発し
た。被告人は、Tさんの家の前をゆっくり走りながら「ここや。監視カメラがつい
とるからな。写らんように気を付けろ。」などと教えてくれた。私は、被告人から
かち込みを命令された後、これは被告人が一人だけで決めたことではなく、Dと二
人で話して決めたことだろうと思った。そこで、私が、Dに、「ほんまにいくんで
すか。」と尋ねると、Dは、「ああそうだ。一発か二発でいい。」などと答えた。
Dは、「偽造のナンバープレートを用意しておくから、行くときはそれを使え。」
などと言ったので、Dは、住職の姉の家にかち込むことは知っていたはずである。
私は、一六日ころ、被告人から「明日、やってくれんか。終わったら、取りあえず
新宿に逃げてきてくれ。」と言われた。運転手は、まだ決まっていないということ
だったので、唖然とした。私は、これを聞き後悔したが、いったん引き受けた以上
今更断ることはできなかった。私は、九月一七日、自分で運転してかち込みにいく
場合に備え下見に行った。翌一八日午前零時ころ、被告人に呼ばれて部屋に行く
と、被告人は、私に、「これや。」と言って紙袋を一つ手渡した。私は
、けん銃だと分かり、その場で中身を確認すると、白いタオルに包まれたものや、
緑色っぽいチェック柄のつばの付いた汚れた感じの帽子が入っていた。綿の白の手
袋も入っていたような気がする。白いタオルの中を確認すると、けん銃一丁が出て
きた。弾倉を外したところ、弾が六発込められていた。被告人は、私に、「時間は
三時から四時ころにしろ。ガラスに五、六発撃ち込め、出発する前に俺の携帯に連
絡しろ。車は奈良ナンバーのG1の車を使え。運転手は、誰もやる奴がおらん。G
1が運転手役を断ったから、「大阪に帰れ。」言うてやった。かち込んだ後は、新
宿の歌舞伎町まで来い。非常線が引かれて検問にあったら、そんなんは突破しろ。
遠くまで走って、道が分からんようになったら、車を放って、タクシーで逃げ
ろ。」などと言った。被告人は、こんな無茶苦茶なことを言うくらいだから、俺が
捕まっても、家族の世話は見てくれないだろうと思ったが、もう、やるしかなかっ
たので、被告人の命令に文句も言わず従った。私が、Dに挨拶しに行った際、Dか
ら、普通のコピー用紙のような薄い紙に、自動車のナンバーを印字して、ナンバー
プレートの大きさに切った偽造ナンバープレートを渡されたので、私は「
いりませんわ。」と言って返した。私は、最後に妻に電話で別れを告げようと決
め、自分の携帯電話から、大阪市の自宅に電話をかけ、妻と話した。そして、私
は、同日午後三時前後ころ、被告人から預かった紙袋を持ち、被告人から指定され
た、奈良ナンバーのG1のコロナのキーを持ち出し、C党事務所の駐車場に停めて
あったコロナに乗った。そして、被告人から言われたように、C党事務所を出発す
るときに、自分の携帯電話から被告人の携帯に電話をかけ、「これから行きます
わ。」と報告した。被告人は、「分かった。終わったら、新宿に来い。」などと言
った。こうして、私は、一八日午前三時前後に、コロナを運転してC党事務所を出
発した。
2 Kの捜査段階の供述の信用性
(一) 内容自体の具体性、合理性等
Kは、被告人との会話内容や、その後の行動経過などについて、被告人
からけん銃発砲を指示された際のとまどいやその後の後悔等自己の心の動きにも触
れながら、具体的かつ詳細に供述している。また、前記のとおり、Kは、七月ない
し八月ころになって、大阪から上京してきたもので、それまでは、何らC党とA寺
とのトラブルに関係がなかったばかりか、その後も、C党が行うA寺などへの街頭
宣伝等の活動にはほとんど参加していなかったのであるから、K自身に本件犯行に
及ぶ固有の動機は見当たらないというべきであって、Kが誰からの指示も受けてい
ないのに、自らL方に発砲したとは考え難い。前記認定のC党とA寺との関係、被
告人のC党における立場などからすると、被告人からの指示を受けて本件犯行に及
んだとするKの供述は、合理的かつ自然である。
これに対し、弁護人は、①Kは、被告人とは所属していた組が異なるた
め、序列は関係なく被告人と対等の立場にあった上、被告人に対して何の義理等も
ない関係にあったのであるから、Kが公判廷において自認するとおり、被告人の指
示を断ることもできたはずであり、Kが被告人の指示を断れなかった理由として供
述するところは、説得力を持たない、②誰がいつまでに、本件発砲に使用するけん
銃を準備するかという点に関するKと被告人との間のやり取りや、被告人が、Kに
けん銃の使用歴を尋ねたり、交付したけん銃の操作等について説明したことなどに
ついて、Kが捜査段階で何ら供述していないのは不合理である、③G1の警察官調
書(甲二一二)によれば、Kは、本件犯行の前日である九月一七日夜は、午後七時
過ぎから午後一〇時ころまで、F1二〇二号室にいたことになるが、そうであると
すれば、東京の道路事情に明るくないKが、午後一〇時過ぎにF1を出発し、被告
人から呼び出されたとする九月一八日午前零時ころまでの約二時間で、果たして一
回しか行ったことのないL方まで往復できたのか疑問が残る、④Kは、F1一階の
C党事務所の鍵を所持していなかったのであるから、九月一八日午前
三時前後に、C党事務所に入って、G1の車両の鍵を持ち出せたのか疑問が残るな
どと主張する。
しかしながら、①については、Kが、Kと被告人との立場やその他被告
人との人間関係上、被告人の指示を断ることが可能であったとしても、断った場
合、今後暴力団員として生活していくことができなくなることを恐れ、被告人の指
示に従おうと考えたとしても、あながち不合理ではなく、Kの説明を一概に否定す
ることはできないし、そのことがKの供述全体の信用性に疑問を生じさせるともい
えない。また、②についても、Kは、被告人から本件発砲事件について指示を受け
たのであれば、使用するけん銃についても、被告人が用意するものと考え、特に、
これを被告人に問いただすことはしなかったと考えても不自然ではないし、Kも暴
力団員であり、仮にけん銃を使用したことがなくても、その操作等について、知識
を有していたとしても不自然ではなく、被告人としても、そのように考えてけん銃
の操作等に関し特に説明をしなかったとしても不合理とはいえないのであるから、
こうした点をとらえてKの供述が不自然不合理であるとはいえない。さらに、③に
ついても、被疑者引当り捜査報告書(甲一九一)によると、日時は異なるものの、
F1からL方まで、Kの指示に従って車で走行した場合の所要時間は五
三分で、距離は二〇キロメートルであったことからすると、約二時間あれば、東京
の道路事情に明るくないKであっても、F1とL方を往復することが可能であると
いうことができる。最後に、④についても、KがG1の車両に乗って、L方に発砲
したこと自体は、弁護人も争っていないのであるから、関係証拠上、Kが、C党事
務所に入室し、G1の車両の鍵を持ち出すことができた理由が必ずしも明確になっ
ていないとしても、このことが、Kの供述の信用性に影響を与えるものとはいえな
い。
(二) 客観的証拠による裏付け
前記のとおり、本件発砲事件は、九月一八日午前三時三六分ころ、G1
の車両を使用して敢行されているところ、こうした事実は、Kが被告人から指示さ
れた内容として供述しているところと符合している。また、Kは、本件発砲事件を
起こす前に、妻と被告人に携帯電話で電話をかけた旨供述しているが、これも、前
記携帯電話架電先判明捜査報告書謄本(甲一九二)記載の架電状況と符合してい
る。
これに対し、弁護人は、Kの妻に対する架電については、Kが暴力団員
であることに照らすと特異な時間帯に架電しているとまではいえないし、通話時間
も短いものではないこと、また、被告人に対する架電については、被告人とKが当
時暴力団員として深夜まで活動したり、麻雀等をしていたことなどを挙げ、こうし
た事情からすると、右架電の事実が存するとはいえ、それが、Kの供述する通話内
容までをも確実に裏付けるものとはいえないなどと主張する。
しかしながら、弁護人が指摘する事情は、前記のとおり、客観的に認め
られる架電事実が、その時間帯や通話時間等、Kの供述と概ね符合していることを
何ら覆すものでもない。また、多数架電している中で、記憶のみで通話の時間帯や
通話時間等含め矛盾なく供述することは一般的には困難であるにもかかわらず、K
の供述と符合する架電状況が客観的に認められることは、何らかの記憶に残る事情
があった際の架電であると考えて不自然ではなく、Kの通話内容に関する供述が不
自然ではないこととも結びつくところがある。
(三) 公判供述との一貫性等
Kは、公判廷においても、被告人から指示されて本件発砲事件を敢行し
たこと自体は供述しており、基本的には、Kの供述は一貫しているものといえる。
この点、確かに、Kは、公判廷においては、被告人から指示された際の文言など詳
細については明言を避けているものの、右公判供述は、C党最高顧問であった被告
人の面前で、しかも、被告人の関係者と推認される者が傍聴する中でなされたもの
であって、被告人らへの遠慮や恐怖心などから、Kがちゅうちょした結果、その供
述内容が後退したものと考えて不合理ではないから、このことをKの捜査段階の供
述の信用性を判断するに当たって過度に重視するのは妥当ではない。
これに対し、弁護人は、Kは、捜査段階では、B住職の姉が杉並区の荻
窪のほうに住んでいることは知っていた旨供述しているのに対し、公判廷では、こ
れを否定する供述をしているのであって、その供述は変遷しているし、変遷した理
由の説明も、「ちょっと、はっきり覚えていなかったもんで。」などとするばかり
で、不自然であるなどと主張する。しかしながら、Kの公判供述は、本件発砲事件
から約二年を経過した時点でなされたもので、ある程度記憶に減退があったとして
も、やむを得ない面があるといえるし、その核心部分やそれと密接に関わる部分に
ついて変遷しているわけでもないことからすると、Kの公判供述全体の信用性に影
響を与えるものとはいえない。
(四) Dの捜査段階の供述との符合
Dは、捜査段階において、「日時ははっきり断言できないが、九月一七
日の夜か、一八日の深夜、私がC党事務所に一人でいると、Kが一人で入ってき
た。Kは、私に、「会長、池さん(被告人を指す。以下同じ。)が杉並のほうへ
五、六発撃ち込めというんですが。」などと言ってきた。そこで、私は、Kに、
「やるのか。」と聞くと、Kは「はい。」などと答えたものの、あまりやる気が感
じられず、むしろ本心ではやりたくないような態度だった。私は、事務所の車が使
われると迷惑すると思い、パソコンで作った偽造ナンバーをKに渡し、「使ったら
どうだ。」などと言ったが、Kは受け取らなかった。私は、住職の姉の家にけん銃
を撃ち込むなどとは、全く迷惑な話だと思った。それでなくても、九月九日にガー
ドマンが射殺されるという事件が発生し、C党が一方的に悪者とされてしまい、警
察も黙っていないだろうと思っていたし、それに加えて、住職の姉の家にけん銃を
撃ち込めば、ますます立場が悪くなると思った。Kの話を聞き、さらに、池とKで
決めたことを俺に相談されても困る、勝手にやればいいだろうという気持ちだっ
た。」(甲二〇五)などとして、Kが、被告人からL方に発砲するように指示
されたと言っていた旨供述している。
右捜査段階の供述は、KからL方に発砲することを聞いた際の自らの心
情にも触れながら、その会話内容などについて相当具体的に述べたものである上、
その内容としても自然なものとなっている。すなわち、前記のとおり、当時は、A
寺の警備員が射殺されて間もないころで、C党は、これまでA寺に対する街頭宣伝
活動を繰り返すなどしてA寺と対立してきていたことから、右事件への関与を疑わ
れ、C党関係者の一挙手一投足が注視される状況下にあったのであるから、こうし
た中で、さらにC党に出入りしていたKが、A寺関係者の自宅などに対して発砲す
るような事態になれば、C党が一層窮地に追い込まれる可能性があったといえ、C
党党首であったDがその旨危惧していたという供述は自然である。さらに、Dの捜
査段階の供述は、Kの供述とほぼ符合している上、被告人とは親しい関係にあるD
が、被告人に不利な供述をしたものであり、こうした事情も考え併せると、Dの検
察官調書の内容は概ねこれを信用することができる。
これに対し、弁護人は、①Dは、形式的には参考人として取り調べられ
ていたにせよ、Kが、捜査段階において、本件発砲事件について、Dも被告人と共
謀していたことが強く推認される内容の供述をしていることを踏まえて、実質的に
は、被疑者として取り調べられたもので、その結果、Dが、恐喝未遂(本件判示第
五の事実と同一のもの)を終わらせて、早く服役しようとしているのに、本件発砲
事件についても、責任を追及され、裁判が長期化するような事態になるのは避けた
いなどと考えて、事実に反する供述調書の作成にやむを得ず応じたことは推認する
に難くないところである、また、②Dは、Kが被告人から本件発砲事件について指
示を受けたと供述しているに過ぎず、本件発砲事件について自らの関与を認めるな
ど、実質的に本件発砲事件の被疑者としての立場にあったD自身に不利益な事実を
述べているわけではないなどとして、こうした事情からすると、Dの捜査段階の供
述はにわかに信用することはできない旨主張する。
しかしながら、Kの右供述によれば、Dは、Kから被告人の指示でL方
に発砲することになったと聞く前に、本件発砲事件について、被告人と話し合って
いたことになるのであるから、検察官がDを被疑者として、その刑事責任を追及す
ることを考えていたのであれば、当然、事前に被告人とDの間でどのような話し合
いがなされたか、その他、Dの本件犯行において果たした役割などに焦点をあて
て、Dの供述を聴取するはずであるが、Dの検察官調書(甲二〇五)を見ても、そ
のような点に関する記載はない。そして、実際に、Dが本件発砲事件に関し起訴さ
れなかったことをも考え併せると、Dは、本件発砲事件に関し、参考人として取調
べを受けたものというべきである。また、Dは、Dにとっても刑事責任を追及され
る可能性のある供述も一部した上で被告人のことにも言及しているのであって、自
らにとって不利益な事実を全く供述していないものではないし、前記認定のDと被
告人の関係も併せ考えると、Dが自己の刑事責任を免れるために被告人に罪を負わ
せる虚偽の供述調書の作成に応じたと推認できるとはいえないし、弁護人指摘の点
は、いずれもDの検察官調書の信用性に影響を与えるものではない。
もっとも、Dの検察官調書には、KとDが話した日時や、KがDに対し
本件発砲事件に関し被告人から指示を受けたと言ったか否かという点等について、
Kの検察官調書と相違している部分もあるかのように見える。しかしながら、両者
の供述を検討すると、少なくとも被告人の指示を受けた後、発砲しに行くことをD
に伝えているという点においては一致しているし、KやDの検察官調書は、いずれ
も犯行後約九か月余りを経過した後に作成されたものであるから、特に会話内容な
どの細かな点について、ある程度記憶違いがあってもやむを得ない面もあるのであ
るから、この点を信用性を吟味する際に過度に重視するのは妥当ではない。こうし
た検討からすると、概ね信用できるDの検察官調書は、Kの検察官調書の信用性を
