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平成17年(行ケ)第10834号審決取消請求事件
口頭弁論終結日平成18年10月25日
判決
原告X
訴訟代理人弁理士平木祐輔
同大屋憲一
同松任谷優子
被告特許庁長官
中嶋誠
指定代理人谷口博
同森田ひとみ
同唐木以知良
同内山進
主文
1原告の請求を棄却する。
2訴訟費用は原告の負担とする。
3この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を
30日と定める。
事実及び理由
第1請求
特許庁が不服2003−808号事件について平成17年7月25日にした
審決を取り消す。
第2事案の概要
本件は,原告が,後記特許につき特許出願をしたところ,特許庁から拒絶査
定を受け,これを不服として審判請求をしたが,請求不成立の審決を受けたた
め,その取消しを求めた事案である。
第3当事者の主張
1請求の原因
(1)特許庁における手続の経緯
原告は,平成3年(1991年)1月17日,名称を「乱用薬物に対する
ワクチンおよび免疫血清」とする発明について,パリ条約による優先権(平
成2年[1990年]8月22日スイス国)を主張して,国際特許出願を
した(以下「本願」という。特願平3−502013号。公表特許公報は特
表平5−502871号[甲2])が,特許庁から平成14年10月4日拒
絶査定を受けた。
そこで,原告は,平成15年1月14日付けで不服の審判請求を行い,特
許庁は,この請求を不服2003−808号事件として審理した。その中で
原告は,平成15年12月17日付けで明細書の記載を補正した(以下「本
件補正」という。甲3)が,特許庁は,平成17年7月25日,「本件審判
の請求は,成り立たない」旨の審決(甲1)を行い,その審決謄本は平成1
7年8月9日原告に送達された。
(2)発明の内容
本件補正後の特許請求の範囲は,請求項1ないし12から成り,そのう
ちの請求項1(以下これに記載された発明を「本願発明」という。)
は,次のとおりである。
「ハプテン−担体複合体を得るためにハプテンとして担体化合物に結合させ
た依存性を起こしうる1種またはそれ以上の薬物を含有するワクチンの製造
方法であって,該複合体は,精製及び滅菌濾過後,該ワクチンの長持続性保
護を誘導する治療のための1回投与量及び投与回数で使用するためのもので
ある,上記方法。」
(3)審決の内容
ア審決の内容は,別紙審決写しのとおりである。その理由の要点は,
本願発明は,下記の引用例1,2に記載された発明に基づいて当業者が容
易に発明することができたから,特許法29条2項により特許を受けるこ
とができないというものである。
・引用例1(甲4)
NATURE,VOL.252,(1974),708頁∼710頁
・引用例2(甲5)
SCIENCE,VOL.176,(1972),1143頁∼1145頁
イなお,審決が認定した本願発明と引用例1発明との一致点,相違点は,
次のとおりである。
【一致点】
「ハプテンとして担体化合物に結合させた依存性を起こしうる1種の薬物
を含有する,ハプテン−担体複合体であるワクチンに関するもの」である

【相違点】
本願発明は,「該複合体は,精製及び滅菌濾過後,ワクチンの長期持続
性保護を誘導する治療のための1回投与量及び投与回数で使用するための
ワクチンの製造方法」であるのに対し,引用例1にはその点について明記
されていない点
(4)審決の取消事由
しかしながら,審決には,次のとおり誤りがあるから,違法なものとし
て取り消されるべきである。
ア取消事由1(一致点の誤認・相違点の看過)
審決は,「ワクチンに関するもの」であることを,本願発明と引用例1
発明の【一致点】と認定している。
しかし,次のとおり,この点は,【相違点】であって,【一致点】では
ない。
(ア)引用例1(甲4)には,「ワクチン」なる用語は全く使われておら
ず,引用例1は,濫用薬物に対するワクチンに言及していない。
(イ)引用例1(甲4)は,現実世界の街で取引される用量(ヘロイン使
用者の通常の使用量は50㎎)のわずかの部分でしかないヘロイン投与
量を使用し,図2においては,高用量の薬物を適用した後に,又は薬物
攻撃を繰り返した後に防御効果が消失することを示し,Fig3(図
3)においては,実験期間中にC−モルヒネとの結合能が7755014
pmolmlから7900pmolml(上記77550pmolmlの約10分−1−1−1
の1)に減少することを示して,「特に,非依存的なアカゲザルの自己
投与を強化するヘロインのこれらの作用は阻害され得る。この阻害は投
与量に依存することが示されており,薬物の高投与量によって乗り越え
られ得る。」(710頁右欄13行∼17行,訳文3頁下3行∼下1
行)と述べ,ヘロインの反復投与の適用に対して防御できないと結論付
けている。
Fig2(図2)について,更に詳しく述べると,次のとおりであ
る,すなわち,図2において,y軸は,サルが毎日自己投与した注入の
回数を数えたものであり,x軸は,毎日の時間の進展に対応する。黒く
塗りつぶした正方形をつなぐ線は,サルがモルヒネを注入できた複数の
日に得られた結果に対応する。括弧内に記載された数字は,サルが各自
己投与で注入したモルヒネの量であり,μgで表してある。黒く塗りつ
ぶした正方形をつなぐ線を左から右にしたがって読むことができる最初
の数字は,サルがモルヒネ6μgを10回注入したことを示す。その線
を最初から終わりまでたどると,投与当たりのモルヒネの濃度は連続し
て投与当たり100μgまで増加し,そして一日当たりの注入回数はコ
ントロールを示すFig1(図1)のプラセボ注入と比較して,投与量
にもよるが,コントロールより低いか,同程度に低い。この観察に基づ
くと,サルは100μgの投与量まで抗−モルヒネ抗体により保護さ
れ,モルヒネの効果を気付くことができないと結論できる可能性があ
る。しかし,100μgのモルヒネを投与した後2日すると,1日当た
りの注入回数は劇的に20回を超えるまで増加し,保護効果はなくな
る。さらに,線を右へたどると,投与量を増加させる第2のシリーズで
は,サルは投与当り50μgの濃度までしか保護されないことがわか
る。モルヒネを増加させる第3のモルヒネ攻撃は記載されていないが,
Fig3(図3)に記載される抗体レベルが順次低下することを考慮す
ると,次の閾値もさらに低いことが想定される。
なお,被告は,図2と図1の投与回数を比較している(後記3(1)ウ(
ウ))が,図1での注入の濃度は,6μg/㎏であり,これに対し図2で
の注入の濃度は,6,12,25,50,100μg/㎏と増加する。も
し,アカゲザルが注入当たり50又は100μg自己投与するのであれ
ば,免疫を受けていないサルにおける自己投与のベースラインはどうな
るかについては何の記載も引用例1に存在しない。図1の自己投与の回
数と図2の自己投与の回数を比較した記載は,「サルは以前のコカイン
摂取のベースライン水準を取り戻したが,ヘロインに対して,食塩水を
有意に上回る頻度で応答することはできなかった。」という記載(引用
例1[甲4]709頁右欄13行∼15行,訳文1頁下4行∼下3行)
を除いて,引用例1には存在しない。原告が推測するに,免疫を受けた
サルは,免疫を受けていないサルに比べてヘロインに敏感となり自己投
与の回数が減少したか,あるいは免疫を受けたサル中の抗体によりヘロ
インが中和されているため自己投与の回数が減少したと考えられる。
また,引用例1のFig4(図4)では,相当量の薬物を1回投与し
た後,モルヒネ結合能が4分の1だけ減少することを示しており,これ
からすると,あと3回の投与後には,結合能は,0.75=0.314
64(約31%)になると推定できる。
これに対して,本願明細書(甲2参照)に記載された実施例1及び2
に示す発見,すなわち,モルヒネを非常に高用量で繰り返し投与した後
であっても,その投与が長期間にわたっていても,薬物は抗体と結合す
るという事実は,意外な結果であり,引用例1の結果とはまさに対照的
である。この発見こそがワクチンの実用化への鍵である。本願明細書に
示された結果は,一流の専門雑誌である数十もの刊行物において,本願
発明者及び他の研究者によって,多くの濫用薬物モデルで実証されてい
る(甲6∼9)。
引用例1の指導的著者であるC.R.Schuster博士は,1990年代初
めに,本願発明者により合成された抗ヘロインワクチンの臨床試験を開
始する意向を持った,ある医療機関(フェニックス財団,ジュネーブ,
スイス)の科学委員会のメンバーのインタビューを受けた。この医療機
関により本願発明者に提供された文書(甲10)には,「Schuster博士
