弁護士法人ITJ法律事務所

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       主   文
被告は、原告Aに対し、三六八、七〇二円及び、内金二二〇、三五一円に対する昭
和四九年六月二九日以降、残金一四八、三五一円に対する本裁判確定の日の翌日以
降各完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告Bに対し、六二五、四七八円
及び内金四七八、七三九円に対する昭和四九年六月二九日以降、残金一四六、七三
九円に対する本裁判確定の日の翌日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員
を、原告Cに対し、六〇〇、三九八円及び内金四五三、六五九円に対する昭和四九
年六月二九日以降、残金一四六、七三九円に対する本裁判確定の日の翌日以降各完
済に至るまで年五分の割合による金員を、支払え。
原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用はこれを四分し、その一は原告らの、その余は被告の負担とする。
この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
       事   実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
 被告は原告Aに対し、四七三、七〇二円と内金三二五、三五一円に対する昭和四
九年六月二九日以降残金一四八、三五一円に対する本判決確定の日の翌日以降各完
済に至るまで年五分の割合による金員を、原告Bに対し、七三〇、四七八円と内金
五八三、七三九円に対する同四九年六月二九日以降残金一四六、七三九円に対する
本判決確定の日の翌日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告Cに
対し、七〇五、三九八円と内金五五八、六五九円に対する同四九年六月二九日以降
残金一四六、七三九円に対する本判決確定の日の翌日以降各完済に至るまで年五分
の割合による金員を、支払え。
 訴訟費用は被告の負担とする。
 仮執行の宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
 原告らの請求をいずれも棄却する。
 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
一 原告ら
(請求の原因)
(一) 被告は土地開発事業、土地売買及び斡旋等を業とする会社であるが、原告
Aは昭和四八年一月一二日、同Bは同年五月一六日、同Cは同年六月二日、それぞ
れ被告と雇用契約を結んで入社し、人事、出版、経理等の職務を担当していた。
(二) 原告らの賃金は、入社の当初以来いずれも月額一五〇、〇〇〇円であり、
前月一六日から当月一五日までの分を当月二五日に支払う約定であつた。
(三) 被告は、原告Aに対して同四八年一二月二九日、同Cに対して同四九年三
月六日、同Bに対して同四九年三月一五日、いずれも即時解雇する旨の意思表示を
した。
(四) 原告らはいずれも被告に対して左記の賃金債権等を有している。
原告A関係
(1) 控除による未払賃金 一〇五、〇〇〇円
 被告は、賃金月額一五〇、〇〇〇円のうち七〇、〇〇〇円を非課税扱いとしたと
ころ、入社後第一回目の支払い時に右七〇、〇〇〇円の三分の二、第二回目の支払
い時に同二分の一、第三回目の支払い時に同三分の一に相当する額をそれぞれ支給
すべき賃金から控除したから、以上による未払賃金の合計は一〇五、〇〇〇円であ
る。
(2) 同四八年一二月一六日から同月二九日までの未払賃金 七二、〇〇〇円
 日割計算の方法は、賃金月額の二五分の一を一日分として実働日数の一二日を乗
じて算出する。
(3) 解雇予告手当 一四八、三五一円
 賃金月額を三倍したうえ三か月間の日数にあたる九一日で除し、これに三〇日を
乗じて算出した三〇日分の平均賃金相当額、
原告B関係
(1) 控除による未払賃金 一〇五、〇〇〇円