補強し得るものといえる。
これに対し、Dは、公判廷においては、「Kがどこに撃ち込むか、誰か
ら指示を受けたかについては聞いていない。Kは、車を貸してほしいと言ってきた
ので、パソコンから車の偽造ナンバーを出して渡した。Kが自分の考えで撃ち込み
をやるということについては、物騒な話なので、ちょっとこっちも気持ち悪いし、
聞かなかった。」などとして、捜査段階とは異なる供述をしている。
しかしながら、Dの公判供述は、やや具体性に欠ける上、その内容も不
自然かつ不合理である。すなわち、前記認定のC党をとりまく客観的状況や、Dの
立場からすれば、Dは、Kから、撃ち込むから車を貸してほしいと言われた際に
は、既にその計画を耳にしていない限りは、当然、どこに撃ち込むのか、誰の指示
によるのかなどといった点についてKに確認するはずであって、Kに何も問いただ
さなかったとする公判供述は、いかにも不合理であるし、前記のとおり基本的に信
用できる捜査段階の供述と対比しても信用できない。
また、前記のとおり、Dの供述は捜査段階から変遷しているが、その理
由について、Dは、捜査段階においても、公判廷と同趣旨の供述をしたが、検察官
から「本人(Kを指す。)がそういうふうに言っている。」「要するにDさんが責
任取るというんだから責任取ってくださいと、あんたの言っている意味は分かるけ
ど、この調書でないと責任取れないんだ。」などと言われたため、自己の意に反す
る内容の検察官調書に署名指印した旨説明するにとどまっており、供述の変遷に関
するDの供述は納得のいくものとはいい難い。
したがって、Dの公判供述は、信用することができない。
以上の検討からすると、結局、概ね信用できるDの検察官調書は、Kの
検察官調書の信用性を補強しているものといえる(Kの検察官調書と符合するとこ
ろは、相互にその信用性を補強し合っているといえよう。)。
(五) I1及びK1の公判供述による補強
I1は、「私は、九月二〇日夕方前、被告人から電話をもらって、喫茶
店ラムーで被告人と会った。その際私は被告人から、「汚れ物だ、預かってく
れ。」などと言われ、口をガムテープで留められた紙袋を渡されたので、これを自
宅に持ち帰り、仕事に出かけた。翌日午前二時半か三時ころ、自宅に戻った私は、
紙袋の中身を確かめようと、その中に手を入れると、固いごつごつしたものが手に
当たった。それから、紙袋の中を見たところ、鉄でできた筒状のものが、約五、六
センチメートル見えたので、けん銃だと分かった。大変驚いて、パニック状態にな
ったので、その紙袋を、ごみと一緒に黒色ビニール袋に入れて捨てた。」「被告人
が逮捕された後、店のほうに男性から電話があり、「池のところのものです。」
「池からの伝言で、預かったものを処分してくれ。」などと言われた。」などと供
述している。
このように、I1は、被告人から紙袋を預かり、その紙袋にけん銃が入
れられていることを認識するまでの経緯について、具体的かつ詳細に供述してい
る。また、I1は、被告人と個人的に親しい関係にあるにもかかわらず、時折涙ぐ
みながらも、あえて、被告人から預かった紙袋にけん銃が入れらられていたという
被告人にとって相当不利益な事実を供述している上、その供述は、弁護人からの反
対尋問にも揺らいではいない。さらに、被告人が逮捕された後、被告人からの伝言
であるとして、けん銃を処分してほしい旨の電話がかかってきたとする点について
は、I1の供述内容は、I1に、被告人からの伝言で廃棄処分するよう電話をかけ
たとするKの公判供述の内容とも概ね符合していることなどに照らすと、I1の公
判供述は基本的にその信用性を肯定することができる。
これに対し、弁護人は、I1が被告人から紙袋を受け取った後、被告人
と別れた際の状況について、I1は、喫茶店の出入口付近で預かった紙袋を右手に
持ちながら、大久保通り方向に歩いていく被告人を、七、八メートルくらい離れる
まで見送り、その後被告人に背を向けて帰宅した旨供述しているところ、Kは、被
告人が車に戻ってきたとき、被告人の側に、見覚えのあるI1がいた旨供述してい
るのであって、この点に関する両者の供述は相違している旨主張する。しかしなが
ら、両者の供述は、この事実があったとされる九月二〇日から相当時間を経過した
後になされたものであって、ある程度記憶違いがあってもやむを得ないものである
上、前記のとおり、両者の供述の信用性を肯定する事情が多く認められることから
すると、こうした供述の相違は、両者の供述の信用性を低めるものとはいうことが
できない。
また、弁護人は、その他、被告人から預かった紙袋の重量や、紙袋内の
けん銃を認識した際の状況などに関するI1の供述についても、疑問があると主張
するものの、弁護人指摘の点は、いずれも瑣末なものである上、必ずしも不合理と
いえるものでもなく、I1の公判供述の信用性に影響を与えるものではない。
結局、弁護人の主張するところは、いずれも、I1の公判供述の信用性
を左右するものではない。
また、K1は、「九月二一日ころ、被告人が逮捕され、その一週間か二
週間後の正午ころ、C党の事務所に被告人の弁護士から電話がかかってきた。自分
の事件も担当した弁護士だった。弁護士が、「L1さんいますか。」と言ったの
で、二〇二号室にL1を呼びに行った。L1は電話に出たが電話の内容は聞こえな
かった。L1から飲み屋の女の電話番号が書いてあるメモを見せてもらった。L1
はその電話の内容を、後から事務所に来たKに話した。L1は、Kに対して、被告
人の弁護士から、飲み屋の女に預けている被告人のものがあるから、それを処分す
るように頼まれたと話していた。メモは最終的にKが受け取ったが、Kも行くこと
ができなかったことから、後から事務所に来たM1に、M1の知り合いの男の電話
番号を聞いて、Kが電話をかけた。しかし、相手が留守だったので、Kの携帯電話
の番号を教えて、折り返し電話をくださいと伝えた。」「飲み屋には誰も電話をか
けていない。最終的に飲み屋に電話をかけたのは、第四の男だと思うが、自分は、
見ていないから、行ったか行かないかは分からない。」「洗濯物を被告人の部屋に
持っていったときに、けん銃を見た。サイドボードの上にサックに入れ
たけん銃があった。サックから取り出し、手に取ってみると、回転式のけん銃だっ
た。被告人は、本物と言ったし、重かったから本物と思った。」などと供述してい
るところ、被告人の弁護士からの電話の内容やその後のL1やKのやり取りなどに
関する供述は、いずれも具体的である上、その供述するところは一貫しており、弁
護人の反対尋問にも揺らいでいないこと、K1に虚偽の供述をしてまで被告人を陥
れるような事情は見当たらないことなどに鑑みると、K1の供述も基本的にはその
信用性を肯定することができる。
これに対し、弁護人は、K1の右供述は、K自らがI1に電話をかけた
とするKの供述と相反する内容になっている旨主張している。しかしながら、K1
は、最終的に誰がI1に電話をかけたかについては認識していないのであって、K
が、何らかの事情でやむを得ず自分でI1に電話をかけたということも考えられな
いわけではないし、たとえ、K1の供述のとおり、KがI1の店の電話番号が記載
されたメモを事務所に置いたままであったとしても、その折り返し電話をくれるよ
う伝えた相手からI1の電話番号を聞くなどして、I1に電話をかけることは可能
であったといえ、両者の供述は必ずしも相反する内容とはいえない。むしろ、被告
人が弁護士を通じてI1に預けた物の処分を依頼したという重要な点については、
両者の供述は符合していることも考慮すると、この点に関するK1の公判供述の信
用性は左右されない。
そうすると、これらの公判供述により、①本件発砲事件からそれほど日
がたたない時期に被告人がI1にけん銃様のものを預けたこと、②被告人が、弁護
士を通じ、I1に預けた物の処分を依頼したこと、③被告人が、本件発砲事件以前
に、けん銃様のものを所持していたことが認められるが、これらの事実は、被告人
の指示により本件発砲事件を敢行したとするKの捜査段階の供述を直接裏付けるも
のではないものの、被告人の本件発砲事件への関与を推認させる方向に働くものと
いえるし、Kの捜査段階の供述の信用性を補強し得るものといえる。
(六) 小括
以上の検討からすれば、Kの検察官調書の内容は、信用できる。
四 被告人の公判供述の信用性
被告人は、本件発砲事件について、Kに指示したことはないし、自分が所持
していたけん銃は、本物ではなくモデルガンであって、それをI1やK1が本物と
勘違いしたにすぎないと供述している。
しかしながら、被告人が本件発砲事件について指示していなかったとすれ
ば、Kは自らあるいは被告人以外の何者かからの指示を受けて本件発砲事件を起こ
したことになるが、前記のとおり、Kが自ら本件発砲事件に及ぶような事情は見当
たらないし、被告人以外の何者かから指示されたような事情も認められず、被告人
の供述は不合理である。
また、被告人は、モデルガンは、他の暴力団と交渉する際に使うために持っ
ていた旨供述しているものの、一般人に対して示すのであればともかく、他の暴力
団と交渉する際使うのであれば抗争を招きかねないことなどからすれば、被告人の
述べる用途自体不合理であるし、本物のけん銃を見たことがあるI1やK1が、い
ずれも、本物のけん銃とモデルガンを勘違いしたというのは不自然である。
したがって、被告人の公判供述は信用できない。
五 結論
以上の検討からすると、Kの検察官調書の内容は信用することができるのに
対し、これに反する被告人の公判供述は信用することができず、結局、信用できる
Kの検察官調書などの関係証拠によると、被告人が、Kに指示して、本件発砲事件
を行わせたものと認めることができ、被告人には、銃砲刀剣類所持等取締法違反
(発射罪)の罪の共謀共同正犯が成立するというべきである。
第五 判示第五の恐喝未遂について
一 弁護人の主張
弁護人は、被告人は、D、N、MらとB住職から金員を喝取することを共謀
したことはなく、その実行行為を分担したものでもないから、無罪であると主張
し、被告人もこれに沿う供述をするので、以下検討する。
二 特に争いがないか、容易に認定できる事実
関係各証拠によれば、以下の各事実は、特に争いがないか、容易にこれを認
定することができる。
1 Nは、N石材店を経営し、A寺の墓地管理などを業務として行っていた
が、平成四年、A寺から、N石材店が墓地を勝手に増設したり、本来A寺に支払わ
れるべき墓地の永代使用料等を曖昧に処理しているなどの問題を指摘され、同年一
二月ころ、墓地管理業務の委託を解除する旨伝えられた。これに対して、Nは、平
成五年一月、A寺に対して営業妨害の禁止を求める仮処分を申し立て、同年一二月
ころ、両者の間で相互に業務を妨害してはならない旨の和解が成立したものの、そ
の後も、Nは、A寺から営業妨害を受けたとして、平成九年七月上旬ころ、営業妨
害をしてはならない旨の間接強制の申立てをし、同年九月、A寺に対し間接強制決
定がなされた。
なお、こうした中で、N石材店の売上は、平成二年度一億五四〇〇万円
余、平成三年度一億四〇〇〇万円余、平成四年度八六〇〇万円余、平成五年度四九
〇〇万円余、平成六年度六一〇〇万円余、平成七年度五四〇〇万円余、平成八年度
五〇〇〇万円余、平成九年度二三〇〇万円余と、年々減少していった。
2 Mは、A寺に勤務する僧侶であったが、平成二年九月ころ、A寺から、住
職に無断で戒名を付けてその料金を得るなどの不正を行っていたとして、本堂勤務
という謹慎処分を受けた上、平成四年一二月ころ、謹慎処分後も態度の改善が見ら
れないということを理由に同寺を解雇された。これに対し、Mは、平成五年一月こ
ろ、A寺に対して地位保全を求める仮処分を申し立てたものの、却下され、平成七
年ころには、本案の民事訴訟を提起したが、同年一二月ころ、MとA寺の間で、M
がA寺の職員としての地位にないことを相互に確認し、A寺がMに退職金として六
〇〇万円を支払う旨の和解が成立した。
3 しかし、N及びMは、右のようなA寺からなされた一連の処分等は、A1
(なお、同人は、平成四年にA寺副住職となった後、平成七年に住職(代表役員)
に就任し、その後Bと名を変更した。)が、A寺の住職の座に就き、同寺の実権を
握るために、その障害となるN及びMをA寺から排除しようとしたものと認識して
いた。なお、NとMはもともと親しい関係にあった。
4 こうした経過の中で、N及びMは、顔を合わせては、B住職に対する悪口
を言い合い、前記訴訟等も功を奏しないことが明らかになった平成九年ころから
は、何とかB住職に対する恨みを晴らす方法がないかなどと話し合うようになっ
た。そして、Mは、甥のN1を通じて知り合ったDをA寺との紛争を解決してくれ
る人物としてNに紹介したところ、Nが興味を示したため、D、N及びMは、平成
一〇年九月下旬ころ、目黒通りにあるしゃぶしゃぶ料理店「O1」において、話合
いを持った。
5 D、N及びMは、平成一〇年一〇月下旬ころ、地元であるY1商店街のフ
ランス料理店に集まった。Nは、A寺とN石材店との確執などについて話した後、
Dに対し、A寺から立退料を取れないだろうかと言った。Dは、全部任せてほしい
などと述べ、Nの右申出をいったんは了承し、Dの報酬については、A寺側から受
け取る金員の半分ということになった。また、この際、Nは、Dに対し、港区所在
のP1寺に対する七三〇万円の未収金の取立ても依頼し、Dはこれを引き受け、P
1寺に対する取立てを行ったものの、警察沙汰になるなどし、Nも手を引くよう要
請してきたため、これを中止した。
6 D、N及びMは、平成一〇年一一月下旬ころ、世田谷区奥沢のN石材店事
務所に集まり、A寺に対する要求内容について話し合ったが、そのとき、N石材店
がA寺の墓地の管理業務に復帰すること(以下、この要求のことを「N石材店の復
帰」ということがある。)を要求するという話が出た。その後、D、N及びMは、
A寺に対して要求していくに際し、Nが経費を、Mが情報を提供することに決め
た。
7 Dは、右翼団体を作ってA寺に圧力をかけるため、C党を設立することと
し、平成一〇年一二月中旬ころ、N所有のアパートであるF1にC党の事務所を構
えることとし、街頭宣伝車の整備や看板の手配等した。その一方で、Dは、同年一
二月上旬ころ、当時大阪に在住していた被告人に電話をし、C党に参加するように
誘った。被告人とDは、ともに、大阪にある指定暴力団G2会H2組に所属してい
たが、H2組内における地位は、被告人のほうが上であった。
8 被告人は、平成一一年一月末ないし二月初旬ころ(以下年月日は特に表示
しない限り、いずれも平成一一年である。)、上京し、Dの依頼によりNが用意し
たI2の一室に住んだが、春ころ、F1二〇五号室に移り住んだ。
9 Dは、一月一四日、東京都選挙管理委員会に名称をC党とする政治団体の
届出を行ったが、Dは、自らを同党党首とし、被告人を最高顧問としていた。
10 Dは、一月二七日、Q1に、街頭宣伝車をA寺の駐車場に停めさせてほし
い旨書かれた挨拶状と日本酒二本を持たせ、A寺に行かせたが、翌日、B住職の代
わりの者が、断りの手紙と日本酒二本を返してきたため、B住職と接触することは
できなかった。
11 Dは、二月ころから、覚せい剤はやめましょうなどと書かれたC党の機関