は,麻薬中毒研究センターで実際に研究されているナルトレキソンのよ
うな,長期間持続する作用薬−拮抗薬に関する研究がもたらす新規治療
法に関する神経生物学分野のより速度を増す発見に照らして,この分野
は,少なくともオピエートの分野に関して,もはや実現性がないと考え
ている。」と記載されている(5頁下10行∼下5行,訳文下9行∼下
5行)。
(ウ)引用例1(甲4)は,709頁左欄の下部に,アカゲザルの免疫化
手順につき,「…サルは,皮下に5mgの,フロイント完全アジュヴァン
ト中のM−6−HS−BSAの複合体を皮下に免疫処置された。2回目
の5mgの注射は28日後に行われた。その後は,2週間ごとに10mgの
フロイント不完全アジュヴァント中の複合体が注射された。20週後
…」(訳文1頁下14行∼下10行)と記載されている。この手順によ
る免疫化スケジュールの累積投与量は,20週間後に,5+5+10×
10=110mgとなる。
引用例1の免疫化プロトコルは連続的で期限がなく,最初の20週間
後に引き続き再免疫化されるという事実を考慮すると,引用例1の免疫
化は,免疫系が抗原の過剰投与によって無効化される免疫寛容(B細胞
寛容)と呼ばれる現象のために,抗体応答の欠如をもたらす免疫化と見
なすことができる。引用例1の観察は,寛容誘導に関する最新の知見と
一致する。IvanM.Roittは,B細胞寛容のための最小免疫寛容誘発投与
量を,1∼10mgと,著名な参考書「Immunology」に記載している(甲
13)が,引用例1は,はるかにその限度を超過している。なお,被告
は,「引用例1の免疫化プロトコルは,初回5mg,2回目28日後に5
mg,その後は2週間毎に10mgを20週間である」旨主張するが,引用
例1には免疫化をその後中止したとは記載されていない。引用例1の著
者は,サルが攻撃を受ける実験の間,免疫化を継続した可能性が極めて
高い。免疫化の際の20週後のC−モルヒネと結合する能力とFig14
3(図3)に示されている免疫後の薬物自己投与実験の最初のC−モ14
ルヒネと結合する能力が同じ値であるからといって,免疫化が中止され
たということにはならない。免疫化が実験の始まりに中止されたと仮定
すると,12回の免疫化ということになるが,どこにもこの事実は記載
されていない。
これに対して,本願発明では,40μg(0.040mg)で8回免疫
化する。総投与量は,0.32mgとなり,引用例1で免疫化に使用され
た複合体の量の300分の1以下である。相違点は,本願明細書の実施
例1及び2に記載したように,マウスのB細胞が免疫寛容によって無効
化されず,来るべき何日間も何か月間も,抗原攻撃のたびに特異的な抗
薬物抗体を大量に産生することができることである。これは驚くべきこ
とであり,自明な結果ではない。体が薬物分子を中和する能力の限界を
判定するために,本願発明者はその後の研究で,動物にニコチンポンプ
を埋め込んだが,このポンプは2週間連続して,昼夜絶えず,大量のニ
コチンを動物の体内に送達するものであった。次に,動物に放射性ニコ
チンを投与して攻撃し,本願発明に係るワクチンの防御効果を測定した
が,ワクチン未接種動物と比較して,ワクチン接種された動物の脳内へ
は,大量瞬時投与された放射性ニコチンの流入の減少を示した。このよ
うな極端な条件下であっても,本願発明者は,ワクチン接種した動物の
非常に顕著な防御を観察することができた。
(エ)以上のとおり,引用例1に記載されているのは,濫用薬物を中和す
るための抗体療法であって,「抗体の存在下で薬物を反復使用すると,
薬物が不活性化され,新たな特異的抗体の生産が刺激される」ものでは
ないから,「ワクチン」ではない。
また,「ワクチン」は,生体が抗原にさらされるとその抗原に対する
免疫応答が惹起されて,一連の免疫反応の結果として免疫記憶が形成さ
れ,2度目に同一抗原にさらされると,免疫記憶によって,より速やか
にかつより強い免疫応答が生じるものである(甲14)。しかし,引用
例1においては,Fig2(図2)に示される2度目のM−6−HS−
BSAの投与により,免疫記憶によって,より速やかにかつより強い免
疫応答が生じるどころか,逆に抗体又はリンパ球が産生しないで,抗体
は減少する一方であるから,引用例1に記載されているものは,「ワク
チン」ではない。
さらに,「ワクチン」の効果は,免疫学的記憶により,長期間持続す
るものであり,数か月もしくは数年間の防御的効果を有する。したがっ
て,薬物に対するワクチンは,薬物の攻撃を受けた後であっても,抗体
のレベルを回復しなければならない。しかし,引用例1には,免疫記憶
によるワクチン効果は全く見られないし,また,薬物の攻撃を受けた
後,抗体のレベルは回復することなく,寛容誘導により免疫系が無力化
されているから,「ワクチン」ではない。
イ取消事由2(相違点についての判断の誤り)
(ア)審決は,「一般に,医薬品の製造にあたっては,投与すべき薬物の
精製及び滅菌濾過をすることは通常行われる事項であり,引用例1にお
いてもモルヒネ−6−ヘミサクシニル−ウシ血清アルブミン(ハプテン
−担体複合体)をサルに投与するにあたり,これらの処理を行うことは
当業者が適宜採用する範囲のことである。」と判断している(5頁21
行∼25行)。
しかし,引用例1(甲4)においては,唯一の実験動物が試験直後に
熱性疾患にかかり,一般的なウイルス感染に類似した臨床像により死亡
している(710頁左欄下3行∼右欄9行,訳文3頁6行∼7行)。そ
のような結果を防ぐために取ったすべての処置を著者が文献中に記載す
ることは,かなり標準的な手順であるが,引用例1は,精製及び滅菌濾
過について言及していない。このことにより,精製及び滅菌濾過の処置
が取られなかったか又は少なくとも正しく行われなかったことが推定さ
れる。したがって,精製及び滅菌濾過の処置は,当業者が適宜採用する
範囲のことであるとはいえない。
(イ)審決は,「本願発明では「該ワクチンの長持続性保護を誘導する治
療のための1回投与量及び投与回数で使用」とされ,その具体的投与量
や投与回数は特定されていないが,ワクチンの適用方法として本願明細
書第7頁第20行には「…1回又はそれより多い回数投与する。」と記
載され,実施例1では免疫法として,「Balb/Cマウスに40マイ
クログラム/マウスの用量でモルヒネ−BSA複合体を2週間おきに8
回皮下投与する。」とされ,実施例2でこのようなワクチンの適用によ
り2ヶ月,4ヵ月後も有効であると結論されている。一方,引用例1の
投与はサルに対し「皮下に5mgの,フロイント完全アジュヴァント中の
M−6−HS−BSAの複合体を皮下に免疫処置された。2回目の5mg
の注射は28日後に行われた。その後は,2週間ごとに10mgのフロイ
ント不完全アジュヴァント中の複合体が注射された。20週後,血清の
モルヒネ結合能は,100pmolmlC−モルヒネを加えた場合に,−114
未希釈抗血清で77,550pmolmlとなった。」(2.(A2))−1
と記載され,一定の間隔で複数回ワクチンを適用するという手法はすで
に採用されている。」判断した(5頁26行∼6頁3行)上,「引用例
1では2ヶ月,4ヶ月後のワクチンの有効性については特に確認されて
はいないが,一般にワクチンを投与して免疫する場合に,長持続性保護
即ち免疫が長期間持続することが好ましいことはよく知られており,特
に,引用例1のような,薬物中毒者に対し薬物を不活性化する作用が期
待できるワクチンの場合には,その長期持続性保護が望まれていること
は自明であるから,この長期持続性保護を誘導するために,適切な1回
投与量,投与回数を検討し,その目的のために使用するワクチンとして
の製造を試みることは当業者が容易に想到し得る範囲のことである。」
と判断している(6頁4行∼11行)。
しかし,本願明細書は,実施例では,正確な1回投与量及び投与回数
に言及している。
本願での注射当たり40μgと引用例1での注射当たり10mgの間に
は,250倍の違いがある。この違いは,既に述べたように,特定の抗
体の連続的な刺激と特定の抗体の初期産生及び免疫系のB−細胞の最終
的な麻痺という反対の結果となって現れる。
既に述べたように,引用例1は「ワクチン」なる用語について言及し
ていないし,また,ワクチンとして使用することができる何物も実施し
ていない。引用例1は,非現実的に低用量の薬物を薬物(ヘロイン)攻
撃に使用したにもかかわらず,治療に失敗したものである。「この長期
持続性保護を誘導するために,適切な1回投与量,投与回数を検討し,
その目的のために使用するワクチンとしての製造を試みることは当業者
が容易に想到し得る範囲のことである。」(審決6頁9行∼11行)と
いうことは本願発明の達成後に言える後知恵である。本願発明の抗薬物