 原告Aの場合と同様である。
(2) 昭和四八年一二月分以降の未払賃金 三三二、〇〇〇円
(3) 解雇予告手当 一四六、七三九円
 賃金の月額を三倍したうえ三か月間の日数にあたる九二日で除し、これに三〇日
を乗じて算出した三〇日分の平均賃金相当額
原告C関係
(1) 控除による未払賃金 一〇五、〇〇〇円
 原告Aの場合と同様である。
(2) 同四八年一二月分以降の未払賃金 三〇六、九二〇円
 同四九年二月一六日から同年三月六日までの賃金は、原告Aの場合と同様、一日
分に実働日数の一六日を乗じて算出する。
(3) 解雇予告手当 一四六、七三九円
 原告Bの場合と同じ算式により計算した三〇日分の平均賃金相当額
(五) 以上により、原告らは被告に対し、前記各賃金と解雇予告手当及び同手当
と同額の附加金の各合計額並びにこれに対する、附加金を除く金員に対する支払期
の後である訴状送達の翌日にあたる同四九年六月二九日以降、附加金に対する本裁
判確定の日の翌日以降各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の
支払を求める。
(抗弁に対する答弁)
 原告らと被告との間に被告主張の和解契約がそれぞれ成立し、被告主張の金員の
支払がなされたことは認めるが、弁済提供の点は否認する。右支払分について、原
告A関係では、昭和四八年一二月支給賃金分(給与期間同年一一月一六日から同年
一二月一五日まで)にあたるから、右支給分については本訴で請求しておらず、原
告B、同C関係においては、前記各(2)の未払賃金を計算する際いずれも控除し
た。
(再抗弁)
 本件和解契約は、被告側においてすでに作成ずみの「覚書」と題する書面(乙第
一ないし第三号証)に原告らがそれぞれ署名・押印するという方法により締結され
たが、左記の理由により、いずれも無効というべきである。
(一) 公序良俗違反
 原告らの賃金月額のうち七〇、〇〇〇円相当分について、被告の主張するよう
に、契約期間一か年満了するまで勤続した場合には満了時に支給される勤続奨励手
当を引当にした「前貸金」として支給する旨の約定が原、被告間で結ばれたことは
認めるが、これは単に形式上かような体裁を採用しただけのもので、右金員につい
て後日返還問題が生ずるなど、双方において全く考えていなかつた。仮に右金員が
貸付金であるとすれば、それは労働者を強制的に足留めさせることを禁じている労
基法五条、賃金の全額払を定めた同法二四条等の規定の趣旨を全く否定したもので
あるから、返還義務についての約定は無効というべきである。
 以上により、右七〇、〇〇〇円相当分は勤続奨励手当として賃金の一部であり、
これを被告に返還すべき義務はなかつたところ、被告は原告らに対して「覚書」に
署名・押印をせまる際、右手当が「前貸金」であるとしてこれが返還請求を持ち出
し、これにより原告らに対して、当然支払を受けるべき未払賃金や解雇予告手当の
支払請求を断念させるばかりでなく、以上についての不服申立ての途をも一切封じ
ようとする内容の「覚書」に調印させたのである。
 ところで、被告は当時堂々と営業を継続中で、未払賃金等の支払の免除を求める
べき必要性とか合理性はなく、本件和解の内容は経済的弱者である原告ら労働者に
対して一方的な不利益を強いるものであるところ、原告らは「覚書」に署名等しな
ければ、未払賃金等の支払が受けられないことはもちろん、五〇〇、〇〇〇円前後
にものぼる「前貸金」の返還を請求される旨告げられたため、被告の要求に応ずる
かどうかを自主的に判断する余地のない立場に追い詰められ、やむなく署名・押印
した。
 以上によれば、本件和解契約は、労基法二〇条、二四条の脱法行為であることは
もちろん、憲法、労基法により保障されている労働者の権利を著るしく侵害するも
のであり、しかも原告らの自由な意思を抑圧したうえで締結されたから、いずれも
民法九〇条の公序良俗に違反する。
(二) 心理留保
 原告らの「覚書」に対する署名・押印は、前述したとおりの事情の下でなされた
から、原告らはその真意でないことを知りながらなしたものであり、被告も当時原