誌「人の道」を通行人に配布したり、A寺の檀家に郵送するなどし、街頭宣伝車で
軍歌やお経を流すなどの活動も始めた。
12 Dは、三月ころから、徐々に街頭宣伝活動を活発化し始め、四月ころから
は、別紙のとおり、A寺周辺で軍歌などを流すばかりでなく、A寺筆頭総代Pや檀
家総代Qの自宅や職場周辺で、同人らを誹謗中傷する内容の街頭宣伝活動を行うよ
うになり、五月には、B住職の妻Oの実家である秋田県北秋田郡阿仁町において、
B住職やOを誹謗中傷する内容の街頭宣伝活動も行った。その他、Dは、C党のホ
ームページを開設してその中にB住職らのことを記載したり、A寺境内に「銃器の
持ち込みはやめましょう。」等と記載された看板を設置するなどして、B住職らに
対する嫌がらせを行った。
13 こうした度重なる街頭宣伝活動等の嫌がらせに困ったB住職は、高校時代
の同級生であったUに、その解決策について相談したところ、力のある右翼である
として、R1を紹介され、同人にC党との仲裁を依頼することとした。
14 これを受けて、R1がC党について調べたところ、J2組を破門された指
定暴力団G2会H2組に所属する者が関与していることが判明したため、R1は、
まず、以前J2組K2組L2組組長であったS1にC党との交渉を依頼した。右依
頼を受けたS1は、四月中旬ころ、D及び被告人と会い、金銭的解決を持ちかけた
が、Dがこれに応じなかったため、交渉は失敗に終わった。
15 そこで、R1はS1に代わって、J2組直参のT1にC党との交渉を依頼
した。T1は、この依頼を引き受け、五月中旬ころ、Dと会い、同人に対して、五
億円を出すから手を引けなどと言ったものの、Dが、これに応じなかったことか
ら、結局交渉は失敗に終わった。
16 他方、B住職は、五月二九日には総代会を開き、Uの関係者にC党との交
渉を依頼し、Nの所有ないし管理にかかる物件をすべて処理するのに、C党に一〇
億円を支払うということについて、檀家総代らの了承を得た。しかし、その後、B
住職は、R1からT1を通じての交渉が失敗に終わったことを知らされた。
17 こうして、S1及びT1を通じての各交渉がいずれも失敗に終わったた
め、R1の事務所に勤めていたU1の提案により、B住職は事態収拾のためDと直
接会うこととし、六月三日、A寺開山堂において、U、U1同席の下、話合いを行
った。その席において、Dは、B住職に対して、N石材店の復帰、MへのV1寺
(共同墓地)の譲渡、Qの自宅敷地部分のセットバック及び檀家総代の解任、Pの
筆頭総代の解任等を要求したが、いずれも断られ、他方、B住職は、N所有ないし
管理にかかる桶小屋、住居、アパートなどすべてを一〇億円で買い取るという条件
を提示したが、Dは即答しなかった。
18 Dは、六月四日、U1に対し、A寺に、Nに対する墓地立ち退き料や墓地
内の建物・事務所・倉庫・作業場に対する権利放棄費用などの名目で合計一七億円
を要求するなどの内容の「お知らせ」と題する文書を渡した。U1が、翌日、これ
をB住職に渡したところ、B住職は、記載内容が六月三日の交渉の結果と全く異な
っていることに怒りを覚えたものの、思い悩んだ挙げ句、いったんは、N石材店の
所有ないし管理にかかる土地建物を買い取った上、C党及びN石材店との債権債務
関係がないこととすることを条件に、一五億円でC党と交渉することをUを通じて
U1に依頼した。これを受けて、U1は、Dに対し、二億円まけてもらえないかな
どと話し、その数日後、六月一一日に、再びB住職と会ってほしいなどと言った。
19 しかし、B住職は、A寺の警備に当たっていた警備会社の社長、弁護士、
A寺檀家総代らと相談の上翻意し、六月一〇日、Uに対し、Dとの話合いには応じ
ない旨告げた。
20 六月一一日、B住職との会談が中止になったことを知ったDは、被告人と
ともにR1事務所に行き、R1を問い詰め、同人に対し、B住職との面談の場を再
度設定するよう求めた。
21 その後、Dは、街頭宣伝車の数を増やし、別紙のとおり、A寺周辺、B住
職の実姉であるT方周辺、秋田のOの実家周辺で、激しい街頭宣伝活動をするよう
になり、ビラの内容も、B住職やOらの誹謗中傷を含むより過激な内容のものにな
った。
22 Dと被告人は、七月二二日ころに、R1事務所を訪れ、R1に対し、六月
三日にB住職とC党の間で合意した事項は、立退料、建物などの権利を放棄する費
用あわせて一五億円であること、Pを筆頭総代から解任すること、V1寺をMに譲
渡することであるところ、R1事務所の仲介を尊重して八月一六日まで待つことな
どと記載された文書を渡した。また、被告人は、R1に対し、帰り際に、「これは
もう決まっている約束事ですから約束は守ってください。」などと言った。
23 Uは、八月一三日、Dから呼び出しを受けたため、R1事務所のW1と一
緒にC党事務所を訪れた。その後、同月一四日及び一八日にも、Uは一人で、C党
事務所を訪れた。
24 Uは、八月二三日及び二五日に、A寺を訪れ、B住職との面会を求めた。
25 被告人は、X1に声をかけ、八月二九日及び九月五日、多数の暴力団関係
者と見られる者とともに、A寺境内を歩き回った。
26 被告人は、平成一一年九月、R1が入院している病院を二回訪れ、R1に
対し、「できるだけのことはせいよ。納得できることはせな許さんぞ。ただし、こ
れはDの仕事やから、支払方法についてはDと話しせい。このまま見逃すことはで
きんから、お前入院してようが何してようが関係ない。殺すぞ。」などと言った。
27 被告人は、Dから、五月の連休時に五〇万円、六月の韓国旅行に出発する
前に一五〇万円、六月末帰国時に一〇〇万円、その他の機会に、たびたび二〇万
円、三〇万円程度の金員を受け取っていた。
三 共謀の有無とその内容及び成立時期
これらの事実を前提に、以下、本件の争点である共謀の有無とその内容及び
成立時期について検討する。
1 D、N及びMの共謀
(一) Dの供述要旨とその信用性
(1) Dの供述要旨
ア Dの捜査段階の供述要旨
Dは、捜査段階において、検察官に対し、要旨以下のとおり供述す
る(甲一五九)。
私は、Mから、A寺の住職に寺の墓地から追い出されて困っている
石屋がいる、住職は一切話合いに応じない態度を示しているので、何とかしてやっ
てくれないかと仲裁を依頼された。そこで、私は平成一〇年九月初旬ころ、Mとと
もにN石材店事務所に行き、Nと会った。このとき、Nは、簡単にN石材店とA寺
の権利関係等の話をしたが、あまり詳しい話ではなかった。Nは、私に対する警戒
心があったようだった。
私は、同月二四日ころ、「O1」で、M、Nと三人で会った。私
は、Nに対し、「私に任せるのであれば、全部任せてもらう。自分を信用してくれ
れば、問題は全部解決する。安心して任せてくれ。」などと言ったが、Nはまだ私
に対する警戒心が取れない様子で、A寺とのトラブルの内容はあまり詳しく聞けな
かった。私は、同年一〇月二三日ころの夕方、Y1商店街のフランス料理店で、
M、Nと会った。Nは、私にすべてを任せる決意をしてきたのか、「これまでN石
材店は、A寺と墓地管理業務委託契約を結び、墓地の管理業務をしてきた。ところ
が、B住職は、先代住職が入院した後、他の実力のある僧侶や古い付き合いのある
葬儀屋、石材店などの出入り業者を追放し、新しく入れた業者からリベートを取っ
ている。N石材店に対しても一方的に「墓地管理業務契約を解除する。」と通告し
てきた。A寺の墓はN石材店がすべて独占管理してきて、管理料、墓石等の販売な
どで年間八〇〇〇万円の売上げがあったのに、これが全部だめになりそうだったの
で、A寺に対して営業妨害差止の裁判を起こし、営業権を確保した。しかし、A寺
側はその後も様々な妨害をしてきたことから、檀家で「Y1を考える会」
を結成して抵抗したが、営業妨害がエスカレートし、檀家に対して「N石材店とは
手を切れ。」などと言い、新しく入った石材店に仕事を流してしまった。A寺から
立ち退くにしても立退料を取らなければ納得できない。立退料を取れないだろう
か。」などと話してきた。Nが今収入がないので報酬を出せないなどというので、
成功報酬として立退料の半分をもらうと言い、Nの話を受ける旨答えた。Nが経費
も今すぐ出せないというので、すぐに金の取れそうな案件はないのかと聞くと、N
は、P1寺の修復工事代金七三〇万円が未払いになっているなどという話をしてき
た。Nは、このほかにもA寺に絡む案件をいくつか言っていたが、私は、手始めに
するにはA寺以外の案件がいいだろうと思い、P1寺と交渉することにした。
私がP1寺の件から手を引いた同年一一月中旬以降、A寺に対する
要求の話に移り、私、N、Mの三人は、同月下旬ころ、N石材店事務所に、何度か
集まり、A寺に対する要求の確認やその方法などについて協議した。同月二〇日こ
ろ、私、N、Mの三人でN石材店事務所で話し合った際、Nは、私に、「A寺は、
自分を追い出したいらしいが、立退料をもらわないと出ていけない。弁護士どうし
で話し合っており、五〇〇〇万円と言っているが、そんな額では話にならない。」
と言うので、いくらなら出て行くのか聞くと、Nは「三億から五億は欲しい。」と
言った。私がA寺にどれくらい金があるのか聞くと、Nは「前の住職のときに、裏
金を作るのに協力した。そのとき、二〇億くらいになったはずだ。今はもっとある
と思う。」と答えたので、私は、A寺は三〇億くらいは持っているから、一〇億く
らいは出せるだろうと思った。私がNに、「じゃあ、立退料は一〇億にしよう。報
酬は折半だ。」と言うと、Nは、「はい、それでお願いします。」と言った。私
は、A寺に対する要求に当たり、私のこれまでの稼業上の経験を生かしてB住職な
どに圧力をかけることを考えており、NやMも、そのことを期待して私
にA寺との交渉を依頼してきていることは分かっていた。しかし、やるにしても、
一〇億円を正面から要求したら恐喝で警察に捕まる、過去に川崎で労災保険の補償
金の請求を弁護士を通じて要求したのに、恐喝でパクられたという事件があった
が、あれを恐喝というなら、自分のやることは間違いなく恐喝になってしまう、自
分ももう五〇歳だから、手が後ろに回りたくないと思った。それで、私は、Nを復
帰させるということも前に出したらどうかと思った。立退料として一〇億円取れれ
ば、それはそれでいいし、NとA寺との関係を昔に戻すことがもしできれば、Nと
業務提携して一緒に墓地の管理や造成販売などの仕事をし、将来にわたって安定し
た収入が得られるとも考え、それはそれでおいしい話だとも思った。G2会の看板
を出せば、他のやくざも金のにおいをかぎつけて寺側についたり、仲介してきたり
してややこしくなる、そうなると警察も黙ってないだろうと思い、右翼団体を作っ
て街頭宣伝活動でB住職に圧力をかけて交渉の場に座らせようと思った。私は、同
月二五日、N石材店事務所で、N及びMと会って、私の考えを伝えた。その際、私
は、Nに「A寺にNさんが復帰するのはどうなんだ。」と聞くと、Nは
、「昔に戻れればそれはそれでよい。」と答えたので、私は、「じゃあ、Nさんの
復帰も要求して、それがだめなら、立退料一〇億ということでどうだ。」というこ
とにした。そして、私は、Nに「右翼団体を作って、A寺やB住職、檀家総代を街
宣活動で攻撃して圧力をかける。そうすれば、B住職も話合いに応じるだろう。住
職をほめ殺しでもするか。」などと言ったところ、Nはそりゃいいですねなどと乗
り気な様子だった。
イ Dの公判供述の要旨
これに対し、Dは、公判廷において、要旨以下のとおり供述する。
私は、Mと知り合ってほどなく、Mから、Nを紹介された。A寺の
墓地管理をしていたが、A寺から嫌がらせをされて、追い出されそうになっている
ということだった。平成一〇年秋ころ、N石材店事務所にMと一緒に行き、Nと会
った。Nから、A寺の愚痴を聞かされたが、具体的な話はなかった。私は、九月二
四日ころ、「O1」でN、Mと会った。A寺とは別の寺の話をしたように思うが、
全部任せてもらうという話をした。Nに、P1寺に墓地の造成費として七〇〇万円
の未収金があるから、取り立ててほしいと依頼されたが、A寺絡みの未収金の取立
ては依頼されなかった。
私は、一〇月ころ、フランス料理店でN、Mと会った。Nは、A寺
とのトラブルについて詳しく話し、三代にわたって寺の墓番をやっていたが、A寺
から一方的に追い出されようとしている、墓地管理業務委託契約などないのに、そ
れを解除したと突き付けてきた、住職が嫌がらせをするので、年間一億六〇〇〇万
円あった売上が二〇〇〇万円に減った、二〇〇〇基くらいの墓を管理していたの
に、それが五分の一くらいにまで減り、経営が苦しくなったと言っていた。Nが、
A寺のほうは弁護士に五〇〇〇万円から八〇〇〇万円くらいは出してもいいと言っ
てきているが、それでは納得がいかないと言うので、私は、もう少し多く取れれば
いいんじゃないか、最低でも五億円か一〇億円は取れるんじゃないかという話を
し、立退料が取れた場合には、報酬は折半にしようと言うと、Nもこれを承知し
た。
P1寺の件が終わった一〇月か一一月ころ、私は、N石材店事務所
で、M、NからA寺に関する問題について相談された。Nは、興信所の資料を見せ
ながら、B住職の愚痴を言っていた。MがA寺から追い出されたという話も既に聞
いていた。一一月が終わる前に、Nから、A寺が提示している五〇〇〇万円ないし
八〇〇〇万円では納得できないと聞かされた。Nは、立退料として三億円から五億
円はほしいと言っていた。Nからは、先代の住職のときに裏金を作るのに協力した
から、A寺には二〇億円くらいあると聞いた。私は、三億円から五億円取るために
は、一〇億円は要求する必要があると考えたので、その旨話し、さらに一〇億円取
れたら、報酬は折半にしようと話した。
A寺に立退料一〇億円を要求しても、下手すれば恐喝になるだろう
し、自分の知り合いにも、川崎で同じような件で恐喝で捕まっているのがいた。ま
た、Nを復帰させた場合、私がNの仕事を共同でできるようになれば、毎月金が入
ってきて自分も安定するのでプラスになるなどと考え、立退料として一〇億円を請
求するのをやめ、N石材店の復帰を要求する方向でいくこととし、Nにも一〇億円
請求しても恐喝で捕まったらどうにもならないから、復帰したほうがいいと話し
た。N石材店が復帰できた場合には共同で事業をし、上がった利益を分けてもらう
ということになった。N石材店を復帰させるための方法としては、政治団体を作っ
てA寺に圧力をかけることを考えており、NとMに対し、その旨伝えたところ、二
人は、復帰できればそれが一番いい、是非やってくださいなどと言った。平成一〇
年秋当時、Nは、桶小屋の立ち退きに関して弁護士を立てて交渉していたが、私
は、復帰もできないことはないと考えていた。
(2) Dの供述の信用性
ア Dの捜査段階の供述の信用性
Dの右各供述の信用性を検討するに、右検察官調書は、D、N及び
Mの三者間で、立退料名目で一〇億円を要求する旨の合意が成立する過程について
その会話やその際の心情等が、詳細に述べられており、特段不自然、不合理な点は
認められない。例えば、Dは、立退料を正面から要求すると恐喝として検挙される
おそれがあることから、N石材店の復帰を前面に出し、それが拒絶された場合に立
退料を要求しようと考えた旨述べるが、この点に関するDの供述は、Dの述べる自