ワクチンを得るための1回投与量,投与回数を記載し,示唆する公知文
献は存在しない。
したがって,審決の上記判断は,引用例1の誤った評価に基づくもの
であり,誤っている。
(ウ)審決は,「本願明細書の記載から見て,本願発明の効果にしても当
業者の予測の範囲を格別超えるものということできない。」と判断して
いる(6頁12行∼13行)。
引用例1が公表された「Nature」誌は,少なくとも生物科学に関する
限り,最高の衝撃因子を持った定期刊行物であり,この発明の分野の当
業者の定義に含まれる科学者が明らかに読んでいた。しかし,引用例1
の著者はこのアプローチに関する研究を止めたのみならず,本願発明者
がこの分野での研究を開始するまでほとんど20年間を要したのであ
る。本願発明者は,血漿交換において,特定の抗体が血液循環から除去
されるとほぼ同じ速さで特定の抗体を入れ替えることができるとの知見
に基づき,本願発明をなしたものである。
本願発明について権利の譲渡を受けた会社は,もうすぐ本願発明の抗
ニコチンワクチンの臨床試験を開始する予定である。また,平成18年
2月初めの新聞発表によれば,ファイザー社やノバルティス社と関係の
あるCytos社は2005年に第2相の臨床試験を終わり,最適投与量に
ついて好ましい結果が最近得られたことを報告している。このように,
抗ニコチンワクチン等の抗薬物ワクチンは近い将来市販される見込みが
高まっている。
以上のようなことからすると,本願発明の効果は,当業者の予測の範
囲を超えるものであって,審決の上記判断は誤っている。
2請求原因に対する認否
請求原因(1)ないし(3)の事実は認めるが,(4)は争う。
3被告の反論
原告の主張はすべて失当であり,審決を取り消すべき理由はない。
(1)取消事由1に対し
ア原告は,引用例1は,「ワクチン」という用語が使われていないと主張
する。
本願明細書(甲2)には,「ワクチン」の定義として,「ワクチン:免
疫系のB細胞アームを活性化し,最後にはT細胞アームも活性化し得る免
疫原を含む製剤を指す。本発明ワクチンの免疫源は一般に薬物であり,こ
の薬物は担体物質にハプテンとして結合される。」(2頁左下欄下3行∼
右下欄最終行)旨記載されている。したがって,本願発明におけるワクチ
ンは,「ハプテンとしての薬物と担体物質」の結合体(複合体)であると
ころ,実施例1及び2には,該結合体(複合体)としての,モルヒネ−6
−ヘミスクシネートにウシアルブミンを結合させたモルヒネ−BSA複合
体が記載され,該モルヒネ−BSA複合体で免疫したマウスについての実
験を行い,「…ワクチンは長期にわたって有効であると結論づけることが
できる。」(4頁右上欄18行∼19行)と記載されている。
ところで,本願明細書(甲2)には,本願発明の前記「ワクチン」の定
義における「免疫系のB細胞アームを活性化し,最後にはT細胞アームも
活性化し得る製剤」についてそれ以上の具体的な説明はなく,本願発明の
意義・効果に関連して,「本発明のワクチンは薬物中毒患者を治療および
予防するための新しい方法を可能にする。ワクチン接種後に抗体の存在下
で薬物を反復使用すると,薬物が不活性化され,新たな特異的抗体の生産
が刺激される。それ故に,所望の薬物の効力が減少し,刺激と使用の悪循
環を断ち切ることができる。」(2頁左上欄21行∼25行)との記載,
及び免疫結果に関する実施例が示されているにすぎない。そうすると,本
願発明における前記ワクチンの定義における「免疫系のB細胞アームを活
性化し,最後にはT細胞アームも活性化し得る製剤」とは,結局,「抗体
の存在下で薬物を反復使用すると,薬物が不活性化され,新たな特異的抗
体の生産が刺激されることにより,所望の薬物の効力が減少し,刺激と使
用の悪循環を断ち切ることができ,そのようにして薬物中毒患者を治療及
び予防するためのもの」を意味するということができる。
これに対し,引用例1(甲4)には,「モルヒネ−6−ヘミサクシニル
−ウシ血清」(本願発明における「モルヒネ−BSA複合体」に相当)が
記載され,これをアカゲザルに投与した結果につき,「われわれの結果
は,アカゲザルが麻酔剤に対する抗体の産生を誘導されうることを示唆す
る。抗麻酔剤IgGは,血清とCSFの両者に存在する。ヘロインのCN
S作用の阻害も,この抗体によって示しうる。特に,非依存的なアカゲザ
ルの自己投与を強化するヘロインのこれらの作用は阻害され得る。」(訳
文3頁13行∼17行)と記載されている。この記載中の「非依存的なア
カゲザルの自己投与を強化するヘロインのこれらの作用は阻害され得る」
とは,ヘロインが依存性を起こしうる薬物であることはよく知られている
ことからして,実質的にヘロインに対する薬物依存性から解放させるこ
と,すなわちヘロインに対する薬物依存性を治療又は予防することを意味
し,ヘロインが抗体の存在下に不活性化され,新たな特異的抗体の生産が
刺激されることにより,ヘロインの効力が減少し,刺激と使用の悪循環を
断ち切るものであることを意味する。
そうすると,引用例1では,「ワクチン」という用語こそ使用されてい
ないが,引用例1における「モルヒネ−6−ヘミサクシニル−ウシ血清」
は,上記した本願発明にいう「ワクチン」に他ならず,実質的に「ワクチ
ン」が記載されている。
イ原告は,引用例1は,ワクチンの長期間にわたる防御効果を記載してい
ないと主張する。
本願明細書(甲2)には,本願発明の「ワクチン」における防御効果の
具体的な持続期間はもちろん,「長期間にわたる防御効果を有するもので
なければならない」との直接的な記載もない。
そして,補正後の本願明細書の「特許請求の範囲」(甲3参照)の「請
求項1」に「ワクチンの長持続性保護を誘導する治療のための1回投与量
及び投与回数で使用するための」と記載されているように,長期持続性保
護はワクチン自体に本来備わっているわけではなく,ワクチンの使用の仕
方(用法用量)によって持続的保護が誘導される期間が左右されるのであ
る。
本願明細書(甲2)の実施例2では2か月後4か月後に免疫が残ってい
るかどうかの試験を行って,「かくして,ワクチンは長期にわたって有効
であると結論づけることができる。」と記載している(4頁右上欄18行
∼19行)が,これは実施例1で適用したモルヒネ−BSAの用法用量に
よって得られた保護効果の期間を確認しているだけであって,「ワクチン
がどの程度の期間有効でなければならないのか」に関しての記載ではな
い。
引用例1(甲4)における図1ないし3の実験のプロトコル(708頁
右欄下4行∼709頁左欄9行)によれば,被検薬物としてヘロインとコ
カインを使用し,「1日あたり2時間の実験で,2つの薬物の内,1つだ
けが投与可能」であるから,Fig2(図2)に示されたヘロイン投与,
コカイン投与,及び食塩水投与を示す各ドットは,それぞれ異なる日の処
理を示し,またドットの総数は,実質的に実験日数を示している。したが
って図2中のドット総数は76であるから,76日間有効であると評価で
きる。したがって,引用例1のワクチンは,少なくとも76日(2か月
半)有効であったのであり,引用例1は,ワクチンの長期間にわたる防御
効果を記載していないとの原告の主張は失当である。
また,原告は,「引用例1の図3では,実験期間中にモルヒネ結合能が
10分の1に減少することを示して,ヘロインの反復投与の適用に対して
防御できないと結論づけている(甲4の710ページ右欄13行∼17
行,訳文3頁下3行∼下1行)。」と主張するが,引用例1の該当箇所
(訳文3頁下3行∼下1行)及びその他にも「ヘロインの反復投与の適用
に対して防御できない」ことを結論づける記載はない。ワクチンは,接種
後,有効抗体水準,すなわち,防御能が,徐々に低下していくことは通常
のことであって,モルヒネ結合能が徐々に減少していくことを示すFig
3(図3)の結果のみから,ヘロインの反復投与の適用に対して防御でき
ないと結論づけることは妥当性を欠くものである。
さらに,原告は,「引用例1のFig4(図4)では,相当量の薬物を
1回投与した後,モルヒネ結合能が4分の1だけ減少することを示してお
り,これからすると,あと3回の投与後には,結合能は,0.75=4
0.3164(約31%)になると推定できる。」と主張する。しかし,
図4の実験は,「サルに10分間にわたる1.0mg㎏のヘロインの静−1
脈内への単独注射を施し,次の2日の間に頻繁に血清サンプルを得ること
によって,ヘロイン−抗体相互作用の時間変化を調べた。図4にまとめら
れた結果は,抗体濃度はヘロイン注入後6分間で急速に減少することを示
す。3時間後までに,当初の濃度の約4分の3まで再び上昇し,次の48
時間はほとんど変化しなかった。」(訳文2頁下7行∼下2行)というも