告らの真意でないことを知悉していたから、民法九三条但書に該当する。
(三) 強迫
 前述した「覚書」調印当時における被告の言動は、労基法の脱法行為等を目的と
した不法のものであるところ、当時原告らは賃金の遅・欠配による生活の危機にさ
らされており、加えて、被告はかねてから従業員の間に、退職従業員に対する「前
貸金」返還請求訴訟を数件提起していることを周知させていたから、被告の要求に
応じて調印することを拒んだ場合、前述したように未払賃金等が支払われないどこ
ろか逆に被告から「前貸金」返還請求訴訟を提起されることを怖れて、やむなく署
名・押印した。
 以上によれば、原告らが本件和解契約を締結したのは、被告の強迫に基づくもの
であるから、本訴(昭和五〇年一月二二日の第五回口頭弁論期日)において、これ
を取消す旨の各意思表示をした。
二 被告
(請求の原因に対する答弁)
(一)は認める。
(二)のうち、賃金月額を否認し、賃金の支払方法は認める。原告ら主張の月額一
五〇、〇〇〇円のうち賃金相当分は八〇、〇〇〇円であり、残金七〇、〇〇〇円
は、被告から原告らに対する契約期間一か年満了するまで勤続した場合に右満了時
に支給される勤続奨励手当を引当にした「前貸金」である。
(三)は否認する。原告らはいずれも後述するように任意退職したものである。
(四)の各(1)は否認する。前述したように七〇、〇〇〇円は「前貸金」である
ところ、第一ないし第三回目の貸付額割合は原告ら主張どおりであるが、これは
原、被告間の約定に基づいている。各(2)、(3)は争う。
(五)は争う。
(抗弁)
(一) 原告らと被告間には、本件雇用契約関係について、左記のとおり和解契約
が成立している。
原告A関係
(1) 契約成立日 昭和四九年一月五日
(2) 契約の内容
 原告は同四八年一二月末限りで任意退職し被告もこれを承諾した。被告は、原告
の任意退職の特殊事情を考慮して、同月分基本給及び諸手当、奨励金など一五〇、
〇〇〇円を被告振出の約束手形により支払う。
原告C関係
(1) 契約成立日 昭和四九年三月七日
(2) 契約の内容
 原告は同四九年三月六日限りで任意退職し被告もこれを承諾した。被告は原告に
対し、同年二月一五日までの給料諸手当三六〇、九二〇円の債務があることを認
め、内金一〇〇、〇〇〇円は現金により、残金二六〇、九二〇円は被告振出の約束
手形により支払う。
原告B関係
(1) 契約成立日 同四九年三月一六日
(2) 契約の内容
 原告は同四九年二月末限りで任意退職し被告もこれを承諾した。被告は原告に対
し、前同日までの給料諸手当三三二、〇〇〇円の債務があることを認め、内金一〇
〇、〇〇〇円は即日支払を了し、残金二三二、〇〇〇円は被告振出の約束手形によ
り支払う。
(二) 和解契約の履行状況はつぎのとおりである。
原告A関係
 約束手形の決済により全額を支払つた。
原告C関係
 合計一五〇、〇〇〇円支払つたから残債務は二一〇、九二〇円であり、右金員に
ついてはすでに弁済の提供を了した。
原告B関係
 合計一五〇、〇〇〇円支払つたから残債務は一八二、〇〇〇円であり、右金員に
ついてはすでに弁済の提供を了した。
(再抗弁に対する答弁)
 本件和解契約がいずれも原告ら主張の「覚書」と題する書面に調印する方法によ
り締結されたことは認めるが(「前貸金」についての約定は、前述したとおりであ
る。)、その余はすべて争う。なお、被告は本件和解契約締結当時営業不振のため
窮境にあつた。
第三 証拠関係(省略)
       理   由
一 請求原因(一)及び(二)の事実は、賃金月額を除いて、当事者間に争いがな
い。
二 原告らの賃金月額、特に本件の最大の争点というべき勤続奨励手当の「前貸
金」制度について、検討する。
(一) 当事者間に争いがない事実、成立に争いのない甲第二号証の三、乙第五な
いし第七号証、丙第一、第二、第四号証、第五、第六号証の各一、二、第七、第八
号証、第一一ないし第一三号証、証人Dの証言、原告ら三名尋問の結果、並びに弁
論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認定でき、他にこれに反する証拠はない。
