弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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          主    文
    1 原判決中,控訴人敗訴部分を取り消す。
    2 被控訴人らの請求をいずれも棄却する。
    3 訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人らの負担とする。
          事実及び理由
第1 控訴の趣旨
   主文と同旨
第2 事案の概要
   原判決「事実及び理由」中の「第2 事案の概要」欄記載のとおりで
あるから,これを引用する。
第3 当裁判所の判断
 1 争点1(D医師の過失の有無)について
   当裁判所もD医師に診療上の過失はなかったものと判断するが,その
理由は,原判決9頁18行目冒頭から12頁2行目末尾までと同じであるか
ら,これを引用する(ただし,原判決9頁22行目,10頁14行目及び1
1頁18行目の各「鑑定」をいずれも「鑑定人F及び同Iの各鑑定」と改め
る。)。
 2 争点2(E医師の過失の有無)について
  (1) E医師が主治医として故Cに対する診療を開始した後,同女につ
き子宮体癌に罹患しているとの診断がなされた平成7年11月7日までの間
における同疾病罹患時期についての判断は,次のとおり訂正するほかは,原
判決12頁4行目冒頭から21頁5行目末尾までと同じであるから,これを
引用する。
   ① 原判決12頁11行目の「鑑定」を「鑑定人F及び同Iの各鑑
定」と改める。
   ② 原判決14頁5行目から6行目にかけての「何の処置もしなかっ
た」を「子宮内膜症の治療によりホルモンバランスが崩れたためと考え,特
段の治療は行わなかった」と改める。
   ③ 原判決20頁6行目の「これら」から同8行目の「いうべきであ
る」までを「これらに鑑定人Iの鑑定の結果を総合すると,故Cの子宮体癌
が発生した時期は,これを確定することはできないが,故Cにスプレキュア
の使用開始後に不正性器出血がみられた平成7年5月ころであった可能性ま
では認められる」と改める。
   ④ 原判決20頁23行目の「極めて」を削除する。
  (2) 当裁判所は,原判決とは異なり,E医師に診療上の過失はなかっ
たものと判断する。その理由は次のとおりである。
   ① 子宮体癌患者の初発症状,子宮体癌の発見を目的とする検診の効
能等については,原判決の認定(原判決22頁9行目の「上記」から25行
目末尾まで。ただし,同11行目の「鑑定」を「鑑定人F及び同Iの各鑑
定」と改める。)と判断を同じくするので,これを引用する。
   ② E医師の診療行為の評価
     以上の認定の事実にかんがみれば,産婦人科医師としては,自己
が治療している患者について不正性器出血等の子宮体癌の症状と理解される
症状が出現した場合においては,同症状がそれまでの患者に対する診断及び
治療経過から合理的に説明し得ない場合においては,子宮体癌の可能性を考
え,子宮内膜の細胞診や組織診を実施することを検討すべきであるというこ
とはできる。
     しかしながら,事後に確定診断された子宮体癌罹患の事実から遡
って医師の注意義務を規定することは,医師に不可能を強いることにもなり
かねないのであり,少なくとも,治療している患者に不正性器出血等の症状
が現れたとしても,それまでの診断及び治療経過から同症状を通常の診療例
から合理的に説明することができる場合においては,それだけで,医師は子
宮体癌を疑って,患者の負担となりあるいはそれまでの治療効果に反する結
果を招来しかねない子宮内膜の細胞診や組織診を実施しなければならない注
意義務があるとまではいうことはできない。
     これを本件についてみるに,故Cにはスプレキュアの使用後に不
正性器出血がみられ,これが断続的に継続していたものということはできる
が,止血剤の使用により止血の効果も現れたりしており,また,子宮内膜症
に対する治療の影響として不正出血も考えられたものであって,これにより
不正性器出血は一般診療例からして合理的に説明し得るものといえるから,
E医師が,故Cが平成7年10月13日に同月10日から多めの不正性器出
血があり,左下腹部痛もある旨訴えるまでの間は,その身体に対する上記侵
襲を敢えてしてまでも,故Cに対し子宮内膜の細胞診や組織診を実施すべき
注意義務があったとまでいうことはできない。
     また,前記認定のとおり本件の子宮体癌は極めて早い進行経過を
辿ったものであり,通常の子宮体癌とは異なる特殊なものとみられ,仮に,
平成7年6月6日からのリュープリンを使用するに際し,子宮内膜の細胞診
あるいは組織診を実施したとしても,故Cの子宮体癌を発見し得たかについ
ては,その可能性は否定できないにせよ,発見し得たことを認めるまでには
至らないというほかない(鑑定人Iの鑑定)ことも考慮すると,E医師が前
記検査を実施した方が望ましかったとしても,それにより故Cを救命しある
いは延命させることができたということもできない。
     以上の次第で,E医師についても故Cの死亡について過失があっ
たということはできないから,その余の点について判断するまでもなく,被
控訴人らの請求は理由がない。
 3 よって,被控訴人らの請求はいずれも理由がなく棄却すべきであり,
被控訴人らの請求を一部認容した原判決は不当であるから,原判決中控訴人
敗訴部分を取り消し,被控訴人らの請求をいずれも棄却することとして,主
文のとおり判決する。
   広島高等裁判所松江支部
        裁判長裁判官   廣   田       聰
           裁判官   吉   波   佳   希
           裁判官   植   屋   伸   一
(参考 原審判決)
               主         文
  1 被告は,原告Aに対し,金4348万6325円及びこれに対する平成
8年1月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
  2 被告は,原告Bに対し,金2047万3162円及びこれに対する平成
8年1月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
  3 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
  4 訴訟費用は,これを2分し,その1を原告らの負担とし,その余を被告
の負担とする。
  5 この判決は,第1,2項に限り,仮に執行することができる。
              事 実 及 び 理 由
第1 請求
 1 被告は,原告Aに対し,金8200万円及びこれに対する平成8年1月1
0日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 2 被告は,原告Bに対し,金4000万円及びこれに対する平成8年1月1
0日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
   本件は,不妊治療等のため病院に入通院中,子宮体癌(子宮内膜癌)に罹