のであるが,特定の条件下における実験結果であるから,この結果のみを
もって,モルヒネの結合能に関する結論が導き出されるものとはいえな
い。
ウ原告は,引用例1の1回投与量,投与回数は免疫寛容につながるもので
あり,引用例1では,複合体の過剰投与による免疫寛容が起こり,抗体応
答の欠如をもたらし,免疫系を無力化しているといると主張する。
しかし,この主張は,次のとおり失当である。
(ア)投与量につき
引用例2(甲5)には「11匹のニュージーランドの白ウサギに,フ
ロイントの完全アジュヴァントで乳化したM−3−HS−BSAを,
0.5,5,50mgのいずれかの量,皮下接種した。血清の抗原結合能
力は改良された(8)硫酸アンモニウム法(9)によって決定された。8週目
までに11匹のウサギの血清から抗体が検出された(表1)。50mgの複
合体を免疫処置されたウサギからは,有意に低い抗原結合性が見出され
た。抗体の親和性の質的測定のため,抗原結合能における抗原希釈の効
果もまた測定された(9)。その結果は,結合強度は徐々に増加し,免疫
処置に5.0mgが用いられた後に最大となることを示唆する。」(訳文
2頁5行∼12行)と記載されており,白ウサギの免疫処置において,
1回投与量の5mgが,0.5mg及び50mgと比べて有効であることが示
されている。この1回投与量5mgは,本願明細書に記載された1回投与
量40μgの125倍に相当する。引用例2において,本願明細書の実
験で使用されたマウスとは種が異なる白ウサギが使用され,免疫処置に
おいて有効な投与量に差違が生じたことは,免疫処置に必要な有効投与
量は実験に使用する動物の種によって相違することを示している。
そうすると,本願明細書と引用例1の実験における1回当たりの投与
量及び総投与量の違いは,両者における実験動物の相違,すなわち前者
がマウスであるのに対し後者はサルという種の違いをみれば当然であっ
て,投与量が多いからといって直ちに免疫寛容が起こるものではない。
また,本願発明が投与量を特定することに格別の意義を有するもので
あるとする記載は,本願明細書中に見い出せないから,「特許請求の範
囲」に記載された「該ワクチンの長持続性保護を誘導する治療のための
1回投与量」とは,ワクチン効果を奏する1回投与量というほどの意味
であって,格別の効果を奏する特定の投与量を意味するものとはいえな
い。
(イ)免疫化プロトコルにつき
引用例1(甲4)には,「期限なく追加免疫接種を行う」,「サルが
最初の20週間の後,引き続き再免疫化される」との記載は一切ない。
引用例1(甲4)には「20週後,血清のモルヒネ結合能は,100
pmolmlC−モルヒネを加えた場合に,未希釈抗血清で77,55−114
0pmolmlとなった。」(訳文1頁下12行∼下9行),「これら研−1
究の間,抗体の濃度は減少した。図3に示すように,ヘロイン投与期間
の少なくとも18時間後に得られた血清は,C−モルヒネと結合する14
能力が77550pmol/ml(未希釈血清)から7,900pmol/ml(前
者のレベルの約10%に相当)に低下していた」(訳文2頁16行∼1
9行)と記載されている。免疫化の際の20週後のC−モルヒネと結14
合する能力が77,550pmol/ml(未希釈血清)で,Fig3(図
3)に示されている,免疫後の薬物自己投与実験の最初のC−モルヒ14
ネと結合する能力も77550pmol/ml(未希釈血清)と同じ値である
ことからすると,20週後に再免疫化は行われていない。
そして,引用例1(甲4)の免疫化プロトコルは,初回5mg,2回目
28日後に5mg,その後は2週間毎に10mgを20週間であって(訳文
1頁(2)),初回免疫化及び11回の追加免疫接種を行っており,本
願明細書の場合(初回免疫化及び7回の追加免疫接種)と大差はない。
(ウ)免疫寛容につき
モルヒネに対して免疫処置されたサルを使用した実験において,抗体
の産生が誘導された結果,ヘロインに対し十分な防御効果を示すこと
が,引用例1に記載されていることは,次のとおりである。
(a)引用例1(甲4)のFig2(図2)には,免疫処置後,ヘロイ
ン投与を,投与量6μg㎏(6)から始め,12μg㎏(1−1−1
2),25μg㎏(25),50μg㎏(50)と順次倍増させ−1−1
て行い,これらの投与量においては,自己投与による注入回数が10
回以下の応答であることが示されており,この注入回数は,Fig1
(図1)に示された,免疫処置する前にヘロインを6μg㎏投与し−1
たときの自己投与回数25∼45回(最も多いと60回くらい)と比
べて顕著に少なく,ヘロインに対して十分な防御効果を有していると
いうことができる。
(b)次に,ヘロインの投与量を100μg㎏(100)の高用量と−1
すると,自己投与回数は平均16回に上昇しているが(訳文2頁2行
∼3行),前記図1における回数と比べるとなお相当程度に少ないか
ら,ヘロインに対する防御効果が消失したとまでいうことはできな
い。
このことは,再度,ヘロイン投与を6μg㎏(6)から始め,1−1
2μg㎏(12),25μg㎏(25)としたときに,注入回数−1−1
が,当初と同じ10回以下の応答に戻っていることからも明らかであ
る。
また,引用例1(甲4)には,「1回の注入につき100μg/㎏
で自己投与が再開され,その際2時間のセッションで平均16回の注
入が行われた。これは1回の注入あたりの最初の倍増量よりも16倍
ほど高く,非免疫動物において自己投与を維持するにはあまりに抑制
的な濃度である。」(訳文2頁2行∼5行)と記載されているが,こ
の記載は,免疫処置されていない動物にとって,100μg/㎏とい
う投与量は,過剰に過ぎるということを意味している。すなわち,過
剰投与すると,中枢神経に対するヘロインの抑制作用が強くなりすぎ
て,逆に自己投与をしなくなるものと考えられる。これに対し,Fi
g2(図2)の試験では,100μg/㎏投与しても,ヘロインに対
する免疫処置がされているために,ヘロイン過剰とはならずに,自己
投与をしなくなるという状況には至らず,平均16回の注入が行われ
た。つまり,免疫処置が有効に作用しており,ヘロインに対する防御
効果は消失していないことを示している。
(c)その後,2度目の50μg/㎏投与では,注入回数が平均26回
となっており,最初の50μg/㎏投与の時と比べると,かなり増加
している。これは,Fig3(図3)に示されているとおり,C−14
モルヒネと結合する能力が最初の時と比べ減少したため,つまり抗体
濃度が減少したためであって,それでも,免疫処置する前のFig1
(図1)の注入回数25∼45回(最も多いと60回くらい)と比べ
るとまだかなり少なく,ヘロインの効果を抑制していることことは明
らかであって,ヘロインに対する防御効果が消失したということはで
きない。
(d)以上のとおり,引用例1では,高用量の薬物を適用した後又は薬
物攻撃を繰り返した後にも,防御効果は維持されているということが
できる。
(エ)原告は,引用例1に記載されているのは,抗体療法であって,「ワ
クチン」は記載されていないと主張する。
しかし,「抗体療法」とは,抗体を含んだ血清又は血清から抽出され
た抗体を治療薬とするもので,動物に抗体を投与する治療法である。こ
れに対して,「ワクチン」は,もともと,「病原体に対する特異的な免
疫力を高めておくことにより,病原体の感染や感染した後の発症の予防
を行う医薬であって,生体に抗原を投与することにより,生体にこの抗
原と特異的に反応する抗体,または特異的な免疫機能を持ったリンパ球
(感作リンパ球)の産生を引き起こさせるための製剤」を意味するが,
今日において,免疫源が,病原体に限られず,腫瘍学や依存性薬物の治
療分野にまで拡大されている。
上記の「抗体療法」及び「ワクチン」の概念に照らせば,引用例1に
おける,モルヒネ−6−ヘミサクシニル−牛血清アルブミン(免疫源)
をサルに投与することによって,依存性を起こしうる薬物であるモルヒ
ネに対する抗体が産生され,その抗体がモルヒネと構造の類似するヘロ
インに結合して,その作用を抑制したとする分析結果は,モルヒネ−6
−ヘミサクシニル−牛血清アルブミンを免疫源とするワクチン効果を示
したものにほかならず,抗体療法には該当しない。
(オ)よって,原告の上記主張は,失当である。
(2)取消事由2に対し
ア精製及び滅菌濾過の処置は,当業者が適宜採用する範囲のことであると
はいえない旨の主張につき
引用例1において,唯一の実験動物が試験直後に熱性疾患にかかり,一
般的なウイルス感染に類似した臨床像により死亡したことが,直ちに,投
与すべき薬物の精製及び滅菌濾過の処置を行わなかったことを意味するも
