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裁判例


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       主   文
1 第44号事件原告兼第82号事件被告補助参加人の第44号事件についての訴
えのうち,同事件被告に対し,「同被告が中労委平成8年(不再)第6号事件及び
同第7号事件について平成10年1月21日付けで発した命令の主文第1項中①
(第44号事件原告に対し,第82号事件原告兼第44号事件被告補助参加人P1
に対する昭和58年4月1日付け三鷹営業所への配置転換命令がなかったものとし
て取り扱い,同人を本店東京営業本部の原職又は原職相当職に復帰させることを命
じた部分)」の取消しを求める訴えを却下する。
2(1) 被告が中労委平成8年(不再)第6号事件及び同第7号事件について平
成10年1月21日付けで発した命令の主文第2項中,第82号事件原告兼第44
号事件被告補助参加人P2の賃金,賞与,職能資格格付け及び職位について措置す
ることを命じた部分を取り消す。
(2) 上記命令の主文第5項中,第82号事件原告ら兼第44号事件被告補助参
加人ら(ただし,第82号事件原告兼第44号事件被告補助参加人P2を除く。)
の昭和63年4月以降平成3年度までの賃金及び昭和63年6月以降平成3年度ま
での賞与について,各年の6月1日における職能資格格付け(職能給の等級を含
む。)及び職位について同年同期入社者に遅れないように取り扱った上での是正の
申立てを棄却した部分を取り消す。
(3) 第44号事件原告及び第82号事件原告らのその余の請求をいずれも棄却
する。
3 訴訟費用は,第44号事件,第82号事件を通じ,補助参加によって生じた訴
訟費用を含め,これを16分し,その3を第82号事件原告ら兼第44号事件被告
補助参加人らの負担とし,その4を被告の負担とし,その余を第44号事件原告兼
第82号事件被告補助参加人の負担とする。
       事実及び理由
第1章 請求
(第44号事件)
 被告が中労委平成8年(不再)第6号事件及び同第7号事件について平成10年
1月21日付けで発した命令は,主文第5項で申立人らの申立てを棄却した部分を
除き取り消す。
(第82号事件)
 被告が平成8年(不再)第6号事件及び同第7号事件について平成10年1月2
1日付けで発した命令中,主文第2項,第4項及び第5項を取り消す。
第2章 事案の概要
 第44号事件原告兼第82号事件被告補助参加人(以下,単に「原告会社」とい
う。)の従業員である第82号事件原
告ら兼第44号事件被告補助参加人ら(以下,単に「補助参加人ら」という。)
が,原告会社が補助参加人らの組合活動に対して支配介入をし,また,配置転換,
休暇取得について差別的取扱いをし,かつ,職能資格格付け等についても差別的取
扱いをしたとして,東京都労働委員会(以下「都労委」という。)に対し救済の申
立てをしたところ,都労委は申立てのうち一部を却下したほか救済命令を発した
(以下「初審命令」という。)ため,原告会社及び補助参加人らがそれぞれこれを
不服として被告に対して再審査の申立てをしたが,被告は都労委の発した命令をお
おむね維持する再審査命令(以下「本件命令」という。)を発した。本件は,本件
命令を不服として,原告会社及び補助参加人らがそれぞれその取消しを求める行政
事件訴訟である。
第1 争いのない事実等(証拠によって認定した事実については,かっこ内に証拠
番号を摘示する。)
1 当事者等
(1) 原告会社
 原告会社は,肩書住所地に本店を置き,全国各地に25箇所の支店と53箇所の
営業所等を有し,火災,運送,自動車,自賠責,傷害・貯蓄総合その他各種保険・
再保険を業とする株式会社であり,その従業員数は平成4年3月31日現在で67
0人である。
(2) 補助参加人ら(社内歴,組合役員等の略歴等)
ア 補助参加人P3は,昭和34年4月1日に原告会社に入社し,昭和43年から
運送保険部業務課主任,昭和44年2月から同課長代理,昭和47年から代理店業
務部業務課課長代理,昭和49年4月から同課長,昭和50年4月から代理店業務
部部長主事,昭和51年4月から専従休職,昭和52年10月から海上運送部部長
付主事,昭和53年4月から自動車業務部部長付主事,昭和58年12月1日から
木更津営業所主事(新市場開発担当),平成3年12月から米子営業所主事として
それぞれ勤務し,さらに,平成4年7月6日からは成田営業所で勤務したが,平成
9年2月に退職した。
 補助参加人P3は,この間,昭和41年原告会社の従業員で組織する全日本損害
保険労働組合(以下「全損保」という。)朝日火災支部(以下「朝日火災支部」と
いう。)の副書記長兼全損保常任中央執行委員,昭和42年同支部書記長兼全損保
常任中央執行委員,昭和43年及び昭和44年同支部書記長兼全損保副書記長,昭
和45年同支部書記長兼全損保常任中央執行委員,昭和46年から昭和50年まで
同支部執行
委員長兼全損保常任中央執行委員,昭和51年及び昭和52年同支部副委員長兼全
損保書記長,昭和53年から昭和55年まで同支部執行委員長兼全損保常任中央執
行委員,昭和56年及び昭和57年同支部副委員長兼全損保常任中央執行委員,以
上の役職を歴任した。
 なお,補助参加人P3は,昭和58年9月に開催された朝日火災支部の定例支部
大会で副委員長選挙に落選し,また,昭和59年から昭和62年までは同支部委員
長選挙に落選した。
イ 補助参加人P4は,昭和37年4月1日に原告会社に入社し,昭和54年4月
1日から本店東京営業本部事務センター主事,昭和57年4月1日から秋田営業所
主事,平成2年6月1日から桐生営業所主事としてそれぞれ勤務したが,社員とし
て定年退職した後特別社員として再雇用され,平成11年12月6日に退職した。
 補助参加人P4は,この間,昭和44年朝日火災支部大阪分会委員長,昭和45
年から昭和47年まで同分会書記長,昭和48年及び昭和49年同分会委員長,昭
和50年同分会委員兼同支部執行委員,昭和51年同支部副委員長兼同分会委員,
昭和52年同支部執行委員長兼全損保常任中央執行委員,昭和53年から昭和55
年まで同支部書記長,以上の役職を歴任した。
 なお,補助参加人P4は,昭和56年11月に開催された朝日火災支部の定例支
部大会で書記長選挙に落選した。
ウ 補助参加人P2は,昭和38年4月1日原告会社に入社し,昭和50年4月1
日から本店損害調査部審査課主任,昭和56年4月1日から津田沼営業所所長代
理,昭和60年3月15日から成田営業所所長代理,平成12年4月から千葉支店
課長代理としてそれぞれ勤務した。
 補助参加人P2は,この間,昭和45年朝日火災支部執行委員兼同神戸分会書記
長,昭和46年及び昭和47年同支部副書記長兼全損保中央執行委員,昭和48年
から昭和51年まで同支部書記長,昭和52年及び昭和53年同支部副委員長兼全
損保中央委員,昭和54年東京分会委員長,昭和55年同支部執行委員,昭和56
年東京分会副委員長,昭和57年同分会副委員長兼全損保東京地方協議会(地方協
議会を,以下「地協」という。)常任幹事,以上の役職を歴任した。
エ 補助参加人P1は,昭和33年4月1日原告会社に入社し,昭和53年9月か
ら本店営業第2部第2課課長代理,昭和58年4月1日から三鷹営業所所長代理
(新市場開発担当),平成
2年12月1日から城南営業所所長代理としてそれぞれ勤務したが,社員として定
年退職した後特別社員として再雇用され,平成12年3月10日に退職した。
 補助参加人P1は,この間,昭和41年朝日火災支部大阪分会委員兼同支部闘争
委員,昭和42年同大阪分会委員,昭和43年同分会副委員長,昭和44年から昭
和47年まで同支部副書記長,昭和48年から昭和50年まで同支部東京分会委員
長,昭和51年同分会委員長兼同支部闘争委員,昭和52年同分会書記長,昭和5
3年同分会書記長兼同支部闘争委員,昭和54年同分会副委員長,昭和55年同支
部副委員長,昭和56年から昭和58年まで同支部執行委員,以上の役職を歴任し
た。
 なお,補助参加人P1は,昭和58年9月に開催された朝日火災支部の定例支部
大会で執行委員選挙に落選し,また,昭和59年から昭和62年までは副委員長選
挙に落選した。
オ 補助参加人P5は,昭和49年4月1日原告会社に入社し,本店営業第1部第
2課に配属され,昭和57年8月2日から立川営業所主任,平成2年6月1日から
秋田営業所主任,平成11年5月から米子営業所主任として勤務した。
 補助参加人P5は,この間,昭和54年朝日火災支部東京分会委員,昭和55年
及び昭和56年同支部執行委員を歴任した。
 なお,補助参加人P5は,昭和57年9月に開催された朝日火災支部の定例支部
大会で執行委員選挙に落選し,また,昭和59年から昭和62年までは副書記長選
挙に落選した。
カ 補助参加人P6は,昭和47年4月1日原告会社に入社して仙台支店に勤務
し,昭和55年4月から東京営業本部事務センター第1課主任,昭和57年4月か
ら同営業本部内務部内務課課長代理,昭和57年10月25日から城東営業所所長
代理(新市場開発担当),平成元年12月1日から松阪営業所所長代理としてそれ
ぞれ勤務した。
 補助参加人P6は,この間,昭和47年朝日火災支部仙台分会青年婦人部書記
長,昭和48年から昭和50年まで同分会書記長,昭和51年同支部副書記長兼同
分会委員,昭和52年及び昭和53年同支部副書記長,昭和54年同支部副委員長
兼全損保中央委員,昭和55年同支部副委員長,昭和56年同支部執行委員,昭和
57年同支部副書記長,以上の役職を歴任した。また,昭和52年4月から昭和5
5年3月まで同支部専従役員であった。
 なお,補助参加人P6は,昭和58年9月に開催
された朝日火災支部の定例支部大会で副書記長選挙に落選し,また,昭和59年か
ら昭和62年までは書記長等の選挙に落選した。
キ 補助参加人P7は,昭和39年1月に興亜火災海上保険株式会社鉄道保険部
(以下「鉄道保険部」という。)に入社したが,昭和40年2月1日,原告会社と
鉄道保険部とが合体したことにより原告会社に入社し,昭和50年4月から長野営
業所所長,昭和53年4月から福知山営業所所長,昭和53年9月から米子営業所
所長,昭和55年4月1日から平塚営業所所長,昭和58年12月1日から甲府営
業所営業担当課長(新市場開発担当),昭和60年9月1日から同営業所主事とし
てそれぞれ勤務し,平成3年12月8日に定年退職となったが,同月9日特別社員
として再雇用され,平成6年12月8日に退職した(鉄道保険部への入社につき,
丙33)。
 補助参加人P7は,この間,昭和41年朝日火災支部神戸分会委員,昭和44年
大阪分会委員,昭和58年横浜分会副委員長を歴任した。
ク 補助参加人P8は,昭和35年4月1日原告会社に入社し,昭和52年4月か
ら大阪支店損害調査センター堺サービスセンター所長,昭和54年4月から同神戸
サービスセンター所長,昭和58年4月1日から金沢営業所営業担当課長,昭和6
1年7月から同営業所主事,平成3年6月1日から京都支店営業課主事としてそれ
ぞれ勤務した。
 なお,補助参加人P8は,昭和58年6月,金沢営業所への配置転換の無効確認
を求めて訴訟を提起し,神戸地方裁判所,大阪高等裁判所(以下「大阪高裁」とい
う。)及び最高裁判所(以下「最高裁」という。)はいずれも同人側勝訴の判決を
言い渡した(以上の一連の訴訟を総称して,以下「P8裁判」という。)。同最高
裁判決は平成5年2月12日に確定したため,同人は京都支店営業課から神戸支店
調査課に異動となった。
 その後,補助参加人P8は,平成10年11月に定年退職となったが,同月特別
社員として再雇用され,神戸サービスセンターに勤務した。
 補助参加人P8は,この間,昭和45年朝日火災支部大阪分会副書記長,昭和4
6年同分会委員兼全損保大阪地協副書記長,昭和47年同分会副委員長兼全損保大
阪地協幹事,昭和48年同分会委員兼全損保大阪地協書記長,昭和55年同支部神
戸分会委員兼全損保神戸地協幹事,昭和56年同分会委員長兼全損保神戸地協幹
事,昭和57年同分会委員長兼全損
保神戸地協副書記長,以上の役職を歴任した。
 なお,補助参加人P8は,昭和59年から昭和62年までの間,朝日火災支部執
行委員選挙に落選した。
ケ 補助参加人P9は,昭和41年4月1日原告会社に入社し,昭和55年6月1
日から守口営業所所長代理,昭和60年11月25日から福山営業所所長代理とし
てそれぞれ勤務した。
 補助参加人P9は,この間,昭和50年朝日火災支部大阪分会副書記長,昭和5
1年ないし昭和55年同分会委員兼全損保大阪地協幹事,昭和56年同分会副書記
長,昭和57年及び昭和58年同分会副書記長兼全損保大阪地協幹事,昭和59年
同分会副委員長等を歴任した。
 なお,補助参加人P9は,昭和59年及び昭和60年,朝日火災支部執行委員選
挙に落選した。
コ 補助参加人P10は,昭和38年2月に鉄道保険部に入社したが,前記のとお
り,昭和40年2月1日,原告会社と鉄道保険部とが合体したことにより原告会社
に入社し,昭和55年4月から京都支店営業第2課課長代理,平成3年6月1日か
ら松山営業所所長代理としてそれぞれ勤務したが,社員として定年退職した後特別
社員として再雇用され,平成7年10月30日に退職した(鉄道保険部への入社に
つき,丙33)。
 補助参加人P10は,この間,昭和47年朝日火災支部大阪分会副書記長,昭和
48年及び昭和49年同分会委員,昭和51年から昭和55年まで同分会委員,昭
和57年同支部京都分会書記長兼同支部闘争委員,昭和58年同分会副書記長兼全
損保京都地協幹事,昭和59年同分会副書記長,以上の役職を歴任した。
 なお,補助参加人P10は,昭和59年,朝日火災支部執行委員選挙に落選し
た。
サ 補助参加人P11は,昭和36年4月1日原告会社に入社し,昭和55年4月
1日から大阪支店営業第1部第2課,昭和58年4月1日から神戸支店営業課(課
長代理。新市場開発担当)においてそれぞれ勤務し,平成11年1月に定年退職と
なり,同月特別社員となり,滋賀営業所に勤務した。
 補助参加人P11は,この間,昭和46年及び昭和47年朝日火災支部大阪分会
副書記長,昭和48年から昭和50年まで同分会書記長,昭和51年同分会副委員
長,昭和52年から昭和55年まで同分会委員長,昭和56年及び昭和57年同分
会委員長兼同支部闘争委員長,昭和58年同分会副委員長,昭和59年同支部神戸
分会書記長,以上の役職を歴任した。
 なお
,補助参加人P11は,昭和59年から昭和62年までの間,朝日火災支部副委員
長などの選挙に落選した。
シ 補助参加人P12は,昭和36年4月1日原告会社に入社し,昭和52年4月
から尼崎営業所所長,昭和54年9月から高知営業所所長,昭和56年4月から高
松支店営業課営業担当課長,昭和57年4月から高知営業所営業担当課長,昭和6
1年9月から同営業所主事,平成3年6月1日から姫路支店営業課主事としてそれ
ぞれ勤務したが,平成7年1月2日に定年退職した。
 補助参加人P12は,この間,昭和42年及び昭和43年朝日火災支部高松分会
書記長,昭和44年同分会委員長,昭和45年同分会書記長,昭和46年及び昭和
47年同分会書記長兼全損保四国地協議長,昭和48年同分会委員長兼全損保四国
地協議長,昭和49年同分会委員長兼同支部闘争委員,昭和50年及び昭和51年
同分会委員長,昭和52年同分会副書記長兼全損保四国地協幹事,昭和53年及び
昭和54年大阪分会副委員長,昭和57年及び昭和58年同支部高松分会委員,以
上の役職を歴任した。
ス 補助参加人P13は,昭和51年4月1日原告会社に入社し,昭和54年5月
10日から東京営業本部東京損害センター調査第3課,昭和56年4月1日から東
関東営業本部調査課,昭和57年8月2日から長崎営業所においてそれぞれ勤務
し,平成2年7月1日から同営業所主任として勤務した。
 補助参加人P13は,この間,昭和54年朝日火災支部青年婦人部委員兼同支部
東京分会青婦部書記長,昭和55年及び昭和56年同支部青年婦人部書記長を歴任
した。
セ 補助参加人P14は,昭和49年4月1日原告会社に入社し,昭和56年4月
1日から大阪支店営業第2部第1課主任,昭和58年8月5日から大分営業所主
任,平成3年12月1日から木更津営業所主任,その後釧路営業所主任としてそれ
ぞれ勤務した。
 補助参加人P14は,この間,昭和54年及び昭和56年朝日火災支部大阪分会
執行委員,昭和57年同分会書記長を歴任した。
ソ 補助参加人P15は,昭和38年4月1日原告会社に入社し,昭和50年4月
1日から東京営業本部東京損害調査センター調査第2課課長代理,昭和56年4月
1日から宇都宮営業所所長代理(新市場開発担当),昭和63年12月1日から函
館営業所所長代理としてそれぞれ勤務したが,平成11年に退職した。
 補助参加人P15は,この間,
昭和39年朝日火災支部京都分会委員,昭和40年及び昭和41年同分会書記長,
昭和42年から昭和45年まで同分会委員長,昭和46年同分会委員,昭和47年
から昭和49年まで同支部執行委員兼同支部仙台分会副委員長,昭和50年同支部
執行副委員長,昭和51年から昭和53年まで同支部東京分会委員長,昭和54年
同支部執行委員等を歴任した。
 なお,補助参加人P15は,昭和55年朝日火災支部執行委員長選挙に落選し
た。
タ 補助参加人P16は,昭和50年4月1日原告会社に入社し,昭和52年4月
から東京損害調査センター調査第2課,昭和56年4月1日から名古屋支店営業第
2課(新市場開発担当),昭和62年12月1日から福岡支店営業課においてそれ
ぞれ勤務した。
 補助参加人P16は,この間,昭和51年から昭和56年まで朝日火災支部東京
分会委員,昭和53年から昭和56年まで全損保東京地協常任幹事を歴任した。
チ 補助参加人P17は,昭和37年4月1日原告会社に入社して京都支店に勤務
し,昭和53年4月1日から東京営業本部東京損害調査センター千葉サービスセン
ター所長,昭和54年4月1日から千葉営業所所長代理,昭和58年4月1日から
釧路営業所(札幌支店営業第2課課長代理・釧路駐在。新市場開発担当),平成3
年6月1日高崎支店営業課課長代理としてそれぞれ勤務し,平成12年11月に定
年退職となったが,同月特別社員となった。
 補助参加人P17は,この間,昭和48年朝日火災支部京都分会書記長,昭和4
9年ないし昭和51年同分会委員長,昭和56年及び昭和57年同支部東京分会委
員を歴任した。
ツ 補助参加人P18は,昭和45年4月1日原告会社に入社し,大阪支店内務部
に勤務した後,昭和55年9月1日から和歌山営業所に勤務し,昭和62年12月
1日には南大阪支店営業課主任となった。平成12年4月からは姫路支店主任とし
て勤務した。
 補助参加人P18は,この間,昭和45年から昭和50年まで朝日火災支部大阪
分会青年婦人部書記長兼同分会闘争委員,昭和52年及び昭和53年同分会副書記
長,昭和54年から昭和56年まで同分会副委員長,昭和57年同分会執行委員,
昭和58年同分会副書記長を歴任した。
 なお,補助参加人P18は,昭和59年,朝日火災支部執行委員選挙に落選し
た。
テ 補助参加人P19は,昭和45年4月1日原告会社に入社し,昭和52年8月
10
日から梅田営業所,昭和57年4月1日から和歌山営業所においてそれぞれ勤務し
た。
 補助参加人P19は,この間,昭和46年から昭和51年まで朝日火災支部大阪
分会青年婦人部委員,昭和55年9月同分会執行委員,昭和60年及び昭和61年
同支部青年婦人部委員,以上の役職を歴任した。
(3) 労働組合
 全損保は,全国の損害保険事業及びこれに関連する事業に従事する労働者によっ
て昭和24年に結成された労働組合であり,後記初審申立時の組合員数は約3万3
000人である。全損保には,下部の協議組織として各地方ごとに計14の地協
が,また,各地協の下に各地域ごとの地区協議会(以下「地区協」という。)が置
かれている。
 朝日火災支部は,原告会社の従業員によって昭和30年に結成された全損保の下
部組織の労働組合であり,後記初審申立時の組合員数は約620名である。同支部
には,単独又は複数の支店,営業所を単位として13の分会が置かれている。
2 命令の存在
(1) 補助参加人らは,都労委に対し,原告会社が労働組合法7条に違反したと
して,これを被申立人として救済の申立てをした(都労委昭和58年不第103
号,昭和59年不第18号,同年不第70号,昭和60年不第81号,平成元年不
第76号,平成3年不第72号各事件)。
 前記救済申立ての概要は,原告会社が,(ア)朝日火災支部の定例支部大会に向
けて行う出席代議員の選出等の組合活動に介入したこと,(イ)補助参加人らにつ
いて時間内組合活動休暇を承認せず,また,補助参加人P19についてこれに伴い
賃金をカットしたこと,(ウ)補助参加人P3ら17名について配置転換をしたこ
と,(エ)補助参加人P3ら19名について,昭和56年から平成3年までの賃
金,賞与,職能資格格付け及び職位について差別的取扱いをしたことが,それぞれ
不当労働行為に該当するというものであった。
 これに対し,都労委は,平成8年1月23日付けで別紙1のとおりの命令を発し
た(初審命令)。
(2) 原告会社は,被告に対し,初審命令の救済部分について再審査の申立てを
し(中労委平成8年(不再)第6号事件),また,補助参加人らは,被告に対し,
補助参加人P19の職能資格格付けを除く初審命令の棄却ないし却下部分について
再審査の申立てをした(中労委平成8年(不再)第7号事件)。被告は,平成10
年1月21日付けで別紙2のとおりの命令を発し(本
件命令),同命令の写しは同年2月10日原告会社及び補助参加人らに,それぞれ
送達された。
第2 主たる争点
(第44号事件)
1 原告会社が,昭和55年9月から昭和58年9月にかけて朝日火災支部内にお
いてA派,B派の対立があること,補助参加人らがA派に属することを認識してい
たか。
2 昭和58年9月に開催された朝日火災支部の定例支部大会当時の原告会社職制
の言動は,同支部の運営に対する支配介入であって,不当労働行為に該当するか。
3 原告会社が,昭和57年から昭和58年にかけて,補助参加人P3,同P1,
同P6,同P8,同P11,同P14,同P7及び同P17に対して行った配置転
換は,朝日火災支部の運営に対する支配介入であって,不当労働行為に該当する
か。
4 原告会社が補助参加人P3,同P11,同P8,同P9及び同P19に対して
時間内組合活動休暇の取得を承認しなかったこと並びにこれに伴って補助参加人P
19の賃金をカットしたことは,同各補助参加人に対する不利益取扱いであるとと
もに,朝日火災支部の運営に対する支配介入であって,不当労働行為に該当する
か。
5 補助参加人らの賃金,賞与,職能資格格付け,等級及び職位は,原告会社が不
当労働行為意思をもって行った不当な人事考課の結果によるもので,補助参加人ら
に対する不利益取扱いであるとともに,朝日火災支部の運営に対する支配介入であ
って,不当労働行為に該当するか。
6 本件命令主文第2項が原告会社の人事権を侵害するものであるか。
(第82号事件)
1 昭和63年3月以前の賃金及び昭和62年12月以前の賞与並びに平成元年1
2月の賞与に関する救済申立ては,労働組合法27条2項の申立期間を徒過したも
のか。
2 補助参加人P4,同P2,同P5,同P13,同P12,同P15,同P1
6,同P18及び同P19の配置転換に関する救済申立ては,労働組合法27条2
項の申立期間を徒過したものか。
3 補助参加人らの賃金,賞与の是正に当たり,職能資格格付け(職能給の等級を
含む。)及び職位についての格差により生じた分を含めて是正すべきか。
第3章 当事者の主張の要旨
第1 第44号事件について
(原告会社の主張)
1 争点1(A派,B派問題)について
 本件命令は,昭和55年9月当時において補助参加人P3が執行委員長であった
それまでの朝日火災支部執行部の「闘いを外に拡げる行動」を含む運動方針を支持
していた者のグループを「A派」,「署名推進派」を中心としてこの運動方針に反
対していた者のグループを「B派」と呼んだ上,原告会社がA派に属する補助参加
人らの組合活動を妨害して組合運営に支配介入し,同人らに対して不利益な取扱い
を行った旨認定する。
 しかし,そもそも「A派」,「B派」なるものの存在及び補助参加人らが「A
派」に属することは原告会社には不明であったから,本件命令の認定は誤りであ
る。
(1) 原告会社には,組合員のだれがどのグループに属するかは分からなかった
し,原告会社がいずれかのグループに加担したところで何ら益することはない。原
告会社が労働組合の内部抗争に介入する余地はなく,またその意欲もなかった。
 朝日火災支部内部で組合員の対立があったとしても,対立する勢力間には実は去
就の定まらない多数の中間派が存在していたことは後記(2)のとおりであるか
ら,組合員の中のだれがA派に属するかを識別することは,当事者の格別の意思表
明がない限り不可能であった。また,たとえ組合員から自己の立場について態度表
明がされたとしても,組合大会での賛否の意思表明のみから,中間派かそうでない
かを見分けることもできない。
 組合執行部は署名推進派と接触を試みたが,だれが同派に属するか分からないた
めかなわず,後に,同派の代表者から組合執行部に接触を図ったためはじめて同派
と交渉ができている。このように,対立する組合員相互間においても,だれがいか
なる思想,信条を有し,いかなる行動をしているのかは容易に探知し得ない状況に
あったのであるから,人員規模の大きくない原告会社内であっても,対立当事者で
ない者や組合員でもない者には,なおさら個々の組合員のA派あるいはB派への所
属状況を識別し得ない状況にあった。
 なお,P20が作成した全損保朝日火災支部役員名簿(乙275)中には,A
派,B派の分類が記載されているが,これは,後記(4)のとおり,補助参加人ら
が,昭和60年3月,A派のメンバーと目される50名の者の氏名を記載したメモ
を各組合員あてに配布したことから,P20は,その氏名をもとに補助参加人らが
主張するような組合役員の当落の変遷があったかどうかの裏付けを行うため,A
派,B派の分類を記載したものであるから,同名簿中の記載は,A派,B派の識別
が可能であったことの根拠にはならない。
(2) また,被告の定義では,A派とは
,朝日火災支部内において「外に出る闘い」等の当時の執行部の方針を支持したす
べての組合員を指すものとなるが,このような定義の下では,A派が「派」とか
「グループ」などと呼び得る実態を有するものか定かではないばかりか,そのメン
バーを特定することすらほとんど不可能である。
 すなわち,当時の組合執行部は補助参加人P3を執行委員長とするものである
が,補助参加人P3の行動は,昭和56年11月副委員長に選出された後は原告会
社と協調する姿勢を示すなど時期によって変化しているし,執行部の方針も,昭和
53年9月に決定された「闘いを外に拡げる行動」方針がその後徐々に影を薄め,
昭和55年3月までには,原告会社と朝日火災支部との間に合理化に関する合意が
成立した後は同方針は全く影をひそめるに至るなど,昭和55年9月以前において
さえかなりの変動がみられ,その後にも大きく変動した。
 また,昭和54年初頭以降昭和58年末に至る間に行われた朝日火災支部大会で
の全員投票においては,組合員の賛否が事案ごとに大きく変動しており,執行部の
方針に対する組合員の動向も極めて流動的であった。このように執行部方針に対す
る組合員の賛否が変動したのは,組合員中に,経営の合理化あるいは闘争について
固定的な観念を持たず,時と場合によって賛否を変える「中間派」が多数存在して
いたと考えなければならない。そして,この全員投票における賛否の変動状況に照
らすと,当時中間派の数は,被告のいうA派とB派の合計数を大幅に上回っていた
ことになる。
 したがって,仮にA派,B派が存在していたとしても,朝日火災支部の役員選挙
では,これに中間派を加えた争いがあったのであり,組合員のだれがこれらに属す
るかは外部からは一層容易に判定できないものである。
(3) 昭和56年8月の組合大会での,新人事制度協定締結と同年度の賃金交渉
妥結に関する全員投票においては,その反対者がわずか52名であったから,同時
点におけるA派組合員の実数は多くとも50名程度であったことになる。このこと
に照らすと,A派を自称する補助参加人らが組合役員の選挙で落選したのは,原告
会社の支配介入によるものではなく,同人らの支持母体であるA派がもともと極め
てぜい弱なものであったからか,支持母体であるべきA派が同人らを支持しなくな
ったからか,そのいずれかである。
(4) A派なるグループの存在が補助参
加人ら側から主張されるに至ったのは,昭和59年11月補助参加人P8の配転の
有効性が争われた神戸地方裁判所での訴訟においてであり,同グループに属するメ
ンバーが明らかにされたのは,さらにその後の,全国各地に散在する補助参加人ら
を含めた同志50人の氏名が記載された昭和60年3月8日付けメモ(乙170)
が組合員あてに配布された時であり,それ以前には同グループに属するメンバーは
明らかでなかった。
 ただし,補助参加人P3については,原告会社の経営危機の前後にわたつて朝日
火災支部の委員長として組合を指導し,昭和53年から昭和54年にかけて原告会
社と対決する姿勢を鮮明にしつつ,上部団体である全損保の支援の下に「闘いを大
きく外へ拡げる行動」を展開していたから,同人は当時からだれの目にも先鋭的な
組合活動家であると映っていたし,同人は,共産党の拠点であるとみられていた全
損保の常任中央執行委員をも兼務していたため,共産党員ではないかと疑われてい
た。しかし,同人は,マスコミから共産党員であるかを問われても明確な回答をし
なかったし,前記のとおり,昭和56年の役員選挙においては,委員長に立候補せ
ずP20が委員長職を占めることを許し,自らは副委員長に就任して新執行部に協
力する姿勢を示すなどして,昭和58年9月に行われた朝日火災支部の定例支部大
会で副委員長選挙に落選する以前は,必ずしも原告会社に対決する強硬姿勢を取り
続けていたわけではなく,むしろ経営に対して協力的であるかの印象さえ持たれて
いたのである。
 本件命令は,昭和54年から昭和58年にかけて生起した組合員の活動状況や組
合役員の選挙結果について,当時A派ないしB派の識別が鮮明に行い得る状況にあ
ったかのように認定するが,これは,後日(昭和60年3月)に公表されたメモ
(乙170)の記載が当時のA派所属組合員を正しく表示しているとの想定に基づ
き,過去の事実を評価し判断を加えたものにすぎない。
(5) 以上のとおりであって,A派,B派問題に関する本件命令の認定は失当で
ある。
2 争点2(職制の言動)について
 本件命令は,昭和55年9月の朝日火災支部第43回定例支部大会前後に行われ
た非組合員D,Y,K3人の言動,昭和58年9月の第49回定例支部大会当時に
名古屋分会,東京分会傘下の大宮支店,大阪分会傘下の守口営業所,神戸分会傘下
の姫路支店の計4か所において,何
人かの組合員たる課所長と1,2の非組合員によって行われた言動,原告会社の南
関東営業本部長であったP21がこの両時期に行った言動,以上の言動をいずれも
原告会社の意を体して行ったものであって,原告会社による支配介入に当たる旨認
定する。
(1) しかし,これらの言動がされた事実はない。これらの言動を行ったとされ
る当事者のすべてがこれを否定しているし,これらの言動をしたとする関係者の証
言は伝聞である上,言動を聞き取ったとする関係者の陳述書では,言動を行ったと
される者が普段使用することのない関西弁等でもって発言したかのごとく記載され
ているなど,証言内容の真実性は極めて疑わしい。
 仮に本件命令の認定するとおりの言動があったとしても,これらは原告会社の地
方の末端の部署の責任者ないし組合員の言動にすぎず,このような言動をもって,
本店のほか全国各地に25の支店と53の営業所を有している原告会社が組織的な
支配介入を行ったとするのは誤りである。
 このことは,原告会社が昭和55年9月9日付け及び同年10月15日付け文書
で「非組合員が原告会社による不当労働行為だと咎めたてられるような行為を一切
行わないよう」社内に布告したことからも明らかであり,補助参加人らが組合役員
を交代させられたのは,組合員の支持を失ったからにはかならず,労働組合内部の
動勢によって起こったもので,外部からの支配介入によるものではない。
(2) 争議に際して労働組合が不当な言論を行った場合,これに対抗して使用者
が組合批判をもって応ずることは,当然に許された正当な行為であり(労働組合法
1条,労働関係調整法7条),不当労働行為たる支配介入には当たらない。
 「闘いを外に拡げる行動」は,原告会社の経営危機を世間に吹聴してその信用を
失墜せしめ,原告会社の経営を破綻させる危険な行動であり,組合員であると非組
合員であるとを問わず,このような危険な争議行為を行うことを決定した組合執行
部を批判し,原告会社の将来を危ぶむ発言を行うのは当然のことであり,同人らが
享有し得る言論の自由の範囲に属するものである。
 組合員職制が自ら組合役員に立候補したり,自ら支持する候補者への投票を依頼
したりした行為は,組合員として当然に行い得る行為を行ったにすぎず,民主的な
労働組合内において行われるべきことが行われたにすぎない。
 なお,原告会社の東関東営業本部長であったP
21は,昭和54年に「憂う」と題する文書(乙48)を執筆し,これを組合員に
配布したが,同文書は,400字詰め原稿用紙6枚に同人が手書きし,役職名を付
さず個人としての署名を付したものにすぎないし,同人は,歓談の場において,同
人と労苦を共にしている営業所長7名に対し同文書のコピーを交付したにすぎな
い。同文書はP21の個人的所感を記したものにすぎず,原告会社が同人を通じて
配布させた情宣文書であるとは到底いえない。同文書中の共産党の活動に対する警
戒に触れた部分は,P21の家族が被った過去の経験に基づくものであり,同文書
及びその後の「憂う」その3を理由に,同人の関心がすなわち会社経営者の関心で
あったかのような本件命令の判断は,牽強付会の議論である。
(3) 昭和55年9月の朝日火災支部第43回定例支部大会における選挙結果
は,補助参加人P3の委員長当選のほかA派に属するとされる者たちの圧勝に終わ
ったのであるから,前記の同大会の前後に行われたとされる非組合員の言動が,原
告会社の政策に同調する役員を選出させるための選挙への介入であったとすれば,
かかる介入は功を奏しなかったことになる。ところが,その後昭和58年9月の第
49回定例支部大会までの定例大会において役員選挙が行われ,補助参加人P3は
副委員長に就任したとはいえ,A派に属するとされる役員は少数派に転落してお
り,このことは,原告会社の支配介入とは全く無縁に,朝日火災支部内部において
変動が起きたことを示している。昭和58年に補助参加人らが落選したのは,当時
の原告会社の経営危機を「作られた危機」として虚偽の宣伝をし,ストライキや対
外宣伝活動を行う執行部の指導に組合員が反発し,離反したためである。
 また,この経営危機以降は,朝日火災支部は労使問題につき組合員の全員投票に
よって決してきていたから,原告会社が定例支部大会の役員選挙に介入して原告会
社の政策に賛同する役員の当選を図らなければならない事情は存在していなかっ
た。昭和58年9月の定例支部大会においては,原告会社の提案した就業時間延長
問題が議案になっていたが,その直前に行われた退職金・定年制度改定問題に関す
る全員投票の結果から,就業時間延長問題は組合員の多数の賛成を得られると見込
まれており,原告会社が支配介入を行って組合執行部を交代させなければならない
とする動機は全く存在しない。
(4) 
以上のほか,本件命令が認定する支配介入に係る言動は,昭和55年9月以降昭和
58年9月に至るまで全く影をひそめたことにも照らすと,本件命令の認定は全く
の誤りである。
3 争点3(配転問題)について
 本件命令は,原告会社のした補助参加人らの配置転換(以下「配転」という。)
が同人らの組合活動を嫌悪し,これを妨害するために行われたものであって,不当
労働行為に該当する無効なものである旨認定し,補助参加人P1ほか4人の現職復
帰を命じている。
(1) しかし,補助参加人らのみの配転であれば見せしめのためとはいえても,
原告会社においては,昭和54年以降昭和58年に至るまでの間,配転は10回に
わたり総計915人について行われており,これには,転居を伴う配転が行われた
者が500人,組合役員が135人含まれていて,補助参加人らのみが配転された
わけではない。また,補助参加人らの配転は,配転回数においても配転先において
も,他の従業員の配転に比べて不利と目されるようなものではない。これらからす
れば,補助参加人らの配転が見せしめや報復のための不当なものではなかったこと
は明らかである。
(2) 本件命令は,木更津営業所,三鷹営業所及び甲府営業所に新市場開発担当
として補助参加人P3,同P1及び同P7をそれぞれ配転させたことにつき,「こ
れらの営業所の所員がいずれも3人以下であり,昭和56年に4人以上の営業所に
新市場担当を置くと定めた原告会社の方針に反するものであって,同補助参加人ら
を新市場開発担当に任ずべき理由は見当たらない。また,新市場開発担当に任ぜら
れた補助参加人らの経歴や過去の業績評価からして,新市場開発担当者として不適
である。」旨認定する。
 しかし,原告会社が所員4人以上の営業所に1人の新市場開発担当を置くことを
定めたのは,3人以下の所員から1人を新市場開発担当とすると人員が手薄となっ
て営業所としての維持が困難になるからであって,そのような営業所に外部から要
員を配転させて営業を強化する必要があることは,明らかである。原告会社の前記
の方針は,3人以下の営業所へ他から新市場開発担当者を配転させることを妨げる
ものではないから,本件命令の認定は,原告会社の方針を正しく理解していない
か,曲解するものである。
 会社の収入は保険加入者を勧誘する新市場開発によってもたらされるのであっ
て,原告会社の業績を上げるために
新市場開発担当者を各地に配転することは極めて重要であり,人口の規模や地域の
発展状況に照らし,木更津,三鷹及び甲府の3地区はいずれも新市場開発担当者を
配転すべき主要な地域である。営業の経験のある者が新市場開発担当者として適任
者であることに疑いはないが,同担当者は,単独で顧客獲得のための活動を行うの
であり,多少の経験を積んでいればだれでもこれを担当することができるから,協
調性の乏しい者や欠勤の多い者でもその適任者であるといえる。本件命令における
前記認定は,経営判断の実態を理解していない。
(3) 本件命令は,補助参加人P1,同P6及び同P11の配転はこれによって
同補助参加人らの組合活動を著しく困難にさせることを目的とした違法なものであ
る旨認定する。
 しかし,補助参加人P1は本社から三鷹営業所へ,補助参加人P6は本社から城
東営業所へ,補助参加人P11は大阪支店から神戸支店への配転であり,いずれも
交通至便な地域への配転であるから,各補助参加人らの居住地をも勘案すれば,同
人らが従来行っていた組合活動を配転先において継続して行うことが著しく困難に
なることはあり得ない。仮に原告会社が補助参加人らの組合活動を妨害する意図で
同人らを配転するのであれば,このような近距離ではなく,より遠隔の地域に同人
らを配転したはずであり,原告会社が前記補助参加人らの配転において,格別同人
らの組合活動を妨害する意向を有していなかったことは明らかである。
(4) なお,初審命令及び本件命令は,原告会社に対し,組合員中に対立する一
方の立場を支持し,他方を批判するなどして不当労働行為を行ってはならないとし
ているが,A派に属する補助参加人らのみを都会地に永続的に勤務させて同人らの
組合活動に特別の保護を与えようとするのは,すべての組合員を均等に取り扱うこ
とを定めた労働組合法5条2項3号の趣旨に反するし,原告会社に対して組合員中
の一方の立場を支持するなどして不当労働行為を行ってはならないとしたこの命令
の趣旨にもそぐわない。
4 争点4(時間内組合活動休暇問題)について
 本件命令は,補助参加人らが全損保の開催する会議に出席するに当たり,時間内
組合活動休暇を認めないのは不当労働行為に当たる旨認定し,原告会社に対し同休
暇の申請を承認するよう命じている。
 全損保は朝日火災支部の上部団体にすぎず,同支部は全損保から独立した組織で

