弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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          主         文
    1 被告が,平成9年9月9日付けで原告に対してなした労働者災害補償保険法
に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給をしない旨の決定を取り消す。
    2 訴訟費用は被告の負担とする。
          事実及び理由
第1 請求
   主文同旨
第2 事案の概要
   本件は,原告が,その亡夫であるA(以下「A」という。)は業務上の事由により死亡
したものである旨を主張して,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」とい
う。)に基づき,被告に遺族補償給付及び葬祭料の支給請求をしたところ,被告か
ら,Aの死亡は業務上の事由によるものではないとしてこれらを支給しない旨の処
分(以下「本件処分」という。)を受けたため,被告に対し,本件処分の取消を求め
た事案である。
 1 前提事実(当事者間に争いがない。)
  (1) Aは,ワカメの加工販売等を業とする株式会社B(以下「会社」という。)の業務本
部長の職にあったものである。
  (2) 会社は,Aに対し,会社の合弁会社であるC有限公司(以下「C」という。)に対す
る塩蔵ワカメの検品等を目的として,平成9年4月14日から同月19日までの
間,中国への出張を命じた。
  (3) Aは,平成9年4月14日,中国に入国し,Cにおいて乾燥ワカメの技術指導をす
るなどした。
  (4) Aは,平成9年4月18日午後,宿泊先である大連市内のDホテルの自室におい
て,何者かに所持していた財布(約8万円在中)を窃取された上,左頸動脈を切
り付けられ,同動脈損傷による出血多量により死亡した(以下「本件事件」とい
う。)。
  (5)ア 原告はAの妻であり,その死亡により遺族となり,Aの葬祭を行った。
   イ 原告は,平成9年5月26日,被告に対し,労災保険法に基づく遺族補償年金給
付及び葬祭料の支給請求をした。これに対し,被告は,同年9月9日,原告に
対し,Aの死亡は業務上の事由によるものではないとして,本件処分をした。
   ウ 原告は,本件処分を不服として,平成9年9月22日,徳島労働者災害補償保
険審査官に対し,審査請求をしたが,同審査官は,同年11月21日,同審査
請求を棄却する旨の決定をした。
   エ 原告は,上記ウの決定を不服として,平成9年12月26日,労働保険審査会に
対し,再審査請求をしたが,同審査会は,平成12年6月6日,同再審査請求
を棄却する旨の裁決をし,同裁決書の謄本は,同月21日,原告に送達され
た。
 2 争点
   Aの死亡が業務上の事由によるものといえるか。
 3 争点に関する当事者の主張
 (原告の主張)
   労災保険法7条の「業務上の死亡」とは,労働関係のもとで発生し(業務遂行性),
かつ,当該業務に内在ないし通常随伴する危険が現実化したもの(業務起因性)と
認められるような原因で死亡したことをいう。
   本件事件について,業務遂行性があることは明らかであるところ,業務遂行性が認
められれば業務起因性の存在が事実上推定される。そして,出張においては労働
者が危険にさらされる範囲が広いことからすると,本件のような出張中の災害は広
く業務起因性が認められるべきである。
   大連市は,治安面で大きな問題があり,その中でも,Dホテルは,現地では一応高
級ホテルとされているが,部外者がフロントを通さずに自由に客室に行き来ができ
たこと,防犯カメラが作動していなかった可能性が高いことなどからすると,防犯面
で問題のあるホテルであったといわざるをえない。もとより,Aが加害者から恨みを
買っていたとか,加害者を挑発したりした証拠はない。
   そうすると,Aの本件出張には,第三者による殺害という事件を発生させる内在的
危険が存在し,本件は,まさにかかる危険が発現したものというべきであるから,
業務起因性があることは明らかである。
 (被告の主張)
   本件のように第三者の加害行為による災害について業務起因性が認められるに
は,災害発生の経緯,被災労働者の職務の内容や性質からみて,加害行為によっ
てもたらされた災害が明らかに業務に関連していると認められること,すなわち,当
該業務を遂行していることにより第三者から加害行為を被ったと評価できなければ
ならない。
   Aは,ワカメの買付金等の多額の現金は所持しておらず,犯人がAから奪ったのは
同人の財布だけであると認められることからすると,本件事件の犯人は物取りであ
ると考えられる。また,本件事件の現場となったDホテルは高級ホテルであり,過去
には殺人事件等はなかったと認められる。
   そうすると,Aの死亡は,同人の業務に内在する危険が現実化したものであるとは
認められず,労災保険法7条の「業務上の死亡」に該当しないことは明らかである。
第3 当裁判所の判断
 1 前記第2の1(1)ないし(4)の各事実のほか,証拠(甲1,4ないし9,13の1,13の
2,乙3)及び弁論の全趣旨によれば,下記の各事実を認めることができる。
  (1) 会社は,業務用のワカメの半数以上を,韓国や中国から輸入していた。
  (2) Aは,平成7年11月20日,会社に入社し,業務部長として国産及び外国産のワ
カメの買付を担当し,毎年2月から5月にかけて,中国に複数回出張しており,
平成9年1月も,乾燥ワカメの買付のために中国へ出張していた。
  (3) Aは,会社から,平成9年4月14日から同月19日までの間,中国の大連市へ出