のではないし,それらの処理が通常行われない処理であることを示すもの
でもない。投与すべき薬物の精製及び滅菌濾過をすることは医薬品であれ
ば通常行われる事項である(乙2[第九改正日本薬局方解説書]参
照)。
イ①本願明細書の実施例は,正確な1回投与量及び投与回数に言及してい
る,②本願と引用例1の投与量の違いは,反対の結果となって現れる,③
引用例1は「ワクチン」なる用語について言及していないし,ワクチンと
して使用することができる何物も実施していない。④引用例1は,非現実
的に低用量の薬物を薬物(ヘロイン)攻撃に使用したにもかかわらず,治
療に失敗したものである,⑤審決がいう「この長期持続性保護を誘導する
ために,適切な1回投与量,投与回数を検討し,その目的のために使用す
るワクチンとしての製造を試みることは当業者が容易に想到し得る範囲の
ことである。」ということは本願発明の達成後に言える後知恵である旨の
主張につき
審決の「具体的投与量や投与回数は特定されていない」との記載は,本
願明細書(補正後のもの。甲3)の「特許請求の範囲」の「請求項1」に
上記事項についての記載がないという趣旨である。審決は,これらが具体
的に記載された本願明細書(甲2)の実施例については上記記載に続く部
分(5頁29行∼6頁3行)で検討を行っている。
モルヒネに対して免疫処置されたサルの実験において,抗体が誘導さ
れ,これによってヘロインに対する十分な防御効果を得ることができたと
する説明が引用例1に記載されていることは,前記(1)ウ(ウ)で述べたと
おりである。引用例1における投与量の数値は,本願明細書に記載された
投与量の数値に対して,1回当たりの投与量として250倍となるが,こ
のことは,サルとマウスの種の違いによるものであることは,前記(1)ウ(
ア)で述べたとおりである。
審決は,長期持続性保護を誘導するための,適切な1回投与量,投与回
数について判断しているのであり,引用例1には,実質的にワクチンが記
載されていること,及びワクチンの防御効果が記載されていることは前記
のとおりであるから,原告の主張は失当である。
ウ本願発明の効果は,当業者の予測の範囲を超えるものである旨の主張に
つき
引用例1には,モルヒネ−6−ヘミサクシニル−ウシ血清アルブミンを
サルに一定の方法で投与すると,それに対する抗体が産生され,乱用薬物
の1種であるヘロインが不活性化されるという効果が示されているのであ
るから,本願発明の製造方法により得られる「ハプテン−担体複合体…ワ
クチン」の効果にしても,上記の引用例の実験結果から十分に期待ないし
予測し得るものであって,審決はそのことを示したものである。
原告の主張する事実は,いずれも審決の上記の判断とかかわりのないこ
とである。
第4当裁判所の判断
1請求原因(1)(特許庁における手続の経緯),(2)(発明の内容),(3)(審
決の内容)の各事実は,当事者間に争いがない。
2取消事由1(一致点の誤認・相違点の看過)について
(1)本願発明の意義につき
ア本願明細書(甲2)には,次の各記載がある。
(ア)「本発明のワクチンは薬物中毒患者を治療および予防するための新
しい方法を可能にする。ワクチン接種後に抗体の存在下で薬物を反復使
用すると,薬物が不活性化され,新たな特異的抗体の生産が刺激され
る。それ故に,所望の薬物の効力が減少し,刺激と使用の悪循環を断ち
切ることができる。
新規ワクチンは薬物分野へワクチンの適用を広げるものである。古典
的ワクチンと本発明ワクチンとの間には次のような基本的な相違があ
る。:1)本ワクチンは感染性の因子に向けられたものでなく,薬物に
向けられたものである,2)このワクチンは典型的には予防ではなく,
治療のために適用される,3)抗原(ワクチンはこの抗原に向けられ
る)は大抵の場合単独では抗原性がなく,抗体を誘起するために担体タ
ンパク質に結合させねばならない,4)依存性を起こす薬物の効力は薬
物と受容体との相互作用に基づいている。この相互作用は抗体と薬物の
結合により減少する。
従って,本発明の目的は,乱用薬物に対するワクチンを提供すること
であり,このワクチンは:
1)依存性を起こす1種またはそれ以上の薬物に向けられ,薬物を免疫
原性とするために担体タンパク質に結合されている:
2)身体的依存性を起こす薬物および精神的依存性を起こす薬物に対し
て効果的である:
3)治療のために(薬物中毒者にワクチンを接種して薬物を不活性化す
るために),さらに予防のために(薬物中毒妊婦の胎児を薬物の直接的
有害作用およびその後の薬物依存から保護するために)使用することが
できる:
4)あらゆる種類の薬物,例えばアヘン製剤,アヘン様薬物,マリファ
ナ,コカイン,アンフェタミン,抗精神病薬,バルビツール酸類および
他の鎮静薬,向精神薬,抗コリン作動薬,並びにこれらの薬物を汚染す
る化合物に対して向けられる:
5)一般的に免疫系のB細胞分岐を活性化するが,免疫系のT細胞アー
ムの活性化を介してまたはアレルゲン作用を介して更なる効率を獲得す
ることができる。」(2頁左上欄21行∼左下欄1行)
(イ)「定義」という表題の下に次の各記載がある。
「ワクチン:免疫系のB細胞アームを活性化し,最後にはT細胞アー
ムも活性化しうる免疫原を含む製剤を指す。本発明ワクチンの免疫原は
一般に薬物であり,この薬物は担体物質にハプテンとして結合され
る。」(2頁左下欄下3行∼右下欄1行)。
「抗体:これは抗原刺激後に免疫系のB細胞により生産される1つの
クラスの血漿タンパク質である。ヒト抗体はIgG,M,A,Eまたは
Dクラスの免疫グロブリンである。」(3頁右上欄1行∼3行)
「抗原:これは免疫系の応答を誘導する能力をもつ化合物である。抗
原は一般にタンパク質であるが,糖や脂質成分を含んでいてもよい。抗
原は通常10000ダルトン以上の分子量をもつ。」(3頁右上欄4行
∼6行)
「ハプテン:これらは単独では免疫応答を誘導し得ない小分子であ
る。ハプテンが免疫原性をもつようになるには,それらを担体に結合さ
せねばならない。ハプテン−担体に対する免疫応答はハプテン,担体ま
たは両方の化合物に対して向けることができる。本発明のハプテンは一
般に薬物,薬物の中間代謝物,またはタバコの煙成分のような薬物の成
分である。…」(3頁右上欄7行∼12行)
「担体物質:小分子(ハプテン)に対する抗体を誘導する問題は,小
分子を担体に結合することにより解決できる。この結合によりハプテン
は免疫原性をもつようになり,このことは体内に注入後抗体が生じるこ
とを意味する…。」(3頁右上欄17行∼20行)
(ウ)実施例として,次の各実施例が記載されている。
(a)実施例1
「免疫法:5匹の雌Balb/Cマウスに40マイクログラム/マ
ウスの用量でモルヒネ−BSA複合体を2週間おきに8回皮下注射す
る。他のマウス群には同一条件下でバルビツレートKLH複合体を与
え,同じ年齢の10匹の雌Balb/Cマウスの対照群はワクチンを
含まないワクチン製剤の緩衝液で処置する。…
ワクチンを接種した5匹と対照群の5匹に,最後の免疫の2週間
後,マウスあたり0.5㎎を注射する。注射直後と注射の2時間後に
血清試料を採取し,修正したEMITアッセイにより血清中の薬物を
定量する。薬物の注射直後に採取した試料では薬物を検出することが
まだ可能であるが,注射の2時間後では薬物をもはや検出することが
できない。テスト系での陽性試料と陰性試料の区別はバルビツレート
の場合もモルヒネの場合も5ng/mlであると決定された。テスト結果
は,成功したワクチン接種の後では抗体が薬物に結合し,それ故,遊
離薬物はもはや検出不可能であると解釈される。」(4頁左上欄4行
∼右上欄8行)
(b)実施例2
「本実験は,薬物に対する“免疫”が数か月後でさえまだ存在する
ことを立証する。実施例1の免疫したマウスのうち2匹と対照群の3
匹のマウスに,最初の実験の2か月後と4か月後に,0.5㎎のモル
ヒネを注射する。最初の実験と同様に注射直後と注射の2時間後に血
清試料を採取し,EMITアッセイにより血清中のモルヒネを調べ
る。モルヒネ−BSAで前もって免役しておいたマウスの血清はこの
場合も陰性であり,注射直後に採取した試料だけが陽性の結果を示
す。対照群はすべての試料において検出可能なレベルのモルヒネを示
す。かくして,ワクチンは長期にわたって有効であると結論づけるこ
とができる。」(4頁右上欄10行∼19行)
イ上記アの本願明細書(甲2)の記載からすると,本願発明の「ワクチ
ン」は,上記ア(イ)の定義にあるように,「免疫系のB細胞アームを活性
化し,最後にはT細胞アームも活性化しうる免疫原を含む製剤を指す。本
発明のワクチンの免疫原は一般に薬物であり,この薬物は担体物質にハプ
テンとして結合される。」というものであると認められる。そして,この