患し,死亡した女性の相続人である原告らが,女性の死亡は,病院の医師らの過
失により,適切な検診が実施されず,子宮体癌の発見が遅れたからであるなどと
主張して,病院を開設し,医療業務を営む被告に対し,不法行為(使用者責任)
又は債務不履行に基づき,損害賠償を請求した事案である。
 1 争いのない事実等(当事者間に争いのない事実並びに証拠(甲1,28,
乙1ないし17,29,35,38)及び弁論の全趣旨から容易に認められる事
実)
  (1) 当事者等
   ア 故Cは,昭和31年10月20日生まれの女性である。
   イ 原告Aは,故Cの夫であり,原告Bは,故Cの母である。
   ウ D医師及びE医師は,いずれも故CがJ病院(以下「J病院」とい
う。)に入通院した際,主治医として故Cの治療を担当した,同病院に勤務する
医師である。
   エ 被告は,J病院を開設し,医療業務を営む地方公共団体である。
  (2) 故Cの診療経過等
   ア 故Cは,平成4年7月22日,不妊治療を受けるため,J病院産婦人
科への通院を開始した。
     故Cが通院を開始してから平成7年2月13日までの故Cの主治医
は,D医師であった。
     故Cに対しては,不妊治療のため,排卵誘発剤の投与や人工授精が試
みられた。
     その後,故Cの子宮筋腫が増大し,これが故Cの不妊の原因と考えら
れたため,故Cは,子宮筋腫核出手術を受けることになり,平成5年8月9日,
J病院に入院し,同月10日,D医師の執刀により同手術が実施された。その
際,故Cは,子宮内膜症と診断された。
     故Cは,同月23日,J病院を退院し,同年9月中旬まで自宅療養を
した。
     その後も,故Cは,子宮内膜症等の治療のため,月に1回程度J病院
に通院し,D医師による診療を受け,同年10月4日から平成6年3月7日まで
ボンゾールが投与された。
     故Cには,平成5年10月18日,同月25日から同月31日,同年
12月9日,同月10日,同月12日,平成6年2月19日から同年3月4日,
同月7日,同年4月3日及び同月4日,不正性器出血(月経とは関係のない不規
則な性器出血)又は帯下(女性生殖器からの分泌物をいうが,特にそれにより外
陰部が湿潤されて分泌物の存在が自覚され,不快感がみられる程度になったもの
をいう。)がみられた(なお,同年2月21日には,子宮頚管のポリープから出
血がみられた。)。
   イ 平成7年2月13日,故Cの主治医が,D医師からE医師に交替し
た。
     故Cには,同年5月9日からスプレキュアの使用が開始されたが,同
月中旬以降,不正性器出血がみられた。
     故Cは,同年6月1日,体外受精のため,中央病院に1日入院した。
     同月6日,故Cに対し,子宮内膜症治療のため,リュープリンの投与
が開始され,同年10月13日までの間,ほぼ月1回合計5回投与された。
     リュープリンの投与開始後,故Cには,同月23日,同年7月11
日,同年8月4日及び同年9月20日,不正性器出血がみられた。
     さらに,故Cには,同年10月10日から多量の不正性器出血がみら
れたため,同月13日,故Cに対し,子宮内膜細胞診が実施された。
     同月20日には,同月13日に実施された子宮内膜細胞診の結果が擬
陽性であることが判明し,故Cが子宮体癌に罹患している疑いが生じた。
     その後,同月27日及び同年11月7日,不正性器出血がみられ,子
宮体癌が膣に転移している疑いが生じ,同日,故Cが子宮体癌に罹患していると
の診断がなされ,故Cに対し,子宮膣部細胞診,子宮内膜組織診,膣壁腫瘤細胞
診が実施された。
     同月9日,故Cに対し,膣壁腫瘤組織診が実施された。
     故Cには,同日ころから腹痛が発生し,同月13日,1週間の自宅安
静を指示された。
     同月14日には,同月7日に実施された子宮膣部細胞診の結果,悪性
細胞がみられること,同じく膣壁腫瘤細胞診の結果が擬陽性であることが判明し
た。
     故Cは,このころから咳き込むようになり,腹痛も軽快することな
く,容体が悪化した。
     同月17日,子宮体癌が肺に転移している疑いが生じ,故Cに対し,
子宮体癌に罹患していること,癌が膣壁に転移していることの告知がなされた。
故Cは,同日,中央病院に入院し,再度子宮内膜組織診が実施された。
     同月22日になって,同月9日に実施された膣壁腫瘤組織診の結果,
故Cが膣癌に罹患していることが判明した。
     同月27日には,同月17日に実施された子宮内膜組織診の結果,故
Cの罹患した子宮体癌が,中分化型(grade2)ないし低分化型(grade3)の腺癌
であることが判明し,故Cに対し,抗癌剤の投与が開始された。
     故Cは,平成8年1月10日,子宮体癌から転移した肺癌のため,死
亡した。
  (3) 原告らの相続
    故Cの死亡により,原告らは,故Cを,法定相続分に従い,原告Aが3
分の2,原告Bが3分の1,それぞれ相続した。
 2 争点
  (1) 争点1
    D医師の過失の有無
  (2) 争点2
    E医師の過失の有無
  (3) 争点3
    D医師又はE医師の過失と故Cの死亡との相当因果関係の有無
  (4) 争点4
    故Cの損害等
 3 争点に関する当事者の主張の要旨
  (1) 争点1(D医師の過失の有無)について
   ア 原告ら
   (ア) 故Cは,不妊治療中であり,また,それに付随して子宮筋腫や子宮
内膜症と診断され,その治療を受けていた。
   (イ) D医師が主治医として担当していた時期,故Cには,不正性器出血
や帯下がみられた。
   (ウ) 子宮内膜症の投薬においては,発癌の副作用例が報告されている。
   (エ) 以上の事情に照らすと,主治医であるD医師には,故Cの子宮体癌
を疑い,しかるべき検診を行うべきであったのに,これを行わなかった過失があ
る。
   イ 被告
   (ア) D医師が主治医であった期間には,故Cには,血液検査,生化学検
査等による異常が認められなかった。
   (イ) D医師が主治医であった期間に発生した不正性器出血は,いずれも
合理的理由によって子宮癌の心配までする必要のないものであり,また,故C
は,不妊治療中であったため,主治医の裁量的判断として検診を行わなかった。
   (ウ) 故Cの帯下は,抗生剤の投与により軽快しているところ,癌による
壊死性の帯下であれば,抗生剤投与によっては軽快しないはずである。
   (エ) 以上の事情に照らすと,故Cの検診を行わなかったことは,やむを
得ないものいえるから,D医師に過失はない。
  (2) 争点2(E医師の過失の有無)について
   ア 原告ら
   (ア) E医師が主治医であった時期も,故Cは,不妊治療中であり,ま
た,それに付随して,子宮内膜症等の治療を受けていた。
   (イ) 主治医がD医師からE医師に交替した後,故Cには,繰り返し不正
性器出血や帯下,下腹部痛がみられた。
   (ウ) 子宮内膜症の投薬においては,発癌の副作用例が報告されている。
   (エ) 以上の事情に照らすと,E医師が,平成7年10月13日までの
間,故Cに対する子宮体癌の検診を行わず,子宮体癌の発見が遅れたことは,同