る。原告会社は朝日火災支部に対しては労働協約上の義務を遵守すべき立場にある
が,労働協約10条及び12条は,朝日火災支部として参加することを決定した全
損保の会議に,朝日火災支部の代表として選出された組合員が出席することについ
て時間内組合活動休暇を認めることを定めているにすぎず,同支部の代表として選
出されていない者に対してまで時間内組合活動休暇を付与することを定めているわ
けではない。しかも,同協約10条2項は,「組合規約に定められた出席」という
限定を付しているところ,組合規約には,全損保大会代議員として選出された者と
規定されているから(同規約19条),同協約10条2項は,時間内組合活動休暇
付与の対象を,組合員が朝日火災支部を代表して全損保の大会に出席したり,全損
保の役員に就任してその活動に参加する場合のみであるとしていることは明らかで
ある。したがって,朝日火災支部の役員でもない者が,同支部の意向とは関係なく
全損保の役員選挙に立候補して選出されたと称し,全損保において活動を行う場合
は,時間内組合活動休暇付与の対象とはならない。
 本件命令が時間内組合活動休暇を承認するよう命じることは,逆に労働組合法7
条3号(経費援助)所定の支配介入を行えと命じることであるし,同法2条2号所
定の利益供与の禁止に触れる行為を強制するものである。そもそも,労働協約の前
記の定めは,同法の前記各規定に触れる無効なものである。
 A派の主張する「闘いを外に拡げる行動」は,社会革命ないし政治革命等の行動
の展開か,朝日火災支部の上部団体である全損保内部の権力闘争であり,原告会社
の労使関係とは無縁のものであるから,これらの活動を行う従業員に対し,時間内
組合活動休暇を与えなければならない理由はない。A派所属の者が全損保に出席す
ることを望み,そのために時間内組合活動休暇を求めるのは,同人らが共産党の活
動の一環として全損保内における支配権を維持する活動に便宜を与えよということ
にほかならず,原告会社がこれを支援するいわれはない。
5 争点5(人事考課問題)について
 本件命令は,原告会社が補助参加人らの組合活動を嫌悪して,同人らの人事考課
において不当な差別を行ったと認定し,同人らに対していずれも昭和63年4月以
降平成3年までの賃金と賞与につき,人事考課査定の中間評価であるCとして再査
定した上,既支給額との差額を支払うこと
,また,平成3年6月1日における職能資格格付け及び職位を同年同期入社者に遅
れないように取り扱うよう命じている。
(1) しかし,原告会社が昭和56年に制定した人事考課制度及びこれを改定し
た昭和61年の新人事制度は,いずれも従業員の評定ができるだけ公平に行われる
よう工夫をこらしたものである。
 また,同制度の下においては,職場の直属の上司を第1次評定者,その上の上司
を第2次評定者として2段構えの評定を行い,本社人事部,取締役常務会の協議を
経て最終の評定を行う仕組みになっている。
 常務会における協議では,現場から上がってきた評価のゆがみを是正する作業が
行われる。すなわち,人事考課を公正に行うためには,第1次及び第2次評定にお
ける評価項目に含まれていない個々人の勤怠の状況や,過去の実績等を含めた全社
的な規模における各人間の比較を行う必要があるし,第1次及び第2次評定を行う
者も人事評価の対象である従業員であり,直属の上司の個人的好悪や,いずれ判明
する評価結果についての部下の思惑を配慮した,甘辛現象と呼ばれる不当評価がさ
れることも多いため,第1次及び第2次評定の評定結果は単純にこれを最終評定に
取り入れるわけにはいかず,本社中枢において丹念に見直す必要があるのである。
そして,この最終評定においては,勤怠状況や業績面での多面的情報をもとにし
て,他の従業員と比較しながら行われることになる。
 従業員の生涯賃金は,その生涯において挙げた功績に比例するものでなければ公
平な人事とはいえないから,過去において長期にわたり職務に従事しなかった者の
生涯賃金については,その者が欠勤による穴を埋め合わせる功績を挙げていない限
り,他の者との較差を付けられるのは当然であり,最終評定において,従業員の過
去の勤怠状況を勘案するのは,人事の公平を図る上で必須の事柄である。
 そして,かかる最終評定に対し不満をもつ者は,苦情処理委員会における労使5
名ずつ計10名の者による審査を求める道も開かれている。
 したがって,同制度による人事考課は極めて透明性の高いものである。
 なお,本件命令は,補助参加人らのうち数名の者について,その第1次及び第2
次評定が高い割に最終評定が低いのは理解し難く,この点についての原告会社側証
人の説明も十分ではない旨認定するが,前記のとおり,最終評定は多面的情報をも
とにして行われるから,過去に行われ
た評定の内容を後日になって具体的に説明し,その根拠となった資料をすべて示す
ことは不可能に近く,本件命令が認定した事実があるからといって,評定が不当で
あるとはいえない。
(2) 初審命令及び本件命令は,現場責任者が選択した評価分類を,他の従業員
の評価分類や他年次の評価分類と対比しつつ,C評価,あるいはD評価の数の多寡
をもって最終的な人事考課の当否の論証を行っている。
 しかし,職場を異にする従業員の評価は,職務内容や所属する従業員数の相違に
よって,同じ分類の評価であってもその実質は異なるし,同一従業員であっても,
前記のような評価のゆがみがある以上,配転や上司の変動のあるたびに評価者の選
択する分類が異なることになるから,初審命令及び本件命令のような方法で人事評
価の当否を論証するのは誤りである。
(3) 補助参加人らの第1次及び第2次評定では,初審命令別添②の2以下のと
おり,「意欲・努力とも不十分」,「同類からみて物足りない実績」など,勤務者
としてふさわしくない人格的な欠陥が述べられている。このような欠陥は,補助参
加人らの思想ないし人生観に根ざす根本的な人格態度の表れであるというべきであ
り,これが簡単に解消されたり,年次によって変化するという性質のものではな
い。したがって,現場責任者が補助参加人らの評価に際して選択した評価分類が高
いものであったとしても,それは明らかに分類の選択に誤りがあるのであって,か
かる人格的欠陥のない他の多くの従業員との対比において,極めて低い評価に落ち
着くことになるのである。
 また,従業員数が減少し,ほとんどの従業員が有給休暇を取ることさえ控えて忙
しい業務に従事しているさなかに,補助参加人らは,有給休暇をすべて消化し,更
に時間内組合活動休暇まで要求して,組合活動に熱中した。例えば,補助参加人ら
は例年のごとく2日間にわたって開催される全損保の定例大会にそろって出席した
り,昭和58年8月補助参加人P8が提起した訴訟や,同年6月P75が提起した
訴訟において,これを支援するためや証人として出廷するために,神戸,伊丹,大
阪に赴いたり,本件初審審理期日や67回にわたって開かれた同審問期日に毎回大
挙して出頭した。補助参加人らは,このような活動のために時に構わず職場を空け
ていたのであって,もとよりそのような活動に従事せず業務に精勤する者に比べ,
その業績が見劣りすることは
避けられない。また,原告会社の従業員でありながら原告会社の方針に反対し,協
力的でないことを自らも標ぼうする補助参加人らは,会社に貢献する姿勢が欠如な
いし後退しているもので,原告会社の方針に従いこれを部下に実施させる立場の管
理職に就かせることはできない。
(4) 以上のとおりであって,補助参加人らに対する評価が低く,補助参加人ら
が同年同期入社の者に比べて職位が低いのは,補助参加人らの前記のような勤務状
況や,補助参加人らの職務に対する態度に起因するものであって,原告会社が補助
参加人らを差別したことによるものではない。
(5) 人事考課においてある程度の基準はあるものの,その基準内においていか
なる査定を行うかは経営者の裁量にゆだねられており,それが不当であると主張す
る者はそのことを立証すべきである。本件命令は,補助参加人らに対する査定が正
しいことを原告会社が立証すべきであるとしているが,そのような判断は立証責任
に関する法令の適用を誤るものである。
6 争点6(本件命令主文第2項)について
 従業員をどの地位につけ,いかなる職務を果たさせるかについては,労働協約や
雇用契約に格別の定めがない限り,使用者は人事権の行使として自由に行うことが
でき,従業員は特定の職位に付けることを使用者に要求する権利を有しないし,こ
れを決めることは不当労働行為のなかった状態に復帰させる不当労働行為の救済の
枠から外れるものである。また,不当労働行為救済制度は,労働者の団結権行使を
容易ならしめるためのものであるから,組合員資格のある労働者に対して救済が認
められるもので,補助参加人らを組合員資格のない管理職にすることはできない。
 本件命令は,補助参加人らについて同年同期入社の者の中間値に当たるC査定を
受けるべきとの判断を行っているが,その理由は明らかではなく,補助参加人ら
も,補助参加人らの功績が同年同期入社の者に匹敵することを示すに足りる立証を
行っていない。本件命令主文第2項が「職能資格格付け及び職位について同年同期
入社者に遅れないよう取扱うこと」を命じたのは,会社の人事権を冒すもので違法
である。
 (被告の主張)
1 本件命令に係る処分理由は,別紙1(初審命令)及び同2(本件命令)記載の
とおりであり,被告の事実認定及び判断に誤りはない。
2 争点1(A派,B派問題)について
(1) 昭和54年から昭和58年にかけて,
原告会社が朝日火災支部内に2つのグループが存在することを明白に認識していた
ことは,別紙1・18ないし20頁及び同2・10頁記載のとおり,原告会社の部
長,支店長らの職制が,朝日火災支部定例大会に代議員として出席する者に対し,
同支部内における対立する一方の立場を支持し,他方に反対するよう示唆する言動
を行ったり,原告会社の業務上の諸会議の際,同支部の組合員に対し,同支部内に
おける対立する一方の立場を支持し,他方を暗に批判したこと,同支部内部に,
「外に出る闘い」の当否をめぐって,従前の同支部の運営及び闘争方針を是とする
補助参加人P3らA派組合員と,これに反対するB派組合員との対立が生じ,両派
は昭和55年9月の定例支部大会以降同支部の支配をめぐって勢力争いを続けてい
たことなどから,明らかである。
(2) 原告会社は,少なくとも補助参加人P3については,当時から他の組合員
とは異なる特別の認識を持っていたことを自認しており,そうすると,同時期に朝
日火災支部又は同支部の下部組織である分会内の主要な組合役職を占めていた他の
補助参加人らに対しても,同様に特別な認識を持っていたことは明らかである。
3 争点2(職制の言動)について
(1) 朝日火災支部内のA派以外の組合員である課所長や非組合員である営業本
部長らの言動は,本件命令で認定したとおりであり(別紙1・22ないし28
頁),関係証拠の検討によって十分認められるし,事実経過を全体としてみると,
課所長の言動は,朝日火災支部大会代議員選挙に際し,原告会社の意を体して,同
支部の中のA派以外の候補者に投票するよう働きかける一方,A派の活動を抑圧し
ようとしてされたものであること,営業本部長らの言動も,同支部の中のA派以外
の者を支援する一方,A派の活動を抑圧するために行ったものであることが明らか
であるから,これら原告会社職制の言動は原告会社に帰責される。
(2) 昭和58年9月の朝日火災支部定例大会において,A派に属するとされる
者のほとんどが落選したのは,原告会社が,A派に属する組合員が代議員として同
支部大会に参加することを妨げるため,代議員選挙に対する干渉を行った結果によ
るものである。
4 争点3(配転問題)について
 補助参加人P1は朝日火災支部執行委員,補助参加人P6は同支部副書記長,補
助参加人P8は神戸分会委員長,補助参加人P11は大阪分会副委員長,
補助参加人P14は大阪分会書記長,補助参加人P17は東京分会委員,補助参加
人P7は横浜分会副委員長と,それぞれ支部又は分会内の主要な役職を占めてお
り,また,長年朝日火災支部執行委員長を務めた補助参加人P3はこれらA派組合
員の中心的存在であって,このような者らを,労働時間延長問題が焦点となってい
た時期にそろってその活動拠点外に配転したことは,労使関係の経緯と本件配転の
時期等を併せ考えると,同人らのA派としての組合活動を嫌い,これを事実上極め
て困難にするためにしたものであることは明らかである。
 そして,補助参加人P3が配転された木更津営業所では,同人が赴任した昭和5
8年12月には新市場開発担当の業務は始められていないこと,補助参加人P17
の配転先である釧路駐在所は同人が異動した2年後にはわずか同人1名の最少人員
の職場となったこと,他の者についても,配転に係る業務上の必要性及び人選の合
理性が極めて薄弱であることなどを併せ考えれば,補助参加人らに対する配転が同
人らの所属する朝日火災支部に対する支配介入であることは明らかである。
5 争点4(時間内組合活動休暇問題)について
 原告会社と朝日火災支部との間で締結した労働協約10条ないし12条には,組
合員が「全損保全国大会」,「中央執行委員会」,「地方協議会委員会(定例)」
等に出席する場合には,原告会社に届け出た上で時間内組合活動休暇を付与する旨
明記されており,朝日火災支部から選出された組合員がこれらの大会等に出席する
場合にのみ時間内組合活動休暇を付与するとの明文の規定はない。補助参加人P3
らが,労働組合の正式な機関である全損保中央執行委員会又は地区協から全損保常
任中央執行委員,代議員等に選出されていることは別紙1・52ないし56頁記載
のとおりであるから,本件命令が原告会社に対し補助参加人らの時間内組合活動休
暇を承認するよう命じたことに違法はない。
 原告会社が補助参加人らの時間内組合活動休暇の取得を認めなかったのは,本件
命令の認定するとおり,A派の者が社外の上部団体の場で活動することを嫌い,か
かる活動の機会を未然に防止することを意図し,同人らの有給休職を必要以上に費
消させたり,賃金カットを行うことにより同人らを不利益に取り扱い,事実上組合
活動に参加することを困難な状態に至らしめたものといわざるを得ず,この点に関
する本件命令の判断は正
当である。
6 争点5(人事考課問題)について
(1) 原告会社は,原告会社の人事考課制度は従業員の評定ができるだけ公平に
行われるよう工夫をこらしたものである旨主張するが,被告も本件命令において,
原告会社の人事考課制度そのものが公正なものではないなどとしているわけではな
い。本件命令は,原告会社が,A派の活動を抑圧し弱体化する意図の下,朝日火災
支部大会代議員選挙への介入,遠隔地への配転,時間内組合活動休暇の不承認等の
支配介入を行った本件労使関係の経緯,これら格差の存在する合理的理由の欠如等
を併せ考えて,補助参加人P3らの賃金,賞与,職能資格格付け及び職位が他の社
員に比べて低位に置かれていることは,公正な人事考課の結果生じたものではな
く,組合活動を嫌悪し,これを抑圧しようとする意図の下にした人事考課の結果に
よるものであるとして,不当労働行為の成立を認めたものである。
(2) 新市場開発を担当した補助参加人らの勤務成績は,同人らの実績報告に必
ずしも反映されていないし,補助参加人らの勤務成績が他の従業員に比して劣って
いるとの立証はごく限られたものである上,勤務成績の不良が熱心な組合活動に起
因することを裏付ける立証はない。
(3) 不当労働行為の成否の審査において,労働委員会は,事案の内容と当事者
間の衡平を考えて主張立証責任を適切に配分することができる。本件において,労
働委員会は,補助参加人らが,昭和56年度から平成3年度までの賃金及び賞与に
ついて,同人らと他の従業員との間の一般的な格差の存在を主張,立証したのを受
けて,同人らの低査定の合理性については,査定の資料を有している原告会社がむ
しろ主張,立証すべきものとしたのであって,まさしく事案の内容と当事者間の衡
平に即した措置である。
7 争点6(本件命令主文第2項)について
 昇格が主として労働者の能力に応じた経済的処遇のための資格制度におけるもの
であり,基本的には賃金の上昇(手当の付与)をもたらすにすぎない場合や,指揮
命令(管理)の系統としての役職制度の昇格(昇進)であっても,その役職のレベ
ルや権限が上級役職者の補佐的なものにとどまる場合には,労働委員会は当該役職
への昇進を命じることができる。
 原告会社の昭和61年の新人事制度では,職能資格ごとに対応する職位が定めら
れ,一定の職能資格に格付けられるとそれに対応するいずれかの職位に就くこと
となるのであるから,少なくとも組合員資格を有するライン外の役職者まで是正す
ることができると考えられる。したがって,補助参加人各人の職能資格格付けを同
人らの同年同期入社者に遅れないように取り扱うよう命じるとともに,各人の職位
についても当該是正後の職能資格格付けに対応するよう,その是正を命じるのが相
当であるとした本件命令には,何ら違法はない。
(補助参加人らの主張)
1 争点1(A派,B派問題)について
(1) 被告の主張2記載の事実に加え,昭和55年9月の定例支部大会に向け
て,原告会社の支配介入があったとして,同年10月,全損保及び朝日火災支部が
都労委に対して不当労働行為救済申立てをしたのに対し,原告会社は,組合内部の
意見対立と2つの立場(執行部支持派と批判派)について自ら主張していること,
都労委は,昭和56年9月22日,全損保と朝日火災支部の申立てを認容する救済
命令を発したことに照らせば,原告会社が「2つの対立するグループが存在するこ
とを知らなかった」とは到底いえない。そして,原告会社は,人員規模が大きくな
く,全国に支店,営業所が点在していることもあって,各職場は少人数であるか
ら,原告会社が2つのグループの存在を認識していれば,少なくともいずれか一方
で積極的に活動している組合員がだれであるかは,原告会社においては周知の事実
である。
(2) 補助参加人らは,A派に属するが故に差別されたなどという主張は一切行
っていないし,本件命令もそのような認定は全くしていない。補助参加人P8の神
戸地方裁判所における配転無効の裁判において,補助参加人P8側が,便宜,朝日
火災支部内での意見の対立する一方の側をA派,他方の側をB派と称し,その後,
補助参加人らも,都労委,被告中労委の審問においてもこの呼称を使用したにすぎ
ず,補助参加人らは,A派,B派というグループが結成されたなどとの主張は全く
していない。
 原告会社は,重要案件について会社内のだれの目から見ても明らかなほどの意見
の対立が組合員間にあったこと,また,少なくない組合員がそのいずれの立場であ
るのかが明らかであったことといった事実を,「グループを結成したかどうか」な
どといった問題にすり替えて論難しているにすぎない。
 昭和53年ころまでは朝日火災支部内において組合員間で顕著な意見の対立はな
く,投票で役員選挙をしなければならないようなことは全くな
かったのに,同年6月,日本経済新聞(以下「日経新聞」という。)1面に原告会
社の「経営危機」が報ぜられ,これを契機として原告会社による本格的な組合対策
が開始された。そして,原告会社の組合に対する支配介入が繰り返される中で,原
告会社の様々な施策に対する態度及び朝日火災支部の運動方針に関して,組合員内
部で相異なる2つの意見の相違にすぎないものが相互の対立にまで昇華したのであ
って,原告会社が相対立する2つの立場の存在を認識していたことは事実である。
2 争点2(職制の言動)について
(1) 本件命令が認定しているとおり,職制の言動は,昭和58年9月の朝日火
災支部大会に際して,場所を異にして同時期にされたものであり,支配介入に係る
言動をした職制の地位が従業員としては最高位のものであったこと,その言動は多
数の職場でされていること等からして,それらを全体としてみれば,原告会社の意
を体してされた支配介入である。
(2) 支配加入に関する本件命令の認定は,伝聞証拠に基づくものではない。認
定されている事実はすべて,不当労働行為を直接体験した者の証言を基礎とし,か
つ,不当労働行為事実を否定する原告会社側証人の証言が信用性に乏しいことも踏
まえて認定しているのである。体験者が職制の言動を記した陳述書の表現が職制の
言葉どおりのものでなかったからといって,不当労働行為事実を否定する根拠とは
なり得ない。原告会社は,初審命令において認定されている(別紙1・18ないし
28頁)ように,「使用者の言論の自由」の範ちゅうを超えて,役員選挙を中心に
組合運営に直接介入する言動を繰り返し行ったもので,これらはいずれも不当労働
行為である。
 また,原告会社は,昭和55年9月以降昭和58年9月に至るまで支配介入に係
る言動が全く影をひそめた旨主張するが,事実に反する。初審命令でいくつかの不
当労働行為事実が認定されている(別紙1・20頁以下)が,原告会社の不当労働
行為はこれに限らず一貫して続けられており,補助参加人らが立証上の問題から争
点を絞ったにすぎず,それ以外の支配介入が一切みられなかったのではない。
(3) 原告会社は,「闘いを外へ拡げる行動」について,原告会社の経営を破綻
させる危険な行動であるなどと主張するが,原告会社は具体的にどのようなビラ,
どのような行動について問題としているのかさえ示さずにこれを問題視しているの
であっ
て,かえって,その主張自体そのような活動を行う組合員に対する嫌悪の情を如実
に示している。
 P21の「憂う」その3やその言動は,内容的にも明らかに組合の運営に介入す
るものであり,非組合員であるP54名古屋支店長が票読みに関与した事実もこれ
により明らかとなっている。
3 争点3(配転問題)について
(1) 原告会社は,個人的事情,家庭事情から応ずることが不可能な人事異動や
降格的人事異動を発令し,配転を人減らし政策の道具として使い,現に従業員数を
減少させているのであって,このような業務上の必要性に基づかない配転を行った
結果,配転の数が増えているという面があること,B派の執行委員であった者は本
店勤務あるいは営業所長に配転されているのに,A派の執行委員であった者は出先
営業所に配転され,所長に昇格した者はいない上,出先営業所で「塩漬け」にされ
るか,遠隔の出先営業所を転々とさせられるかのいずれかとされていること,これ
らの点に照らすと,単に他にも多くの配転がされているという一事をもって,補助
参加人らに対する配転が見せしめ等ではないということにはならない。
(2)原告会社の従業員が減員する中で,木更津,三鷹及び甲府の3営業所に1人
を増員して新市場開発を担当させなければならない具体的事情について,原告会社
は何ら明らかにしていない。
 都労委において,原告会社側証人は,当初の4人以上の営業課所について1人の
新市場開発担当者を置くという基準がその後変更になったかどうか,新市場開発担
当者が全国で17人しかいないときに,鳥取県に2人を配置した理由,埼玉県では
県下最大の大宮営業所ではなく所沢営業所に配置した理由,その他極端な地域的偏
在について,全く合理的な説明をすることができなかった。そして,既存の代理店
を担当せずに保険を売り歩く,新市場開発担当のような職務を担当している損害保
険会社は他にはないこと,新市場開発担当者は徐々に減り,最後まで残されたのは
ほとんどがA派組合員であったこと,所員4人以上の営業所に1人の新市場開発担
当を置くという配置基準も,その後なし崩し的に,所員が4人以上の営業所であっ
ても配置しなかったり,3人の営業所であっても配置したりして,有名無実化され
たこと,さらには,原告会社自らが,協調性に乏しい者や欠勤の多い者が新市場開
発担当の適任者であるなどと主張していることに照らせば,本件の配転
が,いわば「属人的」に補助参加人らを新市場開発担当者として配置し,「いじめ
抜く」ことに利用する「経営判断の実態」に基づくものであるということは明らか
である。
4 争点4(時間内組合活動休暇問題)について
 労働協約上,全損保各級機関の役員あるいは代議員として出席する場合には,時
間内組合活動休暇を取得できる旨明記されているのに,原告会社はB派については
これを認め,A派についてはその承認を拒否したのであって,原告会社の真意が,
原告会社内において事実上活動が困難になりつつあるA派が,なお社外での上部団
体の場で活動し発言することを嫌い,かかる活動の機会を未然に防止しようとする
点にあったことは明らかである。
 時間内組合活動休暇に関する労働協約が労働組合法2条2号の経費援助に該当す
るものではないことは判例上も明らかである上,原告会社は,朝日火災支部選出の
常任中央執行委員等については時間内組合活動休暇を付与しているのであるから,
時間内組合活動休暇が労働組合法の利益供与禁止に触れる無効なものであるとはい
えない。
5 争点5(人事考課問題)について
(1) 原告会社の人事考課制度は,評定項目の評価と総合評定との関係が不明で
あるなど考課基準が不明確であること,評定者訓練がされていないこと,人事考課
の結果についての通知や説明がされないこと,人事考課に関する苦情処理委員会が
形骸化していることなど,人事考課の公平性・客観性が保たれない制度上の欠陥を
有している上,その運用も,評定の根拠や評定の調整の根拠が不明であること,原
告会社が最終的な評定を行う機関であるとする常務会では,多数の従業員について
短時間で評定の調整を行うことは不可能であることなど,恣意的・不公正に行われ
ており,補助参加人らの第1次評定,第2次評定と最終評定の違いなどからすれ
ば,補助参加人らの評定についての調整が意図的に同人らの評定を下げただけのも
のであることは明らかである。
 原告会社の主張する「過去の実績」や「勤怠」をもとに人事考課を行うこと自
体,第1次及び第2次評定における評価項目に含まれていない上,原告会社の人事
考課制度ではそれについて本社中枢において評価を行うとは定められていないし,
そもそも原告会社は人事考課制度において考課期間を定めているから,「過去の実
績」を考慮することはこのことと明らかに矛盾する。また,勤怠状況は,当然業績

反映するから,業績の評価以外に勤怠を評価するのは二重評価となり,不当であ
る。
(2) 原告会社の補助参加人らに対する嫌悪の強さと不当労働行為意思について
は,次の事実から明らかである。
 補助参加人P14,同P5,同P18,同P16,同P13は,20年近くにわ
たって主任格に据え置かれているが,同人らの入社後の昭和58年入社者がほぼ例
外なく課長格まで昇格しているのに,前記補助参加人らが昇格しないことには,何
ら合理的な特別な事情もない。
 また,昭和61年からの新人事制度への移行時,補助参加人P3,同P4及び同
P7の役職はいずれも主事であったところ,昭和56年から実施されていた原告会
社の人事制度の下においては,主事は課所長に準ずるものであったから,制度移行
時にこの3名につき課長格としても何ら問題がないのに,原告会社はいずれも代理
格とした。原告会社は,課長格であった補助参加人P8及び同P12につき,昭和
61年からの新人事制度移行からわずか半年後の同年9月1日,一般職である主事
に役職変更して代理格としたが,仮にこれが降格処分でないのであれば,昭和61
年からの新人事制度の下で主事の役職にある者の職能給資格は課長格でも代理格で
もよいことになるから,原告会社が両名を代理格としたのは,両名を管理職である
課長格にしたくないという強い意思の表れである。
 さらに,補助参加人P14の平成2年度の昇給については,絶対考課制度の下で
個別の評定項目はBが7,Cが10であるのに,最終評定はDとされた。
 これらの事実は,制度上の根拠を欠く不当な差別であり,不当労働行為以外をも
っては説明できない。
(3) 原告会社は,補助参加人らが,全損保大会や法廷傍聴に出席したこと等を
問題視するが,これは憲法,労働基準法,世界人権宣言24条に反する。業績評価
は業務行動基準書に基づいてされるものであり,これには勤怠や有給休暇の取得が
評価対象となるなどとは全く記載されていないのであって,これが業績評価の上で
マイナス材料として扱われたとすれば,補助参加人らの組合活動を理由として低評
価を行ったものにほかならない。
 原告会社の不当労働行為を批判し,あるいは,労使問題で原告会社の提案に反対
したり,従業員の権利を無視した様々な違法行為の問題を指摘することは,労働組
合員としての正当な組合活動であるし,そもそも,補助参加人らが,日常業務や個

の営業方針に反対したり,勤務時間中協力的でなかった事実は全くない。補助参加
人らが人事考課において低評価を受けたのは,原告会社が補助参加人らの活動や人
格に対して嫌悪の情を抱き,その意思に基づいて経済的,社会的不利益を及ぼそう
としたためである。
(4) 補助参加人らは,労働委員会や本訴の審理を通じて,補助参加人らの業績
及び能力が劣悪とはいえないこと,同人らの低査定が原告会社の嫌悪によるもので
あることを具体的に主張,立証し,この立証により原告会社の不当労働行為意思は
極めて明白となった。このように,昇給,賞与の人事考課で低査定を受け,昇格し
ないことが不当労働行為であると主張する補助参加人らが,自らの勤務状況,勤務
実績,能力が劣悪とはいえないことを具体的に立証したときは,原告会社からの具
体的事実に基づく反証のない限り,そのように認定されるべきである。本件命令
は,このような補助参加人らの主張,立証に対して,原告会社が格差の存在する合
理的理由について何ら疎明できなかったとしたもので,立証責任の原則的立場から
当然のことを述べているにすぎないから,立証責任に関する原告会社の主張は失当
である。
第2 第82号事件について
(補助参加人らの主張)
1 争点1(賃金等に関する救済申立期間)について
(1) 本件命令は,昭和62年度分以前の補助参加人らに対する賃金差別につい
て,いずれも各年の最後の賃金の支給日から1年以上経過しているので,救済でき
ないとした。
(2) 労働組合法27条2項が申立期間を1年と定めたのは,当該不当労働行為
が行為の日から1年間以上取り上げられることなく,期間の経過により安定した労
使関係が形成されている場合には,過去の出来事を取り上げないとするものであ
る。
 したがって,1年以上経過した使用者の行為について労使間に紛争が継続してい
る場合は,安定した労使関係は存在せず,救済の実益も存在するから,この場合に
は「継続する行為」として当該不当労働行為の救済が認められるべきである。
 また,原告会社における職務・職能給制度の下では,いったん査定された考課結
果に基づく差別賃金はその後も何ら解消されることなく累積していく仕組みになっ
ている。すなわち,人事考課査定による不利益取扱いが毎年継続して行われる場
合,ある年度の人事考課に基づく職能賃金の格差はその年度以降の賃金支払行為の
中でも継続し,翌年度の
人事考課査定に基づく職能給賃金の格差と相まって,差別額は累積し,かつ拡大し
ていくのである。このような制度の下において,「一体として一個の不当労働行為
をなす」のは,1回の昇給査定とそれに基づく賃金支払行為に限定されるものでは
ない。昇格・昇給差別は,人事考課査定,昇給,昇格決定,毎月,毎期の賃金や賞
与支給等において反復継続して行われているのである。
 他方,人事考課は使用者が秘密裡に行い,その内容が開示されないため,差別の
発生当初は不当労働行為性が不明確であり,相当期間の継続により差別が累積して
ようやく不当労働行為であることが明確になる。労働組合法27条2項の「継続す
る行為」の意義について,立法の実務責任者は,継続して行われる一括一個の不当
労働行為をいい,複数の行為からなるものでもよく,また,申立時においても終了
せず相当長期間にわたるものがあるとしていたが,累積した賃金・昇格差別は,そ
の構造や特徴からして典型的な複合的,継続的な不当労働行為であり,このような
立法趣旨に照らし,最も典型的な「継続する行為」に当たるというべきである。原
告会社が補助参加人らに対し経済的制裁を加えるという特定した具体的目的をもっ
て継続的に昇格・昇給差別を行ったこと,人事考課及びこれに基づく昇給,昇格,
賃金及び賞与の支給行為は密接不可分に関連し,差別査定が繰り返し行われている
ことからすると,これらは全体として一個の不当労働行為に当たる。職能資格制度
の下では,不当労働行為意思に基づく不利益取扱いであることが判明するには必ず
一定年数を要するし,労働組合は,その後の労使間交渉が不調に終わった段階で不
当労働行為救済申立てを検討するのであるが,本件命令のような解釈に立つと,不
当労働行為であるかどうかの疑いがあれば直ちに不当労働行為救済申立てをしなけ
ればならないことになり,労働者に酷にすぎるもので,憲法及び労働組合法の趣旨
に反する。
(3) 本件命令の立論は,平成3年6月4日最高裁第3小法廷判決(紅屋商事事
件。民集45巻5号984頁)の判示を反対解釈したものであるが,同判決は,査
定に基づく賃金の最後の支払時から1年以内に救済申立てがされたときはその申立
ては適法である旨判断したにとどまり,本件のように数年以上継続してされた昇
給・昇格差別等について判断したものではなく,本件命令が同判決を反対解釈した
ことに何ら根拠はな
い。
(4) 補助参加人らは,都労委に対する昭和58年10月の救済申立ての時点で
不利益査定の事実を明らかにし,初審の第1回調査期日において,差別の具体的内
容は後に明らかにする旨口頭で説明しており,都労委はこれを了解した。しかし,
都労委は,その後一度として,補助参加人らに対し,差別の救済を求めるのであれ
ば申立期間の規定との関係で不当労働行為救済申立書を提出するようにと指導する
ことはなかった。これは,都労委が,申立期間については,直ちに救済申立書を提
出しなくても,将来申立てがされれば救済できるとの立場に立っており,かつ,被
告も同様の立場に立っていると判断していたからにほかならない。このような昭和
58年から昭和63年ころの被告の当時の解釈を前提にして不当労働行為救済申立
てが遅れた本件について,その不利益を補助参加人らに及ぼし,被告がこれを救済
しないのは不当である。労働委員会は,被害者である労働組合あるいは労働者が手
続上の問題で不利益を被らないようにすべき責任があるから,この点に関する被告
の取扱いは誤りである。
(5) 本件命令は,補助参加人P7の昭和58年度分の賃金差別を救済しなかっ
たが,その理由は,補助参加人P7が原告会社の方針に異を唱える発言を公式の場
でしたのは,昭和57年度人事考課表が常務会に上がって処理決定された後の昭和
58年3月17日であるから,昭和58年昇給に関しては不当労働行為の成立する
余地はないとするものである。
 しかし,昭和58年3月17日以前に常務会で補助参加人P7の査定がE評定と
処理決定されたとする証拠はなく,原告会社の従業員に評定結果が知らされるのは
同年7月ころであるから,原告会社において,補助参加人P7の言動を踏まえて評
定を変えることは十分可能であった。原告会社が人事考課制度を恣意的に運用して
いることは,初審命令も認定するとおりであるから,補助参加人P7の評定が突如
としてC評定からE評定になった点についての合理的な説明が原告会社から格別の
証拠をもってされない限り(実際に,原告会社はこの立証をすることができなかっ
た。),不当労働行為であると推認されるべきである。
2 争点2(配転に関する救済申立期間)について
 本件命令は,補助参加人P4,同P2,同P5,同P13,同P12,同P1
5,同P16,同P18及び同P19の配転に関し,発令から救済申立てまで1年

上経過しているのでその是正については却下するとした初審命令を維持し,補助参
加人らの再審査の申立てを棄却した。
 しかし,不当労働行為が起きれば,1年以内に必ず申立てをしなければ救済され
ないというのは,万策尽きてはじめて申立てをすることを考える当事者側の実情に
合わず,使用者の不当労働行為のやり得を許すものである。
3 争点3(賃金,賞与の是正内容)について
 補助参加人らが本件について都労委に対して求めた救済命令の内容は,(1) 
昭和56年度分以降の賃金,賞与について,職能等級(昭和56年の制度)又は職
能資格(昭和59年の制度)を,同期同年齢の標準者の等級又は資格,職位とした
上で,5段階の中間であるC評定に再評定した額と,実際に支払われた額との差額
の支払,(2)職能等級(昭和56年の制度)又は職能資格(昭和59年の制度)
並びに職位については,同期同年齢の過半数の者が昇類・昇格し,又はある職位に
就いた時点において昇類・昇給し,当該職位に就いたものとすること,(3)配置
転換前の職場に復帰させること,等であった。
 これに対し,本件命令は,別紙2主文第2項のとおりの救済を命じた。
 補助参加人らに対する賃金格差は,①人事考課の低査定に伴う賃金差別,②昇
類・昇格差別に伴う賃金差別,③役職差別に伴う賃金差別の3つの要素に基づいて
おり,補助参加人らに対する救済はこの3要素すべてについてされなければならな
いが,本件命令主文第2項は,賃金面での処遇と直結している職能資格格付け及び
職位について,職能給(職能給の等級を含む。)及び職務手当の加算を,平成3年
度についてしか認めていないため,昭和63年度ないし平成2年度については,職
能資格格付け(職能給の等級を含む。)及び職位の差別に基づく賃金差別は回復さ
れない。本件命令主文第2項は,これらの年度についての職能資格格付け(職能給
の等級を含む。)及び職位の差別に基づく賃金差別の是正を命じていない点で違法
である。
(被告の主張)
1 争点1(賃金等に関する救済申立期間)について
(1) 労働組合法27条2項の「継続する行為」の趣旨について
 差別的な不利益査定とそれに基づく(当該年度の)毎月の賃金支払とは一体とし
て一個の(継続する)不当労働行為をなすから,この査定に基づく賃金が支払われ
ている限り不当労働行為は継続することになり,同査定に基づく賃金上の差別的取
扱いの
是正を求める救済申立てが,同査定に基づく(当該年度の)最後の賃金支払の時か
ら1年以内にされたときは,申立期間内の申立てとして適法であると解すべきであ
り,この一連の行為は,次期昇給査定に基づく昇給が行われるまでの間の賃金支払
の限度で,継続する行為と認めるべきである。
(2) 補助参加人らの主張について
 賃金差別の場合に,年1回の昇給が不利益取扱いであるかどうかは,低査定が続
くなど数年の経過を経て初めて明確になるからといって,補助参加人らが主張する
ように「継続する行為」の概念を拡大解釈することは,法が1年という申立期間を
設けた趣旨(申立期間は,労働者側の不利益査定の主張に対し,使用者側がする査
定の合理性に係る反証の対象期間でもあること)を無視するものである。
2 争点3(賃金,賞与の是正内容)について
 本件命令主文第2項は,賃金差別の是正と「平成3年6月1日以降の職能資格格
付け及び職位について,同日以降同年同期入社者に遅れないように取り扱うこと」
を求めた補助参加人らの主張を前提として発せられたものであり,補助参加人らの
申立てに対応したものであるから,賃金差別の是正において平成3年6月1日より
前の職能資格格付け及び職位を考慮しなかったからといって違法となるものではな
い。
第4章 当裁判所の判断
第1 各争点の背景となる事実について
 後掲各証拠によれば,次の事実を認めることができる(争いのない事実を含む。
争いのない事実であっても参照の便宜上証拠を摘示するものもある。以下同
じ。)。
1 いわゆる日経ショックとそれに対する朝日火災支部の対応
(1) 原告会社は,昭和26年に野村証券株式会社,株式会社大和銀行などの出
資によって損害保険業を営むことを目的として設立された会社であり,昭和40年
2月1日に鉄道保険部を吸収する形でこれと合体したため,以後原告会社には,当
初からの原告会社従業員と,鉄道保険部出身の従業員とが混在するようになった。
前記の合体に当たり,合体後の鉄道保険部の従業員の身分,給与等は別途協議の上
決定するとされ,また,鉄道保険部の就業規則等は,改定されるまでは当分の間原
告会社が継承するなどとされたため,当初からの原告会社出身の従業員と鉄道保険
部出身の従業員とでは,定年などの労働条件は必ずしも統一されていなかった。
(2) 原告会社は,戦後設立されて資本規模が小さいなど経営基盤がぜい弱
であった上,人件費の占める割合が高く生産性が低いために慢性的な赤字体質にあ
ったが,昭和51年度から実施した「中期計画」による経営拡大策が高度成長期か
ら低成長期へ移行していた経済環境の変化に適応しなかったため,経営状態は改善
せず,昭和52年11月ころには,同年度決算(昭和53年3月期決算)では約2
0億円の経常損失が見込まれ,株主に対する配当も前年の9パーセント配当から無
配に転落することが必至の状態であった。
 そのため,原告会社は,昭和53年3月に朝日火災支部からされた同年度賃上げ
要求に対し,同年4月17日,原告会社の経営状態を説明して「ゼロ回答」をし,
数次にわたる団体交渉でもこれを変えなかった。これに対し,朝日火災支部は,同
年5月及び6月に連続して15分から30分の早退ストライキを行って賃上げを迫
っていた。
(3) このような折の昭和53年6月22日,日経新聞朝刊1面トップにおいて
「朝日火災再建に乗り出す」,「前3月期大幅赤字,経営陣一新へ」との見出しで
原告会社が深刻な経営危機にある旨が報じられ(乙44),同旨の内容の記事は他
の主要日刊紙でも取り上げられたため,原告会社の内外で,同社の経営状態につい
ての大きな不安,動揺が生じた(以上の事態を,以下「日経ショック」とい
う。)。
 この日経新聞の記事に対し,補助参加人P3を執行委員長とする朝日火災支部執
行部は,直ちに朝日火災支部闘争委員会名で,「①今回の報道は,大蔵省及び大株
主の同意の下にされたもので,原告会社がこの意図を受けて従業員,組合員の動揺
を最大限に活用し,賃上げゼロと大合理化を一方的に押しつけようとしてくること
は明らかである。②原告会社が昭和52年度決算につき大幅な損失を計上すること
となったのは,原告会社が内部留保されて保険金支払の担保となる責任準備金及び
支払準備金を前年度に比して大幅に積み増したことによるもので,報道されている
ような経営内容の急激な悪化によるものではないから,朝日火災支部の従来の要求
と方針を変更する必要はない。③合理化自体に反対するものではなく,必要な体質
改善はすべきであるが,大蔵省,大株主及び経営者が一方的に経営再建合理化計画
を強行することは許さず,徹底的に協議をし,納得のいく再建計画を求めていくと
ともに,従来の賃上げ要求を維持し,早期解決のために全力を挙げて闘う。」旨の
「『日経報道』に関する朝日
支部闘争委員会見解」を発表し,二度にわたって早退ストライキを実施した。ま
た,全損保はその機関紙「全損保」1217号(昭和53年6月25日付け)にお
いて,全損保常任中央闘争委員会名義で,「日経紙『朝日問題』報道についての見
解」との記事を載せ,「日経新聞の記事は一般の読者あるいは保険契約者,代理店
などに事態の本質をゆがめて伝え,誤った認識を与えるものである。」とした上
で,「朝日火災の経営実態は中小損保に共通する相対的な『劣勢』にあるとはい
え,今年急速に悪化した内容はなく,むしろ52年度の元受増収率は全社平均を上
回り,事業費率,人件費率も49年度以降低下している」などとし,「単に原告会
社1社の問題ではなく,中小損保全体に関わる経営側の合理化強化の意思の表れで
あり,全損保の組織を挙げて闘う。」旨,意思表明をした(乙45)。
(4) 原告会社は,昭和53年6月29日に朝日火災支部に対し,新規採用の抑
制,欠員の不補充及び合理化により従業員数を逐次漸減させること等による人件
費・物件費の圧縮,管理内務部門事務の合理化,組織改正等及び低効率営業所の整
理縮小等による営業強化のための要員再配置を主な内容とする「合理化実行計画
(案)」を提示し,合理化を推進しようとした。また,同年7月31日の原告会社
株主総会において,代表取締役(会長,社長,副社長)と筆頭常務の4名が同年3
月決算での大幅欠損,無配転落などの責任を取って辞任し,野村證券株式会社の専
務取締役であったP73を代表取締役社長とする新経営陣が原告会社の再建に当た
ることとなった。原告会社の新経営陣は,旧経営陣と同様賃上げゼロ回答をし,前
記合理化実行計画案に従って合理化を推進しようとしたため,朝日火災支部は,同
年8月8日の第36回臨時支部大会で,執行部提案どおり,有額回答を引き出すま
で闘うこと,展望の持てる実行可能な再建計画を要求し,原告会社提案の合理化実
行計画案については労働条件維持の観点から実質協議することで対処すること,要
求実現のためにストライキ等の争議行為を行うこと等を決定した。
 原告会社の新経営陣は,同年8月1日に開かれた新経営陣として初めての労使懇
談会において,従前から行われていた団体交渉の方法(使用者側は社長以下在京常
勤取締役全員が,労働者側は支部闘争委員全員が,それぞれ出席をする。また,交
渉時間は特に制限しない。)では,経営
再建に支障があるとして,人数制限や時間制限等その変更を求めた。これに対し,
朝日火災支部は反発し,従前どおりの方法での団体交渉を求めたが,原告会社がこ
れに応ぜず,そのため実質的な団体交渉ができない状態となったため,朝日火災支
部は,同月10日中央労働委員会にあっせんを申し入れた。同月25日,中央労働
委員会は,合理化実行計画案については労使各7名ずつの人数で団体交渉をし,そ
の他の事項についても,今後労使間で話合いを進め,円満解決を図ることを内容と
するあっせん案を提示し,原告会社及び朝日火災支部ともこれを受諾し,以後あっ
せん案で示された出席者による団体交渉がされ,その結果,合理化実行計画案につ
いては,原告会社が一部修正したため,朝日火災支部も同年9月1日からこれを実
施することを了承した。
 なお,朝日火災支部は,団体交渉ルールについての権利を留保するとした上,出
席者を原告会社8名,朝日火災支部13名とする団体交渉を了承し,以後同年9月
からの原告会社と朝日火災支部の団体交渉は,ほぼこの出席者によって行われた。
 朝日火災支部からの昭和53年度賃上げ要求に対し,原告会社は依然としてゼロ
回答を変えなかったため,朝日火災支部はこれを不満として,同年9月以降同年1
2月までの間,東京本社への抗議団を数次にわたって派遣し,役員室前のフロアー
座り込み,シュプレヒコールの繰り返し,各職場へのビラ貼りめぐらしなど,原告
会社始まって以来の激しい抗議行動を繰り返した。さらに,朝日火災支部は,昭和
54年2月に開催された臨時支部大会で,執行部提案どおり,「賃上げゼロ回答を
打破し,質・量にこだわらず賃上げを獲得し,3月臨給(昭和54年3月臨時給
与)実績3・595ヶ月を確保する」ことを目標として,ストライキ等あらゆる争
議戦術を行使することを決定し,同年3月には半日ストライキをするなどしたが,
原告会社はゼロ回答を変えず,ただ同年3月臨時給与については従来の回答に上積
みする回答をした。
 朝日火災支部は,やむなく闘争を収束することとし,同年3月22日,原告会社
の回答どおり,昭和53年度の賃上げ要求はゼロのままで,昭和54年3月の臨時
給与要求については3.014か月とすることで妥結した。
(5) 原告会社は,昭和54年2月19日,朝日火災支部に対し,経営体質の抜
本的な改善,黒字基調の回復等を目的とし,収入の増加を図ると
ともに経費節減をするための組織改正を提案し,同年4月1日からこれを実施し,
これに伴い大幅な人事異動を実施した。
 そして,原告会社は,経営基盤改善のため,①年功序列型賃金体系を脱却するた
めの「人事諸制度の改定」(職能資格制度を導入し,職能給体系へ移行することを
内容とするもの),②「退職金制度の改定」(退職時本俸に一定係数を乗じて計算
する方法を,資格別及び昇給時の合計点数に基準単価を乗じる方法へ改定しようと
するもの),③二本立て定年制の解消を目的とする「定年統一」(原告会社の当初
からの従業員の定年は満55歳,鉄道保険部出身の従業員は満63歳で必要により
2年延長とされていたのを,全従業員について満57歳の誕生日に統一しようとす
るもの)を行うこととし,朝日火災支部の昭和54年度賃上げ要求に対し,昭和5
4年7月26日,これらの3つの制度改定(以下「新人事諸制度」という。)の受
け入れを条件として,7000円の賃上げを行う旨の回答(いわゆる「セット提
案」)をした。
 これに対し,朝日火災支部は,賃上げ額が低額である上,制度改定は労働条件の
改悪であって,セット提案は受け入れられないとし,賃上げ交渉と新人事諸制度交
渉との切り離しを要求して,原告会社と対立した。そして,同年9月17日及び同
月18日に開催された朝日火災支部の第40回定例支部大会において,執行部の提
案した,「全損保の支援を受けながら,朝日火災支部に対して不当な攻撃を続ける
P73経営陣,その背後にいる野村証券等の大株主や大蔵省に向けて,闘いを大き
く外に拡げて抗議行動,要請行動を行い,原告会社の経営陣を孤立させて朝日火災
支部の要求を貫徹する行動を行うこと(以下『闘いを外に拡げる行動』とい
う。)」を方針として決議した(乙764)。
 そして,朝日火災支部は,全損保の支援を受けて,「朝日経営,野村証券を社会
的に包囲しよう」とのキャンペーンを掲げ,闘いを外に拡げる行動の第1次行動日
である同年10月17日には,街頭でのビラ配り,野村證券株式会社14支店にお
ける要請行動,早退ストライキ等を行い,また,第2次行動日である同年11月1
6日には,野村證券株式会社本店及び支店における抗議行動,大蔵省への要請行動
を全国規模で行うほか,早退ストライキ等を行った(乙52ないし56,58)。
((1)ないし(5)につき,前掲証拠を含め,乙29,44,45,4
7,50ないし56,58,240ないし243,246ないし253,367な
いし369,371,383,420ないし425,428ないし441,456
ないし458,482,489,511ないし528,532ないし534,54
0ないし548,764,775,894,992,1007,1015,101
9)
2 組合の活動方針をめぐる対立
(1)昭和54年11月中旬ころ,原告会社の東関東営業本部長であったP21
は,「憂う」と題する文書(400字詰め原稿用紙6枚。乙48)を執筆し,東関
東営業本部所長会議において出席した営業所長らに配布した。
 その内容は,日経ショックに関連し,経営危機に対する原告会社の経営上の誤り
を指摘した上,この点は経営陣の退陣という形で解決が図られたが,多数決民主主
義と団結の名の下に会社を経営危機に陥れた労働組合の責任も重いから,この際組
合委員長も責任を取って後進に道を譲るべきであること,また,全損保は朝日火災
の労働組合闘争に介入しているが,朝日火災を助け育てようと本気で考えているの
か疑問があること等とするもので,「今は唯再建のために耐えがたきを耐え忍びが
たきを忍び,会社の方針を全てのみ,直ちに闘争を終結して役員以下全社員が一丸
となって再建に全力を挙げる事が絶対に必要なのではなかろうか」などと記載さ
れ,さらに,同文書の最後には,週刊ダイヤモンド昭和54年11月17日号に掲
載された「“躍進共産党”の新・企業侵攻術」なる記事が引用されていた(乙4
8,641ないし643)。
 これと前後して,前記闘いを外に拡げる行動の第2次行動日の前日である昭和5
4年11月15日,朝日火災支部組合員である東京,名古屋地域の一部の課長,所
長(原告会社と朝日火災支部との労働協約では,本店部長,支店長など一定範囲の
役職者は非組合員とされていたが,特定の職位にある者を除く課長,所長,課所長
代理などの役職者も組合員とされていた。)の中から,闘いを外に拡げる行動は,
原告会社の信用等を失わせるなどの不利益があるだけで問題解決にはならないとし
て,これに反対する署名活動が起こった(この署名活動を推進する立場の組合員ら
を,以下「署名推進派」という。)。これに対し,朝日火災支部及び東京分会は,
東京地区の署名推進派と話合いを持ったが,合意に至らず,同年12月10日に
は,署名推進派は全国の職場で一斉に「闘いを
外に拡げる行動」の中止を求める署名活動に入った。このため,朝日火災支部闘争
委員会は,更に同月12日署名推進派の代表との間で,混乱を収拾するための話合
いを行い,同月14日に予定していた第3次行動について,戦術を縮小し当日のス
トライキ等を中止した。
 そして,原告会社と朝日火災支部は,昭和55年2月29日,昭和54年度賃上
げ等につき,人事諸制度改定及び退職金制度改定は昭和55年7月末を目途に合意
に努力し,定年統一は継続協議すること,同年度の賃上げ及び臨時給与については
原告会社からの上積み回答によることで合意した。
 この合意に基づき,原告会社と朝日火災支部は,まず主に新人事諸制度の改定に
ついての団体交渉を続けながら,昭和55年度賃上げ等についても団体交渉をし,
朝日火災支部は,同賃上げ等については原告会社の回答を不満として,同年6月か
ら同年8月にかけて数次にわたる早退ストライキを実施し,原告会社からの上積み
回答を引き出して昭和56年3月末日までに合意した。
 なお,新人事諸制度の改定については,原告会社と朝日火災支部は,同年7月に
大筋で合意したが,退職金制度改定及び定年統一については,具体的な進展はみら
れなかった。
(2) 昭和55年6月,新人事諸制度問題を討議するための朝日火災支部臨時大
会が予定されていたが,署名推進派はこの臨時大会に向けて,自らの主張に同調す
る代議員を送り込む運動を始めた。朝日火災支部大会は代議員制で運用され,代議
員は,原則として原告会社の本支店に置かれた各分会ごとに分会総会で選出するこ
ととされており,従来その選出は各分会で話合いにより行われていたが,署名推進
派による動きの影響で,話合いによる選出方法を採れない分会が生じ,例えば,東
京分会においては,立候補者が多数出て選挙が行われ,代議員定数20名中署名推
進派から9名が選出された。
 また,同年9月に開催された朝日火災支部の第43回定例支部大会の代議員選出
に際しては,朝日火災支部傘下13分会中7分会で選挙が行われた。このうち東京
分会の総会においては,代議員定数20名中,執行部の運動方針に反対する者12
名が選出された。一方,分会役員の選挙では,委員長及び書記長の選挙で,執行部
の運動方針に賛成する立場の2名(補助参加人P2を含む。)ともが落選した。
(3) このような経緯にあって,昭和55年9月17日及び同月18日に開
催された朝日火災支部の第43回定例支部大会において,執行部(執行委員長は補
助参加人P3)が提案した「当面する諸問題をはじめとする重要な方針」のすべて
にわたって,代議員の意見が二分されて激しい議論が行われた結果,代議員44名
中24対20で前記運動方針が可決された。また,朝日火災支部の主要役員の選出
についても選挙が実施され,執行委員長には補助参加人P3が再選されたが,選出
された執行部役員15名中6名(副委員長,副書記長各1名,執行委員4名)は執
行部の方針に反対する者であった。
(4)ア 朝日火災支部及び全損保は,昭和55年10月7日,前記第43回定例
大会の前後を通じて原告会社の非組合員である職制の取った言動等が不当労働行為
であるとして,都労委に対し救済の申立てをした(都労委昭和55年不第92号事
件)。
 都労委は,この申立事件につき,昭和56年9月22日付けで,「被申立人朝日
火災海上保険株式会社は,被申立人会社の部長,支店長らの職制をして,申立人全
日本損害保険労働組合朝日火災支部定例大会に代議員として出席する者に対し,同
支部内における対立する一方の立場を支持し,他方に反対する旨示唆する言動を行
ったり,被申立人会社の業務上の諸会議の際,同支部の組合員に対し,同支部内に
おける対立する一方の立場を支持し,他方を暗に批判するなどして,同支部の組合
運営に支配介入してはならない。」と命じた(乙70,676)。
イ これを受けて,原告会社と朝日火災支部は,労使関係正常化のための交渉を続
けていたが,昭和56年11月17日に開催された朝日火災支部の第45回定例支
部大会においては,執行部の提案した昭和56年度賃上げについての闘争方針案
が,ストライキ等の具体的な闘争方法に関する部分を削除した形で可決され,また
選挙によりP20が執行委員長に選出され,執行部役員のポストも,従来の補助参
加人P3を執行委員長としていた執行部の方針に批判的な者が9名と多数を占める
に至った(なお,補助参加人P3は,投票によらない方法で副執行委員長となっ
た。以下,P20を執行委員長とする執行部を「新執行部」という。)。
ウ P20は,昭和51年から昭和54年にかけて,朝日火災支部副委員長を務め
たが,その際の執行委員長は補助参加人P3であった。P20は,朝日火災支部の
第45回定例支部大会が開催される前日の昭和56年11月16日,補
助参加人P3を呼び出し,全損保本部書記局近くの居酒屋において約2時間にわた
って話をした。その中で,P20は,前記大会で支部役員に立候補すること,社長
から直接ではないが,原告会社の指示あるいは締め付けがあり,辛い立場にあるこ
と,同大会の役員選挙については,原告会社による票読みが厳密に行われているこ
となどの話しをし,「今日は自分の気持ちを分かってほしかったので会ったが,他
言しないでほしい。」と述べた。(乙309ないし311,712,896,10
54,1073)
エ 以後,新執行部内では,昭和56年3月臨時給与,昭和57年度賃上げなどの
闘争方針等をめぐって,労使の協調を重視し,早期妥結を図ろうとする立場の者
(多数)と,これに反対し,交渉ないし闘争の継続を主張する立場の者(少数)が
対立し,その状態は,昭和58年9月に開催された第49回定例支部大会まで続い
た(昭和57年9月の朝日火災支部第470定例支部大会では,前者の立場の者が
10名執行部役員に選出された。)が,同大会での支部役員選挙の結果,補助参加
人P3を始めとする交渉ないし闘争の継続を主張する立場の者が落選し,支部役員
全員が労使協調を重視する立場の者となった。なお,補助参加人P3を始めとする
この立場の者は,これ以降も毎年支部役員に立候補したが,いずれも落選してい
る。(乙275)
 新執行部は,労使関係正常化のための交渉については,昭和57年3月,原告会
社が遺憾の意を表し,今後とも不当労働行為を疑われるような言動のないように注
意すること等の内容で和解し(乙496),退職金改定及び定年統一については,
組合員の全員投票を踏まえるなどして,昭和58年5月9日,代償条件(昭和58
年3月臨時給与は要求どおりに支払う。同年以降の3月臨時給与は実績を基礎に年
初に協定する。)の下に,定年統一(定年年齢を満57歳とする。)及び退職金制
度の改定(退職金係数を30年勤続51か月とし,経過措置を設ける。)について
合意した。(乙498)
 このように,原告会社が経営基盤改善のために重視していた人事諸制度の改定,
退職金制度の改定及び定年統一の諸懸案はいずれも解決した。なお,原告会社のP
73社長は,昭和58年10月7日開催の営業本部長,部長合同会議の席上,「幸
い労務問題も良い方向に行っている。」と発言し,労使関係が正常化しつつあると
の認識を示した。(乙85)
((1)ないし(4)につき,前掲証拠を含め,乙48,58ないし72,85,
270,275,298ないし302,309ないし311,350,351,4
49,450,462ないし464,496,498,499,501,509,
641ないし643,676,699,702ないし713,754ないし75
8,761,766,769,770,798,896,982,987,98
9,993,995,1011,1013,1054,1073,1118,11
24,1125,1127,1128)
第2 第44号事件の争点1(A派,B派問題)について
1(1) 前記第1のとおり,原告会社においては,日経ショック以降経営陣が交
代し,新経営陣の下,経営基盤改善のための合理化の推進が企図され,賃上げ要求
に対する厳しい回答,合理化計画案の提示,新人事諸制度の提案等を行ったのに対
し,朝日火災支部が強く反発したため,原告会社と朝日火災支部との間の対立が激
化し,昭和54年10月には,朝日火災支部が定例支部大会の決議の下,闘いを外
に拡げる行動を採るなどといった事態となったこと,一方,同年11月中旬ころ,
非組合員である東関東営業本部長P21は,朝日火災支部の闘争方針を批判する内
容の「憂う」を執筆し,これを東関東営業本部所長会議において営業所長らに配布
したこと,これと前後して,闘いを外に拡げる行動の第2次行動日の前日である同
年11月15日には,闘いを外に拡げる行動に反対する署名活動を行う動きをする
組合員(署名推進派)が東京及び名古屋で出たこと,署名推進派と朝日火災支部と
の話合いが持たれたが実らず,署名推進派は,同年12月10日,全国一斉に「闘
いを外に拡げる行動」の中止を求める署名活動に入ったこと,昭和55年に至り,
朝日火災支部大会に向けての代議員の選出に当たり,署名推進派が自らの主張に同
調する者を代議員として送り込む運動を始め,その影響で,同年9月に開催された
朝日火災支部の第43回定例支部大会においては,執行部(執行委員長は補助参加
人P3)が提案した「当面する諸問題をはじめとする重要な方針」のすべてにわた
って,代議員の意見が二分され激しい議論がされたこと,以上の事実が認められ
る。
(2) 次に,証拠(乙275,754,1159)によれば,昭和52年度,昭
和53年度に朝日火災支部副委員長,昭和56年度に同支部委員長を務
めたP20は,昭和63年2月17日大阪高等裁判所において証人尋問を受けた当
時,次のとおりの事実を認識・記憶していたことが認められ,証拠(乙712,1
071,1073,1075,1156,1159)中,これに反する部分は採用
できない。
ア 昭和55年当時の朝日火災支部執行部の闘いを外に拡げる行動を基本とした活
動方針に対し,同支部内に,企業の存続を考慮して同支部の活動方針を柔軟なもの
とするべきであるというグループが存在していた。
イ 昭和55年9月17日に開催された同支部の第43回定例支部大会において,
前年度までは無投票で決まっていた役員が選挙によって決められることになった
が,これは,前記のグループに属する者が同支部役員選挙に立候補したためであっ
た。前記の立候補者のうち,委員長に立候補したP22,副委員長に立候補したP
23,書記長に立候補したP24,副書記長に立候補したP25,執行委員に立候
補したP26,P27,P28,P29,P30は,前記のグループに属する者で
あった。
ウ 昭和56年11月17日に開催された同支部の第45回定例支部大会におい
て,P20自身委員長に立候補したが,これは,同支部内の前記のグループの者か
ら,委員長に立候補するよう頼まれたためであった。同大会においては,前年度同
様いずれの役員についても選挙が行われたが,その立候補者のうち,委員長に立候
補したP20,副委員長に立候補したP24,書記長に立候補したP23,副書記
長に立候補したP86,執行委員に立候補したP76,P77,P78,P28
は,前記のグループに属する者であった。
(3) 前記第1の2(2)で認定した事実によれば,東京分会において行われた
代議員あるいは分会役員選挙において,その立候補者が執行部の活動方針に賛成す
る立場なのか,反対する立場なのかについて明らかであったといえるし,このこと
からすれば,全国的にも,朝日火災支部内において,同支部組合員のうち,少なく
とも,代議員あるいは分会役員選挙に立候補するなど積極的な活動を行っている者
については,執行部の活動方針に対する賛否のグループのいずれに属するかについ
て明らかであったと推認することができる。
(4) 以上(1)ないし(3)を総合すると,前記朝日火災支部第43回定例支
部大会が開催された時点において,同支部内には,同支部の活動方針に関し,従来
の執行部の方針
を支持し,「闘いを外に拡げる行動」を支持して労働条件の維持向上のために原告
会社に対し強い姿勢で臨むとする考え方の組合員が構成するグループと,これに反
対し,労使協調を重視して柔軟に対応すべきであるとする考え方の組合員が構成す
るグループが存在しており,しかも,同支部役員選挙に立候補し,あるいは分会の
代議員に立候補するという立場の組合員については,いずれのグループに属する者
であるかは,同支部内において明らかであったというべきである。
2 次に,原告会社が前記のような対立するグループの存在等について認識してい
たかについて検討する。
 前記のとおり,原告会社は,経営基盤の改善のため賃上げをゼロとするとともに
合理化を図ろうとしていたのであるから,これに対する朝日火災支部の動向に多大
の関心を寄せていたと考えられること,「憂う」を執筆,配布したP21は,東関
東営業本部長という,原告会社における要職にあったこと,前記「憂う」の執筆,
配布に時期を接して,組合員ではあるが同時に原告会社の役職である課長,所長に
よる署名活動が起こり,その後それが全国一斉に広がったこと,その後朝日火災支
部内に前記のようなグループ対立が生じたこと,朝日火災支部の代議員や役員選出
方法も話合いないし無投票から投票に変わったが,本件の救済対象者である補助参
加人らは,第43回定例支部大会当時同支部役員選挙,分会代議員選挙,分会役員
選挙等に立候補するなどの活動を行っていたこと(ただし,補助参加人P7につい
ては,自らの立場を明確にして組合内で公式に発言したのは,昭和58年3月17
日になってからであることは,後記第4の1(2)キのとおりである。なお,補助
参加人P12は,前記の第43回定例支部大会当時組合内の役員等の選挙に立候補
するなどの活動はしていないが,証拠(乙174,175,951)によれば,昭
和53年から昭和54年にかけて務めた大阪分会副委員長当時,原告会社の合理化
施策等に反対する活動を行っていたものと認められるから,補助参加人P12が従
来の執行部の方針を支持するグループに属することは原告会社にとって明らかであ
ったというべきである。)を併せ考えると,原告会社が,同支部内に前記のような
グループの対立があることを認識し,かつ,そのグループを構成する組合員の区別
を,前記1(4)の限りで認識していたものと推認するのが相当である。