「ワクチン」の定義における「免疫系のB細胞アームを活性化し,最後に
はT細胞アームも活性化しうる製剤」については,①本願明細書中に,上
記アの記載以上の具体的な説明はないこと,②本願明細書記載の実施例1
は,マウスをモルヒネ−BSA複合体で免疫化し,0.5㎎のモルヒネを
マウスに注射して,マウスの血清が陰性であることを確認したというもの
であり,実施例2は,実施例1の実験の2か月後及び4か月後に0.5㎎
のモルヒネをマウスに注射して,マウスの血清が陰性であることを確認し
たというものであって,薬物を繰り返し継続して使用した実施例は記載さ
れていないことからすると,「免疫反応によって抗体が生産され,その抗
体によって薬物が不活性化され,薬物の効力が減少する製剤」という意味
を有するものの,それ以上の意味を有するとは解されない。
原告は,「ワクチン」は,生体が抗原にさらされるとその抗原に対する
免疫応答が惹起されて,一連の免疫反応の結果として免疫記憶が形成さ
れ,2度目に同一抗原にさらされると,免疫記憶によって,より速やかに
かつより強い免疫応答が生じるものであると主張する。そして,村松正實
等編集「分子細胞生物学辞典」株式会社東京化学同人(1997年5月1
日発行。甲14)の「免疫記憶」の項には,「すでにさらされたことがあ
る抗原で再度刺激を受けると…,免疫応答は初めての抗原に対するよりも
速く,しかも強く現れる。これを免疫記憶という。免疫記憶があることが
ワクチンを可能にしている。」との記載があり,同書の「ワクチン」の項
には,「生体が抗原にさらされるとその抗原に対する免疫応答が惹起さ
れ,一連の免疫反応の結果として免疫記憶が形成される。二度目に同一抗
原にさらされると,免疫記憶によって,より速やかにかつより強い免疫応
答が生じる。この性質を利用して,あらかじめ弱毒化あるいは不活性化し
た病原体で生体を感作し免疫記憶を誘導する。このために用いる弱毒化あ
るいは不活性化した病原体のこと」との記載がある。また,多田富雄等編
集「免疫学用語辞典第三版」株式会社最新医学社(1993年12月1日
発行。甲15)313頁の「免疫学的記憶」の項には,「抗原刺激をあら
かじめ受けた動物では,抗原の再侵入に際し,初回の応答よりも速く,か
つ強い免疫応答が惹起される現象を説明するための概念である。」との記
載がある。これらの辞典の記載は,上記の本願発明に係る「ワクチン」の
意義を,「免疫応答」,「免疫記憶」,「免疫学的記憶」といった用語を
使用して説明したものと解され,原告の上記主張も,上記の本願発明に係
る「ワクチン」の意義と異なる意義を主張するものとは解されない。
また,原告は,「ワクチン」の効果は,免疫学的記憶により,長期間持
続するものであり,数か月もしくは数年間の防御的効果を有するから,薬
物に対するワクチンは,薬物の攻撃を受けた後であっても,抗体のレベル
を回復しなければならないと主張する。しかし,本願の「特許請求の範
囲」の「請求項1」には,「該ワクチンの長持続性保護」と記載されてい
るのみで,「ワクチン」が効果を有する期間を限定する記載はなく,上記
ア(ウ)(b)の実施例2には,本願発明に係る「ワクチン」が,実施例1の
実験から2か月後及び4か月後に効果があったことが記載されているが,
実施例2は,上記のとおり,2か月後及び4か月後に0.5㎎のモルヒネ
をマウスに注射して,マウスの血清が陰性であることを確認したというも
のであって,薬物を繰り返し使用しても,その治療効果が2か月又は4か
月間継続することが示されているわけではなく,他に,本願明細書に「ワ
クチン」が効果を有する期間に関する記載はないから,本願発明に係る
「ワクチン」は,薬物を繰り返し使用しても,数か月もしくは数年間の防
御的効果を有するものでなければならないと解することはできない。そう
すると,本願発明に係る「ワクチン」は,薬物の攻撃を受けた後であって
も,抗体のレベルを回復し,数か月もしくは数年間の防御的効果を有する
ものでなければならないと解することもできない。
さらに,原告は,本願発明は,「モルヒネを非常に高用量で繰り返し投
与した後であっても,その投与が長期間にわたっていても,薬物は抗体と
結合するという事実」を示したものであって,それは,免疫寛容が生じて
いないからである旨主張する。しかし,既に延べたとおり,本願明細書に
は,「モルヒネを非常に高用量で繰り返し投与した後であっても,その投
与が長期間にわたっていても,薬物は抗体と結合するという事実」が示さ
れているとはいえない。まして,免疫寛容については,本願明細書には全
く記載されておらず,本願発明が免疫寛容を解決したものであるとは解さ
れない。
(2)引用例1につき
ア引用例1(甲4)には,次の各記載がある。
(ア)「われわれは,ある霊長類について,麻酔剤に対する免疫処置の,
これらの薬物の自己投与に対する効果を調べた。麻酔剤や精神運動性の
興奮剤を含む様々な薬物の自己投与を行うアカゲザルを用いて,モルヒ
ネに対する免疫処置の前後における,ヘロインへの反応を追跡した。結
果は,モルヒネに対する抗体が,自己投与行動を持続する中枢神経系
(CentralNervousSystem,CNS)におけるヘロインの効果を阻害するこ
とを示唆する。
われわれの方法は,麻酔剤に対する免疫応答について存在する知見に
基づくものだった。モルヒネ−タンパク複合体に対する抗体は,遊離し
た麻酔剤のハプテンと結合することが示されている。免疫処置する同じ
麻酔剤が,化学的核の異なる位置でタンパク担体に結合されている場合
に,異なる抗体の特異性が記載されている。抗血清は,モルヒネ−6−
ヘミサクシニル−ウシ血清アルブミン(M−6−HS−BSA)の免疫処
置に得られた。得られた抗血清は,モルヒネとヘロインに対し,最も高
く,ほとんど等しい親和性を有し,麻酔剤に対しては,構造的類似性の
減少に伴って漸進的に親和性が小さくなる。」(訳文1頁3行∼16
行)
(イ)「薬物実験は停止され,サルは金属格子の檻に移された。そしてサ
ルは,皮下に5mgの,フロイント完全アジュヴァント中のM−6−HS
−BSAの複合体を皮下に免疫処置された。2回目の5mgの注射は28
日後に行われた。その後は,2週間ごとに10mgのフロイント不完全ア
ジュヴァント中の複合体が注射された。20週後,血清のモルヒネ結合
能は,100pmolmlC−モルヒネを加えた場合に,未希釈抗血清−114
で77,550pmolmlとなった。放射免疫電気泳動法により,モル−1
ヒネはサルの血清のIgG分画に特異的に結合することが示された。(
われわれはまた,M−6−HS−BSAを免疫された他の2匹のサルか
ら得た抗血清が,高水準のモルヒネ結合を示すことを見出した。)
カテーテルは左内頚静脈に挿入され,現体重6.6kgのサルは薬物自
己投与へと戻された。サルは以前のコカイン摂取のベースライン水準を
取り戻したが,ヘロインに対して,食塩水を有意に上回る頻度で応答す
ることはできなかった(図2)」(訳文1頁18行∼30行)
(ウ)「その後,ヘロインの用量を連続して倍増させ,用量あたり少なく
とも3回のヘロインセッションを可能にした。1回の注入につき100
μg/㎏で自己投与が再開され,その際2時間のセッションで平均16回
の注入が行われた。これは1回の注入あたりの最初の倍増量よりも16
倍ほど高く,非免疫動物において自己投与を維持するにはあまりに抑制
的な濃度である。コカインについてのレバー押しの食塩水置換消去をこ
の期間に介入させたが,以前と同様に,ヘロイン自己投与に対して認め
うる影響を及ぼさなかった。その後,動物を6μg/㎏のヘロインの用量
に戻したが,セッションあたりの注入回数は再度著しく低下した。2回
目のヘロイン用量の一連の増加では,自己投与が1回の注入につき50
μg/㎏で再開され,2時間のセッションで平均26回の注入が行われた
(図2)。薬物の自己投与が再開された2回目にサルが行った注入回数
の増加は,再開が起こったときの用量の低下を埋め合わせるものであっ
た。図3に示すように,免疫後にヘロイン自己投与が維持されたとき,
サルは2時間のセッションにつき約1∼2㎎/㎏を受け取ったが,これ
は免疫前に自己投与を維持するのに必要な量より約10倍多いヘロイン
量であった。
これらの研究の間,抗体の濃度は減少した。図3に示すように,ヘロ
イン投与期間の少なくとも18時間後に得られた血清は,C−モルヒ14
ネと結合する能力が77,550pmol/ml(未希釈血清)から7,90
0pmol/ml(前者のレベルの約10%に相当)に低下していった。入っ
てくるヘロインとの結合に利用可能な抗体のこの減少は,2回目の一連
の上昇するヘロイン量(50μg/㎏/回)でヘロイン自己投与を再開し