医師の過失に当たる。
   イ 被告
   (ア) E医師が主治医であった期間には,故Cには,血液検査,生化学検
査等による異常が認められなかった。
   (イ) 故Cについて,全身倦怠感,持続的下腹部痛,咳といった全身的変
化の出てきた時期が遅かった。
   (ウ) 主治医がD医師からE医師に交替した後,平成7年6月6日にリュ
ープリン投与による子宮内膜治療が開始されるまでの間,故Cにみられた不正性
器出血は,いずれも短期間で止まった。
      また,そのころは,故Cの体外受精周期であったため,主治医であ
るE医師において,故Cに対しては,子宮を傷つけることにより妊娠に悪影響を
及ぼすおそれのある子宮細胞診や子宮組織診を実施しない方がよいと判断した。
      故Cには,平成7年6月6日のリュープリン投与による子宮内膜症
治療開始後にも不正性器出血がみられたが,リュープリン投与中は不正性器出血
を起こしやすいというのが医学的常識であるし,また,同月23日,同年7月4
日,同月11日,同年8月4日及び同年9月20日にみられた不正性器出血は,
スプレキュアを使用したためホルモンバランスが崩れたためであり,いずれも短
期間で止まった。
      故Cには,同年6月6日のリュープリン投与による子宮内膜症治療
開始後,同月23日及び同年9月20日に帯下がみられたが,いずれも膣炎によ
るものであり,抗生剤を投与することにより軽快している。
   (エ) 以上の事情に照らすと,故Cの子宮体癌の発見が遅れたことは,や
むを得ないものといえ,E医師に過失はない。
  (3) 争点3(D医師又はE医師の過失と故Cの死亡との相当因果関係の有
無)について
   ア 原告ら
     子宮体癌の大半は,腺癌であり,腫瘍の発見,転移は緩慢であるた
め,早期に治療すれば,予後はかなりよい。
     したがって,D医師又はE医師の過失と故Cの死亡との間には相当因
果関係がある。
   イ 被告
     故Cの子宮体癌発症の時期は,平成7年10月13日である。
     子宮体癌の中でも故Cの場合のような未分化型の腺癌の場合,進行が
速いとされているから,症状が出た時点では手遅れのことが多い。
     したがって,仮にD医師又はE医師が主治医であった期間中に故Cの
子宮体癌が発症していて,かつ,それを発見できなかったことについてD医師又
はE医師に過失があるとしても,その過失と故Cの死亡との間に相当因果関係は
ない。
  (4) 争点4(故Cの損害等)
   ア 原告ら
   (ア) D医師又はE医師の過失と故Cの死亡との相当因果関係が認められ
る場合,故Cに生じた損害等は以下のとおりである。
    a 故Cの逸失利益と原告らの相続
      故Cは,小学校教諭として,平成7年には,693万9122円の
年収があったところ,死亡当時39歳であったから,就労可能年数を28年,そ
のホフマン係数を17.221,生活費控除率を30パーセントとして計算する
と,故Cの逸失利益は約8400万円になる。
     (計算式 6,939,122×0.7×17.221=83,649,033)
      原告Aは,これを3分の2(5600万円),原告Bは,これを3
分の1(2800万円)相続した。
    b 慰謝料
      原告ら固有の慰謝料として,原告Aにつき1600万円,原告Bに
つき800万円を認めるべきである。
    c 墳墓・葬祭費
      原告Aは,故Cの墳墓・葬祭費として,200万円を支出した。
    d 弁護士費用
      原告Aにつき800万円,原告Bにつき400万円を弁護士費用と
して認めるべきである。
   (イ) 仮に,D医師又はE医師の過失と故Cの死亡との相当因果関係が認
められない場合でも,救命の可能性又は延命の蓋然性が失われたことにより,相
当高額の慰謝料を認めるべきである。
   (ウ) よって,被告に対し,不法行為(使用者責任)又は債務不履行に基
づき,原告Aは8200万円,原告Bは4000万円及びこれらそれぞれに対す
る故Cの死亡の日である平成8年1月10日から支払済みまで民法所定の年5分
の割合による遅延損害金の支払を求める。
   イ 被告
     争う。
第3 証拠
   本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。
第4 当裁判所の判断
 1 争点1(D医師の過失の有無)について
  (1) D医師の過失の有無を検討するに当たり,D医師が主治医として故Cに
対する診療を担当した平成4年7月22日から平成7年2月13日までの間に,
故Cが子宮体癌に罹患していたか否かにつき,まず検討する。
  (2) 上記争いのない事実等並びに証拠(甲11,24,25,乙1ないし
3,5,16ないし19,23,36,37,証人D医師,鑑定)及び弁論の全
趣旨によれば,故Cには,平成5年10月18日から平成6年4月4日までの間
に,不正性器出血や帯下が,それぞれ数回にわたりみられたこと,これらの不正
性器出血や帯下について,D医師は,当時故Cに投与していた薬剤であるボンゾ
ールによる副作用や膣炎,良性ポリープ等に起因するものであると考え,ボンゾ
ールの服用方法を変更したり,膣炎に対する抗生剤を投与したり,ポリープを切
除したりといった対処をしたところ,いずれの不正性器出血及び帯下もほどなく
収まったこと,同年4月5日以降は,故Cの担当主治医がD医師からE医師に交
替した平成7年2月13日までの約10か月の間,故Cに不正性器出血又は帯下
がみられなかったこと,D医師が故Cの主治医であった期間中,故Cに対し,下
腹部MRI(平成5年7月27日実施),子宮筋腫核出手術に伴う摘出子宮筋腫
の組織検査(同年8月11日実施),子宮頚管ポリープの組織検査(平成6年2
月21日実施),子宮卵管造影(同年8月31日実施)などの検査が実施された
が,いすれの検査の結果においても,故Cが子宮体癌に罹患していることを示す
兆候がみられなかったことが認められる。
    他方,上記争いのない事実等並びに証拠(甲1,4ないし8,23,2
6,28,29,乙1ないし4,10ないし15,18,19,26,27,2
9,30,33,36,証人E医師,原告A本人,鑑定)及び弁論の全趣旨によ
れば,故Cが罹患した子宮体癌は,中分化型(grade2)ないし低分化
型(grade3)の腺癌であったこと,腺癌は,分化の程度が低ければ低いほど進行
が速いこと,実際,故Cが罹患した子宮体癌も,平成7年10月13日に,同月
10日からみられた多量の不正性器出血を受けて子宮内膜細胞診が実施された
後,短期間のうちに膣壁から肺へと転移し,平成8年1月10日には故Cの死亡
という結果にまで至っており,極めて速い進行経過を辿ったことが認められる。
  (3)ア 以上認定の故Cにみられた不正性器出血や帯下の状況,故Cに対して
実施された各種検査の結果,故Cが罹患した子宮体癌の性質などを総合考慮する
と,D医師が主治医として故Cに対する診療を担当した平成4年7月22日から
平成7年2月13日までの間に,故Cが子宮体癌に罹患していた可能性は極めて
低いものというべきである。