(1) これに対し,原告会社は,朝日火災支部の第43回定例支部大会当時,A
派,B派の区別について原告会社は認識していなかった旨主張する。
 しかし,その具体的な主張の大部分は,その当時原告会社がA派,B派なる呼称
を認識していなかったとするものであるところ,本件命令にいうA派,B派なる呼
称は,前記の存在する対立グループを指す便宜上のものにすぎないし,当裁判所
も,A派,B派なる呼称が,前記の当時既に原告会社内で通用していたとまで認定
する趣旨ではないから,前記主張は採用の限りではない。以下,本件命令と同様,
前記1(4)の従来の執行部の方針を支持し,原告会社に対し強い姿勢で臨むとす
る考え方の組合員で構成するグループをA派と,労使協調を重視して柔軟に対応す
べきであるとする考え方の組合員で構成するグループをB派と便宜,呼称する。
(2) 原告会社は,朝日火災支部の第43回定例支部大会の当時,同支部内に
は,A派,B派のいずれのグループにも属さない,いわゆる中間派が多数いた以
上,A派,B派の区別は不可能であった旨主張する。
 確かに,多数の朝日火災支部組合員の中には様々な考えの持ち主があるであろう
から,同支部組合員の中には,前記の両グループのいずれにも属しない原告会社主
張の中間派がいたことは考えられるが,前記のとおり,朝日火災支部役員選挙に立
候補し,あるいは分会の代議員に立候補するという立場の組合員については,対立
するいずれのグループに属する者であるかは,同支部内において明らかであったの
であり,この限度において原告会社もこれらの者がいずれのグループに属するかは
認識していたというべきであるから,中間派の存在があるからといって,前記の意
味におけるA派,B派の区別が不可能であったとはいえない。
(3) 以上のほか,原告会社は,A派,B派の区別は,第43回定例支部大会よ
りかなり後になって明らかになったものである旨主張するが,前記1の認定・判断
に反し,採用することができない。
第3 第44号事件の争点2(職制の言動)について
1 後掲各証拠及び弁論の全趣旨(争いのない事実を含む。)によれば,次の事実
が認められる。
(1) 原告会社は,昭和58年7月9日,朝日火災支部に対し,昭和58年度賃
上げと労働時間の変更をセットで提案した。
 当時原告会社の就業時間は,平日は,夏は午前9時から午後4時30分まで,冬
は午前
9時30分から午後4時30分までであり,土曜日は休日ではなかったが,原告会
社の提案は,第2土曜日を休日とする代わりに,年間を通じて平日を午前9時から
午後5時まで,土曜日を午前9時から午前12時までとするというものであった。
 昭和58年9月19日及び同月22日に開催される予定の朝日火災支部の第49
回定例支部大会においては,この原告会社の提案する労働時間変更の問題(朝日火
災支部は,この問題を就業時間延長の問題ととらえていた。)が中心議題となるこ
ととなった。
 (乙72,78,86,87,489,896,丙9)
(2) 第1の2(1)のとおり「憂う」を執筆,配布したP21は,原告会社が
前記(1)のセット提案を行った翌日である昭和58年7月10日付けで,「憂
う」(その3)と題する文書(乙74)を署名入りで作成した(P21は当時中部
営業本部長)。その内容は,「私一人位はどうってことないだろう。全損保に入っ
ているのでいざという時は助けてくれるだろう等と思っていたら大変なことにな
る。」,「今も昔も変らず同じ主張をしている全損保に依存する限り,絶対に体力
を回復することは出来ないであろう。今組合は全損保並に大義名分をたてている
が,他社は他社朝日は朝日である。朝日が潰れても全損保は助けてくれない。自分
の飯は自分で稼ぐしかないのである。全損保は自分らの主義主張及び自分らの組織
を守るために朝日を防波堤としているのである。そのために朝日を応援するのであ
る。」,「相変わらず昔取った既得権の上にアグラをかいている全損保に所属して
いる限り,当社は前進出来ず他社の後じんを拝し,いつ迄たっても日の目を見るこ
とはない。1日も早く全損保から脱退し当社独自で路を切り開いていくことであ
る。就業時間1つとってみても,国内既存の損保の中で朝日だけは,世間並に9時
から5時迄開店しておりますと朝日の親切さを売り込んでいかなければならない。
他所のやらないことをやることが良い結果に結びつく時代なのである。」,「課所
長よ,そしてそれに続く若人よ,目を覚まして君たち自身のために決起してもらい
たい。」などとするものであった。四日市営業所においては,同文書の写しが取ら
れ,営業所員らに配布された。
(乙74,298,641,642,643,906)
(3)ア 朝日火災支部名古屋分会(原告会社の名古屋支店,豊橋営業所,岐阜営
業所,四日市営業
所,松阪営業所,金沢営業所にそれぞれ所属する朝日火災支部組合員で構成され
る。)では,前記第49回定例支部大会に向けて,昭和58年9月13日に分会総
会が開かれた。その中心議題は,朝日火災支部大会の議案にある就業時間延長に係
る討議と,同大会に出席する分会代議員3名の選出であった。
 朝日火災支部組合員P33は,昭和58年9月,四日市サービスオフィス(原告
会社の四日市営業所と同一社屋にある。)に勤務していたが,同月3日出勤した
際,四日市営業所のP31所長から,「名古屋支店及び中部営業本部の課所長の会
議が前日の同月2日に招集され,その際に,それぞれの課所長から各課所の組合員
全員に対し,割り当てられた代議員候補者に投票するよう説得することが決まっ
た。この内容は,名古屋支店の課長で,朝日火災支部組合員であるP32(注・人
名)が中心となって決めた。P33の投票割当てとなる候補者はP79である。」
旨告げられた。P79とは,名古屋支店営業1課に所属し,当時名古屋分会分会委
員長であり,B派に属する者であった。
イ 同月9日,P33は,金沢営業所のP65所長から「名古屋支店のP54支店
長から電話がなかったか。」と電話で聞かれたため,「なかった。」旨答えたとこ
ろ,同所長は,「前日(同月8日)の会合でそれぞれの組合員がだれに投票するこ
とになるか『丸,ばつ,3角』(○×△)を付けて検討したが,P33の投票行動
がどうなるか不明であったので,P54支店長がP33に電話して,補助参加人P
8に投票しないように説得することになった。そのことを確認したかった。補助参
考人P8に投票しないでほしい。」旨P33を説得した。
 この際,P33は,P65所長から,分会代議員に立候補する予定のB派の者と
して,豊橋営業所のP66所長,P79,名古屋支店内務課のP87の名前を,ま
た,A派の者としては,補助参加人P8,名古屋支店のP67,豊橋支店のP68
の名前を聞いた。そして,P65所長は,P33に対し,「P68が出ると他のB
派の候補者が負ける可能性があるので,豊橋営業所からP66とP68の2名が立
候補するのは職場事情として具合が悪いという口実で,P68を立候補させないよ
うに工作しているところである。」旨話した。
 P33が,P65所長の説得に対し,「原告会社からの指示によって投票をする
というのは避けたいが,同僚からの説得であるの
で,協力するとすれば白票とすることも考えられる。」旨答えたところ,P65所
長は,「その旨P54支店長に対して報告する。」と述べた。
ウ 名古屋分会総会の前日である同月12日になって,同総会に欠席する予定であ
った四日市営業所のP80が,都合がついて急きょこれに出席することになった。
P80は,時間延長に反対の立場であると見られていた。P31所長は,同日午後
3時ころ,P33に留守を頼んでP80と外出し,1時間ほどで帰ってきたが,そ
の際,P33に対し,「P80は欠席ということで報告していたが,急に出席する
ことになって,今更変更することもできず困ったことになった。」などと述べた。
エ 名古屋分会総会の当日である同月13日,P33がその会場である名古屋支店
に到着したところ,支店長席にいたP54支店長から手招きされ,小声で「指示ど
おり頼むよ。」と言われた。
 同総会の投票結果は,P6614票,P7912票,補助参加人P811票,P
8710票,白票1票となり,上位3名(P66,P79,補助参加人P8)が当
選した。
(乙101,906。これに反する乙306,672,673,692,693は
採用しない。)
(証拠(乙304,692,693,806ないし825,1078)によれば,
中部営業所及び名古屋支店の課所長会議が昭和58年9月2日に開かれた事実はな
いことが認められるが,同証拠によれば,P31支店長がそのころ名古屋に赴いた
事実自体は認められるから,課所長会議が開催されていないことは前記イの認定を
覆すには足りない。なお,本件命令は,前記総会の翌日である同月14日,中部営
業本部長であるP21は,四日市営業所所員全員の前で,「総会の結果は非常に残
念である,会社の指示には全員が従ってもらわねばならない。」と述べ,さらに,
「きのうの結果については不利益になることを承知しておいてほしい。」と述べた
旨認定するが,反対証拠(乙641ないし646)もあり,これを認めるには至ら
ない。)
(4)ア 朝日火災支部の東京分会は,同支部の第49回定例支部大会に向けて,
昭和58年9月17日に同分会総会を開いたが,その中心議題は,同支部大会の議
案にある就業時間延長に係る討議と,同大会に出席する同分会の代議員の選出であ
った。
イ 前記東京分会総会の開催に当たり,同総会の代議員として(東京分会は分会員
数が多いため,職場ごとに分会代議
員を選出し,選出された分会代議員によって構成される分会総会で大会に出席する
代議員を選出する仕組みになっていた。),大宮支店から4名(同支店の組合員数
は11名)を選出する必要があり,同月14日,大宮支店における分会代議員の選
挙が行われた。当時の大宮支店長P55は朝日火災支部の組合員であったが,B派
に属するといわれており,この代議員選挙には,P55を中心として,B派から,
P55,大宮サービスセンター所長であるP69,課長であるP70及び主事であ
るP71が立候補した。なお,A派からはP59及びP60が立候補した。
ウ 大宮支店のP56は,同年7月ころから,P55から,B派が集めている就業
時間延長受け入れ賛成の署名に応じるよう,同乗した車中などで迫られ,また,同
年9月始めころから同月13日(大宮支店における前記代議員選挙投票日の前日)
にかけて,P55から,同選挙に関し,代議員はB派で独占したいので,B派の者
に投票するよう何度も言われた。なお,P56は,同年11月に結婚式を行うこと
を予定しており,その仲人をP55に依頼していた。
エ 大宮支店における前記代議員選挙の結果は,P555票,P695票,P70
4票,P593票,P603票であり,上位3名とP59が代議員として選出され
た。
(乙99,100,628,629,908,909)
(本件命令は,P56は,前記投票日の前日である同年9月13日に,P55か
ら,前記代議員選挙の投票に関して,P55の指示に従わなければ結婚式を壊しか
ねない趣旨のことを言われたと認定するが,反対証拠(乙628,629)もあ
り,これを認めるには至らない。また,本件命令は,同日,P56が大宮支店を管
轄する北関東営業本部長であるP84(非組合員)から電話を受け,同人から,
「今後のためにならんぞ。だれに給料をもらっているんだ。」などと言われたこと
が代議員投票に関連するかのように認定するが,反対証拠(乙627,1041)
もあり,関連性を認めるには至らない。)
(5) 昭和58年8月18日午前9時から,守口営業所で営業会議が開かれ,出
席した南近畿営業本部長であるP34は,約10分間,その前の週に行われた本部
長会議の報告をした。その後,当時原告会社が朝日火災支部に対して提案していた
労働時間変更問題に関して,「支部闘争ニュースなどで見ていると思うが,時間的
にいって年間1770時
間だし,業界の平均を目指しているときに今の9時から4時半ではおかしい。」と
言って,出席者の意見を聞いた。これに対し,補助参加人P9が,「この営業会議
の場でこの問題を話されるのはおかしい,今労使で争点になっている問題です
し。」と言いかけたところ,P34は,「会社が生き残るかどうかというときに,
会社や組合と言っているときではないだろう,何がおかしいのか。不当労働行為と
いうのか。君は意欲がないんだな,君のそういう意識が間違っている。」と言っ
た。この当時,守口営業所は所長以下4名で,全員が朝日火災支部組合員であっ
た。
(乙73,144,926,930,1037,1040。これに反する乙62
5,1037は採用できない。)
(6) 昭和58年9月14日,第49回定例支部大会に向けて,朝日火災支部神
戸分会の総会が開催された。その中心議題は,同支部大会の議案にある就業時間延
長に係る討議と,同大会に出席する同分会の代議員の選出であった。分会総会の数
日前から,原告会社姫路支店長のP61(非組合員)を中心として,姫路支店内の
組合員に対し,分会の代議員選挙に当たり,B派の立候補者に投票するよう働きか
ける動きがあった。
 同総会当日の午前中,組合員であるP62は,P61から,「神戸分会は原告会
社上部からは目立つ存在であって,一生懸命働いてもその努力が評価されないか
ら,今日の総会での選挙では協力してほしい。」旨説得され,同席していた同僚で
あるP63からも,「姫路ではみんな頑張っているのに報われていない。自分が立
候補して姫路のために頑張りたいから,協力してほしい。」旨言われたが,P62
は,協力に応じるかどうかについて明確には答えなかった。
 P62は,神戸市で開かれる同総会に出席するために新幹線に乗って移動する予
定であったが,同日午後5時すぎ,姫路支店の支店長付営業課長であるP64か
ら,「新幹線の中で読んでほしい。」と言われて茶封筒を渡された。封筒内には原
告会社の用紙に書かれた書簡が入っており,その内容は,「さて,選挙だが,今ま
で神戸分会は赤だと言われのない会社からの攻撃を受けており,このままP11,
P72(注・当時神戸分会副委員長),P85(注・当時朝日火災支部闘争委員)
にやらせると,神戸・姫路に更に人減らしや犠牲的な異動が考えられ,本当をいう
と中間派でいた人がやる方がよいと思っている。しかしもうそん
な人も見つからない。せめて,神戸・姫路が『赤』だと思われる目立った存在にな
らないようにだけはしたい。」などと書かれ,P64の署名があった。P62は,
これを見て,同日午前にP61及びP63からの説得に対して明確に答えなかった
ため,午後にP61,P63及びP64の3名で打ち合せて,P64が前記書簡を
作成したものと考えた。
 なお,同年8月18日,補助参加人P11とP64が面会した際,P64は補助
参加人P11に対し,「本社の役員から,『神戸分会は赤で社内で目立った存在で
ある。真っ白にせよ。』と言われ,対応に苦慮している。」旨の話をした。
(乙216,695,969,977。これに反する乙305,684,687,
688は採用しない。)
(7) 朝日火災支部の第49回定例支部大会では,一部の代議員から提出された
「時間延長を受け入れる。」との修正案が26対4(白票1)で可決された(乙7
8,759)。原告会社と朝日火災支部は,昭和58年12月16日,就業時間に
関する協定書を取り交わした(乙352,353)。
2(1) 以上認定の事実中,前記1(2)の事実は,中部営業本部長という要職
にあるP21が全損保を批判する文書を作成したもので,また,前記1(3)ない
し(6)の事実は,いずれも,課所長あるいはB派に属する組合員が,A派に属す
る者を分会選出の代議員として選出されることを阻む言動をしたものであって,こ
れらのことは,朝日火災支部内のA派なるグループの組合活動を阻害するものとい
うことができる(A派が全損保の方針を支持していることは前記第1の1(3)の
事実から推認することができる。)。
(2) 次に,支店長,課所長あるいはB派に属する組合員による前記言動が原告
会社の意を体してされたものであることが認められるかについて検討する。
 前記1(3)の事実によれば,朝日火災支部の第49回定例支部大会に出席する
名古屋分会代議員の選挙に関し,名古屋支店のP54支店長は,P33に対して,
A派である補助参加人P8に投票しないよう説得する予定であったこと,同選挙の
行われた分会総会当日,P54支店長は,P33に対して,補助参加人P8に投票
しないよう確認する趣旨の言動をしたことが認められ,また,前記1(5)の事実
によれば,同認定のとおりの言動をしたP34は,南近畿営業本部長であったこと
が認められる。そして,証拠(乙366
)及び弁論の全趣旨によれば,P54支店長,P21及びP34は,いずれも労働
協約上組合員資格のない,いわゆる管理職であることが認められる。
 さらに,前記第1の2(3)及び(4)で認定したとおり,原告会社と朝日火災
支部とが対立している状況の下,昭和55年9月に開催された第43回朝日火災支
部定例総会の前後に,同総会で行われる役員選挙に関して,B派の組合員を多く当
選させることを画策する動きがあったこと(このことは,都労委で原告会社の不当
労働行為であると認定されている。)に引き続き,前記1(3)ないし(6)で認
定したとおり,昭和58年9月に開催された朝日火災支部の第49回定例支部大会
にあっても,課所長あるいはB派に属する組合員が,場所を異にしながらほぼ同時
期に,同支部の役員選挙等に介入する言動をしている。これら一連の事実経過及び
その言動内容に照らすと,前記の言動やP21による労働組合批判文書の作成を,
単なる偶然とか,組合員が自らの意思で自然発生的に行ったものとは考え難く,原
告会社内での統一された意思の下に行われたものとみるのが自然であり,これらの
言動等は,組合員資格のないいわゆる管理職である支店長のそれのみならず,課所
長あるいはB派に属する組合員によるそれについても,原告会社の経営者の意を体
して行われたものと推認するのが相当である。
(3) 原告会社の主張について
ア 上記1で認定した限度で原告会社の職制の言動が認められる。
 証拠(乙1089・別紙一及び別紙二)によれば,原告会社は昭和55年9月9
日付け及び同年10月15日付け文書で「非組合員が原告会社による不当労働行為
だと咎めたてられるような行為を一切行わないよう」社内に布告していることが認
められるが,それにもかかわらず,前記(第1の2(1)及び第3の1(2))の
ように原告会社の要職にあるP21でさえ,昭和54年11月時と同様に労働組合
を批判する文書を作成し,これが四日市営業所員に配布されていることからすれ
ば,原告会社のかかる布告に効果があったかどうかはすこぶる疑問であり,同布告
の存在によって前記認定を左右するに足りないし,原告会社の職制等による前記の
言動がその場所,態様からして,単なる一地方の末端の者によるものとも解し難
い。
イ 使用者側にも言論の自由があるから,使用者側が労働組合の活動に対して一定
の意見表明やそれに関する言動を
したからといって,そのことからそれが直ちに労働組合に対する支配介入となると
はいえないが,前記認定の職制等の言動等の内容,時期,機会等を総合すれば,こ
れらの者の言動等は,使用者側に許された言論の自由の範囲を超えるものであり,
支配介入に当たる行為と認めるのが相当である。
 また,P21作成の「憂う」(その3)の配布が不当労働行為に当たることは前
記認定のとおりである。
ウ 原告会社は,昭和58年9月当時,原告会社が支配介入する動機はなく,昭和
55年9月以降昭和58年9月に至るまで支配介入に係る言動もなかったから,原
告会社が昭和58年9月に開催された朝日火災支部の第45回定例支部大会の組合
役員選挙に関し,支配介入を行ったとするのは誤りであるとも主張する。
 しかし,昭和58年9月に開催された朝日火災支部の第49回定例支部大会前
は,朝日火災支部執行部の役員には,少数派とはいえA派の者も含まれており(前
記第1の2(3)),また,同支部の各分会にもA派の者が少なからずいたと推認
できる(前記第3の1(3))ところ,当時,原告会社と朝日火災支部との間で
は,労働時間の変更をめぐる労使問題があったのであり,これらA派の者が同大会
の代議員に選出され,同問題に反対したり,朝日火災支部執行部の役員となること
は,原告会社が,A派の方針からして原告会社にとって望ましくないと考えるのが
むしろ自然であるから,原告会社に支配介入する動機がないとはいえないし,仮に
昭和55年9月から昭和58年9月までの間に原告会社に支配介入に係る言動がな
かったからといって,そのことも前記認定の事実関係(言動等の内容,時期,態様
等)からして原告会社の支配介入を否定する根拠とはなり得ない。
エ 以上のとおり原告会社の主張はいずれも採用できない。
3 以上によれば,前記1(3)ないし(6)の課所長あるいはB派に属する組合
員による言動は,A派の活動を抑圧するために行った支配介入であり,不当労働行
為に該当するから,これを前提に,原告会社に対し,補助参加人らが朝日火災支部
の定例支部大会に向けて行う各分会からの出席代議員の選出等の組合活動に関し支
配介入をしてはならない旨命じた本件命令は正当であり,この命令部分の取消しを
求める原告会社の請求は棄却を免れない。
第4 第44号事件の争点3(配転問題)について
1 前記第2章第1の1(2)及び第4章第2の事
実,後掲各証拠並びに弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる(争いのない
事実を含む。)。
(1) 新市場開発担当について
ア 原告会社は,昭和53年から会社再建のための方策を執り始めた。具体的には
次のとおりである。
(ア) 社費を徹底的に削減し,販売部門・営業部門を拡大し,非採算の営業店所
を整理して効率化を図るなどの合理化実行計画を実施した。
(イ) 次のような組織改正を実施した。昭和54年に行った組織改正は,従来の
縦割り組織を廃止して,営業本部制を採用し,また,それとは別に,東京,大阪,
名古屋に営業開発部(社長の直轄として,主として新規営業開拓に当たる。)を設
けるというものであった。また,昭和55年4月から実施した組織改正は,貯蓄総
合保険を重点に置いて特化するなどのほか,官公庁の市場に進出するための開拓,
その販売網の強化を実践するというものであった。
 さらに,同年8月から実施した組織改正は,次のようなものであった。
a 東京営業開発部を2名増員し,うち1名を仙台に駐在させ,宮城県庁に対する
市場開発を行う。
b 大阪営業開発部を2名増員し,うち1名を京都に駐在させ,大阪府庁,京都府
庁等に対する市場開発を行う。
c 名古屋営業開発部に専任開発部長を置き,愛知県庁,名古屋市等に対する市場
開発を行う。
d 東京営業本部長の直轄の営業課を新設し,同課は原則として新分野(具体的に
は貯蓄総合保険の営業)の開発のみに専念する。
イ 原告会社は,以上に引き続き,昭和56年1月,全国的に新市場開発の徹底化
を図るため,専任の新市場開発担当47名を新たに配置した。これを配置する方
法,基準等は,昭和55年11月18日付け社長室長による指示文書によれば,次
のとおりである。
「新市場開発担当
① 課所(注・営業課及び営業所をいう。以下同じ。)において4人以上の営業社
員で構成する課所は,課所長が代理店を担当する事により1名以上の新市場開発担
当の捻出を行う。
② 新市場開発担当は原則として代理,主任層或いは課所の次席とする。
③ 開発担当は従来の代理店は一切担当せず,新市場開発と代理店の設置,育成に
専念する。」
ウ 昭和57年度の新市場開発担当に関する基本方針は,経営方針の徹底,積極的
営業展開及び正常化の3点であり,積極的営業展開として,「官公庁,電力,私
鉄,教職員,警察等,退職者市場の開発を行なう」,「貯蓄保険,自動車保
険の推進者及び新市場開発担当者の任命により新しいマーケット開発を行なう」な
どが挙げられた。
(乙232,375,474ないし479,489,987,989,991,9
93,995,997,999,1001,1003,1005,1007,10
09,1013,1015,1017,1019,1021,1023,102
5,1027,1029,1031,1033)
(2) 原告会社による補助参加人P3,同P1,同P6,同P8,同P11,同
P14,同P7及び同P17(以下,本項において「補助参加人ら8名」とい
う。)の配転と,その前後の状況等
ア 補助参加人P3
(ア) 原告会社は,補助参加人P3を,昭和58年12月1日付けで本店自動車
業務部から木更津営業所へ,新市場開発担当として配転した。同人の異動は同年1
1月15日の事務折衝で朝日火災支部に提示されたが,異動対象者は全体で71名
(うち組合員は組合役員18名を含む61名)であった。
(イ) 木更津営業所は,昭和53年に新設された営業所であり,当初は千葉営業
所内に同居する形であったが,昭和58年4月に木更津市において独立店舗となっ
た。同営業所の所員数は3名であったが,補助参加人P3が赴任した結果4名の体
制となった。
(ウ) 補助参加人P3は,前記配転について,P8裁判あるいは都労委に対する
本件の申立てなどに関する活動に支障を来し,また,勤務時間の関係等から就業時
間後の組合活動も困難になることを理由として,朝日火災支部を通じて原告会社に
対して異議を申し立て,配転の撤回を求めたが,原告会社の容れられるところとな
らなかったため、同支部は,「やむなく異議を唱えて赴任する」として,事態を収
拾させた。
(エ) 補助参加人P3が赴任した昭和58年12月当時,木更津営業所では,私
企業退職者に原告会社の主力商品である長期型の保険を売り込むことが課題とされ
ていたが,人手が足りないことから,同所所長と補助参加人P3の2名でこれを行
うことになり,その結果,翌昭和59年1月に契約の運びとなった。
 ところで,新市場開発担当は,毎週文書で,週の活動状況と新規契約の実績を社
長室に対して報告することになっており,これに従って,補助参加人P3が,この
契約の実績を社長室に報告する文書を作成したところ,木更津営業所長は,補助参
加人P3の実績によるものではないとして,実績の数字を零に書
き直して同文書を社長室に提出し,その後も同様に扱った。
 原告会社は,前記のとおり,前記配転当初は補助参加人P3に既存の業務を行わ
せ,その後は新市場開発担当としての業務を行わせたが,同人は,木更津営業所管
内の主要企業である新日本製鉄株式会社については担当させられることはなかっ
た。
(乙134,232,359,760,898,1021,1025)
イ 補助参加人P1
(ア) 原告会社は,補助参加人P1を,昭和58年4月1日付けで本店第2営業
部から三鷹営業所へ,新市場開発担当として配転した。
(イ) 三鷹営業所は,従前は5人体制であったところ,昭和56年,昭和57年
にそれぞれ1人ずつ減員されて所員が3名となり,補助参加人P1が赴任した結果
4名の体制となった。
 補助参加人P1は,東京第2営業所在勤当時も新市場開発担当であり,同所では
営業目標やそのための資料等も与えられて業務に従事していたが,三鷹営業所にお
いては,新市場開発担当としての具体的な目標は与えられず,営業のための資料等
も与えられなかった。
(ウ) 補助参加人P1は,前記異動当時朝日火災支部執行委員であり,組合活動
に支障を来すことを理由として,同支部を通じて原告会社に対し異動について異議
を申し立てたが,原告会社には容れられなかったため,同支部は,「やむなく異議
を唱えて赴任する」として,事態を収拾させた。
(エ) なお,支部執行委員在任中に配転になった者として,この当時補助参加人
P2(昭和56年4月1日配転),同P5(昭和57年4月1日配転)及び後記ウ
の補助参加人P6がいたが,いずれも補助参加人P1と同様,A派に属していた。
(乙124,134,232,350,760,927,932,1023)
ウ 補助参加人P6
(ア) 原告会社は,補助参加人P6を,昭和57年10月25日付けで本店営業
内務部から城東営業所(α)へ,新市場開発担当として配転した。
(イ) この異動当時,補助参加人P6は朝日火災支部4役である副書記長であっ
たが,従前,現職の副書記長が本店外へ配転されたことはなかった。副書記長は,
就業時間中等に他の役員とともに会議を行ったり,原告会社側との交渉窓口のメン
バーであったため,補助参加人P6は,本店から離れている城東営業所に異動する
ことによって,前記のような日常の組合活動に支障を生じることとなった。そこ
で,朝日火災支部は原告会社に
対して,組織の運営上支障があるとして,「組合事情」を理由にその変更を求めた
が,原告会社の容れるところとならず,同人は異議をとどめて赴任した。
(ウ) なお,補助参加人P6は,入社後5年間仙台支店において営業課に勤務
し,次いで2年間の支部専従役員を経て東京本店営業内務部に所属し,その内務事
務に2年半従事していた。
(乙134,135,232,760,916,1023)
エ 補助参加人P8
(ア) 原告会社は,補助参加人P8を,昭和58年4月1日付けで神戸サービス
センターから金沢営業所へ,新市場開発担当として配転した。
(イ) 昭和58年3月7日,原告会社は朝日火災支部に対し,同支部神戸分会委
員長であった補助参加人P8の異動について,労働協約に基づく事前通知を行っ
た。同支部は,同月14日の事務折衝で,原告会社に対し,補助参加人P8につい
て「組合事情」を理由に再検討を求めたが,折り合わなかった。同月18日の事務
折衝で,朝日火災支部は原告会社に対し,補助参加人P8のほか,同支部執行委員
であった補助参加人P1,P35(京都市から旭川市への配転),補助参加人P1
7の各配転について,それぞれ再検討を求め,補助参加人P8については新たに
「個人事情」を追加した。この個人事情としては,補助参加人P8の妻が大阪市内
の他の同業会社に約20年間勤務し,退職の意思がないこと,同人の母親は体調が
悪く,かつ生まれた土地である現住所から移転する意思がないこと,3名の小学生
には就学上の問題があること,赴任により役職手当が減ることなどが挙げられた。
これに対し,原告会社は,「組合事情」,「個人事情」とも異動発令を変更するよ
うな特別の事情ではないこと,全体の人員が減っている中で業務上の理由で異動を
考える以上,組合役員にも異動対象者が出てしまうこと,同一地域の勤務が長いこ
となどの点を挙げて説明した。併せて,補助参加人P1については再検討したが変
わらないこと,補助参加人P17については再検討できないこと,P35について
は業務ルートで話し合っているが朝日火災支部がいうほどの状況ではないことを回
答した。
 同月22日,朝日火災支部は第48回臨時支部大会を開催し,現在人事異動の再
検討を要求している者で,生活条件の重大な支障のある者についてはできる限り守
り,要求実現の努力をするため,具体的な方針が決定しない間に交渉時間切れで異
動対
象者らに対する解雇がされるのを避けるための緊急避難的争議権の確立を決定し
た。
 同月23日,朝日火災支部は,新たに,大阪分会副委員長である補助参加人P1
1について,「組合事情」による再検討を求めたが,原告会社は再考できないと答
えた。翌24日の事務折衝でも,以上合計5名についての交渉が持たれたが,原告
会社,朝日火災支部双方の主張は変わらなかった。
 同月25日,朝日火災支部は,補助参加人P8及びP35の異動に関して中央労
働委員会(被告)にあっせんを申請したが,不調に終わった。
 同月26日,朝日火災支部は原告会社に対し,補助参加人P8に対し同月29日
からの指名ストライキを指令する旨通告した上,補助参加人P1,同P17及び同
P11の3名については,異議をとどめて赴任するが,同P8及びP35について
は改めて再検討するよう主張した。原告会社は,補助参加人P8について従来どお
りの主張をするとともに,P35の個人事情については,母親の年齢からしてP3
5本人がその面倒をみなければならないことはないこと,病気といっても,寝込ん
でいるわけではなく,重大な支障があるとは思えないこと,両親とも被扶養者では
ないことなどを主張した。
 同支部は,原告会社に対し,同月28日,補助参加人P8について同月29日か
らの指名ストライキを通告し,さらに,同月29日には,P35について同日から
の指名ストライキを通告したが,P35が原告会社に退職願を提出したため,前記
P35についての指名ストライキは解除された。
 同支部は,これ以上闘うのは組織事情から困難であるとして,同月31日の事務
折衝において,原告会社に対し,補助参加人P8は異議をとどめて赴任するが,赴
任の準備期間を認めて同年4月4日の赴任を認めるように申し入れ,原告会社がこ
れを受け入れたため,前記補助参加人P8についての指名ストライキは解除され
た。
(ウ) 金沢営業所は,昭和53年6月ころ,営業効率が悪いことから減員計画の
対象とされ,昭和55年4月に,以前の10名から8名になり,昭和58年4月当
時も同数であった。補助参加人P8は,同年3月23日,同営業所のP65所長に
全損保本部事務所から電話をしたが,その際,同所長から,同所ではその時点で増
員要求はしていない旨聞いた。
(エ) 昭和58年4月4日,補助参加人P8は金沢営業所に新市場開発担当(営
業担当課長)として赴任
し,単身赴任となった。
 補助参加人P8は,新市場開発担当の業務に関し,開発すべきルートやそのため
の援助等を受けることはなかった。
(オ) 補助参加人P8は,昭和56年度に朝日火災支部神戸分会委員,昭和57
年度及び昭和58年度に同分会委員長を歴任し,同分会の中心的な人物であった
上,昭和55年9月の同支部定期大会以降昭和58年3月の臨時の同支部大会ま
で,都合6回にわたって同支部大会に神戸分会選出の代議員として出席し,A派の
立場で発言を行っていた。
(カ) なお,補助参加人P8は,入社以来一貫して大阪・神戸という関西圏の大
都市に勤務しており,転居を伴う異動や地方都市勤務の経験はなかった。また,同
補助参加人は,営業を約6年,業務を9年,査定を8年経験しており,前記配転当
時社内歴からは次席クラスであった。
(乙124,127,134,200,201,232,332,599,76
0,763,776,957,960,962,964,966,1015,10
17,1021)
オ 補助参加人P11
(ア) 原告会社は,補助参加人P11を,昭和58年4月1日付けで大阪支店営
業部から神戸支店営業課へ配転した。
(イ) 補助参加人P11は朝日火災支部大阪分会の副委員長であったところ,同
支部は原告会社に対し,前記配転について「組合事情」として再検討を求めたが,
原告会社がこれに応じなかったため,補助参加人P11は異議をとどめて赴任し
た。なお,補助参加人P11は,同人は了解していなかったが,同支部のP89書
記長から異議をとどめるということで同意した旨,同支部がその同意をした2日後
になって電話で聞いた。
(ウ) 大阪分会は,東京分会とともに組合員を多く擁していたが,大阪分会役員
にはA派が多く,昭和55年9月の選挙ではB派の者1名が執行委員に当選し,昭
和56年11月の選挙ではB派の者1名が副書記長に,2名が執行委員に当選した
のみであった。しかし,昭和57年9月の選挙では,A派が5名,B派が7名とな
った。昭和58年4月に副委員長の補助参加人P11が前記のとおり神戸支店に,
同年7月にA派であったP36が高松営業所に,同年8月に書記長であった補助参
加人P14が大分営業所に,それぞれ配転となり,さらに,昭和58年9月に当選
して副書記長であった補助参加人P9も,昭和60年11月に福山営業所に配転と
なった結果,同分会の中枢から
A派の者はほとんどいなくなった。
(エ) ところで,昭和56年2月,「社業の発展をはかる」,「業務の研究によ
り,知識の向上をはかる」ことを目的とする,二水会と称する大阪支店の課所長を
中心とする会が結成され,毎月第2水曜日を定例会としていた。同会の会員には,
分会の執行委員でB派のP37がいたが,A派の者はいなかった。同会は,昭和5
6年2月から昭和57年9月までの間に18回開かれたが,そのうち,大阪分会の
総会があった昭和56年6月,同年11月,昭和57年3月及び同年9月は,その
総会の直前の日(定例日以外の日)に1,2回開かれた。そして,昭和57年9月
を最後に自然に解散する形となったが,その後同会の発起人ら会の中心であった者
の多くは,原告会社の支店長,本部長などに昇進しており,P37も副部長になっ
ている。
(甲6の(1)ないし(9),乙134,153,213ないし215,232,
630(ただし,一部),632(ただし,一部),640,760,969,9
77,1023)
カ 補助参加人P14
(ア) 原告会社は,補助参加人P14を,昭和58年8月5日付けで大阪支店営
業部から大分営業所へ配転した。
(イ) 補助参加人P14は,前記配転当時朝日火災支部大阪分会書記長であった
が,同人が書記長に当選した役員選挙の際(昭和57年9月),他の役員立候補者
は全員が無投票当選であったのに対し,書記長選挙は投票による選挙が行われ,同
人は39対37の僅差で当選した。書記長選挙の対立候補は,原告会社大阪支店長
をはじめとする役職者がその当選を期待する者(B派)であった。
(ウ) 大阪分会の書記長は,原告会社との事務折衝の窓口役であったが,原告会
社は,補助参加人P14が書記長に就任したころから,従前は事務折衝の対象とさ
れていた労使問題等を,事務折衝に諮らずに一方的に実行するようになった。補助
参加人P14は,同分会執行委員会に問題提起をした上で,このことを原告会社に
対して抗議したが,同分会の役員の中枢をB派が占めていたため,同執行委員会も
この問題への取組みは消極的であった。
(エ) ところで,昭和58年7月9日,原告会社が,昭和58年度賃上げ回答を
就業時間の延長とセットで回答してきたことにつき,朝日火災支部闘争委員会は,
就業時間延長の提案を外し,賃上げの上積みを求めるとの方針を示し,各分会に対
し,この方針に対する各
分会闘争委員会の意見集約を求めた。そして,これを持ち寄るため,同月11日及
び同月12日東京において全国支部闘争委員会が開催された。大阪分会闘争委員会
の意見集約の内容は,同支部闘争委員会の方針を全面的に支持し,スト権に基づき
同月18日以降毎週水曜日及び金曜日に反復定時退社を行う,というものであり,
補助参加人P14が前記全国支部闘争委員会に出席して,この意見集約の内容を報
告した。
 同月12日夕刻,補助参加人P14が全国支部闘争委員会から大阪支店に戻った
ところ,上司であるP38課長から,「東京に行ってどんなことを話してきたの
か。」と聞かれ,補助参加人P14が「どういうことですか。」と尋ねると,P3
8課長は,「全国支部闘争委員会において,大阪分会が,どんどんストライキをや
れと発言したという連絡が入っている。今は会社からも組合からも情報が入ってく
る。」旨述べた。
(オ) 補助参加人P14は,昭和58年7月21日,大阪支店営業部副部長のP
39から,「P14君,首を洗ろとや。」と言われたため,P39に対し,「明日
人事異動が出るのですか。」と尋ねたところ,「知らん,だけど,大阪の抗議文
(注・朝日火災支部から各分会に対し,前記セット回答について抗議文を作成して
全国支部闘争委員会に持ち寄るよう指示されたことを受けて作成されたもの)のこ
とがいろいろ言われているらしいで。君は全国支部闘でもだいぶ発言したらしい
な。」と述べた。
(カ) 補助参加人P14の前記配転の内示は,同月22日(金曜日)P38課長
から口頭で行われた。
 補助参加人P14は,同月25日(月曜日)朝,P38課長に対し,「今年中に
結婚するつもりであるが,結婚相手が大阪で自分の仕事を継続したいとしているの
で,異動を再検討してほしい。」旨頼んだ。これに対しP38課長は,そのような
理由は通用しない旨述べた。
 その後,転入転出者のあいさつが始まったが,補助参加人P14は,原告会社に
対して再検討を頼んでいるとして,転出のあいさつを行わなかったところ,P40
取締役に呼ばれ,「大分に行かないのならすぐに会社を辞めろ。」と言われ,ま
た,P38課長からも,「会社があって組合があるのだろう。」などと言われた。
しかし,補助参加人P14は,なお原告会社側に異動の再検討を求めた。
 補助参加人P14は,同月22日,大阪分会に対しても再検討要求を出すように
求めた
が,同分会は,書記長の穴は残った者でカバーするとして補助参加人P14の要望
を取り上げなかった。一方,朝日火災支部としては,補助参加人P3(当時支部副
委員長)らの発言をもとに,補助参加人P14の配転について再検討要求を行うこ
ととはしたが,補助参加人P14は結局異議をとどめて赴任することとなった。
(キ) 補助参加人P14は,昭和49年4月に入社以来,大阪府にある守口営業
所に7年,大阪支店営業部に2年4か月勤務しており,転居を伴う異動経験がなか
った。
(乙134,153,164,232,385,648(ただし,一部),76
0,944,1025)
キ 補助参加人P7
(ア) 原告会社は,補助参加人P7を,昭和58年12月1日付けで平塚営業所
から甲府営業所へ新市場開発担当として配転した。甲府営業所の所員は3名であっ
たが,補助参加人P7が赴任した結果4名の体制となった。
(イ) 補助参加人P7の組合歴は,前記のとおり,昭和41年朝日火災支部神戸
分会委員,昭和44年同大阪分会委員を歴任した程度であったが,昭和58年9月
同横浜分会副委員長に立候補して当選した。同補助参加人は,A派の立場から同副
委員長選挙に立候補し,併せて同分会総会において,朝日火災支部大会の代議員選
挙にも立候補して,当選した。
 補助参加人P7が昭和58年になって組合役員として立候補することとしたの
は,次の理由による。すなわち,昭和58年5月9日,原告会社は,朝日火災支部
との間で,従前鉄道保険部の労使間で協定されていた定年退職金制度を改定して,
原告会社全体の制度を一本化することで合意し,同年7月11日に新協定を締結し
たが,この新協定によれば,鉄道保険部出身の者は,従前の定年年齢が63歳から
57歳に,また,退職金の算定基準月数が最高で30年勤続71か月から51か月
になるなど,条件が低減されることになった。補助参加人P7は,鉄道保険部を経
て原告会社に入社したものであり,この退職条件の低減の不利益を被ることから,
自ら組合の場で発言していきたいとして,前記のとおり立候補したものであった。
 なお,補助参加人P7は,この定年退職金問題について,昭和58年3月17
日,朝日火災支部が主催する旧鉄道保険部の社員の集まりにおいて,自らA派の立
場を明確にして初めて公式の場で発言をした。
 この定年退職金改定問題については,朝日火災支部は同年4月に全
員投票を行い,421票対216票で収拾案を可決していた。
(ウ) 補助参加人P7は,昭和58年5月の定年退職金制度の改定合意に伴って
支給されることになった代償金(同人の場合手取り約20万円)の受領を拒否し
た。P41人事部長及びP42営業本部長は,同年5月から6月にかけて数回にわ
たって平塚営業所に赴き,補助参加人P7に対しこれを受領するよう説得したが,
同人はなお受領しなかった。なお,前記代償金を受領しなかった者は,補助参加人
P7以外に3名いた。
(エ) 昭和58年12月の定期異動に関して,原告会社が示した基本方針は,
(a)人員減の中で営業強化策を進める,(b)適正配置により活性化を図る,
(c)同一部課所に長年勤務する社員を対象とする,(d)退職による減員補充を
考える,(e)支店2課制を1課制とし統合を図る,以上の5点であった。
(乙71,134,157,158,232,359,760,936,940,
1025)
ク 補助参加人P17
(ア) 原告会社は,補助参加人P17を,昭和58年4月1日付けで千葉営業所
から釧路駐在所へ,新市場開発担当として配転した。
(イ) 釧路駐在所は,昭和57年4月当時は営業所であったが,営業効率が悪い
という理由で駐在所となった。同所には,補助参加人P17が赴任した当時,同人
を含めて4名の所員がいたが,その1年後には,社員1名が退職し,その半年後に
は担当課長が転勤したが,いずれも人員補充がされず,さらにその半年後も高齢嘱
託社員が退職したため,補助参加人P17が異動した2年後の時点で同所の社員は
補助参加人P171名のみとなった。
(ウ) 補助参加人P17は,闘いを外に拡げる行動においては,原告会社社長宅
近辺のビラ配布や野村證券株式会社本社に対する抗議行動に参加した。また,補助
参加人P17は,昭和55年9月の東京分会代議員選挙において,これに立候補し
て当選したが,その直前にP90千葉営業所長から,「君はよく分会総会なんかに
も出ているようだから,今回は他の人に行ってもらった方がいいんじゃないか。」
などと言われたことがあった。
(エ) 前記(ア)の配転の内示があった当時,補助参加人P17は東京分会の分
会委員であり,千葉営業所から週1回程度東京分会委員会の会議に出席していた。
同人は,分会役員の任期途中であって分会活動が不可能になること,昭和57年9
月当時の東京分会委員
は,計14名中A派が5名,A派以外の者が9名で構成されていた上,同年10月
にはA派のP91が盛岡営業所に配転となっていたため,更に補助参加人P17が
配転となれば,A派は3名となって活動に支障を来すこと,以上の点を理由とし
て,前記配転は組合事情で応じられないとし,さらには,釧路を増員すること自体
にも疑問があるとして,同分会,朝日火災支部を通じてその再検討を申し入れた。
しかし,原告会社には容れられなかったため,補助参加人P17は異議をとどめて
釧路駐在所に赴任した。
(オ) 補助参加人P17が釧路駐在所において新市場開発担当として業務を行う
に当たり,退職者の名簿を渡されたが,同駐在所の管轄する範囲は,東西約300
キロメートルであり,そのため,釧路市以外の地域において営業活動を行う場合,
1箇所の営業を行うにも移動に長時間を要するなど,営業効率の悪いものであっ
た。
(カ) 補助参加人P17は,釧路赴任後,札幌分会の所属となったが,札幌まで
急行列車で約5時間を要するという地理的状況から,他の組合員との接触も少なく
なり,従前のような組合活動はできなくなった。
(キ) なお,補助参加人P17は昭和37年入社以来京都支店に16年間,千葉
営業所に5年間勤務しており,地方営業所勤務の経験はなかった。
(甲6の(8),乙124,134,172,173,232,648,760,
947,1023)
(3) 補助参加人ら8名の組合活動歴及び補助参加人P7を除く7名がA派に属
していることは,前記第2章第1の1(2)ア,エ,カないしク,サ,セ及びチ並
びに第4章第2のとおりであり,補助参加人P7がA派に属していることは前記
(1)キのとおりである。
2 判断
(1) まず,新市場開発担当として配転された補助参加人P3,同P1,同P
6,同P8,同P7及び同P17の各配転に関し検討する。
 前記1(1)の事実によれば,原告会社は,原告会社における合理化計画及びそ
のための組織改正の一環として新市場開発担当者を配置することとしたもので,同
担当者の配置は,原告会社が当面する課題である経営合理化のための重要な1施策
であり,同担当者は,主として官公庁の退職者に対する営業活動を行うものとされ
ていたということができる。しかし,具体的な新市場開発担当者の人選について
は,原告会社の人事関係者の間でも,相当な力量のあるベテランを配置したとする
者(乙989)や,適材適所で重要な位置付けにふさわしい者を配置したとする者
(乙1005)がある一方で,評価の悪い者が人選されているが,担当を代わるこ
とにより有効活用を図ったとする者(証人P92)もあり,原告会社に明確な方針
があったのか大いに疑問が残る。他方,補助参加人P3は,配転された木更津営業
所において,配転当初は新市場開発担当としての仕事を与えられなかったこと,補
助参加人P1は,配転された三鷹営業所において,新市場開発担当としての営業目
標やそのための資料等は与えられなかったこと,補助参加人P8は,配転された金
沢営業所において,新市場開発担当として,開発すべきルートやそのための援助等
を受けることはなかったこと,補助参加人P17が配転された釧路駐在所におい
て,新市場開発担当としての業務は効率の悪いものであったこと,以上の事実が認
められ(前記1(2)ア,イ,エ及びク),これらの事実は,原告会社が,新市場
開発担当として配転した前記補助参加人らについて,それぞれの営業所における新
市場の開発を重視するための特段の対応を示していないことをうかがわせるもので
ある。また,木更津,三鷹,甲府の各営業所の人員は,補助参加人P3,同P1及
び同P7の配転の結果3名から4名に増員されたことになるが,これらの各営業所
に新市場開発担当者を増員してまで配置する必要性もうかがえない(甲3,乙99
1,1005,1023,1025,1031,証人P92によっても,その必要
性について十分な根拠があるとは認め難い。)。これらを総合すれば,新市場開発
担当者を配置して営業を強化するという原告会社の経営方針及び必要性は一般的に
は理解できるとしても,これに対する原告会社の対応は不十分なものというほかな
く,補助参加人P3,同P1,同P6,同P8,同P7及び同P17に対するこれ
らの配転は新市場の開発を図ること以外の他の何らかの目的に基づいて行ったもの
であるとの疑いを抱かざるを得ない。
 なお,この点に関して,本件命令は,原告会社は新市場開発担当を4人以上の営
業社員で構成する課所に配置するとの基準を示していたにもかかわらず,補助参加
人P3、同P1及び同P7の前記各配転当時,配転先はいずれもその人員数3名で
あり,同各配転はこの基準に合致しないとし,このことをもって同各配転が不当労
働行為に該当することを基礎付ける一事情となる
とする。しかし,原告会社が新市場開発担当に関し,本件命令の認定する前記の基
準を示していたことを認めるに足りる証拠はなく,かえって,前記1(2)イの事
実及び証拠(乙1035)によれば,新市場開発担当の配置に関する基準として,
原告会社は,現に所属する人員の中から新市場開発担当者を指定する課所として
は,人員数4人以上の課所に限るとの基準を示しているにすぎず,ある課所に他の
課所から異動してくる者が新市場開発担当となる場合についての当該課所の人員数
については,特に基準を示してはいないことが認められるから,この点に関する本
件命令の判断は採用することができない。
(2) 前記1で認定した事実及び前記第1及び第2の事実に,前記(1)の検討
を併せ考えれば,補助参加人ら8名に対する前記各配転が朝日火災支部の運営に対
する支配介入に当たるかについては,次のとおり判断するのが相当である。
ア 補助参加人P3について
 補助参加人P3は,朝日火災支部内で,闘いを外に拡げる行動を始めとするA派
の中心人物であり,P8裁判においても強くこれを支援する活動を行っていた者で
あること,補助参加人P3の配転先である木更津と本店のある東京都千代田区との
距離,移動に要する時間にかんがみると,補助参加人P3は,木更津市に転居ある
いは異動することによって,本店勤務当時行っていた組合活動等に事実上一定の制
約が生じたものと推認されること,前記配転後,木更津営業所長は,補助参加人P
3の営業実績が挙がっていないかのような工作を行ったこと,新市場開発担当とし
ての配転としては,それについての原告会社の補助参加人P3に対する指示,対応
が不十分であり,現実にも補助参加人P3は,配転当初は新市場開発担当の業務を
担当させられることはなく,管内主要企業の新日本製鉄株式会社を担当させられる
こともなかったこと,補助参加人P3に対する配転は,昭和58年12月1日付け
で行われたが,ちょうどこのころ,原告会社はA派の組合活動を嫌い,前記第3の
ような支配介入行為を行っていること,以上のことからすれば,補助参加人P3に
対する配転は,原告会社が,補助参加人P3のA派としての組合活動,裁判支援闘
争等を嫌い,これを事実上極めて困難にするために行ったものというべきであり,
したがって,この配転は朝日火災支部の運営に対する支配介入であると認めるのが
相当である。
イ 補助
参加人P1について
 補助参加人P1は,朝日火災支部内で,闘いを外に拡げる行動を始めとするA派
の活動を活発に行ってきた者であること,補助参加人P1の前記配転先である三鷹
と本店のある東京都千代田区との距離,移動に要する時間は,本件で配転について
問題となっている他の補助参加人らに比べると大きいものとまではいえないもの
の,同人が朝日火災支部執行委員として適時に従前と同様の活動を行うことについ
ては,やはり事実上一定の制約が生じたものと推認されること,三鷹営業所に新市
場開発担当を配置する十分な必要性もうかがえず,新市場開発担当としての配転と
しては,それについての原告会社の補助参加人P1に対する指示,対応が不十分で
あること,補助参加人P1に対する配転は,昭和58年4月1日付けで行われた
が,ちょうどこのころ,原告会社は,A派の組合活動を嫌い,前記第3のような支
配介入行為を行っていること,支部執行委員在任中に配転になった者は,当時いず
れもA派に属する者であったこと,以上のことからすれば,補助参加人P1に対す
る配転は,原告会社が,補助参加人P1のA派としての組合活動等を嫌い,これを
事実上極めて困難にするために行ったものというべきであり,したがって,この配
転は朝日火災支部の運営に対する支配介入であると認めるのが相当である。
ウ 補助参加人P6について
 補助参加人P6は,朝日火災支部内で,闘いを外に拡げる行動を始めとするA派
の活動に与し,同人の配転当時朝日火災支部の副書記長として活動を行っていた者
であること,補助参加人P6の配転先である城東営業所(α)と本店のある東京都
千代田区との距離,移動に要する時間は,本件で配転について問題となっている他
の補助参加人らに比べると大きいものとまではいえないものの,補助参加人P6
は,城東営業所に転居あるいは異動することによって,本店勤務当時行っていた組
合活動等,殊に,副書記長として,原告会社との間で営業時間中を含めて随時行っ
ていた事務折衝等の日常的活動に事実上一定の制約が生じたものと推認されるこ
と,しかも,現職の同支部副書記長がその任期途中で出先に配転となった前例はな
いこと,補助参加人P6に対する配転は,昭和57年10月25日付けで行われた
が,ちょうどこのころ,原告会社は,A派の組合活動を嫌い,前記第3のような支
配介入行為を行っていること,以上のことからすれ
ば,補助参加人P6に対する配転は,補助参加人P6が営業マンとして一定の経験
があることを考慮しても,原告会社が,補助参加人P6のA派としての組合活動等
を嫌い,これを事実上極めて困難にするために行ったものというべきであり,した
がって,この配転は朝日火災支部の運営に対する支配介入であると認めるのが相当
である。
エ 補助参加人P8について
 補助参加人P8は,朝日火災支部内で,闘いを外に拡げる行動を始めとするA派
の活動に与した者であること,同人は,昭和57年度及び昭和58年度(配転当
時)朝日火災支部神戸分会委員長として活動を行い,その活動の中心的な人物であ
った上,同支部大会において,同分会選出の代議員として,A派の立場から発言を
行ったこと,前記第3の1(6)のとおり,昭和58年9月当時原告会社は神戸分
会の動向に注目していたことに照らすと,補助参加人P8の配転当時も同様であっ
たと推認されること,補助参加人P8の配転先である金沢営業所と神戸との距離,
移動に要する時間(電車を利用して4時間弱。乙960)にかんがみると,神戸分
会において盛んに組合活動等を行っていた補助参加人P8にとって,同配転後の組
合活動等は極めて困難な状況に陥ったものと推認されること,この配転は,金沢営
業所としては増員要求をしていないのに行われたものであること,新市場開発担当
としての配転としては原告会社の補助参加人P8に対する指示,対応が不十分であ
ること,補助参加人P8に対する配転は昭和58年4月1日付けで行われたが,ち
ょうどこのころ,原告会社は,A派の組合活動を嫌い,前記第3のような支配介入
行為を行っていること,以上のことからすれば,補助参加人P8の経歴や異動歴を
考慮しても,補助参加人P8に対する配転は,原告会社が,補助参加人P8のA派
としての組合活動等を嫌い,これを事実上極めて困難にするために行ったものとい
うべきであり,したがって,この配転は朝日火災支部の運営に対する支配介入であ
ると認めるのが相当である。
オ 補助参加人P11について
 補助参加人P11は,闘いを外に拡げる行動を始めとするA派の活動に与し,殊
にA派の組合員の多い朝日火災支部大阪分会において,副委員長として活発に活動
するなどしたこと,大阪支店には,昭和57年9月ころまで,二水会と称する課所
長を中心とする会が存在し,同会の構成員は大阪分会の動向に注目して
いたとみられること,補助参加人P11の配転先である神戸支店と大阪支店との距
離,移動に要する時間は,本件で配転について問題となっている他の補助参加人ら
に比べると大きいものとまではいえないものの,この配転によって,補助参加人P
11の大阪分会副委員長としての活動はできなくなったものと推認され,かつ,そ
の後他の者の配転と相まって,大阪分会の中枢から一定勢力を有していたA派の者
がほとんどいなくなる結果となったこと,補助参加人P11に対する配転は昭和5
8年4月1日付けで行われたが,ちょうどこのころ,原告会社は,A派の組合活動
を嫌い,前記第3のような支配介入行為を行っていること,以上のことからすれ
ば,補助参加人P11に対する配転は,原告会社が,補助参加人P11のA派とし
ての組合活動等を嫌い,これを事実上極めて困難にするために行ったものというべ
きであり,したがって,この配転は朝日火災支部の運営に対する支配介入であると
認めるのが相当である。
カ 補助参加人P14について
 補助参加人P14は,闘いを外に拡げる行動を始めとするA派の活動に与し,殊
にB派が中枢を占めていた朝日火災支部大阪分会において,A派に属する書記長と
して活発に活動するなどしたこと,大阪支店には,昭和57年9月ころまで,二水
会と称する課所長を中心とする会が存在し,同会の構成員は大阪分会の動向に注目
していたとみられること,特に,昭和58年7月に行われた全国闘争委員会におけ
る補助参加人P14の発言等について,その上司である課長あるいは大阪支店営業
部副部長がこれに注目し,あるいは,補助参加人P14に対し,暗にその発言等を
問題視する発言をし,その直後に補助参加人P14の配転が行われていること,補
助参加人P14の配転先である大分営業所と大阪支店との距離,移動に要する時間
に照らせば,補助参加人P14は,大分に転居あるいは異動することによって,従
前行っていた組合活動等を行うことが事実上困難になったものと推認されること,
補助参加人P14に対する配転は昭和58年8月5日付けで行われたが,ちょうど
このころ,原告会社は,A派の組合活動を嫌って,前記第3のような支配介入行為
を行っていること,以上のことからすれば,補助参加人P14の社内歴や異動歴を
考慮しても,補助参加人P14に対する配転は,原告会社が,補助参加人P14の
A派としての組合活動等を嫌い
,これを事実上極めて困難にするために行ったものというべきであり,したがっ
て,この配転は朝日火災支部の運営に対する支配介入であると認めるのが相当であ
る。
キ 補助参加人P7について
 補助参加人P7は,前記退職金問題が発生したことを契機として,昭和58年9
月より,朝日火災支部内でA派としての活動を活発に始めた者であること,同人に
対する配転は同年12月1日付けであり,同人がこのように自らの立場を明らかに
した直後に行われたこと,この配転が昭和58年12月の定期異動について原告会
社が示した方針(前記1(2)キ(エ))のいずれによるものであるかは必ずしも
明らかではないこと,補助参加人P7の配転先である甲府と平塚との距離,移動に
要する時間に照らすと,この配転によって同人には従前と同様の組合活動等を行う
ことに事実上一定の制約が生じたものと推認されること,補助参加人P7に対する
配転時期のころ,原告会社は,A派の組合活動を嫌い,前記第3のような支配介入
行為を行っていること,以上のことからすれば,補助参加人P7に対する配転は,
原告会社が,補助参加人P7のA派としての組合活動等を嫌い,これを事実上極め
て困難にするために行ったものというべきであり,したがって,この配転は朝日火
災支部の運営に対する支配介入であると認めるのが相当である。
ク 補助参加人P17について
 補助参加人P17は,闘いを外に拡げる行動に参加したり,A派として朝日火災
支部東京分会の役員となるなど,朝日火災支部内でA派としての活動を活発に行っ
ていた者である上,P90千葉営業所長の発言(前記1(2)ク(ウ))から明ら
かなとおり,原告会社は補助参加人P17の活動に注目していたものと認められる
こと,補助参加人P17の前記配転先である釧路の立地,殊に,補助参加人P17
は釧路赴任後に同支部札幌分会の所属となったとはいえ,釧路と札幌との距離,移
動に要する時間からして,従前と同様の組合活動を行うことができなくなったこ
と,新市場開発担当としての配転としては,釧路営業所の規模やその後の減員状況
からして十分な合理性があるとは言い難いこと,補助参加人P17に対する配転
は,昭和58年4月1日付けで行われたが,ちょうどこのころ,原告会社は,A派
の組合活動を嫌い,前記第3のような支配介入行為を行っていること,以上のこと
からすれば,補助参加人P17の社内歴や異
動歴を考慮しても,補助参加人P17に対する配転は,原告会社が,補助参加人P
17のA派としての組合活動等を嫌い,これを事実上極めて困難にするために行っ
たものというべきであり,したがって,この配転は朝日火災支部の運営に対する支
配介入であると認めるのが相当である。
3 原告会社の主張について
(1) 原告会社は,補助参加人ら8名に対する各配転は,配転回数においても配
転先においても,他の従業員の配転に比べて不利と目されるようなものではなく,
同各配転が見せしめや報復のためのものではないことは明らかである旨主張する。
 原告会社は,毎年多数の従業員を対象として人事異動を行っており(乙60
0),保険会社として全国に多数の支店,営業所を抱える原告会社が,全国的規模
で人事異動(配転)を行う必要があること,その場合に配転回数や従前の勤務地及
び今後の配転先を考慮する必要があることは容易に首肯できるところである。しか
し,前記2の判断のとおり,当裁判所は,これらを考慮してもなお,原告会社の前
記各配転が組合活動等を嫌い,これを事実上困難にするためのもので,朝日火災支
部の運営に対する支配介入であると判断したものであって,それ以上に,同各配転
が前記各補助参加人らの組合活動に対する見せしめや報復であり,それ故に支配介
入の不当労働行為が成立するとするものではないから,原告会社の主張は当を得な
いものであるといわざるを得ない。
 前記2のとおり,同各配転は,前記補助参加人らの当時置かれていた個々具体的
な状況に照らして,原告会社がその組合活動を事実上困難にするために行ったもの
と判断できるのであって,他の従業員がいかなる配転を受けたかについては,原告
会社の不当労働行為の成否の判断に必ずしも影響を及ぼすものではないというべき
である。
 原告会社の主張は採用できない。
(2) 原告会社は,補助参加人P3,同P1及び同P7の新市場開発担当として
の配転に関し,木更津,三鷹及び甲府の3地区はいずれも新市場開発担当を配転す
べき主要な地域である,多少の経験を積んでいればだれでも担当することができる
職種であるなどとして,前記各補助参加人が新市場開発担当として不適任であると
いうことはできない旨主張する。
 しかし,前記2の判断のとおり,補助参加人P3は,木更津営業所管内の主要企
業である新日本製鉄株式会社の担当をさせられることはなかったのであ
り,補助参加人P1の配転先である三鷹営業所,補助参加人P7の配転先である甲
府営業所について,所員を増員してまで新市場開発担当者を置く十分な必要性もう
かがえないのであるから,前記各補助参加人が新市場開発担当として不適任である
か否かに関わりなく,同各補助参加人の各配転に関する不当労働行為が認められる
というべきである。原告会社の主張は採用の限りではない。
(3) 原告会社は,補助参加人P1,同P6及び同P11に対する前記各配転に
より,従来行っていた組合活動を継続して行うことが困難になることはあり得ない
旨主張するが,これが困難になったものと認められることは前記2のとおりであ
り,原告会社の主張は採用できない。
(4) 原告会社は,本件命令のこの点に関する救済主文は,A派に属する補助参
加人らのみを都会地に永続的に勤務させ,同人らの組合活動に特別の保護を与える
ことになり,すべての組合員を均等に取り扱うことを定めた労働組合法5条2項3
号の趣旨に反するなどと主張する。
 本件命令は,原告会社に対し,補助参加人P1及び同P6についてはそれぞれ本
店東京営業本部の,同P11及び同P14についてはそれぞれ大阪支店の,同P1
7については千葉営業所の,いずれも原職又は原職相当職に復帰させることを命じ
ている。
 前記各補助参加人の各配転が支配介入の不当労働行為に当たることを前提にすれ
ば,労働委員会がその救済措置として,原職又は原職相当職への復帰を命ずること
は,その裁量権の範囲内であり,裁量権を逸脱ないし濫用したともいえないから,
これが労働組合法5条2項3号の趣旨に反するということにはならないし,これら
の者について将来の配転の必要が生ずれば,もとより配転を行うことは可能である
から,この救済措置によって,同各補助参加人のみを都会地に永続的に勤務させる
ことになるともいえない。原告会社の主張は採用できない。
4 結論
(1) 以上のとおりであって,補助参加人ら8名に対する前記各配転について不
当労働行為の成立を認め,原告会社に対し,補助参加人P6,同P11,同P14
及び同P17について原職又は原職相当職に復帰させることを命じ,かつ,補助参
加人ら8名の各配転に関してポストノーティスを命じた本件命令は正当である。
(2) ところで,原告会社は,本件命令において,補助参加人P1を原職又は原
職相当職に復帰させることを命じられてい
るが,同人は,本件命令発出後の平成12年3月10日に原告会社を退職したので
あるから(前記第2章第1の1(2)エ),同人がもはや原職又は原職相当職に復
帰することは客観的に不可能であり,原告会社にこの復帰の措置を執ることを命じ
た本件命令主文第1項①はその基礎を失い,原告会社は同命令に従う義務がなくな
ったものというべきである。したがって,原告会社の前記命令部分の取消しを求め
る訴え中,同人についての本件命令主文第1項①の取消しを求める部分は訴えの利
益を欠くことになるから却下を免れず,その余の請求は理由がないから棄却を免れ
ない。
 なお,補助参加人P11は,平成10年11月にいったん定年退職した後同月特
別社員となっているところ(前記第2章第1の1(2)(サ)),証拠(乙92,
498)によれば,特別社員とは,原告会社を57歳で定年退職した後引き続き再
雇用され,60歳を限度として1年ごとに雇用期間が更新される原告会社の従業員
をいうから,特別社員である補助参加人P11が原職又は原職相当職に復帰するこ
とが客観的に不可能であるとはいえず,原告会社が補助参加人P11に対しこの復
帰の措置を執ることを命じた主文第1項③がその基礎を失ったとはいえないから,
同じく原告会社の訴え中,補助参加人P11についての主文第1項③の取消しを求
める部分の訴えの利益がないとはいえない。
第5 第44号事件の争点4(時間内組合活動休暇問題)について
1 後掲証拠によれば,次の事実が認められる(争いのない事実を含む。)。
(1) 時間内組合活動休暇に関する労働協約
 原告会社と朝日火災支部との間の労働協約には,就業時間中の組合活動について
次のとおりの定めがある(乙84,366)。
「第10条 組合は,原則として労働時間中には組合活動を行わない。但し,下記
の各号の1に該当する場合は,この限りでない。
1 (略)
2 組合規約に定められた下記の会議に出席する場合
イ 全損保全国大会,支部大会,地方協議会大会(定例)
ロ 中央委員会,支部常任委員会,地方協議会委員会(定例)
ハ 中央執行委員会,支部執行委員会,地方協議会幹事会
3 (略)
4 その他特に会社の承認を得た場合
(略)
第12条 会社は,原則として組合員が組合活動のため会社業務につかなかった労
働時間に対しては欠勤の取扱をなし,これに対応する賃金を支払わない。但し,会
社は,その組合員の組合
活動が下記の各号の1に該当する場合に限り欠勤の取扱をなさず,その労働時間に
対応する賃金を支払う。
1 組合員が第10条第1項但書第1号の規定による組合活動に従事した場合
2 組合員が第10条第1項但書第2号から第4号までの規定による組合活動に従
事し,かつ,その組合活動に従事した時間が1日以上にわたらない場合
(略)」
(2) 補助参加人P3に関する問題
ア 昭和57年9月24日及び同月25日に開催された全損保全国大会において,
朝日火災支部から選出される全損保常任中央執行委員(任期1年)として,P20
(当時同支部執行委員長)及び補助参加人P3(同支部副執行委員長)の2名が選
出された。P20は朝日火災支部からの選出,補助参加人P3は全損保中央執行委
員会の推せん(いわゆる「その他」)による選出であった。従来朝日火災支部から
全損保中央執行委員への選出は1名のみであり,同支部から2名が選出されたの
は,このときが初めてであった。補助参加人P3の前記選出については,事前に全
損保本部から朝日火災支部に対して,朝日火災支部として同人を推せんしてほしい
旨非公式の打診があったが,同支部は,全損保本部に対し,常任執行委員が2名に
なることについて組織討議が必要であるが,支部大会が終わったばかりであり,か
つ,全損保全国大会が開催される直前であるため,結論を出すことは困難であるな
どと回答した。
 前年度までは,この常任中央執行委員会は,就業時間内に開催される例が多かっ
たところ,原告会社は,P20の常任中央執行委員会の出席に関しては時間内組合
活動休暇を承認したが,補助参加人P3についてはこれを承認せず,届出書すら受
け取らなかった。なお,補助参加人P3は,和昭41年から昭和56年までの延べ
12年にわたり,全損保常任中央執行委員を歴任してきたが,その際には,いずれ
も原告会社から時間内組合活動休暇の承認を得てきた。
イ 補助参加人P3についての時間内組合活動休暇の問題に関し,原告会社と朝日
火災支部との間で交渉が行われたが,この交渉において同支部は,従前から原告会
社は常任中央執行委員に対しては時間内組合活動を認めてきたこと,これまで,同
支部の代表にのみ時間内組合活動休暇を付与するとか,1名のみに同休暇を付与す
るといった話はなく,ましてやその合意もないこと,同支部から選出された常任中
央執行委員のみに同休暇を与えるというこ
とに合理性がないこと,原告会社がP20及び補助参加人P3のうちどちらかを選
別することは許されないこと,常任中央執行委員については1名のみ同休暇を認め
るというのであれば,労働協約の改定交渉を行うべきであること,以上の点などを
主張した。一方,原告会社は,常任中央執行委員に対する時間内組合活動休暇の付
与は,労働協約上明記されていない事項であり,労働協約10条1項4号の「その
他特に会社の承認を得た場合」に関する事項であること,したがって,従来慣行と
して1名について同休暇を認めてきたにすぎず,しかも,慣行上認めてきた1名は
朝日火災支部代表であったから,同支部代表であるP20にしか同休暇を認めるこ
とはできないこと,個人名で云々するのではなく,同支部大会で選出された常任中
央執行委員ならば同休暇の付与を認めること,以上の点などを回答した。
 昭和58年1月に常任中央執行委員会が予定されており,補助参加人P3に対す
る時間内組合活動休暇付与の問題の取扱いをめぐって,全損保本部は組合内での意
見調整を図ったが,結局決着せず,この問題をめぐる取扱いは同本部一任となっ
た。同本部は,2名とも時間内組合活動として常任中央執行委員会に参加すること
が基本であるが,その方法としては,2名とも強行参加する方法,2名とも有給休
暇を取得して参加する方法,1名が時間内組合活動参加で他の1名が有給休暇参加
とする方法等があり,その都度同本部が選択することにより具体的に対処すること
とされた。
 同年1月7日の朝日火災支部執行委員会は,全損保本部の見解を承認し,同月の
常任中央執行委員会に向けて,2名の時間内組合活動休暇付与の届出を原告会社に
対して提出した。原告会社は,P20が常任中央執行委員会に出席することについ
ては時間内組合活動休暇を承認したが,補助参加人P3については承認せず,届出
書を受け取らなかった。同支部は,原告会社との交渉において,2名の参加につい
て承認するよう求めたが認められず,補助参加人P3については有給休暇による参
加となった。
 この問題は,補助参加人P3が常任中央執行委員任期中には解決を見なかった。
(乙82,360,537,898,904,1073)
(3) 補助参加人P11,同P8及び同P9に関する問題
ア 原告会社は,昭和58年9月26日及び同月27日に開催される全損保全国大
会に出席する代議員に対して,朝日
火災支部選出の代議員3名と中央委員1名については時間内組合活動休暇を承認し
たが,地区協選出の代議員として出席する補助参加人P11(神戸地区協),同P
8(金沢地区協)及び同P9(大阪地区協)(以上3名を併せて,以下この項では
「補助参加人P11ら」という。)についてはこれを承認しなかった。
イ 朝日火災支部は,労働協約10条に「全損保全国大会」への出席が明記されて
いること,この出席は,すべての同支部組合員に認められるもので,代議員の選出
過程の相違による区別は許されないこと,地区協選出の場合でも時間内組合活動休
暇が認められた前例もあること,以上の点を主張した。
 一方,原告会社は,時間内組合活動休暇を定めている労働協約は,原告会社と同
支部との間のものであり,同支部の活動を認めたものにすぎず,同支部外の活動
(地区協選出の代議員として全国大会に参加することなど)に適用することはでき
ないこと,労働協約の該当条項の趣旨あるいは協定時の精神は,地区協選出の代議
員まで認めるといったものではなかったこと,地区協関係を認めると数の上で歯止
めがなくなること,前例があったとしても,それは同支部選出という受け止め方を
前提として処理したことであること,以上の主張をし,その上で,補助参加人P1
1らについては,無断欠勤扱いとはせず欠勤扱いとし,賃金カットを行うが,有給
休暇への振替えは可能である旨回答した。
 全損保本部は,昭和58年10月5日から同月7日まで開催された常任中央執行
委員会でこの不承認問題を討議し,全損保全体に与える影響が大きく,当該地区協
にとっても問題であるとして,明確な不当労働行為,労働協約違反であるとした
が,その後の原告会社と同支部との間の交渉は進展しなかった。
 なお,補助参加人P11らに対する賃金カットは,結局行われなかった。
ウ 補助参加人P11は,昭和60年4月の有給休暇切替えの際に,前年からの繰
越日数が2日分少ないことに気がつき,P81支店長に質したところ,同支店長
は,「昭和59年9月21日及び同月22日に開催された全損保全国大会に出席し
た2日間を欠勤扱いとした。有給休暇が2日減っているのはその分である。」と回
答した。補助参加人P11は同支店長に訂正を申し入れたが,らちがあかず,ま
た,朝日火災支部にも連絡したが交渉中とのことで進展がなかった。
 そこで,補助参加人P11は,原告会社の
P73社長あてに,「有給休暇が2日減っているが,これは社長が時間内組合活動
休暇を認めなかったためである。労働協約10条に明記されていることであるか
ら,その2日分も繰り越されたものと確認する。」との趣旨の書面を送り,併せ
て,P20支部委員長に対しても,原告会社が不当に時間内組合活動休暇を認めず
一方的に年次有給休暇に振り替えたとして,その撤回と有給休暇日数の確認を要請
する書簡を送った。
 これらの文書について,同支部からは何らの返答もなかったが,原告会社人事部
からは,同年6月20日,P81支店長あてに電話があり,欠勤扱いは変わらない
こと,この問題に関しては同支部との間で折衝中であること,ただし,有給休暇の
2日分は戻すこと,以上の内容の連絡が入り,補助参加人P11の前記2日分不足
した有給休暇の回復が図られた。
 補助参加人P11は,昭和60年9月に開催された同支部大会で発言し,労働協
約違反について同支部執行部が撤回要求をしていないことを追及したが,同支部執
行部は謝るのみであった。また,補助参加人P3及び同P8についても有給休暇日
数が減らされていたが,この両名についてはこの時点で回復措置が図られていなか
ったため,A派の中でも差別があるとして,このことでも同大会は紛糾した。
(乙83,219,220,361,898,904,969,丙10,11)
(4) 補助参加人P19に関する問題
ア 原告会社は,昭和59年3月16日に開催された全損保大阪地協の定例大会
に,和歌山地区協選出の代表として出席した補助参加人P19に対し,時間内組合
活動休暇を承認せず,同年5月分の賃金から276円をカットした。
イ 昭和59年5月2日,原告会社の人事部副部長から補助参加人P19に対して
電話があり,補助参加人P19は,同副部長から,同年3月16日の大阪地協の定
例委員会への出席について,欠勤か有給休暇かを質された。補助参加人P19は,
これ以前に,労働協約上の時間内組合活動休暇である旨主張していたが,それに対
して人事部から前記のような応答があったことから,欠勤扱いされるおそれを感
じ,朝日火災支部大阪分会に対して組合としての対処を依頼した。同分会は,既に
当該定例委員会の開催前に提出した補助参加人P19の時間内組合活動休暇届につ
いて,原告会社から,「朝日火災支部外の活動であり,時間内組合活動休暇として
認めることはできな
い。」と言われ,分会で交渉したが解決していないといった経緯があることから,
この問題について朝日火災支部に対応を求めた。
 朝日火災支部は,原告会社との交渉の中で,この問題は前年度にあった全損保全
国大会の地区協選出代議員問題と同じものであるとして,「今回の地区協選出の組
合員の時間内組合活動休暇問題は,全損保全国大会地区協選出代議員の問題と同じ
く協約に定められているもので,これを認めないのはおかしい。労働協約2条
(「会社は,組合が全日本損害保険労働組合の統制のもとにある支部であることを
確認する。」)からも全損保組織を前提としての定めであり,選出過程での区別は
されていないし,過去の前例もあるではないか。本人への処置(欠勤扱い,賃金カ
ット)を撤回せよ。前回の3名(注・補助参加人P11ら)についても時間内組合
活動として認めよ。」と主張した。
 しかし,原告会社は,前年の全損保全国大会の地区協選出代議員問題の場合とほ
ぼ同様の主張(前記(3)イ)をし,「前回,支部外の活動は関係ない旨はっきり
申し上げている。また,会社は5月初旬の段階で本人にも連絡している。組合活動
そのものは否定していない。したがって,本人に対しても有給休暇か否かわざわざ
確認しているし,休んだからといって無断欠勤扱いとしてはいない。十分配慮して
いる。」と主張し,交渉は物別れに終わった。
 なお,カットされた賃金分276円は,同支部が補助参加人P19に立て替えた
形で処理されている。
(乙207ないし210,362,959)
2 検討・判断
(1) 補助参加人P3に関する問題について
ア 原告会社が,補助参加人P3に対して時間内組合活動休暇を付与しなかった理
由として挙げた点が,従前全損保常任中央執行委員に対して時間内組合活動休暇を
付与していたのは,労働協約10条1項2号に基づくのではなく,慣行によるもの
にすぎず,しかも,朝日火災支部の代表1名を認めてきたのがその慣行であったこ
と,補助参加人P3が支部代表ではなく,他方で支部代表の常任中央執行委員がい
る以上,補助参加人P3には同休暇を付与することはできないこと,概略以上の点
にあったことは前記認定のとおりである。
 そこで検討するに,時間内組合活動休暇付与に関する労働協約10条1項2号で
は,「組合規約に定められた下記の会議に出席する場合」として「全損保全国大
会」(同号イ)が明記されているこ
とは,前記認定のとおりであり,組合規約(乙1140)をみても,「全損保全国
大会」の出席者に関する特段の規定は存在しないから,同号の解釈としては,朝日
火災支部組合員が全損保全国大会に出席する場合には時間内組合活動休暇付与の対
象となるものとみるのが自然であり,原告会社が従前全損保常任中央執行委員に対
して時間内組合活動休暇を付与していたのは,労働協約10条1項2号に基づくも
のではなく,同項4号によるものであるとの原告会社の前記理由付けは,同項2号
の解釈として客観的に合理性があるとはいい難い。原告会社は,組合規約19条で
「朝日火災支部大会において全損保大会代議員として選出された者」と規定されて
いるとして,労働協約10条1項2号所定の時間内組合活動休暇付与の対象は,朝
日火災支部を代表して全損保の大会に出席したり,全損保の役員に就任してその活
動に参加する場合のみであることは明らかである旨主張する。しかし,組合規約1
9条に前記のような規定がされているとは認められないから(同条は「支部大会は
次の事項を行う」とし,その8項で,「中央執行委員,中央委員及び全損保全国大
会代議員の選出方法を決定する。」旨規定しているが,この規定は,全損保全国大
会代議員の選出方法に関するものにとどまるから,労働協約10条1項2号所定の
「組合規約に定められた」との留保に関係するものであると解することは困難であ
る。),原告会社の主張はその前提を欠き採用できない。そして,原告会社が,朝
日火災支部の代表のみに同休暇を付与するなどの見解を表明したことは,この件よ
り前にはなかったこと(前記1(2)イ)をも併せ考えると,補助参加人P3に対
して時間内組合活動休暇を付与しなかった理由として原告会社が挙げた点は,合理
的なものではなかったといわざるを得ない。
 原告会社は,補助参加人P3は全損保の選出手続によって選出された者であると
ころ,原告会社と朝日火災支部との間の労働協約は,10条及び12条において,
朝日火災支部として参加することを決定した全損保の会議に,同支部の代表として
選出された組合員が出席する場合に時間内組合活動休暇を認めるべく定めているに
すぎず,同支部の代表として選出されていない者にまで時間内組合活動休暇を付与
することを定めているわけではないなどと主張するが,前記のとおり,労働協約1
0条,12条が朝日火災支部組合員が全
損保の会議に出席する場合の選出過程如何で取扱いを異にするものとは解し難いか
ら,採用できない。
イ 前記1(1)及び(2)の事実,アの判断並びに前記第3及び第4の事実を併
せ考えると,昭和58年9月開催の第49回定例支部大会当時,原告会社は,前記
第3のような支配介入行為を行い,前記第4のとおりA派に属する補助参加人らに
ついて差別的な配転をするなどしたが,このころに近接して,原告会社が,前記の
とおり従前は問題なく認められていた時間内組合活動休暇について,A派に属する
補助参加人P3についてこれを認めないこととしており,他方で,原告会社は,A
派に属する者ではないP20には時間内組合活動休暇を付与したこと,しかも,補
助参加人P3に対して時間内組合活動休暇を付与しなかった理由として原告会社が
挙げた点は合理的なものとは考え難い上,原告会社はこの点に関する朝日火災支部
側からの要求にも譲歩を示すことなく対応したこと,補助参加人P3が時間内組合
活動休暇の承認を得られないまま全損保の常任中央執行委員会に出席しようとすれ
ば,有給休暇を費消せざるを得ず,それにより必要以上の有給休暇の費消を余儀な
くされ,同委員会への出席についての制約となり得ることからすれば,原告会社
は,A派に属する補助参加人P3の活動を抑圧することを企図して,補助参加人P
3に対して時間内組合活動休暇を付与しなかったものと認めることができ,これ
は,補助参加人P3に対する組合活動上の不利益取扱いであるとともに,朝日火災
支部に対する支配介入として,不当労働行為に当たると解するのが相当である。
(2) 補助参加人P11らに関する問題について
 前記1(3)イで認定した事実によれば,原告会社は,補助参加人P11らに対
する時間内組合活動休暇の付与の問題が生ずる前には,地区協選出の場合でも時間
内組合活動休暇を付与したことがあるのに,原告会社がこの時期になって,地区協
選出の場合の時間内組合活動休暇の付与を問題視し始めた合理的な理由もうかがえ
ないところ,このことと,前記(1)で判断した労働協約10条の規定の解釈に照
らし,原告会社が補助参加人P11らに対する時間内組合活動休暇の付与を認めな
い理由として挙げた点(前記1(3)イ)には,合理性がないものというほかな
い。
 そして,原告会社は,前記第3のような支配介入行為を行い,前記第4のとおり
A派に属する補助
参加人らについて差別的な配転をするなどしたが,このころに近接して,かつ,補
助参加人P3に対して時間内組合活動休暇を付与しないことに引き続いて,A派に
属する補助参加人P11らに対して時間内組合活動休暇の付与を認めないこととし
たこと,原告会社が補助参加人P11らに対する時間内組合活動休暇の付与を認め
なかったことに関する朝日火災支部側からの要求にも譲歩を示すことなく対応した
こと(前記1(1)及び(3),前記(1)イ),補助参加人P3について述べた
ところと同様,補助参加人P11らは時間内組合活動休暇の不承認により必要以上
の有給休暇の費消を余儀なくされることを併せ考えれば,原告会社は,A派に属す
る補助参加人P11らの活動を抑圧することを企図して,補助参加人P11らに対
して時間内組合活動休暇を付与しなかったことものと認めることができ,これは,
補助参加人P11らに対する組合活動上の不利益取扱いであるとともに,朝日火災
支部に対する支配介入として,不当労働行為に当たると解するのが相当である。
(3) 補助参加人P19に関する問題について
 原告会社は,前記第3のような支配介入行為を行い,前記第4のとおりA派に属
する補助参加人らについて差別的な配転をするなどしたが,このころに近接して,
かつ,補助参加人P3及び同P11らに対して時間内組合活動休暇を付与しないこ
とに引き続いて,A派に属する補助参加人P19に対して時間内組合活動休暇の付
与を認めないこととしたこと,前記(2)のとおり,原告会社が補助参加人P19
に対する時間内組合活動休暇の付与を認めなかったことに合理的な理由は考え難い
のに,原告会社はこの点に関する朝日火災支部側からの要求にも譲歩を示すことな
く対応したこと(前記1(1)及び(4),前記(1)イ及び(2))が認めら
れ,これらの事実に,補助参加人P3について述べたところと同様,補助参加人P
19は時間内組合活動休暇の不承認により必要以上の有給休暇の費消を余儀なくさ
れることを併せ考えれば,原告会社は,A派に属する補助参加人P19の活動を抑
圧することを企図して,補助参加人P19に対して時間内組合活動休暇を付与せ
ず,かつ,賃金カットを行ったものと認めることができ,これは,補助参加人P1
9に対する組合活動上の不利益取扱いであるとともに,朝日火災支部に対する支配
介入として,不当労働行為に当たると解す
るのが相当である。
3 原告会社のその余の主張について
 原告会社は,本件命令が原告会社に対し時間内組合活動休暇の付与を承認するよ
う命ずることは,かえって労働組合法7条3号所定の支配介入を行うことを命ずる
ことに当たり,かつ,同法2条2号所定の利益供与の禁止に触れる行為を強制する
ものである旨主張する。
 しかし,前記各補助参加人に対して時間内組合活動休暇を付与しないことが不当
労働行為に当たることを前提にすれば,労働委員会がその救済措置として,これを
付与するよう命ずることは,その裁量権の範囲内であり,これを逸脱ないし濫用し
たともいえないから,これが労働組合法7条3号あるいは同法2条2号の趣旨に反
するということにはならないというべきである。原告会社の主張は採用できない。
 原告会社は,労働協約10条1項2号の定めは,労働組合法2条2号及び7条3
号に触れる無効なものであるとも主張するが,この定めが労働組合の組合活動に対
する便宜供与の一種であるとしても,それが労働協約上の制度として明示的に規定
されている上,これによって労働組合である朝日火災支部の自主性が阻害されると
は考え難いから,この定めが労働組合法のこれら各条項に違反するということはで
きず,また,原告会社が,前記各補助参加人ら以外の者には時間内組合活動休暇を
付与していることにも照らすと,この主張も採用の限りではない。
4 結論
 以上のとおりであって,原告会社が前記各補助参加人に対してそれぞれ時間内組
合活動休暇を承認しなかったことについて不当労働行為の成立を認めた上,原告会
社に対し,補助参加人らの同休暇を承認しないことによって,朝日火災支部の組合
活動に関し支配介入をしてはならないこと,補助参加人P19に関する前記賃金カ
ット分の金員の支払を命じたこと及びこれらの点に関するポストノーティスを命じ
た本件命令は正当であり,この命令部分の取消しを求める原告会社の請求は棄却を
免れない。
第6 第44号事件の争点5(人事考課問題)について
1 後掲証拠によれば次の事実が認められる(争いのない事実を含む。)。
(1) 昭和55年度までの人事考課制度の概略
 原告会社の昭和43年度以前の給与体系は,入社年度別,役職別給与体系であ
り,入社年度別の標準年齢が決められ,これと役職別給与が組み合わされて各社員
の給与が決まる年功序列型であった。
 原告会社は,昭和43年度
の賃金改定交渉において,これまでなかった人事考課制度の導入を提案し,中央労
働委員会のあっせん手続を経て労使間で合意し,昭和44年4月1日からこれを実
施した(以下「昭和44年制度」という。)。
 昭和44年制度も,基本的には従前の年功序列型であったが,その内容の概略は
次のとおりである。
ア 給与体系
 学歴別,入社年度別によって標準年齢を設定し,一般事務職テーブル表の本人の
属する「類」の標準年齢に対応する本俸額を適用する。
イ 社員資格基準
 社員資格基準として,職務遂行能力等に応じて1類から7類までの「類」区分を
設定し,また,次のとおり類と役職とを対応させた。
(ア) 部長相当職-6及び7類
(イ) 次長相当職-5,6及び7類
(ウ) 課長相当職-4,5及び6類
(エ) 代理相当職-3及び4類
(オ) 主 任 職-3及び4類
 なお,一般社員は1及び2類に,営業所長は3ないし6類に位置付けられ,6類
までは自動昇類制が存続された。
ウ 人事考課制度
 人事考課制度は,A,B,Cのランク評定とし,昇給,昇格,異動及び教育等の
判断材料とする。分布制限は,1ないし5類について,A及びCの各評定がそれぞ
れ10パーセント,B評定が80パーセント,6及び7類について,A評定が10
パーセント,B及びC評定合わせて90パーセントであり,この人事考課は次年度
に累積しない方式である。
エ 資格区分と最低滞留年数
 昇類の選考は,次の最低滞留年数を満たした者の中から行う。
(ア) 2類-高校卒4年以上8年
(イ) 3類-2類6年以上10年
(ウ) 4類-3類3年以上10年
(エ) 5類-4類3年以上
(オ) 6類-5類4年以上
(カ) 7類-定めず
 この人事考課制度の実際の運用は,10パーセント以内の者がA評定とされるほ
か,C評定は懲戒処分者や長期欠勤者など極めて少数の者が対象とされるのみで,
その他のほとんどの者はB評定とする取扱いとなっていた。
(乙443,503ないし508,730ないし732,734ないし736,1
013,1017,1065)
(2) 昭和56年度からの人事給与制度
 原告会社の昭和56年度からの人事給与制度(以下「昭和56年制度」とい
う。)は,原告会社と朝日火災支部との間で,昭和54年度の賃金改定交渉の際に
協議が開始され,昭和57年2月26日に妥結調印され,その結果昭和56年4月
1日にさかのぼって実施された。
 こ
の制度においては,新たに職務遂行能力の段階を類別,職種別に明示し,その段階
に応じて序列を決めていくという,職能資格制度を導入した。この制度は,役職と
関係なく職務遂行能力が向上すれば上位類に昇類させる制度であり,ポスト不足に
よる昇類ストップ者が出ないように組み立てられたものである。また,給与体系に
職能給を導入し,人事考課制度を改定した。
 その概要は次のとおりである。
ア 職能資格制度
 職務遂行能力による職能資格としての「類」を設定し,従前の類区分の7段階を
9段階の区分に改定した。類の移行(自動移行),滞留年数,役職の対応関係,昇
類決定の基準となる資料等は次のとおりである。
(ア) 自動移行
 旧7類は新8類に,旧6類は新7類に,旧5類は新6類に,旧4類は新5類に,
旧3類は新4類に,旧2類は,滞留3年未満は新2類,滞留3年以上は新3類に,
旧1類は新1類に,それぞれ移行する。
(イ) 各類の滞留年数
 別表1のとおり
(ウ) 類と役職の対応関係
 別表2のとおり
(エ) 昇類の決定方法
 昇類は,毎年3月31日現在で,別表3のとおりの基準資料により決定される。
例えば,3類から4類への昇進は,滞留年数と人事考課及び昇類推薦書によって決
定される。
 9,8,7及び6類に昇類する場合には,人事部長が申請者となり,役員会が調
整者となって,社長が決定する。5,4,3及び2類に昇類する場合には,人事課
長が申請者となり,人事部長が決定する。
(オ) 1類から4類までの昇類基準(滞留年数と人事考課との関係)
a 1類から2類への昇類
 滞留年数4年で,4年間D評定なしの場合に昇類
 滞留年数5年で,選抜により昇類
 滞留年数6年で,自動昇類
b 2類から3類への昇類
 滞留年数3年で,3年間D評定なしの場合に昇類
 滞留年数4年又は5年で,選抜により昇類
 滞留年数6年で,自動昇類
c 3類から4類への昇類
 滞留年数3年で,3年間D評定なしの場合で,選抜により昇類
 滞留年数4年で,4年間D評定なしの場合に昇類
 滞留年数5年で,選抜により昇類
 滞留年数6年で,自動昇類
(カ) 給与体系
 年齢別の本人給テーブルと職能給テーブルに分け,本人給70パーセント,職能
給30パーセントの配分とされた。この職能給は従前の類手当といった部分であ
り,働きと努力に応じて支給するねらいを持つものとされた。
(キ) 定期昇給
 本人給は,本人給テーブルの年齢
間差額(年齢1歳上のランク)に上がる。
 職能給は,毎年1回定期的に実施する人事考課の評定に応じて,次のとおり職能
給テーブルの号俸が上がる。
A評定 5号俸昇号
B評定 4号俸昇号
C評定 3号俸昇号
D評定 2号俸昇号
E評定 1号俸昇号
(ク) 昇類昇給
 昇類により昇給する。
(ケ) 昇格昇給
 新しい役職昇格により昇給する。
イ 人事考課制度
 評定種類を,業績評定,能力評定,執務態度評定の3種類とし,業務行動基準
書,能力評定基準書,執務態度評定基準書により,評定基準を設定し,評定者,評
定期間,対象を明らかにした。
 人事考課の評定ランクを,A,B,C,D,Eの5ランクとし,別表4のとおり
の分布制限を設定した。
 人事考課の評定者・被評定者の区分は,別表5のとおりである。
 評定期間,評定領域,評定結果の反映については,次のとおりである。
(ア) 1月1日から12月31日までの期間に業績評定を行い,3月賞与に反映
させるとともに,前記業績評定のほか,能力評定,執務態度評定を行い,定期昇給
(昇類,昇格を含む。)に反映させる。
(イ) 4月1日から9月30日までの期間に業績評定を行い,12月賞与に反映
させる。
(ウ) 10月1日から3月31日までの期間に業績評定を行い,6月賞与に反映
させる。
(乙224,349,415,592ないし594,689,720,721,7
37ないし739,1017,1025,1065,1067)
(3) 昭和61年度からの人事給与制度
 原告会社は,朝日火災支部に対し,昭和60年10月1日,新たな人事給与制度
(以下「昭和61年制度」という。)を提案し,昭和61年5月30日に労使間で
合意され,同年4月1日から実施された。
 新制度では,従来の類制度を廃止して,新たに職能資格区分を基礎にした新職能
資格制度が設けられた。
 昭和61年制度の概要は次のとおりである。
ア 新職能資格制度
(ア) 新職能資格区分とその主な応当職は,別表6のとおりである。
(イ) 職能資格の昇格,滞留年数は,別表7のとおりであるが,管理職について
は滞留年数はないとされた。
イ 類資格から新職能資格への移行
 原則として,移行時点での役職区分でもって新職能資格区分に移行することとさ
れ,具体的な対応関係は別表8のとおりとされたが,複数の対応職がある場合にど
の資格に決められるのかについての基準等は明らかではない。
 ただし,労使
間では,定年時までには代理格に昇格させるとの合意があった。
ウ 新職能給体系
 一般職と管理職に分け,管理職は本人給(年齢給)を廃止して職能給のみとなっ
た。一般職は,本人給(従来より年齢間差額は小さいもの)と職能給で構成する。
職能給の区分は,新職能資格区分のとおりであり,一般職は5区分,管理職は4区
分であった。
エ 定期昇給
 定期昇給として,毎年4月に,本人給については,本人給テーブルの1歳上のラ
ンクに上がり,職能給については,毎年1回の人事考課の評定結果に基づき職能給
テーブルの号俸が上がる。
 評定ランクと昇号俸数の関係は,次のとおりである。
(ア) 一般職について
 前記(2)ア(キ)と同様。
(イ) 管理職について
A評定 6号俸昇号
B評定 5号俸昇号
C評定 4号俸昇号
D評定 3号俸昇号
E評定 2号俸昇号
オ 昇格,昇進による昇給
 従来どおりである。
カ 昇格の決定方法
 昇格は,それぞれの職能資格ごとに,職能資格基準,人事考課,滞留年数,昇格
推薦書等を総合的に勘案して決定する。
 理事格の者の昇格については,人事担当役員が申請者となり,役員会が調整者と
なって,社長が決定する。部長格,副部長格,課長格,代理・主任格,一般1級・
2級・3級の者の昇格については,それぞれ,人事部長が申請者となり,役員会が
調整者となって,社長が決定する。
キ 新人事考課制度
(ア) 評定種類及び評定基準については,前記(2)イのとおりで昭和56年制
度と同様であるが,評定の分布制限を廃止した上,評定期間,評定領域及び評定結
果の反映については次のとおりに変更した。
a 前年4月1日から当年3月31日までの期間について業績評定,能力評定,執
務態度評定を行い,定期昇給(昇格を含む。)に反映させる。
b 当年4月1日から当年9月30日までの期間について業績評定を行い,12月
賞与に反映させる。
c 前年10月1日から当年3月31日までの期間について業績評定を行い,6月
賞与に反映させる。
d なお,定期昇給については,本人給と職能給のうち職能給にのみ前記評定の結
果が波及し,賞与については,一律分以外の部分(いわゆるメリット部分)に査定
の結果が波及する。
 前記のとおり評定期間が変更されたこととの関連で,昇格及び昇進の時期が7月
1日とされた。
(イ) 人事考課の評定者,被評定者の区分は,別表9のとおりである。
 第1次評定者は,人事考課に関
する各評定基準書(業績評定,能力評定,執務態度評定)に基づき,絶対評定を行
い,第2次評定者に提出する。第2次評定者は,第1次評定者に準じて評定を行
い,評定結果が第1評定者のそれと異なる場合には,第1次評定者の意見を聴取し
て評定する。調整者は,第2次評定者の評定結果について管轄部門内での調整を行
う。
(乙205,225,416,494,615ないし620,740ないし74
2,1035,1067,1069,1082)
(4) 苦情処理委員会
 原告会社と朝日火災支部とは,昭和43年11月29日賃金問題の苦情処理に関
し協定を締結し,昭和44年4月1日からこれを実施した。同協定の概要は,原告
会社が社員に対して行った昇給,昇類,人事考課の評定結果に関し,社員が苦情を
申し立てるため,「賃金問題に関する苦情処理委員会」(以下「苦情処理委員会」
という。)を設置すること,同委員会は,原告会社より選出される委員及び朝日火
災支部より選出される委員各5名をもって構成されること等である。
(乙597,730,1017)
(5) 補助参加人らの資格格付け,役職,賃金及び一時金の状況と経緯
ア 補助参加人らの平成4年7月18日現在までの職能資格格付け及び役職の推移
は,別表10のとおりであり(賃金は,本人給と職能給からなっていることから,
同表の「類・号」,「資格」欄の数字が,職能給給与の基礎的数字を表してい
る。),補助参加人らのうち,補助参加人P12,同P7,同P8は,昭和61年
制度改正前は管理職に格付けされていたことがあるが,昭和61年制度以降はいず
れも主事とされており,昭和61年制度以降補助参加人らの中に役職上の管理職は
一人もいない。また,補助参加人らの中で「類・号」等が昇ったのは,昭和58年
に補助参加人P5,同P18,同P14が4類から5類に昇ったのみであり,「役
職」については,昭和57年に補助参加人P6が主任から課長代理に,平成2年に
補助参加人P13が主任に,それぞれ昇格したのみである。
(乙329,1094)
イ 昭和56年度から平成3年度にかけての補助参加人らの賃金及び一時金に係る
人事考課を一覧すると,別表11のとおりであり,補助参加人ら各人の格付け並び
に賃金及び一時金に係る人事考課の具体的内容は,別表12の1ないし19のとお
りである。
(乙598,830ないし882)
ウ 補助参加人らの職能資格格付け及
び職位と,同年同期入社者のそれとの対比(平成4年7月18日現在)は次のとお
りである。
(ア) 補助参加人P3は代理格の主事であるが,昭和34年入社者14名中,同
人及び他の2名以外は全員課長格以上である。また,主事は同人を含め5名,調査
役等の専門職が2名,ライン管理職が7名である。
(イ) 補助参加人P12は課長格の主事であるが,昭和36年入社者21名中,
同人より下位の者は代理格の者が1名いるのみで,他の19名は全員課長格以上の
ライン管理職である。
(ウ) 補助参加人P4は代理格の主事,補助参加人P1は代理格の所長代理であ
るが,昭和37年入社者17名中,この両名及び主事である他の1名以外は全員課
長格以上のライン管理職である。
(エ) 補助参加人P7は代理格の主事,補助参加人P10及び補助参加人P15
は代理格の所長代理であるが,昭和38年入社者17名中,この3名及び担当課長
である他の1名以外は全員課長格以上のライン管理職である。
(オ) 補助参加人P8は課長格の主事であるが,昭和39年入社者21名中,同
人より下位の者は代理格が2名いるのみで,他の18名は全員課長格以上のライン
管理職である。
(カ) 補助参加人P11は他の2名とともに代理格の課長代理であるが,昭40
年入社者21名中,この3名以外は全員課長格以上のライン管理職である。
(キ) 補助参加人P17は代理格の課長代理であるが,昭和41年入社者22名
中,同人以外は全員課長格以上のライン管理職である。
(ク) 補助参加人P2は代理格の所長代理であるが,昭和42年入社者14名
中,同人及び主事である他の1名以外は全員課長格以上のライン管理職である。
(ケ) 補助参加人P9は代理格の所長代理であるが,昭和45年入社者12名
中,同人以外は全員課長格以上のライン管理職である。
(コ) 補助参加人P6は代理格の所長代理であるが,昭和47年入社者25名
中,13名が課長格以上のライン管理職であり,同人より下位の者は主任格である
1名である。
(サ) 補助参加人P5,同P14及び同P18は他の1名とともに主任である
が,昭和49年入社者33名中,この4名以外は全員代理格以上のライン管理職で
ある。
(シ) 補助参加人P16は主任格であるが,昭和50年入社者36名の全員が主
任格以上となっている中で,同人以外は全員ライン管理職であるのに対し,同人の
みいまだ主任又は主事
以外の役職には就いていない。
(ス) 補助参加人P13は他の3名とともに主任格の主任であるが,昭和51年
入社者17名中,この4名以外は全員代理格以上のライン管理職である。
(乙279,282,328,329)
2 検討・判断
(1) 人事考課に基づく職能資格制度下での昇格昇給差別による不当労働行為の
成否の判断に当たっては,当該人事給与制度の内容の把握が不可欠である。同期入
社者の間で格付けや賃金に関する号俸等について差が生ずるのは,人事考課に基づ
く職能資格制度を導入し,それに従った制度の運用がされる限り,当然の帰結であ
るということができる。しかし,人事考課に基づく職能資格制度を導入していると
いっても,それが名目的なものにすぎず,制度の具体的内容が実質的には年功的で
あるとか,運用の実態が年功的であると認められれば,前記のような差が生じてい
ること,殊に,当該社員が他の社員に比して低位に位置付けられていることは,特
段の合理的事情が認められない限り,人事考課に名を借りた差別であると推認され
るというべきである。また,職能資格制度が制度それ自体としては一定程度整備さ
れているとしても,その制度が実は別の目的で運用されているとか,制度の具体的
運用において評定者の恣意的な運用が可能であると認められれば,当該社員が他の
社員に比して低位に位置付けられていることは,使用者が当該社員をねらって差別
を行う動機や企図があるなどの事情と相まって,同様に,特段の合理的事情が認め
られない限り,人事考課に名を借りた差別であると推認されるというべきである。
 これに対し,当該人事給与制度において人事考課に基づく職能資格制度が一定程
度整備されていると認められ,かつ,その運用も制度どおり行われていると認めら
れれば,原則として,当該社員が他の社員に比して低位に位置付けられていること
も人事考課の結果であると推認されることになる。しかし,その場合であっても,
当該社員が実際には他の社員に比して能力が高く,あるいは業績を挙げているなど
の事実が認められるにもかかわらず低い人事考課がされているとすれば,その人事
考課には合理的な理由がなく,人事考課が恣意的に行われたといわざるを得ないか
ら,前記の他の事情と相まって不当労働行為の成立が認められる場合があり得るこ
とになる。
(2) そこで,まず,原告会社における人事給与制度が職能資格制度として
一定程度整備されたものであるかどうかについて検討することとする。
ア 昭和56年制度について
(ア) 昭和56年制度においては,給与体系は,給与の70パーセントを占める
本人給と,同じく30パーセントを占める職能給とで構成され,定期昇給について
は,本人給部分は年功的に昇給し,職能給部分は評定に応じて5段階の昇号となる
こととされた。これ以前の制度においては,人事考課制度の実際の運用は,10パ
ーセント以内の者がA評定とされるほか,C評定は懲戒処分者や長期欠勤者など極
めて少数の者が対象とされるのみで,その他のほとんどの者はB評定とする取扱い
となっていたが,昭和56年制度においてはこのような運用は廃止された(この運
用の廃止の事実は,弁論の全趣旨により認める。)。さらに,昭和56年制度にお
いては,人事考課の評定者・被評定者の区分並びに評定期間,評定領域及び評定結
果の反映について明確にされるに至った。
 職能資格である類の上昇(昇類)については,基準資料に基づき,それぞれの類
に対応する申請者,調整者の意見をもとに社長(2ないし5類については人事部
長)が決定するものとされた。
 さらに,賃金問題に関する苦情の申立てを受け付ける苦情処理委員会が存する。
(イ) 一方で,昇類については,1ないし5類においては最短滞留年数及び最長
滞留年数が定められ,6ないし8類についても最短滞留年数が定められているこ
と,人事考課の評定ランクについて分布制限が付されていること,前記のとおり職
能給部分の割合が本人給部分に比して小さいことに照らせば,昭和56年制度は,
年功的要素がいまだ色濃く残存しているものの,前記(ア)記載の限りにおいて
は,人事考課に基づく職能資格制度としての実質を有するものと認めるのが相当で
ある。
イ 昭和61年制度について
 昭和61年制度は,管理職については本人給を廃止して職能給1本の給与体系と
し,一般職についても,本人給は残存するもののその年齢間差額を小さくし,職能
給の持つウエイトを高くしたこと,滞留年数は,管理職及び一般職の代理格につい
てはこれを廃止したこと,人事考課における評定の分布制限を廃止したこと等,よ
り職能的要素を加味しており,かつ,苦情処理委員会は従来どおり存続しているこ
とからすると,昭和56年制度をより推し進めた形での人事考課に基づく職能資格
制度として整備したものと認めるのが相当であ
る。
(3) 次に,昭和56年制度及び昭和61年制度の運用の実態について検討す
る。
 前記1(2),(3)及び(5)の事実に,証拠(甲3,4(ただし,いずれも
後記認定に反する部分を除く。),乙286ないし288,830ないし890,
1069,1080,1082,証人P92,同P26(ただし,両証人の証言
中,後記認定に反する部分を除く。))及び弁論の全趣旨を総合すれば,次の事実
が認められる。
ア 昭和56年及び昭和61年の各制度においては,いずれも,定期昇給のための
人事考課は,業績評定,能力評定及び執務態度評定によって評定され,第1次評定
者,第2次評定者がそれぞれの評定を行った上で,調整者がこれを調整する。
 このうち,業績評定については,第1次及び第2次の各評定者は,業務行動基準
書に即して,被評定者の仕事の種類ごとにその仕事量をパーセントで表わし(全体
で100パーセント),その仕事の種類ごとに評定(AないしE)をした上,A評
定は5を,B評定は4を,C評定は3を,D評定は2を,E評定は1を,前記仕事
量のパーセントの数値に乗じてその値を点数化し,これを総合評定とする(仕事の
種類すべてについてA評定となれば500点,すべてについてE評定となれば10
0点となる。)。
 一方,能力評定については,第1次及び第2次の各評定者は,能力評定基準書に
即して能力要素を5つに分けて検討し,AないしEの各評定を決し,総合評定とし
て更にAないしEの評定を行う。また,執務態度評定については,執務態度評定基
準書に即して執務態度要素5つに関しAないしEの評定を行った上で,総合評定と
して更にAないしEの評定を行う。
 調整者である営業本部長,担当役員あるいは社長は,以上の評定結果が記載され
た人事考課表(乙883)について調整を行う。
 そして,これに人事部が意見を付して,常務会によって最終的な評定(Aないし
E)が決定される。
 しかし,最終的な評定を行うに当たり,第1次及び第2次の各評定をどの程度斟
酌するか,また,業績評定,能力評定及び執務態度評定という3種の評定結果をど
の程度の割合で考慮して判断すべきか,これらの点については,格別の基準が存在
しない。
 なお,原告会社における評定者への評定の仕方についての訓練は,制度発足時に
新しく評定者になった者について,一度行う程度であった。
イ 賞与のための人事考課においては,業
績評定のみが行われるが,第1次及び第2次の各評定者の評定方法は,ここでも前
記アの業績評定についてのそれと同じであり,調整者がこれを調整した上で,人事
部が意見を付して常務会によって最終評定が決定される。しかし,第1次及び第2
次の各評定における合計数値の多寡と最終評定との関係についての格別の基準は存
在しない。
ウ 常務会は,年2回,それぞれ2日間にわたって最終評定決定のための会議を開
催するが,これに要する時間は2日間併せて6時間程度であり,この間に400名
程度の社員に関する評定を行っている。したがって,社員1名の最終評定決定に費
やされる時間は平均1分弱程度である。
エ(ア) 補助参加人P3の平成元年6月,同年12月,平成2年6月,同年12
月,平成3年6月の賞与に関し,いずれも,第1次評定(業績評定)においては4
項目についてC,5項目についてDであるところ,最終評定結果においてはいずれ
もEとされた(別表12の1)。
(イ)a 補助参加人P3の平成3年度の定期昇給に関しては,第1次評定におい
て次のとおり評定された。
(a) 業績評定においては,4項目についてC,5項目についてDとの評定がさ
れた。
(b) 能力評定においては,4項目についてC,1項目についてDとされ,能力
向上度合について「能力向上のあとが若干あった」との評定がされ,総合評定とし
てC(「同格の能力基準程度である」)との評定がされた。
(c) 執務態度評定においては,5項目すべてについてCとされ,執務態度はだ
いたい満足していると評定された。
b これに対し,最終評定結果はEとされた(別表12の1)。
(ウ) 補助参加人P12の昭和56年12月の賞与に関し,第1次評定(業績評
定)においては5項目すべてについてCであり,総合評定欄において「同類からみ
て期待通りの業績であった」との評定がされたのに,最終評定結果においてはEと
された(別表12の2)。
(エ) 補助参加人P12の昭和63年12月の賞与に関し,第2次評定(業績評
定)においては,3項目についてC,2項目についてDとされ,総合評定において
は「同格からみて期待通りの業績であった」との評定がされたのに,最終評定結果
においてはEとされた(別表12の2)。
(オ)a 補助参加人P14の平成2年度の定期昇給に関しては,第1次評定にお
いて次のとおり評定された。
(a) 業績評定においては,2項目
についてB,5項目についてCとされ,評定者所見として「代理店設置及び業績拡
大に努力の跡が顕著であった」との記載がされた。
(b) 能力評定においては,3項目についてB,2項目についてCとされ,評定
者所見として「業務全般について十分な知識を有し,営業面での折衝等の判断も十
分であった」との記載がされ,能力の向上度合について「能力向上のあとが顕著で
あった」との評定がされ,能力基準は,「同格をやや上回る」と評定された。
(c) 執務態度評定においては,2項目についてB,3項目についてCとされ,
評定者所見として「規律を十分に守り積極的に仕事に取り組み,職場内での協調性
も十分であった」との記載がされ,総合評定において「十分満足している」との評
定がされた。
b これに対し,最終評定結果はDとされた(別表12の16)。
(カ) 補助参加人P16の平成2年12月の賞与に関し,第1次評定(業績評
定)においては3項目についてC,2項目についてDとされたのに,最終評定結果
においてはEとされた(別表12の17)。
オ 以上のほか,定期昇給及び賞与の人事考課において,第1次評定あるいは第2
次評定においてはCあるいはDしかないのに,最終評定結果がEとなっているの
は,全評定回数32回のうち,補助参加人P3(別表12の1)については10
回,補助参加人P12(別表12の2)については11回,補助参加人P4(別表
12の4)については10回,補助参加人P16(別表12の17)については1
2回に及んでいる。
(4) 前記(3)ア,イで認定した事実によれば,昭和56年及び昭和61年の
各制度における原告会社の人事考課制度は,第1次評定及び第2次評定を行った上
で,調整者が最終的な評定を決するという3段階の評定を経由するというものであ
るものの,第1次評定及び第2次評定の結果が最終的な評定にどのように反映され
るかについての基準は存在しない。もとより,当該社員の業績,能力,執務態度に
ついての人事考課評定は,それらの要素を多面的・総合的に検討して行われるもの
であるし,評定者による第1次,第2次の評定も,当該社員に直接ないし近接して
接し,その仕事振りを把握している上司が行うとはいえ,評定者の主観が入り込む
余地があることは否定できないし,他の社員との比較も行う必要があるから,評定
の調整を行う必要があることは理解できる。しかし,これらのこ
とは,反面調整者による評定にもその主観が入り込む余地を否定できないことを示
すものということができる。原告会社の人事考課制度においては,業績評定,能力
評定及び執務態度評定という3種の評定結果をどの程度の割合で考慮して判断すべ
きかの基準も存在しておらず,このことからすれば,一層前記の調整者の主観の入
り込む余地があり得るものということができる。そして,前記(3)エ,オで認定
した事実によれば,補助参加人らの評定の中には,第1次及び第2次の各評定と調
整者が行った最終的な評定との間に容易には説明のつかない乖離が存するのであっ
て,この乖離についての合理的な説明はうかがえない(これらにつき,最終評定
は,第1次及び第2次評定間の甘辛現象や評定者の寛大化傾向等を調整したもので
合理的な理由があるとする乙1146,1162は,その理由が抽象的にすぎる
上,後記(7)に照らし,にわかに採用できない。)。以上の事情に,最終評定決
定に費やされる時間(前記(3)ウ)(最終評定決定に当たっては,調整を必要と
する者について調整の要否及びその程度が問題となると考えられるから,当該対象
者に割かれる時間は平均時間より多くなるといえるが,それにしても,評定の対象
となる社員数,評定に費やした総時間数からして十分な議論がされたとは考え難
い。)をも併せ考えると,そもそも,最終的な評定を決するに当たり,第1次評定
者及び第2次評定者の記載した人事考課表をどの程度参考にしたかについても疑問
が残るところである。
 これらの点を考慮すると,原告会社における人事考課の方法は,公平性,透明性
を高めるべく一定の工夫がされたものとはいえるが,なお,最終評定決定段階にお
いて最終評定決定者の主観ないし恣意が相当程度入り込む余地のある制度であると
みるのが相当である。
 原告会社の人事給与制度を外形的にみれば,職能資格制度として一定程度整備さ
れたものであるというべきであることは,前記(2)のとおりである。しかし,そ
の前提となる原告会社における人事考課制度は,定期昇給,賞与についてはその金
額に直接影響があり,かつ,昇類又は昇格の判定に当たって参考とされるもので,
原告会社の人事給与制度のいわば根幹をなす制度であるところ,この人事考課制度
は,前記のとおり最終評定決定者の主観ないし恣意の入り込む余地が相当程度ある
ものであるから,原告会社の職能資格制度は,
制度の具体的運用において評定者の恣意的運用を阻む程度にまで確立されたものと
はいえないと判断するのが相当である。
 なお,前記のとおり原告会社においては苦情処理委員会が整備されており,証拠
(甲3,乙393ないし396,612,698,証人P92)によれば,苦情処
理委員会の判定において,最終評定が不当であると判定されたことはないことが認
められるが,苦情処理委員会委員の構成及び割合(前記1(4))からして,その
ことから直ちに,原告会社の職能資格制度が制度の恣意的運用を阻む程度にまで確
立されたものであるとまではいえない。
(5) 次に,補助参加人らの人事考課の実態について検討する。
ア 前記(3)エ,オで認定した事実によれば,次のとおりいうことができる。
 原告会社の人事考課は,一定の評価期間における業績,能力,執務態度を評定
し,その結果を賃金等に反映することとされ,賞与についてはこのうち業績評定の
みが適用される。そして,業績評定においては各人の仕事量を決定することが評定
の前提となるものである。しかるに,補助参加人らに対する仕事量の決定がどのよ
うにされたかは本件全証拠によっても必ずしも明らかではない。
 補助参加人らの評定の中には,例えば補助参加人P12につき,昭和56年12
月賞与の場合,第1次評定はすべてC,また,昭和63年12月賞与の場合,第2
次評定(業績評定)は,3項目についてC,2項目についてDであるのに,最終評
定はいずれもEとされているが,このように評価が2段階も下がることについてそ
の合理的な理由はうかがえない。補助参加人P3についても,平成元年6月,同年
12月,平成2年6月,同年12月,平成3年6月賞与の場合,業績評定の項目に
ついてはC又はDの評価とされているのに,最終評定はEとなっており,平成3年
の昇給についても,業績評定,能力評定,執務態度評定の各項目はC又はDである
のに最終評定はEとされている(なお,補助参加人P3の属する木更津営業所の平
成元年,平成2年各3月末の賞与成績は前期に比べ向上している。乙289,29
0,337ないし341)。
 その余の補助参加人らについても,別表12のとおり,評定の個別項目の評定で
はC以上又はD以上のみであるのに,最終評定でD又はEとされているものが相当
数あるが,これらについても,そのように評価が下がることについての合理的な理
由はうかがえ
ない。
イ 補助参加人P12は,昭和61年制度移行時には担当課長であったが,昭和6
1年7月には主事となったこと,補助参加人P7は,昭和58年12月担当課長と
して管理職となったが,昭和60年9月に主事となったこと,補助参加人P8は,
昭和61年制度移行時には担当課長であったが,昭和61年7月に主事となったこ
とが認められるところ(前記1(5)ア),このように,前記補助参加人らは,一
度は管理職に昇進したのに一般職に格下げとなる取扱いを受けているが,人事考課
制度が改定されたとはいえ,これらの補助参加人らに対してこのような取扱いをす
ることの合理性を見出すことも困難である(乙1029,1031,1035によ
っても合理性を認めるに足りない。)といわざるを得ない。
ウ 前記ア,イに,前記(4)の判断や,補助参加人らに対する支部大会代議員選
挙に関する職制の言動,配転,時間内組合活動休暇の不承認について原告会社の不
当労働行為があったこと(前記第3ないし第5),補助参加人らについての最終評
定決定者が常務会であって,これらの不当労働行為をした原告会社の重要な意思決
定機関であること,補助参加人らのA派としての活動状況,配転先での業務内容を
併せ考えると,補助参加人らに対する人事考課は第1次評定及び第2次評定そのも
のの正確性に疑問が残る上,少なくともその調整をした上でされた最終評定決定
は,補助参加人らの活動を嫌悪し,その活動を弱体化させることを企図してされた
恣意的な判断の下に同人らを殊更に低く評価したものといわざるを得ず,この低評
価に基づき補助参加人ら(ただし,補助参加人P2を除く。)の賃金,賞与,職能
資格格付け及び職位が他の社員に比べ低位に置かれているのであるから,このこと
は同補助参加人らに対する不利益取扱いであり,かつ,朝日火災支部の運営に対す
る支配介入に当たると推認することができる。
 このように,社員である補助参加人らに対する低評定が,他の事情と相まって,
使用者の不当労働行為と推認されるときは,使用者である原告会社はこの推認を覆
すために,補助参加人らに対する低評定がその者の業績,能力,執務態度に照らし
相当であることを具体的に立証する必要があるというべきであるところ,これをい
う証拠(甲4,乙891,1017,1035,1146,1162,証人P9
2,同P26)は,反対証拠(乙335,丙14ないし3
2,原告P3本人)に照らし,補助参加人ら(ただし,補助参加人P2を除く。)
の業績,能力,執務態度が劣り,低評価が相当であると認めるには十分とはいえな
い。
 もっとも,証拠(甲4)によれば,補助参加人P2は,昭和62年度から平成3
年度にかけて出勤すべき日数1261日について有給休暇を合計60日取得し,ま
た,病気で590日欠勤している(病気欠勤日数の内訳は,昭和62年度129
日,昭和63年度110日,平成元年度165日,平成2年度49日,平成3年度
137日)ことが認められるところ,同補助参加人はこれらの欠勤日には業務に従
事していないのであるから,これら各年度の評定に際しては,当然この出勤すべき
日数の半数近くに及ぶ欠勤の実態を考慮してその業績,能力,執務態度を評定すべ
きものと考えられる。そして,欠勤により勤務実績が乏しい以上その評価が低くな
ることはやむを得ないと考えられるから,少なくとも昭和63年度から平成3年度
にかけての同補助参加人の低評価(最終評定)が同補助参加人の活動を嫌悪し,そ
の活動を弱体化させることを企図してされた恣意的な判断によるものと認めること
は困難であり,この低評価に基づきされた同補助参加人の賃金,賞与,職能資格格
付け及び職位の位置付けが同補助参加人に対する不利益取扱いであり,朝日火災支
部に対する支配介入に当たるとはいえない。
(6) 原告会社の主張について
ア 原告会社の昭和56年及び昭和61年の各制度における人事考課制度について
の当裁判所の判断は,前記(4)のとおりである。
 原告会社は,最終評定はいわゆる甘辛調整を目的として行われるものがあり,そ
の結果第1次及び第2次評定者の評定結果とは異なる評定となることはあり得る旨
主張する。確かに,前記のとおり評定には主観の入り込む余地があるから,一般論
としては原告会社の主張は理解できるが,補助参加人らに対する人事考課について
原告の主張が妥当するかについては,第2次評定の結果を最終評定の段階で変更
し,しかも評定を低める方向で調整するという事態が,補助参加人らについて前記
のように多数みられるのであって,そのことに合理的な説明もうかがえない上,第
1次評定者と第2次評定者とは異なっており,このように評定者を異にしているの
は本来これにより評定の歪みを是正しようとするものであること,常務会が最終評
定決定に費やす時間が短時間であるこ
とを併せ考えると,前記の原告会社の主張から補助参加人らに対する評価に理由が
あるとすることはできない。
 原告会社は,最終評定は多面的な情報をもとにして行われるのであり,最終評定
の結果を後日具体的に説明することは不可能である旨主張するが,最終評定が多面
的な情報をもとに行われるからといって,その結果の後日の説明が不可能であると
は必ずしもいえないし,第1次及び第2次評定と最終評定との乖離についての説明
不能の不利益を被評定者に負わせるのが相当とはいえないから,この主張も採用で
きない。
 原告会社は,C評価,D評価の数の多寡で人事評価の当否を論証する本件命令の
方法は誤りである旨主張するが,第1次評定及び第2次評定では,評定項目ごとに
したAないしEの評定を踏まえて総合評定をAないしEとするのであるから(前記
(3)ア,イ),評定項目におけるC,D評価の数の多寡が総合評定ひいて最終評
定につながるもので,その多寡と最終評定との不整合を指摘し,人事考課の当否を
論ずることが誤りとはいえない。
イ(ア) 原告会社は,①人事考課においては過去の業績や勤怠状況も考慮され
る,②補助参加人らの第1次及び第2次の各評定において,勤務者としてふさわし
くない人格的な欠陥が述べられており,これは簡単に解消されたり,年次によって
変化するという性質のものではなく,現場責任者が補助参加人らの評価に際して選
択した評価分類が高いものであったとしても,それは明らかに分類の選択に誤りが
あるのであって,補助参加人らは,かかる人格的欠陥のない他の多くの従業員との
対比において,極めて低い評価に落ち着くことになる,③補助参加人らは,有給休
暇をすべて消化し,更に時間内組合活動休暇まで要求して,組合活動に熱中するな
どしていたのであって,もとよりそのような活動に従事せず業務に精勤する者に比
べ,その業績が見劣りすることは避けられない,などと主張する。
(イ) そこで検討するに,原告会社の人事考課において評定期間が定められてい
ることは前記のとおりであるから,人事考課は評定期間ごとに行われるべきもので
あり,過去の業績や勤怠状況を当該評定期間の人事考課において考慮することは,
本来予定されていないものというべきである。したがって,人事考課において過去
の業績や勤怠状況も考慮されるとする原告会社の主張は採用できない(原告会社の
主張のように,過去の業績や勤
怠状況も考慮されるとすれば,一度これらについて低評価を受けた者は,評定期間
を異にする時期に業績を上げ,勤怠状況が良好であった場合でも低評価を受けるこ
とになるが,そのような評価をすることは,人事考課に評定期間を設けた趣旨に反
するというべきである。)。
(ウ)a 人事考課における第1次及び第2次の各評定が,業績評定,能力評定,
執務態度評定について行われることは前記のとおりであるが,証拠(乙689,8
83ないし890,1080,1082)によれば,それぞれ各評定における考慮
要素は次のとおりであることが認められる。
(a) 業績評定
 業績評定は業務行動基準書に即して行われる。
 業務行動基準書に記載されている事項は,仕事の種類,それに対応する類別遂行
基準である。同基準書では,仕事の種類として,代理店設置・改廃,代理店指導督
励,契約業務一般,損害事件の受付処理に関する事項,来客の応対等が挙げられて
おり,さらに,例えば「損害事件の受付処理に関する事項」については,「具体的
な仕事」として,①事故受付及び処理,②保険金支払に関する調査,査定及び折衝
が挙げられ,前者の類別遂行基準として,「事故受付及び処理は正確に対処できて
いた。」(1類),「事故受付及び処理については機会をとらえ,下位者に適切な
助言,指導を行っていた。」(5類),後者の類別遂行基準として,「保険金支払
に関する調査,査定及び折衝は正確にできていた。」(2類)などが挙げられてい
る。
(b) 能力評定
 能力評定は能力評定基準書に即して行われる。
 能力評定基準書では,1ないし9類各別に記載がされている。
 5類については,考慮要素として,情報関連知識,判断力,指導統率力,企画
力,折衝力が挙げられ,このうち「情報関連知識」については,「C程度の能力水
準例」として,「営業政策にのっとり,新規代理店の獲得,従来の代理店の取引拡
大等について,その人その企業の将来性,人的つながりを十分考慮に入れて整備,
拡充できる程度の情報関連知識」などが挙げられ,「評定段階」として,Aないし
Eの各評定の基準につき,A評定は「同類としての情報・関連知識は申し分な
い。」,B評定は「担当業務を遂行するに当たって関連的に必要な経済情勢・地域
の動向,業界動向などの情報関連知識は十分保有している。」,E評定は「同類と
しての情報・関連知識は不足している。」などとされている。
 また,7類については,考慮要素として,決断力,組織化能力,問題解決力,管
理企画力,説得力が挙げられ,例えば,「説得力」については,「C程度の能力水
準例」として,「部門方針に従い担当が異部門との調整折衝をうまく行い,円滑な
業務運営ができる程度の説得力」などが挙げられ,「評定段階」として,A評定は
「同類としては極めて優れた説得力を持ち申し分ない。」,B評定は「内外の利害
が関係するような複雑困難な折衝に際しても,信頼関係を保ちながら優れた説得力
をもって,ほとんどの場合は必要な目的を円滑に達成することができる。」,E評
定は「同類としては説得力が不足している。」などとされている。
(c) 執務態度評定
 執務態度評定は執務態度評定基準書に即して行われる。
 執務態度評定基準書では,考慮要素として,責任感,積極性,協調性,規律,節
約観念が挙げられ,このうち「責任感」については,「着眼点」として,①障害や
困難があっても自己の職責を最後までやりぬく姿勢をもっていたか,②責任の回
避,転嫁はなかったか,③陰日向のある行動はなかったか,が挙げられ,「評定段
階」として,AないしEの各評定の基準につき,A評定は「相当困難な障害に直面
しても,最善の努力をつくし自己の任務を貫徹しようとしていた。」,B評定は
「ある程度困難があっても,自己の任務を最後までやりぬこうと努力してい
た。」,E評定は「仕事に取り組む姿勢に陰日向があり,自分に不利になると責任
を回避したり,他に転嫁することがあった。」などとされている。
 また,「規律」については,「着眼点」として,①上司の指示命令に従っていた
か,②諸規則等は守られていたか,③職場秩序の維持向上につとめていたか,が挙
げられ,「評定段階」として,A評定は「ルールや指示の内容を良く理解し,自ら
定められたとおり守っているとともに,他への良い模範となっていた。」,B評定
は「ルールや指示は自ら定められたとおり守っており,他の者にある程度良い影響
があった。」,E評定は「ルールや指示に反する行為がみられ,注意しても繰り返
すことがあった。」などとされている。
 なお,前記各基準書は,いずれも昭和56年制度におけるものであるが,昭和6
1年制度においても同様の取扱いがされていた。
b 補助参加人らの第1次評定及び第2次評定における所見には別表12のとおり
原告会社の主張に沿うかのごとき記載が
ある。しかし,これらの記載には抽象的な内容のものが多く,また,所見が記載さ
れていない場合もある上,評定者が所見欄の記載と評定項目のいずれを重視したの
かも明らかではない。また,証人P26は,補助参加人らは休暇を取得することが
多く,休暇が多いことは当然業績が上がっていないことを意味する旨証言するとこ
ろ,証拠(甲10)によれば,補助参加人らの中には組合活動等のため多くの休暇
(有給休暇及び時間内組合活動休暇)を取得している者がいることがうかがわれる
が,これらの休暇が多いことが具体的にどのように業績の不向上に直結したかは,
同証言によっても明らかではない。さらに,前記a認定の事実によれば,原告会社
の人事考課において考慮される要素は,日常業務の遂行に際して表れた業績,能
力,執務態度といったものに限られており,勤務者としてふさわしくない人格的な
欠陥の有無などといった側面は考慮要素として挙げられていないこと,同様に,勤
務日数の多寡もこれに挙げられていないことが認められる。
 これらのことを併せ考えると,補助参加人らの低評価等は,その勤務状況や職務
に対する態度に起因する旨の原告会社の主張は,採用できない。
ウ 原告会社は,人事考課の不当性は,これを主張する者が立証すべきであり,査
定が正しいことを原告会社に立証させることは誤りであるとも主張するが,従業員
に対する低評定が他の事情と相まって不当労働行為と推認されるときは,使用者に
おいて低評定が相当であることを具体的に立証する必要があると解するのが相当で
あるから(前記(6)ウ),この点に関する原告会社の主張も採用できない。
3 賃金,賞与,職能資格格付け,職位に関する本件命令の救済措置について
(1) 賃金,賞与に関する救済措置について
 本件命令は,補助参加人らに対し,いずれも昭和63年4月以降平成3年までの
賃金と賞与について,人事考課査定の中間評価であるCとして再査定して昇給させ
既支給額との差額を支払うこと,また,補助参加人ら(補助参加人P19を除
く。)の職能資格格付け及び職位を同年同期入社者に遅れないように取り扱うよう
に命じている。
 この点につき,原告会社は,本件命令では,補助参加人らについてC査定を受け
るべきとした判断を基礎付ける理由が明らかではない旨主張する。
 一般に,賃金・賞与に関する差別が不当労働行為であるとされる場合,労働委員
会が採り得
る救済措置としては,使用者に対して再査定を命じた上旧査定との差額の支払を命
じる方法と,是正すべき賃金・賞与額の支払を具体的に命じる方法とが考えられ
る。このうち,前者の方法に関しては,使用者の査定権(裁量権)や人事権との関
係が問題となるが,次のとおり,使用者が人事考課において当該労働者を殊更に低
く評価している事実が疎明(訴訟段階では立証。以下同じ)され,他の具体的事実
とを併せて考えると,そのことが使用者の当該労働者に対する不当労働行為意思に
基づくものと推認できるときには,当該労働者についての評定に関し,比較の対象
となる同年同期入社者の業績等が明らかにされない限り,労働委員会が裁量により
再査定を人事考課査定の中間評価とするよう命ずることも適法であると解するのが
相当である。
 すなわち,労働組合法が,労働委員会の発令する救済命令という方法で不当労働
行為によって生じた状態を是正することとした趣旨は,正常な集団的労使関係秩序
の迅速な回復,確保を図るとともに,使用者の多様な不当労働行為に対してあらか
じめその是正措置の内容を具体的に特定しておくことが困難かつ不適当であるた
め,労使関係について専門的知識経験を有する労働委員会に対し,その裁量によ
り,個々の事案に応じた適切な是正措置を決定し,これを命じる権限をゆだねるこ
とにあるものと解される。また,労働組合法7条1号は,「その労働者を解雇し,
その他これに対して不利益な取扱をすること」と規定し,文言上損害の発生等が要
件となる旨を規定しておらず,したがって,同号違反を肯定するには,使用者が不
当労働行為意思をもって不利益な取扱いをした事実が認められれば足り,同号所定
の不利益な取扱いによって生じた実害の具体的な内容・程度は,同号の不当労働行
為の成立要件そのものではないと解される。このような労働委員会による救済命令
発令の趣旨,労働組合法7条1号の解釈に徴して考えると,労働委員会は,使用者
が不当労働行為意思をもって不利益な取扱いをした事実を認定することができれ
ば,合理的な是正措置を決定するために必要な事実を職権で調査し,不当労働行為
に関する事実とともにその事実を総合考慮し,裁量により,個々の事案に応じた適
切な是正措置を決定することができると解するのが相当である。
 したがって,使用者が救済対象者と同年同期入社者の業績等を疎明して救済対象
者の業績等が相
当劣っていることを示す等,評定内容に関する具体的事情を疎明し,社内における
処遇のバランス等に留意することが相当であると判明したのに,労働委員会がこれ
を参酌せずに是正措置を決定すれば,裁量権行使の範囲を逸脱したものとして違法
となることがあり得るが,使用者がそのような具体的事情を疎明せず,労働委員会
には使用者の指摘するような実態があるのか否かが分からない場合には,労働委員
会は,判明しているそれ以外の事情を検討して救済措置の内容を決定することがで
きるものと解するのが相当である。もっとも,この場合であっても,労働委員会の
発した救済命令の取消訴訟において,使用者がこのような具体的事情を立証した場
合には,救済命令は,これらの事情を参酌して命令を発しなかった点で裁量権の範
囲を逸脱したものとして違法となり得るけれども,原告会社からそのような立証が
あったとはいえないことは前記2(5)のとおりである。
 以上によれば,本件命令が,原告会社に対し,補助参加人ら(ただし,補助参加
人P2に関する部分を除く。)の賃金及び賞与について,人事考課査定の中間評価
であるCとして再査定して昇給させ,既支給額との差額を支払うことを命じたこと
は,労働委員会の裁量権の範囲内であると解するのが相当である。
(2) 職能資格格付け,職位に関する救済措置について
ア 本件命令は,補助参加人ら(補助参加人P19を除く。)の職能資格格付けの
是正に関し,平成3年6月1日における職能資格格付けについて同年同期入社者に
遅れないように取り扱うことを命じている。昇格や昇進については,使用者は,人
事権に基づき,それにふさわしい者のみを昇格,昇進させることができるもので,
使用者には一定の裁量があるから,労働委員会が使用者に不当労働行為がある場合
の救済方法を検討するに当たっても,使用者の有するこの人事権に配慮すべきであ
り,労働委員会の採った救済方法が使用者の人事権を著しく不当に制限するもので
あるときは,労働委員会にゆだねられた救済方法に関する裁量権を逸脱ないし濫用
したものとして違法となると解すべきである。
イ ところで,昇格に関して不当労働行為を行った使用者が,救済対象者の比較対
象となる同年同期入社者の業績,能力等を開示せず,そのため是正に必要な資料が
得られない場合,労働委員会は,救済措置の内容につき,例えば最も遅く昇格した
者の待遇を基準にし
なければならないというような制約を受けるものではないというべきである。なぜ
なら,仮に前記制約を受けるとすると,不当労働行為を行った使用者が是正に必要
な資料を開示しないことにより,労働委員会は,救済対象者が昇格にふさわしい者
かどうかが不明であるとして救済内容を最低限に抑えざるを得ない結果となるが,
これでは,不当労働行為によって生じた状態を是正し,正常な集団的労使関係秩序
の迅速な回復を図るべき立場にある労働委員会が採る救済方法として十分でないこ
とがあるからである。したがって,このような場合,原告会社では,昇格は職能資
格ごとに決定されること(前記1(3)カ)を考慮すると,労働委員会が,最も遅
く昇格した者の待遇を基準とせず,原告会社における昇格格差の是正のため,職能
資格格付けについて本件命令のような取扱いをすることも,その裁量権の範囲内と
して許されるもので(ただし,補助参加人P2に関する部分を除く。),これが使
用者の人事権を著しく不当に制約するものではないと解するのが相当である。
ウ また,本件命令が,補助参加人ら(補助参加人P19を除く。)に対し,平成
3年6月1日における職位について,同年同期入社者に遅れないように取り扱うこ
とを命じた点は,原告会社の昭和61年制度の下では職能資格と職位が応当してお
り(前記1(3)),一定の職能資格に格付けられるとそれに対応するいずれかの
職位に就くことになること,原告会社が比較対象となる同年同期入社者の業績,能
力等を開示するなどして一定の職位に昇進するための条件を明らかにせず,そのた
め職位に昇進する条件が職能資格格付けとの対応関係以外に明らかではないこと,
本件命令は,補助参加人ら(補助参加人P19を除く。)の職位について具体的な
職位に就けることを命じているわけではなく,同年同期入社者に遅れないように取
り扱うことを命じているもので,その範囲においては原告会社の人事権に基づく裁
量を認めていること,本件命令のような取扱いを命じても,原告会社が補助参加人
ら(補助参加人P19を除く。)を組合員資格を有するライン外の役職にすること
は可能であること(乙366の労働協約第7条,乙1096ないし1099)から
すれば,本件命令が命じた救済方法が,原告会社の人事権を著しく不当に制限し,
労働委員会にゆだねられた裁量権の範囲を逸脱ないし濫用したものとまではいえな
い(た
だし,補助参加人P2に関する部分を除く。)。これに反する原告会社の主張は採
用できない。
4 結論
 以上のとおりであって,補助参加人らの賃金,賞与,職能資格格付け,職位にお
ける差別について不当労働行為の成立を認め,原告会社に対し前記のとおりその是
正を命じた本件命令中,補助参加人P2に関する部分は失当であるから同部分は取
消しを免れないが,その余の部分は適法であるから,同命令部分の取消しを求める
原告会社の請求は棄却を免れない。
第7 第82号事件の争点1(賃金等に関する救済申立期間)について
1 前記第6の1(2)の事実及び弁論の全趣旨によれば,原告会社の昭和56年
制度では,賃金については,前年1月1日から12月31日までの人事考課の評定
結果に基づき,当該年4月に昇給額(ただし,評定結果が波及するのは,職能給部
分のみである。)が決定され,その昇給額に応じて当該年度の賃金が同年4月から
翌年3月まで支給されること,また,賞与については,当該年度の賃金を基礎とし
て,12月賞与は当該年4月1日から同年9月30日までの,6月賞与は前年10
月1日から当該年3月31日までの,それぞれその業績評定結果に基づきその額が
決定されて支給されることが認められる。
 また,前記第6の1(3)のとおり,原告会社の昭和61年制度では,賃金につ
いては,前年4月1日から当該年3月31日までの人事考課の評定結果に基づき,
同年4月に昇給額(ただし,評定結果が波及するのは職能給部分のみである。)が
決定され,その昇給額に応じて当該年度の賃金が同年4月から翌年3月まで支給さ
れる(賞与については昭和56年制度と同様である。ただし,評定結果はいわゆる
メリット部分に波及する。)。
2 そこで,まず賃金について検討する。
(1) 原告会社においては,人事考課の評定結果に基づき当該年4月に昇給額が
決定されることにより,その時点で向後1年間における毎月の賃金額が決定され,
それに基づき毎月の賃金が支給されるのであるから,人事考課の評定とこれに基づ
く毎月の賃金の支払とは全体として一個の継続する行為であるとみるのが相当であ
るが,次年度においては改めて人事考課がされ,その評定結果に基づき昇給額が決
定し直されるのであるから,当該年度における人事考課の評定結果及びこれに基づ
く毎月の賃金の支払と,次年度におけるそれとは別個の行為であるといわざるを得
ず,
したがって,人事考課の評定結果及びこれに基づく毎月の賃金の支払は,年度ごと
に異なる行為であり,かつ,次の発令時期までの1年間に限り継続するものである
と解するのが相当である。
(2) これに対し,補助参加人らは,原告会社における職能給制度の下では,あ
る年度にいったん査定された人事考課の評定結果に基づく差別賃金は,その後も累
積する仕組みになっており,賃金の格差は当該年度以降の賃金支払行為の中でも継
続するから,継続して行われる一括一個の不当労働行為として,労働組合法27条
2項の「継続する行為」に当たるもので,このように解しないと,不当労働行為で
あるかどうかが不明確であるのにその疑いがあれば直ちに救済申立てをしなければ
ならず,酷にすぎる旨主張する。
 しかし,不当労働行為救済の申立期間を1年内と定めた労働組合法27条2項の
立法趣旨は,不当労働行為として申し立てられる事件が行為後1年以上経過してい
る場合には,これについて命令を出すことはかえって労使関係の安定を阻害するお
それがあることやその実益に疑問がある場合があることのほか,労働委員会の調査
審問に当たって証拠収集,実情把握が困難となること等を考慮したものと解される
ところ,補助参加人らのように解するとすれば,いったん不当労働行為に当たる人
事考課の評定及びこれに基づく賃金の支払がされれば前記の1年の期間を大幅に超
えても常に申立てが許されることになり,申立期間を短期に制限した同条の趣旨が
没却されることになる。他方,人事考課に基づく評定結果とこれに基づく毎月の賃
金の支払とを当該年度に限り一体として継続する行為であると解した場合でも,人
事考課に基づく評定結果により昇給額が決定されれば,そのことは組合員に明らか
になるから,その後当該組合員や労働組合がそれが不当労働行為であるか否かを検
討することは可能であるといえ,このような解釈が必ずしも酷とはいえない。
 これらのことからすれば,労働組合法27条2項の「継続する行為」の解釈とし
ては,前記(1)のとおり解するのが相当であり,補助参加人らの主張は採用でき
ない。
 補助参加人らは,都労委の指導がなかったことや申立期間についての当時の被告
の解釈をも問題とするが,都労委の指導の有無は,申立期間の解釈について直接関
わることではないし,申立期間について補助参加人ら主張のように被告が解釈して
いたことを認めるに足
りる証拠はないから,この点に関する補助参加人らの主張も採用できない。
(3) 本件では,昭和63年度及び平成元年度の賃金差別に係る救済申立ては平
成元年12月25日にされた(乙7。都労委平成元年不第76号事件)ところ,昭
和63年4月に決定された昇給額に基づく賃金(昭和63年度分)の最終支払時期
は平成元年3月であるから,同年度分の賃金についての救済の申立てはそれから1
年の申立期間内にされたということができ,また,平成元年4月に決定された昇給
額に基づく賃金(平成元年度分)については,その賃金支払の継続中に救済命令の
申立てがされたことになる。したがって,昭和63年度分及び平成元年度分の賃金
についての救済命令の申立ては適法である。
 次に,平成2年度及び平成3年度の賃金差別に係る補助参加人らの救済申立ては
平成3年12月24日にされた(乙8。都労委平成3年不第72号事件)ところ,
平成2年4月に決定された昇給額に基づく賃金(平成2年度分)の最終支払時期は
平成3年3月であるから,同年度分についての救済申立てはそれから1年の申立期
間内にされたということができ,また,平成3年4月に決定された昇給額に基づく
賃金(平成3年度分)の最終支払時期は平成4年3月であるから,その賃金支払の
継続中に救済命令の申立てがされたことになる。したがって,平成2年度分及び平
成3年度分の賃金についての救済命令の申立ても適法である。
 これに対し,昭和56年から昭和62年までの各4月に決定された昇給額に基づ
く賃金の最終支払時期は昭和63年3月以前であるところ,これらの年度の賃金差
別に係る救済申立ては平成元年12月25日にされた(乙7。都労委平成元年不第
76号事件)から,前記部分の賃金についての救済命令の申立ては1年の期間を徒
過してされたものであって不適法である。
(4) よって,昭和63年3月以前の賃金に関する救済申立てを却下した本件命
令は正当であり,その取消しを求める補助参加人らの請求は棄却を免れない。
3 次に,賞与について検討する。
 労働組合法27条2項の申立期間の解釈については,業績評定結果及び人事考課
評定に基づく賃金を基礎とする賞与についても前記2と同様であり,賞与が支給さ
れた後1年内に救済申立てをすべきものと解するのが相当である。
 昭和62年12月以前の各賞与の差別に係る救済申立ては平成元年12月25日
にされて
いるから(乙7。都労委平成元年不第76号事件),これらの申立ては1年の申立
期間(昭和62年12月賞与についていえば,昭和63年12月まで)を徒過して
されたものであって不適法であり,同各賞与に関する申立てを却下した本件命令は
正当である。また,平成元年12月の賞与の差別に係る救済申立ては平成3年12
月24日にされ(乙8。都労委平成3年不第72号事件),その査定部分(メリッ
ト部分)については,1年の申立期間(平成2年12月まで)を徒過してされたも
のであって不適法であるから,同賞与の査定部分に関する申立てを却下した本件命
令は正当である。
 これに反する補助参加人らの主張は,前記2の説示に照らし,採用できない。
 したがって,本件命令中,前記の各賞与に関する救済申立てを却下した部分の取
消しを求める補助参加人らの請求は棄却を免れない。
4 なお,補助参加人P7は,同人の昭和58年度分の賃金に関する不当労働行為
の成立を認めるべきである旨主張する。しかし,本件命令は,補助参加人P7の昭
和58年度分の賃金に係る申立ては,他の補助参加人らに関するものと同様,労働
組合法27条2項所定の1年の申立期間を徒過してされたものであることを理由に
これを却下したのであり,この点に関する本件命令の判断が正当であることは,前
記のとおりであるから,労働委員会としてその不当労働行為性を問題にすることは
できず,補助参加人P7の主張は理由がない。
第8 第82号事件の争点2(配転に関する救済申立期間)について
1 補助参加人らは,初審申立てに当たり,補助参加人P4,同P2,同P5,同
P13,同P12,同P15,同P16,同P18及び同P19に係る次の配転が
不当労働行為に当たるとして,その救済を求めた(乙1,2,3,5)。
(1) 補助参加人P4
 昭和57年4月1日付け本店営業内務部から秋田営業所への配転
(2) 補助参加人P2
 昭和56年4月1日付け本店損害調査部から津田沼営業所への配転
(3) 補助参加人P5
 昭和57年8月2日付け本店第1営業部から立川営業所への配転
(4) 補助参加人P13
 昭和57年8月2日付け東関東営業本部調査課から長崎営業所への配転
(5) 補助参加人P12
 昭和54年9月1日付け尼崎営業所から高知営業所への配転
(6) 補助参加人P15
 昭和56年4月1日付け東京第3営業部から宇都宮営業所への配転
(7)
 補助参加人P16
 昭和56年4月1日付け東京損調センターから名古屋支店への配転
(8) 補助参加人P18
 昭和55年8月14日付け大阪支店内務部から和歌山営業所への配転
(9) 補助参加人P19
 昭和57年4月1日付け大阪支店営業所から和歌山営業所への配転
2 補助参加人P4,同P2,同P5,同P13及び同P12の前記各配転に係る
救済申立ては昭和58年10月25日にされ(乙1。都労委昭和58不第103号
事件),補助参加人P15,同P16,同P18及び同P19の前記各配転に係る
救済申立ては昭和59年4月11日にされた(乙3。都労委昭和59不第18号事
件)。
 ところで,配転命令はそれ自体一個の独立した行為であり,そこに労働組合法2
7条2項の「継続する行為」なるものを措定することはできないから,前記各配転
に係る救済申立ては,その配転の時期に照らし,いずれも同法27条2項所定の1
年の申立期間を徒過してされたものであって不適法である。
 補助参加人らは,命令発出や解決までに何年かかるか分からない申立てを,1年
以内に必ずしなければならないというのは,申立てをする当事者の実情に合わない
などと主張するが,労働組合法27条2項の明文を無視するもので,採用できな
い。
3 以上によれば,前記各補助参加人の配転に係る救済申立てを却下した本件命令
は正当であり,この命令部分の取消しを求める補助参加人らの請求は棄却を免れな
い。
第9 第82号事件の争点3(賃金,賞与の是正内容)について
 第8のとおり,補助参加人らの賃金,賞与の是正を求める救済申立ては,昭和6
3年度分から平成3年度までの是正を求める限度で申立期間を遵守したものという
べきであるが,証拠(乙7,8,11,12,1090,1094)によれば,補
助参加人らが求めるこれらの期間における賃金,賞与の是正は,補助参加人らの職
能資格格付け(職能給の等級を含む。以下同じ)及び職位を同年同期入社者に遅れ
ないよう取り扱った上でのものであることは明らかである。しかるに,本件命令
は,これら補助参加人らが是正されるべきであるとする職能資格格付け及び職位を
考慮しないものとして,賃金,賞与の是正をすることとし,補助参加人らの賃金,
賞与の是正について主文第2項の限度で救済し,それを超える救済申立てを棄却し
ている。
 しかし,補助参加人ら(ただし,補助参加人P2を除く。)の賃金
,賞与について原告会社が補助参加人らを不利益に取り扱い,朝日火災支部の運営
に介入した不当労働行為の事実が認められることからすれば,被告が不当労働行為
によって生じた状態の原状回復を図るためにする救済方法としては,特段の合理的
理由のない限り,これら職能資格格付け及び職位を考慮した上での是正をすべきで
ある(これを考慮しない是正をすることについての合理的な理由は,被告の主張及
び本件命令の判断によってもうかがえないし,本件全証拠によってもうかがえな
い。)。
 しかるに,本件命令は,補助参加人らの求める賃金,賞与の是正について主文第
2項のとおり命じるのみで,前記職能資格格付け及び職位を考慮した上での是正を
求める部分の救済申立てを棄却しているのであるから,本件命令主文第5項中,こ
の部分を棄却した部分については,被告にゆだねられた裁量権を逸脱ないし濫用し
たものとして,取消しを免れない。
第10 結論
1 第44号事件に係る原告会社の訴えのうち,本件命令主文第1項①の取消しを
求める部分は,訴えを却下すべきである。その余の原告会社の請求は,本件命令の
主文第2項中,補助参加人P2の賃金,賞与,職能資格格付け及び職位に関する部
分の取消しを求める限度で理由があるからこれを認容すべきであるが,その余は理
由がないから棄却すべきである。
2 第82号事件に係る補助参加人らの請求は,本件命令の主文第5項中,補助参
加人ら(ただし,補助参加人P2を除く。)の賃金,賞与の是正について,職能資
格格付け及び職位について同年同期入社者に遅れないように取り扱った上での是正
申立てを棄却した部分の取消しを求める限度で理由があるからこれを認容すべきで
あるが,その余は理由がないから棄却すべきである。
3 よって,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第19部
裁判長裁判官 山口幸雄
裁判官 吉崎佳弥
裁判官 伊藤由紀子
別紙1
命令書
 上記当事者間の都労委昭和58不第103号、同59不第18号、同59不第7
0号、同60不第81号、平成元年不第76号、平成3年不第72号事件につい
て、当委員会は、平成7年10月17日第1161回、11月7日第1163回、
11月21日第1164回、12月5日第1165回、12月19日第1166
回、同8年1月9日第1167回、公益委員会議を経て、同年1月23日第116
8回公益委員会議において、会長公益委員P44、
公益委員P45、同P46、同P47、同P48、同P49、同P50、同P5
1、同P52、同P53出席し、合議のうえ、次のとおり命令する。
       主   文
1 被申立人朝日火災海上保険株式会社は、申立人らが申立外全日本損害保険労働
組合朝日火災支部の定例大会にむけて行う各分会からの出席代議員の選出等の同支
部の組合活動に関し、支配介入してはならない。
2 被申立人会社は、申立人らの時間内組合活動休暇を承認しないことによって、
同支部の組合活動に関し、支配介入してはならない。
 また、被申立人会社は、P19に対する昭和59年3月16日の全損保大阪地方
協議会定例委員会出席に関する時間内組合活動休暇を承認しなかったことに伴う、
同年5月分賃金からカットした金276円を同人に支払わなければならない。
3 被申立人会社は、申立人らの配置転換について、次のとおり措置しなければな
らない。
① P3を昭和58年12月1日付で、本店自動車業務部の原職または原職相当職
に復帰させること。
② P1を昭和58年4月1日付で、本店東京営業本部の原職または原職相当職に
復帰させること。
③ P6を昭和57年10月25日付で、本店東京営業本部の原職または原職相当
職に復帰させること。
④ P11を昭和58年4月1日付で、大阪支店の原職または原職相当職に復帰さ
せること。
⑤ P14を昭和58年8月5日付で、大阪支店の原職または原職相当職に復帰さ
せること。
⑥ P17を昭和58年4月1日付で、千葉営業所の原職または原職相当職に復帰
させること。
4 被申立人会社は、申立人らの賃金・賞与・昇格の差別を是正するために、次の
措置を行うこと。
① 昭和58年10月以降平成3年度までの賃金について、人事考課査定がD査定
以下のものを、査定の中間評価であるCとして再査定して昇給させ、既支給分との
差額を支払うこと。
 ただし、P7の58年を除く。
② 昭和58年12月以降平成3年度までの賞与について、人事考課査定がD査定
以下のものの査定部分を、査定の中間評価であるCとして再査定し、既支給分との
差額を支払うこと(基礎となる賃金は①で是正した金額を基準とする)。
③ 昇格については各人(P19を除く)の職能資格格付けを、平成3年6月1日
以降、申立人ら各人の同年同期入社者に遅れないように取り扱うこと。
5 被申立人会社は、本命令書受領の日から1週間以内に、55セ
ンチメートル×80センチメートル(新聞紙2頁大)の大きさの白紙に下記の内容
のとおり楷書にて明瞭に黒色で書き、本社の正面入り口付近の従業員の見やすい場
所に10日間掲示しなければならない。