たことが原因でありうるが,学習効果も除外できない。この抗体濃度の
減少はまた,ほかの免疫反応の場合と同様に,アヘン抗原が,抗体過剰
の存在下で抗体と結合したときには,非免疫原性となることをも示して
いる。」(訳文2頁1行∼23行)
(エ)「われわれは次に,サルに10分間にわたる1.0mgkgのヘロイ−1
ンの静脈内への単独注射を施し,次の2日の間に頻繁に血清サンプルを
得ることによって,ヘロイン−抗体相互作用の時間変化を調べた。図4
にまとめられた結果は,抗体濃度はヘロイン注入後6分間で急速に減少
することを示す。3時間後までに,当初の濃度の約4分の3まで再び上
昇し,次の48時間はほとんど変化しなかった。」(訳文2頁25行∼
30行)
(オ)「ヘロインの抗体遮断がCNSまで伸びたかどうかを知るために腰
椎穿刺により脳脊髄液(CFS)を得た。CNSは,600pmolモル
ヒネmlの希釈液を結合した。同時に測定したモルヒネを結合する血−1
清の容量は,10,899pmolmlであり,殆どのヘロイン結合は末−1
梢性循環で起こることを示唆した。それから,サルは,コカインのみ2
週間自己投与した。この2週間の間2回のブースター免疫を与えた。2
回目のブースターから4日後,サルはコカインの自己投与を止めた。こ
れは熱性疾患の発病を示し1.5カ月後サルの死で終わった。剖検によ
り,内皮組織中での広範囲に及ぶ細胞核内の封入体が明らかになり,散
在性のウイルス感染の診断を支持した。腎臓は,過ウイルス様封入体を
持った過細胞糸球体を示した。電子顕微鏡検査は,高電子密度の領域の
ない無傷の基底膜を明らかにした。これらの知見は,サルの死は,M−
6−HS−BSAを用いた免疫に直接関連していないことを示唆する。
われわれの結果は,アカゲザルが麻酔剤に対する抗体の産生を誘導さ
れうることを示唆する。抗麻酔剤IgGは,血清とCSFの両者に存在
する。ヘロインのCNS作用の阻害も,この抗体によって示しうる。特
に,非依存的なアカゲザルの自己投与を強化するヘロインのこれらの作
用は阻害され得る。この阻害は投与量に依存することが示されており,
薬物の高投与量によって乗り越えられ得る。」(訳文3頁1行∼17
行)
イ引用例1(甲4)のFig1(図1)には,免疫処置をしないときのサ
ルのヘロインの自己投与回数が示されているが,それによると,投与量6
μg㎏の場合には,25∼45回(最も多いと60回くらい)である。−1
引用例1(甲4)のFig2(図2)には,免疫処置後サルに対して行
った,上記ア(イ)(ウ)記載のヘロイン投与の結果が示されている。図2に
は,①投与量6μg㎏(6)から始め,12μg㎏(12),25μg−1−1
㎏(25),50μg㎏(50)と順次倍増させて,14日間にわた−1−1
って投与したところ,これらの投与量においては,自己投与による注入回
数がおおむね5回以下であったこと,②次に,ヘロインの投与量を100
μg㎏(100)増加して,6日間にわたって投与したところ,自己投−1
与による注入回数は増加したこと(上記ア(ウ)のとおり平均16回),③
再度,ヘロイン投与を6μg㎏(6)から始め,12μg㎏(1−1−1
2),25μg㎏(25)と倍増させて,9日間投与したところ,これ−1
らの投与量においては,自己投与による注入回数が10回以下であったこ
と,④次にヘロインの投与量を50μg㎏として7日間にわたって投与−1
したところ,自己投与による注入回数は増加したこと(上記ア(ウ)のとお
り平均26回)が示されている。なお,上記の日数は,実際にヘロインが
投与された日の数である。上記期間にはヘロインが投与されなかった日も
あるので,それを含めると,上記①∼③の期間は,図2によると,約60
日間となる。
引用例1(甲4)のFig3(図3)には,血清のC−モルヒネと結14
合する能力は,上記ア(ウ)のとおり,上記ア(イ)(ウ)記載のヘロイン投与
前には,77550pmolmlであったのが,ヘロイン投与後には,79−1
00pmol/mlになったことが示されている。また,図3には,上記①∼④
のヘロイン投与における各日の総投与量が記載されており,上記①と③に
ついては,おおむね0.1㎎㎏以下である。−1
引用例1(甲4)のFig4(図4)には,上記ア(エ)のとおり,抗体
濃度はヘロイン注入後6分間で急速に減少し,3時間後までに,当初の濃
度の約4分の3まで再び上昇し,次の48時間はほとんど変化しないこと
が示されている。
ウ上記イの記載からすると,免疫処置後のサルに対するヘロイン投与のう
ち,上記イ①及び③(1回目の投与量6μg㎏,12μg㎏,25μg−1−1
㎏及び50μg㎏,2回目の投与量6μg㎏,12μg㎏及び2−1−1−1−1
5μg㎏)については,自己投与回数も総投与量も免疫処置をしない場−1
合に比べて明らかに少ないということができる。このことに,上記アの記
載を併せて考慮すると,引用例1は,「免疫反応によって生産された抗体
が,自己投与行動を持続する中枢神経系(CNS)におけるヘロインの効
果を阻害すること」を明らかにしたものであると認められる。
もっとも,ヘロインの投与量が増える(上記イ②及び④[1回目の投与
量100μg㎏及び2回目の投与量50μg㎏])と,阻害効果が少−1−1
なくなることから,上記ア(オ)のとおり,「この阻害は投与量に依存する
ことが示されており,薬物の高投与量によって乗り越えられ得る。」と記
載されているが,この記載は,将来の課題として,投与量の問題があるこ
とを記載したものであって,引用例1は,免疫反応によって生産された抗
体がヘロインの効果を阻害することを明らかにした旨の上記認定を左右す
るものではない。
そして,上記イのとおり,引用例1(甲4)の図3には,血清のC−14
モルヒネと結合する能力は,上記ア(イ)(ウ)記載のヘロイン投与前には,
77550pmol/mlであったのが,ヘロイン投与後には,7900
pmol/mlになったことが示されている。この事実は,ヘロインの投与量が
増えると,阻害効果が少なくなることから,将来の課題として,投与量の
問題があることを示しているといえるが,免疫反応によって生産された抗
体がヘロインの効果を阻害するという上記効果が存することを否定するも
のではなく,引用例1は,免疫反応によって生産された抗体がヘロインの
効果を阻害することを明らかにした旨の上記認定を左右するものではな
い。
また,上記イのとおり,引用例1(甲4)の図4には,抗体濃度はヘロ
イン注入後6分間で急速に減少し,3時間後までに,当初の濃度の約4分
の3まで再び上昇し,次の48時間はほとんど変化しないことが示されて
いるところ,原告は,「引用例1の図4では,相当量の薬物を1回投与し
た後,モルヒネ結合能が4分の1だけ減少することを示しており,これか
らすると,あと3回の投与後には,結合能は,0.75=0.31644
(約31%)になると推定できる。」と主張する。しかし,2回目,3回
目とヘロインを追加投与したときに,原告が主張するように抗体濃度が4
分の1ずつ減少するかどうかは明らかでない上,あと3回の投与後にモル
ヒネ結合能が失われるわけでもない。引用例1の図4も,免疫反応によっ
て生産されたがヘロインの効果を阻害するという上記効果が存することを
否定するものではなく,引用例1は,免疫反応によって生産された抗体が
ヘロインの効果を阻害することを明らかにした旨の上記認定を左右するも
のではない。かえって,引用例1の図4によると,ヘロイン注入後減少し
た抗体濃度は,その後再び上昇しているから,薬物の攻撃を受けた後に減
少した抗体のレベルが一部回復することが示されているということができ
る。
なお,原告は,引用例1は,現実世界の街で取引される用量(ヘロイン
使用者の通常の使用量は50㎎)のわずかの部分でしかないヘロイン投与
量を使用していると主張する。しかし,引用例1は,アカゲザルを用いた
実験において,免疫前と免疫後のヘロインの自己投与回数を比較して,
「免疫反応によって生産された抗体が,自己投与行動を持続する中枢神経
系(CNS)におけるヘロインの効果を阻害すること」を明らかにしたも
のであって,そのヘロインの投与量が人間のヘロイン使用者の通常の使用
量よりも少ないからといって,免疫反応によって生産された抗体がヘロイ
ンの効果を阻害することを明らかにした旨の上記認定が左右されるもので
はない。
また,原告は,「引用例1の免疫化プロトコルは連続的で期限がなく,
最初の20週間後に引き続き再免疫化される」と主張する。しかし,(a)
上記ア(イ)のとおり,引用例1では,2週間ごとの注射が始められてから
20週後に,免疫化されたサルから得た抗血清が,高水準のモルヒネ結合
を示すことを確認し,「カテーテルは左内頚静脈に挿入され,現体重6.