   イ この点,鑑定人F作成の鑑定書には,「平成5年7月27日のMRI
検査所見から,このころに子宮体癌が存在した可能性は否定的である。」,「診
療録の記載から判断するに,本症例の子宮体癌に起因する出血は,リュープリン
による修飾もあり得るが,平成7年9月15日以降のものとするのが妥当ではな
かろうか。」との記述が,同人作成の補充鑑定書には,「(平成5年7月27日
のMRI所見に関し)本MRI所見は,T2強調画像にて,子宮内膜部分は正常
相当に高信号を呈しており,周囲のいわゆるjunctional zoneも保たれているの
で,癌の存在を否定したい。」との記述があり,上記アの結論に基本的に沿う内
容のものとなっている。
  (4) そうすると,D医師が主治医として故Cに対する診療を担当した期間
に,故Cが子宮体癌に罹患していたと認めることはできず,したがって,D医師
に,故Cに対する子宮体癌の検査を怠った過失があるということはできない。
    なお,D医師が主治医として故Cに対する診療を担当した期間中,故C
に対して癌の発見を主目的とする検診が実施されていないが,証拠(甲4ないし
8,10,13ないし17,21,23,29,30,乙17ないし22,24
ないし33,39,証人E医師,証人D医師,鑑定)及び弁論の全趣旨に照らす
と,我が国の当時の一般的な医療水準に従った場合,産婦人科を受診した女性患
者に対し,一律に定期的な癌検診を受けさせることが,医師としての義務となっ
ていたとまでいうことは困難であるし,故Cにみられた不正性器出血や帯下に対
しては,D医師によって相当な対処がなされ,これによりいずれの不正性器出血
や帯下もほどなく収まっていること,故Cに対する各種検査の結果においても,
故Cが子宮体癌に罹患していることを示す兆候がなかったことは,(2)にみたとお
りであるから,D医師が,主治医として故Cに対する診療を担当した期間に,故
Cに対して癌の発見を主目的とする検診を実施しなかったことをもって,直ちに
医師として相当ではなかったという評価をすることもできない。
 2 争点2(E医師の過失の有無)について
  (1) E医師の過失の有無を判断するための前提として,E医師が主治医とし
て故Cに対する診療を開始した平成7年2月13日から故Cに対して子宮体癌に
罹患しているとの診断がなされた同年11月7日までの期間における,故Cが子
宮体癌に罹患した時期につき,まず検討する。
   ア 上記争いのない事実等並びに証拠(甲1,4ないし8,10ないし2
1,23,26,28ないし30,乙1ないし22,24ないし27,29,3
0,32,35,36,38,39,証人E医師,証人D医師,原告A本人,鑑
定)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
   (ア)a 故Cに対しては,同人が平成4年7月22日にJ病院を初めて受
診して以来,D医師を担当主治医として,不妊治療並びにこれに付随して子宮内
膜症及び子宮筋腫に対する治療が続けられてきたが,故Cに妊娠の兆しがみられ
なかったため,平成7年2月13日,D医師から,不妊治療の経験が豊富なE医
師に対し,故Cに対する体外受精(IVF)の実施を念頭に置いた不妊治療の依頼が
なされ,故Cの担当主治医がD医師からE医師に交替した。同日,E医師から,
故Cに対し,体外受精を受ける意思の確認がなされ,同年5月に体外受精を実施
することが計画された。
     b 故Cは,同年3月3日,J病院を受診し,下垂体のホルモン検査
等が実施された。
       同月14日,J病院を受診し,超音波検査が実施され,卵巣の軽
度腫大(嚢胞)と子宮筋腫の筋腫核(直径約3センチメートル)が認められ,E
医師は,卵巣の腫大について,子宮内膜症によるものと判断した。その際,E医
師は,故Cに対し,体外受精を実施するまでは,D医師が処方していた排卵誘発
剤を服用するよう指示した。
     c 故Cは,同年4月7日,J病院を受診した。
     d 故Cは,同年5月2日,J病院を受診したところ,E医師は,体
外受精の実施に先立ち子宮内膜症を治療するため,故Cに対し,スプレキュア1
本を処方し,同月9日からスプレキュアの使用を開始するよう指示した。
       故Cは,E医師の上記指示に従い,同日からスプレキュアの使用
を開始したが,同月21日,下腹部痛が強く,冷汗も出て,ブラックアウ
ト(black out=目の前が真っ暗になること)となったこと,咳も出たことを訴
え,J病院の救急外来を受診した。この時には,当時日直であったJ病院脳神経
内科のG医師が,故Cを診察し,鎮痛剤を処方し,点滴を実施した。
       その後,故Cは,受診予定日の同月23日にJ病院を受診し,体
外受精のためにヒュメゴンの投与(注射)を指示され,同月25日から同月28
日までの4日間,毎日来院してヒュメゴンの投与を受けた(なお,同月26日に
は,診察も受け,同月29日の受診を指示された。)。
       同月29日,J病院を受診した際,不正性器出血がみられること
を訴えた(乙3(診療録)によれば,いったん診療録上に「平成7年5月27
日」の日付スタンプが打たれた後,手書きにより,この日付スタンプの日付け
が,「平成7年5月29日」と書き直されていることが認められるところ,診療
録上の,同日付スタンプが打たれている箇所の前後の箇所に打たれている日付ス
タンプの日付けに照らすと,手書きで書き直された「平成7年5月29日」が実
際の正確な日付けであると解される。したがって,乙29(E医師の陳述書)の
記載及び証人E医師の供述には,「平成7年5月27日」の日付けについての言
及がみられるが(これは,手書きにより書き直す前の日付スタンプによる日付け
が実際の正確な日付けであるとの理解が前提となっているものと考えられ
る。),これについては,「平成7年5月29日」と読み替えるべきであ
る。)。なお,E医師は,同年5月29日の時点では,故Cが訴えた不正性器出
血について,何の処置もしなかった。
     e 故Cは,同年6月1日,体外受精のため,J病院に1日入院し
た。入院中,体外受精の目的で,故Cに対し採卵が実施された際(なお,採卵に
は失敗した。),子宮内膜症性卵巣嚢胞が認められ,その内容液の細胞診が実施
されたが,特に異常はみられなかった。
       故Cは,受診予定日の同月6日,J病院を受診し,E医師によ
り,故Cに対し,子宮内膜症に対するホルモン療法のため,リュープリンの第1
回目の投与(注射)が実施された。
       故Cは,同月23日,自らJ病院を受診した際,同病院の看護婦
に対し,5月9日からスプレキュアの使用を開始したところ,使用を開始して
2,3日後(同月11日ないし同月12日)から,少量の不正性器出血があり,
その後,これが止まったり出たりしていること,夫婦間の性交後は,赤色の出血
になることを訴えた(なお,この訴えを受けた看護婦は,その内容を診療録(乙
3)に記載した。)。それからE医師の診察を受けたが,故Cには,褐色の膣分
泌物がみられた。E医師は,故Cが訴えた不正性器出血については,スプレキュ
アやリュープリンを使用ないし投与したことによって,多少ホルモンバランスが
崩れ,一時的に卵巣機能が低下(そのため,卵巣ホルモンの分泌が低下)し,こ