分の経験してきた事柄との対比を考えても了解可能なものであるし、Dが必ずしも
正確な法律知識を有していないということを前提とすれば、N石材店の復帰を要求
した場合であっても強要罪が成立する可能性があるということを認識していなかっ
たとしても不合理ではない。また、右三者間で合意が成立した経緯や話合いの際の
会話内容に関するDの供述は、その日時や場所などについて、若干食い違う部分も
あるものの、三者間で合意が成立するに至った基本的な流れは、NやMの各検察官
調書の内容とも符合している(Mの供述内容には、Dと同様、特段不自然、不合理
な点は認められないし、Mが、自ら進んで本件合意に関与したことを
認め、その果たした役割についても詳細に供述していることも併せ考えると、Mの
検察官調書は、その信用性を肯定できるし、基本的に、Nの検察官調書が信用でき
るのも、後記のとおりである。)。さらに、Dの検察官調書には、Dが、N石材店
の復帰を前面に出し、それが拒絶された場合に立退料を要求しようと考えた理由に
ついて、過去に川崎で労災保険の補償金の請求を弁護士を通じて要求したのに、恐
喝でパクられたという事件があったなどと、Dから進んで供述しない限り捜査機関
において知り得ないような事実も記載されていることからすると、Dの検察官調書
は、Dが自己の記憶に基づいて任意に供述したことを録取したものと認められる。
これに対し、弁護人は、①DやMは、各検察官調書において、右三
者間で、B住職に対して一〇億円の立退料を要求する旨の合意をした後に、N石材
店の復帰をも要求することをもちかけて、同店の復帰を要求し、それが拒絶された
場合には立退料を要求するという合意が成立した旨述べているのに対し、Nは、検
察官調書において、右三者間で、N石材店の復帰は諦め、B住職に対して一〇億円
の立退料を要求することを合意した旨述べており、本件事件の発端であり、また、
核心でもあるN石材店のA寺に対する要求内容についての供述が矛盾している、②
Dは、検察官調書において、C党を結成したのは、G2会の看板を出せば、他のや
くざも金のにおいをかいで寺側についたり、仲介してきたりしてややこしくなる、
そうなると警察も黙っていないだろうと考えたからである旨述べているのに対し、
Nは、この点、検察官調書において、天下のA寺との戦いになるから、下手に動く
ことはできないので、右翼として正面から寺を攻めるためである旨述べているので
あって、A寺に対する要求を実現する手段としての右翼団体の結成目的という重要
部分についての供述が矛盾しているなどと主張する。
しかしながら、①について、D、N及びMの捜査段階で供述する要
求内容については、何度かの話合いの中で立退料の要求とN石材店の復帰という二
つの事項が話題にのぼったことは合致しており、これらの事項が要求内容となった
という点でも共通するところがある上、他方で、D、N及びMは、それぞれ異なる
経歴、社会経験を持ちながら、A寺側から多額の経済的利益を引き出そうとの点で
意思を一致させたもので、それまでの同寺との関わりの濃淡に応じて、決着のつけ
方に異なった見通しを持っていたとしても不自然ではないし、同寺相手の交渉に着
手もしていない段階では、右最終合意の内容について、各自の思惑に従っていくぶ
ん異なった受け止め方をしたとしても不合理とはいえない。また、②についても、
Dから説明を受けた内容としてNが捜査段階で述べるところは、抽象的なものにと
どまり、Dの供述と必ずしも矛盾するものとはいえないし、Dが、Nに対し、C党
を結成する目的について前記のとおり説明することで、Nが、怖じ気づき、A寺に
対する交渉を中止してほしいと言い出すのを避けたいなどと考えて、抽象的な説明
にとどめたとしても不合理ではないのであるから、いずれにしてもD
とNの検察官調書における供述内容が矛盾するとはいえない。
また、弁護人は、③Dが、平成一〇年一一月の時点で、NやMとの
間で、B住職に対して、立退料を要求する旨合意していたのであれば、それ以降、
具体的な金額を提示して、金銭的解決を前提とした行動をとっているはずであるの
に、Dは、六月四日、「お知らせ」と題する文書で一七億円を要求するまで、そう
した行動を取っていないし、S1から金銭的解決を持ちかけられた際にも、さらに
は、T1から五億円という相当額の金員を提示されて、手を引くように言われた際
にも、一貫して「N石材店の復帰要求が目的であり、金の問題ではない。」として
これを拒否しており、DがA寺に対して一次的であれ、二次的であれ、一〇億円の
立退料を要求する目的であったことと矛盾する対応を採ったことは明らかであるか
ら、Dらの間で、B住職に対して、立退料を要求する旨の合意が成立していたとす
るDの検察官調書の内容は信用できないと主張する。
しかし、前記二で認定のとおり、Dは、六月三日にB住職と会うま
ではB住職に対してN石材店の復帰や金銭の支払を要求する機会がなかったもので
ある上、六月三日にB住職にN石材店の復帰等の要求をしたものの、B住職からこ
れを拒まれ、金銭による解決を提示されると、これを拒否することなく、翌日に早
速一七億円の支払などを求める要求に変更しており、弁護人指摘のT1からの金銭
による解決の申出からそれほど時間の経過していないところでDがこうした行動に
出ていることなどからすると、DとN及びMのA寺に対する要求がNの復帰等であ
って立退料などの金銭の支払を求めるものではなかったとするDの公判供述は不自
然・不合理であり(なおこの点を含めてDの公判供述が検察官調書の内容と対比し
て信用できないことは後で詳述)、いずれB住職に金銭の支払を求める目的があっ
たとするほうが自然であるし、また、こうした事実関係とDがNやMからA寺には
二〇億円から三〇億円の金があると聞いていたことなどからすると、DがT1の金
銭による解決の申出を断ったのも、より多くの金額を望んでいたからであったとし
ても不自然ではない。DがT1の金銭による解決の申出を断ったこと
は、平成一〇年一一月の時点で、DがNらとの間で、B住職に対して立退料を要求
する旨合意していたとするDの検察官調書の信用性を否定するものではない。さら
に、六月四日の「お知らせ」と題する書面による要求まで、Dが具体的な金銭の支
払を要求するような行為に出ていないことも、前記のとおりそもそも六月段階まで
DがB住職に具体的な要求をする機会がなかったことや、前記の事実関係からする
と、Dは、B住職に対し金銭の支払を要求するに当たって、恐喝罪の責任を問われ
る可能性があることから策を講じ、右翼団体を設立するなどして街頭宣伝活動等を
まず行って、A寺の出方を見極めていたものと考えられることなどに照らせば、こ
の点も平成一〇年一一月の時点で、DがNらとの間で、B住職に対して立退料を要
求する旨合意していたとするDの検察官調書の信用性に疑問を生じさせるものでは
ない。この点でのDの検察官調書の信用性がないとする弁護人の主張は採用できな
い(なお、弁護人は、R1が、T1から、Dとの交渉経過について聞いた内容とし
て、T1が五億円での解決を提示したのに対して、Dが「寺には三〇億か四〇億の
金があるのは確実なんです。八月一六日にある「お面かぶり」の行事
まで街宣をやらせてください。お面かぶりは寺にとって大事な行事だから、ここま
でやれば住職は参って、三〇億でも払うといってきます。もう少し、やらせてくだ
さい。」などとして、これを断った旨供述している点については、R1の供述は、
Dが立退料名目でA寺から三〇億円を取る旨の発言をしたことを立証趣旨とする
と、再伝聞供述であり、証拠能力に問題があるほか、供述内容の信用性について
も、R1からUないしUを介してB住職に伝えられたT1とDとの交渉に関する報
告には、明らかに虚偽の事項が多数含まれていること、R1からC党の街頭宣伝活
動の中止ないし退去の交渉依頼を受けたものの、これをまとめることができなかっ
たT1が、DがN石材店の復帰を理由に金銭的解決を拒否したことを報告する代わ
りに、過大請求をした旨の虚偽の報告をした可能性があることなどから、R1の供
述を信用することはできない旨主張しているので付言しておく。まず、R1の供述
は立証趣旨との関係では再伝聞にあたる内容を含むものの、弁護人の同意がある以
上、証拠能力には問題はないと解される。そして、その信用性についても、R1の
供述は、T1との会話内容が事細かに述べられている上、その内容も具体
的であって、R1がT1から聞いたことをそのまま述べたものと考えられるし、ま
た、Dが、前記のとおり、現実にB住職に対して一七億円を要求していることや、
Nらから、A寺には二〇億円から三〇億円あると聞いていたことからすると、この
ような発言をしたとしても必ずしも不自然ではない。弁護人は、T1が、R1に対
し虚偽の報告をした可能性を指摘するが、仮に、DがN石材店の復帰を理由に金銭
的解決を拒否したため、交渉が決裂したとしても、T1とすれば、それをそのまま
R1に伝えればよく、あえてDが過大請求をしたなどとして虚偽の報告をする必要
はないし、そのような虚偽の報告をするのに、DがいったんはT1の申出を受け入
れ、街頭宣伝活動の中止と墓地内にあるN石材店の作業所などの権利放棄を条件に
五億円で解決することを承知したということまで述べる必要はない。また、R1か
らUを介してB住職に、DとT1の交渉内容が伝えられる過程で、R1やUが実際
に、T1とDの交渉の場に立ち会っていなかったことから、相互に意思の疎通が図
れず、結果として相互の供述に相違する点が生じたとしても、それほど不自然とは
いえない。弁護人の指摘を考慮しても、R1の供述は、信用できるも
のといえる。)。
さらに、弁護人は、④あらかじめ、D、N及びMの間で予備的(二
次的)にせよ、一〇億円の立退料を要求する合意が成立していたのであれば、六月
三日のDとB住職との話合いの場において、B住職から一〇億円を支払って金銭的
解決を図る案を示された際、Dとしては、その必要がないのに、改めてNと協議
し、同人の了解を取っていることも不可解である旨主張している。
しかしながら、Dとしては、B住職から金銭的解決を図る案を提示
された際、Nらとの間で立退料の要求をすることになっていたとしても、金額やそ
の他の条件などについてより有利な内容の要求を通すため、いったんはその場を引
き取り、改めて内容を検討してB住職に要求するのは自然なことであり、その際、
明渡しなどを求められるNに要求内容を相談して了解を得ることも自然であるとい
える。
以上の検討からすると、Dの検察官調書は信用できる。
イ Dの公判供述の信用性
これに対し、Dの公判供述は、D、N及びMの三者間において合意
したのは、B住職に対して、N石材店の復帰を要求するということであって、立退
料の要求ではないというものである。しかしながら、以下に述べるとおり、Dの公
判供述は信用できない。
まず、これまでのN石材店とA寺との紛争経緯からすれば、平成一
〇年一〇月ころには、既にN石材店の復帰の要求をA寺が受け入れることは客観的
には難しい状況にあったと認められるところ、NやMから右紛争経緯を聞いていた
Dとすれば、そのことは容易に理解できたことである。また、Dは、B住職との交
渉を進める際、政治団体を作って、圧力をかけることを考えていたとするが、そも
そもN石材店がA寺に復帰するためには、A寺と良好な関係を継続していくことが
前提となるのであるから、右のような行動に出てしまえば、B住職とのN石材店の
復帰を目的とした交渉が成功する可能性が低いことは自明であることや、Nが、弁
護士を通じて、N石材店の桶小屋等の明渡しを前提として、A寺と立退料の交渉を
行っているにもかかわらず、NもDもこの交渉を中止するなどの行為に出ていない
ことも併せ考慮すると、右三者間でN石材店の復帰を要求することで合意したとす
るDの公判供述は、不合理である。Dの公判供述を前提とすれば、Dは、六月三日
のB住職との会談の際に、B住職からN石材店の復帰を断られたことで、すぐに立
退料要求の交渉に切り替えたことになるが、初めて実質的な交渉に入
った段階で、B住職から、N石材店の復帰要求を断られたからといって、Dが直ち
にそれを受け入れ、Nに復帰は無理であると告げ、立退料を要求することを提案し
たというのも不自然である。
右三者間で合意していたのは、B住職に対し、N石材店の復帰を要
求することであるとする供述は、恐喝の犯意を否定するものであり、そうした意味
で、Dの供述は自己の刑事責任を軽減する方向に変遷しているところ、Dは、その
理由について、検察官が、警察官調書の内容を認めず、検察官調書を作成し、その
訂正を申し立てたが同意しなかった、裁判になれば警察官調書も証拠として出ると
思ったし、面倒なので署名指印した旨述べるが、警察官調書においても、N石材店
の復帰、それができないときには立退料一〇億円の獲得が目的であった旨記載があ
る上、そのような記載があることについて、Dが、弁護人から尋問された際にも、
それは私のミスですなどと供述するのみで何ら具体的理由を明らかにできていない
ことなどからすると、信用できないといわざるを得ない。
さらに、Dの公判供述は、全体的に曖昧で、信用できるMやNの検
察官調書の内容と食い違う部分も多い。
これに対し、弁護人は、Dが、Nから、従前のN石材店とA寺間の
紛争の経緯及び交渉の経緯について、説明を受けていたとしても、この紛争はA寺
もN石材店もいずれは解決を図らざるを得ない問題であること、立退料として一〇
億円を要求することも、恐喝となる点を措くとしてもその実現が困難であること、
N石材店のA寺への復帰による解決についても、A寺側からすれば、一〇億円を支
払わなくても済むし、N石材店側としても、N自身の墓地管理業務等への復帰にこ
だわるのではなく、Nは引退しその息子に跡を継がせるとか社名を変更するなどの
形で譲歩することが可能であることなどからすれば、方法如何によってはN石材店
の復帰という解決も可能であると考えたとするDの公判供述もそれなりの合理性を
持つと主張する。
しかしながら、前記のとおり、A寺は、N石材店が不正な行為を行
ったとして、同店との墓地管理業務委託を解除したもので、その後のA寺とN石材
店との確執も考えれば、仮に、N本人が引退し、その息子が跡を継いだり、あるい
は社名を変更したとしても、その実質に本質的な変更がない限りは、B住職がN石
材店の復帰を了承する可能性は低かったものと認められる。また、一〇億円は確か
に多額ではあるものの、A寺側からすれば、N石材店の復帰という形で解決を図っ
たとしても、その後も様々な問題が生じかねない上、最悪の場合には、C党がN石
材店、さらにはA寺に居座る口実を与えかねないのであるから、それよりは、C党
及びN石材店に対し一〇億円を支払って今後の関係を一切断つという解決方法を選
ぶほうが得策と考えるのが自然である。そして、Dのこれまでの経験やNから聴取
していた事項などを総合すれば、Dは、平成一〇年一一月の時点で、当然こうした
ことを認識していたものと推認できるのであるから、三者間でN石材店の復帰のみ
を要求することで合意したとするDの公判供述は、弁護人の前記の主張を考慮して
も、不合理であるといわざるを得ない。
また、弁護人は、D、N及びMの間で、B住職に対して、N石材店