張するよう命じられた(以下「本件出張」という。)。その目的は,Cにおいてワカメ
加工の技術指導等をすること,E工場を訪問すること,中国産ワカメに関する情
報を収集することであった。
  (4) 本件出張には,Aのほかに,会社の業務原料課に所属するF,G株式会社のH
(以下「H」という。)及び同社上海事務所のIが同伴した。
  (5) Aは,平成9年4月14日から同月17日までは,Hが作成した出張予定に従い,
Cにおいて,ワカメの検査や乾燥ワカメの加工の指導をし,その間,旅順市内の
Jホテルに宿泊していた。ところが,Aは,同月18日に大連市内のE工場を視察
する予定であったため,同月17日には,宿泊先を大連市内のDホテルに変更し
た。
  (6) E工場の視察は,同工場側の都合により,中止になった。Aは,平成9年4月18
日の午前中は,Dホテルにおいて,Hと,技術指導の方法や帰国後の予定等に
ついて打合せをした。
  (7) Aは,同日午後零時30分ころから,Dホテルにおいて,Hとともに昼食を取り,午
後2時ころ,同ホテルの自室に戻った。
  (8) Aは,同日午後2時45分(日本時間同日午後3時45分)ころ,Dホテルの1612
号室の自室付近の廊下において,意識不明で倒れているところを発見された。A
は,直ちに病院に搬送されて救急措置が取られたが,左頸動脈を鋭利な刃物で
切り付けられており,出血多量により死亡した。
  (9) Aの自室には,凶器と思われる刃物と血痕があった。Aの所持品のうち,ボストン
バックの中の出張旅費約20万円は残されていたが,財布(約8万円在中)はなく
なっていた。
  (10) Dホテルは25階建てであり,大連市内では最高級ホテルとされ,比較的裕福な
階層の者が宿泊するものとされていた。
    しかし,Dホテルの1612号室付近には非常階段が設置されており,非常階段を
利用して外部から客室へ容易に出入りできる状態であった。しかも,16階のフロ
アーや非常階段の出入り口付近の照明は暗い状態であった。そして,玄関ホー
ルやロビーは,宿泊客以外の者が自由に利用しており,フロントを通過すること
なく客室へ出入りできる状態であった。
    また,Aの遺族が遺体引き取りのためにDホテルに宿泊した際には,用意された
部屋の玄関の鍵が壊れていたが,ホテル側に修復を依頼しても当日中に修復さ
れなかった。
  (11) 外務省作成の「国別安全情報」には,大連市について,傷害,強盗,けん銃を
使用した殺人,恐喝事件が頻発しており,日本人をねらったスリ,置き引き,ひっ
たくり,集団暴行等の傷害事件も増加していること,平成9年4月に本件事件が
発生したほかにも,平成10年6月には窃盗犯が住居に侵入する事件が発生し,
平成11年3月には,夜間帰宅途中の女性が暴行を受ける事件が発生している
ことなどが記載されている。また,北京市について,平成8年9月に,日本人旅行
者が滞在中のホテルの客室内で2人組の男に殺害され金品を奪われる事件が
発生したほか,高級ホテルでも外国人を被害者とした強盗殺人事件が発生した
ことなどが記載されている。
 2 ところで,労災保険法7条にいう「業務上」の事由による災害と認められるために
は,労働者が労働契約に基づく使用者の従属関係にある場合において(業務遂行
性),業務を原因として生じた災害であり,しかも業務に内在する危険性が現実化
したものと経験則上認められる場合(業務起因性)であることが必要であるところ,
業務遂行中に生じた災害は,特段の事情がない限り,業務に起因するものと事実
上推定される。
 1 本件事件は,出張中の宿泊先で発生したものであるが,上記1に認定した各事実
によれば,Aは所定の宿泊施設内で行動していたのであり,積極的な私的行為や
恣意的行為に及んだとは認められないから,業務遂行性が認められることは明ら
かである。
   ところで,被告は,Aは第三者の故意による加害行為により死亡したものであるか
ら業務起因性はない旨を主張するので,本件におけるAの死亡について業務起因
性があるといえるかどうかを検討する。
   上記1(8)ないし(11)に認定した各事実によれば,Aは,本件事件の際,約8万円入
りの財布を強取されたこと,本件の約半年前に,北京市内のホテルにおいて,日本
人旅行者が殺害された上に金品を強奪されるという,本件とほぼ同様の事件が発
生していたほか,外国人が宿泊先のホテル内で強盗殺人の被害に遭う事件も発生
していたこと,本件後,大連市内では,日本人が被害者となる事件が複数発生して
いること,本件当時,Dホテルにおいて,宿泊者に対する安全対策が十分であった
とはいいがたく,現に本件事件が発生していることが認められる。これらの諸事情
を前提とすると,本件当時,Dホテル等において,日本人が強盗殺人等の被害に
遭う危険性はあったというべきであり,本件事件は,業務に内在する危険性が現実
化したものと解される。したがって,Aの死亡には業務起因性を否定すべき特段の
事情はなく,労災保険法7条の「業務上死亡した場合」にあたる。よって,これと結
論を異にする本件処分は労災保険法7条の解釈適用を誤ったものとして違法であ
るといわざるを得ない。
第4 結語
   以上によれば,原告の請求は理由があるから本件処分を取り消すこととし,訴訟費
用の負担について行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとお
り判決する。
   徳島地方裁判所第2民事部
         裁判長裁判官   村  岡  泰  行
             裁判官   松  谷  佳  樹
             裁判官   千  賀  卓  郎

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