平成 年 月 日
(申立人全員の氏名を掲記) 殿
朝日火災海上保険株式会社
代表取締役 P43
 当社が、貴殿らの、全日本損害保険労働組合朝日火災支部の定例大会にむけて行
う出席代議員の選出等の組合活動に介入したこと、時間内組合活動休暇を承認しな
かったこと、P19氏に対して全損保大阪地方協議会定例委員会出席に関する時間
内組合活動休暇を承認せず賃金をカットしたこと、P3氏・P1氏・P6氏・P8
氏・P11氏・P14氏・P17氏・P7氏を配置転換したこと、そして、賃金・
賞与・昇格の差別をしたことは、不当労働行為であると東京都地方労働委員会にお
いて認定されました。
 今後このような行為を繰り返さないよう留意します。
 (年月日は掲示の日を記載すること。)
6 第2項後段、第3項、第4項および第5項を履行したときは、すみやかに当委
員会に文書で報告しなければならない。
7 申立人らの配置転換に関するその余の申立、昭和56年から58年9月分まで
の昇給にかかる賃金および昭和58年6月期以前の賞与に関する申立てを却下す
る。
8 申立人らのその余の申立を棄却する。
第1 認定した事実と判断
1 当事者等
(1) 被申立人
 被申立人朝日火災海上保険株式会社(以下、「会社」という。)は肩書地に本店
を置き、全国各地に25カ所の支店と53カ所の営業所等を有し、火災、運送、自
動車、自賠償、傷害・貯蓄総合その他各種保険・再保険を業とする会社で、その従
業員数は、平成4年3月31日現在670名である。
(2) 申立人とその社内歴および組合役員等の略歴
① 申立人P3は、昭和34年4月1日会社に入社し、43年11月運送保険部業
務課主任、44年2月同課長代理、47年4月代理店業務部業務課課長代理、49
年4月同課長、50年4月代理店業務部部長付主事(51年4月専従休職)、52
年10月海上運送部部長付主事、53年4月自動車業務部部長付主事を経て、58
年12月1日から木更津営業所主事(新市場開発担当)、平成3年12月から米子
営業所主事、さらに4年7月6日から成田営業所勤務となり現在に至っている。な
お、この米子営業所から成田営業所への異動は、米子営業所配転にか
かる東京地裁平成4年6月23日付仮処分決定を受けたことによるものであるが、
P3は本件においては木更津営業所への配転自体を争っているものであることか
ら、異議を留めて成田営業所に赴任した。
 P3は、この間、41年に、会社の従業員で組織する全日本損害保険労働組合
(以下、「全損保」という。)朝日火災支部(以下、「支部」または「組合」とい
う。)の副書記長兼全損保常任中央執行委員となり、42年支部書記長兼全損保常
任中央執行委員、43・44年支部書記長兼全損保副書記長、45年支部書記長兼
全損保常任中央執行委員、46~50年支部執行委員長兼全損保常任中央執行委
員、51・52年支部副委員長兼全損保書記長、53~55年支部執行委員長兼全
損保常任中央執行委員、56・57年支部副委員長兼全損保常任中央執行委員を歴
任した。
 なお、P3は、58年9月の支部定例大会で副委員長選挙に落選し、また、59
~62年は支部委員長選挙に落選している。
 (本件命令書において、「・・年」との記載は暦年を表し、月日は、一部省略し
た。支部組合における「年度」の表示は定期大会期日を基準としており、まぎらわ
しさを避けるために可能な限り修正・統一した。)
② 申立人P4は、37年4月1日に入社し、54年4月1日本店東京営業本部事
務センター主事、57年4月1日秋田営業所(主事)、さらに2年6月1日から桐
生営業所(主事)勤務となり現在に至っている。
 P4は、この間、44年大阪分会委員長、45~47年大阪分会書記長、48・
49年大阪分会委員長、50年大阪分会委員兼支部執行委員、51年支部副委員長
兼大阪分会委員、52年支部執行委員長兼全損保常任中央執行委員、53~55年
支部書記長等を歴任した。
 なお、P4は、56年11月の支部定例大会で書記長選挙に落選している。
③ 申立人P2は、38年4月1日会社に入社し、50年4月1日本店損害調査部
審査課主任、56年4月1日津田沼営業所所長代理、さらに60年3月15日から
成田営業所(所長代理)勤務となり現在に至っている。
 P2は、この間、45年支部執行委員兼神戸分会書記長、46・47年支部副書
記長兼全損保中央執行委員、48~51年支部書記長、52・53年支部副委員長
兼全損保中央委員、54年東京分会委員長、55年支部執行委員、56年東京分会
副委員長、57年東京分会副委員長兼全損保東京地方協議会(以
下「地協」という。)常任幹事等を歴任した。
④ 申立人P1は、33年4月1日会社に入社し、53年9月本店営業第二部第二
課課長代理、58年4月1日三鷹営業所(所長代理・新市場開発担当)、さらに2
年12月1日から城南営業所(所長代理)勤務となり現在に至っている。
 P1は、この間、41年大阪分会委員兼支部闘争委員、42年大阪分会委員、4
3年大阪分会副委員長、44~47年支部副書記長、48~50年東京分会委員
長、51年東京分会委員長兼支部闘争委員、52年東京分会書記長、53年東京分
会書記長兼支部闘争委員、54年東京分会副委員長、55年支部副委員長、56~
58年支部執行委員等を歴任した。
 なお、P1は、58年9月の支部定例大会で執行委員選挙に落選し、また、59
~62年は副委員長選挙に落選している。
⑤ 申立人P5は、49年4月1日会社に入社し、本店営業第一部第二課に配属さ
れ、57年8月2日立川営業所(主任)、さらに2年6月1日から秋田営業所(主
任)勤務となり現在に至っている。
 P5は、この間、54年東京分会委員、55・56年支部執行委員等を歴任し
た。
 なお、P5は、57年9月の支部定例大会で執行委員選挙に落選し、また、59
~62年は、副書記長選挙に落選している。
⑥ 申立人P6は、47年4月1日会社に入社して仙台支店に勤務し、55年4月
(東京営業本部)事務センター第一課主任、57年4月東京営業本部内務部内務課
課長代理、57年10月25日城東営業所(所長代理・新市場開発担当)を経て、
元年12月1日から松阪営業所(所長代理)勤務となり現在に至っている。
 P6は、この間、47年仙台分会青婦部長、48~50年仙台分会書記長、51
年支部副書記長兼仙台分会委員、52・53年支部副書記長、54年支部副委員長
兼全損保中央委員、55年支部副委員長、56年支部執行委員、57年支部副書記
長等を歴任した(この間、52年4月から55年3月まで支部専従役員であっ
た)。
 なお、P6は、58年9月の支部定例大会で副書記長選挙に落選し、また、59
~62年は書記長等の選挙に落選している。
⑦ 申立人P7は、40年2月1日、会社と鉄道保険部との合体により会社に入社
し、50年4月長野営業所所長、53年4月福知山営業所所長、53年9月米子営
業所所長、55年4月1日平塚営業所所長を経て、昭年12月1日甲府営業所営業
担当課長(新
市場開発担当)、60年9月1日から同営業所主事として勤務し、3年12月8日
定年退職、同年12月9日特別社員に再雇用され現在に至っている。
 P7は、この間、41年神戸分会委員、44年大阪分会委員、58年横浜分会副
委員長を歴任した。
⑧ 申立人P8は、35年4月1日会社に入社し、52年4月大阪支店損害調査セ
ンター堺サービスセンター所長、54年4月同神戸サービスセンター所長、58年
4月1日から金沢営業所(営業担当課長)、61年7月同営業所主事、そして3年
6月1日から京都支店営業課主事として勤務した。なお同人は、この後、最高裁平
成5年2月22日判決にかかる配転無効確認仮処分決定の確定により、京都支店営
業課から神戸支店調査課に異動し現在に至っている。
 P8は、この間、45年大阪分会副書記長、46年大阪分会委員兼全損保大阪地
協副書記長、47年大阪分会副委員長兼全損保大阪地協幹事、48年大阪分会委員
兼全損保大阪地協書記長、55年神戸分会委員兼全損保神戸地協幹事、56年神戸
分会委員長兼全損保神戸地協幹事、57年神戸分会委員長兼全損保神戸地協副書記
長等を歴任した。
 なお、P8は、59~62年の間、支部執行委員選挙に落選している。
⑨ 申立人P9は、41年4月1日会社に入社し、55年6月1日守口営業所所長
代理、60年11月25日から福山営業所(所長代理)に勤務し現在に至ってい
る。
 P9は、この間、50年大阪分会副書記長、51~55年大阪分会委員兼全損保
大阪地協幹事、56年大阪分会副書記長、57・58年大阪分会副書記長兼全損保
大阪地協幹事、59年大阪分会副委員長等を歴任した。
 なお、P9は、59・60年、支部執行委員選挙に落選している。
⑲ 申立人P10は、40年2月1日、会社と鉄道保険部との合体により会社に入
社し、55年4月からの京都支店営業第二課課長代理を経て、平成3年6月1日か
ら松山営業所(所長代理)に勤務し現在に至っている。
 P10は、この間、47年大阪分会副書記長、48・49年大阪分会委員、51
~55年大阪分会委員、57年京都分会書記長兼支部闘争委員、58年京都分会副
書記長兼全損保京都地協幹事、59年京都分会副書記長等を歴任した。
 なお、P10は、59年、支部執行委員選挙に落選している。
⑪ 申立人P11は、36年4月1日会社に入社し、55年4月1日大阪支店営業
第一部第二課、58年4月
1日から神戸支店営業課(課長代理・新市場開発担当)に勤務し現在に至ってい
る。
 P11は、この間、46・47年大阪分会副書記長、48~50年大阪分会書記
長、51年大阪分会副委員長、52~55年大阪分会委員長、56・57年大阪分
会委員長兼支部闘争委員長、58年大阪分会副委員長、59年神戸分会書記長等を
歴任した。
 なお、P11は、59~62年の間、支部副委員長などの選挙に落選している。
⑫ 申立人P12は、36年4月1日会社に入社し、52年4月尼崎営業所所長、
54年9月高知営業所所長、56年4月高松支店営業課(営業担当課長)、57年
4月高知営業所(営業担当課長)、61年7月同営業所(主事)を経て、3年6月
1日から姫路支店営業課(主事)に勤務し、現在に至っている。
 P12は、この間、42・43年高松分会書記長、44年高松分会委員長、45
年高松分会書記長、46・47年高松分会書記長兼全損保四国地協議長、48年高
松分会委員長兼全損保四国地協議長、49年高松分会委員長兼支部闘争委員、5
0・51年高松分会委員長、52年高松分会副書記長兼全損保四国地協幹事、5
3・54年大阪分会副委員長、57・58年高松分会委員等を歴任した。
⑬ 申立人P13は、51年4月1日会社に入社し、54年5月10日東京営業本
部東京損害調査センター調査第三課、56年4月1日東関東営業本部調査課、57
年8月2日長崎営業所、2年7月1日から同営業所(主任)に勤務し現在に至って
いる。
 P13は、この間、54年支部青年婦人部委員兼東京分会青婦部書記長、55・
56年支部青年婦人部書記長を歴任した。
⑭ 申立人P14は、49年4月1日会社に入社し、56年4月1日大阪支店営業
第二部第一課(主任)、58年8月5日大分営業所(主任)、3年12月1日から
木更津営業所(主任)に勤務し現在に至っている。
 P14は、この間、54・56年大阪分会執行委員、57年大阪分会書記長を歴
任した。
⑮ 申立人P15は、38年4月1日会社に入社し、50年4月1日東京営業本部
東京損害調査センター調査第二課(課長代理)、56年4月1日宇都宮営業所(所
長代理・新市場開発担当)、63年12月1日から函館営業所(所長代理)に勤務
し現在に至っている。
 P15は、この間、39年京都分会委員、40・41年同分会書記長、42~4
5年同分会委員長、46年同分会委員、47~49年
支部執行委員兼仙台分会副委員長、50年支部執行副委員長、51~53年東京分
会委員長、54年支部執行委員等を歴任した。
 なお、P15は、55年、支部副委員長選挙に落選している。
⑯ 申立人P16は、50年4月1日会社に入社し、52年4月東京損害調査セン
ター調査第二課、56年4月1日名古屋支店営業第二課(新市場開発担当)、62
年12月1日から福岡支店営業課に勤務し現在に至っている。
 P16はこの間、51年,56年東京分会委員、53年,56年全損保東京地協
常任幹事を歴任した。
⑰ 申立人P17は、37年4月1日会社に入社して京都支店に勤務し、53年4
月1日東京営業本部東京損害調査センター千葉サービスセンター(所長)、54年
4月1日千葉営業所(所長代理),58年4月1日釧路営業所(札幌支店営業第二
課課長代理・釧路駐在・新市場開発担当)、3年6月1日から高崎支店営業課(課
長代理)に勤務し現在に至っている。
 P17は、この間、京都在勤中は48年京都分会書記長、49~51年京都分会
委員長、その後、56・57年は東京分会委員を歴任した。
⑱ 申立人P18は、54年4月1日会社に入社し、55年9月1日大阪支店内務
部から和歌山営業所へ、62年12月1日から南大阪支店営業課(主任)に勤務し
現在に至っている。
 P18は、この間、45年から50年まで大阪分会青年婦人部書記長兼同分会闘
争委員、52・53年同分会副書記長、54~56年まで同分会副委員長、57年
同分会執行委員、58年同分会副書記長を歴任した。
 なお、P18は、59年、支部執行委員選挙に落選している。
⑲ 申立人P19は、45年4月1日会社に入社し、52年8月10日梅田営業
所、57年4月1日から和歌山営業所に勤務し現在に至っている。
 P19は、この間、46年から51年までは大阪分会青年婦人部委員として活動
し、55年9月に大阪分会執行委員、60・61年は支部青年婦人部委員を歴任し
た。
(3) 申立外労働組合
① 全損保すなわち、全日本損害保険労働組合は、全国の損害保険事業およびこれ
に関連する事業に従事する労働者によって24年に結成された労働組合であり、本
件(58不103号事件)申立当時の組合員数は約33,000名である。なお、
全損保には、下部の協議組織として各地方毎に計14の地協が、各地協の下に各地
域毎の地区協議会(以下、「地区協」という。)が、
置かれている。
② 支部すなわち、全損保朝日火災支部は、被申立人会社の従業員によって30年
に結成された全損保の下部組織の労働組合であり、本件(58不103号事件)申
立当時の組合員数は約620名である。
 なお、支部には、単独ないし複数の支店、営業所を単位として13の分会が置か
れている。
2 本件において請求する救済内容の概要
(1)〔58不103号事件(58.10.25申立)〕①58年9月に開かれた
全損保朝日支部第49回定期大会に向けての支配介入に関する謝罪および今後の禁
止、②12名の配転取消、③P7に対する57年度人事考課の是正④ポストノーテ
ィス等
(2)〔59不18号事件(59.4.11申立)〕①上記58不103号事件の
①と同旨、②5名の配転取消、③ポストノーティス等
(3)〔59不70号事件(59.9.6申立)〕①P3の57,9~58,9全
損保常任中央執行委員としての同委員会出席に際し、労働協約上の組合活動休暇を
認めないなどの不利益取扱についての今後の禁止、②P8、P9、P11の58年
9月26、27日に開かれた全損保第40回全国大会への代議員としての出席に際
し、労働協約上の組合活動休暇を認めないなどの不利益取扱についての今後の禁
止、③P19の59年3月16日に開かれた59年度大阪地方協議会委員会への委
員としての出席に際し、労働協約上の組合活動休暇を認めず、276円の賃金カッ
トをするなどの不利益取扱についての今後の禁止と276円の返還④ポストノーテ
ィス等
(4)〔60不81号事件(60.9.20申立)〕①申立人らが、59年9月2
1、22日に開かれた全損保第41回全国大会に代議員として出席するに際し、労
働協約上の組合活動休暇を認めないなどについての今後の不利益取扱の禁止②ポス
トノーティス等
(5)〔元不76号事件(元.12.25申立)〕①申立人ら19名の56年から
元年までの賃金是正、差額の支払い、②同じく19名の56年6月から元年6月ま
での賞与の是正、差額の支払い、③同じく19名の職能等級の是正
(6)〔3不72号事件(3.12.24申立)〕①申立人ら19名の平成2年、
3年の賃金是正、②同じく19名の元年12月分から3年までの賞与是正、③同じ
く19名の職能等級是正、④申立人らが全損保定期全国大会(60年9月第42回
大会、61年9月第43回大会、62年9月第44回大会、63年9月第4
5回大会、元年9月第46回大会、2年9月第47回大会、3年9月第48回大
会)に代議員として出席するに際し、労働協約上の組合活動休暇を認めないなどの
不利益取扱についての今後の禁止
3 本件の背景となる事実
(1) 会社の経営危機対策等と労使関係の経緯
① 会社は52年3月期決算において、17億を越える実質赤字を計上する見込み
となったが、53年6月22日付の日本経済新聞朝刊一面トップに「朝日火災再建
に乗り出す」、「前3月期大幅赤字、経営陣一新へ」などと報じられた。これを会
社では、いわゆる”日経ショック”と呼ぶが、同旨の内容の記事は、他の主要日刊
紙でも取り上げられた。ついで、同年7月31日の株主総会で、代表取締役(会
長、社長、副社長)と筆頭常務が交代し、経営の再建を開始した。
 この日経記事に対して、全損保はその機関紙「全損保」(No,1217、53
年6月25日)に”日経紙「朝日問題」報道についての見解”を全損保常任中央闘
争委員会名義で載せ、日経の記事は一般の読者あるいは保険契約者、代理店などに
事態の本質をゆがめて伝え、誤った認識をあたえるものであるとして、”朝日火災
の経営の実態は中小損保に共通する相対的な「劣勢」にあるとはいえ、今年急速に
悪化した内容はなく、むしろ52年度の元受増収率は全社平均を上回り、事業費
率、人件費率も49年度以降低下している”などと主張し、単に朝日火災1社の問
題としてではなく、中小損保全体にかかる合理化の問題として受け止め、全損保の
組織をあげて闘う旨、意志表明をした。
 なお、P3は前記認定のとおり、41年頃から支部役員を歴任してきたが、この
前後の時点では、51・52年支部副委員長兼全損保書記長、53~55年支部執
行委員長兼全損保常任中央執行委員、56・57年支部副委員長兼全損保常任中央
執行委員であった。
② 会社は、組合の53年度賃上げ要求に対して、4月17日以降いわゆるゼロ回
答を続け、さらに、6月29日には「合理化実行計画(案)」を提示した。組合
は、ゼロ回答では収拾しないとの方針をとり、6月末まで数次に亘る早退ストライ
キ、抗議行動を繰り返したが、「合理化実行計画(案)」については、8月25日
に合意(支部が中央労働委員会にあっせんを申請し、同委員会のあっせん案を労使
双方が受諾)したものの、賃上げについては、翌54年3月22日、ゼロのままで
決着した。
③ 会社は
、組合の54年度賃上げ要求に対して、同年7月26日に7,000円の回答を行
うとともに、経営基盤改善のための「人事諸制度の改定」(以下、「新人事諸制
度」という。この提案には、職能給体系提案・人事考課制度変更・退職金制度改
定・定年年齢変更等が含まれていた。)その他について、併せていわゆる「セット
提案」をした。これに対して組合は、この「セット提案」は受け入れられないとし
て、賃上げ交渉と「新人事諸制度」交渉との切り離しを要求したため会社と対立し
た。そしてこの間、9月17、18日の第40回支部定例大会では、「全損保朝日
支部に対して不当な攻撃を続けるP73経営陣、その背後にいる大株主(野村証
券、国鉄)、大蔵省に向けて、闘いを大きく外に拡げる行動」方針(以下、「闘い
を外に拡げる行動」という。)を決議し、その第一次行動日である10月17日に
は、街頭でのビラ配り、野村証券14支店における要請行動、早退ストライキ等を
行い、また、第二次行動日である11月16日には、野村証券本・支店における抗
議行動、大蔵省への要請行動、早退ストライキ等を行い、交渉は難航したが、翌5
5年2月29日、賃上げは14,566円で、また「新人事諸制度」は別途継続協
議とすることで合意した。
④ 会社は、営業成績の向上を図るために54年から実施していた営業本部制を強
化することとして、56年1月からは、全国の各支店の営業課および営業所(以
下、営業課および営業所を併せて、「課所」という。)のうち特に4人以上の営業
社員で構成されている課所に、官公庁の退職者市場開発をねらった「新市場開発担
当」者を配置することとした。そして、47名の新市場開発担当者を、新たに任命
した。
(2) 組合の活動方針をめぐる対立問題
① 54年11月中旬頃、会社の東関東営業本部長であったP21は、”憂う”
(その1)を執筆し(400字詰め原稿用紙6枚)、組合員に配付した。
 そこには、“日経ショック”から書き出で始まり、経営危機に関する会社のミス
を指摘し、経営陣は責任をとったが「この際組合委員長も責任をとり後進に道をゆ
ずるべき」、また、全損保は朝日火災の闘争に介入しているが、朝日を助け育てよ
うと本気で考えているのだろうか?・・・とし、「今は唯再建のために耐えがたき
を耐え忍び難きを忍び、会社の方針を全てのみ、直ちに闘争を終結して役員以下全
社員が一丸となって再建に全
力を挙げる事が絶対に必要なのではなかろうか」などの記載が見られ、最後に、週
刊ダイヤモンド54年11月17日号に載った「”躍進共産党”の新・企業侵攻
術」の記事を引用してあった。
 この後、前出、54年の「闘いを外に拡げる行動」の第二次行動日が予定されて
いた前日の11月15日、支部組合員である東京・名古屋地域の一部の課長、所長
の中から、これに反対する署名活動が起こった(以下、この署名活動を推進する立
場の組合員らを「署名推進派」という。)。これに対して支部、分会は、東京地区
の署名推進派と話し合いを持ったが合意に至らず、12月10日には、「署名推進
派」は全国の職場で一斉に署名活動に入った。このため支部闘争委員会は、さらに
同月12日に「署名推進派」の代表と混乱を収拾するための話し合いを行い、14
日に予定していた第三次行動日のストライキなどを中止した。
② 55年6月、「新人事諸制度」問題を討議するための臨時支部大会が予定され
ていたが、「署名推進派」はこの臨時大会にむけて、自分達の主張に同調する代議
員を送り込む運動を始めた。このため、これまでのように各分会から話し合いで支
部大会代議員を選出するという方法がとれない分会が生じ、東京分会においては立
候補者が多数出て選挙が行われ、定数20名の代議員中「署名推進派」が9名選出
された。
 また、同年9月の第43回定例支部大会の代議員選出に際しては、支部傘下13
分会中7分会で選挙が行われた。この中で、東京分会の総会においては、20名の
支部大会代議員中、執行部の運動方針に反対する代議員が12名選出された。一
方、分会役員の選挙では、執行部の運動方針に賛成する立場の、委員長、書記長の
候補者は、2名(申立人P2を含む)とも落選した。
③ かかる経緯で、55年9月17、18日の第43回定例支部大会が開かれた
が、執行部(P3執行委員長)の提案した「当面する諸問題をはじめとする重要な
方針」の全てにわたって、代議員の意見が二分されて激しい議論が展開され、支部
大会代議員44名中24対20で支部の運動方針がようやく可決された。
④ 55年9月第43回定例支部大会当時の会社職制の言動
ア 支部および全損保は、55年9月17、18日の第43回定例支部大会の前後
を通じて会社の非組合員である職制のとった①D仙台支店長の支部分会役員Kに対
する言動、②Y広島支店長の営業会議における言
動、③K本店自動車業務部長の仙台支店、広島支店その他、東北、新潟、東京、中
国、九州の各支店における言動、その他について、不当労働行為の救済申立(都労
委昭和55年不第92号事件)を行った。
イ これに対して、当委員会は「被申立人朝日火災海上保険株式会社は、被申立人
会社の部長、支店長らの職制をして、申立人全日本損害保険労働組合朝日火災支部
定例大会に代議員として出席する者に対し、同支部内における対立する一方の立場
を支持し、他方に反対する旨示唆する言動を行ったり、被申立人会社の業務上の諸
会議の際、同支部の組合員に対し、同支部内における対立する一方の立場を支持
し、他方を暗に批判するなどして、同支部の組合運営に支配介入してはならな
い。」と命令した(昭和56年9月22日決定)。
⑤ この55年9月の第43回定例支部大会で行われた支部役員選挙において、P
3は執行委員長に再選されたが、支部役員15名中、従来の執行部の運動方針に反
対の者6名(副委員長、副書記長各1名、執行委員4名)が新たに選ばれた。以
下、この当時において従来の執行部の運動方針に賛同していた者のグループを「A
派」、逆に反対していたグループを「B派」と呼ぶこととする。
 なお、会社は、そのようなグループの対立はそもそも存在しなかったと主張する
が、採用できない。
 以後、56年11月の第45回定例支部大会で行われた支部役員選挙において,
このB派が9名となって構成が逆転し(執行委員長にはB派のP20が当選。な
お、P3は、この時は副委員長に無投票で当選している。)、57年はさらに10
名となり、58年9月の第49回定例支部大会以降は、全員をB派が占めるに至っ
た。
⑥ 56年の支部定期大会で執行委員長に当選したP20は、40年4月1日会社
に入社し、55年4月から本社事務管理部システム課長、61年7月から同事務管
理部副部長兼システム課長となったが、この副部長昇格にともない非組合員となっ
た。なお、同人は、本件に関する審問において、被申立人側の証人になった。
 また、同人は、45~47年支部東京分会書記長を勤めたのをはじめ、全損保東
京地協役員、支部役員などを経て、51~54年は支部副委員長(当時、執行委員
長はP3)、56年11月から60年9月までは前記のとおり支部委員長を勤め、
同時に、57年9月から60年9月まで全損保常任中央執行委員を兼務した。
 P
20は、前記のとおり支部執行委員長であるP3とともに支部副委員長などをつと
めた経歴があるが、第45回支部定期大会が開催される前日の56年11月16
日、P3を呼び出し、全損保本部書記局近くの居酒屋にて話し合った。P20は話
し合いのなかで、この大会で執行委員長に立候補することを仄めかし、社長から直
接ではないが、会社の指示あるいは締めつけがあり辛い立場にあること、支部大会
におけるいわゆる会社の票読みもシビアに行われていることなどを述べ、今日は自
分の気持ちを分かって欲しかったので会ったが他言しないでほしい、と重ね重ね言
った。
 会談は約2時間に及んだが、終了後P20は、自派の会合があるといって、そこ
に向かった。
4 58年9月第49回定例支部大会当時の会社職制の言動について
(1) 会社は、58年7月9日、支部に対して、58年度賃上げと労働時間延長
をいわゆるセットで提案した。労働時間については、第2土曜日を休日とする代わ
りに、年間を通じて平日を9時~17時、土曜日を9時~12時とするものである
(当時の平日終業時間は16時30分)。
 そこで、58年9月19、22日の第49回定例支部大会は、この会社提案にか
かる労働時間の変更問題が中心議題となった。
 支部大会では、一部の代議員から提出された「時間延長を受け入れる」との修正
案が、26対4(白票1)で可決された。
 この間、”憂う”(その3)が、会社が上記のいわゆるセット提案をした翌10
日に、前出3(2)①の場合と同じくP21(中部営業本部長)の署名入りで出さ
れた。そこには、「私一人位はどうってことはないだろう。全損保に入っているの
でいざという時は助けてくれるだろう等と思っていたら大変なことになる。」、
「今も昔も変らず同じ主張をしている全損保に依存する限り、絶対に体力を回復す
ることは出来ないであろう。今組合は全損保並と大義名分をたてているが、他社は
他社、朝日は朝日である。朝日が潰れても全損保は助けてくれない。自分の飯は自
分で稼ぐしかないのである。全損保は自分らの主義主張及び自分らの組織を守るた
めに朝日を防波堤としているのである。そのために朝日を応援するのである。」、
「相変わらず昔取った既得権の上にアグラをかいている全損保に所属している限
り、当社は前進できず他社の後じんを拝し、いつ迄たっても日の目を見ることはな
い。一日も早く全損保から脱退し当
社独自で路を切り開いていくことである。就業時間一つとってみても、国内既存の
損保の中で朝日だけは、世間並に9時から5時迄開店しておりますと朝日の親切さ
を売り込んでいかなければならない。他所のやらないことをやることが良い結果に
結びつく時代なあである。」、「課所長よ、そしてそれに続く若人よ、目を覚まし
て君達自身のために決起してもらいたい。」などと書かれていた。
(2)① 支部の名古屋分会は、名古屋支店、豊橋営業所、岐阜営業所、四日市営
業所、松坂営業所、金沢営業所にそれぞれ所属する支部組合員で組織されている。
名古屋分会では、9月19、22日の第49回定例支部大会にむけて、9月13日
に分会総会が開かれたが、その中心問題は、支部大会の議案にある労働時間の変更
にかかる討議と、支部大会に出席する分会の代議員3名の選出であった(支部大会
の代議員は、各分会ごとに分会総会でもって選出することとされている。)。
 当時、I(支部組合員)は、四日市サービスオフィス(四日市営業所と同社屋)
に勤務していたが、9月3日に出勤すると四日市営業所のK所長から所長席に呼ば
れて、分会総会で選出する代議員につきどの代議員候補者にIが投票するかの割当
が決まった旨、いきなり言われた。Iは、名古屋支店営業一課に所属し当時の名古
屋分会分会委員長であるTに投票せよとのことであった(TはB派である)。そし
て、Kの説明では、名古屋支店ならびに中部営業本部の課所長の会議が前日の2日
に招集され、そのなかで、それぞれの課所長が各課所の組合員に対して割り当てら
れた立候補者に投票するように説得をすることが決まったとのこと、また、それ
は、名古屋支店の課長であるM(支部組合員)が中心になって決めたとのことであ
った。
 9月8日、Iは夜遅く帰宅したが、金沢営業所の所長であるHから電話があった
旨のメモがあり、翌日、Hの勤務先に電話したが不在で、昼過ぎにHからの電話を
受けた。Iが、前夜の電話の用件についてきくと、名古屋支店のP54支店長から
電話がなかったか同人から確かめられ、電話はなかった旨答えたところ、8日の会
合でそれぞれの組合員が誰に投票するか○×△をつけて検討したが、Iの投票がど
うなるのか不明だったので、P54からP8(申立人)には投票しないようIを説
得することになっているので、P54からの電話がなかったか確かめたとのことで
あった。そして、
P8には投票しないでほしい旨、説得された。
 この際Iは、予定されているB派からの立候補者として、豊橋営業所のO所長、
名古屋支店のT、Yの名前を聞いた。また、A派としてはP8、名古屋支店のK
U、豊橋営業所のMNの名前があった。そして、豊橋営業所からはOとMNの2名
になり、MNが出ると負ける可能性があるのでMNを立候補させないよう工作中と
のことであった。IはHの説得に対して、会社の指示による投票はしたくないが同
僚であるがゆえに協力するとすれば白票にすると答えたが、Hはその旨P54に報
告すると言った。なお、MNは立候補を取り止めた。
 分会総会の前日である9月12日になって、総会には欠席の予定だった四日市営
業所のMが、都合がついて急遽出席することになった。Mは時間延長に反対とみら
れていた。四日市営業所所長のKは午後3時頃Iに留守を頼んでMと外出したが、
1時間ほどで帰ってきて、欠席ということで報告してあるのに急に出席ということ
になって、いまさら変更もできず困ったことになった、とIに言った。
② 分会総会の当日、Iが会場である名古屋支店に着いたところ支店長席にいたP
54支店長から手招きされ、小声で「指示どおり頼むよ」と言われた。
 分会総会の投票結果は、O14票、T12票、P811票、Y10票、白票1票
で上位3名が当選した。
 分会総会の翌日、中部営業本部長のP21(”憂う”の筆者)は、四日市営業所
の所員全員の前で、分会総会の結果は非常に残念である、会社の指示には全員が従
ってもらわねばならない、と言い、従わなかった者に対する不利益取扱いを仄めか
した。
(3)① 支部の東京分会は、9月19、22日の第49回定例支部大会にむけ
て、9月17日に分会総会が開かれたが、その中心問題は、支部大会の議案にある
労働時間の変更にかかる討議と、支部大会に出席する分会の代議員の選出であっ
た。
② 大宮支店の東京分会総会の代議員は4名(組合員数11名)であった。そし
て、東京分会総会のための代議員選挙は同月14日に行われた。当時の大宮支店長
のP55は支部組合員であったが、B派に属するといわれており、代議員選挙に
は、P55を中心に、B派から、大宮サービスセンター所長のK、OG課長、OH
が立候補した。
③ IMは、代議員選挙投票日の約1週間前、B派と言われている支部組合員Wか
ら、Wは11月1日に結婚式を挙げることとなっ
ており、大宮支店長のP55に仲人を依頼していたが、P55はWに対して、P5
5の指名する者に投票すること、さもなくば結婚式について考え直すとの含みのあ
る発言を繰り返され、説得されている旨聞いた。
 投票日の前日である13日の夕方、WはP55の約10分後に続いて真っ青な顔
をして支店に戻って来たが、Wは机の上を片づけると支店長席に向かって深々と頭
を下げて帰っていった。IMはそれをみて、他の者と共にWを追い事情を聞こうと
したが、Wは今日は何も話せないと言って別れた。
 投票日当日の午前中、IMは会社を休んで自宅にいたが、Wから電話があり、1
3日の経緯を聞いた。P55はWに対して、選挙の投票に関して、P55の指示に
従わなければ結婚式を壊しかねない趣旨のことを強く言った、とのことであった。
IMは午後出社し、P55に抗議する言辞をはいたが、P55はIMの言動の意味
をすぐ理解した様子であった。
④ Tは、7月ごろ、支部組合員Wから、同人が、P55から就業時間延長を受け
入れることについてB派が集めている賛成の署名をするよう、代理店回りの際に同
乗した車の中などでしつこく迫られている、と聞いた。また、9月始めごろにも、
P55からB派で代議員を独占したいので同派に投票するよう何度も言われている
と、Wから聞いた。
 投票日の前日、TはWから誘われて昼食を共にした。Tは、その日の午前10時
ごろ大宮サービスセンター所長のKがWのところに来たのを見ていたが、それはP
55がWを喫茶店「マスコット」に呼び出していることをKがWに伝えに来たので
ある、とWは言った。用件は、投票の件とのことであった。また、Wに対して大宮
支店を管轄する非組合員のP84北関東営業本部長からも電話があったが、「今後
のためにならんぞ。だれに給料をもらっているんだ。」と言われた、とのことであ
った。
 Tは上記IMと同じく、その日の夕方、WがP55に続いて支店に戻り、机の上
を片づけると支店長席に向かって頭を下げて帰って行くのを見た。
⑤ 大宮支店における選挙の結果は、P555票、K5票、O4票、IMとP60
が各3票であったが、上位3名とIMが代議員になった。(なお、この後、Tは翌
年2月に春日部営業所に、また、IMも同3月に長野営業所に配転となり、大宮支
店関係では、以後はA派の立候補者はいなくなっている)。
 この当時、東京分会の組合員は252名で、
そのうち課所長クラスは67名であるところ、3人に1人の割合で選出する分会代
議員は総数85名中、課所長の組合員が46名を占めた。
(4) 58年8月18日午前9時から、守口営業所で営業会議が開かれ、出席し
たP34南近畿営業本部長は、約10分間、先週行われた本部長会議の報告をし
た。その後、当時会社が組合に提案していた就業時間延長問題に関して、「支部闘
争ニュースなどでみていると思うが,時間的にいって1770時間(年間)だし、
業界の平均を目指しているときに今の9時から4時半ではおかしい。」といって、
出席者の意見を聞いた。これに対してD、F(共に組合員)らも答えたが、申立人
P9が「この営業会議の場でこの問題を話されるのはおかしい、今労使で争点にな
っている問題で・・・」と答えたところ、P34は、「会社が生き残るかどうかと
いう時に、会社や組合と言っているときではないだろう、何がおかしいのか。不当
労働行為というのか。君は意欲がないんだな、君のそういう意識が間違ってい
る。」と、言った。この当時、守口営業所は所長以下4名で、全員が支部組合員で
あった。
(5) 58年9月14日、神戸分会の総会が開かれた。その数日位前からP61
姫路支店長(非組合員)を中心とした動きがみられ、H(女性組合員)らは、選挙
の説得をしているのだろう、と噂をしていた。14日午前中、HはP61姫路支店
長から支店の応接室に呼ばれたが、同僚のIも同席していた。P61は、分会総会
があるが、選挙で協力して欲しいとHを説得し、神戸分会が会社の上部からは目立
つ存在であると言った。Iも総会で立候補するとのことであった。Hは、協力の依
頼についてははっきり答えなかった。
 その日の午後、P61と支店のA課長(組合員・B派)が外出し、その後、Iも
出ていった。Hは分会総会のため神戸には新幹線で行くことになっていたが、夕刻
5時過ぎにA課長に呼ばれ、新幹線のなかで読んで欲しいと言われて茶封筒を渡さ
れた。封筒には会社の用紙を使って書いた選挙の協力依頼の手紙が入っていて、
「さて、選挙だが、今まで神戸分会は赤だといわれのない会社からの攻撃を受けて
おり、このままP11、IZ、NMにやらせると、神戸・姫路は更に人減らしや犠
牲的な異動が考えられ、本当をいうと中間派でいた人がやる方がよいと思ってい
る。しかしもうそんな人も見つからない。せめて神戸・姫路が「赤」だと
思われる目立った存在にならないようにだけはしたい。」などと書かれ、Aの署名
があった。
(6) 判断
① 申立人らは、会社は、以上に認定した一連の行為でもって労働組合の運営に対
し支配介入を行ったと主張する。これに対して被申立人は、そもそもA派、B派の
区分けやその対立もなかったとし(3(2)⑤)、支配介入行為の存在を否定す
る。
② 以上に認定した(2)乃至(5)の事実のうちには、一見して、組合内部にお
けるA派対B派の主導権争いと捉えられる部分がないわけではない。しかしなが
ら、これらの動きの中には、以下のように、会社幹部の言動であって、支部の活動
の方向に重大な関心を示すとともに一定の方向性を目指した会社の行為と見るべき
ものが、少なからず含まれている。
 すなわち、上記認定の事実によれば、①名古屋分会の分会総会における支部大会
代議員の選出に関し、会社の課所長会議で、各課所長が各課所の組合員に対しB派
候補者に投票するよう働きかけることが決められたこと、この課所長会議の構成員
である課所長は組合員であるが、会社の意向と無関係に課所長会議で組合活動の討
議がなされるとは考えられず、会社はこの会議においてかかる内容の討議がなされ
ることを容認していたことが推認できること、また、非組合員であるP54名古屋
支店長がB派の票読みに関与し、分会総会の当日にもさらに念押しをしているこ
と、さらに、全損保及びA派と対決する言動を繰り返していたP21南関東営業本
部長が、分会総会の結果を批判する趣旨の発言を四日市営業所の所員全員の前で行
ったことが、それぞれ認められ、また、②P55大宮支店長の言動は、単にB派組
合員としての言動であるにとどまらず、支店長としての地位を利用し、P84北関
東営業本部長の支持のもとに、Wに対してB派候補者に投票するよう迫ったもので
あると認められる。
 これらはそれぞれ、被申立人会社または会社の意を体したB派の組合員である課
所長が、A派に属する組合員が代議員として支部大会に参加することを妨げるため
に代議員選挙に対する干渉を行ったものといわざるをえない。したがって、いずれ
も支部の運営に対する支配介入であり、不当労働行為に該当する。
 そして、③P61姫路支店長がHに対して、神戸分会の分会総会でB派を支持す
るよう直接求めた言動、さらに、④守口営業所の営業会議におけるP34南近畿営
業本部長の言動も、両
名は非組合員の管理職であり、その時期及び発言内容に鑑みれば、会社が、支部の
なかのB派を支援し,一方、A派の活動を抑圧するために行った支配介入であり、
同じく不当労働行為に該当する。
5 申立人ら17名の配置転換について
(1) 会社は、次のとおり申立人ら17名に対して配置転換(以下、「配転」と
いう。)を命令した。17名の組合活動歴は、前記1(2)に認定したとおりであ
り、全員がA派に属している。また、この申立てにかかる配転は、54年9月1日
から58年12月1日の間に行われたものであるが、この間には、55年9月の第
43回定期支部大会において、支部役員15名中にB派が初めて6名選出され、つ
いで翌56年の大会では9名、さらに57年には10名となり、58年9月の第4
9回定期支部大会以降は、全員B派が占めA派がいなくなった事実がある(3
(2)⑤)。そして、当委員会は、55年9月第43回定例支部大会当時の会社職
制の言動を不当労働行為であるとして、56年9月22日に救済命令を発し、さら
に、本件において、58年9月第49固定例支部大会当時の会社職制の言動につい
ても支配介入があり不当労働行為であると判断した(4(6))が、これらの時期
とも重なっている。
①P3・58年12月1日、本店自動車業務部から木更津営業所へ
②P4・57年4月1日、本店営業内務部から秋田営業所へ
③P2・56年4月1日、本店損害調査部から津田沼営業所へ
④P1・58年4月1日、本店第二営業部から三鷹営業所へ
⑤P5・57年4月1日、本店第一営業部から立川営業所へ
⑥P6・57年10月25日、本店営業内務部から城東営業所へ
⑦P8・58年4月1日、神戸サービスセンターから金沢営業所へ
⑧P11・58年4月1日、大阪支店営業部から神戸支店営業課へ
⑨P13・57年8月2日、東関東営業本部調査課から長崎営業所へ
⑩P14・58年8月5日、大阪支店営業部から大分営業所へ
⑪P7・58年12月1日、平塚営業所から甲府営業所へ
⑫P12・54年9月1日、尼崎営業所から高知営業所へ
⑬P15・56年4月1日 東京第三営業部から宇都宮営業所へ
⑭P16・56年4月1日 東京損調センターから名古屋支店へ
⑮P17・58年4月1日 千葉営業所から釧路駐在所へ
⑯P18・55年9月1日 大阪支店内務部から和歌山営業所へ
⑰P19・57年4月1日 大阪支店営業部から和歌山営業
所へ
 申立人らは、以上の各配転は、不当労働行為に該当するとして、救済を求めてい
る。
(2) 上記の内、①P3・②P4・③P2・④P1・⑤P5・⑥P6・⑦P8・
⑧P11・⑨P13・⑲P14・⑪P7・⑫P12の救済申立は、58年10月2
5日(58不103号事件)である。労働委員会に対する不当労働行為の救済申立
期間は行為の日から1年間と定められている(労働組合法第27条第2項)から、
②P4・③P2・⑤P5・⑨P13・⑫P12の5名については、救済申立期間の
経過が問題となる。
 また、⑬P15・⑭P16・⑮P17・⑯P18・⑰P19の救済申立は、59
年4月11日(59不18号事件)であり、同様に、救済申立期間の経過が問題と
なる。
 申立人は、本件配転は54年から58年の本件申立に至るまでの間、毎年系統的
に繰り返されてきたもので、一つ一つを切り離して論ずることのできないものであ
り、会社の一貫した不当労働行為意思に基づくもので、その都度、支部組合を通
じ、あるいは申立人個人として会社に対して異議をのべ、紛争状態を継続させてき
たものであって労働組合法第27条第2項に規定する継続する行為に該当する、と
主張する。
 しかし、本件におけるこれらの配転は別々の人物に対して行われており、それぞ
れ一個の独立した行為としてなされたものであるので、継続する行為には該当しな
い。そして、一定の行為がなされたことは配転の発令によって一々明白になること
であり、もしそれが不利益取扱いであるとすれば、配転を発令された者が1年以内
に不当労働行為を申し立てることは可能であり、継続する行為の概念によって法の
保護する範囲を拡張すべき場合ではない。
 なお、P17の場合は、58不103号事件の申立人にはなっていないが、同事
件に関する59年2月6日付準備書面において配転撤回を求める対象者として列挙
されており、実際の申し立て(同年4月11日)とも時間的に近接しているので、
本件の審査の対象とすることとする。
 したがって、②P4、③P2、⑤P5、⑨P13、⑫P12、⑬P15、⑭P1
6、⑯P18、⑰P19の申立は却下せざるをえない。
(3)① P3の58年12月1日付本店自動車業務部から木更津営業所への配転
について
ア 会社は、P3を58年12月1日付で本店自動車業務部から木更津営業所へ新
市場開発担当として配転した。木更津営業所は53年9月に
新設され、当初は千葉営業所内に同居する形であったが、58年4月に木更津市で
独立店舗となった。P3の異動は11月15日の事務折衝で支部に提示されたが、
全体で71名(うち、組合員61名で組合役員18名を含む)の異動であった。P
3は支部を通じて異議を申し立て、いわゆるP8裁判・当委員会に対する本件申立
などの活動ならびに通勤時間の関係などから就業時間後の組合活動等も困難になる
として配転の撤回を求めたが、会社の容れるところとならず、支部は「やむなく異
議を唱えて赴任する」ものとして収拾した。
 なお、支部は、定期異動の時期としては12月異動に反対し、従前どおり、4月
1日の定期異動を求めていくこととした。
 P3が赴任した12月は、木更津営業所では一定の私企業の退職者に会社の主力
商品である長期型の保険を売り込むことが課題とされていたので、人手が足りない
ことから所長とP3の2人でこれに取り組んだ。それは翌1月に契約となったが、
その契約の数字を所定の規程に従って社長室に報告したところ、翌週からはその実
績がP3の実績になることを避ける形とされ、所長のみの実績報告となった。その
後、P3の新市場開発担当としての業務がはじめられた。
イ P3の配転について、被申立人は、P3は異動の直前まで、53年4月から5
年8ヵ月間本店自動車業務部に勤務し、それ以前の40年11月から53年3月ま
での間についても支部あるいは全損保本部の専従期間を除いて本社の業務部門ある
いは査定部門に勤務していたので、木更津営業所という営業の第一線に異動させた
ものであるという。また、同営業所は所長と若手の社員2名で構成されており、新
しい退職者市場の開発と同営業所の増収体制の強化のための配転である、と主張す
る。
ウ これに対して申立人らは、P3の配転は、P3が1(2)①に認定したとおり
長年にわたり支部の組合運動の中心的活動家であったこと、また、A派のリーダー
であり後記のP8配転に関する裁判闘争等の中心者でもあることを嫌った配転であ
り、支部執行部が全員B派で占められるに至った58年9月の支部役員選挙で落選
したP3を、その直後の同年12月に、例年4月の異動が原則のところを、特に組
合活動などに不利な課所に配転させたものである、という。
エ 被申立人のいうように、会社は営業不振を打開し会社を再建するため、営業範
囲を拡張するために全国の各営業課所の
うち特に4人以上の営業社員で構成されている課所に、官公庁の退職者市場の開発
をねらって新市場開発担当者を配置したというのであるが、P3の場合、木更津営
業所の所員は全員で3名でありその前提に反し、あわせてP3を特に同営業所に配
置した理由について、被申立人の説明がない。そして、新市場開発担当として増収
体制を強化するために配転したといいながら、同人が赴任した12月には、その業
務は始められていない。会社は、実際にはP3が所長とともに既存の業務を行って
いたことについて、これは同人に対する一種の教育であった旨説明するが、前後の
経緯からみて、新市場開発担当者を配置するという趣旨に合致するものではない。
 かえって、同人に対する配転は、同人が中心となって進めてきていたA派として
の組合活動ならびに関連するいわゆる裁判闘争の支援活動などを被申立人が嫌い、
これを事実上極めて困難にするためになしたものと認められ、組合活動上の不利益
取扱であるとともに、同人の所属する支部に対する支配介入と認められる。
② P1の58年4月1日付本店東京営業本部第二営業部から三鷹営業所への配転
について
ア 会社は、P1を58年4月1日付で本店東京営業本部第二営業部から三鷹営業
所へ新市場開発担当として配転した。同営業所は、従前は5人体制であったとこ
ろ、営業効率が悪いということで、56年、57年に各1名減員とされ、所員は3
名であった。P1は、異動の当時A派に属する支部執行委員であったので、組合活
動に支障があるとして支部を通じて会社にたいして異議を申し立てたが、会社の容
れるところとならず、支部は「やむなく異議を唱えて赴任する」ものとして収拾し
た。
 なお、支部執行委員在任中に配転になった者はこの当時4名おり、P1のほかP
2(56年4月1日)、P5(57年4月1日)、P6(57年10月25日)で
あるが、いずれもA派に属していた。
イ P1の配転について、被申立人は、58年4月異動の基本方針の中には長期同
一課所勤務者を異動対象にすることがあり、P1は45年秋に組合専従から職場復
帰した後約8年間東京営業本部内務部に勤務し、その後53年から本件の異動まで
同営業第二部に勤務し本社勤務が井常に長く、本来ならば地方の営業所ということ
であったが支部執行委員であることを配慮して東京近郊である三鷹営業所にしたも
のであり、また同営業所の新市場開発にさ
らに力点をおくためである、という。
ウ これに対して申立人らは、P1の配転は、P1が1(2)④に認定したとおり
長年にわたり支部の組合運動の中心的活動家であったこと、また、A派のリーダー
であることを嫌ってなしたものであり、この支部執行委員在任中の配転によって支
部役員としての活動が困難になった。また、A派・B派が混在する執行部になって
から同人を含むA派の4名のみが出先に配転になったのは執行部内でのA派の活動
を嫌ったものである。さらに、異動先が少数職場であるため東京分会の代議員選挙
等に対する影響力も削がれることとなった。そして、3名の職場のなかでは同僚が
多忙を極めるなかで新市場開発担当は浮いた形になり、ミセシメ的状態になった、
として、不利益取扱であると主張する。
エ P1についても、三鷹営業所の所員は全員で3名であり、4名以上の営業社員
で構成されている課所に新市場開発担当を配置するとの前提に反し、また、P1を
特に同営業所に配置した理由について、被申立人の説明がない。そして、支部執行
委員在任中にいわゆる出先に配転になった者はA派の者のみであるところ、同人を
特にその活動拠点から異動させる理由として、同人の同一課所(本店)勤務が長い
ことをあげるのみでは、納得できないものといえる。
 かえって、同人に対する配転は、A派が執行部において少数となり、この異動後
の58年9月以降はA派が執行部のなかにはいなくなる情勢のなかで、なおその中
心にいてA派として活動していることを嫌ってその活動拠点から除外しようとした
ものと認められ、組合活動上の不利益取扱であるとともに、同人の所属する支部に
対する支配介入と認められる。
③ P6の57年10月25日付本店東京営業本部内務部から城東営業所への配転
について
ア 会社は、P6を57年10月25日付で東京営業本部内務部から城東営業所へ
新市場開発担当として配転した。
 この異動の事前通知は同月8日になされた。P6は支部4役である副書記長であ
ったが、現職の副書記長が本店外の出先に配転になった例はなかった。また、営業
時間中にも逐次行われることのある会社との事務折衝などの担当者として、従来、
支部書記長と他の1名の副書記長との3名で当たってきたが、本店を離れることに
よって、それらの日常活動にもはじめて直接影響が生じることとなった。そこで支
部は会社に対して、組織の運営上支障がある
として、「組合事情」を理由に変更を求めたが、会社の容れるところとならず、異
議を留めて赴任した。この会社との事務折衝の担当者3名のうち、P6がA派であ
るところ他の2名はB派であった。
イ 被申立人は、城東営業所に要員を充てたのは、新市場の開発を目指したもの
で、葛飾区役所・教職員組合の退職者市場を開拓し、さらに同営業所の主管地域の
再開発をし、新しい代理店をつくることにあったとし、P6の配転は、同人は、異
動前は約2年半東京本社で内務事務をやり、さらにその前の3年間は組合専従をや
っていたが、同人のような有能な能力のある社員は大きな営業戦力として、その能
力を発揮してもらいたいためのものである。また、P6は東京に相当期間勤務して
いるので地方の営業所も考えられたが、支部副書記長であることで東京近郊の営業
所とし、それも本店から電車を利用しても30分弱のところとした、という。
ウ これに対して申立人らは、P6の配転は、同人が47年入社の年から仙台分会
の青婦部長、翌年には同分会書記長、さらに支部副委員長などを歴任するととも
に、A派の中心メンバーとしても活発に活動してきたことを嫌ってなしたものであ
り、本件における支部副書記長の出先配転自体異例であるが、そのことによって、
支部副書記長としての活動はもとより、本店という組合員の多い職場における組合
役員選挙の活動なども困難となり、またA派としての執行部内での活動も妨害さ
れ、不利益取扱いに該当する、と主張する。
エ 被申立人は、P6の能力を買って大きな営業戦力として城東営業所に同人を配
置したというのであるが、同人は入社後5年間仙台支店において営業課に勤務し、
ついで3年間の支部専従役員を経て東京本店の内務事務に2年半従事した経歴を有
するものであり、この経歴のみをもっては、被申立人が真実あえて同人を大きな営
業戦力として新市場開発担当者に選出したとする理由に、納得することができな
い。
 ひるがえって、現職の支部副書記長が出先に配転になった前例もないところから
すると、会社においても、現職の支部四役の職責の重要性を十分認識していたと推
測するに難くない。しかるに、比較的近距離とはいえ、同人を出先に配転したこと
は、支部副書記長として書記長らとともに会社との間に営業時間中を含めて随時行
っていた事務折衝などの日常的活動を困難ならしめるものと言わざるをえないとと
もに、同人の
異動により事務折衝者に事実上A派はいなくなるなど、A派としての活動にも大き
な影響があることは否定できないところである。
 このように組合活動への影響が大であることからすると、この配転は、同人に対
する組合活動上の不利益取扱いであるとともに、同人の所属する支部に対する支配
介入と認めざるをえない。
④ P8の58年4月1日付神戸サービスセンターから金沢営業所への配転につい

