弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主文
1被告は,原告に対し,60万円及びこれに対する平成20年11月26日か
ら支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2原告のその余の請求を棄却する。
3訴訟費用は,これを9分し,その1を被告の負担とし,その余を原告の負担
とする。
4この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
被告は,原告に対し,530万円及びこれに対する平成20年11月26日か
ら支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
本件は,自律神経失調症により休職中であった原告が,勤務先の産業医で
ある被告との面談時に,詰問口調で非難されるなどしたため,病状が悪化し,
このことによって復職時期が遅れるとともに,精神的苦痛を被ったとして,
不法行為による損害賠償請求権に基づき,逸失利益の一部の賠償及び慰謝料
の支払並びにこれに対する不法行為の日である平成20年11月26日から
支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めている
事案である。
1前提事実(証拠の挙示のない事実は,当事者間に争いがない。)
(1)当事者等
ア原告は,昭和62年から財団法人A(以下「勤務先」という。)に勤務
しているが,自律神経失調症により,平成20年6月30日から平成21
年4月26日まで休職していた者である。
イ被告は,平成20年11月26日当時,勤務先の産業医を務めていた医
師である。
(2)休職中の面談
ア原告は,休職中,2週間に1度のペースでBに通院し,自宅療養をして
いたところ,平成20年11月に入って,勤務先の上司であるC係長から,
産業医による面談を打診され,これに応じることとした。
イ被告は,C係長から依頼を受け,平成20年11月26日午後4時ころ
から,勤務先近くの喫茶店で,C係長の同席の下,原告と面談した(以下
「本件面談」という。)。
(3)休職中の給与
原告は,勤務先の規定に基づき,休職期間中,給与,扶養手当,地域手当,
住居手当の80パーセントの支給を受けていた(甲9,10[枝番省略。以
下同じ])。うち,平成21年1月分から平成21年5月分までの減額分は,
以下のとおりであった(甲10)。
平成21年1月分8万2726円
平成21年2月分8万2726円
平成21年3月分8万2726円
平成21年4月分9万5729円
平成21年5月分8万0668円
2主たる争点及びこれに対する当事者の主張
(1)本件面談における被告の言動が注意義務に反するものであったか
(原告の主張)
ア被告の産業医としての注意義務
(ア)産業医は,労働者の健康管理を職務とし,その一環として労働者の
職場復帰の支援又はメンタルヘルスケア・健康相談を行うのであり,メ
ンタルヘルスについても,研修や実習を通じて最低限の知識を習得して
いることが当然に期待される立場にある。
(イ)本件面談は,被告の産業医としての職務の一環として,原告の職場
復帰の支援又はメンタルヘルスケア・健康相談を目的として行われたも
のであり,被告は,本件面談に先立って,原告が自律神経失調症に罹患
していることも知らされていた。
(ウ)一般に,自律神経失調症の患者に対する面談において,圧迫的な言
動で患者に接したり,紋切り型の説明をすることは,明らかに不適切で
あるとされるところ,被告は,本件面談において,原告に対し,圧迫的
な言動を避けるべき注意義務を負っていた。
イ本件面談における被告の言動
(ア)本件面談において,被告は,原告が封筒に入れて差し出した診断書
を見ることもなく,「君,何の病気やねん。」などと詰問し,「君の症
状は誰にでもあることや。それは病気とは言えへん。薬では治れへん。
病気を作り出してるんは君自身や。それは甘え,いうこっちゃ。」と畳
み掛けた。
(イ)また,原告が,自身の病状について,何の前触れもなく急に不安に
なるなどと述べたところ,被告は,「そんな立派な体して,体力がない
はずないやん。」と決め付け,原告が妻や友人といるときも同じような
症状が出ると説明しても,それを信じようとせず,同席していたC係長
に対し,「確認せなあかんな。」などと,被疑者に対する取調べのよう
な口調で述べた。
(ウ)さらに,被告は,涙を流して泣いている原告に対し,追い討ちをか
けるように,「頑張って自分で治さなあかんで,薬に頼らずに。」と述
べ,「そんな状態が続いとったら,生きとってもおもんないやろが。」
と言い放ち,面談の最後には「頑張りや,ほんまに頑張るんやで。」と
言い残した。
ウ小括
前記イの被告の言動は,自律神経失調症に罹患している原告に対する言
動として明らかに不適切であり,労働者の面談に当たる産業医の注意義務
に反するものといえる。
(被告の主張)
ア被告の産業医としての注意義務について
(ア)産業医は,主治医のように,自らの責任で長期間にわたり直接に労
働者の診断・治療を行っているわけではなく,個々の職員の休職の必要
性や復職の当否について意見を述べるに当たっても,ほぼ主治医の意見