れによって生じたものである可能性があると判断し,この時点において,故Cに
対し特段の検査を実施することなく,止血剤であるオフタルムKを投与した。
     f 故Cは,受診予定日の同年7月4日,J病院を受診し,疲れやす
いこと,同年6月23日に訴えた不正性器出血は,オフタルムKを投与されてか
ら5日目(同月28日)から止まったが,3,4日前(同月30日ないし同年7
月1日)の性交時には出血したこと,左下腹部痛があることを訴えた。E医師
は,故Cが訴えた性交時の出血については,リュープリンを投与したことによっ
て生じたものであると判断し,また,左下腹部痛については,子宮内膜症によっ
て骨盤内臓器が癒着し,これによって生じたものである可能性が高いと判断し
た。また,E医師は,上記出血の訴えについて何の対処もすることなく,故Cに
対し,リュープリンの第2回目の投与(注射)を実施した。
       故Cは,同月21日,自らJ病院を受診し,10日前(同月11
日)から不正性器出血があることを訴えた。E医師は,これについても,リュー
プリンの投与が原因となって生じたものであると判断したが,何の処置もしなか
った。
     g 故Cは,同年8月4日にも,自らJ病院を受診し,不正性器出血
及び下腹部痛を訴えた。この時には,J病院のH医師が,故Cを診察し,膣鏡診
を実施したが,膣中の分泌物は血性ではないことが判明し,結局,故Cが訴えた
出血の原因については不明と診断された(なお,膣鏡診で出血の有無,その部位
の確認を行うが,診察時には,止血していることも多いので,診断は必ずしも容
易ではないとの指摘があるから,診断時に出血がなかったことをもって,故Cの
出血の訴えが根拠のないものと断定することはできない。)。
       故Cは,受診予定日の同月9日,J病院を受診したが,この時に
も,膣中の分泌物は血性ではないとの診断がなされ,リュープリンの第3回目の
投与(注射)が実施された。
     h 故Cは,前回1か月後の受診を指示されていたため,同年9月8
日,J病院を受診し,血尿があることを訴えた。この時,故Cに対し,リュープ
リンの第4回目の投与(注射)が実施された。
       故Cは,同月20日,自らJ病院を受診し,同月15日から不正
性器出血があることを訴えた。この時は,J病院のH医師が,故Cを診察し,膣
中に黄色の分泌物がみられるが,出血は認められないとして,萎縮性膣炎との診
断がなされ,故Cに対し,抗生剤が投与されるとともに,1週間後の受診を指示
された。
       その後,故Cは,同月26日,J病院を受診した。この時には,
故Cから,不正性器出血の訴えはなされなかった。
     i 故Cは,受診予定日の同年10月13日,J病院を受診し,同月
10日から不正性器出血があり,出血量が多めであること,左下腹部痛があるこ
とを訴えた。これに対し,E医師は,これまでに4回にわたってリュープリンの
投与(注射)を実施しているが,この時期に出血が多量にみられることは極めて
稀であると考え,故Cに対し,子宮内膜細胞診を実施した。また,この時,故C
に対し,リュープリンの第5回目の投与(注射)が実施された。
       同月20日には,同月13日に実施された子宮内膜細胞診の結果
が擬陽性であることが判明し,子宮体癌の疑いが生じた。
     j その後,故Cには,同月27日及び同年11月7日,不正性器出
血がみられ,子宮体癌が膣に転移している疑いが生じ,同日,子宮体癌に罹患し
ているとの診断がなされ,故Cに対し,子宮膣部細胞診,子宮内膜組織診,膣壁
腫瘤細胞診が実施された。
       同月9日,故Cに対し,膣壁腫瘤組織診が実施された。
       故Cには,同月9日ころから腹痛が発生し,同月13日,1週間
の自宅安静を指示された。
       同月14日には,同月7日に実施された子宮膣部細胞診の結果,
悪性細胞がみられること,膣壁腫瘤細胞診の結果が擬陽性であることが判明し
た。
       故Cは,このころから咳き込むようになり,腹痛も軽快すること
なく,容体が悪化した。
       同月17日,子宮体癌が肺に転移している疑いが生じ,故Cに対
し,子宮体癌に罹患していること,癌が膣壁に転移していることの告知がなされ
た。故Cは,同日,中央病院に入院し,再度子宮内膜組織診が実施された。
       同月22日になって,同月9日に故Cに対し実施された膣壁腫瘤
組織診の結果,故Cが膣癌に罹患していることが判明した。
       同月27日には,同月17日に故Cに対し実施された子宮内膜組
織診の結果,故Cの罹患した子宮体癌が,中分化型(grade2)ないし低分化
型(grade3)の腺癌であることが判明し,故Cに対し,抗癌剤の投与が開始され
た。
     k 故Cは,平成8年1月10日,子宮体癌から転移した肺癌のた
め,死亡した。
   (イ)a スプレキュアとは,視床下部ホルモンGnRH誘導体製剤の一種
で,子宮内膜症,子宮筋腫などに対する治療のため使用される薬剤であり,子宮
内膜症に対しては,病巣の縮小及び消失を導き,子宮筋腫に対しては,筋腫の縮
小並びに過多月経,下腹痛,腰痛及び貧血の改善を導くといった効能があるとさ
れる。
       使用方法は,成人の場合,1回あたり,左右の鼻腔内にそれぞれ
1噴霧ずつを1日3回,月経周期1~2日目から投与するというものである。
       使用上の注意としては,一般的注意点として,「投与に際して,
類似疾患(悪性腫瘍など)との鑑別に留意し,投与中腫瘤が増大したり臨床症状
の改善がみられない場合には投与を中止すること」などが,禁忌として,「診断
のつかない異常性器出血の患者(類似疾患(悪性腫瘍など)のおそれがある。)
には投与しないこと」などが挙げられている。
       副作用として,子宮・卵巣に,不正出血(5パーセント以上の割
合の頻度又は頻度不明),帯下(0.1~5パーセント未満の割合の頻度)など
がみられることがあり得るとされている。
       以上の情報は,スプレキュアの製品説明書にも記載されている。
     b リュープリンとは,LH-RH誘導体である酢酸リュープロレリ
ンの注射用徐放性製剤であり,子宮内膜症や過多月経,下腹痛,腰痛及び貧血等
を伴う子宮筋腫に対して効能があるとされる。
       使用方法は,子宮内膜症に対しては,成人の場合,4週に1回,
酢酸リュープロレリンとして皮下に投与(注射)するというものである。
       使用上の注意としては,重要な基本的注意点として,「投与に際
して,類似疾患(悪性腫瘍等)との鑑別に留意し,投与中腫瘤が増大したり,臨
床症状の改善がみられない場合は投与を中止すること」などが,禁忌として,
「診断のつかない異常性器出血の患者(類似疾患の可能性がある。)には投与し
ないこと」などが挙げられている。
       副作用として,女性生殖器に,不正出血,膣乾燥,性交痛,膣
炎,帯下増加,卵巣過剰刺激症状(いずれも0.1~5パーセント未満の割合の
頻度)などがみられることがあり得るとされている。
       以上の情報は,リュープリンの製品説明書にも記載されている。
   (ウ) 子宮体癌に罹患した患者は,その大多数が何らかの症状を自覚し,