ア 会社は、P8を58年4月1日付で神戸サービスセンターから金沢営業所に新
市場開発担当として配転した。3月14日、会社は支部に対して、上記②P1(支
部執行委員)とP8(神戸分会委員長)の異動について労働協約に基づく事前通知
を行った。支部は、事務折衝で、両名について「組合事情」を理由に再検討を求め
たが、折り合わなかった。そして、同日、P82神戸支店長がP8に対して人事異
動を発令し、P83近畿営業本部長と神戸支店長が発令内容について説明したがP
8は転勤拒否を表明した。15日、17日の事務折衝でも進展しなかった。この間
(15、16、18日)、神戸支店長が社宅手配の都合上単身赴任か家族同伴赴任
かを同人に聞いたが、P8からの返答はなかった。18日の事務折衝で、支部はこ
の両名に加えて、「個人事情」によるS(京都市から旭川市への配転)と「組合事
情」による申立人⑮P17の再検討を求めた。そして、18日の事務折衝では、P
8について新たに「個人事情」を追加して再検討を求めた。個人事情としては、P
8の妻が大阪市内の他の同業会社に約20年間勤務し退職の意思がないこと、同人
の母親は体調が悪くかつ生まれた土地である現住所から移転する意思がないこと、
3名の小学生の就学問題、役職手当が減ることなどが示された。会社は、これに対
して、「組合事情」、「個人事情」とも異動発令を変更などするほどの特別の事情
ではない、全体の人員が減っているなかで業務上の理由で異動を考えるので組合役
員にも該当者が出る、同一地域の勤務が長いなどの点をあげて説明した。併せて、
P1については再検討したが変わらない、P17については再検討できない、Sに
ついては業務ルートで話し合っているが組合がいうほどの状況ではない、と回答し
た。
 翌19日の事務折衝でも、P8、P17、P1、Sに関して進展はなかった。つ
いで、23日の事務折衝では、支部は、22日の臨時支部大会でP8とSに関して