6kgのサルは薬物自己投与へと戻され」ており,この時点で,免疫化に関
する一連の処理は完結したと解釈することができること,(b)上記ア(オ)
のとおり,「それからサルは,コカインのみ2週間自己投与した。この2
週間の間2回のブースター免疫を与えた。」と記載されていて,一連の自
己投与実験の後に追加免疫を与えたことがわざわざ記載されていることか
らすると,自己投与実験に移された時点で2週間ごとの免疫化は行われて
いないと解するのが自然であり,原告の上記主張は採用することができな
い。
さらに,原告は,本願発明では,40μgで8回免疫化するから,複合
体の総投与量は,0.32mgとなり,引用例1で免疫化に使用された複合
体の量(110mg)の300分の1以下であると主張する。しかし,本願
では実験動物としてマウスを用い,引用例1ではアカゲザルを用いてお
り,種が異なることに加えて,体重も,大幅に異なるから,本願発明と引
用例1では,免疫化のための複合体の投与量の違いによって効果が違うと
解することはできない。
(3)以上を総合すると,引用例1には,「免疫反応によって生産された抗体
が,自己投与行動を持続する中枢神経系(CNS)におけるヘロインの効果
を阻害すること」が記載されているから,「免疫反応によって抗体が生産さ
れ,その抗体によって薬物が不活性化され,薬物の効力が減少する製剤」が
記載されているものということができる。したがって,引用例1には,「ワ
クチン」という用語は用いられていないが,実質的に,本願発明に係る「ワ
クチン」が記載されているということができる。
なお,原告は,引用例1(甲4)においては,Fig2(図2)に示され
る2度目のM−6−HS−BSAの投与により,免疫記憶によって,より速
やかにかつより強い免疫応答が生じるどころか,逆に抗体又はリンパ球が産
生しないで,抗体は減少する一方であるから,引用例1に記載されているも
のは,「ワクチン」ではないと主張する。しかし,前記(2)ウで述べたとお
り,M−6−HS−BSAの投与は,図2に示されるヘロインの自己投与実
験より前に行われているのであるから,原告の上記主張は,そもそも前提を
欠くものである。また,前記(1)イのとおり,「ワクチン」は,「生体が抗
原にさらされるとその抗原に対する免疫応答が惹起され,一連の免疫反応の
結果として免疫記憶が形成され,2度目に同一抗原にさらされると,免疫記
憶によって,より速やかにかつより強い免疫応答が生じる」ものであるが,
引用例1には,上記ア(イ)のとおり,「20週後,血清のモルヒネ結合能
は,100pmolmlC−モルヒネを加えた場合に,未希釈抗血清で7−114
7,550pmolmlとなった。放射免疫電気泳動法により,モルヒネはサ−1
ルの血清のIgG分画に特異的に結合することが示された。(われわれはま
た,M−6−HS−BSAを免疫された他の2匹のサルから得た抗血清が,
高水準のモルヒネ結合を示すことを見出した。)」と記載されているなど,
最初の免疫処置によって抗体が生産され,その後,同一抗原であるヘロイン
にさらされると,抗体が中枢神経系(CNS)におけるヘロインの効果を阻
害することが示されているから,上記定義に当てはまるものということがで
きる。
(4)よって,「ワクチンに関するもの」であることを,本願発明と引用例1
発明の【一致点】と認定した審決の判断に誤りはない。
3取消事由2(相違点の判断の誤り)について
(1)原告は,引用例1において,実験の対象となったサルは,熱性疾患にか
かり,一般的なウイルス感染に類似した臨床像により死亡しているし,精製
及び滅菌濾過について言及されていないから,精製及び滅菌濾過の処置が取
られなかったか又は少なくとも正しく行われなかったことが推定され,した
がって,精製及び滅菌濾過の処置は,当業者が適宜採用する範囲のことであ
るとはいえないと主張する。
しかし,財団法人日本公定書協会編集「第九改正日本薬局方解説書A」
株式会社廣川書店(昭和54年11月15日発行)A−105頁(乙2)に
は,「溶液注射液の製造は注射用の規格に適合した原料を溶剤に攪拌,時に
加温して,溶解する。…薬物溶液の脱色や,時には発熱性物質の除去の目的
に活性炭を加えて攪拌することもあるが,…調製した溶液はろ過し,不溶性
異物や細菌を除去する。このろ過工程は注射剤製造工程で極めて重要なもの
である。」と記載されていることからすると,投与すべき薬物について精製
及び滅菌濾過をすることは,医薬品であれば通常行われる事項であると認め
られるから,引用例1において,実際に精製及び滅菌濾過の処置がされたか
どうかにかかわりなく,精製及び滅菌濾過の処置をすることは,当業者(そ
の発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者)が適宜すること
ができる範囲内の事項であって,本願発明において精製及び滅菌濾過の処置
がされていることを理由として本願発明に進歩性を認めることはできない。
よって,その旨の審決の判断に誤りはない。
(2)原告は,①本願明細書の実施例は,正確な1回投与量及び投与回数に言
及している,②本願と引用例1の投与量の違いは,反対の結果となって現れ
る,③引用例1は「ワクチン」なる用語について言及していないし,ワクチ
ンとして使用することができる何物も実施していない。④引用例1は,非現
実的に低用量の薬物を薬物(ヘロイン)攻撃に使用したにもかかわらず,治
療に失敗したものである,⑤審決がいう「この長期持続性保護を誘導するた
めに,適切な1回投与量,投与回数を検討し,その目的のために使用するワ
クチンとしての製造を試みることは当業者が容易に想到し得る範囲のことで
ある。」ということは本願発明の達成後に言える後知恵であると主張する。
しかし,本願発明の「特許請求の範囲」の「請求項1」には,「該ワクチ
ンの長持続性保護を誘導する治療のための1回投与量及び投与回数で使用」
と記載されているのみであるから,「特許請求の範囲」において,具体的投
与量や投与回数は特定されていない。実施例には,投与量や投与回数が示さ
されているが,実施の1態様を示したものにすぎず,本願発明の投与量や投
与回数が実施例に限定されるものではない。また,前記2(1)イのとおり,
本願発明に係る「ワクチン」は,薬物を繰り返し使用しても,数か月もしく
は数年間の防御的効果を有するものでなければならないと解することはでき
ない。そうすると,上記の「長持続性保護」は,せいぜい効果が一定期間継
続するという程度の意味にしか理解できない。
また,本願での注射量と引用例1での注射量の差によって効果が違うとは
認められないことは,前記2(2)ウのとおりである。引用例1には,「免疫
反応によって生産された抗体が,自己投与行動を持続する中枢神経系(CN
S)におけるヘロインの効果を阻害すること」が記載されているから,本願
発明に係る「ワクチン」が記載されているということができることは,前記
2のとおりであるし,また,引用例1には,前記2(2)イのとおり,約60
日間「免疫反応によって生産された抗体が,自己投与行動を持続する中枢神
経系(CNS)におけるヘロインの効果を阻害する」効果が継続したことが
示されている。なお,上記60日間の途中でヘロインの投与量を100μg
㎏に増加させたときには効果があったとは認められないとしても,その−1
後,ヘロイン投与量を減らしたときには効果があったのであるから,上記の
とおり約60日間効果が継続したものということができる。
そうすると,当業者が,引用例1記載の発明に基づき,効果が一定期間継
続するために適切な1回投与量及び投与回数を選定して,「ワクチン」を実
施することは,容易に想到し得る範囲のことであるということができる。
よって,「この長期持続性保護を誘導するために,適切な1回投与量,投
与回数を検討し,その目的のために使用するワクチンとしての製造を試みる
ことは当業者が容易に想到し得る範囲のことである。」として,「ワクチン
の長持続性保護を誘導する治療のための1回投与量及び投与回数で使用す
る」点に進歩性を認めなかった審決の判断に誤りはない。
(3)原告は,本願発明の効果は,当業者の予測の範囲を超えるものである旨
主張する。
しかし,上記(2)で述べたところからすると,本願発明の効果は,薬物に
対するワクチンであって,その効果が一定期間継続するというものとしか理
解できないから,引用例1記載の発明から当業者が予測し得るものであっ
て,当業者の予測の範囲を超えるものではない。
原告は,①引用例1の著者はこのアプローチに関する研究を止めたのみな
らず,本願発明者がこの分野での研究を開始するまでほとんど20年間を要
した,②本願発明者は,血漿交換において,特定の抗体が血液循環から除去
されるとほぼ同じ速さで特定の抗体を入れ替えることができるとの知見に基
づき,本願発明をなしたものである,③抗ニコチンワクチン等の抗薬物ワク
チンは近い将来市販される見込みが高まっていると主張するが,これらの事
実は,いずれも本願発明の効果が当業者の予測の範囲を超えるものではない
との上記判断を何ら左右するものではない。
よって,本願発明の効果は,当業者の予測の範囲を超えるものではないと
の審決の判断に誤りはない。
4以上のとおりであるから,原告主張の取消事由はいずれも理由がない。
よって,原告の請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。
知的財産高等裁判所第2部
裁判長裁判官中野哲弘
裁判官森義之
裁判官田中孝一

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