自覚症状のない患者は,全体の1~4パーセントにすぎない。主要な自覚症状と
しては,不正性器出血,帯下及び疼痛(下腹部痛)が挙げられる。
      不正性器出血は,子宮体癌患者全体の80~90パーセントにみら
れる初発症状であり,帯下,下腹部痛などを初発症状とする残りの10~20パ
ーセントの患者も,何らかの形の不正性器出血を伴っている。子宮体癌患者の不
正性器出血は,持続的かつ多量なことは稀で,多くは間欠的少量である。
      子宮体癌の腺癌の分化の程度は,高分化型(grade1),中分化
型(grade2)及び低分化型(grade3)に分類され,これが低ければ低いほど癌の
進行が速い。
      子宮体癌の進行期は,基本的に,第1期(第1期A~第1期C),
第2期(第2期A~第2期B),第3期(第3期A~第3期C)及び第4期(第
4期A~第4期B)に分類され,膣転移がみられるものは第3期(第3期B)
に,遠隔転移がみられるものは第4期(第4期B)に該当する。
   イ 以上認定したとおり,故Cが平成7年5月9日にスプレキュアの使用
を開始したところ,スプレキュア使用開始日の2,3日後(同月11日ないし同
月12日)から,故Cに,少量の不正性器出血が発生し,その後もこの出血ない
し帯下が,同年10月13日に子宮内膜細胞診が実施されるまで断続的に継続し
たこと,この間,故Cには,救急外来受診をはじめ,予定日外の受診が頻発して
おり,不正性器出血や帯下以外にも,下腹部の痛みや咳,疲れやすいなどの体調
不良がみられたこと,不正性器出血,帯下及び下腹部痛は,子宮体癌の症状であ
り,特に不正性器出血は,ほとんどすべての子宮体癌患者にみられること,同年
11月7日,故Cが子宮体癌に罹患しているとの診断がなされたこと,同月17
日に実施された子宮内膜組織診の結果,故Cの罹患した子宮体癌が,比較的進行
が速いとされる中分化型(grade2)ないし低分化型(grade3)の腺癌であること
が判明したこと,実際,故Cが罹患した子宮体癌は,平成7年10月13日に,
同月10日からみられた多量の不正性器出血を受けて子宮内膜細胞診が実施され
た後,短期間のうちに膣壁から肺へと転移し,平成8年1月10日には故Cの死
亡という結果にまで至っており,極めて速い進行経過を辿ったこと,故Cの子宮
体癌は,同年10月13日の時点で,既に末期ないし末期に近い第3期ないし第
4期まで進行していたことが認められ,これらを総合考慮すれば,故Cが子宮体
癌に罹患した時期は,故Cに不正性器出血が発生した平成7年5月11日ないし
同月12日の時点ころであるというべきである。
   ウ なお,故Cには,スプレキュア使用中ないしリュープリン投与中に不
正性器出血ないし帯下がみられているところ,スプレキュア及びリュープリン
は,いずれも,その副作用として不正性器出血や帯下が挙げられているから,個
々の不正性器出血や帯下のみに着目しただけであれば,その出血がスプレキュア
又はリュープリンの副作用によって生じたものであるのか,あるいは,子宮体癌
に起因するものであるのかが直ちに明らかであるとはいえない(ただし,リュー
プリンの副作用として不正性器出血や帯下がみられる頻度は,ア(イ)bに認定の
とおり,0.1~5パーセント未満の割合であることに照らすと,リュープリン
投与中に故Cにみられた不正性器出血ないし帯下が,リュープリンの副作用によ
って生じたものである可能性自体,かなり低いものと考えられる。)。
     しかし,故Cにみられた不正性器出血ないし帯下が長期にわたり断続
的に継続したこと,その間に,下腹部痛や咳,疲れやすいなどの体調不良もみら
れたことをも考え合わせると,故Cにみられた一連の不正性器出血ないし帯下
は,子宮体癌に起因するものである可能性が極めて高いものということができ
る。
   エ 鑑定人F作成の補充鑑定書には,「平成5年はともかく,平成7年5
月あるいは6月に(子宮内膜細胞診や組織診が)実施されていれば,子宮体癌が
発見された可能性は高いと判断される。」との記述があり,また,証人E医師の
供述中にも,平成7年5月以降の出血について,「後で考えてみれば,子宮体癌
による出血であった可能性は否定できない。」との供述があり,これらは,上記
イの結論に基本的に沿う内容のものとなっている。
     もっとも,他方,同人作成の鑑定書には,「診療録の記載から判断す
るに,本症例の子宮体癌に起因する出血は,リュープリンによる修飾もあり得る
が,平成7年9月15日以降のものとするのが妥当ではなかろうか。」との記述
が,上記補充鑑定書には,「平成7年5月の不正出血は,スプレキュア投与が開
始されてから発現している。したがって,この場合も,同薬剤に起因すると考え
るのが妥当であろう。」,「ボンゾールやスプレキュア投与時の出血は,投与開
始の早期から訴えており,ホルモン投与に起因するとするのが妥当であろうと考
える。」との記述があり,同記述は,一見,上記イの結論と矛盾する内容のもの
となっているようにもみえる。
     しかし,上記鑑定書及び補充鑑定書の内容を子細にみると,本件鑑定
は,鑑定結果を導くに当たり,平成7年5月11日ないし同月12日から故Cに
不正性器出血が発生し,この出血ないし帯下が同年10月13日ころまで断続的
に継続したという事実や,この間,故Cに下腹部の痛みや咳,疲れやすいなどの
体調不良がみられたという事実を誤認ないし軽視しているきらいがあることが窺
われ(例えば,鑑定書には,「出血は,リュープリン開始(平成7年6月6日)
から5日後に止まる。」との記述が,補充鑑定書には,「不正出血は,平成7年
5月9日からスプレキュア開始2~3日後から5日後まであるも,その後は止血
している。」,「平成7年6月6日からはリュープリンが開始されたが,3か月
も経過してからの9月8日に血尿,同15日から不正出血を訴えている。」,
「(出血は)リュープリン投与時では,投与開始早期ではなく3か月以上経過し
てからである。」との記述があるが,これらが誤認によるものであることは,上
記ア(ア)に認定のとおりである。),故Cの実際の正確な症状を十分に反映した
結論が導かれているものとはいいがたく,本件鑑定の上記記述内容を直ちに全面
的に採用することはできない。また,鑑定書及び補充鑑定書の上記各記述が,断
定的な表現とはなっていないことにも照らすと,上記記述が,上記イの結論と直
ちに矛盾するものともいえない。
  (2) そこで,E医師の過失の有無につき検討する。
   ア(ア) 上記(1)アに認定の事実並びに証拠(甲4ないし8,10,13な
いし17,21,23,29,30,乙17ないし19,21,22,24ない
し29,31,32,39,証人E医師,証人D医師,鑑定)及び弁論の全趣旨
によれば,子宮体癌患者全体の80~90パーセントに,初発症状として不正性
器出血がみられ,帯下や下腹部痛などを初発症状とする患者についても,何らか
の形の不正性器出血を伴っていること,子宮体癌患者にみられる不正性器出血
は,持続的かつ多量なことは稀で,多くは間欠的少量であること,子宮体癌の発
見を目的とする検診としては,子宮内膜の細胞診や組織診などがあること,子宮
体癌に罹患している患者に対し,子宮内膜の細胞診や組織診,特に子宮内膜全面