の復帰を要求することで合意していたとしても、N石材店の立ち退きが切迫してい
る状況になかったことから、Dが、Nが弁護士を通じて立退料の交渉をしているこ
とに気を留めなかったとしても不自然ではないし、Nは、従前の民事裁判や弁護士
による交渉に不信感を抱いて、DにA寺との紛争の解決を依頼したのであるから、
Nが、弁護士を通じた立退料の交渉を度外視し、これを中止したり、確認したりす
ることをしなかったとしても右合意の存在と矛盾するものではないなどと主張す
る。
しかしながら、前記二で認定したN石材店の売上げの減少が示すと
おり、N石材店にとって、A寺が墓地管理業務委託を解除するとしてきたことは、
事実上N石材店の経営を困難にするものであったといえるし、それまでの民事訴訟
の経緯を知悉しているNの弁護士が、A寺側の弁護士との間で、立退料を支払う旨
の要求に絞り、かつこの支払に関する交渉を成立させる可能性も十分にあったもの
といえ、DやNが、Mも含めた三者間で、B住職に対して、N石材店の復帰を要求
していくことのみで合意していたとすれば、それと本質的に矛盾する右交渉の行く
末について無関心であったことも、また不信感を抱いている弁護士による交渉を放
置しておくことも考え難いところであり、DやNの右対応は、やはり右三者間でN
石材店の復帰のみを要求することで合意していたということと矛盾するものといえ
る。
さらに、弁護人は、六月三日のB住職との会談後に、右三者間で当
初合意していたN石材店の復帰から、立退料要求に方針を転換したことに関するD
の説明は、Dが一貫して、S1やT1らの金銭的解決の申出を断っていることや、
Dが、六月四日の「お知らせ」と題する書面で一七億円を要求するまで、第三者を
介しても一切金員の要求をしていないこととも合致しているし、Dが、六月三日の
右会談において、B住職を説得し、N石材店側の復帰の条件として、Nの引退、社
名変更等の譲歩案を示してB住職を説得したものの、B住職からN石材店の復帰を
拒否された際、そこにはA寺とN石材店との因縁のような自分の理解を超えるもの
があったなどと供述していることに照らしても、首肯でき、Dの方針転換はそれな
りの合理的な事情に基づくものであると主張する。
しかし、前記のとおり、DがS1やT1らの金銭的解決の申出を断
ったのも、より多くの金額を望んでいたからであったとしても不自然ではないし、
六月四日の「お知らせ」と題する書面まで、Dが具体的に金員を要求するような行
動に出ていないことも、特に不合理不自然ではないのであるから、こうしたDの行
動は、右三者間で、B住職に対してN石材店の復帰を要求することのみを合意して
いたことを裏付けるものでもない。また、仮に、Dの公判供述のとおり、右三者間
で、B住職に対して、N石材店の復帰のみを要求する旨の合意が成立していたとす
れば、実質的に初めての交渉の場であった六月三日、B住職からN石材店の復帰を
断られたとしても、引き続き、N石材店の復帰に向けた交渉を継続していくのが自
然であって、そうした合意を前提としながら、Dがすぐに立退料要求に方針転換し
たというのは、不自然かつ不合理であるといわざるを得ない。
加えて、弁護人は、Dは、自己の公判廷においても、NやMとの間
の合意の内容について、当公判廷と同様に供述している旨主張するが、前記のとお
り、Dの公判供述は不自然不合理といわざるを得ないのであるから、それに符合す
る供述が存在するからといって、Dの公判供述の信用性が高まるというものでもな
い。
以上によれば、Dの公判供述は信用できない。
(二) Nの供述要旨とその信用性
(1) Nの供述要旨
ア Nの捜査段階の供述要旨
Nは、捜査段階において、要旨以下のとおり、供述する(甲一五
七)。
私は、平成一〇年九月下旬ころ、Mと一緒に「O1」で、Dと初め
て会った。Mは、私に代わって、これまでのB住職とのいきさつを説明したが、既
にDに対してある程度の説明をしていたようで、詳しく言わなくともDは分かって
いるような様子だった。このとき、Mも、「N石材店の件だけでなく、私のことも
あわせて解決してほしい。」などと言っていた。Dは、「私が乗り出した以上、す
べての問題を任せてくれ。もう心配はいらない。安心してくれ。」などと力強く言
ってくれた。このとき、私はまだ迷いがあり、Mに「Dは普通の人ではないよ
ね。」などと言ったが、Mは、「大丈夫だよ。」などと答えた。
この数日後、私は、Mから連絡を受け、Y1商店街にあるフランス
料理店で、Dと会った。このとき、私は、Dにすべてを任せる決意をしていたの
で、これまでのいきさつについて、「住職のA1は、先代の住職が病気のため執務
できなくなると、寺の改革を名目に、A1の邪魔になるような僧侶や私を寺から追
い出した。墓地の中での花や線香の販売を妨害されている。裁判で勝ったのに、A
1が相変わらず嫌がらせを続けており、これをやめさせる有効な手段がない。墓地
内の桶小屋の立ち退きを迫られている。」などと話した。私が、Dに、謝礼を支払
えない旨言うと、Dは、「すべてを任せてください。謝礼は、住職から取る金の半
分をいただきます。」などと言ってきたので、私は、これを承知した。そして、手
始めに、私がP1寺に持っていた七三〇万円の未収金の取立てをDにやってもらう
ことになった。このほかに、私のA寺に対する債権についても、Dに取立てを依頼
した。
平成一〇年一一月下旬ころ、Mから連絡があり、DとMがN石材店
の事務所に来て、A1から金を取る話を具体的にした。Dが「もう一度、A寺に戻
りたいのか。」等と聞いてきたので、私は、「できればまたA寺で仕事をやらせて
もらえれば一番いいとは思っています。」などと答えたが、本音を言えば、無理な
ことはよく分かっていた。Dは私の気持ちを見抜いているかのように「寺が復帰を
認めず、N石材店のA寺の土地からの撤退を迫ってきたらどうするんだ。」などと
言ったので、私は、「もちろん、ただで立ち退くわけにはいきません。今、弁護士
に桶小屋の立ち退き問題で交渉してもらっています。その弁護士は、数千万円程度
の立退料の話をしているようですが、私は、そんな金額では納得できません。少な
くとも三億から五億はもらいたいと思います。」などと答えた。桶小屋だけでそれ
ほどの価値があるわけはなく、法外な要求であることは分かっていたが、私の気持
ちの中では、それくらいの金をA1からふんだくってやらないと気が済まないとい
う思いだった。それに、私は、噂で、A1と前の奥さんが離婚したときに、奥さん
に三億円の慰謝料が支払われたと聞いていた。また、私は先代の住職
の奥さんがMの奥さんに「裏金が二〇億はある。」と言っていたとMから聞いたこ
とがあったので、五億円くらいの金をもらってもどうということはないと思ってい
た。Dは、「寺にはそんなに金があるのかい。」と聞いてきたので、「先代の住職
のときに、裏金が二〇億あるとMの奥さんから聞いたことがありますよ。」などと
答えた。DがMに確かめると、Mも、これを肯定した上、「今だったら、三〇億か
四〇億はあるんじゃないですか。」などと答えた。このような話をした数日後の一
一月二五日ころ、DとMがN石材店事務所に来て、Dが真剣な様子で、「Nさん、
お寺に戻るのが無理だということだから、寺からは立退料ということで五億もらお
う。俺の取り分も同じで五億もらう。あわせて一〇億を住職からもらうことにしよ
う。」と言い出したので、私は「それでお願いします。」などと言った。Dは、
「天下のA寺との戦いになるから、下手に動くことができない。右翼として正式に
届けて正面から寺を攻めよう。そのためには、いろいろと経費がかかるがNさんに
何とかしてほしい。」と言ったので、「分かりました。」と答えた。このとき、M
も「Dさんがそこまでやってくれるのであれば心強い。私もお寺の情報
を提供する。」旨言い、このとき、私、D及びMの三人は、協力して、A1から合
計一〇億円を取ることを決めた。
イ Nの公判供述要旨
これに対して、Nは、公判廷において、C党を設立する前の時点で
は、Dとの合意の内容は、B住職に対して、N石材店の復帰を要求するというもの
であって、その後、R1が仲介に入り、A寺との交渉が煮詰まるに至って、B住職
に対して、Nの取り分として五億円、Dの取り分として五億円の合計一〇億円を要
求するという話がDのほうから出てきた旨供述している。
(2) Nの供述の信用性
ア Nの捜査段階の供述の信用性
まず、Nの検察官調書の信用性から検討するに、右検察官調書は、
Dの検察官調書と同様、D、N及びMの三者間で、立退料名目で一〇億円を要求す
る旨の合意が成立する過程の会話が、詳細に述べられており、特段不自然、不合理
な点は認められない。例えば、Nの公判供述を前提とすると、Dは、平成一〇年一
一月ころ、何らの報酬の取り決めもせずに、A寺との交渉を引き受け、その後も、
少なくとも、平成一一年四月あるいは五月ころ、R1がS1やT1に依頼するなど
して、DらとA寺との仲裁に入るまでの間、報酬について取り決めないまま、A寺
との交渉を続けていたことになるが、それまで特にDとNとの間に人的な関係があ
ったわけでもないことからすれば、いかにも不合理で、依頼に当たって十分な謝礼
を支払えない旨述べるNに対し、Dが、B住職から受け取る金員の半分をもらうこ
とで了承したとの検察官調書の分け前の分配を決めた経緯のほうが、合理的であ
る。
また、Dらとの間で成立した最終的な合意の内容には、相違が見ら
れるものの、右合意が成立するに至った基本的な流れについては、信用できるDや
Mの各検察官調書の内容と符合していることも、Dの検察官調書の信用性を検討し
た際に触れたとおりである。
さらに、Nの検察官調書には、Nが、A寺に対する債権の取立てを
Dに依頼した旨の記載があるが、債権の発生原因やその額についても具体的に記載
されているほか、DやMの各検察官調書に記載されていない内容をも含んでいるこ
とからすると、Nの検察官調書は、Nが自己の記憶に基づいて任意に供述したこと
を録取したものと認められる。
以上によれば、Nの検察官調書は、基本的に信用できる。
イ Nの公判供述の信用性
これに対し、前記のとおり、Nは、平成一一年四月あるいは五月こ
ろ、R1がS1やT1に依頼するなどして、DらとA寺の間の仲裁に入り、交渉が
煮詰まるに至って、B住職に対して、金銭を要求するという話がDのほうから出て
きた旨供述しているものの、他方で、検察官から、D、N及びMがいたときに、金
銭要求の話が出たのではないのかと尋ねられた際、「N石材店の事務所でその話が
出たと思う。調書に平成一〇年一一月二五日ごろと記載があれば、そうだろうと思
う。」とも供述しているのであって、公判供述自体に変遷がある。また、その理由
について、検察官から質問を受けた際も、「(時期については)はっきりした記憶
がございませんので。」などと供述するのみで、その理由を明らかにしていない
上、公判供述は全体として曖昧な供述が多々みられる。
さらに、Dらとの間で、B住職に対して、N石材店の復帰を要求す
る旨合意していたとする内容が不合理であることは、既にDの公判供述の信用性を
検討した際に触れたとおりであり、Nの「昔のように私のうちでもって、二〇〇〇
軒のお檀家の掃除、すべての件について復帰できるということを、話をさせてもら
いました。」「一番の願いは、何と言っても、昔のような仕事をさせてもらいたい
という気持ちのほうが一番強かったですから。」「(A寺との関係で何を解決して
もらうということなんですかとの問に対し)それは私の復帰という以外にはないで
す。」旨の公判供述は、あくまでも無理と分かった上での主観的希望を述べたもの
にすぎないと評価して不合理ではない。また、Nの公判供述には、ベンツが燃焼す
るなどの事件が起きた平成一一年夏ころ、Dから、N石材店が復帰を果たした場
合、Dの会社と業務提携し、事業収益を折半するという話が出たなどと、前記のと
おり、それ以前に、Dが、六月三日のB住職との交渉で同人からN石材店の復帰を
断られていることに照らせば、明らかに不合理な内容も含まれている。
こうしたことからすると、この部分に関するNの公判供述は信用で
きない。
(三) 小括
以上のとおり、信用性の高いD、N及びMの各検察官調書によれば、平
成一〇年一一月下旬ころ、右三者の間でB住職に対し、N石材店の復帰を要求する
とともに、それが無理な場合には同店の立退料名目で金員を要求するとの合意が成
立したものと認められる。
もっとも、その時点では、B住職に要求を受け入れさせるための具体的
方法の選定は、Dに任されており、NやMは、街頭宣伝活動やDの作成するビラの
内容を具体的に認識していたとまではいえないし、その後、Dが行ったような、街
頭宣伝活動等でB住職らを誹謗中傷して脅迫するということを確定的に認識してい
たとも認めることはできない。しかし、前記のとおり、Nの検察官調書には、「右
翼として正式に届けて正面から寺を攻めようと聞いた」旨、Mの検察官調書には、
Dが「右翼団体を作って、A寺やB住職、檀家総代を街宣活動で攻撃して圧力をか
ける」ことを企てた旨の記載があることからすると、少なくとも右翼を標榜する団
体を設立してB住職に圧力をかける程度のことは、NやMも了解していたものと認
められる。そして、Mは、A寺の庫裏の放火に関与したなどとして、暴力団からゆ
すられた際、これをDに解決してもらったことがある上、Dの仕事の内容やその左
手小指が欠損していることも認識していたのであるから、遅くとも、平成一〇年九
月下旬ころまでには、Dが暴力団員であることを認識していたものといえるし、N
も、同人の検察官調書に、Mから「力を持った人である」として紹介
を受けたDについて、「まともな力を持った人ではなく、相手に有無を言わせない
現実の力を持った人ということであり、結局は右翼や暴力団のような人だろうと思
った。」旨の記載があることや、公判廷においても、Dと会ってからはDが暴力団
関係者であることが分かった旨供述していることからすると、平成一〇年九月下旬
ころには、Dが暴力団員であることを認識したものと認められ、平成一〇年一一月
下旬の右三者間での合意成立時には、DがB住職に要求を受け入れさせるために強
い手段方法をとり、脅迫行為に及ぶことも十分予想していたと推認されるほか、両
名とも、平成一〇年一一月ころ、DがP1寺に取立てに行った際警察沙汰になった
ことを耳にし、平成一一年一月ころには、F1にC党の看板も設置され、二月には
街頭宣伝活動が、三月にはC党員によるビラの配布や境内の徘徊も開始されたこと
なども目にしているのであるから、遅くとも本件犯行が開始された時点、すなわ
ち、A寺檀家総代方への街頭宣伝活動が本格化する四月二七日の段階においては、
DがB住職に対し、要求を受け入れさせるために、街頭宣伝活動等による脅迫を行
うことについて、確定的認識を有していたものと認められるし、両名が
街頭宣伝活動が開始されているのを知りながら、宣伝材料となり得るB住職や檀家
総代らに関する情報を提供していることからすれば、それを容認していたことも認
めることができる。
さらに、N及びMは、これまでのN石材店とA寺との紛争経緯からすれ
ば、平成一〇年一一月下旬の時点でも、N石材店の復帰を要求してもこれをA寺側
が受け入れることは相当困難であると考えており、それよりも同店の立退料名目で