議権を確立し、29日に赴任しなかった場合に、直ちには業務命令違反にならない
ようにしたことを通告し、再検討を求めたが、会社は、再検討の余地はない旨答え
た。また同日、新たに大阪分会副委員長の申立人⑧P11について、「組合事情」
による再検討を求めたが、会社は再考できない旨答えた。翌24日の事務折衝でも
計5名についての交渉が持たれたが、双方の主張は変わらなかった。
 25日、支部はP8、Sの異動に関して中労委にあっせんを申請したが、会社は
自主交渉を理由にこれを拒否した。同日、神戸支店で、P83近畿営業本部長とP
82支店長が、P8に対して事務の引き継ぎと4月1日までの現地着任を指示した
が、P8はこれまでの交渉の経緯などを主張し、その指示に従わなかった。
 26日の事務折衝で支部は、P8に29日からの指名ストを指令する旨、会社に
通告した。そして、支部は、P1、P17、P11の3名は、異議を留めて赴任す
るとしたが、P8、Sについては再検討を主張した。会社はP8について従来どお
りの主張をするとともに、Sの個人事情としては、母親の年齢からして本人が面倒
をみなければならないことはない、病気も寝込んでいるわけではなく重大な支障が
あるとは思えない、両親とも被扶養者ではない、などと主張した。
 支部は、28日、P8の29日からの指名ストを通告し、さらに、29日にSの
同日からの指名スト入りを通告したが、Sは、同日、会社に退職願を提出し指名ス
トは解除された。
 31日の事務折衝で支部は、P8も異議を留めて赴任するが、赴任の準備期間を
認めて4月4日の赴任を認めるよう申し入れ、会社がこれを受けてストは解除され
た。
 金沢営業所は、53年6月頃は営業効率が悪いことから要員に関する減員計画の
対象とされ、55年4月に以前の10名から8名になり、58年4月も同数であっ
た。P8は、3月23日、同営業所のH所長に全損保本部事務所から電話したが、
その話のなかで、同所ではその時点で増員要求はしていないと、聞いた。
 4月4日、P8は金沢営業所に新市場開発担当(営業担当課長)として着任(単
身赴任)した。
 前記1(2)⑧認定のとおり、P8は金沢営業所への配転を不服として提訴し、
1審、2審、最高裁と勝訴し、その結果5年2月に神戸支店調査課に復帰した。P
8はこの裁判に関して、支部大会などのたびに、支部に対して支援を要請する旨の
発言をし
たが、とりあげられなかった。
イ P8は、本件配転前神戸サービスセンターに勤務し、組合活動の関係では、さ
きに1(2)⑧に認定したとおり、神戸分会(神戸支店、姫路支店所属組合員で構
成)に所属し、56年は同分会委員、57・58年は同分会委員長であった。同分
会の56~59年当時の分会委員長は、56・57年P8、58年IZ、59年A
S、書記長は56・57年DS、58年P11、59年ITであったが、56~5
8年は二役ともA派であるのに対して、59年からA派はいなくなった。
 P8は、55年9月の定期大会以降58年3月の臨時支部大会までの都合6回の
支部大会に神戸分会選出の代議員として出席し、A派の立場から発言した。この間
の6回の代議員選挙では、P8の得票は当初20票(他の者1票)であったが,そ
の後16票(同3票)、17票(同4票)、11票(同6票)、10票(同8票)
と減っていった。そして、58年3月にもたれた臨時支部大会の頃は、支部の中
で、分会委員長でさらに支部大会代議員でもあるA派の者はP8のみで、他の分会
にはいなかった。
 前記4(5)に認定し判断したとおり、神戸分会の動向は会社の注目するところ
であった。
ウ P8の配転について被申立人は、金沢営業所に新市場開発担当が必要であり、
新市場開発担当には、課所の次席クラスから選任するとの基準があること、58年
4月異動の基本方針には長期同一課所勤務者を異動対象にすること(この他、組織
統廃合に伴う異動、必要課所の欠員補充、異動規模は最小限にとどめる、異動対象
者については内外勤の交流をはかる)があったこと、また、大都市勤務者と地方都
市勤務者との交流をはかることをあげ、P8は長期同一課所勤務者(神戸サービス
センターには4年間)で、かつ入社以来一貫して大阪・神戸という関西圏の大都市
(入社以来23年間阪神地区)のみの勤務で地方都市勤務が無く経験に偏りがある
こと、営業・業務・査定の各経験がそれぞれ約6年・9年・8年あって新市場開発
担当に適任であること、社内歴からも次席クラスにあてはまること、57年年度末
において、P8と同期(昭和35年)入社者の転居を伴う異動回数の平均は2.7
1回であるが、P8は本件異動が初めてであること、をあげ、同人を選んだのは合
理性があると主張する。
 なお、P8の人選に関連して同様の条件に合った者に東京本社のS(東京圏通算
12年勤務
)と名古屋支店のK(中部圏通算6年勤務)がいた。
エ P8の配転について申立人は、会社が同人の神戸分会における活動を嫌ったも
ので、異動先である金沢においては事実上組合活動ができなくなり、組合活動上の
不利益であるとともに、夫婦別居という生活上の不利益をもともなうものであっ
て、不利益取扱いに該当する不当労働行為であると主張する。
オ 確かに、被申立人のいうとおり、会社にとって新市場開発担当が必要でその適
任者を選ぶとすれば、P8の経験などからみて適任者の1人とされることは必ずし
も不自然ではなく、また同一地域に長期間勤務してきたことは事実である。しか
し、同人の本件異動前の神戸サービスセンター勤務は4年間であり、他のS(東京
圏通算12年勤務)およびK(中部圏通算6年勤務)と対比すると、58年4月異
動の基本方針にいう長期同一課所勤務者に適合するとは必ずしも言えない。そし
て、同一課所ではないが同一地域に長期勤務している者を異動対象とするとの趣旨
は、上記基本方針には含まれていない。
 かえって、P8は、神戸分会において、57・58年は同分会委員長であり、当
時分会の中心的活動家であったこと、55年9月の定期大会以降58年3月の臨時
支部大会までの都合6回の支部大会に神戸分会選出の代議員として出席し、A派の
立場から発言していたこと、58年3月の臨時支部大会の頃、分会委員長でさらに
支部大会代議員でもあるA派の者は、同人を除き他の分会にはいなかったこと、さ
らに、神戸分会の動向は会社の注目するところであったこと、また、56~58年
は分会の二役(分会長・書記長)ともA派であったが、59年からA派は神戸分会
にはいなくなったことが認められる。
 以上の事実を総合して判断すると、同人の配転は、神戸分会にA派の活動家たる
P8がいることを嫌ってこれを排除し、併せて同人の組合活動を小単位の組合組織
のなかに事実上封じ込めることを狙ってなした組合活動上の不利益取扱いであると
ともに、同人の所属する支部に対する支配介入に当たるものと認められる。なお、
本件配転に伴う夫婦別居による生活上の不利益が不当労働行為の要件に該当するか
否かの判断は、本件ではその必要はない。
カ P8の救済方法については、すでに前記の別件訴訟判決の結果原職相当職に復
帰しているので、ポストノーティスにとどめるものとする。
⑤ P11の58年4月1付大阪支店営業
部から神戸支店営業課への配転について。
ア 会社は、P11を58年12月1日付で大阪支店営業部から神戸支店営業課へ
配転した。
 P11は大阪分会の副委員長であり、分会の中心者として機関紙の発行その他の
活動についても活発に活動していたので、組合活動上支障があるとして支部を通じ
て変更を求めたが、会社は業務上の必要を理由に応じなかった。その後、P11
は、同人は了解していなかったが、支部のP89書記長から異議を留めるというこ
とで同意した旨、支部がその同意をした2日後になって電話で聞いた。大阪分会は
東京分会とともに組合員を多く擁していたが、分会役員はA派が多く、B派は55
年9月の選挙では1名が執行委員に当選、56年11月の選挙では1名が副書記長
に、2名が執行委員に当選したのみであったところ(55、56年ともB派8名ず
つ立候補)、57年9月の選挙ではA派5名、B派7名となったが、翌58年4月
に副委員長のP11が神戸支店に、同年8月に書記長のP14が大分営業所に、同
7月に執行委員のTが高松営業所へ、さらに、58年9月当選の副書記長のP9が
60年11月に福山営業所に配転となり、その結果、分会の中枢からA派はほとん
どいなくなった。
 また、二水会と称する大阪支店の課所長を中心とする会が56年2月に結成さ
れ、会則には「社業の発展をはかる」、「業務の研究により、知識の向上をはか
る」と記され、毎月第2水曜日を定例会としていた。同会の会員には分会の執行委
員でB派のMがいたが、A派の者はいなかった。同会は、56年2月から57年9
月までの間に18回開かれたが、その内、大阪分会の総会があった56年6月、同
11月、翌57年3月、9月は、その総会の直前の定例日以外の日に1~2回開か
れた。そして57年9月を最後に自然に解散する形となったが、その後、同会の発
起人ら会の中心であった者の多くは、会社の支店長、本部長などに昇進しており、
Mも副部長になっている。
イ P11は、配転前の職場である大阪支店営業部では、56年4月から新市場開
発担当をしていたが、当時の新市場開発担当者としての成績は、56年4月から5
7年1月までの間、新市場開発担当者42名中の39位であった。
ウ 被申立人は、P11の配転は神戸支店の営業課長Tの転出の補充であること、
入社以来22年間大阪支店に勤務し内務部門の業務が長かったが、56年4月から
は同支店
の営業部の新市場開発担当として活躍していたので、その手腕を生かすためであ
る、と主張する。
エ これに対して申立人は、会社側からさえ「東のP3、西のP11」と言われた
活発な活動家であり、またA派の中心者の一人であったことを嫌った不当労働行為
であると主張する。
オ 被申立人の主張は、P11を新市場開発担当として期待したというのである
が、56年4月から57年1月までの間において、同人の成績は、新市場開発担当
者42名中の39位であることからすると、新市場開発担当者として適任であると
は認め難いとともに、営業課長Tの補充であるとの点についても被申立人の主張に
納得できるものはない。
 かえって、大阪分会では副委員長のP11が4月に神戸支店へ、同年8月には書
記長のP14が大分営業所に異動した後はA派で中心的活動をする者はいなくな
り、また分会における地道な活動としての機関紙の発行なども単なるお知らせ程度
のものがたまに発行される位になっていったことが認められる。このことは、この
配転によって同人が大阪分会において培い果たしてきた役割や活動が今後事実上で
きなくなること、また、二水会と称する会の動向をあわせ考慮すると、特にA派の
活動家を嫌ってこれを排除することによって大阪分会を弱体化しようとしたことが
窺われ、P11の配転は、同人にたいする組合活動上の不利益取扱いであるととも
に、支部に対する支配介入に当たるものと認められる。
⑥ P14の58年8月5日付大阪支店営業部から大分営業所への配転について。
ア 会社は、P14を58年8月5日付で大阪支店営業部から大分営業所へ配転し
た。
 P14は当時大阪分会書記長であり、57年9月の選挙に同人は立候補し、他の
役員が全員無投票当選であったのに対して唯一の投票による選出であったが、39
対37票の僅差で当選したものである。その選挙の開票当日の開票作業中、取締役
大阪支店長の席を取り巻く形で各部長、本部長、課所長(課所長は組合員)らが集
まり、結果を待っていたが、P14の当選を知って残念がる様子が望見された。書
記長は会社との事務折衝の窓口役であったが、分会役員の中枢をB派が占め、P1
4が書記長になったころから会社は事務折衝を無視するようになった。そして、例
えば、57年12月頃、支店の各営業部の課、所会議を、会社の就業時間延長の提
案を先取りする形で、9時から開始しようとしたこ
とがあったが、同人はこれに抗議し、事務折衝をするよう申し入れた。
 57年7月12日、全国支部闘争委員会(賃上げとセット提案された就業時間延
長問題が中心議題)が行われたが、P14はこれに参加して当日の夕刻東京から帰
り、大阪支店に行った。同人はこの委員会において、会社回答をはねかえし、賃上
げの上積みを求めてスト権に基づく毎週水曜日、金曜日の反復定時退社戦術を行う
べきとの発言をしたのであるが、同人が未だ大阪の分会役員等の誰にも全国支部闘
争委員会における発言内容について話していない時点において、上司である支店の
P38課長から、委員会の開催前に大阪支店の職場内にあった就業時間延長やむな
し・定時退社戦術は避けるべきなどの意見について、P14が委員会で発言をしな
かったことに、言及された。P14は、職場で集約した意見を発表した旨答えた
が、P38課長によると、組合での発言などの情報は会社と組合の双方から入って
来るとのことであった。同人は本件異動の内示があった22日の前日、大阪支店営
業部副部長のMから、「首を洗っておくように・・・」と配転を仄めかされ、ま
た、全国支部闘争委員会における同人の発言についても話題になっている旨言われ
た。大分営業所配転の内示は7月22日P38課長から口頭でなされた。22日は
金曜日だったが、明けて25日、朝1番でP14はP38課長に今年中に結婚する
つもりだが相手方が大阪での仕事の継続を希望しているので、異動を再検討して欲
しい旨頼んだ。しかし、そのような理由は通用しない、と言われ、間もなく転入転
出者の挨拶が始まった。P14は、再検討を頼んでいる旨を説明した。その後、P
40取締役に呼ばれた際、また、P93営業部副部長とP38課長にも再検討を頼
んだが、P40からは、大分に行かないならすぐ辞めろと、P38からは、会社が
あって組合があるのだろう、などど言われた。一方、分会にも22日に再検討要求
を出すよう求め、22日に論議されたが、書記長の穴は残った者でカバーするとい
うことで、結局取り上げられなかった。支部では、P3副委員長らの発言で再検討
要求をすることとされはしたが、結局異議を留めて赴任することとなった。
イ P14は、49年4月入社後、大阪府の守口営業所に7年、大阪支店営業部に
2年4ヵ月勤務した。
ウ 被申立人は、P14の配転は、大分営業所に4年間勤務した者の新宿営業所転