掻爬による組織診を実施した場合,ほぼ確実に子宮体癌を発見できること,昭和
62年から老人保健法に基づいて施行されている「老人保健法による健康診査マ
ニュアル」において,子宮体癌検診の対象者として,最近6か月以内に不正性器
出血を訴えたことのある者で,①年齢50歳以上の者,②閉経以後の者,③未妊
婦であって月経不規則の者が挙げられており,①ないし③以外に,この条件に該
当しない場合でも医師が必要と認める場合は実施するという付帯事項があること
が認められる。
    (イ) 以上認定の事実に鑑みれば,医師としては,自己の担当患者に不
正性器出血ないし帯下がみられ,この出血ないし帯下が,現に患者に投与中の薬
剤の副作用によるものであることが明らかであるなどの場合を除いては,すなわ
ち,子宮体癌に起因するものであることを完全に否定することができないような
場合には,原則として,患者に対して,子宮内膜の細胞診や組織診などの検査を
実施すべきであり,特に,子宮体癌の可能性を完全に否定することができない状
況において,副作用として不正性器出血や帯下,下腹部痛などが生じる可能性が
ある薬剤を投与することは,その結果,当該薬剤投与後に不正性器出血や帯下,
下腹部痛などがみられた場合に,これが,子宮体癌に起因するものであるのか,
あるいは,当該薬剤の副作用によるものであるのかの鑑別が著しく困難となり,
子宮体癌の発見が不当に遅延するおそれが生じるから,上記検査を実施すること
なく,上記副作用の生じる可能性のある薬剤を使用することは,これを厳に避け
るべき注意義務があるというべきである。
   イ(ア) これを本件についてみるに,故Cに,平成7年5月9日のスプレ
キュア開始後の同月11日ないし同月12日から少量の不正性器出血が発生した
こと,この出血が,同年6月6日にリュープリンの第1回目の投与(注射)が実
施された時点においても,なお断続的に継続していたこと,故Cが,同年5月2
1日に,J病院を受診し,下腹部痛等を訴えたこと,リュープリンには,副作用
として,女性生殖器に,不正出血,膣乾燥,性交痛,膣炎,帯下増加,卵巣過剰
刺激症状(0.1~5パーセント未満の割合の頻度)などがみられる可能性があ
るとされていることは,(1)アにみたとおりである。
       そして,同月11日ないし同月12日から故Cに発生した少量の
不正性器出血が,同年6月6日の時点においても,なお断続的に継続していたと
いう事実に照らすと,その出血が薬剤に起因するものであるのか,あるいは,子
宮体癌に起因するものであるのかについては,必ずしも明らかでなく,同日時点
では,故Cが子宮体癌に罹患しているという可能性を完全には否定することがで
きない状況にあったものといえるから,故Cの主治医としては,遅くとも,故C
に対し,上にみたような副作用が生じる可能性があるリュープリンの投与(注
射)を新たに実施するに先立って,故Cに対し,子宮内膜の細胞診や組織診など
の検査を実施すべき注意義務があったものというべきである。
       したがって,平成7年6月6日の故Cに対する第1回目のリュー
プリン投与(注射)に先立ち,故Cに対し,子宮内膜の細胞診や組織診などの検
査を実施しなかったE医師には,上記注意義務を怠った過失があるものというべ
きである。
    (イ) もっとも,上記(1)アに認定のとおり,故Cが,同年5月11日な
いし同月12日に不正性器出血が発生し,これが断続的に継続していることを明
確に訴えた時期は,既にE医師によって第1回目のリュープリン投与(注射)が
実施された後である同年6月23日の時点に至ってからであることが認められ,
これによれば,第1回目のリュープリン投与(注射)が故Cに対して実施された
時点においては,E医師が,故Cに発生した不正性器出血の正確な状況を十分に
認識していなかった可能性もある。
       しかし,故Cは,同年5月11日ないし同月12日の不正性器出
血発生以来,同年6月23日までの間に,E医師の指示により,複数回にわた
り,ヒュメゴンの投与又は診察のため中央病院を訪れており,担当主治医として
は,そうした機会に,積極的に故Cに対し,不正性器出血の有無やその程度等に
ついて容易に確認することができたはずであるし,確認すべきであったこと,ま
た,同年5月29日には,故Cから直接E医師に対し,不正性器出血がみられる
との訴えがなされた事実が認められることからすると,故Cに発生した不正性器
出血の正確な状況を容易に認識できたものというべきであるから,E医師にこの
点の認識が十分でなかったからといって,その過失が否定されることにはならな
い。
       なお,上記(1)アに認定のとおり,同年6月1日,J病院に入院中
の故Cに対し,体外受精の目的で採卵が実施された際,子宮内膜症性卵巣嚢胞の
内容液の細胞診が実施され,その結果,特に異常がみられなかったという事実が
認められるが,卵巣嚢胞の内容液の細胞診だけでは,子宮体癌の検診として十分
であるといえないことは明らかであるから,このような事実があるからといっ
て,E医師の過失が否定されることにはならない。
       また,子宮内膜の細胞診や組織診,ことに子宮内膜全面掻爬によ
る組織診を実行することは,子宮内膜を傷つけ,受精卵の着床を妨げるおそれが
あり,不妊治療に悪影響を及ぼす可能性が高いことが認められることは,4(1)ア
にみるとおりであるが,同年6月1日に体外受精のための採卵に失敗した直後で
もあった上,そもそも不妊治療よりも死亡の可能性がある子宮体癌の発見の方
が,重要で優先すべきことであることは,いうまでもないから,このような事情
があるからといって,E医師の上記注意義務が免除されることにもならない。
   ウ 以上のとおり,E医師には,平成7年6月6日に,故Cに対して第1
回目のリュープリン投与(注射)を実施するに先立って,故Cに対し,子宮内膜
の細胞診や組織診などの検査を実施しなかったという過失があるものというべき
である。
 3 争点3(D医師又はE医師の過失と故Cの死亡との相当因果関係の有無)
について
  (1) 上記2(2)ア(ア)に認定のとおり,子宮体癌に罹患している患者に対
し,子宮内膜の細胞診や組織診,特に子宮内膜全面掻爬による組織診などの検査
を実施すれば,ほぼ確実に子宮体癌を発見できることが認められる。
    そして,故Cが平成7年6月6日ころの時点で子宮体癌に罹患していた
ものと認めるべきであることは,2(1)にみたとおりである。
    したがって,本件において,E医師が,遅くとも同日ころの時点で,故
Cに対し,子宮内膜の細胞診や組織診,特に子宮内膜全面掻爬による組織診など
の検査を実施すれば,その当時故Cが罹患していた子宮体癌を発見することがで
きたものというべきである。
  (2)ア また,上記2(1)に認定の事実並びに証拠(甲1,4ないし8,2
3,28,29,乙1ないし4,10ないし15,18,19,26,27,2
9,30,33,35,36,証人E医師,原告A本人,鑑定)及び弁論の全趣
旨によれば,故Cの罹患した子宮体癌が,比較的進行が速いとされる中分化
型(grade2)ないし低分化型(grade3)の腺癌であり,実際,平成7年10月1