金員を要求することに重点を置いていたと推認できるし、右のとおり、Dが、脅迫
という手段を用いることを確定的に認識したことで、遅くとも本件犯行が開始され
た時点においては、N石材店の復帰がA寺側に受け入れられる可能性は乏しいこと
を認識し、同店の復帰はほぼ諦め、立退料名目で金員を要求していくと考えるに至
ったものとも推認できる。また、B住職らに対する攻撃の手段やその内容を自ら選
定したDもこうした事情を認識していたもので、右三者ともに、Nの復帰の可能性
は乏しいと考えていたものと推認される。
したがって、平成一〇年一一月下旬の段階で、D、N及びMとの間で、
B住職に対して強い手段をとり、脅迫に及ぶこともあることを前提にN石材店の復
帰を要求し、それが無理な場合には、同店の立退料名目で金員を要求して喝取する
旨の共謀が成立していたと認められるし、また、遅くとも本件犯行が開始された時
点においては、右三者間で、B住職に対し、街頭宣伝活動等の脅迫行為を行い、N
石材店の立退料名目で金員を喝取する旨の共謀が成立していたものと認められる。
2 Dと被告人との共謀
(一) 被告人とUとの交渉内容
(1) Uの公判供述要旨とその信用性
ア Uの公判供述要旨
Uは、公判廷において、要旨以下のとおり、供述する。
私は、Dから呼び出しを受け、八月一三日午後二時ころ、W1と一
緒にC党事務所に行った。同事務所前路上において、Dからベンツを見せられ、
「寺(A寺を指す。以下同じ。)のガードマンが夜に勝手にぶつけてきた。」「大
型のベンツが燃やされた件で寺に交渉に行ったら七人逮捕された。」と言われ、さ
らに、「頼んでもないのにヤクザ者を送り込んでくるからこうなるんだ。」と言わ
れた。事務所の中に入り、「お前ら、ちゃんと住職と連絡取ってるのか。」「時間
ばっかりたって何も変わらないんじゃないか。」「住職が一五億払うと言ってきた
んだから、会わせろ。」「飽くまでも一六日までに交渉を終わらせたい、タイムリ
ミットは一六日だ。」と言われた。そのようなことをDから言われている間に、被
告人が事務所に来た。私が事務所の中に入ってから、二〇分ないし三〇分後だった
と思う。被告人は、「二か月も何もしてない。」「命を張ってやれ。」「なめてる
んじゃないぞ。」「なめたらぶっ殺すぞ。」「住職の首と一五億を持ってこい。」
と言っていた。被告人は、上着を脱いで彫り物を見せて、命を張ってやれ、やらな
ければ殺すという内容の言葉を繰り返した。私は、W1と一緒に開山堂
に行った後、C党の事務所に戻り、午後五時半前後、C党の車に乗って、M2警察
署に行ったが、住職には会えなかったので、C党事務所に再度立ち寄り、住職に会
えなかった旨報告した。一五億円というのがA寺の代理人としての自分の責任ない
しはR1事務所の責任が追及されているものだとは思わなかった。一五億円は、寺
から持ってくるものと思っていた。
この一三日の際、もう一度明日来いと言われていたので、私は八月
一四日、一一時過ぎ、C党事務所に一人で行った。Dから、「もう住職は出てこな
い。Uが金を払って、後で寺に請求しろ。」と言われた。最初は、「三億円払
え。」と言われた。「R1事務所も、R1の家も、Uの家もよく知っている。自分
が行かなくても若い者が行く。みんな疲れ切っているから。」などと言われた。私
には金を工面するのは不可能だったし、仮に工面して支払ったとしても、A寺から
はお金が出ないと思った。断ったら、殺されるのか、相当危ないことをされるなと
感じた。
私は、また、呼び出され、八月一八日午後三時ころ、一人で、C党
事務所に行った。すると、同所には被告人がおり、喫茶店に行こうと誘われたの
で、喫茶店に行った。その後、C党事務所に戻ってから、被告人から、「こちらか
らやれということを言わなければ何もしない。」「命を懸けてやってない。」「な
めたらぶっ殺すぞ。」「今ここに住職の首と一五億を持ってきて、それから考えて
やる。」「仕事が大事なのか命が大事なのか、よく考えろ。」と言われた。これに
対し、私が「命です。」と答えると、「普通の生活もさせないし、命も分からん
ぞ。弱い奴ほど早くぶっ殺す。警察だろうと、それはもう構わん。みんなぶっ殺
す。」などと言われた。それを聞いて、もう引きようがないのかな、殺されるのか
なと非常に怖い思いをした。私は、八月二三日及び二五日、A寺に行き、非常に危
ないというような内容を記載した名刺を、警備員に渡し、B住職に渡してくれるよ
う頼んだ上、「自分もB住職も危ない。」「C党と連絡をとって、交渉をするのか
しないのか、代理人でもいいからきちんと前に出てきて話をしてくれ、そうしない
とC党に殺される。」などと伝えてくれるよう頼んだ。
イ Uの公判供述の信用性
前記のとおり、Uは、公判廷において、Dや被告人から脅迫された
際の状況について、自己の心情を交えながら、「住職の首と一五億を持ってこ
い。」などと特徴的な言葉を挙げるなどして詳細に供述している上、その公判供述
の内容にも特段不自然、不合理な点は認められない。また、八月一三日にC党事務
所を訪れた際の状況については、その後、B住職に会うために行った場所やその行
った順番の点で若干の食い違いが認められるものの、概ねW1の検察官調書の内容
とも符合している。もっとも、W1は、公判廷において、「なめたらぶっ殺す
ぞ。」という言葉については言われた記憶がなく、検察官にも訂正の申立てをした
と述べるが、W1の検察官調書には、訂正の申立てがなされた旨の記載はなく、そ
の後の検察官の対応についても曖昧な供述をしているほか、前記のとおり、右検察
官調書にはUの供述と食い違う記載もあり、検察官がW1の供述をUの調書に合わ
せようとした事情も窺えないことからすると、W1の右公判供述をたやすく信用す
ることはできない。
こうしたことからすると、Uの検察官調書は信用することができ
る。
(2) 被告人の公判供述とその信用性
ア 被告人の公判供述の要旨
被告人は、公判廷において、要旨以下のとおり、供述する。
八月一三日に、Uを呼ぶことについて、事前にDから話はなかっ
た。私は、途中から話に加わったが、Uだけではなく、W1もいた。Dが何か怒鳴
っていたし、脅せばR1にも伝わるだろうと思って、Uに対して、「お前ら何や、
R1もお前も時間ばかりかかって何も話が進んでないやないか。」「なめとったら
あかんぞ。」「お前らR1事務所と一緒に金は作れよ。」「R1にもよう言うと
け。」などと言った。しかし、てめえぶっ殺したるとか、住職の首と一五億を持っ
てこいとは言ってない。W1に対して、「今のことをR1によう伝えとけ。年寄り
やからってお前承知せんど。病気みたいなふりしても許さんぞ。」などと言った。
Uが金を作って持ってくるとは思っていなかったし、Uが、B住職のところに行っ
て、脅されて身が持たないなどと言うとも思っていなかった。八月一四日、Uが来
たことは知らない。時期ははっきりしないが、Dは、Uに代理権うんぬんの話をし
ていたことがあった。その際、私は、Uはもう関係ないと言っているのだから、無
理な話だと思ったが、Uを責めれば間接的にR1事務所に圧力がかかるだろうとは
思っていた。八月一八日、私がC党事務所にいたところ、UがDを訪ねて
きたが、Dがいなかったので、私はUと一緒に喫茶店に行った。そしてC党事務所
に戻り、Dが来てから、私は、Uに対し、「全くやる気がないな、なめとんのか、
命をはれと言っただろう。」「だらだらするな。」などと言った。これは、R1事
務所に圧力をかけるために言った。しかし、「なめたらぶっ殺すぞ。」とは言って
いない。私は、R1がB住職とC党との間に入りながらも、当事者であるB住職が
約束を守らないのだから、R1を脅してR1に仲介人として独自の責任を取らせよ
うと考えていた。R1を使って、B住職に金員を要求しようとは考えていなかっ
た。
イ 被告人の公判供述の信用性
前記のとおり、被告人は、Uを責めたのは、B住職に対して金員を
要求するためではなく、R1に仲介人としての独自の責任を取らせるためであった
旨供述している。確かに、六月一一日に予定されていたB住職とDとの会談が、B
住職の申出により、中止になり、それ以降、DらがB住職と接触することができな
かったという客観的状況に照らせば、被告人らが、B住職に対して金員を要求する
ことを諦め、この際、R1に仲介人としての責任を果たすよう要求して、少しでも
金員を得ようとしたとしてもおかしくはないし、この点、Dも、公判廷において、
R1に仲介人としての責任をとってもらい、金銭で解決することを考えていた旨供
述しているところでもある。
しかしながら、①Uは、六月一〇日、B住職から委任契約を解除す
る旨告げられたとはいえ、それまでは、B住職の代理人として、Dらとの交渉に当
たっていたものであること、②被告人が、Uに対し、「住職の首と一五億を持って
こい。」などと申し向けていること、③Uが、八月一三日に、Dや被告人と面談し
た後、C党の車でM2警察署などに行き、現実にB住職との接触を試みているこ
と、④前記のとおり、七月二二日ころに、Dと被告人がR1に渡した文書から読み
とれるDらの要求内容、右文書には、A寺にとって重要な行事であるお面かぶりが
行われる日である八月一六日がA寺との約束の期限として記載されているところ、
被告人らがUと交渉した時点では、右期限は未だ到来していないか、到来した直後
であること、⑤A寺とR1の資力の差は明らかであり、R1から多額の金員をとる
ことは期待し難いこと、⑥前記二で認定のとおり、B住職との会談が中止になった
後も、C党員らによるB住職らを誹謗する街頭宣伝活動は続いており、八月二九日
の時点でも、C党員が、B住職やOを中傷する内容が記載されたビラを通行人に配
布するなどして、なおB住職らに対する嫌がらせ行為を継続しているこ
と(この点、被告人は、Dから、腹が立ったので、A寺からB住職を追い出すため
に街頭宣伝活動等を続けていると聞いていた旨供述しているが、たとえ、B住職を
A寺から追い出したとしても、それによって、Dらが金員などの経済的利益を手に
できるわけではなく、その他現況を打開できる見込み等何ら存しないにも関わら
ず、Dが人的にも物的にも多大な負担を余儀なくされる街頭宣伝活動等を単にB住
職をA寺から追い出すために続けていたとは考えにくく、右供述は信用できな
い。)、⑦被告人自身、八月二九日及び九月五日、X1に声をかけて呼び集めた暴
力団関係者と見られる者とともに、A寺境内を歩き回っている上、前記第三認定の
とおり、九月五日、B住職方をのぞき見たりしていることなどからは、Dが検察官
調書において供述するとおり、八月一三日及び一八日の時点において、被告人ら
が、B住職に対して金員を要求することを諦めていたとは考えられず、Uを脅せ
ば、Uがその旨をB住職らに伝えることになり、B住職を脅迫することになること
を認識していたと推認され、結局、UをしてB住職に同人を畏怖させるに足りる事
項を伝えさせて、同人を畏怖させ、同人に金員を支払わせるため、Uを脅迫した
と考えるほうが合理的である。被告人らは、あくまでも、B住職に対して金員を要
求してもその目的が達せられない場合の予備的・二次的なものとして、R1に対し
仲介人としての責任を追及していたにすぎないとみるのが自然である。
さらに、被告人は、公判廷において、Uに対して、約束を守るよう
言ったなどと供述しているところ、被告人らがそれ以前にUやR1と何らかの約束
をしたような事情は窺われないことに鑑みると、「約束」とは、DとB住職の約束
を指すものとしか考えられず、被告人自身矛盾した供述もしている。
こうしたことからすると、被告人の公判供述は信用できない。
(3) 小括
以上のとおり、信用できるUの公判供述によれば、被告人は、Dとと
もに、Uをして、B住職らに対しB住職を畏怖させるに足りる事項を伝えさせて、
同人を畏怖させ、同人に金員を支払わせるため、Uを脅迫したものと認められる。
(二) Dの被告人に対する説明内容
(1) Dの供述要旨とその信用性
ア Dの供述要旨
ⅰ Dの捜査段階の供述要旨
Dは、被告人をC党に誘った際に、同人に説明した内容につい
て、「一二月上旬には、何度か電話で、被告人に連絡を取り、C党に参加するよう
誘った。(中略)私は、C党を設立して、A寺を攻めるに当たっては、金のにおい
をかいだ様々なやくざ組織が介入してくることを予想していたから、そのやくざ組
織を押さえる人材が欲しかった。(中略)私は、被告人に「A寺という寺があり、
その寺から石屋が追い出された。その石屋を復帰させるか、石屋の立退料として金
を取るために、右翼団体を作って寺を攻める準備をしている。そっちの仕事がうま
く行ってないなら、こっちに来て手伝わないか。」などと言って誘い、被告人もこ
の話に乗ってきた。」などと供述している(甲一五九)。
ⅱ Dの公判供述の要旨
これに対し、Dは、公判廷において、要旨以下のように供述して
いる。
平成一〇年一二月ころ、被告人に声をかけた。被告人は何もして
ないし、大阪にいるよりは東京に出てきたほうがいいんじゃないか、石屋を復帰さ
せる話で仕事が安定すれば永久的にこちらも安定するからどうだという話をして誘
った。寺も資金力があるからやくざ者を頼んでくるなり、何かやってくるだろうと
思った。そのときに、一人で対処するのは無理なので力になってくれる人間が必要
だった。被告人に対しては、Q1に話したのと同じ内容、すなわち、石屋を復帰さ
せる仕事をするので、時間もかかるだろうが、うまくいけば寺の仕事ももらえるし
寺の墓地の権利が半分入る、そうすれば安定するんじゃないかという話をした。
イ Dの供述の信用性
前記のとおり、平成一〇年一一月の時点で、D、N及びMの間で、
A寺にN石材店の復帰を要求するとともに、それが無理な場合には同店の立退料名
目で、A寺側に対し金員を要求するとの合意が成立していたと認められるところ、
Dは、自ら被告人と連絡をとって、被告人を誘い、被告人をC党最高顧問として迎
え入れており、その後も、被告人に対しては、他の党員とは異なり、C党事務所と
は別にマンションの一室を用意し、多額の金員を与えるなど、被告人を自らの片腕
としてそれ相応の扱いをしていることからすると、Dが被告人をC党に誘い入れた
のは、右合意を実現していくに当たっての協力を得るためとみるのが自然であり、
誘い入れる際、被告人に対して、右合意の内容と異なる話をするのは不自然であ
り、Dの公判供述よりも検察官調書のほうがその内容は合理的である。また、Dの
検察官調書の内容は、Dの公判供述の内容より被告人にとって不利なものになって
いるが、Dと被告人との関係からすると、Dが被告人に有利な供述をする可能性は
あっても、ことさらに被告人に不利な虚偽の供述をして被告人に本来負うべきでな
い刑事責任を背負わせるようなことをするとは考え難い。さらに、前記
のとおり、被告人は、Dとともに、Uをして、B住職らに対しB住職を畏怖させる
に足りる事項を伝えさせて、同人を畏怖させ、同人に金員を支払わせるために、U
を脅迫したと認められるのであるから、当然、それ以前に、Dとの間で、B住職か
ら金員を喝取することを通謀していたと推認され、Dの検察官調書はこのこととも
矛盾していない。加えて、Dの公判供述は変遷しているが、その理由について、D
が説得力のある説明をなしえていないことも、既に、D、N及びMの共謀に関し、