に伴う補充であること、大阪という大都市に9年4ヵ月勤務し、また転居を伴う異
動経験がなく、地方の営業所経験を積ますためである、という。
エ 申立人は、P14の配転は分会書記長としての組合活動をさせない、前回小差
で当選したが組合員に対する影響力を断ち切る、結婚という個人事情を活動家には
配慮しない見せしめである、と主張する。
オ 被申立人が主張する転出者の補充は当然であるとしても、一貫して異動の方針
としてきている長期の同一課所在職者の解消に関しては、P14は大阪支店営業部
には2年4ヵ月の勤務でありこれを早急に他へ異動させる理由の説明はなく、かえ
って、同人の書記長としての活動、特にB派を中心とした分会のなかで、A派に属
する書記長として、会社の前面に立つかたちで抗議行動などしてきた経緯、配転が
組合役員の任期をあと1ヵ月残しやがてその改選も行われる時期で、A派が数少な
い状況であったこと、また、本件配転の発令前後における同人の上司に当たる者ら
の一連の言動をあわせ考慮すると、同人の配転は、同人の組合活動を嫌ってなした
組合活動上の不利益取扱いであるとともに、同人の所属する支部に対する支配介入
に当たるものと認められる。
⑦ P17の58年4月1日付千葉営業所から釧路駐在所への配転について
ア 会社は、P17を58年4月1日付で千葉営業所から札幌支店営業第2課釧路
駐在所に新市場開発担当として配転した。釧路駐在所は、その1年前は独立の営業
所であったが、営業効率が悪いということで駐在所となった経緯があった。同所に
は、P17が赴任したときは同人を含め都合4名の所員がいたが、この内、1年後
に、国鉄の永年勤続者で退職し会社に入社した社員(以下、「国鉄永退社員」とい
う。)が退職し、その半年後に担当課長が退職し、さらにその半年後にも高齢嘱託
社員が退職したので、結局、P17の異動した2年後の時点では、同所はP171
人となった。
 P17の組合役員歴は前記1(2)⑰のとおりであり、同人はこの間、前記「外
に出る統一行動」においては、社長宅近辺のビラ配布や野村証券本社に対する抗議
行動に参加した。そして、この配転の内示があった当時同人は東京分会の分会委員
で、千葉営業所から週一度東京分会委員会の会議に出席していたが、それが任期の
中途で不可能になること、また、東京分会委員は14名で構成されており、57年
9月の改選時には、A派
5名、B派9名でA派が少数となっていたが、同年10月にA派のMが盛岡営業所
に配転となり、さらにP17の本件配転によってA派は3名になるので活動に支障
が生ずるということで、配転には組合事情で応じられないとし、さらに、釧路を増
員すること自体にも疑問があるとして、分会、支部を通じてその再検討を申し入れ
た。しかし、会社の容れるところとならず、同人は異議を留めて赴任した。P17
は、釧路赴任後は、札幌分会の所属となり、札幌まで急行で約5時間という地理的
状況から他の組合員との接触も少なくなり、事実上、組合活動はできなくなった。
 なお、P17は55年9月の東京分会代議員選挙の際、従前は代議員は他の分会
と同じく話し合いで決めてきていた慣例とは異なって選挙によることになったが、
M千葉営業所長から、P17は分会総会によく出ているので今回は他の者に変わる
べく示唆されたが立候補して当選し、さらに56年9月と翌57年9月にも、同じ
く東京分会委員の選挙に立候補して当選している。また、56年4月頃に、当時の
営業所長が超過勤務手当ての請求は月10時間以内にするよう命令したことがある
が、これに抗議したうえ応じなかったことがあった。
イ 被申立人は、P17は37年入社以来、京都支店に16年間、さらに千葉営業
所に5年間勤務し、都市勤務のみで地方営業所の勤務がなかったので釧路に異動さ
せたとし、また、釧路に要員を充てたのは、当時北海道で新市場が開発されつつあ
り、釧路は営業担当課長と高齢の国鉄永退社員ら2名という構成だったので、中堅
職員を派遣して釧路地区の一層の開発を図るためであった、という。
ウ これに対して申立人は、P17の配転は、同人の組合活動歴、特に東京分会委
員の選挙に会社の介入のなかでA派として立候補して当選したことなどを嫌って、
任期中に組合員との接触の機会の殆ど無い所に配転して組合活動を出来なくし、ま
た、東京分会のA派の勢力を弱めた不当労働行為であるとし、かつ、新市場開発担
当としての異動にも理由がない、と主張する。
エ 申立人のいうとおり、P17はA派の立場で同派が少数化する中で構成員の多
い東京分会の役員選挙に立候補して当選し、また、野村証券に対する抗議行動にも
参加し、さらに、超過勤務手当ての請求を少なくするように上司から言われても従
わないなど、会社の注目するところであったことは疑いえない。そして、釧路駐
在所はP17が異動する約1年前は業績が悪いために営業所からいわば格下げにな
った経緯もあり、最終的には同人のみになるなど僅か1名の最少数人員職場であっ
て、かえって、同人が組合活動をするためには遠隔地である札幌まで行かねばなら
ないところ、この時期にわざわざP17を異動させてまで営業を強化すると言って
も、にわかに納得はできない。そして、P17は37年入社以来、京都支店に16
年間、さらに千葉営業所に5年間勤務し、都市勤務のみで地方営業所の勤務がなか
ったので釧路に異動させたというのであるが、地方勤務を命ずるとしても、同人の
勤務地をして特に釧路とする理由は見い出しえない。したがって、この配転は、P
17のA派としての組合活動を制限するために行った組合活動上の不利益取扱いで
あるとともに、同人の所属する支部に対する支配介入に該当すると判断せざるをえ
ない。
⑧ P7の58年12月1日付平塚営業所から甲府営業所への配転については、後
記7において、同人に対する57年度人事考課の不当労働行為性の問題とあわせて
認定し判断する。
6 組合活動休暇の不承認問題
(1) 就業時間中の組合活動について、支部と会社間で締結した労働協約は、第
10条に、「組合は、原則として労働時間中には組合活動を行わない。但し、下記
各号の1に該当する場合は、この限りでない。」と定め、第1項は次の事項をあげ
ている。
1.略
2.組合規約に定められた下記の会議に出席する場合
イ 全損保全国大会、支部大会、地方協議会大会(定例)
ロ 中央委員会、支部常任委員会、地方協議会委員会(定例)
ハ 中央執行委員会、支部執行委員会、地方協議会幹事会
3.略
4.その他特に会社の承認を得た場合
(2)① 57年9月24、25日の全損保全国大会において、全損保常任中央執
行委員に支部からP20(支部執行委員長)とP3(支部副執行委員長)の2名が
選出された(任期1年間)。P20は「支部」の選出、P3はいわゆる「その他」
(全損保中央執行委員会の推薦)選出であったが、支部からは従来1名で、2名が
同時に出ることになったのは初めてであった(40~42年の間、常任中央執行委
員は2名であったが、内1名は専従であった。また、43・44年は「その他」選
出の者1名であった)。このP3の選出については事前に本部から支部に対して非
公式の打診があったが、支部は、常任中央執行委員が2名になるこ
とについては、支部大会が終ったばかりで、かつ全損保全国大会が開かれる直前で
もあるので結論が出し難く、また組織討議が必要な問題であるなどと答えた。
 前年度までは、この常任中央執行委員会は、就業時間内に開催される例が多かっ
た。会社は、P20の常任中央執行委員会出席については組合活動休暇を承認した
が、P3については承認せず届出書を受け取らなかった。なお、P3は前記1
(2)①認定のとおり、41年から56年まで延べ12年にわたり全損保常任中央
執行委員を歴任してきたが、ずっと承認されていた。
② P3の常任中央執行委員問題に関する支部と会社間の交渉では、支部は、従前
から会社は常任中央執行委員としての時間内組合活動を認めてきた、支部代表とか
1名という話は一切なく1名という合意もない、「支部選出」のみを認めるのはお
かしい、会社が2名の内のどちらかを選別することは出来ない、1名とするならば
協約の改定交渉をするべきだ、などと主張した。これに対して会社は、常任中央執
行委員は協約上明記されていない事項であり、労働協約第10条1項4号の「その
他特に会社の承認を得た場合」に関する事項である、従来は慣行として支部代表1
名を認めてきたのであり、どちらかを1名ということではなく支部代表しか認めら
れない、個人名で云々ではなく支部大会で選出された中央執行委員ならば認める、
などと答えた。
 翌58年1月に常任中央執行委員会が予定されており、この件の取扱いをめぐっ
て、全損保本部は2名の参加が前提であるとして、支部内にある支部選出の常任中
央執行委員が参加すべきとの意見などとの調整を計ったが、結局決着せず、この常
任中央執行委員会出席をめぐる取扱いは本部一任となった。本部は、2名とも時間
内組合活動として常任中央執行委員会に参加することが基本であるが、方法として
は、2名の強行参加、2名の有給休暇参加、1名が時間内組合活動参加で1名が有
給休暇参加などがあり、その都度本部が選択することにより具体的に対処すること
とされた。
 1月7日の支部執行委員会は、本部見解を承認し、1月の常任中央執行委員会に
向けて、2名の時間内組合活動の届出を別々に会社に出した。会社は、P20の常
任中央執行委員会出席については組合活動休暇を承認したが、P3については承認
せず届出書を受け取らなかった。支部は会社との交渉で2名の参加の承認を求めた
が認められず
、P3については有給休暇による参加となった。この問題はP3の常任中央執行委
員任期中には解決しなかった。
(3)① 会社は、58年9月26、27日の全損保全国大会に出席する代議員に
対して、支部選出の代議員3名と中央委員1名については組合活動休暇を承認した
が、地区協選出の代議員として出席する申立人のP11(神戸地区協)、P8(金
沢地区協)、P9(大阪地区協)については承認しなかった。
② 支部は、労働協約第10条に「全損保全国大会」出席は明記されている、全て
の支部組合員に認められていることで代議員の選出過程の相違による区別もない、
認められた前例もある、と主張した。
 これに対して会社は、時間内組合活動休暇を定めている労働協約は会社と支部と
の労働協約であり、従って支部の活動を認めたもので、支部外の活動(地区協選出
の代議員として全国大会に参加するなど)は関係がない、労働協約の該当条項の趣
旨あるいは協定時の精神は、地区協選出代議員まで認めるものではない、地区協関
係を認めると数のうえで歯止めがない、前例があったとしてもそれは支部選出とい
う受けとめで処理していた、とし、そして、無断欠勤扱いはしない、欠勤だが有給
休暇への振り替えはやむをえない、賃金カットを行う、と答えた。
 全損保本部は、10月5~7日の常任中央執行委員会でこの不承認問題を討議
し、全損保全体に与える影響が大きく、当該地区協にとっても問題であるとし、明
確な不当労働行為、労働協約違反であるとしたが、その後の支部と会社間の交渉は
進展しなかった。なお、3名に対する賃金カットはされなかった。
③ P11は、60年4月の有給休暇切替え時に前年からの繰越日数が2日分少な
いことに気がつき、支店長に質したところ、59年9月21、22日に全損保全国
大会に出席した2日間を欠勤扱いとし、有給休暇の2日減はその分であるとのこと
であった。P11は支店長に訂正を申し入れたがらちがあかず、また、支部にも連
絡したが、交渉中とのことで進展がなかった。
 そこでP11は、会社のP73社長宛に、有給休暇が2日減になっているがこれ
は社長が組合活動休暇を認めなかったためで、自分としては労働協約第10条に明
記されていることであるから、その2日分も繰り越されたものと確認するとの趣旨
の書面を送り、併せて、P20支部委員長にも、会社が不当に組合活動休暇を認め
ず一方的に年次有給休
暇に振り替えたとして、その撤回と有給休暇日数の確認を要請した。
 これらの文書に対して支部からはなんらの返答もなかったが、会社からは6月2
0日に人事部からP81支店長に電話があり、欠勤扱いは変わらない、支部と折衝
中である、ただし有給休暇の2日分は戻すとのことで、2日分の有給休暇は回復し
た。
 P11は60年9月の支部大会で発言し、労働協約違反について支部執行部が撤
回要求をしていないことを追求したが、支部は謝るのみであった。なお、P3とP
8についても、有給休暇日数が減らされていたが、この両名についてはこの時点で
回復措置はなされていなかったので、A派の中でも差別が有るとして、大会は紛糾
した。
(4)① 会社は、59年3月16日の全損保大阪地協の定例委員会に和歌山地区
協選出の代表として出席した申立人のP19に対して、組合活動休暇を承認せず、
5月支給の賃金から276円をカットした。
② 5月2日会社の人事部P88副部長からP19に電話があり、3月16日の大
阪地協の定例委員会出席について、欠勤か有給休暇かを質された。P19は、同人
が労働協約上の組合活動休暇である旨主張したことに対する人事部の応答から欠勤
扱いの恐れを感じたので、大阪分会に組合としての対処を依頼した。同分会は、既
に当該定例委員会の開催前に提出したP19の組合活動休暇届について、会社から
支部外の活動であり組合活動休暇として認められないと言われ、分会で交渉したが
解決していない経緯があることから、支部に事情を説明し対応を求めた。
 支部は、会社との交渉の中で、この問題は前年度にあった全損保全国大会の地区
協選出代議員問題と同じものであるとして、「今回の地区協選出組合員の時間内組
合活動休暇問題は全損保全国大会地区協選出代議員の問題と同じく協約に定められ
ているもので認めないのはおかしい、労働協約第2条(第2条「会社は、組合が全
日本損害保険労働組合の統制のもとにある支部であることを確認する。」)からも
全損保組織を前提としての定めであり、選出過程での区別はされていないし、過去
の前例もあるではないか。本人への処置(欠勤扱い・賃金カット)を撤回せよ。前
回の3名についても時間内組合活動として認めよ。」と主張した。
 しかし会社は、前年の全損保全国大会の地区協選出代議員問題の場合とほぼ同様
の主張(上記(3)②)を述べ、「前回、支部外の活動は関係ない
旨はっきり申し上げている。又、会社は5月初旬の段階で本人にも連絡している。
組合活動そのものは否定していない。従って、本人に対しても有給休暇か否かわざ
わざ確認しているし、休んだからといって無断欠勤扱いとしてはいない。十分配慮
している。」と主張し、交渉は物別れとなった。
 なお、この賃金カット分の276円は、支部がP19に立替えた形で処理されて
いる。
(5)① 申立人らは、この組合活動休暇の不承認問題は、支部役員が58年以降
B派で占められるなかで発生したものであって、P3の常任中央執行委員に関する
不承認は、支部代表のみを1名認めるという慣行はなく、仮に1名であったとして
も2名の常任中央執行委員の内のどちらを参加させるかは労働組合が自ら決める問
題であり、支部代表のP20のみを会社が一方的に承認するのはP3には認めない
という差別取扱いである、という。また、P11らが全損保全国大会に地区協選出
の代議員として出席することについて、組合活動休暇を承認しなかったのは、B派
が支部代表として全損保全国大会に出席し、A派は支部選出としては出席できなく
なったなかで、会社に批判的なA派の代議員が全損保の全国大会に出席して活動を
することを嫌悪したためである、という。さらにP19が全損保大阪地協の定例委
員会に地区協選出の代表として出席することについて、会社は組合活動休暇を承認
せず賃金カットしたが、地協の定例委員会については、労働協約第10条第1項2
号ロに「地方協議会委員会(定例)」と明記されていることである、という。そし
て、A派の活動家が支部の役員などから除外された後、さらに別の選出ルートで全
損保の活動をすることを防止しようとして差別的取扱いをしたものであって、申立
人らに対する不利益取扱いであるとともに単一組織である全損保に対する支配介入
である、と主張する。
 これに対して被申立人は、P3の常任中央執行委員に関する不承認問題は、労働
協約には全損保常任中央執行委員会出席に関する組合活動休暇の明文規程はなく、
従来は慣行として1名に限り労働協約第10条第1項4号ロの「その他特に会社の
承認を得た場合」を適用して特別に認めてきたものであり、また、57年8月まで
の例では毎年1名であり、支部以外から選出された例もなかったので、従来の労使
慣行に該当する「支部選出」のP20についてのみ組合活動休暇を承認したのであ
り、か
りにP3について認めたとすると、かえって慣行に反してP3を特別に扱ったこと
になる、という。また、P11らが全損保全国大会に地区協選出の代議員として出
席することについて、組合活動休暇を承認しなかったのは、全損保全国大会の代議
員には支部選出代議員と地区協選出の代議員がありP11らはいずれも地区協選出
の代議員であるところ、確かに労働協約第10条第1項2号イにおいて全損保全国
大会出席について組合活動休暇とする旨の定めがあるが、本協約はあくまで会社と
支部間のものであり、支部組織外の活動である地区協選出代議員の全損保全国大会
出席に適用されるものではない。また、かりに地区協選出代議員にまで適用を拡張
すると予想もつかぬ多人数となる可能性があり、かかる事態の発生は協約締結時に
は予定されていなかったことである。そこで会社はその承認を拒否し、「①無断欠
勤扱いにはしない、②欠勤扱いだが有給休暇への振り替えもやむをえない、③賃金
カットを行う」こととしたのであって、会社は労働協約を制定の経緯に基づき解釈
し、以上のように決定したものである、という。さらに、P19が全損保大阪地協
の定例委員会に地区協選出の代表として出席することについて、組合活動休暇を承
認せず賃金をカットしたのは、上記P11ら「地区協選出」の者に労働協約適用を
除外する場合の理由と同じであり、同様に適用拡張による多人数の適用も予想され
るところであるのでその承認を拒否し、本人と合意の上欠勤扱いとし(無断欠勤扱
いとはしない)賃金をカットしたものである、という。
② P3の常任中央執行委員問題については、労働協約第10条には員数の定めは
なく、確かに会社にとって同時に2名が選出されることは予想外のことでもあり、
また数の点でも従前から1名について認めてきた経緯があるのでその処理に困惑し
た事情を察することができる。しかし、労働組合側が2名を選出しこの2名ともの
承認を求めていることであり、会社として従来の経緯から承認する人数は1名であ
るとしても、その人選などはひとえに労働組合側がその責任で自らなすべきことで
あって使用者側の容喙が許されることではなく、会社としてはその早急な人選こそ
を組合に求めるべきことである。支部の要求に耳を貸さずに一方的に「支部選出」
に固執してP20に限定する会社の対応には別の意図を汲み取らざるを得ないもの
があるといえる。
 また、P
11らの地区協選出の代議員としての全損保全国大会出席問題については、地区協
選出の代議員が全損保全国大会の出席構成員の一部を成していることは、この時に
始まったことではなく会社も熟知しており、実際に地区協選出の代議員に対して承
認してきた経緯があることについてもそれを支部選出とうけとめて処理していたに
過ぎないといい、さらに、自らの労働協約の一方的な解釈にかこつけ、その解釈に
ついて労使で協議することもなく、その承認を拒否する対応には、にわかには納得
できない。
 さらに、P19が全損保大阪地協定例委員会に地区協選出の委員として出席する
問題についても、上の理由と同じく納得できるものではない。また、かかる処理形
態についてP19と会社間に合意があったとは、到底認められない。
 ひるがえって、この不承認とされた者は全てA派に属する者であるのに対して、
一方の承認を受けて全損保の大会その他に参加出席するのは、この時期以降B派の
者のみであることを考慮すると、会社の真意は、会社内において事実上活動が困難
になりつつあるA派の者が、なお社外の上部団体の場で活動し発言することを嫌
い、かかる活動の機会を未然に防止しようとしてなしたものと認められる。また、
以上の不承認の措置によって、該当者が組合活動に参加するためには、個々の本来
的な有給休暇を必要以上に組合活動のために費消せしめることとなって私生活上に
も不便をきたすことにもなり、ひいては事実上これらの活動に参加することを困難
な状態に至らしめることになる道理である。このことは、個々の組合員にとっては
組合活動上の不利益であるとともに、支部に対する支配介入に該当する不当労働行
為である。
7 P7に対する57年度人事考課および58年12月1日付平塚営業所から甲府
営業所への配転について
(1)① P7は、前記1(2)⑦認定のとおり、55年4月から会社の平塚営業
所(所長)に勤務した。同人は58年8月16日支給の給料明細書から、同人の昇
給にかかる人事考課の査定は56、57年とも中間値であるC査定であったとこ
ろ、58年の査定が最低値のE査定であったことを知った。この人事考課の査定対
象期間は57年1月から12月までの間である。そして、この1年間にかかる人事
考課表は翌58年1月20日までに人事部に提出され、人事部で調整のうえ、2月
の常務会で最終決定される。
② P7の組合役員歴は、
前記1(2)⑦認定のとおりであるが、加うるに、58年9月の支部横浜分会の副
委員長選挙ではA派の立場から立候補して当選したものであり、また、支部大会の
代議員選挙でも同じく続いて立候補し当選(B派の候補者と同数の得票、抽選によ
り当選)した経緯がある。しかしこの他には、本人も自認するとおり、格別の活動
はしていない。この立候補の理由は、P7は前記1(2)⑦認定のとおり会社には
鉄道保険部を経て入社したのであるが、従前に鉄道保険部の労使間で協定されてい
た定年退職金制度を改定して会社全体の制度を一本化することで、58年5月9日
に会社と支部間で合意し、7月11日に新協定が調印されたところ、これまでの定
年年齢が63才から57才に、また退職金の算定基準月数が最高で30年勤続71
カ月から51カ月になるなど削減され、P7自身にも大きな影響があることから、
自ら組合の場で発言していきたいとして立候補したものであった。
 P7はこの退職金問題について、58年3月17日に支部主催で開かれた旧鉄道
保険部の社員の集まりで、自らA派の立場を明確にして初めて公式の場で発言をし
た。なお、この改定問題について支部は同年4月に全員投票を行い、421票対2
16票(白票8票)で継続交渉案を否決し収拾した。その後、P7は、同年5月の
定年退職金制度の改定合意に伴って支給されることになった代償金(同人の場合、
手取り約20万円)の受領を拒否し、5月から6月にかけてP41人事部長とP4
2営業本部長が数回にわたって平塚営業所に来て説得したが、受け取らなかった。
この受領を拒否した者は、他に3名いた。
③ 申立人らは、P7のE評定は、P7が会社の退職金切下げ提案に強く反対して
組合の諸会議でその意思を明らかにし、さらに労使間で協定が成立した後も、定
年・退職金切下げに同意せず、代償金の約20万円を受け取らなかったことに対す
る報復措置である、として、同人の正当な組合活動に対する不利益取扱いであると
主張し、58年度の評定を是正し同年度の職能給差額金33,600円の支払い、
及びこの是正による59年度以降の職能給差額金の支払いを求めている。
④ 被申立人は、P7が57年度の評定期間分についてE評定になった理由は、当
該年の人事考課によると評定期間中の業績が悪く、また代理店の指導・育成・整理
が進まず効率営業に欠けていたという所見、7類の管理職として経営
方針に沿い全体的視野に立った業務の遂行にも欠ける旨の所見から、業績評定、能
力評定ともEということで、人事部に提出され、役員会で審議の結果、E評定に決
定を見たものである、という。
⑤ 確かに、退職金制度の減額改定は、既に長期間勤続し退職時期が近くなってい
る者にとって関心が深いものであり、これまで組合大会その他の場において発言の
少なかったものが急遽強硬に自己の支給金額の維持などの諸利益を主張するに至る
ことは、心情として頷けるものがある。しかし、本件労使間においては、退職金制
度の問題は鉄道保険部との合体ならびに経営の建て直しが急務となって以来の懸案
事項であったわけであり、P7はそれまでにも度々発言の機会はあったものと認め
られる。しかるに本件ではP7は自認するとおり、初めて公式の場で発言したの
は、57年度の人事考課表が常務会にあがって処理決定された後の時期である58
年3月17日であったことが認められる。P7のこの発言の以前において、同人に
A派として会社の注目をひく言動があったとの疎明はない。従って、後記認定のと
おり、人事考課の評定にかかる基準ないしはその運用等について疑問視せざるを得
ない点が多くあり、また、突如としてC評定からE評定になった点にも疑問の余地
がないわけではないが、格別の証拠も無いので、如上の事実関係のもとでは、58
年昇給に関しては、不当労働行為が成立する余地がないものといわざるをえない。
(2)① 会社は、P7を58年12月1日付で、平塚営業所から甲府営業所へ配
転した。同人は、50年4月から長野営業所長(管理職昇格)、53年4月から福
知山営業所長、53年9月から米子営業所長、そして、55年4月から平塚営業所
長を勤めたが、甲府営業所では、同所の所長代理の者を所長にして、同人は、新市
場開発担当課長とされた(所員3名)。なお、同人は翌60年9月には担当課長か
ら、主事(後記、61年制度では代理格に相当)となった。
② 被申立人は、P7の配転について、甲府営業所を甲府方面の主として官公庁関
係の退職者マーケットという新市場を開発するために強化し、同人の経験を生かし
て新市場開発に専念させるためであった、という。
 これに対して申立人らは、同人の配転は、同人は従前は他の申立人らのような組
合活動歴はなかったが、上記認定のとおり、定年退職金問題を契機にA派の立場か
ら発言を始め、また、人事
部長らの説得を聞かないで代償金を受領せず、さらに、A派として横浜分会の役員
あるいは支部大会代議員に立候補して当選し活動したことを嫌って報復に及んだも
ので、同人のA派としての組合活動を理由とする不利益取扱いである、という。
③ そこで考えるに、この58年12月の定期異動に関して会社が示した基本方針
は、a.人員減の中で営業強化策をすすめる、b.適性配置により活性化をはか
る、C.同一部課所に長年勤務する社員を対象とする、d.退職による(減員)補
充を考える、e.支店2課制を1課制とし統合をはかる、との5点であったとこ
ろ、P7の配転がこのいずれに該当するかについて、被申立人の説明はない。ま
た、甲府営業所の所員は3名であり、4名以上の営業社員で構成されている課所に
新市場開発担当者を配置するとの従来の基準に該当しないにもかかわらず、P7を
あえて甲府営業所に新市場開発担当として配置した理由の説明もない。
 かえって、P7がA派と行動をともにすることが明らかになり、しかもA派の立
場から横浜分会の役員あるいは支部大会の代議員になった時期等をあわせ考慮する
と、本件命令において縷々如上に認定し判断したことと同じく、同人の甲府営業所
への配転は、同人のA派としての活動を嫌悪してその組合活動を封殺するためにな
された組合活動上の不利益取扱いであるとともに、同人の所属する支部に対する支
配介入であると認められる。
8 申立人らの賃金、賞与、職能資格・等級・職位の差別
(1) 被申立人会社の人事給与制度
① 55年度までの制度の概略
ア 会社の43年度以前の給与体系は、入社年度別、役職別給与体系であり、入社
年度別の標準年齢が決められ、これと役職別給与が組み合わされて各人の給与がき
まる年功序列型であった。
 会社は、43年度の賃金改定交渉において、これまでなかった人事考課制度の導
入を堤案し、中央労働委員会のあっせん手続きを経て労使間で合意し、44年4月
1日から実施した。
イ 44年からの制度も基本的には従前の年功序列型であったが、内容の概略は次
のとおりである。
〔給与体系〕学歴別、入社年度別標準年齢を設定し、一般社員テーブル表の本人の
属する「類」の標準年齢に対応する本俸額を適用する入社年度別、類別給与体系で
ある。
〔資格基準〕社員資格基準として、業務遂行能力等に応じて1類から7類の「類」
区分を制定し、また、次のとおり類と役職
を対応させた。
 なお、一般社員は1、2類とし、営業所長は3~6類であり、6類までは自動昇
類制が存続された。
(表省略)
〔人事考課制度〕人事考課制度は、A・B・Cのランク評定とし、分布制限は1~
5類がA・C評定各10%、B評定80%、6・7類がA評定10%、B・C評定
90%であり、この人事考課は次年度に累積しない方式である。
〔資格区分と滞留年数〕
(表省略)
 この人事考課制度では、約10%以内の者がA評定とされるほか、C評定は懲戒
処分者や長期欠勤者などが対象で極めて少なく、その他のほとんどの者はB評定と
なっていた。
② 56年度からの人事給与制度
ア 56年度からの人事給与制度(以下、「56年制度」という。)は、54年度
の賃金改定交渉の際に協議が開始され、57年2月26日に妥結調印し56年4月
1日に遡及して実施された。そして、新たに、職務遂行能力の段階を類別、職種別
に明示し、その段階に応じて序列を決めていくという、職能資格制度を導入した。
この制度は、役職と関係なく職務遂行能力が向上すれば上位類に昇類させる制度で
あり、ポスト不足による昇類ストップ者が出ないように組み立てられたものであ
る。また、給与体系に職能給を導入し、人事考課制度を改定した。
イ 〔職能資格制度〕職務遂行能力による職能資格としての「類」を設定し、従前
の類区分の7段階を9段階の区分に改定し、類の移行(自動移行)、滞留年数、役
職対応などは、次のとおりとされた。
(表省略)
〔職能資格「類」の滞留年数〕
(表省略)
〔職能資格「類」と役職との対応〕
(表省略)
〔昇類決定の基準となる資料〕
 昇類は、毎年3月31日現在で、つぎの基準資料により決定されるが、例えば、
3類から4類への昇進は滞留年数と人事考課および昇類推薦書によって決定され
る。
(表省略)
〔1類から4類までの昇類基準〕
(表省略)
〔給与体系〕年齢別の本人給テーブルと職能給テーブルに分け、本人給70%、職
能給30%の配分とされた。この職能給は従前の類手当といった部分であり、働き
と努力に応じて支給する狙いを持つものとされた。
〔定期昇給〕本人給は、本人給テーブルの年齢1歳上のランクに上がる。職能給
は、毎年1回定期的に実施する人事考課の評定に応じて次のとおり職能給テーブル
の号俸が上がる。
A評定 5号俸アップ
B評定 4号俸アップ
C評定 3号俸アップ
D評定 2号俸アップ
E評定 1号俸アッ

〔昇類昇給〕昇類により昇給する。
〔昇格昇給〕新しい役職昇格により昇給する。
ウ 〔人事考課制度〕評定種類を能力評定、執務態度評定、業績評定の3種類と
し、業務行動基準書、能力評定基準書、執務態度評定基準書により、評定基準を設
定し、評定者、評定期間、対象を明らかにした。
 人事考課の評定ランクは、従前のA・B・Cの3ランク評定をA・B・C・D・
Eの5ランク評定とし、次のとおりの分布制限を設定した。
(表省略)
〔評定期間、評定領域、評定結果の反映関連〕
(表省略)
③ 61年度からの人事給与制度
ア 会社は、支部に対し、60年10月1日、新たな人事・給与制度(以下、「6
1年制度」という。)を提案し、翌61年5月30日に労使間で合意され、同年4
月1日から実施となった。ただし、労使間に合意はあったが、下記の新職能資格区
分表において、移行時の応当職職名欄に、合意時にはなかった「主な」との文言が
入っていたことで、協定書は締結されていない。
 新制度では、従前の類制度を廃止して、新たに職能資格区分を基礎にした新職能
資格制度が設けられた。
イ 〔新職能資格制度〕
 新職能資格区分と応当職は、次のとおりである。
(表省略)
 職能資格の昇格、滞留年数は、次のとおりである(管理職については滞留年数は
ない)。
(表省略)
〔「類」資格から新職能資格への移行〕は、原則として移行時点の役職区分でもっ
て新職能資格区分に移行することとされ、次表が示された。例えば、主事であった
者は、代理格または主任格に、課長であった者は、副部長格、課長格または代理格
になるとされていたが、個々のものが複数の対応職のどの役職に決められるのか、
その基準などは一切明らかにされなかった。
 なお、労使間で、定年時までに代理格に昇格させるとの、合意があった。
〔職能資格と役職との対応〕
(表省略)
〔新職能給体系〕一般職と管理職を分け、管理職は年齢給としての本人給を廃止し
て職能給のみとなった。一般職は本人給(従来より年齢間差額は小さい)と職能給
で構成する。
 なお、職能給の区分は、新職能資格区分のとおりである(一般職5区分、管理職
4区分)。
〔昇給方法としての定期昇給〕定期昇給として毎年4月に、本人給は、本人給テー
ブルの1歳上のランクに上がり、職能給は、毎年1回の人事考課の評定結果に基づ
き職能給テーブルの号俸が上がる。この評定ランクと昇号俸数の関係は次のとおり

ある。
 なお、昇格、昇進による昇給は従来どおりである。
(表省略)
〔昇格の決定方法〕
 昇格は、職能資格毎に、職能資格基準、人事考課、滞留年数、昇格推薦書などを
総合的に勘案して決定することとされている。
〔新人事考課制度〕評定手続きは従来の制度のままとし、従前との変更部分は、評
定の分布制限を廃止したこと、昇格(従来の昇類)・昇進時期を、評定期間との関
連で7月1日(従来4月1日)としたほか、評定期間、評定領域、評定結果の反映
関連は、次のとおりである。
(表省略)
注:賞与については、一律分以外の部分(いわゆるメリット部分)に査定の結果が
波及する。
④ 56年制度および61年制度の特徴点
ア 56年制度について
 56年制度は、職能資格制度を導入し、また、給与体系に職能給を導入し、人事
考課制度を改定した。
 この職能資格制度では、職務遂行能力による職能資格「類」を設定し、従前の類
区分の7段階を9段階の区分として平行的自動移行を行った。そして、最長滞留年
数が1~5類までは定めてあり、全員が6類まで昇類する。
 職務給の部分は30%であるが、上記認定のとおり、人事考課が5段階となり、
A~Eまで1から5号俸アップの格差がついて、定期昇給についても、職務給テー
ブルの間差額分を乗じた差がつくこととなった。この格差分は、賞与の算定基礎の
格差となり、波及する。
 なお、人事考課には、評定ランクA~Eの分布制限が設定されていた。
イ 61年制度について
 61年制度は、新たな職能資格として、資格区分が管理職と一般職に分かれ、計
9区分となった。しかし、9段階の区分への移行に際しての基準などは、本件審査
に際しても、一切具体的に明らかにされなかった。
 昇格のための最長滞留年数の定めが、一般3級~同1級のみとなり、代理格以上
への昇格の保障は制度上なくなった(定年時までに、代理格に昇格させるとの労使
間の合意はある)。職能区分により、職能給および間差額に格差があり、昇格しな
いことによって、賃金の増額幅には限りがあることとなる。なお、管理職は職務給
のみであるが、滞留年数の定めはない。
 人事考課については、従前あったA~Eそれぞれについての分布制限がなくなっ
た。
(2) 申立人らの資格格付け、役職、賃金、一時金の状況と経緯
① 申立人らの平成4年7月18日現在までの職能資格格付けおよび役職の推移
は、別添①~1〔資格格付け・役職の推
移一覧〕のとおりである。
ア 役職について見ると、申立人らのうち、61年制度改定前は、P12、P7、
P8は管理職に格付けされていたことがあるが、61年制度以降はいずれも主事と
され、61年制度以降は役職上の管理職は1人もいない。
イ 申立人らの中で「類・号」等が昇ったのは、58年にP5、P18、P14が
4類から5類になったのみである。また、〔役職〕は、P6が、57年に主任から
課長代理に、2年にP13が主任に昇格したのみである。
ウ 賃金は、本人給(年齢給)と職能給からなっているので、別添①~1の類・
号、資格欄の数字が、職務給給与の基礎的数字を表している。
② 申立人らと同年同期別入社者の役職、格付けの状況は次のとおりである。
ア P3は、34年入社者14名中、主事(代理格)の者は同人のみで他は全員管
理職である。
イ P12は、36年入社者21名中、同人のみが主事であり、他にライン職の代
理格1名がいる他は全員管理職である。
ウ P4およびP1は代理格であるが、37年入社者17名中、この両名以外は全
員管理職である。
エ P10、P7およびP15は代理格であるが、38年入社者18名中、この3
名以外は全員管理職である。
オ P8は39年入社者21名中、同人のみが主事であり、他にライン職の代理格
2名がいる他は全員管理職である。
カ P11は、40年入社者21名中、他の2名とともに代理格でいるか、この3
名以外は全員管理職である。
キ P17は、41年入社者22名中、代理格の者は同人のみで、他は全員管理職
である。
ク P2は、42年入社者14名中、代理格の者は同人のみで、他は全員管理職で
ある。
ケ P9は、45年入社者12名中、代理格の者は同人のみで、他は全員管理職で
ある。
コ P6は代理格であるが、47年入社者25名中の13名が管理職であり、同人
より下位の者は主任に1名いるのみである。
サ P5、P14およびP18は、49年入社者33名中、未だに主任でいる4名
に含まれており、他は支店長2名を含む代理格以上である。
シ P16は、50年入社者36名中、役職に就いていないのは同人のみである。
ス P13は、51年入社者17名中、未だ主任でいる4名中の1人であり、他は
代理格以上である。
③ 申立人らの、賃金、一時金にかかる人事考課は別添②~1のとおりである。
(3) 申立人各人別の格付け、賃金、一時金の状況と経緯などは、以
下のとおりである。
① P3について
 P3は、56年制度移行時は、別添①~①のとおり7類に格付けされた。7類
は、管理職であるが、61年制度移行時は、一般職の代理格に格付けされた。な
お、役職は主事のままであることから、降格ではないとされた。
 会社における各人の賃金昇給(増額)、賞与の金額は、別添②の人事考課の結果
によるが、P3は、別添②~2のとおり、賃金については56~59年がDで、全
損保あるいは支部の役職を離れて、人事考課の対象期間に組合の関係がなくなって
からの60年以降は全てEであった。また、賞与については、56年~58年、5
9年6月期および63年12月期がDであった他は全てEであった。(以下、各人
の資格格付け、役職、人事考課の経緯については、原則として、特に必要が認めら
れる場合の他は、別添①、同②によることとする。)
②P12について
 P12は、56年制度移行時7類に格付けされた。7類は、管理職であり、役職
は担当課長とされ、61年制度移行時は、資格・役職とも課長であったが、同年9
月に主事とされ現在に至っている。この課長から主事への変更理由について、会社
の説明はなかった。賃金の査定は11年間にDが3回であとは全てEである。賞与
の査定は、24回中D9回であとはEである。
③ P1について
 P1は、56年制度移行時7類に格付けされ、役職は課長代理とされた。61年
制度移行時は、資格は代理格、役職は所長代理とされ現在に至っている。賃金の査
定は11年間にDが3回、C1回で59、60年および62年以降はEである。賞
与の査定は、24回中D12回であとはEである。
④ P4について
P4は、56年制度移行時7類に格付けされ役職は主事とされた。61年制度移行
時は、資格は7類から代理格に格付けされ、役職は主事のままで現在に至ってい
る。賃金の査定は11年間にDが5回であとはEである。賞与の査定は、24回中
D10回であとはEである。
⑤ P15について
 P15は、56年制度移行時6類に格付けされ役職は所長代理とされた。61年
制度移行時は、資格は代理格、役職は所長代理のままで現在に至っている。賃金の
査定は11年間にDが3回であとはEである。賞与の査定は、24回中D2回であ
とは全てEである。
⑥ P7について
 P7は、56年制度移行時7類に格付けされ、役職は所長であった。ついで、5
9年担当課長となり管理職
になったが、60年に主事とされた。61年制度移行時は、資格は7類から代理格
に、役職は主事で現在に至っている。賃金査定は当初の2年間はCであったが、そ
の他は61年にDが1回のほか全てE、賞与の査定は当初の2年間にCが5回ある
ほかはDが5回であとはEである。
⑦ P10について
 P10は、56年制度移行時は6類に格付けされ役職は課長代理、61年制度移
行時は、資格は代理格、役職は課長代理とされ、3年に所長代理になった。賃金の
査定は11年間にDが4回であとはEである。賞与の査定は、24回中D4回であ
とはEである。
⑧ P8について
 P8は、56年制度移行時6類に格付けされ役職はサービスセンター所長だった
が58年担当課長となった。61年制度移行時は、資格・役職とも課長であった
が、同年9月に主事とされ現在に至っている。この課長から主事への変更理由につ
いては上記のP12の場合と同じく、会社の説明はなかった。賃金・賞与の査定
は、56年は全てC,57年は賃金がCで賞与はD2回であったが、58年以降
は、60年の賃金にDが付いたのみで、あとは全てEである。
⑨ P11について
 P11は、56年制度移行時6類に格付けされ役職は課長代理とされ、61年制
度移行時は、資格は代理格、役職は課長代理とされ、現在に至っている。賃金の査
定は11年間にD7回あとはEである。賞与の査定は、24回中D15回であとは
E9回である。
⑩ P17について
 P17は、56年制度移行時6類に格付けされ役職は所長代理とされ、58年に
課長代理になった。61年制度移行時は、資格は代理格、役職は課長代理とされ、
現在に至っている。賃金の査定は11年間にD7回であとはEである。賞与の査定
は、24回中D13回であとはEである。
⑪ P2について
 P2は、56年制度移行時6類に格付けされ役職は所長代理とされた。61年制
度移行時は、資格は代理格、役職は所長代理とされ、現在に至っている。賃金の査
定は56~62年はC6回D1回であり、賞与は17回中C11回、D5回、E1
回であった。しかし、63年以降は全てEとなっている。
⑫ P9について
 P9は、56年制度移行時5類に格付けされ役職は所長代理とされた。61年制
度移行時は、資格は代理格、役職は所長代理とされ、現在に至っている。賃金の査
定は11年間にCが4回、Dが5回、Eが2回である。賞与の査定は、16回
中C8回、D6回、E2回である。
⑬ P6について
 P6は、56年制度移行時5類に格付けされ役職は同年主任、翌年課長代理、さ
らに58年以降は所長代理とされ現在に至っている。61年制度移行時の資格は代
理格であり現在に至っている。賃金の査定は11年間にCが6回、Dが5回であ
る。賞与の査定は、15回中B3回、C5回、D5回、E2回である。
⑭ P5について
 P5は、56年制度移行時4類に格付けされ58年に5類になった。役職は56
年主任になり現在に至っている。61年制度移行時の資格は主任であり現在に至っ
ている。賃金の査定は11年間にCが1回、Dが10回である。賞与の査定は、1
6回中D8回、E8回である。
⑮ P18について
 P18は、56年制度移行時4類に格付けされ58年に5類になった。役職は5
6年主任になり現在に至っている。61年制度移行時の資格は主任であり現在に至
っている。賃金の査定は11年間にCが1回、Dが9回、Eが1回である。賞与の
査定は、16回中D10回、E6回である。
⑯ P14について
 P14は、56年制度移行時4類に格付けされ58年に5類になった。役職は5
6年主任になり現在も同じである。61年制度移行時の資格は主任であり現在に至
っている。賃金の査定は11年間にCが4回、Dが5回、Eが2回である。賞与の
査定は、16回中C8回、D6回、E2回である。
⑰ P16について
 P16は、56年制度移行時4類に格付けされ、61年制度移行時に主任になっ
た。役職には当初から現在に至るまで任じられていない。賃金の査定は11年間に
Dが4回、あとは全てEである。賞与の査定は、15回中、D5回、E10回であ
る。
⑱ P13について
 P13は、56年制度移行時3類に格付けされ、57年に4類となり、61年制
度移行時に主任になった。役職は2年に主任になった。賃金の査定は11年間にC
5回、D5回、E1回である。賞与の査定は、15回中C10回、D3回、E2回
である。
⑲ P19について
 P19は、56年制度移行時3類に格付けされ、61年制度移行時に主任になっ
た。役職には当初から現在に至るまで任じられていない。賃金の査定は11年間に
C2回、D6回、E3回である。賞与の査定は、13回中C1回、D7回、E5回
である。
(4) 本件審査の段階で、申立人らは被申立人に対して、各人ごとの人事考課表
の提出を求めたが、被申
立人は提出しなかった。そして、被申立人は、各人に対する人事考課の第1次評定
者らが作成した「陳述書」(以下、陳述書という。)を人事考課表の書式とともに
証拠として提出し、これを申立人らに対する個別立証として、元年6月1日から3
年10月13日まで人事部長であったP74に証言させた。
 これに対して申立人側は、以下の①から④にわたる4名に関する事項に限って反
対尋問を行い、その後、申立人全員についての調査の結果をP3の陳述書として提
出し、P74証言の個別立証に反論した。このP3陳述書に対しては、被申立人は
必要に応じて対応する陳述書の提出などを検討するとのことであったが、なんらな
されなかった。
 なお、P74は3年10月13日に会社を定年となったが、その翌14日以降4
年10月13日まで、特別社員再雇用・人事部部長であった。
 以上により、人事考課の実例につき次の点が明らかになった。
 なお、提出された人事考課表によると、人事考課は業績評定、能力評定、執務態
度評定からなっている。賞与についてはこの業績評定の評価のみが適用される(8
(1)③)。
① 申立人のP12の56年12月賞与の場合、別添②~3のとおりEであるが、
陳述書によれば、第1次評定者は業績評定5項目のすべてがC評定で総合評定もC
とし、「同類からみて期待どおりの業績であった」との評定も付したが、結局、総
合してE評定と決した、とされている。これについても証人となった前人事部長の
P74は、その考課がなされた当時のP41人事部長にこの評定の経緯を確認して
陳述書を作成したとしながら、「評定書をもう一度見てみなければ分からない」と
いうのみで具体的な説明はなかった。
 また同人の63年12月賞与にかかる業績評価についても、陳述書によれば、5
項目中C評定3、D評定2で総合評定はC、「同格からみて期待通りの業績であっ
た」とされたのであるが、最終的にはE評定と決っている。P12に対する評定
は、第1次評定者ではなく、人事部に上がる前の段階の第2次評定者で、当時の
中・四国営業本部長であるTであった(P12は、当時高知営業所勤務・主事)。
 これについて、前人事部長のP74は、第2次評定がCであっても、最終的に
は、人事部と役員会による調整でEになることがあるというのであるが、「調べて
みないとわからない」といって、その事情あるいは経緯について説明はなかった。