3日に子宮内膜細胞診が実施された後,短期間のうちに膣壁から肺へと転移し,
平成8年1月10日には故Cの死亡という結果にまで至るという,極めて速い進
行経過を辿ったこと,平成5年の日本産科婦人科学会の集計によると,我が国で
昭和48年から昭和57年の間に9機関で治療された子宮体癌871例の5年治
癒成績(5年生存率)は,第1期癌が87.5パーセント,第2期癌が74.0
パーセント,第3期癌が46.7パーセント,第4期癌が5.6パーセントであ
ること,故Cの罹患した子宮体癌は,平成7年10月13日の時点で,末期ない
し末期に近い第3期ないし第4期まで進行していたことが認められる。
   イ 以上認定の事実によれば,故Cの罹患した子宮体癌は,遅くとも,末
期ないし末期に近い第3期ないし第4期まで進行していた平成7年10月13日
の約4か月前に当たる同年6月6日ころの時点までに発見されていれば,未だ膣
などの他臓器への転移にまで至っていない早期の段階に止まっていた可能性が極
めて高く,そうであれば,同日ころの時点において,発見された子宮体癌の癌細
胞部分を除去したり,場合によっては,癌細胞に侵されている子宮等の臓器その
ものを摘出したり,速やかに放射線治療等の措置を施したりすることによって,
平成8年1月10日の故Cの死亡の結果を避けることができた蓋然性が極めて高
いものというべきである。
   ウ なお,本件鑑定においては,平成7年6月6日ころの時点で故Cが罹
患していた子宮体癌が発見されれば,平成8年1月10日の故Cの死亡の結果を
避けることができたか否かという点について,直接の判断がなされていないが,
故Cが罹患していた子宮体癌が,極めて速い進行経過を辿ったこと自体は,明確
に認められており,それだけに,子宮体癌の発見が約4か月も早い時点であれ
ば,救命の蓋然性が格段に高くなるものともいえるのであって,本件鑑定結果
が,上記結論と直ちに矛盾するものではないということができる。
  (3) したがって,E医師の過失と故Cの死亡との間には相当因果関係がある
ものというべきである。
 4 争点4(故Cの損害等)について
  (1) 過失相殺の規定(民法722条2項)の類推適用
   ア 上記争いのない事実等並びに証拠(甲4ないし8,10,15ないし
17,21,23,29,30,乙1,3,6,9,17ないし21,29,3
8,証人E医師,証人D医師,原告A本人,鑑定)及び弁論の全趣旨によれば,
故Cは,挙児を希望して,平成4年7月22日,不妊治療を受ける目的でJ病院
を初めて受診したこと,故Cは,J病院を受診する以前から,他病院において,
不妊治療を受けていたこと,故Cは,J病院の初診である同日以来,3年以上の
期間にわたって,J病院の不妊治療を受けていたが,この間,全く妊娠の兆候が
みられなかったこと,故Cの年齢が,J病院を初めて受診した当時,既に35歳
に達していたこと,不妊治療中の患者に対して,細胞診や組織診,ことに子宮内
膜全面掻爬による組織診を実施することは,子宮内膜を傷つけ,受精卵の着床を
妨げるおそれがあり,不妊治療に悪影響を及ぼす可能性が高いことが認められ,
故Cの担当主治医であったE医師も,かかる不妊治療に及ぶ悪影響の可能性と故
Cの受胎への強い期待を考慮して,子宮体癌の検査を躊躇したこと,また,故C
が子宮体癌に罹患した時期が,体外受精の予定時期と近接していたため,その準
備等もあって,E医師としては,子宮体癌の兆候を見逃しやすい状況に置かれて
いたことが窺われる。
   イ このような事情を考慮すると,E医師には,故Cに対する子宮体癌の
検査を怠ったことにつき,やむを得ない側面があることも否定できず,加害者と
被害者との間の公平を図るという観点から,過失相殺の規定(民法722条2
項)を類推適用し,故Cに発生する損害額から,その3割を減じるのが相当であ
る。
  (2) 損害額
   ア 故Cの逸失利益及び原告らの相続
     証拠(甲27,原告A本人)及び弁論の全趣旨によれば,故C(死亡
当時39歳)は,死亡時(平成8年1月10日)の前年である平成7年に,教師
として,1年間に693万9122円の収入を得ていた事実が認められるから,
この収入を基礎に,死亡後67歳までの28年間就労可能であったものとし(ラ
イプニッツ係数14.8981),生活費控除割合40パーセントとして,故C
の逸失利益の死亡当時の現価を算出すると,以下の計算式のとおり,6202万
7840円(円未満切捨て。以下同じ。)となる。
     (計算式)
      6,939,122×(1-0.4)×14.8981=62,027,840
     そして,原告Aはこれを3分の2(4135万1893円),原告B
はこれを3分の1(2067万5946円),それぞれ相続した。
   イ 慰謝料
     故Cの死亡当時の年齢,J病院における診療経過その他本件に関する
一切の事情を考慮すると,同人の死亡による原告ら固有の慰謝料は,原告Aにつ
き1400万円,原告Bにつき600万円とするのが相当である。
   ウ 墳墓・葬祭費
     弁論の全趣旨によれば,原告Aが故Cの墳墓・葬祭費を支出したこと
が認められるところ,故Cの死亡当時の年齢,職業等を考慮すると,本件と相当
因果関係のある墳墓・葬祭費相当の損害額としては,120万円を認めるのが相
当である。
  (3) 過失相殺類推適用による減額後の損害額
    (2)で認定した損害額は,原告Aにつき5655万1893円,原告Bに
つき2667万5946円であるから,(1)の過失相殺類推適用による減額をする
と,以下の計算式のとおり,原告Aの損害額は3958万6325円,原告Bの
損害額は1867万3162円となる。
    (計算式)
     56,551,893×0.7=39,586,325
     26,675,946×0.7=18,673,162
  (4) 弁護士費用
    本件と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額は,原告Aにつき3
90万円,原告Bにつき180万円とするのが相当である。
第4 結論
   以上によれば,被告は,故Cに対する不法行為(使用者責任)に基づく損
害賠償責任を免れず,原告Aに対し4348万6325円,原告Bに対し204
7万3162円とそれぞれに対する故Cの死亡の日である平成8年1月10日か
ら民法所定の年5分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があり,原告らの
請求はその限度で理由があるからこれをそれぞれ認容し,その余は理由がないか
らこれをいずれも棄却することとし,訴訟費用の負担につき民訴法61条,64
条本文,65条1項本文を,仮執行の宣言につき同法259条1項をそれぞれ適
用して,主文のとおり判決する。
     鳥取地方裁判所民事部
            裁判長裁判官   内   藤   紘   二
               裁判官   中   村   昭   子
              裁判官   下   澤   良   太

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