Dの公判供述の信用性を検討した際(前記三1(一)(2)イ)に触れたとおりである。
これに対し、弁護人は、①Z1、Q1、A2、D1も、検察官調書
においては、C党の設立目的ないし活動目的は、A寺から金員を喝取する目的であ
った旨供述しているところ、当公判廷において証言した際には、これを覆し、その
目的は、N石材店の復帰であった旨供述しているが、同人らの公判供述によれば、
こうした検察官調書は、検察官が、当初からC党はA寺から金員を喝取する目的で
設立されたものであるとの予断や偏見に基づいて取り調べた結果作成されたもので
あることが明らかであるから、C党の党首であるDに対しては、Z1ら以上の予断
と偏見に基づいて取調べが行われたことは推認するに難くない、②Dは、捜査段階
から本件について、自己の責任を認める供述をしている上、自己の公判において
も、自己の刑事責任を認め、公訴事実を争わなかったのであるから、こうした対応
を採ったDの説明が、歯切れが悪く、首尾一貫しない説明になることも、無理から
ぬものがあることに注意を払う必要がある旨などと主張する。
しかしながら、Z1、A2、Q1は、C党を設立した目的ないし活
動目的に関し、検察官と言い争いになった、あるいは、検察官との行き違いがあっ
たとしているのみで、明確に検察官からの誘導があったことを認める供述をしてい
るわけではない。また、D1も、警察官から取調べを受けた際、警察官から説明を
受けて初めて、C党の設立目的ないし活動目的が、A寺から金を喝取することであ
ったことに気づいた旨供述しているものの、その一方で、「(先ほどの主尋問では
はっきりしなかったところを確認したいんですけども、D党首からお寺が金を払う
かどうかの見通しについて聞いたことがあるということだったですよねとの問に対
し)ええ。」「(寺から一〇億取れると踏んでいるという表現で聞いたということ
ですが、それははっきり覚えていますかとの問に対し)それは覚えていますね。」
として、これに反する供述もしている。そうすると、Z1らの公判供述のうち、C
党を設立した目的ないし活動目的に関する部分の供述が検察官調書の内容と異なっ
ていることのみから、同人らの検察官調書が検察官の予断や偏見に基づく取調べに
よって作成されたということはできない。
また、弁護人が指摘する②の事情やその余の弁護人が主張する事情
を考慮しても、供述の変遷に関するDの説明は、やはり不合理であるといわざるを
得ない。
こうしたことからすると、Dの公判供述は信用できず、Dの検察官
調書のほうが信用できる。
(2) 被告人の公判供述とその信用性
ア 被告人の公判供述要旨
これに対し、被告人は、公判廷において、要旨以下のとおり、供述
する。
平成一〇年一一月か一二月ころ、東京に飲みに来て、Dの部屋に泊
まった際、Dから、寺に何十年か何百年か出入りしていたのに、寺から一方的に解
雇されて困っている石屋がいる、この石屋を元に戻して一緒に仕事をするから、よ
かったら手伝わないかということを聞いた。年が明けてからとのことだったので、
ええよ、声かけてと軽く社交辞令として返答した。NとはDの紹介で知り合った。
Mとは会ったこともないし、名前も知らない。平成一一年一月ころ、Dから、三、
四回電話がかかってきて、部屋もこっちで段取りするから上京し、仕事を手伝って
くれと言われたが、私は、今用事がある旨答え、先延ばしにした。二月に入り、月
が替わったから、兄弟、そろそろ出てきてくれへんかと言われ、私は、ちょうど二
月三日に個人的な用事があったので、そのついでに上京することとした。私は二月
三日に上京した後、Dから、「A寺のBという坊主と石屋は先代からの付き合いだ
が、今度の坊主に代わって、一方的に契約を解除した。この坊主は女好きで、毎日
飲み歩いてとんでもない奴だ。それで、石屋が困っているから、石屋のために一肌
脱いで、何とか元のさやに納めて、自分も今後その石屋と仕事をして
いくから。」と聞いた。私が、「そんな悪い坊主だったら、何も遠慮することはな
い。飲んでる先見付けて、刀でも突き付けて、こらと言って脅したら、それで済む
んやないか。」と言ったら、Dは、「いや、兄弟、そんな手荒なことをしちゃいか
ん。仕事をするんだから、兄弟は何もせんでええ。ぶらぶらしておってくれたらえ
え。」と言った。私が、「ぶらぶらしてるんだったら、俺大阪へ帰る。」と言う
と、Dから、「いやいや、こっちにおってくれたら、兄弟がおるだけでほかの党員
がみんなしゃきっとするから、とにかくぶらぶらしておってくれたら小遣い渡すか
らそうしておいてくれ。」と言われた。その際、復帰のために右翼団体を結成し、
街宣活動をがんがんやるという話はなかった。Dから説明を受けた際に、石屋の復
帰はダミーであるとか、石屋の復帰がうまくいかなかったら、二段構えで立退料だ
などという話は聞いていない。私は、介入してくる人間とのトラブルを解決すると
きの手助けをDから期待されていることは暗黙のうちに分かっており、相手のやく
ざが出てきたら知らん顔はしないつもりだった。Dからは、石屋が復帰できて、一
緒に仕事をしたら、毎月五〇万円から一〇〇万円渡せるようになると言
われていた。
イ 被告人の公判供述の信用性
確かに、被告人は、右のとおり、DからC党への参加を誘われた際
に、同人から説明を受けた内容について、具体的に供述しているし、その内容は、
Dの公判供述とも符合するところではある。
しかしながら、Dの公判供述が信用できないことは先に述べたとお
りであり、また、Dから、B住職に対して、N石材店の復帰を要求していくと説明
を受けたとする内容が不合理であるのも、既にDの公判供述の信用性を検討した部
分で触れたとおりである。さらに、前記のとおり、Dは被告人に対し、多額の金員
を提供しているのであるから、当然被告人にそれに見合う相当の役割を期待してい
るはずであって、その点について何ら説明を受けず、ただぶらぶらしていてくれれ
ばいい旨言われたというのも不合理であるといわざるを得ない。また、被告人の公
判供述は信用できるDの検察官調書の内容と食い違っており、これとの対比におい
ても信用し難い。
よって、被告人の公判供述は信用できない。
(3) 小括
以上のとおり、信用性の高いDの検察官調書によれば、平成一〇年一
二月ころ、Dは、被告人に声をかけた際、B住職に対し、N石材店の復帰又は同店
の立退料名目で金員を要求するつもりである旨説明したものと認められる。
(三) Dと被告人との共謀についての小括
そして、平成一一年一月末ないし二月初旬ころ、被告人が大阪から上京
し、Dの用意したマンションに住み、C党事務所に出入りしていることなどからす
れば、被告人は、遅くとも、その時点においては、Dの依頼を受けるつもりでいた
ものと認められる。そして、長年暴力団員として活動してきた被告人の経験や、実
際に、F1に設置されたC党の看板や街頭宣伝車なども目にしているものと推認で
きることからは、右翼団体を作って寺を攻めるというDの言葉の意味するところも
十分に理解できたものと考えられるのであるから、この時点において、被告人とD
との間に、B住職に対して、街頭宣伝活動等の脅迫行為を行って、N石材店の復帰
又は同店の立退料名目で金員を要求して喝取する旨の共謀が成立したものと認めら
れる。さらに、平成一一年二月には街頭宣伝活動が、三月にはC党員によるビラ配
布や境内の徘徊などが開始されているところ、被告人が当時F1に居住していなか
ったとはいえ、同所からそれほど離れた場所に居住していたわけではなく、上京し
てきた経緯やDとの関係なども考慮すると、当然これらのC党の活動を認識してい
たものと推認できるし、また、これらの活動等がA寺とN石材店との
関係に与える影響等をも容認していたものと認められる。こうした事情からする
と、被告人も、遅くとも、本件犯行が開始される四月二七日ころまでには、N石材
店の復帰がA寺側に受け入れられる可能性が乏しいことを認識していたとしても不
自然ではない。もっとも、被告人が、この時点において、Dらと同様に、N石材店
の復帰をほぼ諦め、同店の立退料名目で金員を要求していくと認識するに至ってい
たとまで認定するのは困難なところがあり、そうだとすれば、結局、被告人とDの
認識には若干相違があったことになる。しかしながら、前記のとおり、平成一一年
一月末から二月初旬の段階で、両者ともに、重点の置き方等に程度の差こそあれ、
B住職に対して、街頭宣伝活動等の脅迫行為を行って、N石材店の立退料名目で金
員を喝取することも認識・認容した上でその旨の意思の連絡もあったと認められる
以上、なお、この時点において、両者間で恐喝罪の共謀が成立していたものという
ことができる。
四 結論
以上によれば、被告人は、平成一一年一月末から二月初旬の段階で、D、N
及びMとの間で、Dをかすがいとして、相互に意思を通じ、B住職に対して、街頭
宣伝活動などの脅迫行為を行って、N石材店の立退料名目で金員を喝取することを
含めた共謀を遂げていたと評価することができる。そして、前記のとおり、D、N
及びMの間の共謀、D及び被告人の間の共謀の内容は、時間の経過とともに、N石
材店の復帰を要求するか否か、また、その要求の重点の置き方等について、若干異
なるところがあるものの、本件犯行が開始される時点においても、いずれも、B住
職に対し、街頭宣伝活動等の脅迫行為を行って、N石材店の立退料名目で金員を喝
取することをその内容として含むものであったと認められる以上、被告人、D、N
及びMの間で恐喝の共謀が成立していたものと評価することができる。
そして、これまで検討してきたとおり、①被告人が、八月一三日及び一八日
に、Uを脅迫するなど、恐喝の実行行為をも分担していることが認められるのみな
らず、②被告人が、四月中旬ころ、DとS1との交渉の場に同席していること、③
被告人が、六月一一日に、R1事務所において、DがR1に対し、B住職との面談
を再度求めた場面に同席し、さらに、七月二二日ころにも、DとともにR1事務所
を訪れ、R1に対し、B住職に対する具体的な要求内容について記載された書面を
交付し、その履行を求めていること、④被告人が、C党員とともに、数回ほど、A
寺境内を歩き回り、八月二九日及び九月五日にも、X1を通じて呼び集めた多数の
暴力団関係者と見られる者とともに、A寺境内を徘徊していること、⑤被告人が、
Dにおいて、B住職らを誹謗中傷する内容の機関誌やビラを作成した際、内容を確
認した上、Dにアドバイスをしたことがあること、⑥被告人が、前記第三認定のと
おり、九月五日、B住職方をのぞき見たりもしており、B住職に対する嫌がらせと
評価される行為を行っていること、⑦被告人が、Dから多額の金員を受け取ってい
ること、⑧被告人がC党の最高顧問の地位にあったことなどの事実に
鑑みれば、被告人は、判示第五の恐喝未遂罪の共同正犯の責任を負うというべきで
ある。
(累犯前科)
 被告人は、(1)昭和五九年六月一九日大阪地方裁判所で殺人、銃砲刀剣類所持等取
締法違反の罪により懲役一〇年に処せられ、平成六年一〇月四日その刑の執行を受
け終わり、(2)その後犯した住居侵入、傷害罪により平成九年三月二六日岡山地方裁
判所津山支部で懲役一年四月に処せられ、平成一〇年八月二七日右刑の執行を受け
終わったものであって、この事実は検察事務官作成の前科調書(乙四)及び(2)の前
科に係る判決書謄本(乙八)によってこれを認める。
(公訴棄却の主張に対する判断)
一 公訴棄却の主張に対する判断
弁護人は、判示第一の事実について、警視庁M2警察署(以下「M2署」と
いう。)の警察官が、平成一一年四月五日(以下年月日は特に表示しない限り、い
ずれも平成一一年である。)、C党事務所を訪れ、本件被害品であるビデオテープ
の返還を求めた際、同党幹事長Q1に対し、右ビデオテープを返還すれば事件は終
了する旨申し向け、Dの同意を得たQ1から任意提出を受けたなどの事情があるか
ら、本件起訴は公訴権の濫用に当たり、公訴棄却されるべきであると主張している
ので、以下検討する。
1 B2らとQ1との間の不立件約束
Q1は、公判廷において、「M2署の公安係の警察官二人が、「二、三日前
に、会長(Dを指す。以下同じ。)らが警備員から取り上げたビデオがあるだろ
う。それを返せ。返さなければ事件になる。今日返せば事件にならない。」と言う
ので、会長に電話でその旨連絡すると、会長から、「それは大変なことだ。じゃ
あ、すぐ返せ。」と言われたので、ビデオテープを返した。」などと供述してい
る。
右Q1の公判供述は、警察官二人との会話内容など、具体的かつ詳細である
し、M2署警備課課長代理C2外一二名作成の一一〇番処理及び臨場等報告書(甲
九八、一二二)に、「「本件については、被害届に基づき四月五日捜査係において
C党に赴き「被害届」が出ていることから捜査をするが、被害が回復すれば事件は
終了する。」と申し向けたところQ1からビデオテープ一本を任意提出させ、被害
を回復した。」などとして、右Q1の公判供述に沿うような記載があることなどに
鑑みると、その信用性を肯定できるようにも思われる。
しかしながら、当日、C党事務所に赴き、Q1から、本件ビデオテープの任
意提出を受けたB2及びD2は、Q1に対し、本件について被害が回復すれば事件
は終了するなどと述べたことはないなどとして、Q1の公判供述に反する内容の供
述をしているし、Dも、Q1から、ビデオテープを返せばどうなるかという話は聞
いていないなどと供述しており、Q1の公判供述は、関係者の供述と食い違う内容
になっている。
また、Q1自身、捜査段階においては、「私が、C党の事務所に、一人で待
機していたら、私服の男二、三人位がやってきて、そのうちの一人が、警察手帳を
見せた後、私に、「M2署だ。DがA寺の警備員からビデオテープ取り上げたそう
だけど。」と言い、続けて、「これは大変な事件だぞ。ビデオテープ返せないの
か。」と尋ねてきた。警察官から、「ビデオテープを返せば、事件にはしない。」
とか「ビデオテープを返せば、事件は終わりになる。」などと言われたことはない
し、そんなことを言われたということをD党首から言われたこともない。」(甲四
七)などとして、公判供述とは異なる供述をしている。さらに、Q1は、公判廷
で、当初、本件について検察庁で取調べを受けたことはないなどと供述していた
上、その後、検察官から、検察官調書を示され、検察官調書に、右のように公判供
述と相反する供述があることを指摘されても、取調べ当時は記憶がはっきりしてお
らず、勘違いで話したのだろう、公判供述前の証人テスト等によって記憶を喚起し
てはっきり思い出したから、法廷で述べたことのほうが事実であるなどと説明して
いるところ、B2らがQ1に対し、不立件約束をしたか否かは、本件の重要
な争点であったのであるから、検察官がQ1に対し、この点について追及しないは
ずはないのであって、捜査段階において、Q1に記憶喚起の機会が与えられていな
かったとは考えられず、単なる勘違いというだけでは合理的な説明とは言い難い
し、Q1の公判供述には、C党事務所を訪れた警察官を取り違えている点など、明
らかに事実に反する部分もあり、Q1がどの程度正確に記憶喚起して供述したのか
疑問であることや、人間の記憶は、通常、時間の経過とともに減退していくもので
あることも考え併せると、供述の変遷に関するQ1の説明は不合理である。