(1) 原告らはいずれも、固定給制で給料一五〇、〇〇〇円という被告の求人広
告(新聞)で応募したところ、入社時締結した契約書においては、いずれも賃金月
額の内訳は、基本給六〇、〇〇〇円、特別勤務手当引当金、調整給各一〇、〇〇〇
円以上計八〇、〇〇〇円のほか、勤続奨励手当(以下「本件手当」という。)七
〇、〇〇〇円以上合計一五〇、〇〇〇円と、前記広告どおりの額であつた。
 ところで、本件手当については、次の約定が付加されていた。(イ)本件手当
は、契約期間(原告らの場合は各一年)を全期間勤続した場合に期間満了時に支給
され、中途退職(解雇の場合を含む。)者には支給されないところ、被告は、これ
が前渡しを希望する社員に対しては、手当の月割額に相当する金員を、期間満了時
に本来支給を受けるべき本件手当から控除することにより返済する、という条件で
貸付ける。(ロ)貸付を受けた社員が中途退職・解雇の場合は、支給ずみの貸付金
を被告に返済する。(ハ)貸付に当つては、入社後第一回目の賃金支給時には前記
月割額の三分の一を、第二回目の支給時には同二分の一を、第三回目の支給時には
同三分の二を、第四回目の支給時以降は月割額の全額を貸付ける。
 原告らの本件手当額はいずれも八四〇、〇〇〇円であるから、前記七〇、〇〇〇
円は右額の一二分の一の月割額に相当するところ、入社後第三回目の賃金支給時ま
では、右約定どおり、月割額のうち一定額しか支給されなかつた。
(2) 本件手当は、初回雇用契約(契約期間一年)者に対しては再雇用契約(契
約期間は原則として三年)を、再雇用契約者に対しては再々雇用契約を締結するこ
とを奨励する目的で設けられている、とされているが、右のいずれの場合において
も、原告らについて述べたところと同様の条件・方法により、月割額が毎月当該社
員に貸付けられる(ただし、再雇用契約者については、右契約締結の当初から月割
額の全額が貸付けられる。)。
 本件手当の取扱・運用の実態をみると、社員全員に対して、各人の貸付希望の有
無はもちろん、必要性・必要の程度等を一切考慮することなく、月割額相当額が機
械的に毎月の賃金支給日に支給された。そして、被告における賃金体系では、基本
給においては男子社員の間にほとんど差異はなく、本件手当と管理職手当により、
管理職とその他との格差を設けていた。本件手当の月割額は、昭和四八年六月三〇
日現在、二〇、〇〇〇円、三〇、〇〇〇円、四〇、〇〇〇円、七〇、〇〇〇円、一
〇〇、〇〇〇円、一三〇、〇〇〇円、一六〇、〇〇〇円の七ランクがあり、以上の
額は、社員の基本給月額にほぼ匹敵するが、なかには二倍にも達する比重を占めて
いた。
 かようにして月割額は被告にとり少なくない額にのぼつているが、貸付はすべて
無利息と定め、かつ、被告の社員は初回契約期間中においても退社する事例が珍ら
しくなく、したがつてその際発生する「前貸金」返還問題に備えて債権確保の必要
があつたが、これについて特に担保手段を講ずることもなかつた。原告らの場合を
みると、入社に際して、原告Aについては妻のほか第三者一名を、その余の原告両
名については妻のみを、雇用契約上の連帯保証人とすることを求めただけであつ
た。
(3) 中途退職等の場合「前貸金」を被告に返済する旨定められていたことは前
述したとおりであるが、被告は、昭和四八年八月二五日に至り、前記返済の定め
は、被告の都合により再雇用契約を締結しなかつた場合にも適用される旨、一方的
にその取扱を改めた。加えて、被告社長は、かねてから、社員として育成できない
と判断した者は任意退職の方法により辞任させる、と広言し、また、「前貸金」返
還の事由が生じた場合は、これが履行を求め、返還に応じない者には、弁護士に委
任して訴訟提起も辞さない方針であること、現にこれに基づいて二、三の訴訟を提
起している事例を、右訴訟についての訴状、答弁書、準備書面等のコピーを社員に
回覧させる等して、社員間に周知徹底させた。
(二) 評価
(1) (イ)本件手当は、制度の建前上は、所定の契約期間の全期間を勤務した
場合に初めて支給要件を充たし(前記昭和四八年八月二五日付改正の点は、しばら