 申立人のP3について、元年6月賞与の業績評定は別添②~2のとおり、9項目
中C評定4、D評定5であった。この評定内容は、同年12月賞与、2年6月賞
与、同年12月賞与、3年6月賞与と同じであったが、いずれも最終評定は最低の
Eとなっている。また、3年の昇給について、業績評定は9項目中C評定4、D評
定5であり、能力評定は、5項目中C評定4、D評定1であり、執務態度評定は5
項目全てCであった。そして、「能力の向上度合」は能力の向上のあとが若干あっ
た、「執務態度総合評定」については、だいたい満足している、と評定されてい
た。しかし、E評定と決まり、昇格は見送りとされた。
 これについて前人事部長のP74は、「第1次評定者の陳述書のみではわからな
い。調べてみます。」といって、Eという最終結果になる経緯あるいはその理由に
ついて設明できなかった。
③ 申立人のP14について、2年の昇給にかかる評定は別添②~17のとおり
(B7、C10〓D)であり、その業績評定は、7項目B評定2、C評定5で「代
理店設置及び業務拡大に努力の跡が顕著であった」と、また、能力評定は、5項目
中B評定3、C評定2で「業務全般について十分な知識を有し、営業面での折衝等
の判断も十分であった」、さらに、能力の向上度合は「能力の向上のあとが顕著で
あった」、昇格についての所見は、「もうしばらく同格で能力を高めたい」、能力
総合評定はBで、「同格の能力基準をやや上廻っている」、また、執務態度評定は
5項目中B評定2、C評定3で、「規律を十分に守り積極的に仕事に取り組み、職
場内での協調性も十分であった」、とし、さらに、執務態度総合評定については、
「十分満足している」、とそれぞれ評定者意見が付されていた。しかし、最終的に
はD評定と決った。
 前人事部長のP74は、これについて高い評価であることを認めながら、「具体
的には、2次評定以降の記憶がないので答えられない」といって、説明できなかっ
た。
④ 申立人のP16について、2年12月賞与の評定は、別添②~18のとおり、
業績評定5項目中C評定3、D評定2であるところ、最終評定が最低のEとされて
いる。そして、この業績評定は特に各人の仕事量が明らかにされなければ最終評定
の総合点が判明しない仕組みとなっているが、被申立人はこのP16の仕事量ある
いはその内容を一切示さなかった。そして、仕事量が示されない場
合に、C評定3、D評定2について、仮にCDのそれぞれの仕事量を50%とした
場合には、業績評定は満点で500点のところ、C部分は〔3×50=150〕、
D部分は〔2×50=100〕で合計250点になる計算となり、また、全てがD
評定であったと仮定した場合でも〔2×100=200〕で200点になる。
 しかし、このように総合点数の中間値的数値になっていてもなお最終評定が最低
のEとされる理由ないしはその仕組みについて、前任の人事部長であるP74は
「評定書を見直さないとわからない」というのみで説明しなかった。
(5) 以上のように、会社の人事考課制度は、56年制度・61年制度とも賃
金、賞与、格付けなどの根拠として極めて重要であり、その制度の概要は一応理解
できる。しかしながら、この内、業績評定は特に各人の仕事量が決まらなければ最
終評定の総合点も決定しない仕組みとなっていて、P74証人も,仕事の種類およ
びその仕事量が人事考課表作成手順の第一段階であり、仕事量の確定のために第1
次評定者と被評定者本人との間で話し合いが必要な場合もあると、証言しながら、
これらの内容ないしは運用の実態を一切説明をせず、明らかにしなかった。
 なお、P74証人は、それぞれ調べ直すなどと発言したが、結局、その後におい
て資料などの提出はなかった。
 以上の経緯をみると、人事考課について従前のA~E評価についての分布制限が
61年制度において全廃されていることもあって、恣意的にこれが運用されている
との疑いを抱かざるをえないものがある。
 そして、別添②~1で明らかなとおり、(4)で見た4名のみが他の申立人らと
比較して特に低い考課査定を受けているものではなく、例外はあるものの、Dある
いはEという低位の評価が多くみられる。これらのなかで、個別項目の評定にはE
がなくD以上であるにもかかわらず最終的にはEとされたものをみると、P3の場
合、10回(63年昇給、同6月賞与、元年昇給、同6月賞与、同12月賞与、2
年昇給、同6月賞与、同12月賞与、3年昇給、同6月賞与)ある。同様に、P1
2は11回、P1は4回、P4は10回、P15は2回、P7は1回、P10は3
回、P8、P17、P2は各1回、P9は2回、P6は2回、P5は5回、P18
は7回、P14は1回、P16は12回、P13は3回、P19は2回、それぞれ
認められる。加うるに、このなかのP1
2の56年12月賞与、P15の63年12月賞与の場合は、いずれもDはなくC
以上であるにもかかわらず、結果はEとされたものである。また、P2は、62年
ごろから体調が悪く、63年~2年は出勤日数などが少ないことが認められるが、
それでもなお個別項目の評価にはB・C・Dがふくまれている(別添②~12)。
 そして申立人らは、上記8(2)①および②にみたように、いわゆる同年同期入
社者と較べて、明らかに昇進が遅れている。しかもそれらの者の中には、従前一度
は管理職に昇進したP12、P7、P8の例もあり、人事制度が改定になったとは
いえ、従前の評価が誤りであったとの主張や疎明もない。しかも、上記認定のとお
り、人事考課の個々の項目における評価が中間値的評定点であっても、最終結果と
しては下位のE評定になるプロセスの説明もなかった。このことは、申立人らの個
々人の能力、勤務態度等の個人的事情によるものではないものと、推認することが
できる。
(6) 申立人らは、会社が申立人らのA派としての組合活動を嫌って待遇を差別
しているとして、56年から3年までの賃金および賞与については通常の平均的中
間値評価としてのC評価に査定を是正したうえでその差額を支給し、職位・格付け
については別添①~2のとおり昇格することを求めている。
(7) 被申立人は、本件は、56年度から62年度までの賃金および56年6月
期から63年12月期までの賞与については、それらの支払時(最終の支払時)か
ら1年を経過して申し立てられたとして、却下を求めている。
 本件のように賃金および賞与についての不利益取扱いが毎年行われているとの主
張に基づく不当労働行為救済申立てに関しては、不利益取扱いを受けたとする者が
その都度使用者に対して抗議し、会社がその取扱いを是正することができたにもか
かわらずあえてそれを毎年繰り返していると認められる場合には、使用者の不当労
働行為意思が一貫して、不断に存在しており、これを労働組合法第27条第2項か
っこ書きにいう「継続する行為」として捉えるべきものと解される。
 本件不当労働行為申立の中心は、まず、55年9月にもたれた第43回定例支部
大会にかかる当時の会社職制による支配介入について、当委員会が救済命令を発し
た(56年9月22日決定)が、この大会においてB派の執行委員が当選し、57
年の大会を経て58年にはすべてB派で占められ
ることとなり、この58年9月の第49回定例支部大会においても、さらに会社職
制による支配介入が行われたことは、前記認定の通りである。
 本件の賃金、賞与、職能資格・等級・職位の差別はA派を嫌ってなしたものであ
り、これがA派に対する差別であるとの主張は、58年不103事件の申立書(5
8年10月25日)において、「不利益査定」が申立人ら組合活動家に対してなさ
れてきたが、当面、P7に対する不利益取扱いの救済を申し立てるとし、さらに、
申立人らの59年2月6日提出の準備書面にも低査定、昇格上の差別の主張が見ら
れるところである(もっとも、申立人らは、この準備書面提出の時点では、自らの
立場を「現在も会社の組合運営に対する支配介入に抗議し、組合の自主性を守るこ
とを主張する申立人ら」と記していたのであるが、本件審問の全趣旨から、これが
本件命令においていうA派であることは疑いない)。そこで本件においては、被申
立人は、少なくとも、この申立ての時点で申立人らの本件差別の主張(抗議と解し
うる)を知ったものとみることができ、また、その是正措置をとることができたも
のと認められる。
 ところで、前記のとおり「継続する行為」を認めるためには、不利益取扱を受け
たとする者がその都度使用者に対して抗議することがその前提条件であり、通常で
あれば当然当該労働者の所属する労働組合をつうじて抗議がなされるべきものであ
る。しかし、本件のように申立人らが少数派になり、特に対立するB派のみが組合
役員を占めるに至っている状況にあっては、最早、そのような手続きを経ることは
困難であると認められる。
 したがって、賃金については58年昇給に係る同年10月以降、賞与については
58年12月期以降のものを、前記「継続する行為」としてその不当労働行為該当
性を判断することとする。
(8) 不当労働行為該当性とそれに対する救済
① すでに認定したところによれば、申立人らの賃金、賞与、格付け等には、他の
社員との間に相当の格差が認められるところ、その生じた理由については、公平な
人事考課によるものではなく、以上に縷々認定し判断したとおり、会社が申立人ら
のA派としての活動を中心とした組合活動を嫌い、それを抑圧しようとする意図の
もとになした恣意的な人事考課によるものであると判断せざるを得ず、不当労働行
為としての不利益取扱であり、かつ、支配介入に当たるものと認め
られる。
② 本件申立て事件のうち、元年不76号事件は、元年12月25日の申立てであ
る(3不72号事件にて追加申立て)。そして、56年から3年までの、各4月1
日付賃金の是正ならびにその差額の支払いを求めている。同じく賞与について、5
6年から3年までの分の是正ならびにその差額の支払いを求めている。また、職能
資格・等級・職位差別については、3年6月1日以降、別添①~2のとおりに取り
扱うよう求めている。
 そして、被申立人は、本件申立について、救済を求めている「支払われる賃金」
「支払われる賞与」、「各年度差額」に記載の各金額、「是正すべき職能等級・職
位」記載の職能等級・職位について、金額、等級・職位の具体的根拠の主張がな
い。また、職位については、従業員の能力、経験に応じて会社がその裁量により決
定するのであり、もし不当労働行為であると申立人が主張するならば、昇任した他
の従業員と比較して昇任資格の具備につき劣っていないとの積極的事実が必要であ
り、申立人はこの点について主張していない。これらのことは、「不当労働行為を
構成する具体的事実」の記載・主張がないこととなり、その是正に関する部分は、
却下されるべきである、という。
 しかし、このうち、賃金、賞与の是正については、その差別の行われた人事考課
を正当なものに改めさせることが、特に本件においては適切であると思料されると
ころ、その方法としては、申立人らが正当な人事考課をされた場合において、各人
がそれぞれ高位または低位の評価を受けるであろうとまで推認できる格別の立証も
ないので、本件ではその中間値としてのC評定に改めて是正措置を講じさせるのが
相当である。なお、別添②~2ないし20の〔個別項目の評価数と最終評定結果〕
のうち、既にC評定以上の考課を受け、これに基づき支給を受けている賃金、賞与
については除くものとする。このほか、P2については、特に62年以降同人が体
調をくずして十分な勤務ができなかったことが、下位の評定につながったとの疑念
もあるが、そのことから直ちに最低のEと評価される格別の立証もなく、62年か
ら2年までの間の個別項目にはB・C・Dも多く認められるので、他と同様の救済
方法とする。
 他方、職能等級および職位に関しては、申立人らは、3年6月1日以降、別添①
~2のとおりに取り扱うよう求めている。しかし職位については、具体的にどの職
位に任命
するかについては会社の人事権に属しその裁量に負うところが大きい。また、組合
員と管理職の地位との関連も否定できないところである。
 そこで、本件の救済としては、賃金・賞与等に直接影響する職能資格の格付けに
ついて、主文のとおり命ずることとする。
第2 法律上の根拠
 以上の次第であるから、会社が①支部組合員全員が自由かつ自主的に組合活動に
参加すべきところ、申立人らが申立外全日本損害保険労働組合朝日火災支部の定例
大会にむけて行う各分会からの代議員の選出、同支部組合あるいは下部組織である
分会役員の選出等の組合活動に、介入、関与などしたことは、労働組合法第7条第
3号に該当し、また、②申立人らの時間内組合活動休暇を承認しないこと、また、
P19に対して59年3月16日の全損保大阪地方協議会定例委員会出席に関する
時間内組合活動休暇を承認せず、同5月分賃金から金276円をカットしたこと、
③P3ら8名を配置転換したこと、および、④申立人らの賃金・賞与・職能資格・
等級・職位を差別したことは、いずれも労働組合法第7条第1号および同第3号に
該当する。
 しかし、P7に対する58年度昇給にかかる人事考課は労働組合法第7条第1号
および同第3号に該当しない。また、P4、P2、P5、P13、P12、P1
5、P16、P18、P19に対する配置転換は、行為のあった日から1年間の申
立期間を経過しているので、労働委員会規則第33条第1項により却下することと
する。
 なお、配転に関する救済方法について、P8は原職相当職に復帰しているものと
認められるので、また、P7については申立人らの請求のとおり、ポストノーティ
スのみとする。
 さらに、賃金・賞与・職能資格・等級・職位については、58年10月25日に
は被申立人はその差別を是正することが可能であったので、その日以降のものを救
済の対象とすることとして、賃金については58年10月(P7については59年
4月)以降、賞与については58年12月以降の分をそれぞれ是正してその差額の
支払いを命じ、それ以前の分について、労働委員会規則第33条第1項により却下
することとする。
 よって、労働組合法第27条および労働委員会規則第43条を適用して、主文の
とおり命令する。
平成8年1月23日
東京都地方労働委員会
会長 P44
別紙2
命令書(写)
 上記当事者間の中労委平成8年(不再)第6号事件及び同第7号事
件(初審東京地労委昭和58年(不)事103号事件、同59年(不)第18号事
件、同年(不)第70号事件、同60年(不)81号事件、平成元年(不)第76
号事件及び同3年(不)第72号事件)について、当委員会は、平成10年1月2
1日第1253回公益委員会議において、会長公益委員P94、公益委員P95、
同P96、同P97、同P98、同P99、同P100、同P101、同P10
2、同P103出席し、合議の上、次のとおり命令する。
       主   文
1 初審命令主文第3項を次のとおり変更する。
3 被申立人会社は、申立人らの配置転換について、次のとおり措置しなければな
らない。なお、同人らの原職又は原職相当職への復帰に当たっては、主文第4項の
③で命じる各人の職能資格格付け及び職位の是正を考慮するものとする。
① P1に対する昭和58年4月1日付け三鷹営業所への配置転換命令がなかった
ものとして取り扱い、同人を本店東京営業本部の原職又は原職相当職に復帰させる
こと。
② P6に対する昭和57年10月25日付け城東営業所への配置転換命令がなか
ったものとして取り扱い、同人を本店東京営業本部の原職又は原職相当職に復帰さ
せること。
③ P11に対する昭和58年4月1日付け神戸支店への配置転換命令がなかった
ものとして取り扱い、同人を大阪支店の原職又は原職相当職に復帰させること。
④ P14に対する昭和58年8月5日付け大分営業所への配置転換命令がなかっ
たものとして取り扱い、同人を大阪支店の原職又は原職相当職に復帰させること。
⑤ P17に対する昭和58年4月1日付け釧路駐在所への配置転換命令がなかっ
たものとして取り扱い、同人を千葉営業所の原職又は原職相当職に復帰させるこ
と。
2 初審命令主文第4項を次のとおり変更する。
4 被申立人会社は、申立人らの賃金、賞与、職能資格格付け及び職位について、
次のとおり措置しなければならない。
① 昭和63年4月以降平成3年度までの賃金について、人事考課査定がD査定以
下のものを査定の中間評価であるCとして再査定して昇給させ、既支給額との差額
を支払うこと。
② 昭和63年6月以降平成3年度までの賞与について、基礎となる賃金は①で是
正した金額を基準として、また、査定部分(平成元年12月を除く。)については
人事考課査定がD査定以下のものを査定の中間評価であるCとして再査定して金額
を算定
し、既支給額との差額を支払うこと。
③ 各人(P19を除く。)の平成3年6月1日における職能資格格付け及び職位
について、同年同期入社者に遅れないように取り扱うこと。
3 初審命令主文第5項の記中「昇格」を「職能資格格付け及び職位」に改める。
4 初審命令主文第7項中「58年9月分」を「63年3月分」に、「58年6月
期」を「62年12月期」に改める。
5 その余の各再審査申立てを棄却する。
       理   由
第1 事案の概要
1 本件は、朝日火災海上保険株式会社が、全日本損害保険労働組合朝日火災支部
の組合員であるP3ら19名に関して、①同支部の定例大会に向けて行う出席代議
員の選出等の組合活動に介入したこと、②時間内組合活動休暇を承認せず、また、
P19に対して全日本損害保険労働組合大阪地方協議会定例委員会出席に関する時
間内組合活動休暇を承認せず賃金をカットしたこと、③P3ら17名を配置転換し
たこと、④昭和56年以降平成3年までの賃金、賞与、職能資格格付け及び職位に
ついて差別的取扱いをしたことがそれぞれ不当労働行為であるとして、昭和58年
10月25日ないし平成3年12月24日に申立てがあった事件である。
2 初審東京都地方労働委員会は、平成8年4月5日に、上記①ないし④のうち一
部は不当労働行為であるとして、(イ)上記①に関する支配介入の禁止、(ロ)上
記②に関する支配介入の禁止及びP19の賃金カット分の支払い、(ハ)上記③に
関して、P3ら6名の原職又は原職相当職への復帰(P8ら2名については文書掲
示のみ)、(ニ)上記④に関して、昭和58年10月(賞与については同年12
月)以降平成3年度までの賃金及び賞与に係る人事考課の再査定及び差額支払い
(P7の昭和58年の賃金を除く。)並びに平成3年6月以降の職能資格格付けの
是正(P19を除く。)、(ホ)以上に関する文書掲示及び履行報告を命じ、配置
転換に係るその余の申立て並びに昭和56年から同58年9月までの賃金及び同年
6月以前の賞与に関する申立ては却下し、P7の同58年の賃金の是正、P3ら1
9名の平成3年6月以降の職位の是正等に関する申立ては棄却した。
3 朝日火災海上保険株式会社は、初審命令の救済部分を不服として、平成8年4
月15日、その取消しと救済申立ての棄却ないし却下を求めて再審査を申し立て
た。また、P3ら19名は、P19の職能資格格付けを
除く初審命令の棄却ないし却下部分を不服として、同月19日、その取消しと救済
申立ての認容を求めて再審査を申し立てた。
第2 当委員会の認定した事実及び判断
 当委員会の認定した事実及び判断は、本件初審命令の第1「認定した事実と判
断」のうち、その一部を次のとおり改めるほかは、当該認定した事実及び判断と同
一であるので、これを引用する。この場合において、当該引用する部分中、「本件
申立」を「本件初審申立」と、「当委員会」を「東京都地方労働委員会」と、それ
ぞれ読み替えるものとする。
1 1の(2)の①中「現在に至っている。」を「、9年2月会社を退職した。」
に改める。
2 1の(2)の⑥中「仙台分会青婦部長」を「仙台分会青年婦人部書記長」に改
める。
3 1の(2)の⑦中「現在に至っている。」を「、本件再審査結審時(9年4月
3日)においては会社を退職している。」に改める。
4 1の(2)の⑧中「この後、最高裁平成5年2月22日判決にかかる配転無効
確認仮処分決定の確定により、」を「上記金沢営業所への配置転換の無効確認を求
めて訴訟を提起し、神戸地方裁判所、大阪高等裁判所(以下「大阪高裁」とい
う。)及び最高裁判所(以下「最高裁」という。)はいずれもP8勝訴の判決を言
い渡した。この平成5年2月12日の最高裁判決の確定により、同人は」に改め
る。
5 1の(2)の⑩中「現在に至っている。」を「、本件再審査結審時においては
会社を退職している。」に改める。
6 1の(2)の⑫中「61年7月」を「61年9月」に、「現在に至ってい
る。」を「本件再審査結審時においては会社を退職している。」に改める。
7 1の(2)の⑯中「51年、56年」を「51年から56年まで」に、「53
年、56年」を「53年から56年まで」に改める。
8 1の(2)の⑱中「54年4月1日」を「45年4月1日」に改める。
9 2の(1)中「12名の配転取消、」を「10名(P4、P2、P1、P5、
P6、P8、P11、P12、P13及びP14)の配転取消(なお、申立人ら
は、59年2月6日付け準備書面において、P3及びP7の2名を救済対象者とし
て追加した。同準備書面では、下記(2)のP15ら5名についても救済対象者と
して列挙している。)、」に改める。
10 2の(2)中「5名の配転取消、」を「5名(P15、P16、P17、P
18及びP19)の配転取消、」に改める。
11 2の(5)及び(6)中「職能等級」を「職能資格格付け及び職位」に改め
る。
12 3の(2)の①中「組合員に配付した。」を「東関東営業本部所長会議にお
いて出席した営業所長らに配布した。」に改める。
13 3の(2)の⑤を次のとおり改める。
⑤ この55年9月の第43回定例支部大会で行われた支部役員選挙において、P
3は執行委員長に再選されたが、支部役員15名中、P3が執行委員長であったそ
れまでの執行部の「闘いを外に拡げる行動」を含む運動方針に反対の者6名(副委
員長、副書記長各1名、執行委員4名)が新たに選ばれた。以下、この当時におい
てP3が執行委員長であったそれまでの執行部の「闘いを外に拡げる行動」を含む
運動方針を支持していた者のグループを「A派」、逆に「署名推進派」を中心とし
てそれまでの執行部の運動方針に反対していた者のグループを「B派」と呼ぶこと
とする。なお、支部役員ないし組合員の全員がA派又はB派のいずれかのグループ
に所属し、支部内が明確に二つのグループに二分されていたわけではなく、A派又
はB派のいずれにも属さない者(いわゆる「中間派」)も存在した(例えば、56
年11月に支部執行委員長となったP20は中間派と目されていた。以下、B派及
び中間派を併せて「A派以外の者」という。)。
 以後、56年11月の第45回定例支部大会で行われた支部役員選挙において、
このA派以外の者が9名となって構成が逆転し(執行委員長には中間派のP20が
当選。なお、P3は、この時は副委員長に無投票で当選している。)、57年9月
の第47回定例支部大会ではさらに10名となり、58年9月の第49回定例支部
大会以降は、全員をA派以外の者が占めるに至った。P3らA派の者はこれ以降も
毎年支部役員に立候補したが、いずれも落選している。
 なお、このことに関し、前記1(2)⑧認定のP8の配置転換無効確認訴訟にお
いて大阪高裁は、「朝日支部内部に、右「外に出る闘い」の当否をめぐって、従前
の朝日支部の運営及び闘争方針を是とするP3らA派組合員と、これに反対し、労
使協調による労使関係の正常化を指向する署名推進派及びこれに同調するB派組合
員との対立が生じ、両派は、昭和55年9月の定例支部大会以降朝日支部の支配を
巡って勢力争いを続けていた」旨判示している。
14 3の(2)の⑥中「本件に関する審問において、被申立人側の証人にな
った。」を「本件初審及び再審査の審問並びに前記1(2)⑧のP8の配置転換無
効確認訴訟において、会社側申請の証人として証言した。」に、「執行委員長に立
候補することを仄めかし、」を「支部役員に立候補すること、」に改め、「自派
の」を削る。
15 3の(2)の⑥の次に⑦として次のとおり加える。
⑦ 60年8月9日、P3ら申立人19名を含む55名は「明るく、生き生きと働
ける職場を取り戻すために、支部大会へむけて、要求を出し、団結を強めましょ
う」と題するビラを作成し、組合員に配布した。同ビラには「これ以上の労働条件
の改悪・低下を許さず…働く者の様々な要求を解決する具体的な方針を組合で決め
させ、実践させる」等と記載されていた。
 P3らは、同年3月8日、61年8月25日及び62年9月1日にも同趣旨のビ
ラを組合員に配布した。
16 4の(1)中「署名入りで出された。そこには、」を「署名入りで出され、
四日市営業所では同文書の写しがとられ、営業所員らに配布された。同文書に
は、」に改める。
17 4の(5)中「A課長(組合員・B派)」を「A課長(組合員)」に改め
る。
18 4の(6)の①を次のとおり改める。
① 会社は、支部内にA派、B派などというグループの対立はそもそも存在せず、
支部内が明確に二つのグループに二分されていたとの事実もなく、また、たとえか
かる対立があったとしても会社はそれを知らなかったし知り得なかったと主張し、
支配介入行為の存在を否定する。
19 4の(6)の②を④とし、①の次に②及び③として次のとおり加える。
② たしかに、前記3(2)⑤認定のとおり、この当時の支部役員ないし組合員の
全員がA派又はB派のいずれかのグループに所属し、支部内が明確に二つのグルー
プに二分されていたとまでみることはできない。しかしながら、同①ないし③認定
のとおり、54年当時の執行部方針である「闘いを外に拡げる行動」に対し、これ
に反対する立場の一部組合員らのグループである「署名推進派」が存在したこと、
これら「署名推進派」がその後、55年6月の臨時支部大会及び同年9月の定例支
部大会の代議員選出に際し東京分会においては定数20名中9名及び12名をそれ
ぞれ当選させるなど、同支部大会に向けて自分達の主張に同調する代議員を送り込
む運動を行い、その結果、同定例支部大会では執行部の提案した運動方針に対して
代議員の意見が二分されて
激しい議論が展開されたことが認められる。これらの事実からすれば、少なくとも
この当時の支部内に意見の対立する二つのグループが存在し、かつ、会社はそのこ
とを認識していたとみるのが相当である。したがって、会社の主張は採用できな
い。
③ なお、会社は、P3らの活動なるものは、組合内の特定政党の組織や活動を強
化するためのものであり、同人らが支部役員に当選しなくなったのは、特定政党の
組織や活動を強化するために組合民主主義を無視した無理な指導を行って一般組合
員の支持を失ったためであって、組合はもとより、全損保の如何なる組織・活動と
も無縁な独善かつ不毛な行動に過ぎないものであったから、同人らの活動が労働法
制の保護の対象外にあることは明らかであるとも主張する。
 しかしながら、前記3(2)⑤及び⑦認定のとおり、毎年支部役員に立候補した
り、労働条件の向上等を呼びかけるビラを作成して組合員に配布するなどのP3ら
の活動は、労働組合内部においてその意思決定機関に自分達の意見を反映させよう
としたり、労働条件改善について意見を表明したりして労働組合の自主的・民主的
運営に資する行為というべきであり、労働組合又は当該組合員の利益を図るために
行う「労働組合の正当な行為」としての性格を有することは明らかであるから、会
社の主張は採用できない。
20 上記19で改めた4の(6)の④中「以上に認定した」から「少なからず含
まれている。」までを次のとおり改める。
 そこで、上記(2)ないし(5)認定の会社職制の言動についてみると、これら
の事実のうちには、一見すると組合内部におけるA派対B派の主導権争いと捉えら
れる部分もないわけではないが、事実経過を全体としてみるならば、これらの言動
は、支部大会代議員選挙に際し、会社の意を体して、支部の中のA派以外の候補者
に投票するよう働きかける一方、A派の活動を抑圧しようとしてなされたものであ
ると認めざるを得ない。
21 上記19で改めた4の(6)の④中、「B派候補者」を「A派以外の候補
者」に、「P54名古屋支店長がB派の票読みに関与し、」を「P54名古屋支店
長がA派以外の者の票読みに関与し、」に、「P21南関東営業本部長」を「P2
1中部営業本部長」に、「被申立人会社または会社の意を体したB派の組合員」を
「会社の意を体したB派の組合員」に、「いずれも支部の運営に対する支配介入で
あり、」を「
いずれも会社による支部の運営に対する支配介入であり、」に、「神戸分会の分会
総会でB派を支持するよう直接求めた言動、」を「神戸分会の分会総会でA派以外
の者を支持するよう直接求めた言動、」に、「会社が、支部のなかのB派を支援
し、」を「会社が、支部のなかのA派以外の者を支援し、」に改める。
22 5の(1)中「B派が初めて」を「A派以外の者が初めて」に、「全員B派
が」を「全員A派以外の者が」に、「P5・57年4月1日」を「P5・57年8
月2日」に改める。
23 5の(2)中「①P3・」及び「⑪P7・」を削り、「58年10月25日
(58不103号事件)である」の次に「(なお、申立人らは、59年2月6日付
け準備書面において、①P3及び⑪P7の2名を救済対象者として追加した。同準
備書面では、⑬P15、⑭P16、⑮P17、⑬P18及び⑰P19の5名につい
ても救済対象者として列挙している。)」を加え、「列挙されており、実際の申し
立て(同年4月11日)とも時間的に近接しているので、」を「列挙され、同日付
けで追加申立があったものとみなされるので、」に改める。
24 5の(3)の①のエ中「かえって、」の次に「前記3及び4認定の労使関係
の経緯と前記(1)認定の本件配転の時期等を併せ考えると、」を加え、「組合活
動上の不利益取扱であるとともに、」を削る。
25 5の(3)の②のア中「P5(57年4月1日)、」を「P5(57年8月
2日)、」に改める。
26 5の(3)の②のエ中「かえって、」の次に「前記3及び4認定の労使関係
の経緯と前記(1)認定の本件配転の時期等を併せ考えると、」を加え、「組合活
動上の不利益取扱であるとともに、」を削る。
27 5の(3)の③のウ中「青婦部長」を「青年婦人部書記長」に改める。
28 5の(3)の③のエ中「このように組合活動への影響が大であることからす
ると、この配転は、同人に対する組合活動上の不利益取扱いであるとともに、」を
「以上のとおり、前記3及び4認定の労使関係の経緯において、しかも、前記
(1)認定のような時期に、このように格別の納得できる理由がなく、かつ、組合
活動への影響が大であるP6の配転が行われたことからすれば、この配転は、」に
改める。
29 5の(3)の④のオ中「以上の事実を総合して判断すると、」から「組合活
動上の不利益取扱いであるとともに、」までを「以上の事実に、前
記3及び4認定の労使関係の経緯と前記(1)認定の本件配転の時期等を併せ考え
ると、P8の配転は、神戸分会にA派の活動家である同人がいることを嫌ってこれ
を排除することを狙ってなしたものであり、」に改める。
30 5の(3)の④のカを削る。
31 5の(3)の⑤のオ中「P11を新市場開発担当として期待したというので
あるが、」を「P11の大阪支店新市場開発担当としての活躍を評価し、同人を神
戸支店新市場開発担当として期待したというのであるが、」に、「かえって、大阪
分会では」から「組合活動上の不利益取扱いであるとともに、」までを「これらの
ことに、大阪支店における二水会と称する会の動向、前記3及び4認定の労使関係
の経緯、前記(1)認定の本件配転の時期等を併せ考えれば、P11の配転は、同
人が大阪分会におけるA派の活動家であることを嫌ってこれを排除することによっ
て同分会を弱体化しようとの意図のもとに行われたものであり、」に改める。
32 5の(3)の⑥のア中「57年7月12日、」を「58年7月12日、」
に、「反復定時退社戦術を行うべきとの発言をしたのであるが、」を「反復定時退
社戦術を行うべきとの発言をした。」に改める。
33 5の(3)の⑥のオ中「一貫して異動の方針としてきている」から「早急に
他へ異動させる理由の説明はなく、」までを「P14は大阪支店営業部には2年4
カ月の勤務であり、同人を異動させる理由は長期の同一課所在職者の解消という会
社の異動の方針からは当然に認められるものではなく、」に、「組合活動を嫌って
なした組合活動上の不利益取扱いであるとともに、」を「組合活動を嫌ってなした
ものであり、」に改める。
34 5の(3)の⑦のア中「外に出る統一行動」を「闘いを外に拡げる行動」
に、「B派9名」を「A派以外の者9名」に改める。
35 5の(3)の⑦のエ中「釧路駐在所はP17が異動する約1年前は」から
「組合活動上の不利益取扱いであるとともに、」までを「釧路駐在所は業績が悪い
ためにP17が異動する約1年前に営業所から格下げになった経緯があり、同人が
異動した2年後には僅か同人1名の最少人員の職場であった。会社は、P17が3
7年入社以来、京都支店に16年間、さらに千葉営業所に5年間勤務し、都市勤務
のみで地方営業所の勤務がなかったので同人を釧路に異動させたと主張するが、地
方勤務を命ずるとしても、同人の勤務
地を特に遠隔地の釧路とする理由は、営業強化という抽象的な説明以外には疎明さ
れていない。このような本件配転の経緯に、前記3及び4認定の会社における労使
関係の経緯、前記(1)認定の本件配転の時期及びP17の組合活動歴を勘案する
と、この配転は、P17のA派としての組合活動を制限するために行ったものであ
り、」に改める。
36 5の(3)の次に(4)として次のとおり加える。
(4) 本件の救済方法については、P1、P6、P11、P14及びP17につ
いては、各人の配転命令がいずれもなかったものとして取り扱い、原職又は原職相
当職へ復帰させるよう命じるのが相当である。
 なお、P3については、前記1(2)①認定のとおり、既に会社を退職し、ま
た、P8については、同⑧認定のとおり、既に別件訴訟判決の結果原職相当職に復
帰しているので、それぞれポストノーティスのみにとどめるものとする。
37 6の(2)の②中「常任中央執行委員は協約上明記されていない」を「常任
中央執行委員に対する組合活動休暇の付与は協約上明記されていない」に改める。
38 6の(3)の②中「そして、無断欠勤扱いはしない、欠勤だが有給休暇への
振り替えはやむをえない、賃金カットを行う、」を「上記3名については、無断欠
勤扱いとはせず欠勤扱いとし、賃金カットを行う、有給休暇への振替えはやむを得
ない、」に改める。
39 6の(5)の②中「労働組合側が2名を選出し」から「会社としてはその早
急な人選こそを組合に求めるべきことである。」までを「常任中央執行委員の人選
は労働組合側が自らその責任でなすべきことであって、労働組合側が2名を選出し
この2名とも承認を求めているのであるから、会社として従来の経緯から承認する
人数は1名であるとしても、」に、「一方の承認を受けて全損保の大会その他に参
加出席するのは、」から「組合活動上の不利益であるとともに、」までを「全損保
の大会その他に会社の承認を受けて参加出席できた支部選出の代議員等はこの時期
以降A派以外の者のみとなったこと、そしてこのような事態の背景においては前記
4認定のような会社の介入があったことを考慮すると、本件組合活動休暇の不承認
は、会社が、A派の者が社外の上部団体の場で活動することを嫌い、かかる活動の
機会を未然に防止することを意図し、同人らの有給休暇を必要以上に費消させた
り、賃金カットを行うことにより同人
らを不利益に取り扱い、事実上組合活動に参加することを困難な状態に至らしめた
ものと認められる。このことは、個々の組合員にとっては正当な組合活動を理由と
する不利益取扱いであるとともに、」に改める。
40 7の(1)の⑤中「確かに、退職金制度の減額改定は、」から「58年3月
17日であったことが認められる。」までを「たしかに、P7は退職金制度の減額
改定について強硬に自己の支給金額の維持などの諸利益を主張するに至ったが、同
人がこの件について初めて公式の場で発言したのは、57年度の人事考課表が常務
会に上がって処理決定された後の時期である58年3月17日であり、」に改め
る。
41 7の(2)の③中「組合活動を封殺するためになされた組合活動上の不利益
取扱いであるとともに、」を「組合活動を封殺するためになされたものであり、」
に改める。
42 7の(2)の③の次に④として次のとおり加える。
④ P7の救済方法については、申立人らの請求のとおりポストノーティスのみと
する。
43 8の(1)の①のイ中「この人事考課制度では、」から「ほとんどの者はB
評定となっていた。」までを次のとおり改める。
この人事考課制度の実際の運用は、10%以内の者がA評定とされるほか、C評定
は懲戒処分者や長期欠勤者など極めて少数の者が対象とされるのみで、その他のは
とんどの者はB評定とする取扱いとなっていた。
44 8の(1)の③のア中「ただし、労使間に合意はあったが、」から「協定書
は締結されていない。」までを削る。
45 8の(1)の③のイ中〔職能資格と役職との対応〕の表の「調査役・部長」
の下欄の「検.役・〃」を「検査役・〃」に改め、同表の次に次のとおり加える。
 なお、実際の運用においては、「ライン管理職」のうち「付部長」、「付副部
長」及び「付課長」についてはライン外の役職として位置付けられていた。
46 8の(1)の③のイ中〔新人事考課制度〕の「評定手続きは従来の制度のま
まとし、」から「評定結果の反映関連は、次のとおりである。」までを「評定種類
及び評定基準については前記②ウ認定の56年制度のとおりとしたが、評定の分布
制限を廃止した。なお、評定期間、評定領域及び評定結果の反映については次表の
とおりに変更し、昇格(56年制度における昇類)及び昇進の時期を、この評定期
間の変更との関連で7月1日(56年制度では4月1日)とした。」に改める

47 8の(1)の③のイ中〔新人事考課制度〕の表の「評定期間」欄の「自 前
年4月1日 至 当年9月30日」を「自 当年4月1日 至 当年9月30日」
に、「前年10月1日 当年3月31日」を「自 前年10月1日 至 当年3月
31日」に改め、「注」の冒頭に「定期昇給については、本人給と職能給のうち職
能給にのみ査定の結果が波及し、」を加える。
48 8の(1)の④のア中「職務給」を「職能給」に、「間差額分を乗じた差」
を「間差額分の差」に改める。
49 8の(1)の④のイ中「計9区分となった。しかし、9段階の区分への移行
に際しての基準などは、本件審査に際しても、」を「計9区分となり、原則として
移行時点における役職区分をもって新職能資格区分に移行するとされた。しかし、
個々の従業員が複数の対応する職能資格区分のどこに位置付けられるかについての
基準は、」に、「職務給」を「職能給」に改める。
50 8の(2)の①のイ中「昇ったのは、」の次に「57年にP13が3類から
4類に、」を加える。
51 8の(2)の①のウ中「職務給」を「職能給」に改める。
52 8の(2)の②を次のとおり改める。
② 同年同期入社者に比しての申立人らの職能資格格付け及び職位の全体的状況は
次のとおりである。
ア P3は代理格の主事であるが、34年入社者14名中、同人以外は全員課長格
以上である。また、主事は同人を含め5名、調査役等の専門職が2名、ライン管理
職が7名である。
イ P12は課長格の主事であるが、36年入社者21名中、同人より下位の者は
代理格が1名いるのみで、他の19名は全員課長格以上のライン管理職である。
ウ P4は代理格の主事、P1は代理格の所長代理であるが、37年入社者17名
中、この両名及び主事である他の1名以外は全員課長格以上のライン管理職であ
る。
エ P7は代理格の主事、P10及びP15は代理格の所長代理であるが、38年
入社者18名中、この3名及び担当課長である他の1名以外は全員課長格以上のラ
イン管理職である。
オ P8は課長格の主事であるが、39年入社者21名中、同人より下位の者は代
理格が2名いるのみで、他の18名は全員課長格以上のライン管理職である。
カ P11は他の2名とともに代理格の課長代理であるが、40年入社者21名
中、この3名以外は全員課長格以上のライン管理職である。
キ P17は代理格の課長代理であるが
、41年入社者22名中、同人以外は全員課長格以上のライン管理職である。
ク P2は代理格の所長代理であるが、42年入社者14名中、同人及び主事であ
る他の1名以外は全員課長格以上のライン管理職である。
ケ P9は代理格の所長代理であるが、45年入社者12名中、同人以外は全員課
長格以上のライン管理職である。
コ P6は代理格の所長代理であるが、47年入社者25名中、13名が課長格以
上のライン管理職であり、同人より下位の者は主任格が1名いる。
サ P5、P14及びP18は他の1名とともに主任格の主任であるが、49年入
社者33名中、この4名以外は全員代理格以上のライン管理職である。
シ P16は主任格であるが、50年入社者36名の全員が主任格以上となってい
る中で、同人以外は全員ライン管理職であるのに対し同人のみ未だ主任又は主事以
上の役職には就いていない。
ス P13は他の3名とともに主任格の主任であるが、51年入社者17名中、こ
の4名以外は全員代理格以上のライン管理職である。
53 8の(3)の⑧中「同年9月」を「同年7月」に改める。
54 8の(3)の⑰及び⑲中「主任になった。役職には」を「主任格となった
が、主任又は主事以上の役職には」に改める。
55 8の(4)中「本件審査」を「本件初審審査」に改め、「特別社員再雇用・
人事部部長であった。」の次に次のとおり加える。
 また、本件再審査において、会社は、以下の①ないし④の4名に関する事項につ
いて、5年6月1日から人事部長であるP26に証言させた。
56 8の(4)の①中「というのみで具体的な説明はなかった。」の次に次のと
おり加える。
 なお、本件再審査においてP26は「第2次評定でC評定2、D評定3とされ、
総合評定でD評定であった。」旨証言したが、最終評定がE評定となった理由につ
いての説明はなかった。
57 8の(4)の①の末尾に次のとおり加える。
 なお、本件再審査においてP26は「P12の業務である内務の事務量が少な
く、また、第1次評定者が評定期間の半ばに着任したこととも関係がある。」旨証
言したが、第2次評定と最終評定とに差がある理由についての具体的な説明はなか
った。
58 8の(4)の②の末尾に次のとおり加える。
 なお、本件再審査においてP26は「3年の昇給については、第2次評定の執務
態度評定がC評定1、D評定4となった事情がある。」旨証言したが
、最終評定がEとなった理由についての具体的説明はなかった。
59 8の(4)の③の末尾に次のとおり加える。
 なお、本件再審査においてP26は「前年度までD評定が続いていたので慎重を
期してD評定とした。」旨証言したが、前年までの評定を考慮した理由についての
説明はなかった。
60 8の(4)の④の末尾に次のとおり加える。
 なお、本件再審査においてP26は「第1次評定が良かったのは寛大化傾向によ
るもので、一目して悪い評価であることは十分想像がつく。」旨証言したが、最終
評定がE評定であることについての具体的な説明はなかった。
61 8の(5)中「その後において資料などの提出はなかった。」の次に次のと
おり加える。
 さらに、本件再審査においてP26は「第2次評定の結果を受けて、人事部及び
役員会では、部店間の甘辛現象や評定者の寛大化傾向、中心化傾向等を調整し
た。」旨証言したが、これらの調整の結果、P3らの最終評定が第2次評定より悪
い結果となったことについては所属部店での寛大化傾向などの具体的説明はなされ
なかった。
62 8の(5)中「人事制度が改定になったとはいえ、従前の評価が誤りであっ
たとの主張や疎明もない。」の次に「また、会社は、P3、P4、P1及びP15
の4名については同年同期入社者に比較してもともと昇進に遅れをとっていた旨主
張するが、同人らが従前から昇進が遅れていた理由についての疎明もない。」を加
え、末尾に次のとおり加える。
 このように、P3らの賃金、賞与、職能資格格付け及び職位が他の社員に比べ低
位に置かれていることは、①前記4ないし7で認定し判断したとおり、会社が、A
派の活動を抑圧し弱体化する意図のもとに、支部大会代議員選挙への介入、遠隔地
への配転、時間内組合活動休暇の不承認などの支配介入を行った本件労使関係の経
緯が存在すること、②これら格差の存在する合理的理由についての会社の疎明もな
いことを併せ考えれば、公正な人事考課の結果生じたものではなく、会社がP3ら
のA派としての活動を嫌悪し、これを抑圧しようとする意図のもとになした人事考
課の結果によるものであると判断せざるを得ず、正当な組合活動を理由とする不利
益取扱いであるとともに、支部の運営に対する支配介入に当たるものと認められ
る。
63 8の(6)及び(7)を次のとおり改める。
(6) P3らは、同人らの56年から3年までの賃金及び賞
与については査定の中間評価であるC評価に是正したうえでその差額を支給するこ
と及び職能資格格付け及び職位については別添①~2のとおり取り扱うことを求め
ている。
 そして、P3らは、毎年の人事考課に基づく昇給が不利益取扱いであるかどうか
は1回だけの考課で判断することはできず、低査定が続くなど数年の経過を経ては
じめて明確になるのであるから、56年以降の一連の賃金差別は継続する行為に該
当すると主張する。
 他方、会社は、56年度から62年度までの賃金及び56年6月から63年12
月までの賞与については、それらの最終の支払い時から1年を経過して申し立てら
れたとして、却下を求めている。
(7) そこで、本件における救済の範囲について判断するに、使用者が労働者の
正当な組合活動を理由として当該労働者に賃金等の差別を行ったとすれば、その差
別的取扱いの意図は賃金等の支払いによって具体的に実現されるものであるから、
使用者の賃金等の決定行為とこれに基づく賃金等の支払いとは一体として一個の不
当労働行為を構成するというべきである。そうすると、同決定行為とこれに基づく
賃金等が支払われている限り不当労働行為は継続することになる。そして、上記
(1)③イ認定の会社の61年制度によれば、62年4月1日から63年3月31
日までの人事考課の評定結果に基づき同年4月に昇給し決定された63年度の賃金
は同年4月から元年3月まで支給され、一方、前記2(5)認定のとおり、元年以
前の賃金の差別に係る初審申立は元年12月25日になされているのであるから、
賃金については63年4月以降について救済の対象とするのが相当である。また、
昇給後の賃金額に格差があるとすれば当該賃金額を基礎として決定される賞与につ
いても必然的に格差が発生することとなるのであるから、63年4月以降の賃金に
ついて救済の対象とする以上、賞与についても63年6月以降について併せて救済
の対象とするのが相当である(なお、元年12月の賞与については3年12月24
日に申し立てられているので、当該賞与の査定部分については救済の対象から除く
ものとする。)。
 以上からすれば、63年3月以前の賃金及び62年12月以前の賞与に関する申
立は却下せざるを得ない。
64 8の(8)の表題及び①を削り、②を①とし、①中「職能資格・等級・職位
差別」を「職能資格格付け及び職位」に、「職能等級・職位に
ついて、金額、等級・職位の具体的根拠の主張がない。」を「職能資格格付け及び
職位について、金額、職能資格格付け及び職位の具体的根拠の主張がなく、」に改
める。
65 上記64で改めた8の(8)の①中「しかし、このうち、賃金、賞与の是正
については、」以下を次のとおり改める。
 しかしながら、P3ら19名は、本件において、56年以降3年度までの賃金及
び賞与と、3年6月1日以降の職能資格格付け及び職位について、差別的な取扱い
を受けていることを主張・立証して、前者については、人事考課の中間評価である
Cとして査定され昇給していれば得られたであろう金額へ是正することを、後者に
ついては、同日以降同年同期入社者に遅れないように取り扱うことを求めているの
であるから、「不当労働行為を構成する具体的事実」の主張がないとはいえず、本
件救済申立は却下されるべきであるとの会社の主張は採用できない。なお、会社の
いう同人らの低査定の合理性は会社がむしろ主張・立証すべき事柄であるが、前記
(4)及び(5)のとおりこの点の主張・立証はなされていない。
66 上記64で改めた8の(8)の①の次に②及び③として次のとおり加える。
② 本件賃金差別に係る救済方法については、同人らの63年4月以降3年度まで
の賃金について、人事考課査定がD査定以下のものを査定の中間評価であるCとし
て再査定して昇給させ、既支給額との差額を支払うよう命じるとともに、同人らの
63年6月以降3年度までの賞与について、基礎となる賃金は上記により是正した
金額を基準として、また、査定部分(平成元年12月を除く。)については人事考
課査定がD査定以下のものを査定の中間評価であるCとして再査定して金額を算定
し、既支給額との差額を支払うよう命じるのが相当である。
③ 次に、P3ら19名の職能資格格付け及び職位の是正に関し、申立人らは、会
社では職能資格毎にこれに対応する職位が定められており、職能資格格付けについ
てのみ是正し、職位について是正しなければ、職能資格格付けに対応しない職位と
なり、制度上矛盾することとなるのであり、また、申立人らは特定の職位に就くこ
とを求めているのではなく同年同期入社者の標準者の職位への是正を求めているの
であるから、職能資格格付け及び職位の差別が共に不当労働行為である以上、職能
資格格付けのみでなく職位についても是正されるべきであると主張する。
 そこで判断するに、P3ら19名の職能資格格付け及び職位において生じている
格差は、前記(5)判断のとおり不当労働行為と認められ、これがなければかかる
格差は生じなかったのであるから、これを是正することが必要であるところ、前記
(1)③認定のとおり、会社の61年制度では職能資格毎に対応する職位が定めら
れ、一定の職能資格に格付けられるとそれに対応するいずれかの職位に就くことと
なるのであるから、少なくとも組合員資格を有するライン外の役職までは是正する
ことができると考えられる。したがって、各人の職能資格格付けを同人らの同年同
期入社者に遅れないように取り扱うよう命じるとともに、各人の職位についても当
該是正後の職能資格格付けに対応するよう、その是正を命じるのが相当である。
 なお、前記5(4)により本命令が命じるP1ら5名の原職又は原職相当職への
復帰に当たっては、各人の職能資格格付け及び職位の是正を考慮するものとする。
67 別添①~2の表中「資格」欄の「次長」を「副部長」に改める。
 以上のとおりであるので、初審命令主文の一部を主文のとおり変更するほかは、
本件各再審査申立てには理由がない。
 よって、労働組合法第25条及び第27条並びに労働委員会規則第55条の規定
に基づき、主文のとおり命令する。
平成10年1月21日
中央労働委員会
会長 P94

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