さらに、Q1の検察官調書は、Q1が執行猶予判決を受けた三日後に作成さ
れたもので、自己に有利な判決を得ようと捜査機関に迎合した供述をする必要性も
なく、Q1があえて自己の経験に反する供述をする理由も見いだせないのに対し、
Q1の公判供述は、C党党首であったDや同党最高顧問の被告人、さらには傍聴し
ているC党関係者の面前でなされたものであるから、Q1が従前の上下関係などの
影響を受けて、Dや被告人の主張に沿うように供述を変遷させた可能性も否定でき
ない。
なお、一一〇番処理及び臨場等報告書については、D2は、ビデオテープを
領置したことをC2に報告した際、「被害品が返ってくれば、事件としては難しい
のかな。」という程度の感想を述べたので、C2が誤って右報告書にそのような記
載をしてしまったのではないかと説明しているが、そのような事態は通常考えにく
く、右説明は説得力に欠けるところがある。しかし、D2自身は同報告書の作成時
にその内容を確認しておらず、C2自身は任意提出された際、C党事務所に同行し
ていないことからすると、両者の意思疎通が十分図られなかったことによってこの
ような記載がなされた可能性も否定できず、必ずしもこの記載をもって、B2らが
Q1に対し不立件の約束をしてビデオテープを任意提出させたということはでき
ず、右報告書はQ1の公判供述の不自然さを消散させるほどの証拠価値を持つもの
ではない。また、B2とD2の両名は、そもそも本件の捜査担当ではない上、B2
としては、犯行当日に当直勤務をしていて被害届を受理したことから、被害品を速
やかに返還させようと考えてC党事務所に赴いたものであるし、D2としても、B
2の案内役として同行したものであることからすると、両名がその判断
で本件を不問に付すということを明言し約束できる立場にはなかったものと考えら
れる。
そうすると、Q1の公判供述は、信用することができず、B2らがQ1に対
し不立件の約束をしてビデオテープを任意提出させたとは認められない。
2 C2とDとの間の不立件約束
前述のとおり、Dは、公判廷(第八回)において、ビデオテープを返却して
から、二、三日後に、C2から、本件は事件化しない旨の電話があったと述べてい
るところ、C2の発言内容に関する供述は具体的かつ詳細であるし、本件犯行当
時、Eから被害届が提出されたにもかかわらず、再度九月二七日に、被害届が取り
直されており、Eの検察官調書が録取されたのは一〇月一九日であることなど本件
の本格的捜査が開始されたのは九月以降であることからすれば、警察側としては被
害の回復をもって、いったんは本件の処理を終了したものと推認されることとも符
合している。そうすると、Dの公判供述のとおり、警察側の事件処理終了の意図が
Dに伝えられていた可能性がないわけではないが、これは法的に拘束力を有するも
のではないし、事件が犯罪として成立し、訴追するのに妨げになる事情がない場合
に、その後の事情変更等により、捜査を行うことは可能であり、必要があれば、相
当な範囲で強制捜査に踏み切ることもまた許されており、違法とはいえないし、ま
してや、起訴権限は検察官に属する以上、警察側の意図や方針が検察官を拘束する
ものではなく、右のような事情があったとしても、検察官が事件の内容
等を検討し、起訴相当と判断して、公訴提起することが違法となるともいえない。
加えて、Q1は、このようなDとC2とのやり取りとは無関係にビデオテープを返
還したものであるし、DもQ1に対する提出についての了解を与えている上、捜査
機関側が右のような事件終了の意図を伝えることで特に関係者から自白等の証拠を
引き出したというわけでもないことも考えると、検察官による本件起訴がその訴追
裁量を逸脱しており、公訴権の濫用に当たるとは認められないし、違法性を帯びる
ものでもない。
したがって、公訴棄却を求める弁護人の主張は理由がない。
(量刑の理由)
本件は、東京都世田谷区所在の名刹として知られるA寺と従前その墓地の管理等
を行っていたN石材店との間で、以前から墓地管理委託の解除等を巡って民事紛争
が続いていたところ、被告人が、(一)N石材店経営者のN及び同人からA寺との交
渉を依頼されたDらと共謀の上、B住職からN石材店の立退料名目で多額の金員を
喝取しようと企て、Dを党首とするC党の名前を明示しながら、五か月余りの間に
合計七九回にわたって、街頭宣伝活動や中傷ビラの配布等の脅迫行為を繰り返し、
B住職に対し暗に金員を要求したが、未遂にとどまったという事案(判示第五の事
実)ほか三件のA寺関連の事案、すなわち、(二)Dと共謀の上、A寺側の依頼で境
内の警備やB住職の身辺警護に当たっていた警備会社の警備員からビデオテープ一
個を喝取したという事案(判示第一の事実)、(三)C党員であるFと共同で、A寺
の警備員に対して脅迫したという事案(判示第二の事実)、(四)C党に出入りして
いたKと共謀の上、B住職の実姉夫婦宅に、けん銃で銃弾二発を発射したという事
案(判示第四の事実)、さらにA寺関連ではない、被告人が同乗していた乗用車と
Hの乗用車とが接触したことに因縁を付け、同人から迷惑料名下に金
員を喝取しようとしたが、未遂にとどまったという事案(判示第三の事実)であ
る。
 まず、犯情悪質な判示第五の犯行についてみるに、本件は、右民事紛争に介入し
てA寺から多額の金員を脅し取ろうと考えた被告人らが、右翼を標榜して街頭宣伝
活動等を行うことでB住職に圧力をかけ、同人が話合いに出てこざるを得ない状況
を作出し、同人を直接脅迫し、目的を実現しようとしたもので、あらかじめ政治団
体を設立し、その旨届け出て事務所を開設し、街頭宣伝車や実際に活動を行う者な
ど人的物的な準備を整えた上で行動を開始し、次々に脅迫行為に及んだという組織
的かつ計画的な犯行である。犯行態様は、街頭宣伝活動や中傷ビラの配布等の方法
でB住職を脅すという極めて悪質なものであるが、具体的には、まずA寺の檀家総
代等に対して街頭宣伝活動を行い、徐々にB住職やその妻を標的にし、街頭宣伝活
動や配布ビラの中で、B住職らのプライバシーを暴きたてたり、虚構の事実を作出
して誹謗中傷したりといった人格非難を繰り返し、さらにはB住職らの親族宅にま
で街頭宣伝活動の範囲を広げるなど、そのやり方は卑劣としかいいようがない。脅
迫行為は、判示のような多数回に及んでいて、耐えかねたB住職がいったんは被告
人らの不当な要求に応じるかのような姿勢を示したものの、周囲から
の忠告を入れて翻意し、右要求を拒絶する姿勢に転じた後は、さらに激しさを増し
た脅迫行為が繰り返されており、結局その期間は五か月以上もの長期にわたってい
る。この間誹謗中傷と激しい街頭宣伝活動等にさらされ、いたたまれない日々を送
っていたB住職やその妻、その他街頭宣伝活動対象者の心労は、言葉では表現でき
ないほどであり、困惑と恐怖の渦中に陥れられ、神経性の疾患を発病するなどした
者もおり、精神的にも相当の痛手を負ったものといえる。こうしたことからする
と、B住職らが、被告人らの逮捕によって、脅迫行為が収束し、平穏な生活を取り
戻した現在においても、被告人らの厳重な処罰を望み、被害感情にも非常に厳しい
ものがあるのも当然である。また、B住職が被告人らの金員要求に応じなかったこ
とから、本件は未遂にとどまったものの、A寺側は警備会社への長期にわたる警備
依頼によって、多額の支出を余儀なくされたほか、窮地に立たされたB住職が本件
の解決を知人に依頼し、被告人らとの仲介役となったUらに手数料名目で多額の金
員を提供していることからすると、本件に関連してB住職らA寺側が被った財産的
損害も大きい。さらに、直接の街頭宣伝活動対象者ばかりでなく、周辺
住民も長期間にわたり激しい街頭宣伝活動やC党員の徘徊等によって、不安な生活
を強いられたのであって、本件が地域社会に及ぼした影響も軽視できない。
 被告人は、街頭宣伝活動やB住職との交渉に直接的に関与した部分はほとんどな
いものの、C党最高顧問の肩書きを有し、他の暴力団が介入してきた際にはこれに
対応し、また、右Uを脅迫するなど本件犯行の実行行為の一部分も行っている。D
は、B住職との交渉や具体的犯行計画の策定などで、A寺との交渉に介入してくる
暴力団に対応するまでの余力がないことから、被告人を大阪から呼び寄せたもので
あるが、前記のとおり、被告人はこうしたDの期待に十分に応えたものといえ、被
告人が本件犯行において果たした役割は小さいものではない。被告人は、DがA寺
とN石材店との民事紛争に介入し、A寺側から多額の金員を引き出そうとしている
ことを理解した上で、自らもその利益に与かろうとして、Dの誘いを受け入れ、判
示第五の犯行に関与したもので、その利欲的動機に酌量の余地はない。また、被告
人が、Dから多額の金員の提供を受けたほか、Nからも、C党員の食事代などと称
して、相当額の金員を捻出させていることも見逃すことはできない。こうした事情
からすると、被告人の責任は、共犯者の中でも相当に重い。
 次に、判示第一、第二の犯行についてみると、これらの被害者はいずれも、被告
人らの判示第五の犯行を受けてA寺の警備やB住職の身辺警護に当たっていた警備
員であって、被告人らが、警備員らに敵意を抱いていたことを背景に、判示第五の
被告人らのA寺への恐喝行為と関連して行われた一連の事件と位置付けられる。判
示第一の犯行は、被告人らの姿を撮影していた被害者に暴行脅迫を加え、同人から
そのビデオテープを脅し取ったというもので、被告人は、自分たちの姿を撮影して
いた被害者に対し、ビデオテープを渡すよう要求したところ、同人がこれに応じな
かったため、その対応に腹が立ち、右犯行に及んだ旨供述しているものの、被害者
は、B住職らに対する嫌がらせを繰り返す被告人らに対抗するため、ビデオカメラ
による撮影を行っていたもので、その行動は正当な採証活動として是認される範囲
の行動といえ、被告人の供述する動機は自己中心的なものといわざるを得ず、酌量
の余地はない。被告人は、自ら被害者の後方から右腕を同人の首に巻き付けて締め
上げるなどの暴行を加えるとともに、ビデオカメラを取り上げるなど、実行行為を
担当しているし、右ビデオカメラ内からビデオテープを抜き取るなど
したDに対して、被害者に預り証を渡したほうがいいなどと、被害者に被害届を出
されたような場合、言い逃れできるよう、狡猾なアドバイスもしているのであっ
て、犯行後の事情も芳しくない。また、判示第二の犯行は、被告人が、B住職方を
のぞいていたところ、被害者から注意されたことに腹を立て、同人に対し、Fと共
同して脅迫を加えたというものであるが、被害者は、B住職の身辺警護や墓地内の
警戒など警備員としての任務を忠実に遂行したにすぎないのであるから、かかる被
害者の行動に怒りを覚えたというのは誠に身勝手といえ、その動機に酌量する余地
はない。被告人ら複数のC党員から暴行等を受けた判示第一及び第二の被害者の恐
怖感は相当なものであったと推察される。
 また、判示第四の犯行は、その法定刑が示すとおり、それ自体重大な犯罪であ
る。そして、被告人が犯行を否認しているため、その真の狙いは明らかではないも
のの、B住職の実姉夫婦宅への発射であったことからすると、これもB住職に対す
る脅迫の一環と考えられ、やはり、A寺に対する恐喝行為の中で発生した一連の事
件と位置付けられるものといえる。Kが公道上からL方目がけて発射した銃弾は、
一発はガラス窓のアルミサッシに着弾してアルミサッシを凹損させ、もう一発は、
ガラス窓を貫通して、内壁にめり込むなどしているところ、銃弾が撃ち込まれた部
屋やその隣室にはLらが就寝中であり、銃弾が当たる危険性も十分にあったことを
も考慮すると、本件は危険極まりない犯行であったといえる。深夜、自宅で就寝中
に、突如として、銃弾を撃ち込まれたLらの恐怖感は、極めて強く、処罰感情が峻
烈であるのも当然であるといえる。銃弾によって破壊されたガラス窓や内壁などの
損害もさることながら、さらなる攻撃に怯えたLらがその後の対策等に費やした費
用も相当額に上っているし、閑静な住宅地で敢行された本件は、周辺住民に強い不
安感を与えたもので、地域社会に及ぼした影響も看過することはできな
い。
 さらに、A寺関連ではない判示第三の犯行についてみるに、被告人は、被害者の
代理人である弁護士が提示した解決案をはねつけ、高額な迷惑料を要求した上、右
要求に従わなければ、C党員らが被害者の生命、身体等にいかなる危害を加えるか
も知れない気勢を示して脅迫したもので、その犯行態様は悪質である。暴力団員で
ある被告人から、右のように脅された被害者の恐怖感は強く、一時期はC党員らが
事務所に押し掛けてくることを恐れ、出社を控えたほどであって、その処罰感情が
厳しいのも理解できるところである。被告人が、判示第三の犯行に及んだのは、利
欲目的以外にはなく、動機に酌量の余地はない。
 このような重大で悪質な犯罪行為に及んだにもかかわらず、被告人は、判示第一
の事実を除いて、捜査段階から一貫してその犯行を黙秘あるいは否認した上、公判
廷においても、不合理な弁解をしているものであって、反省の情は認められない。
その他、被告人は、暴力団員として活動している期間も長い上、前記累犯前科を含
め懲役刑に処せられた前科数犯を有し、相当長期間服役したことがあるにもかかわ
らず、またもや本件各犯行に及んでいるのであって、規範意識が明らかに欠如して
いる。
 これらの諸事情に照らすと、被告人の刑事責任は誠に重大である。
 他方、犯情悪質である判示第五の恐喝未遂において、被告人が相応の役割を果た
したことは否定できないものの、そもそも、A寺から多額の金員を喝取することを
計画し、別紙記載の個々の脅迫行為の具体的計画を立案し、C党員に実行させてい
たのはDであって、犯行の首謀者たるDのそれと比べれば、被告人の刑事責任はい
くぶん軽いものにとどまっていること、判示第一の被害品であるビデオテープは返
還されていること、判示第三及び第五の犯行は未遂に終わっていること等、被告人
にとって斟酌すべき事情も認められるが、これらの事情を十分勘案しても、本件事
案の重大性、犯行態様の悪質さ、生じた結果、被害者及びその周囲の者に与えた影
響、被告人の果たした役割、共犯者らの刑責との均衡等からすれば、主文掲記の刑
は免れないと判断し、主文のとおり量刑した。
 よって、主文のとおり判決する。
(求刑 懲役一六年)
(別表略)
平成一五年一月二四日
東京地方裁判所刑事第九部
裁判長裁判官安井久治
裁判官宮武 芳
裁判官鎌倉正和

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独立支援は3名

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〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
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職種 事務職
時給 当社規定による
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応募方法
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