く措く。)、期間満了時に支給する定めであるのに、その本来の趣旨に沿つて運用
されることは皆無で、常に月割額に相当する金員を「前貸金」の形式により社員に
支給していること。(ロ)月割額の支給条件は明確にされているばかりでなく、社
員全員に対して均しく、毎月定まつて支給される金員として基本給等と同時に交付
されていること。(ハ)原告らの毎月支給される金員の内訳からも明らかなよう
に、被告における月割額を除いた金額は、当時におけるいわゆる世間相場の賃金に
比べてかなり低額に押えられており、その反面、月割額を賃金に繰り入れたとして
も、高額に失するとはいえないこと。(ニ)本件手当の支給条件、時期、支給額等
からみて、これを賞与等の臨時的給与とか、退職金に類する給与とみる余地に乏し
いこと。(ホ)月割額においても一、〇〇〇円単位に端数がないことからみて、先
ず月割額の金額が決定された後に、これを一二倍した本件手当額が算出されたふし
がなくはないこと。(ヘ)「前貸金」であるとすれば、当然問題とされるべき利息
とか、本件手当の支給条件を充たさない社員に対する債権回収手段について、被告
において事前に特に意を用いていないこと。以上の諸点と、本件手当の月割額が毎
月の基本給等の賃金額との比較において占めている割合を考え合わせると、「前貸
金」は、これが社員に支給される当初以来、その名称、形式はともかくとして、労
働の対価として毎月社員に定まつて支給される賃金の一部であり、原告らの場合も
この例に洩れない、ということができる。(被告の求人広告における賃金額、及び
後記認定の和解契約において、被告が承認した未払賃料額が、その算出根拠が明ら
かでないとしても、被告が主張している賃料月額八〇、〇〇〇円を基礎としては及
ぶべくもない数字であることも、前記結論を裏づけているといえよう。)
(2) かように、もともと貸付金としての実質を有していないにもかかわらず、
「前貸金」という制度を建前上採用し、中途退職等の場合に支給額の全額を返還す
る義務ある旨を社員との間にそれぞれ約定したことは、ひつきよう、使用者である
被告において、右義務があることを理由として、社員の生殺与奪の権を一手に掌握
して、これにより、被告の社員として勤務している限り終始つきまとう「前貸金」
という前借金制度でその労働を事実上強制させるとか、気に入らない社員の解雇を
著るしく容易にし、かつ、雇用契約の終了に伴う未払賃金の清算とか解雇予告手当
の支払等について、使用者側に一方的に有利な立場を確保する、以上の意図の下に
なされたものというのほかない。
 したがつて、そうだとすると、原告らの場合を含めて、中途退職等の場合支給ず
みの「前貸金」を返還する旨の約定は、労働者を強制的に足留めさせることを禁じ
ている労基法五条、前借金による相殺を禁止した同法一七条、解雇予告について規
定している同法二〇条の脱法行為にあたる面を払拭できず、民法九〇条の公序則に
抵触し、無効というべきである。
(3) 原告らのような初回雇用契約者の場合、入社後第三回目までの賃金支給時
までに支給される「前貸金」が一定の割合で減額支給されることは、前述したとお
りであるが、入社に際してのかような減額支給についての約定まで、無効と解すべ
き理由はない。もつとも原告らの場合、本件手当は八四〇、〇〇〇円と定められて
いるから、右減額分の限度において八四〇、〇〇〇円に不足することとなるが、右
減額分が原告らについてすでに発生している賃金の一部であることを認めるべき、
特段の主張・立証はない。
(4) 以上により、原告らの各賃金月額は、入社後第一回目賃金支給日現在八
〇、〇〇〇円と、七〇、〇〇〇円の三分の一に相当する額との合計額、第二回目支
給日現在、八〇、〇〇〇円と、七〇、〇〇〇円の二分の一に相当する額との合計
額、第三回目支給日現在、八〇、〇〇〇円と、七〇、〇〇〇円の三分の二に相当す
る額との合計額、第四回目支給日以降、八〇、〇〇〇円と七、〇〇〇円の合計額で
ある一五〇、〇〇〇円である。
三 原告らの退職時の事情について検討する。
(一) 抗弁(一)の事実、本件和解契約が「覚書」と題する書面(乙第一ないし