どおりとしている状況にある。
このように,産業医は,患者に対して限定的な関わりを有するに過ぎ
ないのであるから,その注意義務も限定的なものというべきである。
(イ)被告は,C係長から,自律神経失調症に悩んでいる職員がいるので
会ってやってほしいと頼まれたに過ぎず,原告の現在の病状や復職に関
する方針,原告の業務内容などの情報は与えられていなかった。
被告は,原告の訴えを聞いてやるだけでも,原告の心を和らげ,満足
させることができるのではないかという程度の考えで,本件面談の依頼
に応じたに過ぎず,原告の復職判断のために行ったものでもない。
イ本件面談における言動
被告が,本件面談において,「薬だけで治すことは難しい」と述べたり,
できる範囲で前向きな生活が送れるよう,原告に励ましの言葉をかけるこ
とはあったものの,詐病であるかのように原告を詰問したり,原告の人格
を否定するような発言をした事実はない。
また,原告が,本件面談中に涙を流すようなことはなかった。原告は,
ずっと下を向いており,被告の言葉に対して特に反応を示すことはなかっ
た。
ウ小括
このように,被告は,主治医ではなく産業医として,かつ,相談的なも
のとして本件面談を行ったに過ぎないから,その注意義務は限定的なもの
にとどまるところ,前記イの被告の言動は,その注意義務に反するもので
はない。
(2)損害論
(原告の主張)
ア本件面談と病状悪化との因果関係
原告は,自律神経失調症で勤務先を休職していたが,本件面談のこ
ろには,職場復帰に向けての話合いが行われるほど,症状は回復しつ
つあり,主治医は,平成21年1月ころの職場復帰を想定していた。
ところが,本件面談後,原告は,心身のバランスを崩し,精神安定
剤を服用することが増え,一時は首をつることまで具体的に考えるほ
どの精神状態に陥り,復職の時期も平成21年4月27日にずれ込ん
だ。
原告の病状悪化は,本件面談により引き起こされたものであるとい
える。
イ休業損害
原告は,平成21年1月の仕事始めには復職できる高度の蓋然性が
あったにもかかわらず,本件面談時の被告の言動により,自律神経失
調症が悪化し,平成21年4月27日まで復職が遅れることとなった。
この間,原告は,前記1(3)のとおり,給与を減額されていた(合計
42万4575円)ところ,うち少なくとも30万円については,被
告の本件面談における言動と相当因果関係のある損害に当たる。
ウ慰謝料
原告は本件面談後,急激に体調が悪化し,自殺の具体的な方法を考
えたり,被告に対する怒りが抑えきれず激昂した状態が継続したり,
気力を失いぼうっとした状態が続くといった症状に苦しめられた。
このことによる精神的苦痛を金銭に換算すれば,500万円を下る
ことはない。
(被告の主張)
ア本件面談と病状悪化との因果関係
原告の病状は,本件面談の前後を通じて激しい浮き沈みがあり,本
件面談を境に病状が逆戻りしたり,急激に悪化したといった事情は認
められない。本件面談と原告の病状の悪化との間には相当因果関係が
ない。
イ休業損害
原告は,本件面談当時,昼夜逆転の生活を送ったり,小さい出来事
で落ち込んで死のうと考えたりするなど,一般的な社会生活を送るこ
とが難しい状態にあった。本件面談当時,平成21年1月に復職でき
る蓋然性があったともいえない。
ウ慰謝料
否認し,争う。
第3争点に対する判断
1事実経過について
証拠(後掲)によれば,以下の事実が認められる(なお,以下の認定事実に
反する証拠は,信用することができない。)。
(1)被告は,平成2年ころから,大阪市の各区役所・保健所等に産業医とし
て勤務していた(乙2,被告本人)。
産業医は,職場の安全衛生,事故の予防,労働環境の改善などを監視し,
休職中の職員の職場復帰の支援や,職場との調整を図る立場にあるが,被告
自身,内科を専門とする医師であって,メンタルヘルスについては,産業医
向けの講習を毎年1回受講して知識を得ていた(被告本人)。
(2)原告は,平成9年6月に自律神経失調症と診断され,Bの心療内科に通
院していたが,平成20年6月9日に勤務先での職務担当が変更になったこ
とを契機に,状態が悪化した。
原告は,同月29日から勤務先を病気休職し,2週間ごとにBに通院し,
自宅療養を継続しており,同年10月10日には,3か月ごとの病気休職期
間が切れる平成21年1月をめどに職場復帰を目指す程度にまで状態が安定
していた(甲14,16,原告本人)。
(3)C係長は,原告に産業医の面談を受けるよう打診する一方,被告に原告
との面談を依頼した。被告は,原告が自律神経失調症で休職していることは
説明を受けて知っていたが,勤務先での原告の仕事の内容や原告の詳しい病
状については説明を受けていなかった(被告本人)。
(4)被告は,平成20年11月26日午後4時から,勤務先近くの喫茶店で,
C係長の立会の下,原告と面談した。面談場所を喫茶店としたのは,勤務先
の人と顔を合わせたくないという原告の意向を受けてのことであった(原告
本人)。
被告は,原告に対し,健康状況や家庭環境・職場環境,受診状況や,最近
の生活状況などを尋ねたが,あまりはっきりした回答が得られなかった(被
告本人)。
被告は,原告を見た印象で,原告の状態は悪くなく,もう一歩で職場復帰