第三号証)に署名・押印する方法により締結されたことは、当事者間に争いがな
い。
 成立に争いのない乙第一ないし第三号証によれば、本件和解契約においては、被
告が抗弁(一)で主張している内容をその第一、二項において定めているほか、
「三 甲(被告、以下同じ)は乙(各原告、以下同じ)に対して任意退職後と雖も
甲のため有益なる言動をとることを求め、乙はこれを了承した。
 甲は乙に対して任意退職後三年間は甲に対する利敵・背信、不利益となる等の言
動をしないことを申入れ、乙はこれを了承した。
四 右三項の約定の履行を停止条件として甲は乙に対する勤続奨励手当の前貸金
(原告Aは五八五、〇〇〇円、同Cは四八九、三六二円、同Bは五〇二、六〇二
円)の返還請求を留保し、右期間が三か年に達したとき、自動的に右請求権は消滅
するものとする。」
以上の各項の約定がなされていることが、認定できる。
(二) 本件各和解契約が締結された経緯として、成立に争いのない甲第一号証、
丙第一〇号証、原告ら三名尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実
が認定でき、他にこれに反する証拠はない。
 被告における社員に対する賃金の支払は、昭和四八年五月ころから遅・欠配を繰
り返し、同年一〇月以降は全く支払われず、社員からの強い抗議等の結果、同年一
二月二九日に至り漸く一〇月分及び一一月分だけが支払われたが、一二月以降の分
は、本件各和解契約が締結されるまでに、全く支払われなかつた。もつとも被告
は、かように賃金の遅・欠配を繰り返しながらも、同年一〇月初めごろには、賃金
月額(前記月割額を含む。)二〇〇、〇〇〇円の者七名、同六五、〇〇〇円の者一
名(女性)、同五〇、〇〇〇円の者二名(女性)以上一〇名の社員を新規採用する
という、乱脈とでもいうほかのない人事管理・経営振りであつた。
 ところで、原告Aは、同年一二月二九日社長に対して遅・欠配賃金の支払を要求
したところ、その場で社長から、同人の経営理念を理解していないという理由で辞
職を要求され、同Cは、昭和四九年三月六日E営業部長から、なんら理由を明示さ
れることもなく、遅・欠配中の賃金の支払を受領したければ辞職しろと申し渡さ
れ、同Bは、同年三月一五日E部長から、勤務振りが悪いという理由で辞職を迫ら
れた。原告らはいずれも、被告が用意した前記和解内容を記載してある「覚書」に
調印しない限り、社長の前述した日頃の言動からみて、未払賃金が支払われないど
ころか、却つて「前貸金」名義により支給された未払賃金を上廻る五〇〇、〇〇〇
円前後にのぼる金員の返済を請求される、という窮地に立たされたため、やむなく
「覚書」に署名・押印した。
(三) 評価
 被告が、本件和解契約の締結という手段を使つて、原告らとの雇用契約関係を終
了させた解決法は、「前貸金」の返還請求という法的にはなんら効力が認められな
い主張を十二分に利用して、使用者として労働者に対して絶対的に有利な立場に立
ち、自分の思いのままの和解内容に応じさせたうえ、在職を欲しない社員を企業外
に排除する、という被告のいわば常套手段であり、当時被告において、未払賃金等
の支払の免除を求めるべき必要性等の特段の事情はなく、他方原告ら労働者は、一
方的な不利益を強いられる和解内容に応ずるほかに他に執るべき途がない状況に置
かれていた、といえる。
 したがつて、形式的には、原告らの自己都合による退職として労使間で合意をみ
たとされているが、実質的には、社長がかねがね広言していた「任意退職の方法に
よる辞任」要求と、これに対する屈服にほかならず、原告らはいずれもその主張す
る日時に即時解雇されたというべきである。更に、原告らの未払賃金についての和
解条項は、すでに「前貸金」の返還義務の有無について判断したところと同一の理
由、及び、本件各和解当時における原、被告間の前記認定の諸事情からみて、民法
九〇条に違反して無効というべく、原告らのこの点についての再抗弁は、理由があ
る。
四 原告らの請求金員について判断する。
(一) 控除による未払賃金
 この主張がいずれも理由がないことは、すでに判断したところから明らかであ
る。
(二) 未払賃金
(1) 原告A関係
 被告が本件和解成立後一五〇、〇〇〇円支払つたことは、当事者間に争いがない
ところ、右金員が昭和四八年一二月分賃金(給与期間一一月一六日から一二月一五
日まで)の支払に充当されたことは、弁論の全趣旨から明らかである。ところで、
被告における賃金の日割計算は、月額の二五分の一を一日分とする旨定められてい
るから(前掲乙第五ないし第七号証)、同年一二月一六日から解雇された同月二九
日までの賃金を右方法により算出すると、原告主張の七二、〇〇〇円である。
(2) 原告B関係
 被告が本件和解成立後一五〇、〇〇〇円支払つたことは、当事者間に争いがない
ところ、これを控除したとしても、昭和四八年一二月分以降解雇された同四九年三
月一五日までの未払賃金が、原告主張の三三二、〇〇〇円を下らないことは、計算
上明らかである。
 被告は、その後一八二、〇〇〇円を弁済提供した旨抗弁しているが、これを認め
るべき証拠はない。
(3) 原告C関係
 被告が本件和解成立後一五〇、〇〇〇円支払つたことは、当事者間に争いがない
ところ、これを控除したとしても、昭和四八年一二月分以降解雇された同四九年三
月六日までの未払賃金が、原告主張の三〇六、九二〇円を下らないことは、計算上
(同四九年二月一六日から三月六日までの賃金は、日割計算の方法による。)明ら
かである。
 被告は、原告に対してその後二一〇、九二〇円を弁済提供した旨抗弁する。成立
に争いのない丙第一五号証によれば、被告は、昭和四九年七月八日発信の原告宛内
容証明郵便をもつて、原、被告間の債権債務関係は二一四、〇一〇円の決済によつ
てすべて清算される、という内容を原告が承認することを条件として、同額の金員
を被告代理人弁護士事務所において支払う、以上の趣旨を申し入れたことが認定で
きる。しかし、右申入をもつて、賃金残債務三〇六、九二〇円について債務の本旨
に従つた弁済の提供があつたとは、とうてい認められず、他にこれを認定するに足
る証拠はない。
(三) 解雇予告手当
 被告が原告らに対していずれも即時解雇であることを固執していることは、弁論
の全趣旨から明らかである。したがつて、被告は原告らに対してそれぞれ解雇予告
手当を支払う義務があるところ、同手当でいう三〇日分の平均賃金に相当する額
は、労基法一二条一、二項所定の方法で算出すると、いずれも原告らの主張すると
おり、原告Aについては一四八、三五一円、同B及びCについては各一四六、七三
九円である。
(四) 以上によると、被告は、原告Aに対して、未払賃金七二、〇〇〇円、解雇
予告手当一四八、三五一円、同手当と同額の附加金以上合計三六八、七〇二円、並
びにこれに対する、附加金を除いた二二〇、三五一円に対する支払期の後で訴状送
達の翌日であることが記録上明らかな昭和四九年六月二九日以降、附加金一四八、
三五一円に対する本裁判確定の日の翌日以降各完済に至るまで民法所定年五分の割
合による遅延損害金を、原告Bに対して、未払賃金三三二、〇〇〇円、解雇予告手
当一四六、七三九円、同手当と同額の附加金以上合計六二五、四七八円、並びにこ
れに対する附加金を除いた四七八、七三九円に対する前記六月二九日以降、附加金
一四六、七三九円に対する本裁判確定の日の翌日以降各完済に至るまで前記年五分
の割合による遅延損害金を、原告Cに対して、未払賃金三〇六、九二〇円、解雇予
告手当一四六、七三九円、同手当と同額の附加金以上合計六〇〇、三九八円、並び
にこれに対する、附加金を除いた四五三、六五九円に対する前記六月二九日以降、
附加金一四六、七三九円に対する本裁判確定の日の翌日以降各完済に至るまで前記
年五分の割合による遅延損害金を、支払う義務がある。
五 よつて、原告らの本訴請求は、以上の支払を求める限度において理由があるか
ら認容できるが、その余はいずれも失当として棄却すべきであり、民訴法九二条本
文、九三条一項本文、一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 宮崎啓一)

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