できると感じていたため,可能な部分から前向きな生活をするよう励ませば
よいと考えて,「それは病気やない,それは甘えなんや。」,「薬を飲まず
に頑張れ。」,「こんな状態が続いとったら生きとってもおもんないやろ
が。」などと力を込めて言った(原告本人,被告本人)。
また,原告が,いつ急に不安になるか自分でも予測がつかず,妻や知り合
いと話をしていても不安になることがあると言うのに対し,被告は,C係長
に,事実確認をしなければならない旨を告げた(原告本人)。
原告は,面談途中から,嗚咽が漏れないようハンカチを噛み,下を向いて
体を震わせながら涙を流していた(原告本人)。
(5)面談は1時間弱で終了した。面談終了後,原告は,少し落ち着こうと思
い,しばらく一人で喫茶店内に残り,後から店を出たところ,原告の状態を
案じたC係長が,原告の妻に迎えに来るよう連絡をして,原告が出てくるの
を待ってくれていた(原告本人)。
(6)原告は,平成20年12月2日,Dで診察を受けた。原告は,診察を担
当したE医師に対し,本件面談で病状が悪化し,抗不安剤のワイパックスを
服用することが増えた旨を訴えた(甲15)。
また,原告は,平成20年12月5日,Bで,従来は改善傾向にあったが,
本件面談後,明らかに症状が悪化しているとして,平成21年1月31日ま
で自宅療養が必要である旨の診断を受けた(甲5)。
(7)原告は,その後も,おおむね2週間に1度のペースでBに通院を続け,
平成21年3月26日,Bで,同年4月27日から就業可能との診断を受け
た(甲6)。
2本件面談における被告の言動が注意義務に反するものであったか
(1)前記1(3),(4)で認定した事実によれば,被告は,原告が自律神経失調
症であり,休職中であるという情報を与えられた上で,原告との面談に臨ん
でいたにもかかわらず,原告に対し,薬に頼らず頑張るよう力を込めて励ま
したり,原告の現在の生活を直接的な表現で否定的に評価し,その克服に向
けた努力を求めたりしていたことが認められる。
(2)ところで,被告は,産業医として勤務している勤務先から,自律神経失
調症により休職中の職員との面談を依頼されたのであるから,面談に際し,
主治医と同等の注意義務までは負わないものの,産業医として合理的に期待
される一般的知見を踏まえて,面談相手である原告の病状の概略を把握し,
面談においてその病状を悪化させるような言動を差し控えるべき注意義務を
負っていたものと言える。
そして,産業医は,大局的な見地から労働衛生管理を行う統括管理に尽き
るものではなく,メンタルヘルスケア,職場復帰の支援,健康相談などを通
じて,個別の労働者の健康管理を行うことをも職務としており,産業医にな
るための学科研修・実習にも,独立の科目としてメンタルヘルスが掲げられ
ていること(甲12)に照らせば,産業医には,メンタルヘルスにつき一通
りの医学的知識を有することが合理的に期待されるものというべきである。
してみると,たしかに自律神経失調症という診断名自体,交感神経と副交
感神経のバランスが崩れたことによる心身の不調を総称するものであって,
特定の疾患を指すものではないが,一般に,うつ病や,ストレスによる適応
障害などとの関連性は容易に想起できるのであるから,自律神経失調症の患
者に面談する産業医としては,安易な激励や,圧迫的な言動,患者を突き放
して自助努力を促すような言動により,患者の病状が悪化する危険性が高い
ことを知り,そのような言動を避けることが合理的に期待されるものと認め
られる。
してみると,原告との面談における被告の前記(1)の言動は,被告があら
かじめ原告の病状について詳細な情報を与えられていなかったことを考慮し
てもなお,上記の注意義務に反するものということができる。
3損害論
(1)本件面談と病状悪化との因果関係
前記1(2),(6),(7)で認定した事実によれば,原告は,被告との面談直
前には状態が安定し,平成21年1月からの復職を目指して面談を行うほど
であったところ,本件面談により病状が悪化し,自宅療養期間が延び,実際
の復職時期が平成21年4月27日にまでずれ込んだことが認められる。
これらの事実によれば,原告の病状悪化は,本件面談における被告の言
動により生じたものと認めることができる。
(2)休業損害
前記第2の1(3)に掲記した事実によれば,原告の復職が遅れたことによ
る減収は,30万円を下らないものと認めることができる。
(3)慰謝料
前記1(4)ないし(7)で認定した,本件面談における被告の原告に対する言
動や,これにより原告に生じた反応,前記(1)で認定した復職時期の遅れの
程度などを考慮すれば,原告の精神的苦痛を金銭で慰謝するには,30万円
が相当である。
4結論
以上によれば,原告の請求は,不法行為による損害賠償請求権に基づき,6
0万円及びこれに対する不法行為の日である平成20年11月26日から支払
済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由
がある。
よって,主文のとおり判決する。
大阪地方裁判所第16民事部
裁判官寺元義人

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